2019年2月11日月曜日

チャイニーズオペラの夕べ

2月5日はチャイニーズニューイヤー正月だった。
新年のお祝いイベントの一環としてチャッツウッド市民会館、コンコースでチャイニーズオペラを上演したので行ってみた。香港から、役者一行と共に、指揮者のジョン クリフォードと、パーカッションなどの楽士達が来豪して公演が行われた。
チャイニーズオペラは一つが3時間以上の長いものだそうだが、今回の公演では、二つのオペラのハイライト部分だけが公開された。

演題:「STOPPING OF THE HORSE」
   「FATAL ATTRACTION」
舞台は背景を描いた舞台に机が一つ、椅子が一つという具合にしごく単純。役者達は、白塗りの顔に女性は目から頬にかけて濃いピンクに塗り、結い上げた髪には豪華な髪飾りをつけて、長衣のドレスを着ている。男性は眉毛が太く、10時10分くらいに眉を吊り上げ、髪にはこれまた豪華な髪飾り、美しい衣装に先のとがった布製の靴をはいている。

舞台に役者が登場すると、ものすごくけたたましく、騒がしい鐘と太鼓が鳴りだす。また役者が型を決めるたびに、激しくジャンジャン鐘が鳴り、ドーンとドラが鳴り、ドラムが叩かれる。高音のせりふはインを踏んだ歌のようであり、胡弓とともに謡われる。

「STOPPING OF THE HORSE」では、馬に乗って旅をする美しい娘が、一軒の茶屋で休憩する。給仕の男は旅人の美しさに見とれて、何かと話しかける。彼女を油断させて、お茶ではなくお酒を飲ませようとするが、そんな男の下心に彼女は乗ってこない。旅人と給仕の男とのひょうきんな歌のやり取りと、男のアクロバットが笑わせる。男は飛んだり跳ねたり、一つの椅子でバランスを取って椅子の背に立ったり、椅子を転がしたりしながら旅人の気を引こうとする。最後には、二人は親戚の従妹同士だったことが分かって、二人して旅して故郷に帰ることにする。楽しい曲芸と歌と踊りが見られる。

「FATAL ATTRACTION」は、娼婦だった薄幸の美女が、望まれて結婚したが、相手は獣のような姿で醜いうえに、人情もない男だった。それに相反して、夫の弟は美男子で力強く、社会的にも成功した立派な男だ。不幸な妻は、一目でこの弟を愛してしまう。男の方も兄の妻に魅かれる。やがて妻は惨めな夫との生活に耐えられなくなって、遂に夫を毒殺する。兄の死の知らせを聞いて、弟がやってきて心惹かれる女の愛の告白を聴く。女は自分を殺しに来た男の気持ちを変えて、男を自分の思いのままにしようと、様々な誘惑を仕掛ける。夫の葬儀のために白い服を着ているが、途中でそれを脱いで真紅の服になって男に迫る。彼女の服の袖は3メートルくらいの長い袖で、それをクルクル巻いたり、投げたりしながら踊って見せる。新体操のリボン競技のようだ。兄の妻に心を残しながら、弟は自らの剣で女を切り殺す。苦渋の選択だったが、復讐が達成された。

二つのオペラ、それぞれ高音の唄が美しい響きで、楽士達のドラや鐘は限りなく騒がしく、とても楽しんだ。実際初めてチャイニーズオペラを観るまで、オペラには男優も「女優」もいることを初めて知った。日本の歌舞伎の様に、「男優」ばかりで女形を男優が演じるものと思っていたのだ。おまけに「北京オペラ」と、「広東オペラ」とは違うものだと言うことも、現物を見に行って初めて知った。無知とは恐ろしいものだ。

私が観たのは香港からきた「広東オペラ」で広東語で演じられる、ユネスコから人類の無形文化遺産として登録されていた14世紀から17世紀から伝えられているオペラだった。香港文化博物館には、この広東オペラの衣装や歴史が常設展示されているそうだ。
もう一方のオペラは「京劇」と一般に呼ばれる「北京オペラ」だ。こちらは言語が異なって、カントニーズではなく、マンダリンだ。この二つの言語は、全く異なっている。同じ中国語などと言って混同してはいけない。日本に居る人にはわかってもらえないし、私も違いが聞き取れないが、国際人である娘たちはカントニーズとマンダリンをきちんと聞き分ける。

紀元前から爆弾を作り、文字を印刷してきた3000年もの高い文化を誇る中国民族と、過去100年間英国領で民主主義を身に着けブリテンのパスポートを持っていた香港人とは、言語も文化も人種も異なる。共にものすごく誇り高い人々だ。広東オペラと北京オペラの違いを知らずに、オペラを観に行った私は中国人の友人と行かなくて一人で行って、知らず知らずのうちに「地雷」を踏まずに無事帰って来られて良かった。帰ってきてから自分が見たのは、ユネスコ人類無形文化財の広東オペラの方だった、と知ったのだ。

チャイニースオペラに興味を持った切っ掛けは、チャン ガイゴー監督の映画「さらばわが愛;覇王別姫」(FAREWELL MY CONCUBINE)1993年作品だ。
これは捨て子だった少年:程蝶衣(チェン デイエー)が、京劇の女形役者となり、彼を子供の時から支えて来た男役の段小楼(ドアン シャオロー)と組んでオペラ「覇王別姫」を演じるが、二人は互いに愛情と憎悪と嫉妬に苦しむというお話。女役をレスリー チャン、相手役をチャン フォンイーが演じた。この映画の中で、二人が繰り返し演じるオペラ「覇王別姫」は、武将で王様の項羽と、その愛人虞美人(ぐびじん)の悲劇だ。

項羽は紀元前200年ころ、秦末から楚漢戦争の頃の武将で、自分の10万の兵と共に、劉邦の率いる30万の漢軍に囲まれて、「四面楚歌」(しめんそか)となり(四面楚歌とは項羽が四方敵に囲まれたこの史実からきている)、囲いを突破して逃れるが、戦いに敗れて殺される。このとき項羽の愛人の虞美人は項羽の足手まといにならないように自ら項羽の剣で自殺する。その後、項羽を破った劉邦は 漢王朝を築き400年間政局の安定を図る。
美しかった虞美人のはかない人生をオペラにしたものが、この「覇王別姫」だ。ちなみに虞美人草(ひなげし)の名前はこの美女からとってつけられたものだ。

紀元前200年の美しかった女が、花の名前となり、オペラとして現在まで伝えられてきた。虞美人の自死のシーンでオペラの観客は泣かされるが、チェン ガイゴーの映画の中でも、虞美人の役を演じたレスリー チャンは、チャン フォンイーの剣を奪って彼の目前で自死する。生涯たった一人の男を愛し続けた女形役者の哀しい結末だった。いつまでも心に残る映画だった。
新年に、チャイニーズオペラという、とんでもなく古い伝統文化に触れて、楽しむことができた。こんな贅沢を、現代に生きる自分が享受できることが何よりも嬉しい。

2019年2月10日日曜日

レバノン映画「存在のない子供たち」

映画:CAPHARNAOM (アラビア語でカオスの意)
レバノン映画
邦題:「存在のない子供たち」
監督:ナデイン ラバキ
キャスト
ザイン アル ラフェア:ザイン
ヨルダノス シフェラウ:ラヒル (エチオピアの母親)
ボルワテイフェ バンコール:ヨナス (ラヒルの赤ちゃん)
カウサー アル ハダト:ソウド(ザインの母親)
ファディ カメルヨセフ:セリム(ザインの父親)

2018年カンヌ国際映画祭パルムドール審査員賞受賞
2018年アカデミー賞外国語映画賞候補作

ストーリーは
ベイルート。子だくさんのレバノン人家族が小さなアパートで暮らしている。父親に定職はなく、母親は、違法ドラッグを刑務所にいる男に差し入れして利ザヤを稼いでいた。小さなアパートに7人の子供たちが折り重なるように眠る。そして早朝から子供達は小さな体で大人顔負けに働かなければならない。12歳のザインは スクールバスで同じ年頃の子供達が学校に行く姿を横に見ながら、自分の弟達や妹たちを連れて、野菜から作ったジュースを道端で売ったり、商店の配達を手伝ったりして僅かな賃金を得る。

ある日仕事を終えてアパートに戻ると、にわ鶏が何羽か届いていて、14歳になったばかりの姉が口紅をつけ化粧して中年の男の前に座らされている。ザインは怒って、姉の口紅を落とそうとするが、姉はすでに親に売られていくことを覚悟していて、ザインの抵抗を避け別れを告げて去っていく。

ザインは1歳年下の妹と特別に気が合って可愛がってきた。妹もザインを頼りにしていて、いつもザインの後をついて歩いている。ある朝ベッドに血痕をみつけたザインは、妹を洗面所に連れて行き、汚れた下着を洗ってやりながら、どんなことがあっても起こったことを親に言わないように命令する。そしてマーケットから盗んできたパッドを妹に渡して、汚れたパッドを家のゴミ箱に捨てないように、誰にも見つからないように捨てるよう言い渡す。ザインは妹を連れて家出する計画を立てる。しかし、間に合わなかった。バスで逃げる手配をしている間に、マーケットでいつもザインの母親に色目を使っている商店主が、ザインの宝だった妹を連れ去る。妹は、ザインに助けを求め泣き叫びながら連れ去られた。ザインはたった11歳の妹を、わずかな金で売り渡した両親に絶望して、妹と乗って逃げる筈だった長距離バスにひとり乗る。目的地などない。下りたところは遊園地だった。そこで仕事を探して回るが、大人たちは誰も相手にしてくれない。

遊園地で掃除婦をしているラヒルは、腹をすかせたザインを見るに見かねて食べ物を与える。彼女はエチオピアから密航してきた違法難民で、生後1歳に満たない赤ちゃんを育てている。遊園地で働く間、バスルームに赤ちゃんを隠していて、職場の行き帰りは荷物カートで赤ちゃんを人目に触れないように連れて帰り、人にわからないように育てていた。遊園地で寝泊まりし、飢えていたザインを彼女は家に連れて帰り、赤ちゃんの世話を頼む。ラヒルはスクウオ―ターのような小屋に住んでいて、赤ちゃんが居ると分かると居られなくなるので、ザインは赤ちゃんを泣かさないように、外にも出ないようにしてミルクを飲ませ、おむつを替えて、退屈して泣かさないように世話をした。

しかしある日、ラヒルは違法労働者狩りにつかまって警察署に連行される。ザインは赤ちゃんを連れて遊園地やラヒルの知り合いのところを探し回るが、彼女の行先がわからない。商人は、赤ちゃんの世話に手を焼くザインの様子を見て、赤ちゃんを売らないか、ともちかける。ザインは家に戻り、昔母親がやっていたように違法ドラッグを手に入れて、それを薄めて売り、小金を作り赤ちゃんを食べさせていく。しかし家賃を入れていなかったので、ザインと赤ちゃんは家を追い出されてしまう。家を失い、ザインは、赤ちゃんを自力で育てていけなくなって、遂に商売人の処に行く。イエメンの金持ちが子供を欲しがっている、と言われて赤ちゃんを置いて去る。そこでザインは同じストリートチルドレンが、身分証明書か、パスポートがあればスウェーデンに移住できると言うのを聞いて、身分証明書を取りに、二度と帰らないつもりだった家に戻る。

迎えた両親は激高して、ザインを罵倒し殴る。身分証明書が欲しい、生まれた時の病院の証明書が欲しいというザインに向かって、両親は子供のために病院になど行ったことがない。たくさんの子供の生年月日などいちいち憶えていないし知らない、と言ったあと、父親が、病院に行ったのはザインの妹だけだ、と口を滑らせる。商人に売られて、ザインの助けを求めて泣き叫びながら去っていった11歳の妹は、買われた商人の言うままにならなかったため、食べ物を与えられず、鎖に繋がれ、餓死同然で病院に運ばれて死んだのだった。ザインは、とっさに包丁を握ると商人の店に向かって走る。

刺された商人は車椅子生活者となり、12歳のザインは傷害罪で5年の懲役刑を言い渡される。ザインは法廷で、裁判長に求められるまま発言する。「僕は両親を訴えたい。人は尊重され、愛されるために生まれて来た。生まれてきた子供を育てられないならば、親は子を産むべきではない。」ザインは、どうして両親を訴えるのかと裁判長に問われて、「何故って ぼくは生まれて来るべきじゃなかったからだ。」と答える。
というストーリー。

カンヌ国際映画祭で映画のあと観客が総立ちで、15分間拍手が止まなかった、という話の通りのパワフルな映画だった。12歳の子供の口から出る正真正銘の「正しい言葉」のパワーに取りつかれて、映画の後もしばらく立ち上がれなかった。
「自分は12歳の今まで親から尊重されもしなければ、愛されもしなかった。生まれてきたこと、そのものが間違いだった。自分は罪を背負って生まれて来た。大人は生まれて来た子供を育てられないならば産んではいけない。育てられない子供を産んだ両親は罪に問われ、罰せられるべきだ。」子供が自分の身をもって証明した正論を、泣きじゃくりながら言うでもなく、叫ぶように訴えるでもなく、達観した哲学者のように淡々と裁判長に向かって言う子供の姿に胸がつぶれる想いだ。

一人としてプロの役者が出演していない映画。みな撮影場所の近隣で、普通の生活をしていた市井の人々を使って制作した映画。ザインの役を演じた12歳の少年の名は、本当にザインと言う名で、レバノンに住むシリア難民、8年間難民キャンプで暮らした少年だそうだ。フイルムは12時間の長い作品だったが、それを2年間かけて2時間半の作品にしたという。資金のない独立フイルムのため、制作者カルド モザナールは、自分の家を抵当にいれて映画製作をした という。パルムドールに選ばれたカンヌで、この映画の女性監督、レバノン人のナデイン バラキは、流暢なフランス語でアラブ世界に住む女性として、これからも女性の人権問題や貧困について発言していかなければならないことが多いが、ひるんではならない、と立派なスピーチをした。

子供がひどい目に遭うということが、この世で一番許せない。世の仕組みも、金融資本家が人を牛耳り、トップ26人の超富裕層が全世界の総資本を独占している現状も、軍需産業が肥え太るために、世界各国に戦争の火だねを故意に撒き散らしていることも、全く知らずに生まれてきた子供たちが、自分達は何の罪もないのに飢え、殺され、ひどい目に遭うことが許せない。12歳の子供が、親から違法ドラッグ造りを強制されたり、配達を命じられていった先でレイプされそうになったり、理由もなくぶん殴られたり蹴られたりしても、ザインは決して泣いたりせず超然としていた。その子がエチオピア人の掃除婦に拾われて赤ちゃんの世話を任されて信頼感が生まれていたときに、彼女が家に戻ってこない。再び自分が棄てられたと思って、少年は初めて泣く。このシーンが哀しくてたまらない。そんなザインが決して自分とは赤の他人の赤ちゃんを捨てようとせず、懸命にミルクを手に入れて、働いて金を作り赤ちゃんを育てようとする。この映画の批評に、シーンごとに泣きます、と書いてあったが、本当。うなずける。ワンシーンワンシーン、しっかり泣かされる。

映画の中でザインは一度として、文字通り一度として笑顔を見せなかった。しかし、彼の画面いっぱいの笑顔で映画が終わるのだ。刑務所の中で身分証明書が作られる。あなたには戸籍も身分証もなかったけど、やっとお望みの身分証明書が作られるんだから、カメラに向かって笑って、と係官に言われて初めて見せるザインの笑顔の何と、今にも壊れそうなデリケートで、やわらかな少年の笑顔、、、。そこに低音で響くチェロの独奏が流れて映画が終わる。
自分は世界一惨めで悲しい子供時代を送ったと思い込んでいるわたし、、、映画館の暗い座席でひとり身を沈めて、12歳の少年の心に共鳴して、ずっと泣いて居りました。少年の笑顔が消え、チェロの音が終わって、館内が明るくなって、掃除のお兄さんが掃除を終えて、再び電気が消えて、その後しばらく別の映画はかからないらしくドアが開いたまま暗い椅子で、やっと涙を拭いて立ち上がり出ていくまで,声をかけずに黙って待ってくれた掃除のお兄さん、ありがとう。
この映画、アカデミー外国語映画の候補作品だが、きっと賞を取ると思う。

2019年2月3日日曜日

クリントイーストウッドの映画「運び屋」

原題:「THE MULE」
(MULEは、ロバとか頑固者の意)
製作監督:クリントイーストウッド      
キャスト
クリント イーストウッド:アール ストーン
ブラドリ クーパー   :麻薬取締官
ローレンス フィッシュボーン:麻薬取締局長
ミカエル ぺニア    :麻薬取締官
ダイアン ウィ―スト : アールの妻
アリソン イーストウッド:アールの娘

ニューヨークタイムスのサム ドルニックによる「90歳のドラッグ運び屋」という記事で広く知られることになった、実際にあった事件をイーストウッドが映画化した。90歳のアールの役を、88歳のイーストウッドが演じている。イーストウッドは、第二次世界大戦の退役軍人で、ユリを栽培する園芸家、しかも犯罪歴のない60年間模範運転手だった老人が、コカインの運び屋として10年余り働いていたという、その人生に興味をもって、映画にしたのだと言っている。イーストウッドの言うように、アールと言う人は、誠に興味深い人で、コカインで作ったお金を、子供病院に寄付したり、退役軍人の施設の改築に使用している。76歳で運び屋を始め、月に250キロのコカインをメキシコからアリゾナに運び、逮捕され刑務所に入って間もなく亡くなった。
この映画がイーストウッドの最後の主演、監督映画になると、新聞で報じられたが、インタビューで、彼は肯定も否定もしていない。人に「これが最後の作品になりますね。」と言われて、「そうかもしれない」と答えただけで、自分では引退なんて言ってないよ、と笑っていた。嬉しいことだ。

ストーリーは
インデイアナ州 ミシガン市
アール ストーンはミシガン湖のほとりにユリの花を栽培するファームを持っていた。何人もの農夫を雇い180種ものユリを栽培し、新種のユリの育成にも成功していた。園芸科の間でもアールのユリは、いつも一番の人気を保っていた。アールの生活は、手間のかかるユリが中心で、妻や娘のことに構うことがなかった。ユリの花は最も短命で、手を抜くとすぐに枯れてしまう。ユリの品評会に気を取られていて、一人娘の結婚式に出るのを忘れたときは、さすがに慌てたが、娘はその日以来二度と父親と口をきこうとしない。妻もアールを責めたてるばかりで家から離れて、ファームに住むアールは、事実上別居、離婚状態になってしまった。

