2011年3月31日木曜日

ピーター ウェヤー監督




ピーター ウィヤーは オーストラリア人の映画監督。
日本で言うと 黒澤明とか、篠崎正浩みたいな存在か。オージー映画の代表作を作っている偉大な そして現役で活躍している監督だ。紹介したばかりの 映画「ザ ウェイ バック」が彼の最新作。シドニー生まれ、シドニー大学卒の67歳。

代表作は
1975年:「ピクニック ハンギンロック」
1981年:「誓い」
1989年:「いまを生きる」
2003年:「マスターアンドコマンダー」
2011年:「ザ ウェイ バック」

「ピクニックハンギングロック」は、
1967年、ジョーン リンジーによる同名の小説の映画化で、ミステリーだ。
1900年 メルボルンの名門 クラウド女学院の生徒達が 恒例のピクニックに、景勝地ハンギングロックに行った。19人の生徒達と教師2人は、昼食のあと、休んでいたが、そのうちの3人の生徒が 岩山に登って そのまま帰ってこなかった。岩のクレーターに落ちて 帰れなくなったのか、誘拐されたのか、山の神隠しにあったのか、、、。地元の人々や警察の懸命の捜査にも関わらず 3人の少女はそのまま失踪してしまった。
美しい山々の景色と、両家の子女達の優雅で美しい白いドレス姿、これにパンパイプの音響効果で、ミステリー効果抜群の怖さだ。山の霧とともに 美少女たちが 音もなく消えていく。山の神秘的な姿と、不思議なパンパイプの不思議な音が とてもとても怖い。画面では殺人も 怖い男も 何も出てこないのに、どの恐怖映画よりも怖い。
いまでも メルボルン方面を旅する人は この景勝地ハンギングロックにハイキングに行くことができる。入り口のハンギングロック博物館に入って、行方不明になる追体験もできる。

「誓い」は、
1981年 原題「ガリポリ」。これはオージーにとって、特別な作品だ。
第一次世界大戦 トルコのガリポリで イギリス軍の判断ミスのためにイギリス軍指揮下にあったオーストラリアとニュージーランドの志願兵が1万人以上 無駄に戦死させられた。当時オーストラリアは 欧州の戦争の どこからも遠く離れていたにもかかわらず 自分達の祖先であるイギリスに忠誠を誓うため 進んで若い人々が志願し参戦した。しかしガリポリでは、トルコ兵が 機関銃で陣地を作って待っている前線を 歩兵が突撃するという誤った作戦のために 1万人余りの兵が ほぼ全滅した。このイギリス軍の命令によって文字通り意味のない戦死を強いられたことが、契機になって オージーのイギリス離れが起き、オーストラリア人としての自覚と愛国心が芽生える契機になった。
毎年4月25日の開戦記念日には、オージーたちは 年よりも若い人も 大きな集団になって戦死者に祈りをささげるために ガリポリまで出かけていく。去年は1万人余りのオージーが トルコもこの小さな岬を埋め尽くした。オージーにとってガリポリは 愛国心の拠り所なのだ。
そのガリポリの戦いを描いたのが この映画で、メル ギブソンの出世作でもある。戦争映画の傑作中の傑作だ。何度観ても 観終わったあとで ふつふつと戦争への憎悪と怒りが湧いてくる。とても優れた反戦映画だ。

でもわたしがピーター ウィアーの映画のなかで 一番好きなのは「いまを生きる」。
1989年、原題「デッド ポエット ソサイテイー」(DEAD POET SOCIETY)。ロビン ウィリアム主演のアメリカ映画。
1959年 ニューイングランドの、名門カレッジであるウェストンアカデミー。この全寮制の男子校は、イギリス式の厳しい校則のもとに 学問を究め、卒業後は政財界の主流を占める優秀な人材を育てる。校則になじめない生徒や 勉強で優秀な結果を出せない生徒は どんどん辞めさせられる。生徒と先生と卒業生は3身一体の強い絆で結ばれている。
そんな高校に ちょっと風変わりな、元卒業生という 国語教師(キーテイング)が赴任していきた。校則を守らない。イギリス近代詩の授業で 定型詩の作り方を述べた部分を破り捨てるように言う。教室の机の上に靴のまま 皆を立ってみさせて、そこから見た視点の違いを大切にするように、と言う。授業中にフィールドでラグビーをして汗を流す。校庭を歩きながら 詩を読ませる。そして自分の心が感じる詩を描けと言う。
生徒達は 驚きあきれながらも キーテイングが来てから 活発で生き生きとした心を持ち始める。

キーテイングに触発された生徒達のグループが「デッド ポエット ソサイテイー」という名前をつけて 寮を抜け出して秘密の集会を持つようになった。森の中の洞穴が集会場所だ。そこで禁止のタバコを吸ったり、雑誌を読んだりする。勿論 見つかれば退学だ。
しっかりもので優秀な二ールは いつもいじめられっ子だったトッドと寮で同じ部屋だ。二人は キーテイングに 強烈な刺激を受けた。二ールは、学期終了前の学内劇で、シェイクスピア「真夏の夜の夢」のパックを演じた。劇が成功して、二ールは 自分を自由に表現することの喜びを知る。そして父親に 将来役者になりたい と申し出る。一人息子が伝統校で学び、将来を政財界で活躍することを期待していた父親は 激怒して、二ールを退学させて 陸軍士官学校に強制入学させた。ニールは、芝居をもう二度と演じることが出来なくなったことを悲観して自殺する。
学校側は ニールの自殺は 教師キーテイングに強く影響されたためだ と断じて過激思想犯のキーテイングを退職させる。デッド ポエット ソサエテイーは崩壊した。
キーテイングが学校を去る日、学校側はキーテイングと生徒達を接触させようとしない。黙って去っていくキーテイングに、尊敬と信頼をこめて いつも弱虫だったトッドが机の上に立った。後に続いて 何人もの生徒達が机の上に立つ。そして去っていくキーテイングを見送った。

魂が自由であることの大切さが描かれている。
伝統、良家の子弟 全寮制といった制約のなかで、自由な心をもって芸術を愛することを教えた ひとりの教師の意志と 不幸な結果がただただ痛ましい。型破りな教師を最後まで慕う生徒達の澄んだ目が美しい。ラストシーンで 泣かずにいられない。
昔のことだが、この映画は、死んだ夫がどうしても見たいと言い出したので フィリピンに赴任中だったが里帰りして 東京で観た。ふたりの娘達は 当時10歳と11歳。映画館に慣れていなかったので最後まで見てくれるかどうか心配したが、誰よりも娘達が熱心に この映画を観た。10歳なり11歳なりに 感じるところがあったのだろう。そのことが、とても嬉しかった。
ホイットマン、キース、ゲーテ、シェイクスピアの 美しい詩が 映画のなかで いくつも読まれた。

「マスター アンド コマンダー」は
あまりよく憶えていないので 映画の説明はしないが、船のキャプテン、ラッセル クロウと船医のポール ベタニーが 長い航海のあいだの退屈しのぎに ヴァイオリンとチェロで二重奏するシーンが何度も出てきて それがとても良かった。エリート貴族の気品あふれる格調高い雰囲気のなかで、楽器を介して 男同士の友情が確かめ合う姿がまぶしい。美しい映像に バロック音楽が合わさって とても贅沢な映画だった。

ピーター ウィラーの作品のそれぞれに類似性はない。ひとつひとつの作品が独立した趣をもち、全くそれぞれが異なったテイストで仕上がっている。
監督として多作とはいえない。でも、こんな才能豊な監督が 居てくれて嬉しい。まだ若い。これからも 良い作品をみせて貰いたいと思っている。

2011年3月28日月曜日

映画 「ザ ウェイ バック」




ナショナル ジェオグラフィック協賛の 実話をもとにして作られたイギリス映画。原作は 1956年に発表された サルボミール ラビチェスの自伝的小説「THE WAY BACK」。

1940年 シベリア グラグ流刑地。
ポーランド軍士官、ヤヌスはロシア軍に捕らえられ 拷問を受ける。スターリン独裁政権下、ドイツ侵略によって分断されたポ-ランド人、政治犯、ロシア国内の極悪犯罪者、ユダヤ人などが、次々とシベリアに送り込まれた。ヤヌスは コミュニストのスパイをしていた嫌疑で逮捕されたが、証言台に引き出された妻の証言によって、シベリアに送られた。シベリアで流刑者たちは 森の木々を伐採し、鉱山で石炭を掘る強制労働を強いられた。宿舎の劣悪な環境と、過酷な自然環境の中で、流刑人の死は日常のことだった。

ヤヌスは シベリアに着いた その日から脱走する計画をたて、信頼できる仲間を探し始めた。収容者たちは 食料を隠し持ち、タバコを密輸し、博打もする。収容者の中でも 極悪犯罪者のギャングの力が大きく支配していた。
強制労働に就いて ある日、森の木の伐採に出かける途中 激しいブリザードに遭い、行進させられていた流刑人たちが、次々と低体温で道端に倒れて死んでいく。このままでは 全員が凍死するしかない という生死の際で、 アメリカ人の流刑人スミスが 警備陣が止めるのを聞かず 隊列から出て、森の中に避難する。残りのヤヌスや警備員達も スミスに従って森の木々をかき集め ブリザードをやり過ごして延命することが出来た。これを機会に スミスとヤヌスを中心に 信頼できる仲間が結束する。

収容所の電気を供給するジェネレーターは いったん止まると 回復するまでに10分かかる。この10分間は収容所を囲む外柵の電流も止まる。電灯も止まるから 監視は収容者の姿を監視することができない。この10分に 柵を越えて どこまで逃げられるかに、脱走が成功するか、失敗して銃殺されるかの 生死がかかっている。激しいブリザードの夜、ジェネレーターが止まり7人の男たちが脱走した。

アメリカ人で技師のスミス(エド ハリス)、ポーランド軍士官だったヤヌス(ジム ストラジェス)、ロシア人極悪犯罪者バルカ(コリン フェレル)、コサック兵だったヴォス(グスタフ スカースガード)、ちょっと頭の弱いカバロ(マーク ストロング)、料理人で絵がうまいゾーラン(ドラゴス ブカー)、最後のひとり ポーランド人は逃亡に成功したものの凍死する。ヤヌスは その墓に立ち、収容所で死ぬのではなく自由になって死んだ青年に 祝福の言葉を捧げて 皆は逃亡の旅を急ぐ。一行の食料は少ない。バイカル湖に向かって、先を急がなければならない。

湖まで数百キロ。飢えと寒さを乗り越えて 湖に着く。そこで一行は一人の少女が 後をつけてきていることに気がつく。飢えて彷徨っていた少女の名はエレーヌ(サイオアス ロナン)、彼女はポーランド人で コミュニストだった両親を殺され、孤児院に入れられ そこで性的に虐待を繰り返されるのに耐えかねて逃亡してきたのだった。エレーナが加われば 彼女に乏しい食料を分けなければならない。それは、6人の男たちの生死に関わることだった。しかしエレーナを振り切って男たちは 立ち去ることができない。幼い少女がたどってきた過酷な境遇を知ったからだ。しかしエレーナの軽い足取りや、小鳥のように男たちの間を飛びまわって語りかける姿は 男たちの心に、忘れていた安らぎをもたらせてくれた。
一行7人は バイカル湖を後に ロシアとモンゴルの国境をめざして歩く。モンゴルに入れば自由になれるはずであった。

しかしスターリニズムはモンゴルにまで波及していた。中国共産党勢力は モンゴルにまで及んでいたのだった。国境で、ロシア人バルカ(コリン フェレル)は ひとりロシアに残ると主張して 皆と別れる。重罪犯とは言え、ロシアへの愛国心を捨てることができなかったのだ。

6人は モンゴルから万里の長城を越えて、タクラマカン砂漠を横断して、チベットを経てインドまで逃れる。これがヤヌスの道程だ。あわせて6500キロメートル。これを徒歩で行かなければならない。 
タクマカラン砂漠で エレーナが倒れる。飢えと乾きの果てに、エレーナは男たちに見守られながら死んでいく。料理屋で絵のうまかったゾーランも死んでいく。残った4人の男たちは 何度も死線を彷徨いながら 砂漠を徒歩で越え、チベットに至る。
ここで チベットから中国に入りアメリカ軍に合流するというスミスを置いて、残りの3人は ヒマラヤを越えてインドに入り 占領国のイギリス政府によって、保護される。1年かけて、男たちは自由を求めて、徒歩で6500キロメートルを走破したのだった。
というお話。

監督:ピーター ウィアー
キャスト
ヤヌス:ジム ストラジェス
スミス:エド ハリス
バルカ:コリン ファレル
カバロフ:マーク ストロング
ゾラン:ドラゴス ブカール
ヴォス:グスタフ スカルスガード
エレーナ:サオイアス ロナン

自然の映像が素晴らしい。ナショナル ジェオグラフィック協賛だけのことはある。黒々として深いシベリアの森、ブリザード、そしてバイカル湖の大きさ。360度黄土の広がるタクラマカン砂漠、チベットから見るヒマラヤの山稜の輝き。
ヒマラヤが雄大に空に聳える その岩山を 粗末な衣類を身にまとい、履き古した軍靴で足を踏みしめていく。自然の大きさのなかで豆粒のような大きさに見える男たちが 一歩一歩 助けあって進んでいく姿が感動的だ。カメラワークが素晴らしい。

「ラブリーボーン」で、変態男に殺されてしまう小さな少女を演じたサオイアス ロナンが 暗い男ばかりの映画で 花をそえている。可憐で 涼しげで可愛らしい。この一輪の花のために 飢えて生き延びることしか頭になかった男たちのなかに、急に人間らしい感情が流れ出す。無口で 自分のことを決して語らなかったアメリカ人、おそらくスパイだったと思われるスミスの冷たい目が、少女に出現で目に優しさがもどってくる。そういった男たちの心の変化が画面で 巧みに表現されている。さすが、ピーター ウィラーは うまい。

