2012年3月22日木曜日

600人の日本人



日本から600人の団体旅行客が 延べ8日間に渡ってシドニーにやってきたので、付き添いの仕事をした。
東京駅八重洲口正面に本社のある大きな会社が 販売店の人々を招待する形で行われたイベントだ。文字通り日本全国の販売店から参加した人々は、最年長88歳の方を筆頭に、大体が50歳代で、夫婦で参加しているカップルも多かった。その600人の方々が、4社の航空会社の飛行機でシドニーに着いて、ヒルトン、シェラトン、ウェステインなど5つの5つ星のホテルに分宿して、グループごとにシドニーの観光を楽しんだ。

シドニーといえば、オペラハウス、ハーバーブリッジ、水族館、タロンガ動物園、ワイルドパークでコアラと一緒に写真を撮り、ボンダイビーチ、フェリーでマンリービーチを見て、ブルーマウンテンまで少し遠出して、次はハンターバレーまでバスを飛ばしてワイナリーを訪問する。食事は、まずキングサイズのロブスターや、オージーステーキを味わって、夜のフェリーに乗ってフレンチ、中華街での飲茶、イタリア街でのパスタランチなどなど、シドニーならではの バラエテイに富んだ食事が提供された。
中日には、オリンピック会場のドームに、600人が一同に会してパーテイーがあり、食べ放題、飲み放題、遊び放題の大盛況だった。
銀行にどれだけお金を預けても利子がほとんど付かないような時代に、こういった大企業の大判振る舞いは、見ていて気分が良い。
、、、で、私は、600人の旅行者に対して 雇われたたった一人のナースだった。24時間体制で、病人や怪我人が出た場合に対処する という契約。8日間、皆の泊まっていたホテルに ひとつ部屋を取ってもらって過ごした。

日本人の団体がオーストラリアを旅行するときに 日本からナースを連れてきても何の役にも立たない。怪我人が出ても、病人が出ても救急車が呼べない、救急隊に申し送りができない、病院宛てに報告書が書けない、現地の医師と会話が出来ない、患者に説明ができない、、、では仕方がない。特に、団体の場合、食中毒の疑いが出たり、下痢患者が沢山でれば病院だけでなく保健所への報告義務が出てくるし、事故にあえば警察との交渉も必要になる。もしもの場合は、警察だけでなく大使館や家族との連絡も要る。現地の事情に詳しいナースでなければ役に立たない。

シドニーで医療通訳とナースをしてきて 今まで日本からの団体旅行の付き添い業務を依頼され、一緒に団体について旅行したことが何度もある。せっかく日本とオーストラリアのナースのライセンスがあるのだから、日本人にためにお手伝いしたい。中でも高校生、中学生の修学旅行の付き添いが一番楽しい。
女の子達は 屈めばパンツが丸出しになりそうな短いスカートの制服姿で よく笑って可愛いが、乗馬体験でキャーキャー黄色い声を出して、落馬されるのが一番怖い。馬に振り落とされてもケロッとしているが、一応こちらは脊椎損傷を疑って、寝かせたままの姿勢で救急車を呼ばなければならない。一人なら良いが、二人三人となったらお手上げだ。
高校野球で有名な男子校の修学旅行のときも おもしろかった。約束を守れなかった生徒に対して、罰として 教師がメルボルンの繁華街で昼食時の混雑の真ん中で腕立て伏せ30回をやらせた。すると、その先生をつかまえて、オージーのおばさんが、「子供にこんなことをさせるなんて!」と、怒って先生に説教をはじめて、事を収拾させるのが大変だった。日本人は童顔だから高校生でも ほんの子供に見えるのだ。

3年前に国立大学付属高校の修学旅行の付き添いを2年連続で依頼されて、その後、日本人の旅行付き添いをすべて、お断りするようになった。旅行中 生徒間のいじめに直面したとき、いじめる生徒の側に立つ教師を見て、すっかり嫌になってしまったのだ。いじめっ子は 体が先生くらい大きくて 礼儀正しい勉強も出来るらしい子供だった。この子は私にも 一番初めに話しかけてきた子で、その時の印象は「とてもいい子」だった。でも影で陰湿に、体の弱いクラスメイトをいじめていた。それを知っていて、あるいは、予測していて 見ようとしない教師達の、「いい子」と「いい先生」の姿を前にして絶望した。たった、4-5日の外国での修学旅行に付き添っていただけの私には 弱い子達のために何もしてやることができない。無力感と日本の教育現場の状況に打ちひしがれて、すっかり嫌になってしまった。

以来 日本からの団体旅行付き添いや、旅行者の医療通訳は引き受けなかった。でも、今回久しぶりに日本旅行者に囲まれて、日本語ばかりが飛び交う世界に置かれて 8日間とても楽しんだ。
何より、5つ星のホテルに泊まれて嬉しい。米国大統領だったクリントン夫婦が泊まったホテルだ。夜景が美しい自分だけの部屋で、バスタブにたっぷり湯を張り、2ドル60セントで買った日本製の温泉の素を入れて湯の中で鼻歌を歌う。ホテルの朝食ブッフェも、嬉しい。シドニーヘラルドを広げて、まず生ジュースと果物、普段食べないイチジクやパッションフルーツをたくさん。青汁ショットとか、ニンジンショットとかも、怖いもの見たさで試してみる。フレンチト-ストを特別にシナモン多めで作ってもらって、はしゃいでみる。ホテル内のビジネスルームで 他に誰もいないので コンピューターデスクに足を乗せ、普段読まない雑誌を読みながら コーヒータイム。運動不足を理由に、キングサイズのベッドでトランポリン。
自分の携帯と、緊急呼び出しの携帯と、ご丁寧にトランシーバーまで持たされているから、いつでも飛んでいけるようにしていなければならなくて ジムで自転車こぎしたり、プールやサウナまでは、行けなかったのが心残りだけれど、、、。

日本人の働きぶりに 目を瞠った。600人の観光客を楽しませるために 世話係として日本から来ている何十人もの旅行会社のスタッフと、現地のスタッフの、昼夜厭わずの働きぶりは、それはそれは、すごかった。それぞれ観光場所のバスの発着、フェリーのチケット準備、レストランでのテーブルごとの飲み物や席順の打ち合わせ、すべてのグループがスムーズに動けるようにお膳立てすることの大変さ。スタッフが明け方まで働き通している姿には 心から感服した。何もそこまでお客さんに、手取り足取り おんぶに抱っこしなくても、、と思うようなサービスの徹底ぶり、、、これが日本の良さなのだろう。でもこれほど丁寧にめんどうを見てくれる旅行会社のサービスに慣れてしまうと 自分ひとりで外国旅行する能力が身に付かない。外国で友達が作れない、英語が上達しない、外国文化への理解も限定される。
日本の良さは、日本の悪さでもある。

それはともかく、、、大した病人も怪我人も出なくて、600人の方々が シドニーをそれなりに 見て、味わって、楽しんで帰ってくれた。それが嬉しい。
去られたあと、ちょっと寂しい。

歯なしの話

自分が長いこと信頼して、診て貰って来た歯科医が 実はあまり腕の良い歯科医ではないことが わかった時のショックは大きい。
私の場合、二人の娘もオットも 家族ごと診て貰って来た。オットは困難な治療をしてもらい長いこと通ったし、二人の娘達は家を出て自立してからも定期検診に通っている。歯科医は 敬虔なクリスチャンで人権擁護活動もしていて、立派な人柄、穏やかで優しくて、二人のお子さんを持った良き家庭人。良い歯医者さんを探している友達を 紹介してあげて、感謝されたのも、一人ではない。

歯茎が異様に腫れて痛み、消毒を続けても、抗生物質を飲んでも、抗生物質で洗浄しても腫れが引かない。前から疲れたり、調子が悪いと歯茎全体が腫れて鈍痛がする体質。ぺリオドンテイストという歯茎専門のドクターに回されて、歯と歯茎の間を小手術で綺麗にしてもらっても 治らない。抗生物質が効果ないなら、副腎皮質ホルモンで炎症を抑えようと、錠剤だけでなく、ステロイド液で歯茎を洗浄することもやってみたが、効果がない。膠原病か、自己免疫疾患かもしれないと、血液検査もしたが、異常が出てこない。歯科医もぺリオドンテイストも お手上げ。仕事は忙しく とても休んでいられない。にも拘らず歯茎は腫れる一方で痛み、食事はほとんど流動食、、、これが 一ヵ月以上続いた。

意を決して別の歯科医の門を叩いた。
初めて会った女医さんは、実にたっぷり時間をかけて 私の腫れた歯と歯茎の間を掃除してくれた。麻酔をかけていたこともあって、眠ってしまった程だ。その日は痛みで、強い鎮痛剤を飲んで眠ったが、驚いたことに2日後には、嘘のように腫れが引いて、元に戻っていた。
彼女は実に、腕の良い歯科医だったのだ。

今までの歯科医は、一体何だったのか。
彼は、よく説明してくれる。歯磨きの仕方や歯茎の病気予防の説明に時間を割いてくれる。良心的な請求書。明細も丁寧に説明してくれる。そういった「良い歯科医」の条件をすべて満たしていた。しかし歯科では、正しい診断、適切な処置、そして、何よりも確かな技術がなければならない。歯科では技術がすべて といっても良い。技術は、毎日毎日コツコツと磨いていくものだ。そうした技術を、自分のドクターが持っているのかどうかを、見分けることはとても難しい。

良いドクターと良い技術者とは同義語ではない。必ずしも良い先生が高度なテクニックを持っているわけではない。都立病院に勤めていた時、形成外科で、「神の手」のような高度技術をもっている評判のドクターが居た。若くてハンサム。色白で精悍な顔。極端に口数が少なくて、会話が続かない。横に座られるとピリピリ神経が緊張して居たたまれなくなる。
形成外科は顔のケロイドを綺麗に修正したり、醜い手術跡を綺麗に縫い直したりして、傷のために劣等感をもったり、心理的にトラウマをもった患者の心の傷まで綺麗に治してくれる科だ。医師は技術だけでなく心理的な患者サポートが必要とされる。その後、このドクターが 年なりに丸やかになって、患者が話しやすい雰囲気を身につけたかどうかは、知らない。

というわけで、やっと普通に食べられるようになった。
医学知識がないわけではないが、その歯科医の腕が良いか 悪いか、自分でこんな経験をするまで、わからなかった。彼に紹介されて通ったぺリオドンテイストが行なった、過去2回の小手術に3000ドル、定期検査に毎回250ドルを10回くらい通っただろうか。それが、全く無駄だったということもわかった。

ドクターからドクターを渡り歩く患者が悪いとか、健康は自己管理をしないでドクターまかせにするのが悪いとか、いろいろ論議されているが、良い歯科医選びは、なかなか難しい。
歯なしにならないために、とても大切なことなのに、、、。

2012年2月26日日曜日

ACO定期公演でポリーナ レスチェンコを聴く





http://www.youtube.com/v/78QC1X-xD7w&hl=ja_JP&feature=player_embedded&version=3%22%3E%3C/param%3E%3Cparam
今年最初のオーストラリア チェンバー オーケストラの定期公演に出かけていった。リチャード トンゲテイ団長の率いる室内弦楽奏団、今年も年間7回の定期公演をする。

リチャードが愛用しているヴァイオリンが、1743年 カロダスという名のついたグルネリで、パガニーニが愛用したヴァイオリンと同じ樹から作られた名器だ。チェロのテイモ ベッキが使用しているのも リチャードのヴァイオリンと同じ1729年、ジョセッペ グルネリが作ったチェロ。コンサートマスターのサトゥ ヴァンスカが演奏するのは1728年のストラデイヴァリウス、そして、第二ヴァイオリンコンサートマスターのヘレン ラスボーンが貸与されているのが、1759年のガダニーニだ。これだけの世界の宝を このオーケストラのメンバーが貸与されている。とても名誉なことだ。それだけの実力と、日々の努力があってこそだ。素晴らしい楽団。彼らの演奏を 10年あまり聴き続けてきた。いつも新しい、そして、いつも聴いて良かったと思う。

プログラム
「カプリス オン カプリス」パガニーニ
「ピアノコンチェルト 第1番」 ショパン

「ピアノコンチェルト」(作品40) ゴレッキ
「ピアノと弦楽8重奏曲」(作品20)メンデルスゾーン

ゲストピアニストは ポリーニ レスチェンコ。
ベルギー生まれのロシア人で、マルタ アルゲリッチの秘蔵っ子。まだ20代の若い美しい女性だ。
アルゲリッチとレスチェンコとの二重奏は、CDになっているし、彼女の超技巧的演奏は、話題で大人気になっている。実際は、どんな人かと思って見ていたら、漆黒のドレス、小柄で飾りのない まるで女学生のような清楚な姿で登場した。可愛らしい。

ショパンは、耳によく聞きなれた曲。期待を裏切らない華麗な演奏でとても良かった。ショパンは、いつも聴く耳に直接聴こえてくる。ショパンは 沢山の人が 沢山集まっているところで演奏されるために作曲したのでなく、たった一人の人のために作曲し、たった一人の人のために演奏される。だから、ショパンを聴くと、いつも泣きたくなる。何て繊細で華麗な曲だろう。

ゴレッキのコンチェルトの、ダンパーペダルを踏み抜くかと思うほど 強烈な強音の連続には、驚愕。そして、メンデルスゾーンの弦楽8重奏との演奏は ハイスピードで技巧的、それがとても完成されていて、美しい音の掛け合いだ。
ポリーニ レスチェンコの演奏、とても良かった。
若くて、華奢な体で パワーがみなぎっている。
とても満足した。

2012年2月21日火曜日

映画「マイウィーク ウィズ マリリン」



英国BBCフイルムが作った映画、「マイウィーク ウィズ マリリン」を観た。そのまま訳すと「マリリンと過ごした一週間」という邦題になるだろうか。
マリリン モンローをミッシェル ウィリアムズが演じて 3つのゴールデングローブ賞とアカデミー賞にノミネートされている。
http://myweekwithmarilynmovie.com/

監督:サーモン カーテイス
キャスト
マリリン モンロー :ミシェル ウィリアムズ
コリン クラーク  :エデイ レッドマイン
ローレンス オリビエ;ケニス ブラナン
アーサー ミラー  :ドウグレイ スコット

全く期待しないで観たのに、とてもよかった。すごく得をした気分。良い映画を観た後の余韻が残っている。
マリリン モンローは 私が映画を見るようになった頃には もう亡くなっていて過去の人だった。ケネデイ家とのスキャンダルや、「寝るとき身に着けるのはシャネルナンバー5だけ」とか、ヘンリー ミラーと結婚するとき、「世界一の美女と世界一頭の良い男が結婚するから 世界一美しくて頭の良い子ができるわね。」と、言ったら、「世界一醜くて 世界一頭の悪い子供ができるかも。」と返されたという話が残っているだけだった。露出過剰で、セクシーだけが売りもので、ちょっとオツムの弱い女というレッテルが先行していて、、「そうではない」と弁護する人が少なかったと思う。
たくさんの歌を歌い、踊り、映画に出演して、アメリカを代表する大スターとして、死ぬまでトップスターであり続けたのだから馬鹿であるはずはない。

