2010年7月25日日曜日

映画 「クリエーション ダーウィンの幻想」




チャールス ダーウィンが「種の起源」を出版したのが1859年1月24日。5年間に及ぶ ビーグル号の航海を経て、進化論を確立した記念的書物だ。その日のうちに完売された、という。
理論の正しさは、150年あまりたった現在も証明され続けている。生物は進化する。
日本では1874年、現在の東京大学医学部で フランツ ヒルゲンドルフが初めて進化論の講義をして、それを森鴎外が聴講した、という。

ヒトの進化については 1992年にエチオピアで発見された 440万年前に生存したという ラミダス猿人が鍵になる。その実態が徐々に わかってくるにつれ ヒトのルーツは ゴリラやチンパンジーとヒトとの共通祖先があったわけではなくて、全く別のヒトの祖先をもっていたことが 明らかになってきた。発見されたラミダス猿人は 身長120センチ、体重50キロ。はじめから2本足で立って歩いていたという。この最古の猿人が その後どのように 他の猿人たちにつながっていくのか ヒトの祖先を解明する道は まだ遠そうだ。

経済学者カール マルクスは 進化論に大きく影響された学者の一人だ。進化論が唯物史観を 着想する鍵になった として マルクスは「資本論」を ダーウィンに献本している。
ナチズムのアーリア人優等人種論では 優生学を証明するために ダーウィンの進化論を利用しようとしたが、学問的には全く相容れない 科学的な思想とは言えないとして、ヒットラーの優生学は否定されている。

進化論を最も否定するのは イスラム教とキリスト教だ。
イスラムにとって「神アッラーは天地を創造した。」のである。
キリスト教では、聖書学が「創世記」に、「神が植物、動物、人の順で天地を完成させた」と、記述されている。
しかし、カトリックでは 1991年にローマ教皇 ヨハネ パウロ2世が 「進化論は仮説以上のものであり、肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神によって創造されたものだ」として、進化論とキリスト教とは矛盾しない、という結論を下した。

アメリカでは 進化論どころか、神によって人はデザインされたとするインテリジェント デザイン(ID説)が 公共教育に取り入れられる動きがある。ジョージw ブッシュもそのうちの一人だ。彼らは 「複雑な細胞からなる生体組織が進化、自然淘汰などでできたとは考えられない。創造にさいして 高度な知性(神)によるデザインが必要だった。」と主張する。 これを根拠にカンサス州では教育委員会が 進化論を教育に取り入れないことを決定した。その一方でペンシルバニア州では ID説を公立学校え教えるのは 宗教的創造論と結びついているので、憲法違反だという決定をした。

小学校高学年の時にダーウィンの進化論を学び、ごく自然に生物が進化する説を正論としてきた私たちにとって、月や火星探検が現実になっている現在でも人口の 40%のアメリカ人が 進化論は間違っていると 信じている事実に驚愕する。日本人の常識がアメリカ人の常識とは限らない ことは承知だが、やはりそれでも驚かざるを得ない。進化論を正しいとするアメリカ人は たった40%。トルコ人にいたっては、25%でしかない。

どうして映画評を書くのに 長々と進化論について述べているか というと、「種の起源」を出版する前後のダーウィンを映画化した作品の上映が 反対者が多く、アメリカで上映延期になった というニュースを聞いたからだ。クリスチャンの立場から この映画上映を反対する人々もご苦労なことだが、こういう事態をみて、アメリカという国を理解する良い機会にもなる。

イギリス映画「クリエーション ダーウィンの幻想」
原題:「CRIATION」
監督: ジョン コリー
キャスト
チャールス:ポール ボタニー
妻エマ:  ジェニファー コネリー
娘アニー: マーサ ウェスト

原作はチャールス ダーウィンのひ孫に当たる ランダル ケインズの「ANNIE’S BOX」。
ストーリーは
イギリスの田舎 ダーウィンは広大な領地を所有する領主だ。ビーグル号での航海を終え「種の起源」をほぼ書き終えるところだ。彼を支持してその出版を心待ちにしてくれる同胞も多いが、敵も多い。「君は神を殺す気か」と、科学者としての確信を 誹謗中傷する知識人も多かった。宗教心あつい妻との確執 家族そろって教会に行く習慣も チャールスにとっては 苦痛をともなう。家庭の中で 唯一のなぐさめは10歳の長女アニーだった。彼女は科学者としての父を尊敬し 父親のすることすべてに信頼を置く よき理解者だった。
そのアニーが しょう紅熱で亡くなる。チャールス自身も健康を害し 執筆に行き詰まった。アニーの幻覚をみたり 採集した生物標本が 動き出したりする。心の病を経て苦渋の末に「種の起源」を完成させる。頑として全知全能の神を信じる妻に、チャールスは原稿を渡す。妻は夜を徹して夫の渾身の研究成果を読み通す。どうだった、と心配気に問うチャールスにむかって 妻はすでに出版社あてに小包みにしてある原稿を手渡すのだった。
というお話。

ダーウィンのバイオグラフィを映画化するというので とても期待していた。ポール ベタニーは 大好きな俳優の一人だ。長身で額が広く 学者の風格もあって、ダーウィンは適役だ。
ラッセル クロウと共演した 同じ監督ジョン コリーの「マスターアンドコマンダー」でも 航海先で時間をみつけては動植物を採集する学者の役をやっていて、それがとても良かった。長い航海で、夕食が済むと ラッセル クロウがヴァイオリンを、ポール ベタニーがチェロを弾いて食後のひと時を楽しむ。そのシーンが、美しくて忘れがたい。
このポール ベタニーが「ダヴィンチ コード」では イルミナリテイの狂信者でシラスの殺し屋になった。アルビノで全身に毛がない。次から次へと司祭を殺していく。本当に恐ろしくて震えた。
シェイクスピアを劇場で演じていた人だから どんな役でもやれる。その彼の実生活上の妻、ジェニファー コネリーがこの映画で 妻エマを演じている。映画の中でエマは一度も笑わない。実生活でもこんな感じかな、と思ってポール ベタニーがちょっと可哀想。

役に適した良い俳優、いまだに人気のあるダーウィンという題材がそろっているのに 残念ながらフイルムワークは良くなかった。現在と過去が余りにも頻繁に交差するので、背景を理解できないまま画面にひきずられ、感情をフイルムに移入することができない。
夫を理解しない妻との あまり明るくない家庭、唯一の理解者だった娘を失って嘆く父親、、、人間としてのダーウィンを描いたにしては 一面的だ。恐らく 彼のひ孫による原作「ANNIE;S BOX」がそのようなものなのだろう。家族にとっては貴重な内容だが 外部の人間にとってはあまり意味をもたない、というような。
科学者の苦悩を描くのは 確かにむずかしいだろう。まして人類史にとって画期的な意味を持つ書物だ。

ハトの何世代にも渡る遺伝的形質を研究するために 沢山のハトを飼っている。次から次へと記録の為に 首をひねって殺しているシーンが 本物っぽくてダーウィンに肉迫していた。また ダーウィンとチンパンジーとの交流のシーン、、、心が通じ合って一緒にハーモニカを吹くところなど、心があたたかくなる。また、10歳で死んだアニーの活発で好奇心に満ちた瞳が印象的だ。心に残る良いシーンが 点在する。
もしも良いシナリオライター、すぐれたカメラマン、それを編集する知性をもった監督が これらの題材を使って映画制作したら、見ごたえのある映画になっただろう。この映画は、監督の知性とセンスが足りない為に映画が台無しなった という珍しい例だ。とても残念だ。

最後にもうひとつ ケチつけ。
最後、チャールスが原稿を妻に渡し 妻がそれを徹夜で読む。妻が「種の起源」出版に反対するのではないかと、チャールスは心配で眠れない。しかし朝方 ちょっと眠ってしまった。起きて見ると居間で原稿を読んでいた妻も原稿も見つからない。チャールスは必死で探す。すると妻は庭で怖い顔をして、何かを燃やしている。近付きがたい 恐ろしい雰囲気だ。何を燃やしているのだ。原稿はどこだ、、、。チャールスは庭に向かって走っていく。心臓が早鐘のように鳴っている。何が燃えているの???? ギャー やめてー!
で、こわい顔の妻は 無言で出版社あてに包まれた原稿をチャールスにわたす。という結局なんでもなかったシーンだけれど、皮肉屋と一緒に映画を観ていたら大爆笑するところだった。

2010年7月22日木曜日

映画 「トイ ストーリー3」


ピクサー製作 アニメーション。
トイ ストーリーは ピクサー製作会社の第1作だった記念的作品。第1作から14年たって、第2作が出て、また それから11年たって第3作が出た。恐らく、これがトイストーリーの最終作だろう。
トイストーリーとともに、成長してきた子供達は もうすっかり大人になった。玩具どうしの 冒険と友情を描いたトイストーリーも、観客と一緒にセンチメンタルな終焉を迎える。おもちゃに命を 吹き込むのは 子供の想像力だ。それを失っていくことが 大人になる過程なのかもしれない。

監督:リー アンクリッチ
声優
アンデイ:ジョン モリス
ウッデイ:トム ハンクス
ジェシー:ジョアン キューサック
バズ  :テイム アレン
レックス:ウォーレス ジョーン
など

ストーリーは
アンデイは17歳、大学に進学して寮生活に入るため、家を出ることになった。
荷物を片付けているあいだに、むかし遊んだおもちゃたちが出てくる。
カウボーイのウッデイはいつも勇気と行動力を見せてくれたアンデイーのヒーローだ。ガールフレンドのジェシー。ウッデイの馬ブルズアイ。ロボットのバズ、怪獣で火を噴くレックス。ドクターポークチョップは大きな豚の貯金箱だ。ミスター&ミセスポテトヘッドなど、捨てがたい思い出の詰まったおもちゃたちだ。
アンデイは どうしようかと、思い迷った末、 カウボーイのウッデイだけは 寮に一緒に連れて行くことにする。母親は 玩具たちを保育園に寄付しなさい と言うが アンデイは手放すのが惜しくなって、袋につめて屋根裏部屋にしまうことにした。ところが、手違いがおきて、他のゴミと一緒に、ゴミに出されてしまう。
アンデイに捨てられたと思い込む 玩具たち、、、。ウッデイは懸命に玩具たちをゴミ自動車から救い出す。するとまた、箱に入ってアンデイのもとに戻る途中で、まちがってサニーサイド保育園に届けられてしまう。

おもちゃたちは 子供に遊ばれているときは 動かないで静かにしているが いったん子供達がいなくなれば 動き出して 人と同じに仲間同士で話し合ったり冒険したりできる。アンデイのおもちゃたちは自分達がアンデイの玩具であって、彼の成長をそばで見てきた という誇りを持っている。できることならばいつまでもアンデイのそばに居たい。しかし、自分達はアンデイに捨てられ、新しい子供達が保育園で待っている。みんな 新しい場所で、出会える子供達に 期待に胸を膨らませていた。
しかし、ウッデイは おもちゃたちが 手違いでゴミに出された末、保育園に送られてしまったことを知っている。どうしても、アンデイのもとに、帰らなければならない。ウッデイは 一緒にアンデイのもとには帰らないことにした、みんなに さよならを言って保育園から脱出した。

しかしウッデイは アンデイの家に向かう途中 他の玩具たちから、真実を聞かされる。表面上楽しそうな サニーサイド保育園は実は 玩具の牢獄と呼ばれ ボスのテデイベアの暗黒支配下にあった。いったん 入所した玩具は 使い捨てられるまで脱出不可能だ という。
ウッデイは 皆を救い出して 無事にアンデイのもとに連れて帰ることを決意して、サニーサイドに戻る。
ボスのテデイベアは、むかし持ち主に置き忘れられたことを、裏切られたと思い込んで 人間を敵視していた。新しいおもちゃがやってくると、乱暴な幼児達ばかりの部屋で 壊れるまで相手をさせる。
おかげで、ジェシーもバズも、レックスも 最初の日に、みな傷だらけになってしまった。ウッデイとアンデイのおもちゃたちは、再び一丸となって、厳しい監視を潜り抜け、ゴミの排出口から脱出するところを ボスのテデイベアに見つかって 一緒にゴミ自動車に放り込まれてしまう。

ゴミ自動車のなかで 散々バラバラになった仲間達は、再び集まり力をあわせて ゴミ粉砕機から逃れ、焼却炉から脱出、大冒険の末 ついにアンデイのもとに 帰ることが出来た。そして、ウッデイは 他の玩具たちと別れて アンデイが持っていく箱の中に納まり、ほかのおもちゃたちは屋根裏部屋に持って行かれるのを待っていた。

アンデイが遂に出かけるときが来た。彼は 片付いて広々とした自分の部屋を見回す。何もなくなってしまったアンデイの部屋を見て 様子を見に来たママは、思わず息子の旅立ちに、涙ぐむ。そんな様子をじっと見詰めるおもちゃたち、、、。
ウッデイは考えた末、屋根裏部屋に行くはずのおもちゃたちの入った箱に、心優しい女の子のいる家の住所を書き込んで、自分もそこに入り込む。

