2024年1月18日木曜日

尊厳死法:VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT

尊厳死
発案から20年近くの論議の末、オーストラリアニューサウスウェルス州(州都シドニー)では、1年半の施行までの期間を経て「自殺ほう助法案」が合法化された。
これでオーストラリア6州全州でこの法が合法となったことになる。2017年にはビクトリア州(州都メルボルン)、2019年に西オーストラリア(州都パース)2021年には、南オーストラリア(州都アデレード)、クイーンズランド州(州都ブリズベン)、同年タスマニアでも同法が施行されている。
この法は「VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT」と言い尊厳死を意味する。クリスチャンやモスリムは、自殺を罪と考えるので法に反対の人も多いだろう。ローマカトリック教会フランシスコ教皇は、「自殺ほう助は医療倫理から逸脱していて容認できない。」と言い、アラブの国々では討論することさえタブーだ。
しかしすでにオランダ、イタリア、オーストリア、スペイン、ルクセンブルグ、フランス、コロンビアなどでも法として機能している。

オーストラリアでは尊厳死の条件は厳しい。
1)18歳以上で市民権か永住権を持っていて1年以上その州に住んでいること。(タスマニアでは3年以上)
2)余命6か月と診断され延命が耐えがたい苦痛であること。
3)2人以上の医師の合意
4)医療側からは提案しない。あくまで本人の意志を尊重する。
5)自己投与か、医師又は看護師の手を借りるかは本人の選択。
6)アルツハイマー病と診断された患者には適用されない。
法が施行され尊厳死された方々の集計をみると、47%が女性、平均年齢71歳、77%が癌患者、87%が自宅での死を選んだ。

私は尊厳死法に賛成。人は生きる権利と、死ぬ権利があると考える。私が看護師の資格を取ったのが1976年。半世紀近く資格をもち、日本に居た時はジャーナリズムの世界で編集記者、フィリピンではバイオリン教師をしていたが、オーストラリアに来てからは20年あまり看護師をしている。74歳のいまも医療現場で働いていて、見送った患者の数は数えきれない。
人はどんなに恵まれた贅沢な暮らしをしていても、病気になって痛みを自分でコントロールできなくなったら、専門職のケアを受けて残りの人生を歩むことになる。自分が勤める施設にも沢山の末期癌、MSなどの神経変性疾患、難病、COPD(閉塞性気管疾患)患者がいて、患者と医師と看護師とが一団となって痛みを止めるための長い闘いに挑戦する毎日だ。定期的にモルヒネを打つ以外は、患者はなるべく普通の人と同じ生活をして、朝にはシャワーを介助され、朝食、モーニングテイー、昼食、アフタヌーンテイー、夕食をとり、その合間に体操、ゲーム、映画会、絵画教室、バス旅行などのアクテイビテイに参加してもらう。

法の施行後、入院患者は治療効果のない終末時に自分はどうしたいか、自分の意志を明記するようになった。最後の最後まで病院で近代医療技術を駆使して延命したいか、最大限の鎮痛剤で寿命が自然に尽きるまで痛みと戦うか、あるいは、愛する人たちに囲まれて安らかに旅立つ、尊厳死をするか、と言ったチョイスを明記する。100人100様の生き方があり、死に方がある。患者がどんなチョイスをしようが、最後の最後まで希望をもって生きるように看護する。見送る時は完全に息が止まるまで手を握って語り掛ける。それが務めだ。
生きる権利と死ぬ権利、、、悩み続け、考え続ける事を止められない。
それは誰にでも訪れることだ。



2024年1月15日月曜日

SEMITIZM + ZIONISM

セミチズムとシオニズム(SEMITIZM&ZIONISM)
例えば欧米では子供に人道主義を教えるとき「アンチセミチズムは許されません。ユダヤ人を差別したり差別言葉で侮辱することを社会は許しません。」と厳しく教育する。そういった基礎教育を受けてきた子供たちは、ユダヤ人が紀元前のローマ時代以前から差別され、見下され、ゲットーに囲い込まれ、まともな職業につけず何十世紀もの間、民族差別を受けてきた末に、ナチズムによって民族浄化ジェノサイトの災難を受けてきた存在であることを、繰り返し教えられてきている。
私の娘たちもインターナショナルスクールで小学校から厳しくアンチセミチズムの教育を身に着けてきた。
セミチズムとはセム語を話す人、ユダヤ人、ユダヤ教に対する差別、敵意、憎悪、迫害、偏見によってユダヤ人を排阻することを言う。
発音が似ているが、混同してはならないのはセミチズムとシオニズム。シオニズムはかつてユダヤ教エホバがいたエルサレムの丘に、自分たちの民族国家を作ろうという思想、ユダヤ人ナショナリズムのことで、19世紀の終わりから1948年までの、イスラエル国家独立国建設の動きをいう。このユダヤ人ナショナリズムの動きを支えるのは唯一絶対の創造神エホバだ。他の神々は間違っているのであって、唯一正しいユダヤの民は選ばれた者としてユダヤ人だけの国家を建設する。

この思想は、パレスチナとの2国家共存という国連決議での約束は無視し、パレスチナ占領、避難民を封鎖する暴挙をもたらせた。現在も1948年の建国だけで終わらず、シオニズムは領地の拡大、多民族ジェノサイトといった前代未聞の強力なレイシズムの動きを見せている。わたしはシオニズムを憎む。どんな思想も、25000人のパレスチナ人を殺す理由にはならない。無抵抗の避難民、女性子供の命を奪う理由にならない。
ユダヤ人の命が、パレスチナ人の命の20倍も価値があると信じるような民族主義は絶対に間違っている。そのような思想を良識ある人は恥じるべきだ。

イスラエルのネタ二ヤフはいくつもの汚職と腐敗した金権政治で起訴されていた。軍の力を強化し司法の持つ力を制限する法案を議会で発議して数万人の反対デモで政権が揺らいでいた。選挙で再選されることはあり得ないと予想されていた。選挙前の人気取りのためには、どうしてもユダヤ人は一致団結して民族的ナショナリズムを高揚させる必要があった。これがハマスによる10.7攻撃だった。みごとにユダヤ人は懐柔された。
いま国連のアントニオグテレス事務総長が イスラエルを批判して即時停戦を訴えようが、南アフリカが国際法廷にイスラエル軍によるジェノサイトを告発しようが、ユダヤ人のナショナリズム高揚を鎮静化することができない。

米国のバイデンは、イスラエルの最強支持者となり武器支援に奔走し、国連ではほとんどの国が望んだ停戦決議に反対している。そのために国連は、停戦への動きが取れない。バイデンも今年10月の選挙に勝つために、強いアメリカを見せつけなければならない。よぼよぼ歩いて小声でぼそぼそ語り、副大統領に何一つ重要な仕事をさせず、再選は不可能と言われながら、選挙に勝つために自分の居場所にしがみついている。
民主主義を形作るための「選挙」のために、世界でネタニヤフとバイデンという、2人の男が無慈悲で凄惨な戦争を続けている。自分たちの強欲のために、2人のエゴのために世界中が泣いている。こんな民主主義で良いのか?

