2015年10月4日日曜日
ACOモーツアルト最後の3交響曲を聴く
Australian Chamber Orchestra - YouTube
オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)定期公演で、モーツアルト最後の3つの交響曲を聴いた。ACO監督のリチャード トンゲテイが、これらを演奏するのは、彼がACOの監督に就任した年以来、25年ぶりのことだ。オーケストラを率い、コンサートマスターを務めながら、指揮も同時に弾きながら勤め、譜めくりまで自分でやっていた。すごい。リチャードの大活躍で、モーツアルトを堪能した。
ヴオルフガング アマデウス モーツアルト作曲
交響曲第39番 Eフラットメジャー作品543
交響曲第40番 Gメジャー 作品550
交響曲第41番 Cメジャー 作品551 「ジュピター」
モーツアルトは亡くなる3年前の1788年6月から8月にかけて、たった3か月の間に3つの
交響曲(12楽章)を作曲した。まるで自分の若すぎる死を予期していたかのように、全力を投入して、次から次へと湧き出てくる才能を3つの交響曲に込めて、この世から走り去って行ってしまった。
25歳でウィーンに来て、父親からもザウスブルグ神聖ローマ帝国皇帝からも喧嘩別れの末、独立して、やっと自由に音楽家として生きていけるかと思っていたが、パトロンのいないモーツアルトは、コンサートを開催しても聴衆が集まらず、作曲しても芳しい評価をされず、日々の生活もままならない状態だった。「ウィーンでは何をやってもお金にならないんだ」、とフリーメイソンの仲間たちにこぼしては、お金の工面をしてもらいながら、飢えをしのいでいた。
にも拘らず、病気と貧困と寒さ、幼い娘の死など数々の絶望をみじんも見せずに、彼はロマン派の蜜より甘い交響曲39番を書いた。繊細にして、華麗、軽やかで優雅。いくつもの美しいメヌエットが続く、ロマンテイックそのものの曲。この交響曲を作品543、交響曲ロマンテイックと呼ばれたりもする。本当に、ただただ美しい。
2番目に演奏された、交響曲40番作品550。Gマイナーは、モーツアルトが最も頻繁に使ったコードだ。弦楽4重奏作品515、ピアノカルテット作品478、オペラ「ドン ジョバンニ}などがGマイナーだ。これは、最初、ヴィオラとバイオリンによる波のような繰り返しで始まる。当時としては、きわめて革命的で斬新なスタイルだった。のち、リチャード ワーグナーは、これを「言葉で言い表せない美しさ」と褒めたたえた。この時代の寵児、フランツ リストは、彼の華麗な演奏で人々を魅了していて、「ピアノはすべてのオーケストラの器楽を超える音が出せる。」と豪語していたが、これを皮肉ってメンデルスゾーンは、「この交響曲のはじめの8小節のヴィオラこそがオーケストラのすべての楽器を超えている。」と言って、モーツアルトの斬新な才能を褒めたたえた。
そして、この世の交響曲のうち最も輝きの満ち、力強さに溢れた素晴らしい交響曲題41番「ジュピター」。続けて演奏された3つの交響曲、どれもブリリアントと言うしか言いようがない。
モーツアルトは生涯、その演奏家、作曲家としての才能を正しく評価されることなく不遇のうちに35歳の若さで亡くなった。そんな彼が死ぬまで童心をもった天才だったことは、よく言われることだ。アマデウスの才能を早くから認識していた父レオポルドは、幼い息子を連れてヨーロッパ中を連れて皇帝、貴族の前で神童ぶりを見せて就職活動をした。ザルツブルグ神聖ローマ帝国皇室音楽家として生涯豊かな生活を保障されていて、皇室の気に入るような「凡庸」な曲を作って演奏してた父親としては、息子にも同じか、それ以上の安定した生活をしてもらいたかったのだろう。
でもアマデウスは父親の手のひらで踊っているような子供ではなかった。彼がオーストリアのマリア テレシアの宮殿に招かれて演奏したときに、床で滑って転んでしまい、手を貸してた助け起こした7歳のマリー アントワネットに6歳のアマデウスが、将来結婚してあげる、と言った逸話は有名。
「LECK MICK IM ARSCH」(俺のケツをなめろ)という真面目な教会で歌うカノンを作曲もしている。ケツをなめる奴、つまりオベッカ使いが大嫌いだったモーツアルトらしい茶目っ気に満ちた詩をつけている。権威に媚びへつらうことを嫌い、権威をおちょくって笑う歌を平然とカノンにして発表する心意気は、彼らしい童心の表れといえるだろうか。
オペラ「フィガロの結婚」でも彼は徹底して権力者を笑う。このオペラは、フィガロが恋人スザンナの為に歌う「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」と、伯爵夫人とスザンナの二重唱「そよ風に寄せて」など、美しいアリアがたくさん出てくる素晴らしいオペラだが、権力をかさにして小間使いスザンナを、自分のものにしようとする伯爵を懲らしめるというストーリーのオペラだ。
18世紀半ばのスペインのお話だけれど、驚くことに事実、封建時代は「初夜権」といって庶民の婚姻時、領主や「聖職者」(!!!)は、花嫁を花婿の先立って同きんする権利が認められていた。オペラでは、従僕フィガロが小間使いスザンナと結婚するにあたって、好色な伯爵を、いかにスザンナから遠ざけておくか、知恵をしぼる。フランス革命前夜の貴族の腐敗をこき下ろしたこのオペラは、上演が許可されなかった。1784年の初演では死傷者を出すほど混乱して、こうしたエネルギーは3年後のフランス革命の導火線ともなった。
オペラ「ドン ジョバンニ」でも、モーツアルトは女たらしのスペイン貴族ドン ジョバンニを地獄に突き落としている。フランス革命は、この2年後に、起こるべくして起こった。
サイコセラピーでは、他のどの作曲家の作品よりもモーツアルトの楽曲が音楽療法の効果があることが実証されている。彼の作品の多くが明るくて、心が軽くなってうつ病から抜け出せる、などというほど単純な話ではないだろうが、モーツアルトの純粋で自由を求める心が、人々の心に何かを訴えるのではないだろうか。
封建時代、パトロンなしで生きてはいけない作曲家が、にも拘らず権威を嫌い、権力者を笑い、反権力の作品を平然と発表した。何という自由な心だろう。何という打算のない、邪気のない純粋さだろう。
死ぬ前に何かに衝かれたように、たった3か月の間に作曲された3つの交響曲、12の楽章は
それぞれが全く似たり、共通するところはなく独立して、強い個性をもっている。つめに灯をともすような貧困と欠乏に責められながら、力強い、繊細で華麗、真っ青な青空を突き抜けるような明るさを音にした。
ACOの演奏ではフルート、オーボエ、ホーン、バスーン、クラリネット、トランペット、テインパニーが加わった。弦楽器は、第一バイオリン5人、第二バイオリン5人、ヴィオラ3人、チェロ3人とコントラバスの17人。17の弦楽器が腹の底に響く大きな音を出す。かと思うと唾を飲み込むのもためらうほどの繊細な音も出す。そしてジュピターの輝かしい力強さ。華麗な音の嵐で終了した。
全員が立ったままで演奏する。彼らのスタイルだ。終了すると、いつもサッサと舞台から引き上げてアンコールには応じない。3つの交響曲の余韻に酔いしれて、いつまでも座席から立ち上がれない聴衆を置いて、彼らはさッさと会場から立ち去っていく。
病気のオットを置いて一人で聴きに来ていたから、会場の混雑を避けようと、小走りで階段駆け下りて外に出たが、もうバイオリンを背負った第一バイオリンのイルヤ イザコヴィッチの後ろ姿を見送ることになった。と思ったら、劇場前に駐車してあったジープにチェロ(1729年のグルネリ)を横たえてテイモシー トンプソンがエンジンをかけるところだった。ステージに立っていたときから10分たっていない。早い!すごい! ACOのこういうところが大好きだ。
2015年9月19日土曜日
戦争法可決:沖縄とフィリピンでの体験から
安倍政権は7月15日衆議院での強行採決に続いて、9月19日参議院で安全保障関連法案を強行採決した。憲法の新解釈、集団自衛権の容認、安全保障関連法案の可決によって、いよいよ日本は武器を持って海外の戦場に出かけていくことのできる国になろうとしている。日米軍事協力体制の本格化だ。海外各地で自衛隊は米軍の肩代わりをすることになるだろうが、自衛隊がどんなことをしているのか、特別秘密保護法と、マスコミへの日ごろからの介入によって、人々は限られた情報しか知らされなくなる。TPP参加により日本の農業は壊滅し、ただでさえ食料の自給率24%が更に下がり、日本の市場はアメリカの多国籍企業の餌になる。遂に、軍事面でも、産業面でも日本は、アメリカに完全依存することになる。
これが阿部首相が繰り返し言ってきた「積極的平和主義」によって、「日本の誇りを取り戻す」ことだったのか。
日本の終戦記念日、8月15日は、ロシアを含むオーストラリアや連合国側の国々では戦勝記念日となるが、今年も盛大な祝日の祭典が行われた。オーストラリアでは旧軍人たちのパレードを先頭に、現役の自衛官の行進、小中学校のバンド、警察官、消防士、海難救助隊などのパレードが各地で行われ、沿道を国旗を持った人々が埋めた。ニュースでは、朝から第2次世界大戦でニューギニヤやシンガポールなどで日本軍の捕虜になって生き残った兵士たちのやせ細った姿が映し出され生存者のインタビューに続き、広島、長崎の原子爆弾が日本を焼き尽くす映像が現れる。日本軍によるダーウィン攻撃やシドニー湾への攻撃も必ず出てくる。投降して捕虜になった兵士の8000人が日本軍によって死亡し、ダーウィンへの空爆では250人近くの市民が犠牲になり、オランダ領インドネシアにいたオーストラリア女性が捕獲され日本軍の従軍慰安婦にされた事実も、オーストラリア人は忘れていない。必ず一年に一度は、このような記念日に歴史のおさらいをする。
今年はこれに加えて、阿部総理の談話がオーストラリア公共放送ABCで大きく報道された。「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分はそっくりヴィデオで流れ、阿部政権の平和憲法の解釈変更とアグレション(攻撃性)には、日本国内だけでなくアジア各国から抗議行動が起きている、と説明されて、街頭で日章旗を焼く韓国でのデモのシーンが報道された。
激戦地だったレイテ島に1980年代に、3年間を暮らしたが、まだ旧日本兵の骨が出てくる。遺骨収集は終わっていない。 空港のあるタクロバンから住んでいたオルモックに至る途中の畑で、所属部隊と氏名の彫られた認識票がヘルメットと一緒に出てきたことがあった。せめて遺族を探して渡したいと思って日本大使館に連絡したが、大使館は全く反応なし対応もせず、民間の遺骨収集団体の名を教えてくれただけだった。
レイテ島に幼い二人の娘たちと一緒に夫の赴任中、たくさんの年配者に囲まれて旧日本軍の軍票を目の前に置かれてフィリピンペソに両替してくれとすごまれたことがある。日本軍はフィリピンを侵略 占領し、彼らの言語を奪い日本語を強要し、ペソを軍票に替えさせ、彼らの食料を奪い、彼らの娘たちを連れ去り慰安婦にし、彼らの命を奪った。日本軍占領中、お金をすべて軍票に替えさせられた人々は、敗戦のその日から軍票はただの紙となり、全財産を失った。日本人を見てペソに戻してくれと要求するのは、彼らにとっては当たり前ではないか。それを日本政府はしなかった。
夫が出張でおらず、深夜酔った勢いで男たちが私たちの寝ている二階のベランダにまで上がってきたこともあった。ドアひとつを隔てて玩具の銃を握りしめて朝まで緊張していたこともあったし、日本兵の墓に花を捧げようとして、取り囲まれて有り金全部奪われたこともある。当時は共産党のゲリラが山に拠点を持っていて軍と衝突するたびに死体を何度も見た。日本軍が侵略しなければ、本来豊かな国だったのだ。
レイテ島の前の赴任先は、沖縄だった。沖縄の本土復帰からまだ間もなく、本土の人:ホンドウーは、ウチナンチューから決して快く思われていなかった。夫は道路建設のプロジェクトで住んでいた那覇の家を空けることが多かった。幼稚園に入る前の娘たちと眠る深夜、再三玄関のベルを鳴らす人がいた。子供のとき過酷な戦争体験をして精神を病んだ人だった。知人も親しい友達も居ない畑の真ん中の一軒家で、夫のいない時だけ玄関でいつまでも佇む精神を病んだ人の存在は、赴任したばかりの頃は、とてつもなく怖かった。近所の人は、あの人は何もしないから、と言ってくれたが。窓を少し開けて外出して帰ってきたら火のついたタバコが投げ入れられていたこともあった。子供たちを連れて、できるだけかつての激戦地を見て、、集団自決のあったガマに入り、人々の戦争体験を聞かせてもらった。正座してウチナンチューの昔の話を聞くことがどんなに大切か、このような体験から学んだ。沖縄戦で、犠牲者は12万人。そのうち軍人は2万8千人で、亡くなった方々のほとんどは民間人だったのだ。本土の人間にとっての戦争体験と、沖縄に人々の戦争体験とは全く異なる。本土の人間は、沖縄の人々に対して加害者としての自覚を、自分の胸に刻んで生きていくべきだと思う。
日本人は加害者だった。日本は先の大戦で350万人の戦死者を出したが、侵略したアジアの国々、中国人では軍民併せて1100万人、インドネシアなどのアジアで800万人の人々を死に追いやり謝罪も賠償もしていない。沖縄では米軍に包囲され白旗を掲げて投降しようとした市民を日本軍兵士は後ろから撃ち殺したばかりでなく、集団自決を強いた。そしていま沖縄を戦場の最前線に押し出し、辺野古の海を破壊している。
侵略者には被害者の痛みはわからない。わからないからわかろうとして被害者の話に耳を傾けることでしか、両者のみぞを埋める方法はない。謝罪しても、被害者がそれを受け止めなかったら謝罪にはならない。もう謝罪した、これからの若い世代は謝罪しなくて良いと阿部総理は言うが、彼はまったく謝罪していない。被害者は納得しいていない。日本政府としてアジア各地で日本軍が何をしたのか、きちんとした調査を行い謝罪し、被害に対して賠償すること。歴史事実を明らかにして次の世代に伝えていくこと。こうした事実認定と、継承なしに、「日本の誇り」を取り戻すことは決してできない。
安倍政権は70年前の戦争さえ総括できないでいるのに、また新たな戦争に参画しようとしているのか。
これが阿部首相が繰り返し言ってきた「積極的平和主義」によって、「日本の誇りを取り戻す」ことだったのか。
日本の終戦記念日、8月15日は、ロシアを含むオーストラリアや連合国側の国々では戦勝記念日となるが、今年も盛大な祝日の祭典が行われた。オーストラリアでは旧軍人たちのパレードを先頭に、現役の自衛官の行進、小中学校のバンド、警察官、消防士、海難救助隊などのパレードが各地で行われ、沿道を国旗を持った人々が埋めた。ニュースでは、朝から第2次世界大戦でニューギニヤやシンガポールなどで日本軍の捕虜になって生き残った兵士たちのやせ細った姿が映し出され生存者のインタビューに続き、広島、長崎の原子爆弾が日本を焼き尽くす映像が現れる。日本軍によるダーウィン攻撃やシドニー湾への攻撃も必ず出てくる。投降して捕虜になった兵士の8000人が日本軍によって死亡し、ダーウィンへの空爆では250人近くの市民が犠牲になり、オランダ領インドネシアにいたオーストラリア女性が捕獲され日本軍の従軍慰安婦にされた事実も、オーストラリア人は忘れていない。必ず一年に一度は、このような記念日に歴史のおさらいをする。
今年はこれに加えて、阿部総理の談話がオーストラリア公共放送ABCで大きく報道された。「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分はそっくりヴィデオで流れ、阿部政権の平和憲法の解釈変更とアグレション(攻撃性)には、日本国内だけでなくアジア各国から抗議行動が起きている、と説明されて、街頭で日章旗を焼く韓国でのデモのシーンが報道された。
激戦地だったレイテ島に1980年代に、3年間を暮らしたが、まだ旧日本兵の骨が出てくる。遺骨収集は終わっていない。 空港のあるタクロバンから住んでいたオルモックに至る途中の畑で、所属部隊と氏名の彫られた認識票がヘルメットと一緒に出てきたことがあった。せめて遺族を探して渡したいと思って日本大使館に連絡したが、大使館は全く反応なし対応もせず、民間の遺骨収集団体の名を教えてくれただけだった。
レイテ島に幼い二人の娘たちと一緒に夫の赴任中、たくさんの年配者に囲まれて旧日本軍の軍票を目の前に置かれてフィリピンペソに両替してくれとすごまれたことがある。日本軍はフィリピンを侵略 占領し、彼らの言語を奪い日本語を強要し、ペソを軍票に替えさせ、彼らの食料を奪い、彼らの娘たちを連れ去り慰安婦にし、彼らの命を奪った。日本軍占領中、お金をすべて軍票に替えさせられた人々は、敗戦のその日から軍票はただの紙となり、全財産を失った。日本人を見てペソに戻してくれと要求するのは、彼らにとっては当たり前ではないか。それを日本政府はしなかった。
夫が出張でおらず、深夜酔った勢いで男たちが私たちの寝ている二階のベランダにまで上がってきたこともあった。ドアひとつを隔てて玩具の銃を握りしめて朝まで緊張していたこともあったし、日本兵の墓に花を捧げようとして、取り囲まれて有り金全部奪われたこともある。当時は共産党のゲリラが山に拠点を持っていて軍と衝突するたびに死体を何度も見た。日本軍が侵略しなければ、本来豊かな国だったのだ。
レイテ島の前の赴任先は、沖縄だった。沖縄の本土復帰からまだ間もなく、本土の人:ホンドウーは、ウチナンチューから決して快く思われていなかった。夫は道路建設のプロジェクトで住んでいた那覇の家を空けることが多かった。幼稚園に入る前の娘たちと眠る深夜、再三玄関のベルを鳴らす人がいた。子供のとき過酷な戦争体験をして精神を病んだ人だった。知人も親しい友達も居ない畑の真ん中の一軒家で、夫のいない時だけ玄関でいつまでも佇む精神を病んだ人の存在は、赴任したばかりの頃は、とてつもなく怖かった。近所の人は、あの人は何もしないから、と言ってくれたが。窓を少し開けて外出して帰ってきたら火のついたタバコが投げ入れられていたこともあった。子供たちを連れて、できるだけかつての激戦地を見て、、集団自決のあったガマに入り、人々の戦争体験を聞かせてもらった。正座してウチナンチューの昔の話を聞くことがどんなに大切か、このような体験から学んだ。沖縄戦で、犠牲者は12万人。そのうち軍人は2万8千人で、亡くなった方々のほとんどは民間人だったのだ。本土の人間にとっての戦争体験と、沖縄に人々の戦争体験とは全く異なる。本土の人間は、沖縄の人々に対して加害者としての自覚を、自分の胸に刻んで生きていくべきだと思う。
日本人は加害者だった。日本は先の大戦で350万人の戦死者を出したが、侵略したアジアの国々、中国人では軍民併せて1100万人、インドネシアなどのアジアで800万人の人々を死に追いやり謝罪も賠償もしていない。沖縄では米軍に包囲され白旗を掲げて投降しようとした市民を日本軍兵士は後ろから撃ち殺したばかりでなく、集団自決を強いた。そしていま沖縄を戦場の最前線に押し出し、辺野古の海を破壊している。
