2020年9月23日水曜日

映画ジャック ロンドンの「野性の呼び声」

原作: 1903年 ジャック ロンドン作
原題:THE CALL OF THE WILD
監督: クリス サンダース
キャスト
ソーントン:ハリソン フォード
郵便配達夫:オマール シー

ジャック ロンドン(1876-1916)が居なかったら、アーノルド ヘミングウェイ(1899-1961)は小説を世に出さなかったかもしれない。ジャック ロンドンがほとんど文盲ながら冒険小説を書いて新聞社に売りに行っていなかったら、ヘミングウェイの作風は、ずっと異なった文体で描かれていたかもしれない。
ロンドンは40歳で、モルヒネを飲んで死んだが、ヘミングウェイは61歳で、散弾銃で自分の頭を撃ち抜いて死んだ。どちらも男の中の男、文体は簡潔。写実的で明確。行動的で冒険的な生活をして、勝手に自分で死んでしまった。私はこの二人の作家が熱狂的に好きだ。
ジャック ロンドンの「野性の呼び声」と、「白い牙」は、子供の時の愛読書だった。この人間ではなく犬の冒険物語を、何度繰り返し読んだか知れない。

1903年に書かれた「野性の呼び声」を日本で初めて翻訳したのは堺利彦、こんなところで彼に会えるなんて! 1919年のことだ。堺利彦(1871-1933)は、内村鑑三、幸徳秋水らと日露戦争に反対し非戦論を唱えた社会主義者だが、「平民新聞」を刊行、大逆事件を獄中で知り、山川均、荒畑寒村らと1922年に日本共産党を結成、のちに離党し労農派として活動した。当時の彼ら社会主義活動家たちの本を読むと、その貧乏な暮らしぶりを知ることができる。生活に困った堺利彦は色町の女たちの恋文を代筆したり、雑誌社に雑文を書かせてもらったりして食いつないでいた。そんな彼が、ジャック ロンドンの冒険小説を、「共産党宣言」を翻訳した翌年に翻訳していたことを思うと感慨深い。

いま日本では、「マーチン エデン」というイタリア映画を上映中をのようだ。これはジャック ロンドンの半生を描いたバイオグラフィーで、主演は、ルカ マリネッリ。2019年今年のアカデミー賞男優主演賞も、ゴールデングローブ賞も、「ジョーカー」のホアキン フェニックスが受賞したが、ベネチア国際映画祭では主演男優賞を、このルカ マリネッリが受賞した。孤高の作家を演じた役者が優れていたのだろうが、それほどジャック ロンドンの一生が劇的だったとも言える。


映画のストーリーは
19世紀末。カルフォルニア州サンタクララバレー。
パックはセントバーナード犬とスコットランドコリー犬との間に生まれた大型犬だ。裕福な判事一家の住む大きな屋敷で大切に育てられた。体重は63キロ。やんちゃで甘えん坊、判事一家の誰からもあふれるほどの愛情を受けてきた。しかし4歳になったある日、出入りする庭師に誘拐されてれて売りに出され、列車でアラスカに送られてしまう。

当時カナダのユコンでは、金脈が見つかりゴールドラッシュに沸いていた。深い森を切り開き、岩山を削り山道を開通させて金を掘る男たちは、馬で走るには危険なため犬ぞりで雪と氷の山の中を移動しなければならない。重い荷物を引いて走れる大きな力の強い犬が必要だった。ユコンに着いて、生まれて初めて雪が舞い降りるのが不思議で走り回るパックを見て、誘拐犯たちは笑うが、パックには極寒の土地で他の犬たちと重いそりを引く過酷な運命が待っていた。
男たちは、言うことを聞かないパックを半死状態になるまでこん棒で殴り続ける。そり犬たちも1頭として親しくする犬はなく皆が敵だ。パックは厳冬の中で、いかにして与えられた粗末な食べ物を仲間の犬に奪われないように食べ、こん棒で殴られずに、他の犬からしかけられた喧嘩に打ち勝って生き延びるかを学び取っていく。

最初のパックの買い手は、郵便配達員のフランス人夫婦だった。12頭の犬たちで重い郵便物を、ユコン全域に届ける重労働に就く。途中凍ったユコン河の氷が割れ、凍る河に落ちた飼い主をパックが救ったこともあり、飼い主の信頼を得てソリの先導犬として活躍する。しかし突然、政府の費用削減のため郵便配達業務が中止となり、パックはまた売りに出される。
次の買い手は、金鉱目当てにアラスカに来たばかりの3人の男女だった。彼らはソリの扱いを知らず、重い荷物を少ない犬たちで引くことを強制し、満足な食事を与えなかった。弱い犬から次々に死んでいく。命令に従わないパックを3人組がこん棒で打ち据える様子を見ていたソーントンという老人が見かねて、死にかけていたパックを譲り受ける。

ソーントンは、単独で山に入り小さな小屋を作り、何年も一人で金鉱探しをしている孤独な老人だった。彼に傷の手当をされ、食べ物を与えられ、パックは忘れかけていた主人への信頼と忠誠心を取り戻す。谷の合間に建てられたソーントンの小屋からは、狼たちの叫び声がよく聞こえる。中でも白い雌の狼は、誘うようにパックのすぐ近くまで来るようになった。パックはこの美しい狼に惹かれる。そんなある日、ソーントンは、ならず者たちに襲われて殺される。パックはソーントンが死んだことを知って森に入っていく。白い狼がパックを待ち受けている。
というところで映画は終わる。

でも原作では、「その後」があって、、、狼の群れを一回り大きな犬のような狼が率いている。先頭の狼にはいつも白い雌の狼が寄り添っている。その群れは極めて頭がよく残忍で、人々が仕掛けた罠をわざと壊し、飼い犬や狩人を襲い、のどをかみ切って殺し、その血をそこいらじゅうに残して引き上げる。しかし毎年夏になると、その大きな狼は1頭だけで、むかしソーントンが殺された谷まで下りて来て、苔むした崩れかかった小屋の前で、長い長い悲しみに満ちた遠吠えをあげて、そして去っていく。それをインデイアンたちは、幽霊犬といって恐れていた。というところでお話が終わる。


白銀の世界を12頭の犬が引くソリが走っていく様子が、たとえようもなく美しい。雪崩が起きることを知ってパックがやみくもに走り抜け、山々が崩れていくシーンには感動した。アラスカの山々の純白の世界と恐怖、音もなく山が崩れ形を変えて生き物たちを踏むつぶしていく。雄大な自然の美しさ。
ハリソン フォードが孤独な年よりを演じていて、それなりに悪くはない。

この映画の決定的な欠点は、CGにある。犬のパックの動きをシルクド ソレイユのバレエダンサーがモーションキャプチャーで演じ、それをもとにCGで作ってフイルムにしたそうだ。そのために犬の動きは自然だが、CGで作られた犬の表情は、犬の表情とは思えない。吐き気がするほど、嘘っぽい。

CGは、映画にとってどこまで許されるのだろうか。それが数万人の兵隊の戦争場面とか、100万人の市民が蜂起して革命が起きる場面とかに使われるのならわかる。だから100%CG映画なら良い。また、監督ジョン ファブローによる100%CGの「ライオンキング」は純粋にアニメ映画だが、とても良かった。彼は、単にアニメ映画を作るのではなく、本物の撮影監督が本物のカメラで、ドキュメンタリーを撮影するようにして映画を作った。自然の光、動物の自然な表情、自然主義リアリズムのある、動物をどうやって本物のように動かすかで、映画技術としては最先端といわれる技術を使った。
それに比べると、この「野性の呼び声」は、アニメではない、CG映画でもない、実写映画でもない中途半端な顔をした犬が主人公だ。それは困る。この映画は実写映画で、ヒューマンストーリーなので、主人公の犬は、CGで作ってもらいたくない。犬は動物の中で一番表情の豊かな生き物だ。犬の心の動きは逐一表情の変化になって表れる。犬好きの人にはそれがよくわかる。犬ほど主人の喜びを一緒に喜び、主人の悲しみに同感を示して悲しみ、主人とともに生きようと努力してくれる生き物は他にはいない。犬の表情はそのまま言葉を超えて人は理解し受け止めることができる。豊かな犬の表情を、勝手に操作しないでもらいたい。気持ちが悪い。

テイム バートンの「ダンボ」もこれと同じで、実写映画なのに、象の顔の表情だけが人間様の表情をCGで作っていて、気持ち悪い。極端にきょとんとしたり、大げさに嬉しそうにしたり、目をキラキラさせたり、、、CGで動物の顔を作るのは、動物に対する理解を妨げ、生きているものの尊厳を傷つける。やめてもらいたい。
これからの映画では、ますますCGが多様化し、多くの映画で使われ、なにが本物で、どこまでが現実でどこまでがCGなのか、全くわからないように、CG技術も洗練されていくことだろう。それが良いことなのか、悪いことなのかわたしにはわからない。でも、犬の顔をCG操作するような映画だけは今後は見ないつもりだ。

2020年9月15日火曜日

ライブストックの沈没に思う



   

                    歌は弘田龍太郎作曲の「浜千鳥」

9月6日に台風9号が日本を襲った時、奄美大島沖でニュージーランド船籍、ガルフ ライブストックが沈没した。
中国に輸送されるはずだった、6000頭の牛と、43人のクルーが乗っていた。その後、2人のフィリピン人のクルーが、救命ゴムボートで漂流しているところを救命された。しかし日本政府と海上保安庁は、台風9号の余波と台風10号が続いて接近していて危険だ、という理由で、行方不明者捜索をたった事故から6日間で中止した。
いまだに救出されていない41人のクルーのうち、2人はオーストラリア人だ。一人は6000頭の生きた牛の送り元クイーンズランドのストックマン。もう一人は獣医だ。二人とも20歳代、小さな子供のお父さんだ。その家族たちが、日本の海上保安庁に、あきらめないで引き続き海上捜索を続けてほしい、と悲鳴のような嘆願の声を上げている。どうか本当に打ち切りにせず、海上を探し出してほしい。彼らは、救命着を着ていて、救命ボートももっているはずだ。あきらめないで、帰りを待っている家族のことを考えてほしい。どうか海上捜索を続けてほしい。

20代の獣医が海難事故で行方不明になっていることが他人事と思えない。
娘が獣医で日々奮闘している。 オーストラリアでは大学進学で獣医学部に入るためには、高校のHSCという試験で、最高点を稼がなければならない。各州に獣医学部を持つ大学が1校ずつしかないため全国で5校のみ、競争率が並みではない。HSC試験の最高点を要求される医学部よりも高い点と、どうしても獣医学部に行く、という強い動機をもっていないと入れない。念願かなって獣医学部に入学できても1年生で、半分が落伍する。本当にこれほど根を詰めて勉強して頭が爆発しないか心配になるほど厳しい学業にプラス、1年のときから実習が始まり、大学の寮にステイして農場体験をする。卒業までに牛のファームに何か月、羊のファームに何週間、デイリーファームに何週間、と自分で直接農場に掛け合って、住む込みで実習させてもらわなければならない。狭い日本で獣医学部のある大学が20数校、卒業まで犬猫に予防注射をしたこともない獣医を大量生産している日本とは、卒業段階でのレベルは全然ちがう。やっと獣医になれても、長時間、寝る間もない忙しさとストレスで、オーストラリア職業別自殺率で、獣医はナンバーワンなのだ。
そんな荊の道をあえて選んで一人前になったばかりの獣医が、6000頭の牛たちとともに海に沈んでしまった、などと信じたくない。人生これからだったろう。最後まで牛を助けようとしたのではないかと思うとたまらない気持ちになる。

また閉じ込められたまま海に沈んだ6000頭の牛たちが、狭い船倉で恐怖におびえながら死んでいったかを思うと胸がつぶれる思いだ。
オージー牧場主たちが1頭1頭名前をつけて、山火事や、日照りや、、水不足や、牧草不足の中でも苦労して、いつくしんで育てた牛を、買い手たちは生きたまま輸入したがる。回教徒たちは食肉をお祈りしながら殺した肉しか食べてはならないという厳しい掟があるから冷凍肉ではだめなのだ。牛や羊など、生きた動物を輸出することを、動物保護団体は一貫して反対してきた。狭い船倉の中で、ぎゅうぎゅう詰めにされて数か月、最低限の水やエサで売りに出されていく動物たちは、脱水症、熱射病、皮膚病や何らかの感染症にかかる率も高い。しかし農業国オーストラリアで、牧畜に携わる業者にとって生きた動物の輸出は、死活問題だ。大型船での輸送中の動物の死亡を避けるため、空調や室温管理を適正にし安全に運ぶといった対策しか建てられてこなかった。

世界中の人口がトイレットペーパーを使うようになると世界中の樹はなくなる、という説がある。すべての中国人のディナーの食卓にワインとビーフステーキが並ぶようになると世界中の森林が無くなる、という説も、、。アマゾンを焼き払い牧草地を広げようとしているブラジル政府のやりかたを見ると、そういった説もうなずける。
いまCOVIDのパンデミックにあって、こうした感染症の発生と拡散が、地域や国を超えた通商と、環境破壊から起きたものだということが検証された。グローバルな食べ物の需要と供給が、世界的に広がり続けるかぎりCOVIDが終息しても、また別の病原菌によってパンデミックは繰り返されるだろう。

パンデミックを何度も繰り返さずに済むために、少なくとも食糧は自国で供給する。地元の人は地元の生産物を食べる努力をしたい。さらに、動物蛋白質に栄養を依存する食生活も、今後の生き方として再考しなければならない。人が人らしく頭脳活動を継続するために必要な蛋白源が肉である必要はない。
COVIDパンデミックで国境が封鎖され、州境がロックダウンされ、外出制限、レストランパブ、映画館、劇場、イベントが禁止されて、人と人との交流が制限されたとき、人は初めて「ぜいたく」とは、宝石を付けて、ブランドを身に着け、飲み放題、食べ放題でどんちゃん騒ぎすることではないことに、やっと気が付いたのではないか。
本当の贅沢とは、心の通った人と、感謝をもって共に食することを喜び、互いに健康と安全を確かめながら手をつなぐことではなかったか。人が人として身にあった生き方をすることが大切だと思う。

2020年9月6日日曜日

ノーランの新作映画「TENET」

原題:「TENET」


監督: クリストファー ノーラン
音楽: ルドヴィグ ゴランソン

キャスト
主人公プロタゴニスト:ジョン デヴィッド ワシントン
ニール       : ロバート パテインソン
ロシア人大富豪セイター :ケネス プラナー
セイターの妻、キャット :エリザベス デッキ
サーマイケル クロスビー:マイケル ケイン
インド人武器商人スーザン:デインプル カパテイア

ストーリーは
ウクライナのオペラハウス。盛装した紳士淑女たちがオペラの開始を待っている。突然そこに、ガスマスクを装着した特殊部隊が突入、空機構から催眠ガスを流して聴衆を眠らせたあと、一つ一つのボックス席のドアを蹴破り一人のアメリカ人を探し始める。特殊部隊の目的は、このアメリカ人と彼が敵から盗み出したプルトニウムを、保護、奪還することだ。特殊部隊の一員、主人公プロタゴニストー(彼の名前がなくてプロタゴニストとされているが、その言葉のイメージと役者のジョン デヴィッド ワシントンとが合わない気がするので、仮にワシントンと呼ぶ)ーも、ガスマスクをつけて、アメリカ人を救出するために敵の部隊と激しい格闘を続ける。ワシントンは、寸でのところで敵の銃弾に倒れるところだったが、赤い糸のタグのついたバックパックを背にした覆面の男に命を救われる。アメリカ人は救出され、プルトニウムは獲得できたが、しかしワシントンは敵に捕らえられ両手両足を拘束され列車に牽かれる脅しを受け拷問される。彼は拷問死した仲間の青酸カリカプセルを飲み込んで自害する。

ワシントンが目を覚ました時、CIAの幹部に、「これはテストだったんだ。君は合格だ。」と言われ、科学者のところに行かされる。そこで世界を第3次世界大戦による滅亡から救うために「時間を逆行」する任務に就くように命令される。キーワードは、「TENET」。ワシントンは、相棒としてニールを紹介される。ワシントンとニールの二人はインドに飛び、ムンバイの武器商人スーザンの屋敷に忍び込む。スーザンは、セイターというロシアの大富豪に特殊な銃を売ったという。その銃は撃つと前進せずに逆行する銃だという。
ワシントンとニールは、そのロシア人についての情報を得るためにロンドンに行き、英国情報部幹部のサー マイケルに会う。そこで、ロシア人セイターという男は、ロシア僻地の寒村で育ったが、子供の時に大爆発があって立ち入り禁止だった地中からプルトニウムを見つけた。彼は成長した後、そのプルトニウムをもとに世界を破滅させる時間を逆行をさせる装置を作ったらしい、と聞かされる。そしてセイターに会うために、まず妻のキャットにアプローチするように提言される。

