2022年8月12日金曜日

米国中絶禁止法に反対する

米国連邦最高裁判所は、今年6月25日に妊娠中絶禁止の裁定を下した。共和党は大喜び。1973年に妊娠中絶が合法化されて50年、民主党のバイデン大統領は、この日を「SAD DAY」と言い、アメリカの歴史を50年逆戻りさせた、と怒りを表明した。カナダのトルード大統領も、これは「ATTACK」だ、と激しく批判した。
全米26州で中絶は即時禁止されることになり、そのうちの13州では中絶クリニックは直ちに閉鎖、職員は直ちに解雇。違法者には終身刑を含む厳刑が待っている。なんと愚かな裁定だろう。何と野蛮な国だろう。
ディズニ―製作会社は職員が自由に中絶できる州に旅行できるよう休暇を許可すると、この禁止法が裁定されたその日に発表した。営利企業として勇気ある発言だ

どんな悪法下にあっても、人は生まれ、そして死んでいく。
私は妊娠、避妊、中絶、子育てはすべて当人とそのパートナーとの極めて個人的な課題だと思う。人と人とが出合い、一緒に時を過ごすようになり妊娠したり、避妊したり育児したりすることは、当事者の判断で決めることであって、他人や社会や法律が規制すべきではない。ただ二人が決めことをするために助けになる決まりごとが必要だ。それは以下のことだ。

1)12歳からの性教育、ジュニアスクール(中学)からは本格的な避妊技術を含む性教育を徹底する。
2)学校を含む公衆の女子トイレに無料のパッド、男子トイレに無料のコンドームを置く。
3)各警察署、学校に性暴力専門家を置き24時間オープンの相談窓口を置く。
4)避妊薬と、アフターピル(緊急避妊薬)を医師の処方箋で、どの薬局でも買えるようにする。
5)望まない妊娠のための妊娠中絶を認め、それを健康保険扱いにする。以上だ。
私は戦後ベビーブーマーの一人だがまともな性教育も生理に関する教育も授けられなかったために知識不足と先達なしの、ひどい暗黒の少女時代を過ごした。自分で自分を守るしかないとわかって、恋人ができてからは、まだ避妊薬が厚生省で認められていなかったので、非常に高額な違法ピルを産婦人科医から買わなければならなかった。出産後は専門医に埋め込み式の避妊器具を入れた。まわりで同じことをしている人は余り居なかった。自分の体を自分でコントロールすることが、1970年代の、産婦人科学が異常に遅れている日本の女性の間では非常に困難だった。 
夫の立ち合いで、夫の手で手伝ってもらいながら出産したが、当時まだそれが珍しく、雑誌に取材を受けて記事が掲載されたりした。産院では産婦は出産後7日間シャワーも風呂も禁止で、医師の診察後にやっとシャワーが浴びられるというような、とんでもない産科学がまかりとおっていた。女はピリオドを恥ずかしいことのように隠し、ろくに避妊知識もない男に女が避妊を任せっぱなし、妊娠すれば闇産院に中絶を頼むようなことが一般的だった。50年も経っている。時代は変わらなければならない。米国のように歴史を逆戻りさせてはいけない。

避妊も妊娠も二人の問題だ。よく話し合いわからないことは調べ、医学知識を借りながら決めるべきだし、早いうちから正確な性教育を受けていれば、興味本位のエログロのぞき見趣味は押さえられる。恋愛は激情に走ることもあるから、うっかり避妊を忘れる事もある。72時間以内に安全にアフターピルで妊娠を予防することも大事だ。やむを得ず妊娠を継続できなくなったら、他の病気を同様、健康保険で安全な手術を受けるべきだ。
こんな当たり前のことを、全く同じ内容で50年前から言っている。50年前も今も決して過激な主張ではない。リベラルや左翼や革新や新しがり屋をたくさん見てきたが、私の1)ー5)までの主張に100%同意してくれる男はわずかだった。
米国では法によって妊娠も避妊も政府によって規制されることになった。「わからずや」ばかりでがっかり、先が思いやられる。

ジョンレノン作「マザー」を歌ってみた。
ジョンは父親に捨てられ、母親に死なれ、恵まれない幼少時代を祖母のもとで育った。ジョンが歌うこの歌は、彼の心の叫びのようで、ただただ悲しい。日本語訳は、以下。

かあさん あなたは僕という子供をもった  でも僕にはあなたは居なかった そばにいて欲しかったのに だから僕は言うことにする  さよなら かあさん さよなら
とうさん あなたは僕を捨てた  でも僕はとうさんを捨ててない  ぼくはとうさんが必要だった でもとうさんは僕が必要じゃなかった だから僕は今だから言うよ さよなら とうさん さよなら
子どもたち 僕みたいになってはいけないよ 僕は一歩一歩あるいてくることができなかった 走って此処まで来た  だから今言える さよなら さよなら
I am singing [ MOTHER ] written by John Lennon.
When John was a little, his father left and mother passed away, then he was grew up by his grand mother. Lonely childhood made this song.

Mother, you had me but I never had you
I wanted you ,but you didn't want me
So I, I just gotta tell you Goodbye Goodbye
Father, you left me but I never left you
I needed you ,you didn't need me
So I ,I just gotta tell you Goodbye Goodbye
Children , don't do what I have done
I couldn't walk and I tried to run
So I , I just gotta tell you Good bye Good bye


2022年8月4日木曜日

ジュリアンアサンジに自由を

ウィキリーク創始者のジュリアンアサンジは、米国政府の秘密情報を暴露報道したことで米国からスパイ罪で告発され、2010年エクアドルのラファエルコレア大統領の計らいによりロンドンのエクアドル大使館に7年間保護されていたが、2019年大統領が変わるとイギリス警察により逮捕され、ベルマッシュ刑務所に身柄を移された。
2022年英国の最高裁判所は、彼の米国に引き渡しに同意、2022年6月17日英国内務省長官は、米国引き渡しを正式に承認した。 それに対して弁護側が現在控訴中だ。彼が米国に送還されたら、スパイ罪他17件で起訴され、予想される刑は禁固刑100年余り(実質終身刑)だそうだ。絶対に彼を米国に引き渡してはならない。

ジュリアンアサンジは1971年クイーンズランド生まれのオージーだ。子供時代は、母親が離婚した夫に息子を取られないように匿ったため数十回転校を繰り返し、自宅学習で学業を学んだという。16歳のころから天才的な能力を発揮して、PCのハッキングを始め、20をすぎるとオーストラリアに於ける初めてのインターネットサービスプロバイダの立ち上げに関わる。また人権活動家がその分野で機密データを保護するための暗号設計システムを作った。
2009年ケニアにおける虐殺を暴いた調査でアムネステイインターナショナル国際メデイア賞受賞、2008年「エコノミスト」によるインデックスオブセンサーシップ賞受賞。2010年ニューステーツマン誌による「世界で最も影響ある50人」に選ばれ、「タイム」誌では「パーソンオブイヤー」第1位に選ばれた。

