2012年10月22日月曜日

映画 「ルーパー」

原題:「LOOPER」

脚本、監督:ライアン ジョンソン             
キャスト:現在のジョー:ジョセフ ゴードン=レビット
     未来のジョー:ブルース ウィルス
     未来の妻  :シュイ チン
     サラ     :エミリー ブラント
     親友セス  :ポール ダーツ

ストーリー
現在は2040年。カンサス。
富める者はさらに豊になり、街は貧困者であふれている。人々は生き残る為に、犯罪が日常になっている。
ルーパーと呼ばれる男達が居る。
彼らは非合法組織の一員で、特別仕様の時計を持っていて、指示された時間に指示された場所に行って、タイムマシンで未来から送られてきた犯罪者を殺す。未来社会では 犯罪者だからといって、死体を始末して完全に抹消することはできないが、過去に送られてきたならば それができる。ルーパーの報酬は高額だ。それぞれのルーパーも、やがて引退する時が来る。殺した犯罪者が金の延べ棒を背負っていたら、それがルーパーの最後の仕事だ。あとは、仲間達から祝福されて、引退して贅沢三昧の生活を送れることになっている。
ルーパーの親玉は 未来から来た謎の男で、彼の命令は絶対だ。従わなかったものは即、死を意味する。

ジョーは選ばれてルーパーとなり、淡々と仕事をこなしている。そして引退できる日を心待ちにしている。そんなジョーのところに、ある夜、親友のルーパー、セスが助けを求めてやってくる。彼はタイムマシンで送られてきた男を殺す前に それが誰なのか、知ってしまった為に、殺すことが出来なかった。シンジケートの絶対命令に従うことが出来なかったセスを すでに組織は知って、追手を送り込んでいる。ジョーはとっさに 彼を自分のアパートに隠すが、組織の親玉はそんなことはとっくに見通している。自分の死か、親友の死か選択を 突きつけられる。そしてセスは組織に連れ去られていった。

ジョーに新しい仕事が指示された。ジョー(ジョセフ ゴードン=レビット)は、いつもの通りに約束された時間に約束された場所に行って、銃を構えて待っていた。しかし、タイムマシンでやってきた男(ブルース ウィルス)は、すばやくジョーをぶん殴って失神させると、シンジケートの本部を襲うために去っていった。ジョーは、仕事をしくじったことになり、シンジケートから追われる身となる。しかし、ジョーは、殺せなかった男が金の延べ棒を背負っていたことで、それが誰なのか、知った。親友セスが、連れ去られる前に言ったことは本当だったのだ。
ルーパーは自分で自分を最後に殺す。

未来からタイムマシンで帰って来たジョーは、未来世界で生まれて初めて心から愛せる女に巡りあった。いま、現在のジョーに殺されるわけには行かないので、タイムマシンで過去の世界に帰ってきた。
シンジケートは現在のジョーも未来のジョーも抹殺しようと、躍起になっている。
現在のジョーは、逃げながら子供を抱えた女サラ(エミリー ブラント)に出会う。その子供は 未来で最大の極悪犯罪者、(レインメーカー)になる子供だった。ジョーは子供を盲愛する女を不憫に思い、、、。
というお話。

SFスリラー。未来世界の犯罪人を、現在に送り返して抹殺する、という発想がおもしろい。今と未来と過去とが ごたまぜになって混乱して、映画を見た人たちと解釈や意見交換した末、やっと 筋を整理することができた。
でも、せっかく面白い発想で描かれた映画なので、結末もクールに、近未来風に終えて欲しかった。こういうストーリーに、変に女子供を加えずに、ラブロマンスなどなしで、話しを進めたほうが良いのに、惜しい。

ジョセフ ゴードン=レビットは、平凡な顔、姿をしているのに、マーチン スコセッシ監督に認められて「インセプション」で、良い役をやり「ダークナイト ライジング」で、次のヒーローに選ばれ、「フィフテイーフィフテイー」では、癌患者の役で、しっかり泣かせてくれた。良い役者だ。

ブルース ウィルスは、いつも良い。本当に頼りになる男。「ダイハード」以来、いくつになっても絶対殺されない強い男だ。今回の映画では、妻、シュイ チンのために どんなことでもする。中国人女優が、ハリウッドの看板のようなブルース ウィルスの妻の役を演じたことで、中国で話題になり、この映画、アメリカ人よりも沢山の中国人観客を動員したそうだ。
これからのハリウッド映画は、中国人をキャストに登場させると、興行成績が上がって、大成功することになるだろう。何と言っても 世界中4人に一人は中国人。中国人なしには世界は回らない。彼らを敵にまわして、尖閣列島などで、眠れる巨像を起こしてはいけないのではないか。

なかなかおもしろい発想の映画。それだけに結末には落胆。
しかし、この映画のあと、沢山の人と「あの、鼻が無くなった男はどうなったっけ?」とか、「レインメーカーと親玉とは どういう関係だっけ?」とか、「女が いつも古い切り株に斧をふるっているのは何だったんだろう?」とか、いろいろ、それぞれの疑問について、喧々諤々 話しあったり諍いがあったりして、盛り上がった。自分がジョーだったら、どうする、こうする、などと、架空の世界で、深刻かつ現実的にまじめに話し合ったりして、それが 映画よりもおもしろかった。「バックザ、フューチャー」、「ミッション8ミニュツ」、「シャッターアイランド」、「インセプション」が好きだった人には、おすすめ。
日本では一月に公開。

2012年10月6日土曜日

和太鼓「鼓童」と「TAIKOZ」の合同公演


                
1971年から佐渡島を拠点に和太鼓のパフォーマンスを続けている「鼓童」と、オーストラリアで和太鼓を演奏している「TAIKOZ」というグループの合同公演を観に行ってきた。


「鼓童」は、「伝統芸術を現代的に再創造する」パフォーマンスを続けてきたプロの和太鼓集団。田耕(でんたがやす)が、立ち上げた「佐渡国鬼太鼓座」が前身。「こどう」という名前には、心臓の鼓動という意味と、子供のように無心で太鼓をたたく、という意味が込められている。1981年に、ベルリン芸術祭で発表して以来、海外で評判が高く、今まで3500回の海外公演をこなし、一年の三分の一は海外公演、三分の一が国内公演、残りの三分の一を、佐渡で共同生活をしながら、修行に励んでいる。今年からは、演出、監修するためのアートデイレクターに歌舞伎の坂東玉三郎を迎えた。

  「鼓童」は毎年、夏になると本拠地の佐渡でアートセレブレーションと名付けた国際芸術祭りを主催している。ここでは、海外からも国内からもアーテイストが招かれて、様々のパフォーマンスが繰り広げられる。
彼らが使用する太鼓は、宮太鼓と呼ばれる、くり抜き胴のものと、桶太鼓と呼ばれる桶胴で、ロープで皮を締め付ける太鼓がある。どれも、胴の大きさ、長さによって太鼓の大きさが異なり、国産ケヤキの胴に、牛の一枚皮が張ってある。大太鼓では面の直径が、1メートル半近くあり、重さは400キロにも及ぶそうだ。グループは、和太鼓だけでなく歌や鐘や琴、竹笛、踊りも見せる。メンバーは 3年の研修の後、厳しい選考と実地研修を経て、正式メンバーとなるとういう。

今回の合同公演の演出、監修を務めたのは、オーストラリアで活躍する「TAIKOZ」の創始者でタイコもたたくが、尺八の大師匠の肩書きを持つ、ライリー リーだ。彼は、1970年代に 日本国宝の山本宝山の尺八に感動して、来日し、酒井竹保に師事して、7年間尺八を習ったというアメリカ人。彼は、当時、鼓童の前身だった佐渡国鬼太鼓座に加わり、太鼓の練習だけでなくランニングや精神修行を通じて日本の伝統音楽に精通する。その後、オーストラリアでプロの太鼓集団「TAIKOZ」を創立して、パフォーマンスをしている。市民向けの太鼓教室やキャンプを常時、開催しており、評判が良い。彼らは、鼓童にない現代的な太鼓の味付けにも積極的で、尺八、鐘、琴、笛だけでなく、ジャズドラム、マリンバ、サックス、デジュリドーなどの楽器ともコラボレーションしている。ライリー リーは、州立シドニー音楽大学の教授でもある。
また、TAIKOZをライリー リーとともに、立ち上げたイアン クレタースは、シドニーシンフォニーオーケストラのプリンシパル パーカッショニストでもある。

彼らの公演を聴くのは2回目。前回は3年ほど前だった。
公演が始まって座席に座っていると、地響きがしてきて、段々とそれが大きな音になり、大地が揺れ動き、圧倒的な音量に身動きができなくなる。大地が揺さぶられ、鼓膜が痛いほどに震える。太鼓の音がこれほどまでに人を圧倒するとは、驚くばかり。
3人の若衆が 直径1メートルもある3つの太鼓を舞いながら、強打する。自在に、異なった音の太鼓に移動しながら力強く、美しく舞う。あるいは 桶胴太鼓を首から下げた10人の男女が代わる代わる異なるリズムを打つ。それが総じて鼓膜が震え立つほどの迫力だ。全員が統制がとれていて、太鼓が鳴り響いている時と、静寂とのコントラストが 際立っている。彼らは共同生活しながら、運動で体を鍛え、トレーニングをしているそうだが、本当に厳しい練習のたまものだということが、よくわかる。

思えば、紀元前からヒトは太鼓に親しんできた。コミュニケーションの手段でもあったし、共同体にとって、親睦やエンタテイメントとしても活用されただろう。音楽の元は 心臓の鼓動だが、母親の子宮の中に居た時から聞き慣れたリズムを 成長してからも太鼓をたたくことによって、再生し、心の安らぎを求める必要もあったろう。いま、わたしたちは、正確に刻まれるリズムに快感を覚え、自由自在にリズムを変え、メロデイーを楽しむという 高度な音楽的な能力も身に着けてきた。しかし、やはりリズムの力には勝てない。天井も空も堕ちよ、という程に会場にとどろき渡る太鼓の音は、何故か懐かしく、力のエネルギーに溢れていて、ただただ圧倒されていた。
素晴らしい太鼓の演奏だった。

それだけに、太鼓と太鼓のパフォーマンスの間に挿入される歌や踊りの出し物との落差に愕然とする。公演の2時間を、太鼓ばかりをたたいていたら、力尽きて死んでしまいそう。だから力を抜いた見世物が間に挿まれていても仕方がないのだけれども、これは前回の公演でも感じたが、どうしても釈然としない。
例えば、アイヌの古い歌が歌われる。歌うのは、日本人ともアイヌとも思えない不思議な着物を着て、いかにも外国人が歓びそうな神秘的な雰囲気の中で 意味不明の歌詞で歌われる。また、例えば、国籍不明のドレスを着た女性が琴を奏で、竹笛で、どこかの地方に伝わる曲が外国人向けに演奏される。鼓童は、「伝統芸術を現代的に再創造する」グループということだから、それで良いのかもしれないが、日本人が見ると違和感を禁じざるを得ない。わたしがオーストラリアに 18年住んでいてアボリジニの踊りに触れてきたからと言って、日本に帰ったとき、アボリジニ風のボデイーペインテイングをしてダンスを踊り、お客を集めて良いものだろうか。先住民族の古い歌や踊りには、彼らの深い祈りや独特の意味が込められているはずだ。まね出来るものではない。

地方独特の伝統文化を、その伝統に属さない者が、どこまでコピーして良いのか。オリジナルを、現代芸術家が どこまで再生し創造することが許されるのか。伝統をどこまで壊して良いのか。現代芸術化に、厳しく問われるべき倫理に関わることで、わたしには、わからない。
ただ、パフォーマンスが、外国人受けをねらった商業主義に陥ったならば、人々は見向きしなくなるだろう。 鼓童の太鼓が大好きなので、つい 文句を言ったが、それだけ、次回に期待している、ということでもある。

2012年10月1日月曜日

オペラ オン アイス


「オペラ オン アイス」、「氷の上でオペラを」、というイタリア ベローナのコロシアムで行われた公演を ハイデフィニションフイルムで映画館で観た。


ギリシャをはじめとして ヨーロッパ中がユーロ危機で震え上がっている時期に、ついにイタリアも財政破綻か、と言われるのも、うなずける、、、というほどに贅沢なイベント。さすが、ルネッサンス発祥の地で、芸術にはお金の糸目をつけないイタリア気風に、感心。素晴らしい出し物だ。
2000年の歴史のあるベローナのコロシアム(円形劇場)の半分に 氷を張って、残りの半分にステージを作り、100人のオーケストラ、200人の合唱団を配置。それを2万5千人収容できる階段状の客席が見下ろす形で、夜の野外公演が行われた。

フイルムの早回しで 巨大なコロシアムに氷を張り、会場を作る様子をフイルムのはじめに見せてくれたが、実に興味深い。2000年前に古代ローマ人が、大理石でカバーされたこの円形劇場に、やってきて、グラデイエーターが戦う姿や、世界中から連れて来たライオンや豹などの珍しい猛獣が死闘する姿をヤンヤの歓声で見て楽しんだ。コロシアムや浴場は、古代ローマ人にとって大切な娯楽であり、社交であったろう。いま、人々はそのコロシアムで 芸術の中の芸術といわれるオペラを見ることが出来る。そのコロシアムで歌われるオペラも、600年ほど前から作られた過去の遺産なのだ。
ベローナのコロシアムは ローマのコロシアムほど傷んでおらず、ほぼ完璧な形で保存されていることから、夏の間は、オペラ会場として使われている。マリア カラスがデビューしたオペラ会場としても有名だ。そういった華やかな過去の遺産をバックに、最新の技術をもったプロのスケーターが舞う。なんとも贅沢な公演だ。

指揮:ファビオ マストランジェロ
ベローナ市オペラオーケストラ
テナー:ジーン フランコイス ボラス
テナー:ルーベンス ぺリザリ
ソプラノ:エリカ グリマンデイ
ソプラノ:レイチェル スタニスキー
メゾソプラノ:ジェラルデイン シャべ
バス:ミルコ パラツイ

スケーター
カロリーナ コスナー(イタリー)
ステファン ランビエル(スイス)
キム パン&ジアン トング(中国)
タチアナ トツミアーニ&マキシム マリニン(ロシア)
イザベル デロベル&オリバー ションフィルダー(フランス)
アナ カペリーニ&ルカ ラノツテ(イタリア)
エマニエル サンド(カナダ)
ホット シバーズ (イタリア)

ビゼーの「カルメン」の「序曲」から始まって、ラストのベルデイの「アイーダ」から「勝利の行進の歌」まで、有名な曲ばかり、オペラ歌手の歌う曲にあわせて、スケーターたちが優雅に踊った。 テナーのジーン フランコイス ボラスの歌う声がとても良かった。とくにドニゼッテイ作曲「愛の妙薬」から、「人知れぬ涙」(UNA FURTIVA LAGRIMA)の曲がいつ聞いても胸に迫ってくる。それを世界チャンピオンタイトルをたくさん持っているスケーターのステファン ランビエルが、この愛のために今死のう、とでもいうように絶望的な悲哀をこめて踊る。とても感動的だ。

オリンピックで、かつて何度もメダルを取っているこのスイス人の、ステファン ランビエルと言う人は、技術的にも中で際立っている。スケート靴を履いたまま、誰よりも高くジャンプして、誰よりも早くスピンしてクルクル回る。動作のキレが良く、とても見栄えする。この人が舞台に出てくると、観客からの歓声がものすごかった。ヴェルデイのオペラ「リゴレット」から、有名な浮気男が、女なんてみんな簡単に落とせる、と歌う「女心の歌」に合わせて踊る時は、思い切りコミカルに、氷の上を飛んだり跳ねたりして踊った。氷のステージと観客との間に堺がないので、ちょっとスピードのコントロールが悪いと観客席まで滑り落ちてしまうのではないかと、心配になるほど、激しいスピードで、自由自在に気持ち良さそうに滑っていた。プロだな。