そんな彼女を オージー俳優で、たった25歳で死んだヒース レジャーの妻だったミッシェル ウィリアムズが演じている。「ブロークバック マウンテン」、「マイ ブルーバレンタイン」、「ドライブ」で 彼女の映画を見てきたが、とても良い女優だ。ここでは、完全にマリリンになりきっている。ヒース レジャーがそういう役者だった。一つの役を与えられると、撮影が完全に終わるまで 何ヶ月も完全に その役になりきって、自分には絶対戻らない、という徹底した役者だった。
ミッシェルが、マリリンを演じると、その肌の輝きに目を瞠る。画面に彼女が登場すると 美しくて場面が輝き始める。本当にマリリンはスターになるべくして成ったスターだったのだ、と納得がいく。
端役として、芸達者なジュデイ デッチや エマ ワトソンが出ていて、華を添えている。

ストーリーは
1956年 初夏。
30歳ンマリリン モンローは 3週間前に劇作家ヘンリー ミラーと結婚したばかり。英国のローレンス オリビア卿は「王子と踊り子」の映画制作を企画して、主演の踊り子にモンローを抜擢しアメリカから招聘することにした。そのときコリン クラークは23歳。英国の由緒ある貴族出身だが、親から自立して映画制作所で仕事を始めたばかりだった。ローレンス オリビエが監督、主演、製作するこの映画の アシスタント製作者として働くことになる。
鳴り物入りで ハリウッドからヘンリー ミラーと共にやってきたマリリンは、最初だけ歓迎される。しかし、撮影が始まると、製作者として自分の思い通りにマリリンを操縦しようとするローレンス オリビエは、短気で腹をたてて当り散らすばかりなので、マリリンはすっかり萎縮してしまう。もともとマリリンは、大スターではあったが、両親に愛されて育ったことがない。片親のもとで育ち、孤児院に入れられたり 幼児虐待にも遭っていて、自分に自信を持てないという心に傷があった。撮影は進まない。せりふの言い方から演技にまで口を出すローレンスのやり方に、マリリンは 不安感から、常用している睡眠薬が手放せない。翌日の撮影が怖くて眠れない。いったん眠ると起きられないので撮影時間が守れない。保護者である夫 アーサーも愛想をつかして帰国してしまう。

コリン クラークは偶然マリリンと夫との諍いの会話を聞いてしまい、マリリンが泣く姿を目にしていて、何とか力になりたいと思っている。ローレンスのメッセージを届けるために、マリリンのもとに通ううち、自然と心が通じるようになって、マリリンはコリンだけには会話ができるようになる。そしてコリンを通じてのみ、映画制作に関わっていくようになる。映画撮影は そんな状態で辛うじて進行していき、、、。
というお話。

舞台俳優で英国の誇り、ローレンス オリビエ卿からみたマリリンは 全くムービースターという別世界の人間だ。自分の思い通り「オツムの弱いセクシーなショガール」を演じてくれれば それで良い。事は簡単。それが 何故出来ないのかが、わからない。褒めておだてて 手のひらの上で踊らせようとするが 怖がって引っ込んでしまったり 泣いたりわめいたりして手がつけられない。アメリカのスターってなんだ? ということになる。妻のビビアン リーがローレンスがマリリンに手を出さないように監視しているのも、気に入らない。もう、ビビアン リーのヒステリーに付き合っていられない。別れ時かもしれない。そんな、ローレンスの状況がよくわかる。
いつでもパワーが人を醜くする。白黒映画の時代のローレンス オリビエ、ビビアン リーの美しさは格別だったが、年をとり、時代が変わったのに、パワーを持つようになってしまうと、もう何の魅力もない。

一方のマリリン。
常に脚光をあび カメラの前でポーズを取る大スターの顔と、自信を失って泣きじゃくる姿のギャップ。撮影所から抜け出しても「あ マリリンだ」と すぐに見つかって人々の群れに追われる。どんな時でも人に捕まれば スターとしての笑顔で、ポーズを取り、ジョークで人を笑わせる。徹底したプロのサービス精神。拍手で迎えられれば プライベートな時間でもカメラサービスをして歌まで歌ってみせる。疲れ果てて、睡眠薬に手をのばす姿が哀れだ。

そしてコリン。
古くから続く貴族の家で生まれて育った若いコリンの何の偏見や思い込みのない澄んだ目が捕らえたマリリンを、傷ついた雛を抱えるようにして、マリリンの側に立とうとする姿が とても良く描かれている。未成熟なその胸に飛び込んだマリリンの再生を見届ける 優しい目差しが 美しい英国の古城や自然とともに、叙情的に語られる。そのようにして、男は一人前の男になっていくのだろう。

その後、コリン クラークは作家でドキュメンタリーフイルム製作者になる。兄は有名な国会議員だ。40年たって、コリン クラークは「王子と踊り子」を製作したときの6ヶ月間の記録を出版した。しかし、そのなかに、1週間分の記録がない。それは今まで、誰にも語られなかった。

誰にも語られることのなかった一週間が この映画になっている。
一人の青年の成長記録として、一人の女優の生き方を表現したものとして、とても良い映画として完成している。小品だが、見て何時までも良い映画だったと思い、心に残る映画だ。

2012年2月15日水曜日

オペアオーストラリア公演 「魔笛」



オペラオーストラリアの公演「魔笛」、(THE MAGIC FLUTE)を オペラハウスで観た。
1791年、モーツアルトが35歳のときに作曲した彼の最後のオペラ。初演は 1791年9月、ウィーン アウフデア ウィーン劇場。
ドイツ語、2幕、2時間半の作品を、ミュージカル「ライオンキング」を演出したジュリー テイモアーが、メトロポリタンオペラのために作った舞台を基にしたもの。台詞も歌もすべて英語で、英語字幕つき。

作曲:アマデウス モーツアルト
演出:ジュリー テイモアー
指揮:アンドリュー グリーン
演奏:オペラオーストラリア交響楽団
キャスト
タミーノ王子:アンドリュー ブラントン(テノール)
パパゲーノ :アンドリュー ジョンズ(バリトン)
パミーナ姫 :ハイセング クウォン(ソプラノ)
夜の女王  :スザン シェイクスピア(コロラトーラ)
ザラストロ :リチャード アンダーソン(バス)

ストーリーは
森で大蛇に襲われた王子タミーノは、夜の女王の3人の侍女に助けられる。侍女達から女王の娘、パミーナ姫が悪漢ザラストロに誘拐された、と聞いて、パミーナの絵姿を見て一目ぼれした王子は お守りの魔法の笛をもらって、姫を救出に行く。道行く途中で出会った鳥刺し男パパゲーノがお供になって二人はザラストロの館に行く。

館でパミーナは、母のお使いでパパゲーノが助けに来てくれたことを知って、一緒に逃げ出すが、簡単に捕まってしまう。しかしザラストロは悪漢ではなく、実は賢者で悪い母親から娘をかくまって保護していたことがわかる。パミーナ姫を愛するタミーノとパミーナは 二人が互いにふさわしい相手かどうか知るために、ザラストロの試練を受けることになる。「沈黙の試練」、「火の試練」、「水の試練」の3つの試練を無事に潜り抜けて二人はついにザラストロに祝福されて、結ばれる。パパゲーノも、素晴らしく美しいパパゲーナに出会い、結ばれる。
これに怒った夜の女王が襲ってくるが、ザラストロの力で太陽が輝き 夜の女王は撃退される。タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナはそろって 歓びにみちて神をたたえる。
というお話。

このオペラの見所は 天真爛漫な鳥刺し男、パパゲーナのおもしろさだ。真剣に命をかけて姫を救い出そうとするタミーノ王子に付きそう お気楽なパパゲーノが舞台まわし、ストーリーテラーの役割をもっている。パパゲーノが快活で魅力があって何より美しいバリトンで歌ってくれないと舞台が生きてこない。アンドリュー ジョンズのパパゲーノは、とても良かった。
恋人パパゲーナと互いに恋する余り「パパパパ パパゲーノ パパパパパパゲーナ」と、歌い合う場面も とても可愛らしくて良かった。

このオペラの聴き所は、タミーノのテノール、パミーナのソプラノのそれぞれのアリアの美しさだが、やはり、ハイライトは夜の女王のコロラトーラ、超高音のソプラノだ。この夜の女王の鈴を転がすような高音が美しい声で決まるかどうかに、オペラの成功がかかっているといっても良い。スザン シェイクスピアは とてもよく歌った。ものすごい体格だけのことはある。

また王子のテノール、姫のソプラノに対して、賢者ザラストロの超低音で、どっしりした風格ある声も大事だ。リチャード アンダーソンはびっくりするほどの低音をじっくり聴かせてくれた。作曲家のモーツアルトも、ひとつのオペラにこのような超低音と技巧的な超高音を組み込むなど、過酷な人だ。オペラ歌手の誰もが歌えるわけではない。ザラストロの役は 可憐な姫を私物化するエゴイストな母親に対して、親の愛を上回る父性愛で姫を見守る役だ。

むかしアマチュアの市の交響楽団でバイオリンを弾いていた時に、市の公民館でこのオペラをやった。最後のほうの舞台で、姫を取り戻そうと夜の女王がヒステリックに歌い、タミーノとパミーナが嘆いているとき、ザラストロが登場して朗々と歌うとき、突然彼はせりふを忘れてしまった。長いこと、、、本当に長いこと舞台が凍りついた。舞台下からちょっと背を伸ばして覗いてみたが、そのときの舞台の緊張と恐怖感は忘れられない。やがて、彼は歌い出したから その場は何とか済んだが、本当に、舞台で歌う人は大変だなあ と心から思った。

さて、ジュリー テイーモアの舞台演出だ。
たくさんの動物の張子が出てきて楽しい。日本の舞台の黒子のように、全身黒い衣装の者達が、動物たちを操っている。天井まで届きそうな3匹の熊が出てきたときは目を瞠った。バレエオーストラリアの面々によるフラミンゴのダンスや、不思議な鳥達が沢山出てきて楽しい。
「ライオンキング」は、ロンドンのコペントガーデンで見た。舞台の楽しさと若い役者達の豊な声量に圧倒された。歌い、踊るエネルギーに満ちた舞台に魅了された。しかし、ミュージカルの活気と若いエネルギーの爆発をオペラに求めるのは無理だ。オペラ歌手は全力エネルギーを腹にためて歌で表現しなければならない。発声方法そのものも、全く異なる。舞台の演出は成功だったし、とても楽しい舞台だった。しかし、英語でモーツアルトを歌うことには抵抗がある。

魔笛はオペラの中でも古典、モーツアルトの音楽の美しさが存分に発揮されている。特にこのオペラはモーツアルトの晩年(ああ35歳で晩年だなんて!!!)の最後の作品で宗教的な意味合いを強く持っている。ヒステリックな母親の自己愛に対立する 世間知らずで純粋無垢な王子と姫の一途な愛を描いただけでなく、宗教的な様々な意味合いが解釈されている。モーツアルトが 他のイタリア語で書いたオペラとちがって、ドイツ語でこれを書いたことにも、専門家のなかで様々な解釈がある。だからモーツアルトを英語で歌って欲しくない。

オペラをドイツ語から英語に翻訳したときに 言葉の行間からこぼれ落ちていく 訳しつくせない意味合いを大切にするべきでなないのか。常日頃英語で生活していても日本人の自分を語りつけつくせない、もどかしさを感じるように、モーツアルトのオペラを英語では、歌いつくせないのではないだろうか。原版どおりにドイツ語で歌ってもらいたかった。
それにしても、寒くて長い冬のザルツブルグでモーツアルトが、貧困と死への恐怖と戦いながら、指先を暖めるストーブの薪もない中で、こんなに楽しくて笑いに満ちたオペラを書いたのだと思うと ちょっと泣きたくなる。本当になんと偉大な天才だったろう。

良いオペラだった。
でも英語版でミュージカル演出家による「魔笛」よりは、3年前に観た正統派「魔笛」のほうが良かった。

2012年2月14日火曜日

映画 「ファミリーツリー」



映画 「ファミリーツリー」、原題「THE DESCENDANTS」(子孫、末裔)を観た。2007年に出版された、カウイ ハートへミングの小説「THE DESCENDANTS」の映画化。

監督:アレクサンダー ペイン
キャスト
マット キング:ジョージ クルーニー
長女アレックス:シャイレーン ウッドリイ
次女アメラ  :アマラ ミラー

ストーリーは
弁護士で、大土地所有者のマット キングは、ハワイのオアフ島で妻と二人の娘達と暮らしていた。代々、受け継がれてきた広大な土地を、大規模リゾート地として開発する計画を持っている。ハワイ島の各地に住む親類、縁者、従兄弟達すべてを巻き込んだ 大規模な開発事業計画だ。

ところが妻のエリザベスが、スピードボートに乗っていて転落し、頭を打ったために、昏睡脳死状態に陥ってしまった。目を覚まさない妻を見守りながら、マット キングは、仕事に熱中していて、妻と会話を何ヶ月も交わしていなかったことを反省する。自分は、家庭を全く顧みていなかった。妻が目を覚ましたら、妻のために今度こそ二人で世界旅行をしたり、妻の望みを何でもかなえてやろう、妻のために生き直そう と心に誓う。
ところがある日、医師から妻は回復する見込みはない、と断言され、自動呼吸装置を切る為のサインを求められて、マットはあわてる。まず、私立高校の寮で生活をしている長女アレックスを、家に呼び戻さなければならない。

マットは、10歳になる次女のアマラと一緒に、アレックスを迎えに行った。父親として、アレックスとまともに話をしたのは どれほど昔のことだったか。むつかしい年頃の娘と共通の会話を持てない父親が、母親の呼吸装置を止める為の同意を 長女に求める。しかし、父親にいらだつアレックスは 腹立ち紛れに 母親が父のことを愛してなどおらず、浮気をしていたと告げる。動転したのはマットだ。
腹を立てるにも 妻の浮気相手が誰か わからない。妻と親しかった友人に問い正し、浮気相手の名前がわかる。しかも、よりにもよって、エリザベスは その男を愛していて離婚をしようとしていたと言うのだ。マットは 大いにあわてふためく。

マットは親類縁者、友人達を招待して妻の呼吸自動装置を切ることを告げる。皆、それぞれエリザベスにお別れを言って 去っていく。妻から機械は取り外された。しかし、しばらくは小康状態が続く。マットは、妻がそんなに愛していたなら、妻の相手の男も、お別れを言いたいのではないかと考える。
相手探しが始まった。
長女アレックスのうろ覚えの記憶をたどって、相手の居所がわかった。彼はマットたちが いま取り掛かろとしていたマットの土地リゾート開発の計画に関わっている不動産業者だった。
ついに突き止めた男の家を訪ねていくと、男は必死で逃げ腰になって弁解する。マットには 男がエリザベスとはパーテイーで出会い 行き掛かりで関係を持ったが 彼には妻も子供達もいることがわかった。エリザベスは、男に妻子があることも知らなかったのだ。