ウィキリークが最も注目されたのは2010年バグダッドで米軍の空爆で、武器を持たないジャーナリストや市民を、米兵たちが大笑いしながら面白がってボタンを押して殺害しているヴィデオの流出だろう。2010年アフガニスタン戦でもイラク戦でも同様の米軍の情報がリークされ世界に衝撃を与えた。2016年の米国大統領選でも民主党ヒラリークリントンが、いかに同じ民主党候補のバーニーサンダースを汚い収賄と策略で追い落としたかを暴露したのに加え、民主党の全国委員会と民主党幹部の7万通の秘密文書を公にした。クリントン財団は、サウジアラビアとカタールの金を使ってイエメンが戦争と飢餓で6万人を死に追いやり、同時にリビアの戦争も、カダフィの殺害もすべてクリントンの発案だったことが暴露された。
アサンジは、数々の米軍による湾岸戦争やリビア攻撃、ニカラグア介入、イエメン内戦、アフガン戦争での違法行為、残虐行為を告発した。またフランス政府の選挙を含め、CIAと国家安全保障局によって使われる監視プログラムを公にし、米国の外国の選挙に対する干渉を公表した。またエドワードスノーデンが香港からモスクワまで逃げるのを手伝った。彼は腐敗した権力者がもっとも秘密にしたいことを暴露し続けた。真のジャーナリストであり弱者の立場に立った良心的な告発者だ。
ベトナム戦争時、マスメデイアではなく自らの意志で現地に飛んだ岡村明彦、沢田教一、石川文洋ら戦争カメラマンが捉えた衝撃的な映像が、米国をはじめ世界の人々の良心に訴え、反戦運動が世界に広がり、米軍を撤兵させる力になったように、ウィキリークの情報は、私たちに必要な情報だ。ジュリアンアサンジの米国送還を許してはならない。

クイーンの「LOVE OF MY LIFE」を歌ってみた。1975年、フレデイマーキュリーが7年間一緒に暮らした恋人、メアリーオースチンに書いたラブソング。歌詞は

 ぼくの愛 生涯で一番大事な人 君は僕を傷つけた 僕の心を壊して 行ってしまうなんて 僕の愛 信じてくれないの 帰ってきて 僕から奪わないで どうしてわかってくれないの きっと君は 思い出すよ すべて終わって 壊れてしまった後 君はちょっと 大人になって 時間が経って 思い出させてあげる 帰ってきて 僕の愛 僕の一生かけた愛 本当の愛を
I am singing [LOVE OF MY LIFE] written by Freddie Mercury and recording by The Queen in 1975.
Freddie and Mary Orstinn had lived 7 years together however their relationship broken after Freddie found himself a Gay. Later Mary married with other man and Freddie got male partner, but Mary supported Freddie as a life long lover.

2022年7月31日日曜日

民主主義とは何だったのか

国連総会で「ロシア非難決議」に賛成した国よりも反対や棄権をした国の方が、52か国と多かった。ベラルーシ、北朝鮮、シリアなど明確に反対、キューバ、中国、インドなど35か国が棄権した。「多数決、民主主義の原理」によってロシアは非難されていない。ウクライナ、ロシア間の戦争が長期化している責任は1か国にあるのではない。もともとロシアが軍事侵略する前から主張してきたこと、1)ドンバス地域の独立自治を承認、2)クリミアのロシア帰属を国際社会が承認すること、3)ウクライナがNATO加盟しないこと、の3つは、無理な要求ではなかった。適切な第3者を交えれば話し合いで解決できたし、軍事介入後も停戦して交渉しなおすこともできたはずだ。現実にドンバス地域はすでにロシアが占領し、クリミアはすでに住民がロシア帰属を選挙で決めていた。NATOはウクライナを加盟させる意思はない。ウクライナがNATOの金で米国の武器を無限大に貰って、死の商人を肥え太らせ市民の命を奪い続けることに何の意味があるのか。ロシアは撤兵を。ウクライナは今すぐ停戦承認を。それが最低限の良識ある民主主義ではないか。

一方ロシアを独裁国家だと非難する日本は、選挙権保持者の半分しか選挙投票しない。半分の人の多数決で自民党政権が維持され、戦後ほとんどが一貫して自民党独裁国家だった。その自民党の経済基盤は大企業の金と、カルトによる詐欺と恫喝によって成り立っていた。
改めて多数決による民主主義国家とはなんぞや、これでは子供たちに民主主義とは何か、教えることができない。

ボンジョビの「ベッドインローズ」を歌ってみた。
遠くにいる恋人を思って歌う「チョイ悪男」の歌。1990年代のころのボンジョビは、とっても輝いていた。歌詞は、
  俺は古いピアノの前で酔って、傷ついてる  何故か思い出せない ウオッカが残ってて頭が割れそう  どっかのブロンド女は、まだ俺のベッド  悪い夢みたい  悪い映画みたい  殴られたショックで目が覚めたよ  だから朝からおまえと電話でフレンチキス  行進曲が頭の中で鳴り響いてるけど、  俺がずっと信じていたいのは 俺がお前を愛していて 本当にお前が俺には必要だってこと
 お前を薔薇のベッドで眠らせてやりたい 今夜俺は針の筵で眠るけど 精霊がお前を守ってくれるように お前を薔薇のベッドに横たえてやりたい もう苦労させたくないんだ
俺は今とても遠いところに居て 帰れると思うけど 王様の保釈金くらいの10セントコインをもって 公衆電話でお前の声を聴く それでも時間で切れちゃったり 電話がつながらなかったり 電線に止まった鳥がお前に 俺の心を届けてくれるまで 俺は囁き続ける  お前を薔薇のベッドで眠らせてやりたい。

I am singing ' BED IN ROSES' released by BON JOBI on 1992.
Written: I wanna lay you down in a bed roses. For tonight I'll sleep on a bed of nails. I want to be just as close as, the Holy Ghost is. And lay you down on a bed roses,,,,.
1990's the BON JOBI was brilliant, wasn't they?



2022年7月26日火曜日

自民党独裁政権、いつまで

むかし米通帳というものがあった。各家に1枚ずつ配布されて世帯主、住所が明記され身分証明書代わりになる公文書だった。それをもって米屋に行くと、必要な分だけ精米してくれて米を買うことができた。18歳で大学入学と同時に父親と争い家を出たは良いが、米を売ってもらえなくて、あやうく飢えるところだった。地方から来て下宿している友人達から食物を分けてもらったりしたけど。戦後生まれのベビーブーマーだが、米は今のように自由に買えなかった。自民党は農業が基幹産業だったときに、農政によって農家からの支持基盤を獲得してきた。人々は日々の米まで自民党に管理されていた。
農業から製造業に国の基幹産業が変化すると、高度成長によって利益を得た経営者など富裕層を、税制によって支持を得て、法人税を下げ、消費税を上げて、正規労働者を制限し非正規労働者を主体にして格差社会を作り上げてきた。
戦後日本の政権は、ほとんど自民党が一党独裁政権を保持してきたと言ってよい。日本で労働者が、その労働を報われたことなど一度としてなかった。常に分断され、長時間勤務と低賃金に晒されてきた。さらに自民党は、心の平静を求めて宗教に救いを求める人を信者に取り込み収奪してきたのか。何と罪深い政党か。宗教を収奪の手段にしてきた自民党の、構造を変えない限り再生はない。
琵琶湖周航の歌を歌ってみた。京大ボート部員だった小口太郎作詞、吉田千秋によって作曲された京大の寮歌。1941年金沢第4高等学校(今の金沢大学)のボート部員と京都大学のボート部員,11人が、琵琶湖で遠漕訓練をしていたときに、ボートが転覆し全員が亡くなった。当時強風が吹き荒れ濃い霧がかかっていて、学生たちは泳ぐ方向を見失い、互いに助け合おうとしたために、溺れたのではないかと言われている。現在でも京大ボート部は、3泊4日で琵琶湖を大津市三保ケ崎から今津彦根を経て161キロを1周するのを伝統行事にしている。
I am singing [ Boating Biwa Lake] composed by Yoshida Chiaki and written by Oguchi Taro who was one of Kyoto University boat club member. On the April 1941, 11 university students drown and lost their lives while the boat had turned upside down by violent blowing wind and cold thick mist. Despite such a tragedy, this song is loved by people, as a college song



