2018年8月11日土曜日

映画 「サラの鍵」



第2次世界大戦におけるナチスが行ったユダヤ人ホロコーストを知らない人は居ない。600万人の人命が失われた。実際に体験した世代は、戦後70年経ち、減少してはいるが未だに歴史的証人は存在している。

オーストラリアで医療通訳とナーシングを25年間してきたが、腕にナチスドイツが押したプリズンナンバーが刺青されているホロコースト生き残りの人に、2回出会っている。子供の時に入れ墨されたのだろうが、年をとってもユダヤ人としてナチにキャンプで押された認識番号は、はっきり読み取ることができて、胸がつぶれる想いだった。
ホロコーストが人類に与えた影響は甚大で、この事実をもとにして沢山の小説や映画が制作され、今でも製作され続けている。

同じころ日本軍はアジア諸国で侵略を進め、中国、韓国、シンガポール、マレーシア、フィリピン、グアム、ニューギニア、ガダルカナルなど諸国を侵略し、他国民を蹂躙した。戦後日本軍の犯罪に対して、日本人以外の人々が描いた小説や映画は、ナチのホロコーストを描いたものに比べて極端に少ない。その原因に、未だ日本軍が行った残虐非道な行為がまだ充分掘り起こされておらず、一般認識されていないうえ、日本政府がその非をはっきり反省していないからだ。侵略を国土摂取による近代化と教育を授けただけと、開き直り、慰安婦を軍が関与していないとシラを切り、南京虐殺を無かったなどと言う。
ヨーロッパではホロコーストが無かったと発言することは、れっきとした犯罪で告発され、反社会的な人間として葬られるのに比べ、日本では南京虐殺が無かったと歴史を否定しても、犯罪と認識されないばかりでなく、国会議員にでもなれるという、恥知らずがまかり通っている。

最近、「沖縄護郷隊」という言葉を初めて知った。沖縄戦で、諜報機関として知られる陸軍中野学校出身者42人が沖縄に潜入し、沖縄護郷隊を作り、10代の少年約1000人が、米軍に向けたゲリラ戦を戦わせられた、という歴史的事実が知られることになった。米軍に包囲され投降する沖縄住民を後ろから銃で撃ち殺し、ガマに隠れた住民を追い立てて米軍の爆撃にさらした日本軍だ。地元が戦場となった沖縄の当事者にとって、日本軍のスパイとしてゲリラ戦を戦うなどという、余りに残酷な体験は、何年経っても声高に語ることができなかっただろう。それでも同じ歴史が繰り返されないために、語り出した歴史的証人の言葉に、私達は真摯に耳を傾けなければならないと思う。

歴史的事実を残っている写真やドキュメントで、くりかえし発表し続けることが重要だが、事実をもとにした小説や映画がもっと出ても良い。ナチスドイツに関する作品で、このブログで映画紹介と映画評を書いたものだけでも、「白バラの祈り」(ソフィーショール)マルク テムント監督、「否定と肯定」ミックジャクソン監督、「ヒットラーの偽札」ステファン ルオスキー監督、「戦火の馬」ステイーブン スピルバーグ監督、「優しい本泥棒」べレイン パーシバル監督、「ミケランジェロプロジェクト」ジョージ クルーニー監督、「ヒットーラーの忘れ物」マーチン サンフレット監督、「プライベートライアン」スチブン スピルバーグ監督、「サウルの息子」ラスロ ネメッシュ監督、「愛を読む人」ステファン ダルトレイ監督、「ソフィーの選択」アラン パクラ監督などがある。
一方日本軍に関する映画では、「アンブロークン」アンジェラ ジョリー監督、「軍艦島」リュ スンワン監督、「レイルウェイ マン」エリック ロマックス監督、「フラワーオブワー」チャン イーモー監督などがある。
ナチスドイツが人間に、一体何をしたのか、日本軍がどのようにして権力を我が物にしてきたのか、それでどんな歴史的汚点を作って来たのかということを、どんなに語り、表現しても表現したりない。もっと、もっと反省を込めて反戦映画が出て来なければならないと思う。

映画「サラの鍵」
フランス映画
監督:ジル パケ ブルネ
原作:タチアナ ド ロスネ
キャスト
ジュリア : クリステイン スコットトーマス
サラ : メリュジーヌ メヤンス

ヴェロドローム デイヴェール事件を扱った作品。(RAFLE DU VELODROME D'HIVER)
第2次世界大戦下、ナチスドイツ占領下にあったフランス、パリで1942年7月6日にユダヤ人が大量検挙された事件を言う。ヴィシー フランス政府はナチスの要求するまま、パリとパリ郊外で1万3152人(そのうち4115人は子供)のユダヤ人を警官が検挙した。ヴェロドローム デヴェールというのは、冬季競技場の名前で、検挙されたユダヤ人は、5日間ここに閉じ込められ、屋根のない真夏の競技場で、暑さと食糧、飲料を与えられないまま人々はその後 アウシュビッツなどの東欧各地の収容所に送られた。このような過酷な扱いに、ほとんどの人は生存できなかった。
映画のなかでも、警察に引き立てられた人々が、「どうしてこんなひどいことをするの?私はフランス人よ。あなたも同じフランス人なのに。」とパリ警察に抗議するシーンが出てくる。当時ヨーロッパでユダヤ人が憎まれていたとはいえ、自分たちが自国の警察官によって検挙されてホロコーストに会うなどと、夢にも思っていなかった当時の市民の姿が垣間見られる。この映画は、10歳のサラが、深夜パリ警察に連行されるシーンから始まる。
ストーリーは
1942年7月6日。
深夜、パリ警察が乱暴にドアをたたき、父親の居所を問い正す。10歳のサラは、とっさの機転で、警察は、父親と弟の男だけを連行するのかと思い、弟を子供部屋の戸棚の中に隠し外から鍵をかける。たとえ自分が連行されても取り調べだけで、すぐに家に帰れると思っていた。弟には、どんなことがあってもサラが迎えに来るまで戸棚から出てはいけない、としっかり言い聞かせた。サラと母親は外に出され、別棟に隠れていた父親と共に引き立てられた。両親とサラはジープに乗せられ、競技場に連行され、コンクリートの上で炎天下何日も留め置かれた。その間、弟のことを案じた家族は警官に、弟を見つけて連れてくるように頼み込むが、誰も聴く耳を持たない。サラは熱中症で倒れ、家族はバラバラにされて列車に乗せられ、収容所に向かった。そしてそのまま二度とサラは両親に会うことがなかった。

3日3晩高熱で苦しんだのちサラは意識を取り戻す。弟のことが気になって一時もじっとしていられないサラは、収容所の警備員に鍵を見せて必死で弟を連れてきたいと懇願する。一人の警備員が10歳の子の尋常ではない頼み方に心が傾き、収容所の鉄条網をゆるめてやる。サラは走りに走ってパリをめざす。人家をみつけて家畜小屋で眠っているところを百姓夫婦に助けられる。夫婦には息子が居たが戦場に送られていた。夫婦は、サラを不憫に思い、警察に隠れて危険を承知で自分の娘として育てる。サラのたっての願いで、夫婦はサラを連れて占領下のパリに出かける。もとサラが住んでいたアパートに着いて、サラの持っていた鍵で開けた戸棚には、、、。

2002年ヴェロドロームデヴィエール60年周年記念の5月。
新聞社に勤めるジュリアは、この事件について論評を書くように依頼される。彼女はアメリカ人だが、フランス人の夫との間に14歳の娘がいる。新たに妊娠していることがわかった。家族はパリに居を構えることになり、夫の遠い親戚からパリのアパートを貰い受けたので、改築する予定だ。アパートの寝室には古い大きな戸棚がある。
論評を書くにあたってジュリアは、その古いアパートに戦争時に住んでいたスタルズスキ一家について調べることにする。そこに住んでいたユダヤ人家族は戦時中どんな生活をしていたのか。やがてジュリアは、この家族には2人の子供が居たはずなのに、収容所で死亡した両親の記録があっても、子供達の死亡記録がないことに気がつく。夫の遠い親戚たちや公文書から、家族にいたはずのサラと言う名の子供の足跡をたどる。そしてサラが養父母に大切に育てられ、アメリカに渡り、家庭を持ったことまで調べ上げる。

サラはホロコーストを生き延びてアメリカに渡っていた。ジュリアはその足跡を追って、アメリカに飛ぶ。サラの夫は老体で死の床にいた。サラはその夫との間に息子をもうけていた。息子は幼いうちに母親を亡くしたので、サラのついての記憶がない。
ジュリアはサラの人生を追うことによって、自分の人生がサラの人生の重さに重なって、もうサラを知る前の自分に戻ることが出来なくなっていた。というお話。

才覚ある10歳の娘が最愛の弟を守ろうとして、逆に死なせてしまう。その十字架を背負ったまま戦後まで生き残ったサラが家庭を持ち、息子を育てることになるが、息子が死んだ弟の年に近付くに連れて、原罪意識から逃れられなくなっていく。
哀しい哀しい物語だ。
ホロコーストで殺された600万人の人には、600万のサラのような悲劇的な物語を抱えて死んでいったのだろう。

サラの息子は、かたくなに自分の過去に口を閉ざして、そのまま何も語ることなく亡くなった母親が、ユダヤ人だったことも、ホロコーストの生き残りだったことも知らずに成人していた。彼は母親が残した形見の宝石箱に残された鍵の意味を知らずに、ただそれを思い出として大切に持っていた。
サラの生涯を調べつくしたジュリアは、サラの人生に深くかかわるに連れ、自分が妊娠中であるにも関わらず夫と理解し合うことができなくなり別れて 一人で娘を産む。
ジュリアがサラについてのすべての物語を息子に語り聞かせたあと、息子はふと、ジュリアの赤ちゃんは何という名なの、と尋ねる。何という名前?ジュリアはしばらくためらったあと、サラという名なの。と答える。それを聞いて泣き崩れる息子とジュリアのシーンで映画が終わる。とても心に残るシーンだ。

戦争の激しい暴力にさらされて、奇跡のように生き残った生存者が、戦後しばらくして自ら命を絶った、その胸の内が哀しい。「ソフィーの選択」も同様に戦後を生き続けることができなかった男女のお話だ。人は生き延びさえすれば良いのではない。失ったものが大きすぎる。耐えられるものではない。人はそんなに強い心をもって生まれてくるわけではない。
とても哀しい良質な反戦映画だ。

2018年8月4日土曜日

映画「ジュラシックワールド:炎の王国」

製作総指揮:ステブン スピルスバーグ
監督:J A バヨナ
キャスト
オーウェン=恐竜行動学者:クリス ブラッド  
クレア=元ジェラシックパークの運営責任者;ブライス ダラス ハワード
メイジ―=ロックウッド財団創始者の孫娘 :
ジャステイス スミス=クレアの助手 IT技術者:フランクリン ウェブ
ダニエラ ビネラ=クレアの助手、獣医 :ジア ロドリゲス
ベンジャミン ロックウッド=ロックウッド財団の創始者:ジェームス クロムウェル
レイフ ポール=ロックウッドの実質的経営者:イーライ ミルズ
メイジ―の養母アイリス=ジェラルデイン チャップリン
ヘンリーウー=インドミナスレックスの創始者:B D ウォン
イアンマルコム=数学者、議会に召還される:ジェフ ゴールドグラム

その他
ベロキラプトル ブルー、テイラノサウルス、テイラノドン、ジャイロスフィア、
アパルトサウルス、ステイギモロク、インドミナスレックス、インドラプトル、etc.

1億年余り前の中生代に存在した恐竜たちが,何故絶滅してしまったのか。隕石、気候の変動、火山爆発、CO2濃度の減少、地球寒冷化など、たくさんの説があるが、その全部が複合的に合わさって絶滅に至ったらしい。福岡伸一は、巨大な隕石が6500万年前に地球に衝突し、大規模な津波と、大粉塵を起こしたため粉塵が地表を覆い、太陽を遮断し、植物の光合成が出来なくなったため食物が育たなくなって、恐竜は餓死したと予測する。それを証明するように、ユカタン半島北部に直系200キロ、深さ20メートルという巨大なクレーターが見つかった。また地球には希少だが、隕石には高濃度に含んでいるイリチウムが、ヨーロッパの各地の地層から計測されているという。今も、いつ再び起こっても不思議ではない隕石の衝突という事態が、恐竜のような大型動物を絶滅に導いたことは、とても残念なことだ。

映画ジュラシックパークでは、科学者が琥珀の中に閉じ込められた蚊が吸った恐竜の血液からDNAを検出して恐竜のクローン再現に成功した。それは人間の欲がなせる業だったが、人にとって夢の実現でもあったと思う。一連のジュラシックシリーズでは、次回で最終結論を出すことになるが、人と恐竜との共存が可能かどうか、がテーマになる。
ジュラシックワールドは、2015年に14年ぶりにジェラシックシリーズとして発表されたが、今回の「炎の王国」はその続編。すでにこの作品に続きがあることが映画の最後で予告されているので、これはジュラシックワールド3部作の第2作目に当たる。シリーズの最初からスピルバーグが引き続き製作総指揮に当たっている。

前作ではテイラノサウルスとTレックスなどをDNA操作で合わせたハイブリッドの新種インドミナスレックスが、暴れ放題で、テイラノサウルスとデスマッチを繰り広げていたが、新種の方が、血の匂いに誘われて海からやってきたモササウルスに水中に引きずり込まれて食われてしまうシーンで終わった。オーウェンが親代わりになって育てた孤児の4頭のベロキラプトルは、この決闘で3頭殺されて、ブルーだけが生き残る。この映画は、その続きだ。

ストーリーは
深海探査艇が恐竜たちが生息するイスラヌブラ島の海底に向かう。モサザウルスに海に引きずり込まれて死んだインドミナスレックスの死体からDNAを採取して、さらに強い新種を作る試みが進行している。彼らは海底で見つけたレックスから骨を切り取って、無事に引き上げることに成功したが、深海探査艇に異変が起こる。モサザウルスが予想を超えて巨大に成長していて、、、、。
一方沢山の恐竜が生息するこの島に小規模の火山噴火が頻発している。専門家は火山が大爆発し、このままでは、すべての恐竜は絶滅することになると予想した。議会では、恐竜を救うべきかどうか、専門家の数学者マルコム博士を呼んで意見を聴いたが、博士は恐竜の運命は自然に委ねるべきだと主張する。恐竜はこのまま手をこまねいて 再び絶滅するのを待つしかないのか。

ジュラシックパークの創設者、ロックウッド財団はパークの運営責任者だったクレアと、恐竜行動学者オーウェンに、島に行って出来るだけ恐竜を捕獲するように依頼する。クレアとオーウェンは数年ぶりに再会し、ジャステイスとジア、二人の助手を連れて現地に向かう。着いてみると、すでに現地ではロックウッド財団の傭兵たちが恐竜捕獲作戦を始めていた。オーウェンは、自分が親代わりになって育てたベロキラプトルのブルーと再会を果たす。ところが傭兵たちはブルーとオーウェン双方に麻酔銃を発射した。オーウェンが昏倒している間にも火山の大噴火が予想以上の速さで始まっていて、マグマが流れ落ちてくる。オーウェンは危機一髪のところでマグマから逃れ、クレアたちと合流するが、そのころにはすべての恐竜たちが命からがら海岸線まで逃げ延びて来ていた。

病に伏せているロックウッド財団創始者のベンジャミン ロックウッドから仕事を引き継いで実質経営者となったレイフポールの傭兵たちは、大型船に捕獲した恐竜たちを収納し島を去るところだったが、クレアたちは船出の寸前に船に忍び込むことができた。乱暴に捕獲されたブルーは出血多量で虫の息だった。クレアとオーウェンはインドミナスレックスから血液を抜き取りブルーに輸血する。船から大型トラックに乗り換えた一行の行先はロックウッド財団の大きな屋敷だった。そこには財団の創始者ベンジャミンと孫のメイジ―が住んでいた。

屋敷に世界中から招待客が続々と集まってきていた。そこで恐竜たちが、1頭ずつ檻で引き出されてきて競りにかけられ、落札された値段で売られていく。ベンジャミンの命令で保護された恐竜たちが、レイフポールによって売られてしまう。孫のメイジ―は祖父に、レイフポールの裏切りを伝えるが、それを警察に通報しようとしたベンジャミンはレイフポールに殺される。
事情を知ったクレアとオーウェンはメイジ―と一緒に、恐竜たちを守ろうと立ち上がる。オークションにかけられて最も高値で引き取られそうになったのが、インドミナスレックスのようにDNA操作でハイブリッドされた新種のインドラプトルだった。各国の要人たちはこれを無敵の武器として使うために購入したがっている。しかしオークションの最中に檻が開いて、数頭の恐竜が会場で暴れ出して、逃げ惑う人々とで大混乱に陥る。逃げ出したインドラプトルは執拗にメイジ―を追いかける。それをオーウェンとクレアを助けるブルーの登場によって危機を回避、インドラプトルは屋敷の屋根から落下して死ぬ。レイフポールはテイラノサウルスに食い殺される。ロックウッドの屋敷の地下に閉じ込められていた他の恐竜たちは、破壊されたた地下にシアンガスが充満してしまい、このままでは全頭が窒息死することになる。

少女メイジ―は、殺される前のレイフポールから、自分がベンジャミンの娘が事故で死んだとき、そのDNAから作られたクローンであることを知らされた。本物のベンジャミンの孫ではなかったのだ。自分のようにDNA操作で作られた恐竜たちを、このままガスで窒息死させるわけにはいかない。メイジ―は地下室の檻を解放する。次々と恐竜たちは外界に出て行き、ブルーも「安全なところで一緒に住もう」、というオーウェンの言葉に躊躇するが振り返りながら去っていく。
こうして恐竜は生き延びて人々の住む世界に自由に放たれた。
議会で再びマルカム博士が発言する。今や人と恐竜とが共存して生きて行かなければならない。いわばジェラシック時代と呼ばれる新しい世界となったのです。
というお話。