ヤヌスはどんなことがあっても 妻の待つ家に 帰らなければならない。自分は拷問を受けても罪を認めなかったが 妻の証言によって 政治犯としてシベリアに送られた。妻は一生 夫を権力に売り渡したことで 自分を責めるだろう。恐らく妻も拷問されて 夫を裏切らずにいられなかった。だから、自分が妻のところに戻って 自分が受けた罰など 何とも無い、妻は許されている、私たち夫婦は何ひとつ壊されてはいないのだ ということを 伝えてやらなければならない。そう信じて帰ろうとする 信念の強さに感動する。

この映画は、6500キロを歩いて強制収容所から自由を求めて脱出した勇敢な男たちの物語。観終わった後に 過酷な戦争への怒りにふるえ、それを乗り越えようとする人間の力強さに、心打たれる。

2011年3月25日金曜日

スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」




スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」を観た。
日本ではずっと前に 3部作全部が一緒に 公開になって、もうブルーレイも出ているようだが、シドニーでは 一つずつ公開されて、第一部、第二部を観てから 1年近く待って第3作をやっと いまやっと劇場で観ることが出来た。

「ミレニアム」3部作の最後の作品。第一作「ドラゴン タトゥーの女」と、第2作「火と戯れる女」に続く第3作だ。
世界中で 1000万部以上売れに売れたベストセラー小説を 映画化したもの。残念なことに この作家ステーブン ラーソンは 作家として油の乗り切った時に 若くして2004年に亡くなった。
映画でマイケルを演じたマイケル ナクビストは スウェーデンで人気の 日本で言えば 高倉健のような人だったが 映画のおかげで 世界のマイケルになったし、主役のノーミ ラパスは ハリウッド女優なみの扱いを受けるようになってしまった。スウェーデン作家によるスウェーデン映画であるところが良い。しかし、この3部作の映画での成功を見て、ハリウッドが 別の俳優を使って同じ映画を作るようだ。2番煎じもいいところ。ハリウッドが そんなオリジナリテイーに欠けることをしてはいけない。
キャスト
リズベット サランダー:ノーミ ラパス
マイケルブロンクビスト:マイケル ナクビスト

ストーリーをおさらいする
リスベットは14歳で 性暴力で自分や母を虐待してきた父親に ガソリンをかけて火をつけ 焼き殺そうとした。その罪で精神病院に送られるが、ここでもベッドに1年以上 拘束されたまま 精神科医によって 性的虐待を受ける。成人してからは またしても後見人からサディステイックな虐待を受ける。エリザベットは 理解者も信頼すべき友人もない中で一人で生きて行かなければならなかった。
彼女はコンピューターハッカーとして天才的 特異な才能をもっていた。企業の秘密を ハッカーして盗み出すプロとして、生活するようになった。
病的なナチ信奉者による連続女性猟奇的殺人事件を追求していたジャーナリスト「ミレニアム」紙の マイケルと、コンピューター上で知り合い、マイケルはリスベットの協力を得て 事件を解決する。マイケルとリスベットの間には 男女の愛情を越えた友情が芽生えはじめた。
ここまでが第1部。

リズベットの後見人が殺された。
死体の横には りズベットの指紋のついた銃が落ちていた。また同じ時期に「ミレニアム」の編集記者とその妻が 残忍な殺され方で殺された。死体から出てきた薬きょうは リズベットの後見人が殺されたのと同じ銃から発射されていた。殺された記者は ロシアマフィアの人身売買について、記事を書いていたが、そのレポートも奪われた。
リズベットは警察から指名手配され、殺された記者の書いたレポートを探し求めるマイケルの身にも危険が及ぶ。そこでわかったことは、ロシアマフィアの大元は リズベットが14歳の時に 殺そうとした実の父親:ザラだった。ザラは スウェーデンの政治家や ビジネスのトップ達に 人身売買で連れてきた東欧の女性を手配したり、ぺデファイルの生贄を供給していた。ザラとその息子は リザベットを消そうとする。警察に追われながら、リズベットは ザラたち、ロシアギャングからも逃げつつ、復讐を試みる。しかし遂に ザラに捉えられ 頭や体に6発の銃弾を受け地中ふかく埋められる。リズベットは 死に物狂いで 穴から這い出して さらにザラにナタで襲い掛かり復讐しようとして 駆けつけたマイケルに救われる。警察は傷だらけで瀕死のリザベットと ザラを逮捕するが、兄を獲り逃す。
ここまでが第2部

病院でザラは スウェーデンの高官から口封じのために殺される。リズベットも、同じ殺し屋から追われるが、マイケルの機転で助けられる。彼女は後見人と「ミレニアム」紙の記者とその妻を殺した容疑に加えて、ナタで父親に襲い掛かり大怪我をさせた容疑で 裁判所に引き出される。自己弁護しなければならない身になって、彼女は自伝を書き始める。マイケルはそれを出版することになった。何故子供のときに 父親にガソリンをかけて殺そうとしたのか、精神病院のベッドで何があったのか、また後見人からどんな虐待を受けていたのか、、、リズベットの過去が明らかになる。マイケルは法廷で 公安警察とともに、ロシアマフィアに汚染されたビジネストップや政府高官たちの 腐敗した姿を明らかにする。
リズベットに判決がおりて、、、
と ここで第3部も終結する。

世界1の福祉国家 スウェーデン。表向き 静かで平和な社会に はびこる腐敗と汚職、汚れた金と異常な性愛、権力者たちの いびつな欲望。スウェーデンの「いま」を映し出している。
何にも恐れず ちゅうちょなく頭から危険に飛び込んでいく リズベットの向こう見ずな行動力と 絶対負けない気力がすごい。
子供の時から これでもかこれでもか と虐待されて、性的に貶められて傷だらけになりながらも 精神は全く打たれない。小柄なひとりの女性が ロシアマフィアや政府高官たち、ビジネスのトップの面々、暴力団、バイクギャング、プロの殺し屋 すべてを敵にまわして 平然と自分の足で立っている。パワフルで、力強い。勇気つけられる。

トサカヘアーにメタルルックス。鼻や唇にいくつものピアス。高いブーツに ぴったりのレザースーツ、「キッス」並みの化粧、アッと驚くパンクファッションに包まれた やわらかい心の傷。触れば血が噴き出してくる生傷を抱えて しかし決して打たれない。そんなリズベットの姿に 女性なら みな共感を覚えるだろう。心から あたたかい拍手を送らずにいられない。

2011年3月20日日曜日

アシュケナージ指揮で庄司紗矢香を聴く



折りしも空前の大地震と津波が日本の東海岸を襲った日の翌日、3月12日、日本の若手のヴァイオリニスト:庄司紗矢香が シドニーオペラハウスでメンデルスゾーンを演奏した。

このときは、まだ 私たちには地震、津波の被害状況が よくわかっていなかった。津波が北東海岸を襲う テレビニュースの様子に胸を痛めながら、東京の父や兄弟の安全は確認できたが、全体の被害状況は ほとんどわかっていなかった。
大地震のニュースに ニュージーランドのクライストチャーチで 救助に当たっていた日本の消防署の方々が急遽帰国し、ジュリア ギラード オーストラリア首相が、日本に60人の災害救助隊を送る約束をしたばかりだった。

ウラジミール アシュケナージが NHK交響楽団のあと、シドニーシンフォニーオーケストラの常任指揮者になって3年目になる。今年も彼がいくつものコンサートで棒を振る。現役のピアニストとして活動を続けながら オーケストラの指揮をしていて、彼の包容力のある人柄が オージーたちを魅了している。去年と今年にかけて、彼は精力的に シドニーシンフォニーで マーラーの交響曲全曲を公演して、収録している。

プログラム
メンデルスゾーン ヴァイオリンコンチェルト ホ短調
マーラー交響曲第7番 ホ短調「夜の曲」

この日 シドニーオペラハウスは 満員、3000人余の席が埋め尽くされていた。メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト ホ短調は とてもよく知られた曲で、ヴァイオリンを弾く人なら一度は弾いたことがある 美しい曲だ。演奏したのは 地震と津波被害のあったばかりの日本から来た、可愛らしいお嬢さん。オージーの標準体格からすると中学生くらいにしか見えない小さな女の子が 驚くほど大きく 豊かな音を出してオージー達を感動させてくれた。
演奏が終わると オージーは 熱狂的に拍手をした。10分くらい 拍手が止まらなかった。庄司紗矢香は、何度も舞台を引っ込んだり 出てきたりしてお辞儀をして去って行った。
ちょっと あっけなかった。観客の大歓声と 鳴り続く拍手に対して、なにか一言 あるいは短いアンコール曲があっても良かった。

庄司紗矢香は、1999年パガニーニ国際コンクールで日本人初 史上最少年で優勝したバイオリニスト。現在28歳。
ズビン メタに見出されイスラエル ハーモニックでパガニーニのCDを収録している。独逸ケルン音楽大学を出て、主にヨーロッパを根城に音楽活動をしているそうだ。
この日のコンサートのチケットを手に入れたのは 去年の9月。
日本の25年住んでいないので、若手の音楽家のことは知らないが、彼女のことは映画「4」で知っていて、是非聴きたいを思っていた。

映画「4」とは、ヴィバルデイの「四季」を4人の若手のヴァイオリニストに弾かせて それぞれの奏者が住む国の季節を捉えるという映画だった。このときの「冬」を弾いたのは フインランドのペッカ グスト。ペッカが大好き。好きで好きでたまらないので、この映画を何度も観た。フィンランドの深い雪のなかを音楽仲間達とふざけて走り回る彼の姿と、彼の透明なフィンランドの空気が透けて見えてくるような 滑らかで艶のある 豊かな音色に 心を奪われずにいられない。
映画の中で 庄司紗矢香は 「春」を弾いた。少し前のものだが 彼女のメンデルスゾーンを 貼り付けておく。
http://www.youtube.com/watch?v=dskvPJdRDoE

さて、休憩をはさんで第2部 マーラー。
交響曲の中でも 一番長くて、色彩が豊かで いろいろな表情をもった曲、第7番「夜の歌」。
第5楽章まである。
とても楽しいシンフォニーだ。彼の曲には物語りがあり、曲の経過とともにストーリー性があって、テンポも曲想も変わっていく。最初にしっかりした構造があって、そこにメロデイーが入っていく古典派とは全く異なった構造を持っている。シンフォニーになかに、声楽が入り 歌曲とシンフォニーとの境目など全く無視している。シンフォニーオーケストラの音に まったくそぐわない音:マンドリンとギターを組み入れる。転調がめまぐるしくあって、テンポも自由自在に代わる。多調、無調というか、転調を繰り返し 緩急自在にテンポを変化させた。それが楽しい。

マーラー(1860-1911)オーストリア人は 作曲家としてよりも指揮者として有名だった。ライピチッヒオペラハウスを始めとして、ウィーン宮廷オペラハウス、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、ニューヨークフィルハーモニックなどで常任指揮者だった。10のシンフォニーを書いたが 最後のシンフォニーは未完のままで亡くなった。彼のような 前衛的なロマン派の作品が演奏されるようになったのは 1970年以降だ。
指揮者にとっては マーラーのように 自由で古典的制約のないシンフォニーは、それを生かすも殺すも指揮者次第になるので、とても棒の振りがいがあるだろう。
アシュケナージは、ヨーロッパの歴史ある重厚で慇懃で暗いオーケストラでマーラーをやるのでなく、あっけらかんとして明るくて、順応性のあるシドニーシンフォニーに出会って、マーラーを取り組みたくなったのだろう。とても楽しいマーラーだった。
14のヴァイオリン、13のセカンドヴァイオリン、10のヴィオラ、10のチェロ、7のコントラバスに 30人のフレンチホーン(5)を含む金管木管吹奏楽器、それと6人のパーカッションがいて、様々な音を作っていた。コンサートマスターは デイーン オールデイング。彼独特の少し金属的な でも優しい音がよく響いていた。

マーラーは シンフォニーは世界を祝福するものであるべきだ と信じていたそうだ。その言葉どおり明るくて高らかに鳴り響き 聴いている人を幸せな気分にさせてくれる。

地震、津波、そして被爆と、悲しいニュースばかりで、音楽は それらに対して何の力ももっていない。
しかし、音楽は心をひとつにし、人間らしい情感を取り戻す力を持っている。こんなときに音楽、、、でもこんなときだからこそ音楽に耳を傾けたい。 

2011年3月16日水曜日

地震 津波 そして被爆

わたしたちは 充分原子力発電所設置に反対してきただろうか?
圧倒的な死者の葬列にむかって
何も言うべき言葉が見つからない

活断層の上に立つ55基の原子力発電所
世界第2位までに登りつめたことのある日本の経済力をささえた
日本の35%の電力を賄った原子力発電に
わたしたちは いつもNOを言い続けてきたはずだった
それが未来のクリーンエネルギーだと誰も信じていなかったはずだ

金曜日の午後 日本を地震と津波が襲い
政府は 最初の記者会見で 死者3名 原発に被害はない と公表した
いま日本政府が記者会見をするたびに、ABCやSBS記者たちは、「日本政府の発表にどのくらい信憑性があるか疑問です」という言葉を付け加えることを忘れない

各国大使館が、東京から大阪に避難移動する という
大阪なら大丈夫か と誰もが疑心暗鬼だ

メルトダウンした福島原発第1、第2、第3、第4は 永遠に封鎖されなければならない と識者は言っている
すべての原発をシャットダウンさせるべきだ
株が急落して円を支えることが出来ない
日本経済はどん底まで落ちる
再生への道は 原発すべてを封印することなしにあり得ない

2011年3月11日金曜日

オペラ 「カルメン」を3Dで観る




イギリスロイヤルオペラシアターのオペラ公演「カルメン」が、ハイデフィニションフィルムに収められて、それを3Dで立体的に観ることが出来た。
「なに、それ?」「アバターやシュレクやアリスワンダーランドなら わかるけど どうして古典オペラを 3Dで観なくちゃならんのか?」と言われそうだが、実際行って見て これがとても良かった。

