2022年5月31日火曜日

13回目の結婚記念日おめでとう

これは娘自慢。
次女の13回目の結婚記念日おめでとう。
結婚して二人の子の母親になり、仕事も順調で救急病院のマネージャーになり、夫婦円満で、趣味のヴァイオリンも続け、絵も描いている。すばらしい!
おまけに
長女も仕事をきっちり続けて患者達から信頼され、専門の勉強も続けている。立派だ!
そんな娘たちが自慢で仕方がない。
ここで13年前に、次女に結婚のときに書いものと、長女の結婚のときに書いたものをを読み返してみた。今読んでみても、幸せな気持ちになる。

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2022年5月22日日曜日

経済分析の基礎

1938年、治安維持法で逮捕され1年半もの間拘禁された私の大叔父、大内兵衛は獄中で検事に「南京に新たに作られた傀儡政府の経済顧問になるなら、告訴しないでやる」と言われた。同じく逮捕拘禁されていたお弟子さんたち、有沢広之己、脇坂義太郎、美濃部亮吉も、「満州政府の顧問になるなら自由にする」と打診されていたが、みな軍国者たちの侵略が失敗に終わると予想していたので、これを拒否した。彼らは米国が日本の石油輸出を禁止した時、日本の海軍が戦争をするのに必要な石油量を一度も計算したことがない、タンカーがどれほど要るのかも把握していなかったことを知っていた。また留学していた間に、海外の経済学者と意見交換していたので日本の経済力を知っていた。

その後大内兵衛、有沢広己、脇坂義太郎、美濃部亮吉、大森義太郎、高橋正雄の全員が拘禁を解かれ無罪を勝ち取った。全員が共同謀議をかたく否定したから、治安維持法で起訴できなかったのだ。その後、大内は現状分析をするのに科学的な統計分析が不可欠でそれが経済学の基礎であることを繰り返し語っていてインタビューに答えてこんなことを言っている。
「経済学はいつもプラクテカルである。悲しかったのは日本の戦時経済論がそういう意味でさえ端的に言えば戦争のおんためにさえ、理論としてあまりにも貧弱であったことだ。日本の戦争経済学ほどペダンチックでしかも無効果でしかも無益なものはなかっただろう。ということは日本の戦争責任者は社会科学についての常識において世界的な低能者であったということであろう。同じファシストでもファシストは馬鹿に定まっているがそれにしては少し度が過ぎていた。彼らは一切の理論を無視した。御用経済学もせいぜい努力して彼らに献上したがその全部が腐った鯛で、いただけるものが一つもなかったのである。」
いつも茶目っ気たっぷりで、笑顔を絶やさずジョークを放ていた大叔父らしい言葉だ。

いま日本のウクライナ情勢を語る人々は、ウクライナ軍アゾフ隊をヒーロー扱いし、ロシア憎し、を叫び回っているが、オイルをロシアからの輸入に頼っている日本の言うこととは思えない。日本円は下がり放し、ルーブルの価値は上がっている。これからとてつもない食料不足、インフレと不況が襲ってくる。日本経済大丈夫か。

I am singing 'TEAR IN HEAVEN' written by Eric Clapton. He wrote this for his son. His 3 years old son fell from his 53th floor apartment and lost his life. It's very very sad song.




2022年5月15日日曜日

メデイアに翻弄されるのはやめよう

この戦争はプーチンの戦争だ。ロシア政府と国民の意志に反して彼が一人で始めた。この独裁者を戦争犯罪人として世界で一丸となって裁け、とプーチン悪者論が跋扈している。だけど、私たちはいつかどこかで同じことをしていなかったか。

1999年アルバニアの少年たちが後ろ手に縄で縛られて穴に連行されるニュースを見せられて、米軍とNATOがセルビアを空爆するのを眺めていた私たち。アルバニアの住民が何万人もジェノサイトの被害にあっているという米国発のニュースは偽りだった。
2019年ペルシャ湾で、オイルにまみれて死を待つ水鳥の写真を連日見せられて、イラクの独裁者サダムフセインが大量兵器を持っていると、米軍の進駐を許し、サダムが絞首刑につるされる予定の現場まで報道して見せた。事実は米軍が原油精製施設をミサイルで破壊した結果水鳥が死んだのだったし、大量兵器もなくサダムに非はなかった。オイル収奪のために米国の猿芝居だったにしては犠牲が大きすぎた。

シリアのアサド大統領政権は毒ガスで反政府の民衆を虐殺しているとして、呼吸困難で苦しむ子供たちの写真を連日ニュースで見せて、アサド倒せと連呼した人々。米軍が勝てずに手を引きシリアは再びアサド政権下で平和を取り戻した。あの時シリアの民主化のために戦う民衆を救護するといって世界の英雄扱いされたホワイトヘルメットとは何だったのか。

ロシア軍はいったんこの3月にキエフにもブッチャにも進駐したが、3月30日に撤退し移動した。ロシア軍がブッチャに居た間、市は封鎖されておらず人々の生活も普通通りでネットも使えたという。3月31日ブッチャ市長アナトーリフェドルクが、「市からロシア軍が居なくなった、市民に死亡者などは出ていない」と報告していた。4月になって報道陣がやってきたときに、無かったはずの29体の遺体が道路に転がっているのが「発見」された。ロシア兵が居た時に便宜を図った人々がアゾフ連隊に殺されたのではないか、という報道もある。「ブッチャの大虐殺」の真相はいかに。
マリアポールで、地下に避難していた住民がやっと助け出されて避難先に向かうバスの前で「本当に毎日爆弾が落ちて来て怖かった。早くロシアに避難したい。」と言っていたが、西側テレビ局は最後のロシアに避難したい、という言葉をカットして報道した、とロシアの外務官僚が言う。

メデイアは旬の話題に飛びつくが、時期が過ぎると、そのときに報道したことは事実に反していたとわかっても、わざわざ訂正して報道したりしない。人々の関心がそれたら間違ったことを報じたからと言って謝罪などしない。
だから、もうやめにしないか。戦争報道をうのみにしてだまされることを。ウクライナに武器を送ることに良心をとがめないような人が平和だ、平和だの声高に叫ぶのを。もうやめにしないか。

I am singing [ THE BOXER] written by Paul Simon, recorded by Simon and Garfunkel.