とうとう出発。
アンデイは自分が寮に持っていく箱を自動車に積み込む。そして、おもちゃたちの入った箱を 表に書いてあった住所の家に運び込む。恥ずかしがりやの、女の子のいる家だ。
ぼくが、大事にしていたおもちゃをあげる。大切にしてね。アンデイは 箱を開けて、おもちゃを ひとつひとつ女の子に紹介する。これがジェシー これがバズ、ドクターポークチョップもあるよ。紹介しながら 女の子としばらく遊んであげる。そして、箱の一番底には ウッデイがいた。ウッデイだけは、連れて行きたかったのに、、、。でも、おもちゃは 全員一緒で遊んでもらいたがっている。遊んでくれる 子供のために残していくべきだ。アンデイは そっとウッデイにさよならを言う。僕に勇気と正義、友情を教えてくれたカウボーイのウッデイ さよなら、ありがとう。
名残惜しそうに 出発するアンデイ。
後姿を見送るウッデイたち、おもちゃたち、、、、。
というお話。

子供向けアニメーションと言えない。観ている人みんなをホロリとさせる上質の映画だ。
動かないプラスチックのおもちゃが 夜になると飛んだり踊ったり大冒険をしたりする その原動力はこどもの想像力だ。そういった子供心をいくつになっても 持ち続けたいと思う。
たくさんおもちゃが出てきたが、中に「トトロ」がいたのが、うれしかった。「トトロ」を観ると どんなときでも心が優しくなれる。ミヤザキ ハヤオが作り出した世界が どんなにピクサーやデイズニーに大きな影響を与えたか計り知れない。そんなこともよくわかる映画だった。
トイストーリー3、良い映画だ。

2010年7月19日月曜日

パトリシア コパチンスカヤのヴァイオリンを聴く




素足でちょっと猫背の黒髪の美女が スタスタと舞台に上がり、右の眉をちょっと動かして合図を送っただけで コンサートが始まった。
団員全員が合図とともに 透明な ものすごく美しい音を紡ぎ出す。21人の弦楽器奏者が 生き生きとしたハーモニーを作り 盛り上がり歌う。誰一人として 彼女の合図を見逃さない。オ-ケストラ団員達の集中力がすごい。それをひきつけている 彼女のパワーにもあきれるほどだ。そんな彼女が、オーケストラをバックに独奏を始めると 矢継ぎ早のテクニック、熱に浮かされたような独演に、彼女の素足の足踏みの音が入り、突然彼女が歌いだす。ヴァイオリンの音と 激しいピッチカートと弦を擦る音、ハープシコードの弦まで擦っていた。聴いたことの無いような和音が入り乱れる。音の洪水。
そして、突然、団員全体が何の前触れも無く止まり、静寂が訪れる。一糸乱れぬ統制力。
ブラボーの声がとびかう。

こういう音を作り上げる 指揮者も偉いが、ついてくる21人のオーストラリア チェンバー オーケストラ(ACO)のレベルの高さは、並みではない。シドニーシンフォニーオーケストラの面々にこのようなことが出来る人は一人としていないだろう。
毎年 7回のACO定期公演回を 過去、10年あまり続けて聴いてきた。いくつも その報告をここに書いてきたので ACOの素晴らしさを繰り返すつもりはないが、彼らはいつもオーストラリアで最高のパフォーマンスをしていて、聴きに行けば必ず わたしを満足させてくれる。

今回のコンサートは ACOの創始者で総監督で指揮者で独奏者のリチャード トンゲテイは出演せず、代わりにパトリシア コバチンスカヤがゲスト指揮者で ヴァイオリン独奏をした。プログラムの6曲の選曲も彼女のもの。
16世紀のバロック、アルメニア人作曲家の現代音楽、ハンガリア人作曲家のダンス曲、ウズベキスタン生まれ作曲家の現代音楽、それに ハイドンとヴィバルデイ。
いつもリイチャード トンゲテイがやっているように、指揮もコンサートマスターも独奏も務めるやり方だ。
常に21人の弦楽奏者の目が この指揮者に集中している。よほど息があっていないとできない。演奏者としてオーケストラ全体を率いていくカリスマがあって、実力がないとでいない技を この1834年「プレセンダ」を弾くパトリシアは 楽々と楽しんでやっていた。
モルドバ生まれ。ウイーンで作曲を学び 数々の賞を取り 若い新鋭の作曲家として高い評価を受けている。ACOとの共演はこれで3回目。
常に新しいものを 追求するACOの肌合いに 彼女の爆弾を抱えているような創造力がよくマッチしている。彼女も団員たちも、実に相性よく、共演を楽しんでいることが 見ていてわかる。楽しみながら プロの演奏家としての緊張が、ピリピリと伝わってくる。
パトリシア コバチンスカヤについては 以下のとおり。
http://www.patriciakopatchinskaja.com/

ACOの良さは 実力があり、それを常に海外遠征と 海外からのゲストとの共演とで 常に鍛えあげていることだ。世界のあちこちから 若い優れた演奏者を 発掘し、連れてきて共演する。いちはやく 10年も前に ペッカ クシストをフィンランドから連れてきて紹介したのも、ACOだった。今回のパトリシア コバチンスカヤも、もう3回目の登場。初めて彼女の作曲したものを紹介されたときは びっくりした。もうあまりびっくりしない。彼女の作り出す音が居心地が良くなってきた。爆発寸前の若い熱が 聴いていて心地よい。聴くごとに 新しい感動を与えてくれる。

ハイドンの形どおりの美しいバロックが、奏でられる。それが 彼女がいったんカデンッアにはいると 全く新しいピッチカーとと和音の独奏になる。それでいてバロックから外れない。魔法をみているようだ。
ヴィバルデイも、よく演奏される「四季」の冬の場面を思い浮かべて欲しい。とても早い。16部音符の連続。氷の上を激しい北風が吹きすさび 枯葉が舞う とても早いピッチの曲だけれども、これを彼女は2倍早い、36部音符の連続にした。これが弦楽器の限界 というような弓さばき 手が痙攣するよりも早く動いている。 それをパトリシアと21人の団員全員がやっている。もう、、、すごい迫力。

ハイドンも ヴィバルデイも ここまで新しくなれるんだ ということをまざまざと見せてくれた。クラシックは新しい。

プログラム
1)へンりッヒ シューツ(HEINRICH SCHUTZ)
(1585-1672)による ドイツ マリア賛歌作品494(1671年作)
JS バッハよりも1世紀も早く 生まれたドイツ人作曲家。バロック音楽の作曲家として 沢山の影響を与えた。バッハ以前の曲と思えない斬新さ。骨太のリズムの中で 美しいメロデイーが ハーモナイズする。

2)テイグラン マンスリアン(TIGRAN MANSURIAN)
レバノン ベイルート生まれのアルメニア人作曲家が2006年に作曲したヴァイオリンコンチェルト 第2番。ソビエト崩壊後もトルコ ジョージア アゼルバイジャン イランにまたがったアルメニア地方で民族音楽を元にした現代音楽を作曲している。瞑想的なレクイエム曲。

3)サンドール ヴェレス(SANDOR VERESS)(1907-1992年)による4つの トランジルバニアのダンス曲。ハンガリアのトランジルバニア生まれ。第2次世界大戦で 生地を占領されスイスに逃亡、作曲を続けた人。
これが素晴らしかった。4部作のダンス曲が始まるやいなや、目の前に草原が広がり 羊達が草を食み、遠く青い山脈が連なる光景が目にうかんでくる。牧草の香り、山から吹き降ろしてくる冷たい空気、淡い青の空、、、。
チェロは力強いリズムを刻み、軽やかな小刻みなヴァイオリンがメロデイーを繋ぐ。そのそばから ドカンというリズミックな足踏みが加わり 早いテンポのダンス曲が次第に熱狂化してくる。楽団員全員が足を踏み鳴らし 熱が最高潮に達して 突然終わる。実にみごとなダンス曲だった。

4)エレナ カッツ チェーニン(ELENA KATS CHERNIN)1975年タシュケント ウズベキスタン生まれの女性 現代音楽作曲家。1997年の作品「ズームとジップ」

5)ハイドン(1732-1809年)
ヴァイオリンコンチェルト第4番Gメジャー 1761年作。

6)ヴィバルデイ (1678-1741年) 
ヴァイオリンンのためのコンチェルトEフラットメジャー作品253「嵐の海」

繰り返すが、ハイドンもヴィバルデイも 弾き手次第で、ここまで生き生きとした 輝きのある音楽になれるんだ ということがよくわかった。まさしくクラシックは新しい。

2010年7月12日月曜日

サッカーワールドカップ終了 次はツアーデ フランス



サッカーワールドカップが 7月12日早朝終了した。
予想どうり強国スペインが 初めて決勝戦を戦うオランダを 1対ゼロで下した。
どのチームを見ていても良いゲームは負けたほうが ずっとボールのパスも デイフェンスも攻撃さえも よく押していたように思えるのは 反官びいきの私だけか。スペインは 何度も何度もゴールの真正面ぺナルテイーキックのようなチャンスを逃していた。しかし延長戦で オランダの 強力なデイフェンスの壁をすりぬけてシュートが入った。オランダチームのほぼ全員がイエローカードをもらっていて 思い切ったボールの奪い合いができなかったのだろう。

オランダの 今回の試合で合計5ゴールを記録したシュナイダーの芸術的なゴールキックが素晴らしい。ロビンの早足と 正確なボールコントロールも芸術的だ。オランダはすごく よく戦った。一方スペインでは イングリッシュプレミアリーグの選手、フルバックのラモスが プジョーとともに 飛びぬけていた。アロンソ、ペドロもよく走った。イネスタのタイムリーなキックが良かった。これで2010年のワールドカップは、1位から3位まで全部ヨーロッパに持っていかれた。

サッカーの歴史の浅い 日本の活躍は これからだ。
歴史が浅いといっても1936年のナチスドイツが開催したベルリンオリンピックで、日本勢サッカーは 順々決勝戦まで勝ち進んでいる。次回のワールドカップは もっと期待できるだろう。

さて、サッカーが終わり ツアーデ フランスが始まっている。今日で8日目。これから 辛い山登りが始まる。私のヒーロー オーストラリアのカデロ エバンスが、現在世界第2位にいる。エバンスについては 前に何度か触れた。 (2008年7月29日の日記)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=884926892&owner_id=5059993

世界一過酷な自転車レース。米国のアームストロングも走っている。毎日6時間も7時間も走り続けていて、1日に9000カロリーもエネルギーを消耗するそうだ。食べても食べても 自転車をこぎながらエネルギー補給しても足りない。ものすごい消耗戦だ。是非 エバンスに優勝してもらいたい。

さてさて、来年はラグビーのワールドカップだ。ニュージーランドで ラグビー世界一が決まる。オールブラックは 世界のプレッシャーを背負っている。オールブラックがんばれ。

スポーツ観戦に目が離せない。
ああ漫画を読む時間がない!!!

2010年7月6日火曜日

五嶋みどりのモーツアルトを聴く


ニューヨークを中心に音楽活動をして、南カルフォルニア大学ソートン音楽学校で主任教授を務める 五嶋みどりが2日間だけ、オーストラリアに立ち寄り、モーツアルトを弾いてくれた。とても楽しみにしていて、聴きにいってきた。

五嶋みどりは シドニーシンフォニーオーケストラをバックに、モーツアルトのヴァイオリンコンチェルト第5番と、シューベルトのロンドを弾いた。期待にたがわず 本当に深い 済んだ音。宝石のように1音1音が光り輝いている。誰にも真似ができない。天才の紡ぎ出す音というものは、こういうものなのだろう。音あわせで、開放弦を弾いた時点で、もう他のヴァイオリニストと音がちがう。
モーツアルト ヴァイオリンコンチェルト第5番、トルコ風。とても有名な曲で美しい。シューベルトのロンドは 難曲。どちらも、とても良かった。コンサートが終わって、日がたったいまでも、最初に彼女が出したときの音が 耳に残っている。

残念なことは、音響の悪いオペラハウスでコンサートが行われたことだ。オペラハウスにはコンサートホールとオペラシアターがある。程よい大きさのオペラシアターに比べて、コンサートホールは2700席、箱が大きすぎる。席数に対して建物が大きく、音がむき出しの木の天井に、拡散して やわらかい音が充分響かない。100人のオーケストラに対して、ソロイストには 高い天井から吊り下げられたマイクロフォン1本だけ。
おまけに、残念なことに シドニーシンフォニーを指揮したのが イタリア人の若い アントネロ マナコルダという人だ。僕が僕が、、、と主張しすぎた。彼の華麗なフォーム、舞うような派手な指揮のスタイルに違和感を感じる。この指揮者の経歴を見ると もともと室内楽団のヴァイオリニストだったようだ。指揮者としては10年足らずの経験。イタリアでオペラの指揮を主にしてきた人。今回のコンサートが 彼の初めての シドニーシンフォニーのデビューだそうだ。ソロイストの演奏するコンチェルトには、オーケストラの皆さんに大声で叫んでもらっては困る。お客はソロイストの演奏を聴きにきているのだから。音を控えめに 指揮はソロイストが合わせるのではなく、ソロイストにオーケストラをあわせるのが彼の役割だ。出過ぎてはいけない。

それでいてシドニーシンフォニーだけで演奏した モーツァルトの交響曲40番の音は死んでいた。何てことだろう。モーツアルトの数ある交響曲のなかで一番 輝かしいジュピターが、、、。もっと歌え もっと輝け、、、。どうして、このオーケストラが演奏してこの指揮者が指揮すると退屈な曲になってしまうのだろう。
せめて、シドニーシンフォニー常任指揮者 アシュケナージに指揮してもらいたかった。あるいは シドニーシンフォニーではなくて、実力一番のオーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)にやってもらいたかった。ACOに比べて シドニーシンフォニーは 国と自治体から団員に給料が出ている。明日、良い演奏をしなかったら客が入らず 収入なくして路頭に迷う立場に自ら追い込んで演奏活動している芸術家集団ACOとは まったく立場が異なる。30年間 ルーチンで演奏して定年退職して年金暮らしできるシドニーシンフォニーに、生きた音は 出せない。現に、この日、25年間ヴィオラを弾いてきた70歳を越える団員が、これが最後の舞台です といって花束をもらっていた。こんなことではアシュケナージを 引っ張ってきてもシンフォニーの空気を入れ替えることはできない。毎年オーデイションをして 新しい団員を入れ、古い順から首を切っていくくらいのことをしなければ良い音は出ない。