セイターの妻キャットは、美術鑑定士だが、アレポという男から手に入れた偽のゴヤの絵をセイターに売ったために、弱みを握られて子供を人質に取られて、セイターの言われるままになっている。小学校に息子を見送るキャットをとらえたワシントンは、キャットに偽の絵を取り返す約束をして、セイターに引き合わせてもらう。大型ボートで会ったセイターは、キャットを深く愛していて嫉妬深いので、ワシントンを敵と認識する。セイターとキャットは、ワシントンをボートの競艇に誘い、スピードを出している最中に、キャットは、セイターの命綱を切って殺そうとして海に落とす。ワシントンはそこでセイターの命を救う。プルトニウムを奪うまでは、セネターを殺すわけにはいかない。

ワシントンとニールは、セイターがオスロのフリーポートの倉庫にゴヤの絵を隠している事を知り、オスロ空港でボーイング747を乗っ取り、飛行ごとセイターの倉庫に突入する。しかしゴヤの絵はなかった。倉庫の中にはガラスで隔てられた特殊な部屋があり、そこにいくつもの銃痕があった。そこで突然ワシントンに襲い掛かってきた二人の男のうち、一人の男は前に進むが、もう一人の男は後ろに動く。激しく乱闘するうちに、ニールは「相手を殺すな」、と言ってワシントンを止める。二人の男たちは、このガラスの時間逆行の部屋の中で、一人の同じ人間なのだった。そしてそれは未来世界でのワシントンだ。ガラスの部屋は、時間を逆行させるために作られた部屋だった。

ワシントンとニールは、その後エストニアのタリンで、一組のプルトニウムを盗み出す。プルトニウムは9つ、3組あって、それを組み立てると地球の半分が吹っ飛ぶ。彼らを追うセイターと激しいカーチェイスが繰り広げられる。プルトニウムを取り返すためにワシントンの車と平行して走るセイターの車には、キャットが両手を縛られ後部座席に拘束され爆走している。ワシントンはあきらめて窓からプルトニウムを敵に投げ渡し、爆走する車からキャットの命を救う。しかしワシントンは、捕らえられる。怒ったセイターは、オスロの時間逆行のガラスの部屋で、妻のキャットを殺そうとする。ガラスを隔てて、未来の部屋でキャットが撃たれるのを、今の時間のワシントンとニールは、無力で見ている事しかできなかった。そこで、ワシントンは逆行装置の部屋から未来に戻って、カーチェイスでプルトニウムを受け取った銀色の車(時間逆行車)に乗って、後ろ向きで走り、再びセイターを追う。しかしセイターに捕らえられ車は大破、燃え上がるが未来社会では火は氷になるので、ワシントンは、凍って低体温状態になった体で、ニールによって助けられる。キャットは未来の世界で普通の銃で撃たれたので、ワシントンとニールは、瀕死のキャットを、オスロ空港にボーイング747で突入した日の1週間前に戻って、「時間逆行部屋」に連れて行き、ニールがキャットの傷を手術、銃創を治療する。ワシントンはそのあいだ逆行時間から現在に戻るまで敵と戦う。

キャットは、セイターは膵臓癌末期で、自分が死ぬときは世界もすべて破滅するべきだと考えて、死んだらプルトニウムの地球破壊装置が発動するようにしている、と告げる。しかしキャットは昔はセイターとベトナムで仲良く幸せに暮らしていたので、本当は彼は楽しい思い出に浸りながら死にたいはずだという。キャットは時間逆行の未来世界で、夫を殺す決意をする。
ワシントンとニールは、TENET軍事部隊を連れて、未来のロシアの大爆発のあった街に向かう。核爆発で破壊され封鎖されていた街でセイターたちとの戦闘が始まる。そこにセイターは、9つのプルトニウムを持っている。9つのプルトニウムが、すべて組み合わされ発動する時、地球が滅びる。
ワシントンは前進する現在の世界で赤チームを率い、ニールは逆行する世界の青チームを率いる。激しい戦闘が行われ再びワシントンが危機一髪、敵に襲われたところで逆行世界から移ってきたニールによって命を救われる。そして赤チームはロシアの核爆発を食い止めることができた。ワシントンは、赤い糸のタグのついたバックパックを背負った男が倒れている姿を目にする。

キャットの現在の夫セイターは、ボートからすでにヘリコプターでキエフに向かった。キエフのオペラ劇場を襲撃するためだ。
しかし未来世界のセイターは、キャットの横に居る。キャットは夫を殺し処分する。そして自分が小さなボートで息子を一緒にやってくる自分たちの姿を確認して、海に飛び込んで、未来世界から自分は姿を消す。

同時に行われるように計画されたロシアの核爆発と、キエフのオペラ劇場襲撃は、時間逆行装置を利用して回避された。
セイターの仲間だったインド人武器商人スーザンは、キャットを殺そうとするが、ワシントンがスーザンを処分する。9つのプルトニウムを組み合わせて地球を破壊する装置を開発した科学者は、自分の行為を後悔して自殺したが、死ぬ前に9つのプルトニウムを3つに分けて地中深くに隠した。それを見つけて地球破壊をもくろんだセイターも死んだ。

ワシントンとニールは、「現在」に戻る。そこでワシントンは、ニールが赤い糸のタグがついたバックパックを背負っていることに初めて気が付く。何度も危機一髪で死ぬところだった彼の命をずっと助けたのはニールだったのだ。ニールは、「お前が知らないだけで俺たちはうんと長いこと親友同士だったんだぜ。」と言い去っていく。ワシントンがいまだ知らない世界で、ニールは自分の命と引き換えに、自分を守ってくれたのだった。ワシントンは未来の世界で、チームTENETの指導者になる。しかし彼に名前はない。彼は「いま」を生きていない人だからだ。
というおはなし。

クリストファー ノーランは自分が作った映画の中でこの映画に一番お金をかけたそうだが、その額、2憶ドルほど。子供の時からアクション映画が大好きで、自分が夢中になったようにすべての観客を大規模なアクションのなかに引きずり込みたい。自分がまるで主人公のように興奮する渦に巻き込みたいと言っている。それで、普通映画は35ミリフイルムを使うが、ノーランは終始IMAX、70ミリ、カメラで撮影している。その分だけ画面が広く撮影範囲が広がって撮影規模も大きくなる。臨場感があって良いが、見るほうはそれだけ大変だ。戦場場面など画面の端から端まで見ている余裕がないほど、画面が早いスピードで移動するのでどうしてもとらえきれないで見逃す部分が残る。ノーランの映画は特に、画面ごとに独特の「こだわり」があって、一瞬映される画面に後で深い意味がこめられていたりするのだが、それを見逃すと、見なかったことになってしまう。作っている側にとっては、面白くて仕方がないだろう。ここにも、あそこにも秘密の鍵が埋め込んである。そんな複雑化されたストーリーを、本人は面白がって遊んでいる。しかし秘密探しと、謎解きがわからないと見る側にとってはなかなかタフだ。
この映画の解説書「HOW TO」が本になってアマゾンから出ているらしい。そんな本を読了しないと消化できない映画監督の遊び心にどこまで付き合うかだ。難解映画は面白いし、その良いところは自分なりの解釈ができることだ。

時間を逆行させた世界で未来の自分と今の自分が触れ合うと消滅してしまう、未来では熱が反転するので氷になる、時間逆行世界で言葉も音も逆さになる、未来世界では酸素マスクを着けていないと生きられない、、、物理が苦手で自分にはわからないけれど、いちいちつまずいていると先に行けないので、科学者が映画の中で言っているように、「理解するな、体で感じろ!」ということでやり過ごすしかない。

TENETとは信条とか原則とかの意味で、映画では地球を救う組織名。
古代都市ポンペイで発掘されたセイタースクエアとか、ロータススクエアといわれる2000年前の回文で、5つの言葉が書かれた石板があるそうだ。上下左右どこから読んでも同じ文字になって、SATOR、AREPO、TENET、OPERA、ROTUS これらが この映画にでてくるキーワードになっている。すなわち、SATOR、はロシア人セイターの名前。AREPO はキャットにゴヤの絵を売った男。 TENETは、テロリストと戦う組織の名前。OPERAはアメリカ人スパイがプルトニウムを隠した劇場。そして、ROTUS はセイターの経営する企業の名前だ。謎っぽい5つの言葉を、ノーラン監督が人や組織の名前に使ったわけだ。

87歳のマイケル ケインがカメオ出演してくれて嬉しい。この気品ある人の美しい英語の響き。いつまでも映画出演してほしい。 身長190センチのキャットを演じたエリザベス デベッキは何を身に着けてもサマのなっていて素敵だ。
役柄で得をしているのはニール役のロバート パテインソン。「トワイライト」で狼になったり、「ハリーポッター」でセドリックになって、いつも憎めない風貌の役者だ。ワシントンの命と引き換えに死んでしまって、その分だけワシントンよりも良い人に思える。ワシントン主演、スパイク リーの「ブラック クラインズマン」を見た時も感じたけど、主演のワシントンよりも相棒役のアダム スコットのほうが冴えてい見えて仕方がなかったのも偶然ではないのかもしれない。

世界を救うTENETという組織の未来の親分が、ワシントンということで、とてもシリアスな役なのに、なぜか彼自身の持ち味なのか、彼独特の「おかしみ」がある。セイターに、妻と寝たのか、と問われとっさに「まさか」と答えるが、ちょっと間をおいて、「まだだけど」と言うところ、笑わせるし、「どうやって死にたいか」と脅されても即座に、「OLD」(年を取って老衰で死にたい)と答えるところなどとても素敵。ロンドンの高級レストランにサーマイケルの席にどかどか入り込んで、「僕にも同じものを」とガードマンに料理を注文してみたり、とてもお茶を飲んでいる余裕がないところで「エスプレッソを」とねだったりユーモアがあって、こういう会話ができる人って好きだ。

ノーラン監督はオスロ空港にあるフリーポートのセイターの倉庫に、監督本人が購入したボーイング747を突っ込ませて炎上させる。このフリーポートは実際に世界中の金持ちが倉庫に財宝を隠す場所として使われている。時間逆行装置を据え付けるためではなく、現実世界では、小賢しい億万長者が、コソコソと税金逃れをするために財宝を隠している、という「せこい」場所だ。

ノーラン監督で残念なのは、イギリス人もロシア人も、あまりにステレオタイプに描かれていること。つくずくアメリカ人の視野って狭いんじゃないだろうかと思う。ストーリーそのものは単純で、プルトニウムを持ったロシアとインド合体ギャングから、CIAが地球を救うというお話だなんだけど。

見た人の感想に、DAZZLING、PUZZLING!(眩いほどの謎ばかり!)と言っている人が多いたけど、本当に謎ばかりだが、スピーデイに展開する場面とストーリーの意外さに全く3時間近い間、飽きることがない。呆気に取られているうちに時が経つ。全編IMAXカメラで撮影、250人のクルーを使って、7か国飛び回り、ボーイング747を壊すだけのために購入するといった予算に制限をつけないで、湯水のように製作費を使って。3時間近い映画を作れる太っぱらな監督って、いまはもうこの人以外には見つからない。アメリカ映画の娯楽性を徹底的に追求したゴージャスな映画。見ても損はない。

2020年8月19日水曜日

腑に落ちないコビッド対策

    歌は、詩は浅川マキ、かまやすひろし作曲の「にぎわい」

世界人口78億人のうちコビッド感染で、この半年間に78万人近くの死者が出ていて、21兆人が感染したと報道されている。米国人は世界人口の5%に過ぎないのに、コビッドによる死者は世界中の死者の4分の1を占めていて、米国の健康保険制度が破綻を示していることを明白に証明した。米国は国土の大きさや軍事力や経済力の大きさを世界の誇ってきたが、いまコビッドで世界一の死者を出した上、1930年代の経済恐慌よりも高い失業率や経済状況に陥りつつある。5時間、無料給食を受けるために並んで待つ人々の様子を見て、どうして暴動が起きないのかと思う。

一方で直接貨幣や金を扱うことなく「情報」という形のないものの売り買いで世界の富を、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル(GAFA)は稼ぎ出し、彼らの富は増大するばかりだ。
ウバは気軽に安くタクシーが使えて、クレジットカード決済なので便利だし、ピザや有名レストランの食事まで運んでくれるので、市民生活にすっかり定着したが、今後はタクシーと言わず小型飛行機サービスでさらに利用者を広げていくそうだ。また、スペースシャトルが月に飛び、ついに私企業が月旅行を成功させたが、これからは月旅行がリッチのステイタスシンボルになるそうだ。

トマ ピケデイは2014年に、過去200年の資本主義が格差を拡大してきたことをデータで実証した。景気のよい時は、賃金労働者の報酬も上がり貧富の差が解消したような幻想を持つが、実は富裕層はもっと富を蓄積していた。貧富の差をなくすには、国家が「資本課税」を資本家から強制的に徴収するしかない、と彼は言う。しかし富裕層の存在に立脚して形成されている国の構造からして「資本課税」を取ることなどできるわけがない。力による転覆、暴力的な奪取なしに格差はなくならない。当分いま暴力革命は起きないし、貧富格差は広がり、それを支える国家の暴力装置は増大するばかりだ。

日本と違ってほとんどの国では、コビッドPCR検査は無料で、広範に行われている。オーストラリアでも国民健康保険を持つ人は、無料でいつでも、どこでも、何回でも、風邪症状があっても、なくても検査を無料で受けられる。
ただ検査で陽性反応が出ても発症しない人、発病しない人が多いことを考えると、今後も国の税金から健康保険でこのまま、毎日数千人、数百人と検査を続けていくだけでよいのか、疑問に思える。7月末になって外国帰りの人から感染が広がり、メルボルンの老人ホームではたくさんの人が亡くなり、ヴィクトリア州の州境は封鎖され、自宅待機でまた失業者が増えたが、オーストラリア全体でのコビッドによる死者の合計は、8月19日現在で363人。死者のほとんどが70歳以上の老人で、90歳代が一番多い。30代が一人、子供は皆無。(注:オーストラリア人の平均寿命は男子:79.4、女子:84.9歳)

ロンドンでは住民の13%が、コビッドの免疫があるそうだ。
何故PCR検査をやめて、代わりにコビッド免疫検査を大規模にしないのか。
コビッドは免疫がつきにくいというが、検査反応が陽性でも無症状なら免疫がつかないのが当然だろう。免疫値がどの程度の値だと免疫が付いたと言えるのか、またその免疫がどのくらいの期間有効なのか、試してみないとわからない。いま世界中が毎日PCR検査の結果、何人が陽性で何人が死んだかが報道されていて、ワクチンの完成に希望をつないでいる。ワクチンができるまで、このままPCRテストをずっと続けていくのだろうか。ワクチンが出来ても、それは大きな薬品会社の利益になるだけで、副作用は当然起きるだろうし、それを拒否する人の数は莫大な数になるだろうし、また混乱も避けられないだろう。

いま免疫検査を広げて、検査結果で免疫値の高い人からこれまで通りに通学、通勤させ、店もショッピングセンターも、劇場、映画館、エンタテイメントもすべて開けて経済活動をもとに戻すことはできないのだろうか。経済活動を再開させ、失業対策をするべきではないだろうか。70歳以上で免疫値が低い人だけ自宅待機する、ということができないのだろうか。ワクチン開発についても、PCR検査の精査度は70%ともいわれているが、情報は十分でないような気がする。コビッド禍では、わからないこと、腑に落ちないことが多い。

2020年8月13日木曜日

老人ホームの職員は人殺しか


歌は「おじいさんの時計」(MY GRANDFATHER'S CLOCK)

私たちは天災に災いされ続けている。
オーストラリアでは昨年2019年10月から全国各地でブッシュファイヤーが燃え広がり、33人死亡、4.3万平方キロメートル、2500件の家屋が焼失、その間の煙による被害で、400人が喘息発作などで亡くなった。火災はその後、今年の2月に集中豪雨が襲い、ブッシュファイヤーは鎮火したが、焼けつくされた土地が、過去30年来の最大豪雨を吸収できず大規模な洪水が起きた。
シドニー中心地から電車で15分の所に住んでいるが、ブッシュファイヤーが続いた5か月間、煙りがシテイーを覆いつくしている中で呼吸障害で苦しんだし、その後の洪水ではアパートの駐車場が浸水して被害を受けた。

そしていまコビッドだ。メルボルンでは、1000人以上のヘルスワーカーがコビッドに感染した。ヘルスワーカーとして、ものすごいプレッシャーのなかでアップアップしながら働いている。オーストラリア全体で、昨日までに353人が亡くなった。ほとんど全部が70代以上の老人だ。
死者が老人ホームでで多発していることで、マスコミもビクトリア州政府も、鬼の首を取ったように老人ホームの管理責任を追及していて、老人ホームの職員は「人殺し」扱いだ。一方、病院に勤めるナースは、自分や家族を犠牲にしてコビッド患者のために働いているので「ヒーロー」だそうだ。わたしは医療通訳もしてきたが、一方公立病院で5年間勤めた後、今の老人ホームに移って15年経つ。公立病院でやってきたことと今やっていることと同じなのに。「ヒーロー」から「人殺し」になったらしい。
ともかく人々があまり語りたがらなかった「老人」の扱いについて人々が活発に論議するようになったことは良いことだ。オーストラリアはイギリスから放逐された犯罪者たちによって建国され、移民によって形作られてきた国だ。大きな土地、青い海と太陽、若い人々が希望をもって生き、子供を2人も3人も当たり前に生む社会だ。活力があるのは良いことだ。しかしイギリス人特有の「死」や「老い」などマイナスイメージのある事柄への話題が極力避けられる気質がある。若い人々は年を取った親の世話をしないし、年寄りも強い個性を持って個人主義を厳守するから独立した子供のやっかいにはならない。しかしコビッドは年寄りを殺す。やっとコビッドで老人ホーム死が増えて人々が「年寄り」を社会の中で、どうしたらよいのか、話し合うようになったことは、とても良いことだ。