2022年5月4日水曜日

ウクライナの避難民は

1928年、DHロレンスの小説「チャタレイ夫人の恋人」でチャタレイが恋人の「森番」に、「逃げましょう,2人でオーストラリアかカナダに逃げて2人きりで暮らしましょう」というシーンがある。こんな昔からオーストラリアとカナダが、大英帝国からみると逃避行先として知られていたということは、とても興味深い。

オーストラリアの人口は2500万人に達したが、移民と難民とその子孫で形作られてきた。全人口に占める外国生まれの人の割合は29%。いまメルボルン45万人の人口のうち35万人はギリシャ人とイタリア人の子孫で、彼らは戦後の深刻な不況とイタリア内戦から逃れてきた人々だ。フランコ独裁政権からも、20万人のスペイン人が逃れてきている。1980年代のハンガリーからも東ドイツの難民が押し寄せて来ている。1973年のチリのクーデタと政情不安からも1万人あまりが難民として受け入れられた。
また1975年4月ベトナムのサイゴン陥落以降、旧ベトナム軍関係者や資産家華僑がボートピープルとして流入、9万人以上が政府によって受け入れられた。1989年中国の天安門事件では、公安警察に追われた活動家たちが、香港を経由して2万人以上が難民として受け入れられた。
また今回、2020年香港国家安全維持法の制定と、2021年の選挙制度改悪によって言論の自由も民主的議会選挙もかなわなくなった活動家達も多数オーストラリアは受け入れた。帰国すれば危険と思われる留学生には永住権が与えられ家族も受け入れられた。

しかし難民受け入れに掛かる絶大な経費(教育費、医療費、職業訓練費)を理由に、オーストラリア政府だけでなく、どこの国も年々、難民の受け入れ条件を厳しくしている。1981年に難民条約の難民議定書に加入した日本の難民受け入れは、ほとんどゼロ、0.5%以下で論外だけれども、米国は前大統領がメキシコとの国境に壁を作り移民も難民もシャットアウトし、その費用をメキシコに負担させた。
英国は今後難民はアフリカのルワンダに送り、その地で5年間生活支援するが、その後効果のなかった人々はもと来た国に帰す、そうだ。何という冷酷無比。
20世紀は難民の世紀だったと言われたが、今世紀も世界は同様の悩みを抱える。戦争がある限り、難民は押さえられない。ウクライナは国民の4分の1がすでに難民として国外流出した。これをどう収拾するのか。難民を流出させた国と流出した国とが、その国家責任を問い自力更生させることは無理だ。私たちはそれぞれの国を尊重しながら援助することしかできない。流出した難民が安心して祖国に帰還できるまで必要な援助を続けるしかない。できるだろうか。
加藤登紀子の「時には昔の話を」を歌ってみた。むかし同じ時代を過ごしたムラマツ氏と、28日に出所する共通の友人のために。

I am singing [ Let's talk about old stories] written by Kato Tokiko. for sharing memory with my best friend Muramatsu and friend who will be free soon.



2022年4月28日木曜日

米国は手を引け

戦争に正義はない。米国は再び50憶ドル分の兵器をウクライナに送ると言う。米国は戦後70年余り自国の利害のために他国に戦争を仕掛け、失敗するといとも簡単に傀儡政権を見捨てる身勝手を繰り返してきた。

1962年、南ベトナムに傀儡政権を作りベトナム戦争に突入し、北ベトナムに250万トンの爆弾を投下、8000リットルの猛毒ダイオキシン枯葉剤を投下、北ベトナムだけでも180万人の死者を出して、米軍は完全なる敗北の末、撤退した。
2003年、イラクのサダムフセインが破壊兵器を持っているというCIAの主導でイラク侵攻、フセインを倒したが破壊兵器はなく、イラクは未だに強力な指導者を失い政治的混迷状態にある。米国侵攻の目的がオイル奪取だったことがわかった

シリア内戦に介入、アサド独裁者を倒せと、軍事侵略したが敗退。アサド大統領は健在。
リビア内戦に、石油欲しさに介入、カダフィ首相を殺害したが政権奪取できず敗退。カリスマ指導者を失ったリビアは、いまだに混迷状態。
イランが核兵器を持っているとして経済封鎖。国内経済を困窮させている。
イエメン戦争に介入、小さな武装勢力が分派し現在最も、安定を欠いた貧困国家になった。
イスラエルに介入、国際法に違反してパレスチナの地の占領を容認、よりにもよってエルサレムに米国大使館を建設。

2011年9.11の責任は、オサマデインラデインにあるとしてアフガニスタンに進駐。2021年7月に撤兵するまで20年間、アフガニスタンに米国主導政権を作ったが、タリバン政権に敗北。撤兵後も様々な理由をつけて国際援助を止め経済封鎖しているため、人々の生活は困窮を極めている。
2014年からウクライナのドンバス2州の内戦に介入。ロシアを怒らせて侵攻が始まると、大喜びで武器を送り込む。米国の手は血で汚れている。

I am singing " I am a Rock" written by Paul Simon, recording by Simon and Garfunkel.
Again USA send $5 billion armaments to Ukraine.
After WW2, more than 70 years USA had been fighting war against many countries; Korean war, Vietnam war(1962 -1975), Iraq war 2003 , Libya, Economic sanction to Iran, and Afghanistan war2011-2021. There is no justice. USA should stop sending armaments to any other countries.



2022年4月20日水曜日

武器を捨てて

悪いのはロシアだ、武器を取れ、もっと武器を送れ、もっともっと、と絶叫するゼレンスキー大統領。やめてくれ。マリアポールがロシア軍に包囲されても、市民を盾に徹底抗戦するのか。命を捨ててまで守る国、などというものは、どこにもありはしない。
米国国防長官ロイドオースチンは、自分が重役だったレイセオン社の製品ステインガミサイルをNATOの金で、ジャンジャン買ってもらってウクライナに送って金儲けしている。ロッキードマーチン社は勿論のこと、ジャベリンミサイルも、F35型戦闘機も無制限に買ってもらって嬉しくて嬉しくて笑いが止まらない。コヴィッドで93万人の死者を出し、インフレによる10%の物価上昇で生活苦のあえぐ米国人の不満は危機状態だった。米国にとって武器輸出による大儲けは必要不可欠だったのだ。

2年余りコヴィッドで、休む間のない過重勤務だった。このイースターに久しぶり長い休暇を取って、娘たち家族と過ごし、娘たちの誕生日を祝った。海辺のリゾートでマゴたちと海岸を歩き、貝を拾い、夜はゲームをした。そのひとつひとつの行為が、喜びに満ちた貴重な時間だった。
子供たち、マゴ達に何を残していけるだろうか、それを考えてばかりいた。
私たちの世代が、マゴの世代に残すものが、徴兵制と新たな戦争だとしたら、それほど悔やまれることはない。

I am singing '"Grand Father's Clock".
During Easter Holiday I spent time at Coffs Harbor Resort with my daughters and grand children. It was good release from work at medical facility under huge stress of COVID epidemic for more than 2 years. I enjoyed picking shells up at seashore, played game at night with grandchildren, then we cerebrated my daughters birthday. I had happy time although couldn't forget Ukrainian cry.



2022年4月5日火曜日

即時停戦を

即時停戦を
伝えられてくるウクライナの惨状に言葉もない。即時ロシア軍撤兵と停戦を願う。1991年までウクライナではロシア語が国語だった。もとはと言えば同じ言語を理解する同じ民族ではないか。それぞれ民族の差異はあるだろうが世界は1民族1国家で、国境線を引くことはできない。曖昧な国境線に生まれて育ち文化を共有してきた人々にとっては祖国とは国家としての国ではない。

あれほどユダヤ人絶滅を叫んだアドルフヒットラーでさえ、祖母の世代までさかのぼればユダヤの血が入っていた。まして移民国家オーストラリアなど4人に1人は外国生まれで、自分がどこの民族に属しているのかは、本人の思い込みでしかない。
人の命を民族という線で分けることも、国境という線でも分けるべきだはない。まして国の利害のために人は戦うべきではない。
国を守る、もっと武器が欲しい、もっとミサイルを送ってくれ、と連日叫んでいるゼレンスキー大統領にとって、すでに国民の4分の1以上が外国に脱出したウクライナで、守るべき国民とは何なのか。ウクライナに武器を送ってはいけない。

