2011年10月27日木曜日

映画 「コンテイジョン」



新作映画「CONTAGION」、「コンテイジョン」(接触感染)を観た。
監督:スティブン ソデルべグ
キャスト
夫 ジョン:マット デイモン
妻べス  :グエネス パスロウ
娘    :アナ ヤコビ へロン
ジャーナリスト アラン:ジュード ロウ
WHO ドクターオランテイス:マリオン コテイラルド
CDC ドクターミアズ:ケイト ウィンスレイ
CDC ドクターシーバー:ローレンス フイッシュバーン
http://www.imdb.com/title/tt1598778/

1960年代の映画「渚にて」では 放射能で人類が滅亡し、「猿の惑星」では伝染病で地球は 猿に乗っ取られる。1970年代の「タワーインフェルノ」では 最新テクニックで建設された高層ビルが焼け落ち、「ポセイドン」では 沈まないはずの豪華船が沈み、「デイープインパクト」では、彗星が地球に衝突して人類が破滅するはずだった。
人は デザスター(大災害)映画が大好きだ。大災害が起った時に 自分ならどうするか、想像力をかきたてられるし、疑似体験を通して、学ぶことも多いからだ。

医療現場にいるから、自分がもし現役で死ぬことがあったら、きっと職場からの感染で死ぬだろうと思う。原因が細菌だとするなら、抗生物質が効かない耐性菌の蔓延は、深刻な事態にある。細菌よりも小さなプリオンやウィルスでは、狂牛病も鳥インフルエンザも豚インフルエンザも、なかなか手ごわい。病院関係者は 最前線に居る戦場の歩兵のようなものだ。
毎年、ただでさえ インフルエンザウィルスで1万人の死者が出ている。1918年の「スペインかぜ」では、致死率1.74% 48万人の死者が出た。1968年の「香港かぜ」では致死率0.15%で7万8300人が死亡。2009年の豚由来新型インフルエンザの致死率0.2%で約8万人が死亡した。毎年、ウィルスの形を変えて人々を襲うインフルエンザや、新型の病原菌の出現は脅威としか言いようがない。
そんなときにウィルスの遺伝子が 突然変異によって猛毒化してモンスターのように今までにない感染力をもったウィルスになって 秒単位で伝染したらどうなるか。映画が教えてくれる。

ストーリーは
べス(グエネス パスロウ)は二人の子供のお母さん。子供と夫のジョン(マット デーモン)を家に置いて 香港に出張に行っていたが、シカゴ経由で家に戻ってきた。風邪をひいたのか 咳をしていて調子が悪い。帰ってきた翌朝 台所で突然倒れて、病院に運ばれて間もなく死亡する。医師に急性の脳脊髄膜炎で亡くなりました と言われても その朝まで元気で若く美しかった妻が死ぬなどということが 全く夫には信じられない。しかし、病院から帰宅途中で 何と言うことか 今度は息子がべッドのなかで死亡していたという知らせが入る。ジョンは一晩のうちに、妻も息子も失ってしまったのだった。

一方 べスが滞在していた香港で、また彼女が経由したシカゴで 次々と風邪症状から脳脊髄膜炎を起こして死亡する患者が続出していた。翌日には東京で、中国で ロシアで 世界中にウィルスが恐るべき速さで伝播して死亡者が増える一方だった。世界保健機構(WHO)が 動き出す。アメリカではアトランタのCDC(感染センター)が対策の指揮をとることになった。この強力なウィルスは 接触によって感染する。感染、発症後の致死率は40%、恐ろしい速さで接触感染する。

最初にアメリカにウィルスを運んだのは べスと思われる。感染源を断定するためにWHOから ドクターーオランテス(マリオン コテイラルド)が香港に派遣される。しかし香港の 病原ウィルスの伝播状態は最悪だった。数万人の死者が 次々と集団埋葬されている。空港は安全ではない。調査を終え、ジュネーブに帰ろうとしたオランテスは 伝染対策部長とその武装した面々によって 無理やり感染から遠く離れた寒村に保護される。
CDCのドクターミアズ(ケイト ウィンスレイ)は、感染者を各地の学校の体育館などに隔離、収容する仕事に追われている。安全対策は 万全にしていたはずの彼女も、汚染されていたホテルで感染してしまい、倒れる。街中が騒然としている。銀行もゴミ回収も食品の購買も通常のようには もう機能しない。

ジャーナリストのアラン(ジュード ロウ)は CDCの対策本部が 感染予防のための血清ワクチンの抽出に手間取っているのは 巨大医薬品会社が これを機会に利益を出そうとしているからだ と訴えて、自ら感染し、自然療法で治癒したことをインターネットで発表する。多くの支持者が出てきた。その一方、待ちに待った予防ワクチンができ それを人々が奪う。ワクチンのために軍隊が出動しなければならない。生存者のあいだで、ワクチンや食料を奪い合うことが 日常化してしまった。ジョンは娘を感染から守ろうとして、、、。
というおはなし。

なかなかリアリテイがある。
出演者の豪華なこと。それぞれの役者が 主役級の役者ばかり。
そういえば、「タワーインフェルノ」も、フェィ ダナウェイ、ステーブン マクイーン、ポール ニューマン、ウィリアム ホールデン、ロバート ボーン、ジェニファー ジョーンズ、フレッド アステアなどなど、豪華俳優てんこ盛りの映画だった。主役も端役もなく、それぞれの人々が自分の立場で緊急事態に真剣に取り組んでいる。緊迫感があって、良い。

残されたジョンと娘がとても良い味を出している。マット デーモンは責任感の塊のようで、何が何でも娘を守るお父さん役が適役だ。娘役のアンナ ヤコビ へロンは13歳くらいだろうか、けなげに父親の命令に従って生きようとする。このくらいの大人になりかけた頃の子供達は 独特の美しさをもっている。
また、医療従事者たちが 自分も父親であり妻であり娘なのに、人々の命を救うために懸命に働く。限られた予防ワクチンを 誰を優先に打つのか。迷いながらも医道を外さないところにも、好感が持てる。
人が何によって生き、誰のために命を捨てられるか。限られた人だけが生き残れるとき、自分にはどんな選択があるのだろうか。いろいろな問いがあり、いろいろな答えがある。
スリリングだ。
だから映画を観ることが止められない。 

2011年10月26日水曜日

東川篤哉の「謎解きはデイナーのあとで」



推理小説のおもしろさは謎解きにある。謎解きはあくまで机上の論理であって、何故かあまり血の匂いがしない。
シャーロック ホームズシリーズや、エルキュール ポアロシリーズ、アガサ クリステイーの作品が いまでも人々に読み継がれ、愛されてきた理由のひとつは、その小説の文体に品格があり 登場人物に気品があり、ヨーロッパの洗練された文化の産物だからだ。殺人事件が起るが、庶民はあまり登場せず 貴族同士で殺しあったり、憎みあったりする。その時代、下層の人々が食うにも食えず 子捨てや子殺しなど当たり前だった などという現実の姿をあまり垣間見ることができない。謎解きは頭脳ゲームであり、知性を競い合うものだ。その点、推理小説を読むことは 社会派の小説やドキュメンタリーや、警察ものを読むのと違って、そんな架空の世界で謎解きをして楽しむのが通例であるらしい。

フイリピンで 活字に飢えていた頃 家中で、赤川次郎に夢中になった時期がある。娘達が中学に入るか入らないかの頃で、赤川次郎の作品を50冊くらい ダンボールごと下さった方がいて とても嬉しかった。この作家は音楽を愛し、楽器などにも精通し、480にも上る沢山の作品を書いている、驚異的に多作な作家だ。彼の作品は優しい視線で人を見つめて描かれている。根底に楽天家の眼差しがある。彼の作品を読んでいて、誰も傷つかない。独特の文体に彼なりの品格がある。好感がもてる。娘達は英語で育ってきたから 漢字は「木」とか「海」くらいしか書けないが、赤川次郎のおかげで「執行猶予」、「誘拐犯」、「保釈金」とか「検察送り」などスラスラ読めるようになって、そのアンバランスさが おかしかった。

日本には長いこと 住んで居ないので、このごろ日本で売れている若い作家に興味がある。久坂部羊、百田尚樹、池上永一、金城一紀など、取り寄せて読んでみた。
今年43歳になる東川篤哉の「謎解きはデイナーのあとで」(小学館)も ついでに買って読んでみた。2011年 本屋大賞第1位、100万部売れたベストセラーだそうだ。作品は雑誌きららに連載されて人気を呼び 新作を含めて単行本になったようだ。

ストーリーは
宝生麗子は金融とエレクトロニクスと医療品などで世界に名の知れた宝生グループの総帥 宝生清太郎の娘だが、東京多摩地区 国立警察署の女性刑事だ。そのボスは、中堅自動車メーカー、風祭モータースの社長の息子。いつも高級品に身を包み、派手な外車で走り回っている。
そんなお嬢さん、お坊ちゃん刑事たちが 解決できない難事件を麗子の執事が 簡単に謎解きしてしまう。

麗子の家には景山という、執事兼運転手がいる。夏でもダブルのブラックスーツに身を包み、銀縁めがねをつけて、麗子の送迎をする。彼はプロの探偵になりたかった時期があるらしく、麗子が話して聞かせる事件を いとも簡単に謎を解いて解決してしまう。
というおはなし。

文体の軽さ、内容の単純さ、庶民のお茶の間風の会話からは、麗子や景山や風祭の貴族的品格はまったく覗えない。お嬢様が身に着けるスーツがアルマーニ止まりなのも、お嬢様に気の毒な気がする。靴やバッグはどうなのか。フィリピンに10年住んでいた時、お城のような家に住む方々ともお付き合いしなければならなかった。家に住み着きのコックを12人もっている家庭、メイドが20人。家のドアから居間に通されるまでの廊下に、飾り付けられたジープニーという大きなジープを置いてある家。博物館のような居間。個人所有の動物園や 島を個人所有しているお金持ちの人たち。週末、島で過ごし、月曜には自家用小型飛行期で通学する子供達。立派な風格をもった執事たちにも会った。そんな環境に馴染んでいないと 執事というものを書くことはできないのではないか。

でもおもしろい。
お嬢様と執事、という関係の意外性と時代がかった取り合わせがおもしろいからだ。
読んでいて、様子が目に見えるように想像できるのは、作家が始めからビジュアル派で、これがテレビドラマにもなるし、漫画化されることを想定して書いたからなのだろう。
まえに、池上永一の小説を読んで、彼の悪文に、へとへとになりながらも、これも今の日本文化なのだから、ビジュアル派はこれでいいのだ、という結論に達した。
大変美しい顔 姿をした少年歌手が テレビに出てきて、信じられないほど音程をはずして歌を歌っているが、それでもビジュアル派は 許されるそうだ。だから、作家もビジュアル派はそれでいいのだ。
なんと言っても 小説がそれなりに、おもしろいのだから。