マットに事情がわかってみると いま息を引き取ろうとしている妻に憎しみの感情は消え去り、自分が妻を放っておいたため妻子ある男の夢中になった妻に哀れみを覚える。そして自責の念にかられて妻を抱きしめて、息を引き取る妻を見守る。

妻の灰を海に返した日、親族達にマットは、土地のリゾート開発計画はなかったことにする、しばらくは妻の土地は手をつけずに置く と発表する。妻のことがあって、ふたりの娘達との離れていた間柄を縮めることができた。
マットにそれ以上、何を望むことが出来よう。
というお話。

コメデイータッチの家庭劇。
小品だが ジョージ クルーニーが、とても良くて 心に残る映画になった。主役が、クルーニーでなくて、他の役者がやっていたら全然ちがう映画になっていただろう。映画には、ものすごく悪い奴が一人も出てこない。家庭劇とは、そんなものかもしれない。
ジョージ クルーニーの妻の不実を知らされたときの あわてぶりが良い。人の善良、誠実の代表みたいな男が あわてふためく様子に同情と憐憫が集まる。肩を落としたクルーニーの後姿で、彼は全世界の女性を味方にしてしまった。かっこう悪い役なのに、クルーニーがやるとスマートでかっこうが良い。

音楽が良い。ジョージ クルーニーが間の抜けた夫を演じ、これまた間の抜けたようなウクレレとハワイアンが流れる。美しい海や自然をバックに、のんびりとしたハワイアンミュージックが流れてきて 心が癒される。

2012年2月9日木曜日

イーストウッドの映画 「J エドガー」



クリント イーストウッドが82歳で完成させた、新作映画「J エドガー」を観た。
48年間 アメリカ連邦捜査局局長を務めたジョン エドガー フーバーのバイオグラフィー。彼は、カルビン クーリッジからリチャード ニクソンまで8代の大統領のもとで、連邦捜査局長を務めたが、77歳で現職で死ぬまで、大統領よりも巨大な権力を維持した。「フーバーファイル」と名付けられた、政治家や実業家の個人秘密情報を持ち、いつ何時大統領の座を揺るがすこともできた。人種差別主義者で共和党最右派の立場から共産主義、社会主義、人種差別撤廃運動家、リベラリストなど、すべての活動家や政治家をアメリカ国家の敵をみなして弾圧した。

ストーリーは
1919年、24歳の若きジョン エドガー フーバーは、自分の上司である最高司法長官の自宅が、共産主義者によって爆破されるのを、目の当たりに目撃する。時に、ソビエト連邦国家建国の影響で、アメリカ社会もアナキスト、共産主義者による暴動が多発し、社会運動が活発化していた。弱体化した警察を横目に、エドガーはアメリカ政府を安全に導く為に 赤狩りを率先して行う。1日に4000人の共産主義者を検挙、活動家達を拘束するためには、非合法も手段も選ばず、殺人も厭わず、また理由をつけては国外追放し、徹底的に弾圧した。
その腕を買われて、彼は司法捜査局の責任者に、のし上がって行く。折りしも1932年に起ったリンドバーグ家の長男誘拐殺人事件がおき、州境を越えて、各州の警察権力を上回るパワーをもった連邦政府捜査局(FBI)の必要性を人々に認識させると 自分が局長の座に収まった。科学捜査の必要性を訴え何百人もの局員を配下に収めて事件解決のために指揮をとった。

1930年代、俳優ジェームス ギャグニーが エドガーをモデルにしたFBIとギャングの抗争を映画でヒットさせると、コミックでも盛んにFBIが登場し活躍するようになった。エドガーは服装にこだわり、部下たちにも上等な服や帽子を被ることを要求し、自分の心酔者だけを部下として大事にした。

私生活ではエドガーは自分のことを溺愛する母親に、頭が上がらない。母は女性に興味を持てないエドガーに、ことあるごとにホモセクシュアルが、いかに世間の物笑いになる滑稽で罪な存在であるかを言い聞かせた。そのため、エドガーは母親の期待に応えることだけが自分の生きがいとなり、自分の個人的な嗜好には目をつぶり 欲望を押しつぶして生きることになる。

出会ったその日に利発で美しいヘレン ガンデイーに心を寄せ、求愛するが その時に結婚よりも仕事を持ちたがった彼女を、生涯の個人秘書に抜擢する。そして、その後2度と彼女と結婚について話題にすることはなかった。
またエドガーは、長身、ハンサムな青年クライド トールソンが学生の頃から注目していて、半ば強引に自分の秘書官にする。やがて、FBI副長官に就任させ彼の右腕として、生涯の伴侶とする。二人は愛し尊敬し合うが、エドガーはクラウドの望みに応えることなく 生涯プラトニックな愛情を貫く。

FBI局長として絶大なパワーを持ち続け、エレノア ルーズベルトのレズビアン関係、ジョン、ロバート ケネデイ兄弟の女癖の悪い醜態やマフィアとの癒着、マーチン ルーサー キングの不倫、リチャード ニクソンの不倫など、スキャンダルな証拠をファイルに持っていて、関係者を震え上がらせていた。自分のバイオグラフイを口述していて、自伝を出版する気でいる。一向に引退する気はない。FBI副局長のクラウドが心臓発作で倒れるが、クラウドとの特別な関係は変わることなく生涯続く。
そんなお話。

印象深いシーンがふたつ。
一つは、初めて出会ったヘレン ガンデイーを夕食に誘い、その場でエドガーが、ひざまずいて求婚する、24歳の若さがはちきれんばかりのレオナルド デ カプリオの好青年ぶり。その場で求婚を断り、仕事をしたいと言ったヘレンが、10年後、20年後に忠実なエドガーの 個人秘書として仕事を一手にまかされてやっているが、ふと年をとっていく自分を省みて 2度と求婚しないエドガーの背に向かって深いため息をつくシーン。エドガーも年をとるが、ヘレンも白髪だ。そんなナオミ ワッツが エドガーの死を知らされるとすぐに、エドガー所有の個人ファイルを次から次へとシュレッダーにかける その背をまっすぐに伸ばした、毅然とした姿に心打たれる。

もう一つの印象深いシーンは、クライド トールソンの求愛のシーン。直裁で真摯な愛の求めに応じることが出来ないエドガー、、、それほどに強い母親によって「教育」され「抑圧」されてきたために、自分の心を解き放つことができないエドガーの痛々しい姿だ。自分の小児病的な「いびつ」さに 自から気が付かずに生きて死んでいく、そんなエドガーを心から慕い、愛してきたクライド ト-ルソンの これまた「いびつ」な愛の形、年をとり、もう働くことができなくなったクライドの額に 万感の思いをこめてエドガーがキスする。このシーンが とても泣ける。

エドガーがクライドに自分の右腕になってくれと頼むと、クライドは目を輝かせ、勿論ですと言い、条件がある、と言う。それは 良い日も悪い日も 二人の考えが合意できる日も出来ない日も、好きなときも好きでないときも、一緒にお昼御飯を食べるということだった。エドガーはこれに同意して、死ぬまでほとんど毎日、律儀にクライドとの約束を守って、クライドが倒れ、仕事ができなくなっても二人は一緒に昼食を取る。二人の関係は死ぬまで変わる事がない。

クライド役を演じたアーミー ハマーはとても良い。「ソーシャルネットワーク フェイスブック」で、ハーバード大学の エリート 双子のウィンクルボス兄弟を演じた役者だ。背が高く、美形。目が澄んでいて希望に燃える青年役にぴったり。彼の老い方も秀逸。足元がおぼつかなくなってエドガーよりも先に年寄りになってしまった姿も哀しくて、素晴らしい。

人間が描かれている。
8人の大統領に恐れられ 48年間休むことなく情報を手に入れアメリカの治安を思い通りに懐柔した怪物が 生身の人間として描かれている。結婚せず家庭を持たず、一生を仕事に捧げ、自分の信念を曲げようとしなかった。強いアメリカの中で、一番強い男エドガー。忠実な秘書と立派な右腕に支えられ生涯信念に生きた。そんな男が何と「もろくて壊れた心」を持っていたことか。 その姿が、ただただ 哀しい。

クリントイーストウッドの映画。タイトルを「フーバー」にせず、エドガーにしたセンスといい、このような怪物を映像化して、みごとに一人の人間を描き出した力量といい、やはり、イーストウッドは天才ではないだろうか。
いつもイーストウッドの映画を観ると、観た後で、ワンシーン ワンシーンが思い出されて、感動が深まっていく。いくつもの美しいシーンがよみ返ってきて、忘れられない。人間の喜怒哀楽をこれほど上手に映像で切り取って見せてくれる人は、他にはいない。
良い映画だ。

観てみる価値はある。

2012年2月2日木曜日

黒白無声映画 「アーチスト」



新作のサイレント映画「アーチスト」、原題「THE ARTIST」を、オープンエアシネマで観た。
オープンエアシネマは、近年大人気で、チケットが、発売同時に売り切れる シドニー夏の名物イベントだ。これは、真夏のこの時期、ハーバーブリッジとオペラハウスを目の前にした対岸に、臨時に建てられた大きなスクリーンで、風に吹かれながら映画を観るという粋なイベントなのだ。人から聞いてはいたが、初めての体験。予約が出来ない、ネットを通じての販売のみで、早いもの勝ちなので自分ではチケットが買えない。娘がチケット発売と同時に、キーボードを素早くたたいて、何度もコンピュータークラッシュを繰り返しながらも、買ってくれた。

当日、仕事が終わったばかりの娘と、日本食屋で鰻弁当を包んでもらって、シドニーの観光スポット ミセスマッコリーチェアに向かう。芝生の上には、組み立てられた500席ほどの椅子が並んでいる。最大手の銀行がスポンサーなので、無料の新聞やチョコレートが配られて、案内係も沢山居てサービス満点。バーとレストランも仮設されている。
8時過ぎ、海風に吹かれながら、お弁当を食べ終わり、シャンパンを飲み終わる頃、オペラハウスとハーバーブリッジに夕日が当たって輝きを増す。他の人々も、ピザなど持ち寄って食べていたのを片付け始め、レストランに居た人は椅子席に戻る。やがて、すっかり暗くなった海から、倒されていたスクリーンが立ち上がるのを見て、歓声があがる。私も暗くなった海から真赤なスクリーンが立った瞬間、思わず子供のように手をたたいていた。夜空に高層ビルのライトが光っていて、港に停泊する大型船も、輝いて美しい。

なかなか粋なイベント。とても素晴らしい。毎日、ハーバーブリッジなんか運転している、オペラハウスなんか、月に一度くらいの割りでオペラやコンサートを聴きに来ている それでも これらを背景に夜空の下でスクリーンを観られるなんて、素晴らしく贅沢なことのように思える。16年シドニーに住んでいても、いいなと思うくらいだから、初めてシドニーを訪れる人を連れてきてあげたら とても喜ばれるだろう。
http://www.imdb.com/video/imdb/vi2003082265/

さて、映画「アーチスト」。
監督:ミッシェル アザナヴィシウス
キャスト
ジョージ:ジャン デュ ジャルダン
ぺピー :ペレニス ぺジョ

21世紀、映画撮影技術が格段に高くなり、CGも、3Dも、モーションキャプチャーフイルムも 自由自在に使えるようになった今、何で今頃サイレント映画を作るんだ。しかも、白黒フイルムで、、、。それが、ゴールデングローブ ミュージカルコメデイ部門で最優秀映画賞を受賞した。アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、など10部門でノミネイトされている。

ストーリーは
1920年代、パリ。
白黒サイレント映画が、人々の一番の娯楽だ。主演は人気のジョージ バレンテイン。人々は彼の演じる冒険物語や恋愛ものに夢中になっている。彼にあこがれて、たまたま偶然にダンサーとしてエキストラの役を得た 若いぺピー ミラーは、スタジオで出会った大先輩ジョージ バレンタインをますます恋慕うようになる。ぺピーの即興のダンスにタップダンスで答えてくれるなど、ジョージは気さくに、新人の力になってくれるのだった。一方、ジョージは、愛情の冷めきった妻との空虚な家庭生活をしている。

しかし時代は変わり、映画産業はサイレント映画からトーキー映画の時代に突入していった。人々は映画の中で、美男美女が気の効いたせりふを言い、演技をする新しい映画の登場を歓迎した。新時代の波に乗ってぺピーは人々からもてはやされ、今や大女優になった。

ジョージ バレンタインは自分のサイレント映画のスタイルを捨てようとしない。頑固に映画はサイレントで、俳優は顔や体で感情のすべてを表現すべきだと考えている。そんな頑固が災いして、彼は映画会社から解雇される。意地で、自分で監督、俳優、演出、製作のすべてを手がけて映画を作るが、すでに時は遅く、観客はサイレント映画に見向きもしなくなっていた。納得できないジョージは 妻にも去られ、破産し、酒びたりの生活に落ち込む。忠実な運転手兼、執事にも給料が出せず、出て行って貰った。自分が気に入って、収集した家具や、映画で使った道具屋、自分の肖像画など、すべてオークションで手離して、得たお金も酒代になってしまう。ついに、自分が主役を勤めた何百本ものフイルムに火を放つ。火傷を負い 病院に送られたことを知った、ペピーは、彼を自宅に引き取る。

しかし、そこでジョージは オ-クションにかけられて最後のなけなしの酒代になった自分のコレクションが すべてファンによって買い取られたのではなく、ぺピーがジョージを助けようと思って買い取ってくれていたことを知ってしまう。自分は世間から すっかり忘れている。そんな時代遅れの自分が トーキー映画の花形女優の情けにすがって生きているのか と思って、絶望したジョージは、銃をもって引き金を引いて、、、
というストーリー。


白黒サイレント映画の良さを出し切った まさに「アート」な作品。撮影技術が進むところまで進化してしまった現在、映画の原点にもどるという意味で とてもチャレンジな映画だ。いま、こうしてチャーリー チャップリンなどの白黒映画を思い起こしてみると俳優達がいかに プロに徹して演技を見せてくれたか、いかに白黒フイルムに映えるように表現やしぐさをしっかり演技していたかが思い起こされる。
主演のジャン デュ ジャルダンの普段の姿を見るとブラウンヘアで青い目の 一見何の特徴もない青年にすぎない。そんな普通の男が 白黒映画の中では、ポマードですっきり、つややかな黒髪を後ろに流して、口ひげがおしゃれなクラーク ゲーブルを若くしたような美男子になり、堂々とした演技を見せて、文字通りの花形役者だ。まゆ一つの動かし方で、女心を揺り動かすし、食卓で目を伏せる姿で、妻との関係が冷えていることを現す。タップダンスもうまい。笑顔が実にチャーミングだ。クラーク ゲーブルが画面で大写しになり ウィンクするとドタドタと、ファンの女たちが卒倒するフイルムを見たことがあるが、そんな感じ。とても良い役者だ。
今年のアカデミー主演男優賞にふさわしいと思うが、この新人で無名のフランス人役者より、ハリウッドとしては、ジョージ クルーニーの「ファミリーツリー」も良かったので、クルーニーのほうが有力かもしれない。

