2011年4月26日火曜日

カナダ映画 「灼熱の魂」




カナダ映画「アンサンドゥ」、邦題「灼熱の魂」を観た。
2011年アカデミー外国語映画賞にノミネイトされたが、「イン ア ベターワールド」が受賞したため、惜しくも賞を逃した作品。
レバノン生まれのカナダ人 ワジデイ ムアワッドの芝居を デニス ヴィルヌーブが監督して映画化した。アラビア語とフランス語で映画が進行し、英語の字幕がつく。130分。全編 ヨルダンで撮影された。
http://www.sonyclassics.com/incendies/

原作:ワジデイ ムアワッド
監督:デニス ヴィルヌーブ
キャスト
ナワル:LUBUNA AZABEL
ジェーン:MELISA DESORMEAUX POULIN
サイモン:MAXIM GAUDETTE

ストーリーは
中東。孤児院に収容されていた男の子ばかりが集められ 軍服姿の男達によって 一人一人髪を刈られ 丸坊主にされていく。乱暴にバリカンで髪を刈られながら 固く唇をかみ締めて 不屈な瞳で男達を見つめる少年のズームアップで、映画が始まる。

カナダのケペック。フランス語圏。
ナウル マワンは弁護士の秘書を 20年近く勤めながら、双子の姉弟、ジェーンとサイモンを 育ててきた。彼女はこの弁護士のパートナーでもある。ジェーンもサイモンも もう成人して独立した。
ある日、突然ナウルが発作を起こして床に就き、やがて死ぬ。残された遺書を開いて、ジェーンとサイモンは驚愕する。遺書には 兄と父親を探し出し同封された2通の手紙を渡すように と書いてあったのだ。ジェーンとサイモンの父親は 母がカナダに来る前に 中東、ダレッシュの内戦で戦死したと聞かされていたし、兄の存在など聞いたこともなかった。母に どんな過去があったのか。

ジェーンは数学者として 事実から目をそむけてはいけない と考えて母親が生まれた土地、中東のダレッシュに向かう。(ダレッシュはレバノンと思われるが、架空の地名だ。)ジェーンは 母の古いパスポートと写真を頼りに 内戦と 血を血で洗う宗教戦争に引き裂かれた激動の60年70年代を生きた母の軌跡を追うことになる。

ナムルは ダレッシュ南部の小さな村で生まれた。伝統的なモスリムの厳しい戒律が生きる土地だ。ナムルは宗教上 許されない相手に恋をして 恋人を兄弟に殺され 恋人との間にできた男の赤ちゃんを産むが、家名を汚した罪で 家から追われ、ダレッシュの街に、叔父を頼って出てくる。
クリスチャンでリベラルな叔父は ダレッシュ大学の教授だったが、ナムルに教育を受けさせ 彼の持つ新聞社で働くように世話をした。
1970年、極右勢力がダレッシュを占拠し、大学を封鎖した。叔父達はダレッシュを捨て 北に避難する。しかしナウルは 故郷に戻り 昔自分が生んだ子どもを引き取りたいと考えて南部に向かう。しかし南部は完全に極右勢力によって占拠されていた。家は瓦礫となり、家族の姿はない。産んで すぐに取り上げられてしまった息子は 孤児院ごと 軍に連れ去られたという。

街に向かう途中 モスリムの乗客でいっぱいのバスに 乗せてもらったところ、軍に襲われて バスごとガソリンをかけられ 乗客はすべて惨殺される。辛うじてクルスチャンとして一命を取り留めたナウルは 反政府ゲリラに入る。そして極右政府の議長の家に、家庭教師として入り込み 議長を暗殺する。ナウルは政治犯として捉えられ、監獄に送られる。女囚に対する 拷問やレイプはすさまじいものだった。監守の中でも、最も残酷な男からナウルは 繰り返しレイプされ、15年間の刑期を終えるときには妊娠していた。監獄で出産をして、ナウルは 新政府の恩赦によって、産み落とした赤ちゃんとともに、カナダに送られる。
母親の歩んできた道は そのような過酷なものだった。中東の宗教戦争、対立や政治犯などについて、何も知らなかったジェーンとサイモンは、傷つく。しかし そのような中で、遂に探し出した兄と父は、、、。
おどろくべき事実が明らかにされる。
ナウルの1949-2009と、彫られた墓石の前に佇む男の姿を最後に、映画が終わる。

大変 インパクトのある映画なので、心臓の弱い人は観ない方が良い。一緒に観たオットなど、映画にあと、家にもどり 一言も口をきかずにベッドに入ってしまった。ナウルは60歳で死んだことになる。彼女の生きた60年、70年は シナイ半島、中東戦争、イスラエル進駐、パレスチナ蜂起、など、ナウルは火薬庫の上で育ったようなものだったろう。映画のようなことも、確かにあったかもしれない。

この映画の残したテーマで 考えたことは、「過酷な過去から人は立ち直れるものだろうか」、という問いと、「母は子に何を残すのか」 ということだ。私は 人は残酷な過去を忘れて 立ち直ることができる、と信じる。人は 触れられれば血が噴出すような 生傷を抱えて生きているが 触れずに生きている。忘れたふりも、立ち直ったふりをすることも上手だ。沢山の人が、そうして生きて来たと思う。ナムルの過去がどんなに残酷なものだった にしても、、、。
それと、母親が死ぬ時、子供達に何を残せるか。どんな親も 子ども達が生きてくれたことを祝福し、感謝し、自分からは1セントでも多くのものを 残してやりたいと思うのが自然だと思う。死ぬ時に自分の負債を子どもに残したい母親など居ない。その意味で、この映画は、非現実的だ。彼女が激白したことで、暴かれた秘密は、子供達にとって抱えきれないほどの痛みだ。残された子供達に それを どう乗り越えて生きろというのか。生き続けられないかもしれない。彼女は最後に 双子の姉弟の兄と父にむけて 愛に満ちた手紙を届けさせた。それが愛だろうか。復讐ではなかったか。
知らないで居る方が、ずっと幸せな場合もある。

映像が美しい。音楽とマッチして とても効果的だ。
母親の過去を探すジェーンとサイモンの「現在」と、ナウルの「過去」とが、交差しながら物語が進行する。画面が現在になると、ロックやブルースのリズムにアラビア語の のびやかな歌が響く。ナウルの過去に画面が変わると 音楽はクラシックの賛美歌に変わる。
風の音が印象的だ。砂塵と風の音、、、遠くのモスクからお祈りの声が響き渡る。映像が洗練されていて、美しい。

2011年4月20日水曜日

デンマーク映画「未来を生きる君たちへ」





デンマーク スウェーデン合作の映画 「IN A BETTER WORLD」、邦題「未来を生きる君たちへを観た。
2011年 ゴールデングローブと、アカデミー賞 最優秀外国語映画賞、受賞作。
スーザン バイヤー監督 (SUZAN BIER) 1時間50分。
キャスト
ドクター アントン:PERSBARANT MIKAEL
アントンの妻マリアンヌ: DYRHOLN TRINE
10歳のエイアス  :MARKUS RYGOAD
10歳のクリスチャン:NIELSEN WILLIAM JOHUK
クリスチャンの父  :THOMSER ULRICH
http://www.imdb.com/video/imdb/vi1945869593/

ストーリーは
デンマークのある小さな街。
二人の 10歳の少年がいる。
エイアスは スウェーデン人で、おまけに兎のような前歯を矯正しているところなので 学校で いじめられている。体の大きな 悪いグループの生贄になって、通学用の自転車を壊されたり 殴られて 生傷を作ってばかりいる。
彼の父親、アントンは デンマークに本拠を置く国連から派遣されて スーダンの難民キャンプで働くドクターだ。エイアスの母親も ドクターだが、家の近くの病院に勤めている。しかし夫が過去に 他の女性と恋愛関係を結ぶ裏切りにあって以来 夫とは別居している。

そんな 壊れた家庭と、学校でのいじめに苦しむエイアスのクラスに 新入生が やってきた。
ロンドンから来たばかりの クリスチャンだ。彼は癌で母親を失ったばかりだ。父と二人 父の生まれ故郷に 帰って来たのだった。クリスチャンにとって、母の死は 耐え難い痛みだった。父、クラウスは いつもクリスチャンに 「母親は必ず良くなって帰ってくる。」と、約束していた。でも母は帰ってこなかった。癌末期に、母は自分がわからなくなって 子どものようになってしまった。そんな母の姿を見て、父は母の死を望んでいた。クリスチャンにはそれが許せない。
クリスチャンは 無表情、無感情を装いながら、心の中では やり場の無い怒りで燃えていた。

アントンが 休暇で帰ってきた。再びスーダンの難民キャンプに帰るまで 数週間 エイアスや彼の小さな弟や クリスチャンを遊びに連れて行ってやることができる。そんなある日、エイアスの弟が粗暴で乱暴な自動車整備工の子どもに いじめられた。中に入ったアントンは その男に恫喝され、暴力を振るわれる。
アントンには 強い信念がある。暴力に暴力で返しても何も生まれない。自分は筋の通らない無意味な暴力を決して恐れない。そう子供達に言い聞かせて、アントンは その男の前に立つ。しかし、男はアントンの説得など何も聞かず、再び一方的に暴力を振るった。アントンは このことで子供達に 暴力を恐れない自分の正しさを示したつもりだったが、子供達は ただ、信頼する人が 自分達の目の前で殴られる暴力への恐怖を体験することになった。

クリスチャンの古い家の作業小屋には、ずっと昔 亡くなったおじいさんが放置していた爆薬が沢山あった。クリスチャンは インターネットで爆弾の作り方を学び、爆弾を作る。エイアスの父アントンを侮辱して殴ってきた自動車修理工の車に 爆弾を仕掛けるためだ。暴力には暴力で対するしかない。エイアスの協力が要る。しかし気の弱いエイアスは どうしてよいか わからない。思い余って アフリカにいる父に ネットを通じて電話をする。すると、父は いつもの父ではなく うっすら涙を浮かべ 疲れているから息子と話が出来ない、と言う。そんないつもと様子が違う 気弱な父を見たエイアスは 父を傷つけた悪者を征伐しなければならない、と思い込み、クリスチャンと一緒に 敵の車に 爆薬を仕掛けることにする。
アントンはその日、難民キャンプで 幼い少女の命を救うことができなかったことで気落ちしていた。そこを、少女を傷つけた張本人 反政府軍のキャプテンが 怪我をしてアントンの部屋に 銃をもって押し入ってきた。アントンは 死んだ少女を侮辱して笑いものにする この男を 治療せずに キャンプ内にいる人々に引き渡したのだった。男は難民達によって撲殺される。アントン自身の暴力へのの強い信念が揺らぎ始めた。アントンは傷ついていた。

クリスチャンとエイアスは 車の下に爆弾を仕掛ける。しかし発火直前に何も知らない 女の子が近寄ってきたのを 止めようとしてエイアスは爆発とともに吹き飛ばされる。幸い エイアスは命を取り留める。クリスチャンは警察にも父親にもすべてを話して、エイアスの母親に許しを求める。しかし、母親はクリスチャンをなじり、責め立てることしかしない。
クリスチャンは それをみて エイアスは死んだと思いこんでしまった。
彼は、ひとり、死んだ母親のところに行こうとして ビルの屋上から飛ぼうとしているところを アントンに救い出される。
というお話。

10歳のころの子供達の 傷つきやすい魂が、痛ましい。孤独な少年達、エイアスとクリスチャンの傷の痛みがひしひしと伝わってくる。
信頼していた両親の離婚と、学校で毎日繰り返される いじめにあっているエリアスの孤独は、母親の死を受け入れられないで 平然を装っているクリスチャンの孤独と 同じだけ 深くて大きい。

しかし孤独で哀しいのは、少年達だけではない。
夫の裏切りを許せない妻も、アフリカで止むことのない暴力と 不合理な医療活動に押しつぶされそうなアントンも、そして 妻がガンで苦しみながら死んでいくのを見送ることしかできなかったクリスチャンの父親も みな大きな傷を抱えて生きている。

痛みや哀しみをうすめてくれるように、自然が 雄大で美しい。
アフリカの大地、どこまでも広がる砂漠、砂塵のなかを歩き続ける女達の色鮮やかな 衣装が目を瞠るほど美しい。
デンマークの海辺の町。
人は誰もが 疲れて帰ってくるところは 海辺だ。朝も、昼も夜も 葦の茂る湿地と、それの続く海 広くて大きなな果てのない海を眺めて、心を鎮める。

題材に 社会問題や深刻な民族問題を扱っているが、映像そのものは、美しい抒情詩のようだ。映像の美しさに 心を浸けるだけのために、観ることもできる。すぐれた映画だ。

2011年4月14日木曜日

ロシア映画「私がどうこの夏を終えたか」




ロシア映画「HOW I ENDED THIS SUMMER」を観た。
邦題がまだ わからないので、勝手に「私がこの夏をどう終えたか」と 直訳したが、「この夏」とか、「この夏に私に起こったこと」とか、「夏のおわりに」とか、いろいろな題が考えられる。もし日本で公開されることになって、邦題がついたら、タイトルを書きかえることにする。
2時間20分。
監督:アレクセイ ポポグレフスキー(ALEXEI POPOGREBSKY)
1972年生まれの 若い監督だ。

キャスト
パーシャ:グレゴリー ドブリジン(GREGORY DOBRYGIN)
セルゲイ:セルゲイ パスケパリス(SERGEI PUSKEPARIS)

ストーリーは
北極に一番近い シベリアの果ての小さな孤島。
数年前に原子核爆発実験が行われ 島が放射能で汚染されたため 住民は全員 避難し 移住させられている。
そこに 気象庁測候観測所の監視官セルゲイが 一人だけ残って 観測を続けている。この島に生まれ育ち 妻と息子を持ったセルゲイにとって、妻子だけは移住させても、自分が他の土地の移り住むことはできなかった。島は荒れ果て、ヘリコプターから投下される石油のドラム缶ばかりが荒涼としてひと気のない島に転々と転がっている。セルゲイはその石油で 一年中 夜の来ない北極に近い島で体を温め、投下された塩漬け肉を食べて生きて来た。必ず 毎日同じ時間に気象観測結果をラジオで送り、報告する。何の変化もない 規則正しい生活だ。ラジオから送られてくる 妻と息子からのメッセージを受け取ることだけが 彼の心のよりどころだ。

