2010年1月7日木曜日

映画 「抱擁のかけら」



「BROKEN EMBRACE」(ブロークン エンブレイス)を観た。
邦題 未定。題名をつけるとしたら、意訳して「引き裂かれた抱擁」とか、「壊れた抱擁」だろうか。と 思っていたら、「ニュースウィーク」で、日本では2月に「抱擁のかけら」という題で、公開される、と書いてあった。 スペインを代表する ペドロ アルモドール監督制作によるぺネロペ クルーズ主演の新作。2時間30分。
日本でも ペドロ アルモドールは人気のある監督のようだ。作品として「マタドール 炎のレクイエム」、「トーク トゥーハー」、「オール アバウト マイ マザー」、「神経衰弱ぎりぎりの女たち」、「ボルベール 帰郷」などがある。

外国映画の中で、スペイン映画は 不遇な扱いを受けてきた。
日本人にとって ハリウッドを除いた外国映画といえば、早くは ロシア映画だが、外国映画といえば何と言ってもフランス映画とイタリア映画が主流だろう。
フランス映画では、ルイ マル、アラン レネ、フランソワ トリュフォー、ジャン リュック ゴダール、ルノワールなど、イタリア映画では、ミケランジェロ アントニオーニ、ビットリオ デ シーカ、パゾリーニ、フェデリコ フェリーニなど ヌーベルバーグ、新しい波の若々しい映画の作り手たちの名が すらすらと出てくる。1960年、70年代の輝かしい 映画の新時代に、スペイン映画の名が ひとつも出てこない。長期にわたるフランコ軍事独裁政権で、道が閉ざされていた不幸な歴史のためだ。

ぺドロ アルモドールは、フランコが死んだ1975年あたりから 映画に関わり合いをもち、1980年代になってから やっと本格的に映画作りを始める。スペイン議会が新憲法を承認して スペインに民主主義体制が始まったのが 1978年のことだ。今まで 押さえられていた圧倒的な政治の力を 撥ね退けるように この監督は 元気でシニカルで、エネジェテイックで、スペインっぽい作品を作ってきた。
「マタドール 炎のレクイエム」でも「トーク トゥー ハー」でも、闘牛士が出てくる。闘牛士が 裸からあの 体にぴったり張り付いたような 金の刺繍のついた闘牛士の服を一つ一つ身につけていく。宝石が沢山ついた ハレの舞台の 「トロ ブラボ」の 何と贅沢で美しい、高揚感をそそる姿だろう。自分の数百倍の体重をもった雄牛に剣を突き立てる 闘牛士の美を この監督は 映画のシーンに入れることを忘れない。
アントニオ バンデラを世界的な俳優にしたのも、ぺネロペ クルーズを有名女優にしたのも この監督だ。現在60歳。彼にとって、クルーズは自慢の娘のようなものだろう。

キャスト
レナ(億万長者の愛人):ぺネロペ クルーズ
マテオ(映画監督)  :ルイス ホーマー
億万長者ビジネスマン :ホセ ルイス ゴメス
マテオの妻      :ブランカ ポルテイロ
マテオの息子     :タマル ノバス

ストーリー
ビジネスマンで億万長者の経営する会社で 働いているレナ(ぺネロペ クルーズ)は、社長が自分に関心をもっていることに気付いていた。レナの父親が癌を患い たちまち一家の蓄えが底をついたとき、両親の嘆く姿を見て耐えられなくなったレナは、社長に助けを求める。その代償が何であるのかを知った上でのことだ。
社長は 長いこと欲しかったものが 思い通りに自分から転がり込んできたので嬉しくて仕方がない。娘にように若く美しいレナを 可愛がり 着飾らせて 贅沢をさせて、ひとり悦に入っている。
しかし、レナは子供のときから女優になる 夢をもっていた。贅沢三昧をさせてもらっても 自由のないミストレスの生活に、希望が見出せなくなった、ある日、レナは映画のオーデイションを受けて、役者として仕事をもらってくる。シナリオライターで、映画監督マテオ(ルイス ホーマー)の目に留まったのだ。そして、撮影が始まる。
監督と主演女優は 当然の成り行きのように、激しく恋におちる。嫉妬深い社長は 息子にビデオカメラを持たせて レナとマテオの仕事の一部始終を撮影させる。映画制作をしているフィルムの中で 演技を演じるレナと、その様子を 撮影して 撮影の合間に愛し合うレナとマテオを撮影するフィルムが交差する。

撮影が長引くに従って、社長の嫉妬は激しく燃え上がり ついに家を出ようとするレナを階段から突き落として重傷を負わせる。それでも従おうとしないレナに さらなる暴力がふるわれる。たまりかねて、マテオは映画撮影を断念してレナを連れて姿を消す。