I am singing [Tear in Heaven] by Eric Clapton. Eric made this song after he lost his 4 years old son.
エリッククラプトンの歌を歌ってみた。彼が4歳の息子を亡くした時に作った曲。意訳は以下
  もし僕が君に天国で会えたら   僕の名前を言えるかい   もし僕が天国で君に会えたら    同じように居てくれるかい   僕はこのままでいるように 強くならなくちゃ   だって僕はまだ天国に行けない
  もし僕が天国で君に会えたら  僕の手を握ってくれるかい   もし僕が君に天国で会えたら   僕が立ち上がるのを手伝ってくれるかい   昼も夜もどうやって生きていくか探さなくちゃ    だって僕はまだ天国に行けない
  時間は僕をぶちのめし  立っていられない   僕の胸は張り裂けて ああどうか  どうか、と嘆いている
  ドアの向こうは平和だろうね
  天国では涙なんかないよね

2024年1月9日火曜日

映画「オッペンハイマー」GG受賞

今年のゴールデングローブ賞では、監督賞をクリストファー ノーラン、作品賞では彼の「オッペンハイマー」が受賞した。
原子爆弾を世界で初めて開発した理論物理学者オッペンハイマーの半生を描いた映画だが、日本では拒否反応が強く公開が遅れた。彼は原爆実験の成功で一躍国の英雄になったが、ヒロシマ ナガサキの被害の甚大さを見て、以後の水爆開発に関わることを拒否したため、国からは裏切り者、コミュニスト、ソ連のスパイというレッテルを張られて生きた。映画は物理学者の半生を描いた作品であって、日本の映像も日本人も全く出てこない。

日本では敗戦間際だったのに原爆が落とされて壊滅的な被害を受けた、人道的見地に立って米軍は謝罪すべきだ、という人がいるが、原爆投下によって太平洋戦争が終わったというのが、世界の定説になっている。異論も沢山あるだろう。しかし原爆投下の前、1945年7月26日、何度も米国から勧められていたポツダム宣言を鈴木貫太郎首相は、「ポツダム宣言黙殺、戦争邁進」と世界にむけて発表している。
この時点でニューギニアでは第18軍10万人の日本兵士のうち9万人が餓死していた。この時点で沖縄では6月23日すでに戦闘は終わり、牛島満司令官は、さっさと責任放棄してハラキリ自殺していたが、住民は投降すれば、敗残兵に後ろから撃たれ、隠れていた洞窟は火炎放射器で焼かれていた。東南アジアのジャングルで兵士は、餓死するか、武器なしで死ぬための万歳攻撃を命令されていた。
日本軍は中国人と軍民合わせて1100万人、インドネシア、フリピンなどアジアで800万人の人々を殺してきていた。7月26日の時点で誰一人降伏、敗戦を言っていない。「ポツダム宣言黙殺、戦争邁進」の命令は、原爆が投下されたあと8月15日に大本営天皇が玉音放送するまで続いたのだ。
原爆投下は、繰り返し勧められた無条件降伏を拒否し戦争を長引かせた大本営天皇に責任がある。

いま2つの戦争が拡大するばかりだ。ロシアア、ウクライナ戦は終結できず、イスラエルは国際法無視、国連無視でガザへの凄惨な攻撃をし、ガザのみならずレバノン、シリア、イランへと戦火を拡大している。これほど人道に反するドローン攻撃、白リン弾、クラスタ―弾を使いまくる近代戦はこれまでなかった。
なぜ停戦が受け入れられないのか。
米国もNATOも、ウクライナを支えきれなくなっている。ゼレンスキー大統領は個人私財をたっぷり貯めこみ、腐敗した武器商人と化した取り巻きによって現状を保持することにしがみついている。
イスラエルはハマスによる攻撃を格好のエサにしてパレスチナ人の居住地を占領し、パレスチナ人を国から追放しようとしている。いま何故停戦できないのか。権力者による私利私欲が先に立っている。武器が武器を呼んでいる。

この映画でトルーマン大統領が原爆投下を決断したとき「 マイボーイズ バック、一刻も早く戦争を終える。僕たちの息子たちを一刻も早く帰国させたい。」というセリフがある。どうして日本の大本営天皇は、マイボーイズを平気で餓死させ、自分のために死ぬことばかり命じて、家に帰してやることを望みもしなかったのか。マイ ボーイズ バック!そしていまこそ、即時停戦、核兵器廃絶、軍縮を。



2023年12月29日金曜日

父の思い出 その2

庭から台所口に回って家の中に入ろうとする時、いつもカーンと物干し竿におでこが当たって澄んだ音がするんだよね。で、、その夜もカーンと、私がいつも立てるのと同じ音がするから、誰かが家に忍び込んだってわかった。と、父が言う。犯人は取っ手をタオルで巻いた大きな出刃包丁をもった強盗だった。おひつに残ったご飯を食べているところを、忍んで近ずいた父が静かに話しかけた。
刑務所から出たばかりの人だったそうだ。父は彼の話を聞き、充分食べさせて、お金を持たせて暗いうちに送り出してやった。何も知らず眠っていた母や私たち子ども達が、朝起きたら台所に出刃包丁が転がっていて、初めて事の起こりを聞いて震えた。父はこのことを他の誰にも、二度と話さなかった。それにしても毎回庭から台所に入る時、物干しざおに頭をぶつける父の習慣は、相変わらず続いたのだった。

同じようなことが60年後に、母が亡くなって父が一人きりで住んでいたユニットで、私と娘たちが父のところに遊びに来ていた時に起こった。午前2時、バリバリという音がして隣に住んでいるおじいさんがバルコニーのしきりになっている厚いプラスチックの壁を壊して侵入してきた。認知障害があって、戦災の悪夢を思い出したらしい。父は起きて来て、彼を迎い入れ、お茶を入れ、ビスケットを食べさせ、のんきに世間話をしているところを、話し声で目が覚めた私をびっくりさせた。そして、深夜のお茶のあと、玄関からおじいさんをお見送りした。

自分の家族や昔世話になった先生などのエピソードは、誰にも似たような経験があっただろうから共感をよぶ。
13年前に亡くなった父のエピソードは、いくら書いても書きたりない。

若かった父が阿佐ヶ谷に一人住まいしていたころ、父親代わりだった大内兵衛叔父さんが、自分の1番弟子の宇佐美誠次郎の妹を、家に連れてきた。のちに2人は結婚するが、彼女が帰る時、父は、庭に下りて、両手いっぱいの自分の育てたチューリップを持たせた。「まったく震えが止まらなかったよ。」と父が言う。「チューリップがもったいなくて。」とオチを言い、私が笑ったところで母がプイと部屋から出て行く。これを何度聞かされたか。
父も兵衛もチューリップを愛し、球根から丹念に手をかけて育てた。晩年兵衛が住んだ鎌倉の家は、坂下からながめると頂上に家があったが、その斜面はみごとなチューリップで埋め尽くされていた。

大學のお弟子さんがそのまま大学に残って助手になったとき、大学近くの路上で恐喝にあった。所持金を奪われ新聞記事になった。「早稲田大学の助教授が所持金6千円を奪われた。」という記事だったが、父は「みっともない6千円しか持ってなかったなんて、大恥だ。」と怒った。そして自分が同じ目にあった時に恥ずかしくないように、現金2万円をいつもポケットに持ち歩くようになった。へんな見栄っ張り。

父は生まれつき片目が弱視でほとんど見えなかったので戦争に行かないで、早稲田第2高等学院で教えていた。戦後教育法が変わり高等学院が早稲田大学に昇格して、そのまま20代で大学講師になって、そのまま教授になり、そのまま名誉教授になった。
1953年、講師時代から千葉の内房、上総湊に釣り小屋を建て、夏は釣り三昧を学生たちと楽しんだ。上総湊の小屋がつぶれてから、外房の御宿に移ったが、71歳で退官しても、もと学生たちを釣りに連れて行く習慣はずっと続いた。
連れてこられた学生は釣りの成果がその年の成績につけられる不条理に甘んじ、子供だった私や兄の世話や炊事をまかされ、「別荘日誌」で釣りの成果を記録するのも義務だった。カワハギ、ベラ、キス、メバル、タイ、イカ、タコ、コチ何匹、と細かく記録されるが、いつも最後は「私が一番たくさん釣った。」と父の言葉で締めくくられる。

