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2018年12月25日火曜日

2018年に観た映画ベストテン

第1位:希望のかなた(The Other side of Hope) アキ カウリスマキ監督
第2位:スリービルボード(Three billboards ) マーチン マクトナー監督
第3位:華氏119     マイケル モア監督
第4位:かぐや姫 スタジオジブリ 高畑勲監督
第5位:アリースター誕生  ブラドリー クーパー監督
第6位:クレイジーリッチ アジアン ジョン M チョウ監督
第7位:ファンタステリックビーストと黒い魔法使いの誕生 デヴィッドイエッツ監督
第8位:ジェラシックワールド炎の王国  ステブン スピルバーグ監督
第9位:COCO アニメーション リーアンクリッチ監督
第10位:FERDINANDO アニメーション カルロ サルダンハ監督
           

第1位:「希望のかなた」は、このブログの4月1日に映画紹介と詳しい評価を書いた。このアキ カウリスマキ監督はいつも社会の底辺に生きる、名もなき労働者、移民、難民に照明をあてて、それらが現実社会で蟻のように踏みにじられる姿を映し出している。シリアから命からがら逃げ延びてヨーロッパに渡って来た兄妹が、警察や入管局やネオナチの襲撃から、言葉を絶するような酷い目に遭いながらも、自分達の志をもち、一歩も譲らない。映画の中で、苦い笑いや、真剣なのに思わず愉快に笑ってしまう人間性や、時代遅れのおっさんたちの奏でるロックが出てくる画面をみながら、社会派監督のメッセージが確実に伝わって来る。2017年に観た映画ベストワンは、同じく社会派監督代表のケン ローチによる「私はダニエルブレイク」だった。今年のベストワンは アキ カウリスマキ。ゴダールやアントニオーニやパゾリーニが居なくなり、この二人の様な正統的社会派の監督が作品を作り続けてくれて嬉しい。

第2位:「スリービルボード」は、1月14日に、このブログで映画の評価を書いた。娘をレイプ、誘拐され殺された母親の火のような怒りが大爆発する。クレモンの映画館で映画が終わった時、爆発のように女客たちの拍手が沸き上がり、みんな涙を浮かべてしばらく拍手が続いた。母親としての共感が波のように押し寄せていて、見知らぬ人同士で抱き合ったり顔を見合わせたりしながら、しばらくは拍手が鳴りやまず会場から出ていく人も居なかった。こんなすごい経験は初めてだった。

第3位:「華氏119」マイケル モアによるドキュメントで、フイルムの紹介はブログで11月17日に書いた。独自の取材方法で精力的に社会を告発する。得難いジャーナリストだ。

第4位:「かぐや姫」スタジオジブリの映画を、娘婿がダウンロードして見せてくれた。自然児、かぐや姫(タケノコ)が、野山を駆け回り、ステマル兄ちゃんに恋をする。互いにそれが恋と知らずに、最後には1度だけ結ばれて本当に嬉しかった。素晴らしいアニメーションだ。

第5位:「アリースター誕生」この評価は10月30日にブログで書いた。SHALLOWの曲を始め、映画のために作られたオリジナルの曲がどれも良くて、心にいつまでも残っている。

第6位:「クレイジーリッチ アジアン」については9月15日に書いた。ハリウッドではもうチャイニーズの資金や人材なしに映画を作ることが難しくなり、興行成績もチャイニーズ顧客なしに立ち行かなくなってくる。そういったチャイニーズパワー予兆を、チャイニーズ監督によるチャイニーズ役者だけで映画を作ることで、しっかりみせてくれた。

第7位:「ファンタステイックビーストと黒い魔法使いの誕生」は、JKローリング原作。ハリーポッターが生まれる以前のダンブルトン校長先生や、グリンデルバルドが出てきて、物語が広がってきて目が離せない。主役のエデイ レッドメインがチャーミング。頼りないが、愛すべき魔法動物学者がハラハラさせてくれる上、意表を突くような沢山の魔法動物が登場して、楽しい。

第8位:「ジェラシックワールド炎の王国」では’映画評を8月4日に書いた。いまだに地震で沈んでいく島に取り残された大型草食恐竜アパルトサウルスが、連れて行って、連れて行ってと叫ぶ様子が目に焼き付いていて哀しい。

第9位:「COCO」は2018年アカデミー賞ベストアニメーション賞作品。テーマソングの「リメンバーミー」がいつまでも記憶に残っていて、亡くなった先祖を思い、思い出を大切にする心を教えてくれる。

第10位:「フェルデイナンド」は、スペインを舞台にしたアニメーション。8歳と10歳のマゴと一緒に観たが心優しい牛と少女の美しい物語に私の方が夢中になった。映像が美しく、登場する人と動物たちの表情の豊かさに心を奪われた。

2018年12月24日月曜日

是枝祐和の映画「万引き家族」

                  
私は1987年から1996年までフィリピンで夫の赴任のために家族で暮らし、そのまま帰国することなく、オーストラリアに移住した。22年経つから、30年余り日本で暮らしていない。だから、日本の貧困が実感として全くわかっていない。
1970年代、どんなひどい麻雀学生でも、ベトナム反戦運動で授業に出る暇のなかった学生も、みな結構大手のマスコミや企業に就職していたようだし、コネのない自分でも見栄も外見も気にしなければ食い詰めることはなかった。逮捕された友人たちの保釈金もバイトで作ることができた。朝鮮特需、ベトナム特需で他国の戦争を食い物にしてきた日本経済は、好調で仕事はいくらでもあったし、どんな馬鹿でも就職できた時代だった。

パリ大学の経済政治学者トマ ピケデイも言うように、資本家が十分以上に収益を得た好景気の時期には、賃労働者にも配分が充分行き渡る。好景気の下では、労働者が平均以上に生産性を上げ、配分も多く得られる。本来資本家と賃労働者の利害は対立するが、それでも余るほどの需要供給に見合う生産があったのだ。ただし好景気かどうかに関わらず、賃金格差は拡大する一方で、今後の世界経済に希望はない。資本主義社会が続く限り貧富の格差は開く一方で、庶民が貧困から脱却できる方法はない。
90年のバブル崩壊、2008年リーマンブラザーズに始まる米国の株暴落により、日本の不況はすでに20年続いている訳だから、日本社会の貧困の進行、こどもの飢餓、老人年金の減額など理屈ではわかるが、じっさい記録を読むとびっくりする。

日本全体で非正規雇用者が2000万人を超えて、全労働者の約40%を占めているという。年収200万円未満の人が1000万人を超え、生活保護受給者が215万人、貧困ラインの人は2000万人。何よりも驚くべきことは、貧困者の10%しか生活保護を受けられずにいるというのだ。福祉行政官は何をやっているのか。福祉行政に関わるものたちは、10%の人だけ生活保護するだけで平気でいるならば、自分たちは10%分の仕事しかしていないことになる。それならば、福祉行政官たちは、90%のサラリーを返上するべきではないか。
地域の福祉行政担当者は10%の仕事しかしていないことを恥じて、障害のために役所まで行って書類を記入できない人、知的障害のために生活保護申請ができない人、学校にいけない子供、充分食べられない子供を探し周り、発掘するために足を棒にして探し回るのが仕事ではないか。そんな思いで、頭に血が上っているときに、この映画が、シドニーでも上映されたので観て、さらに怒っている。偽政者は、貧困を社会現象にするな。

邦画;「万引き家族」
映画タイトル:「SHOP LIFTERS」       
監督: 是枝祐和
カンヌ国際映画祭2018パルムドール受賞作品
キャスト
リリーフランキ―:柴田治
安藤サクラ:柴田信代 治の妻 
樹木希林 : 柴田初枝 治の母
松田茉優 : 柴田亜紀 治の義妹
城檜吏  : 柴田翔太
佐々木みゆ: ゆり
柄本晃  :山戸頼次 駄菓子屋主人
ストーリー
東京荒川区にある古い平屋。
年金生活をしている初枝の家には、日雇いで働く息子の治とその妻、信代、信代の妹の亜紀、そして息子の翔太が一緒に暮らしていた。初枝の年金と、息子の日雇い収入と、妻がクリーニング屋に勤める収入を合わせても、生活していくには苦しく、家族は足りない分は治と翔太とで万引きをして工面して生計を立てていた。
初枝には、むかし浮気をして出て行き、再婚して別の家庭をもち、いまは裕福に暮らしている息子夫婦が居るが、その家に毎月通って「慰謝料」をせしめていた。彼女がパチンコ屋に入れば他人の箱を盗んで平気でズルをする。
息子の治は、日雇いにあぶれた日は、翔太を連れて万引きに出かける。治は翔太に、店の商品はまだ誰にも買われていないのだから誰のものでもない、と言って万引きが罪ではないと言って聞かせ、学校は学校に行かなければ勉強できない馬鹿の行くところだ、と説明して学校に行かせないでいる。
信代の妹、亜紀は風俗営業で身を立てている。

ある冬の夜、治と翔太はアパートのドアの外で寒さに震えている小さな女の子を見つけて家に連れて帰る。ゆりの体に無数の体罰の跡をみつけた家族は、家に帰りたがらないゆりをそのまま自分の家の子供として引き取ることにする。貧しくても心の通った優しい家族。

冬が過ぎ、夏には家族で海に行って海水浴を楽しんだ。それを最後に年には勝てず、初枝は亡くなる。葬儀代を出せない家族は、遺体を床下に埋める。初枝の年金はそのまま、嫁の信代が引き出して何事もなかったように生活を続ける。
しかし翔太は、初枝のへそくりを見つけて大喜びする両親の姿や、車の窓を破り車荒らしする父親を見て、徐々に疑問をもつようになる。ある日、万引きをした駄菓子屋の主人に、妹にだけは万引きをさせてはいけない、と言われたあと、ゆりがスーパーで万引きを真似しようとしたので、わざと自分が捕まるように派手に店のものを奪って逃げ、追われて道路から落ち怪我して病院に運ばれる。

家族はこれを知って、家族の秘密が漏れることを怖れて、荷物をまとめて逃亡しようとしたところで警察に逮捕される。初枝を埋葬しなかった死体遺棄、ゆりを家に連れて来た幼児誘拐、初枝の年金を受け取っていた横領、翔太を学校に行かせなかった保護者責任放棄、罪状は限りなくある。信代が一人で犯罪を犯したことにして、信代は刑務所に入り、翔太は施設に保護され、学校に通うようになる。亜紀もゆりも家庭内で児童虐待をされていたと思われる両親のもとに戻る。
治と信代とはむかし暴力をふるう信代の夫を殺害して死体を遺棄した罪で、治だけが罪をかぶり刑務所で刑期を収めた過去がある。そんな夫婦に同情した初枝が、息子として治を自分の家に住まわせるようになったのだった。そこに初枝のもと夫が残した息子夫婦の娘、亜紀が加わり、パチンコ屋の駐車場で車の中に置き去りにされていた翔太が家族に加わり、さらにゆりが連れてこられた。6人は全員が全く血のつながりのない擬似家族だった。

1年経ち、信代の依頼で、治は翔太を連れて刑務所に面会に行く。そこで、信代は厳しい顔で翔太に、松戸のパチンコ屋の駐車場から翔太を連れて来たことを話し、その車のナンバーを伝える。これで翔太は、望むならば本当の両親を探し出すことも出来る。
その夜、翔太は治に、自分が病院に送られた時、自分を置いて逃げようとしたのかどうかを問う。治はそうだと言い、そんな自分を恥じ、これからは、「とうちゃんじゃなくて、自分は翔太のおじさんにもどる」、と言う。翌朝,翔太は治にむかって「自分はあのときわざと捕まったのだ。」と告白してバスに乗り込む。去っていく息子を必死で追いかける治、、、その先にもう息子は居ない。
というストーリー

是枝監督は、「血縁がつながっていない共同体というモチーフをここ10年追いかけて来た。」と言う。私が観たのは「誰も知らない」と「「そして父になる」2013。「誰も知らない」では無責任な夫婦によって戸籍のない3人の子供達が世間から隠れて生きざるを得ない姿に胸が締め付けられるようだった。「そして父になる」では赤ちゃんの取違いで苦しむ親たちよりも、そういった苦しむ親の姿に翻弄される2人の息子たちが痛々しくてたまらない思いだった。
今回、カンヌ国際映画で最高賞が与えられ、文部科学大臣が監督に会いたがったが、是枝監督が「公権力とは潔く距離を保つ。」と言って会見を辞退したと聞く。確かに国の教育普及、科学技術向上、文化財保護などを担当する役人から「おほめをいただく」必要など全くない。役人が真面目に仕事をして、児童に十分な保護と福祉対策を講じ、必要としている家族に生活を保障していれば、このような映画は作られていなかった。

子供を作る能力がないうえ、受刑して婚期を逃した治には、家庭を持って子供を育てたいという願いがとても強かった。また、夫から暴力を受け、まともな結婚生活を経験していなかった信代も子供を育てたい母性本能が強かった。なによりこの夫婦にはあたたかい家庭が欲しかったのだ。独居老人、初枝の寂しさと優しさが、治と信代夫婦につながり、不幸な子供達が集められて偽装家族が形成された。福祉政策や教育行政に血が通わないかぎり、このような家族や子供達があちこちに多発しても不思議ではない。生活保護を必要とする人々の90%が、保護されていないような現状では治家族のように生きる人がでてきてももんくを言えない。

それでも私は「どうして翔太を学校に行かせなかったのか。」と腹を立て怒りでいっぱいになる。治も信代も初枝も自分達だけは、曲りなりにも学校教育を受けたのに、どうして翔太に教育の機会を与えなかったのか。治にとって学校は「学校に行かなければ勉強できない馬鹿が行くと所」だったかもしれないが、そういった結論を出すのは翔太ではないか。治では断じてない。子供は社会的な動物だ。親だけの力で大人になることはできない。優しさでつながりたかった治は、結果として翔太が学校に行く選択の機会を奪い、翔太の個人としての自由と尊厳を踏みにじり、教育を受けるチャンスを奪った。このことは、老婆の死体を床下に埋めたり、万引きで食いつないだり、家庭内で暴力をふるうことよりも、ずっと罪深い。ラストシーンで、去っていく翔太を乗せたバスに、治が追いつくことは決してない。

映画のキャッチフレーズが、「盗んだのはきずなでした。」ということになっているが、「きずな」はそれほど大切か。人は優しさだけでは生きていけない。思いやりだけではつながっていられない。だいたい「家庭」で、傷つかずに育ってきた人がどれだけいるだろうか。子供にとって、物理的なせっかん、教育と言う名の暴力、明白な男女差別、長男特別扱いによる順次差別、他児と比較して選別に欠け、競争に駆り立て、ネグレクト、子供の意志を踏みにじり、捻じ曲げ、押さえつけ、屈服させ、子供の人生に介入して破壊する。こういったネグレクトの全部、過酷な人権無視を、優しさと善意で行なっているのが「家庭」ではないだろうか。子供時代の私にとって家庭は、権力者によって日々屈服させられる拷問でしかなかったし、大学入学と同時に家出したころは満身創痍、傷だらけだった。父にも母にも姉にも兄にも個人として尊重された日は一日もなかったと断言できる。

国家という組織が軍事力を背景に権威によって個人を収奪する暴力装置だとすると、「家庭」は最も小さな単位の、親という権威による支配構造を形造っている。家庭とは国家の末端に属する暴力装置だ。 
物理的にも経済的にも子供を完全支配する力を持つ親は、しかし、だからこそ権力者になってはいけないのだ。子供を玩具にしてはいけない。子供を支配してはいけない。
「家庭」よりも「個人」がひとりひとり良き人間として生きること、まっとうな生き方をする努力を続けることが大切なのではないか。強い個人が居て、初めて他人を尊重できる個人との関係が構築できる。真面目に学び、真面目に働き、心から人を愛し、愛するのもをいつくしみ大切にする、そのような強い個人が確立していなければ家庭は作れない。
権力構造を持たない家庭を作ることはたやすいことではない。何時壊れても、再生出来る家庭、流動体でボスのいない家庭。強い個人と個人の結束によって形作られた家庭。
互いのリスペクトによって結び合うことのできる家庭。そういった家庭を私は夢見る。
良い映画だが、考えることの多い映画だった。

2018年12月12日水曜日

エルミタージュ美術館モダンアート展

ペテルスブルグにあるエルミタージュ美術館は、一度は行ってみたい美術館だ。
1754年ロシア女帝エカリーナ2世が命じて、1762年に完成したバロック様式の華麗で壮大な城だ。ペパーミント色の外壁が美しい。建立当時の外壁はライトイエローだったそうで、第2次世界大戦中は、空襲を避けるために灰色に塗り替えられたという。(どんだけペンキが要ったのか)部屋数が460室もあり、大きな中庭を囲んで正方形の形をした冬宮に、居住したエカリーナは、移り住むとすぐにベルリンの美術収集家から225点の絵画を購入したという。

エルミナージュ美術館は、その冬宮と、小エルミタージュ,大エルミタージュ,新エルミタージュとエルミタージュ劇場の計5つの建物を言う。美術品の展示室1500室、古代エジプトの美術からラファエロ、ダヴィンチ、ベラスケスから、モネ、セザンヌ、マテイス、ピカソまで300万点を収蔵する。厖大な作品数なので、イヤフォン式の解説を聴きながら順序良く見て行くと少なくとも10時間、20キロの道のりを歩くことになるそうだ。スケボを持って行かないといけないな。

シドニーニューサウスウェルス州アートギャラリーで、これらのエルミタージュ美術館から、65点のモダンアート作品が貸与されて、展示会が始まったので見に行ってきた。ロシアの美術収集家、セルゲイ シチューキンと、イワン モロゾフの二人が収集した作品が展示されている。
オーストラリアにこれらの作品がやってくる先立って、2016年10月から2017年3月までパリの ルイヴィトン財団美術館でセルゲイ シチューキンの収集した作品展が開かれている。これを、シチューキンの孫で、相続人に当たるドエロク フルコーが監修した。エルミタージュ美術館から100年余りの間、外国で公開されることのなかったシチューキンの収集作品が公開されるということで、大変な人気となって、ルイヴィトン美術館の斬新な美術館の話題性もあって、60万人を超える入場者を記録して、2月に終了する予定が急きょ3月まで会期を延長されたという。
このときは、シチューキンの収集作品274点のうち、130点が渡仏した。展示されたのは、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、マテイスなどすべてパリで活躍した画家たちの作品だ。ロシア人美術収集家シチューキンは、まだ画家として実力を認められていなかった、マテイスとピカソに作品を依頼し、購入し収集したことで、彼らの生活を安定させ、国際的な認知を高めた。ピカソをシチューキンに紹介したのは、マテイスだった。マテイスとピカソ二人にとっては、シチューキンは、いわば育ての親とでもいえる役割を果たしたことになる。それにしてシチューキンの収集作品展に60万人が美術館を訪れたとは、パリっ子って美術好きなんだな。それとロシアがヨーロッパの一部で、フランスとは地続きだったということを改めて認識する。