侵略者には被害者の痛みはわからない。わからないからわかろうとして被害者の話に耳を傾けることでしか、両者のみぞを埋める方法はない。謝罪しても、被害者がそれを受け止めなかったら謝罪にはならない。もう謝罪した、これからの若い世代は謝罪しなくて良いと阿部総理は言うが、彼はまったく謝罪していない。被害者は納得しいていない。日本政府としてアジア各地で日本軍が何をしたのか、きちんとした調査を行い謝罪し、被害に対して賠償すること。歴史事実を明らかにして次の世代に伝えていくこと。こうした事実認定と、継承なしに、「日本の誇り」を取り戻すことは決してできない。
安倍政権は70年前の戦争さえ総括できないでいるのに、また新たな戦争に参画しようとしているのか。
2015年8月22日土曜日
映画「ミッションインポッシブル・ローグネイション」

IMFエージェントは、トム クルーズ、ジェレミー レナー、サイモン ペグ、ヴィング レイムスが、そろって出演している。ジェレミーは2回目、サイモン ペグは3回目、アフリカンアメリカンのヴィングは、何と初回から出ていて5回目のトムとの共演になる。今回新しく、CIA長官に、アレック ボールドウィンが適用されていて、この人が出てくると映画全体が和らいで優しい空気が流れてくるから不思議。

副題のローグネイションとは、今回のIMFの敵、ローグつまり無法者、ならず者悪漢集団を言う。各国のスパイ、エージェントたちが様々な事件に巻き込まれて命を失ってきた。しかし彼らは実際には死んでいなくて、姿を隠して秘密裏に新組織を作って巨大な資金をバックに影の世界制覇を目論んでいた。
多量の神経ガスが盗まれた。IMFのイーサン ハント(トム クルーズ)は、国際組織が動いているに違いないと見て、神経ガスを満載したエアバスに飛び移り、組織の全体像を掴もうとするが、逆に敵に捕まってしまう。危機一髪のところで謎の女性に救われて、IMFの連絡を取るが、実績を出せないでいる業績不振を上院委員会で追及されたCIAは、IMF存続を認めない方針を決定した。CIA長官は、ウィリアム ブラント(ジェレミー レナー)にIMF廃止を伝え、ありもしない秘密組織を追って、帰還命令に応じないイーサン ハントをCIAの敵をみなす、という厳しい決定を言い渡す。
ハントは姿を隠した。6か月が経った。ある日、元IMFのベンジャー ダンの処にオペラの招待券が送られてくる。コンピューターおたくでオペラ狂いのダンは、一も二もなくウィーンに飛ぶ。題目は「トランドット」。ところはウィーン国立オペラ劇場。ベンジャーの到着を待ってイーサン ハントは、会場でローグネイションが、何をしようと企んでいるのかを調べようとする。舞台裏に、以前ハントを捕えて拷問をしたテロリストたちが現れ、ついでにハントの命を救った謎の美女も現れる。彼らの銃の照準は、オーストリア財務大臣だった。ハントとベンジャーは、暗殺者から財務大臣の命を守るが、オペラから帰途に就いた車が爆発して財務大臣夫婦を死なせてしまう。
元IMFのルーサー ステイケルとウィリアム ブラントは、窮地に陥ったイーサ ハントとベンジャー ダンに合流するためにモロッコに向かう。モロッコの水力発電の水の底にローグネーションの秘密組織の全容データが隠してある。ハントは謎の女性がイギリスのスパイMI6に違いないと判断して、彼女の力を借りてデータを盗み出す。しかしこのデータは、イギリス首相の目の網膜と指紋がなければ開けられない。ハントは、首相を誘拐する。そして首相の口から、ローグネーションはもともとMI6の一部だったが、余りに危険なことをするので解散させた組織だったことがわかる。一方、ベンジャーが敵に誘拐され、なぞの女性も行方不明だ。ハントは二人を救い出すために、敵中に一人向かっていく。果たして敵、ローグネイションを倒すことができるのだろうか。というお話。
撮影は、ウィーン、モロッコ、カサブランカ、ロンドンとめまぐるしく移動する。
007ジェームス ボンドシリーズの最後の作品では イタリア本場のスカラ座でオペラ「トスカ」を見せてくれた。オペラ会場でタキシードに身を包んだダニエル クレイグが、思わずため息が出るほど良い男だったけど、アクション映画にオペラというのが好評だったからかどうか知らないけど、この映画では、プッチーニの「トランドット」を見せる。トランドット姫を、ジュリアード音楽大学卒のアメリカ オリヴオという美人歌手に歌わせている。オペラ上演中に、舞台の真上でIMFとMI6とローグネイションとが争いあって格闘するのが、ハラハラし通しで、実に面白かった。
オペラでは、冷酷非道な王様は各地で侵略し領土を拡張している。王様にはわがままで氷のように冷たい心を持ったプリンセス トランドットがいる。そんなプリンセスに、こともあろうに侵略されて城を追われたもとプリンスが一目惚れしてしまう。
戦に負けて乞食同様になったもと王様を介抱する従者の素晴らしいソプラノを聞きながら、着々と舞台裏に殺人者たちが到着して暗殺の準備をしている。また、恋に陥って、眠ってなどいられないと、切ない胸の内を歌い上げるテノールを聞きながら、女がフルートと思わせて会場に持ち込んだ銃を組み立てて、照準を合わせる。
プリンスに愛されて本当の愛の心に目覚めたトランドットが、わたしの恋人の名前はLOVEと、美しいソプラノを響かせてくれるオペラのクライマックスが、ハントとテロリストとの取っ組み合いのクライマックスに重なっていてスリル満点。舞台の真上で争っているから、舞台に落ちそうになってオペラが台無しになる寸前に何度も何度もなる。ドラマチックな本格派重厚なオペラを背景に、3者3様のスパイたちが最新技術の武器を駆使して争そって、十分興奮させてくれて、今までのどんなアクションシーンよりもおもしろかった。すっかり魅せられたが、オペラ嫌いな人にはどう映ったんだろう。
世界中から優れたスパイを事故を装って殺されたことにして新組織を作ってみたが、MI6の一部にしておくには跳ね上がりで、過激すぎるので解散させたが、組織はすでに勝手に独り歩きしていた、という設定や、美人MI6は二重スパイらしいとか、組織のために命を懸けて働いてきたが、信頼していた組織のトップは実は敵だった、という設定はスパイ映画では珍しくもなければ、新しくもない。オーストリアの財務大臣を夫人ともども爆弾でズタズタにしてしまったり、英国首相を誘拐して脅かしてローグネイションを作った経過を白状させたり、、、なんかアメリカ映画って、すごいな。
話の筋書が荒削りで、話が単純、突っ込みどころも満載。
ボーンドクターというまがまがしい名前の悪漢が出てくる。拷問用具を持ち歩いていて、ピカピカに光る包丁、ナタ、金つち、大小長短のナイフを広げてぞっとさせるけど、一度も道具を使わないうちに美人MI6に叩きのめされる。バイクに乗って追ったり追われたり、オペラの舞台上で格闘したり、それなり頑張るけど最後には宿命の対決で肉弾戦になって、でかいナイフを振り回すけど、小さいナイフを持った美人さんにあっけなく殺される。聳え立つでかい体、強面、冷血無血の殺し屋が見かけ倒しだったんですね。だいたい重いブーツ履いて完全武装しているのに、裾の長いパーテイードレスにヌーデイーなハイヒールを履いた女性の廻し蹴りでコケるって、なんなの。
しかし、とにかくアクションがすごい。
トム クルーズがすごい。
スウェーデン人のレベッカ ファーガソンのアクションが華麗で美しい。
前に「ゴーストプロトコール」で、世界一高いドバイのビル、ブルジェハリファの828メートル高い窓に張り付いて、危険なアクションを見せてくれたトム クルーズが、今回は地上1524メートルの高さを飛ぶエアバスの機外に取りついて、そこから機内に入って敵をやっつけるというスーパーアクションを見せてくれる。このシーンを撮るために8回、繰り返し撮影したという。そのたびにトムは、走行し始めたエアバスに向かって全力疾走し、機体の外側の窓につかまって、機外にぶら下がりながら上空の寒さと強風にさらされて挌闘したわけだ。落ちたり滑ったりしていたら、映画は完成しなかった。彼も、今までの映画撮影のなかで一番危険な撮影だった、と言っている。ジャッキーチェン同様、スタントマンを使わない役者だが、その危険の度合いが並はずれている。
モロッコの水力発電所の水の底をもぐるシーンも、出口がないわけだから、危険極まりない。人は2分以上息をしないで生きている生き物だったっけ。2015年型BMW、M3新車でのカーチェイスも、フルにアクセルを踏んで階段のてっぺんから後ろに飛んで着地するなど無茶を通り越している。
モロッコでのBMWバイクのチェイスもあきれるほどだ。これだけ カーブの山道をフルスピードで走れるなら、国際バイクレースでも、マルク マルケスやバレンチーノ ロッシなど負かして優勝できる腕前ではないのか。現に本物のF1マシンに乗って、時速最高速で290KMまで記録したことのあるトム クルーズ、、、並の男ではない。役者は体が資本というが、これほど役者の体の極限まで酷使して良いものなのだろうか。
この映画は話の筋が荒削りな分だけ、映像の方はとてもよくできていて、計算しつくされており、アクションシーンにつぐアクションの連続に息をつくひまもない。それでいて、血が流れない。アクション映画に観られがちな、手足がちぎれたり、顔がつぶされたり、血がダラダラながれたりするシーンが全くない。子供に見せられる珍しいアクションものだ。良心的。大型アクションの娯楽映画の良さが詰まっている。53歳のトム クルーズが好きでない人は、この映画を見て彼のことを好ましく思い、もともと好きな人はもっと彼が好きになるだろう。アクションが断然おもしろい。カンフーを習いたくなる。バイクに乗りたくなる。走りたくなる。だから、たまには娯楽映画も良いものだ。
キャスト
IMFイーサ ハント :トム クルーズ
IMFウィリアム ブラント:ジェレミー レナー
IMFベンジー ダン :サイモン ペグ
IMFルーサーステイケル:ヴィング レイムス
CIA長官アランハンレイ :アレック ボールドウィン
英国MI6イルザファウスト:レベッカ ファーガソン
ローグネイション主謀者 :サイモン マクベリー
MI6ソロモンレイン :シーン ハリス
英国首相 :トム ホテンダー
トランドッド姫 :アメリカ オリヴオ
2015年8月13日木曜日
今日の気分は野良猫次第
もう5年余り、野良猫を世話してきた。黒ねこと、縞ねこと、白黒ぶちの3匹、まるまると太っている。
約200世帯が住むノースシドニーの高層アパートに住んでいるが、アパートの建物と土台の間に、日本で言う「縁の下」みたいなスペースがあって、そこに真っ黒の野良猫が住み着いた。毛並みが良いので、もとは飼い猫だったろう。でも余程、頭も性格も悪い飼い主だったようで、猫に避妊もさせていなければ、オーストラリア政府が飼い主に義務付けているマイクロチップスも埋め込んでいない。おかげで厳しい野良猫暮らしを強いられた猫は、疑い深くなって、保護しようにもすばしこくて捕まえられない。
黒い野良猫に興味をもつようになった切っ掛けは、鳥の死骸だ。
野良猫が隠れ住んでいるスペースのまわりに、たくさんの鳥の羽が落ちている。鳥がどうしたのか、と注意深く観察するようになって、太っていた黑猫がいやに痩せたのに気が付いた。野良猫は妊娠していて、やがて生まれてきた子供たちに、飛んできたハトやカラスを殺して食べさせていたのだった。「母は強し」だ。アパートの周りに来る鳥が、ことさら鈍いわけではないだろう。母猫は余程飢えていたの違いない。
そんなわけで、子連れ野良猫に餌をやるようになった。朝と晩の二回、猫用缶詰めとビスケット。やがて子猫たちの目が開いて、母猫について外に出るようになると、不憫に思ってそっとミルクや食べ物をスペースの入り口に置いていくアパートの住人が何人も出て来た。かと思うと、まゆ吊り上げて「野良猫は汚い、臭い、子猫を無限に産む、捉えて処分しろ。」と叫びまわる住人も沢山いる。こういう一見正論を通そうとする正義の味方みたいな偽善者が一番タチが悪い。
でも黒猫はよく子供を産んだ。冬でも気温10度を切る日が少ないシドニーで、野良猫は年に3回も子供を産む。妊娠中なら捕まえられるかと思うと、そんなに甘くない。なんとか妊娠中に捕まえようとしている内に、子供達が生まれている。猫好きの清掃会社の人と一緒に、泥だらけで腹這いになって建物の下の狭いスペースから、一匹ずつ生まれたての子猫を取り出して、ペットレスキューのところに持って行ったこともあった。やっと歩き出すようになるまで待って、ひとつひとつ捕まえて、ふところに収めて、獣医のところに行って里親探しを頼んだこともある。釣りに使う大きなネットで5匹丸くかたまって寝ているところを、一時に全部一緒に捕えて保護したこともある。それを茂みからじっと見ているであろう母猫の気持ちを考えると、居たたまれない思いがするが、一匹の野良猫で、大騒ぎしているアパートの住人を思うと、これ以上野良猫を増やすわけにはいかない。どうしても子猫たちは、獣医の手で寄生虫駆除とワクチンを打って、避妊手術をして、どっかの飼い主に引き取られなければならない。
200世帯の沢山の人が住むアパートで、野良猫を世話しているのが誰だか、どうしてわかったのか。誰の通報かわからないが、アパートの管理会社から手紙が来た。アパートの住人全員の利害を考えて、「野良猫に餌をやるのを止めなさい。」という結構、強制力のある内容だった。このアパートは駅に近く、勤めている病院の目の前で、ジムもプールもあって便利だから借りて住んでいるが、持ち家ではないから管理会社からの警告を無視すれば、強制退去になり兼ねない。反駁も無視もできないまま、かくれてそっとエサやりを続けてきた。エサを入れた入れ物をエサやりの15分後に片付けにいく。証拠を残さない。猫の餌を持って、猫たちを猫撫で声で呼んでいる一番ヤバい時に運悪く、「猫反対派住民」にとっ捕まってしまった場合、こうした危機を切り抜ける唯一の方法は、「やっていません」を繰り返すことだ。これは1968年12月にデモで逮捕された時に学んだ。
「野良猫に餌をやっているだろう?」
「やってません。」
「そのエサの入った入れ物は何だ?」
「やってません。」
「野良猫は迷惑なんだよ。あんたがエサをやって居続かせると困るんだよ。」
「やってません。」
「ぐずぐず言わずに早いとこ吐いちまえ。全部白状したら楽になるぞ。」
「やってません。」
「おまえがやってるんだろう。こっちは証拠があるんだぜ。」
「やってません。」
という訳で、そのうちに相手の顔がひきつってくる。相手があきらめるまで、この手でいく。そんなやりとりを、茂みとか、隠れ家の中から猫たちが、ハラハラしながら観ている訳だ。「かあちゃん頑張れ」という猫たちの応援が聞こえてくるようだ。
一方アパート管理会社は、害獣駆除の専門業者を雇って、野良猫を処分しようと動きだした。罠を仕掛ける。建物の下のスペースを金網で閉鎖する。毎日罠をつっかえとっかえ変えて巧妙に捕らえようとする。ある真夏の昼下がり、遂に母親猫が罠に捕えられた。小さな金網でできた罠の中で母親猫が低い声で唸っている。この罠が害獣駆除会社のものなのか、同志による母親猫保護のための罠なのか、確認するために家から電話をかけまくっていて、敵による罠だとわかってあわてて罠をぶっこわそうと下に下りたときには、もう遅かった。罠ごと連れ去られていた。
3匹の子猫が残った。母を亡くして以前よりもすばしこく、絶対に人を信用しない。呼ぶと一定の距離を置いてエサを食べに来る。3匹とも雌だと分かって、気が気ではない。早く避妊手術をさせないと、、、。とうとう動物保護団体に助けを求める。彼らは、特別性能の良い罠を貸してくれた。まず、母親似の真黒の猫、サンダーが捕まって、獣医のところでワクチンを受け、避妊手術を受けて、腹巻みたいな包帯姿で隠れ家に帰された。次に縞猫、マギー。白黒ぶちのババがなかなか捕まらなくて、半年もたってやっと罠に入ってくれて、手術を受けた。もうこの頃には3匹全員がすっかり成猫サイズになっていた。獣医からの請求書も ずいぶんビッグサイズになっていたけれど。もうこれで野良猫の妊娠を心配することもない。野良の雄が興味を持たないので病気をうつされることも怪我させられることもない。平和に暮らせる。
ババと名付けられた白黒ぶちがぽっちゃりの日本猫風で可愛い。うちの飼い猫クロエと一緒に暮らさないかと、手術のあと家に引き留めた。しかしワイルドに生まれて、ワイルドに育った彼女、部屋の隅にかくれて出てこない。水も飲まなければエサも食べない排便もしない。結局ハンガーストライキを3日間やって、ベランダから身投げした。15メートルの高さから、空に向かって大きく飛んでいってしまった。ペットとして飼い主に拘束されるくらいなら、「死んだ方がマシだぜい。」という強力なメッセージを残して自由人、黒白ぶちは身を投げた。そして、15メートルの高さをものともせず軽々と着地して、翌日からまた他の2匹の猫たちと一緒に、朝食を貰いに来た。
彼女の15メートルハイジャンプから、5年も時が経った。3匹とも今やまるまる太っている。名前を呼べば近くまで来るし、決して体を触らせてはくれないが甘えた様子もみせる。寒い日には どうして寒さをしのいでいるかと心配するし、呼んでも来ない日は 何があったのか気になる。朝晩2回のエサやりごとに元気な顔が見られれば一日中嬉しい。
人の中にも物質主義の世の中が嫌で、仕事にも家庭に縛られるのもいやで、自由に生きたい風来坊がたくさんいる。猫にも飼われることを拒否して、自由に生きる野良猫が居ても良い。
人にはだれでも自由になりたいという贅沢な夢がある。
腐った阿部政権の「日本国籍」から自由になりたい。重税に苦しむ納税義務から自由になりたい。社会的責任から自由になりたい。絶え間なく忙しい職務から自由になりたい。病気で介護なしに生きられなくなったオットから自由になりたい。すべての束縛から自由になりたい。自由になって、国籍を持たない、職業を持たない、名前を持たない、誰でもない存在になりたい。
そんな、自分の夢を3匹のワイルドな猫たちに託しているのかもしれない。今日の気分は、野良猫次第というわけだ。
2015年7月30日木曜日
映画「無防備都市」とネオリアリズモについて
原題:「OPEN CITY」
邦題:「無防備都市」
監督:ロベルト ロッセリーニ

キャスト
ドンピエトロ神父:アルド ファブリッツイ
妊婦テレサ:アンナ マニアーニ
コミュニストリーダー、マンフレデイ:マルチェロ バリエール
マンフレデイの恋人マリーナ :マリア ミーキ
独軍ベルグマン少佐:ハリー ファウスト
20年ぶりに、映画史上不朽の名作、ロッセリーニの「オープンシテイー」(邦題:無防備都市)を観た。
オットが再び入院し、肺炎と喘息とで息も絶え絶えの状態で救急車で運ばれて、集中治療で息を吹き返したと思ったら、もう隠れてタバコを吸っている。週40時間のフルタイムで働きながら、週3回の腎臓透析のオットに付き添い、睡眠時間を極限まで削って世話をしているというのに、悪びれず、これもあれもやって、と際限なく甘えてくる。私の2倍ある体重のオットを背負って、このまま全力疾走をいつまで続けなければならないのか。胃が痛い。現実は醜い。現状は厳しい。オットが汚しまくるトイレを掃除しながら、精神だけは、気高く保っていきたいと願いつつ、映画を観る。