アイルランドのトリ二テイカレッジに留学したことがあって、そこでついた「朝はオートミール、夜はギネスとスコッチのぐい飲み」という習慣は死ぬまで続いた。
父が亡くなった時「大内先生が居なくなった世界をどう生きていけばいいのか?」と大泣きしたもと学生は、13回忌になる今も手紙をくれて、昔の仲間同士の飲み会に誰が参加したか、とか誰が墓参りをしてきたか、などと報告してくれる。今年は便りの最後に「長生き競争をしましょう。」とあった。彼も80歳。私も明日で74。 父との良い思い出をもった方々が、少しでも健康で長く生きていて欲しいと思う。


2023年12月27日水曜日

父の思い出

先日FBで勲章が話題になって、父のことを書いたことで、父の記憶が一挙に蘇ってきた。
父が大学を定年で退官して国から勲章を授与されることになって、父は即座に断ったが、あとで勲章にルビーの宝石がついていたと知って、私がルビーだけ外してもらって来れば良かったのに、と言ったら「今からでももらえるだろうか」とあわてて父が電話に向かって走りそうになった、というエピソードだ。

そんな父の話をしたい。
71歳まで、早稲田政経学部の教壇に立った。学問的に何の業績も残さなかったが、学生を愛し、学生に愛された。

釣りが好きで千葉県の内房に釣り小屋を持っていた。毎年夏になるとゼミの学生を連れて行って「良く釣った奴にだけAをやる。他はB, 全然釣れなかった奴はCだ。」と言い渡されて、学生の中には釣り船に乗っただけで船酔いで釣りどころではない学生もいるのに、釣りの成果次第で学年末の成績が決まるなんて、とんでもない教授だったと思う。
水道はなし、井戸で炊事洗濯をし、トイレは旧式、ときどき漁師の家のお風呂に呼ばれる、といったのどかな田舎暮らしを、大学の2か月の夏休み中、ずっと父に付き合う勇者もいた。母は日焼けが嫌でついてこないし、子供だった私も兄も姉も父のゼミの学生たちに泳ぎを教わり、遊んでもらって、世話を焼かせた。9月に学校が始まるので、家に帰ると言ったら、「なんだお前の小学校はひと月しか夏休みのない学校なのか!」と驚いていた。

父は話好きで、話を始めると1コマ授業が90分だから、90分間話が止まらない。でも学生たちは父が話し始めると自然と輪になって、嬉しそうに話を聞いていた。政経学部だからバンカラ学生が大声で、父の言葉に異を唱えたり、ちゃかして笑いを取ったり、そのまま朝まで飲み会になって、みんなよく食べ良く飲み、こんがり日焼けして東京に帰った。
夏休みでなくても大学の自分の研究室は、学生たちのたまり場になっていた上、日曜日はいつでも自宅に学生たちが訪ねて来て、書生のように家にはいつも誰かが居るような家だった。
「先生の家」は食い詰めた貧乏学生がご飯を食べにくる場であり、悩みを抱えた学生が日曜には気晴らしに来る場だった。そして「先生」にとって学生は、警察に引っ張られた学生を引き取りに行ったり、就職から結婚までしっかり面倒を見るのが、当たり前という、良い時代を父は過ごした。「天下を取るぞ」と卒業後議員選挙に立候補した学生には、ずっと選挙結果や、地元での活動を見守っていたし、主要新聞社や、商社に就職した学生のことは、自分の手柄のように人に自慢していた。朝日はいいぞ、こいつが入ったんだから、とか、伊藤忠は最高だぞ、あいつが入ったんだから、とかだ。沖縄から来ていた学生のことは特別可愛がっていた。

父は満鉄の幹部だった父親の赴任先、京城(いまのソウル)の満鉄官舎で生まれ育ったが、小学生1年のときに父に死なれ淡路島に戻り父親の弟、大内兵衛に育てられた。毛筆が上手だったのは彼の影響だ。
大内家の男が全員、父の2人の弟も含めて、父親も叔父たちも従弟も、全員が赤門出身だった中で、たった一人早稲田で学び早稲田で教えた。我が道を行ったことにコンプレックスはなかったと思う。
でも晩年になって、母が亡くなって一人きりになってからは、すっかり外国に暮らす私を頼るようになって、私だけには、グジグジとこぼすようになった。「早稲田に入った時、兵衛は私学など塾と同じで大学ではない」、とビシッと言われた、とか、「私は母親から愛されたことがなかった、母は姉のことばかり可愛がった」、、、などと泣きそうな顔で言うこともあった。一級の寂しがり屋だった。

父が亡くなった時、私や兄や姉など身内の家族よりも大泣きした学生がたくさんいた。教える側にとっても教わる側にとっても、とても幸せな時代を、父は過ごした。
いまだに、もと学生で、シドニーに長年住む私に美しいクリスマスカードを送ってくださる方がいる。彼ももう80歳を超え、もうじき私も74歳。共通の思い出を抱いて、年を取ってきたと思う。
写真は上総湊の釣り小屋が壊れて、父が外房の御宿に釣りの拠点を移した時のもの。80歳に見えない。


2023年12月20日水曜日

それでもベツレヘムにキリストは降誕するだろうか

アドルフ ヒットラーのナチ式サリュート:直立不動で右手を斜めに上げる敬礼は、ローマ帝国のシーザーが始めた敬礼だ。ローマ帝国の再来を夢見たムッソリーニが、初めに真似をして、それをヒットラーが真似をした。ムッソリーニは、ローマ警士が捧げ持つ権標:ファッシから彼自身の信条を「ファシズム」と名付けた。ハイルヒットラー式敬礼も、もとはローマ帝国のシーザーが始めであって、ヒットラーは3番手のまねっこということになる。

BC500年からローマは、共和制を布いていたが、BC100年に生まれたシーザーは、BC49年にルビコン河を超えて、フランス全土、ドイツ西部、スイス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、英国、スロベニア、クロアチア、ギリシャ、シリア、スペイン、トルコ、キプロス、モーリタニア、チュニジア、アルジェリア、リビア、モロッコ、パレスチナなどすべて地中海を囲む国々を中心に武力で制服して、ローマに凱旋した。
まねっこヒットラーは600万人のユダヤ人、レジスタンス、LGBTIQ、精神病者などを粛清した。ナチズムの思想はその後消え去ることもなく、亡霊のように世界各国で徐々に蘇っている。イタリアを初めとしてEUの極右政権の広がりは、勢いを増している。

2023今年、私の住むオーストラリアの議会では、ナチのシンボル、鍵十字(スワステイカ)を公共の場で掲げることを禁止する法律ができた。公共の場で鍵十字の旗をもってデモしたり、集会することは違法になった。法に違反すると1年の禁固刑と罰金を科される。
メルボルンでマイプレイスという極右団体が出来て、コロナワクチン接種に反対したり、ホロコーストを否定して、そんな事実はなかったと言っている。鍵十字の旗を持ち、黒い制服に身を固め軍人の真似事をしてまだテイーンとしか見えない子供たちがデモをする姿は異様だったが、厳しく規制された。こうした極右団体に「待った」がかかったことはとても良いことだ。これが議会民主主義と言うものだと思う。

ならば日本の「旭日旗」も法で禁止すべきではないか。
太平洋戦争で軍人、軍属230万人、一般邦人30万人、内地戦災死者50万人の死者、そのうちの140万人が餓死した。人々は旭日旗のもとに死んだのだ。日本軍人はさらに中国で1100万人、インドネシア、フリピンなどアジアの国で800万人、合計1900何人を殺した。その死のシンボルである旗が、自衛隊で使われて良い訳がない。サッカー場で翻って良い訳がない。

毎日報じられるパレスチナの悲惨な映像に気がおかしくなりそうだ。パレスチナで2万人の人々が、イスラエル軍によって殺されている。水も食料も薬もないところで、無防備にも人々が避難所に囲い込まれ、そこを爆撃されて命を落としている。
ユダヤ教は唯一善であり正しく、外は誤りであると言う、優越思想、狂信思想を、わたしは憎む。人が人を抹殺できる宗教を憎む。
ことしエルサレムでクリスマスを祝う人はいない。ベツレヘムでは、キリストは降誕するのか。

Although, US centralized empire churns of propaganda narrative about what Israel is doing, concrete facts are 20000 Palestine people are killed. Gaza civilians have been burned, mutilated, and ripped apart by Israeli millitary explosives. 40journalists were killed,100s medicals were killed. and what happening in Gaza is unspeakably horrific.
Israel's atrocities must END immediately. Who can cerebrate Christmas at blood dripping Jerusalem,? Really JESUS CHRIST will be born in Bethlehem ?




