2016年4月29日金曜日
ドキュメンタリフイルム「ダイビングベル」セウォル号の真実 真実は沈没しない
監督:アン へ リオン
製作:ファン へ リム
事故は2014年4月16日午前8時48分に起きた。
大韓民国、仁川港を出て済州島に向けて運航していた大型旅客船セウォル号が、済州島の手前18キロのところで、急激に右転回したことによりバランスを失い横転し、沈没した。ダンウオン高校の修学旅行の生徒たち325人、教員14人、一般客108人、乗務員29人の合計476人を乗せていた。救助活動の不備のため、304人が亡くなり、救助活動に携わったダイバー8人も命を落とし、救助されたのは,たった172人だった。
事故から2時間後に教育長が修学旅行のために乗っていた生徒325人は全員救助されたと、生徒の保護者たちに一斉にメールをしていた。其の4時間半後に、事故対策本部は、全乗客476人のうち368人が救助され、約100人が不明だと発表。その3時間後に今度は、海洋警察が300人が不明だと発表していた。
混迷する情報に、保護者達は同校体育館に集まり、海洋警察の説明に苛立った。保護者達は、携帯電話を通して自分の子供達がいまだに船内で救助を待っていることを知っていた。状況を把握していない海洋警察に業を煮やした保護者の一部は、済州島に来て、漁船をチャーターして事故現場に行った。そこで彼らが見たものは、現場には対策本部さえできておらず、「640人の救助隊員、ヘリコプター121機、船舶69艘が救助にあたっている、」という警察発表がまったく偽りだという現実だった。
ドキュメンタリーフイルム「ダイビングベル」の語り部は、ジャーナリスト、GLOBALニュースのリー サン ホーだ。彼は自分の足で取材していて、「640人の海軍を含めたダイバーが救助活動をしている」 という政府発表が、全く事実に反することを知っていた。すでに6月19日となり、事故から3日経っているが、たった8人のダイバーが現場までボートで行き帰って来ただけだった。彼は民間のボランテイアのダイバーにインタビューした。彼らは現場で海洋警察に妨害されて、何の救助活動もできなかったと、証言している。
政府は、海洋警察、海軍、水産庁、独占的に救助を依頼されたオンデイ―ヌ社と結束していて、民間のボランテイアも、日本からの援助も、米軍からの救命ボートのオファーもすべて断っていた。それでいて19日時点でも、「海洋警察は720人の救助隊員、261艘の船、35台のエアクラフトが救助活動をしている」 と公表している。オンデイーヌ社のリー サン ホー社長は、海中から生存者を救出することは大変困難だ、と言っている。政府も警察もオンデイーヌも、すでに乗客を生きて救出など出来ない、と知っていたのだ。
ジャーナリストリー サン ホーは、社から解雇されたが、気にせず海洋事業で海難救助に詳しい人を探し回り、民間会社のリー ジョン インに出会う。彼はダイビングベルがあれば、転覆した船のエアポケットの中にいる生存者を救出できるという。ダイビングベルとは鉄製の釣り鐘型の救命機で、中では4人の人が座って普通に呼吸ができるという’装置。アメリカで沈没した戦艦に閉じ込められて30メートル海中で船内のエアポケットに居た兵士を救助した記録がある。これを使えばダイバーは、20時間も海中で捜査、探索ができるという。リー ジョン インは$150000もするダイビングベルを取り寄せて21日に、現場に向かう。 しかし、大型ボートでダイビングベルとともに、現場に行ったリー ジョン インと彼の仲間たちは、海洋警察に恫喝されて戻って来る。メデイアは、そろいもそろって「ダイビングベル設置できずに失敗」と報道する。ジャーナリストのリー サン ホーと、リー ジョン インは自分たちの前に立ちはだかる「権力」というものの大きさを改めて知らされる。
帰ってこない子供達に思いをはせる保護者達は黙っていない。海洋水産庁長官リー ジュ― ヤングと、海洋警察署長キム スック キョンを前に、「この3日間、救助と言いながら何もやっていないではないか、750人の救助隊員とは、どこにいるのか」と、追及し、怒りを爆発させていた。 その場でジャーナリスト リー サン ホーは、ダイビングベルを試してもらいたいと提起して、海洋水産庁長官と海洋警察署長の承認(オーダー)を取り、保護者達の賛同も得て、リー ジョン インに戻ってきてもらうことになった。
2度目のダイビングベルの登場。しかし当日になってみると、同行するはずのメデイアは見当たらず、船に同船するはずの保護者達も居ない。それでも 「わずかな人は私の失敗を待っているが、ほとんどの人達は成功して奇跡が起こることを望んでいるはずだ。」 と言ってリー ジョン インは港を後にする。そして再びセウォル号に近付くと海洋警察の停められて、「腹を刺されたいか」と恫喝威嚇される。
3度目の強行。ついにダイビングベルはセウォル号に取りつき海底探索を決行する。70メートル海中を2時間近く調査して浮上した。いままでの海洋警察のダイバーがダイビングできたのは11分、海軍が26分、それに比べてダイビングベルでは2時間捜査探索ができる。リー サン ホーと、リー ジョン インは、嬉々として、これで今後は海洋警察と海軍がこのダイビングベルを使って効果的に捜査できるだろうと、小躍りする。
しかし、翌日リー サン ホーとリー ジョン インが受け取った海洋警察の言葉は、「そこをどけ。」「帰れ」だけだった。
という記録。このドキュメンタリーフイルムは釜山映画祭で上映されたが、その執行委員長が更送された。
事故から2年経ち、いろいろな事実が明るみに出て来た。YOU TUBEだけでも、「DIVING BELL」、「NEWSTAPA:KCIJーGOLDEN TIME FOR SEWOL FERRY」、「UNCOVERING THE WEB OF INTRIGUE SURROUNDING THE SEWOL FERRY DISASTER」、「NEWSTAPA SEWOL FERRY ONE YEAR SPECIAL」などなどを見ることができる。亡くなった生徒達が送ったメッセージやビデオも、それを受け取った保護者達が記録として残している。セウォル号が沈没し、多くの死者が救出できなかった原因は。
1) 過剰積載オーバーロードで、積荷は基準の3.6倍もあり、大型車両などの貨物が固定されておらず、極めて不安定だった。
2) 操縦席に船長は不在、船長を含め、乗員全員が契約社員だった。事故当時操縦は入社4か月、26歳の女性三等航海士ひとりに任されていた。
3) 不適切な船体改造で、船体がバランスを欠いていた。過剰積載のバランスをとるための水が4分の1しか注入されていなかった。
4) 船体の公的機関、監査院による安全のための定期検査が行われていなかった。役所との癒着が船の安全を失わせた。
5) 船の機械そのものに欠陥があった形跡がある。
6) 船の引き上げ、乗客救助を民間会社オンデイーヌ一社に不正に独占契約させた。当会社は海洋警察と癒着し海洋警察の天下り先となっている。この独占企業が他の民間企業の協力を拒み、他国からの援助も拒否する結果となった。
時間を追って問題を見てみると
4月16日午前8時49分
セウォル号を船長に代わって操船していた入社4か月の契約社員三等航海士パク ハン ギョルは、この航路での操船は初めてだったが、16-18ノットで航海すべきところを21ノット(時速39キロ)のスピードで航行し、19ノットで急旋回したため、船体が傾き荷崩れが起きた。彼女は5度以上の操船角度で回せば沈没の危険があることを知っていて15度以上の大角変針して船を沈没させ、その後乗客に救護措置をとらずに船から脱出した。
船には大型トレーラー3台、車両180台(245トン)、コンテナ150本(1157トン)など、合計3608トンの貨物が積荷され、それらは固定固縛されていなかった。基準の987トンを大幅に上回った重荷を載せているため、それを隠すため船体のバランスをとるため注入されるべき2000トンの水を、その4分の1に減らしていて、580トンの水しか入っていなかった。またこの船は 2012年に輸入され、客室拡張のため、客室2階部分が増設され船体重心が上昇していた。そのため、船体は極めてアンバランスな状態になっていた。
イー船長は事故発生当時、自室に居たが、船の事故を知ると、9時35分に最初に到着した海洋警察の船で逃亡した。これは大韓民国船員法「船長は緊急時に際して人命救助に必要な措置を尽くし旅客が全員下りるまで船をはなれてはならない」の違反しているため、後に高裁で、殺人罪で無期懲役を言い渡されている。
チョン ヨン ジュン副船長は前日に入社したスタッフで、セウォル号安全設備担当者も同日に入社、事故当時乗っていた船員15人のうち、8人はセウォル号乗船半年未満だった。
乗員たちが、乗客の誘導、救護をせずに、いちはやく逃げ出した理由は、20年以上前の救命ボートが使えないことを知っていたからだと、思われる。錆とペンキの塗り替えで救命ボートも、46個のカプセル状の筏も、下ろせず使い物にならない状態だった。
乗員たちは、みな制服から私服に着替えてから、乗員だけが知っている通路から救助されており、乗員として許されないことをしている自覚が十分あった。船長はズボンを脱ぎ捨てて「救助」されている。 また、のちには、いち早く救助された乗員たち15人は、海洋警察が宿泊しているホテルに滞在し、逮捕されるまで全員で口裏を合わせて罪から逃れるための画策をしていた。
高裁判決では、殺人罪を適用された船長を始めとして、14人は、遺棄致死罪で懲役1年6か月から12年まで言い渡されている。
この船会社では、緊急避難教育が全くなされていなかった。船員教育費年間:54万ウオン、広告費:2億3千万ウオン、接待費:6060万ウオンという記録がある。オーナーの楡氏に対して警察は、彼の国外逃亡を阻止しようと、彼が創設したキリスト教団体クムス院を6000人の機動隊を動員して捜査し、全国指名手配、情報提供者に5千万円の謝礼が約束された。彼はカナダとフランスに亡命申請していた。しかし2か月後に彼の変死体が見つかる。
事故後、9時24分に船は45度に傾いている。9時45分に船は62度に傾いていて、それまで船内放送で、「救命胴着を着用して待機するように、動かないように」 と幾度も念を押されていた生徒達も自分たちの客室で待っていることに、疑いと極度の不安にかられていた。傾斜した客室で落ちて来た家具などで死者、けが人も出ている。
9時43分に息子を会話をした父親が 「、言われたように待機していなさい。かならず救助されるから。」と言って携帯電話を終えた。その父親が、自分を責めて、ジャーナリスト リー サン ホーと泣きながら政府に抗議、真相究明の行進に参加している。9時56分の生徒が送って来たビデオには、エアポケットで心理的恐慌状態の沢山の生徒達が写っている。10時15分に生徒の「待て、待てだって」 という言葉が最後。それまで待つように、と放送していたアナウンサーが、同じ時間に、初めて全員脱出するように促したと言われている。しかし、この放送を誰か聞いて実行できた生徒はいない。
驚くべき権力との癒着。
見えてくるのは権力者と企業との腐敗した癒着だ。金権主義に染まっていて、子供達の安全など考えもしない。国と、海洋警察と、海軍、癒着企業の権威を取り繕うことしか考えない政府の公式発表。何事が起きてもすぐに誰かがトップになり、その他は追従する。極端に先の尖った三角形のヒエラルキーが出来上がり、一旦パワーが確保されると、どんなに人々が声をあげようが、嘆こうが、犠牲が出ようが、変えることができない。固定した「堅固な警察社会」。
混乱する現場を強力な権威:海洋警察が独占指揮を執る。民間ボランテイアやダイバー、海軍さえも海洋警察に従わなければならなかった。それはそれとして、しかし、ならば何故 生徒達が船内にとどめ置かれていることがわかった時点で、何故、どうして海洋警察は船内に入って生徒達を誘導、救助しなかったのか。市民国家にとって、ポリス:警察が市民を守らないで信頼できないとは、どういうことなのか。船が横転してから沈没するまでの1時間20分、海洋警察は何をしていたのか。
こういったドキュメンタリーを観るには覚悟が要る。
子供を失った保護者達にとっては事件は終わっていないし、いまだ海の底に沈む船内に居て保護されていない遺体もある。船の引き上げが完了するまで、見届けると言って、船の見える丘に代わる代わる座り込みをしている保護者達も居る。真相究明は、まだこれからだ。
この世で一番耐え難いことは、まちがいなく自分の子供を失うことだろう。子供のために生きて来たのに子供に先に死なれたら親は生きる価値はないと、自分を責めるしかない。今まで、これだけ嘘を重ねてきた政府権力者からの見舞い金など、受け取れるか、と拒否する保護者達の気持ちはよくわかる。
いま私たちは、テイシュペーパーボックスを次々と空にしながら、このようなドキュメンタリーフイルムを見ることが大切だと思う。何年経っても記憶して、いつまでも、こういった不正が行われ、無垢な子供たちが本当に苦しみながら殺されて逝ったのだということを、忘れない。記録を見て、強く記憶にとどめ、権力を憎み続ける。
2016年4月16日土曜日
映画 「ザ ウォーク」
監督:ロバート ゼメキス
ジョセフ ゴードンレヴィット: フリップ プテイ
シャルロット ルボン :アニー
ベン キングスレー : パパ ルデイ
クレマン ボニー : ジャン ルイス
ジェームス バッジデール: ジャン ピエール
セザール ドンボーイ : ジェフ
ベン シュワルツ : アルバート
ストーリーは
1973年 パリ。
フィリップ プテイは,ストリートパフォーマー(大道芸人)としてパリで綱渡りをして生活を始めた。こんなことをしていて定職に就こうとしない息子を、厳格な両親はとっくに見限って勘当してくれた。生活がどんなに厳しくても、フイリップは自分が子供の時からあこがれていた綱渡りを続けられることが、嬉しくて仕方がない。芸は、サーカス芸人のパパ ルデイから教えを受けた。しばらくは彼のサーカス団に加わっていたが、しょせんフイリップは人に使われるような仕事は続かない。たった一人、自由に街を歩き、気に入った所にロープを張って芸を披露して、立ち止まって見てくれた人から小銭をもらう。
ある日、彼の帽子に、小銭ではなくて大きな飴を子供が入れてくれた。それを思い切り噛んだフィリップは歯を傷付けて、歯医者に行く羽目になってしまった。歯医者の待合室で順番を待つ間、雑誌を見ていたフリップは、ニューヨークで建設中のツインタワーの写真を見て、その姿に魅せられる。この二つのツインタワーに綱を張って、その上を綱渡りしたい。この日から彼は憑かれたように、ツインタワーの間を歩いて渡る日を、夢に見る。日常でフランス語を話すのを止めて、英語で会話するようになった。心は、もうとっくにニューヨークだ。そのころ、同じストリート パフォーマーで、歌手のアニーと出会い、一緒に暮らし始める。二人でニューヨークに行って、ツインタワーの最上階で綱渡りを成功させることが、二人の夢になった。アニーは、フイリップの綱渡りを成功させるために、美術学校の友人、カメラマンのジャンを説得して、彼を計画に加える。フイリップは、ノートルダム寺院の尖塔など、次々と高い建物の上に綱を張り、綱渡り芸人として成功し、ジャンはカメラマンとして、綱渡りするフリップを写真に収める。二人は徐々に人に知られるようになり、人気者になっていった。
フイリップンはいよいよニューヨークに渡り、建設中のツインタワーを調査し始めた。最上階までどうやって登るのか、二つのビルの間にワイヤーを張れるような柱があるのか、ガードマンは’夜中どのように巡回しているのか。フイリップは工事現場の職人のように装い、ツインタワーの情報を調べた。そんな彼の変装を見破って話しかけて来た男が居た。ツインタワーの中にある保険会社に勤めるバリー グリーンハウス。彼はノートルダム寺院で綱渡りするフイリップを見ていて、彼のファンになった男だった。その日から彼もツインタワー綱渡りプロジェクトの仲間に加わる。仲間は、カメラマンのジャン ルイス、彼の親友でアーチェリーの達人ジェフ、電気専門家のジャン ピエール、もう一人のカメラマンのアルバート、そしてバリー グリーンハウスと、恋人のアニーだ。もちろんサーカス団長のパパ ルデイも一緒に知恵を絞ってくれる。一方のタワーからアーチェリーでまず縄を渡し、そこからワイヤーを張る。とうとう、ツインタワーの工事が終了し、建物が完成する日が近付いた。チームは決行の日を1974年8月6日の夜明けと決定した。失敗は許されない。成功すれば、世界で初めて、110階、地上411メートルの高所を綱渡りした人として、新記録を残すことになる。
決行前夜、チームはツインタワーに二手に分かれ、首尾よくビルに潜入して屋上に達した。誰にも気付かれないうちにワイヤーをビルの間に渡さなければならない。しかし思いのほか警備が厳しい。ガードマンをやり過ごすために、重いワイヤーを屋上から落下させてしまったり、見回りから姿を隠すために何時間も身動きが取れなかったり、仲間が穴から落下しそうになったり、もう一方のタワーから飛んできたはずのアーチェリーの矢がどこに刺さったのかわからなかったり、予想外のことがたて続けに起こる。何とか障害を克服して、予定から3時間遅れてフイリップは遂に綱渡りを始める。早朝の勤務に急ぐ人々の足が止まる。フイリップの心は平静だ。一方のタワーに着くと、下からハラハラして見上げている人達は大きく拍手する。フイリップは、またもとのビルに引き返し、縄の中央で膝をついてみせ、寝て見せて、歓声をあげている人々を熱狂させた。
そのころには警察官がフイリップを拘束しようと両ツインタワーの屋上に集合している。ヘリコプターまで出動してフイリップを止めさせようと必死だ。それを知っていてフイリップは、6回ワイヤーを渡り、彼のチャレンジを終えた。怒り狂ってフイリップを逮捕する警察官たちを後目に、彼はたくさんの建設工事労働者たちや、見物人たちに盛大な拍手をもって迎えられる。そして階下では、マスコミ報道陣が待ち構えていて、インタビュー責めに会う。
彼は違法で危険なことをした犯罪者であったと同時に、勇気ある綱渡り芸人で、人々の英雄になったのだ。これを機会にフイリップは、ニューヨークで暮らすことになる。
ツインタワーが完成してから、フイリップはタワーの展望台に登るチケットを賞与された。このチケットの有効期限のところは、消されていて、フイリップはいつでも気が向いた時には、「永遠に」、このタワーに登ることが許されたのだった。
というストーリー。
この映画の一番の見所はやはり、ツインタワーに張ったワイヤーを、フイリップが一歩、踏み出す瞬間だろう。朝霧で少し先のワイヤー以外 何も見えない。対岸のビルも見えない。白い霧の世界だ。その一歩先のワイヤーしか見えない世界を足を踏み出す。数歩歩いたところで、魔法のように霧が晴れて美しいグリーンの下界が’くっきり目の前に広がる。突然白一色だった世界から色のある世界が広がっていく、その瞬間がみごとな映像で、感動的だ。
フイリップが子供の時に大道芸人の綱渡りを、初めて見て心を奪われてからというものの、ずっと自分が一流の綱渡り芸人になる夢を捨てずに努力して、夢を実現させるところが偉大だ。子供の時は誰でも夢を見るが、その夢を実現する人は少ない。親に勘当されて、嬉しそうに家を出るフイリップの姿が印象的だ。一見小柄で軟派に見えるフイリップが、いつも頑固ともいえる自分の強い意志を通す。そんな彼に逆らったり、忠告したり、考えを変えさせようとしたり衝突しながらも、彼をしっかり支える友人たちも偉い。始め、街かどでギターを抱えて歌を唄っていたアニーが、綱渡りするフイリップに見物人をみな取られてしまって、文句を言いに行く。しかしアニーは文句を言っているうちにフイリップの熱を帯びた話し方に引き込まれてしまう。そのアニーがカメラマンのジャンを連れてくる。そのジャンがジェフを連れてくる。ジェフがアルバートを、というようにフイリップのまわりに仲間たちが自然と、吸い寄せられるように集まってくる様子が興味深い。フイリップのように強い意志を持った人には、特有の「磁力」とでもいうものが働いて、自然と周りの人を巻き込んで自分の方向に向かせてしまう力があるのだろう。
ただひとりの男が綱を渡る。それだけの映画なのだが、ただそれだけのことのために、それを支える仲間たちが惜しみなく協力する。その懸命さに心を動かされる。
主演のジョセフ コットンレビットは、祖父が映画監督のマイケル ゴードン。芸術家の家系の中で4歳の時から子役で舞台で演技をしていたという。「500日のサマー」(2009)、「インセプション」(2010)、「バットマン ダークナイトライジング」(2012)、「ルーパー」(2012)などでおなじみ。せっかくクリスチャン ベールから引き継いで、次のバットマンで登場するのかと思っていたら、次のバットマンはベン アレックに決まってしまいがっかりだ。
でも、2016年に完成される予定の映画、「エドワード スノーデン」の主役に抜擢されたそうで、映画の完成が楽しみだ。バットマンより、スノーデンの方が彼らしい。
この人も役作りに凝る人で、フイリップ プテイを演じるにあたって、本当の綱渡り芸人について特訓を受けて、スタジオに張られた綱を、平均棒を持って自分で本当に綱渡りをしてみせたそうだ。
フイリップはアメリカに行くと、決めてからパリに居る間も英語で通した。この映画は英語が60%、フランス語が40%くらいの割で会話が進んでいて、どっちも分かっていないと見ていて結構つらい。でも役者のジョセフ コットンレビットは、コロンビア大学でフランス文学を専攻して卒業していてフランス語には困らない人なのだそうだ。こんなとき日本人ってどんだけ語学で損をしているのか、と恨めしくなる。この役者は、英語なまりのフランス語ではなくて、フランス語なまりの英語を話す役を演じるために、プロについて発音を自分のものにしたのだそうだ。なかなかできないことだ。
この映画の前に、監督ジェームス マシューによるドキュメンタリー映画「マン イン ワイヤー」(2008年)という作品がある。ドキュメントフイルムと、フイリップ プテイの関係者のインタビューを編集した映画で、第81回、2009年のアカデミー賞ドキュメンタリーベストフイルム賞を受賞している。彼の行為は法的に罰金や拘留といった結果をもたらす違法行為であるにもかかわらず、常に自己の勇気を鼓舞させ、限界に挑戦していく姿が多くの人に高く評価されることで、賛否両論の的になってきた。
勇気ある人生のチャレンジャーか、ただのウケを狙ったお騒がせ行為か。
人気者か犯罪者か。
揺ぎ無い美意識を持った芸術家か、大人になりきれないやんちゃ坊主か。
英雄か、無法者か。
不可能を可能にした努力家か、社会に貢献しないヨタ者か。
人によって評価は異なるだろうが、そんな彼のために「マン イン ワイヤー」という映画と、「ザ ウオーク」という、2本の映画が制作された。どちらを観ても、同じくらいおもしろい。フイルムがIMAXにも3Dにもなった。これも極端な高所恐怖症でない限り楽しめることだろう。
2016年4月3日日曜日
映画 「スポットライト 世紀のスクープ」とジョージペルなどのオーストラリアのぺデファイル牧師
映画:「SPOTLIGHT」
監督:トム マッカ―シー
キャスト
マイク ロビンソン:マーク ラファエロ
ウオルター ロビンソン:マイケル キートン
サーシャファイヤー:レイチェル マクアダムス
マーテイ バロン:リーブ シュレイバー
ベン ブラッドリー:ジョン スラッテリー
マット キャロル:ブライアン ダ―シ―ジェームス
第88回今年のアカデミー 作品賞、脚本賞の受賞作品
2003年にピューリッツアー賞公益報道部門で受賞した時のボストン グローブ紙のスポットライトチームについて描いた実話。スポットライトチーム(特別調査報道班)は、教会のペデファイル(小児性愛)牧師を追及することで、カトリック教会が組織的に犯罪者たちを保護し事実を隠蔽してきた事実を暴露した。
ストーリーは
カトリックが住民の大半という保守的なボストンで、ボストングローブ紙は地元紙として住民から強い支持を得て来た。社にはスポットライトチームという調査報道班があって、ひとつのテーマを、数か月かけて内容を深めて報道する役割を果たしていた。ベン ブラッドリー、ウオルターロビンソンを中心に6人の先鋭たちだ。定年退職していった編集長の代わりに、マイアミから新しい編集長マ-テイン バロンがやってきた。革新的な土地からやってきた新編集長の目からは、ボストンで起きた 「ケーガン神父によるペデファイル事件」について、ボストンのどの新聞社も、通り一遍の報道しかしていないことが気にかかっていた。もっと事件を掘り下げて事実上起こったことを住民は、知るべきではないのか。
