2010年6月30日水曜日

W杯 日本が敗けたと思わない


サッカーに、判定勝ち判定負けというものが あったならば日本は判定勝ちしていただろう。
これほど気持ちの良いサッカーゲームをみたのは 初めてだ。
良いゲームとは、こういうゲームを言うのだろう。

6月30日、FIFA ワールドカップで ベスト16カ国の中に残った日本チームは パラグアイとの試合をした。
ゲームの様子は、シドニー時間では、深夜12時から実況中継された。最初から日本チームは 早いピッチで ボールにくらいつき、走りに走った。何度も何度もシュートをトライした。デイフェンスの良さ、チームワークには、目を見張るものがある。

90分試合で、決着がつかず、30分の延長戦。
そこでも選手達は、全く疲れを見せず、走り続けた。がむしゃらに 突っ込んでいって、ボールを 相手から奪う。
ひとりひとりの選手たち、本当に 立派だったと思う。結果など関係ない。良いゲームを観た後の 満足感がずっと、残っている。

私の職場では オーストラリアの縮図みたいに、沢山の国からきた人たちが働いている。
イギリス、オーストリー、イタリア、スペイン、ハンガリー、セルビア、チェコスロバキア、チリ、ガーナ、セオラレオーネ、フィージー、ネパール、香港、マレーシア、タイ、フィリピン、韓国、東チモール ちょっと、思いつく顔を 数えてみただけで、18カ国。
前回のワールドカップでは、イタリアが優勝したので イタリア人のナースが鼻高々だった。今年は日本もガーナも健闘していて、みな、仕事中、仕事そっちのけで 仲間の国をみんなで応援している。

今朝は、夜勤のみんなが、日本チームの活躍に沸いた。
みな自分のことのように、応援していて、チャンスがくるごとに私の肩をつかんだり、足踏みしたり、、。試合が終わって、皆が ジャパン、よくやった!!!と言ってくれた。負けた気がしない。本当に良い試合だった。

ゲームが終わって、外にでたら 今朝はこの冬一番の寒さ。
駐車していた車のフロントガラスが みごとに凍っていて、固まっている。
いつもは無口で気難しいセルビア人の 掃除のおじさんが、走ってきてホースで水をかけ、ガラスの氷を溶かしてくれた。おまけに、”ジャパン ウェルダウン よくやったぜーい”と、言いながら力強いハグ。
なんか、とても心温まって、誇らしくて嬉しい朝だった。

2010年6月23日水曜日

映画「瞳の奥の秘密」



アルゼンチン映画 原題「EL SECRETO DE SUS OJOS 」、英題「SECRET IN THEIR EYES」を観た。
監督:ジュアン ホセ カンパネラ
キャスト:リカルド ダリン、ソレダー ヴィリャミル、パブロ ラゴ。
第82回アカデミー賞 外国映画賞受賞作。
カテゴリーはサスペンス。133分。

ストーリーは
ブエノスアイレスの郊外、1970年代。結婚したばかりの若く美しい女性が乱暴され 残忍な殺され方をして発見された。同じ時間にアパートに、改築工事に来ていた二人の外国移民が逮捕された。
裁判所刑事ベンジャミンと、相棒パブロは 早速逮捕された犯人たちに会いに行く。犯人とされた彼らが 警察の自白強要によって犯人に仕立て上げられたことが明らかだった。しかし、警察が突き出した 移民たちを助ける為には 真犯人を逮捕しなければならない。警察は協力をしない。裁判所刑事達の捜査は行き詰まる。
ベンジャミンの上司、アイリーンは警察から出された証拠をもとに 判決を下し、事件を一件落着せざるを得なかった。

納得のいかないベンジャミンとパブロ、そして殺された被害者の夫、リカルドは必死で真犯人を捜し求める。
妻は殺される前に、アパートのドアを自分で開けた。犯人は知り合いだったに違いない。過去の写真や記録を洗い流し、3人は真犯人が 妻の昔の幼馴染 ゴメスをいう名の男だったことを突き止める。すでに 判決が下りてしまった事件の捜査は困難をきわめる。真犯人を捕らえるために、夫リカルドは仕事を辞めて 毎日駅に張り込みを続ける。その真剣な姿を見て ベンジャミンとパブロは 執念で、何度も上司、アイリーンに再審査を要求する。そして、彼らは、遂に真犯人の逮捕に成功した。裁判の再審を経て、犯人は刑務所に送られる。

喜びもつかの間、テレビニュースを見ていたベンジャミンは、実刑となり刑期を務めているはずの 殺人犯ゴメスが、ブエノスアイレスで、要人の護衛をしている姿を見て驚愕する。こともあろうに この殺人犯は銃を与えられて ガードマンとして雇われているのだった。警察上部の職務特権で決められたことなので、地方都市にいるベンジャミンたちには どうすることもできない。妻を殺されたリカルドとともに、歯噛みをするしかないのだった。
パブロが 耐え切れず酔って ブエノスアイレス警察と争いを起こした。その夜パブロはベンジャミンに間違われて プロの殺し屋に殺される。身の安全のために、ベンジャミンは仕事を辞めて、地方に逃れるしかなかった。そのためベンジャミンは 上司のアイリーンに恋心を持ったまま去っていった。

25年たった。
ベンジャミンは 25年前のこの未解決事件について 書き溜めたものを 本にまとめようと心に決めて、もとの職場にもどってくる。美しい上司アイリーンは 今は裁判長だ。会えば 昔の恋心が よみがえる。
ベンジャミンは すでに辺鄙な田舎に引っ越しているという被害者の夫リカルドに会いに行く。リカルドは荒れ果てた田舎屋にひとり住んでいた。その後、再婚することも無く、居間には若くして亡くなった 25年前の妻の写真だけが飾ってある。
リカルドの不審な様子、、、そして ベンジャミンはリカルドの秘密を知ってしまう。リカルドは、毎日一回だけ、水とパンのかけらを持って 離れの小屋に、行く。その先には、変わり果てた殺人犯が、、、。
というお話。

ベンジャミンを演じているのは、アルゼンチンで一番人気のある俳優、日本で言えば高倉健みたいな、または、渡辺謙、または浅野忠信のような人。とくにハンサムではないが、存在感がある。

133分と、長い割りには 内容が詰まっているわけではない。冗漫だ。ベンジャミンとアイリーン、25年前 互いに抱いていた恋心、かなわなかった恋が人生の終盤で再燃する。25年前の駅での別れのシーン、列車が動き出し、走り去る列車を追う女、、、。情景がセンチメンタルすぎて この同じシーンを繰り返されると もう、ベンジャミンが 笠智衆の顔に見えてくる。
カメラテクニック、自然描写、物語の流れの編集テクニックなど、すべてについて キレがない。全く持って、洗練されていなくてダサい。これが、アルゼンチン映画か。
無駄なシーンなど ひとつとしてないクリント イーストウッド監督の作品などに比べて そんな無駄ばかりのアルゼンチン映画がかえって ローカルなところが評価されて 外国映画賞を受賞したのかもしれない。

しかし、罪と罰という人間社会の永遠のテーマに触れている。
25年前の未解決事件を、どう自分なりに解決にもっていくか、ベンジャミンは事実を書き残すことによって 自分なりの結論を出したいと思った。 アイリーンは25年間待って いま やっとベンジャミンをとりもどした。
そして被害者の夫リカルドは 法で罰することが出来なかった殺人犯を自分で捕らえ罰することで、復讐を果たした。3人3様の これが 25年間の生き方だった。罪を問われなかった殺人犯を罰することが出来るのは 被害者を失って嘆く身内だけだ。リカルドは、生かさず殺さず 加害者を苦しめることで、きっぱり落とし前をつけた。

しょせん、人生は自己満足だ。自分が満足できる生き方をするしかない。他人がどう言おうが 法がどのように裁こうか、社会がどう判断しようか、自分が裁き、判断して生きることが 幸せなことにちがいない。
殺された妻は 夫に復讐して欲しいと願いながら 死んでいったかもしれない。でも、25年間 復讐し続けることを 望んだだろうか。案外、1年たったら、忘れて、夫に別の人生を歩んでいってもらいたい と思うのではないだろうか。夫を愛する妻として。

2010年6月20日日曜日

もう サッカーなんか 嫌いだ



サッカーは まれに見るアンフェアなスポーツだ。

FIFAワールドカップで 昨夜、日本はオランダに敗れ、カメルーン戦でとった1点と合わせて、1勝1敗。シドニーでは 土曜の夜9時半から、ゲームが同時中継された。国際試合に弱い侍ニッポン。FIFAワールドランキング 45位。試合運びが遅い。もっと走れ。もっと攻撃してくれ。
最後のデンマーク戦では 良い試合を見せて欲しい。勝っても負けても良い。良い試合をみせてもらいたい。
試合が 終わっても、世界中のコメンテイターが、これはこれは 良い試合でしたね、フェアプレイで、これこそがサッカーです と言われるような 程良く攻撃的なゲームをやってもらいたい。

日本 オランダ戦のあと、深夜から朝2時まで、オーストラリア ガーナ戦が行われた。この試合を見て、オーストラリアでは、サッカーからは大幅にファンが離れていったのではないだろうか。わたしも、もうサッカーなんか、嫌いだ!

試合が始まってすぐ、24分で チームの勝敗を握るハリー キューエルが、「相手の決定的シュートを手で止めた」というペナルテイーで 突然レッドカードで、退場させられた。あまりの突然の決定に、誰もが信じられない思いだった。スローモーションビデオを見ても、キックが偶然 キューエルの肩に当たったとしか 思えない。あと5センチずれて胸に当たっていたら、問題なかった。ものすごいスピードで、近くからキックされたボールを故意に、肩で妨害することなどできない 偶然当たった と考えるのが普通だ。イエローカードなしに、突然 文句なしのレッドカードだ。

最初のオーストラリア ドイツ戦で、チームのストライカー テイム ケーヒルが、レッドカードで、場外に出され そのあと2試合出場禁止措置をとられたかと思ったら、またしても 悪夢のレッドカードだ。テイム ケーヒルのレッドカードで 退場だけでなく その後2試合出場禁止という、処置にもびっくりした。

サッカーは、まれに見るアンフェアなスポーツだ。
たった一人の審判が全権を支配いて、審判に公正さを再考させることも 抗議することも違反になる。審判全権支配のサッカー試合に民主主義はない。たったひとりの審判に、良し悪しのすべてが決定されてしまう。選手達とともに、審判も走っているのだから、角度によっては 見えないところだって 誤解だってあるはずだ。人には間違いもあるし、人間の視野には限界だってある。だから、相撲には行司以外に、審判席があり 勝敗に疑問のあるときは 協議できるし、相撲の取り直しもある。テニスも ボールがライン上か、内側か、ビデオで確認して判断をすることができる。サッカーフィールドは 縦105メートル 幅68メートルの広さ。たったひとりの審判の判断が公正かどうか、どうやって、審判するのか。

もともとオーストラリアではサッカーはマイナー。何と言っても クリケットとフットボールが国民的スポーツだ。それでも 日本よりも弱かったオージーチームが 国際試合を重ねるごとに強くなって、今ではFIFAワールドランク20位になって、日本の大きく差をつけた。これから良くなって 若い人たちが育っていくはずだった、オージーチームを思うと、今回の試合には、納得がいかないし、残念至極だ。

2010年6月12日土曜日

映画 「ロビン フッド」




イギリス映画 新作「ロビン フッド」を観た。第63回カンヌ映画祭のオープニングに、上映された作品。
ロビン フッドは 中世イングランドの伝説上の義賊だ。 
いつの時代にも 義賊は人々から愛される。権力に楯突いて 権力者の独占する富を 民衆にばら撒いたりする。人々は抑圧者を憎むけれど、反逆する勇気や力を持たない。だからごく普通の人にとって反逆者は、時として、自分の代弁者であり、英雄でもある。鼠小僧、石川五右衛門、紅はこべ、ネッド ケリーなども人気者だ。

今まで ロビン フッドは、何度も何度も 映画化されてきた。1976年には、「ロビンとマリアン」という題で、ロビンをショーン コネリー、マリアンをオードリー ヘップバーンが演じている。デイズニーアニメの「ロビン フッド」は、キツネだ。1991年にはケビン コスナーがロビンをやった。
新作では、ロビンは オージーのラッセル クロウ、マリアンを これまたオージーのケイト ブランシェットが演じている。監督は「グラデイエーター」、「ブラック ホークダウン」、「エイリアン」を作ったイギリス人 リドリー スコット監督だ。

オーストラリアはその昔 イギリスで有罪を宣告された受刑者が送り込まれて できた国。もとはイギリス人とは言っても イギリス英語はしゃべらない。そんなオージー俳優ケイト ブランシェットに「エリザベス」その1も その2も演じさせて、アカデミー賞までオーストラリアに持っていかれてしまった。イギリスには英国女王を演じられる役者が居ないのかしら。まあ、それほどオージー俳優の質が高いということか。15年オーストラリアに住んでいるから という理由からかどうかわからないけれど ケイト ブランシェットは一番好きな女優だ。フィルムよりも、舞台を大切にしている本当の役者。育ち盛りの3人の男の子のお母さんとは思えない。本当に美しい女優だ。

ラッセル クロウも良い。同じオージーのニコル キッドマンがメデイアを嫌って  ものすごく高い塀と監視カメラで守られた家に住み、外出ごとにパパラッチを巻くために 同時に3台の車が家を出るようにして、パパラッチがそれを追ったとたんに ゴミ自動車に隠れて外出する というようなことをやっているのとは、違って、ラッセル クロウは何も隠さない。表も裏もない人。フットボールチームを持っていて その運営に財産をつぎ込んでいる 私生活でもマッチョな人なのだ。彼はこの同じ監督の「グラデイエーター」でアカデミー主演男優賞を獲った。体が大きいし、アクション映画が良く似合う。この人が 馬に乗って全力疾走させながら、両手で剣を持って敵に向かっていく姿は、まったくもって 黒澤監督の三船敏郎の姿に重なる。

ストーリーは
12世紀後半のヨーロッパ。
十字軍遠征中のロビンは 勇敢な戦士だ。腕も立つが、口もたつ。獅子王リチャードに、率直に「敵国を侵略するのは 仕方が無いが、無意味な殺戮はすべきでなない」と進言して、王の怒りに触れ 仲間とともに刑罰を科せられる。しかし、戦闘で獅子王リチャードは あっけなく殺される。王の死をロンドンにいる王子ジョンのもとに、知らせるための使いが、フランス軍の密使に襲われて全滅した。そこをロビンとその仲間が通りかかり、獅子王のヘルメットと白馬を奪い返す。虫の息になっていた使いの男は、ロクスレイといい 自分の父親から授けられた家宝の刀を父親に返してもらいたい とロビンに言い残して息絶えた。 ロクスレイの父親を思う姿に心をうたれ、ロビンと仲間は 彼の故郷のノチンガムに向かう。