プッチーニ作曲「トランドット」とグノーの「ロメオとジュリエット」を踊った中国人カップル、キム パン&ジアン トングのテクニックも驚くばかり。早いスピードでアクロバットのように手と手を取り合って踊る姿は怖いほどだ。例えば、横臥姿勢で横にゴロゴロ転がる姿を想像して欲しい。それをスケートを履いたまま男性に横臥状態のまま頭上で放リ投げられた女性が くるくる3回半も空中で回って それを男性に受け止められて、降りてきて、また踊り続けるのだ。頭上に飛び上がって、降りてくるだけなら分るが、横臥状態で横に回転しながら、なんて物理的に可能なことだろうか。ものすごいスピードだからできることなのだろうか。ヒョイと男性のスケート靴の上に飛び乗って、ポーズをとったり スピンの末、飛び上がって3回半の回転など 繰り返し、続けて何度も楽々とやっている。2010年のオリンピックシルバーメダル保持者で、スケート世界チャンピオンシップに毎年のように入賞しているようだが、カップルのスケーターの中では、抜群の技術の高さだ。

16人のホット シバースというイタリアの女性グループが優雅で これまた恐ろしく皆、統制がとれていた。彼らはヴェルデイの「ナブコ」から、オペラの中で一番美しい合唱の歌を、素晴らしく優雅で美しく踊った。とても感動的な合唱曲で、200人の合唱団が正装して歌っているのをバックに 途切れなく流れるような美しさで16人が一糸乱れず、たくさんの環を、氷に描いた。
ラストは ベルデイの「アイーダ」から、勝利の行進の歌を、出場者全員が歌い、全てのスケーターが華やかに踊った。オペラの中で一番立派で堂々とした曲だ。
好きな曲ばかりに合わせて、美しい踊り子達が氷の上で踊って、楽しい公演だった。

テーラーズスクエアのヴエロナという、小さな映画館で観たが、この映画館の良いところはバーがあって、イタリアビールの「ペローニ」を、ボトルでなく、樽で置いていることだ。素敵なフイルムを見て、ペローニを飲んで、外れた音でアイーダを歌いながら帰ってきた。満足な土曜日。

2012年9月23日日曜日

映画 「モンスターホテル」

                                 
原題:「HOTEL TRANSYLVNIA」(ホテル トランシルバニア)


監督:ゲンデイー タルタコフスキー
アメリカ映画 3D コンピューターアニメ映画 ソニーピクチャー
キャスト(声優)
ドラキュラ伯爵:アダム サンドラー
娘メイビス  :セレナ ゴメス  日本版(川崎海荷)
ジョナサン  :アンデイーサンバーグ (藤森慎吾)
フランケンシュタイン:ケビン ジェームス
ミイラ男   :セ ローグリーン
狼男     :ステーブ ブジェミー

ストーリーは
ドラキュラ伯爵は 愛した妻が形見に残した赤ちゃんを 安全に育てる為に秘境のリゾート地に、お城のようなホテルを建てた。妻を無残にも魔女狩りの火あぶりで失った。その憎い人間から できるだけ離れて暮らさなければならない。大切な赤ちゃんを 人間の迫害から逃れて無事に育てるには どんなに注意しても注意し足りない。お城の奥の奥で、大切に大切に育てられた女の子メイビスは 父親の愛情を一身に受けて育った。
でも大きくなると メイビスはお城を出て、外の世界を見てみたくて仕方がない。外に出たいと言う娘に、とうとうドラキュラは メイビスが118歳になったら外出禁止を解く と約束してしまった。

メイビスの118歳の誕生日。
好奇心の塊のようなメイビスのことが心配で心配で仕方の無い父親は、メイビスに外出許可を与える一方で、ホテルの近くに、架空の町を作り、メイビスを待ち受けた。彼女が町に着いたとたんに、人間のふりをしたモンスターがメイビスを火炎攻撃、ニンニク攻撃で、怖い思いをさせる。もうこりごりと、逃げ帰ったメイビスを見て、ドラキュラは、にんまり。

さてメイビスのお誕生日を祝う為に 世界中からモンスターがやってきた。フランケンシュタイン、ミイラ男、透明人間、狼男、と次々にやってくるお客たちと、豪勢で愉快な誕生パーテイーが始まる。しかし、ドラキュラ伯爵の館に こともあろうにバックパックを背負った人間界の青年が紛れ込んでやってきた。ドラキュラは大慌て。

リュックを背負って世界中を歩いて回っている青年アンデイーは、のどかな顔で怖いもの知らず。まして、ホテルはモンスターのために作られたホテルだなどと、知らないから中に入るなり、みんな怪物の仮装パーテイーをしているのだと思って、さっそく仲間入り。そこで出会ったメイビスに一目惚れをする。
メイビスも、生まれて初めて会った青年に心惹かれる。あわてたのはドラキュラだ。体よくアンデイーを追い出そうとするが 可愛らしいメイビスに恋をしたアンデイーは 一向に出て行かない。歯噛みをして二人の間を引き裂こうとするドラキュラのもと、メイビスとアンデイーの初恋の行方は、、、。
というお話。

とても愉快なコメデイーアニメーション。
驚くほど画面が美しい。アニメーションの技術も進んだものだ。デイズニーアニメの初期の頃のフイルムとは雲泥の差だ。動きも自然で、それぞれのキャラクターが際立っている。
ドラキュラがとても魅力ある描き方をしている。彼の親ばかぶりが、笑えて、ホロッとさせる。彼の過保護のもとすくすく育ったメイビスが 純真で可愛らしい。
そのメイビスを一目見るなり恋をする 21歳のバックパッカーも、朴訥としていて 正直で魅力的だ。彼がメイビスに誘われて、お城の屋根の上から下界を眺めて、その美しさに感動して、「ワー。ブタペストみたいだ。」というシーンがある。アンデイがただの旅行好きな現代っ子なだけではなく、東欧諸国を歩いて巡るような、なかなか骨のある青年だということが それとなくわかる。

ホテルにやってきたモンスターたちに楽しんでもらおうと、ドラキュラは 食事だけでなく、ゲームやカードやロックコンサートやプールでもてなす。でもドラキュラのセンスは とっても時代遅れ。なんと言ってもドラキュラは何世紀も生きてきた。今では 年寄りが老人ホームでしかやらないような ビンゴゲーム、1950年代のようなスローテンポのミュージック。ドラキュラの時代の産物に、欠伸を噛み殺すアンデイーの様子が 大いに笑える。
誰もが知っているモンスターたちが、リゾートホテルにやってきて、皆仲良くプール遊びに興じたり、ダンスしたり、ゲームやったり、メイビスとドラキュラのために力を貸したりする。

とても楽しい映画。見ていて自然と頬が緩む。
一人で見るのではなく 仲の良い家族や友達と見て、一緒に笑って、ちょっと幸せな気持ちになれる映画だ。



2012年9月22日土曜日

映画 「メリダとおそろしの森」

原題:「BRAVE」(ブレイブ)
 監督:マーク アンドリュース    ブレンダ チャップマン
 ピクサー アニメーション
キャスト(声優)
メリダ:ゲリー マクドナルド
女王エリノア:エマ トンプソン
王ファーガス:ビリー コノロイ

もうすぐで3歳になるマゴを、初めて映画館に連れて行った。 大きな暗い建物の中に入り 真っ暗闇の中でスクリーンが映し出され、今まで聞いたことがないような大音響、、、マゴは怖かったらしく、椅子に座ったまま 固まって動けずにいた。体を硬くして目だけ大きく見開いて、画面を見ている姿を見て、3歳前では ちょっと早すぎる体験をさせたかな、、と心配になったが、映画が始まると すぐにストーリーの中に入っていって、読み取っていることが分った。順応性がはやい。
ストーリーがちゃんとわかっている。頭が良い。さすが娘の娘だ。

 2歳半のときにヴィデオで「ライオンキング」を見ていて、レオのお父さんライオンが死ぬシーンで涙を落とした。たった2歳半で 死を悼むという間接体験をして、主人公レオに共鳴していた。何て情感豊な子供だろう。わたしが映画を見て 泣いたり笑ったりできるようになったのは小学校高学年の時だった。 娘は小さいときから 絵を描き、詩を読み、ヴァイオリンを持たせるとわたしより良い音を出した。感受性の高い芸術家肌。そんな娘の娘だから 芸術に目覚めるのも早いかもしれない、、、。などと、完全な親馬鹿で、救いようの無いマゴ馬鹿。 ともかくマゴは 2時間近くのこの映画を、最後までしっかり集中して見ていた。すごいな。将来が楽しみ。今回は、抱いてマゴを連れて行ったが、10年後には、わたしの乗った車椅子を押して映画館に連れて行ってもらいたい。

ストーリーは
 中世のスコットランド王、ファーガスは勇敢で力持ち。ある日、ばけ物のような巨大で凶暴な人食い熊と戦って、片足を失くした。彼には、物静かで思慮深い妻と、燃えるような赤毛の娘がいた。その一人娘のメリダは、ふつう女の子が興味を持つような遊びには全く関心がなく、男の子のような活発な子供だった。幼い時に父親から贈られた弓と矢が 一番お気に入りの玩具。馬に乗れるようになると 森に出かけて行っては、弓と矢で走り回っている。何時の間にか、メリダほど巧みに弓を射る者は城内にはいない程になってしまった。

そんなメリダに、母親が突然結婚の話しを持ちかけてくる。遠来の親戚や貴族の中から選ばれた王子と メリダは結婚して、妻としての役割を果たさなければならない と母親は言う。いつまでも愛馬とともに森で自由自在に愉快な暮らしをしたいのに、お城の中で 窮屈な服を着て、刺繍をして夫を待つ暮し、なんて考えられない。そう思うとメリダは 家族のつながりが恨めしい。腹いせに家族を刺繍したタピストリーをバッサリ破って、森に逃げ出した。

森の奥深くで魔女に出会ったメリダは、クイーンがもう自分に結婚を強いないようにして、とお願いをする。しかし、魔女がかけた魔法によってクイーン エレノアは熊にされてしまった。あわてたのはメリダだ。城の中で熊が出た と騒ぎは大きくなるばかり。熊狩りの第一人者 ファーガス王に追われる身になったエレノアを連れて、メリダは森に逃げ出した。メリダはもう一度、魔女に会って、何としてでも母親をもとのクイーンにもどしてもらわなければならない。しかし、森には、むかし王を襲った、凶暴な人食い熊が居て、、、、。 というお話。

ケルト民族独特の燃えるような赤毛の勇敢な女の子が馬を疾走させ、弓を射ながら森を駆け巡る姿が とても美しい。魔女が住み 恐ろしい熊が生息する森の神秘、怖いもの知らずの勇敢なメリダの生き生きとした動き、お城では 王様達が囲む祝宴のご馳走の数々。 画面が きわだって美しい。

しかし、ピクサーアニメーションなのに、「モンスターインク」のような、面白さに欠ける。「トイストーリー」や、「カールじいさんの空飛ぶ家」のような、笑って泣かせて、優しい気持ちになるような感傷性がない。「レミーのおいしいレストラン」のような、突拍子も無い独創性もない。 ピクサーが作った 初めてのお伽噺なのに、ストーリーが 複雑でややこしい。ピクサーが初めて女性監督に作らせたのに、これでは 現代女性の味方になっていない。ピクサーが作った映画なのに 斬新さに欠けて、デイズニー映画みたいだ。

まじめにこの映画を見た子供が、「ママの言うこと聞かないと、ママが熊にされちゃうよ。」という 間違ったメッセージを受け取ってしまわないか、心配だ。家族の絆を大切に、とか、親の言うことをよく聞く様に、みたいな結論になってしまったら、困る。やっぱ、アニメで説教しちゃ、いけないんじゃないか。ま、、、3歳のマゴは楽しかった と言ってくれたからいいんだけど。

2012年9月17日月曜日

オーイ ヤッホー 島崎三歩さーん!!!

大好きだった漫画が長い連載を終えて、最終回を迎える時、読者は長いこと付き合ってくれた親しい友達に去られるような 深い悲しみと喪失感に苛まれる。石塚真一による漫画「岳」が、18巻で遂に終わった。もうこの続きがないのか と思うと大切な人を、又失ったような思いで悲嘆にくれている。  

私のヒーロー、島崎三歩は ヒマラヤのヒラリーステップで死んでしまった。二重遭難だった。 昔の仲間オスカーが率いるヒマラヤ登山隊が悪天候の中、遭難したのを、救助している内、長時間酸素なしで救助に当たらざるを得なくなって、意識混濁するなかを さらに無謀としか言いようのない救助に向かって命を落とした。 三歩は、常に、山に行っても絶対生きて帰ってくると、明言して遭難者の救助を行い、滑落や雪崩や凍死で助からなかった登山者も、自分の背中に背負って帰ってくる。氷のクレパスに落ちて、ザイルと滑車があっても救助できないような怪我人でも、自分の背中に縛り付けて背負って這い登ってくる。 彼は、どんな過失や 装備不全で遭難した登山者も、決して責めない。自分を責める遭難者に、「よく頑張った。」と、心をこめて言い、怪我が治ったら「また 山においでよ。もどっておいでよ。」と、言って送り出す。 ごっつい体に、子供がそのまま大きくなったような純真さで、山を愛する。山への畏敬の念と、登山者への無条件の愛情。どんなピンチでもあきらめない。吹雪に閉じ込められたら ただ無心で天候回復を待つ。決して恐怖に囚われない。もう、穂高岳の三ノ沢に住み着いている三歩は、自然児というか、山の一部のような存在だ。そんな男でも、8848メートルのヒマラヤで風速100メートルの強風とブリザードには 勝てなかった。

島崎三歩は 長野市北部警察署地域課、遭難救助隊を補佐する遭難防止対策の民間ボランテイアだ。 一緒に救助活動をしていた警察官の阿久津君が 落石事故に遭い、二度と自力で立つことが出来ない障害者になってしまった。彼の出会いや結婚、一人前の救助隊員に育つまでを、ずっと見守っていただけに、この事故は、三歩にとって、大きな傷となり、挫折感を植えつけた。仲間のザックに 遭難救助のような人のためではなく、いったん自分の山登りに戻ることを勧められて、三歩は北アルプスの山を降りて、ひとりローチェ登山に向かう。

ローチェ単独山はんを成功させると、今度は天候が予想外に崩れてきたヒマラヤに向かう。ヒマラヤには昔の仲間、オスカーを隊長としたグループが山頂を目指している。その中の一人、小田草介は むかし前穂高岳のシェルンドで滑落し瀕死のところを三歩に救助された過去を持っている。 オスカーを先頭にしたエベレスト隊は サウスコルキャンプ(7980メートル)から ヒラリーステップを越えて、最終アタックに成功(8848メートル)する。酸素ボンベの酸素が残り少なくなって、山頂から少しでも早く下山しなければならない隊に 予想外の天候悪化が襲い掛かる。しかも、午後になって山頂を目指して登ってくる 非常識なインド隊に 一方通行の道を譲らなければならず、待機を余儀なくされたオスカー隊にブリザードが襲いかかり、酸素が無くなる。ヒラリーステップで動けなくなった隊員とオスカー隊長を残して、小田草介が先頭に立って下山するが、草介は凍った稜線で滑落寸前。そこを、三歩に助けられる。