時が経ち、2000年代になると一般に園芸熱が冷め、ユリの球根も売れなくなリ、ビジネスが立ち行かなくなってしまった。すでに76歳になっていたアールのファームは、差し押さえとなり園芸ビジネスを畳まなければならなくなった。
ファームからトラックに家財道具をすべて乗せて自宅に帰ると、妻は口汚く夫を責め、娘は険悪な顔で相手にせず、家族は他人扱いで家に入れてもらえない。仕方なくアールはトラックで、立ち去る。

彼の新しい職場には、60年間無事故だったという模範運転歴を買われて、雇われた。雇い主は、何やら見るからに怪しげな男達だが、言われた通りにニューメキシコから荷物をトラックに載せて、言われたモーテルに配達する。始めは何を運んでいるのか見当もつかなかったが、じきにコカインだとわかる。知らないうちにドラッグマフィアの片棒を担いでいたのだ。犯罪組織は、アールのことを、タタ(おじいちゃん)と呼んでいて、次第に親しくなっていった。模範運転手の年よりを、運び屋だなどと誰も疑わない。麻薬捜査官の目をかいくぐって仕事は順調だ。
しかし犯罪組織が仲間割れして、親しかったボスが殺される。そんな取り込み中に、アールの妻が癌で死の床に居るという知らせが入る。アールは断りなしに仕事から離れ、妻のもとに走る。妻は夫が来てくれて喜び、再び夫を受け入れる。心の平静を取り戻し、妻はアールの腕の中で亡くなる。葬儀もすべて終わって、彼は職場に戻るが、事情を知らないギャング達は勝手にいなくなったアールを責めて脅し、再び運び屋を強い監視の下で行わせるが、遂に麻薬取締官の厳重体制を突破することはできず、彼は逮捕される。

すべての罪状を自ら認め、アールは進んで刑務所に入る。そこで再びユリの栽培に精を出す。嬉々として花造りをするアールの姿を追ったシーンで、映画が終わる。

イーストウッドの無駄のないフイルム、ストーリーの流れにぴったり合った音楽、筋書きのテンポの速さ、編集の完璧さ。これがイーストウッドの映画だ。彼の洗練されたフイルムが好きだ。無駄のないフイルムの作り方は、恐らく何十年間ものあいだ、ロクでもない映画から一生忘れられない名画まで、数えきれない映画に、役者として出演してきた経験から、無駄を省く能力を身に着けたのだろう。

映画のなかで、麻薬捜査官ブラデイ クーパーが、カフェのカウンターで、携帯を見ながら、思わず「畜生」と声を出す。横にたまたま居たイーストウッドが、「誕生日か?」と聞く。「いや、結婚記念日だった。」麻薬捜査が終盤にはいって、家からしばらく離れている。それを責める妻からの携帯へのメッセージに慌てる夫。そんな何気ない会話のテンポの良さ。 彼は私生活では2回離婚しているが、5人の異なる女性との間に7人の子供がいる。今回の映画で長女のアリスン イーストウッドが娘役で出演している。自分の結婚式にも来るのを忘れていた父親を責めるときの怒り顔は、演技と思えない辛辣さと怖さだった。

イーストウッドは1955年から63本の映画に主演し、1977年からは37本の映画を監督している。他のどんな映画監督よりも、多才で多彩で多産な監督だ。
本当につまらない映画にもたくさん主演している。あきれるほどだ。1955年からはテレビシリーズだけでも11本、西部劇には50本あまり主演している。
1960年代には、マカロニウェスタンの主演で、ジョン ウェインなどによる正統派西部劇でなくて、血しぶきが飛ぶ残酷なイタリアン西部劇のヒーローだった。1970年から1989年は、ダーテイーハリーこと、キャラハン刑事の型破りなダーテイーヒーローとして、暴れまくった。

彼が映画を単なる娯楽として捉えるのではなく、映像、演劇、音楽のすべてのジャンルを統合する「総合芸術」として、取り組みだした契機は、1992年の「許されざる者」(UNFORGIVEN)からではないだろうか。これで初めてのアカデミー作品賞、監督賞を獲得した。この映画は、殺し屋として名をはせた男が、完全に足を洗い、田舎で子育てをしていたが、街にギャングが現れ、女たちを脅かしている姿を見ていられず、親友(モーガン フリーマン)を誘って、ジーン ハックマンのシェリフが居る街にきて、悪者をやっつけるお話。勧善懲悪が当たり前だった西部劇に、複雑な男たちの駆け引きや、異なった価値観を持つイギリス人のシェリフや、いつも犠牲になる気丈な女たちの視点も取り入れて、沢山の名優を動員して作られた映画だった。

1992年のアカデミー賞受賞以来、彼の映画熱と機動力は、目を見張るばかりだ。1995年「マディソン郡の橋」、2003年の「ミステイック リバー」、2004年「ミリオンダラーベイビー」、と続いて、この作品で再びアカデミー賞作品賞と、監督賞が与えられる。この時、彼は74歳だった。「ミリオンダラー ベイビー」は、安楽死を助長する映画だとして批判もあったが、再起不能のボクサーを望み通りに死なせてやる老コーチに共感して、涙する人の方が多かったのではないか。
2006年には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作で、第二次世界大戦の激戦地、硫黄島におけるアメリカ軍と、日本軍にとっての硫黄島を、鮮やかに描いてみせた。戦争の愚かさを徹底的に描いた優れた反戦映画だ。
2008年の「グラン トリノ」では自動車工場が閉鎖されたラストベルトのデトロイトに暮らすアジア人少数民族の子供達を描いた。名もない真面目にフォード車のために働いて引退した年よりが、自分の正義感から後に続く青年のために、自分の命を差し出す潔さに、心揺さぶられる思いだった。私はこの「グラン トリノ」と、「J エドガー」が一番好きだ。完成度の高い、芸術作品。映画が娯楽だなどと誰にも言わせない。

2003年の「ミステイック リバー」の主役ショーン ペン、2009年「インヴィクタス」のマット デイモン、2011年「J エドガー」のレオナルド デカプリオ、そして2011年の「アメリカン スナイパー」のブラドリ クーパー、、、みごとな配役だ。
「インヴィクタス」で、南アフリカラグビーチームの主将がマット デイモンでなかったとしたら、全然映画が異なったテイストだった。「J エドガー」をレオナルド デカプリオが演じていなかったら、映画そのものの意味が異なっていただろう。素晴らしい配役だ。
イーストウッドは、ワーナーブラザーズ社の中に、自分用の大きなスタジオとオフィスを持っていて、何十年間もやりたい放題をしてきたそうだが、彼のような才能をずっと抱えて、わがままをじっと聞いてきた会社も太っ腹だった。映画の構想を立て、思うような役者と交渉し、思い通りに映画を作る、最も恵まれた監督だった、と言えよう。

2018年「1517パリ行き」は、パリ発15時17分発の列車でテロが起きたとき、たまたま乗り合わせていた3人の青年達の英雄的な行為で、死者を一人も出さずに済んだという、「タリス銃乱射事件」を題材に、実際この時の3人の青年達を出演させて、ドキュメンタリーともいえる手法で映画を作った。イーストウッドの実験とも言うべき作品だが、青年たちの演技に、何の違和感もなく、実によくできた映画だった。

イーストウッドが、この映画「運び屋」で主演したのは、2012年「人生の特等席」以来6年ぶりだ。「人生の特等席」では、黄斑部変性でほとんど失明しているが、それを自分で認めようとしない頑固親爺が、メジャーリーグ、レッドソックスのルーキー発掘に情熱を燃やし続ける年寄り役で、とても感動的だった。
「運び屋」では、ひょうひょうとしてニューメキシコからアリゾナまでの長距離を、ラジオに合わせて歌を歌いながら、運転する姿が、とても良い。自然体で、魅力的だ。いつまでも「男」を背負っている、イーストウッド。身長193センチの長身。それが、今回の映画で背が曲がってしまっていて、ちょっと悲しかった。88歳だからなどと、言ってもらいたくない。彼自身の言葉で、引退するなどとは言っていない。年をとっても「男」の魅力がいっぱいのイーストウッド。これからも走り続けていって欲しい。
映画の最後に、シンガーソングライターのトビー キースが「DON"T LET THE OLD MAN  IN」という歌を歌っていて、それがとても素敵だ。
この映画3月8日公開だそうだ。

2019年1月28日月曜日

映画「グリーンブック」

映画:「GREEN BOOK」
監督:ピーター ファレリー      
キャスト
ビゴ モーテンセン:トニー リップ ヴァレロンガ
マーシャラ アリ :ドクター ドナルド シャーリー
リンダ カーデリー:ドロレス トニーの妻
デイミテル マリノフ:オレグ
マイク ハットン :ジョージ

2019年第91回アカデミー賞作品賞候補、主演男優賞候補、助演男優賞候補
2019年ゴールデングローブ、コメデイミュージック作品賞受賞作
トロント国際映画祭ピープルズチョイス賞受賞作品

グリーンブックとは、郵便局に勤めていたビクター ヒューゴ グリーン氏によって書かれた黒人旅行者のためのガイドブック。1936年から1967年まで盛んに利用された、黒人を受け入れるモーテルやレストランの案内書で、このガイドブックなしに黒人が安全に他州へ移動したり旅行することができなかった。

ストーリーは
1962年ニューヨーク
イタリア移民のトニー リップ ヴァレロンガは妻と二人の幼い子供を持ち、ニューヨークのアパートに住む。イタリア人の常で、両親、親戚すべてひと固まりで仲良く暮らす大家族の一員だ。仕事はナイトクラブの用心棒。教養はないが、腕っぷしは強く、イタリアマフィアの目にも留まっている。家族との生活も仕事も順調だったが、勤めていたナイトクラブが改装のため一時閉鎖することになって、しばらく仕事が無くなりあぶれてしまった。そこで、ドクターシャーリーというピアニストが運転手を募集していると聞き及び、トニーは カーネギーホールの階上にあるアパ―トに面接に行く。驚いたことに、ドクターシャーリーは、黒人の紳士だった。このドクターは良家に生まれ、3歳の時からピアノの才能を認められ、10代で黒人で初めてロシアから奨学金を得て留学しヨーロッパで教育を受けた人だった。ホワイトハウスにも2度招かれて演奏をしていた。ニューヨークで演奏活動をしていれば、倍の収入になるにもかかわらず、8週間かけて、アメリカの西部から南部をコンサートツアーに行きたいという。そのために運転手が必要なのだった。8週間後のクリスマスイヴには帰れる約束だ。週に経費抜きで週125ドル、法外の良い条件で、トニーは雇われる。

1台の大型車には ドクターの音楽仲間、チェリストとコントラバスが乗り、別の1台にトニーの運転するドクターシャーリーが乗車してツアーが始まる。ドクターは、トニーの遠慮のない話し方や、食べ方、平気で店から物をちょろまかしたり、車を止めて立ちションするなどの素行に閉口し、いちいち腹を立ててトニーを「教育」しようとする。トニーは、生まれてから教養人などに会ったこともないからドクターのアドバイスを理解できずに怒るが、最初のコンサート会場で、ドクターが演奏するクラシックピアノの音と、その華麗な姿に感動する。しかしドクターはいったんステージを下りると、コンサート会場の白人専用のバスルームを使わせてもらえなかったり、社交も限られている人種差別の現状を目の当たりにする。

トニーは毎日のように妻に手紙を書く。間違いだらけのスペル、文法も小学生の作文よりひどい。見かねてドクターはスペルを教えながら、詩的で美しい文章を口述して、トニーに書かせる。送られた愛情のこもったロマンテイックな手紙は、家でトニーの帰りを待つ妻を感涙させ、親類一同を感動させた。「出会って君に恋したのはごく自然なことだった。僕は君を、朝も夜も愛す。昨日も今日も明日も愛す。死ぬまで愛する。君の夫より。」

コンサートツアーは順調とは言えない。ある町ではドクターが、バーに入っただけで、白人の酔ったグループにリンチにされて、飛び込んで助けに入ったトニーは銃を持っているふりをして、その場からドクターを助け出す事態も起きた。またある夜、YMCAのプールで白人男性を会っていたドクターは、警察に逮捕されるところだったが、トニーは機転をきかせて警官を買収してドクターを奪還する。しかし、さらに南部に移動して、ポリスに車を止められたトニーは、人種差別的な警官に侮辱されて思わず警官を殴って、逮捕される。無抵抗だったドクターまで同じ警察署の留置所に入れられて、ドクターは弁護士に電話をかけさせてもらうように要求する。ドクターは警察署から、ロバート ケネデイ司法長官に直接電話をして訳を話す。たちどころに州の知事から警察署に電話があり、二人は釈放される。

トニーはドクターが黒人なのに司法長官を動かすような権力を持っていることに腹を立ててドクターを激しく責めたてる。一方ドクターは警官に暴力を奮ったトニーを責め、二人はいがみ合う。ドクターは黒人であって、黒人でない。彼のアイデンテイテイ、彼の孤独感を誰も理解することができない。そこは、ナット キング コールが演奏しようとしたら、数年前に観客にステージから引きずり下ろされて殴られたような土地柄なのだった。

アラバマ州ビルミガン、ここが最後のコンサート会場だ。コンサート前に音楽仲間たちと会場のホテルレストランで打ち上げの夕食を取ろうとして、ドクターはレストランへの入場を断られる。その夜クリスマスデイナーの主賓であるのも関わらず、レストランは黒人客を拒否する。トニーはレストランマネージャーにつかみかかり、ドクターはコンサートで演奏するのを取りやめにする。ドクターとトニーは、黒人ばかりのバーに入り、飲んだついでにトニーに勧められて、ドクターはステージのピアノで「ショパン」を弾く。われんばかりの拍手。時をおかずステージにバンドメンバーが上がり、ジャズを演奏し始める。ドクターもノリに乗ってジャズを弾いて、愉快な夜を過ごす。すべてのコンサートツアーは終了して、長い帰途につく。

一行はニューヨークを目指して走る。大雪に苦労しながらも運転を続け、とうとうクリスマスの夜に間に合った。ドクターは疲れ切ったトニーをアパートで降ろして、帰っていく。賑やかなトニー家の歓迎。クリスマスの料理、愛する妻と子供達、気の置けない親類と友人たち。食べて飲んで、、、でもトニーの心は何故か沈んでいる。
一方ドクターも自分のアパートに戻り、一時ほっと安心する。でもなぜか孤独感が募る一方だ。
やがて、トニーのアパートのチャイムが鳴る。立っていたのはドクターだった。トニーはドクターを心から歓迎して抱きしめる。トニーの妻が駆け寄って来る。「素敵な手紙をたくさん、たくさんありがとう。」ドクターはトニーの妻を抱きしめる。
というお話。

ハートウオーミングなロードムービー。ゴールデングローブでコメデイミュージック賞を取ったが、コメデイと言ってしまうには重すぎる。人種差別をテーマにしている。

南北戦争が18万5千人近くの戦死者を出して終結し、リンカーンが奴隷制廃止に踏み切った後でも、黒人差別は依然として合法だった。「異人種結婚禁止法」は1952年全米48州のうち29州で法制化されていた。「法的」に人種差別が禁止、解消されるまで1969年代のマルチン ルーサーキング牧師などによる公民権運動の高まりを待たなければならなかった。ケネデイが暗殺された後、ジョンソン大統領になって、「公民権法」CIVIL RIGHTS ACTがようやく制定されたのが、1964年7月2日だ。
それまで南部のジョージア州、アラバマ州、ミシシッピー州などでは学校、図書館、交通機関、トイレ、ホテル、レストランなどで、公然と人種分離が行われていた。
公民権法で差別が禁止されたあと、現在でも国勢調査(2017)によると、年収$24858以下の貧困ライン家族は、白人家族に比べ黒人家族は2,4倍を高く、明らかに経済格差が認められ黒人家族の貧困率は高く、犯罪率も高く、教育水準は低く、格差がある。

そういった不合理な社会で異なった皮膚の色、異なった教育背景を持つ二人の人間が、はじめは衝突し憎み合うが、過酷な旅を続けるなかで互いに理解を深め、最後には無くてはならないほどの関係になる、という、感動モノの映画がたくさんある。
古くは「手錠のままの脱獄」のトニー カーチスと、シドニー ポアチエ。「ドライビング ミスデイジー」は何度も芝居にも映画にもリメイクされたが、ジェシス ダンデイとモーガン フリーマン。「48時間」のニック ノルテと、エデイ マフイ。「レサル ウィポン」のメル ギブソンとタミー グラバー。「メン イン ブラック」のトニーリージョンズと、ウィル スミス。「パルプ フィクション」のジョン トラポルタと、サミュエル ジャクソン。「ブラックKKK」のアダム トラバーとジョン デヴィッド ワシントン。この2018年の映画は、ベンゼル ワシントンの息子ジョンデヴィッド ワシントンのデビュー作だ。父親のようにハンサムでなくて、背の高くなくてちょっとがっかりだけど、相手役のアダム トラバーが冴えた演技を見せてくれた。

こうした、二人の人間が肌の色や社会的背景の違いを越えて親友同士になったというストーリーは 美しく納得もしやすく、感動もする。でもそれだけで差別が乗り越えられたと、思い込むのは早とちりというものだ。
現にこの映画でも、実際のドクターシャーリーの姪と言う人が、この映画は白人の側から白人の視点で都合よく作られていると、厳しい批評をしている。実際のドクターシャーリーは、2013年に86歳で亡くなったそうだが、彼の人生は醜い人種差別への挑戦であって、映画で語られた何十倍もの重圧の中で苦しみの多い人生だったと思う。映画でも、音楽仲間がニューヨークでコンサートをしていれば良いものを、人種差別の激しいアメリカ南部にあえて出かけて行ってコンサートをするのは彼の挑戦であって、世界を変えたいと彼が思っているからなんだ、と言うシーンがある。良い意味でも悪い意味でも良家に生まれて、天才ピアニストとして成功した世間知らずの芸術家が「人は変われる」と信じて、自分という例がアメリカ社会の人種差別の根を根絶させることができると夢みた結果、どれだけのバックラッシュを受けなければならなかったか。映画の中でも何度も命の存続危機に襲われる。アラバマ州のあるステージでは、ナットキング コールが観客からステージを引きずり降ろされ殴られたというエピソードでは、人の心の闇を見る想いだ。ドクターシャーリーの姪の映画に対する批判を、しっかり聴かなければならない。映画の中で、ドクターが大雨の中でトニーの車に乗るの拒否して、I ’M NOT ENOUGH BLACK、 I ’M NOT ENOUGH WHITE、WHERE AM I? と叫ぶ姿が忘れられない。黒人でも白人でもない。自分の居場所はどこなんだ。血を吐き出すような、魂の叫びだ。