恐竜が本物にしか見えない。この映画の見どころは「上等なCGテクニック」。実に恐竜が本物の様によくできている。円谷プロダクションの着ぐるみ怪獣の特殊撮影に騙されて本気で怖がって震え上がって育ってきた。そんな自分の目からすると隔絶の進歩だ。シンと鎮まって、え、、何が起こるの、といぶかしがっているうちに影が映り、ギャー本物が現れるというパターンが幾度も繰り返されるが、何度やられても慣れることがなく本当に怖い。CGがこれほど進歩したのは、ジョージルーカスとスピルバーグの天才的な才覚によるものに違いない。一連のジェラシックシリーズのおかげで恐竜が大好きになった人も多いだろう。

火山大噴火で燃えるマグマに満ちた島に取り残された草食恐竜アパルトサウルスが、「連れて行って連れて行って」と島から去るオーウェンとクレアに何度も何度も呼びかける。やがてマグマの毒ガスにまかれて姿がみえなくなっていく様子が哀しくて、ここで涙を流さなかった人は居ないだろう。
またオーウェンに育てられたベロキラプトルの孤児で1頭だけ生き残ったブルーがオーウェンに寄せる想いもとても共感できる。こんなに可愛い奴ら、誰もがペットに欲しいと思うだろう。

かくしてジェラシックパークの恐竜たちの大半は火山で絶滅し、財団に捕獲された恐竜たちは、恐竜同様DNA操作でクローンされた少女メイジ―によって野に放たれた。地下室の恐竜たちを生かすか、見殺しにするか二者択一を迫られて、クレアはようやくの思いで自分の思いを押しとどめて、恐竜をあきらめようとするが、それではメイジ―の存在をも認めないことだ。メイジ―はオーウェンとクレアの堅い決意に反して、恐竜を自由にし、この世で人と恐竜を共存させることでクローンとしての自分の命を自己肯定したのだ。勇気ある決断だったと言える。

母親が事故死した後メイジ―はお祖父さんと乳母に育てられたが、乳母役に出てきたのが、ジェラルデイン チャップリンだ。再びこの女優を見ることができてとても嬉しかった。喜劇王チャップリンの娘。映画「ドクトルジバゴ」でジバゴの妻役だったころの知的で美しい姿は、1970年代の他のどの女優よりも抜きんでていた。いまはしわくちゃだったが、全然かまわない。気品に満ちた雰囲気をまとい、キリッと立つ美しい立ち姿と、洞察に満ちた眸、可憐な様子は、むかしのまんまだ。

オーウェンとクレアのやりとりが面白い。前回の映画で二人はハッピーエンドで、あれから3年も経っているから、家庭を持って2-3人子供でもいる頃かと思ったら、二人はあのまま別れていた。その理由というのが聞けば、クレアが腹を抱えて馬鹿笑いするほど単純な、クレアの言葉を誤解して取り違えたオーウェンが、自分から去っていったからだった。そんな二人が再会して互いになくてはならない存在になっていく。オーウェンは単純で武骨な男。クレアは困っても、命の危険にさらされても男に助けてもらうことを全く期待しない。男をアテにしない自立した女として描かれていて好ましい。

クレアの二人の助手に、ラテイーノとアフリカンアメリカンを起用したことは良いことだ。アメリカの人口比からいっても自然なことで、これが正しい。正しいことをしないハリウッド映画が多すぎる。ジャステイスがIT技術者で眼鏡をかけてオタクっぽいがアフリカンアメリカン。そしてジア獣医がラテイーノ女性だ。ジアが姿が見えないのに声だけで誰かわかって彼女が車から出て天を仰ぐと、ゆっくりと森から巨大なアパルトサウルスが姿を表すシーンは、感動的だ。

この映画、安心して子供に見せられる。12歳のメイジ―の名演技。恐竜たちの生き生きとした立ち回りにもほれぼれする。ハリウッド映画は娯楽映画と馬鹿にすることなかれ。とても満足した。
この世も、とうとう人と恐竜とが共存する本当のジェラシックワールドになった。空を見上げればプテラノドンが普通に飛んでいて、海で泳げばモササウルスが何気なく近付いてくる。次作が待ち遠しい。

2018年8月3日金曜日

イギリス映画「エデイ」

この7月に日本では集中豪雨によって洪水や土砂崩れが起きて、死者を含む沢山の被害が出るという痛ましい事態が起きた。
土砂崩れが起きるたびに、日本の林業は大丈夫か、と気になる。亡くなった最初の夫は、教育大学、今の筑波大学の林業学科を出て、地すべり学会の学会員だった。彼は、国有林を管理するグリーンレジャーが廃止されて、山に入る人が居なくなり、山々が荒廃しハゲ山が増えた。地元の市町村が植林をするといっても、すぐに大木になって見栄えは良いが、浅い根を張って水を吸わない外来樹木ばかりを植えるようになったと言って、政府の安易な林業政策をいつも激しく批判していた。

どんなに雨が降っても、木が水を吸えば山崩れは起こらない。
まめに山に入り一本ずつ不要な若木を伐採し、100歳を超えた大木を育てる。バランスを考えながら間伐した分だけ木を植える。このように、昔から何百年も日本で行われてきた間伐と植林を続けて、水を吸って大地を支える大木を大切に育ててきたら土砂災害は防止できるのではないか。そのための地域ごとの林業従事者を育成する必要があるだろう。山を守ることは、下界で畑を作り日々の生活をする人々を守ることだ。
急速に日本の老人人口が増え。若い労働人口が減少する中で、地方の過疎化が進行している。捨てられた地方の山村が増えれば、山を守る林業の専門家が育たない。山に人が入らなくなれば自然災害の規模は大きくなるばかりだ。林業と、農業とは切っても切り離せない大切な国の経済の根幹にあたる存在であり、これをもとに国の経済を考えないならば国の将来はない。山を守ることは、国を守ることだ。武器を買う予算があるなら、一人でも多くの山を守る若い人を育てることのほうが大切だ。

山にはお世話になった。魂を救われた。
谷川岳、丹沢の山々、八ヶ岳、穂高、槍ヶ岳、立山、剣岳、白馬岳、常念岳、蝶が岳、焼岳、乗鞍岳、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、白峰三山。どの山も独特で味わい深く忘れ難い。
普通のお婆さんがスコットランドの山々を歩く映画を観た。山の映像を見ているだけで心が洗われる思いだ。
                
イギリス映画;「EDIE」エデイ
監督:サイモン ハンター
キャスト
エデイ : シエラ ハンコック
ジョニー: ケビン グズリ―

ストーリーは
ロンドンの郊外に住むエデイは83歳になる。病身だった夫が老衰で死んだ。エデイの結婚生活は夫の介護に終始した。30年前、夫はエデイを殴り、その夜怒りを制御できないまま脳出血を起こして倒れ、彼は死ぬまで再び立ち上がることも仕事することもなく妻の介護によって30年間生き永らえたのだった。
夫の死後、娘はエデイを強引に老人ホームに入居させようとする。エデイは連れられて行った老人ホームで、生きる屍と化した老人の群れをみて、とても自分には耐えられないと判断して、ひとり家に帰って来る。ともかく身辺整理をしなければならない。家にもどって、古い写真や手紙や書類を暖炉で燃やしてたときに、火の中に投じた1枚の山の絵葉書が何故か気になって手に取って眺めてみる。
そうだ。思い出した。
この絵葉書が切っ掛けで夫がエデイを殴ったのだった。その結果夫は不具の身となって死ぬまでエデイに介護を強いた。すっかり記憶がよみがえった。この絵葉書は、エデイの父親がよこしたものだった。エデイは子供の時から釣り好きの父親のお供で山々を歩き、キャンプをして、ボートに乗り、釣りをしたものだった。結婚したあとも父親はエデイを誘って一緒に山に行こうを絵葉書をよこしたのだった。それを見て怒った夫はエデイを殴った。すっかり忘れていた記憶が蘇り、エデイは自分の30年間は一体何だったのかと自問自答する。

翌日エデイはリュックサックひとつ背に背負って、家を出る。列車を乗り継いで山岳地帯に向かう。雨の中、山のふもとの村まで行くバスを待っていると、もうバスは出てしまったという。ちょうど村まで帰るところだったジョニーという気の良い青年に拾われて、エデイは彼のジープに乗って、村の登山者のためのホテルに連れて行ってもらう。ジョニーは山の道具を売る山岳用品店の店員だった。
エデイはジョニーに、ガイドを依頼する。1日300ポンド。高いとエデイは文句を言いながら1日だけ足慣らしにガイドのジョニーとトレッキングしてみる。そこでエデイは自分が持ってきた昔の長靴や防寒着や、キャンプで湯を沸かしたり料理するコッヘルなどが、時代ものでもう’使いものにならないことを知らされる。ジョニーの働いている店で登山用具を全部そろえてもらって、エデイは出発することになる。

出発の前夜、ジョニーはエデイをパブに誘う。エデイはデイナーのためにロングドレスを身にまとっていそいそと出かけるが、パブに来ていた心ない人々は,年寄りのエデイを笑いものにする。傷ついたエデイは自信をなくして登山をあきらめてロンドンに帰ろうとするが、ジョニーはエデイを引き留めて、山に向かわせる。
頂上をきわめるまでには3日かかる。悪天候の中、テントを張り、荒地を歩き、ブッシュを抜けて湖をボートで渡り、さらに歩き続けなければならない。折しも低気圧前線が伸びて、嵐になって、、、、。
というお話し。

実際に83歳で映画主演して登山までするエデイもすごい。頑固一徹を顔に書いたような女優さん。でもこんな偏屈で笑顔ひとつ見せない老女を、山が好きだという一点のために、ジェントルマンシップをもって扱い、どんな困難にも努力を惜しまない、ジョニーが素晴らしい。これが山男というものだ。気の良い素朴で誠実な青年。石塚真一の漫画「岳」に出てくる登山家、島崎三歩さんみたいだ。
この映画のテーマは友情。友達に男女差や年齢は関係ない。山の頂上をきわめたいという想いに深い意味を抱えた女性がいたら、その望みをかなえてやるために、どこまでもサポートするのが、男気であり真の友情だ。
スコットランドの山岳地帯が素晴らしい。荒々しい岩あり、湖あり、なだらかな山々もあり、それぞれが気象の変化によって表情豊かで、急に穏やかな山になったり、突然豪雨になったり、死をもたらす残虐な魔の山になったりする。

30年余り自分の意志に反して生きて来ざるを得なかった女性が、やっと解放されたとき、一体何をしたらよいのか。83歳の老醜をむき出しにしながらも、エデイは自由になった喜びに、拳を高々と空に向かって挙げる。彼女は体がボロボロになっても、子供の時に山登りで得た喜びを山登りで再体験することなしに自分を取り戻せなかったのだろう。歌を忘れたカナリアは,月夜の灯りに照らされて、再び歌うことができるだろうか。
自分は一体何をしてきたのか、これからどうして行ったらよいのかわからなくなったとき、自分の原点に立ち戻って見たら良い。結婚前の若かったころ、自分が無力で財産も経験もなく、まわりに世話ばかり焼かせながらも、自分ひとりで懸命に何かを掴もうとしていた、そのころの自分に戻って見るものだ。
映画を観て自分の生きて来た人生を振り返って、エデイに共感する人も多い事だろう。

ハリウッド映画のような派手さはないが、英国映画の良さがよくわかる。地味だが高らかに叫ぶのではなく、静かに、でも強靭に、人間賛歌がうたわれている。

2018年7月2日月曜日

映画「ロングロングバケーション」

原題:THE LEISURE SEEKER
   (LONG LONG VACATION)
監督:パオロ ヴィルッ
                     
キャスト
ドナルド サザーランド:ジョン スペンサー
ヘレン ミレン    :エラ スペンサー

年寄りの、年寄りによる、年寄りのための映画を観てしまった。
主演は1960年代は美男だったドナルド サザーランドと、1990年代までは美人だったヘレン ミレン。
シドニーでは中流階級の年寄りが多く住む、高級住宅地,クレモンの映画館で観たが、見に来ていた人々が、後から見ると、みごと全員が白髪だった。私は3週間に一度美容院でヘナで髪を染めているから白髪でなくて茶髪だったけど、、。話は飛ぶが、この20年余りの間、きっかり3週間ごとに私の髪を切り、ヘナで染めてくれていた私と同い年のヘアスタイリストが、何を血迷ったか、早すぎる引退をして日本に帰国してしまった。3週間に一度の彼女とにおしゃべりは、20年余り続いたが良い気晴らしだった。彼女は、アレルギー体質の私のために、インドから様々なヘナ染色粉を50キロずつ輸入して、それを上手に混ぜ合わせ、私に会う色を作って染めてくれていた。彼女はシドニーを去る時、3-4回分の染粉を、別の遠くにある日本人ヘアスタイリストに託して去っていった。その分の染粉を使い果たした、新しい若いスタイリストには、その後の染粉をインドから輸入する手立てを持たない。日本製のヘナも、シドニーのほかの美容室のヘナも、私に使われていたヘナとは全然違う色しか出ないそうで、彼女は困り果てている。私はただ座っているだけで、やってもらうだけなので、全く困っていないし、仮に髪が緑色になっても、紫やオレンジ色になっても青になっても全くかまわないのだけれども。
話を映画に戻す。

ストーリーは
2017年 米国、マサチューセッツ
ジョン スペンサー(ドナルド サザーランド)は、かつては高校で文学を教えていた。妻のエラ(ヘレン ミレン)との間には、二人の子供が居る。すでに子供達は成長して家を出て家庭を持っている。ジョンは、70代になりアルツハイマー病と罹患して、記憶力は衰えるばかりで、妻を認識できないこともある。ジョンを介護してきたエラは、癌の末期を迎えており、強力な鎮痛剤なしでは生活できない状態に陥っている。

彼らのガレージには,もう何十年も使っていなかったキャンピングカーがある。それはレジャーシーカー(お楽しみ号)という愛称をもっていて、子供達が小さかった時には、休暇に家族でキャンプに出かけるために活躍した車だった。
エラは誕生日に、このレジャーシーカーをジョンに運転させて、二人して家を出る。向かう先は、フロリダ、アーネスト ヘミングウェイのキーハウスだ。ジョンにとって、ヘミングウェイはヒーローだ。ヘミングウェイのことを話し出したら、聴き手が居ようが居まいが、相手が閉口しようがしまいが、一向にかまわずに講義を始めてしまう。二人とも、年を取り、深刻な病気をもっているが、病人扱いする家族や友人たちにはうんざりだ。二人して、フロリダまで行ってみたい。何日かかろうが構わない。旅を楽しもう。

父親の誕生日にケーキをもって訪ねて来た息子は、両親が何も告げずに無謀な冒険旅行に発ってしまったことで心配で、気も狂わんばかりだ。姉も飛んできて、携帯電話を持つ習慣のない両親を責めて見たり、何もできない自分達に腹を立てたりして大騒ぎだ。
一方のジョンとエラは、夏休みに入ったばかりの子供のように、嬉しそうにフロリダに向かう。ジョンは危なっかしい運転で、途中センターラインを無視して運転して警官に止められたり、どこにいるのかわからなくなって、困惑したりもするが、何とか運転してキャラバンを続ける。
記憶力がなく、思い違いも多いジョンは、ガソリンスタンドでエラを置いて車を発車させていってしまったり、車の外に出て行方不明になったりを繰り返すが、何とかフロリダに到着する。しかしへキングウェイの家で、エラは過労で倒れる。救急車で運ばれた先の病院で、ドクターたちはエラが癌の末期でもう時間がないことを告げるが、ジョンには何も理解できない。ジョンは病室でエラを見つけると、嬉しそうに彼女を起こしてキャンピングカーに連れて帰る。その夜、エラはジョンにたっぷり睡眠剤を飲ませ、エラも同じものを飲み,閉め切った車に排気ガス管をひいてエンジンをオンする。
というお話。

美しく年をとった昔の美男次女が、仲の良い夫婦を演じていて、彼らが若かったころを知っている人にとっては嬉しい映画だ。
82歳のカナダ人、ドナルド サザーランドは、本当に背が高くて美男で良い役者だった。60年代ベトナム戦争に反対する活動家でもあって、ジェーン フォンダと共に逮捕覚悟で戦闘的なデモに参加するなどして、発言も勇敢だった。すっかり年をとって、アルツハイマー病の老人を上手に演じている。
72歳のヘレン ミレンの全く化粧をせずに、ウィグも被らずにいるときの、皺だらけの素顔がとても美しい。文字通りの体当たりの演技だ。そしてこの人の発音する英語が本当のクイーンイングリッシュで美しい。

映画は、泣き笑いの場面の多いロードムービイだが、本質的には悲しい悲しい物語だ。映画でこの仲の良い夫婦は安楽死を選んで、満足して死んでいく。やっぱり安楽死でしか老人は幸せに死ねないのか、という結論にはうなだれるしかない。死んでそれを惜しんでくれる人々が居るあいだは幸いだ。アルツハイマー病の終末期や、鎮痛剤も効かない癌の終末期の死は、誰にとっても苦痛なだけだ。現実社会では死にそびれた老人たち、年を取って体が動けなくなったら死にたいと思っていたけれどタイミングを外して自分から安楽死しそびれた老人たちで溢れている。映画では、安楽死を推薦しているようにも取れるが、現実社会でもいずれ、条件つきで老人の安楽死を認めざるを得なくなるだろう。健康保険が老人を支えきれなくなるからだ。

私はこの映画に出てくるジョンのような脳が委縮したアルツハイマー病患者に食事、排泄、睡眠をとらせて肺炎など二次感染を予防し事故が起こらないように管理し、エラのような末期がん患者にモルヒネを投与して終末医療を提供することを職業としている。毎日毎日、ジョンとエラを、自分の職場でみている。
脳が委縮した患者は、家族のことも、自分の名前もわからなくなる、この疾病患者を介護する家族の苦労は並大抵のものではない。多くの女性患者はドアを開ければ徘徊して行方不明になったり、猜疑心や嫉妬心から自分の持ち物を人に取られたと思って家族でも盗人扱いしたり、中傷したりする。男性患者の多くは思い通りにいかないことで腹を立て暴力的になる。まともに思考することができないから、感情のまま行動して人を傷つける。大小便を垂れ流しながら、頑固に自分の主張を言い張ったり、無理な命令を人にしたりする。次に何をし出すか予想できない。多くの患者は、アルツハイマー病だけでなく、老人性認識障害も、てんかんも、躁うつ病も精神分裂症も、パーキンソン氏病も同時に発病していることが多い。年を取ればほとんどの人が、このうちの病気のひとつに罹患して死んでいくことになる。