助演女優賞はぺピー ミラーを演じた、ペレニス ぺジョーが獲得するだろう。大きな目、黒髪でボブ、ダンスが上手な可愛いフランス娘。彼女の演技も、とても良かった。新人だが35歳の2児の母。両親はアルゼンチンでピノチェト軍事独裁政権のときに、フランスに亡命してきたラジカリスト。3歳でフランスに来て、両親が何もかも失って他国で生活を一から築いてきた苦労する姿を見て育ったという。
脇役だが、ジョージの執事を演じた、マルコム マクダウェルの しぶい演技が冴えている。
ジャンも、ペレニスも サイレント映画を学ぶために 沢山のサイレント映画を観たそうだ。チャップリン、バスター キートン、ジーン ケリー フレッド アステア、ジョン クロフォード、メアリー ピックフォード、、、。何と豊かな映画の世界だったことだろう。こうした貴重な映画史があって、今日の映画が作られるようになったのだ。

白黒サイレント映画を、無名のフランス人新人が主演している、ということで、話題になっている。
とても良い映画だ。見る価値がある。

2012年1月27日金曜日

スコセッシの映画「ヒューゴの不思議な発明」




2007年に出版されてベストセラーになった、ブライアン セルズニックの小説「ヒューゴ カブレットの発明」を映画化したもの。アメリカ映画、3Dフイルム。
マーチン スコセッシ監督、製作はジョニー デップ、グレアム キング、テイモシー ヘデイントンと、マーチン スコセッシの4人。
早くもゴールデングローブの監督賞、映像賞に、またアカデミー作品賞、監督賞にノミネイトされている。

舞台は1931年 パリ。
12歳のヒューゴは 幼い時に母と失くし、時計作りの専門技師の父親と二人で暮らしている。父はヒューゴに、時計作りや、ぜんまい機械の仕組みや動かし方を教えてくれる。それらは興味深く、特に、ヒューゴは、父が働いている博物館から貰い受けてきた壊れた機械人形を修理するのに夢中になっている。その人形は修理したら、手にペンを持って、絵を描くことが出来る精巧な機械人形だった。父は、休みになるとよくヒューゴを映画に連れて行ってくれた。

そんな幸せな日々が 突然父の事故死によって、壊されてしまう。ヒューゴは アルコール中毒の叔父に引き取られる。パリ駅の中の大時計の管理と修繕を任されていた叔父と一緒に、ヒューゴは、パリ駅の時計塔のなかに住むことになった。叔父は一通り大時計の修理をヒューゴに教えて、仕事を任せてしまうと サッサと自分は飲みに出かけて二度と帰ってこなかった。ヒューゴはそのまま時計塔に住み、駅の売店から食べ物を盗み、公安警察官に捕まらないように逃げて暮らすことになった。捕まったら孤児収容所に送られてしまう。

父から貰った機械人形の修理は完成しつつあり、再び動き出したら何を描いてくれるのか、早く見てみたい。たった一つのハート型の鍵さえ見つかれば、もう完全に修理が仕上がった。そんなある日、ヒューゴはハート型の鍵を首から下げている少女に出会う。
少女イザべラの両親はなく、おじいさん夫婦に引き取られて暮らしていた。少女と友達になったヒューゴは イザべラのハートの鍵を 機械人形に差し込んでみると、人形が描き出したのは、無声映画の「月への旅」のポスターだった。それは月面に人間が乗ったロケットが突き刺さる映画のシーンで、ヒューゴにとっては 父親と一緒に見た思い出の深い映画だった。
その機械人形が どのような経過で父のもとに来たのか、ヒューゴはどうしても知りたくて イザべラと一緒に探索が始まる。
そして、二人がわかったことは、、、。
というストーリー

監督:マーチン スコセッシ
製作;ジョニー デップ
原作:ブライアン セルズニック
キャスト
ヒューゴ   :エイサ バターフィールド
ヒューゴの父 :ジュード ロウ
イザベル   :クロエ グレイス モリッツ
公安警部   :サッシャ バロン コーエン
ジョージ マリエス:ベン キングスレー

映画史を少しでも齧ったことのある人なら、ジョージ マリエスという偉大な映画人が、1902年に製作した「月への旅行」(LE VOYAGE DANS LA LUNA)というフイルムで、人の顔をした月にロケットが突き刺さった有名なポスターを見たことがあるのではないだろうか。今から110年前のことだ。
それまで、フイルムは2分程度のニュース報道しかなかった。その時代に、ジョージ マリエスは 14分の白黒、無声映画を作った。これが、サイエンスフィクションの始まりであり、輝かしい映画史の最初の1ページだった。

舞台俳優で奇術師でもあったジョージ マリエスは 自分でスタジオを作り、役者を集めて 撮影用のカメラを作り、映画監督、製作、指揮をとり、自分も主役を演じ、プロモーションから売り込みまですべて一人で行った。
1902年に人が月にロケットで行き、月の原住民と交流し、拘束されるところを寸でのところで逃げて帰り ロケットは海に墜落、無事にパリに戻ってくる大冒険を、月のことなどまだ 良くわかっていなかった時代に映画化した。彼は 人々の想像力をかきたて、事実ではないファンタジーの世界を映像で描き出した偉大な先駆者だった。人々は彼のフイルムに夢中になって、熱狂した。初めて蒸気機関車が走ってくるフイルムを見ていた人々は機関車が近付いてくると 自分が機関車に轢かれてしまうと思って 劇場で逃げ惑った という。今までになかった 映画という全く新しい娯楽が登場したのだ。
その後、マリエスは 何百本もの映画を製作する。

この映画はジョージ マリエスを描いた映画でもある。ただの少年少女冒険物語だと思って、観たが全然違った。全然子供のための映画ではない。映画が好きで好きで 大好きな人のための映画だ。
「映画は人々の夢をつくるんだよ。」というジョージ マリエスの言葉は、そのままこの映画を作ったマーチン スコセッシの思いだろう。

映像が素晴らしく美しい。セピア色の世界だ。
1931年のパリ駅に交差する人々、大時計の中の巨大なぜんまい、公安警部と花売り娘のロマンス、年寄りとカフェの女との出会い、駅のカフェで演奏するバンドのおしゃれな音楽家たち、犬を連れ歩く女、ジョージ マリエスと役者達、無声映画時代の女優達、、、何もかもがクラシックで美しい。

ヒューゴを演じたエイサ バターフィールドが とても良い。「縞模様のパジャマの少年」で主演した時は、6歳位だったろうか。ナチの将校の息子が、一度は たった一人の友達のユダヤの少年を裏切った為に つらい思いをする。二度と同じ誤りをしないように この友達についていったために自分もまたユダヤ人収容所のガス室に放りこまれなければならなかった。少年の純真な心が、政治の狂信者によって踏みにじられる。大きなブルーの瞳が、曇りのない透き通る美しい心を表していて 適役だった。
その彼も、背が伸びて この映画では12歳の役をやっている。美少年すぎて、怖いくらい。これからどんな美青年になっていくのか、楽しみでもある。

マーチン スコセッシの映画といえば 1976年の「タクシードライバー」が忘れられない。デ ニーロが テロリストに走るか、と思いきや少女を売春から救い出す 街の英雄になってしまう。ほんのボタンの掛け違いで人が犯罪者になったり英雄になったりする「危うさ」を鮮やかに描き出した名作だった。
「ギャング オブ アメリカ」も、「アビエーター」も、忘れがたい良い作品だった。でも彼の作品のなかで、一番好きなのは、「シャッターアイランド」だ。3作とも デ カプリオが主演している。
「シャッター アイランド」で、男が妻を抱いて立っている。その妻の肩からチロチロと火が燃え出してきて、赤く焼けて体全体に燃え広がり、そのそばから灰になってボロボロと崩れ落ちていく。それを抱きながら悲嘆にくれ絶望するデ カプリオの恐ろしくも美しいシーンが忘れられない。こんなシーンを映像化できる芸術家ってすごい。技術力でなく、その美的イマジネーションに感服する。

この映画は、マーチン スコセッシの、映画の先駆者達への賞賛歌だ。110年前に映画を作って、自由なイメージを映像化することを教えてくれた先人達に対する敬意と賞賛に満ちている。改めてスコセッシの秀逸な映画作りの原点を見ることが出来た。
とても良い映画だ。

2012年1月26日木曜日

メトロポリタンオペラ「ファウスト」


ニューヨークメトロポリタンオペラで昨年12月に上演されたオペラ「ファウスト」を、ハイデフィニションフィルムに収められたものを、映画館の大スクリーンで観た。

北米だけで850の劇場で公開されて、9万人の人がこのフイルムを観たそうだ。またヨーロッパや日本を含めて他の国々で これを観た人は23万5千人にのぼるという。
フイルムは 単に公演を中継するだけでなく、メゾソプラノのジョイス デイドナトがホステスになって、幕の間に、いま歌い終わったばかりで汗だくのヨナス カーフマンがインタビューに応じてくれたり、舞台裏で人々が走り回り、背景の建物がクレーンで運ばれたりする様子が紹介されるなど、とても貴重な価値のあるフイルムに編集されている。二回の幕間を含めて 4時間半が、観ていて全く飽きない。

ニューヨークに飛んでいって、オペラを観ることはできないが、映画館で劇場公開されたばかりの話題のオペラをフイルムで観ることが出来ることが、本当に幸運だと思う。
日本の歌舞伎や能、文楽や人形芝居なども、優れた専門知識をもった人をホストにして、フイルムに収めて世界に向けて紹介してもらいたいものだ。

ファウスト
作曲:グノー
原作:ゲーテ
初演:1859年パリ リリック劇場 5幕 ドイツ語
製作:デス マヌアヌフ
キャスト
ファウスト :ヨナス カーフマン:テノール
メフィストフェレス:レネ ペイプ:バリトン
マルがリート:マリア ポプラビスカヤ:ソプラノ
ジーベル  :ミケーラ ロジエール:メゾソプラノ
バランタン :ラッセル ブラン:テノール

ドイツの文豪ゲーテによる戯曲をグノーがオペラにした作品。16世紀のドイツを舞台にしたお話だが、製作、演出のデス マクアヌフによって、作品は現在21世紀が舞台になっている。主人公のファウストはここでは、原子力研究所の科学者。白髪のヨナス カーフマンが美しい。

ストーリーは
ファウストは長年研究所に閉じこもって、研究に明け暮れてきたが、自分達が開発した原子力は武器として活用、悪用され、人々を傷つける結果しか生まなかった。いつしか年をとり、人生を楽しむこともなく、孤独に生きてきたが、もう生きることがむなしくなって、神を呪いながら毒をあおって死のうとする。それを見ていた悪魔のメフィストフェレスがやってきて、ファウストに もう一度生きるために一体 何が欲しいのかと問う。ファウストは、自分が欲しいのは「若さ」だ と言う。悪魔に魂を売ってしまったのだ。

願いはかなえられた。
若さを取り戻したファウストは 清純な乙女マルガリートに出会って、恋をする。マルガリートには、妹思いの兄、バランタインがいる。バランタインを戦争に送り出したばかりのマルガリートは、ファウストの激しい求愛に逆らえず、ファウストの思いのままになる。二人は 愛し合い、家庭を築く。しかし、ファウストはマルがリートが妊娠すると もう彼女を捨てて、欲望んまま他の女達のところに行ってしまう。マルガリートは 世間の笑いものになり、ファウストに裏切られ、戦争から帰ってきた兄バランタインに厳しく告発される。

マルガリートは愛するファウストを心から慕い、彼の帰りを待ち続ける。そんな妹を笑いものにされたバランタインは、怒ってファウストに決闘を申し込む。しかし、彼は逆にファウストに 殺されてしまう。マルガリートは 悲しみに打ちひしがれて 生まれてきた赤ちゃんを殺して、気が狂ってしまう。
殺人罪で牢獄につながれたマルガリートに ファウストが会いに行く。そして、彼女を牢獄から脱出させようとするが、マルガリートは誘いを断り、自ら死を選ぶ。マルガリートの魂が救済され、天国に向かう。後悔して、同時に真摯な祈りを神に捧げるファウストの前で、悪魔メフィストフェレスは 天使に倒されて地獄に落ちる。
というストーリー。

悪魔と天使、魂の救済がテーマになった宗教、哲学的な作品。
出産前の大きなおなかのマルガリートを兄が怒って蹴飛ばして足蹴にしたり、男達が決闘で殺しあったりして、恐ろしいシーンが多いにも関わらず、曲はあくまでも流麗で、どの曲も優しく、気品に満ちている。やっぱり、グノーはすごい。重唱よりも、美しいアリアがたくさんある。ファウストのテノール、マルガリートのソプラノ、メフィッストフェレスのバリトン、バランタインンのテノール、、、それぞれが とても美しい。

ヨナス カーフマンのギリシャ彫刻のような美しい顔と、素晴らしい声があれば もう何も他に要らない。最高のオペラだ。間違いなくカーフマンはいま、世界一のテノール歌手。演技も抜群に上手い。同じくドイツ人のレネ パイペのメタフィスフェレスの堂々としたバリトンも良かった。
残念ながら、マルガリート役のロシア人、マリア ポプラビスカヤが、美しくないことと、声が少し弱い。もう少し声量のある、本当に清純な乙女の姿をしたソプラノがマルガリートだったら100点満点、最高のオペラになっていたに違いない。

2012年1月9日月曜日

映画「マーガレット サッチャー鉄の女の涙」



映画「THE IRON LADY」邦題「マーガレット サッチャー鉄の女の涙」を観た。
鉄の女と呼ばれた元英国首相マーガレット サッチャーをメリル ストリープが演じた。声、発音、イントネーション、スピーチ、顔つき、歩き方やしぐさまで、全くそっくりで本人と見分けがつかない。これで、今年のアカデミー主演女優賞は決まりだ。ストリープが受賞するに違いない。
http://yourmovies.com.au/movie/42877/the-iron-lady

ストリープは、サッチャーが保守党党首に立候補するころの若い頃から 現在86歳のアルツハイマーを発病して足元がおぼつかない姿まで、本当に迫力のある演技を見せた。顔の大写しが多いが、しわだらけの化粧の技術も巧みだが、年寄り独特の不随意に動く口元や 震える手など本当に本物の年寄りとしか思えない。ストリープはすごい。怪物だ。女版、ロバート デ ニーロと言われている。役を引き受ける前に、役について徹底的にリサーチして完全に役柄になりきることに努力を惜しまない。アカデミー女優賞のノミネート16回と女優では最多。ゴールデングローブも 26回ノミネイトされ、6回受賞している。
1985年「愛と哀しみの果てに」(原題アウト オブ アフリカ)では、デンマーク人のアクセントで デニッシュイングリシュを駆使してロバートレッド フォードの相手役を演じた。2005年「マデイソン郡の橋」では、イタリア語なまりの英語でクイント イーストウッドの相手をしていたし、2008年には、59歳で、「マンマミーア」で、アバのまねをして10センチも高いヒールで飛んだり跳ねたり歌って踊ってみせた。