 イムジン河を歌ってみた。
イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥自由に群がり飛び交うよ わが祖国南の地 思いは遥か イムジン河 水清く とうとうと流れ 北の大地から 南の空へ 飛びかう鳥よ 自由の使者よ 誰が祖国を 二つに分けてしまったの 誰が祖国を分けてしまったの イムジン河 空高く 虹よかかっておくれ 河よ 思いを伝えておくれ。



2022年3月24日木曜日

即時停戦を

即時停戦を
ウクライナで激しい攻防戦が行われている。1千万人もの国外避難する子供や老人を連れた女性たちの姿は、100の言葉よりも雄弁に戦争の悲惨さを訴える。
ロシアは昨年暮れから国境線に10万人規模の兵を配置して、ウクライナのルガンスク共和国とドネツク共和国の独立を要求していた。この2つの州の人口の半分はロシア人で、ロシア正教を信じ、ロシアのパスポートを持ち選挙権もあり、ロシアの政治に発言権も持ち、ロシアへの併合を望んでいる。今回の戦乱で260万人の親ロシア避難民がロシアに避難した。

一方ウクライナの隣国、ポーランド、ルーマニア、チェコ共和国には、米国ミサイル防衛システムをもったミサイル発射装置があり、それらはロシアを標的に備えられている。NATO軍はかつてソビエト連邦との冷戦時、ワルシャワ条約機構に対抗して作られた軍事組織だが、ワルシャワ条約機構が無くなった今も、米軍の強い協力を得て一体化している。ロシアは、ウクライナのNATO加盟によって、これ以上ロシアとの国境線に米軍ミサイル発射装置を作ってもらいたくない。

ウクライナ首都キエフは、ロシア国境から200キロ、ベラルーシから80キロの距離にあり、はじめからロシアがウクライナを占領支配するつもりでいたなら、侵攻第1日目に電撃的に首都陥落することができた。それをしなかったのは、圧力と時間をかけて、ウクライナとの話し合いを公開的に進めたかったからだと思う。
すでにウクライナは、NATO加盟をあきらめたが、2つの共和国の独立について話し合いに応じていれば、戦乱は避けられた。またロシア軍が国境を越えたときに、キエフがオープンシテイー(無血開城)していれば市街戦など起きず、死者も避難民も出なかった。

1940年のパリ、1943年のローマを思い起こしてもらいたい。しかしゼレンスキーは最悪の選択をした。NATOと米軍の協力のもとに徹底抗戦を選んだ。米軍はすでに5億ドルの武器をウクライナに送ったが、さらに追加して800機のステインガ対空ミサイル、9000の対戦車火器、2,000万発の弾丸を送ったそうだ。ゼレンスキーは湯水のように投入される米製NATO軍の武器を使い交戦し、街を破壊し、国民の4分の1の人口を他国に流出させた。米軍、NATO軍は武器だけでなくクロアチア、チェチェンなど16か国から外国人傭兵を送り込んだ。高い生命保険をかけ、1日2000ドルでどんなことでもするプロの殺し屋だ。戦争する傭兵達に正義はない。勝利も敗北もない。

日本はかつてアジアの国々を侵略し、中国人1100万人、インドネシアなどアジアで800万人、計1900万人を殺害し、謝罪も賠償もしていない。その日本の国会で、徹底抗戦中の国の代表者がもっと援助を、と訴えて議員のスタンデイングオべーションを得たという。ゼレンスキーは「平和を」と訴えたのではない。ウクライナの軍事勝利のための支援を訴えたのだ。戦争する一方の側だけに味方をして支援するのは、自分たちも参戦していることになる。正義の戦争などないからだ。ウクライナの戦いのために総立ちになって拍手した日本の国会議員に、良心というものがあるのだろうか。
I am singing 'Sound of Silence" written by Paul Simon in 1963.





2022年3月16日水曜日

戦争に勝者は居ない、直ちに停戦を!

戦争に勝者はいない。即時停戦を!
ロシアによるウクライナ空爆と地上攻撃によって、空前の数の避難民が近隣諸国に流出している。国に残った者は、NATO、USとUKによる、無制限ともいえる膨大な武器支援をうけて、停戦に応ぜず、交戦を続けている。誰が停戦を拒否させて戦争を長びかせているのか。

避難する人々の群れを見て、1917年のロシア革命を思う。私のヴァイオリンの先生は、このボルシェビキ革命から逃れてきた貴族だった。小野アンナという。ジョンレノンの妻オノヨーコは彼女の姪にあたる。毎週レッスンを受けていたのは彼女の直弟子だから私は孫弟子ということになるが、年1度の発表会前には必ず来て練習を見てくれた。長い髪を後ろで小さくまとめられ、いつも淡い色の服を着た、物静かで気品に満ちた人だった。彼女がロシアに帰国する前の、最後の発表会のために、「庭の千草」の曲を渡されてむくれた。こんな平凡な曲を私に?と気乗りしないまま、その年の発表会を終えた。レッスンは基礎の音階練習と指の練習ばかり、曲を弾きたいのに、1時間のレッスンで曲をなかなか弾かせてもらえない。基本を真面目に取り組まないので彼女の期待に沿えなかった。

それから半世紀以上の時間が経って、シドニーにマクシム バンゲロフが来てくれた。一番尊敬している素晴らしいヴァイオリニスト。その人がコンサートの最後にアンコールに応えて「庭の千草」を弾いた。バリエーションをたくさんつけたそれは、本当に本当に素晴らしかった。アンナ先生は、この曲をこんな風に弾いて欲しかったんだ、と思うと涙が出た。

人の歴史は戦争によって翻弄される歴史だ。戦火から逃れるために小野アンナは日本に来て、自分が生まれた祖国に帰るまでに42年間を要した。ロシアに帰って、幸せな20年間を送って、幸せな死を迎えた、と思いたい。

I am singing [IMAGINE] by the Beatles. There is no Winner in a war. Cease fire immediately!!!

2022年3月2日水曜日

ウクライナに武器援助をしてはいけない

「死んだ男の残したものは」作曲:武満徹、作詞:谷川俊太郎を歌ってみた。
ウクライナへの武器提供は「支援」ではない。
ロシアによるウクライナ越境5日目の今日、米国バイデン大統領は、米国とNATOとは強い同盟であり一体だ、と宣言して共和党と民主党両党から拍手喝采を受けた。ウクライナは、NATOとUS,UKによる5億ドルの武器提供を受けているが、昨日オーストラリアからも1700万ドルの武器がウクライナに提供されることになった。

ロシア越境と同時にウクライナ極右武装団は、キエフなどの住宅街の道路にトラックに積んだ地対空砲を据え付け、住民を盾にしてロシア軍機を攻撃した。またNATOから提供されたステインガ(携帯式地対誘導ミサイル)をアパートの屋上や木陰から隠れてロシア軍の飛行機や戦車を攻撃した。結果として罪なき市民の住むアパートやキエフのTVタワーや、ハキフの解放広場やユダヤ人記念館や愛国者記念塔などが破壊された。

