2019年10月14日月曜日

映画「ジョーカー」


DCコミックス「バットマン」に登場する悪のカリスマ、ジョーカーが誕生するまでの姿を描いた作品。第76回2019年ベネチア国際映画祭で最優秀作、金獅子賞を受賞。公開早々、主演のホアキン デニックスが今年のアカデミー賞男優最優秀賞に選考されること確実と予想されている。
激しい暴力シーンのために15歳以上でなければ見られない。映画の内容が2012年にコロラド州オーロラで、「バットマン リターン」上映中に乱射事件が起き12人の死亡者を出したことを思い起こす、として、上映拒否する映画館が出現したり、クリスチャン団体が映画の公開に反対するなどの社会現象が起きている。

原題;「JOKER」
監督;トッド フィリップ
製作;トッド フィリップ、ブラドリークーパー
キャスト
ホアキン フェニックス:アーサー
ロバート デ ニーロ :マレー フランクリン
フランシス コンロイ :アーサーの母親ペニー
ザジー ビーツ    :ソフィー アーサーと同じアパートに住むシングルマザー
ブレッド カレン   :トーマス ウェイン

ストーリーは
1950年代と思われるニューヨーク、というか、1980年代ゴッサムシテイー。
アーサーは、コメデイアンになることにあこがれて、いまは大道芸人としてエージェントに雇われている。身体障害のある母親を介護しながら、しょぼいアパートで暮らしている。子供の時から母親に、いつも笑顔でいなさいと言い聞かされてきたとおりに笑顔でいて、人を笑わせて喜ばせたいと思ってきた。しかし感情が高まると、笑い出してそれを止めることができなくなるという人格障害を伴った精神病を病んでいて、人間関係をうまく継続できない。またそのため薬を飲まなければならないが、生活が苦しく、薬代の捻出に苦労している。家に帰れば母親のために食事を作り、入浴させ、一緒にテレビを見ることが唯一の娯楽だ。二人ともコメデイアンだったマレー フランクリンのショーを楽しみにしてる。アーサーは以前、マレーに会って励ましてもらったことがあって、それが自慢でならない。

ピエロに扮して宣伝マンの仕事をしていた時に、悪ガキに絡まれてひどい目にあったことから、アーサーは、職場の同僚から護身用の銃を借りる。しかし小児病棟でピエロ訪問のショーで、うかつにもアーサーは持っていた銃を子供たちの前で落としてしまい、それを理由に職場を解雇される。気落ちしたまま地下鉄に乗って帰宅途中、3人の男達が酔って向かい側の座席に座っている女性をからかい始めた。それを見ていたアーサーは高まる緊張を抑えられず笑いだす。笑われて怒った男達は、他に電車の乗客が居ないことを良い事に、アーサーに殴る蹴るの激しい攻撃をかけてきた。アーサーはぶん殴られて足蹴にされされて、怒りを抑えきれず遂に3人を銃で撃ち殺して逃げ帰る。翌日のニュースによると、3人の男達はウェイン財閥のエリート証券マンだった。社長でゴッサムシテイー一番の実力者トーマス ウェインは、自分の会社の将来を約束されていた社員が殺されたことで怒って、記者会見で犯人を一刻も早く捉えることに協力するよう市民に呼び掛けた。

家に帰るとアーサーの母親がトーマス ウェインに手紙を書いていた。母親はトーマス ウェインの恋人だったことがある。アーサーの父親はトーマス ウェインだと信じている。アーサーは、ウェインの会社に忍び込み、ウェインに会って、母親の名前を言うとウェインは、「その女は精神病だ。」と言って相手にしない。ウェインの屋敷にまで行って、庭で遊んでいたトーマスの息子、ブルースに塀越しに話しかけるが、執事のアルフレッドに見つかって追い返される。
警察が訪ねて来て、母親のペニーが発作を起こして病院に担ぎ込まれる。アーサーは病院で、病歴室に行って母親のファイルを盗み出す。そこには母親がアルコール中毒で精神病を患い、同じような中毒者の男と暮らしていたが、孤児を養子にした。しかし養父が養子のアーサーに暴力を奮っていたために、頭の傷から子供も精神病を発病したという経過が書かれていた。今まで母親に言われた通りに何時も笑顔でいて、人を喜ばせようと努力してきたアーサーだったが、母親と自分は血がつながっていなかった。トーマス ウェインも父親ではなくて、自分は孤児だったという事実を突きつけられて、衝撃を受ける。

アーサーは自分が立っていた足場を失った。もう歯止めが効かない。母親を殺し、心配して訪ねて来てくれた昔の同僚を惨殺し、マレー フランクリンのライブショーに出かける。テレビカメラの前で、3人の証券マンを、ジョークで殺したと告白し、マレー フランクリンを撃ち殺す。アーサーは逮捕されるが警察による護送中、アーサーのテレビ生中継にインスパイヤされた暴徒によって救出される。ピエロのお面をかぶった暴徒たちで街は略奪、殺人、強盗の無法地帯となり混乱を極めていた。街は火の海で警察は手も足も出ない。アーサーは転覆した車の上に立ち、英雄として狂喜乱舞いする。
というお話。

ジョーカーが恵まれない酒と暴力の中で育てられた孤児で、精神を患い不毛な環境から逃れられずにいたために暴力で、はねかえさざるを得なかった、というジョーカーのバックグラウンドを描いている。本来だったら母親思いの心の優しい青年が、母親の望むようにいつも笑顔を絶やさず人に笑いを届けようと望んで生きて来た。孤独な時に、ベッドを共にする女性も同じアパートに住んでいる。そんなどこにでも居そうな青年が、自分が孤児だったと分かっただけで、壊れてしまうことをに理解する人も、出来ない人も居るだろう。
アーサーは子供の時の頭部外傷がもとで人格障害を持つ精神病患者になって、興奮すると笑いの発作が出てしまい自力ではそれを止められない。面白いから笑うのではなくて、笑いは彼にとっては発作であって、横隔膜のケイレンにすぎない。緊張するとてんかん発作を起こすてんかん患者と同様に発作をコントロールすることができない。だから人間関係をスムーズに続けるのは難しいし、定職について長く勤めることが困難で低所得のため薬代にも事欠く。年を取り精神障害と身体障害を持つ母親とアーサーとの生活では共倒れ必須だ。社会福祉の貧しい社会では生きていけない。

映画の最後のシーン。狂喜、乱舞い、放火。略奪、警察署襲撃、殺人といった混乱の一夜のあと、逮捕されたアーサーは警察病院で精神科の医師に向かって「いま新しいジョークを思いついた。」けれど「あなたにはわかってもらえない。」と言う。その次のシーンは、血を吸った靴の足跡を残しながら部屋を去るアーサーの後ろ姿で映画が終わる。
もう彼にとって人殺しはコメデイアンとしてのジョークでしかなくなってしまったのだ。
一人殺せば殺人犯、沢山殺せば英雄、全部殺せば神様だ、と映画の中で言わせたのはチャーリーチャップリンだが、アーサーは英雄をめざして一直線に走っている。
当時のブロードウェイの様子が出てくる。劇場や映画館にが集まる人々は、賑やかで華やかだ。チャップリンの映画が上映されていて、着飾った夫婦や正装した年配者で会場は上品な笑いに満ちている。チャップリンの「モダンタイムス」の画面に彼が作曲した「スマイル」ジミー デユランが「笑っていよう。今はつらくても明るい明日が必ず来る」と歌っている。

子供だったバットマン、ことブルース ウェインが両親と劇場から出てきたところで暴漢に襲われて両親を殺されるシーンも出てくる。ブルースは孤児となり、このあと執事のアルフレッドに養育される。この映画では、ウェイン一家が観ていたのは映画だったが、クリストファーノーランの「バットマン」では、オペラ「蝙蝠」だった。ブルースは幼い時に庭の古井戸に落ちて,暗闇のなかで蝙蝠の大群に襲われる。その時の恐怖感がブルースの「バット」への確執につながっている。その夜、おおみそかに上演することが習慣になっているシュトラウス作曲のオペラ「蝙蝠」をウェイン一家は見ていて、ブルースは蝙蝠が舞台に出て来てパニック症候を起こす。あわてた両親はオペラハウスにオペラ終演後迎えに来るはずの車を待たずに劇場を出てしまい暴漢に襲われる。こういったノーランの計算済みのストーリーの方が筋が通っていてわかりやすい。

どうしてもこの映画を観ていて、クリストファーノーランの「バットマン」と比べてしまう。彼の作ったバットマン3部作が強く印象に残っていて、ヒース レジャーのジョーカーが忘れられないからだ。断じて言うが、誰もヒースのジョーカーを越えられない。ホアキンがどんな努力をしても、ヒースに勝つことはできない。単純だ。もうヒースがこの世に居なくて記憶にしか残っていないからだ。
クルストファ―ノ―ランの3部作は、「バットマン ビギンズ」2005、「ダークナイト」2008、「ダークナイトライジング」2012、の3本を言う。クリスチャン ベールがバットマン、ブルースウェインを演じ、執事アルフレッドをマイケル ケインが演じた。製作費用の莫大さ、撮影のために世界中を舞台にし、スケールの大きさも出演俳優陣の豪華さも他のどの映画にも勝てない贅沢な映画だった。

3作目の「ダークナイト ライジング」プレミア上映中、米国コロラド州オーロラの映画館で、24歳の男が銃を乱射して映画を観ていた12人の観客が死亡、負傷者58人を数えた。殺人者はガスマスク、防弾チョッキにヘルメットをかぶり、拳銃2丁、ライフル、ショットガンで武装し、催涙ガスを2本投げガスが立ち込める映画館の中を逃げ惑う観客を、殺しまくった。コロラド大学、神経科学科専攻の博士課程の学院生だったジェームス イーガンホームズの単独犯で、彼はいま終身刑に服している。映画の暴力シーンが犯行を助長したのではないかと言われ、それが今回の映画「ジョーカー」の上演に反対するクリスチャン団体や自治体の声になっている。しかし映画の上演に反対するヒマがあったら、シリアやアフガニスタンでやっている本当の戦闘のほうを止めるのが先じゃないか。

地元シドニー北部の高級住宅地に戦前からある古い映画館で、幕間にピアノの生演奏が入ったりするおせっかいというか、オールドファッションで粋な館がある。そこでは最新映画だけでなく、定期的に名画を繰り返して見せてくれる。ピーターオツールの「アラビアのロレンス」とか、ヘップバーンの「ローマの休日」とか、一緒に歌おう「氷の女王アナ」とかなんだけれども、時々ノーランの「バットマンダークナイト」3部作も続けて7時間近くを一挙に見せてくれる。自分は、帰りが深夜になるのを覚悟で観に行くが、これが上映されると途中席を立つ人が居ない、シャンパンよりもビールのの売れ行きが良いという特徴がみられる。それほどオージーは、ヒースのことが好きで忘れられない。

「ダークナイト」で、訓練された強盗一団がピエロのお面を素早くかぶり銀行に押し入り、次々と警備を撃ち殺して現金を詰め車に積むと、今度は何と、強盗仲間が順番に撃ち殺される。こうして生き残ったたった一人のジョーカーが、高笑いしながら悠々凱旋する。映画が始まってワンショット、たった5分間の出来事だ。予想外の恐怖、驚愕、緊張であっという間に、ヒース レジャーのジョーカーに人々は引きずり込まれてしまう。
ジョーカーはゴッサムシテイの裁判長、警察署長、市長などと始末し、対決するバットマンを苦しめる為に片思いしているレイチェルとその恋人を一緒に拉致して、ひどく残酷な裏切り方で絶望させた上で、バットマンの目の前で惨殺する。病院を爆破し、橋に爆薬を仕掛け、一般人と囚人を乗せた船にそれぞれ互いに爆破スイッチを持たせて片方が吹き飛ばせば、もう片方は助かる、と言って人々の心理を懐柔して面白がって殺す。
ジョーカーは完全極悪な殺人狂であり痛みや悲しみや人間らしい感情を持たない愉快犯だ。ヒースがジョーカーの役に抜擢された時、どうしてこんなに若いオージー役者が??とブーイングする人も居た。でもヒースは、役作りに時間をかけて実に迫力ある前代未聞のジョーカーを演じた。そのためにロンドンのホテルに誰からも連絡を絶ち6週間、ひとり閉じこもって役を作ったというエピソードを持っている。ジャックニコルソンからあまり役にのめり込むと危険だから、と注意されたという話も伝えられている。
ヒースは撮影が終わり、映画の公開前に亡くなった。アカデミー男優最優秀助演賞を獲得したときは、パースからお父さんが駆け付けて賞を受け取った。弱冠28歳。ヒースの死は映画界にとっても大きな損失だった。短い彼の一生では、演じることが命を削るほど真剣勝負で、与えられた役を終えるまで役にはまり込む、その度合いが誰よりも深かった。だから彼が演じた作品では彼は、いつも輝いている。

ヒースは、くたびれていて次の日のために、深い眠りが欲しかっただけだった。軽い睡眠薬テマゼパンと、頭痛薬のエンドーンを同時に飲んで複合副作用のために、呼吸が止まってしまった。誰か横に居たら助かっていたかもしれないが、ホテルで一人きりだった。ヒースがメルギブソンの息子役で出演した「パトリオット」2000、「カサノバ」2006、「アイアムノットゼア」2007、「ブロークバックマウンテン」2005では、ジェイク ギレンホールとゲイのカウボーイを演じて、アカデミー主演男優賞の候補になっている。この時彼はたった25歳だった。「ドクターパルナサス」2009撮影中の事故だったので、この映画でははじめにヒースが主演しているが、そのあとを親友だったジョニー デップと、コリン ファレルと、ジュード ロウの3人が代役を務めていて、3人の出演料は、ヒースの残された娘マチルダに養育費として寄付された。
亡くなって10年近く経って「アイアム ヒースレジャー」2017が彼の自作のフイルムや、家族や友人たちのフイルムが編集されて映画になったが、上映中ずっと嗚咽する人や鼻をかむ音でうるさかった。そんなわけだから、どんな役者が出て来てもヒースのジョーカーに勝てる役者は居ない。

ホアキン フェニックスは、テイーンのアイドルで人気絶頂時にヘロインで亡くなったリバー フェニックスの弟だ。リバーが生きていたら二人とも40歳代の立派な役者兄弟だったことだろう。ホアキンはジョーカーを演じるために体重を20キロ落としたそうだ。彼の背中やあばらの浮きで体が痛ましい。おかしくないのに笑う発作が起きた時の苦しそうな笑い顔も恐ろしい。街の石段を下りながらピエロの化粧をして踊りまくるシーンは素晴らしい、それだけで立派なアートシーンになっている。ちゃんとリズムに乗っていないところなど、ホアキン フェニックスの役者の才能を感じる。ヒースの身も心も引きずり込まれるようなジョーカーとちがって、ホアキンのジョーカーは淡々としていて、悲しい哀しい笑いが死を予告している。彼の胸の苦しみを、弦楽器おもにチェロを使って延々と不協和音が奏でている。

1%の富裕層が99%の庶民の富を奪い独占しているこの世界で、「新しいジョークを思いついた。あなたがたには理解できないだろうけど。」と言ったあとで、血を吸った靴で歩き回るジョーカーたちで、街が溢れかえる。そんなことが明日起きても驚かない。
「ジョーカー」は1950年代の話ではなく、1980年代の話でもなく、今のいまの話だ。

上の4枚の写真はホアキンのジョーカー
下の2枚の写真はヒース レジャー




2019年10月7日月曜日

映画「ブレス しあわせの呼吸」

英国映画
監督:アンデイー サーキス
プロデューサー:ジョナサン カヴェンデイシュ
キャスト
アンドリュー ガーフィールド:ロビン カヴェンデイシュ
クレア フォイ       :妻 ダイアナ
デーンチャールス チャップマン  :息子 ジョナサン
ベンロイド ヒューズ    :ドン マクイーン医師
トム ホランダー      :ダイアナの双子の兄弟
ヒュー ホネベル      :テデイ ホール医師

荒涼たる冬の丘の上、海から吹き付けてくる風が冷たい。丘の上に立つと眼下に広々とした丘陵地帯が広がる。丘の上を青年が綱を引く。重そうに引いているのは父親を乗せた大きな車椅子。それを押す妻。3人の姿が逆光のなかでシルエットになって画面に映る。このモノクロの印象深いシーンが、尊厳死を望む父がそれを妻と息子に伝えるシーンにつながる。この美しい3人の印象的なシルエットを映画の予告編で観たとき、絶対この映画を見逃してはいけないと思った。

監督のアンデイー サーキスは、モーションキャプチャーの役者として第一人者。彼の素晴らしい演技力なくしてフイルムのモーションキャプチャーの技術は発展しなかった。「猿の惑星」シリーズ(2011-2017)ではシーザーの表情一つ、目つき一つに意味があって、憎しみも悲しみも恨みも悔恨も、彼は実際の動物を徹底的に観察することで学び演じた。「指輪物語」2001-2003のゴラム、「アベンジャーズ」2015、「ブラックパンサー」2018でも彼は活躍している。顔と体格だけで人気役者になるクズも居れば、彼の様に本当に映画技術を支える役者も居る。そんな、役を演じることを誰よりも理解している彼が監督をした。
この映画は、プロヂューサーのジョナサン カベンデイシュの両親の話で、実話だそうだ。映画の中でもジョナサンが親子として出てくる。映画の中でのエピソードは全部実際にあったことだそうだ。

ストーリーは
1958年英国植民地下のケニア。
兵役を終えたロビンは、その仲間たちとナイロビで茶葉の貿易商として生活をスタートさせる。ナイロビの英国社会では社交は最重要、、クリケット、テニス、お茶の会などで、英国人同士の親密な関係を築いていた。ロビンは美しいダイアナに恋をして結婚する。しかし幸せな結婚生活が始まり、ダイアナが妊娠したばかりの時に、突然ロビンにポリオの病魔が襲い掛かる。ロビンが28歳、ダイアナが25歳のことだった。
ロビンは、ポリオで首から下はすべて四肢麻痺し、自発呼吸も発語も嚥下も出来なくなり、余命わずかと宣言される。人工呼吸器が止まったら2分で窒息死だ。傷心のダイアナは出産後、英国にロビンと赤ちゃんを連れて帰国する。