2023年12月13日水曜日

即停戦を

子供の時から想像するのが好きで、1人で勝手に歴史を作り変えていた。いつも「もしも」と考える。
「もしも」秀逸なデッサンを描いていた、あのアドルフ ヒットラーが、中学校で美術の先生に認められ良い指導を受けて、絵を描き続け良いパトロンに巡り合えていたら、優れた芸術家になっていただろう。ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害は、酷いものだっただろうが、いくつかのゲットーが焼き討ちにあったり、ユダヤの金貸しが何人かのラスコリーニコフに殺されたりしたかもしれないが、アウシュビッツや600万人の虐殺はなかっただろう。

「もしも」ゼレンスキーが、ユダヤのオルガルヒの資金援助が足りなくて大統領選に負けていたら今頃コメデイアンを続けていて、親ソ派候補が大統領になっていて、2021年10月のミンスク合意は破られず、米国は介入できず、ウクライナ、ロシア戦は起きなかっただろう。

「もしも」10月7日、ハマスがイスラエル入植者を攻撃していなかったら、今行われているようなイスラエル軍によるパレスチナ住民への大虐殺は起きていなかっただろうか。否、否、否。ハマスが攻撃しようがしまいが、イスラエル国家による攻撃は行われ続けてきた。1948年建国以来、ガザと西岸地区は、法を無視しての入植者の拡大で、パレスチナ避難民は圧迫され続けてきた。国連による分割案でパレスチナの土地と定められたはずの西岸地区でさえ、今はすでに90%近くがイスラエルに占領されている。
2023年12月25日、ベツレヘムでキリストの降誕祭はあるのか。

ベツレヘムのある西岸地区で、この間、数百人のパレスチナ人が銃撃されて殺されているというのに、、、 ガザで17000人のパレスチナの人々が殺され、8000人の子供が殺され、、、水と食料を絶たれて飢えながら、、、絶え間なく降り注ぐ爆弾に傷つきながら、、220万人の難民が行く場を失いながら、、病院の半分以上が破壊され、、米国から送られた国際法違反の白リン爆弾を浴びながら、、バンカーバスター爆弾に焼かれながら、、南へと北から追い立てられた先のハンユニスの街の避難場所に囲い込まれて爆弾の集中攻撃を受けながら、、学生も学者も医者も男たちは皆、ハマスの烙印を押され、裸にされてトラックで連れ去られながら、、武器を持ち強いものしか生きられない劣った野蛮で無秩序なシオニストが、血塗られた壁を持つエルサレムで、、、それでもキリストは降誕しただろうか。
クリスマスを前に、永久停戦を!!!
I am singing [ HALLELLUJHA ] Cease Fire now!


2023年12月3日日曜日

停戦を!

ガザのイスラエル軍によって占拠されていたアルナスル小児病院に、7日間の一時停戦が合意された11月25日、病院職員たちが病院に戻って見たものは、5人の未熟児が酸素チューブにつながれたまま腐敗した遺体だったという。病院が占拠されて17日間、ベッドで腐敗するままになっていたのは未熟児だけではなかっただろう。

7日間の停戦中にガザに入ったジャーナリストらは、口をそろえてガザ北部は人が生存できる場ではなくなったと叫び、2か月間水、電気、ガス、ガソリンが止められ、100発単位で爆撃を受けると、150万人の人々に何が起こるか、悲鳴に近い声で報告した。「国境なき医師団」(MSF)の4台の救急車が破壊され重なって燃やされている。200人余りの医療従事者が命を落とした。

そして停戦協定が破られ、再びイスラエルによる一方的で前より激しいガザへの攻撃が再開した。すでに1万5千人の死者、そのうち7000人は子供で、瓦礫の下ごとに千人単位の命が埋まったままになっている。市民のガザ北部から南部への移動を強制したイスラエル軍は、避難民であふれかえっている南部ハンユニスの指定された避難場所を爆撃で人々もろとも破壊した。エジプト国境近くのラファの街も爆撃を繰り返している。南に避難しろと追い立てて囲い込んでおいて、市民を殺傷している。
バニーサンダースは「米国は国際法や私たち自身の良識に反する行為に加担すべきではない。」と、ごく当たり前のことを言っただけで、それが「号外」になって米国議会で騒ぎになっている。議会にまともな人間はいないのか。狂っている。

最新兵器を誇るイスラエル軍がどんなに狂暴でも、365平方キロ四方の壁の中で、56年間侵略され避難民となった220万人のパレスチナ人を抹殺することはできない。600万人のユダヤ人を殺したナチもユダヤ民族浄化はできなかった。人は限られた土地で、ユダヤ教徒も、ムスリムも、クリスチャンも手に手を取って生きる以外に方法はない。停戦を!

写真は「はだしのゲン」全10巻英語版。シドニーにできた紀伊国屋でよく売れていると聞いて、嬉しくなって写真を撮った。少しでも多くの外国人に読んでもらいたい。優れた反戦漫画。作者は中沢啓治1973-1987、少年ジャンプで連載が始まった。英語版は2000から出版が始まり2009に完成した。


2023年11月13日月曜日

即停戦を

「南で生まれて北で死ぬ。」とベトナム解放戦士は言い残して発って行った。その言葉に深く共鳴して参戦するために、ベトナムに飛んで行きたがっていた友人は、砂川闘争で初の凶器集合罪で指名手配中の身だった。私の大学1年の夏、もう半世紀以上前のことだ。 米国は南ベトナムに傀儡政権を建て、日々北ベトナムを爆撃していた。どんなに豊富な経済力を持ち、優秀でハイテクの爆弾やジェット機や数百万人の兵力を投じ、日本や韓国の支援に支えられていても、ベトナム人のベトナム祖国を守る力には及ばなかった。

今日で攻撃が始まって37日目。
いまガザは、南と北に2分され、侵略国イスラエルが4つの病院を包囲し、14人の未熟児の保育器の酸素を止めて殺害し、700床の病院で5000人の傷病者をケアしている中を幾度も爆撃し、行き場を失い家族を亡くしたばかりの病院避難者を恐怖に陥れ、10万人の北部住民を南部に追い立てている。追い立てながら爆撃をやめない。市民は白旗を掲げていても撃ち殺されながら、南へ「死の街道」を歩いている。昨日だけで155人殺されたと伝えられた。援助している国連の職員もす101 人殺され、西バンクでも抗議に立ち上がった市民100人余りがすでに殺され、、ガザに残留しているジャーナリストが、「死者の45%が、南部で殺されている、南部に避難する意味があるのか、」と叫ぶように報じた。この37日間で11000人余りのパレスチナの人々が、ガザで殺されている。

イスラエル政府は「ユダヤ人安住の地」で平和のためにテロリストを抹殺することが正義だと言うが、人権侵害や侵略や殺戮によって安住の地、平和の地が得られる訳がない。一方のハマスはガザの住民が選んだ指導組織であってテロリストでは断じてない。そのハマスを生み出した、1948年以降の歴史の不正が正されなければ、決してハマスも人々の安住も平和も得られない。