日本でも 映画配給会社がこのような舞台ライブのフィルムを 映画館で公開しているようだ。オペラだけでなく、歌舞伎や文楽のフィルムもあるようで、うらやましい。
地の果てのような 南半球のオーストラリアに暮らしていて、ニューヨーク メトロポリタンオペラや、ロンドンのロイヤルオペラシアターのライブを観ることが出来る贅沢が とても嬉しい。映画館の大画面で観られるだけでなく、幕間の休憩時間に 舞台裏で働く人を カメラが追って見せてくれるサービスも嬉しい。時として 出演者にプラシボ ドミンゴが インタビューするのを見せてくれたりもする。大サービスだ。

3Dで観たのは ビゼーのオペラ「カルメン」。本物の オペラオーストラリアが演じた舞台は ひと月ほど前に観たばかりで 報告を2月10日の日記に書いた。これが2006年 コベントガーデンで初めて好演されて大好評だった舞台を基にしているので 3Dで観た ロンドンの舞台と ほとんど同じだった。でも お金のかけ方が 2倍も違う。ロンドンの舞台の方は、少年合唱団など 40人以上 使っているが オーストラリアの舞台では、12人だった。出演者の数が断然 ロンドンの方は多い。衣装や道具も ずっとお金がかかっている。やっぱ、本家は違うんだ、、と 再認識させられて、ちょっと くやしい。

3Dフィルム というのは 右目用と左目用の映像を高速で交互にスクリーンに映し出して 特殊眼鏡をかけて 片方ずつしか見えないようにすることで 映像を立体的に感じさせる技術だ。初めの頃は きれいな色が出せないとか、立体的と言われれば 立体的かな?というくらいで、あまり特別な感じは しなかったが 序序に画面の質が良くなってきている。
3Dしか見られない 大型の3Dテレビが売りに出されて、自宅で3D映画が楽しめるようになったが 学校関係者や幼児専門医療関係者は 子供の目の成長に良くないので 3Dテレビは買わないように というキャンペーンをしていた。確かに 幼児に距離感がわからなくなるような映像ばかりを見せていたら 危険だし良くないだろう。

さて、オペラの舞台を3Dで観ると どう見えるのか。
自分の目から舞台までの距離が 無くなる。自分の手の届くような近さでオペラが繰り広げられる。舞台が私だけのためにある、よう。舞台を独り占めしている感じだ。
接写カメラのおかげで、表情はよく見えるし、カルメンの涙が 頬を伝い 鼻水が落ちそうなところまで見える。ドン ホセのひげの剃り残しまで はっきり見える。
特殊眼鏡をかけているから、隣や前の人が見えないので、他人が居ないも同然。ふつう、舞台を観ていると 前の人の頭が邪魔だったり 咳やクシャミをする人がいて 腹が立つが、そんなことは 見えないので全く気にならない。
舞台では フランス語のオペラを英語字幕が舞台の上に出てくるので 見上げて字幕を読みながら 舞台を観るので 首が疲れるが フィルムだと 映画のように 画面下に字幕がつくので観やすい。
普段の舞台では、オーケストラは 舞台下に隠れていて暗いので 指揮者の頭くらいしか見えないが、序曲のときは、オーケストラの奏者達を ひとりひとり しっかり写して見せてくれて、どんなに質の良い音を出しているかが ちゃんと見られる。指揮の指揮の仕方が華麗で とても感動的だった。

監督:ジュリアン ナピエール
キャスト
カルメン :クリステイン ライス
ドン ホセ:ブライアン ハイメル
ミケーラ :アリス アリギリス
エスカミリオ:メイヤ コバレスカ

カルメンのメゾソプラノを歌ったクリステイン ライスは黒髪の美女。素足でタバコ工場で働く姿は、野性的で実に魅惑的、最後のころエスカミリオの恋人になって闘牛場に向かう正装した姿は貴婦人のようだ。とても魅力的でパワフル。一頭の馬に エスカミリオと二人で乗って登場する姿は 立派で美しい。
エスカミリオのバリトンが とても通る 太い声で、堂々として力強い。何度も馬に乗って舞台に出てきて しっかり演技もして、歌も歌う。満足度95%のエスカミリオだった。
肝心の ドンホセ。ブライアン ハイメルの よく伸びてよく通るテノールが とても良かった。
 
コンサートはCDを買わず コンサートホールで聴く。映画はDVDを観ないで 映画館で観る。オペラは 舞台でしか観ない。そう決めている。
しかし、優れたオペラを 質の良いフィルムで よく編集された画面で しかも3Dで観ることが、こんなに楽しいことだった とは知らなかった。
新しい発見だ。誰にも邪魔されず 自分だけの舞台を独占して、至上の時を過ごした。

2011年3月5日土曜日

ヒラリー スワンクの映画 「コンヴィクション」

劇場で映画が始まる前に 近いうちに上映予定の映画の前宣伝をいくつか見ることが出来る。それを見ていると 是非観たい作品と、もう宣伝フィルムだけで内容も感触もわかってしまったからもう充分、という作品とに分かれる。 宣伝用のフィルムを見ただけで 涙があふれて仕方がなくて、公開を心待ちにして、観たのが この映画「コンヴィクション」だ。原題「CONVICTION」、有罪宣告という意味。実話を映画化したものだ。

ストーリーは
兄ケリーと 妹べテイアンとは とても仲の良い兄妹だった。マサチューセッツの田舎で、二人は 泥まみれになっていつも遊んでいた。母親はシングルマザーで6人子供を産んだが、その父親が全部ちがう父親だった というような生活環境。妹思いのケニーは 妹が悪いことをしても いつも叱られたり 責められたりするのは兄の役割だと思っている。ケニーは どんなことがあっても 小さな妹を体をはって守り通してくれた。 小さな町で二人は成長し、それぞれ家庭を持ち、子供をもった。そんな二人の兄妹の関係に 転機が訪れる。

1983年、静かな小さなこの町で、強盗事件が発生する。未亡人が殺され、家が荒らされた。 寝耳に水のケニーの逮捕。物証が何もないのに、二人の女の証言だけで ケニーは 殺人犯として、終身刑を言い渡される。 そんなことがあって良いはずはない。べテイアンは、どんなことがあっても 監獄から兄を救い出す決意をする。

まず、べテイは高校卒業の資格を取り、大学に入り 法学を勉強し始める。小さなバーで働きながら、昼夜なく働き、彼女は勉強を続ける。兄の無実を証明したい一念だ。夫が去り、二人の子供達は 母親の不在に不満のやり場がない。 べテイアンは 遂に弁護士の資格を取り、兄のケースを再審に持っていくための仕事にとりかかる。18年たっていた。時に DNAテストが 警察で事件の証拠として認められるようになり 殺人事件当時の証拠とされていた血痕が ケニーのものではないことが証明された。べテイアンは、協力者を得て、ケニーの無実を立証していく。あとは、二人の当時の証人を探し出し、証言をひるがえさせることだ。そして、二人の証人の偽証が明らかになる。
人生の一番幸せだったときに 逮捕され、終身刑を言い渡されたケニーに 遂に無罪が、、、
というお話。

監督:トニー ゴールドウィン
キャスト
べテイーアン ウォーター:ヒラリースワンク
ケニー ウォーター   :サム ロックウェル
ナンシー テイラー警部 :メリッサ レオ
友人弁護士       :ミニー ドライバー
友人弁護士       :ピーター ガラシャー
ケニーの娘       :アリ グレイノール

本当のお話だけに迫力がある。「ヒラリー スワンクのがんばり」に終始する映画だが、彼女が演じる「強い女」はピカイチだ。涙をこらえて キリッと前方を見据えて しっかりした足取りで歩く。勇敢だ。 彼女は クリント イーストウッド監督の「ミリオンダラーベイビー」で、アカデミー主演女優賞を取った。ハングリーで自分の決めたことは 絶対に譲らない。他の女優には演じられない。この映画は この女優なしには成功しなかったと思う。

汚い手で 女達に偽証をさせて、自己保身にはしる女警官役を演じた、メリッサ レオは、「ファイター」で、クリスチャン べイルの母親役で、つい先週発表された今年のアカデミーで、助演女優賞を取った。カメレオンのように どんな役にも自分を合わせて 器用に演じることのできる女優だ。

感動的な実話なので その強烈な事実に引きずられて、心動かされるが 映画としては 人物の心象風景の描き方や ケニーとべテイアンの心理に立ち入って描かれていない。子供時代の回想シーンも、クリント イーストウッドが監督していたら もっと子供達の生き生きとした世界が描けていただろう と残念に思った。いろんな場面で、何かが足りない気がして仕方がなかった。

しかし、事実の重みに心動かされ 勇気つけられる。18年間の彼女の努力。自分は家族のためにこれだけのことが出来るだろうか。 映画に感動して、涙を枯らしたあとで、映画の最後のテロップを読んで、観ていた人はもう一度 泣く。
泣かずにいられようか。
事実は 残酷だ。

2011年3月2日水曜日

リアン ニルソンの映画 「身元不明」



映画「身元不明」、原題「UNKOWN」を観た。

アクションスリラー映画 アメリカ ワーナーブラザーズ製作。
監督:ジャゥメ コレット セラ
キャスト
ドクターマーチン ハリス: リアン ニーソン
妻 リズ        : ジャヌアリー ジョンズ
ジーナ タクシードライバー:ダイアン クルーガー
マーチン ハリス その2: エイデン クイン

ストーリーは
科学者ドクターマーチン ハリス(リアン ニーソン)は 学会に参加するために 妻のリズ(ジャヌアリー ジョンズ)を伴い ベルリンにやってきた。ベルリンは初めてだ。
二人は 曇り空、雪がちらつく寒い空港から タクシーに荷物を積み込んで ホテルに向かう。しかし、ホテルに着いたときに マーチンは パスポートや 学会で発表する原稿の入った一番大事なアタシュケースを タクシーに積み残して、空港に残したまま来てしまったことに気がついて、あわてて、別のタクシーで 空港に戻る。

気が動転しているマーチンは、女性のタクシー運転手(ダイアン クルーガー)に 無理を言って 空港への近道を走るように頼み込むが、運悪く交通事故にあって 車は河に転落、マーチンは命は助けられるものの 昏睡状態で病院に運び込まれる。3日後、マーチンが昏睡から覚めたときには、自分が誰であるのか思い出せない。自分を証明するものは 何ひとつ身につけていない。不思議なことに ホテルで自分を待っているはずの妻や アメリカ大使館やベルリン警察から 行方不明の届出が出ていない。自分を探している人はいない。自分は 一体誰なのか わからない。

病院のベッドで テレビを見ていると、学会が開催されるニュースが報道された。これを見て にわかに 自分が学会のために来ていた事と、妻を残してきたホテルの名を思い出す。ドクターが止めるのも聴かず、マーチンは 病院を抜け出してホテルに急行する。
しかし5年余りの間 愛し合ってきたはずの妻は、マーチンを見て 知らない人だ と言う。そして妻に寄り添っているのは、見たこともない男だ。その男は ドクターマーチン ハリスだと名乗り、パスポートを見せる。パスポートの横には 妻を抱いた男の写真が貼ってある。
全く同じ所で撮影した妻を抱いた写真を マーチンは自分のパスポートケースに持っていた。しかしパスポートは アタシュケースとともに、失くしてしまった。マーチンは自分を証明することができない。

混乱しているマーチンに、プロの殺し屋が追ってくる。病院に戻ったマーチンのところにも 殺し屋が追ってきて、次々と自分を保護してくれる職員が殺されていく。安全なところは どこにもない。マーチンはジーナ(ダイアン クルーガー)という 事故にあったときに 乗っていたタクシードライバーに助けを求める。彼女は ボスニアから違法難民で、ベルリンでは不法労働者だった。二人は、年老いた私立探偵に出会う。彼はむかしのヒットラー時代のSSの生き残りだ。強力な この探偵の裏コネクションで調べた結果、マーチン ハリスが他の男に取って代わられた裏には、巨大な組織があることを突き止める。マーチンはジーナを伴って 逃げ回りながら、自分は誰なのか、殺し屋は何を狙っているのか、突き止めなければならない。

ことの真相がわかりかけてきた私立探偵は 消される。ジーナの友達も まわりにいる人たちも次々と殺されていく。追われながら 自分が誰なのか探し求めるマーチンに わかったことは、、、
というお話。
スリラーなので、その先は言えない。入り組んだスパイ劇なので、ちょっと考えなければストーリーが読めなくなる。それだけに おもしろい。

「シンドラーのリスト」、「72時間」(原題TAKEN)、「Aチーム」のリーアン ニルソンが大活躍する。彼の巨大な骨格、鼻筋が通った高い鼻と うすい唇、、外観からすると怪力ロボット、殺人マシーンのような役柄が ドクターマーチンの役に似合う。
私生活では 長年連れ添った奥さんの ナターシャ リチャードソンを 2009年のカナダモントリオールでのスキー事故で亡くしたばかり。
「72時間」では、誘拐された娘を取り戻す為に、刑事から情報を得ようと、好意的で親切にしてくれる刑事の妻を ちゅうちょなく平気で撃つシーンには驚いた。彼に笑顔は似合わない。無表情に じゃんじゃん敵をやっつけていく。アクション映画は、どんどんスピードを増し、残酷さを上回っていく。息つくひまもない。沢山の人が死に、たくさんの建物が壊れ、車も家も燃え上がる。

ダイアン クルーガーが可愛い。罪もないのに、たまたま男を助けた為に 複雑な事情に巻き込まれ 友人を殺され 自分の命まで狙われて 何度も何度も死線を潜り抜けなければならない。クロアチア難民という役柄なので ぎこちないアクセントで英語をしゃべる舌足らずが可愛い。

オーストリアの人気テレビ番組「インスペクター レックス」で ストックナー刑事を演じている役者カール マルコビックが リーアン ニーソンが入院した病院のドクター役で出ている。これが嬉しかった。ドイツ人の とても良い役者なのだ。インスペクター レックスでは、レックスという立派で賢い警察犬に いつも命を助けられるドジな刑事役だけど、彼が主役のドイツ映画「ヒットラーの贋札」では、彼の役者としての良さを証明してくれた。
この映画では ちょい役というか端役。こんなとき「カール マルコビックがカメオだった、、」という英語の言い方をする。カメオは小さな貝殻や象牙に彫刻を施した芸術品で 指輪やネックレスになる。そんな小さくて よく手をかけた宝石のような存在。彼がこの映画に出ていたために映画全体が引き締まって良くなったので 彼はカメオみたいだった。