でも私が一番好きなストリープの作品は、1982年の「ソフィーの選択」だ。原作ウィリアム スタイロンの小説も良かったが、映画も素晴らしかった。 この映画で彼女はポーランド語を習得して、ポーリッシュなまりの英語に徹し、ナチズムに翻弄される女を演じてアカデミー主演女優賞を受賞した。映画で、ナチスに5歳の息子か3歳の娘か どちらかを渡すように命令されて、殺されるとわかっていて娘を渡した。その罪悪感と後悔に責め立てられて、共に死んでくれる相手を求めていた恋人と自滅していくしかなかった哀れな母親の役で、心理俳優として、名実共に認められた。

「マーガレット、、」では サッチャーが下院議員選挙に初めて立候補して落選する25歳のころから 結婚し、保守党党首となり 辞職して現在に至るまでの日々が描かれる。はじめは、女性の社会進出を願い、尊敬する父親や理解ある夫の強力を得て、弁護士から下院議員になる。そうしているうちに、次々と与えられる課題に突き当たって やがて11年間もの間 首相を務めることになる女性の意志の強さに圧倒される。そんな鉄の女が、家庭思いの夫を心のよりどころにする 普通の女で、年をとってもハイヒールを履いてきちんと化粧をする。外出時にはきちんと帽子を被る、そんな頑固な女性の意地の強さも立派だ。立派に彼女なりのスジを通したが、首相としては庶民にとって、決して良い首相ではなかった。

経済自由主義の信奉者だったサッチャーは、電話、ガス、空港、航空、水道などの国有企業を規制緩和し、民営化し、労働組合を潰し、法人税を値下げし、消費税を8%から15%に引き上げた。インフレを抑制するためにイングランド銀行に大幅な利上げをした。教育法を改革し、学校の独自性を認めず全国共通の教育システムを強制、教科書も一本化しテキストから「自虐的」人種差別や、植民地支配の歴史を抹消、改正した。医療制度を改革し、健保受給者を減らし 病人、身障者を切り捨てた。失業者を増大させ、貧富差を広げ、社会不安に陥らせた。

彼女ほど保守派政治家が政権を取ると、いかに権力者、資本家、経営者が肥え太り、庶民が窮民に陥るかを 絵に描いたように明確に見せてくれた首相は他に居ない。また、確たる理由もないのにアルゼンチンと戦争を初めて国民の愛国心を煽り、扇動することで首相の支持率を過去最高の73%にまであげるという実験をしてくれた。1982年南太平洋フォークランドでアルゼンチン軍攻撃の件だ。このことで、国内の失業者上昇、IRAとの摩擦、貧富差の拡大などの問題から国民の目をそらすことに成功した。

1980年代は、サッチャーの信奉する新自由主義という妖怪が 世界で跋扈した。自由な市場に任せておけば すべての経済活動は解決するとし、「生産性に応じて報酬がもたらされる。」と考える新自由主義は、2008年リーマンブラザーズの経営破綻が金融システム全体を崩壊させたように、理論的にも現実的にも破綻している。
資源に限りがある以上、経済成長をし続けなければならない自由主義経済を維持することは不可能だ。そのような中で 政府に求められるのは雇用を管理し、金融の安定を維持することだ。市場経済を金融企業に自由に増長させるのではなく、市場経済を管理しなければならない。

現在のギリシャに始まりイタリアやその他の国に飛び火しているユーロ危機は、ユーロのそれぞれの国の租税システムや内政に干渉できない結束では、結束そのものに限界がある。強いドルに対抗してユーロが出来ても 参加国が増えすぎて、いったん問題が噴出すると、借金を借金で返済していくしかない現在の解決方法では、ドイツやフランスに債務危機を解決できるとは思えない。
また、米国など、消費支出の37%が上位5%の高額所得者によって占められているが、このような貧富格差社会では、今後失業者が減り、景気が好転するとは思えない。

八方塞りの経済情勢のなかで、いまになって、やっぱりマーガレット サッチャーが良かったみたいな 彼女のような強い指導力が再評価される流れが出てくるとしたら、それは間違いだ。彼女の時代を懐かしがるのは、余裕のある金融企業家や資本家だけで良い。
女性の地位向上に貢献したことでサッチャーを評価するが、その経済政策が、たくさんの失業者をどん底に突き落とし、無数の自殺者を出したことを忘れてはならない。

映画は、映画として、とても良くできている。

2011年12月28日水曜日

映画 「戦火の馬」


スティブン スピルスバーグ監督、米英合作の映画「WAR HORSE」、邦題「戦火の馬」を観た。1982年に発表された英国作家、マイケル モルパーゴの小説を映画化した作品。早くもゴールデングローブに ノミネートされている。

監督;スティブン スピルスバーグ
キャスト
アルバート:ジェレミー アービン
父 テッド:ピーター ミュラー
母 エミリ:エミリー ワトソン
少女   :セリーン バーケンズ
脱走兵  :デヴィッド シューサス

ストーリーは
ところは イギリスのデボン地方。
石ころだらけの土地を開墾する貧しい農家。
15歳のアルバートは 父が農耕馬として買ってきた馬を見るなり その美しさに心を奪われた。父親のテッドもまた この馬の姿に魅かれて 競売に参加して競り合っているうちに 引っ込みがつかなくなって競り落としてきたのだった。テッドはお金のない農夫の身なのに 農耕馬の代わりに美しい競走馬を買ってしまったのだった。帰るなり、妻のエミリからは、足の細い競走馬に畑作業などできやしない、と叱咤され罵倒され、近所の農民達からは馬鹿にされ、領主からは 借金が増えるばかりだ と笑われる。

しかしアルバートは この若馬に ジョーィと名をつけて、心を込めて訓練を始める。親から引き離されたばかりの若馬ジョーィと、孤独な少年アルバートとの間には、やがて友情が芽生え、ジョーィはアルバートの言うことなら何でもわかるようになっていった。ジョーィは 家族の願いを聞き届けるように、農耕作業も懸命にやって、家族を助けた。

時は1914年。第1次世界大戦が始まる。デボンの街からも男達が率先して志願し戦争に出かけて行った。借金に苦しむ父親テッドは 高額で馬を買いたがっている騎馬隊に、ジョーィを売る決意をする。アルバートは 無二の親友ジョーィを取られるくらいなら、自分も騎馬隊に志願して戦地に行きたいと懇願するが、アルバートはまだ兵役に満たない年齢だった。ジョーィとの別れに嘆き悲しむアルバートにむかって、騎馬隊の隊長は 戦争に勝って必ず連れて帰るから、と説得する。アルバートは 父がボーア戦争に行ったときに 優秀な兵士として表彰され受け取った旗をジョーィのクツワにお守りとしてくくりつけて ジョーィを見送った。

しかし しばらくしてアルバートが受け取ったのは 騎馬隊長の描いたジョーィのスケッチ画と、隊長の戦死の知らせだった。すでに、兵役の年齢に達したアルバートは、入隊してジョーィを探そうと決意する。
戦場は過酷な状況だった。英仏とも、戦況は膠着状態で死者が増えるばかりだった。アルバートは 歩兵として突撃要員として、駆り出されて、、、、
というお話。

映画の最初に、上空からイギリスのデボン地方の映像が映される。どこまでも続く緑の豊かな穀倉地帯、放牧も盛んに行われていて、ところどころに農家が点在する。広がりのある 美しい絵葉書のような景観だ。やがて、カメラが地上に下り、牧場を映す。豊かな緑を背景に 走り回る馬の美しさ。馬の出産、赤子が立ち上がり、歩き出し、母親馬のあとを 飛びまわって跳ねる。愛らしい子馬。風を切り勇壮に走る競走馬。馬の筋肉の盛り上がり。細い足で土を蹴る後ろ足の力強さ。走る馬の その姿の美しさは例えようもない。

そんな美しい生き物が戦争に駆り出され、砲弾をかいくぐり 重い大砲を運び、騎馬隊として敵地に飛び込んでいく。
ジョーィが自由を求めて、鉄条網で体中傷だらけになって 重い木の柵を引きずりながら力つきるシーンや、ぬかるみの中を重い大砲を引く労役を強いられて足を折るシーンなど、胸がつぶれる思いだ。第1次大戦の まだ近代兵器が開発される前の戦争の残酷さ。肉弾戦の冷酷無比な様子は、見るのもつらい。
戦場の非情さが淡々と映像化されるが、しかし哀しいシーンばかりではない。フランス片田舎の少女が出てくる。両親を殺され 戦火に脅えながら、おじいさんと暮らしている。自分が見つけた美しい2頭の馬を 軍に取られまいとして 必死に自分の部屋に隠す。それを見守るおじいさんの優しさ。

自分の馬ジョーィを探すために 戦場に行ったアルバートのひたむきさが胸を打つ。戦争場面が残酷だが、デイズニー映画らしい終わり方をして、子供も大人も楽しめる映画に仕上がっている。そして、強い反戦へのメッセージが込められている。

かつて、世界大戦のために、オーストラリアから136000頭の馬が戦場に送られた、と記録されている。そして帰ってきたのは たった一頭だった。現在、戦争記念館には、一頭の生きて帰ってきた馬、サンデイーの像が建っている。なんという おびただしい犠牲だろう。人が始めた戦争のために、人を心から信頼している動物が利用されて残酷な扱いを受けて死ななければならなかった。改めて、動物達を駆り出していった戦争を憎む。

この映画を撮影するために オーストラリアのゴールドコーストから14頭の馬と、ゼリ ブレンという40歳の動物訓練士が海を渡ってハリウッドに行った。彼女は、戦争で犠牲になったオーストラリアの、136000頭の馬を代表して 映画作りを手伝ってきた と言っている。
良い映画だ。

2011年12月22日木曜日

映画「ミッション インポッシブル ゴーストプロトコル」




クリスマス正月休みは、家族や親しい友達と映画でも観て ゆっくりしたいと思う人は多いだろう。そんなときに観る映画は 豪華にたっぷりお金や人手をかけて作られた大型映画に限る。

トム クルーズの新作「ミッション インポッシブル ゴースト プロトコル」は それにうってつけのゴージャスな映画だ。トム クルーズって50になる、おじさんでしょう、1980年代の映画の人じゃない、などと言うなかれ。実はわたしも この人のことはすっかり忘れかけていたが、この映画を観て すっかり見直した。
やっぱりトム クルーズは ハリウッドの中心、メジャーなスターなのでした。たまたま2,3本主役をやって ちょっとの間 持てはやされて消えていく小粒のスターとは ひと味もふた味も違う。
彼は 単なる役者ではなく、主演もプロデュースも行う。普通、映画界では監督は神様のように偉くて、役者をオーデイションで選んだり、テストをして落としたりするが、トム クルーズの場合は自分が監督を選ぶ立場にある。
というわけで、第4作目のミッション インポッシブルは監督ブラッド バードがトム クルーズによって選ばれた。
ピクサー映画の「ミスターインクレデイブル」(2004)と「レミーのおいしいレストラン」(2007)で2度もアカデミー賞長編アニメ賞を受賞した監督。受賞作は二つともデイズニーアニメと違っておもしろかった。「レミーのおいしいレストラン」では、レストラン街に住みついていて、すっかりグルメの舌をもったネズミと おちこぼれシェフとの友情物語で、笑わせてホロリと泣かせもする よく出来た映画だった。

ミッション インポッシブルは 米国極秘スパイ組織IMFのエージェント、イサン ハンド(トム クルーズ)のスパイ映画。前作2つはシドニーで撮影された。ラペローズという美しい岬の近くに16年前は住んでいたが、そこが撮影舞台になって 自分が毎日 車を転がしているところを、トム クルーズが大真面目な顔でバイクで疾走するシーンなど、ちょっと笑ったけれど、興味深かった。シリーズ4作の中で、これが一番良い。
今回の「ゴースト プロトコール」では 一番の悪役、核兵器テロリストを、スウェーデンの高倉健というか、渡辺謙のマイケル ニクビストが 演じた。スウェーデン映画で大人気を得た「ミレニアム ドラゴンタットーの女」、「火と戯れる女」、「眠れる女と狂卓の騎士」3部作で、主役のジャーナリストを演じた人だ。さすがスウェーデン映画を代表する主演男優、ハリウッド映画に出てきても堂々として立派だ。

ストーリーは
ブタペストの刑務所に潜伏、服役していたイサン ハントがIMFの仲間のよって脱獄に成功。次の新しい仕事は クレムリンに潜入して核兵器に関する最新の情報を盗み出して破壊することだった。
3人のチームを組んで、首尾よくクレムリンの情報室に侵入するが、すでに破壊すべき情報は 何物かによって盗まれていて、作戦は失敗。辛うじてチームは追手の逃れてクレムリンから脱出するが、その瞬間、クレムリンが爆破される。おびただしい死傷者が出て、ハント自身も大怪我を負い病院に収容される。IMFは自分達がクレムリンの爆破犯人にされることを恐れて、ハントたちのチームを「ゴーストプロトコール」によって、IMFとは全然関係がないとして、抹消する。ハントたちは 爆破犯人を捕らえて、自分達の容疑を晴らさなければ、生き延びることができなくなった。

ハントはクレムリンを脱出する直前に爆破犯人とすれ違っていた。彼は核兵器テロリストだった。ロシア警察の追手から逃げながら、ハントのチームは真犯人を追って、モスクワ、ドバイ、ムンバイと移動する。次の 核兵器テロリストのターゲット、米国への核弾頭発射を阻止すべく チームは奔走する。
というお話。

ナポレオン ソロが同じテーマソングでテレビシリーズのミッション インポッシブルを放映していた頃から このシリーズの面白さは スパイの使う武器や小道具の数々だった。
ハントがクレムリンに忍び込むときは ロシア軍将校の制服だが、逃げる時は 制服を裏返すと みごとにフードつきのジャンパーに取って代わる。世界一高い ドバイのビルデイングの130階から 外のガラスの壁に手袋だけで吸い付いて、ぶら下がったりするハイテク手袋。走っている車のフロントグラスに、手をかざすと携帯電話から地図が移ってきて、それを見ながら敵を追うことができたり、さびれた街角の壊れた電話器とか、貨物列車が IMFの司令塔だったり、コンタクトレンズを装着すると 変装していても人を見分けることが出来たりする。コンタクトレンズが、コピーマシンになっていて、文書を読むそばから コピーが送られて行くハイテクコンタクトレンズは 意表をついていておもしろかった。

スパイの使う武器や道具類を軽快な音楽と共に、トム クルーズが、息もつかずにものすごい速さで使いこなすところが、見ていてハラハラドキドキ おもしろい。スパイが使う、こうしたハイテクな道具類を 思わせぶりに じっくり見せながらスローテンポでやって見せたら 嫌味なミスタービーンみたいで、ただの喜劇になってしまう。