そこに、大学を立たばかりの青年 パーシャが 夏の間の数ヶ月を過ごしにやってくる。セルゲイは少々荒っぽいが、愛情をもって若い職員に仕事を教える。ミーシャは パソコンを持っていて、セルゲイが 手書きで観測結果を書きとめて、統計を作る時間の 半分の時間で 報告事項を作ってしまう。時間が余るとコンピューターゲームに興じている。セルゲイには それが 気に入らないが、ミーシャが間違ったデータを出す訳ではないから、叱りつけることができない。
妻と息子に送る毎日の伝言も、無骨なセルゲイが考える言葉より、ミーシャに聞いたほうが 気の利いたメッセージが送れる。

ある日 セルゲイが 数日間、ボートで向かい側にある島の浅瀬にやってくるアラスカマスを獲りに行っている間に、ミーシャは緊急連絡をラジオから受け取る。それは、セルゲイにとって、何よりも大切な妻と息子が入院した という知らせだった。恐らく 白血病で、ふたりは死の床にある。

何も知らないセルゲイが たくさんのマスを釣って、上機嫌で帰ってくる。セルゲイは、妻がいたらどんなにこの魚に喜んだだろうか、とミーシャに話して聞かせる。ミーシャはとうとう、セルゲイに緊急連絡を伝えることが出来なかった。この島にセルゲイのために、ヘリコプターは来ない。ヘリコプターが来るのは、ミーシャを迎えに来る時だけだ。
このときから、ミーシャは、セルゲイに対する罪の意識に苛まれる。

遂にセルゲイが事実を知ってしまった。ミーシャはセルゲイの怒りに、心底脅えて セルゲイにむかって銃口を向ける。そして、逃亡する。セルゲイと暮らした暖かい小屋から 無人小屋に逃げる。夏とはいえ極寒の戸外で 北極熊に追われ 震えながら過ごす。自責の念と ぬくぬくと暖かい小屋にいるセルゲイへの憎しみ、、。遂に いまだに熱を放熱している放射性物質に さらしたアラスカマスをセルゲイに食べさせる。

夏の終わり。パーシャを迎えに ヘリコプターがやってくる。パーシャは、どうセルゲイに謝罪してよいかわからない。自分は卑劣だったと思う。
しかし、セルゲイは しっかりパーシャを抱いて 見送ってやる。
というお話。

孤島に暮らすたった二人の男達の心理的葛藤がテーマになっている。
パーシャは 2メートルくらいの長身で美男子。ものすごく笑顔が可愛い。それに比べて セルゲイは 太ったおじさん。頑固一徹で 時代遅れの 几帳面なだけがとりえの観測官だ。セルゲイが仕事をしているあいだ、パーシャが アイポットでロックを聴きながら 飛んだり跳ねたり遊んでいる。そんな姿が とても可愛くて憎くめない。
それが段々、話が深刻になってくるに従って セルゲイの妻子への深い愛情、自分だけが死の島に残って仕事を続ける固い決意と責任感が わかってきて、セルゲイの男らしさに心が傾いてくる。
そして、そんな100%誠実なセルゲイを殺そうとまで思いつめたパーシャの卑怯な態度が許せなくなってくる。

圧巻はラストシーン。セルゲイの大きな体が か細いミーシャを包み込むように 万感の思いをこめて抱くところだ。ものすごく長い間、二人は抱き合っている。
セルゲイには妻と息子を避難させたときから妻子の死も 自分の死も避けがたいものとして すっかり受け入れていたのだ。言葉なしにセルゲイの決意、達観、そしてパーシャへの友情が、しっかり伝わってくるシーンだ。セルゲイは若いミーシャに 自分が無骨で不器用な男として死んでいく姿をしっかり伝え、希望を未来のあるミーシャに託したのだ。

登場人物 二人だけ。会話が極端に少ない映画。
読みようによって、解釈も違ってくるだろう。
自然が美しい。夜の来ない北極の夏。広大な大地と痩せた山々。北極熊がエサを探す姿、荒れる海。言葉がない男達の心理劇が、美しい自然の中で 繰り広げられる。
とても心動かされる映画だった。

私達人類は 原子力という本来人を殺す目的で開発された パンドラの箱を開けてしまった。開けられた以上、人類は破滅に向かって進むしかない。破滅のその日まで、私達はセルゲイのように 毎日変わらず、仕事に精を出し、家族を愛し、淡々として生きていくしかない。ただ、残念なことは、私達にとって未来を託せるミーシャが居ないことだ。ヘリコプターはいつまでたっても来ない。

2011年4月13日水曜日

赤毛のアンの手作り絵本




外国の小説を読むことの面白さの中に お話の中に出てくる料理や食材やお酒で 私たちの生活にはないものが出てきて それを想像しながら読むということがある。
イヤン フレミングの007シリーズも 登場人物のお酒に対するこだわりがおもしろくて、しばらくドライマテイニとか ジンに凝ったことがある。「ナルニア物語」で、弟が砂糖菓子を もらいたいばかりに 氷の女王に魂を売り渡してしまうシーンがあるが、このお菓子をシドニーで見つけたときには 躊躇なく買って味わってみた。

「赤毛のアン」は、孤児だったアンが 、マシュウとマイラ老兄妹に引き取られて グリーンズゲイブルの彼らの家で 家事を習い、学校に行って、大人になり 恋をして結婚してたくさん子供を産んで、、、というお話だが、小説のなかに、沢山のカナダのケーキや 家庭料理が出てきて、おいしそうな本だった。本の中に出てくる料理や御菓子や キルトや手芸品を絵本にしたのが、この本「赤毛のアンの手作り絵本」だ。

とても美しい3冊の本。大好きだった。
鎌倉書房から出版されたのが 1980年。とても大切にしていたのに、結婚された方に差し上げてしまった。以来、もう一度手に入れたいと、ずっと思っていたが、鎌倉書房が倒産して手に入らなくなった。諦めて もう二度と見られないのかと思っていたが、白泉社から 1995年に再版されて 2006年に増版されたものが 手に入った。とても嬉しい。母親から娘に渡されて 読み継がれている ロングセラーなのだろう。

がっしりして重い 料理と手芸の本。写真とイラストと説明とで成り立っている。1ページごとに 美しいテーブルセッテイングに料理やお菓子の写真があって、開きのページには アンのイラストと関連するストーリーのエピソードが載っている。後半は、その作り方の詳しい説明や型紙が載っている。それぞれのページの見出しが楽しい。たとえば、「アン ハリソンと友達になる ピンク砂糖で飾ったお手製のくるみ菓子」、「アンとダイアナの寄付金集めで、いかにもカナダ風なおいしいテイーブレッド」、モーガン夫人 突然あらわれる ピンチを救ったバーリー家の鶏の煮物」、「ブレア氏のエプロンといちごのレアケーキ」、「「子どもの好きな鶏ごはんとフルーツサラダの献立」、「アンとダイアナ少女時代にもどる、ダイアナを魅了した悪魔のチョコレートケーキ」、「アンの可愛い天使達、女の赤ちゃんのためのピンクのベビーふとん」などなど。

城戸崎愛が料理とお菓子、上田園子のパッチワークとアップリケキルト、北道万里江の洋裁、竹沢紀久子のフラワーアレンジメント、広川ますみの料理と手芸、松浦英亜樹、石垣栄蔵のイラスト。
とてもとても素敵な本だ。料理や手芸の本はいくらも出ているが これほど内容が ぎっしりつまって充実した それでいて美しい本はほかにはない。
むかしむかし大好きだった本が30年ぶりで手に入って とても嬉しい。
というわけで、今夜は「アンとマイラ二人の生活、マイラと楽しむサーモンステーキデイナー」と「メアリーおばさん、住み着くが あったかいうちに食べたいミルクシチュー」。

2011年4月7日木曜日

池上永一の「テンペスト」を読む



池上永一は 1970年、沖縄那覇市生まれ、石垣島育ち、早大在学中に、沖縄を舞台にした小説で認められ、注目されてきた若手の作家。
作品に「バガージマヌパナス」、「風車祭」、「夏化粧」、「シャングリア」、「レキオス」、「やどかりとペットボトル」などがある。

先週 読んだのは「テンペスト」上下巻と「トロイメライ」の3冊。
「テンペスト」は、おもしろいと評判になって、堤幸彦の演出で舞台化されて、新歌舞伎座で、公演されている。
「テンペスト」は、琉球版「ベルサイユの薔薇」とでも言おうか。真鶴という美貌で頭脳明晰な女性が 当時は女が学問することが許されていなかったので 男装して学問を修め 琉球王国の尚真王に仕えるというお話だ。

ストーリーは
19世紀 琉球王朝 第18代国王 尚育王の時代。
孫家の父は 琉球王の後継者争いに負けて今は ただの役人だが、いつかは息子を王家に上げて 王から権力を奪い 王家を復活させたいと願っている。男子の誕生ばかりを願って 生まれる前から孫寧温という名前をつけていた。しかし 妻の命を引き換えに 生まれてきたのは女の子だった。
父の落胆にも関わらず 娘の真鶴は 学問が好きで学んで知識を得ることが楽しくて仕方がない少女にだった。硫歌、孟子、荘氏 漢詩に外国語まで、知識欲は留まることを知らない。当時厳禁されていた英語やオランダ語を 唯一琉球に伝道のために来ていて拘束されていた英国人宣教師から 密かに教わっていた。
男装して私塾に入り 学問を重ねて 年に一人登用されるかどうかわからない という難関試験を経て ついに琉球政府の役人として王に仕えることになった。時に13歳、史上最年少の官士だった。

年少で小柄ながら 知識が豊富で13ヶ国語を話し、決断力のある寧温は 次々と降りかかってくる外交問題を解決して めざましい活躍をする。琉球政府は 大国清国とは 冊封体制を取っており 年一度 冊封子が 輸出品を持って来た時は最大のもてなしをして 圧力に負けず 対等な貿易をした。また、一方では薩摩藩に支配されており 島津から役人を迎えて 良好な関係を維持していた。琉球のような小国が、どの国の植民地にもならないように済むためには、清国とも薩摩藩とも等間隔の距離を置き 上手に外交することが不可避だった。

しかし寧温は 清国から秘密裏に入り込んで政界を汚染していた阿片とそれに関わっていた政府関係者全員を処分したり、思い切った財政緊縮政策を取った為、他の閣僚達からは恨みをかった。さらに、清国から追放されて来ていた臣官が、内部撹乱を目論んでいることを知り口封じするはずが、殺してしまい、断罪されて八重山に流刑の憂き目に会う。

八重山でも政敵に狙われて、逃げ延びた先で九死に一生を得て、農家の老婦に拾われる。ここでは女の子として育てられ、機織をして暮らすうち、那覇から尚泰王の側室探しに来た役人の目にとまる。王の妻は、子供に恵まれなかったため、国中で側室を探していたのだった。側室の条件は 美貌や品格だけでなく高い教養が必要だった。真鶴は その点 漢文で読み書きできるだけでなく日本の詩歌にも 琉歌にも優れていたため、難なく、何百人の候補の中から、側室に選ばれる。

ぺリーが艦隊をつれて 琉球を訪れた。ペリーとの交渉のために 王朝政府は 是が非でも寧温が必要になった。尚泰王は、急遽 八重山に使いを出して寧温の名誉回復、政府への帰還命令を出す。
困ったのは、真鶴だ。一人二役を演じなければならなくなった。真鶴は側室として女性ばかりの館に住まいながら、朝になると役人になって寧温として出勤しなければならない。しかし、寧温の巧みな外交術によって ペリーとの交渉は 琉球国としての面目を保つことができた。ペリーら一行は 琉球のあと、浦賀に向かい、江戸幕府に開国を迫る。近代日本の幕開けだ。

しかし、一人二役はいつまでも続けることはできない。
遂に寧温が 真鶴という側室であることが明るみに出てしまい、真鶴は地位を剥奪されて城から追放される。そのとき真鶴は 尚泰王の赤子を抱いていた。保護された寺で子育てが始まる。明という名前をつけられた男の子は 母親の真鶴に負けず劣らず利発な子供で 早くから読み書きを憶え、学問好きの子供に育っていった。

しかし、時は 明治12年。琉球処分として、熊本から帝国陸軍の大軍が来襲。首里城が明け渡され、尚泰王は 東京に連れ去れていった。
真鶴は 空となった首里城王宮に明を連れて忍び込み、これが最後と知って、明を王座に座らせ、国王任命の儀式をするのだった。
「1879年 琉球王国は沖縄県となった。」で、この物語が終わる。

沖縄はむかし3年間 住んだ。娘達が幼稚園から小学校2年戦まで過ごした土地なので、特別に愛着がある。守礼の門のわきにある城西幼稚園、城西小学校に通っていたので 竜たん池や首里城は毎日の遊び場だった。
首里は、那覇の喧騒と庶民の生活臭から離れ、坂を上り石畳を登っていった高台にある。城の歓会門、久慶門まで石段を登っていくと 素晴らしい眺めだ。この小説のラストシーン 琉球処分で、あわただしく王家が東京に拉致されたあと、残った寧温が 息子を幻の尚家の国王として王座に座らせるシーンは感動的だ。

ペリー来日、徳川政府の終焉、日本開国、近代日本の幕開けと天皇を中心とした集権国家のはじまりも、沖縄の側からみれば「琉球処分」の一言に尽きる。視点を変えて日本の歴史を捉えることに、小説は成功している。
清国からの冊封子を歓会門から通し、薩摩からの役人を久慶門から通して、ペリーが港の借款契約を取ろうと圧力をかけても応じないで どの国からも独立した琉球王朝を存続させてきた琉球の外交戦略が、とてもおもしろかった。

それにしても 彼の悪文には悩まされた。
たとえば
「同じ頃、表の世界にいる花当の嗣勇は、美貌に磨きをかけていた。王府の高官たちを次々と手玉にとって着実に出世の道を切り開いていく嗣勇は琉球のシンデレラだ。ただし計算高いのが玉に瑕だけど。--花びらが枯れてしまう前に次のステップを考えておかなければならないのは、時代を超えたホステスの悩みだ。」
とか
「王宮にはふたつの顔がある。昼間は政治の中枢として知的な顔つきをしているが、夜は紅をさす貴婦人に変わる。もともとは王宮は男装の麗人なのだ。」
などとある。
???