2022年7月8日金曜日

今日亡くなった元首相について

安倍晋三氏の死亡はオーストラリアの公営放送でもニュースで伝えられた。現地日本のオージーレポーターが、「日本では銃規制が厳しいので銃による犯罪は、YAKUZA以外には皆無です。にもかかわらず、、」とレポートしていたのには笑ってしまった。YAKUZAを世界的に有名にしてくれたのは、ショーンコネリーか、アランドロンだったか。

安倍内閣が2020までに6年間で成立させた法案がこれだけある。
1)特定秘密保護法
2)安全保障関連法
3)TPP関連法
4)共謀罪法
5)働き方改革法
6)カジノ法案
軍事費を増大させ軍国化し、法人税を下げて優遇し、消費税を上げて貧富差を拡大させ労働者を貧困に突き落とし、NHKに介入し報道の自由を懐柔し、医療崩壊を招き、世界でも前代未聞に2回も途中で仕事を投げ出したのは、誰だったのだろう。
彼はテロの犠牲者として国民葬にでもなるだろう。感情に流されやすい日本人。これで流れを変えてはいけない。明後日は参議院選挙投票日。
大きく目を開けて、選挙に行って欲しい。

I am singing 'No body loves you" by John Lennon.



2022年6月29日水曜日

パグウォッシュ会議のウクライナ戦に向けての声明

1957年にバートランドラッセルとアインシュタインによって結成されたパグウォッシュ会議がまだ活動していると知って驚いた。バートランドラッセルは私には神様のようだった。父の本棚には彼の哲学書、物理学書、思想書がぎっしり並んでいたが、どれを取って見ても私の脳に理解を超える内容だったが、パグウォッシュ会議が反核のバイブルであることだけはわかった。

パグウォッシュはカナダのノバスコシア州の村の名で、1957年に其処にあるロッジで学者たちが集まって核兵器に反対する会議を持った。1995年にはこの会議がノーベル賞を受賞している。
ラッセルはベトナム戦争では、サルトルとともに米国を糾弾する国際戦争犯罪法廷を開廷するなどして、生涯活動家でありながら、1970年に97歳で亡くなった。
このパグウォッシュ会議が、今回のウクライナ戦について声明を出していて、その会議の提言が100%的を得たものなので、書きだしてみる。

1)即時停戦
2)現在のウクライナからすべての外国軍及び外国の軍事施設の全面撤収
3)ウクライナ内部のドンバス地域の自治を地方行政および言語的アイデンテイテイ―の見地から承認する。
4)クリミアをロシア連邦の一部として承認する。クリミアにおける2度の住民投票はロシア連邦への復帰を支持した。
5)ウクライナとロシアの国境、または他の国との国境を超える人々の移動を自由を保障する。
6)ウクライナからのロシア軍の撤収後はロシアに対する制裁は解除されなければならない。
7)ウクライナの中立的な地位を強調する明確な合意、特にウクライナはNATO加盟をしないことが了解される必要がある。
8)ウクライナの平和的な経済復興のために包囲活的なプログラム、EUの新たな安全保障の仕組みをめぐる新たな交渉が開始されるべき。それは全体にとっての不可分な安全という考え方に基つくものでなければならない。以上だ。

トーマスメンデスの「CUCURU CUCU」を歌ってみた。ついでに日本語と英語に訳してみた。
あの男は泣いてばかりいる 何も食べず 酒を浴び 痛みを忘れるために 空に向かっておのれを呪い 哀れみ 打ちのめされて
そして死んだ女のあとを追って 死んでいったよ
1羽の鳩が鳴く ひとりきり 夜明けに 鳩はあの男 男は鳩 家のドアは大きく開かれていて 女の帰りを待っている 悲しみに暮れて 鳴き続けるよ 愛する女の魂に 打ちひしがれて 鳴き続けるよ ククルクク 鳩は唄う ククルクク 鳩は鳴く 胸がつぶれるような声で 鳴き続けるよ
I am singing 'CUCURU CUCU’ written by Mexican composer Thomas Mendez. and translated to English.
All He would do is cry Purely flowing river of tears No eating just drinking to down out his pain People shudder with pity to his agony and painful cries How he suffered for her and vainly calls out past the death where she now lies
He died in pain and A sad Dove will sing to him in the morning The dove is his soul Alone in the house with doors open Dove cooing Cucuru cucu Cucuru cucu.





2022年6月19日日曜日

コヴィッド禍2年半

浅川マキの「にぎわい」を歌ってみた。
シドニーは、今真冬でインフルエンザが流行していて、コヴィッドによる死者数を上回りそうだ。過去2年間のオーストラリアのコヴィッドによる死者数は7452人。これは100万人死者数を超えた米国、90万人のインド、50万人と言っているブラジルなどと比べると僅かだ。米国やインドがコヴィッドによる犠牲者数を概算に近い数字で発表しているのに比べると正確な数字だ。

この2年半オーストラリア政府は国民にも、一時滞在者にも、小学生や浮浪者にも、無料でPCRテスト、ラビットテストを実施し、ワクチンをほぼ強制し、自宅死亡者も検査してきた。政府は、PCRテスト、ラピッド抗体テスト、1人3-4回繰り返し打ったワクチン、コヴィッド休業手当、コヴィッド失業手当、事業者手当、小中高校の各教室に換気装置設置、自宅学習用PC貸出、ロックダウンに伴う警備、コヴィッドクリニック新設などなど、数えきれない対策に空前の出費をしている。莫大な借金をこれから私たちは働いて返していかなければならないだろう。