チームは動き出した。ケーガン神父が子供達をレイプしていた、ということを当時の教会の上司達は知っていた。にも拘らず神父が犯罪行為を繰り返すことが許されたのは何故なのか。被害者たちの弁護士は、証拠をもって裁判に持ち込んでも教会内では警察が動かない。証拠と証言が充分にそろわずにいるため被害を立証できない。加害者がはっきりしているにもか関わらず、納得のいく判決が出ず、損害賠償に持ち込めない。そのうちに加害者の牧師は、他の教会地区に移動していって、罪を問われないまま引退していく。そんなことが許されるのか。様々な壁にぶち当たりながら、チームの記者たちは被害者たちを、ひとりひとり探し出し、彼らの硬い口を開かせて、その声を拾い集める。
徐々にわかってきたことは、同じ教会の上層部にいる司教が、性的虐待をされた少年少女被害者たちが訴え出ても、加害者の牧師を他の任地に移動させ、被害をもみ消していることがわかった。他の任地に移動したぺデファイル牧師は、その土地でまた犯罪を繰り返す。被害は広がる一方だ。ボストンだけでぺデファイル牧師の数は、90人。驚くべきカトリック教会組織内の腐敗と犯罪が見えて来た。調査が佳境に入るころニューヨークで9.11事件が起こる。各新聞社が9.11で浮き立っている中で、スポットライトチームは、しぶとくぺデファイル牧師というカトリック組織内最大のスキャンダルを追っていた。
2002年、遂にチームは、これまでの調査結果を紙上で発表する。衝撃は世界中に広がった。紙上で被害者は恐れずに被害を受けた時の話を聞かせてほしい、とスポットライトチームの電話番号を明記した。グローブ紙が配布されると同時に、出社したばかりのスポットライトチームの各電話が鳴り響いた。続々と被害者たちが自分に起こったことを語り始めたのだった。それは今まで誰にも言えずに隠してきた過去の心の傷を一挙にさらしだして教会に正義を問うことに被害者たちが目覚めた瞬間だったのだ。
というストーリー
ラブシーンもベッドシーンもなければ、家族が笑ったり食べたり喜んだりするシーンもない。地味で記者たちがひとつのテーマを追って仕事するシーンだけでできている映画。そんな映画が今年のアカデミー賞最大の名誉である作品賞を獲った。
最後のスポットライトチームの部屋にある電話すべてが次々と鳴り響くシーンが感動的だ。勇気をもって名乗りを上げようと被害者たちがかけて来た電話のベルが、力強い合唱のように聞こえるところで、映画が終わる。
編集長は犯罪が、いかに教会でシステマチックに行われてきたかを、告発することでしか再犯は防げない。被害をセンセーションに暴露して世に衝撃を与えるのではなく、いかにカトリック組織が、このような犯罪を黙々と許し、世間から隠蔽することによって、教会の権威を守って来たのか、教会の組織的犯罪を告発することを、記者たちに要求していた。かたくなな編集長の姿勢に対して、若い記者たちの、次々をわかってきた被害を、一刻でも早く暴露して報道したい熱意とが衝突する。正義感ゆえに、編集会議で編集長と正面衝突した記者が、行き場がなくなって夜中に仲間の家を訪ねる。自分が子供の時、親に連れられて教会に通った、そんな互いの共通点を語り合うことで荒ぶる心を鎮めようとする。スタッフ同士が言葉少なく、心を通わせるシーンが印象的だ。記者たちにとって、教会に通う「良い子」だった頃のことは、良い時代の良き思い出だ。教会に裏切られるということは、お父さんに裏切られたようなもの、心が傷つく。
被害者たちの代弁をする弁護士のミッチェル ギャラベデイアン(スタンリー トウッチ)は、アルメニアからきた移民。対する記者のマイク レゼンデス(マーク ラファエロ)はポルトガル移民の子だ。二人ともヨーロッパからきた貧しい移民だった背景が、彼らの正義感を裏打ちしている。
また、役者のマスター キートンがとても良い。「バードマン」でブロードウェイをパンツひとつで歩いたうらぶれた姿からは想像できない、切れ者、凄腕のジャーナリスト役に、はまっている。
確かにこのボストンブローブによる報道が世界に与えた影響は大きかった。これが’切っ掛けになってカトリック教会組織のスキャンダルを追及する動きは、大きな波となり、被害者のカミングアウト、警察の介入、裁判、それに続く損害賠償が盛んに行われるようになった。しかし、まだまだ教会組織の膿は出ていないし、バチカンはいまだ秘密に覆われていて、裁判はスローモーションで被害は救済されていない。
オーストラリアでは、2012年に創設された皇室小児性的虐待対策委員会(ROYAL COMMISSION INTO INSTITUTIONAL RESPONSES TO CHILD SEXUAL ABUSE)がこの問題を取り扱っている。今までぺデファイルで実刑を受け刑に服している牧師がたくさん居る。
1997年 26人の被害者に対して50の罪が立証され服役したビンセント ライアン牧師。
2004年 4人の被害者、24の罪で服役、余罪を追及されていた2006年に獄死したジェームス フレッチャー牧師。
2009年 39人の被害者、135の罪で服役したジョン デンハム牧師。
2009年 4つの罪で服役しているジョン ハウストン牧師。
裁判中の、5人の被害者、22罪状のデビッド オハーン牧師。
裁判中死亡した、8歳と10歳の少女をレイプしたデニス マクアリデン牧師。
審議中の 2人の被害者、22罪状のピーター ブロック牧師。
また、これらの牧師達を保護隠蔽した罪でパトリック コター神父、トーマス ブレナン神父、フィリップ ウィルソン大司教が罪に問われている。
これらのカトリック組織犯罪の中でも、オーストラリアで一番出世しているジョージ ペル枢機卿バチカン経済省主席が、最も犯罪的と言える。彼はバチカンで次のローマ法王の候補にあげられるようなカトリック教会の最高地位に登る場にいるが、彼は多くの牧師によるレイプを見逃して、隠蔽してきた。彼はメルボルンで1996年-2001年まで準大司教を務め、2001年から2014年までは、シドニーの大司教を務め、現在バチカンの大役を任されている。彼がメルボルンに居た頃に、部下のジェラルド リステル牧師は、1993年から2013年までの間に4歳の子供を含む54人の子供に性的被害を与え8年の実刑を受けて服役している。この恐るべき犯罪者と、当時同じ家に住んで居た、ジョージ ペル枢機卿は、「何も知らなかった」 と証言し、14歳の少年を毎晩自分のベッドで寝かせてレイプしていた犯罪者を、自分は、「何も見なかった」と言っている。ジョージ ペル枢機卿自身も、1961年に12歳の少年をレイプした罪で、2002年6月に訴えられているが、なぜか審議中に訴えが取り下げられたため継続審議されていない。
最近のことだが2016年2月、皇室審議委員会が審議中の証人としてジョージ ペル枢機卿をシドニーに召還したが、74歳の彼は、パリ旅行から帰ったばかりなのに、「健康上」の理由によって、バチカンからシドニーまで来られないと主張し、審議のために来豪しなかった。そこで証言は、バチカンからビデオを通して行われることになったが、被害者たち15人の一行は彼が証言するところを実際に見たいということで、自費でバチカンに飛んだ。この審議の様子をオーストラリアの公共放送ABCテレビでは、数日間の審議をすべて放映した。ABCは良くやったと思う。おかげでオーストラリアの人々は、当時彼が部下だった加害者牧師に、彼が何をしたのか、どう証言するのかを、ビデオで見て、証人になることができた。誰もが彼の、「知らなかった」、「見なかった」、「全然興味もなかった。」という彼の証言に、改めて怒りを持ったと思う。15人のバチカンに飛んだ被害者たちは、予想通り落胆し、バチカン最高責任者に面会を求めたが、受け入れられず、傷心の帰国をせざるを得なかった。
裁判はいっこうに進まない。犯罪が行われたことは疑いがないにもかかわらず、罪を問うことに時間がかかりすぎる。教会は人を救済するところではないのか。
この世で最も罪が深いのは、無垢な心を裏切ることだ。
神の教えを乞うために教会に来た子供達を、その師たるべき牧師が自分の性的満足のために虐待することは、人間として最も深い罪を犯していることになる。牧師にレイプをされ、信頼を裏切られ、精神的にも肉体的にも傷を負った被害者たちは。成長過程で、自己に自信を失い、人を信じられなくなり、他人との協調性を失う。うつ病や自殺に走る人や、薬物依存症などにもなりやすい。大人になっても普通の結婚ができなくなったり、理解者が得られず孤立していて、彼らの傷が癒えることはない。
ぺデファイルは、「嗜好」であって、病気ではないから治癒することはない。被害者の声によって一時的に反省しても、罰せられ受刑しても、彼らの「嗜好」を変えることはできない。ペデファイルは、「去勢手術」をするしかない。ぺデファイルに限らずレイプによってしか「快感」が得られない犯罪者を一生監獄に閉じ込めておくことはできない。彼らの中にも頭脳明晰で立派な業績を残せるような人もいるかもしれない。しかし彼らを放置して子供達を危険な状態に置くことはもっと許されない。こうした「嗜好」の人には、専門家が辛抱強く説得して、去勢施術を受けさせるべきだ。それが本人にとっても有益な結果を生む。
また、カトリック教会とぺデファイルとは、歴史的に長い事問題となってきた。カトリック教会の牧師も結婚するべきだし、カトリックの女性牧師がどんどん出てくるべきだ。何故って、「今は2016年だから。」(カナダのトルード大統領の弁を借りて。)
2016年3月18日金曜日
今年のアカデミー賞と映画「サウルの息子」
今年のアカデミー賞では、ハンガリーの、ネメッシュ ラスロ監督による映画「SON OF SAUL」(サウルの息子)が、外国語作品賞を受賞した。この作品は、アダム アーカポ監督による「マクベス」とともに、アカデミースポットライト賞というの賞も受賞した。
今年の外国語作品賞候補作は、ヨルダンの「THEEB」、デンマークの「A WAR」、フランスからは「ムスタング」、コロンビアの「EMBRACE OF THE SERPENT」と「サウルの息子」が挙げられ、最終的にこの作品が受賞した。
今年のアカデミー賞は、2か月前に候補作が挙げられた時点で、ホワイトアカデミーと揶揄され、白人の男性ばかりが候補になっているのは人種差別、男女差別の見本だと批判され、一部の黒人俳優が出席拒否をするなど、話題が多かった。いざ蓋を開けてみると、司会者やショーを盛り上げるパフォーマーがみな、ホワイトアカデミーと言う言葉に触れてジョークをかますなど、政治色も強い発言が多くて興味深かった。
レデイーガガが、「TILL IT HAPPENS TO YOU」を何十人ものレイプ被害者、家庭内暴力を生き延びた被害者と一緒に歌って、会場からスタンデイングオベイションを受けていた姿が印象的だった。ーあなたは悪くない、レイプされても自分が悪かったなんて思わないで、ひどい目に遭っても暴力で私の心を曲げることはできない、前を向いて生きていこう、、、そう互いに言えることがいかに大切か。「HOLD YOUR HEAD UP」なのだ。本当にそうなのだ。
アカデミー主演男優賞を遂に手にしたレオナルド デカプリオが、受賞のスピーチで、大企業、エネルギー産業による環境破壊は現実に起こっていることで深刻です。地球上すべての生き物が生き残るために、先住民族を尊重し、弱者を保護し、環境保全のための政策を取らなければなりません。といった自然保護活動家として、まっとうな警告をして、これまたスタンディングオベーションを受けていた。
またドキュメンタリーショートフイルムでは、パキスタンの「A GIRL IN THE RIVER」が受賞した。二度目の受賞になる女性監督SHARMEEN OBAID CHINOY シャ―メン オバイド チノイは、若い女性がシャリアローと呼ばれ、名誉殺人といわれる慣習によって殺されている現実を告発した作品をフイルムにした。パキスタンなどモスリムの一部の地域では、女性が親の決めた結婚に逆らったり、身分違いの男に恋をしたりすると、その女性の兄弟や父親が、当の娘を殺すことが名誉とされる宗教的慣習がある。パキスタンでは毎年1000人余りの女性がこの名誉殺人で処刑されている。監督は受賞の檀上スピーチで、「今年パキスタン政府は、やっと名誉殺人が違法であることを正式に認めた。フイルムのパワーがこうした動きに通じていると考えると嬉しい。」と述べた。
このようにアカデミー賞も今年は、かなり辛口で告発型、政治色の強い、社会性のある賞になったことは、良い事だと思う。単なるお祭りではなく、考えるための集いになったことは、フイルムの本来の目的に沿ったことであるからだ。
サウルの息子
監督:ネメシュ ラスロ
キャスト
サウル:ルーリグ ゲーザ
アブラハム:モルナール レべンデ
ビエデルマン:ユルス レチン
ドクター:ジョーテル シャーンドル
ラビ:トッド チヤ―モント
ストーリー
1944年10月 アウシュビッツ ビルケナウ収容所
サウルはハンガリアのユダヤ人で、アウシュビッツに捕らわれ、同じユダヤ人が殺されたその死体を処理するゾンダーコマンドと呼ばれる特殊班で働かされていた。班の囚人たちは、自分たちも数か月後には、処理される側に送られることを知っていた。
列車で次々と収容所に送られてきた人々に、熱いシャワーを浴びると偽って、衣服を脱がせると、ガス室に閉じ込める。そこがシャワー室でないと悟った人々が、逃げ出そうとして騒ぎ出し、室内は怒号と泣き声で、阿鼻叫喚の様相となる。しかしサウルたちは淡々と、人々が残していった衣類や宝石や時計、財布などを仕分けていく。 それが終わった頃には、ガス室を開け、死体を積み重ねて運び出し、汚物と血で汚れた床を洗い流す。運び出された死体は積み重ねられ、ガソリンで焼かれ、灰は川に捨てられる。休む時間などない。ゾンダ―コマンドは、てきぱきとドイツ兵に命令されるまま仕事をする。
ある日、ガス室で沢山の死体が折り重なっているなかで、一人の少年が奇跡的に生き残っている姿が発見された。少年はすぐにドイツ衛生兵によって窒息死させられ、解剖に回された。それは15歳のサウルの息子だった。
ユダヤ教では死体は火葬しない。燃えて身体がなくなったら魂がよみがえって再生することができない。サウルはせめて自分の息子だけは土葬してやりたいと願う。サウルは解剖を終えた同じユダヤ人の医師に、死体を自分のために確保しておいてほしいと頼み込む。次にラビを探さなければならない。ラビの祈りとともに埋葬したい。
サウルは仲間たちからラビが他のゾンダーコマンドにいることを知らされる。サウルはそのゾンダーコマンドに潜入してラビを探し出す。ついに見つけ出して息子のために祈りを捧げてほしいと頼み込むが、それをラビは拒否する。それでも食い下がるサウルから逃れようとしてラビは、とっさに川に落ちて投身自殺しようとする。サウルは川からラビを救い引き上げたが、ラビはドイツ兵により銃殺されサウルは生き残った。
サウルは息子の死体を自分のベッドに運んできて横たえる。必死でラビを探すことを諦めない。一方で仲間たちの間では、脱獄計画が進行していた。サウルは女子房から、銃に詰める火薬を受け取りにいく任務を指示される。極秘に首尾よくサウルは火薬を手にするが、帰りに新しいユダヤ人たちが列車で到着し、彼らが駅に着くなり銃で殺される現場に居合わせた。銃から逃れようと人々が右往左往する大混乱のなかでサウルはラビを見つけ出す。サウルはラビを自分の部屋に連れて来て、ひげを剃り、自分の囚人服を与え、ゾンダーコマンドの一員に仕立て上げる。
とうとう翌日にはサウルのゾンダーコマンドが、今度は処分されるという情報が入った。時間がない。脱獄計画は突然現実のもにとなった。反乱は一瞬のうちに始まる。圧倒的多数のユダヤ人囚人に比べてドイツ監視兵の数は限られている。サウルは息子を肩に背負いながら、ラビを連れて逃亡に成功し、他の仲間たちと、森に逃げ込む。森で息子を埋めようとして、サウルは今まで自分の体を盾にして、その命を守って来たラビが、偽物ラビだったことを知らされる。ドイツ軍の追手が迫っている。サウルは埋葬することを諦めて、遺体を背負って川に飛び込む。しかし急流に飲まれてサウルは、息子の遺体を手放してしまう。溺れているところを仲間に救い出されて、向こう岸に着いた。十数人の生き残った仲間と共に、山小屋で休息を取る。脱獄計画のリーダーは、森の中でポーランドのレジスタンスに合流する計画でいた。しかし、みな疲れ切っていて、しばらくは動けない。そんな囚人たちを、ひとりの近所の農家に住む少年が、不思議そうに眺めている。サウルは少年を前にして、そこに自分の息子がよみがえって目の前に立っているように思えた。息子は生き返って自分の前に立っている。息子の邪鬼のない目で見つめられて、サウルは自分の心が休まる思いだった。息子は殺されたり焼かれたりせずに、自分の前にいるではないか。
しかし、その山小屋はすでにドイツ兵に囲まれていて、、、。
というお話。
人は悲しいとき言葉を失う。
極端に会話というもののない映画。あるのは音だけだ。鉄格子の錠が下りる金属音。収容所のサイレン。銃弾の音。軍靴の音。ドイツ兵の短い命令、血で汚れた床を洗うブラシの音。断末魔の悲鳴。絶望したすすり泣き。何百人の人々が映し出されて、生と死のドラマが進行しているにもかかわらず、人の会話、人と人が話す音が全く失われていることの恐怖。
この恐怖感と、極度の緊張が、映画が始まってから終わる瞬間までずっと続く。
カメラが焦点を合わせるのは大写しになったサウルの顔だけ。でもそのサウルの後ろでたくさんの、もうたくさんの数えきれない死体が折り重なっていて、それが処分されていく様子が、焦点のないぼやけた背景として映し出されている。
ぼやけている背景が本当に事実だったことで、焦点の当たっている男の顔の方が抽象だ。
背景の焦点をぼかすことによって、より強い事実を表現している。なぜなら、ぼやけた背景では一体どんなことが行われているのか、何が起きているのか、わたしたちは想像力を駆使する必要もなく、事実として知っているからだ。600万人の声なき声を聴いているからだ。圧倒的な暴力の前に沈黙するほかはなかった人々の声が聞こえる。焦点を失ったぼやけたフイルムから、言葉のない人々の姿がはっきりと見える。
フイルムの訴えるパワーを再確認させられる映画だ。優性思想によって蹂躙された人々の沈黙の重さを噛みしめる。70年前にあったことだが、これからのことでもある。言論統制が始まっていて、ジャーナリズムがその機能を果たしていない。人々が沈黙に向かっている。この映画は、昔の話をしているのではない。
2016年2月27日土曜日
映画「リリーのすべて」

邦題:リリーのすべて
原題:「 THE DENISH GIRL」
監督: トム ホッパー
キャスト
アイナー べルナー(リリー エルべ):エディ レッドメイン
ゲルダ ウェグナー : アリシア べーカンデル
ハンス アクスジル : マテイアス スーナルツ
1930年に世界で初めて性転換手術を受けたデンマーク人画家のアイナー べルナーの伝記映画。
同性愛が犯罪と見なされていた時代に、アイナー べルナーは、手術を受けリリー エルビーと改名しパスポートも所持した。映画の原作は、デビッド エバーズショフの同名の小説。2015年ヴェネチア国際映画祭で初めて上映され、トロント国際映画祭でスぺシャル プレゼンテーションとして上映された。
主演したレッドメインは、昨年「博士と彼女のセオリー」(THE THEORY OF EVERYTHING)でオスカー主演男優賞を受賞したが、受賞の檀上で、「この受賞を切っ掛けに、筋委縮側索硬化症(ALS)という難病への人々の理解が広まることを願う」とスピーチした。今回この映画で再び彼が、オスカー主演男優賞候補となったので、感想を聞かれて、「話題になったことが契機になってLGBTへの人々の知識が普及し、理解が深まることを願う。主人公は自分に正直な勇気ある人です。」と言っている。
性的マイノリテイーを示す、LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルと、性同一障害を含むトランスジェンダー(性別越境者)を言う。トランスジェンダーは一般的には、生まれたときに与えられたジェンダーに対して適合できず、それを否定して自身のジェンダーを選ぶ人を指す。外科的手術やホルモン療法する人も含まれる。これ以外に、インターセックスと言い男性性器と女性性器の両方の特徴と器官(小さなペニスまたは大きなクリトリス)をもって生まれてくる人も少なくない。インターセックスを含めてLGBTIという場合もあり、たくさんのバリエーションがあって、人々の嗜好によって10人10様、性の形も、愛の形も多様だ。この映画では、トランスジェンダーで女性になった画家が、常識を打ち破って、自分の魂を解放しようと苦しみもがいた心の軌跡が描かれている。
監督のトム ホッパーは、「レ ミゼラブル」でエデイ レッドメインを起用したが、今回の脚本を読んで、すぐ彼のことを思い浮かべたという。エディは学校劇でシェイクスピアの「十二夜」で、ビオラの役(男装した女性)を演じたことがある。主役がエディに決まるまで、二コル キッドマン、シャーリーズ セロン、グウィネス パルトロー、ユマ サ-マン、マリオン コーテイヤールなども候補に挙がったという。 今回、非トランスジェンダーのエディがこの役を演じたことで、一部のトランスジェンダーのアクテイビストから批判が出ていると報道された。LGBTをテーマに扱うことが、いかにセンシテイッブなことかを裏付けている。
ストーリーは
1926年、デンマーク コペンハーゲン。
アイナー ベイナーとその妻ゲルダは、コペンハーゲン芸術学校で共に学び、ゲルダが18、アイナーが22歳のときに結婚した。子供はなく結婚してから、すでに6年も経つが、とても仲の良い夫婦だ。アイナーは、若き風景画家として評価され、注目をあびていた。彼の描くポプラの並木、湖に映る木々と光、海岸と太陽などのモチーフは、彼の生まれて育った田舎の風景だった。一方のゲルダは肖像画家として、客の依頼に応じて絵を描く。画商が求めるものを画家が描かなければ生活が成り立たない。
ある日の事。絵の完成が遅れていて依頼者から催促されているバレリーナの絵をゲルダは、仕上げなければならなかった。モデルの踊り子が約束の時間に来ないことに業を煮やしたゲルダは、夫のアイナーに、バレリーナの足の部分のモデルになってくれるように頼みこむ。アイナーは、妻に言われるまま絹のストッキングとビーズで飾られた靴を履き、チュチュを身に着けてポーズをとる。やわらかな絹のストッキングの感触、美しい靴、軽やかなチュチュの香しさ。
アイナーの中に眠っていた何かが、突然、稼働し始める。この日を境に、アイナーは次々と女性の服や化粧品を手にする。ゲルダは遊び感覚で、アイナーを女装させては、そのエロチックな姿を絵にした。ゲルダが描いた女装のアイナーの絵は、評判が良く、画商にまるごこ引き取ってもらえるようになった。二人で仲好く女性同士になって、外出もするようになった。二人は、自由を求めてパリに移住する。はじめは、女性の服に身を包んで男達に見つめられたり、誘われたりすることに喜びを感じるようになったアイナーは、次第に女性化していき、妻の肉体的要求に応えられなくなる。こんなはずではなかった。「夫を私に帰してちょうだい。」と泣いて訴えるギルダを前にして、アイナーは、「毎朝、今日はアイナーで居ようと思う。」 しかし彼の決意は長くは続かない。自分に正直であろうとすると、女性の自分しか考えられない。二人の苦悩は続く。アイナーは、何人もの医者のドアをたたくが、精神病者として扱われ、怪しげなラジウム療法や、電気ショックを受け、果てには強制入院させられそうになって、窓から脱出する事態にまで追われる。思い余ったギルダは、アイナーの幼友達ハンスを訪ねる。ハンスは昔、「アイナーにキスをしたことがあった。」ほど仲が良かった。そのハンスをアイナーは、美しく女装して待っていた。それを見て哀しみと苛立ちをみせるゲルダに、ハンスは何もしてやることもできない。
遂に1930年、どうしても女性の体になって子供を産みたいという夢をもったアイナーは、ドイツで性転換手術を受ける。段階的に、まずテスティクル除去と卵巣移植を受ける。術後、回復して次の手術を待つ間アイナーはゲルダがどんなに強く勧めても、絵を描くことをせず、ゲルダのモデルを続け、デパートで売り子になって女たちとの交流を楽しんだ。アイナーは、リリー エルべと改名して、ゲルダとの離婚も成立した。そして、翌年再び、リリーは手術を受け、念願の子宮が移植された。しかし、3か月後に移植臓器拒否反応と感染症を併発してリリー エルべは亡くなる。ゲルダは最後までリリーを支える。
というお話。