この映画 スリルとサスペンスに、ミステリー謎解きが加わっておもしろい映画に仕上がっている。
日本公開は5月7日だそうだ。

2011年2月24日木曜日

映画 「127アワーズ」のジェームス フランコ



映画「スラムドッグ ミリオネア」の、ダニー ボイル監督の新作「127HOURS」を観た。
現在 山岳登山家として活躍しているアーロン ラルストン原作の「BETWEEN A ROCK AND HARD PLACE」を映画化したもの。この本は 全米で40万部余り売れてベストセラーとなった。日本では「奇跡の5日間」という邦題で、小学館から出版されている。

この映画の主役を演じた ジェームス フランコが アカデミー男優主演賞にノミネイトされている。今年 彼はアカデミー賞の司会者でもある。
映画はユタ州の ブルージョン渓谷で 単独登山中に、クレバスに落ちて 落石に右腕を挟まれて動けなくなり、自ら腕を切り落として 脱出し、生還してきたアーロンに 実際に起きたことを 映画化したもの。

この出来事は 2003年当時、新聞のニュースで知っていた。新聞記事だけでは 仔細がわからないので、高い岩壁をザイルで下降中に 宙釣りになったままの姿で片腕を取られて 切り取らざるを得なかったのかと思っていた。事実は、クレバスに落ちた時、肘から先を岩に挟まれて 手首や指の血液循環が完全に止まってしまった状態で5日間、127時間 様々な脱出方法を試みた上で、片腕を 先が丸くなった小さなナイフで切り取って生還した。
映画を見ながら この岩が 氷だったとしたら、こんなふうにして植村直己さんは 深いクレバスにとらわれてしまったのだろうか、と思った。彼は今もなお 氷に囲まれて 果たすべき目的地に到達する夢を見続けている。

ストーリーは
27歳のアーロンは 週末 愛車にマウンテンバイクをくくりつけて ユタ州のブルージョン国立公園に向かう。広大なロックマウンテン、見渡す限り 赤茶色の岩と渓谷が続く。幼い時から 幾度も父親に連れられて触れてきた自然の大地だ。新しいルートを探索する一日ハイキング旅行だ。
途中で道に迷っている二人の女性に出会う。彼女達は滝つぼを探していた。アーロンは彼女達をガイドして 滝まで連れて行ってやり、一緒に豪快な水遊びをする。充分楽しんだ後、アーロンは 彼女達と別れて ひとり歩き続ける。事故は 突然起きる。うっかりクレバスに落ちて、落石に片手を挟まれてうごけなくなってしまう。助けを呼んでも声の届く限りに人はいない。彼は 行き先を誰にも言っていない。待っていて 助けが来る可能性はない。

僅かな岩と岩の裂け目から地底深くに落ちて、岩に手を挟まれて動けない状態で、127時間の自分との闘いが始まる。土曜日の午後3時だ。身に着けているものは小さなザックにロープ、カラビナ、水、小さなナイフ、カメラ、懐中電灯に時計。携帯電話はない。あっても何百キロもある広大な渓谷に電波が届くはずもない。
とりあえず挿まれている岩を削るためにナイフで岩と格闘して夜が過ぎていく。ストームに襲われて、激しい雨が流れ込み 溺れて沈みかける。水筒の水がなくなる。絶望が襲い幻覚が始まる。父と母に、お別れの言葉を記録する。一日のうちに 同じ時間に空を鷹が舞う。正午に短い間だが陽が当たる。水への渇望。尿を飲む。繰り返し、繰り返し幻覚 幻視が起きる。そして遂に もう摩滅して先が丸くなった小さなナイフで片腕の切断を決意する。
という本当にあったお話。


映画化が決まった時、アーロン本人が ロスアンデルスのホテルにやって来て、ジェームス フランコに 当時のカメラを 見せてくれたそうだ。127時間の彼の絶望や焦燥が凝縮された記録が 余りにも 生々しいので このカメラは 最も親しい家族にもあまり 見せなかったものだったが、映画で自分を演じる役者には、誰よりもその時の自分の赤裸々な姿を見て 体感してもらいたい と思ってのことだったそうだ。
アーロンは 小型カメラを自分に向けて ショートビデオで行く先々の記録をたんねんにカメラに収めていた。金曜の夜の出発、渓谷に着いてからの景色、ハイクで出会った二人の女性たちとの水遊びの様子、クレバスに落ちてからの一刻一刻の変化、絶望と両親への別れ、岩から脱出した後のシーンも克明にカメラに記録をしていた。
本人が あまり人に 見せなかったフイルムを 役者のジェームス フランコが見て、完全に本人になりきって演じた。
腕を切り取るシーンでは 本物そっくりに作られた腕を文字通り痛みを持って切断したそうだ。映画館では、失神する人も出たようだが ジェームス フランコは アーロンの勇気に敬意を表して 目をつぶらずに見て欲しいと、言っている。

ジェームス フランコは32歳。多才な人だ。
母はロシア出身の詩人。そのまた母(祖母)は美術館のオーナーだそうだ。ジェームス デイーンに似ているので、映画「デイーン」役を好演して、2002年ゴールデングローブ賞をもらった。
「スパイダーマン」のナンバー2とナンバー3で、親友ハリーの役をやった。ハリーは ナンバー3で 死んでしまったが それが悲しくて もうスパイダーマンの続編は出ても もう見ない と決意したくらい スパイダーマンよりもずっと素敵だった。
ショーン ペン主役の 映画「ミルク」ではゲイの役で、とても良かった。
「食べて祈って恋をして」では、ジュリア ロバーツの恋人役を好演していた。
ジェームス フランコはカルフォルニア大学ロスアンデルス校で 英文学を学び、コロンビア大学院と、イエール大学の学位をもっている。短編小説集「PALA ALTO」を書いて出版している。また長いこと絵を描いていて 全米の美術館で自分が描いた絵の展覧会を開催したそうだ。おまけに、パイロットの資格まで持っている。文字通り マルチタレントなインテリで芸術家なのだ。
まだ32歳、これから もっともっと 活躍して欲しい役者だ。

この映画、アメリカ大陸 ユタ州の広大な自然が美しい。山頂から見る日の出。雄大な岩山と大地。カメラワークが素晴らしい。
子供の時から 父親に連れられて山々や、渓谷に親しんできた青年の感性の柔らかさに、触れることが出来る。家族思いで 知的な仕事に就いて 週末には一人で山にやってくる ごくふつうの好青年が危機に陥っても 自分を失わうことがない。単独行の冒険者の勇気が語られている。
とても良い映画だ。

2011年2月22日火曜日

ミュージカル映画 「バーレスク」



去年の12月に公開が始まったミュージカル映画「BURLESQUE」をやっと観る事が出来た。12月からこの時期にかけて、アカデミー賞を獲る為に 沢山の映画が公開されて、それぞれが なかなか良い作品なので、週に一本の割で映画館に足を運ぶくらいのペースでは とても観きれない。次々と出る新作に目うつりしていて、あとあとになっていた「バーレスク」を 昨日やっと観る事が出来た。

制作費5,5ミリオンドル。ミュージカル映画として 史上最高のお金をかけて製作された。映画の中で歌われた新曲10曲のうち、8曲は主役のクリステイーナ アギレラ、あとの2曲が準主役のシェールが歌い、映画の公開とともにアルバムがリリースされた。
なかでも、シェールの歌った「YOU HAVEN'T SEEN THE LAST OF ME」は、2011年のベストオリジナル曲として、ゴールデングローブ賞を獲得した。

ストーリーは
アイオワの小さなバーで働くアリ ローズ(クリステイーナ アギレラ)は ケチで2ヶ月も給料支払いを遅らせているオーナーに腹を立てて 売上金を奪ってロスアンデルスに出てくる。しょぼいホテルを根城にして 新聞広告を頼りに仕事探しに明け暮れる。ある夜 バーレスクに迷い込み、長いこと自分が夢見てきた歌とダンスが繰り広げられる舞台に出会って 自分の生きる場所がここにしかない、と決める。しかし店のオーナー テス(シェール)は、飛び込みの田舎娘など相手にしない。アリは バーテンダーのジャック(カム ジナンデール)に頼み込んで ウェイトレスとして 働き始める。
アリは、ウェイトレスをしながら ショーガール達の歌と踊りを憶えるうち、ダンサーの一人に欠員が出たときには、その日のうちに代役ができるまでになっていた。やっとアリは自分の歌とダンスの実力が認められて ショ-ガールの一員に加えられる。親も兄弟もないアリにとって、バーレスクで働けるようにしてくれたオーナーのテスと、マネージャーのショーン(スタンレー ツチ)は、親代わりのような恩人だった。しかしアパートを提供してくれているバーテンダーのジャックだけが、アリの片思いで、愛情に答えてくれない。
一方、かつてはバーレスクの歌姫だったオーナーのテスは、古くなったバーレスクを持ちこたえる為の資金難に直面していた。店の権利を新事業家マルコス(エリック デーン)に売り渡さなければならない危機にあった。事業家マルコスは ジャックの煮え切らない態度に心揺れ動くアリを自分のものにして バーレスクも買収するつもりでいた。しかし、アリはテスとともに ライバルの事業家を取り込んで 債権を返し店を売らずに維持していくことにする。待ちに待ったジャックも ようやく自分が作曲した曲をもってアリに捧げて、やっと二人は 二人の気持ちを伝えることができて、、。というお話。

65歳になろうとしているシェールの網タイツ姿で踊り 歌う姿が素敵。そして、ゴールデングローブを獲った歌「YOU HAVEN'T SEEN LAST OF ME」をたったひとり 誰もいなくなった舞台でしみじみ歌うシーンが良くて泣ける。これが 他のどの歌よりも良かった。疲れたら 家に篭ってこの曲だけを繰り返し聴いて涙を枯らして 手負いの虎が 傷をなめて自分で治すようにして過ごしたい。この世の全ての悲しみを代表して歌ってくれているようだ。素晴らしい。

シェールは チェロキーインデアンの血が半分流れているから エキゾチックな顔立ちで、素晴らしい体形をしている。1960年代「ソニーとシェール」でデュエットで歌っていた頃は 反逆 反抗のシンボルだった。当時はベトナム戦争反対運動のさなかだから、ボブ デイラン、ジョーン バエズ、サイモンとガンファンクル みな抵抗の歌を歌っていた。彼女は歌だけでなく女優としても成功し、1987年には「月の輝く夜に」でアカデミー賞主演女優賞をとっている。1998年 シングルアルバム「BELIEVE]の大ヒットで グラミー賞を受賞。2000年以降、ワールドツアーを開催して、成功を収めている。何しろ40年余り 踊り歌い続けてきた人だ。ワールドツアーで シドニーに彼女がきたとき、超セクシーな姿で歌うのをみて、「彼女はバケモノではないか、同じ人間とは思えない」とオットはのたもうた。

主役のクリステイーナ アギレラは この映画を撮影収録していた頃は 幼い男の子を抱えるシングルマザー(別居中)だった。それを1日18時間歌って、踊るという 過酷なスケジュールのリハーサルを 几帳面にまじめにやり通した 根性のある立派な歌手だ。ちいさな体だが、ばねのように強い筋肉 激しい踊りとパワフルな歌声。体の造りが全く肉食動物。何百世代も肉だけを食べてきた人種のパワーに圧倒される。米食の日本人のパワーをはケタが違う。

ミュージカルといえば 一番良く出来たミュージカルは ライザ ミネリの「キャバレー」と、キャサリン ゼタ ジョーンズの「シカゴ」だと思うが、それにこの「バーレスク」を加えたい。3つとも1分のスキもない、2時間あまりのスクリーンの間中 ボリュームたっぷりの歌と 動きの激しいダンスとで、最高のエンタテイメントを提供している。

「キャバレー」は1972年ボブ フォッセー監督の作品。ジュデイー ガーランドの娘 ライザ ミネリが 駆け出しからショーガールとして 脚光をあびるまでのサクセスストーリーだ。彼女が 黒いシルクハットにタイ、黒タイツで ダイナミックに踊る姿は迫力があった。これで彼女はその年のアカデミー主演女優賞をとった。映画の中で 彼女はプロとして輝かしいショーガールになるために それまで支えてくれた 貧しい恋人マイケル ヨークと別れなければならない。ライザ ミネリが大きな目で 男と一瞬見つめあい そして、クルリと後姿をみせて 手でバイバイをするラストシーンに、こらえていた涙がどっと出る。忘れられない名シーンだ。

「シカゴ」は2002年 ロブ マーシャル監督、マーテイ リチャード製作 これでマーテイ リチャードは アカデミーベスト映画賞をもらい、キャサリン ゼタ ジョーンズが アカデミー助演女優賞をもらった。このときのキャサリン ゼタ ジョーンズの歌と踊りは素晴らしかった。
オーストラリアのABC(日本のNHK)が出版した「死ぬまでにあなたが観なければならない1001本の映画」をいう本の 背表紙が ゼタ ジョーンズのこのときの踊る姿だ。1001本の映画について書かれた本の背表紙に選ばれるくらいだから 彼女のオカッパ髪、黒タイツに高いヒールで堂々と踊るシーンは 圧巻。記録に残るシーンだった。
ちなみに この本の表表紙は、アルフレッド ヒッチコックの「サイコ」だ。アンソニー パーキンスに殺される女の あの有名なシャワーシーンだ。