ウクライナ政府は18歳から60歳までの男性の国外脱出を禁じ、病人、年寄り、赤ちゃんなどを抱えて避難してきた人の中から男性をごぼう抜きに捕らえて、銃を持たせて前線に送っている。刑務所を解放し殺人鬼や犯罪人に銃を渡して国を守れと言っている。ロシア人を一人でも多く殺せば罪が帳消しになるなら逃げ惑うドンべス地区の女子供を殺しまくるだろう。無制限に提供される武器をもって嬉しそうに、国を守るためという大義名分を繰り返す。ウクライナはNATOの一員になりたがっているが、EUに参加すればロシアとの国境にNATO軍、UK,US軍の基地を持つことになる。そうしてNATO軍、UK US軍は、ロシアの頸動脈にナイフを突きつけたくて仕方がないのだ。それは外交の破綻であり、世界平和の終焉にかかわる。

軍拡は人類に対する犯罪だ。ウクライナに武器を提供してはいけない。ロシアによる侵略反対、ウクライナ市民の命を守れ、というならば、NATO、UK、USによる、自分の手を汚さずしてウクライナ市民に武器を持たせて血を流させる武器提供者こそが、卑怯者で,真の敵だ。

I am singing 'What dead man left" written by Shuntaro Tanigawa and Toru Takemitsu.
Australian PM decided on 5th day of Russian invasion to Ukraine, to send 17 million dollars armament for Ukraine. Already 500 million dollars weapon was sent to help Ukraine citizen to fight against Russian troops by NATO, UK and UK. Since 1950 the ultra right separatist in Ukraine have been fighting to exclude Russian in Ukraine, and now NATO, UK,US gave free gift :huge amount of weapons. Ukraine government force 18-60 years old men to fight against Russian troops with free gift weapons from NATO, UK and US. It is wrong. If we want stop the war, we should stop sending armament. The expansion of armament dose not bring any peace. Real war criminal is NATO UK and US: the merchants of death.


2022年2月24日木曜日

「竹田の子守歌」と「赤い花」とCOVID中間総括

曲は「竹田の子守歌」と「赤い花」。「赤い花」は中林ミナの曲。村松和行のリクエストに応えて歌ってみた。

ついでにこのコビッドが猛威を振るう2年余りの間、医療現場で働いてきたので、中間総括をしてみたい。50人の老人居住者を預かるエイジケアに勤めている。居住者は80代、90代の身体障害者、アルツハイマー病、認知障害、精神障害などを持ち、ほぼ全員がオムツをしているが、半数は歩くことができる。朝起きて、介助でシャワーを浴び普通の服を着せてもらい、女性は化粧もする。
職員は、約60人、ケアワーカーがその90%、10%が給食係を占め、レクリエーション療法士が常駐する。他に物理療法士、栄養士、言語療法、レクリエーション指導者、医師、ポデイアトリスト、美容師などが定期的に来る。また掃除と洗濯は外注の専門業者を使っている。

2020年にWHOがコビッドをエピデミックと宣言してから、居住者と職員は全員ワクチンを、3回目のブースターを含めて打ち、職員はマスク、フェイスシールド、ガウンなどPPEを徹底、面会者を制限した。2年間一人も感染者を出さず、無事に過ごしてきたが、今年になってオーストラリアが国境と州境を解放してから、オミクロン株が流入した。すべての職員が3回目のワクチンを打ち終わるよりも、感染のスピードのほうが速かった。職員の中から感染者が出て、この1月末にあっと言う間に、年寄りたち、居住者にも感染が広がった。最悪時、2月初めには居住者の半数、職員の3分の1が感染した。職員は毎日、職場の玄関でラピッドテストをして、感染していないことを確認して職場にはいり、そこで感染が認められた職員は帰宅し2週間自宅隔離し、政府の補助金で休暇となる。一番大変だったのは人手不足。検査で陽性になった職員と知らずに一緒に食事したり濃厚接触した職員も自宅隔離になるので人手が足りず、人材派遣会社に頼り切りになった。

それでもコビッドで一番危惧された居住者の感染による死亡を、出さずに済んだ。ブースターを打っていた80代90代の居住者が、コビッドに感染しても、一人として発病しなかったことは、誇っても良い。ワクチン懐疑者がいまだに居るが、うちの場合はワクチン効果がはっきり認められた。感染した職員の中でも、1人だけ重い症状が出た以外は、全員無症状で、元気に職場復帰した。
2月初めからの2週間は、感染者隔離など、感染対策と人手不足で地獄だったが、エイジケアで一人も死亡者を出さなかったことを誇りにしても良い。これは、ワクチンが出た途端に、居住者も職員も率先してワクチンを受け、さらに職員たちが自分の命を削るようにして、感染予防対策をして、まじめに働いてきた結果でもある。

I am singing [Takeda Lullaby] folk song and [Red Flower] written by Nakabayashi Mie.
I was working as a medical interpreter for government, and as a nurse at Aged Care facility: where has about 50 aged people: 80's and 90's, Disables, Alzheimers, Dementia, and incontinent. Since WHO declared COVID epidemic, all 60 members of staff got PPE, and stopped visitors. Our residents and staff all got 3 vaccines and staff has everyday tested Rapid COVID test.
However half of aged residents and one 3rd of staff got COVID positive this the end of January. Lucky there was no symptoms or serious condition among COVID positive people. because we, staff carefully care our residents, and made huge effort for stopping to spread infection.t. We have to proud of our selves-: no death- no serious condition- even aged residents got COVID positive . I have to say how important to get 3 shots of COVID vaccines.





2022年2月21日月曜日

村上春樹原作の映画「ドライブマイカー」

原作:村上春樹                               
監督:濱口竜介                          
キャスト
家福悠介:西島秀俊
みさき:三浦透子
音:霧島れいか
高槻耕史:岡田将生
イ ユナ:バク ユリム
コン ユンス:ジン デユン
ジャニス チャン:リニア ユアン

ストーリー
演出家、家福悠介は、シナリオライターだった妻、音を脳出血で亡くしていた。妻とは愛情と理解とで結ばれていたことを確信しているが、妻は水を飲むような自然さで、若い役者や演劇関係者と肉体関係をもっていたことで、実はずっと傷ついていた。その傷は、妻が故人になって、さらに深まっている。2年後、ヒロシマで演劇祭が開催されることになり、家福が演出する、チェホフの「ワーニャ叔父さん」が取り上げられることになった。役者たちは、日本人に限らず、韓国、台湾、フイリピン、ドイツ、マレーシア、インドネシアなどからも公募されてキャステイングが決まる。家福は、ワーニャ叔父さんに、こともあろうに妻と関係を持っていた若い役者、高槻を指名する。演出家と役者として対面することで、家福は自分の心の傷を深めていく。専用ドライバーとなった、みさきとの朴訥な会話によって、家福は徐々に自分の心の中の傷について真正面から見つめなおさなければならないことを気付かされる。というおはなし。

演劇から言語のワクを外した「舞台」というものに新鮮な驚きを感じた。舞台演出家の家福が作る舞台に、言葉の障壁がない。日本語を語るワーニャ叔父さんに対して娘のソーニャは、手話で応じ、教授の後妻エレーナはマンダリンで答える。舞台上には、セリフが日本語、英語、ドイツ語、韓国語、マンダリンなどで写しだされる。役者たちは異なる言語に対して、自分の言葉で何も不自然を感じさせないかのように劇を進行させる。
舞台というものは、いつの時代にも前衛の旗手を担ってきたが、このような形で舞台が作り上げられたことで、19世紀の文化人チェホフも喜んでいるだろう。