どんなに激しい暴力と弾圧の中にも、自分の信念を曲げずに生き、死んでいった人々が居る。そういった人々を描いた作品を見ると、思わず姿勢を正して見ている。この映画で私が一番心動かされたシーンは最後の方で、レジスタンスのドン ピエトロ神父が処刑される場面だ。ゲシュタボの少佐が兵士たちに一斉射撃命令を下す。激しい銃撃の音、、、しかし神父は倒れない。ドイツ兵といえども神を畏れる人間、命令を下されても神父を撃つことができないでいる。むなしく地面を撃つ兵士たちは、狂ったように怒る少佐に罵倒され暴力をふるわれる。それをじっと息をこらしながら子供たちが静かに見守っている。どんな反戦映画よりも、強いインパクトを持っている。
また、この映画の有名でポスターにも使われているシーン。独軍兵士たちに引き立てられてトラックで連れ去られるレジスタンスの男の名を叫びながら、トラックを追いかける女が、撃ち殺されて路上でもんどりうって倒れるシーンだ。恐怖の独軍による包囲、氷のような冷たい沈黙のなかを、愛する男の名を呼びながら後を追う女の切実な愛情の深さと強さに圧倒される。映像が人に与えるパワーというものに打ちのめされる。
この映画はネオリアリズモの代表作。ネオリアリズモとは、1940年代イタリアで起こった映画界の動きをいう。ロシアのエイゼンシュタインによる「戦艦ポチョムキン」を受け継いで発展させたものだ。スタジオセットでなく、実際の路上や、本物の建物を使って、役者たちの即興演出もふくめて、現場描写主義によって、実際の市民生活者の真の姿を映し出す。クローズアップやロングショットを多用して、同じように普通の生活をしている人の心に直接強い印象を与えて感情に訴える。
ロッセリーニ監督は、自分で、「ネオリアリズモの映画の対象は、現実の世界であって、物語でもお話でもない。」、「これは問題を提起するとともに、自らにも問題を提起する映画、人に考えさせる映画なのだ。」と言っている。
代表作は、ヴィットリオ デ シーカの「靴みがき」(1946)、「自転車泥棒」(1948)、ロッセリーニの「無防備都市」(1945)、「戦火のかなた」(1946)など。これらの代表作のどれにも、子供たちが出てくる。曇りのない子供たちの目で見た、圧倒的多数の市井の人々にとっての戦争、貧困、社会の不合理、そして一部の上流階級の腐敗と退廃が、次々と映し出されてきて、見る者の胸を締め付ける。まさに見た人がこの世の階級社会の不正義に憤りを感じ、社会に正義を取り戻すには何が必要なのかを、考えざるを得ない地点に導き出される。映画を見て、「よかったねー」、では済まされない。その意味では、私には、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」も、デ シーカの「自転車泥棒」も、ロッセリーニの「無防備都市」も、ただの映画ではなく、それらが問いかけてくる内容に一生かけて答えを追及しなければならない宿題になっている。
題名の「無防備都市」とは、都市単位の無条件降伏をいう。戦争で敗戦が決定的になったとき、市民に被害をそれ以上出さないために、都市を敵に明け渡すことで、非武装宣言をして、国際法によってその都市を攻撃から守ることを目的としている。これらの都市に対して、物理的な攻撃は禁止される。ジュネーブ条約、追加第1議定書、第59条に規定されている。またハーグ陸戦条約第25条に、「防守されていない都市、集落、住宅または建物はいかなる手段によっても、これを攻撃または砲撃することを禁ずる」と規定されている。だが、それが守られた戦争は過去になかった。
映画のストーリーは
1945年9月、イタリアは連合国に降伏したが、同盟国だったドイツに占領された。ローマはオープンシテイー(無防備都市)となって、そこに独軍が進駐してきた。ローマの男たちは当然のようにレジスタンスに加わり、女たちはそれを支える。子供たちまでが、独自のレジスタンス組織を作って独軍に勇敢に立ち向かっていく。独軍はただちに、過酷な反戦レジスタンス狩りを始める。
コミュニストのリーダー、マンフレデイは追われて、同志のフランチャスカのアパートに逃げ込んでくる。フランチェスカには7歳の息子をもった寡婦のテレサという恋人が居り、彼女はふたりの子供を妊娠していて、近々二人は結婚する予定だった。彼らは、地下で反戦の機関紙を印刷、配布する活動家だ。人々から人望の厚い神父、ドン ピエトロもレジスタンスの一員で、偽装パスポートを作って活動家たちを国外に逃亡させている。レジスタンスリーダーのマンフレデイには、女優の恋人、マリーナがいたが、彼女は忙しくてあまり自分にかまってくれないマンフレデイに不満をつのらせていた。そこを独軍に通じている将校の恋人イングリッドに付け込まれ、麻薬や贅沢品をふるまわれて、恋人の隠れ家を教えてしまう。独軍は活動家たちの潜むアパートを封鎖し、住人達を一斉に追い立てる。レジスタンスは一斉に逮捕され、軍用トラックに押し込まれる。引き立てられたフランチェスカを追って、恋人のマリーナは狂ったようにトラックの後を追う。そんな妊婦を独軍兵士は無慈悲にも打ち殺す。もんどりうって倒れた母親に駆け寄る7歳の息子。
マンフレデイは、ゲシュタボのベルグマン少佐によって、サデイステックな激しい拷問にあっても、仲間の秘密組織について一切の供述を拒否したために殺される。それをそして、ドン ピエトロ神父も銃殺刑に処される。それを隠れて、じっと見つめる子供たち。人として誇りをもって処刑される神父の勇気ある姿を、目をそらさずに子供たちは見送るのだった。
というお話。
この映画を見て感動したイグリッド バーグマン(1915-1982)は、迷わずロッセリーニに手紙を書いて、彼と一緒に映画を作りたいと申し出る。そのときすでにバーグマンはスウェーデンだけでなく全米で大人気のハリウッドスターだった。「別離」(1939)、「カサブランカ」(1942)を経て彼女は、「ガス燈」(1944)でアカデミー賞女優主演賞を受賞している。医師の夫と赤ちゃんを抱えた幸せな家庭ももっていた。
ロッセリーニ監督自身も妻子を持っていたが、二人はこの映画を切っ掛けに出会い、恋愛関係に陥る。ロッセリーニ監督、バーグマン主演の、「ストロンボリ神の土地」(1950)の撮影中、二人の関係が明るみに出て、ロッセリーニの子供を妊娠していたバーグマンは、二人の間にできた息子を出産したことでスキャンダルの的になって上院議会で激しく非難され、ハリウッドから追放され、おまけにこの映画は、全米で上演禁止となる。二人はそれぞれの家庭を捨てて結婚し、1952年にはバーグマンは双子の娘たちを出産する。バーグマンと、ロッセリーニとの甘い生活は1949年から1957年まで続く。
バーグマンが、ハリウッドで再び認められ復帰するのは、ロッセリーニとの離婚が決定的になってからだ。「追想」(1956)で再びアカデミー賞を受賞する。ロッセリーニ監督、バーグマン主演の作品は6作もあるが、ことごとく失敗作になった、といわれている。
今思えば、いくらハリウッド人気スターと、話題の気鋭監督とのカップルといえども、二人がハリウッドのひどい過剰反応にさらされて、避難されたり追放された事は、人権侵害じゃないだろうか。誰が誰の子を妊娠しようが、勝手でしょうが。バーグマンは、当時白塗りで真紅の口紅で化粧するのは主流の女優達とは異なり、自然体でありながら優雅で気品がある。生き方そのものも、知的で社会の不正に怒り、自らの信念に忠実なところが、純粋で好ましい。バーグマンとロッセリーニの二人三脚で制作された6本の「失敗作」を、ぜひ見てみたい。時代遅れの不倫のレッテルをはって、彼らのフイルムを闇に葬ったままにするのでなく、再び上映して再評価してみたい、と切に願っている。
2015年6月13日土曜日
映画「ウーマンインゴールド」ユダヤ人の戦後賠償

原題:「WOMAN IN GOLD」ウーマン イン ゴールド
監督: サイモン カーテイス
キャスト
マリア アルトマン :ヘレン ミラン
ランデイ ショエンベルグ:ライアン レイノルズ
「サンマルコの馬」という例がある。
ヴェニスのサン マルコ大聖堂の入り口に堂々と聳え立っている有名な4頭の青銅の馬のことだ。今にも踊りだして全力疾走しそうな巨大で躍動感のある馬だから、一度でもヴェニスを訪れて見た人は、容易には忘れられないだろう。4世紀に身元不明のギリシャ人彫刻家によって作られたものだったが、ビザンチン帝国皇帝によってコンスタンチノーブルに持っていかれた。しかし十字軍がコンスタンチノーブルを陥落させると、馬たちはヴェニスに運ばれ、サン マルコ大聖堂の設置された。その後ナポレオンがヴェニスを制圧すると、馬たちはパリまで運ばれて、凱旋門の上に飾られた。その後ワーテルローの戦いでナポレオンが追放されると、再び馬たちはヴェニスに戻されサンマルコ大聖堂の正面バルコニーに置かれた。誰が持ち主か。
戦後賠償と一言で言うが、侵略によって略奪されたものは、どこまで遡って返却すれば賠償したことになるのだろうか。600万人のナチスによって虐殺されたユダヤ人の命を賠償することはできないが、略奪されたものを返却させることはできる。しかしナチスが台頭する前までの、ユダヤ人の財産はそもそも彼らの所有物だっただろうか。富を蓄える過程で巧みな商法で奪い取るようにして所有したものもあっただろう。
この映画は、「ウィーンのモナリザ」と呼ばれていた、グスタフ クリムトの名画「アデル ブロックバウアの肖像画」を、ナチスに奪われたユダヤ人家族が 戦後所有権を主張してオーストリア政府から取り戻す過程を描いた映画だ。思い出深い絵画の返還を求めて、収奪されたものは奪い返さなければならない、という強い意志を持ったユダヤ人女性と弁護士との感動の物語だ。2006年に話題になった実話で、当時ニュースにもなったのでよく憶えている。他に、ナチスドイツに強制労働させられたユダヤ人たちがシーメンスやフォルックスワーゲン社を相手に損害賠償を求めて財団が設立され総額100億ドイツマルクが、50%企業、50%政府によって支払われた。これも2006年までに賠償が終わっている。
しかしイスラエル建国にあたって、パレスチナの土地を軍事攻撃と共に奪い、住んでいた人々を狭い特別区に囲い込み彼らの人権を蹂躙し、現在も入植地を拡大しているユダヤ人の強欲を目の当たりにしていると、ならば、戦前そこに住んでいたパレスチナ人に土地を返却することはできないのか、と問い質したくなる。ユダヤ人の物だった絵画は60年経って所有権を認めさせたが、パレスチナの土地はもとの住民に返せないのか。略奪されたものは、どこまでさかのぼって返還されるべきなのか。戦後処理、損害賠償というけれども、本当のところは、人々は奪われたものなど、決して取り戻せないのではないだろうか。何と人々は、戦争によってたくさんのものを失ってきたのだろうか。
ストーリーは
オーストリア、ウィーンの裕福な家庭に生まれ育ったマリアは、自宅に飾られたクリムトの「アデル ブロック バウアの肖像画」が、制作された時のことをよく覚えている。まだ子供だったが、絵のモデルになった伯母には、子供がなかったので、姪のマリアを自分の子供のように可愛がってくれた。アデルはユダヤ人財産家フェルデイナンド ブロック バウアーの歳の離れた若い妻で、ウィーンの上流階級のサロンの華だった。フェルデイナンドがクリムトに注文した妻の肖像画は、3年かけて1907年に完成したが、ふんだんに金を使って描かれた豪華な作品だった。アデルがこのとき身に着けていたダイヤモンドのネックレスは、その後マリアのものになった。
マリアはオペラ歌手と結婚し幸せだったが、ナチスの台頭に伴い不穏な空気が感じられるようになると、アデル達叔父一家は、いち早くスイスに亡命する。しかしマリアの両親が国外脱出を決意したときには、時すでに遅く、国境はナチスによって閉鎖されていた。屋敷は軍に接収され、マリアたちは同居する軍人たちに監視されるようになった。マリアと夫だけ両親を残して、監視の目を欺いてやっとのことで、アメリカを安住の地に到着した。しかしそのときに、受っとったニュースは、両親の死の知らせだった。
その後マリアは年を取り、息子を育てあげ、寡婦となり、気ままに小さな洋品店を経営して暮らしてきた。しかし両親を含めて大切な人たちをナチスに殺されたことに対する憎しみは年をとっても減るどころか強くなるばかり。そんなある日、新聞でユダヤ人がナチスに奪われた財産の、損害賠償裁判が始まったことを知る。息子は弁護士だ。アメリカ生まれの息子には、むかしウィーンで、ユダヤ人たちに何があったのか話したことはない。しかし今こそ自分たちユダヤ人が失ったものを取り返すべき時ではないのか。息子を説き伏せてマリアはオーストラリア政府を相手に、クリムトの絵画の所有権を求めて訴訟を起こす。母と息子は幾度もウィーンとロスアンデルスを行き来する。一審で敗訴。オーストリアの最高裁までいき、とうとう絵画の所有権は、認められなかった。力尽き、マリアはあきらめる。しかし、息子は、絵が所有者だったフェルデイナンドが亡くなったとき資産の後継者としてマリアの名前を指定していたことを証明する書類をみつけ、今度はアメリカで国際裁判を起こす。ついに勝訴。とうとう絵画の所有権がマリアにあることを、オーストリア政府に認めさせた。
こうして2006年、戦後60年経って、オーストリア政府のものとしてウィーンのベルべーレ宮殿のオーストリア美術館に展示されていたクリムトの「アデル ブロック バウアの肖像画」と他5点のクリムトの絵画が、マリアのものとなり、ロスアンデルスに移される。その後、マリアの死後に、絵は元駐在オーストリア大使でユダヤ人損害賠償世界機構のエステイーローダ社長、ロナルド ラウダーによって1億3500万ドルで購入され、ニューヨークのノイエ ギャラリーに飾られ現在に至る。
というお話。
戦争で両親を殺され、筆舌尽くしがたい思いをしてアメリカに渡って来たユダヤ系オーストリア人のマリアが自分の体験を、すっかり年をとり孫ができるまで息子に話さなかった。そんな母親の体験を知るうちに、のめり込んで自分の家族や仕事まで捨てて取りつかれたように絵画の所有権のために奔走し、ついに成功する息子の感動物語だ。
オーストリア政府を相手に超然と立ち向かっていくヘレン ミレンが神々しい。彼女はもう英国の国宝のような役者だ。クイーンエリザベスの役で映画でも舞台でも演じて高い評価を受けている。彼女のクイーンズイングリッシュは完璧!息子役のライアン レイノルズのめろめろアメリカ英語とは対照的だ。そんな誇り高い彼女が、「アシェイムド、オーストリー!」(オーストリア 恥を知れ!)と映画の中で、二回も叫ぶ。彼女は半世紀ぶりに自分が生まれ育ったウィーンに戻ってきて、カフェに入っても絶対国の言葉を使わないで英語で通す。頑固だ。立派な歴史的建造物の政府官庁の床を、正しい姿勢で挑戦者然として、ハイヒールの靴音高く歩く姿も、貫禄たっぷりだ。ナチスが自分たちから略奪した絵画を、泣き寝入りせずに取り戻した勇気ある女性の反骨精神を、熟練女優が好演している。
映画の中で、「個人に戦後賠償なんてしていったら国際問題に発展しちまうぞ。日米間なんか大変な外交問題になるぞ。」と政府関係者がいう台詞がでてくる。日本の敗戦後、GHQによる占領で日本の美術品が米軍を通してどれだけ国外流出したかわからない。占領軍は一般家庭に土足で踏み込み刀や焼き物など貴重品を当然の戦利品として持って行った。しかし、同じように日本軍が中国やアジアの国々で侵略したときは、地元の人々から欲しいまま略奪したから戦後賠償を戦後求められる立場になかった。にも拘らず、米国人が持ち去った美術品などを返却しなければならないのか、と心配する米国人の心情は興味深い。
このクリムトの「アデル ブロック バウアの肖像画」は、オーストリア美術館から、マリア個人の所有となり引き取られていったがこのような法廷闘争を、快く思っていなかった人々も多かったのではないだろうか。マリアにとって、思い出の深い絵画だったが、マリアがもし音楽家だったら、所有権を主張するのは、父親が所有し演奏していたストラデイバリウスでも良かったはずだ。ストラデイバリウスのように希少価値のある人類の遺産は、個人所有を認めずに、公正な機関を通じて、すぐれた演奏者に貸与されるべきだと考える。
そもそもクリムトの絵画は誰のものなのか。美術品は個人所有が許されるものだろうか。世界共通で、人類の財産としての作品に、価格をつけ所有することができるだろうか。もとの所有者に返還するというが、いつまで遡ってもとの所有者と断定するのか。芸術を所有するとは、何なのか。
時として人は、一枚の絵、ひとつの曲、美しい詩に出会って人生が変わることがある。美しいものとの出会いは、人の人生を変えてしまうパワーがある。だから、わたしたち人間は、芸術なしに生きていくことはできない。
すぐれた芸術作品は、個人のものではなく万人のためのものでなければならない。クリムトのこの絵は、間違いなく国宝級のすぐれた芸術品のひとつにあげられる。見るごとに新しい発見がある。「アデル ブロック バウアの肖像画」は、本物の所有者が誰のものになろうが所有者に関わりなく、人々から愛されて、絵葉書になったり、ノートの表紙に使われたりしている。またブテイックの包装紙の図柄になったり、Tシャツになったりして、私たちの身近な存在になっている。絵画というものは、高い価格で億万長者個人のもとに引き取られていくよりは、無数の良くできた復製画がたくさんの家庭の居間に飾られて居心地の良い空間を作りだし、人々の手に触れられて愛される方が、クリムトなど画家にとって、幸せなことではないだろうか。
2015年5月31日日曜日
映画「バードマン」舞台は映画より上か

原題:「BIRDMAN OR THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE」
邦題:「バードマンあるいは’無知がもたらす予期せぬ奇跡」
監督:エマニュエル ルベッキ
キャスト
リーガン トムスン:マイケル キートン
マイク シャイナー:エドワード ノートン
サマンサ トムスン:エマ ストーン
レスリー トルーマン:ナオミ ワッツ
この作品は、2015年アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を受賞した。主演のマイケル キートンは、主演男優賞ノミネート、助演男優のエドワード ノートン、助演女優のエマ ストーンは助演ノミネートされた。
ストーリー
リーガン トムスンは、もとハリウッドスーパースターで、「バードマン」という3本のブロックバスター映画を主演し、数十億ドルの興行収入を稼いでいた。しかし、そんな過去の栄光から40年も月日が経ち、妻には離婚され、娘はドラッグ中毒から抜け出したばかり、役者としては鳴かず飛ばずで冴えない。しかし、落ちぶれても役者魂は健全だから、一念発起してブロードウェイで芝居を監督、主演することになった。