文章は まず言っている事に矛盾がなく文体に無理が無いのでなければ すんなりとは読めない。描写するためには表現力が必要だ。残念ながら文才は誰もが持って生まれてくるわけではない。生まれつきスポーツが得意な子がいたり、絵をかくのが上手な子が居るのと同じように 文才も生まれて付いて来る。努力によって補うことは出来るが 努力で文才を得ることは出来ない。この作家の文章には格調も品格も文法の正しい使い方もない。テレビ文化の中で育って現代っ子の会話調。あらかじめ映画化されたり漫画化されることを念頭において書いている。しかし、おもしろい。それで良い。
 
以前娘達とテレビを見ていたら、ひどく美しい少年が、極端に音程が狂っているのに マイクをもって平気で歌を歌っている。それを指摘したら、娘が ビジュアル系だから、それでいいのだ、という。びっくりしたが、そうか、、、それでいいのか。なるほど。
だから、この小説も ビジュアル系ということで、、、これで良いのだ。
おもしろいのだから。

2011年3月31日木曜日

ピーター ウェヤー監督




ピーター ウィヤーは オーストラリア人の映画監督。
日本で言うと 黒澤明とか、篠崎正浩みたいな存在か。オージー映画の代表作を作っている偉大な そして現役で活躍している監督だ。紹介したばかりの 映画「ザ ウェイ バック」が彼の最新作。シドニー生まれ、シドニー大学卒の67歳。

代表作は
1975年:「ピクニック ハンギンロック」
1981年:「誓い」
1989年:「いまを生きる」
2003年:「マスターアンドコマンダー」
2011年:「ザ ウェイ バック」

「ピクニックハンギングロック」は、
1967年、ジョーン リンジーによる同名の小説の映画化で、ミステリーだ。
1900年 メルボルンの名門 クラウド女学院の生徒達が 恒例のピクニックに、景勝地ハンギングロックに行った。19人の生徒達と教師2人は、昼食のあと、休んでいたが、そのうちの3人の生徒が 岩山に登って そのまま帰ってこなかった。岩のクレーターに落ちて 帰れなくなったのか、誘拐されたのか、山の神隠しにあったのか、、、。地元の人々や警察の懸命の捜査にも関わらず 3人の少女はそのまま失踪してしまった。
美しい山々の景色と、両家の子女達の優雅で美しい白いドレス姿、これにパンパイプの音響効果で、ミステリー効果抜群の怖さだ。山の霧とともに 美少女たちが 音もなく消えていく。山の神秘的な姿と、不思議なパンパイプの不思議な音が とてもとても怖い。画面では殺人も 怖い男も 何も出てこないのに、どの恐怖映画よりも怖い。
いまでも メルボルン方面を旅する人は この景勝地ハンギングロックにハイキングに行くことができる。入り口のハンギングロック博物館に入って、行方不明になる追体験もできる。

「誓い」は、
1981年 原題「ガリポリ」。これはオージーにとって、特別な作品だ。
第一次世界大戦 トルコのガリポリで イギリス軍の判断ミスのためにイギリス軍指揮下にあったオーストラリアとニュージーランドの志願兵が1万人以上 無駄に戦死させられた。当時オーストラリアは 欧州の戦争の どこからも遠く離れていたにもかかわらず 自分達の祖先であるイギリスに忠誠を誓うため 進んで若い人々が志願し参戦した。しかしガリポリでは、トルコ兵が 機関銃で陣地を作って待っている前線を 歩兵が突撃するという誤った作戦のために 1万人余りの兵が ほぼ全滅した。このイギリス軍の命令によって文字通り意味のない戦死を強いられたことが、契機になって オージーのイギリス離れが起き、オーストラリア人としての自覚と愛国心が芽生える契機になった。
毎年4月25日の開戦記念日には、オージーたちは 年よりも若い人も 大きな集団になって戦死者に祈りをささげるために ガリポリまで出かけていく。去年は1万人余りのオージーが トルコもこの小さな岬を埋め尽くした。オージーにとってガリポリは 愛国心の拠り所なのだ。
そのガリポリの戦いを描いたのが この映画で、メル ギブソンの出世作でもある。戦争映画の傑作中の傑作だ。何度観ても 観終わったあとで ふつふつと戦争への憎悪と怒りが湧いてくる。とても優れた反戦映画だ。

でもわたしがピーター ウィアーの映画のなかで 一番好きなのは「いまを生きる」。
1989年、原題「デッド ポエット ソサイテイー」(DEAD POET SOCIETY)。ロビン ウィリアム主演のアメリカ映画。
1959年 ニューイングランドの、名門カレッジであるウェストンアカデミー。この全寮制の男子校は、イギリス式の厳しい校則のもとに 学問を究め、卒業後は政財界の主流を占める優秀な人材を育てる。校則になじめない生徒や 勉強で優秀な結果を出せない生徒は どんどん辞めさせられる。生徒と先生と卒業生は3身一体の強い絆で結ばれている。
そんな高校に ちょっと風変わりな、元卒業生という 国語教師(キーテイング)が赴任していきた。校則を守らない。イギリス近代詩の授業で 定型詩の作り方を述べた部分を破り捨てるように言う。教室の机の上に靴のまま 皆を立ってみさせて、そこから見た視点の違いを大切にするように、と言う。授業中にフィールドでラグビーをして汗を流す。校庭を歩きながら 詩を読ませる。そして自分の心が感じる詩を描けと言う。
生徒達は 驚きあきれながらも キーテイングが来てから 活発で生き生きとした心を持ち始める。

キーテイングに触発された生徒達のグループが「デッド ポエット ソサイテイー」という名前をつけて 寮を抜け出して秘密の集会を持つようになった。森の中の洞穴が集会場所だ。そこで禁止のタバコを吸ったり、雑誌を読んだりする。勿論 見つかれば退学だ。
しっかりもので優秀な二ールは いつもいじめられっ子だったトッドと寮で同じ部屋だ。二人は キーテイングに 強烈な刺激を受けた。二ールは、学期終了前の学内劇で、シェイクスピア「真夏の夜の夢」のパックを演じた。劇が成功して、二ールは 自分を自由に表現することの喜びを知る。そして父親に 将来役者になりたい と申し出る。一人息子が伝統校で学び、将来を政財界で活躍することを期待していた父親は 激怒して、二ールを退学させて 陸軍士官学校に強制入学させた。ニールは、芝居をもう二度と演じることが出来なくなったことを悲観して自殺する。
学校側は ニールの自殺は 教師キーテイングに強く影響されたためだ と断じて過激思想犯のキーテイングを退職させる。デッド ポエット ソサエテイーは崩壊した。
キーテイングが学校を去る日、学校側はキーテイングと生徒達を接触させようとしない。黙って去っていくキーテイングに、尊敬と信頼をこめて いつも弱虫だったトッドが机の上に立った。後に続いて 何人もの生徒達が机の上に立つ。そして去っていくキーテイングを見送った。

魂が自由であることの大切さが描かれている。
伝統、良家の子弟 全寮制といった制約のなかで、自由な心をもって芸術を愛することを教えた ひとりの教師の意志と 不幸な結果がただただ痛ましい。型破りな教師を最後まで慕う生徒達の澄んだ目が美しい。ラストシーンで 泣かずにいられない。
昔のことだが、この映画は、死んだ夫がどうしても見たいと言い出したので フィリピンに赴任中だったが里帰りして 東京で観た。ふたりの娘達は 当時10歳と11歳。映画館に慣れていなかったので最後まで見てくれるかどうか心配したが、誰よりも娘達が熱心に この映画を観た。10歳なり11歳なりに 感じるところがあったのだろう。そのことが、とても嬉しかった。
ホイットマン、キース、ゲーテ、シェイクスピアの 美しい詩が 映画のなかで いくつも読まれた。

「マスター アンド コマンダー」は
あまりよく憶えていないので 映画の説明はしないが、船のキャプテン、ラッセル クロウと船医のポール ベタニーが 長い航海のあいだの退屈しのぎに ヴァイオリンとチェロで二重奏するシーンが何度も出てきて それがとても良かった。エリート貴族の気品あふれる格調高い雰囲気のなかで、楽器を介して 男同士の友情が確かめ合う姿がまぶしい。美しい映像に バロック音楽が合わさって とても贅沢な映画だった。

ピーター ウィラーの作品のそれぞれに類似性はない。ひとつひとつの作品が独立した趣をもち、全くそれぞれが異なったテイストで仕上がっている。
監督として多作とはいえない。でも、こんな才能豊な監督が 居てくれて嬉しい。まだ若い。これからも 良い作品をみせて貰いたいと思っている。

2011年3月28日月曜日

映画 「ザ ウェイ バック」




ナショナル ジェオグラフィック協賛の 実話をもとにして作られたイギリス映画。原作は 1956年に発表された サルボミール ラビチェスの自伝的小説「THE WAY BACK」。

1940年 シベリア グラグ流刑地。
ポーランド軍士官、ヤヌスはロシア軍に捕らえられ 拷問を受ける。スターリン独裁政権下、ドイツ侵略によって分断されたポ-ランド人、政治犯、ロシア国内の極悪犯罪者、ユダヤ人などが、次々とシベリアに送り込まれた。ヤヌスは コミュニストのスパイをしていた嫌疑で逮捕されたが、証言台に引き出された妻の証言によって、シベリアに送られた。シベリアで流刑者たちは 森の木々を伐採し、鉱山で石炭を掘る強制労働を強いられた。宿舎の劣悪な環境と、過酷な自然環境の中で、流刑人の死は日常のことだった。

ヤヌスは シベリアに着いた その日から脱走する計画をたて、信頼できる仲間を探し始めた。収容者たちは 食料を隠し持ち、タバコを密輸し、博打もする。収容者の中でも 極悪犯罪者のギャングの力が大きく支配していた。
強制労働に就いて ある日、森の木の伐採に出かける途中 激しいブリザードに遭い、行進させられていた流刑人たちが、次々と低体温で道端に倒れて死んでいく。このままでは 全員が凍死するしかない という生死の際で、 アメリカ人の流刑人スミスが 警備陣が止めるのを聞かず 隊列から出て、森の中に避難する。残りのヤヌスや警備員達も スミスに従って森の木々をかき集め ブリザードをやり過ごして延命することが出来た。これを機会に スミスとヤヌスを中心に 信頼できる仲間が結束する。

収容所の電気を供給するジェネレーターは いったん止まると 回復するまでに10分かかる。この10分間は収容所を囲む外柵の電流も止まる。電灯も止まるから 監視は収容者の姿を監視することができない。この10分に 柵を越えて どこまで逃げられるかに、脱走が成功するか、失敗して銃殺されるかの 生死がかかっている。激しいブリザードの夜、ジェネレーターが止まり7人の男たちが脱走した。

アメリカ人で技師のスミス(エド ハリス)、ポーランド軍士官だったヤヌス(ジム ストラジェス)、ロシア人極悪犯罪者バルカ(コリン フェレル)、コサック兵だったヴォス(グスタフ スカースガード)、ちょっと頭の弱いカバロ(マーク ストロング)、料理人で絵がうまいゾーラン(ドラゴス ブカー)、最後のひとり ポーランド人は逃亡に成功したものの凍死する。ヤヌスは その墓に立ち、収容所で死ぬのではなく自由になって死んだ青年に 祝福の言葉を捧げて 皆は逃亡の旅を急ぐ。一行の食料は少ない。バイカル湖に向かって、先を急がなければならない。

湖まで数百キロ。飢えと寒さを乗り越えて 湖に着く。そこで一行は一人の少女が 後をつけてきていることに気がつく。飢えて彷徨っていた少女の名はエレーヌ(サイオアス ロナン)、彼女はポーランド人で コミュニストだった両親を殺され、孤児院に入れられ そこで性的に虐待を繰り返されるのに耐えかねて逃亡してきたのだった。エレーナが加われば 彼女に乏しい食料を分けなければならない。それは、6人の男たちの生死に関わることだった。しかしエレーナを振り切って男たちは 立ち去ることができない。幼い少女がたどってきた過酷な境遇を知ったからだ。しかしエレーナの軽い足取りや、小鳥のように男たちの間を飛びまわって語りかける姿は 男たちの心に、忘れていた安らぎをもたらせてくれた。
一行7人は バイカル湖を後に ロシアとモンゴルの国境をめざして歩く。モンゴルに入れば自由になれるはずであった。

しかしスターリニズムはモンゴルにまで波及していた。中国共産党勢力は モンゴルにまで及んでいたのだった。国境で、ロシア人バルカ(コリン フェレル)は ひとりロシアに残ると主張して 皆と別れる。重罪犯とは言え、ロシアへの愛国心を捨てることができなかったのだ。

6人は モンゴルから万里の長城を越えて、タクラマカン砂漠を横断して、チベットを経てインドまで逃れる。これがヤヌスの道程だ。あわせて6500キロメートル。これを徒歩で行かなければならない。 
タクマカラン砂漠で エレーナが倒れる。飢えと乾きの果てに、エレーナは男たちに見守られながら死んでいく。料理屋で絵のうまかったゾーランも死んでいく。残った4人の男たちは 何度も死線を彷徨いながら 砂漠を徒歩で越え、チベットに至る。
ここで チベットから中国に入りアメリカ軍に合流するというスミスを置いて、残りの3人は ヒマラヤを越えてインドに入り 占領国のイギリス政府によって、保護される。1年かけて、男たちは自由を求めて、徒歩で6500キロメートルを走破したのだった。
というお話。

監督:ピーター ウィアー
キャスト
ヤヌス:ジム ストラジェス
スミス:エド ハリス
バルカ:コリン ファレル
カバロフ:マーク ストロング
ゾラン:ドラゴス ブカール
ヴォス:グスタフ スカルスガード
エレーナ:サオイアス ロナン