首から下は麻痺して動かすことも感じることも出来ない上、自分で呼吸さえできないロビンは繰り返し妻と子に自分を見捨てるように頼む。それができないなら、家に帰って家で死にたい。病院でロビンの看護を見ていて、ダイアナは、電動の人工呼吸器を据え付ければ自宅でロビンを看護することができると思いつく。古い屋敷を買い取り、友人たちの手で家を改装する。電動呼吸器で命をつないでいるロビンの移動中は、手動の呼吸器で直接空気を肺に送ることができる。病院で医師の反対を押し切って退院したロビンのために、友人たちは、ベッドに車をつけて車椅子を発明(!)、さらに車椅子ごと移動できる大型自動車も改造する。このときの友人でもあったテデイ ホール医師はオックスフォードの教授であり車椅子の発明者とされている。当時の人工呼吸器つきの車椅子は、医学常識を覆し、先進的な医療機器の開発に貢献した。ロビンとダイアナ一家は外国旅行にも出かけ、ドイツなど医療界に、四肢麻痺患者として啓蒙活動を行った。

長年人口呼吸器を取り憑けていたロビンの肺へのダメージは大きかった。肺水腫から肺血腫を起こし、気管切開から失血するようになるともう治療法がない。ロビンが64歳になった時のことだ。しかし、妻子が人口呼吸器をとめることは、間接殺人になるのでできない。よくロビンを理解している医師は、妻と息子にアリバイを作るために外出させ、その間にロビンの希望通り投薬して去る。家にもどってきた妻と息子にロビンは笑顔でサヨナラを言ったとき、静かに呼吸が止まる。というストーリー。

最後の尊厳死。当時は違法だが、今ではこのような状態での尊厳死は多くの国や自治体で認められてきている。その「自治体に2年以上居住し、半年の余命であると2人以上の医師によって診断され、痛みの症状が耐え難い場合」という、条件付きでビクトリア州などでは尊厳死が許されている。しかしいまだにニューサウスウェルス州のように、尊厳死が違法の自治体も多く、早急な法整備が望まれる。いまやっと、医療界では生きるためのクオリティが、ただ延命させることよりも大切だという認識が広がってきた。病院の医療器具に縛られて延命させるより、患者の意志と尊厳を優先する、という人が生きる為のあたりまえの権利を、無条件で支持したい。

ポリオは全世界で猛威を振るった。急性灰白髄炎。ポリオウィルスは感染すると血流にのって脊髄を中心とする中枢神経を冒す。昔からあって沢山の人が死んだ。1960年は、日本でポリオが大流行した年だった。全国で報告された数だけで、6500人の患者が出て、日本ではまだ生ワクチンがなかったためソ連とカナダから緊急輸入されたワクチンを1300万人の子供達に一斉に投与された。並んでワクチンを飲んだこの時のことをよく覚えている。
小学校で一緒だった友達も両足に麻痺があり曲がった足で松葉杖をついていた。思い返してみると、私が知っているポリオ患者はみんなお金持ちの子供だった。高額の治療費、リハビリなど支払えないような患者は、みな成長する前に淘汰されて、生き残れなかったということだろう。恐ろしい時代だった。

戦後20年経ってやっと国産のポリオワクチンが定期接種されるようになって、日本では1972年を最後にポリオ患者は出ていない。予防注射がいかに大切か。予防接種を甘く見てはいけない。今年は米国など先進国で麻疹が大流行した。ベイカン、自然食、予防接種を受けない自由な子育て、などなど、、馬鹿を言ってはいけない。愚かな親は愚かな子しか作れないが、予防接種をしないでいた子供が予防接種前の小さな子供を感染させて殺すことを考えたら、予防接種しないことは殺人罪でもある。要は予防接種には必ず0.3%くらいの重篤な副作用の出る子供がいることだ。どんな良薬でも副作用は避けられない。そういった子供の診断を慎重に行い、国の責任で副作用の出た子供の治療を徹底することだ。それを避けるから予防接種を避ける親が出てくる。予防接種の副作用を訴える親達を否定する官僚どもも、接種を拒否する親も、みんな狂犬病予防接種を受けていない野犬たちの檻で1週間一緒に暮らしてから、そのあとでまだ生きていたら予防接種について話し合いのテーブルに付いて頂きたい。

映画に出てくる「鉄の肺」が多くの命を救った。鉄でできた棺桶のような、サブマリーンのような容器から頭だけ出して、中で陰圧と陽圧を交互に送り、自発呼吸できない患者の肺に空気を送る。高価な治療機械だから誰でも中に入って延命できるわけではない。映画の中で1970年初めにドイツの医療機器の最も整っている病院で何十台もの「鉄の肺」から頭を出している患者が整然と並んでいるシーンが出てくる。今では医療博物館でしか見られない。

ロビンは気管切開をしながらも、気道を塞げば会話ができて、口から飲んだり食べたりすることも出来るようになった。しかし電動呼吸器をとりつけるために気道切開している患者には、定期的に痰を吸引しなければならない。怠ると気道が塞がってしまって呼吸できなくなる。吸引はやる側とやられる側とのタイミングだ難しく、下手な人がやると窒息して死に至る。痰を吸い取り、そのチューブを清潔にしておくことは肺炎や誤飲を予防する為にも必須だ。麻痺患者の嚥下は、横を通る気道の邪魔になるから柔らかい流動食に近い者しか食べられない。だから便も柔らかい。麻痺で便通をコントロールできないから日に2回くらいは出る便を取り、尿を取り、臀部を綺麗にするだけで重労働だろう。老人介護をしている人は、食事の介助だけでなく、便と尿と痰の吸引で、身体的過労だけでなく心理的、精神的なダメージを受ける。一人二人でできることではない。こういった介助を文句言わずにやってきたダイアナの努力には驚かされる。仮に、妻は夫に従い、一生尽くすことが常識だった時代であったにしても、ダイアナの常識を超えた愛情には頭が下がる。

ケニアという植民地で商売をして暴利を得ていた富裕層だったことや、ロビンをとりまく妻や友人たちがケニアで自由な暮らしに親しんでいたために、保守的なイギリスの慣習に縛られずに済んでいた、という背景はあるだろう。それを差し引いても感動するのは、妻ダイアナの自由な発想だ。病院で死ぬより自宅で死にたいというわがままな夫のために手動呼吸器を抱えて家に連れ帰る勇気、生かすも殺すも自分の責任、と割り切って家に連れ帰るだけでなく外に連れ出し、夫と同じ車椅子を他の入院患者のために量産させ、外国旅行にも連れて行き、遅れた医療界の教育にも貢献する。こんな夫婦を理解する医師や友人たちとの心の交流、すべて感動につながる。

オール英国人スタッフと役者ばかりで、英国で撮影された映画で、ひとつもハリウッド文化が混じっていない。英国人らしいユーモアに満ちた会話の数々。アンドリュー ガーフィールドの首から下を全く動かせない演技が素晴らしい。友達に「おまえどっか動けるの?」と聞かれて、眉を上下させ次々と顔を動かしてみせる彼のひょうきんさと、その表情の豊かさ。生まれたばかりのジョナサンが顔の横に置かれたときの、うれしくて悲しい顔。大出血に茫然とするジョナサンに、「大丈夫だから、大丈夫。」と言い聞かせる父親の顔。さすがシェイクスピア劇団出身の役者。

28歳で死ぬはずだった夫が、25歳の妻に、「俺のことは忘れろ、君はまだやり直せる」といった言葉の方が真実に近かったろう。社会常識を破り、医療常識を打ち破り、法に逆らって、夫との愛に生きた強い女性ダイアナは立派だ。現実にこのような母親がいることを、映画プロデューサーのジョナサンは世界にむかって言っておかずにはいられなかったのだろう。これが僕のお母さんなのだ、と世界に向かって誇ってみせずにはいられなかったのだろう。心から同意する。
力強い、美しい映画だ。

2019年9月29日日曜日

映画「アド アストラ」


地球はソーラーシステム(太陽系)の惑星の一つで、太陽の重力に支配されて太陽の周りを24時間で1回転しながら公転している。地球のほかには、マーキュリー(水星)、ヴィナス(金星)、マーズ(火星)、ジュピター(木星)、サターン(土星)、ウラヌス(天王星)、ネプチューン(海王星)の7つの惑星が、ほぼ同じ平面状で、円形に近い円軌道にのって太陽の周りを公転している。学校の科学の時間に、太陽から近い順に、水、金、地、火、木、土、天、海、瞑、(スイキンチカモクドテンカイメイ)と記憶させられたが、最後のプルート(冥王星)は、サイズも質量もほかの惑星とは異なることが分かって、2006年に国際天文学連合会で、惑星の分類から外された。プルートは、アメリカで人気漫画の主人公の犬の名前になっているし、根強い人気のある惑星だったので、ソーラーシステムのプラネットの仲間ではなくなったことで随分と論争が続いた。
ウラヌス(天王星)も)、ネプチューン(海王星)も、氷でできた惑星だ。サターン(土星)には大きな輪が付いていて、輪の厚さは150メートル、小さなチリや岩石の混じった氷の粒子からできている。月は、地球のまわりを回る、唯一の衛星で、地球の3分の1の大きさだ。

この映画の時代背景は「近未来」。宇宙飛行士ブラッド ピットが月から火星へ、そして木星、土星を通り過ぎて、父を探して海王星まで旅行する。浮遊感のある宇宙で、音のない空間に浮かんでいる惑星の姿が、それぞれとても美しい。赤い火星、輪のある土星、青い海王星がことさら美しく感動的だ。

原題:「AD ASTRA」(TO THE STAR)
監督:ジェームス グレイ
キャスト
ブラッド ピット  :ロイ マクブライド少佐
トミーリージョーンズ:マクブライド司令官
ドナルド サザランド:ブルイット大佐
ルス ネッガ    :ヘレン ラントス
リブ テイラー   :エバ マクブライド

ストーリーは
30年前、マクブライト司令官はクルーを率いて宇宙に生命体を探索に出たまま帰らなかった。16年前に彼らが海王星に到着したことまではわかっているが、その後消息が絶えてしまった。リマ計画とよばれるこのプロジェクトは、何かの事故で宇宙船乗務員は全員死亡したものと判断され、マクブライト司令官は国民的ヒーローとして尊敬され人々に記憶された。当時幼かった息子のロイは、父親のあとを追って自分も宇宙飛行士になった。

ある日、ロイが宇宙基地で訓練中、突然原因不明の電流(セージ)が襲い犠牲者が多数出たが、ロイは九死に一生を得る。怪我が癒えたころロイは、米軍本部に召還され、大佐から意外な命令を受ける。リマ計画の責任者だった父親は、16年前に姿を消し死亡したものと思われていたが、海王星で生きているらしい。突然地球を襲った殺人的セージは、海王星に居る父親が意図的に地球に送信しているらしい。それは宇宙に残っていた反物質(anti matter)のパワーを利用したもので、このエネルギーは途方もない破壊力をもち、制御不能な連鎖反応は、ソーラーシステムを全部破壊する恐れがある。ロイは火星まで行って、父親とコンタクトを取って欲しい、という命令だった。米軍首脳部は、マクブライト司令官が意図的に反物質を使って地球を攻撃していると考え、ロイを火星に派遣して父親をおびき出して殺して、彼のもくろみを破壊しようと考えていた。ロイは、亡くなったと思い込んでいた父親が生きていると言われて、半信半疑で命令されるまま父親探しに宇宙船、ケフェウス号に乗る。

ロイはかつての父親の親友だったというブルイット大佐とともに月の宇宙基地に行くが、月の資源を奪おうとする盗賊団に襲われてクルーのほとんどを殺される。ブルイット大佐も怪我をして一緒に火星まで行けなくなった。ロイは一人で火星に到着、軍に命令されるまま父のいる基地と交信し、軍に与えられたメッセージを読んだ。毎日それを繰り返されて、ロイは、とうとう自分が父親に向かって話しかけていると思うと、感情が勝って子供だった自分が父親にしてもらった思い出などを語り掛けることを止められなかった。それがもとでロイは軍の任務から解任される。ロイは基地の中でヘレンと言う娘に出会って、父親が写っている秘密のヴィデオをみせてもらう。彼女は父親が司令官だった隊員を両親のもった、火星生まれの女性だった。彼女の助けを借りて海王星に向かうケフェウス号に忍び込むが、船内でロイを排除しようとする3人のクルーを揉み合いになって、3人は死んでしまう。ロイは一人で海王星に行く。

海王星でロイを待っていたのは父親ただ一人だった。クルーは、司令官と意見の違いから反乱をおこして全員死亡していた。この争いのために損傷をうけた基地に反物質装置が発動して、地球にサージを引き起こしたのだった。宇宙に生命体は居ないことがわかった。ロイは父親を説得し宇宙服を着せて、海王星基地を脱出し、ケフェウス号に乗船しようとする。しかし父親は自ら命綱を絶ち宇宙空間に去っていく。
というおはなし。

ストーリーはメロドラマ。浪花節っぽい。息子が父の汚名を晴らそうと、父親探しの旅に出て一緒に帰ろうとするが、それがかなわない。哀しい息子の、父を慕う気持ちと、立派になった息子を見て、もう思い残すことはないと自ら去っていく父親。
ブラピが万感の思いで、口を閉ざしうつむく父に宇宙服を着せるシーンには泣ける。ブラピファンはここで号泣する。お父さん、あなたを尊敬していました。お父さんに誇ってもらいたくて今まで頑張ってきました。そう訴える息子の悲しみに満ちた目。ピットの感情を極力抑えた哀しい顔って、世界一哀しい顔だ。

それにしてもストーリーが、つっこみどころ満載。
宇宙船が損傷をうけたために反物質が発動して、海王星発、地球行きの、太陽系をまるごと破壊するほどのセージが襲う、それで人類全滅って、ちょっと無理な科学論理かもしれない。また最後にロイは、空気の無い宇宙なのに、宇宙に浮かんでいるケフェウス号で搭載していた原子爆弾の爆発波で、海王星から地球まで帰って来るって、いうのもちょっと無理っぽい。また、16年間たった一人で海王星で壊れた宇宙船で生き残っていた父親は、何を飲んで何を食べていたのだろうか。帰り、ロイは海王星から直接地球に帰って来たのに、行きは月に途中下車してクルー全員盗賊団に襲われて死んだりしたのは、まったく無駄な寄り道だったのか。月で襲った盗賊団はクルーを殺しただけで何も奪うものなど無かったうえ、自分達も全滅したが、それもただの無駄死になのか。なにか意味があったのか。また月に行く宇宙船で、殺人ゴリラが、飛行士の柔らかい体でなく宇宙服の強力なヘルメットを食い破り、顔を攻撃して殺しているがそこに意味があったのか。また殺人ゴリラ2頭は、なにを食べて宇宙船の中で生き残っていたのだろうか。それにしても殺人ゴリラの登場は、「エイリアン」の怖さに比べたら、全然まったく怖くなかった。

それと後ろ姿と横顔しか画面に出てこないロイの妻は、映画の初めのシーンで鍵を置いて出ていくところで始まって、映画の最後で戻って来るが、どうして? 別れようとしたり、もどってきたり、もうどっちでもいいからはっきりしなさい。
総じて、ストーリーに筋が通っていなくて、子供っぽくで、宇宙科学の知識に乏しい。役者は良い役者を使っている。しかし、84歳のドナルドサザランド、73歳のトミーリー、55歳のブラッド ピット、この映画の主役3人の平均年齢が70歳って、どうなんだろう。映画界は本気で若い優秀な役者を育てようとしていないのではないか。困ったことだ。

宇宙の画像は、「ゼロ グラビテイー」(2013)よりも、CGやモーションピクチャーの技術が進んでいるから、ずっと良い。でも同じように命綱で結びあってるブラピの鎖を自ら外して宇宙の藻屑として消えていくトミーリーよりも、「ゼロ グラフィテイ」で同じようにサンドラ ブロックの命綱を自ら切って、宇宙の闇に消えていったジョージ クルーニーを見る方が、はるかに悲しい。
この映画を「宇宙の旅」(2001)と「アポロ13号」(1995)と「インターステラ―」を足して割ったような映画だという人が居たが、私の目には、この映画は、人情っぽい中村宙哉の漫画「宇宙兄弟」と、ひとりきり宇宙で危機に立ち向かうサンドラ ブロックの名作「ゼロ グラビテイー」に限りなく近い。漫画「宇宙兄弟」も今や佳境に入って、太陽の異常フレアで、月に取り残されたNASAのムっちゃんを、ロシアクルーの弟ヒビトが救えるか、救えないのか、、、とても大事なところで、とてもわくわくして次作を待っているところだ。

空は無限に高い。宇宙は広くて大きい。宇宙の写真や画面を眺めるのが大好きな人、宇宙遊泳をしてみたい人は、この映画見逃してはいけない。月から眺めるブルーマーブル(地球)の美しさ。赤い火星、輪のある土星、巨大な木星。音の無い世界で確かに浮かんでいる蒼い海王星の美しさは、言葉に変えられない。美しい惑星の横で宇宙を浮遊するを飛行士の姿を映す映像で、ベートーベンの「月光」が静かに奏でられている。感動的だ。