「バーレスク」とにかく楽しいミュージカルだ。ゴージャスなショガールが踊って歌う姿は けなげで パワフルで美しい。観て損はない。

2011年2月18日金曜日

ドキュメンタリ「プラネット アース」とサンクタム



スポーツ完全音痴でトロいくせに、冒険物語が大好き。
世界で一番 植村直己と デヴィッド アッテンボローが好き。
山の先輩のひとりに 登山も ロッククライミングも 渓流釣りも 洞窟探検もする人がいた。幾度か 洞窟探検の話をきかせてもらったが、深い洞窟の中に 生息する魚などの生物は 必要がないので 体の色がない上 目が退化して 無くなってしまっている と聞いて、どうしてもそれを見たいと思った。すぐに上野動物園に行って、小さな白い体をもっていて、エラの横に退化してなくなった目の跡をもった魚を見て、なるほど、、と感動した。
冒険の中でも、洞窟探検は 最も危険で神秘的で興味津々だ。
ジェームス キャメロンの 洞窟探検物語「サンクタム」に、思ったより感動できなかったので、本物の 洞窟探検のドキュメンタリーを 引っ張り出して 観た。改めて、こちらは、すごい。

数年前に イギリスBBCによって製作された 「プラネット アース」という すぐれた自然ドキュメンタリーフルムだ。日本のNHKと、アメリカのディスカバリーチャンネルも 製作に協力している。
すべてが HDカメラによって収録され、1シリーズが50分のフイルムを 全部で11シリーズに収録されている。ブルーレイでも出ているが、DVDではこれが2枚でセットになって いまでは2枚全部で50ドルくらいで、アマゾンで売っている。私は、完成と同時に それぞれのDVDを 50ドルで買った。

2006年に この11シリーズのうちの5シリーズまでが完成して放映されたが、そのときにすでに BBCは 40億ドルを 撮影に投入していた。並みのドキュメンタリーフィルムではない。衛星から観た地球の映像を ふんだんに使って、立体的に撮影している。その後2年かけて 6-11シリーズが製作された。全11シリーズとも、デヴィッド アッテンボローが ナレーターをやっている。素晴らしい出来で、 このDVDを 何度も何度もくりかえして観て そのたびに感動する。

NHKでは BBC版のフイルムを細かく切って、緒方拳のナビゲーターと 独自のフイルムを加えて 3枚のDVDにした。のちにこれをまた 細かく切ってとくに反響の大きかったシーンを NHKが再編集して 75分間のフイルムを2本作って、NHKスペシャルで放送したそうだ。原版のBBC版が いま50ドルで買えるのに、 NHK版がアマゾンで 安く買って1万6千円。定価より安く買っても 未だに、日本版は3倍もする。定価でしか買えなかった 数年前の発売当時では イギリスアマゾンから直接取り寄せたDVDと、NHKから売り出されたDVDとでは NHKの方の値段が 7倍も高かったそうだ。NHKは あこぎな商売をしているのではないだろうか。これから 買って見る人は BBC版を買うべきだ。

内容は
DVD1
シリーズ1:南極と北極
シリーズ2:山々
シリーズ3:水
シリーズ4:洞窟
シリーズ5:砂漠
DVD2
シリーズ6:氷の世界
シリーズ7:大陸
シリーズ8:ジャングル
シリーズ9:淡水
シリーズ10:森
シリーズ11:深海

このなかで洞窟シリーズは1時間30分。自然のなかの洞窟の美しさ。何千年もかけて、地球が作り上げた芸術の大成。まさに、人が立ち入ってはならない サンクタムだ。ボリビアのデア洞窟では、撮影の許可を取るだけで、交渉に2年間かかったそうだ。500キロの撮影機材を運び込むために、史上初めて、クレーンを洞窟内に設置しなければならないので、許可が下りなかったためだ。内部を絶対に損傷しない確約と保険をかけて、撮影している。1000年間、人から侵害されずにいた洞窟の中を 地上から400メートル 下って探索して カメラに収めている。
蝙蝠、ゴキブリ、白いカニ、目のない洞窟エンジェルフィッシュ、珍しい目のないサラマンダという生物、、。鍾乳洞に、クリスタルの自然の彫刻。

またメキシコのヨコタン半島にある水中洞窟では 淡水ワニや水鳥もいる。何キロも先は 深い水のなかで 海に通じている。
ニュージーランドの洞窟の中の 漆黒の中を土蛍の光り輝く美しさ。クリスタルに光る糸にからめとられた蚊や小さな虫が 光る蛍の幼虫に飲み込まれる瞬間も接写で写している。
素晴らしい BBCでなければ とても製作できなかった科学ドキュメンタリーだ。
地底に向かって 何百キロも下って下って行く 冒険の旅、、なんて素敵だろう。やっぱり、映画よりドキュメンタリーが良い。なんといっても本物だ。

2011年2月17日木曜日

ジェームス キャメロンの映画 「サンクタム」




「タイタニック」で泣かせてくれて、「アバター」で、新時代の映画テクニックを鮮やかにみせて度肝をぬかせてくれたジェームス キャメロンの新作「サンクタム」3Dを観た。原題「SANCTUM」で、密室とか、聖地とか 神聖な場所という意味。

同時に 大型映画館アイマックスでは、「タイタニック3D 海底のゴースト」、原題「TITANIC 3D GOHSTS OF THE ABYSS」という題名の 彼のフィルムの上映が始まった。2001年に「タイタニック」を作ったときに 役者のビル パックストンとともに、撮影隊が 沈んでいるタイタニック号探索のために潜水したときのドキュメンタリーフィルムだ。これは映画には使われなかった45分間の記録映画。1912年にイギリスからアメリカに向かって航海中に 氷山に当たって、沈んだ船には、宝物も亡くなった人の骨もそのまま手付かずに残っていると思われる。100年間ちかく沈んでいたタイタニック号の眠っている姿は、さぞ神秘的だろう。アイマックスの大画面で3Dで観たら、迫力満点にちがいない。

映画「サンクタム」の方は いちおうスリラーという分野に分類されている。
製作:ジェームス キャメロン
監督:アリスター グリアソン
キャスト
隊長フランク:リチャード ロスベルグ
息子ジョシュ:ライズ ウェイクフィールド
助手カール :ローン グラフト
カールの恋人:アリス パーキンソン

ストーリーは
南太平洋のエサアラ洞窟(ESA-ALA CAVE)は 世界最大規模の洞窟と思われるが その全容は まだ探検しつくされては居ない。この 地上から数百キロ下降したところに入り口がある洞窟内の すべて地形を明らかにして、太平洋に通じているはずの 経路を明らかにすることで 初めて洞窟の全容がわかる。
野心と探究心に燃える 隊長フランクに率いられた探検隊は、何ヶ月も洞窟にこもっている。洞窟が通じているはずの 海までの道を見つけ出すことが当面の目的だ。しかし、洞窟の中は複雑を極めている。ひとつの道を発見すれば突き当たり、洞窟から洞窟まで潜水してたどり着いてもまた 行き止まりという状況を繰り返していた。

隊長フランクのもとに 助手カールが冒険好きの婚約者を連れて やってくる。案内役は フランクの17歳の息子ジョシュだ。息子は家庭を顧みないで 洞窟にこもってばかりいる父親に反感をもちながらも、父の力になりたいと思っている。
一行は ヘリコプターで ジャングルを切り開いた山のてっぺんに降り立って、洞窟の入り口からパラシュートで洞窟内に降り立つ。ベースキャンプのある中ほどまで数キロ 岩を越えロッククライミングの要領でひたすら 地底に下る。

そこに大型のサイクロンが襲う。多量の鉄砲水が流れ込み 地上に戻る為の経路が破壊された。地上に戻る道は失われてしまった。洞窟の中に残ったのは 隊長フランクと息子と 助手カールのカップルだけだ。一行は洞窟の奥へ奥へと入っていく。海に至るまでの逃げ道を探し出さなければならない。そして一行は、、、。というお話。

洞窟の中が美しい。何万年もかけて、自然が作り出した芸術品。
しかし、探検に女が加わると どうしてストーリーが こんなにバカっぽくなるのだろう。女は馬鹿だ、といわれているようで 腹立たしい。冒険好きだけどダイビングが得意ではない、死人からダイバースーツを剥ぎ取って着る事を拒否したため低体温症で動けなくなる それでいて「あたしには これできないわ。いやーん。」などと 生きるか死ぬかの瀬戸際に 言っている。「もう、、、やめろ!!!まったくイライラする。」
おまけに、ストーリーは 単純で、「なんだ!」というような内容。

しかしジェームス キャメロンにとって 話の筋なんて どうでも良かったのだろう。洞窟の中の美しさ。水の中の神秘。彼は これに魅惑されている。
本当に 洞窟の中の水が美しい。地下深いので ライトがないと見えないが、青い真水を潜水する。この先がどうなっているのか わからない。酸素ボンベの残量と脱出との戦いだ。狭い通路を潜り抜ける時 酸素ボンベなどの装備を損傷することは直接 事故死に直結する。いつも強力な 指導力で人を率いてきた父への尊敬と反発、愛と憎しみ、信頼と背反。17歳のひ弱な青年が 死を目前にして、一人前の男になっていく様子が良い。

3Dの大画面のなかで、観客もみな水浸しになって水底に沈みながら 出口は、出口は、、、と わずかな希望を手繰り寄せながら 苦しい呼吸を繰り返していく、そんな体験のできる映画だ。平日の朝10時、ひとりで 他に誰も居ない映画館で観た。前から3番目 中央の座席、画面の水を真正面からあびて ぬれねずみになったり 水中を浮遊したり、洞窟探検を堪能した。
タイタニック以来、海底に魅せられてしまった ジェームス キャメロンの海への思いが 充分伝わった。ヒマラヤも 南極も北極も秘境やジャングルも冒険者達によって 走破 探検されつくしてしまった。洞窟もしかり。それでも未踏の地 まだ人に知られていない サンクタムを求めて冒険者は留まることを知らない。
ストーリーを大切にする人には この映画はつまらない。でも海の好きな人 海底探索や洞窟探検が好きな人には楽しめる。3Dで 迫力があるので、3D眼鏡と 水着とタオルを持って、どうぞ。

2011年2月15日火曜日

 イーストウッドとスピルバーグの映画「ヒア アフター」




映画「ヒア アフター」、原題「HEREAFTER」観た。
クリント イーストウッド監督。彼が作った32番目の映画。イーストウッドが監督をして、ステイーブン スピルバーグが製作、指揮をした。二人の 映画界における巨匠による作品だ。

監督: クリント イーストウッド
製作指揮:ステイーブン スピルバーグ
キャスト
マリー:セシル デ フランス
マルコス:フランキー マクレラン
ジョージ:マット デイモン

ロケーションごとの映像が美しい。イーストウッドが作る作品は いつも彼が作曲したり編曲したり選曲した音楽と、映像とが 実に巧みにマッチしている。そこに映像があるだけで 説明が要らない。字幕で「ロンドン」とか「パリ」とか「1年後」とか「半年後」とか字幕など入れない。彼はひとつひとつの画面を芸術と捉えているから野暮なことはしない。それでいて、観ているだけで そこがロンドンだ、パリだということがわかる。ロンドンの空気、ロンドンの人々の動き、ロンドンの喧騒が画面から濃厚に立ち上がってくる。パリでも サンフランシスコでも それが起こる。そんな彼の画面を見ていると魔術のようだ。

パリ、サンフランシスコ、ロンドンに住む3人の人物が それぞれ日々の生活をしていて 笑ったり 苦しんだり悩んだりしていて、一見それらが何の脈絡もないように思えるが 最後に一挙に つじつまが会うように作られている。映画作りでは完全主義者のイーストウッドの腕のみせどころだ。
そこに 「ラブリーボーン」のスピルバーグのテイストが 散りばめられている。

ストーリーは
テレビジャーナリスト マリー リレイは テレビ局のダイレクターの恋人と一緒に東南アジアの島で 休暇を過ごす。海辺の露店で買い物をしていたマリーを大津波が襲う。津波に流され沈んで いったん死ぬが 地元の人々に助けられ 息を吹き返す。そのときに体験した臨死体験を 恋人や友達に話すが 誰も信じてくれない。事故によるトラウマか 幻想にすぎないと笑われて、孤独の底なし沼に落ち込んでいく。誰の共感も得られず たどり着いたのは スイスアルプスの山麓にあるホスピスだった。そこで毎日 死に向かい合っているドクターの理解を得て、彼女は死の世界について本を書く。フランスで、出版はかなわなかったが、ロンドンの出版社からそれが出版されることになる。

ロンドンの下町に住む、マルコスとジェーソンは12歳、双子の兄弟だ。12分間先に生まれた兄、ジェーソンに、内気なマルコスは いつも頼りきっている。父は家族を捨て 母はアルコールと薬物中毒で、家庭が崩壊寸前、市の生活教育指導員の姿に脅えている。しかし、母親のお使いに街に出たジェーソンは 不良にからまれ 逃げようとして 車にはねられ死亡する。一人きりになったマルコスは 母親から引き離されて 里親に引き取られる。唯一頼りにしていた兄を失ってマルコスは立ち直ることが出来ない。兄の霊を求めて霊能力者を訪ねて回るが 皆ニセモノだ。マルコスの喪失感と孤独は深まるばかりだ。

サンフランシスコの港湾労働者ジョージは 生真面目で誠実な青年だ。偏頭痛の手術をしたことを契機に 死者を見たり話をすることが出来る能力がついてしまった。兄は 彼が心霊療法家としてビジネスをして 人助けをするべきだと信じている。しかし亡くなった人からのメッセージを身内の人に伝えることが 必ずしも生きている人の苦痛を取り去ってくれる訳ではない。頼まれても 死者に会うことを断ってきた。そんなまじめ一方のジョージが 社会人向けの料理教室で知り合った女性に恋をする。しかし、彼女に望まれて 彼女についている死者の霊を読むうち 彼女のが父親から虐待されていた過去を知ってしまう。彼女は自分の心の傷をジョージに知られて 黙って去っていく。ひとりジョージは 疲れきって、旅に出る。文学を愛するジョージは ロンドンで、ブックフェアに出かけていく。そこで パリからきたマリーと ロンドンの12歳の少年と、ジョージが、、、。
というお話。

最初の15分がすごい。
東南アジアのリゾートを津波が襲うときの 不気味な音と高波の恐怖。水が迫ってきて 人々が流される様子を撮影したシーンがとてもリアルだ。人工的に高波を作って撮影したそうだ。マリーが必死で走って 高波に追いつかれ 沈む様子、柔らかな人の体を 流されてきた車や屋根や鉄板がぶつかっていく姿は ドキュメンタリーフィルムのようだ。