ノッチンガムでは、年老いた盲目の父親が 息子の妻とともに、ロクスレイの帰りを待っていた。ロビンの報告は 息子を失ったノッチンガム領主の父親にとっても 夫を失った妻マリアンにとっても残酷な知らせだった。10年余りの間、男はみな十字軍に駆り出され、働き手の不在に農民達は 疲れきっていた。女達は農作業にやつれ果てていた。
ロクスレイ家で休養をしていたロビンに、やがて、父親は このまま居て 息子として家を継いで欲しいと、懇願する。帰る家がある訳ではないロビンは 乞われるまま ロクスレイ家に留まる。そしてマリアンを妻として 領主の跡取りとして農地の世話をまかされることになった。

しかし、ジョンが国王になると税のとりたてが厳しくなるばかりで 領主達は不満をつのらせていた。ジョン王はフランス人の王女を愛人にしており、裏ではフランス密使が暗躍、イギリス国の内部から すでに独立が蝕まれていた。フランス側の密使は 税の取立てに不満を持っている領主たちの反逆を助長して、イギリス内部から反乱と崩壊を画策していた。そして、遂にフランス軍は大挙して、ドーバー海峡を越え、イギリスに侵攻してきた。
ジョン王も、税の取り立てに抵抗していた領主達も力をあわせて、フランス軍に立ち向かう。激しい戦闘ののち、ロビンの指導力のもとで、戦果をあげ、イギリス軍の勢いに負けたフランス軍は退却を余儀なくされる。

ようやく他国の侵攻の危険が去った。しかし、時を移さずジョン王は、反抗的な領主達すべてを処刑するという暴挙に出た。ロビンはマリアンを伴い、仲間達を集めて、シャーウッドの森に入って身をかくした。
というお話。

ロビン フッドと聞いて、シャーウッドの森を拠点に 悪い金持ちから富を奪って 人々に分けて与える大泥棒を想像しているとちょっと違う。そうなる前のお話だ。どうしてロビンが シャーウッドの森に身を隠さなければならなくなったのかという事情を映画化したもの。
130頭の馬、500人の戦闘術に長けた戦死をエキストラに使ったそうだ。フランス軍の侵攻をくい止める戦闘シーンは 迫力満点。

この映画ではロマンチックなシーンがない。ロビンとマリアンとの結びつきが 普通の男と女の結びつきを越えている。
一度として関係を持たなかったロビンが死地に向かうときに、マリアンに向かって、これが人生の最初で最後という心を込めて アイラブユーと言い、それを受け止めながら マリアンがそっぽを向く。そのときの二人の間に流れる空気の密度の濃さに、思わず涙がこみ上げる。このとき二人は 他のどんな夫婦よりも 心で強く結ばれていたのだ。とても心に滲みるシーン。

やたら体が大きくて、無口で強い。無表情だが心は優しい。そんな、オージーの 代表選手みたいなラッセル クロウが、あまり好きじゃない人も、この映画を観て、「あ、、、頼りになりそう、こんなおとうさん欲しい」と思うかもしれない。無精ひげに白いものが混じるようになって ラッセル クロウ ますます良い味のある役者になってきた。

2010年6月10日木曜日

映画 「プリンス オブ ペルシャ 時間の砂」



映画「プリンス オブ ペルシャ 時間の砂」を観た。
監督:マイク ニューウェル
キャスト
プリンス ダスタン:ジェイク ギレンホール
プリンセス タミーナ:ジェマ アーターモン

9世紀 ペルシャ王国。
アクションゲームを映画化したもの。ふんだんにCGを使って チェイス バトル、壁を走って登り 建物から建物へと飛び移り 屋上から飛び降りながら敵を戦う アクションのてんこ盛りだ。大人気のゲームというのが うなずける。こんなゲームならおもしろいはずだ。
アクションの連続でいて 不思議と残酷さを感じさせない。みな きれいな英語を使って映画が上品に仕上がっている。さすが、ハリーポッターを作ったイギリス人監督 マイク ニューウェルだけのことはある。

ストーリーは
古代ペルシャ王国の国王には2人の王子がいたが、ある日 王が街に出た際に 一人の少年が 横暴な衛兵を相手に一歩も譲らない勇気のある姿を見て 連れて帰り養子にする。この少年ダスタンは 国王の3番目の息子として、他の二人王子と一緒に 分け隔てなく仲良く育てられた。人徳のある国王を3人兄弟は 心から敬愛し、王国を盛り立てていった。

3人のプリンスが成長し立派な戦士となったころ、伝説の聖地アラムート王国に 侵攻することになった。プリンス ダスタンの戦略が功を奏して アラムートの堅固な城壁を破る事が出来、アラムート王国を征服することができた。戦いの最中、ダスタンは 敵から美しい短剣を奪取する。
しかし、アラムート王家が降伏し、勝者ペルシャ王国の戦士達が祝宴を上げている最中に、こともあろうに、ペルシャ王国の国王が 毒殺される。その場にいたプリンス ダスタンに、嫌疑がかかり、ダスタンは追われる身となる。必死に追手から逃げるダスタンに、人質になっていたアラムート王国のプリンセス タミーナが後を追って逃げる。そして、ダスタンとタミーナの逃避行が 始まる。

ダスタンには何故 タミーナが追ってきたのか わからない。タミーナは ダスタンが奪った短剣を取り戻そうとしていたのだった。アラムート王国の国宝だったこの ガラスの柄の短剣は、時を繰る力が秘められている。この短剣をかざすと 時を巻き戻し過去に戻って 時をやり直すことが出来るのだった。
ダスタンは ペルシャ王国にもどって 敬愛していた父親を殺した真犯人を見つけ出し 自身の無実を証明しなければならない。そして、ペルシャ王国がアラムートを侵攻した歴史を過去にもどして もう一度やり直して あやまちを正さなければならないのだった。
というお話。

美少年俳優としてテイーンのアイドルだった ジェイク ギレンホールが 初めてアクションヒーローに抜擢されたことで、話題になっている。
ジェイク、29歳 アメリカ人。彼はこの映画に主演する為に 3ヶ月余り 英語の発音訓練を受けて キングイングリッシュを、話せるようにしたという。この映画では、サーの称号をもっている英国俳優 べン キングスレーが重要な役どころを演じているが ジェイクも同じようにきれいな英語を話している。
聞き比べれば英国英語とアメリカ英語は 聞き分けられるが、この映画では全員がきれいな英語を使っている という映画評を読んで 初めて ああ、そうだったんだ、と思い当たった。言われるまで気が付かなかったのだ。それでやっと、1分ごとに、名詞に ブラデイーや、F、、KINGをつけて話す癖ができている 汚いアメリカ英語の映画とちがって 映画が上品に仕上がっている訳がわかった。

ジェイクは 撮影に入る前、半年かかって 筋力集中トレーニングを受け、体重を5,5キロ増やしたそうだ。何千回もの 剣の立ち合いのトレーニングも積んだという。そんなトレーニングを積み重ねた結果 美少年俳優を脱却して、アクションヒーローに変身したわけだ。役者も楽じゃない。

ジェイクは 「ドニー ダーコ」では、うつ病の青年を演じ、「ゾーデイアック」では 殺人犯を追い詰める まじめ一方の新聞記者、そして、ヒース レジャーと共演した「ブロークバック マウンテン」では、ゲイの青年を演じて アカデミー助演男優賞のノミネートされた。目が大きくて どちらかというと、憂い顔のほうが 笑顔より似合っている。まじめでいつも真剣、唇かみしめていて、 今回の映画でも プリンセス タミーナとの逃避行で、二人して命の危険に身をさらしながら タミーナを、およそ、女として扱っていない。え、君、女の子だったの?と、最後の最後に、気が付くみたいなところが ジェイクらしくておかしい。
アクションでは、スタントマンを使っていないそうだ。何ヶ月もの訓練のおかげで 彼のアクションやチェイス バトルもなかなか 良くて 楽しいアクション映画だった。

アラニス モリセットが主題歌を歌っている。
それよりも、何と言っても ペルシャ王国の映像が美しい。風に砂が舞い、砂に模様を描き、音も無く そのすがた形を変える。砂漠の上から日が昇り、砂漠の上で日が沈む。砂漠の例えようも無い美しさ。
それにあわせた音楽が良い。「アラビアのロレンス」の世界だ。砂漠のシーンでは、映像も音楽も この監督は デヴィッド リーンのアラビアのロレンスを思い描いていたに違いない。
アメリカから来た新聞記者の、「どうしてあなたは砂漠にいるんですか」という問いに、ロレンスは「砂漠は清潔だから」と ひとこと答える。そんなシーンがよみがえってくる。ロレンスにとって、軍事戦略や 戦争や軍人としての英雄行為や、外交と言う名の利権 取引、そういった俗世間にはまったく興味はなく、ただただ、彼は砂漠を愛していたのだ。

伝説の時を繰る短剣。
ロレンスには、過去に戻って やり直したいことが沢山あっただろう。時を巻き戻すことのできる伝説の短剣があったなら、ロレンスは あんなにも早く 若くして死に急ぐことは無かったかもしれない。

写真は ジェイクのプリンス ダスタンと、コンピューターゲームのダスタン。

2010年6月7日月曜日

映画 「ドン ジョバンニ」


新作、イタリア映画「ドン ジョバンニ」(IO DON GIOVANNI)を観た。オペラ「ドン ジョバンニ」は モーツアルトによって作曲され、1787年に初演されたが、スペイン人で1003人の恋人を持っていたといわれるドン ジョバンニという伝説のプレイボーイをオペラ化したものだ。日本では、「ドンジョバンニ 天才劇作家とモーツアルトの出合い」という長い邦題で、公開されたらしい。

オペラとは 200年も300年も前に作られたものだ。華やかなヨーロッパの最高芸術の傑作の数々をいま、わたしたちは繰り返し観ている。大昔にできたオペラを観る人が 今もなお感動して 心洗われる思いをするのは、そこに真実があり、芸術家の魂がこめられているからだ。
この映画をみると、ドン ジョバンニというオペラがモーツアルトによって どんな時代背景のもとに、どのような過程を経て製作されたのかがわかる。イタリア語が耳に優しく バックに流れる音楽が良い。聴いて心地よく、観ていて素晴らしい作品だ。

監督:カルロス サウラ (CARLOS SAURA)
キャスト:ロレンソ:ロレンソ バルドッシ
     エミリイ:エミリア ヴェルジネリ
     モーツアルト:リノ グニシエラ
     カサノバ:トビアス モレッテイ

1763年 ヴェニス。
ロレンソ ダ ポンテは、詩人で作家、女たらしで、女泣かせだ。何と言っても カサノバの親友だから女たらしもプロ並みだ。また、イルミナルテイのメンバーでもある。子供の時から科学への強い探究心と、信念からカソリックの洗礼を拒否してきた。イルミナリテイが 教会から厳しく糾弾、弾圧されている時代だ。

ロレンソの素行が悪いとのことで、彼は遂にヴェニスから立ち退きを命令される。秘密結社イルミナリテイのメンバーのひとり、裕福な商人から、ロレンソは 一人娘のエミリアを紹介される。商人は自分が病気がちで、跡継ぎもいない。一人娘をロレンソに託して安心して死んでいきたいという。ロレンソは 娘に会って、一目で恋に陥る。しかし、ヴェニス立ち退きを前に、妻を持つ身分ではない と言い残して ロレンソは単身 ウィーンに向かう。

老作家で、名の知れた親友 カサノバの紹介で、ロレンソはウィーンで活躍する作曲家サリエリに会いに行く。サリエリに オペラの台本書きとして雇ってもらえることを期待して出かけていった教会で、ロレンソは若いモーツアルトに出会う。同じ年頃のロレンソとモーツアルトは すぐに 出会って親しくなった。
モーツアルトは このとき、死の数年前。若く才能をもてあましていた。作曲した作品は評価されず、妻コンスタンチンとともに、貧困にあえいでいた。その日の生活のために、教会でオルガンを弾き、貴族の娘達にピアノを教えなければ ならなかった。

サリエリは 宮廷からオペラを作るように命令をうけていたが、思うような作品が作れずに、名前だけを自分のものにして、モーツアルトにオペラを書かせようと画策していた。
ロレンソは、親しくなったモーツアルトに 新しいオペラの構想を次々を出してモーツアルトと共同でオペラを製作し始めた。モーツアルトは 眠る時間を作曲のために費やしながら 残る命のともし火を燃やすようにして作品を作っていく。
ロレンソには どうしてもドン ジョバンニを完成させて成功しなければならない理由ができた。ヴェニスで一目会って、恋におちたエミリアがロレンソを頼って ウィーンに出てきたのだ。
一方、オペラの数々のアリアを作曲している最中、モーツアルトには、父親の死という 悲報が届く。自分を音楽家として育ててくれた尊敬すべき父親を失い その死にインスパイヤされて、とうとうモーツアルトはオペラを完成させる。

1787年 プラハ国民劇場での初演、国王、皇族の前で、モーツアルト自身が指揮する。オペラが終わって、満場の観客は、静まり返って王の判断を待っている。否か是か。オペラは成功だった。 
というお話。

映画の主役はロレンソとその恋人エミリアなのだけれど、彼らの出合い別れ、そして再会する筋書きに、平行して、登場する大物達がすごい。モーツアルトと妻コンスタンチン、サリエリ、王族、貴族たち、美しいオペラ歌手たち、そして、老いてなお魅力あるカサノバなどが、それぞれ主役でもある。

モーツアルトの無邪気で自由奔放な姿に心うたれる。
オペラのなかのひとつひとつの曲がうかびあがってくると、夢中で自ら歌いながら作曲をする。そうしているうちに熱にうかされた病人のように曲にのめりこむシーンなど、芸術家の熱が伝わってくるようだ。31歳のモーツアルト。4年後にリューマチで死ぬ。生活苦のなかで、邪気など全く無縁で、純真であり続けたモーツアルトの短い一生を思うと ただただ 痛ましい。

ジアコモ カサノバは、ヴェニス生まれの作家。
実在の人物でドン ジョバンニばりのプレイボーイだった。1976年、フェデリコ フェリーニが ドナルド サザーランドを主役に使って 映画「カサノバ」を作っている。このころのドナルドは本当に美しかった。
2005年 ヒースレジャーが 映画「カサノバ」を演じた。貴族から修道女から人妻にいたるまで放っておけない。カーリーヘアーのヒース レジャーがカサノバになると 女たらしも おちゃめで可愛い。当時のヴェニスの人々の暮らしぶりを彷彿をさせる楽しい映画だった。