老人ホーム死は、オーストラリアの雇用システムの問題だと思う。
ベビーブーマーとしては日本が高度成長期にあった時、1960年から80年くらいまで、その恩恵にあずかって、女子が4年制大学を出ても就職先には困らなかった。労働組合が力を持っていて、働く者が組合に入って雇用者から毎年給料を上げさせることが当たり前だった。しかし産業別組合への切り崩しや組合そのものが力を失った。オーストラリアでも、ナースの組合の組織率は20%弱だろう。組合費が高すぎて、末端労働者、パート、カジュアルワーカーには払えない。

オーストラリアに来たばかりのころ、一緒に働いているナースらが、シングルマザーで双子のお母さんだったり、出産2か月後のお母さんだったり、俳優になりたくて昼間学校に通っているので夜勤だけする人がいたり、歌が好きで夜はバンドを組んでバーでジャズを歌っているので午後の勤務だけ引き受けたり、多種多様なナースたちの活躍ぶりに驚かされた。中でも一番私を感動させたのは、何でも教えてくれて親切で何人分もの仕事をやってのける「できるナース」が、片目義眼だったことだ。日本では考えられないことだった。60歳代、70歳代で生き生きと働いているナースも多くて感動した。
週末しか働かない人、一つの病院だけでなく2,3か所の病院をかけ持ちして働いている人、こうした多種多様な人々をナースとして受け入れている病院システムの柔軟さに心から感動したものだ。職場は一つだけでなくてよい。雇用者に言われた日だけ働くのではなく、自分の生活に会った、曜日と時間帯を選んで自分で納得のいく働き方をする。何て自由なんだ。

しかしそれが良いことか、悪いことか。彼らは正職員ではなくカジュアルワーカーという時間給で働く人々だ。正職員に与えられる1年に6週間の有給休暇も、病気の時の有給病欠ももらえない。働けば働くほどお金にはなるが、有給休暇のないカジュアルは病気になったり、経済事情が悪くなって雇用にだぶつきが来ると仕事が十分得られない。
現在すべての公立、私立病院、施設は正職員とカジュアルを、半分ずつ抱えている。そこが問題だ。病院でカジュアルとして働くには、少なくても2年間大学で学び、准看護師の資格を得るか、3年間ナーシングを学んで看護師資格を取らなければならない。しかし老人ホームでカジュアルの、アシスタントナースとして働くには、6か月の職業訓練校に通うだけでよい。老人ホームの経営は、カジュアルで成り立っていると言って良い。中国人や、南アメリカやアフリカやアジアから彼らは留学生としてやってきて、、資格を取ってがむしゃらに働いて、永住権を取って、家族を呼ぼうとする若い人々が沢山、数えきれないほどいる。彼らは何か所かの老人ホームを掛け持ちして、昼夜、働く。こうして複数の老人ホームでコビッドの感染が広がった。
老人ホームの経営者は、このような最低賃金で働くアシスタントナースを最少限の数だけそろえ、正規職員を最低限に抑えて収益を上げようとする。その結果が、「老人ホーム職員人殺し説」だ。カジュアルワーカーを多数、抱える限り老人ホームは、死者を増やすだけだ。コビッドを機会に老人ホームは、カジュアルワーカーを減らさなければならない。職員全員に正職員としての権利を。

オーストラリアの失業率は長いこと5%前後だった。いまは7.2%だと言っている。
しかし7.2%の実態は、週に1日しか仕事をもらえないカジュアルワーカーは、失業していないからその中に入らない。だから失業率をいうときは、カジュアルワーカーに雇用を頼って居るオーストラリアでは、実際の失業率はその5倍はあると認識すべきだ。
それが働く者の「自由」の実態だ。自由に働ける時だけ、赤ちゃんを産んだばかりでも、日曜日だけでも、働ける時に、働けるところで、十分働けるはずだった「自由」は、飢える自由でもある。多種多様な働き方があっても良い。しかし、補償がなければ「自由」は自由とは言えない。補償なく働く人々、カジュアルを根こそぎなくす方法を考え、カジュアルと正規職員との差をなくす方法を考えなければならない。

2020年8月3日月曜日

たった一人だけ出演する映画を2本

映画はカメラ技術、撮影、舞台、音楽、音響効果、衣装、言語、歴史、時代考証、配役、すべてのジャンルを統合して作られる総合芸術だ。大型スクリーンでフルに映画館内に響き渡る音を全身で受けながら鑑賞するために作られている。だから映画は映画館で見なければよさがわからない。COVID災いで、外出が制限され映画が見られないことが辛い。仕方なくヴィデオを見ている。
映画製作にはとても大きなお金がかかる。いかにバジェットを抑えながら質の高い映画を作るか監督の知恵の使い方だろう。

登場人物がたった一人という設定で作られた2本の映画がある。「ALL IS LOST」と、「BURIED」。どちらもとてもよくできた映画だ。製作費を10倍以上、上回る興行成績を出した。芸術にとって、贅沢とはお金をかければ良い訳ではないということがよくわかる。どちらも忘れ難い作品に仕上がっている。

邦題:「オールイズロスト 最後の手紙」
原題:「ALL IS LOST」2013年作品
監督:J C チャンドラー
出演:ロバート レッドフォード
ストーリーは
男はヨットでインド洋を航海している。家族がいるのか、なぜ外洋に単独航海しているのかわからない。しかし慣れた帆の使い方、ヨットから眺める360度青い海から登る太陽、夕日を見つめる男の姿からは、余裕と真に海を愛する男の姿が想像される。
しかし不運は突然やってくる。貨物船から荷崩れして落としていった巨大なコンテナが漂流してきて、ヨットの横腹に激突し穴をあける。大急ぎで穴を埋めるが、終わらぬうちに大嵐が訪れてヨットは大海に浮かぶ木の葉のように波に遊ばれる。浸水中のヨットのマストが折れて男の頭を直撃する。

気を失っていた男が目を覚ました時には、船内は水に浸かりヨットは半没していた。GPSも無線の水に浸かって使えない。男は、ヨットを捨てて、救命ゴムボートに乗り移る。運び出したのは救命具、六分儀、水と缶詰。ヨットは沈み、やがて姿もなくなっていく様子を、ゴムボートから見つめる。運び出した頼みの水はコンテナに海水が混じって飲むことができない。六分儀で太陽の位置から現在地を予想する。徐々にボートが北上して流されていることがわかる。救命具に入っていた釣り道具で魚を釣るが、糸にかかった獲物はサメに奪われてしまう。大型貨物船が通りかかったので必死で発煙筒を炊くが、相手は気付かずに、ゆうゆうと横を通り過ぎていく。飲み物も食べ物もなく、希望も失われた。ガラスの瓶に助けを呼ぶ手紙を入れて海に流す。

漆黒の夜の海に遂に明かりが見える。男は最後の力を振り絞ってタライに日記帳をちぎって火を炊く。遠くに見える明かりは近付いてこない。錯乱状態になった男はボートの中にあるすべてのものを火の中に放りこむ。遂に火は燃えあがりゴムボートも燃えてしまう。男は海に身を投じる。静かな暗い海に沈んでいく無抵抗の男。そのとき底のほうから海上に光が差してくる。男は夢中で浮上していく。太い腕が男の腕をとらえる。
というおはなし。

最後の一瞬が感動的だ。この3秒のシーンのために105分の長い長い孤独な映画があったと言える。良い終わり方だ。見事だ。J C チャンドラーによる、76歳のロバート レッドフォード一人登場する映画。老いてもなおこの役者は美しい。
人が山に登るのも、ヨットで単独航海するのにも理由はいらない。人生が充実していてもしていなくても、生活に不満があってもなくても、人は山に登るし遠洋に出る。帰ってこられないかもしれなくても、全然かまわない。人とはそういうものだ。


邦題:「リミット」
原題:「BURIED」2010作品
監督:ロドリゴ コルテス
出演:ライアン レイノルズ
ストーリーは
2006年のイラク。アメリカ人ポール コンロイは米軍のトラック運転手として働いていたが、トラックごとアンブッシュに会って、誘拐された。気がついたときは棺桶の中に身を横たえて、その棺は砂漠に埋められているらしい。棺の蓋は鍵がかかっているのか、重くて持ち上げることができない。真っ暗な中で手探りしてみると、バッテリーが半分になった携帯電話とフラッシュライト、ライター、ナイフなどがある。突然携帯電話にかかってきた男の声に応えると、男は身代金を今夜の9時までに払わないと放置された棺桶の中で死ぬことになる、と予告される。

ポールは米軍国務省に電話して事情を説明するが、米国政府はテロリストとの交渉はいっさいしない。しかし軍の救助班が、君を救助するだろうと約束する。ポールは救助班に電話をつなげる。そうしているうちに近くで爆発音がして、棺桶の角が破損したらしく砂が音を立てて棺に流れ込んでくる。パニックに陥ったポールに向かって誘拐救助班は、、3週間前にもそうした米軍兵士が救助された事例を出して、ポールを安心させようとする。そうするうちに、ポールの雇い主から電話があり、ポールは自分がトラブルばかり起こしているという理由で会社から解雇されていたことを知る。死ぬ前に解雇されたら自分の死後、家族への補償金が一切出ない。ポールはあせる。自分を落ち着かせるように、田舎に居る妻に電話する。「一体何なの?」け気だるい妻の聞きなれた声。そして母親にも電話する。「自分は何も変わりなくやっているから元気でね」と、さり気ない別れの言葉。
誘拐救助班から朗報がもたらされる。「君の居所がわかったから、いまからドリルで掘り出してあげるからね。」ポールは希望を見出す。しかしドリルの音は聞こえてこない。やがて救助班の声、「違った、すまない、本当に済まない。」
遠くモスクからコーランを読む浪々とした声が聞こえる。棺桶のフラッシュライトが消え、漆黒の闇。
というおはなし。

登場する一人きりの役者が、狭い棺桶の中で身動きが極端に制限される中で、誘拐犯、イラクの米軍司令官、誘拐救助班、会社の雇い主、妻、母親などと、携帯電話を通してドラマが進行する。声だけの世界で、映画を見ている人々が、実際の映像をみているかのように豊かな想像ができる。軍人のプロフェッショナルな対応、妻の育児と日常生活に翻弄されている、あまり夫婦仲が良いとは思えない、教養も垣間見られない妻の口調、そして出来の良くない息子にも心優しいが、息子の心を読むことのできない母親。それぞれの性格や生活態度や、ポールとの結びつき方が、絵のようにわかる。95分間が、長く感じない。みごとだ。
究極の密室劇だから、閉所恐怖症の人が見たら気が狂うか、病状が悪化するから見てはいけない。



2020年7月6日月曜日

3000人の自宅監禁を許して良いのか

オーストラリアは英国女王を元首とする立憲君主制を維持しているが、その下では連邦国家として、連邦政府と州政府とが組織されている。6つの州と1つの準州すなわち、ニューサウスウェルス州、ビクトリア州、クイーンズランド州、南オーストラリア州、西オーストラリア州、タスマニアと北部準州のそれぞれが立法、行政、司法の3権を持っていて、連邦政府と対等な関係にある。
モリソン首相は、3月13日 COVID対策のためにナショナルキャビネット「国家非常時内閣」を創設し、保健医療専門家を加えた連邦と、各州のリーダーが、COVID対策を討議、決定することにした。このナショナルキャビネットは、国境閉鎖、外出禁止などによって起こる失業対策や、企業助成金、景気刺激策などを打ち出すとともに、外国からの渡航者には2週間のホテルでの滞在を強制、食料品調達と病院への通院以外の外出禁止、レストランはテイクアウェイのみ、劇場、映画館、美術館、図書館閉鎖、スポーツを含むイベント禁止、美容院休業、結婚式葬式参加者の制限、などを次々と発表した。

6月に入り、患者数が減ってきて、連邦政府による制約が徐々に緩められてきたことを受けて、それぞれの州でも州境の封鎖が解けて、人々が自由に移動できるようになってきた。
オーストラリア全体で、COVIDによる死者は104人。シドニーを抱えるニューサウスウェルス州は、人口も感染者数も多かったが、感染者が多く出たシドニー北部は比較的裕福層の住む地域で海外旅行から帰ってきた人や、クルーズ船からの帰還者がCOVIDを持ち込んだ、と言われてる。今になってやっと人々が、1.5メートル間隔を開ければ、外出も、買い物も、外食も、ジム参加や図書館や美術館にも行けるようになった。私自身も半年ぶりに、家族で顔を合わせることができ、念願の孫たちに会うことができて、心から喜んでいる。

ところがビクトリア州では、5月にいち早く外出禁止が解けて人々が出歩けるようになったはずだったが、6月末からメルボルン北部でクラスター感染が起き、患者数が徐々に増え、州境は再び封鎖、厳しい外出制限も課されるようになった。嫌な感じ、と思っていたら、突然昨日、土曜日にビクトリア州総督ダニエル アンドリューが、驚くべき発表をした。怒りでいっぱいだ。

クラスター感染のあったメルボルン北部にある公立の9件の高層タワーアパートに住む、3000人の住民を自宅監禁、隔離、外出禁止、訪問者禁止にするというのだ。40人の看護師が、すべての住人3000人のCOVIDテストのために集められ出動し、500人の警官が、アパートの出入り口を固めて誰も外出したり、訪問者が入ったりできないように警備するという。今日、7月5日に、それは始まった。発表が急だったために、アパートの住人のなかには、監禁されることを全く知らなかった人も多かったという。住人には難民が沢山いる。英語のニュースがわからなかった人も多くいたと思う。

オーストラリアでは、生活保護者や障害者、老人、退役軍人、軍人未亡人、低所得者は政府の査定を受けた後、公営の住居に入ることができる。その人の収入によって一般のアパートよりずっと低価格の家賃、または無料で家が提供される。ニューサウスウェルス州では、そういった住居は近所を見回してもどこにでもあって、どれが公営なのかわからないことが多い。しかし残念なことに、地域によってはアルコール中毒や犯罪の巣になっているところもあるようだ。

メルボルンの9つの公営高層タワーアパートはそうした低所得者のほかに、難民がたくさん住んでいる。ソマリア、スーダン、シリア、イラクなどから戦火を逃れてきた難民だ。彼らは1軒のユニットに6人も7人もの大家族で暮らしている。当然老人も多い。
彼ら難民は自分の国で家を焼かれ、家族を失い、死の恐怖を体験し、国を追われてきて精神的にトラウマを抱えているため、精神病や、自殺願望、アルコール中毒などに陥る人も多い。保護が必要な人々だ。

クラスター感染が起きたと言われているが、先週水曜日に73人、木曜日に77人、金曜にに66人、土曜日に108人感染者が出て、それで突然の3000人自宅監禁となったわけだが、感染者のうちの9つの高速タワーアパートの感染者は、そのうちたった23人だという。別の新聞では30人だという。事実がわからない。30人の新感染者のために、3000人の住む高層タワーアパートを完全封鎖することが合理的なことなのかどうか、情報が足りなくて全然わからない。事実が報道されていない。

以前からメルボルンではアフリカンギャングという名前で、ちょっとした盗みや喧嘩などを起こしたソマリア人の若者に対して、アメリカでいま起きている黒人を異常な暴力で押さえつける白人警官が起こしている問題と同じような、「警官による暴力」が問題になっていた。

9つの公営高層タワーアパートの3000人の住民は、500人の警官に見張られながら、完全封鎖、監禁されて、人との交流を遮断されて、いったいどんな気持ちでいるだろうか。政府はその期間は家賃を払わなくて良い、失業対策費を捻出する、などと言っているが、封鎖が解除になって、人は普段通りに以前の職場に戻れるものだろうか。そのアパートに住んでいたことがわかって、学校に戻った子供はいじめられないだろうか。封鎖されている間、赤ちゃんのミルクは足りるのか。糖尿病患者のインシュリンは大丈夫か。子供たちは好きな食べ物が食べられるだろうか。ただでさえ、この3か月の外出禁止や様々な制限で、疲れ切っている人々にとって、心の再生は可能だろうか。

感染を防ぐということが、人に心を殺すような方法でなされてはいけない。
感染を予防するために難民が犠牲になるようなことは許されない。低所得者を一般人と分断してはいけない。COVIDを理由に差別を助長してはいけない。
今後、この人たちの身の上に何が起こるのか。目をつぶらずしっかり見ていかなければいけない。なんて悲しいことだろう。