2019年9月9日月曜日

映画「ワンス アポンアタイム イン ハリウッド」

ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD
監督:クエン タランティーノ
キャスト
レイナルド デカプリオ:リック ダルトン
ブラッド ピット   :クリフ ブース
マーゴ ロビー     :シャロン テイト
デイモン ヘリマン   :チャールズ マンソン
アル パチーノ   :マービン シュワーズ
ストーリーは
1969年 ハリウッド。
リック ダルトンはアクションヒーローもので売れっ子のテレビ番組の俳優だ。テレビの仕事がマンネリ化してきて、映画界で活躍したいと思っている。ヒーロー役ばかり演じて来たが、実はクソ真面目で、繊細で、泣き上戸。演技が上手くいかなかったと思い込んで落ち込んだり、台詞が上手く覚えられなくて自信を失ったり、不安神経病ともいうべき性格で喜怒哀楽が激しい。仲間と一緒にいると豪胆だが、一人きりになると頼りない。落ち込んで8歳の子役に肩を抱かれてなぐさめられて、やっと立ち直れたりする愛すべきキャラだ。有名俳優の邸宅が立ち並ぶ高級住宅地ベルエアの高台に住んでいるその隣には、ロマン ポランスキ監督と女優のシャロン テイトが住んでいる。リックのスタントマン兼、運転手のクリフは唯一無二の親友だ。

クリフは9年間余り、リックのためにスタントマン、運転手、ガードマン、付き人として働いてきたが、リックと反対に感情を表に表さないクールな男だ。スタントマンとして撮影ごとに移動できるようにトラクターで生活している。いっこう家を買って定住したり、結婚するわけでなく、人気役者になりたいわけでなく、愛犬のピットブルと一緒に気楽な生活をしている。もっぱら腕力が強く、関係者の間では、妻を殺したことのある男として、ちょっと有名だ。体に自信があるから怖いものなし、失うものもないので不安も不満も持たない。リックとの友情に篤く、クールな男の中の男だ。リックとクリフは二人、泣き笑いを共にして夫婦や兄弟よりも強い絆でつながれていた。

ある日、クリフは待ち時間に、ブルース リーと口争いをしたすえ格闘技で喧嘩する結果になってしまって、スタントマンの仕事を会社から解雇される。そんなクリフは、リックを撮影所に車でドロップしたあと、ヒッチハイクしていたヒッピーの少女を拾う。彼女はジョージと言う名の男が主催するコミューンに住んでいるという。ジョージはむかしクリフと一緒にスタントマンをやっていた仲間だった。しばらく顔を見なかったが、昔使われて、廃墟になった撮影場所に住み着いて、家出少女を集めてコミューンを作ったらしい。会いに行くとジョージはすでに盲目になっていて、クリフのことを覚えても居なかった。

6か月経った。リックはイタリア人監督の強い勧めで、ヨーロッパに渡りマカロニウェスタンのヒーローとして映画に出演し、そこそこに成功して、ハリウッドに帰って来た。共演したイタリア女優フランチェスカと結婚していた。クリフに空港で迎えられ、家に戻ったリックは、クリフに苦しい心の内を打ち明ける。イタリア映画界で作ったお金で結婚生活を続けることはできると思うが、ハリウッドの一等地で今まで所有してきた家を維持するほどの力はない。まして昔の様に、クリフをスタントマン兼、運転手として給与を払っていくことができない。9年間の二人の友情と結びつきが、役者として落ち目になってきたリックには限界に達していた。そこで二人の男達は、お別れに、昔からよくやっていたように飲み明かそうということで一致した。1969年8月9日のことだった。

二人はレストラン食事をしたあとリックの家に戻り、飲み直す。武装した3人の男女が家に押し入った時、リックはプールに浮かんで飲みながら、イヤホンで音楽を聴いていた。クリスは犬の散歩から帰ったところで、昔ヒッピーからもらったマリファナを吸っていて、物が二重に見える状態だった。クリスに向かって、男が銃を構え、2人の女たちがナイフを持って飛び掛かって来る。彼らは、カルトの主、ジョージから、昔テリー メジャーが住んでいた家に行き、家にいる住人をすべて殺してくるように命令されていた。クリスとピットブルは、強盗達に立ち向かい、男と女ひとりを始末するが、クリスは重傷を負い倒れる。一人の女は何も知らずにプールで浮かんでいるリックをアタックした。リックはとっさの判断で映画で使ったことのある火炎放射器で狂った女を始末する。救急車と警察が到着し、怪我をしたクリフを病院に搬送する。

警察も救急車もすべて立ち去った後、となりの家からポランスキーの友人、ジェイ セバングが出て来て、リックになにが起こったのか問う。リックの家に強盗が入ったことを知って、シャロンはリックを自分に家に誘い入れる。シャロンと、その友人夫婦とリックの5人がにこやかに、ポランスキー邸に入る後ろ姿で、映画が終わる。1969年8月9日深夜のことだった。
というストーリー。

人々はこの日、シャロン テートの家で彼女を含む5人が惨殺されたことを知っている。それを前提として映画が作られている。

クエン タランテイーノの9作目の監督作。彼自身の思い出と郷愁のつまったハリウッド物語だ。1969年、彼は、ロスアンデルスに住む6歳の子供だった。映画好きな母親に連れられて映画を子守唄代わりに育てられたそうだ。1969年あの時代が再現されている。60年代の車、大型のキャデラックやフォードやムスタングが走り、映画館には制服を着た売り子と、正装した支配人がちゃんと居る。ハリウッドの撮影所も規模は大きいが、すべて手造りで劇場を大きくしたようなものだ。スターたちが使うトレーラーも、キャンピングカー程度の出来だ。スターたちのあこがれの坂上の高級住宅 ベルエアの邸宅も今アメリカ映画に出てくる豪邸とは比べ物にならない、普通の家よりちょっと大きめ、という感じだ。当時からセレブが集まったプレイボーイハウスも、それほど派手ではない。すべてが60年代のアメリカの姿で、リバイバルされている。この時代のハリウッドを知っている人にとっては涙ものだろう。

この映画は言うまでもなく1969年8月9日深夜に起きたシャロン テート事件を核にしている。この事件はあまりにもおぞましく、この50年間人々は誰も口にしたがらなかった。思い出したくもなかった。でもこのとき6歳だったタランテイーノにとっては、ハリウッドで生活してきて彼なりの解釈とおさらいをしておきたかったのだろう。彼はシャロンについて取材し、誰に聞いてもシャロンのことを悪く言う人は一人として見当たらなかった、と言う。文字通り天使のような女性だったシャロンが、監督と結婚して妊娠して人生のもっとも美しい喜びに満ちた日々を送っている姿に、新たに命を吹き込みたかったのだろう。
現実では当時、ポランスキーは仕事で海外に居た。シャロンは3人の友人と、通りすがりだった男の5人が一緒に、チャールズマンソンを盲信するカルト信者の3人の男女によって惨殺された。当時26歳で妊娠8か月だったシャロンはナイフで16か所刺されシャンデリアからつるされ、血でPIGと書かれた床には、生まれることのなかった男の胎児が落下してる姿で発見された。

チャールズ マンソンは音楽家だった時もあり、自作の曲を何度もメジャーデビューさせようとテリー メルジャーに頼み込んでいたが、成功しなかったことで、テリーを恨んでいた。テリーが以前、住んでいたのが、ポランスキーとシャロン テートが移り住んできた家だった。犯行の動機はそれ以外には考えられない。マンソンはまともな教育を受けおらず、子供の時から犯罪行為で警察と矯正施設を行き来していたが、自作の曲、数曲はレコーデイングされていて、ビーチボーイズやほかの音楽家との交流もあった。家出少女やヒッピーを集めてコミューンを作り、LSDで信者を洗脳し、聖書を自分流に作り直しカルトを作り出した。1969年の無差別殺害を首謀したことで収監され、2017年に83歳で獄死した。
シャロン テート事件はあまりに凄惨な事件で、LSDと、ベトナム進駐で汚染されていたアメリカの姿を映し出した。歴史を変えることはできないが、タランテイーノはハリウッドを愛する者として1969年を描き直したかったのだろう。

さすがにレオナルド デカプリオとブラッド ピット2大スターの息がぴったり合って居る。演じているリックとクリフと、本人たちの性格がかぎりなく本物に近いそうだ。レオナルドのくそまじめで、喜怒哀楽が激しいところと、ブラピのクールなところがそのまま映画でも表現されている。リックが、映画で何度も「おまえ俺の親友だろう?」と、確認するように言うたびに、クリフが、鷹揚に「I WILL TRY。」と答えるところなど、二人の性格の違いががよく表れている。インタビューで、「二人は本当に実生活でも親友なの?」と聞かれて、レオナルドが、生真面目に言葉を選んで言葉に詰まっているところを、ブラピが、即座に「撮影中8か月も一緒だったんだぜ。トイレもシャワーも食堂も8か月間、一緒に使ってたんだから、当然でしょ。」と答えていた。こんな自然なやりとりも映画のようで興味深い。

リックはテレビシリーズでいつもヒーローだが、映画界で成功したい。にも拘らず監督が持ってくるのは、マカロニウェスタンの悪役だ。すっかり落ち込んで泣き顔のリックを家までクリフが送る。その二人の目の前で、ポランスキーとシャロンが幸せそうにスポーツカーで去っていく。途端にリックが「おい、見たか?ポランスキとシャロンだぜ。おい、おい、本物だぜ」と、高校生のようにはしゃぎだして元気になるリック。落ち込んだ親友の慰め役だったクリフが、すっかり鬱から回復したリックを見て「やれやれ」と、リックの肩をたたいて別れるシーンなど、笑わせてくれる。

リックが西部劇でメキシコ国境の酒場での撮影中、台詞を忘れるところもおかしい。リックが、トチっても全く表情を変えずにいるカウボーイを前に、忘れた台詞が出てくるまで大汗かいてシーンのやり直しを繰り返す。こういうデカプリオの一生懸命なとき、役者魂が乗り移ったような 凄みのある演技をする。良い役者だ。
クリフは、リックの頼みで屋根に上って、裸になってテレビアンテナを直すシーンがある。50代になっても贅肉ひとつついていない、引き締まった青年のような体が美しい。また、格闘技のすばやい身のこなしも素晴らしい。背も体格もデカプリオの方が大きいが、ブラピのアクションのキレは、日々の厳しい鍛錬の結果だろう。立派な役者だと思う。

シャロン役のマーゴ ロビーがフォックススタジオの映画館で自分がデイーン マーチンを共演した「THE WRECKING CREW」(サイレンサー第4破壊部隊)19868が上映されているのを見て受付嬢に「私この映画に出てるのよ。」と思わず嬉しくて言うシーンがある。映画のためにポスターの前でポーズをとったり、上映中人々がおかしくて笑うところで、その反応を喜んだり、上映が終わってルンルン気分でアニストンを運転して帰る姿など愛らしい。タランテイーノ曰く、「天使のような子」が、光り輝いている。「ミスターロビンソン」の音楽に合わせて膝上20センチのミニスカート、ブーツ姿で歩く様子も生きている喜びに溢れている。このシーンのモチーフは、タランテイーノ自身がこんなふうに、自分が脚本を書いた映画を上映している館を見て、思わず案内嬢に「この映画の脚本は僕が書いたんだ。」と気が付いたら言っていた、という経験かたきている。自分がつくったものが、世に出て自分の手から離れて、人々を楽しませていることを知って嬉しい。そんな気持ちがわかる。

テレビは長い事アメリカでも日本でも、メジャーエンタテイメントだった。人々は仕事から家に帰ると食事をして家族そろって連続ドラマや、古い映画を観たものだった。この映画でも何人もの人に、日曜は、「FBI]と、「ボナンザ」を見る予定、と言わせている。自分も「ボナンザ」が好きだった。「ローハイド」、「ララ三―牧場」、「ルート66」、「サーフサイド6」、「シュガーフット」、「パパは何でも知っている」、「ベン ケーシー」、「キルデイァ先生」なんかもあった。

さて1969年は良い時代だっただろうか。自分はベトナム反戦のデモで逮捕されたのが、前年の1968年。大学1年で未成年だった。逮捕されたらしい、と家に赤電話に10円を入れて父に伝えたのは、明治で救対をやっていた重信房子と遠山三枝子だった。女もののジーンズなど無かった時代。二人ともスラックスというものを履いていて、限りなくダサかった。赤いヘルメットなど被ってアメリカ大使館に石を投げるよりは、三上治の考えていたベトナム義勇兵としてベトナムに飛んで、米軍と戦うことが本当のサヨクなのではないかと思っていた。沢山の大切な友人が拘留され、沢山の友人が自殺したり殺されたりした。良い時代ではなかったし、それに伴う胸の痛みを一生抱えていくしかない。

タランテイーノは自分なりの1969年を描いた。しかし現実は1969年には、深刻なベトナム戦争による弊害で、アメリカ社会は潰れそうだった。まだPTSD(戦争後遺症)といった概念はなかった。それにまだアメリカには徴兵制があった。血を見たこともなかったような子供みたいに純真な若い人々が徴兵でベトナムに送られ、ベトナムの女子供を殺すように教育されたのだ。LSDなどのドラッグが、あっという間に蔓延するのは当然だった。おかげで今では銃も、ドラッグも自由に手に入る。1969年が良い時代だったかどうか、答えはひとつではない。

現実の話ではない。だから楽しい映画だ。

2019年9月1日日曜日

新海誠の「天気の子」

アニメーション映画「天気の子」
英語題名:「WEATHERING WITH  YOU」
作:新海誠
音楽:野田洋次郎 RADWIMPS
登場人物
森嶋帆高:16歳 高校一年生
天野陽菜:15歳 中学生
天野凪 :小学生 陽菜の弟
須賀圭介:ミニコミ雑誌所有者
須賀夏美:圭介の姪 雑誌社の雇用員
ストーリーは
16歳の帆高は、住んでいた伊豆諸島神津島での生活と学校から逃れて、家出して東京に出てくる。上京するときの船で、須賀という男と知り合い、困ったことがあったら訪ねて来るようにと名刺を渡される。帆高は新宿に来てみたものの、身分証明書なしでは仕事が見つからず、ネットカフェで暮らすうち、マクドナルドでバイトをしている少女にハンバーガーをご馳走してもらう。しかし、仕事は見つからず所持金に事欠いた帆高は、ネットカフェにも居られなくなって、名刺を頼りに須賀を訪ねる。須賀は姪の夏美と二人で、街のjミニコミ情報誌を作っていた。訪ねて来た帆高に、須賀は事務所に住んで編集を手伝うように言う。見よう見まねで編集を手伝ううち、ある日、帆高は、マクドナルドでハンバーガーを出してくれた少女が、人相に良くない男達に囲まれているところに出くわし、とっさの機転で少女の腕を掴んで男達から引き離して逃げる。少女は陽菜と名乗り、母親を亡くしたあと小学生の弟、凪と二人で暮らしていた。

2021年の夏は、毎日が雨だった。帆高は陽菜が一時的に天気を晴れにすることができる特殊な能力があることを知る。陽菜は亡くなった母親が病院に居たとき、雨ばかりで気が沈むので母のために雨が止むように祈りながら、ある古いビルの屋上の神社の鳥居をくぐった。それ以来、陽菜が強く願うと空が晴れてくるのだった。
帆高はこの陽菜の特殊能力を、ウェブサイトで宣伝して生活の糧にする計画を考え付いた。毎日雨ばかりで困っていた人達は、このウェブサイトの「晴れ女」を見て、自分たちの特別の日を晴れにしてもらう依頼をするようになり、二人で始めた「晴れ女「のビジネスは順調に稼働するようになった。

しかし以前に、帆高が人相の悪い男達から陽菜を救い出した時、男達が持っていた拳銃の引き金を引いてしまったことが警察に知られ、刑事たちが須賀の事務所を訪れる。帆高は身元が分かってしまうと、家出してきた実家に引き戻されてしまう。また陽菜は未成年で小学生と二人で住んでいることが警察に知られると、姉弟が引き離されて施設に引き取られることになる。帆高と陽菜は凪を連れて逃亡して、3人はホテルに泊まる。ホテルで自動販売機の食べ物や、カラオケで楽しんだ後、陽菜は帆高に、自分の体がだんだん透明になってきたことを告げる。須賀夏美が「晴れ女」について取材して得た知識では、「晴れ女」について哀しい言い伝えがあり、空を晴れにするたびに晴れ女は人柱として体を空に奪われていくのだと聞かされていた。陽菜の懸念どおり、翌朝目が覚めてみると、帆高の横に眠っていたはずの陽菜の姿は消えていた。

陽菜が人柱になったことで、長雨がずっと続いていた東京は、嘘のように晴れ上がっていた。人々は太陽の光を見上げて喜んでいた。しかし帆高はこの晴れが、陽菜の犠牲によって起きたことを知って、警察の追跡を振り切りながら、陽菜がくぐったというビルの屋上の鳥居に向かう。夏美のバイクに助けられ、刑事たちの行く先を妨害する須賀に助けられながら、帆高は懸命に走り、屋上の鳥居をくぐる。一瞬の間に帆高は空に舞い上がり、雲の上にいた陽菜を見つけて救い出す。二人は一緒に地上に落ちて来て、再び東京は雨になる。やがて東京の低地地帯は水没し、人が住めなくなる。

雨は3年間止むことなく降り続き、警察の手にかかった帆高は、実家に帰されて学校に戻る。帆高は3年後、大学進学のために上京し、陽菜と再会する。
というおはなし。

英語字幕つきで街の映画館で観た。日本の映画がこのように、シドニーの街の映画館で上映されるのは、年に1本くらいだろう。だいたい英語圏に住む国民は字幕付きの外国映画を、どんな名画であっても面倒がって見ない。観客が入らないから上映しない。上映しないから外国文化への興味が薄い。とても残念なことだ。日本に居たときは、子供の時から字幕付きのロシア映画、フランス映画、イタリア映画などを見て来た自分にとって、ヨーロッパの国々の重厚な文化的な映画を観ることが出来なくなって悲しい。人が教養を積む、人が外国語を身に着けるということは、その国の文化を理解し、その国の芸術に触れ、その国の空気を吸うことだ。少しでもたくさんの国の芸術作品に身近に触れることが教育というものなのに。もっとオーストラリアでも、外国語映画を街で上映して欲しい。

