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2019年12月29日日曜日

70歳、退化への道をまっしぐら爆進する



4年間公立病院に勤めたあと、15年間今の職場でフルタイムで働いてできて、年末、「チェッまたつまんねー仕事かよッ」と、不貞腐れ顔で出勤したら、70の形をした風船とチョコレートケーキが用意されていて、嬉しかった。
あとで写真を見てみたら、写っている職場の面々の出身国は、中国、東チモール、バングラデイシュ、ネパール、タイ、チリ、シオラレオーネと、全員異なる。いかにも移民で形作られてきたオーストラリアの姿を表している。国内紛争で避難民としてオーストラリアに来た人も、クーデターが起きて国を追われてきた人もいる。シラレオーネ出身の人は,、むかし親がダイヤモンド鉱山を持ち主だったが20数年前、外国資本の進出とともに暴力的に国をたたき出されたという。落ち着き先のシドニー郊外で、一家のために用意されたアパートには家具もあって、冷蔵庫にはミルクや食料が入っていて、戸棚には人数分の衣類まで入っていたそうだ。彼女は5歳だったが、その時の安堵と感動が忘れられないと言っていた。そのころは移民の受け入れも、とても良かった。ボスニアから赤ちゃんを抱えて亡命してきて、私と一緒にナースの資格を取った人も居る。オージー移民の話をひとりひとり聴いていると、地球規模の現代史が読み取れる。

オーストラリアの総人口は、2500万人。全人口に占める外国生まれは、人口の28.6%。オージーの4人に1人以上が外国生まれだ。私と娘たちが10年暮らしたフィリピンからオーストラリアに到着した1996年には、オーストラリア人口は、1500万人だった。 私たちがシドニーで勉強したり働いたり四苦八苦している間に1000万人の外国人が移民してきたことになる。政府が積極的に移民を受け入れてきた結果、激しい勢いで人口が増えて、街のインフラが間に合わず、遂に移民制限をしなければならなくなっている。

オーストラリアに来てナースの資格をもとに病院に勤めながら、政府の医療通訳に登録して、日本からの旅行者や在豪日本人が病気になったり怪我したときの医療通訳や、修学旅行の付き添い、搬送などのお手伝いをしてきた。自然、若い人達との交流もあり、今の日本の若い人について考えることも多い。

オーストラリアに、世界中からワーキングホリデイビザで来る若者の数は、毎年15万人。クイーンズランド州の農園では、フルーツピッキングに従事する人の90%が、ワーキングホリデイメイカーだ。オーストラリアの季節労働者は、ワーキングホリデイの労働力に依存していると言っても良い。去年オーストラリアを旅行した日本人旅行者は、47万人。ワーキングホリデイは5000人くらいだろうか。ワーキングホリデイは、18歳から31歳までの若者で農場で6か月以上働くと、最長3年間オーストラリアに居られる。最低賃金として決められているのは、最低時給20ドル、これに年金もつく。三寒四温で温暖な日本から、自然環境の厳しいオーストラリアに来ると病気も怪我も多いが、学ぶことは無限にあると言って良い。もっとたくさんの日本の若者が来て、オーストラリア人に触れて、しっかり働いて学んでほしいと思う。「とじこもり」の親は、そうした子供のポケットに1000ドルとパスポートねじ込んで、どんどん送ってもらいたい。

同時に日本でもワーキングホリデイビザを発行してもらいたい。31歳までの若い人々が世界中から来て、働くようになったら日本の労働市場も変わるだろう。研修生とか実習生と言う名の奴隷ではなく、中間斡旋業者を認めず、国と自治体が斡旋して外国から来た若者に職場を解放すれば、今のコンビ二業界や宅配業者は変わらざるを得ないだろう。年々人口が減り、経済が停滞し回復する見込みがない日本で、労働力不足を安価なアジアからの研修生でしのぐことは、かつて治安維持法と同時に中国と韓国から人々を拉致して強制労働させた国家的犯罪に通じる。世界中からワーキングホリデイビザで若者を受け入れるようになったら日本人の世界観も変わるだろう。

GAFAというグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの国境を越えたジャイアント企業が、世界中の富の半分以上を日々稼いでいる。資本主義世界のこうした構造を一挙にくつがえすことはできない。資本主義社会で労働者は、ほんの一部の資本家の奴隷にすぎない。しかし、生活レベルでは、圧倒的多数の労働者たちにとって、資本家には無いものがある。
それは人としての誇りだ。

70歳、COPDという治癒することのない呼吸障害がある。手指が変形してきて痛みもあり、曲げることができない関節もある。もうヴァイオリンは弾けないし、ギターも、そう遠くない時期に弾けなくなるだろう。記憶力が悪くなり、職場でポカもやる。PC操作では、問題が起こると娘たちの助けがないと解決できない。ヴィザの更新などPCで一人ではできない。70歳、退化への道をまっしぐらに爆進している。
しかし、人が誇りをもって働くということ。働くことによって生活の中に、喜びも哀しみも含めた人生に価値を作っていく。賃金を伴うかどうかに関わらず、人の為に働く、そのことが自分のために働くことになる。最後まで働く、ということで労働者としてのささやかな誇りをもっていきたい。そんなことを想った誕生日。
歌はクイーンの「LOVE OF MY LIFE」

2019年12月4日水曜日

2019年に観た映画 ベストテン

2019年に観た映画 ベスト10
第1位:フリーソロ
第2位:グリーンブック
第3位:ボヘミアンラプソデイ
第4位:たちあがる女
第5位:永遠の門ゴッホの見た未来
第6位:NEVER LOOK AWAY
第7位:ジョーカー
第8位:フォードVSフェラーリ
第9位:ワンス アポン イン ハリウッド
第10位:ホワイト クロウ

第1位:「フリー ソロ」
世界的な登山家で写真家のジミー チェンの作品。https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_22.html
登山家アレックス オニルドが、ザイルもカラビナもハーケンもいっさい使わずに、たった一人でカルフォルニア ヨセミテの1000メートルに近い絶壁を登頂したドキュメンタリーフイルム。このエル カピタンと呼ばれる岩壁を、ジミー チェンらチームが重い機材を持ってザイルで位置を確保しながら登山家と共に岩壁にはりつきながら撮影した貴重なフイルム。1インチに満たない岩の尖りに足をかけ、指3本でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていく。山の素晴らしさを見せてくれる最高のフイルムだ。



第2位:「グリーンブック」
https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/01/blog-post_28.html
アフリカンアメリカンを受け入れるモーテルやレストランの案内書であるグリーンブックは、1936年から1967年までの間で、盛んに利用されていた。このガイドブックなしにアフリカンアメリカンが安全に他州へ移動したり旅行することはできなかったからだ。イタリア移民を演じたビゴ モーテンセンと、黒い肌をもった天才的ピアニストを演じたマーシャラ アリが素晴らしい演技を見せてくれた。アリがその長い指でショパンを弾いたときは、演技と思えない指運びに感動した。


第3位:「ボヘミアンラプソデイ」
2019年第91回アカデミー賞で、主演男優賞、編集賞など4つの賞を受賞した。映画はフレデイ マーキュリーが生きていた時代には、まだ生まれていなかった若い人々を魅了させクイーンが再び脚光を浴びるリバイバル社会現象を引き起こした。1986年8月に英国ネブワース公演で、30万人の観客の前でフレデイが絶唱したのが最後のコンサートになったが、この何十万人もの熱狂する観客が、フレデイの目に映るシーンがこの映画の最も興奮するところだ。彼は観客を熱狂の渦に巻き込むことにおいて天才だった。今だったらエイズでも死なないで済んだ。本当に彼の死が惜しい。