50人の年寄りを預かる施設で働いている。コヴィッドが老人を殺すということで、この2年半感染対策に追われた。面会人の制限、ワクチン、熱発者の隔離などでコヴィッドによる感染死を、完全にくい止めた。しかし職場は過重な人手不足とストレスで職員を失った。辞めて職場を去っていった人は1ダース以上にいる。
私は一番仲の良かった仲間を失った。ドイツ人のナース。今職場に行けば彼女が座った椅子に座り、彼女が使っていたマグにコーヒーを煎れる。彼女のことを思わない日はない。彼女が仕事に出てこないかったので、娘さんに訪ねて行ってもらったらベッドで眠るように亡くなっていた。ハートアタック。コヴィッドがなかったら決して起きなかった。
彼女の死後、また別のフィリピン人のナースがストロークを起こした。ナースの彼は50代で、パブで会おうぜー、と誘うと決して断らないで、やってくる気の良い奴だった。
その後、もう一人まだ40代のタイ人のキッチンスタッフがストロークを起こし完全回復に至っていない。ハートアタックもストロークも血管の中に異物が詰まって心臓や脳の動きを止める。コヴィッドによるストレスが原因だ。たった50人の患者数、70人のスタッフの小さな施設で、短い2年の間に3人もの仲間を失うなど誰が想像しただろう。失ったものが大きすぎていまだ総括できない。コヴィッド禍がいかに医療現場にすさまじい跡をのこしたことか。

大学では当時脚光を浴びていた文芸学部でマスコミを学び、業界新聞社に勤めた。夫の赴任でフイリピンに居た時はインターナショナルスクールでバイオリン教師を5年間やった。シドニーに来てからは医療通訳と公立病院のナースをやって、今の職場に移って16年勤めている。様々な職業を経て来て、医療従事者はやはり責任が重くてストレスも多いとつくずく思う。やりがいがあるがタフな仕事で犠牲も大きい。しかし、その時その時に自分の興味に即した職種に就くことができたことは幸運だったと思う。

人は若いころどんなに贅沢で派手な暮らしをしていても、年を取り歩けなくなり、ひとりきりバッグひとつで老人ホームに入り、シングルベッドで死んでいくものだ。それを16年みてきた。それでも最後に良い人生だった、幸せだったと言って去っていきたい、と思っている。
I am singing ' Past prosperity' written by Maki Asakawa.



2022年6月14日火曜日

ロシアに独裁者はいらない

国が戦争をするには何が必要だろうか。
上部構造は下部構造に規定される。戦争をするためには経済力がなければならない。経済の在り方によって社会も国家も成り立っている。ロシアは唯一、エネルギー産業のみに依存する国家で、物を生産する産業を育ててこなかった。軍事力があってもそれを支える経済が強力でなかったら戦争を続けられない。
そもそもロシア革命を主導したレーニンは、最も指導者の官僚化、帝国主義的権威を憎んでいた。彼の著作「組織論」では指導者は長くその職にとどまるべきではなく、独裁者を作らぬように討議の上、組織は常に新陳代謝を図るべきだと、繰り返して、言っている。プーチン独裁者には引退を。そしてロシアはいま、これ以上の経済的損失と人的損失を防ぐために撤兵しなければならない。

ロシア兵もウクライナ兵も、戦線を離れろ。これ以上ロシア市民とウクライナ市民を苦しめるのをやめてくれ。あなた方も市民ではないか。クリミアのロシア帰属はクリミアの市民が決めたことだし、ドンバス2州では、国境線をどう引くか、ではなくその地の住民が決めることではないか。

ベット ミルダーが歌ってヒットした「THE ROSE」 を訳してみた。
愛は大河 強い葦も沈めてしまう 愛は刃 魂を切り裂く 愛は飢え 果てしない飢餓 愛は花 あなたはその一つの種 傷つくことを恐れ 踊ることも知らず 目覚めるのが怖くて チャンスをつかもうともしない 与えることもしない そんなことで 愛は得られないよ  長い夜に ずっとひとりきり 道が遠くてたどり着けない 運の良い人とか、強い人しか愛が得られないって思うのかい だけど 考えてごらん どんな厳しい冬 雪の下に居る種は やがて太陽の光を浴びて 芽を出して 薔薇の大輪の花を開くよ
I am singing 'THE ROSE' written by Amanda McBroom, sang by Bette Midler.


2022年5月31日火曜日

13回目の結婚記念日おめでとう

これは娘自慢。
次女の13回目の結婚記念日おめでとう。
結婚して二人の子の母親になり、仕事も順調で救急病院のマネージャーになり、夫婦円満で、趣味のヴァイオリンも続け、絵も描いている。すばらしい!
おまけに
長女も仕事をきっちり続けて患者達から信頼され、専門の勉強も続けている。立派だ!
そんな娘たちが自慢で仕方がない。
ここで13年前に、次女に結婚のときに書いものと、長女の結婚のときに書いたものをを読み返してみた。今読んでみても、幸せな気持ちになる。

https://dogloverakiko.blogspot.com/2009/04/blog-post.html

https://dogloverakiko.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

https://dogloverakiko.blogspot.com/2014/07/blog-post.html

https://dogloverakiko.blogspot.com/2014/09/blog-post.html



2022年5月22日日曜日

経済分析の基礎

1938年、治安維持法で逮捕され1年半もの間拘禁された私の大叔父、大内兵衛は獄中で検事に「南京に新たに作られた傀儡政府の経済顧問になるなら、告訴しないでやる」と言われた。同じく逮捕拘禁されていたお弟子さんたち、有沢広之己、脇坂義太郎、美濃部亮吉も、「満州政府の顧問になるなら自由にする」と打診されていたが、みな軍国者たちの侵略が失敗に終わると予想していたので、これを拒否した。彼らは米国が日本の石油輸出を禁止した時、日本の海軍が戦争をするのに必要な石油量を一度も計算したことがない、タンカーがどれほど要るのかも把握していなかったことを知っていた。また留学していた間に、海外の経済学者と意見交換していたので日本の経済力を知っていた。

その後大内兵衛、有沢広己、脇坂義太郎、美濃部亮吉、大森義太郎、高橋正雄の全員が拘禁を解かれ無罪を勝ち取った。全員が共同謀議をかたく否定したから、治安維持法で起訴できなかったのだ。その後、大内は現状分析をするのに科学的な統計分析が不可欠でそれが経済学の基礎であることを繰り返し語っていてインタビューに答えてこんなことを言っている。
「経済学はいつもプラクテカルである。悲しかったのは日本の戦時経済論がそういう意味でさえ端的に言えば戦争のおんためにさえ、理論としてあまりにも貧弱であったことだ。日本の戦争経済学ほどペダンチックでしかも無効果でしかも無益なものはなかっただろう。ということは日本の戦争責任者は社会科学についての常識において世界的な低能者であったということであろう。同じファシストでもファシストは馬鹿に定まっているがそれにしては少し度が過ぎていた。彼らは一切の理論を無視した。御用経済学もせいぜい努力して彼らに献上したがその全部が腐った鯛で、いただけるものが一つもなかったのである。」
いつも茶目っ気たっぷりで、笑顔を絶やさずジョークを放ていた大叔父らしい言葉だ。

いま日本のウクライナ情勢を語る人々は、ウクライナ軍アゾフ隊をヒーロー扱いし、ロシア憎し、を叫び回っているが、オイルをロシアからの輸入に頼っている日本の言うこととは思えない。日本円は下がり放し、ルーブルの価値は上がっている。これからとてつもない食料不足、インフレと不況が襲ってくる。日本経済大丈夫か。

I am singing 'TEAR IN HEAVEN' written by Eric Clapton. He wrote this for his son. His 3 years old son fell from his 53th floor apartment and lost his life. It's very very sad song.