追われながら、一刻の猶予もないところで トム クルーズがボールペンで 手のひらにササッと 男の似顔絵を描いてみせ「これ 誰だ?」と聞くと、即座にどこそこの核兵器研究所の誰とかで、その人の経歴までスラスラと 仲間のメンバーが答えてくれる。そんなことは、あり得ないと思うが、映画を見ている時は 完全にスパイ映画の興奮とテンポの早さに巻き込まれているから 疑問に思う暇などない。何でも信じてしまう。
トムが100メートル以上ある高さのカーパークから 車ごとしたに飛び降りたり、大怪我をした身でビルから走っているトラックの屋根に飛び降りたり、川に車ごと落ちて銃弾を浴びせられても 長い間息をせずに潜っていられたり、もう、普通の人だったら20回くらい死んでいるところが、しかし、なんと言ってもトム クルーズだ。絶対に死なない。頭脳明晰で強い男も代表。核弾頭もいったん発射されたが、阻止ボタンを押した為、大事に至らずに済んだ。核爆発は防げてもシェルだけでもハドソン河に落ちたのだったら それなりに結構な被害が出ていたはずなのに、これも、何といってもトム クルーズだ。彼が作戦を成功に導いて 被害など、なかったことになってしまう。そしてそれを皆が信じてしまう。大した娯楽作品なのだ。

昔はスパイものというと、悪人はいつもロシアで、正義はアメリカだった。今回、悪い核兵器テロリストというのが、ロシア人でもアメリカ人でもアラビア人でもパキスタン人でもなく、アルカイダでもヒズボラでもない。資本主義の物質至上主義の社会で、欲にかられた大富豪の資金をもとに、個人が仕掛けたテロだった というところが この時代の世相を反映している。

何の役にも立たないのだけど、痛快で面白い。この映画、一見の価値がある。

2011年12月13日火曜日

クロエの誕生日




12月14日は我が家のオールブラック、クロエの6歳の誕生日。
オメデトウ。つやつやした美しい毛並みの 少々肥満気味のクロエが何事もなく、無事に、私どもと共に健康に暮らしてこられたことを感謝して、祝福したい。
クロエは 私が外から帰ってくると、エレベーターからの足音でわかるらしく、必ずドアのところで出迎えるし、夕食後、テレビニュースを見ていると 必ず膝に乗ってきて、ひと眠りするようになった。ここまで、慣れてくれるのに、1年半かかった。
2010年5月9日の日記に クロエが4歳で我が家にやって来たころのことを書いたが、あの頃のクロエとは本当にすっかり変わった。

みなしごだったクロエは 生まれて動物病院のシェルターに預けられて もらってくれる人を待っていたが、近所の子供のある家庭に引き取られた。クリスマス前だったから、子供達へのプレゼントだったのかもしれない。4年間幸せに 暮らしたと思うが、家族は、今度は子犬を飼い始めた。クロエは子犬に猛然と嫉妬して、いじめていじめて、子犬を殺そうとしたらしい。たまりかねた家族は クロエを、もとの動物病院に持ってきて、安楽死させるように依頼した。病院はクロエを殺さず、しばらくシェルターに引き取っていたが いつまでもは預かっていられない。いよいよ安楽死か、というときに、娘がうちに連れてきた。子供のときから、捨て猫や 傷ついた鳩や病気のミミズクや袋鼠を連れてきた娘だ。娘にとっては 当たり前のことだったろう。

こうして、クロエは我が家に来たが、いったん飼い主から捨てられた猫は簡単には慣れてくれない。全然姿を見せない。いつもベッドの下や、押入れの中や 洗濯機の隅など、人の目の届かないところに上手に隠れていて、探してもみつからない。食事に呼んでも、出てこないで、人が寝静まった頃や、出かけている間に出てきて、食べて排泄している。
そんな状態で一週間したころに、突然居なくなった。そして3週間後に、ずっと遠方の動物病院から電話があり、クロエが保護されていることがわかり、引取りに行った。

クロエは10メートル以上の高さの、うちのベランダから下に落ちたのかもしれない。あるいは 小さな猫ならやっと通れるベランダの隙間を通って、となりの家のベランダに居たのかもしれない。隣の家は クロエが居なくなった日に、引越ししていった。誰かがクロエを見つけて 自分の家の連れて帰り 3週間世話していたのだろう。けれど、その家からもクロエは逃げ出して 彷徨っていたところを動物病院の看護婦に保護され、埋め込んであるマイクロチップで私の名と電話番号がわかった ということらしい。

3週間失踪していたにも関わらず、クロエは歩き回った様子もなく、手足も綺麗で柔らかく、毛並みもつやつやして、痩せもしていない。うちに帰ってきて 網が張り巡らされて、ベランダからもう落ちることも 隣に遊びに行くこともできなくなっていることを確認すると、別に嬉しそうな様子も見せずに、サッサとベッドの下にもぐりこんでいた。抱くと咬む。手を伸ばすと引っかく。犬を殺そうとした猫だ。
1年くらいは変な猫だった。徐々に、冷蔵庫を開けると 自分の食事時間だと思うらしく、足元に寄ってくるようになり、それが食事を要求して、ミヤオミヤオなくようになり、ついでに、甘えて体をこすり付けてくるようになった。

このごろでは のびのびと横で体を伸ばし、おなかを出して眠っている。やっと この家が自分の家だと思えるようになったのだろう。
前、飼っていた猫、オスカーは17歳で死んだ。とすると、6歳のクロエのために、あと10年は、わたしが健康でいなければならない計算になる。それじゃ おちおち病気できないな。

2011年12月6日火曜日

2011年に読んだ漫画ベストテン




今年一年の間に読んだ漫画のベストテンをあげてみる。

1位:「リアル」 井上雄彦 1-11巻継続中 集英社
2位:「聖おにいさん」中村光 1-7巻継続中 講談社
3位:「宇宙兄弟」小山宙哉 1-15巻継続中 講談社
4位:「テルマエロマエ」 ヤマザキマリ1-3巻継続中エンターブレイン
5位:「バッテリー」 柚庭千景 1-7巻 角川書店
6位:「3月のライオン」 羽海野チカ 1-6巻継続中 白泉社
7位:「神の雫」 オキモトシュウ 亜樹直原作継続中 講談社
8位:「一瞬の風になれ」 佐藤多佳子 安田剛士1-6巻完結
9位:「ちはやふる」末次由紀 1-14巻継続中  講談社
10位:「花男」 松本大洋 1-3巻完結 小学館

1位「リアル」
戸川清春、骨肉腫で片足を失った 車椅子バスケットボールチームのエース。野宮朋美、高校時代にバスケットボールのポイントガードで鳴らしたが、中退、挫折していたところを戸川清春に啓発されて、プロの選手のトライアウトに挑戦している。高橋久信、野宮と同じ高校のバスケ出身、キャプテンになって間もなく自動車事故に遭い、脊椎損傷し一生歩けないから体に。リハビリで車椅子バスケに運命的な出会いをする。
3人が3様とも障害や負を背負い、厳しい状況のなかで、生きる心の糧を求めている。3様のリアルな生き方に心から 深い共感を憶える。とても熱い。井上雄彦の描く世界は どうしていつもこんなに感動的で、泣けてくるのだろう。「スラムダンク」から 彼の作品には目が離せない。それにしても このまま「バガボンド」は、未完の名作になってしまうのだろうか。

2位「聖おにいさん」
立川の松田ハイツに住む「目覚めたブッダ」と「神の子イエス」の「最聖コンビ」が現実の日本社会のなかで引き起こす、日々の様子が描かれる。何度読み直しても、ページをめくるごとに笑える。
シッダルタの一番弟子アーナンダ、息子のラーフラ、愛馬カンタカ、梵天、阿修羅、千手観音、天使ガブリエル、ラファエル、ウリエル、ミカエル、ルシファー、ペトロ、ユダ、サタンなどなど、出場者が多くなってきて、ますます笑いが冴える。

3位「宇宙兄弟」
ムッタとヒビトの兄弟は ふたりとも宇宙飛行士。ムッタは月をめざし努力の毎日、弟のヒビトは すでに月面に立ったが、事故の後遺症に苦しんでいる。彼らを支える人々、仲間との友情、兄弟にしかわからない本当の気持ち、、、みな一生懸命だ。

4位「テルマエロマエ」
古代ローマ時代の風呂設計技師、ルシウスが 湯のなかでタイムスリップして「平たい顔族」:日本の湯にやってくる。真面目なルシウスが 日本のおっとりゆったりした湯の世界で 驚いたり感動したりしながら体験した結果を ローマにもどって生かしていく。山間の温泉、下町の風呂屋、家庭風呂、、、案外ローマに共通する風呂文化をとりまく人々が ゆるくておかしい。

5位「バッテリー」
児童文学作家あさのあつこの小説を漫画家した作品。一人のたぐいまれな才能を持ったピッチャー、原田巧は自己中心で周りの人々を傷つけ、一人反逆して苦しんでいる。そんな彼が 自分のキャッチャーをやるために生まれてきたような永倉豪に出会うことによって 成長していく物語。二人はまだ、中学生だ。みなが一生懸命すぎて ヒリヒリと痛い。読み終わって感動の波が 徐々に押し寄せてきて、圧倒される。

6位「3月のライオン」
不幸な環境に生まれて育った高校生が たったひとりで将棋の世界で生きる活路を見出していく。将棋という孤独な勝負に 立ち向かう少年の姿に心打たれる。

7位「神の雫」
ワイン評論家でコレクターでもあった神咲豊多香の息子、神咲雫と 養子の遠峰一青が、父の死後、遺産であるワインと屋敷を争って ワインの銘柄を当てるレースを開始する。ワインの味覚を表現するところが興味深い。森の奥深く静かに佇む湖のよう、とか、荘厳なオーケストラの奏でる和音とか、麦藁帽子を被った少女とか、、。絵が美しい。いくつかのワインを実際に味わってみてみたら、どれも、ただのフルーテイなワインとしか思えなかったけど。

8位「一瞬の風になれ」
安田剛士の描くスポーツ漫画が好きだ。全17巻の「オーバードライブ」では 自転車競技の醍醐味を見せてくれた。今回は短距離走者、スプリンターのお話。優秀なサッカー選手の兄と比べられて、落ちこぼれのレッテルをもらった弟、神谷新二が 親友一之瀬連と一緒に走るおもしろさに目覚めていく。一人で走り一人で勝つことより リレーでチーム全体で走り、仲間達と勝ち抜くことの方が ずっとおもしろい。自己中心だった少年が 仲間意識に目覚め、陸上部の部長になって、チーム全体を統率できる能力を身に着けるまでに成長するまでの成長記録。さわやかで、力強い。勇気が出てくる。

9位「ちはやふる」
かるたで日本一になることは 世界一のチャンピオンになることだ。と心に決めて初恋の人の背中を見つめながら成長していく千早と 太一と新の3人の物語。小学生だった3人が かるたでつながりながら もう高校生になった。全国高校かるた選手権の様子や、かるたで燃える人々の姿が興味深い。

10位「花男」
邪気のない 子供のような愛すべき野球馬鹿な男の話。世間からすっかり浮いている 役立たずの父親を そっと支える妻や 反抗しながらも心ではつながっている息子の3人が かもし出すハーモニーが何ともいえない。松本大洋の絵も、彼の世界も好きだ。

2011年12月4日日曜日

2011年に観た映画ベストテン




2011年も終わりに近付いてきたので 今年一年に 自分が観た映画のベストテンを書いてみる。今年の6月に、上半期に観た映画のベストテンを書き抜いてみたが その時点から余り変わらない結果になった。後半期に 良い映画にめぐり合えなかった。良いといわれる映画はアカデミー賞をねらって、映画会社が1月前後に集中して 公開するようになったからかもしれない。

映画作りのテクニックが進んで、CGを駆使して臨場感あふれるロボット合戦も、何千人もの戦闘場面も、人が飛んだり空を蹴って走ったりするシーンも簡単に作れるようになってきたが、「アバター」で開発されたモーションキャプチャーのテクニックが さらに進化して動物の動きが より自然の動物そっくりに映像化できるようになった。代表的な作品が「猿の惑星 創世記 ジェネシス」で、これは素晴らしい、革命的なテクニックだ。

また、ハイビジョンフイルムで ライブのオペラが 映画館の大画面で観られるようになったことは 嬉しいことだ。ニューヨークやロンドンに飛んで、一流の歌手が歌うオペラの高価なチケットを買って、正装して観に行かなければ見られなかったオペラが 映画館でポップコーンとコーク片手に観られることの嬉しさは例えようがない。過去10年 オーストラリアオペラの定期公演を いくつか観るために 毎年千ドルを費やしてきた。換気の悪いオペラハウスに行くたびに風邪をひいたり、階段の多いオペラハウスで オットが喘息発作を起こしたり、行き帰りの夜の運転でハラハラしたりしてきた。もうオペラハウスには、昼間の公演があるときだけしか 行かないかもしれない。

2010年に観た映画のベストテンは、「終着駅トルストイ死の謎」、「剣岳 点の記」、「アバター」、「インセプション」、「シャッターアイランド」、「ゴーストライター」、「ソーシャルネットワーク」、「リミット」、「インヴィクタス 負けざる者たち」、「ドン ジョバンニ」の10本だった。
今年の10本は、以下の通り。

1位:「英国王のスピーチ」  1月23日に映画評を書いている。
2位:「ザ ファイター」   1月25日
3位:「127時間」     2月24日
4位:「ヒア アフター」   2月15日
5位:「作者不詳 シェイクスピアの匿名作家」11月22日
6位:「オレンジとサンシャイン」6月14日
7位:「ノルウェイの森」   6月27日
8位:「鉄コン筋クリート」
9位:「ドライヴ」      11月14日
10位:「ミッション8ミニッツ」5月11日

1位「英国王のスピーチ」
吃音障害をもった英国キングジョージ5世が 失敗を重ねながらも、スピーチセラピストの力を借り、立派な演説ができる様になるまでの過程を描いた作品。主演のコリン ファースがアカデミー主演男優賞、脚本家が脚本賞を取った。コリン ファースが良かったが それを引き立てたジェフリー ラッシュも演技では秀逸。20年以上 脚本をあたため続けてきた脚本家のスクリプトがよく出来ている。作品として とても完成度の高い映画だ。

2位「ザ ファイター」
元ボクシングチャンピオンだったが 今は麻薬中毒で飲んだくれの兄が 弟のコーチとして弟を成功させることで 弟も自分も救っていく というお話。なんと言ってもクリスチャン べイルのように 捨て身とも言える役者根性で 役になりきる役者を他に知らない。アカデミー助演男優賞を取ったが 彼の演技はアカデミーなどという商業主義的なスケールを とっくに超えている。立派な役者だ。

3位「127時間」
単独登山中に落石に手を挟まれて、身動きが出来なくなり、自ら腕を切り落として生還してきた登山家 アーロン ラストンを描いた作品。ジェームス フランコの 画面から飛び出しそうな元気な若々しさと、ロックンな音楽とが合って、とても良かった。青い空と赤い岩山のユタの自然の美しさに目を瞠った。