10分に1人の子供が殺されているという。親を失い兄弟を殺されて生き残った子供たちは、いつか必ず立ち上がる。不正を正そうとする。いかにイスラエルという国家が、自分達の故郷を侵害し、追いたて、避難途中の市民を後ろから撃ち、病院で手当てを受けている子供を頭上から爆撃し、白旗と共に病院から出た家族を狙撃し、水を止め脱水した子供たちを殺し、殺し続けることを正当化しても、不正は正されなければならない。

エリヤフイスラエル遺産相は、「北ガザへの原爆投下もひとつの選択肢」、と言い、元ロシアメドベジェフ大統領が、「どんな戦争も1発で終わらせられる。1945年ヒロシマで米国がやったみたいにね。」と言った。
そうかもしれない。1発でハマスを壊滅できるかもしれない。しかし、生き残った者はその後も歴史の証人として、良識を持った歴史の証人として、必ずいつか立ち上がるだろう。
「インターナショナル」と「ワルシャワ労働歌」を歌ってみた。

ワルシャワ労働歌
ヴアッアフ シフィエンチッキ作詞(1880)
鹿地享訳詞 (1927)

暴虐の雲  光を覆い   敵の嵐は荒れ狂う  ひるまず進め  我らの友よ  敵の鉄鎖を打ち砕け  自由の火柱輝く  頭上高く燃え立ちぬ   今や最後の戦いに  勝利の旗はひらめかん  立て同胞よ   行け戦いに   聖なる血にまみれよ  砦の上に我らの世界   築き固めよ 勇ましく
I am singing Polish, [ WARSZAWIANKA ] lyrics by Waclaw Swiecicki in 1880 , and [ INTERNATIONAL ]
WARSZAWAIANKA:
Whirlwinds of danger are racing around us, Overwhelming forces of darkness prevail; Still in the fight see advancing before us, Red flag of liberty that yet shall prevail.
Then all of you workers Rightly will reign, All over the world and the land and the sea, On with the fight for the cause of humanity! March march you toilers, and the world shall be free!
Death to the king and the rich parasites, Tremble before our sacred rage; The old order down we shall strike, Crops of the future harvest we will.



2023年11月3日金曜日

良識を取り戻し、即停戦を!

ヒットラーは彼の目標にしていたゲルマン民族による世界制覇戦争には敗れたが、もう一つの目標、ユダヤ人絶滅戦には勝ったと信じていて、「世界の人々は後々まで私に感謝するであろう。」と死ぬ日まで語っていた。

いまイスラエル軍は、絶滅どころかインターネット回線をぶっちぎり、1日1000単位の爆弾を、わずか365平方キロのガザに落とし、毎日1000人単位の女子供を殺している。これを彼らに言わせるとイスラエルをテロから「自衛」するための防衛戦だと称している。自衛のために1万人近い市民を殺し、ガザを侵略、地上戦で街を破壊しつくす。イスラエルが自国を「自衛」するのを助けるために米国は2艘の空母を派遣し、他国介入をけん制しながら、自分たちはレバノンにもシリアにもドローンアタックを繰り返している。

イスラエルを援護射撃する米国は、戦後一貫して世界を壊してきた。ベトナムでは民族解放戦を潰しナパーム弾で土地を壊し、イラクもアフガニスタンも、こじつけの理由で侵略し無政府状態にし、シリアを分割して米軍基地まで置き、スーダン、イエメンでは壊滅的介入をし、レバノンを極貧国に突き落とし、ウクライナに、対ロシア代理戦争をやらせている。
イスラエル軍が、人質が居るガザに法で禁止されている白リン弾やクラスター弾の爆撃を続けていることは、ウクライナ軍がロシア兵を攻撃するために劣化ウラン弾で自分の国を破壊し、人が住めない土地にしていることに共通する。国民を守る、国を自衛すると言いながら何も守っていない。

つい3か月前にはエルサレムやテルアビブで、軍の権限を最高裁判所の権限よりも強くすると言う司法制度改革に反対するイスラエル人たちが数万人のデモをして、ネタニヤフ辞任を要求していた。あのイスラエル人の良識はどこに行ったのか。軍よりも民主主義を希求して1か月も街頭に出てデモを繰り返した、あのイスラエル人たちは、今どこの消えたのか。

ガザ地上戦が始まった時、人質を救助するために欲しい人には無許可、無登録、無料で自動連射ライフル銃を、路上で人々に配る男の姿をCNSのカメラが捉えていた。若い男たちが目を輝かせて銃を奪いとるように手にして散々に去っていく。即席の私兵たちの嬉しそうな顔。これらの銃は今、誰に向けられているのか。

昨日米国議会で1000憶ドルのウクライナ、イスラエル支援金案が出された。これが全部人を殺すために武器になる。良識を取りもどせ。
一刻も早く停戦を!

韓国の民謡「アリラン」を歌ってみた。
Arirang Arirang Arari yo. You are going over Arirang Hill. My love. If you abandon me. Your feet will be sore before the Mountain. Arirang Ariran Arari yo. Crossing the hills of Arirang oh. Oh My country men why are yours voice hushed. Only the waterfalls and fountains sing free.
アリラン  アリラン アリランの丘 愛する人  あなたは山の向こうに  行ってしまう  あなたの足は  重く痛み つらいでしょう   アリラン  アリラン アリランの丘を越え  国の男たちの  声がどうして  届かないの  滝の流れが   怒涛のように  歌っていると言うのに



2023年10月26日木曜日

今すぐ停戦を!

1973年10月第4次中東戦争の開戦から50年。
この10月にガザのハマスによる、入植地のイスラエル人に対する攻撃と誘拐を契機に、イスラエル軍による攻撃が激しさを増している。すでに、7000弾の爆弾がガザに投下され、6000人のガザ市民が犠牲になった。イスラエルによるミサイルで、ガザ最大の病院が破壊され600人の犠牲者を数えたことで、国連事務総長は「56年間イスラエルに占領されていたパレスチナ」への国際理解を求め、ガザへの食料、水、医薬品、ガソリンを早急に送るように勧告した。
ガザは365平方キロの狭い封鎖壁の中に、220万人の難民が暮らしてきた。イスラエル軍は、ガザ北部から南部に24時間以内に移動するように通告したが、ガザ南部への攻撃の手を緩めず、エジプト国境近くでも、白リン弾もクラスター爆弾も使って攻撃やり放題だ。ガザ北部にいた1000人の腎臓透析患者、1000人の保育器にいた未熟児、新生児や、癌治療中の患者たちは、今どうしただろうか。

イスラエルが攻撃されたとき、ニューサウスウェルズ州はイスラエルと共に立つと言い、アイコンのオペラハウスをイスラエルの国旗の色に照明デイスプレイしたが、それに怒ったパレスチナ支持者による大規模なデモが起こり、知事は謝罪して照明を取り消した。

いまシドニーのランドウィックと、カンタベリーバンクスタウン町議会が緊急議会で決議して、議会前の広場に、オーストラリア国旗と共に、パレスチナ国旗を立てた。
ランドウィックは、ニューサウスウェルス大学のある大学街で、市の中心からトラムで15分、住民にグリーン支持者が多く、州最大の公立病産院もある。東京でいうと、広尾とか駒込だろうか。カンタベリーバンクスタウンは、シドニー西南部で、レバノン人やムスリム移民の多い地域だ。パレスチナに連帯する議会の旗は、イスラエルが停戦するまで掲げるそうだ。

イスラエルは第4次中東戦争から、今回5回目の戦闘攻撃をしていが、ガザ220万人の住民を完全排除することなどでいない。ガス室でユダヤ人が絶滅しなかったのと同様に。
解決策は「2国家共存」と「パレスチナ国家容認」、そして、エルサレムを、ユダヤ教、クリスチャン、ムスリムのそれぞれの聖地として尊重しあって生きるしか道はない。
いますぐ停戦を!