この映画の良さは二人の役者の優れた演技によるものだ。
粗忽もの、教養のみじんもないイタリア移民を演じたビゴ モータンセンは60歳のオランダ系アメリカ人。「ロード オブ リング」(2001、2003,2005)のアラゴン役でおなじみの顔だ。「キャプテン ファンタステイック」(2016)でノーマ チョムスキーを信奉する7人の子供の父親役が印象に残っている。本人はデニッシュ、フレンチ、スパニッシュ、イタリアン、ノルウェデイアン、スウェデッシュ、カタロニアンまで自由自在に使うことができる人で、役者、プロデユーサーだけでなく作家、詩人、画家、音楽家としても活躍している多才な人なのだそうだ。興味深い。

ドクターシャーリーを演じたマハーシャラ アリは2016年アカデミー作品賞を獲得した映画「ムーンライト」で、アカデミー助演男優賞と、ゴールデングローブで助演男優賞を受賞したばかりの人だった。モスリムで初めてアカデミー賞を受賞したことで話題になった役者だ。「ムーンライト」で心を閉ざした少年を庇護する素敵な男を演じたこの人が、この映画の天才ピアニストのドクターだったとは、全く気が付かなかった。まして「ベンジャミンバットんの不思議な一生」(2008)にも出演していて「ハンガーゲーム」(2015)にも、「HIDDEN FIGURES」(2016)にまで主役にプロポーズするかっこよい男が、この人だったなんて、全く気が付かなかった。どこを見てたんだ。この役者が変形自在で、役になり切った居るから、素顔が見えないのだと思う。この映画で、ピアニストを演じているが、どこからみてもこの人が本当に、ピアノを弾いているとしか見えない。美しい長い指で、本当に弾いている。自分も楽器を弾くから素人の役者が楽器を弾くシーンでは、弾いている振りをしても、音を出していないと、すぐ見破れる。メリル ストリープがバイオリンを弾くシーンなど、弾くマネが下手で大笑いしてしまった。でも、今回の映画シーンで、この役者、本当にショパンを弾いている。おまけにジャズまで自在に弾いている。これが役者の数か月の訓練だけで演じていたのだとすると、信じられないけどすごい役者だ。恐れ入る。

ビゴ モータンセンとマハーシャラ アリ二人の熟練役者なしに、この映画に価値は出なかっただろう。アカデミー賞候補として話題になり始めて、監督がセクシャルハラスメントで結構破廉恥なヤツだったとやり玉にあげられたり、ビゴが黒人をさす禁止用語をポロっとインタビューで口を滑らせ、その場が凍り付いたこともあって、一昨年マハーシャラ アリがアカデミー賞を取ったばかりだし、この映画 今年のアカデミーはだめだろう。でも心温まる映画であることは確かだ。見て損はない。サム スミスによるサウンドトラックも素晴らしい。3月1日公開。


2019年1月8日火曜日

ドイツ映画「女は二度決断する」

ドイツ映画
原題:「AUS DEM NICHTS」
英語題名:「IN 'THE  FADE」(薄らいでいく、ゆっくりと姿を消す、の意)
監督:ファテイ アキン
キャスト
ダイアン クルーガー:カシャ
デニス モシット  :ダニエル 弁護士    
ヌーマン アチャル :ヌリ カシャの夫
ラファエル サンタナ:ロッコ カシャの息子
ヨハネス クッシン :アンドレ ミラーの弁護士
ウルリッヒ トゥクル:アンドレの父親
ウルリック ブラントロフ:アンドレ、極右ナチ信奉者
ハンナ ヒルスドール:エダ アンドレの妻
2017年ゴールデングローブ最優秀外国語映画賞受賞
第70回カンヌパルムドール候補作
第90回アカデミー外国語映画賞候補作

ストーリーは、
ドイツ、ハンブルグの街
トルコの少数民族クルドからドイツに移民してきたヌリは、ドラッグデイラーの罪で、4年間刑務所に居た。刑期を終えた後、ドイツ人カシャと結婚し、小さなオフィスを借りて税務士の手伝いと、通訳をしていた。美しい妻と6歳の息子が自慢だ。郊外に家を持ち幸せな家庭を築いていた。
ある夕方、妻のカシャは昔からの女友達と会うために、息子のロッコを夫の事務所に預けて出かける。事務所を出たときに、若い女が真新しい自転車を道に置いて立ち去るのを見て、声をかけた。自転車に鍵かけないの?若い女は笑って、すぐ戻るから大丈夫と言って姿を消した。カシャは、女友達と会い、しばらくして帰途に就くと、事故で道が遮断されている。見ると夫の事務所が、何者かによって爆破され死傷者が出ているという。夫とは連絡がつかない。死者の身元が不明だと聞いて、カシャは、警察に遺体を見せてほしいと言うが、遺体は損傷が激しく、人の形をしていない、と言う。警察は身元確認のためにカシャの夫と息子の歯ブラシをDNA検査のために持っていき、やがて2つの遺体は、カシャの夫と息子のものだったことが判明する。

警察は爆弾犯人が、東欧からきたギャングによるものか、夫のヌリにドラッグの犯罪歴があることから、ドラッグをめぐるマフィアの争いだと決めつける。担当刑事はカシャ自身がマリファナを常用していることを知って、ドラッグがらみの事件として処理しようとする。彼は、夫が頻繁にドラッグデイラーと連絡を取り合っていた証拠をカシャに見せる。しかしカシャは、事務所を出たとき、若いドイツ人の女が置き去りにした新品の自転車の荷台に爆弾が仕掛けられていたに違いないという確証があった。カシャは極右ナチ信奉者によるテロではないかと疑う。これはナチのヘイトクライムではないか。

最愛の夫と息子を奪われ、遺体をトルコに持っていきたいと主張する夫の両親を遠ざけたあと、カシャは一人きりになり、風呂場で両手首にカミソリを当てる。しかし意識が途切れる前に、弁護士からメッセージが携帯に送られてきて、カシャが予想した通りに、爆弾犯人は極右ナチの仕業で、すでに犯人が逮捕されたという。カシャは自殺するのを中止して裁判で犯人たちと正面から向き合うことにした。
裁判所でカシャは、夫の事務所前に自転車を置き去りにした女と、その夫アンドレというナチ信奉者が、爆弾を仕掛けたことを知る。長い公判中、夫と息子が爆破によってどんな死に方をしたかを知らされて傷つく。一方、爆弾犯人容疑者たちが、当日ギリシャに居たという証人が現れる。テロリスト側のアンドレの弁護士は、カシャがドラッグユーザーであることから、爆弾の入った自転車を見たというカシャの証言に信ぴょう性がない、と主張する。爆弾に使われたクギや肥料と全く同じものが、容疑者のガレージから発見されても、他にカシャの言うような自転車を見た人が現れない。遂に出た判決は、無罪。アンドレ ミラー夫婦は釈放される。

カシャは居たたまれない。夫と息子の死につぐないは無い。カシャは、ミラー夫婦がギリシャで宿泊していたというホテルに行く。そこは極右ナチ団体の根拠地だった。やはり公判での証言は嘘だたのだ。カシャは爆弾を作る。それを胸に抱いて、ミラー夫婦がいる車に入り込み、、、。
というお話。

監督ファテイ アキン44歳は、トルコ系ドイツ人。移民の街、ハンブルグで生まれ育った、硬派の社会派監督だ。社会的弱者に光を当てる作品を作って来た。若いころ DJで、生計を立てていたそうで映画の中の音楽の挿入の仕方や、バックグランドミュージックの使い方が秀逸だ。映画のはじめで、ヌリの出所と、それをウェデイングドレスで出迎えるカシャの場面が感動的だ。出獄を待ち望み、結婚を待ちきれない二人の喜びが、「マイガール」の歌とともに広がって、隅々まで幸福感で満ち溢れる。大音響のマイガールの歌が心地よい。音の使い方が、すごく上手だな、と思う。
で、つぎの瞬間に、眼鏡をかけた首の白い、ひょうきんで、もう100%愛らしい6歳のロッコの顔が大写しになる。街の騒音、人々の喧騒。音感の良い、音楽センス抜群の監督による映像が小気味良い。良いメロデイーを映画に取って付ける、ということではなく、映画作りには、良いリズム感が必須だということがよく解る。

この作品でダイアナ クルーガーは、ゴールデングローブ主演女優賞を獲得した。自身がドイツ人で、この映画の舞台となったハンブルグから遠くない街で生まれて育ったという。時間に正確で厳しい、責任感が強く、几帳面に仕事をきっちり仕上げる、など、日本人に似たドイツ人気質が、この映画にも表れていて、「自分のルーツに立ち返ることができた。」と言っている。ドイツ語という自分の言葉でドイツ女を演じることは、ハリウッドで活躍する彼女にとっても,大切な映画になったことだろう。撮影が始まる前の半年間、テロや殺人にあった被害者家族、30家族に次々と会って話をじっくり聞くことによって、夫と息子を失う役柄を考えた、という。意志の強い頑固な顎の張った四角い顔、大きな手、強靭なパワーを持った細身の体のダイアン クレイガーは適役だった。

もう一人印象的な役者は、爆弾犯アンドレ ミラーの父親役を演じたウイルリッヒ トウクル。ガレージで爆弾を作ったらしい息子を警察に通報して逮捕のきっかけを作った。実直で常識を兼ね備えた知識人の父親が、息子がナチに心酔していることに悩み、自分を責め、息子が極刑の受けることを覚悟で警察に突き出す。そんな哀しい父親をよく演じていた。怖れと恥とで歪んだ父親の顔。公判の休憩時間に、カシャが父親に近ついてタバコの火をもらう。互いに見つめ合うが言葉が続かない。カシャの犯人への憎しみと怒りを、苦しむ父親にむけることができない。このシーンが、カシャの最後の決断に大きく左右する。
息子は血も涙もないテロリストだが、息子を警察に突き出した父親は勇気のある立派な人間だ。カシャがナチ信奉者のテロに対して、テロで返答すれば、自分がナチ信奉者と同じレベルの卑劣な人間になってしまう。しかし、彼らのテロを赦して、そのまま生きていくことはできない。この父親のような人間になるのはどうしたら良いのか。憎しみゆえの復讐はどこまで許されるのか。人が人であるために、どこまで人は赦されて良いのか。

極右ナチ信奉者夫婦に無罪判決が言い渡された後、カシャは自分の脇腹に彫ってある武士のタツトウに加えて、武士が鮮血にまみれている姿に彫ってもらう。義憤と胸の痛みをタットウを彫る痛みで中和するかのようだ。余談だけど、この武士は三船敏郎にとても似ている。ファテイ アキン監督が黒澤明監督を尊敬していることが、よくわかる。

カシャは爆弾を一度は、憎いミラー夫婦の車の下に仕掛けるが、気を取り直してとりやめて、数日後に、爆弾を身にまとって犯人とともに自爆する。自分という犠牲なしに人を殺すことができないといったカシャのギリギリの人としての判断だった。
カシャは夫と息子の死に会って、生理が止まっていた。それが、ギリシャに犯人を追ってきてミラー夫婦を抹殺することに決めて行動に移そうとしているときに、生理が始まる。生理は命の再生であり、希望の兆しだ。夫と息子を奪われて、長い時間が経過した。カシャの底のない絶望に、わずかな回復の兆しが時間と共に表れて来ていたのだ。カシャが、その気にさえなれば、再び生き直すことができる。カシャには自分の命を再生する力が生まれて来ていたのだ。
しかしカシャはそれを拒絶する。亡くなった夫と息子に忠誠を誓うかのように後を追う。夫と息子への愛に純粋で誠実でありたいために。またミラー夫婦の父親の判断に恥じない自分でありたいために、ただの復讐ではなく、正義の名のもとにカシャは決断を下す。

法廷で死亡者ロッコの解剖所見が読み上げられた。爆破で6歳の子の胸に5寸クギが無数に突き刺さり、爆破熱によって皮膚は溶け、高熱を吸った肺は焼けて呼吸が止まり、眼球は溶けて無くなり、手足はちぎれて数メートル先に飛び、、、担当者は淡々と読み上げる。
カシャは、母親として自分の分身だった息子が最後に体験したことを、同じように自分も追体験せずにはいられなかったのだ。それが親というものだ。カシャの決断を誰が非難したり、否定できるだろうか。哀しい映画だ。





2018年12月25日火曜日

2018年に観た映画ベストテン

第1位:希望のかなた(The Other side of Hope) アキ カウリスマキ監督
第2位:スリービルボード(Three billboards ) マーチン マクトナー監督
第3位:華氏119     マイケル モア監督
第4位:かぐや姫 スタジオジブリ 高畑勲監督
第5位:アリースター誕生  ブラドリー クーパー監督
第6位:クレイジーリッチ アジアン ジョン M チョウ監督
第7位:ファンタステリックビーストと黒い魔法使いの誕生 デヴィッドイエッツ監督
第8位:ジェラシックワールド炎の王国  ステブン スピルバーグ監督
第9位:COCO アニメーション リーアンクリッチ監督
第10位:FERDINANDO アニメーション カルロ サルダンハ監督
           

第1位:「希望のかなた」は、このブログの4月1日に映画紹介と詳しい評価を書いた。このアキ カウリスマキ監督はいつも社会の底辺に生きる、名もなき労働者、移民、難民に照明をあてて、それらが現実社会で蟻のように踏みにじられる姿を映し出している。シリアから命からがら逃げ延びてヨーロッパに渡って来た兄妹が、警察や入管局やネオナチの襲撃から、言葉を絶するような酷い目に遭いながらも、自分達の志をもち、一歩も譲らない。映画の中で、苦い笑いや、真剣なのに思わず愉快に笑ってしまう人間性や、時代遅れのおっさんたちの奏でるロックが出てくる画面をみながら、社会派監督のメッセージが確実に伝わって来る。2017年に観た映画ベストワンは、同じく社会派監督代表のケン ローチによる「私はダニエルブレイク」だった。今年のベストワンは アキ カウリスマキ。ゴダールやアントニオーニやパゾリーニが居なくなり、この二人の様な正統的社会派の監督が作品を作り続けてくれて嬉しい。

第2位:「スリービルボード」は、1月14日に、このブログで映画の評価を書いた。娘をレイプ、誘拐され殺された母親の火のような怒りが大爆発する。クレモンの映画館で映画が終わった時、爆発のように女客たちの拍手が沸き上がり、みんな涙を浮かべてしばらく拍手が続いた。母親としての共感が波のように押し寄せていて、見知らぬ人同士で抱き合ったり顔を見合わせたりしながら、しばらくは拍手が鳴りやまず会場から出ていく人も居なかった。こんなすごい経験は初めてだった。

第3位:「華氏119」マイケル モアによるドキュメントで、フイルムの紹介はブログで11月17日に書いた。独自の取材方法で精力的に社会を告発する。得難いジャーナリストだ。

第4位:「かぐや姫」スタジオジブリの映画を、娘婿がダウンロードして見せてくれた。自然児、かぐや姫(タケノコ)が、野山を駆け回り、ステマル兄ちゃんに恋をする。互いにそれが恋と知らずに、最後には1度だけ結ばれて本当に嬉しかった。素晴らしいアニメーションだ。

第5位:「アリースター誕生」この評価は10月30日にブログで書いた。SHALLOWの曲を始め、映画のために作られたオリジナルの曲がどれも良くて、心にいつまでも残っている。

第6位:「クレイジーリッチ アジアン」については9月15日に書いた。ハリウッドではもうチャイニーズの資金や人材なしに映画を作ることが難しくなり、興行成績もチャイニーズ顧客なしに立ち行かなくなってくる。そういったチャイニーズパワー予兆を、チャイニーズ監督によるチャイニーズ役者だけで映画を作ることで、しっかりみせてくれた。

第7位:「ファンタステイックビーストと黒い魔法使いの誕生」は、JKローリング原作。ハリーポッターが生まれる以前のダンブルトン校長先生や、グリンデルバルドが出てきて、物語が広がってきて目が離せない。主役のエデイ レッドメインがチャーミング。頼りないが、愛すべき魔法動物学者がハラハラさせてくれる上、意表を突くような沢山の魔法動物が登場して、楽しい。

第8位:「ジェラシックワールド炎の王国」では’映画評を8月4日に書いた。いまだに地震で沈んでいく島に取り残された大型草食恐竜アパルトサウルスが、連れて行って、連れて行ってと叫ぶ様子が目に焼き付いていて哀しい。

第9位:「COCO」は2018年アカデミー賞ベストアニメーション賞作品。テーマソングの「リメンバーミー」がいつまでも記憶に残っていて、亡くなった先祖を思い、思い出を大切にする心を教えてくれる。

第10位:「フェルデイナンド」は、スペインを舞台にしたアニメーション。8歳と10歳のマゴと一緒に観たが心優しい牛と少女の美しい物語に私の方が夢中になった。映像が美しく、登場する人と動物たちの表情の豊かさに心を奪われた。

2018年12月24日月曜日

是枝祐和の映画「万引き家族」

                  
私は1987年から1996年までフィリピンで夫の赴任のために家族で暮らし、そのまま帰国することなく、オーストラリアに移住した。22年経つから、30年余り日本で暮らしていない。だから、日本の貧困が実感として全くわかっていない。
1970年代、どんなひどい麻雀学生でも、ベトナム反戦運動で授業に出る暇のなかった学生も、みな結構大手のマスコミや企業に就職していたようだし、コネのない自分でも見栄も外見も気にしなければ食い詰めることはなかった。逮捕された友人たちの保釈金もバイトで作ることができた。朝鮮特需、ベトナム特需で他国の戦争を食い物にしてきた日本経済は、好調で仕事はいくらでもあったし、どんな馬鹿でも就職できた時代だった。