サンフランシスコの港湾労働者の姿。組合との軋轢、一日として休みを取らずまじめに働き、チャールス デイッケンズが好きで 小説をテープで聞きながら眠るジョージ。ボーイスカウトをそのまま大きくしたような好青年が ひとり小さな台所で 大きな体を丸めるようにして食事をする姿で、イーストウッドは 上手にジョージの心象風景を語ってくれる。こんなジョージの人柄に、マット デイモンは適役だ。他にこの役を出来る人はいないのではないかと思う。

この映画を見ると 人はみな傷を持って生きているのだということが実感できる。子供の時に虐待されていたり、親が親としての能力を持たなかったり、学校時代に理解者がいなくて孤独な子供だったり、友達が居なかったり、信頼する人に裏切られたり、職場で自分の能力をわかってもらえなかったり、自分を利用しようとする人ばかりだったり、恋人が他の相手に走ったり つらい気持ちをわかってくれる人が居なかったり、、、本当に人は孤独で傷だらけだ。生きるだけでも大変なのに、ある日 大切な人に突然死なれてしまったら、残された人は途方に暮れるばかりだ。
悲しみを持っていく場を 持たない人にとって、死者から お別れの言葉を受け取ることができるなら それが 救いになり、許しとなって、残ってもなお、生きていける力になる。死者からのメッセージは、傷心の治癒に向かう為の過程 ヒーリングプロセスとしてなくてはならないものかもしれない。

この映画、80歳にして意気軒昂、強い男の代名詞であるイーストウッドから 弱者へのいたわりのメッセージを捉えることが出来る。

2011年2月10日木曜日

オペラ 「カルメン」を観る




オペラ オーストラリアでは 毎年12のオペラが上演される。
公演は前期の1月から3月と、後期の7月から12月に分かれていて 4,5,6月は オペラ興行はない。
同じオペラが だいたい3年から5年ごと位に繰り返されるが、演出家が変わるので 前に観たものとは 趣の異なった舞台を見ることが出来る。
毎年 5つほどオペラを観る。
9月に送られてくるパンフレットを見ながら その翌年に観たいものを選ぶのは 楽しい作業だ。去年は 「椿姫」、「トスカ」、「フィガロの結婚」、「真夏の夜の夢」、「ペンザンスの海賊」を観たが、「真夏の夜の夢」が 素晴らしいパックの活躍で、一番良かった。おととしは 「魔笛」、「ミカド」、「コシファントッテ」、「ムンセンスクのマクベス夫人」、「アイーダ」を観て、アイーダが とびぬけて良かった。

好きなオペラなのに 演出家が自分の好みでなくて 満足できない舞台もあるし、演出は良いのに、キャストが良くなくて期待はずれになることもある。
オペラを観るに当たって いちばん肝心なのは、良い席を取ることだ。3時間は かかるから、楽に舞台が観られる舞台近くの中央で、字幕を読みながら 舞台を観るのに疲れないような場所に座らないと ひどい目にあう。舞台上に電光掲示板みたいに出てくる字幕が よく見えない席も沢山あるからだ。

先週観たのは ビゼーの「カルメン」。こんなにセクシーなカルメンを今まで観たことがない。すごい。ゾクゾクするほど 男を挑発しまくっていた。
カルメン役は、イスラエル人のリナット シャハムという とてもパワフルで豊な声量のメゾソプラノだ。自由奔放で情熱的、熱くなるのも早いが冷めるのも早い。一人の男に夢中になっても それが3ヶ月と持たない。そんな女を演じ 劇のなかで カスタネット両手にもって、フラメンコも踊るし、動きも激しい。難しい役を上手に演じて すばらしく美しく歌ってくれた。
何年か前に観た「カルメン」では カルメンが本当の馬に乗って歌う場面があった。インタビューの中で 歌手が 馬から振り落とされて、何度も足を捻挫して、とても大変だったと 言っていた。馬にまたがるのでなく、横座りで馬の背で歌うのでは 安定が悪くて 馬もソプラノ歌手も気の毒。照明が輝く舞台で何千人ものお客を前にじっとしていなければならない馬も可哀想だ。独創的な舞台演出も良いが 動物の習性や、オペラ歌手の体形をよく考えて あまり無理させないほうが良いのに、と この時思った。今回の演出はとても良い。

演出:フランセスカ ザンベロ
オーストラリアオペラ バレエオーケストラ
指揮:ジェローム トルネイヤー
キャスト
カルメン;リナット シャハム
ドンホセ:リチャード トロクセル
エスカミリオ:シェーン ロレンシブ
ミケーラ:ニコル カー

第一幕
街の喧騒。タバコ工場の昼休みに女達が広場に出てくるのを待って 男たちが集まる。群れて遊ぶ子供達、通行人、兵士達で広場はいっぱいだ。
幼馴染のミケーラが田舎から 兵役についているドン ホセに会いにやってくる。息子を案じる母親のことずけを授けられている。再会を喜び合っているのもつかの間、タバコ工場で揉め事が起こる。血の気の多い女達が 掴み合いのけんかを始めたと思っていたら、カルメンがナイフで女ボスを刺し殺そうとする。兵隊が間に入って 紛争を収拾。首謀者のカルメンは拘束されることになった。
しかし、カルメンは 監視役の 純情なホセを誘惑して逃亡してしまう。そのためにホセは逮捕されて懲罰を受ける。

第2幕
ホセが懲罰を終えて、ジプシーの酒場に カルメンに会いにやってくる。カルメンはホセに恋をしている。人気者の闘牛士エスカミリオが口説いても 相手にしない。せっかくホセが会いに来たのに、帰営のラッパが鳴ると ホセは兵舎に帰ろうとする。それがカルメンには許せない。そこに酔っ払ったホセの上官がやってきて、カルメンに言い寄ろうとする。怒ったホセは上官を傷つけてしまう。ホセはもう兵舎には帰れない。カルメンの望むまま ジプシーの仲間となって、密輸や密造に手を貸して生きるしか なくなってしまった。

第3幕
ジプシーの山岳キャンプ。兵士としての面目も誇りも失って、カルメンの後をついていくことしか出来ないホセに対して カルメンの心は冷えていくばかりだ。エスカミリオが公然とカルメンを口説きにやってくる。嫉妬に狂ったホセの前に 幼馴染のミケイラが現れて、ホセの母親が危篤だという。ホセはやむなく山を下りる。

第4幕
人気者のエスカミリオが闘牛に出る。人々は熱狂し 街は興奮で沸き立っている。いまやカルメンは エスカミリオの恋人だ。有頂天のカルメンの前にホセが現れて 復縁を迫る。カルメンは昔の男の顔など見るだけで腹が立つ。ホセにもらった指輪を投げつけて 闘牛場に入ろうとするカルメンを ホセは短刀で、、、。
というお話。

カルメンへの愛で 骨抜きの腑抜けになったホセが純情で純真な心で ひたむきに愛を求める姿が 悲しい。伸びの良い美しいテノールが カルメン カルメン カルメーンと繰り返し何度も歌うごとに、泣きそうになる。
むかしヴィデオで観た ホセ カレラスのホセは 素晴らしかった。もうカルメンに嫌われてボロボロになったホセが 惨め度100%で むせび泣きながら歌う姿は、秀逸。泣かずに居られない。ホセ カレラスのホセに比べてしまうと どんなテノール歌手も 名前を憶える気にならない。今回のオージー テノール リチャード トロクセルは ちょっと声量が足りなめ。でもきれいな声で 声量たっぷりのカルメンに負けないように 懸命に歌っていた。

残念なのは エスカミリオのバリトンが あまり響かなかったこと。堂々として、ゆるぎのない自信とプライドをもったエスカミリオが 舞台に登場するだけで安心するような 頼りがいのある男であって欲しいのに、痩せてひょろ高いオージー シェーン ロレンシブだったこと。この人は「コシファントッテ」では、とても良かったが、エスカミリオの役をやる人ではない。これでは どうしてカルメンが ホセから乗り換える気になったのか わからない。
総じて カルメンがとても良くて パワフルでセクシーで、歌って良し、踊って良し、スタイルも良し、容貌も良しの100点満点だったので、まわりの男たちが、かすんでしまった ということかもしれない。

街の喧騒の中を走り回る子供達、兵隊のマーチをまねて行進する子供達、かれらの生き生きした歌と芝居がとても良かった。やはり オペラは舞台をヴィデオや中継でなく 実際に観ることが 一番楽しめる。
とても楽しいオペラの夜だった。

2011年2月9日水曜日

ラリアは夏のまっさかり




エルニーニョではなくて、ラニーニャ現象なのだという。
このひと月 オーストラリア大陸の東部と南部が 大規模な豪雨と洪水とサイクロンに見舞われた。
そのために 面積でいうと、クイーンズランド州の4分の3、ヴィクトリア州の3分の1が水に浸かった。石炭、農業、牧畜などの産業に被害が出ただけでなく 電気電話網 水道下水道、ガスなどすべての生活のための基盤が破壊された。

被害総額が この国のGDPの半分に当たる というのだから 国民が1年間で稼いだ分の半分を 雨でもっていかれてしまったことになる。国の基盤が そんなに脆弱なものだったのか と唖然とする。
ラリアは農業国として産業基盤ができていて、豊富な地下資源に恵まれて ラッキーカウントリーといわれ、中国インドという購買者にも恵まれて 景気も悪くなかった。失業者率も 5%代で先進国のなかでも最も低く保っている。
それが自然災害による被害額が大きすぎるので 政府の予算を切り詰めた上で、新しい「洪水税」を国民に強制することになりそうだ。洪水税:フラッド タックスという耳新しい税金。デザスター ファンド(災害基金)と言われれば、そんなもの どうして今まで ちゃんと積み上げていなかったのか、と怒る気にもなる。それでなくてもサラリーの30%余りを税金で持っていかれているのに、それが増えることになる。
なんか、割り切れないけど、批判すると 被害者に対して人でなしのようで、、、。

今回の洪水で大被害を被った 訳だけれど、つくずくこの国は 大きな国だ、と思えるのは、スーパーに行ったときだ。新鮮な野菜や夏の果物がどっさり陳列されている。クイーンズランドのオレンジがなくても他から調達できるので、スーパーにいると 洪水など まるでなかったよう。テレビニュースでクイーンズランドのバナナ園全滅の無残な様子を見ているのに、家から5分ほど行った店では バナナをキロ3ドルで買うことが出来る。全く値上がりしていない。

今の時期、ラリアの夏の果物は 最高の時期だ。白桃、黄桃、サクランボ、白ネクタリン、黄ネクタリン、西瓜、赤葡萄、マスカット、マンゴー、オレンジ、メロン パパイヤ、アボガド どれも陽をあびて とても甘くなる時期。今年は冬と春に雨に恵まれて、陽に恵まれて 白桃と白ネクタリンがとびきり美味しい。

オージーのオットと暮らすようになって、驚ろかされることが多かったが、オットが美味しそうに 皮のまま白桃にかぶりついているのを初めて見たときは びっくりした。皮のままのほうが 果物はなんでも美味しいそうだ。オットばかりでなく オージーはみな 桃を食べるのに皮など剥かない。いまでもわたしは白桃を皮つきで食べられないが ネクタリンなら皮つきのほうが美味しいと思えるようになった。葡萄も勿論 粒の大きさに限らず皮のままで、美味しい。
オットにとっては パパイヤが日常不可欠。1年365日 365個のパパイヤを朝食で食べる。オットと暮らして15年、5475個のパパイヤが消費されるところを 目撃したことになる。一年中ラリアのどこかしらでパパイヤが収穫され 価格も低いこの国だからこそ出来ることだろう。夏の短いヨーロッパなどだったら破産している。

今年のサクランボは 甘みがあって、大粒でとても美味しい。今朝食べたのは 直系3センチもあった。気を許して食べ過ぎると 舌だけでなく歯まで赤く染まってしまう深紅のサクランボだ。

三島由紀夫の「午後の曳航」という耽美的な小説がある。
神戸で貿易商を営む美しい未亡人に 粗野で男気のある航海士が恋をする。未亡人が 男の前でアイスクリームを食べ、添えてあるサクランボを口に含み、タネをそっと器の隅に出すと 男は突拍子もなく それをわし摑みして飲み込んでしまう。美しい女に対して どんな言葉で せつない恋心を伝えてよいかわからない男の激情が なせる業だった。びっくりして無邪気に笑う女を見て 男は前にも増して 女を愛してしまう。
とても美しいシーンだ。

サクランボは 空輸されて いまごろ日本のスーパーでも売っているはず。ことしのサクランボは大粒で実が柔らかくて甘いので 試して食べてみて欲しい。日本の上品なサクランボと違って、すぐ悪くなってしまうので、今日食べる分だけを どうぞ。

写真は
キロ$13.96のサクランボ
キロ$3.96の白桃
キロ$3.96の黄桃

2011年2月3日木曜日

松本大洋の漫画 「花男」を読む




松本大洋の「花男」1ー3巻 小学館を読んだ。
ストーリーは
夏休みが始まる前日 3年2組の花田茂雄は オール5の成績表を家に持ち帰る。茂雄は 県の 統一テストでもトップ10に入る成績だ。勉強が抜きん出てよくできることが 自分でも誇りだから 夏休みは塾に通ってもっともっと良い成績で他の子供を見下してやりたい。
ところが 御茶ノ水大学卒のお嬢様で お城のような家に住む母親は、茂雄に「夏休みはお父さんと暮らしなさい。」と命令する。記憶がないほど茂雄が小さかった頃に 自分達を捨てて プロの野球選手になることを夢見て家を出て行ったお父さんだ。嫌がる息子に母親は 教科書に書いてあることだけが勉強じゃないので 30歳にもなって子供のように夢ばかり見ている父親と暮らしてご覧 母はそういう男が好きなの、と説得して 茂雄を送り出す。