草介から得た情報で、三歩は次々と動けなくなった隊員を救助してテントに収容する。しかし、その前に新しい酸素ボンベを担いで救助にむかっていたピートは 雪庇を踏み抜いて転落。三歩は、酸素なしでピートを救助し、再びオスカーを救助しに山頂に向かう。しかし三歩は、すでに感覚は失われ、視力は無くなり幻覚か現実かわからなくなっていた。それでもまだ、残っているインド隊を救助しようと、、。壮絶な死。

以前、どうして山に登るのか と遭難救助隊の椎名久美に問われて、三歩は「山ではコーヒーが美味しいっしょ?」と答えている。そのコーヒーを三歩は、ヒマラヤの山頂で幻覚の中で飲んだ。 もう悲しくて悲しくて、たまらない。親しい友人を失ったような気持ち。
本当に良い山の本だった。三歩の生き方、山に向かう姿が、とてもよくわかる。ここで最終回になったことで どうしてこんな終わり方になったのか、、、と、アマゾンの読者からのコメントは 怒りと非難でいっぱいだ。でも、山に絶対はない。どんなに立派な山岳家でも命を落とすこともある。山の好きな人ならば、三歩の死は理解できる。この終わり方で良い。

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2012年9月16日日曜日

反米暴動 広がる

先日、9月11日以降、イスラム教徒による反米運動、暴動が リビア、イエメン、エジプトから世界的規模で広がっているが、シドニーでも イスラム教徒によってデモが行われて暴徒化して逮捕者が出た。

もとは、エジプトを中心に組織されているクリスチャン、コプト正教会の者が イスラム教の預言者モハメドを侮辱するヴィデオを、U-TUBEに載せたことで、怒ったイスラム教徒による暴動が起った。INOCENT OF MUSLIMというヴィデオで、まともな良心のあるひとならば、誰もが見て、吐気を催すような下劣なフィルムだ。これで、あっという間に、反米運動に広がり、リビア、ベンガジにあるアメリカ領事館が襲撃され、アメリカ大使を含む4人の犠牲者が命を落とした。 クリントンは、亡くなった大使が、リビアの前大統領カタフイの失脚とリビアの民主化に寄与した人物だった として彼の死を悼んだ。領事館が焼き討ちにあい、大使を含む、4人のアメリカ人が二酸化炭素中毒で亡くなったが、そのうちの二人はアメリカ軍海軍のシールドの一員だったという。シールドは、オサマビンラデインを暗殺した特殊部隊だ。焼き討ちされるほうも、した方も 実に攻撃的、かつ政治的だ。

9-11から11年がたち、アメリカ大統領選挙直前、シリアでは、アサド政権を支持するシーア派のイランと それに対抗するアメリカ、イスラエル、エジプトサウジアラビア、トルコなどの後ろ盾を得たアサド反政権派との戦闘が続いていて、先が見えない。

宗教心あるものが、自分の神でない、他の神を冒涜することは、許されない。軽はずみにヴィデオを作り公表したものは その罪を償わなければならない。しかし、常識を持ったものならば、モハメドを冒涜するヴィデオを公表すれば どんなことが起るかわかっていたはずだ。 このできごとで、利益を得るものは、誰だろう。 反米暴動のどさくさで、漁夫の利をえる者、、、それがヴィデオを製作した本人ではないだろうか。

2012年9月6日木曜日

映画 「ムーンライズ キングダム」

 
   
アメリカ映画

監督:ウェス アンダーソン
脚本:ロマン コッポラ
音楽:ベンジャミン ブリテン

キャスト
保安官シャープ :ブルース ウィルス
スージー    :カラ ヘイワード
サム      :ジャード ギルマン
スカウトマスター:エドワード ノートン
スージーの父  :ビル マーフィー
スージーの母  :フランシス マクドナルド

ストーリーは
1965年夏、ニューイングランド島。
夏の間、ボーイスカウトが ニューイングランド島で、キャンプをしている。スカウトマスターの指導の下、キャンプ内での規律はとても厳しい。食事、炊飯、野外活動、就寝、すべてが時間どうりに 秩序正しく行われなければならない。

ある日、サムと言う少年は、地元の学校の生徒達が教会で「ノアの箱舟」の劇を演じているのを見て、ひとりの少女に恋をした。少女の名前はスージー(カラ ヘイワード)。
サム(ジャード ギルマン)とスージーは 示し合わせて、計画したとおりに駆け落ちをする。サムはテント1式を背負い、空気銃も担ぎ、スージーはスーツケースに愛読書をつめて、ふたりの逃走劇がはじまる。

12歳の少女の失踪で、普段は眠ったような、静かな田舎町は大騒ぎ。少女の両親はあわてふためき、ボーイスカウトのキャンプも大慌て。12歳のサムは 孤児だったので、養父母の育てられていたが、これを機会に、養父母は、サムの引取りを拒否。サムが見つかり次第、孤児院に送られることになった。スージーの両親の要請を受けて、保安官のシャープ(ブルース ウィルス)は 何としても二人の身柄を確保しなければならなくなった。

一方、恋する二人、12歳の道行きは、きわめて順調。二人して手に手をとってボートでムーンライズ キングダム岬に渡って、海辺にテントを張り、サムは魚を仕留めて料理して、スージーは毎晩、サムに本を読んできかせる。二人して仲良く 眺めの良い海辺で過ごしていた。しかし、大型台風がやってきて、、、。
というお話。

映画のストーリーや、キャストや、ドラマがどうこう言うような映画ではなくて、映画そのものがアート作品。ふつうの映画ではない。非現実的なフェアリーテールでもある。
例えば、教会の尖塔で 恋する二人を保安官が引き戻そうとしているところで、雷の音がした、と思った次の場面で、折れた教会の塔に片手で保安官が捕まっていて、その片手にサムが、またその片手にスージーがぶら下がっている絵のようなシーンがある。
あるいは、ボーイスカウトのマスターが居住する小屋は 50メートルもある高い木のトップにのっかっている。そのくせ中では揺れもしない。物理学的にも、建築上も、土木工学的にも、ありえない小屋なのだ。
カメラは正面から写していて動かない。画面が平面的で奥行きがない。ボーイスカウトの小さなテントが沢山並んでいるが、そこに一人が入るシーンがある。次のシーンはテントの中だが、これが驚くほど広くて整然としている。距離感とか、奥行きの 普通の感覚が覆される。

ブルース ウィルスの演じる保安官のキャラクターガ生きている。二人が捕られる。娘と引き離されたサムに、保安官が朝食を作ってやっている。すっかりしょげているサムに、どうだ、あの浜辺では楽しかったか?と聞く。いいなあ、あの浜辺。俺に彼女がいたら、絶対あの浜辺に連れて行ってやっただろうと思うよ。と、実に共感をもって語り、サムを一人前の男として扱っている。
登場する大人たちが、みな、スージーの両親も含めて、どこかずれている。大真面目だが、ずれている様子が とてもおかしい。

サムが獲物を捕まえ、解体して 火をおこし料理する。スージーが食べ終わると、サムが眠るまで、本を読んで聞かせる。テープレコーダーの曲に合わせて、砂浜で踊ったり、手を繋いだり、泳いだり、ちょっとキスしたりする。ひょうひょうとした眼鏡の少年が、頼りなげに見え、危なっかしくて仕方無いのだが、見ている側は、笑いをこらえて見守っている。

駆け落ちという深刻なできごとを 駆け落ちにはちょっと早すぎる二人が気軽にヒョイとやってしまい それに混乱して上や下やの大騒ぎに巻き込まれる大人たちが笑える。
音楽が良い。ベンジャミン ブリテンの「真夏の夜の夢」や、「ノアの箱舟」などからもってきた音楽が 画面の芸術性や、とっ拍子のない筋書きによくマッチしている。

大人でもない、子供でもない、テイーンでもない、スージーとサムの危なっかしい愛の行方に、ハラハラしながら、笑いをこらえながら見ている誰もが いつしか二人の見方になっていて、二人がどんなことになっても守ってやりたい、と思うだろう。
子供だったとき、人を好きになって、それがどんなに純粋で真剣だったかを思い出して 胸が痛くなる人もいるかもしれない。
とても楽しい、ロマンテイックコメデイー。

2012年8月29日水曜日

映画 「ぼくたちのムッシュラザール」


     
今年(2012)のアカデミー賞外国語映画賞の候補作。カナダ映画。フランス語、英語字幕。

原題:MONSIEUR LAZHAR
監督:フイリップ ファラルドー
キャスト
ムッシュラザール:モハメド フェラグ
シモン     :エミリアン ネロン
アリス     :ソフィーネ リッセ

ストーリーは
フランス語圏 モントリオールの小学校。
登校した6年生、11歳のアリスが、雪の積もる校庭の端っこで 教室が開くまで、ポケットのナッツを食べながら待っている。横に、そっとシモンが来て、アリスの前に手を出す。アリスはその手にナッツを乗せてやり、二人して食べている。自然な二人の様子を写すロングショットが続く。二人の間に会話はないし、互いに顔をあわせることも無い。しかし観ていると 二人がとても気のあった仲で、いつも一緒に居ることがわかる。他の子供達は校庭でボールを投げあったり、ゲームに興じている。

アリスがシモンに、「牛乳当番でしょ。」と言う。そうだった。シモンはあわてて走って校内に入り、給食室からクラス人数分の牛乳を取り出して、教室に運ぶ。そして、シモンが教室の中で見たものは、大好きな受け持ちのマルテイーヌ先生が首を吊って死んでいる姿だった。
走ってシモンが教員室に駆け込み、先生方はあわてて生徒達を構内から立ち退かせる。しかし、アリスはシモンのすぐ後を追ってきていたから、教室を覗いてしまう。シモンが大好きだったマルテイーヌ先生は 自分の青いスカーフで首を吊っていた。

教室のペンキが塗り替えられ、クラスの子供達には専門の心理療法士がやってくる。しかし、事件が新聞に載ってしまったので後続の先生がなかなか見つからない。
そこに、アルジェリア出身で、ケペックで19年間教師をしていたという、ラザール先生がやってくる。警察との対応や社会的責任を問われ、子供達の父兄達からも厳し追求されて傷心だった校長は、物腰穏やかなラザール先生を雇用して、クラスを担当してもらうことにする。

ラザール先生は教室で円形に広がっていた子供達の机を 前後縦横にきちんと並べ替えさせる。最初に子供達にさせたことは、バルザックの書き取りだ。授業中ふざける子供をパシンと軽くたたいて諌め、姿勢の悪い子供には正させる。先生の古典的な教え方に、生徒達はざわめく。
さっそく校長はラザール先生を呼び出して、子供に体罰はおろか、触れることも、頭を撫でることも、抱いてやることも学校では禁止されていると言う。自分達の担任の先生が、子供達の教室で自殺しことで、子供達が傷ついていないわけがない。しかし校長は 起きた出来事について、心理療法士以外の人が、話しても触れてもいけないと言う。子供達はマルテイーヌ先生のことを 心理療法士以外の人に話すことも 子供同士で話し合うこともできない。誰も、何もなかったのように口をつぐんでいた。一方、ラザール先生は同僚とも穏やかな良い関係を持ちつつ、クラスを運営していく。冬が去り、春がやってくる。子供達は何も問題がないかのようだ。だが、シモンだけは、乱暴な生徒として、問題児になっていく。

ある日、シモンが大切に肌身離さずもっていたものが、マルテイーヌ先生の写真だったことがわかって、クラスは再び揺れ動く。アリスはみんなの前に立って、語り始める。乱暴はいけない乱暴はいけない、と大人は言うけれど、マルテーヌ先生は青いスカーフで首を吊って死んだ。これこそが乱暴だったではないか、と。アリスの発言を切っ掛けに、シモンは 一人きりで今まで自分の中に秘めていた思いを一気に吐露する。「マルテーヌ先生は僕を抱きしめた。その先生を僕は突き飛ばしたんだ」。と言って泣きじゃくる。マルテイーヌは次の朝、シモンが牛乳当番で早く教室に来ることを知っていて、首を吊っていた。抱きしめられて、突き飛ばしたシモンは、先生の自殺が自分のせいだと思い込んで ずっと自分を責めていたのだ。アリスはシモンがどれだけマルテイーヌ先生が好きだったかを知っている。シモンが特別の先生に可愛がられていて、抱きしめられたのに思わず突き飛ばしてしまった複雑な少年の心も、アリス自身の嫉妬に似た感情にも気がついていた。
マルテイーヌ先生の自殺の原因は誰にもわからない。ただ、死後彼女の荷物を夫が取りに来なかったことだけが分っている。

ラザール先生は再び校長に呼ばれる。
19年間教師だったというのは嘘で、あなたは難民ではないか、と。ラザールはアルジェリアでカフェを経営していた。先生だったのは妻だ。自分の国は独立後も長期にわたるフランスの殖民によって、国内では宗教対立や社会動乱が続いている。ラザールは難民としてカナダに渡り 自国で迫害をうけている難民認定を受け、人道的配慮から家族を呼び寄せて移民する過程にいた。そのための家族のパスポートがそろい、ようやくカナダに向けて出発するその夜に、家族の住むアパートが放火され、ラザールの家族は全員殺された。彼は妻と二人の娘を失ったばかりだったのだ。しかし、怒り狂っている校長は ラザールに解雇を言い渡す。

最後の日、いつも通りにラザール先生は、生徒達に向かって何ら変わりない様子で授業する。最後に簡単に、さよならだけを皆に言って、誰もいなくなった教室、、、アリスがひとり、戻ってくる。無言でラザールはアリスをしっかり抱きしめる。
というお話。

子供が主演する映画で、子供達の純真さに触れて 思わず泣いてしまうことがあるが、この映画でも誰もが涙ぐむのではないかと思うシーンが二つある。ひとつは、シモンが「マルテーヌ先生が抱きしめたのを、僕が突き飛ばした。そんなことして欲しくなかったんだもん。嫌だったんだもの。」と泣きじゃくりながら告白するシーン。それと、最後の、大好きな先生との別れが悲しくて教室に戻ってきたアリスをラザール先生がしっかり抱きしめるシーンだ。せっかく、自分たちの心を受け止めてくれる後続の先生が来てくれて、アリスもシモンも心を開きかけたところで、二人ともまたしても先生を失うことになるのだ。

徹底した管理社会である学校。校則が優先する冷徹な社会。生徒達が大好きだった先生が首を吊った教室で、その後何事もなかったかのように授業を受けなければならない子供達。妻も娘も宗教的対立によって焼き殺されて、二度と家族に会うことが出来ないラザール先生。あまりに厳しく、凄惨な現実。

カナダ映画だがフランステイストの映画で、画面で描く詩のような作品。極端に会話が少なく、説明がない。観ている人の想像力で、辛うじてストーリーがつながっていく。想像力の無い人には見終わっても、話しが、見えてこない。一緒に観たオットは 「なんにもわからなかった」 と言っていた。ラザール先生が愛するバルザック。映像の詩人といわれるフランソワ トリュフォーの映画にも バルザックが出て来る。監督がトリュフォーに傾倒していることがわかる。カメラショットが似ている。

アリスは先生に 自分の愛読書、ジャック ロンドンの「ホワイト ファング」や「野生の叫び」を持ってきて読んでもらう。彼女はジャック ロンドンのような冒険小説にはまっている。そして、バルザックの書き取りをさせる先生のことを、シモンと一緒に笑う。それはそうだろう。日本で言えば、5年生に樋口一葉や森鴎外を口述筆記させるようなものだから。