芝居はレイモンド カヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」だ。やっとのことで公演にこぎつけたと思ったら、役者の一人が怪我で降板することになり、ブロードウェイで活躍するスター、マイクが代役を務めることになった。マイクは良い役者だが、わがままで自己中心の芝居オタクだ。監督、主演のリーガンを怒らせてばかりいる。おまけに大事な娘が一番くっついて欲しくないマイクに「ホ」の字で、気になって仕方がない。おかげで初演はさんざんな結果で終わり、批評家からは、ひどく酷評される。それでも一旦始まった興行は続けなければならない。リーガンは芝居に、もっと強い緊張と臨場感をもたせるために、舞台で使う拳銃を本物のけん銃にすり替えた。そして、、、。
というお話。
「舞台は映画より上だ。」と映画の中で、主人公リーガンが言うセリフがある。本当だろうか。
掃いて捨てるほどの娯楽映画が制作され、映画産業は拡大する一方、派手で意味のない映画ばかりが幅を利かせている。そんな中で、良質の映画製作を続けている映像芸術家や映像作家たちは、確かに存在する。彼らが手掛ける先端技術を駆使して、映像、美術、脚本、原作、音楽、舞踊、衣装、フイルム編集すべてを統合した総合芸術として製作される映画というものは、そのスケールの広がりからして、芝居を超えているように思える。
しかし、一方で舞台はやり直しが効かない。舞台と観客との1回きりの真剣勝負だ。ミュージカルに出演(主演ではない、端役だ)している女性と話したことがあるが、舞台前と、舞台がはねた後とでは、体重が少なくとも3キロは落ちているそうだ。それだけ2時間の公演で体を酷使して全身を使って役を演じて体重をそぎ落としているのだ。
また、アマチュアオーケストラでヴァイオリンを弾いていたとき、舞台上では、オペラ「魔笛」をやっていた。冷たい女王とパパゲーノを前に、どっしり貫禄の王様が登場し、その場を収めるシーンで、王様がせりふを忘れた。舞台上の役者たちもオペラを見に来た観客も、沈黙の50秒だか1分だかの長かったこと長かったこと。遅れて王様が思い出して歌い出したから良かったものの、この歌い手はひどいトラウマを抱えたことだろうし、観客は彼らの公演に二度と来ないかもしれない。ことほど左様に、やり直しの効く撮影や、編集でミスを消せるフイルムと、一発勝負の舞台との差は大きいい。同様に、生で聴くオペラは、一流歌手の歌うオペラのCDより価値があるし、ライブミュージックはミュージックビデオより価値がある。
だから、舞台は映画より上だろうか。
そのライブでやり直しの効かない真剣勝負を映画でやろうとしたのが、この映画「バードマン」だ。長廻しのワンテイクカメラワークで映画を撮影した。フイルムを撮っては切って継ぎ足してパッチワークのように継ぎ接ぎしたうえ、CGテクニックを駆使して役者を使わずに動きを加えたり、背景を水増ししたりフイルムテクニックでカバーする。そういった現在の映画作りへの反抗、挑戦でもあったのだろう。ワンテイクだから、一人でも役者がとちったり、タイミングが他と合わなかったら、また初めからフイルムの撮り直しだ。準備不足とか、ハプニングとか、役者がどもったり、つっかえたり、ころんだりするのさえ許されない。カメラが行く先々で、準備万端、約束通りに登場したり、消えたりする役者たちの緊張は筆舌につくしがたいほどではないか。ブロードウェイの雑踏を歩くシーンがたくさん出てくるし、エドワード ノートンが素裸になるシーンも出てくるが、写ってならないものが写らないように、失敗の許されないカメラワークも、緊張の連続だったことだろう。
バックミュージックにドラム音を多用していて、画面に緊張感を与えている。ニューヨークの雑踏でドラマをたたくストリートミュージシャン、これを背景に芝居がうまくいかなくて、どなりまくるマイケル キートンとエドワード ノートンが とてもおかしい。いつまでも芝居バカで、役者狂い、二人ともいつまでも青春やっている姿。それが滑稽なのは、観ているわたしたちにも共通する「いつまでも成長できない自分のなかの青春」を抱えているからだ。
そんな成長できない「男」を、彼の芝居をよく理解して見守っている別れた妻が居る。彼が落ち込んでいるので励ましに来たら、すぐ図に乗って男は、妻とよりを戻そうとして俗物性丸出しにする愚かさ。そしてそんな父親を激しく批判しながらも、深い愛情で観ている若いが人生に疲れたドラッグ娘も、この男には、できすぎた良い娘なのだ。 40年前映画「バードマン」を主演した、かつてのスーパーヒーローというが、彼は自分なりに芝居の道を歩んできたのであって、冷たいが理解のある元妻と娘をもち、ブロードウェイで芝居を続けられる幸せな男ではないか。批評家にこてんぱんに批評されても、妻子にきついことを言われても、芝居のパートナーに演技で追い越されても、良いじゃないか。でも、それを良しとせずに、いちいち脳天から火がでるように怒り、ジタバタして、悩んで、過激に反応するマスター キートンが、とてもとてもおかしい。本当に役者がすべての人生なのだ。喜劇映画じゃないのに、とても笑える。
酔った勢いで芝居評論家に毒付いて暴力的ともいえる詰め寄り方をして、批評で「完全におまえをつぶしてやる、」とまで言わせる。この人は、最後の舞台で銃が放たれたと同時に、席を立って出て行った。このぼやけたシーンが良い。ここで感動した。芝居のパートナーに、「舞台でおまえが玩具の銃で脅かしたって全然怖がってなんてやれねえよ、」と言われて自分の演技に勢いがなくなったのを指摘されたと思い、怒り狂って本物の銃を出してくる、彼のとっ拍子もないアクション。これは何だ。舞台への愛、「舞台:いのち」という男の舞台への深い深い思いを描いた作品なのだ。
舞台の好きな人、役者をやって人の熱狂を体験してしまったことで役者としての昂揚感が忘れられない人、演じることが好きで好きで仕方がない人にとっては、この映画は忘れられない映画になるだろう。
画面が一様に暗くて、全部がいつも「舞台裏」みたいに見える感じで統一されている。
最後のシーンでは、「バードマン」は役者として突っ走っていって飛ぶが、墜落して死ぬと思うけど、「バードマン」は、人々に希望を与え続けていくことだろう。
役者は誰もが「役者ばか」で、役作りに悩み、役になりきって悩み、死ぬまで役者だ。実験的作風で、この監督の「舞台への愛」がしっかり伝わって来た。おもしろい作品だ。
2015年5月24日日曜日
ACOで16世紀のダブルベースを聴く
オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)の定期コンサートを聴いてきた。

娘たちはそれぞれ専門の分野でプロフェッショナルになって自立し、家庭を持って、母親のクラシックコンサートなどには、とても付き合いきれなくなった。それはそれで喜ばしいことだ。
だが、オットは、腎不全と心臓発作を起こし、腎臓透析を続けることなしに生きられないようになり、閉そく性呼吸器不全でネブライザーと吸入器なしに楽な呼吸ができなくなり、黄斑部変性で視力が落ち、本や新聞が読めなくなり、それらの総合的結果として、杖を使いよちよち歩きで50メートル歩くのが限度になった。
20年前に、「一緒にオペラに行きませんか?」の言葉ひとつで、やすやすと受けてしまったプロポーズを、いまさら後悔しても始まらない。オットが元気だったころは、オペラオーストラリアも、ACOも、シドニーシンフォニーも会員になって定期公演を毎回観ていたから、月に一度はオペラハウスに通っていた。ところがオットはオペラハウスの長い階段が昇れなくなり、徐々に劇場地下の駐車場からエレベーターまでたどり着くだけで、息が切れるようになり、オペラハウスは諦めて、エンジェルプレイスのホールの公演に切り替えたが、2階の正面席に座るとトイレのために階下か階上に行くエレベーターに乗せなければならない。遂にどんなに支えても連れていけないようになった。しばらくは、行きたいのに行けなくなったオットを置いて、一人でコンサートに行くことには、ためらいがあった。
久しぶりにチェンバーオーケストラの音を聴いたら泣けて、ヤバいのではないかと、ちょっと思ったが、そんなことはなく、かぶりつきの席でしっかり聴いてきた。何年か前に同じホールで、何だったか忘れたが忙しくて数か月ぶりでACOを聴き、ベートーベンの交響曲「田園」が始まったとたんに、音のひとつひとつが乾いた心に沁み込んで来て、初めて止まっていた呼吸ができるようになったかのように全身が震えて、涙が次から次へと流れて来て止まらなかったことがある。オペラも、数か月の間、聴く機会を逃していて久しぶりに、「ラ ボエーム」を聴いたとき、はじめのテノールの声で、いきなり涙が吹き出て来て、「ああ、こういう音が聴きたかったんだ、」と思いながら、ホールの暗闇で涙を流したことがあった。あれは何だったのか。
ACOは結成して今年で40年。団長のリチャード トンゲテイのもとに、団員20人の弦楽奏者が集まるオーケストラだ。若い演奏家育成に熱心で、ヤングACOを持っているので全メンバーを合わせると100人余りになる。トンゲテイは例えようもなく美しい音で1743年のグルネリを弾く。コンサートマスターのフィンランド出身 サトゥ バンスカは、1728年のストラデイバリウスを、匿名化から貸与されている。ヴィオラのクリストファ モアは1610年のジョバンニ パオロ マジ二を弾いて、チェロのテイモ ヴィッコ バルグは1729年のグルネリ、バイオリンのマーク イングワーセンは1714年のグルネリ、新しくイケ シーは、1759年のガダニーニを貸与された。彼らのユニフォームは、オーストラリアでデザイナーとしてデビューしで成功した日本人、イソガイ アキラのデザインだ。
曲目は
1) フェリックス メンデルスゾーン: 弦楽シンフォニー9番「スイス」
2) ジョバンニ ボテシーニ: ヴァイオリンとダブルベースのためのコンチェルト
3) ユーゴ ヴォルフ : イタリアン セレナーデ
4) フェリックス メンデルスゾーン: ヴァイオリンコンチェルト Eマイナー作品64
2番目、ジョバンニ ボテシーニ作曲の「ヴァイオリンとダブルベースのためのコンチェルト」が、とても良かった。初めてACOが、16世紀のダブルベースの演奏をお披露目してくれた。
これを作曲したボテシーニ(1821-1889)は、貧しいイタリアの音楽好きの家庭に生まれ育った。ミラノ音楽大学に入り奨学金を受けるのには、ダブルベースのポジションしか空いていなかった。だから彼はダブルベースを初めて大学で手にする。そしてすぐに立派な奏者となり、イタリア国内だけでなくウィーンで人気を得る。9つのオペラやレクイエムなどを作曲し演奏家としても作曲家としても成功する。彼は古楽器のダブルベースを再現して、好んで演奏した。むかしダブルベースは、3弦しかなく、ネック(指盤)は今のものよりずっと長かった。彼が、3弦の古楽器ダブルベースを初めて弾いたとき、「100羽のナイチンゲール(夜鷹)が鳴いているかと思った、」そうだ。パガニーニとも親交があり、古楽器の演奏を普及させた。
この古楽器を、ACOのダブルベースの演奏者マキシム ビビアウが、何度もイタリアとオーストラリアを往復して、パトロンの協力を得た末、遂に名器ガスパロ デ サルーを手に入れた。こういった経過が公共ニュースABCで報道されたから、これを見たくてこのコンサートに来た人が多かったようだ。作曲家ボテシーニが演奏した16世紀の古楽器ダブルベースが、今回のコンサートでACOのマキシムによって再現されたわけだ。
さて、ガスパロ デ サルーだが、これがとてつもなく大きい。普通のコントラバスの2まわり大きいうえ、ネックが長い。カナダ生まれのオージー大男のマキシムが手にしていると大きさがわからないが、ヴァイオリンとの二重奏になると、たちまちベースが巨大に聳えたって見える。ネックが長いので、駒のちかくでハーモニックスを弾くと、ダブルベースとは思えない、驚くほど高音の澄んだ音が出る。マキシムは、高音からおなかに響く低音まで、自由自在に広い音域を奏でていた。
ゲストヴァイオリニストのアメリカ人、ステファン ジャッキーは小柄で色白の美男子、ジュノンボーイか。彼の長くて白い白い指はしなやかで美しい。小柄で美しいヴァイオリニストと、どでかいオージーのダブルベースが二重奏を始めた途端、これがダブルベースとはとても信じられない音域とテクニック。ヴァイオリンとヴィオラかと思った。二つの音が、ぴったり寄り添って素晴らしいハーモニーを奏でてくれた。とても感動した。
最後はチェンバーオーケストラをバックに、ステファン ジャッキーの独奏によるメンデルスゾーン(1809-1847)のヴァイオリンコンチェルト作品64。とてもとても有名な曲だから、クラシック音楽が嫌いな人でも、聴けば、ああーこれか、とわかる曲だ。第1楽章アレグロ モルト アパッショネイトも、第2楽章アンダンテも、第3楽章アレグロもみんな有名。
メンデルスゾーンは裕福な名家に生まれ、天才的哲学者モーゼ メンデルスゾーンを祖父にもち、音楽家家庭に育った。10才でカール フレデリック ゼルターについてヴァイオリンを習い、ゼルターの親友だったゲーテに詩を教わって育つ。12歳で作曲を始め、15歳で交響曲を作曲、ウィーンでアイドルとなる。15歳で作曲したオペラのリハーサルの時、ゼルターに、「彼はモーツアルト、ハイドン、バッハと並ぶ歴史的な最もすぐれた音楽家として認められるであろう。」と紹介される。
このヴァイオリンコンチェルトは、メンデルスゾーンの親友だったヴァイオリニスト、フェルデイナンド デヴィッドのために作曲され、1838年に書き始めらたが、そのころメンデルスゾーンはドイツと英国の6つの音楽祭の総合監督に指名されており、バッハとシューベルトの作品をリバイバルさせるために力を注いでおり、おまけに、プロイセンのフレデリック ウィルヘルム国王の要請でベルリンでも活動していて、多忙を極めていたので、たびかさなるデヴィッドの催促に応えることができないでいた。作曲が完了し、親友のフェルデイナンド デヴィッドによる初演が実現したのは、彼が書き始めたときから7年が経っていた。デヴィッドのためにカデンッアがいくつも入った華麗なコンチェルトだ。7年かけて、練に練られ細部まで完璧に作られた1845年に完成したコンチェルト。ステファン ジャッキーは、繊細で水が流れるようなスピードと素晴らしい技巧をもって演奏した。
これからも、この作品は沢山の天才と呼ばれる努力家たちによって、何世紀も何世紀も、ひき続き演奏し続けられることだろう。これは本当に本当の、永遠不滅の名作だ。
コンサートが終了して、25ドルのホール地下の駐車料金をケチって路上駐車したパブまで歩く冬のシドニーの深夜ひとり。外気が冷たくて、星も月も見えないがメンデルスゾーンのメロデイーが胸に中で鳴り響いていて、ほっこりあたたかい。良い夜だ。
2015年5月17日日曜日
映画「若さの証明」反戦映画について

第二次世界大戦は日本にとってアジア諸国への侵略戦争以外の何物でもなかった。旧満州国、中国、台湾、韓国、シンガポール、フィリピン、ビルマ、インドネシア、タイ、チモール、ニューギニア、サイパン、テニアン、グアムなどに侵攻し、日本軍は、軍民合わせて1900万人の人々を殺した。靖国神社には、200万人の日本兵犠牲者を祀っているが、アジアの1900万人の犠牲者に対して、政府は何もしていない。侵略したことについて、政府は誠意ある謝罪をしていかなければならないと同時に、当時の日本人兵士に対しても、謝罪し足たらない。誰もが喜んで戦地に向かった訳ではない。日本兵230万人のうち、140万人は餓死したのだ。戦場であったこと、人々が経験してきたことを、読み、観て、語り続けることが、今ほど大切な時はない。
戦争は人々の命を奪い、その時代を生きた人々の人生をことごとく変えてしまうものだから、ドラマにも映画にも、オペラにも、バレエにもなっている。ドキュメンタリーを除くと、戦争映画を背景にしたイギリス映画でもっとも印象深い傑作というと、「哀愁」があげられる。アメリカ映画だが、背景も登場人物もロンドンでイギリス映画といって許されるだろう。主演、ビビアン リーとロバート テイラー。若いイギリス軍将校とバレリーナの悲恋物語だ。「風と共に去りぬ」で一世を風靡したビビアン リーの初々しい美しさに見とれずにはいられない。こういったいわばメロドラマを、アメリカが戦中や戦争直後に平気で制作していることを考えると、国力の差を思わずにはいられない。まだ日本では人々が瓦礫の上で飢えていた時期に、ハリウッドではメロドラマを作る余裕も需要もあったのだ。
印象に残る戦争映画の中で、アメリカ映画では、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」があげられる。フランス映画では、ルネ クレマンの「禁じられた遊び」、イタリア映画では、「ひまわり」。これはマストロヤンニと、ソフィア ローレン主演。どれも不滅の名作、反戦映画の最高峰だろう。
映画 「若さの証明」 邦題はまだ未定
原題:「TESTAMENT OF TOUTH」
原作:ベラ ブリテン作 「TESTAMENT OF YOUTH」
キャスト:ベラ:アリシア ヴィカンデル
兄エドワード:タロン エガートン
ロナルド:キット ハリントン
ヴィクター:コリン モーガン
ジェフリー:ジョナサン バレリー
ストーリーは
1910年
英国ヨークシャーの旧家に生まれ育ったベラ ブリテンは、利発で行動的、オックスフォード大学に通う兄、エドワードととても仲が良かった。女の子は屋敷の中でピアノを弾き、刺繍をし、親が決めた結婚に従う、といった世の習慣のなかで、両親はベラに女らしい生き方をして欲しいと願っていた。しかしベラは書を愛し、詩をたしなみ、大学に行って文学を勉強したいと願っている。兄エドワードには、親しい大学の学友が何人もいて屋敷にも、よく出入りしていた。ロナルド、ヴィクター、ジェフリーなどの青年たちだ。彼らはみな、美しいベラに好意と、ほのかな恋心をい抱いていた。中でも作家志望のロナルドは、ベラの文才を認めて、ベラに書くことを強く勧める。そして遂に、ベラは両親の反対を押して、オックスフォードのサマービルカレッジに入学する。
しかしその年に戦争が始まる。ロナルドは、真っ先に戦場に送られる。ロナルドに惹かれていたベラは、自分だけ大学で勉強を続けていることに、居たたまれなくなって、休学届を出して、志願して訓練を受け、ロンドンの病院で戦傷者を看護する。しばらくして、戦場から一時ロナルドが帰ってきた。大喜びで彼を迎える家族やエドワード、ヴィクター達だったが、ロナルドはすっかり人が変わっていた。戦場の厳しさは、彼から希望や人間らしい感情を奪い去ってしまった。ベラは必死でロナルドに語り掛ける。そして、時間を取り戻し、正気をとりもどしたロナルドとベラは婚約する。しかし、彼は再び前線に戻っていく。べラは、ロンドンの病院で、ただロナルドを待つことができなくなって、自分も西部戦線 最前線の野戦病院に、従軍看護婦として志願して行く。そこは、地獄のような戦場だった。 そしてクリスマス休暇に戦線から一時帰るというロナルドの知らせを待つ、ベラと家族に送られてきたのは、ロナルドの戦死の知らせと血にまみれた軍服だった。