こんな難しい役をエディ レッドメインがどう演じるかが、見所。彼は、女性の体になるために極端に体重を減らした。インタビューで、「簡単だよ。朝食を普通に食べて、お昼はちょっとだけにするだけのことさ。」と言っている。 晩メシ抜きで数か月、、。背広姿を横から見ると本当に痩せて細い。彼がバレエスタジオの大きな鏡の前で全裸になるシーンは圧巻。去年アカデミー主演男優賞を取ったとき、ステファン ホーキンス教授になりきるために、彼の家に泊まりこんで、体の動きや表情を何か月も観察したという努力型の役者。体の線が細く、愛くるしい顔、アイドル ビジュアル系、ジュノンボーイと思いきや、なかなかどうしてシェイクスピアを舞台でしっかり学んだ本格派のイギリス人役者なのだ。
バレエのコスチュームを身に着けたことを契機に、自分が本当に望んでいた美の世界ののめり込んでいく姿が、順を追ってわかりやすく、スクリーンの中で語られていく。
映画の始めの頃は、昼夜なく仲睦まじく愛し合い、度重なるセックスをコミュニケーションにしていた仲良し夫婦だったのに、アイナーが女性に目覚めて男として全く反応しなくなってしまったことに、二人してショックを受けるシーンは哀しい。画面いっぱいに顔が大写しになる場面が多いが、、二人が徐々に変化していく様子が、とてもよく表情で表現されている。
ギルダを演じたアリシア べーカンデールが全身全力で夫を愛し、夫の信念を支持して、最後まで看取る、パワフルな妻を演じて素晴らしい。初めて見る女優さんだが、ハリウッドと違ってヨーロッパにはまだ、こんな良い女優がいることがわかった。
アイナー(リリー)の幼友達ハンスは、いわばこの世で最初にアイナーの女性性を感じとった男、として出てくる。彼は、アイナーのこともギルダのことも、しっかり支えるすごく「良い人」役。本当にホロリとするほど良い人ぶりを見せてくれるので、すっかり虜になりそうだ。金髪のオールバックで、美しい青い目はいつも伏し目がち、体がでかいのに威圧感を感じさせない美しい立ち姿、紳士の代表選手みたい。
最後のシーンがとても印象深い。結構長い映画で、ラストシーンなんかない方が良いような映画とか、取って付けたような説教臭いラストシーンとか、どっかで何度も見たことがあるような、お決まりのハッピーエンドとか、ちょっと考え過ぎのラストシーンとかが多くて閉口していた。でもこの映画の最後のシーンは、とてもとてもとても美しい。アイナーの絵の世界を、自然の描写で再現してみせてくれた。見ているだけでアイナーの美的世界に身も心も引きずり込まれそうだ。きっとこのラストシーンは長い事忘れることができずに、記憶に残ることだろう。
2016年2月19日金曜日
映画「レヴェナント」蘇えりし者

映画「レラヴァント 蘇りしもの」は、そんな極北の淡い光と、ブルーに近い冷たい空気が映画の中でよく再現されていた。
大熊と戦って生還した男が、理不尽に息子を殺されて、復讐することに命を懸けるというお話。いつも映画界に新しい話題を提供してきたメキシコ人のアルハンドル ゴンザレス イリャリトウ監督、エマニュエル’ルベッキが撮影監督をしている作品。彼らは撮影技術の壁をいつもぶち破る革命児でもある。
ルベッキは、「ゼロ グラビテイ」で 宇宙空間を作り出すために、照明装置のついた巨大な箱を作り、その中で演技する役者がいっさい影ができない空間を作り出してカメラを回した。そこでリアルな宇宙遊泳を撮影することを成功させた。
「バードマン」では、役者を酷使するカメラの長まわしで、従来のやり直しのきく撮影の仕方をあえて拒否して、限りなく舞台に近い映画を作ってくれた。
今回の映画では、照明をいっさい使わずに自然のありのままの採光だけでカメラを回した。撮影装置や設備を効果を出すために使わずに、あえて手間暇をかけて、日照時間の少ない極北の自然光だけでフイルムを撮影した。だからフイルム全体が、くすんだブルーで何とも言えない氷の世界の美しさに満ちている。空気が寒さのために凍って霧が降っている。そんな画面に音楽が実によくかぶさっている。坂本龍一が音楽を担当しているが、音楽だけでなく、雪解けの水の流れる音、風が揺さぶる木々の音、人の呼吸する音などが効果的に使われている。男の荒い呼吸音で映画が始まり、その荒々しい呼吸が止まるところで映画が終わる。
零下数十度の厳しい冬のアラスカ、人の生きることができる極限で、スタントマンなしでレオナルド デ カプリオが好演している。厳しい自然、暴力的な開拓者たち、先住民族の土地への侵略、無法地帯の状況を強い男だけが生き残る。究極のサバイバル。
監督がイニャリトウと、ルベッキで、主演がレオナルド デ カプリオだというだけで、この映画は観る価値がある。このような極地で熊と戦った男だけが、自分が殺した熊の毛皮を羽織ることができる。熊との死闘で生き残った男の、死の床に敷かれるのはその毛皮だ。そしてたくましく生き残った男が身にまとうのもその毛皮だ。うらやましくても横取りなどできない。誇らしく大熊の毛皮を最後まで身から離そうとしない、立派な毛皮を着たデ カプリオが男らしい。ストーリーは単純だが、映像が美しい。
この映画でデ カプリオは、英国アカデミー賞主演男優賞と、ゴールデングローブ主演男優賞を与えられ、オスカーで主演男優賞の候補になっている。この人ほどハリウッドの映画興行に貢献している役者はあまり居ない。1997年若干22歳でジェームス キャメロン監督の不朽の名作「タイタニック」を主演し、ハリウッド前代未聞の興行成績を記録した。数字では全米6億ドル、世界で18億3500万ドルを稼ぎ映画史上最高の世界興行収入を記録して、ギネスブックにも登録されている。作品は11部門でアカデミー賞を受賞したが、デ カプリオに何の賞も与えられなかった。その後、「ギャング オブ ニューヨーク」(2002)、「キャッチミー イフ ユーキャン」(2002)、「アビエーター」(2004)、「ブラック ダイヤモンド」(2006)、「シャッターアイランド」(2010)、「インセプション」(2010)、「Jエドガー」(2011)、「華麗なるギャツビー」(2013)、「ウオルフ オブ ウォールストリート」(2013)など、次々と映画をヒットさせてきたが、彼は毎年話題になるだけで、一度としてアカデミー主演男優賞を与えられることはなかった。
彼はナチュラリストで環境保護運動に力を注いでいる。ハリウッドで環境運動家は喜ばれない。ましてユダヤ資本でとりしきっているアカデミー映画賞の審査官たちの目を惹かない。環境保護活動家は、大気汚染のガソリン自動車の広告塔にはなってくれないし、武器産業や、原子力エネルギー産業に力を貸すこともしないで、世界を牛耳っているユダヤ資本に無縁だ。だからデ カプリオは、日本では人気があるがアメリカではそれほどのことはない。サイエントロジーに凝っているトム クルーズも、宗教に感心のない日本人の間では人気があるが、アメリカでは変人扱いだ。人権活動家のバネッサ レッドグレープなど、極左コミュニストとあからさまに呼ばれている。
今年のアカデミー賞は、2月28日、ハリウッドのドルビー劇場で発表される。この模様はABCが中継するが、2015年に公開された映画の中で優れた作品に授与されるはずだ。ところが賞の候補作、候補者が選別されたとたん、今年のアカデミーは、「ぺイル、メイル」で「ホワイトアカデミー」だと批判にさらされている。候補者が全員白人一色で、男が中心だったからだ。でもここにベンゼル ワシントンや、ナオミ ハリスや、渡邊健や、ジャッキーチェンが混じっていたら、どうだというのか。「白だけでなく少ししだけ茶色や黄色や黒が混じっていたほうが安心」、という白色側のバランス感覚というのもおかしなものだ。
アカデミーでは優れた作品が高く評価され、優れた役者が選ばれれば良い。賞というものは、公平か、不公平か、差別的か、おそらくすべて当たっている。アカデミー賞の審査は公平ではないし、世の中はすべて公平ではない。人の好みはそれぞれだし、人は差別の中で生きなければならない。そんなことを論議するよりも、ハリウッドのアカデミー賞から、もっとベネチア映画祭や、シド二ーのマルテイグラ映画祭とか、英語圏でない国々のローカルな作品に授与される賞に、目を向けた方が良い。
でも日本の映画がアカデミーの外国映画部門でもアニメーションの部門でも候補作にあげられなかったのは残念だった。
2016年2月16日火曜日
オーストラリアで年を取る
12月の末から1月2月と、無我夢中の毎日だった。
まず、どうトチったのか、フラっと行ったオープンハウスでアパートのひとつが気に入って、生まれて初めて自分の家を買って、引っ越した。娘達が何かとついていてくれたが助言者も、相談にのってくれる人もなく、インスペクション、弁護士を通しての契約書の作成、ク―リング期間の対処、アパート管理会社との契約、政府に払う税金などなど、この年になるまで小切手の切り方も知らなかった世間知らずが、何もかも丸投げに近いやり方で、弁護士に契約から支払いまでお世話になった。
娘たちがそれぞれ結婚して家庭を持ち、オットが高齢で身体障碍者となり、それまで20年住んだアパートを引き払い、アパートを買うなどという大それたことをすることになるとは、考えてもみなかった。人の命は短い。土地は誰のものでもないはずだ。その土地を所有するなどという、とんでもないことを自分がするなんて。猫の額ほどの土地でもカール マルクスに申し訳が立たない。
国境なき医師団に加わりたい。どこか被災地から二人くらい子供を養子にして、もう一度お母さんをやりたい。田舎に土地を借りて犬の猫のホスピスをやりたい。たくさん、たくさん、やりたいことが まだある。何より孫たちの成長をそばで見届けたい。こま鼠の様に忙しく働き、子育てしている娘たちのそばで、少しでも力になりたい。それができずに来た。
過去2年以上のあいだ、病気のオットに縛り付けられてきた。フルタイムで働きながら、オットを一日おきに腎臓透析に連れていき、5時間後に連れ帰って来る。家の中でも3食におやつを作り、歩行に手を貸し、汚しっぱなしのトイレを休みなく掃除しなければならない。週40時間職場でナースとして働きながら、家に帰ってもまだナース。寝る時間が取れない。なんでこんなめんどくさい奴と一緒になってしまったのか。
今まで長い事、住んでいたところは、シドニーの東京で言い換えると成城か田園調布だったが、移ったところは、雰囲気として亀戸とか錦糸町。職場のある成城、田園調布まで運転で30分。仕事が終わったら30分かけて新しい家の錦糸町にもどり、オットをまた車に乗せて30分かけて田園調布の病院に連れて行き腎臓透析をしている間、5時間プールで泳いだり図書館で雑誌を読んで時間をつぶし、またオットを30分かけて錦糸町の家に帰り、またまた30分かけて職場に行って、、、、。いつやすめるんだ。
OECDの調査で日本は先進国の中で貧困率世界第6位という記録を作ったと言う。中でも老人の貧困が深刻だ。バブル後に家、財産、家庭を失った世代では路頭を彷徨う老人も多いだろう。養護老人ホームに入る待機期間も長く、老人ホームで自治体や国が介護すべき貧困老人を、家庭で持て余している家族も多いだろう。
オーストラリアでは、年を取った親を子が世話する習慣がないから、老人は可能な限り自分の家で生活し、自分で身の回りのことができなくなったら、介護者に来てもらい買い物や掃除を頼む。そのうちにトイレまで自分で歩けない、自分でパンを焼いて食べられないというようになったら、老人ホームに入る。老人ホームに入るためには、公立、私立に関わらず、自分の家を持っている老人は家を売ってそのお金を老人ホームに預けて入所する。それをボンドというが、2千500万円から私立だと5千万円くらい。ボンドだから、その老人が死んだら、お金は子供が遺産として受け取る。この制度は去年から始まった。
オーストラリアの税制では遺産相続に税金が取られないので、子供達は遺産をそのまま受け取れる。億万長者はそのまま自分の子供を億万長者にする。バカ息子はバカなまま親の七光りで生きられる。だから家やファームをたくさん持っている人は、それを売って処分してでないと老人ホームに入れない、というシステムになったのは、それなりに理解できる。しかし安サラリーマンがまじめに働き苦労して貯金を作り、年を取ったときに老人ホームに入るために、なけなしの貯金を全額取られて老人ホームに入るのは悲しい。自分が死んでからでないと子供に財産を分けてやれない。
わたしが勤めている民間の長期療養ホームは、50ベッド。病院と同じ3交代で、朝勤務はマネージァーと副マネージャー(看護婦長)、2人の正看護師と9-10人の看護婦助手が働き、全患者のシャワーを浴びさせて、寝間着から平服に着替えさせてからダイニングルームで朝食、モーニングテイー、昼食を介助する。午后勤務では、2人の正看護師と6人の看護助手が夕食介助をして、患者を寝室に連れていく。夜勤は、一人の正看護師と2-3人の看護助手で皆を寝かせて、事故のないように見回りトイレの介助、朝の投薬などする。
ナース以外にダイバージョンセラピストが2人毎日来て、ピアノに合わせて歌を歌ったり、バスで小旅行に患者を連れて行ったり、絵を描かせたりする。物理療法士も定期的に来て、歩けない患者を歩かせる。ポデイアトリストという足の爪を切ったり、足のケアをしてくれる人も来てくれる。毎週木曜日はヘアドレッサーが来て、髪を切ったり、パーマをセットをしてくれる。ほとんどの女性患者は、髪をきれいにセットして化粧も毎日する。ここが日本の老人ホームの患者と違うところだ。オーストラリアの老人ホームは、いろんな職業に人々が出入りしていて、結構忙しい。
ほぼ患者の全員がおむつをしているし、認識障害がある。アルツハイマー氏’病は脳が委縮する疾患だが、これも多い。徘徊もするし、スタッフがどんなに気をつけていても転倒事故も多い。失禁状態だから床ずれもできる。転倒事故や床ずれによる感染症などを起こした患者をみて、怒り狂った家族が訴訟を起こし、賠償金を取られることもある。やれやれだ。
自宅で気ままにやってきた老人が老人ホームに来たばかりの頃は、わがままで頑固で大変だが、日本の年よりよりも扱いやすい。彼らは年をとっても、欧米文化の中で社交性が身にしっかりついているからだろう。どんなに呆けていても、ドアが開けばレデイーファーストだし、一つのテーブルに数人で座ればみな挨拶もするし、会話もする。
脳が委縮して、気短な年よりだから、小さな誤解からナースに殴りかかって来る患者もいる。そんなときは慌てず、「おまえ、女を殴るのか?」とか「わたしは妊婦だぞ。殴ったら卑怯者だぞ。」などと叫べば大抵は、振り上げた腕を下ろしてくれる。それでも暴力沙汰になって警官をよばなければならなくなったこともある。前の病院だったらガードマンがいて、どこからでも333を電話すると、マオリ出身のでかいガードマン達が駆けつけてくれたものだが、今の職場には居ない。
しかし、ほとんどの日々はトラブルなどなくて、スタッフと患者達は ひとつの家族のように仲良くやっている。家族にできない介助を24時間してくれるわけだから、当たり前だけど。家族が差し入れたチョコレートなどを、食べずにとっておいてくれたり、わたしの初孫がうまれたときなど、家族に頼んで贈り物をもってきてくれた患者もいた。わたしが来る時間に、毎日入り口で待っていてくれた人もいた。彼は50代だったが、交通事故で脳に障害を受けて3歳程度の知能しかなくなった。一緒に日本の歌を歌って本当に楽しかったが、あっけなく肺炎で亡くなってしまった。
今の職場で10年働いてきて、悲しいのは治癒して家に帰る人が居ないことだ。みな老人ホームに入った人はそこで死ぬ。見届けることがわたしの役割だ。
(写真は10歳になったうちのクロエ)
ナース以外にダイバージョンセラピストが2人毎日来て、ピアノに合わせて歌を歌ったり、バスで小旅行に患者を連れて行ったり、絵を描かせたりする。物理療法士も定期的に来て、歩けない患者を歩かせる。ポデイアトリストという足の爪を切ったり、足のケアをしてくれる人も来てくれる。毎週木曜日はヘアドレッサーが来て、髪を切ったり、パーマをセットをしてくれる。ほとんどの女性患者は、髪をきれいにセットして化粧も毎日する。ここが日本の老人ホームの患者と違うところだ。オーストラリアの老人ホームは、いろんな職業に人々が出入りしていて、結構忙しい。
ほぼ患者の全員がおむつをしているし、認識障害がある。アルツハイマー氏’病は脳が委縮する疾患だが、これも多い。徘徊もするし、スタッフがどんなに気をつけていても転倒事故も多い。失禁状態だから床ずれもできる。転倒事故や床ずれによる感染症などを起こした患者をみて、怒り狂った家族が訴訟を起こし、賠償金を取られることもある。やれやれだ。
自宅で気ままにやってきた老人が老人ホームに来たばかりの頃は、わがままで頑固で大変だが、日本の年よりよりも扱いやすい。彼らは年をとっても、欧米文化の中で社交性が身にしっかりついているからだろう。どんなに呆けていても、ドアが開けばレデイーファーストだし、一つのテーブルに数人で座ればみな挨拶もするし、会話もする。
脳が委縮して、気短な年よりだから、小さな誤解からナースに殴りかかって来る患者もいる。そんなときは慌てず、「おまえ、女を殴るのか?」とか「わたしは妊婦だぞ。殴ったら卑怯者だぞ。」などと叫べば大抵は、振り上げた腕を下ろしてくれる。それでも暴力沙汰になって警官をよばなければならなくなったこともある。前の病院だったらガードマンがいて、どこからでも333を電話すると、マオリ出身のでかいガードマン達が駆けつけてくれたものだが、今の職場には居ない。
しかし、ほとんどの日々はトラブルなどなくて、スタッフと患者達は ひとつの家族のように仲良くやっている。家族にできない介助を24時間してくれるわけだから、当たり前だけど。家族が差し入れたチョコレートなどを、食べずにとっておいてくれたり、わたしの初孫がうまれたときなど、家族に頼んで贈り物をもってきてくれた患者もいた。わたしが来る時間に、毎日入り口で待っていてくれた人もいた。彼は50代だったが、交通事故で脳に障害を受けて3歳程度の知能しかなくなった。一緒に日本の歌を歌って本当に楽しかったが、あっけなく肺炎で亡くなってしまった。
今の職場で10年働いてきて、悲しいのは治癒して家に帰る人が居ないことだ。みな老人ホームに入った人はそこで死ぬ。見届けることがわたしの役割だ。
(写真は10歳になったうちのクロエ)
2016年1月16日土曜日
2015年に観た映画 ベストテン
第1位: 「愛と狂気のヴァイオリニスト パガニーニ」
第2位: 「ウオーターデバイナー」
第3位: 「アンブロークン」
第4位: 「博士と彼女のセオリー」
第5位: 「バードマン」
第6位: 「ブリッジ オブ スパイ」
第7位: 「ミッションインポッシブル ローグネイション」
第8位: 「エベレスト」
第9位: 「ジュラシック ワールド」
第10位:「ザモスト バイオレンス イヤー」
第1位: 「愛と狂気のヴァイオリニスト パガニーニ」
監督:バーナード ローズ
ヴァイオリンを弾く人で二コロ パガニーニが嫌いな人は居ないだろう。彼が作曲した複雑で技巧的で高度なテクニックを要する曲の数々は、魅力に満ちていて嵌り込むと容易には出てこられない危険性に満ちている。彼は沢山作品を作曲したのに、他人にコピーされるのが嫌で自分で、楽譜を焼却処分してしまったり、謎に満ちた人生を送り、正しい評価を受けることもなく、悪魔扱いされて孤独と貧困に責められながら短い生涯を終えた。こんな伝説に満ちた天才パガニーニの半生を描いた作品だから哀しみに満ちている。
パガニーニの数々の作品を演奏するデヴィッド ギャレットが、華麗で繊細な演奏をたっぷり見せてくれる。ギャレットは、パガニーニの底なしのような孤独が良く似合う、魅力的なヴァイオリニストだ。この気鋭のヴァイオリニストがものすごいスピードで難曲をこなす様子は、まるで魔法をみているようだ。 長髪で背が高く美しい顔をしたギャレットが、ジョン レノン風の丸い黒メガネをかけて、長いコートを着ていると、それだけで「悪魔」の様相をおびてくる。
映画の中で、ギャンブルも、女遊びも、ドラッグも大好きな破滅型パガニーニが、カードで負け続け、無造作にストラデイバリウスを賭けて、それを失ってしまうシーンに胸がつぶれる思い。処女に恋をして、想いが届かない傷心の思いのたけをヴァイオリンにぶつけるシーンも、印象深い。産業革命でロンドンが大気汚染のスモッグに覆われていて、それに慣れないパガニーニが咳き込むシーンが痛ましい。晩年の車椅子に座り、背を向けてうなだれる姿も忘れ難い。光と影、明と暗を、効果的に映像化するカメラワークが古典映画に風格を与えていて、秀逸だ。バックに流れるパガニーニの作品を演奏するギャレットの澄んだ音の連なりに心を奪われる。
モーツアルトを描いた映画「アマデウス」、シューベルトを描いた「未完成交響曲」、偉大な音楽家を描いた作品は、どうしてこうも哀しいのだろうか。後からきてその偉大さが理解され、正しく評価されるまで、何と音楽家たちは前衛として苦しみの多い生を生きなければならなかったのだろう。
第2位:「ウオ―ターデヴァイナー」
監督主演:ラッセル クロウ
作品の詳しい紹介と映画評は2015年1月11日に書いた。
オージーを代表するラッセル クロウが主演監督したこの作品を観ると、オーストラリアへの理解が深まる。第一次世界大戦でトルコ軍と激戦になった、ガリポリがテーマ。オーストラリアからはるばる母国英国に忠誠を示すために英国軍として出兵していたオーストラリア軍が、英国軍の誤った作戦のために大きな被害を受けた。これが英国からオーストラリアが真に独立して、自分の国のアイデンテイテーを築く切っ掛けになった、このガリポリの激戦を描いた作品。ガリポリで3人の息子を全員亡くした農夫が、妻の自殺を契機にガリポリに息子の遺体を探しに行くお話。内容の悲惨さに反して、映画は明るくユーモアがあって、トルコの色彩豊かな風景と人々の明るさに満ちている。
無骨で無口なもっさりしたオージー農夫を演じるラッセル クロウが、とても良い味を出している。この泥臭さは、アメリカ人やイギリス人には出せない。全くもってのオージーマッチョの味だ。とても良い映画だ。灼熱下、青い空のもと、堅い赤土を掘り起こし井戸を一心に掘る男を、賢そうなブルーヒーラー犬が、横でじっと見つめている。その印象深い最初のシーンから、この映画が大好きになってしまった。
第3位:「アンブロークン」
監督:アンジェリーナ ジョリー。
作品の詳しい紹介は、2015年1月24日に書いた。
第2次世界大戦にシンガポール陥落後、日本軍が、外国兵捕虜を残酷に扱ったということで、いったん日本では上演されないことになったが、後で限られた劇場で上演されたことで、話題になった作品。一人の男の、スポーツマンとして折れることのない精神を描いたヒューマンな作品だ。実話だが、映画のモデルとなったマラソンオリンピアンが、映画の完成を楽しみにしながら、完成前に高齢で亡くなったことを、交流があったアンジェリーナ ジョリーが嘆いていた。
同じように南京虐殺を描いた、チャン イー モー監督で、のクリスチャン ベイルが主演した映画「フラワー オブ ワー」も、日本での上映が止められたが、とても良い作品なので残念。このような映画は、日本でこそ上映されて、若い人々に観られるべきだと思う。
第4位:「博士と彼女のセオリー」
監督:ジェームス マーシュ
作品のストーリーと映画評は2015年2月28日に書いた。
現役で、しかも常に脚光をあびている天才的物理学者を演じるというのは、とてもチャレンジなことだ。この映画の良さは一にも二にも、エディ レッドメインが演じたことによると思う。本当にチャーミングな役者だ。
第5位:「バードマン」
監督:エマニュエル ルベッキ
映画評は、2015年5月31日のブログに書いた。
気鋭の監督による実験的な作品。長廻しカメラで役者を追廻し失敗の許されない舞台で演じるようなプレッシャーをかけまくって作られた、斬新な作品。実験としては成功している。とてもおもしろい映画だった。主演のマイケル キートンが良い。
第6位:「ブリッジ オブ スパイ」
監督:ステイブン スピルバーグ
脚本:コーエン兄弟
1963年に実際あったことを映画化した作品。ハリウッドの「良心」を代表する役者、トム ハンクスを主演にして、彼の良い味を引き出している。ひとりの弁護士が、アメリカ国内で逮捕された東側スパイの弁護をひきうけたことを契機に、冷戦下の米ソ間の政治にかかわることになってしまう。一方東側にスパイ容疑で拘束されているアメリカ軍パイロットの釈放を求めて、捕虜交換の交渉をするために弁護士は、冷戦下のベルリンに飛ぶ。無力でごく普通の家庭人の弁護士が、スパイであろうが人は人権を守られるべき存在だという信念を、ときの流れや世論に逆らってでも曲げないでがんばる姿に、思わず声援を送りたくなる。当時のアメリカに、こんな骨のある弁護士がいたことに、驚かされる。政治権力や、銃を持った人達に対して、それを持たない一介の弁護士が、自分自身の恐怖心を戦いながら、弁護士として何ができるのか。人間には、武器を持たずに どんなことが可能なのか、するどく訴えかけてくる。とても良い映画だ。ベルリンの東西を分断していたグーリ二カー橋上での捕虜交換のシーンは緊張が張り詰めているが、美しいシーンで忘れ難い。