箱だけ大きくてシドニーのアイコンになっているオペラハウスは観光で一度だけ訪れて写真を撮る分には良いが、演奏を聴きに行くには世界で最低な設備だ。
オペラオーストラリアを支えてきたのは60代、70代の年寄りだ。なのに、階段転落事故が相次いで死者まで出て やっとエスカレーターがつけられたのが今年になってからだ。リフトは舞台用大道具を載せるリフトが1機あるのみ。開演前と休憩時間の 女性用トイレは ドアの外まで長い列ができる。手荷物預かりカウンターは 今回コンサート終了後40分たっても まだ引き取る人の列が並んでいた。終わっても、会場出口まで タクシーが入れないので、長い距離を歩いてサーキュラーキーまで出て タクシーを拾わなければならない。車で来た人は 駐車する前に料金を支払って入るのにも拘らず 出口が1本しかないため ノロノロ運転で駐車場からでるのに 大変時間がかかる。おまけに駐車料金が $32とは、高すぎる。なぜ、$150のコンサートを聴く為に $32の駐車料金を払わなければならないのか。 こんなオペラハウスに 10年あまり 月に一度は来て演奏を聴き オペラを観て来ている。オペラハウスの欠点をあげればきりがない。噴飯ものだ。
総じて、今回のコンサートでは 自己主張の強すぎるイタリア人指揮者と、シドニーシンフォニーの活力不足が残念だった。

しかし、五嶋みどりの独奏は本当に良かった。彼女の輝く音、ひとつひとつが よみがえってくる。本当にきれいな音だ。
みどりは11歳でズビン メタ指揮のもと、ニューヨークフィルハーモニーをバックに バルトークを弾いてデビュー 世界的センセーションを起こした。14歳のときに、タングルウッド音楽祭、レナード バーンスタイン指揮で、ソロを弾いている最中 ガット弦が切れたのに、演奏を止めることなく コンサートマスターのヴァイオリンを受け取り 演奏を続行、また弦が切れても あわてず またコンサートマスターから受け取ったヴァイオリンで独奏を弾き終えた。この英雄的武勇伝は、語り継がれ 現代の奇跡みたいになっている。

その頃、私たちは沖縄でヴァイオリンを弾いていた。幼稚園にはいったばかりの長女と、1歳年下の次女に、毎日毎日厳しい練習をさせる鬼の親だった。ヴァイオリンレッスンが厳しすぎて 小学校1年になった娘のノートに「いえでするときの もちもの」として「ハンカチ、ちりがみ、えんぴつ、おやつ、、、」とか あって、なかなか帰ってこない。逆上して探し回り、隣の家の庭に隠れている2人の娘を引きずり出して練習をさせたこともある。何で、あんなにムキになったんだろう。他にすることがなかった、、。友人も知人もいない沖縄で、本土人が孤立にあえいでいた、、。馬鹿な母親だった。娘達には どんなに謝っても 謝りきれない。

東京から沖縄へ、沖縄からレイテ島へ、レイテ島からマニラへ、フィリピンからシドニーに。いつも母娘3人 ヴァイオリンを抱えて移動してきた。しかし幼いとき習熟したヴァイオリンを 娘達が10代が終わるまで弾き続け、いろんな人に会い それなりに楽しんでくれたことが嬉しい。度重なる引越しで私たちは 環境が変わるごとに たくさんのものを失ってきた。しかしヴァイオリンを弾くという 誰もが簡単にできることではないことを持っていたことは、アイデンテイテイにも、自信のもつながったことだと思う。

五嶋みどりの母 節が育児書というか、天才ヴァイオリニストをどう育てたか、、、というようなものを書いた本を出している。弟の龍もいて、母として誇らしいだろう。しかし、その母がネックになって みどりが拒食症にどんなにか苦しんだか、ということは 本にはなっていない。

バネッサ メイも、ヴァイオリニストの母から、魔球を編み出した星投手の父親みたいな天才教育を受けて 世界的なヴァイオリニストになったが いまではお互いに憎しみ合い 楽屋に豚の生首を投げ込んだり 殺し屋を雇うほどの深刻な仲になっている。 

母と娘、、、強い絆は、互いを傷つけあう。ちょっと、ゆるいくらいの ほどほどが良いのだ。

2010年7月5日月曜日

映画 「ロウ」


オーストラリア映画、新作「LOU」を観た。
監督:べリンダ カイコウ(BELINDA CHAYKO)
キャスト:ロウ : リリー ベル テイングレイ
   祖父ドイル: ジョン ハート
   母 リア:エミリー バークレイ
妹達:チャーリー ローズと、エロイズ マクレナン

ストーリーは
オーストラリア ニューサウスウェルス州 ニューイングランド。
見渡す限り とうもろこし畑が広がっている田舎の小さな町。28歳のリアは、幼い3人に娘を抱えて 生活苦にあえいでいた。11歳のロウを筆頭に、3人の娘を捨てて夫が家を出て行って、10ヶ月たった。クリスマスが近いというのに、家賃の取立てに男達が来ると リアは3人の娘を連れて逃げ回らなければならない。田舎町、女一人の稼ぎでは 娘達はいつも空腹だ。

そんなわびしい暮らしが続く ある日、ソーシャルワーカーが 一人の年寄りを連れてくる。それは、リアと3人の子供を捨てて出て行った夫の父親 ドリルだった。アルツハイマー病に冒されていて、自分の息子の嫁や孫たちの記憶はない。この病人を収容する病院がないので、もし自宅で家族が世話をしてくれるなら、その為の生活資金を 自治体で出してくれるという。リアは、給付される金額を聞いて、1も2もなく老人を引き取ることにする。

ドリルには記憶がなく、意識が混乱しており自分の身の回りの世話もできない大きな子供のようなものだった。そんな年寄りのために、自分の部屋を提供して 自分は地下室で寝なければならなくなった長女ロウは 始めドリルが憎くて仕方がない。わざと辛く当たって 意地悪をする。
11歳のロウには 新聞配達で町からやって来る少年に淡い恋心を持っている。密かに母親のところに通ってくる母のボーイフレンドに嫌悪感を感じている。幼い2人の妹と違って、自分はもう大人の世界が理解できるようになったつもりでいる。

ドリルは家族の一員になり 次第に孫達の良い遊び相手になっていく。ロウも序序にドリルに対して 憎しみよりも哀れみ そして優しい気持ちを抱くようになっていく。ドリルは亡くなった妻がニュージーランドの先住民族マオリ出身だったので よくマオリの唄を歌ってくれる。ロウは海を見ながら、そのむこうにあるニュージーランドという国の夢をみる。父親の先祖だったと言うマオリの国が、まるで夢のように自由で美しい国に、思えてくるのだった。

真夏のクリスマス。
庭でバーベキューパーテイーが開催される。新聞配達の少年も 近所の人々もみなやってくる。変化のない日々の中で クリスマスは子供達にとっても大人にとっても特別な日だった。翌日、みんなで海に行く約束だったのに、母親は酔っていて、約束を守らない。怒ったロウはドリルと2人の妹を連れて バスで海に行って、一日遊んで帰ってくる。
一方、母親リアは ロウがどこに行ってしまったのか分からなかったので、ボーイフレンドと出かける予定だったのに 出かけられない。それが原因でボーイフレンドは リアを捨てて出て行ってしまう。泣き崩れるリアに、ドリルもリアも なぐさめの言葉もない。

ソーシャルワーカーが 様子を見に来て 家族がきちんとドリルの世話をしていないので、病院に戻すことにした と言う。ロウは、ドリルを連れて家出をする。何もわからないドリルは脅えて家に帰りたがるが、ロウは頑として ドリルと自由の国 ニュージーランドに渡るために、港町を目指していこうとする。
というお話。

年寄りと少女の逃避行が、哀しくて 美しい。
現実には逃げることは出来ないのだけれども 逃れようとする二人の姿が 泣かせる。
年をとった俳優、ジョン ハートが とても良い。妻に先立たれ アルツハイマーになり、何のよるべもない世界でポツンと、立ち尽くす男の孤独感をよく表していた。混乱してロウを妻と間違えたり 必死でロウに指輪を差し出してプロポーズする真摯な姿、嫁のリアのボーイフレンドに嫌悪感をむき出しにするところなども、良い。
母親リアが、夫に捨てられ、ボーイフレンドにも去られ、私はまだ28歳なのに、、、といって泣き崩れるシーンなど、とてもせつない。
しかし、初めて役者をやった というロウを演じたリリー ベル テイングレイの演技が際立っている。11歳の怒れる少女、、。怒らずにいられようか。右も左も八方塞がりの中で、それでも夢を見続けずには、いられない。生きることが即、逆境と戦うことを意味するのだから。そんな怒りの演技をとてもよく表現していた。

ロウは結局 連れ戻され母親を和解する。しかし、もどっても またロウは怒り続け、反逆し続けなければならないだろう。

  

2010年7月2日金曜日

オーストラリア初の女性首相 ジュリア ギラー


かりに ここに人気商売を営む社長が居たとする。
弁護士出身の優秀な妻がいて、右腕となってやってくれるので、仕事は順調そのもの。3年間、何事もなくやってこられた。ところが新しい税金対策で、ちょっと人気が下降気味。やばいかな、と思いつつ ある日職場に出てみると、100%信頼していた妻が社長の椅子に座っていて、副社長、腹心の者もすべてが妻の忠実な部下になっていた。おまけに、自分の席が会社から無くなっている。机も無ければ椅子も処分されている。たった、一晩で社長として提供されていた家も ただちに出て行かなければならないと宣告される。もし そんな立場に 自分がなったら、どうだろう?

オーストラリアの新首相 ジュリア ギラーの登場はこのようなものだった。何の疑念もなく信頼を置いていた副首相が、実は 裏で自分の支持票を集めていて、謀反を起こすなど、微塵も考えもしなかったケビン ラッドのショックの大きさは計り知れない。政治というものは そういうもの 昨日の味方は今日の敵、と言えばそれまでだが このような形で起きた オーストラリア初の女性首相の登場を 素直に喜べない。
フェアでない。彼女を人々が首相として信認した訳ではなくて、一連の政治劇の結果だった。

2007年12月 ケビン ラッドが首相の座についてから、彼は歴代のなかでも飛びぬけて 高い国民の支持率を 維持してきた。多い時は60%代、悪い時でも45%を下ったことは無かった。
就任と同時に アボリジニーの子供達を強制的に親から取り上げて 教会や白人家庭で教育を施した歴史を取り上げて、アボリジニーに正式な謝罪をした。また 地球温暖化、環境悪化の問題で、京都議定書に同意サインをした。13年間の長期にわたった保守自由党にあきあきしていた人々にとっては ケビンの登場は待ちに待った改革と新しい指針だった。
彼が資源会社の利益に40%の課税をする税制改革案を出すまでは、ケビンは人気者であり続けた。

オーストラリアの基幹産業は その豊富な地下資源にある。中国、インドなどの経済発展にともない、資源ブームが起きて、鉄鉱石、石炭、ガスなどの輸出企業は、笑いが止まらなかった。資源会社がすでに充分利益を得ていることから、この利益に課税して、富みの分配をして国内のほかの部門を強化する というのが、ケビンなど労働党の考えだった。

税制改革の趣旨は
1)資源から得た利益に 40%課税する。
2)各州は今までどおり採掘権料を徴収できるが 連邦政府は企業に対して その払い戻しを求めることが出来る。
3)法人税は現行30%から28%に引き下げ、中小企業を応援する。
4)年金は 雇用者負担を現行9%から、12%に引き上げる。
というもので、一般の働く人は賛成だと思う。趣旨の4では、今まで私が仮に100ドル 働いて稼いだとすると、雇用主は 自動的に私の年金口座に9ドル入れなければいけないところを 新案では12ドル入れてくれることになるわけだ。

要は 資源ブームに乗じて利潤を上げすぎた資源会社から高い税を取り 他の中小企業や労働者を援助する案だった。
当然ながら、資源会社は猛反対する。何度も首相と企業側との話し合いが持たれていた。

オーストラリアは世界で初めて 女性に選挙権を与えた国だ。そんなことは、ローマ人にもできなかった。マーチン ルターにもできなかった。トーマス ジェファーソンにもできなかった。男女平等の権利として女性に選挙権を与えたのが、イギリスから島流しにあった囚人たちで、建国したオーストラリアだった というのは愉快な話し ではないか。そんな国で、初めて迎える女性首相が、奇妙な政権争いの末にでてきた ということが、とても残念だ。

ジュリア ギラー英国生まれで、ウェルスで司法を学んだ。数年前、彼女が労働党入党の際、二重国籍でイギリス国籍を残していることが、問題になったことがある。3年前、ケビン ラッドに指名されて、初めての女性副首相に抜擢されたとき、テレビインタビューが自宅を訪れた。このときの様子をニュースで見た人々が、女性の家なのに、花1本、果物ひとつあるわけでない、およそ生活臭のない家を見てショックを受けた とかいう与太話もある。