パリ大学の経済政治学者トマ ピケデイも言うように、資本家が十分以上に収益を得た好景気の時期には、賃労働者にも配分が充分行き渡る。好景気の下では、労働者が平均以上に生産性を上げ、配分も多く得られる。本来資本家と賃労働者の利害は対立するが、それでも余るほどの需要供給に見合う生産があったのだ。ただし好景気かどうかに関わらず、賃金格差は拡大する一方で、今後の世界経済に希望はない。資本主義社会が続く限り貧富の格差は開く一方で、庶民が貧困から脱却できる方法はない。
90年のバブル崩壊、2008年リーマンブラザーズに始まる米国の株暴落により、日本の不況はすでに20年続いている訳だから、日本社会の貧困の進行、こどもの飢餓、老人年金の減額など理屈ではわかるが、じっさい記録を読むとびっくりする。

日本全体で非正規雇用者が2000万人を超えて、全労働者の約40%を占めているという。年収200万円未満の人が1000万人を超え、生活保護受給者が215万人、貧困ラインの人は2000万人。何よりも驚くべきことは、貧困者の10%しか生活保護を受けられずにいるというのだ。福祉行政官は何をやっているのか。福祉行政に関わるものたちは、10%の人だけ生活保護するだけで平気でいるならば、自分たちは10%分の仕事しかしていないことになる。それならば、福祉行政官たちは、90%のサラリーを返上するべきではないか。
地域の福祉行政担当者は10%の仕事しかしていないことを恥じて、障害のために役所まで行って書類を記入できない人、知的障害のために生活保護申請ができない人、学校にいけない子供、充分食べられない子供を探し周り、発掘するために足を棒にして探し回るのが仕事ではないか。そんな思いで、頭に血が上っているときに、この映画が、シドニーでも上映されたので観て、さらに怒っている。偽政者は、貧困を社会現象にするな。

邦画;「万引き家族」
映画タイトル:「SHOP LIFTERS」       
監督: 是枝祐和
カンヌ国際映画祭2018パルムドール受賞作品
キャスト
リリーフランキ―:柴田治
安藤サクラ:柴田信代 治の妻 
樹木希林 : 柴田初枝 治の母
松田茉優 : 柴田亜紀 治の義妹
城檜吏  : 柴田翔太
佐々木みゆ: ゆり
柄本晃  :山戸頼次 駄菓子屋主人
ストーリー
東京荒川区にある古い平屋。
年金生活をしている初枝の家には、日雇いで働く息子の治とその妻、信代、信代の妹の亜紀、そして息子の翔太が一緒に暮らしていた。初枝の年金と、息子の日雇い収入と、妻がクリーニング屋に勤める収入を合わせても、生活していくには苦しく、家族は足りない分は治と翔太とで万引きをして工面して生計を立てていた。
初枝には、むかし浮気をして出て行き、再婚して別の家庭をもち、いまは裕福に暮らしている息子夫婦が居るが、その家に毎月通って「慰謝料」をせしめていた。彼女がパチンコ屋に入れば他人の箱を盗んで平気でズルをする。
息子の治は、日雇いにあぶれた日は、翔太を連れて万引きに出かける。治は翔太に、店の商品はまだ誰にも買われていないのだから誰のものでもない、と言って万引きが罪ではないと言って聞かせ、学校は学校に行かなければ勉強できない馬鹿の行くところだ、と説明して学校に行かせないでいる。
信代の妹、亜紀は風俗営業で身を立てている。

ある冬の夜、治と翔太はアパートのドアの外で寒さに震えている小さな女の子を見つけて家に連れて帰る。ゆりの体に無数の体罰の跡をみつけた家族は、家に帰りたがらないゆりをそのまま自分の家の子供として引き取ることにする。貧しくても心の通った優しい家族。

冬が過ぎ、夏には家族で海に行って海水浴を楽しんだ。それを最後に年には勝てず、初枝は亡くなる。葬儀代を出せない家族は、遺体を床下に埋める。初枝の年金はそのまま、嫁の信代が引き出して何事もなかったように生活を続ける。
しかし翔太は、初枝のへそくりを見つけて大喜びする両親の姿や、車の窓を破り車荒らしする父親を見て、徐々に疑問をもつようになる。ある日、万引きをした駄菓子屋の主人に、妹にだけは万引きをさせてはいけない、と言われたあと、ゆりがスーパーで万引きを真似しようとしたので、わざと自分が捕まるように派手に店のものを奪って逃げ、追われて道路から落ち怪我して病院に運ばれる。

家族はこれを知って、家族の秘密が漏れることを怖れて、荷物をまとめて逃亡しようとしたところで警察に逮捕される。初枝を埋葬しなかった死体遺棄、ゆりを家に連れて来た幼児誘拐、初枝の年金を受け取っていた横領、翔太を学校に行かせなかった保護者責任放棄、罪状は限りなくある。信代が一人で犯罪を犯したことにして、信代は刑務所に入り、翔太は施設に保護され、学校に通うようになる。亜紀もゆりも家庭内で児童虐待をされていたと思われる両親のもとに戻る。
治と信代とはむかし暴力をふるう信代の夫を殺害して死体を遺棄した罪で、治だけが罪をかぶり刑務所で刑期を収めた過去がある。そんな夫婦に同情した初枝が、息子として治を自分の家に住まわせるようになったのだった。そこに初枝のもと夫が残した息子夫婦の娘、亜紀が加わり、パチンコ屋の駐車場で車の中に置き去りにされていた翔太が家族に加わり、さらにゆりが連れてこられた。6人は全員が全く血のつながりのない擬似家族だった。

1年経ち、信代の依頼で、治は翔太を連れて刑務所に面会に行く。そこで、信代は厳しい顔で翔太に、松戸のパチンコ屋の駐車場から翔太を連れて来たことを話し、その車のナンバーを伝える。これで翔太は、望むならば本当の両親を探し出すことも出来る。
その夜、翔太は治に、自分が病院に送られた時、自分を置いて逃げようとしたのかどうかを問う。治はそうだと言い、そんな自分を恥じ、これからは、「とうちゃんじゃなくて、自分は翔太のおじさんにもどる」、と言う。翌朝,翔太は治にむかって「自分はあのときわざと捕まったのだ。」と告白してバスに乗り込む。去っていく息子を必死で追いかける治、、、その先にもう息子は居ない。
というストーリー

是枝監督は、「血縁がつながっていない共同体というモチーフをここ10年追いかけて来た。」と言う。私が観たのは「誰も知らない」と「「そして父になる」2013。「誰も知らない」では無責任な夫婦によって戸籍のない3人の子供達が世間から隠れて生きざるを得ない姿に胸が締め付けられるようだった。「そして父になる」では赤ちゃんの取違いで苦しむ親たちよりも、そういった苦しむ親の姿に翻弄される2人の息子たちが痛々しくてたまらない思いだった。
今回、カンヌ国際映画で最高賞が与えられ、文部科学大臣が監督に会いたがったが、是枝監督が「公権力とは潔く距離を保つ。」と言って会見を辞退したと聞く。確かに国の教育普及、科学技術向上、文化財保護などを担当する役人から「おほめをいただく」必要など全くない。役人が真面目に仕事をして、児童に十分な保護と福祉対策を講じ、必要としている家族に生活を保障していれば、このような映画は作られていなかった。

子供を作る能力がないうえ、受刑して婚期を逃した治には、家庭を持って子供を育てたいという願いがとても強かった。また、夫から暴力を受け、まともな結婚生活を経験していなかった信代も子供を育てたい母性本能が強かった。なによりこの夫婦にはあたたかい家庭が欲しかったのだ。独居老人、初枝の寂しさと優しさが、治と信代夫婦につながり、不幸な子供達が集められて偽装家族が形成された。福祉政策や教育行政に血が通わないかぎり、このような家族や子供達があちこちに多発しても不思議ではない。生活保護を必要とする人々の90%が、保護されていないような現状では治家族のように生きる人がでてきてももんくを言えない。

それでも私は「どうして翔太を学校に行かせなかったのか。」と腹を立て怒りでいっぱいになる。治も信代も初枝も自分達だけは、曲りなりにも学校教育を受けたのに、どうして翔太に教育の機会を与えなかったのか。治にとって学校は「学校に行かなければ勉強できない馬鹿が行くと所」だったかもしれないが、そういった結論を出すのは翔太ではないか。治では断じてない。子供は社会的な動物だ。親だけの力で大人になることはできない。優しさでつながりたかった治は、結果として翔太が学校に行く選択の機会を奪い、翔太の個人としての自由と尊厳を踏みにじり、教育を受けるチャンスを奪った。このことは、老婆の死体を床下に埋めたり、万引きで食いつないだり、家庭内で暴力をふるうことよりも、ずっと罪深い。ラストシーンで、去っていく翔太を乗せたバスに、治が追いつくことは決してない。

映画のキャッチフレーズが、「盗んだのはきずなでした。」ということになっているが、「きずな」はそれほど大切か。人は優しさだけでは生きていけない。思いやりだけではつながっていられない。だいたい「家庭」で、傷つかずに育ってきた人がどれだけいるだろうか。子供にとって、物理的なせっかん、教育と言う名の暴力、明白な男女差別、長男特別扱いによる順次差別、他児と比較して選別に欠け、競争に駆り立て、ネグレクト、子供の意志を踏みにじり、捻じ曲げ、押さえつけ、屈服させ、子供の人生に介入して破壊する。こういったネグレクトの全部、過酷な人権無視を、優しさと善意で行なっているのが「家庭」ではないだろうか。子供時代の私にとって家庭は、権力者によって日々屈服させられる拷問でしかなかったし、大学入学と同時に家出したころは満身創痍、傷だらけだった。父にも母にも姉にも兄にも個人として尊重された日は一日もなかったと断言できる。

国家という組織が軍事力を背景に権威によって個人を収奪する暴力装置だとすると、「家庭」は最も小さな単位の、親という権威による支配構造を形造っている。家庭とは国家の末端に属する暴力装置だ。 
物理的にも経済的にも子供を完全支配する力を持つ親は、しかし、だからこそ権力者になってはいけないのだ。子供を玩具にしてはいけない。子供を支配してはいけない。
「家庭」よりも「個人」がひとりひとり良き人間として生きること、まっとうな生き方をする努力を続けることが大切なのではないか。強い個人が居て、初めて他人を尊重できる個人との関係が構築できる。真面目に学び、真面目に働き、心から人を愛し、愛するのもをいつくしみ大切にする、そのような強い個人が確立していなければ家庭は作れない。
権力構造を持たない家庭を作ることはたやすいことではない。何時壊れても、再生出来る家庭、流動体でボスのいない家庭。強い個人と個人の結束によって形作られた家庭。
互いのリスペクトによって結び合うことのできる家庭。そういった家庭を私は夢見る。
良い映画だが、考えることの多い映画だった。

2018年12月12日水曜日

エルミタージュ美術館モダンアート展

ペテルスブルグにあるエルミタージュ美術館は、一度は行ってみたい美術館だ。
1754年ロシア女帝エカリーナ2世が命じて、1762年に完成したバロック様式の華麗で壮大な城だ。ペパーミント色の外壁が美しい。建立当時の外壁はライトイエローだったそうで、第2次世界大戦中は、空襲を避けるために灰色に塗り替えられたという。(どんだけペンキが要ったのか)部屋数が460室もあり、大きな中庭を囲んで正方形の形をした冬宮に、居住したエカリーナは、移り住むとすぐにベルリンの美術収集家から225点の絵画を購入したという。

エルミナージュ美術館は、その冬宮と、小エルミタージュ,大エルミタージュ,新エルミタージュとエルミタージュ劇場の計5つの建物を言う。美術品の展示室1500室、古代エジプトの美術からラファエロ、ダヴィンチ、ベラスケスから、モネ、セザンヌ、マテイス、ピカソまで300万点を収蔵する。厖大な作品数なので、イヤフォン式の解説を聴きながら順序良く見て行くと少なくとも10時間、20キロの道のりを歩くことになるそうだ。スケボを持って行かないといけないな。

シドニーニューサウスウェルス州アートギャラリーで、これらのエルミタージュ美術館から、65点のモダンアート作品が貸与されて、展示会が始まったので見に行ってきた。ロシアの美術収集家、セルゲイ シチューキンと、イワン モロゾフの二人が収集した作品が展示されている。
オーストラリアにこれらの作品がやってくる先立って、2016年10月から2017年3月までパリの ルイヴィトン財団美術館でセルゲイ シチューキンの収集した作品展が開かれている。これを、シチューキンの孫で、相続人に当たるドエロク フルコーが監修した。エルミタージュ美術館から100年余りの間、外国で公開されることのなかったシチューキンの収集作品が公開されるということで、大変な人気となって、ルイヴィトン美術館の斬新な美術館の話題性もあって、60万人を超える入場者を記録して、2月に終了する予定が急きょ3月まで会期を延長されたという。
このときは、シチューキンの収集作品274点のうち、130点が渡仏した。展示されたのは、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、マテイスなどすべてパリで活躍した画家たちの作品だ。ロシア人美術収集家シチューキンは、まだ画家として実力を認められていなかった、マテイスとピカソに作品を依頼し、購入し収集したことで、彼らの生活を安定させ、国際的な認知を高めた。ピカソをシチューキンに紹介したのは、マテイスだった。マテイスとピカソ二人にとっては、シチューキンは、いわば育ての親とでもいえる役割を果たしたことになる。それにしてシチューキンの収集作品展に60万人が美術館を訪れたとは、パリっ子って美術好きなんだな。それとロシアがヨーロッパの一部で、フランスとは地続きだったということを改めて認識する。

かつては教会と王侯貴族がパトロンとして画家や音楽家たちの生活を支えた。しかしその後のモダンアートに時代になると、パトロンは富裕層ブルジョワに移り変わる。セルゲイ シチューキンもイワン モロゾフも革命前に織物業で大成功した実業家だった。モスクワのボリショイ ズメナンスキー通りに立派な屋敷を持っていたシチューキンにとって、定期的に夜会やお茶会を開催をするため、身分にふさわしい屋敷に飾る絵画が必要だった。確かに19世紀までのヨーロッパを舞台にした小説などを読むと、招待客が屋敷に招き入れられたとき、入口に飾ってある絵画で、その屋敷の主の教養が知れてしまうシーンが出て来て興味深い。日本だったら掛け軸、花器、とかお茶わんだろうか。ブルジョワが芸術を理解する教養がなければならなかった古き良き時代の話だ。
シチューキンは51歳のときに息子が自殺し、2年後に妻が病死し、失意のうちにひとり絵画に囲まれて暮らしたが、1917年のロシア革命によって、ボルシェビキにすべての美術品を没収されて、自身はパリに亡命し、パリで没した。

1917年のロシア革命は、人類史の中で最もダイナミックな歴史の動きの一つで、この時代に人々がどう生きたか、興味が尽きない。レーニンとクレプスカヤが、大混乱の中で何を思ったか、ツアーの家族たちがどう処分され、貴族の子供達がどのように命を長らえたのか。

宝石で有名なテイファニーも、フランス革命がなければ宝石商として成功しなかった。パリ2月革命で、宝石よりも命からがらパリから脱出するための資金を必要としたフランス貴族たちからテイファニーは、希少価値のある極上の宝石を手に入れたことで、商売を成功させる切っ掛けを作った。

私の子供の時のバイオリンの小先生は村山先生といったが、大先生はアンナというロシアから亡命してきたもと貴族の末裔だった。そんな話を、むかしマニラでフィリピンフィルハーモニーの音楽家たちと雑談していたら、「おや、僕のピアノの先生も。」「へー、僕のチェロの先生もロシア貴族の末裔だったが、晩年は一人きり誰にも看取られずに亡くなったんだよ。」と何人もの楽士がロシア人の名前を言い出した。ロシア革命で国境を越えてヨーロッパやアジアに逃れて来た貴族たちが彼らの「たしなみ」のひとつだった音楽によって他国で身を立てなければならなかったというロシアの歴史が、急に身近に感じられた瞬間だった。

ところでエルミタージュのシチューキンの収集作品展だ。
マテイスの作品を収集したシチューキンだが、マテイスの代表作「ダンス」と、「音楽」は、海を渡ってオーストラリアには来なかった。この二つの作品はシチューキンが自分の屋敷に入って真正面にある階段に飾るためにマテイスに描かせたもの。2017年パリのルイ ヴィトン美術館にも来なかった。マテイスも、ピカソも保存状態が良くなくて輸送できないのだそうだ。
フェルメールやレンブラントなどオランダやイタリアの画家たちは、職人として自分の作品に絶えず色を重ね塗りし続けていたので、保存状態が良く輸送にも耐えられる。しかしモダンアートでは、作家が常に新しい事に挑戦する前衛でなければならないので、作品を次々と発表する必要があり、昔の作品を手直ししたり、メインテナンスしないようになったからなのだそうだ。だから、エルミタージュにあるマテイスやピカソなどモダンアート作品はこれからも、外国美術館には 貸与されないかもしれない。「音楽」と「ダンス」を見たかったらぺテルスブルグに来なさいということだ。

今回の展示では、マテイスの「ボール遊び」1908、「ニンフとサテュロス」1908、「ひまわり」1899、「テラスの女性」1907、「赤と黒のカーペット上の皿とフルーツ」1906を見ることができた。
でも私はマテイスの作品では、後期の作品で彼がニースに移ってからの、明るく楽しい作品が好きだ。だから今回の展示作品でマテイスの作品では、好きな絵が一枚も無かった。ギリシャ神話に出てくる黄金時代の3人の男がうなだれて、何がおもしろくないのか知らないけれどボールゲームしている「ボール遊び」も、ギリシャ神話の欲情の塊、サチュロスがニンフを言うままにさせようとしている「ニンフとサチュロス」、しおれた「ひまわり」などなど、、、「あなたの居間にプレゼントしたい」と誰かに言われても、「要らない」というかも。

気に入った絵は、セザンヌの「静物画」1880、ゴーギャンの「マリアの月」1899、ピサロの「モンマルトルの午後の陽」1897、それとピカソの「扇を持った女」1908.
ピカソのこの作品は、まるい女の顔、まるい乳房、直線の四角い椅子、直線の背景。女の強い意志と、そこに居る存在感が強力なエネルギーを発していて素晴らしい。

