2015年5月31日日曜日

映画「バードマン」舞台は映画より上か


       


原題:「BIRDMAN OR THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE」
邦題:「バードマンあるいは’無知がもたらす予期せぬ奇跡」
監督:エマニュエル ルベッキ
キャスト
リーガン トムスン:マイケル キートン
マイク シャイナー:エドワード ノートン
サマンサ トムスン:エマ ストーン
レスリー トルーマン:ナオミ ワッツ
この作品は、2015年アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を受賞した。主演のマイケル キートンは、主演男優賞ノミネート、助演男優のエドワード ノートン、助演女優のエマ ストーンは助演ノミネートされた。

ストーリー
リーガン トムスンは、もとハリウッドスーパースターで、「バードマン」という3本のブロックバスター映画を主演し、数十億ドルの興行収入を稼いでいた。しかし、そんな過去の栄光から40年も月日が経ち、妻には離婚され、娘はドラッグ中毒から抜け出したばかり、役者としては鳴かず飛ばずで冴えない。しかし、落ちぶれても役者魂は健全だから、一念発起してブロードウェイで芝居を監督、主演することになった。
芝居はレイモンド カヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」だ。やっとのことで公演にこぎつけたと思ったら、役者の一人が怪我で降板することになり、ブロードウェイで活躍するスター、マイクが代役を務めることになった。マイクは良い役者だが、わがままで自己中心の芝居オタクだ。監督、主演のリーガンを怒らせてばかりいる。おまけに大事な娘が一番くっついて欲しくないマイクに「ホ」の字で、気になって仕方がない。おかげで初演はさんざんな結果で終わり、批評家からは、ひどく酷評される。それでも一旦始まった興行は続けなければならない。リーガンは芝居に、もっと強い緊張と臨場感をもたせるために、舞台で使う拳銃を本物のけん銃にすり替えた。そして、、、。
というお話。

「舞台は映画より上だ。」と映画の中で、主人公リーガンが言うセリフがある。本当だろうか。
掃いて捨てるほどの娯楽映画が制作され、映画産業は拡大する一方、派手で意味のない映画ばかりが幅を利かせている。そんな中で、良質の映画製作を続けている映像芸術家や映像作家たちは、確かに存在する。彼らが手掛ける先端技術を駆使して、映像、美術、脚本、原作、音楽、舞踊、衣装、フイルム編集すべてを統合した総合芸術として製作される映画というものは、そのスケールの広がりからして、芝居を超えているように思える。
しかし、一方で舞台はやり直しが効かない。舞台と観客との1回きりの真剣勝負だ。ミュージカルに出演(主演ではない、端役だ)している女性と話したことがあるが、舞台前と、舞台がはねた後とでは、体重が少なくとも3キロは落ちているそうだ。それだけ2時間の公演で体を酷使して全身を使って役を演じて体重をそぎ落としているのだ。
また、アマチュアオーケストラでヴァイオリンを弾いていたとき、舞台上では、オペラ「魔笛」をやっていた。冷たい女王とパパゲーノを前に、どっしり貫禄の王様が登場し、その場を収めるシーンで、王様がせりふを忘れた。舞台上の役者たちもオペラを見に来た観客も、沈黙の50秒だか1分だかの長かったこと長かったこと。遅れて王様が思い出して歌い出したから良かったものの、この歌い手はひどいトラウマを抱えたことだろうし、観客は彼らの公演に二度と来ないかもしれない。ことほど左様に、やり直しの効く撮影や、編集でミスを消せるフイルムと、一発勝負の舞台との差は大きいい。同様に、生で聴くオペラは、一流歌手の歌うオペラのCDより価値があるし、ライブミュージックはミュージックビデオより価値がある。

だから、舞台は映画より上だろうか。
そのライブでやり直しの効かない真剣勝負を映画でやろうとしたのが、この映画「バードマン」だ。長廻しのワンテイクカメラワークで映画を撮影した。フイルムを撮っては切って継ぎ足してパッチワークのように継ぎ接ぎしたうえ、CGテクニックを駆使して役者を使わずに動きを加えたり、背景を水増ししたりフイルムテクニックでカバーする。そういった現在の映画作りへの反抗、挑戦でもあったのだろう。ワンテイクだから、一人でも役者がとちったり、タイミングが他と合わなかったら、また初めからフイルムの撮り直しだ。準備不足とか、ハプニングとか、役者がどもったり、つっかえたり、ころんだりするのさえ許されない。カメラが行く先々で、準備万端、約束通りに登場したり、消えたりする役者たちの緊張は筆舌につくしがたいほどではないか。ブロードウェイの雑踏を歩くシーンがたくさん出てくるし、エドワード ノートンが素裸になるシーンも出てくるが、写ってならないものが写らないように、失敗の許されないカメラワークも、緊張の連続だったことだろう。

バックミュージックにドラム音を多用していて、画面に緊張感を与えている。ニューヨークの雑踏でドラマをたたくストリートミュージシャン、これを背景に芝居がうまくいかなくて、どなりまくるマイケル キートンとエドワード ノートンが とてもおかしい。いつまでも芝居バカで、役者狂い、二人ともいつまでも青春やっている姿。それが滑稽なのは、観ているわたしたちにも共通する「いつまでも成長できない自分のなかの青春」を抱えているからだ。

そんな成長できない「男」を、彼の芝居をよく理解して見守っている別れた妻が居る。彼が落ち込んでいるので励ましに来たら、すぐ図に乗って男は、妻とよりを戻そうとして俗物性丸出しにする愚かさ。そしてそんな父親を激しく批判しながらも、深い愛情で観ている若いが人生に疲れたドラッグ娘も、この男には、できすぎた良い娘なのだ。 40年前映画「バードマン」を主演した、かつてのスーパーヒーローというが、彼は自分なりに芝居の道を歩んできたのであって、冷たいが理解のある元妻と娘をもち、ブロードウェイで芝居を続けられる幸せな男ではないか。批評家にこてんぱんに批評されても、妻子にきついことを言われても、芝居のパートナーに演技で追い越されても、良いじゃないか。でも、それを良しとせずに、いちいち脳天から火がでるように怒り、ジタバタして、悩んで、過激に反応するマスター キートンが、とてもとてもおかしい。本当に役者がすべての人生なのだ。喜劇映画じゃないのに、とても笑える。

酔った勢いで芝居評論家に毒付いて暴力的ともいえる詰め寄り方をして、批評で「完全におまえをつぶしてやる、」とまで言わせる。この人は、最後の舞台で銃が放たれたと同時に、席を立って出て行った。このぼやけたシーンが良い。ここで感動した。芝居のパートナーに、「舞台でおまえが玩具の銃で脅かしたって全然怖がってなんてやれねえよ、」と言われて自分の演技に勢いがなくなったのを指摘されたと思い、怒り狂って本物の銃を出してくる、彼のとっ拍子もないアクション。これは何だ。舞台への愛、「舞台:いのち」という男の舞台への深い深い思いを描いた作品なのだ。
舞台の好きな人、役者をやって人の熱狂を体験してしまったことで役者としての昂揚感が忘れられない人、演じることが好きで好きで仕方がない人にとっては、この映画は忘れられない映画になるだろう。

画面が一様に暗くて、全部がいつも「舞台裏」みたいに見える感じで統一されている。
最後のシーンでは、「バードマン」は役者として突っ走っていって飛ぶが、墜落して死ぬと思うけど、「バードマン」は、人々に希望を与え続けていくことだろう。
役者は誰もが「役者ばか」で、役作りに悩み、役になりきって悩み、死ぬまで役者だ。実験的作風で、この監督の「舞台への愛」がしっかり伝わって来た。おもしろい作品だ。

2015年5月24日日曜日

ACOで16世紀のダブルベースを聴く

       


オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)の定期コンサートを聴いてきた。
メンデルスゾーンを聴くために。オーストラリアに来て約20年。コンサートにはいつもオットか娘たちが一緒だったが、今回初めて一人で行って来た。これからは、一人でコンサートに行くことになるだろう、と思いながら、、、。
娘たちはそれぞれ専門の分野でプロフェッショナルになって自立し、家庭を持って、母親のクラシックコンサートなどには、とても付き合いきれなくなった。それはそれで喜ばしいことだ。 
だが、オットは、腎不全と心臓発作を起こし、腎臓透析を続けることなしに生きられないようになり、閉そく性呼吸器不全でネブライザーと吸入器なしに楽な呼吸ができなくなり、黄斑部変性で視力が落ち、本や新聞が読めなくなり、それらの総合的結果として、杖を使いよちよち歩きで50メートル歩くのが限度になった。
20年前に、「一緒にオペラに行きませんか?」の言葉ひとつで、やすやすと受けてしまったプロポーズを、いまさら後悔しても始まらない。オットが元気だったころは、オペラオーストラリアも、ACOも、シドニーシンフォニーも会員になって定期公演を毎回観ていたから、月に一度はオペラハウスに通っていた。ところがオットはオペラハウスの長い階段が昇れなくなり、徐々に劇場地下の駐車場からエレベーターまでたどり着くだけで、息が切れるようになり、オペラハウスは諦めて、エンジェルプレイスのホールの公演に切り替えたが、2階の正面席に座るとトイレのために階下か階上に行くエレベーターに乗せなければならない。遂にどんなに支えても連れていけないようになった。しばらくは、行きたいのに行けなくなったオットを置いて、一人でコンサートに行くことには、ためらいがあった。

久しぶりにチェンバーオーケストラの音を聴いたら泣けて、ヤバいのではないかと、ちょっと思ったが、そんなことはなく、かぶりつきの席でしっかり聴いてきた。何年か前に同じホールで、何だったか忘れたが忙しくて数か月ぶりでACOを聴き、ベートーベンの交響曲「田園」が始まったとたんに、音のひとつひとつが乾いた心に沁み込んで来て、初めて止まっていた呼吸ができるようになったかのように全身が震えて、涙が次から次へと流れて来て止まらなかったことがある。オペラも、数か月の間、聴く機会を逃していて久しぶりに、「ラ ボエーム」を聴いたとき、はじめのテノールの声で、いきなり涙が吹き出て来て、「ああ、こういう音が聴きたかったんだ、」と思いながら、ホールの暗闇で涙を流したことがあった。あれは何だったのか。

ACOは結成して今年で40年。団長のリチャード トンゲテイのもとに、団員20人の弦楽奏者が集まるオーケストラだ。若い演奏家育成に熱心で、ヤングACOを持っているので全メンバーを合わせると100人余りになる。トンゲテイは例えようもなく美しい音で1743年のグルネリを弾く。コンサートマスターのフィンランド出身 サトゥ バンスカは、1728年のストラデイバリウスを、匿名化から貸与されている。ヴィオラのクリストファ モアは1610年のジョバンニ パオロ マジ二を弾いて、チェロのテイモ ヴィッコ バルグは1729年のグルネリ、バイオリンのマーク イングワーセンは1714年のグルネリ、新しくイケ シーは、1759年のガダニーニを貸与された。彼らのユニフォームは、オーストラリアでデザイナーとしてデビューしで成功した日本人、イソガイ アキラのデザインだ。

曲目は
1) フェリックス メンデルスゾーン: 弦楽シンフォニー9番「スイス」
2) ジョバンニ ボテシーニ: ヴァイオリンとダブルベースのためのコンチェルト
3) ユーゴ ヴォルフ : イタリアン セレナーデ
4) フェリックス メンデルスゾーン: ヴァイオリンコンチェルト Eマイナー作品64

2番目、ジョバンニ ボテシーニ作曲の「ヴァイオリンとダブルベースのためのコンチェルト」が、とても良かった。初めてACOが、16世紀のダブルベースの演奏をお披露目してくれた。
これを作曲したボテシーニ(1821-1889)は、貧しいイタリアの音楽好きの家庭に生まれ育った。ミラノ音楽大学に入り奨学金を受けるのには、ダブルベースのポジションしか空いていなかった。だから彼はダブルベースを初めて大学で手にする。そしてすぐに立派な奏者となり、イタリア国内だけでなくウィーンで人気を得る。9つのオペラやレクイエムなどを作曲し演奏家としても作曲家としても成功する。彼は古楽器のダブルベースを再現して、好んで演奏した。むかしダブルベースは、3弦しかなく、ネック(指盤)は今のものよりずっと長かった。彼が、3弦の古楽器ダブルベースを初めて弾いたとき、「100羽のナイチンゲール(夜鷹)が鳴いているかと思った、」そうだ。パガニーニとも親交があり、古楽器の演奏を普及させた。

この古楽器を、ACOのダブルベースの演奏者マキシム ビビアウが、何度もイタリアとオーストラリアを往復して、パトロンの協力を得た末、遂に名器ガスパロ デ サルーを手に入れた。こういった経過が公共ニュースABCで報道されたから、これを見たくてこのコンサートに来た人が多かったようだ。作曲家ボテシーニが演奏した16世紀の古楽器ダブルベースが、今回のコンサートでACOのマキシムによって再現されたわけだ。
さて、ガスパロ デ サルーだが、これがとてつもなく大きい。普通のコントラバスの2まわり大きいうえ、ネックが長い。カナダ生まれのオージー大男のマキシムが手にしていると大きさがわからないが、ヴァイオリンとの二重奏になると、たちまちベースが巨大に聳えたって見える。ネックが長いので、駒のちかくでハーモニックスを弾くと、ダブルベースとは思えない、驚くほど高音の澄んだ音が出る。マキシムは、高音からおなかに響く低音まで、自由自在に広い音域を奏でていた。

ゲストヴァイオリニストのアメリカ人、ステファン ジャッキーは小柄で色白の美男子、ジュノンボーイか。彼の長くて白い白い指はしなやかで美しい。小柄で美しいヴァイオリニストと、どでかいオージーのダブルベースが二重奏を始めた途端、これがダブルベースとはとても信じられない音域とテクニック。ヴァイオリンとヴィオラかと思った。二つの音が、ぴったり寄り添って素晴らしいハーモニーを奏でてくれた。とても感動した。

最後はチェンバーオーケストラをバックに、ステファン ジャッキーの独奏によるメンデルスゾーン(1809-1847)のヴァイオリンコンチェルト作品64。とてもとても有名な曲だから、クラシック音楽が嫌いな人でも、聴けば、ああーこれか、とわかる曲だ。第1楽章アレグロ モルト アパッショネイトも、第2楽章アンダンテも、第3楽章アレグロもみんな有名。
メンデルスゾーンは裕福な名家に生まれ、天才的哲学者モーゼ メンデルスゾーンを祖父にもち、音楽家家庭に育った。10才でカール フレデリック ゼルターについてヴァイオリンを習い、ゼルターの親友だったゲーテに詩を教わって育つ。12歳で作曲を始め、15歳で交響曲を作曲、ウィーンでアイドルとなる。15歳で作曲したオペラのリハーサルの時、ゼルターに、「彼はモーツアルト、ハイドン、バッハと並ぶ歴史的な最もすぐれた音楽家として認められるであろう。」と紹介される。

このヴァイオリンコンチェルトは、メンデルスゾーンの親友だったヴァイオリニスト、フェルデイナンド デヴィッドのために作曲され、1838年に書き始めらたが、そのころメンデルスゾーンはドイツと英国の6つの音楽祭の総合監督に指名されており、バッハとシューベルトの作品をリバイバルさせるために力を注いでおり、おまけに、プロイセンのフレデリック ウィルヘルム国王の要請でベルリンでも活動していて、多忙を極めていたので、たびかさなるデヴィッドの催促に応えることができないでいた。作曲が完了し、親友のフェルデイナンド デヴィッドによる初演が実現したのは、彼が書き始めたときから7年が経っていた。デヴィッドのためにカデンッアがいくつも入った華麗なコンチェルトだ。7年かけて、練に練られ細部まで完璧に作られた1845年に完成したコンチェルト。ステファン ジャッキーは、繊細で水が流れるようなスピードと素晴らしい技巧をもって演奏した。

これからも、この作品は沢山の天才と呼ばれる努力家たちによって、何世紀も何世紀も、ひき続き演奏し続けられることだろう。これは本当に本当の、永遠不滅の名作だ。
コンサートが終了して、25ドルのホール地下の駐車料金をケチって路上駐車したパブまで歩く冬のシドニーの深夜ひとり。外気が冷たくて、星も月も見えないがメンデルスゾーンのメロデイーが胸に中で鳴り響いていて、ほっこりあたたかい。良い夜だ。

2015年5月17日日曜日

映画「若さの証明」反戦映画について

                  
       
今年は第一次世界大戦開戦から100年目にあたる。また、第二次世界大戦の終結から70年周年になるので、節目の年というわけで、ヨーロッパでは戦勝記念祭や、記念追悼祭など、大規模な記念祭があちこちで開催された。5月9は、第二次世界大戦の終結記念日だったが、丁度、イギリスでは総選挙が行われていて、結果が保守派の圧勝に終わったために、反保守派が街頭で抗議デモを行い、一部は暴力化した。また女性兵士の記念碑が、落書きされて無残な姿になって発見されて、大きくニュースで報道された。

第二次世界大戦は日本にとってアジア諸国への侵略戦争以外の何物でもなかった。旧満州国、中国、台湾、韓国、シンガポール、フィリピン、ビルマ、インドネシア、タイ、チモール、ニューギニア、サイパン、テニアン、グアムなどに侵攻し、日本軍は、軍民合わせて1900万人の人々を殺した。靖国神社には、200万人の日本兵犠牲者を祀っているが、アジアの1900万人の犠牲者に対して、政府は何もしていない。侵略したことについて、政府は誠意ある謝罪をしていかなければならないと同時に、当時の日本人兵士に対しても、謝罪し足たらない。誰もが喜んで戦地に向かった訳ではない。日本兵230万人のうち、140万人は餓死したのだ。戦場であったこと、人々が経験してきたことを、読み、観て、語り続けることが、今ほど大切な時はない。

戦争は人々の命を奪い、その時代を生きた人々の人生をことごとく変えてしまうものだから、ドラマにも映画にも、オペラにも、バレエにもなっている。ドキュメンタリーを除くと、戦争映画を背景にしたイギリス映画でもっとも印象深い傑作というと、「哀愁」があげられる。アメリカ映画だが、背景も登場人物もロンドンでイギリス映画といって許されるだろう。主演、ビビアン リーとロバート テイラー。若いイギリス軍将校とバレリーナの悲恋物語だ。「風と共に去りぬ」で一世を風靡したビビアン リーの初々しい美しさに見とれずにはいられない。こういったいわばメロドラマを、アメリカが戦中や戦争直後に平気で制作していることを考えると、国力の差を思わずにはいられない。まだ日本では人々が瓦礫の上で飢えていた時期に、ハリウッドではメロドラマを作る余裕も需要もあったのだ。
印象に残る戦争映画の中で、アメリカ映画では、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」があげられる。フランス映画では、ルネ クレマンの「禁じられた遊び」、イタリア映画では、「ひまわり」。これはマストロヤンニと、ソフィア ローレン主演。どれも不滅の名作、反戦映画の最高峰だろう。