アイルランド民謡の「ダニーボーイ」を歌ってみた。
意訳は
愛しい息子  山を越え谷を越え  バグパイプが勇ましく鳴り
  おまえは戦争に行く  夏が終わり  花々が枯れ  お前は去っていく  おまえはまた夏が来たら帰ってくるだろうか  丘が真っ白い雪で覆われる頃まで  わたしは待っていられるだろうか   愛しい息子   心から愛しているよ
でも薔薇が散って  きっと私は生きていない  お前が帰ってきたら  わたしが眠っているところをみつけて   そこに膝まずいておくれ   おまえが帰ってきてくれて おまえの声を聴いて  わたしの墓は  あたたかくぬくもるだろう  おまえが愛している、といってくれたら  わたしは初めて安心して 眠ることができるだろう
I am singing [ DANNY BOY ] Ireland folk song.




2023年10月19日木曜日

民族差別を過小評価するな

オーストラリアでこの10月21日に行われた国民投票は、先住民の地位を憲法に明記し、連邦議会にアボリジニのアドバイザーを置くかどうかを問うものだったが、残念ながら否決された。
オーストラリアはキャプテンクックによって「発見」され英国人の侵略によって235年間人々が住んできた。しかしこの大陸では、2万年前から、アボリジニ、トーレス海峡諸島民が住んでいた。現在、これらアボリジニ、トーレス海峡諸島民は、オーストラリアに81万人、人口の3.2%いる。彼らがオーストラリアの先住民であることを憲法に明記し、欧州から来た人々が、植民し侵略してきた事実を謝罪し、彼らが連邦議会に直接提言できるように憲法を改正するというのは、ごくまっとうな、正当なことだ。

それは、総人口の3.2%の先住民アボリジニとノンアボリジニとの格差をなくすことにつながるが、その提言が、否定されたことは残念だ。現実にアボリジニは、ノンアボリジニの平均寿命では8年短かく、乳幼児死亡率も自殺率も、心臓糖尿病罹患率も2倍と、高い。にもかかわらず、国民の60.6%が、NO に投票した。
キャンベラ以外すべての州で提案が否決され、エメラルドの海、世界最大のサンゴ礁を誇るツーリストの州、クイーンズランドでは68.8%がNOと答えた。反対に、本島から一番遠い木曜島では、90%がイエス、国民投票の結果に島民は落胆している。

オーストラリアでは投票は義務で、投票しなかった人には罰金の請求書が来る。今回の投票では史上最低の投票率を記録して、250万人、実に7人に1人が投票しなかった。罰金を払ってまで投票したくない人、アボリジニの関心のない人、差別に自分は関係ないと関りを持ちたくない人、自分は民族差別者ではないと言いながら、少数者、障害者、フェミニスト、LGBTIQ+などマイノリテイから目を背けて避けていく人々が、とても多いことは、残念だ。NOを主張した大半は、アボリジニはすでに、十分保護されていて、これ以上特別扱いする必要はないという意見だ。しかし十分な保護を受けているかどうかを判断するのは、マイノリテイの保護されている側であって、マジョリテイの側ではない。圧倒的多数のアボリジニの声を謙虚に聞くべきだ。

今回の投票結果は60.6%がNOで、憲法改正に至らず、アボリジニが連邦議会に直接提言できるシステムを作ることができなかったが、アルバ二ジ労働党首相の提案そのものを評価したい。国民人口の3.2%の少数民族を、その地位を憲法に明文化し、連邦議会のアドバイザーに置くと言うことを実現している国が他にないからだ。
日本ではどうか。少数民族アイヌ省を国会に、在日中国朝鮮の人を議会のアドバイザーに、障害者による障害者省を、建設省や厚生保険省同様の存在として置くことができるか。それができれば少数者は生きやすい。すくなくとも差別的入管法や、LGBTIQなんじゃら法は成立しなかっただろう。

ブラジルのルーラ ダ シルバ労働党が率いる新政権は、人口169万人、ブラジル人口の0.8%の先住民族を尊重し「先住民族省」を新設した。先住民族団体の全国ネットワークから下院議員の当選した代表が、先住民族省の初代大臣に任命されて、アマゾン乱開発、森林破壊をくい止めるパワーを持つことになった。立派な判断だと思う。今後も注目していきたい。

パレスチナはどうか。ガザは。先住民族の土地を侵略し、75年間彼らの生きる権利を蹂躙してきたイスラエル国は、先住民族を尊重するどころか銃で追いやり、16年間ガザを封鎖し、自由を奪い、セトラーと呼ばれるシオニストが、新たな住宅を次々と建てている。国連はそれを違法だと非難しているが、止める力を持たない。
ガザで病院がミサイルで破壊され、先住民族がジェノサイトの対象になっている。国連は何をしているのか。国連平和軍を送って停戦を実現しろ。 民族差別はどこにでもある。差別されるものと差別する者とのギャップを埋めるためには、差別される側の声の耳を傾ける努力を常に続けなければいけない。マイノリテイの存在を過小評価するな!
武満徹作曲、谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」を歌ってみた。

I am singing[ Shinda otokono nokoshita monoha ]( What dead man left ) Composed by Takemitsu toru , Lyrics by Tanigawa Shuntaro.

What the dead man left. He left his wife and a child. No other was left. no grave stone no cemetery.
What the child left. He left a wooden foot and tears. No other thing was left. No memory no record. What a soldier left. He left a broken gun and distored the Earth. No others were left. No peace no pacifist. What they left. They left me and you. No other people left . No men and women. What the history left. The history left shining today and bright tomorrow. No other thing was left. No others.



2023年10月12日木曜日

一刻も早く停戦を!

ウクライナのゼレンスキー大統領が、ウクライナに兵器工場を建設し海外の需要にこたえて多くの武器を作りたい、とツイートし数分以内にイイネが8000付けられた。彼はウクライナを防衛産業複合体用の経済体制にしたいという。今現在、戦場で実験されている兵器の注文を受け、その兵器が人体にどう効果的に使われ、、、すなわちより少量で最大限の人を殺せるか、実地試験できるわけだ。製造業者も軍隊も戦場で武器の性能を分析し、どう使うと、より良く人を殺せるか、その場で知ることができる。

9月30日、戦闘下のキーウで、米国、EU、アジア、オーストラリア、30カ国から防衛企業25社が集まり、ゼレンスキーと今後の武器製造と供給について話し合いがもたれた。まさにウクライナは武器見本市と、兵器の実験場となっている。
国家総動員令を発動し18歳から60歳までの男性の国外脱出を禁止し、国民に武器を持つことを強制しているゼレンスキーは、英国から劣化ウラン弾を手に入れて自ら国土を破壊し、EUと米国からF16 戦闘機を受け取り、100か国で禁止されているクラスター爆弾を多量に送られて使用している。そういった米英EUから無償提供された武器だけでなく、自国でも武器製造をしたいという発想は異常だ。武器産業と関係を深める中で、死の商人のうまみを知ってしまい、其処から抜けられなくなっているのではないか。

武器産業は、戦争が長引けば長引くほど儲かる。
ゼレンスキーの個人資産は調査報道メデイア捜査インフォによると、1800憶ドル。戦時下にイタリアに別荘を持ち、英国とキーウにもアパートを購買、タックスヘブンと言われるバージン諸島にペーパーカンパニーを作って、2021年だけで8億5千万ドルの蓄財をした、と国際調査報道ジャーナルが言う。こういったレポートは気分を悪くするだけだが、ウクライナに兵器工場を作り、世界の兵器需要の応えたい、というのは、最悪だ。