第7位:「ミッションインポッシブル ロークネイション」
監督:クリストファー マッカリー
映画紹介は、このブログの2015年8月22日の日記で書いた。
ダニエル クレイグの007シリーズ「スペクター」の方が、このトム クルーズの「ミッションインポッシブル」よりも観客動員が多くて興行成績も良かったそうだが、私はこちらの作品の方が好きだ。まず残酷シーンで首が飛んだり、血しぶきを浴びたり、拷問シーンでじっとり悪い汗をかいたりしないで済んだし。終始ポップコーンを食べながら観られたし、、。こういう大型アクション娯楽映画は、子供と並んでワーとか、ギャーとか言いながら楽しんで見られなければいけないんじゃないかと思う。
第8位: 「エベレスト」
監督;バルタザール コルマウクル
映画評は2015年11月29日に、このブログで書いた。
過酷なエベレスト登山の挑戦するからには、ひとつの間違いも許されない と言う見本をみせてくれた。たくさんの有名俳優を使って、危険な現地撮影に成功している。撮影隊の苦労を思うと、高い評価をしてあげないと可哀想だ。
第9位:「ジュラシックワールド」
監督:コリン トレボロウ
ジュラシック シリーズの4作目。1993年、1997年、2001年、2015年と、ジュラシックものが続いてきたが、いつも同じテーマで、同じ内容を繰り返しているだけの様な気がしてならない。ステイブン スピルバーグの第1作目の意表を突いた発想、冒険と恐怖感、そして興奮が、あまりに抜きんで優れて居たので、それ以降の作品がみな2流に見えてしまう。役者や新しい車や施設を出して来ればいいと言うもんじゃない。3頭の孤児の恐竜が、仲間を殺されて復讐するところも、気丈で美女の経営者と荒くれ男との関係も、はじめから先が読めてしまってつまらない。続作をいくつも観るより1993年作、リチャード アッテンボロウの第1作を繰り返して見る方が余程面白い。
第10位: 「ザ モスト バイオレント イヤー」
監督:J C チヤンド―ル
1981年のニューヨークのお話。抑えた色調、1930年代風のマフイアの親分といった強面だけど、よくみるとイケメンの男が苦労しながら自分の富を築き上げていく。たくさんの裏切りに出会うが微動もしない。確固とした自分のビジネスへの自信とゆるぎない経営戦術、畏れない身構え。小さな裏切りに会っても諦念と愛情でしっかり妻を支える男気。
バイオレントとタイトルにあるので、いつ銃撃戦が始まるのか、彼がどんな目にあうのか、美人の奥さんがどんな酷いことをされるのか、可愛い無防備な子供に何が起きるのか、どきどきしながら映画を観終わるまで緊張が解けない。上手だと思う。映画作りに長けた監督の手法に脱帽。
第2位: 「ウオーターデバイナー」
第3位: 「アンブロークン」
第4位: 「博士と彼女のセオリー」
第5位: 「バードマン」
第6位: 「ブリッジ オブ スパイ」
第7位: 「ミッションインポッシブル ローグネイション」
第8位: 「エベレスト」
第9位: 「ジュラシック ワールド」
第10位:「ザモスト バイオレンス イヤー」
第1位: 「愛と狂気のヴァイオリニスト パガニーニ」
監督:バーナード ローズ
ヴァイオリンを弾く人で二コロ パガニーニが嫌いな人は居ないだろう。彼が作曲した複雑で技巧的で高度なテクニックを要する曲の数々は、魅力に満ちていて嵌り込むと容易には出てこられない危険性に満ちている。彼は沢山作品を作曲したのに、他人にコピーされるのが嫌で自分で、楽譜を焼却処分してしまったり、謎に満ちた人生を送り、正しい評価を受けることもなく、悪魔扱いされて孤独と貧困に責められながら短い生涯を終えた。こんな伝説に満ちた天才パガニーニの半生を描いた作品だから哀しみに満ちている。
パガニーニの数々の作品を演奏するデヴィッド ギャレットが、華麗で繊細な演奏をたっぷり見せてくれる。ギャレットは、パガニーニの底なしのような孤独が良く似合う、魅力的なヴァイオリニストだ。この気鋭のヴァイオリニストがものすごいスピードで難曲をこなす様子は、まるで魔法をみているようだ。 長髪で背が高く美しい顔をしたギャレットが、ジョン レノン風の丸い黒メガネをかけて、長いコートを着ていると、それだけで「悪魔」の様相をおびてくる。
映画の中で、ギャンブルも、女遊びも、ドラッグも大好きな破滅型パガニーニが、カードで負け続け、無造作にストラデイバリウスを賭けて、それを失ってしまうシーンに胸がつぶれる思い。処女に恋をして、想いが届かない傷心の思いのたけをヴァイオリンにぶつけるシーンも、印象深い。産業革命でロンドンが大気汚染のスモッグに覆われていて、それに慣れないパガニーニが咳き込むシーンが痛ましい。晩年の車椅子に座り、背を向けてうなだれる姿も忘れ難い。光と影、明と暗を、効果的に映像化するカメラワークが古典映画に風格を与えていて、秀逸だ。バックに流れるパガニーニの作品を演奏するギャレットの澄んだ音の連なりに心を奪われる。
モーツアルトを描いた映画「アマデウス」、シューベルトを描いた「未完成交響曲」、偉大な音楽家を描いた作品は、どうしてこうも哀しいのだろうか。後からきてその偉大さが理解され、正しく評価されるまで、何と音楽家たちは前衛として苦しみの多い生を生きなければならなかったのだろう。
第2位:「ウオ―ターデヴァイナー」
監督主演:ラッセル クロウ
作品の詳しい紹介と映画評は2015年1月11日に書いた。

無骨で無口なもっさりしたオージー農夫を演じるラッセル クロウが、とても良い味を出している。この泥臭さは、アメリカ人やイギリス人には出せない。全くもってのオージーマッチョの味だ。とても良い映画だ。灼熱下、青い空のもと、堅い赤土を掘り起こし井戸を一心に掘る男を、賢そうなブルーヒーラー犬が、横でじっと見つめている。その印象深い最初のシーンから、この映画が大好きになってしまった。
第3位:「アンブロークン」
監督:アンジェリーナ ジョリー。
作品の詳しい紹介は、2015年1月24日に書いた。

同じように南京虐殺を描いた、チャン イー モー監督で、のクリスチャン ベイルが主演した映画「フラワー オブ ワー」も、日本での上映が止められたが、とても良い作品なので残念。このような映画は、日本でこそ上映されて、若い人々に観られるべきだと思う。
第4位:「博士と彼女のセオリー」
監督:ジェームス マーシュ
作品のストーリーと映画評は2015年2月28日に書いた。
現役で、しかも常に脚光をあびている天才的物理学者を演じるというのは、とてもチャレンジなことだ。この映画の良さは一にも二にも、エディ レッドメインが演じたことによると思う。本当にチャーミングな役者だ。
第5位:「バードマン」
監督:エマニュエル ルベッキ
映画評は、2015年5月31日のブログに書いた。
気鋭の監督による実験的な作品。長廻しカメラで役者を追廻し失敗の許されない舞台で演じるようなプレッシャーをかけまくって作られた、斬新な作品。実験としては成功している。とてもおもしろい映画だった。主演のマイケル キートンが良い。
第6位:「ブリッジ オブ スパイ」
監督:ステイブン スピルバーグ
脚本:コーエン兄弟

第7位:「ミッションインポッシブル ロークネイション」
監督:クリストファー マッカリー
映画紹介は、このブログの2015年8月22日の日記で書いた。
ダニエル クレイグの007シリーズ「スペクター」の方が、このトム クルーズの「ミッションインポッシブル」よりも観客動員が多くて興行成績も良かったそうだが、私はこちらの作品の方が好きだ。まず残酷シーンで首が飛んだり、血しぶきを浴びたり、拷問シーンでじっとり悪い汗をかいたりしないで済んだし。終始ポップコーンを食べながら観られたし、、。こういう大型アクション娯楽映画は、子供と並んでワーとか、ギャーとか言いながら楽しんで見られなければいけないんじゃないかと思う。

第8位: 「エベレスト」
監督;バルタザール コルマウクル
映画評は2015年11月29日に、このブログで書いた。
過酷なエベレスト登山の挑戦するからには、ひとつの間違いも許されない と言う見本をみせてくれた。たくさんの有名俳優を使って、危険な現地撮影に成功している。撮影隊の苦労を思うと、高い評価をしてあげないと可哀想だ。
第9位:「ジュラシックワールド」
監督:コリン トレボロウ
ジュラシック シリーズの4作目。1993年、1997年、2001年、2015年と、ジュラシックものが続いてきたが、いつも同じテーマで、同じ内容を繰り返しているだけの様な気がしてならない。ステイブン スピルバーグの第1作目の意表を突いた発想、冒険と恐怖感、そして興奮が、あまりに抜きんで優れて居たので、それ以降の作品がみな2流に見えてしまう。役者や新しい車や施設を出して来ればいいと言うもんじゃない。3頭の孤児の恐竜が、仲間を殺されて復讐するところも、気丈で美女の経営者と荒くれ男との関係も、はじめから先が読めてしまってつまらない。続作をいくつも観るより1993年作、リチャード アッテンボロウの第1作を繰り返して見る方が余程面白い。
第10位: 「ザ モスト バイオレント イヤー」
監督:J C チヤンド―ル
1981年のニューヨークのお話。抑えた色調、1930年代風のマフイアの親分といった強面だけど、よくみるとイケメンの男が苦労しながら自分の富を築き上げていく。たくさんの裏切りに出会うが微動もしない。確固とした自分のビジネスへの自信とゆるぎない経営戦術、畏れない身構え。小さな裏切りに会っても諦念と愛情でしっかり妻を支える男気。
バイオレントとタイトルにあるので、いつ銃撃戦が始まるのか、彼がどんな目にあうのか、美人の奥さんがどんな酷いことをされるのか、可愛い無防備な子供に何が起きるのか、どきどきしながら映画を観終わるまで緊張が解けない。上手だと思う。映画作りに長けた監督の手法に脱帽。
2015年12月12日土曜日
マキシム ヴァンゲロフ シドニー公演を聴く
ヴァイオリニストのマキシム ヴァンゲロフが、初めてオーストラリアに来た。メルボルンで1度、シドニーでたった一度だけの公演。もちろん仕事を放り出して公演を聴いてきた。ヴァンゲロフは、わたしにとって神様みたいな存在。ヨーロッパから20時間以上の飛行で、シドニーまで足を伸ばしてくれて、涙が出るほど嬉しい。
シドニーオペラハウス
プログラム
1)ジョナサン セバスチャン バッハ
シャコンヌ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルテイータ2番D マイナー(1720)
2)ルドウイグ バン ベートーヴェン
ヴァイオリン ソナタ 7番 C マイナー作品30(1802年)
3)モーリス ラベル
ヴァイオリン ソナタ 2番 Gメジャー(1927年)
4)ユージン イザイ
ヴァイオリン ソナタ 6番 Eメジャー 作品27(1923年)
5)ハインリッヒ ウィルヘルム エルンスト
エチュード6番 ヴァイオリン独奏のための「庭の千草」変奏曲(1864年)
6)二ッコロ パガニーニ
ヴァイオリンとピアノのためのカンタービレ 作品17 Dメジャー(1823年)
作品13 クライスラーによる変奏曲(1905年)
アンコール
1)ブラームス 「ハンガリアンダンス 第2番」
2)マスネ 「タイスの瞑想曲」
3)ブラームス 「ハンガリアンダンス 第5番」
マキシム ヴァンゲロフはシベリア ノヴォシビルスク出身のユダヤ系ロシア人。40歳。5歳でヴァイオリンをガリーナ トウルチヤニノーヴァに師事、10才でポーランドのリピンスキーヴィエ二ヤスキ国際コンクールで優勝した後、モスクワ、ぺテルスブルグで活躍し、1995年にはプロコフィエフとショスタコヴィチ協奏曲のCDでグラモフォン賞を与えられグラミー賞にノミネートされた。1997年以降アメリカで大ブレイクし、各国で演奏活動を続けるが、2007年の肩を痛め演奏活動を休止。ユニセフ親善大使として若い音楽家への教育に力を入れ、指揮者としても活躍する。2011年から再び精力的に演奏活動を再開して、現在に至っている。ベルリンフィルハーモニック、ロンドンシンフォニーオーケストラ、BBCシンフォニーオーケストラなどで指揮をし、2013年からは日本ではヴァンゲロフフェステイバルが毎年開催されるようになり、今年で4年目になる。昨年は上海シンフォニーホールのオープニングで、ロン ユーやピアノのランランと共演した。現在はスイスのインターナショナルメニューヒン音楽アカデミーと、ロンドンロイヤルアカデミーオブミュージックの教授。
ヴァンゲロフは、世界各国でソロのヴァイオリニストとして公演する先々で、マスタークラスを開催して、若い生徒の教育に積極的に取り組んでいる。マスタークラスでは希望者に個人レッスンをして、一般に公開している。生徒の演奏を聴いて、矢継ぎ早に問題点を指摘しては技術的なアドバイスや的確な指示をする。そんな彼の教師としてのあたたかい人柄と包容力には定評がある。
わたしが初めてヴァンゲロフを知ったのはテレビでBBCのドキュメンタリーを放送した時だ。家でニュースのあと、片付けをしていて消し忘れていたテレビから、今まで聞いたことのなかった「深い溢れるような豊かな音」が聞こえて来て思わず息を止めた。今までどんなヴァイオリンからも、そのような深い音を聞いたことがなかったので、ヴァイオリンでこんな音が出せるものなのか、と心底驚いて、心惹かれた。それは、ユニセフ親善大使ヴァンゲロフが、アフリカの子供たちと音遊びしたり、一緒に歌を歌ったりしているレポートのバックグランドに流れる彼の演奏によるものだった。若いヴァイオリニストが、子供達のちょっと兄貴分といった風に子供に混じって無邪気に遊んでいる。その人のヴァイオリンは深い深い人の心が満ち溢れてくるような豊かな音色に激しく心を奪われた。
それはシドニーにきたばかりのころの話だ。その前まで10年間フィリピンに滞在していて、娘たちがマニラのインターナショナルスクールに通っていた間、半ばボランテイアのような形でヴァイオリン教師をしていた。毎日4クラスのジュニアスクールのヴァイオリンの授業と、課外活動の弦楽オーケストラ指導と、年4回の定期コンサートの準備と、自宅にやってくる生徒の個人レッスンとで目が回るほど忙しく、ヴァイオリンの「本当の音」など聴く暇がないような状態だった。ヴァンゲロフの名前も知らなかったし、彼が、華麗な技術と豊かな表現力とで、日本で最も人気のあるヴァイオリニストだというのも知らなかった。日本にヴァンゲロフフェステイバルというのがあって、毎年彼の訪日を待って音楽祭が行われるというのも全然知らなかった。
ヴァンゲロフは、マスタークラスに来る若い生徒達に向かって、もっともっと表現をして、ヴァイオリンでオペラを歌うように歌いなさいと、繰り返し言っている。オペラのようによく訓練された音でしっかり表現する、、まさに初めて聴いて心から感動した時の、彼の深みのある音だ。音楽はその人の心の表れだから、その人の心に音楽がなければ表現できない。ヴァンゲロフの心には豊な音楽がいつも流れているから、音合わせでさえ他の人と音が全然ちがう。豊かに滔々と流れ満ち溢れるバイカル湖の水のように深い澄んだ音だ。
プログラム
1)バッハのシャコンヌ
2時間余りのコンサートでこれを最初に演奏する演奏家を初めてみた。いつもカジュアルマナーというか、クラシックを聴くためのマナーのできていないオーストラリアで、ヴァンゲロフが一人挌闘と言う感じで、すごい集中力で、力強く弾き始める。ヴァイオリンを弾く人ならば誰もが挑戦してみたい、永遠の名作で、難曲。重音奏法を多用して、重音で低音を演奏しながらメロデイーを弾く、和音が低音で響いている間にそれを伴奏に、ハイテクニックの旋律を重ねるといった高度なテクニック。ボーイング(弓使い)の力強さとしなやかさに感動する。アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーク、シャコンヌの5つの舞曲を続けて演奏する15分間の最高傑作。この曲には哀しみが満ちていて、演奏されている間中、なぜか身動き出来なくなる。ヴァンゲロフの演奏は、ただただみごとだ。
2)ベートーヴェンのソナタ 7番
ベートーヴェンはバイオリンとピアノのためのソナタを10曲作曲している。5番の「春」と、9番の「クロイツエル」が有名だが、今回演奏された7番は、ロシア皇帝アレクサンダー1世の献上されたのでアレクサンダーソナタとも呼ばれている。重厚で輝きのある曲だ。
ピアニストは、現在フランス在住のロシア人、ローステイム サイトコロフ。ベルベットのスーツに白い蝶ネクタイをつけた長髪で線の細い華奢な人。そんなショパンみたいなピアニストが、彼を10才若くしたようなもっと線の細い感じの譜めくりの少年をつれてきていた。ヴァイオリンとピアノの掛け合いの楽しい曲目だ。ヴァンゲロフはパワフルに演奏する。弓使いの美しさに見とれる。
3)ラベル ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
これほど自由にジャズやブルースを組み入れた曲を楽々と演奏されると、もううれしくなる。クラシック音楽なんて、どこかにふっとばされていく。むかしはラベルもドビッシーも苦手で、フランス人って何を考えているんだろう、と不思議に思っていた。だって、リズムが刻めない。何分の何拍子なの?と聞いてもわからない。そんな訳の分からないラベルやドビッシーが、フェイスブックで知り合ったフランス在住のピアニスト、バルボット成江さんの演奏ヴィデオを聴き、彼女の穏やかで優しい人柄に惹かれるうちに好きになって来た。聴くのは良いが演奏するのは、とても難しいことも分かってきた。高度な技術を駆使してヴァンゲロフはラベルを聴かせてくれた。
4)ユージン イザイのヴァイオリンソナタ
ベルギーの作曲家でヴァイオリニストの作品は初めて聴いた。ヴァンゲロフの独奏。ロマン派の作曲家だが、とても斬新な曲だった。
5)「庭の千草」とその変奏曲
パガニー二と同時代を生きたチェコ生まれの作曲家でバイオリニストだったエルンストの作品。この人はパガニーニが大好きで彼がパリにいる間は、自分もパリで競って演奏活動し、技巧的な難曲を好んで演奏したという。アイルランド民謡の「庭の千草」の単純なメロデイーが、いろいろなバリエーションで演奏される。ものすごい重奏の連続で、ダブル、トリプル重奏が続く。とくに左手で重奏を弓でメロデイーを演奏しながら、同じ左手でピッチカートで伴奏を入れる、というテクニックには、聴いていたシドニーっ子達が夢中になって、曲の途中なのに拍手したりワーワー言いながら興奮していた。こういう風景は、お行儀の良い日本のクラシックコンサート会場では絶対みられない。オージーはクラシックコンサートで、第1楽章が終わって拍手してはならないところでも、自分が感動したら大拍手するし、驚くようなテクニックに出会えば曲の途中でも大声を出す。足もガタガタ踏み鳴らす。
この変奏曲の、ヴァンゲロフが弾いたのではなくて、もっとずっと簡単な変奏曲を中学生の時、発表会で演奏した。今度のコンサートで何を弾くの、と聞かれて、アイルランド民謡のこの曲の名を言うのが恥ずかしくて、とても嫌だった。簡単な曲しか弾けない初心者に思われると思ったのだろう。今になって、そうじゃない、難曲だったんだと、わかった。選曲が悪いと思い込んで恨んだ小野アンナ先生、村山雄二郎先生ごめんなさい。
6)パガニーニのヴァイオリンとピアノのためのカンタービレ
情感豊かな静かで美しい曲。表現者のヴァンゲロフは、本当にヴァイオリンで声高らかに歌っていた。オペラ歌手の様に。
アンコールで演奏されたブラームスのハンガリアンダンスでは、ヴァンゲロフは、きわめて早いパッセージをダブルストップさせる奏法や、観客が大喜びして騒いだ左手のピッチカートを多用して何度も観客を夢中にさせてくれた。ピッチカートが出るたびに観客が沸く。ハーモニックスの重音を繰り返すなんて、すごいテクニックだ。彼はサービス精神のかたまりのような人。これほど自由自在に高度なテクニックを使えるようにするためには、どれだけの練習と苦労があるのか、聴衆には決してわからない。
アンコールの2番目に演奏されたマスネの「タイスの瞑想曲」は、自分が2週間前の友人達とのクリスマスパーテイーで演奏したばかり。ああ、わたしの為に弾いてくれたんだ、と勝手に思い込みながら、心に染み入る美しいひとつひとつの音を受け止めた。美しくて泣けてくる。
最後にヴァンゲロフは、ビバ、ムジカプロジェクトの招待で、初めてオーストラリアに初めて来られて嬉しいと挨拶し、じゃあビバ ムジカのテーマソング(?)を最後に演奏します、と言って「ハンガリアンダンス第5番」を、すごいスピードで弾き始めて皆を笑わせてくれた。何て素敵な演奏家なんだ。
プログラムは、古典の古典:バッハに始まって、ロマン派、そしてラベルのジャズやブルースに触発されて作曲されたラベルと、パガニーニのヴァイオリン曲、それにアイルランド民謡、アンコールで弾かれたハンガリア民謡という風に、すべての時代と曲想をカバーしている。
コンサートでは、楽章ごとに拍手したり、ひとつの楽章が終わると咳ばらいする人も多く、演奏中でも自分が好きなところでワーワー声を出したり、お行儀の悪いオージー観客だったが、ヴァンゲロフの高度な演奏テクニックにみな魅せられて拍手、足踏みブラボーの連呼で終了した。わたしは念願の彼の生の演奏を聴くことができて、本当に嬉しかった。
シドニー公演の翌日、彼は日本に向かった。日本で、今度はお行儀の良い観客を前に、すばらしい演奏を見せていることだろう。
2015年12月11日金曜日
映画「007スペクター」
監督:サム メンデス
キャスト
ダニエル クレイグ:ジェームス ボンド
フランツ オベル ハウザー:クリストフ ウオルツ
マンデリン スワン:レア セドウ
M :ラルフ フィネス
Q: ベン ウイシャウ
ミスターヒンクス :デイブ バウテイシャ
ジェームスボンドシリーズ24作目。ダニエル クレイグにとってはボンド役4作目。撮影は、メキシコシテイー、ローマ、ロンドン、ウィーン、モロッコのタンジール、エルファドなど。製作費用$245ミリオンで、今まで製作された、他のどの映画よりも高い費用をかけて製作された。
ストーリーは
爆弾を使ったテロが世界各地で頻発している。英国女王陛下機密機関では、主要国9か国の間で共通の情報システムを作り情報を共有することを、各国の秘密機関に提案していた。この案を進めるために、新しく「C」が仲間として、派遣されてきた。
一方、ジェームス ボンドは、殺された前任者の「M」(ジュデイー デインチ)が、亡くなる前に送ったと思われるメッセージを受け取る。「マルコ シエラを殺してその葬儀に参加せよ」、という短いメッセージだ。ボンドはメキシコシテイーに飛び、街が「死者の祭り」で、ごったがえす中、ギャングの親玉マルコ シエラを殺す。ロンドンに戻ったボンドは、上司「M」(ラルフ フィネス)に呼び出されて命令もしていないのに、勝手にギャングを殺し、メキシコシテイーを大混乱に陥らせ、祭りを楽しんでいた数千人の観衆を危険な目に合わせ、巨大ビルデイングを爆破で崩壊させたことで、厳しく叱咤される。しかしボンドは、懲りず上司Mの命令に背いて、ローマに向かいマルコ シエラの葬儀に参加する。そこで、ボンドはマルコの妻(モニカ ベルッチ)を通じて、マルコが世界規模の犯罪組織スぺクターにかかわっていたことを知る。
組織の詳細を調べるために、まずボンドはオーストリアに飛ぶ。しかし組織のカギを握るホワイト氏は、ボンドに向かって、娘だけは守って欲しいと言い残して目の前で自殺してしまう。ボンドが訪ねて行ったホワイト氏の娘マデリン(レア セドウ)は、彼を信用せず全く相手にしないでいたが、犯罪組織スペクターによって拉致され、ボンドが決死の争奪戦ののちマデリンを助け出したことで、やっと信頼するようになり、組織を解明するためにモロッコにいくことを提案する。マデリンが子供の時に組織の幹部だった父親と過ごした小屋に滞在して調べるうちに、二人はやっとスペクター組織の本部を突き止めることができた。そこは、モロッコから東に向かうサハラ砂漠にあった。
スペクターの秘密基地は驚くべきハイテクニックな組織を持ち、全世界の動きがモニターで手に取るようにわかる機能を持っていた。そこでボンドは自分の属していたイギリスの国家安全秘密組織が提案していた9か国共通のプログラムは、このスペクターが操作することを知らされる。今や世界の情報網のプログラムをスペクターが握ろうとしていたのだった。ボンドの新しい仲間「C」は、スペクターから送られてきたスパイだった。
おまけにスペクターのリーダー、フランツ オベル ハウザーは、ジェームス ボンドにとっては兄のような存在の男だった。幼いうちに両親を失ったボンドは、フランツ オベル ハウザーの父親に引き取られて、二人は兄弟として育った。父親は孤児のボンドを可愛がり、実子の兄はボンドを憎むようになっていった。