映画 「若さの証明」 邦題はまだ未定
原題:「TESTAMENT OF TOUTH」
原作:ベラ ブリテン作 「TESTAMENT OF YOUTH」
キャスト:ベラ:アリシア ヴィカンデル
      兄エドワード:タロン エガートン
      ロナルド:キット ハリントン
      ヴィクター:コリン モーガン
      ジェフリー:ジョナサン バレリー
ストーリーは
1910年
英国ヨークシャーの旧家に生まれ育ったベラ ブリテンは、利発で行動的、オックスフォード大学に通う兄、エドワードととても仲が良かった。女の子は屋敷の中でピアノを弾き、刺繍をし、親が決めた結婚に従う、といった世の習慣のなかで、両親はベラに女らしい生き方をして欲しいと願っていた。しかしベラは書を愛し、詩をたしなみ、大学に行って文学を勉強したいと願っている。兄エドワードには、親しい大学の学友が何人もいて屋敷にも、よく出入りしていた。ロナルド、ヴィクター、ジェフリーなどの青年たちだ。彼らはみな、美しいベラに好意と、ほのかな恋心をい抱いていた。中でも作家志望のロナルドは、ベラの文才を認めて、ベラに書くことを強く勧める。そして遂に、ベラは両親の反対を押して、オックスフォードのサマービルカレッジに入学する。

しかしその年に戦争が始まる。ロナルドは、真っ先に戦場に送られる。ロナルドに惹かれていたベラは、自分だけ大学で勉強を続けていることに、居たたまれなくなって、休学届を出して、志願して訓練を受け、ロンドンの病院で戦傷者を看護する。しばらくして、戦場から一時ロナルドが帰ってきた。大喜びで彼を迎える家族やエドワード、ヴィクター達だったが、ロナルドはすっかり人が変わっていた。戦場の厳しさは、彼から希望や人間らしい感情を奪い去ってしまった。ベラは必死でロナルドに語り掛ける。そして、時間を取り戻し、正気をとりもどしたロナルドとベラは婚約する。しかし、彼は再び前線に戻っていく。べラは、ロンドンの病院で、ただロナルドを待つことができなくなって、自分も西部戦線 最前線の野戦病院に、従軍看護婦として志願して行く。そこは、地獄のような戦場だった。 そしてクリスマス休暇に戦線から一時帰るというロナルドの知らせを待つ、ベラと家族に送られてきたのは、ロナルドの戦死の知らせと血にまみれた軍服だった。

ベラは、北フランスの戦場に戻る。傷を負い失明した兵士が運ばれてきた。兄エドワードの親友ヴィクターだった。ベラの懸命の看護で回復してきたヴィクターに、ベラは、「戦争が終わったら一緒に住みましょう。」と提案する。ヴィクターはベラに婚約者がいると嘘をついてきた。ヴィクターはベラに会ったその日からベラを愛していて、ロナルドへの遠慮から嘘をついてきたが、いま愛するベラからプロポーズを受けているのだった。その夜、ヴィクターは、自ら銃で頭を撃ち自死する。失明したヴィクターにベラを幸せにできる自信がなかったのだ。エドワードの別の親友ジェフリーも戦死した。
やがて、野戦病院では収容できないほどの傷病者が、テントの外のぬかるみにまで運ばれて、並べられるようになっていた。その中に、べラは出血多量で意識のない兄、エドワードを見つける。ベラの懸命な看護で、エドワードは傷を癒し、また戦場に帰っていく。ベラは、母親急病の知らせを受けて、ヨークシャーの故郷に戻る。そこで、すっかり衰えた両親と、自分を待っていたのは、兄エドワードの戦死の知らせだった。ベラはみんな失ったのだった。
ベラはロンドンの大学に戻る。4年という歳月がたっていた。戦争が終わった。ロンドンは終戦を喜び祝う人々で浮かれ沸き立っている。しかしベラの顔に笑顔はない。
というお話。

映画の最初にシーンにすべてが語られている。
例えようもないヨークシャーの田園風景の美しさ。深い緑の池、樺の木々、一面の緑、咲き乱れる野の花々、水仙が咲き誇り、ラベンダーが香る美しい田舎。そこをエドワードとベラ、ロナルドとヴィクターがふざけながら、おしゃべりに夢中で歩いている。ベラは兄と一緒に大学に行って勉強し、自分の人生を自分の手でつかみたい。そんな時代を先取りしたような18歳の少女を熱のこもった目で見つめる青年たち。若者たちの命の躍動。みなベラにとっては大切な家族のような存在だったのだ。そんな未来のある若者たちを一人残らずベラは失う。激しい号泣や、諍いや、争いなどなく、ただ悲しいことだけが続いていく。そういった事実をベラが淡々と受け入れながら、歩んでいく。静かに時が流れ、ヨークシャーの美しい自然だけが何も変わらずに、春を迎えている。セザンヌの印象画をみているような美しい光景が続く。

抒情的で美しい映画だ。
ベラの半自叙伝。まだ女性が高等教育を受けることが珍しかった時代に、ベラはオックスフォードで文学を学び、戦時中は看護婦として最前線の野戦病院に行き、そのことごとを書いた。女性による戦争従軍記録として、彼女の著作は英国で高く評価されている。日本では与謝野晶子の時代。野上弥栄子、林扶美子、円地ふみこ、岡本かのこ、宮本百合子などが物を書き出すのは、もっとずっと後のことだ。

スウェーデン人の女優アリシア ヴィカンデルが、とても美しい。同じスウェーデン出身のイングリット バーグマンに共通する知的で硬質な美しさだ。深い悲哀を胸に秘めて前を向いて歩んでいく姿が健気で清々しい。細くて頼りなげだが、柳の枝のようにしなやかで強い。とても勇気付けられる映画だ。どんな時代でも、自分の足で生きようとする女性の姿に尊敬と敬愛の思いが湧き上がる。

2015年5月6日水曜日

バリナインの処刑について


                  

2005年に、インドネシアのバリで起きた、9人のオージーによるヘロイン密輸事件で、首謀者と認定されたアンドリュー チャン(31歳)と、ミュラン スクマラン(34歳)の二人が、この4月29日に処刑された。犯行当時二人は、21歳と24歳、チャンはシドニー生まれ、スクマランはロンドン生まれのオージーだった。9人の若者達は10年前、自分たちの体にヘロインをガムテープで巻きつけて、インドネシアに入国しようとして、バリの空港で逮捕された。これを「バリ ナイン」と言っていた。

チャンとスクマラン二人のついて、最高裁で死刑が確定してからのオーストラリアのマスコミの過熱ぶりは目に余るものがある。二人の家族への密着報道、銃殺刑が執行される島の紹介、処刑後の棺から、墓に立てる十字架まで国営放送だけでなく、すべてのマスメデイアが、狂ったように現地報道合戦を続けた。本人たちや家族のプライバシーなど、この数か月間無きに等しかった。

これに輪をかけたように、オーストラリアのトニー アボット首相と、ジュリー ビショップ外相は、インドネシア大統領に「恩赦」を繰り返し、繰り返し願い出ていた。グリーン党まで死刑反対の見地から、インドネシアに圧力をかけていた。「恩赦」も「嘆願」も「懇願」もここまでくると「押しつけ」、「強要」、「脅迫」に近かったと思う。死刑が決行されたことで、インドネシア大使は、さっさとオーストラリアに帰ってきてしまい、大使館を留守にしている。大使の引き上げだけでなく、国交断絶までにおわせるような勢いだが、これは、常軌を逸している。

死刑と言う懲罰は、何も生まない。死刑制度には反対だ。たかが14キロのヘロインのために二人の若者の命を断ち切る必要も価値もない。そういった見せしめによって、ヒロインの密輸が無くなるとは思えない。だから二人の死刑には反対だった。

しかし、インドネシアとしては法に従い、最高裁の決定した刑を執行したに過ぎない。ジョコ ウィドト大統領は、ジャカルタ市長だったときから、市民の味方として汚職を追放し最低賃金を上げて市民の生活を守る努力をして人気を獲得し、大統領の座に就いた。彼は従来の大統領のような軍出身者でも、官僚エリ―ト出身でもないから、政敵に囲まれている。いま司法が決定した刑を大統領一人の恩赦で覆したりしたら、国内の反対勢力が黙っていない。手ぐすねを引いてジョコ ウィドトを大統領の座から引きずり下ろそうとしている、汚職まみれの官僚と手を血で汚した軍人が待ち構えている。どんなにオーストラリア政府関係者や、ヒューマンライツや、宗教関係者が「恩赦」を願っても、大統領としてはそれを聞きいれる選択肢はなかった。
インドネシア政府は、法に従い、正しいことをした。大統領が「恩赦」に応じなかったからと言って、怒って大使を引き揚げたりして、子供じみたヒステリーを起こすのは止めた方が良い。子供が親に無理難題を押し付けて、親が応じないと怒って床に転がって駄々をこねる幼児を思い起こさせる。
 
それよりも、なぜ、これほどオーストラリア政府がインドネシア政府を露骨にたたくのか、そして、なぜ「今」なのかを、冷静に考えた方が良い。
数か月、人々が「死刑だ、銃殺だ」とマスコミに踊らされていた間、すっかり忘れ去られていた人々が居る。インドネシアの小さな港から、壊れかけたボートに乗ってオーストラリアを目指してやってきていた、シリア、イラク、などの国から戦火を逃れてきた亡命者、避難民だ。トニー アボット首相は、これらの人々を海上で見つけて、コーストガードを使ってインドネシアに送り返している。舟が途中で沈もうが、火災を起こして乗っている人々が海の藻屑をなろうが、知らぬふりだ。

5月2日、3日の週末2日間だけでイタリアのコーストガードが救出、保護したアフリカからの難民の数は、6000人に上ったと報道された。国内経済よりも、人命救助人命尊重を第一としているイタリア政府の爪の垢でも、トニー アボットに飲ませたい。

バリナインの人命救助ばかりに人々の目を向けさせて、何百人何千人の難民から目をそむけさせているオーストラリア政府の右傾化には注意が必要だ。インドネシアは、人口2億3000万人、世界第4位の大国だ。世界最大のイスラム人口を持つ国でもある。オーストラリアは、いまアイシスと戦うために、まっさきにイラクに軍を送りだし、米軍との共同軍事演習を繰り返し、高価な戦闘機を購入し、着々と戦時体制を整えている。難民をシャットアウトして、国民意識を高め、愛国心を強調している。10年前のオーストラリアの空気と今の空気は、全く異なる。日本もそうだが、世界中一体、どこに行こうとしているのか。国境線が高くなってきている。危険な兆候だと思う。





2015年4月19日日曜日

漫画 「ぴんとこな」1-13巻

                        
              

漫画:「ぴんとこな」1巻ー13巻 作 嶋あこ 小学館
キャスト
河村恭之介(本名 河村猛)
澤村一弥 (本名 本郷弘樹)
千葉あやめ
田辺梢六

ストーリー
「ぴんとこな」とは、歌舞伎の言葉で、凛とした美しい役者を指す。
歌舞伎の名門中の名門:木嶋屋の御曹司、「河村恭之介」は、声よし、顔よし、家柄よし、3歳の時から歌舞伎が好きで努力してきたため、人気も申し分ない歌舞伎の申し子ともいうべき存在だ。だが高校生になって、いつまでも自分を褒めてくれない父親への反感から、急に練習に身が入らなくなって、いい加減に歌舞伎のスケジュールをこなすようになってしまった。周りは心配しているが、きちんと練習しなくてもファンは相変わらず、彼を持てはやす。彼の存在そのものが、「空かから宝石が落ちてきたのか」と思われるくらいに輝いている。「どこに紛れていようと、光は真っ先に君を照らすんだ。」などと学友に言われている。

一方、彼と同い年の「澤村一弥」は、歌舞伎界で最近急に人気が出てきた実力ナンバーワンで、歌舞伎のバックグランドがないのに、小学校5年の時から、弟子入りして役者になろうとして努力してきた。それほど歌舞伎に入れ込むことになった理由は、小学校4年のときに出会って恋をした、「千葉あやめ」にある。歌舞伎が好きな女の子、あやめは、一弥を歌舞伎を見に誘い、そこで一緒に河村恭之介が「鏡獅子」を踊るのを観た。同い年なのに、舞台では他のおとなの歌舞伎出演者たちよりもずっと芝居も舞いも上手で輝いている。目を輝かして河村恭之介を見つめるあやめを見て、澤村一弥は激しく嫉妬し、あやめのために立派な歌舞伎役者になりたいと願う。あやめのために、歌舞伎役者のナンバーワンになると誓ったが、間もなくしてあやめの家が破産して彼女は一弥の前から姿を消す。一弥とあやめを結びつけるものは歌舞伎だけになった。一弥は努力を重ね、再びあやめに会うために一日でも早く舞台に立ち、あやめの目に止まるように願ってきた。しかし彼は弟子入りした轟屋の一人娘に愛され、のちには養子として轟屋の後継者になることを求められる。
というお話。

この漫画の面白さは、たくさんの歌舞伎が出てくるところだ。それぞれの歌舞伎のストーリー、役者の見どころ、演技の難しさなどが次々と登場人物たちによって語られる。役をもらい、その役を自分なりにどう解釈して演じるか、役柄を自分のものにするために四苦八苦する若い恭之介と一弥の姿が興味深い。大人に見えるが、二人ともまだ15歳なのだ。

1巻であやめと一弥を感激させた恭之介が踊る、「春興鏡獅子」では、いかに女役と、激しい獅子を踊る二役が、演じるのに難かしく体力も集中力も要る激務であるかがわかる。そんな舞台で、大人顔負けに踊る10歳の恭之介は、まことに天才的な役者なのだ。

1巻で一弥は「恋飛脚大和往来」(こいのたよりやまとおうらい)で、遊女梅川の役を演じる。主人公の忠兵衛は、飛脚問屋の子で梅川を身請けする約束をしたが、身請け金の全額を出せず手付金しか用意できない。そこで遂に公金3百両に手を付けてしまい、結果として梅川と死出の旅に出る。哀しい運命の梅川が、あやめに会うために歌舞伎に精進してきたのに、自分の意のままにならず師匠の娘と関係を持ってしまう一弥の哀しさに通じて、観客の涙を誘う。一弥の表現力と演技力に観客は夢中だ。

第2巻では、今では努力することを放棄したぐうたら恭之介と、一弥が初めて「松葉目物舞踊劇、棒しばり」(まつばめもの)を共演する。日々努力する一弥と恭之介との体力や演技力の差は一目瞭然だ。一弥は恭之介を憎みながらも放っておけず、つききりでスパルタ教育を施し体力をつける運動を強いて練習に励み、二人は大名の家来、太郎冠者と次郎冠者を演じる。舞台で、両手を棒に縛られてしまった二人は、好きな酒を飲むために協力して互いの口に器を運んでやらなければならない。後半一歩遅れる恭之介は、舞台でも遅れた。しかし一弥の機転で一弥は恭之介に合わせてやることができる。その瞬間舞台に出ている他の役者たちも恭之介に合わせていた。初めて舞台の上でそれに気がついた恭之介は、努力してこなかった自分の愚かさに愕然とする。舞台は主役だけでするものでなく控えのたくさんの役者や音楽に支えられている。舞台で一歩遅れる恭之介に合わせて舞台を進められる人々の独白、、、「みんな子供のころからこの世界にいる恭之介がかわいいんですね。」「だめでなまいきな御曹司をそれでも愛しているんです。」という台詞が感動的だ。これを契機に歌舞伎一直線に突っ走る恭之介が、本当に可愛い。

第3巻と4巻では、一弥は、「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)で、加茂堤の刈谷姫を演じる。好きな男の前で恥じらう16歳のお嬢様の役を演じる。役つくりで悩む一弥は恭之介と同級生だったあやめに、恭之介のはからいで再会し、あやめの表情から刈谷姫の役どころや表現を学ぶ。あやめにたくさんのインスピレーションを得て、舞台に立つが、あやめに師匠の娘との関係を知られて拒否されたことで立ち直れなくなってしまう。

第5巻では、「狂言三人吉三巴白波」(さんにんきちさともえのしらなみ)を、西田屋の御曹司西田完二郎と、一弥と恭之介の3人で演じることになる。3人の吉三と言う名のお坊と和尚とお嬢が泥棒になるお話。女装のお嬢役の一弥と、恋仲のお坊を演じる恭之介は、役作りに苦しむ。あやめを愛し、あやめのために歌舞伎に生きると決めた恭之介は、一弥のライバルだったが、一弥と別れたあやめは自分の思い通りになるような女の子ではない。役作りにのめりこんで恭之介は、一弥にまといつき、どうして二人は愛し合い、一緒に死の旅に出るのか理解しようと四苦八苦する。あげくに恭之介は一弥に会うと胸が高鳴るようになり、一弥に「僕に惚れていませんか」と言われる始末。しかし苦しんだ末に役に息を吹き込んだ舞台を上演できた恭之介は、「あいつは俺の片割れよ。生きるの死ぬもこいつが居なけりゃツマラねえのさ。」ということになって、二人は互いになくてはならないライバルとして互いに技を磨きあう友情が芽生える。

第6巻では、「野崎村」が出てくる。恭之介は ライバルを得て絶好調、もっと一弥を理解したくて初めて女形を演じる。彼は久松を愛するお光の役を演じて人気沸騰の絶好調。あやめは役つくりに力になるが思い通りになるわけではない。しかし本気で舞台に精進する恭之介を心の中では愛し始めていた。この舞台は、ご贔屓さん小向ミネの要請によるものだった。彼女は恭之介の祖父、人間国宝の河村樹藤の秘密の恋人だった。樹藤がお光を演じた舞台が忘れられない彼女は、恭之介が演じるお光を、樹藤との思い出に重ねて、心から満足する。

第7巻では恭之介に負けず、一弥が今度は男役に挑戦。「女殺油地獄」の与兵衛を演じ、恭之介を感激の涙で溺れさせる。
第8巻で、「桜姫東文章」(さくらひめあずまぶんしょう)で、恭之介と一弥の二人は再び共演する。恭之介な清玄と権助、一弥は白菊丸と桜姫だ。権助と桜姫との濃厚な濡れ場が見せ所の舞台で、女を知らない恭之介は役つくりに苦しむ。一弥のプレッシャーとあやめの上向き加減の態度でやっと自信をつけた恭之介は立派な舞台を仕上げて、一弥に向かって「俺たちコンビだもんな。次も一緒に演って、その次もまた次もずーっと演ろうぜ。」と言い、一弥も同意する。

