2014年4月29日火曜日

映画「グランド ブダペスト ホテル」

  



https://www.google.com/webhp?rct=j#q=movie+the+grand+budapest+hotel&sh=0

原題:「THE GRAND BUDAPEST HOTEL」
監督: ウェス アンダーソン (WES ANDERSON)
キャスト
ミスター グスタフ :ラルフ フィネス
ロビーボーイ ゼロ:トニー レヴォリ
他、マチュー アマルリック、アドリアン ブロデイ、ジュード ロウ
ウィレン ダフォー、ジェフ ゴールド ブラム、ビル マリー
F マリーアブラハム、エドワード ノートン、リー セドリック
ジェーソン シュワルツマン、トム ウィルソン、サオイス ロナンなど

英独合作映画
ベルリン国際映画祭オープニングに上映。審査員グランプリ受賞作品。

ストーリーは
仮想の国、スブロッカ。第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦の始まる前のヨーロッパで、一番豪華で人気の高かったホテルのコンセルジュ、グスタフ氏のお話。
世界中からお金持ちの女性が、グスタフ氏にお世話をしてもらいたくて、休暇をとって会いにやってくる。グスタフ氏は、最も有名で、お金持ちの間でもてはやされているホテルマンだ。彼は、山の頂上に立つヴィクトリア風の美しいホテルで、ホテルにやってきた女性たちを一人一人大切にもてなして、アルプスの山々の景観を楽しんで休養してもらうために、ホテル最大のサービスを提供する。グスタフ氏は、新しいベルボーイを連れて、いつもいつも忙しい。ベルボーイの名前はゼロ。どの国から、どうやってブタペストまでやってきたのか誰も知らない。教育ゼロ、勤務経験ゼロ、でも、とにかく気が利くのでグスタフ氏のお気に入りだ。

ある日、グスタフ氏をことのほか気に入っていた年寄りの女性が亡くなった。グスタフ氏はゼロを連れてお葬式に行ったところ、ちょうど遺書が開封されるところだった。亡くなったおばあさんの親戚が全員集まっている。おばあさんの遺書によると、遺産はルネッサンス時代の名画ひとつだけ、、、これをグスタフ氏に贈るという。遺族たちは怒り心頭、グスタフ氏を罠に落とそうと画策する。皆で口裏を合わせて、おばあさんはグスタフ氏によって毒殺された、というのだ。
グスタフ氏は逮捕され刑務所に送られる。
刑務所でもグスタフ氏の誰にでも気分よく過ごしてもらうホテル式サービル精神は変わらない。グスタフ氏は刑務所仲間から評判が良くて、とても大事にされている。一方、グスタフ氏のいなくなったホテルでは、毎朝全職員がグスタフ氏のスピーチを聴きながら、そろって朝食をとることになっていたが、いまは、刑務所からゼロが受け取ってきたグスタフ氏の手紙のスピーチを、ゼロが読んで朝食をとることになっていた。ゼロはキッチンのパン焼き係りの少女と結婚する。このお嫁さんが、刑務所に、パンとケーキに鉄やすりやシャベルを忍ばせてグスタフ氏に差し入れをする。グスタフ氏は同室者5人で、刑務所脱走に成功。迎えに来たゼロと一緒にホテルにもどる。
そうこうしている間に、おばあさん殺しの真犯人がわかり、グスタフ氏の無実が証明された。しかし、第二次世界大戦の不穏な波がブダペストにも及んでいた。ある日、グスタフ氏がゼロを連れて鉄道で移動する途中、独軍に捕らえられ二人は引き離された。そしてそのままグスタフ氏は行方不明になってしまった。グスタフ氏は、どんなところで生まれ育ったのか、自分のことは誰にも言ったことがなかった。そして突然居なくなってしまった。ゼロはグスタフ氏を待ちながらホテルに留まっていたが、もう年を取ってしまった。

かつてヨーロッパで一番立派だったホテルも、グスタフ氏をなくして今はもう見る影もない。戦前からこのホテルを贔屓にしてくれた人々が時たま思い出したかのように、訪れるだけだ。すっかり年を取ってしまったゼロは、それでもグスタフ氏を待ち続ける。
というお話。

ストーリーにすると、こんなお話だがこの映画は喜劇で、話の筋やストーリー展開ではなく、一コマ一コマを笑う映画だ。早いピッチでシーンが変化して画面の面白さで笑わせてくれる。ちょうど喜劇の舞台を、映画でスピードアップして、次から次へと笑わせるようだ。ラルフ フィネスのソフトで誠実そのもの、繊細な人柄が、おおまじめにホテルサービスする姿が、とてもおかしい。ホテルマン達はみんな忙しいので、早口でしゃべる。ゼロはとりわけ早口だが、同じ口調でラルフ フィネスが早口ことばでしゃべると、言葉が上滑りしていて、笑える。それらの言葉がウィットとユーモアに富んでいて、皮肉もきつい。イギリスの上質の笑い。本格的なシェイクスピア舞台俳優ラルフ フィネスにしか出せない質の高い笑いだ。

刑務所の脱走なども、現実離れしていて、無声映画時代のチャップリンを見ているようだ。雪のアルプスをソリで脱出するシーンなど、オリンピックのジャンプ台からスレーダーから山スキー競技まで、敵に追いつ追われつ全部こなすところなど、笑いが止まらない。
山の頂上に建つピンク色の瀟洒なホテルや、ホテルの中の装飾、登場人物たちの服装など、現実離れした映画監督ウェス アンダーソンの独得の美意識が見受けられる。この監督の前作「ムーンライトキングダム」(2012年)を見て、彼の独得の映画のセンスに興味がわいた。この映画も、非現実的な世界の羅列で、絵画のように、見て楽しむ映画だった。20メートルくらいの高い木のってっぺんに、ボーイスカウトのテントがあったり、教会の尖塔の穂先で、取っ組み合いをしたりしていた。彼の映画を好きな人と嫌いな人とが、はっきりと分かれるだろう。嫌いな人にとっては この映画、さっぱりわからない。絵画でいうと精密画や印象派の絵やデッサンを違って、いわば抽象画だ。何を言おうとしているのかは、描いた本人にしかわからない。見た人はそれぞれ画を自分にひきつけて観て自分なりの解釈をするだけだ。そういう映画もあって良い。

出演者がみな有名な役者ばかりで、一人ひとりが端役でなくて主役級の役者ばかりが、この映画のちょい役で出演している。とても贅沢な映画だ。映画のプロばかりで ウェス アンダーソンと、ちょっと遊んでみました、という感じの映画。しかしこの映画の成功は、1にも2にも、主役をラルフ フェネスにしたことで以っている。彼のソフトで紳士的な口調、声の柔らかさ。デリケートで神経の行き届いた表現と物腰。怯えた少年のような青い目。

「シンドラーのリスト」(1993年)で、冷酷無比なドイツ軍将校を演じて、注目されるようになった。自分の一存で人を死に追いやったり、一度だけチャンスを与えて再び酷い死に目にあわせたりして楽しむヒットラーの盲信者の狂気を見事に演じて、アカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。
ピーター オトウールの演じた「将軍たちの夜」という映画があった。戦時下のナチズムの嵐の中で、身の毛がよだつような、、人がどこまで人に対して残酷になれるかテストしているような、、、絶対狂っていなければできないようなことを平気でやるサデイストを、ピーター オトウールが、当たり前のような顔で演じていた。彼がお茶を飲んだり、街を歩いたりするシーンごとにあぶなっかしい狂気が潜んでいて、いつどこで爆発するかわからない、不安に満ちた映画だった。そのときのピーター オトウールの「あぶなっかしさ」は、ラルフ フィネスの物腰にも共通する。現に、ラルフ フィネスが、王立演劇学校を卒業して役者になって初めて踏んだ舞台が、「アラビアのロレンス」のロレンス役だった。ロレンスとピーター オトウールと、ラルフ フィネスの3人には、共通する「繊細と狂気」が潜んででいるのではないだろうか。そんな役者が、この映画では喜劇を演じていて、とても笑わせてくれた。

一枚の抽象画をみるような、愉快な舞台を観ているような、楽しくて、不思議なテイストの映画だ。


2014年4月23日水曜日

映画 「アメイジング スパイダーマン 2」


                        

監督:マーク ウェブ
キャスト
ピーター パーカー:アンドリュー ガーフィールド
グウェン ステイシー:エマ ストーン
叔母 メイ     :サリー フィールド
エレクトロ     :ジェイミー フォックス
グリーン ゴブリン:デイン デハーン
ライノ        :ポール ジアマテイ
ストーリーは
ニューヨーク名門高校の卒業式。グエン ステイシー(エマ ストーン)は、総代として、列席者を前にスピーチをしている。ピーター パーカー(アンドリュー ガーフィールド)も、列席しているはずが、彼は登校途中で、暴走トラックが暴れまわり、罪もない市民をなぎ倒して悪事を働いているのを見逃せなくて、スパイダーマンスーツに身を包み飛び回っている。スピーチが終わり、卒業証書の授与になり、ピーターの名が呼ばれた瞬間に、まわりをハラハラさせながら滑り込みセーフ、彼は証書を受け取ることができた。
ピーターとグエンは愛し合っているが、グエンの父親が警察署長として殉職する寸前、ピーターの正体を知って、「娘を愛しているなら、これ以上近付くな。」と厳命して息絶えたことが、ピーターの頭から離れない。グエンはピーターの正体を知っている。ピーターがスパイダーマンを続ける以上、グエンは危険にさらされる。別れなければならないと分かっていて、ピーターにはどうしてもグエンを諦めることができない。煮え切らないピーターの態度にグエンはイライラし通しだ。

グエrンはニューヨーク最大の電力会社オズコープ社の研究機関に研修生として入社した。オズコープ社の社長、オズボーン氏は、科学者だったピーターの父親の協力者だった。ピーターの父親が6歳のピーターを置いて行方不明になってからは、オズボーン氏は会社を発展させてきたが、いまは遺伝病で、死の床にある。息子、ハリー オズボーン(デイン デハーン)は、ピーターの幼馴染だったが、死に際の父親に会いに、ニューヨークに帰ってきた。ハリーも同じ遺伝病で若死にする運命にある。
ピーターの両親は、たった一つの茶色のカバンを残して失踪した。代わりにピーターを育ててくれた叔父も事故で亡くなった。ピーターは、自分は何者なのか。愛するグエンとの関係も思うようにいかない。正義のためにスパイダーマンになって、ニューヨークのヒーローになったが、自分はいったい何者なのか。これからどうして生きていくのか、疑問を叔母さんにぶつけてみても答えは見つからない。

しかし、ピーターは残された茶色のカバンの中にあった暗号を解いて、今はもう廃線になった地下鉄の駅の中に、父親が自分のために残してくれた秘密基地を見つける。そして、オズボーン氏が科学者として許されない遺伝子操作の研究に携わっていることを知る。そのころ、幼馴染のハリー オズボーンは、スパイダーマンを必死で探し回っていた。スパイダーマンの血液を使って、自分の遺伝病を直そうと期待している。
一方、オズコープ社のマックス(ジェイミー フォックス)は、取りえのない真面目なだけの冴えない技術者だが、事故で高圧電流をあびて自分が電気を吸収して熱を発するこののできる発電人間「エレクトロ」になってしまった。気が付くと、姿も人とは思えないモンスターに変っていて、人々を傷つけ警察から銃撃を浴びせられている。ハリー オズボーンは、スパイダーマンに血液を提供することを断られて、彼を憎むようになり、エレクトロを使ってスパイダーマンを襲う。自分も開発中の遺伝子操作でできたワクチンを注射して「グリーン ゴブリン」怪人になる。戦いが始まり、
スパイダーマンはグエンの力を借りてエレクトロを倒すが、グエンをグリーン ゴブリンの人質に取られ、戦っている間にグエンを死なせてしまう。グリーン ゴブリンは警察に捉えられ再び平和になるが、グエンはもう戻ってこない。ピーターはふぬけのようになって、生きる希望を失った。ニューヨークに、スパイダーマンはいなくなった。

再び悪がはびこり、サイ型のアーマーに入った怪力鉄人「ライノ」が、思うまま街を破壊している。プルトニウムを盗もうとするロシアマフィアだ。警察の包囲されているが、警察の力は及ばない。人々が見守る中を、ライノの前に小さなスパイダーマンの服を着た子供が現れる。以前スパイダーマンに助けられた少年だ。ライノが少年を踏みつぶそうとした瞬間、「あぶないよ。下がっていなさい。」という少年には聞き覚えのある声がした。スパイダーマンが帰ってきたのだ。
というお話。

今回のスパイダーマンの敵は、「エレクトロ」、「グリーンゴブリン」、「ライノ」だが、エレクトロにジェレミー フォックス、グリーン ゴブリンにデイン デハーン、ライノにポール ジアマテイと、悪人に有名役者を使っている。ビルからビルに、蜘蛛の糸で気分良く飛び回るスパイダーマンは気分爽快。3D画面も、ここまできたか。映像が本当に綺麗だ。自由自在に自分が飛んでいるような気分になれる。

ピーターは大いに悩む。だいたい映画のはじめの台詞が、「僕は怖い。」だ。戦えば戦うほど敵が増えてきて敵の力は増大するばかりだ。弱い者のために悪と戦うことに、「怯えるピーター」がとても良い。正義の味方が、いつも強くて自信満々なわけがない。高校を卒業したばかり。恋人の父親からは、娘に近付くな、と釘を刺されている。悩み多い17歳か18歳の少年だ。心の支えのはずの両親は謎の失踪中。父親代わりだった叔父さんは、ピーターと口喧嘩の末、家出したピーターを探し回って強盗に殺されてしまう。スパイダーマンは人気があるけれど本当の自分の姿を知っているのはグエンだけ。その恋人に近付いてはいけない。本当にこれじゃ、グレちゃうよね。強さも弱さももって、それでも尚、弱者の側に立ちたいと願うピーターに、共感できる。

エレクトロは冴えない真面目男で、誰からも評価されないで地味に生きて来た暗い暗い男だ。ハリーに、おまえが必要なんだ、おまえだけが頼りなんだ、と繰り返して言われて、生まれて初めて喜び一杯で、やる気むんむんになる姿も、単純だがよくわかる。

ハリー オズボーンも父親の研究を教えられていない。ピーターも、6歳で自分を捨てた父親のことを知らない。父親同士が協力者であり、やがて敵対するように、ピーターとハリーもいがみ合わなければならない運命だが、久しぶりに合った二人が、はじめは言葉少なく互いに下を向いていて、、、やがて二人並んで歩き出して、遂に童心に帰って、べらべらしゃべり、二人グダグダして、川に石を投げ競ったりするところがとても良い。こういうところが、マーク ウェブ監督の独得のテイストだろう。とても自然だ。
アンドリュー ガーフィールドの個性をよく出している。一人前のようでいて、頼りなく、男っぽいようで急に甘えた子供のような声で無邪気にしゃべり出す。アメリカ人だがイギリスで舞台役者の教育を受けた立派な役者だ。アメリカの人気トークショー、グラハム ノートンショーに、ガーフィールドと、エマ ストーンと ジェレミー フォックスが3人でゲスト出演していて、3人が和気あいあいと仲良くしている姿は、みていて気分が良かった。

マーク ウェブ監督のスパイダーマンは、強さも弱さも抱える少年が煩悶しながら大人に成長していく人間ドラマとして描いていて共感できる。前回のスパイダーマンよりもずっと人間的で良い。だいたい、前回のスパイダーマンは、垂直のビルの壁を本当の蜘蛛のように這って登っていく姿が気持ち悪かったが、今回のスパイダーマンは、空を飛び、ビルからバンジージャンプして冷たい風を切る。気持ちが良い。3Dでニューヨークの摩天楼を飛び回りたい人は、必見!

2014年4月19日土曜日

映画 「ノア 約束の舟」

                       

原題 :「NOAH」
監督: ダーレン アロノフスキー
キャスト
ノア    : ラッセル クロウ
妻ナーメ :ジェニファー コネリー
養女イラ :エマ ワトソン
息子シャム:ローガン ラーマン
祖父    :アンソニー ホプキンス

コーランはムハメドが、610年に神の啓示を受けて、632年に没するまでの22年間に、神アラーから受けた啓示を編纂したものだ。ムハメドは預言者であり、預言者とは神の言葉を預かった者を指す。キリスト教ではイエスを「神の子」として信仰の対象にしているのに対して、イスラム教ではムハメドは人間であり、信仰の対象にはならない。信仰するのは、唯一絶対神のアラーだけだ。
一般にイスラム教は7世紀に始まったと言われる事が多いが、コーランによれば、この世が創られた時から根源的に神は存在していた、とされる。神はそれぞれの共同体に預言者をつかわせて正しい信仰と、正しい行いの規範を伝えさせた。アダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエスなどが、重要な預言者であり、ムハメドは、「最後の最も優れた預言者」である、とされている。
アダムやモーゼは旧約聖書の登場するが、コーランにもその名前が預言者として記載されていることに、意外な気がする。したがって、旧約聖書は、キリスト教にとっても、ユダヤ教にとっても、イスラム教にとっても、重要な人類の創世記について述べた宗教書ということになる。

キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教にとって、共通して世界は「はじめは何もなかった。」のであって、神が天と地を創造した。旧約聖書は、イエス以前の神による天地創造の壮大な物語だ。
神はアダムとイブを創り、イブは蛇にそそのかされて禁断の果実を食べてアダムと共にエデンの園から追われる。アダムとイブは、カインとアベル、二人の男の子を持ったが、カインは嫉妬ゆえに弟アベルを殺し、エデンの東に留め置かれる。人々は邪悪に慣れ、高慢がはびこり、神は自分が創造した肉体をもつものすべてを皆滅ぼすことにした。しかし、預言者ノアだけは、過ちを冒すことなく正しく生きていたので生存することを許される。神の言われるまま、ノアは妻と3人の息子とともに方舟を作り、罪のない動物たちを方舟に乗せる。40日、40夜雨が降り、ノアとともに方舟に乗っていたもの以外の生き物は皆死に絶える。ノアは7か月と2週間のちに、陸に立ち神の祝福を受ける。 これが「ノアの方舟」の物語だ。

この「ノアの方舟」が映画化された。全米では上映開始後、記録的な入場動員数を上げて、すべり出しは好調。オーストラリアでも主演が、オージーの中のオージ―代表選手、ラッセル クロウだから、3Dの大型映画館は、大人気で込み合っている。
しかしイスラム教徒が多数を占める、カタール、バーレーン、アラブ首長国連邦、エジプト、ヨルダン、クエートなどでは、この映画の上映が禁止された。イスラム教では、神を偶像化することが禁じられている。アダムやノアやモーゼやイエスや「最後の最も優れた預言者ムハメド」を、役者が演じることも許されない。映画化は神や預言者を侮辱することになる、という。
宗教は、もとが同じでも、伝わり方によって、ことほどさように厄介だ。

ノアの方舟ときいて、動物がたくさん出てきて方舟に乗るところをとても期待して観に行った。大地を揺るがしてドカドカと、象やキリンやゴリラが方舟に向かってくるシーンは、大スペクタクルで迫力いっぱいで、単純に見ていて嬉しい。フィルムだからこそすばらしく勇壮な映像で、観客に強いインパクトを与えることができる。

エマ ワトソンが、部族の襲撃にあって生き残った少女がノアに救出され養女として育てられ、やがて長男と結婚して双子を生む、大事な役を演じている。ハリーポッターでは、顎のしゃくれた気の強い魔法使いだったが、すっかり大人になって可愛らしい。しかし、11歳でハリーポッターの映画の撮影が始まった3人の子役たち、ダニエル ラドリフ、ルパード グリント、エマ ワトソンの3人が、3人とも20歳になっても背が伸びなかったのは残念だ。

ウォッチャーズという岩の「おばけ」がたくさん出てくる。神の怒りに触れて岩にされて地上に降ろされた生き物だが、彼らが体を張ってノアたちを、方舟を乗っ取ろうとする邪悪な人間たちから救ってくれる。おかげでノアたち家族は全員そろって方舟に乗り遅れずに済むわけだけれど、ウォッチャーズがガンガン敵をぶっとばしたり、人間の束をわし掴みしてブン投げたりするシーンは、「ワールドワーZ」のゾンビと米軍戦闘シーンか、「指輪物語」の怪獣との乱闘シーンを見ているようだ。戦うだけ戦って、ボロボロになったウォッチャーズが次々と、神に許されてバキューン ドキューンと、天に召されていくところなど、ほとんど漫画のようだ。