自然の映像が素晴らしい。ナショナル ジェオグラフィック協賛だけのことはある。黒々として深いシベリアの森、ブリザード、そしてバイカル湖の大きさ。360度黄土の広がるタクラマカン砂漠、チベットから見るヒマラヤの山稜の輝き。
ヒマラヤが雄大に空に聳える その岩山を 粗末な衣類を身にまとい、履き古した軍靴で足を踏みしめていく。自然の大きさのなかで豆粒のような大きさに見える男たちが 一歩一歩 助けあって進んでいく姿が感動的だ。カメラワークが素晴らしい。

「ラブリーボーン」で、変態男に殺されてしまう小さな少女を演じたサオイアス ロナンが 暗い男ばかりの映画で 花をそえている。可憐で 涼しげで可愛らしい。この一輪の花のために 飢えて生き延びることしか頭になかった男たちのなかに、急に人間らしい感情が流れ出す。無口で 自分のことを決して語らなかったアメリカ人、おそらくスパイだったと思われるスミスの冷たい目が、少女に出現で目に優しさがもどってくる。そういった男たちの心の変化が画面で 巧みに表現されている。さすが、ピーター ウィラーは うまい。

ヤヌスはどんなことがあっても 妻の待つ家に 帰らなければならない。自分は拷問を受けても罪を認めなかったが 妻の証言によって 政治犯としてシベリアに送られた。妻は一生 夫を権力に売り渡したことで 自分を責めるだろう。恐らく妻も拷問されて 夫を裏切らずにいられなかった。だから、自分が妻のところに戻って 自分が受けた罰など 何とも無い、妻は許されている、私たち夫婦は何ひとつ壊されてはいないのだ ということを 伝えてやらなければならない。そう信じて帰ろうとする 信念の強さに感動する。

この映画は、6500キロを歩いて強制収容所から自由を求めて脱出した勇敢な男たちの物語。観終わった後に 過酷な戦争への怒りにふるえ、それを乗り越えようとする人間の力強さに、心打たれる。

2011年3月25日金曜日

スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」




スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」を観た。
日本ではずっと前に 3部作全部が一緒に 公開になって、もうブルーレイも出ているようだが、シドニーでは 一つずつ公開されて、第一部、第二部を観てから 1年近く待って第3作をやっと いまやっと劇場で観ることが出来た。

「ミレニアム」3部作の最後の作品。第一作「ドラゴン タトゥーの女」と、第2作「火と戯れる女」に続く第3作だ。
世界中で 1000万部以上売れに売れたベストセラー小説を 映画化したもの。残念なことに この作家ステーブン ラーソンは 作家として油の乗り切った時に 若くして2004年に亡くなった。
映画でマイケルを演じたマイケル ナクビストは スウェーデンで人気の 日本で言えば 高倉健のような人だったが 映画のおかげで 世界のマイケルになったし、主役のノーミ ラパスは ハリウッド女優なみの扱いを受けるようになってしまった。スウェーデン作家によるスウェーデン映画であるところが良い。しかし、この3部作の映画での成功を見て、ハリウッドが 別の俳優を使って同じ映画を作るようだ。2番煎じもいいところ。ハリウッドが そんなオリジナリテイーに欠けることをしてはいけない。
キャスト
リズベット サランダー:ノーミ ラパス
マイケルブロンクビスト:マイケル ナクビスト

ストーリーをおさらいする
リスベットは14歳で 性暴力で自分や母を虐待してきた父親に ガソリンをかけて火をつけ 焼き殺そうとした。その罪で精神病院に送られるが、ここでもベッドに1年以上 拘束されたまま 精神科医によって 性的虐待を受ける。成人してからは またしても後見人からサディステイックな虐待を受ける。エリザベットは 理解者も信頼すべき友人もない中で一人で生きて行かなければならなかった。
彼女はコンピューターハッカーとして天才的 特異な才能をもっていた。企業の秘密を ハッカーして盗み出すプロとして、生活するようになった。
病的なナチ信奉者による連続女性猟奇的殺人事件を追求していたジャーナリスト「ミレニアム」紙の マイケルと、コンピューター上で知り合い、マイケルはリスベットの協力を得て 事件を解決する。マイケルとリスベットの間には 男女の愛情を越えた友情が芽生えはじめた。
ここまでが第1部。

リズベットの後見人が殺された。
死体の横には りズベットの指紋のついた銃が落ちていた。また同じ時期に「ミレニアム」の編集記者とその妻が 残忍な殺され方で殺された。死体から出てきた薬きょうは リズベットの後見人が殺されたのと同じ銃から発射されていた。殺された記者は ロシアマフィアの人身売買について、記事を書いていたが、そのレポートも奪われた。
リズベットは警察から指名手配され、殺された記者の書いたレポートを探し求めるマイケルの身にも危険が及ぶ。そこでわかったことは、ロシアマフィアの大元は リズベットが14歳の時に 殺そうとした実の父親:ザラだった。ザラは スウェーデンの政治家や ビジネスのトップ達に 人身売買で連れてきた東欧の女性を手配したり、ぺデファイルの生贄を供給していた。ザラとその息子は リザベットを消そうとする。警察に追われながら、リズベットは ザラたち、ロシアギャングからも逃げつつ、復讐を試みる。しかし遂に ザラに捉えられ 頭や体に6発の銃弾を受け地中ふかく埋められる。リズベットは 死に物狂いで 穴から這い出して さらにザラにナタで襲い掛かり復讐しようとして 駆けつけたマイケルに救われる。警察は傷だらけで瀕死のリザベットと ザラを逮捕するが、兄を獲り逃す。
ここまでが第2部

病院でザラは スウェーデンの高官から口封じのために殺される。リズベットも、同じ殺し屋から追われるが、マイケルの機転で助けられる。彼女は後見人と「ミレニアム」紙の記者とその妻を殺した容疑に加えて、ナタで父親に襲い掛かり大怪我をさせた容疑で 裁判所に引き出される。自己弁護しなければならない身になって、彼女は自伝を書き始める。マイケルはそれを出版することになった。何故子供のときに 父親にガソリンをかけて殺そうとしたのか、精神病院のベッドで何があったのか、また後見人からどんな虐待を受けていたのか、、、リズベットの過去が明らかになる。マイケルは法廷で 公安警察とともに、ロシアマフィアに汚染されたビジネストップや政府高官たちの 腐敗した姿を明らかにする。
リズベットに判決がおりて、、、
と ここで第3部も終結する。

世界1の福祉国家 スウェーデン。表向き 静かで平和な社会に はびこる腐敗と汚職、汚れた金と異常な性愛、権力者たちの いびつな欲望。スウェーデンの「いま」を映し出している。
何にも恐れず ちゅうちょなく頭から危険に飛び込んでいく リズベットの向こう見ずな行動力と 絶対負けない気力がすごい。
子供の時から これでもかこれでもか と虐待されて、性的に貶められて傷だらけになりながらも 精神は全く打たれない。小柄なひとりの女性が ロシアマフィアや政府高官たち、ビジネスのトップの面々、暴力団、バイクギャング、プロの殺し屋 すべてを敵にまわして 平然と自分の足で立っている。パワフルで、力強い。勇気つけられる。

トサカヘアーにメタルルックス。鼻や唇にいくつものピアス。高いブーツに ぴったりのレザースーツ、「キッス」並みの化粧、アッと驚くパンクファッションに包まれた やわらかい心の傷。触れば血が噴き出してくる生傷を抱えて しかし決して打たれない。そんなリズベットの姿に 女性なら みな共感を覚えるだろう。心から あたたかい拍手を送らずにいられない。

2011年3月20日日曜日

アシュケナージ指揮で庄司紗矢香を聴く



折りしも空前の大地震と津波が日本の東海岸を襲った日の翌日、3月12日、日本の若手のヴァイオリニスト:庄司紗矢香が シドニーオペラハウスでメンデルスゾーンを演奏した。

このときは、まだ 私たちには地震、津波の被害状況が よくわかっていなかった。津波が北東海岸を襲う テレビニュースの様子に胸を痛めながら、東京の父や兄弟の安全は確認できたが、全体の被害状況は ほとんどわかっていなかった。
大地震のニュースに ニュージーランドのクライストチャーチで 救助に当たっていた日本の消防署の方々が急遽帰国し、ジュリア ギラード オーストラリア首相が、日本に60人の災害救助隊を送る約束をしたばかりだった。

ウラジミール アシュケナージが NHK交響楽団のあと、シドニーシンフォニーオーケストラの常任指揮者になって3年目になる。今年も彼がいくつものコンサートで棒を振る。現役のピアニストとして活動を続けながら オーケストラの指揮をしていて、彼の包容力のある人柄が オージーたちを魅了している。去年と今年にかけて、彼は精力的に シドニーシンフォニーで マーラーの交響曲全曲を公演して、収録している。

プログラム
メンデルスゾーン ヴァイオリンコンチェルト ホ短調
マーラー交響曲第7番 ホ短調「夜の曲」

この日 シドニーオペラハウスは 満員、3000人余の席が埋め尽くされていた。メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト ホ短調は とてもよく知られた曲で、ヴァイオリンを弾く人なら一度は弾いたことがある 美しい曲だ。演奏したのは 地震と津波被害のあったばかりの日本から来た、可愛らしいお嬢さん。オージーの標準体格からすると中学生くらいにしか見えない小さな女の子が 驚くほど大きく 豊かな音を出してオージー達を感動させてくれた。
演奏が終わると オージーは 熱狂的に拍手をした。10分くらい 拍手が止まらなかった。庄司紗矢香は、何度も舞台を引っ込んだり 出てきたりしてお辞儀をして去って行った。
ちょっと あっけなかった。観客の大歓声と 鳴り続く拍手に対して、なにか一言 あるいは短いアンコール曲があっても良かった。

庄司紗矢香は、1999年パガニーニ国際コンクールで日本人初 史上最少年で優勝したバイオリニスト。現在28歳。
ズビン メタに見出されイスラエル ハーモニックでパガニーニのCDを収録している。独逸ケルン音楽大学を出て、主にヨーロッパを根城に音楽活動をしているそうだ。
この日のコンサートのチケットを手に入れたのは 去年の9月。
日本の25年住んでいないので、若手の音楽家のことは知らないが、彼女のことは映画「4」で知っていて、是非聴きたいを思っていた。

映画「4」とは、ヴィバルデイの「四季」を4人の若手のヴァイオリニストに弾かせて それぞれの奏者が住む国の季節を捉えるという映画だった。このときの「冬」を弾いたのは フインランドのペッカ グスト。ペッカが大好き。好きで好きでたまらないので、この映画を何度も観た。フィンランドの深い雪のなかを音楽仲間達とふざけて走り回る彼の姿と、彼の透明なフィンランドの空気が透けて見えてくるような 滑らかで艶のある 豊かな音色に 心を奪われずにいられない。
映画の中で 庄司紗矢香は 「春」を弾いた。少し前のものだが 彼女のメンデルスゾーンを 貼り付けておく。
http://www.youtube.com/watch?v=dskvPJdRDoE

さて、休憩をはさんで第2部 マーラー。
交響曲の中でも 一番長くて、色彩が豊かで いろいろな表情をもった曲、第7番「夜の歌」。
第5楽章まである。
とても楽しいシンフォニーだ。彼の曲には物語りがあり、曲の経過とともにストーリー性があって、テンポも曲想も変わっていく。最初にしっかりした構造があって、そこにメロデイーが入っていく古典派とは全く異なった構造を持っている。シンフォニーになかに、声楽が入り 歌曲とシンフォニーとの境目など全く無視している。シンフォニーオーケストラの音に まったくそぐわない音:マンドリンとギターを組み入れる。転調がめまぐるしくあって、テンポも自由自在に代わる。多調、無調というか、転調を繰り返し 緩急自在にテンポを変化させた。それが楽しい。

マーラー(1860-1911)オーストリア人は 作曲家としてよりも指揮者として有名だった。ライピチッヒオペラハウスを始めとして、ウィーン宮廷オペラハウス、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、ニューヨークフィルハーモニックなどで常任指揮者だった。10のシンフォニーを書いたが 最後のシンフォニーは未完のままで亡くなった。彼のような 前衛的なロマン派の作品が演奏されるようになったのは 1970年以降だ。
指揮者にとっては マーラーのように 自由で古典的制約のないシンフォニーは、それを生かすも殺すも指揮者次第になるので、とても棒の振りがいがあるだろう。
アシュケナージは、ヨーロッパの歴史ある重厚で慇懃で暗いオーケストラでマーラーをやるのでなく、あっけらかんとして明るくて、順応性のあるシドニーシンフォニーに出会って、マーラーを取り組みたくなったのだろう。とても楽しいマーラーだった。
14のヴァイオリン、13のセカンドヴァイオリン、10のヴィオラ、10のチェロ、7のコントラバスに 30人のフレンチホーン(5)を含む金管木管吹奏楽器、それと6人のパーカッションがいて、様々な音を作っていた。コンサートマスターは デイーン オールデイング。彼独特の少し金属的な でも優しい音がよく響いていた。

マーラーは シンフォニーは世界を祝福するものであるべきだ と信じていたそうだ。その言葉どおり明るくて高らかに鳴り響き 聴いている人を幸せな気分にさせてくれる。

地震、津波、そして被爆と、悲しいニュースばかりで、音楽は それらに対して何の力ももっていない。
しかし、音楽は心をひとつにし、人間らしい情感を取り戻す力を持っている。こんなときに音楽、、、でもこんなときだからこそ音楽に耳を傾けたい。 

2011年3月16日水曜日

地震 津波 そして被爆

わたしたちは 充分原子力発電所設置に反対してきただろうか?
圧倒的な死者の葬列にむかって
何も言うべき言葉が見つからない

活断層の上に立つ55基の原子力発電所
世界第2位までに登りつめたことのある日本の経済力をささえた
日本の35%の電力を賄った原子力発電に
わたしたちは いつもNOを言い続けてきたはずだった
それが未来のクリーンエネルギーだと誰も信じていなかったはずだ

