2018年6月11日月曜日

ウェスアンダーソンの映画「犬ヶ島」

原題:ISLE OF DOGS      
監督:ウェス アンダーソン
第68回ベルリン国際映画祭 銀熊賞受賞作品

102分という世界で一番長いストップモーションアニメーション。ギネスブックを更新した。犬や人などの、約900の登場キャラクターが全部、紙粘土で作られていて、それを表情や動きの変化ごとにストップモーションの技術でフイルム化し、編集された映画。一人の人間や犬に、200の異なった表情を持つフィギュアが、手造りされて、それをすこしずつ動かしながらフイルムに捕え編集されている。例えば、主人公小林アタリが笑いながら手を挙げるシーンならば、アタリの手の位置や、顔の表情を少しずつ動かすごとにフイルムを撮り、スムーズに動いているように編集する。根気のフイルム造り。
ウェス アンダーソンは、宮崎駿が、自分のアニメーションをすべて一枚一枚手書きで、描いてそれを編集して一本のフイルムを完成させることに心を動かされた人で、同じように自分もフギュアを一つ一つ動かしてはフイルムに録るストップモーションで作品を完成させた。
彼は日本贔屓で、黒澤明と宮崎駿を信奉している。震災と放射能被害で深く傷ついた日本人を心から応援したい、という気持ちでこの映画を製作したという。
彼はこのフイルムを完成するのに、4年余りの歳月を費やしている。

スト=リーは
20年後の日本。犬インフルエンザが蔓延した日本のウニ県メガ崎市では、小林市長が、犬の隔離政策を決断。犬ヶ島とよばれる、ゴミ廃棄場となった島に、すべての犬を放逐することを決めた。市長の養子、12歳の小林アタリには、生まれた時から忠実に用心棒を務めてくれたスポッツという犬がいた。市民に模範を示すため市長は、スポッツをいち早く、ゴミの島に送った。アタリは、迷わずスポッツを探すために、小型飛行機を操縦して島に到達する。そしてアタリは、島で出会ったチーフ、レックス、キング、ボス、デイユークという5匹の犬たちとともに、スポッツ探しの旅に出る。

一方、メガ崎市では、犬インフルエンザを研究していた渡辺研究所長が、すでにワクチンを開発していた。あとは実際の犬に使用してみるだけだ。ワクチンはインフルエンザを予防、治療することができるだろう。しかし、渡辺医師は市長の命令によって暗殺される。オノヨーコ助手は、それを嘆くだけで、圧倒的な権力を握る市長の前では無力だった。
小林市長はロボット犬製作企業と、グルになってすべての犬を、犬ヶ島で処分して、ロボット犬に挿げ替えるたくらみを進めていたのだった。犬は生きていれば病気もするし死ぬこともある。エサも必要だし、汚れもする。ロボット犬の方が良いに決まっている。小林市長は、ロボット犬企業から多額のわいろをもらっていたのだ。

アタリと5匹の犬たちは、処分されるところだったスポッツを見つけ、他の犬たちを助け出す。アタリがすっかり世話になったチーフを洗ってやると黒い犬だったチーフは、本当は白いテリア犬だった。話を整合してみると、何とチーフはスポッツの兄弟だったのだ。

アタリは犬たちを連れて市議会に行く。アタリの学校の生徒達も、インフルエンザワクチンをもって合流する。そこで、小林市長の汚職と横暴が暴露され、再び、犬たちは人々のもとに帰ることになった。
というお話。

映画のポスターは、AKIRAを描いた大友克洋だそうだ。
原作のISLE OF DOGS をアイルオブドッグス、アイルオブドッグスと繰り返して言っていると、アイラブ ドッグスと聞こえる。というように、これは愛犬家のお話だ。

サンフランシスコでは、この映画を見に来るのに犬を連れてきて良い、という試みがあった。沢山の家族が犬を連れて、映画を観た。当の犬が嬉しかったかどうかは、よくわからないけど、、、やっぱり。ウェス アンダーソンが紙粘土で作り、アルパカの毛を植毛した犬のフギュアに、本物の犬が仲間と同定したかどうかは、不明だし、、。

棄てられた犬たちがみんな立派な名札をつけている。犬は人類にとって最も古い友達だ。人の喜びを犬は理解しようといつも勤めて、いつも人の力になりたいと思っている。
映画で、チーフが素敵で恋をしそうだ。アタリを助けた5匹の犬のうち、チーフ以外はみな、飼い犬で以前は立派な主人を持っていた。素敵なご馳走を食べさせてくれた思い出を語り合っていたとき、みんながチーフに、「君はどんな物を食べてたの。」と聞くと、「イヤー、俺か?俺は主人なしの気ままな放浪だからよー。でも時には食べ残しのステーキとかが手に入ったよ。」と照れながら話す。豪胆なのにシャイ。それで、すごくセクシーな犬、ナツメグに出会った夜は、「アンタ、いつもこんな時間にここにいるのか?」とか、話し方もアプローチもハードボイルド、その男気が素敵だ。そんな彼が、黒い犬じゃなくて、実は白い犬で、本当は立派な血筋だったとわかったとき、青い大きな目から涙が零れ落ちる。このシーンで泣かなかった人、人じゃないよ。

ウェス アンダーソンは、いつもとてもアーテイーな映画を作る。
「グランド ブダベストホテル」では、カラフルなホテルと、美しい自然と山々の描き方など、美しい絵本を見ているようだった。しかし人間模様を描写すると、とたんに、人種差別、自然破壊、貧富差、階級社会などが、ちゃんと描かれていて、ともかく渋い。今回の映画でも、大企業と結託した政治家、権力者の腐敗、弱い者いじめ、環境汚染、放射能汚染、自然破壊などなど、簡単には解決できない現状の嘆きが、映像にしっかり織り込まれている。

犬たちの、痛めつけられても、強制隔離されても、殺されそうになっても、人を信じてまっすぐ立ち向かう姿には、魅せられてやまない。チーフの湖のように青い大きな目から、涙があふれて流れ落ちるシーンが、ぞっとするほど美しくて、心に残って忘れられない。

小林アタリの声優をやった13歳のコーユー ランキンは、良く日本語をこなしていて、ハンサムな子役なので、この映画で人気が出てテイーンの間でアイドルになっている。
スポッツの声優、リーブ シュレバーも、チーフのブラアイアン クランストンも、とても良い。ウェス アンダーソンが大好きな、偏屈大物役者ビル マーレイがボスの声優をやっている。ナツメグのスカーレット ヨハンソンも、とても上手だ。渡辺医師の助手オノヨーコが名前通り本人がやっていた。
和太鼓が鳴り、クロサワの「7人の侍」の曲も使われていた。アタリの、「なにゆえに、人類の友、春に散る花」とかいう俳句とも和歌ともいえない歌が、メガ崎市議会の流れを変えるところでは思わず笑ってしまったが、太鼓の音が、とても効果的に使われていて良かった。

世界一長いストップモーションアニメフイルム。670人のスタッフが、900の登場キャラクターを使い、4年かけて作られたフイルム。ウェス アンダーソンの独特な表現世界が好きな人も、嫌いな人も、犬が好きな人も、嫌いな人も、この映画観る価値がある。

2018年6月4日月曜日

村上春樹の「騎士団長殺し」

村上春樹の小説は、推理小説と同じだ。
読んでいるときが最高に愉快で楽しい。読みながら、この小説どうぞ終わらないで、と思わず願ってしまう。次には何が起こるのか、犯人は?読んでいる間中、音楽が鳴り響いている。読んでいて時を忘れて夢中になっている。でも読み終わってしまうと、もうすっかり行き止まりなんだから、がっがりだ。
村上春樹とは同世代。
だから作家の中では一番自分に身近に感じる。同じ時代の空気を吸い、同じ時代に学生だった。同級生の異性とは彼の小説に出てくるような生意気な会話をしていた。彼の作品は、ほぼ全部読んでいると思う。中でも一番好きなのは、「ねじまき鳥クロニクル」(1994)だ。彼の作品の多くは、2つの全然関係なく、時代背景も全然異なる話が、交差しながら進行する。「ークロニクル」でも日中戦争の話と、現代の若い夫婦の話が交互に語られる。そういった物語の展開の仕方が面白い。
又彼の作品は、視覚に訴える。登場人物が、どこのメーカーの、どんな服を着て、何年の何型の車を運転しているかが、まず語られる。人物の身にまとう装いや持ち物で、その人の個性も性格も趣味や、考え方や嗜好まで理解できてしまうのだ。
それと、音楽。彼の作品にはバックグランドミュージックがとても大事。音楽とともに読み進むと、一遍の映画を見ているように、彼の世界が開けてくる。とても完成度の高い映画だ。

ストーリーは
「わたし」は美大を出た後、肖像画家としてそこそこの収入を得て6年間、建築会社に勤める妻のユズと、子供はいないが平穏な生活をしてきた。しかし3月のある日曜日、突然ユズから別れてもらいたいと宣告される。「わたし」は、ユズに男が居たことを知って、着替えとスケッチブックを持って家を出る。意味もなく北に向かい、北の街々を転々とするうちに数か月後、車を乗り潰した末、美大で一緒だった友人の力を借りて小田原郊外の山の上に立つ家を借りて住むことになる。その家は日本画家として高名だが、今は90歳を超えて老人ホームに移った、雨田具彦のアトリエだった。「わたし」は、週に2度、街に下りて行き、絵画教室で絵を教える。ある日アトリエの屋根裏で、厳重に梱包されている雨田具彦の絵を発見する。それは「騎士団長殺し」というタイトルで、若い男に騎士団長が刀で殺される血なま臭く激しい暴力に満ちた、およそ雨田具彦の他の作品とはかけ離れた絵だった。作品を目にしてから不思議なことが起こり始める。夜中に山の奥から鈴が鳴り出して眠れなくなった。

同じころ、山の上のアトリエから向かいの丘の上に立つ大きな屋敷の主、免色渉から肖像画を注文される。「わたし」は、雨田宣彦が厳重に梱包して封印してあった騎士団長殺しの絵を目にして以来、作風が変わり魂を吹き込むように抽象化した免色の肖像画を完成させる。免色とは徐々に親しくなり、深夜二人で、鈴が鳴る山に入り、古い祠の横に重なった石を取り除き不思議な穴を見つける。その中には古代の鈴があった。「わたし」が鈴を持って家に帰ると、雨田具彦が描いた絵の中の騎士団長が現れ、自分はイデアだという。見える人にしか見えない60センチばかりの姿をしている。

一方、免色は「わたし」に、丘を隔てた自分の屋敷の真正面に住む14歳の秋川まりえの肖像画を描いてほしいと依頼する。この娘は「わたし」が週2回教えに行っている絵画教室の生徒だ。免色は秋川まりえが自分の娘ではないかと思っている。まりえの母親は早死して父親とその母親代わりの叔母と住んでいる。娘を見守るために免色は秋川家の向かいの丘に建つ家を買い、毎日精度の高い軍用望遠鏡で娘を遠くから見て居たが、今はまりえの肖像画を手に入れたがっている。「わたし」は乗り気ではないが、何も知らないまりえ本人は、聞いてみると意外にもモデルになることを望んで、叔母と一緒に「わたし」のアトリエに通って来るようになる。そこで免色と叔母とまりえは出会い、自然と叔母と免色とは交際するようになる。

しかしまりえは突然姿を消す。動転する免色とまりえの家族をよそに、「わたし」は騎士団長に言われるように、まりえを取り戻すために、どうしても雨田具彦に会わなければならないと思って、彼のいる伊豆の老人ホームを訪ねる。雨田を前に騎士団長は彼が描いたとおりに騎士団長を刺殺さなければならないと言い、「わたし」はその通りにする。気が付いたら「わたし」は伊豆の老人ホームからワープして、小田原の山の中の穴に居た。暗闇の穴の中で鈴を鳴らして助けを求めている内、免色によって助け出される。まりえは3日して家に戻ってきたという。3日間の記憶はない。「わたし」は4日後に、不思議な通路を通った末、免色によって救出された。まりえは邪悪な力から騎士団長によって助けられたという。

「わたし」とまりえは雨田具彦の騎士団長殺しの絵を厳重に梱包して、誰の目にも触れないように屋根裏に隠す。まりえの肖像画は完成しなかった。完成させてはならない、危険を孕んでいる。しかし「わたし」とまりえとで、メタファーは封印できた。
免色はまりえの叔母と親しく交際するようになった。彼らは結婚して、まりえと一緒に暮らすことになるかもしれない。やがて、アトリエは、どこからか火事が起きて、絵とともに焼け落ちる。絵とともにいったん開かれた狂気の輪は、封印されて焼き落ちた。
「わたし」はユズと再び暮らすことにした。別れていた間にユズは別の男の子供を産んだ。その子供を「わたし」は心から愛している。その子供は他の男の子かもしれないし、「わたし」の子供かも知れない。誰の子供であってもそんなことは些細なことに過ぎない。 
というおはなし。

登場人物が絵のように明確に見えてくる。
「わたし」は、205ハッチバックの赤いプジョーを乗り潰し、いまはパウダーブルーの中古トヨタカローラワゴンを運転する。で、着ているのは、仕事用の白い絵の具のシミが付いて、ところどころほつれた丸首のグリーンのセーター、派手なオレンジ色のダウンジャケット、ブルージーンズにワークブーツ、古い毛糸の帽子を被った36歳。

免色渉は54歳白髪で、銀色のジャガー最新のクーペを運転し、あるときは淡いグリーンのカーデガン、クリーム色のシャツ、グレーのウールのズボン。またあるときは、白いボタンダウンシャツの上に細かい上品な柄の入ったウールのベスト、青みが買ったグレーのツイードジャケット、淡い辛子色のチノパンツに茶色にスエード靴。何という趣味の良さ!

秋川まりえはスタジオジャンパーに’ヨットパーカー、穴の開いたブルージーンズ、コンバースの紺色のスニーカーといういでたちの14歳、無口で気難しい女の子。

叔母の秋川笙子は、兄の買ったブルーのトヨタプリウスをいやいや運転していて、丈の長い濃いグレーのヘリボーンのジャケットに淡いグレーのウールのスカート、模様の入ったストッキング、首にはミッソーニのカラフルなスカーフ、という淑女なわけだ。

こういった愛すべき登場人物たちが、古典音楽とオペラが鳴り響くアトリエで、ウイスキーを傾けたり、コーヒーを飲んだりしているときに、絵の中の騎士団長や、白いスバルフォーレスタに乗る邪悪な男や、メタファーな顔長や、ドンジョバンニが出て来て、山の奥からは不吉な鈴の音が鳴り響く。映画のように、視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚が存分に刺激される。読んでいるときが最高に楽しい。いつまでも読んでいたくなる。読んでいて、プッチーニの「トーランドット」や、「ラ、ボエーム」、モーツアルトの「ドン ジョバンニ」が聴こえてくるが、一番繰り返し繰り返し聴こえてくるのは、リチャード シュトラウスの「薔薇の騎士」だ。このドイツ語の複雑で難解な音階が何度も聴こえてくる。


そんなとき「わたし」は、「毎朝ラジオの7時のニュースに耳を傾けることを生活の一部にしていた。たとえば地球が今まさに破滅状態の淵にあるというのに、わたしだけがそれを知らないでいるとなれば、それはやはり少し困ったことになるかもしれない。朝食を済ませ、地球がそれなりの問題を抱えながらも、まだ律儀に回転を続けていることをとりあえず確認してから、コーヒーを入れたマグカップを手にスタジオに入った。」というわけだ。雨田具彦の絵を見た「わたし」にはイデア(観念)が見える。まりえにもイデアが見える。しかし絵を見ていない免色には、イデアが見えない。イデアが刺殺されたことによって、メタファーの扉が明けられる。メタファーは邪悪でもあり、女を絞め殺しそうになった自分でもあり、騎士団長を若い男が殺したときの証人でもあり、画家「わたし」そのものでもある。

免色には魅了される。彼は誰とも結婚しないと決めていた。彼には結婚や仕事の為の社交や、人と競走して商売に奔走することは、彼の美学からは外れるのでしない。でも年を取り、昔愛した女が激しい一夜を共にした後、去って行き、その9か月後に娘を産んで死んだと聞くと、それが自分の娘に違いないと思い込み、娘の住む家を毎晩軍用望遠鏡で覗き見ることが生きがいになってしまう、「華麗なるギャツビー」的メランコリーな哀しさが漂ってくる。男にとって子供との絆って、こんなにも儚いものだ。

一方「わたし」にも他の男の子を産んだユズを、未だに「ユズのことを忘れなくちゃいけないと思っても心がくっついたまま離れない。他の女と寝ていてもその女とぼくとの間にはユズがいる。」そんなわけだからムロと言う名の女の子は、自分の子供かもしれないし、自分の子供でないかもしれない。でもそんなことは些細なことだ。と言い切ってしまう「わたし」はムロを心から愛している。

免色の秋川まりえへの愛と、わたしのムロへの愛は同じ愛だ。どちらも生物学的に自分の娘ではない。しかし免色はまりえが自分の娘だと確信しているし、わたしは自分が深く愛している娘の血が誰の血であっても、そんなことは些細な事だと思っている。ふたりの父親としての愛は、無償の愛。見返りを求めない愛。騎士団長はイエスかもしれないし、まりえはマリアかもしれない。

2018年5月21日月曜日

映画「レッド タートル」

オーストラリアには、NITVというテレビチャンネルがある。
すべて先住民族であるアボリジニ、トーレス諸島出身の人々によるチャンネルで、普通の公営、民間のテレビチャンネルと同じように、一日中番組を提供している。アボリジニの人口がオーストラリア総人口の1%強であることを考えれば、フイルム編集や、番組制作だけでなく、アナウンサーもニュース解説者もコメンテイターも全部彼らによって運営されていることは、実に偉大なことではないだろうか。