面白かったのは、フイルムだ。
真っ暗な部屋に3面の大きなスクリーンがあって、右面のスクリーンでは、シチューキンに扮した役者が自分より20歳若いマテイスの魅力について語っている。向かいのもう一つのスクリーンでは、マテイスが自分の芸術的な視点につて語っている。正面の大きなスクリーンではマテイスの「ダンス」なみにほとんど裸のような姿で数人の男女が手を取り合って踊っている。音楽は古楽器。男女が音楽に合わせて踊る背景にマテイスの作品が次々と写される。自信家で裕福そうなシチューキンが、マチスの作品を買い求めるごとに、踊り子たちはシチューキンを、声を出してあざ笑う。まったく馬鹿にした笑い方だ。そして、フイルムの最後に、シチューキンは、「マテイスの良さはすぐにはわからない。」「マテイスの価値はずっとあとになって、後々の人々によって理解される時が来るだろう」、と言ってフイルムが終わる。とても気の利いた企画だ。シチューキンもマテイスも、このフイルムをみたあとは、ずっと身近で生きた人として捉えることができた。

エルミタージュ美術館からや、はるばるやって来た65点の絵画を見るだけで2時間半。スニーカーで行ったのにくたびれた。本場エルミタージュで、300万点の収蔵品、1500の展示室、イヤフォン解説を聞きながら、総行程20キロを歩いて芸術品を見る覚悟はまだできていない。

写真は、上から、エルミタージュ美術館冬宮
マテイスの「ダンス」
マテイスの「音楽」
マテイスの「ニンフとサテウロス」と「ボール遊び」
ピカソの「扇を持った女」

2018年12月9日日曜日

メッツオペラ「西部の娘」

ニューヨークメトロポリタンオペラ「LA FANCIULLA DEL  WEST」
邦題「西部の娘」
作曲:ジャコモ プッチーニ
上映時間:4時間
初演:1910年 トスカ二ー二指揮、エンリコ カルーソ(ジョンソン役)
監督:ジアン カルロ デルモナコ
指揮:マルコ アルミアト

                   酒場の女主人ミニ:エバ マリア ウェストブロック
デイック ジョンソン:ヨナス カーフマン
バーテンダーニック:カルロ ボシ
保安官ジャックランス:ジェリコ ルシク
鉱夫ソノーラ:マイケル トッド シンプソン
銀行員アシュビ:マチュー ローズ

プッチーニが、ニューヨークメトロポリタンオペラのために作曲したオペラ。
イタリア人作曲家によって作られたアメリカの西部劇(!!)を、イタリア語でオランダ人ソプラノ歌手と、ドイツ人テノールのカウフマンとが歌っている。プッチーニはメッツオペラの招きでニューヨークに滞在したあいだ、ヨーロッパと全く異なるビアホールや、バーや近代的な建物やアメリカ人気質に激しくカルチャーショックを受けた。それでアメリカっぽい文化をベースにした物語をオペラにしようと思い立ったという。冒険家だよね。

彼は、「ラ ボエーム」をパリを舞台に作曲し、ローマで「トスカ」を作り、さらに自分は行ったことのなかった日本のナガサキを舞台に「蝶々夫人」を作曲し、おまけに中国の物語「トーランドット」を作曲した。彼にとって、場所はとても大事で、その土地、その土地から受けるイマジネーションを、作曲のモチベーションにした。その土地に住んだわけではないから、その国々の歴史や様子に精通しているわけでなくて、深く文化を学んだわけでもないから、諸外国についてとても表面的な理解に留まっている。それでも彼は作曲家として天才としか言いようがない。

私はどんなオペラも大好き。中でもヴェルデイの「アイーダ」、「椿姫」、ビゼーの「カルメン」、モーツアルトの「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」、「魔笛」は大好きで、それを言ったら、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」や「ローエングリン」も忘れられない。しかしプッチー二の「蝶々夫人」は大嫌いだ。珍妙なナガサキを舞台に、坊主を「ボンズ ボンズ」とコーラスが飛び跳ねながら歌うシーンなど仏教を侮辱しているようで腹が立つし、だいたい16歳の少女を愛人にして子供を産ませる米国軍人のストーリーなど、不愉快だ。未成年虐待ではないか。

メッツでは、プッチーニがメッツのために作曲したこのオペラ「西部の娘」をあまり上演しない。メッツのために作られた作品なのだから、毎年取り組んでも良いようなものだが、アメリカ人のテイストがオペラにそぐわない上、観客の受けがあまりよくないのは、蝶々夫人嫌いの日本人の心象に似たものだろうか。これほどメッツに避けてこられたオペラを観るのは興味深いものだ。アメリカの西部劇はドライな仕立てなのに、イタリア人作曲家が西部劇を作ってみるとマカロニウェスタンならぬ、あまりにウェットな仕上がりで、当のアメリカ人には受け入れがたいタッチだったのだろうか。ストーリーの、悪者盗賊デイックジョンソンが、彼が愛する処女ミニのひたむきな純愛によって救われる、といった内容はカーボーイの心情にそぐわない。 それでもヨナス カーフマンの高貴な姿と、力強く美しいテノールを聴くためにこのオペラを観て来た。

オーケストラとそれを指揮するイタリア人指揮者、マルコ アルミリアトが素晴らしい。ダイナミックで華麗な指揮、現代舞踊を踊るような彼の姿を見ているだけで感動的だ。イタリア人の身のこなし方、全身全霊をこめて指揮する彼の多様な表現力はプッチーニが乗り移っているとしか思えない。彼は譜面を持って来ない。4時間のオペラ、総譜を暗譜している。こんなオペラ指揮者が他に居るだろうか。ただただ感歎。

ストーリーは    
第1幕
カルフォルニア、ポルカサロン金鉱の町。世界中からゴールドラッシュにつられてやってきた男達は、毎日金鉱で重労働に耐え、故郷に一握りの金を送るためにこき使われ、最後は泥にまみれて犬の様に死んでいく。男達の唯一の慰めは美しい女主人の経営する酒場だ。ミニはこの町で生まれ亡くなった両親が経営していたこの酒場を引き継いだ。彼女は両親がどんなに互いに愛し合って死ぬまで仲良く暮らしていたかを知っているので、どんなに男達が言い寄ってきても心を許さず、全く相手にしないで、本当に自分が心から愛せる人が現れるのを待ち望んでいる。保安官ジャックランスは妻帯者でありながらミニに執拗に求愛していて、ミニはほとほと困っている。
そんな酒場に流れ者デイック ジョンソンと名乗る男がやってきて、ミニは教会で前にあったことのあるその男を一目で愛してしまう。そして夜自分の家に訪ねてくるように言う。
第2幕
ミニはジョンソンを自分の家で迎え、生まれて初めてのキスを彼に与える。そこに保安官が男達を従えてやってきて、ジョンソンは極悪のお尋ね者だったことがわかって、追跡中だという。ミニは保安官たちが立ち去った後、隠れていたジョンソンに、自分の唇を奪っておいて嘘つきだったことを責めで出て行くように命令する。彼は出て行く。しかし、しばらくして銃の音がして、瀕死の重傷を負ったジョンソンの姿を見るといたたまれず、ミニは彼をかくまう。
第3幕
ミニはジョンソンが回復するまで世話をして、自分がジョンソンを心から愛していることに気が付く。その後、完治したジョンソンは出て行ったが、山狩りで保安官に逮捕されて男達に首に死刑のための縄をかけられる。ジョンソンは、最後の頼みとして、「ミニには自分が死刑になったことを知らせないで、無事に逃げ延びたと言ってくれ」と切々と訴える。そこをミニが銃を持って駆け込んできて、彼を殺すなら自分もこの場で死ぬと銃をこめかみに当てる。男たちはみなミニを愛している。彼女の世話になってきた。ミニに聖書を読んでもらってきた男達。家族に手紙を代書してもらってきた男達。病気のときに世話になった男達。みなミニのことが大好きだった。ミニの懸命な純愛に心打たれて、男達はジョンソンの縄を解いて、ミニと二人で新しい人生を歩むようにと、二人を送り出してやる。
というストーリー。

ヨナス カーフマンはインタビューに答えて、このオペラでは馬に乗るシーンもあったし、カーボーイハットにカーボーイブーツを身に着けることができた。ボーイズ ドリーム カム トゥルー(男の子の時の夢がかなったよ)でしょう、と言っていた。不協和音ばかり、曲が難解でとてもバラエテイーに富んだオペラで、アリアがないオペラといわれてるけど、「僕アリアを歌ってたでしょう。ね。」と茶目っ気いっぱいに話していた。何てチャーミングな人だろう。このとき映画館にいた観客前後四方の女性客たちの溜息が聞こえた。
第2幕のミニとの初めてのキスに至る、求愛の歌は本当にカーフマンにしか歌えない。こんな迫力のある求愛には、もう本当にドキドキする。この人ほど見も心も投げ出すようにして、天も地も落ちよ、星も月も太陽も飛び散れ、この世には僕の愛しかないのだ、という破壊的ともいえる究極の求愛を歌える歌手は他に居ない。聴いていて見も心もズタズタです。

オランダ人ソプラノ、エバ マリア ウェストブロックは演技が上手で素晴らしい役者だった。でも彼女の声が好きでない。ソプラノでも気品のある硬質の声が好きだから。役者としては一流だ。銃で撃たれ舞台で昏倒しているカーフマンの横で、保安官相手に、「私が勝ったらこの男はわたしのもの、負けたらこの男をあんたに渡して私はあんたの女になる。」と言ってカードを出してポーカーをするところなど、すごく演技が冴えている。

ミニの家で働くメキシコ人の女中がちょっと出てくるだけで、このオペラではミニ以外の女性が全く出てこない。男ばかりのオペラだ。終始舞台では複数の金鉱で働く男達が立ち回り、殴り合いの喧嘩をしたり、ミニに言い寄ったり、すぐに銃を向けたり、動きがあって面白い。歌いながらだから、歌手たちは大変だったろう。
このメッツのハイビジョンフイルムは、オペラだけでなく幕が変わるごとにカーテンの裏で舞台を作る人々の様子が見られるところが良い。興味深々だ。大がかりな舞台造りに何十人もの舞台美術家やペンキ屋や大工や工具係りが、限られた幕間の間に大忙しで仕事をしている。オペラを支える人々の姿まで美しい。オペラは良い。500年も前から作られてきた芸術品を大切に大切に、後世に伝えて行かなければいけないと、心から思う。

シドニーでは、外は真夏30度近い暑さ。でも4時間の公演中冷房が効いて、カーデガンとひざ掛けをもって入っているのに体が氷のよう。映画館から歩いて200メートルのところにある寿司屋に入って熱いお茶を飲んで生き返った。午后3時ごろに寿司屋に来る変な(迷惑な)客のために、オーナーのケンさんはいつもメニューにない皿を用意して迎えてくれる。ありがたいことだ。
日本でも現在、限られた劇場で公開中。

2018年11月17日土曜日

マイケル モアの「華氏119」

ドキュメンタリーフイルム「華氏119」
原題:「FAHRENHEIT 911」
監督:マイケル ムア
製作:2018年

119という数字は、2016年11月9日に、アメリカ大統領選挙結果が出てドナルド トランプが勝利宣言をした日で、この数字に因んで、フイルムのタイトルがつけられている。つい先日、2018年11月6日に大統領予備選挙が行われたことも、記憶に新しい。

「華氏 911」と混同しやすいが、こちらは2004年の作品で、2001年9月11日の世界貿易センタービル崩壊後、イラクに大量破壊兵器があるとして開戦に踏み切ったジョージ W ブッシュ政権を批判した作品。ナインイレブンは2004年作品で、ノベンバーナインが今年最新作品だ。ナインイレブンの方は、アメリカで約1憶2千万ドル、全世界で2億2千万ドルの興行収入をあげ、ドキュメンタリーフイルムとしては過去最高の興行成績を記録した。未だにこの記録が破られていない。

マイケル ムアは怒れるジャーナリスト。熱い男だ。アポイントメントを取らずに突撃インタビューで取材して真相に迫る彼のスタイルは独特。偽政者の不正に怒り、一般市民の目で政府を告発し続けている。世界中の富が総人口の1割に満たない富裕層によって保持され、持てる者と持たざる者との格差が拡大する一方の物質社会。富の最たる武器製造産業が世界各地に戦争を創り出し、武器を売りつけては市民を殺し続けている。どの国の政府も、税制で優遇され肥えるばかりの大企業の言うままのパペットと化している。ありもしない社会福祉を夢見て、働きずめで搾取され続けてきた一般労働者は、税をむし取られ、貧しいものから順に戦争に駆り出されていく。それでも人々が怒り続けることを忘れてしまうのは、ちょっとだけ月に一度だけわずかな蓄えから贅沢な食事をして、数年に一度だけちょっと旅行などしたり、ブランド品を身に付けたりして、僅かな富裕層の夢を見ることができるからだ。真に豊かな富裕層と比べて余りに惨めな自分の生を、認めたくないばかりに格差社会の残酷性に自ら目をつぶってしまうからだ。怒ることは現実を見ることだ。マイケル ムアは怒り続ける。

彼はもともと民主党支持者だったし、ラルフ ネイダーの支持者だった。しかしこのドキュイメンタリーフイルムでは、共和党も民主党もきっちり批判している。2016年の大統領選挙で、識者やマスメデイアがトランプの当選などあり得ない、と笑い飛ばしていた時、彼は中西部のアメリカの製造業に関わっていた労働者の不満を綿密に取材していて、いち早くトランプが当選することを予想していた。
今回のフイルムは トランプが当選して勝利宣言を発するところから始まる。どうしてトランプが大統領選に出馬したかというと、歌手のグウェン ステファニーのギャラが自分がもっていた番組の出演料よりもずっと高いことを知らされて激高して決めたという。歌手のくせに、女のくせに、と怒り狂った末大統領、、、というエピソードは初めて知ったが、興味深い。
またトランプが口汚く中南米出身者をテロリスト、レイピストと根拠もなく決めつけ、アフリカンアメリカンを二ガーと最悪差別語で言い、女性を金の力で何でもさせることができるんだと自慢してみせ、身体に障害のあるジャーナリストのマネをして面白がる、、、およそ人間としての品格も最低限の教養も見られない、そういった素養を彼は猿に重ねて笑わせてくれる。猿の方が余程マトモだよね。

マイケル ムアの故郷ミシガン州、フリントの取材は秀逸だ。マイケル自身がこのアメリカ中西部のラストベルトといわれるど真ん中の出身で、彼の祖父も父親もGM(ジェネラルモーターズ)の工場労働者だった。ここではトランプ並みの富豪ビジネスマン出身の知事の独裁政治がまかり通っている。州の財政を倹約するために水道が民間化され、今まで水質の良い水道を使っていた市民が、高濃度に鉛で汚染された水道水で生活を余儀なくされた。鉛は飲めば、体から排泄されず脳に蓄積されて知能障害、多動児を生み、皮膚障害や流産、死産、未熟児出産の原因となる。汚染された湖から取水された水は、老朽化した水道パイプの内部で鉛が溶け出し、それを飲料水や料理や洗濯に使う市民から鉛中毒者が出る。怒った市民の抗議行動を見て、知事はGMの工場だけに今までと同じ良質な水道を提供する。しかしアフリカンアメリカンがマジョリテイーの市民には、汚染水のままだ。遂に、フリントの住民はワシントンに抗議行動に出る。

その返礼は、恐ろしいことに、何の予告もない、装甲車を先頭に繰り出した大規模な軍事演習だった。鉛中毒で人々が移住して空き地になった場所を、軍が爆撃訓練を称して砲撃する。突然の軍による攻撃に震えあがる市民たち。
そんな最中に、オバマが街にやってきた。もろ手を挙げて熱狂、歓迎する市民たち。フリントの公会堂でスピーチをしたオバマは、途中で咳をしてみせてコップに入った水を飲ませてくれ、と言う。興奮した市民、聴衆たちは大喝采をして、鉛で汚染された水道水のグラスに口をつけるオバマの一挙一動をかたずをのんで見守っている。知事は鉛は基準以下だと言っているが、化学者たちは鉛中毒の警告をしている。そんな危険で、毎日自分達が飲まされている鉛汚染水を、オバマが一緒に飲んでくれる。
市民集会でも、フリントの知事や議員たちとの懇談会でもオバマは、水道水を所望する。すばらしいパフォーマンスだ。しかし市民はしっかり見ている。オバマはグラスの口をつけてみせただけで決して飲まなかった。飲むつもりもないのに、わざわざ所望して公の場で飲むふりをする。ペテン師オバマは醜い。オバマはとても醜い。オバマは醜い。

オバマはかつて良心的弁護士で、民主党員だったが、共和党のブッシュよりもニクソンよりもたくさんの市民をアフガニスタンやイラクなどでドローン攻撃で殺害した。罪のない女子供を殺害した数が過去の大統領のなかで断トツに多い。オサマビン ラデインを法的手続きなしで殺させたのもオバマだった。犯罪者だったかどうかも未だにわかっていない被疑者を、違法に殺害するのは最も恥ずべき卑怯者のすることだ。

オバマを批判したマイケル ムアは、ヒラリー クリントンにもその矛先を向ける。大統領選挙で同じ民主党のサンダースの方が支持者が多かったにも拘らず、彼女は地区ごとに改作した偽りの報告を選挙委員会に出して、サンダースを引きずり下ろした。評の改ざんだけでなく、サンダースの集会の妨害や中傷など共和党でもやらないような汚い手でサンダースが自ら大統領選を下りるように画策した。そのため怒った民主党支持者たちは、本選挙で投票に行かなかった。民主党を割り、投票数を減らし共和党票を当選させたのはヒラリーだ。大型兵器産業や、ゴールデンサックスのような金融企業から多額の財政資金をもらっているのも、トランプだけでなく、ヒラリーもオバマも受け取っていたのだ。腐敗しているのは共和党だけではない。

ウェストヴァージニア州の教師たちの立ち上がりもレポートされている。ここでは学校の先生が低収入者むけのフードチケットに頼らざるを得ない。教師の生活を保障せよ、という大規模なデモでワシントンまで行進する。NO MONEY IS THE STRONGEST POWER。無一文が一番強い。何も奪われるのものない教師たちの捨身の行動。
トランプは、医療健康保険制度を葬り去り、銃規制の声に耳を貸さず、メキシコとの境に高い塀を築き、移民を拒否し、アフリカンアメリカンや先住民族や南アメリカからの移民差別を助長し、LGBT差別や女性差別を平気で行い、ジェルサレムにイスラエル大使館を置き、輸入関税を高くし、中国ソビエトを威嚇する軍事演習を繰り返している。彼の行動は、21世紀のファシズムとも言える。トランプのその姿は、ナチズムによるヒットラーの顔に重なる。アメリカの民主主義は崖っぷちに立っていて、ハンドルを握る男は常軌を逸したトランプだ。トランプは民主主義を壊し、ずっとホワイトハウスに住むことを、自分のゴールにしている、とマイケル ムアは言う。