2011年10月25日火曜日

祝 オールブラックス 優勝




あぶな! こわ!!!
の連続でした。良い試合とはいえませんでしたが、とにかくニュージーランドのオールブラックスが優勝して、ほっとしました。

我が家のオールブラックも喜んでいます。

2011年10月17日月曜日

祝 オールブラックス優勝戦に爆進




9月10日の日記に 第7回 ラグビーワールドカップが始まった様子を書いた。
土曜日に 準決勝戦 ウェールズ対フランスが行われ、フランスが勝ち抜いた。試合前日 ウェールスのキャプテンは「勿論ラグビー発祥の地でラグビーをやってきた我々ウェールスが勝つ」と明言したが、一方のフランスのキャプテンは 「僕たちはフランス人だよ。明日のことなんか知るわけないでしょ。」と言っていて、その国民性の違いに 思わず笑ってしまった。

試合では ウェールスが圧倒的に強い、デフェンスもトライも申し分ない。にもかかわらず、小さなファウルで フランス側はペナルテイーゴールを取って勝ってしまった。フランスチームは一度もトライさえしていない。解説者もみな腑に落ちない様子で、「強いチームが負けてしまった。」、「良いチームが負けてしまった。」と何度も 何度も繰り返して言っていた。試合は流れだ。強くても勝てるわけではない。試合をやり直すことが出来ない。本当に、ウェールスには残念な試合だった。
フランスチームは 決勝戦でオールブラックスと戦うことになり、ラグビーの真の強さというものを思い知らされることになるだろう。

さて、昨日、日曜日の準決勝戦。
ニュージーランド:オールブラックス対オーストラリア:ワラビーズ。オーストラリアに住んで16年、普段はワラビーズの味方だが、相手がオールブラックスならば 絶対オールブラックスの勝って貰いたい。開催国というだけではなく、クライストチャーチで あのひどい地震被害のあった直後で、国の誇り、オールブラックスが ラグビーで負けて良いわけがない。どんなことがあっても負けられないワールドカップなのだ。もしオールブラックスが負けるようなことがあったら、暴動が起るだろう。

試合は素晴らしかった。一秒も無駄がない。80分がこれほど密度の濃いラグビー試合だったことはない というくらいオールブラックは集中していた。デイフェンスのあつさ、アタックの激しさ。絶対に相手にボールを渡さないという選手達の固い決意が ひしひしと伝わってくる試合だった。

ものすごく優秀なワラビーの10番のクエイド クーパー、14番の ジェームス オコーナー、9番のウィル ギニア、キャプテン5番のジェームス ホーウェルたちの必死の努力が オールブラックスの「勢い」に付いていけなかった。
オールブラックスのキャプテン7番のリッチー マッカウ、9番ピリ ウェープ。ウィーブは 別名「救世主」、試合前の「ハカ」のリーダーだ。特記すべきは スタンドオフ 10番のアーロン クルーデンの活躍だ。彼は怪我で出場できなくなった選手の代役に 試合の直前に出場が決まった、最年少の選手。2年前に 日本で20歳以下のラグビー選手権があったときに ニュージーランド代表のキャプテンとして選手を連れて来て みごとに優勝した。ちょっと小型で痩せていて、ラグビーの体格ではない。その彼が 相手のボールが手を離れたとたんに 捨て身で相手のふところに もぐりこんでボールを取る。相手がパスしたボールを早足で掠め取る。相手側よりも早く走る。もうとても立派な大活躍だった。今後の彼の成長が楽しみだ。

来週は とうとう決勝戦。とても楽しみ。
遂に ラグビー世界一が決まる決勝戦。勝てますか というマスコミにまたフランスチームは来週も 「ぼくたちフランス人だよ。明日のことなんか聞かないでよね。」と言っていられるだろうか。

写真はうちのオールブラック:クロエ

2011年10月13日木曜日

ヒュー ジャックマンの映画「リアル スチール」




新作映画「リアル スチール」、原題「REAL STEEL」を観た。
スチーブン スピルバーグ製作、指揮。監督:ショーン レビ。
1956年の「スチール」という題の短編小説をもとにして作られた サイエンスフィクション。

キャスト
父親チャーリー:ヒュー ジャックマン
息子マックス :ダコタ ゴヨ
リリー    :バイレイ タレット

ストーリーは
近未来のアメリカ。
ボクシングは 人命に関わる危険なスポーツなので、禁止されている。代わりに、ロボットボクシングが盛んだ。男も女も 巨大なドームに集まって、人の何十倍も大きな鉄の塊のロボットとロボットを戦わせて、一方がバラバラになるまで 激しい打ち合いをさせることに熱狂している。

チャーリーは 元ボクサー。今は飲んだくれのロボット狂だ。ロボットボクサーをトレーラーに乗せて、全米を興行して回っている。何年も前 とっくの昔に家庭を捨てて ドサまわりをしている。勝っても、負けても飲むばかり。しかし、最近では自分がチャンピオン戦を戦っていたボクシング時代と違って、ロボットもコンピューター操作のリモートコントロール。自分の思うように勝ってくれる訳ではない。自分よりも もっと資金をかけてテクに強いロボットに負かされてばかり。
父親の跡を継いで ロボット修理工場を経営する女、リリーのところに転がり込んで 何とか頼み込んで自分のロボットを修理しながら居候していたが 借金がかさむ一方だ。とうとうリリーに 愛だ恋だの言うよりも お金を返して と冷たく突き放されてしまった。ロボットボクシング興行主に払わなければならない借金もとうに期限が過ぎている。

進退窮まったところで、警察から連絡が入り、何年も前に捨てた妻が 亡くなったという。裁判所に呼び出されて、ひとり残された11歳の息子、マックスと、父親チャーリーは再会することになる。死んだ妻の妹が マックスを引き取りたいと言う。彼女は裕福で年の離れた老紳士と結婚していて、マックスを養子にして 立派な教育を身につけさせたい と思っている。

それを知ったチャーリーは 即座に義妹の夫に「750で どうだ?」ともちかける。息子を裕福な男に売って 得たお金で新しいロボットを買い、ボクシングの試合で勝って借金を返せる。これですべて円満解決だ。
5万ドルを前金で 残りは一月後に。義妹夫婦はイタリアで暮らしていたが、マックスを引き取るに当たって、イタリアの家を処分して ニューヨークで マックスと暮らせるように準備する。その期間1ヶ月だけ実父チャーリーのところにマックスを預けていく。ということで、話し合いはついた。

10万ドルで父親に売られた息子は1ヶ月だけ ろくでもないロボット狂の飲んだくれのところに預けられた。父の顔など覚えていない。昔 父親に捨てられて 母を失くしたばかりのマックスは 自分が売られた金でチャーリーが手に入れたロボットに対面する。
新しいロボットは日本製、超悪男子という名のロボットだ。新しいロボットに夢中のチャーリーを尻目に、マニュアル時代の元ボクサーチャーリーよりも、コンピュータ操作は 新世代11歳のマックスの方が「うわて」だ。リモートコントローラーは、いつの間にかマックスの手に。

チャーリーは 新しいロボットをトレーラーに積んで、マックスを伴いボクシング会場に行く。しかし、このハイテクの新機種ロボットは アッと言う間に 叩きのめされて 鉄くずに。
チャーリーにはこのロボットの修理する資金もない。ロボット解体所に忍び込んで部品を盗んで来るしかない。真夜中 マックスを連れて部品を探索している最中 マックスはロボット廃棄場の巨大な穴に誤って落ちてしまう。寸手のところで捨てられたロボットに引っかかって マックスは命拾いをする。助かったマックスは チャーリーが止めるのも聞かず、自分の命を救ってくれた古いロボットを抱えて連れて帰る。

その「アトム」という名のポンコツロボットは 修理してみると、昔の鋼鉄で出来ていて、リモートコントローラーで操作するよりも、自分の前の人のまねをするロボットだった。マックスが飛び跳ねれば、アトムも飛び跳ねる。マックスとアトムが楽しそうに 一緒に ヒップホップのダンスする様子を見て、チャーリーは これは 使えるかもしれない と考える。そして、元ボクサーは アトムにボクシングの戦い方を教えて、訓練する。
チャーリーとマックスの アトムを連れた興行の旅が始まった。ロボットアトムとマックスのダンスは どこでも受けた。そのあとで、ボクシング試合をさせても、なかなかアトムは よく戦ってくれた。アトムは小さいながら鋼鉄製だから、セラミックや新素材のロボットよりも 壊れても修理が効く。リモートコントローラーか効かなくなっても、アトムはチャーリーの動きをコピーすることができるから 続けて戦うことができる。そんな、アトムに人気が出てきて、活躍することになった。しかし、一ヶ月があっという間に経って、養父母が帰ってきて、そこで、、、。
というお話。

天才子役 という言葉があるが、11歳のダコタ ゴヨの マックス役が素晴らしい。母に死なれて、父に10万ドルで売られた息子という難しい役を 実に自然に演じている。ヘラルド紙やロスアンデルスタイムスでも、ダコタ ゴヨを手放しで褒めていた。「ナチュラル チャーム」生まれてついた魅力、というか、全く役を演じていると思わせない自然さで 役柄になりきっている。
カナダ トロント生まれ。生後2週間でテレビのコマーシャルに出たのが、デビューだったそうで、5歳のときから 俳優としてテレビや映画に出演している。最近の映画では2009年「アーサー」、2011年の「THOR」、2012年「ライフ オブザ ガーデアン」など、ハリウッド映画に出演している。

印象的な子役といえば、2006年の「リトル ミス サンシャイン」のアビガイル ブレスリン、2001年の「アイ アム サム」のダコタ ファニング。1986年の「スタンドバイミー」のリバー フェニックス。
その前になると 1952年の「禁じられた遊び」のブリジット フォッセイ、1948年の「自転車泥棒」ビットリオ デ シーカ監督が使った子役などが、最高だった。大人を見上げる懸命な瞳の光の強さは 大人にはまねできない。ダコタ ゴヨはこれから きっと大活躍してくれることだろう。

ヒュー ジャックマンは ブロードウェイで 踊りも歌もうまいと ミュージカルで認められ人気者になったオージー俳優だ。「エックス メン」で鉄の爪を持ったスーパーヒーローを演じ、「オーストラリア」では、荒馬にまたがり勇敢なカウボーイをやった。背が高く、美しい肉体を持ち、シャープな顔をしている。同じオージー俳優でも、メル ギブソンやラッセル クロウのような アクの強さはないが、その分 どんな役でもできる。とても良い役者だ。飲んだくれの元ボクサーの役など とても似合う。
しかし、この映画では、そんなマルチタレントのヒュー ジャックマンがかすんで見えるほど 子役のダコタ ゴヨが光っていた。

アトムに潰されて 次々と新しいハイテクロボットを開発するのが 日本人の怖い顔をした技術者だったり、アトムの前の日本製ロボット:超悪男子が、日本語でしかリモコンが作動しない、など、笑えるシーンもたくさんあった。日本製イコール優れた技術ロボット というイメージは健在なようだ。

ハリウッド製娯楽映画。おもしろい。
見る価値はある。

2011年10月11日火曜日

映画「あしたのジョー」僕らは明日のジョーだったか



「僕らは明日のジョーなんだ。」と言って、田宮高麿は「よど号」に乗って ピョンヤンに行き そこで死んだ。
1968年から1973年。「あしたのジョー」が少年サンデーに連載されていた当時の「ぼくら」にとって、あしたのジョーは本当に漫画以上の存在だった。「本は心の栄養」だそうだが、あしたのジョーは心の栄養どころか 血であり肉であった。