二人の逃避行が始まる。しかし、マドリッドから遥か離れた島で、平和なときを過ごしていたレナとマテオは、 ある日衝撃を受ける。完成できなかったマテオの映画が、社長の手によって 勝手に筋書きが変えられフィルム編集されて発表されたのだった。マテオが撮影所に連絡しても 何の返事もない。仕方なく、レナとマテオは マドリッドに車で向かう。
しかし、それを追う車があった。
大きな衝突事故が起き、レナは即死、マテオは視力を失う。それは、14年前の出来事だ。

生き残ったマテオには今や、妻があり息子がいる。問われるまま 息子に14年前のことを話してやる。そして かつて作りかけだった映画をもう一度 息子の力を借りながら 編集しなおして作品を仕上げる決意をする。というストーリー。

ぺネロペ クルーズが美しい。時として、可憐な娘、時として何事も譲らない自分というものを持った 頑固で成熟した女を演じている。リンとした姿で歩いたり 立ったり座ったり話をしたりするクルーズの姿が美しい。抜群のスタイル、やわらかい体の線。スペイン女のしっかり足を大地につけた重みがある。彼女にはハリウッドの女達と一味ちがう知性を伴った輝きがある。「 それでも恋するバルセロナ」で、アカデミー助演女優賞を獲った。

先のない恋人達の逃避行が せつなく美しい。また、家を出て行くレナを、自分のものに独占しておけないなら いっそ殺してしまおうと、激情にかられた男の心理を巧みに クルーズの細い危うげなハイヒールの大写しで表現するところなど、思わず息をのむ。筋よりも 美しい映像を切り取って見せてくれるところにこの監督の良さがある。

この人の作品では この「抱擁のかけら」よりも、「オールアバウト マイ マザー」と、「ボルベール 帰郷」が良かった。
「帰郷」のなかで、パーテイーの最中 にぎやかにやっていたバンドの連中に「ちょっと、歌ってみてよ。」と言う感じで頼まれて、ぺネロペ クルーズが歌うシーンがある。喧騒をきわめていた場がちょっと静かになって、クルーズがバーの椅子にチョコンと腰掛けて、スイッと 長い首と美しい背をのばして、ギターを抱えたかと思うと すごく土の香りのするこぶしの効いた民謡を歌った。哀調のある なんか むせび泣くみたいな歌で 心に沁みた。このシーンだけのために この映画を観る価値がある と思う。

2009年12月26日土曜日

映画 「アバター」



映画「AVATAR」を観た。
「ターミネイター」、「タイタニック」を作った映画監督ジェームス キャメロンの最新作だ。1997年に監督賞ほか、沢山のアカデミー賞を総なめした「タイタニック」の大成功から12年間 映画から遠ざかっていた監督が「タイタニック」と同じ製作者、ジョン ラントンと共に戻ってきた。
2時間40分、最新の技術を使った新作だ。

実写でもアニメーションでもない 実際に役者が演じている姿をデジタル化したモーション キャプチャー(CG)といわれる映像をふんだんに使っている。前に「クリスマスキャロル」で モーション キャプチャーフィルムを3Dの眼鏡をつけて観るおもしろさについて書いたが、「アバター」では 普通の人々の動きとCGのフィルムとを 上手に編集してあって 一つの画面に人とCGで作られた異星人とが同時に出てきても 全く不自然さがない。
そのフィルムを3Dの眼鏡で見るので 画像が立体的で深みのある画面になって まるで自分が映画の中に居るような臨場感が得られる。

この映画をひとことで説明すると、「デジタル3Dモーションキャプチャーフィルムで観るSF」ということになる。
このCGに世界に出てくる惑星パンドラのナヴィの世界がおもしろい。普通の人間の倍以上背が高い 緑色の肌をしたナヴィの人々、大きな翼をもった怪鳥、空中に浮かんでいる島、不思議な色で光を放つ植物、浮遊する生物、こんな想像上のおとぎの国に、自分もアバターになって入り込んでみたくなる。

AVATARを辞書で調べてみると インドヒンズー教の神の名とか、化身と 出てくる。この映画では、主人公が高度なコンピューターを使って人と異星人とのDNAを組み合わせてできたアバターとなって、変身してナヴィの人と同じ機能を持つようになる。
時は2154年。
惑星パンドラには 酸素がないので人間は住めない。ここに住む先住民ナヴィは酸素がなくても呼吸が出来て、動物や植物ともコミュニケーションをとる能力を持っている。人の姿に似ているが青い皮膚を持ち 身体能力は遥かに人よりも優れている。英語を話す人々とコミュニケーションをとる必要ができれば 自然と英語を使って会話する適応能力も持っている。