10月7日に始まったイスラエル、ハマス間の「戦争」にウクライナに行くはずだった武器がイスラエル軍によって使われているという。
旧約聖書の時代から差別されローマ帝国からも追放され国を持たず、オスマントルコの地、パレスチナに大移動し、1947年にイスラエル国を作った人々は、強い宗教心に導かれ、先住者パレスチナの民を迫害してきた。
先住者の住んでいたパレスチナはパレスチナ共和国として、国連でも国として、138各国から認められた独立国だ。国連代表として、マンスール国連大使を送っている。そしてハマスはパレスチナの人々によって、民主的な選挙で選ばれた代表だ。彼らは断じてテロリストではない。
エルサレムはユダヤ教にとっても、イスラム教にとっても、キリスト教にとっても聖地だ。そこで人々は、喜びを分け合い、悲しみを共感しあい、思いやりをもって生きるしか道はない。
いまイスラエルとハマスにとって必要なのは戦争ではなく「停戦」だ。ガザ200万人の住民のうち、45%は14歳以下の子供だ。子供には罪がない。だれも自分では生まれるところを選べない。自分はパレスチナに生まれていたかも知れないし、イスラエルに生まれていたかもしれない。国連は今すぐガザの境界線に国連平和軍を派遣すべきだ。
いますぐ停戦を!

サトウイチロー作詞、加藤和彦作曲「悲しくてやりきれない」を歌ってみた。

I am singing [ kanashikute yarikirenai] (Too sad to bear on) Lyric by Sato Hachiro and composed by Kato Kazuhiko.
Lyric is
Too sad to bear on Heart ache. Cry with pain. Although the Sky is shining.  My heartache. Who can listen? While clouds hanging low. my dream was broken. Who can save me? The green forest stretching. Although the wind is singing. My heartache. Should I suffer tomorrow, weeks, months or years?



2023年10月5日木曜日

国民投票にイエスを!

今、オーストラリアでは、国民投票が行われている。最終投票日は10月21日だが、その2週間前から投票が始まっている。先住民族の地位を憲法に明文化し、連邦議会に彼らが提言できるようにする連邦憲法改正法案が上、下院で採決された結果だ。

憲法を改正してオーストラリアは、アボリジニートーレス海峡諸島民が、先住民族として6500年余り前から住んでいた土地であることを明記し、連邦議会に先住民族のアドバイザーを置くことにする、という提言だ。
投票は選挙同様、国民の義務でその投票義務を果たさないでいると罰金刑が科される。用紙に書き込むのは、イエスかノーだけ。

結果がどうなるかわからないが、現在保守派自由党から労働党政権になったので、ごく自然な流れだったと思う。
2008年、前労働党ケビンラッド首相は、政権を取ってすぐ先住民族アボリジニに対して、親子を引き離し、子供を強制的に取り上げて西欧の教育を強いた、ロストゼネレーション政策に対して公式な政府からの謝罪をした。いま活躍中のアボリジニのスポーツ選手、政治家、人権活動家などの多くは、彼らの親たちが、この強制教育の犠牲者だった。この人たちが生きているうちに、政府の植民地政策が間違っていたこと、重大な人権侵害を冒していたことを認め、国として謝罪した意味は大きい。ケビンラッドはよくやったと思う。

アボリジニがオーストラリアのFIRST PEOPLE(最初の人)、先住民族であり、独自の言語や文化を持った人々だと公式に認めることは、欧州人によるオーストラリア侵略、植民と、アボリジニの虐殺の歴史を認めるということだ。英国帝国主義の誤りを認めることでもある。
植民地としてのオーストラリアは、はじめの20年間は英国の刑務所として機能した。移住者の4分の3は囚人で、人口が急増したロンドンなどで犯罪人の大半は上流社会を不安に陥れるからという理由で国外追放となった。囚人の40%がアイルランド人、3分の1が女囚だった。女囚の65%は家政婦、20%が娼婦だったと記録されている。ともかく英国の国策として送り込まれた囚人は刑期を終え、農地を得て、そこに住む先住民族を奴隷化し、奴隷にも値しないと言う理由で「害蓄」として殺しまくった。クイーンランド州やタスマニア州では、アボリジニ人口がゼロになるまでジェノサイトを徹底した。
このような200年の歴史を、憲法に明記することによってはじめて歴史を正しく見ることができるようになるだろう。帝国主義による植民、侵略がいかに人道に反することであったか、改めて認識しなければならない。

この国で先住民族は平均寿命が、8年も短い。私がこの国に来た1996年は、アボリジニとノンアボリジニでは平均寿命が12年も異なっていた。差が縮小してきているとはいえ、自殺率はアボリジニが2倍、疾病率も乳幼児死亡率も高い。失業率も犯罪率も高い。北部準州では、今でもアボリジニに深夜過ぎるとアルコールを売らないという法がある。差別だとして半年してそれを解除すると、一挙に家庭内暴力が増え、被害者たちが音を上げたため、再び深夜のアルコール禁止令が発動されている。問題はたくさんある。しかしこれらのギャップを埋めていくこと、それが入植し、侵略し、虐殺してきた人としての進むべき道だ。

オーストラリアで27年暮らしているが、アボリジニの友達は居ない。人口は総人口の3.2%にすぎない。保護政策によって人口はここまで回復した。
でも以前シドニーの公立病院、心臓外科病棟に勤めていた頃、アボリジニのおばあさんが心筋梗塞で入院してきた。この方は手術の甲斐なく亡くなった。そのとき付き添いで来ていた親族の方々が、祈りの儀式をした。祈りの歌を歌いながら死者のベッドのまわりを列を作って回りながら踊った。夜明けで、深闇だった窓からわずかな光が差し込んできて、アボリジニの歌と祈りが厳粛な、それでいて優しい愛情に満ちた時間を作っていて、その姿に心打たれた。
投票にイエスを!

I am singing 「ALWAYS REMEMBER US THIS WAY」 written by LADY GAGA.
レデイ―ガガの「いつもこうやって思い出す」を歌ってみた。バンドを一緒にやっていた恋人に死なれた人の悲しい歌。
意訳は
あなたの目の中で  アリゾナの空が燃えている   あなたは燃える火を捕まえようとして   カルフォルニアの金みたいに私を焼き尽くす   あなたは私の中に光を見つけてくれた   息が止まる   言葉が出てこない   いつもサヨナラを言うたびに傷ついてた    陽が沈み  バンドが演奏が終わり  わたしはいつもこうやって思い出す     夜になると詩を書く   どうやって韻を踏むのかしらないけど  やってみる   だけど私にわかることは  どこに行きたいか   私の1部であるあなたは  決して死なない    だから私が息を止めるとき   言葉が見つからなくて   いつもサヨナラを言うたびに傷ついてた   陽が沈み   バンド演奏が終わると   いつもこうやって思い出す



2023年9月28日木曜日

G77に期待する

娘たちがマニラのインターナショナルスクールで学んでいた頃、社会科では「国連」について学ぶ時間がたくさん取られていた。
世界各国から来ている大使や領事の子供や、アジア銀行、世界銀行、国連、大手商社やADOで働く家族の子供たちが、通ってくる幼稚園から高校までの学校だ。本拠はボストンにあり、教科書や教材はみな米軍経由で運ばれてきて、教師もみなボストンで面接を受けて選ばれた先生方だった。
子供たちは大抵、米国の大学に進学するが大学入試はなく、3年間の高校の成績と課外活動、社会活動を評価され、大学側がその子供の希望に合ったコースをオファーできるかどうか審査して、大学入学が許可されていた。 優秀な子供はIB:インターナショナルバカロレアという、ワンランクレベルの高いコースを高2と高3で学び、終了すると世界のどの大学でも直接大学2年生に飛び級出来て、直接大学の専門課程に入ることができた。