2022年5月15日日曜日

メデイアに翻弄されるのはやめよう

この戦争はプーチンの戦争だ。ロシア政府と国民の意志に反して彼が一人で始めた。この独裁者を戦争犯罪人として世界で一丸となって裁け、とプーチン悪者論が跋扈している。だけど、私たちはいつかどこかで同じことをしていなかったか。

1999年アルバニアの少年たちが後ろ手に縄で縛られて穴に連行されるニュースを見せられて、米軍とNATOがセルビアを空爆するのを眺めていた私たち。アルバニアの住民が何万人もジェノサイトの被害にあっているという米国発のニュースは偽りだった。
2019年ペルシャ湾で、オイルにまみれて死を待つ水鳥の写真を連日見せられて、イラクの独裁者サダムフセインが大量兵器を持っていると、米軍の進駐を許し、サダムが絞首刑につるされる予定の現場まで報道して見せた。事実は米軍が原油精製施設をミサイルで破壊した結果水鳥が死んだのだったし、大量兵器もなくサダムに非はなかった。オイル収奪のために米国の猿芝居だったにしては犠牲が大きすぎた。

シリアのアサド大統領政権は毒ガスで反政府の民衆を虐殺しているとして、呼吸困難で苦しむ子供たちの写真を連日ニュースで見せて、アサド倒せと連呼した人々。米軍が勝てずに手を引きシリアは再びアサド政権下で平和を取り戻した。あの時シリアの民主化のために戦う民衆を救護するといって世界の英雄扱いされたホワイトヘルメットとは何だったのか。

ロシア軍はいったんこの3月にキエフにもブッチャにも進駐したが、3月30日に撤退し移動した。ロシア軍がブッチャに居た間、市は封鎖されておらず人々の生活も普通通りでネットも使えたという。3月31日ブッチャ市長アナトーリフェドルクが、「市からロシア軍が居なくなった、市民に死亡者などは出ていない」と報告していた。4月になって報道陣がやってきたときに、無かったはずの29体の遺体が道路に転がっているのが「発見」された。ロシア兵が居た時に便宜を図った人々がアゾフ連隊に殺されたのではないか、という報道もある。「ブッチャの大虐殺」の真相はいかに。
マリアポールで、地下に避難していた住民がやっと助け出されて避難先に向かうバスの前で「本当に毎日爆弾が落ちて来て怖かった。早くロシアに避難したい。」と言っていたが、西側テレビ局は最後のロシアに避難したい、という言葉をカットして報道した、とロシアの外務官僚が言う。

メデイアは旬の話題に飛びつくが、時期が過ぎると、そのときに報道したことは事実に反していたとわかっても、わざわざ訂正して報道したりしない。人々の関心がそれたら間違ったことを報じたからと言って謝罪などしない。
だから、もうやめにしないか。戦争報道をうのみにしてだまされることを。ウクライナに武器を送ることに良心をとがめないような人が平和だ、平和だの声高に叫ぶのを。もうやめにしないか。

I am singing [ THE BOXER] written by Paul Simon, recorded by Simon and Garfunkel.


2022年5月4日水曜日

ウクライナの避難民は

1928年、DHロレンスの小説「チャタレイ夫人の恋人」でチャタレイが恋人の「森番」に、「逃げましょう,2人でオーストラリアかカナダに逃げて2人きりで暮らしましょう」というシーンがある。こんな昔からオーストラリアとカナダが、大英帝国からみると逃避行先として知られていたということは、とても興味深い。

オーストラリアの人口は2500万人に達したが、移民と難民とその子孫で形作られてきた。全人口に占める外国生まれの人の割合は29%。いまメルボルン45万人の人口のうち35万人はギリシャ人とイタリア人の子孫で、彼らは戦後の深刻な不況とイタリア内戦から逃れてきた人々だ。フランコ独裁政権からも、20万人のスペイン人が逃れてきている。1980年代のハンガリーからも東ドイツの難民が押し寄せて来ている。1973年のチリのクーデタと政情不安からも1万人あまりが難民として受け入れられた。
また1975年4月ベトナムのサイゴン陥落以降、旧ベトナム軍関係者や資産家華僑がボートピープルとして流入、9万人以上が政府によって受け入れられた。1989年中国の天安門事件では、公安警察に追われた活動家たちが、香港を経由して2万人以上が難民として受け入れられた。
また今回、2020年香港国家安全維持法の制定と、2021年の選挙制度改悪によって言論の自由も民主的議会選挙もかなわなくなった活動家達も多数オーストラリアは受け入れた。帰国すれば危険と思われる留学生には永住権が与えられ家族も受け入れられた。

しかし難民受け入れに掛かる絶大な経費(教育費、医療費、職業訓練費)を理由に、オーストラリア政府だけでなく、どこの国も年々、難民の受け入れ条件を厳しくしている。1981年に難民条約の難民議定書に加入した日本の難民受け入れは、ほとんどゼロ、0.5%以下で論外だけれども、米国は前大統領がメキシコとの国境に壁を作り移民も難民もシャットアウトし、その費用をメキシコに負担させた。
英国は今後難民はアフリカのルワンダに送り、その地で5年間生活支援するが、その後効果のなかった人々はもと来た国に帰す、そうだ。何という冷酷無比。
20世紀は難民の世紀だったと言われたが、今世紀も世界は同様の悩みを抱える。戦争がある限り、難民は押さえられない。ウクライナは国民の4分の1がすでに難民として国外流出した。これをどう収拾するのか。難民を流出させた国と流出した国とが、その国家責任を問い自力更生させることは無理だ。私たちはそれぞれの国を尊重しながら援助することしかできない。流出した難民が安心して祖国に帰還できるまで必要な援助を続けるしかない。できるだろうか。
加藤登紀子の「時には昔の話を」を歌ってみた。むかし同じ時代を過ごしたムラマツ氏と、28日に出所する共通の友人のために。

I am singing [ Let's talk about old stories] written by Kato Tokiko. for sharing memory with my best friend Muramatsu and friend who will be free soon.



2022年4月28日木曜日

米国は手を引け

戦争に正義はない。米国は再び50憶ドル分の兵器をウクライナに送ると言う。米国は戦後70年余り自国の利害のために他国に戦争を仕掛け、失敗するといとも簡単に傀儡政権を見捨てる身勝手を繰り返してきた。

1962年、南ベトナムに傀儡政権を作りベトナム戦争に突入し、北ベトナムに250万トンの爆弾を投下、8000リットルの猛毒ダイオキシン枯葉剤を投下、北ベトナムだけでも180万人の死者を出して、米軍は完全なる敗北の末、撤退した。
2003年、イラクのサダムフセインが破壊兵器を持っているというCIAの主導でイラク侵攻、フセインを倒したが破壊兵器はなく、イラクは未だに強力な指導者を失い政治的混迷状態にある。米国侵攻の目的がオイル奪取だったことがわかった