ちなみにオーストラリアには、公営チャンネルとしては、日本のNHKに当たるABCがあり、加えて英語以外の言語を使う人々にためのSBS(SPECIAL BROADCASTING SERVICE)というチャンネルがあり、前夜のNHKニュースを朝5時半に放映したり、マンダリン、カントニーズ、コリア、ターキー、ロシア、フランス、スペイン、ドイツなどのニュースをそれぞれの言語で放映している。それに、最初に述べたNITV(NATIONAL INDIGENOUS TV)  が加わって、合計3つのチャンネルを公営放送が持っている。他に、3つの民間放送があって、朝からアメリカのTVショーを真似て、ニュースショーをやって、人気者の男女が面白おかしくゴシップを垂れ流したり、素人ののど自慢合戦を企画したり、フットボールなどのスポーツ実況放送をしている。

オットが歩くことができなくなって施設に入ってから、夜はテイクアウェイのチキンか冷凍ピザにビールという変化の乏しい夕食を、SBSのニュースと、ABCの天気予報を見ながら食べる習慣になって久しいが、最近はそのあとにNITVを見るようになった。アボリジニーの人々による監督、製作、出演によるドラマが、骨太で、深刻な社会問題を扱った内容が多くて、見所がある。歌の番組も驚くほど豊かな音質と音感で、素晴らしい。そんなふうにして、夕食のあと何気なくNITVを見ていたら、アニメ映画の「レッド タートル」を、ノンカットで放映してくれた。ずっと見たかった映画なので、とても嬉しかった。
スタジオジブリが、フランスとベルギーのアニメ会社と合同合作で作ったアニメーションフイルムだ。高畑勲が、アーテイストプロデューサーとして製作に関わっている。

監督: マイケル デュドック ド ヴィット
制作: 鈴木敏夫、ヴァンサン マラヴァル、パスカル コシュトウ、
    グレゴワール ソレラ、ベアトリス モーデュイ
製作会社:スタジオ ジブリ
     プリマ リネア プロダクション(フランス)
     ベルビジョン(ベルギー)
公開: 2016年5月

この作品は、スタジオジブリにとっては、初めての国外との共同制作による作品。第89回(2016)アカデミー賞アニメ部門ベストアニメフイルム候補作。2016年カンヌ国際フイルム祭で、視点部門特別賞受賞。
総監督を務めたマイケル デユドク ド ヴィットは、スタジオジブリ本社のある東京都小金井市に一時転居して、じっくり腰をすえてジブリの面々とシナリオと絵コンテを完成させて、高畑勲らの同意を受けてから、フランスに戻って本格的な製作に着手したという。彼は「人間性を含めた自然の深い敬意、そして平和を思う歓声と生命の無限への畏敬の念を伝えたい。」と語っている。

ストーリーは
男が乗っていた船が難破し、漂流した末、無人島に流れ着く。男は島に湖を見つけて渇きを癒し、木に登り果実を取って飢えをしのぐ。やがて枯れ木を集めて筏を作り、島から脱出しようとする。しかし、やっと海洋に出たと思うと、筏が何かにぶつかって壊れてまた元いた島に泳ぎ着く。再び、今度は強化した筏で海洋に出るが、筏が何か障害物に当たって壊れてしまう。3度目に男が筏を組んで海洋に出て、筏がまた壊されたとき、男は赤い大きな亀を見つける。男は悔しさと怒りで一杯になって浜に上がって来た亀をひっくり返して灼熱の太陽で焦がして死なせてしまう。
しかし驚いたことに、翌日亀の甲羅のなかには美しい女が眠っていた。男は女に水を飲ませて世話を焼く。女は目を覚まし、やがて二人は恋に陥る。男はもう島を脱出することを考えない。二人は仲好く島で暮らして、元気な男の子が生まれる。男の子は泳ぎも潜水も上手で、大きな亀たちを友達にして成長する。年月が経ち、男の子は一人前になって、外の世界に出て行く。そして、男は年を取り、女に看取られて静かに死んでいく。女は愛する男を亡くしてひとり、海に帰っていく。その姿は大きな赤い亀にもどっていた。
というおはなし。

台詞もナレーションも全くない。あるのは、波の音。波がぶつかり、弾けて水しぶきが上がり、水の泡が砕ける。鳥たちがさえずり、木々が風にゆられ、枝がぶつかり、こすり合い、木の実が落ち、草草がざわめく。男の砂を踏む音。女の髪が揺れる音。子供が岩を走る音。男の溜息。ひそやかな女の足音。
海に沈んでいく太陽が眩しい。美しい画面が詩になっている。

女が自分の体を包んでいた亀の甲羅を海に流しに行く後ろ姿を、男が観ている。しばらくして波の間から女が、砂地に居る男を見つめる。男は、はっと気が付いて自分が着ていた、たった一枚のシャツを脱いで、波打ち際において、島の奥に入っていく。次の画面では、シャツを着た女が、陸に上がり男の後をたどっていく。このシーンが好きだ。男の、ほのかな羞恥心と、期待と、ジェントルマンシップ。とてもやさしい男なのだ。

ジブリのアニメ―ションには、いつも元気で正しいことをする女の子が出てくる。このお話も、赤い亀が男に片思いするところから始まる。赤い亀は男に恋をして、男が島を出て行って、遠くの人間社会に帰って欲しくなかった。だから彼が筏で島を脱出しようとするたびに、筏に体当たりをくらわせて、男を引き留めた。そして自分の思い通りに男の愛を受け、幸せな夫婦になり、自分が愛した男を最後まで看取って、自分の思いを遂げた。強い意志を持った女なのだ。ここまで自己完結した完璧な人生を、彼女は自分で選んで、そして生きたのだ。幸せ者と言わずに何と言おうか。
このフイルムを見た人は、みんな幸せな、優しい気持ちになることだろう。それがスタジオジブリのマジックだ。


2018年5月3日木曜日

日本帰国休暇 その1

10日ほど日本に帰って休暇を過ごしてきた。
長女と次女とその6歳と8歳の子供達、総勢5人の旅行だった。旅の目的はマゴたちに日本を好きになってもらうことだ。学校はイースターホリデイで休みだし。
異国で日本語を学び、身につけることは至難の業だ。子供達は、普通の小学校を英語で学び、友達や両親と英語で会話する。そんな生活の中で、学校のない土曜日は、といえばサッカー、ラグビーやサーフィンで、学校に居るあいだは解きほぐせなかった体と心を全開放して、のびのびするために過ごす。そんなせっかくの土曜日を日本語土曜学校の狭い校舎で堅苦しい日本の先生の言う通りにするなんて、誰が嬉しいか。

週に一度、土曜半日の日本語学習でどれだけ異国育ちの子供達が、日本語を習得できるか、それぞれの家庭によって大きく差が出る。日本人夫婦の子供で、親が熱心に土曜校で学ぶ内容を家でも反復して学習させる家庭では、ある程度成功するだろうが、大多数の子供達はダブルと呼ばれる子供達だ。土曜日の朝、青空グランドと海がまってるぜい、と親に言われて、「いえ、ぼくは土曜学校で漢字の書き取りをします、」と答えられる子供は稀有な存在だろう。
それでも、マゴたちが「おばあちゃん、だいすき。」と、日本語で言ってくれる時の喜びは何にも代えがたい。少しでも日本語に親しんでくれて、日本を好きになって欲しい、そんな気持ちを込めて、マゴたちを連れて日本旅行してきた。
9泊10日、前半は上野、後半は船橋駅にできたばかりの駅ビルホテルに滞在した。

到着翌日から上野科学博物館、三鷹のジブリ博物館、浅草界隈、上野動物園、千葉のマザー牧場、鹿野山イチゴ摘みツアー、大内家家族の集まりと父の7回忌、デイズ二―ランドと、一日としてスケジュールに追われない日はなく、忙しい詰め込みの日程だったが、計画通りに過ごした。子供たちはこれだけ詰め込まれても、少しでも時間が空くと、ホテルを抜け出して近所の公園で走り回っていた。大人たちが付いていくのに、ヨレヨレだったが。それは、とても嬉しい計画外のことだった。

私も時間を作って夜ホテルを抜け出して、昔の友達と会った。
33年間海外で暮らした。沖縄を独立国と考えると、36年間異国暮らしだったことになる。日本に残る友達は少ない。甥も姪も結婚式に出ていないから、記憶は子供の時のままだ。だが父の7回忌で、今回、初めて甥や姪のパートナーや子供達に会うことができた。

昔の友達で会えたのは、沖縄時代からの古い友達、30年ぶりの再会。彼女は半世紀前JALのフライトアテンダンスだったので、横浜のJALのホテルを取ってくれた。彼女に懐石料理をご馳走のなったあと、二人でスーマーのライブを聴きに行った。スーマーはいつも変わらず、マイクなしで声が届く小さな店で、自作の歌の数々を聞かせてくれる。オットのブルースが元気だった時から。帰国ごとにスーマーのライブを聴きながら、そこで懐かしい人々と会うことが習慣になっていたが、今回は場所が横浜だたので、声を掛けられなくて、会えなかった方々もあった。でもスーマーの人柄、あたたかさ、彼の歌う世界が私は大好きだ。ライブの後夜明けまで、ホテルで友人とのおしゃべりは続いた。それでも6時には、シャキっと起き上がり身支度を始める友人を、こころから尊敬。フライトアテンダンスのときからの彼女のプロの姿勢には脱帽した。

帰国ごとに必ず会う山田修氏は、10年間フィリピンで暮らしていた時からの友人。彼は 岩波書店の雑誌「世界」を頼みもしないのに、几帳面に、毎月毎月シドニーの私のところに送ってくださっている。私と日本とをつなぐものは、毎月送られてくる「世界」だけといっても良い。   
アートギャラリーを主宰する大学の先輩が友人を連れて根津の割烹から呼んでくれた。この友人とは半世紀ぶりの再会。化粧をしたこともなかった18歳の一年生が、いまどう化粧しても隠し切れない衰えた姿になっても、むかしのようにアコちゃんアコちゃんと呼んでくれて、心からもてなしてくれることが嬉しい。
最後の日に中学高校と同級生だった女友達と夕食を共にした。穏やかな方で、人の為に何かをしてあげることが大好きなので、いつも何かをしてもらいたい晩年の父が。いつも甘えて頼りにしていた。元気で再会できることが、この年になるととても嬉しい。
10日間の短い滞在に合わせて、時間を作ってくださった方々には、本当にありがたい思いで、感謝の言葉もない。で、、、、マゴたちの日本語は上達したか、というと、、、そこがなんとも、もごもご、、、、、。






日本帰国休暇  その2 奇跡みたいな再会

倍音ケイイチさんに初めて会ったのは、20年くらい前かしら、シドニーのクリニックの待合室だった。彼は交通事故で膝を痛め、膝はとても悪い状態だった。交通事故は、高速道路で100キロ以上のスピードで前を走る車が、突然スピードを落としUターンするという、あり得ないような相手の違法行為の結果だった。弁護士を雇わないまでも、医療費も慰謝料も当然取れる状況でありながら、ビザの期限が切れるため、彼は痛む膝を抱えながら帰国しなければならなかった。シドニーで医療通訳をしていて、こんな時ほど限界と無力感を感じることはない。ワーキングホリデイで来ている沢山の青年達が、同じような目に遭っている。正義よりも、法律よりも「ビザ」のパワーは強い。ビザは人を殺すことも生かすこともできるのだ。

始めて会った時から、ケイイチさんはどこから見ても魅力的な人で惹き込まれた。長身で、知的な広い額、ベトナムの地染めシャツとダブダブパンツに、網を編んで原石を入れた手造りネックレスをしていた。ドクターの診察を待つ間、ビョーンビョーンと唇に当ててリズムを刻む、ジュィシュハープの音の出し方を教えてもらった。

彼は一旦帰国して、数年後に訪ねて来てくれたときは、ベトナムから手織りの美しい布を持ってきてくれた。50センチ四方の布は、信じられないほど細かい手織り模様が織り込まれており、これは織った人の家の歴史が物語になって織ってあるとのことだった。

彼は、ベトナム、ネパール、インド、中国各地で音楽活動をするとともに、帰国しては珍しい楽器を集めて、都内で「謎の楽器」を紹介したり、ジュ―イシュハープを売ったりしていた。いくつもいただいた彼のCDは、パッケージが芸術作品のように美しい。今は福岡を拠点に、音楽活動をしている。

このケイイチさんは、福岡に居るはずだったから、私が10日間帰国していても、日本で会えるわけがなかった。それが、シドニーに帰るために空港に向かう電車の中で、彼が目の前に居たのだった。奇跡みたいな再会。彼の元気な姿をみて、どんなに嬉しかったことか。東京でライブをして、福岡に帰るところだった。
いただいたベトナムの布の上には、オスカーの骨壺が乗っている、と 言ったら、「ああ、オスカー」と、憶えていてくれた。8年前に死んだ愛猫。オスカーは人見知りせず訪ねてくる人にはいつも愛嬌を振りまいていた。8歳のときにうちに来て、17歳で死んだ。ケイイチさんのくれた貴重な文化財、ベトナムの家族が何か月もかけて手織りしてくれた布の上で骨になって、居間にいる私を見下ろしている。

画像に含まれている可能性があるもの:倍音 ケイイチさん、演奏、オンステージ
ケイイチさんは同じ日、福岡に帰って音楽活動を続けている。この20年間で私が日本にいる時間など、本当に僅かで、圭一さんも同じだろう。偶然に会えたと言うことは、本当に奇跡に近い。こんなふうにして、人は、会いたい人には、どっかでなにかが通じて会うことができる、ということがあるのかもしれない。
彼のライブの様子はFBでも、ユーチューブでも見られる。

2018年4月1日日曜日

アキ カウリスマキの新作「希望のかなた」

フィンランド映画
監督:アキ カウリスマキ
題名:TOIVON TUOLLA PUOLEN
英名:THE OTHER SIDE OF HOPE
邦題:希望のかなた           
キャスト
シェルワン ハジ: カーリド
サカリ ㇰオマネン: ヴィクストロム
イルツカ コイヴェラ:ドアマン
ジャン フーテイアイネン:コック
ヌップ ユイビュ : ウェイトレス

第67回ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞作。
日本でもフィンランド人映画監督、アキ カウリスマキのファンは多くは無いが、確実に居る。彼は今年で60歳。何度ハリウッドに招へいされても、鼻で笑って動ぜず、ヘルシンキで、頑なに自分の映画を製作している。英国のケン ローチと共通しているのは、社会の底辺に生きる労働者、失業者など、市井の人々に照明を当て、それらが現実社会で踏みにじられる姿を映し取りながらも、そのような人々の中にある本当の良心と強さを描き出して見せるところ。彼の作品には、一人として美男次女が出てこない。愛も恋も露出もない。泣いたりわめいたりするオーバーアクションや、いたずらに銃撃戦や効果音で恐怖感をあおったり興奮させられることもない。市井の人々が、黙々と働き、言葉数は少ないが、見つめ合い、理解し合う。その深さはとめどもなく深淵だ。

2012年5月3日に、このブログでアキ カウリスマキの映画「ル アーブルの靴磨き」を書いたので、今回読み直してみた。何年も前に観た映画なのに、一コマ一コマが思い出されて涙が止まらなかった。何て良い映画だったろう。あれから何百本もの映画を観て今日に至っているが、この映画ほど見た後、熱いもので胸が満たされ、人の幸せをひざまずいて祈りたくなるような気持ちになった映画は、他に無かった。人の良心というものが、どれほどこの社会に無くてはならないものか。わかる者だけが良心に従い、わかるものだけ同士で小さな幸せを分かち合う。それはそれを圧倒的多数の人々や一般社会や社会機構の「良識」をはるかに超えたところにある。ほとんどの人には忘れられた本当の良心のありかを、アキ カウリスマキの助けを借りて、見つけられた人々は、わたしは幸せだと思う。                        

ストーリーは
ヘルシンキ。
港にトルコから石炭を積んできた貨物船が着く。
石炭のコンテナの中にかくれて全身を石炭のすすでまみれた男が埋まっている。この男カーリドは、シリアのアレポから爆撃で家族親族のすべてを失い、たった一人生き残った妹を連れて脱出してきた。トルコ、スロベニア、ハンガリーと難民としてドイツに向かう途中、ハンガリアでネオナチに襲われて暴力をふるわれているうち、妹と生き別れになってしまった。それ以降カーリドは、必死で妹を探して各国の難民キャンプや、難民の流れつく土地を探して回っている。トルコの港で再び、ギャングに襲われ逃げ込んだところが石炭のコンテナだった。石炭の行先がヘルシンキだったと知ったのは、コンテナを乗せた貨物船が到着した時だった。

カーリドは妹を自分一人で探し出すことは無理だと知って、ヘルシンキの警察に出頭して難民申請をする。申請をして難民審査を受ける間、フィンランド政府は妹を探し出してくれるかもしれない。難民収容所で、カーリドは、アフガニスタンから来た難民の友達ができた。彼はパスポートや最小限の荷物を持って国を出ることができたカーリドと違って、自分の身分を証明できる書類をもたずに国を追われたために、難民審査に時間がかかり、すでに何か月も収容所に居てフィンランド語も少し話すことができた。早く社会に出て仕事をしたいという彼はアフガニスタンでは看護師だった。カーリドは彼の持つ携帯電話を使って、アレポに残っている友人に妹の消息を聞くことができるようになった。

収容所で審査結果が出る。「シリアのアレポは、危険な戦場とは言えない。無宗教のカーリドに命の危険はなく、帰国して生活することができるので、難民とは認められない。」という予想はしていたが、冷酷なものだった。結果が出た以上、彼は難民ではなく不法移民扱いとなり、即座に強制帰国となる。朝早く警察が迎えに来る。
カールドは、何が何でも妹を見つけ出さなければならない。すべての家族が殺され、家長として妹を見つけ出し保護してやらなければならない。それができなければ、自分だけ生きていても仕方がない。彼は夢中で難民収容所から脱走する。ネオナチの襲撃から逃れ、警察から逃げ回り、そして、レストランの駐車場で、そのオーナーのヴィクストロムに出会って助けられる。

ヴィクストロムは、長い事ワイシャツのセールスマンをしてきて疲れきり、アルコール中毒寸前の妻との愛情も薄れ、妻と別れて家を出た。全財産を現金に換えて、高級秘密クラブのカジノに向かう。生きていてもツマラナイ。自分の人生など博打のようなものだった。とことんまで落ちて行ってみよう。
ところが捨身の彼はポーカーで運を掴み、たった一晩で全財産の数倍の現金を手に入れる。人生、棄てた物じゃないと言うことか。その足でビジネスアドバイザーに会い、勧めに従って売りに出ているレストランを買い取った。