第4位:アイスランド映画「たちあがる女」(WOMAN AT WAR)https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_9.html
ハイランド地域に住む50歳の独身音楽教師が、近所の多国籍企業のリオ テントが所有するアルミニウム工場の垂れ流す廃液が環境を破壊することに腹を立て、たった一人で工場の送電線を切り、操業を妨害をする。それを批判しながらも手を貸す村の人々や、警察とのやり取りが、ユーモラスで、深刻な問題を扱っているのに、あたたかい。群れることなくどんなに孤立しても戦うおとなの女の強さ、それをとりまくおとなの成熟した社会に心動かされる。


第5位:「永延の門 ゴッホの見た未来」
https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/12/blog-post.html
ゴッホの目ではどんなふうに世界画見えていたのかという視点で、ジュリアン シュナベール監督によって作られたフイルム。ハンドカメラのズームアップ接写と、風景など遠くを映す手法とを交互に使ってゴッホに少しでも近付こうとしている。自然の中でも、人々の中でもゴッホはいつも孤独だった。絵筆と葡萄酒だけが友だった。

第6位:「NEVER LOOK AWAY」
https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/07/neverlookaway.html
ドイツの現代画家、ゲルハルト リヒターのバイオグラフィー。ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、画家として困難な時期を越えて西ドイツに逃れてから、シュールリアリズム、フォトリアリズム、フラットなどの概念で現代美術をけん引してきた。一人の若い画家の成長物語になっていて、絵を描く人にインスパイヤする力を持っている。作品も役者達も美しくて、とても良いドイツ映画。日本でも人気のある現代作家なのに、どうして日本で公開しないのかわからない。

第7位:「ジョーカー」https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_14.html
監督トッド フイリップ監督によって、DCコミックス「バットマン」の悪のカリスマジョーカーが誕生するまでの姿を描いた作品。ホアキン フェニックスは、ジョーカーを演じるために体重を20キロ落としたそうだが、彼のおかしくないのに笑う表情の苦しそうな顔も、リズムに乗っていない動きで踊り狂う姿も真に怖ろしい。

第8位:「フォードVSフェラーリ」https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/12/vs.html
マット デーモンもクリスチャン ベール、二人の持ち味が適役で、とても良くできた映画だった。最後のどでんがえしが、泣ける。
第9位:https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/09/blog-post_9.html
「ワンス アポン アタイム インハリウッド」
子供の時から映画を愛しハリウッドで育ったクエン タランテイーノ監督は、ハリウッドの歴史を書き換えたかったのだろう。余りにも凄惨なシャロンテート事件は、LSDとベトナム戦争で荒廃しきった1960年70年代のアメリカの姿を映し出した。歴史を変えることはできないがタランテイーノは自分のフイルムの中で、ハリウッドを愛する者として1969年を書き直したのだ。

第10位:「ホワイト クロウ」
シェイクスピア劇場出身の役者であるレイ ファインズが監督したロシア人バレエダンサー、ルドルフ ヌレエフの半生を描いた作品。ヌレエフがタタール出身のロシア人だったことを初めて知った。ムスリムの少数民族出身だったことが、どんなにレニングラードバレエでプリンシパルに抜擢されても、いつも部外者扱いされ、ついには亡命することにつながった。ヌレエフを演じたオレグ イヴェンコが素晴らしいダンスを見せてくれる。セルゲイ ボルーニンも出てくる。跳躍力のある華麗な踊りが美しくて、いつまでも見ていたくなる。https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/08/blog-post.html




映画 「フォード VS フェラーリ」

ところで車の話だ。
運転する人はみんな自分の車が好きだと思うけど、自分も車が好きだ。一体感が普通じゃない。動くものにはみな命が通っているような気がして、車を停めて何か用事で車を離れるときなど、必ず「ちょっと待っててね。」と言って車の鼻先を撫でていく。やっと長時間の仕事が終わって帰途に就くときは、「さあ、トヨタちゃんお家に帰ろうね。」と告げるし、渋滞に巻き込まれた時など「トヨタちゃん、へこたれるなよ。」などと言って励ます。車に話しかける人って、変だろうか。