CGを使って壮大なスケールで、預言者ノアのパワーを見せようとすればするほど、ノアがただの石頭の「頑固親爺」に見えてくる。なんといってもラッセル クロウだからかしら。ウェリントン生まれのオ―ジー俳優、50歳。男っぽさと喧嘩早いことで有名。「グラデイエイター」(2000年)撮影中、プロデユーサーブランコ ラステイングと喧嘩になって素手で殺しかけたけれど、結果としてアカデミー主演男優賞を受賞し、「ビューテイフルマインド」(2001年)でゴールデングローブ賞をとり、受賞スピーチの報道に文句をつけて番組プロデユーサーを壁に叩きつけ、「シンデレラマン」(2005年)では、NYホテルからシドニーの家に電話がかからないことに腹をたてボーイに電話をたたきつけ怪我をさせ、暴行容疑で逮捕された。そんなの彼には日常茶飯事。
ロックバンド「30 ODD FOOT OF GRUNTS」のリードボーカルでギタリスト。

おまけに彼は、ナショナルラグビーリーグ「ラビトーズ」のオーナーだ。
国民全体が間違いなくラグビー狂のオーストラリアで、プロのラグビーチームを所有するということが、どんなに英雄的なことか、、、彼をして男の中の男と、いわせる所以なのだ。選手15人を食べさせていけばよいというわけではない。試合に出場する強豪選手を支える2軍、3軍の選手たちをかかえ、地元シドニー南部のサポーターたちや、熱狂的なファンの会や、チアガールのグループを持ち、リーグ戦に勝ちぬかなければならない。体重100キロのバッファローのような男たちが100メートルを10秒で走り激突する。ラグビーは格闘技そのものだ。今季も彼の「ラビトーズ」は、「シドニールースターズ」や、「バンクスタウン ブルドッグス」や、「マンリーシ―イーグルズ」など強豪チームを相手に良い試合をしている。
また役者のなかにはパパラッチを嫌って、私生活を守るために逃げ隠れする俳優が多いが、ラッセル クロウは表裏なし、公私の隔てなし、どこからでも取材も写真も自由で、パパラッチはマイト扱いだ。ロックで、フットボール狂で、喧嘩の早い乱暴者だけど、これがオージー男の代表です。はい、、、。もんくありません。なのだ。

そんな男を主役にすえた聖書物語。本物のクリスチャンは、見ない方がいいかもしれない。
パラマウントが1億2500万ドルの巨費を投じて製作したスペクタクル超大型作品「ノア」。
よもや聖書のお話、と思わないで、ハリウッドアクション超大作娯楽映画というつもりで観に行くことをお勧めする。

2014年3月30日日曜日

オペラ 「イーゴリ公」

   
       

オペラを観ていて眠ってしまった、、、で、目が覚めた時、眠る前と全く同じ情景で、同じ人たちが同じようなことを言いながら歌っていた。すごい。
これがロシアのオペラの醍醐味か、、、。

ニューヨークメトロポリタンオペラ
オペラ「イーゴリ公」: 「PRINCE  IGOR」
作曲: アレクサンドル ボロデイン
指揮: ジアナンドリア ノセダ
音楽: ピッツバーグオーケストラ
ホスト: エリック オーウェンズ

イーゴリ公    :アブトラザコフ イルダ (バスバリトン)
妻ヤロスラザブナ:オクサナ デイーカ (ソプラノ)
ガレツキー公  :ミハイル ぺトレンコ (バス)
息子ウラジミール:セルゲイ セミシュクール(テナー)
コンチャクカーン :ステファン コツャン(バリトン)
カーンの娘    :アニータ ラチヴェリシュべリ(ソプラノ)

ストーリーは
プチバルの国のイーゴル公は、息子ウラジミールを連れて、コンチャック カーンの国を亡ぼしに全軍を率いて出陣する準備をしていた。ところが、いざ出陣に段になって、突然日が陰り、太陽が月に重なって日蝕が起きて、あたりが真っ暗になってしまった。人々は突然、暗闇に陥り恐怖に震え、これは、悪い予兆にちがいないと、言い出した。イーゴリ公の妻も、夫をひき止めようと説得するが、イーゴリは弟のガリツキーに後を頼むと、意気揚々と軍を率いて行ってしまった。

しかし戦争では コンチャク カーンの軍に完敗し、イーゴリ公は傷を負って捕虜となった。イーゴリ公の息子ウラジミールも、同じく捕虜になったが、コンチャク カーンの娘カンチヤコバに愛される。自由奔放で美しいカンチヤコバは、ウラジミールに甘い酒を飲ませ、楽しくて甘い生活を提供して、すっかり誘惑で骨抜きにしてしまう。イーゴリ公にもたくさんの誘惑が待っている。コンチャク カーンは イーゴリを敵をみなさずに友情を持って歓待する。しかし、イーゴリはかたくなに誘惑を拒み、沢山の兵隊を失って、自分は生きて敵の捕虜になったことを恥じて、苦しむ。

一方、イーゴリ公のいないプテイバルの国は イーゴリに弟ガリツキーによって規範を無くし堕落と退廃に陥っていた。ガリツキーの取り巻きたちは、このときとばかり羽目を外して酒に酔い、女たちを襲い、イーゴリの妻の権力を奪おうとしていた。そこに、イーゴリ公が捕虜になったという知らせが入る。妻ヤロスラブナが嘆く閑もなく、敵兵が襲ってきて、カーンの兵によって城は包囲されて、攻められ破壊された。ガレツキー公は殺される。

破壊された瓦礫に、傷を負い生き残ったプテイバルの人々が、肩を寄せ合って生きている。そこに、逃亡してきたイーゴル公が、ボロボロになってたどり着く。息子はカーンの娘との甘い生活に溺れて父親も故国も捨てた。イーゴリは一人帰国して、妻と再会する。イーゴリは敗戦も、国破れ、城が瓦礫となったのも、すべて自分の責任だったと自分を責めて、ひとり黙って、黙々と瓦礫を除いて破壊された城の再建に身を投じるのだった。というお話。

12世紀のロシアの英雄イーゴリ公の物語。
ボロデインの曲はロシアというよりも、トルコ系遊牧民族やモンゴルの草原の民の音楽に近い。

このオペラのみどころは、第2幕、幕が上がった途端、、、あっと びっくり、舞台が真紅のケシの花で覆われている。12万本のケシが咲き乱れている中を、流れてくるのが有名な曲、「韃靼人の踊り」だ。このオペラで一番有名な曲、「韃靼人の踊り」。もう ほとんどポピュラーと言ってよいほど有名で、誰でも聴いたことがあるはず。英語では、この曲を「ストレンジャー イン パラダイス」。じつは「韃靼人の踊り」も「ストレンジャー イン パラダイス」も、「韃靼人の行進」も、みな別々の曲だが、オペラの中で、全部をつなげて演奏しているように、ひとつの長い曲のようにバレエの舞台音楽としてよく使われている。曲の一部は、映画にもコマーシャルにも、携帯の呼び出し音楽にも使われている。オペラでは、この曲が果てることなく繰り返し繰り返し、延々と演奏され続け、真っ赤なケシ畑で、裸のような衣装を着た30人もの男女が身をくねらせて踊る。戦に負けて傷を負い、捕虜になったイーゴル公もウラジミールも このケシ畑で途方に暮れるが、やがて陶酔して甘美な世界に身を浸す。ケシは誘惑と陶酔の世界を象徴している。

この12万本のケシ畑を演出したのはロシア人、オデイミトリ チェル二アコフ、43歳で これがメトロポリタンオペラ演出の初デビュー作品になった。優秀な演出家で 主にイタリアで活躍している。またこの「韃靼人の踊り」は、「イーゴリ公」よりも、ブロードウェイミュージカル「キスメット」で使われて有名になった。1954年の「キスメット」は、ボロデインの弦楽四重奏曲と、管弦楽曲をアレンジして使っていて、ミュージカルとして成功し、高く評価されて、この年にトニー賞受賞、ボロデインもオリジナル音楽賞を受賞している。そのころボロデインはとっくに亡くなっていたけれど。このミュージカルは映画にもなっている。

アレクサンドル ボロデインは人物紹介されるとき、いつもロシアを代表する作曲家だが、化学者で医師でもあった、と言われる。1833年生まれ。貴族出身でサンクトぺテルスブルグ大学医学部を卒業し、化学者としてイタリアピサ大学をはじめヨーロッパの各地で研究に励み、有機化学の分野で大きな業績を残した。26歳のときに結婚した妻がピアノを弾くのに魅かれて、音楽に興味をもち、作曲を勉強し始める。二つシンフォニーを完成させており、1880年にフランツ リストがドイツでカレのシンフォニーを紹介したのが契機でヨーロッパでも彼の名前が知られるようになった。
オペラ「イーゴル公」は、ボロデインが、本職が忙しくて生前、完成できなかったが、彼の死後、ニコライ リムスキーとコルサコフ アレクサンドル グラズノフによって完成されて、上演されるようになった。ロシアでは、ロシアの誇りとして、ひんぱんに上演されて、ボリショイバレエ団の踊りとともに大人気の作品。ロシアでは多数のコーラス隊と、多数のバレエダンサーの出演を得て、規模の大きな、どでかい舞台に仕上がっている。それだけにヨーロッパではあまり上演されてこなかった。今季、メトロポリタンオペラでは、100年ぶりの「イーゴリ公」上演だそうだ。100年!!!

主役のイーゴリ公を演じたのは、若いロシア人、体格も良く、顔も良い。しっかりしたバスバリトンで、戦に敗れ、捕虜として辱められ何もかも息子さえも失って故国に帰ってきた苦悩する男の役を立派に演じている。インタビューで、このオペラを子供の時!!!から観て育ってきた、と語っている。すごい。4時間半の本格的なロシアのオペラを、ロシア人に歌わせて成功している。
貞淑な妻を演じたソプラノ、オクサナ デイーカはウクライナ出身で格調ある、とても美しい声をしている。メトロポリタン初デビューだそうだ。声は、素晴らしい高貴な声をだすが、演技のほうは堅くて重い。
バスの悪役イーゴリ公の弟も、息子のウラジミールのテノールも、とても良かった。コンチャク カーンのバリトンもすごく良い声だった。

コンチャク カ-ンの娘役で、ウラジミールを誘惑してすっかり骨抜き男にしてしまう自由奔放な娘を演じたアニータ ラチヴェリシュヴェリは、いま主役級の人気ソプラノ歌手だ。ジョージア出身。この人の主演した「カルメン」を見たことがある。腰まで長い黒髪をなびかせて、豊かな胸をさらけ出し、大胆で野性的。オペラ界の新しいセックスシンボルになりそうな感じ。のびのある美しいソプラノを歌う。

第1幕の出陣を前に、イーゴリ公が妻や弟や100人近い兵士たちを前に、あれこれ言っているシーンが延々と続くので思わず寝てしまったが、良いオペラだった。久しぶりお金を使い放題の大規模な重い本格的なオペラ、出場役者が200人以上に加え、30人のバレエ団、とびぬけて贅沢な舞台、こんなロシアオペラも良いものだ。4時間半、ライブフィルムを堪能した。

フィルム開始直前、暗闇の中で、となりの席に滑り込んできた小柄な女性が、ニューサウスウェルス州知事のマリー バシェール教授だった。ニュースでしか見たことのなかった人が、幕間に気軽に話しかけてくれたのが、なんか、とっても嬉しくてすっかり彼女のファンになってしまった。そんな のんびりした日曜の午後。

2014年3月22日土曜日

映画 「ミケランジェロ プロジェクト」

                                

http://www.imdb.com/video/imdb/vi1176348697/

よく言われることだが、ヒットラーがもし若いときウィーン美術アカデミーに入学を許されていたら、そして沢山の芸術家仲間たちと制作に励み、熱い友情を育んでいたら、ドイツの歴史は全く異なった道を歩んでいたことだろう。大学の同期には、エゴン シーレがいたはずだ。そして、もし彼の絵に才能を見出した裕福なパトロンが付いて、画が良く売れていたらヒットラーは軍人にならず、世界を銃で支配する夢などは持たなかったのではないだろうか。

しかし、そうはならなかった。ヒットラーの絵は評価されず、彼はウィーン美術アカデミーに入学を許されず、失意のうちに軍人になった。そして、たくさんの世界的価値の高い美術品を、ヨーロッパの国々から略奪し、世界一大きな美術館をオーストリアのリンツに建設して収集した作品を展示するつもりでいた。しかし、もし、ヒットラーが戦争で連合軍に負けていたら、すべての略奪した美術品を隠匿していた岩塩抗ごと爆破して処分する命令を下していた。実際、6万点の美術品を隠していたオーストリアの岩塩抗には、1100ポンドの爆弾が隠されていた。

ベルギー、ヘントにあるシントバーフ大聖堂の正面を飾る12枚の「ヘントの祭壇画」は、「神秘の子羊」とも呼ばれ、1430年にオランダ人、フーベルト ファン エイクによって描き始められ、彼の死後は弟のヤンによって完成された。受胎告知、マリアとイエス、神の子羊、洗礼者ヨハネや、歌う天使たちなど、100人以上の人が描かれているフレスコ画で、北ヨーロッパの絵画の最高傑作と言われている。この絵は、フランス革命ではナポレオンによって奪われてパリのルーブルに展示されたり、プロイセンのフリードりッヒ王によってベルリンの絵画館に持ってこられたり、ナチに略奪されたりしてきたが、戦後再びヘントに返還された。
この祭壇画が一枚一枚取り外されて、神父たちの手によって丁寧に梱包されて、ナチの軍人たちに引き渡されていくところから映画が始まる。

そしてベルギー、ブルンジの教会では、ミケランジェロの大理石でできた聖母子像「マドンナ」が、粗末な毛布を掛けられて持ち去られていく。かつて16世紀の頃から貿易で栄えていたブルンジの水路で容易に交通できる美しい街は、ミケランジェロに聖母子像の制作を依頼するほど豊かだった。イタリアを離れて外国で、ミケランジェロが唯一製作した彫刻だ。「マドンナ」は、イタリアのシステイン教会にある「ピエタ」の像に似て美しい大理石でできている。マリアが、慈愛に満ちた優しい眼差しで幼児のイエスを抱く彫刻だ。

これらの世界的な遺産、ラファエル、ダ ビンチ、レンブラント、フェルメールなど、6577点の油絵、2300点の水彩画、954点の印刷物、137点の彫刻、など、6万点の美術品が各地の美術館や個人からナチの手によって奪われた。ヒットラーはこれらの美術品をオーストリアのリンツに美術館を建設して収納するつもりでいた。連合国首脳部は米国のアイゼンハワーを中心に 戦争の終結に先立って、いかにして、これらの美術品を奪い返すかを考えていた。
1944年12月、第一次世界大戦の退官軍人でハーバード大学付属の博物館に勤務していたジョージ ストークス教授(ジョージ クルーニー)に打診がくる。ストークスは、ヨーロッパ戦線でヒットラーが隠匿している美術品を見つけて安全な場所に運搬して保護するための特別班を編成する。美術品探しでは、探し出した美術品が本物か偽物、鑑定できる専門家が居なければならない。博物館の館長、美術鑑定士、美術史家、などの7人が選ばれた。
彼ら特別班は、危険の多い前線に行かなければならない。今更のように、全員が厳しい訓練を受け、ノルマンデイー上陸を果たす。8人は班3班に分かれて盗まれた美術品の後を追う。彼らは「モニュメント メン」と呼ばれた。

ジェームス グレンジャー(マット デーモン)は、パリで失われた美術品の追跡調査を始め、美術館に勤務するローズ ヴァルランドという美術館に勤務する女性に出会う。彼女はアメリカから来た下手なフランス語を話すジェームスに、持ち去られた美術品がどこに隠されているのか言おうとしない。彼女はナチがパリから持ち去った美術品をすべて書き留めて、自分のノートに記録していた。そのノートはその後、ジェームスに渡されて、美術品発見の助けになる。
前線で、大量の美術品がかくされた岩塩抗が発見されたのは、ほんの偶然からだった。ウオルター ガーフィールド(ジョン グッドマン)の歯痛がひどくなって、歯医者に美術品探しの話をしたら、歯医者の従妹夫婦がパリから帰って来たばかりで美術に詳しいという。訪ねて行ってみると、彼はパリで美術館の館長をしてたビクター スタールだった。この男はローズ ヴァルランドの勤務する美術館の館長だったが、自分の家にセザンヌ、ルノアールといった有名な名画を、盗んで飾っていた。モニュメントマン達は、さっそくこの男を拘束して美術品のありかを問いただし、遂にオーストリア アルプスの高地で、大昔に掘削された岩塩抗に行き着く。美術品はニエット ワンステイン城にも隠されていた。

一方ベルギーのブルンジでは、ドイツ軍がミケランジェロの「マドンナ」を持ち去るところに出くわしたモニュメントマンの一人、英国人のドナルド ジェフリー(ハー ボネヒル)は、交戦して銃撃に倒れる。またフランス人のジーン クラウド クレモント中尉(ジーン ドジャルダン)も命を失う。モニュメントマン達は、岩塩抗で発見した何万点もの作品は、一年くらい時間をかけて収容してそれぞれ持ち去られたもとの美術館や教会に返還するつもりでいたが、ドイツ軍の敗走と同時に、ロシア軍が戦線に加わり、岩塩抗に肉薄してきた。美術品を再び奪われる危険がある。急きょ、すべての美術品を運び出すことになった。隊員たちは、犠牲者を出しながらもナチの略奪から人類の遺産ともいうべき美術品を守ったことで、英雄として人々の記憶に残ることになった、というお話。

本当にあったことで、原作は、ロバート M エドセル「モニュメントメン」。また、ケイト ブランシェットが演じたローズは、実在の女性、リン H ニコラスで、このときのことを、自書「レイプ オブ ユーロップ」(THE RAPE OF EUROPE)に書き残し、1994年に出版されている。また、同名の映画が2006年に製作された。ナチからフランスの美術品を守った功績によって、彼女はフランス国家名誉賞、レジオン ドヌールを受賞している。

米英合作映画
原題:「THE MONUMENTS MEN」
邦題:「ミケランジェロ プロジェクト」
監督: ジョージ クルーニー
キャスト
ジョージ クルーニー: フランク スト―クス中尉
マット デーモン   : ジェームス グレンジャー中尉
ビル マーレイ    : リチャード キャンベル軍曹
ジョン グッドマン  : ウオルター ガーフィールド軍曹
ジーン ドジャルデイン: ジーン クラウドクレモント中尉
ボブ バラバン    :プレストン サビッツ兵卒
ハー ボニビル   :ドナルド ジェフリー中尉
デイミトリ レオ二ダス:サムエピステイン
ケイト ブランシェット:ローズ ヴァルランド

ジョージ クルーニーの監督としての5作目の作品。
善良で誠実で「良い人」の代表のようなジョージ クルーニーと、彼の親友、マット デーモンが、本当に、英雄的な「良い人」を演じている。心温まる良い話を、戦闘とはおよそかけ離れた「美術おたく」 だった男たちが7人、かき集められて戦場に送られて演出する。似合わない軍服、敬礼の仕方が解らない、戦争には年を取りすぎているビル マリーや、歩兵にしては太りすぎているジョン グッドマンや、銃を持つには体が小さすぎて度近眼のボブ バラバンや、フランス人や、イギリス人などが、一堂に会し美術愛好家という一点で一致して、強い結びつきを形成していくところなど、笑いながらも感動的だ。ケイト ブランシェットも、「飯より絵が好き」という感じの、いかにも古い美術館や博物館に勤務して居そうな実直な女性を上手に演じている。

有名な沢山の絵や彫刻が出てくる。
湿っぽい坑道に、粗末な毛布にくるまれて、雑然と放置されたレンブラントや、フェルメールやピカソに心が痛む。撤退するドイツ兵によって、無造作にレンブラントの絵が、火の中に放り投げられて燃えていくシーンなど、叫び出しそうになる。映像の中で、ブルンジの「マドンナ」の彫刻に見とれる。ミケランジェロによってつくられたこの像は、イタリアのシステインチャペルの「ピエタ」が、イエスをかき抱く嘆きのマリアであるのに対して、丸々と太ったイエスに慈愛の眼を注ぐ喜びのマリアだ。暗闇の中で見つけたジョージ スタウト(クルーニー)が、思わず、どんなことがあっても連れて帰るからね、と語りかけ、最後の撤退のときにも一緒に付き添って帰ってきた。彼の愛着のほどがよくわかる。

実は、ブルンジで、この像を6年前に観ている。その時は、この彫刻の価値がわかっていなかった。旅の疲れと二日酔いと空腹とで頭の中から記憶というものがすっかり無くなっていたとしか思えない。マドンナの印象がすっかり抜け落ちている。ミケランジェロさん、ごめんなさい。ジョージ クルーニーさん、ごめんなさい。本当に、どんなに美しいものでもその時の環境や雰囲気や体調やその場の空気など、受け入れ態勢ができていないと感動も起きないという体験をしてしまった。しかし、その数日後には、イタリアで、「ピエタ」を見て感動でひれ伏したくなったし、パリではレンブラントやドラクロアや、ダ ビンチに、心を動かされた。「二ケの勝利の女神の像」には、美術の圧倒的なパワーに立ち尽くして、しばらく動くことができなかった。