一方で希望もある。草の根運動からうまれたサンダースの子供達だ。今回の大統領予備選で、ニューヨーク州から出馬して最年少で当選して下院議員となった29歳の、プエルトリコ出身のアレクサンドリア オカシオ コルテスだ。レストランで働きながら大学時代にもらっていた奨学金の返済をしている身だが、ボランテイアでサンダースの選挙運動を手伝った契機に政治に無関心ではいられなくなって出馬した。この人がものすごい美人だ。賢い女性は美しい。
またミシガン州から出馬して女性のイスラム教徒で下院議員に当選した、ラシダ タリーブ42歳。そして、マサチューセッツ州からアフリカンアメリカンの女性、アヤンナ プレスリー44歳。3人ともサンダースの子供達と言える。

フイルムは学校での銃乱射事件にあって、自分は生き延びたが友達を失ったエマ ゴンザレスのスピーチで終わる。銃規制に動かない政府に怒る高校生たち。自発的に集まり、共和党議員たちに全米ライフル協会からの寄付金を受け取らないと約束してください、と詰め寄るテイーンたちの姿が健気だ。
トランプを当選させたラストベルトの貧しい白人男性は、トランプが再び雇用を安定させて、アメリカドリームを復活させてくれることを願ってきたが、遅かれ早かれ彼らはトランプが貧しい階層の味方ではないことに気が付くだろう。彼はミリオンネイヤーを、ビリオンネイヤーにするだけの存在だったことに気付くことだろう。

ドキュメンタリーフイルムだが、ユーモアあり、ちゃかして笑わせるし、音響効果も良く狙っている。フリントでの軍による演習などすさまじい銃弾音で音だけで鳥肌がたつ。また、事実を並べるだけでなく誰にでもわかるように順を追っていて説明されていて、理解しやすい。インタビューも一方だけでなく双方の意見をちゃんと解りやすく編集している。
この映画が公開されたのは、大統領予備選の前だったから、当選者がまだわかっていなかった段階だったが、3人の当選した女性下院議員たちが、草の根運動のクラウドファンドで資金を集め、選挙に出る姿を捕えて、生の声を伝えている。彼女たちが必ず当選すると読んだマイケル モアの判断力は素晴らしい。
最後のエマ ゴンザレスの感動的な、一生に一度ともいえるスピーチも、涙なしに聴くことができない。小気味よいテンポでトランプ政権の2年間が総括されていて、すぐれた作品に仕上がっている。
マイケル ムア、この人には暗いところを独り歩きせず、サウジアラビア大使館などには行かないで、長生きして欲しい。



2018年10月30日火曜日

映画 「アリー、スター誕生」

原題:「A STAR IS BORN」
監督:ブラドリー クーパー
キャスト
ブラドリー クーパー:人気歌手 ジャクソン メイン
レデイ ガガ    :アリー キャンパナ
サム エリオット  :ジャクソンのマネージャー、ボビー
デイブ チャペル  :ジャクソンの友達 ジョージ
アンドリュー ダイスクレイ:アリ―の父親 ロレンゾ
アントニー ラモス :アリ―の親友 ゲイのラモン
マイケル ハーネイ: アリ―の父親の友人で運転手ウォルフィー
ラフイ ガバロン  :アリ―のマネージャー レズ
アレック ボールドウィン: TV アナウンサー

「IN THE SHALLOW、SHALLOW」、「IT THAT ALRIGHT」、「I"LL NEVER LOVE AGAIN] などの印象的な曲が映画の中で繰り返し流れるが、今回、ブラドリー クーパーとレデイ ガガの二人の名前で「A STAR IS BORN」というタイトルのサウンドトラックが出た。映画の中で歌われる曲は、みなレーカス ネルソン(ウィリーネルソンの息子)が、レデイ ガガと話し合いながら合作したとされる。映画はブラドリー クーパーが初めて監督した作品。

ストーリーは
カルフォルニア。
アリーは、昼間レストランのウェイトレスをして働き、夜は小さなゲイバーのステージで歌を歌わせてもらっている、シンガーソングライターだ。リムジンカーの運転手をしている父親とその仲間3人の運転手が住む家に同居している。父親は自分がフランクシナトラよりも歌が上手かったことが、唯一の誇りで家ではいつもオペラが鳴り響いている。

ジャクソン メインはカーボーイハットをかぶりジーンズ姿で、ヘビーなカントリーロックを歌う大スターで、彼のステージには何万人ものファンが駆け付ける。ステージに立つ前、彼は酒をあび、コカインを吸う。ステージの爆音で片耳は難聴になっていて、治療を必要としている。けれど彼は、気にしていない。

ある夜ステージの後、飲み足りないジャクソンは運転手に無理を言って車から降りて、小さなバーに入る。そこはドラッグクイーンの店だった。呼び込みの青年ラモン(アリーの親友)に勧められるまま店のショーを見ていると、シャンソン「バラ色の人生」LA VIE EN ROSEを歌う娘がいた。そこで歌い手のアリーとジャクソンは出会う。アリーのもとボーイフレンドに、いちゃもんを付けられ、アリーがその男をぶん殴るハプニングがあり、ジャクソンはアリーを外に連れ出して、殴って赤く腫れたアリーの拳を手当てする。夜明け前のドラッグストアの前で二人は話をする。どうしてシンガーソングライターとしてデビューしないの? アリ―は、「だって私の鼻が大きすぎて不格好なので、人前で歌う歌手としてまだまだだって、人は言うんだもの。」ジャクソンはアリーの額から鼻にかけて指でなぞっておまじないをかける。アリーは、夜空に向かって自分で作った「SHALLOW」を歌って見せる。

翌日はジャクソンのステージがあるので、舞台横で見られる招待券をアリーは渡される。でもアリーは稼がないと生活できない。朝、いつものように職場に着いて仲良しのラモンとウェイターの仕事を始めようとすると、気難しいマネージャーは、いつものように嫌みばかり浴びせかける。頭に来たアリーとラモンは二人顔を見合わせて、その場でウェイトレスとウェイターの服を投げ捨てて、ジャクソンのドライバーが待つ車に、二人して飛び乗る。ジャクソンの個人用の小型飛行機に乗って、ジャクソンの歌う会場に。
ステージでジャクソンは、アリーが駆け付けたことを知ると、「友達を紹介するね。」と言って「SHALLOW」を歌い始める。二人で歌う歌だから、ただ舞台横で見ているわけにはいかない。アリーはラモンに押されて、舞台に進み出てジャクソンとデュエットを歌う。その夜、二人は結ばれる。
これを切っ掛けに、アリーの歌唱力は、大型新人登場としてセンセーションを起こす。ジャクソンは、アリーとの関係を深め、コンサートツアーをすっぽかし、マネージャーに愛想をつかされる一方、アリーは人々に注目されるようになり、イギリス人のマネージャーがつくようになる。順調に売れ出すアリーを後目に、ジャクソンには仕事が来なくなり、酒とコカインの日々が繰り返される。それでもアリーのジャクソンに対する尊敬と愛情は変わらない。もと仲間だった親友の家に転がり込んでいたジャクソンを迎えにきたアリーにジャクソンはギターの弦の端で作った指輪を差し出す。それを見たジャクソンの親友家族は大はしゃぎ。今から結婚しちゃえよ。と、、二人はその日のうちに、彼らに祝福されて結婚する。

アリーの歌が売れ、バックシンガーやダンサーが付くようになり大忙し。仕事が来ないジャクソンに昔のマネージャーが、ボーカルじゃないが、後ろでギターを弾いてみろと言ってくれる。昨日まで自分がスターだったというのに、若い下手な歌手の伴奏を弾く屈辱。
アリーはグラミー賞候補者となる。.授賞式で感謝のスピーチをしているアリ―の前に泥酔したジャクソンが現れる。アリーはジャクソンが祝福に来てくれたと思い、ジャクソンをステージで迎えるが、舞台の真ん中で、酔って意識不明状態のジャクソンはオシッコを漏らす。

そんなことがあってもアリーはジャクソンへの愛は変わらない。アリーに支えられてジャクソンは施設に行ってアルコール薬物中毒の治療をする。回復してこれからアリーと一緒にコンサートツアーに行く予定を立てた。しかしアリーが出かけている間にアリーのマネージャーが訪ねてくる。マネージャーは、アリーの成功を願うならば2度とアリーの前に姿を現すな、と言う。ジャクソンはガレージで首を吊る。
ジャクソンの葬式とお別れ会の会場で、アリーは、「わたしを支えて。ジャクソンを愛してくれた皆さんの力で最後の歌が歌えるように、どうぞ私を支えてください。」と言って、「I"LL NEVER LOVE AGAIN」 を歌う。
というおはなし。

もう、涙ボロボロです。よくあるお話でストーリーが単純。それだけに共感も得られやすい。レデイ ガガの歌唱力、音感の良さ、自作自演で魂を吐露するような歌を歌う様子が素晴らしい。本当に天才的な歌い手だ。そして、彼女の素顔の美しさ。自分の主張をはっきり持った、実力のある歌手だが、彼女がまだ32歳と知って、そのあまりのマチュアなことに驚いた。
生粋のニューヨーカーのシンがーソングライターで、ファッションアイコン。6グラミー賞受賞、世界で最もベストセリングアルバムを出し続けている歌手。女性への暴力と差別に反対するアクテイビスト。癌治療ファンデーションにも、野生動物保護活動にも関わっていて毛皮取引に反対してア二マル柄の服に血を体に塗りたくってパフォーマンスをした事も記憶に新しい。今回トランプ大統領の使命した最高裁判所判事の就任に対しても強い反対声明をしていて、この映画のためにTVショーやインタビューに応じるごとに、この女性差別主義者の判事就任に抗議している。右腕の裏側にトランペットのタットーを入れている姿が可愛い。

映画を監督、主演したブラデイ クーパーは43歳。3年続けて世界で最も高い出演料を取る俳優の一人だそうだ。4回アカデミー主演候補、2ゴールデングローブ賞。長い事テレビシリーズ「セックス アンド シテイ」シリーズに出演して人気を得て、映画「ハングオーバー」2009、「アメリカンスナイパー」2014、芝居で「エレファントマン」を主演。30代でアルコールと薬物中毒で苦しんだ経験も持っている。

この映画は、クリント イーストウッドが、ビヨンセを主演にして映画化する予定だったが、次期イーストウッド監督と言われるブラデイに、バトンが渡されて、レデイ ガガ主演で作られることになったという。
この映画は4回目の「スター誕生」のリメイク。無名だった妻に先を越されたオットが爆沈する筋の映画だ。
オリジナルは、1937年、ウィリアム ウェルマン監督、ジャネット ゲイナーとフレデリック マーチのカップル。30年代のデプレッションから戦争前後の暗い世相のなかで、ノースダコダ生まれの、美人でない、ごく普通の女の子がスターになる夢を見てそれを実現する物語に人々は夢中になったという。映画で夫役のフレデリックが落ち目になって死んでいったことに、人々はさんざんと涙を流した。サイレントムービーの時代だ。ジャネット ゲイナーは最初のアカデミー主演賞受賞者となった映画だが、まだ生まれて無かったから、私は見ていない。

次に出て来たのは17年後の1954年。ジュデイーガ―ランドとノーマン メインが演じた。夫のノーマンも、妻を歌手として成功させた後、自分が売れなくなって、妻がグラミー賞受賞する場で、「俺は仕事が欲しいんだ。」と叫んで、式をめちゃくちゃにした末、飲んだくれて水死する。これも私は見ていない。

その次に22年後 1976年に出て来たのが「A STAR WAS BORN」だ。バーバラ ストレイザンと、クリス クリストファーソン。彼はグラミー賞受賞のステージに酔っぱらって登場して、「この賞は俺が欲しい。」と、これまた絶叫した末、自動車をぶっ飛ばして事故死した。バーバラの歌唱力は素晴らしいが、久しぶりに映画を観てみたら、バーバラの話をする声のピッチが高くてものすごく不快だった。話し声は低くないと説得力がないし、落ち着かない。画面が変わるごとにバーバラが派手な70年代の服をつっかえとっかえして出てくるのも不自然でおかしい。70年代の映画って、こんなだったんだ。映画がほとんど娯楽の中心で、ファッションを先導していた時代だったのだろう。

そしてこの最新版、2018年ブラデイ クーパーの作品が、何とオリジナルからは、81年目に再登場したわけだ。いかに男が外面に反して、内部が弱くて嫉妬深くて、ロクでもないかを示している、、、、のかしら。4人の男が居る。1937年に女房がオスカーを獲ったことで嫉妬して死んだフレデリック、1954年に女房のトロフィーをつかんでダダをこねた末、水死したノーマン、1976年に女房のトロフィーを持って「俺がこれ欲しい」と叫んで車で暴走死したクリス。そして、2018年にステージで泥酔してオシッコを漏らした末、首を吊るジャクソン。こんなことで良いのか。お と こ。

ショービジネスにとって、どんなに歌手が歌い手として優れていても、レコード産業や、関連雑誌やマスメデイアのパペット、繰り人形でしかない。どんなに創意あふれる感受性の豊かな歌い手も、それを宣伝して売り出し、マネージする人無くしては世に出ることができない。またいったん世に出てしまったら自分だけの意志で、歌を作り続けることができなくなる。資本主義、商業主義社会で歌い手がプロであり続けるためには、捨てなければならないものが多すぎる。人を生かすも殺すも商売次第だ。

しかしこういった商業主義的エンタテイメントの世界の冷酷さとは別の、次の課題として、男が女房の尻の下で、自分の尊厳を保って生きて行けるのかどうかという男の課題。人は一人前になるために人気歌手の荷物持ちをして奴隷のように尽くし、やっと一人前になって栄光の時代を迎えても、それは長く続かない。ならば次世代に人気を譲って、落ち目になったら再びバックコーラスで歌うなり、荷物持ちを引き受けるなり、伴奏者になったりしておとなしく仕事を続ければ良いのだ。職業に貴賤なし。女房の収入が多ければ、その尻の下で家庭を支えればよい。定年まで働いてそれなりの業績を残し、退職金は動けなくなった時のためにとっておき、再就職してタクシーの運転手になったり、マクドナルドの皿を洗ったり、ビルの掃除をしたりして、元気で人の役に立っていることを、自分で祝福してやればよいのだ。人はそうやって人生を生きているのではないか。死なないでください。

映画の最後の方で、泣き崩れるアリーに、もとジャクソンのマネージャー(サム エリット)が言う。「アリー、自分を責めちゃだめだよ。悪いのはジャクソン。これはジャクソンの問題なんだ。これがジャクソンの人生だったんだ。」そのとうり。74歳の名優、サム エリオットがかっこよくキメている。ジャクソンは深く深く文字通り子供の様な純粋さで妻を愛していた。だからもう行き場がなかった。死ぬしかなかったのだ。

小さなことだけど、アリーのマネージャーを快く思っていないジャクソンが、ぶしつけに「あんた、ソックス履いてないじゃん。」と言う。イギリス人のマネージャーは、にっこり笑って靴下を履いてないように見えるけど、丁度靴に隠れるように靴下履いてるんだよ。と言って靴下を見せる。いま、ヨーロッパの男のファッション雑誌で、昔みたいに長い靴下を履いているようなモデルは居ない。みんな素足だ。流行に鈍感。アリゾナみたいな田舎からきてカントリーなんて、どんくさい歌を歌ってるアメリカ人にはわからないことだけどね、、、というニュアンスが会話に垣間見られてすこし笑った。

また一瞬だったけれどTVアナウンサーが出て来て、これがハリウッド大物俳優のアレック ボールドウィンだった。これは彼のお遊びですか。端役にも手を抜かないクーパー監督。
アレーの親友のゲイのラモン(アントニー ラモス)が、端役だけれどアリーのことを一番よくわかっている友達として出演していて、彼がとっても素敵。爽やか青年で忘れ難い。こんな人とアレーがずっと一緒に暮らしたら、こんな辛い思いをしなくて良かったのにね。
予定通りクリント イーストウッドがビヨンセで、この映画を撮っていたらどんなだっただろう、と想像してみるのも楽しい。
日本での公開は12月21日だそうだ。





2018年10月21日日曜日

メッツオペラ「アイーダ」



ニューヨークメトロポリタンオペラ ハイビジョンフィルム2018
作品:アイーダ 
作曲:ジョセッペ ベルデイ
イタリア語
上映時間:4時間
指揮者:二コラ ルイゾッテイ
キャスト
エジプト王(バス):ライアン スピード グリーン
エジプト王女アムネリス(メゾソプラノ): アニータ ラチベリシュビツ
アイーダエチオピア王女(ソプラノ)  :アンナ ネトレブコ
ラダミスエジプト将軍(テノール): アレクサンドル アントネコ
ラムフィスエジプト祭祀長(バス): デミトリ ベロセルスキー
エチオピア王アモナスロ(バリトン):クイン ケリー

初演は1871年12月 エジプトカイロオペラ劇場。
エジプト総督イスマール イル パシャがヴェルデイの大ファンだったので、当時スエズ運河が開通しオペラ劇場ができたことを記念して、エジプトを舞台にしたオペラを作曲するよう依頼した。
ヴェルデイははじめ相手にしなかったが、総督がグノーとワーグナーにも作曲を依頼するつもりでいることを知って、当時もてはやされていたワーグナーに負けたくなかったので、あわてて引き受けた言われている。これほど重厚でイタリア様式のグランドオペラが、着手から僅か、5か月の速さで完成したとは信じ難いことだが、すでに名声も富も持っていたヴェルデイが、同い年でライバルのワーグナーに負けたくない一心だった、という姿を想像するとおかしくて少し笑える。

おかげでエジプトの高い芸術文化、栄光と偉大さを世界に見せつける絢爛豪華なオペラが完成して総督は大満足だったわけだ。いかに国際社会では、オペラが世界中の裕福な知識人階層や政治家たちや、マスメデイアの目を奪い、知的世界を満足させることが国家にとって大切なことだったかを表している。文化がその国の財産だった、昔の古き良き時代の話だ。 今やオペラ愛好家は減少を続け、裕福な知識人や政治家らは、芸術に興味を失くし、物質主義のギャンブルやドラッグで気晴らしをするだけだ。