このころアメリカはベトナムを爆撃し、日本全国が米軍の基地だった。
東京のど真ん中を 米軍ジェット機輸送のためのオイルが連日突っ走っていた。核も堂々と持ち込まれていた。
ベトナム独立のために銃を持ち、農地に穴を掘り 圧倒的な軍事力をもつ米軍に徹底抗戦していたベトナムの人々を 殺す為に毎日飛び発っていくアメリカ軍人を 日本政府は送り出していた。多くの良識ある人々は ベトナム反戦運動に立ち上がった。当時のべ平連、全学連や全共闘は、傷ついても傷ついても負けずに立ち向かっていく あしたのジョーに自分達の姿を重ね合わせていたと思う。向かっていく巨大な壁は、自分達の力にかなうわけがないアメリカ政府と日本政府の安保条約であり、自衛隊と機動隊の力だった。

ベトナムを激しく爆撃するアメリカ大使館に「抗議」に行って、1967年10月逮捕された。17歳だった。単純直行実行主義だったから、米軍のベトナム介入に反対して 気がついたら歩道の敷石を割って アメリカ大使館に石を投げていた。月島警察署で 刑事が私が何も言ってないのに 目の前で「私は**大学の**の指揮の下にシャガクドーのデモに参加し、、、。」と スラスラ書いていくのを あっけにとられて見ていた。ふーん。ふむふむ。あの先頭に居た人は あの有名な**大学の**さんという人だったのか、、。シャガクドーって どういう字? 私の学生運動の理解度など、その程度だった。明治、法政、中大、東大に出入りしていたが 自分の大学には骨のある新聞会さえなかった。友人は佐世保、防衛庁に突入していたが マルクスやレーニンよりも、あしたのジョーから 手っ取り早く より多くの自立の精神を学んでいた。 今思うと冷や汗が出る。

この作品は 漫画だけでなく、何度もテレビでアニメーション連載番組になったり、映画化されたりしていたらしい。2011年2月に映画化されたものを観た。先日帰国の際 日豪間の飛行機の中で見たのだが、画面が小さくて、よく動きがわからなかったので、改めてヴィデオで観た。

監督:曽利文彦
ストーリーは
1960年代。まだ日本は 完全に戦後復興していない。ベトナム特需で、経済が潤ってくるのは その後だ。場所は東京の下町。涙橋を渡ると 貧民街だ。家賃を払えない人々が 川沿いに勝手にバラックを建てて住み着いた いわば無法地帯だ。
そこで飲んだくれの元ボクサー 丹下段平(香川照之)は、しょぼいボクシングジムを持っている。何年も前のボクシングへの夢を捨てられずにいるのだ。
ある日、ケンカで矢吹丈(山下智久)の身のこなしを真近に見て、ジョーに天性のボクシングの才能があることを見抜く。ジョーは親に捨てられ孤児院から抜け出してからは、窃盗、詐欺 暴行の常習犯で 少年院と娑婆を行き来する 明日のない生活をしていた。

丹下は少年院に収容されたジョーに手紙を書く。明日のために、強くなれ。ボクシングを通して、ケンカではなく本当の男になれ、と。
ジョーは少年院の中でも問題児だった。大した意味もなく反抗する。腹を立て自分が叩きのめされるまで 圧倒的多数の警備員を相手に勝ち目のない争いを挑んでいく。そこで、プロボクサーの力石徹(伊勢谷友介)に出会う。怖いもの知らずのジョーは、自分の体より遥かに大きく しかもウェルター級チャンピオン戦が予定されている力石に、挑戦して、二人は少年院の中のリングで ボクシング試合をすることになる。ジョーは生まれて初めて ボクシングのグラブをつける。リングで、ジョーは 殴られても殴られても 立ち上がり 勝負はつかない。遂に二人は互いにノックアウトして、同時にリングに倒れる。勝負はつかなかった。

少年院を出たジョーは このときの試合で いつか力石を完全に倒すことが自分の目標だと定め、丹下ジムに直行する。明日のジョーが強くなる為の 厳しい訓練が始まった。酒びたりだった丹下の目が、再び輝きだした。
一方、力石は財団の令嬢、白木葉子(香里奈)が所有する白木ボクシングジムに属し、立派な設備やプロのトレーナーを使って 世界チャンピオン戦を戦うことになっていた。力石を世界一にすることが 白木財閥の目的だ。どんなことがあっても力石に世界一のタイトルを取らせたい。 しかし力石もまた、ジョーを完全にリングの底に沈めて 前回の勝負がつかなかった試合を完了させたかった。

いつしかジョーは 力石を倒すこと、力石は 世界チャンピオンのタイトルを取ることよりもジョーを倒すことが目標になっていった。白木財閥は様々な手を使ってボクサーとしてのジョーを潰そうとする。ジョーに勝てるわけのない相手を次つぎと出してくる。ジョーの得意技は クロスカウンターパンチ。自分を打たせて、その隙に打って相手を倒す。ついに白木財閥が力石、ジョー戦を回避することが出来なくなった。力石とジョーとでは身長も体重も違いすぎる。ウェルター級の力石は バンタム級にまで体重を落として、ジョーに対戦することになる。とうとう二人はリングに上がって、、、。
というお話。

丹下段平を演じた香川照之という役者を「剣岳 点の記」、「北の零年」、「明日の記憶」、「20世紀少年」で見た。この役者は独特の輝きを持っていて、自分の役に魂をこめて 演じていることがよくわかる。私が見た彼の演じた映画の中で、この丹下段平の役が一番良かった。片目で出っ歯 腹巻姿でいつも酒の匂いがする 難しい役をよく演じていた。
力石徹の 伊勢谷友介も、よく減量したと思う。打ち合いのシーンも迫力があった。ジョーをやった山下智久という人は 「クロサギ」という映画で見たことがある。ジョーの美しい体を 映画のためによくトレーニングして作ったと思う。
原作ファンの いまはもうおじさん、おばさん おじいさん おばあさんの面々も、この映画には、結構満足したのではないだろうか。 

2011年10月7日金曜日

ベンジャミン シュミットのヴァイオリンを聴く



2011年の第7回オーストラリア チェンバー オーケストラ(ACO)の定期コンサートを聴いた。ウィーンから ヴァイオリニスト ベンジャミン シュミットが ゲストとして来て ACOと共に演奏した。
いつもACOコンサートは 音響の良いエンジェルプレイスのホールで聴くようにしているが、ベンジャミンの人気が高いので今回はチケットが完売されていて、仕方なくオペラハウスの どでかいコンサートホールで行われるコンサートに足を運んだ。2500席が 程よく埋まっていた。席は 2階の舞台に向かって右側のボックス席。息を切らせて 上の娘と傾斜のきつい階段を登る。チェロは背中を見ることになるが、ヴァイオリニストたち全員の顔が真近に見える。

プログラム
1) ジョン セバスチャン バッハ
   二つのバイオリンのためのコンチェルト 作品1043
2) エリック コーンゴールド  セレナーデ
3) HK グルバー  バイオリンコンチェルト
休憩
4) フランツ シューベルト ロンド Aメジャー 作品438
5) ジョセフ ランナー ダイ ロマンテイカ 作品167
6) ジェオルグ ブレインシミット ミュゼット 

最初の曲、バッハは 二人の娘達と何百回弾いたか 数えきれない。第1ヴァイオリンと第二ヴァイオリンを二人の娘が 曲の途中で入れ替わったり、私がヴィオラをやったり、チェロをやったりして、よく一緒に演奏した。いつもつっかえるところでは 思わず娘と顔を見合わせたりして、ベンジャミンが ACOをリードするのを聴いた。
バッハ以外は、全員ウィーン生まれの音楽家達のウィーンの香り高い ロマンチックな曲ばかりだった。軽やかで、気品があって、洗練された美しい音楽。

シューベルトのロンドと、ラナーのワルツがとても良かった。
シューベルト自身が ヴァイオリンもヴィオラも演奏し、家族で弦楽四重奏に親しんでいたので、難曲の弦楽曲が多いが、ロンドは明るくて、聴いていて踊りだしそうな軽くて とても甘いロマンチックな曲だ。

また、ラナー(1801年ー1843年)は、ベートーベンの後、ブラームスが出てくるまでの間、ウィーンで最も必要とされていたワルツの作曲家だった。ヨハン シュトラウスの良き友人でも またライバルでもあったようで、ワルツ、ギャロップ、マーチなどを200曲あまり作曲し、自分でもオーケストラを持っていて演奏したという。
それを、ウィーン生まれのウィーン育ちのベンジャミンが演奏すると、最も華やかだったころの 19世紀のウィーンの光り輝く栄華の姿が浮かび上がってくるようだ。

内田光子がよく日本人なのに、ウィーンで育ったので 彼女がピアノを弾くとウィーンの音がする、と言われている。わたしには そのようなピアノの音の違いを聞き分けることは出来ない。しかし、弦楽器には、確かに音質の違いがあるようだ。ウィーンフイルの独特の明るさ、ベルリンフィルの吹奏楽器を生かした力強い独特の輝き。
そして今回のコンサートの音は たしかにウィーンの香り立つ 華やかなコンサートだった。明るくて 春のように心地よい。ゲストのベンジャミンは、とてものびのびと自分で演奏しながら、21人の弦楽走者達をリードしていた。実に楽しそうに演奏して、軽やかな足取りで舞台を去っていった。気持ち良い。

様々な個性をもった演奏家を 毎回ゲストに迎えて、一緒に演奏するACOの力量は確かだ。年7回ある定期公演では、ピアニスト、ヴァイオリニスト、フルーテイスト、ハーピスト、アコーデオン奏者、歌手、俳優、吟遊詩人、ダンサー、画家などなどを ゲストに呼んで共演する。今回のように、ウィーンからのゲストヴァイオリニストを迎えると、音全体が 華やかな色に染まる。
アイルランドのヴァイオリニストが来たときは、ACOの全員がケルト人になったかのように アイリッシュの旅芸人の早弾き、目にも留まらぬ弓さばきで、ケルトミュージックを演奏してくれた。
フィンランドからペッカ グストが来たときは、演奏が始まったとたん、そこに北欧の乾いた空気が流れ 氷の湖がどこまでも広がる光景がはっきり見えてきた。ロシア人がゲストだったときは チャイコフスキーの音に、広大な黒々とした樹林が迫ってきた。何でもできるACOは、力量のある立派な室内楽団だと思う。

21台の弦楽器のなかで、団長のリチャード トンゲテイが使っているのが 1743年の カロダスという名のついたグルネリ、副団長のヘレン ラズボーンが貸与されているのが 1759年のガダニーニ。
コンサートマスターのサトゥ バンスカが使っているのが 1728年のストラデイバリウス。チェロのテイモ べイユが貸与されているのが リチャード トンゲテイのヴァイオリンと同じ木から作られた 1729年のジョセッペ グルネリ。メンバーも どんどん若い人たちが古い人たちに入れ替わって 厳しい稽古に耐えてきた団員達の音は、この15年の間に 本当に良くなっている。

家に帰ってきて 来年予定されているACOの定期公演の 年間通しのチケットを予約した。同時に来年のオペラ オーストラリアのチケットも支払った。毎年この時期に 買っておかないと 良い席が確保できない。
来年の今頃、自分がどんな状態で 何をやっているか 全くわからない。チケットがあっても 病気もするだろうし、行けない日も出てくるだろう。家からコンサート会場まで 夜の運転がだんだん 心配になってきたし、会場の階段も辛くなってきた。しかし、少しでも健康に気をつけて、来年のコンサートも、変わらずに 元気に出かけていけたら良い、と思っている。 