4位「ヒア アフター」
大切な人に死なれたり、死に直面した人が どう生に立ち向かって生きて行ったらよいのか3人3様の 心の傷と心の再生が描かれている。クリント イーストウッドの計算しつくした作品作りと、マット デーモンの誠実な人柄を表す演技がマッチして 忘れられない作品になった。

5位「作者不詳 シェークスピアの匿名作家」
シェイクスピアの名で 沢山の戯曲や詩を書き残した作家が 実はエドワード デ べラ伯爵ではないか という推測に立って シェイクスピアの一生を描いた作品。エリザベス1世と秘書官セシルとべラの関係など、歴史的に実に興味深い。また、バネッサ レッドグレープ演じるエリザベスと ライズ イファンのべラが素晴らしかった。

6位「オレンジとサンシャイン」
両国の合意によって 戦前から1970年代に至るまで、13万人もの イギリス人の孤児や親に見捨てられた子供達が オーストラリアに船で移民させられて、教会施設や孤児院で強制労働を強いられたり 性奴隷として虐待されてきた。恥ずべき両国の歴史を明るみに出した力作。犠牲者の現在までの姿をドラマにした作品だが、映画が始まってから終わるまで、見ている人々のむせび泣く声と泣きじゃくる声が絶える事がなかった。映画ばかりでなく、それを観ていた人々の姿も忘れられない。

7位「ノルウェイの森」
村上春樹の小説を ベトナム出身アメリカ人のトラン アン ユン監督が映画化した。高校時代に自殺してしまったキズキと恋人と僕。生と死と、残された者の心の再生が、美しい詩的な映像で語られる。原作のイメージに、とても近い。映像がポエテイックで美しく、音楽も良かった。

8位「鉄コン筋クリート」
漫画家 松本大洋の漫画を 英国のマイケル アリアス監督がアニメーションで映像化した。漫画を読んでいて イメージしたものと ほぼ同じ映像ができていて、兄(クロ)と弟(シロ)との会話がとても自然で良かった。この人の漫画が 大好きだ。

9位「ドライヴ」
ハリウッドのスタントマンが ドライバーとしての腕を買われて強盗の逃走を助けて金を稼いだりしている。ニヒルで何の希望もない孤独な男が シングルマザーと出合って恋をする。ライアン ゴスリングが とても味のある男を演じていて良い。ハッピーエンドにならないところが良い。

10位「ミッション8ミニッツ」
人の脳は死亡する直前8分間の記憶が 死後もしばらく残っている。その8分間に別人の脳がトリップして入り込むと その人の8分間を体験することができる。8分間のうちに爆弾を仕掛けた犯人がわかれば 事前にテロによる大量殺人を食い止めることが出来る。アフガニスタンで脳死状態になったパイロットが何度も何度も8分間のトリップに駆り出されて 犯人探しをさせられるというストーリー。ジェイク ギンホールが好演。手足を失い戦死したはずの軍人が 軍の実験のために死ぬことさえ許されないで 利用される。残酷で 優れた反戦映画になっている。
以上の10作品だ。

2011年11月30日水曜日

ロイヤルオペラ 「アドリアナ ルクブルール」



ロイヤルオペラ 「アドリアナ ルクブルール」のハイデフィニションフイルムを映画館で観た。
http://www.roh.org.uk/whatson/production.aspx?pid=13793&claim_session=1

1902年 フランシスコ チレーナ作曲
イタリア語 4幕 2時間30分
初演:1902年 ミラノ テアトロリリコ

アドリアナ ルクブルール :アンジェラ ゲオルギュー(ソプラノ)
マウリッオ        :ヨナス カーフマン (テナー)
公爵夫人         :オルガ ボロデイナ  (メゾソプラノ)
侯爵           :デヴィッド ソール (バス)

ストーリーは
ルイ14世統治時代のパリの社交界。
実在したコメデイーフランセーズの花形女優アドリアーナ ルクブルールと 公爵夫人が 同時に愛したザクセン伯爵との間に起った、ラブ トライアングルを基にして作られたオペラ。
女優のアドリアナ(アンジェラ ゲオルギュー)は 若き伯爵マウりッオ(ヨナス カーフマン)と愛し合っていて いつか結婚できる日を待ちわびている。一方、ミショネ舞台監督は、アドリアナを娘のように女優になった今までの彼女を育ててきたが、実は愛していて いつか胸の内を伝えたいと思っている。しかしそれは かなわない片思いだ。
ブイヨン侯爵は コメデイフランセーズのパトロンで、女優を愛人に持っている。妻との間はすっかり冷め切っている。
マウリッオは 長いこと公爵夫人と愛人関係にあったが、女優アドリアナと出会ってからは 何とか 公爵夫人と別れたいと思っている。しかし、自分の政治的立場から 侯爵夫人を怒らせると 謀反人として逮捕される可能性があるため、夫人を邪険にすることができない。

ある夜、ブイヨン侯爵の別荘で マウリッオと公爵夫人が逢引しているところを 突然、夫の侯爵が帰宅した。マウリッオは あわてて夫人を小部屋に隠す。そこに、女優のアドリアナまで 夕食に招待されて やって来た。偶然にマウリッオに会えて、アドリアナは驚き、喜ぶ。しかし、マウリッオは、アドリアナに 小部屋に隠れている女を逃がしてやってくれ と頼みこむ。夫人が隠れていた暗闇の小部屋のなかで、アドリアナと夫人は初めて出会う。そこで、二人は互いに恋敵であることを知ってしまう。自分だけがマウツオに愛されていると信じてきた二人は、互いに気が狂わんばかりに、嫉妬する。

後日 ブイヨン侯爵家のパーテイーで アドリアナは再び夫人に会う。楽しいパーティーの出し物のあと、夫人から余興を求められたアドリアナは 夫人へのあてつけから 夫を裏切って浮気をする淫らな女のせりふを 舞台で熱演して 夫人を侮辱する。
その数日後、アドリアナのもとにマウリッオから贈物が届いた。喜々として開けた その箱の中にあったのは 以前アドリアナがマウリッオにあげたスミレの花束だった。スミレは色を失い、すっかり枯れていた。アドリアナは驚き悲しむ。悲嘆にくれる彼女を慰めようと 舞台監督や陽気な役者仲間が来て、つかの間の楽しい時を過ごしている時に、マウリッオがやってくる。公爵夫人と別れてきたところだ と言い、彼はアドリア名に求婚する。夢にまで見た求婚、、。
しかし、アドリアナは「いいえ、私は結婚しない。役者として演技に生きるの。」といって断る。そうしているうちに、アドリアナの意識が混濁してきた。公爵夫人から贈られた枯れたスミレには 毒が仕込まれていたのだった。アドリアナはマウリッオの腕のなかで 息絶える。
というおはなし。

第一幕のアドリアナのアリアは マリア カラスが最も愛したアリアだ。カラスのCDを買うと 必ずこの曲が入っている。「わたしは舞台女優なの。芸術の神のしもべです。」という とても堂々とした素晴らしい曲だ。カラスの突き抜けるような 激しい強靭さはないが、ルーマニア出身の個性派、アンジェラ ゲオルギューが歌うと 優雅で鞭のようにしなやかなアリアで 聴いているだけで胸がいっぱいになってくる。
ミッショネ舞台監督の 片思いもせつない。
ミッショネに対するときは、アンジェラは 子供のような表情と幼女のようなあどけない仕草を見せるが、マウリッオを相手にしている時には 炎のように燃える女に変わる。その変化がみごとだ。役者としてもソプラノ歌手としても超一流ということだろう。素晴らしい。

そして、カーフマン。日本でも一番の人気。今や世界でトップのスターテナー歌手だ。ハンサムで背が高く、姿良し、歌良し、芝居良し、何でも100点満点の歌手。豊かな声量は プラセタ ドミンゴを上回るほどだ。
彼のオペラを観るのは2度目。初めは、ニューヨークメトロポリタンオペラのニーベルングの指環から、「ワルキューレ」で、ジークムントを演じた。歌うだけでなく 演技の冴えに目を瞠った。高音が気持ちよく伸びて あふれるほどの声量で歌い上げる。まったく ただものではない。今回のロイヤルぺラでも、自己保身のために昔の女を捨てることができず、優柔不断な色男の難しい役を 実に リアルに演じていた。
オペラみたいな愛に身を任せてみたいとか、オペラのような恋をしたい という言い方があるが、文字通り舞台の上のカーフマンのように激しく求愛されてみたい と誰もが思うことだろう。

チレアのオペラは 初めて観たが、筋が単純で曲がすべて美しい。アドリアナが求婚を断るところが良い。愛してきて求婚されることを望んできたのに 相手の不実を知って、優柔不断な姿を見てしまったあとでは、謝られても求められても 簡単には受けない女性としての誇りがある。女には純真な思いを傷つけられ、男には悪かったという心の負債があるから、どうあがいても 関係はもとには戻れない。愛した男に求婚されてNONと言える 自立した誇り高い女がここに居る。
チレアのオペラが素晴らしく、歌手たちも申し分なく すばらしい。とても満足した。

2011年11月22日火曜日

映画「作者不詳:シェイクスピアの匿名作家」


映画「ANONYMOUS」を観た。邦題がどうなるか まだわからないので 仮に「シェイクスピアの匿名作家」、または「作者不詳」、「筆者不明」などという仮題にしておく。
http://www.imdb.com/title/tt1521197/

シェイクスピアが謎の人物であることは周知の事実だ。
ウィリアム シェイクスピアは、英文学の最高峰、英国を代表する劇作家で詩人。
記録によると、1564年に生まれて1616年に亡くなったことになっている。出身はイングランド地方ストラトフィールド アポン エイボン。父は町長に選出されたこともある皮手袋商人、母は裕福な家庭出身で、3番目の子供として生まれ、ストラトフィールドにグラマースクールで学んだ。
その後、高等教育を受けたかどうか、全くわかっていない。18歳で26歳の女性と結婚したあと どんな職業についていたか、など何の記録もない。28歳くらいでロンドンに姿を現し 劇場で役者として演じたり、脚本を書くようになった記録がある。

この16世紀という時代には一握りの人間しか物を書くことが出来なかった。田舎で生まれ育ち、結婚し、高等教育を受けたかどうかわからない人間が 人間への観察と人生に深い洞察をもった膨大な量の文学作品を書くことが出来るだろうか。ヨーロッパ各地の気候や風土にも詳しく、外国を舞台に悲劇や喜劇を書き残し、舞台でも成功させた。仮に天才だったにせよ、たった一人でできる仕事量だったろうか。シェイクスピアは生前、自作の信頼できる出版を ひとつとして刊行しなかった。シェイクスピアは、本当に数々の作品を書き残した人物と 同じ人物だろうか。

この問いの一つの答えを映画監督、ローランド エメリッチが映画で描いてくれた。
エリザベス一世の時代。スコットランド、イングランド、アイルランド全土を エリザベス女王が治めていて、政治的に安定していた時期だ。エリザベスは芸術を愛し、詩や物語を愛したが とりわけ劇に興味を持っていた。ロンドンではエリザベス朝演劇の興隆にともなって劇場活動が盛んになった。オックスフォードの最も古い歴史を持つ貴族、エドワード デ べラ(伯爵1550-1604)は 幼い時から自分で脚本を書いて芝居を作る才能に恵まれていたことから エリザベスは 彼を子供のときから寵愛した。そして親が亡くなると、エドワード デ べラはエリザベスの宮廷に迎え入れられ、秘書官のウィリアム セシルによって、ラテン語、フランス語、ダンス、乗馬、射撃などのスポーツにいたるまで王室教育を受け 世界各国を旅行し軍隊経験もして育った。美しい少年から立派な青年に成長したエドワードが 文学だけでなく武道にもスポーツにも才能をみせるに伴い エリザベスは 彼をはるかに年下でありながら 男として愛情を持つに至る。

エリザベス女王の秘書官として政権を補佐をしてきたウィリアム セシルはエリザベスの義母の結婚相手でもあったが 詩や文学を学問の中では一番卑俗なものととらえ、エドワードの文学的才能を嫌っていた。セシルはエリザベスが子供のときから その教育係であったが、エリザベスが政権を継いでからは 政務全てにわたる補佐官として絶大な影響力をもち、息子ロバート セシルにも同じようにエリザベスに仕えさせていた。ロバート セシルは脊椎湾曲症の障害を持っていて、エリザベスの秘書官として終生を忠実に仕えている。

エリザベスとエドワードとの熱愛関係が 目に余るようになると、セシル父子は 政治的な計略を仕掛けて エドワードを謀反人として隔離し、女王から遠ざける。しかし、実はエリザベスは エドワードの子供を妊娠していて、秘密裏に男子を出産していたのだった。
エドワードは セシルの計略どおりに セシルの娘と結婚を強いられ、セシルの屋敷に住むことを強要される。愛人を奪われ、望みを失い、エドワードはセシルの屋敷で、書斎に篭ってばかりいる生活を送るようになった。

一方、街では演劇が盛んで 劇場が次々と出来て、市民も貴族もみな芝居を楽しんでいた。ベン ジョンソンという劇作家が 芝居の中で政治批判をした罪で逮捕された。罰を受ける寸手のところで エドワード デ べラが救いの手を差し出す。ベン ジョンソンを自分の書斎に招いて、エドワードは自分が書いた戯曲を ベンの名前で発表して上演して欲しいと頼み込む。セシルも妻も エドワードが戯曲を書くことを 禁じていたが、エドワードは書くことを止めることが出来なかったのだった。渡された芝居はどれも上演されて 市民の間で大好評だった。エドワードも芝居を見に来て、自分が書いて 演じられている芝居を観て楽しんでいた。以来、べンは定期的に エドワードの屋敷に行き、脚本を受け取り、それを上演するようになっていた。

劇場でシェイクスピアの名が もてはやされるようになって、観客達はシェイクスピアを見たがった。そこで大人気を良いことに 俳優の一人が自分がウィリアム シェイクスピアだと名乗りを上げた。この役者は ろくに文字も書けない男だった。これにはエドワードもベンも驚いたが シェイクスピアがこの役者と結びついて 人々の人気者になっていくことをとめることはできなかった。

エッセックスのリチャード デべラクス伯爵が セシルの命令によって謀反人として逮捕された。そのとき、一緒に逮捕された伯爵の親友が じつはエドワードとエリザベス女王との間に生まれて 密かに育てられていた息子だった とセシルから知らされて、エドワードは慟哭する。すぐに、エリザベス女王に膝をついて、息子の恩赦を乞う。女王は怒り狂う。しかし女王は、エドワードとの愛情の結晶だった息子に 恩赦を与える。そのかわり、エドワードの名を消し去るように、どんな記録からも消して、追放する と宣言する。

エドワードと息子とは 初めて出会い 親子として、しっかり抱きあう。
こうしてエドワードは 晩年、宮殿を追われ、貧しい暮らしの中で執筆を続け、死んでいった。死の直前、ベン ジョンソンが呼ばれ すべての著作がベンに手渡される。セシルはエドワードが書いたものをすべて葬り去ろうと火を放つが、ベンの機転で、著作の数々は守られ 後世に伝えられていく。
というおはなし。