昨年は、「万引家族」がカンヌ国際映画祭でパルムドールを賞与されたので、街の映画館で見ることができた。今年は韓国の映画「パラサイト」(寄生虫)が同じくカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したので、シドニーでも一般映画館で上映した。日本の「万引き家族」も、韓国の「パラサイト」も同じようにエグい作品だった。気持ちが悪い。人をあざむき、ごまかし、うらやみ、うらぎり、盗む。そうしながら自分の家族だけは強く結び合って愛し合っている、と言われても、私は信じない。他人をだましながら自分の子だけは可愛がる、ということができるほど、人は器用に出来ていない。自分の子を愛することは、他人の子も、世界の子供も愛すると言うことだ。韓国映画「パラサイト」も家族同士の結びつきが強く、貧しい自分の家族のために裕福な家族を滅亡させる話で、「万引き家族」よりも強烈な血の海を見せられて、嫌になった。どうしてこの2作がパルムドール賞受賞したのか理解できない。「万引き家族」の監督の初期の作品は良かった。「そして父になる」など、泣きすぎて溺れそうになる。「パラサイト」の主役も、「タクシードライバー」を主演した素晴らしい役者。日韓ともに、年に1本くらいしか一般の映画館で上映しないのに、こんな作品しか上映しないなんて、、。

それはともかく、新海誠だ。
新海誠の作品で一番好きなのは、「言の葉の庭」だ。これほど美しい自然描写のあるアニメーションを未だに他に観たことがない。
メガヒットになった「君の名は」では、彗星が落ちて来て一つの街が丸ごと消え去るが、神社の巫女の娘が街の人の命を救う。その娘、宮永三葉と、身体が時々入れ替わる少年、立花瀧も不思議なお神酒の力で蘇る。今回の「天気の子」では、人柱だ。何世紀前の話だ?神社の鳥居、お盆の迎え火、夏祭りの花火、昔は海だったという東京の下町、などなどノスタルジックだ。むかしむかし、あるところで、という日本のお伽噺が、現代っ子の少年少女を使って語られる。

ストーリーは前回の作品より単純だが、終わり方は同じ。昔、出会った少年と少女が数年後に再会できるほど、東京は狭くないと思うが、それでもハッピーエンドになると安心して、幸せな気持ちになる。登場人物が5人。それぞれ魅力的に描かれている。妻を病気で失い、妻の親に自分の娘を育ててもらっている須賀の生活力の無さ、頼りなさとその幼児性ゆえに、妙に家出少年帆高の理解者であるところや、帆高が懸命に走る姿に加勢するために、思わず警官に掴みかかっていくところなど、情にもろい、良い人に描かれている。夏美もなかなか就職できない女子大生だが、家出少年の力になってやることのできる良い人だ。
陽菜の弟、凪が小学生だが高校生の帆高よりも女性心理に詳しく、帆高から「先輩」と呼ばれている。凪は女性扱いを、よく心得ている素敵な子だ。幼くしてシングルマザーに育てられてきて、その母親に病気で死なれたのだ。思いやりがあり、細かい心使いに長けている、とても魅力的な子供だ。総じて、誰も悪い人が出てこない映画だ。
ただこの映画「言の葉の庭」に比べて、あまり共鳴できないのは。陽菜がどうして晴れ女になったのか、充分描かれていないからかもしれない。病気の母親のために空が晴れて欲しかった、という点がもっとストーリーに強調されないと、運動会や、初盆や結婚式のために晴れ女になって、ジャンジャンお金を稼いでいるうちに、身体が透明になって姿が無くなっていくことが、哀しく思えない。人柱は悲しい話じゃないのか。

しかしさすがに新海誠だ。画面が美しい。この人の絵は5感を満足させる。雨が降り始め、水たまりが出来、しずくが窓を伝い、木々が息を吹き返し、水滴で重くなった花が頭をたれ、草草がうずくまる。
雨を視覚でとらえ、音で雨の強弱を感じ、雨の匂いが立ちのぼり、木々に落ちる水滴が味わえ、雨を全身で実感することができる。とても確かな筆力だ。「言の葉の庭」は短編だが、「君の名は」より「天気の子」より、100倍美しかった。ストーリーも、音楽も、自然描写も、細かい筆使いも、高度だったと思う。作者が有名になる前の初期の作品って、どうしてこんなに良かったんだろう。

2019年8月25日日曜日

浦沢直樹の漫画「MONSTER」

「MONSTER」は、1994年から2001年まで「ビッグコミック」の連載され、後に小学館から1巻から18巻まで単行本で出版された。作家、浦沢直樹は、その前に、「YAWARA」全29巻、「HAPPY」全18巻、「MASTERキートン」全18巻、「パイナップルARMY」全8巻、など主に長編漫画で人気のある作家だが、「20世紀少年」、「21世紀少年」で爆発的な漫画界のスターになった。ほかに「PLUTO」や、「BILLY BAT」がある。中でも「MONSTER」が一番好きだ。

ちばてつやの「あしたのジョー」や白戸三平の「カムイ伝」で育ったが、今でもやっぱり一番好きな漫画は、井上雅彦の「スラムダンク」だ。それと、彼の「バガボンド」、「リアル」。あだち充の「タッチ」、石塚真一の「岳」、一色まことの「ピアノの森」、ヨシノサツキの「ばらかもん」、羽海野チカの「3月のライオン」など。

子供の時から長編の物語が好きだった。トルストイの「戦争と平和」、「アンナカレリーナ」、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」、ロマンロランの「魅せられたる魂」、「ジャンクリフトフ」、マルタン ヂュガール「チボー家の人」、ガルシアマルケスの「百年の孤独」など。母は死ぬまで大変な読書家だったが、子供の私が「戦争と平和ってどんなお話?」と聞くと、「みーんなみんな死んじゃうのよ。」という。「じゃあジャンクリストフってどんな本?」と聞くと、「男の話よ。」、「では魅せられたる魂は?」と問うと、「女の話。」「カルメンは?」「三角関係で死んじゃう話。」すべて返答は簡潔。会話にならない。だから自分で読むしかなかった。

ストーリーは
1986年ドイツ、デユセルドルフ。
日本人天馬賢三は、アイスラー記念病院の脳外科医。ハイネマン医院長の論文を読んで日本から研修に来て以来、他に追随を許さない天才的な技術と判断の良さとで次々と難しい手術を成功させ、高く評価されていた。謙虚で患者や仲間からの評判も良く、若さに違わず外科部長に就任するうえ、ハイネマン病院長の娘と婚約していた。

ある夜、救急室に呼ばれたドクター天馬は医院長の命令で、有名なオペラ歌手の緊急手術を行い彼の命を救命する。しかし隣の手術室ではトルコ人移民が命を落としていた。トルコ人はオペラ歌手が運ばれてくるずっと前から待たされていたが、天馬がオペラ歌手の手術を優先したために、貧しいトルコ人は死んでしまった。家族に責められて、ドクター天馬は良心の呵責に責められる。

ニュースで東独から亡命してきた東独貿易局顧問のリーベルト夫婦が二人の双生児アンナとヨハンを連れて、デユセルドルフに到着したニュースが流れる。しかし翌朝夫婦はナイフでのどを搔き切られて、死んで発見される。そばに居た双子の兄、ヨハンも銃による頭部挫傷で重体、一人生き残ったアンナはショックで口がきけない状態で病院に運ばれる。天馬は少年ヨハンの頭の銃創をみて、自分でなければ救命できないと判断する。しかし同じ時間に市長が脳出血で倒れ、病院長は天馬に市長の手術をするように命令する。天馬は迷った末、院長の命令に従わず、少年の難手術を行い救命する。が、病院長とわいろで結びついていた市長は、他の医師の手にかかり手術台で亡くなる。

怒った病院長は天馬の外科部長の役職を取り上げ、エヴァは婚約指輪を天馬に投げつけて婚約解消する。おまけに天馬は自分が救命したヨハンの主治医まで外されてしまった。天馬はまだ昏睡状態でベッドにいるヨハンの病室で、酔った勢いで、病院長たちみんな死んでしまえばいいのに、と愚痴る。
翌日病院長と、新しい外科部長と、ヨハンの新しい担当医3人が、毒入りキャンデイーを口に入れて死亡しているのが発見された。不思議なことに、アンナとヨハンの双子が失踪していた。3人の殺人事件は、ドイツ連邦警察のルンゲ警部の担当となる。凶悪殺人なのに何の証拠もあがらず、天馬にはアリバイがある。しかしルンゲ警部は、天馬が二重人格で本当は殺人犯なのではないかと疑い天馬を監視する。病院は何事もなかったように再開し、天馬は外科部長として多忙な生活にもどる。

9年経った。1995年
ハンブルグ、ケルン、ミュンヘン、4つの異なった場所で、子供のいない裕福な中年夫婦が、9年前の双子の両親が殺されたのと同じ、営利なナイフでのどを切り裂かれて殺される事件が起きた。4件とも共通して一人の男が、事件周辺で姿を見せている。ルンゲ警部は、その男を追って、デユセルドルフにやってくる。4件の犯行の鍵を握る男は、怪我をして天馬に救命される。しかし、男の入院中警備に当たっていた警官が毒入りキャンデーで殺され、男は病院の屋上で撃ち殺される。患者を追って屋上にきた天馬は殺人犯と対面する。殺人犯は9年前のヨハンであることを自己紹介したあと、天馬が殺したいほど憎んでいた病院長たちを殺してあげたのは自分で、それは天馬が自分を救命してくれた命の親だから恩返しにした事なのだ、と言って立ち去る。
天馬は自分が、生き返ってはいけない殺人鬼モンスターを蘇らせてしまったのだということを知る。天馬は病院を辞めて、ヨハンを追う。

ハイデルベルグ 1996年
今日で20歳になるアンナは、優秀な法学部の学生で将来検察丁の検事になりたいと思っている。彼女はフルトナー夫婦の間に生まれた娘だと思っているが、10歳以前の記憶を持たない。夫婦はアンナが20歳になる誕生日に、彼らが本当の親ではないことをアンナに伝えようと思っている。しかしアンナが誰かに呼び出されている間に、夫婦はのどを搔き切られて死んでいた。アンナは呼び出されてヨハンに会う。そこでアンナの記憶が呼び覚まされる。10年前ヨハンを銃で撃ったのはアンナだった。アンナはヨハンが善良な養父母を殺しているのがヨハンだったと知ってモンスターを処分するのは自分しかいないと思い込んだのだった。ヨハンを追ってきた天馬もアンナの心情を知る。再び姿を消したヨハンを追って、アンナ、天馬、そしてランゲ警部が後を追う。そして謎の極右秘密組織もヨハンを追っていた。ヨハンはその天才的な頭脳で、裏社会の銀行の頭取を務めていた。

天馬は東西ドイツ間の壁崩壊前の、旧東独貿易局顧問リーベルト宅を訪れて、彼らが亡命する前、ヨハンを511キンダーハイム孤児院引き取ったことがわかる。ヨハンは他の孤児院にいたアンナと一緒でなければ行かないと言い張ったので、二人はリーベルトの養子となった。キンダーハイム孤児院は崩壊前の東独の内務省による実験場だった。憐れみを持たない子供を実験的に作る場で、ヨハンが立ち去ったときに教官、孤児のすべてが殺し合って、生存者が一人も残らなかったのだったという恐ろしい孤児院だった。
さらにわかったことは、ヨハンとアンナは、東独で孤児院に引き取られる前、ふたりでチェコスロバキアの国境付近を瀕死の状態で彷徨っていた。唯一持っていたのがフランツ ボナパルタの描いた絵本だった。二人は「薔薇の館」から逃げて来たのだった。そこはフランツ ボナパルタの主催する秘密組織人間改造実験所で、母親から引きはがされて二人の双子は「薔薇の館」で育ったのだった。「薔薇の館」では実験研究者、患者の児童たち、チェコ政府の関係者すべてが、何者かの催眠にかけられたかのように殺し合って全員死亡していた。

10歳以前の記憶をもたないヨハンは、ここまでの事実を知って、フランツ ボナパルタを探して、ルーエンハイムという山に囲まれた小さな山村にやってくる。旧東独極右組織が、将来ヒットラーを再び蘇らせることのできるヨハンに心酔して、ヨハンを追ってやって来る。アンナと天馬とルンゲ警部ももちろんだ。村は大雨で道路が浸水し完全に村は陸の孤島になった。電話も通じない。ヨハンは、「薔薇の館」で研究員たちが全員殺し合うところも、511キンダーハイム孤児院で教官や孤児たちが殺し合い全員死亡するところも見て、また自分を育ててくれた養父母夫婦全員を殺して来た。チェコの研究所「薔薇の館」と、東独の孤児院で起こったことが、再び繰り返されるのか。
平和だった村で、善良な夫婦にとんでもない金額の宝くじが当たったことを知らされる。ヨハンによって村人たちに銃がばらまかれ、閉鎖された村の空気のなかで、銃など手に取ったこともなかった人々が、疑心暗鬼になって催眠術にかかったように銃を撃ち合い、あちこちに死体が転がっている。人々の恐怖が爆発しそうだ。

ヨハンを前にしてアンナは憎しみの連鎖を断ち切るために、ヨハンを許す。自分はすべて忘れて正しい道を歩む決意をする。天馬もヨハンを撃ち殺せない。
ヨハンは、人質にとった村の子供を撃とうとして、子供の親に撃たれる。フランツ ボナパルタは、自分が実験場を作ったことを詫びて、極右組織の手で殺される。ヨハンは州立警察病院に運ばれ、一件落着。
天馬は病院で昏睡状態のヨハンにさよならを言いに来る。国境なき医師団に入る予定だ。もうどうでも良いことだ、と思って、天馬はアンナとヨハンは小さなときに引き離された母親がまだフランスで生きていると言う。天馬が病院の門を立ち去る時、もうヨハンのベッドは空だ。
というところで終わる。

18巻の長編をまとめるのは容易ではない。書けなかった人物など50人くらいいるし、細かいデテールなど100くらいあって書ききれないけれど、この漫画の最後のシーンが一番好きだ。ヨハンのベッドが空だ。ヨハンは再び出て行って母親を殺しにフランスに向かったに違いないが、人によっては違う解釈もありだ。しゃれた終わり方だ。

この話で面白いのは、双子のアンナもヨハンも10歳以前の記憶がないことだ。自分達の本当の親も、自分たちの名前もわからない。アンナは、20歳まで愛情深い養父母に育てられて正義感の強い愛すべき少女に育った。しかしヨハンは自分の過去を憎み、自分のことを知っている養父母をすべて殺して来た。また自分を実験と研究の材料にしてきた秘密研究所や孤児院の関係者まで葬って来た殺人鬼だ。アンナとヨハンは善悪の対比の様に描かれている。しかし二人とも「薔薇の館」で育った経験を共有している。ヨハンを追う天馬とすれ違う時、アンナは天馬に「モンスターは一人じゃない。2人居るのよ。」と叫ぶシーンがある。アンナも催眠にかけられ、ヨハンのように残酷な殺人者になることもできるのだ。

浦沢直樹の悪い癖で漫画の連載が好評だと、話をふくらませてどんどんストーリーが広がっていって、読んでいるときは面白いが話が広がり過ぎて筋が合わなくなって、苦し紛れに登場人物の会話で、無理につじつま合わせするようなところも何か所かある。それは「20世紀少年」にも言えることだ。

しかしよくできた漫画で、特記すべきはこれが1994年から2001年に書かれていることだ。
20年前にはまだチェコのナチの逃亡犯をかくまったオデッサのような秘密友愛結社や、ヒットラーの再現を願うネオナチ団体も、元東独の極右秘密結社も、移民をアリのように平気で殺せるスキンヘッドも、社会の恥のように小さくなっていた。漫画ではヨハンの心酔者として描かれている連中だ。
それが、20年たった今では、性懲りもなく地中から這い出して、いまや政治の主流になりつつある。米国のトランプ大統領、ブラジルのボルソラノ大統領、フランスのマリーヌル ペン、イタリアのマテロ サルビ二、日本のおばかさん首相。ポピュリストは オランダ、ウクライナ、スウェーデン、ギリシャでも急激に勢力を拡大している。まるで浦沢直樹が、「MONSTER」で預言をしたように、極右のトップが世界を動かすまでに成長した。新たなヒットラーの出現を待ち望む人々が増えている。
「MONSTER」は18巻で終了し、アンナはヨハンに赦しを与え、天馬は新たな医師活動に意欲を持ち、ルンゲ警部は定年で大学講師になり、だれもが一件落着したように思えるが、ヨハンは死んでいない。すでに彼はベッドを抜け出して世界を死に追いやるために出て行った。20年前の漫画が現実の状況に警告を発している。

とても面白い漫画だ。読む価値がある。英語版が再版中止になっていて、友達に読ませたいがもう手に入らないことが、すごく残念だ。

2019年8月22日木曜日

ジミーチェンのドキュメンタリー「フリーソロ」

原題:「FREE SOLO」
監督: ジミー チン
エリザベス チャイ ヴァサルヘリ
撮影: ジミー チン、クレア ポプキン
    マイキー シェファー
出演者:アレックス オイルド
    サニー マクキャンドレス
    トミー コールドウェル
ナショナルジェオグラフィック ドキュメンタリフイルム
2019年 アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞受賞作

監督で、撮影者のジミー チンと、妻のエリザベス チャイ ヴァサルヘリは、ともに登山家で写真家だが、二人してこの映画を監督している。ジミー チンは中国系アメリカ人2世で、妻のエリザベスは母親が香港人。二人には一男一女の子供たちが居る。
「フリーソロ」は二人にとって第2作目の山岳フイルムで、第1作目は、2013年の作品「MERU・メル―」。