2011年10月4日火曜日

映画 「借り暮らしのアリエッテイ」




「借り暮らしのアリエッテイ」のヴィデオがやっと手に入って 観る事が出来た。世界中に感動のメッセージを送り続けているスタジオ ジブリの作品。日本では昨年公開されてヴィデオも出ており もう話題にもなっていないかもしれない。

たくさんのジブリの作品を観てきた。
一番好きなのは、「となりのトトロ」と、「風のナウシカ」。
二番目に好きなのが「耳を澄ませば」と「魔女の宅急便」。
どの作品も、登場する女の子が その年齢に関係なく親から精神面で自立している。決断するのは いつも自分自身の判断だ。勇気があって潔い。

原作:メアリー ノートン 1952年出版「床下の小人たち」
企画 脚本:宮崎駿
音楽:セシル コルベル
監督:米林宏昌

40年前から 宮崎駿と高畑勲によって企画されていたそうだ。
公開にむけて 東京都現代美術館と、兵庫県立美術館で、種田陽平展が開催され 身長わずか10センチの小人の世界を体験できる、巨大なセットが組まれジブリの世界が体現されたそうだ。
映画は、全国447のスクリーンで公開され 初日2日で興行収入9億円 68万人の動員、映画観客動員ランキング1位を記録。2010年度の邦画の興行収入第1位、92,5億円を記録した。韓国、台湾、フランスでは公開されたらしいが、オーストラリアには来なかった。

ストーリーは
翔の両親は離婚していて、母親は翔を 自分が育った祖母の古い屋敷に預けて海外出張している。思い心臓病の翔は これまでに何度か心臓手術をしていて、再び 一週間後に手術を受けることになっていた。

おばあさんの家には 長いこと小人が住んでいる。
かつておばあさんの父親は 屋敷で小人を見たことがある。そんな小人達が快適に暮らせるように夢みて、小人の家を作らせた。家具や日用品、電化製品まで本物とそっくりに 専門職人に作らせたものだった。寝室、応接間にリビング、台所は電気をつければ本当に調理もできるオーブンや食器まですっかりそろっていた。
そのおじいさんが亡くなったあと、小人の家は娘に引き継がれ、彼女が小人が現れるのを ずっと待って すっかりおばあさんになってしまっても小人を見ることがなかった。そして、小人の家は翔に引き渡された。

翔は おばあさんの家に着いた その日に庭で元気な小人が 草の間をすり抜けて行く姿を見ていた。そして、その夜 14歳になった小人のアリエッテイは、父親とともに翔の寝室を探索にきて 再び翔に見られる。小人は人間の家の床下に済み衣食住に必要なものは 「借りて」くることで生きてきた。人に見られてはいけない という掟を持っていた。今まで 人や鼠やカエルなどの小動物に見つかって命を奪われた小人が 沢山居たのだ。
孤独な翔は アリエッテイと友達になりたい。しかしアリエッテイが 人と関わりを持つことは小人の世界全体を危険にさらすことだった。

翔の様子を見ていた家政婦のハルさんは 翔が小人と関わりをもっていることに 気がついていた。家の管理をまかされている家政婦にとって 台所から食物を「借りて」いく小人は泥棒だ。捕まえて ねずみ駆除業者に引き渡さなければならない。そう考えてアリエッテイの母親 ホミリーをつまみ出して ねずみ駆除業者に渡そうとする。家政婦ハルさんと、アリエッテイと翔との戦いが始まる。
アリエッテイは 翔の機転と活躍のおかげで 家族を取り戻し 安全な場所に移動していく。翔との別れが迫っていた。
というおはなし。

「12歳の心臓病の男の子」が とてもよく描かれている。他の子供と同じことが出来ない、待つことに慣れ、受動的で一種のニヒリズムのような諦念に居る子供の様子が とてもリアルに書かれている。
むかし、心臓病の子に たった一人の親友と言われていた時期がある。小学校、中学とラジオ体操や体育はいつも見学、遠足に参加したことがない、いつも気難しい顔をして ひとりきり。話しかけると 思い切り皮肉めいた言葉で傷つけられる。裕福な家庭の子で、下手に出て ふざけてみると、思い切り高みから残酷で軽蔑のこもった悪意と嘲笑で、攻撃してくる。たまにしか学校にこれないのに 思いカバンを持ってやるどころか、一緒に横に歩いてやる子など 全く居なかった。わたしは普通に話しかけていたが あとでその母親から「たったひとりの親友になってくれて ありがとう。」と言われた時はめんくらった。

だから、翔が 初めてアリエッテイを見たとき、「本当に居たんだね。」とさして 驚いた風もなく言う様子や、アリエッテイに再び会って、君達一体何人いるの?人間は68億人も居るんだよ。 小人は やがて絶滅する存在なんだよ と 平気で言える。子供らしくない翔の諦念と、多少投げやりな様子や倦怠感の漂う身のこなしなどが、とてもよくわかった。
その翔が 「見てもいい?」と問い、アリエッテイをみた瞬間に 恋をする。大きく目を見開き 思わず「きれいだね。」と。今までの口調や表情と打って変わって 恋する男の子の顔になる。
その瞬間がとても良い。
受動的に生きてきて 何時までも自分は寝たきりで友達もできない、一週間後の手術など成功しようがしまいが どうでも良い と思ってきたが、翔に大切なものができた瞬間の 大きな変化。何が何でも生きていきたい。恋を知らなかった翔から 恋を知った翔への変貌。

一方のアリエッテイは すでに翔を初めて見たときから恋をしていた。初めて父親と探索に出たときに 翔の顔をまともに正面から見てしまい その瞬間に、恋をしていた。だから 翔からの角砂糖を返しに行く時の懸命さも、「私達にもう構わないで。」と言ってみせる強がりも、際立っている。

そんな惹かれあった少女と少年が 小人を泥棒としか捉えられない家政婦の悪意に立ち向かう。アリエッテイは 母親をつれ戻しに行くことに一瞬の迷いも 躊躇もない。翔は そのアリエッテイの姿に感動しながら 家族の結束、生きる力、愛する人を失なうまいとする懸命さを学ぶ。

最後、アリエッテイは心を込めて 翔の指を抱きながら涙を落とし、自分の髪留めを翔に差し出す。翔は 君は僕の心臓の一部だ といって それを受け取る。なんと言う心と心の 強い結びつきだろう。
アリエッテイの気持ちを思えば、翔は自分の手術が成功しようがどうでも良いとは、断じて言えない。彼は一人ではないのだ。アリエッテイのために 生きなければならない。

人は誰でも 自分の心にアリエッテイの髪留めを持っていたならば、どうでも良い生き方など できない。自殺などできるわけもない。道を誤ることもない。他人を傷つけることもないだろう。
自分の心に アリエッテイの髪留めをもち、君は私の心臓の一部だ といえるような人を探し続行けたい、誰もが 観ていて そう思ったのではないだろうか。見終わって、深い感動が染み渡ってくるような、良い作品だった。

2011年10月3日月曜日

どーん ときてます



父が8月14日に亡くなって、8月23日に シドニーに戻ってきた。

翌日から職場に戻り、週4日、40時間の勤務の生活にもどり、休日には、今までどおり、映画を観たり、オペラハウスにも2夜ほど ピアノコンサートと 室内楽のコンサートに行き、また、初孫の2歳の誕生日パーテイーに出かけて行き、次の週には 仲の良い友人5人とその子供達8人をランチパーテイーに呼び、普通どおりの楽しくて、忙しい 私らしい過ごし方をしてきた。

まえに、親を亡くしたショックは後から どーん ときますよ、何人もの人から言われていた。やはり、どーん ときて、起き上がれない。声が出ない。言葉が出ない。眩暈と吐気と咳と熱と頭痛と全身痛と食欲不振と、何もかもが突然襲ってきて 1週間寝込んでる。これからは、回復期。

写真は ランチパーティーに来てくれた 日本人ナース達の子供達。
多くはオージーと結婚して みな別々の病院に勤めているので なかなか会えない。日本人ナースは 質が高く、オージーナースより優しいので、どこでも評判が良い。子供達の動きが激しいので、一枚の写真にみなが写ることは不可能。

2011年9月23日金曜日

映画 「雪花と秘密の扇子」




映画「雪花と秘密の扇子」、原題「SNOW FLOWER AND THE SECRET FAN」を観た。原作 リサ シーの 2005年ベストセラー小説を映画化したもの。

監督:ウェイン ワン
キャスト
雪花:ソフィ : チョン ジヒヨン
百合:ニナ  : リー ビンビン
ボーイフレンド:ヒュー ジャックマン

ストーリーは
二組の二人の少女の物語が200年の歴史を隔てて 同時に平行して語られる。

上海に住むニナ(リー ビンビン)は ビジネスウーマンとして成功して 恋人と一緒にニューヨークに派遣されることになった。同僚達とのお別れ会をして、渡米に胸を膨らませているときに、突然 消息を絶っていた親友、ソフィ(チョン ジヒヨン)が交通事故で昏睡状態に陥っているという連絡を受ける。ニナは 渡米を取りやめて病院に駆けつける。
数年前、ソフィのボ-イフレンド(ヒュー ジャックマン)のことで 二人は諍いをしたまま互いに連絡を絶っていた。何年も、ソフィが どこで何をしていたのか、ニナは知らない。しかし、事故に会う前、ソフィアは何度も二ナに電話をしていた。出発前の忙しさにまぎれて、ニナが気がつかなかったのだ。

呼吸装置をつけられて辛うじて呼吸をするソフィアのベッドの横で 二ナはソフィアのバッグを開ける。そこには、分厚い ソフィアの書き残した小説の原稿が入っていた。二ナはそれを読みながら、行方を絶っていたソフィアの ここ数年の足跡をたどるのだった。二ナが交際するすることを反対していたボーイフレンドとニナは オーストラリアで短い間暮らしていた。しかし不実な男に ソフィアは心を開く事もなく 妊娠していたことも知らせずに 一人香港に帰ってきて 小説の執筆に没頭していた。

小説の舞台は 清時代の湖南地方。
百合(リリー)と雪花(スノーフラワー)は 同じ日に生まれた。湖南地方の古くからある伝統に従い、一定の年齢になると 二人は同じ日に纏足をされ、「老同」ラオトング(エターナル シスター)という生涯を通じて姉妹になる契約をする。二人は二人だけに通じる秘密の文字を教わり 生涯この文字を通じて意思疎通ができるように教育される。百合は貧しい家の出身、雪花は裕福な特権階級出身だったが 二人は双子の姉妹のように仲良く育ち、成長していった。

やがて適齢期になると、纏足が完璧に美しく仕上がった百合から先に 裕福な家庭の嫁として迎えられた。一方、雪花の家では父親が阿片中毒になり、没落していく。やがて、百合に子供ができ、「老同」の雪花に会いに行きたいが 義母は 男の子供を産むことだけが嫁の仕事と決めて、嫁の外出を認めなかった。仕方なく、二人は扇子に二人だけに通じる言葉で書いて やり取りをして、互いに励ましあった。
何年もたって、義父母が亡くなり やっと百合が雪花に会いに行くことが出きることになった。訪ねていくと 沢山の子供を抱えて、教育のない男に嫁いで変わり果てた雪花が 出迎えてくれた。暴力をふるう夫の姿をみて、百合は 雪花とその子供達を 自分のところに引き取ろうとする。しかし、雪花はそれを拒否して、一方的に「老同」は切れたと宣言する。生涯の姉妹を誓ったのに、裏切られたと思った百合は 悲嘆に暮れる。