そのカサノバが この映画では年老いても魅力的な老紳士の姿で、オーストリア人俳優、トビアス モレッテイが演じている。知的で深みのあるカサノバだ。
わたしはこのトビアスが大好き。過去15年間 テレビの人気番組「インスペクター レックス」で 毎週顔を見てきた。15年間やっている長者番組というわけではなく、SBSでは何度も何度も同じシリーズを繰り返して見せるので もう前に見てしまったのに、繰り返して見ているのだ。レックスとは、ジャーマンセパードの警察犬で、ウィーン警察殺人課所属。頭が良くて 鼻がきくので、殺人犯人を必ず見つけ出して捕まえてしまう警察犬なのだ。

ウィーン観光庁が スポンサーしているテレビフイルムなので、毎回殺人が起きる場所も、宮殿やウィーン国立博物館や、ウィーンオペラハウス、国立バレエ学校、ウィーン駅だったりして、観ているとウィーン観光ができる。刑事達が住むウィーンのアパートも、石作りの古い歴史的な重みのある建物だ。そのレックスの持ち主で殺人課刑事を このトビアス モレッテイが演じている。本当に犬が好きな人にしか わからない犬語をちゃんとわかっていて、彼も犬も演じていると思えない自然さだ。
レックスを演じている犬が むかし持っていた犬にそっくりで、番組を見始めると 目が離せない。走り方も、匂いの嗅ぎ方も 甘え方もそっくりだ。そんなわけで、トビアスが、ドイツ語でなくイタリア語で 実際年齢より老け役でこの映画に出ていて うれしい。テレビでみても映画でみても良い俳優だ。この映画で、彼が一番光っていた。

2010年5月31日月曜日

オーストラリア日本の調査捕鯨を国際提訴




5月28日、オーストラリアの外相ステイヴン スワンは、「南氷洋での日本の調査捕鯨を止めさせる為にオランダ ハーグの国際司法裁判所に公式に提訴する。」ことを発表した。
2007年 労働党のケヴィン ラッドが政権交代したときの 選挙公約のひとつが、やっとのことで実現することになった訳だ。遅すぎる決断ともいえるが ようやく実現することになったことを評価したい。世論調査では オーストラリア人の ほぼ100%が捕鯨に反対している。あたたかい海で出産したクジラが エサを求めて空腹の長い旅をして オーストラリアを通り過ぎて南極を回遊するときに、はるばる遠く日本からきた捕鯨船に捕まり殺されるのではたまらない。冬の晴れたボンダイの高台で クジラが潮を吹く姿が頻繁に見られる。クジラはオーストラリア人にとって天然のペットのようなものだ。海洋動物は私たちと、これから生まれてくる人たちとの共通の財産だ。長いこと絶滅の恐れがあるとされ、保護対象として討議されてきたザトウクジラやナガスクジラなどを、獲って食べるべきではない。

国際捕鯨委員会(IWC)が、この6月にモロッコで開催され、日本の調査捕鯨について 話し合いが続行される。それに先立つ4月、対立が膠着したままのオーストラリアと日本の関係を 打開するために、議長の改定案が出されていた。改定案では、日本の南極海での日本の調査捕鯨で、「捕獲枠を 年間205-410頭まで、と従来の半分以下にし、日本沿岸の捕鯨を年120頭まで許す」というものだが、これに対して日本側も、オーストラリア側も受け入れを拒否していた。オーストラリアは、一貫して調査捕鯨も商業捕鯨も認めない立場だ。

1972年、国連人間環境会議で、商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)を米国が提案、1982年に、IWCでモラトリアムが採択された。2年後の1984年に日本が南極海鯨類捕獲調査計画を開始、以降、国際的な批判をあびながら日本は調査捕鯨という科学の名をつけた商業捕鯨を続けている。

私は 野生動物保護の立場から、商業捕鯨にも調査捕鯨にも、沿岸捕鯨にも反対だ。日本は、世界中から顰蹙をかっている「クジラを食べる野蛮人」というレッテルを返上し、捕鯨を中止し、国際社会と協調すべきだ。捕鯨ひとつのことで、国際社会から孤立している姿をはっきり認識しなければならない。そして、日本の独自文化の尊厳を取り戻し、知性ある外交での国際間のリーダーシップを持つべきだ。

調査捕鯨にも商業捕鯨にも沿岸捕鯨にも反対な理由を以下にあげる。

1)他に蛋白源となる食品が豊富な日本で 鯨肉を食べ続けなければならない理由がない。鯨肉を食べるのは日本の伝統文化だという歴史的事実はない。都市に住む多くの日本人が鯨肉を食べ始めたのは敗戦前後の食糧難の時期だった。鯨肉が日本人の蛋白源だったという歴史的事実はない。

2)和歌山県太地町、北海道網走市、宮崎県牡鹿地区など、一部の日本沿岸に残されている鯨漁は伝統的遺産であるが、現在、この地域の経済基盤が 唯一鯨漁に依存しているという事実は 全くない。

3)海は誰のものでもない。そこに、生息する野生動物を 世界の顰蹙を受けながら日本だけが 殺して食べ続けて良いとは思えない。野生動物は、殺されて人の食料となる家畜とは全く異なる。

4)殺生方法が残酷きわまる。日本側は度重なるIWCからの 殺生方法についての批判に対して、「瞬時に殺している」と弁明しているが、逃げ回る鯨をモリで突き、力尽きるまで泳がせて引き上げて、殺している。沿岸鯨漁では 岸に追い込んで一昼夜網で囲み、突き棒で一頭一頭殴り殺している。鯨やイルカなど、自由に大海を泳ぎまわっていた野生動物を、瞬時に殺す方法などあり得ない。

5)調査捕鯨予算の多くは 捕鯨した鯨を市場で売った利益で資金ぐりをしていることが明らかになっている。これでは公正で科学的な調査研究ができる訳がない。科学の独自性 独立性もない。科学と言いながらIWCが評価できるような科学的研究発表が、なされていない。科学の名を借りた悪辣商売だ。

6)鯨やイルカなど大型海洋動物は、水銀汚染されているので食用にすべきではない。厚生労働省でさえ、鯨肉の摂取は週40グラム以下にすべきだと言っている。現実に和歌山県太地町で鯨肉を食べてきた住民の毛髪から日本人平均の10倍を超える水銀が検出され、WHOの安全基準を超えていることがわかっている。危険とわかっている食物を妊婦や子供に食べさせてはいけない。

以上だ。今後の政府とIWCの行方を見守っていきたい。

2010年5月26日水曜日

カストラート 男か女か



セシラ バルトリのDVDを買ってきて聴いた。1966年生まれのイタリア人 メゾソプラノの歌手。
DVDの題名は「SACRIFICIUM」、サクリファイは、生贄とか、犠牲にするという意味だから、いけにえとか、犠牲者達という意味だと思う。テーマはカストラートで、歌うために自分の体を犠牲にしてきた歌い手が歌った数々の歌を、彼女が男装して歌っている。

個人的には セシラ バルトリが生まれながらにして女性なのか、トランスジェンダーなのか、レスビアンなのか、両性具を持った人なのか知らない。自分がどの性を選択して生きるか 決めるのは自分だけだ。男か女かどちらの性を生きるか 社会的に人々の理解と認識の幅も 広がってきた。愛のあり方も、LGBT:レスビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛)、トランスジェンダー(性同一障害者)の人々が、どんな選択をしながら生きていくか 男女に関係なく人権問題として、とらえ、人として尊重されるようになってきている。 今後、生物学的に100%女でも 男として社会的に生きていく というようなことも そしてその為に戸籍を書き換えることも許容されるようになっていくだろう。世界の動きとしては ようやくそんな方向に向かっている。だから、セシル バリトリが男でも女でもいいんだけど、本人が女性であると認識しているから、それに従う。でもDVDを観ていると、肩のいかつさ、背の高さ 平たい胸など、男のようで、かつてのカストラートの姿を彷彿とさせてくれる。 転がるような軽やかで美しい声で、とても音符のたくさんある 教会音楽の難曲を歌っている。

カストラートとは、変声期を迎える前の男の子を去勢してボーイソプラノの高音を歌う能力を維持したまま成長した歌手をいう。
18世紀前の教会にとっても、オペラにとっても、なくてはならない存在だった。はじめは 変声期前のボーイソプラノの歌手が事故か病気で睾丸を失くしたために、その後も声変わりすることなく美声を持ち続けたことが切っ掛けだったと思われる。それがイタリアルネッサンスにより解剖学や医学の発達とあいまって 安全に睾丸除去する手術が行われるようになった。
ボーイソプラノは 歌い手の体が小さいので高音が美しいが、声量がない上、持久力もない。テナーは高音が出ない。ボーイソプラノとテナーのギャップを埋める歌手が必要だったのだ。

教会にカストラートが登場したのが1599年のローマ。その後、300年間。女がしゃべったり、歌ったりすることが禁じられていた教会で、カストラートは活躍する。オペラの世界では 約200年間存在したあと、18世紀のボルテールやルソーの啓蒙運動や フランス革命による女性の進出などとともに、法的に禁止され、消えていった。

カステラートがもてはやされたピーク時には、毎年4000人もの10歳前後の男の子が 去勢されたと言われている。幼少のベートーベンは、ボーイソプラノの歌い手として類稀な才能をもっていたので、当時カストラートになることを期待されたが、作曲家だった父親は反対し、彼に楽器の名手になることを望んだ。
カストラートの中には 王家や貴族、大富豪のパトロンをもって 一代で財をなした歌手も多かった。カストラートのための音楽教育も盛んで、べカント唱法、バロック音楽のスピカート、コロラドーラなどを習い、文字通り天使の歌声といわれた。
現在私たちが発声練習に使っているソルフェージュは、カストラートを教育育成する為の教科書だ。

カストラートの第一人者は ナポリ生まれの カルロ ブロスキ(1705年ー1782年)で、彼はシニュール ファルネリと呼ばれていた。彼の音域は驚くべきことに 3オクターブ半あったといわれている。彼は 王侯貴族に愛されるだけでなく 女性からも愛された。歌うために睾丸除去されていても、性交渉には問題がなかったために、恋人もたくさん持っていたようだ。

題名は忘れたが 古い韓国の映画で、貧しい芸人の家に生まれた美声を持つ娘が 父親に薬で両目をわざと失明させられる というお話の映画を観た。健康な目を潰されたのは 見えないほうが 音楽に集中して、良い芸を身につけられるからだ。そんな風にして厳しい父親から芸を叩き込まれた娘が何年も何年も三味線をもって、旅をする。その旅の果てで同じように失明させられた弟と出会うという 哀しい哀しい話だった。
篠田正浩監督の「はなれごぜおりん」という映画も 思い出した。盲目で生まれた女達が集められ、唄と三味線を教えられて放たれる。芸を身につけた女達は 村からむらへと芸を披露しながら旅をして 一晩の宿のために身をひさぐ。叙情的な美しい映画だった。

音楽のために カストラートになったり、盲目にされたり、まことに、人々は美を求めてサクリファイしてきたものだ。

DVDの曲名は
Nicola Porpora
Come nave in mezzo all'onde

Nicola Porpora
Sinfonia

Francesco Araia
Cadro ma qual si mira

Nicla Porpora
Parto ti lascio o cara

Nobi onda

Usignolo sventurato

Riccardo Broschi
Son qual nave

Gerge Frideric Hndel
Ombra mai fu

2010年5月25日火曜日

わたしの2010年上半期 映画ベストテン




1:「終着駅 トルストイ死の謎」 原題 ザ ラストステーション
    3月29日映画評
2:「剣岳 点の記」
    4月24日 映画評
3:「インヴィクタス 負けざる者たち」
    2月12日映画評
4:「アバター」
    12月26日映画評
5:「シャッターアイランド」
    3月15日映画評
6:「ハートロッカー」
    2月22日映画評
7:「マイレージ マイライフ」
    2月17日映画評
8:「南極料理人」

9:「アリスインワンダーランド」
   3月12日 映画評
10:「蟹工船」

2010年5月22日土曜日

わたしの2010年上半期漫画ベスト10




まだ5月が終わってないのだけど、今年の上半期に読んだ漫画のなかで おもしろかった順から並べてみた。

1:「バガボンド」 井上雅彦 1-32巻
2:「聖おにいさん」 中村光 1-4巻
3:「テルマエ ロマエ」 ヤマザキマリ
4:「竹光侍」 松本大洋 1-8巻
5:「宇宙兄弟」小山宙哉 1-9巻
6:「神の雫」 オキモトシュウ 亜樹直作 1-24巻
7:「青い春」 松本大洋
8:「ちはやふる」 末次由紀 1-8巻
9:「働きマン」 安野モヨコ 1-3巻
10:「源氏物語 あさきゆめみし」 大和和紀 1-7巻
10:「ドラゴン桜」 三田紀房 1-21巻

1:「バガボンド」1ー32巻 継続中
宮本武蔵を描いた作品。この作家ほど人物描写がうまい作家は他に居ない。絵が とても美しい。ストーリーの作り方も上手だ。他の漫画家から抜きん出て居る。
宮本武蔵が切り捨ててきた 数々の剣士達、一人一人が忘れがたい。32巻まで読んだが 第一巻からしっかり記憶に残っていて 感動がよみがえってくる。
「スラムダンク」で、高校生だった当時のファンたちと共に 成長してきた作家自身が 今度は武蔵とともに成熟し、作家としてゆるぎない地位を築いた。この作品を書くと同時に、全くジャンルの違う「リアル」のような 内容の濃い漫画も同時に連載している。本当に、力量のある作家に違いない。

2:「聖おにいさん」1-4巻 継続中
とにかく おもしろい。ページをめくるごとに 笑える。
イエスとブッダが二人して 地上に降りてきて高円寺のアパートで、一緒に暮らしている。今まで作家が取り上げなかった宗教を題材に漫画にしているが けっしてブラックジョークやシニカルにはならないところが良い。若い人らしく軽快に楽しい笑いを取るところが 爽やかだ。作家が実に 笑わせる芸に長けている。