2020年6月16日火曜日

わたしのCOVID19

依然として米国では20州余りの州で、COVID19に感染した新しい患者が増え続けており、現在死亡者は、約12万人。9月までに20万人の死亡者が出ると予想されている。

こうした中でニューヨークの公立病院の最前線というべき感染病棟に勤めるシニアナースが、一般では知られていない内部の現状と深刻な問題点を暴露している。まず、政府側が、症状が出たらまず家で休むように繰り返しアドバイスしたため、患者が呼吸抑制が起きるまで家に居て、病院に到着した時点ですでに治療できないほど手遅れになっている、という点。患者数が多く医師不足で、感染病の専門家でない医師や、医学生が治療に当たっているため、ベンテイレイターの扱いミスによる事故死が多発している。こうした医療過誤による死亡も、COVID19による病死として扱われていること。ベンテイレーターを使うような重症患者のケアに、州は一人につき2万9千ドルの予算を出しているため、予算を確保するために重症でない患者にもベンテイレイターを使って、そのために死亡する症例が後を絶たない。また鎮静剤が過剰に投与されているために、その副作用で呼吸停止する患者も多発していること。

患者は、COVID19によって肺炎を起こしていて、十分な酸素が脳に送られていないので、意識混乱しており自分で酸素チューブを引き抜いたり、抗生物質やほかの症状緩和剤を点滴している点滴チューブを、自分で抜きとったりする。それを止めさせるため、ほとんどの患者は両手をベッドの両側の柵に縛り付けられている。それで患者は、錯乱状態のうちに、両手の自由を奪われて為すすべもなく亡くなっている。
大切な家族を失う人々にとっては、こうした医療過誤は許せないことだろうが、世界的なパンデミック大流行で患者数が増えたため、患者の抑制や、ベンテイレーターの誤作動や、酸素過剰投与や、鎮静剤過剰投与で亡くなる人は多いことは、理解できる。また。こういった様子を毎日見ているナースが、泣きながら現状を告発,喋り捲らずにはいられなかった気持ちもよくわかる。

ニューヨークの医療最前線に比べたら、比較するにも及ばないが私にとっても、この3か月は地獄のようだった。そしてそれはまだ続いている。
いまの職場で週に40時間、フルタイムで、15年間働いてきたが、この3か月で髪が半分になった。いつも4週間ごとに行くサロンの美容師に指摘されて初めて気が付いたことだが。最後の1本の毛が抜けてハゲになる前に週40時間働いていたのを、30時間に減らすことにした。職場は病院と老人ホームの中間施設で、骨折で病院で手術して歩けなくなった年寄りが、階段のある自分の家に帰れるようになるまで滞在したり、癌の末期でもう家族が世話できない患者や、糖尿病治療が安定するまで入所する人や、徘徊癖のある認識障害老人などが50人ほど入所している。一人の患者が5つも6つも病気を持っていて、治療も多方面に渡る。
3月にオーストラリアでCOVID19による死者が出て国境、州境封鎖されてから、職場と自宅を車で往復する以外、外出しないように努めてきた。予定していた4月の日本旅行はキャンセル、孫に会うのも友達に会うのも自分から避けて、ヨガ教室も、リメデイアルマッサージも行かずに我慢、コンサートも美術館も図書館までキャンセルして、職場に病原菌を持ち込まないように最大の神経を使ってきた。うがい、マスク、PPE、毎日制服の洗濯、職員への教育、職場での外来者への対策、などストレスで神経が擦り切れそうだ。

日本でもCOVID19によって、患者を受けいれた病院も、受け入れ病院に指定されなかった病院も一様に、患者数が減って経営危機に陥っている。それはどの国の医療施設も同様で、経営赤字が深刻だ。施設を生き延びさせるのには、職員削減で対応するしかない。ただでさえ、いつ職場でCOVID19患者が出て爆発的に集団感染するかわからない状態で、ストレスフルな仕事を続けているうえ、職員が減らされて今まで2人でやっていた仕事を、一人でやりきらなければならない。おまけに経営側は、経験のあるシニアナースより、大学を卒業したばかりの右も左もわからない新人ナースを安く働かせようとする。おかげで礼儀も教養も熱意も知識もない分からず屋の新人ナースを教育しながら、今までの何倍もの仕事をこなさなければならない。
疲れ切っていると、経営者はリタイヤを勧める。70になったばかり。1日ロッキングチェアーに座って編み物をするつもりはない。社会に参加しているのだ。病院は人が生まれ、死ぬところだ。人が生まれ、喜びに満ちた人生を生き、悲しみ、怒り、そして満ち足りた思いで死んでいくところだ。生きるための現場に少しでも関わり、より良い生き方を模索していたい。
経営者たちの執拗で悪質な圧力を平然とやりすごし、COVID19をかかえて、あんなこと、こんなこと、あったよね、と笑って話せる日がくるまで、前を見て行く。こんなことで、へこたれてたまるか。


2020年5月24日日曜日

COVID19終息後はちがう世界が待っている

いま世界中で500万人の人がCOVID19に感染して苦しんでおり、すでに35万人の人が亡くなった。

全米では、160万人が感染、10万人が亡くなっている。世界一の軍事力を持ち、世界一の規模の経済力を誇っている米国で、世界一の死亡者数が毎日記録更新されている。飢えた人々がフードサービスを受けるために、5時間じっと車の中で列を作って待っている。その国の大統領トランプは、マラリア予防薬ハイドロオクシロロクインを服用しているから、「俺は元気だ」そうだ。失業者が増え治安が悪くなり不穏な空気になっていて、銃の売り上げが最高を記録しているそうだ。

英国では4万人に近い死者が出ており、自分も感染して死にかかったボリス ジョンソン首相は、医師や看護師の交代時間になると家の外に出て、「CLAP FOR CARERS」 ケアラーに感謝をこめて手をたたいている。サッシャー首相時代に彼女は新自由主義経済を採用し、病院や公共機関を民間に売り渡したため、病院施設は設備などが最低の状態だったことが、COVID19で、他のヨーロッパの国々に比べてはるかに多い死者を出すことになった。

日本では5月20日の段階で16385人の患者数、771人の死亡者を数えている。東京オリンピックを1年延期することが発表されたのが3月24日、この遅すぎた判断が患者数を増やすことにつながった。3月24日「新型コロナ対策特別措置法」が発表されたが、その時点で、世界中でCOVID19による死亡者は10万人に達していた。日本では、PCR検査数が世界一少ないにもかかわらず、陽性率は世界一高い。恥ずかしいことだ。この国の首相によると、すべてアンダーコントロールだそうだが、現実には老人ホームや障害者施設などで、たくさんの死者が出ているはずだ。

オーストラリアでは、5月24日今日の段階で、感染者7100人、死者102人だ。モリソン首相は3月13日に保険医療専門家を加えた連邦、州の首相会議を開き、COVID19への対策は、連邦各州のリーダーで構成される「国家非常時内閣」ナショナルキャビネットで、対策を講じる事に決めた。そこで事業体への支援、失業者対策、非課税給付金など、660憶ドルの経済対策費を拠出することが決まった。小事業体への非課税助成、ビジネスに25万ドルまでの無担保の貸し入れ、今まで福祉助成金をもらっていた人にその倍に当たる援助金助成、失業者に月1500ドルの失業補償、またすべての労働者の退職金(スーパーアニュエーション)を、60歳になっていなくても、2万5千ドルまで無利子で引き出して良いことにした。50万人が申請し、平均8500ドル引き出しているそうだ。

国境封鎖、外出禁止令のおかげて、3月から4月までたったひと月に、60万人が失業、5人に1人の割合で失業している。 3月にCOVID19が問題になった時からつい最近まで、モリソン首相は日曜も含めて毎日記者会見をして、COVID19の感染状況を報告し、さまざまな対策のついての質問に応じてきた。いまは細かい取り決めは州政府に任されているため、州知事も、毎日記者会見に応じている。例えば今週は、レストランで食事はできず、テイクアウェイだけだったが、来週からは10人まで、1,5メートルの間隔をあければ、レストランで食事ができる。NSW州では来週からビューティーサロンに行っても良いが、ビクトリア州ではまだ許されていない、戸外で10人までなら友達と会っても良くなったが、来週から50人まで集まって良い、6月から教会もオープンする、などなど。

ただこのような非常時に政府や権威筋はいろんな悪だくみをしている。
まず5Gのコロナ追跡アプリを、携帯でダウンロードすることを、政府が強く勧めていることだ。このアプリでは、COVID19感染者がいる場所が携帯を通してわかるため、そこには近付かないようにして自分を守ることができる、ということで政府が推進したために30万人がすぐにダウンロードした。しかしこのようなアプリで、自分の情報を簡単に政府に差し出してしまった人々のプライバシーはどうなるのか。また5Gは、もともと軍が開発した情報兵器であって人の行動を監視する目的で開発された。また磁気による血小板の減少や癌の発生など、人体への悪影響が見逃せない。COVID19が終息したら、このアプリは廃棄すると言っているが、情報はこの資本主義社会の金よりも価値があるので、簡単に廃棄できるとは思えない。

またCOVID19で、司法による刑事裁判で従来2人いた裁判官が一人に減らされた。重要犯罪でないような裁判の審議をCOVID19のために遅延することを恐れての判断らしいが、いままで2人で判決が下されていたのが、たった一人の判断で有罪、無罪が決まる被疑者にとってはフェアではない。重要犯罪でないとはいえ、無罪になるのと、有罪で罰金1万ドルを課せられるのとでは、その人の人生にとっての意味は全然違うではないか。

またまた、オーストラリアでは、フットボールをやらない奴はオーストラリア人じゃないというくらい盛んな、NRL(ナショナルラグビーリーグ)だが、やっと外出制限とスポーツ観戦禁止のなか、来月から観客なしで試合が始まることになった。プロのフットボールの選手たちは、20%給料カットされることになって、気の毒だが、試合の際の2人いたレフリーが今回から1人に減らされた。100メートル10秒で走るプロの男たちのゲームだ。スピードに乗ったボールを追うレフリーが、減らされて、たった一人のレフリーの判断で違反者が退場になったり、1点損したり、得したりすることになるのは、フェアだろうか。

というわけでCOVID19のおかげで、さまざまな変化が表れている。病気で死ぬのは嫌だから、みんな良い子にして首相や大統領や知事や警官のいうことを守るように努力している。でも盲目でいてはいけない。事態の変化をしっかり見守っていないといけない。COVID19が終息した時に、私たちは今までいたような自由や権利が失なわれているのかもしれない。疑いながら、しっかり見ていこう。

歌は「ワルシャワ労働歌」


2020年5月2日土曜日

ウェットマーケットは閉鎖されなければならない。


 


恐ろしい勢いでCOVID19が、世界中に広がっている。5月15日の段階で、感染者460万人、30万人の死者が出ている。
アメリカでは、8万5千人がCOVID19が原因で亡くなり、ニューヨークだけで、たった1日に166人の人が亡くなった。その多くが貧困層にいるアフリカンアメリカンだ。また全米労働者の内3千3百万人が失業に直面している。この失業者数は、オーストラリアとニュージーランドの全人口を足した数を上回る。
また、英国では、3万4千人、イタリアでは3万1千人、スペインでは2万8千人の方々が亡くなった。オーストラリアでは、100万人が検査を受け、現在感染者は7022人、死者98人となった。

そうした中で全米の医療権威筋は、このCOVID19が人為的に作られたものでも、遺伝子操作で故意につくられたものでもなかった、という調査発表をした。これで武漢のウイルス研究所が殺人ウイルスを「製造」してばらまいたという陰謀説が否定されたことになる。事故で研究所からウイルスが漏洩したか、あるいは初めから言われていたように、武漢のウェットマーケットから野生動物を介してヒトに感染したという説が有力になった。中国政府は、感染が報告されてすぐ、ウェットマーケットを閉鎖し、武漢を封鎖して他の地域と交流を絶った。この早業が、中国国内でのウイルスの拡散を最小限に留めることになった。

ウェットマーケットとは一般的に生きたままの動物や魚を扱い、客の要求に沿ってその場で殺して売りさばく市場のことを言う。中国だけでなくタイ、インドネシア、ベトナムなどにもあるが、工場で処理されスーパーマーケットで売られる肉類と違って、衛生管理の悪い市場で生きた動物を扱うことで、かねてから批判にさらされていた。とくに野生動物の売買では捕獲禁止になっている珍しい動物の密猟と密輸の源にもなっている。

2002年に中国広東省で起きた、SARS(重症急性呼吸症候群)では、8000人の感染者、800人近くの死亡者を出したが、原因はコウモリの糞からウェットマーケットで売られていたジャコウネコを介して、変異した病原体がヒトに感染し発病したと言われてる。ウェットマーケットでは捕獲された動物は、小さな檻に閉じ込められて、たくさんの客の目にさらされて、仲間が目の前で殺され、肉を刻まれ売られていく姿を見ているから、極端なストレスにさらされている。病原菌にも弱い。

野生動物を自然宿主にしているウィルスが、家畜などを経由してヒトに感染する事象は、これまでも多かった。ウシから天然痘や結核が持ち込まれ、豚やアヒルからインフルエンザが人に感染する。ネズミからペストが蔓延したことも有名だ。アフリカのチンパンジーがもっていた免疫不全ウイルスが変異して、ヒトにエイズをもたらせた事実も記憶に新しい。エボラ出血熱も、アフリカのコウモリからチンパンジーを介して、ヒトに感染したものと、報告されている。

2002年には広東省で、コウモリの持っていたウイルスがジャコウネコを介して、変異してヒトに重症急性呼吸症候群(SARS)を発症させた。香港にも広がり、たくさんの死者を出した。また2012年には、サウジアラビアで、コウモリからヒトコブラクダを介して、変異したウィルスが、中東呼吸器症候群(MARS)を、引き起こして沢山の犠牲者を出した。
オーストラリアでも、コウモリの糞で汚染された草を食べたサラブレッドが、致死率の高いウィルス、ヘンドラウィルスによる感染症をおこし、その馬を介護していた、獣医と調教師が’亡くなっている。

つい最近のタイ、バンコックにあるウェットマーケットを報道陣が訪れたドキュメンタリーフイルムでは、ありとあらゆる動物が売られている様子が映し出されて、ショックを与えた。犬、猫、カエル、キツネ、カモシカ、アルパカ、ダチョウ、孔雀、ヘビ、トカゲ、ワニ、亀、ハクビシン、サル、ネズミ、コウモリ、アルマジロ、ビーバー、極彩色の鳥、などなど、その国に生息していない動物がアフリカやほかの東南アジアや中東から密猟で密輸されて売られている。、絶滅の危機に瀕している山岳地帯に住む山猫の子供まで捕獲され売られていて、胸が痛んだ。

武漢にあるウェットマーケットは、2200万ドルかけて新しく改築されることになり、中国政府は野生動物の飼育、売買、またそれを食用にすることを禁止した。
しかし世界各国で野生動物の売買は、現実に継続されている。これを止めなければ、これからも野生動物を介して、たくさんの病原菌がヒトを苦しめることになるだろう。

サイの角を精力剤にするために、サイが密猟されて絶滅寸前になっている。二日酔いを治すために、クマが生きたまま針を刺されて、胆汁を抜かれている。日本人がスッポンを食べるように精力を付けるためにサソリや亀やコウモリをスープにする人々もいるそうだ。美味と言われる、アルマジロの密猟も許しがたい。肥満体の人が脂肪分の少ない肉を求めてカエルやヘビを食べる。これらの野生動物が体に良いという迷信はすべて「誤解」であって、科学的な事実ではない。

一時、性病を発病した金持ちたちが、バージンと交われば治癒するという根も葉もない説に浮かれて、東南アジアで無垢な少女たちが売春の犠牲になったことがある。バージンを凌辱しても性病は治らないし、サイの角を飲んでも、ヘビの生き血を飲んでもインポテンツは治らない。亀やヘビを食べても痩せないし、珍しい動物を飼育しても自慢にならない。生きたクマからとった胆汁を飲んでも、ヒトの肝臓がどうなるわけでもなく、消化されて便になるだけだ。シャークのヒレスープを飲んでも、コラーゲンでお肌がつるつるになることはない。胃で消化され排泄される。クジラもイルカも、ゲジゲジも、毛虫も単なる蛋白質にすぎない。ヒトの体も蛋白質だ。そのヒトには他にたくさんの食べものの選択肢がある。それなのになぜ、ヒトは野生動物を売買するのだろうか。ウェットマーケットは閉鎖されるべきではないか。

野生動物とヒトはずっと共生してきた。世界の人口が増え、野生動物のテリトリーは狭まるばかりだ。動物とヒトとが狭い地球で共生し合わなければならなくなった。ヒトは野生動物を密猟し、密輸し、飼育し、虐待して食べてきた。ほかに家畜から蛋白源がとれて、日々食べ物が余って捨てられているというのに、欲で野生動物にまで手を出してきた。そして野生動物を介するウイルスが原因の病気になって、やっと野生動物の危機を知ることになった。
30万人のCOVID19による死亡者、これは自然発生したわけではなく、野生動物を虐待してきたヒトによる人災でおきたことなのだ。同じ不幸を繰り返さないために、ヒトは動物たちの声を聴き、学ばなければならない。

