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2018年8月3日金曜日

イギリス映画「エデイ」

この7月に日本では集中豪雨によって洪水や土砂崩れが起きて、死者を含む沢山の被害が出るという痛ましい事態が起きた。
土砂崩れが起きるたびに、日本の林業は大丈夫か、と気になる。亡くなった最初の夫は、教育大学、今の筑波大学の林業学科を出て、地すべり学会の学会員だった。彼は、国有林を管理するグリーンレジャーが廃止されて、山に入る人が居なくなり、山々が荒廃しハゲ山が増えた。地元の市町村が植林をするといっても、すぐに大木になって見栄えは良いが、浅い根を張って水を吸わない外来樹木ばかりを植えるようになったと言って、政府の安易な林業政策をいつも激しく批判していた。

どんなに雨が降っても、木が水を吸えば山崩れは起こらない。
まめに山に入り一本ずつ不要な若木を伐採し、100歳を超えた大木を育てる。バランスを考えながら間伐した分だけ木を植える。このように、昔から何百年も日本で行われてきた間伐と植林を続けて、水を吸って大地を支える大木を大切に育ててきたら土砂災害は防止できるのではないか。そのための地域ごとの林業従事者を育成する必要があるだろう。山を守ることは、下界で畑を作り日々の生活をする人々を守ることだ。
急速に日本の老人人口が増え。若い労働人口が減少する中で、地方の過疎化が進行している。捨てられた地方の山村が増えれば、山を守る林業の専門家が育たない。山に人が入らなくなれば自然災害の規模は大きくなるばかりだ。林業と、農業とは切っても切り離せない大切な国の経済の根幹にあたる存在であり、これをもとに国の経済を考えないならば国の将来はない。山を守ることは、国を守ることだ。武器を買う予算があるなら、一人でも多くの山を守る若い人を育てることのほうが大切だ。

山にはお世話になった。魂を救われた。
谷川岳、丹沢の山々、八ヶ岳、穂高、槍ヶ岳、立山、剣岳、白馬岳、常念岳、蝶が岳、焼岳、乗鞍岳、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、白峰三山。どの山も独特で味わい深く忘れ難い。
普通のお婆さんがスコットランドの山々を歩く映画を観た。山の映像を見ているだけで心が洗われる思いだ。
                
イギリス映画;「EDIE」エデイ
監督:サイモン ハンター
キャスト
エデイ : シエラ ハンコック
ジョニー: ケビン グズリ―

ストーリーは
ロンドンの郊外に住むエデイは83歳になる。病身だった夫が老衰で死んだ。エデイの結婚生活は夫の介護に終始した。30年前、夫はエデイを殴り、その夜怒りを制御できないまま脳出血を起こして倒れ、彼は死ぬまで再び立ち上がることも仕事することもなく妻の介護によって30年間生き永らえたのだった。
夫の死後、娘はエデイを強引に老人ホームに入居させようとする。エデイは連れられて行った老人ホームで、生きる屍と化した老人の群れをみて、とても自分には耐えられないと判断して、ひとり家に帰って来る。ともかく身辺整理をしなければならない。家にもどって、古い写真や手紙や書類を暖炉で燃やしてたときに、火の中に投じた1枚の山の絵葉書が何故か気になって手に取って眺めてみる。
そうだ。思い出した。
この絵葉書が切っ掛けで夫がエデイを殴ったのだった。その結果夫は不具の身となって死ぬまでエデイに介護を強いた。すっかり記憶がよみがえった。この絵葉書は、エデイの父親がよこしたものだった。エデイは子供の時から釣り好きの父親のお供で山々を歩き、キャンプをして、ボートに乗り、釣りをしたものだった。結婚したあとも父親はエデイを誘って一緒に山に行こうを絵葉書をよこしたのだった。それを見て怒った夫はエデイを殴った。すっかり忘れていた記憶が蘇り、エデイは自分の30年間は一体何だったのかと自問自答する。

翌日エデイはリュックサックひとつ背に背負って、家を出る。列車を乗り継いで山岳地帯に向かう。雨の中、山のふもとの村まで行くバスを待っていると、もうバスは出てしまったという。ちょうど村まで帰るところだったジョニーという気の良い青年に拾われて、エデイは彼のジープに乗って、村の登山者のためのホテルに連れて行ってもらう。ジョニーは山の道具を売る山岳用品店の店員だった。
エデイはジョニーに、ガイドを依頼する。1日300ポンド。高いとエデイは文句を言いながら1日だけ足慣らしにガイドのジョニーとトレッキングしてみる。そこでエデイは自分が持ってきた昔の長靴や防寒着や、キャンプで湯を沸かしたり料理するコッヘルなどが、時代ものでもう’使いものにならないことを知らされる。ジョニーの働いている店で登山用具を全部そろえてもらって、エデイは出発することになる。

出発の前夜、ジョニーはエデイをパブに誘う。エデイはデイナーのためにロングドレスを身にまとっていそいそと出かけるが、パブに来ていた心ない人々は,年寄りのエデイを笑いものにする。傷ついたエデイは自信をなくして登山をあきらめてロンドンに帰ろうとするが、ジョニーはエデイを引き留めて、山に向かわせる。
頂上をきわめるまでには3日かかる。悪天候の中、テントを張り、荒地を歩き、ブッシュを抜けて湖をボートで渡り、さらに歩き続けなければならない。折しも低気圧前線が伸びて、嵐になって、、、、。
というお話し。

実際に83歳で映画主演して登山までするエデイもすごい。頑固一徹を顔に書いたような女優さん。でもこんな偏屈で笑顔ひとつ見せない老女を、山が好きだという一点のために、ジェントルマンシップをもって扱い、どんな困難にも努力を惜しまない、ジョニーが素晴らしい。これが山男というものだ。気の良い素朴で誠実な青年。石塚真一の漫画「岳」に出てくる登山家、島崎三歩さんみたいだ。
この映画のテーマは友情。友達に男女差や年齢は関係ない。山の頂上をきわめたいという想いに深い意味を抱えた女性がいたら、その望みをかなえてやるために、どこまでもサポートするのが、男気であり真の友情だ。
スコットランドの山岳地帯が素晴らしい。荒々しい岩あり、湖あり、なだらかな山々もあり、それぞれが気象の変化によって表情豊かで、急に穏やかな山になったり、突然豪雨になったり、死をもたらす残虐な魔の山になったりする。

30年余り自分の意志に反して生きて来ざるを得なかった女性が、やっと解放されたとき、一体何をしたらよいのか。83歳の老醜をむき出しにしながらも、エデイは自由になった喜びに、拳を高々と空に向かって挙げる。彼女は体がボロボロになっても、子供の時に山登りで得た喜びを山登りで再体験することなしに自分を取り戻せなかったのだろう。歌を忘れたカナリアは,月夜の灯りに照らされて、再び歌うことができるだろうか。
自分は一体何をしてきたのか、これからどうして行ったらよいのかわからなくなったとき、自分の原点に立ち戻って見たら良い。結婚前の若かったころ、自分が無力で財産も経験もなく、まわりに世話ばかり焼かせながらも、自分ひとりで懸命に何かを掴もうとしていた、そのころの自分に戻って見るものだ。
映画を観て自分の生きて来た人生を振り返って、エデイに共感する人も多い事だろう。

ハリウッド映画のような派手さはないが、英国映画の良さがよくわかる。地味だが高らかに叫ぶのではなく、静かに、でも強靭に、人間賛歌がうたわれている。