物語の背景に過酷なカナダの移民政策がある。カナダもオーストラリア同様に移民でできた新しい国だ。人口3400万人、日本の4分の1の人々が広大な土地に居り、毎年人口の1%を移民として受け入れる準備がある。しかし、欲しいのは専門技術をもった高学歴の健康な独身者だ。家族呼び寄せ移民は、年寄りや病弱な子供が来るので 保健医療予算を圧迫するから欲しくない。また難民移民は内戦や紛争で引き裂かれた国から来るので、精神病やアルコール中毒、薬物中毒者が多く暴力事件も起こしやすい。家族ビザも難民ビザもカナダ政府としてはあまり出したくない。
そんなことから、ラザールも 妻と娘達がアルジェリアで迫害されていた事実を認めながらも それでももうアルジェリアは安全で平和になっていてラザールが帰国しても問題ない、などと移民審査官は言う。また、学校の校長が軽蔑をこめて、「あんた難民じゃない。」と破棄捨てるように言う。難民のどこが悪いか。誰も好きで難民になったわけではない。

ラザール先生は もし自分の妻が生きていて、アリスやシモンのクラスを担当したらどんなことをしただろうか、といつも考えながら、担任の先生を失った子供達に接していたに違いない。ラザールのところに、アルジェリアから小包みが届く。家族全員、家ごと焼かれてしまったので、形見の品は 妻が教えていたクラスの残っていた妻の教材だけだ。それをラザールは自分のクラスの子供達のために使う。それがラザールなりの、妻への追悼だったのだ。

会話が極端に少なく、説明もない。黙示劇のように子供達の表情だけで、その背景を読まなければならない。だから、人によって解釈が違ってくる映画だ。とても良い。わからないことは わからないまま、モーツアルトをバックに美しい映像をみているだけで良い。とても印象に深く刻まれる映画だった。

2012年8月25日土曜日

オペラオーストラリア公演 「南太平洋」



オペラハウスで、ミュージカル「南太平洋」を観て来た。

オペラオーストラリアでは、毎年10から11のオペラを上演する。今年は、「魔笛」、「トランドット」、「コシ ファン トッテ」、「真珠とり」、「アイーダ」、「蝶々夫人」、「ルチア デ ラメモアール」、「サロメ」、「椿姫」、と「南太平洋」だ。重いオペラだけでは疲れるからか、予算の都合によるものか、わからないが、「南太平洋」のような軽いミュージカルも、毎年 一つくらい間に挿まれる。前には、「マイ フェア レデイー」や、「美女と荒馬」や「メリーウィドウ」などが上演されて、それなりに好評だった。

「南太平洋」は 1949年初演の ブロードウェイミュージカルだ。
原作:ジェームス ミッチナー 「TAILS OF THE SOUTH PACIFIC」
作曲:リチャード ロジャース

映画「南太平洋」は 1958年製作
監督:ジョシュア ローガン
キャスト
ネリー  :ミッチー ゲイナー
エミール :ロッサノ ブラッツイ
ジョセフ :ジョン カー
ブラデイ マリー:ジュアーニ ホール

オペラ「南太平洋」
監督:バーツレット シェアー
指揮:アンドリュー グリーン
キャスト
ネリー:リサ マッケーン
エミール:テデイー タフ ローデス
ジョセフ:ジャスパー リロイド
ブラデイーマリー:ケイト セベラノ

歌われる歌
バリ ハイ
ワンダフル ガイ
SOME ENCHANTED EVENING
THERE IS NOTHING LIKE A DANE
YOUNGER THAN SPRING
ハッピートーク など。

ストーリーは
太平洋戦争中の南太平洋のある島。
米軍駐屯地の海軍所属の看護婦、ネリーは、その持ち前の明るさと天真爛漫な性格で 基地の人気者だ。ネリーに思いを寄せる若い兵士が何人もいる。しかし、彼女は島の農園主エミールに パーテイーで出会って、恋をしていた。エミールはネリよりもずっと年配のフランス人だ。

その基地に 海兵隊のジョセフが 特殊任務を任されてやってきた。となりの島に、敵の日本軍が上陸したが、それを偵察して、敵の通信網を切断するのが彼の任務だ。しかし、米軍の彼らには島の地理や、島の人々に関する情報がない。それで、軍としては、島を良く知っているエミールに、島を案内してもらいたい。しかし、それは、当然、大変危険な任務だった。
軍は丁重にエミールに協力を依頼するが、案の定、にべもなくエミールは断る。それでもあきらめきれず、米軍の司令官はネリーを呼び出して、ネリーを通して、エミールの力が借りられないかどうか、詮索する。
そんな軍の思惑に関係なくエミールは、パ-テイーを開催してネリーを招待する。そこでネリーはプロポーズされる。夢心地のネリーが、歓びに胸を震わせているときに、色の黒い二人の子供達が登場する。そこで、エミールは子供達を抱き上げて、自分の子供だ、といってネリーに紹介する。ネリーは 恋した男が以前、土地の女と結婚していたことを、知って衝撃を受ける。そしてエミールを、許すことが出来なくなる。ネリーは、エミールの前から逃げるように立ち去り、エミールが会いに行っても もうネリーは エミールに会おうとしなかった。ネリーは勤務地変更願いを出していた。

海兵隊のジョセフがエミールとともに、島から消えた。後になって、ネリーは 二人が日本軍の基地に潜入したことを知る。エミールの屋敷に残された二人の子供達が 気になってネリーは屋敷に通って、子供達を世話するようになる。天使のように心の美しい子供達を見ているうちに、ネリーは自分が本当にエミールを愛していたことに気がつく。そこにジョセフの死の知らせが入り、、、。
というお話。

映画が公開されて、日本でも空前のヒット作になった。ロードショウを銀座で観た記憶がある。12歳くらいだったか。画面の美しさと、「バリ ハイ」を歌うジュアーニ ホールの素晴らしい迫力に見惚れた。緑輝く南太平洋の島々、透明なエメラルドグリーンの海、ジョセフが恋をする島の娘の可憐な可愛らしさ、ロッサノ ブラッテイの素敵なナイスミドルぶり。何もかも美しくて素晴らしく、心ごと南太平洋に持っていかれそうな思いだった。
ロッサノ ブラッテイは、キャサリン ヘップバーンとの共演、「旅情」、「愛の泉」などで、すでに知っていて、中年男なのに いつも恋する男の役で目がウルウルする姿に、魅かれていた。12歳なのに!

それにしても ミュージカルのせりふに何度も何度も出て来る「ジャップ」、「ジャップ」という言葉が今になると気に障る。子供の時には知らなかった時代背景や社会関係が分かってみると いやはや何ともこれは お気楽なアメリカミュージカルだった、と思う。
それと、軍規のゆるさ。従軍看護婦が 自由奔放に兵士達と恋愛して、休日(!)には好きな兵士と手を組んでデートする。看護婦たちは駒鳥のようにさえずりながらスイスイと飛び回り、気に入った相手と恋愛したり基地内で結婚したり、戦争中だというのに地元の名士が開催するパーテイーに招待されて飲んだり食べたり、社交している。まるで当時の日本軍の軍規からみると絵空事のようだ。これは、米軍のプロパガンダ映画だったのか。
ストーリーだけをみると 日本で空前のヒット映画というのが嘘みたいだが、当時貧しかった敗戦国日本にとって、こうした明るくて楽しい映画が必要だったのかもしれない。

オペラオーストラリアが このミュージカルをやることになってエミールの子供達を選ぶオーデイションがあった。10歳の息子役に選ばれたジャスパー リロイドは、ポリネシア系のオージー。祖母がバレエ教師、母も叔父もシンガーでダンサー、本人は3歳のときから ダンスを習っていて、バレエだけでなく、ジャズダンス、ヒップホップもタップダンスもお手の物という多才な子供だ。きれいなボーイソプラノを聴かせてくれた。

父親のフランス人、エミール役を演じたテデイー タフ ロイドはオペラオーストラリアではおなじみのバリトン歌手だ。2メートルも背丈のある、がっしりした体格で、おなかに響く美しい低音を聴かせる。 残念なのは、主演女優のネリー役の、リサ マクイン。彼女は、もともとミュージカル俳優なので、声量がなくテデイ タフ ロイドとのデュエットでは、生彩に欠けることだ。

しかし、一番悪かったのは ブラデイマリー役のケイト セベラノだ。「南太平洋」を観に来た人は 10人のうち9人は「バリ ハイ」の歌を聴きに来たのではないだろうか。ブラデイマリーは、体重150キロはありそうな土地の女で、基地に自由に出入りして、兵士達にココヤシの民芸品や装飾品や ミイラになった人の頭を50ドルで売りつける。ジョセフ中尉に、年端もいかぬ娘まで差し出す商売女で、煮ても焼いても食えない女だ。そんな巨漢が バリ ハイの歌ひとつで、人々に、この世のものと思えない夢の島を見せてくれる。昔、映画でこの歌に 感動して完全にノックダウンされた。しかし、オペラハウスで観たブラデイーマリーは声量のない貧相な女で、最低だった。ロックを聴きに行って、浪花節を聞かされたようなものだ。

プレミアチケット二人分と、オペラハウスの駐車券を入れると500ドル。オペラハウスは、こんな悪い商売をしてはいけない。オペラ好きには全然観る価値のない公演だ。ミュージカルにミュージカル以上のものを求めてはいけないのならば、オペラハウス以外のミュージカルシアターで、半額の値段で公演するべきだ。

2012年8月16日木曜日

映画 「ザ サファイヤズ」



      
オーストラリアの先住民アボリジニーの人々は 独自の優れた文化と芸術を持っていることで知られている。人類のうちで最も古い歴史をもった狩猟民族で 4万年前にすでにオーストラリア大陸で、岩に動物の姿や狩りをする人の姿などを描いている。シロアリで空洞になった樹でできたデイジュリトウという楽器を吹きながら、踊る、音楽家達でもある。

いまは、ギターをもって、カントリー調のソウルを歌う人が多く、アイドルになっている人も多いが、もって生まれた音感の良さと、リズムを打つ正確さには真に驚かされる。シンガーソングライテイングでは、独特の哀調を帯びた作風、また自由自在に転調に転調を重ねて音をつないでいく巧みさは、全くまねができない。

アボリジニー出身の映画監督も、みな若いが、ブレンダン フレッチャー、イワン セン、ワーリック トーントンなど優れた映画作りをする人が出てきた、。この映画「ザ サファイヤズ」も、アボリジニー出身の監督、ウェイン ブランによって作られ、今年のカンヌ映画祭で、初めて上映されて、高く評価された。

映画は、1950年末から1960年代に、実際あった、リアルストーリー。全米で黒人解放、公民権獲得運動が、ベトナム戦争を背景に嵐のように広がった、その時期のお話だ。同じ頃、オーストラリアでは まだアボリジニーに選挙権もなく、対等な人間として扱われていなかったが、アボリジニの女性歌手のグループが ベトナムに送られて、戦闘の最前線を慰問してまわったという あまり知られていない事実を映画化したもの。脚本家のトニー ブリッグは、自分の母親と叔母さんが、実際に、映画に出てくる歌手だったそうだ。コミカルなラブロマンス。笑わせてくれるが 作り手のメッセージは、強くて確かだ。

監督:ウェイン ブラン
脚本;トニー ブリッグ
キャスト
デイブ:クリス オドウ
ゲイル:デボラ メイルマン
ジュリー:ジェシカ マウボーイ
シンシア:ミランダ タペル
ケイ  :シャリ セベン

ストーリーは
1958年 ヴィクトリア州の田舎町で婦人会主催の歌のコンテストが行われることになった。そこに審査員としてメルボルンから、スカウトマンのデイブが招待されてきた。審査員といっても、アイルランド人のデイブは、ポンコツ車で寝泊りして移動しながら、地方回りをしてきた、歌手になりそこねたアルコール中毒のうらぶれた男だ。歌のコンテストが始まってみると、着飾った婦人会の面々を前に、音の外れた歌手や、間の抜けた腹話術氏など、この田舎町ではとてもスカウトの対象になるような技能をもったものは見当たらない。いい加減、デイブがあくびをかみ殺すのも面倒になった頃、コンテストが終わる寸前に、駆けつけてきた3人のアボリジニー達に 婦人会一同は、ざわめきだす。アボリジニーと同じ部屋にいることを拒否して、部屋を猛然と出て行く人、舞台に背を向けて大声で話し出して コンテストを妨害する人々。一様に、無視しながらも、ちらりと彼女たちを見る時は、汚物でも見るような険しい顔だ。

3人は厳しい視線や、気まずい空気を気にせずに、美声で歌い始める。やっと音楽らしい音楽を耳にすることができて、スカウトマンのデイブが嬉しくなって、つい、ピアノ伴奏を始める。さて、今日のコンテストの優勝者は、と、デイブが記念の盾を彼女達に渡そうとすると 婦人会は怒り狂う。「アボリジニーは、森で狩りでもしていたらいいでしょ。」と。婦人会によって、3人のアボリジニーとデイブは、会場からたたき出されてしまった。

ゲイルとジュリーとシンシアは、3人姉妹だ。いつも歌が好きで歌ってばかりいる母親に育てられた。姉妹喧嘩をしても、母親が歌いだすと、自然といつの間にか、そろって声を合わせていて、いつの間にか喧嘩していたことが忘れられてしまう。家族は町から離れたアボリジニーのコミュニテイーで暮らしている。3姉妹は、仕事が欲しかった。しかし、街で白人に混じって働ける職場など 探してもみつかる訳がない。スカウトマンに出会った3人は、「米軍 歌手を求む」という新聞広告をデイブに手渡して、自分達をプロモートして、米軍に売り込んで欲しいと頼み込む。それは、ベトナムの戦場にいる兵士達を慰問する仕事だった。
デイブは、すっかり本気になって、彼女達3人に従姉妹を加えた4人のグループに、歌の振り付けやコーラスの技術を教え込む。グループの名前は「ザ サファイヤズ」だ。そして、無事オーデイションに受かって一行はハノイに向かう。

デイブに引き連れられて、彼女達が着いたところはベトナムの戦火の中だった。娘達はオーストラリア社会で存在を認められず、どこに行っても鼻つまみにされることに慣れてきたから、黒人兵の多い米兵達から歓迎され、仲間として大切に扱われて、嬉しかった。米兵達は明日の命の保障もない戦場で 戦闘の合間には 酒とドラッグとセックスに溺れた。そんななかで、4人の女の子たちは 兵士達のマスコットガールとして、もてはやされた。
ザ サファイヤズは米軍の拠点から拠点へと移動しながら歌い続ける。しかし、戦況が厳しくなり、前線基地で激しい爆撃にあい、デイブは銃弾に倒れる。4人はサイゴンに戻ることになり、やがて戦況悪化とともに、オーストラリアに帰国することになって、、、。
というお話。

ひょろひょろして、頼りないデイブが 4人の元気なアボリジニーの女の子の勢いに押されてばかりいる、掛け合いがコミカルで笑える。4人のしっかり者に、どやされたり、たしなめられたり、懇願されたり、泣きつかれたりしながら あたふたと4人をプロモートして売り出して成功させるデイブの姿が おかしいが憎めない。差別に正面からぶつかっていく4人の足を地に付けた確かさに感動する。

初めの頃の、母親が「イエローバード」を歌いだすと、娘達がひとり、またひとりと歌に加わって、美しいハーモニーになるところが印象的だ。
時代背景を説明する目的だろうが、アボリジニーコミュニテイーのみんながテレビの前に居て、マルチン ルーサー キングが暗殺されたニュースが流れるシーンがある。キング牧師の演説に聞き入るアボリジニーの人々、、、感動的なシーンだが、このころ1960年末から1979年代のかけて、コミュニテイーに電気はなかったと思う。一般のオーストラリアの間でも 1950年代にテレビはあまり普及していなかった。
だいたい、アボリジニーに選挙権が与えられたのが、1963年のことだ。ヨーロッパやアメリカの先駆けて、世界で初めて女性に選挙権を認めたオーストラリアにして、自分達の先輩たちである先住民を公式に国民として認めたのは、それほど遅い時期だった。