歌っているのは、キャロルキングの「YOU GOT A FRIEND」



2020年4月14日火曜日

良識ある報道を




4月13日イースターマンデーに、民間チャンネル9のニュースではトップに、老人ホームに勤める看護助手が、6日間もCOVID19症状が出ていたのに出勤していたために施設の中の1人の老人が発病した、と報じた。その口調は一方的に看護助手を責める厳しさで、政府の保険大臣にわざわざ「今後、医療従事者は症状が出ていたら出勤してはいけない。きちんと自制するように。」と繰り返し言わせていた。老人ホームという年寄りが安全で静かに暮らせるサンクチュアリに、悪い職員が病気をまき散らしていた、というような論調は、中世の魔女狩りや、火あぶりのリンチを思わせる。
外出禁止令で一挙に自宅待機者や失業者が増え、それがいつまで続くかわからない、そんな社会の閉塞感、政府への不信感、将来への不安感が蔓延している。そういった不安定な状況で不満をどこかにぶつけてはならない。今ほど、人が良識というものをもつことが求まられているときはない。

この看護助手はおそらくアジアか南米からの移民で、6か月ほどの研修で資格の取れる介護者として、今どこでも人手が足りなくて困っている病院や医療施設で働いていたのだろう。人を世話するのが大好きで、良い人もいれば、とりあえずオーストラリアで働いて永住権がとれるかどうかやってみよう、という目的で来豪しただけの介護職に適さない人もいる。
6日間COVID19の症状が出ていた、というが、今オーストラリアは秋で花粉アレルギーまっさかり。冬に向かって急激に気温が下がり風邪気味に人も多い。また、インフルエンザの予防注射が始まったが、生ワクチンだから注射後1-2日インフルエンザの症状が出る人も多い。軽い風邪症状で働いていたことを責めることはできない。

自分もCOVD19のものすごいプレッシャーに中で働いている。自宅の入り口にはパジャマなどが入った「入院バッグ」が用意してあって、発病したら、できるだけ20分ほど先の救急病院までそれを持って歩いていくつもりだが、いよいよ呼吸困難で救急車を呼ばなければならなくなったら救急隊にそのバッグを一緒に持って行ってもらうように大きく注意書きをしてある。職場ではCOVID19患者を運ぶ救急車の面々と接触するし、施設の酸素ボンベや医療品や、洗濯ものや、食料の配達や業者などと対応しなければならず、普通のナースよりずっと感染の機会が多い。
悲しいが娘たちにも、孫たちにも会えない。孫には1月以来一度も会えずにいる。でも毎日自宅に帰れるだけでもましか。公立病院に勤めるドクター、ナースたちは自分たちの家族に感染させないために、病院が貸し切ったホテル住まいしている人も多い。小さな子供を抱えたドクター、ナースたちが仕事で疲れ切って、冷たいホテルの枕で寝る姿を思うと、とても申し訳ないと思う。

そんな中でアジア系のドクター、ナースは病院の制服で通勤中、「武漢に帰れ!」とか、「コウモリ食うな!」などと嫌がらせや、唾を吐かれたりした。その後は「コロナうつすな!」、とか「あっち行け!」だ。電車やバスや路上で暴力を振るわれた例もたくさん出てきて、遂に政府は、「危険なのでナースやドクターは病院の制服で出勤しないでください。」ということで、フロントラインで働く医療従事者に悪態をついたり嫌がらせをした加害者は$5000の罰金が言い渡されることになった。

かなしいことだ。政府や警察に緊急法によって罰則を作ってもらわないと、人を傷つけることをやめられないのか?良いことと悪いことを、政府と警察に教えてもらわないとわからないのか? 失業したり、収入が半減したり、レントが払えなかったり、将来の見通しが見えなくなって不安になると、何かに当たりたくなる。しかし、そんなとき、皿を割ったり、壁に拳を打ち付けたり、妻を殴ったり、子供の肌にタバコの火を押し付けたり、ドクターやナースを罵倒し蹴飛ばしたり、しないでいることだ。何の罪もない子供までCVID19で死んでいるのだ。全米で死者22108人、たった1日でニューヨークでは758人が亡くなった。70%はアフリカンアメリカンだ。
良識を持つこと。いま生きていることを大切にして、より良く生きることが望まれている。

歌っているのは「MY WAY」

2020年4月12日日曜日

ジョージぺル枢機卿、6年の実刑から一転して無罪

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4月7日、COVD19で、人々が混乱している最中を狙ったかのように,ビクトリア州検察によって逮捕され、6年間の禁固刑を言い渡され服役中だったジョージ ぺル枢機卿が、最高裁で出た無罪判決を受けメルボルンのバーウオン刑務所を出所した。
服役するまで彼はバチカンのナンバー2の実力者、財務局長菅を務めていた。彼はメルボルンの大司祭だった1996年に、教会合唱団の13歳の二人の少年に性行為を強いた罪で逮捕され、2018年に6年の実刑を下された。その後、実刑に服しながらビクトリア州裁判所に再審を求めていたが去年、却下された。再び連邦政府の最高裁判所に控訴して、今回、彼が問われていた5つの罪状に対して証拠不全を理由に、最高裁判所は彼に無罪判決を出した。寝耳に水とはこのことか。驚いて言葉も出ない。怒りでいっぱいだ。

彼は1996年から2001年までメルボルン大司教を務めていたとき、部下のジェラルド リステル牧師が、4歳の子供を含む54人の小児に対して性犯罪を犯していたが、この牧師と同じ部屋を共有していたにもかかわらず証拠を隠滅し、家族から被害が報告されると牧師を他の教区に移動させスキャンダルを封印してきた。
また本人も、1961年にサマーキャンプで12歳の少年を強姦した罪で起訴されたが、その後、理由不明で審議取り下げになっている。
メルボルン大司教から2001年シドニー大司教に抜擢されたとき、ぺデファイルをカバーアップしたということで、反対運動が起きたが、無事シドニー大司教を2014年まで務めて、バチカンの財務局長官に抜擢された。世界の権力と財力を持ったバチカンの財布係だ。

ロイヤルコミッションは、カトリック牧師の7%がぺデファイルで、1950年から2009年までの間に、4400件余りの被害届が出ているとして調査を始めた。2016年にコミッションは証人としてジョージ ぺルを召喚したが、彼は応じなかった。

この4月7日、無罪を勝ち取り自由の身となって出所したジョージ ぺルは、「自分の無罪が証明できてうれしい。」と語り、続けて「小児性的虐待は教会の癌のようなもの。カトリック教会では昔から組織的に行われてきたことだ。」とメデイアにむけて、まるでぺデファイルは教会の問題であって、自分とは関係がないような発言をシャーシャーと述べ立てた。6年間実刑判決を受け2年に渡って刑務所で刑に服していた間、一度でも自分がレイプした子供のことを思いやる機会はなかったのだろうか。純真な心を、自分の欲望のために踏みにじって、どうして平気で教壇に立てるのか。被害者の傷は大きい。一般に子供の時にレイプ被害にあった人は、30歳代になって初めて自分の身に起こったことを、人に話せるようになる、という統計がある。30歳を超えるまで一人で苦しんで、やっと言葉に出せるようになる、そのような子供についた深い傷について加害者として考えたことがなかったのか。

彼は、一晩メルボルンの教会に泊まり翌日、4月8日には自分で車を運転してシドニーに向かった。シドニーの手前ゴルバーンで警察署に車を止め、執拗についてくるメデイアを追い払うように要請した。メルボルンからシドニーまで12時間の運転、ラグビーで鍛え切ったぺルにとって、12時間にの運転など何とも無いことだろう。その車を追わずにいられなかったメデイアの気持ちがわかる。
彼が出所した日の新聞の大見出しは、「恥ずべき枢機卿の過去」、続いて「小児性的虐待は教会の癌」「証拠が足りないというだけで、ジョージ ぺルが無罪だということでは決してない。」「証言だけでは証拠不足だからといってぺルが何もしなかったわけでは断じてない。」と続いた。ペンの力は健在だ。

被害者は、「最高裁は自分が24年前に虐待されたという証拠が、有罪を決定するには不十分だという。最高裁が納得するような証拠を出して証明するのは非常に難しい。他にもたくさん被害者がいるはずなので、名乗り出てきてほしい。」と言っている。性被害にあったすべての人が、モニカ ルベンスキーのように、ビル クリントンの精液のついたブルードレスを大事に持っているわけではない。何故証拠なのか。なぜ証言では不足なのか。メルボルン警察の長年の捜査によってやっと強姦罪を立件でき、被害者たちの声と世論やロイヤルコミッションの力を得てと、やっとバチカンのナンバー2に実刑を与えることができたというのに、無罪放免とは。

いままで何度も言ってきたことを、また繰り返すが、ぺデファイルは一時の心の迷いではなく、病気でもなく、その人についてきた「嗜好」だ。病気ではないから治らない。嗜好は、罰せられても、拘禁されても、教育されても治らない。年を取ってセクシャル アクテイブでなくなっても、「嗜好」は変わらない。死ぬまでぺデファイルはぺデファイルだ。
彼は76歳で実刑判決を受け、78歳で自由の身になった。しかし彼が過去にやってきたことは警察署の分厚いファイルに収まっている。被害者のうち、一人は精神の均衡を失いドラッグのオーバードーズで亡くなっている。自分より先に息子に死なれた親の気持ちがわかるか。ジョージ ぺルの輝かしい牧師生活は、おびただしい少年少女の死によって成り立っている。天国に行きたくないのかな。メデイアには嘘がつけても、自分には嘘をつけない。自分がやったことは ごまかせない。
実刑を受けていた間も、彼はバチカンから高給を受け取っていたそうだ。それをすべて吐き出して、被害者に対して申し訳なかったと、どうして今、謝罪できないのか。

2020年4月8日水曜日

殺すな、ステイホーム



オーストラリア政府からのメッセージが携帯電話に送られてきた。
Stay home this Easter and help save lives. Only leave for what you really need : exercise, work, medical and care. (今年のイースター休暇の間家に居なさい。そのことによって他の人々の命を救いなさい。外に出るのは、エクササイズ、仕事、医療といった必要最低限の外出にとどめなさい。)
3月中旬から毎日、一日も欠かさずトップニュースで、眉に皺をよせたモリソン首相は国民に向かって発言を続けている。今日は、ご丁寧に携帯にメッセージだ。

4月7日現在オーストラリアでのCVID19による感染者は、5910人、死亡者48人(死亡者の3分の1がクルーズ船の乗客)
オーストラリアでは3月22日段階で、トラベルバン、海外渡航禁止、海外からの旅行者入国禁止、国境封鎖、州境封鎖、必要以外の外出禁止、レストランカフェはテイクアウェイのみで顧客営業停止、演劇やコンサートなどのイベント禁止、映画館、展覧会ギャラリー閉館、宗教上の集会禁止、教会のミサ禁止、人と人との間隔を1.5メートル以上にとる、などが決まり、当初学校とチャイルドケアは、閉まると医療従事者が出勤できなくなるので開けておく方針でいたが、学校でもチャイルドケアのスタッフの中からも発病者が出てくると、学校はすべてオンラインで行われるようになり、チャイルドケアも部分閉鎖された。これらの決定は3か月から6か月間続くと予想されている。

カンタスエアラインは、このため2万人の従業員をレイオフ、職を失った人々は数えきれない。政府はGDPの15%に当たるに、130兆ドルを使って失業者対策に当たると発表した。失業者または職場待機になった人々は、パートタイム、フルタイムに関わらず、5月から月に$3000の政府からの生活補助が受けられる。(2週間ごとに$1500)。オンラインで MY GOVERNMENTにアクセスすると、政府による支援が必要かどうか判定されて、お金が振り込まれることになっている。
また4月3日になって、政府は留学生はすべて自分の国に帰ってほしい、という呼びかけがなされた。大学、語学学校、中高校がいつ再開できるか見通しがたたない現状で、オンラインで続けられていた講義はすべてキャンセルされた。学生は週に20時間働くことができるが、レストランなどの職場が閉鎖されている間、部屋代や授業料を稼ぐことができないからだ。また永住権が審議されて出るまでの間、ブリッジングビザで滞在している人々も、同じ理由で自分の国に帰国するように勧告された。

生活レベルでは、学校にも教会にも、図書館にもコンサートにも、美術館にも行けなくなって、文化的な場所から一切遮断されてしまった。エクササイズを奨励されているが、夫婦や家族3人までならば、外に出てジョギングしても良いが、公園でベンチに座ったり、ついでにテイクアウェイしたコーヒーで、外で談笑してはいけない。海辺を走っていて、足が痙攣をおこしても、ベンチでゆっくり回復するまで休んでいられない。テイクアウェイコーヒーで、偶然昔の友達に会ってしまっても、お喋りできない。開いているお店は、薬屋、スーパーだが、食料品の買い物にも、入場制限があって入り口で待たされる。人々は、1.5メートルの間隔を開けて買い物するようにガードマンや警官に監視され、支払いの段になったら、現金は許されずカードだけ。家族で外出するにも必要最低限の外出しか認められないので、頻繁に車を警官に止められて職務質問される。
こうした社会生活上の規制は、解釈によっては、内容が異なってくるから、みんな混乱している。その場の取り締まり警官が不機嫌だと、酷い目にあうかもしれない。せっかく道路がすいているので18歳の女の子が、母親について路上運転の練習をしていたら、必要最低限の外出ではない、という理由で罰金$1500取られた、という気の毒な家族の話がニュースで報道されていた。
従わないと罰金$1500か、身柄拘束6か月。とても厳しい。

罰則付きの強制ではないが、政府からの強いアドバイスというかたちで、「70歳以上の老人、60歳以上の既往歴のある人、50歳以上のアボリジニ先住民族は、家に居ることを強くアドバイスする」とも言われている。
自分は70歳になったばかりの新老人、しかしフルタイムで働いている。COCD19の最前線、フロントライナーのヘルスワーカーだ。医療通訳や、修学旅行の付き添いもなどもやってきたが公立病院でナースを務めた後、今の施設で勤務し15年経つ。オーストラリアでナースの資格を取ってみて良かったことは定年がなく、何歳になっても誰も年齢など聞かないことだ。差別禁止法によって就職するときに年齢や出身によって差別されてはならない、ことになっている。自分よりもずっと年上で知識豊富で決断力があり、人柄もよく誰からも信頼されているナースが沢山いて、最前線の医療で働いている。そんな人たちと知り合うことができただけでも本当にオーストラリアで働いてみて良かったと思う。オーストラリアのナース免許証は、英国でもカナダでもアイルランドでも、シンガポールでもドバイでも通用する。明日にでもそういった外国に行って、今日から働くこともできる。要求される質は高いが、社会的地位も高いのでやりがいはある。ただ、いまはやりがいどころか、やることが多すぎて、CVID19のプレッシャーがものすごく強すぎて、つぶれそうだ。

新しいCVID19 のワクチンが実用化されるまでに、最低15か月かかると言われている。
こんなに時間がかかるのは、新ウィルスに免疫がつくのかどうか、まだわからないからだ。「集団感染」といって初めのうちは、どうせ国民の60%が感染するなら放っておいて自然免疫がつけば、それで働けるようになって経済的損失を抑えられると、当初言っていた英国やドイツは、すぐにこの説を引っ込めて、急いで国をシャットダウン国内封鎖し、外出禁止に切り替えた。自然免疫そのものに疑いが出てきたからだ。
一度CVID19に罹患した人は、必ず自然免疫がつくのかどうか、まだわかっていない。また免疫がついてもその免疫が、何か月くらい維持できるのか、わかっていない。
インフルエンザの場合、それが流行する前に、A型とかB型など予想される流行型のワクチンを注射するが、効果は6か月しか効果がない。注射しても6か月以降は感染する。また結核のワクチンであるBCGは、20年弱しか効果がない。だから年をとった人や、HIVに感染した大人が結核に感染して、エイズでなくて実は結核でたくさんの人が亡くなったのだ。一度かかれば生涯免疫がつく病気は、そう多くない。

だから外出禁止、自宅隔離なのだ。爆発的に発病者が増え続け、病院がパンクしそうな今を選んで発病しないように。急いで死んではならない。家でおとなしくしていて、仮に発病しても自宅で休んで回復するように体を休めておくように。仮に病院に世話になる状態になっても病院に余裕ができるときに、行けるようにすべきだ。今死ぬな、あとでゆっくり死ね、と言うと目をつりあげて怒る人もいるだろうが。今は家にいてCOVD19 をもらわないように、知らずにもらっていて、体の弱い人にうつして殺さないように、と言っているのだ。弱者を殺すな。国の経済が破綻しても、どんなに企業が倒産しても、GDPの15%とりあえず無くなっても良い。会社が倒産しても、国が破滅しても、とにかく生きろ。生きて人を殺すな、家に居ろ、と政府が言っている。全く正しい。