オーストラリアは今年 総選挙をひかえている。
政局が流動的だ。ともかく、国のトップと、労働党のヘッドが ケビン ラッドから ジュリア ギラーに替わった。要は何が 変わったのか、ということだ。ジュリアはケビンとは、スタオルが違うと言う。政策は何も変わらないのに スタイルが変わるということは、何なのか、さっぱりわからない。課税対策は同じなのだろう。資源会社から40%の税金を徴収するのも同じなのだろう。でも、スタイルが違うということは、40%でなくて、主婦が40なら買わないけど39.8なら 思わず買ってしまうような気分で、39.8%にでもするつもり なのかしら。

首相の首の挿げ替えは、選挙対策だという。でも、ナンバー2が ナンバー1に隠れて票を集め 背後からつき落とすようなことをした政党が 果たして選挙で勝てるだろうか。
保守自由党の党首トニー アボットも、同じようなことをして、タンブル党首を抹殺した。トライアスロンに登場したり、水上救急隊で活躍してみたり すぐ裸姿をみせたがる。大嫌いだが、こんな男が、案外 今回の選挙で勝ってしまうのではないだろうか。
そうだとしたら、数ヶ月間だけの女性首相だった、ということになる。こんなことで良いのか。

2010年6月30日水曜日

W杯 日本が敗けたと思わない


サッカーに、判定勝ち判定負けというものが あったならば日本は判定勝ちしていただろう。
これほど気持ちの良いサッカーゲームをみたのは 初めてだ。
良いゲームとは、こういうゲームを言うのだろう。

6月30日、FIFA ワールドカップで ベスト16カ国の中に残った日本チームは パラグアイとの試合をした。
ゲームの様子は、シドニー時間では、深夜12時から実況中継された。最初から日本チームは 早いピッチで ボールにくらいつき、走りに走った。何度も何度もシュートをトライした。デイフェンスの良さ、チームワークには、目を見張るものがある。

90分試合で、決着がつかず、30分の延長戦。
そこでも選手達は、全く疲れを見せず、走り続けた。がむしゃらに 突っ込んでいって、ボールを 相手から奪う。
ひとりひとりの選手たち、本当に 立派だったと思う。結果など関係ない。良いゲームを観た後の 満足感がずっと、残っている。

私の職場では オーストラリアの縮図みたいに、沢山の国からきた人たちが働いている。
イギリス、オーストリー、イタリア、スペイン、ハンガリー、セルビア、チェコスロバキア、チリ、ガーナ、セオラレオーネ、フィージー、ネパール、香港、マレーシア、タイ、フィリピン、韓国、東チモール ちょっと、思いつく顔を 数えてみただけで、18カ国。
前回のワールドカップでは、イタリアが優勝したので イタリア人のナースが鼻高々だった。今年は日本もガーナも健闘していて、みな、仕事中、仕事そっちのけで 仲間の国をみんなで応援している。

今朝は、夜勤のみんなが、日本チームの活躍に沸いた。
みな自分のことのように、応援していて、チャンスがくるごとに私の肩をつかんだり、足踏みしたり、、。試合が終わって、皆が ジャパン、よくやった!!!と言ってくれた。負けた気がしない。本当に良い試合だった。

ゲームが終わって、外にでたら 今朝はこの冬一番の寒さ。
駐車していた車のフロントガラスが みごとに凍っていて、固まっている。
いつもは無口で気難しいセルビア人の 掃除のおじさんが、走ってきてホースで水をかけ、ガラスの氷を溶かしてくれた。おまけに、”ジャパン ウェルダウン よくやったぜーい”と、言いながら力強いハグ。
なんか、とても心温まって、誇らしくて嬉しい朝だった。

2010年6月23日水曜日

映画「瞳の奥の秘密」



アルゼンチン映画 原題「EL SECRETO DE SUS OJOS 」、英題「SECRET IN THEIR EYES」を観た。
監督:ジュアン ホセ カンパネラ
キャスト:リカルド ダリン、ソレダー ヴィリャミル、パブロ ラゴ。
第82回アカデミー賞 外国映画賞受賞作。
カテゴリーはサスペンス。133分。

ストーリーは
ブエノスアイレスの郊外、1970年代。結婚したばかりの若く美しい女性が乱暴され 残忍な殺され方をして発見された。同じ時間にアパートに、改築工事に来ていた二人の外国移民が逮捕された。
裁判所刑事ベンジャミンと、相棒パブロは 早速逮捕された犯人たちに会いに行く。犯人とされた彼らが 警察の自白強要によって犯人に仕立て上げられたことが明らかだった。しかし、警察が突き出した 移民たちを助ける為には 真犯人を逮捕しなければならない。警察は協力をしない。裁判所刑事達の捜査は行き詰まる。
ベンジャミンの上司、アイリーンは警察から出された証拠をもとに 判決を下し、事件を一件落着せざるを得なかった。

納得のいかないベンジャミンとパブロ、そして殺された被害者の夫、リカルドは必死で真犯人を捜し求める。
妻は殺される前に、アパートのドアを自分で開けた。犯人は知り合いだったに違いない。過去の写真や記録を洗い流し、3人は真犯人が 妻の昔の幼馴染 ゴメスをいう名の男だったことを突き止める。すでに 判決が下りてしまった事件の捜査は困難をきわめる。真犯人を捕らえるために、夫リカルドは仕事を辞めて 毎日駅に張り込みを続ける。その真剣な姿を見て ベンジャミンとパブロは 執念で、何度も上司、アイリーンに再審査を要求する。そして、彼らは、遂に真犯人の逮捕に成功した。裁判の再審を経て、犯人は刑務所に送られる。

喜びもつかの間、テレビニュースを見ていたベンジャミンは、実刑となり刑期を務めているはずの 殺人犯ゴメスが、ブエノスアイレスで、要人の護衛をしている姿を見て驚愕する。こともあろうに この殺人犯は銃を与えられて ガードマンとして雇われているのだった。警察上部の職務特権で決められたことなので、地方都市にいるベンジャミンたちには どうすることもできない。妻を殺されたリカルドとともに、歯噛みをするしかないのだった。
パブロが 耐え切れず酔って ブエノスアイレス警察と争いを起こした。その夜パブロはベンジャミンに間違われて プロの殺し屋に殺される。身の安全のために、ベンジャミンは仕事を辞めて、地方に逃れるしかなかった。そのためベンジャミンは 上司のアイリーンに恋心を持ったまま去っていった。

25年たった。
ベンジャミンは 25年前のこの未解決事件について 書き溜めたものを 本にまとめようと心に決めて、もとの職場にもどってくる。美しい上司アイリーンは 今は裁判長だ。会えば 昔の恋心が よみがえる。
ベンジャミンは すでに辺鄙な田舎に引っ越しているという被害者の夫リカルドに会いに行く。リカルドは荒れ果てた田舎屋にひとり住んでいた。その後、再婚することも無く、居間には若くして亡くなった 25年前の妻の写真だけが飾ってある。
リカルドの不審な様子、、、そして ベンジャミンはリカルドの秘密を知ってしまう。リカルドは、毎日一回だけ、水とパンのかけらを持って 離れの小屋に、行く。その先には、変わり果てた殺人犯が、、、。
というお話。

ベンジャミンを演じているのは、アルゼンチンで一番人気のある俳優、日本で言えば高倉健みたいな、または、渡辺謙、または浅野忠信のような人。とくにハンサムではないが、存在感がある。

133分と、長い割りには 内容が詰まっているわけではない。冗漫だ。ベンジャミンとアイリーン、25年前 互いに抱いていた恋心、かなわなかった恋が人生の終盤で再燃する。25年前の駅での別れのシーン、列車が動き出し、走り去る列車を追う女、、、。情景がセンチメンタルすぎて この同じシーンを繰り返されると もう、ベンジャミンが 笠智衆の顔に見えてくる。
カメラテクニック、自然描写、物語の流れの編集テクニックなど、すべてについて キレがない。全く持って、洗練されていなくてダサい。これが、アルゼンチン映画か。
無駄なシーンなど ひとつとしてないクリント イーストウッド監督の作品などに比べて そんな無駄ばかりのアルゼンチン映画がかえって ローカルなところが評価されて 外国映画賞を受賞したのかもしれない。

しかし、罪と罰という人間社会の永遠のテーマに触れている。
25年前の未解決事件を、どう自分なりに解決にもっていくか、ベンジャミンは事実を書き残すことによって 自分なりの結論を出したいと思った。 アイリーンは25年間待って いま やっとベンジャミンをとりもどした。
そして被害者の夫リカルドは 法で罰することが出来なかった殺人犯を自分で捕らえ罰することで、復讐を果たした。3人3様の これが 25年間の生き方だった。罪を問われなかった殺人犯を罰することが出来るのは 被害者を失って嘆く身内だけだ。リカルドは、生かさず殺さず 加害者を苦しめることで、きっぱり落とし前をつけた。

しょせん、人生は自己満足だ。自分が満足できる生き方をするしかない。他人がどう言おうが 法がどのように裁こうか、社会がどう判断しようか、自分が裁き、判断して生きることが 幸せなことにちがいない。
殺された妻は 夫に復讐して欲しいと願いながら 死んでいったかもしれない。でも、25年間 復讐し続けることを 望んだだろうか。案外、1年たったら、忘れて、夫に別の人生を歩んでいってもらいたい と思うのではないだろうか。夫を愛する妻として。

2010年6月20日日曜日

もう サッカーなんか 嫌いだ



サッカーは まれに見るアンフェアなスポーツだ。

FIFAワールドカップで 昨夜、日本はオランダに敗れ、カメルーン戦でとった1点と合わせて、1勝1敗。シドニーでは 土曜の夜9時半から、ゲームが同時中継された。国際試合に弱い侍ニッポン。FIFAワールドランキング 45位。試合運びが遅い。もっと走れ。もっと攻撃してくれ。
最後のデンマーク戦では 良い試合を見せて欲しい。勝っても負けても良い。良い試合をみせてもらいたい。
試合が 終わっても、世界中のコメンテイターが、これはこれは 良い試合でしたね、フェアプレイで、これこそがサッカーです と言われるような 程良く攻撃的なゲームをやってもらいたい。

日本 オランダ戦のあと、深夜から朝2時まで、オーストラリア ガーナ戦が行われた。この試合を見て、オーストラリアでは、サッカーからは大幅にファンが離れていったのではないだろうか。わたしも、もうサッカーなんか、嫌いだ!

試合が始まってすぐ、24分で チームの勝敗を握るハリー キューエルが、「相手の決定的シュートを手で止めた」というペナルテイーで 突然レッドカードで、退場させられた。あまりの突然の決定に、誰もが信じられない思いだった。スローモーションビデオを見ても、キックが偶然 キューエルの肩に当たったとしか 思えない。あと5センチずれて胸に当たっていたら、問題なかった。ものすごいスピードで、近くからキックされたボールを故意に、肩で妨害することなどできない 偶然当たった と考えるのが普通だ。イエローカードなしに、突然 文句なしのレッドカードだ。

最初のオーストラリア ドイツ戦で、チームのストライカー テイム ケーヒルが、レッドカードで、場外に出され そのあと2試合出場禁止措置をとられたかと思ったら、またしても 悪夢のレッドカードだ。テイム ケーヒルのレッドカードで 退場だけでなく その後2試合出場禁止という、処置にもびっくりした。

サッカーは、まれに見るアンフェアなスポーツだ。
たった一人の審判が全権を支配いて、審判に公正さを再考させることも 抗議することも違反になる。審判全権支配のサッカー試合に民主主義はない。たったひとりの審判に、良し悪しのすべてが決定されてしまう。選手達とともに、審判も走っているのだから、角度によっては 見えないところだって 誤解だってあるはずだ。人には間違いもあるし、人間の視野には限界だってある。だから、相撲には行司以外に、審判席があり 勝敗に疑問のあるときは 協議できるし、相撲の取り直しもある。テニスも ボールがライン上か、内側か、ビデオで確認して判断をすることができる。サッカーフィールドは 縦105メートル 幅68メートルの広さ。たったひとりの審判の判断が公正かどうか、どうやって、審判するのか。

もともとオーストラリアではサッカーはマイナー。何と言っても クリケットとフットボールが国民的スポーツだ。それでも 日本よりも弱かったオージーチームが 国際試合を重ねるごとに強くなって、今ではFIFAワールドランク20位になって、日本の大きく差をつけた。これから良くなって 若い人たちが育っていくはずだった、オージーチームを思うと、今回の試合には、納得がいかないし、残念至極だ。

2010年6月12日土曜日

映画 「ロビン フッド」




イギリス映画 新作「ロビン フッド」を観た。第63回カンヌ映画祭のオープニングに、上映された作品。
ロビン フッドは 中世イングランドの伝説上の義賊だ。 
いつの時代にも 義賊は人々から愛される。権力に楯突いて 権力者の独占する富を 民衆にばら撒いたりする。人々は抑圧者を憎むけれど、反逆する勇気や力を持たない。だからごく普通の人にとって反逆者は、時として、自分の代弁者であり、英雄でもある。鼠小僧、石川五右衛門、紅はこべ、ネッド ケリーなども人気者だ。

今まで ロビン フッドは、何度も何度も 映画化されてきた。1976年には、「ロビンとマリアン」という題で、ロビンをショーン コネリー、マリアンをオードリー ヘップバーンが演じている。デイズニーアニメの「ロビン フッド」は、キツネだ。1991年にはケビン コスナーがロビンをやった。
新作では、ロビンは オージーのラッセル クロウ、マリアンを これまたオージーのケイト ブランシェットが演じている。監督は「グラデイエーター」、「ブラック ホークダウン」、「エイリアン」を作ったイギリス人 リドリー スコット監督だ。