レストランには、全然やる気のないコックと、ウェイトレスとドアマンが居た。前オーナーから給料未払いの災難に遭っていた3人の従業員は、そのままレストランに勤め続ける。慣れないレストラン経営をやってみてヴィクストロムは、余り収益が上がらないので、流行の寿司レストランに模様替えしてみるが、客が入らず、またミートボールを出すレストランとして営業を続行。彼は、駐車場で見つけたカールドを新たに雇用して、贋の労働許可証を偽造してやり、彼に寝食できる場を提供する。カールドは、エジプト人となり、名前を変えて、献身的にレストランで働きながら、妹を探す。

そんなある日、カールドは難民収容所で仲良くなった友達から、妹の居場所が分かったことを知らされる。妹はリトアニアの難民収容所に居る。一刻も早くそこから妹を助け出さなければ、二度と妹と会えなくなる。ヴィクストロムは、長距離運送トラックを雇って妹を収容所から探し出して、ヘルシンキまで’連れて帰る手配をする。港で妹を待ち構えるカーリド。遂にヴィクストロムのおかげで、カーリドは妹と再会することができた。これからは兄として妹を守ってヘルシンキで一生懸命妹のために生きて行きたい。

しかし妹は、エジプト人の名前で兄と生きることを望まない。しばらく会えないでいた内に、妹はすっかり自分の考えをもつ大人になっていた。彼女はシリア人として本当の自分の名前で、誇りをもって生きて行くと言い張る。その妹は明日、警察に出頭して難民申請をするという。おそらく兄同然、難民審査で難民認定は受けられないだろう。再びシリアに強制送還されて死んでいくのか。しかし、兄は妹の考えを変えることはできない。
その夜、カーリドは再びネオナチに襲われてナイフを腹に受け、深い傷を負う。

ヴィクストロムは、この夜、小さな店をやっていた元妻を訪ねる。妻は、「あなたが出て行った日から一滴もお酒を飲んでいないの。」という。その元妻にむかって彼は、「レストランの女マネージャーを探しているんだ。」と。二人は微笑み合う。

翌朝、ヴィクトロムはカーリドの部屋が、すっかり片付いているのを発見する。残された血痕。何があったのか。当のカーリドは、警察署の横で妹を待っていて、出頭する妹を抱きしめて、送り出す。港の見える公園。横になったカールドに、すっかり慣れた捨て犬が会いに来る。犬を抱きしめる、笑顔のカーリド。
というおはなし。

死んでいくカーリドには犬がそばにいてくれる。彼は妹のためにやるだけのことはやり、そして妹がもう自分のことを必要としていない、すっかり大人になったことを知って、満足して死んで行ける。
ヴィクストロムは、と言えば、昔の女房と再び何とかやっていけるだろう。無償の援助を、カーリドにし続けた彼の驚異的な親切心と、良心と、市民社会の一員としてのヒューマンな良識。援助を必要とする難民を保護しない冷酷な社会と、難民を襲うネオナチの不理屈。生きた人をシンナーをかけて火をつけ、ホットドッグといって面白がって殺すことができるネオナチという先進国にはびこる者たち。
それでも、それでも市井の人々が、名もなき市民が、金も権力も持たないごく普通の人々が、自分のできる範囲で困っている難民に当然のこととして手を差し伸べる社会のありように、アキ カウリスマキ監督は希望をつなげようとしている。

映画の中で、カールドは一度として笑わない。避難民としてどれだけの苦難を負って来たかが想像できる。彼は自分はどうでも良い。彼の使命は妹を探し出し自分の保護のもとに置くことだけだ。その日が来るまで、彼はヴィクストロムに拾われて、労働許可証が出て安心して寝食できるようになっても、友人とビールを飲んでも、好きな音楽を聴くことができても、決して笑顔をみせず一貫して無表情だ。
その彼が一度だけ笑顔を見せる。最後の最後、死んでいく自分に可愛がっていた犬が会いに来てくれた時だ。そのことが泣かせる。

妹も笑わない。兄という保護者を失い、少女ひとりリトアニアに避難民としてたどり着くまで、何があったか、どんな酷いことが続いたか、想像を超える。ヴィクストロムの援助で、やっと念願の兄に遭えたが彼女は笑わない。二人は堅く抱き合うだけだ。わたしたちは笑顔を忘れた難民たちの姿をみて、いかにシリアからヨーロッパに逃れた難民が厳しい旅路を経験したかを、考えてみることができるだけだ。

映画のあちこちで歌われる初老の男たちが歌うロックが良い。やっぱ、ロックは、くたびれたヨレヨレのおっさんが歌うのでなければね。カールドが、明日には強制送還になるという夜に、シリアの弦楽器を手にして、物に憑かれたように楽器をかき鳴らすシーンも、物悲しい。弦楽器は、魂の発露だ。言葉にならない魂が叫んでいる。

笑いのシーンも多い。ヴィクストルムが不器用な男だと言うことが良くわかって、笑い泣きさせてくれる。笑った後、ほろっと悲しくなるのだけれども。
だいたい寿司レストランを始めると言い出して、寿司の本を4-5冊買って、マネして寿司もどきを作って客に出す、などという無茶を他の誰が考えるか。
また、それなりに客の入るレストランといわれて、客にミートボールかサーデインかと注文を聞いて、サーデインの缶詰めとジャガイモの乗った皿を出すなんて!

戦禍を逃れてヨーロッパに流入する難民の立場は、受け入れ各国が厳しさを増す中、状況が困難になるばかりだ。2011年、この監督の作品「ル アーブルの靴磨き」は、ベトナム移民のチャンとともに靴磨きでその日その日を、カツカツの生活を送るマルセルは、ガボンから密航してきた少年のために、大金を作ってロンドンに居る母親のところまで見送ってやることができた。しかし、今回の2017年作の映画では、シリアからの難民カーリドの命を助けてやることができなかった。
しかし、ヴィクストロムは、人間としての良心をもって、これからも難民や困っている人々、無力な人々の力になるだろう。それが人間というものだ。
人の為に生き、初めて人は人となる。(トルストイ)
アキ カウリスマキの映画には、どんな状況にあっても人は人の良心のために勇気を奮い立たせることができる、そんなことを教えてくれる。

2018年3月22日木曜日

半世紀ぶりの再会:その2

    
   
三潴さんはかつて、中央線の新宿から立川までの間のすべての中高校の間では名を知らぬ者のいない強い喧嘩番長だった。
大学に入ってからはアジテーターで、他大学の行動隊長は、安保が悪い、米軍が悪い、を繰り返すだけだったが、彼のアジにはレーニンも、クレプスカヤも、サルトルもバクーニンも出て来て、内容が深かった。トルストイに傾倒していた私には彼のアジテーションは一遍の詩を聴くようでもあった。
学生大会で、全学ストライキを決行するかどうかの討議が夜まで長引いた。大学側はこのままではストライキが決行され前代未聞の不測の事態になるとして、会場を閉めて学生を解散させようともくろみ、体育会系学生を動員した。ホッケーのステイックや野球のバットを持った体育系学生が来て、時間切れで決議案が流れた。そのとき三潴さんは階段の踊り場に駆け上がり、「この大学には自由がないのか。」という後々まで伝説として語り継がれる演説をして、学生会館に残った学生たちを大泣きさせてくれた。

1967年8月米軍輸送車事故が起こった。新宿駅構内で、米軍燃料輸送列車に貨物列車が衝突、脱線、転覆してダンク車から漏れた燃料が引火して爆発した。現場周辺300メートルは火の海と化し炎は30メートルの高さまで上り、国電1100本、200万人の影響が出た。燃料はベトナム戦争でベトナム人を殺傷する航空機に使われていて、日本がベトナム戦争の兵站になっている事実を市民に知らしめた。翌年1968年、騒乱罪が発動されたが、新宿駅で米軍輸送車を止めようと、学生、労働者、市民が集まりデモをしたのは、自然の流れだった。
その翌月にデモで逮捕された。米軍が毎日北爆で同じアジア人のベトナムの婦女子を殺している最中、アメリカ大使館に石を投げたくらいのことで、18歳の女の子をしょっぴくとは、と今でも腹立たしい。菊谷橋警察署に留置されている間、警棒で殴られ足を骨折していたので歩けなかったが、雑居房にいた美少年が、いつも横についてくれて、毎朝の点呼で立てない時に肩を貸して支えてくれた。「どうして留置されているの」、と聞くと、「俺の女房に手出した奴をぶん殴ったから。」と言っていた。後で考えたら美少年って、変だよね。女子房なのに。あの美しい少年はレズビアンだったんだ。雑居房の他のおばさんたちは、売春で留置されていたらしい。というのは私もピーと、警官から面と向かって呼ばれていた。黙秘して名前がないから番号で呼ばれているのかと思っていたけど、ずっとあとで気が付いたのは、ピーとはプロステイチュート(売春婦)のことで、マルクス主義の女子学生は「人のものは自分のもの、自分のものは人のもの」と考える共産主義者で、誰とでも関係を持つからピーだ、という彼らの理論からくるものだったらしい。

そんなこんなで、いろいろあって、赤ヘルのブンドは、分派に分派を重ねて空中分解した。それでも三潴さんは、いつもお腹をすかしてやって来る私達に、しっかり飲ませ食べさせてくれる心強い先輩だった。可愛い後輩だったのは、彼の結婚までだ。そこから長い事、不通になっていた糸が、いま再びつながったことが嬉しい。

ところでビエンナーレだ。
忘れてしまわないうちに、忘備録として、ビエンナーレで印象的だった作品を書いておかないと。
ヤナギ ユキノリ
1)ICARUS CONTAINER (イカロスの器)2018年作
 巨大な貨物船に使う船荷に乗せるコンテナを何台も組み合わせて、長い迷路を作り、ところどころ鏡を使ってオブジェを置いたもの。三潴さんによると、この人はこのシリーズでデビューして高く評価されたのだそうだ。迷路は物質主義と、それを取り巻くネットワーク社会を示している。そこから飛び立って太陽に近ずき過ぎて海に落ちて死ぬイカロスとように、原子力技術を発展させた人類は、もう燃え尽きて滅びて行くことしかできない。

2)ABSOLUTE DUD 2016年作
鉄で作られた、ヒロシマに1945年8月6日に落とされたのと同じサイズの原子爆弾が天井からつるされている。
3)EYE 2018年作
薄暗い倉庫の中央に大きな目が吊るされていて、その目玉にヴィデオで原爆実験の様子画写る。裸眼で原爆が大きなキノコ雲になって、やがて水しぶきが上がる様子が捉えられる。

彼は、福岡生まれで広島で活動している1959年生まれの作家。
原子力のパワーによって生活を成り立たせてきた戦後日本の存在そのものを問いかけている。「EYE」がとても印象的で一度見ると忘れられない。原子爆弾は作られてからほとんど実験なしで日本で使われて、ヒロシマ、ナガサキが人体実験の場となった。その後も米国、ロシア、フランスなど各地で水爆実験が続けられ、人々は爆発する様子を裸眼で見せられて失明し、白血病で血を吐いて死んできた。大きく目開いた瞳に映る爆発のもようは、いま毎日この死の灰を含んだ雨に濡れ、飛散したストロンチウムを吸い込んで、セシウム入りの水を飲むわたしたちに通じる。ヒロシマが日本人の原点であること。ヒロシマなしに核問題は語れないことを強く再認識させられる。

もうひとつ印象的だったのは、サムソン ヤング 1979年生まれホンコン出身の人。
この人は絵描きでもなければ、写真家でもない。大学で哲学と作曲を学んだ人。「MUTED SITUATION」2014年作のシリーズもので、今回は「MUTED SITUATION TCHAIKOVSKY 5TH 2018作。三潴さんによると、このシリーズは日本の森美術館でも展示されていて、前に観たことがあるそうだ。ドイツ、ケルンのフローラシンフォニーオーケストラが、チャイコフスキー交響曲第5番を演奏しているフイルム。オーケストラメンバーは旋律を音を出して演奏することを止められている。それでいて熱演していて、演奏者は呼吸し、譜面をめくり、楽器が奏でる旋律ではない音、雑音を捕える。辛うじてどこを演奏しているかはパーカッションでわかる。
メロデイーがなくなり、人は45分間の交響曲で何を聴くのか。オーケストラメンバーは、何もなかったかのように指揮者をみながら演奏している。極限まで音を落とした状態で人が聞き取る雑音と呼ばれる音は一体何なのか。おもしろい。
とても哲学的な課題だ。

ヴァイオリンを子供の時から弾いてきた。ヴァイオリンが弦に弓が当たる時のカシャカシャいう雑音が、ものすごく気になった時期がある。オーケストラで弾いていて、チェロの弓を弾き返すとき、チェロ本体に弓の先が当たって不快音がでることがある。クラリネットやフレンチホーンが音を出す直前に、息が漏れる雑音も気になる。指揮者の呼吸音まで聞こえれば、腕を振り上げて動かす衣類がこすれる音まで聞き取れる。とくに、舞台では最初の一音が命だ。指揮者が指揮棒を振り上げて吸った息をちょっと止める、一瞬の呼吸音を、50人なら50人、100人近いときもあるオーケストラ団員全員が聴き分けて曲が始まる。一瞬の緊張の極、全員の集中力がオーケストラでは勝負となる。
若い作曲を勉強したアーチストが、これから音のないオーケストラ、楽譜のない交響曲をかかえて、これから何を見せてくれるのか、とても楽しみだ。

現代アートには説明が要するものが多い。ヤナギ ユキノリの「EYE] が、日本人の作品でなかったら感動しなかったかもしれない。サムソン ヤングが画家でなく、作曲家でなかったら心を動かされなかったかもしれない。どんな時代に生まれ、どんな生い立ちをして、何を学び、どんなメッセージを発して作品を創作したのか、説明なしで理解するのが難しい。
でも本当に心を奪われる感動というものは、どんな時代に生まれても、作家が有名であろうがなかろうが、何国人でどんな肌の色をしていようが、本人が何を言いたいのか、などなどといったものは、知る必要などなくて、ただ見て心が震えるものだ。

子供の時、母がカレンダーについてきたモジリアニの絵を額に入れて、居間に飾った。絵画の名も何も知らなかったが、いつまで見ていても見飽きない感動があった。
いやいやヴァイオリンを弾いていた子供だったとき、作曲家の名前も演奏家も知らないまま、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトを何度も繰り返し聴いていると、心が解放された。
初めてNSW州立美術館に行って、ゴッホの「ペザント」(百姓)を見て、何か溢れる気持ちが湧いてきてしばらく身動きができなかった。説明を要さない感動は時代や環境や国や文化を越えて心に訴える。
いずれ現代美術も、淘汰されて、良いものは古くなっていく。前衛は次の世代に乗り越えられていく。時を経て、選ばれた現代美術は古典美術と融合一体化していくのだろうか。

2018年3月21日水曜日

半世紀ぶり三潴末雄さんとの再会


          

初めて会ったときは17歳。大学に入ったばかりで、三潴さんは4年生だった。
「ねえ、次の日曜日デートしない?」と言われて、生まれて初めて口紅をつけて来たというのに、連れて行かれたのは砂川基地。頭の上をすれすれに飛んでいく軍用機の轟音と、新芽を出したばかりの青々しい茶畑と農家のおばあさん。そして砂川闘争で凶器準備集合罪で逮捕状の出ていた味岡さんとの出会い。
乾いた喉を潤すために水を飲むような自然さで、次の日には赤いヘルメットに角材を握っていた。

アートギャラリーを主宰している彼がシドニービエンナーレのために、シンガポールから香港に移動する途中で、シドニーに立ち寄ることになった。
1994年に自分のギャラリーを持ち、アジアから現代アートを創り出す若手アーテイストを育成、発掘、紹介している。彼は自著「アートにとって価値とは何か」で、「鹿児島市の美術館に行けばモネの睡蓮やピカソの青の時代の作品を見ることができる。札幌市の近代美術館には印象派やモダンの時代の作品がコレクションされている。---日本の美術館がいかに西洋由来のアートのコレクションに大枚をはたいてきたかか一目瞭然でもある。」ではなぜ彼が「苦労を金で買いに行くような厳しい内容で、事業としての成功の展望」のないギャラリーを続けているかというと、「日本の現代アートは間違いなく日本の文化なのに、これを美術館が支えなくて一体誰が支えてくれるというのだろうか。」という動機で、ギャラリストとして活動されてる。

彼は、現代アーテイストの草間彌生、オノヨーコ、村上隆など、やっと日本でも僅かながら評価されてきた現代美術の前衛作家達を高く評価しつつ、若い芸術家たち、会田誠、山口晃、小沢剛、天明屋尚、近藤聰乃、奈良美智、鴻池朋子、山本竜己基、池田学、宮永愛子、ベトナムのジュン グエン ハツシバ、CHIN PON、猪子寿之のチームラボなど、たくさんの芸術家たちを発掘、デビューさせてきた。

2007年北京オリンピックの前には、アイウェイウェイの設計によるギャラリーを、北京で開設したが、アイウェイウェイの突然の逮捕、政府当局の介入によりギャラリーは、2014年にいったん閉鎖された。2012年にはシンガポール、ギルマンバラックスで、ギャラリーを開設。香港とジャカルタに若い芸術家たちが集まって刺激を与えあう場、としての「レジデンス」を開設している。東京の市ヶ谷にあるギャラリー、シンガポール、香港、ジャカルタ、ニューヨーク、ロンドンと、一年の200日は外国という忙しさの中で、さらに活躍幅を広げて、若い作家たちと「ニューヨークでも暴れてみたい。」と言っている。ニューヨークで新しいギャラリーが立ちあがる日が待ち遠しい。