シリア内戦に介入、アサド独裁者を倒せと、軍事侵略したが敗退。アサド大統領は健在。
リビア内戦に、石油欲しさに介入、カダフィ首相を殺害したが政権奪取できず敗退。カリスマ指導者を失ったリビアは、いまだに混迷状態。
イランが核兵器を持っているとして経済封鎖。国内経済を困窮させている。
イエメン戦争に介入、小さな武装勢力が分派し現在最も、安定を欠いた貧困国家になった。
イスラエルに介入、国際法に違反してパレスチナの地の占領を容認、よりにもよってエルサレムに米国大使館を建設。

2011年9.11の責任は、オサマデインラデインにあるとしてアフガニスタンに進駐。2021年7月に撤兵するまで20年間、アフガニスタンに米国主導政権を作ったが、タリバン政権に敗北。撤兵後も様々な理由をつけて国際援助を止め経済封鎖しているため、人々の生活は困窮を極めている。
2014年からウクライナのドンバス2州の内戦に介入。ロシアを怒らせて侵攻が始まると、大喜びで武器を送り込む。米国の手は血で汚れている。

I am singing " I am a Rock" written by Paul Simon, recording by Simon and Garfunkel.
Again USA send $5 billion armaments to Ukraine.
After WW2, more than 70 years USA had been fighting war against many countries; Korean war, Vietnam war(1962 -1975), Iraq war 2003 , Libya, Economic sanction to Iran, and Afghanistan war2011-2021. There is no justice. USA should stop sending armaments to any other countries.



2022年4月20日水曜日

武器を捨てて

悪いのはロシアだ、武器を取れ、もっと武器を送れ、もっともっと、と絶叫するゼレンスキー大統領。やめてくれ。マリアポールがロシア軍に包囲されても、市民を盾に徹底抗戦するのか。命を捨ててまで守る国、などというものは、どこにもありはしない。
米国国防長官ロイドオースチンは、自分が重役だったレイセオン社の製品ステインガミサイルをNATOの金で、ジャンジャン買ってもらってウクライナに送って金儲けしている。ロッキードマーチン社は勿論のこと、ジャベリンミサイルも、F35型戦闘機も無制限に買ってもらって嬉しくて嬉しくて笑いが止まらない。コヴィッドで93万人の死者を出し、インフレによる10%の物価上昇で生活苦のあえぐ米国人の不満は危機状態だった。米国にとって武器輸出による大儲けは必要不可欠だったのだ。

2年余りコヴィッドで、休む間のない過重勤務だった。このイースターに久しぶり長い休暇を取って、娘たち家族と過ごし、娘たちの誕生日を祝った。海辺のリゾートでマゴたちと海岸を歩き、貝を拾い、夜はゲームをした。そのひとつひとつの行為が、喜びに満ちた貴重な時間だった。
子供たち、マゴ達に何を残していけるだろうか、それを考えてばかりいた。
私たちの世代が、マゴの世代に残すものが、徴兵制と新たな戦争だとしたら、それほど悔やまれることはない。

I am singing '"Grand Father's Clock".
During Easter Holiday I spent time at Coffs Harbor Resort with my daughters and grand children. It was good release from work at medical facility under huge stress of COVID epidemic for more than 2 years. I enjoyed picking shells up at seashore, played game at night with grandchildren, then we cerebrated my daughters birthday. I had happy time although couldn't forget Ukrainian cry.



2022年4月5日火曜日

即時停戦を

即時停戦を
伝えられてくるウクライナの惨状に言葉もない。即時ロシア軍撤兵と停戦を願う。1991年までウクライナではロシア語が国語だった。もとはと言えば同じ言語を理解する同じ民族ではないか。それぞれ民族の差異はあるだろうが世界は1民族1国家で、国境線を引くことはできない。曖昧な国境線に生まれて育ち文化を共有してきた人々にとっては祖国とは国家としての国ではない。

あれほどユダヤ人絶滅を叫んだアドルフヒットラーでさえ、祖母の世代までさかのぼればユダヤの血が入っていた。まして移民国家オーストラリアなど4人に1人は外国生まれで、自分がどこの民族に属しているのかは、本人の思い込みでしかない。
人の命を民族という線で分けることも、国境という線でも分けるべきだはない。まして国の利害のために人は戦うべきではない。
国を守る、もっと武器が欲しい、もっとミサイルを送ってくれ、と連日叫んでいるゼレンスキー大統領にとって、すでに国民の4分の1以上が外国に脱出したウクライナで、守るべき国民とは何なのか。ウクライナに武器を送ってはいけない。

 イムジン河を歌ってみた。
イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥自由に群がり飛び交うよ わが祖国南の地 思いは遥か イムジン河 水清く とうとうと流れ 北の大地から 南の空へ 飛びかう鳥よ 自由の使者よ 誰が祖国を 二つに分けてしまったの 誰が祖国を分けてしまったの イムジン河 空高く 虹よかかっておくれ 河よ 思いを伝えておくれ。



2022年3月24日木曜日

即時停戦を

即時停戦を
ウクライナで激しい攻防戦が行われている。1千万人もの国外避難する子供や老人を連れた女性たちの姿は、100の言葉よりも雄弁に戦争の悲惨さを訴える。
ロシアは昨年暮れから国境線に10万人規模の兵を配置して、ウクライナのルガンスク共和国とドネツク共和国の独立を要求していた。この2つの州の人口の半分はロシア人で、ロシア正教を信じ、ロシアのパスポートを持ち選挙権もあり、ロシアの政治に発言権も持ち、ロシアへの併合を望んでいる。今回の戦乱で260万人の親ロシア避難民がロシアに避難した。

一方ウクライナの隣国、ポーランド、ルーマニア、チェコ共和国には、米国ミサイル防衛システムをもったミサイル発射装置があり、それらはロシアを標的に備えられている。NATO軍はかつてソビエト連邦との冷戦時、ワルシャワ条約機構に対抗して作られた軍事組織だが、ワルシャワ条約機構が無くなった今も、米軍の強い協力を得て一体化している。ロシアは、ウクライナのNATO加盟によって、これ以上ロシアとの国境線に米軍ミサイル発射装置を作ってもらいたくない。

ウクライナ首都キエフは、ロシア国境から200キロ、ベラルーシから80キロの距離にあり、はじめからロシアがウクライナを占領支配するつもりでいたなら、侵攻第1日目に電撃的に首都陥落することができた。それをしなかったのは、圧力と時間をかけて、ウクライナとの話し合いを公開的に進めたかったからだと思う。
すでにウクライナは、NATO加盟をあきらめたが、2つの共和国の独立について話し合いに応じていれば、戦乱は避けられた。またロシア軍が国境を越えたときに、キエフがオープンシテイー(無血開城)していれば市街戦など起きず、死者も避難民も出なかった。

1940年のパリ、1943年のローマを思い起こしてもらいたい。しかしゼレンスキーは最悪の選択をした。NATOと米軍の協力のもとに徹底抗戦を選んだ。米軍はすでに5億ドルの武器をウクライナに送ったが、さらに追加して800機のステインガ対空ミサイル、9000の対戦車火器、2,000万発の弾丸を送ったそうだ。ゼレンスキーは湯水のように投入される米製NATO軍の武器を使い交戦し、街を破壊し、国民の4分の1の人口を他国に流出させた。米軍、NATO軍は武器だけでなくクロアチア、チェチェンなど16か国から外国人傭兵を送り込んだ。高い生命保険をかけ、1日2000ドルでどんなことでもするプロの殺し屋だ。戦争する傭兵達に正義はない。勝利も敗北もない。

日本はかつてアジアの国々を侵略し、中国人1100万人、インドネシアなどアジアで800万人、計1900万人を殺害し、謝罪も賠償もしていない。その日本の国会で、徹底抗戦中の国の代表者がもっと援助を、と訴えて議員のスタンデイングオべーションを得たという。ゼレンスキーは「平和を」と訴えたのではない。ウクライナの軍事勝利のための支援を訴えたのだ。戦争する一方の側だけに味方をして支援するのは、自分たちも参戦していることになる。正義の戦争などないからだ。ウクライナの戦いのために総立ちになって拍手した日本の国会議員に、良心というものがあるのだろうか。
I am singing 'Sound of Silence" written by Paul Simon in 1963.