「ワーニャ叔父さん」は、兄の教授が美しい後妻を連れて故郷の田舎に戻ってくるところから始まる。教授の弟ワーニャは、インテリで美しい妻を伴った教授とは異なって、苦労して領地を維持し管理してきたことで、不公平感にさいなまれている。片思いしている兄の妻、エレーナはつれないし、教授が土地を処分しようと考えているに至っては、怒り心頭、銃を持ち出し兄を殺すか自殺するか。土地を失ってしまえば、自分が生きている意味もなくなってしまう。ワーニャは絶望するが、娘ソーニャの純真な励ましによって、魂を再生させる、という人間と宗教、善と悪、知と無知といったテーマを持った芝居だ。

それと同時に、自分がどれほど自分と異なる他人に寛容になれるか、という価値感もテーマになっている。家福とその妻とは別人であって価値観も異なる。自分のエゴを押し付けることは愛ではなく暴力だ。自分と異なる言語を話す人に、自分の言語を押し付けるのも暴力だ。どこまで他者を認め、許し合えるのか、互いに違いを認め合えるのかといった問いが、映画の初めから終わりまで付きまとっている。

芝居を取り組む妻の浮気相手だった高槻も、家福の妻、音も本心から愛し合っていて、尊重し合っていたことを知らされて家福は打ちのめされる。一方、そういった家福や高槻とのやりとりを耳にするドライバーのみさきは、母子家庭で母から暴力を受けながら育ってきた。生きる喜びも知らず、将来の目的や幸福感とは縁遠く、自分の魂を半分殺すようにして生きてきた。家福はみさきの、魂を絞り出すような告白によって、自分自身の心の傷を初めて認識して傷に立ち向かう勇気をもらう。
舞台の進行と同様に、それぞれの人が、自分をさらけ出すことによって、自分の魂を認識する。芝居同様に、魂の死と再生がテーマになっている。

3時間の長い映画。村上春樹の小説を読むように、タッチがそっくり映画になっている。役者たちがそれぞれ、実に達者で良い。ソーニャ役の手話には感動した。手話がこれほど表情豊かな表現方法だったのか、台詞の音がないだけ、その静かで豊かな表現にじわじわと感動が広がる。手話に対してワーニャ叔父さんが、打ちひしがれた表情から徐々に立ち直り、希望をつなごうとする演技と表情も素晴らしい。この映画、見る価値がある。
第79回ゴールデングローブ賞で、最優秀英語映画賞受賞。第94回アカデミー賞で、作品賞にノミネイトされているだけでなく、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門で、ノミネイトされている。

2022年2月17日木曜日

ジミーチンとマックスロウの「TORN」

                  

ジミーチンは世界一優秀なドキュメンタリーフイルム製作者だと断言できる。
2015年「MERU」でヒマラヤ未踏峰の、6250Mの絶壁「シャークフィン」に初登頂し、その過程を、登りながら撮影して見せてくれた。2019年には「FREE SOLO」でカルフォルニアヨセミテ国立公園に聳える岩壁「エルカピタン」初の単独フリー登頂をフイルムにして、その年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

今回ジミーが監督をしていないが、彼の撮った莫大なフイルムが提供されて、登山家アレックスロウの息子、マックスロウが「TORN」(伝説の登山家ー亡き父を追って)というドキュメンタリーフイルムを作った。とても感動的で、貴重なフイルムだ。しかしそれを紹介する前に、ジミーチンの過去の2作についても説明しておきたい。

「MERU」(メルー)2015年
ヒマラヤ山脈中国側のメルー中央峰、6250Mの難攻不落の岩壁「シャークフィン」の世界初の登頂記録。ジミーチン、コンラッドアンカー、レナンオズタックの3人が成功させた。3人は、2008年に頂上あと100Mのところで、登頂を断念している。総重量90キロの荷物を担ぎ、2台のカメラと機材、8日分の食料とともに17日間登り続け、悪天候と雪崩にあいながら、岩肌にビバーグしていたが、テントを強風で壊され、燃料も食糧も尽きて、世界初登頂 の記録をつくる寸前のところで、下山を決断した。このときの失望感が大きすぎて3人とも、もうこの山に戻ることはないと思ってきたという。その後、ジミーチンは別の山で雪崩にあい、600Mの距離を130キロのスピードで山から落下して大怪我をする。レオンオズダックは、スピードボードの事故で頸椎骨折、再起不能の車椅子生活を言い渡される。またコンラッドアンカーは長年のザイルパートナーで親友だったアレックスロウと、ヒマラヤ登山中に雪崩にあって亡くし、自身も怪我を負う。3人3様の事故で大きな傷を負うが、2008年の失敗を乗り越えて2011年、3人は厳しいトレーニングの末カンバック、再びシャークフィンに集まり、世界初登頂を成し遂げる。このときのドキュメンタリーフイルム。ただただ感動する。


「FREE SOLO」(フリーソロ)2019年
アカデミー長編ドキュメンタリーフイルム賞受賞
単独登山者アレックスオ二ルドが、カルフォルニアヨセミテ国立公園の中にある「エルカピタン」と呼ばれる1000Mの絶壁を、パートナーもザイルもハーケンもカラビナも使わずに、たった一人で登頂する姿を撮ったドキュメンタリー。
1インチに満たない岩の尖がりに足をかけ、3本の指でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていくアレックスも神経を集中しているが、少し離れた横で重機材を担ぎ撮影するジミーチンも決死の覚悟で撮影している。かつて誰も成功したことがなかった単独登攀の撮影中、二人とも滑落して、その瞬間をとらえたフイルムだけが残される可能性もあった。手足のうち、3点を確保しながら登るのロッククライミングだが、両手を必要とするカメラワークを続けるには、高度な山岳技術がいる。また8000M級のヒマラヤなどの撮影では氷点下20度で、分厚い手袋を外せば瞬時に指が凍って血が通わなくなるところを、ジミーチンは手袋を取ってシャッターを押す。山岳登山家としての経験と高度な技術をジミーはもっている。他の人には真似できない。ひょっとすると彼のような、勇敢な製作者はもう二度と表れないかもしれない。


「TORN」(伝説の登山家ー亡き父を追って)2021年
監督マックスロウ
アレックスロウと、コンラッドアンカーは伝説の登山家だ。スーパーヒーロー、カリスマ登山家として山岳界で次々と新記録を更新した。二人は兄弟以上の強い絆で結ばれていた。しかしアレックスは1999年9月、チベットシシャパンマで雪崩にあって亡くなる。一緒だったコンラッドも雪崩で埋まったが、怪我をしただけで生き残った。
亡くなったアレックスは生前、家庭を持たないコンラッドをいつも羨ましがっていた。家に閉じ込められると、怒りと苦しみで手がつけられなかった、と妻は言う。いつも冒険していないと気が済まない。雪崩にあって亡くなる前の日、テントでアレックスはコンラッドに「長男の誕生日にデイズ二ーランドに連れて行けなくて自分は悪い父親だと思ってる。」と語っていた。アレックスが亡くなって、彼の息子たち、10歳のマックス、6歳のサニー、3歳のアイザックが残された。