しかし ある日、使いがやってきて雪花が 死の床にあること知らせてくる。雪花は 百合の幸せを考えて 「老同」の関係を一方的に破棄したが、本当はいつも百合のことを心から思っていた と言い残して雪花は死ぬ間際に和解する。という小説だった。
読み終わって、二ナは これは自分達のことだ と思う。ソフィアの二ナに対する真摯な友情を この小説で二ナは 確認することが出来た。二人の友情と絆は絶つことはできない。
もう二度と ソフィアのそばを離れない と決意して昏睡状態のソフィアの手を握るのだった。
というストーリー。

湖南地方の美しい髪型、民族衣装、刺繍を施した美しい纏足の靴。そして、秘密の文字が書かれた扇子。
女が墨をすり、筆に墨を浸して扇子に文字を書いていくシーンが美しい。消えていった200年前の中国の文化の 残酷と美に目を瞠る。情緒豊かな 胡弓の調べを聴きながら 清の時代の滅びてしまった文化のノスタルジーにどっぷり浸りきる。

ベトナム出身のアメリカ人 トライ アン ユン監督が「青いパパイヤの香り」で、自分が生まれる前のベトナムの田舎を叙情的に描いたように、香港出身のアメリカ人ウェイン ワンは 自分の故郷をノスタルジックに描いた。彼は「ジョイラック クラブ」でもこれをやった。叙情的で詩的で美しい。しかし、他人にとっては冗漫で退屈かもしれない。

この映画のテーマは「老同」ラオトング すなわち女の友情だ。
女はこの時代 纏足をされ 良縁を得て裕福な家庭に向かい入れられ、一度も会ったこともない男の物となり 男の子を産まなければならなかった。そんな重圧に耐えるには 確かに女同士の友情は必要だったのかもしれない。
この映画では 裕福になった百合が 貧しい雪花を強引に自分の家に連れて帰ろうとして、雪花から「老同」を破棄される。雪花は「貧しくても私は夫を愛しているのよ。」と言っているのに、雪花をそんな夫から引き剥がし 裕福な自分の家に連れて行くことが 雪花の幸せだと決め付ける百合は 一人合点の奢った「友情」を強制して、迷惑この上ない。拒否されて当たり前。幸せの基準をお金の有無で決め付けるところも いかにも中国的だ。

ニナとソフィアの「友情」も同様。二ナはソフィアの恋人を一方的に悪い男と断じて、別れることをアドバイスして それを受け入れないソフィアと仲たがいする。悪い男ほど 別れられない女も沢山居る。それもまた愛であって、横から あんな男はダメとか 忠告しても意味がない。おせっかいも はなはだしい。自分が ニューヨーク栄転を前にした将来性のある男と一緒だからといって それと同じような男としかソフィアが幸せになれい と信じる傲慢さ、自己中心的で、偏狭な視野。これは、友情でも、「老同」でもないのではないか。

それを考えると、この映画は二組の二人の女の友情の物語だが、人間が描かれていない。人と人が友情で結びつくためには まず、強い自我があり、互いにそれを尊重しながら理解しあっていくことが必要条件だ。
たしかに女の立場は 200年前は弱かった。男の玩具でしかなかった。
纏足文化は 女の奴隷化であり、男の享楽のために 女の体を去勢し 性道具として使って良かった という時代の産物だ。そんなものを懐かしがってもらっては困る。

視点を変えてみると 纏足は何百年も前の 過ぎた昔のことだろうか。
いま女達は纏足の代わりにハイヒールを履く。ハイヒールによって内股の筋肉が鍛えられ、バランスが悪い為 腰を振らずに歩く事が出来ない。それを見て ヨダレをたらす男達。どんなに知的産業に女が進出するようになっても 男の玩具となって生きる女の数を減らすことができない。
雄と雌しかいない地球で どう生きるのか 互いにどう折り合って生きるのか 人それぞれ、というわけだ。
この映画、女が見るのと男が見るのと 見方が全然ちがってくるかもしれない。何も考えず、ただ美しい昔の中国の文化を眺めるだけでも良い。美しい胡弓の調べと 冗漫な画面で寝てしまう人も多いかもしれない。

チョン ジヒョンという韓国の女優さんは、日本でも人気があるらしい。この映画を日本でも上映するかどうか ゴグってみたら、「チョン ジヒョンが全裸でレズビアンに挑戦」というような 大宣伝をしてあった。マスコミの下衆な視点にあきれる。そういうシーンは全くないので 安心したり落胆しても良い。映画は女の友情がテーマであって、レズビアンではない。
韓国のチョン ジヒョンも、中国のリービンビンも、どちらも美しい女優さんだ。ヒュー ジャックマンも 映画の中で歌って踊って大サービスしている。

プロデユーサーが、いま悪名高いルパード マードックが70代のとき 30で結婚したウェンデイー マードック。誘拐されて殺された被害者やイギリス王室の面々まで携帯電話をハッカーして タブロイド新聞で暴露するような卑劣なことをやり続けている 世界最悪のメデイア王の妻、ウェンデイーだ。これは余計だったかな。

2011年9月17日土曜日

エフゲニー キッシンのピアノリサイタル



ロシアからエフゲニー キッシンが来て 3夜だけオペラハウスでピアノを弾いてくれた。
第1夜は キッシン一人だけのリサイタル。第2夜は アシュケナージが指揮するシドニー シンフォニー オーケストラをバックに グリーグのピアノコンチェルト Aマイナー、第3夜は ショパンのピアノコンチェルト 第1番Eマイナーを シドニーシンフォニーと共に演奏する。

6月に やはりランランがシドニーに来た時も 彼は3夜だけ演奏した。第1夜が ランランの独奏のリサイタルで ベートーベンのソナタなどを弾き、第2夜は ラフマニノフピアノコンチェルトを、第3夜は チャイコフスキーのピアノコンチェルトを シドニー シンフォニーと共演した。ラフマニノフのピアノコンチェルトを聴きに行ったが、シドニー シンフォニーに落胆、、、今回も同じ事を繰り返したくないので、第2夜と第3夜を避けて、第1夜の彼の独奏を聴きに行った。全曲 フランツ リストだ。

プログラムは
1)超絶技巧エチュード リコルダンザ 作品139
2)ピアノソナタ Bマイナー 作品178
休憩
3)詩的で宗教的な調べ 作品173
4)巡礼の年 スイス一年目 作品160
5)巡礼の年 ベニスとナポリニ年目 作品162
アンコールに リストの「愛の夢」

シドニーオペラハウス コンサートホールの2500席が ひとつの隙間もなく埋まった。2時間の彼の演奏の間、2500人が静まり返り、息をするのも躊躇われるような時もあった。
もともと形にこだわらないオージーは 楽章ごとに拍手するし 演奏中でも気に入ればブラボーを叫ぶし、クラシックファンでも行儀が良いとはいえないが それでも今回は程よい緊張が見られた。詰め掛けた人々は、若い人が多く ピアノを勉強している生徒達の熱をもった目で キッシンの一挙一頭を追っている姿が 印象的だった。やっぱり、ピアノがとても好きな人って、居るんだなあ。

エフゲイ キッシンは 1971年生まれ。ユダヤ系のロシア人。2歳でピアノ教師だった母親の目を盗んでピアノを弾き始めた という。10歳でピアノ協奏曲を演奏して世に認められ、12歳で モスクワ フィルハーモニーオーケストラをバックに ショパンのピアノコンチェルトを弾く姿がフイルムで発売されて、世界の注目の的になった。
カラヤン、アバド 小沢などの指揮で ベルリンフィルハーモニーオーケストラや、ロンドン交響楽団と共演している。
ショパン、リスト、ベートーベン、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフなど、超技巧的な曲でも、世界各国の民謡でも 何でも弾く。

http://www.evgenykissinfansite.co.uk/id12.html
今年40歳とは思えない 少年のような姿。憂いを含んだ目ざしで、ただ一心に弾く。全然笑わない。ものすごい集中力で鍵盤に向かい、細心の気使いで 計算しつくされた完璧な音を出す。一音一音が すっきり空気を通して立ち上がってくる。ものすごいスピードの中でも 音に一点の曇りもない 明快な音。

オペラハウスの空気を凍らせて断ち割るようなフォルテシモ、 そして、胸が締め付けられるようなピアニシモの対照の美しさ。音のひとつひとつが 宝石のように輝いている。
となりに座っていたオージーの青年が ピアノが強音を奏でている時は 身を乗り出して 弱音になると胸をかきむしって音に没頭していた。わかる。 同感だ。
ピアニシモに胸をかきむしられる思い、、、本当に このピアニストは何という表現力を持って居るのだろう。この人は10本の指で 人間の情感の全ての喜怒哀楽を表現する力を持っている。こういうひとを天才をいうのだろう。ピアノが弾けるということと、ピアノで弾いてみせるということが全然ちがうということが しみじみとわかる。

彼のリサイタルが終わり オペラハウスを出ようとすると、若い人たちが彼のCDを握りしめ、並んで彼が楽屋から出てくるところを待っていた。その列の長いこと長いこと、数百人。
エネルギーを使いきっただろうキッシンに サイン攻めは とても気の毒だと思いつつ 平日の夜なので 家路を急いだ。ピアノを勉強している若い人々に サインという宝物が欲しい気持ちはわかる。しかし、それをもらうために長く並んで待つのだったら、時間を惜しんで 真剣に鍵盤に向かい、しっかり練習しなさい と言いたくなる。

オットは 翌日起きてきて、一晩中 頭のなかでキッシンのピアノが鳴り響いていたよ、、、と言っていた。わかる。わかる。同感。いまでもわたしの頭の中で 宝石のような音が響いている。

2011年9月16日金曜日

映画 「十三人の刺客」



日本では2010年9月に公開された日本の東宝映画「十三人の刺客」、「13 ASSASSINS」を観た。
日本からは大分遅れて 今週から シドニーの大型一般映画館で公開された。日本映画が 英語字幕つきで一般映画館で公開される機会は 極めて少ない。特別の シドニー国際映画祭とか 興行成績に関係のない独立的に文化作品を上映する特殊な映画館でなら、溝口ファンとか、黒澤明ファンが オーストラリア人にも居るから 時々日本映画を見せている。
しかし、大型の興行映画館で、ハリウッド映画と並んで、日本映画を公開するのは、良くて年に1本だろう。この作品の前は ジブリの「ポニョ」だった。
監督 三池宗史(山かんむりの宗の字がPCにない)は 日本で、というよりもアメリカで一定の人気があるらしい。暴力的で残酷なフイルムを作るのが得意な人らしいが、その手の映画を観ないので よくわからない。
キャスト
明石藩主 松平ナリツグ(漢字がPCにない):稲垣吾朗
江戸幕府老中 土井大炊頭位        :平幹二朗
御目付役 島田新左衛門          :役所広司
明石藩 鬼頭半兵衛            :市村正親
御徒目付組頭 倉永左平太         :松方弘樹
島田新六郎 新左衛門の甥         :山田孝之
平山九十郎(浪人)            :伊原剛志
小倉庄次郎(平山門弟)          :窪田正孝
木賀小弥太(山の民            :伊勢谷友介