2022年3月16日水曜日

戦争に勝者は居ない、直ちに停戦を!

戦争に勝者はいない。即時停戦を!
ロシアによるウクライナ空爆と地上攻撃によって、空前の数の避難民が近隣諸国に流出している。国に残った者は、NATO、USとUKによる、無制限ともいえる膨大な武器支援をうけて、停戦に応ぜず、交戦を続けている。誰が停戦を拒否させて戦争を長びかせているのか。

避難する人々の群れを見て、1917年のロシア革命を思う。私のヴァイオリンの先生は、このボルシェビキ革命から逃れてきた貴族だった。小野アンナという。ジョンレノンの妻オノヨーコは彼女の姪にあたる。毎週レッスンを受けていたのは彼女の直弟子だから私は孫弟子ということになるが、年1度の発表会前には必ず来て練習を見てくれた。長い髪を後ろで小さくまとめられ、いつも淡い色の服を着た、物静かで気品に満ちた人だった。彼女がロシアに帰国する前の、最後の発表会のために、「庭の千草」の曲を渡されてむくれた。こんな平凡な曲を私に?と気乗りしないまま、その年の発表会を終えた。レッスンは基礎の音階練習と指の練習ばかり、曲を弾きたいのに、1時間のレッスンで曲をなかなか弾かせてもらえない。基本を真面目に取り組まないので彼女の期待に沿えなかった。

それから半世紀以上の時間が経って、シドニーにマクシム バンゲロフが来てくれた。一番尊敬している素晴らしいヴァイオリニスト。その人がコンサートの最後にアンコールに応えて「庭の千草」を弾いた。バリエーションをたくさんつけたそれは、本当に本当に素晴らしかった。アンナ先生は、この曲をこんな風に弾いて欲しかったんだ、と思うと涙が出た。

人の歴史は戦争によって翻弄される歴史だ。戦火から逃れるために小野アンナは日本に来て、自分が生まれた祖国に帰るまでに42年間を要した。ロシアに帰って、幸せな20年間を送って、幸せな死を迎えた、と思いたい。

I am singing [IMAGINE] by the Beatles. There is no Winner in a war. Cease fire immediately!!!

2022年3月2日水曜日

ウクライナに武器援助をしてはいけない

「死んだ男の残したものは」作曲:武満徹、作詞:谷川俊太郎を歌ってみた。
ウクライナへの武器提供は「支援」ではない。
ロシアによるウクライナ越境5日目の今日、米国バイデン大統領は、米国とNATOとは強い同盟であり一体だ、と宣言して共和党と民主党両党から拍手喝采を受けた。ウクライナは、NATOとUS,UKによる5億ドルの武器提供を受けているが、昨日オーストラリアからも1700万ドルの武器がウクライナに提供されることになった。

ロシア越境と同時にウクライナ極右武装団は、キエフなどの住宅街の道路にトラックに積んだ地対空砲を据え付け、住民を盾にしてロシア軍機を攻撃した。またNATOから提供されたステインガ(携帯式地対誘導ミサイル)をアパートの屋上や木陰から隠れてロシア軍の飛行機や戦車を攻撃した。結果として罪なき市民の住むアパートやキエフのTVタワーや、ハキフの解放広場やユダヤ人記念館や愛国者記念塔などが破壊された。

ウクライナ政府は18歳から60歳までの男性の国外脱出を禁じ、病人、年寄り、赤ちゃんなどを抱えて避難してきた人の中から男性をごぼう抜きに捕らえて、銃を持たせて前線に送っている。刑務所を解放し殺人鬼や犯罪人に銃を渡して国を守れと言っている。ロシア人を一人でも多く殺せば罪が帳消しになるなら逃げ惑うドンべス地区の女子供を殺しまくるだろう。無制限に提供される武器をもって嬉しそうに、国を守るためという大義名分を繰り返す。ウクライナはNATOの一員になりたがっているが、EUに参加すればロシアとの国境にNATO軍、UK,US軍の基地を持つことになる。そうしてNATO軍、UK US軍は、ロシアの頸動脈にナイフを突きつけたくて仕方がないのだ。それは外交の破綻であり、世界平和の終焉にかかわる。

軍拡は人類に対する犯罪だ。ウクライナに武器を提供してはいけない。ロシアによる侵略反対、ウクライナ市民の命を守れ、というならば、NATO、UK、USによる、自分の手を汚さずしてウクライナ市民に武器を持たせて血を流させる武器提供者こそが、卑怯者で,真の敵だ。

I am singing 'What dead man left" written by Shuntaro Tanigawa and Toru Takemitsu.
Australian PM decided on 5th day of Russian invasion to Ukraine, to send 17 million dollars armament for Ukraine. Already 500 million dollars weapon was sent to help Ukraine citizen to fight against Russian troops by NATO, UK and UK. Since 1950 the ultra right separatist in Ukraine have been fighting to exclude Russian in Ukraine, and now NATO, UK,US gave free gift :huge amount of weapons. Ukraine government force 18-60 years old men to fight against Russian troops with free gift weapons from NATO, UK and US. It is wrong. If we want stop the war, we should stop sending armament. The expansion of armament dose not bring any peace. Real war criminal is NATO UK and US: the merchants of death.