オーストラリアはその昔 イギリスで有罪を宣告された受刑者が送り込まれて できた国。もとはイギリス人とは言っても イギリス英語はしゃべらない。そんなオージー俳優ケイト ブランシェットに「エリザベス」その1も その2も演じさせて、アカデミー賞までオーストラリアに持っていかれてしまった。イギリスには英国女王を演じられる役者が居ないのかしら。まあ、それほどオージー俳優の質が高いということか。15年オーストラリアに住んでいるから という理由からかどうかわからないけれど ケイト ブランシェットは一番好きな女優だ。フィルムよりも、舞台を大切にしている本当の役者。育ち盛りの3人の男の子のお母さんとは思えない。本当に美しい女優だ。

ラッセル クロウも良い。同じオージーのニコル キッドマンがメデイアを嫌って  ものすごく高い塀と監視カメラで守られた家に住み、外出ごとにパパラッチを巻くために 同時に3台の車が家を出るようにして、パパラッチがそれを追ったとたんに ゴミ自動車に隠れて外出する というようなことをやっているのとは、違って、ラッセル クロウは何も隠さない。表も裏もない人。フットボールチームを持っていて その運営に財産をつぎ込んでいる 私生活でもマッチョな人なのだ。彼はこの同じ監督の「グラデイエーター」でアカデミー主演男優賞を獲った。体が大きいし、アクション映画が良く似合う。この人が 馬に乗って全力疾走させながら、両手で剣を持って敵に向かっていく姿は、まったくもって 黒澤監督の三船敏郎の姿に重なる。

ストーリーは
12世紀後半のヨーロッパ。
十字軍遠征中のロビンは 勇敢な戦士だ。腕も立つが、口もたつ。獅子王リチャードに、率直に「敵国を侵略するのは 仕方が無いが、無意味な殺戮はすべきでなない」と進言して、王の怒りに触れ 仲間とともに刑罰を科せられる。しかし、戦闘で獅子王リチャードは あっけなく殺される。王の死をロンドンにいる王子ジョンのもとに、知らせるための使いが、フランス軍の密使に襲われて全滅した。そこをロビンとその仲間が通りかかり、獅子王のヘルメットと白馬を奪い返す。虫の息になっていた使いの男は、ロクスレイといい 自分の父親から授けられた家宝の刀を父親に返してもらいたい とロビンに言い残して息絶えた。 ロクスレイの父親を思う姿に心をうたれ、ロビンと仲間は 彼の故郷のノチンガムに向かう。

ノッチンガムでは、年老いた盲目の父親が 息子の妻とともに、ロクスレイの帰りを待っていた。ロビンの報告は 息子を失ったノッチンガム領主の父親にとっても 夫を失った妻マリアンにとっても残酷な知らせだった。10年余りの間、男はみな十字軍に駆り出され、働き手の不在に農民達は 疲れきっていた。女達は農作業にやつれ果てていた。
ロクスレイ家で休養をしていたロビンに、やがて、父親は このまま居て 息子として家を継いで欲しいと、懇願する。帰る家がある訳ではないロビンは 乞われるまま ロクスレイ家に留まる。そしてマリアンを妻として 領主の跡取りとして農地の世話をまかされることになった。

しかし、ジョンが国王になると税のとりたてが厳しくなるばかりで 領主達は不満をつのらせていた。ジョン王はフランス人の王女を愛人にしており、裏ではフランス密使が暗躍、イギリス国の内部から すでに独立が蝕まれていた。フランス側の密使は 税の取立てに不満を持っている領主たちの反逆を助長して、イギリス内部から反乱と崩壊を画策していた。そして、遂にフランス軍は大挙して、ドーバー海峡を越え、イギリスに侵攻してきた。
ジョン王も、税の取り立てに抵抗していた領主達も力をあわせて、フランス軍に立ち向かう。激しい戦闘ののち、ロビンの指導力のもとで、戦果をあげ、イギリス軍の勢いに負けたフランス軍は退却を余儀なくされる。

ようやく他国の侵攻の危険が去った。しかし、時を移さずジョン王は、反抗的な領主達すべてを処刑するという暴挙に出た。ロビンはマリアンを伴い、仲間達を集めて、シャーウッドの森に入って身をかくした。
というお話。

ロビン フッドと聞いて、シャーウッドの森を拠点に 悪い金持ちから富を奪って 人々に分けて与える大泥棒を想像しているとちょっと違う。そうなる前のお話だ。どうしてロビンが シャーウッドの森に身を隠さなければならなくなったのかという事情を映画化したもの。
130頭の馬、500人の戦闘術に長けた戦死をエキストラに使ったそうだ。フランス軍の侵攻をくい止める戦闘シーンは 迫力満点。

この映画ではロマンチックなシーンがない。ロビンとマリアンとの結びつきが 普通の男と女の結びつきを越えている。
一度として関係を持たなかったロビンが死地に向かうときに、マリアンに向かって、これが人生の最初で最後という心を込めて アイラブユーと言い、それを受け止めながら マリアンがそっぽを向く。そのときの二人の間に流れる空気の密度の濃さに、思わず涙がこみ上げる。このとき二人は 他のどんな夫婦よりも 心で強く結ばれていたのだ。とても心に滲みるシーン。

やたら体が大きくて、無口で強い。無表情だが心は優しい。そんな、オージーの 代表選手みたいなラッセル クロウが、あまり好きじゃない人も、この映画を観て、「あ、、、頼りになりそう、こんなおとうさん欲しい」と思うかもしれない。無精ひげに白いものが混じるようになって ラッセル クロウ ますます良い味のある役者になってきた。

2010年6月10日木曜日

映画 「プリンス オブ ペルシャ 時間の砂」



映画「プリンス オブ ペルシャ 時間の砂」を観た。
監督:マイク ニューウェル
キャスト
プリンス ダスタン:ジェイク ギレンホール
プリンセス タミーナ:ジェマ アーターモン

9世紀 ペルシャ王国。
アクションゲームを映画化したもの。ふんだんにCGを使って チェイス バトル、壁を走って登り 建物から建物へと飛び移り 屋上から飛び降りながら敵を戦う アクションのてんこ盛りだ。大人気のゲームというのが うなずける。こんなゲームならおもしろいはずだ。
アクションの連続でいて 不思議と残酷さを感じさせない。みな きれいな英語を使って映画が上品に仕上がっている。さすが、ハリーポッターを作ったイギリス人監督 マイク ニューウェルだけのことはある。

ストーリーは
古代ペルシャ王国の国王には2人の王子がいたが、ある日 王が街に出た際に 一人の少年が 横暴な衛兵を相手に一歩も譲らない勇気のある姿を見て 連れて帰り養子にする。この少年ダスタンは 国王の3番目の息子として、他の二人王子と一緒に 分け隔てなく仲良く育てられた。人徳のある国王を3人兄弟は 心から敬愛し、王国を盛り立てていった。

3人のプリンスが成長し立派な戦士となったころ、伝説の聖地アラムート王国に 侵攻することになった。プリンス ダスタンの戦略が功を奏して アラムートの堅固な城壁を破る事が出来、アラムート王国を征服することができた。戦いの最中、ダスタンは 敵から美しい短剣を奪取する。
しかし、アラムート王家が降伏し、勝者ペルシャ王国の戦士達が祝宴を上げている最中に、こともあろうに、ペルシャ王国の国王が 毒殺される。その場にいたプリンス ダスタンに、嫌疑がかかり、ダスタンは追われる身となる。必死に追手から逃げるダスタンに、人質になっていたアラムート王国のプリンセス タミーナが後を追って逃げる。そして、ダスタンとタミーナの逃避行が 始まる。

ダスタンには何故 タミーナが追ってきたのか わからない。タミーナは ダスタンが奪った短剣を取り戻そうとしていたのだった。アラムート王国の国宝だったこの ガラスの柄の短剣は、時を繰る力が秘められている。この短剣をかざすと 時を巻き戻し過去に戻って 時をやり直すことが出来るのだった。
ダスタンは ペルシャ王国にもどって 敬愛していた父親を殺した真犯人を見つけ出し 自身の無実を証明しなければならない。そして、ペルシャ王国がアラムートを侵攻した歴史を過去にもどして もう一度やり直して あやまちを正さなければならないのだった。
というお話。

美少年俳優としてテイーンのアイドルだった ジェイク ギレンホールが 初めてアクションヒーローに抜擢されたことで、話題になっている。
ジェイク、29歳 アメリカ人。彼はこの映画に主演する為に 3ヶ月余り 英語の発音訓練を受けて キングイングリッシュを、話せるようにしたという。この映画では、サーの称号をもっている英国俳優 べン キングスレーが重要な役どころを演じているが ジェイクも同じようにきれいな英語を話している。
聞き比べれば英国英語とアメリカ英語は 聞き分けられるが、この映画では全員がきれいな英語を使っている という映画評を読んで 初めて ああ、そうだったんだ、と思い当たった。言われるまで気が付かなかったのだ。それでやっと、1分ごとに、名詞に ブラデイーや、F、、KINGをつけて話す癖ができている 汚いアメリカ英語の映画とちがって 映画が上品に仕上がっている訳がわかった。

ジェイクは 撮影に入る前、半年かかって 筋力集中トレーニングを受け、体重を5,5キロ増やしたそうだ。何千回もの 剣の立ち合いのトレーニングも積んだという。そんなトレーニングを積み重ねた結果 美少年俳優を脱却して、アクションヒーローに変身したわけだ。役者も楽じゃない。

ジェイクは 「ドニー ダーコ」では、うつ病の青年を演じ、「ゾーデイアック」では 殺人犯を追い詰める まじめ一方の新聞記者、そして、ヒース レジャーと共演した「ブロークバック マウンテン」では、ゲイの青年を演じて アカデミー助演男優賞のノミネートされた。目が大きくて どちらかというと、憂い顔のほうが 笑顔より似合っている。まじめでいつも真剣、唇かみしめていて、 今回の映画でも プリンセス タミーナとの逃避行で、二人して命の危険に身をさらしながら タミーナを、およそ、女として扱っていない。え、君、女の子だったの?と、最後の最後に、気が付くみたいなところが ジェイクらしくておかしい。
アクションでは、スタントマンを使っていないそうだ。何ヶ月もの訓練のおかげで 彼のアクションやチェイス バトルもなかなか 良くて 楽しいアクション映画だった。

アラニス モリセットが主題歌を歌っている。
それよりも、何と言っても ペルシャ王国の映像が美しい。風に砂が舞い、砂に模様を描き、音も無く そのすがた形を変える。砂漠の上から日が昇り、砂漠の上で日が沈む。砂漠の例えようも無い美しさ。
それにあわせた音楽が良い。「アラビアのロレンス」の世界だ。砂漠のシーンでは、映像も音楽も この監督は デヴィッド リーンのアラビアのロレンスを思い描いていたに違いない。
アメリカから来た新聞記者の、「どうしてあなたは砂漠にいるんですか」という問いに、ロレンスは「砂漠は清潔だから」と ひとこと答える。そんなシーンがよみがえってくる。ロレンスにとって、軍事戦略や 戦争や軍人としての英雄行為や、外交と言う名の利権 取引、そういった俗世間にはまったく興味はなく、ただただ、彼は砂漠を愛していたのだ。

伝説の時を繰る短剣。
ロレンスには、過去に戻って やり直したいことが沢山あっただろう。時を巻き戻すことのできる伝説の短剣があったなら、ロレンスは あんなにも早く 若くして死に急ぐことは無かったかもしれない。

写真は ジェイクのプリンス ダスタンと、コンピューターゲームのダスタン。

2010年6月7日月曜日

映画 「ドン ジョバンニ」


新作、イタリア映画「ドン ジョバンニ」(IO DON GIOVANNI)を観た。オペラ「ドン ジョバンニ」は モーツアルトによって作曲され、1787年に初演されたが、スペイン人で1003人の恋人を持っていたといわれるドン ジョバンニという伝説のプレイボーイをオペラ化したものだ。日本では、「ドンジョバンニ 天才劇作家とモーツアルトの出合い」という長い邦題で、公開されたらしい。

オペラとは 200年も300年も前に作られたものだ。華やかなヨーロッパの最高芸術の傑作の数々をいま、わたしたちは繰り返し観ている。大昔にできたオペラを観る人が 今もなお感動して 心洗われる思いをするのは、そこに真実があり、芸術家の魂がこめられているからだ。
この映画をみると、ドン ジョバンニというオペラがモーツアルトによって どんな時代背景のもとに、どのような過程を経て製作されたのかがわかる。イタリア語が耳に優しく バックに流れる音楽が良い。聴いて心地よく、観ていて素晴らしい作品だ。

監督:カルロス サウラ (CARLOS SAURA)
キャスト:ロレンソ:ロレンソ バルドッシ
     エミリイ:エミリア ヴェルジネリ
     モーツアルト:リノ グニシエラ
     カサノバ:トビアス モレッテイ

1763年 ヴェニス。
ロレンソ ダ ポンテは、詩人で作家、女たらしで、女泣かせだ。何と言っても カサノバの親友だから女たらしもプロ並みだ。また、イルミナルテイのメンバーでもある。子供の時から科学への強い探究心と、信念からカソリックの洗礼を拒否してきた。イルミナリテイが 教会から厳しく糾弾、弾圧されている時代だ。