NSW州立美術館に、ジーンズとスニーカーで現れた長身の三潴さんは、ニューヨークからシンガポール、そしてシドニーから再びシンガポール、香港へと移動している最中とは思えないほど元気で、まるでシドニーに住んでいるわけではないのに、23年間住んでいる私よりも身軽に、美術館の中を自分の家のように歩いていた。足早にビエンナーレの作品をみながら解説してもらう。世界各地で現代美術を見て回り若い芸術家を育成し、大学の講師を務め、高校生の進路講習会で語り、様々な芸術家達と交流を図る、超多忙な人から作品の説明を聞くことができるなんて、なんて贅沢なの。

どうしてキャンバスに黒い絵の具で塗りつぶしただけの絵が絵なのか、現代美術って自分にとって意味のある作品を作っているだけのくせに、他人に見てもらおうなんて自己満足すぎる、だいたい作品の背景から作家の生い立ち、作品を作った動機まで長い説明がないと全く理解できない作品にどうやって共感しろというのか。
日本の芸術って、くぎ一本使わずに建築された寺院や神殿、漆の器、古代織物、壊れた茶碗を金継ぎで再生するような伝統芸術や、骨とう品にこそ美が凝縮されているのではないか。そう思ってきたが、しかし「美術館は美術の墓場でしかない。」と言い切る若い人達の作り出すものはおもしろい。作品に共感はできなくても、おもしろいと感じ、若いエネルギーが感じられるだけで良い。

三潴さんと、NSW州立美術館、現代美術館、コカトゥー島を回って、300展示されているビエンナーレの作品の大半を早足で観た。何十キロ歩いたことか。尋常ではない長い一日。もう一か所、アートスペースという建物に設置されていたアイウェイウェイの「クリスタルボール」を、時間切れで一緒に見ることが出来なかったのが残念だった。
しかし70歳を超えて健脚な三潴さんに、ちゃんと付いて行けた自分の健脚も褒めてあげないと、、。彼は階段も手すりなしてサッサと上り下りする。50年前も、いつも三潴さんと歩くときは、長い足で大股で前を行く彼の歩調についていくために、私は息せき切って小走りでついていかなければならなかったのを、まざまざと思い出した。

大変興味深かったのは、コカトウー島の旧造船所は、昔海軍工廠があり軍艦を作っていたから、重器具、機材や、石炭発電所や立派な防空壕などがそのまま残っている。それを三潴さんが嬉しそうに写真に収めていたこと。展示されていたアート作品のほとんどを、写真にとらなかったというのに、アート作品の上、天井にそびえるクレーンや、さび付いて埃を被った造船のための機械をカメラに収めているので、「どうして」と聞くと、若い作家たちに見せるんだ、と。70年間、80年間と使われてきた機械が当時のまま埃を被っているが、これらの機械は油をさせばそのまま、まだ使える状態で歴史的な存在感を示している。それらの機械に囲まれた若い人々のアート作品は、比べると何てチャチなんだ。思い付きで作った作品など軽い、価値を見出せないものなんだ。ということを見せてやるんだ。と言っていた。
そうなの。三潴さんの言葉に発奮して、若いアーテイストが是非、50年先に生まれてくる人たちにとって価値を見出せるような作品を作っていって欲しい。

どうしても現代アートは反政府、反権力、反権威、反核、反戦に通じる。でも三潴さんは、「政治をやりたいヤツは立て看板を作れ。」とも言う。作品に政治的メッセージを込めることはできる。しかし、メッセージだけでは美術にならない、という意味の深い彼の提言なのだ。
初めて会ったときから51年ぶりに、やっと会えた大切な大切な人と一緒に、素晴らしい一日を過ごすことができた。


2018年3月17日土曜日

アイウェイウェイ「AI’S LAW OF THE JOURNEY」シドニービエンナーレにて



南半球の3月半ばといえば、秋の兆しが日々増してきて涼風さわやかと思いきや、シドニーは40度の暑さ。炎天下をシドニー湾に浮かぶ、コカトゥー島に行って、アイウェイウェイの作品「AI"S LAW OF THE  JOURNEY」(旅の掟)を見て来た。

巨大なゴム製の作品。長さ70メートルのゴム製のボートに、258人の巨大な難民が命を託している。アイウェイウェイの怒りが炸裂している。ライフジャケットを身に着けた人々に顔はない。恐怖も、飢餓も、悲哀も、憎しみも、怒りも顔に表せない。すべての感情を押し殺し、胸にとどめ、ただただ耐えている。ボートの行きつく先に希望があろうがなかろうが、国に留まり死を待つよりは少しでも可能性のあるボートに乗る。苦しくなる。観ていると、とても苦しくなる。建物を出れば、真っ青な空が広がっているというのに。平和そのものの美しい緑に囲まれた島。のんびりヨットが浮かぶシドニーの港。

コカトゥー島は、シドニー湾のフェリー発着所から小型フェリーで30分のところにあり、かつては、造船所、海軍工廠だった。そのもっと昔は刑務所、少年院、監獄として使われていたのでオーストラリアの囚人遺跡群として、世界遺産に登録されている。いまでも囚人たちが建設したレンガ造りの堅固な刑務所が丘の上に立ち、港には巨大な造船施設が残っていて、石炭による発電所から防空壕までそっくり残っている。フェリーは30分おきに発着し、キャンプに来ている小中学生や、ピクニックに来ている家族連れなどで、けっこう平日でも賑わっている。

アイウェイウェイの作品は、21回シドニービエンナーレのために出品された。ビエンナーレは、3月16日から6月11日まで。コカトウー島、NSW州立美術館、現代美術館、オペラハウス、アートスペース、アジア現代美術センターなどで、300以上の作品を見ることができる。今年ビエンナーレのキューレーター、総合芸術監督に抜擢されたのは日本人で、森美術館のチーフキューレーター片岡真実さん。アジア人として初めて監督に指名されたそうだ。作品を出品している作家の20%はオーストラリア人、アジア人が40%、欧米が40%だそうだ。      

「AI'S LAW OF THE JOURNEY」(旅の掟)は、2017年3月にチェコのプラハ国立美術館でいったん展示された。巨大な70メートルの長さのゴムボートに、難民が乗っている、この作品は世界中で起きている難民の流入を題材にしている。現在ベルリンに滞在している彼は、ギリシャのレスボス島に渡って来る難民がトルコからヨーロッパに移動しようとして途中で命を落とす現場を見て、居たたまれず作品を作った。この作品によって「ぼくは誰も責めてない。芸術家の自分としてできることをしているだけだ。」と言う。
彼の視点の原点は、「人類は一つ」そして、「私たちはすべての境界を失くし同じ価値を共有し、自分以外の人々との苦悩や悲劇をはじめとする様々な苦難に関わるべきだ。」という信念にある。

彼が2017年、23か国の難民を撮影したドキュメンタリーフイルム「ヒューマンフロー」もこのビエンナーレでみることができる。アフガニスタン、パキスタン、タイ、トルコ、イラク、パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダン、イスラエル、ハンガリー、セルビア、ギリシャ、ケニア、イタリア、フランス、ドイツ、スイス、アメリア、メキシコの国々で起きている人々の移動、戦火に追われ国を捨てて逃れてくる、6500万人の人々を映像に捉えた作品だ。彼は「民主的ないわゆる自由世界に暮らす恵まれた人々があまりにも人間の苦しみに無関心なこと。これは難民の問題ではない。人間の危機であり、助けることができるのに助けようとしない人々の危機だ。」と批判している。
                     
2017年8月―11月に横浜トリエンナーレでも彼のこのフイルムが上映され、会場の横浜美術館の入り口は、難民の命綱となった800のライフジャケットが展示され、美術館の外壁には14艘の救命ボートが展示されたそうだ。トリエンナーレを見に来た人は、いやおうなくアイウェイウェイのライフジャケットと救命ボートを潜り抜けなければ会場には入れなかったわけだ。
彼は2011年中国当局から、81日間拘束を受け、パスポートを没収されて4年間海外に出られなかった。子供の時、反体制派の詩人だった父親のために家族全員が、文化革命時、18年ものあいだ強制労働に従事させられた。彼の反骨精神は筋金入りだ。
 
ニュースでは毎日のように、アフリカから国を追われて脱出してきた人々のボートが転覆して40人亡くなりました、50人亡くなりましたと報道され、僧衣を着た仏教徒がロヒンジャの母子に襲い掛かかり、家に火を放つ。イラク、アフガニスタンから逃げてトルコに流入する人々、アメリカとメキシコ国境で銃をもつ国境警備隊。気が狂いそうになる。
難民を受け入れたために苦境に立つドイツのアンゲラ メルケルに対して、フランスの極右マリーヌルペン、オランダのヘルト ウィルダースなど、ヨーロッパとアメリカではポピュリズムが広範に勢力を伸ばした。難民の流入のために、自分たちの国の伝統が壊され、仕事を奪われ、生活が苦しくなり、治安も悪くなったという、ポピュリズムの妖怪が世界を跋扈している。
そうではない。グローバル競争の激化、ひたすら市場価値を求め、投機的な資本主義のマネーゲームが富んだ者を肥え太らせて、貧者との格差を広げているのだ。

難民問題は、ヒューマニテイーだけでは語れない。しかし国境などに縛られない、空を自由に飛ぶアイウェイウェイのような芸術家にとっては、共産主義国も資本主義国も、難民を見殺しにしているという意味では全く同じ、犯罪国家に過ぎない。まだ60歳のアイウェイウェイ、これからも発言し続けることだろう。頼もしい。

写真はコカトゥ島

2018年3月11日日曜日

15世紀のタペストリー「貴婦人と一角獣」を観る







1484年から1500年の間にフランドルで制作されたと言われている「貴婦人と一角獣」のタペストリーを観に、NSW州立美術館に行ってきた。
フランスの国宝だそうで、「中世のモナリザ」といわれている。フランスのカルチェラタンにあるクリュニー中世美術館の所蔵品で、ニューヨークメトロポリタン美術館に一度、2013年に日本に一度貸し出されただけで海外では展示しないと言われていたが、クリュニー中世美術館改装中の間、オーストラリアに貸し出されることになった。2月から6月24日まで。このタペストリーは、男装の作家ジョルジュ サンドが自分の小説の中で絶賛したために、世の注目をあびることになったと言われている。

15世紀に作られた作者不詳、作成動機不明、制作年月不明のタぺストリーが、フランス中部の小さな遺跡,ボウサック城で発見されたのが19世紀に入ってから。倉庫に丸めてあって、ネズミが食い襤褸のようになっていたタペストリーは、1841年の発見から、長い交渉の末、1882年に政府によって購入された。それ以来補修され、復元されて現在はクリュニー中世美術館によって収納展示されている。

6面のタペストリーは背景が赤色、そこに痩せて背の高い貴婦人と、花々と沢山の動物が描かれている。この貴婦人は6枚とも同じ女性とみられ、6面とも中央に立ち、右にライオン、左に一角獣をはべらせている。描かれている旗の紋章が、フランス王シャルル7世の時代に有力者だったジャン ル ヴィスト家の紋章なので、彼が自分の娘の結婚を祝って作らせたものではないか、と言われてる。

貴婦人の右に座るライオンは警護、従属を表し、左に座る一角獣は、純真、忠実、処女性を表す。花々のうち薔薇の花は純情、パンジーは幸運、ザクロの樹は繁栄を表す。6面のタペストリーすべてに、8匹以上の動物がいて、多いものには18匹の動物がみられる。たとえば犬(忠実)、猿(罪)、キツネ{狡猾)、ウサギ(繁殖)、ひつじ(無知)、たくさんの鳥、そしてマグパイは、マリアに受胎を告げた天使ガブリエルに例えられる。

6面のそれぞれに、どんな意味があるか解釈はいろいろあるが、人の5感を表すという解釈が有力。すなわち
第1面は、貴婦人がライオンと一角獣を横に置いて、花輪を作っている。これが臭覚。
第2面は、貴婦人が一角獣の角を握っている。これが触覚。
第3面は、貴婦人がアーモンドの実が入った器を持っている。これが味覚。
第4面は、貴婦人がパイプオルガンを奏でている。これが聴覚。
第5面は、貴婦人が自分の膝の上に一角獣の両前足を抱いて、鏡に映った一角獣の姿を見せている。これが視覚。
第6面は、宝石箱の中の宝石を手にした貴婦人で、第6感といわれる「魂の欲望」。貴婦人は宝石を、己の欲望のまま取り出そうとしているのか、それともいったん手にした宝石を戻そうとしているのか、不明。一貫して処女性を求めてきたが、欲望に走ろうとしているのか、それを押し戻して純潔を保とうとしているのか。
どのタペストリーも赤色をバックに、鮮やかな庭の花々と動物たちがバランス良く描かれていて、貴婦人は繊細で美しい衣服を身に着け、たたずまいは慎ましく、気品に溢れている。

始めてタペストリーの美しさに惹かれたのは、ローマだ。システインチャペルに入る前、バチカン教会に入るなり両側に並んだ、いくつものタペストリーに心を奪われた。彫刻でもない、絵画でもない、個人の作でなく沢山の人の気の遠くなるような根気と途方もない時間をかけて織られたタペストリーの見事なこと。こんな繊細な作業に携わる人々が居て、その一人一人が美の欲求にかられた芸術家であったこと。そんな結実であるタペストリーが、当たり前のように通路に架けてあって、人々はただ通り過ぎ、ほこりや汚れにさらされ、何世紀ものあいだ陽の光にさらされてきたことが、信じがたい。いま思えばローマはタペストリーも、彫刻も、絵画も何もかも、信じられないほどの美にあふれていて、このような空気の中で育ち、生活できる人々が、ただただ羨ましく思えた。

そこで、このフランスが誇る6面のタペストリーだ。
赤が素晴らしい。裏はもっと鮮やかな赤だそうだ。見えないけど、、。色がさめないように展示は照明がおとしてある。写真は撮れるがフラッシュは禁止だ。
ところでアーモンドの実の入った器を持つ貴婦人のタペストリーを見ていて、アッと声をあげてしまった。左端に居るのはタスマニアタイガーではないか。

タスマニアタイガーは、タスマニアに生息していた、オオカミの大きさでオオカミのような顔と声を持つ肉食動物だ。トラのような縞模様が体と尻尾にみられる。それでいて何と有袋類。この国にはカンガルー、コアラ、カモノハシなど有袋類動物の宝庫だが、中でもタスマニアタイガーの美しさは特別だった。絶滅させてしまった事は残念に尽きる。

このタペストリーが作られたのが1500年少し前。オーストラリア大陸はまだ「発見」されていない。まして端っこのタスマニアなんて、もちろん先住民族アボリジニの国だった。でもこのタペストリーにこの動物がいると言うことは、ジェームス クックがオーストラリア大陸を発見するより前の時代に、タスマニアにフランス人が来て、ジャングルでタスマニアタイガーに遭遇して、フランスの中部に戻って、その姿をタペストリーに復元したのか、、、という可能性は全く、、、ない。
これらタペストリーに描かれている動物のほとんどは一角獣を含めて想像上の生き物だったのでした。
写真はタスマニアタイガー

2018年2月10日土曜日

映画「シェイプ オブ ウオーター」

原題:SHAPE OF  WATER
邦題:「シェイプオブウオーター」
監督: ギレルモ デル トロ       
アメリカ映画20世紀フォックス
キャスト
イライザ:サリー ホーキンス
ジャイルス:リチャード ジェンキンス
ゼルダ: オクタビア スペンサー
ストリックランド大佐:マイケル シャノン
ホフステトラ―博士:マイケル スタルバーグ

2017年ベネチア国際映画祭でプレミア上映され、金獅子賞を受賞。今年のゴールデングローブ賞では、7部門でノミネートされていた。また、今年2018年のアカデミー賞で、最多の13部門でノミネートされている。

ストーリーは
1962年 米国と露国の冷戦下。
イライザは、アメリカ軍秘密生物化学実験室に雇われている清掃婦だ。発語障害を持っていて知能も聴力もあるので普通に聞き取ることはできるが、声を出して言葉を発することができないため、手話で人とコミュニケートする。子供の時から、首に3本のひっかき傷のような、目立つ傷跡をもっている。ひとり彼女は、映画館の2階のアパートに住んでいる。彼女には二人の友達がいて、一人は同じ映画館の上に住んでいる初老の画家、ジャイルスで、彼はゲイだ。もう一人の親友は同僚のゼルダ。黒人女性で、人とのコミュニケーションが苦手のイライザのために、通訳係になったりして、親身になって支えてくれている。イライザはお風呂が大好きで、毎日浴槽にたっぷり湯を張って自慰行為をひとり楽しむ。仕事帰りには、美しい靴を見て回る。お金がたまったら、気に入った靴を買うことが、小さな自分だけの楽しみだ。

イライザの働く実験室に、ある日大きな水槽が運び込まれてきた。以来ストリックランド大佐の怒鳴り声がしたり、床に血のりが見られるようになってただならぬ空気が漂っている。そこには、南アメリカでストリックランド大佐によって捕獲された半漁人がいた。興味をもったイライザが水槽をのぞき込むと、半漁人は突然姿を現して、イライザを驚かせる。ストリックランド大佐は半漁人を鞭で思い通りにしようとしている。半漁人に暴力をふるう様子を目にしたイライザは、言葉の通じない半漁人が残酷な扱いを受けていることに胸を痛める。そして隠れて昼休みに自分のお弁当を分けてあげるようになって、手話で会話をして、二人の心が通い合うようになった。その様子を見たホフステトラー博士は、半漁人にも人と同じような「心」があることを発見して、この生物の関するデータをロシアに送っていた。博士はロシアのスパイだったのだ。

しかしストリックランド大佐の思い通り実験に従わない半漁人を、軍は殺害処分することに決めた。それを知ったイライザは、何とか半漁人を助け出そうと、隣人のジャイルスに頼み込む。そして首尾よくジャイルスと、同僚ゼルダの助けを得て、イライザは半漁人を自分のアパートの浴槽に連れてくることに成功した。二人は愛し合う。一方、半漁人の脱出の責任をロシア軍からもアメリカ軍からも追及されたホフステトラー博士は殺される。

イライザは年に数回、運河が解放されて大海に通じる日が来るのを待っていた。毎日激しい雨が降り、運河が開くその日に、半漁人を海に放って自由にしてやることが、イライザの願いだ。そのときが、自分にとっては悲しい半漁人との別れの日でもある。
しかしその直前に、運河で彼らは追ってきたストリックランド大佐に捕獲される。警察もやってきた。そこでイライザは半漁人をかばって撃ち殺される。それを見た半漁人は怒り余って大佐を殺す。そして、死んでしまったイライザを抱いて二人して運河に身を投げる。
水底深く、イライザの首についていた3本の傷跡が開いてイライザは呼吸を始める。以来、二人は幸せに深い水の中でずっと暮らしました、とさ。
というお話。

ファンタジー映画ということで、美しいおとぎ話を、メキシコ人監督が作った。
はじめはサイエンスフィクションで、冷戦下の米軍とロシア軍の秘密組織が新兵器開発のために合成人間を作り出したという話かと思っていたが、設定からして違っていて、この半漁人は南米、おそらくアマゾンあたりで捕獲されたという設定。ならばアマゾンでは半漁人の彼の両親や親戚も居るわけで、不思議な治癒力を持って、死者を生き返らせることができる半漁人が今もなお元気で暮らしているのかもしれない。?