25年前に、公的交通機関の未発達なシドニーに来て以来、運転しないで済む日はほとんどないが新車を買ったことがない。来たばかりの頃、地元のブローカーに中古車のオークションに連れて行ってもらった。クレジットカードなど通用しないと言われて、6000ドルの札束を抱えて行って、古いトヨタカローラを競りで落とした。車を生産している日本では考えられないだろうが、15年の中古でも50万円した。メカのことはなにもわからないから、「とってもきれいな空色の車」というだけの理由で車を選んだは良いが、運転席に座ってみても動かない。ギアをニュートラルにしないとキーを差し込んでも車は動かないことを、そのとき教わった。オートマチックカーが初めてだったのだ。でもそれでも動かない。ガス欠と言われ、隣のガソリンスタンドまで人に押してもらったが、さて、どのホースからガソリンを入れるのか知らない。めんどくさそうなガソリンスタンドのおっさんに無鉛ガソリンをどうやって入れるのか教えてもらってやっと、車を始動させることができた。右も左も地図がわからない来たばかりのシドニーで、付いてきてもらったブローカーの車の後を、命がけで必死で追って家に帰って来た。よく帰ってこられたと感心する。

その車がポンコツになったあと買ったのが、当時唯一オーストラリアで生産していたホールデン社のコモドール。塗装が悪いことで有名で、「ホールデンの中古車買ったの。」と言うと「へえ、何色だったの?」と過去形で聞かれる。スモーキーカラーというか、緑色だった時もあった、というか、迷彩カラーで、エンジンはデカいからすごい音がして、戦車を運転しているような気分だった。これも数年でボロボロになり最後の日、引き取ってくれる業者のところまで1時間近く運転して行った。着いたところで「これでお別れだよ。長い事本当にありがとう。」と言い終わらないうちに、車はギュルギュル シュ―!と返事をしてそのままエンジンが死んだのだ。業者が移動させようとしてキーを入れたが、その車は二度と動かなかった。忠実に私のために尽くしてくれた末、死んでしまったホールデンを思い出すたびに、車はやっぱり生き物なのではないか、と思うのだ。

ところで映画の話だ。
フランスで行われる24時間、耐久自動車レース「ル マン」の話だ。アメリカ人の自動車設計者キャロル シェルビーと、怖いもの知らずのイギリス人ドライバー、ケン マイルズの実話。
キャロルをマット デーモン、ドライバーにクリスチャン ベールという二人の大物役者が演じている。アメリカ映画界を代表するマットと、英国の誇りクリスチャンが共演するのも驚きだが、この映画で、マットとクリスチャンの二人がともにアカデミー賞に主演男優賞候補として名前を挙げられている。珍しいことだ。例えば「ワンス アポンイン ハリウッド」では、レオナルド デ カプリオとブラッド ピットの二人の大物役者が共演しているが、レオナルドが主演男優賞、ブラッドが助演男優賞の候補にされている。

監督:ジェームス マンゴールド
キャスト:
マット デーモン:キャロル シェルビー
クリスチャン ベール;ケン マイルズ
カトリーナ バルフ: モリ― マイルズ
ノア ジョブ: 息子
トレイシー レッツ: ヘンリーフォード2世
レモ ジローネ: エンツオ フェラーリ