ロレンソの素行が悪いとのことで、彼は遂にヴェニスから立ち退きを命令される。秘密結社イルミナリテイのメンバーのひとり、裕福な商人から、ロレンソは 一人娘のエミリアを紹介される。商人は自分が病気がちで、跡継ぎもいない。一人娘をロレンソに託して安心して死んでいきたいという。ロレンソは 娘に会って、一目で恋に陥る。しかし、ヴェニス立ち退きを前に、妻を持つ身分ではない と言い残して ロレンソは単身 ウィーンに向かう。

老作家で、名の知れた親友 カサノバの紹介で、ロレンソはウィーンで活躍する作曲家サリエリに会いに行く。サリエリに オペラの台本書きとして雇ってもらえることを期待して出かけていった教会で、ロレンソは若いモーツアルトに出会う。同じ年頃のロレンソとモーツアルトは すぐに 出会って親しくなった。
モーツアルトは このとき、死の数年前。若く才能をもてあましていた。作曲した作品は評価されず、妻コンスタンチンとともに、貧困にあえいでいた。その日の生活のために、教会でオルガンを弾き、貴族の娘達にピアノを教えなければ ならなかった。

サリエリは 宮廷からオペラを作るように命令をうけていたが、思うような作品が作れずに、名前だけを自分のものにして、モーツアルトにオペラを書かせようと画策していた。
ロレンソは、親しくなったモーツアルトに 新しいオペラの構想を次々を出してモーツアルトと共同でオペラを製作し始めた。モーツアルトは 眠る時間を作曲のために費やしながら 残る命のともし火を燃やすようにして作品を作っていく。
ロレンソには どうしてもドン ジョバンニを完成させて成功しなければならない理由ができた。ヴェニスで一目会って、恋におちたエミリアがロレンソを頼って ウィーンに出てきたのだ。
一方、オペラの数々のアリアを作曲している最中、モーツアルトには、父親の死という 悲報が届く。自分を音楽家として育ててくれた尊敬すべき父親を失い その死にインスパイヤされて、とうとうモーツアルトはオペラを完成させる。

1787年 プラハ国民劇場での初演、国王、皇族の前で、モーツアルト自身が指揮する。オペラが終わって、満場の観客は、静まり返って王の判断を待っている。否か是か。オペラは成功だった。 
というお話。

映画の主役はロレンソとその恋人エミリアなのだけれど、彼らの出合い別れ、そして再会する筋書きに、平行して、登場する大物達がすごい。モーツアルトと妻コンスタンチン、サリエリ、王族、貴族たち、美しいオペラ歌手たち、そして、老いてなお魅力あるカサノバなどが、それぞれ主役でもある。

モーツアルトの無邪気で自由奔放な姿に心うたれる。
オペラのなかのひとつひとつの曲がうかびあがってくると、夢中で自ら歌いながら作曲をする。そうしているうちに熱にうかされた病人のように曲にのめりこむシーンなど、芸術家の熱が伝わってくるようだ。31歳のモーツアルト。4年後にリューマチで死ぬ。生活苦のなかで、邪気など全く無縁で、純真であり続けたモーツアルトの短い一生を思うと ただただ 痛ましい。

ジアコモ カサノバは、ヴェニス生まれの作家。
実在の人物でドン ジョバンニばりのプレイボーイだった。1976年、フェデリコ フェリーニが ドナルド サザーランドを主役に使って 映画「カサノバ」を作っている。このころのドナルドは本当に美しかった。
2005年 ヒースレジャーが 映画「カサノバ」を演じた。貴族から修道女から人妻にいたるまで放っておけない。カーリーヘアーのヒース レジャーがカサノバになると 女たらしも おちゃめで可愛い。当時のヴェニスの人々の暮らしぶりを彷彿をさせる楽しい映画だった。

そのカサノバが この映画では年老いても魅力的な老紳士の姿で、オーストリア人俳優、トビアス モレッテイが演じている。知的で深みのあるカサノバだ。
わたしはこのトビアスが大好き。過去15年間 テレビの人気番組「インスペクター レックス」で 毎週顔を見てきた。15年間やっている長者番組というわけではなく、SBSでは何度も何度も同じシリーズを繰り返して見せるので もう前に見てしまったのに、繰り返して見ているのだ。レックスとは、ジャーマンセパードの警察犬で、ウィーン警察殺人課所属。頭が良くて 鼻がきくので、殺人犯人を必ず見つけ出して捕まえてしまう警察犬なのだ。

ウィーン観光庁が スポンサーしているテレビフイルムなので、毎回殺人が起きる場所も、宮殿やウィーン国立博物館や、ウィーンオペラハウス、国立バレエ学校、ウィーン駅だったりして、観ているとウィーン観光ができる。刑事達が住むウィーンのアパートも、石作りの古い歴史的な重みのある建物だ。そのレックスの持ち主で殺人課刑事を このトビアス モレッテイが演じている。本当に犬が好きな人にしか わからない犬語をちゃんとわかっていて、彼も犬も演じていると思えない自然さだ。
レックスを演じている犬が むかし持っていた犬にそっくりで、番組を見始めると 目が離せない。走り方も、匂いの嗅ぎ方も 甘え方もそっくりだ。そんなわけで、トビアスが、ドイツ語でなくイタリア語で 実際年齢より老け役でこの映画に出ていて うれしい。テレビでみても映画でみても良い俳優だ。この映画で、彼が一番光っていた。

2010年5月31日月曜日

オーストラリア日本の調査捕鯨を国際提訴




5月28日、オーストラリアの外相ステイヴン スワンは、「南氷洋での日本の調査捕鯨を止めさせる為にオランダ ハーグの国際司法裁判所に公式に提訴する。」ことを発表した。
2007年 労働党のケヴィン ラッドが政権交代したときの 選挙公約のひとつが、やっとのことで実現することになった訳だ。遅すぎる決断ともいえるが ようやく実現することになったことを評価したい。世論調査では オーストラリア人の ほぼ100%が捕鯨に反対している。あたたかい海で出産したクジラが エサを求めて空腹の長い旅をして オーストラリアを通り過ぎて南極を回遊するときに、はるばる遠く日本からきた捕鯨船に捕まり殺されるのではたまらない。冬の晴れたボンダイの高台で クジラが潮を吹く姿が頻繁に見られる。クジラはオーストラリア人にとって天然のペットのようなものだ。海洋動物は私たちと、これから生まれてくる人たちとの共通の財産だ。長いこと絶滅の恐れがあるとされ、保護対象として討議されてきたザトウクジラやナガスクジラなどを、獲って食べるべきではない。

国際捕鯨委員会(IWC)が、この6月にモロッコで開催され、日本の調査捕鯨について 話し合いが続行される。それに先立つ4月、対立が膠着したままのオーストラリアと日本の関係を 打開するために、議長の改定案が出されていた。改定案では、日本の南極海での日本の調査捕鯨で、「捕獲枠を 年間205-410頭まで、と従来の半分以下にし、日本沿岸の捕鯨を年120頭まで許す」というものだが、これに対して日本側も、オーストラリア側も受け入れを拒否していた。オーストラリアは、一貫して調査捕鯨も商業捕鯨も認めない立場だ。

1972年、国連人間環境会議で、商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)を米国が提案、1982年に、IWCでモラトリアムが採択された。2年後の1984年に日本が南極海鯨類捕獲調査計画を開始、以降、国際的な批判をあびながら日本は調査捕鯨という科学の名をつけた商業捕鯨を続けている。

私は 野生動物保護の立場から、商業捕鯨にも調査捕鯨にも、沿岸捕鯨にも反対だ。日本は、世界中から顰蹙をかっている「クジラを食べる野蛮人」というレッテルを返上し、捕鯨を中止し、国際社会と協調すべきだ。捕鯨ひとつのことで、国際社会から孤立している姿をはっきり認識しなければならない。そして、日本の独自文化の尊厳を取り戻し、知性ある外交での国際間のリーダーシップを持つべきだ。

調査捕鯨にも商業捕鯨にも沿岸捕鯨にも反対な理由を以下にあげる。

1)他に蛋白源となる食品が豊富な日本で 鯨肉を食べ続けなければならない理由がない。鯨肉を食べるのは日本の伝統文化だという歴史的事実はない。都市に住む多くの日本人が鯨肉を食べ始めたのは敗戦前後の食糧難の時期だった。鯨肉が日本人の蛋白源だったという歴史的事実はない。

2)和歌山県太地町、北海道網走市、宮崎県牡鹿地区など、一部の日本沿岸に残されている鯨漁は伝統的遺産であるが、現在、この地域の経済基盤が 唯一鯨漁に依存しているという事実は 全くない。

3)海は誰のものでもない。そこに、生息する野生動物を 世界の顰蹙を受けながら日本だけが 殺して食べ続けて良いとは思えない。野生動物は、殺されて人の食料となる家畜とは全く異なる。

4)殺生方法が残酷きわまる。日本側は度重なるIWCからの 殺生方法についての批判に対して、「瞬時に殺している」と弁明しているが、逃げ回る鯨をモリで突き、力尽きるまで泳がせて引き上げて、殺している。沿岸鯨漁では 岸に追い込んで一昼夜網で囲み、突き棒で一頭一頭殴り殺している。鯨やイルカなど、自由に大海を泳ぎまわっていた野生動物を、瞬時に殺す方法などあり得ない。

5)調査捕鯨予算の多くは 捕鯨した鯨を市場で売った利益で資金ぐりをしていることが明らかになっている。これでは公正で科学的な調査研究ができる訳がない。科学の独自性 独立性もない。科学と言いながらIWCが評価できるような科学的研究発表が、なされていない。科学の名を借りた悪辣商売だ。

6)鯨やイルカなど大型海洋動物は、水銀汚染されているので食用にすべきではない。厚生労働省でさえ、鯨肉の摂取は週40グラム以下にすべきだと言っている。現実に和歌山県太地町で鯨肉を食べてきた住民の毛髪から日本人平均の10倍を超える水銀が検出され、WHOの安全基準を超えていることがわかっている。危険とわかっている食物を妊婦や子供に食べさせてはいけない。

以上だ。今後の政府とIWCの行方を見守っていきたい。

2010年5月26日水曜日

カストラート 男か女か



セシラ バルトリのDVDを買ってきて聴いた。1966年生まれのイタリア人 メゾソプラノの歌手。
DVDの題名は「SACRIFICIUM」、サクリファイは、生贄とか、犠牲にするという意味だから、いけにえとか、犠牲者達という意味だと思う。テーマはカストラートで、歌うために自分の体を犠牲にしてきた歌い手が歌った数々の歌を、彼女が男装して歌っている。

個人的には セシラ バルトリが生まれながらにして女性なのか、トランスジェンダーなのか、レスビアンなのか、両性具を持った人なのか知らない。自分がどの性を選択して生きるか 決めるのは自分だけだ。男か女かどちらの性を生きるか 社会的に人々の理解と認識の幅も 広がってきた。愛のあり方も、LGBT:レスビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛)、トランスジェンダー(性同一障害者)の人々が、どんな選択をしながら生きていくか 男女に関係なく人権問題として、とらえ、人として尊重されるようになってきている。 今後、生物学的に100%女でも 男として社会的に生きていく というようなことも そしてその為に戸籍を書き換えることも許容されるようになっていくだろう。世界の動きとしては ようやくそんな方向に向かっている。だから、セシル バリトリが男でも女でもいいんだけど、本人が女性であると認識しているから、それに従う。でもDVDを観ていると、肩のいかつさ、背の高さ 平たい胸など、男のようで、かつてのカストラートの姿を彷彿とさせてくれる。 転がるような軽やかで美しい声で、とても音符のたくさんある 教会音楽の難曲を歌っている。

カストラートとは、変声期を迎える前の男の子を去勢してボーイソプラノの高音を歌う能力を維持したまま成長した歌手をいう。
18世紀前の教会にとっても、オペラにとっても、なくてはならない存在だった。はじめは 変声期前のボーイソプラノの歌手が事故か病気で睾丸を失くしたために、その後も声変わりすることなく美声を持ち続けたことが切っ掛けだったと思われる。それがイタリアルネッサンスにより解剖学や医学の発達とあいまって 安全に睾丸除去する手術が行われるようになった。
ボーイソプラノは 歌い手の体が小さいので高音が美しいが、声量がない上、持久力もない。テナーは高音が出ない。ボーイソプラノとテナーのギャップを埋める歌手が必要だったのだ。

教会にカストラートが登場したのが1599年のローマ。その後、300年間。女がしゃべったり、歌ったりすることが禁じられていた教会で、カストラートは活躍する。オペラの世界では 約200年間存在したあと、18世紀のボルテールやルソーの啓蒙運動や フランス革命による女性の進出などとともに、法的に禁止され、消えていった。

カステラートがもてはやされたピーク時には、毎年4000人もの10歳前後の男の子が 去勢されたと言われている。幼少のベートーベンは、ボーイソプラノの歌い手として類稀な才能をもっていたので、当時カストラートになることを期待されたが、作曲家だった父親は反対し、彼に楽器の名手になることを望んだ。
カストラートの中には 王家や貴族、大富豪のパトロンをもって 一代で財をなした歌手も多かった。カストラートのための音楽教育も盛んで、べカント唱法、バロック音楽のスピカート、コロラドーラなどを習い、文字通り天使の歌声といわれた。
現在私たちが発声練習に使っているソルフェージュは、カストラートを教育育成する為の教科書だ。