「MERU メル―」はヒマラヤ山脈の中国側、メル―中央峰の難攻不落の岩壁「シャークス フィン」とよばれる岩を、ジミー チンを含めた3人の登山家が世界初登坂に成功したときの記録フイルムだ。3人とも有名な登山家で、コンラッド アンカー、レナン オズダークとジミー チン。3人は、2008年に頂上まであと100メートルのところで、登頂を断念して下山している。総重量90キロの荷物を担ぎ、2台のカメラと機材を持ち、8日間の食糧で、「シャークス フィン」を17日間登り続け、悪天候と雪崩とで岩肌にビバーグしていたテントが壊れ、食糧と燃料がなくなり、登頂寸前のところで諦めて下山した。このときの失望が大きすぎて3人とも2度と同じ山に再び戻ることはないだろうと思っていたという。その後、ジミー チンは雪崩に合い600メートル落下、時速130キロのスピードで山から落ちるが、奇跡的に生還した。
またレオン オズタークは、スピードボードの撮影をしていて事故に合い、頚椎骨折で、再起不能、一生車椅子生活と診断されるが、執念のリハビリで、登山家として、これまた奇跡的な復帰をする。3人の内、残りのコンラッド アンカーは、山岳史で最も有名な登山家ジョージ マロ―二―の遺体を見つけた人だ。登山の長年のパートナーだったアレックスを、ザイルでつながりながら死なせたことで、自分を責め、のちに彼の妻と結婚して彼の3人の息子たちを育てている。3人3様の2008年メル―世界初登頂失敗後の、苦渋と失望を乗り越えて2011年 3人は再び申し合わせたようにヒマラヤに集まり、「シャークス フィン」の初登坂を成功させる。メル―はそのときの記録映画だ。

第2作目の「フリー ソロ」は、登山家はアレックス オニルドただ一人。フリー ソロとは、ザイルもハーケンもカラビナも一切使わずに、たった一人でロッククライミングするスタイルのことを言う。山は、カルフォルニア、ヨセミテ国立公園の中にある「エル カピタン」と呼ばれる1000メートル近い絶壁。ここをザイルパートナーなしで単独登頂する姿を数台のカメラで追ったドキュメンタリーフイルムだ。
ジミー チンは「この仕事を引き受けるかどうか迷った。アッレックスは山仲間で友達だ。誰も成功したことのない単独登頂の撮影中、滑落の瞬間をカメラがとらえることもあるだろう。それはアレックスの死の瞬間でもあるのだから。」と語っている。

1インチに満たない岩の尖がりに足をかけ、指3本でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていく。ハングオーバーがあり、トラバースを幾度もしなければならない。滑りやすく全く何のとっかかりもない所が2か所もある。体重のバランスをかけて、伸ばした見えない指の先で、くぼみを掴めなかったら、そのまま落下するしかない。何度ザイルを使ってリハーサルしてみても失敗につぐ失敗。ザイルで身を確保して、すこし離れた岩壁で撮影する4人のカメラクルー。望遠レンズで下から撮影する別のカメラマン。
リハーサルの繰り返しで、すっかり煮詰まってしまったアレックス オノルドは、とうとう一人怒って下山してしまう。もうやめだ。こんな岩壁をフリー ソロで登れるわけがない。

アレックス オノルドは、1985年カルフォルニア州 サクラメント生まれ。山が好きで、19歳で大学をドロップして10年あまり車で生活しながら山から山に移動し、登山を繰り返し山岳会で華々しくデビューする。20代で、難所ばかりのロッククライミングをフリー ソロで成功させ、その世界ではスーパースターとなった。今まで誰もチャレンジできなかった「エル カピタン」をフリーソロで世界で初めて成功させることは、彼にとって自分を越えるための最大のチャレンジだった。その彼にも恋人ができる。車で生活することが普通だったアレックスが 恋人と家を買うことになる。2016年恋人とザイルを組み、登山して落下、足首を骨折する。そこでアレックスは、一念発起、自分がやらなければならない課題に直面する。今やらずにいて諦念だけでこの先、生きていくことはできない。激しいリハビリと自主訓練で、再起したアレックスは「エル カピタン」に戻る。
ジミー チンははじめ半信半疑だった。いったんアレックスは逃げ出したじゃないか。
しかしアレックスは本気だ。朝、暗いうちから登り始め、フリー ソロで登頂成功させる。
というおはなし。

山の話だ。
ジミー チンは山のすばらしさをフイルムを通して体験させてくれる。子供の頃はスキー少年、16歳で山に魅せられて登山を開始し、23歳で写真に取り憑かれ、自分で登りながら撮影するという独自の山岳ドキュメンタリーを製作するようになる。素晴らしい登山家だ。ナショナルジェオグラフィックと契約して、いつも未知の世界を見せてくれるだけでなく山の空気を連れて来てくれる。ロッククライミングでは両手両足のうち、3点は確保して固定していなければ登れない。登りながらフイルム撮影するには、ただ登る人よりも高度な技術がなければならない。6000メートル級の岩壁で、1点1点手足を確保しながら、岩を這い、強風に飛ばされながら、登山のすばらしさをフイルムに納めてくれる撮影者は、文字通りのヒーローだ。アカデミー賞受賞のあと、「フイルム撮影中一番スリリングだったのは、どんなときだった?」と聞かれて、岩壁で「ザイルを扱いながら、カメラをバッグから取り出して、そのカメラからチップを抜き出した時だったかな。」と言って笑わせてくれた。それは怖い。

デヴィッド リーンの映画「アラビアのロレンス」(1961)で、ジャーナリストがロレンスに、「どうして こんな砂漠に居られるのか?」と問われて彼は「砂漠は清潔だから。」と答える。私は山が好きだ。清潔だから。若いころ、取り憑かれたように山に登ってばかりいたことがある。山の吹き下ろす風に身を任せ、岩に取り憑いていると、山に浄化されるようだった。2000メートル級の山で太陽の直下にいると顔ばかり山焼けして、顔の皮が2枚も3枚もむけてきて、腫れあがり埴輪のような顔だったと思う。けれど下山して人の多い地上のもどってみると、自分の体が腐ってくるようで、またすぐに山に戻りたくなる。北アルプス、南アルプス、丹沢の山々、どの山も、山はどんな教師よりも多くのことを私に教えてくれた。
人生というものが、単なる自己満足だとするならば、登山は最高の自己満足だ。登山は何も生産しないし、お金にも名誉にも、業績にもならない。ただ自分を満足させてくれるだけだ。誰のためでもない。それだけ贅沢な行為だということもできる。

映画のエンデイングに、テイム マツグローが、「GRAVITY」という歌を歌っている。渋い。たくましい男が荷物を背負って、がっしりと山に取り憑いている。厳しい自然の中で、突風やがけ崩れにもてあそばれながら、岩肌を尺取り虫のように進んでいく。孤独な山男の背に、低い男の歌が語り掛けるようで、映画にみごとにマッチしている。

写真は上の2枚が、フリー ソロの「エル カピタン」
下の2枚が、ヒマラヤ メロー峰の「シャークス フィン」

山が好きな人にも、山が嫌いな人にも、自然が文句なく美しいフイルムなので見る価値がある。

2019年8月4日日曜日

映画「ホワイトクロウ:伝説のダンサー」

原題:WHITE CROW
英国映画
監督:レイフ ファインズ           
キャスト
オレグ イヴェンコ: ルドルフ ヌレエフ
レイフ ファインズ: アレクサンドル プーシキン
セルゲイ ポレーニン:ヌレエフのルームメイト
アデル エグザルホプロス:クララ サン
ルイス ホフマン
チェルバン ハムトーヴァ
ラファエル ペルソナ

ストーリーは
1938年3月17日、ヌレエフ一家が、父親の赴任先に向かうシベリア鉄道の列車の中で,ルドルフは生まれる。タタール人の父親は軍人で、ムスリムだった。ルドルフには上に3人の姉がいた。5歳の時に、母親がもらい受けた1枚のチケットで、家族はバレエを見に初めて劇場に行く。ルドルフは劇場の豪華なシャンデリアや、踊り子たちが照明に照らされて拍手を浴びる様子を見て、バレエを自分の一生の仕事にしたいと思う。そこで戦争中の貧困と食糧難もあって、幼いルドルフは地方の全寮制のダンス学校に入れられる。戦争が終わり、ルドルフが17歳になって、1955年やっと彼はレニングラード(セントぺテルスブルグ)のマリンスキーバレエ学校に入学を許される。そこでアレクサンドル プーシキンに実力を認められる。

ヌレエフはバレエ団のなかで人一番熱心に練習をする団員だったが、性格的に協調性に欠け、自己主張が強いために、いつも孤独だった。また裕福な子女が多いバレエ団のなかで、貧しいタタール人出身だったヌレエフは、ムスリムのタタール人を揶揄するホワイトクロウをいうレッテルを貼られていた。それは事実上にのけ者にされていたルドルフのあだ名でもあった。しかし彼の実力を誰も否定できなくなり、やがてプリンシパルとしてバレエ団の中心的存在になっていく。
彼はバレエ団の海外巡業でパリを訪れ、フランス文化大臣の息子の婚約者クララと親しくなって、彼女とキャバレーやバーに行き夜遊びをする。KGBはそういったフランス文化を資本主義の退廃した姿と捕えていたから、ヌレエフの監視を強化した。そしてこの海外遠征が彼にとって最後の旅になるだろうと、警告する。

パリ公演を終えて、バレエ団がパリからロンドンに移動しようとする空港で、ヌレエフはKGBに、他の団員達と別れてヌレエフだけ帰国して、モスクワ公演に合流するように命令される。KGBに取り囲まれ自由を奪われたヌレエフは、助けを求めて叫ぶ。見送りに来ていたパリバレエの団員は、急きょクララに助けを求める。亡命希望者は、自分から亡命をする国の担当官に亡命したい旨を伝えなければそれを認められない。クララは、パリ空港警察を、ヌレエフの後ろに立たせ、別れの言葉をヌレエフに言う許可をKGBからとって、ヌレエフに空港警察官に亡命する意思を伝えるようにささやく。クララの言葉に従い、ヌレエフはKGBと空港警察との激しいやり取りの末、保護されてフランスに亡命する。1961年、ヌレエフが23歳の時の事だった。
というお話。

この映画の話題性のひとつは、監督がシェイクスピア劇場出身の英国が誇る名優、レイ ファインズが監督したということだ。英国映画にも拘らず、舞台がセントぺテロスブルグとパリなので、ロシア語とフランス語で物語が進行して、それに英語字幕がつく。
ヌレエフは実際、英語を独学していて、米ソ冷戦時に珍しく英語が話せるロシア人だったそうだ。映画の中でも役者はロシア語なまりの英語を話す。米ソが一触触発で核戦争が始まるような危険な世界情勢のなかで、ヌレエフが英語を話せたことは奇跡のようだが、それが亡命するうえでものすごく役に立ったのだ。

それと、この映画が評判になったのは、何といってもルドルフ ヌレエフという世界一名高いバレエダンサーの波乱の半生を描いた作品だということだろう。ヌレエフは日本にも公演に来たし、彼のダイナミックで現代的なバレエは、いまも沢山映像になって残っていて、没後26年経っても人気が衰えることがない。

レイフ ファインズは1993年に刊行されたヌレエフの評伝を読んで、20年もの間ずっと映画にしたいと考えていたという。ヌレエフ役のダンサーを、9か月間探して、ロシアでオーデイションを繰り返してヌレエフの体つきも踊り方も似ているバレエダンサーを見つけた。
ヌレエフ自身は、短気で自己主張が強く、周りの人を平気で傷つけ、自分が思い通りのダンスが踊れるようになるまで妥協のない、極度の頑固者だった。地方巡業を断ったり、自分の実力を認めない教師に怒りをぶつけたり、高級レストランでウェイターが自分を百姓の息子だと馬鹿にしていると怒り出したり、わかままいっぱいだ。それでもダンサーとして最高のところまで行き着きたいと一心に願っている混じりけのない純粋さが、胸を打つ。

映画の中でヌレエフがひとり美術館で絵画や彫刻を食い入るように真剣に見つめるシーンがいくつか出てくる。初めて訪れたパリで、ひとりルーブルに入りテオドール ジェリコの「メデユース号の筏」を凝視する。フランスフリゲート艦メデユース号が座礁して乗組員149人のうち、わずか15人が、救命ボートの中で殺人やカニバリズムをして生き残った。男達の生と死、期待と絶望、そのすさまじさをヌレエフは見ていたのだろうか。
またセントペテルスブルグのエルミタージュ美術館で、レンブラントの「放蕩息子の帰還」を見つめる。父親の大きな手に抱きしめられる子供の安堵、それはヌレエフの子供時代に決して得られないものだった。

ヌレエフを演じたオレグ イヴェンコが素晴らしい跳躍を見せてくれる。バレエ学校の練習風景が沢山出てくるのが嬉しい。男の美しい足が床を蹴る。床をなぞるように、流れるように円を描きながら跳躍する。力強いジャンプから着地するときの激しい音。
おまけに「ダンサー、セルゲイボルーニン世界一優雅な野獣」のセルゲイ ボルーニンがマリンスキーバレエ団のヌレエフのルームメイトとして出演していて、練習風景の中でこれまた素晴らしいジャンプを見せてくれる。英国紙ガーデアンの映画評では、オレグ イヴェンコよりも,端役のセルゲイ ボルーニンがずっとチャーミングでセクシーで素敵だ、と書いてあった。でも映画ではそんなことはなく、オレグ イヴエンコがちゃんと主役になるように撮影されている。当たり前だけど、、。。実際は、二人は仲の良い仕事仲間として互いに尊敬しているそうだ。
映画の中でプーシキンが、ヌレエフに、どんなに技術が素晴らしくても語るべきストーリーが伝えられなかったら、バレエじゃない、と言っているが、オレグ イヴェンコも、セルゲイ ボルーニンもストーリーを踊りでみせてくれる力を持っている。

ヌレエフは1961年に亡命したあと1980年まで20年間英国ロイヤルバレエ団に所属してプリンシパルダンサーとして、カリオグラファーとして活躍した。19歳年上のマーゴ フォンテーンとペアを組み、ジゼル、白鳥の湖、ロメオとジュリエットなどで世界中をセンセーションの渦に巻き込んだ。マーゴは1961年にヌレエフに会った時、ロイヤルアカデミーオブダンスの校長先生で、42歳でリタイヤをするところだった。だが23歳のヌレエフとのペアが実に似合っていて、二人の踊るヴィデオを今見るとロマンチックで優雅で夢みたいだ。マーゴはその後、パナマ人で弁護士の夫が暴漢に襲われ車椅子生活を余儀なくされたため、看護するためにリタイヤして1991年パナマで、71歳で亡くなった。彼女の死亡を告げる新聞記事が出たとき、華やかだったバレリーナ人生と実生活の不幸とが思われて、悲しかったことをよく覚えている。

ヌレエフは、英国ロイヤルバレエを去ってから、パリオペラバレエのダイレクターになり、そのあとは、カリオグラファーとして活躍した。10数年前シドニーにパリオペラバレエが来た時の「白鳥の湖」はヌレエフ版の作品だった。伝統的なロシアバージョンではなく、ヌレエフ版は、より人間的な悩み、迷い、悲嘆にくれて死んでいく王子のストーリーが生き生きと語られて涙をさそった。

バレエはフランスでルイ14世によってはじめて作られて以来、男の美しさを見せるための芸術だった。そういった人々の期待に応える形でヌレエフは究極を追及し、死ぬまでバレエ芸術に身を捧げた。1993年に、54歳の若さでエイズで亡くなった時も新聞で知った。芸術家は技術を磨き、その優れた技術を手段にして物語を人々に伝えなければならない。プーシキンは、ヌレエフに繰り返しそう言った。良い言葉だ。
これから離れ小島で一人で死ぬまで暮らしなさい。でも2本だけヴィデオを持って行ってもよろしい、と言われたら、マリア カラスのオペラ「椿姫」と、ヌレエフとマーゴ フォンテーンのバレエ「ジゼル」を持っていこう。
バレエがあまり好きでない人でも、この映画で好きになるかもしれない。見て損はない。


2019年7月22日月曜日

現代画家リヒターの半生「ある画家の数奇な運命」

                      

ゲルハルト リヒターという美術界で、「ドイツの最高峰の画家」といわれている画家が居る。87歳。現存する作家のなかで世界で最も注目されている現代画家と言われている。

リヒターは、ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、独国敗戦で生まれた土地が完璧に破壊される過程を目撃し、ロシア軍の進駐によって再建された芸術大学で学んだ。優秀な画家の卵は、やがて自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前に西ドイツに逃れ,前衛作家として成功する。文字通り激動の時代のドイツを生きた。

現代美術の旗手で、抽象画、シュールリアリズム、フォトリアリズム、ハイパーナチュラリズム、などの作風をとり、油絵だけでなく彫刻、ガラス作品など製作している。初期の作品群であるフォトペインテイングは、写真を大きくキャンバスに模写し、画面全体をぼかして、さらに人物などを描きこんでいくという独特の作風を構築した。また、モザイクのように256もの色を並べた「カラーチャート」、キャンバス全体を灰色に塗りこめた「グレーペインテイング」、様々な色を織り込んだ「アブストラクト ペインテイング」、ガラスをたくさん並べ周囲の風景を映すガラス作品、5千枚以上の写生や写真からなるパネルを並べた「アトラス」などが代表作で、いまは油絵からエナメルや印刷技術を用いた作品制作している。また「線」を描かずに、先に鉛筆をつけた電気ドリルを使って絵描く方法を取っていたりする。

2002年にリヒターは、ドイツのケルン大聖堂のステンドグラスを製作依頼され、113メートル四方の聖堂の南回廊を、72色のステンドグラスではめ込んで、これを2007年に完成させた。リヒター本人はこの仕事でいっさい報酬を受け取っていないが、5年という長い年月と506000ドルという法外な費用がかかたため沢山の人の寄付を仰がなければならず、完成後、ケルン市長は余程機嫌を悪くしたらしく、こんな作品はカトリック教会でなくモスクとかほかの宗教に似合ってるんじゃないか、とコメントしている。個人的には、2008年にここを訪れていて、彼のモザイクステンドグラスを見ているはずだが、どこを見ても美しい装飾が隙間なく凝らされているゴシックの大聖堂の美しさに圧倒されていて、リヒターの作品を個別に観た記憶がない。