3:「テルマ ロマエ」継続中
2010年漫画大賞受賞作品。
時は、紀元前。建国から800年ローマ文化の爛熟期。
ローマ風呂の技師ルシウスは、仕事に熱心なあまり、昼も夜も考えることは風呂のことばかり。仕事熱が高じて 現代の日本にタイムスリップしてしまう。まじめな顔のルシウスが、ローマ時代から 今の日本にくるごとに、驚愕する姿が おかしくてたまらない。ローマ人の風呂好きと日本人の風呂好きが、こんなに相似点で結ばれているとは、、、。
日本の銭湯にワープして「平たい顔族」(日本人のこと)や、一枚板の鏡やフルーツ牛乳に感動する姿には笑ったが、猿が浸かっている温泉にワープしたり、個人風呂ニワープするごとに、ストーりーが広がっていく。日本の風呂に突然、ルシウスが現れるたびに 日本人が大して驚きもせず ルシウスを自然に受け入れて あれこれ世話をする姿が本物っぽくて、すごく笑った。作家は とても頭の良い人だ。

4:「竹光侍」1-8巻 完結
絵にこだわる松本大洋の作品。瀬能宗一郎は、人里離れた山奥で 幼い時から厳しい父親に剣の道を教えられて育った。しかしある日、送り込まれた刺客によって 両親を失い独りきりになる。そこで、父親の形見の剣をもって、江戸に出る。目明し(御用聞き)親分に拾われて、かたぎ長屋で 子供達に読み書きを教えて、暮らすが 次々と現れる侍や殺し屋に、関わりあうことになる。遂に、命をかけた真剣勝負をすることになるが、彼は最後まで、自分がどうして人々から狙われるのか 知らずにいる。
おっとりした狐顔の宗一郎がとても良いが いったん剣を抜くと、別人に豹変する姿など、描き方が迫力満点だ。

5:「宇宙兄弟」1-9巻 継続中
宇宙飛行士になることを夢みて 成長してきた二人の兄弟、南波六太と3歳年下の南波日々人。日々人が一足先にNASAの職員となり、日本人ではじめて月面に立つことになった。
よく出来て、素直で性格も良い日々人に比べて、何をやっても冴えない兄の六太が、がんばる兄貴の姿に、自分を投影して、つい六太を応援したくなる。

6:「神の雫」1-24巻 継続中
味わい というものに これほど深さと多様さがあるとは、、、。
これを読んでから ワインの飲み方が変わってきた。神咲雫や、遠咲一青のように、微妙な味を味わい、香りを理解することはできないが 今までよりも 慎重に味わうようになった。何となく 人物のつながりと結末はわかってきたが、これからも出てくるワインの数々を見てみたい。

7:「青い春」 松本大洋 短編集
一つ一つの短編が、それぞれ違う味で、独立しながらキラキラ輝いている。

8:「ちはやふる」1-8巻 継続中
全く興味も知識もなかった百人一首 かるたとりの世界をちょっとだけ知ることが出来て、興味の幅が広がった。「ヒカルの碁」で、碁をちょっとだけ齧り、「ダービージョッキー」で、競馬のことが すこしだけ分かるようになった。漫画で得る知識もばかにならない。
若い女の子が ひとつのことに一生懸命になっている姿はいつ見ても 好ましい。主人子の綾瀬千早が、自然体でとても良い。彼女をとりまく男の子達も、清々しい。

9:「働きマン」安野モヨコ
雑誌社に勤める女の子。編集長になって 自分の思いどうりの雑誌を作りたい。そこまで登りつめるために仕事で徹夜も平気。気のあったボーイフレンドもいるけど お泊りよりも仕事第一。若い男の新人などの何倍もバリバリ働く女の子。マスコミ界にいたことがあるから「シメキリ」の4文字の怖さを知っているし、この女の子に共感するところもある。でも、現実はもっと過激かもしれない。実際編集長を務め 男性社員を叱咤しながら働いて、さらに家族を持っている立派な女性を何人も知っている。もっともっと、本気で働く女性が漫画で描かれて良いのではないか。

10:「源氏物語 あさきゆめみし」1-7巻、完結
随分昔に 発表されたらしいが、初めて手にした。絵が美しい。光源氏の描き方に好感をもてる。

10:「ドラゴン桜」1-21巻 完結
何が何でも 教え子を東大に入学させようとする 龍山高校の桜木健二先生が 押し付けがましいが、ばかくさくて、おもしろい。

2010年5月18日火曜日

映画 「コンサート」


映画 「コンサート」を観た。ルーマニア人監督による映画。日本では「オーケストラ」という題で公開されている。どうして「コンサート」という題が日本にいくと「オーケストラ」という題の映画になるのか そのままの題では何故いけなかったのか、わからない。
監督:ラド ミハイル
キャスト
アンドレ フイリポフ指揮者:アレクセイ グスコフ
ヴァイオリニスト アンナマリ:メラニー ローレント

ストーリーは
25年前 アンドレ フィリポフは、ボリショイオーケストラの常任指揮者だった。スターリニズムの嵐が吹き荒れる頃、彼は 命令に背いてユダヤ人演奏家をオーケストラから排除せず、中心メンバーとして演奏させたことで、当局から糾弾され、職から追放された。
生活のために、今はボリショイ劇場の掃除夫をしている。

ある日 他に誰も居ない 劇場のマネージャーの部屋を アンドレが掃除している最中、ファックスが届いた。パリの シャタレー劇場からだ。そこには、ロスアンデルス フィルハーモニーが 事故のため急に来られなくなったので、代わりにボリショイオーケストラに来てもらえないか という打診だった。
アンドレは、これは神の啓示ではないか、と思い立つ。ファックスを握り締め、昔の仲間を呼び集める。アンドレと共に 解雇された演奏家達は 散々になっていて、それぞれが生活のために、汲々としていた。タクシードライバー、引越し屋、商売人、カフェ経営者などなど、、、かき集めた仲間で オーケストラを編成して、パリに行く、、、そんな夢のようなことにために、皆一致して、金策に走る。そして、いよいよ、新ボリショイオーケストラはパリに向かう。

アンドレは、パリに住む 25歳の美しい、新鋭のヴァイオリニスト、アンナ マリーに独奏を依頼していた。様々な困難を 克服して、アンドレは 何が何でも パリでアンナ マリーにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾かせなければならない理由がある。
アンドレと アンナ マリーは一体どういうつながりがあったのか?
と、いうお話。

ファックスを受け取ってからの アンドレの燃えるようなエネルギー。コンサートの場所はパリでなければならないし、独奏者は アンナ マリーでなければならないし、曲は絶対に チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトでなければならない。それでなけれな 彼の人生は完結しない。

そんなアンドレの気持ちとはうらはらに オーケストラのメンバーの お気楽さ。クラリネットも、ヴァイオリンも、フレンチホーンも、売り飛ばしてしまった 元団員が25年ぶりに、音楽を始めるのだから どんな様子か、それは笑える。田舎者でウォッカ漬けのロシア人が沢山集まって パリの街頭に出れば、どんな醜態をさらけ出すか、それも笑える。全員が リハーサルなど、そっちのけで、街頭やカフェで、演奏して小銭稼ぎに、走り回る。それで得た金で飲んだくれる。

一方では 解雇された指揮者と 両親を知らされずに育った25歳の孤独なヴァイオリニストの哀しい哀しいお話。でも、こころ温まるストーリーなのだ。見ていて、ついつられて涙が出た。でも、それは画面がどうあれ、チャイコフスキーが、劇場いっぱいに鳴り響いていたから、という単純な理由だ。

話としては、おもしろい。ボリショイオーケストラで、名声高い指揮者がいまは、掃除夫。それがパリから届いた一枚のファックスで かつての栄華をとりもどす。胸のすくような お話だ。
それに、パリ育ちの美貌のヴァイオリニスト 彼女は孤児で 何やら不遇の指揮者と関係があるらしい。ぞくぞくする謎めいた展開。
そして、音楽も良い。何と言っても チャイコフスキーの曲の数々。素晴らしい。

しかし、こんな映画を見てはいけない。時間と金の無駄だ。
ありえないお話だ。非現実的すぎる。全く、音楽をやらない人が作った 作り話だ。オーケストラを解散させられ、解雇され、生活のために楽器を売ってしまった団員達が、25年後に集まって借り物の楽器で すぐにチャイコフスキーが演奏できるわけがない。
映画では、みな団員達は飲んだくれてリハーサルさえ なしだ。あり得ない。プロでさえ、コンサート本番をひかえると、毎日5時間6時間と、練習をして、その上 何時間ものリハーサルを繰り返すのだ。本当の演奏家たちを馬鹿にしてはいけない。チャイコフスキーを愚弄してはいけない。

それと、主演女優の大根ぶりは、見るに耐えない。どうしてヴァイオリンを弾ける人を使わないのか。若く美しいヴァイオリニストは星の数よりも居る。音大に足を運んでみたら、チャイコフスキーのさわりくらい弾ける美しい女はいくらでもいただろう。それほど美しくも、名もあるわけでない女優にオーケストラをバックに独奏者としてヴァイオリンを弾く「ふり」をさせるなど、愚かで見苦しい。キラキラ星が弾けるようになった子供でさえ、この映画を見れば この女優が弾いているふりをしているだけだ ということがわかる。情けない。
こんなつまらない映画、見るべきではない。

2010年5月9日日曜日

母の日のクロエ物語



オプトメトリストをしている娘が 母の日に大きな深紅の薔薇の花束を抱えて持ってきてくれた。素晴らしく高貴な香りに、部屋中が満たされている。
獣医をしている娘から、生の声が吹き込まれている 母の日のカードが送られてきた。生後7ヶ月の赤ちゃんの声も一緒に録音されていて、楽しい。
世界でいちばん幸せな母親だと、心から思う。

その母の日の前日、失踪していたねこが 帰ってきた。二重の喜びだ。宙に浮いていた心がやっと自分の体にもどってきた感じ。シャンパンを開け、久しぶりでよく眠れた。

今年の1月19日に 愛猫オスカーに死なれた。17歳という高齢だったから、仕方がない と言えば言えるが 食べ物を受け付けなくなっても、1ヶ月近く生きて、死ぬ直前まで 甘えて膝の上に乗ってきた。最後まで美しく 愛らしい子だったオスカーを思うと 失った今でも涙があふれてくる。

その後、獣医の娘が クロエという4歳の真っ黒な猫を連れてきた。
ニューカッスルの もと飼い主は 新しく犬を飼う様になって 犬と相性の悪いクロエを手離した。しばらくは、動物病院のシェルターで 新しい飼い主を待っていたが いつまでもは待てないから、いずれは処分せざるを得ない。そんな立場の沢山居る猫たちの中から 穏やかで私たち夫婦に 飼える様な性格の猫を選んで連れてきたわけだ。

そうしてクロエは うちの新しい家族になった。
とても恥ずかしがりやで いつも押し入れや、ベッドの下に隠れている。夜になると 出てきてちょっとだけ甘えて、与えられた食事が済むと サッサとまたベッドの下にもぐりこむ。私たちが、家の中にいるときは、四六時中 私たちの足元にくっついて離れなかったオスカーに慣れていたから、クロエの態度には拍子ぬけだった。2週間たっても、クロエはあまり甘えてこない。
日曜の夜 私たちが寝室に行く時、クロエはいつも少しだけ開けてあるガラスドアから外に出て、ベランダに居た。猫は外の空気が好きだから それを気にもとめなかった。が、それが クロエを見た最後だった。

次の朝 食事に呼んでも出てこない。ベランダは、13メートルの細長い形をして、外に面していて、緑の林が真正面に続いている。その奥は6面のテニスコートが広がっている。朝 様々な鳥の声が騒がしいほど自然豊かな風景だ。アパート全体が斜面に建っているので、2階だが、4階くらいの高さだ。
とても猫が飛び降りられる高さではない。落ちたら 猫でも怪我をする。ベランダに、隙間があるので両隣の家にも、猫なら行ける。オスカーもよく となりの家のベランダに出張して行って、籐の椅子が涼しくて気持ちが良いのか、よく隣の家の長椅子で眠っていた。だからクロエが居なくなっても あまり気に留めなかった。そのうちに、おなかが空けば帰ってくるだろう と。

月曜の夜に帰ってこないので あわてた。クロエは失踪したのだ。
両隣の家族は 知らないという。あわてて娘に連絡して、クロエの失踪届けを出してもらった。オーストラリアでは すべての小動物のペットに 飼い主はマイクロチップを埋め込む義務が課せられている。失踪してもマイクロチップをみれば、飼い主がわかる仕組みになっている。
張り紙をあちこちに張り出し、クロエを見つけ次第 連絡をくれるように頼みまわる。ベランダから落ちて そのまま帰る家がわからなくなって困っているかもしれない。その日から「クロエ、クロエ」と大声で名前を呼びながら アパートのまわりや、林の中を探し歩く毎日になった。ベランダから落ちたかもしれない場所に エサを置いておくと、誰が食べるのか、翌日には なくなっている。クロエが食べたのではないだろうと わかっていながら毎朝、毎晩エサを置いておく。林の中を探し回って体中 蜘蛛の巣だらけになったりした。

300キロ離れたニューカッスルから連れてこられて2週間、、、ニューカッスルに向かって歩いているのだろうか。おなかを空かせて 車の多い道路を避けながら トボトボと北に向かっているのだろうか。野良猫に間違えられて 邪険にされたり石を投げられたり 犬に追われたりしているのではないだろうか。ゴミ箱を漁っている間に ゴミ自動車に放り込まれたりしていないだろうか。ベランダから落ちた時に ひどい怪我をしているのではないか。
アパートのとなりのとなりの家族が クロエが居なくなる前日の土曜に引越しをしていた。正確にこの人たちが いつ出て行ったのかわからないが、クロエが ベランダからこの家に入って、引っ越した時に まちがって家に中に閉じ込められたかも知れない。家の中をよく調べてください と不動産屋に依頼の手紙を出す。家のドアに耳を押し付けて 猫の声がしないかどうか、一日に何度もやってみる。

一週間は、探し回るのに必死で、他のことは何も考えられなかった。アパートの掃除の人、庭師、ゴミ集めの人、水道屋にも、探すのを手伝ってもらう。
2週間目に入って、クロエを探しながらも だんだん気落ちして夫婦共に うつ状態に入った。今思うと この時期、ヤバかった。中年の鬱、、、朝起きたくない、何も食べたくない、食べ物の味がしない、仕事に行きたくない。一月前から友達と食事に行く約束をしていたが 行く気になれず キャンセルした。キャンセルしたことで、また自分を責めて落ち込む。誰とも話をしたくない。夫婦の会話は途切れがち。
オットは クロエが居なくなった日曜の夜、ベランダにいたクロエを家の中に入れようかどうしようかと迷って そのままにした。それを自分でひどく責めている。オットと何の話をしていても、最後には、「あの時 家の中に入れるべきだった。」という言葉しか 出てこないのには まいった。