娘たちが中学生で取り組んだ「国連」の課題では1人が1国の国連代表者となって、ランダムに与えられた自分の国の経済、社会の現状を説明し、何が国の問題か、どうすべきか、それを国連としてどうとらえるべきなのかを討論する。みんなよく勉強してきて、問題の解決法が甘いと、どんどん質問でやり込められる。
長女はドミニカ共和国の国連代表を担当することになって、貧困対策が、論争タネになり、次女のときはインドだったので、女性の地位向上で議論、喧々諤々だった。彼女は沖縄にある「模合」と呼ばれる金融システムで、地域の女性の経済的自立をはかるといった提案をして議論を導いていた。
国境問題、宗教対立、差別問題、など深刻な問題を世界基準に合わせてどう対応すべきか、まじめに討論する13,14の子供たちの姿は、実に印象的だった。

G20 が開催され、ふやけた顔の日本の首相まで何故か代表者に混じっていて、お祭りを終えたが、「金融と世界経済に関する首脳会合」にゼレンスキーがまた特別招待されて「金をくれ、武器をくれ」と言わせなかったことだけが良かったし「国際社会はロシアを非難する」という合意書にいたらなかったことは、めでたい。戦後一貫して戦争を続けてきた米国覇権に、人々は嫌気がさしている。米国がベトナム、セルビア、イラク、アフガニスタン、シリア、リビア、イエメン、イラン経済封鎖、ウクライナの代理戦争をしている間に、かつて世界のGDPの60%を占めていた米国西側勢力は、いまやGDP 40%となり少数派となった。
その中でG77 の動きが見逃せない。BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の結束、GDP31.5%もパワー全開だ。G77は当初77か国であったものが、135か国になり、今年9月15日からキューバのハバナで会議が行われた。

彼らは世界人口の80%、世界のGDP49%を持つ。電気自動車や携帯などになくてはならない世界のリソースは、これらの国が持っている。同盟間での経済協力、「非武装」、「非戦」を提唱し、気候変動への対策では、発展途上国に押し付けられた先進国からの差別、不平等に共に戦うと言う同意をした。
今後世界経済は米国の覇権システムを拒否していくだろう。国際的にノンアメリカ、ノンドルの世界がくる。
そんな中で、人口の半分が50歳以上という日本は、どう生き延びていくのか、それが問われる。

「グリーングリーングラス オブホーム」を歌ってみた。死刑宣告を受けて、朝になったら処刑される男の、故郷を夢見る歌。カーリープットマン作曲、ジョニーダレル歌、1965年
意訳してみると
汽車から降りたら  昔の古い家はむかしのまんま   パパとママが迎えてくれて  マリーまで飛んできてくれた 金色に光る髪とサクランボみたいなやわらかいくちびる  緑の草原に建つ我が古い家   ペンキは剥げてぼろくなってるけど   古い樫の樹がまだ立っていて  木に登って遊んだものさ   マリーは金色の髪をゆらして   サクランボのような唇で  みんな会いに来てくれる   なんてやさしい  だけど、夢だったんだ   周りを見てみると  ぼくは暗い壁に囲まれていて  警備も牧師も暗い顔をして   みどりの草原に建つ我が家   大きな樫の樹のかげで   みんな僕に会いにきてくれるだろう 
I am singing [ Green Green Grass of my home ] written by Curly Putman and first recorded by Johnny Darrell in 1965.
A man in prison, is walking on the day of his scheduled execution. Dreaming his childhood home surround green green grass.





2023年9月21日木曜日

リビアの人々を地獄に突き落としたのは誰か?


今月9月10日リビア北西部では、大雨と洪水によって2つのダムが決壊して、約2万人の人々が亡くなった。一昨日は被害救済に後れをとる政府に業を煮やした人々が暴動を起こし、市長宅が放火されるなど暴力行為が横行している。

私が学生だったころ、1960年代終わり頃から70年代にかけては、キューバではフィデロ カストロ首相(1926-2016)が、リビアではムアンマル カダフィ大佐(1942-2011)が国政を掌握していた。
カストロもカダフィも国の「英雄」だった。カストロはキューバを植民地の圧政から独立を勝ち取り、カダフィは27歳で王政を倒した。どちらも、政権を取った後、国民に納税の義務はなく、無料の義務教育と、無料の医療制度を提供する国を作った。2人とも今までになかった真に民主的で平等な新しい国作りをする熱意を持った革命家たちだった。 リビアには豊富で高品質の油田と、天然ガスがある。カダフィはその後、42年間、直接民主主義のアフリカで一番安定した国を築いていた。

リビアでは、もともと首都トリポリのある西部と、ベンガジ東部地域の間には部族間の対立があった。しかしカダフィはアラブ系の西部とアフリカ系の東部を統合し、部族間の差別を解消し、過激派イスラムのシャイアローを否定して、女性の権利を保護し、アフリカでは最も民主的な国家として安定させた。
リビアは国の90%は砂漠だが、カダフィは大規模な灌漑、治水事業を展開、砂漠式農業、河川事業によって砂漠の緑化を成功させ、自国民の食料が安価で自給できるシステムを作り出した。人々が革命後、飢えなかったのはカダフィのおかげだ。リビアはアフリカで幼児死亡率が最も低く、平均寿命は一番高く、国民の25%が大学の学位を持つ誇り高い人々の国だった。

そのリビアに欧米諸国が侵略を始めたのが、2011年3月。
カダフィに不満を持つ反政府グループが、ベンガジに集結すると、旧植民国イタリアとフランスに押された国連安全保障理事会はリビア軍が反政府グループを攻撃できないように飛行禁止区域の指定し、フランス軍が戦闘機でリビア軍を攻撃始めた。ドイツ、ロシア、中国、インドなどの反対を押し切って、フランス、英国、米国が駆逐艦でミサイル攻撃をして本格的な戦争を始めた。そしてカダフィ大佐は敗れ、殺害される。

リビアのベンガジ周辺に埋まっている油田と天然ガスの利権を奪うことが目的だった。またリビアの英雄カダフィを自由にしておくと、彼の大きな構想:アフリカを一つの連合体としてまとめ、金本位制の世界経済を作る計画を、欧米諸国は潰してしまう必要だあったからだ。
カダフィが殺害されたとき、手をたたいて無邪気に喜び合うヒラリー クリントン国務長官(当時)と、バラク オバマ大統領の様子がフイルムに収められ、ジュリアン アサンジのウィキリークスから提供されている。

まず42年間リビアに安定した国家を築いていたカダフィを2011年に殺害すべきではなかった。世界一の油田と天然ガスを持ち、ダムで砂漠を緑化し、アフリカ全体の自立を夢見たカダフィが作った社会主義国を、欧米は侵略すべきではなかった。
露骨な欧米によるリビアの国の分割支配がなかったら、このような災害は起きなかった。ダムを作り人々を飢餓から救ったカダフィが居たら、ダムも補修され洪水で簡単に決壊するようなことはなかった。これはリビアを侵略し、分割し、2つの政府を作り上げ、オイルの利権を奪った欧米諸国による人災だ。
殺害しておいて、奪っておいて、いまになって「2万人の命が失われたので、募金しましょうという」などという欧米諸国、ヒラリー、オバマ、国連、慈善団体、、、。どの口が言うか!

「浜辺の歌」を歌ってみた。林古渓作詞、成田為三作曲
I am singing [ HAMABENOUTA] ](Song of Sea Shore) Lyric by Kokei Hayashi, composed by Tamezo Narita.
In the early morning. Wandering on the sea shore. Remind my memory of old people. Sound of wind. Clouds gather and lift. Waves are surfing and breaking.
In the evening. Walking at the sea shore. Recall my memory of the old days. Waves are surfing and breaking. Repeatedly and endlessly. the moon is shining. The stars are twinkling.