日本では瀬戸内海の無人島の豊島にリヒターの「14枚のガラス」が展示されている。全長8メートル、縦190センチ横180センチの14枚のガラスがハの字を描くように少しずつ角度を変えて立ち並んでいる。2011年に島を訪れたリヒターが、この静かな海に囲まれた土地が気に入って作品を恒久展示することに決めた。作品を収める箱形の建物も彼がデザインして製作したそうだ。

2012年オークションで、エリック クラプトンが所有するリヒターの抽象画「アブストラクテルスビルト」が26憶9千万円で落札、翌年には別の作品が29憶3千万円で取引されて、生存する画家の作品として史上最高額を記録したという。彼が影響された画家としてジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921ー1986)が居る。またジグマー ボルケ、アンゼイム キーファーなどに影響した。

映画監督、フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルクは、この映画を作るにあたって数週間、リヒターとの対話をテープに取り、話し合いの末、映画を製作した。だがいざ映画が完成してみると、本人リヒターは、自分は伝記なんか作ってもらいたくない、映画を見る気もないし、全く興味もない。映画がリヒターの伝記だなんて言ってもらいたくない、と主張したそうだ。そういうわけで、この映画の解説にリヒターのリの字も出てこない。ただ映画の紹介に、現実の画家にインスパイヤ―されて製作した、と記述されているだけだ。
芸術家とは、かようにして面倒な生き物だ。破壊されたドレスデンで幼少期を送り、ナチ信奉者で精神病者や障碍者をガス室に送った犯罪者を義父にもち、東ドイツから西に逃れて画家として成功した、といえばリヒターだと自ずとわかってしまう映画。こんなの自分じゃないと本人が言おうが、言うまいが自明のこと、リヒターの半生を描いた映画ですと公に書いていないだけのことだ。

一人の画家の成長の物語として素晴らしく、画面の美しさも映画作品として完成度が非常に高い芸術作品。3時間の長編映画だがまったく飽きない。2018年代75回ベニス国際映画祭で、金獅子賞候補作。映画祭で13分間スタンデイングオベーションで拍手が収まらなかったと報じられた。ゴールデングローブ、91回アカデミー賞でも最高外国語作品賞候補となった。

ドイツ映画:NEVER LOOK AWAY
監督:フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルク
キャスト
トム スキリング : 画家 カート ベルナルド
パウラ ビア   : 妻 リー シーバンド
サキスア ローゼンデル:叔母エリザべス メイ
セバスチャン コッホ:義父 シーバンド医師

ストーリーは、
1937年、ナチ政権下のドレスデン。
5歳のカートは美しい伯母に連れられて美術館に行く。ユーゲン ホフマン(EUGEN HOFFMANN 1892-1955)の彫刻「青い髪の少女」に魅入られたカートに向かって、叔母は、この作品がどんなに美しいか、一つ一つを見逃さないようにじっくり観るよう、NEVER LOOK AWAYと繰り返し言う。ナチの美術館案内人は、これらホフマンなどの前衛芸術は、退廃的で社会的ではない、と批判的だが、叔母はそういった表面的な解説をまったく意に介さない。美しいものに純粋に身をゆだねるように生きる叔母は、カートの一番の理解者だったが、やがて精神分裂症と診断されて、ナチの病院に連行され、ナチのシーバンド医師により去勢手術を強制され、その後ガス室に送られて殺される。

戦争が終わり、街の小学校の校長先生だったカートの父親は、進駐してきたロシア軍によって、ナチ政権に与したものとされて、小学校の掃除夫を命ぜられる。ナチ信奉者によって、ユダヤ人ばかりでなく沢山のドイツ人の精神病者や障害者がガス室に送られた。叔母を精神病と判断し、処分したシーバンド医師は、犯罪人として刑務所に入れられる。しかし、刑務所のなかで、ロシア人将校の妻の異常出産を助けたことで命の恩人として釈放される。ロシア人将校は、秘密裏にシーバンド医師が犯した罪に関する書類をすべて廃棄する。
カートはドレスデン芸術大学で絵画を学ぶ学生となり、同じ大学でデザインを学ぶ、エリという美しい学生と出会う。彼女は熱烈なナチ信奉者だったシーバンド医師の一人娘だった。二人は結婚するが、義父シーバンド医師は娘が可愛いので、カートとの関係を認めない。娘が妊娠しても自分のところに引き留めるために娘に妊娠中絶を強制する。やがてシーバンド医師を釈放し保護してくれたロシア人将校が、ロシアに帰国することになったのを機会に、シーバンド一家は、西ドイツに逃れる。カートも東ドイツの社会主義的な芸術感に堪えられず、自由な表現を求めていた。

カートは西独で、ドッセルドウ芸術大学に入り教師ジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921-1986)から現代絵画を学ぶ。才能を認められるが、本人は自分の表現に苦しむ。30歳を過ぎても社会人として働くでもなく絵が売れるでもなく、自分のスタイルができるわけでもなく、表現することに四苦八苦していたが、シーバンド医師が、彼の上司だった医師が戦争犯罪で逮捕されたことを知って自分もいつ追及されるかわからない恐怖にかられる姿をみて、彼の写真をキャンバスに模写して、その上に人物を重ねて描くフォトリアリズム手法を考え付く。それを機に、カートは新聞や写真をキャンバスに模写して絵を重ねるハイパーナチュラリズム、フォトリアルといった自分のスタイルを見つけていく。
というところで映画が終わる。

幼い時から美意識の高い伯母から、NEVER LOOK AWAY 見過さないで芸術作品から目をそらさずによく見るように、それと人を良く観察しなさい、と言いきかされていた少年が、成長と共に画家となり、よく見るだけでなく自分で作り出し、人に伝えようとして、表現者としてもがき苦しむ姿が描かれている。
若く瑞々しい美少年と、美しい伯母、叔母にそっくりな姿の可憐で美しい妻。一人の画家が成長していく姿が良く描かれている。背景も自然描写も秀逸。3時間が少しも長くない。いつまでも美しい画面を見ていたくなる。
カートは30歳すぎても妻の裕福な父親シーバンド医師に食べさせてもらって画学生を続けているから、義父に皮肉を言われる。「レンブラントは30歳で数えきれないほどの弟子をもっていた。モーツアルトなんか30歳といえばもう死んでいた。」そんなふうに、画家の生活力のなさを非難されても、カートは何一つ言葉を返せない。それでもひたすらキャンバスに向かうカートの姿は胸を打つ。

リヒターの芸術大学の教師だったジョセフ ベイスが、本物みたいに、映画でもものすごく魅力的に描かれている。古典派の画家の写真をキャンバスに立て、それに火をつけて燃やしながら講義を始めたり、本物を見つけろ、とリヒターを激励するためにいつも被っている帽子を取って自分が死にかけた爆撃機事故のときの頭の醜い傷を見せたりする。映画には出てこないエピソードだが、1974年彼はアメリカに招待され「コヨーテ私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」という作品を展示するといって、ニューヨーク空港到着後、画廊に救急車で運ばれ、1週間、ホテルにもどこにも行かず、フェルトや新聞、干し草の積まれたギャラリーの中に籠ってアメリカ先住民の聖なる動物コヨーテとともにじゃれあったり、にらみ合ったりして無言の対話を続けたあと、再度空港に救急車で運ばれてドイツに戻った、という。こんな現代芸術家って、、、何て素敵なんだ。

リヒターを演じた役者も絵を描く人だと思う。おおきな刷毛で床に置いたキャンバスに、何度も大きな円を描いてみせる。彼がキャンバスに描かれた本当の写真みたいに模写された油絵を、板で強くなぞって、それをぼかしていく。絵がぼやけるに従って過去の写真が、心に映った本当の過去の姿になぞられていく。魔法をみるようだ。 
一心に絵を描く人の姿は、美しい。5歳の少年を前にして素裸でピアノを弾く美しい伯母、何台ものバスの運転手に頼んで、力いっぱい警笛を鳴らしてもらって、その音の渦に身を浸す美しい伯母、ガス室で死んでいった叔母が、一番の芸術家だったのかもしれない。
とても良い映画だ。現代美術を見る人、見なくちゃだめだよ。



2019年6月23日日曜日

映画 「レッド ジョアン」

英国映画
原題:RED JOAN
原作:ジェニー ルーニーの小説「レッド ジョアン」
監督:ロイヤルシェイクスピア劇場と、ナショナルシアター前監督、ロイヤルヘイマーケット劇場の現監督、トレヴァン ヌン
キャスト
ジュデイ デンチ:  ジョアン
ソフィ コックソン: 50年前のジョアン
トム ヘイズ   : レオ
テレサ スルボバ : ソニア
ステファン キャンベルモア:マックス デビス博士
ベン マイルス  :ニック
2018年トロント国際映画祭でプレミア、2019年4月から米国と英国で公開

ストーリーは
1938年ロンドン。
ケンブリッジ大学物理学科の学生、ジョアンは優秀な学生だった。彼女は、ドイツから来ているユダヤ人の女学生ソニアと友達になる。ある日、ソニアに誘われて、ジョアンは、大学のコミュニストの集会に参加する。時は、スペイン戦争の真っただ中。ファシスト、フランコによる市民への弾圧の嵐が吹き荒れていた。革新的な学生たちはスペインに義援金を送る活動をしていた。ジョアンは、コミュニストの集会で、勇敢なアジテーションをするリーダーのレオに紹介される。レオはソニアの従兄だという。やがて二人は恋心を持つようになる。しかし、レオはユダヤ人への迫害が激しくなっているドイツに、地下活動するために帰国するという。その夜二人は結ばれるが、以降レオの行方はわからなくなる。

ジョアンは無事卒業し、イギリス政府の非金属物質研究協会に就職し、マックス デビス博士の秘書になる。戦争中であり、政府と軍とは効果のある武器開発に莫大な予算をかけていた。ジョアンは積極的にデビス博士の研究に協力し、新しい画期的な兵器の開発に力を注ぐ。新兵器開発のための英国、カナダ、米国との会合に招へいされたデビス博士について、ジョアンもカナダに渡航することになった。カナダに向かう船上で、ジョアンは博士と結ばれる。博士は、若く才能に満ちたジョアンを愛さずにはいられなかったが、彼には妻が居て離婚に応じないことはわかりきったことだった。ジョアンは求愛に喜びながらも結婚できないため、未来のない愛情に胸が塞ぐ想いだった。

カナダでの会合が終わり、一息ついたところでジョアンを待っていたのは、ずっと行方のわからなくなっていたレオだった。レオはジョアンに政府機密をスパイして欲しいと依頼する。ジョアンはただちに拒否して立ち去る。英国に戻り、博士との研究に戻ったジョアンは、米軍によってヒロシマ、ナガサキに原子爆弾と水素爆弾が投下されたことを知る。博士は平静だが、ジョアンには自分の研究がこのような形で利用されたことに、反感と衝撃を受ける。デビス博士は自分の研究が連合軍に役立ったことを単純に喜んでいて、ジョアンの心情とは全く異なっていた。
そんなある夜、レオが再びジョアンを訪ねてくる。ジョアンは博士と愛し合っていても、彼とは結婚できないことにも、原子爆弾への見解が異なっていることにも不満を抱いていた。求愛してくるレオと、博士との愛情の間で、ジョアンは試されていた。揺れ動く心情。しかし、そのあと、レオは自殺している姿が発見され、ジョアンは激しく、自分を責める。

レオの従妹、ソニアに会ってジョアンはKGBに軍事機密を渡す。ジョアンは信頼するデビス博士も、英国も裏切ったのだった。しばらくしてデビス博士が研究している情報が、ソ連に筒抜けになっていることが分かり、デビス博士が逮捕される。ジョアンはソニアに会いに行くが、彼女はすでに姿を消して逃亡していた。ソニアの家に残された写真を見て、ジョアンはレオとソニアが夫婦だったことを知る。二人の間に子供まで居た。ロシアのスパイ、ソニアに初めて出会った時から、ジョアンは騙されていたのだった。
ジョアンはデビス博士の収監されている刑務所に面会に行く。そこで博士に自分がスパイだったことを告白する。しかし、ジョアンを愛している博士は怒らない。無実の自分が罪を問われるはずがない。収監によって離婚が成立した。ジョアンと結婚して人生をやり直したい、、と。
ジョアンは、ロシア大使館に行き、ソニアとレオの仲間だったロシア政府高官に会って、今までのすべての秘密を全部バラす、と脅かして代わりにデビス博士と自分のオーストラリア行きのチケットと旅券を要求する。船の出る直前、桟橋に釈放されたデビス博士がジョアンを待っていた。二人は急いで、乗船する。

50年という途方もない月日が経過した。
2000年初頭、引退してひとり田舎で暮らしていたジョアンの家に、国家保安局の刑事たちが訪れる。50年以上前に国家を裏切り、政府の秘密情報を、ロシアの漏洩した罪で彼女は取り調べを受ける。同行したジョアンの息子の前で、ジョアンは堂々と自分がしてきたことを語る。弁護士をしている息子は、寝耳に観ずだったがスパイとして英国政府を裏切った母親を、「裏切者」と叫び、激高する。取り調べが終わり、ジョアンが逮捕され連行される日、ジョアンの家の前に詰めかけたメデイアやカメラマン、野次馬達に向かって、ジョアンは胸を張って語る。「私は何一つ悪いことはしていない。米国とソビエト連邦の2大国がともに核兵器を持ってきたからこそバランスが取れて平和が保たれた。50年余り戦争は避けられた。私は政府の情報を他国に漏洩したといわれるが、情報は誰にでもアクセスする権利がある。誰もが科学研究による成果を得る権利がある。」と。
というお話。

この映画英国ではものすごく酷評されている。THE GUARDIAN では、「このようなバカみたいな軽薄な女の役を、国宝級の名優、ジュデイ デンチに演じさせるべきではない。無駄というものだ。」などと書いている。英国政府がロシアスパイにぬけぬけと情報漏えいされていたことが余程気に食わなかったのか、あの皮肉屋の英国人が急に愛国者になったのか、わからないが、rotten tomatoは、英国人からの酷評だらけだ。それにしてもみんなジュデイ デンチが好きなことだけは確かだ。そしてみんなが時間がないことを知っている。この83歳の国宝級女優は、黄斑部変性で両目ともひどい弱視で、台本が読めない。人に読んでもらって記憶して役を演じている。それでいて彼女の演技、表情の豊かさには驚嘆すべきだ。ジュデイは、性格俳優と言われアカデミー賞を最多数稼いだ、メリル ストリープなど比較にもならない。頬を少し緩めるだけで喜怒哀楽を表現できる、並みの役者ではない。彼女がこの映画で最後に記者や野次馬に囲まれて罵声を浴びるが、毅然として自分が情報を漏えいしたおかげで、米ソのパワーバランスがとれて核戦争が起きなかったなどという「とんちんかん」を言っても、あまりに堂々としているので、なぜかみんな納得してしまう。すごいパワーだ。あと何本の映画に出演してくれるのだろうか。

原爆の父、アルバート アインシュタインも、ロバート オーペンハイマーも、原爆の使用には反対だった。
そもそも学問と実用とは全く別の分野で、相いれない。学問研究は、それを応用して製作し、使用する分野とははるか遠くに存在する。また、1930年代当時、ナチズムに唯一反対する勢力はソビエト連邦だけだったとも言える。のちにナチスが行ったホロコーストもまだ起こっておらず、いかにドイツの新勢力に対抗するかを考えたら、当時若いインテリたちがソ連共産党に期待を寄せるのは自然なことだった。ナチによる民族浄化も、スターリンによる大粛清もまだ起こっていなかった。

この映画の実際のモデル、メリタ ノーウッドーは、映画の筋とは異なって、死ぬまで本物のコミュニストだった。映画のように男にほだされて、ちょっとの間スパイしたのではない。1932年から1972年まで40年間、KGBのために働いた正真正銘のスパイだ。彼女の両親はコミュニストで、父親はレーニンとトロッキーが、常時投稿する労働組合のための出版社を経営していた。メリタは1935年学生時代にアンドリュー ローゼンシュタインが指導する共産党に入党した。非金属研究所に就職してからは、積極的に英国の原爆プロジェクトのファイルを盗み出してKGBに送っていた。
1992年。ソビエト連邦崩壊後、KGBが所有していた多量の秘密文書が出て来て、4人のケンブリッジ出身者がスパイ容疑で逮捕された時に彼女の名前があったが、誰なのか特定できなかった。1999年に、KGBのスパイ活動家だったワシリー ミトロヒンが英国に亡命し、分厚いファイルを英国政府に渡した。その中にメリタ ノーウッドの名前があったのだ。そこで87歳の年金生活者、13年間未亡人でロンドン郊外で庭造りをしていた老婦人が、じつは40年間ロシアのスパイだった、ということが明るみに出たのだった。

しかし、87歳のメリタは高齢を配慮されて、一度として法廷に出ることなく、2005年に、93歳で亡くなった。マスコミからは、「おばあちゃんスパイ」として揶揄されたが、最後まで、自分は何一つ間違ったことはしていない、と言って自分の信念を貫いて死んだ。
映画では、彼女を単なるメロドラマのヒロインとして描いている。初恋の人、コミュニスト、レオの自殺にショックを受け、上司との関係に行き詰まり、ヤケッパチでスパイをしたみたいに描いていて残念だ。 でもシンプルなメロドラマとして、この映画をみるのも悪くない。

1930年代のファッションが素敵だ。ニットのセーター、肩の張ったツイードのコート、ベレー帽、長靴下にロングスカート、あまり高くないヒール。男は貧しくてもきちんと背広を着て、幅広いズボンに帽子。とてもシック。ベレー帽の似合う女たち、ソフトを上手に被る男達。いいなあ。
若い女優ソフィ コックソンもソニア役のテレサ スルボバ、レオ役のトム ヘイズもみんな生き生きしている。画面が美しい。
悪いのは原作と脚本だが、とてもきれいな映画だ。