芸術作品に触れることで人は心を動かされ、人生を顧みて様々な影響を受ける。芸術なくしては、人々の営みに意味がない。だから、かつての芸術家たちが自らの命を紡ぐようにして作り出してきた作品を守り、次の世代に受け継いでいくことは、人の義務でもある。
この映画は、善良を絵で描いたような8人の「良いひとたち」が 略奪や焼失から美術品を守るという美談であるうえ、英雄的なストーリーだから、感動せずにはいられないだろう。

しかし、同じ時期に、アメリカ人は、東京のみならず大都市の市民にむけて激しい空襲を繰り返し、広島長崎に原爆を落としたことで、日本のミケランジェロやレンブラントに等しい芸術作品や、二度と復旧できない美術品や木造の寺院や木像や彫刻の数々を一瞬に灰にしたことも事実だ。
いまも引き続いている内戦のためにシリアやアフガニスタンなどで、西洋文化に先立つ誇り高いイスラム文化、ペルシャ芸術が、日々破壊されている。アメリカは他国に介入をして、これ以上芸術と文化を破壊することを止めた方が良い。戦争の愚かさを再確認するためにも、この映画は良い映画だ。絵の好きな人、彫刻の好きな人には、必見の映画かもしれない。

最後にフランク ストークスが年を取った姿で出てくる。ジョージ クルーニーに似ていないのじゃないかと思ったが、この人、ジョージ クルーニーの本当のお父さんだった。息子の監督、主演した映画の最後にチョイ役で出演させてもらって、本人は嬉しかったことだろう。

2014年3月14日金曜日

映画 「トラックス」(道程)


    

http://www.sbs.com.au/movies/article/2014/03/11/tracks-film-lets-woman-thrive-outback

原題:「TRACKS」
原作:同名のロビン デビッドソン作、1980年ナショナル ジェオグラフィック出版
英豪合作映画
監督:ジョン クーラン
キャスト
ロビン デビッドソン    :ミア ワシコスカ
アフガンキャメルファーマー:ジョン ファラス
アボリジニーのミスタ エデイー:ロレイ ミンツマ
リック スモラン写真家  :アダム ドライバー

人は旅に出る。
理由は個人的なものだ。
今の自分にそれが必要だったから。思い立って、なんとなく、、、。
1977年2月、ロビン デビッドソンは、犬を連れて旅に出た。理由は、「WHY NOT ?」
気が向いたから、理由なんてない。あとから人々は理由をつける。きっと、彼女は自分を見つけたかったんだろう。自分の可能性を、どこまで行けるか試してみたかったんだろう。それに、自由になりたかったろう。心をとき放ち、たったひとりの信頼できる仲間の犬、デイゲテイを連れて、、。
まだ、若い20代の女の子、幼い時に母親が自殺して、親戚に預けられて育った。そのときまでいつも一緒だった愛犬は一緒に親戚に引き取ってもらえなくて、仕方なく安楽死させられた。それが一生の心の傷になっている。
それから時間が経って、大人になって、いまは信頼できる友達も、父親もいる。でも、孤独感は変わらない。人との会話が続かない。日常がわずらわしい。

いままで、それをやった人が居ないならば、やってみても良い。日常のわずらわしさ、人々との関係を継続していくことの苦痛。ひとり旅に出てみたら何かが変わるかもしれない。それならば、やってみても良い。大したことじゃない。海に向かって、ただ歩くだけ。愛犬デイゲテイを連れて。

そう心に決めてロビン デビッドソンは、オーストラリアのヘソの部分、エアズロックのあるアリス スプリングから西オーストラリアの砂漠を横断して、インド洋までの2700キロメートルを9か月かけて単独走破した。4匹のラクダと愛犬を連れて。
20歳代の若い女性が たった一人でコンパスを頼りに徒歩で砂漠を横断した前代未聞の偉業は、すぐに世界的なニュースとなって、彼女の到着を待って世界中からマスコミが殺到した。ロビン デビッドソンは、そんなマスコミから、隠れて身をひそめ、泣きながら逃げ回る。脚光をあびるために、やったことではない。旅はいつも、個人的なものだ。

この映画は実在のロビン デビッドソンが、アリススプリングから、西海岸のジェルトンまで砂漠を単独走破したときのことを再現した記録だ。人との関係をつなぐことが得意ではなくて、本当に心が通じ合えるのは、黒いラブラドール犬だけ、という若い女性が、1977年2月に、ひとり思い立って2700キロメートルの距離を歩いた。その前に、彼女はアリス スプリングのラクダのファームで働きながら、ラクダの飼いならし方を学ぶ。オーストラリアでは、19世紀にアフガニスタン人が、交易のために、たくさんのラクダを連れて入植していた。そのときのラクダが野生化して繁殖し、今では オーストラリアは世界で一番沢山のラクダが生息する国になった。アフガニスタンに逆に輸出してもいる。ラクダのファームでは 野生のラクダを、ヘリコプターやジープで追って捉え、飼いならして馬のように砂漠を移動したり、物を輸送するのに使う。オーストラリアの20%は、砂漠で、海岸地帯以外、国土のほとんどが乾燥地帯だ。ラクダによる移動は必須だ。

いくつかのラクダの農場を移動しながらロビンは、ラクダの習性を学び、何か月もの労働の報酬として、3頭のラクダを貰い受ける。出発まじかに1頭のラクダが 野生のラクダに襲われて子供を出産する。4頭のラクダに食糧やテントを積み込んで、さあ、出発だ。
しかし先立つものがない。ナショナル ジェオグラフィック本社に資金のサポートを依頼していた。本社から待ちに待った返事がきて、資金をあてにできることになった。しかし、彼らは、プロンカメラマンを送ってきた。リック スモランという如何にも軽薄そうな男だ。カメラマンはロビンが砂漠を横断する要所要所で、ロビンを待っていて、写真を撮って本社に送るという。ロビンは写真を取られることが嫌で嫌で仕方がないが、写真の一枚一枚が、砂漠での自分の飲む水代になる。やむを得ないこととして、受け入れる。

まずアリス スプリングからエアーズロックまで歩く。アボリジニの部落に宿泊させてもらう。ここはアボリジニの聖地なので、決められたところしか立ち入ることができない。カメラマンは、その夜、アボリジニの聖なるセレモニーがあることを聴きつけて、眠ったふりをして深夜に行われたアボリジニーの秘儀をカメラに収めた。怒ったアボリジニーの長老は、ロビンが予定していた道を通る許可を取り消した。大事にカメラを抱いて、ジープと飛行機で都市に向かうカメラマンを背にして、ロビンは自分の予定していた砂漠の横断路から、大きく迂回したルートを、歩かなければならなくなった。
ひとり旅を続けるうち、アボリジニのグループに出会う。そこで、ひとりの年よりが親切に案内役を買って出てくれた。ロビンはこの ミスターエデイから、火の起こし方や、ウサギを解体して料理する方法や、薬草の採取の仕方を学ぶ。こんな優秀な砂漠の案内役も、お礼の猟銃を手にしてしまうと、サッサと自分の部落に帰ってしまう。
再びひとり歩くうち、野生のラクダに襲撃されたり、4頭のラクダが勝手に遠くに行ってしまったり、コンパスを無くして、探しに戻ったり、様々なアクシデントに見舞われる。ひとつひとつのトラブルを乗り越えながら それでも旅は続く。

目的地のジェラルトンに近付いて、9か月にわたった旅も終盤に入り、ロビンの人生にとって最大の危機が訪れる。無二の親友、ロビンにとって最高の理解者であり、片時も彼女から離れたことのなかったデイゲテイが、ウサギや野犬などの害獣を殺すために撒かれた毒団子を食べて、苦しみながら死んでしまったのだ。デイゲテイを失ったロビンは 茫然自失となって何もかも投げ出しそうになる。何日間も食べも、飲みもせずにただただ力を失って空を見ていた。ロビンを現実世界に連れ戻したのは、カメラマンのリックだった。底なしの孤独に陥っていたロビンは、人のぬくもりを得て。辛うじて再び歩き始める。そして遂にインド洋に達する。旅は終わったのだ。
彼女の行程と、その時その時で撮られた写真は ナショナル ジェオグラフィックに掲載され、その2年後には、彼女の記録とともに本になって出版された。

360度、どこまでも広がる砂漠が美しい。「アラビアのロレンス」に出てくる、果てしのない砂漠の美しさに重なる。どうして砂漠に留まっているのか、とアメリカ人記者に問われて、ロレンスは「どうして砂漠が好きかって?砂漠は清潔だから。」と答えた。彼もまた人との関わりが得意でない、孤独の海を彷徨う詩人だった。
ロビンは生まれた時からいつも大きなイエローレトリバドッグを遊び相手にしていて、人とのコミュニケーションを必要としていなかった。犬は彼女の親友だったし、唯一の話し相手であり、保護者であって喜怒哀楽のすべてを共有できる相手だった。その犬が、母の自殺を契機に家庭が崩壊し自分が親戚に引き取られることによって、安楽死させられる。そして、再び自分を支えてくれた道連れデイグテイを失って、ロビンは生きる希望を失ったようになる。犬を失うことが、どれだけの痛みか、とてもよくわかる。友達や親や猫を失うのとは全然ちがう。愛した猫を失うのは、悲哀。親を亡くすのは予想された別離であり、解放でもある。友達を無くすのは痛恨。でも、犬を無くすのは自分の手足をもがれるような、自分の体の一部を奪われるような喪失だ。犬を無くす悲しみは、何とも耐え難い。生まれた時から成犬になり、老犬になるまで、本気で犬と付き合い人生を共にした人でないと分からないかもしれない。そうした犬との交流は、一生にただ一匹なのだ。

人と人生を共有していた犬とを一緒に脳のシンチグラムにかけて、同時に同じ音楽を聞かせたり、映像や写真を見せて脳の血流の状態を調べると、人と犬とが顔を合わせているわけではないのに、全く同じところで喜びを感じ、同じところで幸せ感に反応したという実験結果がある。人と犬とは、長く一緒に暮らすと同じものを見ると、同じ感情が流れ、似た者同士となって一体化するのだ。人間が相手では、そうはいかない。
映画を観ながら犬を失ったロビンにとても共感した。カメラマンが要所、要所で待っていて、写真を取ろうとすると、舌打ちしたり、報道陣から泣いて逃げ回るロビンにも好感がもてる。旅を自分のために自分自身で完結させたロビンに心から拍手を送る。本当に立派な女性だと思う。

実在のロビンは まだ60になるかならないかの、とても美しい人だ。湖の底みたいな青い大きな目のブロンズ、立ち振る舞いの優雅な魅力的な女性だ。鉄人レースに出てくるようなキン肉マンではない。彼女の役を演じたミア ワシコウシカよりも、断然本人のほうが美しいという、事実がおもしろい。(ふつうは逆だろう)
プリテイーウーマンのジュリア ロバーツが本当は演じる予定だったのだという。撮影期日の都合で役者が変わって、良かったのか悪かったのかわからない。でも、ジュリア ロバーツにはもう20代前半の冒険者の役は無理かもしれない。オーストラリアの風景に中で、オージー魂を持った、ワシコウシカというオージー女優が、終始怒ったような無表情な顔で演じた。それも良かった。

2014年3月11日火曜日

映画 「それでも夜は明ける」


                    

http://www.imdb.com/title/tt2024544/
「黒人文学」という言葉がある。
20世紀に、黒人が黒人のための小説を書いた先駆者、リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンによる、数々の名作を指す。リチャード ライトは、激しい黒人差別の残るミシシッピー州で生まれ、当時の慣習から学校教育を受けられず、貧困から脱出するために、自力で字を習い、ものを書くようになった。彼の小説「ブラック ボーイ」は、白人社会における黒人の苦闘を描いた自分自身の話だ。簡易な英語で書かれているので、難しい単語や難解な言い回しが苦手の外国人が、初めて読む英語の「原書」として、勧められる。ジュニアスクールの教科書にも紹介されている。易しい言葉で、黒人として差別社会を生きる者の怒りを、全身で表現している得難い小説だ。ベトナム戦争が拡大し、マーチン ルーサー キング牧師が市民を率いて黒人民権運動を広げていった時期に 時流に乗って黒人文学は、ひろく世界中で読まれるようになった。しかし、今考えれば、「黒人文学」とは何だ。白人文学という言葉がない以上、特に黒人を強調することによって、人種差別を促す危険を含んでいるではないか、ということになる。時代は変わる。

人間社会は、いずれ「黒人文学」ということばも、「白人社会」という言葉も無くなっていくだろう。黒人が学校教育を拒否され、白人と同じ電車やバスに乗り、同じレストランに入ることを拒否された時代は、「恥の歴史」として過去に葬られる。同じようにして「男尊女卑」、「男性優位」とか「父兄会」とかいう言葉は過去のものになり、人のことをMENといっていた時代は去り、MEN AND WOMENに言い換えられるようになった。
そのようにして、さらに進んで、「MAN」でも「WOMAN」でもない、そんなものは書く必要がない時代が、すぐに来ることだろう。結婚証明書や、戸籍謄本や、身元証明書に「男」とか、「女」とか書く必要がない。男も女もトランスジェンダーも、自分を男と認める人や、自分を女と考える人や、性転換をした人など、すべてを含めて雇用や結婚に際して、すべて差別してはならない、という時代が来る。「黒」でも、「白」でも「黄色」でもない、また「男」でも「女」でもない、すべて等しく人間であることを認め合う平等社会に向かって行くことだろう。ただし、きわめて、ゆっくりのペースで、おびただしい犠牲者を出しながら、、、、。

映画「それでも夜は明ける」は、150年前にソロモン ノーサップによって書かれ出版された。自分が、ニューヨークで自由の身であったにも関わらず、誘拐されて南部に送られ、12年間奴隷にされていた自身の記録だ。ソロモンの経験を描いたこの本は、その後のアメリカ市民戦争に大きな影響与えた。また、翌年の1854年に、ハリエット ビーチャー ストウ夫人が「アンクルトム キャビン」(1854年)を書いて出版しているが、彼女のフィクション小説の多くの部分でソロモン ノーサップの実際の経験との類似点がみられる。

ストーリー
1841年、ニューヨークで大工として働き、ヴァイオリンの名手でもあったソロモン ノーサップ(キエテル イジョホー)は、妻と二人の子供を持ち、市民として地元では信頼、尊敬されていた。ある日彼は、ヴァイオリンの腕を見込まれて、サーカス団の一行とともに演奏旅行する仕事を依頼され、ワシントンに向かう。そこでソロモンは 紹介された男たちに歓待され、泥酔する。目が覚めてみると、彼は鉄の鎖につながれていた。自分が自由の身であることを叫びたてても、鞭で打ち据えられるばかり、獣のような白人の奴隷売買に引き立てられて、南部に船で送られる。
最初の主人は、テキサスのウィリアム フォード(べネデイクト カンバーバッチ)で、コットンファームの大土地所有者だった。ここで、ソロモンは大工だった経験を高く主人に評価されて、大事にされる。しかし、それが読み書きもできず、建設技術にも無知な白人マネージャーたちに憎まれる結果となり、ルイジアナの別の主人へと売られていく。最後の10年間は、最も冷酷な主人、エドウィン エップス(マイケル ファスベンダー)のプランテーションで酷使される。逃亡すれば極刑、隠し事をすれば鞭打ちの日々、理由もなく鞭打たれる毎日に希望を失いかけたころに、小屋の建設を手伝っていて、カナダからきていた技術者、サミュエル バス(ブラッド ピット)に出会う。ソロモンは彼に、自分の数奇な運命を語り聞かせる。話に感銘を受けたサミュエルは、南部に居ては自分の命が危険にさらされることを悟って、ニューヨークに向かい、ソロモンの救出のために奔走する。そして、ついにニューヨーク市の法律にのっとって、ソロモン救出のための行政官が、ルイジアナまで来て、ソロモンを家族のもとに連れ帰る。
というお話。

今年のアカデミー作品賞受賞作。
奴隷たちが、敬虔なクリスチャンである姿が悲しい。奴隷たちは、この世で苦しむのは、神が与えた試練であって、苦しめば苦しむほど、あの世で美しい来世がくると信じて熱心に信仰している。苦しすぎるので、死を願って、盗みを働いたと嘘の告白をして自ら極刑に身をさらす少女や、泣くことを止めない女、逃亡を試みる少年の姿が哀しい。生きる希望を次々と絶たれていく残酷さ。

原作は150年前の作品だが、今日もまだ、新しい。現実にソロモンのように鞭で打たれはしなくても、弱いものは肌の色やジェンダーゆえに 不理屈に解雇されたり虐待されたりしている。ソロモンのように誘拐されて奴隷にされてはいなくても、いまだに学校や職場で弱いもの虐めが、幅を利かせている。時代を超えて、ソロモンの痛みは 私たちの痛みでもある。
よき社会、差別のない社会への道は まだ遥かに遠い。そこまでの変化は、きわめてゆっくりしたペースで、おびただしい犠牲者を出しながら、、、。

邦題:「それでも夜は明ける」
原題:「TWELVE YEARS A SLAVE」(12年間奴隷だった)
原作:1853年 ソロモン ノーサップによる同名の回顧録
映画プロデユーサー:ブラッド ピット
監督:ステイーブ マックイーン
キャスト
ソロモン ノーサップ :キエテル イジョーフォー
ウィリアム フォード :べネデイクト カンバーバッチ
エドウィン エープス :マイケル ファスペンダー
サミュエル バス   :ブラッド ピット

http://www.youtube.com/watch?v=6LpiwM4yGDk

2014年3月4日火曜日

シドニーで讃岐うどん

                     

和食が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産になったという。
それと関係があるかどうかわからないけど、シドニー北部チヤッツウッドに、讃岐うどん屋「丸亀製麺」釜揚げうどんが、初めてオープンした。シドニーで本物の讃岐うどんが食べられる日が来るとは思っていなかった。とても感激している。むふふ、むふふ の日々なのだ。

チャッツウッドのメイン通りで、店の前を通りかかった人々は、ガラス張りのカウンターで若い職人さんが粉をこねてうどんを打つ様子が見られる。ダイナミックに、どたんばたんと、うどん粉を叩きつけて、こねる音も聞こえる。大きな釜で麺をゆでたてる様子も見られる。通行人の目はうどんをこねる様子よりも、木でできたうどんを入れる桶が、たくさん積み重なっているのにびっくりしている。自然志向の強いオージーの間では、釜揚げうどんを入れる丸い木目鮮やかな木の器に目を奪われている。中に入ると、カウンターの中には驚くほど若い人たちが立ち働いていて、うどんを作ったり、天麩羅を揚げたりしている。
釜揚げうどん4ドル90セント。中に入ると、大きな釜でゆでたてのうどんを手際よく桶にいれて、つけタレとともに、お盆に乗せてくれる。それを自分で選んだ天麩羅などと一緒に食べる。天麩羅はエビ、白魚、イカや野菜で、ひとつ2ドル50-90セント。どんぶりに入った肉うどん、カレーうどん、豚骨うどんや稲荷鮨もある。刻みねぎや、天かすや生姜やゴマは無料。学食みたいな手軽さと、食事が10ドル以下で済む安さは、貴重だ。どれもとっても美味しい。

ハワイのワイキキの中心、クヒオ通りにも同じ「丸山製麺」があって、昼でも夜でも行列ができているという。日本を含めてこのチェーン店のなかでは最高の売上を誇っているそうだ。客はハワイを訪れた観光客が8割、客のほとんどがアメリカ人と中国人で、日本人は1-2割だという。辛抱強く1時間も列に並んでアメリカ人がうどんを食べる図は、2-3年前には考えられないことだったろう。
シドニーでも同じようなものだろう。客のほとんどは、オージーと中国人だ。オーストラリアの人口の3%は、中国人になった。日本人の人口そのものが少ないから自然と、日本食レストランの日本人客は圧倒的多数の中国人に押され気味になる。それにしても、オージーと中国人のあいだで、「日本ブランド」が健在だということは、なかなか嬉しいことだ。

オージーやオーストラリア生まれの若い中国人は、トヨタに乗り、レクサスを買いたいと思い、ソニーで音楽を聴き、キャノンを持ち、ニンテンドーで遊び、ジャパニーズマンガを読み、無印の下着にユニクロを着て、資生堂で肌を整え、DHCの化粧品を持ち、御木本で首元を飾り、週末は恋人と寿司バーで一杯やり、家族のバースデイパーテイーはスシのケータリング化、鉄板焼き屋だ。そういったオージーと中国人の「日本ブランド好き」が、いつまで続くものか、心配している。