ストーリーは
フェラーリは1960年代、「ル マン」24時間耐久レースに連勝し、スポーツカーレースの王座に君臨していた。しかしモータースポーツに過剰に投資し、イタリア共産党左翼政権による労使紛争が長引き、そのうえ創業者、エンリッオ フェラーリをはじめとする一家のお家騒動などによって、経営困難に陥った。一方、1963年、アメリカ自動車産業を代表するフォードは、自社には無かったスポーツカーレースに参入することで、ヨーロッパに事業を広げたいと、野心を抱いていた。フォード社は、フェラーリの運営するレーシングチーム、スクーテリアを買収しようとする。しかし、アメリカ勢の有無を言わせぬ強欲な態度と、ビジネスライクな交渉の仕方に、エンリッオ フェラーリは激怒して、契約寸前までいった交渉を一方的に破棄する。その後、フェラーリは同じイタリアのメーカーファイアットに合併される。

この仕打ちに怒ったヘンリー フォード2世は、何が何でもスクーデリアフェラーリを「ル マン」レースで打ち負かしてやる、と公言し、即座にスポーツカー専門チームを結成する。モータースポーツ界で史上最高金額といわれる多額の投資をして作られたチームの責任者には、キャロル シェルビーが抜擢される。キャロルは、優秀なフォード社の設計士で、大戦中は空軍の優秀なパイロット、戦後はカーレーサーとして唯一「ル マン」24時間耐久レースにドライバーとして参戦した経験をもっていて、フォード社から篤い信頼と期待を受けていた。

シェルビーは自分が設計したスポーツカーのドライバーには、粗忽で変人扱いされているケン マイルズを指名していた。彼のエンジニアとしての能力もドライバーとしての捨身の運転も他には代えがたい。しかしフォード社の車がいかにスポーツカーの分野で遅れているかをよく知っているケンは、フォードの欠陥や立ち遅れを激しく指摘し、笑いものにする。彼の傍若無人な態度は、フォード社のプライドの高い上層部には受け入れがたいものだった。ケンはフォード社のドライバーとして必要不可欠な「品格」というものがない。フォード社としてフォードの車を運転させるわけにはいかない。
フォード社上層部と、ケン マイルズの間に挟まれて、シェルビーは苦悩する。せっかくケンが指摘してくれた欠陥に改良に改良を重ねて製作しているスポーツカーを、ケンに運転させてやることができない。
遂に1964年、フォードは鳴り物入りで「ル マン」レースに初参加する。しかし24時間の過酷なレースに、フォードは完走することさえできなかった。完全な敗退だ。

シェルビーはいったん自分のもとから離れて、自動車整備工として働いているケン マイルズに会いに行って謝罪を繰り返し、再びフォード社に帰ってきてほしいと懇願する。シェルビーはフォード2世に会って、許可を取っていた。シェルビーの熱意がケンの少しでも早く走る車を作るという情熱に火をつけ、ケンのフォードへの復帰が決まる。新しいマシンを作るために、シェルビーが設計する。それをケンがダメ押しをする。改良に改良を重ねて、ケンがマシンを試みる。それでもスピードが出ない。さらに改良を重ねる。シェルビーとケンの二人三脚で血の滲む努力を重ねた結果、新しいマシンが出来上がる。
そして、1966年「ル マン」にフォードは遂に優勝を勝ち取った。
というお話。

カーレースに命を懸ける二人の男の友情物語だ。と一言で言ってしまえるが、誰もがクリスチャン ベイルに泣かされることだろう。マット デイモンの喜びも悲しみも希望も絶望も静かに受け入れるスポンジのような穏やかさが好ましい。
クリスチャン ベイルの尖った激しさ、過激な熱を持った男の表現には、いつも恐れ入る。ロットントマトでも彼の好演を褒める記事で溢れていた。彼の強い目つき、内にこもった狂気、ふつうじゃないヘロヘロな態度、反骨を生きる男の孤独。それを体現する役者としての能力は、他のどの役者よりも優れている。映画「インソミア」では神経病質の不眠症を演じるために餓死寸前でドクターストップがかかる体重が30キロちかくになるまで痩せ、最近ではデイック チェイニーの役になるために90キロを超える体重に増やしたり、「アメリカンサイコ」でみせた狂気が、彼の役作りにいつも付きまとっている。