かつては教会と王侯貴族がパトロンとして画家や音楽家たちの生活を支えた。しかしその後のモダンアートに時代になると、パトロンは富裕層ブルジョワに移り変わる。セルゲイ シチューキンもイワン モロゾフも革命前に織物業で大成功した実業家だった。モスクワのボリショイ ズメナンスキー通りに立派な屋敷を持っていたシチューキンにとって、定期的に夜会やお茶会を開催をするため、身分にふさわしい屋敷に飾る絵画が必要だった。確かに19世紀までのヨーロッパを舞台にした小説などを読むと、招待客が屋敷に招き入れられたとき、入口に飾ってある絵画で、その屋敷の主の教養が知れてしまうシーンが出て来て興味深い。日本だったら掛け軸、花器、とかお茶わんだろうか。ブルジョワが芸術を理解する教養がなければならなかった古き良き時代の話だ。
シチューキンは51歳のときに息子が自殺し、2年後に妻が病死し、失意のうちにひとり絵画に囲まれて暮らしたが、1917年のロシア革命によって、ボルシェビキにすべての美術品を没収されて、自身はパリに亡命し、パリで没した。

1917年のロシア革命は、人類史の中で最もダイナミックな歴史の動きの一つで、この時代に人々がどう生きたか、興味が尽きない。レーニンとクレプスカヤが、大混乱の中で何を思ったか、ツアーの家族たちがどう処分され、貴族の子供達がどのように命を長らえたのか。

宝石で有名なテイファニーも、フランス革命がなければ宝石商として成功しなかった。パリ2月革命で、宝石よりも命からがらパリから脱出するための資金を必要としたフランス貴族たちからテイファニーは、希少価値のある極上の宝石を手に入れたことで、商売を成功させる切っ掛けを作った。

私の子供の時のバイオリンの小先生は村山先生といったが、大先生はアンナというロシアから亡命してきたもと貴族の末裔だった。そんな話を、むかしマニラでフィリピンフィルハーモニーの音楽家たちと雑談していたら、「おや、僕のピアノの先生も。」「へー、僕のチェロの先生もロシア貴族の末裔だったが、晩年は一人きり誰にも看取られずに亡くなったんだよ。」と何人もの楽士がロシア人の名前を言い出した。ロシア革命で国境を越えてヨーロッパやアジアに逃れて来た貴族たちが彼らの「たしなみ」のひとつだった音楽によって他国で身を立てなければならなかったというロシアの歴史が、急に身近に感じられた瞬間だった。

ところでエルミタージュのシチューキンの収集作品展だ。
マテイスの作品を収集したシチューキンだが、マテイスの代表作「ダンス」と、「音楽」は、海を渡ってオーストラリアには来なかった。この二つの作品はシチューキンが自分の屋敷に入って真正面にある階段に飾るためにマテイスに描かせたもの。2017年パリのルイ ヴィトン美術館にも来なかった。マテイスも、ピカソも保存状態が良くなくて輸送できないのだそうだ。
フェルメールやレンブラントなどオランダやイタリアの画家たちは、職人として自分の作品に絶えず色を重ね塗りし続けていたので、保存状態が良く輸送にも耐えられる。しかしモダンアートでは、作家が常に新しい事に挑戦する前衛でなければならないので、作品を次々と発表する必要があり、昔の作品を手直ししたり、メインテナンスしないようになったからなのだそうだ。だから、エルミタージュにあるマテイスやピカソなどモダンアート作品はこれからも、外国美術館には 貸与されないかもしれない。「音楽」と「ダンス」を見たかったらぺテルスブルグに来なさいということだ。

今回の展示では、マテイスの「ボール遊び」1908、「ニンフとサテュロス」1908、「ひまわり」1899、「テラスの女性」1907、「赤と黒のカーペット上の皿とフルーツ」1906を見ることができた。
でも私はマテイスの作品では、後期の作品で彼がニースに移ってからの、明るく楽しい作品が好きだ。だから今回の展示作品でマテイスの作品では、好きな絵が一枚も無かった。ギリシャ神話に出てくる黄金時代の3人の男がうなだれて、何がおもしろくないのか知らないけれどボールゲームしている「ボール遊び」も、ギリシャ神話の欲情の塊、サチュロスがニンフを言うままにさせようとしている「ニンフとサチュロス」、しおれた「ひまわり」などなど、、、「あなたの居間にプレゼントしたい」と誰かに言われても、「要らない」というかも。

気に入った絵は、セザンヌの「静物画」1880、ゴーギャンの「マリアの月」1899、ピサロの「モンマルトルの午後の陽」1897、それとピカソの「扇を持った女」1908.
ピカソのこの作品は、まるい女の顔、まるい乳房、直線の四角い椅子、直線の背景。女の強い意志と、そこに居る存在感が強力なエネルギーを発していて素晴らしい。

面白かったのは、フイルムだ。
真っ暗な部屋に3面の大きなスクリーンがあって、右面のスクリーンでは、シチューキンに扮した役者が自分より20歳若いマテイスの魅力について語っている。向かいのもう一つのスクリーンでは、マテイスが自分の芸術的な視点につて語っている。正面の大きなスクリーンではマテイスの「ダンス」なみにほとんど裸のような姿で数人の男女が手を取り合って踊っている。音楽は古楽器。男女が音楽に合わせて踊る背景にマテイスの作品が次々と写される。自信家で裕福そうなシチューキンが、マチスの作品を買い求めるごとに、踊り子たちはシチューキンを、声を出してあざ笑う。まったく馬鹿にした笑い方だ。そして、フイルムの最後に、シチューキンは、「マテイスの良さはすぐにはわからない。」「マテイスの価値はずっとあとになって、後々の人々によって理解される時が来るだろう」、と言ってフイルムが終わる。とても気の利いた企画だ。シチューキンもマテイスも、このフイルムをみたあとは、ずっと身近で生きた人として捉えることができた。

エルミタージュ美術館からや、はるばるやって来た65点の絵画を見るだけで2時間半。スニーカーで行ったのにくたびれた。本場エルミタージュで、300万点の収蔵品、1500の展示室、イヤフォン解説を聞きながら、総行程20キロを歩いて芸術品を見る覚悟はまだできていない。

写真は、上から、エルミタージュ美術館冬宮
マテイスの「ダンス」
マテイスの「音楽」
マテイスの「ニンフとサテウロス」と「ボール遊び」
ピカソの「扇を持った女」

2018年12月9日日曜日

メッツオペラ「西部の娘」

ニューヨークメトロポリタンオペラ「LA FANCIULLA DEL  WEST」
邦題「西部の娘」
作曲:ジャコモ プッチーニ
上映時間:4時間
初演:1910年 トスカ二ー二指揮、エンリコ カルーソ(ジョンソン役)
監督:ジアン カルロ デルモナコ
指揮:マルコ アルミアト

                   酒場の女主人ミニ:エバ マリア ウェストブロック
デイック ジョンソン:ヨナス カーフマン
バーテンダーニック:カルロ ボシ
保安官ジャックランス:ジェリコ ルシク
鉱夫ソノーラ:マイケル トッド シンプソン
銀行員アシュビ:マチュー ローズ

プッチーニが、ニューヨークメトロポリタンオペラのために作曲したオペラ。
イタリア人作曲家によって作られたアメリカの西部劇(!!)を、イタリア語でオランダ人ソプラノ歌手と、ドイツ人テノールのカウフマンとが歌っている。プッチーニはメッツオペラの招きでニューヨークに滞在したあいだ、ヨーロッパと全く異なるビアホールや、バーや近代的な建物やアメリカ人気質に激しくカルチャーショックを受けた。それでアメリカっぽい文化をベースにした物語をオペラにしようと思い立ったという。冒険家だよね。

彼は、「ラ ボエーム」をパリを舞台に作曲し、ローマで「トスカ」を作り、さらに自分は行ったことのなかった日本のナガサキを舞台に「蝶々夫人」を作曲し、おまけに中国の物語「トーランドット」を作曲した。彼にとって、場所はとても大事で、その土地、その土地から受けるイマジネーションを、作曲のモチベーションにした。その土地に住んだわけではないから、その国々の歴史や様子に精通しているわけでなくて、深く文化を学んだわけでもないから、諸外国についてとても表面的な理解に留まっている。それでも彼は作曲家として天才としか言いようがない。

私はどんなオペラも大好き。中でもヴェルデイの「アイーダ」、「椿姫」、ビゼーの「カルメン」、モーツアルトの「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」、「魔笛」は大好きで、それを言ったら、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」や「ローエングリン」も忘れられない。しかしプッチー二の「蝶々夫人」は大嫌いだ。珍妙なナガサキを舞台に、坊主を「ボンズ ボンズ」とコーラスが飛び跳ねながら歌うシーンなど仏教を侮辱しているようで腹が立つし、だいたい16歳の少女を愛人にして子供を産ませる米国軍人のストーリーなど、不愉快だ。未成年虐待ではないか。

メッツでは、プッチーニがメッツのために作曲したこのオペラ「西部の娘」をあまり上演しない。メッツのために作られた作品なのだから、毎年取り組んでも良いようなものだが、アメリカ人のテイストがオペラにそぐわない上、観客の受けがあまりよくないのは、蝶々夫人嫌いの日本人の心象に似たものだろうか。これほどメッツに避けてこられたオペラを観るのは興味深いものだ。アメリカの西部劇はドライな仕立てなのに、イタリア人作曲家が西部劇を作ってみるとマカロニウェスタンならぬ、あまりにウェットな仕上がりで、当のアメリカ人には受け入れがたいタッチだったのだろうか。ストーリーの、悪者盗賊デイックジョンソンが、彼が愛する処女ミニのひたむきな純愛によって救われる、といった内容はカーボーイの心情にそぐわない。 それでもヨナス カーフマンの高貴な姿と、力強く美しいテノールを聴くためにこのオペラを観て来た。

オーケストラとそれを指揮するイタリア人指揮者、マルコ アルミリアトが素晴らしい。ダイナミックで華麗な指揮、現代舞踊を踊るような彼の姿を見ているだけで感動的だ。イタリア人の身のこなし方、全身全霊をこめて指揮する彼の多様な表現力はプッチーニが乗り移っているとしか思えない。彼は譜面を持って来ない。4時間のオペラ、総譜を暗譜している。こんなオペラ指揮者が他に居るだろうか。ただただ感歎。

ストーリーは    
第1幕
カルフォルニア、ポルカサロン金鉱の町。世界中からゴールドラッシュにつられてやってきた男達は、毎日金鉱で重労働に耐え、故郷に一握りの金を送るためにこき使われ、最後は泥にまみれて犬の様に死んでいく。男達の唯一の慰めは美しい女主人の経営する酒場だ。ミニはこの町で生まれ亡くなった両親が経営していたこの酒場を引き継いだ。彼女は両親がどんなに互いに愛し合って死ぬまで仲良く暮らしていたかを知っているので、どんなに男達が言い寄ってきても心を許さず、全く相手にしないで、本当に自分が心から愛せる人が現れるのを待ち望んでいる。保安官ジャックランスは妻帯者でありながらミニに執拗に求愛していて、ミニはほとほと困っている。
そんな酒場に流れ者デイック ジョンソンと名乗る男がやってきて、ミニは教会で前にあったことのあるその男を一目で愛してしまう。そして夜自分の家に訪ねてくるように言う。
第2幕
ミニはジョンソンを自分の家で迎え、生まれて初めてのキスを彼に与える。そこに保安官が男達を従えてやってきて、ジョンソンは極悪のお尋ね者だったことがわかって、追跡中だという。ミニは保安官たちが立ち去った後、隠れていたジョンソンに、自分の唇を奪っておいて嘘つきだったことを責めで出て行くように命令する。彼は出て行く。しかし、しばらくして銃の音がして、瀕死の重傷を負ったジョンソンの姿を見るといたたまれず、ミニは彼をかくまう。
第3幕
ミニはジョンソンが回復するまで世話をして、自分がジョンソンを心から愛していることに気が付く。その後、完治したジョンソンは出て行ったが、山狩りで保安官に逮捕されて男達に首に死刑のための縄をかけられる。ジョンソンは、最後の頼みとして、「ミニには自分が死刑になったことを知らせないで、無事に逃げ延びたと言ってくれ」と切々と訴える。そこをミニが銃を持って駆け込んできて、彼を殺すなら自分もこの場で死ぬと銃をこめかみに当てる。男たちはみなミニを愛している。彼女の世話になってきた。ミニに聖書を読んでもらってきた男達。家族に手紙を代書してもらってきた男達。病気のときに世話になった男達。みなミニのことが大好きだった。ミニの懸命な純愛に心打たれて、男達はジョンソンの縄を解いて、ミニと二人で新しい人生を歩むようにと、二人を送り出してやる。
というストーリー。

ヨナス カーフマンはインタビューに答えて、このオペラでは馬に乗るシーンもあったし、カーボーイハットにカーボーイブーツを身に着けることができた。ボーイズ ドリーム カム トゥルー(男の子の時の夢がかなったよ)でしょう、と言っていた。不協和音ばかり、曲が難解でとてもバラエテイーに富んだオペラで、アリアがないオペラといわれてるけど、「僕アリアを歌ってたでしょう。ね。」と茶目っ気いっぱいに話していた。何てチャーミングな人だろう。このとき映画館にいた観客前後四方の女性客たちの溜息が聞こえた。
第2幕のミニとの初めてのキスに至る、求愛の歌は本当にカーフマンにしか歌えない。こんな迫力のある求愛には、もう本当にドキドキする。この人ほど見も心も投げ出すようにして、天も地も落ちよ、星も月も太陽も飛び散れ、この世には僕の愛しかないのだ、という破壊的ともいえる究極の求愛を歌える歌手は他に居ない。聴いていて見も心もズタズタです。

オランダ人ソプラノ、エバ マリア ウェストブロックは演技が上手で素晴らしい役者だった。でも彼女の声が好きでない。ソプラノでも気品のある硬質の声が好きだから。役者としては一流だ。銃で撃たれ舞台で昏倒しているカーフマンの横で、保安官相手に、「私が勝ったらこの男はわたしのもの、負けたらこの男をあんたに渡して私はあんたの女になる。」と言ってカードを出してポーカーをするところなど、すごく演技が冴えている。

ミニの家で働くメキシコ人の女中がちょっと出てくるだけで、このオペラではミニ以外の女性が全く出てこない。男ばかりのオペラだ。終始舞台では複数の金鉱で働く男達が立ち回り、殴り合いの喧嘩をしたり、ミニに言い寄ったり、すぐに銃を向けたり、動きがあって面白い。歌いながらだから、歌手たちは大変だったろう。
このメッツのハイビジョンフイルムは、オペラだけでなく幕が変わるごとにカーテンの裏で舞台を作る人々の様子が見られるところが良い。興味深々だ。大がかりな舞台造りに何十人もの舞台美術家やペンキ屋や大工や工具係りが、限られた幕間の間に大忙しで仕事をしている。オペラを支える人々の姿まで美しい。オペラは良い。500年も前から作られてきた芸術品を大切に大切に、後世に伝えて行かなければいけないと、心から思う。

シドニーでは、外は真夏30度近い暑さ。でも4時間の公演中冷房が効いて、カーデガンとひざ掛けをもって入っているのに体が氷のよう。映画館から歩いて200メートルのところにある寿司屋に入って熱いお茶を飲んで生き返った。午后3時ごろに寿司屋に来る変な(迷惑な)客のために、オーナーのケンさんはいつもメニューにない皿を用意して迎えてくれる。ありがたいことだ。
日本でも現在、限られた劇場で公開中。

2018年11月17日土曜日

マイケル モアの「華氏119」

ドキュメンタリーフイルム「華氏119」
原題:「FAHRENHEIT 911」
監督:マイケル ムア
製作:2018年

119という数字は、2016年11月9日に、アメリカ大統領選挙結果が出てドナルド トランプが勝利宣言をした日で、この数字に因んで、フイルムのタイトルがつけられている。つい先日、2018年11月6日に大統領予備選挙が行われたことも、記憶に新しい。

「華氏 911」と混同しやすいが、こちらは2004年の作品で、2001年9月11日の世界貿易センタービル崩壊後、イラクに大量破壊兵器があるとして開戦に踏み切ったジョージ W ブッシュ政権を批判した作品。ナインイレブンは2004年作品で、ノベンバーナインが今年最新作品だ。ナインイレブンの方は、アメリカで約1憶2千万ドル、全世界で2億2千万ドルの興行収入をあげ、ドキュメンタリーフイルムとしては過去最高の興行成績を記録した。未だにこの記録が破られていない。

マイケル ムアは怒れるジャーナリスト。熱い男だ。アポイントメントを取らずに突撃インタビューで取材して真相に迫る彼のスタイルは独特。偽政者の不正に怒り、一般市民の目で政府を告発し続けている。世界中の富が総人口の1割に満たない富裕層によって保持され、持てる者と持たざる者との格差が拡大する一方の物質社会。富の最たる武器製造産業が世界各地に戦争を創り出し、武器を売りつけては市民を殺し続けている。どの国の政府も、税制で優遇され肥えるばかりの大企業の言うままのパペットと化している。ありもしない社会福祉を夢見て、働きずめで搾取され続けてきた一般労働者は、税をむし取られ、貧しいものから順に戦争に駆り出されていく。それでも人々が怒り続けることを忘れてしまうのは、ちょっとだけ月に一度だけわずかな蓄えから贅沢な食事をして、数年に一度だけちょっと旅行などしたり、ブランド品を身に付けたりして、僅かな富裕層の夢を見ることができるからだ。真に豊かな富裕層と比べて余りに惨めな自分の生を、認めたくないばかりに格差社会の残酷性に自ら目をつぶってしまうからだ。怒ることは現実を見ることだ。マイケル ムアは怒り続ける。