第1幕
エジプトの将軍ラダメスと、奴隷のアイーダは密かに愛し合っている。アイーダはエジプト軍に捕らわれたエチオピアの王女で国王アモナスロの娘だが、今は奴隷としてエジプト国王の娘アムネリスの世話係だ。一方のアムネリスはラダメス将軍を片思いしている。ラダメス将軍は国王の命令で軍を率いてエチオピアを討伐に行く。
将軍ラダメスのアリア「清らかなアイーダ」でオペラが始まる。エチオピア軍を降伏させてアイーダが昔育った故郷に帰してあげたい、アイーダの為ならどんなことでもしてあげたいと歌う。
体重が120キロくらいありそうな居丈高な軍装に身を包んだラダメスが切々と歌い上げるテノールの姿に、思わず目がウルウルして騙されそうになるが、何ですか。一体、どこの故郷ですか。敵国エチオピアに攻め入り、アイーダの故郷を蹂躙し国土接収し、軍を壊滅、市民を死傷させ、それでいてアイーダを故郷に帰してあげたいって、どんな故郷だよ、と言いたくなる声はこの際封じておく。

それに対してオペラの設定では20歳というアイーダの方は若いながら、ラダメスよりは多少現実的で、自問自答の胸の苦しみを吐露する。アリア「勝ちて帰れ」の歌詞の概要は、
ラダメス 愛する人 私の父を打ち負かし
祖国と宮殿を破壊して
勝って帰ってきて
ああ神々よ、何て恐ろしい事
私のお父様、あなたの胸に娘を抱いて
エチオピアを抑圧する軍を打ち破って
でもわたしの恋はどうなるの ラダメスの死を願うなんて
二人の愛する方の名前を呼ぶことができないなんて お父様 ラダメス ああ
神々よ わたしの苦しみを憐れんでください
こんな苦しみが晴れることがないのなら、どうぞ死なせて。

舞台の両側は15メートルくらいの高さの石のファラオの立像が立っている。国王の高座はたくさんの巫女で囲まれている。人々は戦いの勝利に祈りを捧げている。それを背景に、第1幕は愛し合う二人のアリアが聴かせどころだ。アイーダの嘆きはオペラの中で何度も繰り返し歌われて、涙を誘う。今回のカップルは大型で、二人合わせると最低体重200キロ以上にはなるだろう。ソプラノは素晴らしい。が、すごくパワフルで、20歳の清純でけなげな元王女様を想像するのは少し難しいかもしれない。

第2幕
「凱旋の歌」で始まり一番のオペラのハイライト。華々しいファンファーレとともに堂々とした国王の高座を前にして、凱旋してきた兵たちが行進をする。それぞれ異なった部族ごとに違うカラフルな戦闘服に身を包んだ兵たちが100人くらい。次々と敵国から奪ってきた珍しい動物の毛皮や絨毯や家具など捕獲品が並べられる。バレエ団のお祝いのダンスを踊る。舞台の上には200人くらいの役者達コーラス部隊が出演している。そこを馬車に乗って胸を張ったラダミス将軍が現れる。大歓声。色とりどりの華やかで派手で晴れやかで楽しい。このオペラの一番の見せ所だ。わたしはこの「凱旋の歌」がオペラの中で一番好きだ。元気が出る。仕事が順調で、思いのほか難しい仕事が片付いたときなど、この歌を知らず知らずに鼻歌で歌っている。気持ちの良い朝、ウォーキングを始めるときも、この歌だ。5キロ歩いて帰ってくる頃には、鼻歌気分ではなく、息が上がってヘロヘロで帰って来る毎日だけれど。

第3幕
エジプト国王は、凱旋したラダメス将軍と娘のアムネリスとを結婚させて,次期国王に任命するつもりでいる。アイーダは、ラダメス将軍が連れて来た捕虜になかに父親を見つけて駆け寄る。第3幕はラダメスとアイーダの逢引のシーンで始まる。しかしラダメスが現れる前に、アイーダの前に父親のアモナストが現れ、エジプト軍の配備をラダメスから聞き出すように頼みこむ。卑怯な国王だ。アイーダはラダメスが国王の娘を結婚すると思い込んで、絶望しているので、やけくそでラダメス将軍に迫って、エジプト軍が配備されていない場所がナバダの谷であることを聞き出す。それを闇にまぎれて聞いていた父親アモナストが現れて、ラダメスに、自分はエチオピアの国王だと名乗りを上げる。一緒にナバダの谷から逃げようと提案するアイーダを前に、ラダメスが軽率にアイーダに逃げ道を教えてしまった自分を責める。アイーダと父親は逃亡し、ラダメスは逮捕される。

ラダメスを愛するアムネリスは、自分を愛してくれるなら、アイーダ父娘の敵を逃亡させた罪を赦してもらえるように国王に話してあげる、自分を愛して下さい、と迫るが、ラダメスは拒否する。頑固な男だ。彼は死刑が確定し生きて石棺に入れられる。しかし石棺になかでは、アイーダが彼を待っていた。二人は抱き合いながら死ぬ。というお話。
舞台が上下2段になっていて、地下の石棺の上が祭壇。ここで巫女たちがアムネリスとともに祈りを捧げている。

ラダメスは男の中の男だ。
ラダメスのことをずっと片思いしてきて結婚することになっていたエジプト王の娘アムネリスが、自分を愛してくれさえしたら王に命乞いをしてあげると申し出て、ラダメスを救おうとする。彼女の愛こそ片思いの純愛だ。なのに、ラダメスは歌う。
あなたに憐れみなど受けたくない
わたしはアイーダのために死ぬことが至上の喜び
わたしの純粋な想いとわたしの名誉は永遠
わたしは卑劣でも罪人でもない
でも軽率だった
アイーダのために死ぬ運命を受け入れる
わたしの心は喜びでいっぱい と。

何て奴。アイーダに頼まれて軍の秘密を洩らしたラダメスは、アイーダに裏切られたのに、アイーダを恨まない。自分だけが軽率だったと言い、逃亡したアイーダを責めず、ただただアイーダが無事でいて欲しいと祈っている。しかし、ね。自分の命を守ろうとする自己防衛は人間の本能ですぜい。自分のことをひたむきに思ってくれたアムネリスに、彼女の思い通りにこれからはあなたを愛します、といえば命が助かるだけでなく明日にはエジプト国王。愛も地位も名誉も富も財産も目の前に置かれて、それでもラダメスは自分を見捨てて父親と逃亡したアイーダを愛しているから、自分は喜んで死罪を受けると宣言するのだ。ああ、こんな男がオペラの中だけでなく本当に居るのなら死ぬ前にお目にかかりたい。

オペラ「アイーダ」の愛の三角関係は、文字通りの正三角形なのだ。3者ともに、カーブも変化球もない直球。アムネリスは、ずっとラダメスを愛していて彼が他の女を愛していても「忘れる」と言ってくれさえしたら赦してあげる寛容な愛で、ひたすら自分を見てくれる日を待っている。アイーダは、一度は父親にたぶらかされるが、ラダミスを愛する気持ちに変わりはない。ラダメスは、アイーダが裏切ろうが、逃亡しようが、そのために自分が死刑になろうとも「ドンウォーリー、アイーダ命」なのだ。まさに正三角形の三角関係。

オペラの中でしか見られなくなった純愛。
否、それほど稀だからオペラにまでなった ということか。

ソプラノでアイーダをやったアンナ トブレコの声がどうしてもマリア カラスの声に重なる。カラスが歌う「勝って帰れ」の哀しい嘆きの歌をCDで繰り返し聴いてきた。カラスの品格のある硬質な声が、比べるとずっと柔らかくて温かみのあるアンナ トブレコの声と中和されて、聞いているととても心地よかった。
土曜日の午後、大きな音響で4時間、たっぷり堪能した。
日本での公開は11月2日からだそうだ。あたたかい飲み物を入れた魔法瓶と甘いお菓子と温かいひざ掛けをもって行かれることをお勧めする。




2018年10月2日火曜日

映画「JIRGA」

監督:ベンジャミン ベルモア
キャスト
サム スミス
シャーアラムミスキム ウスタド
アミ―ル シャ タラシュ
アルゾ ウェダ
イナム カン
音楽:AJ TRUE

オーストラリア軍は2011年から、9.11後の米国によるタリバンへの報復合戦に加担するかのようにアフガニスタンに兵を送り、現在に至るまでアフガニスタン政府に介入してきた。以降、アフガニスタンの市民と軍人を合わせて、戦争被害の死亡者は11万人をはるかに超える。一方オーストラリア兵の戦死者は41名。現在オーストラリア兵は、カブールでアフガニスタン兵、警察官への訓練に携わっている。
2001年の派兵以来、戦闘に関わりのない一般市民が戦闘に巻き込まれ死亡する事故が後を絶たない。イラク湾岸戦争のときも頻発したが、上空偵察機によって人が集まっているところが爆撃されるから、市民が結婚式や親戚の集まりをしている市井の人々が誤爆されて死亡する。一方的で不正確な情報によって攻撃され手、全くタリバンと関係ない人々が亡くなる。「敵」よりも罪のない市民の死亡者数が上回るのだ。

2009年に、オーストラリア軍でも、兵士が狙われて死亡したことで怒って常軌を逸した部隊が、一般家庭に手りゅう弾を投げ込んで、沢山の子供達とその母親たちを死亡させた。部隊長らは、軍隊内警察によって逮捕され、殺人罪を問われたが、裁判開始直前に訴えが下されて、結局誰も罪を問われなかった。2012年にも2013年にもオーストラリア兵によって同じような一般市民と子供が殺される事件が起こったが、裁判には持ち込まれていない。軍隊内の無規範、残虐性と、正義感や良心の不足、軍規のゆるみ、あいまいさ、なれ合いといった軍内部の超保身主義は赦しがたい。

もと兵士の告白で、センセーションを起こしたのは、「武器の置換」だ。彼によると兵隊はいつも余分の銃を持ち歩いていて、間違って丸腰の市民を殺してしまっても、銃を死体と一緒に置いておいて、あたかもゲリラが交戦したのでやむなく殺したように見せかけて罪を逃れるのが普通だ、という。こうして戦争犯罪は常に顔のない、ずる賢い、卑怯者によって闇に葬られる。
悪いのは、もともとはソビエト介入時に、タリバンに武器を供給した米国であり、その後現在でもシリアに武器を売りつけている米国や、サウジアラビア、カタール、フランス、トルコ、ブルガリアといった国々の死の商人たちだ。各国が軍事介入するのは、正義や民主国家建設のためではなく、もうかって儲かって仕方がないからなのだ。

「JIRGA」は、オーストラリア人監督による、オーストラリア俳優主演のアフガニスタンで撮影された映画だ。JIRGAとは、アフガニスタンの伝統的な年配者たちによる会合のことで、これは物事の善悪を裁く裁判所の機能を持つ。

映画のストーリーは
3年前にオーストラリア兵としてアフガニスタンに派兵されていたマイク ウィーラー(サム スミス)は、カンダハーで自分が誤って撃ち殺してしまった男のことが忘れられない。男が倒れ、妻と子供達が泣き叫びながら死体を家の中に引きずり入れていた様子が、繰り返し思い出されて、この家族に自分が貯めて来たドルを渡したいと思ってきた。そして、遂にアフガニスタン首都カブールに戻って来た。しかし、頼みにしていたかつての運転手に、カンダハーはまだタリバンが根拠地にしているところを通らなければ行けないので、危険すぎて行くことができない、と断られてしまう。マイクは仕方なくタクシーで、カンダハーまで行くことにする。しかし、当然タクシードライバーは、危険を理由に乗車を拒否する。しかし、とりあえず観光地だったバーミヤンまで行ってみよう。
二人は出発する。

ドライバーは歌の上手な気の良い老人だ。美しい山々が連なる果てしのない砂塵舞う荒地を車が行く。トルコ石のような美しい湖にボートを浮かべ、湖畔で焚火をたいてドライバーの作る食事をし、夜を明かす。二人の間には長い時間を共有する男同士の友情が芽生える。ドライバーは、翌日にはカブールに帰るつもりでいる。そこをマイクはドル札を手に、ドライバーに頼み込む。カンダハーまで。命かドルか。
ドライバーはとうとう断り切れなくなって車の行先をカンダハーに向ける。しかし予想通りにタリバンによるチェックポイントがあった。マイクはとっさに車から飛び降りて逃亡する。たった一人で、砂漠をドル紙幣をつめたバッグをもって歩くうち、砂漠の熱で脱水して倒れる。

行き倒れのマイクの命を救ったのはタリバンの小部隊だった。根拠地の洞窟で、タリバン兵士たちは討議する。マイクを殺すか、生かしておいて身代金を取るか。タリバン兵士たちは、マイクが自分の罪を償うためにここに来たことを知り、カブールまでの道を教える。マイクは遂に3年前、武装部隊の一員として市民の家を急襲して罪のない村人を殺した村に着く。村の長老たちはマイクの話を注意深く聞く。マイクが殺した男は、村で唯一の音楽士だったという。寡婦となった男の妻は、マイクに靴を投げつけて怒りを表す。長老たちは、長い討議の後、殺された男の10歳になる息子に、どう罪を償わせるか決めさせようと言う。憤怒でいっぱいになった息子は長刀を持ち、いったんはマイクの首をはねようとするが、自分の罪を告白して償いをしようとしている、うなだれオーストラリアから来た男の姿を見て刀を納める。長老は、「報復はたやすいが、赦しは崇高な行為なのだ。」という。
というお話。

この映画を観たのは、アフガニスタンの砂漠を見たかったからだ。すべての文明の源であり、アレクサンダー大王が征服することを夢に見た美しい国。世界で唯一、ラピスアズーリの宝石が産出できる。オランダの画家フェルメールが、この石を砕いて青い服を着た女を描いた、その紺碧の色。
それと全く異なる青、ターキッシュブルーの湖の美しさが例えようもない。世界一美しいと言われるカナダのレイクルイーズよりも優雅で美しい、ミルクが混じった深い深い青色。それから、遠く彼方にそびえる山々、ヒマラヤに続くヒンドゥクシ山脈の5000メートル級の山々、その後ろに7000メートル級の山脈が連なっている。溜息とともに見とれるばかりだ。

この映画の脚本を書き、自らカメラを回し、編集した映画監督ベンジャミン ベルモアは、戦地の危険を避けパキスタンで映画撮影をする予定で、すでに数千万円の前金を払って現地入りしたが、パキスタン秘密警察が映画の内容を知って、不快感を示したため撮影がすべてキャンセルされ、クルーは放り出され、仕方なく危険を承知でアフガニスタン現地で撮影したそうだ。
黒いターバンを巻き、アイラインをひいたタリバンの男達による部隊が砂漠で行き倒れたオージー男を救出して根拠地の洞窟に連れてくるところなど、本当に本当のタリバン部隊やISIS兵に見つかったら、どういうことになったか想像するだけでドキドキするが、そんな命知らずのオージー撮影クルーを、よくやったと言うべきか、愚か者というべきかわからない。

映画のストーリーは単純だ。マイクはオーストラリアの志願兵であり、自ら選んで職業軍人となり、人を殺すこと破壊することを訓練されてアフガニスタンに派兵された男だ。オーストラリアに帰れば ヒーロー扱いだ。軍事恩給が出て、普通に市民より良い生活ができる。3年前に誤ってアフガニスタンの市民を殺したことで、3年もの長いあいだ罪の意識にさいなまれてきた、とは考えにくい。貯めたドル束をもって、いまだ戦争中の現地にもどり、自分が殺した男の家庭に謝罪するなど、もっと考えにくい。嘘っぽい話を美談にしている。

そのオージー男が大事に抱えて国から持ってきたドルを、アフガニスタンの孤児は受け取ることを拒否する。10歳の孤児がすごい。「血にまみれたドルなど要らない」、と彼は言う。「報復しない、賠償を求めない、赦しを与える。」これはもう神の言葉だ。この息子の結論を導き出した村の長老たちも立派だ。「報復はたやすい。赦すことは困難だが人として最も崇高な行為だ。」と彼らは言う。また、マイクがタリバンに捕えられたとき、タリバンでさえマイクのドル束を取ろうとしなかった。彼らは「money is curse」と言った。何と誇り高き男達か。戦争によってドルが飛び交う。ドルなど呪われた存在でしかない。そして10歳の少年の言う通りドルは、blood money で、受け取る価値などない存在なのだ。マイクはドルの札束を砂漠の風にまかせて捨て去り、アフガニスタンの人々に赦されて帰る。とてもアフガニスタンの人々がかっこ良い映画なのだ。

モスクから聞こえてくるコーランも美しい調べだが アフガニスタンの独特の音楽が終始流れて、そこにアフガニスタンの自然描写が観られて美しい。AJ TRUEの作曲した数々の音楽が、絶えることがない。湖を背景に年老いたタクシードライバーが、ハッシッシを吸い、バケツの底を叩きながら歌う民謡が、この上なく美しい。




2018年9月15日土曜日

映画「クレイジーリッチ エイシアン」

いま世界中でベストセラーになっているケビン クワンの小説「CRAZY RICH  ASIANS」をハリウッドで、アジア人監督、全員アジア人キャストによって作られた映画。興行成績は今年の8月に公開されて以来、連続第1位の記録を更新中。オーストラリアでも大人気だ。
この「CRAZY RICH ASIANS」は3部作の第1作目で、「CHINA GIRL FRIEND」が第2作目、3作目が「RICH PEOPLE PROBLEMS」で、3部作ともすでに出版されている。原作者ケビン クワンは44歳のシンガポール生まれで、エンジニアの父親、ピアニストの母親に連れられて子供の時にアメリカに移住したシンガポール人。

初めてハリウッドでアジア人による中国人の物語を描いた「JOY LUCK CLUB」から実に25年ぶりに2度目のアジア人によるアジア人の映画が作られたことになる。「JOY LUCK CLUB」が第二次世界大戦の悲惨な体験が淡々と描かれていたのに比べて、この映画は、ラブロマンスのコメデイ―だ。世界第1位の経済大国になった中国から来た人々のパワーをもろに見せつけられる。舞台はシンガポールで、そこに住むスーパーリッチな不動産王の御曹司と、シングルマザーに育てられたチャイニーズのニューヨーカーとの恋愛物語。
原作では伝統的な中国人の価値観と、アメリカ育ちの中国人の若い世代の意識の落差について、真面目に語られているが、映画ではそれを強調するあまり面白おかしく笑いを取るコメデイとして仕上がっている。