スペクターに捕らわれたボンドとマデリンは、逃亡に成功し、基地を爆破する。しかし辛くも生きて基地から脱出したハウザーは、ロンドンでマデリンを再び誘拐する。ボンドは決死の覚悟でマデリンを救い出しに向かうが、、、。
というお話。
ボンドシリーズ24作目で初めて、孤児だったというボンドの過去が一部明らかにされる。養子ボンドと実子フランツとの宿命の確執だ。
シリーズの始めから一貫して変わらないのは、「M」と「Q」の存在だ。「M」の初代はジュデイ デインチで、いまはラルフ フィネスが引き継いだ。いつも勝手なことばかりしているボンドに怒って、叱咤してばかりいる。ジュデイ デインチが怒ると怖いが、ラルフ フィネスが怒って見せても、彼は顔に気品があって上品で、声が優しいので全然怖くない。
「Q」は、天才的にコンピューターのソフトを開発したり、腕時計時限爆弾とか、空飛ぶ車とか、水陸両用スポーツカーとか、ボールペン銃とかを発明する。いかにもオツムが良いですという顔に眼鏡をつけてベン ウィシャウが演じているが、彼はシェイクスピアをやれる舞台俳優出身の良い役者だ。第一かわいい。毎回まばゆいばかりの新車をQが作ってくれて、今回はアストンマーチンDB10で、心臓が早鳴りするくらい素敵だが、ボンドがやっぱり一番好きなのはボンド始まって以来の愛車アストンマーチンDB5だ。
映画のロケーションがどこも素晴らしい。ボンドの映画を見ると世界中が旅行できる。メキシコシテイーの祭りに集まった人々の美しい衣装、祭りの絢爛豪華なこと。ローマでは、コロシアム、ポンテシスト、ローマンフォーラム、ドームが出て来て、バチカンを正面に見ながらのカーチェイスが、すごい迫力。静まり返ったローマの夜の街を、ハイスピードで車が走り抜ける。あー!!!世界遺産が、、、と心配で、カーチェイスのドキドキハラハラも倍増だ。そして、オーストリアの美しい山々の景観には溜息がでる。雪に覆われたアルプスの荘厳さ。そうかと思うと、今度はモロッコに飛んで、美しい砂漠をコーランを読む心地良い響きに合わせるように、ラクダが優雅な姿で歩く。砂漠の真ん中に建てられたプールがあって、ふんだんに水を使った豪勢な館。画面の景色を見るだけで楽しい。
筋書はめちゃくちゃだ。どうしてさ?のつっこみどころ満載。完全武装のガードマン達が守備を固め、世界を乗っ取ろうとしている悪い組織の秘密基地に、丸腰でハイヒールを履いた彼女を連れて正面から堂々と入っていき、片手で女性の手を引きながら敵を全部やっつけて、基地を爆破して無傷で二人して逃げてこられるって、、、何てボンドは強いんだ。何百人ものガードマンは紙ででも出来ているんですか。手錠をかけられたボンドが、エイヤと両腕を広げると手錠の鎖が切れて両手自由になれるって、北斗の拳じゃあるまいし非現実的。
それにしてもよくいろんなものが壊れた。今までに作られた映画になかで一番製作費にお金をかけた映画だそうだが、ボンドは、爆弾でメキシコでひとつ、ロンドンでひとつ、サハラ砂漠の真ん中でもうひとつ大きな建物を完全崩壊させた。007の「殺しのライセンス」は、最悪のテロリストか? 小型飛行機で拉致された彼女を救うため、飛行機を操縦しながらオーストリアの森で、両翼もぎ取られ道路に緊急着陸して飛行機を完全に破壊。メキシコで1台、ロンドンウェストミニスター橋で、もう1台ヘリコプターをずたずたにぶっ壊して燃やし、ローマで2台の新車をカーチェイスの末ぼろぼろにして川に沈めてしまった。他にも何台の車が破壊されたのか、乱闘で壊れた家具とか特急列車の内部とか、すさまじい破壊と暴力。
殺人の仕方も残酷だ。大男が両手で無抵抗の男の両目をつぶして殺したり、葬儀から帰った未亡人を後ろから撃ったり、一人の男を殺すために建物全部を爆破して崩壊させたり。人を虫のように簡単に殺しまくってくれる。こういうのを見て、「スカッとしたぜい」、とか、「胸がすくような気持ちです」とコメントできる人達って、精神的にかなりヤバいのではないか。
イヤンフレミングのボンドを読むと、ボンドは女王陛下お抱えのスパイ組織の一員だが、確かオックスフォードを出ていたような、、ブランデーを口にすると、何年作でどこの畑で作られたか直ちに理解し、話題によどみなく絵画にも音楽にも古典にも精通し、社交的で、知的な趣味人の紳士だったはず。そこが、アメリカのCIAスパイとは違って、成熟したヨーロッパの文化を身に着けたスパイだったと思うが、今回の映画でボンドは一挙に孤児にされてしまった。何だか、話に兄弟との近親憎悪がとびだすと三流ストーリーになってしまう。イアンフレミングだったら、こんな筋書にはしなかっただろう。
トム クルーズの「ミッションインポッシブル ローグネーション」では、アメリカCIAスパイのトムが、モロッコの水力発電所に潜ったり、ウィーン国立オペラ劇場で「トランドット」を見ながら乱闘したり、カーチェイスや、飛行機チェイスや、バイクチェイスでドキドキハラハラさせてくれたが、ひどい人の殺し方をしたり、世界各国の観光名所を破壊したり、血が流れたり、手足がもぎれたり、首が飛んだりしなかった。珍しく血の流れない大型アクション映画に仕上がっていて、とても好感がもてた。そしてこれからは、これが新しいアクション映画の流れになっていくのだと思っていた。ところが、007の方は、依然として残酷無比な殺人、暴力のてんこ盛り、暴力に満ちた映画だった。運転中に襲われて生きるか死ぬかと言うときに、新車の秘密兵器ボタンを押すと、バックグランドミュージックの選択ボタンだったり、といった英国風のユーモアもあったが、まだウィットが足りない。ボンドシリーズ、ボンドを、ちがう役者に替えればいいと言うもんじゃない。全然斬新さがない。
ボンドガールは相変わらず胸の大きく開いたドレスにハイヒールで、男の腕に捕まって逃げ回る。男は強くて無敵、どんな拷問を受けても死なないで女を守る。どうなってるんだよ。キミは何世紀もの間、男が強くてか弱い女を守って来たとでも、まだ信じていたいのか。現実世界の日常では、暴力があふれている。人々は怒りと憎しみでいっぱいだ。時として女はハイヒールと胸の開いたドレスで、少しでもまともな男、強く賢く少々たりともマシな男を捕まえようとするが、普段は男と並んでしっかり学び、しっかり働いて社会を形造っているのだ。
雌のシジミチョウはいったん卵を抱えると、あの小さな羽で、空高く舞い上がる。それを待ち構えていた何百羽の雄のシジミチョウはそれを捕えようと、雌を追って空に向かって飛び上る。そして一番高くまで飛んで、雌に追いついた一羽の雄だけが生殖行為を許される。強い遺伝子の子孫を残すための雌の本能だ。高く飛べなかったけど、それなり良い相手だからとか、体は弱いけど心が優しいからとかの妥協なんて期待しないで。
アクション映画では、ヒーローが派手に車や飛行機や建物を破壊し、残酷な殺しがライセンスでまかり通り、着飾ったセクシーな女がしなだれかかるというパターンは、もう時代遅れだ。いつまでも男女差別の激しかった時代に始まった007シリーズにこだわっていると、ジェームスボンドは時代に取り残されて、誰にも見向きされなくなる。
キャスト
ダニエル クレイグ:ジェームス ボンド
フランツ オベル ハウザー:クリストフ ウオルツ
マンデリン スワン:レア セドウ
M :ラルフ フィネス
Q: ベン ウイシャウ
ミスターヒンクス :デイブ バウテイシャ
ジェームスボンドシリーズ24作目。ダニエル クレイグにとってはボンド役4作目。撮影は、メキシコシテイー、ローマ、ロンドン、ウィーン、モロッコのタンジール、エルファドなど。製作費用$245ミリオンで、今まで製作された、他のどの映画よりも高い費用をかけて製作された。
ストーリーは
爆弾を使ったテロが世界各地で頻発している。英国女王陛下機密機関では、主要国9か国の間で共通の情報システムを作り情報を共有することを、各国の秘密機関に提案していた。この案を進めるために、新しく「C」が仲間として、派遣されてきた。
一方、ジェームス ボンドは、殺された前任者の「M」(ジュデイー デインチ)が、亡くなる前に送ったと思われるメッセージを受け取る。「マルコ シエラを殺してその葬儀に参加せよ」、という短いメッセージだ。ボンドはメキシコシテイーに飛び、街が「死者の祭り」で、ごったがえす中、ギャングの親玉マルコ シエラを殺す。ロンドンに戻ったボンドは、上司「M」(ラルフ フィネス)に呼び出されて命令もしていないのに、勝手にギャングを殺し、メキシコシテイーを大混乱に陥らせ、祭りを楽しんでいた数千人の観衆を危険な目に合わせ、巨大ビルデイングを爆破で崩壊させたことで、厳しく叱咤される。しかしボンドは、懲りず上司Mの命令に背いて、ローマに向かいマルコ シエラの葬儀に参加する。そこで、ボンドはマルコの妻(モニカ ベルッチ)を通じて、マルコが世界規模の犯罪組織スぺクターにかかわっていたことを知る。
組織の詳細を調べるために、まずボンドはオーストリアに飛ぶ。しかし組織のカギを握るホワイト氏は、ボンドに向かって、娘だけは守って欲しいと言い残して目の前で自殺してしまう。ボンドが訪ねて行ったホワイト氏の娘マデリン(レア セドウ)は、彼を信用せず全く相手にしないでいたが、犯罪組織スペクターによって拉致され、ボンドが決死の争奪戦ののちマデリンを助け出したことで、やっと信頼するようになり、組織を解明するためにモロッコにいくことを提案する。マデリンが子供の時に組織の幹部だった父親と過ごした小屋に滞在して調べるうちに、二人はやっとスペクター組織の本部を突き止めることができた。そこは、モロッコから東に向かうサハラ砂漠にあった。
スペクターの秘密基地は驚くべきハイテクニックな組織を持ち、全世界の動きがモニターで手に取るようにわかる機能を持っていた。そこでボンドは自分の属していたイギリスの国家安全秘密組織が提案していた9か国共通のプログラムは、このスペクターが操作することを知らされる。今や世界の情報網のプログラムをスペクターが握ろうとしていたのだった。ボンドの新しい仲間「C」は、スペクターから送られてきたスパイだった。
おまけにスペクターのリーダー、フランツ オベル ハウザーは、ジェームス ボンドにとっては兄のような存在の男だった。幼いうちに両親を失ったボンドは、フランツ オベル ハウザーの父親に引き取られて、二人は兄弟として育った。父親は孤児のボンドを可愛がり、実子の兄はボンドを憎むようになっていった。
スペクターに捕らわれたボンドとマデリンは、逃亡に成功し、基地を爆破する。しかし辛くも生きて基地から脱出したハウザーは、ロンドンでマデリンを再び誘拐する。ボンドは決死の覚悟でマデリンを救い出しに向かうが、、、。
というお話。
ボンドシリーズ24作目で初めて、孤児だったというボンドの過去が一部明らかにされる。養子ボンドと実子フランツとの宿命の確執だ。
シリーズの始めから一貫して変わらないのは、「M」と「Q」の存在だ。「M」の初代はジュデイ デインチで、いまはラルフ フィネスが引き継いだ。いつも勝手なことばかりしているボンドに怒って、叱咤してばかりいる。ジュデイ デインチが怒ると怖いが、ラルフ フィネスが怒って見せても、彼は顔に気品があって上品で、声が優しいので全然怖くない。
「Q」は、天才的にコンピューターのソフトを開発したり、腕時計時限爆弾とか、空飛ぶ車とか、水陸両用スポーツカーとか、ボールペン銃とかを発明する。いかにもオツムが良いですという顔に眼鏡をつけてベン ウィシャウが演じているが、彼はシェイクスピアをやれる舞台俳優出身の良い役者だ。第一かわいい。毎回まばゆいばかりの新車をQが作ってくれて、今回はアストンマーチンDB10で、心臓が早鳴りするくらい素敵だが、ボンドがやっぱり一番好きなのはボンド始まって以来の愛車アストンマーチンDB5だ。
映画のロケーションがどこも素晴らしい。ボンドの映画を見ると世界中が旅行できる。メキシコシテイーの祭りに集まった人々の美しい衣装、祭りの絢爛豪華なこと。ローマでは、コロシアム、ポンテシスト、ローマンフォーラム、ドームが出て来て、バチカンを正面に見ながらのカーチェイスが、すごい迫力。静まり返ったローマの夜の街を、ハイスピードで車が走り抜ける。あー!!!世界遺産が、、、と心配で、カーチェイスのドキドキハラハラも倍増だ。そして、オーストリアの美しい山々の景観には溜息がでる。雪に覆われたアルプスの荘厳さ。そうかと思うと、今度はモロッコに飛んで、美しい砂漠をコーランを読む心地良い響きに合わせるように、ラクダが優雅な姿で歩く。砂漠の真ん中に建てられたプールがあって、ふんだんに水を使った豪勢な館。画面の景色を見るだけで楽しい。
筋書はめちゃくちゃだ。どうしてさ?のつっこみどころ満載。完全武装のガードマン達が守備を固め、世界を乗っ取ろうとしている悪い組織の秘密基地に、丸腰でハイヒールを履いた彼女を連れて正面から堂々と入っていき、片手で女性の手を引きながら敵を全部やっつけて、基地を爆破して無傷で二人して逃げてこられるって、、、何てボンドは強いんだ。何百人ものガードマンは紙ででも出来ているんですか。手錠をかけられたボンドが、エイヤと両腕を広げると手錠の鎖が切れて両手自由になれるって、北斗の拳じゃあるまいし非現実的。
それにしてもよくいろんなものが壊れた。今までに作られた映画になかで一番製作費にお金をかけた映画だそうだが、ボンドは、爆弾でメキシコでひとつ、ロンドンでひとつ、サハラ砂漠の真ん中でもうひとつ大きな建物を完全崩壊させた。007の「殺しのライセンス」は、最悪のテロリストか? 小型飛行機で拉致された彼女を救うため、飛行機を操縦しながらオーストリアの森で、両翼もぎ取られ道路に緊急着陸して飛行機を完全に破壊。メキシコで1台、ロンドンウェストミニスター橋で、もう1台ヘリコプターをずたずたにぶっ壊して燃やし、ローマで2台の新車をカーチェイスの末ぼろぼろにして川に沈めてしまった。他にも何台の車が破壊されたのか、乱闘で壊れた家具とか特急列車の内部とか、すさまじい破壊と暴力。
殺人の仕方も残酷だ。大男が両手で無抵抗の男の両目をつぶして殺したり、葬儀から帰った未亡人を後ろから撃ったり、一人の男を殺すために建物全部を爆破して崩壊させたり。人を虫のように簡単に殺しまくってくれる。こういうのを見て、「スカッとしたぜい」、とか、「胸がすくような気持ちです」とコメントできる人達って、精神的にかなりヤバいのではないか。
イヤンフレミングのボンドを読むと、ボンドは女王陛下お抱えのスパイ組織の一員だが、確かオックスフォードを出ていたような、、ブランデーを口にすると、何年作でどこの畑で作られたか直ちに理解し、話題によどみなく絵画にも音楽にも古典にも精通し、社交的で、知的な趣味人の紳士だったはず。そこが、アメリカのCIAスパイとは違って、成熟したヨーロッパの文化を身に着けたスパイだったと思うが、今回の映画でボンドは一挙に孤児にされてしまった。何だか、話に兄弟との近親憎悪がとびだすと三流ストーリーになってしまう。イアンフレミングだったら、こんな筋書にはしなかっただろう。
トム クルーズの「ミッションインポッシブル ローグネーション」では、アメリカCIAスパイのトムが、モロッコの水力発電所に潜ったり、ウィーン国立オペラ劇場で「トランドット」を見ながら乱闘したり、カーチェイスや、飛行機チェイスや、バイクチェイスでドキドキハラハラさせてくれたが、ひどい人の殺し方をしたり、世界各国の観光名所を破壊したり、血が流れたり、手足がもぎれたり、首が飛んだりしなかった。珍しく血の流れない大型アクション映画に仕上がっていて、とても好感がもてた。そしてこれからは、これが新しいアクション映画の流れになっていくのだと思っていた。ところが、007の方は、依然として残酷無比な殺人、暴力のてんこ盛り、暴力に満ちた映画だった。運転中に襲われて生きるか死ぬかと言うときに、新車の秘密兵器ボタンを押すと、バックグランドミュージックの選択ボタンだったり、といった英国風のユーモアもあったが、まだウィットが足りない。ボンドシリーズ、ボンドを、ちがう役者に替えればいいと言うもんじゃない。全然斬新さがない。
ボンドガールは相変わらず胸の大きく開いたドレスにハイヒールで、男の腕に捕まって逃げ回る。男は強くて無敵、どんな拷問を受けても死なないで女を守る。どうなってるんだよ。キミは何世紀もの間、男が強くてか弱い女を守って来たとでも、まだ信じていたいのか。現実世界の日常では、暴力があふれている。人々は怒りと憎しみでいっぱいだ。時として女はハイヒールと胸の開いたドレスで、少しでもまともな男、強く賢く少々たりともマシな男を捕まえようとするが、普段は男と並んでしっかり学び、しっかり働いて社会を形造っているのだ。
雌のシジミチョウはいったん卵を抱えると、あの小さな羽で、空高く舞い上がる。それを待ち構えていた何百羽の雄のシジミチョウはそれを捕えようと、雌を追って空に向かって飛び上る。そして一番高くまで飛んで、雌に追いついた一羽の雄だけが生殖行為を許される。強い遺伝子の子孫を残すための雌の本能だ。高く飛べなかったけど、それなり良い相手だからとか、体は弱いけど心が優しいからとかの妥協なんて期待しないで。
アクション映画では、ヒーローが派手に車や飛行機や建物を破壊し、残酷な殺しがライセンスでまかり通り、着飾ったセクシーな女がしなだれかかるというパターンは、もう時代遅れだ。いつまでも男女差別の激しかった時代に始まった007シリーズにこだわっていると、ジェームスボンドは時代に取り残されて、誰にも見向きされなくなる。
2015年11月29日日曜日
映画「エヴェレスト」3D

https://www.youtube.com/watch?v=-VzVp4hjSKE
監督:バルタザール コルマウクル
キャスト
ロブ ホール: ジェイソン クラーク
スコット フィッシャー: ジェイク ギレンホール
べック ウェザーズ: ジョシュ ブローソン
ジョン クラカワー: マイケル リー
ダグ ハンセン: ジョン ホークス
難波康子: 森尚子
ヘレン ウィルソン: エミリー ワトソン
ガイ コター: サム ワーシントン
ジャン アーノルド: キーラ ナイトレイ
1996年にエベレストで起きた遭難事故をドキュメンタリータッチで描いた作品。ヒマラヤ現地で撮影したフイルムを3Dにしたもので、ベネチア映画祭の、オープニングで上映された。風速320M、気温がマイナス26度、気圧は地上の3分の1といった世界最高峰エベレストの厳しい自然状況で、毎日機材を運び上げ、役者達と移動しながらの撮影は困難を極めたという。
ストーリーは
ニュージーランド人、ロブ ホール(ジェイソン クラーク)は、公募登山隊を率いてヒマラヤに向かった。彼はたった7か月の間に7大世界最高峰の登頂した記録を持ったプロの登山家だ。家には妊娠中の妻ジャン(キーラ ナイトレイ)がいて夫の出発を不安がるが、そんな姿を笑い飛ばして彼は自信満々で家を後にする。登山仲間で同じくプロのスコット フィッシャー(ジェイク ギレンホール)も同様に公募登山隊を率いて、一緒に山頂を目指す。様々な人々が大金を払って世界の最高峰を極めるために集まってきていた。テキサス出身のドクター、プロのカメラマン、郵便局員、日本人の難波康子も居る。長年の夢を形にするため、登山の自己記録を更新する為、自分の能力を見極める為、家庭が崩壊しかけていて自信を取り戻すため。参加者はそれぞれが事情を抱えているが、山では隊長に絶対服従が原則だ。
ネパールのルクラからは、ポーターとヤクの力を借りてエベレスト街道を、高所に体を慣らしながら一気にベースキャンプまで登る。5364Mのベースキャンプには、大型テントが張られ医師も待機している。テントの中で、いっときの隊員同士の交流も楽しいものだ。やがて、出発。第1キャンプから、第4、最終キャンプまでの無数のクレパスを渡り死と隣り合わせの登山、そして登頂。山は一時晴れていても午後からは天候が変わり霧に覆われたかと思うと、吹雪になる。隊員たちは好天に恵まれ登頂を果たすが下山途中、猛吹雪に見舞われる。ロブ ホール、スコット フィッシャー両隊長は、隊から離れで衰弱死。隊長を失った隊員たちは一人、また一人と遭難し命を失っていく。この事故で11人が亡くなった。
というお話。
この映画がヒマラヤ現地撮影でなかったら見なかったし、興味ももたなかっただろう。実際にクレパスに梯子をかけて渡るシーンや、吹雪のシーンも臨場感をたっぷり楽しめる。エベレストの頂上は8848M、ベースキャンプは5364Mの高さ。映画ではベースキャンプのシーンが多いが、ここでも余程、高所順応の訓練をしておかないと高山病で認知不能になったり呼吸不全を起こす。
文句なしの世界最高峰ヒマラヤ登頂は、英国遠征隊によって1921年に始まった。彼らは、チベット側から入山し、7020Mのノースコルにまで至るルートが作り、初めてエベレストの詳細な地図が制作した。この第1次遠征隊からジョージ マロリーは参加している。その後マロリーは、1924年の第3次英国遠征隊で、山頂を目指して8572Mの北壁トラバースを成功させるが、そのまま行方を絶った。1953年にエドモンド ヒラリーとテンジンが世界で初めてエベレスト登頂に成功したと、公式に記録にされているが、その29年も前に恐らくマロリーは登頂に成功している。登頂していたら山頂に残してくると言っていた家族の写真が遺体になかった。しかし、持っていたはずのカメラ、ヴェストポケットカメラが見つからないので、彼が登頂したかどうかは永遠の謎になった。マロニーは、どうしてエベレストの登るのかと問われて、「そこに山があるから。」と答えた。この言葉は、ロマンそのものだ。わたしは、マロリーが片足を驚くほど高い岩にかけ、蛇のように滑らかに岩に取り着いて登って行った、という彼の登り方をまねて山を登る自分をよく夢にみた。
わたしは1960年代の終わりころから盛んだった学生運動に人並み程度に関わり、ベトナム戦争終結と運動体の分裂、分派によって居場所がなくなった学生時代、憑き物に付かれたように山に登った。八ヶ岳、槍ヶ岳、穂高の山々、白馬岳、、、黙々とひとりで歩いた。山頂からの乾いた風、霧に包まれて足元を頼りに歩く岩の確かさ、突然出会うライチョウの愛らしさ、可憐な山岳植物、チングルマの群れ、落葉松、、、山に居ると自分が浄化されるようで、山から地上に降りてくると、下界の喧騒に耐えられず翌日にはもう山に帰りたくなっている。3000M級の高所を歩くから、日焼けで顔が赤銅色になって腫れ上がり、何枚も皮がむけてくる。自分では全く気にならなかったが、20代始めの娘の顔に、はがれかけの皮がいくつもくっついてケロイドのようになった顔で、人に会うとよくギョッとされたものだ。山はわたしにとって、本当に「特別な場所」だった。どうして山に行くのか、山をやらない人に問われても、答えようがない。
この映画の中でも、ベースキャンプでジャーナリストに、どうしてヒマラヤを登頂したいのかと問われて、そこにいた全員が声をそろえて、だって「そこに山があるからさ。」と言って、ゲラゲラ笑うシーンがあったが、そんなものだろう。答えようがない。
映画で描かれたように、1996年のこの登山隊では、隊長のロブ ホールが公募で集めた登山家達を登頂させ、全員無事に下山させなければならなかったところを失敗した。一人の隊員が前回 登頂目前で天候の悪化で敗退しているので、二回目の挑戦で何が何でも登頂を成功させたかった。その男のために判断を誤り、下山の時間が遅れた隊長のロブ ホールは、突然の天候の豹変によって下山できなくなった。隊長を失った隊員たちは下山中、猛吹雪に襲われて次々と倒れ、11人が命を失った。難波康子も、ノースコル目前で、倒れて起き上がれない。最終キャンプの手前、酸素を使い果たし、一緒に下山した仲間たちは、自分が呼吸するだけで一杯で、倒れた者を助け起こすことができない。まだ生きているのに放置され凍死していった彼女が哀れだ。どうして隊長が一人の登頂にこだわって下山時間を守らなかったのか。トランシーバーがあったのに、どうしてノースコルにサポート隊を呼べなかったのか。難波康子は早大卒業後、航空貨物会社に勤めながら、スポンサーなしで、自分のお金だけで次々と世界7最高峰を制覇した、ものすごい人だ。本当に惜しい登山家を失った。こうしてドキュイメンタリータッチのフイルムで観ることになると、本当に悲しい。彼女、無念だったことだろう。
ジェイソン クラーク、ジェイク ギレンホール、キーラ ナイトレイ、エミリー ワトソン、サム ワーシントンなど豪華な役者をそろえて、ヒマラヤ現地で撮影した3Dの、お金のかかった映画だけれど、山をやる人(山屋)人口は、それほど多くない。現地撮影のために多量の機材を使い、のべ数千人のシェルパを雇い、莫大な資金をかけて制作された映画だが、山の好きな人にしか共感が得られないのではないか。山に興味のない人にとっては、勝手に山に行き、家族に死ぬほど心配させて、未亡人にしたりする男達が単なる「わがまま男」にしか見えないのではないか。