彼はもともと民主党支持者だったし、ラルフ ネイダーの支持者だった。しかしこのドキュイメンタリーフイルムでは、共和党も民主党もきっちり批判している。2016年の大統領選挙で、識者やマスメデイアがトランプの当選などあり得ない、と笑い飛ばしていた時、彼は中西部のアメリカの製造業に関わっていた労働者の不満を綿密に取材していて、いち早くトランプが当選することを予想していた。
今回のフイルムは トランプが当選して勝利宣言を発するところから始まる。どうしてトランプが大統領選に出馬したかというと、歌手のグウェン ステファニーのギャラが自分がもっていた番組の出演料よりもずっと高いことを知らされて激高して決めたという。歌手のくせに、女のくせに、と怒り狂った末大統領、、、というエピソードは初めて知ったが、興味深い。
またトランプが口汚く中南米出身者をテロリスト、レイピストと根拠もなく決めつけ、アフリカンアメリカンを二ガーと最悪差別語で言い、女性を金の力で何でもさせることができるんだと自慢してみせ、身体に障害のあるジャーナリストのマネをして面白がる、、、およそ人間としての品格も最低限の教養も見られない、そういった素養を彼は猿に重ねて笑わせてくれる。猿の方が余程マトモだよね。

マイケル ムアの故郷ミシガン州、フリントの取材は秀逸だ。マイケル自身がこのアメリカ中西部のラストベルトといわれるど真ん中の出身で、彼の祖父も父親もGM(ジェネラルモーターズ)の工場労働者だった。ここではトランプ並みの富豪ビジネスマン出身の知事の独裁政治がまかり通っている。州の財政を倹約するために水道が民間化され、今まで水質の良い水道を使っていた市民が、高濃度に鉛で汚染された水道水で生活を余儀なくされた。鉛は飲めば、体から排泄されず脳に蓄積されて知能障害、多動児を生み、皮膚障害や流産、死産、未熟児出産の原因となる。汚染された湖から取水された水は、老朽化した水道パイプの内部で鉛が溶け出し、それを飲料水や料理や洗濯に使う市民から鉛中毒者が出る。怒った市民の抗議行動を見て、知事はGMの工場だけに今までと同じ良質な水道を提供する。しかしアフリカンアメリカンがマジョリテイーの市民には、汚染水のままだ。遂に、フリントの住民はワシントンに抗議行動に出る。

その返礼は、恐ろしいことに、何の予告もない、装甲車を先頭に繰り出した大規模な軍事演習だった。鉛中毒で人々が移住して空き地になった場所を、軍が爆撃訓練を称して砲撃する。突然の軍による攻撃に震えあがる市民たち。
そんな最中に、オバマが街にやってきた。もろ手を挙げて熱狂、歓迎する市民たち。フリントの公会堂でスピーチをしたオバマは、途中で咳をしてみせてコップに入った水を飲ませてくれ、と言う。興奮した市民、聴衆たちは大喝采をして、鉛で汚染された水道水のグラスに口をつけるオバマの一挙一動をかたずをのんで見守っている。知事は鉛は基準以下だと言っているが、化学者たちは鉛中毒の警告をしている。そんな危険で、毎日自分達が飲まされている鉛汚染水を、オバマが一緒に飲んでくれる。
市民集会でも、フリントの知事や議員たちとの懇談会でもオバマは、水道水を所望する。すばらしいパフォーマンスだ。しかし市民はしっかり見ている。オバマはグラスの口をつけてみせただけで決して飲まなかった。飲むつもりもないのに、わざわざ所望して公の場で飲むふりをする。ペテン師オバマは醜い。オバマはとても醜い。オバマは醜い。

オバマはかつて良心的弁護士で、民主党員だったが、共和党のブッシュよりもニクソンよりもたくさんの市民をアフガニスタンやイラクなどでドローン攻撃で殺害した。罪のない女子供を殺害した数が過去の大統領のなかで断トツに多い。オサマビン ラデインを法的手続きなしで殺させたのもオバマだった。犯罪者だったかどうかも未だにわかっていない被疑者を、違法に殺害するのは最も恥ずべき卑怯者のすることだ。

オバマを批判したマイケル ムアは、ヒラリー クリントンにもその矛先を向ける。大統領選挙で同じ民主党のサンダースの方が支持者が多かったにも拘らず、彼女は地区ごとに改作した偽りの報告を選挙委員会に出して、サンダースを引きずり下ろした。評の改ざんだけでなく、サンダースの集会の妨害や中傷など共和党でもやらないような汚い手でサンダースが自ら大統領選を下りるように画策した。そのため怒った民主党支持者たちは、本選挙で投票に行かなかった。民主党を割り、投票数を減らし共和党票を当選させたのはヒラリーだ。大型兵器産業や、ゴールデンサックスのような金融企業から多額の財政資金をもらっているのも、トランプだけでなく、ヒラリーもオバマも受け取っていたのだ。腐敗しているのは共和党だけではない。

ウェストヴァージニア州の教師たちの立ち上がりもレポートされている。ここでは学校の先生が低収入者むけのフードチケットに頼らざるを得ない。教師の生活を保障せよ、という大規模なデモでワシントンまで行進する。NO MONEY IS THE STRONGEST POWER。無一文が一番強い。何も奪われるのものない教師たちの捨身の行動。
トランプは、医療健康保険制度を葬り去り、銃規制の声に耳を貸さず、メキシコとの境に高い塀を築き、移民を拒否し、アフリカンアメリカンや先住民族や南アメリカからの移民差別を助長し、LGBT差別や女性差別を平気で行い、ジェルサレムにイスラエル大使館を置き、輸入関税を高くし、中国ソビエトを威嚇する軍事演習を繰り返している。彼の行動は、21世紀のファシズムとも言える。トランプのその姿は、ナチズムによるヒットラーの顔に重なる。アメリカの民主主義は崖っぷちに立っていて、ハンドルを握る男は常軌を逸したトランプだ。トランプは民主主義を壊し、ずっとホワイトハウスに住むことを、自分のゴールにしている、とマイケル ムアは言う。

一方で希望もある。草の根運動からうまれたサンダースの子供達だ。今回の大統領予備選で、ニューヨーク州から出馬して最年少で当選して下院議員となった29歳の、プエルトリコ出身のアレクサンドリア オカシオ コルテスだ。レストランで働きながら大学時代にもらっていた奨学金の返済をしている身だが、ボランテイアでサンダースの選挙運動を手伝った契機に政治に無関心ではいられなくなって出馬した。この人がものすごい美人だ。賢い女性は美しい。
またミシガン州から出馬して女性のイスラム教徒で下院議員に当選した、ラシダ タリーブ42歳。そして、マサチューセッツ州からアフリカンアメリカンの女性、アヤンナ プレスリー44歳。3人ともサンダースの子供達と言える。

フイルムは学校での銃乱射事件にあって、自分は生き延びたが友達を失ったエマ ゴンザレスのスピーチで終わる。銃規制に動かない政府に怒る高校生たち。自発的に集まり、共和党議員たちに全米ライフル協会からの寄付金を受け取らないと約束してください、と詰め寄るテイーンたちの姿が健気だ。
トランプを当選させたラストベルトの貧しい白人男性は、トランプが再び雇用を安定させて、アメリカドリームを復活させてくれることを願ってきたが、遅かれ早かれ彼らはトランプが貧しい階層の味方ではないことに気が付くだろう。彼はミリオンネイヤーを、ビリオンネイヤーにするだけの存在だったことに気付くことだろう。

ドキュメンタリーフイルムだが、ユーモアあり、ちゃかして笑わせるし、音響効果も良く狙っている。フリントでの軍による演習などすさまじい銃弾音で音だけで鳥肌がたつ。また、事実を並べるだけでなく誰にでもわかるように順を追っていて説明されていて、理解しやすい。インタビューも一方だけでなく双方の意見をちゃんと解りやすく編集している。
この映画が公開されたのは、大統領予備選の前だったから、当選者がまだわかっていなかった段階だったが、3人の当選した女性下院議員たちが、草の根運動のクラウドファンドで資金を集め、選挙に出る姿を捕えて、生の声を伝えている。彼女たちが必ず当選すると読んだマイケル モアの判断力は素晴らしい。
最後のエマ ゴンザレスの感動的な、一生に一度ともいえるスピーチも、涙なしに聴くことができない。小気味よいテンポでトランプ政権の2年間が総括されていて、すぐれた作品に仕上がっている。
マイケル ムア、この人には暗いところを独り歩きせず、サウジアラビア大使館などには行かないで、長生きして欲しい。



2018年10月30日火曜日

映画 「アリー、スター誕生」

原題:「A STAR IS BORN」
監督:ブラドリー クーパー
キャスト
ブラドリー クーパー:人気歌手 ジャクソン メイン
レデイ ガガ    :アリー キャンパナ
サム エリオット  :ジャクソンのマネージャー、ボビー
デイブ チャペル  :ジャクソンの友達 ジョージ
アンドリュー ダイスクレイ:アリ―の父親 ロレンゾ
アントニー ラモス :アリ―の親友 ゲイのラモン
マイケル ハーネイ: アリ―の父親の友人で運転手ウォルフィー
ラフイ ガバロン  :アリ―のマネージャー レズ
アレック ボールドウィン: TV アナウンサー

「IN THE SHALLOW、SHALLOW」、「IT THAT ALRIGHT」、「I"LL NEVER LOVE AGAIN] などの印象的な曲が映画の中で繰り返し流れるが、今回、ブラドリー クーパーとレデイ ガガの二人の名前で「A STAR IS BORN」というタイトルのサウンドトラックが出た。映画の中で歌われる曲は、みなレーカス ネルソン(ウィリーネルソンの息子)が、レデイ ガガと話し合いながら合作したとされる。映画はブラドリー クーパーが初めて監督した作品。

ストーリーは
カルフォルニア。
アリーは、昼間レストランのウェイトレスをして働き、夜は小さなゲイバーのステージで歌を歌わせてもらっている、シンガーソングライターだ。リムジンカーの運転手をしている父親とその仲間3人の運転手が住む家に同居している。父親は自分がフランクシナトラよりも歌が上手かったことが、唯一の誇りで家ではいつもオペラが鳴り響いている。

ジャクソン メインはカーボーイハットをかぶりジーンズ姿で、ヘビーなカントリーロックを歌う大スターで、彼のステージには何万人ものファンが駆け付ける。ステージに立つ前、彼は酒をあび、コカインを吸う。ステージの爆音で片耳は難聴になっていて、治療を必要としている。けれど彼は、気にしていない。

ある夜ステージの後、飲み足りないジャクソンは運転手に無理を言って車から降りて、小さなバーに入る。そこはドラッグクイーンの店だった。呼び込みの青年ラモン(アリーの親友)に勧められるまま店のショーを見ていると、シャンソン「バラ色の人生」LA VIE EN ROSEを歌う娘がいた。そこで歌い手のアリーとジャクソンは出会う。アリーのもとボーイフレンドに、いちゃもんを付けられ、アリーがその男をぶん殴るハプニングがあり、ジャクソンはアリーを外に連れ出して、殴って赤く腫れたアリーの拳を手当てする。夜明け前のドラッグストアの前で二人は話をする。どうしてシンガーソングライターとしてデビューしないの? アリ―は、「だって私の鼻が大きすぎて不格好なので、人前で歌う歌手としてまだまだだって、人は言うんだもの。」ジャクソンはアリーの額から鼻にかけて指でなぞっておまじないをかける。アリーは、夜空に向かって自分で作った「SHALLOW」を歌って見せる。

翌日はジャクソンのステージがあるので、舞台横で見られる招待券をアリーは渡される。でもアリーは稼がないと生活できない。朝、いつものように職場に着いて仲良しのラモンとウェイターの仕事を始めようとすると、気難しいマネージャーは、いつものように嫌みばかり浴びせかける。頭に来たアリーとラモンは二人顔を見合わせて、その場でウェイトレスとウェイターの服を投げ捨てて、ジャクソンのドライバーが待つ車に、二人して飛び乗る。ジャクソンの個人用の小型飛行機に乗って、ジャクソンの歌う会場に。
ステージでジャクソンは、アリーが駆け付けたことを知ると、「友達を紹介するね。」と言って「SHALLOW」を歌い始める。二人で歌う歌だから、ただ舞台横で見ているわけにはいかない。アリーはラモンに押されて、舞台に進み出てジャクソンとデュエットを歌う。その夜、二人は結ばれる。
これを切っ掛けに、アリーの歌唱力は、大型新人登場としてセンセーションを起こす。ジャクソンは、アリーとの関係を深め、コンサートツアーをすっぽかし、マネージャーに愛想をつかされる一方、アリーは人々に注目されるようになり、イギリス人のマネージャーがつくようになる。順調に売れ出すアリーを後目に、ジャクソンには仕事が来なくなり、酒とコカインの日々が繰り返される。それでもアリーのジャクソンに対する尊敬と愛情は変わらない。もと仲間だった親友の家に転がり込んでいたジャクソンを迎えにきたアリーにジャクソンはギターの弦の端で作った指輪を差し出す。それを見たジャクソンの親友家族は大はしゃぎ。今から結婚しちゃえよ。と、、二人はその日のうちに、彼らに祝福されて結婚する。

アリーの歌が売れ、バックシンガーやダンサーが付くようになり大忙し。仕事が来ないジャクソンに昔のマネージャーが、ボーカルじゃないが、後ろでギターを弾いてみろと言ってくれる。昨日まで自分がスターだったというのに、若い下手な歌手の伴奏を弾く屈辱。
アリーはグラミー賞候補者となる。.授賞式で感謝のスピーチをしているアリ―の前に泥酔したジャクソンが現れる。アリーはジャクソンが祝福に来てくれたと思い、ジャクソンをステージで迎えるが、舞台の真ん中で、酔って意識不明状態のジャクソンはオシッコを漏らす。

そんなことがあってもアリーはジャクソンへの愛は変わらない。アリーに支えられてジャクソンは施設に行ってアルコール薬物中毒の治療をする。回復してこれからアリーと一緒にコンサートツアーに行く予定を立てた。しかしアリーが出かけている間にアリーのマネージャーが訪ねてくる。マネージャーは、アリーの成功を願うならば2度とアリーの前に姿を現すな、と言う。ジャクソンはガレージで首を吊る。
ジャクソンの葬式とお別れ会の会場で、アリーは、「わたしを支えて。ジャクソンを愛してくれた皆さんの力で最後の歌が歌えるように、どうぞ私を支えてください。」と言って、「I"LL NEVER LOVE AGAIN」 を歌う。
というおはなし。

もう、涙ボロボロです。よくあるお話でストーリーが単純。それだけに共感も得られやすい。レデイ ガガの歌唱力、音感の良さ、自作自演で魂を吐露するような歌を歌う様子が素晴らしい。本当に天才的な歌い手だ。そして、彼女の素顔の美しさ。自分の主張をはっきり持った、実力のある歌手だが、彼女がまだ32歳と知って、そのあまりのマチュアなことに驚いた。
生粋のニューヨーカーのシンがーソングライターで、ファッションアイコン。6グラミー賞受賞、世界で最もベストセリングアルバムを出し続けている歌手。女性への暴力と差別に反対するアクテイビスト。癌治療ファンデーションにも、野生動物保護活動にも関わっていて毛皮取引に反対してア二マル柄の服に血を体に塗りたくってパフォーマンスをした事も記憶に新しい。今回トランプ大統領の使命した最高裁判所判事の就任に対しても強い反対声明をしていて、この映画のためにTVショーやインタビューに応じるごとに、この女性差別主義者の判事就任に抗議している。右腕の裏側にトランペットのタットーを入れている姿が可愛い。

映画を監督、主演したブラデイ クーパーは43歳。3年続けて世界で最も高い出演料を取る俳優の一人だそうだ。4回アカデミー主演候補、2ゴールデングローブ賞。長い事テレビシリーズ「セックス アンド シテイ」シリーズに出演して人気を得て、映画「ハングオーバー」2009、「アメリカンスナイパー」2014、芝居で「エレファントマン」を主演。30代でアルコールと薬物中毒で苦しんだ経験も持っている。

この映画は、クリント イーストウッドが、ビヨンセを主演にして映画化する予定だったが、次期イーストウッド監督と言われるブラデイに、バトンが渡されて、レデイ ガガ主演で作られることになったという。
この映画は4回目の「スター誕生」のリメイク。無名だった妻に先を越されたオットが爆沈する筋の映画だ。
オリジナルは、1937年、ウィリアム ウェルマン監督、ジャネット ゲイナーとフレデリック マーチのカップル。30年代のデプレッションから戦争前後の暗い世相のなかで、ノースダコダ生まれの、美人でない、ごく普通の女の子がスターになる夢を見てそれを実現する物語に人々は夢中になったという。映画で夫役のフレデリックが落ち目になって死んでいったことに、人々はさんざんと涙を流した。サイレントムービーの時代だ。ジャネット ゲイナーは最初のアカデミー主演賞受賞者となった映画だが、まだ生まれて無かったから、私は見ていない。

次に出て来たのは17年後の1954年。ジュデイーガ―ランドとノーマン メインが演じた。夫のノーマンも、妻を歌手として成功させた後、自分が売れなくなって、妻がグラミー賞受賞する場で、「俺は仕事が欲しいんだ。」と叫んで、式をめちゃくちゃにした末、飲んだくれて水死する。これも私は見ていない。

その次に22年後 1976年に出て来たのが「A STAR WAS BORN」だ。バーバラ ストレイザンと、クリス クリストファーソン。彼はグラミー賞受賞のステージに酔っぱらって登場して、「この賞は俺が欲しい。」と、これまた絶叫した末、自動車をぶっ飛ばして事故死した。バーバラの歌唱力は素晴らしいが、久しぶりに映画を観てみたら、バーバラの話をする声のピッチが高くてものすごく不快だった。話し声は低くないと説得力がないし、落ち着かない。画面が変わるごとにバーバラが派手な70年代の服をつっかえとっかえして出てくるのも不自然でおかしい。70年代の映画って、こんなだったんだ。映画がほとんど娯楽の中心で、ファッションを先導していた時代だったのだろう。

そしてこの最新版、2018年ブラデイ クーパーの作品が、何とオリジナルからは、81年目に再登場したわけだ。いかに男が外面に反して、内部が弱くて嫉妬深くて、ロクでもないかを示している、、、、のかしら。4人の男が居る。1937年に女房がオスカーを獲ったことで嫉妬して死んだフレデリック、1954年に女房のトロフィーをつかんでダダをこねた末、水死したノーマン、1976年に女房のトロフィーを持って「俺がこれ欲しい」と叫んで車で暴走死したクリス。そして、2018年にステージで泥酔してオシッコを漏らした末、首を吊るジャクソン。こんなことで良いのか。お と こ。