この監督の優れたところは、それぞれの登場人物がどんな人なのか、いろんな場面でとてもよく上手に表わしていて丁寧に解説しているところだ。
例えば、隣の住人ジャイルス。孤独なゲイで、時代遅れの画家でイラストレーター。描くタッチが古いので、どの出版社や新聞社も彼の絵を買ってくれない。自分では上出来だと信じているから、古くからの仕事仲間が申し訳なさそうに持ち込まれた作品を買わないで拒否するごとに落胆して腹をたてる。猫と平和に暮らしているが、パブでちょっとした仕草でゲイだと見破られ、「子供連れの家族も来る店だから、もう二度と来ないでくれ。」と言い渡されて傷ついて帰って来る。そんな自分がもう失うものなど何もない、と気付いてイライザのために奮闘する。そういった彼の心の変化がよくわかって、共感できる。

また親友のゼルダ。自分と同じアフリカンアメリカンの夫は、仕事がなく、暴力こそ振るわないが昼間から酒を飲んでいる。イライザの行く手の探してゼルダのアパートに暴力的に踏み込んできて、妻の首を絞めて脅すストリックランド大佐を、力なくただ見ているだけだ。一方的に家の中に踏み込んできた白人の男が妻に暴力を奮っても抗議さえできない無力で臆病な夫に心底がっかりするゼルダの怒りと哀しみがとてもよくわかる。そんな夫をもっているからこそ、障害者のイライザのために、危険をおかしても力になろうとする心優しい、世話好きな女なのだ。

ストリックランド大佐は、意味もなくたまたま権力を持ってしまった卑劣な男として描かれている。一方的な強いパワーを持った男がどんなものか、家庭に戻った時に見せる一方的なセックスシーンでもよく表れている。こんなものを妻が望んでいるとでも信じているのだろうか。1960年代のアメリカそのものだ。矮小な男ほどエバリ散らす。このように、登場人物ひとりひとりが日常の中で、どんな暮らし方をしているのか、生活習慣を通じて好みや感じ方、考え方などがとても細かく描かれていて映画そのものが分かりやすい。こんなふうに細やかな観察の上に立った人間の描き方ができる監督が素晴らしい。

若くも美しくもないイライザは水の中では自由で居られる。浴槽の中での小さな楽しみと、綺麗な靴を買うこと。自分の小さな世界で小さな楽しみを見つけて生きている。発語障害をもったイライザは、聴力に障害がなく知的障害もない、自閉症スペクトラムでもないから、恐らく過去に虐待や暴力にさらされたことが原因で言葉を発することができなくなったと思われる。そんな女性が自分で愛を見つけて、まっとうする。美しい物語だ。
1960年代を表すセピア色に統一された画面も美しい。

この半魚人、アマゾンで捕獲されるまでは、沢山の生き物たちから神のように尊敬されていたというのに、人間社会の映画では、最後まで名前を与えられなかったから半魚人というしかないが、ウルトラマンのような顔姿。イライザの首にあった傷跡を開口させてエラ呼吸できるようにしてくれた。いつか、アマゾンの源流で潜水してみたら、イライザが 小型のウルトラマン、ウルトラマンセブン、ウルトラマンジャック、ウルトラマンA、ウルトラマンレオとゾフィーなんかを引き連れて海中散歩しているのが見られるかもしれない。


2018年1月14日日曜日

映画「スリービルボード」ゴールデングローブ4冠

原題:Three Billboards Outside Ebbing Missouri
邦題:スリー ビルボード                   
監督、脚本:マーチン マクドナー             
イギリス映画
キャスト
フランシス マクド―ナンド:ミルドレッド ヘイズ 母親
サム ロックウェル:ウィロビー警察署副所長
ウデイー ハレルソン:ウィロビー警察署所長
ジョン ホークス:チャーリー ヘイズの息子
ピーター デインクラッジ:ヘイズの前夫
アビ― コーニッシュ:ウィロビー警察署所長の妻

ベニス国際映画祭でプレミア初公開され、トロント国際映画祭でピープルズチョイス賞受賞。
2018年ゴールデングローブで、最高の賞に当たる作品賞、マーチン マクドナー監督に監督脚本賞、主演のフランシス マクド―ナンドに主演女優賞、サム ロックウェルに助演男優賞が賞与された。

ストーリーは、
ミズリー州、エビングの田舎町。
7か月前にテイーンだった娘がレイプされ殺された。警察による捜査は一向に進展せず、一人の容疑者さえも逮捕されていない。警察の非力に業を煮やした娘の母親、ミルドレッド ヘイズはハイウェイ沿いの巨大な看板広告に、警察は何をやっているのか、ウィロビー警察署長の責任を問う、まだ誰も捕まっていない、という3枚の看板広告を出す。

名指しで看板に名前を書かれたウィロビー警察署長は、家庭では二人の娘を持つ優しい父親だが、心情的には人種差別主義者であり、気短で喧嘩早い男だ。彼が膵臓癌を患っていることは,街の住民にとっては周知のことだった。また、彼の右腕、警察副所長のデイクソンはラテイーノで、母親と二人で暮らしていて母親に頭が上がらない小心者のくせに、ウィロビーに似て短気な男だ。
娘を殺されたミルドレッド ヘイズは警察など怖くない。警察は娘のアンジェラを殺した犯人を見つけられない腰抜けどもの集まりだ。警察が黒人虐めばかりしている間にも、娘を殺した犯人は第2第3の犠牲者を作っているに違いないと、毒付く。しかし警察を信頼し、ウィロビー所長を尊敬している市民たちはミルドレッドを非難する。殺されたアンジェラの弟チャーリーは、姉と同じ高校に通っていたが、彼は学校で虐められていて、母親のやりすぎは良い迷惑だと思っている。母親は飲めば暴力を奮う父親と離婚して、19歳の若い女と同棲している。父が母親に会いに来て、言い争いから暴力を奮おうとすると、チャーリーは、父の喉元に包丁を突き付けて母親をかばって守ろうとする。

父親は死んだ娘が、実はしつけの厳しい母親を嫌って、自分と一緒に暮らしたがっていたと言って、故意に母親を傷つける。母親は、娘のアンジェラが誘拐され殺された日、執拗に車を借りたがっていたのを覚えている。だが彼女は車を貸してやらなかった。車を持ち出せば、遊びに行って友達と車の中で「ヤク」をやるに決まっている。車を借りられなかった娘は怒って、「じゃあいいわよ。歩いて帰ってきて途中で誰かにレイプされるから、、、」と怒鳴って出かけた。そして、彼女の言った通りになってしまった。誰よりも母親の怒りは自分に向けられている。怒り、憤り、そして後悔して、歎き悲しむ。出て行ったときのままにしている娘の部屋で母親は自分を責め続ける。

一方ウィロビー警察署長は、アンジェラの再捜査を始めたところで、膵臓癌が悪化したその痛みに耐えかねて、妻とミルドレッドと部下のデイクソンに手紙を残して自殺する。所長の死は、ミルドレッドが出した看板広告が原因でストレスになったせいだと、街の放送局が報道したため、市民の怒りと反発は増々膨れ上がった。ミルドレッドは、嫌がらせをされ、脅迫され、3枚の巨大広告は誰かによって放火された。看板を必死で消火しようとして走り回る母親を見て息子のチャーリーは胸を痛める。そんな母親に味方が現れる。同僚の黒人女性、黒人の人権活動家、小人症の男性などだ。力を合わせて3枚の看板は元通りにされた。亡くなったウィロビー署長の寄付金にも助けられた。

しかしミルドレッドの怒りは収まらない。火炎びんで警察署を放火する。たまたま署で故ウィロビー署長からの、自分あての手紙を読んでいたデイクソンは、大やけどを負う。遺書である手紙には、アンジェラの事件をしっかり捜査してミルドレッドの力になってやるように書かれていた。その日からデイクソンにとってミルドレッドは、ただの疫病神ではなくなり、本気で警察官として彼女の力になろうとする。デイクソンはその後、バーで見慣れない男を見る。男は娘が誘拐されて殺された時もこの町に居た。調べてみるとこの男はアイダホから来ている。デイクソンはこの男が犯人に違いないと確信し、一方的に男を怒らせて殴らせて、わざと半殺しの目にあう。そのおかげで男の拳の皮膚が採取出来て、DNAの検査に出すことができた。デイクソンはミルドレッドにそれを伝える。しかし、新しく着任した警察署長は、この男はDNAで犯人にマッチしなかったし、事件の起こった日にはこの町にいなかった、とデイクソンに言い渡す。

この男は確かに事件の日、この町に居た。デイクソンは警察署長の言うことを信じない。ミルドレッドも信じない。この男は野獣のように自分を脅迫した。
デイクソンは母親の髪を優しくなでて家を出る。ミルドレッドも息子の安らかな寝顔に別れを告げて家を出る。二人の行先はアイダホ。歩むハイウェイは一方通行だ。
というお話。     

娘を殺された母親の怒りが大爆発、炸裂する。ハイウェイに弱腰警察を揶揄する大広告看板を出し、良識的市民から批判され、牧師から訪問され、車にミルクをぶつけられ、チンピラから恐喝され、協力者を半殺しにされ、歯医者に麻酔なしに歯を抜かれそうになり、勤め先を壊され、放送局から警察署長殺しとなじられ、署長未亡人から非難され、前夫から首を絞められても、彼女は動じない。怒る母は、一歩も退かない。孤立無援など全然怖くない。法的に犯人を警察が逮捕できないことがわかると、少しの迷いもなく自らの退路を断ち、リベンジに突き進む。潔い。
          
「庭の千草」(The Last Rose of Summer)をソプラノ歌手が朗々と歌う背景を美しい田園風景が写される。アイルランドの詩人、トーマス モアが詩を詠んだクラシックの名曲だ。この曲が流れるなかを、牧歌的な光景の中にハイウェイがあり、3つの今は使われていない巨大な広告のための看板が映し出されるところから映画が始まる。116分の映画のなかで、もう一度だけ、この美しい旋律が流れる。娘を殺された母親が警察を告発する看板を出したその下に、花を植えた鉢を並べていたときに、奇跡の様に美しい鹿が姿を現して、母親の横で草を食む。思わず美しい鹿に見とれて涙を落とす母親が哀れで悲しい。そんなに自然が豊かで美しい場所なのに、現実にはテイーンが誘拐され、レイプされ、殺されて捨てられる。失業者には希望がない。黒人は歴然と差別される。小人症も差別されている。酒場では男達が暴力をふるい、粗暴で女を平気で殴る。それがアメリカだ。それが世界だ。

今年はアメリカの中で、保守的で白人中心主義を払拭できずにいた男社会ハリウッドで、女たちによる地崩れが起きている。権力を持った男達が告発されている。女たちによる反逆は、しばらくは収まりそうにない。法的にも、倫理的にもリベンジは正しい事ではない。しかし、娘を殺された母親は、怒りをこめて、100回殺しても殺し足りない勢いで男を殺すだろう。

クリント イーストウッド監督が、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー作品賞を受賞したときに、安楽死を認めるような映画に賞を与えることは正しくないという意見が飛び交った。時の流れというものは、その当時は法的にも倫理的にも反する事柄も、一歩先に時代を先取る映画では、それが許された。いずれどの国でも人が人としての尊厳を守るために厳しい条件のもとに安楽死は認めざるを得なくなるだろう。この映画でもリベンジは正しくない、ということは簡単だ。しかし、では、法的に女を守ることができなかった社会で、法的、倫理的な正義とは何なのか。

映画が終わった時、たくさんの女たちが涙を浮かべて拍手していた。ものすごい母親としての共感。熱い女性としての共感。思わず自分も拍手していた。
今年のゴールデングローブは、女性のための、差別されてきた有色人種のための賞だった。多くの参加者が黒服を着て参加。セシルBデミル賞を受賞したオプラ ウィンフリーのスピーチ「ミートゥー」には、長い長いスタンデイング オベーションがあった。こういった一連の流れが、一時的なものでなく、これからの女性差別へのと暴力、人種への差別と暴力、性的マイナーな人々への差別と暴力を失くす社会を構築する方向に、本気で向かってほしいと心から思う。






2017年12月23日土曜日

2017年に観た映画ベストテン

第1位:私はダニエルブレイク 「I、DANIEL BLAKE」
第2位:ホークシャーリッジ  「HACKSAW RIDGE」」
第3位:ヒットラーの忘れ物  「LAND OF MINE」
第4位:ゴッホ最期の手紙   「LOVING VINCENT」
第5位:言の葉の庭      「GARDEN OF WORDS」
第6位:沈黙         「SILENCE」
第7位:モヒカン故郷に帰る  「THE MOHICAN COMES HOME」
第8位:軍艦島        「BATTLE ISLAND」
第9位:WHERE TO INVADE NEXT
第10位:オリエント急行殺人事件 「MURDER ON THE ORIENT EXPRESS」


第1位:「私はダニエルブレイク」

この作品の紹介と評価を述べたブログ日記は、10月28日に書いた。イタリアネオリアリズム手法を取る労働者の味方、ケン ローチが、81歳になって、とっくに引退宣言をしたはずなのに、政府の福祉制度が本当に保護されるべき弱者のために機能していない現状に怒り心頭に達して、やむにやまれず制作した作品。テーマは何と、50年前に彼が作った映画「キャシー故郷に帰る」と全く同じ。最低限政府は国民の命を保障し、福祉を必要とする人の生活を保障しなければならないのに、50年前と同様それができておらず、事態は悪くなる一方である現状を、激しく告発している。 「人を人として扱わない。人を辱め罰することを平気でやる。まじめに働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやり方に憤っている。」と彼は述べている。

イギリスに限らず市場原理による高度に発達した自由経済をとる先進国にとって、福祉は、実際には飾り物に過ぎない。肥えるものはますます富に太り、まじめに働き真面目に税金を納めて来た者たちは、必要な時に福祉が受けられないで飢えている。誰もが自分だけは大丈夫、いまは健康で働いているし、仮に事故で障害者になったり、破産して収入が無くなっても保険や政府の生活保護で何とか生活していけるはずだと思い込んでいる。政府の広報は美辞麗句が連ねられて、あたかも困った人は、誰でも福祉が簡単に受けられるかのように宣伝している。

恐ろしいことは、実際自分がその立場になってみないと、実際に福祉が受けられるかどうか、まったくわからないことだ。自分の経験から言うと、80を越えるまでオットは政府から年金も恩給も何も受け取らずに、まじめに働き、まじめに税金を納めて来たが、病気になり障害者となって仕事ができなくなったので、老人年金を申請した。しかし政府の年金審査官は様々な理由をつけて申請を却下、最低限の年金を政府から出させるのに、2年半の時間を要した。その間無収入で24時間介護の必要なオットをかかえて、私はフルタイムで働きながら障害者を介助し、1日おきに腎臓透析に連れて行くことに、体力の限界まで自身を酷使したが、年寄りに年金を出すという当たり前のことを簡単に認めない役所との交渉に疲れ果て、ぼろぼろになった。

現状でさえ貧しい福祉政策下で、老齢人口は増大する一方だ。やがて街は年寄りのホームレスで膨れ上がるだろう。米国も日本もオーストラリアも法人税を控除し、個人の税金を重くする予算を通過させた。これから福祉はますます悪くなる。ケン ローチの怒りは切実な私達の怒りでもある。人が人としての尊厳をもって生きられないような社会は、一体誰のものなのか。


第2位:ホークシャーリッジ 
 
このオーストラリア人監督、メル ギブソンによって製作された映画の詳しい解説と評価は、2016年11月7日のブログに書いた。シドニーでは11月に封切られたが、日本では今年2月に公開された。第2次世界大戦の中でも、最も激しい戦闘が行われた沖縄戦で、良心的兵役拒否の思想から武器を持たずに参戦した青年デスモンド ドスが戦闘の最前線からたくさんの傷病兵を救い出したという実話を映画化した作品。
これほど戦場場面のリアリティを映像化した作品は他に無い。「プライベートライアンを探せ」のノルマンディ―上陸シーンもすごかったが、これをはるかに超える。シュッと手留弾が飛び地面に穴が開きその上をバラバラになった体の部分が落ちてくる。ブスッと撃ち込まれた銃弾によって腹に穴が開きみるみる銃創が開いて血が噴き出る。砲撃を受けて土が跳ね上がり体が宙に浮いて地面にたたきつけられたバラバラの手足。雨のように降って来る銃弾を避け仲間の死体の山を見るとネズミが肉を歯み、体中蛆で真っ白。メル ギブソンのリアリズムが半端でなく炸裂している。

良心的兵役拒否という思想は、日本社会では最も理解されにくい思想ではないか。社会の中で個人の存在が認められ、個人の思想信条が尊重されている成熟社会でなければ、起こり得ない。赤紙一枚で戦争に駆り立てられて、上官に従わなければ厳罰処理される。縦割り、垂直型の日本軍組織では、個人の思想信条の自由などという思想など全くあり得なかった。日本社会は、いつ成熟できるのか。日本の組織は、いつ民主化され、個人の人権を守るような組織に変われるのか。国際社会の中で日本はいつ大人になれるのか。