ハリウッド映画
監督:ジョン M チョウ
原作:ケビン クワン
キャスト
レイチェル         :コンスタンス ウー   
ニック           :ヘンリー ゴールデイング
ニックの母エレノア     :ミッシェル ヤオ
ニックの従妹アストリッド  : ジェッマ チャン
ニックの祖母        リサ リュ―
レイチェルの親友ぺイク リン:オーク ワフィナ
ペイク リンの父親     :ケン ジェオング
レイチェルの母ケリー    :タン キェン フア
ニックの親友コリン     :クリス ペン
ニックの親友の許婚者アラミンタ:ソノヤ ミズノ

ストーリーは、
レイチェルはニューヨーク大学で経済学を教える教授。香港から移住したシングルマザーのケリーに育てられた。同じ大学で史学を専門にしているニックと恋人同士だ。
ある日、ニックにシンガポールに住む親友の結婚式に呼ばれているので、一緒にシンガポールに行こうと誘われる。喜んで休暇を取り、二人して機上の人となるが、乗り込んだ機内で案内されたのはファーストクラスの座席。レイチェルは何かの間違いだと思ってあわてる。しかしニックは笑って、せっかくの旅行なのだからこれで行こう、とレイチェルを説得する。
シンガポールで出迎えてくれたニックの親友コリンと、その許婚者アラミンタに会い、食事を楽しんだあと、レイチェルは一人、昔のニューヨーク大学時代の親友だったペイク リンに会いに行く。ペイク リンの家はびっくりするほど立派な豪邸で、彼女は両親と兄弟家族と一緒に住んでいた。家族に暖かく迎え入れられたレイチェルは、恋人の名前を聞かれて、「ニック ヤングというの。」と答えた瞬間、家族全員が凍り付く。レイチェルの恋人は、シンガポール一の大富豪の跡取り息子だったのだ。エルメスを普段着にしているペイク リンの家族の面々は、ノーブランドのワンピースを着ているレイチェルが、そのままニックのお婆さんの家で開かれる晩餐会に行くつもりでいることに驚愕。そんな服でヤング家のパーテイーに出られるわけがない。新友ペイク リンはレイチェルに、デイナードレスを着せて、一緒に晩餐会に行く。

レイチェルはお城のようなヤング家で行われている贅沢なパーテイーに、肝を冷やしながら、ニックに家族や友人たちを紹介されて、委縮していく自分に気が気ではない。
ニックの母親エレノアと祖母は、レイチェルを迎い入れるが、冷ややかな空気は変えようがない。レイチェルに出来ることは、エレノアの指にある巨大なエメラルドの指輪を褒めることくらいしかない。

翌日はバッチェラーパーテイー。男達は、ヤング家の所有する島でバカ騒ぎ。レイチェルはニックの許婚者アラミンタの女友達とでバッチェロパーテーに加わる。しかしレイチェルはニックの昔のガールフレンドたちから嫌がらせを受け、ベッドに腐った生魚を入れられたりする。カルチャーショックと、ニックの恋人としての嫉妬ややっかみを受けて、傷つきながらも、レイチェルはコリンとアラミンタの結婚式の参列する。
しかしその夜、レイチェルはニックの祖母と母親エレノアに呼ばれて、レイチェルは母親が浮気して生まれた私生児だと言うことが調べで分かったので、そのような娘をヤング家に迎えるわけにはいかない、と宣告される。レイチェルは自分の父親のことを知らない。自分でも知らなかったことを調べられて知らされた上、たった一人の身内である母親を侮辱されて、レイチェルは親友パイク リンの家に駆け戻り、惨めな自分が情けなくて食べ物も喉を通らない。ニックに会う気力もない。

ニューヨークから知らせを受けた母親ケリーが、レイチェルを連れ戻しに来る。ケリーはレイチェルに、本当に事を話す。父親は暴力をふるうような男で、良い人ではなかった。昔好きだった人と再会して妊娠してしまった。その事を夫が知ったら大変なことになるとわかっていたので、夫にも恋人にも何も告げずにひとりアメリカに逃れるしかなかった。レイチェルを産み、苦労しながら育てて来たが、それが自分にとって何よりも喜びに満ちた人生だった、と母は言う。レイチェルは母親と二人でニューヨークに帰ることにする。
その前に、ニックにさよならを言うために会うと、ニックは跪いてレイチェルにダイヤの指輪をささげて、求婚する。ニックの母親と話をしなければならない。レイチェルはニックの母親エレノアを麻雀屋に呼び出して告げる。麻雀で私が勝ったらニックは私のもの。もしお母さんが勝ったらニックはお母さんのものです。レイチェルはそう言ってゲームを始めるが、レイチェルはわざと負けて、その場を去る。

レイチェルとケリーは、来た時と大違い、ニューヨーク行の格安エアラインのエアアジアに乗り込む。その機上にニックが飛び込んできた。ニックの母親エレノアの巨大なエメラルドの指輪を差し出して膝まずき、再びニックはレイチェルに求婚をする。
というお話。

コメデイだが、純情な二人の恋人たちに泣き、心温まるシーンで終わる。
それにしても、映画を観ていてつくずく感じたのは、アメリカ人も中国人もお金が好きな国民だということ。徹底した拝金主義、物質至上主義で、贅沢をして物質で豊かさを形で表さないではいられない国民性。アメリカ人と中国人って、とても似通っている。

映画でシンガポールの観光旅行を楽しむことができた。素晴らしいシンガポールの観光名所が全部出てくる。どでかいチャンギエアポート、マーライオンのパーク、5つ星のラッフルズホテルのコロニアルスタイルの優美な外観と、スウィートルームの贅沢なスペース、それと度肝を抜くマリーナベイサンズ ホテルのプール。このプールは、3つの高層ビルを空中でつないだ57階屋上の、空中庭園の中にある。それとガーデン バイザ ベイのウオーターフロント公園で豪華な結婚式が行われる。ふんだんに花と水を使った、贅沢で見事な演出。これ以上華麗な結婚式はない、というくらい美しい。チャリーン、結婚式の費用だけで800万円。
ニックの親友のお嫁さんアラミンタを演じたソノヤ ミズノは、日本人とのダブルでファッションモデルでバレエダンサーだそうだが、背が高くてプロポーションが良くて絵になるような美しいお嫁さんだった。
これほど要所要所シンガポールの観光アイコンが使われているのに、意外なことに撮影のほとんどはマレーシアで行われたそうだ。ニックのお婆さんのお城の様な屋敷は、マレーシアの超高級ホテルだったカルコサス リネガラという歴史的な建物で、ニックのお母さんのモダンな海辺の家もマレーシア。コリンがバッチェラーパーテイーをしたのはマレーシアのラワ島、バッチェロパーテイーはランカウイ島だったそうだ。

アジア人の映画で楽しいのは、出てくる男達が美しいことだ。この映画でも主役のヘンリーゴールデイングが とても素敵。31歳、身長186cM。マレーシア人と英国のダブルで、イギリス育ち。彼にとってこれが初めての映画出演だというのだから驚きだ。これまでTVの司会や旅番組のホストだったそうだ。歩き方から食べ方、身のこなし方まで上品で美しい。
彼の親友役のクリス パンも素敵だし、ニックの従妹ジェマ チェンがとびぬけた美人だが、彼女のオットと元彼氏が、二人とも若すぎず、美しい肢体、渋い男の良さを体現していて忘れ難い。ピエル ペンと、ハリーシュン ジュニアという役者さん。いくつもの中国映画と韓国映画に出演しているに違いないので、記憶にとどめておこう。

主演女優レイチェル役のコンスタンス ウーは可愛い。でも美しさではニックの従妹役のジェマ チャンに及ばない。姿かたちと着こなしの良さではお嫁さん役のソノヤ ミズノに及ばない。また役者としては、レイチェルの親友を演じたオークワフィナに及ばない。オークワフィナは、話題作「オーシャン8」で、ケイト ブランシェットや サンドラ ブロックと共演して、大女優に負けない強い個性を見せてくれた。全く美人でないが、これからもハリウッドで活躍していく人だ。ヒップホップシンガーソングライターでもある。

準主役はもちろん憎まれ役ニックの母を演じたミッシェル ヤオだ。マレーシア人なのに中国映画と言えば、必ず彼女が主演だ。ゴング リーとか、チャンツ―ィ―が主役だったときはいつも重要な脇役を演じていて、流暢な英語を操るアジア人国際女優として不動の地位にいる。「クロ―チングタイガー」、「ゲイシャ」、「グリーンデステイ二ー」など彼女の出てくる映画など20本くらいは見ている。
そのハリウッドでもよく知られた大女優のミッシェル ヤオが、今回の映画でインタビューに答えて、自分はバナナだと言い出したのには とても驚いて考え込んでしまったよ。彼女がマレーシアで料理屋に連れて行かれた時、箸しかなくて、どうやって箸を使うか知らなかった。マレーシア人だが、その文化もしきたりにも疎い。アメリカで育ったアジア人はアメリカではアジア人といって差別と偏見にさらされ、アジアに行けば変な外人扱いをされる。欧米育ちのアジア人はみな、民族差別と差別の裏返し差別とでもいう立場で自分のアイデンティテイーに悩むものだ、と言っていた。とても共感できる。

アジア人による、アジア人監督と、アジア人キャストで作られたハリウッド映画ということで、これを観る欧米生まれ欧米育ちのアジア人は、欧米人とは全く異なった映画の受け止め方をしているのだ。アジア人だと、アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ国籍のアメリカ人でも、顔を見た人は、「あんた英語しゃべれるか?」と聞いてくるし、「あんたの故郷はどこだ?」と問われながら育って大人になる。
国民の4人に1人は外国生まれという移民でできたオーストラリアに居ても、同様だ。「どこから来たの?」「英語わかる?」がいつもついてまわる。それをいちいち「おい、あんたの言ってることは人種差別で、人権侵害行為なんだぜ。」と解説などはせず笑って受け流して生きている。そこに痛みは無いといえるか。

その意味で、この映画を観て、コメデイなのに泣いて見ているアジア人が多かった、というレポートが とても理解できるものだった。
世界一の経済規模を持つ中国。長いことコーカシアンの男が中心だったハリウッドで、プロデユーサーワインズバーグのスキャンダルを切っ掛けに、女性によるミートウー運動、権利保障を要求する運動が起き、俳優を含む映画関係者のなかで女性やアフリカンアメリカンやメキシカンアメリカンやチャイニースアメリカンがたくさん居るのに、登用されていない現状を、覆す動きが盛んになってきている。21世紀になって、ようやくここまで来た。もっともっとマイノリテイーによる映画が作られなければならない。

2018年9月9日日曜日

映画 「判決 ふたつの希望」

どんなに腹を立てていても言ってはいけない言葉というのがある。
相手が生きているその根幹に関わることで、その人が人であるための尊厳に触れるような言葉。それを言ってしまったら文字通り「おしまい」なので、致命的な言葉を間違って吐いてしまったら、言葉を取り消すことができないし、後戻りも出来ない。

前世紀まで、そういった言ってはいけない言葉は、ファックユーとか、マザーファッカーとか、サンオブビッチとか、バスタード(ケダモノ)とか、シット(くそ)とかだったけれど、今ではもっともっと悪い言葉が出てきている。
外国に住み、病院で看護師をやっていると、腹を立てた年より患者からこういった禁句を投げかけられることもある。病気の人は、心も病気だから不安や不満や痛みを看護師や医者を罵倒でもしないと、居られない時もあるのだろう。言われても専門職だから全然平気だ。「このチンク野郎」とか、香港人じゃないのに「ホンキ―野郎」とか、「モングエル」(野良犬)とか、痩せてるのにファットアス(豚野郎)、とか、シットバグとか、「二ガーアフリカに帰れ」とか。「ゴーバック ウェア ユーフロム」などなどだが これは、ヤンキーゴーホームみたいにポピュラーな差別言葉だ。
NSW州知事、ボブ カーの中国人妻を「メイル ブライド」(宅急便花嫁)と失言して、議員職を追われ自殺未遂した議員も居たっけ。
子供がそういった言葉を吐くと、まわりの大人たちがあわててそれを取り消そうとしたり、ごまかしたりするので、タチの悪い子供はわざと面白がって言うようになる。だから子供が小さいうちから言ってはいけない言葉、とくに民族差別、性差別に関わる禁句を口にすることは「犯罪」をであること、「人権問題」に関わる重大なことだということを子供に教育しなければならない。言ってはいけない言葉を吐くことは犯罪で反社会的な行為なのだ。それをテーマにした映画を観た。

原題:「THE INSULT」       
レバノン スランス合作映画
監督:ジアド ドウレイ
キャスト
ヤセル:カエル エル バシャ
トニー:アデル カラム

ストーリーは、
レバノンに住むキリスト教徒のレバノン人、トニーは自動車修理工で、妻と二人でアパートに住む。妊娠中の妻は、子供を育てるならいま自分達が住む都会の小さなアパートではなく、都会の喧騒や混雑から離れた、夫の家がまだ残っている田舎で暮らしたいと思っている。しかし夫は頑なにその案を拒否している。
アパートのベランダで洗濯した水は、配管のない2階のベランダから直接外に流れ落ちる。狭いアパート下の路面で工事を始めた工事責任者のヤセルは、洗濯の汚水を浴びて腹を立ててベランダから突き出たパイプを切り落とす。この工事責任者のヤセルは、パレスチナ人で寡黙で優秀な技術者だが、モスリムで難民出身だ。ヤセルはベランダから切り落としたパイプから新しい配水管をつけて水が外に漏れないようにする。しかし怒り収まらないトニーは、その新しい排水管を叩き割る。

トニーはヤセルに、勝手にパイプを切り落としたことで「謝罪」を求める。工事が止まって困った市の職員は、ヤセルに謝罪させて、この場をまるく収めて早く工事を再開させたい。トニーの妻も、怒っているトニーの方が水を垂れ流して悪かったので、妥協するように懇願するがトニーは聞かない。市の職員に連れられてきたヤセルは、トニーに謝罪しようとするが、トニーはパレスチナ出身者に言ってはならない言葉「このやろう自分の国にとっとと帰れ」という侮辱の言葉を言ってしまう。怒ったヤセルはトニーを殴って、ろっ骨骨折の負傷を追わせる。その後トニーは骨折した体で、自動車修理の仕事を続けて、職場で倒れ、それを抱き起して病院に送った妊娠中の妻まで、早産で未熟児を出産するという不幸が重なった。

トニーを負傷させ逮捕されたヤセルは、頑なに沈黙を守り、何が起きたのかを言おうとしない。トニーにはレバノンのキリスト教側のサポートが付き、ベテランの弁護士が付いて裁判が起こされる。裁判では圧倒的にトニーが有利な状況だ。たった1本のバルコニーの排水管をめぐって怒り狂うトニーと、静かに黙し、どんな罪も受け入れると、自己弁護を一切せず沈黙を守るヤセル。孤立するヤセルに人権問題を専門とする優秀な女性弁護士が現れる。何とそれはトニーの弁護士の娘だった。父娘の裁判所での対決はそれでなくても注目を浴びた。
トニーとヤセルの裁判は、大きな問題として報道され、レバノンのキリスト教支持者と、モスリムの支持者とに分かれ、互いの支持グループがデモでぶつかり合うような社会問題にまで発展した。

レバノンの自動車修理工がパレスチナ難民出身者を侮辱したために殴られた。殴ったヤセルが謝罪すれば済むことだったのに、それが民族問題、宗教問題に発展してしまった。裁判の途中で、トニーの弁護士は、なぜトニーがこれほどにパレスチナ難民を憎むのか、調べるうちにトニーが生まれ育った国境近くの村が、トニーが6歳のときに、モスリム勢力に占領され、大規模な住民虐殺の起きた村だったことを突き止めた。トニーは幸せだった田舎での生活を奪われ、家族親族を虐殺され、難民となって都市に流れて来た体験が、ムスリムへの憎悪、難民への侮蔑に向かっていたのだった。トニーの弁護士は法廷でそれを明らかにする。

トニー自身が認めようとしなかった根強いモスリムへの差別意識の根源が、衆人の前にさらされ、6歳のころから閉ざして思い出そうとしなかった自身の過去に、トニーは対峙することになる。自身の過去に、心の整理をつけなければならない。6歳で去ってから30年近く、訪れることのなかった故郷にトニーは初めて帰る。家は荒れ果てていたが、当時そのままだった。かつての果樹園は林になっていた。その大地に身を投げ出して、初めてトニーは自分では抑えきれなかった「怒り」を「赦し」の心に変えることができた。
というお話。

この映画のみどころは、トニーの顔の変化だろう。トニーは都会の小さなアパートで妊娠中の妻と暮らし、妻の話を聴こうとしないし、平気で妻を傷つける。仕事熱心だが幸せそうではない。何をしていても、何をしてもらっていても、いつも怒っている。平気で難民を侮辱して、絶対に人の言うことを聞こうとしない。妻や役所の職員や裁判官がどんなに説得しても耳を貸さない。そんな幸せでない、世界の不幸を一身に背負ったように見える男が、裁判の過程で裸にされて、初めて自分自身の姿に気が付いて、傷跡を再生させていく。映画のはじめからトニーの怒った顔が、最後の最後になって、まったく別人のような柔らかな顔になる。その大きな変化、それだけのためにこの映画が作られたと言っても良い。

一方のパレスチナ難民ヤセルの寡黙で、達観した姿は、キリストのようだ。好きで難民になったわけではない。自分で選んでレバノンで技術者になってレバノンに住んでいるわけではない。両親が生まれた土地で暮らしていければそれに越したことはない。レバノンで少数民族として生きなければならないパレスチナ人にとって差別は、常に付きまとう。

人には誰にも誇りというものがあり、人の尊厳に関わる言葉を吐いたもの、侮辱したものは、差別禁止法によって裁かれ、罰を受けなければならない。
原題の「INSULT」(侮辱)という言葉はとても強い言葉だ。普通の日常会話には出てこない言葉で、直接に告発とか、訴訟、犯罪に関わる言葉だ。侮辱する方も、侮辱される側の方も傷つく。その意味で、邦題を「判決、ふたつの希望」としたのは、まったく映画の内容に合っていない。はじめから裁判が和解のためにあったようなイメージを与えて、本来の映画とはかけ離れた題名になってしまったように思う。

2018年アカデミー賞外国映画賞候補作。オーストラリアシドニー映画祭観客賞、ベネチア国際映画祭男優賞受賞作品。