いつか日本の捕鯨船がオーストラリアをかすめて南氷洋にまで来て捕鯨を繰り返し、オーストラリア政府が国際法廷に日本の違法性を訴えた4-5年前、日本の捕鯨船がクジラを殺すシーンが連日ニュースで流れた。そのために、私が日本人だとわかると、見ず知らずの人に、すれちがいざまに「クジラ食うなよ。」と脅されたり、唾を吐かれた人も出た。ことほど左様に国外にいる日本人の立場というものは国際情勢に左右されるものだ。日本に居る人にはわからない。

阿部政権は、秘密保護法を通過させ、政府に都合の悪い情報を隠匿、しジャーナリズムの独立的立場を挫き、札束で沖縄普天間基地の移転を強行し、いったん謝罪し決着がつきつつあった慰安婦問題を見直すといって蒸し返し、武器輸出三原則を見直し、靖国神社参拝して中国、韓国だけでなく米国も怒らせて、国民の70%が反対している原発を再稼働させ、ベトナムにまで輸出し、東電の刑事責任を不問にし、東京オリンピックのために、日々ふりかかる国民の放射能被害に目をつぶっている。
驚くばかりだ。これほど人権無視、人命無視の自民党政権が、かつてあっただろうか。世界の人々の間で「日本ブランド」が通用しなくなるとき、世界の人々が「日本ブランド好き」を捨てるとき、、、こぞって日本に背を向け、日本食レストランを襲い打ちこわし、日本人に唾を吐く日が来ないと、誰が言えるだろうか。阿部政権の暴走は、大変に危険なことだ。
郷愁をそそる美味しいうどんを食べながら、考える。

2014年2月27日木曜日

オノ ヨーコ展 「ワー イズ オーバー」イン シドニー



          





前衛芸術家が一般の人々に受け入れられ、理解されるようになるためには、長い長い時間が必要だ。紺碧の空を突き抜けていくような、明るく輝く楽曲を作り出したモーツアルトが、貧困のどん底で死ななければならなかったのも当時としては前衛的な楽風が、人々に理解されなかったからだ。ダダイズムやキューレーターたちが、生きている内に人々に受け入れられて、作品を愛されたとしたら、それはとてもラッキーなことかもしれない。

ビートルズが大好きな人は、前衛芸術家、オノ ヨーコが大嫌いな人が多い。ビートルズを解散させた張本人で、ジョン レノンをたぶらかしてビートルズの音楽活動を停止させ、ジョンの死後はジョン アンド ポールの曲を、ポール アンド ジョンと書き換えたポール マッカートニーを訴え、他の誰とも妥協しようとしなかった。アバンギャルト芸術家の理解しがたい考え方や、奇妙な行動、度肝を抜くような姿、道路脇のゴミ箱から拾ってきたものを展示しているような数々の芸術作品。どなって叫ぶばかりのロック風音楽、すぐ裸になってみせる過剰なパフォーマンス、、、何やってんのかわかんないよ、の世界なのだ。

ジョンが死んで30年余り。いま80歳のオノ ヨーコが、70歳を過ぎたころから、やっと人々に理解され徐々に受け入れられてきたことは 嬉しいことかもしれない。彼女は世界各地で「ラブ アンド ピース」のメッセージを伝えるために個展を開いて、勢力的に 制作し活動している。ダンス・クラブ、プレイの分野では、彼女が作曲した作品がビルボードチャートに何度も第一位になった。その数、10曲。ゲイカップルを支持して、「ゲイ ウィデイング」を作曲し、ヒットチャート第一位になったのは、彼女が71歳のときだった。2009年には 世界的な現代アートのべエチアビエンナーレで、生涯業績部門で金獅子賞を受賞した。「ラブ アンド ピース」賞で獲得した500万円をパレスチナとイスラエルの若い芸術家育成にために寄付した。2000年、ジョン レノンミュージアムをオープン、2006年、トリノ オリンピックの開会式で歌を歌い世界平和を訴えた。

シドニーで、「ワー イズ オーバー」オノ ヨーコ展が開催されたので、行ってきた。オペラハウスを正面に、シドニー湾を広く見渡す港の一角に建てられた現代美術館の、特別展示室6室を使って、彼女のフィルム、彫刻などの作品25点が展示されていた。広々とした展示室は、自然の光が良く入り、明るく、意外にも音が全く流れていなかった。

1)「カット ピース」(1964・2003)
入口近くに大きなスクリーンが二つあって、フィルムが上映されている。ひとつは1964年ロンドンのパフォーマンス、もう一つは2003年のパフォーマンスフィルム。正面を向いて、椅子に座ったヨーコの着ている服を 複数の人々が大きなはさみで切っていく。ヨーコは終始無表情で完全に裸になるまで、じょきじょき服が断ち切られていく。ヨーコは1964年のころジャン ポール サルトルに傾倒していて実存主義に立ち、人間としての普遍的な苦悩をどう表現するかを模索していた。作品を通してヨーコは自分の内部の苦痛を訴えている。この作品は世界各国で上演されていて、ロンドンでは熱狂した観客が暴力的になって、パフォーマンスの最中ヨーコが警備員に保護、助け出される場面もあったという。作り手と観客との隔たりを無くそうとしたヨーコは、作り手も観客も一緒になって融合してこそ作品が生まれると考えていた。1964年と2003年の二つのフィルムが、同時進行の形で上映されていて、若いヨーコと70歳のヨーコが同時に見られるが、実は40年間の年月経過によって何も変わっていないことがわかる。少しも年を取らない、ゆるぎないヨーコの内面精神に、改めて驚かされる。

2)「プレイイット バイ トラスト」 (1966。2013)
部屋に、6つの白いチェスのテーブルと、12客の椅子がセットされていて、「どうぞチェスで遊んでいって」と。座ってみると、どちらのチェスの駒も白い。ゲームを進めていくと、自分の駒がどこまで進んでいったか、相手が攻めているのか、自分が勝っているのかどうかさえも わからなくなってくる。ジョンとヨーコが、この白い駒のチェスをやっている写真を、大昔見たことがある。人には敵も味方もない。争わなくても人と人とは信頼し合ってゲームを楽しむことができるという実験だ。1966年にロンドンでこの作品の展示を見た、ジョンがヨーコに興味をもった切っ掛けになった作品だそうだ。

3)「テレフォン イン メイズ」(1971.2013)
プラスチックの大きな迷路になった部屋ができていて、中に電話がひとつ。靴を脱いで中に入り迷路に迷いながら電話にたどり着く。この電話に、ニューヨークに居るヨーコが週に一度くらいの割で電話をかけてくるそうだ。運の良い人は彼女と禅問答みたいな会話ができるという。中で、しばらく待ってみてニューヨークに念力を送ってみたが効かなかったみたい。

4)「クリケット」(1998)
天井からたくさんのコウロギを入れる竹かごが吊るされていて、近付くとコオロギの鳴き声を聞くことができる。

5)「ウィンドウズ」(2009.2013)
広く開かれた窓は、オペラハウスを真正面にして、海に向かっている。窓の下には、大きな旅行鞄。窓を通して心が外に広がっていく。気持ちが解放されていく。

6)「マイ マザー イズ ブュ―テイフル」(2004.2013)
壁いっぱいに自分の母親へのメッセージを書いて貼り付けるようになっている。すでに何百枚ものメッセージで壁は一杯だった。お母さん大好き、というようなメッセージから、母親への不平不満を並べたものもあって、ながめ渡してみると楽しい。ヨーコは自分が母親にあまり愛情を示してあげることがなかったので、天国にいる母親にメッセージを送っているのだという。

7)「イマジン マップ ピース」(2003.2013)
大きな世界地図が壁いっぱいに張ってあって、スタンプがいくつも机に乗っている。自分が祈りを込めて平和を願う地域にスタンプを押していってください、と。パレスチナにひとつ、南スーダンにひとつ。それから、、、アフガニスタン、チベット、エジプト、ウクライナ、、、考えてみたら日本も含めて平和な場所などどこにもなかった。ほとんど、地図上でスタンプのないところなどない世界地図を改めて見入る。

8)「ヘルメット」(2001.2013)
天井からいくつものヘルメットが吊るされている。ドイツ兵のヘルメットだ。逆さに吊るされたヘルメットの中に、青い色のジグゾーパズルがいっぱい入っている。「青空のかけらを持って行ってください」、とある。3つほど取ってポケットに入れる。たくさんの兵士が死んで、からになったヘルメットは空に向かって何を訴えたのだろうか。

9)「タッチ ミー」(2008)
シリコンでできた女の体、「唇」、「乳房」、「腹」、「大腿」、「足」が並んでいて、来た人はまず温かい水で手を濡らしてから 次々と体の部分を触っていく。私が行ったときは足のひとつの指がちぎられて無くなっていた。この作品を初めてニューヨークで展示した時、体の部分部分が形をとどめないほど破損したので展示会側が作品を撤収するように提言したが、ヨーコは、この破損した姿が今日の暴力にさらされている女の真の姿だといい、撤収を認めなかったという。

10)「ドア アンドスカイ パドル」(2011)
大きな部屋いっぱいに 木のドアがたくさん床に置かれたり、角に立てかけられたり、天井からつるされたりしていて、ドアの横に空を映した水溜りが展示されている。ドアは私たちの心の境界線を表していて、必要なのは勇気をもってドアを開けて通り抜けることだ、と言っている。

11)「エンデンジャー スぺシイズ」絶滅危機にある種 (2319.2322)
4人家族の人々と一匹の犬が、打ちひしがれたように、うなだれて下を向いている、実物大の彫刻。ベンチに座った家族は肩を落とし、希望を失って悲しみに満ちた顔をしている。4人の家族のそれぞれの手には、死亡した人につけられる名前カードが取り付けられている。何という暗さ。
ヨーコは環境保護運動にも積極的にかかわってきたが、現在アメリカで盛んにおこなわれているシェールガス掘削が、深刻な地球環境を破壊するとして、反対している。地球の死は人類の死だ。それが2319年から2322年に起こると予想している。事実、シェールガスの掘削は 今後の地球環境に大きくかかわってくるだろう。世界の環境を壊しているのは、中国の大気汚染ではなく、アメリカのシェールガスなのだ。ヨーコの指摘は正しい。

12)「ウィー アーオール ウォーター」(2006.2013)
大きな部屋の一方の壁に沢山のウォーターボトルが並んでいる。プラスチックボトルにはラベルが貼ってあって、ヨーコのちんまりした字で ボトルに名前が書かれている。私たち人間がみんな名前は違うけれどみんな一様にただの水を入れた容器にすぎないではないか、と言っている。ラベルを見ていくと有名人や学者や、芸術家の名が並んでいるけれど、ジーザス クライストの名も 同じように並んでいる。キリストも自分も他の人々もみんなただの水でできた容器です、と、、。この作品が私はいちばん好きだ。

13)「フィルム」
別にフィルムルームがあって、大型スクリーンで、ヨーコの作品を次々と見せている。フィルム「ボトムズ」お尻(1966)は、ヨーコの作ったフィルムでは一番有名かもしれない。男、女、年齢などに関わらず、様々な人のお尻を後からとったフィルム。画面いっぱいに移された、誰ものものかわからないお尻が延々と続く。人の無防備なお尻は、一番人間らしい姿かもしれない。

14)「ウィッシュ ツリー}(1966)
ユーカリの木がプランターに植えられて現代美術館の屋上テラスに置かれている。それぞれの人が、紙に自分の「ねがい」と書いて紐で木に吊るすことができる。3本の大きな木に何百という「ねがい」がくくりつけられていた。日本の七夕の短冊にヒントを得ているが、オーストラリアでは珍しいからか、展示会に来た人はみな、ここで願いを書いて立ち去っているようだった。「人に迷惑をかけずに老いて死んで行けますように。」これは私の世代の誰もが切実に望んでいることかもしれないから、ベビーブーマーを代表して書いて、吊るしてきた。おりしもシドニー湾には、大型豪華船エリザベス2号が停泊しており、オペラハウスが正面に佇む美しい眺めをバックに、たくさんの人の「ねがい」をつけたウィッシュツリーは 海風を受けて涼しそうに揺れていた。
80歳のオノ ヨーコの「ワー イズ オーバー」(戦争は終わる、あなたが望めば)。とても良い展示会だった。

2014年2月14日金曜日

映画「マンデラ」とマンデラの土地開放政策の失敗について

                                                                                                       
映画「マンデラ 自由への長い道」
原題「MANDELAー LONG WALK TO FREEDOM」
英国、南アフリカ共同制作
監督:ジャステイン チャドウィック
キャスト
ネルソンマンデラ:イドリス エルバ
ウィニー     :ナオミ ハリス
ウオルターシスル:トニー キゴロキ
ゴヴァン ムベキ:ファナ モコエナ

2013年12月5日、ロンドンでこの映画の上映会に、英国皇太子ウィリアムと妻、キャサリンも招待されていて、鑑賞中に95歳のマンデラの死が伝えられ、その場で、全員が黙とう、皇太子ウィリアムが即席で追悼のスピーチをした、という。
映画は、若い日のマンデラが、ヨハネスブルグで、数少ない黒人の弁護士をしていた1942年ごろから大統領になるまでの時期を描いた、マンデラ自身の自伝を映画化したもの。
若いマンデラは、黒人が次々と不法逮捕され弾圧されている中で、人権派の弁護士として活躍している。体が大きくボクシングで汗を流し、人々から信頼されて、女からも人気がある。少数白人による圧政下にあって、黒人たちの不満は抑えきれず、あちこちでストライキが頻発する。劣悪な労働条件を改善させるためにアフリカ民族会議(ANC)が勢力を伸ばしていて、マンデラも当然のように、組織に加入する。徐々に、アパルトヘイト政策が露骨になって、黒人組織への弾圧が厳しくなってくると、ANCは、政府と軍への抵抗から、さらに武装闘争へと路線を急進化させる。マンデラは、先頭に立って、政府の公共施設に爆弾を仕掛け、ゲリラ戦のリーダーとなっていく。その過程で、家庭は破たんし、妻は二人の息子のうち長男を残して、出ていく。そして、マンデラは黒人で初めてソーシャルワーカーになった、ウィニーに出会い、再婚する。武装闘争を主導するマンデラら、ANCの主要幹部は地下に潜り、ゲリラ破壊活動を続けるが、ついに逮捕され、他の6人のメンバーとともに拘束される。

1964年、ANC幹部6人とともに、マンデラは国家反逆罪で死刑を求刑されるが、辛うじて死刑を逃れ終身刑を宣告されて、ロベン島刑務所に送られる。年に2通しか許されない家族との手紙のやりとり、、、岩を削り石を切りだす重労働の日々。その間にマンデラは、結核を患い、母親を亡くし、12歳の長男を亡くし、妻ウィニーの16か月にわたる逮捕、拘束を知らされることになる。27年間の月日が流れる。
こうしている間にも、国際社会では、南アフリカのアパルトヘイト政策への批判が強まってきて、国連からは公然と批判され、各国から経済制裁を受けて、バッシングは強まる一方だった。デクラーク大統領は、マンデラらANC幹部を釈放して、批判勢力を懐柔し、過激化する黒人解放運動の動きを封じようとする。1994年、マンデラらは、釈放されて、政府首脳部と話し合いの席に着く。マンデラは、民主主義に基付いて人種に関係なく黒人に白人と同じ権利、「一人一票」を与えることを主張する。一方、ソエトの黒人による暴動は、激しさを増すばかりだった。若い世代が暴徒化して止まる事がない。

マンデラはテレビを通じて国民に呼びかける。自分は27年間獄中にあった。黒人は長いこと白人から抑圧され、人として扱われてこなかった。しかし 私たちは仕返しをしてはならない。私は、白人が私に対してしたことを赦すことができる。だから、あなた方も赦すことができるはずだ。人は肌の色や育ち、信仰の違いを理由に人を憎むように生まれてきた人はいない。人は憎しみを学ぶ。もし、憎しみが学べるならば、赦して、愛することも学べるはずだ。憎むことを止めなさい。憎しみは何も生み出さない。復讐することを止めなさい。街に出て暴力をふるうことを止めなさい。人には愛があるはずだ。家に帰って、心を静めてそして、1票を選挙で投じてください、、、。マンデラの訴えは、人種に関係なく人々の心を打った。やがて1994年、民主的に選ばれた初めての黒人の大統領が南アフリカに誕生する。というお話。

役者マンデラを演じたイドリス エルバは、ロンドン生まれの英国英語を話す役者で、映画監督で歌手で、ラッパーでもあるけれど、この映画では、完全にマンデラの口調で、話していて、声もそっくりだった。ウィニーを演じたナオミ ハリスもロンドン生まれ、ケンブリッジ大卒の女優で、2012年には007「スカイフォール」のボンドガールを演じた美女だ。夫マンデラのいない間に、権力への憎しみをつのらせて、警察に連行され暴行を繰り返し受けて急進化していき、マンデラの穏健政策とは相いれなくなって離婚せざるを得なくなっていく過程は、せつなく哀しい。
余りに偉大な人の自分で書いた自伝を忠実に映画化した作品だから、もんくの言いようがない。この映画の公開が、彼の死の時期に重なった。

マンデラが入退院を繰り返すたびに、マスコミが大騒ぎして醜かった。オーストラリアには公営ニュース2局、民間ニュースが3局あるが、それぞれがマンデラの病状に変化があるたびに記者、カメラマンを現地に派遣していて、世界中からもマスメデイアがハゲタカのように、何千人と集まって来ていて、あさましい。なぜ彼の尊厳に敬意をこめて、そっとしておけなかったのか。彼の残した「人種差別のない国」、「虹色の社会」、「赦し」といった、きれいな言葉だけが繰り返されて、いつの間にか世界中がマンデラファンになっていて異様だった。白人が得意げにマンデラの「赦し」を語り、差別のない社会を説く姿がうとましい。差別を受けた側の痛みを伴う「赦し」と、特権を謳歌してきた側の「赦し」との間には、天と地ほどの隔たりがある。

マンデラが語った「赦し」、差別されてきた怒りを鎮め、憎しみを捨て心安らかに愛を持って赦そう、そして差別のない虹色の社会を作り出そう、という理想を受け継ぐことは大切だ。そういった彼の思想は崇高で、人間の尊厳に満ちた理想だ。しかし、残されたものは思想を継承すればそれでよいということはない。マンデラがしようとしてできなかったことを実現することが、真の継承ではないか。

1994年マンデラは大統領になり政権を取り、土地開放をしようとしたができなかった。当初、白人所有の農地のうち30%を黒人に農地解放する予定だった。その後、20年たっても4%の土地しか再分配されていない。国土の87%を5万人の白人が所有している。新政府は強権をもっては白人の土地を取り上げず、土地分譲を自由意志にまかせたため、誰も自ら土地を黒人に分配する白人農場主はいなかった。何万件もの土地返還請求が出されたが、認められたのはわずか1%だった。政府は白人農場主が農地をひとつ譲るごとに、最高約4600万円もの費用でそれを買い取り黒人に分配する予定だったが、そのための費用を政府は出していない。黒人が土地を買うために政府は最高約25万円まで補助金を出す予定だったが、その予算も使われていない。結果として白人農業主から分配されたわずかな土地は、すでに社会的に安定している少数の黒人のものになって政治的腐敗層を作り出す結果になっただけだった。

選挙前から、白人経営の6万5千にのぼる農場で働いてきた700万人の黒人就業者たちは、今までどうりの生活を続けていて、彼らにとって「土地開放」はなかった。1994年以前、土地を持たない黒人小作農民は 白人農家の農地で生まれて育って働いてきたが、1996年に小作人保護法ができると、小作農に支払わなければならない賃金が高くなって白人農場主は支出を惜しんで自分の土地から黒人たちを追い出す結果を招いた。そのため多くの土地なし黒人農民は生まれた土地を離れざるを得なくなった。土地を追われた人々は都市に流入し、ジンバブエなどからの不法移民と、深刻な対立をみせている。
現在の南アフリカは失業率46%。ヨハネスブルグは、いま世界中でもっとも危険な都市となり、毎年3000余りの人が殺人で命を落としている。また、HIV感染率も世界一。15歳から49歳までの成人HIV感染率は21,5%、国民の4人に一人の割でHIVに感染している。妊婦の29,5%がHIV陽性でもある。生まれてくる子供たちの未来はあるのか。