年寄りは思い違いをしたり、奇妙な行動をして人々を笑わせるが、これは老人が笑わせようとしている訳では決してない。この映画の紹介で、「ロード トリップ コメデイ―」と紹介している新聞があって、衝撃を受けた。ジョンとエラの会話は、滑稽で、時として大笑いするが、これは現実であって笑い話ではないのだ。

じきに日本では人口の3分の1が65歳以上になる。2018年現在、80歳以上の人口が1000万人、100歳以上の人口が7万人いて、日本は完全なる老人国家になった。そのような国は世界でまだ他にない。先進国で65歳以上の人口割合は、ドイツで21%、英国18.1%、米国14.6%、韓国13%、中国9.7%。日本にくらべて、まだまだ余裕がある。
この映画は老人人口がまだ14%のアメリカの話だ。3人に1人が老人の日本の映画ではない。日本だったら、もっとずっと深刻な話なのだ。アルツハイマー病は、癌の死亡率を抑えることに成功した現在の医療にとって、完治することも、予防することも出来ないでいる最大最悪の疾患だ。

国と政府はそういった疾病対策のために税金を使わなければならない。3人に1人が老人の国、何の資源もない国、人口が速いスピードで減少するばかりの国。それが日本だ。2018年の日本総人口は1.26憶人。2008年に比べてすでに160万人の人口が減少している。若い夫婦は子育ての環境が整っていない政府のもとで子供を産まない。このような、老人ばかりの国に軍事力が必要だろうか。
国の力とは人の力のことだ。国力とは国民の生産力を言う。国に生産力を持った人が居ない国など、近隣諸国に侵略されるほどの魅力もない。侵略を怖れて軍事強化するなど、あきれる。一体誰が銃を取るのか。誰に向けて銃を取るのか。戦争などやっている場合ではないはずだ。
年寄りの年寄りによる、年寄りのための映画を、私は政府が今何をすべきなのかを問いただすための、政府への警告として捉えて観たい。


2018年7月1日日曜日

野良猫世話係

今年で8歳になる野良猫たちを生まれた時から世話してきた。
自分が飼っている黒猫クロエに手がかかるのに、野良猫の世話までしてきて笑われるが、放っておけない。相手はほんの少しの油断で捕まったり、保健所に送られたりして命を落とす野良猫なのだ。

事の始まりは、前に住んでいた高層アパアートの建物の下に小さなスペースがあって、そこで真っ黒な 野良猫が子供を産んだのが発端だった。父親は茶トラの野良で、傷だらけのでかい体、人を見下すような不敵な面構えだったが、じきに姿を消した。子供達は、母親似の黒猫2匹、茶トラが1匹だった。母親猫は空を飛んでいたハトを捕えて殺したり、ゴミ箱をあさって子供たちを育てていたらしい。そこに、不思議なことに1匹の黑と白の丸々した子猫が加わった。他の3匹の子猫と同じサイズだったが、母猫に体型も色も似ていないので、きっと誰かが飼おうとして育てられない事情ができた人が、野良猫家族のいるところに捨てて行ったのだと思う。心の広いビッグハートのママ猫は、自分の子供達と一緒に、この子を育てた。5匹の猫の登場に、アパート管理組合の面々は大騒ぎ、すぐに猫退治、害畜駆除を開始した。まず黒い子猫が居なくなった。次に母猫がワナにはまって連れて行かれた。

一方動物愛護協会員と私は話し合い、残った3匹の子猫たちを罠で捉えて、獣医に連れて行きワクチンを打ち、避妊手術を受けさせて養子にする計画を立てた。まず、私が黒と白の迷い子だった子を獣医に連れて行ったあと、家に連れて来て養女にした。名前はBABA。 うちにはクロエが居るので互いに慣れるまで別々の部屋に引き留めた。BABAは生後5か月くらいだったと思う。あたたかい部屋、美味しい食事、優しい保護者に引き取られても、BABAは野良猫だった。1日、2日と経つが、食べ物も飲み物も受け付けない。排便もしない。どんなに猫なで声で呼んでも手の届かないベッドの下で身を固くしている。どんなに可愛がろうとしても拒否する。3日目に空気を入れ替えようとベランダに通じるドアを開けとたん、ベランダから3階分の高さを空に向かって飛んで、地面に落ちた。地面にたたきつけられて死んでしまったかと思ったら、2,3日してBABAが生まれた軒下のスペースに他の2匹の子猫たちと一緒に出入りする姿を見て心底安心した。

野良猫は飼えない。人の手でなでられることも、膝に乗ってくることも拒否する。孤高な存在だ。BABAは黒猫と茶トラと一緒に3匹、誇り高い野良として、飼い猫になることを拒否し、母猫を亡くした孤児として一生自由でいることを選択したのだ。BABAが身をもって教えてくれたことの意味は大きい。

毎日牛肉をミンチにして3匹に食べさせた。アパート管理組合から、野良猫に餌をやらないようにという脅かしとも見える手紙を受け取ってからは、ビビりながらも隠れて3匹に食べさせた。そのうちに茶トラが居なくなった。一番人懐こい猫だったから、誰かに捕えられたのか、車の事故か。こうして残ったBABAと黒猫サンダーの2匹が6歳になるまで、毎日食べ物を食べさせて育てた。
その後、2年前に引っ越した。長年暮らしたアパートも、娘たちが大学を卒業して自立して出て行き、2つあるバスルームや予備の部屋もあるアパートは費用がかさむ。年金暮らしになったら高い借家を維持することはできない。仕方なく小さなユニットを買って、引っ越した。それでも野良猫世話係りを止められない。

軒下の野良猫たちに会いに行くのに往復1時間。缶詰めを持っていくと、私の車のエンジン音を正確に聞き分けて、BABAとサンダーは隠れていたところから出てくる。猫は我がままで自分勝手だ、という人の気が知れない。猫は犬と表現方法が違うだけで、真の人の友達なのだ。
きょうもボロ車の音で昔住んでいたアパートに着いてみると、BABAはあくびをしながら、身体をのばしながら、サンダーはあっちの方をそしらぬ顔で見ながら、めんどくさそうに出て来て、わざとお尻を向けている。大歓迎というわけだ。
何てかわゆい奴らなんだ!

2018年6月25日月曜日

ブルースが亡くなりました

本日午後3時 老人ホームにてオットのブルース テイラーが亡くなりました。
生前ブルースに優しくしてくださった方々、離れていても忘れずに心を寄せてくださった方々に、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

6日前まで、会いに行けばタバコをっ吸って、普通に食事もしていましたが、3日前に腎臓透析に行くための迎えの車が来ても、眠いと言って起きられず、そのまま半昏睡の状態に陥りました。腎不全と、長年の喫煙による呼吸障害を持っていて、これまで呼吸不全となり人工呼吸器による延命処置を、幾度か繰り返してきましたが、今回は遂に回復に至りませんでした。本日は、呼吸が止まる1時間前までは、手を握れば強く握り返してきて、死にあらがうように、起き上がろうとさえしていました。朽ちかけた老木がゆっくり時間をかけて倒れるようにして、呼吸が止まった後のブルースの顔は、長年の疾病に苦しんだことなど信じられないような美しい顔でした。

ブルースとは22年前に結婚しましたが、出会って以来自分で花屋に行けなくなる数年前までの18年間、ヴァレンタインデイになると、真紅の薔薇の花を必ず、贈ってくれました。ヴァレンタインでなくても、土曜日にはよく花束を持って帰りました。
あさって葬儀社の指定する公園に薔薇を植え、ブルースの遺灰を撒いてきます。葬儀も散骨のセレモニーも致しません。

どうぞブルースの死を悼んでくださる方々、ブルースを記憶していてくださる方々、ご自分のおられるところで、ご自分にとって大切な方のために,薔薇の花を贈ってください。ブルースもそれを望んでいることでしょう。
どうもありがとうございました。

写真は60年前のブルースです。


2018年6月24日日曜日

最終駅に着いたオット


自分の力で立つことも歩くことも出来なくなったオットを施設に入れて、一日おきくらいに会いに行くようになって、この6月で2年経った。
残りの週に3日、オットは腎臓透析のために病院で過ごす。救急車と見た目には変わらない公立の患者移送車に乗った屈強な職員たちが、オットを乗せて施設と病院との往復を引き受けてくれる。老人ホームの費用も、腎臓透析の費用も、移送のために費用も全部、老人年金から引き落とされて自己負担の費用は一切ない。

ここまでオットが、年を取り障害者となり、年金が全額出て、老人ホームに入居し、腎臓透析を公立病院でしてもらい延命できる様になる前までの、2年あまりは戦争のようだった。病気で無収入になったオットを、フルタイムで病院で働く私が、仕事を続けながら、週3回、私立の腎臓透析病院に連れて行き、連れ帰って寝かせてから仕事に行き、自分は寝る間もない。泣いても叫んでも申請書を何枚書いても、役所は、オットに年金を全く出そうとせず、会社を所有しているでしょう、車を持っているでしょう、貯金があるでしょう、と繰り返し正しい財産査定をしない。事業から手を引いたまま知らないうちに会社の借金は増えていて、みるみる体調を崩したオットの下の世話と、銀行と役所との交渉という、出口のない闇のトンネルの中で、ひとりもがいていた。やっと入居できるようになった老人ホームでも、年金のないオットは、私の月収よりも高い入居費用を、毎月支払い続けなければならなかった。

オットに年金が全額出るようになったのが、1年前のことだ。 オットが倒れて3年間、老人ホーム入居前2年間と、入居後の1年間、私が支えたからオットは生存できた。オットの代わりに会計士や弁護士を雇い役所と交渉を続け、正しい資産審査を獲得したが、そういった人のいない場合だったら、適切な医療が受けられずとっくに死んでいただろう。老齢で、無収入、疾病を抱える80過ぎのオットをここまで待たせた、政府の老人福祉政策の無策、役所の非人間的な対応とは、一体何という非常識であったか、今思い出すだけでも腹が煮え立つ思いだ。

オットと結婚した時から22年経った。再婚した時、私の娘たちは大学生と、大学予備校生だった。オットには4人の子供が居るが、会ったことも見たこともない。オットの最初の妻が病死した時、一番下の子供は5歳だったそうだ。子供達は妻の両親に引き取られ、オットはシープファーマーを止めて、都会に出て会計士になって、子供達のために教育資金を送った。でも上の2人の男の子たちは全寮制の中学と高校に送られて、オットとの親密な親子関係を結ぶことはなかった。
オットと出会った時から、オットに親戚もなく、友人も驚くほど少なく、オットは私の娘たちと家族になり、私の友人たちと親しくなった。

オーストラリアで金持ちのダンナを見つけなよ。と心強い忠告とともに見送ってくれたフィリピンの友人たちを落胆させることなく、来豪1年目にオットと出会った。金持ちではなかったが。
来豪まえのフィリピンでは10年暮らし、娘たちの通うマニラインターナショナルスクールでヴィオリン教師をしていた。家でも個人レッスンで20人の生徒を持っていた。娘たちにより良き教育を受けさせるためにシドニーに居を構えたが、ここではヴァイオリンでは生きていけない。生徒を集めるには学校や幼稚園などで教えなければ個人レッスンの生徒も集まらない。日本では前夫と結婚した時に、取得していた看護師の資格がある。ペーパーナースのなんちゃってだけれども。そこで、20も30も年下の同級生と大学に通学して、オージーの高等看護士の資格を得た。大学に通っていた間、10人の日本人看護士と仲良くなって、週末には自宅で日本料理を振る舞うようになった。10人の若い女の子達にとって、オットは優しい相談相手であり、頼もしい父親代わりになった。


私の二人の娘たちの結婚式では花嫁の手を取って、教会のヴァージンロードを入場する父親代わりを立派に勤めてくれた。2009年に次女がハミルトンアイランドで結婚式をした時も、2012年に日本旅行したときも、2013年に日本を再訪したときも沢山の友人に出会って、旅行を楽しんだ。2014年に長女がマレーシアで結婚式をした時も、オットは娘の手を取って、教会を歩くことができて本当に嬉しそうだった。クアラルンプールの博物館を見て回って、学ぶことが多いよと言った。けれど、その2か月後に倒れて、再び体調がもどることはなかった。

いまオットは、教会の経営する私立の老人ホームに入居して、専用のバスルームもある個室にいて、寝転んでテレビも見られる。私が行けば車椅子に乗り換えて、階下の駐車場を通り外に出てタバコを吸うことができる。COPD(閉塞性呼吸器疾患)と喘息のために、ふだん呼吸することさえ努力を要するというのに、タバコがやめられない。

老人ホームの最初のころは、日曜日に家に連れて帰った。家に帰ると愛猫と、自分の大きなベッドが嬉しくて、顔をくずして喜んだ。わずかの間しか立っていられないので、シャワーを浴びさせたり、椅子からトイレ、ベッドから車椅子への移動が大変だったが、何とか去年まで介護できた。
今年の1月6日誕生日が最後の帰宅になった。絨毯の上に転んで、助け起こそうとした私も転んで立ち上がれない。しばらく二人して天井を見上げていた。私一人では介護できないことが分かって、オットは納得した。もう家には帰れない。つらい決断だっただろう。

年をとれば、いろんなものを手放さなければならない。ひとつのものを失うごとに哀しいものだが、失うことに慣れなければならない。それは私自身にとっても同じことだ。

オットに今できることは、朝がくれば介護職員がシャワーを浴びさせてくれ髭を剃ってくれる、朝食がサーブされ、モーニングテイーが出て、ランチがサーブされ、午後のお茶のあと、夕食が出され職員がスプーンで食べさせてくれる、その間、座っていることだけだ。私が訪ねて行けば、タバコを3本吸うことができる。
頭がはっきりしているから、以前はよく話したが、このごろは何か言おうとしても言葉が出てこない。何かを話そうと、話し出したそばから言葉を見失ってしまうらしく、途中で話すのをあきらめてしまう。それでも行けば、私の頭をなでて、ユーアービューテイフルと言うのだけは忘れない。ユーアービューテイフル、ユーアービューテイフル。
当たり前だろ。
そんなことわかってる。

2018年6月11日月曜日

ウェスアンダーソンの映画「犬ヶ島」

原題:ISLE OF DOGS      
監督:ウェス アンダーソン
第68回ベルリン国際映画祭 銀熊賞受賞作品

102分という世界で一番長いストップモーションアニメーション。ギネスブックを更新した。犬や人などの、約900の登場キャラクターが全部、紙粘土で作られていて、それを表情や動きの変化ごとにストップモーションの技術でフイルム化し、編集された映画。一人の人間や犬に、200の異なった表情を持つフィギュアが、手造りされて、それをすこしずつ動かしながらフイルムに捕え編集されている。例えば、主人公小林アタリが笑いながら手を挙げるシーンならば、アタリの手の位置や、顔の表情を少しずつ動かすごとにフイルムを撮り、スムーズに動いているように編集する。根気のフイルム造り。
ウェス アンダーソンは、宮崎駿が、自分のアニメーションをすべて一枚一枚手書きで、描いてそれを編集して一本のフイルムを完成させることに心を動かされた人で、同じように自分もフギュアを一つ一つ動かしてはフイルムに録るストップモーションで作品を完成させた。
彼は日本贔屓で、黒澤明と宮崎駿を信奉している。震災と放射能被害で深く傷ついた日本人を心から応援したい、という気持ちでこの映画を製作したという。
彼はこのフイルムを完成するのに、4年余りの歳月を費やしている。

スト=リーは
20年後の日本。犬インフルエンザが蔓延した日本のウニ県メガ崎市では、小林市長が、犬の隔離政策を決断。犬ヶ島とよばれる、ゴミ廃棄場となった島に、すべての犬を放逐することを決めた。市長の養子、12歳の小林アタリには、生まれた時から忠実に用心棒を務めてくれたスポッツという犬がいた。市民に模範を示すため市長は、スポッツをいち早く、ゴミの島に送った。アタリは、迷わずスポッツを探すために、小型飛行機を操縦して島に到達する。そしてアタリは、島で出会ったチーフ、レックス、キング、ボス、デイユークという5匹の犬たちとともに、スポッツ探しの旅に出る。

一方、メガ崎市では、犬インフルエンザを研究していた渡辺研究所長が、すでにワクチンを開発していた。あとは実際の犬に使用してみるだけだ。ワクチンはインフルエンザを予防、治療することができるだろう。しかし、渡辺医師は市長の命令によって暗殺される。オノヨーコ助手は、それを嘆くだけで、圧倒的な権力を握る市長の前では無力だった。
小林市長はロボット犬製作企業と、グルになってすべての犬を、犬ヶ島で処分して、ロボット犬に挿げ替えるたくらみを進めていたのだった。犬は生きていれば病気もするし死ぬこともある。エサも必要だし、汚れもする。ロボット犬の方が良いに決まっている。小林市長は、ロボット犬企業から多額のわいろをもらっていたのだ。

アタリと5匹の犬たちは、処分されるところだったスポッツを見つけ、他の犬たちを助け出す。アタリがすっかり世話になったチーフを洗ってやると黒い犬だったチーフは、本当は白いテリア犬だった。話を整合してみると、何とチーフはスポッツの兄弟だったのだ。

アタリは犬たちを連れて市議会に行く。アタリの学校の生徒達も、インフルエンザワクチンをもって合流する。そこで、小林市長の汚職と横暴が暴露され、再び、犬たちは人々のもとに帰ることになった。
というお話。

映画のポスターは、AKIRAを描いた大友克洋だそうだ。
原作のISLE OF DOGS をアイルオブドッグス、アイルオブドッグスと繰り返して言っていると、アイラブ ドッグスと聞こえる。というように、これは愛犬家のお話だ。