アレックスの家族は長い間、コンラッドと家族のように親しかったから、コンラッドは、自分だけが生き残った罪悪感からアレックスの妻を支え、3人の息子たちが飢えないために、アレックス以上に家族の世話をする。クリスマスをディズニ―ランドで過ごし、アレックスの影のように、アレックスに成り代わってベストをつくすうち、自然と愛情がはぐくまれ、新しい家族が形成される。父親が亡くなった時10歳だったマックスは、父親との時間が長かったのでコンラッドを、父親としてなかなか受け入れられないが、そのとき3歳だったアイザックやサニーはほとんど父親の事を覚えていないので、何のこだわりもなくコンラッドを父親だと思っている。

16年の月日が経った。3人の子供たちはすっかり一人前の大人になった。2016年4月、シシャパンマの雪が解け、アレックスの遺体が発見される。コンラッドは、家族全員を連れてチベットに飛び、遺体を回収し、荼毘に臥す。骨はヒマラヤ山脈の風にのって散る。
というおはなし。

山のドキュメンタリーは素晴らしい。ジミーチェンは、40代になったがまだまだ活躍してほしい。常に滑落の危険を冒してザイルに身を預け、凍傷の危険を冒してシャッターを押し続けるジミーチェンは、私の英雄だ。
でもどうしてそんな危険を冒してまで山の上るのかって、、、答えは簡単。それだけ山は素晴らしい。登ってみればわかる。





2022年2月11日金曜日

ジョンレノンの「NOBODY LOVES YOU」

「NOBODY LOVES YOU」1973年、ビートルズのジョンがヨーコオノから別居を言い渡され、ジョンが一人きりでいた時作った歌を歌ってみた。
:誰も愛してくれない 落ち込んでいるときも、最高にうまくいってる時でさえ 見てもくれない みんな生活のために精一杯、 傷つけあってる 僕は君の側に行って 裸になってさらけ出したのに すべて打ち明けた だのに今だに君は愛してるのか と聞いてくる それって何だよ 誰も愛してくれない 誰も必要としてくれない ぼくをみんなが愛してくれる時 それは僕が墓に埋められた時だけさ。

こんな厭世的な歌が、ジョンの予想外にヒットしてしまったのは、何かの皮肉か。人は人生の中で何度か死んでしまいたい気持ちになる厄介な生き物だ。自分が誰からも愛されていないと感じながら生きるのは辛い。一番身近な人に見放され、友達からも嫌われたらなおさらだ。一人きり暗い部屋で雨音を聞きながらギターなど弾いていたら、うっかりすると自殺してしまうかもしれない。

2人の娘が生まれた時から家庭用のアルバムとは別に、娘たちに渡せるように、ダイジェスト版のアルバムを作ってきた。文京区で生まれ、ハイハイし、初めて歩き、沖縄で幼稚園、レイテで小学校、マニラで高校、そしてシドニーで大学に入るまでの分厚い一冊のアルバムを、娘たちが18歳になった時に渡した。記録を見れば自分がどれだけたくさんの人達に愛されてきたかがわかるだろう。それを見れば死ねないはずだ。
同じことを二人のマゴのためにしている。マゴたちの成長ぶりが手に取るようにわかる。マゴたちも自分が辛い時、それを見れば自分たちがどれほどの愛を受けてきたか、わかるだろう。重いアルバムは時代遅れ。そんなもの今は誰も手に取って見ない、と人は言うが、自分は年寄りだから、他人に耳を貸すつもりはない。時代遅れ、だからどうした。

I am singing [ NOBODY LOVES YOU] written by John Lennon in 1973. John said : Nobody loves you when you are down and out. Nobody sees you when you are on cloud nine. Nobody loves you when you are old and grey. But,,,,, Everybody loves you when you are six foot in the ground.🙁 dead and in under the grave stone)
It's terrible!!! John wrote this music when 1973, during separation period with his wife: Ono Yoko. He was really sad. Despite he was depressed and down, this music hit and become popular. Probably too many people sympathized with John on that time.

2022年2月4日金曜日

BTS 「V 」のクリスマスツリー

BTSという韓国ヒップホップボーイズの「V」が歌っている「クリスマスツリー」をちょっとだけ真似してみた。
娘に「V ]が素敵と言われて、清潔で可愛らしい私のマゴの年にも当たる青年に好感をもったが、BTSの7人が並んでしまうと、どれが「V 」なのか皆目わからなくなる。

まだ2月になったばかりだがオーストラリアでは今年のコロナによる死者は約400人、2年前にパンデミック宣言がなされて以来、合計約4000人が亡くなった。米国では90万人、メキシコで40万人、英国で15万人という夥しい死者数とは比べようもないが。
オーストラリアは人口2600万人、日本の6分の1。ワクチン接種率95%に達したが、現在人口800万人のNSW州で、1日の新患者数が連日2万人を超えている。PCRテストを廃止したので実際の患者数はもっと多いだろう。

遂に私の職場も、ロックダウンで部外者、家族面会など1年余り禁じてきたにも拘らず、スタッフの間にも、患者にも感染者が出てじわじわとそれが広がっている。毎日職員は、職場の入り口でRAT(RAPID ANTIGEN TEST)をして感染していないことを証明してから仕事に取り掛かる。フェイスマスク、フェイスシールド、ゴーグルに手袋、プラスチックのガウンを着て、まるで宇宙飛行士のような姿で仕事をしている。
人手不足は深刻だ。NSW州だけで5000人のナースが感染かその疑いで働けず、救急車を陸軍の兵隊が運転し、ワクチンはケミストが打ち、スーパーに生活必需品を運ぶ人が足らず、フォークリフトを18歳以下の無免許の高校生バイトが働いても良いことになった、というのには笑った。
自分もいつ感染するか時間の問題か。感染すれば1週間仕事を休んで、政府からお金をもらい、うちで本が読める、と気楽に構えて、医療現場で仲間たちと励まし合っている。
I tried to sing "Christmas Tree" ( Our beloved Summer) by 「V」 BTS.
My daughter said 「V」is nice and I agree, however I can not find him when 7 boys BTS on the stage. Which one???




2022年1月26日水曜日

26回目のオーストラリアデイ

今日1月26日はオーストラリアデイで祭日。1770年英国人探検家キャプテンクックがシドニー湾から上陸して以来、1778年1月26日に初代英国総督アーサーフイリップが、上陸後英国王室による領有化宣言をした。その日から大英帝国の旗を掲げ、先住民族アボリジニー大虐殺が始まる。

アボリジニーは先住民族として6万年の歴史を持ち、独特の言語、道具、絵画などの芸術、楽器などを持った民族だが、入植後、英国人が持ってきた感染症や、虐殺により人口の90%を失った。75万人から100万人あった人口が、一挙に10%に減ったのは、奴隷として売買されたアフリカ民族と違って、怠惰で教えに従って働くことができないと判断され、「害蓄」として大量佐殺戮されたからだ。人口はその後回復したが、現在は総人口の3.3%、約85万人になっている。

オーストラリアは英国植民地となって以来、最初の20年は主に英国の刑務所として役割を果たした。囚人として故国から追放されてきた者の30%は19歳以下、彼らは無給の労働者としてシドニー湾の周りに道路や政府の建造物を建て、植民地を耕し、刑期を終えた後は家庭を持ち、捕鯨、漁業、羊毛業、鉱物採掘に携わった。1850年代にニューサウスウェルス州とビクトリア州で金が採掘されるようになるとゴールドラッシュが起こり急激に人口が増した。遂に植民地男性の20%が中国人に占められるようになり、暴力を伴った激しいアジア人排斥運動がおこる。オーストラリアの白豪主義はこれをもって形成され、オーストラリアは有色人の海に囲まれた唯一の白人の島というアイデンテイテイが作られる。
白豪主義が改められるのは、1943年第2次世界大戦で人口がわずか、730万人の国となってしまい、他国から侵略される危険性が高くなったので、移民を制限すべきではないという切羽詰まった危機感に迫られたからだ。現在は4人に1人は外国生まれという移民大国となって、多様な民族、宗教、文化を誇っている。