米軍の沖縄上陸後の地上戦で、連合国軍上陸部隊は7個師団、18万3000人。後方の兵を加えると54万8000人の大軍が沖縄を取り囲んでいた。一方日本軍は総勢11万6400人、沖縄出身の軍関係の死者2万8222人。一般住民の死者9万4000人。本土から来た軍関係者死者は、6万6000人足らず。記録されているだけでも800人もの非武装の沖縄住民が、「日本軍」によって殺されている。住民は自分たちの生活の場を奪われて、連合軍に包囲されたあと、戦闘の盾にされ、白旗を掲げて投降した婦女子は日本軍によって、後ろから撃たれて死んでいった。県民の4人に一人は沖縄戦の犠牲者だ。
生きて辱めを受けるなと、集団自決を強いた日本軍人達の非人間性は、どんなに糾弾してもし足りない。日本軍司令官牛島の腹切場面も映画に出てくるが、一般市民を守らない軍人のトップが卑怯にも一番先に死んで責任逃れをするとは何事か。こうした優れた反戦映画を見ると、いかに日本の組織には人権思想が欠如しているか、を思い知らされる。


第3位:ヒットラーの忘れもの  

4月16日にこの映画の解説と映評を書いた。デンマーク、ドイツ合作映画。1945年5月。終戦とともにデンマークに駐留していたドイツ軍兵は、敗戦とともに捕虜となり、ドイツ軍が埋めて行った200万個の地雷を撤去する作業を強制された.。その兵士たちの数、2000人。戦争末期に徴兵されたばかりの10代の子供の様なドイツ新兵14人が、サデイステイクなデンマーク軍軍曹に預けられて、地雷撤去作業に従事する。軍曹にとって14人の少年たちは母国を蹂躙した憎い敵だ。だが日が経つうちにいつしか軍曹と少年たちとの間には、父と子のような心の交流が生まれる。次々と少年たちが誤って地雷の爆発で死んでいく。ヒューマンで、強力な反戦映画。地雷を撤去し終わった砂浜を、思わずはしゃいで走り回る少年たちの姿が、空を舞う天使のように美しい。

第4位:ゴッホ最期の手紙  

11月25日にこの映画について詳しく書いた。世界中から立候補してきた5000人のプロの油絵画家から選ばれた、125人の画家が、ゴッホの色使いや筆のタッチを真似て、キャンバスに描いた6万5000枚の絵を、実際の役者の動きにあわせてモーションピクチャーとしてフイルム化した映画。とても美術的で、ゴッホの絵が沢山出て来て、その肖像画から人物が出てきて動き出す不思議な体験ができる。新しい映画の技法で、見ていて面白く興味が尽きない。ゴッホを堪能できて嬉しかった。


第5位:言の葉の庭    
今年の1月3日のブログで、この映画について書いた。これほど美しいアニメーションを他に観たことがない。新海誠による監督、制作された初期の彼のフイルムで、才能がほとばしっている。彼の作品「君の名は」が劇場で人気を呼んで注目されるようになったそうだが、この人の描くアニメーションの美しさは、ジブリにもデイズ二―にもピクサーにも他の誰にもまねできない。情感豊かで、自然を見る目が他の人にない繊細さで みごとに捕えられている。
この人が雨を描くと、自然描写が例えようもなく美しい。観ていて雨が匂ってくる。全身が雨を感じることができる。空が曇り、雨が落ちてくる。水滴が土に吸い込まれ土の香りが立ち込める。やがて水たまりが出来、その水面に鮮やかな緑が映える。雨が緑を生き返らせて草の匂いが立ち上って来る。天から次々と落ちてくる水滴が、街の騒音を消し、草や木の喜びの歌を奏でる。生き物すべてに命を与えるように雨に濡れて木々が息を吹き返すように、若い男女の傷ついた魂が再生する。これほど5感が呼び覚まされる映像は魔術を見るようだ。本当に本当に美しいアニメーション。忘れられない。

2017年に観た映画ベストテン

第6位:沈黙

2月24日に詳しい映画の解説と映評を書いた。 豊臣秀吉は1587年50万人の大軍を率いて九州に侵攻し島津義久の島津藩を降伏させキリスト教信者を迫害した。その前までは、九州から仙台まで、沢山の教会が建ち有馬、安土には神学校が建ち40万人ものクリスチャンの数を誇っていた。キリシタン禁令下ポルトガル人フェレラ司祭は、他の司祭らとともに日本に密航し、20年余りスペリオという最高の重職について布教を続けていた。その彼が捉えられ棄教したという知らせがローマ教会に伝えられる。フェレラを恩師として慕っていたロドリゴ司祭が、他の2人の司祭とともに日本に渡航する決意をするシーンから、この映画が始まる。

カメラが純白で巨大な大理石のローマ教会に居る、3人の黒服の司祭達を映し出す。何も遮る物のない権威の象徴である教会の巨大な建物と、小さい小さい司祭たちの存在。やがて彼らは、教会を出るために降りる長い階段を、今度はカメラが教会の塔、頭上高いところから見下ろす。アリの様に小さな人間の姿。黒衣を風に翻し、死を決意した司祭たちが静か音もなく足早に歩み去る。
今度はカメラが美しい海岸線を映し出す。広がる空、荒い大波が打ち寄せる。美しい太陽の輝きの中で何かが不協和音を奏でている。波打ち際に3本の柱にズームしていく。何とそれは、3日3晩磔の刑にあって苦しみながら殉死していく信者たちの呻吟する音だった。巨大で荒々しい自然の中で、小さな小さな存在としての人間。こうしたカメラワークが例えようもなく美しく素晴らしい。自然と人、権威と弱き者、こうしたコントラストを映像で表現するマーチン スコセッシ監督の手腕が冴えている。


第7位:モヒカン故郷に帰る  

日本映画はこちらでは手に入らないが、コンピューターエキスパートの義理の息子の努力によっていくつかの日本映画を手に入れることが出来た。観た映画は、「怒り:レイジ」、「新深夜食堂」、「深夜食堂」、「FOUJITA」、「桐島部活やめるってよ」、「ヒミズ」、「くちびるに歌を」、「世界の片隅に」、「南極料理人」、「世界から猫が消えたなら」、「イニシエーションラブ」、「孤独のグルメ」セッション1から5まで、などなど。私小説的、4畳半的で楽しいが小津の世界をさらに小さい規模にしたような。でも日本映画はそれで良いのかもしれない。

「モヒカン故郷に帰る」は、沖田修一監督。がなりたてるばかりのデスメタルバンドのボーカル永吉が妊娠した恋人を連れて7年ぶりに故郷に帰る。両親と弟に歓待されるが、父親が突然倒れ癌で余命わずかなことを知らされる。モヒカン頭に松田龍平、父親に柄本明、母にもたいまさこ、恋人に前田敦子。この家族のやりとり、どこか間の抜けたゆるさと言い、昭和的セピアカラーといい、本音で怒鳴り合える家族喧嘩といい、笑いが止まらない。はじめから終りまで笑って笑って、最後のころには気が付いたら涙を流しながら笑っていた。人情にやられた。個性と個性がぶつかり合える、温かい家庭を心から良いなあと思う。うらやましい。こんな家庭で育ってみたかった。日本の良さがいっぱい詰まっている。芸達者な柄本明の演技が秀逸。


第8位:軍艦島

8月18日にこの映画について映評を書いた。すぐれた反戦映画。戦時下、長崎県端島の石炭採掘現場は地下1000メートルの深さにある海底。95%の湿度、30度の暑さという過酷な環境で、沢山の中国人、韓国人が強制労働させられていた。敗戦まじかに鉱夫たちは反乱を起こし、多くの犠牲者を出しながらも島を脱出する。暴力シーンが多い分、感傷もロマンスもあって、見ていて情に流されそう。韓国映画独特の、自分の身を挺して悪と戦い死んでいくヒーロー達、強くて優しい女と子供を守る男達、どの男たちも身長180センチ以上ある引き締まったみごとな身体を持っていて、裸が絵になっている。歴史的事実を描いた映画だが、エンタテイメントとしても成功している。


第9位:

WHERE TO INVADE NEXT   

マイケル モアによるドキュメンタリ―フイルム。イタリア、フランス、フィンランド、チュニジア、スロベニア、ドイツ、ポルトガルを旅行して現在米国では深刻な問題になっている事柄を、他の国ではどのように対処してきたかを取材している。人がより幸せに生きるには、どういった国の対策が必要なのか、何をは国から学び持ち込むべきなのかを問う。
ダニエル トランプが大統領選に出馬しても、女性差別発言や、下卑た立ち振る舞いにジャーナリズムをはじめとして誰もが次期大統領に選出されるはずがないと予測していた時に、ずっと早いうちからマイケル モアは、トランプが選出されることを予測していた。徹底的に取材をする人。人の話をきちんと聞いて回る。彼のジャーナリストとしての確かな目で、アメリカ社会の底辺で暮らす人々に何が起きているのかを早くから予測していた。

労働団体の力が歴史的に強いイタリアでは、労働環境が良い。2時間の昼休み、産休、年6-8週間の有給休暇、有給ハネムーン、年13か月分の給与など。それらによって逆に生産性が向上している。
フランスでは学校給食がフルコースで質の高い食事が提供されている。また性教育も早いうちから行われている。
フィンランドの学校では、子供達は遊ぶことで、より多く学ぶという思想から、授業時間が短く、宿題がない上、学校ごとの標準値を設けない。それでいて世界一学力がある子供達を輩出している。
スロベニアでは大学では、奨学金も学費もない。それでいて学力レベルは大変高い。
ドイツでは労働者の権利が高く、生活と仕事とのバランスが取れた生活スタイルを選ぶことができる。
ポルトガルではドラッグが自由に手に入り、健康保険が充実しているため、薬物中毒者はドラッグが自由化されたあと減少している。
ノルウェーでは死刑制度が廃止され、監獄がない。犯罪者が普通の人と同じように自立して生活できるように配慮されていて、犯罪率が下がっている。
チュニジアでは女性が妊娠中絶を自由にでき、出産も自分で管理できるように女性の権利を守ることに配慮している。
アイスランドは世界で初めて民主的に女性大統領を選出した国。2008-2011年の財政危機をもたらせた銀行に厳しく責任を追及する女性大統領が活躍している。

こういったすべての政策アイデアはもともとは米国のものだった。余裕ある労働環境を得るためにイタリアを侵略する必要も、子供達が自由に遊ぶ時間を作るためにフィンランドに移住したり、産前産後の女性の健康を得るためにチュニジアに侵攻する必要もない。アイデアだけは持っていて、実行できなかった米国の政治に問題があったのだ。という結論に同感。

第10位:オリエント急行殺人事件

アガサ クリステイが1932年に発表した推理小説で、エルキュール ポアロシリーズのひとつ。リンドバーグの息子が誘拐されて殺された事件にヒントを得て書かれた小説。何度も映画化されているが、今回のはアメリカ映画。監督と主演に ケネス ブラナー。

1974年の英国版が、とても1939年代のオリエント急行列車や時代背景が原作に近く、よくできていて、おまけにキャストが豪華絢爛でアカデミー賞も獲ったし、文句なしだったので、今回のアメリカ版はちょっとがっかり。
でも、ジョニーデップの悪漢ぶりが、とても良かった。これじゃ殺されても仕方ないよね、というようなワルが狡猾な弁舌をふるい、女性には冷淡、差別的で、ポアロに命を狙われているからと警護を依頼する小心もの。悪い奴だが人間的に描かれているところが良かった。ドラゴミロフ侯爵夫人のジョデイ デインチも良かった。この人は何を演じても可愛い。
イギリス版1974年では、59歳になってもなお美しいイングリッド バーグマンが、グレタ オルソン役を演じてアカデミー賞を取ったが、今回の映画でこの役はペネロペ クルーズ。英国版で、あの下から男を見上げる悩殺美人のローレン バコールが、ハバード夫人役だったが、今回の映画ではミッシェル ハイファ―がこの役をやっていた。英国版ではアーバスノット大佐役を、ショーン コネリーが演じたが、今回の映画では全然知らない人。ラチェットの秘書役も今回は知らない人だったが、前回の英国版では、あの「サイコ」の美青年アンソニー パーキンスだ。英国版で前回アンドレ伯爵はマイケル ヨークが演じたが、今回はセルゲイ ポル二ンで、バレエダンサーだそうだ。登場したときから只者ではない殺気と狂気をもちあわせた、異様な緊張を醸し出していて、推理小説にもってこいの役柄を好演していた。

ただこの映画、殺人者が多いので一人ひとりの殺人動機や役割を描き切れず、どうしても消化不良になっている。長編小説を2-3時間の映画にするのは容易ではないだろうが、推理物は小説の魅力には勝てない。推理は頭の体操だから活字によってよりイメージを広げていくことに醍醐味がある。やはり推理物は読むに限るって、、、映画評になってない。

2017年12月16日土曜日

映画 「否定と肯定」

英米合作映画
監督:ミック ジャクソン      
原題:「DINIAL」
原作:デボラ リープスタッツ
   「HISTORY ON TRIAL:MY DAY IN COURT WITH A HOLOCAUST DENIER」ホロコースト否定論者との法廷での日々
キャスト:
レイチェル ワイズ:デボラ リープスタッツ教授
トム ウィルキンソン:リチャード ランプトン弁護士
テイモシー スパル :デヴィッド アービング教授
アンドリュー スコット:アンソニー ジュリウス弁護士

ストーリーは
1994年 アメリカ ジョージア州アトランタのエモリ―大学で、ホロコースト研究者として教鞭をとる歴史学者デボラ リープスタット教授は、自著の「ホロコーストの真実」を出版記念公演をする場で、沢山の学生たちの前で、ホロコースト否定論者のデヴィッド アービング教授から侮辱される。その上、このナチスドイツ学者から、デボラ リープスタットが著書の中で、アービングをホロコースト否定論者と断定していることで、彼から名誉棄損で訴えられる。訴訟を起こされたのは、リップスタットと彼女の論文を出版した出版社だった。イギリスの訴訟では、被告側が立証責任を負うため、リップスタットは、ホロコーストが歴史的事実であることを法廷で証明しなければならなくなった。アービングにとっては、豊富な財源をもとに、自分が活躍するイギリスで、若いアメリカ人の女性教授をやりこめることで、自説を大々的に宣伝することが目的だった。

弁護士チームに会うために、リップスタットは英国に渡る。リップスタットは、アービングに沢山の学生たちの前で侮辱され、自分が書いた論文が事実に反すると言われ、訴訟まで起こされて、怒り心頭に達している。法廷の場で、アービングと直接議論をもちかけて、ホロコーストが実際にあった事実を認めさせ、ケチョンケチョンに論破して恥をかかせてやらなければ気が済まない。ホロコーストが事実であることは疑いようのない事実であり、ユダヤ人に偏見を持つアービングなど、学者の資格はない。怒りと苛立ちで一杯の被告、リップスタットに対して、彼女の弁護団は、冷たい。
ロンドンのユダヤ人団体に会いに行くが、彼らはリップスタットを擁護するどころか、裁判がアービングのホロコースト否定論の宣伝に使われていることで、リップスタットが裁判を受けて立つことを迷惑がっている。ユダヤ人団体は注目されることを望んでいない。

他に誰も友人や親しい人も英国にはいないリップスタットは、肌寒く毎日雨ばかり降るロンドンで、孤独を噛みしめる。
アービングは自分の主張を宣伝するために陪審に訴える発言を繰り返し、自分の思い通りの裁判をしようとしていたが、弁護団は裁判官による決着を要求する。リップスタットと弁護団長のランプトンは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に、地元の学者の案内で訪れる。裁判で、ホロコーストが本当にあったことだということを証明しなければならない。

アービングは強制収容所のガス室を設計した技師を法廷に出廷させ、ガス室の天井に張り巡らされたチューブには、ガスを放出させる穴がないので、ガスによる大量殺人などなかったことだと主張する。この主張はマスコミにも大々的に取り上げられて、ノーホール、ノーホロコーストとセンセーショナルに報道される。
怒ったリップスタットは、かつてガス室から生還した生存者を証言台に呼ぶことを求めるが、弁護団はそれに同意せず、生存者の証言などアービングの巧な弁論によって侮辱されるだけなので、証言もリップスタットの発言も必要ないと、主張する。納得できないリップスタットは、法廷で発言を封じられたままで、不満は募る一方だ。弁護団はアービングの著作が、偏見に満ちたもので、事実の歪曲があることを、ひとつひとつ辛抱強く証明していく。そして、徐々にアービングの主張が論理的でなく不条理であることが明らかになる。論理によって追い詰められたアービングは、ユダヤ人に対する強い偏見と差別意識を法廷で露わにする。アービングの主張がいかに事実からかけ離れているか、差別主義者による思いこみに過ぎないか、いかに論理性のないユダヤ人を忌み嫌う感情論に偏っているかが、法廷で証明されていく。

2000年1月、裁判が始まって5年、1600万ドルという、とてつもない裁判費用をかけた裁判の判決はアービングの敗訴に終わった。リップスタットは、自分の名誉を守るために、常に冷静沈着に法廷闘争を戦ってくれた弁護士団に心から感謝した。
という事実に基ずいたお話。

アトランタに住むアメリカ人女性が訴えられて、自分の無実を証明するために、ロンドンの法廷に立つ。ロンドンは今日も雨で寒い。弁護士と訪れたアウシュビッツも冷たくて雨。デボラ リップスタットの心の中を映し出すような、寒々とした雨。裁判制度も気候も人々も全く異なるアメリカ人の目に映るイギリスを、雨で表現するカメラワークが実に上手い。アメリカ人とイギリス人の違いも、見ていて興味深い。

ことほどさように歴史修正主義者、ホロコースト否定論者、ネオナチ民族差別主義者、レイシストとの論戦は消耗戦だ。
この裁判の結審前に、チャールズ グレイ裁判長は、人が純粋信じていることを、嘘と断言して良いのかと、問いかける。虚偽を信ずる者は嘘つきか。それが歴史的事実のねつ造ならば、イエスと言えるだろう。明解な偏見による事実の否定ならば、イエスだ。かくしてアービングは敗訴したが、これはが正しい。転じて、日本の国民会議の面々を法廷に立たせて、彼らの歴史認識に誤りがあることを証明するためには、どれだけの労力と資金が必要だろうか。