第9巻では父親の意向で恭之介は、修行のため歌舞伎界の大御所、高村恵利左エ門の家に預けられる。この大御所は、怒り肩をしているが、女形としての体型を作るために生涯努力をしている。そんな歌舞伎魂に恭之介はすっかり魅せられて、恵利左エ門と意気投合し、また可愛がられる。恵利左エ門は、定例の舞台で、「藤娘」を踊る予定だった。しかし、一弥が見せしめのように、年老いた恵伊左衛門の前で、若く美しい「藤娘」を踊って見せたため、恵利左エ門は自信を失って舞台をキャンセルしてしまう。恭之介は生涯の片割れ、ライバルと信じていた一弥よりも恵利左エ門を励ます。また恭之介は、「白波五人男極楽寺」で、主役でなく、捕手役をやって屋根からトンボ返りをして見せて、主役をなおざりにして舞台を沸かせてみたりもする。

一方の一弥は、西田屋の娘と婚約して西田屋の後継者の地位を約束される。しかしあやめを未だに心の中では忘れられず、あやめとの中を裏で田辺梢六という下端の役者を使って引き裂いた師匠の娘を許す気になれない。娘は婚約中の一弥に疎まれているうちに、田辺梢六の子供を妊娠してしまう。西田屋の師匠は一弥の子供ができ、孫が生まれると勘違いして一弥を混乱させる。じつは、相手の田辺梢六は、恭之介の祖父河村樹藤と愛人小向ミキとの間にできた子の息子だった。誰からも見向きされない下端役者の梢六は、実は歌舞伎界の人間国宝の孫だった。西田屋の師匠の娘は人間国宝の孫の子を身籠ったのだった。
というところで13巻。

魅力は、主人公の恭之介にある。御曹司で苦労知らず、まっすぐで繊細で、人が好い。あやめのために生きると決めるもう何があっても変更できない。一弥に、「生まれ変わったら何になりたい? 僕はもう一度河村恭之介になりたい。」とすらりと言う。一弥は、口には出さないが、生まれ変わったら自分も河村恭之介になりたい、と思っている。誰でも、太陽のように明るくて、どこに紛れていても必ず恭之介から陽が射す宝石のようにキラキラ輝いている存在になりたい。それができない一弥が哀しい。また、恭之介は高校の親友、春彦に「お守り役はヤダ。」と 突き放されて仲たがいするが、「おまえ、何怒ってるのか知らねえがお守り役はいやだって言ったけどいいじゃねえか。俺にはまだまだお守り役が必要なんだよ。」「春彦はいねえとさびしいだろ。」と蹴りを入れて、仲直りだ。魅力的で可愛い。
まだまだ話は続く。歌舞伎は次々と紹介されて、二人の15歳高16歳の役者が、苦しみながら、悩みながら、与えられた役に命を吹き込もうとして努力を重ねる。彼らの成長を、歌舞伎の役を演じるごとに見ることができる。
おもしろい。
作者には、今後もたくさんの歌舞伎を紹介してもらいたい。





2015年4月18日土曜日

映画 「サンバ」と移民

                          

フランス映画 原題:「SAMBA」
監督:オリバー ナカシュ、エリック トレダン
キャスト
サンバ:オマール シー
アリス:シャルロッテ ゲインズブール

ストーリー
セネガルから不法移民としてパリに渡って来たサンバは、シェフを目指してレストランで10年もの間皿洗いをしてきた。パリで叔父と暮らしている。しかし、ある日不法移民狩りにあって出入国管理局に拘束され移民審査所に送られる。そこで移民審査を待つ間、弁護士のアリスに出会う。アリスは大きなファームで責任の重い仕事を請け負い、一日12時間も仕事を任されて完全に燃え尽き症候群状態となって、休職中だった。ボランテイアで移民審査事務所の仕事を手伝っていたのは、友達がやっているから、という単純な理由だった。しかしアリスはサンバの率直な姿に惹かれて、サンバの弁護について、難民として合法的にフランスに滞在できるよう手を尽くす。しかし審査はうまくいかない。結果は滞在許可が下りず、彼はセネガルに即刻帰国しなければならないと命令される。
サンバは再び警察や入管の目を盗んで、見つからないように隠れて仕事を続けるしか生きる道はない。一方、アリスはサンバを助けることが、仕事への自信を失い生きる希望をなくしていた自分自身の再生につながっていることに気がつく。やがて、アリスはサンバへの恋心をバネにして、職場復帰する決意をする。というお話。

もう若くない女性弁護士が、生きる力に満ちた若い不法移民の青年の心惹かれ、閉ざしていた心を徐々に開き、人間らしさを取り戻していくプロセスを描いた映画だ。オマール シーの躍動感いっぱいの若々しく美しい肢体、包容力に満ち溢れた物腰、目の前に座られたら今まで自分が犯してきた罪を何もかもスラスラを話してしまいたくなるような深い瞳、、、この人は、いまフランスで一番輝いている役者ではないだろうか。
一方、終始やぼったい男物の古着みたいな服ばかり身に着けて、知的だが全然冴えない女性弁護士を、シャルロット ゲインズブールが好演している。この人、父親(セルジュ ゲインズブール)にも、母親(ジェーン パーキン)にも似ていなくて、とても地味な人だ。繊細で知性的だが、明るくない。彼女が、お陽様の様に明るいオマール シーに出合い、彼の裸を偶然目にして、思わずごくりと唾を飲み込むシーンは笑えるけど、とてもよくわかる。

シャルロット ゲインズブールは、60年70年代のフランスポップミュージックを代表する歌手セルジュ ゲインズブールと、イギリス人女優ジェーン パーキンとの間に生まれた娘だ。セルジュは女殺し、当時のセックスシンボルで、ジュリエット グレコ、フランスギャル、ブリジット バルドーなど美女を軒並み愛人にして、この世を駆け抜けて去って行った。このプレイボーイの短い生涯で、唯一妻の座についたジェーン パーキンは、ストレートの長髪に、でかいバッグを持って、ショッキングなショートショートスカートで走り回る元気な姿が当時のファッションの先端を走っていた。カルチェ ラタン、パリの道路封鎖、ベトナム反戦といった当時の気風と、若者の反骨姿勢を彼女ほど、ストレートに行動やファッションで見せてくれた女優は他にいない。娘のシャルロット ゲインズブールはその両親のどちらにも似ていないが、独特の存在感のある女優だ。

監督の二人は、彼らの初めての作品「最強のふたり」で、デビューした。このとき主役に抜擢したオマール シーを余程気に入ったらしく、今回の映画は彼のために作られた映画のように思える。「最強のふたり」で彼は、半身麻痺の車椅子の人をケアする青年役を演じた。素晴らしいヒューマンストーリーで、実話なので、原作も脚本もしっかりしていて、完成度の高い映画だった。この映画の中で、車いすの男を浜辺にある美しいレストランに連れていき、会いたいが会う勇気がなかった女性を呼び寄せて、自分はアバヨと姿を消す気の利いた青年は、今回の映画では疲れた女性弁護士の肩を揉む。実に自然体で役を演じている。気の利いたフランス映画の小作品。

それにしても、アフリカからの移民で対策に汲々としているフランスの現状をよく映し出している。毎日100人単位で戦火を逃れてイタリアに流れ着く人々、命の危険を重々承知の上ボートで漂流する人々、別天地を求めてメキシコ国境を渡ってアメリカまで走破する人々、インドネシアからオーストラリアに向かって意図的に転覆寸前のボートで渡ってくる中東からの移民、、、世界中が移民で溢れかえっている。100人移民がいれば、100とうりの悲しい残酷な話を聞くことができる。

オーストラリアは、ベトナム戦争によって戦火から逃れて来たベトナム人ボートピープルを救助するまで白豪主義により、アジアからの移民を拒否して成り立ってきた。シドニーから車で3時間、ヤングの町は、いまはブドウやサクランボなどの耕作地で豊かな自然に恵まれた地域だが、1860年代には金が採掘された。14600キロの金が取れたという。にわかにゴールドラッシュがおきて、各地から金の採掘夫が集まって来た。時に中国からも数千人の採掘夫が流れ込み、彼らは安い賃金で働き、地元の採掘夫の仕事を奪ってしまった。そこで1861年から数か月にわたって武装した3000人の鉱夫が中国人を金を掘るナタやシャベルで殺しまくった歴史がある。クリスチャンで殺戮に反対していた夫婦が1276人の中国人を数か月間かくまって命を守ったという記録があるから、実際殺された中国人の被害者数は、大変な数だろう。


世界史は移民の歴史でもある。すべての国で移民が認められれば、国境は意味を持たなくなる。
国というものは難民、移民を持たないことを、前提に作られている。人は国境という囲いの中で、生きて税金を納め、税金は国民の経済活動を支え、教育、福祉、外交、医療などを保障する。越境は違法行為だ。しかし、それでも人々は国境を超える。国にとっての移民をどう捉えるか、という極めて政治的で今日的な課題を、この映画は扱っているが踏み込みが浅い。違法移民を認めるのか、認めないのか。国境を越えて生きるのか、移民を認めず排除して国境は守るものとして考えるのか。本当は二つの一つだ。中間はない。移民を受け入れるからには、自分の持っているものを分け与えなければならない。仕事を失うかもしれないし、税金の負担が大きくなるかもしれない。それでも移民という手段を取らなければならなかった人々、、、戦火を逃れ、暴力から逃げ、貧しさから救いを求めてやってきた人々を受けいるかどうかは、その人それぞれのヒューマニテイーに関わってくる。
この映画では移民の取り扱い方に、確固たる思想がないので、単なる年増女の小さな恋を描いた小さな作品になってしまっている。残念だ。

2015年4月8日水曜日

オーストラリアで老人介護

                  

日本では世界に先駆けて2013年に65歳以上の老人が3186万人、人口の4人に一人が高齢者となった。出生率低下、少子化、高齢者人口の急増などにより健康保険制度や年金制度の見直しが急務となった。日本だけでなく先進国では、高齢化社会が急速に進行しており、2050年には、世界人口の18%が65歳以上となり、一人の老人を3人以下の生産人口が支えることになる。

オーストラリアではまだ出生率が上昇しており、日本の直面する人口減はここでは当面ない。アジアや中東からの移民も増加する一方だ。しかし平均寿命の延長、高齢者人口の増加と、医療費の高額化によって、日本同様、国民健康保険制度をこのまま維持していくことは 難しくなってきた。国民健康保険(メデイケア)の自己負担率や、一般医による診療費の自己負担など、毎回国会で論議されている。

オーストラリアはイギリスからの移民によって開拓された国なので、個人主義が徹底していて、一般に日本のように子供が年老いた親を世話する習慣はない。年を取り自分の健康に自信がなくなった人には、2つの選択肢がある。
1)  リタイヤメントハウスと呼ばれるケアつきの集合住宅(日本の有料老人ホーム)に入居する。
2)  自宅にケアしてくれる人を派遣してもらって、掃除、洗濯、買い物の代行や、お風呂に入れてもらったり(ホームケア)、食事届けてもらったり(ミールアンドウィール)するサービスをコミュニテイーから受ける。
 しかし、認知症が出てきたり、排せつ障害が出てくると、最終的にはリタイヤメントハウスや、ホームケアだけでは安全ではないので、老人ホームに入居して24時間のサービスを受けることになる。公立の老人ホームも、有料の老人ホームも年よりにとって人生の終着駅だ。

自宅でホームケアを受けるか、老人ホームに入るかは、二人以上の医師と、老人病専門家による老人審査の判断によって決まる。審査の結果が出ると、そのあとは、その個人が持っている財産、年金、貯金高、恩給、株、金や宝石、美術品から所持する車まで、資産を全部審査される。これは強制だ。オーストラリアでは、銀行貯金を始めるとき、厳しい身分証明が必要で、銀行と税務署とは密接に連絡を取り合っていて、まったく秘密の隠し財産っを作ることができないシステムになっている。厳しい財産、資産の審査が終わると、ホームケアを受けたり、老人ホームに入居するのに、どれだけ自己負担しなければならないかが決まる。基本的に、老人ホームの自己負担金は、1日48ドル程度だ。土地も家も何も持っていない年寄りは、無料でホームケアを受け、老人ホームに行くことができる。お金持ちは、その財産の程度によって異なった自己負担額を支払わなければならない。

オットは半年前に喘息発作と肺炎と心筋梗塞と急性腎不全と尿毒症を起こして以来障害者となった。老人審査の結果では、希望すれば24時間ケアの老人ホームに入居することもできるし、好きな時に施設で短期(1年に84日間)療養することもできるし、自宅でホームケアを受けることもできるレベル、と診断された。
病院からは、これまで歩けなくなったオットのために、スポーツ物理療法士が20回余り、ソーシャルワーカーが2回、オキュペーションセラピストが2回、訪問看護士が4回自宅に来てくれて
様々な相談に乗ってくれたり、オットをよく動かして力になってくれた。オットの長期の入院と、その後の訪問医療は、すべて国民健康保険(メデイケア)と医療保険で賄われ、一銭も自己負担はない。また私にケアラーとして,月に50ドルほどの援助金が出るようになった。わずかだが、無いよりは良い。オーストラリアの保健医療制度に感謝している。

現在オットについて、良い事は、以下3点。
1)  ウォーキングステイックがあれば10メートルくらいは歩けるようになった。
2)  一時、記憶喪失が激しく認知能力も落ちたが、徐々に記憶が戻ってきた。
3)  精神的に健全で、ウツ状態には陥っていない。

しかしオットについて悪いことは、、、無限にある。
1) 週2-3回、一回5時間の腎臓透析を受けなければならなくなった。透析中、血圧の上下が激しいので、5時間のうち前後1時間ずつは、付き添ってやらなければならない。
2) 10メートル以上は歩けない。バランスも悪く、転びやすい。
3) 失業した。死ぬまで働くと言い続けてきたオットを、会社はあっさり首にした。最後の頃は体調が悪く、それでも行きたがるので車で送迎したが、職場で居眠りしたり失禁したりした。職場の判断が、やむを得ないのは解るが、毎朝早起きして職場に行きたがるオットを あきらめさせるのが本当に可哀想だった。
4) オットには友達が居ない。失業して社交相手がなくなり社会との接点がなくなった。
5) 趣味がない。私が相手をしないと何もしない。
6) 無収入になった。少し前まで私もオットもフルタイムで働いていたから老齢年金が出ない。
7) 多額の税金額を前に茫然としている。税金は前の年の収入に対して掛けられるので、無収入になっても払わなければならない。
8) 貯金がない。そんな習慣がオットにはなかった。

つくずく再認識させられたことは
1)  自分よりずっと若い男と再婚すればよかった。
2)  結婚前に貯金額を確認しておけばよかった。
自分の誤った結婚については、早まったとしか言い様がない。20年前に友人や知り合い一人居ないオーストラリアに、二人の娘を連れて移住してきた無鉄砲。着いて右も左もわからないうちに、いきなり結婚した無茶も、20年経ってから、しおらしく反省してみても始まらない。

オーストラリアメンバーズイクイテイ(ME)銀行が1500世帯を対象に調査した結果、オーストラリアの世帯の3分の1は貯蓄1000ドル未満だった。また、多くの家庭では緊急時や失業時の当面必要な3000ドル程度の調達が困難だ、という。貯蓄が習慣になってさえいる日本人には、1000ドル未満の貯金しか持っていないなんて、信じられないことだろう。しかし私がもっと驚いたのは、結婚してから互いに別会計だったので、オットの収入さえ詳しく知らなかったオットは、この多くの3分の1のお気楽オージーのお仲間だったことだ。貯金がなくても、もう年なんだから恩給や年金があるだろうと思っていたが、趣味が仕事なので死ぬまで現役で働くつもりでいて、年金など積み立てても居ない。どうして収入のいくばくかを貯金に回さなかったのか、今ごろ問い詰めても仕方がない。オツムが日本式ではない。収入いっぱいの生活をして、余れば旅行して遊んで使い切るスタイルがオージースタイルだった。

私はフルタイムで働きながら、オットの世話をしながら、生活を一人で支えなければならなくなった。誰もが社会の一線から引退して年金でつつましくも心豊かな老後を楽しむ年齢に、私は知らず知らずオットという大荷物をかかえて、走り続けなければならなくなっていたのだ。

オットが何かするたびに、何か言うたびに、文句やひとりごとで悪態をつきたくなるが、介護者としてトラブルを回避する方法は、以下4つ。

1) 冷蔵庫のドアだけでなく家じゅうの壁や柱に娘たちと孫たちの写真をべたべた貼っておく。ふと顔を上げたとき、愛らしい子供達の顔が笑いかけてくれる。娘や孫の笑顔は何よりも強力な現実逃避策だ。
2) あちこちに日本製ロイスのチョコレートを、すぐ口に入れられるようにして置いておき、オットがトイレを汚したり、1日に5回も洗濯機を回さなければならなくて、げっそりな時ごとに、すかさずチョコレートを口に入れて、その味わいに集中する。
3) オットと対面しているときは、笑顔で、片耳だけ髪にかくしてイヤホンでモーツアルトを聴いている。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1番、モーツアルトのバイオリンコンチェルト3番。自分が弾いたことのある曲を聴いているときはどんなに周りがうるさくても曲に集中できる。
4) ギターでシングアソングライター的即興で、がなりたてる。私は知る人ぞ知る(誰も知らない)作詞家で、「あなたが死んでも泣かないかもしれない」とか、「骨は青い海に沈めて」とかいう新作(珍作)を自分で歌うのだ。オットにはもちろん日本語がわからない利点がある。
以上だ。

2015年3月23日月曜日

映画 「アリスのままで」

       



原題:「STILL ALICE」
原作:リサ ジェノヴァ
監督:リチャード グラリア、ワッシュ ウェストモアランド
キャスト
アリス:ジュリアン モア
アリスの夫:アレック ボールドウィン
アリスの次女:クリステイン スチュワート
アリスの長女:ケイト ボスワース

主演したジュリアン モアは、この映画で、若年性アルツハイマー病患者を演じて、ゴールデングローブ賞と、アカデミー主演女優賞を受賞した。脚本と監督をしたリチャード グラリアは、この朗報を待たずにアカデミー賞授賞式の2日前に、肺炎で他界した。奇しくも同じアカデミー主演男優賞を獲得した「博士と彼女のセオリー」の主役と同じ、ALS:筋委縮性側索硬化症だった。
ALSは、難病の一つで原因も治療法も確立されていない。ステイーブン ホーキンス博士の場合、発病後余命2年と診断されたが、奇跡的に進行が止まり、障害を持ちながらも存命しているが、一般的にこの疾病は、進行性で発病後徐々にすべての筋肉の機能が失われていって、最終的には呼吸筋が硬化して死に至る。 