「ル マン」24時間耐久レースでは、6キロにも及ぶに直線がありアクセルを踏み続け、時速400キロで走り続けるとタイヤが焼けて車に火が付く。ギアとブレーキを切りかえながらで発火を抑えなければならない。他のマシンと並行に走るときは、ギリギリまでギアチェンジせずに居て、相手がギアチェンジした瞬間に先に出て追い越すのが先だ。タイヤをバーストさせないために、ギアチェンジを繰り返す。瞬時の判断が勝利を導き、瞬時の誤りが死を招く。映画では車の走行場面が多く、臨場感たっぷりだ。自分が運転している気になって画面と一緒にアクセルを踏んだり、ブレーキを踏んでフイルムと一体感になれる。

幼い息子と二人、クリスチャン ベイルが走行路に寝転んで、息子に「この直線の先のカーブが見えるか?ギアチェンジする瞬間が見えるか?」と問う。息子には見えると言い、それを聞いた父親は嬉しそうに「見える人はとても少ないんだよ。」と言う。父と息子の得難い会話だ。妻役のカトリーナ バルフもとても良い。冒険野郎の夫を、ちゃんと見ていて必要な時に支えてやることのできる妻。人はみな自分に無いものをもった人々を必要としていて、それらを補い合い助け合いながら生きるものなのだと言う、人間関係のあるべき姿を見せてくれる。
この映画、あらすじを書いたが、肝心なことを書いていない。
フォードが初めてフェラーリにスピードで勝った という成功物語がいまでも伝えられている。しかしその裏には信じられないような裏切りと、誰もが悔し涙にくれるような事実があった。最後に裏切られ、あっと驚く。それはここでは書けない。映画のストーリーとして書いてしまえないのは、推理小説を読み始めた人に真犯人を言えないのと同じだ。成功物語だと思って映画を観ている人は、最後に大泣きさせられる。

うまく期待を裏切ってくれた。
とても良い映画だ。
見なければわからない。だから観るしかない。
日本での公開は1月10日だそうだ。

2019年12月3日火曜日

映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」

邦題「永遠の門 ゴッホの見た未来」
原題:「AT ETAERNITY’S GATE」
監督:ジュリアン シュナベール
キャスト
ウィルム デフォー : フィンセント ファン ゴッホ
ルパード フレンド : テオ
オスカー アイザック: ポール ゴーギャン
マッツ ミケルセン : 療養所所長、聖職者
マチューアマルリック: ポール ガシェット医師
エマニュエル セニエ: ジヌー夫人

ストーリーは
1880年代パリ。
カフェで若い画家たちが、画商と交渉をしている。少しでも生活の糧になるような金額で絵を扱ってくれないと、生活が立ち行かない。貧しく若い画家たちは生活苦に喘いでいる。
しかし、ゴーギャンは作家たちが絵を描くことよりも、売ることに汲々としていることに腹を立て、席を立つ。自分は自由を求めてマダガスカルに行くつもりでいる。友人のフィンセント ゴッホには、ほかの画家たちとつるんでいるのを止めて、南の温かいところに行って絵を描くように勧める。彼の言葉に従って、ゴッホは南フランスに移り住むことにする。
底の抜けた靴、穴の開いて指が見える靴下、身なりかまわずゴッホは、田舎の景色のなかに身を浸し、風景を写し取る。陽光を浴び、風景を描き続ける。しかし教養の無い田舎の百姓たちにとって画家の姿は異質で、異様だ。田舎の子供たちは画家をからかい、写生する画家を妨害する。怒ったゴッホは子供たちを怖がらせたことで、警察によって精神病院に強制入院させられる。呼び出しを受けて、パリから飛んでやってきた弟のテオに、フィンセントは、じつはこのごろ幻覚が起きて、見えないものが見えたりするんだ、と告白する。しかしパリで画商をしているテオは、忙しくフィンセントにずっと付き添ってやることなどできない。送金の約束だけして彼は兄に、あまり悩まずに見えるものを描き続けるように励まして、自分はパリに帰る。