歌っているのは、「THE ROSE」

2020年3月22日日曜日

すべて災害は人災

2020年は年明けから災害と災難に生活が脅かされている。
12月と1月、オーストラリアではブッシュファイヤーで、1000万ヘクタール、日本国土の3分の1の面積に当たる土地が燃えた。NSW州だけで8000頭のコアラが焼死した。燃えつくす山々から立ち上る灰と煙で、私どもの住むシドニー中心部でも、空は灰色にかすみ、今まで見たこともないような、ダイダイ色の太陽が遠くの空でぼやけて見える様子は、この世の終わりかと思えるほど不気味だった。喘息プラスCOPD(閉そく性肺不全)を抱える身で、呼吸がずっと苦しかった。車で通勤するとき、窓をきつく締めていても煙ってくる悪い空気にむせながら、吸入器で日々を乗り切る姿は、炎天下の犬がベロを出してハアハアと浅い呼吸をする姿に似ていたと思う。

2月になって、山火事が終息してきて、煙い毎日をようやくやり過ごしたと思ったら、集中豪雨が襲った。ブッシュファイヤーで大地の恵みを吸収する木々を失った土地では雨を吸い込むことができず洪水が起きる。住んでいるアパートの地下の駐車場が浸水し、50センチの深さの雨が溜まって捌けない。2週間もの間浸水している駐車場に車を停められず、自宅前の交通が激しく路上駐車禁止の道路を2時間おきに点々と車を動かしながら、浸水が引くまで耐えた。

ようやく乗り越えたと思ったら、3月に入ってCOVID19 感染が深刻になってきた。オーストラリアは国境封鎖、海外渡航禁止、外国人の入国禁止、握手やハグ禁止、他人と1.5メートル以上のスペースを空ける、風邪症状のある人は2週間の自主隔離、パブ、レストラン、映画館、ジムの閉鎖、すべてのスポーツイベント、オペラ、コンサート中止、必要不可欠でないサービスすべての停止が宣言された。カンタスは2万人のレイオフを発表した。政府は国のGDPの約10%、660憶ドルを、今後の失業者、年金生活者、パートタイマーなどへの救助に支出するという。

現在のところ、全国のCOVID19感染者は、1349人、死者7人。70歳以上は、致死率が高いので自宅自主隔離をアドバイスされているが、ピカピカの70なりたての身でも、医療従事者として週26時間フルタイムで施設で働いているので、職場放棄するわけにはいかない。全国の小中高校を休校にすると、医師、看護師、救急隊員、薬剤士、などの医療従事者が、子供の世話で仕事に来られなくなるので、学校は休校にならない。自宅隔離が良いとわかっていて、子供を犠牲にして医療従事者たちは働き、感染者かどうかわからない患者たちを扱っている。救急病院をパンクさせるわけにはいかない。職場では妊娠中の若い人など、感染を怖がっている職員もいるが叱咤激励している。

振り返ってみるとブッシュファイヤーも、洪水も、COVID19も、天災ではなくて人災であって、すべてつながっている。地球上の環境汚染、温室ガス、CO2、気温の上昇、大気汚染、プラスチック汚染、排気ガス、など私たちの肺はこれらの汚染によって、新ヴァイルスの逆襲に脆弱だった。これからもCOVID19が克服されても、また新たなヴァイルスに人々は侵され続ける。自然を破壊してきた人類の当然の報いだろう。

いまは、1人熱のある患者のために、使い捨てのガウン、マスク、ゴーグル、シューカバー、グローブで完全武装して、プラスチックのコップとスプーンまたはストローで投薬をして、ケアが終わるとが、次の熱のある患者のためにまた新しいプラスチック使い捨てのガウンを羽る。山のように積み重なるプラスチックのごみ山を見ながら、何と罪深い人類の存在であることか、自らを呪いたくなる。

2020年3月2日月曜日

マルテイグラでプロテスト

この2月29日、シドニーでマルテイグラのパレードが行われた。
世界最大のLGBTQIのお祭りも、今年で42年目。LGBTQIとはレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クイアクエスチョ二ング、インターセックスプラス、など性的マイノリテイを包括総称したもの。
パレードに先立って、2月14日からダンスパーテイー、映画、ショーなど100を超えるイベントが、NSW美術館や、オペラハウスや、映画館などで開催されていたが、いつも通り最後の2月29日、最終日に盛大なパレードが行われた。
当日、シテイ中心のオックスストリートでは、数万人の世界各国から来たパレード参加者や見物人で賑わった。毎年この時期は春嵐で大雨になったり、急に寒くなったりしてドラッグクイーンなど、ほとんど裸のパレード参加者には気の毒な年が多かったが、今年は晴天パレード日和で大成功。アボリジニのスモーキングセレモニーと、NZマオリのハカのあとのパレードの華は、RFS(ルーラルファイヤーサービス)で、おなじみの黄色の防火服を着て虹色の小旗をもって誇らしげに行進した。
去年の9月から今年の2月のかけて全国を燃やし続けたブッシュファイヤーのために、ボランティアで消火活動をした人々だ。火災は29人の消防士の命を奪い、2800余りの家々を焼き、ポルトガルの全国土よりも大きい1070万ヘクタールが焼き尽くされた。本職を放り出して自分の命を顧みずボランテイアで消火活動をした人々は、真の英雄だから、大拍手をあびていた。
パレード参加者は、200台のバイクに乗ったLGBTQIの人たちを先頭に、続いて消防士、陸、海、空軍、警察官、ライフセイバー、カンタス、自由党、グリーン、独立党、ANZ銀行、ボーダーフォン、ロレアル、などなどが続き、それぞれが趣向を凝らした衣装とダンスを披露した。シドニーロードメイヤー知事のクローバー モアもオープンカーに乗って行進に参加した。彼女はレズビアン。

オーストラリアでは同性婚は法制化されており、差別禁止法によって法的に、性的少数者への差別は許されない。しかし、目に見えない形で差別は厳然として残っている。パレードの参加者がみな口をそろえて、これはお祭りではなくて、プロテストだ、と発言していた。彼らの勇気ある強い主張は立派だ。
マルテイグラのパレードが始まったばかりの42年前は、ゲイ、レズビアンは「違法」だったし、カミングアウトも」、パレードというかデモをするのも、命がけだったのだ。
米国カルフォルニアサンフランシスコ市会議員だったハーベイ ミルクが市庁舎で、ゲイヘイトの男に殺されたのが1978年。彼の甥、スチュアート ミルクも、このパレードに来ていて、立派なスピーチをした。ミルクの果たせなかったLGBTQIの人権が守られ、差別が無くなる日までパレードは続く。ミルク市会議員の死は「ミルク」(2008)で映画化されて、ショーン・ペンが主演、その年のアカデミー主演男優賞を受賞した。
お祭りではなく、過去の差別の歴史を顧みて忘れず、これからも差別と闘う姿勢を崩さず、プロテストを続けてこう。

2020年2月8日土曜日

映画「ROOM」

2016年カナダ、アイルランド、英国、米国合作映画
第40回トロント国際映画祭、観客賞受賞
第88回アカデミー賞主演女優賞受賞
原作:エマ ドナヒュー「ROOM」
監督:レニー エイブラハム
キャスト
ブリー ランソン:母親ジョイ
ヤコブ トレンブレイ :息子ジャック
ジョアン アレン:ジョイの母親 ジャックの祖母ナンシ
シーン ブリドジャー:誘拐犯オールドニック
ウィリアム マッコイ:ジョイの父親 ジャックの祖父
トム マクマス :ナンシーの夫、ジョイの義祖父レオ
アマンダ ブルゲル:婦人警察官

ストーリーは
オハイオ州アクロン
ジョイ ニューサムは高校生、17歳のときに、男に誘拐され、厳重にロックされた物置小屋に監禁されている。逃げようとするたびにドアや鍵が厳重になり、どうしても逃げることができなかった。すでに7年経った。誘拐監禁されレイプされて妊娠し、子供を産んで5年になる。今も週に1度、食料を持って通ってくる誘拐犯オールドニックの粗暴な扱いに耐え、大切な息子と二人で小さな部屋に閉じ込められながらも、息子の成長を励みにして生きてきた。息子のジャックは、生まれてから3.4メートル四方の、ここ小屋から一歩も外に出たことがない。オールドニックが通ってくるときは、母親から離れて戸棚になかで小さくなって眠る。隠れていないと子供嫌いのオールドニックから暴力を振るわれる。母親のジョイが体を張って守ってくれるが、暴力的な男をジャックは何よりも怖がっている。

母親のジョイはいつも限りなく優しい。ジャックは目が覚めれば、おはよう椅子さん、おはよう机さん、おはよう戸棚さんと挨拶して、ジョイと一緒にトーストか、シリアルを食べ、部屋の中を走り回り、ちょっとした運動をしてからテレビを見る。夜は母親と一緒にお風呂に入り眠る。それだけの生活を5年間してきた。ジャックは母親に甘えたくなると、5歳になってもまだ母親にしがみついて、おっぱいをしゃぶる。ジョイはいろいろなことを教えてくれる。テレビの中の世界は、うその世界なのだという。木の葉も、お日様もお話に出てくるおじいさんもおばあさんも、みな嘘の世界。本当の世界は、ジョイとジャックだけの世界だという。

5歳の誕生日がきた。母子は一緒にバースデイケーキを作った。オーブンはないから、小さなお鍋で。でもテレビに出てくるようなキャンドルがケーキの上に立っていない。ジャックがすねると、ジョイはとても怒った。もう5歳なのだから、本当の世界を知らなければならない、と母親は言う。この部屋での生活は本当は偽りの世界で、テレビの世界は本物だ、とジョイは今までと反対のことを言う。ジャックは今までの母親との生活が楽しいのに、急に本当の生活に戻らなければいけない、と言われても混乱するばかり。本当の生活って何? 今になって母親は、急に怖い顔で、自分はオールドジャックに騙されて、この部屋に閉じ込められている、という。本当の世界に戻るためにこの部屋から脱出しなければならない、と説明する。ジャックは怖くて仕方がない。
母親はジャックが高熱を出したので病院に連れていって欲しい、とオールドニックに嘘を言う。1週間後オールドニックが来たときは、ジャックを絨毯で巻いて、ジャックは死んだので処分するように、と言って絨毯を引き渡す。あわてたオールドニックは、絨毯ごとジャックをピックアップトラックの荷台に乗せて家を出る。

ジャックにとって生まれて初めての冷たい風、緑の木々、陽に照らされる木の葉、車の荷台で絨毯から這い出たジャックは、外の景色に見惚れる。そして母親に言われたとおりに車がスピードを落とした時に、荷台から飛び降りる。しかし狭い部屋しか知らないジャックには、平衡感覚が育っていないので走ることができない。とたんに転んで動けなくなる。運よく大型犬を連れた男の人が目の前にいる。ジャックはオールドニックにつかまって、連れ去られそうになって、必死で助けを呼ぶ。犬を連れた男に呼び止められて、オールドニックは車で逃げる。そして警官が駆けつけて、ジャックは保護される。感の良い婦人警官がジャックからわずかな言葉を、上手に引き出したために、オールドニックは逮捕され、母親のジョイは小屋から助け出される。

病院で数日過ごした母子は、両親の迎えを待って帰宅する。7年間もの長い間誘拐監禁され誘拐犯と暮らし、その子供まで生んでいた高校生。好奇の目を輝かせながら押し掛けるメデイア。ジョイは親たちに守られながら自宅に戻る。ジョイの母親ナンシーは、ジョイの部屋をそのままにしておいて待っていてくれた。
しかし父親は、孫にあたるジャックの顔を見ようとしない。憎い誘拐犯の血が流れている子供を見たくない、という父親の言葉にジョイは深く傷つく。その父親は母のナンシーと離婚していて、母親にはレイという新しいパートナーがいた。やがて、家の前で待ち構えていたメデイアも引き上げた。母親ナンシーとレイと、ジョイとジャックとの生活が始まる。

ジョイは落ち着いたところで弁護士の勧めもあって、1社だけメデイアのインタビューに応じることになった。しかし、インタビュアーに「どういう気持ちで誘拐犯の子供を産んだの?」と聞かれ「子供のためを思えば、どうして子供だけ病院にでも置いてくるように、犯人に頼まなかったの?」「あなたは子供のことで正しい判断をしたの?」と問い詰められて、ジョイは深く傷つく。監禁され日々の暴力に怯え、子供を産んだ高校生に対して、「良識ある」質問者らは、どんな倫理的な判断を求めているのだろうか。ジョイは薬を飲む。ジャックが発見しなかったら、生きてはいなかった。
ジョイは病院に送られる。7年間の過去からフラッシュバックされてくる記憶に耐えられない。精神が壊れてしまった。

ジャックは生まれてから一度も切らないでいた長い髪を切るように、祖母のナンシーに頼む。髪はパワーだと母親に言われて育った。いまパワーを失った母親ジョイに、自分のパワーの源の髪をあげて、母親を元気付けたい。祖母ナンシーはジャックの髪を切り、入院中のジョイに届けた。母親がいないジャックのために義祖父のレイが犬を連れてきてくれた。ジャックは母親以外の人に初めて心を開いていく。「グランドママ、アイ ラブ ユー。」そういわれ、祖母ナンシーは涙にくれる。ジョイは退院して家に帰ってきた。
ジャックはジョイに、二人だけの思い出の部屋、自分が生まれて育った小屋に帰りたい、という。二人は警官に付き添われて、7年間監禁されていた小屋を訪れる。ジャックは部屋の小ささに驚く。縮んじゃったの? もうここは自分の部屋ではない。そして、毎朝おはよう、毎晩おやすみと声をかけていた、家具のひとつひとつに、さよなら椅子さん、さよなら机さん、さよなら戸棚さん、と別れを告げて小屋を出る。
というストーリー

実際にオーストリアで起きた「フリッソル事件」を書いたエマ ドナヒューの「ROOM」が原作。母親のジョイを演じたブリー ラーソンがアカデミー賞主演女優賞を受賞した。彼女の諦め、悔い、怒り、憤怒、嘆き、悲しみが、じかに伝わってくる熱演だ。それと、カナダ人、5歳のジャックの名演には恐れ入るばかりだ。まだセリフを覚える年齢ではないため。ワンシーンワンシーン監督が説明して、演じたものを撮影しつなぎ合せたという。実の親子のような二人の演技は演技と思えない。天才子役そのものだ。この映画、母子二人の結びつきがテーマになっている。

子供にとっては、与えられた世界が唯一の世界だ。どんな場所にいても親はそれがどんなところであっても生活し、日々の暮らしのために努力を惜しまない。ジャックにとって、3.4メートル四方の部屋が子供にとって唯一で、世界のすべてだった。そこで7年間正気を保ち、子供のために二人で濃厚な時間を作ってきたジョイは、素晴らしく立派な母親だ。普通だったら7年間、正気でいることができなかっただろう。彼女の精神力の強さを、理解しようともせず「教養あるエリートインタビュアー」が、「子供の将来」を語り質問する愚かしさ。それはアボリジニー先住民族の子供たちを親から無理に引き離し、白人社会で教育、調教をして得意になっていた先進国の愚か者と同じだ。本当に子供たちに必要なのは、アルファベットが人より早く読めるようになることでは断じてない。そのように子供の時から「調教「」された子供は人として育たない。生まれた時から母親に可能な限り抱きしめられ、愛された子供でないと他人を愛し人としての情感をもった人に育たない。アルファベットはそのあとだ。ジョイは正しい子育てをしたのだ。

ジャックは、たった5歳にして唯一無二の母親を理解し、オールドニックという悪者を憎み、正しい人に助けを求めることができた。そして母親を励ますために、髪を切り、自分のパワーをすべて母親のために差し出した。そうした過程を経て、母親だけでなく祖母や祖父を愛することができるようになった。ジャックの心は、3.4メートル四方の世界から、ずっと大きな世界に開かれている。ジャックの心の成長が手に取るようにわかる。ROOMを出てからのジャックの成長が感動的だ。
狭い部屋で生まれ、5歳まで育ったので本当の太陽の光がまぶしくてよく見えない。車から飛び降りて逃げたいが、平衡感覚が育っていないので走れない。男たちの怒号、犬の吠え声、周囲の騒音が激しすぎて転がったまま動けない、初めて連れていかれた家で、生まれて初めての階段が怖くて足を乗せられない。そんなジャックの姿が痛ましい。

無力な女子供が、男の暴力支配によって、酷い目にあうということがこの世で一番許せない。女子供はもっと怒らなければならない。男はもともと体格が良く、堅固な骨格を持ち、筋肉が発達して生まれてきた。それは構造的、物理的な差異であって、女子供との違いは、オツムの違いでもなければ、頭脳の重さでも、感性の違いでも、才能の違いでもない。オーストラリアでは週に一人の女性がパートナーの暴力によって殺されている。日本はもっと酷いそうだ。男が、物理的に自分よりも弱い他人の人生をないがしろにし命を奪うのは簡単だが、それをしないでいるためには、女子供にも自分と同じだけの「人権」があることを、しっかりわからなければいけない。