一方、アルツハイマー病は、ある程度遺伝性が認められるが、神経細胞の変性と消失について明確な原因と治療方法が確立しておらず、いったん発病すると脳の委縮が始まり、運動機能が失われ、認知能力も記憶力も失われていく。多くの患者は、大脳の委縮によって、自分の家に帰れなくなる、家人を他人と見分けられない、自分が他人からないがしろにされ、ひどい扱いを受けている、など、被害妄想に苛まれ、幻覚に苦しみ、日常生活に支障が起きる。治癒のための治療法はないが、患者が事故にあわず安全に生活するための援助をすることによって、延命させることができる。
ストーリーは
アリスは言語学者で、コロンビア大学で教鞭をとっている。夫は立派な実業家、すでに独立して家を出ていった二人の娘と息子がいる。長女は双子を妊娠していて、末っ子の次女は役者になる夢を追っている。。長男はパートナーとうまくいっていないようだが、仕事はまじめにやっている。まずまず幸せで、順調な家庭生活だった。
ところがアリスは50歳になり、物忘れが激しくなってきた。講義をしていて、適切な言葉が出てこない、ジョギングをしていて帰り道がわからなくなる、など気になることが起こるようになって脳神経外科医を訪問して、そこで若年性アルツハイマー病であると診断される。アリスの父親はアルツハイマー病で亡くなっていた。3人の子供たちが遺伝子検査を受けるために、病院に送られることになった。そこでわかったことは、双子を妊娠している長女がアリスと同じ遺伝子を持っていることだった。急きょ妊娠している双子に遺伝子を取り除くプラズマ治療が行われた。アリスは娘に謝ることしかできない。
失業したアリスは、自宅のコンピューターに、いくつものファイルを作り、自分が自分であることを忘れても、日常生活に支障をきたさずに済むような対策を練る。ひとつのファイルには、押し入れの奥に隠した薬を一挙に全部飲み、ベッドに横たわるように、それを誰にも言わずに一人でするように、というものだった。
アリスの初孫が無事に生まれ、夫は仕事で忙しく、恋人と別居していた長男は仲直りして同居するようになり、役者になりたいと望んでいた次女は、徐々に望みを実現していこうとしている。ある日、コンピューターに、見知らぬファイルをみつけたアリスは、ファイルの中の自分が言うように、寝室に行って押入れの奥から薬ビンを見つけ出す。しかし飲み込もうとしたときに、家政婦がやってきてビンを落として薬は床に飛び散ってしまう。それがどんな意味を持つものだったのか、アリスにも家族にも誰にもわからない。一見平和で静かな家庭生活は何事もなかったように過ぎていく。
というお話。

誰も映画の中で、泣いたりわめいたり、怒ったり、争ったり、ぶん殴ったり、刺したり、誘拐されたり、殺したり、逃亡したり、麻薬を打ったり、カーチェイスの末、車ごとひっくり返ったり、銃撃戦の末生き残ったりしない。知的で3人の良い子をもった中産階級の中年女性が記憶をなくす病気になったという日々を淡々と描写した映画だ。

しかしアルツハイマー病は、現代社会のなかでは治癒することのない進行性の病気で、一体誰に発病するかわからない。自分かもしれないし、家族の大切な一員に明日降ってわいたように降りかかってくる疾病かも知れない。老人人口が増大するに連れ、患者は増える一方で減ることはあり得ない。明日は自分の話か、そういった潜在的な恐怖感が、この原作をベストセラーにして、映画に注目が集まる結果になったのではないだろうか。
しかし、この映画はとてもきれいに作られている。きれいすぎて嘘くさい。
映画のなかでは、ニューヨークに住む中産階級のナイスな家、海辺の別荘、一人としてグレない立派な3人の子供たち。長女はアルツハイマーの遺伝子は持っているが妊娠中の赤ちゃんには遺伝子を排除できる高額の医療費を楽々出せて、夫はアリスのために家政婦を雇っても家計が破綻する様子もない。50歳代の働きざかりのアリスが無収入になっても、ローン地獄が待っているわけでもない。イケメンのアリスは、トイレが見つからなくて、失禁したりもするけど24時間おむつのお世話になっている様子はないし、やさしい父親の理想像のようなアレック ボールドウィンと同じベッドで、夜中不安になればいつでも抱きしめてもらえる。イケメンの長女、長男、次女みんな経済的に困っている様子は全くないし、末娘のクリステイン スチュワートなど、思わず見入ってしまうほど画面にでてくるたびに美しくて、役者になりたがってる女の子というより世界的に名の売れたモデルで売れっ子ハリウッド女優そのままだ。吸血鬼を愛してしまう「トワイライト」シリーズで、去年は映画界で最高金額を稼ぎ出した女優だそうだが、すばらしいスタイル。彼女はいま一番輝いている美貌女優だ。

それにしても、そんな中産階級の贅沢ばかり見せられた後で、いったい、そんでもってアリスが可哀そうですか?
パリ大学のトマ ピケテイ教授に言われるまでもなく、資本主義社会では原則的に富裕層と貧困層との格差は拡大する一方だ。ごく一般の共稼ぎ家庭で、働き盛りの一方が病気で働けなくなったら、以前と同じ生活レベルを維持していくことはできない。アルツハイマー病の治療薬はないが、進行を遅くしたり、抗精神病薬や、抗鬱病や抗てんかんなどの薬を併用するので医療費もかかる。症状が進めば失禁でおむつも要るし、施設にも入れなければならず医療費はかかる。経済的だけでなく、家族を認知できなくなった家人を世話しなければならなくなった家族の精神的な負担は語り切れない。アカデミー賞受賞で、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望むと、ジュリアン モアは、言っていたが、実際のアルツハイマー病の患者がこの映画をみたら、「こんな映画みたいにきれいごとじゃないぜい。」と言い捨てるだろう。

2015年2月28日土曜日

映画 「博士と彼女のセオリー」


                                  

監督:ジェームス マッシュ
キャスト
ステイーブン ホーキング: エデイ レッドメイン
ジェーン ホーキング  : フエリシテイ ージョーンズ
ジェーンの母       :エミリー ワトソン
ジェーンの再婚相手  : チャーリー コックス
ステイーブンの父  :サイモン マクバーニー
ステイーブンの母  :アビゲイル クラッテンデン

2015年アカデミー主演男優賞は、この映画でステーブン ホーキングを演じたエデイ レッドメインが、受賞した。予想通りだったので、嬉しい。受賞のスピーチで彼は、これが進行性の難病、筋委縮性側索硬化症について人々が関心をもつ契機になってくれることを願っていると言っていた。同時に主演女優賞を受賞したジュリア ムーアも、若年性アルツハイマー病になった女性の映画「アリスのままで」で主役を演じて、同じように、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望んでいるとスピーチで言っていた。偶然だが、今年はアカデミー賞主演賞が、男女ともに治癒不能の疾病に陥る人を演じた役者の手に渡った。スーパーマンのクリストファー リーによる頚椎損傷、マイケル フォックスのパーキンソン病などの前例もある。確かに病気に全く関心のなかった人々が、映画を見てその疾病についての理解を深めることは、助け合い社会のなかで、とても良いことだと思う。

この映画の撮影は、ほとんどケンブリッジ大学で行われたという。大学の世界ランキングでは、その学問上の業績、講義内容、専門、社会的貢献度などで検討した結果、いつも世界第一位を取っているケンブリッジ大学が舞台で、興味深い。学生寮やキャンデイーバーやクラブなど、古臭くて落ち着いた名門校の雰囲気が、とてもイギリス的だ。アイザック ニュートンが使っていた実験室がそのまま残っていて学生たちにインスピレーションを与えているところなども、とても印象的。

エデイ レッドメインは線が細くて、愛苦しい顔をした、イギリス人の舞台役者だ。ミュージカル映画「ラ ミゼラブル」で、ジャン バルジャンの娘を恋する純粋な青年マリウスを演じた。「レ ミゼラブル」は、マッチョなヒュー ジャックマンとラッセル クロウが主役で、中年のパワーを爆発させていたが、それをレッドメインは、「撮影現場に行ったら、ウルヴァリンとグラデイエーターが発声練習をしていた日のことは忘れられないよ。」と言って笑わせてくれた。それはそれは、忘れられないほど怖かったことだろう。
レッドメインは、顔が可愛い。動作が可愛い。背丈はあるが線が細く華奢にできていて、いかにも繊細で、美しい手指をもっている。少女漫画に出てくる主人公のキャラがすべてそろっている。彼は、この映画でホーキングを演じるにあたって、ホーキングのインタビューや動画を見て彼の生活を研究するのに、半年かけて役作りの準備をしたという。直接本人にも面談して、ホーキングの全面協力を受けて、彼が現在使っている音声を、映画のために提供してもらっている。進行性の難しい疾病をもった人をよく表現している。この映画では、とにかくレッドメインの演技が傑出している。

 ストーリーは
ステイーブンはオックスフォード大学で学びながら、ボート部ではコックスを務め、サイエンスフィクションの同好会で友人たちと交流し、学生生活を満喫していた。学生たちの集まるパーテイーで、美術史と哲学を学ぶジェーンに出会い、互いに親密さを深めていた。ステイーブンは、宇宙物理学の世界で、相対性理論を宇宙物理学の理論を深めていき、ブラックホールの特異点定理を発表した。ケンブリッジ大学大学院に進み、のちにこの定理で博士号を賞与される。
ジョーンと出会ったころから、彼は頻繁にバランスを失って転ぶようになり、21歳のときに筋萎縮性側索硬化症と診断され、余命2年と宣告される。両親や友人たちは、彼からジェーンを遠ざけようとするが、ジェーンはステイーブンと一生を共にする覚悟でいて、二人は結婚する。ステイーブンの研究は世界的に名を知られるようになって、ジェーンとの間には、二人の子供も生まれ幸せな日々を送る一方、彼の病状は進行していった。
ステイーブンの車椅子を押し、彼の日常生活を介助しながら、二人の子供たちの子育てに追われていたジェーンは、その負担から逃れて休む余裕はなかった。疲れ切っているジェーンに、母親は、教会のコーラス団に入って気分転換することを勧める。そこでジェーンは、コーラスを指導する教会の牧師チャーリーに出会う。ジェーンは教会で歌うようになって日常のストレスから逃れ、自分を取り戻すことができるようになった。やがてチャーリーは、ジェーンの子供たちにピアノを教えに通ってくるようになり、家族の一員のように一緒にピクニックに行ったり、子供たちを海で遊ばせたりして、家族の父親役を買って出てくれるようになった。徐々にジェーンはチャーリーに惹かれていく。一方で、ステイーブンは、世話係の看護婦との絆が深まり、遂にステイーブンは、ジェーンを置いてアメリカに移る。というお話。 ホーキングの大学生時代から、ジェーンと結婚して3人の子供に恵まれたのち、離婚するまでの約25年間の軌跡を映画化した作品。

映画ではジェーンが夫に背徳をおかした様に描かれている。3番目の子供が生まれたお祝いのパーテイーで、ステイーブンの父親が怒って、「お前たち、いつまでこんな生活を続けていくのか?」と詰問するし、ステイーブンの母親など、もっと露骨にジェーンに向かって、「誰の子なのよ。一体この赤ちゃんは誰の子なの?」と、ジェーンを殺しかねない勢いだ。映画の脚本家アンソニー マッカーテインは、自分の脚本を映画にするために、実際のジェーンと交渉し、承諾させるのに3年かかったと言っているが、この内容ならそりゃジェーンは映画化に反対するわけだ。現存する人の伝記を映画にするのは、本人の尊厳に関わってくるから簡単ではない。
ホーキング自身は映画製作に協力的で、トロント映画祭で、この映画がオープニングで公開されたときには招待されていて、観客席でにニコニコ笑って映画を見ている姿が、オーストラリアでもニュースになって流れた。

ホーキングの宇宙論は、従来の時空理論を否定した全く新しい宇宙の考え方だった。この映画の原題は、「THE THEORY OF EVERYTHING」。直訳するとすべてを説明する定理、万物の法則を言う。宇宙の始まりのことだ。それが邦題になると、「博士と彼女のセオリー」というよく意味のとれない題になっている。博士とジェーンの二人の間にセオリーなどない。映画の内容のそぐわないので、そのまま原題を当てた方が良かった。
他にも「BOOK THIEF」(本泥棒)という名作映画を、邦題は「優しい本泥棒」、、、優しくて泥棒ができるか、どうかよくわからない。「ミケランジェロプロジェクト」も、原題は「MONUMENT MEN」。ナチスが奪った2万点の美術品を奪い返すために戦場に送られた男たちは、モニュメントマンと呼ばれていたのであって、奪われた美術品のなかに、ミケランジェロの作品もあったに過ぎない。ミケランジェロプロジェクトという造語は、映画の中でも一度も出てこない。「12YEARS SLAVE」という映画も、12年間奴隷にされた男の体験記で、「それでも夜は開ける」という邦題をつけてしまったら、映画を見る前からタイトルによってハッピーエンドが予想されて、見る人の想像力を削いでしまう。150年前にこれを書いた人に失礼だ。どうして奇妙な邦題をつけるのか、映画の題名は内容と切っても切れない関係にある。内容を損なうような邦題は避けてほしい。ここでは「博士と彼女のセオリー」が何なのかは、この映画を見る前も見た後も皆目わからない。

映画では、ホーキングとジェーンの25年間の結婚生活の甘さと苦さがよく描かれている。ホーキングの宇宙論からすると当然「万物を創造した神」は存在しない。その理論をよく理解していたジェーンが、教会に心の救いを求めたのは、夫の日常の世話が一手に妻にかかっている重すぎる責任とストレスゆえだったと思うし、敬虔なカトリックの家庭で生まれ育った彼女のバックグラウンドにあったと思う。

いま私は歩けなくなったオットの車椅子を、鬼のような顔で押している。映画を見ながらジェーンの姿に自分を投影して、とても共感を持った。ジェーンは余命2年と宣告された男と結婚して、25年間相手を世話した。全然笑顔など見せず負けん気一本、硬い表情、勝ち気な顔で必死で車椅子を押している。そうなのだ。笑顔など見せながら車椅子は押せない。障害者を世話している人は一様に厳しい表情をしている。相手の命がかかっているし。鼻歌を歌いながらできるような生半可なことではない。 私は歩けないオットを週3回、腎臓透析のために病院に連れていき、残りの日は仕事場に連れていき、日曜には映画館に連れても行く。安全な所に車を駐車して,車椅子を積み降ろして広げ、オットを座らせる。帰るときは、オットを立たせて車に押し込み、重い車椅子をたたんで、車に入れて発車させる。自分の体重の2倍あったオットの体重はいま、痩せて1.5倍くらいになったが、車椅子の重さも、オットの重さも半端ではない。車椅子を押しながら、この先どこを通ったら安全か、どこのトイレに連れて行くか、駐車時間は大丈夫か、先先のことを考えながら押している。たった5センチの段差が車椅子では乗り越えられない。親切そうに見える人が、行く先の邪魔になったり、健常者なのに障害者トイレを占領して困らせたり、車椅子を下している間に、駐車スペースを横取りされたりして、頭にきて叫びだしそうに何度もなる。自分の顔が鏡を見なくても目が吊り上がって、鬼のような顔になっているのがわかる。この映画を見ていて、ジェーンの表情の硬さに心から共感できた。フェリシテイ ジョーンズはジェーンの役をとてもよく演じている。きつい顔が真に迫っている。

それにしてもエデイ レッドメインの演技が秀逸だ。アカデミー主演男優賞受賞に納得。イギリス映画の良さが詰まったような良質の映画。見る価値はある。

2015年2月27日金曜日

漫画 「ばらかもん」1-10巻


 


こちらでは、漫画は単行本しか手に入らないので、雑誌に連載されたあと単行本になったものを、今まで何年か続けて読んできて、今もずっと愛読している作品が、今のところ8つある。どれも日本でも人気の作品だと思う。
1:「リアル」と「バカボンド」 井上雄彦
3:「聖おにいさん」 中村光
4:「宇宙兄弟」 小山宙哉
5:「3月のライオン」 羽海野チカ
6:「ちはやふる」 末次由紀
7:「きのう何食べた」 よしながふみ
8:「SUNNY」 松本大洋

もう完結して雑誌にも掲載されていないが今だに、処分せず書棚にしまってある漫画は、3つ。本は人類にとって共通財産だから、読めば他の人にあげて少しでも流通させるのが良いことだと思うけど、この3つは所有していて手放したくない。
1:「ファイブ」 松本大洋
2:「岳」 石塚真一
3:「モンスター」 浦沢直樹

ヨシノサツキ著の「ばらかもん」1-10巻を読んだ。
とても絵がきれいだ。九州の五島を舞台に、出てくる子供達がおおらかで素直なうえ純粋で心が洗われるようだ。一人の書道家の人間としての成長と、芸術家としての確立を、あたたかく見守る島の人達と子供達が、描かれていて内容がしっかりしたヒューマンストーリーになっている。とてもおもしろくて、久々のヒットだ。漫画だけでなく、日本では昨年の7月から9月までアニメになってテレビで放映されたようだ。一般に漫画は、作者の独特のユーモアと先鋭的な視点の先取りが、読者を惹きつけるが、人気が出きて、映画になったりドラマになったりすると、ストーリーが読者に迎合して凡庸になる。そんなふうで魅力半減した漫画が 過去にたくさんあった。
この漫画の作者は、実際、舞台になっている島の出身で、いまも居住しているらしいが、今後も、離島の文化をバックに、書道家と子供達の成長ぶりを描き進めて行ってほしい。

ストーリーは
23歳の書道家、半田清舟は自信をもって出展した作品を書院の館長に、頭ごなしに否定されて激怒して思わず館長をぶんなぐってしまう。そこで同じ書道家である父親の命令で、九州西端の五島に送られる。頭を冷やしてこい、という訳だ。子供の時から習字が得意で、沢山の賞をとり、書道家の名家の一人息子として育てられた清舟は、初めて東京の親許から離れて、一人暮らしをすることになる。タイトルのばらかもんとは、元気者という意味。
清舟は、島に到着してみたが、持たされてきたのは郷長さんの住所だけ。飛行機で空港に着いたがタクシーもバスもない。たまたま通りかかった耕運機を運転するおじいさんに拾ってもらって、ようやく村に到着する。お世話になる郷長さんに案内された古い家は、どうやら村の子供達の秘密基地だったらしい。押入れを開けると、そこには小さな女の子が隠れている。女の子の名は、琴石なる。

たったひとりで、自己に立ち向かい己の書というものを極めたい、などと考えていた清舟は、実際島に着いてみると、到着したその日から料理ができるわけでもない、自立からはほど遠い。善良で人の良い郷長さん家族に3食の食事を送り届けてもらい、毎日「あそぼー」と、やって来るなると、なるをとりまく子供達の世話で、徐々に生活ができるようになっていく。そんな世間知らずで不器用な清舟と、それをおおらかに受け入れる村の人々との不協和音が、次第に和音を作り出していく。
というお話。

この漫画の魅力は、天真爛漫を絵に描いたような7歳のなるにある。一方、気難しくて鬱屈した芸術家の半田清舟が、実はなるとは鏡のように同じ、邪鬼のない純粋な心を持っていることが次第に分かって来る。清舟はなるの言動に本気で怒り、なるを追い出したり、投げ飛ばしたり海に投げ込んだり、無茶苦茶をするが、なるも黙ってはいない。いつも本気で、根が素直なふたりは、反発しているようで、互いに魅かれ合っている。23歳の清舟は、なるに自分を先生と呼ばせているが、実際手取り足取り生活の仕方や、人とのかかわり方を教えられ、支えられているのは清舟の方だ。二人は互いに無くてはならない強い絆で結ばれている。