お金があれば、月にもヒマラヤにも行ける時代になった。エベレスト街道出発点のルクラには、テレビ、シャワーつきの快適なホテルもでき、標高4000Mというのに、インターネットも携帯電話も使える。手軽なトレッキングが大流行だ。ヒマラヤは登山ビジネスが盛んになり、ネパール政府にとっては観光が最大の資源となっている。
しかし登山家たちが残してくるゴミと糞尿が深刻な問題になっている。また商業登山家が増え、渋滞も深刻だ。山頂近く、ヒラリーステップは、頂上直前に聳えている高さ12Mの岩と氷の壁だが、それを登るために登山家たちは列を作って待たなければならない。呼吸するだけで体力を消耗する8000M以上の高度で、一人ひとりが登っていくのを待ったり、下山してくる隊をじっとして待つことは、衰弱と疲労遭難死を誘発する。最終キャンプから頂上まで往復するのに18時間。酸素ボンベは6時間しかもたない。仮に登頂できても、酸素ボンベを3本背負って下山するのが本来の登山家の姿だ。しかし使い切った酸素ボンベは捨て置かれる。
ヒマラヤには、危険で回収できない120体あまりの遺体が凍ったまま眠っている。おびただしい数の捨てられた酸素ボンベ、岩壁に残されたハーケン、カラビナ、ザイル、梯子、そして凍ったまま土にかえることのできない人糞。たまりかねたネパール政府は、登山許可に、自分のゴミに加えて8キロのゴミを持ち帰ることを登山家たちに要求するようになった。良いことだ。もうヒマラヤに登る目的を変更する時期ではないか。富める国からヒマラヤにやってきて貧しい国に金を落としていく、その意味を考え直す時期だ。すでに世界中のどこにも未踏峰の山はなくなった。先人たちは後から来る者たちのために登山ルートを作り、道程を開発してくれた。初登頂、女性初登頂、最年少初登頂、最高年齢初登頂といった記録も残してくれた。しかしもう、世界一を競うのではなく、人類全体の共存を求めていく時期にきている。これから生まれてくる子供達のためにも、人が生きやすい環境を求めていくことでしか山を語れない。聖なる山を取り戻す必要がある。
ゴミを拾うためにヒマラヤに登る、野口健のようなアルピニストが本当のヒーローだと思う。この映画には感動しなかったけれど、彼の「ヒマラヤをピカピカにしてやる。」という言葉に心から感動した。
2015年10月4日日曜日
ACOモーツアルト最後の3交響曲を聴く
Australian Chamber Orchestra - YouTube
オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)定期公演で、モーツアルト最後の3つの交響曲を聴いた。ACO監督のリチャード トンゲテイが、これらを演奏するのは、彼がACOの監督に就任した年以来、25年ぶりのことだ。オーケストラを率い、コンサートマスターを務めながら、指揮も同時に弾きながら勤め、譜めくりまで自分でやっていた。すごい。リチャードの大活躍で、モーツアルトを堪能した。
ヴオルフガング アマデウス モーツアルト作曲
交響曲第39番 Eフラットメジャー作品543
交響曲第40番 Gメジャー 作品550
交響曲第41番 Cメジャー 作品551 「ジュピター」
モーツアルトは亡くなる3年前の1788年6月から8月にかけて、たった3か月の間に3つの
交響曲(12楽章)を作曲した。まるで自分の若すぎる死を予期していたかのように、全力を投入して、次から次へと湧き出てくる才能を3つの交響曲に込めて、この世から走り去って行ってしまった。
25歳でウィーンに来て、父親からもザウスブルグ神聖ローマ帝国皇帝からも喧嘩別れの末、独立して、やっと自由に音楽家として生きていけるかと思っていたが、パトロンのいないモーツアルトは、コンサートを開催しても聴衆が集まらず、作曲しても芳しい評価をされず、日々の生活もままならない状態だった。「ウィーンでは何をやってもお金にならないんだ」、とフリーメイソンの仲間たちにこぼしては、お金の工面をしてもらいながら、飢えをしのいでいた。
にも拘らず、病気と貧困と寒さ、幼い娘の死など数々の絶望をみじんも見せずに、彼はロマン派の蜜より甘い交響曲39番を書いた。繊細にして、華麗、軽やかで優雅。いくつもの美しいメヌエットが続く、ロマンテイックそのものの曲。この交響曲を作品543、交響曲ロマンテイックと呼ばれたりもする。本当に、ただただ美しい。
2番目に演奏された、交響曲40番作品550。Gマイナーは、モーツアルトが最も頻繁に使ったコードだ。弦楽4重奏作品515、ピアノカルテット作品478、オペラ「ドン ジョバンニ}などがGマイナーだ。これは、最初、ヴィオラとバイオリンによる波のような繰り返しで始まる。当時としては、きわめて革命的で斬新なスタイルだった。のち、リチャード ワーグナーは、これを「言葉で言い表せない美しさ」と褒めたたえた。この時代の寵児、フランツ リストは、彼の華麗な演奏で人々を魅了していて、「ピアノはすべてのオーケストラの器楽を超える音が出せる。」と豪語していたが、これを皮肉ってメンデルスゾーンは、「この交響曲のはじめの8小節のヴィオラこそがオーケストラのすべての楽器を超えている。」と言って、モーツアルトの斬新な才能を褒めたたえた。
そして、この世の交響曲のうち最も輝きの満ち、力強さに溢れた素晴らしい交響曲題41番「ジュピター」。続けて演奏された3つの交響曲、どれもブリリアントと言うしか言いようがない。
モーツアルトは生涯、その演奏家、作曲家としての才能を正しく評価されることなく不遇のうちに35歳の若さで亡くなった。そんな彼が死ぬまで童心をもった天才だったことは、よく言われることだ。アマデウスの才能を早くから認識していた父レオポルドは、幼い息子を連れてヨーロッパ中を連れて皇帝、貴族の前で神童ぶりを見せて就職活動をした。ザルツブルグ神聖ローマ帝国皇室音楽家として生涯豊かな生活を保障されていて、皇室の気に入るような「凡庸」な曲を作って演奏してた父親としては、息子にも同じか、それ以上の安定した生活をしてもらいたかったのだろう。
でもアマデウスは父親の手のひらで踊っているような子供ではなかった。彼がオーストリアのマリア テレシアの宮殿に招かれて演奏したときに、床で滑って転んでしまい、手を貸してた助け起こした7歳のマリー アントワネットに6歳のアマデウスが、将来結婚してあげる、と言った逸話は有名。
「LECK MICK IM ARSCH」(俺のケツをなめろ)という真面目な教会で歌うカノンを作曲もしている。ケツをなめる奴、つまりオベッカ使いが大嫌いだったモーツアルトらしい茶目っ気に満ちた詩をつけている。権威に媚びへつらうことを嫌い、権威をおちょくって笑う歌を平然とカノンにして発表する心意気は、彼らしい童心の表れといえるだろうか。
オペラ「フィガロの結婚」でも彼は徹底して権力者を笑う。このオペラは、フィガロが恋人スザンナの為に歌う「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」と、伯爵夫人とスザンナの二重唱「そよ風に寄せて」など、美しいアリアがたくさん出てくる素晴らしいオペラだが、権力をかさにして小間使いスザンナを、自分のものにしようとする伯爵を懲らしめるというストーリーのオペラだ。
18世紀半ばのスペインのお話だけれど、驚くことに事実、封建時代は「初夜権」といって庶民の婚姻時、領主や「聖職者」(!!!)は、花嫁を花婿の先立って同きんする権利が認められていた。オペラでは、従僕フィガロが小間使いスザンナと結婚するにあたって、好色な伯爵を、いかにスザンナから遠ざけておくか、知恵をしぼる。フランス革命前夜の貴族の腐敗をこき下ろしたこのオペラは、上演が許可されなかった。1784年の初演では死傷者を出すほど混乱して、こうしたエネルギーは3年後のフランス革命の導火線ともなった。
オペラ「ドン ジョバンニ」でも、モーツアルトは女たらしのスペイン貴族ドン ジョバンニを地獄に突き落としている。フランス革命は、この2年後に、起こるべくして起こった。
サイコセラピーでは、他のどの作曲家の作品よりもモーツアルトの楽曲が音楽療法の効果があることが実証されている。彼の作品の多くが明るくて、心が軽くなってうつ病から抜け出せる、などというほど単純な話ではないだろうが、モーツアルトの純粋で自由を求める心が、人々の心に何かを訴えるのではないだろうか。
封建時代、パトロンなしで生きてはいけない作曲家が、にも拘らず権威を嫌い、権力者を笑い、反権力の作品を平然と発表した。何という自由な心だろう。何という打算のない、邪気のない純粋さだろう。
死ぬ前に何かに衝かれたように、たった3か月の間に作曲された3つの交響曲、12の楽章は
それぞれが全く似たり、共通するところはなく独立して、強い個性をもっている。つめに灯をともすような貧困と欠乏に責められながら、力強い、繊細で華麗、真っ青な青空を突き抜けるような明るさを音にした。
ACOの演奏ではフルート、オーボエ、ホーン、バスーン、クラリネット、トランペット、テインパニーが加わった。弦楽器は、第一バイオリン5人、第二バイオリン5人、ヴィオラ3人、チェロ3人とコントラバスの17人。17の弦楽器が腹の底に響く大きな音を出す。かと思うと唾を飲み込むのもためらうほどの繊細な音も出す。そしてジュピターの輝かしい力強さ。華麗な音の嵐で終了した。
全員が立ったままで演奏する。彼らのスタイルだ。終了すると、いつもサッサと舞台から引き上げてアンコールには応じない。3つの交響曲の余韻に酔いしれて、いつまでも座席から立ち上がれない聴衆を置いて、彼らはさッさと会場から立ち去っていく。
病気のオットを置いて一人で聴きに来ていたから、会場の混雑を避けようと、小走りで階段駆け下りて外に出たが、もうバイオリンを背負った第一バイオリンのイルヤ イザコヴィッチの後ろ姿を見送ることになった。と思ったら、劇場前に駐車してあったジープにチェロ(1729年のグルネリ)を横たえてテイモシー トンプソンがエンジンをかけるところだった。ステージに立っていたときから10分たっていない。早い!すごい! ACOのこういうところが大好きだ。
2015年9月19日土曜日
戦争法可決:沖縄とフィリピンでの体験から
安倍政権は7月15日衆議院での強行採決に続いて、9月19日参議院で安全保障関連法案を強行採決した。憲法の新解釈、集団自衛権の容認、安全保障関連法案の可決によって、いよいよ日本は武器を持って海外の戦場に出かけていくことのできる国になろうとしている。日米軍事協力体制の本格化だ。海外各地で自衛隊は米軍の肩代わりをすることになるだろうが、自衛隊がどんなことをしているのか、特別秘密保護法と、マスコミへの日ごろからの介入によって、人々は限られた情報しか知らされなくなる。TPP参加により日本の農業は壊滅し、ただでさえ食料の自給率24%が更に下がり、日本の市場はアメリカの多国籍企業の餌になる。遂に、軍事面でも、産業面でも日本は、アメリカに完全依存することになる。
これが阿部首相が繰り返し言ってきた「積極的平和主義」によって、「日本の誇りを取り戻す」ことだったのか。
日本の終戦記念日、8月15日は、ロシアを含むオーストラリアや連合国側の国々では戦勝記念日となるが、今年も盛大な祝日の祭典が行われた。オーストラリアでは旧軍人たちのパレードを先頭に、現役の自衛官の行進、小中学校のバンド、警察官、消防士、海難救助隊などのパレードが各地で行われ、沿道を国旗を持った人々が埋めた。ニュースでは、朝から第2次世界大戦でニューギニヤやシンガポールなどで日本軍の捕虜になって生き残った兵士たちのやせ細った姿が映し出され生存者のインタビューに続き、広島、長崎の原子爆弾が日本を焼き尽くす映像が現れる。日本軍によるダーウィン攻撃やシドニー湾への攻撃も必ず出てくる。投降して捕虜になった兵士の8000人が日本軍によって死亡し、ダーウィンへの空爆では250人近くの市民が犠牲になり、オランダ領インドネシアにいたオーストラリア女性が捕獲され日本軍の従軍慰安婦にされた事実も、オーストラリア人は忘れていない。必ず一年に一度は、このような記念日に歴史のおさらいをする。
今年はこれに加えて、阿部総理の談話がオーストラリア公共放送ABCで大きく報道された。「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分はそっくりヴィデオで流れ、阿部政権の平和憲法の解釈変更とアグレション(攻撃性)には、日本国内だけでなくアジア各国から抗議行動が起きている、と説明されて、街頭で日章旗を焼く韓国でのデモのシーンが報道された。
激戦地だったレイテ島に1980年代に、3年間を暮らしたが、まだ旧日本兵の骨が出てくる。遺骨収集は終わっていない。 空港のあるタクロバンから住んでいたオルモックに至る途中の畑で、所属部隊と氏名の彫られた認識票がヘルメットと一緒に出てきたことがあった。せめて遺族を探して渡したいと思って日本大使館に連絡したが、大使館は全く反応なし対応もせず、民間の遺骨収集団体の名を教えてくれただけだった。
レイテ島に幼い二人の娘たちと一緒に夫の赴任中、たくさんの年配者に囲まれて旧日本軍の軍票を目の前に置かれてフィリピンペソに両替してくれとすごまれたことがある。日本軍はフィリピンを侵略 占領し、彼らの言語を奪い日本語を強要し、ペソを軍票に替えさせ、彼らの食料を奪い、彼らの娘たちを連れ去り慰安婦にし、彼らの命を奪った。日本軍占領中、お金をすべて軍票に替えさせられた人々は、敗戦のその日から軍票はただの紙となり、全財産を失った。日本人を見てペソに戻してくれと要求するのは、彼らにとっては当たり前ではないか。それを日本政府はしなかった。
夫が出張でおらず、深夜酔った勢いで男たちが私たちの寝ている二階のベランダにまで上がってきたこともあった。ドアひとつを隔てて玩具の銃を握りしめて朝まで緊張していたこともあったし、日本兵の墓に花を捧げようとして、取り囲まれて有り金全部奪われたこともある。当時は共産党のゲリラが山に拠点を持っていて軍と衝突するたびに死体を何度も見た。日本軍が侵略しなければ、本来豊かな国だったのだ。
レイテ島の前の赴任先は、沖縄だった。沖縄の本土復帰からまだ間もなく、本土の人:ホンドウーは、ウチナンチューから決して快く思われていなかった。夫は道路建設のプロジェクトで住んでいた那覇の家を空けることが多かった。幼稚園に入る前の娘たちと眠る深夜、再三玄関のベルを鳴らす人がいた。子供のとき過酷な戦争体験をして精神を病んだ人だった。知人も親しい友達も居ない畑の真ん中の一軒家で、夫のいない時だけ玄関でいつまでも佇む精神を病んだ人の存在は、赴任したばかりの頃は、とてつもなく怖かった。近所の人は、あの人は何もしないから、と言ってくれたが。窓を少し開けて外出して帰ってきたら火のついたタバコが投げ入れられていたこともあった。子供たちを連れて、できるだけかつての激戦地を見て、、集団自決のあったガマに入り、人々の戦争体験を聞かせてもらった。正座してウチナンチューの昔の話を聞くことがどんなに大切か、このような体験から学んだ。沖縄戦で、犠牲者は12万人。そのうち軍人は2万8千人で、亡くなった方々のほとんどは民間人だったのだ。本土の人間にとっての戦争体験と、沖縄に人々の戦争体験とは全く異なる。本土の人間は、沖縄の人々に対して加害者としての自覚を、自分の胸に刻んで生きていくべきだと思う。
日本人は加害者だった。日本は先の大戦で350万人の戦死者を出したが、侵略したアジアの国々、中国人では軍民併せて1100万人、インドネシアなどのアジアで800万人の人々を死に追いやり謝罪も賠償もしていない。沖縄では米軍に包囲され白旗を掲げて投降しようとした市民を日本軍兵士は後ろから撃ち殺したばかりでなく、集団自決を強いた。そしていま沖縄を戦場の最前線に押し出し、辺野古の海を破壊している。
侵略者には被害者の痛みはわからない。わからないからわかろうとして被害者の話に耳を傾けることでしか、両者のみぞを埋める方法はない。謝罪しても、被害者がそれを受け止めなかったら謝罪にはならない。もう謝罪した、これからの若い世代は謝罪しなくて良いと阿部総理は言うが、彼はまったく謝罪していない。被害者は納得しいていない。日本政府としてアジア各地で日本軍が何をしたのか、きちんとした調査を行い謝罪し、被害に対して賠償すること。歴史事実を明らかにして次の世代に伝えていくこと。こうした事実認定と、継承なしに、「日本の誇り」を取り戻すことは決してできない。
安倍政権は70年前の戦争さえ総括できないでいるのに、また新たな戦争に参画しようとしているのか。
これが阿部首相が繰り返し言ってきた「積極的平和主義」によって、「日本の誇りを取り戻す」ことだったのか。
日本の終戦記念日、8月15日は、ロシアを含むオーストラリアや連合国側の国々では戦勝記念日となるが、今年も盛大な祝日の祭典が行われた。オーストラリアでは旧軍人たちのパレードを先頭に、現役の自衛官の行進、小中学校のバンド、警察官、消防士、海難救助隊などのパレードが各地で行われ、沿道を国旗を持った人々が埋めた。ニュースでは、朝から第2次世界大戦でニューギニヤやシンガポールなどで日本軍の捕虜になって生き残った兵士たちのやせ細った姿が映し出され生存者のインタビューに続き、広島、長崎の原子爆弾が日本を焼き尽くす映像が現れる。日本軍によるダーウィン攻撃やシドニー湾への攻撃も必ず出てくる。投降して捕虜になった兵士の8000人が日本軍によって死亡し、ダーウィンへの空爆では250人近くの市民が犠牲になり、オランダ領インドネシアにいたオーストラリア女性が捕獲され日本軍の従軍慰安婦にされた事実も、オーストラリア人は忘れていない。必ず一年に一度は、このような記念日に歴史のおさらいをする。
今年はこれに加えて、阿部総理の談話がオーストラリア公共放送ABCで大きく報道された。「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分はそっくりヴィデオで流れ、阿部政権の平和憲法の解釈変更とアグレション(攻撃性)には、日本国内だけでなくアジア各国から抗議行動が起きている、と説明されて、街頭で日章旗を焼く韓国でのデモのシーンが報道された。
激戦地だったレイテ島に1980年代に、3年間を暮らしたが、まだ旧日本兵の骨が出てくる。遺骨収集は終わっていない。 空港のあるタクロバンから住んでいたオルモックに至る途中の畑で、所属部隊と氏名の彫られた認識票がヘルメットと一緒に出てきたことがあった。せめて遺族を探して渡したいと思って日本大使館に連絡したが、大使館は全く反応なし対応もせず、民間の遺骨収集団体の名を教えてくれただけだった。
レイテ島に幼い二人の娘たちと一緒に夫の赴任中、たくさんの年配者に囲まれて旧日本軍の軍票を目の前に置かれてフィリピンペソに両替してくれとすごまれたことがある。日本軍はフィリピンを侵略 占領し、彼らの言語を奪い日本語を強要し、ペソを軍票に替えさせ、彼らの食料を奪い、彼らの娘たちを連れ去り慰安婦にし、彼らの命を奪った。日本軍占領中、お金をすべて軍票に替えさせられた人々は、敗戦のその日から軍票はただの紙となり、全財産を失った。日本人を見てペソに戻してくれと要求するのは、彼らにとっては当たり前ではないか。それを日本政府はしなかった。
夫が出張でおらず、深夜酔った勢いで男たちが私たちの寝ている二階のベランダにまで上がってきたこともあった。ドアひとつを隔てて玩具の銃を握りしめて朝まで緊張していたこともあったし、日本兵の墓に花を捧げようとして、取り囲まれて有り金全部奪われたこともある。当時は共産党のゲリラが山に拠点を持っていて軍と衝突するたびに死体を何度も見た。日本軍が侵略しなければ、本来豊かな国だったのだ。
レイテ島の前の赴任先は、沖縄だった。沖縄の本土復帰からまだ間もなく、本土の人:ホンドウーは、ウチナンチューから決して快く思われていなかった。夫は道路建設のプロジェクトで住んでいた那覇の家を空けることが多かった。幼稚園に入る前の娘たちと眠る深夜、再三玄関のベルを鳴らす人がいた。子供のとき過酷な戦争体験をして精神を病んだ人だった。知人も親しい友達も居ない畑の真ん中の一軒家で、夫のいない時だけ玄関でいつまでも佇む精神を病んだ人の存在は、赴任したばかりの頃は、とてつもなく怖かった。近所の人は、あの人は何もしないから、と言ってくれたが。窓を少し開けて外出して帰ってきたら火のついたタバコが投げ入れられていたこともあった。子供たちを連れて、できるだけかつての激戦地を見て、、集団自決のあったガマに入り、人々の戦争体験を聞かせてもらった。正座してウチナンチューの昔の話を聞くことがどんなに大切か、このような体験から学んだ。沖縄戦で、犠牲者は12万人。そのうち軍人は2万8千人で、亡くなった方々のほとんどは民間人だったのだ。本土の人間にとっての戦争体験と、沖縄に人々の戦争体験とは全く異なる。本土の人間は、沖縄の人々に対して加害者としての自覚を、自分の胸に刻んで生きていくべきだと思う。
日本人は加害者だった。日本は先の大戦で350万人の戦死者を出したが、侵略したアジアの国々、中国人では軍民併せて1100万人、インドネシアなどのアジアで800万人の人々を死に追いやり謝罪も賠償もしていない。沖縄では米軍に包囲され白旗を掲げて投降しようとした市民を日本軍兵士は後ろから撃ち殺したばかりでなく、集団自決を強いた。そしていま沖縄を戦場の最前線に押し出し、辺野古の海を破壊している。
侵略者には被害者の痛みはわからない。わからないからわかろうとして被害者の話に耳を傾けることでしか、両者のみぞを埋める方法はない。謝罪しても、被害者がそれを受け止めなかったら謝罪にはならない。もう謝罪した、これからの若い世代は謝罪しなくて良いと阿部総理は言うが、彼はまったく謝罪していない。被害者は納得しいていない。日本政府としてアジア各地で日本軍が何をしたのか、きちんとした調査を行い謝罪し、被害に対して賠償すること。歴史事実を明らかにして次の世代に伝えていくこと。こうした事実認定と、継承なしに、「日本の誇り」を取り戻すことは決してできない。
安倍政権は70年前の戦争さえ総括できないでいるのに、また新たな戦争に参画しようとしているのか。
2015年8月22日土曜日
映画「ミッションインポッシブル・ローグネイション」

IMFエージェントは、トム クルーズ、ジェレミー レナー、サイモン ペグ、ヴィング レイムスが、そろって出演している。ジェレミーは2回目、サイモン ペグは3回目、アフリカンアメリカンのヴィングは、何と初回から出ていて5回目のトムとの共演になる。今回新しく、CIA長官に、アレック ボールドウィンが適用されていて、この人が出てくると映画全体が和らいで優しい空気が流れてくるから不思議。

副題のローグネイションとは、今回のIMFの敵、ローグつまり無法者、ならず者悪漢集団を言う。各国のスパイ、エージェントたちが様々な事件に巻き込まれて命を失ってきた。しかし彼らは実際には死んでいなくて、姿を隠して秘密裏に新組織を作って巨大な資金をバックに影の世界制覇を目論んでいた。
多量の神経ガスが盗まれた。IMFのイーサン ハント(トム クルーズ)は、国際組織が動いているに違いないと見て、神経ガスを満載したエアバスに飛び移り、組織の全体像を掴もうとするが、逆に敵に捕まってしまう。危機一髪のところで謎の女性に救われて、IMFの連絡を取るが、実績を出せないでいる業績不振を上院委員会で追及されたCIAは、IMF存続を認めない方針を決定した。CIA長官は、ウィリアム ブラント(ジェレミー レナー)にIMF廃止を伝え、ありもしない秘密組織を追って、帰還命令に応じないイーサン ハントをCIAの敵をみなす、という厳しい決定を言い渡す。
ハントは姿を隠した。6か月が経った。ある日、元IMFのベンジャー ダンの処にオペラの招待券が送られてくる。コンピューターおたくでオペラ狂いのダンは、一も二もなくウィーンに飛ぶ。題目は「トランドット」。ところはウィーン国立オペラ劇場。ベンジャーの到着を待ってイーサン ハントは、会場でローグネイションが、何をしようと企んでいるのかを調べようとする。舞台裏に、以前ハントを捕えて拷問をしたテロリストたちが現れ、ついでにハントの命を救った謎の美女も現れる。彼らの銃の照準は、オーストリア財務大臣だった。ハントとベンジャーは、暗殺者から財務大臣の命を守るが、オペラから帰途に就いた車が爆発して財務大臣夫婦を死なせてしまう。