ベラは、北フランスの戦場に戻る。傷を負い失明した兵士が運ばれてきた。兄エドワードの親友ヴィクターだった。ベラの懸命の看護で回復してきたヴィクターに、ベラは、「戦争が終わったら一緒に住みましょう。」と提案する。ヴィクターはベラに婚約者がいると嘘をついてきた。ヴィクターはベラに会ったその日からベラを愛していて、ロナルドへの遠慮から嘘をついてきたが、いま愛するベラからプロポーズを受けているのだった。その夜、ヴィクターは、自ら銃で頭を撃ち自死する。失明したヴィクターにベラを幸せにできる自信がなかったのだ。エドワードの別の親友ジェフリーも戦死した。
やがて、野戦病院では収容できないほどの傷病者が、テントの外のぬかるみにまで運ばれて、並べられるようになっていた。その中に、べラは出血多量で意識のない兄、エドワードを見つける。ベラの懸命な看護で、エドワードは傷を癒し、また戦場に帰っていく。ベラは、母親急病の知らせを受けて、ヨークシャーの故郷に戻る。そこで、すっかり衰えた両親と、自分を待っていたのは、兄エドワードの戦死の知らせだった。ベラはみんな失ったのだった。
ベラはロンドンの大学に戻る。4年という歳月がたっていた。戦争が終わった。ロンドンは終戦を喜び祝う人々で浮かれ沸き立っている。しかしベラの顔に笑顔はない。
というお話。
映画の最初にシーンにすべてが語られている。
例えようもないヨークシャーの田園風景の美しさ。深い緑の池、樺の木々、一面の緑、咲き乱れる野の花々、水仙が咲き誇り、ラベンダーが香る美しい田舎。そこをエドワードとベラ、ロナルドとヴィクターがふざけながら、おしゃべりに夢中で歩いている。ベラは兄と一緒に大学に行って勉強し、自分の人生を自分の手でつかみたい。そんな時代を先取りしたような18歳の少女を熱のこもった目で見つめる青年たち。若者たちの命の躍動。みなベラにとっては大切な家族のような存在だったのだ。そんな未来のある若者たちを一人残らずベラは失う。激しい号泣や、諍いや、争いなどなく、ただ悲しいことだけが続いていく。そういった事実をベラが淡々と受け入れながら、歩んでいく。静かに時が流れ、ヨークシャーの美しい自然だけが何も変わらずに、春を迎えている。セザンヌの印象画をみているような美しい光景が続く。
抒情的で美しい映画だ。
ベラの半自叙伝。まだ女性が高等教育を受けることが珍しかった時代に、ベラはオックスフォードで文学を学び、戦時中は看護婦として最前線の野戦病院に行き、そのことごとを書いた。女性による戦争従軍記録として、彼女の著作は英国で高く評価されている。日本では与謝野晶子の時代。野上弥栄子、林扶美子、円地ふみこ、岡本かのこ、宮本百合子などが物を書き出すのは、もっとずっと後のことだ。
スウェーデン人の女優アリシア ヴィカンデルが、とても美しい。同じスウェーデン出身のイングリット バーグマンに共通する知的で硬質な美しさだ。深い悲哀を胸に秘めて前を向いて歩んでいく姿が健気で清々しい。細くて頼りなげだが、柳の枝のようにしなやかで強い。とても勇気付けられる映画だ。どんな時代でも、自分の足で生きようとする女性の姿に尊敬と敬愛の思いが湧き上がる。
2015年5月6日水曜日
バリナインの処刑について
2005年に、インドネシアのバリで起きた、9人のオージーによるヘロイン密輸事件で、首謀者と認定されたアンドリュー チャン(31歳)と、ミュラン スクマラン(34歳)の二人が、この4月29日に処刑された。犯行当時二人は、21歳と24歳、チャンはシドニー生まれ、スクマランはロンドン生まれのオージーだった。9人の若者達は10年前、自分たちの体にヘロインをガムテープで巻きつけて、インドネシアに入国しようとして、バリの空港で逮捕された。これを「バリ ナイン」と言っていた。
チャンとスクマラン二人のついて、最高裁で死刑が確定してからのオーストラリアのマスコミの過熱ぶりは目に余るものがある。二人の家族への密着報道、銃殺刑が執行される島の紹介、処刑後の棺から、墓に立てる十字架まで国営放送だけでなく、すべてのマスメデイアが、狂ったように現地報道合戦を続けた。本人たちや家族のプライバシーなど、この数か月間無きに等しかった。
これに輪をかけたように、オーストラリアのトニー アボット首相と、ジュリー ビショップ外相は、インドネシア大統領に「恩赦」を繰り返し、繰り返し願い出ていた。グリーン党まで死刑反対の見地から、インドネシアに圧力をかけていた。「恩赦」も「嘆願」も「懇願」もここまでくると「押しつけ」、「強要」、「脅迫」に近かったと思う。死刑が決行されたことで、インドネシア大使は、さっさとオーストラリアに帰ってきてしまい、大使館を留守にしている。大使の引き上げだけでなく、国交断絶までにおわせるような勢いだが、これは、常軌を逸している。
死刑と言う懲罰は、何も生まない。死刑制度には反対だ。たかが14キロのヘロインのために二人の若者の命を断ち切る必要も価値もない。そういった見せしめによって、ヒロインの密輸が無くなるとは思えない。だから二人の死刑には反対だった。
しかし、インドネシアとしては法に従い、最高裁の決定した刑を執行したに過ぎない。ジョコ ウィドト大統領は、ジャカルタ市長だったときから、市民の味方として汚職を追放し最低賃金を上げて市民の生活を守る努力をして人気を獲得し、大統領の座に就いた。彼は従来の大統領のような軍出身者でも、官僚エリ―ト出身でもないから、政敵に囲まれている。いま司法が決定した刑を大統領一人の恩赦で覆したりしたら、国内の反対勢力が黙っていない。手ぐすねを引いてジョコ ウィドトを大統領の座から引きずり下ろそうとしている、汚職まみれの官僚と手を血で汚した軍人が待ち構えている。どんなにオーストラリア政府関係者や、ヒューマンライツや、宗教関係者が「恩赦」を願っても、大統領としてはそれを聞きいれる選択肢はなかった。
インドネシア政府は、法に従い、正しいことをした。大統領が「恩赦」に応じなかったからと言って、怒って大使を引き揚げたりして、子供じみたヒステリーを起こすのは止めた方が良い。子供が親に無理難題を押し付けて、親が応じないと怒って床に転がって駄々をこねる幼児を思い起こさせる。
それよりも、なぜ、これほどオーストラリア政府がインドネシア政府を露骨にたたくのか、そして、なぜ「今」なのかを、冷静に考えた方が良い。
数か月、人々が「死刑だ、銃殺だ」とマスコミに踊らされていた間、すっかり忘れ去られていた人々が居る。インドネシアの小さな港から、壊れかけたボートに乗ってオーストラリアを目指してやってきていた、シリア、イラク、などの国から戦火を逃れてきた亡命者、避難民だ。トニー アボット首相は、これらの人々を海上で見つけて、コーストガードを使ってインドネシアに送り返している。舟が途中で沈もうが、火災を起こして乗っている人々が海の藻屑をなろうが、知らぬふりだ。
5月2日、3日の週末2日間だけでイタリアのコーストガードが救出、保護したアフリカからの難民の数は、6000人に上ったと報道された。国内経済よりも、人命救助人命尊重を第一としているイタリア政府の爪の垢でも、トニー アボットに飲ませたい。
バリナインの人命救助ばかりに人々の目を向けさせて、何百人何千人の難民から目をそむけさせているオーストラリア政府の右傾化には注意が必要だ。インドネシアは、人口2億3000万人、世界第4位の大国だ。世界最大のイスラム人口を持つ国でもある。オーストラリアは、いまアイシスと戦うために、まっさきにイラクに軍を送りだし、米軍との共同軍事演習を繰り返し、高価な戦闘機を購入し、着々と戦時体制を整えている。難民をシャットアウトして、国民意識を高め、愛国心を強調している。10年前のオーストラリアの空気と今の空気は、全く異なる。日本もそうだが、世界中一体、どこに行こうとしているのか。国境線が高くなってきている。危険な兆候だと思う。
2015年4月19日日曜日
漫画 「ぴんとこな」1-13巻

漫画:「ぴんとこな」1巻ー13巻 作 嶋あこ 小学館
キャスト
河村恭之介(本名 河村猛)
澤村一弥 (本名 本郷弘樹)
千葉あやめ
田辺梢六
ストーリー
「ぴんとこな」とは、歌舞伎の言葉で、凛とした美しい役者を指す。
歌舞伎の名門中の名門:木嶋屋の御曹司、「河村恭之介」は、声よし、顔よし、家柄よし、3歳の時から歌舞伎が好きで努力してきたため、人気も申し分ない歌舞伎の申し子ともいうべき存在だ。だが高校生になって、いつまでも自分を褒めてくれない父親への反感から、急に練習に身が入らなくなって、いい加減に歌舞伎のスケジュールをこなすようになってしまった。周りは心配しているが、きちんと練習しなくてもファンは相変わらず、彼を持てはやす。彼の存在そのものが、「空かから宝石が落ちてきたのか」と思われるくらいに輝いている。「どこに紛れていようと、光は真っ先に君を照らすんだ。」などと学友に言われている。
一方、彼と同い年の「澤村一弥」は、歌舞伎界で最近急に人気が出てきた実力ナンバーワンで、歌舞伎のバックグランドがないのに、小学校5年の時から、弟子入りして役者になろうとして努力してきた。それほど歌舞伎に入れ込むことになった理由は、小学校4年のときに出会って恋をした、「千葉あやめ」にある。歌舞伎が好きな女の子、あやめは、一弥を歌舞伎を見に誘い、そこで一緒に河村恭之介が「鏡獅子」を踊るのを観た。同い年なのに、舞台では他のおとなの歌舞伎出演者たちよりもずっと芝居も舞いも上手で輝いている。目を輝かして河村恭之介を見つめるあやめを見て、澤村一弥は激しく嫉妬し、あやめのために立派な歌舞伎役者になりたいと願う。あやめのために、歌舞伎役者のナンバーワンになると誓ったが、間もなくしてあやめの家が破産して彼女は一弥の前から姿を消す。一弥とあやめを結びつけるものは歌舞伎だけになった。一弥は努力を重ね、再びあやめに会うために一日でも早く舞台に立ち、あやめの目に止まるように願ってきた。しかし彼は弟子入りした轟屋の一人娘に愛され、のちには養子として轟屋の後継者になることを求められる。
というお話。
この漫画の面白さは、たくさんの歌舞伎が出てくるところだ。それぞれの歌舞伎のストーリー、役者の見どころ、演技の難しさなどが次々と登場人物たちによって語られる。役をもらい、その役を自分なりにどう解釈して演じるか、役柄を自分のものにするために四苦八苦する若い恭之介と一弥の姿が興味深い。大人に見えるが、二人ともまだ15歳なのだ。
1巻であやめと一弥を感激させた恭之介が踊る、「春興鏡獅子」では、いかに女役と、激しい獅子を踊る二役が、演じるのに難かしく体力も集中力も要る激務であるかがわかる。そんな舞台で、大人顔負けに踊る10歳の恭之介は、まことに天才的な役者なのだ。
1巻で一弥は「恋飛脚大和往来」(こいのたよりやまとおうらい)で、遊女梅川の役を演じる。主人公の忠兵衛は、飛脚問屋の子で梅川を身請けする約束をしたが、身請け金の全額を出せず手付金しか用意できない。そこで遂に公金3百両に手を付けてしまい、結果として梅川と死出の旅に出る。哀しい運命の梅川が、あやめに会うために歌舞伎に精進してきたのに、自分の意のままにならず師匠の娘と関係を持ってしまう一弥の哀しさに通じて、観客の涙を誘う。一弥の表現力と演技力に観客は夢中だ。
第2巻では、今では努力することを放棄したぐうたら恭之介と、一弥が初めて「松葉目物舞踊劇、棒しばり」(まつばめもの)を共演する。日々努力する一弥と恭之介との体力や演技力の差は一目瞭然だ。一弥は恭之介を憎みながらも放っておけず、つききりでスパルタ教育を施し体力をつける運動を強いて練習に励み、二人は大名の家来、太郎冠者と次郎冠者を演じる。舞台で、両手を棒に縛られてしまった二人は、好きな酒を飲むために協力して互いの口に器を運んでやらなければならない。後半一歩遅れる恭之介は、舞台でも遅れた。しかし一弥の機転で一弥は恭之介に合わせてやることができる。その瞬間舞台に出ている他の役者たちも恭之介に合わせていた。初めて舞台の上でそれに気がついた恭之介は、努力してこなかった自分の愚かさに愕然とする。舞台は主役だけでするものでなく控えのたくさんの役者や音楽に支えられている。舞台で一歩遅れる恭之介に合わせて舞台を進められる人々の独白、、、「みんな子供のころからこの世界にいる恭之介がかわいいんですね。」「だめでなまいきな御曹司をそれでも愛しているんです。」という台詞が感動的だ。これを契機に歌舞伎一直線に突っ走る恭之介が、本当に可愛い。
第3巻と4巻では、一弥は、「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)で、加茂堤の刈谷姫を演じる。好きな男の前で恥じらう16歳のお嬢様の役を演じる。役つくりで悩む一弥は恭之介と同級生だったあやめに、恭之介のはからいで再会し、あやめの表情から刈谷姫の役どころや表現を学ぶ。あやめにたくさんのインスピレーションを得て、舞台に立つが、あやめに師匠の娘との関係を知られて拒否されたことで立ち直れなくなってしまう。
第5巻では、「狂言三人吉三巴白波」(さんにんきちさともえのしらなみ)を、西田屋の御曹司西田完二郎と、一弥と恭之介の3人で演じることになる。3人の吉三と言う名のお坊と和尚とお嬢が泥棒になるお話。女装のお嬢役の一弥と、恋仲のお坊を演じる恭之介は、役作りに苦しむ。あやめを愛し、あやめのために歌舞伎に生きると決めた恭之介は、一弥のライバルだったが、一弥と別れたあやめは自分の思い通りになるような女の子ではない。役作りにのめりこんで恭之介は、一弥にまといつき、どうして二人は愛し合い、一緒に死の旅に出るのか理解しようと四苦八苦する。あげくに恭之介は一弥に会うと胸が高鳴るようになり、一弥に「僕に惚れていませんか」と言われる始末。しかし苦しんだ末に役に息を吹き込んだ舞台を上演できた恭之介は、「あいつは俺の片割れよ。生きるの死ぬもこいつが居なけりゃツマラねえのさ。」ということになって、二人は互いになくてはならないライバルとして互いに技を磨きあう友情が芽生える。
第6巻では、「野崎村」が出てくる。恭之介は ライバルを得て絶好調、もっと一弥を理解したくて初めて女形を演じる。彼は久松を愛するお光の役を演じて人気沸騰の絶好調。あやめは役つくりに力になるが思い通りになるわけではない。しかし本気で舞台に精進する恭之介を心の中では愛し始めていた。この舞台は、ご贔屓さん小向ミネの要請によるものだった。彼女は恭之介の祖父、人間国宝の河村樹藤の秘密の恋人だった。樹藤がお光を演じた舞台が忘れられない彼女は、恭之介が演じるお光を、樹藤との思い出に重ねて、心から満足する。
第7巻では恭之介に負けず、一弥が今度は男役に挑戦。「女殺油地獄」の与兵衛を演じ、恭之介を感激の涙で溺れさせる。
第8巻で、「桜姫東文章」(さくらひめあずまぶんしょう)で、恭之介と一弥の二人は再び共演する。恭之介な清玄と権助、一弥は白菊丸と桜姫だ。権助と桜姫との濃厚な濡れ場が見せ所の舞台で、女を知らない恭之介は役つくりに苦しむ。一弥のプレッシャーとあやめの上向き加減の態度でやっと自信をつけた恭之介は立派な舞台を仕上げて、一弥に向かって「俺たちコンビだもんな。次も一緒に演って、その次もまた次もずーっと演ろうぜ。」と言い、一弥も同意する。
第9巻では父親の意向で恭之介は、修行のため歌舞伎界の大御所、高村恵利左エ門の家に預けられる。この大御所は、怒り肩をしているが、女形としての体型を作るために生涯努力をしている。そんな歌舞伎魂に恭之介はすっかり魅せられて、恵利左エ門と意気投合し、また可愛がられる。恵利左エ門は、定例の舞台で、「藤娘」を踊る予定だった。しかし、一弥が見せしめのように、年老いた恵伊左衛門の前で、若く美しい「藤娘」を踊って見せたため、恵利左エ門は自信を失って舞台をキャンセルしてしまう。恭之介は生涯の片割れ、ライバルと信じていた一弥よりも恵利左エ門を励ます。また恭之介は、「白波五人男極楽寺」で、主役でなく、捕手役をやって屋根からトンボ返りをして見せて、主役をなおざりにして舞台を沸かせてみたりもする。
一方の一弥は、西田屋の娘と婚約して西田屋の後継者の地位を約束される。しかしあやめを未だに心の中では忘れられず、あやめとの中を裏で田辺梢六という下端の役者を使って引き裂いた師匠の娘を許す気になれない。娘は婚約中の一弥に疎まれているうちに、田辺梢六の子供を妊娠してしまう。西田屋の師匠は一弥の子供ができ、孫が生まれると勘違いして一弥を混乱させる。じつは、相手の田辺梢六は、恭之介の祖父河村樹藤と愛人小向ミキとの間にできた子の息子だった。誰からも見向きされない下端役者の梢六は、実は歌舞伎界の人間国宝の孫だった。西田屋の師匠の娘は人間国宝の孫の子を身籠ったのだった。
というところで13巻。
魅力は、主人公の恭之介にある。御曹司で苦労知らず、まっすぐで繊細で、人が好い。あやめのために生きると決めるもう何があっても変更できない。一弥に、「生まれ変わったら何になりたい? 僕はもう一度河村恭之介になりたい。」とすらりと言う。一弥は、口には出さないが、生まれ変わったら自分も河村恭之介になりたい、と思っている。誰でも、太陽のように明るくて、どこに紛れていても必ず恭之介から陽が射す宝石のようにキラキラ輝いている存在になりたい。それができない一弥が哀しい。また、恭之介は高校の親友、春彦に「お守り役はヤダ。」と 突き放されて仲たがいするが、「おまえ、何怒ってるのか知らねえがお守り役はいやだって言ったけどいいじゃねえか。俺にはまだまだお守り役が必要なんだよ。」「春彦はいねえとさびしいだろ。」と蹴りを入れて、仲直りだ。魅力的で可愛い。
まだまだ話は続く。歌舞伎は次々と紹介されて、二人の15歳高16歳の役者が、苦しみながら、悩みながら、与えられた役に命を吹き込もうとして努力を重ねる。彼らの成長を、歌舞伎の役を演じるごとに見ることができる。
おもしろい。
作者には、今後もたくさんの歌舞伎を紹介してもらいたい。
2015年4月18日土曜日
映画 「サンバ」と移民

フランス映画 原題:「SAMBA」
監督:オリバー ナカシュ、エリック トレダン
キャスト
サンバ:オマール シー
アリス:シャルロッテ ゲインズブール
ストーリー
セネガルから不法移民としてパリに渡って来たサンバは、シェフを目指してレストランで10年もの間皿洗いをしてきた。パリで叔父と暮らしている。しかし、ある日不法移民狩りにあって出入国管理局に拘束され移民審査所に送られる。そこで移民審査を待つ間、弁護士のアリスに出会う。アリスは大きなファームで責任の重い仕事を請け負い、一日12時間も仕事を任されて完全に燃え尽き症候群状態となって、休職中だった。ボランテイアで移民審査事務所の仕事を手伝っていたのは、友達がやっているから、という単純な理由だった。しかしアリスはサンバの率直な姿に惹かれて、サンバの弁護について、難民として合法的にフランスに滞在できるよう手を尽くす。しかし審査はうまくいかない。結果は滞在許可が下りず、彼はセネガルに即刻帰国しなければならないと命令される。
サンバは再び警察や入管の目を盗んで、見つからないように隠れて仕事を続けるしか生きる道はない。一方、アリスはサンバを助けることが、仕事への自信を失い生きる希望をなくしていた自分自身の再生につながっていることに気がつく。やがて、アリスはサンバへの恋心をバネにして、職場復帰する決意をする。というお話。