中学2年生の山村美和は言う。「こっちは先住民の結束ってもんがあるけん、簡単に都会の人を受け入れるのに抵抗があるし。しかしまあ、本人を知れば知るほど警戒するのがバカらしくなったけど。」 そんなふうにして清舟を慕って来て、清舟の家を自分の家のようにくつろいでいく子供達が、生き生きと描写されている。
中学2年の美和のスポーツ少女ぶり、親友の新井たまの漫画家おたくぶり、彼女の弟あっきーの大人びた人格者ぶり。しかし何といっても郷長さんの息子、高校3年生の浩志が魅力的だ。彼は就職するにしても進学するにしても、じきに生まれ育った島を出ていかなければならない。両親や、村の共同体から別れ、清舟のお世話係も終わりに近い。進路に悩む浩志に、清舟は、グローブをつけながら、「進路の悩みね。人生の先輩としてオレを選んだのは正解だぞ。あれグローブって、どっちの手につけんの?だいたいなんでキャッチボールしながら相談なんだよ。」 すると浩志は、「ただ座って真面目な話すると恥ずかしいだろ。」 と言って浩志が投げたボールを受けるどころか、顔面に当てて倒れる清舟。 「先生もしかしてキャッチボールしたことないの?」 すると清舟は、「バカヤローやったことなくても出来るわ、こんな小僧の遊び。」 大笑いだが、まっすぐ素直な二人の少年の姿にほろりとする。

腹を抱えて笑ったシーンは、村に一台の黒電話。
清舟が黒電話を見て、「うわっ黒、何だこれ、テレビでしか見たことがない。」 で、彼が文字盤を押しても何の反応もない。横に居る子供達に、「回さなくちゃ」と言われ、清舟は、「知ってるよう。固くて回りにくいんだよ。こうだろ、ほら回った。」 と回したのは良いがそのままなので、子供達に「指離してよかよ。」と。これに清舟は、「知ってるよ、そのくらい。」 しかし、ここを小学校6年生のあっきーに、「完全にまわしてみたものの次はどうしたら、、、。って表情してましたよ。」と言われ、ついでにまた「その前に受話器とらなきゃつながりませんよ。」と言われて、かあーと頭に血がのぼる清舟。

初めてなるが清舟に会った時の会話も笑える。清舟がことのほか美男子なので、なるがびっくりして、「兄ちゃん、ジュノンボーイか?」と聞く。あせって 「ジュノン ちがう ちがう。」と否定する清舟の表情に大笑い。ジュノンの意味がわからなくて、実はグーグルで検索した。「JUNNON」というボーイズファッション雑誌のことだったとわかって、大笑い。

舗装した道路しか歩いたことのない清舟は、岩場など危なっかしくて転んでばかりいる。海に入っても泳げない。料理しようとすると両手血だらけ、不器用で鮮魚をもらっても魚一匹下ろせない。虫が怖い、クワガタも触れない。山に入れば迷子になる。そんな清舟と村の子供達とにやりとりが、ただ可笑しいだけでなく、心が温まり、感動的なヒューマンストーリーになっている。読んでいる内に、潮の香がしてきて、波の音が聞こえて、目の前に青い空が広がって来る。そんな気持ちの良い作品。得難い作品だ。




2015年2月13日金曜日

ハッピー バレンタイン!!!

  
           

18年間、一度も忘れずにセントバレンタインデイには、真紅の薔薇の花束を贈ってくれたオットよ。18年間ありがとう。去年の今頃は、忙しい仕事の合間に、職場から、花束を贈ってくれた。

いまオットは、歩けなくなって。
大丈夫。
車椅子で職場に連れて行ってあげるから。
鏡の前で、いつまでも悄然としているオット
どしたの と問うと
ネクタイの締め方が思い出せない、と。

土曜の朝は、真夏で気温が40度の暑さ。
ベランダのタイルは熱を帯びて焼け付くよう
買い物から帰ってきたら そこに寝転んでいた。
どしたの と問うと
転んで起き上がれないと。
大丈夫
二人なら起き上がれる。

今年は結婚して初めて、薔薇の花束を送れないオット
大丈夫
二人して薔薇園にいる夢をみよう。

ハッピーバレンタイン!!!

2015年1月24日土曜日

映画 「アンブロークン」

             

監督: アンジェリーナ ジョリー
原作: ローラ ヒレンブランド 「UNBROKEN」
キャスト
ジャック オコーネル:ルイ ザンペリーニ
ドンバレ グリーソン:フィル ラッセル
MIYAVI       :渡邊睦祐伍長
(撮影がシドニーで行われた為、沢山のシドニー在住日本人がエキストラで出演している。)

ストーリーは
ルイ ザンペリー二は、イタリア移民一家の末息子として生まれた。敬虔なクリスチャンで教育に熱心な父親、料理上手で優しい母親、優秀な兄といった家族の中で、ルイは学校をさぼり、盗みやタバコや酒に手を出して、コソ泥と喧嘩しかできない自分にすっかり自信を失っていた。そんな時に、早くからルイの足の速さに注目していた兄は、弟にランニングを手ほどきする。負けず嫌いなルイは、来る日も来る日も兄に従い、訓練を続けた努力が実り、全国の高校で最速記録を作る。自信をつけたルイは、勢いに乗って19歳で1936年のベルリンオリンピックに出場、新記録を更新する。その後、彼は開戦とともに、空軍に志願して爆撃機の搭乗員となる。交戦中に、乗っていた爆撃機が銃撃を受けて、太平洋に墜落するが、生き残った二人の仲間とともに47日間漂流したあげく、日本軍の軍艦に発見されて、捕虜となる。

連行された東京の大森捕虜収容所では、渡辺睦祐伍長(のち軍曹)が、責任者で、その冷酷非道ぶりは捕虜たちの間で恐れられていた。特にルイは、オリンピック代表選手として、どんなときでも顔を上げ相手の顔を正面から見る態度が身についていたため、この伍長から徹底的に嫌われて一方的に暴力を振るわれることになる。一方、ルイの乗った戦闘機が墜落したことから、米国ではもはや生存者はないと判断されて、家族はルイが戦死したものと思っていた。ルイは大使館に連れられて行き、自分が生きていることを、米国向けのラジオで伝えるように言われる。しかし日本軍は、その代わり米国に向かって日本軍の宣伝のメッセージを読み上げるように要求する。それを断ったルイは、捕虜収容所に戻されて、前にも増して激しい虐待を受けるようになる。戦況が悪化し、東京が空襲を受けるようになると、捕虜たちは石炭採掘場から石炭を積み出す作業所に送られる。激しい肉体の酷使の中で、ザンペリーニはどんな虐待にも屈せずに生き残り終戦を迎えたというお話。
映画の後、スライド写真が写されて説明が続く。この渡邊という人は、戦争が終了するといち早く、B級戦犯となったが、GHQに捕獲される前に逃亡し1953年まで身を隠し、戦犯裁判の追及から逃げ切った。ザンペリーニは、その後来日して渡邊に赦しを与える、として面会を求めたが,渡邊は拒否し、2003年に亡くなった。ザンペリーニは1998年の長野冬季オリンピックの聖火リレーに招待されて、80歳で聖火を持って走ったが、その彼は2014年7月に高齢で亡くなった。アンジェリーナ ジョリーは、彼の実話を映画化している最中に本人が亡くなって、作品を本人に観てもらえることができなくなって、とても悲しんだそうだ。

日本ではこの映画、日本軍による捕虜虐待が問題になって上映する、しないで論議されているらしい。日本軍による捕虜虐待は現実にあったことなので、どうして今それが問題になるのかわからない。映画作品を、どんな見方をするかは、人によって興味が異なるから、違ってくるだろうが、わたしには、この映画、米軍爆撃機が墜落して、太平洋で47日間漂流する場面のほうが、捕虜時代の場面よりも印象が深かった。ゼロ戦との交戦、戦闘機の破損と墜落までは、息もつけない緊張の連続シーンだ。それからゴムボートで漂流する3人の男達の落胆と絶望。
太平洋戦争末期には、日本軍のゼロ戦戦闘機は、帰還するための燃料を積まずに、片道突撃攻撃を命じられた。しかし米軍戦闘機には、大きなゴムボート、非常用食料や水だけでなく、ゴムボートを修理するための接着剤までついている。墜落しても隊員が生きていけるように配慮してあるのだ。ベトナム戦争でも、兵士がたった一人戦闘機から墜落しても生き延びていけるように、非常食や衣類だけでなく、魚を釣って食べるように釣り糸と針まで入った非常用バッグを持たされていた、と、「開高健」が、ベトナム従軍記で書いていた。戦闘で失敗しても兵士を生かすか、死なせるか、それほど国によって命の価値が違っていたのだ。

47日間の漂流で示されたザンパリー二の不屈の精神は、捕虜になっても続く。日本軍が米国向けの放送に彼を利用しようとしたとき、事実ではないことは言えないと拒否し、返された収容所で待っていた激しい拷問にあうところが、映画の山場だろう。スポーツによって培われた不屈の精神が描写される。この映画は、一人の男の不屈の記録映画だ。
映画ではMIYAVIという役者でロッカーなイケメンが、ネチネチ迫ってくるかと思うと、突然爆発する渡邊伍長を、とても上手に演じていて、渡邊をサデイストのサイコパスみたいに扱っている。終戦となり、米軍捕虜収容所に米軍物資の果物の缶詰やコンビーフなどが投下されるようになったとき、ルイが缶詰を持って、渡邊の部屋に行くシーンがあるが、これは非現実的。何度も銃をつきつけられて、なぶり殺されそうになったルイが、立場が変わったからと言って、昨日の今日に渡邊を許して食糧を分け与えるとは思えない。ルイが渡邊の部屋に残された,子供のころの渡邊とその母親らしい人の写真を見ることで、片親ーマザコンー人格欠損症、といった渡邊がサデイストに至る過程を想像することはできるが、事実は、渡邊だけが日本軍の中で精神のおかしな男だった訳ではない。日本軍は、「もともと捕虜を認めない」といった、「軍の教育」が誤っていたのだ。日本軍は、捕虜にならないという教育をしており、捕虜の扱い方にも統一した指針がなかった。そんな日本軍のシステムそのものに問題があったのだ、と私は思う。

太平洋戦争の当時、捕虜に関する国際条約には、1907年10月にオランダのハーグで調印された条約と、1929年7月にスイスのジュネーブで調印された条約がある。前者は交戦者とは何か、捕虜とは何かについて明らかにしている。後者では、具体的に捕虜の扱い方について定められている。日本は両条約に署名しているが、比準したのは前者だけ。ジュネーブ条約は日本海軍の反対によって調印されなかった。理由は、
1)日本軍では捕虜にならないように教育が行われ、日本人捕虜はありえないため、日本だけが欧米人捕虜を待遇するための負担を負うことはできない。
2)捕虜を通じてて敵国に軍事秘密情報が漏れる恐れがある。
3)捕虜待遇、懲罰規定よりも日本軍の懲罰規定のほうが厳格なので、条約に従うと、軍規がゆるんでしまう。などの理由からだった。また中国人捕虜については、「中国人は捕虜ではない。シナ事変は戦争ではないからである。」 したがって「中国人捕虜を捕虜として収容する必要はない。」という日本軍の方針だった。まことに日本軍は国際感覚に欠ける戦争をして、国際社会に受け入れられないような捕虜の扱いをしたことになる。

よく日本軍が捕虜としてソ連に連行されシベリアで強制労働を強要された事実が論議されるが、シベリア抑留日本軍捕虜、64万人に対して、捕虜の死亡者は6万人、死亡率は約10%。しかし日本軍によって捕虜となった英米軍人の死亡率は27%。100人の捕虜のうち27人もの捕虜が過酷な強制労働、疾病、栄養失調などで死亡させられた。この数字に中国人や韓国人の捕虜死亡率は入っていない。これも入れたら大変な数字になる。いかに日本軍が人権感覚に欠如していたかがわかる。

日本軍の指導によって従軍慰安婦は軍とともに「従軍」した。連れ去られた人も、誘いに乗ってきた人も、娼婦だった人も、一様に軍人のために性行為を強制され自由がなかった点では同じ日本軍による戦争被害者だ。南京虐殺も実際にあった歴史的事実だし、たくさんの中国人を現地や日本で人体実験に活用した731部隊も実際にあった。カニバリズムも極端な飢餓の中で起こった。日本軍は武器しか兵士に持たせずに外国に派兵して、外国を侵略して、攻略した土地で食糧も、住宅も奪い、現地の人々を殺し、侵し、犯した。人民からは針一本奪わないといった厳しい軍の規律をもった軍もあったのだ。何という倫理観の違い。

今年2015年は戦後70周年を迎える。わたしたちはこの70年の間に、残されたおびただしい数の戦争被害者たちの声を聞き、彼らが残したものを読み、何が間違っていたのかを考え直さなければならない。他国を侵略することが、どれだけ間違ったことだったのか、事実を事実として認識しなければならない。この映画を観て、この機にたくさんのことが論議されるのは良いことだ。早く日本での公開されたら良いと思う。


2015年1月11日日曜日

映画 「ウオーター デイヴァイナー」

                                                                             
題名:「WATER DIVINER」
監督:ラッセル クロウ
キャスト
ラッセル クロウ :ジョシュア コーナー
ライアン コール :アーサー コーナー
オルガ クリレンコ:アイシャ
イルマズ エルトガン:トルコ軍将校ハサン
イルマズ セン :トルコ軍ジェマル
メイガン ゲール:アイシャの従妹

1915年第一次世界大戦の激戦地、トルコのガリポリではトルコ軍、オスマン帝国側の兵士8万人、連合国軍兵士4万人が、数か月の戦闘で死亡した。連合国軍側では、英国軍統率のもとで死亡した兵士の多くはオーストラリア軍兵士だった。その数8700人。

ガリポリはオーストラリア人にとって特別の意味を持つ。ガリポリと聞くだけで涙ぐむ人も居るが、ガリポリはオージーの愛国心の拠り所になっている。かつては英国からの移民として海を渡ってオーストラリアにやってきたオージーは、英国に忠誠を誓うことが心の拠り所だった。第一次世界大戦が始まると、男達は老いも若きも競って、軍に志願して、英国のために命を投げ出すことを厭わなかった。しかし英国軍の誤った統率によってガリポリで沢山の戦死者を出して、初めて裏切られ、英国から一歩離れて、独立したオーストラリア人として自覚するようになる。ガリポリはオージーの愛国心の原初体験になった。毎年8月になると、政府関係者や軍人だけでなく、何千人ものオージーがガリポリに向かって海を渡る。さすがにガリポリ戦の生存者は亡くなったが、その子孫たちや、若い人達が自費でやってきては、オージーの墓に花を捧げる。今年2015年は、100年目に当たるので慰霊祭は盛大なものになるだろう。オーストラリアが英国から独立するためにこれほどの命を犠牲に払わなければならなかったという意味で、命を落としたオージー兵は、国のヒーローとして決して忘れられることはない。
メル ギブソン主演の映画「ガリポリ」は、ガリポリ戦の残虐さを余すことなく映し出している優れた歴史的な作品だ。これを見ると、チャーチルの誤った統率によって若者たちが、トルコ軍が大砲と機関銃で待ち構える正面を、ただただ殺されるだけのために、走って行く姿は、戦争の本質を物語っている。優れた反戦映画だ。

そのような、ガリポリを背景にした映画を、オーストラリアを代表する役者ラッセル クロウが監督、主演し、オーストラリアを代表するアンドリュー レスニーを撮影監督に起用して製作された。ラッセル クロウの初めての監督作品と思えない素晴らしい作品。保守伝統で気取って、小さくまとまる階級社会の英国とも、その英国を小さくして少しだけワイルドを付け加えたようなニュージーランドとも、ハリウッドの戦争映画とも全然違う、オージーによる、オージーテイストの、「これがオーストラリアだ」、というような映画に仕上がっている。

ストーリーは
1915年8月ガリポリの戦闘で、3人の息子をすべて失ったファーマー、ジョシュア コーナーは息子たちの死後、生きる希望を失った妻と二人きりで暮らしていた。コーナーは息子たちを失った悲嘆を決して表には出さず、黙々と畑を耕し、水源を探し出し、農地を広げ一日中汗を流していた。妻は寡黙な夫を責め続ける。どうして息子たちが軍に志願するのを止めなかったのか。息子たちを失った喪失感は4年経ったが、決して癒えることはない。とうとう妻は息子たちを失った怒りをぶつけるようにして、自ら命を絶った。コーナーは、妻を埋葬しながら、隣に息子たちを連れ帰り妻の横に眠らせてやることを誓って、ガリポリに向かう。

戦後4年経っていたが、激戦地ガリポリはまだ英国軍の管轄下にあり、遺骨収集が行われていて、一般市民は立ち入り禁止区域になっていた。コーナーは、イスタンブールに上陸したが、南オーストラリアの僻地で農業をやっていた田舎者に対して、親切に対応してくれる領事も担当官も軍関係者も誰も居なかった。イスタンブールで、コーナーは戦争寡婦が経営する小さなホテルの宿泊する。ホテルの主人アイシャの幼い息子は、父親を失った寂しさからコーナーに付きまとい、コーナーもまた その息子が無垢の信頼を寄せる様子に、癒されていた。アイシャは戦死した夫の兄に、第三夫人として迎え入れられることになっていたが、まだ義兄の妻になる心の準備ができていない。押しの強い義兄が、アイシャの息子に暴力をふるう場に、たまたま居合わせたコーナーは、子供とアイシャを守るために暴力沙汰を起こし、ホテルを追われる。そのときにアイシャから教わった方法で、コーナーはボートでガリポリにたった一人、向かう。

英国軍は、戦争当時トルコ軍将校だったジェマルの案内に従って、英国軍兵士の遺骨収集をしていた。コーナーは英国軍兵士たちに邪魔者扱いされながらも、ジェマルに、息子たちが亡くなった8月3日の戦闘の様子を聴き出して、息子たちが倒れた場所を言い当てる。すると、父親が探し出してくれるのを待っていたように、次男と3男の遺骨が掘り出された。WATER DIVINER:水源を探し当てる霊的な能力を持った男、コーナーの能力が発揮された。しかし英国軍は遺骨を故国に持って帰ることを許可しない。コーナーは、仕方なく二人の息子をその場に埋葬した。そんなコーナーを見て不憫に思ったジェマルは、トルコ軍の資料を調べていた。そしてコーナーの名を、捕虜収容所の名簿の中に見つける。それを聞いてコーナーは 長男アーサーは、捕虜となりまだ生きていることを確信する。しかし、収容所はギリシャとの国境近いアナトリアにあった。その地はまだ国境線をめぐって、ギリシャが侵略を続けていて、戦争状態にあった。コーナーは、ジェマルの後を追って,戦地に向かい、、、、。
というお話。