日本では、アイヌの土地没収、アイヌへの日本語使用義務、改名による戸籍への編入を強制した「北海道旧土人保護法」が 廃止されたのが1997年。「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択されたのが2008年のことだ。 ことほどさように どの国でも先住民は 奪われ、虐げられ、その人間としての権利が認められ、尊厳が回復されるには、長い長い時間が必要だったのだ。

私がオーストラリアに来た16年前には、一般オーストラリア人とアボリジニーの平均寿命に、20年の差があった。アボリジニーは20年も早く糖尿病やアルコール中毒による腎不全、肝不全で亡くなっていた。それが、教育や住宅、保険医療の改善などの成果で、17年となり、さらに差が少しずつ縮まてきている。

大きな病院の心臓外科病棟に勤めていたとき、ひとりのアボリジニーの患者が亡くなった。事態を知らされて待機していた患者の家族たちが 亡くなった患者を取り囲み、悲しい哀調のこもった歌を歌いだして、まわりを祈りながら、歌いながら舞った。その美しい歌を聴きながら、亡くなった患者の魂が 仲間にしっかりと抱かれている姿が、見えるような気がした。良い経験だったと思う。

この映画は楽しい映画だ。アボリジニー出身監督のメッセージは、受け止めた上で、楽しい音楽映画、ラブコメとして観るのが良い。

2012年8月13日月曜日

ベートーヴェン交響曲第9番 ACO定期公演


   

シドニーは真冬。一年のうちで、一番寒い8月。凍るような南極から吹いてくる強風に震えながら オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)定期コンサートに行ってきた。で、日本でも真冬に演奏されるベートーヴェンの交響曲第9番を聴いた。


ACOのリチャード トンゲテイが、棒を振るベートーヴェンに、エンジェルプレイスコンサートホールが一杯になって、立ち見の観客が出た。クラシックコンサートで立ち見なんて、シドニーで今まで聞いたことが無い。それほど「第9」が人気 というのに驚いた。まるで日本に居るみたい。

交響曲第9番の第4楽章の「歓喜」は、ヨーロッパ連合の歌。連合の統一性を象徴する歌として、ヨーロッパ各国から承認されている。近頃では経済危機で ギリシャ、イタリアに次いでスペインまで危なくなってきているけれど ヨーロッパは、連合として生き残るしか方法はない。ヨーロッパ連合の「歓喜の歌」が「悲哀の歌」にならないことを願うしかない。
1918年、第一次世界大戦集結の年の暮れ、ヨーロッパの平和への祈りをこめて、ライプチッヒのケバントハウスで12月31日に、100人の演奏家と300人の歌手とで、「第9」が演奏されたのが、始まり。以降、毎年これが繰り返し演奏され、1944年に、ケバントハウスが戦火で消失しても、再建され演奏が続けられた。

日本では、たくさんの演奏家達の間で クリスマスにはヘンデルの「メサイヤ」、大晦日には「第9」が演奏されるのが恒例になった。
東京両国の国技館では「5000人の第9」が、大阪では、「サントリー一万人の第9」が大阪城ホールで、広島では広島交響楽団による「第9ひろしま」が、演奏、合唱する。クリスチャンのバックグラウンドがない国で、これほどベートーヴェンの「第九」が愛されている国は他に無い。
決して簡単に演奏できる曲ではない。決して簡単に歌って 暗誦できるドイツ語の詩ではない。それを やりぬけてしまう日本人のパワーって、すごい と思う。

何十年も前だが、アマチュアオーケストラの仲間に入れていただいたことがある。夫の赴任先で 知人も友人も居ない。言葉が全く通じないことにショックを受けていた。家は畑の真ん中の一軒屋。孤独のどん底から 引き上げてオーケストラに受け入れてくれた音楽家達の優しさに、有頂天になって、2歳と3歳の子供を連れて練習に通った。クリスマスのヘンデル「メサイヤ」や、ミュージカルやバレエの演奏を一緒にさせてもらって、本当に嬉しかった。
さて、隣町の宜野湾市に公会堂ができることになって、こけら落としに「第9」をやることになった。ヴァイオリンのスコアを 初めて開いてみると、16分音符と32音符ばかりで 全然弾ける気がしない。ピッチカート、スピカート、トレモロばかりで 練習しても練習しても、弦をこする不快音がするばかり。必死に 練習して弾いてみるが 全然、音になっていない。案の定、合同練習が始まってみると コンダクターに「ねえ、ベタベタ弾かないでくれない?」と何度も注意される。ごめんなさい。でも、うまく弓を飛ばせない。ピタリと全体が休符にはいるところで 私だけが音を伸ばしていて締まるところが締まらない。練習のたびに半泣きだった。「メサイヤ」と全然ちがう。音の密度も、難易度も他の曲と比べ物にならない。

だから私にとって「第9」は 「歓喜」ではなかった。いまでも思い出すと冷や汗が出る。でも聴くのは大好き。いつ聴いても心を揺さぶられるような感動をする。
フリードリッヒ フォン シラーの詩「歓喜に寄す」を読んで 感動した22歳の若いベートーヴェンが いつかこの詩に曲をつけて交響曲にしよう とずっと思って 生涯暖めて最後の交響曲に全力を投入して作曲した作品。ひとつの小節 ひとつの楽章にも気が抜けない。考えて考えて工夫に工夫を凝らして作られている。偉大な作品だ。

演奏:オーストラリアチェンバーオーケストラ
指揮:リチャード トンゲテイ
ソプラノ:ルーシー クロウ
アルト :フィオナ キャンベル
テナー :アラン クレイトン
バリトン:マチュー ブロック
合唱  :ケンブリッジ クレアカレッジ合唱団

メゾソプラノ以外全員 歌い手はイギリス人。ケンブリッジ大学からきた32人の男女合唱団は、とても40人足らずの合唱とは思えない声の篤さと響きをもった、迫力のある合唱団で、素晴らしかった。
チェンバーオーケストラは団員21人の弦楽グループだが、「ACOー2」という若手のオーケストラを育成、指導している。この中から助っ人を加えて、第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ5人、ベース1人というメンバーだった。
これに吹奏楽器を加え、さらにテインパニーもシンバルもトライアングルも「第9」には必要だ。リチャード トンゲテイがコンサートマスターでヴァイオリンを弾きながら指揮もするのは、いつものことだ。だけど、合唱が加わって、指揮に力が入って、弓で指揮するたびに、見ているのにハラハラしてしまう。「わー、、国宝ガダニーニのヴァイオリンと弓なのに、どこかにぶっつけなければ良いけど、、」という心配だ。さすがに、リチャード、合唱の後半は ヴァイオリンを横に置いて指揮していた。
素晴らしい。

低い弱音で 奏で始められるチェロによる歓喜の歌のテーマが、やがてヴィオラに代わり、ヴァイオリンになり、音が徐々に大きく広がっていく。そして、大合唱の大爆発。

天に響け とばかりにオーケストラが鳴り、合唱が重なる。胸が開かれる思いだ。澱になって沈んでいた心のすべてが流れ出して、自分の胸にあるものが解放されていく。この世のものと思えない、力強く 清らかな天使の声を聴く。
素晴らしい演奏と合唱だった。

ほとんどの人々が ブラボーと叫び、立ち上がって拍手の嵐になった。
鳴り止まない拍手。

でも2回ほど お辞儀をするとサッサと引っ込んで二度と舞台には戻ってこないリチャードたちACOの面々。拍手の嵐が鳴り止むころには、団員達はもう車で家に向かう途中だ。
そういうところ、ACOが大好き。  

2012年8月6日月曜日

映画「エイブラハム リンカーン バンパイヤーハンター」

           

エイブラハム リンカーン(1809-1865)は、日本人に最も親しまれているアメリカ大統領ではないだろうか。ワシントンを旅行した人は 必ずワシントンDCの記念館で、どでかい彼の椅子に座った銅像を見物させられるだろうし、リンカーンと言われて、すぐに眉の太い ヒゲ顔の暗い、憂鬱そうな怖い顔を思い浮かべるだろう。歴代アメリカ大統領のなかで 顔と名前が一致する人はそれほど居ない。顔写真をみて名前を挙げるというゲームをしたら ジェファーソン、マッカーシー、トルーマンなど すぐには思い浮かばない。GHQのマッカーサーでさえ あのレイバンのサングラスがなかったら 顔を見ても分からない人のほうが多いだろう。


それだけリンカーンが日本で知られているのは、何故だろう。
小学校低学年の教科書で、リンカーンと桜の樹のエピソードがあった。幼いエイブラハムが父親に斧をもらって、嬉しくてつい父親の大事にしていた桜の樹を切ってしまった。隠しておきたかったが、勇気を出して父親に事実を告げ謝罪した。父親は彼を叱らずに 自分の過ちを認めた彼の勇気を褒めた。という美談だ。小学校で先生が得意そうに 生徒にこれで説教するのを聞きながら、なんか陳腐な話しだと、子供ながらに冷笑していた。この頃に桜の樹がケンタッキーに生育していたとも思えない。作り話だ。
また 彼の有名な演説 オブピープル、バイピープル、フォーピープルを知らない人は居ないだろう。奴隷制拡張に反対し、アメリカ合衆国を二分し、議会の承認なしに 独力で南北戦争を指揮した。同時に、インデアンを保留地に追い込み、民族浄化ともいえる大虐殺を指揮した。そして、南軍のロバート リー将軍が降伏し、南北戦争が終結した直後に 暗殺された。

彼のいうピープル(人民)のなかにアフリカンアメリカン(黒人)も、インデアンも入っていない。奴隷制は終息したが、選挙権などの基本的人権は全く認めていない。もともとリンカーンは 黒人が白人と同じ対等な人間とは思っていなかった。まして、インデアンに至っては、抹殺すべき人類の敵だと考えていた。
しかし、いま彼は「奴隷解放の父」と呼ばれ、アメリカフロンテイア精神の代表者、パイオニア(開拓者)の代表者として尊敬されている。丸木小屋で育ち、無学の両親のもとで、斧で樹を切ることに長けていた。独学で学問をして 弁護士となり、大統領にまで登りつめたことは偉業に違いない。

映画「エブラハム リンカーン:バンパイヤーハンター」3D を観た。
原作: セス グラハム スミス
監督: テイムール べグマンベトフ
製作: テイム バートン

キャスト
リンカーン:ベンジャミン ウォーカー
妻マリー :マリー エリザベスウィンステット
幼馴染ウィリアム:アンソニー マックフィー
親友ヘンリー:ドミニック クーパー
吸血鬼バドマ:エハン ワーソン
吸血鬼アダム:ルフ セウェル

ストーリーは
第16代目アメリカ大統領エイブラハム リンカーンの本業は 吸血鬼狩りだった。夜な夜なリンカーンは斧を振り回して吸血鬼を退治していた。そして、ついに吸血鬼との全面戦争、南北戦争に突入する。南部アメリカに、はびこっていた吸血鬼は アメリカ征服を企んでいたため、北部の人間との全面戦争を避けられなかったのだ。奴隷解放は、吸血鬼の食料源を断つために必要だった。厳しい戦争を勝ち抜いて、ついにアメリカは人民の、人民による、人民のための国家を建設することができました。
というお話。

ここまでアメリカの現代史を茶化すことができる、ということに、まずびっくりした。この小説「バンパイヤーハンター リンカーン」(2010年)が人気小説になり、それをテイム バートンが映画にしてしまう というのも、すごい。カザクスタン出身のロシア人が監督して、奇才テイム バートンが製作すると、立派な作品になってしまう、ということも驚きだ。
リンカーンが振り回す斧で吸血鬼がぶっちぎれて 血肉が吹き飛ぶという予告を読んでいたので、怖くなったらすぐに映画館を出るつもりで最初から端の席で脅えていた。しかし、映画が始まったとたんにストーリーに引き込まれて、とてもおもしろくかった。
リンカーンンが斧ひとつで、バットマンと、スパイダーマンと、アイアンマンと、ハルクと スーパーマンを足したくらいの活躍をする。そんな彼が家に帰れば 無名の好青年。妻メアリーとのロマンスも感動的だ。

印象に残った大スペクタクルは二つ。
ひとつは 暴れ馬が200頭くらい暴走するシーンだ。馬に飛び乗って逃げる瀕死の吸血鬼をリンカーンが追う。臨場感いっぱいの馬の群れのなかで、飛び乗って、振り落とされたり、馬から馬へと乗り移ったりしながら、片手で斧を振りかざして戦う一騎打ちのシーンが迫力がすごくて 手に汗を握る。
もうひとつは、列車で武器を満載して南部戦線に向かうリンカーンたちを、吸血鬼が襲い、橋が崩れ落ち、列車が火に包まれるシーン。橋が落ち、列車が次々と谷底に落ち、リンカーンらが乗った車両は落ちても、済んでのところで助かるに決まっているのだけど、いつもハラハラする。

また着飾った吸血鬼たちが、屋敷で晩餐会を開催している。モーツアルトの曲に合わせて 人々は優雅に踊り、飲み、楽しんでいる。シャンデリアにシャンパンに、贅沢なお客たちの衣装。そこで、突然、屋敷主が 「皆様、お食事の支度ができました。」と言ったとたんに 吸血鬼たちが ダンスで手を組んでいた相手の咽喉笛にガブリと食らいつくシーンが おもしろかった。

アメリカ版ブラックユーモア健全 ということか。すっかりおもしろくて、リンカーンの活躍に感動すらしてしまった。日本では、吸血鬼を東電にあてはめて見ることもできる。斧ひとつで退治してくれる 日本版リンカーンが居ないだけだ。

2012年7月27日金曜日

オペラオーストラリア公演「アイーダ」

                                   
オペラオーストラリア定期公演の「アイーダ」を観た。

1870年 ヴェルデイ作曲
初演;1871年 カイロ オペラ座
4幕 2時間30分 イタリア語
演奏;オーストラリアオペラ バレエオーケストラ
指揮:アルボ ヴォルマー
監督:グレイム マーフイー

キャスト
アイーダエチオピア王女:  ラトニア モーア 
ラダミスエジプト軍将軍:  ロザリオ ラ スピナ
アムネリスエジプト王女:  ミリアナ ニコルフ
アイーダ父エチオピア王:  ワーリック ファイファ
アムネリス父エジプト王:  ジェド アーサー

「アイーダ」はオペラの中でも 豪華絢爛、派手で立派でスペクタキュラー。堂々とした凱旋の歌が 劇中、何度も何度も繰り返されるので、勇ましくて、最も好きなオペラだ。エジプトでは、新年のお祝いに、ピラミッドの前で公演が行われたりしてきた。
ヴェルデイは、「リゴレット」、「椿姫」、「トロバトーレ」、「ドンカルロ」、「オテロ」などを作曲したが、このオペラはイタリアオペラの良さを存分にて味わうことができる。
5年前にオペラオーストラリアで観たが、再演されることになって、どうしても観たいと思ってきた。長いことオーストラリアで たくさんのオペラを観てきたが、印象的で いつまでたっても、どうしても忘れられないオペラは、そう多くない。この「アイーダ」と、「真夏の世の夢」くらいだ。どちらも 意表をつく舞台の作り方をしていて 舞台美術のお手本のような素晴らしい作品だった。

「アイーダ」では、舞台の前に、端から端まで細長いプールが出来ていて、これがナイル川。登場人物たちが咽喉の渇きを癒したり、バレエ団が泳いで渡って見せたり 川べりでニンフ達が遊び呆ける姿を見せてくれて とても楽しい。
物語は三角関係の末に 愛し合う二人が悲劇の死を迎える悲劇だが、ファンファーレが鳴り響き 凱旋の行進とともに50人を越える男性コーラスが力強い合唱をする。その立派な行進とそれを取り囲む豪華な衣装の王族達、バレエ団の踊りなど 華やかな明るさに満ちている。舞台一杯に すべての登場人物がそろうと100人ちかい人々が 晴れやかに歌う。観ていてオペラって何て素敵なのだろう、と心から思う。