ショービジネスにとって、どんなに歌手が歌い手として優れていても、レコード産業や、関連雑誌やマスメデイアのパペット、繰り人形でしかない。どんなに創意あふれる感受性の豊かな歌い手も、それを宣伝して売り出し、マネージする人無くしては世に出ることができない。またいったん世に出てしまったら自分だけの意志で、歌を作り続けることができなくなる。資本主義、商業主義社会で歌い手がプロであり続けるためには、捨てなければならないものが多すぎる。人を生かすも殺すも商売次第だ。

しかしこういった商業主義的エンタテイメントの世界の冷酷さとは別の、次の課題として、男が女房の尻の下で、自分の尊厳を保って生きて行けるのかどうかという男の課題。人は一人前になるために人気歌手の荷物持ちをして奴隷のように尽くし、やっと一人前になって栄光の時代を迎えても、それは長く続かない。ならば次世代に人気を譲って、落ち目になったら再びバックコーラスで歌うなり、荷物持ちを引き受けるなり、伴奏者になったりしておとなしく仕事を続ければ良いのだ。職業に貴賤なし。女房の収入が多ければ、その尻の下で家庭を支えればよい。定年まで働いてそれなりの業績を残し、退職金は動けなくなった時のためにとっておき、再就職してタクシーの運転手になったり、マクドナルドの皿を洗ったり、ビルの掃除をしたりして、元気で人の役に立っていることを、自分で祝福してやればよいのだ。人はそうやって人生を生きているのではないか。死なないでください。

映画の最後の方で、泣き崩れるアリーに、もとジャクソンのマネージャー(サム エリット)が言う。「アリー、自分を責めちゃだめだよ。悪いのはジャクソン。これはジャクソンの問題なんだ。これがジャクソンの人生だったんだ。」そのとうり。74歳の名優、サム エリオットがかっこよくキメている。ジャクソンは深く深く文字通り子供の様な純粋さで妻を愛していた。だからもう行き場がなかった。死ぬしかなかったのだ。

小さなことだけど、アリーのマネージャーを快く思っていないジャクソンが、ぶしつけに「あんた、ソックス履いてないじゃん。」と言う。イギリス人のマネージャーは、にっこり笑って靴下を履いてないように見えるけど、丁度靴に隠れるように靴下履いてるんだよ。と言って靴下を見せる。いま、ヨーロッパの男のファッション雑誌で、昔みたいに長い靴下を履いているようなモデルは居ない。みんな素足だ。流行に鈍感。アリゾナみたいな田舎からきてカントリーなんて、どんくさい歌を歌ってるアメリカ人にはわからないことだけどね、、、というニュアンスが会話に垣間見られてすこし笑った。

また一瞬だったけれどTVアナウンサーが出て来て、これがハリウッド大物俳優のアレック ボールドウィンだった。これは彼のお遊びですか。端役にも手を抜かないクーパー監督。
アレーの親友のゲイのラモン(アントニー ラモス)が、端役だけれどアリーのことを一番よくわかっている友達として出演していて、彼がとっても素敵。爽やか青年で忘れ難い。こんな人とアレーがずっと一緒に暮らしたら、こんな辛い思いをしなくて良かったのにね。
予定通りクリント イーストウッドがビヨンセで、この映画を撮っていたらどんなだっただろう、と想像してみるのも楽しい。
日本での公開は12月21日だそうだ。





2018年10月21日日曜日

メッツオペラ「アイーダ」



ニューヨークメトロポリタンオペラ ハイビジョンフィルム2018
作品:アイーダ 
作曲:ジョセッペ ベルデイ
イタリア語
上映時間:4時間
指揮者:二コラ ルイゾッテイ
キャスト
エジプト王(バス):ライアン スピード グリーン
エジプト王女アムネリス(メゾソプラノ): アニータ ラチベリシュビツ
アイーダエチオピア王女(ソプラノ)  :アンナ ネトレブコ
ラダミスエジプト将軍(テノール): アレクサンドル アントネコ
ラムフィスエジプト祭祀長(バス): デミトリ ベロセルスキー
エチオピア王アモナスロ(バリトン):クイン ケリー

初演は1871年12月 エジプトカイロオペラ劇場。
エジプト総督イスマール イル パシャがヴェルデイの大ファンだったので、当時スエズ運河が開通しオペラ劇場ができたことを記念して、エジプトを舞台にしたオペラを作曲するよう依頼した。
ヴェルデイははじめ相手にしなかったが、総督がグノーとワーグナーにも作曲を依頼するつもりでいることを知って、当時もてはやされていたワーグナーに負けたくなかったので、あわてて引き受けた言われている。これほど重厚でイタリア様式のグランドオペラが、着手から僅か、5か月の速さで完成したとは信じ難いことだが、すでに名声も富も持っていたヴェルデイが、同い年でライバルのワーグナーに負けたくない一心だった、という姿を想像するとおかしくて少し笑える。

おかげでエジプトの高い芸術文化、栄光と偉大さを世界に見せつける絢爛豪華なオペラが完成して総督は大満足だったわけだ。いかに国際社会では、オペラが世界中の裕福な知識人階層や政治家たちや、マスメデイアの目を奪い、知的世界を満足させることが国家にとって大切なことだったかを表している。文化がその国の財産だった、昔の古き良き時代の話だ。 今やオペラ愛好家は減少を続け、裕福な知識人や政治家らは、芸術に興味を失くし、物質主義のギャンブルやドラッグで気晴らしをするだけだ。

第1幕
エジプトの将軍ラダメスと、奴隷のアイーダは密かに愛し合っている。アイーダはエジプト軍に捕らわれたエチオピアの王女で国王アモナスロの娘だが、今は奴隷としてエジプト国王の娘アムネリスの世話係だ。一方のアムネリスはラダメス将軍を片思いしている。ラダメス将軍は国王の命令で軍を率いてエチオピアを討伐に行く。
将軍ラダメスのアリア「清らかなアイーダ」でオペラが始まる。エチオピア軍を降伏させてアイーダが昔育った故郷に帰してあげたい、アイーダの為ならどんなことでもしてあげたいと歌う。
体重が120キロくらいありそうな居丈高な軍装に身を包んだラダメスが切々と歌い上げるテノールの姿に、思わず目がウルウルして騙されそうになるが、何ですか。一体、どこの故郷ですか。敵国エチオピアに攻め入り、アイーダの故郷を蹂躙し国土接収し、軍を壊滅、市民を死傷させ、それでいてアイーダを故郷に帰してあげたいって、どんな故郷だよ、と言いたくなる声はこの際封じておく。

それに対してオペラの設定では20歳というアイーダの方は若いながら、ラダメスよりは多少現実的で、自問自答の胸の苦しみを吐露する。アリア「勝ちて帰れ」の歌詞の概要は、
ラダメス 愛する人 私の父を打ち負かし
祖国と宮殿を破壊して
勝って帰ってきて
ああ神々よ、何て恐ろしい事
私のお父様、あなたの胸に娘を抱いて
エチオピアを抑圧する軍を打ち破って
でもわたしの恋はどうなるの ラダメスの死を願うなんて
二人の愛する方の名前を呼ぶことができないなんて お父様 ラダメス ああ
神々よ わたしの苦しみを憐れんでください
こんな苦しみが晴れることがないのなら、どうぞ死なせて。

舞台の両側は15メートルくらいの高さの石のファラオの立像が立っている。国王の高座はたくさんの巫女で囲まれている。人々は戦いの勝利に祈りを捧げている。それを背景に、第1幕は愛し合う二人のアリアが聴かせどころだ。アイーダの嘆きはオペラの中で何度も繰り返し歌われて、涙を誘う。今回のカップルは大型で、二人合わせると最低体重200キロ以上にはなるだろう。ソプラノは素晴らしい。が、すごくパワフルで、20歳の清純でけなげな元王女様を想像するのは少し難しいかもしれない。

第2幕
「凱旋の歌」で始まり一番のオペラのハイライト。華々しいファンファーレとともに堂々とした国王の高座を前にして、凱旋してきた兵たちが行進をする。それぞれ異なった部族ごとに違うカラフルな戦闘服に身を包んだ兵たちが100人くらい。次々と敵国から奪ってきた珍しい動物の毛皮や絨毯や家具など捕獲品が並べられる。バレエ団のお祝いのダンスを踊る。舞台の上には200人くらいの役者達コーラス部隊が出演している。そこを馬車に乗って胸を張ったラダミス将軍が現れる。大歓声。色とりどりの華やかで派手で晴れやかで楽しい。このオペラの一番の見せ所だ。わたしはこの「凱旋の歌」がオペラの中で一番好きだ。元気が出る。仕事が順調で、思いのほか難しい仕事が片付いたときなど、この歌を知らず知らずに鼻歌で歌っている。気持ちの良い朝、ウォーキングを始めるときも、この歌だ。5キロ歩いて帰ってくる頃には、鼻歌気分ではなく、息が上がってヘロヘロで帰って来る毎日だけれど。

第3幕
エジプト国王は、凱旋したラダメス将軍と娘のアムネリスとを結婚させて,次期国王に任命するつもりでいる。アイーダは、ラダメス将軍が連れて来た捕虜になかに父親を見つけて駆け寄る。第3幕はラダメスとアイーダの逢引のシーンで始まる。しかしラダメスが現れる前に、アイーダの前に父親のアモナストが現れ、エジプト軍の配備をラダメスから聞き出すように頼みこむ。卑怯な国王だ。アイーダはラダメスが国王の娘を結婚すると思い込んで、絶望しているので、やけくそでラダメス将軍に迫って、エジプト軍が配備されていない場所がナバダの谷であることを聞き出す。それを闇にまぎれて聞いていた父親アモナストが現れて、ラダメスに、自分はエチオピアの国王だと名乗りを上げる。一緒にナバダの谷から逃げようと提案するアイーダを前に、ラダメスが軽率にアイーダに逃げ道を教えてしまった自分を責める。アイーダと父親は逃亡し、ラダメスは逮捕される。

ラダメスを愛するアムネリスは、自分を愛してくれるなら、アイーダ父娘の敵を逃亡させた罪を赦してもらえるように国王に話してあげる、自分を愛して下さい、と迫るが、ラダメスは拒否する。頑固な男だ。彼は死刑が確定し生きて石棺に入れられる。しかし石棺になかでは、アイーダが彼を待っていた。二人は抱き合いながら死ぬ。というお話。
舞台が上下2段になっていて、地下の石棺の上が祭壇。ここで巫女たちがアムネリスとともに祈りを捧げている。

ラダメスは男の中の男だ。
ラダメスのことをずっと片思いしてきて結婚することになっていたエジプト王の娘アムネリスが、自分を愛してくれさえしたら王に命乞いをしてあげると申し出て、ラダメスを救おうとする。彼女の愛こそ片思いの純愛だ。なのに、ラダメスは歌う。
あなたに憐れみなど受けたくない
わたしはアイーダのために死ぬことが至上の喜び
わたしの純粋な想いとわたしの名誉は永遠
わたしは卑劣でも罪人でもない
でも軽率だった
アイーダのために死ぬ運命を受け入れる
わたしの心は喜びでいっぱい と。

何て奴。アイーダに頼まれて軍の秘密を洩らしたラダメスは、アイーダに裏切られたのに、アイーダを恨まない。自分だけが軽率だったと言い、逃亡したアイーダを責めず、ただただアイーダが無事でいて欲しいと祈っている。しかし、ね。自分の命を守ろうとする自己防衛は人間の本能ですぜい。自分のことをひたむきに思ってくれたアムネリスに、彼女の思い通りにこれからはあなたを愛します、といえば命が助かるだけでなく明日にはエジプト国王。愛も地位も名誉も富も財産も目の前に置かれて、それでもラダメスは自分を見捨てて父親と逃亡したアイーダを愛しているから、自分は喜んで死罪を受けると宣言するのだ。ああ、こんな男がオペラの中だけでなく本当に居るのなら死ぬ前にお目にかかりたい。

オペラ「アイーダ」の愛の三角関係は、文字通りの正三角形なのだ。3者ともに、カーブも変化球もない直球。アムネリスは、ずっとラダメスを愛していて彼が他の女を愛していても「忘れる」と言ってくれさえしたら赦してあげる寛容な愛で、ひたすら自分を見てくれる日を待っている。アイーダは、一度は父親にたぶらかされるが、ラダミスを愛する気持ちに変わりはない。ラダメスは、アイーダが裏切ろうが、逃亡しようが、そのために自分が死刑になろうとも「ドンウォーリー、アイーダ命」なのだ。まさに正三角形の三角関係。

オペラの中でしか見られなくなった純愛。
否、それほど稀だからオペラにまでなった ということか。

ソプラノでアイーダをやったアンナ トブレコの声がどうしてもマリア カラスの声に重なる。カラスが歌う「勝って帰れ」の哀しい嘆きの歌をCDで繰り返し聴いてきた。カラスの品格のある硬質な声が、比べるとずっと柔らかくて温かみのあるアンナ トブレコの声と中和されて、聞いているととても心地よかった。
土曜日の午後、大きな音響で4時間、たっぷり堪能した。
日本での公開は11月2日からだそうだ。あたたかい飲み物を入れた魔法瓶と甘いお菓子と温かいひざ掛けをもって行かれることをお勧めする。




2018年10月2日火曜日

映画「JIRGA」

監督:ベンジャミン ベルモア
キャスト
サム スミス
シャーアラムミスキム ウスタド
アミ―ル シャ タラシュ
アルゾ ウェダ
イナム カン
音楽:AJ TRUE

オーストラリア軍は2011年から、9.11後の米国によるタリバンへの報復合戦に加担するかのようにアフガニスタンに兵を送り、現在に至るまでアフガニスタン政府に介入してきた。以降、アフガニスタンの市民と軍人を合わせて、戦争被害の死亡者は11万人をはるかに超える。一方オーストラリア兵の戦死者は41名。現在オーストラリア兵は、カブールでアフガニスタン兵、警察官への訓練に携わっている。
2001年の派兵以来、戦闘に関わりのない一般市民が戦闘に巻き込まれ死亡する事故が後を絶たない。イラク湾岸戦争のときも頻発したが、上空偵察機によって人が集まっているところが爆撃されるから、市民が結婚式や親戚の集まりをしている市井の人々が誤爆されて死亡する。一方的で不正確な情報によって攻撃され手、全くタリバンと関係ない人々が亡くなる。「敵」よりも罪のない市民の死亡者数が上回るのだ。

2009年に、オーストラリア軍でも、兵士が狙われて死亡したことで怒って常軌を逸した部隊が、一般家庭に手りゅう弾を投げ込んで、沢山の子供達とその母親たちを死亡させた。部隊長らは、軍隊内警察によって逮捕され、殺人罪を問われたが、裁判開始直前に訴えが下されて、結局誰も罪を問われなかった。2012年にも2013年にもオーストラリア兵によって同じような一般市民と子供が殺される事件が起こったが、裁判には持ち込まれていない。軍隊内の無規範、残虐性と、正義感や良心の不足、軍規のゆるみ、あいまいさ、なれ合いといった軍内部の超保身主義は赦しがたい。

もと兵士の告白で、センセーションを起こしたのは、「武器の置換」だ。彼によると兵隊はいつも余分の銃を持ち歩いていて、間違って丸腰の市民を殺してしまっても、銃を死体と一緒に置いておいて、あたかもゲリラが交戦したのでやむなく殺したように見せかけて罪を逃れるのが普通だ、という。こうして戦争犯罪は常に顔のない、ずる賢い、卑怯者によって闇に葬られる。
悪いのは、もともとはソビエト介入時に、タリバンに武器を供給した米国であり、その後現在でもシリアに武器を売りつけている米国や、サウジアラビア、カタール、フランス、トルコ、ブルガリアといった国々の死の商人たちだ。各国が軍事介入するのは、正義や民主国家建設のためではなく、もうかって儲かって仕方がないからなのだ。

「JIRGA」は、オーストラリア人監督による、オーストラリア俳優主演のアフガニスタンで撮影された映画だ。JIRGAとは、アフガニスタンの伝統的な年配者たちによる会合のことで、これは物事の善悪を裁く裁判所の機能を持つ。

映画のストーリーは
3年前にオーストラリア兵としてアフガニスタンに派兵されていたマイク ウィーラー(サム スミス)は、カンダハーで自分が誤って撃ち殺してしまった男のことが忘れられない。男が倒れ、妻と子供達が泣き叫びながら死体を家の中に引きずり入れていた様子が、繰り返し思い出されて、この家族に自分が貯めて来たドルを渡したいと思ってきた。そして、遂にアフガニスタン首都カブールに戻って来た。しかし、頼みにしていたかつての運転手に、カンダハーはまだタリバンが根拠地にしているところを通らなければ行けないので、危険すぎて行くことができない、と断られてしまう。マイクは仕方なくタクシーで、カンダハーまで行くことにする。しかし、当然タクシードライバーは、危険を理由に乗車を拒否する。しかし、とりあえず観光地だったバーミヤンまで行ってみよう。
二人は出発する。

ドライバーは歌の上手な気の良い老人だ。美しい山々が連なる果てしのない砂塵舞う荒地を車が行く。トルコ石のような美しい湖にボートを浮かべ、湖畔で焚火をたいてドライバーの作る食事をし、夜を明かす。二人の間には長い時間を共有する男同士の友情が芽生える。ドライバーは、翌日にはカブールに帰るつもりでいる。そこをマイクはドル札を手に、ドライバーに頼み込む。カンダハーまで。命かドルか。
ドライバーはとうとう断り切れなくなって車の行先をカンダハーに向ける。しかし予想通りにタリバンによるチェックポイントがあった。マイクはとっさに車から飛び降りて逃亡する。たった一人で、砂漠をドル紙幣をつめたバッグをもって歩くうち、砂漠の熱で脱水して倒れる。

行き倒れのマイクの命を救ったのはタリバンの小部隊だった。根拠地の洞窟で、タリバン兵士たちは討議する。マイクを殺すか、生かしておいて身代金を取るか。タリバン兵士たちは、マイクが自分の罪を償うためにここに来たことを知り、カブールまでの道を教える。マイクは遂に3年前、武装部隊の一員として市民の家を急襲して罪のない村人を殺した村に着く。村の長老たちはマイクの話を注意深く聞く。マイクが殺した男は、村で唯一の音楽士だったという。寡婦となった男の妻は、マイクに靴を投げつけて怒りを表す。長老たちは、長い討議の後、殺された男の10歳になる息子に、どう罪を償わせるか決めさせようと言う。憤怒でいっぱいになった息子は長刀を持ち、いったんはマイクの首をはねようとするが、自分の罪を告白して償いをしようとしている、うなだれオーストラリアから来た男の姿を見て刀を納める。長老は、「報復はたやすいが、赦しは崇高な行為なのだ。」という。
というお話。