もう若くない女性弁護士が、生きる力に満ちた若い不法移民の青年の心惹かれ、閉ざしていた心を徐々に開き、人間らしさを取り戻していくプロセスを描いた映画だ。オマール シーの躍動感いっぱいの若々しく美しい肢体、包容力に満ち溢れた物腰、目の前に座られたら今まで自分が犯してきた罪を何もかもスラスラを話してしまいたくなるような深い瞳、、、この人は、いまフランスで一番輝いている役者ではないだろうか。
一方、終始やぼったい男物の古着みたいな服ばかり身に着けて、知的だが全然冴えない女性弁護士を、シャルロット ゲインズブールが好演している。この人、父親(セルジュ ゲインズブール)にも、母親(ジェーン パーキン)にも似ていなくて、とても地味な人だ。繊細で知性的だが、明るくない。彼女が、お陽様の様に明るいオマール シーに出合い、彼の裸を偶然目にして、思わずごくりと唾を飲み込むシーンは笑えるけど、とてもよくわかる。
シャルロット ゲインズブールは、60年70年代のフランスポップミュージックを代表する歌手セルジュ ゲインズブールと、イギリス人女優ジェーン パーキンとの間に生まれた娘だ。セルジュは女殺し、当時のセックスシンボルで、ジュリエット グレコ、フランスギャル、ブリジット バルドーなど美女を軒並み愛人にして、この世を駆け抜けて去って行った。このプレイボーイの短い生涯で、唯一妻の座についたジェーン パーキンは、ストレートの長髪に、でかいバッグを持って、ショッキングなショートショートスカートで走り回る元気な姿が当時のファッションの先端を走っていた。カルチェ ラタン、パリの道路封鎖、ベトナム反戦といった当時の気風と、若者の反骨姿勢を彼女ほど、ストレートに行動やファッションで見せてくれた女優は他にいない。娘のシャルロット ゲインズブールはその両親のどちらにも似ていないが、独特の存在感のある女優だ。
監督の二人は、彼らの初めての作品「最強のふたり」で、デビューした。このとき主役に抜擢したオマール シーを余程気に入ったらしく、今回の映画は彼のために作られた映画のように思える。「最強のふたり」で彼は、半身麻痺の車椅子の人をケアする青年役を演じた。素晴らしいヒューマンストーリーで、実話なので、原作も脚本もしっかりしていて、完成度の高い映画だった。この映画の中で、車いすの男を浜辺にある美しいレストランに連れていき、会いたいが会う勇気がなかった女性を呼び寄せて、自分はアバヨと姿を消す気の利いた青年は、今回の映画では疲れた女性弁護士の肩を揉む。実に自然体で役を演じている。気の利いたフランス映画の小作品。
それにしても、アフリカからの移民で対策に汲々としているフランスの現状をよく映し出している。毎日100人単位で戦火を逃れてイタリアに流れ着く人々、命の危険を重々承知の上ボートで漂流する人々、別天地を求めてメキシコ国境を渡ってアメリカまで走破する人々、インドネシアからオーストラリアに向かって意図的に転覆寸前のボートで渡ってくる中東からの移民、、、世界中が移民で溢れかえっている。100人移民がいれば、100とうりの悲しい残酷な話を聞くことができる。
オーストラリアは、ベトナム戦争によって戦火から逃れて来たベトナム人ボートピープルを救助するまで白豪主義により、アジアからの移民を拒否して成り立ってきた。シドニーから車で3時間、ヤングの町は、いまはブドウやサクランボなどの耕作地で豊かな自然に恵まれた地域だが、1860年代には金が採掘された。14600キロの金が取れたという。にわかにゴールドラッシュがおきて、各地から金の採掘夫が集まって来た。時に中国からも数千人の採掘夫が流れ込み、彼らは安い賃金で働き、地元の採掘夫の仕事を奪ってしまった。そこで1861年から数か月にわたって武装した3000人の鉱夫が中国人を金を掘るナタやシャベルで殺しまくった歴史がある。クリスチャンで殺戮に反対していた夫婦が1276人の中国人を数か月間かくまって命を守ったという記録があるから、実際殺された中国人の被害者数は、大変な数だろう。
世界史は移民の歴史でもある。すべての国で移民が認められれば、国境は意味を持たなくなる。
国というものは難民、移民を持たないことを、前提に作られている。人は国境という囲いの中で、生きて税金を納め、税金は国民の経済活動を支え、教育、福祉、外交、医療などを保障する。越境は違法行為だ。しかし、それでも人々は国境を超える。国にとっての移民をどう捉えるか、という極めて政治的で今日的な課題を、この映画は扱っているが踏み込みが浅い。違法移民を認めるのか、認めないのか。国境を越えて生きるのか、移民を認めず排除して国境は守るものとして考えるのか。本当は二つの一つだ。中間はない。移民を受け入れるからには、自分の持っているものを分け与えなければならない。仕事を失うかもしれないし、税金の負担が大きくなるかもしれない。それでも移民という手段を取らなければならなかった人々、、、戦火を逃れ、暴力から逃げ、貧しさから救いを求めてやってきた人々を受けいるかどうかは、その人それぞれのヒューマニテイーに関わってくる。
この映画では移民の取り扱い方に、確固たる思想がないので、単なる年増女の小さな恋を描いた小さな作品になってしまっている。残念だ。
2015年4月8日水曜日
オーストラリアで老人介護
日本では世界に先駆けて2013年に65歳以上の老人が3186万人、人口の4人に一人が高齢者となった。出生率低下、少子化、高齢者人口の急増などにより健康保険制度や年金制度の見直しが急務となった。日本だけでなく先進国では、高齢化社会が急速に進行しており、2050年には、世界人口の18%が65歳以上となり、一人の老人を3人以下の生産人口が支えることになる。
オーストラリアではまだ出生率が上昇しており、日本の直面する人口減はここでは当面ない。アジアや中東からの移民も増加する一方だ。しかし平均寿命の延長、高齢者人口の増加と、医療費の高額化によって、日本同様、国民健康保険制度をこのまま維持していくことは 難しくなってきた。国民健康保険(メデイケア)の自己負担率や、一般医による診療費の自己負担など、毎回国会で論議されている。
オーストラリアはイギリスからの移民によって開拓された国なので、個人主義が徹底していて、一般に日本のように子供が年老いた親を世話する習慣はない。年を取り自分の健康に自信がなくなった人には、2つの選択肢がある。
1) リタイヤメントハウスと呼ばれるケアつきの集合住宅(日本の有料老人ホーム)に入居する。
2) 自宅にケアしてくれる人を派遣してもらって、掃除、洗濯、買い物の代行や、お風呂に入れてもらったり(ホームケア)、食事届けてもらったり(ミールアンドウィール)するサービスをコミュニテイーから受ける。
しかし、認知症が出てきたり、排せつ障害が出てくると、最終的にはリタイヤメントハウスや、ホームケアだけでは安全ではないので、老人ホームに入居して24時間のサービスを受けることになる。公立の老人ホームも、有料の老人ホームも年よりにとって人生の終着駅だ。
自宅でホームケアを受けるか、老人ホームに入るかは、二人以上の医師と、老人病専門家による老人審査の判断によって決まる。審査の結果が出ると、そのあとは、その個人が持っている財産、年金、貯金高、恩給、株、金や宝石、美術品から所持する車まで、資産を全部審査される。これは強制だ。オーストラリアでは、銀行貯金を始めるとき、厳しい身分証明が必要で、銀行と税務署とは密接に連絡を取り合っていて、まったく秘密の隠し財産っを作ることができないシステムになっている。厳しい財産、資産の審査が終わると、ホームケアを受けたり、老人ホームに入居するのに、どれだけ自己負担しなければならないかが決まる。基本的に、老人ホームの自己負担金は、1日48ドル程度だ。土地も家も何も持っていない年寄りは、無料でホームケアを受け、老人ホームに行くことができる。お金持ちは、その財産の程度によって異なった自己負担額を支払わなければならない。
オットは半年前に喘息発作と肺炎と心筋梗塞と急性腎不全と尿毒症を起こして以来障害者となった。老人審査の結果では、希望すれば24時間ケアの老人ホームに入居することもできるし、好きな時に施設で短期(1年に84日間)療養することもできるし、自宅でホームケアを受けることもできるレベル、と診断された。
病院からは、これまで歩けなくなったオットのために、スポーツ物理療法士が20回余り、ソーシャルワーカーが2回、オキュペーションセラピストが2回、訪問看護士が4回自宅に来てくれて
様々な相談に乗ってくれたり、オットをよく動かして力になってくれた。オットの長期の入院と、その後の訪問医療は、すべて国民健康保険(メデイケア)と医療保険で賄われ、一銭も自己負担はない。また私にケアラーとして,月に50ドルほどの援助金が出るようになった。わずかだが、無いよりは良い。オーストラリアの保健医療制度に感謝している。
現在オットについて、良い事は、以下3点。
1) ウォーキングステイックがあれば10メートルくらいは歩けるようになった。
2) 一時、記憶喪失が激しく認知能力も落ちたが、徐々に記憶が戻ってきた。
3) 精神的に健全で、ウツ状態には陥っていない。
しかしオットについて悪いことは、、、無限にある。
1) 週2-3回、一回5時間の腎臓透析を受けなければならなくなった。透析中、血圧の上下が激しいので、5時間のうち前後1時間ずつは、付き添ってやらなければならない。
2) 10メートル以上は歩けない。バランスも悪く、転びやすい。
3) 失業した。死ぬまで働くと言い続けてきたオットを、会社はあっさり首にした。最後の頃は体調が悪く、それでも行きたがるので車で送迎したが、職場で居眠りしたり失禁したりした。職場の判断が、やむを得ないのは解るが、毎朝早起きして職場に行きたがるオットを あきらめさせるのが本当に可哀想だった。
4) オットには友達が居ない。失業して社交相手がなくなり社会との接点がなくなった。
5) 趣味がない。私が相手をしないと何もしない。
6) 無収入になった。少し前まで私もオットもフルタイムで働いていたから老齢年金が出ない。
7) 多額の税金額を前に茫然としている。税金は前の年の収入に対して掛けられるので、無収入になっても払わなければならない。
8) 貯金がない。そんな習慣がオットにはなかった。
つくずく再認識させられたことは
1) 自分よりずっと若い男と再婚すればよかった。
2) 結婚前に貯金額を確認しておけばよかった。
自分の誤った結婚については、早まったとしか言い様がない。20年前に友人や知り合い一人居ないオーストラリアに、二人の娘を連れて移住してきた無鉄砲。着いて右も左もわからないうちに、いきなり結婚した無茶も、20年経ってから、しおらしく反省してみても始まらない。
オーストラリアメンバーズイクイテイ(ME)銀行が1500世帯を対象に調査した結果、オーストラリアの世帯の3分の1は貯蓄1000ドル未満だった。また、多くの家庭では緊急時や失業時の当面必要な3000ドル程度の調達が困難だ、という。貯蓄が習慣になってさえいる日本人には、1000ドル未満の貯金しか持っていないなんて、信じられないことだろう。しかし私がもっと驚いたのは、結婚してから互いに別会計だったので、オットの収入さえ詳しく知らなかったオットは、この多くの3分の1のお気楽オージーのお仲間だったことだ。貯金がなくても、もう年なんだから恩給や年金があるだろうと思っていたが、趣味が仕事なので死ぬまで現役で働くつもりでいて、年金など積み立てても居ない。どうして収入のいくばくかを貯金に回さなかったのか、今ごろ問い詰めても仕方がない。オツムが日本式ではない。収入いっぱいの生活をして、余れば旅行して遊んで使い切るスタイルがオージースタイルだった。
私はフルタイムで働きながら、オットの世話をしながら、生活を一人で支えなければならなくなった。誰もが社会の一線から引退して年金でつつましくも心豊かな老後を楽しむ年齢に、私は知らず知らずオットという大荷物をかかえて、走り続けなければならなくなっていたのだ。
オットが何かするたびに、何か言うたびに、文句やひとりごとで悪態をつきたくなるが、介護者としてトラブルを回避する方法は、以下4つ。
1) 冷蔵庫のドアだけでなく家じゅうの壁や柱に娘たちと孫たちの写真をべたべた貼っておく。ふと顔を上げたとき、愛らしい子供達の顔が笑いかけてくれる。娘や孫の笑顔は何よりも強力な現実逃避策だ。
2) あちこちに日本製ロイスのチョコレートを、すぐ口に入れられるようにして置いておき、オットがトイレを汚したり、1日に5回も洗濯機を回さなければならなくて、げっそりな時ごとに、すかさずチョコレートを口に入れて、その味わいに集中する。
3) オットと対面しているときは、笑顔で、片耳だけ髪にかくしてイヤホンでモーツアルトを聴いている。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1番、モーツアルトのバイオリンコンチェルト3番。自分が弾いたことのある曲を聴いているときはどんなに周りがうるさくても曲に集中できる。
4) ギターでシングアソングライター的即興で、がなりたてる。私は知る人ぞ知る(誰も知らない)作詞家で、「あなたが死んでも泣かないかもしれない」とか、「骨は青い海に沈めて」とかいう新作(珍作)を自分で歌うのだ。オットにはもちろん日本語がわからない利点がある。
以上だ。
2015年3月23日月曜日
映画 「アリスのままで」
原題:「STILL ALICE」

監督:リチャード グラリア、ワッシュ ウェストモアランド
キャスト
アリス:ジュリアン モア
アリスの夫:アレック ボールドウィン
アリスの次女:クリステイン スチュワート
アリスの長女:ケイト ボスワース
主演したジュリアン モアは、この映画で、若年性アルツハイマー病患者を演じて、ゴールデングローブ賞と、アカデミー主演女優賞を受賞した。脚本と監督をしたリチャード グラリアは、この朗報を待たずにアカデミー賞授賞式の2日前に、肺炎で他界した。奇しくも同じアカデミー主演男優賞を獲得した「博士と彼女のセオリー」の主役と同じ、ALS:筋委縮性側索硬化症だった。
ALSは、難病の一つで原因も治療法も確立されていない。ステイーブン ホーキンス博士の場合、発病後余命2年と診断されたが、奇跡的に進行が止まり、障害を持ちながらも存命しているが、一般的にこの疾病は、進行性で発病後徐々にすべての筋肉の機能が失われていって、最終的には呼吸筋が硬化して死に至る。
一方、アルツハイマー病は、ある程度遺伝性が認められるが、神経細胞の変性と消失について明確な原因と治療方法が確立しておらず、いったん発病すると脳の委縮が始まり、運動機能が失われ、認知能力も記憶力も失われていく。多くの患者は、大脳の委縮によって、自分の家に帰れなくなる、家人を他人と見分けられない、自分が他人からないがしろにされ、ひどい扱いを受けている、など、被害妄想に苛まれ、幻覚に苦しみ、日常生活に支障が起きる。治癒のための治療法はないが、患者が事故にあわず安全に生活するための援助をすることによって、延命させることができる。
ストーリーは
アリスは言語学者で、コロンビア大学で教鞭をとっている。夫は立派な実業家、すでに独立して家を出ていった二人の娘と息子がいる。長女は双子を妊娠していて、末っ子の次女は役者になる夢を追っている。。長男はパートナーとうまくいっていないようだが、仕事はまじめにやっている。まずまず幸せで、順調な家庭生活だった。
ところがアリスは50歳になり、物忘れが激しくなってきた。講義をしていて、適切な言葉が出てこない、ジョギングをしていて帰り道がわからなくなる、など気になることが起こるようになって脳神経外科医を訪問して、そこで若年性アルツハイマー病であると診断される。アリスの父親はアルツハイマー病で亡くなっていた。3人の子供たちが遺伝子検査を受けるために、病院に送られることになった。そこでわかったことは、双子を妊娠している長女がアリスと同じ遺伝子を持っていることだった。急きょ妊娠している双子に遺伝子を取り除くプラズマ治療が行われた。アリスは娘に謝ることしかできない。
失業したアリスは、自宅のコンピューターに、いくつものファイルを作り、自分が自分であることを忘れても、日常生活に支障をきたさずに済むような対策を練る。ひとつのファイルには、押し入れの奥に隠した薬を一挙に全部飲み、ベッドに横たわるように、それを誰にも言わずに一人でするように、というものだった。
アリスの初孫が無事に生まれ、夫は仕事で忙しく、恋人と別居していた長男は仲直りして同居するようになり、役者になりたいと望んでいた次女は、徐々に望みを実現していこうとしている。ある日、コンピューターに、見知らぬファイルをみつけたアリスは、ファイルの中の自分が言うように、寝室に行って押入れの奥から薬ビンを見つけ出す。しかし飲み込もうとしたときに、家政婦がやってきてビンを落として薬は床に飛び散ってしまう。それがどんな意味を持つものだったのか、アリスにも家族にも誰にもわからない。一見平和で静かな家庭生活は何事もなかったように過ぎていく。
というお話。
誰も映画の中で、泣いたりわめいたり、怒ったり、争ったり、ぶん殴ったり、刺したり、誘拐されたり、殺したり、逃亡したり、麻薬を打ったり、カーチェイスの末、車ごとひっくり返ったり、銃撃戦の末生き残ったりしない。知的で3人の良い子をもった中産階級の中年女性が記憶をなくす病気になったという日々を淡々と描写した映画だ。
しかしアルツハイマー病は、現代社会のなかでは治癒することのない進行性の病気で、一体誰に発病するかわからない。自分かもしれないし、家族の大切な一員に明日降ってわいたように降りかかってくる疾病かも知れない。老人人口が増大するに連れ、患者は増える一方で減ることはあり得ない。明日は自分の話か、そういった潜在的な恐怖感が、この原作をベストセラーにして、映画に注目が集まる結果になったのではないだろうか。
しかし、この映画はとてもきれいに作られている。きれいすぎて嘘くさい。
映画のなかでは、ニューヨークに住む中産階級のナイスな家、海辺の別荘、一人としてグレない立派な3人の子供たち。長女はアルツハイマーの遺伝子は持っているが妊娠中の赤ちゃんには遺伝子を排除できる高額の医療費を楽々出せて、夫はアリスのために家政婦を雇っても家計が破綻する様子もない。50歳代の働きざかりのアリスが無収入になっても、ローン地獄が待っているわけでもない。イケメンのアリスは、トイレが見つからなくて、失禁したりもするけど24時間おむつのお世話になっている様子はないし、やさしい父親の理想像のようなアレック ボールドウィンと同じベッドで、夜中不安になればいつでも抱きしめてもらえる。イケメンの長女、長男、次女みんな経済的に困っている様子は全くないし、末娘のクリステイン スチュワートなど、思わず見入ってしまうほど画面にでてくるたびに美しくて、役者になりたがってる女の子というより世界的に名の売れたモデルで売れっ子ハリウッド女優そのままだ。吸血鬼を愛してしまう「トワイライト」シリーズで、去年は映画界で最高金額を稼ぎ出した女優だそうだが、すばらしいスタイル。彼女はいま一番輝いている美貌女優だ。
それにしても、そんな中産階級の贅沢ばかり見せられた後で、いったい、そんでもってアリスが可哀そうですか?
