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2019年12月29日日曜日

70歳、退化への道をまっしぐら爆進する



4年間公立病院に勤めたあと、15年間今の職場でフルタイムで働いてできて、年末、「チェッまたつまんねー仕事かよッ」と、不貞腐れ顔で出勤したら、70の形をした風船とチョコレートケーキが用意されていて、嬉しかった。
あとで写真を見てみたら、写っている職場の面々の出身国は、中国、東チモール、バングラデイシュ、ネパール、タイ、チリ、シオラレオーネと、全員異なる。いかにも移民で形作られてきたオーストラリアの姿を表している。国内紛争で避難民としてオーストラリアに来た人も、クーデターが起きて国を追われてきた人もいる。シラレオーネ出身の人は,、むかし親がダイヤモンド鉱山を持ち主だったが20数年前、外国資本の進出とともに暴力的に国をたたき出されたという。落ち着き先のシドニー郊外で、一家のために用意されたアパートには家具もあって、冷蔵庫にはミルクや食料が入っていて、戸棚には人数分の衣類まで入っていたそうだ。彼女は5歳だったが、その時の安堵と感動が忘れられないと言っていた。そのころは移民の受け入れも、とても良かった。ボスニアから赤ちゃんを抱えて亡命してきて、私と一緒にナースの資格を取った人も居る。オージー移民の話をひとりひとり聴いていると、地球規模の現代史が読み取れる。

オーストラリアの総人口は、2500万人。全人口に占める外国生まれは、人口の28.6%。オージーの4人に1人以上が外国生まれだ。私と娘たちが10年暮らしたフィリピンからオーストラリアに到着した1996年には、オーストラリア人口は、1500万人だった。 私たちがシドニーで勉強したり働いたり四苦八苦している間に1000万人の外国人が移民してきたことになる。政府が積極的に移民を受け入れてきた結果、激しい勢いで人口が増えて、街のインフラが間に合わず、遂に移民制限をしなければならなくなっている。

オーストラリアに来てナースの資格をもとに病院に勤めながら、政府の医療通訳に登録して、日本からの旅行者や在豪日本人が病気になったり怪我したときの医療通訳や、修学旅行の付き添い、搬送などのお手伝いをしてきた。自然、若い人達との交流もあり、今の日本の若い人について考えることも多い。

オーストラリアに、世界中からワーキングホリデイビザで来る若者の数は、毎年15万人。クイーンズランド州の農園では、フルーツピッキングに従事する人の90%が、ワーキングホリデイメイカーだ。オーストラリアの季節労働者は、ワーキングホリデイの労働力に依存していると言っても良い。去年オーストラリアを旅行した日本人旅行者は、47万人。ワーキングホリデイは5000人くらいだろうか。ワーキングホリデイは、18歳から31歳までの若者で農場で6か月以上働くと、最長3年間オーストラリアに居られる。最低賃金として決められているのは、最低時給20ドル、これに年金もつく。三寒四温で温暖な日本から、自然環境の厳しいオーストラリアに来ると病気も怪我も多いが、学ぶことは無限にあると言って良い。もっとたくさんの日本の若者が来て、オーストラリア人に触れて、しっかり働いて学んでほしいと思う。「とじこもり」の親は、そうした子供のポケットに1000ドルとパスポートねじ込んで、どんどん送ってもらいたい。

同時に日本でもワーキングホリデイビザを発行してもらいたい。31歳までの若い人々が世界中から来て、働くようになったら日本の労働市場も変わるだろう。研修生とか実習生と言う名の奴隷ではなく、中間斡旋業者を認めず、国と自治体が斡旋して外国から来た若者に職場を解放すれば、今のコンビ二業界や宅配業者は変わらざるを得ないだろう。年々人口が減り、経済が停滞し回復する見込みがない日本で、労働力不足を安価なアジアからの研修生でしのぐことは、かつて治安維持法と同時に中国と韓国から人々を拉致して強制労働させた国家的犯罪に通じる。世界中からワーキングホリデイビザで若者を受け入れるようになったら日本人の世界観も変わるだろう。

GAFAというグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの国境を越えたジャイアント企業が、世界中の富の半分以上を日々稼いでいる。資本主義世界のこうした構造を一挙にくつがえすことはできない。資本主義社会で労働者は、ほんの一部の資本家の奴隷にすぎない。しかし、生活レベルでは、圧倒的多数の労働者たちにとって、資本家には無いものがある。
それは人としての誇りだ。

70歳、COPDという治癒することのない呼吸障害がある。手指が変形してきて痛みもあり、曲げることができない関節もある。もうヴァイオリンは弾けないし、ギターも、そう遠くない時期に弾けなくなるだろう。記憶力が悪くなり、職場でポカもやる。PC操作では、問題が起こると娘たちの助けがないと解決できない。ヴィザの更新などPCで一人ではできない。70歳、退化への道をまっしぐらに爆進している。
しかし、人が誇りをもって働くということ。働くことによって生活の中に、喜びも哀しみも含めた人生に価値を作っていく。賃金を伴うかどうかに関わらず、人の為に働く、そのことが自分のために働くことになる。最後まで働く、ということで労働者としてのささやかな誇りをもっていきたい。そんなことを想った誕生日。
歌はクイーンの「LOVE OF MY LIFE」