2019年5月29日水曜日

オット、ブルースが亡くなって1年

来月でオットのブルースが亡くなって1年になります。すっかり忘れてたけど。
22年間の結婚生活のなかで、最大の彼の功績は、私の二人の娘の結婚式で、娘の手をとってヴァージンロードを歩いてくれたことです。このことは今でも感謝しています。それくらいかな。

結婚する娘に

2019年5月21日火曜日

テルアビブでユーロビジョンソングコンテスト

2019年ユーロビジョンソングコンテスト:ヨーロッパ最大規模の歌の祭典が、ガザのパレスチナ避難民にイスラエル軍がミサイルを撃ち込み、日々罪もない人々が虐殺されている場所から数百メートル先のテルアビブで行われた。これらの動きに反対表明を出す良識的なイスラエル市民もいたし、ユーロビジョンに不参加を呼びかける団体もたくさんあったが、圧倒的なイスラエル警察と軍による警備のなかで、歌の祭典が強行された。

前2000年紀にパレスチナに住んでいたヘブライ人は、強国エジプトに移住し奴隷として生存を許されていた。60万人のヘブライ人がモーゼに率いられエジプトを奪出したとき、エホバは、彼らが十戒を守ることを条件にそれを助けた。その後、約束の土地カナン(パレスチナ)に王国を建てたヘブライ人は唯一エホバを信仰し、自分たちが天地を創造した全能の神エホバによって選ばれた民族として救済されるといった選民思想を持つ。

ユダヤ人というと、誰もがナチスヒットラーによって犠牲になった600万人のホロコーストを思い浮かべるが、「ユダヤ人の選民思想であるシオニズム」は、「ヒットラーのゲルマン純血主義」よりも、はるかに強力な排外思想だ。自分たち選ばれた民族が、約束の土地で全能の神エホバだけを信じ、新しい国を建国するという思想は、他の宗教を認めない。他民族や他国文化を相いれないし認めない。
戦後、生き残って世界中に散らばっていたユダヤ人が集結して、1948年イスラエルを建国したことによってパレスチナ国家を奪われたパレスチナ人民500万人は、避難民として限られた土地に追いやられている。ネタニヤフ大統領が再選され、強硬派が力をつけており、ユダヤ人の新居住区が拡大する一方だ。イスラエル軍、警察は、抗議するパレスチナ人を迫害し、爆弾を落とし、銃撃している。

2019年5月15日、16日、18日とイスラエルのテルアビブでユーロビジョンソングコンテストが行われた。ヨーロッパ最大の祭典で、41か国のヨーロッパ各国代表に選ばれたアーチストがパフォーマンスを行い、それを見ている観衆やテレビの視聴者が携帯で人気投票をする。その後、即時投票結果が発表される。世界中で、6億人の人々が投票したり観戦する。

出場参加国が多いので、3日間に渡って選抜が行われ、第1次審査と第2次審査を通過して残った国と、ドイツ、英国、フランス、イタリア、スペイン、ビッグ5の代表の合計26か国が、最終日にパフォーマンスを競う。ビッグ5は、この国際音楽祭に多大の出資額を負担しているので第1審査が免除されている。毎年英国は、最大額出資しているのに1997年以来一度も優勝したことがない、ことをこぼしているけど、それは実力というものでしょ。
昨年はイスラエルの女性歌手が、自分でDJをしながらユニークなパフォーマンスを見せて優勝したので、開催国がテルアビブになった。今年はオランダの青年が、キーボードを弾きながら歌い、最高得点で優勝したので来年はアムステルダムで開催されることになった。

オーストラリアはヨーロッパに位置していないのに出場が許されている稀有な国だ。移民でできている国だからヨーロッパを身近に感じている人の方が多い。距離ではなく、文化だ。戦後20年間の間に移民した人々は、英国、アイルランド、ニュージーランドから88万人、北欧、オランダ、ドイツ、スカンジナビアから24万人、東欧、ユーゴスラビア、ポーランドから30万人、南欧、イタリア、ギリシャから53万人、、、戦災から逃れてきたヨーロッパ人だけでこれだけの数で、毎年移民は増えるばかりだから、文字通りの移民国家なのだ。
またオーストラリアはいまだに英国女王を元首とした国。自分を英国人だと思い込んでいて、英国のパスポートを死んでも離さない人が多い。

10年前オーストラリアで、英国から分かれて独自の大統領制にするかどうか、国民投票が行われたが、オージーは、英国女王をこのまま元首として選んだ。自国のアイデンティテイー存在基盤を、現状維持的に英国民族の末裔とすることに決めたのだ。一般にオージーは女王陛下のロイヤルファミリーは好きだが、英国議会やメイ首相は、ぼろくそに批判、自分達はオージー多民族、多文化をもった新しい国の国民だと認識している。だから、ユーロビジョンは、オージーの間でも長い事人気があって、2014年に特別参加が認められたときの人々の興奮の仕方と言ったら、怖いほどだった。
2014年は、アボリジニのジェシカ マウボーイがオーストラリアを代表して舞台で歌い、翌年からは特別参加ではなく、他のヨーロッパ諸国同様の条件で参加が許され、2015年はマレーシアオージーのガイ セバスチャンが舞台に立った。2016年は、韓国系オージーのダミ イン、2017年はアボリジニの青年、そして今年は、もともとはオペラ歌手だったケイト ミラーハイキが、投票で選ばれてオーストラリア代表として舞台に立った。オーストラリア代表がアボリジニ、マレーシア、韓国など、移民国家らしい出場者たちだが、毎年最後の第2審査まで生き残りなかなか善戦していて、今年もトップ10に入った。オーストラリアが優勝したら、どうなるんだろう。ヨーロッパは地続きだから、どの国が優勝しても参加、移動が簡単だけれど、オーストラリアは海を越え、飛行機でも丸1日かかる。毎年数十万人がユーロビジョンのために、開催国に集まって来るという数10年間の歴史が変わってしまうかもしれない。こればかりは、60憶の視聴者のチョイスだから決まってしまったら変えられないだろう。心配だ。

ユーロビジョンが国家というオーソリテイに抵抗する意味を持った歴史がある。東西の壁が高く遮られ、西側の自由で開放的な文化が東側に届けられずにいた時期、東側の人々は、パラボラアンテナを隠し持ち、隠れてユーロビジョンを見ていた。国境で遮られていても、文化の流れを食い止めることはできない。東側の人々も、西側に人々と共に、イタリアのカンッオーネを歌い、フランスのシャンソンを歌い、スペインのファドを同じように歌っていたのだ。感動的ではないか。

2016年のユーロビジョンではウクライナの女性が優勝を勝ち取ったが、彼女の歌がウクライナ民主化に弾みをつけ、彼女はその後政界入りをした。沢山のパフォーマーが、歌で政治的なメッセージを届けていることも、ユーロビジョンの特徴だ。近年はその国の少数民族の歌、女性差別、人種差別をテーマにしたパフォーマンスも多い。国の代表という意味も変わって来た。ヨーロッパだが、白い肌、ブロンズに青い目といった歌手にまずお目にかかれない。今年の最終審査に残った男性歌手のうち、一人を除いて全員が黒髪だった。イタリア代表は父親がエジプト人で、3人のアフリカンダンサーを従えて、アラビア語で歌を歌った。優勝候補とされていたスイス代表の男性歌手と4人のダンサーも、スペイン代表の歌手とダンサーも肌が黒かった。

興味深いのは最後の視聴者による人気投票だ。ウクライナはロシアの政治介入と干渉を受けて政治的に憎んでいるはずなのに、ウクライナ人の最大数の人がロシアに投票している。ロシア人もウクライナ歌手に投票している。セルビア人がスロバキア歌手に最大多数票を入れて、アルバニア人がクロアチア歌手に投票している。ポルトガル人がスペイン歌手に票を入れ、スペイン人がポルトガル歌手に票を入れる。
こういった現象をみていて人々の好みというものが、国境線や政治では語れないということがわかる。人は生まれて育ち、赤ちゃんの時から耳にしていた音階や旋律になじんで、快感を覚えるようになる。そして慣れない音や旋律に違和感を覚える。それはその人の感覚、そのものを形成しているから、政治的な状況が変わったり、国境線が変えられたり、戦争したり、移民したり、難民になっても変わることがないのだ。国境が文化の境ではない。人々は文化の広がりをもって、国境を越えて生きているのだ。人々の感覚は国境線を越える。こういった事実に気つかせてくれたのが、ユーロビジョンだった。感謝しなければならない。

今回パフォーマンスがすべて終わり集計を待つ間、ステージを飾ったのは2014年に優勝したコンチータ。ドラッグクイーンの彼女は黒い髭、胸毛をさらして、網タイツにハイヒール、濃いまつ毛をつけて優雅でパワフルなパフォーマンスをした。
そして最後のマドンナ。今年のユーロビジョンの最大のトピックはマドンナの登場だったろう。大金を積んでマドンナの出場をオーケーさせたイスラエルは得意だったろうが、これが一筋縄でいかないアメリカ人。30人ほどのダンサーとコーラスを引き連れて登場。数百メートル先で、パレスチナ人が爆撃で殺されているのだ。
ステージでマドンナの登場にはしゃぎまわっている司会者に、彼女はニコリともせず質問にろくに答えもせず、MUSIC MAKE PEOPLE COME TOGETHER (音楽で人はひとつになれる、、)を繰り返した。ステージは小オペレッタのような舞台。神は死んだ、戦争と地球温暖化、環境汚染、核による汚染で人々に未来はない。といったメッセージ。「LIKE A PRAYN」と「FUTURE」を歌った。最後に背を向けたダンサーたちの背中に、パレスチナの国旗がはりつけてあった。最後に大画面で、WAKE UP.
これがマドンナの限界だったろう。これ以上のことをしたら彼女のパフォーマンスそのものがつぶされていただろう。これだけでも良くやった、と言わなければならない。

こうして2019年ユーロビジョンは終わった。華々しい会場から数百メートル先にある、パレスチナに生まれ居住区で貧しい生活を送る人々に爆弾を落としながら、ヨーロッパの歌の祭典を主宰したイスラエル。彼らの選民思想と排他主義はユーロビジョンの趣旨に最もそぐわない、人々の魂である音楽とヨーロッパの文化を貶めている。WAKE UP。(目を覚ませ)

写真1:マドンナ    写真2:アイスランド代表が持つパレスチナの旗  
写真3:オーストラリア代表
写真4:優勝国オランダ代表    写真5:スイス代表
写真6:左がコンチータ、2014年オーストリア代表で優勝


2019年5月13日月曜日

ロシア映画「ラブレス」

原題:「LOVELESS」
ロシア、フランス、ドイツ、ベルギー合作映画
監督: アンドレイ ズビャギンツェフ
2017年第70回カンヌ国際映画祭 審査員賞受賞
2018年アカデミー賞外国映画賞 候補作
キャスト
マトベイ ノビコフ : アレクセイ
アレクセイ ロズイン: 父ボリス
マリア―ナ スピバク: 母 ゼ―ニャ
マリア―ナ バシリエバ :マーシャ
アンドリス ケイシス  :アントン

ストーリーは
2012年、セントペテルスブルグ。
高層ビルが建ち並ぶ郊外に、12歳の少年アレクセイの住むアパートがある。見渡せば森がどこまでも続いている。その眺めの良いアパートは今、売りに出されている。両親が離婚して、それぞれの愛人と一緒に住むために、処分しようとしているからだ。そしてアレクセイを両親のうちどちらが引き取ってそだてるのか、互いに養育権を放棄していて争いが続いている。しかしアパートが売れるまで、夫婦は今のアパートで顔を合わせなければならない。会えば少年のことで口汚い争いが避けられない。

高層アパートから一歩外に出ると、そこにはまだ美しい森があり、大きな湖がある。アレクセイは、学校の帰り、遠回りして森を通って家に帰る。冬が終わりつつある。森を歩けば雪が溶けた後の落ち葉が、乾いた音を立て、湖は静まり返っている。アレクセイは落ち葉に埋もれていた赤と白の長いテープを拾い、小枝にからませて、エイヤと高い大きな樹に向かって投げる。テープは手の届かないずっと高い枝にひっかかって風になびいている。

母親のゼ―ニャは街の大きな美容院のマネージャーをしている。高給取りや中流階級の妻たちが顧客だ。彼女の愛人、アントンは離婚してテイーンの娘が外国留学をしている。彼がひとりで住むアパートは、近代的で広々としていて居心地が良い。
父親ボリスの愛人マーシャは、母親と一緒に小さなアパートに住んでいて、出産まじかだ。赤ちゃんが正式なボリスの子供として生まれてくることができないので、不安を抱えている。ボリスが泊まりに来るときは、マーシャの母親が、叔母の家に泊まりに行かなければならない。

売りに出ているアパートを見に、若い夫婦が訪ねて来た日、再びボリスとゼ―ニャは大喧嘩をする。アパートが売れたらサッサと息子を連れて出て行ってよ。なんてことを言うのだ。子供には母親が必要だ。うそ、子には父親こそ必要でしょう。何だったら寄宿舎のある学校に転校させて、そのあと軍に入隊させればいいじゃない。もううんざりよ。
ゼ―ニャは席を立ち、ドアをあけたままの洗面所に入り排尿し、乱暴にドアを閉めて、寝室に閉じこもる。その開けたままだった洗面所のドアの陰には、声を出さずに泣きじゃくるアレクセイが隠れていた。大写しのアレクセイの顔。翌朝、アレクセイは朝食を取らずに学校に走っていく。

2日経って母親は家にアレクセイが居ないことに気付く。互いに愛人の家で過ごしていて、相手が家に帰っているとばかり思っていたので、学校から2日間登校していないと連絡があるまでアレクセイが家に帰っていないことに、誰も気がつかなかったのだ。ゼ―ニャは警察に連絡する。事情聴衆の後、郊外に住む、アレクセイの祖母、ゼ―ニャの母親の家に行っているかもしれないので、確かめるように、警察に言われて、夫婦は3時間運転して、祖母の家に向かう。しかしゼ―ニャの母親は、彼女に輪をかけたような自己中心の寡婦で、アレクセイのことを心配するどころか、夫婦の突然の訪問を非難するばかりだ。再び夫婦は家に向かう。醜い口論が果てしなく続く。警察の人手が足りないので、捜索にボランテイアの力を借りることになる。約40人のボランテイアが警察の指導のもとに、森に捜査を広げる。

アレクセイの友達の情報から、森の奥で打ち捨てられた昔の工場跡にボランテイアが向かう。その地下室でアレクセイのジャンパーが見つかった。しかしアレクセイの姿はどこにも見つからない。しばらくして警察では、身元不明の姿かたちを留めないほど傷だらけの遺体が見つかり夫婦が呼ばれる。しかし二人は、それをアレクセイだとは認めない。DNA検査も夫婦は拒否する。

捜査は打ち切られる。時間が経ち3年後。人々はアレクセイのことを忘れてしまったかのようだ。ボリスは、赤ちゃんの父親になり、マーシャが母親と一緒に住む狭いアパートで一緒に暮らしている。ゼ―ニャは、恋人の初老の男と暮らしている。
森の、アレクセイが学校帰りに通った湖畔。大きな樹の枝にアレクセイが放り投げて、枝に引っかかったままの赤白のテープが、風にゆれて空を踊っている。
そこで映画が終わる。

映画の初めの方で、両親の諍いに身の置き場がなく洗面所のドアの陰で泣いていたアレクセイが翌朝駆け足でアパートの階段を下りるシーンを最後に、二度と映画の中で姿を現さない。雪の舞う廃墟になった工場でジャンパーを脱いだアレクセイは、そのまま姿を消してしまった。生きていないことだけは確かだ。彼の傷ついた魂は、大木の枝で風に舞い、空に向かって羽ばたくテープのように自由に飛んで行ったしまった。

現代社会で夫婦が別れ、互いに子供を押し付け合っているというどこにでもある話。とても単純なストーリーなのだが、見ている観客は胸に鋭利な刃物を当てられたようなインパクトを与える映画だ。映画の始まるシーンでは、冬のおわり、寒空の下、乾いた空気と枯れ葉の映像が写される。かすかにピアノの音が聞こえてくる。低い Eの音の連弾。この音が段々大きな音になって響き渡る。呼吸が速くなって、恐怖感が増してくる。音が最大限まで大きくなって緊張感が最大限まで高まる。そうして映画が始まる。映画の最初のシーンで、もう監督は観客の緊張感と集中力をわし掴みにしてしまうのだ。
少年が誘拐されて血に染まったり殺人犯に切り刻まれる訳でもなく、どこの目鼻があるのかわからないほど殴られ虐待されるわけでもない。映画の中で、血が一滴として流れるわけでもないのに、これほど恐怖心が湧き、心が痛む映画も珍しい。ひとえに監督の作り出す映像の手法の巧みさにある。

監督は「現代には濃いかたちで存在する愛がない。そのラブレスな状態を見せたかった。」「AIに職業が奪われていくような時代です。我々は他人を犠牲にしなければ生き抜けない。狂気じみた生存競争のなかにいる。芸術家は時代を切り取る者。今の状況を映す映画や文学が多く生まれるのは当然のことです。」と言っている。この監督は2014年にロシアで、国内の官僚による腐敗を告発するフイルムを作って、その発表を政府に止められた経緯がある。それを同情する映画界の国際的な支持があって、この映画がカンヌ映画祭で審査員賞を与えられた、といわれている。政府の内部告発が、現代社会への告発にぼやけさせられた、そんな形でしか映画が作れなかった、ということかもしれない。