フリッツル事件は決して特殊な事件ではない。似たような事件は世界各国でいくらも前例がある。拡大解釈をしたら、自分の母親も同じような被害者だった。宝塚が好きで二人の兄(のちの宇佐美正一郎北大名誉教授と宇佐美誠次朗法大名誉教授)の腕にはさまれて銀ブラがてら宝塚見物、オープンカーでお出かけ、ベレー帽ロングスカートで竹製スキーを滑り、戦争中何が悲しかったかというとテニスできなかったから。結婚するまで爺やと婆やに大切にされていた、そんなモダンガールが父と結婚して、妻は常に家を守るべしと外出禁止。79歳で死ぬまで父に尽くすことを強要された。結婚のおぜん立てをしたリベラルの旗手といわれた大内兵衛も、自分の息子代わりだった甥が、それほど馬鹿な頑固者だったと気付いていなかったのだ。当時の女に職はなく逃げようがなかった。

昔に比べて少しは良くなっていると信じたい。誘拐されそうになっても、子供たちには護身用ベルや携帯電話があり、情報も広がり人々の目も行き渡るようになってきた。虐げられた者が訴える法も少しは整備されてきている。このような暴力によって力のないものが被害にあうような事件が減ってきていると思いたい。ジャックのような子供が、もう出ないと思いたい。
この映画、誘拐されてひどい目にあった、可哀そうな高校生の話ではない。暴力を自分の叡知ではねのけた、立派な女性のお話だ。パワフルな母親と息子との愛情物語だ。しっかり結び合った母と子供との愛の物語だ。だからとても感動的だ。

2020年2月4日火曜日

映画「7月22日」ノルウェー2011年ウトヤ

原題:7月22日
アメリカ映画 ネットフリックス配給
監督:ポール グリーングラス
キャスト
アンデルシュ ダニエルセンリー:犯人アンドレスBブレビク
ヨン オイガーデン      :ゲイル弁護士
ジョナス ストランドグラベリ :被害者少年 ヴィリャル
ソルビョレン ハール     :首相
アイザック バキリ アグレン :トルジェ ヴィリヤルの弟
オラ G フルセス       :被害者少女 ジェーン

ストーリー
2011年7月22日早朝 アンデルス ベーリング ブレビクが、盗んだ警官の制服に身を包み、手際よく手製爆弾を車に積み込むシーンからフイルムが始まる。
ブレビクはオスロの官庁街、ストルテンベルグ首相のオフィスのあるビルの前に車を止める。彼が車から立ち去った数分後、セキュリテイーが動き出す前に車は爆発する。死亡者8人。建物の被害は絶大だった。しかし、警察や報道陣が動き出すころには、すでにブレイビクは、別の車でオスロから22キロ離れたウトヤ島に向かっていた。

ウトヤ島では民主党主催で若者たちのリーダーシップを育てるためのサマーキャンプが開催されていた。民主党党首のストルテンベルグ首相のオフィスがテロのターゲットになったニュースは すぐにウトヤ島にも伝えられる。島には小さなフェリーで行き来する以外に交通手段がない。島に渡るためのフェリーの入り口には、2人の主催者が待機していた。警官の制服を着たブレビクは、主催者にオスロで爆弾事件が起きたので警備のために島に渡りたいと言う。主催者はブレビクをフェリーに乗せて島に着いたところで、ブレビクの態度に疑問を持ち、警察証明書の提示を求める。ブレビクはためらうことなく2人の主催者を撃ち殺す。

こうして陸から孤立した小さな島に閉じ込められた子供たちへの無差別攻撃が始まる。逃げ惑う子供たち。戸外でキャンプをしていた子供たちが、重装備に身を固め、何丁ものライフル銃をもった犯人ブレビクに次々に打ち殺される。銃声に驚いた建物の中にいた子供たちに向けて、ブレビクはマイクを通して、「外は危険なので教室の中で待つよう」に指示する。サマーキャンプの主催者の一人であるビジャルは、弟のトルシェをふくむ数人の仲間達と海に面した崖に身を隠す。海に泳いで逃げようとしている子供たちは、一人ひとり狙い撃ちされ、殺され沈んでいく。林に逃げ込んだ子供たちも皆見つかって殺される。崖に隠れていた子供たちもどんなに息をひそめていても、犯人には容易なターゲットになった。教室で恐怖におびえながら待っていた子供たちも次々と殺された。
子供たちの悲痛な声が警察本部に届き、船で警官隊が到着した時には、死亡者69人、怪我人100人近くの犠牲者が出ていた。単独犯ブレビクは警官に包囲されて、笑いながら無傷で拘束される。

ブレビクは極右白人愛国者グループのリーダーを自称し、以前ネオナチグループの弁護を担当したことのあるゲイル リップスタッドを、自分の弁護士に指名する。ゲイル弁護士は事の重大さに逡巡するが、プロの弁護士として任務を引き受けることを承諾する。犯人は900人ほど居るネオナチグループのメンバーだと主張するが、グループは、ブレビクのあまりに過激な子供たちへの攻撃には批判的で、グループメンバーだったことはない、と関係を否定する。ブレビクは16歳で両親が離婚し孤独な人生を歩み、ヒットラーを信奉してきたがパラノイドがあり、明らかに精神分裂病の症状が出ている。ゲイル弁護士は、彼を警察署に拘置せず、精神病院で治療すべきだ、と主張する。しかし世論はそれを許さない。何の罪もない子供たちが恐怖のどん底に落とされて無残に殺されたのだ。これからの民主党の若いリーダーとしてノルウェーの未来を担っていく子供たちが惨殺されたのだ。怒れるおとなたちは、犯人に極刑の断頭台に引きずりださねば気が済まない。ゲイル弁護士の自宅に石が投げ込まれる。家族も自身の身も安全があやぶまれる。しかし弁護士は動ぜず、犯人と1対1で、対話を続ける。

サマーキャンプのリーダービリャルは、5発の銃弾を全身に浴び、長い昏睡状態に陥っていた間にも幾度も手術を受ける。意識が戻ったが片目の失い、さらに脳に入り込んだ銃の破片を全部取り除くことができなかった。何時その破片によって急死するか、何らかの障害がおこるかわからない。彼はそんな壊滅的な状態から歩行練習を始める。歩くことも自分で立つこともできない。視界も狭くなり良く見えない。過酷なリハビリ。どうして自分がこんなひどい目にあっているのか、答えがない。怒りが収まらない。怒り、不安,焦燥。困難ながら歩けるようになっても、犠牲が大きすぎてまともな精神状態が保てない。家族がはれ物に触るように扱うのもやりきれない。運よく無傷で生き残った弟がどんなに兄を思っているかわかっていても、さらに煩わしい。同じキャンプで一緒にリーダーを務めていたジェーンは、妹を失ったがビリャルの壊れてしまった心を支えようとする。

法廷では犯人ブレビクが精神異常なので刑事事件として法廷で裁くことができないというゲイル弁護士の主張は、世論に押されるかたちで却下される。犯人ブレビクは、77人の殺人、100人余りの負傷者を出した犯人として法廷で罪を問われることになった。ブレビクは、たくさんの犠牲者家族が傍聴室で見守る法廷に初めて姿を現し、裁判長に向かってヒットラー式敬礼をしてみせる。その一瞬、法廷にいた人々の息が止まる。
長い裁判が始まる。一人ひとりの子供たちがどのように殺されていったのか、親にとっては傷口に塩を塗りたくられるような痛みの検証がなされる。事件が起きた時、すぐに島にアクセスできるヘリコプターがなかったのは、どうしてか。テロ対策が他国に比べて、遅れているのではないか。生き残った被害者もひとりひとり証言し、犠牲がどれほど大きかったのか検証される。

ビリャルは法廷に出て犯人と対置する。そして証言する。「自分は犯人が発射する5発の銃弾を受け、頭を撃ち抜かれ片目を失った。脳の奥深くに埋め込まれた銃弾の破片は手術で取り除くことができず、何時致命的な事態に襲われるか、何時新たな障害が起きるかわからない状態で生きなければならない。しかし、あなたは可哀そうだ。自分にはあなたにはない愛がある。自分を支えてくれる両親や兄弟や友達がいる。あなたには誰もいない。あなたはひとりきりだ。」と述べる。
判決が下される。21年間の実刑、その後も裁判所が犯人が社会に危害を及ぼす懸念がある場合、実刑を延長することができる。判決後、犯人ブレビクは、笑いながら「I DO AGAIN」と言う。ゲイル弁護士は、犯人と最後の面会をする。ブレビクは笑いながら「また会いに来てくれる?」と。ゲイル弁護士は無言で、求められた握手をせずに部屋を立ち去る。
というストーリー

映画の主役は、世論の圧力に抗しながら法のために極悪犯の弁護を引き受けるゲイル弁護士。法の正義を信じるゲイル弁護士にとって、極力自分の感情を抑えて犯人と接してきたが最後に、問われたことに返事をしないこと、求められた握手を拒否すること、でもって万感の思いを込めて立ち去っていく姿が、とても良い。黙って立ち去る足音に、テロリストに対する怒りと憎しみといった、一人の子を持つ親としての、人間らしい感情がこもっている。

もうひとりのこの映画の主役、被害者のビリャルにも、心から共感する。たった16歳で片目を失い障害者となった彼の苦しみ、リハビリの痛み、激しく打撃を受けた精神に再び血が通いだすまでの死に物狂いの姿にただただ圧倒される。明日のノルウェーを担う選ばれリーダー資質をもった子供たちを含めた、77人の命が、たった一人の男の暴力によって否定される理不尽。小さな島で逃げ場がない、助けも来ない、恐怖と絶望感の中で殺されていった子供たちの悲鳴が、実にリアルにフイルムで再現されている。ショートパンツにシャツで逃げ回る子供たちに向けて、警官の制服と重装備で冷静沈着、ロボットのように銃を発射させる殺人鬼の姿に言葉を失う。
こういった暴力がいつでも起こりうる社会で私たちは生きている。民主主義が理解されていない。民主主義が体現されていない。極右勢力はいまやヨーロッパだけでなく世界のどこにでも住み着いている。わたしたちはウトヤ島7月22日の出来事を忘れてはいけない。いつまでも覚えていて、怒り続けなければいけない。そう強く思う映画だ。

この映画のタイトルは、「7月22日」だが、もうひとつ「ウトヤ島7月22日」という映画がある。ノルウェーオスロ生まれのエリック ポッペ監督によるノルウェー語の作品だ。ポッペは戦場カメラマンでもあるが、映画「ヒットラーに屈しなかった国王」でアカデミー賞候補になったことがある。これもドキュメンタリータッチで無差別乱射をリアルタイムで描いていて、生存者や遺族の全面的なサポートを受けて作った作品だ。
この映画「7月22日」はアメリカ映画だが、この映画の後、ノルウェーで起きた事件なのにノルウェー語で描かれていないことにノルウェーから怒りの声があがり、ノルウェー語によるノルウェー人俳優だけの、ノルウェー人監督ポッペによる「ウトヤ島7月22日」が作られた、と聞く。こちらも是非見てみたい。





2020年1月18日土曜日

ジミーチェンのドキュメンタリ「メル―」

原題:MERU
監督:ジミー チェン
   エリザベス チャイ ヴァサルヘリ
キャスト:ジミー チェン 
     コンラッド アンカー
     レナン オズターク

山岳登山家にして写真家、ジミー チェンが例えようもなく素晴らしいドキュメンタリーフイルムを、2本作った。「メル―」2015と、「フリーソロ」2019だ。

「フリーソロ」は、昨年アカデミー賞長編ドキュメンタリーフイルム賞を受賞した。この映画については2019年に観た映画の中で最も優れた映画だったので、このブログでも繰り返し書いている。単独登山家のアレックス オノルドが、ザイルもハーケンもカラビナも使わずに岩山を登頂するフリーソロというスタイルで、カルフォルニア、ヨセミテ国立公園の「エルカピタン」と呼ばれる1000メートルの絶壁を、世界で初めて登頂したときのドキュメンタリーフイルムだ。アレックスが1インチに満たない岩の割れ目を、3本の指でつかみ、そこに全体重をかけて自分の体を引き上げて、よじ登る。尺取り虫の様に、身体の3点を確保しながら岩壁を進む。その一挙一動を少し離れたところで、ザイルを確保しながらジミー チェンら3人のクルーが撮影する。直下からは望遠レンズでカメラを回す別のクルーが居る。そうして登頂に成功したアレックスの恐怖心や逡巡、逃亡や再挑戦といった過程や、彼の私生活の様子を編集して、より真に迫ったドキュメンタリー作品に仕上がっている。何よりも、人間が描かれている。

この映画「フルーソロ」に興奮した人は、「メル―」でぶちのめされる。何といっても世界の最高峰ヒマラヤだ。エベレスト8844メートルを拝している。世界で初めての岩壁登頂記録だけでない。それを成功した3人の山男たちのヒューマンドラマが素晴らしい。
「メル―」とは、ヒマラヤ山脈、中国側のメル―中央峰、6250メートルの難攻不落の岩壁「シャークフィン」の登頂記録だ。この岩山を2011年に、世界で初めて、ジミー チエン、コンラッド アンカーとレナン オズタックの3人が初登頂を成功させた。そのときのフイルムだ。

ストーリーは
コンラッド アンカーはヒマラヤで1924年に消息を絶ったままだった世界的登山家マロリーの遺体を見つけた有名な登山家だ。コンラッドには長年、マーク アレックスという登山家のパートナーがいた。このアレックスはコンラッドとザイルでつながったまま、岩場から転落して1992年に亡くなる。そのアレックスには18年間連れ添った妻、ジェニーが居た。ザイルパートナーを失くしたコンラッドは自分を責め、夫を亡くしたジェニーのために生きようとしてジェニーを再婚し、アレックスの3人の息子たちの父親になる。2008年、コンラッドは、ジミー チェンとレナン オズタックを誘いメル―に挑戦する。

3000メートルの高所をベースキャンプにして、総重量90キロのテント、燃料や8日分の食料を担ぎ、2台のカメラを持ち一行は出発する。ヒマラヤのアイスクライミングは、出来るだけ軽い荷物で天候の良いチャンスを狙って一挙に、3000メートル登らなければ成功しない。重いカメラ機材を持つため食糧はギリギリまで切り詰めなければならない。出発した時は良かった天候が、しかし3日目に急変する。強風とブリザードの連続で、急斜面に岩に括り付けたテントは嵐に愚弄されて揺れ、外に出ることも出来ない。いたずらに嵐の日々が経っていく。目的地まであと90%の道のりが残っているというのに、持ってきた食糧の90%がすでに消費された。それでも登るのか。リーダーのコンラッドは迷う。嵐が収まった8日目、再び一行は登り始める。食糧が無くなっても、みな行けるところまで行きたい。登攀開始から15日目、最後のチーズのかけらを3等分して食べる。食料が尽き燃料が無くなり、これからは、自分の生命力だけが頼りだ。出発から17日目。あと100メートルで頂上というところで、コンラッドは退却を決意する。飢餓状態で最後の力を振り絞って3人が頂上に達してしまったら、きっと3人とも帰って来られないだろう。下山する体力が残っている内に下りないと全員遭難することになる。
カメラが100メートル先の頂上を映す。手の届くところに夢見た景色が広がっている。青空にそびえ立つ頂上。3人は涙を呑んで退却し、生きて下山する。3人はこの時のことがあまりにつらい経験だったので、もうメル―のことは話題にしなかった、という。3人とも2度と同じ峰をトライすることはないだろうと思っていた。

3人のうちで一番若いレナン オズボーンは、画家で写真家でもある。メル―からの敗退の3年後、ジミーとレナンはスキーボードで互いに写真撮影をしていたとき、レナンは急斜面で転落し、頭がい骨骨折と、3か所の頚椎骨折という致命的な事故に遭う。その様子を横で撮影していたジミーは、この親友がもう二度と立ち上がることができない、それどころか一生植物人間としてベッドで生きることになるだろうという医師の言葉をのちに聞いて、自分を責めたてる。
レナンが事故に遭った4日後に、ジミー チエンは現場に戻って撮影を続けた。このとき雪崩が起きて、ジミーは600メートルの距離を雪崩とともに、時速130キロのスピードで流される。ジミーは親友のレナンは植物人間となり、自分はこのまま雪崩に巻き込まれて死ぬだろうと覚悟した。しかし奇跡的にジミーは生還する。カメラクルーはこのときの雪崩の様子やジミーが這い出て来て全身がケイレンしている様子を映し出している。
それからのレナンの活躍ぶりには目を見張る。彼は運命を信じない。頚椎骨折していることを認めない。狂ったようにリハビリに立ち向かう。必ず自分は立つ。立って先に進む。足が動かないがならば腕を強くすればよい。激しいトレーニングのためにレナンは、新しい頚椎骨折に見舞われる。それでも障害をものともせずに、レナンは復活する。もう一度メル―に挑戦するために。世界で初めてメル―を登頂するために。