ストーリーは
江戸末期 徳川将軍の異母弟にあたる明石藩主 松平ナリツグは 天下泰平の緩みきった社会の中で退屈してやりたい放題、冷酷で無意味な殺生を繰り返す暴政を布いていた。藩主に反省を求めて明石藩江戸家老が 老中土井家の屋敷で切腹して訴えるが、将軍は無視、世間知らずなナリツグは 部下の意見を聞かずに一方的に腹を立て この家老一家を惨殺する。将軍の弟ということで 誰もナリツグの暴走を止めることが出来ない。

しかしこの暴君が老中に就任することが決まると、老中筆頭の土井大炊頭位(平幹二朗)は、このままにしておくことはできない と考えナリツグ暗殺を計画する。信頼できるのは お目付け役の島田新左衛門(役所広司)のみ。島田は ナリツグ暗殺が 将軍の為、民のために必要だと判断して 秘密裏に仲間を集め始める。太平な社会でしばらく戦がない。武士は志を失い 腰に刺した剣も役立たずだった。そんな中で島田のもとに、藩主暗殺の志を同じくする武士たちが少しずつ集結してきた。事を起こすのは 参勤交代で藩主が江戸に向かう途中が良い。11名の島田に命を預けた武士たちの激しい訓練と準備が始まった。そして、彼らは街道に仮の宿場を作って一行を待ち構えるのだった。
しかし 迎え撃つ敵の数は200人、、、。
というストーリー

この映画は 戦闘のリアリテイを表現するところに重点を置いている。後半、戦闘場面が延々を続く。切っても切っても13人対200人だから終わらない。殺しても殺しても殺しきれない。死ぬまで戦うのみだ。他の選択肢はない。すでに13人の反逆者たちの帰る場はない。藩主を襲う時点で 反逆者は 侍の身分も家も失っている。男達にとって死ぬことが目的とも言える。

画面全体が暗い。画面の芸術性 洗練されたカメラワークは はるかに「最後の忠臣蔵」が良かった。画面を見ていて紅葉した木々に下を人が歩くと秋の風が感じられ、川が流れるシーンでは水の冷たさが伝わってきた。映画では画面を通して 観客の五感に訴え疑似体験をさせることができるなら フイルム作りが「成功」したと言えるのではないか。それがこのフイルムにはない。監督は エンタテイメントとしての映画に徹底していて、筋書きで、強引に観客を引っ張っていく。

島田新左衛門は 何が何でもナリツグの首を取らなければならない。戦えば互角の鬼頭半兵衛と戦っても しょせん「現状維持派」の半兵衛と 「反逆」の新左衛門とではエネルギーの大きさが違う。従って鬼頭の首は飛ぶ。役所広治は とても良い役者だ。でも日本映画といえば 必ず役所広治が出てくる。他に俳優さんは居ないのだろうか。映画のなかで 役所広治のほうが 松方弘樹の役より格上の役だったと知って驚いた。松方弘樹のほうが はるかに時代劇では年季が入っていて 刀さばきも 立ち回りも素晴らしい。貫禄がちがう。

浪人の平山九十郎(伊原剛志)が素敵。怖い顔で 大立ち回りして、どんどん切って行く。まわりすべてを大量の敵に囲まれて絶望的な状況で 「オレの後から来い。俺が切り損ねた奴を切って進め。」と可愛い門弟の 窪田正孝に言う。二人の生き方も逝き方も潔い。

木賀小矢弥太(山の民)の伊勢谷友介の出現と12人との関わり方を見ていて彼は生き残るだろうと 思っていたが やはり生き残った。最後に二人の男を残したのは良い。山の民と 島田新左衛門の甥、新六郎が生き残る。希望が残った。
島田新六郎は 家を出てくるとき 妻に「行って来る。もし帰ってこなかったら お盆に帰ってくる。迎え火焚いて 待っていてくれ。」と言い捨てて出てきた。しかし、お盆に帰ってくることもなければ、家賃と食費を持って家に帰ってくることもない。そんな風にして 女が捨てられる時代だったのだろう。

彼は叔父、志のある武士が目的を達し藩主暗殺を成し遂げたことを見届け 全ての仲間の死を確認したあと、「侍なんかやめだ。ばかばかしい。オレはメリケンに渡って金髪の女を抱く。」と言う。これが良い。こんな男が明治維新を乗り切るのだ。鎖国と徳川幕府は すでに内部から崩壊していたのだ。

映画に美しい女が一人も出てこない。
話の途中に少しだけ登場する女達は 暗がりから出てきて 眉を落とし白粉で顔を塗りたくっていて お化けのように怖い。この監督 女嫌いではないか。それとも女に何か恨みでもあるのですか。

大型エンタテイメントの映画として成功している。日本で公開されたフイルムから結構大事な場面がカットされてて見られなかったらしい。カットされたシーンは 伊勢谷友介と岸部一徳のシーンと 稲垣吾朗が犬を食うシーンだと言われている。どうして海外版のために 余計なことをするのかわからない。カットについて監督は怒って良いはずだ。

2011年9月13日火曜日

映画 「猿の惑星 創世記 ジェネシス」




映画「猿の惑星 創世記 ジェネシス」、原題「RISE OF THE PLANET OF APE」を観た。日本公開は 10月7日だそうだ。
チャールトン ヘストン主演の「猿の惑星」シリーズは かつて大流行したが それなりに気色悪く、それなりに面白かった。1968年「猿の惑星」、1970年「続 猿の惑星」、1971年「新 猿の惑星」、1972年「猿の惑星 征服」、1973年「最後の猿の惑星」と続けて製作された。4作ともアーサー ジェイコックスの監督だ。2001年にも リチャ-ド ザナックのよって 別の「猿の惑星」が作られている。

今回イギリスの監督 ルパード ワイアットが 今が「旬」のジェームス フランコを主役にして 以前の「猿の惑星」がどうしてできたのか という創世記の話を 映画化した。今さら40年前の映画の筋に 話につなげるのは ちょっと無理がある。しかしそこを 若くて才気あふれ、笑顔が新鮮で愛くるしく 何をやっても憎めない そんなジェームス フランコが 人よりもオツムの良い猿を育ててしまったことが そもそもの「猿の惑星」ができた契機ですと言っている。まあ それでも良い。楽しい映画だ。

http://www.apeswillrise.com/
監督:ルパード ワイアット
キャスト
研究者ウィル  :ジェームス フランコ
猿 シザー   :アンデイ サーキス
父親チャールス :ジョン リスゴー

ストーリーは
サンフランシスコに住むウィルは 遺伝子工学の研究者で アルツハイマー治療薬の開発に従事している。仕事から帰ると 父親のチャーリーはアルツハイマーに侵されて認知障害を起こしている。彼は日に日に症状が悪化し、せん妄や暴力的な異常行動が出てきて 家政婦にも手が終えなくなってきた。

ウィルが開発途中のアルツハイマー治療薬は まだ動物などに試してみていないのでどんな副作用が起るのか 未知の段階だ。しかしウィルは 父親の症状がこれ以上悪化することはない と考えて自分が開発し新薬を ごまかして家にもって帰り チャーリーに注射してしまう。
ウィルは 翌日 自力で歩くことさえ ままならなかった父親が すっかり元気な様子で流暢にピアノを弾く音で目を覚ます。劇的にウィルの開発した新薬の効果が出たのだ。喜んだのは父親チャーリーだ。すっかり「治って」もとに戻れたのだから。

一方、研究所では この新薬をテストするために注射されたチンパンジーが突然暴れだし、逃亡しようとしたため銃殺される。暴れ出したチンパンジーは 妊娠していたのだった。殺された母体から 秘密裏に心優しい飼育人によって、助け出された赤ちゃんチンパンジーは ウィルのもとに引き取られることになった。ウィルとチャーリー親子は チンパンジーに シーザーという名前をつけて 自分達の子供のように可愛がって育てる。シーザーは新薬を注射された母親から生まれたから 頭脳は人間並みだ。人のように話すことは出来ないが 言葉を理解する。親子は シーザーが大きくなると ひんぱんに森に連れて行って遊ばせた。シーザーは賢い子に育っていった。

ある日、チャ-ルスが隣の家人と諍いをしているのを 家の中から見ていたシーザーは チャールスを救う為に 家から飛び出して 隣人を傷つけてしまう。その結果 シーザーは警察命令で、猿の保護施設に入所させられてしまった。保護施設では 刑務官に暴行され、他の猿達からはひどい目に合わされて、シーザーは人間不信に陥る。ウィルとチャーリーは すぐに迎えに来ると言うが もう人間は信じるに値しない。
シーザーは研究所から手に入れた 新薬を捕獲された他の猿達に散布する。その結果 何百という猿達が一夜のうちに 人並みの知能を獲得した。シーザーはリーダーとなって 猿達を率いて反乱を起こす。動物保護施設の冷酷な係員は殺され、警察と正面衝突をする大規模な反乱が起きることになった。

一方、シーサーの母親が銃殺されたとき 赤ちゃんのシーザーを救い出した飼育係は 出血性の病気に罹っていた。これは新薬による副作用で 母親チンパンジーからウィルス感染したものに違いない。飼育員がウィルに それを報告しようとしたときは すでに時遅く 飼育員はウィルスをまき散らしながら死んでいった。
ウィルは シーザーの乱暴を止めさせようと シーザーを探し回る。一緒に家に戻って 一緒に暮らそう。しかし、シーザーは 猿の群れを連れて 森に向かう。ウィルが止めるのを シーザーは聞かない。なぜなら、森こそが シザーにとっての家だったからだ。
というストーリー。

たわいないストーリーだけど 動物愛好家にとってはとても楽しい映画だ。シーザーがとても可愛い。彼が 保護施設に入れられ、最も信頼していた人に裏切られた と思ったときの表情、反乱を起こす時の表情が 人並みというか、人以上に 表情豊かで表現力がある。反乱を起こしたかった訳ではなく 反乱せずに居られなかった状況も よくわかる。終わり方も良い。

ただこの作品を1968年から1973年までに制作された映画の「創世記」として捉えるのは つじつまが合わない。SFと言うが、科学的でない。
遺伝子工学によって人並みの知能を持った猿が一挙に 現在68億人の世界総人口に迫るほど増加して地球を乗っ取るほどの力を持つことは 考えられない。地球にはそれほどの 水、食料、エネルギーがない。また猿が 高い知恵を持っても 知能は教育によってしか 継続的に伸びることはできない。人を征服するためには、人以上の継続的 高等教育機関がなければならないのだ。また、猿の寿命を人並みに どうやって伸ばすことが出来るのか。遺伝子操作でそれができるとは 考えられない。

わたしはこの映画は うまく収まって シーザーがウィルとチャーリーから自立するところで きれいに話しが終わるが、実は 未来は明るくない と考える。猿達は出血性のウィルスに感染している。この猿達は 長くは生きられない。おまけに猿達は このウイルスをサンフランシスコ中に撒き散らしたのだ。人の未来もまた 明るくないのだ。