訴えられたデボラ リップスタットを演じたレイチェル ワイズは、ル カレの書いた「ナイロビの蜂」の主人公を好演してアカデミー助演女優賞を獲った。とても心に残る良い映画だった。ル カレは、自身も英国のスパイでもあった興味深い作家だ。

法廷の争いを映画化すると劇的にも、退屈にもなるが、名画がいくつかある。代表は何といっても「12人の怒れる男」だろう。1957年アメリカ映画。原作レジナルド ローズ。主演はヘンリー フォンダだ。父親殺しで逮捕された17歳の息子の、法廷証拠も証言もすべて少年に不利。11人の陪審が少年の有罪を確信していたが、たった一人の陪審が無罪を主張し、証拠を一つ一つ再検討して他の陪審を説得していく姿は、感動的だ。娘たちは、インターナショナルスクールの授業でこれを観た。人が人を裁くことができるのか、こうした命題を考えるために、最良の教育材料だと思う。

1962年「アラバマ物語」「TO KILL MOCKINGBIRD」は、1932年人種差別の強いアメリカ南部を舞台とした映画。ピューリッツアー賞を受賞した小説の映画化で、監督ロバート マリガッツ、主演はグレゴリー ペックだ。白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護をするフィンチ弁護士の活躍には目を奪われる。この映画でグレゴリー ペックはアメリカのヒーローになった。

最後に、2014年「ジャッジ裁かれる判事」原題「THE JUDGE」も良かった。監督、デヴィッド ドプキン、アイアンマンのロバートダウニージュニア主演。彼の老いた父の判事を演じたロバート デュヴアルが好演していて、アカデミー助演男優賞を獲った。ロバート ダウニージュニアは、不良中年の代表。8歳のころからマリファナを吸引していた本当の不良なのに、切れ者の弁護士を演じている。

法廷を題材にした良質な映画がいくつもあるが、この映画の邦題「否定と肯定」が、原題の「否定」を意図的に弱めるようで、意訳がちがうのではないか、という論争があるようだ。原題はなるべく触らないで、そのまま「デナイアル」とか、原作の「ホロコースト否定論者との法廷での日々」が良いかもしれない。

2017年11月25日土曜日

映画「ゴッホ最期の手紙」

とてつもなくアーテイーな映画。
世界中のプロの油絵画家125人が、ゴッホの色使いや筆のタッチを真似てキャンバスに描いた、65000コマの油絵が、実際の役者の動きに乗せられて、モーションキャプチャーとしてフイルム化された作品。油絵アニメーションとでも言ったら良いのか。ゴッホの伝記を、ゴッホの絵のタッチで描いた動画ドラマ。でも役者が演技しているし、アニメのジャンルを超え、今までのモーションキャプチャーやCG技術のレベルを超えているので、何と言ったら良いのかわからないけれど、画期的な技術ということだけはわかる。

映画化するに当たって、たくさんの油絵画家が必要だとわかると、ネットを通じて5000人の応募者があった、という。選ばれた125人の画家が、それぞれゴッホになりきって65000枚の絵を描いている。もう ゴッホの「てんこもり」。ゴッホ100%の映画の中で溺れそうです。ゴッホの世界、ゴッホがいっぱいで幸せだ。
原題:「LOVING VINCENT」
イギリス ポーランド合作映画
監督:ドロタ コビエラ 
   ハー ウェルクマン    
キャスト
ロベルト グラチェク:ヴィンセント ファン ゴッホ
ジェローム フリン :ドクター ガシェット
ダグラス ブース  :息子アルマンド ロラン
クリス オダウド  :郵便配達ジョセフ ロラン
サオライズ ロ―ナン:マーガレット ガシェット
アイドリアン ターナー:ボートマン

ストーリーは
ヴィンセント ファン ゴッホが亡くなって1年経った。
郵便配達のジョセフ ロランは、ヴィンセントの数少ない友人の一人で、彼のことを心から敬愛していた。肖像画のモデルを引き受けたこともある。生前ヴィンセントは頻繁に手紙を書いて、友人や家族に送り、その分返事の手紙を受け取る事も多かった。ジョセフはいつもそれを配達するのが仕事だった。ジョセフは息子のアルマンドに、ヴィンセントが弟のテオに書いた最後の手紙を託す。それはテオに手渡すことができなかった手紙だった。

ジョセフは以前、自分の耳を切り取り、封筒に入れて親しくしていた娼婦に手渡した事件をよく覚えている。芸術家の気まぐれや狂気に近い奇行にも関わらず。息子のアルマンドには、父親がどれだけヴィンセントのことを好きだったかよくわかっている。父親の気持ちを汲んで、1年前に住所がわからず配達されなかった手紙をもって、アルマンドはヴィンセント終焉の土地に向かう。

パリから30キロ、ヴィンセントは人生最後の2か月を、オーヴェル(AUVERS-SUR-OISE)で過ごした。アルマンドは ヴィンセントの最後を看取ったピエール タンガイに遭って、手紙の受け取人のテオは、ヴィンセントが亡くなって後を追うように、半年後に亡くなっていたことを知らされる。テオは梅毒を患い、鬱状態だったがヴィンセントの死後、状態が悪化して病死したのだった。パリでヴィンセントとテオは、決定的な仲たがいをして、ヴィンセントはパリを出走し、オーヴェルでドクターガシェットの世話になっていた。
ドクターガシェットは、マネ、ルノワール、セザンヌ、ピサロなどと親しくし、自分でも油絵を描く美術愛好家だった。ヴィンセントは、ドクターガシェットから家族のように扱われて、制作に励んでいた、という。

ヴィンセントの最期の手紙には、体調も良く、環境の良いところで精神状態もとても安定している旨が書かれていた。とても自殺するような状態ではない。どうしてヴィンセントは自死しなければならなかったのか。
アルマンはドクターガシェットに会いに行くが、彼は商用で出かけている。仕方なくアルマンは、かつてヴィンセントが泊っていて、やがて亡くなったその部屋に、滞在することにした。宿屋主の勧めに従って、ヴィンセントが親しかったというボートマンに会いに行く。彼は気さくな男で、ヴィンセントはドクターガシェットの娘と親しかった。きっとそれが原因でヴィンセントはドクターガシェットと衝突し、失意に陥ったのだろうと言う。しかしドクターガシェットの美しい娘マーガレットはそれを否定する。

村の人々にとってヴィンセントは厄介な存在だった。子供達は平気でヴィンセントが写生しているのを邪魔したし、夜は夜で、酒場で若者たちは村の部外者で変わり者のヴィンセントを嫌った。知恵おくれの若者は、ヴィンセントのあとを執拗について回った。アルマンは自分が村の宿屋に滞在していて、どうしてヴィンセントが死ななければならなかったのか、疑問が湧いてきて仕方がなかった。アルマンはヴィンセントを死後検死した医師に会いに行く。医師はビンセントは、腹部を銃で撃って2日間苦しんだ末、亡くなった。ドクターガシェットがなぜ、銃で撃たれた傷口から弾を摘出する手術をしなかったのか、わからないと言う。また、もし自殺したかったら人は胸か頭部を撃って死ぬ。胃を撃って自殺する人は居ない。ヴィンセントの銃創は、離れたところからしかも地面に伏せた姿勢から狙って撃たれたものだ。と医師は言う。

ヴィンセントは地元の若者達と争いの巻き込まれて撃ち殺されたのではないか。教養のない村のごろつきの様な粗雑な若者達が犯人ではないか。そのうえドクターガシェットは、ヴィンセントの傷を治療しなかった。ドクターの愛娘をヴィンセントに取られたくなかったからではないのか。最後のヴィンセントの手紙では、体調も良く制作が進んでいて快適な暮らしをしている様子が描かれている。自殺する理由がない、ではないか。

ドクターガシェットが帰って来た。ドクターは自分も一流の画家になることを夢見て生きて来た。しかしヴィンセントの才能は疑いようもなかった。自分と比べることができないほどヴィンセントの絵は素晴らしかった。自分は嫉妬に狂ってそのあまり、悔しくてヴィンセントを死に追いやるほど激しくヴィンセントを告発してしまった。いつもヴィンセントは金策に困り果てて、弟のテオに迷惑をかけている。ヴィンセントは迷惑者以外の何物でもないと言って、ヴィンセントを責めたのだった。自分がヴィンセントを自死に追いやった。死ぬべきだったのは才能のない自分だった、と言ってドクターは泣きむせぶ。

アルマンは家に帰って来る。すべてを父親のジョセフに伝える。配達されなかった手紙はドクターガシェットを通じてテオの未亡人に手渡された。しばらくしてテオの妻からお礼の手紙が届く。そこには「愛するヴィンセント」(LOVING VINCENT)と書かれていた。
というお話。

ヴィンセント ゴッホは近代絵画の父と呼ばれ、28歳から36歳で死ぬまでの8年間に800点の作品を残した。生きていた時には才能を評価されることなく、たった1枚の絵が売れただけだった。セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ゴッホの4人はポスト印象派と呼ばれている。オランダ生まれのゴッホの多くの作品は、アムステルダムのファン ゴッホ美術館に展示されている。1800年開館という歴史的なアムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)のとなりに建っていて、対照的に近代的建築を誇る。1973年開設で、別館は黒川紀章が設計し1999年に開館した。本館にはゴッホの200点の油絵、500点の素描、700点の書簡、それとゴッホとテオが収集した500点の浮世絵が収蔵されている。
油絵で特に有名なものは、「ジャガイモを食べる人々」1885年、「パイプをくわえた自画像」1886年、「黄色い家」1888年、「星月夜」1889年、「ひまわり」1889年、「ひまわりを描くファンゴッホ」1888年などなど。

印象画家展が何年か前にキャンベラの国立美術館で開催されたとき、真夜中3時間運転して娘と展覧会を見に行ったことがある。予想にたがわずゴッホの「星月夜」は、それはそれは美しい絵で、「一生に一度は見なきゃだめだよカテゴリー」に入る絵だった。どうやったらこれだけいくつも絵具を重ねて塗って、美しい「紺青」の空と光る星を描けるのか、触って確かめたい誘惑にかられる。「じゃがいもを食べる人々」も、働く農夫たちを描いた絵も好きだ。でも、ニューサウスウェルス州立美術館にある「ペザント」(農夫)の絵が一番好きだ。暗い色調、男のひしゃげた鼻、暗い瞳、しかし力強い生命力に圧倒される。

この映画を観て「あ、やっぱりゴッホは自殺じゃなかったんだ。」と解釈した。彼を理解しようとしない人々の無理解が彼を殺した。狂人のレッテルを貼りたがる村人達、ゴシップ好きな女たち、嫉妬に狂う芸術家たち、変人を排除しようとするコミュニテイー、不寛容な社会、みんなが殺人者だ。
芸術家は、多くがその前衛性によって、人々から理解も受容もされずに薄幸な人生を送る。それが哀しい。ショパンのピアノ曲を聴くといつも泣きたくなる。モーツアルトの明るい空を突きぬけるような快い響きを耳にすると、いつもそれを作曲していたころ空腹と寒さと死の恐怖に苛まれながら作曲していた彼を思って泣きたくなる。
ゴッホの絵もそうだ。残された手紙の数々は、食べていくため、画材を買う為にお金を無心する手紙ばかりだ。
どうしてわたしたちは芸術に、これほど不寛容なのだろう。過去だけでなく今もまた、どうしてわたしたちは新しい芸術の創出に、これほどにも不寛容なのだろう。


2017年11月20日月曜日

レンブラントとオランダ黄金時代作品展

                                                                     
アムステルダム国立美術館:ライクスミュージアムから、レンブラントなどの作品がシドニー州立美術館にやってきて展示されているので行ってみた。

父がレンブラントの絵が好きだった。どうしてだかわからない。
英国に留学する途中で立ち寄ったオランダで、チューリップの愛らしさと、レンブラントの光と影に心を奪われたのかもしれない。1ドル360円の時代、海外に持ち出せる円が極端に制限されていた。私大の教授ごときに航空券など買える訳がない。貨物船に乗せてもらって何週間もかけて欧州に渡ったのだ。欧米人は、日本人を見かけると唾を吐きかけたりジャップとかチンクなどと呼び、白人社会の差別が残っていてアジア人にも人権があるなどと大声で言う人も居なかった。
父は明治生まれ、旧武家の長男で頑固者。「女はみんな馬鹿だ。」などと平気で言い、私生活では、家族には抑圧者以外の何物でもなかった。戦後民主主義の思想家、経済学者だった大内兵衛が育ての親で、甥だったとはとても思えない。ひとつだけ庭いじりが好きだったところは似ていた。兵衛の鎌倉の家に至る斜面には、数えきれないチュ-リップが植えられていて見事だった。父も阿佐ヶ谷の家でチュ-リップを育てた。兵衛の采配で、一番弟子だった宇佐美誠次郎の妹ふみと、父とが結婚することになったとき、母が阿佐ヶ谷の屋敷を訪れて帰る時に、父が庭に出てチューリップを切って母に渡したが、手が大きく震えていた、という。もったいなくて。
という話を母が言うごとに大笑いしたが、当の父は「あたりまえだ。せっかく大事に育てた大輪の花だったのに。」と弁解(?)した。
外国でどの国が好き?と父に聞くと、迷わずオランダと答えた。長い船旅の途中で立ち寄ったオランダでみごとなチューリップを見て感激し、自然光だけのほの暗い建物の中でレンブラントを見て深く感動したのだろう。

オランダは、1600年初めに何万人もの国民を溺死させた、低い(ネーデル)土地(ランド)に住む人々の国だ。自分達の住む土地よりも高いところにある北海に対して堤防を作ることが全国民の悲願だった。そのために国民が一丸になって堅実、着実、倹約、質素、忍耐、質実な生活をすることが求められていた。ダッチアカウントは、そのための必要性から生まれた文化のひとつだ。そうして低地の特質を生かし、運河で物資を輸送し、風車や泥炭など’安価なエネルギーを使って貿易、産業を振興した。

スペインから独立してからの17世紀のオランダは、黄金時代と呼ばれ貿易では東インド会社が世界初の多国籍企業として、株式を財源としてアジア貿易を独占、香辛料で世界経済を制した。そして1世紀以上の間、貿易、産業、科学、芸術の中心となった。
ローマンカトリックによる偶像崇拝を嫌い、プロテスタントとして簡素な教会を持つ一方、豊かな商人達は芸術を愛し、絵画を教会にっではなく自分たちの屋敷に飾った。このころオランダでは、彫刻家が出なかったことと、教会に飾る宗教画が描かれなかったことは、特筆に値する。当時、オランダを訪れたイギリス人が、「オランダではどの家の壁にも絵が飾ってある。」と言って驚いたという。

今回ニューサウスウェルス州立美術館に、アムステルダム国立美術館(ライクス ミュージアム)から貸与された絵画の作品展が開催された。わたしには、レンブラントとフェルメール以外の画家の名は、知らない人ばかり。勿論作品を観るのも初めてだ。

ヤコブ ファン ロイスダール(JACOB VAN RUISDAEL)の風景画が青い空、のどかな農家を描いていて美しい。低地国なので風景画に山や岩壁や滝がない。どこまでも平面で、青い空には入道雲がモクモクと昇り広がっている。夏の青い空と入道雲。そんな空のことを「ロイスダールの空」というのだそうだ。ちょうど偶然、犬養道子の評論を読んでいたら、オランダの風景を「どこを見ても起伏のないまったいらな緑かかった土地、広すぎる上空はあわただしい雲をあとからあとから流していた。オランダ派画人の好んで描くあの独特の空。」と書いていて、ロイスダールの空に触れている文章があって、なんかとても嬉しかった。

ヤン ステーン(JAN STEEN)の描いた絵が興味深い。「陽気な家族」、「聖ニコラスの祝日」の2作で、男も女も子供達も大いに寛いでいる。贅沢な食べ物、酒、酔っぱらった大人たちの自堕落で醜悪な姿。足温器に足をつっこんでぐうたらしている。怠け者を扱った寓意画。こういった怠け者のことを、「ヤン ステーンの絵みたいな奴。」とか「ヤン ステーンの絵みたいなことは止めよう。」とか表現に使うそうだ。国民の命を守る堤防を強化するために質素、倹約、堅実、忍耐を目標とする国民性ゆえ、浪費や怠惰は半倫理、反社会的なのだろう。働いた後はぐうたらして何が悪いか、絵のように楽しくやればいいじゃないかと思うけど。

フランス ハルスの「陽気な酒飲み」も楽しい絵だ。ウィレム カルフの「銀の水差しのある静物」は美しく、 ヘンドリック アーフェル カンプの「スケートをする人のいる冬景色」では低地国の寒い寒い冬が想像できる。 ピーテル デ ホーホ「家の裏庭にいる3人野女性と1人の男性」など、普通の人々の何でもない日常が絵の題材になっている。
ヤン ダヴィス デ ヘームの静物画「ガラスの花瓶に生けた花」は、今回の絵画展の作品のなかで一番色彩が豊かで、精密な描写でだんとつに美しい。花びらの筋、葉についた青虫、蜘蛛までよく見ると居る。ガラスの花瓶には張ってある水だけでなく、そこに映った後の窓まで描いてある。1665年作と思えない花の配置や描き方も現代に通じる。観て描くということが今も昔も何一つ変わりはしない絵の基本だということが良くわかる。色の使い方が秀逸だ。

レンブラントはイタリアのカラバッジョ、フランデルのルーベンス、スペインのベラスケスとともにバロック期を代表する画家だが、若くして肖像画家として成功し、20歳前にすでに弟子を何人も持っていたという。エッチングでも優れた技術を持ち、印刷機を自分で所有してたくさんの作品を残した。レンブラントは、常に新しい技術を絵画で試して挑戦してみることを厭わなかった。その練習のためにお金にならない、売り物にならない「自画像」を75点も残した。