金曜日の午後 日本を地震と津波が襲い
政府は 最初の記者会見で 死者3名 原発に被害はない と公表した
いま日本政府が記者会見をするたびに、ABCやSBS記者たちは、「日本政府の発表にどのくらい信憑性があるか疑問です」という言葉を付け加えることを忘れない

各国大使館が、東京から大阪に避難移動する という
大阪なら大丈夫か と誰もが疑心暗鬼だ

メルトダウンした福島原発第1、第2、第3、第4は 永遠に封鎖されなければならない と識者は言っている
すべての原発をシャットダウンさせるべきだ
株が急落して円を支えることが出来ない
日本経済はどん底まで落ちる
再生への道は 原発すべてを封印することなしにあり得ない

2011年3月11日金曜日

オペラ 「カルメン」を3Dで観る




イギリスロイヤルオペラシアターのオペラ公演「カルメン」が、ハイデフィニションフィルムに収められて、それを3Dで立体的に観ることが出来た。
「なに、それ?」「アバターやシュレクやアリスワンダーランドなら わかるけど どうして古典オペラを 3Dで観なくちゃならんのか?」と言われそうだが、実際行って見て これがとても良かった。

日本でも 映画配給会社がこのような舞台ライブのフィルムを 映画館で公開しているようだ。オペラだけでなく、歌舞伎や文楽のフィルムもあるようで、うらやましい。
地の果てのような 南半球のオーストラリアに暮らしていて、ニューヨーク メトロポリタンオペラや、ロンドンのロイヤルオペラシアターのライブを観ることが出来る贅沢が とても嬉しい。映画館の大画面で観られるだけでなく、幕間の休憩時間に 舞台裏で働く人を カメラが追って見せてくれるサービスも嬉しい。時として 出演者にプラシボ ドミンゴが インタビューするのを見せてくれたりもする。大サービスだ。

3Dで観たのは ビゼーのオペラ「カルメン」。本物の オペラオーストラリアが演じた舞台は ひと月ほど前に観たばかりで 報告を2月10日の日記に書いた。これが2006年 コベントガーデンで初めて好演されて大好評だった舞台を基にしているので 3Dで観た ロンドンの舞台と ほとんど同じだった。でも お金のかけ方が 2倍も違う。ロンドンの舞台の方は、少年合唱団など 40人以上 使っているが オーストラリアの舞台では、12人だった。出演者の数が断然 ロンドンの方は多い。衣装や道具も ずっとお金がかかっている。やっぱ、本家は違うんだ、、と 再認識させられて、ちょっと くやしい。

3Dフィルム というのは 右目用と左目用の映像を高速で交互にスクリーンに映し出して 特殊眼鏡をかけて 片方ずつしか見えないようにすることで 映像を立体的に感じさせる技術だ。初めの頃は きれいな色が出せないとか、立体的と言われれば 立体的かな?というくらいで、あまり特別な感じは しなかったが 序序に画面の質が良くなってきている。
3Dしか見られない 大型の3Dテレビが売りに出されて、自宅で3D映画が楽しめるようになったが 学校関係者や幼児専門医療関係者は 子供の目の成長に良くないので 3Dテレビは買わないように というキャンペーンをしていた。確かに 幼児に距離感がわからなくなるような映像ばかりを見せていたら 危険だし良くないだろう。

さて、オペラの舞台を3Dで観ると どう見えるのか。
自分の目から舞台までの距離が 無くなる。自分の手の届くような近さでオペラが繰り広げられる。舞台が私だけのためにある、よう。舞台を独り占めしている感じだ。
接写カメラのおかげで、表情はよく見えるし、カルメンの涙が 頬を伝い 鼻水が落ちそうなところまで見える。ドン ホセのひげの剃り残しまで はっきり見える。
特殊眼鏡をかけているから、隣や前の人が見えないので、他人が居ないも同然。ふつう、舞台を観ていると 前の人の頭が邪魔だったり 咳やクシャミをする人がいて 腹が立つが、そんなことは 見えないので全く気にならない。
舞台では フランス語のオペラを英語字幕が舞台の上に出てくるので 見上げて字幕を読みながら 舞台を観るので 首が疲れるが フィルムだと 映画のように 画面下に字幕がつくので観やすい。
普段の舞台では、オーケストラは 舞台下に隠れていて暗いので 指揮者の頭くらいしか見えないが、序曲のときは、オーケストラの奏者達を ひとりひとり しっかり写して見せてくれて、どんなに質の良い音を出しているかが ちゃんと見られる。指揮の指揮の仕方が華麗で とても感動的だった。

監督:ジュリアン ナピエール
キャスト
カルメン :クリステイン ライス
ドン ホセ:ブライアン ハイメル
ミケーラ :アリス アリギリス
エスカミリオ:メイヤ コバレスカ

カルメンのメゾソプラノを歌ったクリステイン ライスは黒髪の美女。素足でタバコ工場で働く姿は、野性的で実に魅惑的、最後のころエスカミリオの恋人になって闘牛場に向かう正装した姿は貴婦人のようだ。とても魅力的でパワフル。一頭の馬に エスカミリオと二人で乗って登場する姿は 立派で美しい。
エスカミリオのバリトンが とても通る 太い声で、堂々として力強い。何度も馬に乗って舞台に出てきて しっかり演技もして、歌も歌う。満足度95%のエスカミリオだった。
肝心の ドンホセ。ブライアン ハイメルの よく伸びてよく通るテノールが とても良かった。
 
コンサートはCDを買わず コンサートホールで聴く。映画はDVDを観ないで 映画館で観る。オペラは 舞台でしか観ない。そう決めている。
しかし、優れたオペラを 質の良いフィルムで よく編集された画面で しかも3Dで観ることが、こんなに楽しいことだった とは知らなかった。
新しい発見だ。誰にも邪魔されず 自分だけの舞台を独占して、至上の時を過ごした。

2011年3月5日土曜日

ヒラリー スワンクの映画 「コンヴィクション」

劇場で映画が始まる前に 近いうちに上映予定の映画の前宣伝をいくつか見ることが出来る。それを見ていると 是非観たい作品と、もう宣伝フィルムだけで内容も感触もわかってしまったからもう充分、という作品とに分かれる。 宣伝用のフィルムを見ただけで 涙があふれて仕方がなくて、公開を心待ちにして、観たのが この映画「コンヴィクション」だ。原題「CONVICTION」、有罪宣告という意味。実話を映画化したものだ。

ストーリーは
兄ケリーと 妹べテイアンとは とても仲の良い兄妹だった。マサチューセッツの田舎で、二人は 泥まみれになっていつも遊んでいた。母親はシングルマザーで6人子供を産んだが、その父親が全部ちがう父親だった というような生活環境。妹思いのケニーは 妹が悪いことをしても いつも叱られたり 責められたりするのは兄の役割だと思っている。ケニーは どんなことがあっても 小さな妹を体をはって守り通してくれた。 小さな町で二人は成長し、それぞれ家庭を持ち、子供をもった。そんな二人の兄妹の関係に 転機が訪れる。

1983年、静かな小さなこの町で、強盗事件が発生する。未亡人が殺され、家が荒らされた。 寝耳に水のケニーの逮捕。物証が何もないのに、二人の女の証言だけで ケニーは 殺人犯として、終身刑を言い渡される。 そんなことがあって良いはずはない。べテイアンは、どんなことがあっても 監獄から兄を救い出す決意をする。

まず、べテイは高校卒業の資格を取り、大学に入り 法学を勉強し始める。小さなバーで働きながら、昼夜なく働き、彼女は勉強を続ける。兄の無実を証明したい一念だ。夫が去り、二人の子供達は 母親の不在に不満のやり場がない。 べテイアンは 遂に弁護士の資格を取り、兄のケースを再審に持っていくための仕事にとりかかる。18年たっていた。時に DNAテストが 警察で事件の証拠として認められるようになり 殺人事件当時の証拠とされていた血痕が ケニーのものではないことが証明された。べテイアンは、協力者を得て、ケニーの無実を立証していく。あとは、二人の当時の証人を探し出し、証言をひるがえさせることだ。そして、二人の証人の偽証が明らかになる。
人生の一番幸せだったときに 逮捕され、終身刑を言い渡されたケニーに 遂に無罪が、、、
というお話。

監督:トニー ゴールドウィン
キャスト
べテイーアン ウォーター:ヒラリースワンク
ケニー ウォーター   :サム ロックウェル
ナンシー テイラー警部 :メリッサ レオ
友人弁護士       :ミニー ドライバー
友人弁護士       :ピーター ガラシャー
ケニーの娘       :アリ グレイノール

本当のお話だけに迫力がある。「ヒラリー スワンクのがんばり」に終始する映画だが、彼女が演じる「強い女」はピカイチだ。涙をこらえて キリッと前方を見据えて しっかりした足取りで歩く。勇敢だ。 彼女は クリント イーストウッド監督の「ミリオンダラーベイビー」で、アカデミー主演女優賞を取った。ハングリーで自分の決めたことは 絶対に譲らない。他の女優には演じられない。この映画は この女優なしには成功しなかったと思う。

汚い手で 女達に偽証をさせて、自己保身にはしる女警官役を演じた、メリッサ レオは、「ファイター」で、クリスチャン べイルの母親役で、つい先週発表された今年のアカデミーで、助演女優賞を取った。カメレオンのように どんな役にも自分を合わせて 器用に演じることのできる女優だ。

感動的な実話なので その強烈な事実に引きずられて、心動かされるが 映画としては 人物の心象風景の描き方や ケニーとべテイアンの心理に立ち入って描かれていない。子供時代の回想シーンも、クリント イーストウッドが監督していたら もっと子供達の生き生きとした世界が描けていただろう と残念に思った。いろんな場面で、何かが足りない気がして仕方がなかった。

しかし、事実の重みに心動かされ 勇気つけられる。18年間の彼女の努力。自分は家族のためにこれだけのことが出来るだろうか。 映画に感動して、涙を枯らしたあとで、映画の最後のテロップを読んで、観ていた人はもう一度 泣く。
泣かずにいられようか。
事実は 残酷だ。

2011年3月2日水曜日

リアン ニルソンの映画 「身元不明」



映画「身元不明」、原題「UNKOWN」を観た。

アクションスリラー映画 アメリカ ワーナーブラザーズ製作。
監督:ジャゥメ コレット セラ
キャスト
ドクターマーチン ハリス: リアン ニーソン
妻 リズ        : ジャヌアリー ジョンズ
ジーナ タクシードライバー:ダイアン クルーガー
マーチン ハリス その2: エイデン クイン

ストーリーは
科学者ドクターマーチン ハリス(リアン ニーソン)は 学会に参加するために 妻のリズ(ジャヌアリー ジョンズ)を伴い ベルリンにやってきた。ベルリンは初めてだ。
二人は 曇り空、雪がちらつく寒い空港から タクシーに荷物を積み込んで ホテルに向かう。しかし、ホテルに着いたときに マーチンは パスポートや 学会で発表する原稿の入った一番大事なアタシュケースを タクシーに積み残して、空港に残したまま来てしまったことに気がついて、あわてて、別のタクシーで 空港に戻る。

気が動転しているマーチンは、女性のタクシー運転手(ダイアン クルーガー)に 無理を言って 空港への近道を走るように頼み込むが、運悪く交通事故にあって 車は河に転落、マーチンは命は助けられるものの 昏睡状態で病院に運び込まれる。3日後、マーチンが昏睡から覚めたときには、自分が誰であるのか思い出せない。自分を証明するものは 何ひとつ身につけていない。不思議なことに ホテルで自分を待っているはずの妻や アメリカ大使館やベルリン警察から 行方不明の届出が出ていない。自分を探している人はいない。自分は 一体誰なのか わからない。

病院のベッドで テレビを見ていると、学会が開催されるニュースが報道された。これを見て にわかに 自分が学会のために来ていた事と、妻を残してきたホテルの名を思い出す。ドクターが止めるのも聴かず、マーチンは 病院を抜け出してホテルに急行する。
しかし5年余りの間 愛し合ってきたはずの妻は、マーチンを見て 知らない人だ と言う。そして妻に寄り添っているのは、見たこともない男だ。その男は ドクターマーチン ハリスだと名乗り、パスポートを見せる。パスポートの横には 妻を抱いた男の写真が貼ってある。
全く同じ所で撮影した妻を抱いた写真を マーチンは自分のパスポートケースに持っていた。しかしパスポートは アタシュケースとともに、失くしてしまった。マーチンは自分を証明することができない。

混乱しているマーチンに、プロの殺し屋が追ってくる。病院に戻ったマーチンのところにも 殺し屋が追ってきて、次々と自分を保護してくれる職員が殺されていく。安全なところは どこにもない。マーチンはジーナ(ダイアン クルーガー)という 事故にあったときに 乗っていたタクシードライバーに助けを求める。彼女は ボスニアから違法難民で、ベルリンでは不法労働者だった。二人は、年老いた私立探偵に出会う。彼はむかしのヒットラー時代のSSの生き残りだ。強力な この探偵の裏コネクションで調べた結果、マーチン ハリスが他の男に取って代わられた裏には、巨大な組織があることを突き止める。マーチンはジーナを伴って 逃げ回りながら、自分は誰なのか、殺し屋は何を狙っているのか、突き止めなければならない。

ことの真相がわかりかけてきた私立探偵は 消される。ジーナの友達も まわりにいる人たちも次々と殺されていく。追われながら 自分が誰なのか探し求めるマーチンに わかったことは、、、
というお話。
スリラーなので、その先は言えない。入り組んだスパイ劇なので、ちょっと考えなければストーリーが読めなくなる。それだけに おもしろい。

「シンドラーのリスト」、「72時間」(原題TAKEN)、「Aチーム」のリーアン ニルソンが大活躍する。彼の巨大な骨格、鼻筋が通った高い鼻と うすい唇、、外観からすると怪力ロボット、殺人マシーンのような役柄が ドクターマーチンの役に似合う。
私生活では 長年連れ添った奥さんの ナターシャ リチャードソンを 2009年のカナダモントリオールでのスキー事故で亡くしたばかり。
「72時間」では、誘拐された娘を取り戻す為に、刑事から情報を得ようと、好意的で親切にしてくれる刑事の妻を ちゅうちょなく平気で撃つシーンには驚いた。彼に笑顔は似合わない。無表情に じゃんじゃん敵をやっつけていく。アクション映画は、どんどんスピードを増し、残酷さを上回っていく。息つくひまもない。沢山の人が死に、たくさんの建物が壊れ、車も家も燃え上がる。