サンフランシスコでは、この映画を見に来るのに犬を連れてきて良い、という試みがあった。沢山の家族が犬を連れて、映画を観た。当の犬が嬉しかったかどうかは、よくわからないけど、、、やっぱり。ウェス アンダーソンが紙粘土で作り、アルパカの毛を植毛した犬のフギュアに、本物の犬が仲間と同定したかどうかは、不明だし、、。

棄てられた犬たちがみんな立派な名札をつけている。犬は人類にとって最も古い友達だ。人の喜びを犬は理解しようといつも勤めて、いつも人の力になりたいと思っている。
映画で、チーフが素敵で恋をしそうだ。アタリを助けた5匹の犬のうち、チーフ以外はみな、飼い犬で以前は立派な主人を持っていた。素敵なご馳走を食べさせてくれた思い出を語り合っていたとき、みんながチーフに、「君はどんな物を食べてたの。」と聞くと、「イヤー、俺か?俺は主人なしの気ままな放浪だからよー。でも時には食べ残しのステーキとかが手に入ったよ。」と照れながら話す。豪胆なのにシャイ。それで、すごくセクシーな犬、ナツメグに出会った夜は、「アンタ、いつもこんな時間にここにいるのか?」とか、話し方もアプローチもハードボイルド、その男気が素敵だ。そんな彼が、黒い犬じゃなくて、実は白い犬で、本当は立派な血筋だったとわかったとき、青い大きな目から涙が零れ落ちる。このシーンで泣かなかった人、人じゃないよ。

ウェス アンダーソンは、いつもとてもアーテイーな映画を作る。
「グランド ブダベストホテル」では、カラフルなホテルと、美しい自然と山々の描き方など、美しい絵本を見ているようだった。しかし人間模様を描写すると、とたんに、人種差別、自然破壊、貧富差、階級社会などが、ちゃんと描かれていて、ともかく渋い。今回の映画でも、大企業と結託した政治家、権力者の腐敗、弱い者いじめ、環境汚染、放射能汚染、自然破壊などなど、簡単には解決できない現状の嘆きが、映像にしっかり織り込まれている。

犬たちの、痛めつけられても、強制隔離されても、殺されそうになっても、人を信じてまっすぐ立ち向かう姿には、魅せられてやまない。チーフの湖のように青い大きな目から、涙があふれて流れ落ちるシーンが、ぞっとするほど美しくて、心に残って忘れられない。

小林アタリの声優をやった13歳のコーユー ランキンは、良く日本語をこなしていて、ハンサムな子役なので、この映画で人気が出てテイーンの間でアイドルになっている。
スポッツの声優、リーブ シュレバーも、チーフのブラアイアン クランストンも、とても良い。ウェス アンダーソンが大好きな、偏屈大物役者ビル マーレイがボスの声優をやっている。ナツメグのスカーレット ヨハンソンも、とても上手だ。渡辺医師の助手オノヨーコが名前通り本人がやっていた。
和太鼓が鳴り、クロサワの「7人の侍」の曲も使われていた。アタリの、「なにゆえに、人類の友、春に散る花」とかいう俳句とも和歌ともいえない歌が、メガ崎市議会の流れを変えるところでは思わず笑ってしまったが、太鼓の音が、とても効果的に使われていて良かった。

世界一長いストップモーションアニメフイルム。670人のスタッフが、900の登場キャラクターを使い、4年かけて作られたフイルム。ウェス アンダーソンの独特な表現世界が好きな人も、嫌いな人も、犬が好きな人も、嫌いな人も、この映画観る価値がある。

2018年6月4日月曜日

村上春樹の「騎士団長殺し」

村上春樹の小説は、推理小説と同じだ。
読んでいるときが最高に愉快で楽しい。読みながら、この小説どうぞ終わらないで、と思わず願ってしまう。次には何が起こるのか、犯人は?読んでいる間中、音楽が鳴り響いている。読んでいて時を忘れて夢中になっている。でも読み終わってしまうと、もうすっかり行き止まりなんだから、がっがりだ。
村上春樹とは同世代。
だから作家の中では一番自分に身近に感じる。同じ時代の空気を吸い、同じ時代に学生だった。同級生の異性とは彼の小説に出てくるような生意気な会話をしていた。彼の作品は、ほぼ全部読んでいると思う。中でも一番好きなのは、「ねじまき鳥クロニクル」(1994)だ。彼の作品の多くは、2つの全然関係なく、時代背景も全然異なる話が、交差しながら進行する。「ークロニクル」でも日中戦争の話と、現代の若い夫婦の話が交互に語られる。そういった物語の展開の仕方が面白い。
又彼の作品は、視覚に訴える。登場人物が、どこのメーカーの、どんな服を着て、何年の何型の車を運転しているかが、まず語られる。人物の身にまとう装いや持ち物で、その人の個性も性格も趣味や、考え方や嗜好まで理解できてしまうのだ。
それと、音楽。彼の作品にはバックグランドミュージックがとても大事。音楽とともに読み進むと、一遍の映画を見ているように、彼の世界が開けてくる。とても完成度の高い映画だ。

ストーリーは
「わたし」は美大を出た後、肖像画家としてそこそこの収入を得て6年間、建築会社に勤める妻のユズと、子供はいないが平穏な生活をしてきた。しかし3月のある日曜日、突然ユズから別れてもらいたいと宣告される。「わたし」は、ユズに男が居たことを知って、着替えとスケッチブックを持って家を出る。意味もなく北に向かい、北の街々を転々とするうちに数か月後、車を乗り潰した末、美大で一緒だった友人の力を借りて小田原郊外の山の上に立つ家を借りて住むことになる。その家は日本画家として高名だが、今は90歳を超えて老人ホームに移った、雨田具彦のアトリエだった。「わたし」は、週に2度、街に下りて行き、絵画教室で絵を教える。ある日アトリエの屋根裏で、厳重に梱包されている雨田具彦の絵を発見する。それは「騎士団長殺し」というタイトルで、若い男に騎士団長が刀で殺される血なま臭く激しい暴力に満ちた、およそ雨田具彦の他の作品とはかけ離れた絵だった。作品を目にしてから不思議なことが起こり始める。夜中に山の奥から鈴が鳴り出して眠れなくなった。

同じころ、山の上のアトリエから向かいの丘の上に立つ大きな屋敷の主、免色渉から肖像画を注文される。「わたし」は、雨田宣彦が厳重に梱包して封印してあった騎士団長殺しの絵を目にして以来、作風が変わり魂を吹き込むように抽象化した免色の肖像画を完成させる。免色とは徐々に親しくなり、深夜二人で、鈴が鳴る山に入り、古い祠の横に重なった石を取り除き不思議な穴を見つける。その中には古代の鈴があった。「わたし」が鈴を持って家に帰ると、雨田具彦が描いた絵の中の騎士団長が現れ、自分はイデアだという。見える人にしか見えない60センチばかりの姿をしている。

一方、免色は「わたし」に、丘を隔てた自分の屋敷の真正面に住む14歳の秋川まりえの肖像画を描いてほしいと依頼する。この娘は「わたし」が週2回教えに行っている絵画教室の生徒だ。免色は秋川まりえが自分の娘ではないかと思っている。まりえの母親は早死して父親とその母親代わりの叔母と住んでいる。娘を見守るために免色は秋川家の向かいの丘に建つ家を買い、毎日精度の高い軍用望遠鏡で娘を遠くから見て居たが、今はまりえの肖像画を手に入れたがっている。「わたし」は乗り気ではないが、何も知らないまりえ本人は、聞いてみると意外にもモデルになることを望んで、叔母と一緒に「わたし」のアトリエに通って来るようになる。そこで免色と叔母とまりえは出会い、自然と叔母と免色とは交際するようになる。

しかしまりえは突然姿を消す。動転する免色とまりえの家族をよそに、「わたし」は騎士団長に言われるように、まりえを取り戻すために、どうしても雨田具彦に会わなければならないと思って、彼のいる伊豆の老人ホームを訪ねる。雨田を前に騎士団長は彼が描いたとおりに騎士団長を刺殺さなければならないと言い、「わたし」はその通りにする。気が付いたら「わたし」は伊豆の老人ホームからワープして、小田原の山の中の穴に居た。暗闇の穴の中で鈴を鳴らして助けを求めている内、免色によって助け出される。まりえは3日して家に戻ってきたという。3日間の記憶はない。「わたし」は4日後に、不思議な通路を通った末、免色によって救出された。まりえは邪悪な力から騎士団長によって助けられたという。

「わたし」とまりえは雨田具彦の騎士団長殺しの絵を厳重に梱包して、誰の目にも触れないように屋根裏に隠す。まりえの肖像画は完成しなかった。完成させてはならない、危険を孕んでいる。しかし「わたし」とまりえとで、メタファーは封印できた。
免色はまりえの叔母と親しく交際するようになった。彼らは結婚して、まりえと一緒に暮らすことになるかもしれない。やがて、アトリエは、どこからか火事が起きて、絵とともに焼け落ちる。絵とともにいったん開かれた狂気の輪は、封印されて焼き落ちた。
「わたし」はユズと再び暮らすことにした。別れていた間にユズは別の男の子供を産んだ。その子供を「わたし」は心から愛している。その子供は他の男の子かもしれないし、「わたし」の子供かも知れない。誰の子供であってもそんなことは些細なことに過ぎない。 
というおはなし。

登場人物が絵のように明確に見えてくる。
「わたし」は、205ハッチバックの赤いプジョーを乗り潰し、いまはパウダーブルーの中古トヨタカローラワゴンを運転する。で、着ているのは、仕事用の白い絵の具のシミが付いて、ところどころほつれた丸首のグリーンのセーター、派手なオレンジ色のダウンジャケット、ブルージーンズにワークブーツ、古い毛糸の帽子を被った36歳。

免色渉は54歳白髪で、銀色のジャガー最新のクーペを運転し、あるときは淡いグリーンのカーデガン、クリーム色のシャツ、グレーのウールのズボン。またあるときは、白いボタンダウンシャツの上に細かい上品な柄の入ったウールのベスト、青みが買ったグレーのツイードジャケット、淡い辛子色のチノパンツに茶色にスエード靴。何という趣味の良さ!

秋川まりえはスタジオジャンパーに’ヨットパーカー、穴の開いたブルージーンズ、コンバースの紺色のスニーカーといういでたちの14歳、無口で気難しい女の子。

叔母の秋川笙子は、兄の買ったブルーのトヨタプリウスをいやいや運転していて、丈の長い濃いグレーのヘリボーンのジャケットに淡いグレーのウールのスカート、模様の入ったストッキング、首にはミッソーニのカラフルなスカーフ、という淑女なわけだ。

こういった愛すべき登場人物たちが、古典音楽とオペラが鳴り響くアトリエで、ウイスキーを傾けたり、コーヒーを飲んだりしているときに、絵の中の騎士団長や、白いスバルフォーレスタに乗る邪悪な男や、メタファーな顔長や、ドンジョバンニが出て来て、山の奥からは不吉な鈴の音が鳴り響く。映画のように、視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚が存分に刺激される。読んでいるときが最高に楽しい。いつまでも読んでいたくなる。読んでいて、プッチーニの「トーランドット」や、「ラ、ボエーム」、モーツアルトの「ドン ジョバンニ」が聴こえてくるが、一番繰り返し繰り返し聴こえてくるのは、リチャード シュトラウスの「薔薇の騎士」だ。このドイツ語の複雑で難解な音階が何度も聴こえてくる。


そんなとき「わたし」は、「毎朝ラジオの7時のニュースに耳を傾けることを生活の一部にしていた。たとえば地球が今まさに破滅状態の淵にあるというのに、わたしだけがそれを知らないでいるとなれば、それはやはり少し困ったことになるかもしれない。朝食を済ませ、地球がそれなりの問題を抱えながらも、まだ律儀に回転を続けていることをとりあえず確認してから、コーヒーを入れたマグカップを手にスタジオに入った。」というわけだ。雨田具彦の絵を見た「わたし」にはイデア(観念)が見える。まりえにもイデアが見える。しかし絵を見ていない免色には、イデアが見えない。イデアが刺殺されたことによって、メタファーの扉が明けられる。メタファーは邪悪でもあり、女を絞め殺しそうになった自分でもあり、騎士団長を若い男が殺したときの証人でもあり、画家「わたし」そのものでもある。

免色には魅了される。彼は誰とも結婚しないと決めていた。彼には結婚や仕事の為の社交や、人と競走して商売に奔走することは、彼の美学からは外れるのでしない。でも年を取り、昔愛した女が激しい一夜を共にした後、去って行き、その9か月後に娘を産んで死んだと聞くと、それが自分の娘に違いないと思い込み、娘の住む家を毎晩軍用望遠鏡で覗き見ることが生きがいになってしまう、「華麗なるギャツビー」的メランコリーな哀しさが漂ってくる。男にとって子供との絆って、こんなにも儚いものだ。

一方「わたし」にも他の男の子を産んだユズを、未だに「ユズのことを忘れなくちゃいけないと思っても心がくっついたまま離れない。他の女と寝ていてもその女とぼくとの間にはユズがいる。」そんなわけだからムロと言う名の女の子は、自分の子供かもしれないし、自分の子供でないかもしれない。でもそんなことは些細なことだ。と言い切ってしまう「わたし」はムロを心から愛している。

免色の秋川まりえへの愛と、わたしのムロへの愛は同じ愛だ。どちらも生物学的に自分の娘ではない。しかし免色はまりえが自分の娘だと確信しているし、わたしは自分が深く愛している娘の血が誰の血であっても、そんなことは些細な事だと思っている。ふたりの父親としての愛は、無償の愛。見返りを求めない愛。騎士団長はイエスかもしれないし、まりえはマリアかもしれない。

2018年5月21日月曜日

映画「レッド タートル」

オーストラリアには、NITVというテレビチャンネルがある。
すべて先住民族であるアボリジニ、トーレス諸島出身の人々によるチャンネルで、普通の公営、民間のテレビチャンネルと同じように、一日中番組を提供している。アボリジニの人口がオーストラリア総人口の1%強であることを考えれば、フイルム編集や、番組制作だけでなく、アナウンサーもニュース解説者もコメンテイターも全部彼らによって運営されていることは、実に偉大なことではないだろうか。

ちなみにオーストラリアには、公営チャンネルとしては、日本のNHKに当たるABCがあり、加えて英語以外の言語を使う人々にためのSBS(SPECIAL BROADCASTING SERVICE)というチャンネルがあり、前夜のNHKニュースを朝5時半に放映したり、マンダリン、カントニーズ、コリア、ターキー、ロシア、フランス、スペイン、ドイツなどのニュースをそれぞれの言語で放映している。それに、最初に述べたNITV(NATIONAL INDIGENOUS TV)  が加わって、合計3つのチャンネルを公営放送が持っている。他に、3つの民間放送があって、朝からアメリカのTVショーを真似て、ニュースショーをやって、人気者の男女が面白おかしくゴシップを垂れ流したり、素人ののど自慢合戦を企画したり、フットボールなどのスポーツ実況放送をしている。

オットが歩くことができなくなって施設に入ってから、夜はテイクアウェイのチキンか冷凍ピザにビールという変化の乏しい夕食を、SBSのニュースと、ABCの天気予報を見ながら食べる習慣になって久しいが、最近はそのあとにNITVを見るようになった。アボリジニーの人々による監督、製作、出演によるドラマが、骨太で、深刻な社会問題を扱った内容が多くて、見所がある。歌の番組も驚くほど豊かな音質と音感で、素晴らしい。そんなふうにして、夕食のあと何気なくNITVを見ていたら、アニメ映画の「レッド タートル」を、ノンカットで放映してくれた。ずっと見たかった映画なので、とても嬉しかった。
スタジオジブリが、フランスとベルギーのアニメ会社と合同合作で作ったアニメーションフイルムだ。高畑勲が、アーテイストプロデューサーとして製作に関わっている。

監督: マイケル デュドック ド ヴィット
制作: 鈴木敏夫、ヴァンサン マラヴァル、パスカル コシュトウ、
    グレゴワール ソレラ、ベアトリス モーデュイ
製作会社:スタジオ ジブリ
     プリマ リネア プロダクション(フランス)
     ベルビジョン(ベルギー)
公開: 2016年5月

この作品は、スタジオジブリにとっては、初めての国外との共同制作による作品。第89回(2016)アカデミー賞アニメ部門ベストアニメフイルム候補作。2016年カンヌ国際フイルム祭で、視点部門特別賞受賞。
総監督を務めたマイケル デユドク ド ヴィットは、スタジオジブリ本社のある東京都小金井市に一時転居して、じっくり腰をすえてジブリの面々とシナリオと絵コンテを完成させて、高畑勲らの同意を受けてから、フランスに戻って本格的な製作に着手したという。彼は「人間性を含めた自然の深い敬意、そして平和を思う歓声と生命の無限への畏敬の念を伝えたい。」と語っている。

ストーリーは
男が乗っていた船が難破し、漂流した末、無人島に流れ着く。男は島に湖を見つけて渇きを癒し、木に登り果実を取って飢えをしのぐ。やがて枯れ木を集めて筏を作り、島から脱出しようとする。しかし、やっと海洋に出たと思うと、筏が何かにぶつかって壊れてまた元いた島に泳ぎ着く。再び、今度は強化した筏で海洋に出るが、筏が何か障害物に当たって壊れてしまう。3度目に男が筏を組んで海洋に出て、筏がまた壊されたとき、男は赤い大きな亀を見つける。男は悔しさと怒りで一杯になって浜に上がって来た亀をひっくり返して灼熱の太陽で焦がして死なせてしまう。
しかし驚いたことに、翌日亀の甲羅のなかには美しい女が眠っていた。男は女に水を飲ませて世話を焼く。女は目を覚まし、やがて二人は恋に陥る。男はもう島を脱出することを考えない。二人は仲好く島で暮らして、元気な男の子が生まれる。男の子は泳ぎも潜水も上手で、大きな亀たちを友達にして成長する。年月が経ち、男の子は一人前になって、外の世界に出て行く。そして、男は年を取り、女に看取られて静かに死んでいく。女は愛する男を亡くしてひとり、海に帰っていく。その姿は大きな赤い亀にもどっていた。
というおはなし。