この絵画展での目玉は、レンブラントの自画像のひとつで、55歳の時の作品、「聖パウロの姿をした自画像」。1661年作。質感を出すために、重ねて重ねて塗って塗り重ねてあるので、窓からわずかに差し込む光で顔が立体的で生き生きして、いま生きてここにいる人のように見える。これが光と影の魔術師と呼ばれるレンブラントの絵だったのか。レンブラントは暗い、沈鬱、レンブラントなんて昔の人でしょう。生命がない、色がない、明るくない、と思い込んでいただけに、実物を初めて見てジワジワと胸に迫り溢れてくるものがあった。見て良かった。生命も色も明るさもある。父もそう思っただろうか。父も光と影、光に当たった部分の輝きに心躍る躍動感と生命力を見ただろうか。

もうひとつの今回の絵画展での注目は、ヨハネス フェルメールの「手紙を読む青衣を着た女」1663年作。ライクスミュージアムは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、「小路」、「恋文」を所有するが、今回シドニーに来たのは、この1点のみだった。
フェルメールは生涯で35点の作品しか残さなかった。彼の絵にはよく手紙と地図が出てくる。35作品のうち、手紙が絵の中にあるのが6点、地図が7点。この作品には手紙も地図も両方描かれている。
朝の光の中で、とても大切ななにかが書かれた手紙を女が立ったまま一心に読んでいる。女はブルーの絹のジャケットを着て、後ろにはスペイン椅子があり、椅子の背もたれにはライオンの彫刻が施してある。壁には世界地図が貼ってあって、机には宝石とスカーフが無造作に置かれている。女の着ているブルーのジャケットは朝の光に当たっている部分は薄いブルー、そうでない部分は深くて濃いブルーだ。当時の裕福な商人の若い妻だろうか。貿易商人の夫は植民地ジャカルタに行っていて、妻は、心のこもった夫から手紙を何度も何度も繰り返し読んでいるのだろうか。
青色はアフガニスタンでしか採れない宝石、ラピス アズーリを砕いたものだ。この青が素晴らしい。どんなに高価でも、この色を使いたかったフェルメールの気持ちがわかるような気がする。
どんな絵も先入観にとらわれず、見てみるものだ。17世紀の絵も今の絵も新しい。良いものはいつまでたっても生命力溢れて、人々にエネルギーをもたらしてくれる。良い週末を過ごした。
写真は、
レンブラント
ロイスダール
ヤン ステイン 
フェルメール

2017年11月12日日曜日

オージー議会:二重国籍てんやわんや

オーストラリアでは国民の26%が海外で生まれ、49%が自分自身または親が海外生まれだ。そして二重国籍者は記録では全人口の6分の1ほどだが、実際にはもっと多いだろう。
4人に1人以上の割で外国生まれだから、日本でいう国際結婚は当たり前だ。オーストラリア生まれの日本人夫婦の子供は、二つのパスポートを持ち二重国籍で育つが、日本は例外なしに二重国籍を認めない珍しい国なので、21歳になると、どちらかの国籍を選び、どちらかのパスポートを返さなければならない。しかし今後は日本も、国籍に関しての鎖国政策を止めて徐々に様々な例外を認めて行くようにならなければならないと思う。

オーストラリアは、18世紀にイギリスとアイルランドから送られた囚人によって国の基礎が作られ、その後ドイツ、デンマーク、北欧、イタリア、ギリシャなどの移民を受け入れた。1930年代にはユダヤ人、東欧の国々が入国、ベトナム戦争ではボートピープルが難民として、また天安門事件のあとでは数万人の中国人を難民として受け入れて来た。移民によって形造られてきた国という意味ではアメリカやカナダに似た多様な文化を持つ。しかし、3国ともに、移民が始まる前に住んでいた先住民族を、極めて残酷な武力によって迫害してきた醜悪な歴史を持つ。

オーストラリアでは二重国籍は違法ではないことは勿論のことだ。49%の外国生まれの
国民の国籍を、いちいち審査し規制することなどできない。
しかし、国会の連邦議員は、憲法によって違法とされていて、二重国籍者は、排除される。憲法第44条第1項では、「外国に忠誠を尽くし、服従もしくは加担すると認められる者、外国の臣民もしくは市民であるもの、または外国の臣民、もしくは市民の権利や特権を有するもの」は、議員資格がない、と明記されている。
二重国籍を持った議員が悪いことをするとしたら、選挙で選出され連邦議員でいる最中に、不正取引や収賄でスキャンダルを起こし追放されたあと、別の国に行ってまた議員になって居座る、とか、国家の重大秘密情報を議員でいる間に収集して他国のスパイ活動をする、とかだろうか。

しかしこれほど外国生まれが多いオーストラリアで、寝た子を起こす、とはこういうことか。今年の7月に突然、グリーン党の連邦上院議員スコット ラドラムと、ラリッサ ウオーターズが、自分は二重国籍者だったと表明して辞任した。ラドラムは10代のときに親がオーストラリアに帰化したがニュージーランド国籍がいまだに残っていたという。ウオーターズは、出生日の1週間後にカナダ国籍法が改正されたため自分にカナダ国籍が残っていたことを知らなかったと表明。どちらも精錬潔癖なグリーン党の若い議員で、彼らの潔癖な人柄を思わせたが、自由党党首マルコム ターンブル首相は彼らのことをケチョンケチョンにけなし、労働党も口をとんがらかして批判、二人はこれまで受けた議員報酬もすべて返却して辞任した。

これで済めば良かったものの、マルコム ターンブル首相の閣僚で資源相マット カナバツが、本人の承諾なしに母親がイタリア国籍を申請していて、本人はそれを知らず、イタリアに行ったこともなかったのに国籍があった、ということで現職閣僚が辞任。
続いて極右政党のワンネーション党、マルコム ロバーツと、ジャステイン キーの二人が英国国籍を持っていて、英国国籍を放棄したのが選挙の5か月後だったことがバレて辞任。

その後、誰もがあっけにとられたのが、副首相バーナビー ジョイスで、彼はニュージーランド生まれの父親を持ったため、自動的に二重国籍を持っていた。ターンブル首相より人気のある、「できる男」。副首相でいわば国の顔、現職の農業水資源大臣だ。ターンブル保守連合政権は、自由党と国民党の連合政権だが、バーナビー ジョイスは上院議員でなく、下院議員なので、150議席の76席が保守連合、バーナビー ジョイスが抜けるとターンブル首相は議会で過半数を取れなくなる。首相は右腕を失い、議会では多数派でなくなった。 上院議員の場合、議員が辞めても同じ政党の次の候補者が繰り上げ当選して後を継ぐので党派を確保できるが、ジョイスの場合下院議員なので国民党議員が後を継ぐことはできないのだ。

バーナビー ジョイスは彼の地元、ニューサウスウェルス州ニューイングランドに戻って連邦下院選挙区で補欠選挙が行われることになった。もちろん彼は立候補したし、再選が確実視されている。ここでもうターンブル政権の傷に塩を擦り込むのは止めればいいのに、バーナビー ジョイスと同じ国民党副党首、ナッシュが英国国籍を持っていたことが分かり、辞任した。それにしてもオーストラリアのファーマー達からオーストラリアの歴史以来代々と信頼を受け支持されてきた頑固者、保守政党国民党の党首と副党首が外国人(半分)だったとは何という皮肉。

止めればいいのにブルータスお前もか。ニック ゼネフォン党のニック ゼネフォンが、父親はキプロス生まれのギリシャ人だったと名乗り出て大騒ぎ。彼はサッサと辞職して、故郷のアデレードに帰ってしまった。そして南オーストラリアの州選挙に出馬すると言っている。優秀な弁護士出身で、ポーカーマシン賭博規制を公約し、出馬して行動力と力量と、独特のカリスマ性をもって連邦議員になり、マスコミに顔が出ない日はないほど活躍中の58歳。人権問題に真摯に向かい合い、マレーシアで反政府団体を支援してマレーシアから強制国外退去処分にあったこともある。自分の名前を党名に着けて、3人の上院議員を送り込んだ。国籍問題ばかりに大騒ぎして政治上の重要項目をまったく審議さえしていない現在の中央政府を早々と見限って、州政府に自分の場を作るということだろう。

このように多国籍国家、移民国家のオーストラリアであるのも関わらず、二重国籍ということで役職を辞任した連邦議員が今のところ8人、灰色議員と言われる議員が3-4人まだいて、追及が留まるところを知らない。たまたま自分の党に該当する議員が居なかった労働党の党首ビル ショーテンは有頂天で嬉しそうに厳しく政府を追及している。
「この国の法を作る議会で、議員が法を違反していることを赦してはいけない。」たしかにそうだろう。だが、もういい加減にしたら良い。
この争いは何も生まない。

二重国籍者、多重国籍者が何をしたというのだ。何を壊し、何を傷付けたというのだ。
一方、多国籍企業の方はどうだ。
世界中の富を奪い、圧倒的多数の人々から、石油を奪い、水を奪い、食糧を独占し苦しめている。怒りの矛先を向けるべきなのは、そっちだ。

(写真はニック ゼネフォン)

2017年11月4日土曜日

映画「ルート アイリッシュ」と軍需産業と傭兵と

映画:「RUTE  IRISH」
監督:ケン ローチ
キャスト               
マーク ウォーマーク:ファーガス
アンドレア ロウ  :レイチェル
ジョン フォーチュン:フランキー
トレバー ウィリアムズ:ネルソン

ストーリーは,
英国 リバプール。
ファーガスは子供の時からフランキ―と仲の良い双子のように親友同士で、いつも一緒だった。フランキーの妻、レイチェルは夫が妻の自分よりもファーガスを大事にしていることに、いつも不満を感じている。そのフランキーがテロにあってバグダッドで死んだ。ファーガスの憤りと悲しみは尋常ではない。
ファーガスは、英国軍特殊部隊SASに属してイラク戦争に関わり、退役してからも民間会社の傭兵として、フランキーと一緒にイラクにとどまっていた。帰国しても仕事はなかなか見つけられない。1カ月1万ポンドという破格の給料に魅かれて、傭兵になった。ファーガスは、自分がフランキ―を誘って現地に留まった結果事故に遭った、フランキ―の死に責任を感じている。

フランキーは、バグダッド空港と市内の米軍管轄地(安全地帯)とを結ぶ全長12キロのルート アイリッシュと呼ばれる、世界一危険な道路で乗っていたトラックごと爆破されたのだった。テロリストによる攻撃は毎日のように起きた。しかし、フランキーが死ぬ直前、ファーガスに「話がある」とメッセージをよこしていたことが気にかかっていた。フランキーは、何を伝えたかったのだろうか。
ファーガスはフランキーの葬儀の場で、自分にあてて送られた小包みを受け取る。中身はフランキーの携帯電話だった。中にはヴィデオが写されている。そこには、傭兵が、タクシーに銃撃を浴びせて乗っていた子供を含む4人の家族を撃ち殺すシーンが収められていた。ビデオでは、銃撃のあとタクシーに駆け寄ってドアを開けるフランキーの姿も映っていた。軍人による一般市民への殺人は赦されない。フランキーはテロリストに攻撃されたのではなくて、傭兵仲間によって、自分の犯した犯罪を隠蔽するために殺されたのではないか。フランキーがテロリストによって爆破された車は、普段傭兵が使う軍用ジープではなく、簡単に銃が貫通するような、普通車だったのもおかしな話だ。

そんな疑問を持ち始めた矢先、アフガ二スタンからネルソンという傭兵の中でも粗暴で暴力的な男が帰国してきた。そして彼はいきなりファーガスの家を襲い、フランキーがファーガスに送った小包みに入った携帯電話を取り返していった。怒ったファーガスはネルソンが、親友フランキーを殺したに違いないと確信して、彼を拉致して、CIAお得意の水攻めの拷問で殺す。しかし、そのあとでネルソンはフランキーが死んだときには、すでにイラクからアフガニスタンに移っていたことを知らされる。では、誰がフランキーを殺したのか。

ファーガスやフランキーを雇っていたコントラクター(会社)は売却されて新たなオーナーを迎えるところだった。会社はフランキーが握っている、傭兵の市民虐殺というスキャンダルを、隠して無かったことにしたい。それで会社は故意にフランキーをルート アイリッシュを通過する仕事ばかりを任せて、テロに遭って死ぬように仕向けたのだった。事情がわかったファーガスは、コントラクターの雇い主2人が乗った車を爆破する。親友フランキーのかたきは取った。しかし、仕返しをするために巻き添えに何人もの人も殺してしまった。もうファーガスは、フランキーが居た頃のようなもとには戻れない。
ファーガスは子供の時からフランキーといつも乗っていたフェリーに乗って、フランキーの骨を抱いて、河に身を投げた。
というお話。

親友に死なれた男が、捨身で親友の仇を取る、復讐 アクション映画。
テーマは、米英を始めとする大国による不理屈な戦争介入によって、軍人が市民を守るどころか現地の人々を蹂躙する現状を、激しく批判している。傭兵という戦争のプロが、戦場では大きな役割を任されていて、軍人のように軍規に縛られない分だけ、勝手気ままに現地の人々の生活を破壊している。また英国の失業率の高さ。兵役を終えて、故郷リバプールに帰国しても、ブルーカラーの自分達には就職できる当てがないため、戦地に留まり傭兵になって、命を引き換えに稼がなくてはならない現状も描いている。
映画の登場人物が、みな粗暴で暴力的だ。「ファッキンなにがし、ファッキンどうした。」ばかりで、放送禁止用語が2時間の映画の中で1000回くらい出てくる。

ケン ローチの映画はいつも労働者階級の人物が描かれるので、舞台はリバプールとか、グラスゴーとかで、なまりが強い。この映画も登場人物全員が、たった一人を除いて強いなまりで話す。ただ一人のきれいな英語を使う人物がイングリッシュ出身のコントラクターの持ち主、ファーガスたちの雇い主でフランキーを死に追いやった悪い奴だ。英国は階級社会だから話す言葉で、出身も属する階級も教育レベルもわかるところが興味深い。キングスイングリッシュやクイーンイングリッシュをしゃべる奴は悪い奴!! ケン ローチの映画に出てくる人々は、イエス、ノーではなくてナインだし、DOWNはドゥーン、HEADはアイド、NIGHTはニート、RIGHTはリート、TAKEはテク、MAKEはメク、MONDAYはモンデイ、NOWはヌー、ABSOLUTEはアプソリュ―ト、などなど聞き辛く、イングリッシュの字幕が必要だ。

いまや戦争は完全にビジネスになっている。戦争を始めるのは金のため。続けるにも、勝つのも金次第。かつて第二次世界大戦前には武器産業は無かった。戦争中は自動車会社や石油会社が国策として武器を作った。しかし、戦後、米国を中心に新しい武器開発が盛んにおこなわれるようになり、できるだけ自分達の国民の血を流さずに相手国に多くの血を流させる、最小の犠牲で最大効果を出すための兵器研究、開発が促進されてきた。大学では国防総省からの豊富な資金をもとに産学協同で武器を開発し、政情不安定な国々に武器輸出を推進する。

米国の軍需産業では、ロッキード マーチン、ボーイング、ジェネラル ダイナミックス、ノースロープ グラマン、の5つの企業が武器生産に関わる無数の関連企業を牛耳っていて、全米の国防費の40%を占めている。おとなしく飛行機を作っていれば良いのに。 武器輸入最大国アラブ首長国連邦、サウジアラビア、カタール、イラク、中国などが上得意先だ。軍需産業は売れるから、生産を止められない。武器の開発費は、輸出して得られる資金に依存しているから、沢山一度に人を殺せる武器を開発するために、今すでのある製品を売りつくさなければならない。作るだけ売れるから戦争を温存して続消させなければならない、という循環を無限に繰り返している。企業論理では、国籍よりも利益が優先だから、敵国であろうが同盟国であろうが、かまわず武器を売る。
かつて’戦争は国の独立のため、正義のため、自由のため、他国からの侵略から自国を守るためにあった。しかし今、起きているすべての戦争に正義もなければ、自由を求めて戦う人々も無い。軍需産業を太らせるために、終わりのない戦争を続けるだけだ。

戦争をしている兵士たちも国から派遣される軍人でなく、民間会社に雇われた傭兵だ。傭兵をかかえるコントラクターは、用心警備、施設、警備、現地向けの軍事教育、兵站等、軍の任務のすべてをカバーする。軍の強化、増大化には政治問題化しやすいが、民間に雇われている傭兵の数は表には出ないので、トラブルにならない。傭兵の死は公式な戦死者として扱われない。そのため、国民から戦争批判を浴びなくて済む。
そのかわり軍のような厳しい軍規がないので派遣される現地で問題を起こすことも多い。2007年米国ブラックウオーター社に雇われた傭兵が、17人の女子供を含む家族を虐殺した事件や、2004年、ファルージャで民衆によって殺された3人の傭兵が橋に吊るされた事件も記憶に新しい。いかに傭兵が地元の人々から憎まれているかよくわかる。
1991年湾岸戦争では全兵士の内、傭兵は100分の1に過ぎなかったのが、2003年イラク戦争では10分の1になった。兵士の10人に一人は傭兵であって、死んでも戦死者として扱われず、軍人恩給も出ない。イラクでは多い時で、後方支援や警備活動を含め26万人の傭兵が米国政府のために働いていたという。

死の商人は武器を作って売るだけでなく、傭兵も売りに出しているのだ。1991年ソ連崩壊と冷戦終結によって、軍縮が叫ばれるようになり優秀な失職した兵士に就職先が必要だった。またネパールのグルカ兵など植民地時代の遺産的、よく訓練された兵もコントラクターにとっては重宝された。しかし傭兵の需要が増してくると、アフリカのシオラレオーネのような貧しく失業率の高い国から子供を含めた傭兵を集めて来て低賃金で戦争に駆り立てるようになった。戦死してもニュースにならず、戦死者としてカウントされない。人の目に触れない。
武器商人が国の経済を牛耳り、敵味方に関係なく、売れる国に売れるだけ武器を売りつけ、戦争は始まりも終わりもなく、戦っているのは民間の傭兵で、雇い主コントラクターの命令通りに給料をもらって人を殺す。何のための戦争であろうが、誰のための戦争であろうが、傭兵は給料のために待遇の良い会社の側に立って相手を殺す。
どこにも正義はない。
哀しい映画だ。