3週間目に入って、ふっきって、あきらめた。居なくなった猫を 私たちは どうすることもできない。秋になって、毎日一層寒くなった。雨に濡れながら、怪我した足を引きずりながら 痩せさらばえてニューカッスルに向かって歩いている姿が目に浮かぶ。しかし、それをふっきった。オットと久しぶりで映画を見て笑った。じゃあ、旅行に行こうか、と、先の話ができるようになった。

2週間だけうちに居たクロエが、突然居なくなって3週間。
そんな矢先、ずっと離れたクレモンの動物病院から クロエを保護しているという連絡が入った。かかってきた電話にあせって 言われたことが のみこめないまま 動物病院の住所を書き留める。娘に電話すると、娘が調べて その病院に電話をしてドクターと獣医同士で話をして、クロエが病気も怪我もしておらず、健康状態も良いことを確認してくれた。そこの動物病院のナースが 道に迷っていた猫を保護したのだという。娘のアドバイスに従って、ハードウェアに走って行って ベランダに柵を作り 網を張って、二度と猫が隣に行ったり、落ちたりしないようにした。

クロエを 迎えに行って 連れて帰る。クロエは大して嬉しそうな様子も見せず 家に着くなりベッドの下に隠れた。しかし、一安心。
クロエは無事 帰ってきたのだ。ベランダから落ちて、痛む足を引きずりながら 飢えと寒さに耐えながら北に向かって 彷徨い歩いていたのでは 断じてない。来た時と同じ 真っ黒な毛はつやつやと輝いていて、丸々と太っている。
しかし、クロエが保護されたところは、車で30分、猫が歩いて行ける距離ではない。3週間の間 誰がクロエを食べさせて世話をしたのだろう。引っ越していった若い人たちが ベランダに来たクロエを軽い気持ちで連れて行って 嫌になって外に出したところで ナースに拾われたのだろうか。謎だらけ。

クロエは何も語ってくれない。
何事もなかったように、私の膝の上で、長々と伸びて眠っている。
ねこのことは わからない。しかし、それでいいのかもしれない。母の日の 気の利いたプレゼントだと思うことにしよう。

NSW州美術館の「歌麿」



先月は、ポスト印象派の絵を観に キャンベラまで旅行してきた。いま、この絵画たちは、日本で公開されている。
私の住んでいる近所にある NSW州立美術館にも ポスト印象派の良い絵が いくつかある。州立美術館は シドニーのシテイーの中心 ハイドパークと、オペラハウスの中間にある。とても大きなヴィクトリア風の建物だ。1896年ー1909年建設。

グランドフロアに 
ゴッホの「農夫の顔」(HEAD OF PEASANT),1884年
セザンヌの「マレーネ川岸」(THE BANK OF MARENE)1888年
モネの「ゴルファー港」(PORT GOULPHAR BELLE-ILE]1887年
ピサロの「農家 エナグニー」(PEASANT HOUSES ENAGNY)1887年作、などがある。なかでもゴッホの絵がとても良い。

地下2階に下りると 20世紀の絵画の部屋に ピカソの大作「ロッキングチェアーに座る裸婦」(NUDE IN ROCKINGCHAIR)1956年が、あって、輝いている。

ここで 喜多川歌麿の浮世絵89点が展示 公開されていた。日本から来たわけではなく、ベルリン国立アジア美術館所蔵作品が貸し出されてきたものだ。
写楽の描いた役者の肖像画など、その斬新な描写に魅力を感じるが 歌麿は春画のイメージが強くて、ちょっとねー、、と、避けて通りたかったが、日本びいきの友達らが、ビューテイフル、ワンダフル、マーべラス、アストニッシュ、グレイト と連発するので、行ってみてきた。

歌麿は吉原の遊女ばかり描いていたのかと思っていたら、そればかりではなくて、その時代の庶民の姿を描いたものが多いのが意外だった。
女達の顔は みな似ていて、平面的、小さな目や口で、そろって着ている着物は 襟がゆるく はだけて着崩している。男も女も共通して、なよなよして、なめくじのよう。だが、色っぽい。
描写力が実に緻密で 着物の模様、帯の刺繍の端まで はっきりと描写されている。人物描写が細かいのに 絵の背景に色がなく、白い紙に人物だけが描かれているものが多い。記念写真のように 上半身の女の絵が多く、「美人大首絵」といって、歌麿の専売特許のようなものらしい。カメラのなかった時代 彼の描いた遊女達の美人画が出版されるやいなや、その女性が吉原で売れっ子になる などの流行現象をおこしたといわれている。

印象に残った作品は
1:「絵本虫選」1788年
15ページの絵本で 狂歌の横に花や蝶や虫が描かれている。虫に、恋心をたくして 哀しがったり 喜んだり 皮肉ったりしている。それぞれの絵が緻密で、本当の図鑑のよう。狂歌の英語訳がおもしろい。英語は実用後だから、ことばに余韻も味も香りもない。

2:「煙草の煙を吹く女」1793年
大首絵といって、画面いっぱいに上半身の女を描いたもの。クローズアップされた女の 怠惰な表情が伝わってくる。

3:「お七,吉三」1800年
1683年の本当にあった江戸の大火の原因になった、八百屋お七と、吉三のお話を芝居にした時の絵。絵では ふたり仲良く並んで絵になっているが、死罪になったお七の悲劇は、娯楽に少なかった時代に 格好の芝居になって庶民の涙をふり絞ったことだろう。

喜多川歌麿の絵を観たついでに 関連の本も読んでみた。歌麿は 1806年に死去したことになっているが、墓が発見されたのが、明治35年 1902年のことだ。長いこと誰からも省みられることなく 墓を世話する家族もなかったらしく、墓の土台だけが辛うじて残っていた。そこに書かれていた記録から、死亡年月が確定されて、生まれた年が逆算され、1753年に生まれたことになった。どんな家庭に生まれて育ったのか、本人はどんな家庭を持ったのか、子供はいたのか などの事も わかっていない。
当時 文筆に長けていた教養人からは、浮世絵師は ずっと下の卑しい職業と思われていた。歌麿がどうして 浮世絵を描くようになったのかわからないが、幼いときから 鳥山石燕(1712-1288)に 弟子入りしたことは わかっている。彼は 大衆小説 黄表紙の挿絵 絵本入り狂歌 芝居絵本などの版下絵師として、生計をたてていた。

28歳で、葛屋重三郎という、版元に出会い、次々と作品を出版できて売れるようになって、30歳を過ぎてから 美人画を描き始める。
生涯に1000の美人画を描き、450の春画を描いた と言われている。江戸町人文化の華だ。
ところが、突然 松平定信による寛政の改革令が下りて 葛屋重三郎が身上半減の極刑を受ける。また1796年に浮世絵は出版禁止となる。しかしその後も、歌麿はしぶとく絵の背景に、字や絵をいれて、浮世絵とは別のものであるようにして、描き続ける。

1804年、絵本太閤記につけた武者絵が刊行されたことで、当局に「風紀壊乱」した、とされて版元は絶版没収、15貫文の罰金、3日間の入牢、50日の手鎖という重刑を受けた。徳川幕府にとって、豊臣秀吉の英雄物語の出版とそれによる庶民の人気が、時の政府の怒りをあおったのだろう。受刑のあと、歌麿は失意に打ちのめされ2年後に死んだ。

浮世絵が当局によって出版禁止になっても、描くことを止めず 圧倒的な庶民による支持を受けて、人気者であり続けた歌麿。酷刑にあい、身も心もうちやぶられて、死んだ歌麿。美人画や春画を描くことで 時の権力者にたてついた反逆児だった。

A DOG TRAINER SHOULD BE WELL TRAINED THAN DOG.
犬を訓練したかったら、犬よりは賢くなくちゃあね。とよく言う。今も昔も 権力者は 賢くなければ。それなのに、、、。
江戸時代 大衆文化の豊穣さを、少しでも お上が理解できていたら、寛政の改革や風紀取締りで、芸術家を圧殺するようなことは なかっただろう。

2010年5月5日水曜日

映画 「アイアンマン 2」




丁度、2年前の5月に、「アイアンマン」を観て とてもおもしろかったので、日記に書いた。その続編「ナンバー2」が出た。
日本では6月11日から公開されるそうだ。2008年に、世界中で興行成績5億8500万ドル(600億円)を稼いだ ヒット作品だ。
あれ、トニーは、どうしてアイアンマンになったんだっけ?と、2年前のことだから すっかり忘れていたのを おさらいして記憶を新たにするために 「アイアンマン 1」を貼り付けておく。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=796952524&owner_id=5059993

監督:ジョン ファブロー
キャスト
トニー スターク:ロバート ダウニー ジュニア
秘書 ペッパー:グウィネス バルトロー
親友 米軍大佐ジム:ドン チードル
ロシアからきた敵:ミッキー ローク
トニーの新しい秘書ブラック ウィドー:スカーレット ヨハンソン
ライバルの武器商人ジャステイン:サム ロックウェル

ストーリーは
前回、アイアンマンの大活躍によって 米国防衛の危機は回避された。自分がアイアンマンであることを名乗り出ざるを得なかったトニー スタークは、国のヒーローになって人気者スターになってしまった。いまや米国政府と契約を結ぶ大企業の経営者で、2代目の天才科学者トニーは アイアンスーツを着れば無敵の強さだ。スターク社のエキスポでは、美女達のラインダンスに花火、ど派手なステージショーでアイアンマンスーツを着脱してみせて、トムは有頂天になっている。お金があって、頭が良くて、変身できて、独身プレイボーイだから言うこと無しだ。

米国国防庁は、トニーにアイアン パワースーツを引き渡すように 要求してきた。この国家命令を拒否したためトニーは査問委員会に召喚される。しかし、トニーは 自分の企業秘密を漏らすわけにはいかない。トニーは かつて、アフガニスタンで砲丸の破片に当たって停止した心臓を、ロシアの科学者の手で 原子力を使ったペースメーカーを埋め込まれて救命されている。アイアンスーツは、そのペースメーカーが入った自分の体を犠牲にして作られたものだから、ほかの誰かに渡すことは出来ない。

一方、ロシアで一人の科学者が息子(ミッキー ローク)に看取られながら死ぬ。アフガニスタンの砂漠でトニーを救った科学者に縁のある学者らしい。息子に、アイアンマンは、おまえがなるべきだったんだ、と言って死ぬ。息子は父親の残した設計図をもとにアイアンマンのパワーのもとである原子力を使ったパワースーツを作る。その名は ウィップラッシュ。

トニーがモナコの自動車レースに出場していると、カーレースの真っ最中に ロシアからきた ウィップラッシュが出現して、次々と走ってくるF1カーを 鉄を真っ二つに切れる鞭で つぶしていく。混乱した会場は火の海となった。車から投げ出されたトニーは 攻撃を受け、すんでのところで 駆けつけた秘書 ペパーが 投げてよこしたアイアンスーツのおかげで命拾いをする。
ウィップラッシュは監獄に送られるが、ライバルの武器商人ジャステインに 身請けされて、アイアンスーツのような武器を作ることを 強いられる。強力な敵の出現だ。

そんな事情を知ってか 知らずか、トニーは相変わらず飲んだくれて、はめを外して 美女をはべらせ調子に乗っている。アイアンスーツのまま 酔ってパーテイーをぶち壊しているトニーを止めようと、親友の米軍大佐ジムは、とっさにトニーの研究室から 別のアイアンスーツをひったくって着用し、アイアンマンの大暴れをやめさせる。そんな、トニーに、みんなは すっかり愛想をつかす。
それを好機とばかり、武器商人のジャステインは ウィップラッシュに作らせた強力ロボットを多数政府に売り込む。そして落ち目のアイアンマンを潰そうと、ウィップラッシュは攻撃してくる。
トニーひとりで この危機が回避できるのか、、、。
と いったストーリー。
続きがある。映画が終わっても すぐに立たないで座っていると、「その次」の予告が入る。

新たにトニーの秘書 ブラックウィドー(スカーレット ヨハンソン)が加わった。秘書のペパー(グウィネス バルトロー)は 頭が良くて機転が利いてトニーが馬鹿をやっている間 代わりに社長代行もできる。でもタフではないのに比べて、ブラックウィドーは めちゃめちゃ肉体派で強い。二人とも 普段は ミニのタイトスカートにハイヒールで仕事しているが、いざとなるとブラックウィドーは ボデイースーツで ブルースリー並みのカンフー使いになる。ハスキーな声で、ふくよかな唇 小柄で可愛いスカーレット ヨハンソンが、今まで見せなかったアクションに挑戦している。

しかし、何と言ってもおもしろいのは天才物理学者で正義感ある男なのに 酒と女遊びに溺れ 馬鹿ばかりやってしまう調子者のトニーと、それを支える常に冷静で 利発な秘書ペパーとのつかず離れずの関係だ。だだっ子と それを懐柔するお母さんのような やりとりがおもしろい。
ロバート ダウニージュニアは もともとハンサムでもかっこよい訳でもない。若くもない。ハリウッドで長いこと下積み生活、映画ではまあまあの端役ばかりやっていた。そんな役者がアイアンマン2008年の大ヒットでいちやくトップスターになった。役者としてのそんな彼の姿と、映画の中でのアイアンマンが、今ひとつスーパーヒーローと言い切れない姿とダブって これまでにない人間的なスーパーヒーローの味を出している。姿も顔も美しいスーパーマンや、バットマンとはちがうタイプのヒーローになった。

今回の敵をやったミッキー ロークは映画「レスラー」で、何十年かぶりで映画界に帰り咲いた老練の役者。レスラーではリンクで華と散ってくれたおかげで、観客をすすり泣かせてくれた。今後も悪役ばかりで ちょくちょく顔を見そうだ。でも本当は優しい人だ、と言われても こんな人を友達にはなりたくない。こわい。

トニーが研究しているとき 設計図がスリーダイメンションでコンピューターグラフィックでとび出てくる。これがおもしろい。また、アイフォーンみたいな大きさの彼のコンピューターが、次々と情報を立体図で空間に飛び出てきたり、写真や地図が空間で見られたり、人探しなど さっさとやってくれて、機能が良い。こんな携帯電話、欲しい。

全米で、10人に一人以上の人が失業して職探しに走り回っている、出口のないアフガニスタンで毎日戦死者が出ている。不況の波は、回復の兆しを見せていない。それに加えて、自然災害。何一ついいことのない2010年のアメリカ。
だからこそ、F1カーが がちゃがちゃ衝突炎上し、ガラスでできた高層ビルがアイアンマンの一撃で ガラガラ崩れ落ち、コンクリの建物がグチャグチャつぶれ、何もかも派手に燃え上がるアイアンマン、必見かもしれない。