元IMFのルーサー ステイケルとウィリアム ブラントは、窮地に陥ったイーサ ハントとベンジャー ダンに合流するためにモロッコに向かう。モロッコの水力発電の水の底にローグネーションの秘密組織の全容データが隠してある。ハントは謎の女性がイギリスのスパイMI6に違いないと判断して、彼女の力を借りてデータを盗み出す。しかしこのデータは、イギリス首相の目の網膜と指紋がなければ開けられない。ハントは、首相を誘拐する。そして首相の口から、ローグネーションはもともとMI6の一部だったが、余りに危険なことをするので解散させた組織だったことがわかる。一方、ベンジャーが敵に誘拐され、なぞの女性も行方不明だ。ハントは二人を救い出すために、敵中に一人向かっていく。果たして敵、ローグネイションを倒すことができるのだろうか。というお話。
撮影は、ウィーン、モロッコ、カサブランカ、ロンドンとめまぐるしく移動する。
007ジェームス ボンドシリーズの最後の作品では イタリア本場のスカラ座でオペラ「トスカ」を見せてくれた。オペラ会場でタキシードに身を包んだダニエル クレイグが、思わずため息が出るほど良い男だったけど、アクション映画にオペラというのが好評だったからかどうか知らないけど、この映画では、プッチーニの「トランドット」を見せる。トランドット姫を、ジュリアード音楽大学卒のアメリカ オリヴオという美人歌手に歌わせている。オペラ上演中に、舞台の真上でIMFとMI6とローグネイションとが争いあって格闘するのが、ハラハラし通しで、実に面白かった。
オペラでは、冷酷非道な王様は各地で侵略し領土を拡張している。王様にはわがままで氷のように冷たい心を持ったプリンセス トランドットがいる。そんなプリンセスに、こともあろうに侵略されて城を追われたもとプリンスが一目惚れしてしまう。
戦に負けて乞食同様になったもと王様を介抱する従者の素晴らしいソプラノを聞きながら、着々と舞台裏に殺人者たちが到着して暗殺の準備をしている。また、恋に陥って、眠ってなどいられないと、切ない胸の内を歌い上げるテノールを聞きながら、女がフルートと思わせて会場に持ち込んだ銃を組み立てて、照準を合わせる。
プリンスに愛されて本当の愛の心に目覚めたトランドットが、わたしの恋人の名前はLOVEと、美しいソプラノを響かせてくれるオペラのクライマックスが、ハントとテロリストとの取っ組み合いのクライマックスに重なっていてスリル満点。舞台の真上で争っているから、舞台に落ちそうになってオペラが台無しになる寸前に何度も何度もなる。ドラマチックな本格派重厚なオペラを背景に、3者3様のスパイたちが最新技術の武器を駆使して争そって、十分興奮させてくれて、今までのどんなアクションシーンよりもおもしろかった。すっかり魅せられたが、オペラ嫌いな人にはどう映ったんだろう。
世界中から優れたスパイを事故を装って殺されたことにして新組織を作ってみたが、MI6の一部にしておくには跳ね上がりで、過激すぎるので解散させたが、組織はすでに勝手に独り歩きしていた、という設定や、美人MI6は二重スパイらしいとか、組織のために命を懸けて働いてきたが、信頼していた組織のトップは実は敵だった、という設定はスパイ映画では珍しくもなければ、新しくもない。オーストリアの財務大臣を夫人ともども爆弾でズタズタにしてしまったり、英国首相を誘拐して脅かしてローグネイションを作った経過を白状させたり、、、なんかアメリカ映画って、すごいな。
話の筋書が荒削りで、話が単純、突っ込みどころも満載。
ボーンドクターというまがまがしい名前の悪漢が出てくる。拷問用具を持ち歩いていて、ピカピカに光る包丁、ナタ、金つち、大小長短のナイフを広げてぞっとさせるけど、一度も道具を使わないうちに美人MI6に叩きのめされる。バイクに乗って追ったり追われたり、オペラの舞台上で格闘したり、それなり頑張るけど最後には宿命の対決で肉弾戦になって、でかいナイフを振り回すけど、小さいナイフを持った美人さんにあっけなく殺される。聳え立つでかい体、強面、冷血無血の殺し屋が見かけ倒しだったんですね。だいたい重いブーツ履いて完全武装しているのに、裾の長いパーテイードレスにヌーデイーなハイヒールを履いた女性の廻し蹴りでコケるって、なんなの。
しかし、とにかくアクションがすごい。
トム クルーズがすごい。
スウェーデン人のレベッカ ファーガソンのアクションが華麗で美しい。
前に「ゴーストプロトコール」で、世界一高いドバイのビル、ブルジェハリファの828メートル高い窓に張り付いて、危険なアクションを見せてくれたトム クルーズが、今回は地上1524メートルの高さを飛ぶエアバスの機外に取りついて、そこから機内に入って敵をやっつけるというスーパーアクションを見せてくれる。このシーンを撮るために8回、繰り返し撮影したという。そのたびにトムは、走行し始めたエアバスに向かって全力疾走し、機体の外側の窓につかまって、機外にぶら下がりながら上空の寒さと強風にさらされて挌闘したわけだ。落ちたり滑ったりしていたら、映画は完成しなかった。彼も、今までの映画撮影のなかで一番危険な撮影だった、と言っている。ジャッキーチェン同様、スタントマンを使わない役者だが、その危険の度合いが並はずれている。
モロッコの水力発電所の水の底をもぐるシーンも、出口がないわけだから、危険極まりない。人は2分以上息をしないで生きている生き物だったっけ。2015年型BMW、M3新車でのカーチェイスも、フルにアクセルを踏んで階段のてっぺんから後ろに飛んで着地するなど無茶を通り越している。
モロッコでのBMWバイクのチェイスもあきれるほどだ。これだけ カーブの山道をフルスピードで走れるなら、国際バイクレースでも、マルク マルケスやバレンチーノ ロッシなど負かして優勝できる腕前ではないのか。現に本物のF1マシンに乗って、時速最高速で290KMまで記録したことのあるトム クルーズ、、、並の男ではない。役者は体が資本というが、これほど役者の体の極限まで酷使して良いものなのだろうか。
この映画は話の筋が荒削りな分だけ、映像の方はとてもよくできていて、計算しつくされており、アクションシーンにつぐアクションの連続に息をつくひまもない。それでいて、血が流れない。アクション映画に観られがちな、手足がちぎれたり、顔がつぶされたり、血がダラダラながれたりするシーンが全くない。子供に見せられる珍しいアクションものだ。良心的。大型アクションの娯楽映画の良さが詰まっている。53歳のトム クルーズが好きでない人は、この映画を見て彼のことを好ましく思い、もともと好きな人はもっと彼が好きになるだろう。アクションが断然おもしろい。カンフーを習いたくなる。バイクに乗りたくなる。走りたくなる。だから、たまには娯楽映画も良いものだ。
キャスト
IMFイーサ ハント :トム クルーズ
IMFウィリアム ブラント:ジェレミー レナー
IMFベンジー ダン :サイモン ペグ
IMFルーサーステイケル:ヴィング レイムス
CIA長官アランハンレイ :アレック ボールドウィン
英国MI6イルザファウスト:レベッカ ファーガソン
ローグネイション主謀者 :サイモン マクベリー
MI6ソロモンレイン :シーン ハリス
英国首相 :トム ホテンダー
トランドッド姫 :アメリカ オリヴオ
2015年8月13日木曜日
今日の気分は野良猫次第
もう5年余り、野良猫を世話してきた。黒ねこと、縞ねこと、白黒ぶちの3匹、まるまると太っている。
約200世帯が住むノースシドニーの高層アパートに住んでいるが、アパートの建物と土台の間に、日本で言う「縁の下」みたいなスペースがあって、そこに真っ黒の野良猫が住み着いた。毛並みが良いので、もとは飼い猫だったろう。でも余程、頭も性格も悪い飼い主だったようで、猫に避妊もさせていなければ、オーストラリア政府が飼い主に義務付けているマイクロチップスも埋め込んでいない。おかげで厳しい野良猫暮らしを強いられた猫は、疑い深くなって、保護しようにもすばしこくて捕まえられない。
黒い野良猫に興味をもつようになった切っ掛けは、鳥の死骸だ。
野良猫が隠れ住んでいるスペースのまわりに、たくさんの鳥の羽が落ちている。鳥がどうしたのか、と注意深く観察するようになって、太っていた黑猫がいやに痩せたのに気が付いた。野良猫は妊娠していて、やがて生まれてきた子供たちに、飛んできたハトやカラスを殺して食べさせていたのだった。「母は強し」だ。アパートの周りに来る鳥が、ことさら鈍いわけではないだろう。母猫は余程飢えていたの違いない。
そんなわけで、子連れ野良猫に餌をやるようになった。朝と晩の二回、猫用缶詰めとビスケット。やがて子猫たちの目が開いて、母猫について外に出るようになると、不憫に思ってそっとミルクや食べ物をスペースの入り口に置いていくアパートの住人が何人も出て来た。かと思うと、まゆ吊り上げて「野良猫は汚い、臭い、子猫を無限に産む、捉えて処分しろ。」と叫びまわる住人も沢山いる。こういう一見正論を通そうとする正義の味方みたいな偽善者が一番タチが悪い。
でも黒猫はよく子供を産んだ。冬でも気温10度を切る日が少ないシドニーで、野良猫は年に3回も子供を産む。妊娠中なら捕まえられるかと思うと、そんなに甘くない。なんとか妊娠中に捕まえようとしている内に、子供達が生まれている。猫好きの清掃会社の人と一緒に、泥だらけで腹這いになって建物の下の狭いスペースから、一匹ずつ生まれたての子猫を取り出して、ペットレスキューのところに持って行ったこともあった。やっと歩き出すようになるまで待って、ひとつひとつ捕まえて、ふところに収めて、獣医のところに行って里親探しを頼んだこともある。釣りに使う大きなネットで5匹丸くかたまって寝ているところを、一時に全部一緒に捕えて保護したこともある。それを茂みからじっと見ているであろう母猫の気持ちを考えると、居たたまれない思いがするが、一匹の野良猫で、大騒ぎしているアパートの住人を思うと、これ以上野良猫を増やすわけにはいかない。どうしても子猫たちは、獣医の手で寄生虫駆除とワクチンを打って、避妊手術をして、どっかの飼い主に引き取られなければならない。
200世帯の沢山の人が住むアパートで、野良猫を世話しているのが誰だか、どうしてわかったのか。誰の通報かわからないが、アパートの管理会社から手紙が来た。アパートの住人全員の利害を考えて、「野良猫に餌をやるのを止めなさい。」という結構、強制力のある内容だった。このアパートは駅に近く、勤めている病院の目の前で、ジムもプールもあって便利だから借りて住んでいるが、持ち家ではないから管理会社からの警告を無視すれば、強制退去になり兼ねない。反駁も無視もできないまま、かくれてそっとエサやりを続けてきた。エサを入れた入れ物をエサやりの15分後に片付けにいく。証拠を残さない。猫の餌を持って、猫たちを猫撫で声で呼んでいる一番ヤバい時に運悪く、「猫反対派住民」にとっ捕まってしまった場合、こうした危機を切り抜ける唯一の方法は、「やっていません」を繰り返すことだ。これは1968年12月にデモで逮捕された時に学んだ。
「野良猫に餌をやっているだろう?」
「やってません。」
「そのエサの入った入れ物は何だ?」
「やってません。」
「野良猫は迷惑なんだよ。あんたがエサをやって居続かせると困るんだよ。」
「やってません。」
「ぐずぐず言わずに早いとこ吐いちまえ。全部白状したら楽になるぞ。」
「やってません。」
「おまえがやってるんだろう。こっちは証拠があるんだぜ。」
「やってません。」
という訳で、そのうちに相手の顔がひきつってくる。相手があきらめるまで、この手でいく。そんなやりとりを、茂みとか、隠れ家の中から猫たちが、ハラハラしながら観ている訳だ。「かあちゃん頑張れ」という猫たちの応援が聞こえてくるようだ。
一方アパート管理会社は、害獣駆除の専門業者を雇って、野良猫を処分しようと動きだした。罠を仕掛ける。建物の下のスペースを金網で閉鎖する。毎日罠をつっかえとっかえ変えて巧妙に捕らえようとする。ある真夏の昼下がり、遂に母親猫が罠に捕えられた。小さな金網でできた罠の中で母親猫が低い声で唸っている。この罠が害獣駆除会社のものなのか、同志による母親猫保護のための罠なのか、確認するために家から電話をかけまくっていて、敵による罠だとわかってあわてて罠をぶっこわそうと下に下りたときには、もう遅かった。罠ごと連れ去られていた。
3匹の子猫が残った。母を亡くして以前よりもすばしこく、絶対に人を信用しない。呼ぶと一定の距離を置いてエサを食べに来る。3匹とも雌だと分かって、気が気ではない。早く避妊手術をさせないと、、、。とうとう動物保護団体に助けを求める。彼らは、特別性能の良い罠を貸してくれた。まず、母親似の真黒の猫、サンダーが捕まって、獣医のところでワクチンを受け、避妊手術を受けて、腹巻みたいな包帯姿で隠れ家に帰された。次に縞猫、マギー。白黒ぶちのババがなかなか捕まらなくて、半年もたってやっと罠に入ってくれて、手術を受けた。もうこの頃には3匹全員がすっかり成猫サイズになっていた。獣医からの請求書も ずいぶんビッグサイズになっていたけれど。もうこれで野良猫の妊娠を心配することもない。野良の雄が興味を持たないので病気をうつされることも怪我させられることもない。平和に暮らせる。
ババと名付けられた白黒ぶちがぽっちゃりの日本猫風で可愛い。うちの飼い猫クロエと一緒に暮らさないかと、手術のあと家に引き留めた。しかしワイルドに生まれて、ワイルドに育った彼女、部屋の隅にかくれて出てこない。水も飲まなければエサも食べない排便もしない。結局ハンガーストライキを3日間やって、ベランダから身投げした。15メートルの高さから、空に向かって大きく飛んでいってしまった。ペットとして飼い主に拘束されるくらいなら、「死んだ方がマシだぜい。」という強力なメッセージを残して自由人、黒白ぶちは身を投げた。そして、15メートルの高さをものともせず軽々と着地して、翌日からまた他の2匹の猫たちと一緒に、朝食を貰いに来た。
彼女の15メートルハイジャンプから、5年も時が経った。3匹とも今やまるまる太っている。名前を呼べば近くまで来るし、決して体を触らせてはくれないが甘えた様子もみせる。寒い日には どうして寒さをしのいでいるかと心配するし、呼んでも来ない日は 何があったのか気になる。朝晩2回のエサやりごとに元気な顔が見られれば一日中嬉しい。
人の中にも物質主義の世の中が嫌で、仕事にも家庭に縛られるのもいやで、自由に生きたい風来坊がたくさんいる。猫にも飼われることを拒否して、自由に生きる野良猫が居ても良い。
人にはだれでも自由になりたいという贅沢な夢がある。
腐った阿部政権の「日本国籍」から自由になりたい。重税に苦しむ納税義務から自由になりたい。社会的責任から自由になりたい。絶え間なく忙しい職務から自由になりたい。病気で介護なしに生きられなくなったオットから自由になりたい。すべての束縛から自由になりたい。自由になって、国籍を持たない、職業を持たない、名前を持たない、誰でもない存在になりたい。
そんな、自分の夢を3匹のワイルドな猫たちに託しているのかもしれない。今日の気分は、野良猫次第というわけだ。
2015年7月30日木曜日
映画「無防備都市」とネオリアリズモについて
原題:「OPEN CITY」
邦題:「無防備都市」
監督:ロベルト ロッセリーニ

キャスト
ドンピエトロ神父:アルド ファブリッツイ
妊婦テレサ:アンナ マニアーニ
コミュニストリーダー、マンフレデイ:マルチェロ バリエール
マンフレデイの恋人マリーナ :マリア ミーキ
独軍ベルグマン少佐:ハリー ファウスト
20年ぶりに、映画史上不朽の名作、ロッセリーニの「オープンシテイー」(邦題:無防備都市)を観た。
オットが再び入院し、肺炎と喘息とで息も絶え絶えの状態で救急車で運ばれて、集中治療で息を吹き返したと思ったら、もう隠れてタバコを吸っている。週40時間のフルタイムで働きながら、週3回の腎臓透析のオットに付き添い、睡眠時間を極限まで削って世話をしているというのに、悪びれず、これもあれもやって、と際限なく甘えてくる。私の2倍ある体重のオットを背負って、このまま全力疾走をいつまで続けなければならないのか。胃が痛い。現実は醜い。現状は厳しい。オットが汚しまくるトイレを掃除しながら、精神だけは、気高く保っていきたいと願いつつ、映画を観る。
どんなに激しい暴力と弾圧の中にも、自分の信念を曲げずに生き、死んでいった人々が居る。そういった人々を描いた作品を見ると、思わず姿勢を正して見ている。この映画で私が一番心動かされたシーンは最後の方で、レジスタンスのドン ピエトロ神父が処刑される場面だ。ゲシュタボの少佐が兵士たちに一斉射撃命令を下す。激しい銃撃の音、、、しかし神父は倒れない。ドイツ兵といえども神を畏れる人間、命令を下されても神父を撃つことができないでいる。むなしく地面を撃つ兵士たちは、狂ったように怒る少佐に罵倒され暴力をふるわれる。それをじっと息をこらしながら子供たちが静かに見守っている。どんな反戦映画よりも、強いインパクトを持っている。
また、この映画の有名でポスターにも使われているシーン。独軍兵士たちに引き立てられてトラックで連れ去られるレジスタンスの男の名を叫びながら、トラックを追いかける女が、撃ち殺されて路上でもんどりうって倒れるシーンだ。恐怖の独軍による包囲、氷のような冷たい沈黙のなかを、愛する男の名を呼びながら後を追う女の切実な愛情の深さと強さに圧倒される。映像が人に与えるパワーというものに打ちのめされる。
この映画はネオリアリズモの代表作。ネオリアリズモとは、1940年代イタリアで起こった映画界の動きをいう。ロシアのエイゼンシュタインによる「戦艦ポチョムキン」を受け継いで発展させたものだ。スタジオセットでなく、実際の路上や、本物の建物を使って、役者たちの即興演出もふくめて、現場描写主義によって、実際の市民生活者の真の姿を映し出す。クローズアップやロングショットを多用して、同じように普通の生活をしている人の心に直接強い印象を与えて感情に訴える。
ロッセリーニ監督は、自分で、「ネオリアリズモの映画の対象は、現実の世界であって、物語でもお話でもない。」、「これは問題を提起するとともに、自らにも問題を提起する映画、人に考えさせる映画なのだ。」と言っている。
代表作は、ヴィットリオ デ シーカの「靴みがき」(1946)、「自転車泥棒」(1948)、ロッセリーニの「無防備都市」(1945)、「戦火のかなた」(1946)など。これらの代表作のどれにも、子供たちが出てくる。曇りのない子供たちの目で見た、圧倒的多数の市井の人々にとっての戦争、貧困、社会の不合理、そして一部の上流階級の腐敗と退廃が、次々と映し出されてきて、見る者の胸を締め付ける。まさに見た人がこの世の階級社会の不正義に憤りを感じ、社会に正義を取り戻すには何が必要なのかを、考えざるを得ない地点に導き出される。映画を見て、「よかったねー」、では済まされない。その意味では、私には、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」も、デ シーカの「自転車泥棒」も、ロッセリーニの「無防備都市」も、ただの映画ではなく、それらが問いかけてくる内容に一生かけて答えを追及しなければならない宿題になっている。
題名の「無防備都市」とは、都市単位の無条件降伏をいう。戦争で敗戦が決定的になったとき、市民に被害をそれ以上出さないために、都市を敵に明け渡すことで、非武装宣言をして、国際法によってその都市を攻撃から守ることを目的としている。これらの都市に対して、物理的な攻撃は禁止される。ジュネーブ条約、追加第1議定書、第59条に規定されている。またハーグ陸戦条約第25条に、「防守されていない都市、集落、住宅または建物はいかなる手段によっても、これを攻撃または砲撃することを禁ずる」と規定されている。だが、それが守られた戦争は過去になかった。
映画のストーリーは
1945年9月、イタリアは連合国に降伏したが、同盟国だったドイツに占領された。ローマはオープンシテイー(無防備都市)となって、そこに独軍が進駐してきた。ローマの男たちは当然のようにレジスタンスに加わり、女たちはそれを支える。子供たちまでが、独自のレジスタンス組織を作って独軍に勇敢に立ち向かっていく。独軍はただちに、過酷な反戦レジスタンス狩りを始める。
コミュニストのリーダー、マンフレデイは追われて、同志のフランチャスカのアパートに逃げ込んでくる。フランチェスカには7歳の息子をもった寡婦のテレサという恋人が居り、彼女はふたりの子供を妊娠していて、近々二人は結婚する予定だった。彼らは、地下で反戦の機関紙を印刷、配布する活動家だ。人々から人望の厚い神父、ドン ピエトロもレジスタンスの一員で、偽装パスポートを作って活動家たちを国外に逃亡させている。レジスタンスリーダーのマンフレデイには、女優の恋人、マリーナがいたが、彼女は忙しくてあまり自分にかまってくれないマンフレデイに不満をつのらせていた。そこを独軍に通じている将校の恋人イングリッドに付け込まれ、麻薬や贅沢品をふるまわれて、恋人の隠れ家を教えてしまう。独軍は活動家たちの潜むアパートを封鎖し、住人達を一斉に追い立てる。レジスタンスは一斉に逮捕され、軍用トラックに押し込まれる。引き立てられたフランチェスカを追って、恋人のマリーナは狂ったようにトラックの後を追う。そんな妊婦を独軍兵士は無慈悲にも打ち殺す。もんどりうって倒れた母親に駆け寄る7歳の息子。
マンフレデイは、ゲシュタボのベルグマン少佐によって、サデイステックな激しい拷問にあっても、仲間の秘密組織について一切の供述を拒否したために殺される。それをそして、ドン ピエトロ神父も銃殺刑に処される。それを隠れて、じっと見つめる子供たち。人として誇りをもって処刑される神父の勇気ある姿を、目をそらさずに子供たちは見送るのだった。
というお話。
この映画を見て感動したイグリッド バーグマン(1915-1982)は、迷わずロッセリーニに手紙を書いて、彼と一緒に映画を作りたいと申し出る。そのときすでにバーグマンはスウェーデンだけでなく全米で大人気のハリウッドスターだった。「別離」(1939)、「カサブランカ」(1942)を経て彼女は、「ガス燈」(1944)でアカデミー賞女優主演賞を受賞している。医師の夫と赤ちゃんを抱えた幸せな家庭ももっていた。
ロッセリーニ監督自身も妻子を持っていたが、二人はこの映画を切っ掛けに出会い、恋愛関係に陥る。ロッセリーニ監督、バーグマン主演の、「ストロンボリ神の土地」(1950)の撮影中、二人の関係が明るみに出て、ロッセリーニの子供を妊娠していたバーグマンは、二人の間にできた息子を出産したことでスキャンダルの的になって上院議会で激しく非難され、ハリウッドから追放され、おまけにこの映画は、全米で上演禁止となる。二人はそれぞれの家庭を捨てて結婚し、1952年にはバーグマンは双子の娘たちを出産する。バーグマンと、ロッセリーニとの甘い生活は1949年から1957年まで続く。
バーグマンが、ハリウッドで再び認められ復帰するのは、ロッセリーニとの離婚が決定的になってからだ。「追想」(1956)で再びアカデミー賞を受賞する。ロッセリーニ監督、バーグマン主演の作品は6作もあるが、ことごとく失敗作になった、といわれている。
今思えば、いくらハリウッド人気スターと、話題の気鋭監督とのカップルといえども、二人がハリウッドのひどい過剰反応にさらされて、避難されたり追放された事は、人権侵害じゃないだろうか。誰が誰の子を妊娠しようが、勝手でしょうが。バーグマンは、当時白塗りで真紅の口紅で化粧するのは主流の女優達とは異なり、自然体でありながら優雅で気品がある。生き方そのものも、知的で社会の不正に怒り、自らの信念に忠実なところが、純粋で好ましい。バーグマンとロッセリーニの二人三脚で制作された6本の「失敗作」を、ぜひ見てみたい。時代遅れの不倫のレッテルをはって、彼らのフイルムを闇に葬ったままにするのでなく、再び上映して再評価してみたい、と切に願っている。
2015年6月13日土曜日
映画「ウーマンインゴールド」ユダヤ人の戦後賠償

原題:「WOMAN IN GOLD」ウーマン イン ゴールド
監督: サイモン カーテイス
キャスト
マリア アルトマン :ヘレン ミラン
ランデイ ショエンベルグ:ライアン レイノルズ
「サンマルコの馬」という例がある。
ヴェニスのサン マルコ大聖堂の入り口に堂々と聳え立っている有名な4頭の青銅の馬のことだ。今にも踊りだして全力疾走しそうな巨大で躍動感のある馬だから、一度でもヴェニスを訪れて見た人は、容易には忘れられないだろう。4世紀に身元不明のギリシャ人彫刻家によって作られたものだったが、ビザンチン帝国皇帝によってコンスタンチノーブルに持っていかれた。しかし十字軍がコンスタンチノーブルを陥落させると、馬たちはヴェニスに運ばれ、サン マルコ大聖堂の設置された。その後ナポレオンがヴェニスを制圧すると、馬たちはパリまで運ばれて、凱旋門の上に飾られた。その後ワーテルローの戦いでナポレオンが追放されると、再び馬たちはヴェニスに戻されサンマルコ大聖堂の正面バルコニーに置かれた。誰が持ち主か。