そんな映画だけれども、もともと「サルの惑星」は 皮肉な筋書きの大昔のSFだ。作者のフランス人 ピエール ブールは 自分が戦争中 フランス領インドシナで 日本軍の捕虜になったときの 経験から「サルの惑星」の発想を得たという。
しかし、あまり、深く考えないで 画面を楽しめば それで良いのだ。そうそれで良いのだ。

2011年9月11日日曜日

NYメトロポリタンオペラ 「トスカ」



ニューヨーク メトロポリタン オペラ公演「トスカ」プッチーニ作曲、3幕4時間を 映画館でハイデフィニションフイルムで見た。

実物のオペラ「トスカ」は 去年 オペラオーストラリア公演を、下の娘と観た。上の娘は この「トスカ」を本場イタリア ローマのカラカラ遺跡の野外オペラ会場で観てきたところだ。真夏なのに、夜になると遺跡のあたりに風が出て、寒くて寒くて途中からは ガタガタ震えながら観ていた と言う。

指揮:ジョセフ コラネリ
キャスト
トスカ   :カリタ マテイラ
カラバドッシ:マルセロ アルヴァレス
スカルピア :ジョージ ガグニッゼ

ストーリーは
1800年 ローマ。聖アンドレア デラ ヴァレ教会で画家、カラバドッシがマリア像を描いている。そこに ナポレオン支持派の反政府活動家アンジェロデイが 監獄から脱獄してくる。カラバドッジは 親友の出現に驚きながらも 自分もナポレオン支持に傾いているので、親友を匿い 無事に逃亡させる決意をする。脱出計画を立てている最中に 女優で恋人のトスカが カラバドッジに会いにくる。あわてる恋人のただならぬ様子に、嫉妬深いトスカは 彼が浮気をしていたのではないかと疑って責め寄る。

そんなトスカを 心から愛している気持ちを誠実に伝えて なんとかなだめて、カラバドッジは 親友を別荘に案内して匿う。
しかしその間に 警視総監スカルピアが 脱走犯を追って教会にやってくる。トスカもカラバドッジの態度に腑に落ちない気持ちで 教会にまた戻ってきて、スカルピアと顔を合わせる。スカルピアは早くも カラバドッジが アンジェロッテイの逃亡に関わっていることを悟り トスカの嫉妬心を利用してカラバドッジを問い詰めれば 脱獄犯を再逮捕できるし、ついでに片思いしていたトスカも思いどうりに出来る と考える。

カラバドッジは逮捕され、拷問を受ける。それに耐えられずトスカは スカルピアに、自分の体と引き換えに 逮捕されたカラバドッジの命を救う約束をさせる。しかしスカルピアの腕が、トスカに伸びた瞬間、誇り高いトスカは思わずスカルピアを刺し殺してしまう。
死刑場に引き立てられたカラバドッジに トスカが駆け寄る。スカルピアとの約束で、銃殺刑に使われる銃には空砲が入っているだけ、死んだふりをして、役人達が立ち去った後、二人で逃げましょう、と、愛し合う恋人達は歌い合う。

しかし空砲のはずの銃には スカルピアの思惑通りに実弾が入っていた。
目の前で恋人を銃殺されたトスカは 聖アンジェロの城の頂上に登り 身を投げて恋人のあとを追う。
というおはなし。

今回観たフイルムでは イタリア人ジョセフ コラネリが指揮をし、ソプラノをフィンランド人のカリタ マテイラが歌い、テノールをアルゼンチン人のマルセロ アルヴァレス、そしてバリトンをジョージア人のジョージ ガグニッゼが歌った。それをシドニーで観て 日本語で報告を書いている。
アメリカ大陸、ヨーロッパ、南米、ロシア、そしてオーストラリアと、全大陸をひとつのオペラが駆け巡っている訳だ。トスカというオペラ中のオペラ、オペラの代表のような この作品がいかに時代を超え、国境を越えて愛されているかが、わかる。

ソプラノのカリタ マテイラは緑色の目をしているそうだが、トスカを演じるために茶色のコンタクトレンズを入れて、実にパワフルな声で歌った。愛する男の命を助けるために 自分の体を警視総監に差し出すが、嫌な男に身をゆだねることに耐えられなくなって 刺し殺してしまい 最後には逮捕され裁かれるよりは死を選ぶ強い女だ。可愛らしくて転がるような美しいソプラノではなく、力強い 自立した女の しっかりした声でなければならない。彼女、重い1800年代の衣装姿で、よく歌っていたが、やはり年齢は隠せない。40後半から50代ではないだろうか。体が固い。この役をあと何年も 繰り返して演じるには無理がある。

その点、テノールのマルセロ アルヴァレスは 若い。パワフルなのに 限りなく柔らかく伸びる美しい声だ。最後には 彼が登場すると客席では総立ちになって拍手していた。その拍手の長いこと 長いこと 本当に長いことスタンデイングオべーションが続いた。本当にきれいな声だ。今後も他のオペラで 彼を見ることもできることだろう。人気者になるに違いない。

しかし この公演の一番の華は なんと言ってもスカルピアだ。ものすごく悪い奴。腹黒く 表は冷酷無情 裏では色欲物欲に目のくらんだ 俗物中の俗物。最低の最低の最低の奴。卑怯でムシズの走る男。こんな奴に触られでもしたら、思わずヒステリーを起こして殺してしまいそう、、、本当に こんな男を絵に描いたような男をバリトン歌手が 歌って演じた。もとソ連いまはジョージア出身のジョージ ガグニッゼだ。太ってギョロギョロ目で二重顎 本当に憎憎しい。彼がブランデーグラスを片手に、金で買った3人の娼婦たちと戯れながら 歌う。これがみごとだ。みごとに いやらしい。
娼婦達は 薄く透けて見えるガウンに 身に着けているのはGストリングだけ。おしりも乳房も出しっぱなしで 「え、、これオペラだったかな」と心配するほど妖艶に これでもかこれでもか とばかり挑発的で扇情的なポーズを取る。日本公演でも これをやるだろうか。ちょっと心配。
ともかく 今回の悪役スカルピアは 大成功。「トスカ」は ヴィデオでも舞台でも何度も観ているが、これほどピカイチのスカルピアを他に見たことがない。バリトンの太ぶとしい音までもが 憎憎しく聴こえる。ものすごく上手だ。これほど悪役を演じることができる人の才能に拍手。

メトロポリタンオペラの公演をネットで見ていたら、ソプラノだけを替えて、彼らがテノールとバリトンのコンビで 「トスカ」を何度も演じていることがわかった。絶妙のコンビ、ということだろう。マルセロ アルヴァスと、ジョージ ガグニッゼ、ちょっと忘れられない 良い歌手たちだ。

衣装の豪華さ。舞台の洗練されたセンス。優秀な歌手たち。メトロポリタンオペラの贅沢さに、身を浸して 満ち足りた日曜の午後を過ごした。

2011年9月10日土曜日

第7回 ラグビーワールドカップが始まった




第7回 ラグビーワールドカップが始まった。
マオリの武闘ダンスなど、ど派手な開会式のショーのあと、第一試合 ニュージーランド対トンガ戦が行われ、予想どうり41対10で、オールブラックスが圧勝した。トンガの選手達の立派な体格、体重130キロの選手が弾丸のように走る。素晴らしく力強い試合だった。激しい格闘技なのに、ペナルテイがわずか という紳士的な良い試合だった。
試合前日 トンガチームがニュージーランドの空港に着いたとき ニュージーランドに住むトンガの人々6000人が出迎えた という。

世界中から 10万人のラグビーファンが ニュージーランドに集まってきている。開催国のニュージーランド オールブラックスは 何が何でも優勝しなければならないから 今 ものすごい嵐のようなプレッシャーの中に居ることだろう。もちろん、オーストラリアのワラビーズも 優勝候補だ。でもワラビーズは もうワールドカップで 2回優勝しているので、今回は ラグビーで世界最強のエリスカップをオールブラックスに もっていってもらいたい。

出場20カ国は 5カ国ずつ4つのグループに分かれて 総当たり戦を戦い それぞれのグループ上位2カ国が、決勝トーナメントに出て 世界最強国が選ばれる。

日本は この4年に一度開催されるワールドカップに 第一回戦1987年から連続参加している。日本チームのいるAグループには オールブラックスが居り、他にフランス、トンガ、カナダがいる。
ワラビーズの居るCグループは アイルランド、イタリア、ロシア、アメリカの5カ国だ。

1987年の第一回ワールドカップは オーストラリア、ニュージーランド共同で開催され、オールブラックスが優勝、第二回は イングランドで行われ ワラビーズが優勝、第3回は南アフリカ開催で、南アフリカが優勝した。この ネルソン マンデラのスピーチで始まった感動的なワールドカップは、クリント イーストウッドの監督した映画「インビクタス」で描かれた。第4回は ウェールスで開催され、再びワラビーズが勝ち進み、第5回はオーストラリアで開催されて、イングランドが勝ち、前回はフランスで開催されて、南アフリカが優勝した。

観戦できるスポーツのなかで 何が一番好きかと問われて、躊躇なく「それはラグビー」と 答えることが出来る。その点だけが 吉永小百合と共通している。、、、? 
父がラグビーを好きだった。
毎年 正月に行われる6大学戦で最後に残った優勝戦が 早慶戦になることが恒例だった頃 子供時代を過ごした。父はラグビー部の顧問教授の中に名前だけ連ねていた時期もあったから 直接観戦できる席が用意されていたのに、いつも家で子供達と一緒に観戦していた。子供心に 真冬の凍った土を蹴散らしながら 肉体と肉体がぶつかりあう激しいスポーツに、他の野球などにはない醍醐味をみて惹かれていた。

死んだ夫もラグビーファンだった。子供が出来るまでは、正月は二人で厚着をして よく球場に観に行った。昔のデモ仲間のあいだで ラグビーチームがあることを聞いて 頼み込んで夫をチームに入れてもらった。シャツもスパイクつきの靴も買い揃えて 嬉しそうに走っていた。背ばかり高くて 筋肉のついていない体に スクラムは全然似合わなかったが 全体のチームの動きを的確に見ていて よくボールを取ってパスしていた。徹夜続きの忙しい仕事の合間に、よく続けたと思う。履き潰すほどには 活躍しなかったスパイクシューズを 沖縄転勤、レイテ島転勤と、赴任先が変わるごとに 大事に持ち歩いていた。もっと若い頃は 熊谷組に居て 野球の選手だったので、野球のユニフォームや帽子やシューズも大きな箱に入れて大事にしていた。

二人の娘とニュージーランドに滞在していたとき、「ラグビーやらない奴は男じゃない。」と、水道工事のオッサンから 哲学者で もの静かな教授までが 真顔で言うのを何度も聞いた。
ラグビーは自分の力でボールを抱えてゴールを突破しなければならない。足で蹴ったボールがネットに入るか 偶然性の高いサッカーと異なる。強い立ち塞がる相手チームの壁を実力で崩し 前進しなければ何も始まらない。加えて気が遠くなるほど広いフィールドを 80分という 長い試合時間を走り続ける。頼みは スクラムの強さと逃げ切る足の速さだ。
オールブラックスには 体重が100キロ以上あるのに、100メートルを10秒で走る選手が何人も居る。オールブラックスは 国の誇りでもあるのだ。