父 花田花男は 巨人に入団してでっかいホームランを打つことを夢みて 家庭を捨てた。彼が生まれて育ち住んでいる町では 花男は町のヒーローだ。高校時代に県下随一の長距離打者だった時の記録は まだ破られていない。町の商店街野球チームから引っ張りだこだ。花男が 試合でホームランを打つと 一本につき3万円と食料をもらうことが出来る。そんな父親を 茂雄は「妻子を捨てて野球なんかしている父親は最悪。内申書に響く親を持つ息子の気持ちになれ。」とシニカルで冷たい。
しかし花男は そんな息子の反応に びくともしない。
花男は 子供よりも子供が喜ぶ宝の宝庫を知っている。バイクを手に入れ、カブトムシが取れるところに茂雄を案内する。茂雄は伊勢丹の屋上でしか見たことのなかった立派な カブトムシを手に入れる。ザリガニ釣りにも 花男に連れられて行くうち 茂雄と花男はいつしか 家の中でのカクレンボにも つい夢中になっている。茂雄は 「迂闊、気がつけば奴のぺースに はまっている。」いつの間にか 花男がコーチをしているジュニア野球チームの面々に 茂雄の聖地、勉強部屋さえ すでに食いつぶされていた。

夏休みが終わり学校が始まって 茂雄は電車を乗り継いで 学校に行く。学校に戻ってみたら 成績だけが目的のような単純な生徒も先生も  すっかり つまらない価値のない人々に見えてくる。 学校に価値を見つけられなくなった茂雄は、身なりにも構わなくなった。先生方は茂雄に 内申書を良くするために 父親からはなれて 母親と暮らすように 干渉してくる。怒った茂雄はさっさと父親の居る町の学校に転向する。

花男のそばには 心を込めて木製バットを作る源六じいさんが居り、毎年関西からプロ野球チームの勧誘にくるトレードマンも居る。中日球団から フリートレードされた投手は 花男に投球を打たれて 引退する決意をして帰っていく。花男はむかし長嶋茂雄に プロになるためには沢山練習して いつまでも夢を信じることだ と言われたことがある。花男はその 自分と長嶋茂雄との約束を果たすだけのために生きている。
茂雄は いつも散々文句を言いながら 花男のペースに完全に巻き込まれていく。

春になり、見知らぬ謎の男が訪ねてくる。花男は息子を連れて旅に出る。持ち金がなくなり 寺で寝泊りしながら 二人海で遊ぶうち、茂雄はお母さんと3人で暮らすことが夢だ、本心を漏らす。それを聞いた花男は 茂雄を 母親の家に置き去りにして姿を消す。家を訪ねても もぬけの殻だ。
意気消沈する茂雄の耳に、巨人軍に30歳になる謎のルーキーが誕生したことを報道する声が聴こえる。

巨人対大洋戦。9回裏 ツーアウト満塁。予告どおりに花男は 代打逆転満塁サヨナラホームランを打って ゲームをひっくり返してくれた。
というお話。

もちろん最後のシーン、逃げも隠れもできない 花男の究極のデビュー戦。9回裏で ホームランを打ち 息子を肩車してベースのもどる花男の姿が クライマックスだ。野球ばかの子育て。いくつになっても 夢を見続けることの大切さがテーマだ。
松本大洋は ストーリー作りが 上手な作家だ。ラストでしっかり泣かせてくれる。
また、絵がおもしろい。ひとコマひとコマに無駄がない。父子の会話にカラスやイルカやカバや恐竜が 何の脈絡もなくでてくる。ひとコマに人物があり その背景が細部漏らさずに描いてある。駄菓子屋のババアの描き方は 秀逸だ。ババアの背景に看板やら電信柱 駄菓子のひとつひとつまで細部が精密に描きこまれている。ババアは 花男が可愛くて仕方がないから、茂雄を「数学の公式覚えるくらいの頭じゃ花男が理解できない」とか、「結局お前の描く幸せの土俵じゃアリですら相撲とれんよ。」とか平気で茂雄を非難する。この父子への愛でいっぱいの人なのだ。

八百屋のはっちゃんは 片瀬高校で3番打者だったが いつも花男に回すだけの為に打席に立ち ランナーがいれば送りバンド インコースの球はわざと体に当てたりしていた。 そしていまは商店街チームで花男を支える。彼の誇りは花男の誇りだ。

昔かたぎの源六じいは、木製のバットを花男のために作る。頑固者、口は悪いがこの年よりも花男が大好きだ。

花男は、彼の純真な心と 真っ直ぐな闘志をよく理解してくれる人々に恵まれている。花男を取り巻く人は みな良い人ばかりだ。妻の花織、駄菓子屋のババア、八百屋のはっちゃん、源六じい、関西のトレードマン、巨人軍の担当者。良い大人ばかりと、頭が良くて社会常識を知っているシニカルな息子との取り合わせがおかしい。息子がこれらの人々を批判する口は 悪いが間違っては居ない。茂雄は 勉強ができるだけでなく、物事を判断する目を持っている。そんな息子が 天然の子供心をもった父親のペースに巻き込まれ、取り込まれていく様子が実におもしろい。

松本大洋の作品では、「竹光侍」が一番好きだ。絵のタッチがシャープで 何とも言えず美しい。次に「吾 ナンバーファイブ」。これもストーリーよりも絵が好きだ。「ピンポン」も、「青い春」も良かった。
彼も年をとってきて、作風がどんなふうに変わって行くのか 変わっていかないのか とても興味がある。
今後も 彼の作品を 楽しみにしていきたい。

2011年1月25日火曜日

映画「ザ ファイター」 クリスチャン ベールの役者魂




映画「ザ ファイター」を観た。
実在するボクサー兄弟の 実際にあったことを元にして作られたバイオグラフィー映画。
2時間。アメリカ映画。
撮影もすべて この兄弟が生まれて育ったマサチューセッツ州 ローウェルという小さな町で行われたそうだ。日本での公開は3月26日。

ゴールデングローブ賞で助演男優賞をクルスチャン べールが、母親役のメリッサ レオが助演女優賞を獲得した。アカデミー賞では、クリスチャン ベールが助演男優賞、マークの恋人役を演じたエイミー アダムスが助演女優賞に、また映画が作品賞にノミネイトされている。
監督:デヴィッド ラッセル
キャスト
アイリッシュ ミッキー ワード:マーク ウェルバーグ(弟)
デック エグランド:クリスチャン ベール (兄)
母親アリス エグランド:メリッサ レオ
マークの恋人シャリーン:エイミー アダムス

クリスチャン べールの役をブラッド ピットがやるはずだったが、ピットが断った為 クリスチャンが演じることになった。クリスチャン ベールで適役。全くもって これほどボクサーとして迫力ある演技は彼にしかできなかった。ウェルター級ボクシングのチャンピオンの話だから、もともとピットの大きな体には 役柄に無理があった。クリスチャン ベールも背が高いから体重がある。それを極限まで落としている。頬には肉がなく、頭蓋骨に皮が被っているだけの感じ。異様に落ち込んだ目で、走り、跳躍しジャブを繰り返す。それが怖いほどだ。

この役者の 役作りには定評がある。2004年「マシニスト」という不眠症の男を演じるために35キログラム体重を落とした。ドクターストップがかかったそうだが、本人は平然として 全く食べなくなると体が軽くなって頭が冴えて演技に身が入る と言っていた。2007年には カンボジアで米軍兵が捕虜となり 飢餓の中をたったひとり生還した兵士役を演じた時は 体重を20キログラム落として カメラの前で 平然と蛆を食べていた。
わたしはボブ デイランの「アイアム ノット ゼア」で ギターをもって ヒゲだらけでデイランの歌を歌ったときのクリスチャンが好きだ。声がそっくりだった。
2008年には「バットマン ダークナイト」でバットマンとして、美しい肉体美を見せてくれた。また「ターミネイター4 サルベイション」でも主役の ジョン コナーを演じて 息つくヒマもない激しいアクションを展開した。
骨と皮の痩せ役で良し、むっちり筋肉をつけた肉体派ファイターで良し などという便利な役者は そうは居ない。得がたい役者だ。役柄に徹することのできる役者魂をもった役者だ。

ストーリーは
デイック(クリスチャン ベール)はローウェル町のヒーローだ。ウェイター級のボクサーとして連戦連勝してきた。母親のアリス(メリッサ レオ)はボクシングジムを経営していて デイックのマネージャーを務めてきた。彼女はデイックを溺愛している。母は9人の子供を産んだ。そのうちの6人の娘達は成人したあとも母親の家に同居している。デイックは母親からも 姉妹たちからも チヤホヤされてきた。ボクサー引退後のデイックは 麻薬浸けで犯罪にも加担しているが、家族はそれを見て見ないふりをして黙認している。そんな家族のなかで 異父兄弟のマットは 影が薄いが、幼い時からデイックにボクシングを教わってきて、当然ボクサーになることを期待されていた。

ある公式試合で ミッキーがさんざんに負けたとき、ラスベガスから試合を見に来た興行師が、ミッキーが本気でプロのコーチについて ボクサーになりたかったら 母親と麻薬浸けのデイックから離れてラスベガスに来るように言う。ミッキーは 恋人のシャリーン(エイミー アダムス)と二人でラスベガスに行って 家族のしがらみを捨てて 自立する夢を見る。
しかし 夢はデイックが 麻薬に絡んだ犯罪で逮捕され、実刑判決を受けたことで消え去った。嘆き悲しむ家族を置いて行く事が出来ない。兄のコーチなしで 自分の場所で強くなろうと決意するミッキーは 徐々にボクサーとしての力を蓄えていく。

一方 刑務所のデイックは 受刑者の間ではヒーローだ。昔デイックが活躍したフイルムを受刑者全員が見て デイックを褒め称える。しかし受刑期間は 麻薬中毒だったデイックに 良い結果をもたらせた。
2年たち、刑期終了して帰ってきたデイックに、ミッキーは 再びコーチになってくれるように依頼する。憎み合っていた兄弟が和解し、最強のボクサーとコーチのコンビができ上がった。そしてウェルター級のチャンピオン戦にむけて、、、。
というお話。

デイックとミックの二人の体作りが徹底している。もうあきれるほどだ。
クリスチャン ベールの これ以上痩せられない顔で、走りまくり ジャンプし、フットワークも軽々とボクシングする姿もすごいが、マーク ウェルバーグもすごい。右手を警官達に叩き割られ ひどい骨折をしてボクシングができなくなった彼のおなかには、しっかり脂肪がついて みるからに重くなっていた。それが公式戦で戦うようになった時の筋肉のつきようは半端ではない。上半身、筋肉こぶが沢山出来ていた。どんなに 腹を打たれても全然平気。最後のチャンピオン戦の 激しい打ち合いには 何度も悲鳴を上げそうになる。その場に居たら 何度白タオル投げていたかわからない。スローモーション画像で一発一発の拳が入ったときの打撃の大きさに、目を背けたくなる。ボクシングは本当に激しいスポーツだ。

母親のメリッサ レオが 9人の子供を育ててビッグマザーとして家族に君臨する姿や、デイックへの溺愛する親馬鹿ぶりが 実にうまい。ゴールデングローブ賞を取ったのは 妥当だと思う。
恋人役のエイミー アダムスも 女7人の敵に囲まれて それでも負けずにミックを守ろうとする けなげさが立派だ。いつまでもママを頼る デイックの姉妹達の醜い年増女の姿も それらしくて うまい。
映画に出てくる人物すべてがよく計算されていて、よく演じていて、通行人の盲目のおじさんや、店の主人やらまでが 実に芸達者だ。すごく よくできた映画。完全完璧監督のクイント イーストウッドの作品みたいに よくできている。クリスチャン ベールを見るだけのために これを観ても良いし、完全完成品を見る目的で この映画を見ても良い。素晴らしい。

2011年1月23日日曜日

映画 「英国王のスピーチ」のコリン ファース




オーストラリアは 英国国王を元首とする立憲君主制国家だ。国家元首はエリザベス女王。
映画「英国王のスピーチ」原題「THE KING’S SPEECH」は、エリザベス女王の父親にあたるジョージ6世のお話だ。

この映画、ゴールデングローブ賞で、アルバート ジョージ6世を演じたコリン ファースが 主演男優賞を獲得した。アカデミー賞では 作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞にノミネイトされている。

監督:トム ホッカー 37歳の新鋭の監督
キャスト
アルバート ジョージ6世:コリン ファース
言語療法士:ジェフリー ラッシュ
エドワード8世:ガイ ピアース(アルバートの兄)
アルバートの妻:ヘレナ ボナム カーター
シンプソン夫人:エバ ベスト

ストーリーは
1936年、英国王ジョージ5世がに亡くなった。次期国王は当然長男の プリンス エドワード8世(ガイ ピアース)が 継承するはずだった。王政学を学び ジョージ5世を支え、次期家長として活躍し 陸軍に従事し 国民から慕われていた。にも関わらず 彼は離婚暦のあるアメリカ女性 シンプソン夫人に夢中だった。英国議会も大英教会も 国王が離婚暦のある平民の女性と結婚することは 英国憲法違反であることを指摘する。国王の座をとるか、平民となって離婚した女性と一緒になるか 選択を迫られて、プリンス エドワードは シンプソン夫人を取る。「シンプソン夫人の支えなしには 国民のための いかなる執務も行うことは出来ない」という歴史的で感動的なスピーチを残して 彼は去る。

にわかに脚光をあびることになったのは 次男のプリンス アルバート(コリン ファース)だった。彼は 海軍出身。華やかで社交的で国民に人気があったエドワードに比べて 正反対の性格。シャイで吃音障害を持っていた。吃音を治すべく 今までに何人もの専門医師や言語療法士の治療を受けていたが 効果がない。生まれもっての短気で激しやすい性格もあって、正常な会話ができないことに困りきっていたところだった。