3人の息子を失った母親の底なしの絶望、それをただ黙って受け止める農業主は寡黙だ。彼が話し相手にするのは長年の友、犬だけだ。 オーストラリアの巨大で荒削りな地形と景観、砂漠と酷暑に立ち向かい、耕地を切り開いてきた開拓者の力強さ、、、砂あらしの場面が素晴らしい。幼い3人の息子たちがウサギを撃ちに行った帰り、砂あらしに巻き込まれて死にそうになる。激しい嵐の波に向かって馬を走らせて救出に向かうグラデイエイターのお父さんが、誠に頼もしい。
水源を探し出し、ひとり黙々と穴を掘り、井戸を掘りあてるファーマー。でかい風車を作って風力発電で、畑を作り、夜になると子供達が眠る前に、本を読んで聞かせる、頼りになるお父さん。トルコ軍独立部隊とアナトリアに向かう列車で、トルコ兵がオーストラリア軍から没収したクリケットのバットを、どう使うか聞かれて、球を当ててみせて、これはオーストラリアではみんなやるゲームなんだ、と答えるシーンなど思わず頬が緩む。そのバットが人の命を救う武器になるなんて。
とにかくストーリーを運ぶテンポが良い。話が分かりやすくてとてもよくできた映画だ。

監督ラッセル クロウは50歳、8歳と10歳の男の子のお父さん。アカデミー主演賞を「グラデイエーター」で取って、ミュージカル映画「ラ ミゼラブル」では、テノールを歌うヒュー ジャックマンを相手に、バリトンの美声を聞かせてくれた。ロックバンドも持っている。役者の一方、「ラグビーやらない奴は男じゃない」オーストラリアで、ラグビーチーム:サウスシドニーラビドーズを持っていて、自分のチームを2014年グランドファイナルで、優勝に導いた。まさにオージーを代表する男なのだ。
その彼が初めて監督した作品とは思えないほど、よくできた作品。はやくも2015年に観た映画ベストテンに入ること疑いなし。ストーリーのプロットがしっかりしていて、構成が良くできている。配役も申し分ない。トルコ側の人々もみな適役だ。戦争寡婦のアイシャをやったオルガ グリレンコの可憐な美しさが際立っている。この女優、貧困家庭に育ったウクライナ人、13歳からモデルで働いていて、後にボンドガールに抜擢されて成功した。薄幸の寡婦役がすんなり合っている。メイガン ゲールが義姉役でカメオ出演していて豪華だ。息子役のライアン コ-ルも純真な好青年を演じている。

映像をオージーのアンドリュー レスニーに任せて成功。「ベイブ」1995、「ロード オブ リング」2001,2002,2003、「ラブリー ボーン」2008、「ホビット」3部作、2012,2013,2014を撮影してきた。「ロード オブ リング」3部作でアカデミー撮影賞を受賞している。「ホビット」3部作でも、きっとまた賞を取るだろう。この人の映し出す映像が、魔法のように美しい。オーストラリアの自然がこんなに美しかったのか。赤い土、真っ青な空、砂漠に沈んでいく太陽。乾いた風が耳元を通り過ぎていく、、、イスタンブールのアヤソフィア大聖堂の天井、素晴らしいタイルとステンドグラスに目を見張る。みごとなキリスト教とイスラム教の融合。ガリポリの美しい岸壁、くるくると白いガウンと帽子姿で舞うトルコの民族舞踊の流れるような美しさ、、、。アンドリュー レスリーの映し出す映像の美しさに言葉を失う。
とても良い映画だ。日本で公開されるとき、どんな邦題がつくか、まだわからない。映像が美しいのでそれだけで観る価値がある。
http://www.rosevillecinemas.com.au/Movie/The-Water-Diviner

2014年12月23日火曜日

2014年に観た映画 ベストテン 1位ー4位

                            
                       

第1位
「ゼロ グラビテイ」
監督:アルフォンヌ キユアロン
キャスト
サンドラ ブロック:ストーン博士
ジョージ クルーニー:コワレスキー飛行士

2014年1月26日に、この映画の紹介と批評を書いた。
登場人物二人きりの映画。重力のない地球上空600キロメートルの宇宙空間。スペースシャトルを修理中だった二人が事故にあい宇宙に放り出されて、帰るべきスペースシャトルは爆発、遊泳しながら国際宇宙基地にたどり着いて、地球に再び帰ることができるかどうか、というお話。
無重力の宇宙空間を浮遊する宇宙飛行士を撮影するために 製作チームは360度LPライトで囲まれたライトボックスという大きな箱を造り、影のない3Dの立体像を映し出す仕組みを作った。その中で一本のワイヤーに吊るされ特殊装置に繋がれたたサンドラ ブロックが、無重力の中で遊泳する演技をするために、5か月ものあいだ激しい訓練を受けたという。役者は体が資本というが、49歳のサンドラの柔らかい身のこなし、ぜい肉ひとつついていない少年のような体に、好感がもてる。

シドニーのアイマックスは世界一大きいらしい。縦30M、横35Mの巨大スクリーンに映し出される3Dの宇宙は限りない闇で、音のない恐ろしい場所だったが、体験型映画というか、自分も本当に宇宙遊泳しているような気分になれた。重力があって、酸素が当たり前みたいにあって、何の装置がなくても息ができて自由に動き回れることが ありがたく思える。こういったサイエンスフィクションのクリエーターは、日夜、人が考えないような方法で、科学を映像化して、人々の想像力をかきたててくれる。こんな素晴らしい物造りに携わる人々がいて、そういった映像を見ることができることに感謝したい。撮影チームに感服した。得難い映画だ。


第2位                                                           

「ミケランジェロ プロジェクト」
監督:ジョージ クルーニー
キャスト
ストークス中尉:ジョージ’ クルーニー
グレンジャー中尉:マット デーモン
キャンベル軍曹:ビル マーレイ
ヴァルランド:ケイト ブランシェット

3月22日に、この映画の映画批評を書いた。
ヒットラーは世界的価値の高い美術品をヨーロッパ各国から略奪し、世界一大きな美術館をオーストリアのリンツに建設して、収集したものを展示するつもりでいた。6577点の油絵、2300点の水彩画、959点の印刷物、137点の彫刻を含む6万点の美術品を岩塩抗に隠していて、もしもそれらを奪い返されそうのなったら、一緒に隠してある1100ポンドの爆弾で、すべてを灰にしてしまう予定だった。連合国首脳部は、戦争終結に先立って、これらの美術品の隠匿場所を突き止めて奪い返す方策を練っていた。博物館の館長、美術鑑定士、美術史研究者など、8人が選ばれて、ヨーロッパ戦線に送られた。彼らはモニュメント マンと呼ばれ、ヒットラーが隠匿している美術品を見つけて安全な場所に保護して運搬する命令を受けていた。
彼らはパリ美術館館長の秘書をしていた女性の助けを借り、オーストリアアルプスのもと、岩塩抗を見つけ出し、美術品を保護する。実話で、8人のうち2人の犠牲を出しながらも、危険を顧みず世界遺産を守るために力を尽くした。

有名な絵や彫刻がたくさん出てくる。ラファエル、ダ ビンチ、レンブラント、フェルメール、ベルギーのヘントにあるシントバーフ大聖堂の「ヘント祭壇画」、ベルギーのブルンジ教会にあるミケランジェロによる大理石の「マドンナ」。 撤退するドイツ軍が無造作にレンブランドやピカソを火の中に放り投げているシーンなど怒りで叫び出しそうになる。芸術作品に触れることで人は心を動かされ、魂を浄化させ、痛みを忘れ、生きる力を得る。芸術なくして人々の営みに、意味はない。かつても芸術家たちが、自らの命を紡ぐようにして作り出してきた作品を守り、次の世代の伝えていくことは、今を生きる人の義務でもある。この映画は 善良を絵にかいたような8人の「良い人」たちが、略奪や焼失から世界遺産を守った「美談」で、英雄的なお話だから、ちょっとうまく出来過ぎているような気がするけれど、感動せずにいられない映画だ。ジョージ クルーニーの監督した5つ目の作品。繰り返し観たくなる映画だ。


第3位
                    
「優しい本泥棒」 (BOOK THIEF)            
監督:ブレイン パーシバル
キャスト
ジェフリー ラッシュ:養父ハンズ
エミリー ワトソン :養母ローザ
ソフィー ネリス  :ライゼル

1月18日にこの映画の紹介を書いた。
1938年ベルリン。ヒットラーを総督とする軍部の力が日に日に増している。公然と赤狩りが行われ、共産党の活動家夫婦は、娘の安全を考えて、貧しいが正義感の強いぺンキ屋夫婦に娘を養女に出す。引き取られた13歳のライゼルは、字が読めなかったが養父の計らいで学校に通えるようになり、初めて本が読めるようになった。その貧しい家庭にユダヤ人青年が、助けを求めて転がり込んでくる。彼は教養人でライゼルにたくさんの知識を授けてくれて、少女は本が大好きになる。しかし社会はヒットラーのナチスドクトリンだけを読み、軍に忠誠を誓うために、どこの街角でも人々が本も持ち寄って焼きつくすイベントをくりかえす様になっていた。少女は読みたくて読みたくて仕方のない本が焼かれていくことに、ひとりで胸を痛めていた。やがて戦火が広がり、養父は徴兵され、ユダヤ人青年は別のところに逃亡し、養母も爆撃で亡くなり、、、というお話。

このライゼルが、紆余曲折を経てオーストラリアに渡り、年を取り、孫に自分の体験を語り聞かせた。その話を孫が書いて出版した同名の作品がベストセラーとなり、映画化された。
映画では、ナチズムの波が徐々に普通の人々の生活に浸透していく様子がとても怖い。人々が物を言うのを控えるようになり、互いに顔を見合わせて押し黙り、軍人が幅を利かせてくる。昨日優しかった人が、今日はナチ崇拝者になり、昨日までサッカーボールを蹴っていた少年が、少年隊の制服に身を包み声高らかに軍歌を歌い、本を焼き、同調しない者には軟弱者と決めて暴力をふるう。一夜のうちに何もかもが変わってしまう。そうした「集団ヒステリー」の渦に人々が巻き込まれていく様子が、リアルに描かれている。ジェフリー ラッシュとエミリー ワトソン、二人のオージー熟練役者が、戦時下の貧しく善良な夫婦を演じていて、素晴らしく本物みたいだ。13歳のソフィー ネリスも初々しい自然体で演じている。
「本を焼く」という人間の歴史が作り出してきた知の集積を否定する社会が、どれほど愚かなものだったか、を強く訴えている。優れた反戦映画だ。


第4位

フラワーオブワー (FLOWER OF WAR)
監督:チャン イー モー
キャスト
ジョン神父:クリスチャン ベール

8月2日に、この映画の映画批評を書いた。
日本で非公開の映画。1937年日中戦争では日本軍による首都南京陥落によって、14万人が虐殺、2万人の女性がレイプされた、と言われている。チャン イーモーが、これを背景に映画を制作した。「人のために生きてこそ本当に生きたことになる。」というトルストイの言葉を、そのまま映画にしたような良心的な映画。とても感動的だ。チャン イーモーは、「紅いコーリャン」、「レッド ランタン」、「初恋のきた道」、「英雄」などとても良い映画をたくさん撮っているが、この作品も彼の代表作に加えたい。とても完成度が高く、芸術的で、心動かされる映画だ。

南京は日本軍によって封鎖された。12人のクリスチャン学校の女生徒たちと、一人のアメリカ人青年が、南京大聖堂に避難している。そこに12人の娼婦達が、逃げ込んでくる。大聖堂の庭に国際赤十字の旗が敷き詰められているが、爆撃を免れず神父は亡くなり、たった一人のアメリカ人青年が日本軍兵士の襲撃から女生徒達を守ろうと苦心していた。始め、この地域に駐留してきた日本軍将校はクリスチャンだったので、彼は少女たちに讃美歌を歌わせて、戦火で疲れた心の渇きを癒していた。しかし日本軍大連隊が到着すると、彼は少女たちを幹部への貢物として、「供出」しなければならなくなる。登場人物すべてが生き残れる可能性がゼロに近い状況で、みんなが自分だけ生きるのでなく、他の人の為に生きようとする。映画のテーマは、ヒロイズムと自己犠牲だ。

映像が美しい。大聖堂のみごとなステンドグラス、粉々になってもなお光り輝き、清楚な少女達の大きく開かれる瞳、赤十字の赤い旗、娼婦たちのあでやかな美しさ、官能的な歌と舞、爆発で空に舞い上がる色とりどりの絹地、、、色彩の美しさが例えようもない。次々と人が死んでいく絶望的な状況にあって、映像の天才監督が、色彩あふれる美しい作品を作った。すぐれた反戦ヒューマン映画だ。

2014年12月22日月曜日

2014年に観た映画 ベストテン 第5位―第10位

                        
第5位:

「エクソドス 神と王」
監督:リドレイ スコット
キャスト
クリスチャン ベール:モーゼ
ジョエル エドガートン:ラメセス王

旧約聖書の「出エジプト記」を映画化した作品。「グラデイエーター」、「プロメウス」を制作した監督による1億4千万円かけて制作した3Dの超大型映画。同じ監督仲間で実の弟、トニースコット(トップガン、ビバリーヒルズコップなど)がカルフォルニア、サンペトロの橋から飛び降り自殺で亡くなったので、この映画を彼に捧げる、との前書きがあって、映画が始まる。
古代エジプトの強権のもと、奴隷となっていた60万人のヘブライ人を率いて、エジプト軍に反旗を掲げ、シナイ半島に脱出したモーゼの生涯を描いた作品。

BC1300年、エジプトのセチ王には、実の息子ラメセスと同い年の養子モーゼが居た。二人の息子は兄弟として仲良く共に成長し、国王の死後は、ラメセスが国王に、剣の立つモーゼがエジプト軍将軍となる。国土拡張の戦闘とピラミッド製作などのために奴隷がいくらでも必要だった。将軍モーゼが、戦闘で勝利を収めたパイソンの街を視察に訪れたモーゼは、エジプトの捕虜となったヘブライ人の長老から、実はモーゼはヘブライ人だと言われる。エジプト人の誇り高い勇士モーゼは自分の血の由来を聞いて激怒する。しかしその日から自分の中で疑問が湧き上がって長老の語ったことが耳から離れなくなる。やがて、密告者が現れ、モーゼの出生の秘密が暴かれて、彼はエジプトから追放される。
たった一人砂漠を彷徨い 山を越えシナイ半島にたどり着き迎えられた家で羊飼いとして生き、妻を迎える。9年後彼は神のお告げを聞き、エジプトの暴政下、抑圧されるヘブライ人の姿を目にして妻子を置いてエジプトに向かい、奴隷を組織して反乱を起こす、という旧約聖書のストーリー。

水が血となり、カエルの襲撃、ハエの蚤の襲来、家畜が伝染病で倒れ、石が天から降り、子供たちが次から次へと死んでいくシーンは、臨場感いっぱい。60万人のヘブライ人を率いて追ってくるエジプト軍に押され、紅海を前に行く手を阻まれたモーゼたちが、海を渡っていくところが映画の見せ場だろう。チャールトン ヘストンが映画「十戒」で海を渡る時、海が二つに割れるところは、ちょっと漫画的だったが、今回クリスチャンが苦労して浅瀬を渡るシーンのほうが現実っぽい。チャールトン ヘストンの醜い顔は、モーゼ役には合っていたが、クリスチャン ベールのモーゼはハンサムすぎて、笑顔が可愛すぎて、モーゼっぽくない。

でも今年最大の資金をかけて制作された超豪華3Dの大型映画だし、役者の中で最も役者魂をもったクリスチャン ベールが主役だし、せっかくだからベストテンに加える。エジプト人なのに色の白い青い目のオージーなまりのジョエル エドガートンがエジプト王、ブラウンヘアでロンドンなまりのクリスチャン ベールがエジプト軍将軍をやっているのは、史実に忠実ではない、などといっている外野もいるみたいだけれど、彼らが主役じゃなかったら誰が聖書物語など観るか。
このような大型映画は映画館のうんと前の席で、画面からバッタ襲撃シーンでは全身痒くなり、戦闘シーンでは血しぶきを浴び、紅海の水しぶきかかかってくるくらいの迫力を感じながら観るのが正しい見方だ。


第6位

 
                        
「それでも夜は明ける」
製作:ブラッド ピット
監督:ステイーブ マックイーン
キャスト
キエテル イジョ―ホー:ソロモン
ブラッド ピット:建築士
ベネデイクト カンバーバッチ;ファーム家主

3月11日に、この映画の紹介を書いた。
原作「12YEARS SLAVE」は、150年前ソロモン ノーサップによって書かれて出版された。ニューヨークで自由の身であった大工、ソロモンが誘拐されて南部に送られ、12年間奴隷として働かされた自分の記録だ。この本はその後のアメリカ市民戦争に大きな影響を与えた。

1841年ニューヨークで家庭をもち大工として働き、バイオリンの名手でもあったソロモンは騙されて南部のルイジアナのコットンファームに売られていった。南部の農家では綿を摘み取る奴隷がいくらでも必要だった。奴隷は自由を奪われ、白人家主の虐待を受けながら、過酷な労働を強いられる。自分が自由の身で、奴隷ではないなどと南部で訴えても、誰も耳を貸さない。救いようのない状況で希望を失っていく、足枷手かせで生きる底なしの絶望が伝わってくる。カナダ人の建築技師の奔走によってソロモンは助け出されるが、彼を見送るファームの奴隷たちは、もっと悲惨だ。

奴隷と同じ肌の色をもった自由黒人とはいったい何だったのだろう。肌の色に関わりなく誰もが同じ人権を認められるようになるまでの、気の遠くなるような人権回復への道。彼の自伝は、ストウ夫人が「アンクルトム」(1854年)を書く契機になり、やがて市民戦争を経て、奴隷が解放され、さらに黒人人権運動に結実していく。そして、いまだに人種差別はなくならず、黒人の少年が白人警官に殺されている。なんという罪深い世界だろう。


                               
第7位

「ウルフ オブ ウォールストリート」
監督:マーチン スコセッシ
キャスト
レオナルド デカプリオ:ジョーダン ベルフォ―

2月7日にこの映画の映画批評を書いた。
学歴もコネもない証券会社に勤めていた男が26歳で、ブローカーとしてウォールストリートで成功、巨万の富を得る。年収60億円を稼ぎ、栄華を極めるが収賄と株の不正取引で逮捕され何もかも失うという実在人物のお話。3時間の長い映画で21秒に一度「F-CK」言葉が出てくる。その数506回。デ カプリオが裸の女の肛門にコカイン粉を振りまいて、それを鼻で吸引するところから映画が始まる。禁止用語の吐き捨て、ヌードシーン、暴力シーン、ドラッグシーンのてんこ盛り映画。粗悪株を嘘八百並べて年金生活者に売りつけて、わずかな蓄えさえ情け容赦なく取り上げて集めた金をスイスでマネーロンダリング、自分の会社の社員にストリッパーのドラッグパーテイーを功労賞に、小人症に滑稽な真似をさせて笑いをとり、女性社員の髪をバリカンで剃って大はしゃぎ、仕事中に机の下に娼婦をはべらせジッパーを開けさせる。公然と弱者を馬鹿にして障害者を笑いものにする。男の下劣な欲をこれでもかこれでもかと見せてくれる。人としても品性も教養も誇りもない。成り上がり者の俗物極致、金銭至上主義で、下衆の消費中毒のアメリカ人の極致。