台詞もナレーションも全くない。あるのは、波の音。波がぶつかり、弾けて水しぶきが上がり、水の泡が砕ける。鳥たちがさえずり、木々が風にゆられ、枝がぶつかり、こすり合い、木の実が落ち、草草がざわめく。男の砂を踏む音。女の髪が揺れる音。子供が岩を走る音。男の溜息。ひそやかな女の足音。
海に沈んでいく太陽が眩しい。美しい画面が詩になっている。

女が自分の体を包んでいた亀の甲羅を海に流しに行く後ろ姿を、男が観ている。しばらくして波の間から女が、砂地に居る男を見つめる。男は、はっと気が付いて自分が着ていた、たった一枚のシャツを脱いで、波打ち際において、島の奥に入っていく。次の画面では、シャツを着た女が、陸に上がり男の後をたどっていく。このシーンが好きだ。男の、ほのかな羞恥心と、期待と、ジェントルマンシップ。とてもやさしい男なのだ。

ジブリのアニメ―ションには、いつも元気で正しいことをする女の子が出てくる。このお話も、赤い亀が男に片思いするところから始まる。赤い亀は男に恋をして、男が島を出て行って、遠くの人間社会に帰って欲しくなかった。だから彼が筏で島を脱出しようとするたびに、筏に体当たりをくらわせて、男を引き留めた。そして自分の思い通りに男の愛を受け、幸せな夫婦になり、自分が愛した男を最後まで看取って、自分の思いを遂げた。強い意志を持った女なのだ。ここまで自己完結した完璧な人生を、彼女は自分で選んで、そして生きたのだ。幸せ者と言わずに何と言おうか。
このフイルムを見た人は、みんな幸せな、優しい気持ちになることだろう。それがスタジオジブリのマジックだ。


2018年5月3日木曜日

日本帰国休暇 その1

10日ほど日本に帰って休暇を過ごしてきた。
長女と次女とその6歳と8歳の子供達、総勢5人の旅行だった。旅の目的はマゴたちに日本を好きになってもらうことだ。学校はイースターホリデイで休みだし。
異国で日本語を学び、身につけることは至難の業だ。子供達は、普通の小学校を英語で学び、友達や両親と英語で会話する。そんな生活の中で、学校のない土曜日は、といえばサッカー、ラグビーやサーフィンで、学校に居るあいだは解きほぐせなかった体と心を全開放して、のびのびするために過ごす。そんなせっかくの土曜日を日本語土曜学校の狭い校舎で堅苦しい日本の先生の言う通りにするなんて、誰が嬉しいか。

週に一度、土曜半日の日本語学習でどれだけ異国育ちの子供達が、日本語を習得できるか、それぞれの家庭によって大きく差が出る。日本人夫婦の子供で、親が熱心に土曜校で学ぶ内容を家でも反復して学習させる家庭では、ある程度成功するだろうが、大多数の子供達はダブルと呼ばれる子供達だ。土曜日の朝、青空グランドと海がまってるぜい、と親に言われて、「いえ、ぼくは土曜学校で漢字の書き取りをします、」と答えられる子供は稀有な存在だろう。
それでも、マゴたちが「おばあちゃん、だいすき。」と、日本語で言ってくれる時の喜びは何にも代えがたい。少しでも日本語に親しんでくれて、日本を好きになって欲しい、そんな気持ちを込めて、マゴたちを連れて日本旅行してきた。
9泊10日、前半は上野、後半は船橋駅にできたばかりの駅ビルホテルに滞在した。

到着翌日から上野科学博物館、三鷹のジブリ博物館、浅草界隈、上野動物園、千葉のマザー牧場、鹿野山イチゴ摘みツアー、大内家家族の集まりと父の7回忌、デイズ二―ランドと、一日としてスケジュールに追われない日はなく、忙しい詰め込みの日程だったが、計画通りに過ごした。子供たちはこれだけ詰め込まれても、少しでも時間が空くと、ホテルを抜け出して近所の公園で走り回っていた。大人たちが付いていくのに、ヨレヨレだったが。それは、とても嬉しい計画外のことだった。

私も時間を作って夜ホテルを抜け出して、昔の友達と会った。
33年間海外で暮らした。沖縄を独立国と考えると、36年間異国暮らしだったことになる。日本に残る友達は少ない。甥も姪も結婚式に出ていないから、記憶は子供の時のままだ。だが父の7回忌で、今回、初めて甥や姪のパートナーや子供達に会うことができた。

昔の友達で会えたのは、沖縄時代からの古い友達、30年ぶりの再会。彼女は半世紀前JALのフライトアテンダンスだったので、横浜のJALのホテルを取ってくれた。彼女に懐石料理をご馳走のなったあと、二人でスーマーのライブを聴きに行った。スーマーはいつも変わらず、マイクなしで声が届く小さな店で、自作の歌の数々を聞かせてくれる。オットのブルースが元気だった時から。帰国ごとにスーマーのライブを聴きながら、そこで懐かしい人々と会うことが習慣になっていたが、今回は場所が横浜だたので、声を掛けられなくて、会えなかった方々もあった。でもスーマーの人柄、あたたかさ、彼の歌う世界が私は大好きだ。ライブの後夜明けまで、ホテルで友人とのおしゃべりは続いた。それでも6時には、シャキっと起き上がり身支度を始める友人を、こころから尊敬。フライトアテンダンスのときからの彼女のプロの姿勢には脱帽した。

帰国ごとに必ず会う山田修氏は、10年間フィリピンで暮らしていた時からの友人。彼は 岩波書店の雑誌「世界」を頼みもしないのに、几帳面に、毎月毎月シドニーの私のところに送ってくださっている。私と日本とをつなぐものは、毎月送られてくる「世界」だけといっても良い。   
アートギャラリーを主宰する大学の先輩が友人を連れて根津の割烹から呼んでくれた。この友人とは半世紀ぶりの再会。化粧をしたこともなかった18歳の一年生が、いまどう化粧しても隠し切れない衰えた姿になっても、むかしのようにアコちゃんアコちゃんと呼んでくれて、心からもてなしてくれることが嬉しい。
最後の日に中学高校と同級生だった女友達と夕食を共にした。穏やかな方で、人の為に何かをしてあげることが大好きなので、いつも何かをしてもらいたい晩年の父が。いつも甘えて頼りにしていた。元気で再会できることが、この年になるととても嬉しい。
10日間の短い滞在に合わせて、時間を作ってくださった方々には、本当にありがたい思いで、感謝の言葉もない。で、、、、マゴたちの日本語は上達したか、というと、、、そこがなんとも、もごもご、、、、、。






日本帰国休暇  その2 奇跡みたいな再会

倍音ケイイチさんに初めて会ったのは、20年くらい前かしら、シドニーのクリニックの待合室だった。彼は交通事故で膝を痛め、膝はとても悪い状態だった。交通事故は、高速道路で100キロ以上のスピードで前を走る車が、突然スピードを落としUターンするという、あり得ないような相手の違法行為の結果だった。弁護士を雇わないまでも、医療費も慰謝料も当然取れる状況でありながら、ビザの期限が切れるため、彼は痛む膝を抱えながら帰国しなければならなかった。シドニーで医療通訳をしていて、こんな時ほど限界と無力感を感じることはない。ワーキングホリデイで来ている沢山の青年達が、同じような目に遭っている。正義よりも、法律よりも「ビザ」のパワーは強い。ビザは人を殺すことも生かすこともできるのだ。

始めて会った時から、ケイイチさんはどこから見ても魅力的な人で惹き込まれた。長身で、知的な広い額、ベトナムの地染めシャツとダブダブパンツに、網を編んで原石を入れた手造りネックレスをしていた。ドクターの診察を待つ間、ビョーンビョーンと唇に当ててリズムを刻む、ジュィシュハープの音の出し方を教えてもらった。

彼は一旦帰国して、数年後に訪ねて来てくれたときは、ベトナムから手織りの美しい布を持ってきてくれた。50センチ四方の布は、信じられないほど細かい手織り模様が織り込まれており、これは織った人の家の歴史が物語になって織ってあるとのことだった。

彼は、ベトナム、ネパール、インド、中国各地で音楽活動をするとともに、帰国しては珍しい楽器を集めて、都内で「謎の楽器」を紹介したり、ジュ―イシュハープを売ったりしていた。いくつもいただいた彼のCDは、パッケージが芸術作品のように美しい。今は福岡を拠点に、音楽活動をしている。

このケイイチさんは、福岡に居るはずだったから、私が10日間帰国していても、日本で会えるわけがなかった。それが、シドニーに帰るために空港に向かう電車の中で、彼が目の前に居たのだった。奇跡みたいな再会。彼の元気な姿をみて、どんなに嬉しかったことか。東京でライブをして、福岡に帰るところだった。
いただいたベトナムの布の上には、オスカーの骨壺が乗っている、と 言ったら、「ああ、オスカー」と、憶えていてくれた。8年前に死んだ愛猫。オスカーは人見知りせず訪ねてくる人にはいつも愛嬌を振りまいていた。8歳のときにうちに来て、17歳で死んだ。ケイイチさんのくれた貴重な文化財、ベトナムの家族が何か月もかけて手織りしてくれた布の上で骨になって、居間にいる私を見下ろしている。

画像に含まれている可能性があるもの:倍音 ケイイチさん、演奏、オンステージ
ケイイチさんは同じ日、福岡に帰って音楽活動を続けている。この20年間で私が日本にいる時間など、本当に僅かで、圭一さんも同じだろう。偶然に会えたと言うことは、本当に奇跡に近い。こんなふうにして、人は、会いたい人には、どっかでなにかが通じて会うことができる、ということがあるのかもしれない。
彼のライブの様子はFBでも、ユーチューブでも見られる。

2018年4月1日日曜日

アキ カウリスマキの新作「希望のかなた」

フィンランド映画
監督:アキ カウリスマキ
題名:TOIVON TUOLLA PUOLEN
英名:THE OTHER SIDE OF HOPE
邦題:希望のかなた           
キャスト
シェルワン ハジ: カーリド
サカリ ㇰオマネン: ヴィクストロム
イルツカ コイヴェラ:ドアマン
ジャン フーテイアイネン:コック
ヌップ ユイビュ : ウェイトレス

第67回ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞作。
日本でもフィンランド人映画監督、アキ カウリスマキのファンは多くは無いが、確実に居る。彼は今年で60歳。何度ハリウッドに招へいされても、鼻で笑って動ぜず、ヘルシンキで、頑なに自分の映画を製作している。英国のケン ローチと共通しているのは、社会の底辺に生きる労働者、失業者など、市井の人々に照明を当て、それらが現実社会で踏みにじられる姿を映し取りながらも、そのような人々の中にある本当の良心と強さを描き出して見せるところ。彼の作品には、一人として美男次女が出てこない。愛も恋も露出もない。泣いたりわめいたりするオーバーアクションや、いたずらに銃撃戦や効果音で恐怖感をあおったり興奮させられることもない。市井の人々が、黙々と働き、言葉数は少ないが、見つめ合い、理解し合う。その深さはとめどもなく深淵だ。

2012年5月3日に、このブログでアキ カウリスマキの映画「ル アーブルの靴磨き」を書いたので、今回読み直してみた。何年も前に観た映画なのに、一コマ一コマが思い出されて涙が止まらなかった。何て良い映画だったろう。あれから何百本もの映画を観て今日に至っているが、この映画ほど見た後、熱いもので胸が満たされ、人の幸せをひざまずいて祈りたくなるような気持ちになった映画は、他に無かった。人の良心というものが、どれほどこの社会に無くてはならないものか。わかる者だけが良心に従い、わかるものだけ同士で小さな幸せを分かち合う。それはそれを圧倒的多数の人々や一般社会や社会機構の「良識」をはるかに超えたところにある。ほとんどの人には忘れられた本当の良心のありかを、アキ カウリスマキの助けを借りて、見つけられた人々は、わたしは幸せだと思う。                        

ストーリーは
ヘルシンキ。
港にトルコから石炭を積んできた貨物船が着く。
石炭のコンテナの中にかくれて全身を石炭のすすでまみれた男が埋まっている。この男カーリドは、シリアのアレポから爆撃で家族親族のすべてを失い、たった一人生き残った妹を連れて脱出してきた。トルコ、スロベニア、ハンガリーと難民としてドイツに向かう途中、ハンガリアでネオナチに襲われて暴力をふるわれているうち、妹と生き別れになってしまった。それ以降カーリドは、必死で妹を探して各国の難民キャンプや、難民の流れつく土地を探して回っている。トルコの港で再び、ギャングに襲われ逃げ込んだところが石炭のコンテナだった。石炭の行先がヘルシンキだったと知ったのは、コンテナを乗せた貨物船が到着した時だった。

カーリドは妹を自分一人で探し出すことは無理だと知って、ヘルシンキの警察に出頭して難民申請をする。申請をして難民審査を受ける間、フィンランド政府は妹を探し出してくれるかもしれない。難民収容所で、カーリドは、アフガニスタンから来た難民の友達ができた。彼はパスポートや最小限の荷物を持って国を出ることができたカーリドと違って、自分の身分を証明できる書類をもたずに国を追われたために、難民審査に時間がかかり、すでに何か月も収容所に居てフィンランド語も少し話すことができた。早く社会に出て仕事をしたいという彼はアフガニスタンでは看護師だった。カーリドは彼の持つ携帯電話を使って、アレポに残っている友人に妹の消息を聞くことができるようになった。

収容所で審査結果が出る。「シリアのアレポは、危険な戦場とは言えない。無宗教のカーリドに命の危険はなく、帰国して生活することができるので、難民とは認められない。」という予想はしていたが、冷酷なものだった。結果が出た以上、彼は難民ではなく不法移民扱いとなり、即座に強制帰国となる。朝早く警察が迎えに来る。
カールドは、何が何でも妹を見つけ出さなければならない。すべての家族が殺され、家長として妹を見つけ出し保護してやらなければならない。それができなければ、自分だけ生きていても仕方がない。彼は夢中で難民収容所から脱走する。ネオナチの襲撃から逃れ、警察から逃げ回り、そして、レストランの駐車場で、そのオーナーのヴィクストロムに出会って助けられる。

ヴィクストロムは、長い事ワイシャツのセールスマンをしてきて疲れきり、アルコール中毒寸前の妻との愛情も薄れ、妻と別れて家を出た。全財産を現金に換えて、高級秘密クラブのカジノに向かう。生きていてもツマラナイ。自分の人生など博打のようなものだった。とことんまで落ちて行ってみよう。
ところが捨身の彼はポーカーで運を掴み、たった一晩で全財産の数倍の現金を手に入れる。人生、棄てた物じゃないと言うことか。その足でビジネスアドバイザーに会い、勧めに従って売りに出ているレストランを買い取った。

レストランには、全然やる気のないコックと、ウェイトレスとドアマンが居た。前オーナーから給料未払いの災難に遭っていた3人の従業員は、そのままレストランに勤め続ける。慣れないレストラン経営をやってみてヴィクストロムは、余り収益が上がらないので、流行の寿司レストランに模様替えしてみるが、客が入らず、またミートボールを出すレストランとして営業を続行。彼は、駐車場で見つけたカールドを新たに雇用して、贋の労働許可証を偽造してやり、彼に寝食できる場を提供する。カールドは、エジプト人となり、名前を変えて、献身的にレストランで働きながら、妹を探す。

そんなある日、カールドは難民収容所で仲良くなった友達から、妹の居場所が分かったことを知らされる。妹はリトアニアの難民収容所に居る。一刻も早くそこから妹を助け出さなければ、二度と妹と会えなくなる。ヴィクストロムは、長距離運送トラックを雇って妹を収容所から探し出して、ヘルシンキまで’連れて帰る手配をする。港で妹を待ち構えるカーリド。遂にヴィクストロムのおかげで、カーリドは妹と再会することができた。これからは兄として妹を守ってヘルシンキで一生懸命妹のために生きて行きたい。

しかし妹は、エジプト人の名前で兄と生きることを望まない。しばらく会えないでいた内に、妹はすっかり自分の考えをもつ大人になっていた。彼女はシリア人として本当の自分の名前で、誇りをもって生きて行くと言い張る。その妹は明日、警察に出頭して難民申請をするという。おそらく兄同然、難民審査で難民認定は受けられないだろう。再びシリアに強制送還されて死んでいくのか。しかし、兄は妹の考えを変えることはできない。
その夜、カーリドは再びネオナチに襲われてナイフを腹に受け、深い傷を負う。

ヴィクストロムは、この夜、小さな店をやっていた元妻を訪ねる。妻は、「あなたが出て行った日から一滴もお酒を飲んでいないの。」という。その元妻にむかって彼は、「レストランの女マネージャーを探しているんだ。」と。二人は微笑み合う。

翌朝、ヴィクトロムはカーリドの部屋が、すっかり片付いているのを発見する。残された血痕。何があったのか。当のカーリドは、警察署の横で妹を待っていて、出頭する妹を抱きしめて、送り出す。港の見える公園。横になったカールドに、すっかり慣れた捨て犬が会いに来る。犬を抱きしめる、笑顔のカーリド。
というおはなし。

死んでいくカーリドには犬がそばにいてくれる。彼は妹のためにやるだけのことはやり、そして妹がもう自分のことを必要としていない、すっかり大人になったことを知って、満足して死んで行ける。
ヴィクストロムは、と言えば、昔の女房と再び何とかやっていけるだろう。無償の援助を、カーリドにし続けた彼の驚異的な親切心と、良心と、市民社会の一員としてのヒューマンな良識。援助を必要とする難民を保護しない冷酷な社会と、難民を襲うネオナチの不理屈。生きた人をシンナーをかけて火をつけ、ホットドッグといって面白がって殺すことができるネオナチという先進国にはびこる者たち。
それでも、それでも市井の人々が、名もなき市民が、金も権力も持たないごく普通の人々が、自分のできる範囲で困っている難民に当然のこととして手を差し伸べる社会のありように、アキ カウリスマキ監督は希望をつなげようとしている。

映画の中で、カールドは一度として笑わない。避難民としてどれだけの苦難を負って来たかが想像できる。彼は自分はどうでも良い。彼の使命は妹を探し出し自分の保護のもとに置くことだけだ。その日が来るまで、彼はヴィクストロムに拾われて、労働許可証が出て安心して寝食できるようになっても、友人とビールを飲んでも、好きな音楽を聴くことができても、決して笑顔をみせず一貫して無表情だ。
その彼が一度だけ笑顔を見せる。最後の最後、死んでいく自分に可愛がっていた犬が会いに来てくれた時だ。そのことが泣かせる。

妹も笑わない。兄という保護者を失い、少女ひとりリトアニアに避難民としてたどり着くまで、何があったか、どんな酷いことが続いたか、想像を超える。ヴィクストロムの援助で、やっと念願の兄に遭えたが彼女は笑わない。二人は堅く抱き合うだけだ。わたしたちは笑顔を忘れた難民たちの姿をみて、いかにシリアからヨーロッパに逃れた難民が厳しい旅路を経験したかを、考えてみることができるだけだ。

映画のあちこちで歌われる初老の男たちが歌うロックが良い。やっぱ、ロックは、くたびれたヨレヨレのおっさんが歌うのでなければね。カールドが、明日には強制送還になるという夜に、シリアの弦楽器を手にして、物に憑かれたように楽器をかき鳴らすシーンも、物悲しい。弦楽器は、魂の発露だ。言葉にならない魂が叫んでいる。

笑いのシーンも多い。ヴィクストルムが不器用な男だと言うことが良くわかって、笑い泣きさせてくれる。笑った後、ほろっと悲しくなるのだけれども。
だいたい寿司レストランを始めると言い出して、寿司の本を4-5冊買って、マネして寿司もどきを作って客に出す、などという無茶を他の誰が考えるか。
また、それなりに客の入るレストランといわれて、客にミートボールかサーデインかと注文を聞いて、サーデインの缶詰めとジャガイモの乗った皿を出すなんて!