この映画を観たのは、アフガニスタンの砂漠を見たかったからだ。すべての文明の源であり、アレクサンダー大王が征服することを夢に見た美しい国。世界で唯一、ラピスアズーリの宝石が産出できる。オランダの画家フェルメールが、この石を砕いて青い服を着た女を描いた、その紺碧の色。
それと全く異なる青、ターキッシュブルーの湖の美しさが例えようもない。世界一美しいと言われるカナダのレイクルイーズよりも優雅で美しい、ミルクが混じった深い深い青色。それから、遠く彼方にそびえる山々、ヒマラヤに続くヒンドゥクシ山脈の5000メートル級の山々、その後ろに7000メートル級の山脈が連なっている。溜息とともに見とれるばかりだ。

この映画の脚本を書き、自らカメラを回し、編集した映画監督ベンジャミン ベルモアは、戦地の危険を避けパキスタンで映画撮影をする予定で、すでに数千万円の前金を払って現地入りしたが、パキスタン秘密警察が映画の内容を知って、不快感を示したため撮影がすべてキャンセルされ、クルーは放り出され、仕方なく危険を承知でアフガニスタン現地で撮影したそうだ。
黒いターバンを巻き、アイラインをひいたタリバンの男達による部隊が砂漠で行き倒れたオージー男を救出して根拠地の洞窟に連れてくるところなど、本当に本当のタリバン部隊やISIS兵に見つかったら、どういうことになったか想像するだけでドキドキするが、そんな命知らずのオージー撮影クルーを、よくやったと言うべきか、愚か者というべきかわからない。

映画のストーリーは単純だ。マイクはオーストラリアの志願兵であり、自ら選んで職業軍人となり、人を殺すこと破壊することを訓練されてアフガニスタンに派兵された男だ。オーストラリアに帰れば ヒーロー扱いだ。軍事恩給が出て、普通に市民より良い生活ができる。3年前に誤ってアフガニスタンの市民を殺したことで、3年もの長いあいだ罪の意識にさいなまれてきた、とは考えにくい。貯めたドル束をもって、いまだ戦争中の現地にもどり、自分が殺した男の家庭に謝罪するなど、もっと考えにくい。嘘っぽい話を美談にしている。

そのオージー男が大事に抱えて国から持ってきたドルを、アフガニスタンの孤児は受け取ることを拒否する。10歳の孤児がすごい。「血にまみれたドルなど要らない」、と彼は言う。「報復しない、賠償を求めない、赦しを与える。」これはもう神の言葉だ。この息子の結論を導き出した村の長老たちも立派だ。「報復はたやすい。赦すことは困難だが人として最も崇高な行為だ。」と彼らは言う。また、マイクがタリバンに捕えられたとき、タリバンでさえマイクのドル束を取ろうとしなかった。彼らは「money is curse」と言った。何と誇り高き男達か。戦争によってドルが飛び交う。ドルなど呪われた存在でしかない。そして10歳の少年の言う通りドルは、blood money で、受け取る価値などない存在なのだ。マイクはドルの札束を砂漠の風にまかせて捨て去り、アフガニスタンの人々に赦されて帰る。とてもアフガニスタンの人々がかっこ良い映画なのだ。

モスクから聞こえてくるコーランも美しい調べだが アフガニスタンの独特の音楽が終始流れて、そこにアフガニスタンの自然描写が観られて美しい。AJ TRUEの作曲した数々の音楽が、絶えることがない。湖を背景に年老いたタクシードライバーが、ハッシッシを吸い、バケツの底を叩きながら歌う民謡が、この上なく美しい。




2018年9月15日土曜日

映画「クレイジーリッチ エイシアン」

いま世界中でベストセラーになっているケビン クワンの小説「CRAZY RICH  ASIANS」をハリウッドで、アジア人監督、全員アジア人キャストによって作られた映画。興行成績は今年の8月に公開されて以来、連続第1位の記録を更新中。オーストラリアでも大人気だ。
この「CRAZY RICH ASIANS」は3部作の第1作目で、「CHINA GIRL FRIEND」が第2作目、3作目が「RICH PEOPLE PROBLEMS」で、3部作ともすでに出版されている。原作者ケビン クワンは44歳のシンガポール生まれで、エンジニアの父親、ピアニストの母親に連れられて子供の時にアメリカに移住したシンガポール人。

初めてハリウッドでアジア人による中国人の物語を描いた「JOY LUCK CLUB」から実に25年ぶりに2度目のアジア人によるアジア人の映画が作られたことになる。「JOY LUCK CLUB」が第二次世界大戦の悲惨な体験が淡々と描かれていたのに比べて、この映画は、ラブロマンスのコメデイ―だ。世界第1位の経済大国になった中国から来た人々のパワーをもろに見せつけられる。舞台はシンガポールで、そこに住むスーパーリッチな不動産王の御曹司と、シングルマザーに育てられたチャイニーズのニューヨーカーとの恋愛物語。
原作では伝統的な中国人の価値観と、アメリカ育ちの中国人の若い世代の意識の落差について、真面目に語られているが、映画ではそれを強調するあまり面白おかしく笑いを取るコメデイとして仕上がっている。

ハリウッド映画
監督:ジョン M チョウ
原作:ケビン クワン
キャスト
レイチェル         :コンスタンス ウー   
ニック           :ヘンリー ゴールデイング
ニックの母エレノア     :ミッシェル ヤオ
ニックの従妹アストリッド  : ジェッマ チャン
ニックの祖母        リサ リュ―
レイチェルの親友ぺイク リン:オーク ワフィナ
ペイク リンの父親     :ケン ジェオング
レイチェルの母ケリー    :タン キェン フア
ニックの親友コリン     :クリス ペン
ニックの親友の許婚者アラミンタ:ソノヤ ミズノ

ストーリーは、
レイチェルはニューヨーク大学で経済学を教える教授。香港から移住したシングルマザーのケリーに育てられた。同じ大学で史学を専門にしているニックと恋人同士だ。
ある日、ニックにシンガポールに住む親友の結婚式に呼ばれているので、一緒にシンガポールに行こうと誘われる。喜んで休暇を取り、二人して機上の人となるが、乗り込んだ機内で案内されたのはファーストクラスの座席。レイチェルは何かの間違いだと思ってあわてる。しかしニックは笑って、せっかくの旅行なのだからこれで行こう、とレイチェルを説得する。
シンガポールで出迎えてくれたニックの親友コリンと、その許婚者アラミンタに会い、食事を楽しんだあと、レイチェルは一人、昔のニューヨーク大学時代の親友だったペイク リンに会いに行く。ペイク リンの家はびっくりするほど立派な豪邸で、彼女は両親と兄弟家族と一緒に住んでいた。家族に暖かく迎え入れられたレイチェルは、恋人の名前を聞かれて、「ニック ヤングというの。」と答えた瞬間、家族全員が凍り付く。レイチェルの恋人は、シンガポール一の大富豪の跡取り息子だったのだ。エルメスを普段着にしているペイク リンの家族の面々は、ノーブランドのワンピースを着ているレイチェルが、そのままニックのお婆さんの家で開かれる晩餐会に行くつもりでいることに驚愕。そんな服でヤング家のパーテイーに出られるわけがない。新友ペイク リンはレイチェルに、デイナードレスを着せて、一緒に晩餐会に行く。

レイチェルはお城のようなヤング家で行われている贅沢なパーテイーに、肝を冷やしながら、ニックに家族や友人たちを紹介されて、委縮していく自分に気が気ではない。
ニックの母親エレノアと祖母は、レイチェルを迎い入れるが、冷ややかな空気は変えようがない。レイチェルに出来ることは、エレノアの指にある巨大なエメラルドの指輪を褒めることくらいしかない。

翌日はバッチェラーパーテイー。男達は、ヤング家の所有する島でバカ騒ぎ。レイチェルはニックの許婚者アラミンタの女友達とでバッチェロパーテーに加わる。しかしレイチェルはニックの昔のガールフレンドたちから嫌がらせを受け、ベッドに腐った生魚を入れられたりする。カルチャーショックと、ニックの恋人としての嫉妬ややっかみを受けて、傷つきながらも、レイチェルはコリンとアラミンタの結婚式の参列する。
しかしその夜、レイチェルはニックの祖母と母親エレノアに呼ばれて、レイチェルは母親が浮気して生まれた私生児だと言うことが調べで分かったので、そのような娘をヤング家に迎えるわけにはいかない、と宣告される。レイチェルは自分の父親のことを知らない。自分でも知らなかったことを調べられて知らされた上、たった一人の身内である母親を侮辱されて、レイチェルは親友パイク リンの家に駆け戻り、惨めな自分が情けなくて食べ物も喉を通らない。ニックに会う気力もない。

ニューヨークから知らせを受けた母親ケリーが、レイチェルを連れ戻しに来る。ケリーはレイチェルに、本当に事を話す。父親は暴力をふるうような男で、良い人ではなかった。昔好きだった人と再会して妊娠してしまった。その事を夫が知ったら大変なことになるとわかっていたので、夫にも恋人にも何も告げずにひとりアメリカに逃れるしかなかった。レイチェルを産み、苦労しながら育てて来たが、それが自分にとって何よりも喜びに満ちた人生だった、と母は言う。レイチェルは母親と二人でニューヨークに帰ることにする。
その前に、ニックにさよならを言うために会うと、ニックは跪いてレイチェルにダイヤの指輪をささげて、求婚する。ニックの母親と話をしなければならない。レイチェルはニックの母親エレノアを麻雀屋に呼び出して告げる。麻雀で私が勝ったらニックは私のもの。もしお母さんが勝ったらニックはお母さんのものです。レイチェルはそう言ってゲームを始めるが、レイチェルはわざと負けて、その場を去る。

レイチェルとケリーは、来た時と大違い、ニューヨーク行の格安エアラインのエアアジアに乗り込む。その機上にニックが飛び込んできた。ニックの母親エレノアの巨大なエメラルドの指輪を差し出して膝まずき、再びニックはレイチェルに求婚をする。
というお話。

コメデイだが、純情な二人の恋人たちに泣き、心温まるシーンで終わる。
それにしても、映画を観ていてつくずく感じたのは、アメリカ人も中国人もお金が好きな国民だということ。徹底した拝金主義、物質至上主義で、贅沢をして物質で豊かさを形で表さないではいられない国民性。アメリカ人と中国人って、とても似通っている。

映画でシンガポールの観光旅行を楽しむことができた。素晴らしいシンガポールの観光名所が全部出てくる。どでかいチャンギエアポート、マーライオンのパーク、5つ星のラッフルズホテルのコロニアルスタイルの優美な外観と、スウィートルームの贅沢なスペース、それと度肝を抜くマリーナベイサンズ ホテルのプール。このプールは、3つの高層ビルを空中でつないだ57階屋上の、空中庭園の中にある。それとガーデン バイザ ベイのウオーターフロント公園で豪華な結婚式が行われる。ふんだんに花と水を使った、贅沢で見事な演出。これ以上華麗な結婚式はない、というくらい美しい。チャリーン、結婚式の費用だけで800万円。
ニックの親友のお嫁さんアラミンタを演じたソノヤ ミズノは、日本人とのダブルでファッションモデルでバレエダンサーだそうだが、背が高くてプロポーションが良くて絵になるような美しいお嫁さんだった。
これほど要所要所シンガポールの観光アイコンが使われているのに、意外なことに撮影のほとんどはマレーシアで行われたそうだ。ニックのお婆さんのお城の様な屋敷は、マレーシアの超高級ホテルだったカルコサス リネガラという歴史的な建物で、ニックのお母さんのモダンな海辺の家もマレーシア。コリンがバッチェラーパーテイーをしたのはマレーシアのラワ島、バッチェロパーテイーはランカウイ島だったそうだ。

アジア人の映画で楽しいのは、出てくる男達が美しいことだ。この映画でも主役のヘンリーゴールデイングが とても素敵。31歳、身長186cM。マレーシア人と英国のダブルで、イギリス育ち。彼にとってこれが初めての映画出演だというのだから驚きだ。これまでTVの司会や旅番組のホストだったそうだ。歩き方から食べ方、身のこなし方まで上品で美しい。
彼の親友役のクリス パンも素敵だし、ニックの従妹ジェマ チェンがとびぬけた美人だが、彼女のオットと元彼氏が、二人とも若すぎず、美しい肢体、渋い男の良さを体現していて忘れ難い。ピエル ペンと、ハリーシュン ジュニアという役者さん。いくつもの中国映画と韓国映画に出演しているに違いないので、記憶にとどめておこう。

主演女優レイチェル役のコンスタンス ウーは可愛い。でも美しさではニックの従妹役のジェマ チャンに及ばない。姿かたちと着こなしの良さではお嫁さん役のソノヤ ミズノに及ばない。また役者としては、レイチェルの親友を演じたオークワフィナに及ばない。オークワフィナは、話題作「オーシャン8」で、ケイト ブランシェットや サンドラ ブロックと共演して、大女優に負けない強い個性を見せてくれた。全く美人でないが、これからもハリウッドで活躍していく人だ。ヒップホップシンガーソングライターでもある。

準主役はもちろん憎まれ役ニックの母を演じたミッシェル ヤオだ。マレーシア人なのに中国映画と言えば、必ず彼女が主演だ。ゴング リーとか、チャンツ―ィ―が主役だったときはいつも重要な脇役を演じていて、流暢な英語を操るアジア人国際女優として不動の地位にいる。「クロ―チングタイガー」、「ゲイシャ」、「グリーンデステイ二ー」など彼女の出てくる映画など20本くらいは見ている。
そのハリウッドでもよく知られた大女優のミッシェル ヤオが、今回の映画でインタビューに答えて、自分はバナナだと言い出したのには とても驚いて考え込んでしまったよ。彼女がマレーシアで料理屋に連れて行かれた時、箸しかなくて、どうやって箸を使うか知らなかった。マレーシア人だが、その文化もしきたりにも疎い。アメリカで育ったアジア人はアメリカではアジア人といって差別と偏見にさらされ、アジアに行けば変な外人扱いをされる。欧米育ちのアジア人はみな、民族差別と差別の裏返し差別とでもいう立場で自分のアイデンティテイーに悩むものだ、と言っていた。とても共感できる。

アジア人による、アジア人監督と、アジア人キャストで作られたハリウッド映画ということで、これを観る欧米生まれ欧米育ちのアジア人は、欧米人とは全く異なった映画の受け止め方をしているのだ。アジア人だと、アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ国籍のアメリカ人でも、顔を見た人は、「あんた英語しゃべれるか?」と聞いてくるし、「あんたの故郷はどこだ?」と問われながら育って大人になる。
国民の4人に1人は外国生まれという移民でできたオーストラリアに居ても、同様だ。「どこから来たの?」「英語わかる?」がいつもついてまわる。それをいちいち「おい、あんたの言ってることは人種差別で、人権侵害行為なんだぜ。」と解説などはせず笑って受け流して生きている。そこに痛みは無いといえるか。

その意味で、この映画を観て、コメデイなのに泣いて見ているアジア人が多かった、というレポートが とても理解できるものだった。
世界一の経済規模を持つ中国。長いことコーカシアンの男が中心だったハリウッドで、プロデユーサーワインズバーグのスキャンダルを切っ掛けに、女性によるミートウー運動、権利保障を要求する運動が起き、俳優を含む映画関係者のなかで女性やアフリカンアメリカンやメキシカンアメリカンやチャイニースアメリカンがたくさん居るのに、登用されていない現状を、覆す動きが盛んになってきている。21世紀になって、ようやくここまで来た。もっともっとマイノリテイーによる映画が作られなければならない。

2018年9月9日日曜日

映画 「判決 ふたつの希望」

どんなに腹を立てていても言ってはいけない言葉というのがある。
相手が生きているその根幹に関わることで、その人が人であるための尊厳に触れるような言葉。それを言ってしまったら文字通り「おしまい」なので、致命的な言葉を間違って吐いてしまったら、言葉を取り消すことができないし、後戻りも出来ない。

前世紀まで、そういった言ってはいけない言葉は、ファックユーとか、マザーファッカーとか、サンオブビッチとか、バスタード(ケダモノ)とか、シット(くそ)とかだったけれど、今ではもっともっと悪い言葉が出てきている。
外国に住み、病院で看護師をやっていると、腹を立てた年より患者からこういった禁句を投げかけられることもある。病気の人は、心も病気だから不安や不満や痛みを看護師や医者を罵倒でもしないと、居られない時もあるのだろう。言われても専門職だから全然平気だ。「このチンク野郎」とか、香港人じゃないのに「ホンキ―野郎」とか、「モングエル」(野良犬)とか、痩せてるのにファットアス(豚野郎)、とか、シットバグとか、「二ガーアフリカに帰れ」とか。「ゴーバック ウェア ユーフロム」などなどだが これは、ヤンキーゴーホームみたいにポピュラーな差別言葉だ。
NSW州知事、ボブ カーの中国人妻を「メイル ブライド」(宅急便花嫁)と失言して、議員職を追われ自殺未遂した議員も居たっけ。
子供がそういった言葉を吐くと、まわりの大人たちがあわててそれを取り消そうとしたり、ごまかしたりするので、タチの悪い子供はわざと面白がって言うようになる。だから子供が小さいうちから言ってはいけない言葉、とくに民族差別、性差別に関わる禁句を口にすることは「犯罪」をであること、「人権問題」に関わる重大なことだということを子供に教育しなければならない。言ってはいけない言葉を吐くことは犯罪で反社会的な行為なのだ。それをテーマにした映画を観た。

原題:「THE INSULT」       
レバノン スランス合作映画
監督:ジアド ドウレイ
キャスト
ヤセル:カエル エル バシャ
トニー:アデル カラム

ストーリーは、
レバノンに住むキリスト教徒のレバノン人、トニーは自動車修理工で、妻と二人でアパートに住む。妊娠中の妻は、子供を育てるならいま自分達が住む都会の小さなアパートではなく、都会の喧騒や混雑から離れた、夫の家がまだ残っている田舎で暮らしたいと思っている。しかし夫は頑なにその案を拒否している。
アパートのベランダで洗濯した水は、配管のない2階のベランダから直接外に流れ落ちる。狭いアパート下の路面で工事を始めた工事責任者のヤセルは、洗濯の汚水を浴びて腹を立ててベランダから突き出たパイプを切り落とす。この工事責任者のヤセルは、パレスチナ人で寡黙で優秀な技術者だが、モスリムで難民出身だ。ヤセルはベランダから切り落としたパイプから新しい配水管をつけて水が外に漏れないようにする。しかし怒り収まらないトニーは、その新しい排水管を叩き割る。