やがて、ゴーギャンがマダガスカルから、パリに帰って来た。ゴッホはゴーギャンと一緒に住んで、互いに活力を得て、画業に集中する。しかし強い個性を持った男同士の共同生活には、すぐに無理が生じて、ゴーギャンは出ていく。ゴッホは、ゴーギャンに謝罪の意味で、片耳を切り落とす。再び彼は精神病院に入院させられる。
しばらくして、病院長から呼び出され、どうして美しい絵を描かずに、醜い絵ばかり描くのか、と問われる。ゴッホには病院長の言う意味が解らないので、驚愕する。ゴッホは自分は神から才能を与えられた。自分にしか見えないものを人々に見せたい、という。二人の会話はかみ合わないが、ゴッホは退院を許されて、再びマダム ジヌーの世話になり宿屋に戻って絵を描き続ける。しかし田舎の地元では、精神病院に入退院を繰り返すような画家ゴッホを嫌う人が多かった。ワインを浴びるほど飲み、人と関わろうとせず、孤立しているゴッホは、ある夜二人の若者のトラブルに巻き込まれて、腹部を銃で撃たれ、その傷がもとで亡くなる。弟テオがパリから駆け付けた時、すでに彼は息を引き取っていた。
というおはなし。

モーツアルトのような耳をもち、ゴッホのような目を持てたらどんなに良いだろう。果てしない広がりを持った世界で、感性を思い切り自由に羽ばたかせながら生きることができるだろうか。
「ひまわり」を描くゴッホの目には、水々しいひまわりのつぼみが、やがて朝露とともに広がり、強い太陽に射すくめられた末についにしぼんでいく、そのすべての過程が見えていたのだろうか。「アルルの女」を描いているゴッホの目には、ジヌー夫人の強靭な精神に裏付けられた穏やかな人柄と、彼に対する同情、憐憫、母心、包容力や、死ぬまで世話を焼いてくれた友情までが見えていたのだろうか。「ガシェット医師」を描くゴッホには、ドクターの自信と誇りをもった、でもユーモアとウィットに富む田舎紳士のほがらかさや、人の善さが見えていたのだろうか。

ゴッホは精神医学的にいえば、精神病質に生まれて精神分裂症を発症した患者。社会学的に言えば、全く生活能力が無く、生活のすべてを弟テオの送金に頼っていた上、社交で人と関わることも出来なかった反社会的で、人格障害をもった人間だ。
しかし彼ほど切実に自分の見た物を描こうとして真摯に生を生きた画家はいない。人には見えない永遠の命を描いて人々に見せたい。自分は一生表現者として描くことが自分の使命だと信じて描き、その決意は死ぬまでゆるぎなかった。

ゴッホが好きだ。「ぺザント」(百姓)この絵に会いに行くためにしょっちゅう、近くの州立美術館に行く。この小さな絵はいつも入り口の右、セザンヌの風景画、モジリアニの裸婦、エゴンシーレの裸体が掛かっている巨大な部屋のすみにある。ゴッホの初期の作品。暗く、貧しく、虐げられて飢えた百姓の希望の無い絵。しかし重ね重ね塗り固められた百姓の姿から強い生命力が伝わって来る。暗いがぬくもりのある画だ。
この州立美術館には2点のピカソや、高さ3M幅10Mの村上隆の巨大な絵などを所有しているが、印象画はそれほど持っていない。1874年に建てられたオーストラリア最大の美術館で、天井が高く、大理石の床が磨き上げられていて、ロックスにある現代美術館よりも、メルボルンの州立美術館よりも、キャンベラの国立美術館よりも、内部は落ち着いていて、とても居心地の良いくつろげる美術館だ。