パリ大学のトマ ピケテイ教授に言われるまでもなく、資本主義社会では原則的に富裕層と貧困層との格差は拡大する一方だ。ごく一般の共稼ぎ家庭で、働き盛りの一方が病気で働けなくなったら、以前と同じ生活レベルを維持していくことはできない。アルツハイマー病の治療薬はないが、進行を遅くしたり、抗精神病薬や、抗鬱病や抗てんかんなどの薬を併用するので医療費もかかる。症状が進めば失禁でおむつも要るし、施設にも入れなければならず医療費はかかる。経済的だけでなく、家族を認知できなくなった家人を世話しなければならなくなった家族の精神的な負担は語り切れない。アカデミー賞受賞で、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望むと、ジュリアン モアは、言っていたが、実際のアルツハイマー病の患者がこの映画をみたら、「こんな映画みたいにきれいごとじゃないぜい。」と言い捨てるだろう。
2015年2月28日土曜日
映画 「博士と彼女のセオリー」
監督:ジェームス マッシュ
キャスト
ステイーブン ホーキング: エデイ レッドメイン
ジェーン ホーキング : フエリシテイ ージョーンズ
ジェーンの母 :エミリー ワトソン
ジェーンの再婚相手 : チャーリー コックス
ステイーブンの父 :サイモン マクバーニー
ステイーブンの母 :アビゲイル クラッテンデン
2015年アカデミー主演男優賞は、この映画でステーブン ホーキングを演じたエデイ レッドメインが、受賞した。予想通りだったので、嬉しい。受賞のスピーチで彼は、これが進行性の難病、筋委縮性側索硬化症について人々が関心をもつ契機になってくれることを願っていると言っていた。同時に主演女優賞を受賞したジュリア ムーアも、若年性アルツハイマー病になった女性の映画「アリスのままで」で主役を演じて、同じように、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望んでいるとスピーチで言っていた。偶然だが、今年はアカデミー賞主演賞が、男女ともに治癒不能の疾病に陥る人を演じた役者の手に渡った。スーパーマンのクリストファー リーによる頚椎損傷、マイケル フォックスのパーキンソン病などの前例もある。確かに病気に全く関心のなかった人々が、映画を見てその疾病についての理解を深めることは、助け合い社会のなかで、とても良いことだと思う。
この映画の撮影は、ほとんどケンブリッジ大学で行われたという。大学の世界ランキングでは、その学問上の業績、講義内容、専門、社会的貢献度などで検討した結果、いつも世界第一位を取っているケンブリッジ大学が舞台で、興味深い。学生寮やキャンデイーバーやクラブなど、古臭くて落ち着いた名門校の雰囲気が、とてもイギリス的だ。アイザック ニュートンが使っていた実験室がそのまま残っていて学生たちにインスピレーションを与えているところなども、とても印象的。
エデイ レッドメインは線が細くて、愛苦しい顔をした、イギリス人の舞台役者だ。ミュージカル映画「ラ ミゼラブル」で、ジャン バルジャンの娘を恋する純粋な青年マリウスを演じた。「レ ミゼラブル」は、マッチョなヒュー ジャックマンとラッセル クロウが主役で、中年のパワーを爆発させていたが、それをレッドメインは、「撮影現場に行ったら、ウルヴァリンとグラデイエーターが発声練習をしていた日のことは忘れられないよ。」と言って笑わせてくれた。それはそれは、忘れられないほど怖かったことだろう。
レッドメインは、顔が可愛い。動作が可愛い。背丈はあるが線が細く華奢にできていて、いかにも繊細で、美しい手指をもっている。少女漫画に出てくる主人公のキャラがすべてそろっている。彼は、この映画でホーキングを演じるにあたって、ホーキングのインタビューや動画を見て彼の生活を研究するのに、半年かけて役作りの準備をしたという。直接本人にも面談して、ホーキングの全面協力を受けて、彼が現在使っている音声を、映画のために提供してもらっている。進行性の難しい疾病をもった人をよく表現している。この映画では、とにかくレッドメインの演技が傑出している。
ストーリーは
ステイーブンはオックスフォード大学で学びながら、ボート部ではコックスを務め、サイエンスフィクションの同好会で友人たちと交流し、学生生活を満喫していた。学生たちの集まるパーテイーで、美術史と哲学を学ぶジェーンに出会い、互いに親密さを深めていた。ステイーブンは、宇宙物理学の世界で、相対性理論を宇宙物理学の理論を深めていき、ブラックホールの特異点定理を発表した。ケンブリッジ大学大学院に進み、のちにこの定理で博士号を賞与される。
ジョーンと出会ったころから、彼は頻繁にバランスを失って転ぶようになり、21歳のときに筋萎縮性側索硬化症と診断され、余命2年と宣告される。両親や友人たちは、彼からジェーンを遠ざけようとするが、ジェーンはステイーブンと一生を共にする覚悟でいて、二人は結婚する。ステイーブンの研究は世界的に名を知られるようになって、ジェーンとの間には、二人の子供も生まれ幸せな日々を送る一方、彼の病状は進行していった。
ステイーブンの車椅子を押し、彼の日常生活を介助しながら、二人の子供たちの子育てに追われていたジェーンは、その負担から逃れて休む余裕はなかった。疲れ切っているジェーンに、母親は、教会のコーラス団に入って気分転換することを勧める。そこでジェーンは、コーラスを指導する教会の牧師チャーリーに出会う。ジェーンは教会で歌うようになって日常のストレスから逃れ、自分を取り戻すことができるようになった。やがてチャーリーは、ジェーンの子供たちにピアノを教えに通ってくるようになり、家族の一員のように一緒にピクニックに行ったり、子供たちを海で遊ばせたりして、家族の父親役を買って出てくれるようになった。徐々にジェーンはチャーリーに惹かれていく。一方で、ステイーブンは、世話係の看護婦との絆が深まり、遂にステイーブンは、ジェーンを置いてアメリカに移る。というお話。 ホーキングの大学生時代から、ジェーンと結婚して3人の子供に恵まれたのち、離婚するまでの約25年間の軌跡を映画化した作品。
映画ではジェーンが夫に背徳をおかした様に描かれている。3番目の子供が生まれたお祝いのパーテイーで、ステイーブンの父親が怒って、「お前たち、いつまでこんな生活を続けていくのか?」と詰問するし、ステイーブンの母親など、もっと露骨にジェーンに向かって、「誰の子なのよ。一体この赤ちゃんは誰の子なの?」と、ジェーンを殺しかねない勢いだ。映画の脚本家アンソニー マッカーテインは、自分の脚本を映画にするために、実際のジェーンと交渉し、承諾させるのに3年かかったと言っているが、この内容ならそりゃジェーンは映画化に反対するわけだ。現存する人の伝記を映画にするのは、本人の尊厳に関わってくるから簡単ではない。
ホーキング自身は映画製作に協力的で、トロント映画祭で、この映画がオープニングで公開されたときには招待されていて、観客席でにニコニコ笑って映画を見ている姿が、オーストラリアでもニュースになって流れた。
ホーキングの宇宙論は、従来の時空理論を否定した全く新しい宇宙の考え方だった。この映画の原題は、「THE THEORY OF EVERYTHING」。直訳するとすべてを説明する定理、万物の法則を言う。宇宙の始まりのことだ。それが邦題になると、「博士と彼女のセオリー」というよく意味のとれない題になっている。博士とジェーンの二人の間にセオリーなどない。映画の内容のそぐわないので、そのまま原題を当てた方が良かった。
他にも「BOOK THIEF」(本泥棒)という名作映画を、邦題は「優しい本泥棒」、、、優しくて泥棒ができるか、どうかよくわからない。「ミケランジェロプロジェクト」も、原題は「MONUMENT MEN」。ナチスが奪った2万点の美術品を奪い返すために戦場に送られた男たちは、モニュメントマンと呼ばれていたのであって、奪われた美術品のなかに、ミケランジェロの作品もあったに過ぎない。ミケランジェロプロジェクトという造語は、映画の中でも一度も出てこない。「12YEARS SLAVE」という映画も、12年間奴隷にされた男の体験記で、「それでも夜は開ける」という邦題をつけてしまったら、映画を見る前からタイトルによってハッピーエンドが予想されて、見る人の想像力を削いでしまう。150年前にこれを書いた人に失礼だ。どうして奇妙な邦題をつけるのか、映画の題名は内容と切っても切れない関係にある。内容を損なうような邦題は避けてほしい。ここでは「博士と彼女のセオリー」が何なのかは、この映画を見る前も見た後も皆目わからない。
映画では、ホーキングとジェーンの25年間の結婚生活の甘さと苦さがよく描かれている。ホーキングの宇宙論からすると当然「万物を創造した神」は存在しない。その理論をよく理解していたジェーンが、教会に心の救いを求めたのは、夫の日常の世話が一手に妻にかかっている重すぎる責任とストレスゆえだったと思うし、敬虔なカトリックの家庭で生まれ育った彼女のバックグラウンドにあったと思う。
いま私は歩けなくなったオットの車椅子を、鬼のような顔で押している。映画を見ながらジェーンの姿に自分を投影して、とても共感を持った。ジェーンは余命2年と宣告された男と結婚して、25年間相手を世話した。全然笑顔など見せず負けん気一本、硬い表情、勝ち気な顔で必死で車椅子を押している。そうなのだ。笑顔など見せながら車椅子は押せない。障害者を世話している人は一様に厳しい表情をしている。相手の命がかかっているし。鼻歌を歌いながらできるような生半可なことではない。 私は歩けないオットを週3回、腎臓透析のために病院に連れていき、残りの日は仕事場に連れていき、日曜には映画館に連れても行く。安全な所に車を駐車して,車椅子を積み降ろして広げ、オットを座らせる。帰るときは、オットを立たせて車に押し込み、重い車椅子をたたんで、車に入れて発車させる。自分の体重の2倍あったオットの体重はいま、痩せて1.5倍くらいになったが、車椅子の重さも、オットの重さも半端ではない。車椅子を押しながら、この先どこを通ったら安全か、どこのトイレに連れて行くか、駐車時間は大丈夫か、先先のことを考えながら押している。たった5センチの段差が車椅子では乗り越えられない。親切そうに見える人が、行く先の邪魔になったり、健常者なのに障害者トイレを占領して困らせたり、車椅子を下している間に、駐車スペースを横取りされたりして、頭にきて叫びだしそうに何度もなる。自分の顔が鏡を見なくても目が吊り上がって、鬼のような顔になっているのがわかる。この映画を見ていて、ジェーンの表情の硬さに心から共感できた。フェリシテイ ジョーンズはジェーンの役をとてもよく演じている。きつい顔が真に迫っている。
それにしてもエデイ レッドメインの演技が秀逸だ。アカデミー主演男優賞受賞に納得。イギリス映画の良さが詰まったような良質の映画。見る価値はある。
2015年2月27日金曜日
漫画 「ばらかもん」1-10巻
こちらでは、漫画は単行本しか手に入らないので、雑誌に連載されたあと単行本になったものを、今まで何年か続けて読んできて、今もずっと愛読している作品が、今のところ8つある。どれも日本でも人気の作品だと思う。
1:「リアル」と「バカボンド」 井上雄彦
3:「聖おにいさん」 中村光
4:「宇宙兄弟」 小山宙哉
5:「3月のライオン」 羽海野チカ
6:「ちはやふる」 末次由紀
7:「きのう何食べた」 よしながふみ
8:「SUNNY」 松本大洋
もう完結して雑誌にも掲載されていないが今だに、処分せず書棚にしまってある漫画は、3つ。本は人類にとって共通財産だから、読めば他の人にあげて少しでも流通させるのが良いことだと思うけど、この3つは所有していて手放したくない。
1:「ファイブ」 松本大洋
2:「岳」 石塚真一
3:「モンスター」 浦沢直樹
ヨシノサツキ著の「ばらかもん」1-10巻を読んだ。
とても絵がきれいだ。九州の五島を舞台に、出てくる子供達がおおらかで素直なうえ純粋で心が洗われるようだ。一人の書道家の人間としての成長と、芸術家としての確立を、あたたかく見守る島の人達と子供達が、描かれていて内容がしっかりしたヒューマンストーリーになっている。とてもおもしろくて、久々のヒットだ。漫画だけでなく、日本では昨年の7月から9月までアニメになってテレビで放映されたようだ。一般に漫画は、作者の独特のユーモアと先鋭的な視点の先取りが、読者を惹きつけるが、人気が出きて、映画になったりドラマになったりすると、ストーリーが読者に迎合して凡庸になる。そんなふうで魅力半減した漫画が 過去にたくさんあった。
この漫画の作者は、実際、舞台になっている島の出身で、いまも居住しているらしいが、今後も、離島の文化をバックに、書道家と子供達の成長ぶりを描き進めて行ってほしい。
ストーリーは
23歳の書道家、半田清舟は自信をもって出展した作品を書院の館長に、頭ごなしに否定されて激怒して思わず館長をぶんなぐってしまう。そこで同じ書道家である父親の命令で、九州西端の五島に送られる。頭を冷やしてこい、という訳だ。子供の時から習字が得意で、沢山の賞をとり、書道家の名家の一人息子として育てられた清舟は、初めて東京の親許から離れて、一人暮らしをすることになる。タイトルのばらかもんとは、元気者という意味。
清舟は、島に到着してみたが、持たされてきたのは郷長さんの住所だけ。飛行機で空港に着いたがタクシーもバスもない。たまたま通りかかった耕運機を運転するおじいさんに拾ってもらって、ようやく村に到着する。お世話になる郷長さんに案内された古い家は、どうやら村の子供達の秘密基地だったらしい。押入れを開けると、そこには小さな女の子が隠れている。女の子の名は、琴石なる。
たったひとりで、自己に立ち向かい己の書というものを極めたい、などと考えていた清舟は、実際島に着いてみると、到着したその日から料理ができるわけでもない、自立からはほど遠い。善良で人の良い郷長さん家族に3食の食事を送り届けてもらい、毎日「あそぼー」と、やって来るなると、なるをとりまく子供達の世話で、徐々に生活ができるようになっていく。そんな世間知らずで不器用な清舟と、それをおおらかに受け入れる村の人々との不協和音が、次第に和音を作り出していく。
というお話。
この漫画の魅力は、天真爛漫を絵に描いたような7歳のなるにある。一方、気難しくて鬱屈した芸術家の半田清舟が、実はなるとは鏡のように同じ、邪鬼のない純粋な心を持っていることが次第に分かって来る。清舟はなるの言動に本気で怒り、なるを追い出したり、投げ飛ばしたり海に投げ込んだり、無茶苦茶をするが、なるも黙ってはいない。いつも本気で、根が素直なふたりは、反発しているようで、互いに魅かれ合っている。23歳の清舟は、なるに自分を先生と呼ばせているが、実際手取り足取り生活の仕方や、人とのかかわり方を教えられ、支えられているのは清舟の方だ。二人は互いに無くてはならない強い絆で結ばれている。
中学2年生の山村美和は言う。「こっちは先住民の結束ってもんがあるけん、簡単に都会の人を受け入れるのに抵抗があるし。しかしまあ、本人を知れば知るほど警戒するのがバカらしくなったけど。」 そんなふうにして清舟を慕って来て、清舟の家を自分の家のようにくつろいでいく子供達が、生き生きと描写されている。
中学2年の美和のスポーツ少女ぶり、親友の新井たまの漫画家おたくぶり、彼女の弟あっきーの大人びた人格者ぶり。しかし何といっても郷長さんの息子、高校3年生の浩志が魅力的だ。彼は就職するにしても進学するにしても、じきに生まれ育った島を出ていかなければならない。両親や、村の共同体から別れ、清舟のお世話係も終わりに近い。進路に悩む浩志に、清舟は、グローブをつけながら、「進路の悩みね。人生の先輩としてオレを選んだのは正解だぞ。あれグローブって、どっちの手につけんの?だいたいなんでキャッチボールしながら相談なんだよ。」 すると浩志は、「ただ座って真面目な話すると恥ずかしいだろ。」 と言って浩志が投げたボールを受けるどころか、顔面に当てて倒れる清舟。 「先生もしかしてキャッチボールしたことないの?」 すると清舟は、「バカヤローやったことなくても出来るわ、こんな小僧の遊び。」 大笑いだが、まっすぐ素直な二人の少年の姿にほろりとする。
腹を抱えて笑ったシーンは、村に一台の黒電話。
清舟が黒電話を見て、「うわっ黒、何だこれ、テレビでしか見たことがない。」 で、彼が文字盤を押しても何の反応もない。横に居る子供達に、「回さなくちゃ」と言われ、清舟は、「知ってるよう。固くて回りにくいんだよ。こうだろ、ほら回った。」 と回したのは良いがそのままなので、子供達に「指離してよかよ。」と。これに清舟は、「知ってるよ、そのくらい。」 しかし、ここを小学校6年生のあっきーに、「完全にまわしてみたものの次はどうしたら、、、。って表情してましたよ。」と言われ、ついでにまた「その前に受話器とらなきゃつながりませんよ。」と言われて、かあーと頭に血がのぼる清舟。
初めてなるが清舟に会った時の会話も笑える。清舟がことのほか美男子なので、なるがびっくりして、「兄ちゃん、ジュノンボーイか?」と聞く。あせって 「ジュノン ちがう ちがう。」と否定する清舟の表情に大笑い。ジュノンの意味がわからなくて、実はグーグルで検索した。「JUNNON」というボーイズファッション雑誌のことだったとわかって、大笑い。
舗装した道路しか歩いたことのない清舟は、岩場など危なっかしくて転んでばかりいる。海に入っても泳げない。料理しようとすると両手血だらけ、不器用で鮮魚をもらっても魚一匹下ろせない。虫が怖い、クワガタも触れない。山に入れば迷子になる。そんな清舟と村の子供達とにやりとりが、ただ可笑しいだけでなく、心が温まり、感動的なヒューマンストーリーになっている。読んでいる内に、潮の香がしてきて、波の音が聞こえて、目の前に青い空が広がって来る。そんな気持ちの良い作品。得難い作品だ。
2015年2月13日金曜日
ハッピー バレンタイン!!!
18年間、一度も忘れずにセントバレンタインデイには、真紅の薔薇の花束を贈ってくれたオットよ。18年間ありがとう。去年の今頃は、忙しい仕事の合間に、職場から、花束を贈ってくれた。
いまオットは、歩けなくなって。
大丈夫。
車椅子で職場に連れて行ってあげるから。
鏡の前で、いつまでも悄然としているオット
どしたの と問うと
ネクタイの締め方が思い出せない、と。
土曜の朝は、真夏で気温が40度の暑さ。
ベランダのタイルは熱を帯びて焼け付くよう
買い物から帰ってきたら そこに寝転んでいた。
どしたの と問うと
転んで起き上がれないと。
大丈夫
二人なら起き上がれる。
今年は結婚して初めて、薔薇の花束を送れないオット
大丈夫
二人して薔薇園にいる夢をみよう。
ハッピーバレンタイン!!!
2015年1月24日土曜日
映画 「アンブロークン」

原作: ローラ ヒレンブランド 「UNBROKEN」
キャスト
ジャック オコーネル:ルイ ザンペリーニ
ドンバレ グリーソン:フィル ラッセル
MIYAVI :渡邊睦祐伍長
(撮影がシドニーで行われた為、沢山のシドニー在住日本人がエキストラで出演している。)
ストーリーは
ルイ ザンペリー二は、イタリア移民一家の末息子として生まれた。敬虔なクリスチャンで教育に熱心な父親、料理上手で優しい母親、優秀な兄といった家族の中で、ルイは学校をさぼり、盗みやタバコや酒に手を出して、コソ泥と喧嘩しかできない自分にすっかり自信を失っていた。そんな時に、早くからルイの足の速さに注目していた兄は、弟にランニングを手ほどきする。負けず嫌いなルイは、来る日も来る日も兄に従い、訓練を続けた努力が実り、全国の高校で最速記録を作る。自信をつけたルイは、勢いに乗って19歳で1936年のベルリンオリンピックに出場、新記録を更新する。その後、彼は開戦とともに、空軍に志願して爆撃機の搭乗員となる。交戦中に、乗っていた爆撃機が銃撃を受けて、太平洋に墜落するが、生き残った二人の仲間とともに47日間漂流したあげく、日本軍の軍艦に発見されて、捕虜となる。
連行された東京の大森捕虜収容所では、渡辺睦祐伍長(のち軍曹)が、責任者で、その冷酷非道ぶりは捕虜たちの間で恐れられていた。特にルイは、オリンピック代表選手として、どんなときでも顔を上げ相手の顔を正面から見る態度が身についていたため、この伍長から徹底的に嫌われて一方的に暴力を振るわれることになる。一方、ルイの乗った戦闘機が墜落したことから、米国ではもはや生存者はないと判断されて、家族はルイが戦死したものと思っていた。ルイは大使館に連れられて行き、自分が生きていることを、米国向けのラジオで伝えるように言われる。しかし日本軍は、その代わり米国に向かって日本軍の宣伝のメッセージを読み上げるように要求する。それを断ったルイは、捕虜収容所に戻されて、前にも増して激しい虐待を受けるようになる。戦況が悪化し、東京が空襲を受けるようになると、捕虜たちは石炭採掘場から石炭を積み出す作業所に送られる。激しい肉体の酷使の中で、ザンペリーニはどんな虐待にも屈せずに生き残り終戦を迎えたというお話。
映画の後、スライド写真が写されて説明が続く。この渡邊という人は、戦争が終了するといち早く、B級戦犯となったが、GHQに捕獲される前に逃亡し1953年まで身を隠し、戦犯裁判の追及から逃げ切った。ザンペリーニは、その後来日して渡邊に赦しを与える、として面会を求めたが,渡邊は拒否し、2003年に亡くなった。ザンペリーニは1998年の長野冬季オリンピックの聖火リレーに招待されて、80歳で聖火を持って走ったが、その彼は2014年7月に高齢で亡くなった。アンジェリーナ ジョリーは、彼の実話を映画化している最中に本人が亡くなって、作品を本人に観てもらえることができなくなって、とても悲しんだそうだ。
日本ではこの映画、日本軍による捕虜虐待が問題になって上映する、しないで論議されているらしい。日本軍による捕虜虐待は現実にあったことなので、どうして今それが問題になるのかわからない。映画作品を、どんな見方をするかは、人によって興味が異なるから、違ってくるだろうが、わたしには、この映画、米軍爆撃機が墜落して、太平洋で47日間漂流する場面のほうが、捕虜時代の場面よりも印象が深かった。ゼロ戦との交戦、戦闘機の破損と墜落までは、息もつけない緊張の連続シーンだ。それからゴムボートで漂流する3人の男達の落胆と絶望。