ストーリーは
エジプトの若き将軍、ラダミスは 将来エジプト国王の一人娘アムネリスの夫に選ばれることになっている。アムネリスは心から 勇敢なラダミスを慕っていた。ラダミスが戦勝っをあげて帰国し次第 王女と結婚して、国王は引退して王座をラダミスに譲るつもりでいた。

ところが、実はラダミスは エチオピアから連れて来られて奴隷になっているアイーダと 密かに愛し合っていた。
エジプト国王はラダミスを、エチオピア討伐に行かせる。アイーダは愛する人の安全を願いながらも、祖国への愛と父親の安全を危惧して、苦しむ。アムネリス王女は かねてからアイーダが誰かを愛しているのではないか と思っていた。ラダミスの留守中に、試してアイーダに、「ラダミスが闘いで殺された」と言って見る。それを聞いて 取り乱すアイーダの様子を目にして、王女は アイーダが間違いなく自分の恋敵であったことを知ってしまう。

ラダミス将軍は、勝利の歌とともに凱旋する。強国エチオピアを打ち破り、国王達王族を捕虜として辱めるために引き連れてきた。アイーダは愛する人が無事で帰ってきてくれて、嬉しいが、自分の父親や兄弟の変わり果てた捕虜姿を見て悲嘆にくれる。

捕虜となったエチオピア国王は、悲しむ娘アイーダに巧みに近付き、その夜、監視のない逃げ道を聞き出そうとする。父に祖国への愛と忠誠を迫られ、拒みきれなくなったアイーダは ラミダスに 逃げ道を聞いて、父親に伝えてしまう。捕虜達は逃亡し、追っ手が出され、国王は捕獲されて殺される。しかし、結果的にエジプトに裏切りを働くことになってしまったラダミスは 謀反人として審判にかけられ、死刑を言い渡される。刑罰は生き埋めの刑。
ラダミスが、砂漠に埋められた石棺の中に入っていくと、そこには、逃げたはずのアイーダが待っていた。二人は再会を喜び合い、ともに抱き合って、息絶える。地上では 愛する人を失ったアムネリスがラダミスの冥福を、一心に祈っている。
というお話。

今回の主役 ラダミスは オーストラリア生まれのイタリア人、ロザリオ ラ スピナだった。大好きな歌い手。すばらしく甘い、伸びのあるテノールを聞かせてくれる。6年くらい前、イタリアから帰国したばかりで新人として「リゴレット」を演じた。美しい声に感激したが、オペラが終わってオットと劇場を出たところで、たった今 感激させてくれたこの青年が、ひとりきり ひょいと舞台裏から出てきて、歩いて帰るところだった。思わず、バイバーイと、手を振ると、にっこり笑って手を振ってくれた。何の飾りもないブーツにジーパン姿の好青年の後姿に、思わず見惚れてしまった。
その時から何年もたったが、彼は二倍の大きさになっていた。しばらく見ないうちに、しっかり太って貫禄がついていたのには驚いた。スパゲテイの食べすぎか、、。アンドレア ボッチエリのような声の輝きはない。ホセ カレラスや パバロテイのような強靭さはない。プラシド ドミンゴのような明るい、伸びやかなう美しい声だ。ヨーロッパで活躍しているらしく、オーストラリアにあまり帰ってきてくれないが 今後もここで歌って欲しい。

ソプラノのラトニア モーアはアフリカンアメリカン。声につやと輝きがあって、キャサリン バトルのような声に清らかな美しさがある。彼女も太っていて、彼女とロザリオ ラ スピナが抱き合ってアイの歌を歌っていると、互いの腕が腰まで回らないみたい。二人のウェストを合計すると3メートルくらいか、、。
でも二人とも声が素晴らしい。

アルトのアムネリス役は背が高く舞台栄えのする人だった。登場人物すべての衣装が とにかく秀逸。白地の長いガウンに金色をたっぷり使った冠や衣装はとても豪華で美しい。
とてもとても豪華で晴れやかで素晴らしい舞台だった。忘れられない。いつまでたっても、凱旋の歌が頭の中で鳴り響いている。

2012年7月25日水曜日

映画 「ダークナイト ライジング」

                             
ワーナーブラザーズ アメリカ映画

原題:「DARK KNIGHT RISES」
原作:ボブ ケイン 1939年 
上映時間:2時間45分
監督:クリストファー ノーラン

キャスト
ブルース ウェイン  :クリスチャン ベール
執事アルフレッド   :マイケル ケイン
ウェイン財閥代表   :モーガン フリーマン
キャットウーマン   :アン ハサウェイ
ジョン ブレイク刑事 :ジョセフ ゴードン レビット
ジム ゴードン刑事局長:ゲイリー オールドマン
殺し屋べイン     :トム ハーデイ
ミランダ       :マリオン コーテイヤル

ストーリーは
ゴッサムシテイー市長、ハービー デントが死んで8年が経った。彼の捨て身のギャング団、壊滅作戦の功績によって、街に平和が戻った。と、市民は信じている。実際にはハービー デントは、刑事局長ジム ゴードンの家族を人質にとって、レイチェルを失った仕返しに、ゴードンを襲って殺そうとしたところを、バットマンとゴードンの力によって葬り去られたのだった。事実を知っているのは、ゴードン刑事局長とバットマンだけだ。このために、バットマンはハービー デント殺しの容疑者として警察に追われている。

このジョーカーとの闘いで、全身に傷を負ったバットマンこと ブルース ウェインは、この8年間 治療に努めてきたが、杖をついて歩く身となっていて、人前に出ることを避け、隠遁生活をしていた。
にも関わらず、謎の女、セリーナ カイル(キャットウーマン)が介入してくる。折りしも、ロシアの核物質物理学者のカーボ博士が誘拐され、凶悪犯テロリスト、べインが現れて、ゴッサムシテイーを破壊しようと企てていた。

ゴードン刑事局長が、誘拐され瀕死の重傷を負って助け出された。彼は、部下の新人刑事ジョン ブレイクに、この窮状を救えるのはバットマンだけだ、と漏らす。ブレイク刑事は ブルース ウェインを訪ねる。
彼は8年前、バットマンがゴードン刑事局長の家族を助けるために戦っている時に殉死した警官の子供だった。孤児となった彼は ウェイン財団の経営する孤児院に保護されて育った。孤児たちにとってバットマンは英雄だったが、ウェイン財団のブルース ウェインも 自分達と同じ孤児だったという意味で英雄だった。みなは、孤児だったウェインが仮面を被り、悪人をやっつけてくれるバットマン、その人ではないかと、いつも語り合っていたのだ。彼は、バットマンに帰ってきて欲しいと、ブルース ウェインに懇願する。

体中に傷を負い 心の支えだった恋人レイチェルを失ったブルース ウェインは、もう引退するつもりで居た。しかし、この新人刑事ブレイクの言葉に励まされ、今がバッドマンの再稼動の時期だ、と思い定める。それを観ていたアルフレッド執事は、怒る。両親を失ったブルースを親代わりになって世話してきて いつか彼が妻と子供をもち、静かな生活をする姿を夢見て生きてきたが、傷だらけになりながら 命を惜しもうとしないバットマンを、もう世話することに耐えられない。何世代も前から家族のためにつくしてきた執事は去っていった。しかしブルース ウェインは執事の忠告など聞いていない。ゴッサムシテイーに 凶悪テロリストのべインがやってきたのだ。

極悪者べインは株式市場を占拠する。市場操作で、一夜のうちにウェイン財閥は破産させられた。経営権は クリーンエネルジーの会社を経営するミランダの手に渡った。市のフットボール会場で爆弾が破裂して何千人もの被害者が出る。ゴッサム市に渡るための橋は すべて破壊され、たったひとつ残った橋は封鎖され、全米本土と隔離される。警察官たちは そろって地下に封じ込められた。べインの暴力は街中でほしいまま荒れ狂う。

8年間姿を消していたバットマンが登場する。しかし罠にはまってべインに攻撃され瀕死の重傷を負って 砂漠のなかの地下深く、二度と外に出ることが出来ない牢獄に監禁される。二度と立つことが出来ないと思われるブルースに 食べ物を与え、傷に治療を施してくれたのは 生まれたときからその地下牢にる老人達だった。辛うじて立つことができるようになったブルースは、自己訓練を重ね、遂に深い井戸から脱出する。

バットマンが ゴッサムシテイーに戻ってきた。
ウェイン財閥が開発してきた新エネルギーの核が、べインたちによって盗み出され、カーボ博士によって核兵器に作りかえられてしまった。取り戻してリアクターの中に戻さないと 爆発してゴッサムシテイーが吹き飛んでしまう。原子爆弾の奪い合いのなかで、バットマンはウェイン財閥を買収したクリーンエネルギーのミランダが、実は世界の破壊を目論む本当の敵であったことがわかる。べインはミランダの番犬でしかなかったのだ。ミランダの父親ヘンリー デュカードは、バットマンの宿敵で世界の破滅だけを望んでいる男だった。
バットマンは敵の手に渡り、安全スウィッチを解除され、爆発まであと数分という段階の原子爆弾を、自分の空飛ぶ自家用車にくくりつけ、できるだけゴッサムシテイーから離れた海上に飛んで行き、、、。
というお話。

これでバットマンが 完結して終わった。
第一作「バットマン ビギンズ」2005年と、第二作「ダークナイト」2008年に続いて、これが第3作目で完結した。監督クリストファー ノーランの作品のなかで最もヒットした作品だろう。
主演のクリスチャン ベールを、執事役のマイケル ケインと、ウェイン財閥のモーガン フリーマンが しっかり支えるという芸達者3者3様のコンビネーションが絶妙だ。単純なアメリカンコミックを、ノーラン監督が バットマンという理不尽にも両親を暴漢に殺された青年が、正義とは何か、警察や社会のルールに正義はあるのか、思い悩むひとりの青年の姿を描くことによって、命を吹き込むことに成功した。悪と戦う暴力シーンが多いが、それ以上に、最新式メカニックマシンや 多機能の車や、飛行する車の登場に目を奪われる。そして、どんな苦境に陥っても、人を信頼することを止めないバットマンの強さと弱さが描かれている。

とてもよくできた映画で、3時間近く画面から目が離せない。場面展開が速く、ストーリー展開も速いので、ひとつひとつのデテイルを追うのが大変だが、笑えるシーンもたくさんある。
隠遁していたブルース ウェインが母親の大切にしていた真珠の首飾りをキャッツウーマンに盗まれて、取り返しにパーテイー会場にいく。何年ぶりかに初めて外出したブルースが、車から杖と不自由な足を出したとたんに、マスコミの記者達が、一斉にカメラを向けてフラッシュを焚く。でもブルースがカチリと足につけたスイッチを押したとたんに フラッシュが消えカメラが作動しなくなって記者達があわてふためくシーンなど、映画の中では一瞬だが、 バットマン第一作でおなじみのテクを知っていて見逃さずに居ると、とても笑える。

娯楽映画だから、楽しい。しかし、公開されたばかりの7月20日に、コロラド州デンバー郊外の映画館で上映中に銃の乱射事件が起こり、6歳の女児をふくむ12人が亡くなり、58人の怪我人が出た。容疑者は自分がジョーカーだと名乗っており、自宅にバットマンマスクも持っていたと報道されている。銃がネットで買える国、アメリカで起きた悲しい事件だ。

好きな映画に好きな監督、好きな役者が演じた映画なので もんくは言いたくない。しかし、クリーンエネルギー研究をウェイン財閥がやっており、研究用の核が容易に原子爆弾になって、ゴッサムシテイーの海上に投棄されるというラストシーンは 変更されるべきだった。漫画なのだから、原子爆弾ししなくても 新種の液体爆弾とか、月からもってきた新種の黴菌爆弾とか、考えられるだろうに、、、。 4メガトンの原爆を、爆発数分前のところをバットマンが抱えて海上に持ち去る。4メガトンといえば 広島に投下された原爆の数千倍。新幹線並みの速さで、それを捨てに行っても 12ミリオンの市民の住む街から それほど遠くまで運べない。バットマンのおかげで市民は救われたことになったが、街から数キロ先の海上で爆発した原爆は 何千度もの熱さで煮えたぎり(広島では土壌の温度が6000度)、大津波が起きて、街を波で洗いさらうことだろう。ラストシーンで 海から湧き上がるキノコ雲を見ながら バットマンによって助かったと思い込んだ市民は みなことごとく被爆したのであって、助かったのではない。

2012年7月19日木曜日

映画 「星の旅人たち」


原題;「ザ ウェイ」(THE WAY)
監督:エミリオ エステべス
キャスト
息子ダニエル :エミリオ エステべス
父トーマス   :マーテン シーン
ジョ-スト   :ヨリック バン ワゲニング
サラ      :デボラ カラ ウンガー
ジャック    :ジェームス ネベスト

ストーリーは
ニューヨークで眼科医をしている初老のトーマスのところに 息子ダニエルがピレネー山脈で事故死した、という知らせが入る。トーマスは ずっと前に妻を亡くし 長いこと気心の知れた友人を持ち、一人で気楽な暮らしをしていた。一人息子のダニエルが どうして、そんな遠いところに、、、急遽トーマスは、フランスに飛んで、そこでダニエルの遺灰を受け取ることになる。息子は、スペインのサンチャゴ デ コンポステーラに向かう巡礼路の途中、ピレネー山脈で嵐に遭い、遭難したのだった。

たった一人の息子を失って呆然としているトーマスに向かって、息子の葬送に立ち会った牧師は 息子に代わって巡礼を続けてみたらどうか、と勧める。成人してから 教会に、縁が無かった。自立してからは、専門家として立派に仕事をしていた息子が、何故、突然巡礼の旅に出ることを思い立ったのか、わからない。そんな息子の魂の旅を見出そうと、トーマスは息子の遺灰を背負って、巡礼の旅を始める。 フランス、スペインを縦断する全長900キロの巡礼だ。少なくとも歩いて、ひと月はかかる。

 トーマスは、巡礼路の標識ごとに、息子の灰を撒きながら歩く。歩き疲れると、息子の元気だった時の姿が 行く手に見えて、息子と二人で歩いているような気持ちになる。 道行に ジョーストという若いオランダ人の若者が、加わる。彼は陽気でおしゃべりだ。巡礼で痩せて、別人のように立派な男になって帰国したいと、考えている。また、サラという カナダから来ている、やせぎすの女が加わる。粗暴な夫から逃れてきた、チェーンスモーカーだ。彼女は巡礼を契機にタバコを止めたいと願っている。そこに、さらに、アイルランドからきた小説家、ジャックが加わる。ジャックは、イエッツやジョイスのような文豪を夢みて物を書いてきたが、行き詰まって、巡礼することを契機に立派な小説を仕上げたいと考えている。

街道に沿って、歩き疲れると、教会に付属している簡易宿泊施設に世話になる。歓待して食事を出してくれるとことがあるかと思うと、うなぎの寝床で高額の宿泊費を請求されるところもある。世界中から沢山の人々が、巡礼に来ている。 息子と二人きりで対話しながら、静かな巡礼をしたかったトーマスに 若い同行者が加わると 小さなトラブルも喧嘩も起きる。息子の遺灰の入ったバッグを盗まれたり、争いが起きたり、様々な体験をしながらも、4人そろって、ついにスペインを横断、北部のサンチャゴ デ コンポステーラ大聖堂に到着。巡礼を終える。トーマスが 最後に残った遺灰を海に撒くシーンで この映画は終わる。