戦後賠償と一言で言うが、侵略によって略奪されたものは、どこまで遡って返却すれば賠償したことになるのだろうか。600万人のナチスによって虐殺されたユダヤ人の命を賠償することはできないが、略奪されたものを返却させることはできる。しかしナチスが台頭する前までの、ユダヤ人の財産はそもそも彼らの所有物だっただろうか。富を蓄える過程で巧みな商法で奪い取るようにして所有したものもあっただろう。
この映画は、「ウィーンのモナリザ」と呼ばれていた、グスタフ クリムトの名画「アデル ブロックバウアの肖像画」を、ナチスに奪われたユダヤ人家族が 戦後所有権を主張してオーストリア政府から取り戻す過程を描いた映画だ。思い出深い絵画の返還を求めて、収奪されたものは奪い返さなければならない、という強い意志を持ったユダヤ人女性と弁護士との感動の物語だ。2006年に話題になった実話で、当時ニュースにもなったのでよく憶えている。他に、ナチスドイツに強制労働させられたユダヤ人たちがシーメンスやフォルックスワーゲン社を相手に損害賠償を求めて財団が設立され総額100億ドイツマルクが、50%企業、50%政府によって支払われた。これも2006年までに賠償が終わっている。
しかしイスラエル建国にあたって、パレスチナの土地を軍事攻撃と共に奪い、住んでいた人々を狭い特別区に囲い込み彼らの人権を蹂躙し、現在も入植地を拡大しているユダヤ人の強欲を目の当たりにしていると、ならば、戦前そこに住んでいたパレスチナ人に土地を返却することはできないのか、と問い質したくなる。ユダヤ人の物だった絵画は60年経って所有権を認めさせたが、パレスチナの土地はもとの住民に返せないのか。略奪されたものは、どこまでさかのぼって返還されるべきなのか。戦後処理、損害賠償というけれども、本当のところは、人々は奪われたものなど、決して取り戻せないのではないだろうか。何と人々は、戦争によってたくさんのものを失ってきたのだろうか。
ストーリーは
オーストリア、ウィーンの裕福な家庭に生まれ育ったマリアは、自宅に飾られたクリムトの「アデル ブロック バウアの肖像画」が、制作された時のことをよく覚えている。まだ子供だったが、絵のモデルになった伯母には、子供がなかったので、姪のマリアを自分の子供のように可愛がってくれた。アデルはユダヤ人財産家フェルデイナンド ブロック バウアーの歳の離れた若い妻で、ウィーンの上流階級のサロンの華だった。フェルデイナンドがクリムトに注文した妻の肖像画は、3年かけて1907年に完成したが、ふんだんに金を使って描かれた豪華な作品だった。アデルがこのとき身に着けていたダイヤモンドのネックレスは、その後マリアのものになった。
マリアはオペラ歌手と結婚し幸せだったが、ナチスの台頭に伴い不穏な空気が感じられるようになると、アデル達叔父一家は、いち早くスイスに亡命する。しかしマリアの両親が国外脱出を決意したときには、時すでに遅く、国境はナチスによって閉鎖されていた。屋敷は軍に接収され、マリアたちは同居する軍人たちに監視されるようになった。マリアと夫だけ両親を残して、監視の目を欺いてやっとのことで、アメリカを安住の地に到着した。しかしそのときに、受っとったニュースは、両親の死の知らせだった。
その後マリアは年を取り、息子を育てあげ、寡婦となり、気ままに小さな洋品店を経営して暮らしてきた。しかし両親を含めて大切な人たちをナチスに殺されたことに対する憎しみは年をとっても減るどころか強くなるばかり。そんなある日、新聞でユダヤ人がナチスに奪われた財産の、損害賠償裁判が始まったことを知る。息子は弁護士だ。アメリカ生まれの息子には、むかしウィーンで、ユダヤ人たちに何があったのか話したことはない。しかし今こそ自分たちユダヤ人が失ったものを取り返すべき時ではないのか。息子を説き伏せてマリアはオーストラリア政府を相手に、クリムトの絵画の所有権を求めて訴訟を起こす。母と息子は幾度もウィーンとロスアンデルスを行き来する。一審で敗訴。オーストリアの最高裁までいき、とうとう絵画の所有権は、認められなかった。力尽き、マリアはあきらめる。しかし、息子は、絵が所有者だったフェルデイナンドが亡くなったとき資産の後継者としてマリアの名前を指定していたことを証明する書類をみつけ、今度はアメリカで国際裁判を起こす。ついに勝訴。とうとう絵画の所有権がマリアにあることを、オーストリア政府に認めさせた。
こうして2006年、戦後60年経って、オーストリア政府のものとしてウィーンのベルべーレ宮殿のオーストリア美術館に展示されていたクリムトの「アデル ブロック バウアの肖像画」と他5点のクリムトの絵画が、マリアのものとなり、ロスアンデルスに移される。その後、マリアの死後に、絵は元駐在オーストリア大使でユダヤ人損害賠償世界機構のエステイーローダ社長、ロナルド ラウダーによって1億3500万ドルで購入され、ニューヨークのノイエ ギャラリーに飾られ現在に至る。
というお話。
戦争で両親を殺され、筆舌尽くしがたい思いをしてアメリカに渡って来たユダヤ系オーストリア人のマリアが自分の体験を、すっかり年をとり孫ができるまで息子に話さなかった。そんな母親の体験を知るうちに、のめり込んで自分の家族や仕事まで捨てて取りつかれたように絵画の所有権のために奔走し、ついに成功する息子の感動物語だ。
オーストリア政府を相手に超然と立ち向かっていくヘレン ミレンが神々しい。彼女はもう英国の国宝のような役者だ。クイーンエリザベスの役で映画でも舞台でも演じて高い評価を受けている。彼女のクイーンズイングリッシュは完璧!息子役のライアン レイノルズのめろめろアメリカ英語とは対照的だ。そんな誇り高い彼女が、「アシェイムド、オーストリー!」(オーストリア 恥を知れ!)と映画の中で、二回も叫ぶ。彼女は半世紀ぶりに自分が生まれ育ったウィーンに戻ってきて、カフェに入っても絶対国の言葉を使わないで英語で通す。頑固だ。立派な歴史的建造物の政府官庁の床を、正しい姿勢で挑戦者然として、ハイヒールの靴音高く歩く姿も、貫禄たっぷりだ。ナチスが自分たちから略奪した絵画を、泣き寝入りせずに取り戻した勇気ある女性の反骨精神を、熟練女優が好演している。
映画の中で、「個人に戦後賠償なんてしていったら国際問題に発展しちまうぞ。日米間なんか大変な外交問題になるぞ。」と政府関係者がいう台詞がでてくる。日本の敗戦後、GHQによる占領で日本の美術品が米軍を通してどれだけ国外流出したかわからない。占領軍は一般家庭に土足で踏み込み刀や焼き物など貴重品を当然の戦利品として持って行った。しかし、同じように日本軍が中国やアジアの国々で侵略したときは、地元の人々から欲しいまま略奪したから戦後賠償を戦後求められる立場になかった。にも拘らず、米国人が持ち去った美術品などを返却しなければならないのか、と心配する米国人の心情は興味深い。
このクリムトの「アデル ブロック バウアの肖像画」は、オーストリア美術館から、マリア個人の所有となり引き取られていったがこのような法廷闘争を、快く思っていなかった人々も多かったのではないだろうか。マリアにとって、思い出の深い絵画だったが、マリアがもし音楽家だったら、所有権を主張するのは、父親が所有し演奏していたストラデイバリウスでも良かったはずだ。ストラデイバリウスのように希少価値のある人類の遺産は、個人所有を認めずに、公正な機関を通じて、すぐれた演奏者に貸与されるべきだと考える。
そもそもクリムトの絵画は誰のものなのか。美術品は個人所有が許されるものだろうか。世界共通で、人類の財産としての作品に、価格をつけ所有することができるだろうか。もとの所有者に返還するというが、いつまで遡ってもとの所有者と断定するのか。芸術を所有するとは、何なのか。
時として人は、一枚の絵、ひとつの曲、美しい詩に出会って人生が変わることがある。美しいものとの出会いは、人の人生を変えてしまうパワーがある。だから、わたしたち人間は、芸術なしに生きていくことはできない。
すぐれた芸術作品は、個人のものではなく万人のためのものでなければならない。クリムトのこの絵は、間違いなく国宝級のすぐれた芸術品のひとつにあげられる。見るごとに新しい発見がある。「アデル ブロック バウアの肖像画」は、本物の所有者が誰のものになろうが所有者に関わりなく、人々から愛されて、絵葉書になったり、ノートの表紙に使われたりしている。またブテイックの包装紙の図柄になったり、Tシャツになったりして、私たちの身近な存在になっている。絵画というものは、高い価格で億万長者個人のもとに引き取られていくよりは、無数の良くできた復製画がたくさんの家庭の居間に飾られて居心地の良い空間を作りだし、人々の手に触れられて愛される方が、クリムトなど画家にとって、幸せなことではないだろうか。
2015年5月31日日曜日
映画「バードマン」舞台は映画より上か

原題:「BIRDMAN OR THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE」
邦題:「バードマンあるいは’無知がもたらす予期せぬ奇跡」
監督:エマニュエル ルベッキ
キャスト
リーガン トムスン:マイケル キートン
マイク シャイナー:エドワード ノートン
サマンサ トムスン:エマ ストーン
レスリー トルーマン:ナオミ ワッツ
この作品は、2015年アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を受賞した。主演のマイケル キートンは、主演男優賞ノミネート、助演男優のエドワード ノートン、助演女優のエマ ストーンは助演ノミネートされた。
ストーリー
リーガン トムスンは、もとハリウッドスーパースターで、「バードマン」という3本のブロックバスター映画を主演し、数十億ドルの興行収入を稼いでいた。しかし、そんな過去の栄光から40年も月日が経ち、妻には離婚され、娘はドラッグ中毒から抜け出したばかり、役者としては鳴かず飛ばずで冴えない。しかし、落ちぶれても役者魂は健全だから、一念発起してブロードウェイで芝居を監督、主演することになった。
芝居はレイモンド カヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」だ。やっとのことで公演にこぎつけたと思ったら、役者の一人が怪我で降板することになり、ブロードウェイで活躍するスター、マイクが代役を務めることになった。マイクは良い役者だが、わがままで自己中心の芝居オタクだ。監督、主演のリーガンを怒らせてばかりいる。おまけに大事な娘が一番くっついて欲しくないマイクに「ホ」の字で、気になって仕方がない。おかげで初演はさんざんな結果で終わり、批評家からは、ひどく酷評される。それでも一旦始まった興行は続けなければならない。リーガンは芝居に、もっと強い緊張と臨場感をもたせるために、舞台で使う拳銃を本物のけん銃にすり替えた。そして、、、。
というお話。
「舞台は映画より上だ。」と映画の中で、主人公リーガンが言うセリフがある。本当だろうか。
掃いて捨てるほどの娯楽映画が制作され、映画産業は拡大する一方、派手で意味のない映画ばかりが幅を利かせている。そんな中で、良質の映画製作を続けている映像芸術家や映像作家たちは、確かに存在する。彼らが手掛ける先端技術を駆使して、映像、美術、脚本、原作、音楽、舞踊、衣装、フイルム編集すべてを統合した総合芸術として製作される映画というものは、そのスケールの広がりからして、芝居を超えているように思える。
しかし、一方で舞台はやり直しが効かない。舞台と観客との1回きりの真剣勝負だ。ミュージカルに出演(主演ではない、端役だ)している女性と話したことがあるが、舞台前と、舞台がはねた後とでは、体重が少なくとも3キロは落ちているそうだ。それだけ2時間の公演で体を酷使して全身を使って役を演じて体重をそぎ落としているのだ。
また、アマチュアオーケストラでヴァイオリンを弾いていたとき、舞台上では、オペラ「魔笛」をやっていた。冷たい女王とパパゲーノを前に、どっしり貫禄の王様が登場し、その場を収めるシーンで、王様がせりふを忘れた。舞台上の役者たちもオペラを見に来た観客も、沈黙の50秒だか1分だかの長かったこと長かったこと。遅れて王様が思い出して歌い出したから良かったものの、この歌い手はひどいトラウマを抱えたことだろうし、観客は彼らの公演に二度と来ないかもしれない。ことほど左様に、やり直しの効く撮影や、編集でミスを消せるフイルムと、一発勝負の舞台との差は大きいい。同様に、生で聴くオペラは、一流歌手の歌うオペラのCDより価値があるし、ライブミュージックはミュージックビデオより価値がある。
だから、舞台は映画より上だろうか。
そのライブでやり直しの効かない真剣勝負を映画でやろうとしたのが、この映画「バードマン」だ。長廻しのワンテイクカメラワークで映画を撮影した。フイルムを撮っては切って継ぎ足してパッチワークのように継ぎ接ぎしたうえ、CGテクニックを駆使して役者を使わずに動きを加えたり、背景を水増ししたりフイルムテクニックでカバーする。そういった現在の映画作りへの反抗、挑戦でもあったのだろう。ワンテイクだから、一人でも役者がとちったり、タイミングが他と合わなかったら、また初めからフイルムの撮り直しだ。準備不足とか、ハプニングとか、役者がどもったり、つっかえたり、ころんだりするのさえ許されない。カメラが行く先々で、準備万端、約束通りに登場したり、消えたりする役者たちの緊張は筆舌につくしがたいほどではないか。ブロードウェイの雑踏を歩くシーンがたくさん出てくるし、エドワード ノートンが素裸になるシーンも出てくるが、写ってならないものが写らないように、失敗の許されないカメラワークも、緊張の連続だったことだろう。
バックミュージックにドラム音を多用していて、画面に緊張感を与えている。ニューヨークの雑踏でドラマをたたくストリートミュージシャン、これを背景に芝居がうまくいかなくて、どなりまくるマイケル キートンとエドワード ノートンが とてもおかしい。いつまでも芝居バカで、役者狂い、二人ともいつまでも青春やっている姿。それが滑稽なのは、観ているわたしたちにも共通する「いつまでも成長できない自分のなかの青春」を抱えているからだ。
そんな成長できない「男」を、彼の芝居をよく理解して見守っている別れた妻が居る。彼が落ち込んでいるので励ましに来たら、すぐ図に乗って男は、妻とよりを戻そうとして俗物性丸出しにする愚かさ。そしてそんな父親を激しく批判しながらも、深い愛情で観ている若いが人生に疲れたドラッグ娘も、この男には、できすぎた良い娘なのだ。 40年前映画「バードマン」を主演した、かつてのスーパーヒーローというが、彼は自分なりに芝居の道を歩んできたのであって、冷たいが理解のある元妻と娘をもち、ブロードウェイで芝居を続けられる幸せな男ではないか。批評家にこてんぱんに批評されても、妻子にきついことを言われても、芝居のパートナーに演技で追い越されても、良いじゃないか。でも、それを良しとせずに、いちいち脳天から火がでるように怒り、ジタバタして、悩んで、過激に反応するマスター キートンが、とてもとてもおかしい。本当に役者がすべての人生なのだ。喜劇映画じゃないのに、とても笑える。
酔った勢いで芝居評論家に毒付いて暴力的ともいえる詰め寄り方をして、批評で「完全におまえをつぶしてやる、」とまで言わせる。この人は、最後の舞台で銃が放たれたと同時に、席を立って出て行った。このぼやけたシーンが良い。ここで感動した。芝居のパートナーに、「舞台でおまえが玩具の銃で脅かしたって全然怖がってなんてやれねえよ、」と言われて自分の演技に勢いがなくなったのを指摘されたと思い、怒り狂って本物の銃を出してくる、彼のとっ拍子もないアクション。これは何だ。舞台への愛、「舞台:いのち」という男の舞台への深い深い思いを描いた作品なのだ。
舞台の好きな人、役者をやって人の熱狂を体験してしまったことで役者としての昂揚感が忘れられない人、演じることが好きで好きで仕方がない人にとっては、この映画は忘れられない映画になるだろう。
画面が一様に暗くて、全部がいつも「舞台裏」みたいに見える感じで統一されている。
最後のシーンでは、「バードマン」は役者として突っ走っていって飛ぶが、墜落して死ぬと思うけど、「バードマン」は、人々に希望を与え続けていくことだろう。
役者は誰もが「役者ばか」で、役作りに悩み、役になりきって悩み、死ぬまで役者だ。実験的作風で、この監督の「舞台への愛」がしっかり伝わって来た。おもしろい作品だ。
2015年5月24日日曜日
ACOで16世紀のダブルベースを聴く
オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)の定期コンサートを聴いてきた。

娘たちはそれぞれ専門の分野でプロフェッショナルになって自立し、家庭を持って、母親のクラシックコンサートなどには、とても付き合いきれなくなった。それはそれで喜ばしいことだ。
だが、オットは、腎不全と心臓発作を起こし、腎臓透析を続けることなしに生きられないようになり、閉そく性呼吸器不全でネブライザーと吸入器なしに楽な呼吸ができなくなり、黄斑部変性で視力が落ち、本や新聞が読めなくなり、それらの総合的結果として、杖を使いよちよち歩きで50メートル歩くのが限度になった。
20年前に、「一緒にオペラに行きませんか?」の言葉ひとつで、やすやすと受けてしまったプロポーズを、いまさら後悔しても始まらない。オットが元気だったころは、オペラオーストラリアも、ACOも、シドニーシンフォニーも会員になって定期公演を毎回観ていたから、月に一度はオペラハウスに通っていた。ところがオットはオペラハウスの長い階段が昇れなくなり、徐々に劇場地下の駐車場からエレベーターまでたどり着くだけで、息が切れるようになり、オペラハウスは諦めて、エンジェルプレイスのホールの公演に切り替えたが、2階の正面席に座るとトイレのために階下か階上に行くエレベーターに乗せなければならない。遂にどんなに支えても連れていけないようになった。しばらくは、行きたいのに行けなくなったオットを置いて、一人でコンサートに行くことには、ためらいがあった。
久しぶりにチェンバーオーケストラの音を聴いたら泣けて、ヤバいのではないかと、ちょっと思ったが、そんなことはなく、かぶりつきの席でしっかり聴いてきた。何年か前に同じホールで、何だったか忘れたが忙しくて数か月ぶりでACOを聴き、ベートーベンの交響曲「田園」が始まったとたんに、音のひとつひとつが乾いた心に沁み込んで来て、初めて止まっていた呼吸ができるようになったかのように全身が震えて、涙が次から次へと流れて来て止まらなかったことがある。オペラも、数か月の間、聴く機会を逃していて久しぶりに、「ラ ボエーム」を聴いたとき、はじめのテノールの声で、いきなり涙が吹き出て来て、「ああ、こういう音が聴きたかったんだ、」と思いながら、ホールの暗闇で涙を流したことがあった。あれは何だったのか。
ACOは結成して今年で40年。団長のリチャード トンゲテイのもとに、団員20人の弦楽奏者が集まるオーケストラだ。若い演奏家育成に熱心で、ヤングACOを持っているので全メンバーを合わせると100人余りになる。トンゲテイは例えようもなく美しい音で1743年のグルネリを弾く。コンサートマスターのフィンランド出身 サトゥ バンスカは、1728年のストラデイバリウスを、匿名化から貸与されている。ヴィオラのクリストファ モアは1610年のジョバンニ パオロ マジ二を弾いて、チェロのテイモ ヴィッコ バルグは1729年のグルネリ、バイオリンのマーク イングワーセンは1714年のグルネリ、新しくイケ シーは、1759年のガダニーニを貸与された。彼らのユニフォームは、オーストラリアでデザイナーとしてデビューしで成功した日本人、イソガイ アキラのデザインだ。
曲目は
1) フェリックス メンデルスゾーン: 弦楽シンフォニー9番「スイス」
2) ジョバンニ ボテシーニ: ヴァイオリンとダブルベースのためのコンチェルト
3) ユーゴ ヴォルフ : イタリアン セレナーデ
4) フェリックス メンデルスゾーン: ヴァイオリンコンチェルト Eマイナー作品64
2番目、ジョバンニ ボテシーニ作曲の「ヴァイオリンとダブルベースのためのコンチェルト」が、とても良かった。初めてACOが、16世紀のダブルベースの演奏をお披露目してくれた。
これを作曲したボテシーニ(1821-1889)は、貧しいイタリアの音楽好きの家庭に生まれ育った。ミラノ音楽大学に入り奨学金を受けるのには、ダブルベースのポジションしか空いていなかった。だから彼はダブルベースを初めて大学で手にする。そしてすぐに立派な奏者となり、イタリア国内だけでなくウィーンで人気を得る。9つのオペラやレクイエムなどを作曲し演奏家としても作曲家としても成功する。彼は古楽器のダブルベースを再現して、好んで演奏した。むかしダブルベースは、3弦しかなく、ネック(指盤)は今のものよりずっと長かった。彼が、3弦の古楽器ダブルベースを初めて弾いたとき、「100羽のナイチンゲール(夜鷹)が鳴いているかと思った、」そうだ。パガニーニとも親交があり、古楽器の演奏を普及させた。
この古楽器を、ACOのダブルベースの演奏者マキシム ビビアウが、何度もイタリアとオーストラリアを往復して、パトロンの協力を得た末、遂に名器ガスパロ デ サルーを手に入れた。こういった経過が公共ニュースABCで報道されたから、これを見たくてこのコンサートに来た人が多かったようだ。作曲家ボテシーニが演奏した16世紀の古楽器ダブルベースが、今回のコンサートでACOのマキシムによって再現されたわけだ。
さて、ガスパロ デ サルーだが、これがとてつもなく大きい。普通のコントラバスの2まわり大きいうえ、ネックが長い。カナダ生まれのオージー大男のマキシムが手にしていると大きさがわからないが、ヴァイオリンとの二重奏になると、たちまちベースが巨大に聳えたって見える。ネックが長いので、駒のちかくでハーモニックスを弾くと、ダブルベースとは思えない、驚くほど高音の澄んだ音が出る。マキシムは、高音からおなかに響く低音まで、自由自在に広い音域を奏でていた。
ゲストヴァイオリニストのアメリカ人、ステファン ジャッキーは小柄で色白の美男子、ジュノンボーイか。彼の長くて白い白い指はしなやかで美しい。小柄で美しいヴァイオリニストと、どでかいオージーのダブルベースが二重奏を始めた途端、これがダブルベースとはとても信じられない音域とテクニック。ヴァイオリンとヴィオラかと思った。二つの音が、ぴったり寄り添って素晴らしいハーモニーを奏でてくれた。とても感動した。
最後はチェンバーオーケストラをバックに、ステファン ジャッキーの独奏によるメンデルスゾーン(1809-1847)のヴァイオリンコンチェルト作品64。とてもとても有名な曲だから、クラシック音楽が嫌いな人でも、聴けば、ああーこれか、とわかる曲だ。第1楽章アレグロ モルト アパッショネイトも、第2楽章アンダンテも、第3楽章アレグロもみんな有名。
メンデルスゾーンは裕福な名家に生まれ、天才的哲学者モーゼ メンデルスゾーンを祖父にもち、音楽家家庭に育った。10才でカール フレデリック ゼルターについてヴァイオリンを習い、ゼルターの親友だったゲーテに詩を教わって育つ。12歳で作曲を始め、15歳で交響曲を作曲、ウィーンでアイドルとなる。15歳で作曲したオペラのリハーサルの時、ゼルターに、「彼はモーツアルト、ハイドン、バッハと並ぶ歴史的な最もすぐれた音楽家として認められるであろう。」と紹介される。
このヴァイオリンコンチェルトは、メンデルスゾーンの親友だったヴァイオリニスト、フェルデイナンド デヴィッドのために作曲され、1838年に書き始めらたが、そのころメンデルスゾーンはドイツと英国の6つの音楽祭の総合監督に指名されており、バッハとシューベルトの作品をリバイバルさせるために力を注いでおり、おまけに、プロイセンのフレデリック ウィルヘルム国王の要請でベルリンでも活動していて、多忙を極めていたので、たびかさなるデヴィッドの催促に応えることができないでいた。作曲が完了し、親友のフェルデイナンド デヴィッドによる初演が実現したのは、彼が書き始めたときから7年が経っていた。デヴィッドのためにカデンッアがいくつも入った華麗なコンチェルトだ。7年かけて、練に練られ細部まで完璧に作られた1845年に完成したコンチェルト。ステファン ジャッキーは、繊細で水が流れるようなスピードと素晴らしい技巧をもって演奏した。
これからも、この作品は沢山の天才と呼ばれる努力家たちによって、何世紀も何世紀も、ひき続き演奏し続けられることだろう。これは本当に本当の、永遠不滅の名作だ。
コンサートが終了して、25ドルのホール地下の駐車料金をケチって路上駐車したパブまで歩く冬のシドニーの深夜ひとり。外気が冷たくて、星も月も見えないがメンデルスゾーンのメロデイーが胸に中で鳴り響いていて、ほっこりあたたかい。良い夜だ。
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