ゼ―ニャはいつも携帯電話を見てばかりいる。恋人とデイナーテーブルに付いているときでさえこれを離さないで、グにもならない写真を撮っては自己陶酔している。アレクセイが居なくなって3年経って恋人と一緒に暮らすようになっても、二人の間に会話はなく、彼女が幸せそうには見えない。
夫のボリスもゼ―ニャが妊娠して結婚せざるを得なかったように、新しい恋人マーシャが妊娠して再婚したが、そのことによって彼の人生が変わったわけでも、新しい結婚生活に愛が溢れているわけでもない。赤ちゃんが泣くわめくと、ベビーコットの中に無理やり押し込んで、赤ちゃんが泣くわめこうが抵抗しようがお構いなしだ。
ゼ―ニャと母親とのやり取りも見れば、ゼ―ニャが母親から充分に愛されることなく孤独な子供時代を送ったことは容易に想像できる。おそらく夫のボリスも同じだろう。どこにも愛がない。愛など見つかる筈がない。

愛情をもって育てられなかったアレクセイがどれほど心に深い傷を負っていたか。映画の初めで彼が夫婦喧嘩を聞かされた翌日に姿を消し、2度と姿を現さなかったことで彼の心の傷の深さを思い知らされる。
自分以外の人を愛せない人は、結婚相手を変えてみても、子供を変えてみても,愛は見つからない。なぜなら、愛はどこかに落ちているものではなく、それを持っている人と一緒になれば得られるものでもなく、自分で見つけて、育てるものだからだ。相手の生き方の中に入って行き、自分と違う相手を発見して、そのことに喜びを見出すことだ。自分と違う相手の存在を喜び、共有できるものを相手と一緒に探すこと、そういった努力を伴う行為が愛であり、人も自分も幸せにすることができる。

ラブレスという親から子への虐待を止めるには、愛が欲しいと相手を変えて見たり、別の土地に移って見たり、愛が欲しいと叫んでみても、かなえられない。ラブレスは親から子へ虐待という形でおこり、その子供が再び同じように、次の子供に虐待を繰り返す社会的な不幸の連鎖を招く。愛を見つけるには、自分を見つめることだ。自分でなく相手との違いを喜び、共感することを喜ぶことだ。愛する人が居るということが、どんなに大きな生きる支えになるか、喜びも悲しみも、怒りや驚きや笑いや、憎しみさえも愛に値する人がいるから起きてくる感情だ。愛するもののためにどんなことでもしたいと思うとき、生きる価値も出てくる。

映画ではアレクセイを探し出すためにたくさんのボランテイアが出てくる。実際にロシアで活躍するリーザ アラートという組織だ。頼まれてやるわけではない。自分の子供が突然居なくなったらどう感じるか、よその親の心配を自分の子供を心配するように思って、警察の捜査に協力する。集まって来るのは普通のおじさん、おばさんたちだ。素晴らしい人々。オーストラリアでも山火事の消防隊、ビーチでのレスキュー、山で行方不明になったひとの捜査隊、みなボランテイアで、彼らは人々の英雄だ。こうしたボランテイアの経験者は誰からも尊敬されている。人の為に生きること、それが自分のために生きることだ。このトルストイの言葉はいつも私を勇気付ける。

音楽がとても良い。ユージン ガルペリンと、サッシャ ガルぺリン兄妹の作曲だという。映画の初めのE音の連弾は、映画の最後でもこの激しい連弾で終わる。この迫力が素晴らしい。
どのシーンで使っていたのかとうとうわからなかったが、アルヴォ ペルトの曲も使われているらしい。エストニア生まれの宗教音楽、古楽、三和音などを得意とする作曲家だ。彼の音楽は鎮魂の音楽と言える。この人の世界が、この映画の湖や森の映像にそっくり重なって来る。

関係ないけど、一流企業に勤めるボリスの会社のランチシーンが面白かった。アメリカ映画だったら、女子はバナナ、リンゴとヨーグルトとかでゴリラのランチと同じような内容だし、ごっつい男なら野菜なしの骨付きステーキが普通みたいで、もう見飽きたけど、ここではさすがロシア。ボリスはでかいポテトがいっぱいと肉団子。彼と「離婚したら出世に響くかなあ。」などとしゃべっている同僚は、ブロッコリー山盛りと魚のシチューみたい。それにデザートらしき小皿がついていて、ふたりとも別の小皿に入った生野菜から食べ始めていたのには、感心感心。健康ですね。愛がないけど。

日本では去年のアカデミー賞で話題になって公開されたらしいが、こちらではやっと今頃公開された。この映画 哀しい哀しい映画だ。

2019年5月2日木曜日

映画「ボヘミアンラプソディ」と「ホテルムンバイ」

      
映画「ボヘミアンラプソディ」が、2019年第91回アカデミー賞で、主演男優賞、編集賞など4つの賞を取った。
映画は、フレデイ マーキュリーが生きていた時代にはまだ生まれていなかった若い人々を魅了させ、クイーンが再び脚光を浴びる結果となった。彼らが1981年にサンパウロのエスタジオ ドモルンビーで行ったコンサートは、観客数で世界記録を作り、未だにどのロックグループも記録更新できずにいる。1986年8月に英国ネブワース公演で、30万人の観客の前で、フレデイが絶唱したのが、最後のフレデイのコンサートになったが、この何十万人もの観客が熱狂する姿が、フレデイの目に映るシーンが、この映画の最高に興奮するところだ。フレデイの大きな目の隅から隅まで、フレデイのパフォーマンスに酔いしれる観衆若者達の姿が捉えられている。フレデイは演奏者と観客の興奮を、一つに一体化させて、観客を熱狂の渦に巻き込むことにおいて天才だった。

彼らの音楽は、ジャンルにとらわれることなく、ロカビリー、ロック、ヘビメタル、ゴスペルなどを取り入れて抜群にユニークな音楽を作った。
映画の中で、これから何をやるんだ、と聞かれてフレデイが、「俺たちオペラやるんだよ。」と言い、意表を突かれたブライアンとロジャーとジョンが、一瞬ののちにそろって、「そうだよ。俺たちオペラやるんだよ。」というシーンがある。そうして、オペラチックな「ボヘミアンラプソデイ」が生まれるのだ。かっこいい。
ブライアン メイ、ロジャーテイラー、ジョン デイーコンが一人ひとり個性を持った、知的で多才な男達で、それぞれが4人4様でいて、とてもイギリス人的。仲の良いグループだった。
例えばブライアン メイは、宇宙工学博士で、大学で研究も講義もしてきたし、自分の工学的知識をもとに特殊音響効果音を自作のギターで創作してきた。ロジャー テイラーは歯医者だ。フレデイを含めて全員がピアノもギターもシンセサイザーも演じて歌うことも作詞作曲もする、すぐれた音楽センスを持っている。
フレデイの死後、最もフレデイと仲が良くて、つながりの深かったベースのジョンがフレデイ追悼コンサートのあと引退して、2度と舞台に立たなかったことも泣かせる。

この映画が成功したのは、主演したラミ マレックがフレデイそっくりにその姿を再現したことと、彼が歌っていた歌、すべてが本物のフレデイの声で編集されたことだろう。
今年のアカデミー賞授賞式で、トップにクイーンが登場して「WE ARE CHAMPION」と「WE WILL ROCK YOU」を歌ったのは嬉しいサプライズだった。ブライアン メイのギター、ロジャー テイラーのドラム、アダム ランバートのボーカルだ。パフォーマンスのあと、71歳のブライアン メイと、69歳のロジャー テイラーは会場に残って授賞式を楽しんで居る様子が見られた。二人とも知的で優雅で美しくて、最高だ。

ところでフレデイ マーキュリーがエイズで亡くなったことはみな知っているが、ゾロアスター教信徒だったことはあまり知られていない。
フレデイは当時英国領だったアフリカタンザニアのザンジバル島で生まれた。幼少期は英国領だったインドで育ち、17歳で家族と共に英国に移住して、彼はロンドンの工業学校とイ―リングアートカレッジでデザインを学ぶ。両親は敬虔なゾロアスター教信徒だ。
ゾロアスター教には厳しい戒律があり、布教はしないこと、両親が信者だと子供も信者と認められるが、多宗教の信者と結婚すると信者であることを捨てなければならないと決められている。
もともとゾロアスター教は、古代ペルシャで、ツアラストラが創設した善悪2元論の宗教だ。紀元前からサーサン朝まで、ペルシャでは国教として信心されていたが、7世紀になってイスラム帝国の軍事侵攻によって、ペルシャがムスリムに改宗されたことを切っ掛けに、迫害された信者たちはインド西部に逃れた。この時、ヒンズー教がマジョリテイーのインドに、ゾロアスター教を布教しないことを条件で定住を許された。だから信徒は、現在10万人くらいで、減少するばかりだ。
ゾロアスター教といえば鳥葬で有名だ。沈黙の塔の石板に遺体を乗せて鳥がついばむのに任せる、究極の自然主義リサイクルだが、いまは法的に禁止され土葬になっている。
余談だが日本のカーメイカーのマツダは松田さんという創業者によって命名されたが、ゾロアスター教の守護霊アブラ マズダーの名をかけて、MAZDAが正式名になっている。

インド最大の国際金融都市、ムンバイ(かつてのボンベイ)には、ゾロアスター教信徒が大勢居住している。彼らは、かつての東インド会社との関係が深く、貿易関係者や知的職業人が多い。中でもタタ財閥は、現在のインドの金融商業活動で最大のパワーを持つ財閥だ。このタタ財閥が所有する1903年に開業した、タジマハールパレスホテルは、世界中から来た政治家、王侯貴族などが滞在する最高級のホテルだ。スイート46室を含む565室、22階建ての美しいホテル。このホテルが、2008年、175人の命を奪ったムンバイ同時多発テロで襲撃され多数の被害者を出した。放火されて建物のトップにあったドームはいまだに修復されていない。この様子が映画になった。

邦題:「ホテルムンバイ」
原題「HOTEL MUMBAI」
監督:アンソニー マラス             
キャスト
デヴ パテル : アジュン ホテルの給仕
アーミー ハマー:デヴィッド アメリカ人旅行者
ナザ二ン ボ二アデイ : ザラ デヴィッドの妻
テイーダ コバン ハーベイ:サリー ザラ夫婦の子の乳母
アヌパン カー: ヘルマン ホテルヘッドシェフ
ジェーソン アンザック: ロシア人ホテル滞在客
ストーリーは、
2008年11月26日、いつものようにタジマハール パレスホテルでは仕事始めの朝礼が始まっていた。アジュンら、給仕たちは一列に並びヘッドシェフ、ヘルマンから、お客様を神様と思って尊重し、満足されるように給仕するようにと訓示され、身だしなみから姿勢まで厳しくチェックされる。その日もいつもと変わらず、ホテルマン達は、忙しく立ち働く。 
イラン系英国人貴族のザラが、アメリカ人の夫デヴィッドと赤ちゃんのキャメロン、乳母のサリーを伴ってホテルに到着する。夫婦は乳母を赤ちゃんを部屋に残して、階下に食事に出る。

一方10人の自動小銃や手榴弾で完全武装した男達が、パキスタン、カラチ港から貨物船で渡航、ゴムボートに乗り換えてムンバイの海岸に到着した。男達は二人ずつ分かれて、夕方で混雑している駅やカフェや映画館などで、いきなり無差別乱射を始める。外国人に人気のカフェで夕食を楽しんでいた、アメリカ人のバックパッカーたちの目の前が血の海となる。

チャトラパテイシヴァ―ジ駅、オベロイトライデントホテル、レオポルドカフェ、カマ病院、ユダヤ教ナリーマンハウス、メトロアドラブ映画館、マズガーオン造船所など、12か所で、人々が一日の仕事が終わり夕食を取る時刻に、突然乱射が起こった。警察は前代未聞の出来事になすすべもなく、特殊部隊の救援を頼みに待つばかりだった。
街で起きている無差別乱射から逃げ惑う人々が、助けを求めてドアを叩いたのが、タジマハールパレスホテルだった。パニックに陥っている人々は、群れを成してホテルのロビーになだれ込むが、その中にはテロリスト達も紛れ込んでいた。ホテルのロビーで情け容赦ない射殺が始まる。階下のロビーやレストランでの殺傷は一段落すると、犯人たちは、オペレーターに銃を突き付けて、客達に一室一室のドアを開けるように命令する。ドアを開けた宿泊客たちは、たちどころに撃たれる。

ザラとデイヴィッドはレストランに身を伏せて、銃も持った犯人たちの様子を窺う。ホテルの部屋では、事態を知らずにいた乳母は、突然隣の部屋に宿泊していた老婦人が、血相を変えて部屋に踊り込んでトイレに隠れ、それを追ってきた男達が撃ち殺すのを間近に見て、洋服ダンスのなかに隠れる。レストランからデヴィッドが、犯人たちのすきをついて赤ちゃんを助けに階上に上がろうとして、犯人に人質として捕らえられる。
ホテルのヘッドシェフのヘルマンと、給仕のア―ジェイは、レストランに隠れていた生存者を安全な会議室に誘導する。そこに外から逃げ込んできた人々も合流する。テレビは、多発テロで混乱する駅や町の様子を放映している。

ニューデリーから、軍の特殊部隊が到着するのに何時間も待たなければならない。すでに、その時間は過ぎ、1日経っていた。ザラや、謎のロシア人客らは、救援がもう来ないのではないかと絶望的になり、ヘルマンやアージェイの助言を聞かずに、自分達でホテルから脱出しようとする。しかしそれらの宿泊客達は、待ちかまえていた犯人たちによって殺され、ザラは人質として捕らえられる。人質にされたデヴィッドは、見張り役の犯人の銃を奪おうとしてザラの目の前で死ぬ。犯人たちと警察との交渉は、決裂した。火がつけられ、人質にされた外国人たちは一人ひとり撃ち殺される。ザラは銃の頭に向けられて、必死でコーランを唱える。その女の頭を犯人は銃で吹き飛ばすことができない。
丸2日かかって、軍の特殊部隊300人がホテルの犯人たちを一掃、テロリストの襲撃は終わった。

10人のテロリストによる乱射で175人の命が失われ、そのうちの34人が外国人だった。犠牲者の一人に三井丸紅液化ガスの日本人社員もいた。
ニューデリーから、軍の治安特殊部隊の到着が大幅に遅れ、一般市民が無差別に殺害され始めてから、丸2日たっても10人の犯人を捕らえることができず、市民の救命が遅れた理由のひとつに、タジマハールパレスホテルが、インドの大多数がヒンズー教信者ではなく、ゾロアスター教信者の所有するホテルだったこともあったのではないか、と言われている。

映画ではロシア人で秘密部隊で働いていたらしい謎の屈強の男が出てくるが、ザラを守ろうとして、あっけなく殺される。ハンサムの代名詞みたいなアーミー ハマーも生存できない。
映画の中で、足を撃たれて動けなくなった犯人の一人が、人質たちの見張り番を任される。彼は怪我の痛みに耐えかねて、故郷の父親に電話をする。「パパ、元気?組織からお金を受け取った?」「え? まだなの?受け取ってないの?」 息子の英雄的アタックの命の代償として大金が父親に送られる、という組織の話がウソだったことが分かる。自分は捨て石だった。彼は泣きながら「パパ、元気で。」と言って電話を切り、一人ひとりの人質を処分していく。

今年2019年4月2日に、スリランカのコロンボで起きたイスラム国によるカトリック教会への爆弾テロでは250人の命が失われた。ニュージーランドのクライストチャーチでは、たった一人のレイシストによって、モスクが攻撃されて50人の信者たちが亡くなった。
これらで犯人らが使ったのが「AK自動小銃」だ。今ではオーストラリアでもニュージーランドでも所有が禁止された。これら自動的にたくさんの弾丸が連射できる銃を、「卑怯者の銃」という。狩猟は原始からある男の究極のスポーツだという人があるが、殺傷目的に開発された銃をスポーツとして狩りに使うなら、動物が苦しまずに綺麗に死ねるように、たった1発で仕留められることが、スポーツだろう。安全なところに隠れていて連発銃や散弾銃で獲物の姿が形をとどめないほどにして殺すのは、冷血で精神を病んだ者のすることだ。スポーツからは程遠い。銃は断じてスポーツではない。一度に沢山の人を殺すためのものだ。

「卑怯者の銃」AK47など自動小銃は、一度弾を込めて発射すると、発射時に発生する高圧ガスが次の弾を薬室に押し出すので自動的に再装備することができる。1分間に600発もの発射が可能な自動連射小銃が開発されている。自分が安全なところに隠れていて、短時間で最大数の「けもの」を殺すことができる「卑怯者の銃」だ。

もともと武器は、帝国主義国が他国を侵略するときに、自分達とは、肌の色や宗教や、文化の異なった人々を「野蛮人」と断定して自分たちの都合の良く植民地化する目的に使われた。野蛮人でも奴隷でもない人々が、帝国主義者が使ったのと同じ武器を持って反撃に転じるのは当然の成り行きだ。
いまテロリスト達に大量殺人が行える「卑怯者の銃」を製造販売しているのは、最先進国米国、英国、フランス、ロシア、中国、イスラエルの国々の企業だ。シリアで反政府軍に武器を供給してきたのは米国だし、トルコ、カタールといった国々とも兵器を供給している。こうした武器を使って米国や英国はアフガニスタン、イラク、スーダンや南米の国々に直接介入してきた。武器の供給の過程で、それら巨大な武器製造企業の裏では、マフィアともつながっている。

テロリスト達に大量殺人が行える武器を製造供給しているのは最先進国の企業だし、売れれば売れるほど人が死に、死の商人は肥え太る。テロリストは最先進国の企業が育てているのだ。 ロンドンもパリも執拗に狙われている。私たちは明日、どこかで爆弾の爆発や、無差別乱射に巻き込まれて命を落とすかもしれないという、危険の中を生きている。そんな場面に行き当たったら生き残るかどうかは、運次第と言うしかない。
そうした病んだ社会を資本主義が育てて来た。武器生産を止めるしか道はない。人は誰ひとり、人をだまし、傷つけ、殺すために生まれてきたのではないからだ。

「ホテルムンバイ」のようなデザスター映画は、見た後でいろんなことを考えさせられるが、これを観るなら「ボヘミアンラプソデイ」を3回みることをお勧めする。元気が出る。