2010年4月29日木曜日

松本大洋の漫画




ピンポン
竹光侍
吾 ナンバーファイブ
青い春

松本大洋の漫画を初めて読んだのは「ピンポン」1-4巻が最初だった。筆太で、油絵のように、ひとつひとつの絵がしっかりと力強く描かれていて それがときとして、抽象画のような、くずれ方をする。絵が実におもしろいので、驚いた。

二人の少年のピンポンをめぐる 争いがテーマだ。ペコとヒーローの出会い、そして最後の別れが とても心に残る。 ピンポンの天才ペコが ヒーローにとって、本当のヒーローである以上、ヒーローにペコを乗り越えていくことは出来ない。それでいい と本人が心の底で思っているからだ。ナンバーワンをめざす 男ふたりの友情とも ライバルともいえない、もっと深い心の奥の方での結びつきが、単純なスポーツ漫画とは、一味ちがった感動をもたらせる。

次に読んだのは、「竹光侍」1巻から8巻で完結しているらしいが 5巻までしか手に入らなかった。竹筆で描かれているらしい。
独特の筆のタッチがとても良い。小説で言う 行間を読ませる、という芸をこの作家はもっていて、自由自在に使っている。

江戸下町長屋に住む 瀬能宗一郎は めっぽう剣は強いのに それをおくびにも出さず 長屋仲間のために 大切な父のかたみの剣を質入れしたまま質に流してしまう。子供達を集めて学問を教える寺子屋をやっている。穏やかな人柄から子供からも大人からも 慕われている。酒もいけるが、甘いものに目がない。こんな男が放っておかれるわけもなく 親しい遊女もいるが、家庭をもつ気などない。

信濃の国 立石領 多岐家、瀬能宗右衛門の息子として育ったが、実の父は 時の将軍だ。瓜二つの顔が事実を物語っている。そこに、監獄破りの極悪人が現れる。木久地真之介。メシという名の鼠をペットに飼っている。理由なく罪のないものを殺す、この極悪人を宗一郎は許せない。がゆえ宿命の敵となる。

細い筆が 侍の表情を捉えて 絵が美しい。
油断していると 子供が女に化けた狐にさらわれそうになったり、女の子に化けた大魚に 川の底に引きずりこまれそうになったりするシーンが 自分が子供の頃に想像していた世界のように、よみがえってくる。

次に「吾 ナンバーファイブ」
天才科学者:PAPAの手によって 創造された超人類は、9人。王がワン、仁がツー、惨がスリー、死がフォー、吾がファイブ、岩がシックス、亡がセブン、蜂がエイト、苦がナインの、面々だ。超人類は平和隊として、生態系を崩壊させた人類のために 人の進むべき指針を示すために 造られた。
彼らは それぞれが個性が強く、協調性はないが、「共鳴」する。仲間が遠くに居ても「感じる」ことができて、どういう状況にいるのかが互いに、わかっている。

しかし、ある日、超人類の中で、ナンバーファイブが 脱退し仲間を殺して女を奪い 女と逃避行をはかる。 恋路ゆえの逃避行なのだが、女:マトリョーシカは、いつも食うだけ。何もしゃべらず食い続け、悪無限的に太り続ける。
一方、ナンバーワン(王)は、国民から支持されてる 一番の人気者だ。彼はものすごく強いくせに非暴力主義者で心優しいヒーローだ。しかし、ナンバーファイブに狙撃されて、死ぬ。そして、反乱軍は投降して、最終的には平和隊の生き残りは 人類と平和的に共存していく。

小学館IKKIコミックでは4巻で完結した。一冊一冊の表紙の絵が美しい。ナンバーファイブと、マトリョーシカのふたりが 砂漠や雪原や牧草地や地の果てで、並んで立っている。まわりに大小 ありとあらゆる動物が 恐竜を含めて描かれている。色彩といい、動物の描写といい、額に飾る洋画のように美しい。
物語の中でも、登場人物が 自由なイマジネーションで、巨大になったり 小さくなったりしながら、いつも動物が背景に登場する。ナンバーワンのお城に キリンがやたら、くつろいでいたり、魚も浮かんでいたり、窓から熊が顔を覗かせていたりする。ひとコマひとコマが 愉快でおもしろい。
超人類といいながら、ひとりひとりは実に心細やかな 好青年たちなのだ。彼らの「感じ」「共鳴」できるという結びつき方に、とても魅かれた。

次に読んだのは「青い春」。
短編集で、「しあわせなら手をたたこう」
高校3年生。学校屋上の柵に 外からつかまって、手を何回叩けるかを競う、命をかけた娯楽。校長らは、落ちこぼれどもの同士討ちだ、ととりあわない。7年ぶりに8回手をたたいた英雄の九条は、もう仲間達から離れたい一心で、弟分に ついはっぱをかける。兄貴を心から慕っている弟分は12回たたいて、踊り場のコンクリートで頭を割って死ぬまで 手をたたき続行ける。

「リボルバー」
突然ヤクザに リボルバーを贈られた3人の高校生。これは本物のヤクザからの招待状だ。3人は 学校では、ワルだが、ヤクザになる気はない。弾丸を1発だけ残して、3人は海に向かう。地獄にタッチして、帰ってくることにしたのだ。ロシアンルーレット。誰も恨まない。誰か死んだら海に流す と約束して。しかし、3人とも生き残り、「感動だよ、、。」と。

「夏でポン」
みんなの夢だった甲子園。県の準決勝。
最後の一球。エースは ピッチャーが カーブのサインを出したのに、直球を投げて、サヨナラ負けした。
エースとピッチャー、サードとセンターの4人は 甲子園が終わるまでマージャンをする。15日間休みなし、眠さにも負けず、4人甲子園が終わるまで苦行を続ける。マージャンをしながらも会話は最期の試合のことばかり。「カーブで勝てたんだ。」と言い、「キャッチャーはいつも正しかった。」「ヒーローは自分勝手でよ。」と言うが、みな「あの直球は最高だったよ。」と。
エースは プロからスカウトをされていたが 甲子園に行けなかったので、親の後をついで酒屋になる。少年達、大阪の球遊びが終わるまで 不眠不休でマージャン がんばれ!

このほか「鈴木さん」、「ピース」、「ファミリーレストランは僕らのパラダイスさ」、「だみだこりゃ」がある。
どれも味わいがあって、良い。わたしは、「夏でポン」が一番心に残った。

松本大洋の絵はそれぞれの作品ごとに大きく異なる。ひとつひとつの作品がほかの作品と全然 類似点がなくて、並べてみても 同じ人が書いたと思えない。とても、作品ごとのテイストを大事にしていて、絵にこだわる人なのだろう。
読んだもの、みなおもしろかった。
残りの作品も、読んでみよう。楽しみが増えて、嬉しい。

2010年4月24日土曜日

映画 「剣岳 点の記」




原作:新田次郎
監督:木村大作
音楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団
キャスト
陸軍測量部測量士 柴崎芳太郎:浅野忠信
山岳ガイド 宇治長次郎   :香川照之
測量士 生田信       :松田龍平
日本山岳会 小島鳥水    :仲村トオル

ストーリーは
明治39年(1906年)、日清戦争に勝利した日本軍は勢いをもっていた。当時、陸軍は 防衛上の観点から、日本全土の正確な地図を製作する必要があった。剣岳は前人未到の山であったため 地図の空白を埋めるために、早急に剣岳を中心とした正確な測量と地図を作ることが必要とされていた。そこで、陸軍測量部は、測量士の柴田芳太郎に、一刻も早く剣岳に登頂することを厳命し、その為の調査と準備をするように 彼を送り出す。

明治39年10月、柴田は山岳ガイド 宇治長太郎と共に、室堂から入山、様々なルートから剣岳をアプローチを試みるが 聳え立って取り付きようのない岩壁に阻まれて 登頂路さえ発見できないまま 一足早い冬を迎えた剣立山連峰から 吹雪の中を下山する。
立山は、信仰の山で、剣岳は弘法大師が3千足のわらじを無駄にしても登頂できなかった死の山とされ、登ってはいけない山だと信じられていた。そのため 剣岳登頂のための案内人 長次郎に当たる地元の風は、冷たいものだった。
一方、陸軍測量部に提出した柴崎芳太郎の「登頂不可能」の報告は全く陸軍からは受け入れられず 翌年春に測量チームを派遣することが決定していた。何が何でも剣岳登頂を成功させなければならない。

翌年明治40年3月 柴崎芳太郎ら3人の測量士と、宇治長次郎をリーダーとする山岳ガイド4人の一行は再び剣岳を目指す。「剣岳は誰かが登らなければならない。登らなければ道はできない。」という長次郎の強い信念のもとにチームは再び剣岳の頂上をめざす。
一方、日本山岳会も、同時に入山しており、測量隊よりも早く 初登頂を成功させようと目論んでいた。彼らは外国製の近代装備と、豊富な資金を使って 剣岳一番乗りの記録争いに挑戦していたのだった。

測量隊が剣沢 池の平、雪渓を通り絶壁を越えて頂上に立ったのは 明治40年7月。遂に 山岳会に一足早く登頂に成功した。
しかし、頂上には 錆び付いた鉄剣と、銅製の杖があった。彼らが初登頂したのではなかったのだ。知らせは直ちに 陸軍に報告される。陸軍の威信にかけて征服したはずだった剣岳登頂の筋書きが狂う。剣岳初登頂の記録は全く無視され、測量部と山岳部との記録争いを 追っていた新聞社だけが、柴崎、宇治らの成功を報道した。
頂上で発見された鉄剣などは、奈良時代後半から平安時代初期の求道僧によって残されたものと考えられている。
柴崎らは 登頂を成功させたが 険しい岩場に阻まれて 測量のための三角点標石を頂上に担ぎ上げることが出来なかった。そのため、三角点設置場所、地図上の「点の記」を記録することができなかった。剣岳の標高は 周辺の山々から測量して 2998Mと計測された。
というお話。
余談だが、剣岳に三等三角点が設置されたのは 2004年だそうだ。GPS測量によって 剣岳最高標高は2999Mと、観測された。

この映画は 日本で2009年6月に公開された。監督、撮影はカメラマンの木村大作、彼にとって初めての監督作品。撮影に 2年間、延べ200日余りの時間をかけて撮ったそうだ。明治時代の柴崎 宇治らが登ったように、季節も史実に合わせて登って、撮影したそうだ。登頂に成功した日も 事実に合わせて7月13日に撮影しようとしたが、天候不順で、17日に延びた。が、服装も装備も当時と同じものを使い 極力 史実通りに再現させたという。
監督に言われたとおりに 山を登ったり下ったり、凍ったり、吹雪にあったり、強風に飛ばされたり 豪雨にあったり、雪渓で滑ったり転んだりした 役者さんたちは大変だったろう。

山に魅せられていた時期がある。
「穂高 槍ヶ岳」と、「立山 剣岳」に魅せられる。これほど美しい山々は世界でも他にない。これらの山々の写真やフィルムを見ると 清涼な山の風、乾いた山の匂い、突き抜ける高い空、心地よい日差し、湧き水の冷たさ、唐松の匂い、這い上がってくる真っ白なガス、ライチョウの姿などがよみがえってくる。柴崎芳太郎、宇治長次郎が登った道を それとは知らず 歩いたことがある。
1971年。 室堂から剣沢小屋、みくりが池、雷鳥沢、剣御前、前剣岳に至り 遂に剣岳。360度のパノラマ。くさり場を、カニのように横ばいで進みながら 岩場を通り、垂直に伸びるハシゴを上り下りする。クサリやハシゴがなかった時代、命綱をつけてどんなに、大変な思いで人々は登ったのだろう。

翌年は室堂から浄土山、一の越山荘を経て 雄山(3003M)。そこから剣岳まで縦走するはずが、雄山頂上で凍死しそうになって 目前の剣岳の勇壮な姿を 目に焼き付けて すごすご下山。その後 二度と登る機会がなかった。夏山だけで、春の山も秋の山も 増して冬山を知らない。だから、映画の中で、秋の雪渓を渡る浅野忠信や、すっぽり雪に覆われた山を歩く香川照之を見ながら 山行を疑似体験したのが嬉しかった。
芝居とはいえ、ザイルのまま岩壁から転げ落ち 雪渓の下まで滑り落ちた松田龍平も大変だっただろう。へたをすれば 頭を岩にぶつけて死んでいる。彼を助けようとして、二人の山岳ガイドが 雪渓をグリセードして滑り下りていたが、これも下手をすると二人ともオジャンではないか。わらじで本当にグリセードやったんだろうか。傾斜のある雪渓の壁に90度の角度をつけて靴の踵で滑って下りてくるグリセードは とっても かっこいいが、とても危ない。二人の山岳ガイドが素敵。

音楽 ヴィバルデイが剣岳にとても似合っていて良かった。
バイオリン弾きにとって、というか、私にとってヴィバルデイの「四季」を好きな室内合奏団をバックにソロでやるのは夢の夢だ。映画が始まって いきなりヴィバルデイの「夏」のソロで、浅野忠信が 夏の剣岳を歩くシーンになったので、思わずワーッと うなってしまった。とってもマッチ。冬山シーンでは「冬」が演奏される。岩壁の険しさ、聳え立つ絶壁のシーンでは シャープな弓さばきのソロパートがたくさん出てくる。演奏がシーンに とてもよく合っていた。
ヴバルデイと剣岳とは相性が良い。とすると、穂高 槍ヶ岳には、モーツァルトの「ジュピター」だろうか。うん、そうに違いない。とすると、アイガー北壁には?