カストラートの第一人者は ナポリ生まれの カルロ ブロスキ(1705年ー1782年)で、彼はシニュール ファルネリと呼ばれていた。彼の音域は驚くべきことに 3オクターブ半あったといわれている。彼は 王侯貴族に愛されるだけでなく 女性からも愛された。歌うために睾丸除去されていても、性交渉には問題がなかったために、恋人もたくさん持っていたようだ。

題名は忘れたが 古い韓国の映画で、貧しい芸人の家に生まれた美声を持つ娘が 父親に薬で両目をわざと失明させられる というお話の映画を観た。健康な目を潰されたのは 見えないほうが 音楽に集中して、良い芸を身につけられるからだ。そんな風にして厳しい父親から芸を叩き込まれた娘が何年も何年も三味線をもって、旅をする。その旅の果てで同じように失明させられた弟と出会うという 哀しい哀しい話だった。
篠田正浩監督の「はなれごぜおりん」という映画も 思い出した。盲目で生まれた女達が集められ、唄と三味線を教えられて放たれる。芸を身につけた女達は 村からむらへと芸を披露しながら旅をして 一晩の宿のために身をひさぐ。叙情的な美しい映画だった。

音楽のために カストラートになったり、盲目にされたり、まことに、人々は美を求めてサクリファイしてきたものだ。

DVDの曲名は
Nicola Porpora
Come nave in mezzo all'onde

Nicola Porpora
Sinfonia

Francesco Araia
Cadro ma qual si mira

Nicla Porpora
Parto ti lascio o cara

Nobi onda

Usignolo sventurato

Riccardo Broschi
Son qual nave

Gerge Frideric Hndel
Ombra mai fu

2010年5月25日火曜日

わたしの2010年上半期 映画ベストテン




1:「終着駅 トルストイ死の謎」 原題 ザ ラストステーション
    3月29日映画評
2:「剣岳 点の記」
    4月24日 映画評
3:「インヴィクタス 負けざる者たち」
    2月12日映画評
4:「アバター」
    12月26日映画評
5:「シャッターアイランド」
    3月15日映画評
6:「ハートロッカー」
    2月22日映画評
7:「マイレージ マイライフ」
    2月17日映画評
8:「南極料理人」

9:「アリスインワンダーランド」
   3月12日 映画評
10:「蟹工船」

2010年5月22日土曜日

わたしの2010年上半期漫画ベスト10




まだ5月が終わってないのだけど、今年の上半期に読んだ漫画のなかで おもしろかった順から並べてみた。

1:「バガボンド」 井上雅彦 1-32巻
2:「聖おにいさん」 中村光 1-4巻
3:「テルマエ ロマエ」 ヤマザキマリ
4:「竹光侍」 松本大洋 1-8巻
5:「宇宙兄弟」小山宙哉 1-9巻
6:「神の雫」 オキモトシュウ 亜樹直作 1-24巻
7:「青い春」 松本大洋
8:「ちはやふる」 末次由紀 1-8巻
9:「働きマン」 安野モヨコ 1-3巻
10:「源氏物語 あさきゆめみし」 大和和紀 1-7巻
10:「ドラゴン桜」 三田紀房 1-21巻

1:「バガボンド」1ー32巻 継続中
宮本武蔵を描いた作品。この作家ほど人物描写がうまい作家は他に居ない。絵が とても美しい。ストーリーの作り方も上手だ。他の漫画家から抜きん出て居る。
宮本武蔵が切り捨ててきた 数々の剣士達、一人一人が忘れがたい。32巻まで読んだが 第一巻からしっかり記憶に残っていて 感動がよみがえってくる。
「スラムダンク」で、高校生だった当時のファンたちと共に 成長してきた作家自身が 今度は武蔵とともに成熟し、作家としてゆるぎない地位を築いた。この作品を書くと同時に、全くジャンルの違う「リアル」のような 内容の濃い漫画も同時に連載している。本当に、力量のある作家に違いない。

2:「聖おにいさん」1-4巻 継続中
とにかく おもしろい。ページをめくるごとに 笑える。
イエスとブッダが二人して 地上に降りてきて高円寺のアパートで、一緒に暮らしている。今まで作家が取り上げなかった宗教を題材に漫画にしているが けっしてブラックジョークやシニカルにはならないところが良い。若い人らしく軽快に楽しい笑いを取るところが 爽やかだ。作家が実に 笑わせる芸に長けている。

3:「テルマ ロマエ」継続中
2010年漫画大賞受賞作品。
時は、紀元前。建国から800年ローマ文化の爛熟期。
ローマ風呂の技師ルシウスは、仕事に熱心なあまり、昼も夜も考えることは風呂のことばかり。仕事熱が高じて 現代の日本にタイムスリップしてしまう。まじめな顔のルシウスが、ローマ時代から 今の日本にくるごとに、驚愕する姿が おかしくてたまらない。ローマ人の風呂好きと日本人の風呂好きが、こんなに相似点で結ばれているとは、、、。
日本の銭湯にワープして「平たい顔族」(日本人のこと)や、一枚板の鏡やフルーツ牛乳に感動する姿には笑ったが、猿が浸かっている温泉にワープしたり、個人風呂ニワープするごとに、ストーりーが広がっていく。日本の風呂に突然、ルシウスが現れるたびに 日本人が大して驚きもせず ルシウスを自然に受け入れて あれこれ世話をする姿が本物っぽくて、すごく笑った。作家は とても頭の良い人だ。

4:「竹光侍」1-8巻 完結
絵にこだわる松本大洋の作品。瀬能宗一郎は、人里離れた山奥で 幼い時から厳しい父親に剣の道を教えられて育った。しかしある日、送り込まれた刺客によって 両親を失い独りきりになる。そこで、父親の形見の剣をもって、江戸に出る。目明し(御用聞き)親分に拾われて、かたぎ長屋で 子供達に読み書きを教えて、暮らすが 次々と現れる侍や殺し屋に、関わりあうことになる。遂に、命をかけた真剣勝負をすることになるが、彼は最後まで、自分がどうして人々から狙われるのか 知らずにいる。
おっとりした狐顔の宗一郎がとても良いが いったん剣を抜くと、別人に豹変する姿など、描き方が迫力満点だ。

5:「宇宙兄弟」1-9巻 継続中
宇宙飛行士になることを夢みて 成長してきた二人の兄弟、南波六太と3歳年下の南波日々人。日々人が一足先にNASAの職員となり、日本人ではじめて月面に立つことになった。
よく出来て、素直で性格も良い日々人に比べて、何をやっても冴えない兄の六太が、がんばる兄貴の姿に、自分を投影して、つい六太を応援したくなる。

6:「神の雫」1-24巻 継続中
味わい というものに これほど深さと多様さがあるとは、、、。
これを読んでから ワインの飲み方が変わってきた。神咲雫や、遠咲一青のように、微妙な味を味わい、香りを理解することはできないが 今までよりも 慎重に味わうようになった。何となく 人物のつながりと結末はわかってきたが、これからも出てくるワインの数々を見てみたい。

7:「青い春」 松本大洋 短編集
一つ一つの短編が、それぞれ違う味で、独立しながらキラキラ輝いている。

8:「ちはやふる」1-8巻 継続中
全く興味も知識もなかった百人一首 かるたとりの世界をちょっとだけ知ることが出来て、興味の幅が広がった。「ヒカルの碁」で、碁をちょっとだけ齧り、「ダービージョッキー」で、競馬のことが すこしだけ分かるようになった。漫画で得る知識もばかにならない。
若い女の子が ひとつのことに一生懸命になっている姿はいつ見ても 好ましい。主人子の綾瀬千早が、自然体でとても良い。彼女をとりまく男の子達も、清々しい。

9:「働きマン」安野モヨコ
雑誌社に勤める女の子。編集長になって 自分の思いどうりの雑誌を作りたい。そこまで登りつめるために仕事で徹夜も平気。気のあったボーイフレンドもいるけど お泊りよりも仕事第一。若い男の新人などの何倍もバリバリ働く女の子。マスコミ界にいたことがあるから「シメキリ」の4文字の怖さを知っているし、この女の子に共感するところもある。でも、現実はもっと過激かもしれない。実際編集長を務め 男性社員を叱咤しながら働いて、さらに家族を持っている立派な女性を何人も知っている。もっともっと、本気で働く女性が漫画で描かれて良いのではないか。

10:「源氏物語 あさきゆめみし」1-7巻、完結
随分昔に 発表されたらしいが、初めて手にした。絵が美しい。光源氏の描き方に好感をもてる。

10:「ドラゴン桜」1-21巻 完結
何が何でも 教え子を東大に入学させようとする 龍山高校の桜木健二先生が 押し付けがましいが、ばかくさくて、おもしろい。

2010年5月18日火曜日

映画 「コンサート」


映画 「コンサート」を観た。ルーマニア人監督による映画。日本では「オーケストラ」という題で公開されている。どうして「コンサート」という題が日本にいくと「オーケストラ」という題の映画になるのか そのままの題では何故いけなかったのか、わからない。
監督:ラド ミハイル
キャスト
アンドレ フイリポフ指揮者:アレクセイ グスコフ
ヴァイオリニスト アンナマリ:メラニー ローレント

ストーリーは
25年前 アンドレ フィリポフは、ボリショイオーケストラの常任指揮者だった。スターリニズムの嵐が吹き荒れる頃、彼は 命令に背いてユダヤ人演奏家をオーケストラから排除せず、中心メンバーとして演奏させたことで、当局から糾弾され、職から追放された。
生活のために、今はボリショイ劇場の掃除夫をしている。

ある日 他に誰も居ない 劇場のマネージャーの部屋を アンドレが掃除している最中、ファックスが届いた。パリの シャタレー劇場からだ。そこには、ロスアンデルス フィルハーモニーが 事故のため急に来られなくなったので、代わりにボリショイオーケストラに来てもらえないか という打診だった。
アンドレは、これは神の啓示ではないか、と思い立つ。ファックスを握り締め、昔の仲間を呼び集める。アンドレと共に 解雇された演奏家達は 散々になっていて、それぞれが生活のために、汲々としていた。タクシードライバー、引越し屋、商売人、カフェ経営者などなど、、、かき集めた仲間で オーケストラを編成して、パリに行く、、、そんな夢のようなことにために、皆一致して、金策に走る。そして、いよいよ、新ボリショイオーケストラはパリに向かう。

アンドレは、パリに住む 25歳の美しい、新鋭のヴァイオリニスト、アンナ マリーに独奏を依頼していた。様々な困難を 克服して、アンドレは 何が何でも パリでアンナ マリーにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾かせなければならない理由がある。
アンドレと アンナ マリーは一体どういうつながりがあったのか?
と、いうお話。

ファックスを受け取ってからの アンドレの燃えるようなエネルギー。コンサートの場所はパリでなければならないし、独奏者は アンナ マリーでなければならないし、曲は絶対に チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトでなければならない。それでなけれな 彼の人生は完結しない。

そんなアンドレの気持ちとはうらはらに オーケストラのメンバーの お気楽さ。クラリネットも、ヴァイオリンも、フレンチホーンも、売り飛ばしてしまった 元団員が25年ぶりに、音楽を始めるのだから どんな様子か、それは笑える。田舎者でウォッカ漬けのロシア人が沢山集まって パリの街頭に出れば、どんな醜態をさらけ出すか、それも笑える。全員が リハーサルなど、そっちのけで、街頭やカフェで、演奏して小銭稼ぎに、走り回る。それで得た金で飲んだくれる。

一方では 解雇された指揮者と 両親を知らされずに育った25歳の孤独なヴァイオリニストの哀しい哀しいお話。でも、こころ温まるストーリーなのだ。見ていて、ついつられて涙が出た。でも、それは画面がどうあれ、チャイコフスキーが、劇場いっぱいに鳴り響いていたから、という単純な理由だ。

話としては、おもしろい。ボリショイオーケストラで、名声高い指揮者がいまは、掃除夫。それがパリから届いた一枚のファックスで かつての栄華をとりもどす。胸のすくような お話だ。
それに、パリ育ちの美貌のヴァイオリニスト 彼女は孤児で 何やら不遇の指揮者と関係があるらしい。ぞくぞくする謎めいた展開。
そして、音楽も良い。何と言っても チャイコフスキーの曲の数々。素晴らしい。

しかし、こんな映画を見てはいけない。時間と金の無駄だ。
ありえないお話だ。非現実的すぎる。全く、音楽をやらない人が作った 作り話だ。オーケストラを解散させられ、解雇され、生活のために楽器を売ってしまった団員達が、25年後に集まって借り物の楽器で すぐにチャイコフスキーが演奏できるわけがない。
映画では、みな団員達は飲んだくれてリハーサルさえ なしだ。あり得ない。プロでさえ、コンサート本番をひかえると、毎日5時間6時間と、練習をして、その上 何時間ものリハーサルを繰り返すのだ。本当の演奏家たちを馬鹿にしてはいけない。チャイコフスキーを愚弄してはいけない。

それと、主演女優の大根ぶりは、見るに耐えない。どうしてヴァイオリンを弾ける人を使わないのか。若く美しいヴァイオリニストは星の数よりも居る。音大に足を運んでみたら、チャイコフスキーのさわりくらい弾ける美しい女はいくらでもいただろう。それほど美しくも、名もあるわけでない女優にオーケストラをバックに独奏者としてヴァイオリンを弾く「ふり」をさせるなど、愚かで見苦しい。キラキラ星が弾けるようになった子供でさえ、この映画を見れば この女優が弾いているふりをしているだけだ ということがわかる。情けない。
こんなつまらない映画、見るべきではない。