戦禍を逃れてヨーロッパに流入する難民の立場は、受け入れ各国が厳しさを増す中、状況が困難になるばかりだ。2011年、この監督の作品「ル アーブルの靴磨き」は、ベトナム移民のチャンとともに靴磨きでその日その日を、カツカツの生活を送るマルセルは、ガボンから密航してきた少年のために、大金を作ってロンドンに居る母親のところまで見送ってやることができた。しかし、今回の2017年作の映画では、シリアからの難民カーリドの命を助けてやることができなかった。
しかし、ヴィクストロムは、人間としての良心をもって、これからも難民や困っている人々、無力な人々の力になるだろう。それが人間というものだ。
人の為に生き、初めて人は人となる。(トルストイ)
アキ カウリスマキの映画には、どんな状況にあっても人は人の良心のために勇気を奮い立たせることができる、そんなことを教えてくれる。

2018年3月22日木曜日

半世紀ぶりの再会:その2

    
   
三潴さんはかつて、中央線の新宿から立川までの間のすべての中高校の間では名を知らぬ者のいない強い喧嘩番長だった。
大学に入ってからはアジテーターで、他大学の行動隊長は、安保が悪い、米軍が悪い、を繰り返すだけだったが、彼のアジにはレーニンも、クレプスカヤも、サルトルもバクーニンも出て来て、内容が深かった。トルストイに傾倒していた私には彼のアジテーションは一遍の詩を聴くようでもあった。
学生大会で、全学ストライキを決行するかどうかの討議が夜まで長引いた。大学側はこのままではストライキが決行され前代未聞の不測の事態になるとして、会場を閉めて学生を解散させようともくろみ、体育会系学生を動員した。ホッケーのステイックや野球のバットを持った体育系学生が来て、時間切れで決議案が流れた。そのとき三潴さんは階段の踊り場に駆け上がり、「この大学には自由がないのか。」という後々まで伝説として語り継がれる演説をして、学生会館に残った学生たちを大泣きさせてくれた。

1967年8月米軍輸送車事故が起こった。新宿駅構内で、米軍燃料輸送列車に貨物列車が衝突、脱線、転覆してダンク車から漏れた燃料が引火して爆発した。現場周辺300メートルは火の海と化し炎は30メートルの高さまで上り、国電1100本、200万人の影響が出た。燃料はベトナム戦争でベトナム人を殺傷する航空機に使われていて、日本がベトナム戦争の兵站になっている事実を市民に知らしめた。翌年1968年、騒乱罪が発動されたが、新宿駅で米軍輸送車を止めようと、学生、労働者、市民が集まりデモをしたのは、自然の流れだった。
その翌月にデモで逮捕された。米軍が毎日北爆で同じアジア人のベトナムの婦女子を殺している最中、アメリカ大使館に石を投げたくらいのことで、18歳の女の子をしょっぴくとは、と今でも腹立たしい。菊谷橋警察署に留置されている間、警棒で殴られ足を骨折していたので歩けなかったが、雑居房にいた美少年が、いつも横についてくれて、毎朝の点呼で立てない時に肩を貸して支えてくれた。「どうして留置されているの」、と聞くと、「俺の女房に手出した奴をぶん殴ったから。」と言っていた。後で考えたら美少年って、変だよね。女子房なのに。あの美しい少年はレズビアンだったんだ。雑居房の他のおばさんたちは、売春で留置されていたらしい。というのは私もピーと、警官から面と向かって呼ばれていた。黙秘して名前がないから番号で呼ばれているのかと思っていたけど、ずっとあとで気が付いたのは、ピーとはプロステイチュート(売春婦)のことで、マルクス主義の女子学生は「人のものは自分のもの、自分のものは人のもの」と考える共産主義者で、誰とでも関係を持つからピーだ、という彼らの理論からくるものだったらしい。

そんなこんなで、いろいろあって、赤ヘルのブンドは、分派に分派を重ねて空中分解した。それでも三潴さんは、いつもお腹をすかしてやって来る私達に、しっかり飲ませ食べさせてくれる心強い先輩だった。可愛い後輩だったのは、彼の結婚までだ。そこから長い事、不通になっていた糸が、いま再びつながったことが嬉しい。

ところでビエンナーレだ。
忘れてしまわないうちに、忘備録として、ビエンナーレで印象的だった作品を書いておかないと。
ヤナギ ユキノリ
1)ICARUS CONTAINER (イカロスの器)2018年作
 巨大な貨物船に使う船荷に乗せるコンテナを何台も組み合わせて、長い迷路を作り、ところどころ鏡を使ってオブジェを置いたもの。三潴さんによると、この人はこのシリーズでデビューして高く評価されたのだそうだ。迷路は物質主義と、それを取り巻くネットワーク社会を示している。そこから飛び立って太陽に近ずき過ぎて海に落ちて死ぬイカロスとように、原子力技術を発展させた人類は、もう燃え尽きて滅びて行くことしかできない。

2)ABSOLUTE DUD 2016年作
鉄で作られた、ヒロシマに1945年8月6日に落とされたのと同じサイズの原子爆弾が天井からつるされている。
3)EYE 2018年作
薄暗い倉庫の中央に大きな目が吊るされていて、その目玉にヴィデオで原爆実験の様子画写る。裸眼で原爆が大きなキノコ雲になって、やがて水しぶきが上がる様子が捉えられる。

彼は、福岡生まれで広島で活動している1959年生まれの作家。
原子力のパワーによって生活を成り立たせてきた戦後日本の存在そのものを問いかけている。「EYE」がとても印象的で一度見ると忘れられない。原子爆弾は作られてからほとんど実験なしで日本で使われて、ヒロシマ、ナガサキが人体実験の場となった。その後も米国、ロシア、フランスなど各地で水爆実験が続けられ、人々は爆発する様子を裸眼で見せられて失明し、白血病で血を吐いて死んできた。大きく目開いた瞳に映る爆発のもようは、いま毎日この死の灰を含んだ雨に濡れ、飛散したストロンチウムを吸い込んで、セシウム入りの水を飲むわたしたちに通じる。ヒロシマが日本人の原点であること。ヒロシマなしに核問題は語れないことを強く再認識させられる。

もうひとつ印象的だったのは、サムソン ヤング 1979年生まれホンコン出身の人。
この人は絵描きでもなければ、写真家でもない。大学で哲学と作曲を学んだ人。「MUTED SITUATION」2014年作のシリーズもので、今回は「MUTED SITUATION TCHAIKOVSKY 5TH 2018作。三潴さんによると、このシリーズは日本の森美術館でも展示されていて、前に観たことがあるそうだ。ドイツ、ケルンのフローラシンフォニーオーケストラが、チャイコフスキー交響曲第5番を演奏しているフイルム。オーケストラメンバーは旋律を音を出して演奏することを止められている。それでいて熱演していて、演奏者は呼吸し、譜面をめくり、楽器が奏でる旋律ではない音、雑音を捕える。辛うじてどこを演奏しているかはパーカッションでわかる。
メロデイーがなくなり、人は45分間の交響曲で何を聴くのか。オーケストラメンバーは、何もなかったかのように指揮者をみながら演奏している。極限まで音を落とした状態で人が聞き取る雑音と呼ばれる音は一体何なのか。おもしろい。
とても哲学的な課題だ。

ヴァイオリンを子供の時から弾いてきた。ヴァイオリンが弦に弓が当たる時のカシャカシャいう雑音が、ものすごく気になった時期がある。オーケストラで弾いていて、チェロの弓を弾き返すとき、チェロ本体に弓の先が当たって不快音がでることがある。クラリネットやフレンチホーンが音を出す直前に、息が漏れる雑音も気になる。指揮者の呼吸音まで聞こえれば、腕を振り上げて動かす衣類がこすれる音まで聞き取れる。とくに、舞台では最初の一音が命だ。指揮者が指揮棒を振り上げて吸った息をちょっと止める、一瞬の呼吸音を、50人なら50人、100人近いときもあるオーケストラ団員全員が聴き分けて曲が始まる。一瞬の緊張の極、全員の集中力がオーケストラでは勝負となる。
若い作曲を勉強したアーチストが、これから音のないオーケストラ、楽譜のない交響曲をかかえて、これから何を見せてくれるのか、とても楽しみだ。

現代アートには説明が要するものが多い。ヤナギ ユキノリの「EYE] が、日本人の作品でなかったら感動しなかったかもしれない。サムソン ヤングが画家でなく、作曲家でなかったら心を動かされなかったかもしれない。どんな時代に生まれ、どんな生い立ちをして、何を学び、どんなメッセージを発して作品を創作したのか、説明なしで理解するのが難しい。
でも本当に心を奪われる感動というものは、どんな時代に生まれても、作家が有名であろうがなかろうが、何国人でどんな肌の色をしていようが、本人が何を言いたいのか、などなどといったものは、知る必要などなくて、ただ見て心が震えるものだ。

子供の時、母がカレンダーについてきたモジリアニの絵を額に入れて、居間に飾った。絵画の名も何も知らなかったが、いつまで見ていても見飽きない感動があった。
いやいやヴァイオリンを弾いていた子供だったとき、作曲家の名前も演奏家も知らないまま、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトを何度も繰り返し聴いていると、心が解放された。
初めてNSW州立美術館に行って、ゴッホの「ペザント」(百姓)を見て、何か溢れる気持ちが湧いてきてしばらく身動きができなかった。説明を要さない感動は時代や環境や国や文化を越えて心に訴える。
いずれ現代美術も、淘汰されて、良いものは古くなっていく。前衛は次の世代に乗り越えられていく。時を経て、選ばれた現代美術は古典美術と融合一体化していくのだろうか。

2018年3月21日水曜日

半世紀ぶり三潴末雄さんとの再会


          

初めて会ったときは17歳。大学に入ったばかりで、三潴さんは4年生だった。
「ねえ、次の日曜日デートしない?」と言われて、生まれて初めて口紅をつけて来たというのに、連れて行かれたのは砂川基地。頭の上をすれすれに飛んでいく軍用機の轟音と、新芽を出したばかりの青々しい茶畑と農家のおばあさん。そして砂川闘争で凶器準備集合罪で逮捕状の出ていた味岡さんとの出会い。
乾いた喉を潤すために水を飲むような自然さで、次の日には赤いヘルメットに角材を握っていた。

アートギャラリーを主宰している彼がシドニービエンナーレのために、シンガポールから香港に移動する途中で、シドニーに立ち寄ることになった。
1994年に自分のギャラリーを持ち、アジアから現代アートを創り出す若手アーテイストを育成、発掘、紹介している。彼は自著「アートにとって価値とは何か」で、「鹿児島市の美術館に行けばモネの睡蓮やピカソの青の時代の作品を見ることができる。札幌市の近代美術館には印象派やモダンの時代の作品がコレクションされている。---日本の美術館がいかに西洋由来のアートのコレクションに大枚をはたいてきたかか一目瞭然でもある。」ではなぜ彼が「苦労を金で買いに行くような厳しい内容で、事業としての成功の展望」のないギャラリーを続けているかというと、「日本の現代アートは間違いなく日本の文化なのに、これを美術館が支えなくて一体誰が支えてくれるというのだろうか。」という動機で、ギャラリストとして活動されてる。

彼は、現代アーテイストの草間彌生、オノヨーコ、村上隆など、やっと日本でも僅かながら評価されてきた現代美術の前衛作家達を高く評価しつつ、若い芸術家たち、会田誠、山口晃、小沢剛、天明屋尚、近藤聰乃、奈良美智、鴻池朋子、山本竜己基、池田学、宮永愛子、ベトナムのジュン グエン ハツシバ、CHIN PON、猪子寿之のチームラボなど、たくさんの芸術家たちを発掘、デビューさせてきた。

2007年北京オリンピックの前には、アイウェイウェイの設計によるギャラリーを、北京で開設したが、アイウェイウェイの突然の逮捕、政府当局の介入によりギャラリーは、2014年にいったん閉鎖された。2012年にはシンガポール、ギルマンバラックスで、ギャラリーを開設。香港とジャカルタに若い芸術家たちが集まって刺激を与えあう場、としての「レジデンス」を開設している。東京の市ヶ谷にあるギャラリー、シンガポール、香港、ジャカルタ、ニューヨーク、ロンドンと、一年の200日は外国という忙しさの中で、さらに活躍幅を広げて、若い作家たちと「ニューヨークでも暴れてみたい。」と言っている。ニューヨークで新しいギャラリーが立ちあがる日が待ち遠しい。

NSW州立美術館に、ジーンズとスニーカーで現れた長身の三潴さんは、ニューヨークからシンガポール、そしてシドニーから再びシンガポール、香港へと移動している最中とは思えないほど元気で、まるでシドニーに住んでいるわけではないのに、23年間住んでいる私よりも身軽に、美術館の中を自分の家のように歩いていた。足早にビエンナーレの作品をみながら解説してもらう。世界各地で現代美術を見て回り若い芸術家を育成し、大学の講師を務め、高校生の進路講習会で語り、様々な芸術家達と交流を図る、超多忙な人から作品の説明を聞くことができるなんて、なんて贅沢なの。

どうしてキャンバスに黒い絵の具で塗りつぶしただけの絵が絵なのか、現代美術って自分にとって意味のある作品を作っているだけのくせに、他人に見てもらおうなんて自己満足すぎる、だいたい作品の背景から作家の生い立ち、作品を作った動機まで長い説明がないと全く理解できない作品にどうやって共感しろというのか。
日本の芸術って、くぎ一本使わずに建築された寺院や神殿、漆の器、古代織物、壊れた茶碗を金継ぎで再生するような伝統芸術や、骨とう品にこそ美が凝縮されているのではないか。そう思ってきたが、しかし「美術館は美術の墓場でしかない。」と言い切る若い人達の作り出すものはおもしろい。作品に共感はできなくても、おもしろいと感じ、若いエネルギーが感じられるだけで良い。

三潴さんと、NSW州立美術館、現代美術館、コカトゥー島を回って、300展示されているビエンナーレの作品の大半を早足で観た。何十キロ歩いたことか。尋常ではない長い一日。もう一か所、アートスペースという建物に設置されていたアイウェイウェイの「クリスタルボール」を、時間切れで一緒に見ることが出来なかったのが残念だった。
しかし70歳を超えて健脚な三潴さんに、ちゃんと付いて行けた自分の健脚も褒めてあげないと、、。彼は階段も手すりなしてサッサと上り下りする。50年前も、いつも三潴さんと歩くときは、長い足で大股で前を行く彼の歩調についていくために、私は息せき切って小走りでついていかなければならなかったのを、まざまざと思い出した。

大変興味深かったのは、コカトウー島の旧造船所は、昔海軍工廠があり軍艦を作っていたから、重器具、機材や、石炭発電所や立派な防空壕などがそのまま残っている。それを三潴さんが嬉しそうに写真に収めていたこと。展示されていたアート作品のほとんどを、写真にとらなかったというのに、アート作品の上、天井にそびえるクレーンや、さび付いて埃を被った造船のための機械をカメラに収めているので、「どうして」と聞くと、若い作家たちに見せるんだ、と。70年間、80年間と使われてきた機械が当時のまま埃を被っているが、これらの機械は油をさせばそのまま、まだ使える状態で歴史的な存在感を示している。それらの機械に囲まれた若い人々のアート作品は、比べると何てチャチなんだ。思い付きで作った作品など軽い、価値を見出せないものなんだ。ということを見せてやるんだ。と言っていた。
そうなの。三潴さんの言葉に発奮して、若いアーテイストが是非、50年先に生まれてくる人たちにとって価値を見出せるような作品を作っていって欲しい。

どうしても現代アートは反政府、反権力、反権威、反核、反戦に通じる。でも三潴さんは、「政治をやりたいヤツは立て看板を作れ。」とも言う。作品に政治的メッセージを込めることはできる。しかし、メッセージだけでは美術にならない、という意味の深い彼の提言なのだ。
初めて会ったときから51年ぶりに、やっと会えた大切な大切な人と一緒に、素晴らしい一日を過ごすことができた。


2018年3月17日土曜日

アイウェイウェイ「AI’S LAW OF THE JOURNEY」シドニービエンナーレにて



南半球の3月半ばといえば、秋の兆しが日々増してきて涼風さわやかと思いきや、シドニーは40度の暑さ。炎天下をシドニー湾に浮かぶ、コカトゥー島に行って、アイウェイウェイの作品「AI"S LAW OF THE  JOURNEY」(旅の掟)を見て来た。