ダイアン クルーガーが可愛い。罪もないのに、たまたま男を助けた為に 複雑な事情に巻き込まれ 友人を殺され 自分の命まで狙われて 何度も何度も死線を潜り抜けなければならない。クロアチア難民という役柄なので ぎこちないアクセントで英語をしゃべる舌足らずが可愛い。

オーストリアの人気テレビ番組「インスペクター レックス」で ストックナー刑事を演じている役者カール マルコビックが リーアン ニーソンが入院した病院のドクター役で出ている。これが嬉しかった。ドイツ人の とても良い役者なのだ。インスペクター レックスでは、レックスという立派で賢い警察犬に いつも命を助けられるドジな刑事役だけど、彼が主役のドイツ映画「ヒットラーの贋札」では、彼の役者としての良さを証明してくれた。
この映画では ちょい役というか端役。こんなとき「カール マルコビックがカメオだった、、」という英語の言い方をする。カメオは小さな貝殻や象牙に彫刻を施した芸術品で 指輪やネックレスになる。そんな小さくて よく手をかけた宝石のような存在。彼がこの映画に出ていたために映画全体が引き締まって良くなったので 彼はカメオみたいだった。

この映画 スリルとサスペンスに、ミステリー謎解きが加わっておもしろい映画に仕上がっている。
日本公開は5月7日だそうだ。

2011年2月24日木曜日

映画 「127アワーズ」のジェームス フランコ



映画「スラムドッグ ミリオネア」の、ダニー ボイル監督の新作「127HOURS」を観た。
現在 山岳登山家として活躍しているアーロン ラルストン原作の「BETWEEN A ROCK AND HARD PLACE」を映画化したもの。この本は 全米で40万部余り売れてベストセラーとなった。日本では「奇跡の5日間」という邦題で、小学館から出版されている。

この映画の主役を演じた ジェームス フランコが アカデミー男優主演賞にノミネイトされている。今年 彼はアカデミー賞の司会者でもある。
映画はユタ州の ブルージョン渓谷で 単独登山中に、クレバスに落ちて 落石に右腕を挟まれて動けなくなり、自ら腕を切り落として 脱出し、生還してきたアーロンに 実際に起きたことを 映画化したもの。

この出来事は 2003年当時、新聞のニュースで知っていた。新聞記事だけでは 仔細がわからないので、高い岩壁をザイルで下降中に 宙釣りになったままの姿で片腕を取られて 切り取らざるを得なかったのかと思っていた。事実は、クレバスに落ちた時、肘から先を岩に挟まれて 手首や指の血液循環が完全に止まってしまった状態で5日間、127時間 様々な脱出方法を試みた上で、片腕を 先が丸くなった小さなナイフで切り取って生還した。
映画を見ながら この岩が 氷だったとしたら、こんなふうにして植村直己さんは 深いクレバスにとらわれてしまったのだろうか、と思った。彼は今もなお 氷に囲まれて 果たすべき目的地に到達する夢を見続けている。

ストーリーは
27歳のアーロンは 週末 愛車にマウンテンバイクをくくりつけて ユタ州のブルージョン国立公園に向かう。広大なロックマウンテン、見渡す限り 赤茶色の岩と渓谷が続く。幼い時から 幾度も父親に連れられて触れてきた自然の大地だ。新しいルートを探索する一日ハイキング旅行だ。
途中で道に迷っている二人の女性に出会う。彼女達は滝つぼを探していた。アーロンは彼女達をガイドして 滝まで連れて行ってやり、一緒に豪快な水遊びをする。充分楽しんだ後、アーロンは 彼女達と別れて ひとり歩き続ける。事故は 突然起きる。うっかりクレバスに落ちて、落石に片手を挟まれてうごけなくなってしまう。助けを呼んでも声の届く限りに人はいない。彼は 行き先を誰にも言っていない。待っていて 助けが来る可能性はない。

僅かな岩と岩の裂け目から地底深くに落ちて、岩に手を挟まれて動けない状態で、127時間の自分との闘いが始まる。土曜日の午後3時だ。身に着けているものは小さなザックにロープ、カラビナ、水、小さなナイフ、カメラ、懐中電灯に時計。携帯電話はない。あっても何百キロもある広大な渓谷に電波が届くはずもない。
とりあえず挿まれている岩を削るためにナイフで岩と格闘して夜が過ぎていく。ストームに襲われて、激しい雨が流れ込み 溺れて沈みかける。水筒の水がなくなる。絶望が襲い幻覚が始まる。父と母に、お別れの言葉を記録する。一日のうちに 同じ時間に空を鷹が舞う。正午に短い間だが陽が当たる。水への渇望。尿を飲む。繰り返し、繰り返し幻覚 幻視が起きる。そして遂に もう摩滅して先が丸くなった小さなナイフで片腕の切断を決意する。
という本当にあったお話。


映画化が決まった時、アーロン本人が ロスアンデルスのホテルにやって来て、ジェームス フランコに 当時のカメラを 見せてくれたそうだ。127時間の彼の絶望や焦燥が凝縮された記録が 余りにも 生々しいので このカメラは 最も親しい家族にもあまり 見せなかったものだったが、映画で自分を演じる役者には、誰よりもその時の自分の赤裸々な姿を見て 体感してもらいたい と思ってのことだったそうだ。
アーロンは 小型カメラを自分に向けて ショートビデオで行く先々の記録をたんねんにカメラに収めていた。金曜の夜の出発、渓谷に着いてからの景色、ハイクで出会った二人の女性たちとの水遊びの様子、クレバスに落ちてからの一刻一刻の変化、絶望と両親への別れ、岩から脱出した後のシーンも克明にカメラに記録をしていた。
本人が あまり人に 見せなかったフイルムを 役者のジェームス フランコが見て、完全に本人になりきって演じた。
腕を切り取るシーンでは 本物そっくりに作られた腕を文字通り痛みを持って切断したそうだ。映画館では、失神する人も出たようだが ジェームス フランコは アーロンの勇気に敬意を表して 目をつぶらずに見て欲しいと、言っている。

ジェームス フランコは32歳。多才な人だ。
母はロシア出身の詩人。そのまた母(祖母)は美術館のオーナーだそうだ。ジェームス デイーンに似ているので、映画「デイーン」役を好演して、2002年ゴールデングローブ賞をもらった。
「スパイダーマン」のナンバー2とナンバー3で、親友ハリーの役をやった。ハリーは ナンバー3で 死んでしまったが それが悲しくて もうスパイダーマンの続編は出ても もう見ない と決意したくらい スパイダーマンよりもずっと素敵だった。
ショーン ペン主役の 映画「ミルク」ではゲイの役で、とても良かった。
「食べて祈って恋をして」では、ジュリア ロバーツの恋人役を好演していた。
ジェームス フランコはカルフォルニア大学ロスアンデルス校で 英文学を学び、コロンビア大学院と、イエール大学の学位をもっている。短編小説集「PALA ALTO」を書いて出版している。また長いこと絵を描いていて 全米の美術館で自分が描いた絵の展覧会を開催したそうだ。おまけに、パイロットの資格まで持っている。文字通り マルチタレントなインテリで芸術家なのだ。
まだ32歳、これから もっともっと 活躍して欲しい役者だ。

この映画、アメリカ大陸 ユタ州の広大な自然が美しい。山頂から見る日の出。雄大な岩山と大地。カメラワークが素晴らしい。
子供の時から 父親に連れられて山々や、渓谷に親しんできた青年の感性の柔らかさに、触れることが出来る。家族思いで 知的な仕事に就いて 週末には一人で山にやってくる ごくふつうの好青年が危機に陥っても 自分を失わうことがない。単独行の冒険者の勇気が語られている。
とても良い映画だ。

2011年2月22日火曜日

ミュージカル映画 「バーレスク」



去年の12月に公開が始まったミュージカル映画「BURLESQUE」をやっと観る事が出来た。12月からこの時期にかけて、アカデミー賞を獲る為に 沢山の映画が公開されて、それぞれが なかなか良い作品なので、週に一本の割で映画館に足を運ぶくらいのペースでは とても観きれない。次々と出る新作に目うつりしていて、あとあとになっていた「バーレスク」を 昨日やっと観る事が出来た。

制作費5,5ミリオンドル。ミュージカル映画として 史上最高のお金をかけて製作された。映画の中で歌われた新曲10曲のうち、8曲は主役のクリステイーナ アギレラ、あとの2曲が準主役のシェールが歌い、映画の公開とともにアルバムがリリースされた。
なかでも、シェールの歌った「YOU HAVEN'T SEEN THE LAST OF ME」は、2011年のベストオリジナル曲として、ゴールデングローブ賞を獲得した。

ストーリーは
アイオワの小さなバーで働くアリ ローズ(クリステイーナ アギレラ)は ケチで2ヶ月も給料支払いを遅らせているオーナーに腹を立てて 売上金を奪ってロスアンデルスに出てくる。しょぼいホテルを根城にして 新聞広告を頼りに仕事探しに明け暮れる。ある夜 バーレスクに迷い込み、長いこと自分が夢見てきた歌とダンスが繰り広げられる舞台に出会って 自分の生きる場所がここにしかない、と決める。しかし店のオーナー テス(シェール)は、飛び込みの田舎娘など相手にしない。アリは バーテンダーのジャック(カム ジナンデール)に頼み込んで ウェイトレスとして 働き始める。
アリは、ウェイトレスをしながら ショーガール達の歌と踊りを憶えるうち、ダンサーの一人に欠員が出たときには、その日のうちに代役ができるまでになっていた。やっとアリは自分の歌とダンスの実力が認められて ショ-ガールの一員に加えられる。親も兄弟もないアリにとって、バーレスクで働けるようにしてくれたオーナーのテスと、マネージャーのショーン(スタンレー ツチ)は、親代わりのような恩人だった。しかしアパートを提供してくれているバーテンダーのジャックだけが、アリの片思いで、愛情に答えてくれない。
一方、かつてはバーレスクの歌姫だったオーナーのテスは、古くなったバーレスクを持ちこたえる為の資金難に直面していた。店の権利を新事業家マルコス(エリック デーン)に売り渡さなければならない危機にあった。事業家マルコスは ジャックの煮え切らない態度に心揺れ動くアリを自分のものにして バーレスクも買収するつもりでいた。しかし、アリはテスとともに ライバルの事業家を取り込んで 債権を返し店を売らずに維持していくことにする。待ちに待ったジャックも ようやく自分が作曲した曲をもってアリに捧げて、やっと二人は 二人の気持ちを伝えることができて、、。というお話。

65歳になろうとしているシェールの網タイツ姿で踊り 歌う姿が素敵。そして、ゴールデングローブを獲った歌「YOU HAVEN'T SEEN LAST OF ME」をたったひとり 誰もいなくなった舞台でしみじみ歌うシーンが良くて泣ける。これが 他のどの歌よりも良かった。疲れたら 家に篭ってこの曲だけを繰り返し聴いて涙を枯らして 手負いの虎が 傷をなめて自分で治すようにして過ごしたい。この世の全ての悲しみを代表して歌ってくれているようだ。素晴らしい。

シェールは チェロキーインデアンの血が半分流れているから エキゾチックな顔立ちで、素晴らしい体形をしている。1960年代「ソニーとシェール」でデュエットで歌っていた頃は 反逆 反抗のシンボルだった。当時はベトナム戦争反対運動のさなかだから、ボブ デイラン、ジョーン バエズ、サイモンとガンファンクル みな抵抗の歌を歌っていた。彼女は歌だけでなく女優としても成功し、1987年には「月の輝く夜に」でアカデミー賞主演女優賞をとっている。1998年 シングルアルバム「BELIEVE]の大ヒットで グラミー賞を受賞。2000年以降、ワールドツアーを開催して、成功を収めている。何しろ40年余り 踊り歌い続けてきた人だ。ワールドツアーで シドニーに彼女がきたとき、超セクシーな姿で歌うのをみて、「彼女はバケモノではないか、同じ人間とは思えない」とオットはのたもうた。

主役のクリステイーナ アギレラは この映画を撮影収録していた頃は 幼い男の子を抱えるシングルマザー(別居中)だった。それを1日18時間歌って、踊るという 過酷なスケジュールのリハーサルを 几帳面にまじめにやり通した 根性のある立派な歌手だ。ちいさな体だが、ばねのように強い筋肉 激しい踊りとパワフルな歌声。体の造りが全く肉食動物。何百世代も肉だけを食べてきた人種のパワーに圧倒される。米食の日本人のパワーをはケタが違う。

ミュージカルといえば 一番良く出来たミュージカルは ライザ ミネリの「キャバレー」と、キャサリン ゼタ ジョーンズの「シカゴ」だと思うが、それにこの「バーレスク」を加えたい。3つとも1分のスキもない、2時間あまりのスクリーンの間中 ボリュームたっぷりの歌と 動きの激しいダンスとで、最高のエンタテイメントを提供している。

「キャバレー」は1972年ボブ フォッセー監督の作品。ジュデイー ガーランドの娘 ライザ ミネリが 駆け出しからショーガールとして 脚光をあびるまでのサクセスストーリーだ。彼女が 黒いシルクハットにタイ、黒タイツで ダイナミックに踊る姿は迫力があった。これで彼女はその年のアカデミー主演女優賞をとった。映画の中で 彼女はプロとして輝かしいショーガールになるために それまで支えてくれた 貧しい恋人マイケル ヨークと別れなければならない。ライザ ミネリが大きな目で 男と一瞬見つめあい そして、クルリと後姿をみせて 手でバイバイをするラストシーンに、こらえていた涙がどっと出る。忘れられない名シーンだ。