2011年 トロント国際映画祭の開会式で初めて上映された新作映画。
1550年から1604年までのロンドンを背景に、VFX CGテクニックを使って シェイクスピアの謎に迫ったフィクションミステリーだ。
シェイクスピアは 数々の作品を書いた人物ではなく、実際の作者はオックスフォードのエドワード デ べラ伯爵ではないか、という説は 昔から根強くあった。この伯爵が 文芸にすぐれた知識人で、エリザベスと親しく、宮廷で音楽会や芝居を催して 女王や貴族達を喜ばせたことは事実とされていて、謎の多い人物でもある。たしかにシェイクスピアの作品をみれば エドワード伯爵のように、特別な英才教育を受け、ヨーロッパ各地を自由に旅行するだけの資格と資金を持った人間でないと書けなかっただろうと思われる。

「ヘンリー4世」、「リチャード3世」、「ヴェニスの商人」、「ロメオとジュリエット」、「リア王」、「ジュリアス シーザー」、「アントニオとクレオパトラ」、「真夏の夜の夢」、「マクベス」、「お気に召すまま」、「じゃじゃうまならし」、「テンペスト」などなど。美しいソネットの数々、、、。
多様で、膨大な著作の数々。シェイクスピアが誰なのか、、、一人ではなく、複数の作者が居るのではないか、エドワードではないか、フランシス ベーコンか、クリストファー マーロウかも知れない、、、いまはもう誰にもわからない。
しかし、彼の作品が ほかの誰にも書けなかった 素晴らしいものであることは、誰にも否定できない。

バネッサ レッドグレープが演じる、エリザベス女王がすごい迫力だ。いまだに健在でうれしい。
エドワード デ べラを演じた ライ インファンズと、若い頃のエドワードのジェイミー キャンベルが とても魅力的。素晴らしい演技をみせてくれた。
エリザベス一世の時代、セシルとの関係など、また諸外国との関係など、いろいろ出てきて、英国史のおさらいで勉強になる。当時の豪華な衣装や 儀式などの時代背景や ロンドンの市民の姿なども とてもよくわかって興味深い。
とても良い映画だ。

2011年11月18日金曜日

ピカソ展ーパリピカソ美術館から




パブロ ピカソは生前 何度も結婚したり 愛人をたくさん持ったが、愛人のフランソワーズ ジローに、こう言ったそうだ。「女というものは苦痛ばかりを作り出す機械のようなものだ。自分にとっては女は二種類しかいない。女神か、あるいはドアマットだ。」
また、ピカソは どうして子供のような絵を描くのか、と問われて「私が子供のときはラファエロのような絵を描く事が出来た。しかし一生と言ってよいほどの時間をかけて、やっと子供のような絵が描けるようになったのだよ。」と。
たくさんのピカソの言葉が残っている。しかし、私が一番好きな 彼の言葉は、この言葉だ。「明日 描く絵が一番 素晴らしい。」疑いようのない自信と楽天性に満ち溢れている。なんて 素敵な言葉だろう。

パリ国立ピカソ美術館から、150点のピカソの作品が海を越えて、シドニーにやってきた。NSW州アートギャラリーで 11月12日から来年3月25日まで展示される。入場料$25、学生と60歳以上は、$18。
パリのピカソ美術館は 1973年に ピカソが死んだ後 遺族が遺産相続税を支払う代わりにフランス政府に寄付された作品を収容、一般公開するために開設された美術館だ。200点余りの絵画、彫刻、3000点のデッサン、88点の陶器を所蔵している。今回は この中から、150点の絵画とブロンズが シドニーにやってきた。
さっそく行って見た。
ピカソが描いた年代順に 10の部屋に分かれている。

第1室
1895-1905:「青の時代」
スペインからパリへ。
ピカソは 幼いときから美術教師だった父親から、絵画の才能を見出されていた。13歳で描いたデッサンなど、とてもその年齢の子供が描いたものとは思えない熟達した筆だ。19歳でパリに行き、印象派後期の画家達と交流し、多くのものを学ぶ。この頃は、暗いブルーとグレーを背景に、乞食、売春婦、ホームレスなど 社会から疎外された人々を描く。1904年になってモンマルトルに居を構え、ヘンリー マチス、アンドレ デライン、ガートルード ステインなどと親交を結び 赤の時代を迎える。
ここで、本物の「セレステイーナ」1904の絵をを初めて観た。青の時代の代表作だ。子供の頃 父の書斎で画集を見ていて、この暗い暗い、片目の怖い顔の中年女性の絵を見てしまって、恐怖に慄いて その夜はうなされたことを思い出した。ほかには、インクによるエッチングで、「断頭台の処刑人」1901などが印象的だった。

第2室
1906-1909:「赤の時代」
この頃描かれた「アビヨンの娘達」1907は、ニューヨーク近代美術館所蔵なので 今回は観られないが、アバンギャルドの先がけとなりピカソの赤の時代の代表作となる。「自画像」1906を観ることができた。白の壁に ほとんど白と言って良い肌色の自分の姿だ。「木の下の3人」1907が とても印象的だった。

第3室
1910-1915:「キュービズム」
最も尊敬していたに、セザンヌの死後、ピカソはジョージ ブラックと親交を結び、実験的にブロックを積み重ねたような抽象画に、鮮やかな色彩を塗り重ねる 彼独特のキュービズムの世界を切り開く。キャンバスを切り刻み 木を貼り付け、鉄の断片をキャンバスに取り付ける。実物を見てみたかった「ギターを持った男」1911を 観ることが出来た。

第4室
1916-1924:「古典主義への回帰」
第1世界大戦を前後して ローマやポンペイを旅行した影響もあって、古典主義にもどり、独自のシュールリアリズムと 古典とを融合させていく。またジャン コクトーと親交をもち、一緒にバレエの演出や衣装に参加する。その縁で、ロシア貴族出身のバレリーナだったオルガ コクローバと結婚。裕福なオルガは ピカソをパリの上流階級の人々に紹介し、ピカソの世界を広げることに力を貸した。「オルガのポートレイト」1918を 観ることが出来た。
「すわる女」1920、「村のダンス」1922など、太い手足、大きな指、柔らかな体の線、暖かい血が通った男女達の姿、、、。
このころのピカソの絵が一番好きだ。中でも 「海辺を走るふたりのおんな」1922が、際立っている。海の鮮やかなブルーが他の作品にない美しさで、海辺を走る女達の純真さと 歓びを全身で表しながら走る姿がなんとも言えない、魅力のある作品だ。この絵を見るために、この展覧会に行ったようなものなのに、思ったよりも小さくて、もう少しのところで見落とすところだった。あぶないあぶない。

第5室
1925-1935:シュール リアリズム
この時期になると 人は人の形をしていない。より抽象的になり より実験的な作品が増えてくる。
「女の頭」1931、という題の大きなブロンズが 5つほど並んでいた。どれも丸みを帯びて 優しく、ブロンズなのに柔らかさが感じられる。デフォルメされた女、ブロンズの「石を投げる女」1931も良い。「赤い椅子にすわる女」1932、「キス」1925、「本を読む人」1932、「休む裸婦」1932、「パレットとイーゼルを持つ画家」1932も 好きだ。

第6室
1936-1939:「愛と戦争」
スペイン市民戦争の勃発によって「ゲルニカ」1937 を製作し始め、写真家ドラ マールと同棲を始める。彼女は、ゲルニカが出来上がるまでのピカソの姿をフイルムで記録する。
「ドラ マールの肖像画」1937は、ロボットのような女の横顔と正面の見た顔とを張り付けたような絵だ。「泣いている女」1937、「父の妻」1938、「青い帽子の女」1939、が印象的だった。

第7室
1949-1951
1949年にナチスがパリを侵略、占領していた間 ピカソの多くの友人達はパリを離れたが フランコ政権のスペインを捨ててきたピカソはそのままパリに留まり製作を続ける。多くの作家達、芸術家達が 志願して戦ったスペイン市民戦争にも、ピカソは志願しなかった。自分を共産党員だといいながら、何一つ政治的な動きに関与していない。
巨大な作品「韓国の大虐殺」1951は、無防備な女子供達が完全装備の武器を持った男達に蹂躙されている作品だ。このころのピカソはアメリカで高く評価され、21歳の画学生 フランソワーズ ジローと出会い、二人の間にクラウド(1947)とパロマ(1949)の二人の子供をもつ。

第8、9室
1952-1959:「生の歓び」
ピカソは ジャクリーヌ ロークに出会い 二人して南仏に移る。「腕を組むジャクリーヌ」1954は 鮮やかな色彩で 人生を謳歌しているようだ。また、巨大な白と黒だけで描いた「枕を持った女」1969が印象的だ。「やぎ」1969という実物大のやぎのブロンズも美しい。

第10室
1961-1971:「晩年期」
最後のころのピカソは 現代美術の先駆者として描き続ける。「わたしは呼吸するのと同じに描いている。」と言っているが、彼にとって、描くことは 息をするのと同じに自然なことだった。1973年4月 91歳で亡くなるまで製作を止めなかった。最後の日、ジャクリーヌは 親しい友人達を晩餐に呼び、皆で彼を見送った。最後の言葉は、「僕のために飲んでくれ、僕の健康のために飲んでくれ。僕はもう飲めないよ。」

今回の展示では、総じて、絵画も良いが ブロンズがたくさん来ていて、それらがとても良かった。その重量感、存在感の確かさに圧倒される。
一度に150のピカソの作品を観られる機会は、一生にそう何度もないだろう。4ヶ月もの間 シドニーで展示してくれるのは ありがたいとしか言いようがない。
展示が終了する3月まで、何度か また足を運んで見ることになると思う。行くたびに きっと新しい発見があることだろう。

写真は
「海辺を走る二人の女」1922
「本を読む人」1932
「韓国の大虐殺」1951

2011年11月14日月曜日

映画 「ドライブ」



監督:ニコラス ウィンデイング レフィン
キャスト
ドライバー  :ライアン ゴスリング
アイリーン  :カーレー ムリガン
雇い主シャノン:ブライアン クラストン
アイリンの夫 :オスカー アイザック
バーニーローズ:アルバート ブロックス
二ノ     :ロン パールマン

http://www.imdb.com/title/tt0780504/
ストーリー
カルフォルニア。名もない映画のスタントマン(ライアン ゴスリング)は 運転にかけては誰にも負けない。プロのレーサー並みの速さでスポーツカーを乗りこなし スタンドマンとして、どんな危険な運転でも怪我一つせずに 冷静にやってのける。その腕を買われて 時には強盗や犯罪者の逃亡を助けて そのアガリを受け取ったりもする。どこの誰なのか、何をしてきた男なのか、彼の素性については誰も知らない。ある日 ふらりと自動車修理工場シャノン(ブライアン クラストン)の店にやってきて、修理の腕前を見込まれて、そのまま働くようになった。いつも無表情で 極端に口数が少ない。しかし、よく働いて、まじめな男として、シャノンとの信頼関係はしっかり築かれていた。

ある日 このスタントマンは 自分のアパートに引っ越してきた 子連れの若いシングルマザー(カーレー ムリガン)に目を留める。数日後 彼女が路上で 車をオーバーヒートさせて困っていたところを助けたことが契機で 母子と親しくなる。5歳の男の子は 運転が上手で、もの静かな このスタントマンのことを大好きになる。スタントマンは男の子に請われるまま運転してやったり 遊んでやるようになっていく。
しかし、アイリーンの夫(オスカー アイザック)が 刑務所から刑期を終えて 帰ってくる。帰ってきた夫を見ても 若い妻の心はすでにスタントマンに移っていて、妻はもとの夫に 自分の心をもどすことができない。

夫の存在ゆえに、スタントマンもアイリーンも互いの気持ちを伝えることが出来なくて、苦しむ。そんなある日、アイリーンの夫が 襲われて半死状態に遭った。襲ったのは、スタントマンに 強盗や犯罪人の逃亡を助ける仕事をいつも依頼してくるイタリアマフィアたちだ。話を聞いてみると、アイリーンの夫は イタリアギャングに利用されて 他人の代わりに刑務所に入って代償金をもらっていた。アイリーンは何も知らない。

スタントマンはまた 質屋に強盗に入った犯人の逃亡を助ける仕事を依頼される。今回の強盗は、アイリーンの夫と ブランコという名の女性の二人だ。スタントマンは二人の強盗が金を持って出てくるのを店の前で待っている。女が奪った大金の入ったバッグを持って 車に乗り込む。次いでアイリーンの夫が質屋から出てきたところで、予想外のことが起る。彼はあっけなく撃ち殺され、それと同時に他の車がスタントマンたちの車を追ってきたのだ。逃げ切って スタントマンは金の入ったバッグを信頼できる 雇い主のシャノンに預ける。しかし女は襲われて撃ち殺され、スタントマンは ギャング達に執拗に追われる。

スタントマンはアイリーンに事情を話し、一緒に来てもらいたい、一生母子を守って暮らしたい と申し出るがアイリーンにはどうしてよいのか わからない。そうするうちにも追ってが迫る。金を預けたシャノンが殺された。シャノンはイタリアギャング達も、スタントマンをも欺いて 金を独り占めしようとしていたのだった。スタントマンは シャノンを襲ったイタリアギャングに復讐する。
しかし、自分も致死的な怪我を負う。アイリーンはスタントマンについて来ない。ひとりきりになってしまったスタントマンに もう金など意味がない。ひとりきり、また どこかに運転していくだけだ。
というお話。

テイストが 懐かしのカウボーイ映画「シェーン」、、、あのシェーン カムバックに似ている。クールなハードボイルドだ。男は愛してしまった女と ベッドを共にしない。だからこそ、最後に一緒に付いてきてくれ と女に言う言葉が際立って生きてくる。決断できないでいながら、愛している女の純真が痛々しい。
ストーリーをみると、ハードボイルドの男の姿が浮かび上がってくるが この映画のおもしろさは、主役をライアン ゴスリングにしたところにある。優しい顔、およそ暴力をふるう姿が想像できない良い人の典型みたいな役者だ。痩せ型で胸の筋肉が ついているわけではない。ニコラス スパークス作、ラッセ ハルトレム監督の「きみに読む物語」で、アルツハイマーで夫や子供もわからなくなった妻のために毎日物語りを読んで聞かせる夫を演じて、世界中の女達を泣かせて味方にしてしまった。彼が哀しそうな顔をしていると飛んでいって 抱きしめてやりたくなる。そんな男がクールに 悪者をやっつけて女と子供を守る。

作品がデンマーク人の監督によるものなので、ちょっとハリウッドのハードボイルドとはテイストが異なる。
音楽は ダイナモフォンとエレキギターを使ったエレクトリック ポップだ。そんな音楽をバックに、夜のロスをひとりきり運転するライアン ゴスリングは ひどく孤独にみえる。
ハッピーエンドじゃないところも クールだ。