1996年1月25日に2人の娘とともにオーストラリアに移住して26年経った。その前は、10年フィリピン、その前は3年沖縄に暮らしたから、娘たちは生まれ育った東京を幼児の時に離れて、40年近く経ったことになる。怪しげな日本語を使うわけだ。責められない。
日本ではマスコミを学び編集記者、フイリピンではインターナショナルスクールでバイオリン教師をやってきて、誰一人知人も友人もいないシングルマザーが子連れでオーストラリアに来るなんて、勇敢ね、バカじゃない、と言われたが、シドニーで頼まれて医療通訳、修学旅行付き添い、病院ナースなどをやっているうちに、娘たちは大学を終え立派な専門家として自立、家庭を持った。

オーストラリアの良いところは、ものすごく勉強すれば必ずそれが報われて望み通りの専門家になれるところかもしれない。娘たちの勉強ぶりは在学中も卒業後も際立っていたが、じつによく学ぶ。彼女達とは学びのレベルは比較にならないが、私も55歳で大学に入った。全然違和感がなく在学中、誰一人として私に年齢を聞く人は居なかった。
いまナースとして働いていて、職場の仲間たちも、ナースをやりながらICUのスペシャリストや、教育者の資格などを次々と取って勉強を辞めない。それでいて自由時間に「本当は役者になりたかった」などと、突然言い出して俳優養成所に通うナースが居たと思うと、歌手になる、と言ってパブでバンドを組んで歌いながらトレイナーについて声楽を勉強しているナースがいる。

人生自己満足だと思うが、自己満足のレベルが高いのだ。オージーの許容量の大きさ、というか年齢や環境や立場に縛られず自由な度量の大きさが、とても好ましく感じる。日本の良さ、フイリピンの良さ、オーストラリアの良さに身を浸し、体現して生きていくことが出来たら上出来だ、と思っている。
I am singing [ I STILL CALL AUSTRALIA HOME].




2022年1月20日木曜日

歌ってみた!100曲達成!

2019年1月に、恐る恐るフェイスブックに投稿してみたら、褒められたので以来、調子に乗って2022年1月までに、100曲の歌を歌った。知らなかった曲や知っている曲をユーチューブで探してコードを付けて、自分なりの歌い方で歌ってみるということが、実に面白かった。仕事ではコビッドをかかえ、2021-2022年といえば、まことにすさまじいストレスであったが、家に帰ればギターがあって、次々と新しい曲にチャレンジしてみることで気持ちを保つことができた。以下、100曲の題名を書いてみる。

ダブル曼荼羅、福田満作詞作曲「バラと祝杯」、BEATLES 「BLACK BIRD」、BON JOVI「BED IN ROSES」、BETT MIDLER「THE ROSES」、「島唄」、「アリラン」、「イムジン河」、SIMON & GARFUNKEL「BRIDGE OVER TROUBLED WATER]」、SECRET GARDEN「YOU RAISE ME UP」、LADY GAGA「ALWAYS REMEMBER US THIS WAY」

「BIRTHDAY SONG」、ELVIS PRESLEY「I CAN NOT HELP FALLING IN LOVE」、ERIC CLAPTON「TEAR IN HEAVEN」、「琵琶湖周航の歌」、「ワルシャワ労働歌」、「DANNY BOY」、REDD STEWART「TENNESSY WALTZ 」、RADWINPS「愛にできることはまだあるかい」、「死んだ男の残したものは」、「香港に栄光あれ」「GLORY HONG-KONG」

映画:FROZEN2「ALL IS FOUND」、QUEEN「LOVE OF MY LIFE」、「GOODNIGHT IRENE」、THE GREENDAY「21GUNS」、「朝日のあたる家」、BEATLES「YESTERDAY」、「MY WAY」、CAROL KING「YOU GOT A FRIEND」、「I STILL CALL AUSTRALIA HOME」、BEATLES「IMAGINE」

フォークソング「おじいさんの時計」「GRAND FATHERS CLOCK」、浅川マキ「にぎわい」、中田章「早春賦」、「浜千鳥」、「いつかある日」、LEONARD COHEN「HALLELUJA」、スーマー「いきあたりばったり」、あがた森魚「赤色エレジー」、成田為三「浜辺の歌」、秋吉壽和「ALOHA AU IA OE」

米津玄師「カナリア」、フイリピン民謡「サンパギータ」、VELVET UNDERGROUND「CANDY SAYS」、JOHN LENON「MOTHER」、米津玄師「まちがいさがし」、加藤登紀子「時には昔の話を」、加藤和彦「悲しくてやりきれない」、NINO ROTA「LOVE THEME FRON THE GODFATHER」、本田鉄麿「思い出のアルバム」、ダイアナロス「IF WE HOLD ON TOGETHER」

SIMON &GARFUNKLE「SOUND OF SILENCE」、SIMON &GARFUNKLE「SCABOUGH FAIR」、STING 「FIELD OF GOLD」、スーマー「夜明けまで」、「POOR DIRT OLD FARMER」、スペイン民謡「CUCU RU CU CU」、スピッツ「ロビンソン」、「CARNIVAL IS OVER」、秋吉寿和「さくらみち」、SIMON &GARFUNKL 「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」

ジョンデンバー「ANNY’S SONG」、BOB DYLAN 「HARD  RAIN GO_A  FALL」、「インターナショナルの歌」、「島唄」、サイモンとガーファンクル「THE BOXER」、BOB DYLAN「FOREVER YOUNG」、RAY CHARLES  AND SOUTHERN ALL STARS「ELLIE MY LOVE」、クラウドプットマンジュニア「GREENGREEN GRASS OF HOME」、プレスリー「CAN"T HELP  FALLING LOVE  WITHYOU」

中島みゆき「糸」、フレデイアギラ「ANAK」、SIMON&GURFUNKLE 「I AM A ROCK」、「TENNESSEE  WALTZ」、ピーターポール&マリー「PUFF」、山田耕筰「赤とんぼ」、岡野貞一「おぼろ月夜」、港倉俊一「五番街のマリーへ」、THE BEATLES「HEY JUDE」、JHONE LENNON「NOWHERE MAN」

島崎藤村、大中寅二「椰子の実」、「YOU RAIS ME UP」、サザンオールスターズ「真夏の果実」、SIMIN &GARFUNKLE「HOMEWARD  BOUND」、PETER CETARA「HARD TO SAY IM SORRY」、JHONE  MAIYER「SLOWD ANCING IN BURNING ROOM」、「HALLELUZAH」、レイチャールス「STAND BY ME」、江間章子、中田喜直「夏の思い出」、「I WANT THATWAY」