2010年5月9日日曜日

母の日のクロエ物語



オプトメトリストをしている娘が 母の日に大きな深紅の薔薇の花束を抱えて持ってきてくれた。素晴らしく高貴な香りに、部屋中が満たされている。
獣医をしている娘から、生の声が吹き込まれている 母の日のカードが送られてきた。生後7ヶ月の赤ちゃんの声も一緒に録音されていて、楽しい。
世界でいちばん幸せな母親だと、心から思う。

その母の日の前日、失踪していたねこが 帰ってきた。二重の喜びだ。宙に浮いていた心がやっと自分の体にもどってきた感じ。シャンパンを開け、久しぶりでよく眠れた。

今年の1月19日に 愛猫オスカーに死なれた。17歳という高齢だったから、仕方がない と言えば言えるが 食べ物を受け付けなくなっても、1ヶ月近く生きて、死ぬ直前まで 甘えて膝の上に乗ってきた。最後まで美しく 愛らしい子だったオスカーを思うと 失った今でも涙があふれてくる。

その後、獣医の娘が クロエという4歳の真っ黒な猫を連れてきた。
ニューカッスルの もと飼い主は 新しく犬を飼う様になって 犬と相性の悪いクロエを手離した。しばらくは、動物病院のシェルターで 新しい飼い主を待っていたが いつまでもは待てないから、いずれは処分せざるを得ない。そんな立場の沢山居る猫たちの中から 穏やかで私たち夫婦に 飼える様な性格の猫を選んで連れてきたわけだ。

そうしてクロエは うちの新しい家族になった。
とても恥ずかしがりやで いつも押し入れや、ベッドの下に隠れている。夜になると 出てきてちょっとだけ甘えて、与えられた食事が済むと サッサとまたベッドの下にもぐりこむ。私たちが、家の中にいるときは、四六時中 私たちの足元にくっついて離れなかったオスカーに慣れていたから、クロエの態度には拍子ぬけだった。2週間たっても、クロエはあまり甘えてこない。
日曜の夜 私たちが寝室に行く時、クロエはいつも少しだけ開けてあるガラスドアから外に出て、ベランダに居た。猫は外の空気が好きだから それを気にもとめなかった。が、それが クロエを見た最後だった。

次の朝 食事に呼んでも出てこない。ベランダは、13メートルの細長い形をして、外に面していて、緑の林が真正面に続いている。その奥は6面のテニスコートが広がっている。朝 様々な鳥の声が騒がしいほど自然豊かな風景だ。アパート全体が斜面に建っているので、2階だが、4階くらいの高さだ。
とても猫が飛び降りられる高さではない。落ちたら 猫でも怪我をする。ベランダに、隙間があるので両隣の家にも、猫なら行ける。オスカーもよく となりの家のベランダに出張して行って、籐の椅子が涼しくて気持ちが良いのか、よく隣の家の長椅子で眠っていた。だからクロエが居なくなっても あまり気に留めなかった。そのうちに、おなかが空けば帰ってくるだろう と。

月曜の夜に帰ってこないので あわてた。クロエは失踪したのだ。
両隣の家族は 知らないという。あわてて娘に連絡して、クロエの失踪届けを出してもらった。オーストラリアでは すべての小動物のペットに 飼い主はマイクロチップを埋め込む義務が課せられている。失踪してもマイクロチップをみれば、飼い主がわかる仕組みになっている。
張り紙をあちこちに張り出し、クロエを見つけ次第 連絡をくれるように頼みまわる。ベランダから落ちて そのまま帰る家がわからなくなって困っているかもしれない。その日から「クロエ、クロエ」と大声で名前を呼びながら アパートのまわりや、林の中を探し歩く毎日になった。ベランダから落ちたかもしれない場所に エサを置いておくと、誰が食べるのか、翌日には なくなっている。クロエが食べたのではないだろうと わかっていながら毎朝、毎晩エサを置いておく。林の中を探し回って体中 蜘蛛の巣だらけになったりした。

300キロ離れたニューカッスルから連れてこられて2週間、、、ニューカッスルに向かって歩いているのだろうか。おなかを空かせて 車の多い道路を避けながら トボトボと北に向かっているのだろうか。野良猫に間違えられて 邪険にされたり石を投げられたり 犬に追われたりしているのではないだろうか。ゴミ箱を漁っている間に ゴミ自動車に放り込まれたりしていないだろうか。ベランダから落ちた時に ひどい怪我をしているのではないか。
アパートのとなりのとなりの家族が クロエが居なくなる前日の土曜に引越しをしていた。正確にこの人たちが いつ出て行ったのかわからないが、クロエが ベランダからこの家に入って、引っ越した時に まちがって家に中に閉じ込められたかも知れない。家の中をよく調べてください と不動産屋に依頼の手紙を出す。家のドアに耳を押し付けて 猫の声がしないかどうか、一日に何度もやってみる。

一週間は、探し回るのに必死で、他のことは何も考えられなかった。アパートの掃除の人、庭師、ゴミ集めの人、水道屋にも、探すのを手伝ってもらう。
2週間目に入って、クロエを探しながらも だんだん気落ちして夫婦共に うつ状態に入った。今思うと この時期、ヤバかった。中年の鬱、、、朝起きたくない、何も食べたくない、食べ物の味がしない、仕事に行きたくない。一月前から友達と食事に行く約束をしていたが 行く気になれず キャンセルした。キャンセルしたことで、また自分を責めて落ち込む。誰とも話をしたくない。夫婦の会話は途切れがち。
オットは クロエが居なくなった日曜の夜、ベランダにいたクロエを家の中に入れようかどうしようかと迷って そのままにした。それを自分でひどく責めている。オットと何の話をしていても、最後には、「あの時 家の中に入れるべきだった。」という言葉しか 出てこないのには まいった。

3週間目に入って、ふっきって、あきらめた。居なくなった猫を 私たちは どうすることもできない。秋になって、毎日一層寒くなった。雨に濡れながら、怪我した足を引きずりながら 痩せさらばえてニューカッスルに向かって歩いている姿が目に浮かぶ。しかし、それをふっきった。オットと久しぶりで映画を見て笑った。じゃあ、旅行に行こうか、と、先の話ができるようになった。

2週間だけうちに居たクロエが、突然居なくなって3週間。
そんな矢先、ずっと離れたクレモンの動物病院から クロエを保護しているという連絡が入った。かかってきた電話にあせって 言われたことが のみこめないまま 動物病院の住所を書き留める。娘に電話すると、娘が調べて その病院に電話をしてドクターと獣医同士で話をして、クロエが病気も怪我もしておらず、健康状態も良いことを確認してくれた。そこの動物病院のナースが 道に迷っていた猫を保護したのだという。娘のアドバイスに従って、ハードウェアに走って行って ベランダに柵を作り 網を張って、二度と猫が隣に行ったり、落ちたりしないようにした。

クロエを 迎えに行って 連れて帰る。クロエは大して嬉しそうな様子も見せず 家に着くなりベッドの下に隠れた。しかし、一安心。
クロエは無事 帰ってきたのだ。ベランダから落ちて、痛む足を引きずりながら 飢えと寒さに耐えながら北に向かって 彷徨い歩いていたのでは 断じてない。来た時と同じ 真っ黒な毛はつやつやと輝いていて、丸々と太っている。
しかし、クロエが保護されたところは、車で30分、猫が歩いて行ける距離ではない。3週間の間 誰がクロエを食べさせて世話をしたのだろう。引っ越していった若い人たちが ベランダに来たクロエを軽い気持ちで連れて行って 嫌になって外に出したところで ナースに拾われたのだろうか。謎だらけ。

クロエは何も語ってくれない。
何事もなかったように、私の膝の上で、長々と伸びて眠っている。
ねこのことは わからない。しかし、それでいいのかもしれない。母の日の 気の利いたプレゼントだと思うことにしよう。

NSW州美術館の「歌麿」



先月は、ポスト印象派の絵を観に キャンベラまで旅行してきた。いま、この絵画たちは、日本で公開されている。
私の住んでいる近所にある NSW州立美術館にも ポスト印象派の良い絵が いくつかある。州立美術館は シドニーのシテイーの中心 ハイドパークと、オペラハウスの中間にある。とても大きなヴィクトリア風の建物だ。1896年ー1909年建設。

グランドフロアに 
ゴッホの「農夫の顔」(HEAD OF PEASANT),1884年
セザンヌの「マレーネ川岸」(THE BANK OF MARENE)1888年
モネの「ゴルファー港」(PORT GOULPHAR BELLE-ILE]1887年
ピサロの「農家 エナグニー」(PEASANT HOUSES ENAGNY)1887年作、などがある。なかでもゴッホの絵がとても良い。

地下2階に下りると 20世紀の絵画の部屋に ピカソの大作「ロッキングチェアーに座る裸婦」(NUDE IN ROCKINGCHAIR)1956年が、あって、輝いている。

ここで 喜多川歌麿の浮世絵89点が展示 公開されていた。日本から来たわけではなく、ベルリン国立アジア美術館所蔵作品が貸し出されてきたものだ。
写楽の描いた役者の肖像画など、その斬新な描写に魅力を感じるが 歌麿は春画のイメージが強くて、ちょっとねー、、と、避けて通りたかったが、日本びいきの友達らが、ビューテイフル、ワンダフル、マーべラス、アストニッシュ、グレイト と連発するので、行ってみてきた。

歌麿は吉原の遊女ばかり描いていたのかと思っていたら、そればかりではなくて、その時代の庶民の姿を描いたものが多いのが意外だった。
女達の顔は みな似ていて、平面的、小さな目や口で、そろって着ている着物は 襟がゆるく はだけて着崩している。男も女も共通して、なよなよして、なめくじのよう。だが、色っぽい。
描写力が実に緻密で 着物の模様、帯の刺繍の端まで はっきりと描写されている。人物描写が細かいのに 絵の背景に色がなく、白い紙に人物だけが描かれているものが多い。記念写真のように 上半身の女の絵が多く、「美人大首絵」といって、歌麿の専売特許のようなものらしい。カメラのなかった時代 彼の描いた遊女達の美人画が出版されるやいなや、その女性が吉原で売れっ子になる などの流行現象をおこしたといわれている。

印象に残った作品は
1:「絵本虫選」1788年
15ページの絵本で 狂歌の横に花や蝶や虫が描かれている。虫に、恋心をたくして 哀しがったり 喜んだり 皮肉ったりしている。それぞれの絵が緻密で、本当の図鑑のよう。狂歌の英語訳がおもしろい。英語は実用後だから、ことばに余韻も味も香りもない。

2:「煙草の煙を吹く女」1793年
大首絵といって、画面いっぱいに上半身の女を描いたもの。クローズアップされた女の 怠惰な表情が伝わってくる。

3:「お七,吉三」1800年
1683年の本当にあった江戸の大火の原因になった、八百屋お七と、吉三のお話を芝居にした時の絵。絵では ふたり仲良く並んで絵になっているが、死罪になったお七の悲劇は、娯楽に少なかった時代に 格好の芝居になって庶民の涙をふり絞ったことだろう。

喜多川歌麿の絵を観たついでに 関連の本も読んでみた。歌麿は 1806年に死去したことになっているが、墓が発見されたのが、明治35年 1902年のことだ。長いこと誰からも省みられることなく 墓を世話する家族もなかったらしく、墓の土台だけが辛うじて残っていた。そこに書かれていた記録から、死亡年月が確定されて、生まれた年が逆算され、1753年に生まれたことになった。どんな家庭に生まれて育ったのか、本人はどんな家庭を持ったのか、子供はいたのか などの事も わかっていない。
当時 文筆に長けていた教養人からは、浮世絵師は ずっと下の卑しい職業と思われていた。歌麿がどうして 浮世絵を描くようになったのかわからないが、幼いときから 鳥山石燕(1712-1288)に 弟子入りしたことは わかっている。彼は 大衆小説 黄表紙の挿絵 絵本入り狂歌 芝居絵本などの版下絵師として、生計をたてていた。

28歳で、葛屋重三郎という、版元に出会い、次々と作品を出版できて売れるようになって、30歳を過ぎてから 美人画を描き始める。
生涯に1000の美人画を描き、450の春画を描いた と言われている。江戸町人文化の華だ。
ところが、突然 松平定信による寛政の改革令が下りて 葛屋重三郎が身上半減の極刑を受ける。また1796年に浮世絵は出版禁止となる。しかしその後も、歌麿はしぶとく絵の背景に、字や絵をいれて、浮世絵とは別のものであるようにして、描き続ける。

1804年、絵本太閤記につけた武者絵が刊行されたことで、当局に「風紀壊乱」した、とされて版元は絶版没収、15貫文の罰金、3日間の入牢、50日の手鎖という重刑を受けた。徳川幕府にとって、豊臣秀吉の英雄物語の出版とそれによる庶民の人気が、時の政府の怒りをあおったのだろう。受刑のあと、歌麿は失意に打ちのめされ2年後に死んだ。

浮世絵が当局によって出版禁止になっても、描くことを止めず 圧倒的な庶民による支持を受けて、人気者であり続けた歌麿。酷刑にあい、身も心もうちやぶられて、死んだ歌麿。美人画や春画を描くことで 時の権力者にたてついた反逆児だった。

A DOG TRAINER SHOULD BE WELL TRAINED THAN DOG.
犬を訓練したかったら、犬よりは賢くなくちゃあね。とよく言う。今も昔も 権力者は 賢くなければ。それなのに、、、。
江戸時代 大衆文化の豊穣さを、少しでも お上が理解できていたら、寛政の改革や風紀取締りで、芸術家を圧殺するようなことは なかっただろう。