役者では、浅野忠信より、香川照之が良かった。浅野が、どんなに軍から強い圧力を受けても 山でふぶきにあって死にかけても、若い妻に甘えられても いつも同じ顔をしているのには なんか乗っていけなかった。こういう無表情で動じない顔で売っている俳優さんなんだろうか?
香川照之の素朴で謙虚な役柄が好ましく共感できた。
まあ、誰にしても、ヒラリー卿よりも、テンジンに見方したくなるものなんだろうけどね。

2010年4月22日木曜日

映画 「ドラゴン タトゥの女」



トルストイを描いた映画「終着駅 トルストイ死の謎」が 映像、音楽 キャストすべて合わせて 実に よく完成された作品だったので、そのあとほかの映画を見る気になれなかった。これ以上のものを映画に求めることは出来ないだろうと思える作品だったからだ。英国人の品格のある役者たちが、ロシア文学の香り高い文芸作品を作っていた。
「タイタンの戦い」とか、いつもの惰性的習慣で、新作ハリウッド映画も いくつか見ていたが 心に響かないので 全然映画評を書く気になれなかった。

そこで、スウェーデン映画を見てみた。
劇場で公開され始めて すでに2ヶ月たっているのに いまだに独立系の小劇場で公開されている。客が入らないと 話題作でさえ 1週間で劇場から消えていく映画が多いのに、しぶとく残っている。映画評論家たちが こぞって高得点をつけているので、見る価値はあるのだろう。
スウェーデン映画というと、ベイルマンをすぐに思い出す。学生のころ ベイルマンの映画を いくつか 生あくび咬み殺しながら見た。ネチネチ理屈っぽい議論ばかり繰り返している 会話中心で 動きの少ない映画ばかり。どちらかというと、2時間の中で、人が出会ったり 愛したり 憎んだり 殺したり 殺されたりするドラマが好きだったので、雪に閉ざされた家の中で 男と女が延々と言い合いをする心理劇には、辟易した。
しかし、今度のスウェーデン映画は、全然違うテイスト。15歳以下 お断りの暴力と人種差別とパンクに満ちた 現在のスウェーデンを写し取ったような映画だった。

「ドラゴンタトゥの女」原作「THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO」
原作: ステイーブン ランソン
監督: ニール アーデン オプレフ
キャスト
ジャーナリストマイケル:マイケル ナイクビスト
エリザべス: ノーミ ラパス
この作品は 昨年世界中で1000万部の売り上げを記録したベストセラー、ステイーブン ランソンによるミステリーだ。惜しいことに この作家は2004年に 作家として絶頂の時だったに関わらず亡くなった。日本では早川書房で翻訳出版されている。ミステリーは読むほうが絶対おもしろいが、映画で見るのもいい。

ストーリーは
ストックホルム。
ジャーナリストで ある企業のスキャンダルを暴いてセンセーションを起こしたマイケルは、その徹底した密着取材を、逆に企業から個人情報を暴露した罪で起訴され、3ヶ月の実刑判決を受ける。しかし やり手のジャーナリストにとって 実刑など勲章のようなものだ。人々はマイケルの暴露記事に拍手喝さいしていた。

そんなマイケルのところに、大企業グループ バンガーの元会長から、じきじきに、会いたいという話が舞い込んでくる。バンガー氏は、マイケルに 未解決の 40年前の 姪が失踪した事件を、調べ直して欲しいと依頼する。マイケルは どうせ刑期が終わるまで 新聞社に戻ることは出来ないし 捜査のための報酬が充分得られることから バンカー家が所有する島で、捜査を始める。

マイケルの調査の進行はすべてコンピューターに打ち込まれる。誰にも侵入できないはずの 彼の入り組んだ人口頭脳のなかに、一人入り込んできたハッカーがいる。マイケルは必死で探索して 探し当てたのは、ドラゴンの刺青をした パンクでレズビアンの若い女だった。マイケルは この女性 エリザべスに、捜査の協力を依頼する。エリザベスは 大企業に巣食う腐敗や企業秘密をコンピューターから盗み取るプロのハッカーだった。しかし、彼女の豊富な資金源だったパトロンが、急死したことで早急に資金が必要になった。渡りに船とばかり エリザベスはマイケルの仕事の助手を務めることになる。

マイケル達が調べていくうちに、40年の間に、バンガー家の娘が失踪しただけでなく 何人もの若い女性が誘拐され 異常に残酷な殺され方をする未開決事件が 頻繁に起きていたことがわかった。どの女性も首を絞められ陵辱され 死体をもてあそばれている。捜査する過程で バンガー家が 強力なナチ信奉者で、病んだ血筋をもっていることが明らかになる。その段階で当然 妨害が入り、マイケルにもエリザベスにも 身の危険が迫る。
ミステリーの謎解きのおもしろさが失われないよう、これ以上ストーリは言えない。スリルと暴力と破滅に満ちた映画だ。
マイケルのまじめでこつこつと調査を積み重ねていくジャーナリストの姿が好ましく、マイケルと正反対なパンクなコンピューターハッカー エリザベスとの結びつきかたが、とてもおもしろい。

コンピューターハッカーとは、孤独な存在だ。莫大な現金が動く。裏社会を生きているのだから、例え見つかってしまっても 警察や他人に助けを求めることは出来ない。失敗しても もみ消されたり、殺されたり 生きていた証拠さえ消されても 誰にも文句が言えない。常に身の危険に備え、強い心を持っていなければならない。
どうして若い女が そんな危険な仕事をしているのか 序序に 幼い時からエリザベスの孤独で傷だらけの生い立ちが明らかにされる。つかの間のマイケルとエリザベスの似たもの同志の心の交流。
スウェーデンの「今」を切り取った おもしろい映画だ。

これをクレモン オピアム映画館で観た。この映画館は 創立1935年。中に6つのスクリーンがあって、全部で1600席。
一番大きなスクリーンでは メトロポリタン オペラや、キエフ バレエ団のフィルムを 定期的に、見せてくれたりする。幕間に、舞台からスルスルと電子ピアノがでてきて、生の演奏で客を退屈させない。赤い絨毯が敷き詰められて アールデコというか、ヴェルサイユ的というか、階段やあちこちにギリシャ風彫像が立っていたり 装飾が凝らしてある。
こんな古風で個性的な映画館だから、地元ノースのスノビーな インテリ年寄りたちが 常連だ。クレモンという場所は オージーが一番好きな「ウォーターヴュー」すなわち海が見える高台に家を持っている人々が多い。リタイヤメントアパート、日本でいう高級有料老人ホームも 沢山ある。
ここで月に一度 「ムービーランチ」というのがあって、新しい映画を見せたあと バスケットに入ったサンドイッチが配られる。近所のリタイヤメントアパートから送迎用のバスも出る。みんな きちんとした服装でくるところがやはり、イギリス的だ。おばあさん方は、きちんとイヤリングにネックレス、帽子をかぶったり、おじいさん方もちゃんと背広だ。用意されたお茶を飲みながら、映画談義に沸く。わたしもよく行くが 老人パワーに圧倒される思いだ。
おもしろいのは、映画の前にクイズがあって、みな子供のように手を上げて 当てっこをすること。「マレネ デイトリッヒの最初の映画は?」とか、「フレッド アステアが映画で全然踊らない映画のタイトルは?」とか、、。正解を言ったひとにお芝居のチケットなどが 配られる。もらったことないけど。

マイナーな映画を見せているのに 若いお客は少ない。シドニーのクレモンあたりに住む お金持ちでインテリのおじいさんおばあさん方は メジャーのハリウッド映画より、マイナーなフランス映画、スペイン映画なんかを好む。イランのマジット マジ監督の映画や、チャン イーモウ監督の中国映画を いち早く上映したのもこの映画館だった。珍しいブータンの若い監督の作品、ウイグルのドキュメンタリーフィルムを ほかの映画館に先立って上映したのも この映画館だった。

そんな映画館で映画を観ると 一緒に見ている人たちの反応がおもしろい。哀しい場面では あちこちで憚ることなくすすり泣いたり鼻をかむ音でにぎやかになるし、笑い方もすごい大声だ。
「シェリー」は、ものすごい美少年(ラパート フレンド)が、自分の母親くらいの年の女(ミシェル ハイファー)に恋をするお話だが、映画の最後に 彼は数年後に自殺しました という説明が出てきたら、あちこちで、「オーノー!」とか、深い深いため息が聞こえてきた。オージーは何で 映画や芝居やオペラを黙って観られないんだろう。
「モーターサイクル ダイヤリー」で、若き日のチェ ゲバラがバイクに乗って 倒れそうになったり 怪我したりするごとに、見ている人達が「アブナーイ!」とか、「アウチ!」とか叫んでいた。自分の孫とかが すべったりころんだりしているのを見ている気持ちなんだろうか。とても うるさかった。

スェーデン映画「ドラゴンタトゥの女」では、最後 パンクのエリザベスの後姿が消えたと同時に 拍手した人が何人もいた。エリザベスにすっかり共感したのだろう。私も同じ気持ちだった。だけど、どうしてオージーって、静かに映画を見られないんだろう。

2010年4月15日木曜日

オルセイ美術館絵画展に行ってきた




パリ オルセイ美術館のポスト印象派の絵画展が 現在 キャンベラ国立美術館で展示 公開されている。12月から4月18日まで、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、モネ、スラーなどのポスト印象派の112もの作品が 初めて海外に貸し出されて海を渡ってきた。

これらの絵画はキャンベラのあと、東京の新国際美術館で5月から公開される。そして、東京のあと、サンフランシスコのデ ヤング記念美術館に展示されてから、パリに戻る。キャンベラ、東京、サンフランシスコに住む人達は幸運だ。
この絵画展については このあいだの日記にも書いたので、貼り付けておく。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1443709527&owner_id=5059993

もとモデルで歌手のカーラ ブルーの旦那(サルコジ仏大統領)が 繰り返し言っているように もう二度とオルセイ美術館の100点余りの絵画がパリを離れることはないだろう。今後 またパリに行く機会があったとしてもオルセイ美術館まで足を伸ばすことはないだろうし、いまキャンベラに行かなければ一生これらの画を見逃すことになる。日本に行ってしまう前に、どうしても観なければ という強い気持ちで、スケジュールをやりくりしてキャンベラに行って来た。
シドニーからキャンベラまで 飛行機で1時間、長距離電車で4時間30分、長距離バスのグレイハウンドで3時間30分。キャンベラ中のホテルが満員で泊まる所がない と言われていたが 娘がネットで上手にハイアットホテルの予約を取ってくれた。あれこれ迷った末 レンタカーでドライブしていくことにした。

で、今回キャンベラに絵を観に行ったために費やした費用は
1、3時間30分 時速130キロで高速道路を飛ばしたために磨り減った神経と、その分 短くなった寿命。
2、ガソリン込みレンタカー代:$250
3、ハイアットホテル1泊、メシつき:$350
4、キャンベラ国立美術館入場料:$18
5、館内の売店で買った絵の複製ポスターや絵はがき:$100
6、オルセイ美術館絵画集:$50
などなど。

入場時間が指定された入館料をネットを通して 買っていったので、予定時間どうりに入館できたし、充分 ひとつひとつの絵を真正面から接写で見ることができたのは、幸運だった。館内に入った人が ゆったり鑑賞できるように、入場を制限しているので、他人の体が触れるほど混み合ってはいなかった。
絵画展が始まったばかりの頃は 美術館の対応が悪くて大変だったらしい。キャンベラの人口は 90%が 連邦政府に雇われている政治家や政府関係者で構成されている。人工的に作られた たった人口30万人の街だ。そんなキャンベラに 絵を見るために国内だけでなく外国からも人が押し寄せて ちっぽけな街が人で埋まった。ホテルは皆ブックアウト。美術館の入館料を求める人々が並んで4時間待ち と言われ 館外の芝生まで 真夏の炎天下に長蛇の列ができて、病人も出た。美術館としては そんなに人が来るとは思っていなかったのだろう。
絵画展が始まって3ヶ月たって やっと遅ればせながら 入場時間指定の入場券を準備するようになり、混乱が避けられるようになった。

それにしても、画集を飽きるほど見ていたが、本物を観た という満足感は大きい。
印刷技術が飛躍的に向上し、何人もの美術専門家が監修して作られた 安くない画集に印刷された「青」と、100年前に実際ゴッホが描いた「青」とのなんという ちがい。筆のひとつひとつのタッチが 生きて輝いている。100年あまり、人々に見つめられながら輝き続けてきた「青」の美しさが、心に染み渡る。
なんということだろう。こんなに美しい「青」を見たことがない。

ゴッホの「星降る夜」(「STARRY NIGHT」)色彩の鮮やかさ。美術館で鑑賞中の人 だれもが この絵の前で、歓声をあげていた。星の降る夜に、海を背景に、仲良く星を数える老夫婦の姿。小刻みに軽快なピアノ音の奏でる ドビッシーのピアノ小曲が聞こえてくるようだ。内面に こんな美しい情景を描く美を抱えたまま 不遇の一生を終えたゴッホが ただただ痛ましい。生前に売れた絵は、一枚だけ。弟テオに 食べさせてもらいながら絵を描き続け、ゴーギャンとアルルで共同生活をするが耳を切り落とす事件のあとでは 精神病院に入院、37歳の若さで パリ郊外で猟銃で自害。これほど存在感のある絵を描く人は外に居ない。


近代画家の父、ポール セザンヌの 「玉ねぎのある静物画」、光の画家、クロード モネの「日傘をさす女性」、「睡蓮の池」。ゴーガンの「タヒチの女たち」、「黄色いキリストのある自画像」。

ピサロの「火をおこす百姓の娘」の絵が美しい。光と影が、淡く美しい色彩で描かれている。この時代、カンバスを野外のもって行って絵を描くことも 実験的なことだったが その上 百姓女など、どこにでも居る人々を描くことも革命的なことだったのだろう。100年たっても働く女の力強い姿が やわらかいパステルカラーで、詩情たっぷりに見る人に語りかけてくる。

アンリ ルソーの「戦争」が好きだ。戦いが終わり 無数の兵士が倒れ カラスがその肉をつぃばみ漁っている。炎と剣をもった白衣の「戦争」という名の少女が死者達の骸の上を駆け巡っている。キュービズムや、シュールリアリズムのさきがけになった絵だ。彼もまた 亡くなってから やっと作品が人々に理解されるようになった。いつの時代も芸術家たちは 時代を切り開くために命を犠牲にする。

本当の良い絵画展だ。
半分あきらめかけていた私の背中を ちゃんとしっかり押してくれた娘たち、、、ありがとう。

絵は
ゴーギャン「黄色いキリストのある自画像」
アンリ ルソー「戦争」
ゴッホ「星の降る夜」

2010年3月29日月曜日

映画 「終着駅 トルストイ死の謎」


映画「終着駅 トルストイの死の謎」原題「THE LAST STATION」を観た。

作品:独 英 露 3カ国共同製作
監督:マイケル ホフマン
原作:ジェイ パリーニ
キャスト 
トルストイ:  クリストファー プラマー
妻ソフィア:  ヘレン ミレン
娘サーシャ:  アン マリーダフ
弟子チェルトコフ: ポール ジアマテイ
秘書ワレンチン: ジェームス マカウェイ
マーシャ:ケリー コンドン
2010年アカデミー助演男優賞ノミネイト:クリストファー プラマー
主演女優賞ノミネイト:ヘレン ミレン

