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2018年12月9日日曜日

メッツオペラ「西部の娘」

ニューヨークメトロポリタンオペラ「LA FANCIULLA DEL  WEST」
邦題「西部の娘」
作曲:ジャコモ プッチーニ
上映時間:4時間
初演:1910年 トスカ二ー二指揮、エンリコ カルーソ(ジョンソン役)
監督:ジアン カルロ デルモナコ
指揮:マルコ アルミアト

                   酒場の女主人ミニ:エバ マリア ウェストブロック
デイック ジョンソン:ヨナス カーフマン
バーテンダーニック:カルロ ボシ
保安官ジャックランス:ジェリコ ルシク
鉱夫ソノーラ:マイケル トッド シンプソン
銀行員アシュビ:マチュー ローズ

プッチーニが、ニューヨークメトロポリタンオペラのために作曲したオペラ。
イタリア人作曲家によって作られたアメリカの西部劇(!!)を、イタリア語でオランダ人ソプラノ歌手と、ドイツ人テノールのカウフマンとが歌っている。プッチーニはメッツオペラの招きでニューヨークに滞在したあいだ、ヨーロッパと全く異なるビアホールや、バーや近代的な建物やアメリカ人気質に激しくカルチャーショックを受けた。それでアメリカっぽい文化をベースにした物語をオペラにしようと思い立ったという。冒険家だよね。

彼は、「ラ ボエーム」をパリを舞台に作曲し、ローマで「トスカ」を作り、さらに自分は行ったことのなかった日本のナガサキを舞台に「蝶々夫人」を作曲し、おまけに中国の物語「トーランドット」を作曲した。彼にとって、場所はとても大事で、その土地、その土地から受けるイマジネーションを、作曲のモチベーションにした。その土地に住んだわけではないから、その国々の歴史や様子に精通しているわけでなくて、深く文化を学んだわけでもないから、諸外国についてとても表面的な理解に留まっている。それでも彼は作曲家として天才としか言いようがない。

私はどんなオペラも大好き。中でもヴェルデイの「アイーダ」、「椿姫」、ビゼーの「カルメン」、モーツアルトの「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」、「魔笛」は大好きで、それを言ったら、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」や「ローエングリン」も忘れられない。しかしプッチー二の「蝶々夫人」は大嫌いだ。珍妙なナガサキを舞台に、坊主を「ボンズ ボンズ」とコーラスが飛び跳ねながら歌うシーンなど仏教を侮辱しているようで腹が立つし、だいたい16歳の少女を愛人にして子供を産ませる米国軍人のストーリーなど、不愉快だ。未成年虐待ではないか。

メッツでは、プッチーニがメッツのために作曲したこのオペラ「西部の娘」をあまり上演しない。メッツのために作られた作品なのだから、毎年取り組んでも良いようなものだが、アメリカ人のテイストがオペラにそぐわない上、観客の受けがあまりよくないのは、蝶々夫人嫌いの日本人の心象に似たものだろうか。これほどメッツに避けてこられたオペラを観るのは興味深いものだ。アメリカの西部劇はドライな仕立てなのに、イタリア人作曲家が西部劇を作ってみるとマカロニウェスタンならぬ、あまりにウェットな仕上がりで、当のアメリカ人には受け入れがたいタッチだったのだろうか。ストーリーの、悪者盗賊デイックジョンソンが、彼が愛する処女ミニのひたむきな純愛によって救われる、といった内容はカーボーイの心情にそぐわない。 それでもヨナス カーフマンの高貴な姿と、力強く美しいテノールを聴くためにこのオペラを観て来た。

オーケストラとそれを指揮するイタリア人指揮者、マルコ アルミリアトが素晴らしい。ダイナミックで華麗な指揮、現代舞踊を踊るような彼の姿を見ているだけで感動的だ。イタリア人の身のこなし方、全身全霊をこめて指揮する彼の多様な表現力はプッチーニが乗り移っているとしか思えない。彼は譜面を持って来ない。4時間のオペラ、総譜を暗譜している。こんなオペラ指揮者が他に居るだろうか。ただただ感歎。