トニーはヤセルに、勝手にパイプを切り落としたことで「謝罪」を求める。工事が止まって困った市の職員は、ヤセルに謝罪させて、この場をまるく収めて早く工事を再開させたい。トニーの妻も、怒っているトニーの方が水を垂れ流して悪かったので、妥協するように懇願するがトニーは聞かない。市の職員に連れられてきたヤセルは、トニーに謝罪しようとするが、トニーはパレスチナ出身者に言ってはならない言葉「このやろう自分の国にとっとと帰れ」という侮辱の言葉を言ってしまう。怒ったヤセルはトニーを殴って、ろっ骨骨折の負傷を追わせる。その後トニーは骨折した体で、自動車修理の仕事を続けて、職場で倒れ、それを抱き起して病院に送った妊娠中の妻まで、早産で未熟児を出産するという不幸が重なった。

トニーを負傷させ逮捕されたヤセルは、頑なに沈黙を守り、何が起きたのかを言おうとしない。トニーにはレバノンのキリスト教側のサポートが付き、ベテランの弁護士が付いて裁判が起こされる。裁判では圧倒的にトニーが有利な状況だ。たった1本のバルコニーの排水管をめぐって怒り狂うトニーと、静かに黙し、どんな罪も受け入れると、自己弁護を一切せず沈黙を守るヤセル。孤立するヤセルに人権問題を専門とする優秀な女性弁護士が現れる。何とそれはトニーの弁護士の娘だった。父娘の裁判所での対決はそれでなくても注目を浴びた。
トニーとヤセルの裁判は、大きな問題として報道され、レバノンのキリスト教支持者と、モスリムの支持者とに分かれ、互いの支持グループがデモでぶつかり合うような社会問題にまで発展した。

レバノンの自動車修理工がパレスチナ難民出身者を侮辱したために殴られた。殴ったヤセルが謝罪すれば済むことだったのに、それが民族問題、宗教問題に発展してしまった。裁判の途中で、トニーの弁護士は、なぜトニーがこれほどにパレスチナ難民を憎むのか、調べるうちにトニーが生まれ育った国境近くの村が、トニーが6歳のときに、モスリム勢力に占領され、大規模な住民虐殺の起きた村だったことを突き止めた。トニーは幸せだった田舎での生活を奪われ、家族親族を虐殺され、難民となって都市に流れて来た体験が、ムスリムへの憎悪、難民への侮蔑に向かっていたのだった。トニーの弁護士は法廷でそれを明らかにする。

トニー自身が認めようとしなかった根強いモスリムへの差別意識の根源が、衆人の前にさらされ、6歳のころから閉ざして思い出そうとしなかった自身の過去に、トニーは対峙することになる。自身の過去に、心の整理をつけなければならない。6歳で去ってから30年近く、訪れることのなかった故郷にトニーは初めて帰る。家は荒れ果てていたが、当時そのままだった。かつての果樹園は林になっていた。その大地に身を投げ出して、初めてトニーは自分では抑えきれなかった「怒り」を「赦し」の心に変えることができた。
というお話。

この映画のみどころは、トニーの顔の変化だろう。トニーは都会の小さなアパートで妊娠中の妻と暮らし、妻の話を聴こうとしないし、平気で妻を傷つける。仕事熱心だが幸せそうではない。何をしていても、何をしてもらっていても、いつも怒っている。平気で難民を侮辱して、絶対に人の言うことを聞こうとしない。妻や役所の職員や裁判官がどんなに説得しても耳を貸さない。そんな幸せでない、世界の不幸を一身に背負ったように見える男が、裁判の過程で裸にされて、初めて自分自身の姿に気が付いて、傷跡を再生させていく。映画のはじめからトニーの怒った顔が、最後の最後になって、まったく別人のような柔らかな顔になる。その大きな変化、それだけのためにこの映画が作られたと言っても良い。

一方のパレスチナ難民ヤセルの寡黙で、達観した姿は、キリストのようだ。好きで難民になったわけではない。自分で選んでレバノンで技術者になってレバノンに住んでいるわけではない。両親が生まれた土地で暮らしていければそれに越したことはない。レバノンで少数民族として生きなければならないパレスチナ人にとって差別は、常に付きまとう。

人には誰にも誇りというものがあり、人の尊厳に関わる言葉を吐いたもの、侮辱したものは、差別禁止法によって裁かれ、罰を受けなければならない。
原題の「INSULT」(侮辱)という言葉はとても強い言葉だ。普通の日常会話には出てこない言葉で、直接に告発とか、訴訟、犯罪に関わる言葉だ。侮辱する方も、侮辱される側の方も傷つく。その意味で、邦題を「判決、ふたつの希望」としたのは、まったく映画の内容に合っていない。はじめから裁判が和解のためにあったようなイメージを与えて、本来の映画とはかけ離れた題名になってしまったように思う。

2018年アカデミー賞外国映画賞候補作。オーストラリアシドニー映画祭観客賞、ベネチア国際映画祭男優賞受賞作品。

2018年8月11日土曜日

映画 「サラの鍵」



第2次世界大戦におけるナチスが行ったユダヤ人ホロコーストを知らない人は居ない。600万人の人命が失われた。実際に体験した世代は、戦後70年経ち、減少してはいるが未だに歴史的証人は存在している。

オーストラリアで医療通訳とナーシングを25年間してきたが、腕にナチスドイツが押したプリズンナンバーが刺青されているホロコースト生き残りの人に、2回出会っている。子供の時に入れ墨されたのだろうが、年をとってもユダヤ人としてナチにキャンプで押された認識番号は、はっきり読み取ることができて、胸がつぶれる想いだった。
ホロコーストが人類に与えた影響は甚大で、この事実をもとにして沢山の小説や映画が制作され、今でも製作され続けている。

同じころ日本軍はアジア諸国で侵略を進め、中国、韓国、シンガポール、マレーシア、フィリピン、グアム、ニューギニア、ガダルカナルなど諸国を侵略し、他国民を蹂躙した。戦後日本軍の犯罪に対して、日本人以外の人々が描いた小説や映画は、ナチのホロコーストを描いたものに比べて極端に少ない。その原因に、未だ日本軍が行った残虐非道な行為がまだ充分掘り起こされておらず、一般認識されていないうえ、日本政府がその非をはっきり反省していないからだ。侵略を国土摂取による近代化と教育を授けただけと、開き直り、慰安婦を軍が関与していないとシラを切り、南京虐殺を無かったなどと言う。
ヨーロッパではホロコーストが無かったと発言することは、れっきとした犯罪で告発され、反社会的な人間として葬られるのに比べ、日本では南京虐殺が無かったと歴史を否定しても、犯罪と認識されないばかりでなく、国会議員にでもなれるという、恥知らずがまかり通っている。

最近、「沖縄護郷隊」という言葉を初めて知った。沖縄戦で、諜報機関として知られる陸軍中野学校出身者42人が沖縄に潜入し、沖縄護郷隊を作り、10代の少年約1000人が、米軍に向けたゲリラ戦を戦わせられた、という歴史的事実が知られることになった。米軍に包囲され投降する沖縄住民を後ろから銃で撃ち殺し、ガマに隠れた住民を追い立てて米軍の爆撃にさらした日本軍だ。地元が戦場となった沖縄の当事者にとって、日本軍のスパイとしてゲリラ戦を戦うなどという、余りに残酷な体験は、何年経っても声高に語ることができなかっただろう。それでも同じ歴史が繰り返されないために、語り出した歴史的証人の言葉に、私達は真摯に耳を傾けなければならないと思う。

歴史的事実を残っている写真やドキュメントで、くりかえし発表し続けることが重要だが、事実をもとにした小説や映画がもっと出ても良い。ナチスドイツに関する作品で、このブログで映画紹介と映画評を書いたものだけでも、「白バラの祈り」(ソフィーショール)マルク テムント監督、「否定と肯定」ミックジャクソン監督、「ヒットラーの偽札」ステファン ルオスキー監督、「戦火の馬」ステイーブン スピルバーグ監督、「優しい本泥棒」べレイン パーシバル監督、「ミケランジェロプロジェクト」ジョージ クルーニー監督、「ヒットーラーの忘れ物」マーチン サンフレット監督、「プライベートライアン」スチブン スピルバーグ監督、「サウルの息子」ラスロ ネメッシュ監督、「愛を読む人」ステファン ダルトレイ監督、「ソフィーの選択」アラン パクラ監督などがある。
一方日本軍に関する映画では、「アンブロークン」アンジェラ ジョリー監督、「軍艦島」リュ スンワン監督、「レイルウェイ マン」エリック ロマックス監督、「フラワーオブワー」チャン イーモー監督などがある。
ナチスドイツが人間に、一体何をしたのか、日本軍がどのようにして権力を我が物にしてきたのか、それでどんな歴史的汚点を作って来たのかということを、どんなに語り、表現しても表現したりない。もっと、もっと反省を込めて反戦映画が出て来なければならないと思う。

映画「サラの鍵」
フランス映画
監督:ジル パケ ブルネ
原作:タチアナ ド ロスネ
キャスト
ジュリア : クリステイン スコットトーマス
サラ : メリュジーヌ メヤンス

ヴェロドローム デイヴェール事件を扱った作品。(RAFLE DU VELODROME D'HIVER)
第2次世界大戦下、ナチスドイツ占領下にあったフランス、パリで1942年7月6日にユダヤ人が大量検挙された事件を言う。ヴィシー フランス政府はナチスの要求するまま、パリとパリ郊外で1万3152人(そのうち4115人は子供)のユダヤ人を警官が検挙した。ヴェロドローム デヴェールというのは、冬季競技場の名前で、検挙されたユダヤ人は、5日間ここに閉じ込められ、屋根のない真夏の競技場で、暑さと食糧、飲料を与えられないまま人々はその後 アウシュビッツなどの東欧各地の収容所に送られた。このような過酷な扱いに、ほとんどの人は生存できなかった。
映画のなかでも、警察に引き立てられた人々が、「どうしてこんなひどいことをするの?私はフランス人よ。あなたも同じフランス人なのに。」とパリ警察に抗議するシーンが出てくる。当時ヨーロッパでユダヤ人が憎まれていたとはいえ、自分たちが自国の警察官によって検挙されてホロコーストに会うなどと、夢にも思っていなかった当時の市民の姿が垣間見られる。この映画は、10歳のサラが、深夜パリ警察に連行されるシーンから始まる。
ストーリーは
1942年7月6日。
深夜、パリ警察が乱暴にドアをたたき、父親の居所を問い正す。10歳のサラは、とっさの機転で、警察は、父親と弟の男だけを連行するのかと思い、弟を子供部屋の戸棚の中に隠し外から鍵をかける。たとえ自分が連行されても取り調べだけで、すぐに家に帰れると思っていた。弟には、どんなことがあってもサラが迎えに来るまで戸棚から出てはいけない、としっかり言い聞かせた。サラと母親は外に出され、別棟に隠れていた父親と共に引き立てられた。両親とサラはジープに乗せられ、競技場に連行され、コンクリートの上で炎天下何日も留め置かれた。その間、弟のことを案じた家族は警官に、弟を見つけて連れてくるように頼み込むが、誰も聴く耳を持たない。サラは熱中症で倒れ、家族はバラバラにされて列車に乗せられ、収容所に向かった。そしてそのまま二度とサラは両親に会うことがなかった。

3日3晩高熱で苦しんだのちサラは意識を取り戻す。弟のことが気になって一時もじっとしていられないサラは、収容所の警備員に鍵を見せて必死で弟を連れてきたいと懇願する。一人の警備員が10歳の子の尋常ではない頼み方に心が傾き、収容所の鉄条網をゆるめてやる。サラは走りに走ってパリをめざす。人家をみつけて家畜小屋で眠っているところを百姓夫婦に助けられる。夫婦には息子が居たが戦場に送られていた。夫婦は、サラを不憫に思い、警察に隠れて危険を承知で自分の娘として育てる。サラのたっての願いで、夫婦はサラを連れて占領下のパリに出かける。もとサラが住んでいたアパートに着いて、サラの持っていた鍵で開けた戸棚には、、、。

2002年ヴェロドロームデヴィエール60年周年記念の5月。
新聞社に勤めるジュリアは、この事件について論評を書くように依頼される。彼女はアメリカ人だが、フランス人の夫との間に14歳の娘がいる。新たに妊娠していることがわかった。家族はパリに居を構えることになり、夫の遠い親戚からパリのアパートを貰い受けたので、改築する予定だ。アパートの寝室には古い大きな戸棚がある。
論評を書くにあたってジュリアは、その古いアパートに戦争時に住んでいたスタルズスキ一家について調べることにする。そこに住んでいたユダヤ人家族は戦時中どんな生活をしていたのか。やがてジュリアは、この家族には2人の子供が居たはずなのに、収容所で死亡した両親の記録があっても、子供達の死亡記録がないことに気がつく。夫の遠い親戚たちや公文書から、家族にいたはずのサラと言う名の子供の足跡をたどる。そしてサラが養父母に大切に育てられ、アメリカに渡り、家庭を持ったことまで調べ上げる。

サラはホロコーストを生き延びてアメリカに渡っていた。ジュリアはその足跡を追って、アメリカに飛ぶ。サラの夫は老体で死の床にいた。サラはその夫との間に息子をもうけていた。息子は幼いうちに母親を亡くしたので、サラのついての記憶がない。
ジュリアはサラの人生を追うことによって、自分の人生がサラの人生の重さに重なって、もうサラを知る前の自分に戻ることが出来なくなっていた。というお話。

才覚ある10歳の娘が最愛の弟を守ろうとして、逆に死なせてしまう。その十字架を背負ったまま戦後まで生き残ったサラが家庭を持ち、息子を育てることになるが、息子が死んだ弟の年に近付くに連れて、原罪意識から逃れられなくなっていく。
哀しい哀しい物語だ。
ホロコーストで殺された600万人の人には、600万のサラのような悲劇的な物語を抱えて死んでいったのだろう。

サラの息子は、かたくなに自分の過去に口を閉ざして、そのまま何も語ることなく亡くなった母親が、ユダヤ人だったことも、ホロコーストの生き残りだったことも知らずに成人していた。彼は母親が残した形見の宝石箱に残された鍵の意味を知らずに、ただそれを思い出として大切に持っていた。
サラの生涯を調べつくしたジュリアは、サラの人生に深くかかわるに連れ、自分が妊娠中であるにも関わらず夫と理解し合うことができなくなり別れて 一人で娘を産む。
ジュリアがサラについてのすべての物語を息子に語り聞かせたあと、息子はふと、ジュリアの赤ちゃんは何という名なの、と尋ねる。何という名前?ジュリアはしばらくためらったあと、サラという名なの。と答える。それを聞いて泣き崩れる息子とジュリアのシーンで映画が終わる。とても心に残るシーンだ。

戦争の激しい暴力にさらされて、奇跡のように生き残った生存者が、戦後しばらくして自ら命を絶った、その胸の内が哀しい。「ソフィーの選択」も同様に戦後を生き続けることができなかった男女のお話だ。人は生き延びさえすれば良いのではない。失ったものが大きすぎる。耐えられるものではない。人はそんなに強い心をもって生まれてくるわけではない。
とても哀しい良質な反戦映画だ。

2018年8月4日土曜日

映画「ジュラシックワールド:炎の王国」

製作総指揮:ステブン スピルスバーグ
監督:J A バヨナ
キャスト
オーウェン=恐竜行動学者:クリス ブラッド  
クレア=元ジェラシックパークの運営責任者;ブライス ダラス ハワード
メイジ―=ロックウッド財団創始者の孫娘 :
ジャステイス スミス=クレアの助手 IT技術者:フランクリン ウェブ
ダニエラ ビネラ=クレアの助手、獣医 :ジア ロドリゲス
ベンジャミン ロックウッド=ロックウッド財団の創始者:ジェームス クロムウェル
レイフ ポール=ロックウッドの実質的経営者:イーライ ミルズ
メイジ―の養母アイリス=ジェラルデイン チャップリン
ヘンリーウー=インドミナスレックスの創始者:B D ウォン
イアンマルコム=数学者、議会に召還される:ジェフ ゴールドグラム

その他
ベロキラプトル ブルー、テイラノサウルス、テイラノドン、ジャイロスフィア、
アパルトサウルス、ステイギモロク、インドミナスレックス、インドラプトル、etc.