マンデラは農地改革、土地開放政策に失敗した。農業経済の自由化、市場開放に期待して強権を発揮しなかった。1994年に国土の90%を所有していた白人農業主から農地を強制的に取り上げず、白人農業主の自由意志で土地分譲を望んだ。しかし、強制的な土地の没収と、黒人への土地分配なくして農地改革はない。ジンバブエでは、ムガベ大統領が強権で白人農業主から土地を奪い、黒人に分配したため、農業技術を持たない農民が多量に出て農業生産が一挙に落ち、空前のインフレと食糧難を導いた。人々は餓えている。同じ過ちを繰り返さないために、農業政策として土地分配に先立って、黒人農業主の組合、互助組織を組織化し、農業技術教育が行われなければならない。また鉱業部門でも労働者の組合の組織化を進めなければならない。そういった国の経済基盤の民主化が進まない限り、差別社会は無くならないし、黒人による「赦し」もない。農地が分配されるまでは、「愛に満ちた虹色の社会」もない。マンデラの意志を継承するためには、まだまだ思い切った政策のためにたくさんの血が流れなければならない。

2014年2月7日金曜日

映画 「ウルフ オブ ウォールストリート」


            

学歴もコネもない、証券会社に勤めていた男が、26歳で自分の証券会社を設立、ウォールストリートでブローカーとして成功して巨万の富を得る。50億円近い年収を稼ぎ、栄華を極めるが収賄、株の不正取引でFBIに逮捕され、何もかも失ったという実在の人物のお話を映画化したもの。

監督:マーチン スコセッシ
原作:ジョーダン ベルフォー「ウォール街狂乱日記」
キャスト
ジョーダン ベルフォー :レオナルド ディカプリオ
ストラントンオークモンド社副社長:ジョナ ヒル
ジョーダンの妻ナオミ  :マーゴット ロビー
スイス銀行家 :ジャン デイュジャルダン
ジョーダンの父、会計士:ロブ ライナー

3時間の長い映画だ。
21秒に一度「FUCK」というマスコミでは使用禁止の粗暴な言語が出てくる。その数、506回。「GET FUCKING PHONE!」受話器を取って株を売って、売って売りまくれ、というわけだ。ディカプリオが、女の肛門のまわりにコカイン粉を振りまいて、ストローでそれを鼻から吸引するシーンで、映画が始まる。禁止言葉の羅列、ドラッグ、ヌードと暴力シーンが多いために、18歳以上でないと観られない。ドラッグはコカイン、マリファナ、アイスにエクスタシー、、と何でも出てくるし、女の全裸姿も嫌というほど出てくる。
粗悪株を 口八丁の巧みなセールスで、小市民に売りつけて老後のたくわえを情け容赦なく取り上げる。名もない会社の株を強引に売りつけて得た金をスイス銀行でマネーロンダリングする。250人の証券会社の社員に株の不正取引を伝授して、売上が達成できると、職場では40人の娼婦やストリッパーや楽隊やアルコールやドラッグが待っている。オフィスで馬鹿騒ぎの末、小人症の人を目標達成ボードに体当たりさせて面白がる。デスクに金魚鉢を置いているような軟弱社員から、取り上げた金魚を全員の前で副社長が呑み込んで見せる。会社を酷評した書類には皆の前でジッパー下げて、小便をかけて馬鹿にして見せる。お金が欲しい女性社員を社員全員の前でバリカンで髪を剃って大はしゃぎする。250人の証券マンが仕事中でも楽しめるように、娼婦達を職場において、机の下でもエレベーターの中でも、ジッパーを開けさせる。何でもありだ。
公然と弱い者いじめをし、障害者を笑いものにして、公共の場で平気でドラッグを吸引し、女性を性奴隷としか扱わない。人としてのモラルをすべて全否定してくれて、獣よりも下劣な男の欲をこれでもか、これでもか、と見せてくれる。いやー、、、悪酔いしそうでした。

監督のマーチン スコセッシはニューヨークのイタリア移民の街、リトルイタリーで生まれ、父親はシチリアからの移民一世、母親も移民の2世、子供の時からマフィアの本拠、シチリアの文化の中で育った。彼の作風は「徹底して見せる」ところだ。暴力シーンは徹底的に暴力的に撮る。情け容赦ない。彼の代表作「タクシードライバー」(1972年)、ボクシングファイターを描いた「レイジングブルー」(1980年)、イタリアマフィアの世界を描いた「グッド フェローズ」(1990年)を見ればその暴力の徹底ぶりがわかる。「ギャング オブ ニューヨーク」(2002年)など、アイルランド移民たちの手造りのナイフやナタで殺し合う血しぶきが飛び肉がちぎれるシーンなど、暴力描写が徹底している。
そして、今回の「ウルフ オブ ウォールストリート」では、無一文の男が事業に成功するとどれだけ馬鹿ができるかを徹底して描いてくれた。モデルだった美しい妻を持ち、子供たちに高い教育を受けさせ、家をいくつも買い、別荘、運転手付きのロールスロイス、自家用飛行機、船、とエスカレートしていき、ドラッグとアルコールをあびるように飲み、女遊びする。きりがない。ヌーボーリッチ、成り上がり者の俗物極致、金銭至上主義で、下衆の三流趣味。消費することが快楽でたまらない、消費中毒。人としての品性も、道徳も品格も、叡智もない。人格の尊厳も、上向志向さえない。でも、これがアメリカ人であり、アメリカの消費文化のなれの果てなのかもしれない。そういった男をスコセッシが徹底して描いた。

そんな男を演じたのは、ディカプリオ。「僕がこれだけのお金を手にしていたら環境保全のために使いたいよ。」と、のたまう、しごく真面目な役者だ。炭酸ガスを出さないバッテリー電池の自動車ハイブリッドが発売されたら、すぐに手に入れて売上宣伝に力を貸し、自然破壊を食い止めるための映画を自費制作した。この映画、アル ゴウ元副大統領の作った「不都合の真実」の影になって、あまりヒットしなかったが、カナダの環境保護活動家、デビッド鈴木博士のインタビューなどを含めた とても優れたドキュメンタリー映画だった。
環境保護活動家は、アメリカでは大企業から嫌われるから、スポンサーがつかない。ディカプリオは日本では人気があるが、アメリカでは実力に反して評価されずにきた、不遇の役者だ。映画史上最高の興行成績をあげた「タイタニック」を主演したにもかかわらず、相手役の女優ケイト ウィンスレットがアカデミー主演女優賞を取り、映画作品賞など、その年のアカデミー賞を総なめしたが、なぜか主演の彼だけが、何の賞も与えられなかった。「アビエーター」でも 相手役のケイト ブランシェットがアカデミー女優賞をとり、主演のディカプリオには、何も与えられず、また、昨年の「華麗なるギャッピー」でも、作品は受賞したが 主演の彼は、賞の候補にさえ挙がらなかった。ハリウッドでは、わざと彼だけを避けているのかと思えるほど、ディカプリオは、賞に関しては不運だった。今回のこの映画で、彼は初めてアカデミー主演男優賞の候補にされた。是非、受賞してもらいたい。「熱演」、というか、「怪演」している。

この原作を映画化する権利を、ディカプリオは、ブラッド ピットとの入札で競り合って獲得したそうだ。主役に求められる、「無教養で、節操のない上えげつない男」を、ディカプリオがやっても、ブラッド ピットがやっても、あきれるほどうまく演じたことだろう。
マーチン スコセッシは、この映画の前に、「デパーテッド」、「アビエーター」、「ギャング オブ ニューヨーク」、「シャッター アイランド」の4作で、ディカプリオを主役に使っている。よくできたコンビだ。中では、「シャッターアイランド」が一番好き。夢か現実か、わからない狂気の世界を彷徨うディカプリオがとても良かった。
スコセッシ監督の作品ではないが、「キャッチミー イフ ユーキャン」(2001年)という映画がある。高校生のくせに、ツイードのジャケットなど着て、先生に間違われれば、そのまま教壇で滔々と授業をやる。口がたつ天然の詐欺師だ。
今回の映画でも250人の社員を前に、演説を始めると熱が上がってきて、アジりまくる。彼のアジテーションに 社員全員が総立ちになり熱狂する。そんな役がとても 彼にはよく似合う。FBIが動き出したのを機に勧められて、社長業の引退を決意して、社員たちを前に涙ながら最後のあいさつをしていたのに、話し始めると止まらない。社員を叱咤激励するうちに、そうだ、引退なんか、くそくらえ。僕はこれからも仕事にばく進して、稼いで稼ぎまくるぞ ということになってしまって社員たちを熱狂の渦に巻き込んでしまう。このシーンが映画のクライマックスだろう。
金、女、ドラッグに固執する執念が、この男を駆り立てる。この役を演じたくて、版権を自分で買い映画化するのを待ち望んでいたディカプリオの執念が達成された。アカデミー賞受賞の価値はある。http://www.youtube.com/watch?v=AxFzStkGtX4

2014年1月26日日曜日

アイマックスで映画 「ゼロ グラビテイー」

                                      
映画「ゼロ グラビテイー」
原題:「ZERO GRAVITY」
監督:アルフォンヌ キュアロン
カメラ:エマニュエル ルベッキ
キャスト
ライアン ストーン博士  :サンドラ ブロック
マット コワレフスキー宇宙飛行士:ジョージ クルーニー

ストーリー
地球上空600キロメートル、空気も重力もない世界。
宇宙飛行士マット コワレフスキーと、メデイカルエンジニアのライアン ストーンは、スペースシャトルから出て、船外ミッションに携わっていた。ヒューストンから連絡が入り、ロシアの宇宙ステーションでミサイルが自国の人工衛星を破壊したので、大型の宇宙のゴミ(デブリ)が、拡散して危険が予想されるので、船内に入るように指示される。宇宙空間にはたくさんのゴミが浮遊しているが、そのほとんどのものは太陽の引力によって周りをまわっていても、小型で害を及ぼす前に自然消滅する。しかし、今回のゴミは大型らしい。マットとライアンが船内に入る準備をしているうちに、宇宙ゴミがライアンたちを直撃する。ライアンは宇宙空間に放り出されるが、マットに回収される。二人は、スペースシャトルに戻るが、シャトルは すでにダメージを受けていて、他の隊員は全員死亡している。

マットの判断で、900メートル先の国際宇宙基地に行くことになった。二人の宇宙服の酸素は限られている。二人とも酸素が十分でない状態で、国際宇宙ステーションにたどり着き、シャトルをつかもうとするが難しい。やっとのことでライアンの足が宇宙船の綱にひっかかり、取っ手を掴むが、マットはライアンのベルトに命綱をつけたままの状態で取っ手を掴むことができない。マットは、ライアン一人を救うために、自から命綱を離して宇宙空間に浮遊していった。ライアンは、宇宙船の中に入って、地球に帰還するために、ソユーズに乗り込むが、国際宇宙基地は火事が起きて、二つあるソユーズのうち、ひとつはすでに離脱している上、もう一つはパラシュートが開いてしまっている。ライアンは 再び船外に出て、絡みついているパラシュートを引きはがしソユーズで脱出を図る。ソユーズを発動させるが、今度は この燃料が切れかけている。

動転するライアンは、自ら綱を離して行ってしまったマットが、中国の宇宙基地、天宮に行くように指示したことを思い出し、160キロメートル先にある中国基地に向かう。壊れかけたソユーズの中でライアンは何度も生き残る希望を捨てたくなるが、不思議とマットが目の前に現れ、諦めないように見守ってくれた。中国基地が、見えて来た。ライアンは勇気を奮って、ソユーズから出て、自動消火器を噴射しながら宇宙空間で方向を変えながら、中国基地に 取り付くことができた。マットに言われた通りに、天宮の中に入り、中の宇宙船、神舟に乗り込む。起動させることに成功し、落下、分解して神舟は切り離されて、大気圏に突入、パラシュートが開いて湖に着水する。神舟は浸水して沈没するが、ライアンは水底から宇宙服を脱ぎ捨てて、泳いで浮かび上がり岸に泳ぎ着く。自分で呼吸ができ、自分の足で地の上を立つことができる地上に戻ったのだ。
というお話。

傍若無人なロシアが勝手にゴミをまき散らしたために、国際基地が破壊されて、ナサの生き残った飛行士が中国基地の助けを借りて無事地球に帰還することができた、でも中国製のソユーズの出来が悪くて粗悪品なので、地上にもどって、すぐに沈没してしまった。というなんだかアメリカ人の心情を表しているみたい。アメリカのドルが弱くなり、一方で強くなった中国の助けを借りなければ生存できなくなってきた。今のところロシアの影響下にいるより中国はアメリカ側に付いたほうが利益が多いといった米中ソ3国の国際関係を揶揄しているようで、おかしい。
映画の中で、ガンジーの写真が貼ってあったり、中国基地では、仏教の像が飾られていたりして、この映画に、近代技術の先端である宇宙科学が、どんなに発達しても精神的な支えが必要だというメッセージが込められている。でも、ブッダの像が、七福神のなんだかの神様だったので、ちょっと笑えた。

映画の登場人物がサンドラ ブロックとジョージ クルーニーの二人だけ。
無重力の宇宙空間に二人が浮遊する様子を どんな撮影技術で撮影したのか、誰もが知りたいところだ。ワイヤーでつるされた役者のまわりをカメラが回り、同時に、音響効果を狙って音源も同時のまわしたのだという。それで、宇宙空間を浮かんでいるような不思議な音が、あちこちから聞こえるような気がしたのだろう。無重力の世界で、聴覚と視覚が冴え渡る。
二人の役者は 撮影にあたって、5か月間 特殊装置の中で演技をする訓練をしたそうだ。カメラマンのエマヌエル ルベッキは、「ライトボックス」という、360度LPライトで囲まれた大きな箱を作り、その中で役者に演技をさせたそうだ。ここでは360度どんな角度からもライトを当てることができる。中で演技する役者を、影のできない3Dの立体像で映し出すことができる。この箱をサンドラ ブロックの名を取って「サンドラ ボックス」と撮影隊は呼んでいたそうだが、1日10時間も中で演技を続けるサンドラにとっては、大変な重労働だったようだ。子供の時からクラシックバレエをやってきたサンドラの柔らかい体がこの役を演じるのに役立ったという。インタビューで彼女が、「手を上げたり足を曲げたりする、ひとつひとつの動作のために50人の技術者が働いて居る。独創的な装置のひとつが動かなくなっても、上空に吊るされている自分が落下して命はなかった。」と、撮影の大変さを語っている。49歳のサンドラ ブロックの贅肉ひとつない少年のような体に好感を持ったのは、私だけではないだろう。役者は体が命、というが、彼女のような肢体を長年維持してきた役者は立派だと心から思う。

映画が始まって終わるまで、はらはらし通しの緊張を強いられる映画だ。
でも充分、宇宙遊泳を楽しむことができた。重力のない世界で移動する、浮遊する楽しさを3Dで、アイマックスの大きな画面で体験できて とても幸せ。ずっとこの映画を観たかった。でもなぜかシドニーでは、あまり上映中は話題にならなくて、夜6時からの上映ばかりで、見逃していた。今年のアカデミー賞で最多10部門でノミネートされたおかげで、アイマックスで上映してくれたので、とても嬉しかった。シドニーのアイマックスは世界一大きい。縦29,42メートルで、横35,73メートルの巨大スクリーンだ。高価な70ミリのフィルムを使うので、製作費用もかかるという。広い視野角によって、映画の中に居るような感覚にするために、座席が ひどく急こう配になっている。階段がだめなオットは、席にたどり着くのに半死状態になった。チケットは普通の映画の3倍くらい。でもそれだけの価値はある。

3Dで空を飛ぶ体験を「アメイジング スパイダーマン」で経験した。スパイダーマンの伸びる粘りを利用して夜のニューヨークの高層ビルからビルを飛び移る、、、耳元に風が鳴るような爽快な体験だった。今回の宇宙では無重力を浮遊するおもしろさを体験した。600キロの距離だから 地球が目前に大きく見えて美しい。太陽の周りを正しく回っているときは良いが、いったん軌道を外れると宇宙は底なしの暗さで、恐ろしい。宇宙散歩といっても自由に動けるわけではないから骨が折れる。貴重な体験だ。こんなに素敵な映画を、つまらなかった、という人が居て驚いた。カーチェイスもなく銃撃戦もなく痴話喧嘩もない。つくずく映画を楽しめるかどうかは、その人の想像力に罹っている、と思う。宇宙空間に放り出される画面を見て、自分自身にそれが起きているかのように、想像できるかどうかだろう。だから物語に想像力をかきたてられない人は、気の毒かもしれない。

宇宙飛行士の日記で、スペースシャトル内の無重力状態にいるときに、排尿排便はバキュームクリーナーのような装置を使うが、下手すると無重力の空中に拡散してしまって回収するのが大変だ、と書いてあるのを読んだことがある。うーん。大変だ。浮かんでいるのも楽ではない。
宇宙葬というのもある。亡くなった人のお骨を宇宙に打ち上げて しばらくの間地球を回っているのを地上から見上げて亡くなった人を偲ぶらしい。しかし、今回のような映画を観ると、宇宙のゴミを増やすのももう止めておかないとゴミだらけになってしまうので、自粛したほうが良いかもしれない。

地球に大きな彗星が衝突して、地球の自転の速さが遅くなってしまったら、赤道に近付けば近付くほど無重力状態になるのではないか。そう考える科学者が、島田荘司の小説「アルカトラス幻想」に出て来た。だから、巨大恐竜が、重い体重でも重力がなくて生存できたのではないか、と推測する。これはおもしろかった。

地球には重力があるから歩いたり立ったりすることができる。と教わったときの驚きと興奮がよみがえる。重力のない世界で宇宙の果てには、どんな光景が待っているのか、科学への強い興味と関心が奮い立つ。科学の世界に、想像が尽きない。夜空を見上げて、しばし立ち尽くす。
今年のアカデミー賞、10部門でノミネートされている。素晴らしい映画だ。

2014年1月20日月曜日

映画 「アメリカン ハッスル」

                 


原題:「AMERICAN HUSTLE」
監督:デビッド ラッスル
キャスト
クリスチャン ベール
ブラッドレイ クーパー
エイミー アダムス
ジェニファー ロレンス
ジェレミー レナー

こんなに楽しい映画を久し振りに見た。愉快で楽しくて、痛快で心が躍る。
この映画を監督したデビッド ラッセルの前作「世界にひとつのプレイブック」では、ブラッドレイ クーパーとジェニファー ロレンスが不思議な恋人同士を演じたが、ジェニファー ロレンスがアカデミー主演女優賞を受賞した。また 同じ監督の「ザ ファイター」では、クリスチャン ベールと、エイミー アダムスが主演して、クリスチャン ベールがアカデミー助演男優賞を受賞した。今回、この映画で、クリスチャン ベール、エイミー アダムス、ブラッドレイ クーパー、ジェニファー ロレンスの主演俳優の4人が4人ともアカデミー賞ににノミネートされている。4人というか、ジェレミー レナーも含めて主演の5人がみんなとても芸達者で、生き生きしていて素晴らしい。それぞれの役者の味を心得ている監督なのだろう。

ストーリーはアブスキャム事件という、1979年に起きた大掛かりな収賄事件を扱ったもの。ニュージャージーで知事が人気取りのために大型娯楽施設やカジノの建設を計画し、業者からわいろを受け取った。上院議員と5人の下院議員がFBIのおとり捜査によって逮捕されて有罪となった。このおとり捜査には、男女のプロ詐欺師がFBIに協力した。バックには、イタリアマフィアの資金が関わっているから、おとり捜査も決死の覚悟がいる。実際にあった、この事件をミステリー風に怖いストーリーにすることも、ドキュメンタリータッチでまとめることもできたが、デビッド ラッセル監督は、5人の芸達者な役者を使って、洒落とユーモアで、面白おかしく上手に仕上げた。

プロの詐欺師カップルには、クリスチャン ベールとエイミー アダムス。彼らの弱みを握ったFBIのブラッドレイ クーパーが、二人の詐欺師に刑事罰を科さない代わりにおとり捜査に協力させる。FBIと詐欺師にまんまと引っかかるのが 市長のジェレミー クーパーという役回りだ。
同じような筋書で「ステイング」(1973年)という映画があった。「明日に向かって撃て」のポール ニューマンとロバート レッドフォードの二人が一番輝いていた時期の映画。二人ともうっとりするほどの男前だった。シーンが変わるごとに、つっかえとっかえ新しい三つ揃いのスーツをビシッと着て 洒落た帽子姿でハンサムなふたりが現れるたびに 深い深いため息が出た。とてもお洒落な映画で、ふたりとも格好が良すぎた。この映画を意識してか、意識しないでか、今回の「アメリカンハッスル」では 詐欺師のクリスチャン ベールが全然恰好が良くない。衝撃的な姿で出てくる。「バットマン」でも「ターミネイター」でも主役で男の中の男が、どうしてどうしてハゲでデブになって出てくるの。心臓が止まるかと思った。