THE BEATLES 「IN MY LIFE」、フェルデイイナンド カルリ「エチュード」、THE OASIS「DON’T LOOKBACK IN ANGER」、スコットランド民謡「AULD LANG SYNE」、「DANNY BOY」、「香港に栄光あれ」、「ワルシャワ労働歌」、「I STILL CALL AUSTRALIA HOME」、BTS[V]「CHRISTMAS TREE」、JOHN LENNON「NOBODY LOVES YOU」、THE BEATLES 「IMAGINE」 

ワルシャワ労働歌とインターの歌を

100曲達成!!!
これでFBでギターをもって歌ってきた曲が100曲目になった。50年余り前、学生だった頃は毎日のように隊列を組んで歌っていた曲、「ワルシャワ労働歌」と「インターナショナル」を歌ってみた。
2019年1月にボンジョビの「ベッドインローズ」と、ビートルズの「ブラックバード」がギターで歌えるようになって嬉しくて、恐る恐るFBに載せてみてから3年かけて100曲になった。下手な歌を辛抱強く聴いてくださり、いいねボタンを押してくださった心の広い方々に、心から感謝の気持ちをお伝えしたい。

72歳のフルタイムで医療現場で働くナースが、このコビッド禍のなかで混乱極める職場に留まり、ストレスで倒れもせず狂いもせず、心の平静を保っているためには仕事以外に、家に帰ってから熱中できる何かが必要だった。週に1曲、今まで歌ったことのない曲をユーチューブで見つけて、ギターコードを付け1週間で、自分流に歌えるようにする、というチャレンジ―な作業は、スリリングでとても面白かった。
でもいま、ちょっと忙しくなって、100曲ですこし休憩するかも。

この2年間、国境も州境も閉鎖してコビッドの流行を抑えてきたオーストラリアも昨年末に開国したとたんに、コビッドが拡散、オミクロンは軽い風邪、と言っているが、このウィルスが肥満体、老人、糖尿病、癌患者から恐ろしい勢いで命を奪っている。職場でも主要な職員が次々と感染して補充要因が確保できない。派遣会社に1時間100ドル、1日10万円出しても絶対数の足りないナースを確保できない。休んでいるナースの代わりに1人が2人分働かなければならなくて、忙しくてローラースケートで走り回りたいくらい。インターの歌で自分を励ましている。

Finally 100 songs I sang!! I have been singing with guitar on FB since Jan.2019, for 3years. The first songs were Bon Jovi's [ Bed in Roses], and The Beatles'[ Black Bird].
It was difficult time by COVID for the past 2years, specially in my work place, medical facility. I have been under huge stress and pressure for infection control. After work, I need something to concentrate spending my time at home, and playing guitar was good mental release for me. Thank you for listening and I appreciate you to push [LIKE] button for me. It is huge encouragement!! and I can't express how I feel thanks to you.



2022年1月13日木曜日

香港に栄光あれ

FBで下手な歌を歌い始めてこれで99曲目になる。
「香港に栄光あれ」を歌う。革命とか独立とか過激な言葉は歌詞にない。2019年逃亡犯条例改正案に反対する運動の中から生まれた曲。

この歌を歌う者はもういない。
香港国安安全維持法により公衆の前で歌うことは香港の独立を扇動する行為として刑事罰の対象になる。終身刑を含む国安法のもとで香港教育局は、これを歌うことを禁止した。
歌うことを政府が禁止しても歌詞を変え、人々が歌い続けることを止めることはできないだろう。その歌詞も禁止されたら、また別の詩が書き換えられるだろう。その歌詞も禁止されれば人々はハミングで歌い続けるだろう。権力は歌を禁止することはできても人々の心をつぶすことはできない。
香港で革命を起こそうとか、独立を願うわけではない。民主的な普通選挙を望んでいるだけだ。政治に民意を取り入れる、ごく普通の当たり前の普通選挙を願っているだけだ。

香港はかつて英国領だったが、1997年に2047年までは、中国と1国2制度を認める形で中国に返還された。2012年に、中国はシーチンピン(習近平)国家主席が新体制を施いて以来、中国国家安全のためにキャリーラム特別行政長官をして、徐々に1国2制度の香港の自治を狭め締め付けてきた。
2019年、逃亡犯j条例改正案で容疑者を本土に引き渡すことを可能にする条例には、人口300万人香港の市民のうち、延べ200万人史上最大の反対デモが繰り広げられたが、キャリーラムはこれを意に介さず、さらに、2020年6月30日には国家安全法が採決され、ただちに施行された。終身刑を含む国家安全法により、区会議員47人に加え120人近くの逮捕者が出た。

2021年6月、民主派の新聞アップルデイリーでは主幹のジミーライが逮捕、新聞は廃刊、社の資産は凍結、従業員全員が解雇さた。2021年11月、香港アムネステイインターナショナル事務局が閉鎖され、その40年の歴史が閉じられた。
2021年12月29日には、スタンドニュース(立場新聞)の幹部6人が逮捕され、ニュース配信が停止させられた。さらに2022年1月4日、衆新聞も発信停止を命じられた。
2021年12月19日、香港立法会選挙が行われ、かつての民衆派の議員たちは立候補することさえできず、香港議会の90議席のうち89席は親中派に独占された。こうして100人以上の民主派議員の議員資格が失われた。また1月に香港大学にあった天安門事件記念モニュメントが未明に撤去された。
怒涛の勢いで、香港の中国化、同化政策が進んでいる。せめて私にできることは、この歌を歌い続けるだけ。そしてこの過酷な現実の目撃者となること、歴史の証人となることだ。




2022年1月6日木曜日

反戦歌としての「ダニーボーイ」

フェイスブックの場で歌ってきた曲も、いよいよ98曲目。「ダニーボーイ」を歌ってみた。

 愛する息子よ 軍がバグパイプをかき鳴らし おまえは戦争に  行く  谷から谷へ 山の斜 面を降りて 夏は終わり 薔薇は枯れ お前は戦場に 夏の草原に 谷が雪で白く染まるころまで ずっと待っているよ 愛する息子よ でもきっと   すべての花が枯れる頃 お前は帰ってくるまで おそらく私は待っていられなくて 土の下 お前が帰ってきたら 私が眠る場所を見つけて ひざまずいておくれ そして愛していると言っておくれ それを聞いたら 私は静かに深く眠ることができる 待っているから 息子よ 帰ってきておくれ

反戦歌。曲はアイリッシュ民謡。詩は英国人弁護士フレデリック ウェザリー(1848-1929)が、1913年に書いたもの。
子どもたちを戦場に送ってはいけない。どんな戦争も外交の失敗の結果だ。人は利害や方針が異なっても殺し合わなければならないほど大きな利害があるはずがない。日本の軍備拡大は他国への軍備拡大の歯止めにはならない。間もなく日本の人口の半分が50歳以上になる。現実に3人に1人が高齢者か障害者の老人国日本。日本人にとって今大切なことは、子供たちの命を守り、戦場に送り出さずに済むようにすることだ。ダニーボーイを歌うのは、これからの親達であってはならない。核も軍事力も持たないことが、最大の自衛だ。
I am singing [ Danny Boy] Ireland folk song. The text is written by English layer Frederic Edward Wealtherly ( 1848-1929 )on 1913.
The song means: a father has to send his son to war. The old father prays desperately son to come back home.
Recently Japan expends largely military defense budget. Any armed force- racing do not bring peace neither protection. A half of Japanese population will be soon over 50's of age. In reality 1 in 3 Japanese are disabilities or aged people. We should not send young people to war. No arm is the best arm.