1億年余り前の中生代に存在した恐竜たちが,何故絶滅してしまったのか。隕石、気候の変動、火山爆発、CO2濃度の減少、地球寒冷化など、たくさんの説があるが、その全部が複合的に合わさって絶滅に至ったらしい。福岡伸一は、巨大な隕石が6500万年前に地球に衝突し、大規模な津波と、大粉塵を起こしたため粉塵が地表を覆い、太陽を遮断し、植物の光合成が出来なくなったため食物が育たなくなって、恐竜は餓死したと予測する。それを証明するように、ユカタン半島北部に直系200キロ、深さ20メートルという巨大なクレーターが見つかった。また地球には希少だが、隕石には高濃度に含んでいるイリチウムが、ヨーロッパの各地の地層から計測されているという。今も、いつ再び起こっても不思議ではない隕石の衝突という事態が、恐竜のような大型動物を絶滅に導いたことは、とても残念なことだ。

映画ジュラシックパークでは、科学者が琥珀の中に閉じ込められた蚊が吸った恐竜の血液からDNAを検出して恐竜のクローン再現に成功した。それは人間の欲がなせる業だったが、人にとって夢の実現でもあったと思う。一連のジュラシックシリーズでは、次回で最終結論を出すことになるが、人と恐竜との共存が可能かどうか、がテーマになる。
ジュラシックワールドは、2015年に14年ぶりにジェラシックシリーズとして発表されたが、今回の「炎の王国」はその続編。すでにこの作品に続きがあることが映画の最後で予告されているので、これはジュラシックワールド3部作の第2作目に当たる。シリーズの最初からスピルバーグが引き続き製作総指揮に当たっている。

前作ではテイラノサウルスとTレックスなどをDNA操作で合わせたハイブリッドの新種インドミナスレックスが、暴れ放題で、テイラノサウルスとデスマッチを繰り広げていたが、新種の方が、血の匂いに誘われて海からやってきたモササウルスに水中に引きずり込まれて食われてしまうシーンで終わった。オーウェンが親代わりになって育てた孤児の4頭のベロキラプトルは、この決闘で3頭殺されて、ブルーだけが生き残る。この映画は、その続きだ。

ストーリーは
深海探査艇が恐竜たちが生息するイスラヌブラ島の海底に向かう。モサザウルスに海に引きずり込まれて死んだインドミナスレックスの死体からDNAを採取して、さらに強い新種を作る試みが進行している。彼らは海底で見つけたレックスから骨を切り取って、無事に引き上げることに成功したが、深海探査艇に異変が起こる。モサザウルスが予想を超えて巨大に成長していて、、、、。
一方沢山の恐竜が生息するこの島に小規模の火山噴火が頻発している。専門家は火山が大爆発し、このままでは、すべての恐竜は絶滅することになると予想した。議会では、恐竜を救うべきかどうか、専門家の数学者マルコム博士を呼んで意見を聴いたが、博士は恐竜の運命は自然に委ねるべきだと主張する。恐竜はこのまま手をこまねいて 再び絶滅するのを待つしかないのか。

ジュラシックパークの創設者、ロックウッド財団はパークの運営責任者だったクレアと、恐竜行動学者オーウェンに、島に行って出来るだけ恐竜を捕獲するように依頼する。クレアとオーウェンは数年ぶりに再会し、ジャステイスとジア、二人の助手を連れて現地に向かう。着いてみると、すでに現地ではロックウッド財団の傭兵たちが恐竜捕獲作戦を始めていた。オーウェンは、自分が親代わりになって育てたベロキラプトルのブルーと再会を果たす。ところが傭兵たちはブルーとオーウェン双方に麻酔銃を発射した。オーウェンが昏倒している間にも火山の大噴火が予想以上の速さで始まっていて、マグマが流れ落ちてくる。オーウェンは危機一髪のところでマグマから逃れ、クレアたちと合流するが、そのころにはすべての恐竜たちが命からがら海岸線まで逃げ延びて来ていた。

病に伏せているロックウッド財団創始者のベンジャミン ロックウッドから仕事を引き継いで実質経営者となったレイフポールの傭兵たちは、大型船に捕獲した恐竜たちを収納し島を去るところだったが、クレアたちは船出の寸前に船に忍び込むことができた。乱暴に捕獲されたブルーは出血多量で虫の息だった。クレアとオーウェンはインドミナスレックスから血液を抜き取りブルーに輸血する。船から大型トラックに乗り換えた一行の行先はロックウッド財団の大きな屋敷だった。そこには財団の創始者ベンジャミンと孫のメイジ―が住んでいた。

屋敷に世界中から招待客が続々と集まってきていた。そこで恐竜たちが、1頭ずつ檻で引き出されてきて競りにかけられ、落札された値段で売られていく。ベンジャミンの命令で保護された恐竜たちが、レイフポールによって売られてしまう。孫のメイジ―は祖父に、レイフポールの裏切りを伝えるが、それを警察に通報しようとしたベンジャミンはレイフポールに殺される。
事情を知ったクレアとオーウェンはメイジ―と一緒に、恐竜たちを守ろうと立ち上がる。オークションにかけられて最も高値で引き取られそうになったのが、インドミナスレックスのようにDNA操作でハイブリッドされた新種のインドラプトルだった。各国の要人たちはこれを無敵の武器として使うために購入したがっている。しかしオークションの最中に檻が開いて、数頭の恐竜が会場で暴れ出して、逃げ惑う人々とで大混乱に陥る。逃げ出したインドラプトルは執拗にメイジ―を追いかける。それをオーウェンとクレアを助けるブルーの登場によって危機を回避、インドラプトルは屋敷の屋根から落下して死ぬ。レイフポールはテイラノサウルスに食い殺される。ロックウッドの屋敷の地下に閉じ込められていた他の恐竜たちは、破壊されたた地下にシアンガスが充満してしまい、このままでは全頭が窒息死することになる。

少女メイジ―は、殺される前のレイフポールから、自分がベンジャミンの娘が事故で死んだとき、そのDNAから作られたクローンであることを知らされた。本物のベンジャミンの孫ではなかったのだ。自分のようにDNA操作で作られた恐竜たちを、このままガスで窒息死させるわけにはいかない。メイジ―は地下室の檻を解放する。次々と恐竜たちは外界に出て行き、ブルーも「安全なところで一緒に住もう」、というオーウェンの言葉に躊躇するが振り返りながら去っていく。
こうして恐竜は生き延びて人々の住む世界に自由に放たれた。
議会で再びマルカム博士が発言する。今や人と恐竜とが共存して生きて行かなければならない。いわばジェラシック時代と呼ばれる新しい世界となったのです。
というお話。

恐竜が本物にしか見えない。この映画の見どころは「上等なCGテクニック」。実に恐竜が本物の様によくできている。円谷プロダクションの着ぐるみ怪獣の特殊撮影に騙されて本気で怖がって震え上がって育ってきた。そんな自分の目からすると隔絶の進歩だ。シンと鎮まって、え、、何が起こるの、といぶかしがっているうちに影が映り、ギャー本物が現れるというパターンが幾度も繰り返されるが、何度やられても慣れることがなく本当に怖い。CGがこれほど進歩したのは、ジョージルーカスとスピルバーグの天才的な才覚によるものに違いない。一連のジェラシックシリーズのおかげで恐竜が大好きになった人も多いだろう。

火山大噴火で燃えるマグマに満ちた島に取り残された草食恐竜アパルトサウルスが、「連れて行って連れて行って」と島から去るオーウェンとクレアに何度も何度も呼びかける。やがてマグマの毒ガスにまかれて姿がみえなくなっていく様子が哀しくて、ここで涙を流さなかった人は居ないだろう。
またオーウェンに育てられたベロキラプトルの孤児で1頭だけ生き残ったブルーがオーウェンに寄せる想いもとても共感できる。こんなに可愛い奴ら、誰もがペットに欲しいと思うだろう。

かくしてジェラシックパークの恐竜たちの大半は火山で絶滅し、財団に捕獲された恐竜たちは、恐竜同様DNA操作でクローンされた少女メイジ―によって野に放たれた。地下室の恐竜たちを生かすか、見殺しにするか二者択一を迫られて、クレアはようやくの思いで自分の思いを押しとどめて、恐竜をあきらめようとするが、それではメイジ―の存在をも認めないことだ。メイジ―はオーウェンとクレアの堅い決意に反して、恐竜を自由にし、この世で人と恐竜を共存させることでクローンとしての自分の命を自己肯定したのだ。勇気ある決断だったと言える。

母親が事故死した後メイジ―はお祖父さんと乳母に育てられたが、乳母役に出てきたのが、ジェラルデイン チャップリンだ。再びこの女優を見ることができてとても嬉しかった。喜劇王チャップリンの娘。映画「ドクトルジバゴ」でジバゴの妻役だったころの知的で美しい姿は、1970年代の他のどの女優よりも抜きんでていた。いまはしわくちゃだったが、全然かまわない。気品に満ちた雰囲気をまとい、キリッと立つ美しい立ち姿と、洞察に満ちた眸、可憐な様子は、むかしのまんまだ。

オーウェンとクレアのやりとりが面白い。前回の映画で二人はハッピーエンドで、あれから3年も経っているから、家庭を持って2-3人子供でもいる頃かと思ったら、二人はあのまま別れていた。その理由というのが聞けば、クレアが腹を抱えて馬鹿笑いするほど単純な、クレアの言葉を誤解して取り違えたオーウェンが、自分から去っていったからだった。そんな二人が再会して互いになくてはならない存在になっていく。オーウェンは単純で武骨な男。クレアは困っても、命の危険にさらされても男に助けてもらうことを全く期待しない。男をアテにしない自立した女として描かれていて好ましい。

クレアの二人の助手に、ラテイーノとアフリカンアメリカンを起用したことは良いことだ。アメリカの人口比からいっても自然なことで、これが正しい。正しいことをしないハリウッド映画が多すぎる。ジャステイスがIT技術者で眼鏡をかけてオタクっぽいがアフリカンアメリカン。そしてジア獣医がラテイーノ女性だ。ジアが姿が見えないのに声だけで誰かわかって彼女が車から出て天を仰ぐと、ゆっくりと森から巨大なアパルトサウルスが姿を表すシーンは、感動的だ。

この映画、安心して子供に見せられる。12歳のメイジ―の名演技。恐竜たちの生き生きとした立ち回りにもほれぼれする。ハリウッド映画は娯楽映画と馬鹿にすることなかれ。とても満足した。
この世も、とうとう人と恐竜とが共存する本当のジェラシックワールドになった。空を見上げればプテラノドンが普通に飛んでいて、海で泳げばモササウルスが何気なく近付いてくる。次作が待ち遠しい。

2018年8月3日金曜日

イギリス映画「エデイ」

この7月に日本では集中豪雨によって洪水や土砂崩れが起きて、死者を含む沢山の被害が出るという痛ましい事態が起きた。
土砂崩れが起きるたびに、日本の林業は大丈夫か、と気になる。亡くなった最初の夫は、教育大学、今の筑波大学の林業学科を出て、地すべり学会の学会員だった。彼は、国有林を管理するグリーンレジャーが廃止されて、山に入る人が居なくなり、山々が荒廃しハゲ山が増えた。地元の市町村が植林をするといっても、すぐに大木になって見栄えは良いが、浅い根を張って水を吸わない外来樹木ばかりを植えるようになったと言って、政府の安易な林業政策をいつも激しく批判していた。

どんなに雨が降っても、木が水を吸えば山崩れは起こらない。
まめに山に入り一本ずつ不要な若木を伐採し、100歳を超えた大木を育てる。バランスを考えながら間伐した分だけ木を植える。このように、昔から何百年も日本で行われてきた間伐と植林を続けて、水を吸って大地を支える大木を大切に育ててきたら土砂災害は防止できるのではないか。そのための地域ごとの林業従事者を育成する必要があるだろう。山を守ることは、下界で畑を作り日々の生活をする人々を守ることだ。
急速に日本の老人人口が増え。若い労働人口が減少する中で、地方の過疎化が進行している。捨てられた地方の山村が増えれば、山を守る林業の専門家が育たない。山に人が入らなくなれば自然災害の規模は大きくなるばかりだ。林業と、農業とは切っても切り離せない大切な国の経済の根幹にあたる存在であり、これをもとに国の経済を考えないならば国の将来はない。山を守ることは、国を守ることだ。武器を買う予算があるなら、一人でも多くの山を守る若い人を育てることのほうが大切だ。

山にはお世話になった。魂を救われた。
谷川岳、丹沢の山々、八ヶ岳、穂高、槍ヶ岳、立山、剣岳、白馬岳、常念岳、蝶が岳、焼岳、乗鞍岳、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、白峰三山。どの山も独特で味わい深く忘れ難い。
普通のお婆さんがスコットランドの山々を歩く映画を観た。山の映像を見ているだけで心が洗われる思いだ。
                
イギリス映画;「EDIE」エデイ
監督:サイモン ハンター
キャスト
エデイ : シエラ ハンコック
ジョニー: ケビン グズリ―

ストーリーは
ロンドンの郊外に住むエデイは83歳になる。病身だった夫が老衰で死んだ。エデイの結婚生活は夫の介護に終始した。30年前、夫はエデイを殴り、その夜怒りを制御できないまま脳出血を起こして倒れ、彼は死ぬまで再び立ち上がることも仕事することもなく妻の介護によって30年間生き永らえたのだった。
夫の死後、娘はエデイを強引に老人ホームに入居させようとする。エデイは連れられて行った老人ホームで、生きる屍と化した老人の群れをみて、とても自分には耐えられないと判断して、ひとり家に帰って来る。ともかく身辺整理をしなければならない。家にもどって、古い写真や手紙や書類を暖炉で燃やしてたときに、火の中に投じた1枚の山の絵葉書が何故か気になって手に取って眺めてみる。
そうだ。思い出した。
この絵葉書が切っ掛けで夫がエデイを殴ったのだった。その結果夫は不具の身となって死ぬまでエデイに介護を強いた。すっかり記憶がよみがえった。この絵葉書は、エデイの父親がよこしたものだった。エデイは子供の時から釣り好きの父親のお供で山々を歩き、キャンプをして、ボートに乗り、釣りをしたものだった。結婚したあとも父親はエデイを誘って一緒に山に行こうを絵葉書をよこしたのだった。それを見て怒った夫はエデイを殴った。すっかり忘れていた記憶が蘇り、エデイは自分の30年間は一体何だったのかと自問自答する。

翌日エデイはリュックサックひとつ背に背負って、家を出る。列車を乗り継いで山岳地帯に向かう。雨の中、山のふもとの村まで行くバスを待っていると、もうバスは出てしまったという。ちょうど村まで帰るところだったジョニーという気の良い青年に拾われて、エデイは彼のジープに乗って、村の登山者のためのホテルに連れて行ってもらう。ジョニーは山の道具を売る山岳用品店の店員だった。
エデイはジョニーに、ガイドを依頼する。1日300ポンド。高いとエデイは文句を言いながら1日だけ足慣らしにガイドのジョニーとトレッキングしてみる。そこでエデイは自分が持ってきた昔の長靴や防寒着や、キャンプで湯を沸かしたり料理するコッヘルなどが、時代ものでもう’使いものにならないことを知らされる。ジョニーの働いている店で登山用具を全部そろえてもらって、エデイは出発することになる。

出発の前夜、ジョニーはエデイをパブに誘う。エデイはデイナーのためにロングドレスを身にまとっていそいそと出かけるが、パブに来ていた心ない人々は,年寄りのエデイを笑いものにする。傷ついたエデイは自信をなくして登山をあきらめてロンドンに帰ろうとするが、ジョニーはエデイを引き留めて、山に向かわせる。
頂上をきわめるまでには3日かかる。悪天候の中、テントを張り、荒地を歩き、ブッシュを抜けて湖をボートで渡り、さらに歩き続けなければならない。折しも低気圧前線が伸びて、嵐になって、、、、。
というお話し。

実際に83歳で映画主演して登山までするエデイもすごい。頑固一徹を顔に書いたような女優さん。でもこんな偏屈で笑顔ひとつ見せない老女を、山が好きだという一点のために、ジェントルマンシップをもって扱い、どんな困難にも努力を惜しまない、ジョニーが素晴らしい。これが山男というものだ。気の良い素朴で誠実な青年。石塚真一の漫画「岳」に出てくる登山家、島崎三歩さんみたいだ。
この映画のテーマは友情。友達に男女差や年齢は関係ない。山の頂上をきわめたいという想いに深い意味を抱えた女性がいたら、その望みをかなえてやるために、どこまでもサポートするのが、男気であり真の友情だ。
スコットランドの山岳地帯が素晴らしい。荒々しい岩あり、湖あり、なだらかな山々もあり、それぞれが気象の変化によって表情豊かで、急に穏やかな山になったり、突然豪雨になったり、死をもたらす残虐な魔の山になったりする。

30年余り自分の意志に反して生きて来ざるを得なかった女性が、やっと解放されたとき、一体何をしたらよいのか。83歳の老醜をむき出しにしながらも、エデイは自由になった喜びに、拳を高々と空に向かって挙げる。彼女は体がボロボロになっても、子供の時に山登りで得た喜びを山登りで再体験することなしに自分を取り戻せなかったのだろう。歌を忘れたカナリアは,月夜の灯りに照らされて、再び歌うことができるだろうか。
自分は一体何をしてきたのか、これからどうして行ったらよいのかわからなくなったとき、自分の原点に立ち戻って見たら良い。結婚前の若かったころ、自分が無力で財産も経験もなく、まわりに世話ばかり焼かせながらも、自分ひとりで懸命に何かを掴もうとしていた、そのころの自分に戻って見るものだ。
映画を観て自分の生きて来た人生を振り返って、エデイに共感する人も多い事だろう。

ハリウッド映画のような派手さはないが、英国映画の良さがよくわかる。地味だが高らかに叫ぶのではなく、静かに、でも強靭に、人間賛歌がうたわれている。

2018年7月2日月曜日

映画「ロングロングバケーション」

原題:THE LEISURE SEEKER
   (LONG LONG VACATION)
監督:パオロ ヴィルッ
                     
キャスト
ドナルド サザーランド:ジョン スペンサー
ヘレン ミレン    :エラ スペンサー

年寄りの、年寄りによる、年寄りのための映画を観てしまった。
主演は1960年代は美男だったドナルド サザーランドと、1990年代までは美人だったヘレン ミレン。
シドニーでは中流階級の年寄りが多く住む、高級住宅地,クレモンの映画館で観たが、見に来ていた人々が、後から見ると、みごと全員が白髪だった。私は3週間に一度美容院でヘナで髪を染めているから白髪でなくて茶髪だったけど、、。話は飛ぶが、この20年余りの間、きっかり3週間ごとに私の髪を切り、ヘナで染めてくれていた私と同い年のヘアスタイリストが、何を血迷ったか、早すぎる引退をして日本に帰国してしまった。3週間に一度の彼女とにおしゃべりは、20年余り続いたが良い気晴らしだった。彼女は、アレルギー体質の私のために、インドから様々なヘナ染色粉を50キロずつ輸入して、それを上手に混ぜ合わせ、私に会う色を作って染めてくれていた。彼女はシドニーを去る時、3-4回分の染粉を、別の遠くにある日本人ヘアスタイリストに託して去っていった。その分の染粉を使い果たした、新しい若いスタイリストには、その後の染粉をインドから輸入する手立てを持たない。日本製のヘナも、シドニーのほかの美容室のヘナも、私に使われていたヘナとは全然違う色しか出ないそうで、彼女は困り果てている。私はただ座っているだけで、やってもらうだけなので、全く困っていないし、仮に髪が緑色になっても、紫やオレンジ色になっても青になっても全くかまわないのだけれども。
話を映画に戻す。

ストーリーは
2017年 米国、マサチューセッツ
ジョン スペンサー(ドナルド サザーランド)は、かつては高校で文学を教えていた。妻のエラ(ヘレン ミレン)との間には、二人の子供が居る。すでに子供達は成長して家を出て家庭を持っている。ジョンは、70代になりアルツハイマー病と罹患して、記憶力は衰えるばかりで、妻を認識できないこともある。ジョンを介護してきたエラは、癌の末期を迎えており、強力な鎮痛剤なしでは生活できない状態に陥っている。