かねてからクリスチャンべールの役者造りへの執念、というか役へののめり込み方は、普通ではない。「マシ二スト」(2004年)で 役のために30キロ痩せて、183センチ、54キロの体重になった。その半年後には、「バットマン ビギンズ」を演じるために体重を86キロまで戻し、また「ザ ファイター」では13キロやせてボクサーになった。役のために髪を抜いたり、歯を抜いたり、もう残酷物語か、我慢大会みたいだ。そのクリスチャン ベールが、この映画でハゲでデブな上、うさんくさい中年のおっさん詐欺師をやっている。彼はこの映画を主演するにあたって、当時の本当の詐欺師、メル ワインバーグ、89歳のところに行って、3日3晩 一緒に過ごしたそうだ。映画の中で、彼がエイミー アダムスとデューク エリントンのLPに二人してうっとり聞き惚れて涙ぐむシーンは、笑える。しかし、このおっさんが只者ではない。頭の切れるエイミー アダムスとコンビを組んで次々に詐欺を働き、女性フェロモンぷんぷんんのジェニファー ロレンスを妻に持ち二人の女を巧に操作している。エイミー アダムスに愛想を尽かされても大丈夫、しっかり心までつかんでいるから必ず彼女は帰ってくる。

エイミーアダムスとジェニファー ロレンスの愛人と妻との女トイレでの大喧嘩がすごい迫力だった。うーん。全くジェニファー ロレンスには負けます。こんな良い女には、誰にも勝てない。しかし女達の決死の争いに思わず笑い出してしまう。この明るさは、一体何だ。
FBIのやり手捜査官、ブラッドレイ クーパーがシーンが変わるごとに素敵なスーツ姿で現れる。スタイリッシュで頭が良くてカーリーヘアが愛らしくて、颯爽としている。そのエリート捜査官が、意外や意外にも 本当はメキシコ人で、貧困家庭に育っているという設定もひねりがあって面白い。彼が自宅のアパートに帰れば、所せましとスペイン語しかわからない母親や婚約者や、兄や姉の子供たちが一緒に暮らしていて所構わず走り回っていて混沌世界だ。妻の尻に敷かれているクリスチャン ベールに愛想をつかせて、FBI捜査官に乗り換えようとしたエイミー アダムスが、ラブシーンで、相手に自分の本当の姿を知ってもらいたくなって、「本当のことを言うと私メキシコ人なの」、と告白したとたんに、ブラッドレイ クーパーが度しらけて、「その英国人アクセントは何なんだよ。何だってイギリス人じゃないのか。」とぶっちぎれて女に怒りをぶちまけるシーンも大笑いだ。

ニュージャージーの知事に、「ハート ロッカー」のジェレミー レナーが出てきて、悪者のはずが、結構たたき上げの苦労人で 人の良い5人の子供のお父さんで、よくわきまえた妻をもった情に厚い男だった姿も笑える。最後に自分がおとりになって知事をだましたくせに、泣いて謝るクリスチャン ベールの格好の悪さ。まったく、だましたほうも、だまされた方も泣きながら情けタラタラな姿の大笑いだ。
カメオ出演で、ロバート デ ニーロまで出てくる。イタリアマフィアの親分だ。70歳、映画界には「デ ニーロ アプローチ」という言葉がある。「レイジングブル―」(1980年)でボクサーを演じるために体重を20キロ増やし、「アンタッチャブル」(1987年)で髪を抜き、「ゴッドファーザー」(1974年)でシチリアに住み着き、「タクシードライバー」(1976年)のためにニューヨークで本当のタクシードライバーをやった。徹底した役者造りをする人で、クリスチャン ベールの役作りのモデルにもなっている。貫録のデ ニーロが出てくるだけで、この映画がよく調味料の効いた仕上がりになっている。

この映画、もう とにかく5人が5人とも格好が悪くて笑えて笑えて仕方がない。楽しくてとっても愉快。10部門でアカデミーにノミネートされているというが、納得できる。ハリウッド映画の良さを堪能させてくれる。見て、損はない。

2014年1月18日土曜日

映画 「ザ ブック シーフ」(本泥棒)

   
http://www.rosevillecinemas.com.au/Movie/The-Book-Thief
原作:「THE BOOK THIEF」 マルクス ユーサック
監督: ブレイン パーシバル
キャスト
養父ハンズ:ジェフリー ラッシュ
養母ローザ:エミリー ワトソン
ライゼル  :ソフィー ネリス
ルデイー  :二コ ラースク

ドイツ系オージー作家、マルクス ユーサックのベストセラーを映画化した作品。作家はまだ若い人でメルボルンに住んでいる。自分が祖母から子供の時から聞かされてきた体験談を、自分だけのものにしておくのが惜しいので、少しでも多くの人と共有したくて、6年あまりかかって小説という形で完成させた、という。原作は、若い人のみずみずしい感受性が現れた詩のように、美しい文章で描かれている。

ストーリーは
1938年、ドイツ。ヒットラーを総督とする軍部の力が日に日に増強している。公然と赤狩りが行われ、共産主義者や自由主義者が、地下に潜伏しなければならなくなっていた。共産党の活動家だった両親は、二人の子供を養子に出すため汽車で移動中だったが厳しい逃亡の末、男の子は病死する。残った13歳の女の子ライゼルは、ベルリンの街に着き、無事に養父養母に引き取られる。男の子を引き取るつもりでいた養母ローザは、ライゼルを見て落胆を隠さない。いつもガミガミ夫やライゼルをしかりとばしているばかりの養母の態度に傷つくライゼルだったが、養父ハンズは優しく、ライゼルを一人前の女性のように扱ってくれた。

ライゼルは13歳になるのに字が読めない。隣の家の仕立て屋の息子ルデイーは、ライゼルといち早く仲良くなり、字が読めずに学校で馬鹿にされるライゼルに親切にしてくれる。二人はすぐに無二の親友同士となる。養父ハンズはペンキ屋だった。家は貧しく、養母はお金持ちの家の洗濯物を引き受けて小銭を稼いでいた。貧しくて家族の食費捻出にも苦労していたこの家庭に、ある夜マックスというユダヤ人の青年が助けを求めて転がり込んでくる。栄養失調で衰弱していて介護が必要だ。養父とマルクスの父親とはかつての戦友で互いにどんな時でも、どんな状況に陥っても互いに助け合うと誓った中だった。ハンズとローザは迷いなくマルクスを迎い入れて、かいがいしく世話を焼く。マックスはやがて回復して、ライゼルの読み書きの勉強を助けて、頼もしい話し相手になる。

ライゼルは本が読めるようになって嬉しくて、本が好きで好きでたまらない。しかしナチス軍政を支える市民は、軍に忠誠を誓うために街に本を持ち寄って焼きつくすイベントを繰り返していた。今や文学などに浸っている時期ではない、ヒットラーのナチスドクトリンだけを読んで強いドイツを統一しよう、という社会運動が広がっていた。ライゼルもルデイも いやおうなく学校からこういった市民の集会に参加して、ヒットラーを讃える合唱曲を何の疑問もなしに歌うが、内心では、ライゼルは、焼かれていく本を見ていて、ひとりで胸を痛めていた。本が読みたい、今まで知らなかったことを沢山教えてくれる知識の源を、もっと自分のものにして心を豊かにしたい。ある夜、ライゼルは、街で焼かれた本の山から一冊の、まだ焼却されていない本を盗んで自分のコートに隠して持ち帰る。そこを車に乗った夫人に観られてしまった。それが、あとで養母ローザの洗濯物を届けに行ったときに、市長夫人だったことがわかって ライゼルは、叱られるのではないかと怯える。しかし、市長の妻はライゼルを自分の家の図書室に導いて、いつでも本を読みたいときに訪ねてきて良いと言ってくれた。本を自由に読むことを許されてライゼルは嬉しくてたまらない。家に帰れば読書好きの自分を温かく見てくれる養父ハンズが居り、何でも知っているユダヤ人のマックスが居てくれる。ライゼルは幸せだった。

しかしマックスが隠れる地下室は冷たく湿気が多い。隠匿生活も2年を過ぎるとマックスは重い肺炎になって死線を彷徨う。ライゼルは毎日マックスの枕元で本を読み聞かせた。彼は何の反応も見せない。しかしライゼルは物語が人の命を保つための気力を与えてくれると信じて、祈るような気持ちで、毎日市長の家から本を持ち出してはマックスのために本を読んだ。家族の懸命な介護のおかげでマックスは奇跡的に回復する。

しかし戦争が広がり、ユダヤ人迫害が、日に日に激しくなっていた。ある日近所に住む青年がユダヤ人の血が混じっているというだけで、軍に引き立てられていった。ハンズはそれを見て、たまらずに軍人たちに向かって連行を妨害しようとする。その事件によって彼は反政府危険分子のレッテルを張られて、すでに中年を過ぎて老年に達しているのに兵役に徴兵されて前線に送られる。地下に隠れていたユダヤ人のマックスは其れを機会に、家族の安全のためにひとり出ていく。
しばらくして、ハンズは前線から傷を負って帰ってくる。やっと家族がそろって過ごせる幸せも、長くは続かなかった。ベルリンの街が爆撃され、ハンズの家も直撃弾を受け倒壊した。朝になって、ハンズとローザの冷たくなった遺体が掘り出される。ライゼルは夜中まで地下室で本を読んでいたため生きて、がれきの中から助け出される。しかしライゼルの目の前には、変わり果てた虫の息のルデイが横たわっていた。ルデイは力なくライゼルに微笑みかける。ライゼルは心から本心だったアイラブユーを彼に伝え、ルデイの消えていく命を抱きしめてキスをしたとうお話。

ライゼルは再び孤児になり、紆余曲折の末アメリカに渡り結婚して子供を産み、自分の経験を子供や孫に語り聞かせた。それを今は、オーストラリアに住む孫が書き留めて本にして、ベストセラーになった。
ドイツ人夫婦を演じているジェフリー ラッシュと、エミリー ワトソンという熟練役者が素晴らしい。エミリー ワトソンは100%ロンドン生まれのイギリス人だが、ドイツ人特有の 飾り気ない素朴でがさつで怒鳴り散らしてばかりいるが、強くて心は温かいドイツ人のおっかさんを演じている。100%オージーのジェフリー ラッシュも貧しいペンキ屋で自分たちが食べていくだけでも大変なのに、地下にもぐった活動家の娘を養女に迎え、見つかれば家族ごと処刑されるのを覚悟でユダヤ人を、二年間もかくまったりする、度胸のある頑固親爺をしっかり演じている。彼らの姿を見ているだけで勇気が湧いてくる。
主人公にライゼルを演じた13歳の役者、ソフィー ネリスの可愛らしいこと。この少女に恋する14歳の役者二コ ラースクも負けずに可愛らしくて、二人がかけっこをしたり、ナチ教条主義の同級生に虐められたりする姿に目が離せない。

ナチズムの波が徐々に 普通の市民の生活の中に浸透していく姿が恐ろしい。人々が物をいうのを控えるようになり、自由な行動をとらなくなり、互いに顔を見合わせながら押し黙っていく一方、軍人たちが自由自在にのし上がっていく様子が手に取るようにわかる。昨日の人が、今日になると別人のようにナチ礼賛者になっている。学校で組織化されたナチ少年隊が声高らかに威勢の良い歌を合唱し、本を焼き、軟弱者を虐める。昨日までサッカーボールを追いかけていた少年が、今日はナチ少年隊の制服に身を包みナチドクトリンを斉唱している。自分と同じことをしない少年を、臆病者と決めつけて暴力をふるう。異端者や落伍者を作り出して虐めることによって、集団を強化する。集団ヒステリーの中で自己陶酔する。
そういった先に、どんな結果が待ち構えているのか 私たちはすでに知っている。だから、それだけに時の力に巻き込まれて自分の口を閉ざしてしまうことの誤りを強く認識させてくれる。「本を焼く」という、長い人間の歴史を作り出してきた知の集積を否定するような社会を再びどんなことがあっても許してはならない。この映画では、ベルリンに戦時下暮らしたドイツ人家庭の姿を描くことによって、反戦を強く訴えている。とても良い映画だ。しみじみと、作者のおばあさんへの愛情が伝わってくる。

2014年1月8日水曜日

映画 「ザ レイルウェイ マン」(鉄道員)

                                       


原作:「THE RAILWAY MAN」 エリック ロマックス
監督:ジョナサン テプリスキー
英豪合作映画
キャスト
エリック ロマックス: コリン ファース
妻、パテイー    : 二コル キッドマン
若いエリック    : ジェレミー アーヴィン
ナガセ タカシ   : 真田広之
戦友 フィンレイ  : ステラン スカースガード
ストーリー
第2次世界大戦、1942年2月、シンガポール陥落とともに、英国軍は日本軍によって武装解除させられた。鉄道技師だったエリック ロマックスは、捕虜としてタイ、ビルマ国境に送られて、鉄道建設に従事させられる。強制労働に駆り出された捕虜たちは、炎天下のなかをジャングルを切り開き、充分な水や食料を与えられないまま長時間働かされ、マラリアに罹患したり、栄養失調で、数えきれないほどの死亡者を出した。

エリックは6人の仲間たちと、密かに部品を集め組み立ててラジオを作り、BBCの受信に成功した。また仲間とともに、強制キャンプから脱出する機会を待っていた。しかし、隠していたラジオ受信機が監視兵に見つかり、6人は厳しい体罰を受ける。中でもエリックは首謀者として、一人隔離されて激しい拷問を受ける。当時、日本軍は対、ビルマ国境地帯のゲリラ攻撃に手を焼いていた。エリックたちが受信機を通じてゲリラと連絡を取り合っていたのではないかと疑われていたのだった。エリックは、連打や水攻めの拷問を受けて、傷だらけになって仲間のところに生還した。それは、連合軍の勝利と、英国軍捕虜解放の直前のできごとだった。

戦争が終わり、エリックは故郷に帰り、鉄道技師として勤める。そして、今や、何年も月日が経ち、人々は戦争のことなど忘れたかのように見える。エリックは、もう若くなかったが、恋をして結婚する。いっときの幸せな新婚生活ののち、妻、パテイーはエリックが、夜中に悪夢にうなされて激しい発作を繰り返すことを知る。何が原因なのか、エリックは堅く口を閉ざして、妻に何も語ろうとしない。問いただすと、エリックは、ひとりきり閉じこもってしまう。パテイーはエリックの戦友のフィンレイに、夫に何があったのかを聞き出そうとする。フィンレイは、パテイーの度重なる懇願に、堅く閉ざしていた口を開いて、自分たちが捕虜として強制収容所で、ひどい拷問を受けたことを話す。それを聞いたパテイーは、捕虜だった過去の心の傷のために一生を棒に振ってはいけない、このままではエリックは廃人になってしまうと、考え、打開策を考える。フィンレイも、エリックが6人の仲間の犠牲になって、首謀者としてひとり激しい拷問を受けたことで、傷ついていた。

そんな折、自分たちが収容されていた捕虜収容所が いまは戦争記念館になっていて、ナガセという日本人がその館長を務めているという情報が入る。忘れようにも忘れられない名前だ。ナガセが拷問をした。ナガセは日本軍の英語の話せる数少ない通訳兵だったので、エリックたちに尋問と拷問を繰り返した本人だったのだ。フィンレイは恨みを晴らすために、この男を殺しに行こうと、エリックを誘う。しかしエリックはフィンレイにさえ、心を閉ざして協力を断る。エリックは孤独に耐えられなくなってついに自から命を絶つ。親友の死を知ったエリックは、彼に背中を押されるようにして、かつての収容所に向かう。年を取ったナガセに再会して、エリックはナガセを殺そうとする。しかし一切言い訳を言わないナガセに向かって、エリックはナイフを突き立てることができない。そして、ようやくナガセは語りだす。ナガセは自分が戦時中に侵した罪を償うために、記念館を維持することにしたのだという。エリックはイングランドに戻る。そして、数年後妻のパテイーを連れてナガセのもとを訪れる。二人は和解し、死ぬまで友人として互いに尊敬し合って生きた。 という本当のお話。

タイトルが「ザ レイルウェイ マン」(鉄道員)で、主演がコリン ファースだと聞いたときは、浅田次郎の短編小説、「鉄道員」(ぽっぽ屋)を思い浮かべた。この英国版で、高倉健の役をコリン ファースが演じるとしたら、ファースは適役だ。でも 違って、鉄道が好きで好きで仕方がない鉄道技師の戦争体験の話だった。
戦勝国オーストラリアに、敗戦国からきて暮らしていると、ときどき自分の居場所がないような気にさせられる時がある。それがアメリカだったら、「パールハーバー」だろうし、オーストラリアだと「タイ ビルマ鉄道」だ。1942年にシンガポールの陥落によって、捕虜となった連合国兵が3年半にわたって収容所でビルマ鉄道建設に従事させられた。鉄道建設の枕木の数だけ死者を出したと言われる、悪名高い鉄道建設だった。死者の多くがオーストラリア兵だ。オーストラリア兵の第2次世界大戦の戦死者17000人に対して 捕虜の死者は8000人に上る。その多くが日本兵によるサンフランシスコ条約違反した捕虜虐待によって死亡した。投降したにも関わらず、水も食糧も与えずに強制労働させた日本軍の罪は大きい。

映画のテーマは「赦し」だ。戦後何十年経っても未だに拷問されたときの恐怖心から逃れられない元捕虜と、直接拷問に手を染めた元日本兵、、、どちらも戦争の傷から治ることができないでいる。どちら側に立つ男も、戦争前には単なる市民だったのであり 戦争に巻き込まれ戦場という異常な状況に翻弄された、いわば被害者でもある。この映画は宗教を超えて、民族や思想を超えてエリックとナガセが和解できたのは、ナガセの心からの謝罪によるところが大きい。はじめに謝罪あり、だ。それなくして和解はない。

戦争がもたらす帰還兵の心の傷とトラウマは、深刻だ。日本のPKOがイラク派遣をしたとき、陸上自衛隊5500人、航空自衛隊3600人、連絡要員、幹部を含めると1万人近くが派遣された。一人の戦死者も出さなかったが、彼らの帰還後、陸上自衛隊員で19人、航空自衛隊員6人が自殺しているという。ー(半田滋「集団的自衛権行使は何を守るのか」)
アメリカではこのPTSD、心理的外傷後ストレス障害は、より深刻だ。戦争で仲間が残酷にも血を流しながら死んで行ったり、女子供を殺したり、孤立無援の場に置かれたり、恐怖に長時間さらされたりする経験を持って帰国しても、普通の生活に戻ることができない。パニック障害、うつ病、フラッシュバック、睡眠障害などに陥り自殺者も多い。米軍帰還兵の3分の1が PTSDに悩まされているといわれ、自殺率は男性兵士で普通の人の2倍、女性兵士では、普通の人の3倍の自殺率を記録する。イラク、アフガニスタン帰還兵220万人のうち、自殺者は、年間6500人で、戦死者よりも多いという結果が出た。

人は脆い、壊れものだ。人を殺して元の自分に戻ることはできない。
映画の中で、二コル キッドマンが、「彼に、もどってきてほしいの。」と夫の親友に訴える切実さが、光っている。それと、最後に元日本兵を殺しに行って何も果たせずに帰ってきた夫を全力で抱きしめながら妻が言う。「あなた、迷子になっていたのね。おかえりなさい。」とても共感を呼ぶ言葉で胸に沁みる。憎しみの海で迷子になっていた男が、赦すことを知って、元の自分に戻ってくる。長い長い旅が終わったのだ。

若いころのエリックを演じたジェレミー アーヴィンが好演している。コリン ファースや二コル キッドマンの熟練した演技に負けていない。真田広之がとても良い。日本人俳優の中では、一番きれいな英国英語を使える俳優だ。高倉健や渡辺謙などの全く聞き取れない英語とは比べようもない、きれいな英語だ。強い意志を持った男の良い顔をしている。

2014年1月7日火曜日

ダン ブラウンの「ロストシンボル」


           
私の大好きなダン ブラウンのラングルトンシリーズ、第4作目の「インフェルノ」について、2週間前に書評を書いた。第1作目「天使と悪魔」(2000年)、第2作目「ダ ビンチ コード」(2003年)、第3作目「ロスト シンボル」(2009年)に続いて出版された第4作目だ。
「天使と悪魔」も、「ダ ビンチ コード」も映画化されたので、書評というか映画評を映画を観た後、書いたが、「ロスト シンボル」だけは映画化されなかったので書評を書かなかった。いま読み返してみて、こちらのほうが新作「インフェルノ」より、ダン ブラウンの言いたいことが詰まっているような気がして、また、自分でどんな話だったか忘れないために、ここに書いてみる。
ストーリーは
ラングルトン教授がいつものようにハーバード大学のプールで50(!)往復して、朝6時に自宅に戻ると、父親のように敬愛しているピーター ソロモンから連絡が入って、いますぐにワシントンに飛んで連邦議会議事堂で基調講演をしてもらいたい、という。ピーター ソロモンは世界最大の秘密結社フリーメイソンの最高位に居る歴史学者で、スミソシアン協会会長をしている。彼がよこしたプライベートジェットに乗って会場に着くと、ラングルトンを待ち構えていたのは、無残にも切断されたピーターの右手首だった。