そのころスロバキアの登山チームがメル―に向かい、自分たちと同じように登頂できずに下山したというニュースが入る。負けられない。レナンは本気でメル―を登るために厳しいトレーニングを積んでいる。このまま放っておける訳がないではないか。
2011年コンラッド アンカー、ジミー チェンとレナン オズダックの3人は、再びメル―に向かう。しかし山に取り憑いて、1日目に、強風でテントの柱が折れてしまう。翌日、レナンは疲労困憊してテントに倒れ込み意識を失う。レナンは死んでしまうかもしれない。コンラッドは撤退か、登攀かの判断に迫られる。しかし、レナンは持ち直し、3人は登り続ける。遂に、11日目にして、それまでリーダーとして先頭で岩場を確保してきたコンラッドが、2番手を歩んできたジミーに、先に行くように言う。譲られたジミーは、世界中の誰よりも先に、初めてメル―の頂上に立ち、叫び声をあげる。3人は世界で初めてヒマラヤ、メル―中央峰の難攻不落のシャークフィンの登頂に成功する。3人の感動のフイルムはここで終わる。

ジミー チェンは私たちをヒマラヤの頂上まで連れて行ってくれる。凍った岩場で自分の体を確保するだけで命がけなのに、登りながら重いカメラを担いでカメラを回し、山の素晴らしさを教えてくれる。氷点下20度のなか、厚い手袋をはめて、ハーケンを持ちザイルで身を確保する。カメラのボタンを押すときに、手袋を外さなければならない。カメラボタン操作をして1秒でも手袋をはめるのが遅れたら、指は凍って凍傷で使い物にならなくなる。危険を冒しながらもジミーは、登りながら撮る、という技術的に最も困難な方法で、ドキュメンタリーフイルムを作る。彼は新しい世界を切り開いた人。
山登りは孤独な作業だから山男は一般的に口数の少ない、社交が苦手な人が多いが、ジミーはいつも笑顔でとても話し上手な親しみやすい人だ。インタビューを聞くと彼の、幅広い知識に裏打ちされた豊かな人間性と人柄に魅せられる。ジミーと同じように登山家で写真家の妻エリザベスとの間に1男1女の子供が居る。登山が一流、写真も一流、人柄も穏やかで謙虚で、それでいて冒険心いっぱいの挑戦者。こんな素敵な人が世界にいるなんて。彼はこれからどんな山を私たちに見せてくれるのだろうか。いずれ出来ることだろう、第3作目に心を躍らせている。


2020年1月15日水曜日

ケン ローチの映画「家族を想うとき」

原題「SORRY WE  MISSED YOU」
邦題「家族を想うとき」
監督:ケン ローチ
キャスト
クリス ビチェン:父親リッキー ターナー
デビ― ハニーウッド:母親アビー
リス ストーン :セブ(セバスチャン)16歳息子
ケイテイ プロクター:ライザ ジェン 12歳娘

83歳の労働者の味方、庶民の代弁者、ケン ローチが社会の不条理に怒りを込めて作った作品。フイルムの端々から彼の怒りが、ふつふつと煮えたぎっているのが見える。
題名は「不在通知」。配達先が不在だったときに、配達人が置いていく通知書のこと。
映画は、真面目に働いて、真面目に家庭を持ち、きちんと税金を払い公共料金の支払いも滞りなく、働き詰めてきた労働者が、なぜ家庭を維持してやっていけないのか。貧しいものはどうして働いても、働いても楽になれないのか。虐げられているものは、真面目に生きて正直でいるのに、どうして騙されるばかりなのか。なぜささやかな家さえも買うことができないのかを問う。
社会のシステムが、壊れている。公共サービスが、利権中心の企業に切り売りされて内実を失い、福祉政策が形だけ残して無くなってしまった。市場原理の資本主義の構造が、むきだしになって、人々の上に襲い掛かる。人々は働いても働いても、生活ができないようになっている。これで良いのか。と、引退したはずのケン ローチは問いかけている。

ストーリーは
労働者の街マンチェスターで生まれたリッキーは、家族をもって今はニューカッスルに住んでいる。妻のアビーは、訪問看護師を勤め、長男セブは16歳で高校生、長女ライザは12歳、ジュニアスクールのに通う。2008年のリーマンショックに端を発した金融不況のあおりを受けてリッキーは、建設業の定職を失い、ローンを組んで家を手にする夢を失った。少しでも良い収入を望んで、いまフランチャイズの宅配業者のもとで運転手として働くことになった。契約では個人事業主となったリッキーは、配達用のバンを自分で買わなければならない。そのために古い自分の車も、妻のアビーが訪問看護に使っている車まで売り飛ばさなければならなかった。おまけに1000ポンド(14万円ほど)会社にフランチャイズの登録のために預け金を置かなければならない。いざ、働き始めてみると配達には厳しいノルマが課せられており、休日も、病気の時の保険もなかった。日々ノルマをこなすために、いったん運転席に座るとトイレに行く時間もなく、ユーリンボトルを持たされるはめに。荷物を持って配達先に行くあいだ、車を離れられるのは、3分間に限られている。急いで相手先に荷物を手渡して、走って3分で車に戻って、また移動だ。それでも仕事に少しでも楽しみを見つけようと、12歳の娘が望むまま助手席に乗せて、一緒に配達をしてみると、どこから知ったのかすぐにボスか介入してきて止めさせられる。

一方、妻のアビーは日に何軒もの訪問先を移動するのに、車を夫に売られてしまったので、バスで移動しなければならない。効率が悪いので家に帰るのも毎日遅くなる。二人の子供たちに夕食を作ってやることも出来ず、冷凍のマカロニを温めて食べるように指示したり、子供たちはシリアルで空腹を満たしたりしている。息子がスプレー缶を持って、仲間たちと公共建物に落書きをして、警察に連行されても、リッキーは、ノルマを果たすために、警察に息子を引き取りに行くことができない。学校から呼び出されても、リッキーは配達の手を休めることができない。すべてのしわ寄せがアビーの肩にかかってくる。リッキーは疲れ切って家に帰って来る。彼には問題を起こした息子の話をきいてやるだけの余裕がない。怒りに任せて、息子の携帯電話を取り上げてしまう。息子は、自分の命の様に大事にしている携帯電話を取られて、逆上して家を出て行ってしまう。

翌日家に帰ると家に飾ってあった家族写真のすべてが、スプレーで塗りつぶされている。おまけに朝リッキーが出勤しようとすると車のキーがない。息子の仕業に決まっている。父親はセブを殺しかねない勢いで探す。でもキーを隠したのは、息子ではなかった。12歳の娘が、「車が家に来てから父親の人が変わってしまった。車が亡くなったら、以前の様に家族みんなで仲良く暮らせるだろう」、そう思ってキーを隠していたのだった。リッキーは娘の柔らかい心に触れて、涙にくれる。それでも彼は働きに行かなければならない。

その日、リッキーは、配達で車を離れた隙に二人の暴漢に襲われる。大事な配達物を奪われ、リッキーは、殴る蹴るの暴行を受け、病院に運ばれる。そこでボスに事情を説明すると、「盗まれた荷物は保険でカバーされるが、配達できなくなった荷物のペナルテイーとして1000ポンド支払わなければならない」、と通告される。病院に駆けつけて来た妻のアビーは、それを聞くと、夫の携帯を奪い取り、夫のボスに怒りをぶつけてるのを止められない。「あなたのために今まで休日返上で家庭を犠牲にしてリッキーは働き続けてきた。いま仕事中に暴漢に襲われて大怪我をしているのに、どうしてペナルテイーを払わなければならないのか。」夫のボスを怒鳴り散らしてしまったアビは、冷静になってみると、自分のしたことで、夫が失業することになることを知って、あわてて夫に謝罪する。「いや、いいんだ。いいんだよ。」と妻を抱きしめるリッキーの折れた腕、痛む両足、切れた顔、満身創痍のリッキー。
翌朝、ごめん ぼくはもうここに居られない。SORRY WE  MISSED YOU.不在通知を残してリッキーは家を出ていく。
というお話。

リッキーの話は、いま普通にどこにでも転がっている話だ。それほど社会は破綻している。フランチャイズ組織は、リッキーの配送会社に限らず、マクドナルドであり、ケンタッキーフライドチキンであり、スタバであり、セブンイレブンであり、ローソンであり、クロネコヤマトだ。それぞれの店長さんは、決められた本社のノルマを達成することに追われ、おおもとの江戸将軍のところに、多額の上納金を収めに参勤交代しなければならない。上部組織は肥え太るが、末端の労働者はたまらない。このようにして搾取に搾取を重ねて富に膨れ上がった大企業を、市場経済は作って来た。特に、サッシャ―首相以降の英国の新自由経済は、完全に福祉型の資本主義社会を破壊した。

仕事に追われるお父さんでなく、昔のような優しいお父さんに戻って欲しい、と願って父親の車のキーを隠した娘の泣き顔には泣かされる。家出したはずなのに、父親が暴漢に襲われたと知るや否や、横たわる父親のベッドに 駆けつけて跪く息子の姿にも泣かされる。怪我をした夫が会社のボスから罰金を言い渡されて、妻がボスを怒鳴りつける姿も、自分だってそうするだろうと自分の姿に重ねて泣ける。この家族に降りかかっている事態は、明日の自分のことでもある。だれも他人の話だなどと言うことができない。骨折した腕で、もうどうにもなれ、と車に飛び乗って家を出ようとするリッキーに、自分の体を投げ出して、体を張って車を止めようとする息子、妻、娘。それでも振り切って出ていくリッキーの行く先には死しかないのか。それとも思い直して借金に借金を重ねながら家族ともども生きていくのか。

彼ら、ごく普通の家族を取り巻く環境は、酷い。ニューカッスルでも公共サービスが民間企業に取って代わられて、公立病院は、貧しい移民と老人とこどもで溢れかえっている。大怪我をしていても緊急処置をしてもらえずに、長い待ち時間を待たなければならない。街には収集されないゴミがあふれて悪臭が漂っている。ゴミ収集が、利潤優先の会社に代わったために充分収集されずにいるからだ。さりげなくフイルムはこうした町の様子を映し出す。
仕事が終われば家で子供達と温かい食事をとり、親は子供達の学校の話を聞き、子供たちは親の話を聞いて、ゲームをしたりテレビを見て過ごす。朝は食卓でそろって家族で食事をとる、といった家庭の姿が、すでに昔話になってしまった。おかしいではないか。
これからさらに、私達には、IT企業が生み出すツールによって大量の失業が発生する時代を迎える。史上最大の大失業時代が来ることになる。それで良いのか。

トマ ピケテイが、「21世紀の資本」で言うように、こういった新自由主義的資本主義の行き詰まりには、国家が介入して「資本税」を徴収することでしか解決できない。GAFAといったグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなどの巨大企業が世界の富の半分を独占しているが、そのような独占による富を人々に、公平に配分しようとするならば、暴力装置を持った国家が強制的に「資本税」を直接課税して、税を奪取しない限り不可能だ。

ケン ローチは2017年に、「私はダニエル ブレイク」を製作して、英国の福祉政策が死に絶え、老人に年金はなく、母子家庭に育児手当が配給中止になって、シングルマザーが体を売らないと食べていけないような冷酷な現状を告発した。ダニエル ブレイクは生涯、質の良い家具を手造りし、よく働き税金を納め、年を取って働けなくなって年金などの社会保障を求めたが、何一つ得られずに死んでいくしかなかった。ケン ローチは、渾身の怒りを込めてこの映画を作った。今回もケン ローチが怒っている。私たちは怒らなければならない。私達にはケン ローチが必要だ。おかしいことをおかしいという。間違っていることを間違っていると告発する。怒り続ける人。ケン ローチ、85歳。引退するにはまだ早い。
(最後の写真はケン ローチ監督)

ギターで歌っているのは、ブルースシンガーのハーデイ レッドベターによって1933年に書かれた曲:「GOODNIGHT  IRENE」(おやすみアイレーン)。ハーデイはこれを12弦ギターで歌っているが、この曲を映画の中では、妻のアビが世話している患者のおばあさんが歌っている。夫と諍いをして悲しくてむせび泣くアビの髪をとかしてやりながら、おばあさんが歌ってアビを慰さめる。自分では立って歩くことも排尿排便することもできないおばあさんが、看護師のアビを慰め、どんなときでも人は、互いに助け合うことができるということを教えている。

2019年12月29日日曜日

70歳、退化への道をまっしぐら爆進する



4年間公立病院に勤めたあと、15年間今の職場でフルタイムで働いてできて、年末、「チェッまたつまんねー仕事かよッ」と、不貞腐れ顔で出勤したら、70の形をした風船とチョコレートケーキが用意されていて、嬉しかった。
あとで写真を見てみたら、写っている職場の面々の出身国は、中国、東チモール、バングラデイシュ、ネパール、タイ、チリ、シオラレオーネと、全員異なる。いかにも移民で形作られてきたオーストラリアの姿を表している。国内紛争で避難民としてオーストラリアに来た人も、クーデターが起きて国を追われてきた人もいる。シラレオーネ出身の人は,、むかし親がダイヤモンド鉱山を持ち主だったが20数年前、外国資本の進出とともに暴力的に国をたたき出されたという。落ち着き先のシドニー郊外で、一家のために用意されたアパートには家具もあって、冷蔵庫にはミルクや食料が入っていて、戸棚には人数分の衣類まで入っていたそうだ。彼女は5歳だったが、その時の安堵と感動が忘れられないと言っていた。そのころは移民の受け入れも、とても良かった。ボスニアから赤ちゃんを抱えて亡命してきて、私と一緒にナースの資格を取った人も居る。オージー移民の話をひとりひとり聴いていると、地球規模の現代史が読み取れる。

オーストラリアの総人口は、2500万人。全人口に占める外国生まれは、人口の28.6%。オージーの4人に1人以上が外国生まれだ。私と娘たちが10年暮らしたフィリピンからオーストラリアに到着した1996年には、オーストラリア人口は、1500万人だった。 私たちがシドニーで勉強したり働いたり四苦八苦している間に1000万人の外国人が移民してきたことになる。政府が積極的に移民を受け入れてきた結果、激しい勢いで人口が増えて、街のインフラが間に合わず、遂に移民制限をしなければならなくなっている。

オーストラリアに来てナースの資格をもとに病院に勤めながら、政府の医療通訳に登録して、日本からの旅行者や在豪日本人が病気になったり怪我したときの医療通訳や、修学旅行の付き添い、搬送などのお手伝いをしてきた。自然、若い人達との交流もあり、今の日本の若い人について考えることも多い。

オーストラリアに、世界中からワーキングホリデイビザで来る若者の数は、毎年15万人。クイーンズランド州の農園では、フルーツピッキングに従事する人の90%が、ワーキングホリデイメイカーだ。オーストラリアの季節労働者は、ワーキングホリデイの労働力に依存していると言っても良い。去年オーストラリアを旅行した日本人旅行者は、47万人。ワーキングホリデイは5000人くらいだろうか。ワーキングホリデイは、18歳から31歳までの若者で農場で6か月以上働くと、最長3年間オーストラリアに居られる。最低賃金として決められているのは、最低時給20ドル、これに年金もつく。三寒四温で温暖な日本から、自然環境の厳しいオーストラリアに来ると病気も怪我も多いが、学ぶことは無限にあると言って良い。もっとたくさんの日本の若者が来て、オーストラリア人に触れて、しっかり働いて学んでほしいと思う。「とじこもり」の親は、そうした子供のポケットに1000ドルとパスポートねじ込んで、どんどん送ってもらいたい。

同時に日本でもワーキングホリデイビザを発行してもらいたい。31歳までの若い人々が世界中から来て、働くようになったら日本の労働市場も変わるだろう。研修生とか実習生と言う名の奴隷ではなく、中間斡旋業者を認めず、国と自治体が斡旋して外国から来た若者に職場を解放すれば、今のコンビ二業界や宅配業者は変わらざるを得ないだろう。年々人口が減り、経済が停滞し回復する見込みがない日本で、労働力不足を安価なアジアからの研修生でしのぐことは、かつて治安維持法と同時に中国と韓国から人々を拉致して強制労働させた国家的犯罪に通じる。世界中からワーキングホリデイビザで若者を受け入れるようになったら日本人の世界観も変わるだろう。

GAFAというグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの国境を越えたジャイアント企業が、世界中の富の半分以上を日々稼いでいる。資本主義世界のこうした構造を一挙にくつがえすことはできない。資本主義社会で労働者は、ほんの一部の資本家の奴隷にすぎない。しかし、生活レベルでは、圧倒的多数の労働者たちにとって、資本家には無いものがある。
それは人としての誇りだ。

70歳、COPDという治癒することのない呼吸障害がある。手指が変形してきて痛みもあり、曲げることができない関節もある。もうヴァイオリンは弾けないし、ギターも、そう遠くない時期に弾けなくなるだろう。記憶力が悪くなり、職場でポカもやる。PC操作では、問題が起こると娘たちの助けがないと解決できない。ヴィザの更新などPCで一人ではできない。70歳、退化への道をまっしぐらに爆進している。
しかし、人が誇りをもって働くということ。働くことによって生活の中に、喜びも哀しみも含めた人生に価値を作っていく。賃金を伴うかどうかに関わらず、人の為に働く、そのことが自分のために働くことになる。最後まで働く、ということで労働者としてのささやかな誇りをもっていきたい。そんなことを想った誕生日。
歌はクイーンの「LOVE OF MY LIFE」