スペイン、ガルシア州、サンチャゴ デ コンポステーラへの巡礼は、ローマ、エルサレムと並んで、世界のキリスト教の三大巡礼地だ。 フランスからピレネー山脈を経由して バスク地方を通り、スペイン北部へと至る。最終地の大聖堂には イエスの12使徒の一人、聖ヤコブの遺骸が収められていると言われている。その手前には、モンテ デルゴソ「歓喜の丘」があり、これを含めた巡礼路は、ユネスコ世界遺産にもなっている。スペイン語では、巡礼路を「サンチャゴの道」と言い、フランス語では「サン ジャックの道」と呼ばれ、スペインとヨーロッパとを繋ぐ路でもある。 年間10万人が巡礼し、その巡礼路には無料の宿泊施設もあり、巡礼者手帳が発行される。距離にして900キロ、一日30キロ歩いても、ひと月かかる距離だ。

話では聞いていたが、そうした巡礼というものがどういうものか、この映画で、初めて体験できた。何といっても景色が素晴らしい。ピレネーの山々を黙々と歩く。山を越え、また山を越える道中だ。日暮れにたどり着いた古い教会で寝返りも、打てないような狭い施設に詰め込まれたり、寂れた教会に招き入れられると、牧師が狂人だったり、清潔なホテルのような所で食事を提供されたり、路で震えながら野宿したりする巡礼の旅が興味深い。
一番おもしろかったのは、4人が付かず離れずのグループになってから、些細なことでトーマスが怒りだし、暴れまくって地元の警察に逮捕、拘束されたのを、3人で身柄引き受けに行くところ。、、、で、 再び自由になって、巡礼に加わったトーマスが、一泊だけ高級ホテルにみんなを招待する。久しぶりに浴びられるシャワーに大はしゃぎする同行者たち。豪華なお風呂、清潔なシーツ、柔らかいベッドに暖かい食事。4人が4様に、のびのびと体を伸ばしてみたあと、夜が長い。それで、一人、また一人と、トーマスの部屋に何となく理由をつけて集まって来てしまう。みなが顔を合わせて、大笑いするところは、圧巻だ。この映画の見せ所だろう。
息子にために巡礼を始めたトーマスにとって、このような国籍も性格も年齢も巡礼にいたる理由も異なる雑多な4人が、共に歩いているうちに互いになくてはならない心の絆で結ばれるようになるなど、予想もしなかったことだったろう。

映画の中でトーマスを演じているマーテン シーンは71歳。誠実で責任感の強い年寄り。本人そのものの様な人柄で、この役を演じている。監督エミリオ エステべスは 実際にマーテン シーンの息子でもある。この映画は 息子が、心から尊敬する役者である父親のために作って、自らメガホンを握った作品なのだ。シーンは、過去30年間に出演した映画の中で最高の役を息子から贈られ、演じることが出来て幸せだ、と言っている。シーンの父親はスペイン人だというから、親子3世代で、スペインのルーツをこの映画でたどった、と言うことができる。

マーテン シーンは、「アメイジング スパイダーマン」で、スパイダーマンの心の支えである叔父さん役で、出演している。しかし、彼は何と言っても、「地獄の黙示録」の ウィラード大尉役が、印象に残っている。オバマ大統領の熱烈支持者で、死刑廃止論者。人権、社会運動活動家で、67回逮捕される経験を持つ。反捕鯨団体、シーシェファードの支持者でもある。独特のインパクトのある良い役者だ。

巡礼の旅をテーマにした映画だが、宗教くさくない。とても人間的な映画だ。
一番私が好きなところは、行き着いたサンチャゴ デ コンポテーラ大聖堂に感動して涙を流し、「これで生まれ変わってきっぱりタバコを止める」と決意したはずのサラが 最後の場面で、ひょいと、ポケットに手をやり、タバコを口にくわえるところだ。とても、笑える。

そう、そうなのだ。苦行難行の巡礼をして心を清め、惰性を改め、新たな決意をしてみても、痩せて男前になってオランダに帰りたいジョーストは、旅の間もいぎたなく食べてばかりいて、永遠に痩せて男前になることはないだろうし、書くことに行き詰まった小説家ジャックは 巡礼後も、スラスラと文章が泉のようにわいて出るわけはないのだ。トーマスにしても、息子が何故、ニューヨークで成功していたのに 突然巡礼の旅に出て死んでしまったのか 巡礼をしてみても、わからないままだ。 巡礼のあとで、サラがひょいと、タバコをくわえるように、人はどれだけ決意してみても、 自分は自分でしかないことを知ることが出来るだけだ。 この映画の、なかなか ひねりの効いた というか、自然体の、最後のユーモアが気に入った。小さな作品だが、観た後で じわじわと味が出てくる、良い映画だ。

2012年7月10日火曜日

映画「アメイジング スパイダーマン」

      
原作:スタン リー&ステイーブ デイッコ
 監督:マ-ク ウェブ

キャスト
ピーター パーカー :アンドリュー ガーフィールド
グウェン ステイシー:エマ ストーン
べン叔父さん    :マーテイーン シーン
メイ叔母さん    :サリー フイールド
カート コナス博士 :リス エバンズ

ストーリーは
ピーター パーカーは、4歳のときに両親が失踪し、叔父叔母に預けられて育った。父親は科学者で、同僚のカート コナス博士と異種間遺伝子交配に関する研究をしていたが、何者かから逃れるようにして姿を隠して、そのまま二度とピーターの前には現れなかった。何も知らされないまま、ピーターは高校生となったが、血は争えないもので科学に強い興味を持ち、学生らしからぬ豊富な知識を持っていた。しかし学校では、華奢な体つきから、正義感は強いが、どちらかと言えばいじめられっ子の立場だった。

ある日、ピーターは叔父さんの家の地下を修理する為に下りていって、父親の鞄を発見する。そして、底に隠してあった父親の科学の数式を見つける。叔父さんから 父の同僚だったカート コナス博士がオズコープ社で研究していることを知らされて、ピーターは コナス博士に会いに行って、研修生に混じって実験室に紛れ込み、毒蜘蛛に咬まれる。
父のことで必死になっているピーターは、叔父さんと些細なことで争い、家を飛び出すが 夜半ピーターを探して街に出た叔父は 強盗の逃亡を食い止めようとして撃ち殺されてしまう。

幼くして両親に去られたピーターは その15年後には 親代わりでピーターの心の支えだった叔父さんまで失ってしまった。復讐を誓ったピーターの体に異変が起きる。手から蜘蛛の糸が出て、この糸は 柔らかく弾力があるのに鉄鋼よりも強い。糸を柱に取り付けて、ターザンのように ビルからビルへと移動することが出来る。両手は吸盤のように吸い付いて、ビルをよじ登ることも、天井に張り付くこともできる。
ピーターはこの蜘蛛の糸を 手動で出せるウェブシューターという リストバンドを作って取り付けて、蜘蛛のようなスーツとマスクを作って身に着け、夜になると、叔父さんを殺した犯人を探し、悪人を捕らえるために出動するようになった。警察が取り締まれない、極悪犯人を次々と捕らえて、警察に突き出す。ビルからビルを蜘蛛のように動き回り、悪人を捕らえるスパイダーマンは、いつのまにか市民のヒーローになってしまった。しかし、ニューヨーク市警の ステイシー警部は、スパイダーマンの逮捕状を出す。

ステイシー警部の娘、グエンはピーターのクラスメイトで、オズコープ社の研修生でもある。ピーターとグエンは互いに魅かれあっていた。そして、グエンはピーターが、警察が追っているスパイダーマンだということを知ってしまう。

オズコープ社のスポンサーは、異種間遺伝子交配の研究成果を早く出すようにカート コナス博士を急き立てている。しかし、まだ実験段階で、それを人間に試してみる段階には至っていない。博士は この遺伝子工学の成果によって、アルツハイマー氏病や黄班部変性や、事故で体の一部を失った人を救うことができると信じている。まだ時間が必要だ。しかし、酷にもスポンサーは一方的に 資金打ち切りを宣言する。

思い余った博士は ついに自分の失った片手に、実験段階のトカゲの遺伝子を注射して、自ら人体実験をする。
トカゲと異種間遺伝子交配された博士は、攻撃的な大トカゲとなって、人を襲う。彼は、地下の下水道に自分の実験室を持ち、夜になると人を襲う狂った化け物になってしまった。遂に、ニューヨークの人類全体にトカゲの遺伝子を撒いて、その恩恵を分け与えようとして、タワーから遺伝子ガスを噴射させようと目論む。
スパイダーマンは それを止めようと、、、。
という、お話。

3Dテクニックが、ここまでくれば、満足だ。
観ているものは、スパイダーマンと一緒に、高層ビルの頂上から飛び、急落下して、別のビルに飛び移り、ニューヨークの摩天楼を駆け巡る体験ができる。夜空を蜘蛛の糸で、スウィングすることが出来る。バンジージャンプとジェットコースターとプラネタリウムを同時に 映画の間中 何度何度も体験できる。超高層ビルから飛び降りる時の、恐怖感と爽快さ、ニューヨークの摩天楼を 蜘蛛の糸を頼りに飛び回る愉快さ、風を切る冷たさまで体感できる。摩天楼の美しさが眩しい。
夜空を飛ぶだけのスーパーマンや、ロボテイックなスーツに身を固めたアイアンマンには、これだけの臨場感は望めない。星と一緒に、3Dで空を飛べるとは思っていなかったので、とても嬉しい。 今回のスパイダーマンはとても良い。3Dで観る価値がある。

それと、スパイダーマンの映画の成功の鍵は、ピーターがどこまで人間として魅力的に描かれているかにかかっている。その点でアンドリュー ガーフィルドは成功だ。19歳のピーターの怒り、悔しさ、孤独、哀しみがよく描かれていて、初恋への戸惑いや甘えも、よく表現されていた。
前作の トビー マクガイヤーと キスリン ダントスの冷ややかなカップルにくらべて、100倍くらい新カップルは よくできている。役者として、比べ物にならない。

印象的な場面がいくつかある。
スケボーを持ち歩く孤独な高校生が 自分の体の変化に気がつくところ。港の倉庫で蜘蛛の糸を使いながら スケボーで飛んだり跳ねたり 天井の梁に飛び移ったり いろんなことができることを知って前進で歓びを現すシーン。これが とても可愛い。

そして、最後にトカゲ男との対決で、スパイダーマンは大怪我をしていて ビルからビルに飛び移る余力がなくなっている。そこを自分の子供をスパイダーマンに救われた工事責任者が 巨大クレーンを、いくつも渡して、トカゲ男が 毒を噴射しようとしているタワーまでスパイダーマンが、飛び移る手助けをするシーンだ。市民立ち上がる、、、である。

最後に、亡くなった叔父さんが、ピーターの携帯電話に残したメッセージが泣かせる。
そう、、、親が居なくたって、叔父さんが居なくたって、自分を理解しようとしてくれた警部が居なくたって、大丈夫。 自分の信じる道を前に進むんだよ。
ピーター。

2012年7月6日金曜日

オットを殺すところでしたー!

       
仲の良い友達の、新しいボーイフレンドが、実は彼女に隠れて昔のガールフレンドを会っていたと言う。友達達はみんな、激しく怒り、口を揃えて、そんな男、汚れた新聞紙に包んでサッサと捨てるべし、と説いた。
しかし私は どうせ男なんて、そんなもの。馬鹿なのさ。オットだって 私に隠れて、昔のガールフレンドに会っている。17年、努力してきたが、馬鹿さ加減を減らすことが出来ない。男などに何も期待せずに、100%の誠実さなど、漫画の世界と思い定めて、一緒にやっていくことができないのかね、と彼女に問うた。
それを聞いた彼女、、、自分のボーイフレンドの行状よりも、すっかり信頼、尊敬していた私のオットが、そんなことをしていたことの方がショックだと言う。

これを聞いて、私も段々腹がたってきた。
最初の 死んだ夫は私の14歳年上だったが、今のオットは18歳年上。オットは、若くて、美しく、現役で働いていていて、教養ある私という過ぎた妻を持ちつつ、なお、オットと同じ年の充分しなびた、無職で年金で生きている教養のない女に 頼まれると時々会っている。どうでも良いことと、今まで放っておいたが、これは倫理上、許されないことではないか。

久しぶりに怒り狂って、家を飛び出し、実はこれは計画的だったんだけれども深夜映画に行ってきた。何も知らないオットはオロオロしながら深夜まで 私の帰りを待っていた。帰ってきてくれて ありがとう、と言われても だんまり、、。
会話なしの2日目。
青い顔をして 「胸が痛い」と言う。そういわれると もっと腹がたってきて、それみたことか、良心が痛むんだろう。「あなたは自分がヤバくなったら いつも病気に逃げるのよね。」と。
実際オットは、病気の見本市みたいな人だ。上からいくと、脳卒中で、2日間言葉を失ったことがある。目は両目とも白内障で、黄班部変性で、片目は失明に近い。喘息もちで吸入器なしで歩くことも出来ない。胃炎で何度か出血し、腎臓からはいつも蛋白が出て、膀胱に腫瘍があり経過観察中、前立腺肥大もある。脊椎骨折2回、関節炎で手指、肩、腰痛をもち、100メートル歩くのが限界。重度の肥満体。しっかりしているのは脳みそだけだ。
今までも ささいなことで私が怒ると オットは「耐え難い頭痛」で寝込んだり、「ひどい喘息発作」を起こしたり、、、こんなヤツ やってらんないよ。

新しいブラウスと、花柄のベッドカバーやら 無駄使い、衝動買いの大袋を抱えて お昼に帰宅すると、仕事に出かけたオットが しょんぼりソファーに座っている。救急病院に行かなければならないが、付いていってくれる?と、頼りない 懇願の顔。
聞くと、仕事中、胸痛が止まないので職場のクリニックに行って、ECGと血液検査を受けたあと帰宅して休んでいたら、血液検査の結果が出て、ただちに救急病院に行くようにと、電話があった、と言う。

胸痛は本当だったのだ。大変、、、ハートアタックだ。血液検査の結果が悪いということは、トロポネンTという 心臓の筋肉がダメージを受けているときに 血液内にしみ出てくる酵素が検出されたということだ。放っておくと心筋が死んでしまう。大変。車に飛び乗り 救急病院に向かう。
救急病院はいつものことながら、ごったがえしの混沌、無秩序のカオス。1000ベッドの、北部最大にして唯一の救急病院の待合室は、転んで骨を折った年寄りも、切迫早産の妊婦も、子供の喘息も、交通事故も、ゲイどうしの喧嘩も、精神病患者の症状悪化も、みんな一緒に血を流しながら、痛みに耐えながら、ひとつ部屋で待たされる。待っている間に人、一人や二人死んでいても驚かない。
オットが 再度の血液検査の結果、入院が決まったのは、もう夜中だった。

翌日 心臓血管造影検査で心筋梗塞で、二つある冠状動脈のうち、ひとつが詰まって血液が循環しない状態だったことがわかって、急遽ステント挿入する手術をして、命がつながった。危なかったね。
やれやれ、、、気の弱いオットとは 夫婦喧嘩できないなー!
はい、ちゃんと反省しています。
ごめんね。

2012年7月5日木曜日

バットマン ムービーナイトの夜

バットマンシリーズ最後の「ダークナイト ライジング」が、じきに公開される。 第一作「バットマン ビギンズ」2005年と、第二作「ダークナイト」2008年に続いて この第3作「ダークナイト ライジング」2012年が 最終作になる。 3作とも同じ、クリストファー ノーラン監督、脚本。主演バットマンをクリスチャン ベール、彼を執事マイケル ケインと、モーガン フリーマンの名優達が支える。