レオ トルストイの「戦争と平和」、「アンナカレーニナ」を 若い日に読んで、影響を受けた人は多いだろう。
ロシアの文豪トルストイは「われわれは他人の為に生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである。」と 言った。
彼の人道主義と、徹底した非暴力と自己犠牲の思想に 共鳴したトルストイアン{トルストイ信奉者}は 彼の理想とする生き方を追求し その動きは運動となって ロシアだけでなく世界中に影響を与えた。
晩年のトルストイは ヤースナヤ ポリャーニャーの生家に住まい、近くの農場では、トルストイアンたちが トルストイの思想を生活に取り込んで 自給自足のコミュニテイーを作っていた。そのコミュニテイーを馬で訪ねて行き そこで生まれた子供達を祝福し、和やかな田舎の暮らしを トルストイは楽しんでいた。

世界に名を知られたトルストイの一挙一動は 新聞社によって報道されていたが、厳しいツアーリズムの政権下、彼の一番弟子チェルトコフは 官憲によってモスクワで自宅軟禁され自由を奪われていた。彼は若い秘書ワレンチンをトルストイのもとに、送り込む。
82歳のトルストイには 死が近ついている。彼は遺産も著作権もみなロシアの国民のものに残したいという意志を持っていた。しかしそれを実行するためには 新たな遺書にそういった意志を明記する必要があった。新しい遺書を作らなければ すべてのトルストイの遺産は妻のものになってしまう。それで 自由を拘束されているチェルトコフは 自分の息のかかった秘書ワレンチンをトルストイのもとに送り込んだわけだった。

画面が美しい。
趣味の良い家具、調度品。サモワールや優雅なお茶のセットやテーブル。庭園での夏の午後のお茶。美しい印象画を観ているようだ。
そして、衣装の素晴らしさ。妻ソフィア演じるヘレン ミレンが シーンが変わるごとに美しい19世紀の貴族女性の服を纏って現れる。凝った刺繍の立て襟、裾の長いドレス、美しい帽子いレースの日傘。やがて貴族階級が民衆の力で引き摺り下ろされることを予兆するかのような哀しいほどの華麗さだ。
トルストイアンたちのコミュニテイーで、自給自足の生活に挑戦する知的女性ミーシャら、自由を求める人々の農婦姿と対照的だ。
またトルストイが晩餐と旅行に出る時以外は いつも百姓服なのも、印象的だ。古い習慣に捉われず 飾らず 実直な作家の生きる姿が胸をうつ。

映画の中で はじめてトルストイが画面に登場する場面が 感動的だ。秘書のワレンコフがモスクワから長旅でやっと 彼の家にたどり着く。と、しわくちゃな立て襟シャツにブーツといった農夫姿に 笑顔いっぱいで現れるトルストイの魅力的なこと、、。弟子のチェルトコフが送り込んだ秘書ならば 大歓迎というムードで 若い秘書を抱きしめて 「僕のことは知っているでしょう。君のことを聞かせてくれ。」と好々爺の顔で覗き込むトルストイに、秘書は感激して言葉を失って涙ぐむ。 良いシーンだ。

また秘書ワレンチンが トルストイの妻ソフィアに初めて会うシーン。「あなたは”戦争と平和”を読んだ?」と問われて、彼は「勿論です。何度も。」と答えて、ソフィアに睨まれ、「い、いえ、2回読みました。」と答え、ふたりで微笑する そんなシーンも良い。何度も何度も 簡単に読み返せるような小説では ないものね。
そして、ソフィアは トルストイがこれを書いている時 わたしが清書してあげたのよ、小説の中の女性の会話ではわたしが沢山アドヴァイスしたのよ、だから”戦争と平和”は、わたしたち二人で作ったようなものなのよ、と言ってきかせる。そんなソフィアの言葉に嘘はないだろう。本当に仲の良い夫婦だったのだろう。

しかし、トルストイは 愛人をもつ。自由に羽ばたいて因習や拘束を超えて創造を続ける。嫉妬に狂いトルストイを独り占めしたい妻の心情などおかまいなしだ。トルストイは愛人との性交渉、ベッドの中のことまで隠すことなく秘書のワレンチンに語って聞かせる。若いワレンチンには恋愛経験がないので、理解できずにいて、トルストイに笑われる。
そんなワレンチンも コミュニテイーのなかで生活している女性 ミーシャに出会い、恋に陥る。はじめて出合った愛に有頂天のワレンチン。しかし、ミーシャは刹那の感情よりも、自由を求めて止まない女だ。習慣からの自由、拘束からの自由、婚姻からの自由、を求めてワレンチンのもとを去る。

弟子のチェルトコフが自由になり トルストイのもとに帰ってきた。
遺言の作成が急がれる。時間がない。トルストイの偉業を遺産としてロシア国民のために 残さなければならない。
一方、妻のソフィアは仮病を使ったり 様々な方法で夫の目を自分に向けさせて、遺言状作成の妨害をする。困難を乗り越えて チェルトコフはトルストイを家から離れた森に呼び出して 遺言にサインをさせる。それを知って 狂ったように夫を責めるソフィア、、、安住の場を失ったトルストイは 妻も家も捨てて旅に出る。
しかし、高齢に無理がたたり旅の途中、ロシア南部のアスターポポ駅で肺炎を患って、彼は倒れる。心の平静を求めて妻や家を捨て旅に出た はずのトルストイが 熱にうかされて帰っていく場は、ソフィアのもとだ。ソフィアの腕に抱かれてトルストイはその人生という長い旅を終える。
わがままで嫉妬深く 独占欲のかたまりのようだったソフィアが 長い生涯を共に連れ添った夫が息を引き取る間近に、聴こえないトルストイの言葉を聞きとり、他の誰にもできない会話を交わし 優しく見送ってやった。毅然としたソフィアの顔が光を放つ聖母の顔になる。美しい瞬間だ。

総じて原作「トルストイ死の謎」より ずっと映画の方がよくできている。トルストイを愛する人々の期待を裏切らない。
トルストイを誰よりも愛していながら 真の彼の理想を決して理解することのなかった妻ソフィアと 芸術家として自由を求めるトルストイとの軋轢がよく描かれている。老練のふたりの俳優の演技がみごとだ。

対する 若々しいミーシャの新しい時代を切り開こうとする女の知性と行動力、ケリー コンドン演じるミーシャが きらきら輝いている。
ミーシャの「自由」がまったく理解できなくて 傷つくワレンチン、、、内気な青年。 チェルトコフと、ソフィアとの間で どちらに組することも出来ず 苦しむワレンチンを 今がシュンのジェームス マカォイが演じていて適役だ。この映画、ヘレン ミレンにしても、クリストファー プラマーにしても、英国俳優のなかで一番うまい役者だけを引き抜いて集めてきたみたい。

とても良い映画で、これを機会にトルストイが好きになって読んでみる人も多いかもしれない。トルストイアンはハンカチを持って行ったほうが良い。
今年観た映画になかで、最も心に残る映画になった。「アバター」、「インヴィクタス」、「ハート ロッカー」が今年のアカデミー賞受賞するといいな、と言っていたけれど、いま、この映画を観た後では これが一番好きだ。

2010年3月27日土曜日

映画 「ミステイック リバー」


翻訳ものの探偵小説にのめりこんで 月に軽く30冊以上、読んでいた時期がある。
パトリシア コーンウェル、ステーブン クーンツ、ジョイス メナード、ジョン カッツエンバック、イヤン フレミング、トム クランシー、メアリー クラーク、ちょっと 違う味だけどダン ブラウンなど。特に、パトリシア コーンウェルは 検視官という職種のドクターが難解な事件を 解決にまで もっていく過程がおもしろく、次の出版を待って夢中で読んでいた。

翻訳ものの良さは その訳者の才能次第だ。よい俳優に イメージそっくりの良い声役を あてはめることが その映画の成功の条件であるように、小説も作家と同じテイストをもった訳者に当たれば ヒットまちがいなしだ。サリンジャーを村上春樹が訳したのは、やるべき人がやるべき仕事をした と言える。

デニス ルへインも 実におもしろい小説を書く。翻訳もすごく良い。スコセッシ監督の「シャッターアイランド」を書いた人だ。彼の小説「ミステイックリバー」で おもしろい表現が無数に出てくる。

たとえば、昔、高校で同級だった2人の男が、昔人気ものだった女のことを話題にしている。
  「ああ、今なにしてるんだ?」「売春婦」とヴァルは言った。「ひどい老け方だ。おれたちと同じ年くらいだよな。なのに棺桶にはいったおれの母親の方が 元気そうに見えた。」

銃が撃ち込まれたバーの主人が やってきた警官の質問に答える。
「弾丸はビンを割って あの壁にめり込んだんだ。」「怖かったでしょう。」老人は肩をすくめた。「グラスにはいったミルクよりは怖かったが、この近所の夜ほどは怖くなかったよ。」

「もしも、あの日 デイブの代わりに俺かお前があの車に乗っていたら どうなっていたと思う?俺たちの人生は違っていたと思わないか? ヒットラーの母親が彼を中絶しようとして すんでのところであきらめたと言う話を聞いたことがある。やつがウィーンを去ったのは 書いた絵が一枚も売れなかったから という話も。だが もし絵が一枚でも売れていたら?もし母親が本当に中絶していたら?世界はまったくちがう場所になっていたはずだ。だろ?」

原作者デニス ルへインは「ミステイックリバー」の映画化を はじめ断じて拒否していたそうだ。でもクリント イーストウッドの誠意ある依頼に 承諾せざるを得なかったという。イーストウッドに懇願されて、断れる作家などいないだろう。予想通り この作品は 発表された2004年のアカデミーで 監督賞をノミネイト、ショーン ペンは主演男優賞、テイム ロビンスは助演男優賞を獲得した。映画のできも最高だが、キャステイングが良い。ショーン ペン、ケビン ベーコン、テイム ロビンスの3人が 幼馴染の遊び仲間だったが 殺人事件を契機に再開する。3人3様の役にぴったりの はまり役だ。
当時に話題になった こんなに よくできた映画の映画評を どうして今頃書いているかというと、今ごろ 遅ればせながら初めて観たからだ。どうしてか忘れたが 見逃して そのままになっていてヴィデオも手に入れるのを忘れていた。それを聞いた娘が買ってくれたので、やっと見ることができた、というわけだ。

ストーリーは
11歳のマーカム(のちのショーン ペン)、ショーン(ケヴィン ベーコン)、とデイヴ(テイム ロビンス)は 近所どうしで仲の良い遊び仲間だ。ある日、舗装道路のコンクリーが固まらないうちに、柔らかいセメントにそれぞれ自分達の名前を いたずらに彫り付けた。そこを通りかかった2人の男にいたずらを注意される。ごめんなさいを頑固に言わないマーカム、今にも噛み付きそうで すばしこいショーン、うなだれるデイヴ、、、。2人の男は3人の悪童に説教をしたあとで、デイヴを家まで送ってやる、と言い うながして車に乗せる。しかし、デイヴはそのまま連れて行かれて帰ってこなかった。街中が、大騒ぎになって、大人達はデイヴを探し回る。4日後に憔悴したデイヴが 帰ってくる。何があったのか、人々は口をつぐみ その後この事件について触れる人は居なかった。

3人は大人になり マーカムは表向きは雑貨屋だが、裏では立派な刑務所帰りのギャング、ショーンは刑事、デイヴは腕の良い職人になっていて、もう一緒につるむこともない。
マーカムの19歳になる娘ケイテイが ある夜 友達の家行ったまま 帰ってこない。翌朝 ミステイック川沿いにある森で遺体が発見される。捜査にあたるショーンは 狂ったように娘を捜し求めるマーカムに顔をあわせることになる。
一方、ケイテイが殺された夜 デイヴが血だらけで帰ってくる。妻が理由を問いただしても 酔って けんかをしたとデイヴは言うだけだ。挙動に不信をいだいた妻は ショーンの娘の殺人に夫が関わっているのではないかと、疑い始める。

3人3様の男達。雑貨商のマーカムは幾度も刑務所と娑婆を行き来した末 再婚してやっと家庭を築き上げることができたにも関わらず 唯一無二の宝だった娘を殺される。
刑事のショーンには 頻繁に無言電話がかかってくる。黙って出て行った妻からの電話だということが分かっている。ショーンには、そんな妻にどう対応してよいかわからずにいる。
デイヴは生真面目に働き 妻と堅実な生活をしてきたが、内面に重苦しい傷を抱えている。3人の平穏な暮らしは、一皮むけば たちまち深い傷や弱さが露呈する、あやうい均衡を辛うじて保っている。
ケイテイを誰が殺したのか。

とてもおもしろくて よく出来た小説と映画なので、読んだり観たりする価値はおおありだ。大事なのは、マーカムの言葉に表れている。「もしもあの日デイヴの代わりに 俺かお前があの車に乗っていら、、、」というマーカムとショーンの会話だ。
連れて行かれた子供と いかれなかった子供、この違いが3人の男達の一生に関わっている。連れて行かれなかった子供は 連れて行かれたこどもに一生 返しきれない負債を背負うことになるし、連れて行かれた子供は誰にも想像不可能なほどの深傷を抱えたまま生きることになる。この世は 連れて行かれた子と 連れていかれなかった子とで できている。君も あなたも連れて行かれた子か、連れていかれなかった子かのどちらかなのだ。
事態は急展開する。殺人犯はあがる。事件は解決する。
しかし 連れて行かれた子といかれなかった子は 依然として存在する。決して、何も変わらないのだ。

オーストラリアでは、戦中、戦後1000人余りの孤児達がヨーロッパから戦火や食料危機を避けて オーストラリアに船で送られてきた。そのうち多くの子供達が 教会施設や養父母に引き取られて ぺデファイルの犠牲になった。現在60代、70代のこれらの人々は 精神的にも肉体的にも多大の被害を受けた。このことで、オーストラリア首相、ケヴィン ラッドはつい先日、公式に謝罪したばかりだ。ヨーロッパから孤児を引き取るということが、1950年代まで行われていたという事実に驚かされるが 受け入れていた教会が あたたかいベッドとスープを提供するどころか性的奴隷や労働に使役したという事実には さらに驚かされる。

今年ハイチを津波が襲い チリを地震が襲った。大災害のあとにくるものが大規模な孤児を出現と 彼らを待ちうけている幼児売買などの犯罪グループの跋扈。人々の欲望。なんと浅ましいことだろう。世がどんなに変わっても、連れて行かれる子たちは いっこうに、減ることはないのだ。
この世の嘆きをクリント イーストウッドが冷静な目、クールなタッチで映画化した。良い作品だ。