2022年2月24日木曜日

「竹田の子守歌」と「赤い花」とCOVID中間総括

曲は「竹田の子守歌」と「赤い花」。「赤い花」は中林ミナの曲。村松和行のリクエストに応えて歌ってみた。

ついでにこのコビッドが猛威を振るう2年余りの間、医療現場で働いてきたので、中間総括をしてみたい。50人の老人居住者を預かるエイジケアに勤めている。居住者は80代、90代の身体障害者、アルツハイマー病、認知障害、精神障害などを持ち、ほぼ全員がオムツをしているが、半数は歩くことができる。朝起きて、介助でシャワーを浴び普通の服を着せてもらい、女性は化粧もする。
職員は、約60人、ケアワーカーがその90%、10%が給食係を占め、レクリエーション療法士が常駐する。他に物理療法士、栄養士、言語療法、レクリエーション指導者、医師、ポデイアトリスト、美容師などが定期的に来る。また掃除と洗濯は外注の専門業者を使っている。

2020年にWHOがコビッドをエピデミックと宣言してから、居住者と職員は全員ワクチンを、3回目のブースターを含めて打ち、職員はマスク、フェイスシールド、ガウンなどPPEを徹底、面会者を制限した。2年間一人も感染者を出さず、無事に過ごしてきたが、今年になってオーストラリアが国境と州境を解放してから、オミクロン株が流入した。すべての職員が3回目のワクチンを打ち終わるよりも、感染のスピードのほうが速かった。職員の中から感染者が出て、この1月末にあっと言う間に、年寄りたち、居住者にも感染が広がった。最悪時、2月初めには居住者の半数、職員の3分の1が感染した。職員は毎日、職場の玄関でラピッドテストをして、感染していないことを確認して職場にはいり、そこで感染が認められた職員は帰宅し2週間自宅隔離し、政府の補助金で休暇となる。一番大変だったのは人手不足。検査で陽性になった職員と知らずに一緒に食事したり濃厚接触した職員も自宅隔離になるので人手が足りず、人材派遣会社に頼り切りになった。

それでもコビッドで一番危惧された居住者の感染による死亡を、出さずに済んだ。ブースターを打っていた80代90代の居住者が、コビッドに感染しても、一人として発病しなかったことは、誇っても良い。ワクチン懐疑者がいまだに居るが、うちの場合はワクチン効果がはっきり認められた。感染した職員の中でも、1人だけ重い症状が出た以外は、全員無症状で、元気に職場復帰した。
2月初めからの2週間は、感染者隔離など、感染対策と人手不足で地獄だったが、エイジケアで一人も死亡者を出さなかったことを誇りにしても良い。これは、ワクチンが出た途端に、居住者も職員も率先してワクチンを受け、さらに職員たちが自分の命を削るようにして、感染予防対策をして、まじめに働いてきた結果でもある。

I am singing [Takeda Lullaby] folk song and [Red Flower] written by Nakabayashi Mie.
I was working as a medical interpreter for government, and as a nurse at Aged Care facility: where has about 50 aged people: 80's and 90's, Disables, Alzheimers, Dementia, and incontinent. Since WHO declared COVID epidemic, all 60 members of staff got PPE, and stopped visitors. Our residents and staff all got 3 vaccines and staff has everyday tested Rapid COVID test.
However half of aged residents and one 3rd of staff got COVID positive this the end of January. Lucky there was no symptoms or serious condition among COVID positive people. because we, staff carefully care our residents, and made huge effort for stopping to spread infection.t. We have to proud of our selves-: no death- no serious condition- even aged residents got COVID positive . I have to say how important to get 3 shots of COVID vaccines.





2022年2月21日月曜日

村上春樹原作の映画「ドライブマイカー」

原作:村上春樹                               
監督:濱口竜介                          
キャスト
家福悠介:西島秀俊
みさき:三浦透子
音:霧島れいか
高槻耕史:岡田将生
イ ユナ:バク ユリム
コン ユンス:ジン デユン
ジャニス チャン:リニア ユアン

ストーリー
演出家、家福悠介は、シナリオライターだった妻、音を脳出血で亡くしていた。妻とは愛情と理解とで結ばれていたことを確信しているが、妻は水を飲むような自然さで、若い役者や演劇関係者と肉体関係をもっていたことで、実はずっと傷ついていた。その傷は、妻が故人になって、さらに深まっている。2年後、ヒロシマで演劇祭が開催されることになり、家福が演出する、チェホフの「ワーニャ叔父さん」が取り上げられることになった。役者たちは、日本人に限らず、韓国、台湾、フイリピン、ドイツ、マレーシア、インドネシアなどからも公募されてキャステイングが決まる。家福は、ワーニャ叔父さんに、こともあろうに妻と関係を持っていた若い役者、高槻を指名する。演出家と役者として対面することで、家福は自分の心の傷を深めていく。専用ドライバーとなった、みさきとの朴訥な会話によって、家福は徐々に自分の心の中の傷について真正面から見つめなおさなければならないことを気付かされる。というおはなし。

演劇から言語のワクを外した「舞台」というものに新鮮な驚きを感じた。舞台演出家の家福が作る舞台に、言葉の障壁がない。日本語を語るワーニャ叔父さんに対して娘のソーニャは、手話で応じ、教授の後妻エレーナはマンダリンで答える。舞台上には、セリフが日本語、英語、ドイツ語、韓国語、マンダリンなどで写しだされる。役者たちは異なる言語に対して、自分の言葉で何も不自然を感じさせないかのように劇を進行させる。
舞台というものは、いつの時代にも前衛の旗手を担ってきたが、このような形で舞台が作り上げられたことで、19世紀の文化人チェホフも喜んでいるだろう。

「ワーニャ叔父さん」は、兄の教授が美しい後妻を連れて故郷の田舎に戻ってくるところから始まる。教授の弟ワーニャは、インテリで美しい妻を伴った教授とは異なって、苦労して領地を維持し管理してきたことで、不公平感にさいなまれている。片思いしている兄の妻、エレーナはつれないし、教授が土地を処分しようと考えているに至っては、怒り心頭、銃を持ち出し兄を殺すか自殺するか。土地を失ってしまえば、自分が生きている意味もなくなってしまう。ワーニャは絶望するが、娘ソーニャの純真な励ましによって、魂を再生させる、という人間と宗教、善と悪、知と無知といったテーマを持った芝居だ。

それと同時に、自分がどれほど自分と異なる他人に寛容になれるか、という価値感もテーマになっている。家福とその妻とは別人であって価値観も異なる。自分のエゴを押し付けることは愛ではなく暴力だ。自分と異なる言語を話す人に、自分の言語を押し付けるのも暴力だ。どこまで他者を認め、許し合えるのか、互いに違いを認め合えるのかといった問いが、映画の初めから終わりまで付きまとっている。

芝居を取り組む妻の浮気相手だった高槻も、家福の妻、音も本心から愛し合っていて、尊重し合っていたことを知らされて家福は打ちのめされる。一方、そういった家福や高槻とのやりとりを耳にするドライバーのみさきは、母子家庭で母から暴力を受けながら育ってきた。生きる喜びも知らず、将来の目的や幸福感とは縁遠く、自分の魂を半分殺すようにして生きてきた。家福はみさきの、魂を絞り出すような告白によって、自分自身の心の傷を初めて認識して傷に立ち向かう勇気をもらう。
舞台の進行と同様に、それぞれの人が、自分をさらけ出すことによって、自分の魂を認識する。芝居同様に、魂の死と再生がテーマになっている。

3時間の長い映画。村上春樹の小説を読むように、タッチがそっくり映画になっている。役者たちがそれぞれ、実に達者で良い。ソーニャ役の手話には感動した。手話がこれほど表情豊かな表現方法だったのか、台詞の音がないだけ、その静かで豊かな表現にじわじわと感動が広がる。手話に対してワーニャ叔父さんが、打ちひしがれた表情から徐々に立ち直り、希望をつなごうとする演技と表情も素晴らしい。この映画、見る価値がある。
第79回ゴールデングローブ賞で、最優秀英語映画賞受賞。第94回アカデミー賞で、作品賞にノミネイトされているだけでなく、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門で、ノミネイトされている。