巨大なゴム製の作品。長さ70メートルのゴム製のボートに、258人の巨大な難民が命を託している。アイウェイウェイの怒りが炸裂している。ライフジャケットを身に着けた人々に顔はない。恐怖も、飢餓も、悲哀も、憎しみも、怒りも顔に表せない。すべての感情を押し殺し、胸にとどめ、ただただ耐えている。ボートの行きつく先に希望があろうがなかろうが、国に留まり死を待つよりは少しでも可能性のあるボートに乗る。苦しくなる。観ていると、とても苦しくなる。建物を出れば、真っ青な空が広がっているというのに。平和そのものの美しい緑に囲まれた島。のんびりヨットが浮かぶシドニーの港。

コカトゥー島は、シドニー湾のフェリー発着所から小型フェリーで30分のところにあり、かつては、造船所、海軍工廠だった。そのもっと昔は刑務所、少年院、監獄として使われていたのでオーストラリアの囚人遺跡群として、世界遺産に登録されている。いまでも囚人たちが建設したレンガ造りの堅固な刑務所が丘の上に立ち、港には巨大な造船施設が残っていて、石炭による発電所から防空壕までそっくり残っている。フェリーは30分おきに発着し、キャンプに来ている小中学生や、ピクニックに来ている家族連れなどで、けっこう平日でも賑わっている。

アイウェイウェイの作品は、21回シドニービエンナーレのために出品された。ビエンナーレは、3月16日から6月11日まで。コカトウー島、NSW州立美術館、現代美術館、オペラハウス、アートスペース、アジア現代美術センターなどで、300以上の作品を見ることができる。今年ビエンナーレのキューレーター、総合芸術監督に抜擢されたのは日本人で、森美術館のチーフキューレーター片岡真実さん。アジア人として初めて監督に指名されたそうだ。作品を出品している作家の20%はオーストラリア人、アジア人が40%、欧米が40%だそうだ。      

「AI'S LAW OF THE JOURNEY」(旅の掟)は、2017年3月にチェコのプラハ国立美術館でいったん展示された。巨大な70メートルの長さのゴムボートに、難民が乗っている、この作品は世界中で起きている難民の流入を題材にしている。現在ベルリンに滞在している彼は、ギリシャのレスボス島に渡って来る難民がトルコからヨーロッパに移動しようとして途中で命を落とす現場を見て、居たたまれず作品を作った。この作品によって「ぼくは誰も責めてない。芸術家の自分としてできることをしているだけだ。」と言う。
彼の視点の原点は、「人類は一つ」そして、「私たちはすべての境界を失くし同じ価値を共有し、自分以外の人々との苦悩や悲劇をはじめとする様々な苦難に関わるべきだ。」という信念にある。

彼が2017年、23か国の難民を撮影したドキュメンタリーフイルム「ヒューマンフロー」もこのビエンナーレでみることができる。アフガニスタン、パキスタン、タイ、トルコ、イラク、パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダン、イスラエル、ハンガリー、セルビア、ギリシャ、ケニア、イタリア、フランス、ドイツ、スイス、アメリア、メキシコの国々で起きている人々の移動、戦火に追われ国を捨てて逃れてくる、6500万人の人々を映像に捉えた作品だ。彼は「民主的ないわゆる自由世界に暮らす恵まれた人々があまりにも人間の苦しみに無関心なこと。これは難民の問題ではない。人間の危機であり、助けることができるのに助けようとしない人々の危機だ。」と批判している。
                     
2017年8月―11月に横浜トリエンナーレでも彼のこのフイルムが上映され、会場の横浜美術館の入り口は、難民の命綱となった800のライフジャケットが展示され、美術館の外壁には14艘の救命ボートが展示されたそうだ。トリエンナーレを見に来た人は、いやおうなくアイウェイウェイのライフジャケットと救命ボートを潜り抜けなければ会場には入れなかったわけだ。
彼は2011年中国当局から、81日間拘束を受け、パスポートを没収されて4年間海外に出られなかった。子供の時、反体制派の詩人だった父親のために家族全員が、文化革命時、18年ものあいだ強制労働に従事させられた。彼の反骨精神は筋金入りだ。
 
ニュースでは毎日のように、アフリカから国を追われて脱出してきた人々のボートが転覆して40人亡くなりました、50人亡くなりましたと報道され、僧衣を着た仏教徒がロヒンジャの母子に襲い掛かかり、家に火を放つ。イラク、アフガニスタンから逃げてトルコに流入する人々、アメリカとメキシコ国境で銃をもつ国境警備隊。気が狂いそうになる。
難民を受け入れたために苦境に立つドイツのアンゲラ メルケルに対して、フランスの極右マリーヌルペン、オランダのヘルト ウィルダースなど、ヨーロッパとアメリカではポピュリズムが広範に勢力を伸ばした。難民の流入のために、自分たちの国の伝統が壊され、仕事を奪われ、生活が苦しくなり、治安も悪くなったという、ポピュリズムの妖怪が世界を跋扈している。
そうではない。グローバル競争の激化、ひたすら市場価値を求め、投機的な資本主義のマネーゲームが富んだ者を肥え太らせて、貧者との格差を広げているのだ。

難民問題は、ヒューマニテイーだけでは語れない。しかし国境などに縛られない、空を自由に飛ぶアイウェイウェイのような芸術家にとっては、共産主義国も資本主義国も、難民を見殺しにしているという意味では全く同じ、犯罪国家に過ぎない。まだ60歳のアイウェイウェイ、これからも発言し続けることだろう。頼もしい。

写真はコカトゥ島

2018年3月11日日曜日

15世紀のタペストリー「貴婦人と一角獣」を観る







1484年から1500年の間にフランドルで制作されたと言われている「貴婦人と一角獣」のタペストリーを観に、NSW州立美術館に行ってきた。
フランスの国宝だそうで、「中世のモナリザ」といわれている。フランスのカルチェラタンにあるクリュニー中世美術館の所蔵品で、ニューヨークメトロポリタン美術館に一度、2013年に日本に一度貸し出されただけで海外では展示しないと言われていたが、クリュニー中世美術館改装中の間、オーストラリアに貸し出されることになった。2月から6月24日まで。このタペストリーは、男装の作家ジョルジュ サンドが自分の小説の中で絶賛したために、世の注目をあびることになったと言われている。

15世紀に作られた作者不詳、作成動機不明、制作年月不明のタぺストリーが、フランス中部の小さな遺跡,ボウサック城で発見されたのが19世紀に入ってから。倉庫に丸めてあって、ネズミが食い襤褸のようになっていたタペストリーは、1841年の発見から、長い交渉の末、1882年に政府によって購入された。それ以来補修され、復元されて現在はクリュニー中世美術館によって収納展示されている。

6面のタペストリーは背景が赤色、そこに痩せて背の高い貴婦人と、花々と沢山の動物が描かれている。この貴婦人は6枚とも同じ女性とみられ、6面とも中央に立ち、右にライオン、左に一角獣をはべらせている。描かれている旗の紋章が、フランス王シャルル7世の時代に有力者だったジャン ル ヴィスト家の紋章なので、彼が自分の娘の結婚を祝って作らせたものではないか、と言われてる。

貴婦人の右に座るライオンは警護、従属を表し、左に座る一角獣は、純真、忠実、処女性を表す。花々のうち薔薇の花は純情、パンジーは幸運、ザクロの樹は繁栄を表す。6面のタペストリーすべてに、8匹以上の動物がいて、多いものには18匹の動物がみられる。たとえば犬(忠実)、猿(罪)、キツネ{狡猾)、ウサギ(繁殖)、ひつじ(無知)、たくさんの鳥、そしてマグパイは、マリアに受胎を告げた天使ガブリエルに例えられる。

6面のそれぞれに、どんな意味があるか解釈はいろいろあるが、人の5感を表すという解釈が有力。すなわち
第1面は、貴婦人がライオンと一角獣を横に置いて、花輪を作っている。これが臭覚。
第2面は、貴婦人が一角獣の角を握っている。これが触覚。
第3面は、貴婦人がアーモンドの実が入った器を持っている。これが味覚。
第4面は、貴婦人がパイプオルガンを奏でている。これが聴覚。
第5面は、貴婦人が自分の膝の上に一角獣の両前足を抱いて、鏡に映った一角獣の姿を見せている。これが視覚。
第6面は、宝石箱の中の宝石を手にした貴婦人で、第6感といわれる「魂の欲望」。貴婦人は宝石を、己の欲望のまま取り出そうとしているのか、それともいったん手にした宝石を戻そうとしているのか、不明。一貫して処女性を求めてきたが、欲望に走ろうとしているのか、それを押し戻して純潔を保とうとしているのか。
どのタペストリーも赤色をバックに、鮮やかな庭の花々と動物たちがバランス良く描かれていて、貴婦人は繊細で美しい衣服を身に着け、たたずまいは慎ましく、気品に溢れている。

始めてタペストリーの美しさに惹かれたのは、ローマだ。システインチャペルに入る前、バチカン教会に入るなり両側に並んだ、いくつものタペストリーに心を奪われた。彫刻でもない、絵画でもない、個人の作でなく沢山の人の気の遠くなるような根気と途方もない時間をかけて織られたタペストリーの見事なこと。こんな繊細な作業に携わる人々が居て、その一人一人が美の欲求にかられた芸術家であったこと。そんな結実であるタペストリーが、当たり前のように通路に架けてあって、人々はただ通り過ぎ、ほこりや汚れにさらされ、何世紀ものあいだ陽の光にさらされてきたことが、信じがたい。いま思えばローマはタペストリーも、彫刻も、絵画も何もかも、信じられないほどの美にあふれていて、このような空気の中で育ち、生活できる人々が、ただただ羨ましく思えた。

そこで、このフランスが誇る6面のタペストリーだ。
赤が素晴らしい。裏はもっと鮮やかな赤だそうだ。見えないけど、、。色がさめないように展示は照明がおとしてある。写真は撮れるがフラッシュは禁止だ。
ところでアーモンドの実の入った器を持つ貴婦人のタペストリーを見ていて、アッと声をあげてしまった。左端に居るのはタスマニアタイガーではないか。

タスマニアタイガーは、タスマニアに生息していた、オオカミの大きさでオオカミのような顔と声を持つ肉食動物だ。トラのような縞模様が体と尻尾にみられる。それでいて何と有袋類。この国にはカンガルー、コアラ、カモノハシなど有袋類動物の宝庫だが、中でもタスマニアタイガーの美しさは特別だった。絶滅させてしまった事は残念に尽きる。

このタペストリーが作られたのが1500年少し前。オーストラリア大陸はまだ「発見」されていない。まして端っこのタスマニアなんて、もちろん先住民族アボリジニの国だった。でもこのタペストリーにこの動物がいると言うことは、ジェームス クックがオーストラリア大陸を発見するより前の時代に、タスマニアにフランス人が来て、ジャングルでタスマニアタイガーに遭遇して、フランスの中部に戻って、その姿をタペストリーに復元したのか、、、という可能性は全く、、、ない。
これらタペストリーに描かれている動物のほとんどは一角獣を含めて想像上の生き物だったのでした。
写真はタスマニアタイガー

2018年2月10日土曜日

映画「シェイプ オブ ウオーター」

原題:SHAPE OF  WATER
邦題:「シェイプオブウオーター」
監督: ギレルモ デル トロ       
アメリカ映画20世紀フォックス
キャスト
イライザ:サリー ホーキンス
ジャイルス:リチャード ジェンキンス
ゼルダ: オクタビア スペンサー
ストリックランド大佐:マイケル シャノン
ホフステトラ―博士:マイケル スタルバーグ

2017年ベネチア国際映画祭でプレミア上映され、金獅子賞を受賞。今年のゴールデングローブ賞では、7部門でノミネートされていた。また、今年2018年のアカデミー賞で、最多の13部門でノミネートされている。

ストーリーは
1962年 米国と露国の冷戦下。
イライザは、アメリカ軍秘密生物化学実験室に雇われている清掃婦だ。発語障害を持っていて知能も聴力もあるので普通に聞き取ることはできるが、声を出して言葉を発することができないため、手話で人とコミュニケートする。子供の時から、首に3本のひっかき傷のような、目立つ傷跡をもっている。ひとり彼女は、映画館の2階のアパートに住んでいる。彼女には二人の友達がいて、一人は同じ映画館の上に住んでいる初老の画家、ジャイルスで、彼はゲイだ。もう一人の親友は同僚のゼルダ。黒人女性で、人とのコミュニケーションが苦手のイライザのために、通訳係になったりして、親身になって支えてくれている。イライザはお風呂が大好きで、毎日浴槽にたっぷり湯を張って自慰行為をひとり楽しむ。仕事帰りには、美しい靴を見て回る。お金がたまったら、気に入った靴を買うことが、小さな自分だけの楽しみだ。

イライザの働く実験室に、ある日大きな水槽が運び込まれてきた。以来ストリックランド大佐の怒鳴り声がしたり、床に血のりが見られるようになってただならぬ空気が漂っている。そこには、南アメリカでストリックランド大佐によって捕獲された半漁人がいた。興味をもったイライザが水槽をのぞき込むと、半漁人は突然姿を現して、イライザを驚かせる。ストリックランド大佐は半漁人を鞭で思い通りにしようとしている。半漁人に暴力をふるう様子を目にしたイライザは、言葉の通じない半漁人が残酷な扱いを受けていることに胸を痛める。そして隠れて昼休みに自分のお弁当を分けてあげるようになって、手話で会話をして、二人の心が通い合うようになった。その様子を見たホフステトラー博士は、半漁人にも人と同じような「心」があることを発見して、この生物の関するデータをロシアに送っていた。博士はロシアのスパイだったのだ。

しかしストリックランド大佐の思い通り実験に従わない半漁人を、軍は殺害処分することに決めた。それを知ったイライザは、何とか半漁人を助け出そうと、隣人のジャイルスに頼み込む。そして首尾よくジャイルスと、同僚ゼルダの助けを得て、イライザは半漁人を自分のアパートの浴槽に連れてくることに成功した。二人は愛し合う。一方、半漁人の脱出の責任をロシア軍からもアメリカ軍からも追及されたホフステトラー博士は殺される。

イライザは年に数回、運河が解放されて大海に通じる日が来るのを待っていた。毎日激しい雨が降り、運河が開くその日に、半漁人を海に放って自由にしてやることが、イライザの願いだ。そのときが、自分にとっては悲しい半漁人との別れの日でもある。
しかしその直前に、運河で彼らは追ってきたストリックランド大佐に捕獲される。警察もやってきた。そこでイライザは半漁人をかばって撃ち殺される。それを見た半漁人は怒り余って大佐を殺す。そして、死んでしまったイライザを抱いて二人して運河に身を投げる。
水底深く、イライザの首についていた3本の傷跡が開いてイライザは呼吸を始める。以来、二人は幸せに深い水の中でずっと暮らしました、とさ。
というお話。

ファンタジー映画ということで、美しいおとぎ話を、メキシコ人監督が作った。
はじめはサイエンスフィクションで、冷戦下の米軍とロシア軍の秘密組織が新兵器開発のために合成人間を作り出したという話かと思っていたが、設定からして違っていて、この半漁人は南米、おそらくアマゾンあたりで捕獲されたという設定。ならばアマゾンでは半漁人の彼の両親や親戚も居るわけで、不思議な治癒力を持って、死者を生き返らせることができる半漁人が今もなお元気で暮らしているのかもしれない。?

この監督の優れたところは、それぞれの登場人物がどんな人なのか、いろんな場面でとてもよく上手に表わしていて丁寧に解説しているところだ。
例えば、隣の住人ジャイルス。孤独なゲイで、時代遅れの画家でイラストレーター。描くタッチが古いので、どの出版社や新聞社も彼の絵を買ってくれない。自分では上出来だと信じているから、古くからの仕事仲間が申し訳なさそうに持ち込まれた作品を買わないで拒否するごとに落胆して腹をたてる。猫と平和に暮らしているが、パブでちょっとした仕草でゲイだと見破られ、「子供連れの家族も来る店だから、もう二度と来ないでくれ。」と言い渡されて傷ついて帰って来る。そんな自分がもう失うものなど何もない、と気付いてイライザのために奮闘する。そういった彼の心の変化がよくわかって、共感できる。

また親友のゼルダ。自分と同じアフリカンアメリカンの夫は、仕事がなく、暴力こそ振るわないが昼間から酒を飲んでいる。イライザの行く手の探してゼルダのアパートに暴力的に踏み込んできて、妻の首を絞めて脅すストリックランド大佐を、力なくただ見ているだけだ。一方的に家の中に踏み込んできた白人の男が妻に暴力を奮っても抗議さえできない無力で臆病な夫に心底がっかりするゼルダの怒りと哀しみがとてもよくわかる。そんな夫をもっているからこそ、障害者のイライザのために、危険をおかしても力になろうとする心優しい、世話好きな女なのだ。

ストリックランド大佐は、意味もなくたまたま権力を持ってしまった卑劣な男として描かれている。一方的な強いパワーを持った男がどんなものか、家庭に戻った時に見せる一方的なセックスシーンでもよく表れている。こんなものを妻が望んでいるとでも信じているのだろうか。1960年代のアメリカそのものだ。矮小な男ほどエバリ散らす。このように、登場人物ひとりひとりが日常の中で、どんな暮らし方をしているのか、生活習慣を通じて好みや感じ方、考え方などがとても細かく描かれていて映画そのものが分かりやすい。こんなふうに細やかな観察の上に立った人間の描き方ができる監督が素晴らしい。

若くも美しくもないイライザは水の中では自由で居られる。浴槽の中での小さな楽しみと、綺麗な靴を買うこと。自分の小さな世界で小さな楽しみを見つけて生きている。発語障害をもったイライザは、聴力に障害がなく知的障害もない、自閉症スペクトラムでもないから、恐らく過去に虐待や暴力にさらされたことが原因で言葉を発することができなくなったと思われる。そんな女性が自分で愛を見つけて、まっとうする。美しい物語だ。
1960年代を表すセピア色に統一された画面も美しい。