太平洋戦争末期には、日本軍のゼロ戦戦闘機は、帰還するための燃料を積まずに、片道突撃攻撃を命じられた。しかし米軍戦闘機には、大きなゴムボート、非常用食料や水だけでなく、ゴムボートを修理するための接着剤までついている。墜落しても隊員が生きていけるように配慮してあるのだ。ベトナム戦争でも、兵士がたった一人戦闘機から墜落しても生き延びていけるように、非常食や衣類だけでなく、魚を釣って食べるように釣り糸と針まで入った非常用バッグを持たされていた、と、「開高健」が、ベトナム従軍記で書いていた。戦闘で失敗しても兵士を生かすか、死なせるか、それほど国によって命の価値が違っていたのだ。
47日間の漂流で示されたザンパリー二の不屈の精神は、捕虜になっても続く。日本軍が米国向けの放送に彼を利用しようとしたとき、事実ではないことは言えないと拒否し、返された収容所で待っていた激しい拷問にあうところが、映画の山場だろう。スポーツによって培われた不屈の精神が描写される。この映画は、一人の男の不屈の記録映画だ。
映画ではMIYAVIという役者でロッカーなイケメンが、ネチネチ迫ってくるかと思うと、突然爆発する渡邊伍長を、とても上手に演じていて、渡邊をサデイストのサイコパスみたいに扱っている。終戦となり、米軍捕虜収容所に米軍物資の果物の缶詰やコンビーフなどが投下されるようになったとき、ルイが缶詰を持って、渡邊の部屋に行くシーンがあるが、これは非現実的。何度も銃をつきつけられて、なぶり殺されそうになったルイが、立場が変わったからと言って、昨日の今日に渡邊を許して食糧を分け与えるとは思えない。ルイが渡邊の部屋に残された,子供のころの渡邊とその母親らしい人の写真を見ることで、片親ーマザコンー人格欠損症、といった渡邊がサデイストに至る過程を想像することはできるが、事実は、渡邊だけが日本軍の中で精神のおかしな男だった訳ではない。日本軍は、「もともと捕虜を認めない」といった、「軍の教育」が誤っていたのだ。日本軍は、捕虜にならないという教育をしており、捕虜の扱い方にも統一した指針がなかった。そんな日本軍のシステムそのものに問題があったのだ、と私は思う。
太平洋戦争の当時、捕虜に関する国際条約には、1907年10月にオランダのハーグで調印された条約と、1929年7月にスイスのジュネーブで調印された条約がある。前者は交戦者とは何か、捕虜とは何かについて明らかにしている。後者では、具体的に捕虜の扱い方について定められている。日本は両条約に署名しているが、比準したのは前者だけ。ジュネーブ条約は日本海軍の反対によって調印されなかった。理由は、
1)日本軍では捕虜にならないように教育が行われ、日本人捕虜はありえないため、日本だけが欧米人捕虜を待遇するための負担を負うことはできない。
2)捕虜を通じてて敵国に軍事秘密情報が漏れる恐れがある。
3)捕虜待遇、懲罰規定よりも日本軍の懲罰規定のほうが厳格なので、条約に従うと、軍規がゆるんでしまう。などの理由からだった。また中国人捕虜については、「中国人は捕虜ではない。シナ事変は戦争ではないからである。」 したがって「中国人捕虜を捕虜として収容する必要はない。」という日本軍の方針だった。まことに日本軍は国際感覚に欠ける戦争をして、国際社会に受け入れられないような捕虜の扱いをしたことになる。
よく日本軍が捕虜としてソ連に連行されシベリアで強制労働を強要された事実が論議されるが、シベリア抑留日本軍捕虜、64万人に対して、捕虜の死亡者は6万人、死亡率は約10%。しかし日本軍によって捕虜となった英米軍人の死亡率は27%。100人の捕虜のうち27人もの捕虜が過酷な強制労働、疾病、栄養失調などで死亡させられた。この数字に中国人や韓国人の捕虜死亡率は入っていない。これも入れたら大変な数字になる。いかに日本軍が人権感覚に欠如していたかがわかる。
日本軍の指導によって従軍慰安婦は軍とともに「従軍」した。連れ去られた人も、誘いに乗ってきた人も、娼婦だった人も、一様に軍人のために性行為を強制され自由がなかった点では同じ日本軍による戦争被害者だ。南京虐殺も実際にあった歴史的事実だし、たくさんの中国人を現地や日本で人体実験に活用した731部隊も実際にあった。カニバリズムも極端な飢餓の中で起こった。日本軍は武器しか兵士に持たせずに外国に派兵して、外国を侵略して、攻略した土地で食糧も、住宅も奪い、現地の人々を殺し、侵し、犯した。人民からは針一本奪わないといった厳しい軍の規律をもった軍もあったのだ。何という倫理観の違い。
今年2015年は戦後70周年を迎える。わたしたちはこの70年の間に、残されたおびただしい数の戦争被害者たちの声を聞き、彼らが残したものを読み、何が間違っていたのかを考え直さなければならない。他国を侵略することが、どれだけ間違ったことだったのか、事実を事実として認識しなければならない。この映画を観て、この機にたくさんのことが論議されるのは良いことだ。早く日本での公開されたら良いと思う。
2015年1月11日日曜日
映画 「ウオーター デイヴァイナー」
題名:「WATER DIVINER」
監督:ラッセル クロウ
キャスト
ラッセル クロウ :ジョシュア コーナー
ライアン コール :アーサー コーナー
オルガ クリレンコ:アイシャ
イルマズ エルトガン:トルコ軍将校ハサン
イルマズ セン :トルコ軍ジェマル
メイガン ゲール:アイシャの従妹
1915年第一次世界大戦の激戦地、トルコのガリポリではトルコ軍、オスマン帝国側の兵士8万人、連合国軍兵士4万人が、数か月の戦闘で死亡した。連合国軍側では、英国軍統率のもとで死亡した兵士の多くはオーストラリア軍兵士だった。その数8700人。
ガリポリはオーストラリア人にとって特別の意味を持つ。ガリポリと聞くだけで涙ぐむ人も居るが、ガリポリはオージーの愛国心の拠り所になっている。かつては英国からの移民として海を渡ってオーストラリアにやってきたオージーは、英国に忠誠を誓うことが心の拠り所だった。第一次世界大戦が始まると、男達は老いも若きも競って、軍に志願して、英国のために命を投げ出すことを厭わなかった。しかし英国軍の誤った統率によってガリポリで沢山の戦死者を出して、初めて裏切られ、英国から一歩離れて、独立したオーストラリア人として自覚するようになる。ガリポリはオージーの愛国心の原初体験になった。毎年8月になると、政府関係者や軍人だけでなく、何千人ものオージーがガリポリに向かって海を渡る。さすがにガリポリ戦の生存者は亡くなったが、その子孫たちや、若い人達が自費でやってきては、オージーの墓に花を捧げる。今年2015年は、100年目に当たるので慰霊祭は盛大なものになるだろう。オーストラリアが英国から独立するためにこれほどの命を犠牲に払わなければならなかったという意味で、命を落としたオージー兵は、国のヒーローとして決して忘れられることはない。
メル ギブソン主演の映画「ガリポリ」は、ガリポリ戦の残虐さを余すことなく映し出している優れた歴史的な作品だ。これを見ると、チャーチルの誤った統率によって若者たちが、トルコ軍が大砲と機関銃で待ち構える正面を、ただただ殺されるだけのために、走って行く姿は、戦争の本質を物語っている。優れた反戦映画だ。
そのような、ガリポリを背景にした映画を、オーストラリアを代表する役者ラッセル クロウが監督、主演し、オーストラリアを代表するアンドリュー レスニーを撮影監督に起用して製作された。ラッセル クロウの初めての監督作品と思えない素晴らしい作品。保守伝統で気取って、小さくまとまる階級社会の英国とも、その英国を小さくして少しだけワイルドを付け加えたようなニュージーランドとも、ハリウッドの戦争映画とも全然違う、オージーによる、オージーテイストの、「これがオーストラリアだ」、というような映画に仕上がっている。
ストーリーは
1915年8月ガリポリの戦闘で、3人の息子をすべて失ったファーマー、ジョシュア コーナーは息子たちの死後、生きる希望を失った妻と二人きりで暮らしていた。コーナーは息子たちを失った悲嘆を決して表には出さず、黙々と畑を耕し、水源を探し出し、農地を広げ一日中汗を流していた。妻は寡黙な夫を責め続ける。どうして息子たちが軍に志願するのを止めなかったのか。息子たちを失った喪失感は4年経ったが、決して癒えることはない。とうとう妻は息子たちを失った怒りをぶつけるようにして、自ら命を絶った。コーナーは、妻を埋葬しながら、隣に息子たちを連れ帰り妻の横に眠らせてやることを誓って、ガリポリに向かう。
戦後4年経っていたが、激戦地ガリポリはまだ英国軍の管轄下にあり、遺骨収集が行われていて、一般市民は立ち入り禁止区域になっていた。コーナーは、イスタンブールに上陸したが、南オーストラリアの僻地で農業をやっていた田舎者に対して、親切に対応してくれる領事も担当官も軍関係者も誰も居なかった。イスタンブールで、コーナーは戦争寡婦が経営する小さなホテルの宿泊する。ホテルの主人アイシャの幼い息子は、父親を失った寂しさからコーナーに付きまとい、コーナーもまた その息子が無垢の信頼を寄せる様子に、癒されていた。アイシャは戦死した夫の兄に、第三夫人として迎え入れられることになっていたが、まだ義兄の妻になる心の準備ができていない。押しの強い義兄が、アイシャの息子に暴力をふるう場に、たまたま居合わせたコーナーは、子供とアイシャを守るために暴力沙汰を起こし、ホテルを追われる。そのときにアイシャから教わった方法で、コーナーはボートでガリポリにたった一人、向かう。
英国軍は、戦争当時トルコ軍将校だったジェマルの案内に従って、英国軍兵士の遺骨収集をしていた。コーナーは英国軍兵士たちに邪魔者扱いされながらも、ジェマルに、息子たちが亡くなった8月3日の戦闘の様子を聴き出して、息子たちが倒れた場所を言い当てる。すると、父親が探し出してくれるのを待っていたように、次男と3男の遺骨が掘り出された。WATER DIVINER:水源を探し当てる霊的な能力を持った男、コーナーの能力が発揮された。しかし英国軍は遺骨を故国に持って帰ることを許可しない。コーナーは、仕方なく二人の息子をその場に埋葬した。そんなコーナーを見て不憫に思ったジェマルは、トルコ軍の資料を調べていた。そしてコーナーの名を、捕虜収容所の名簿の中に見つける。それを聞いてコーナーは 長男アーサーは、捕虜となりまだ生きていることを確信する。しかし、収容所はギリシャとの国境近いアナトリアにあった。その地はまだ国境線をめぐって、ギリシャが侵略を続けていて、戦争状態にあった。コーナーは、ジェマルの後を追って,戦地に向かい、、、、。
というお話。
3人の息子を失った母親の底なしの絶望、それをただ黙って受け止める農業主は寡黙だ。彼が話し相手にするのは長年の友、犬だけだ。 オーストラリアの巨大で荒削りな地形と景観、砂漠と酷暑に立ち向かい、耕地を切り開いてきた開拓者の力強さ、、、砂あらしの場面が素晴らしい。幼い3人の息子たちがウサギを撃ちに行った帰り、砂あらしに巻き込まれて死にそうになる。激しい嵐の波に向かって馬を走らせて救出に向かうグラデイエイターのお父さんが、誠に頼もしい。
水源を探し出し、ひとり黙々と穴を掘り、井戸を掘りあてるファーマー。でかい風車を作って風力発電で、畑を作り、夜になると子供達が眠る前に、本を読んで聞かせる、頼りになるお父さん。トルコ軍独立部隊とアナトリアに向かう列車で、トルコ兵がオーストラリア軍から没収したクリケットのバットを、どう使うか聞かれて、球を当ててみせて、これはオーストラリアではみんなやるゲームなんだ、と答えるシーンなど思わず頬が緩む。そのバットが人の命を救う武器になるなんて。
とにかくストーリーを運ぶテンポが良い。話が分かりやすくてとてもよくできた映画だ。
監督ラッセル クロウは50歳、8歳と10歳の男の子のお父さん。アカデミー主演賞を「グラデイエーター」で取って、ミュージカル映画「ラ ミゼラブル」では、テノールを歌うヒュー ジャックマンを相手に、バリトンの美声を聞かせてくれた。ロックバンドも持っている。役者の一方、「ラグビーやらない奴は男じゃない」オーストラリアで、ラグビーチーム:サウスシドニーラビドーズを持っていて、自分のチームを2014年グランドファイナルで、優勝に導いた。まさにオージーを代表する男なのだ。
その彼が初めて監督した作品とは思えないほど、よくできた作品。はやくも2015年に観た映画ベストテンに入ること疑いなし。ストーリーのプロットがしっかりしていて、構成が良くできている。配役も申し分ない。トルコ側の人々もみな適役だ。戦争寡婦のアイシャをやったオルガ グリレンコの可憐な美しさが際立っている。この女優、貧困家庭に育ったウクライナ人、13歳からモデルで働いていて、後にボンドガールに抜擢されて成功した。薄幸の寡婦役がすんなり合っている。メイガン ゲールが義姉役でカメオ出演していて豪華だ。息子役のライアン コ-ルも純真な好青年を演じている。
映像をオージーのアンドリュー レスニーに任せて成功。「ベイブ」1995、「ロード オブ リング」2001,2002,2003、「ラブリー ボーン」2008、「ホビット」3部作、2012,2013,2014を撮影してきた。「ロード オブ リング」3部作でアカデミー撮影賞を受賞している。「ホビット」3部作でも、きっとまた賞を取るだろう。この人の映し出す映像が、魔法のように美しい。オーストラリアの自然がこんなに美しかったのか。赤い土、真っ青な空、砂漠に沈んでいく太陽。乾いた風が耳元を通り過ぎていく、、、イスタンブールのアヤソフィア大聖堂の天井、素晴らしいタイルとステンドグラスに目を見張る。みごとなキリスト教とイスラム教の融合。ガリポリの美しい岸壁、くるくると白いガウンと帽子姿で舞うトルコの民族舞踊の流れるような美しさ、、、。アンドリュー レスリーの映し出す映像の美しさに言葉を失う。
とても良い映画だ。日本で公開されるとき、どんな邦題がつくか、まだわからない。映像が美しいのでそれだけで観る価値がある。
http://www.rosevillecinemas.com.au/Movie/The-Water-Diviner
2014年12月23日火曜日
2014年に観た映画 ベストテン 1位ー4位

「ゼロ グラビテイ」
監督:アルフォンヌ キユアロン
キャスト
サンドラ ブロック:ストーン博士
ジョージ クルーニー:コワレスキー飛行士
2014年1月26日に、この映画の紹介と批評を書いた。
登場人物二人きりの映画。重力のない地球上空600キロメートルの宇宙空間。スペースシャトルを修理中だった二人が事故にあい宇宙に放り出されて、帰るべきスペースシャトルは爆発、遊泳しながら国際宇宙基地にたどり着いて、地球に再び帰ることができるかどうか、というお話。
無重力の宇宙空間を浮遊する宇宙飛行士を撮影するために 製作チームは360度LPライトで囲まれたライトボックスという大きな箱を造り、影のない3Dの立体像を映し出す仕組みを作った。その中で一本のワイヤーに吊るされ特殊装置に繋がれたたサンドラ ブロックが、無重力の中で遊泳する演技をするために、5か月ものあいだ激しい訓練を受けたという。役者は体が資本というが、49歳のサンドラの柔らかい身のこなし、ぜい肉ひとつついていない少年のような体に、好感がもてる。
シドニーのアイマックスは世界一大きいらしい。縦30M、横35Mの巨大スクリーンに映し出される3Dの宇宙は限りない闇で、音のない恐ろしい場所だったが、体験型映画というか、自分も本当に宇宙遊泳しているような気分になれた。重力があって、酸素が当たり前みたいにあって、何の装置がなくても息ができて自由に動き回れることが ありがたく思える。こういったサイエンスフィクションのクリエーターは、日夜、人が考えないような方法で、科学を映像化して、人々の想像力をかきたててくれる。こんな素晴らしい物造りに携わる人々がいて、そういった映像を見ることができることに感謝したい。撮影チームに感服した。得難い映画だ。
第2位

監督:ジョージ クルーニー
キャスト
ストークス中尉:ジョージ’ クルーニー
グレンジャー中尉:マット デーモン
キャンベル軍曹:ビル マーレイ
ヴァルランド:ケイト ブランシェット
3月22日に、この映画の映画批評を書いた。
ヒットラーは世界的価値の高い美術品をヨーロッパ各国から略奪し、世界一大きな美術館をオーストリアのリンツに建設して、収集したものを展示するつもりでいた。6577点の油絵、2300点の水彩画、959点の印刷物、137点の彫刻を含む6万点の美術品を岩塩抗に隠していて、もしもそれらを奪い返されそうのなったら、一緒に隠してある1100ポンドの爆弾で、すべてを灰にしてしまう予定だった。連合国首脳部は、戦争終結に先立って、これらの美術品の隠匿場所を突き止めて奪い返す方策を練っていた。博物館の館長、美術鑑定士、美術史研究者など、8人が選ばれて、ヨーロッパ戦線に送られた。彼らはモニュメント マンと呼ばれ、ヒットラーが隠匿している美術品を見つけて安全な場所に保護して運搬する命令を受けていた。
彼らはパリ美術館館長の秘書をしていた女性の助けを借り、オーストリアアルプスのもと、岩塩抗を見つけ出し、美術品を保護する。実話で、8人のうち2人の犠牲を出しながらも、危険を顧みず世界遺産を守るために力を尽くした。
有名な絵や彫刻がたくさん出てくる。ラファエル、ダ ビンチ、レンブラント、フェルメール、ベルギーのヘントにあるシントバーフ大聖堂の「ヘント祭壇画」、ベルギーのブルンジ教会にあるミケランジェロによる大理石の「マドンナ」。 撤退するドイツ軍が無造作にレンブランドやピカソを火の中に放り投げているシーンなど怒りで叫び出しそうになる。芸術作品に触れることで人は心を動かされ、魂を浄化させ、痛みを忘れ、生きる力を得る。芸術なくして人々の営みに、意味はない。かつても芸術家たちが、自らの命を紡ぐようにして作り出してきた作品を守り、次の世代の伝えていくことは、今を生きる人の義務でもある。この映画は 善良を絵にかいたような8人の「良い人」たちが、略奪や焼失から世界遺産を守った「美談」で、英雄的なお話だから、ちょっとうまく出来過ぎているような気がするけれど、感動せずにいられない映画だ。ジョージ クルーニーの監督した5つ目の作品。繰り返し観たくなる映画だ。
第3位
「優しい本泥棒」 (BOOK THIEF)
監督:ブレイン パーシバル
キャスト
ジェフリー ラッシュ:養父ハンズ
エミリー ワトソン :養母ローザ
ソフィー ネリス :ライゼル
1月18日にこの映画の紹介を書いた。
1938年ベルリン。ヒットラーを総督とする軍部の力が日に日に増している。公然と赤狩りが行われ、共産党の活動家夫婦は、娘の安全を考えて、貧しいが正義感の強いぺンキ屋夫婦に娘を養女に出す。引き取られた13歳のライゼルは、字が読めなかったが養父の計らいで学校に通えるようになり、初めて本が読めるようになった。その貧しい家庭にユダヤ人青年が、助けを求めて転がり込んでくる。彼は教養人でライゼルにたくさんの知識を授けてくれて、少女は本が大好きになる。しかし社会はヒットラーのナチスドクトリンだけを読み、軍に忠誠を誓うために、どこの街角でも人々が本も持ち寄って焼きつくすイベントをくりかえす様になっていた。少女は読みたくて読みたくて仕方のない本が焼かれていくことに、ひとりで胸を痛めていた。やがて戦火が広がり、養父は徴兵され、ユダヤ人青年は別のところに逃亡し、養母も爆撃で亡くなり、、、というお話。
このライゼルが、紆余曲折を経てオーストラリアに渡り、年を取り、孫に自分の体験を語り聞かせた。その話を孫が書いて出版した同名の作品がベストセラーとなり、映画化された。
映画では、ナチズムの波が徐々に普通の人々の生活に浸透していく様子がとても怖い。人々が物を言うのを控えるようになり、互いに顔を見合わせて押し黙り、軍人が幅を利かせてくる。昨日優しかった人が、今日はナチ崇拝者になり、昨日までサッカーボールを蹴っていた少年が、少年隊の制服に身を包み声高らかに軍歌を歌い、本を焼き、同調しない者には軟弱者と決めて暴力をふるう。一夜のうちに何もかもが変わってしまう。そうした「集団ヒステリー」の渦に人々が巻き込まれていく様子が、リアルに描かれている。ジェフリー ラッシュとエミリー ワトソン、二人のオージー熟練役者が、戦時下の貧しく善良な夫婦を演じていて、素晴らしく本物みたいだ。13歳のソフィー ネリスも初々しい自然体で演じている。
「本を焼く」という人間の歴史が作り出してきた知の集積を否定する社会が、どれほど愚かなものだったか、を強く訴えている。優れた反戦映画だ。
第4位
フラワーオブワー (FLOWER OF WAR)
監督:チャン イー モー
キャスト
ジョン神父:クリスチャン ベール
8月2日に、この映画の映画批評を書いた。
日本で非公開の映画。1937年日中戦争では日本軍による首都南京陥落によって、14万人が虐殺、2万人の女性がレイプされた、と言われている。チャン イーモーが、これを背景に映画を制作した。「人のために生きてこそ本当に生きたことになる。」というトルストイの言葉を、そのまま映画にしたような良心的な映画。とても感動的だ。チャン イーモーは、「紅いコーリャン」、「レッド ランタン」、「初恋のきた道」、「英雄」などとても良い映画をたくさん撮っているが、この作品も彼の代表作に加えたい。とても完成度が高く、芸術的で、心動かされる映画だ。
南京は日本軍によって封鎖された。12人のクリスチャン学校の女生徒たちと、一人のアメリカ人青年が、南京大聖堂に避難している。そこに12人の娼婦達が、逃げ込んでくる。大聖堂の庭に国際赤十字の旗が敷き詰められているが、爆撃を免れず神父は亡くなり、たった一人のアメリカ人青年が日本軍兵士の襲撃から女生徒達を守ろうと苦心していた。始め、この地域に駐留してきた日本軍将校はクリスチャンだったので、彼は少女たちに讃美歌を歌わせて、戦火で疲れた心の渇きを癒していた。しかし日本軍大連隊が到着すると、彼は少女たちを幹部への貢物として、「供出」しなければならなくなる。登場人物すべてが生き残れる可能性がゼロに近い状況で、みんなが自分だけ生きるのでなく、他の人の為に生きようとする。映画のテーマは、ヒロイズムと自己犠牲だ。
映像が美しい。大聖堂のみごとなステンドグラス、粉々になってもなお光り輝き、清楚な少女達の大きく開かれる瞳、赤十字の赤い旗、娼婦たちのあでやかな美しさ、官能的な歌と舞、爆発で空に舞い上がる色とりどりの絹地、、、色彩の美しさが例えようもない。次々と人が死んでいく絶望的な状況にあって、映像の天才監督が、色彩あふれる美しい作品を作った。すぐれた反戦ヒューマン映画だ。
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