 「ダークナイト」でアカデミー主演男優賞を授与されたヒース レジャーのジョーカーは、残念ながら、もうこの最終作に出演することができない。 第三作目の公開に先立って 前作の2作品を復習しておくために ナイトムービーが企画された。日曜の夜6時に始まり、深夜12時に終了する。これに 初めて行ってみて、とてもおもしろかった。 日本に居た時、オールナイトと称する映画5本立てを 新宿で観たのは大昔。朝6時に終わると、赤い目をして電車の始発で家に帰ったりしたものだ。

ナイトムービーに、やってきていたのは、家族連れや中年夫婦も居たが、圧倒的にテイーンの男の子グループが多かった。それぞれがバットマンスーツを着たり、自作のマントを背中に張り付けてきたり、ジョーカー風の化粧をしてきたりして、勝手に盛り上がっていた。誰もが大きな袋を抱えていて、長時間の映画見物に備えて、超大型ポップコーンやチップスや飲み物を持参。おにぎり持参で ひとり若い人たちに混じって、映画の名場面には拍手をしたり声援を送り みんなと一緒に楽しんだが、まわりの青少年達は 私のことを、変なおばさんと、思っていたかもしれない。普段 映画は一人きりで観て 誰にも邪魔されずにじっくり味わうが、こんな風に、手をたたいたり 口笛を吹いたり足を踏み鳴らしたり 画面と一体になって映画を沢山の若い人たちと、共有して観るのも、実に楽しい経験だった。

 ゴッサムシテイーの教会の尖塔の頂上に黒い影、、、やがて月に照らされて蝙蝠の姿が浮かび上がる、その美しいシルエットに、ヒエーイとばかり観客が手をたたく。あるいは、戦車のようなバットマンの車がブレイクダウンして もう追跡が出来ないかと思うと 車がバイクに変わって疾走するシーンなど観客は、ヤンヤの歓びようだ。また、みんなのヒーローバットマンだけでなく、ジョーカーも人気があって、彼のジョークに笑い転げ、みんながヒース レジャーに好感をもっていることが、観ていてよくわかった。観客達の呼吸が伝わってくるようだ。ヒース レジャーは、この映画で真に迫る名演技を見せたが、映画完成前に たった25歳で事故で亡くなってしまった。このパース出身のオーストラリア人俳優を、みんなとっても好きなんだ、という心情が伝わってきて切ない。私だけでなく、みんなみんな ヒースの死を惜しんでいるんだな、、、。

でも、この映画が若い男の子達を夢中にさせる理由は、やはりメカにある。
ウェイン財閥の尽きることの無い豊富な資本で、専門の科学者を抱えて、ものすごい多機能をもった車や、バイクや 空を飛ぶ羽のついたガウンや、100メートル直下に落ちても怪我をしないバットマンスーツなどが、次々と出てきて魅力満載だ。007の特殊スパイ装置を上回る。アイアンマンよりも優れていて格好が良い。 悪を征伐して、一晩暴れまわってバットマンは、傷だらけで、家に帰ってきてベッドに倒れこみ、親代わりの執事に介抱される。そんなとき、無垢な坊ちゃんブルースは 傷ついたヒヨドリのように頼りない。この強いヒーロ-と 現実のブルース ウェインとのアンバランスが、また一層魅力だ。バットマンを主演するクリスチャン ベールは実にハンサム、全然年をとらない。メカに夢中な永遠の少年の横顔を持った役者。若い俳優の中で 最も実力のある良い役者だ。

バットマン ビギンズ 2005年
ストーリーは
ウェイン財閥の一人息子ブルース(クリスチャン ベール)は、広大な敷地をもつ屋敷で子供時代を過ごす。ある日、従兄弟のレイチェル(ケイテイ ホームズ)と庭で遊んでいて、古井戸に落ちる。井戸の底は地下につながっていて、落下したブルースに驚いた蝙蝠の群集が 羽ばたいてブルースを怖がらせた。このとき、たった一人で暗い古井戸の底で 父親が助けに来てくれるまでの間、恐怖に脅かされたトラウマから 助け出された後も、ブルースは 時々恐怖感から、身動きが出来なくなる発作が起きて両親を心配させる。

ある夜 ブルースは、正装した両親に連れられてオペラに、連れて行かれる。観賞していて、舞台に蝙蝠が出てきたとたんにブルースは、観ているのに耐えられなくなって両親に伴われて劇場を出る。悪い運が重なって、両親は強盗に会って無慈悲にも、犯人に銃で撃ち殺されてしまう。残ったブルースは たったひとり屋敷で執事(マイケル ケイン)に世話をされながら成長する。ブルースにとって、古井戸に落ちた時の恐怖に立ち向かうこと、そして死ぬ間際の父の言葉「怖がらずに勇気をもって生きなさい。」という言葉に従って生きることが、自分の課題となる。

大人になったブルースは 両親を殺した強盗犯を殺そうとするが、強盗犯が軽い刑期を言い渡された直後に、何物かによって殺される現場を目撃し、復讐が正しいことなのか 正義とは何か、という葛藤に苦しむ。彼は、人間の本当の強さを求めて ヒマラヤの奥地にまで放浪の旅に出て、体を鍛え 秘密の武等組織に入りヘンリー デュカード(リーアム ニーソン)から闘いを伝授される。 訓練を経て、ゴッサムシテイーに戻ったブルースは ウェイン財閥の跡継ぎとして会社の経営にかかわりながら、科学研究者のフォックス(モーガン フリーマン)の力を得て、犯罪の蔓延するシテイーから、市民を守るための方法を考える。そして、犯罪者に恐怖感を与えるために蝙蝠になって、悪者を取り締まり、警察に突き出して、街を浄化することにした。バットマンの活躍の始まりだ。

幼友達だったレイチェルは 成長し弁護士になっている。彼女は法によって善者を守り悪を防止することに使命を感じているから、バットマンのように直接犯罪者を取り締まり、罰を与えることには批判的だ。しかし、ヒマラヤで厳しい戒律をもった武闘組織を抜け出してきたブルースに、制裁を与えるためにヘンリー デュカードらがやってきてブルースを攻撃し始め、、、。
というお話。

ダークナイト 2008年作
ストーリーは
ブルースはウェイン財閥の会社経営を続けながら、夜になるとバットマン服に身を包み。悪のはびこるゴッサムシテイーで、市民を守るために活躍していた。いまやバットマンは、街の英雄だった。 新しくシテイーにやってきた地方検事ハービー デント(アーロン エカット)は、腐敗し汚職と暴力など諸悪のもとであるマフィアと、正面から闘うことを約束し、マフィアの資金源を断つ。ブルースが恋心を抱いているレイチェル(マギー ギレンホール)は ハービーの恋人で右腕として共に働いている。ブルースはそれを知って、ハービーに多大の支援を申し出て、ゴッサム市の市長として推薦する。

ときに、極悪犯ジョーカーが出現して銀行を襲い、マフィアと手を組んで次々と警官を襲って殺害する。ジョーカーは人殺しをゲームとして楽しんでいた。彼の悪行にルールはない。徹底して人を苦しめて罪の無い人々を殺す事が楽しい、精神分裂症患者だった。彼は 人々の英雄バットマンを殺すことが自分の最大の目的だと考えて、バットマンをおびき寄せる為に ハービー市長とレイチェルを拘束する。そして、どちらかがバットマンによって助けられた時に、どちらかが爆破して死ぬことになるという残酷な罠を仕掛ける。何も知らないバットマンは、最初に目に付いたハービー市長を救助する。と同時にレイチェルは爆破されて命を失う。瀕死状態で救出されたハービーが、手当てを受けている病院に、ジョーカーが現れて病院は爆破され、犯罪者に爆弾を仕掛けられて警察署は爆破され、次々とジョーカーは、バットマンに挑戦をつきつけてくる。

レイチェルと結婚してバットマンを引退するつもりでいたブルースは レイチェルを失い、茫然自失の状態に陥る。しかしレイチェルは、ジョーカーに拉致される前に、執事にブルースあての手紙を託していた。そこには、レイチェルが、ハービーと結婚するつもりでいることや、バットマンの生き方は間違っているというレイチェルの率直な意見が書かれていた。何も知らないブルースを、これ以上傷つけないために執事は密かにその手紙を燃やして、、、。
というお話。

第一作で、レイチェルを、ケイテイ ホームズガ演じたが彼女はトム クルーズと結婚して女優を引退してしまったので第二作では 顔の似ているマギー ギレンホールが演じている。 また第二作で 極悪人のジョーカーを、バットマンに殺させなかったのは、第三作で続けて ジョーカーを活躍させる予定だったのだろうが、ヒースが亡くなってしまったので、ジョーカーはもう居ない。他の役者にジヨーカーを演じさせても ヒース以上に、血も涙もない異常犯罪者の役をこなせる役者が他に居ないので、あきらめたのかも知れない。 バットマンでは、本当にクリスチャン ベールが輝いている。バットマンを支える執事マイケル ケインとウェイン財閥責任者のモーガン フリーマンも とても良い。この3人の役者が演じなかったらバットマンの良い味は出てこなかっただろう。第3作が楽しみだ。

2012年6月26日火曜日

映画 「スノーホワイト」

映画「スノーホワイト」原題「SNOW WHITE AND THE HUNTSMAN」を観た。

1800年にグリム兄弟によって書かれた童話「白雪姫」のハリウッド バージョン。
「アリス イン ワンダーランド」を監督したルパード サンダースの作品。イギリスで撮影されたアメリカ映画、2時間10分の長編、アクションドラマ。「アリス イン ワンダーランド」と同じスタッフによって作られたそうだが、アリスのときは、アリスに、当時の結婚がすべてだった女の生き方を拒否させて、冒険魂をもった仕事する女として描いたところが とても斬新だった。今回も、同様、現代版白雪姫は 男には目もくれず、敵と戦い、自分の城と領地を守る戦う女として描かれている。肌の色が雪のように白いかどうかは、あまり問題ではないみたい。

キャスト
スノーホワイト :クリステイン スチュワート
悪の女王ラベンナ:シャーリーズ セロン
狩人エリック  :クリス ヘムズワース
ウィリアム   :サム クラフリン

ストーリーは
スノーホワイトは、王と王女に可愛がられて姫として育った。しかし王が病死した妻に代わって、ラベンナという女と再婚すると、ラベンナは王を殺し、城や領地を奪い、幼いスノーホワイトを城の牢獄に幽閉した。悪の女王ラベンナは 魔法の鏡を持っている。そしてこの鏡が宣言するこの世で一番美しい女王でありたいと、願っていた。牢獄につながれたスノーホワイトは冷たい石の監獄のなかでも日々、成長し美しくなっていた。ある日、魔法の鏡はこの世で一番美しいのはスノーホワイトだと言う。怒った女王は弟に スノーホワイトを連れてきて殺すように命令する。

スノーホワイトは 女王の弟が油断した隙を見て逃亡する。追っ手から逃れ、暗黒の森を彷徨ううち、スノーホワイトは、悪の女王がよこした狩人エリックに出会う。もともとエリックは自分の妻を悪の女王に殺されている。スノーホワイトを殺さなければならない理由はない。エリックは、スノーホワイトが持つ 邪悪な怪物を手なずけてしまう不思議な力に魅了されていた。追っ手から逃れながら、狩人エリックとスノーホワイトは、森の7人の小人の力を借りながら、暗黒の森を脱出する。遂に、殺された王の家臣たちが避難している城に到着。スノーホワイトは 騎士たちを組織化する。そして、戦士の先頭に立って、悪の女王が立て篭もる城を攻めて、落城させ、ついに女王ラベンナとスノーホワイトとの一騎打ちとなって、、、。
というお話。

ここでは、スノーホワイトは、父の仇を討つ戦う女で、全然色っぽくない。王の腹心の息子だったウィリアムとは幼馴染で、互いに魅かれあっていたが、スノーホワイトはウィリアムなしで成長し、再び出会った後は共に闘い、自力で女王の地位を奪取する。
追っ手だった狩人エリックとは、暗黒の森を脱出するための協力相手で、妻を失ったエリックに心を寄せるが、しょせん彼は狩人。スノーホワイトは、男に頼らない。最後にケリをつけるのは、スノーホワイト自身だ。
現代版白雪姫では、女の価値は 顔の美しさや若さからくる華やかさではない。信念を貫く、自分を曲げない強さが女の美しさだ、と映画は語っている。と思う。

大流行した「トワイライト」シリーズで、ずっと吸血鬼に恋をした女を演じた、クリステイン スチュワートは、確かにこの世で一番美しい女ではないが、戦う女の役を好演している。
さて、この世で一番美しくなくては気の済まないシャーリー セロンの怪演、、これはピカイチだ。36歳。この世で一番美しいモデルだ。そして、この人の演技力は秀逸だ。悪の女王が 若い女の首根っこを押さえて口を開けさせる。そして、自分もアゴが外れるほど口をシャー、、と開け、若さを吸い取るシーンなど、おばけの映画よりも怖い。ボロボロの肌が ツルツルとして若い女の肌になり、一方、見る見るうちに若い女が老女になっていく。CG技術もここまでできるようになった。迫力がある。

ところで、シャーリー セロンが主演した2本の映画が どちらも素晴らしく良くて忘れられない。ひとつは 「スタンドアップ」2006年、原作「NORTH COUNTRY」、ゴールデン グローブ賞受賞作で、全米で話題になった、実際にあった訴訟事件。
シャーリー セロンの美しい顔が 酔って暴力をふるう夫のために、見るも無残なアザだらけの変形した顔になったところから映画が始まる。女が夫の暴行に耐えられなくなって、16歳の息子を連れてミネソタの炭鉱の街にある実家にたどり着く。やっと見つかった仕事は炭鉱現場。男と肩を並べて働こうとすると、仕事を女なんかに奪われたくない男達が、徹底して嫌がらせをする。ここまで卑劣なことをやるか、と信じられないほどの暴力とえげつない虐め。しかし、彼女は訴訟を起こして 会社と組合員を相手に闘い勝利する。男の職場、炭鉱で女が働ける場を確保した と言う意味で画期的な事件で、実際にあったことを映画化したもの。もう彼女のいじめられ方がものすごくて、観ていて 何度も悲鳴をあげそうになった。

もうひとつの映画は、「モンスター」。これでシャーリー セロンは、2004年のアカデミー主演女優賞を受賞した。2002年に、実際あった連続殺人事件、アイリーン ロノスという娼婦が7人の男を殺した事件を映画化したもの。セロンは10数キロ体重を増やして、入れ歯を入れて、顔にシミを沢山つけて連続殺人犯を熱演した。これも、男の暴力に耐えかねて、まともに生きようとしても どんなにあがいても暴力から逃れられない。殺すことによってしか生き延びられない哀れな女の役で、私をたっぷり泣かせてくれた。本当に良い映画だった。

「スタンドアップ」も、「モンスター」も、「スノーホワイト」でも、セロンは、ものすごく壊れた怖い顔になったが、実際の顔が ゆがみひとつ無い完璧に美しい人だから ひどい顔になる役ばかり楽々とできるのだろう。南アフリカ生まれ。16歳のとき、アル中だった実父を実母が銃で撃ち殺す。自己防衛で無罪になった母親の力で バレエダンサーを夢見てニューヨークに出てくるが、膝の故障で断念。このころ母親の細々とした仕送りで生活していた彼女が、銀行でお金を引き出せない と言われ泣き喚いているところを、映画人に認められて、ハリウッドで成功することになったという。
実生活の様々な体験が、自分を捨てて役になりきることを求められる役者の実力をつけるための栄養素になっているに違いない。自由自在に変化する美しい顔の中にも 物語がたくさん秘められている、魅力のある女優だ。