ラングルトンには見慣れたピーターの右手にはフリーメイソンの指輪がはまっていて、手指には謎の暗号が刺青されていた。時をおかず、マラークを名乗る男から、ピーターの命を救いたいならフリーメイソンの暗号を解読するように命令される。動揺するラングルトンのもとに、CIA保安局長サトウが部下を連れて到着し、国家の安全保障にかかわる重大事態なのでピーターの手首に入れ墨された暗号を至急解明し、犯人を見つけるように要請される。刺青の暗号を読み解きながら、ラングルトンとサトウは連邦議会議事堂の地下に入り、隠されていたフリーメイソンの「伝統のピラミッド」の台座を見つける。ラングルトンは、そこに来る前に、ずっと以前ピーターから預かっていた小さな包みを持ってくるように依頼されていた。包みの中にあるのはフリーメイソンにとって最も大切なシンボルだという。ピーターは安全のためにフリーメイソンの部外者であるラングルトンに預けていたが、これはフリーメイソンが組織化された時から、最高位のものによって大切に受け継いでいたもので、隠されていたピラミッドの台座の上に据えられるものらしい。ラングルトンは、ピラミッドを守り、ピーターを救い出すことしか頭にないが、CIAのサトウは犯人逮捕だけが目的のようだ。

一方、ピーターの妹で純粋知性科学学者のキャサリンは、ピーターを拉致した犯人マラークに襲われて危機一発のところで逃げ延びてラングルトンに救われる。二人はCIAから逃れ、マラークの行方を追いながら、ピーターの居所を探す。マラークはフリーメイソンの最高位のものにしか知らされていない「人類の至宝」を自分のものにしたい。しかしその至宝を得るためにはピラミッドを完成させて、そこに秘められている暗号を解くことなしに得ることができない。ラングルトンは重いピラミッドの石を自分のカバンに詰めたまま、キャサリンと政府機関の追及を逃れながらマラークを追う。しかし、右腕を切断されたピーターと、命を狙われるキャサリンは、マラークの魔の手に捕獲された末、知らされたことはマラークの出生の秘密だった。ピーターはフリーメイソンの秘密を守るために、母親を殺され、妹を傷つけ、結果として息子を失うことになったのだった。というお話。

ダン ブラウンの小説はすべて、「宗教」と「科学」が焦点になっている。「天使と悪魔」では、イルミナテイと、スイスにある欧州原子核研究所セルンという世界先端の科学研究所が出て来た。イルミナテイは17世紀にガリレオが創設した科学者たちの秘密結社だ。このイルミナテイがクリスチャンの最高峰ヴァチカンの新ローマ法王の候補者を一人ずつ殺していく。

「ダ ヴィンチ コード」では、聖書にあるイエスには実はマグダラのマリアという妻があり子があった、と述べる。強大な教会勢力は、それを抹殺しようとしてきた。科学者レイナルド ダ ヴィンチは、イエスの家系を守るために沢山の作品に暗号をこめて後世に託した。ラングルトンは、イエスの血を今日まで継ぐ家系を守リ、イエスの真実を継承する組織と出会う。キリスト教の女性観を改めて問う作品だった。

「インフェルノ」は、キリスト教にとっての地獄とは何か、という問いが先ずある。そして人口爆発しつつある地球を救うために不妊ヴィルスを世界にばらまく科学者テロリストの引き金が、ダンテの神曲、地獄篇に隠されている。

今回の「ロスト シンボル」は、フリーメイソンと最新純粋知性科学の対立と融合が焦点になっている。アメリカは、ヨーロッパで宗教の迫害にあった人々が新天地を求めて渡り、従来の偏狭なキリスト教ではなく、新しいキリスト精神の「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」といった理念をもとに建国された。建国の父たちの多く、ジョージ ワシントン、ベンジャミン フランクリン、リンカーンなどが、フリーメイソンだった。フリーメイソン最高位のピーター ソロモンと妹のキャサリンは、アイザック ニュートンの「知識は聖書の中にある。」という言葉を人と神との融合という視点で捉える。連邦議会議事堂ドーム頂上の自由の像、ジョージワシントンが人から神へと昇華する象徴的な天井画や、3300ポンドの冠石が輝くオベリスクにも、人が神に、天が地に融合する象徴として考える。

従来のキリスト教はダーウィンの遺伝法則や進化論を否定して科学と宗教とは対立するもののように取られているが、純粋知性科学では、キリストは実際に病人を癒したことが科学的に証明できるとする。人が死ぬと魂が抜けだした瞬間に体重が減る。よく訓練された瞑想者には実際触れると治癒することができるパワーはあり、それを科学の力で証明することができる。魂には質量があり人の精神には質量がある、と言う。実に興味深い。
また、主題には関係ないが、本にでてくる興味深いエピソードのひとつに「国民の気分」というのが出てくる。9,11のあとアメリカ政府は、一般市民のメールや携帯のメッセージやテキストメッセージやウェブサイトをすべて傍受して膨大なデータフィールドを作ったが、そこからテロリストの通信に使われるコ―ワードがないか、探索した。その結果、国じゅうのデータフィールドに、特定のキーワードと感情を表す指標の出現頻度をもとにすることで、全国民の感情の状態を計測し、意識のバロメーターを知る「国民の気分」を判定することができる。というコンピューターおたくの会話だ。これが巧みにできれば政府は簡単に国民の感情操作さえ できるようになる。使い手によっては、選挙や商品の購買、株式市場にまで利用して操作することができる。うーん。コンピュータテクニックはそこまで来ているのか。

最新作「インフェルノ」をイタリアの地図を見ながら読むと面白さが増す。この「ロスト シンボル」では、ワシントンの地図だ。ラングルトンとキャサリンが命からがら逃げ回りながら拉致犯を追い追われるドキドキハラハラを、もっと切迫した気分で読む為には地図が必須。ワシントン記念塔、ワシントン国立大聖堂、スミソソシアン博物館、ホワイトハウス、テンプル会堂、連邦議会議事堂、議会図書館、リンカーン記念堂、ジェファーソン記念堂、カロラマハイツ、そのひとつひとつの建物や場所に秘密や謎があって、それをラングルトン教授が逃げたり隠れたり追ったりしながら講義してくれる。ラングルトンの知識の豊富さにはいつもながら感服。でも彼は教授というだけではなくてユーモアを忘れない。
例えば、フリーメイソンが、髑髏と大鎌の横で瞑想することを、気持ち悪がったCIAサトウに向かって、彼は言う。「気味の悪さにかけてはキリスト教徒が十字架に貼り付けになった男の足元で祈るのも、ヒンズー教徒がガネーシャと呼ばれる4本腕の象の前で詠唱するのもいい勝負ですよ。あらゆる偏見はその文化特有の象徴を誤解することから生じるんです。」とさらり言う所など、憎い。何でも知っていて、頭が切れて、インデイアナ ジョーンヅより格好が良くて、イケメンな教授、、、惹かれないわけがない。「インフェルノ」の映画化が着々と準備されていて、ダン ブラウンの筆も冴えている。映画も、次作も楽しみだ。

2013年12月24日火曜日

ダン ブラウンの 「インフェルノ」

            


ダン ブラウンが大好き。
彼の書くロバート ラングルトンが大好き。
ラングルトンほど素敵で、優れた観光ガイドは他に居ない。尽きることのない豊富な知識、過去の歴史をそらんじていて、ラテンを含む数か国語に通じていて、難解な暗号を読み解く。ハーバード大学教授だが、象牙の塔にじっとしていることなく行動派で、気が付くとインデイアナ ジョーンズなみに冒険の旅に出ている。フェミニストだが、女たらしではなく謙虚で紳士。いつもイニシャル入りの特注手縫いのハリス ツイードを着ている。男の魅力の塊みたいなロバート ラングルトンを生み出した作家、ダン ブラウンは1961年生まれのアメリカ人。父は数学者、母は宗教音楽家、妻は美術史研究者という。

2003年に「ダ ヴィンチ コード」の出版を機会に、世界的なベストセラー作家となり、その前に出版していたが売れていなかった、2000年「天使と悪魔」も 一挙にベストセラー入りした。ロバート ラングルトンシリーズ第一弾の、「天使と悪魔」は、キリスト教のイルミナリティ組織と、聞いたこともなかった科学技術の「反物質」が出てきたし、「ダ ヴィンチコード」では、レオナルド ダ ヴィンチの絵に隠された暗号を読み、イエス キリストの今まであまり語られることのなかった挿話が描かれた。2009年の「ロスト シンボル」では、フリーメイソン組織の秘密性を暴き出した。出版されたばかりの2013年「インフェルノ」は、ラングルトンシリーズの第4作目となる。10月に出版され、11月末に日本語訳で出版された。11月初めに予約してあったが、遅れて手元に着いたのは12月半ばになった。待ちに待った本だ。

2015年には映画化が決まっている。またラングルトンをトム ハンクスが演じるらしいが、原作に描かれているラングルトンは トム ハンクスよりもずっと魅力的な男で、作者ダン ブラウンの姿に近い。作者はハンサムで実にチャーミングな人だ。だから熱狂的なラングルトンファンはそのまま ダン ブラウンファンになって、両者を常に混同する。彼はインタビューで私生活を一切語らないマスコミ嫌いなので、ファンは一層 想像力をかきたてられてダン ブラウンをラングルトン以上のスーパーマンかバットマンのように思いがちだ。実際には、毎朝4時にはキーボードに向かい、お昼まで執筆を365日するし、10ページ書いては、1ページを除いて捨てるような地味な作家だそうだ。
今回の「インフェルノ」は、ダンテの叙事詩「神曲」第一部の「地獄篇(インフェルノ)」が、謎解きになって、地球の人口増加現象が語られる。ラングルトンは殺人者に追われながら フィレンツェ、ベネチア、イスタンブールを駆け回る。いつもの通り、美人の協力者と一緒だ。おもしろくてドキドキしながら650ページを一気に読める。

ストーリーは
ハーバード大学宗教象徴学教授ラングルトンは、目が覚めると頭に包帯、点滴でつながれてフィレンツエの病院に居る。どうして自分がイタリアに居るのか全く記憶がない。頭にぐるぐる巻かれた包帯は一体何だ。シエナ ブルックスと名乗る金髪の美しい女医に、自分に何があったのか、事情を聞いている内に、突然外が騒がしくなり病室のドアが開くと、シエナの同僚のマルコーニ医師が、突然闖入者によって撃ち殺される。とっさのシエナの機転で、ラングルトンはシエナのあとについて逃亡。バイクに乗った黒ずくめのプロの殺し屋の追跡をかわしながらラングルトンは、どうして自分が追われなければならないのか理由を考える。ラングルトンが何をしたというのだ。

シエナがラングルトンのハリスツイードのジャケットの裏地に縫い込まれた円筒を見つける。ダンテの「神曲」を描いたボッチチェリの「地獄の見取り図」だ。しかし、おかしなことに、この見取り図は、原画にない暗号がついていた。ラングルトンとシエナは暗号が何を指示しているのか、知るためにヴェッキオ宮殿に侵入、ダンテのデスマスクを盗み出す。シエナは驚くべき高い知能を持った女性で、何度も彼女の知恵と機転に助けられながら逃亡、銃口から逃れながら、なぜ自分の命が狙われるのか必死で考える。デスマスクにはさらに謎の暗号が仕組まれていた。それを解くために二人はサンタマリア デルフォーレ大聖堂、ベネチアに飛んでサン マルコ大聖堂を彷徨った末、目的地が、意外にもイタリアではなく、イスタンブールだったことに気が付く。しかし、追っ手によって二人は分断されてしまい辛うじてシエナを逃がしたラングルトンは、敵に捕獲されてしまう。シエナは、先にイスタンブールに向かう。しかし、殺し屋と思っていたラングルトンの追っ手は、実は国際機関WHO議長ドクター エリザベス シンスキーとそのチームだった。シンスキーは説明する。

スイスの大富豪で生化学者ベルトラン ゾブリストは地球上の人類から人口爆発を食い止めるために、生物化学兵器ともいえる病原菌を仕掛けた。ダンテの熱狂的ファンでもあるゾブリストは暗号で病原菌を隠した場所を暗示するだけで、自から死んでしまった。彼は1300年代にペストがヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやったことで、生き残った人々が豊富な食料を得てルネッサンスの原動力になった歴史的事実を、高く評価していた。そして世界人口がこのまま増加すれば 資源も枯れ葉てて世界は滅亡するの違いないので、世界人口を3分の2に間引くため病原菌を仕掛けたという。この科学者の残したダンテにまつわる暗号を読み解いて一刻も早く病原菌を回収しなければ人類の危機に陥る。3日前にWHOからラングルトンは、病原菌を隠した場所を示す暗号を解くように要請されていたが、事故で記憶を失っていたのだった。

ラングルトンらの一行はイスタンブールに飛ぶ。ラングルトンの協力者だと思われたシエナは ゾブリストの恋人だった女で、ラングルトンが解いた暗号をさらに読んで、病原菌の隠された場所にすでに向かっている。ようやくのことで、ラングルトンが突き止めた病原菌の場所は、観光客に人気のスポットで、その夜はイスタンブール国立交響楽団がコンサートを開いていた。演奏曲目は、フランツ リストの「ダンテ交響曲」。病原菌がばらまかれるまで数時間しか残っていない。ラングルトンは、、、。
というお話。

ダン ブラウンを読ませる力は「知」への欲求だ。彼の本は、知の集積というか、ハーバード大学の講義を聴いているようなものだ。ラングルトンはいつも追われながら、世界各地にある建造物や美術品の歴史的価値や構造や特徴や現代における価値を説明してくれて、さらに今まで誰も述べてくれなかったような不可解な古代の象徴に秘められた暗号や、本当の意味や価値を読み解いてくれる。旅行者には興味があっても行ったり、触れたりすることができない奥の部屋や、地下や、からくりのあるドアや、天井の作りまで、ラングルトンが逃亡しながら足を踏み入れてくれるので、知ることができて、自分が前に訪れて、見て聞いた観光名所に さらに愛着が増す。
例えば、ミケランジェロのフィレンツエ、ヴェツキオ宮殿のミケランジェロの傑作「勝利」の像は、ローマ教皇ユリウス2世の墓を飾る為に作られたが、同性愛を憎んだユリウスの心情に反して、像のモデルはミケランジェロが長年愛したカヴァエーリという青年だった。ミケランジェロは彼のためにいくつものソネットを書いている。というエピソード。
またヴェネチアのサン マルコ大聖堂を飾る4頭の馬は、漆黒のオランダ馬フリーシアン種がモデルで歴史上最も盗難にあった美術品といわれる。無名のギリシャ人によって製作されたがビザンチン帝国皇帝によってコンスタンチノーブルに持ち出された。その後十字軍がコンスタンチノーブルを陥落させるとヴェネチアに運ばれて、1254年にサン マルコ大聖堂に設置される。そして500年後にナポレオンがヴェネチアを征服すると、4頭の馬はパリに運ばれて凱旋門を飾り、ナポレオンが破られると再び、ヴェネチアに運ばれた、というようなエピソードは、実際、この巨大な4頭の馬を観たことのある人には、たまらなく興味がわく。

ラングルトンが説明してくれたイスタンブールの「沈んだ宮殿」に上下さかさまに置かれているメヂューサの巨大な大理石でできた頭を一度見てみたい。360年に建造されて、東方教会となりモスクに変わり、いまはキリストも、アラーも、モハメドもいるという「アヤソフィア」も、是非訪れてみたい。こうして、ラングルトンが解説してくれる名所や建物は、本の出版後必ず人気の観光名所になるそうで、各国の観光相からどんなに感謝されてもしきれないだろう。
この本に出てくる、フィレンツエのサンタ マリアデルフォーレ大聖堂、天国の門、サン ジョバンニ洗礼堂、ダンテの家、サンタ マルゲリータ デイ チェルキ教会、ヴァザーリ回廊、、ヴェッキオ宮殿の五百人広間、ポルタロマーノ美術学校、ボーボリ庭園、ヴェキオ橋、ヴェネチアのムラノ島、サンタルチア駅、大運河、水上バス、などなどラングルトンの解説は 月並みな旅行解説本と違っていつも興味を倍増させてくれる。ラングルトンを、「走り回る旅行ガイド」と言った人が居たが、的を得ている。
とにかく面白い。
「ダヴィンチコード」に比べると、驚きは少ないが、充分満足だ。

2013年12月19日木曜日

映画 「リスボン行き夜行列車」

                            


原題:「NIGHT TRAIN TO LISBON」
監督:ビル オーガスト
原作:パスカル メルシェル
キャスト
レイモンド  : ジェレミー アイアンズ
ステファ二ア:メラニー ローレント
アマデウ  :ジャック ハストン
アドリアナ :シャーロット ランプリング

ストーリーは
舞台はスイスの美しい街 ベルン。
ラテン語学者の高校教師レイモンドは、何年も前に妻が出て行ってから、毎日判で押したように平凡で何の変化もない生活をしてきた。朝起きて、高校で講義をして、帰宅してから眠るまでの間、ひとりチェスを楽しみ、毎晩決まった時間に床に就く。何の変化もないひとりの生活に、何の不満もない。

ある雨の降る朝、いつものように高校に向かう途中の橋の上で、赤いコートを着た若い女が橋の欄干に立ち、いまにも身を投げようとしているところに出くわした。レイモンドは夢中で走っていき、女を抱きかかえて急場を救う。放心したままの女は、そのままレイモンドの後をついてきて、彼が講義をする教室に入ってきて、レイモンドに言われるまま席に着く。しかし、女は、しばらくすると脱いだ赤いコートを置いたまま無言で教室を出て、姿を消す。慌てて、レイモンドはコートを掴んで、あとを追うが女の姿を失ってしまう。コートのポケットには、一冊の本が入っていた。ポルトガルの哲学者で詩人だったアマデウ ド プラドの本だった。そして、その本にはリスボン行の汽車の切符が挟まれていた。期日を見ると、あと15分で出発する切符だった。レイモンドは、そのままプラットホームに向かう。しかし、切符を買った主はやってこない。川に飛び下りて死のうとしていた女は現れない。レイモンドは迷った末、そのまま汽車に乗り込んでしまう。

アマデウ ド プラドは医者だったが、彼が書いた本は、きわめて哲学的な深い思索に富んだ内容で魅力に満ちていた。美しい詩的な文体で自己哲学を語っている。レイモンドは、本に引き込まれるようにして読んだ。読めば読むほど、アマデウの生涯に興味がわいてくる。この作者と身投げしようとしていた女とは、どう関係があるのだろうか。本の出版先はアマデウの自宅になっている。レイモンドはリスボンに着くと、宿をとり、さっそくアマデウの家を訪ねる。出てきたのは、アマデウの姉だった。アマデウは生涯でたった1冊、この本を書き、それを100部しか出版しなかったという。しかしアマデウのことを語る姉の口は重い。あたかも、アマデウの生涯が秘密だとでも言っているようだ。結局大した情報を得られないままホテルの帰る途中、レイモンドは自転車に衝突して眼鏡を割ってしまう。眼鏡屋で、新しい眼鏡をあつらえるあいだ、検眼士のマリアに、アマデウについて語る。するとマリアが意外なことに自分の叔父がアマデウと親しかった、という。

レイモンドはマリアについて、老人ホームにいる叔父に会いに行く。しかし、叔父はアマデウの名前を聴いただけで 怒り狂って二人をホームから追い出す。レイモンドはアマデウを生涯を調べるために、アマデウのかつての教師でその葬式を行った神父に会い、その糸口から彼の親友だった薬剤師を訪ねる。しかし、みんな一様にアマデウと聞くと、口を閉ざし、何も語ってくれない。過去に何があったのか。
徐々にわかってきたことは、レイモンドが会って話を聴こうとした人々がみな、アマデウも含めて、むかしのアントニオ サラザール独裁政権のときの地下活動家だったことだ。そして、ついにレイモンドは一人の女を同時に愛した活動家たちの、語りようもない苦い経験に、たどり着いたのだった。レイモンドの前に赤いレインコートで身投げしようとした女が現れる。彼女はアマデウの孫だった。
事情がすべて解明できて、レイモンドはやっと 重い荷物を下ろしたような気持ちになって、スイスに戻るために準備をする。アマデウの謎ときに、ずっと付き添って、道案内やレイモンドの力になって支えてくれたマリアとも別れの日が来た。リスボン駅で、汽車に乗る前、マリアに何と言ってよいかわからず言葉が出ないレイモンドに向かって、マリアは言う。「あなたはここまで来たのよ。今度は私のために、どうしてここに留まってくれないの。」
というお話。