そんな男が250人の社員の前で演説を始めると熱が入り、アジりまくって社員全体が興奮して総立になって熱狂する。ここまで下劣な俗物下衆男になれるものかと、あきれて言葉もないが、そんな男をデ カプリオが実に楽しそうに演じてる。どんな役でもものにしてしまう、実力をもった役者だ。彼が演じた映画は全部観ているが、どんな作品でも徹底して役にはまっている。ジョーダン ベルフォ―はくずだが、役を演じたデ カプリオは一流。
 


第8位

                          
「ダーク ホース」
監督:ジェームス ナビア ロバートソン
キャスト
クリス カーテイス :ダーク ホース
ジェイムス ロレントン

12月12日に、この映画の紹介文を書いた。
ニュージーランド先住民族のマオリ出身で、ダークホースという愛称で慕われたチェスのチャンピオン,ジェネシス ポテイ二のお話。彼は幼い時に自閉症と診断され、家族やコミュニテイーから切り離されて、施設で育ち、大人になった。チェスだけを唯一の友達にして成長したあと、国を代表するチェスのチャンピオンになった。
彼は中年になってやっと施設から出所を許され、弟の家に居候をしてその息子に出会う。ギャングの根城で生まれて育った少年だ。孤独が当たり前のダークホースが、道しるべを探して彷徨う少年の魂を引き寄せる。二人の孤独な魂。マオリの文化、習慣が随所に出てくる。マオリ独特のマッチョ文化、だいたい女が全然でてこない。唯一、ダークホースに「お母さんに会いたかった。」と言わせているだけ。
先住民族マオリとは、どんな人々なのか、百科事典で見るより、こうしたマオリの映画を観たほうがよく理解できる。マオリの映画、というだけの理由で、この映画を観る価値がある。


第9位
「トラックス」(道程)                 
オーストラリア映画                     
監督:ジョン クーラン
キャスト
ミア ワシコスカ  :ロビン デビッドソン

3月14日に、この映画の映画批評を書いた。
1977年、ロビン デビッドソンという20代の若い女性が単独でオーストラリア中央のアリススプリングから西海岸ジェルトンまでの2700キロの砂漠を走破した記録を再現した作品。4頭のラクダと犬を連れて9か月かけて、彼女は一人で砂漠を歩き切った。途中数か所で、ナショナルジェオグラフィックに撮影された写真は、その後本になって出版された。

360度砂ばかりのオーストラリアの原風景が、素晴らしい。過酷な旅路だが自然の美しさに圧倒される。彼女は、人との関係を作るのに不器用な、何が悪いわけでもないのに心を開いて人と関係をつなぐことが得意でない。子供の時、母親が自殺して、親戚に引き取られていくために、生まれてからずっと一緒に寝起きしてきた親友の犬を安楽死させられた。そのことがずっと心の傷になっている。大人になって信頼できる父親も友達もいるが、孤独が好き。人といるのがわずらわしい。そんな女の子がひとりきり、自分の犬を連れて冒険の旅に出る。生きて帰れないかもしれない砂漠のただ中で、9か月。まねのできないことだ。

実在のロビンはまだ60代の美しい人だ。映画ではこの役を、ミア ワシコスカが演じたが、「プリテイーウーマン」のジュリア ロバーツが演じる予定だったと言う。ロバーツのほうが本人に似ているが、決して笑わない、いつもふてくされているみたいな表情のオージー俳優ミアが演じていて、それなりに良かった。本人は、マスコミ嫌いで 砂漠単独走破記録を出した後は、全くマスコミの登場しないで、ひとりマイペースで生きている。そんな自分の人生を生きている姿が清々しくて、好感がもてる。 


第10位

「ザ ドロップ」           
キャスト
トム ハーデイー:ボブ
ジェームス ギャンドルフィー二:マービイ
ノオミ ラパス :ナデイア

ボブはニューヨークで、従兄が経営する酒場のバーテンダー。チェチェンからきた移民だ。酒場は一見すると地元の人々の気の置けない飲み屋だが、カウンターには穴が開いていて、犯罪で巻き上げた金を「ドロップ」する場になっていた。ボブは前科もあるが、日曜には教会に行くような、どこにでもいるような好青年だ。ある夜、アパートのゴミ箱に怪我をして捨てられた子犬を見つけて、そのアパートに住む女の助けを得ながら犬を世話することになる。しかし女には別れた男がいて子犬を傷つけて女のゴミ箱に捨てたのはこの男に仕業だった。男は執拗に女とボブに付きまとう。一方、酒場に強盗が入りドロップされた大金を奪われる。そのためにマフィアの元締めは、ボブと従兄のマービイを追い詰める。実はマービイが強盗犯だった。酒場の従兄に裏切られ、犬と女のことでチンピラにまといつかれて身動きができないボブは、、、
といった犯罪映画。

ニューヨークのマフィアの空恐ろしい存在。チェチェンギャング組織、それらの手足となるチンピラたち、くたびれて収賄に弱い警察。暴力と銃が当たり前のアメリカ社会を描いた今日的な映画。映画を観ていて初めから最後まで不安と緊張が続いていて、いつどんなに怖い場面を見せられるのか、はらはらし通しだった。主役のボブが笑顔さわやかな、口数の少ない好青年なので、なおさら次はどんな事態で残酷な事態が起こるのか身構えていたので、映画が終わったときは、ぐったり疲れていた。ニューヨークに住むって、こんな感じなのか、なんかわかったような気がする。

虫も殺せないような感じのトム ハーデイが好演している。相手役のノオミ ラパスはスウェーデン人で「ミレニアム ドラゴンタットーの女」シリーズで主演した。人の百倍くらい苦労してきた勝気な女の役がよく似合う。酒場の主人をやったジェームス ギャンドルフィー二は、この映画に出演したあと心臓発作で51歳で亡くなった。ギャング役をやるために役者になったような風貌だが、まだこれから晩年のリノ バンチェロとか、ジーン ハックマンがやったみたいな渋い役で良い味を出せたのに残念。合掌。
      
 

2014年12月12日金曜日

映画 「ダーク ホース」

                          

ニュージーランド映画
監督:ジェームス ナピア ロバートソン
キャスト
ジェネシス:クリフ カーテイス
マナ   :ジェームス ローレストン

この映画は、ニュージーランドの先住民族マオリ出身で、チェスのチャンピオンになったジェネシス ポテイ二の実話だ。彼は輝かしい全国チャンピオンの座を獲得したが、実は幼いうちに自閉症と診断され施設に入れられて家族と暮らすことも、学校に通うことも叶わなかった。何度も警察の世話にもなっている。映画では、マオリの映画ということで、マオリの人々の暮らしや独特の音楽や文化や習慣などを見ることができる。社会のマイノリテイーゆえに、「バイキー」と呼ばれるモーターバイクを連ねて走り回り、ドラッグなどの不法取引で生計を立てる人々が出てくる。今日のマオリの姿について何の知識もない人には,良きガイダンスになる。だからこの映画は、マオリの映画だというだけで観る価値がある。

オーストラリアに住んでいると、人々がニュージーランドを自分達の兄弟国と考えているのがよくわかる。文字通りの「マイト」だ。同じように英国領だったし、二つの大戦を英国軍として一緒に戦った上、いまだ英国女王を国の元首に据えている。ニュージーランド人(キウイ)がオーストラリアで学び、働くために、税金や国民保健や年金などでオーストラリアと同様の恩典があるので、若い時にオーストラリアに出稼ぎに来て、そのままオーストラリアに住み着く人も多い。オーストラリアの人口:2300万人。ニュージーランド450万人。二つの国では共通点のほうが多いが、先住民族に関しては異なる。オーストラリア先住民族アボリジニーと、ニュージーランドの先住民族マオリは、外見が似ている点も多いので同じ先祖かというと、これが全然ちがう。アボリジニはオーストラロイドという独立した人種だが、マオリはポリネシア人でクック諸島やタヒチなどから航海で渡ってきた人々だ。人種には、オーストラロイド、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドに分けることができて、皮膚の色はこの順番で色が白くなっていく。最も黒色の濃いオーストラロイド、アボリジニは先住民族の中でも最も古い5万年から12万年前からオーストラリア大陸に定住していた。その数は100万人ほど。1788年にイギリスによるオーストラリアの植民地化が始まり、アボリジニーは入植者の狩猟対象となって虐殺されていく。なまけもの(入植者と価値観が違う)で、奴隷として働かせられないので、野獣と同じ「駆除」の対象になった。

マオリは、むざむざ絶滅寸前まで「駆除」されたアボリジニーと違って戦闘的、好戦的な性質を持っていてカニバリズムの歴史もあった。アボリジニーがオーストラリアの総人口の内たった2%弱なのに対して、マオリはニュージーランド総人口の15-20%に当たり、都市部では30%にもなり、同じ先住民族でも割合がずっと大きいので、マオリ文化抜きに、今のニュージーランド文化はないと言っても良い。ニュージーランド国歌は、はじめマオリ語、続いて英語で歌われる。ニュージーランド代表のラグビーチーム、オールブラックスは、試合前に必ず伝統舞踊「ハカ」を踊り、敵を目前にして「殺せ、殺せ」と威嚇する。シドニーに暮らしていて、ラグビーやオーストラリアンフットボールやボクシングを見ると、マオリ出身の沢山の選手が活躍しているのがわかる。また盛り場のクラブのガードマンや、銀行から集金して回る警備会社の人など、多くはマオリの筋骨隆々のお兄さんだ。すごく強い。

余談だが、外国旅行者むけのストリップ劇場で、日本人青年が酔って踊り子に触ろうとして、マオリのガードマンにパンチを食らって、病院に運ばれたことがあった。通訳に呼ばれて駆けつけてみると、青年は1発のパンチで上下顎関節が粉々になっていて、一本残らず歯がばらばらに壊されていた。上下総入れ歯と、顎の骨がきちんと整形できるまで何度も手術を繰り返し、彼は2か月近く流動食で命をつながなければならなかった。マオリのお兄さんとは喧嘩しない方が良い。

とはいえオーストラロイド、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドはみんな混血が進んでいてごちゃごちゃになって明確に自分がどんな割合でどこに属するかわからない人も多い。人種が混じり合うことは自然のなりゆきだから、自分が属する言語と文化を大切にしつつ、自分の場所で自分の生き方をしていくことが大切かもしれない。世の中にはたくさんの文化があり、たくさんの言語がある。自分が使う言語、自分のなじんだ文化以外の言語や文化を自分のものとおなじようにリスぺクトして生きていくことが肝心だ。

映画のストーリーは
ジェネシスは、子供の時にほかの子供たちと少し違うようだ、と人に言われて病院に連れていかれて精神病院に入院させられた。そのまま家に帰って母親に抱かれることも、学校に行って同じ年齢の子供たちと遊ぶこともなく成長した。一人、幼いとき兄から習ったチェスを唯一の友として成長し、やがてジュニアになると、チェスのジュニア全国大会で優勝した。大人になってから病院を抜け出して街をうろついていると、必ず警察に探し出されて連れ戻される。そんなことを繰り返しているうちに彼も年をとり、身柄引き受け人がいれば施設を出られることになった。ジェネシスは自由になりたかった。たったひとりの身内となった兄に泣いて頼みこんで施設から出所する。兄はオークランドから少し離れた町を根城にするギャングだ。一人息子のマナが17歳になるとき、別のギャング仲間の家に養子に出す約束になっている。しかし息子のマナは暴力が嫌いな、気の優しい少年だった。ジェネシスとマナはすぐに仲が良くなる。

ジェネシスは街の子供たちにチェスを教えて、ジュニアチャンピオン戦に出場させることに決める。彼にできることはチェスだけだ。マナもチェスが大好きだ。そんなジェネシスに腹を立てた兄は、ジェネシスを家から追い出して、息子をギャング仲間に引きずりこむ。争いが嫌いなマナは、家を出されて公園に寝泊まりするジェネシスの後を追う。ジェネシスは子供たちに勝つためのチェスを伝授する。数か月が経ち、チェスの優勝戦と日となった。ジェネシスと子供たちがオークランドのチェス勝ち抜き戦の会場に行ってみると、びっくり。選抜戦に出場するジュニアたちは、私立の中学校に通う良家の子女ばかりだった。きちんと制服を身に着けたジュニアたちに迎えられて、小さな田舎の町から来て、貧しい服を身に着けたマオリの子供たちは、いやでも自分たちの肌の色を意識せざるを得なかった。それでもゲームが始まれば、ジェネシスにコーチされてきた子供たちは、たちまち元気を取り戻す。負けることを知らない。優勝決定戦に誰が勝ち抜けるのか、、、。というお話。

主役のクリフ カーテイスは、日本でいえば若いころの高倉健のような人。マオリの精悍な顔をした人だが、自閉症の患者を演じるにあたって目いっぱい太って、前歯などボロボロに欠けて間の抜けた顔になっている。殺されても仕方がない覚悟で、ギャングが立ちはだかる中を、マナを連れ出してくるシーンは、この映画の見所だろう。ジェネシスとマナという孤独な魂が融合する瞬間だ。子供はみんな生まれてきたときに、すでに特徴にある性格を持って生まれてくる。温厚で気の優しい子供に暴力の掟が通じるわけがない。それをわかっていて、社会のマイノリテイとして、ギャングとして生きることしかできなかったジェネシスの兄の悲哀も描かれる。
ストーリーは単純だが、こういったマオリの映画は、マオリ文化の案内者となってくれる。百科事典で 「マオリ」とは、という項目を読むより、この映画を見るほうがずっとわかりやすい。だから、こういう映画はマオリの映画というだけの理由で見る価値があると思う。

http://www.palacecinemas.com.au/movies/thedarkhorse/

2014年11月27日木曜日

敗戦国からきて戦勝国で戦勝記念日を迎える


        

11月11日は、第一次世界大戦が終結した記念日だった。
敗戦国から来て、戦勝国オーストラリアで暮らしていて、戦勝記念日を迎えることほど嫌なことはない。国中が、勝った勝ったと大騒ぎする日。侵略者ニッポンを懲らしめて、こてんぱんにやっつけてやった正義の連合軍オーストラリア。オーストラリアという国は、欧米から地理的に離れた南半球にあって、コアラが昼寝している木々の下をカンガルーが飛び回り、人々はフレンドリーで、フットボールに、浜辺のバーベキューで飲んだくれる姿しか思い浮かばない人は、この11月11日に、オーストラリアの大きな街で過ごしてみたら良い。オーストラリアのイメージが一変するに違いない。

早朝、日の出とともに、あちこちの記念碑の前で、軍による国旗掲揚と式典があり、小中学校、高校生たちは誓いの言葉を述べ、一般の人々も参加する。マーチを演奏し、元兵士や現役の兵士、警察、学校の子供達などが行進をする。元兵士は国じゅうのヒーローだ。生きて帰ってきた元兵士たちは、胸にバッジをつけて誇らしげに行進の先頭を歩く。それを人々は、国旗を振りながら拍手と声援を送る。どこを見渡しても制服ばかりだ。

メディアも一斉に、戦勝国側が「正しい戦争」をやったという’キャンペーンに明け暮れる。第一次世界大戦で、日本は連合国側で戦ったにも関わらず、いつの間にか第二次世界大戦で日本軍がアジア諸国で行った攻撃、残虐な侵略、捕虜の虐待などに話題が移っていて、メディアによる日本たたきが行われる。彼らにとって日本への原子爆弾投下は、日本軍によるアジア侵略を食い止め、侵略を悪いことだと思い知らせるための必要不可欠の処置だ。原爆は誤った国への「制裁」であり、自分たち連合軍は正しい道を教えてやった良き指導者であり、正しい先導者だと信じて疑わない。戦勝国がそんなに偉いのか。何という奢り。

1942年2月パールハーバーの直後、オーストラリアの北端ダーウィンは、日本軍によって空襲を受け、湾内にいた6艘の大型船を沈没し、人口5千人のダーウィンで243人が死亡、この日以来ダーウィンは計64回空襲を受けた。また、西オーストラリアのブルームでは空爆で民間人が70人死亡。シドニー湾にも3艘の潜水艦が侵入し、魚雷でフェリーを攻撃、21人が死亡している。また、シンガポール陥落のあと日本軍は、捕虜となったオーストラリア兵を、3年半に渡ってビルマ鉄道建設の強制労働をさせて多数の捕虜を脱水、栄養失調などで死なせた。オーストラリア軍の太平洋戦争での戦死者17000人に対して、捕虜で死亡した兵士は8000人に達する。サンフランシスコ条約に違反しながら日本軍がいかに人権意識をもたずに捕虜を取り扱ったかがわかる。 その日本軍が降伏文書に調印した1945年9月2日は、オーストラリアでは、「VICTORY  OVER JAPAN DAY」: (VJ DAY)と呼ばれる。ジャパンを打ちのめした記念日。正義の戦いに勝ち抜いた日だ。

「ジャパンは本当に悪い悪いことをした。」面と向かって言ってきた一見物わかりのよさそうな教育者と話をしたことがある。当時日本軍と日本政府が侵略戦争を行ったのは事実だ。しかしすべての人が、それを支持していたわけではない。多くのキリスト者や、自由主義者や共産主義者は迎合しなかった。私の祖父の弟に当たる、大叔父の大内兵衛は、学者だったが1938年から2年余り公安警察に逮捕され拘禁されていた。母方の伯父、宇佐美誠次郎も活動家ではなくリベラリストで学者だったが長く獄中に引き立てられて言論弾圧された。それを言ったら、「え、日本にも侵略戦争に反対した人がいたのか。」と大仰にびっくりされて、こちらが驚いた。戦勝国のみなさんは、自画自賛をやめて少しは歴史の本など読んだら良い。二つの大戦で、一般の人々がどれほど苦しんだか、赤紙で徴兵された若者たちが、戦場でどんな酷い殺され方をしていったか、人類初の人体実験であった原爆投下で罪のない子供達がどんな殺され方をしたのか。60年余りたった今も苦しんでいる原爆病患者の存在を知ったら良い。