映画でゴッホを演じたウィルム デフォーは、この映画でベネチア国際映画賞で主演男優賞を受賞した。アカデミー賞主演男優賞の候補にあげられたが、「ボヘミアン ラプソデイ―」でクイーンのフレデリック マーキュリーを演じたラミ マレックに、賞を持っていかれた。ボヘミアン ラプソデイ―を切っ掛けに、クイーンが再び大爆発的な脚光を浴び、ヒットチャートを記録して大ブームを引き起こしたのだから仕方がない。第91回2019アカデミー賞会場でもクイーンの、71歳で依然としてかっこいいブライアン メイと、69歳のロジャーテイラーがパフォーマンスのトップを飾るなどして、2019アカデミー賞は、クイーンで始まってクイーンで終わった。彼らの電子音に比べると、フィンセント ゴッホの世界は何と繊細で孤独の世界だったことか。

監督ジュリアン シュナベールは画家でもある。監督した作品には「潜水服は蝶の夢を見る」(2007)と、「夜になる前に」(2000)などがある。
彼は、「ゴッホの伝記はすでにたくさんの監督によって製作されているが、ゴッホの目では世界がどう見えていたのか、という視点で映画を作りたかったのだ」と言っている。
映画は、ゴッホのモノローグで語られ、彼の目線で見たものが映されている。彼の目がカメラになると人との会話では、ハンドカメラで相手がズームアップされる。カンバスを背負って穀倉地帯や森や丘を歩き回る時は、カメラがずっと下がって大写しになる。ハンドカメラが接写と遠近を繰り返すカメラワークは、ゴッホの主観を接写で、客観を遠くで捉えることで表している。カメラの揺れで、映画を観ていて酔う人が出たそうだ。
ゴッホが南フランスの穀倉地帯や森や丘を歩きまわる。広々とした自然の中で風に吹かれ、光に身をまかせ、永遠を感じる。陽の上がるのを待ち太陽を全身に感じて心を解放させる、そうして描いてきた風景が、精神病院で療養するごとに、徐々にぼやけてくる。風景の半分がよく見えない。徐々に蝕まれていくゴッホの精神が、ぼやける映像によって事実になっていく。彼は見た物を描く。ぼやけていても見ればそこに真実がある。そうやって彼は最後に銃弾を受ける日まで絵を描いていた。

映画のシーンで、ゴーギャンがジヌー夫人を座らせてデッサンを描いている。そこにゴッホが帰って来る。するとやわらゴッホはカンバスを立て、いきなりオイルでものすごいスピードで描き出す。ジヌー夫人はさっさと去っていくがモデルが居なくなってもゴッホは記憶をもとに描き続ける。そんなふうに油絵を完成させてしまうゴッホを見ながら、ゴーギャンーは、「描くのが速すぎるよ。どうしてゆっくり描けないの。」と言い、さらに「君の絵は塗って、塗って、重ねて塗って、まるで彫刻をつくるみたいだ。」とあきれる。二人の天才画家の会話が興味深い。

1853年に牧師の子供として生まれ、1890年に37歳で若くして亡くなったゴッホは、2000点以上の作品を残したという。2016年に彼のデッサン帳が新たに見つかった。
宿屋でシェイクスピアの「リチャード3世」を読んでいたゴッホに、ジヌー夫人が、「そんなに本が好きなら本をあげるわ。でも何も書いてない本なのよ。」と言って分厚い本をゴッホに渡すところで、この映画が始まる。ゴッホはそれをデッサン帳にして持ち歩く。彼によって描きためられたこのデッサン帳が、彼が精神病院から退院したときに他の病院記録などと一緒に放置され、ずっとあとになって21世紀を生きる人々の手に渡る、そんなシーンで映画が終わる。ゴッホは永遠だ、とでもいうように。ミステリーが好きだと、映画の中でゴッホに言わせている。そんなミステリーっぽい終わり方がしゃれている。
とても印象深い映画だ。