「シカゴ」は2002年 ロブ マーシャル監督、マーテイ リチャード製作 これでマーテイ リチャードは アカデミーベスト映画賞をもらい、キャサリン ゼタ ジョーンズが アカデミー助演女優賞をもらった。このときのキャサリン ゼタ ジョーンズの歌と踊りは素晴らしかった。
オーストラリアのABC(日本のNHK)が出版した「死ぬまでにあなたが観なければならない1001本の映画」をいう本の 背表紙が ゼタ ジョーンズのこのときの踊る姿だ。1001本の映画について書かれた本の背表紙に選ばれるくらいだから 彼女のオカッパ髪、黒タイツに高いヒールで堂々と踊るシーンは 圧巻。記録に残るシーンだった。
ちなみに この本の表表紙は、アルフレッド ヒッチコックの「サイコ」だ。アンソニー パーキンスに殺される女の あの有名なシャワーシーンだ。

「バーレスク」とにかく楽しいミュージカルだ。ゴージャスなショガールが踊って歌う姿は けなげで パワフルで美しい。観て損はない。

2011年2月18日金曜日

ドキュメンタリ「プラネット アース」とサンクタム



スポーツ完全音痴でトロいくせに、冒険物語が大好き。
世界で一番 植村直己と デヴィッド アッテンボローが好き。
山の先輩のひとりに 登山も ロッククライミングも 渓流釣りも 洞窟探検もする人がいた。幾度か 洞窟探検の話をきかせてもらったが、深い洞窟の中に 生息する魚などの生物は 必要がないので 体の色がない上 目が退化して 無くなってしまっている と聞いて、どうしてもそれを見たいと思った。すぐに上野動物園に行って、小さな白い体をもっていて、エラの横に退化してなくなった目の跡をもった魚を見て、なるほど、、と感動した。
冒険の中でも、洞窟探検は 最も危険で神秘的で興味津々だ。
ジェームス キャメロンの 洞窟探検物語「サンクタム」に、思ったより感動できなかったので、本物の 洞窟探検のドキュメンタリーを 引っ張り出して 観た。改めて、こちらは、すごい。

数年前に イギリスBBCによって製作された 「プラネット アース」という すぐれた自然ドキュメンタリーフルムだ。日本のNHKと、アメリカのディスカバリーチャンネルも 製作に協力している。
すべてが HDカメラによって収録され、1シリーズが50分のフイルムを 全部で11シリーズに収録されている。ブルーレイでも出ているが、DVDではこれが2枚でセットになって いまでは2枚全部で50ドルくらいで、アマゾンで売っている。私は、完成と同時に それぞれのDVDを 50ドルで買った。

2006年に この11シリーズのうちの5シリーズまでが完成して放映されたが、そのときにすでに BBCは 40億ドルを 撮影に投入していた。並みのドキュメンタリーフィルムではない。衛星から観た地球の映像を ふんだんに使って、立体的に撮影している。その後2年かけて 6-11シリーズが製作された。全11シリーズとも、デヴィッド アッテンボローが ナレーターをやっている。素晴らしい出来で、 このDVDを 何度も何度もくりかえして観て そのたびに感動する。

NHKでは BBC版のフイルムを細かく切って、緒方拳のナビゲーターと 独自のフイルムを加えて 3枚のDVDにした。のちにこれをまた 細かく切ってとくに反響の大きかったシーンを NHKが再編集して 75分間のフイルムを2本作って、NHKスペシャルで放送したそうだ。原版のBBC版が いま50ドルで買えるのに、 NHK版がアマゾンで 安く買って1万6千円。定価より安く買っても 未だに、日本版は3倍もする。定価でしか買えなかった 数年前の発売当時では イギリスアマゾンから直接取り寄せたDVDと、NHKから売り出されたDVDとでは NHKの方の値段が 7倍も高かったそうだ。NHKは あこぎな商売をしているのではないだろうか。これから 買って見る人は BBC版を買うべきだ。

内容は
DVD1
シリーズ1:南極と北極
シリーズ2:山々
シリーズ3:水
シリーズ4:洞窟
シリーズ5:砂漠
DVD2
シリーズ6:氷の世界
シリーズ7:大陸
シリーズ8:ジャングル
シリーズ9:淡水
シリーズ10:森
シリーズ11:深海

このなかで洞窟シリーズは1時間30分。自然のなかの洞窟の美しさ。何千年もかけて、地球が作り上げた芸術の大成。まさに、人が立ち入ってはならない サンクタムだ。ボリビアのデア洞窟では、撮影の許可を取るだけで、交渉に2年間かかったそうだ。500キロの撮影機材を運び込むために、史上初めて、クレーンを洞窟内に設置しなければならないので、許可が下りなかったためだ。内部を絶対に損傷しない確約と保険をかけて、撮影している。1000年間、人から侵害されずにいた洞窟の中を 地上から400メートル 下って探索して カメラに収めている。
蝙蝠、ゴキブリ、白いカニ、目のない洞窟エンジェルフィッシュ、珍しい目のないサラマンダという生物、、。鍾乳洞に、クリスタルの自然の彫刻。

またメキシコのヨコタン半島にある水中洞窟では 淡水ワニや水鳥もいる。何キロも先は 深い水のなかで 海に通じている。
ニュージーランドの洞窟の中の 漆黒の中を土蛍の光り輝く美しさ。クリスタルに光る糸にからめとられた蚊や小さな虫が 光る蛍の幼虫に飲み込まれる瞬間も接写で写している。
素晴らしい BBCでなければ とても製作できなかった科学ドキュメンタリーだ。
地底に向かって 何百キロも下って下って行く 冒険の旅、、なんて素敵だろう。やっぱり、映画よりドキュメンタリーが良い。なんといっても本物だ。

2011年2月17日木曜日

ジェームス キャメロンの映画 「サンクタム」




「タイタニック」で泣かせてくれて、「アバター」で、新時代の映画テクニックを鮮やかにみせて度肝をぬかせてくれたジェームス キャメロンの新作「サンクタム」3Dを観た。原題「SANCTUM」で、密室とか、聖地とか 神聖な場所という意味。

同時に 大型映画館アイマックスでは、「タイタニック3D 海底のゴースト」、原題「TITANIC 3D GOHSTS OF THE ABYSS」という題名の 彼のフィルムの上映が始まった。2001年に「タイタニック」を作ったときに 役者のビル パックストンとともに、撮影隊が 沈んでいるタイタニック号探索のために潜水したときのドキュメンタリーフィルムだ。これは映画には使われなかった45分間の記録映画。1912年にイギリスからアメリカに向かって航海中に 氷山に当たって、沈んだ船には、宝物も亡くなった人の骨もそのまま手付かずに残っていると思われる。100年間ちかく沈んでいたタイタニック号の眠っている姿は、さぞ神秘的だろう。アイマックスの大画面で3Dで観たら、迫力満点にちがいない。

映画「サンクタム」の方は いちおうスリラーという分野に分類されている。
製作:ジェームス キャメロン
監督:アリスター グリアソン
キャスト
隊長フランク:リチャード ロスベルグ
息子ジョシュ:ライズ ウェイクフィールド
助手カール :ローン グラフト
カールの恋人:アリス パーキンソン

ストーリーは
南太平洋のエサアラ洞窟(ESA-ALA CAVE)は 世界最大規模の洞窟と思われるが その全容は まだ探検しつくされては居ない。この 地上から数百キロ下降したところに入り口がある洞窟内の すべて地形を明らかにして、太平洋に通じているはずの 経路を明らかにすることで 初めて洞窟の全容がわかる。
野心と探究心に燃える 隊長フランクに率いられた探検隊は、何ヶ月も洞窟にこもっている。洞窟が通じているはずの 海までの道を見つけ出すことが当面の目的だ。しかし、洞窟の中は複雑を極めている。ひとつの道を発見すれば突き当たり、洞窟から洞窟まで潜水してたどり着いてもまた 行き止まりという状況を繰り返していた。

隊長フランクのもとに 助手カールが冒険好きの婚約者を連れて やってくる。案内役は フランクの17歳の息子ジョシュだ。息子は家庭を顧みないで 洞窟にこもってばかりいる父親に反感をもちながらも、父の力になりたいと思っている。
一行は ヘリコプターで ジャングルを切り開いた山のてっぺんに降り立って、洞窟の入り口からパラシュートで洞窟内に降り立つ。ベースキャンプのある中ほどまで数キロ 岩を越えロッククライミングの要領でひたすら 地底に下る。

そこに大型のサイクロンが襲う。多量の鉄砲水が流れ込み 地上に戻る為の経路が破壊された。地上に戻る道は失われてしまった。洞窟の中に残ったのは 隊長フランクと息子と 助手カールのカップルだけだ。一行は洞窟の奥へ奥へと入っていく。海に至るまでの逃げ道を探し出さなければならない。そして一行は、、、。というお話。

洞窟の中が美しい。何万年もかけて、自然が作り出した芸術品。
しかし、探検に女が加わると どうしてストーリーが こんなにバカっぽくなるのだろう。女は馬鹿だ、といわれているようで 腹立たしい。冒険好きだけどダイビングが得意ではない、死人からダイバースーツを剥ぎ取って着る事を拒否したため低体温症で動けなくなる それでいて「あたしには これできないわ。いやーん。」などと 生きるか死ぬかの瀬戸際に 言っている。「もう、、、やめろ!!!まったくイライラする。」
おまけに、ストーリーは 単純で、「なんだ!」というような内容。

しかしジェームス キャメロンにとって 話の筋なんて どうでも良かったのだろう。洞窟の中の美しさ。水の中の神秘。彼は これに魅惑されている。
本当に 洞窟の中の水が美しい。地下深いので ライトがないと見えないが、青い真水を潜水する。この先がどうなっているのか わからない。酸素ボンベの残量と脱出との戦いだ。狭い通路を潜り抜ける時 酸素ボンベなどの装備を損傷することは直接 事故死に直結する。いつも強力な 指導力で人を率いてきた父への尊敬と反発、愛と憎しみ、信頼と背反。17歳のひ弱な青年が 死を目前にして、一人前の男になっていく様子が良い。

3Dの大画面のなかで、観客もみな水浸しになって水底に沈みながら 出口は、出口は、、、と わずかな希望を手繰り寄せながら 苦しい呼吸を繰り返していく、そんな体験のできる映画だ。平日の朝10時、ひとりで 他に誰も居ない映画館で観た。前から3番目 中央の座席、画面の水を真正面からあびて ぬれねずみになったり 水中を浮遊したり、洞窟探検を堪能した。
タイタニック以来、海底に魅せられてしまった ジェームス キャメロンの海への思いが 充分伝わった。ヒマラヤも 南極も北極も秘境やジャングルも冒険者達によって 走破 探検されつくしてしまった。洞窟もしかり。それでも未踏の地 まだ人に知られていない サンクタムを求めて冒険者は留まることを知らない。
ストーリーを大切にする人には この映画はつまらない。でも海の好きな人 海底探索や洞窟探検が好きな人には楽しめる。3Dで 迫力があるので、3D眼鏡と 水着とタオルを持って、どうぞ。

2011年2月15日火曜日

 イーストウッドとスピルバーグの映画「ヒア アフター」




映画「ヒア アフター」、原題「HEREAFTER」観た。
クリント イーストウッド監督。彼が作った32番目の映画。イーストウッドが監督をして、ステイーブン スピルバーグが製作、指揮をした。二人の 映画界における巨匠による作品だ。

監督: クリント イーストウッド
製作指揮:ステイーブン スピルバーグ
キャスト
マリー:セシル デ フランス
マルコス:フランキー マクレラン
ジョージ:マット デイモン

ロケーションごとの映像が美しい。イーストウッドが作る作品は いつも彼が作曲したり編曲したり選曲した音楽と、映像とが 実に巧みにマッチしている。そこに映像があるだけで 説明が要らない。字幕で「ロンドン」とか「パリ」とか「1年後」とか「半年後」とか字幕など入れない。彼はひとつひとつの画面を芸術と捉えているから野暮なことはしない。それでいて、観ているだけで そこがロンドンだ、パリだということがわかる。ロンドンの空気、ロンドンの人々の動き、ロンドンの喧騒が画面から濃厚に立ち上がってくる。パリでも サンフランシスコでも それが起こる。そんな彼の画面を見ていると魔術のようだ。

パリ、サンフランシスコ、ロンドンに住む3人の人物が それぞれ日々の生活をしていて 笑ったり 苦しんだり悩んだりしていて、一見それらが何の脈絡もないように思えるが 最後に一挙に つじつまが会うように作られている。映画作りでは完全主義者のイーストウッドの腕のみせどころだ。
そこに 「ラブリーボーン」のスピルバーグのテイストが 散りばめられている。

ストーリーは
テレビジャーナリスト マリー リレイは テレビ局のダイレクターの恋人と一緒に東南アジアの島で 休暇を過ごす。海辺の露店で買い物をしていたマリーを大津波が襲う。津波に流され沈んで いったん死ぬが 地元の人々に助けられ 息を吹き返す。そのときに体験した臨死体験を 恋人や友達に話すが 誰も信じてくれない。事故によるトラウマか 幻想にすぎないと笑われて、孤独の底なし沼に落ち込んでいく。誰の共感も得られず たどり着いたのは スイスアルプスの山麓にあるホスピスだった。そこで毎日 死に向かい合っているドクターの理解を得て、彼女は死の世界について本を書く。フランスで、出版はかなわなかったが、ロンドンの出版社からそれが出版されることになる。

ロンドンの下町に住む、マルコスとジェーソンは12歳、双子の兄弟だ。12分間先に生まれた兄、ジェーソンに、内気なマルコスは いつも頼りきっている。父は家族を捨て 母はアルコールと薬物中毒で、家庭が崩壊寸前、市の生活教育指導員の姿に脅えている。しかし、母親のお使いに街に出たジェーソンは 不良にからまれ 逃げようとして 車にはねられ死亡する。一人きりになったマルコスは 母親から引き離されて 里親に引き取られる。唯一頼りにしていた兄を失ってマルコスは立ち直ることが出来ない。兄の霊を求めて霊能力者を訪ねて回るが 皆ニセモノだ。マルコスの喪失感と孤独は深まるばかりだ。