オーストラリアに16年住んでいて ワラビーズの活躍ぶりにも目を奪われる。単純に体が大きくて 水牛のように強ければ良いのではない。今年まで 日本のサントリーサンゴリアスで活躍していた ジョージ グレーガンの小柄だが的確に見方にパスを出す頭の良さ 機敏性、走りこむ速さは驚異的だ。彼の動きを見ていると いかに総合的な力がラグビーにとって大切かが わかる。
オールブラックスやワラビーズの激しい格闘技としてのラグビーを見慣れた目で 改めて日本の試合を見ると、体が華奢で、スピードが遅く 試合後半になるとダレてくることが とても気になる。お決まりのように、テレビ解説者とスポーツアナウンサーが、後半戦になると、「選手たちが疲れてきました。」と繰り返す。80分間 走り続けられないなら ラグビーなんかやるなよ と言いたくなる。国際試合を本当に勝ち抜きたかったら、大量の肉だけ集中して食べて体作りをすることも必要ではないのか。
ワールドカップには、「後半戦です。選手は疲れてきました。」も、「倒れています。魔法の水を持ってきました。」などもない。2試合続けてできるくらいの体力のある選手達の立ち塞がる厚い壁を破り、前に進まないとトライを決められない。

今日は 日本対フランス。
第一回大会から招待を受け 毎回出場しているとても名誉な日本チーム。アジア最強チームの全日本ラグビー。 勇気をもって ぶつかっていってもらいたい。

2011年8月23日火曜日

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父が亡くなっても家のある人たちは みな帰っていく。通夜の後も 葬式のあとも。わたしには帰る場がないから 父が前住んでいたホームに一人もどる。そして父のにおいのする部屋で、父のベッドに横になり 父のにおいの残る枕で眠る。

でもそれも もう最後。私もわたしの巣にもどる。外国という名のとらえどころのない海の果てに。そんな頼りのないところに 自分の作った小さな場所を わたしなりに守らなければならないから。

父と母が 共に息をして暮らした場にあった 薔薇の油絵を持っていく。
父が最後の日まで手元に置いていた 湯のみと茶筒をもっていく。
父が晩酌でウイスキーを飲む時 母がお相手にワインを飲んだウェッジウッドのワイングラスを持っていく。
父が物を書いていた机の上にあった 一輪挿しを持っていく。
箪笥の奥にあって 恐らく父は 一度も身に着けなかったカフスボタンを持っていく。
父が入院先でヒゲを剃っていた電気剃刀を持っていく。粉のような父の剃ったヒゲごと。
書斎に飾ってあった 娘が色鉛筆で描いた父の肖像画を持っていく。
父の大好物で いつか食べようと取ってあったカニ缶を持っていく。
父の枕元にあった 本20冊ほど持っていく。
父が 散歩のとき被っていたソフト帽を被っていく。
父の枕もとにあった懐中時計を持っていく。
父が履いていたソックスを履いていく。
箪笥に入っていた 父の匂いの残るハンカチを6枚ほどもっていく。
父が書いたペンでこれを書いている。
父の匂いのするものを、何もかも持ってかえりたい。
父が吸っていた空気を持って帰りたい。
何もかも持って帰りたい。
他の誰にも渡したくない。
それができなくて、哀しい。

父 書く人 


8月13日
父の血圧が100前後、脈120くらい、呼吸数25、末梢血流酸素68%-75%を前後し、一方血糖値が高栄養輸液のために330と急上昇する。昼間は」普段どうり呼吸が苦しいが」話しかければ返事をし、お父さんおはよう、と言うと「おお」と返事をする。義姉が 「お父さん明日また来ますから」と言うと しっかり握手をする。

それなのに それは突然やってきた。
午後5時。幻視 幻覚がはじまる。父は兄、姉夫婦に囲まれながら私たちと視線が合わなくなった。父は天井を見ている。私たちに見えない何者かを見て、「おお」とか、「ほほー」とか言って、嬉しそうにしている。突然肩をすくめて笑い声をあげる。私の右手を 痛いほど強く握りしめるので、しばらくして手をはずすと、その手を布団から出して、空中で何かを書く様子を見せる。あわてて 父の手にペンを持たせると しっかり握りノートに何かを書こうとする。

父は昔から筆を持つと 美しい字を書いたが、ペンを持つと実に歯切れの良い 起承転結のある 格調高い文章を書いた。大学で教えていた間、学術書を書いたが 定年退職後は趣味で 随筆集をいくつも出した。書くことが趣味で 仕事で、道楽でもあった。そんな父が死の最期までやりたかったことは やはり書くことだった。

幻覚の世界で父はペンを握り 誰かと話し合い、笑い合い、そして書き続けた。父の持つペンに 紙をあてると字にならない字を書き続けた。
「お父さん お母さんとお話しているの」と聞くと、いいやとはっきり首を横に振る。「お父さん 疲れるから眠ってください」と言っても、首を横にふる。
幻覚のなかで、朝まで父は休まず ずっと誰かたちと話をしながら何かを書いていた。

8月14日
とうとう父は一睡もせずに 昨夜5時から朝まで ずっと目を大きく開き、右手にペンを持ち 何かを書いていた。ときどき笑いながら、楽しそうに。

呼吸が 下顎呼吸に変わったので、ホームで眠っている兄と姉夫婦を呼ぶ。かけつけたみんなの前で 父は30分かけて ゆっくりゆっくり呼吸数を落とし、そして呼吸を止めた。
父のみごとな死を私たちは 黙って見つめていた。

大内義一 99歳。
午前7時 永眠。
ペンを握りながら 力尽きて逝く。

優しくなった父


8月12日
「土建屋に箪笥を持たせるな」という言葉がある。土木建築設計技師だった夫は 地下鉄、道路、橋、公園などのプロジェクトが始まると 最初から関わり現場を指揮し、完成するころには もうそこからは離れて別の仕事にとりかかっていた。一箇所に長く留まっていることはない。文字通り、家族を連れて 家から家へ引越しの連続で 立派な箪笥など買う余裕がなかった。

沖縄に3年、レイテ島に2年、マニラに7年、そして 夫を失ってからは オーストラリアに移って15年。随分長いこと外国暮らしをしてきたが 二人の娘をつれて 年に一度正月に帰国するのが楽しみだった。2週間ほど、父のところに 滞在する。着けば、父はさっそく二人の孫に お小使いを渡し、私たちが嬉々としてデパートに買い物に行くのを見送ってくれた。ロクに本など買わず 服や装身具ばかり、買ってきては 広げて父に見せる私たちの姿に「おお すごいの買ってきたな」「うん とても似合う服だよ。」と、大げさに一緒になって喜んでくれた。教壇に立っていたころの俗物嫌いの父からは想像できない変化だった。

庭で たくさんの花を育て、池の金魚の世話をしていた父が 突然家を売り、原書や貴重本など すべての本を 淡路の図書館に寄付したり処分して母と二人きり身軽になって有料老人ホームに入居したときは みながびっくりした。父としては 子供たちが巣立ち 孫も大きくなって 老夫婦二人になったので、いつまでも母に買い物や食事の支度をさせず 楽をさせようと思ってのことだった。と思うが、母はホームに入って 翌年亡くなった。一人きりになった父のために 子供達もお弟子さん達も 頻繁に訪ねたが、13年間、一人きりで暮らした父の日々は辛かった と思う。

エックスレイ写真を見ると右肺の全域が 炎症で完全につぶれているのに 父は 右側にいる私のために 体ごと顔を右に向けて眠っている。抹消血管の酸素血流量は 80%前後。痰がつまるとすぐに60%くらいに落ちる。気が気ではない。
夜11時、呼吸の状態が良くないので 兄と姉に電話をする。たいしたことではないのかもしれないけれど、、、と言ってどもる私に それで良いと兄が言ってくれる。兄は練馬から車で飛ばして、1持間で到着。姉は父のホームから ただちに来る。皆が到着してみると 父の呼吸は安定していた。
深夜になって、兄姉はホームに引き上げる。

写真は娘が描いた父

父をひとりじめ


8月11日
3時間ほど父のそばを離れる。そんなときほど 何かあるのではないか、いやな予感に脅えながら 父のホームに向かう。
帰国して、成田から病院に直行したので 父が住んでいたホームから 自分の着替えや 読むものを持ってきたい。病室に父を残して 病院発の船橋法典行きのバスに乗る。イトーヨーカ堂で買い物をしてホームに着いたとたんに 父の急変の連絡が入る、逸る気持ちでタクシーに飛び乗って病院にもどる。

モニターをつけているが、血中酸素量が下降したので、婦長が家族全員を呼んだ。見たところ 呼吸状態も意識状態も2日前と変わらない。
しかし肺のエックスレイ写真を 2日前のものと比べて見ると歴然たる違い。肺葉のすべてに白い影が広がっており、ほんのわずかの隙間しか 残っていない。医師に改めて「危篤状態です」と言われる。

呼びかければ父は返事をし、笑顔を見せ、強く手を握りかえしてくれる。兄夫婦は夕方帰宅するが、姉夫婦は病院近くの父のホームに泊まることにする。
父の横で眠るようになって3晩目。食事は兄や姉が来る途中、コンビにで買ってきてくれるおにぎりや果物など。それが食べきれず たまっていく。

昼間は良いが、夜間、痰がたくさん出て 吸引してもらわなければ窒息してしまうので、夜が父にとって とても辛い。鎮痛剤を入れてもらって 父の眠りが少しだけ深くなり 多少心が休まる。
父と同じ呼吸をする。父が吸い。父が吐く空気を 吸って吐く。父の匂いのする枕に ほほをつけて、まどろむ。強く厳しかった父が こうして年をとり、弱くなって優しくなる。 そんな「お父さんをひとりじめ」

ブラックシープ


8月10日
一晩中 父の手を握りながら 横で眠り父と娘の濃密な時間をすごす。呼吸を通して 肺に炎症が広がっていることがわかる。主治医が現状を説明する。子供たちが知らないうちに 父は尊厳死協会に登録していて、延命治療拒否を明確にしていた。すべての決定は 常に父。家族は従うもの。これが 明治生まれの人の生き方だった。

一人息子の兄は偉大な父という 大きな壁を前にして、大変だったと思う。父の書き散らしたものをまとめ、手を入れ、編集し、学会の発表も秘書のように後ろで支えた。多数の著作も、業績も兄が後ろで支えて できたものだ。私には それらがどんな価値をもったものなのか、全くわからない。

どの家族にも ブラックシープと呼ばれるような 異端児が居るものだ。
私が完全に子供のときから できの悪い へそ曲がりの変わり者 ブラックシープだった。いまは日本を捨てて26年間 外国暮らし。そんな娘にも父は常に変わらぬ愛情を注いでくれた。そんな父と、だまって父を支えてきた兄と姉と義姉に申し訳ないと思いつつ、父の手を握りながら 二人だけの夜を過ごす。
主治医に中心静脈栄養カテーテルを挿入すると言われ、それが父の延命治療拒否の意思に反するのではないか と迷いつつも、静脈が確保できなくなったので同意せざるを得ない。

痛み止めの処方を、という申し出に「どこが痛いのですか」と問う医師に、腹をたてる。寝たきり、寝返りもできなくなった肺炎患者に 痛みが全くないと、確信するような医師の想像力の欠如を 嘆かずにいられない。