彼らのガレージには,もう何十年も使っていなかったキャンピングカーがある。それはレジャーシーカー(お楽しみ号)という愛称をもっていて、子供達が小さかった時には、休暇に家族でキャンプに出かけるために活躍した車だった。
エラは誕生日に、このレジャーシーカーをジョンに運転させて、二人して家を出る。向かう先は、フロリダ、アーネスト ヘミングウェイのキーハウスだ。ジョンにとって、ヘミングウェイはヒーローだ。ヘミングウェイのことを話し出したら、聴き手が居ようが居まいが、相手が閉口しようがしまいが、一向にかまわずに講義を始めてしまう。二人とも、年を取り、深刻な病気をもっているが、病人扱いする家族や友人たちにはうんざりだ。二人して、フロリダまで行ってみたい。何日かかろうが構わない。旅を楽しもう。

父親の誕生日にケーキをもって訪ねて来た息子は、両親が何も告げずに無謀な冒険旅行に発ってしまったことで心配で、気も狂わんばかりだ。姉も飛んできて、携帯電話を持つ習慣のない両親を責めて見たり、何もできない自分達に腹を立てたりして大騒ぎだ。
一方のジョンとエラは、夏休みに入ったばかりの子供のように、嬉しそうにフロリダに向かう。ジョンは危なっかしい運転で、途中センターラインを無視して運転して警官に止められたり、どこにいるのかわからなくなって、困惑したりもするが、何とか運転してキャラバンを続ける。
記憶力がなく、思い違いも多いジョンは、ガソリンスタンドでエラを置いて車を発車させていってしまったり、車の外に出て行方不明になったりを繰り返すが、何とかフロリダに到着する。しかしへキングウェイの家で、エラは過労で倒れる。救急車で運ばれた先の病院で、ドクターたちはエラが癌の末期でもう時間がないことを告げるが、ジョンには何も理解できない。ジョンは病室でエラを見つけると、嬉しそうに彼女を起こしてキャンピングカーに連れて帰る。その夜、エラはジョンにたっぷり睡眠剤を飲ませ、エラも同じものを飲み,閉め切った車に排気ガス管をひいてエンジンをオンする。
というお話。

美しく年をとった昔の美男次女が、仲の良い夫婦を演じていて、彼らが若かったころを知っている人にとっては嬉しい映画だ。
82歳のカナダ人、ドナルド サザーランドは、本当に背が高くて美男で良い役者だった。60年代ベトナム戦争に反対する活動家でもあって、ジェーン フォンダと共に逮捕覚悟で戦闘的なデモに参加するなどして、発言も勇敢だった。すっかり年をとって、アルツハイマー病の老人を上手に演じている。
72歳のヘレン ミレンの全く化粧をせずに、ウィグも被らずにいるときの、皺だらけの素顔がとても美しい。文字通りの体当たりの演技だ。そしてこの人の発音する英語が本当のクイーンイングリッシュで美しい。

映画は、泣き笑いの場面の多いロードムービイだが、本質的には悲しい悲しい物語だ。映画でこの仲の良い夫婦は安楽死を選んで、満足して死んでいく。やっぱり安楽死でしか老人は幸せに死ねないのか、という結論にはうなだれるしかない。死んでそれを惜しんでくれる人々が居るあいだは幸いだ。アルツハイマー病の終末期や、鎮痛剤も効かない癌の終末期の死は、誰にとっても苦痛なだけだ。現実社会では死にそびれた老人たち、年を取って体が動けなくなったら死にたいと思っていたけれどタイミングを外して自分から安楽死しそびれた老人たちで溢れている。映画では、安楽死を推薦しているようにも取れるが、現実社会でもいずれ、条件つきで老人の安楽死を認めざるを得なくなるだろう。健康保険が老人を支えきれなくなるからだ。

私はこの映画に出てくるジョンのような脳が委縮したアルツハイマー病患者に食事、排泄、睡眠をとらせて肺炎など二次感染を予防し事故が起こらないように管理し、エラのような末期がん患者にモルヒネを投与して終末医療を提供することを職業としている。毎日毎日、ジョンとエラを、自分の職場でみている。
脳が委縮した患者は、家族のことも、自分の名前もわからなくなる、この疾病患者を介護する家族の苦労は並大抵のものではない。多くの女性患者はドアを開ければ徘徊して行方不明になったり、猜疑心や嫉妬心から自分の持ち物を人に取られたと思って家族でも盗人扱いしたり、中傷したりする。男性患者の多くは思い通りにいかないことで腹を立て暴力的になる。まともに思考することができないから、感情のまま行動して人を傷つける。大小便を垂れ流しながら、頑固に自分の主張を言い張ったり、無理な命令を人にしたりする。次に何をし出すか予想できない。多くの患者は、アルツハイマー病だけでなく、老人性認識障害も、てんかんも、躁うつ病も精神分裂症も、パーキンソン氏病も同時に発病していることが多い。年を取ればほとんどの人が、このうちの病気のひとつに罹患して死んでいくことになる。

年寄りは思い違いをしたり、奇妙な行動をして人々を笑わせるが、これは老人が笑わせようとしている訳では決してない。この映画の紹介で、「ロード トリップ コメデイ―」と紹介している新聞があって、衝撃を受けた。ジョンとエラの会話は、滑稽で、時として大笑いするが、これは現実であって笑い話ではないのだ。

じきに日本では人口の3分の1が65歳以上になる。2018年現在、80歳以上の人口が1000万人、100歳以上の人口が7万人いて、日本は完全なる老人国家になった。そのような国は世界でまだ他にない。先進国で65歳以上の人口割合は、ドイツで21%、英国18.1%、米国14.6%、韓国13%、中国9.7%。日本にくらべて、まだまだ余裕がある。
この映画は老人人口がまだ14%のアメリカの話だ。3人に1人が老人の日本の映画ではない。日本だったら、もっとずっと深刻な話なのだ。アルツハイマー病は、癌の死亡率を抑えることに成功した現在の医療にとって、完治することも、予防することも出来ないでいる最大最悪の疾患だ。

国と政府はそういった疾病対策のために税金を使わなければならない。3人に1人が老人の国、何の資源もない国、人口が速いスピードで減少するばかりの国。それが日本だ。2018年の日本総人口は1.26憶人。2008年に比べてすでに160万人の人口が減少している。若い夫婦は子育ての環境が整っていない政府のもとで子供を産まない。このような、老人ばかりの国に軍事力が必要だろうか。
国の力とは人の力のことだ。国力とは国民の生産力を言う。国に生産力を持った人が居ない国など、近隣諸国に侵略されるほどの魅力もない。侵略を怖れて軍事強化するなど、あきれる。一体誰が銃を取るのか。誰に向けて銃を取るのか。戦争などやっている場合ではないはずだ。
年寄りの年寄りによる、年寄りのための映画を、私は政府が今何をすべきなのかを問いただすための、政府への警告として捉えて観たい。


2018年7月1日日曜日

野良猫世話係

今年で8歳になる野良猫たちを生まれた時から世話してきた。
自分が飼っている黒猫クロエに手がかかるのに、野良猫の世話までしてきて笑われるが、放っておけない。相手はほんの少しの油断で捕まったり、保健所に送られたりして命を落とす野良猫なのだ。

事の始まりは、前に住んでいた高層アパアートの建物の下に小さなスペースがあって、そこで真っ黒な 野良猫が子供を産んだのが発端だった。父親は茶トラの野良で、傷だらけのでかい体、人を見下すような不敵な面構えだったが、じきに姿を消した。子供達は、母親似の黒猫2匹、茶トラが1匹だった。母親猫は空を飛んでいたハトを捕えて殺したり、ゴミ箱をあさって子供たちを育てていたらしい。そこに、不思議なことに1匹の黑と白の丸々した子猫が加わった。他の3匹の子猫と同じサイズだったが、母猫に体型も色も似ていないので、きっと誰かが飼おうとして育てられない事情ができた人が、野良猫家族のいるところに捨てて行ったのだと思う。心の広いビッグハートのママ猫は、自分の子供達と一緒に、この子を育てた。5匹の猫の登場に、アパート管理組合の面々は大騒ぎ、すぐに猫退治、害畜駆除を開始した。まず黒い子猫が居なくなった。次に母猫がワナにはまって連れて行かれた。

一方動物愛護協会員と私は話し合い、残った3匹の子猫たちを罠で捉えて、獣医に連れて行きワクチンを打ち、避妊手術を受けさせて養子にする計画を立てた。まず、私が黒と白の迷い子だった子を獣医に連れて行ったあと、家に連れて来て養女にした。名前はBABA。 うちにはクロエが居るので互いに慣れるまで別々の部屋に引き留めた。BABAは生後5か月くらいだったと思う。あたたかい部屋、美味しい食事、優しい保護者に引き取られても、BABAは野良猫だった。1日、2日と経つが、食べ物も飲み物も受け付けない。排便もしない。どんなに猫なで声で呼んでも手の届かないベッドの下で身を固くしている。どんなに可愛がろうとしても拒否する。3日目に空気を入れ替えようとベランダに通じるドアを開けとたん、ベランダから3階分の高さを空に向かって飛んで、地面に落ちた。地面にたたきつけられて死んでしまったかと思ったら、2,3日してBABAが生まれた軒下のスペースに他の2匹の子猫たちと一緒に出入りする姿を見て心底安心した。

野良猫は飼えない。人の手でなでられることも、膝に乗ってくることも拒否する。孤高な存在だ。BABAは黒猫と茶トラと一緒に3匹、誇り高い野良として、飼い猫になることを拒否し、母猫を亡くした孤児として一生自由でいることを選択したのだ。BABAが身をもって教えてくれたことの意味は大きい。

毎日牛肉をミンチにして3匹に食べさせた。アパート管理組合から、野良猫に餌をやらないようにという脅かしとも見える手紙を受け取ってからは、ビビりながらも隠れて3匹に食べさせた。そのうちに茶トラが居なくなった。一番人懐こい猫だったから、誰かに捕えられたのか、車の事故か。こうして残ったBABAと黒猫サンダーの2匹が6歳になるまで、毎日食べ物を食べさせて育てた。
その後、2年前に引っ越した。長年暮らしたアパートも、娘たちが大学を卒業して自立して出て行き、2つあるバスルームや予備の部屋もあるアパートは費用がかさむ。年金暮らしになったら高い借家を維持することはできない。仕方なく小さなユニットを買って、引っ越した。それでも野良猫世話係りを止められない。

軒下の野良猫たちに会いに行くのに往復1時間。缶詰めを持っていくと、私の車のエンジン音を正確に聞き分けて、BABAとサンダーは隠れていたところから出てくる。猫は我がままで自分勝手だ、という人の気が知れない。猫は犬と表現方法が違うだけで、真の人の友達なのだ。
きょうもボロ車の音で昔住んでいたアパートに着いてみると、BABAはあくびをしながら、身体をのばしながら、サンダーはあっちの方をそしらぬ顔で見ながら、めんどくさそうに出て来て、わざとお尻を向けている。大歓迎というわけだ。
何てかわゆい奴らなんだ!

2018年6月25日月曜日

ブルースが亡くなりました

本日午後3時 老人ホームにてオットのブルース テイラーが亡くなりました。
生前ブルースに優しくしてくださった方々、離れていても忘れずに心を寄せてくださった方々に、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

6日前まで、会いに行けばタバコをっ吸って、普通に食事もしていましたが、3日前に腎臓透析に行くための迎えの車が来ても、眠いと言って起きられず、そのまま半昏睡の状態に陥りました。腎不全と、長年の喫煙による呼吸障害を持っていて、これまで呼吸不全となり人工呼吸器による延命処置を、幾度か繰り返してきましたが、今回は遂に回復に至りませんでした。本日は、呼吸が止まる1時間前までは、手を握れば強く握り返してきて、死にあらがうように、起き上がろうとさえしていました。朽ちかけた老木がゆっくり時間をかけて倒れるようにして、呼吸が止まった後のブルースの顔は、長年の疾病に苦しんだことなど信じられないような美しい顔でした。

ブルースとは22年前に結婚しましたが、出会って以来自分で花屋に行けなくなる数年前までの18年間、ヴァレンタインデイになると、真紅の薔薇の花を必ず、贈ってくれました。ヴァレンタインでなくても、土曜日にはよく花束を持って帰りました。
あさって葬儀社の指定する公園に薔薇を植え、ブルースの遺灰を撒いてきます。葬儀も散骨のセレモニーも致しません。

どうぞブルースの死を悼んでくださる方々、ブルースを記憶していてくださる方々、ご自分のおられるところで、ご自分にとって大切な方のために,薔薇の花を贈ってください。ブルースもそれを望んでいることでしょう。
どうもありがとうございました。

写真は60年前のブルースです。


2018年6月24日日曜日

最終駅に着いたオット


自分の力で立つことも歩くことも出来なくなったオットを施設に入れて、一日おきくらいに会いに行くようになって、この6月で2年経った。
残りの週に3日、オットは腎臓透析のために病院で過ごす。救急車と見た目には変わらない公立の患者移送車に乗った屈強な職員たちが、オットを乗せて施設と病院との往復を引き受けてくれる。老人ホームの費用も、腎臓透析の費用も、移送のために費用も全部、老人年金から引き落とされて自己負担の費用は一切ない。

ここまでオットが、年を取り障害者となり、年金が全額出て、老人ホームに入居し、腎臓透析を公立病院でしてもらい延命できる様になる前までの、2年あまりは戦争のようだった。病気で無収入になったオットを、フルタイムで病院で働く私が、仕事を続けながら、週3回、私立の腎臓透析病院に連れて行き、連れ帰って寝かせてから仕事に行き、自分は寝る間もない。泣いても叫んでも申請書を何枚書いても、役所は、オットに年金を全く出そうとせず、会社を所有しているでしょう、車を持っているでしょう、貯金があるでしょう、と繰り返し正しい財産査定をしない。事業から手を引いたまま知らないうちに会社の借金は増えていて、みるみる体調を崩したオットの下の世話と、銀行と役所との交渉という、出口のない闇のトンネルの中で、ひとりもがいていた。やっと入居できるようになった老人ホームでも、年金のないオットは、私の月収よりも高い入居費用を、毎月支払い続けなければならなかった。

オットに年金が全額出るようになったのが、1年前のことだ。 オットが倒れて3年間、老人ホーム入居前2年間と、入居後の1年間、私が支えたからオットは生存できた。オットの代わりに会計士や弁護士を雇い役所と交渉を続け、正しい資産審査を獲得したが、そういった人のいない場合だったら、適切な医療が受けられずとっくに死んでいただろう。老齢で、無収入、疾病を抱える80過ぎのオットをここまで待たせた、政府の老人福祉政策の無策、役所の非人間的な対応とは、一体何という非常識であったか、今思い出すだけでも腹が煮え立つ思いだ。

オットと結婚した時から22年経った。再婚した時、私の娘たちは大学生と、大学予備校生だった。オットには4人の子供が居るが、会ったことも見たこともない。オットの最初の妻が病死した時、一番下の子供は5歳だったそうだ。子供達は妻の両親に引き取られ、オットはシープファーマーを止めて、都会に出て会計士になって、子供達のために教育資金を送った。でも上の2人の男の子たちは全寮制の中学と高校に送られて、オットとの親密な親子関係を結ぶことはなかった。
オットと出会った時から、オットに親戚もなく、友人も驚くほど少なく、オットは私の娘たちと家族になり、私の友人たちと親しくなった。

オーストラリアで金持ちのダンナを見つけなよ。と心強い忠告とともに見送ってくれたフィリピンの友人たちを落胆させることなく、来豪1年目にオットと出会った。金持ちではなかったが。
来豪まえのフィリピンでは10年暮らし、娘たちの通うマニラインターナショナルスクールでヴィオリン教師をしていた。家でも個人レッスンで20人の生徒を持っていた。娘たちにより良き教育を受けさせるためにシドニーに居を構えたが、ここではヴァイオリンでは生きていけない。生徒を集めるには学校や幼稚園などで教えなければ個人レッスンの生徒も集まらない。日本では前夫と結婚した時に、取得していた看護師の資格がある。ペーパーナースのなんちゃってだけれども。そこで、20も30も年下の同級生と大学に通学して、オージーの高等看護士の資格を得た。大学に通っていた間、10人の日本人看護士と仲良くなって、週末には自宅で日本料理を振る舞うようになった。10人の若い女の子達にとって、オットは優しい相談相手であり、頼もしい父親代わりになった。


私の二人の娘たちの結婚式では花嫁の手を取って、教会のヴァージンロードを入場する父親代わりを立派に勤めてくれた。2009年に次女がハミルトンアイランドで結婚式をした時も、2012年に日本旅行したときも、2013年に日本を再訪したときも沢山の友人に出会って、旅行を楽しんだ。2014年に長女がマレーシアで結婚式をした時も、オットは娘の手を取って、教会を歩くことができて本当に嬉しそうだった。クアラルンプールの博物館を見て回って、学ぶことが多いよと言った。けれど、その2か月後に倒れて、再び体調がもどることはなかった。

いまオットは、教会の経営する私立の老人ホームに入居して、専用のバスルームもある個室にいて、寝転んでテレビも見られる。私が行けば車椅子に乗り換えて、階下の駐車場を通り外に出てタバコを吸うことができる。COPD(閉塞性呼吸器疾患)と喘息のために、ふだん呼吸することさえ努力を要するというのに、タバコがやめられない。

老人ホームの最初のころは、日曜日に家に連れて帰った。家に帰ると愛猫と、自分の大きなベッドが嬉しくて、顔をくずして喜んだ。わずかの間しか立っていられないので、シャワーを浴びさせたり、椅子からトイレ、ベッドから車椅子への移動が大変だったが、何とか去年まで介護できた。
今年の1月6日誕生日が最後の帰宅になった。絨毯の上に転んで、助け起こそうとした私も転んで立ち上がれない。しばらく二人して天井を見上げていた。私一人では介護できないことが分かって、オットは納得した。もう家には帰れない。つらい決断だっただろう。

年をとれば、いろんなものを手放さなければならない。ひとつのものを失うごとに哀しいものだが、失うことに慣れなければならない。それは私自身にとっても同じことだ。

オットに今できることは、朝がくれば介護職員がシャワーを浴びさせてくれ髭を剃ってくれる、朝食がサーブされ、モーニングテイーが出て、ランチがサーブされ、午後のお茶のあと、夕食が出され職員がスプーンで食べさせてくれる、その間、座っていることだけだ。私が訪ねて行けば、タバコを3本吸うことができる。
頭がはっきりしているから、以前はよく話したが、このごろは何か言おうとしても言葉が出てこない。何かを話そうと、話し出したそばから言葉を見失ってしまうらしく、途中で話すのをあきらめてしまう。それでも行けば、私の頭をなでて、ユーアービューテイフルと言うのだけは忘れない。ユーアービューテイフル、ユーアービューテイフル。
当たり前だろ。
そんなことわかってる。