映画ははじめ、初老の男の退屈な日常を延々と映し出す。そして、画面が突然、橋から飛び降りようとしている真っ赤なコートを着た女に変わる。ここから急に、画面のテンポが速くなり、ミステリーのはじまり、はじまり、、、という流れが出てきて見ているのが嬉しくなる。レイモンドが慣れない外国で地図を見ながら探し当てる人々が、みんな影のある人たちで、多くを語らない。そこに観客は引きずり込まれてしまう。なぞがいっぱいで、おもしろくてわくわくする。出だしも、ストーリーの広がり方も良い。
ところが期待させてくれた割に、結論が貧弱でがっかり。作者は飽きっぽい人なのではないだろうか。次々に登場人物を出してきて話が広がっていくあいだは、興味津々だが、あと200ページくらいで徐々に結論に導いていかなければならないところを、だんだん面倒になってしまい20ページで終わりにしてしまった という印象なのだ。とても残念。
推理小説も読んでいるときが一番幸せだ。犯人はあれでもない、これでもない、事件をこうしてみるのがよいのかどうなのか、と、考えながら注意深く読み進めるときの嬉しさ、わくわく感に比べたら、結論が出てしまったあとの推理小説ほどばかばかしいものはない。この映画がまさに、それだ。ミステリーぽいのに、ただのメロドラマだった、というがっかり感は大きい。ミステリーとしてもロマンティックストーリーとしても、中途半端で成功していない。

リスボンの街がとても素敵だ。石畳の狭い道路。石造りの家々。重い木の扉。清楚な教会。こんな素敵なところで、ひと夏過ごしてみたい。

この映画に登場する役者が良い。ヨーロッパでむかし活躍した役者たちが良い年を取っていて次々と出てくる。トム コートナイ、ブルーノ ガンズ、クリストファー リー、ジョージ オークレー、シャルロット ランブリング、みんなすっかり年を取った名優だ。この映画の良さはストーリーや映像の出来上がりよりも役者の良さでもっている。
主演のジェレミー アイアンズがとても良い。66歳、シェイクスピア舞台俳優出身。端正な顔が年を重ねて、より知的で思慮深い顔になっている。学者で、ひとつわからないことが出てくると解明できるまでとことん追う、追っている間はそのことしか頭にない。まわりのことに一切お構いなしといった学者肌の、常識外れでどうしようもない男を上手に演じている。そんな無防備で子供みたいな男に魅かれるポルトガルの女も良い。
ジェレミー アイアンズは、アムネステイーインターナショナルの活動家でもある。いくつかの映画の音楽を作曲したり、監督したりもしていて、ピア二ストでもある。66歳のいま、47年間獄中で死刑囚として収監されている被告の再審要求と、死刑制度廃止を訴えてメッセージを世界中に送っている。
http://www.youtube.com/watch?v=35Jp03rm2KY&feature=share

2013年12月12日木曜日

映画 「木洩れ日の家で」

                                                             

ポーランド映画
原題:「TIME  TO  DIE」
監督: ドロタ ケンジェジェアフスカ
キャスト
アニエラ :ダヌダ シャフラルスカ
息子   :クシシュトフ グロビシュ
孫娘   :バトルイツィヤ シェフチク
ドストエフスキー:カミル ビタオ
公証人 :ヴィトルト カチャノフスキー
犬    :フラデルフィア (フィル)

 ストーリー
ワルシャワ郊外。大きなアカシアの木々に囲まれた広い庭を持つ木造の屋敷がある。戦前から建つ大きな二階家だ。1915年生まれのアニエラは、この屋敷で生まれ育ち、結婚し、息子を育て、夫に死なれ、息子が巣立っていくのを見送った。そして今は、一人で、愛犬フィルと暮らしている。共産主義の時代には、国から強制的に屋敷の一部を取り上げられて、別の家族に家を提供しなければならないこともあったが、今は一人きり、フィルを相手に、静かな余生を過ごしている。家を改造して息子の家族と住むことを申し出たが、嫁が嫌がるという理由で、すげなく断られている。隣の家では、成金の男が愛人を囲っていて、家が狭いので、アニエラの家を買い取りたいと、不動産屋を通して圧力をかけてくる。礼儀を知らない下品な人達で、若い女はお化けのようなグレートハウンドを飼っている。

自分は90を超えて老い、息子は自分を疎んじて訪ねてこないし、健康に不安もある。しかし、2階のサンルームで、フィルを相手に話をしたり、双眼鏡で隣近所の出来事を覗き見したり、思い出に浸ったりして、退屈することはない。ただ、唯一の望みは そのサンルームで淹れたての熱いお茶を飲むことだ。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームまで運んできて飲もうとすると、すっかりぬるくなっていて香りもなくなっている。仕方なく、アニエラは、リキュールに手を伸ばす。

もう一方の隣の家では、若い夫婦が、貧しい子供たちを集めて音楽学校を開いている。朝から下手なトランペットの合奏などを聴かされて、そのやかましいこと。でも子供たちがショパンのワルツに合わせて、ダンスをしているところなど、双眼鏡で覗き見れば、自分が若いころに夫と踊った思い出に浸ることもできる。悪戯さかりの子供たちが 壁を伝って、ア二エラを覗きに来たり、むかし息子が遊んだ庭のブランコに乗りに来たりする。

ある夜、ベッドの横で眠っていたフィルが、異様な吠え方をするので、アニエラが起きてみると、息子夫婦が隣の成金の家を訪ねていて、4人が談笑しているではないか。息子は訪問を終え家の前に停めていた車まで歩いてきて、嫁と話をしている。息子は母親の家を無断で、隣の人に売り飛ばそうとしていたのだった。たった一人の愛する息子が、内密に、アニエラの家を横領しようとしている。同居を拒否しながら、家を売って、金もうけをしようとしている息子。小さい時から、欲の深い、思いやりのない子供だった。たった一人の孫まで、アニエラのつけている、指輪を欲しがるばかりの可愛げのない孫だった。

アニエラは怒りに震え、悲しみ、そして絶望する。喪服に身を包み、死を迎えるためにベッドに横になる。でも、期待通りに死は訪れない。そして、アニエラは自分が人生の終末期にいる自分に、何ができるだろうか、と考えて、ある決意をする。公証人を呼び、貧しい子供たちを集めて音楽教室を開いている若い夫婦に家を譲る契約をする。家を貧しい子供たちのために解放するのだ。アニエラの望んだとうり、子供たちが引っ越してきた。やかましいが、活発な子供たちによって、再び古い屋敷は活気を取り戻す。アニエラは満足して、サンルームでフィルと、何事もなかったように寛いで、、、。
というお話。

2007年に、ポーランドで活躍する女性監督 ドロタ ケンジェジャフスカによって製作され、2011年に日本の小劇場でも公開された作品。オーストラリアでは公開されなかったので、ヴィデオを日本で買ってきて観た。当時91歳だったダフタ シャフラルスカが主演して、話題になった。
この気品ある女性に美しいこと。小柄で華奢だが、姿勢が良くてローヒールの靴を履いて、柔らかなワンピースを着ている姿など、ほれぼれする。単調なひとりきりの生活のなかでも、双眼鏡で世間の動きをしっかり見ていて、好奇心を失わないでいる。訪ねて来た息子には、つい小言ばかり言ってしまうが、心ではとても息子を愛している。太って大柄になった無口な息子の後ろ姿に、一番可愛いかったころ自分をいつも頼ってくれた幼い日々の息子の姿を、重ねて見ている。憎まれ口しか言わない孫娘にも、深い愛情を抱いている。
そうした愛がすべて裏切られたと、知った時の衝撃は、まさに自分を死に追い込むしかないような耐え難いことだったに違いない。しかし、まだ自分に人のために役立つことができる、と思い至ってからのアニエラの別人のような生き生きとした姿に変わる。二つの大戦を経て、ポーランドの過酷な歴史を見て来たアニエラには、不屈の魂が宿っているのだ。
アニエラは欲深い息子家族を見限ることによって、将来のある子供たちの笑顔と喧噪と活気そして生きる活力を得た。品のない。思いやりのない肥満体の孫よりも、年寄りを大切にする貧しい子供たちという大きな家族を迎える、というか賢い選択をした。立派な決断。

映画の主役は91歳のアニエラと愛犬フィルだが、このフィルが素晴らしい。黒と白のボーダーコリーで、本当にアニエラの飼い犬としか思えない名優ぶり。いやな不動産屋が家に入り込んで来れば、猛然とほえたてて家から追い出すし、電話が鳴っていて足取りの遅いアニエラが間に合わないとわかると、走って行って飛び上って受話器を外すことができる。アニエラが話しかけると、耳を立てて、しっかり聞いてくれる。ベッドからアニエラが話しかけると、体を床に伏せたまま、目をアニエラに向けて、しっぽだけで返事をして振って見せる。アニエラを注意深く見つめて話を聴こうとしているフィルは、主人の飼い犬というよりも人生のすぐれた伴侶だ。犬の良さをすべて兼ね備えたフィルの表情の豊かさ。素晴らしい犬。

映画が始まったばかりの時に アニエラの独白がある。「ああ、いま熱いお茶があったらば、もう他に何も要らないのだけど、、。」という。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームに運んできたころには、すっかり冷めて香りもなくなってしまう。誰かがここに居て、アニエラのために熱いお茶を淹れて持ってきてくれたら何にも代えがたい、と自分の孤独を嘆くシーンがある。これが映画の終末のシーンを暗示している。アニエラの屋敷が、貧しい子供たちの音楽教室になってから、一人の男の子が、不注意でアニエラのお気に入りのテイーカップを、落として割ってしまう。この男の子は、アニエラに叱られるのを承知で 別のカップに熱いお茶を淹れてサンルームに持ってくる。ガラス窓を通して安楽椅子に座るアニエラの腕が見える。呼びかけても返事がない。足元にいたフィルがアニエラを眠っていると思って揺り動かす。そしてフィルは何が起こったのかを知る。フィルはガラス窓ごしに、男の子に向かってじっと目を合わせる。その目は何が起こったのか 男の子に伝わった。フィルと男の子とが見つめ合うことろで映画が終わる。

犬の目がすべてを語り告げているところも、感動的だが、それを受け止める無垢な子供のやわらかい心の痛みが表情からしっかりと伝わってくる。これほど優れた終わり方をする映画、他になかったように思う。この最後のシーンだけのために、この映画を観る価値がある。犬をよく知っている人には、号泣ものだ。子供好きの人にも胸をかきむしられることだろう。素晴らしい映画。犬と子供とおばあさんが好きな人には必見の名作だ。
黒白の画面なので、光と影のコントラストが明確で、色彩がないゆえに実際よりも豊な色彩を感じられる美しい映画だ。


2013年12月7日土曜日

2013年に観た映画 ベストテン

                     

第一位:「華麗なるギャツビー」
第2位:「ザ ロケット」
第3位:「舟を編む」
第4位:「シルク ド ソレイユ彼方からの物語」
第5位:「ライフ オブ パイ」
第6位:「コンチキ」
第7位:「キャプテン フィリップス」
第8位:「アンナ カレ二ナ」
第9位:「リンカーン」
第10位:「アイアンマン 3」

今年は映画の不作年だった。新作映画を50本ほど観たが、印象に残る作品が少ない。2012年に観た映画ベストテンと比べてみると それがよくわかる。
 

       第1位:「HUGOの不思議な発明」
       第2位:「最強の二人」
       第3位:「J エドガー」
       第4位:「レ ミゼラブル」
       第5位:「ル オーブルの靴磨き」
       第6位:「アウンサンスーチー引き裂かれた愛」
       第7位:「人生の特等席」
       第8位:「ぼくらのラザール先生」
       第9位:「アメイジング スパイダーマン」
       第10位:「バットマン ダークナイトライジング」
これらの2012年に観た、どの作品もいまだに記憶に新しい。マーチン スコセッシ監督の「HUGOの不思議な発明」は、映画史上に語り残される記念的な作品だったし、フランス映画の「最強の二人」も、クリント イーストウッド監督の「J エドガー」も、大型ミュージカル「レ ミゼラブル」も、昨日観たように、記憶に深く残されて、忘れられない。アキ カウリスマキのフランス映画も、「ぼくらのラザール先生」も、会話を最小限に削り取って、映像ですべてを語りつくした素晴らしい作品だった。また大型娯楽作品の「スパイダーマン」も、「バットマン」も、より良き人として生きたいと願う青年が正義のあり方に苦悩する姿が描かれていて、共鳴し共感することができた。
同じく、大型娯楽作品だが、今年のブラッド ピットの「ワールド ウオーZ」、トム クルーズの「オブリビオン」、「マン オブ スチール、スーパーマン」、マット デーモンの「エリジウム」、、、これらは一体何だろう。ヒーローでもなければ、ただの破壊者ではなかったか。正義も信義も人としての苦悩もない ただぶち壊して暴れまわる娯楽作品ばかり。派手に壊して痛快がる、というハリウッド映画がどうしても娯楽と思えない。精神の荒廃ではないか。心のどこかが病んでいる。観客のほとんどの人は、真面目に働いて、真面目に人を愛し、真面目に暮らしているのだから 真面目に良い映画を作って欲しい。

ハイデフィニションフイルムに収められたオペラを5本ほど 今年は映画館で観たが どれも良かった。ニューヨークメトロポリタンオペラも、ロンドンロイヤルオペラも、国立パリオペラも、資金繰りが大変だろうに、本当に良い舞台を続けている。ヨーロッパを起源にもつ600年の伝統をもつオペラを、私たちの次の世代に伝えていくことが、文化人の使命と考える人々の熱意と誇りが支えているのだろう。

第1位:「華麗なるギャツビー」
映画の説明と詳しい内容は、6月12日の日記に書いた。
村上春樹が そのアメリカンな文体の影響を受けた作家、F スコット フイッツジェラルドによる1925年の作品を映画化したもの。原作がよくできていて、感動的なので映画も素晴らしい。豪華絢爛 キラキラ輝いて贅沢で美しい映画だ。

第2位:「ザ ロケット」
映画の紹介は、11月14日の日記に詳しく書いた。
今年のベルリン国際映画祭、最優秀賞、アムネステイインターナショナルフイルム賞、シドニーフイルムフェステイバル オーデイエンス賞受賞。キム モルダウト監督のラオス映画。ラオスという世界で一番激しい爆撃を受けた国では、今も約50トンの不発弾が埋まっている。命の危険を顧みず不発弾から金属を抜き出して生計を立てている人が絶えない。そんな環境にもかかわらず、子供たちは一日一日を全身で喜びあい、笑い合い、悲しみを分け合って明日を強く信じて生きている。子供たちの前に進もうとする姿をして、戦争の愚かさを訴えた、優れた反戦映画。

第3位:「舟を編む」
11月23日に作品の紹介文を書いた。
日本の良さをギュッと缶詰に詰めたような映画。日本人独特の優しさ、労わり合い、あうんの呼吸で仲間が育つ環境、謙虚さ、職場のボスの部下に対する父親のような愛情、仕事への情熱、苦労を共にすることで育つ連帯と愛着、仲間のために無言で犠牲になる潔さ、新人が気が付かぬうちに職場の空気に染まっていく環境、夫を思いやり自分を決して主張しない妻、愛情の示し方が下手だが、心から妻を愛する夫、個を超えて共同体の中でこそ、自分たちの達成感、満足感を充足させる日本人の特性。熱すぎず、ぬる過ぎず、ぬくくて心地よい、温泉みたいな映画だ。そんな日本人であることが嬉しくなる映画。

第4位:「シルクドソレイユ 彼方からの物語」
2月26日に映画批評を書いた。
1958年からカナダを本拠に活躍するサーカス集団シルク ド ソレイユによる7つのラスベガス公演をカメラに収めて編集したもの。カメラに拘るジェームス キャメロン監督が自ら3Dのカメラを抱えて高所に登ったり、水に潜ったりして、動きの速いアクロバットを撮影した。素晴らしいおとぎ話に仕上がっている。人間にはこんなことまでできるのかという新鮮な驚きと感動の連続。本当に夢みたいに美しい舞台だ。

第5位:「ライフ オブ パイ」
1月4日に映画の紹介文を書いた。
これほど豊な色彩の美しい映像を観せてくれるとは、さすがに色彩の天才アング リーだけのことはある。16歳の少年パイが 海難事故に会い救命ボートに、生き残ったトラを一緒に227日間 漂流するお話。インドのまばゆいばかりの色彩のあでやかさと多様さ、色とりどりの花々、美しい動物たち、娘たちの匂い立つようなみずみずしさ、輝く海、大海の日の出と日没、果てしない海原、クジラやクラゲの美しさ、、、。ストーリーなどなくて良い。画面の美しさに目を奪われるばかりだった。

第6位:「コンチキ」
4月23日に映画評。
2013年アカデミーとゴールデングローブ賞候補作のノルウェー映画。ノルウェーの人類学者で冒険家のトール ヒェルダーの実話。彼は南太平洋のポリネシアの人々は、南米から渡ってきた民族であるという学説に至り、それを証明するために、イカダのコンチキ号で南米から南太平洋をめざした。102日かけて、海流に乗って7000キロの距離を航海し、ポリネシアのアモツ島に漂着、ポリネシア人の先祖がペルー人であることを証明した。のちに この学説はDNA検査などから後になって否定されるが、彼の行動力と、なしとげた業績が否定されたわけではない。一本気で行動派学者のヒェルダーの姿がいかにも偲ばれるバル ヘイゲンが好演している。

第7位;「キャプテン フイリップス」
ジャーナリスト出身のポール グリーングラス監督による2009年4月にソマリア沖で起きた海賊による貨物船船長人質事件をドキュイメンタリータッチで描いた作品。主演にトム ハンクスを配したところに映画として成功した鍵がある。たぶん、トム ハンクスの主演した沢山の映画の中で一番良い。100%キャプテン フイリップスに、なりきっている。幾度も生命を脅かされ、その度ごとに、これで一巻の終わりと窮地に追いやられる男の迫真の演技を見せる。最後の頃には恐怖感が最高潮までせり上がってきて見ているだけで呼吸をするのも苦しくなってくる。ドキュメンタリー監督の腕の見せ所だろう。
それにしても巨大なアメリカのタンカーを、ちっぽけなモーターボートでたった4人のソマリア人が襲撃する。そんな海賊たちが勇敢な上、物凄く頭も切れる。荒れる海を4人のソマリア人が巨大な壁のようなタンカーに向かって、少しもひるまず進んでいく姿が、すごい。4人のソマリア人の前に、大統領やペンタゴンや全米海軍、最新のヘリコプターや軍艦や大砲や重装備が何の役にも立たないで、5日間も引きずり回される姿は、痛快にも思える。訓練されたネイビーシールズ、狙撃兵たちも腰抜けにしか見えない。本当の闘いとは、莫大な資金をかけた装備や、最新の武器でもなければ、頭数でもない。信ずる者の強さではないだろうか。

第8位:「アンナ カレ二ナ」
2月18日に映画評を書いた。
ものすごくお金を使って製作された古典、1873年にトルストイによって執筆された世紀の恋の物語。たくさんの女優が演じたが、ケイラ ナイトレイのアンナは可愛らしすぎてミスキャストか。しかし、次から次へと出てくるココ シャネルの宝石も、19世紀のロシア貴族の豪華衣装も、だたそれだけ見ていて楽しい。舞踏会ダンスシーンや、ぺテルスブルグに向かうアンナを追うアーロン テイラージョンソンとの停車駅シーンも、ジュード ロウの夫役も、とても素敵。舞台の作り方が芸術的で、回り舞台をみているような新しい手法で、スピード感があって面白かった。

第9位:「リンカーン」
2月16日に批評を書いた。
リンカーンの伝記という地味で面白くもおかしくもない映画を、一級の役者で作った小品。リンカーン役のダニエル デイ ルイス、妻役にサリー フィールド、息子にジョセフ ゴードン レビット、盟友にトミー リー、、、これだけ贅沢な役者がそろえば、話の筋や内容などどうでもいい。役を演じる姿をみているだけで納得、良い芝居を観た、と感動できる。

第10位:「アイアンマン3」
5月19日に内容を書いた。
これでロバート ダウニー ジュニアのアイアンマンシリーズも終了した。彼がこれ以上アイアンマンスーツを着て、プレイボーイの億万長者を演じるのは、年齢から言っても無理がある。それにしても良い終わり方をした。有終の美というか、すべてのアイアンマンスーツを花火のように夜空に飛ばして爆発させて、彼はただの人間に戻った。「スーパーマン」とも「スパイダーマン」とも、「バットマン」とも違う、普通のオジサンっぽいメカ狂が、いちやくヒーローになってしまったが、やりすぎだったことをよく反省して、もとに人間に戻ってくれて、嬉しい。これで、安心して、ロバート ダウニー ジュニアのアイアンマンって、良かったよねーと過去のこととして話ができる。ほっとした。