サンフランシスコの港湾労働者ジョージは 生真面目で誠実な青年だ。偏頭痛の手術をしたことを契機に 死者を見たり話をすることが出来る能力がついてしまった。兄は 彼が心霊療法家としてビジネスをして 人助けをするべきだと信じている。しかし亡くなった人からのメッセージを身内の人に伝えることが 必ずしも生きている人の苦痛を取り去ってくれる訳ではない。頼まれても 死者に会うことを断ってきた。そんなまじめ一方のジョージが 社会人向けの料理教室で知り合った女性に恋をする。しかし、彼女に望まれて 彼女についている死者の霊を読むうち 彼女のが父親から虐待されていた過去を知ってしまう。彼女は自分の心の傷をジョージに知られて 黙って去っていく。ひとりジョージは 疲れきって、旅に出る。文学を愛するジョージは ロンドンで、ブックフェアに出かけていく。そこで パリからきたマリーと ロンドンの12歳の少年と、ジョージが、、、。
というお話。

最初の15分がすごい。
東南アジアのリゾートを津波が襲うときの 不気味な音と高波の恐怖。水が迫ってきて 人々が流される様子を撮影したシーンがとてもリアルだ。人工的に高波を作って撮影したそうだ。マリーが必死で走って 高波に追いつかれ 沈む様子、柔らかな人の体を 流されてきた車や屋根や鉄板がぶつかっていく姿は ドキュメンタリーフィルムのようだ。

サンフランシスコの港湾労働者の姿。組合との軋轢、一日として休みを取らずまじめに働き、チャールス デイッケンズが好きで 小説をテープで聞きながら眠るジョージ。ボーイスカウトをそのまま大きくしたような好青年が ひとり小さな台所で 大きな体を丸めるようにして食事をする姿で、イーストウッドは 上手にジョージの心象風景を語ってくれる。こんなジョージの人柄に、マット デイモンは適役だ。他にこの役を出来る人はいないのではないかと思う。

この映画を見ると 人はみな傷を持って生きているのだということが実感できる。子供の時に虐待されていたり、親が親としての能力を持たなかったり、学校時代に理解者がいなくて孤独な子供だったり、友達が居なかったり、信頼する人に裏切られたり、職場で自分の能力をわかってもらえなかったり、自分を利用しようとする人ばかりだったり、恋人が他の相手に走ったり つらい気持ちをわかってくれる人が居なかったり、、、本当に人は孤独で傷だらけだ。生きるだけでも大変なのに、ある日 大切な人に突然死なれてしまったら、残された人は途方に暮れるばかりだ。
悲しみを持っていく場を 持たない人にとって、死者から お別れの言葉を受け取ることができるなら それが 救いになり、許しとなって、残ってもなお、生きていける力になる。死者からのメッセージは、傷心の治癒に向かう為の過程 ヒーリングプロセスとしてなくてはならないものかもしれない。

この映画、80歳にして意気軒昂、強い男の代名詞であるイーストウッドから 弱者へのいたわりのメッセージを捉えることが出来る。

2011年2月10日木曜日

オペラ 「カルメン」を観る




オペラ オーストラリアでは 毎年12のオペラが上演される。
公演は前期の1月から3月と、後期の7月から12月に分かれていて 4,5,6月は オペラ興行はない。
同じオペラが だいたい3年から5年ごと位に繰り返されるが、演出家が変わるので 前に観たものとは 趣の異なった舞台を見ることが出来る。
毎年 5つほどオペラを観る。
9月に送られてくるパンフレットを見ながら その翌年に観たいものを選ぶのは 楽しい作業だ。去年は 「椿姫」、「トスカ」、「フィガロの結婚」、「真夏の夜の夢」、「ペンザンスの海賊」を観たが、「真夏の夜の夢」が 素晴らしいパックの活躍で、一番良かった。おととしは 「魔笛」、「ミカド」、「コシファントッテ」、「ムンセンスクのマクベス夫人」、「アイーダ」を観て、アイーダが とびぬけて良かった。

好きなオペラなのに 演出家が自分の好みでなくて 満足できない舞台もあるし、演出は良いのに、キャストが良くなくて期待はずれになることもある。
オペラを観るに当たって いちばん肝心なのは、良い席を取ることだ。3時間は かかるから、楽に舞台が観られる舞台近くの中央で、字幕を読みながら 舞台を観るのに疲れないような場所に座らないと ひどい目にあう。舞台上に電光掲示板みたいに出てくる字幕が よく見えない席も沢山あるからだ。

先週観たのは ビゼーの「カルメン」。こんなにセクシーなカルメンを今まで観たことがない。すごい。ゾクゾクするほど 男を挑発しまくっていた。
カルメン役は、イスラエル人のリナット シャハムという とてもパワフルで豊な声量のメゾソプラノだ。自由奔放で情熱的、熱くなるのも早いが冷めるのも早い。一人の男に夢中になっても それが3ヶ月と持たない。そんな女を演じ 劇のなかで カスタネット両手にもって、フラメンコも踊るし、動きも激しい。難しい役を上手に演じて すばらしく美しく歌ってくれた。
何年か前に観た「カルメン」では カルメンが本当の馬に乗って歌う場面があった。インタビューの中で 歌手が 馬から振り落とされて、何度も足を捻挫して、とても大変だったと 言っていた。馬にまたがるのでなく、横座りで馬の背で歌うのでは 安定が悪くて 馬もソプラノ歌手も気の毒。照明が輝く舞台で何千人ものお客を前にじっとしていなければならない馬も可哀想だ。独創的な舞台演出も良いが 動物の習性や、オペラ歌手の体形をよく考えて あまり無理させないほうが良いのに、と この時思った。今回の演出はとても良い。

演出:フランセスカ ザンベロ
オーストラリアオペラ バレエオーケストラ
指揮:ジェローム トルネイヤー
キャスト
カルメン;リナット シャハム
ドンホセ:リチャード トロクセル
エスカミリオ:シェーン ロレンシブ
ミケーラ:ニコル カー

第一幕
街の喧騒。タバコ工場の昼休みに女達が広場に出てくるのを待って 男たちが集まる。群れて遊ぶ子供達、通行人、兵士達で広場はいっぱいだ。
幼馴染のミケーラが田舎から 兵役についているドン ホセに会いにやってくる。息子を案じる母親のことずけを授けられている。再会を喜び合っているのもつかの間、タバコ工場で揉め事が起こる。血の気の多い女達が 掴み合いのけんかを始めたと思っていたら、カルメンがナイフで女ボスを刺し殺そうとする。兵隊が間に入って 紛争を収拾。首謀者のカルメンは拘束されることになった。
しかし、カルメンは 監視役の 純情なホセを誘惑して逃亡してしまう。そのためにホセは逮捕されて懲罰を受ける。

第2幕
ホセが懲罰を終えて、ジプシーの酒場に カルメンに会いにやってくる。カルメンはホセに恋をしている。人気者の闘牛士エスカミリオが口説いても 相手にしない。せっかくホセが会いに来たのに、帰営のラッパが鳴ると ホセは兵舎に帰ろうとする。それがカルメンには許せない。そこに酔っ払ったホセの上官がやってきて、カルメンに言い寄ろうとする。怒ったホセは上官を傷つけてしまう。ホセはもう兵舎には帰れない。カルメンの望むまま ジプシーの仲間となって、密輸や密造に手を貸して生きるしか なくなってしまった。

第3幕
ジプシーの山岳キャンプ。兵士としての面目も誇りも失って、カルメンの後をついていくことしか出来ないホセに対して カルメンの心は冷えていくばかりだ。エスカミリオが公然とカルメンを口説きにやってくる。嫉妬に狂ったホセの前に 幼馴染のミケイラが現れて、ホセの母親が危篤だという。ホセはやむなく山を下りる。

第4幕
人気者のエスカミリオが闘牛に出る。人々は熱狂し 街は興奮で沸き立っている。いまやカルメンは エスカミリオの恋人だ。有頂天のカルメンの前にホセが現れて 復縁を迫る。カルメンは昔の男の顔など見るだけで腹が立つ。ホセにもらった指輪を投げつけて 闘牛場に入ろうとするカルメンを ホセは短刀で、、、。
というお話。

カルメンへの愛で 骨抜きの腑抜けになったホセが純情で純真な心で ひたむきに愛を求める姿が 悲しい。伸びの良い美しいテノールが カルメン カルメン カルメーンと繰り返し何度も歌うごとに、泣きそうになる。
むかしヴィデオで観た ホセ カレラスのホセは 素晴らしかった。もうカルメンに嫌われてボロボロになったホセが 惨め度100%で むせび泣きながら歌う姿は、秀逸。泣かずに居られない。ホセ カレラスのホセに比べてしまうと どんなテノール歌手も 名前を憶える気にならない。今回のオージー テノール リチャード トロクセルは ちょっと声量が足りなめ。でもきれいな声で 声量たっぷりのカルメンに負けないように 懸命に歌っていた。

残念なのは エスカミリオのバリトンが あまり響かなかったこと。堂々として、ゆるぎのない自信とプライドをもったエスカミリオが 舞台に登場するだけで安心するような 頼りがいのある男であって欲しいのに、痩せてひょろ高いオージー シェーン ロレンシブだったこと。この人は「コシファントッテ」では、とても良かったが、エスカミリオの役をやる人ではない。これでは どうしてカルメンが ホセから乗り換える気になったのか わからない。
総じて カルメンがとても良くて パワフルでセクシーで、歌って良し、踊って良し、スタイルも良し、容貌も良しの100点満点だったので、まわりの男たちが、かすんでしまった ということかもしれない。

街の喧騒の中を走り回る子供達、兵隊のマーチをまねて行進する子供達、かれらの生き生きした歌と芝居がとても良かった。やはり オペラは舞台をヴィデオや中継でなく 実際に観ることが 一番楽しめる。
とても楽しいオペラの夜だった。

2011年2月9日水曜日

ラリアは夏のまっさかり




エルニーニョではなくて、ラニーニャ現象なのだという。
このひと月 オーストラリア大陸の東部と南部が 大規模な豪雨と洪水とサイクロンに見舞われた。
そのために 面積でいうと、クイーンズランド州の4分の3、ヴィクトリア州の3分の1が水に浸かった。石炭、農業、牧畜などの産業に被害が出ただけでなく 電気電話網 水道下水道、ガスなどすべての生活のための基盤が破壊された。

被害総額が この国のGDPの半分に当たる というのだから 国民が1年間で稼いだ分の半分を 雨でもっていかれてしまったことになる。国の基盤が そんなに脆弱なものだったのか と唖然とする。
ラリアは農業国として産業基盤ができていて、豊富な地下資源に恵まれて ラッキーカウントリーといわれ、中国インドという購買者にも恵まれて 景気も悪くなかった。失業者率も 5%代で先進国のなかでも最も低く保っている。
それが自然災害による被害額が大きすぎるので 政府の予算を切り詰めた上で、新しい「洪水税」を国民に強制することになりそうだ。洪水税:フラッド タックスという耳新しい税金。デザスター ファンド(災害基金)と言われれば、そんなもの どうして今まで ちゃんと積み上げていなかったのか、と怒る気にもなる。それでなくてもサラリーの30%余りを税金で持っていかれているのに、それが増えることになる。
なんか、割り切れないけど、批判すると 被害者に対して人でなしのようで、、、。

今回の洪水で大被害を被った 訳だけれど、つくずくこの国は 大きな国だ、と思えるのは、スーパーに行ったときだ。新鮮な野菜や夏の果物がどっさり陳列されている。クイーンズランドのオレンジがなくても他から調達できるので、スーパーにいると 洪水など まるでなかったよう。テレビニュースでクイーンズランドのバナナ園全滅の無残な様子を見ているのに、家から5分ほど行った店では バナナをキロ3ドルで買うことが出来る。全く値上がりしていない。

今の時期、ラリアの夏の果物は 最高の時期だ。白桃、黄桃、サクランボ、白ネクタリン、黄ネクタリン、西瓜、赤葡萄、マスカット、マンゴー、オレンジ、メロン パパイヤ、アボガド どれも陽をあびて とても甘くなる時期。今年は冬と春に雨に恵まれて、陽に恵まれて 白桃と白ネクタリンがとびきり美味しい。

オージーのオットと暮らすようになって、驚ろかされることが多かったが、オットが美味しそうに 皮のまま白桃にかぶりついているのを初めて見たときは びっくりした。皮のままのほうが 果物はなんでも美味しいそうだ。オットばかりでなく オージーはみな 桃を食べるのに皮など剥かない。いまでもわたしは白桃を皮つきで食べられないが ネクタリンなら皮つきのほうが美味しいと思えるようになった。葡萄も勿論 粒の大きさに限らず皮のままで、美味しい。
オットにとっては パパイヤが日常不可欠。1年365日 365個のパパイヤを朝食で食べる。オットと暮らして15年、5475個のパパイヤが消費されるところを 目撃したことになる。一年中ラリアのどこかしらでパパイヤが収穫され 価格も低いこの国だからこそ出来ることだろう。夏の短いヨーロッパなどだったら破産している。

今年のサクランボは 甘みがあって、大粒でとても美味しい。今朝食べたのは 直系3センチもあった。気を許して食べ過ぎると 舌だけでなく歯まで赤く染まってしまう深紅のサクランボだ。

三島由紀夫の「午後の曳航」という耽美的な小説がある。
神戸で貿易商を営む美しい未亡人に 粗野で男気のある航海士が恋をする。未亡人が 男の前でアイスクリームを食べ、添えてあるサクランボを口に含み、タネをそっと器の隅に出すと 男は突拍子もなく それをわし摑みして飲み込んでしまう。美しい女に対して どんな言葉で せつない恋心を伝えてよいかわからない男の激情が なせる業だった。びっくりして無邪気に笑う女を見て 男は前にも増して 女を愛してしまう。
とても美しいシーンだ。

サクランボは 空輸されて いまごろ日本のスーパーでも売っているはず。ことしのサクランボは大粒で実が柔らかくて甘いので 試して食べてみて欲しい。日本の上品なサクランボと違って、すぐ悪くなってしまうので、今日食べる分だけを どうぞ。

写真は
キロ$13.96のサクランボ
キロ$3.96の白桃
キロ$3.96の黄桃