ストーリーは    
第1幕
カルフォルニア、ポルカサロン金鉱の町。世界中からゴールドラッシュにつられてやってきた男達は、毎日金鉱で重労働に耐え、故郷に一握りの金を送るためにこき使われ、最後は泥にまみれて犬の様に死んでいく。男達の唯一の慰めは美しい女主人の経営する酒場だ。ミニはこの町で生まれ亡くなった両親が経営していたこの酒場を引き継いだ。彼女は両親がどんなに互いに愛し合って死ぬまで仲良く暮らしていたかを知っているので、どんなに男達が言い寄ってきても心を許さず、全く相手にしないで、本当に自分が心から愛せる人が現れるのを待ち望んでいる。保安官ジャックランスは妻帯者でありながらミニに執拗に求愛していて、ミニはほとほと困っている。
そんな酒場に流れ者デイック ジョンソンと名乗る男がやってきて、ミニは教会で前にあったことのあるその男を一目で愛してしまう。そして夜自分の家に訪ねてくるように言う。
第2幕
ミニはジョンソンを自分の家で迎え、生まれて初めてのキスを彼に与える。そこに保安官が男達を従えてやってきて、ジョンソンは極悪のお尋ね者だったことがわかって、追跡中だという。ミニは保安官たちが立ち去った後、隠れていたジョンソンに、自分の唇を奪っておいて嘘つきだったことを責めで出て行くように命令する。彼は出て行く。しかし、しばらくして銃の音がして、瀕死の重傷を負ったジョンソンの姿を見るといたたまれず、ミニは彼をかくまう。
第3幕
ミニはジョンソンが回復するまで世話をして、自分がジョンソンを心から愛していることに気が付く。その後、完治したジョンソンは出て行ったが、山狩りで保安官に逮捕されて男達に首に死刑のための縄をかけられる。ジョンソンは、最後の頼みとして、「ミニには自分が死刑になったことを知らせないで、無事に逃げ延びたと言ってくれ」と切々と訴える。そこをミニが銃を持って駆け込んできて、彼を殺すなら自分もこの場で死ぬと銃をこめかみに当てる。男たちはみなミニを愛している。彼女の世話になってきた。ミニに聖書を読んでもらってきた男達。家族に手紙を代書してもらってきた男達。病気のときに世話になった男達。みなミニのことが大好きだった。ミニの懸命な純愛に心打たれて、男達はジョンソンの縄を解いて、ミニと二人で新しい人生を歩むようにと、二人を送り出してやる。
というストーリー。

ヨナス カーフマンはインタビューに答えて、このオペラでは馬に乗るシーンもあったし、カーボーイハットにカーボーイブーツを身に着けることができた。ボーイズ ドリーム カム トゥルー(男の子の時の夢がかなったよ)でしょう、と言っていた。不協和音ばかり、曲が難解でとてもバラエテイーに富んだオペラで、アリアがないオペラといわれてるけど、「僕アリアを歌ってたでしょう。ね。」と茶目っ気いっぱいに話していた。何てチャーミングな人だろう。このとき映画館にいた観客前後四方の女性客たちの溜息が聞こえた。
第2幕のミニとの初めてのキスに至る、求愛の歌は本当にカーフマンにしか歌えない。こんな迫力のある求愛には、もう本当にドキドキする。この人ほど見も心も投げ出すようにして、天も地も落ちよ、星も月も太陽も飛び散れ、この世には僕の愛しかないのだ、という破壊的ともいえる究極の求愛を歌える歌手は他に居ない。聴いていて見も心もズタズタです。

オランダ人ソプラノ、エバ マリア ウェストブロックは演技が上手で素晴らしい役者だった。でも彼女の声が好きでない。ソプラノでも気品のある硬質の声が好きだから。役者としては一流だ。銃で撃たれ舞台で昏倒しているカーフマンの横で、保安官相手に、「私が勝ったらこの男はわたしのもの、負けたらこの男をあんたに渡して私はあんたの女になる。」と言ってカードを出してポーカーをするところなど、すごく演技が冴えている。

ミニの家で働くメキシコ人の女中がちょっと出てくるだけで、このオペラではミニ以外の女性が全く出てこない。男ばかりのオペラだ。終始舞台では複数の金鉱で働く男達が立ち回り、殴り合いの喧嘩をしたり、ミニに言い寄ったり、すぐに銃を向けたり、動きがあって面白い。歌いながらだから、歌手たちは大変だったろう。
このメッツのハイビジョンフイルムは、オペラだけでなく幕が変わるごとにカーテンの裏で舞台を作る人々の様子が見られるところが良い。興味深々だ。大がかりな舞台造りに何十人もの舞台美術家やペンキ屋や大工や工具係りが、限られた幕間の間に大忙しで仕事をしている。オペラを支える人々の姿まで美しい。オペラは良い。500年も前から作られてきた芸術品を大切に大切に、後世に伝えて行かなければいけないと、心から思う。

シドニーでは、外は真夏30度近い暑さ。でも4時間の公演中冷房が効いて、カーデガンとひざ掛けをもって入っているのに体が氷のよう。映画館から歩いて200メートルのところにある寿司屋に入って熱いお茶を飲んで生き返った。午后3時ごろに寿司屋に来る変な(迷惑な)客のために、オーナーのケンさんはいつもメニューにない皿を用意して迎えてくれる。ありがたいことだ。
日本でも現在、限られた劇場で公開中。