今年の11月11日、戦勝記念日(終戦記念日)は第一次世界大戦終戦から96年目に当たる(開戦から100年)が、終戦100年記念が近いので毎年徐々に、記念ムードを盛り上げて、規模も大きくしキャンペーンも広げていくようだ。英国ではロンドン塔のまわりを、真っ赤なセラミックでできたケシの花で埋めた。ケシの花は88万8246本、英国人犠牲者の数だけあって、ロンドン塔を埋め尽くした。ケシの花は、ベルギー、フランダース地方などの激戦地に咲く花で、花言葉は「眠り」、「いたわり」だそうだ。記念日の参列者だけでなく、沢山の人がこのケシの花を見にやってきていた。ニュースのインタビューに答えて、英国のために命を落とした方々を忘れない、と涙ながらに言う人が多かった。
そうだろうか。英国国旗を掲げて前線に行った者たちは、人を殺しに行ったのではなかったか。

戦争は一部の者の利権のために引き起こされる。悲しいのは、それに賛成する人も反対する人もひとリ残らずすべて国民が巻き込まれることだ。そして本当に、ごくごく一部の人に利益をもたらすだけで、一般の人は財産を失い、人間性を忘れ、良心を麻痺させ、希望を無くし、命まで失う。そんな戦争に良い戦争も悪い戦争もない。正しい戦争も間違った戦争もない。人を殺してそれが
正しい戦争だった、正義のための良い戦争だったなどと、誰に向かって言えるのか。戦勝記念日という言葉をもう使うのを止めるべきだ。人の命をもてあそび、勝ち負けにこだわるような戦勝記念日という日を祝うのは、いいかげんもう止めた方が良い。人として恥ずべきではないか、と思う。


2014年11月23日日曜日

映画 「ゴーン ガール」

                        

監督: デビッド フィンチャー
キャスト
夫 サム  :ベン アフレック
妻 エイミー:ロザムンド パイク
妻の昔の恋人:ネイル パトリック
弁護士   :テイラー ペリー
ボニー警部:キム デイケンズ

ストーリーは
ニックとエイミーとの結婚5周年記念日だ。二人はニューヨークで出会い、二人ともキャリアを積み、スノッビーな生活をしてきたが、ニックの母親が癌を患ったのを機会に ミズリーの小さな街に引っ越してきた。でも母親は早々と亡くなってしまい、小さな街では仕事もなく、ニックは失業状態、裕福な家庭出身のエイミーの蓄えに頼っているような状態だ。今日も、ニックは妹が経営しているバーで、昼間からウィスキーを飲みながらグダグダしている。

ニックが家に戻ってみると、居間のガラステーブルが割られ、妻のエイミーが居なくなっている。あわてたニックは妻が何かの犯罪に巻き込まれたのではないかと疑い警察を呼ぶ。警察は捜査を始める。ニックと、ニューヨークから飛んでやってきたエイミーの両親は、一般から情報を集めるために、メデイアを呼んで記者会見をする。エイミーは両親が書いた人気の子供用の本「アメイジング エイミー」で誰一人知らない人はないほど有名な子供だった。人気作家の一人娘として、することなすこといつも注目を浴びて育った。マスコミはエイミーの失踪を放っては置かない。
やがて警察は、台所から多量の血痕を発見する。警部たちの前で、近所の女からニックは、人殺しとののしられる。ニックが見たこともない女だ。夫には全く理解できない事態だったが、警察は早くからニックを殺人容疑で調べていた。エイミーの貯金通帳には、ニックがゴルフやゲームなどの贅沢品を買って使い込んでいる事実があがった。警察としては、あとは死体を探すだけだ。

ニックは妻が行方不明になった可哀想な男から一転、家庭内暴力で妻をいたぶり、妻の貯金をせびって、あげくの果てに妻を殺した犯罪者扱いされるようになった。そこに、ニックの若い愛人が現れる。最低の筋書だ。ニックは人々から厳しく監視される。
それは、妻の思うつぼだった。妻は長いこと、愛人を作ったニックを罠にはめるために、復讐のチャンスを待っていた。夫が欲しがってもいない高価なプレゼントを買い与え、近所におせっかいな女友達を作り夫の悪口を吹き込む。髪を染め、顔に傷を作って、田舎に潜伏をする。昔捨てた男を呼び出して、保護を求め、うるさくなったら男を始末する。そして、マスコミの注目の最中に、血まみれの姿でニックのもとに帰る。マスコミは大興奮。昔の男に誘拐されて、虐待されていた可哀想な「アメイジング エイミー」が、サイコパスの誘拐犯人を殺して、やっとのことで夫のもとに戻ってきた。マスコミの注目する中、ニックは自作自演で芝居をやって人殺しまでしてきた妻を受け入れなければならない。妻は戻ってきたのだ。

程なくして冷凍していたニックの精子を使ってエイミーは妊娠する。またまたマスコミは、大ニュースに大興奮。幸せなカップルに待望の赤ちゃん。ニックは逃げも隠れもできない。妻の復讐は終わらない。昔の男ののどをかき切って殺してきた妻は、今度こそ自分ののどを狙っているかもしれない。いつ殺されるか。マスコミが作り出した幸せなカップル、優しい夫の役をニックは永遠に演じ続けなければならない。いつまでだ。死ぬまでだ。
というストーリー。

幼児的サイコパスのエイミー役に、ぴったりの女優ロザムンド パイクが好演している。頭の良い妻に自由自在繰られる、どんくさい夫役にベン アフレックもとても良く演じている。
端役だが、取り調べ警部役のキム デイケンズが、すごく素敵。昔の警部役ならトレンチコートの襟を立て、タバコのチェーンスモーカーというような渋い役柄を、女性警部が紙コップのコーヒーをいつも片手に、とぼけた姿で相手を油断させて、さりげなく犯罪を探し当てる「切れる」警部を演じている。また、凄腕の弁護士役、テイラー ペリーも、貫禄があって存在感があって映画の株を上げている。

監督のデビッド フィンチャーは52歳のアメリカ人。1995年「セブン」で、ブラッド ピットが、モーガン フリーマンの演じる警部と一緒に、サイコパスの殺人犯を追う映画で華々しくデビュー。1999年、同じブラッド ピットを使った「ファイトクラブ」で、素手で戦う男を演じさせて注目を浴びた。2002年「パニックルーム」ではジュデイ フォスターを使って、また2007年には「ゾ‐ディアック」で、ジェイク ギレンホールとロバート ダウニーjrを使ってスリルに満ちた映画を作った。2008年「ベンジャミン バトム数奇な人生」、2010年「ソーシャルネットワーク」も忘れられない作品だ。2011年には、ハリウッド版「ドラゴンタットーの女」を製作した。こうしてみると、意識していなかったが彼の作品を、ほとんど全部観ている自分に驚く。ハリウッド映画では、ミステリースリラー作品の売り込み方が上手なので、つい宣伝に乗って観に行ったのだろう。怖い場面の音響効果の出し方に長けて、観客の期待を裏切らずにしっかり怖がらせてくれる映画造りに独特の才能を持った監督なのだろう。

この映画だが、なんとも後味の悪い映画だ。愛する人が居て、真面目に学んで働いて、打ち込める趣味を持ち、自分の人生を結構楽しんで生きているといった、ごく普通の人々にこの映画を勧めたくない。自分しか愛せない女のお話だ。この映画の主人公は周りの人々に、小さなときからチヤホヤされて育ってきて、「注目を浴びている自分」しか愛せない幼児的異常人格者だ。夫と一緒に田舎町に移り、友達もチヤホヤしてくれるマスコミも追ってきてくれない。夫に愛人ができてどうやって世間の注目を取り戻すか、妻は考える。妻が自作自演の芝居をやるために自分の顔を傷つけたり、暴行を演出するためために自傷行為を繰り返すシーンなど思わず目をつぶりたくなる。それほどまでにして復讐するか。用意周到に計画を実行する姿を面白がったり、感心したりしている観客も、「ここまでやるか」とエスカレートするごとに背筋が寒くなる。賢い女が本当に怖い怖い怖い怖い女になっていく過程は無残としか言いようがない。
ここまで裏切った男を追い詰められる女って居るのだろうか。人は許し合える存在ではなかったか。復讐は何も生まない。許し合うことで、人は一歩自分を高めることもできるのに。とても後味の悪い映画。誰にもお勧めできない。
http://www.hoyts.com.au/movies/2014/gone_girl.aspx

2014年11月16日日曜日

その後と、それからのオット


                 

「このまま何もせずに今年中に死にますか。腎臓透析を週3日、5時間ずつ受けて生きますか。どちらか一つを選びなさい。」と、にこやかに笑みを浮かべる腎臓専門医に言われて、あっけにとられるオット。あの、今年中って、もうあとひと月しかないんですけど、、、。

そうだったんだ。機敏な判断と、救急病院による適切な処置で命をつなげたオットに、待っていたのは完全治癒という魔法ではなかった。これからは、1日おきに病院のベッドで5時間ずつ縛られて限りある命を長らえていかなければならない。一か月前に集中治療室で治療を受けていた肺炎も完治せず、いまだに肺に水がたまっている。ハートアタックを起こして、少しだけ悪かった腎臓が一挙に悪化して腎不全となり、体から毒素を尿と一緒に排出できないので、人工の機械で血液を綺麗にする装置なしには生きられない。クレアチニン値が、400から下らない。血液成分もこわされてしまうので、ヘモグロビン値が70と低く、常に貧血状態だ。検査結果だけを見ると、顔色が悪くて青い顔をした、呼吸困難で、皮膚が極端に乾燥して食欲の全くない、いわばイワシの干物のような姿を思い浮かべるが、オットの場合なぜか、よく食べるし、顔色も良い。
家に帰ってくることができて、美味しい料理を作る、賢く聡明な妻のおかげだ。オットは太鼓腹をさして、ぼく、痩せたよ15キロも痩せたよ。痩せた、痩せた、本当だよと、しつこくのたまうが、そういう奴を見守り、管理してきた私は10キロ体重が落ちた。

朝、目が覚めてテントから這い出てみると、や、や、やられた。となりの食糧庫にしていたテントが腹を空かせた灰色熊グリズビーに襲われて見る影もなく破壊されている。食糧をやられて、準備万端に予定していた登山に暗雲がたちこめて、、、、というような毎朝だった。太鼓腹のオットが元気だったころの話だ。朝起きて台所に行くと、夜中オットが食い散らかしたブドウパン、蓋が開いたままのジャム,引き千切られたビスケットの袋、飲みかけのジュース、、、この世と思えない惨状に目を覆いたくなる。食べこぼしを拾い,片付け、ぞうきんがけをしてから、1日が始まる、という毎日だった。16年間だ。ランチボックスにもサンドイッチだけでなく、ロールケーキやカステラのようなお菓子を必ず1つ2つ持って行っていたので、冷凍庫にはいつもお菓子が山ほど凍らせていた。

そんな「グリズビー式食糧庫荒らし」がなくなったのは、いつのころだったろう。2年前に日本を旅行して帰ってきてハートアタックをやった頃だったか。今、肺炎と2度目のハートアタックと急性腎不全をやって、食事の量はごく普通になった。普通とは私が食べるくらいの量で充分になったという意味だ。それで、痩せた痩せたと騒いでいる。平均体重になっただけだ。それにしても足腰が弱った。前から運動不足と肥満で100メートル歩くのが大変だったが、今は、足をひきずり、ヨチヨチ歩きで、時速10メートルくらいの速さで歩く。

オットは、たくさん病気を抱えて体を動かすことが、辛くなった。夫婦には思いやりが大切だ。それが、思いやりでなく思い込みだったり、思い過ごしだったり、思い違いだったりすることはよくあるけれど。悲しいのは、病気になると自分のことしか考えられなくなることだ。オットは、肺炎と喘息で息をするのも大変だったから、ある程度は仕方がないが、思いやりというものがなくなった。
私はオットの入院中、朝7時から夜9時までそばに付き添い、退院後は1日おきにドクターのところに連れて行き、23種類の服用薬を管理し、腎臓専門医や心臓専門医に定期通院させ、物理療法士の訪問に対応し、そうしているうちに、限りある私の年休も、減っていくばかり、いつまでも休んでいられない。フルタイムの職場に復帰した。そうしたら、体は思うように動かないが頭はまだいかれていないオットまで、職場に戻りたいという。オットのオフィスまで車で40分、朝晩の渋滞だと1時間余りかかる。オットを職場に下ろして、1時間かけて家に戻り、洗濯、掃除、買い物、食事の支度をしているうちに、もう迎えに行かなければならない。空腹で死にそうなオットに、夕食を素早く食べさせ、寝かせて、病院夜勤に出かける。10時間の忙しい勤務を終わって帰ると、もうオットを職場に送らなければならない。いつ寝るんだよ。

気が付いたら赤信号で急発進していた。青信号になったとき停まっていたんだ。げー。これはいけない。映画館に入って気分転換する時間はない。そこで、ひとりサッサと寿司屋に入った。おなかいっぱい鮨を食べて、睡眠薬を飲んで、がーっと寝る。オットよりそれを支える自分の体が大切。目が覚めて、時計を見ずに、オットを拾いに行った。暗くなった街並み、オットのオフィス前の小さなベンチに、ちょこんと座って私を待っていたオット。1時間くらい待たせたみたい。でも、だからといって、どうだというんだ。
明日は美容院と、フェイシャルとうなぎで気分転換。オットにはもっと待ってもらうかもね。
自分を大切にして、初めてオットを大切にできる、そう自分に言いきかせている。

2014年10月28日火曜日

映画 「エバの告白」


                                 


原題:「THE IMMIGRANT」 (移民)
監督:ジェームス グレイ
キャスト
エバ:マリオン コテイヤール
ブルーノ:ホアキン フェニックス
オーランド:ジェレミー レナー
マグダ:アンジェラ サラファン

ストーリーは
1929年
ヨーロッパから戦火を避けて新天地アメリカに自由と平和を求めてやってきた難民たちを満載した船がニューヨークに向かっている。自由の女神を見つめる、人々の不安げな顔、顔、顔。彼らに戻れる故郷はもうない。船はエリス島の出入国管理局に到着する。

ポーランドから、この移民船に乗ってエバとマグダ姉妹は、遠い親戚を頼ってやってきた。故郷では両親を殺されて、生きていくための糧も失った。しかしエリス島の移民局で妹のマグダは結核を病んでいることを知られて、マグダは隔離され二人は引き離されてしまった。エバは身元引取り人の親戚に拒否されて、強制送還されることになる。病んだ妹一人をアメリカに置いて自分だけがいったん捨ててきた故郷に帰ることはできない。エバは、必死でそこを通りかかったポーランド語の通訳をしていた男に救いを求める。ブルーノと名乗る男は、いったんエバの求めを無視するが、懇願を繰り返すエバを不憫に思って、賄賂を係官に渡してエバを引き取る。

エバは、ブルーノに言われるまま、マンハッタンのアパートに落ち着く。移民局では一見紳士に見えたブルーノは、移民としてやってきた女たちを集めてキャバレーのダンサーとして働かせ、一方では売春させているような男だった。アパートの女たちは、恩人ブルーノのことが大好きだ。エバにもやさしく、気の良い娼婦たちだった。
ブルーノは、おとなしく付いてきたエバを、当然のように自分の女にしようとする。しかしエバは、恋愛の経験もない生娘だった。ブルーノはエバの拒否にあって、怒りまくった末、上客に売り飛ばす。エバは、妹を救い出してアメリカで暮らしていくために、仕方なく運命に身を任せる。しかし、ブルーノの怒りに触れて心底怯えて客を取らされたエバは、すきを見て娼婦館から逃げ出して、遠い親戚の家を探し出して保護を求める。何十年かぶりで再会した叔父と叔母は、ぎこちない笑顔でエバを迎い入れるが、翌日、エバを警察に引き渡し移民局に送る。叔父たちはエバが娼婦に身を落としたことを知って、不法入国者として通報したのだった。エバは強制送還されることになった。

そんなエバに、ブルーノが再び会いにやってくる。エバは、妹を取り戻すためにどうしてもアメリカに残らなければならない。ブルーノにいわれるままエバは娼婦館に戻った。ブルーノは、強い意志をもったエバに、次第に惹かれていく。もう他の女など、目に入らない。
一方エバは、キャバレーのマジックショーを演じているブルーノの従兄のオーランドという男と出会う。オーランドは一目で出会ったばかりのエバを愛してしまう。しかし密かにエバに会いに来たところをブルーノにみつかって殺されそうになる。ブルーノとオーランドの争いは警察沙汰となり、ブルーノは警察に拘禁され、オーランドは、別の土地に向かって巡業に出ることになった。遠く旅立つオーランドに、エバは自分の夢を語る。妹を引き取って、カルフォルニアのような温かい土地で二人で暮らしたい、それがエバの望みだった。オーランドは旅立ち、ブルーノは警察から釈放される。

しかしエバをあきらめられなかったオーランドは帰ってくる。ついに諍いの末、ブルーノはオーランドを殺してしまう。エバは教会で懺悔する。生きていくために、愛してもいない男に言われるまま身を落としてきた。そんな罪を犯してきた自分は神に許しをもらえるのだろうか。真剣に祈るエバの姿を見て,ブルーノは、エバを自由にしてやろうと心に決める。監視に賄賂を使って、隔離されている妹を引き取り、エバと妹にカルフォルニア行きの切符を渡してやる。エバは妹と再会して振り返りもせずにブルーノのもとを去っていく。エバを強制送還から救い出し、無一文だったエバに住居を与え、食べさせて世話を焼き、心から愛してきた。エバを横取りしようとする男を嫉妬から殺しまでした。エバを本当に愛してきた。しかし、エバは去り,ブルーノには何も残っていない。というお話。

マリオン コテイアールの頑なな信仰心と、超然とした美しさ。一方ホアキン フェニックスの酒と金とアルコールにどっぷりつかったダーテイーな姿が際立っている。二人とも、とても良い役者だ。どちらにも共鳴、共感できる。とても悲しい映画だ。

エバは娼婦になっても1ミリとして動じない。少しも譲らない。そんな自分を通していて、無垢な処女の強さと純粋さを維持している。それに比べるとブルーノはずっと人間的だ。移民で来て、生活に困った女たちや、不法移民を救い出して、娼婦にして小金をため、女たちといつも飲んで騒いで愉快に暮らすことが大好きな男だ。それが、とんでもなく美しい女に惚れてしまって自分の人生が狂ってしまう。ついに殺人まで犯して逃亡犯になったうえ、女をあきらめなければならなくなって、無一文となる。背を向けて、振り返らずに去っていく女に「自分はこの女の一体何だったのか」と、泣きじゃくる男を見ていて、ついほろっとなる。人は妥協して生きていくものなのに、一歩も譲らない女のために自分の人生を捨ててしまった男の悲しさ。譲らない女と、それの翻弄された男。何としても妹を自分が守って生きていきたいという強い願望と処女性。男からみたら、こんなジコチュー女のために自分の一生を棒にふることになって、こんなはずじゃなかった、というのが実感だろうか。マリオン コテイアールの美しさよりも、ホアキン フェニックスの落ちぶれ方に、すっかり魅せられた。