心配した妻 エリザベスは ドクターライオネル ロークという新しい言語療法士に会いに行く。オーストラリア パース出身の変わり者。彼は プリンスの妻に向かって 治療してもらいたかったら 自分の家の診療室に来るように、と言って、プリンスを呼びつける。古いロークの家には 極寒のロンドンにもかかわらず充分な暖房さえない。そんな彼の自宅で治療が始まった。発声練習から歌ったり踊ったり ワルツを踊りながらシェイクスピアを読む。意表をつく独特の治療法に、幾度も幾度も アルバートは 怒りを爆発させ 治療を中止させる。
しかし、そんなことを繰り返すうち、アルバートは次第に 今まで誰にも打ち明けられなかった胸のうちを ロークに聞いてもらうことができるようになる。序序に、二人の間に友情が芽生えてくる。
時に、ナチスドイツがポーランドを始めとするヨーロッパで侵略を進める。フランスに次いで 英国も参戦せざるを得ない。英国の誇りをもって開戦するに当たって、国王は国民に向かって スピーチをする。歴史に残る名スピーチだ。アルバートは ロークを伴って放送室に入って マイクロフォンに向かう。何度も 詰まりそうになりながら オークの励ましのもとに スピーチを最後まで 声高らかに威厳をもって読み上げる。
というお話。

とても良い映画だ。
どんなに吃音障害をもつことが苦しいか よくわかった。映画を観ている人は アルバートと一緒になって 理路整然としている自分の考えを 伝えることができない苦しみを味わう。言葉が出てこない。うやうやしく待ち構える人々や、議会や教会の官僚達の前に立って 口を開く瞬間の緊張感。失敗に失敗を繰り返し 自己嫌悪に身をこがし、こみ上げる怒りをぶつける相手もいない。立場が立場なだけに どもって言葉が出てこなくても 笑う人はいない。人々はただ かしこまって次の言葉を待っているだけだ。それが本人には 余計なプレッシャーになってますます言葉が出てこない。家に帰れば 二人の幼い娘達が待っている。愉快なお話を作って話して聞かせる ふつうの父親だ。父親が言葉につまれば 娘達は幼いながらも 根気よく次の言葉を待っていてくれる。それが またつらい。

コリン ファースの いかにも外見からして誠実でまじめな姿が 吃音障害に苦しむ国王の役に適役だ。今年のアカデミー主演男優賞を獲るだろう。とても良い役者だ。
対する 人を食ったようなジェフリー ラッシュの名演技、、こればかりは他の役者にまねができない。この映画で ロークがシェイクスピアの「ヘンリー4世」を 舞台のオーデイションで演じてみせるシーンがある。さすがにうまい。ゾクゾクするほどだ。何年か前、彼は 映画「シャイン」で精神分裂症のピアニストを演じてアカデミー主演男優賞を獲った。

英国教会が どこの馬の骨かわからないロークを退けて 権威ある専門の言語療法士をつけるように圧力をかけたとき、アルバートは ロークは自分にとって個人的に特別必要な人なので やめさせるわけにはいかない と擁護する。そのとき初めて ロークは自分が 医者でも専門の言語療法士でもない。パースからきた役者にすぎないと言う。かれは 役者として発声訓練をしているうちに 戦争から帰ってきて 体や心に傷を受けた兵士達が 言葉を失っているのを見て それらの人々を治療してきた。経験の多様さでは専門の言語療法士よりも自信を持っている。そんなロークの告白を 驚きもせず聴くアルバート。二人は すでに分かちがたい固い友情で結びついていたのだ。名優どうしの名場面だ。

アルバートが兄エドワードのむかって どうして王位を捨てるのか 問い詰めた時 残酷にもエドワードがアルバートの口調を真似して からかって 立ち去る場面がある。温厚で人格者だという評判のエドワードだが、兄は いつも強い立場だから、からかわれて こき下ろされてつらい思いをする弟のつらい立場には理解が及ばない。強いものは常に弱いものに対して 無自覚だ。
アルバートの吃音障害は 左利きを 教育係に厳しく更正させられたことが契機だが、年上の兄に 大事な玩具をとりあげられたりしたトラウマも要因になっている。何気ない兄弟間のやりとりで内気な年少者の方が傷を負う。年下にしか わからないつらさだ。

妻エリザベスのヘレナ ボナム カーターも良い役者だ。「アリスのワンダーランド」でスペードの女王をやったり「スウィートチャーリー」で 人肉パイを作る悪魔のような女を演じた。今回は 出過ぎず、語り過ぎず ただ夫を支える妻の役が良かった。夫とともに傷つき 共に不安に慄き、歓びを共にする、ひかえめだが なくてはならない役を よく演じていた。役作りのために 歴史学者に会ったり 古い英国のしきたりなど、すごく勉強したそうだ。
それと、子役のふたりの娘達。長女のエリザベス(いまのクイーン エリザベス)役の子供の利発そうな姿が ひときわ目立っていた。

2011年1月20日木曜日

映画 「ブラックスワン」




映画「ブラックスワン」を観た。
第68回ゴールデングローブ賞映画部門で この映画を主演したナタリー ポートマンが主演女優賞を受賞した。予想通り。
これだけやって 女優主演賞が取れなかったら 余りに可哀想だ。100分余りの映画の間、彼女がアップで、または遠くから、横から 斜めから 下からカメラが追って 彼女がいないシーンなど皆無と言うほど 彼女が出ずくめのフィルム。一人芝居と言っても良い。音響も音楽よりも彼女の息遣いだけが サウンドになっている時が 嫌に多かった。それでスリラーとかミステリー効果を狙ったのだろう。
ナタリー ポートマンは 子供の時からバレエを たしなんでいたそうだが、この映画のため に徹底的に体重をしぼって痛々しいほど骨と皮になって 本当にバレエを代役なしで自分で踊っている。すごい。

今回 同じゴールデングローブ賞で、クリスチャン べイルが「ザ ファイター」で 助演男優賞を受賞したが 彼がまた 信じられないほど体重を落として ボクサー役を演じている。なんか俳優達が 役作りのために、そろって我慢大会をして やせこける映画ばかりが賞を獲って、「よく痩せましたね」の努力賞みたいだ。そんなに体重をしぼって 熱血熱演しているのだから迫力がある。痩せた熱血漢がヒーローになり、デブはお笑いコメデイをやるしかない という単純なアメリカ文化も やるせないが バレリーナもボクサーも体重をコントロールすることが条件だから それに合わせて俳優が伸縮自在になるのも 仕方がないことか。
http://www.imdb.com/video/imdb/vi3985807385/
監督:ダーレン アロノフスキー
ニーナ:ナタリー ポートマン
リリー:ミラー クニス
ニーナの母:バーバラ ハーシー
アートダイレクター:バンサン カッセル


ストーリは
ニューヨークシテイーバレエ団では 久々に大作チャイコフスキーの「白鳥の湖」に取り組むことになった。バレリーナたちは 誰が主役を取るのか 気もそぞろだ。遂にニーナ(ナタリー ポートマン)が主役に抜擢された。彼女は母親と二人暮らし。バレリーナだった母親は ニーナのバレエ教育に厳しく 健康管理や生活態度にまで うるさく干渉してきた。ニーナは 子供の時から そんな母親の期待にこたえようとしてきたから、プリマドンナに選ばれた歓びはひとしおだった。

地味でシャイなニーナが主役を射止めた一方、ニーナが怪我や病気をしたときに代わりに踊る代役に リリーが抜擢される。リリーは外交的で明るい性格。ライバル意識を隠そうともせず ニーナに接近してニーナの役を奪い取って自分が主役を踊りたい。ふたりのバレリーナの競争心や アートダイレクターとの関係も緊張感を増し 開演が迫るにつれ 互いのプレッシャーが、爆発寸前にまで煮詰まっていく。
この先は 一応この映画、スリラーとか、ミステリーということになっているので ストーリーを言うことができない。

ストーリーも ナタリー ポートマンのバレエもかなり期待を裏切られた。良いシーンは、二つほど。リハーサルで ニューヨークシテイーバレエ団オーケストラのヴァイオリン ソリストが立って 独奏するのに合わせて ニーナが踊るところ。もうひとつは、やはりヴァイオリンに合わせて 長いデュオでカップルが踊るシーン。天井の高いバレエスタジオで チャコフスキーが 素晴らしく響いていた。バレエの素晴らしさは やはり美しい曲と 見事な演奏なくしてはあり得ない。生の演奏に合わせて 踊り子達が跳躍する姿はとても美しい。

昔「アンナ パブロア」というフランス映画があって、忘れられない 素敵なシーンがある。アンナがひとり 劇場の様子を見に行ってみると、舞台のそでで初老の男がピアノを弾いている。アンナは新しいピアニストが 自分が踊る謝肉祭の「白鳥」を リハーサル前に 練習しているのだろうと思って、服のまま、舞台に立って ピアノに合わせて踊り始める。ダンサーもピアニストも 次第に熱が入ってくる。でも、どうしても1箇所 ピアノがワンテンポ遅れるところがある。アンナは「そこ、あなた まちがっているわよ。ワンテンポ 休符がはいるでしょう?」とピアニストに注意する。何度かやってみて、やはり、うまくいかない。そこで、ピアニストは「フムフム、ここで君は息継ぎをしないと 次の動作に入れないんだね。じゃあ君のために この部分を書きなおしてあげよう。」と老人は言う。「え、、あなたは誰?」驚いたアンナに 作曲家サンサーンスが 名乗りをあげる。若々しいアンナと 老紳士サンサーンスとの出会いのシーンだ。とても微笑ましい。良いシーンだ。

「ブラックスワン」同様ニューヨークシテイーバレエ団を主役にしたバレエ映画「ザ カンパニー」という映画(2003年)もあった。こちらの方が わたしは好きだ。プリマドンナに抜擢された娘が ニューヨークのアパートに一人住んでいて、バレエだけでは食べていけないので バレエの合間にカフェでアルバイトをしている。恋人(ジェームス フランコ)との付かず離れずの優しい関係も、現実のバレリーナの生活に近い。彼女が大役を終えて 仲間との打ち上げパーテイーも終わり、アパートに一人帰ってきて、お風呂に入る。公演のプリマドンナという重荷を下ろして 熱い湯に身を浸した瞬間に 安堵の涙がどうと溢れて すすり泣く。そのシーンにとても共感できた。観ていて自分の体のすみずみまで熱い湯がゆきわたるような気がしたものだ。うまい。プロが作る映画とは、こんなふうに共感、共鳴の波を作りだせるのか、と感心した。

「ブラックスワン」に共感できるところは、ひとつもない。またこのストーリーとニューヨークシテイーバレエ団とがマッチしない。10年前のキエフバレエ団なら 合うだろうか。

映画に出てきた主役と代役との葛藤は 興味深い。代役で 切っ掛けをつくり成功して 若い役者が主役以上の人気者になってしまう例はたくさんある。「アラビアのロレンス」は リチャード バートンにはずだったのが、ピーター オトッールが演じて成功した。「風と共に去る」は エリザベス テーラーでなく ビビアン リーが主演したから大成功した。未知数の可能性を持った 若い人が こんな風に代役を契機に出てくるのは良いことだ。
ハリウッドもそろそろ 女アクションはアンジェリーナ ジョリー、SFはキアノ リーブス、正しい人はべンゼル ワシントン、忠実な男は マット デイモン、強い女はヒラリー スワンク、変態はジョン マルコビッチ、死なない男はブルース ウィルス、精神病者はジェフリー ラッシュといった 繰り返し似たような役ばかりを 決まった役者にやらせる安易な使い方をやめて、若い人を発掘するべきなのかもしれない。

2011年1月12日水曜日

クイーンズランドの洪水




akikoさん。
オーストラリアの町が
浸水被害に襲われた映像を見ました。
シドニーは離れているから大丈夫ですよね?
ふと心配になり、メッセージしてみました。
スーマー


DEAR スーヤグニールさま
ご心配いただいて どうもありがとうございます。

私どもの住むシドニーは 高台ですし、クイーンズランドの洪水にあっている地帯とは 離れていますので、無事です。ただ、送られてくる クイーンズランドのニュースに心を傷めています。

いま、クイーンズランドを中心に 雨が降り続けて、オーストラリアの国土の15%が、水に浸かっています。その広さは フランスとドイツを合わせた大きさだそうです。オーストラリアは 日本の21倍の広さをもっていますから、日本が2つと半分 水に沈んで居る計算になります。
オーストラリアで3番目に大きな ブリスベンの街がすっかり水に浸かってしまいました。
「陸地津波」で、10人の死亡者と80人の行方不明者が出ました。死亡者数は今後、増え続けると予想されています。
陸地津波とは 日本で言う鉄砲水のことだと思いますが、雨がやまず、河が氾濫して、集中豪雨が鉄砲水となって、、川沿いの家々を、高さ8メートルとか9メートルの高波が襲い、人々が家ごと河に流されました。

今年の冬は 珍しく雨の多い冬だったので、10年余りの旱魃に汲々としていたニューサウスウェルス州やクイーンズランド州の農業牧畜経営者達は 嬉しくて恵みの雨のなか、牛を増やし、作物を植えたところで、洪水にやられました。
街に住む私たちも、雨の多い冬と春を過ごし、緑がひときわ冴えて美しい初夏を 楽しんでいたところだったのです。

オーストラリアの東側が洪水で被害を受けているというのに、パースなど西側では 逆に旱魃に苦しんでいます。雨が降らず、土地が乾燥して自然発火して山火事が多発しています。もともとオーストラリアは 海沿いの街以外の内陸は乾ききった砂漠ですから、雨が降らなければ 内陸での農業、畜産に被害が出ます。

まことに日本は 水が豊かで、緑の多い 温暖で穏やかな自然に恵まれている、ということが、アメリカやオーストラリアに住んでみると しみじみ実感としてわかります。日本のアルプスなど山々が 他のどこの国の山より美しく、多種多彩な植物 蝶の種類も多く、四季の変化がはっきりして、それが人々の心にも影響して独特の文化を育ててきた日本は、本当に特別な国だと思います。

今年のお正月が帰国できなくて、スーマーさんの音楽を聴きにいけなくて残念です。
ジョンの70歳の誕生日に、スーマーさんの歌を聴きたかったなー。
どうぞ、お元気で ご活躍ください。

あ、、、勝手に個人あての手紙を公開してしまって、ごめんなさい。
事後承諾ということで、、。