この半魚人、アマゾンで捕獲されるまでは、沢山の生き物たちから神のように尊敬されていたというのに、人間社会の映画では、最後まで名前を与えられなかったから半魚人というしかないが、ウルトラマンのような顔姿。イライザの首にあった傷跡を開口させてエラ呼吸できるようにしてくれた。いつか、アマゾンの源流で潜水してみたら、イライザが 小型のウルトラマン、ウルトラマンセブン、ウルトラマンジャック、ウルトラマンA、ウルトラマンレオとゾフィーなんかを引き連れて海中散歩しているのが見られるかもしれない。


2018年1月14日日曜日

映画「スリービルボード」ゴールデングローブ4冠

原題:Three Billboards Outside Ebbing Missouri
邦題:スリー ビルボード                   
監督、脚本:マーチン マクドナー             
イギリス映画
キャスト
フランシス マクド―ナンド:ミルドレッド ヘイズ 母親
サム ロックウェル:ウィロビー警察署副所長
ウデイー ハレルソン:ウィロビー警察署所長
ジョン ホークス:チャーリー ヘイズの息子
ピーター デインクラッジ:ヘイズの前夫
アビ― コーニッシュ:ウィロビー警察署所長の妻

ベニス国際映画祭でプレミア初公開され、トロント国際映画祭でピープルズチョイス賞受賞。
2018年ゴールデングローブで、最高の賞に当たる作品賞、マーチン マクドナー監督に監督脚本賞、主演のフランシス マクド―ナンドに主演女優賞、サム ロックウェルに助演男優賞が賞与された。

ストーリーは、
ミズリー州、エビングの田舎町。
7か月前にテイーンだった娘がレイプされ殺された。警察による捜査は一向に進展せず、一人の容疑者さえも逮捕されていない。警察の非力に業を煮やした娘の母親、ミルドレッド ヘイズはハイウェイ沿いの巨大な看板広告に、警察は何をやっているのか、ウィロビー警察署長の責任を問う、まだ誰も捕まっていない、という3枚の看板広告を出す。

名指しで看板に名前を書かれたウィロビー警察署長は、家庭では二人の娘を持つ優しい父親だが、心情的には人種差別主義者であり、気短で喧嘩早い男だ。彼が膵臓癌を患っていることは,街の住民にとっては周知のことだった。また、彼の右腕、警察副所長のデイクソンはラテイーノで、母親と二人で暮らしていて母親に頭が上がらない小心者のくせに、ウィロビーに似て短気な男だ。
娘を殺されたミルドレッド ヘイズは警察など怖くない。警察は娘のアンジェラを殺した犯人を見つけられない腰抜けどもの集まりだ。警察が黒人虐めばかりしている間にも、娘を殺した犯人は第2第3の犠牲者を作っているに違いないと、毒付く。しかし警察を信頼し、ウィロビー所長を尊敬している市民たちはミルドレッドを非難する。殺されたアンジェラの弟チャーリーは、姉と同じ高校に通っていたが、彼は学校で虐められていて、母親のやりすぎは良い迷惑だと思っている。母親は飲めば暴力を奮う父親と離婚して、19歳の若い女と同棲している。父が母親に会いに来て、言い争いから暴力を奮おうとすると、チャーリーは、父の喉元に包丁を突き付けて母親をかばって守ろうとする。

父親は死んだ娘が、実はしつけの厳しい母親を嫌って、自分と一緒に暮らしたがっていたと言って、故意に母親を傷つける。母親は、娘のアンジェラが誘拐され殺された日、執拗に車を借りたがっていたのを覚えている。だが彼女は車を貸してやらなかった。車を持ち出せば、遊びに行って友達と車の中で「ヤク」をやるに決まっている。車を借りられなかった娘は怒って、「じゃあいいわよ。歩いて帰ってきて途中で誰かにレイプされるから、、、」と怒鳴って出かけた。そして、彼女の言った通りになってしまった。誰よりも母親の怒りは自分に向けられている。怒り、憤り、そして後悔して、歎き悲しむ。出て行ったときのままにしている娘の部屋で母親は自分を責め続ける。

一方ウィロビー警察署長は、アンジェラの再捜査を始めたところで、膵臓癌が悪化したその痛みに耐えかねて、妻とミルドレッドと部下のデイクソンに手紙を残して自殺する。所長の死は、ミルドレッドが出した看板広告が原因でストレスになったせいだと、街の放送局が報道したため、市民の怒りと反発は増々膨れ上がった。ミルドレッドは、嫌がらせをされ、脅迫され、3枚の巨大広告は誰かによって放火された。看板を必死で消火しようとして走り回る母親を見て息子のチャーリーは胸を痛める。そんな母親に味方が現れる。同僚の黒人女性、黒人の人権活動家、小人症の男性などだ。力を合わせて3枚の看板は元通りにされた。亡くなったウィロビー署長の寄付金にも助けられた。

しかしミルドレッドの怒りは収まらない。火炎びんで警察署を放火する。たまたま署で故ウィロビー署長からの、自分あての手紙を読んでいたデイクソンは、大やけどを負う。遺書である手紙には、アンジェラの事件をしっかり捜査してミルドレッドの力になってやるように書かれていた。その日からデイクソンにとってミルドレッドは、ただの疫病神ではなくなり、本気で警察官として彼女の力になろうとする。デイクソンはその後、バーで見慣れない男を見る。男は娘が誘拐されて殺された時もこの町に居た。調べてみるとこの男はアイダホから来ている。デイクソンはこの男が犯人に違いないと確信し、一方的に男を怒らせて殴らせて、わざと半殺しの目にあう。そのおかげで男の拳の皮膚が採取出来て、DNAの検査に出すことができた。デイクソンはミルドレッドにそれを伝える。しかし、新しく着任した警察署長は、この男はDNAで犯人にマッチしなかったし、事件の起こった日にはこの町にいなかった、とデイクソンに言い渡す。

この男は確かに事件の日、この町に居た。デイクソンは警察署長の言うことを信じない。ミルドレッドも信じない。この男は野獣のように自分を脅迫した。
デイクソンは母親の髪を優しくなでて家を出る。ミルドレッドも息子の安らかな寝顔に別れを告げて家を出る。二人の行先はアイダホ。歩むハイウェイは一方通行だ。
というお話。     

娘を殺された母親の怒りが大爆発、炸裂する。ハイウェイに弱腰警察を揶揄する大広告看板を出し、良識的市民から批判され、牧師から訪問され、車にミルクをぶつけられ、チンピラから恐喝され、協力者を半殺しにされ、歯医者に麻酔なしに歯を抜かれそうになり、勤め先を壊され、放送局から警察署長殺しとなじられ、署長未亡人から非難され、前夫から首を絞められても、彼女は動じない。怒る母は、一歩も退かない。孤立無援など全然怖くない。法的に犯人を警察が逮捕できないことがわかると、少しの迷いもなく自らの退路を断ち、リベンジに突き進む。潔い。
          
「庭の千草」(The Last Rose of Summer)をソプラノ歌手が朗々と歌う背景を美しい田園風景が写される。アイルランドの詩人、トーマス モアが詩を詠んだクラシックの名曲だ。この曲が流れるなかを、牧歌的な光景の中にハイウェイがあり、3つの今は使われていない巨大な広告のための看板が映し出されるところから映画が始まる。116分の映画のなかで、もう一度だけ、この美しい旋律が流れる。娘を殺された母親が警察を告発する看板を出したその下に、花を植えた鉢を並べていたときに、奇跡の様に美しい鹿が姿を現して、母親の横で草を食む。思わず美しい鹿に見とれて涙を落とす母親が哀れで悲しい。そんなに自然が豊かで美しい場所なのに、現実にはテイーンが誘拐され、レイプされ、殺されて捨てられる。失業者には希望がない。黒人は歴然と差別される。小人症も差別されている。酒場では男達が暴力をふるい、粗暴で女を平気で殴る。それがアメリカだ。それが世界だ。

今年はアメリカの中で、保守的で白人中心主義を払拭できずにいた男社会ハリウッドで、女たちによる地崩れが起きている。権力を持った男達が告発されている。女たちによる反逆は、しばらくは収まりそうにない。法的にも、倫理的にもリベンジは正しい事ではない。しかし、娘を殺された母親は、怒りをこめて、100回殺しても殺し足りない勢いで男を殺すだろう。

クリント イーストウッド監督が、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー作品賞を受賞したときに、安楽死を認めるような映画に賞を与えることは正しくないという意見が飛び交った。時の流れというものは、その当時は法的にも倫理的にも反する事柄も、一歩先に時代を先取る映画では、それが許された。いずれどの国でも人が人としての尊厳を守るために厳しい条件のもとに安楽死は認めざるを得なくなるだろう。この映画でもリベンジは正しくない、ということは簡単だ。しかし、では、法的に女を守ることができなかった社会で、法的、倫理的な正義とは何なのか。

映画が終わった時、たくさんの女たちが涙を浮かべて拍手していた。ものすごい母親としての共感。熱い女性としての共感。思わず自分も拍手していた。
今年のゴールデングローブは、女性のための、差別されてきた有色人種のための賞だった。多くの参加者が黒服を着て参加。セシルBデミル賞を受賞したオプラ ウィンフリーのスピーチ「ミートゥー」には、長い長いスタンデイング オベーションがあった。こういった一連の流れが、一時的なものでなく、これからの女性差別へのと暴力、人種への差別と暴力、性的マイナーな人々への差別と暴力を失くす社会を構築する方向に、本気で向かってほしいと心から思う。






2017年12月23日土曜日

2017年に観た映画ベストテン

第1位:私はダニエルブレイク 「I、DANIEL BLAKE」
第2位:ホークシャーリッジ  「HACKSAW RIDGE」」
第3位:ヒットラーの忘れ物  「LAND OF MINE」
第4位:ゴッホ最期の手紙   「LOVING VINCENT」
第5位:言の葉の庭      「GARDEN OF WORDS」
第6位:沈黙         「SILENCE」
第7位:モヒカン故郷に帰る  「THE MOHICAN COMES HOME」
第8位:軍艦島        「BATTLE ISLAND」
第9位:WHERE TO INVADE NEXT
第10位:オリエント急行殺人事件 「MURDER ON THE ORIENT EXPRESS」


第1位:「私はダニエルブレイク」

この作品の紹介と評価を述べたブログ日記は、10月28日に書いた。イタリアネオリアリズム手法を取る労働者の味方、ケン ローチが、81歳になって、とっくに引退宣言をしたはずなのに、政府の福祉制度が本当に保護されるべき弱者のために機能していない現状に怒り心頭に達して、やむにやまれず制作した作品。テーマは何と、50年前に彼が作った映画「キャシー故郷に帰る」と全く同じ。最低限政府は国民の命を保障し、福祉を必要とする人の生活を保障しなければならないのに、50年前と同様それができておらず、事態は悪くなる一方である現状を、激しく告発している。 「人を人として扱わない。人を辱め罰することを平気でやる。まじめに働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやり方に憤っている。」と彼は述べている。

イギリスに限らず市場原理による高度に発達した自由経済をとる先進国にとって、福祉は、実際には飾り物に過ぎない。肥えるものはますます富に太り、まじめに働き真面目に税金を納めて来た者たちは、必要な時に福祉が受けられないで飢えている。誰もが自分だけは大丈夫、いまは健康で働いているし、仮に事故で障害者になったり、破産して収入が無くなっても保険や政府の生活保護で何とか生活していけるはずだと思い込んでいる。政府の広報は美辞麗句が連ねられて、あたかも困った人は、誰でも福祉が簡単に受けられるかのように宣伝している。

恐ろしいことは、実際自分がその立場になってみないと、実際に福祉が受けられるかどうか、まったくわからないことだ。自分の経験から言うと、80を越えるまでオットは政府から年金も恩給も何も受け取らずに、まじめに働き、まじめに税金を納めて来たが、病気になり障害者となって仕事ができなくなったので、老人年金を申請した。しかし政府の年金審査官は様々な理由をつけて申請を却下、最低限の年金を政府から出させるのに、2年半の時間を要した。その間無収入で24時間介護の必要なオットをかかえて、私はフルタイムで働きながら障害者を介助し、1日おきに腎臓透析に連れて行くことに、体力の限界まで自身を酷使したが、年寄りに年金を出すという当たり前のことを簡単に認めない役所との交渉に疲れ果て、ぼろぼろになった。

現状でさえ貧しい福祉政策下で、老齢人口は増大する一方だ。やがて街は年寄りのホームレスで膨れ上がるだろう。米国も日本もオーストラリアも法人税を控除し、個人の税金を重くする予算を通過させた。これから福祉はますます悪くなる。ケン ローチの怒りは切実な私達の怒りでもある。人が人としての尊厳をもって生きられないような社会は、一体誰のものなのか。


第2位:ホークシャーリッジ 
 
このオーストラリア人監督、メル ギブソンによって製作された映画の詳しい解説と評価は、2016年11月7日のブログに書いた。シドニーでは11月に封切られたが、日本では今年2月に公開された。第2次世界大戦の中でも、最も激しい戦闘が行われた沖縄戦で、良心的兵役拒否の思想から武器を持たずに参戦した青年デスモンド ドスが戦闘の最前線からたくさんの傷病兵を救い出したという実話を映画化した作品。
これほど戦場場面のリアリティを映像化した作品は他に無い。「プライベートライアンを探せ」のノルマンディ―上陸シーンもすごかったが、これをはるかに超える。シュッと手留弾が飛び地面に穴が開きその上をバラバラになった体の部分が落ちてくる。ブスッと撃ち込まれた銃弾によって腹に穴が開きみるみる銃創が開いて血が噴き出る。砲撃を受けて土が跳ね上がり体が宙に浮いて地面にたたきつけられたバラバラの手足。雨のように降って来る銃弾を避け仲間の死体の山を見るとネズミが肉を歯み、体中蛆で真っ白。メル ギブソンのリアリズムが半端でなく炸裂している。

良心的兵役拒否という思想は、日本社会では最も理解されにくい思想ではないか。社会の中で個人の存在が認められ、個人の思想信条が尊重されている成熟社会でなければ、起こり得ない。赤紙一枚で戦争に駆り立てられて、上官に従わなければ厳罰処理される。縦割り、垂直型の日本軍組織では、個人の思想信条の自由などという思想など全くあり得なかった。日本社会は、いつ成熟できるのか。日本の組織は、いつ民主化され、個人の人権を守るような組織に変われるのか。国際社会の中で日本はいつ大人になれるのか。

米軍の沖縄上陸後の地上戦で、連合国軍上陸部隊は7個師団、18万3000人。後方の兵を加えると54万8000人の大軍が沖縄を取り囲んでいた。一方日本軍は総勢11万6400人、沖縄出身の軍関係の死者2万8222人。一般住民の死者9万4000人。本土から来た軍関係者死者は、6万6000人足らず。記録されているだけでも800人もの非武装の沖縄住民が、「日本軍」によって殺されている。住民は自分たちの生活の場を奪われて、連合軍に包囲されたあと、戦闘の盾にされ、白旗を掲げて投降した婦女子は日本軍によって、後ろから撃たれて死んでいった。県民の4人に一人は沖縄戦の犠牲者だ。
生きて辱めを受けるなと、集団自決を強いた日本軍人達の非人間性は、どんなに糾弾してもし足りない。日本軍司令官牛島の腹切場面も映画に出てくるが、一般市民を守らない軍人のトップが卑怯にも一番先に死んで責任逃れをするとは何事か。こうした優れた反戦映画を見ると、いかに日本の組織には人権思想が欠如しているか、を思い知らされる。


第3位:ヒットラーの忘れもの  

4月16日にこの映画の解説と映評を書いた。デンマーク、ドイツ合作映画。1945年5月。終戦とともにデンマークに駐留していたドイツ軍兵は、敗戦とともに捕虜となり、ドイツ軍が埋めて行った200万個の地雷を撤去する作業を強制された.。その兵士たちの数、2000人。戦争末期に徴兵されたばかりの10代の子供の様なドイツ新兵14人が、サデイステイクなデンマーク軍軍曹に預けられて、地雷撤去作業に従事する。軍曹にとって14人の少年たちは母国を蹂躙した憎い敵だ。だが日が経つうちにいつしか軍曹と少年たちとの間には、父と子のような心の交流が生まれる。次々と少年たちが誤って地雷の爆発で死んでいく。ヒューマンで、強力な反戦映画。地雷を撤去し終わった砂浜を、思わずはしゃいで走り回る少年たちの姿が、空を舞う天使のように美しい。

第4位:ゴッホ最期の手紙  

11月25日にこの映画について詳しく書いた。世界中から立候補してきた5000人のプロの油絵画家から選ばれた、125人の画家が、ゴッホの色使いや筆のタッチを真似て、キャンバスに描いた6万5000枚の絵を、実際の役者の動きにあわせてモーションピクチャーとしてフイルム化した映画。とても美術的で、ゴッホの絵が沢山出て来て、その肖像画から人物が出てきて動き出す不思議な体験ができる。新しい映画の技法で、見ていて面白く興味が尽きない。ゴッホを堪能できて嬉しかった。


第5位:言の葉の庭    
今年の1月3日のブログで、この映画について書いた。これほど美しいアニメーションを他に観たことがない。新海誠による監督、制作された初期の彼のフイルムで、才能がほとばしっている。彼の作品「君の名は」が劇場で人気を呼んで注目されるようになったそうだが、この人の描くアニメーションの美しさは、ジブリにもデイズ二―にもピクサーにも他の誰にもまねできない。情感豊かで、自然を見る目が他の人にない繊細さで みごとに捕えられている。
この人が雨を描くと、自然描写が例えようもなく美しい。観ていて雨が匂ってくる。全身が雨を感じることができる。空が曇り、雨が落ちてくる。水滴が土に吸い込まれ土の香りが立ち込める。やがて水たまりが出来、その水面に鮮やかな緑が映える。雨が緑を生き返らせて草の匂いが立ち上って来る。天から次々と落ちてくる水滴が、街の騒音を消し、草や木の喜びの歌を奏でる。生き物すべてに命を与えるように雨に濡れて木々が息を吹き返すように、若い男女の傷ついた魂が再生する。これほど5感が呼び覚まされる映像は魔術を見るようだ。本当に本当に美しいアニメーション。忘れられない。