脊髄損傷で下半身麻痺の元海兵隊ジェイク(サム ワーシントン)が、惑星パンドラにやってきた。パンドラで優秀な科学者だった双子の兄が死んだので 兄のプロジェクトの実験を手伝う為だ。アバタープロジェクトは この惑星にしかない貴重な鉱石資源を地球に持ち帰ることが目的だ。そのためには酸素がなくても生きていられる肉体を持ち、先住民ナヴィの人々と良好な関係を作ることの出来る人材が必要だ。それでジェイクが アバターになってナヴィの人々と同じ肉体を持って 彼らの世界に送り込まれることになる。

ジェイクはお金が欲しかった。兄のプロジェクトアバターに志願して 成功して 貴重な鉱石が採掘できるようになったら 莫大な報奨金がでる。それで脊椎損傷を治療して 歩けるようになりたいのだった。
ジェイクは マシーンに横たわり アバターとなってナヴィの人と同じ肉体を持ってナヴィの世界に入っていく。マシーンのなかで眠ったジェイクの人間としての肉体は眠っている。
しかしアバターになって ナヴィの世界に入ったその日に、ジェイクは凶暴な動物に追われて ジェイクを送り込んだ軍の部隊と離れ離れになてしまう。ジェイクが 野獣に追い詰められて殺される寸前のところを、美しいナヴィの娘に救われる。娘(ゾーイ サルダナ)は ナヴィの長老の娘 ネイティリという。彼女ははじめ森の動物と協調して生きていけないジェイクを殺そうとするが、他の森の生物達が 彼女の手を止めさせた。ジェイクには何かナヴィの持っていない能力を持っていることを予測したからだった。ジェイクは ナヴィの人々から 生きるための食生活や 動物達と会話する方法や、大きな翼を持った鳥を自由に乗り回す方法などを学ぶ。また彼らの言語も学習する。そして、ナヴィの人々の文化を知れば知るほど ナヴィの進んだ文化に傾倒していくのだった。ジェイクは知らず知らずに、ネイテイリに恋をしていた。

プロジェクトでは だんだんジェイクがナヴィの すべての生き物と平和的に協調して生きる姿や、高い文化に傾倒していく様子を快くは思っていない。軍としては、貴重な鉱石さえ収奪すれば あとはどうなっても良いのであって、余計な時間や資金を費やしたくない。ジェイクを使って ナヴィと交渉などさせずに、ナヴィの本拠地がわかってしまえば、一方的に侵略して鉱物を奪えばよい。そういった強硬な軍が独走する。
ナヴィの本拠地が襲われ、ナヴィの人々が次々と殺されていった。
これを見て、ジェイクはナヴィの人々と抵抗のために 立ち上がる。

主役のサム ワーシントンは オーストラリアの役者だ。「ターミネーター4」で 初めてハリウッド映画で大役を演じた。パース出身の謙虚な好青年だ。誠実で 繊細な役柄を演じる。
デビュー作は、「ブーツマン」。オーストラリアの炭鉱の街ニューカッスルで 顔も頭もずっとよく出来ている兄には 何一つ勝てない。そんな出来の悪い弟が 兄の恋人を愛してしまう。そんなせつない役を演じて賞を取った。見た目は どこにでも転がっている普通の顔をした これといって特徴のない好青年だが、この人が傷つきやすい繊細な青年の役をやると、俄然 演技が映える。
この映画で、脊椎損傷で車椅子の男の役をやったが 本当に脊椎損傷で足が麻痺した患者のように、腰から下の肉が落ちて 膝から下の両足など、手のように細くなっていた。筋肉の発達した上半身に比べて、動かない足の細さが、本当の下半身麻痺の人にしか見えなかった。
よく役者が役を演じるために 極端に減量したり、逆に筋肉をつけたりして、肉体改造をするけれど、こんな風に足を細くするなんて、、、そこまで体重を落としたのだろうか。これが役のための 努力の結果なのだとしたら、みごと、と言うしかない。

とてもおもしろい映画だ。「SFのCGを3Dで観る」体験をこのクリスマス、正月休暇に やってみる価値がある。
これからの映画だ。
2010年には テイム バートン監督の「アリス イン ワンダーランド」も、「パイレーツ オブ カリビアン」も出てくる。どちらも3Dで観ることになりそうだ。映画を画面から離れたところから鑑賞するのでなく、画面の中に自分が入りこむような体験ができる3Dで、映画がより楽しくなってくれることが、とても嬉しい。

2009年12月24日木曜日

映画 「ブエノスアイレス」


DVDでウォン カーウァイの映画「ブエノスアイレス」を観た。1997年作品。カンヌ映画祭で最優秀監督賞を獲得した映画。

トニー レオン(フェイ)とレスリー チョン(ウィン)は ゲイで恋人同士。香港の閉塞社会で 愛の行き場を失くして、二人は地球の裏側 ブエノスアイレスを旅する。レスリーの父親の友人から借りたお金を使い果たしてしまったあとは、二人の関係も 自然解消。浮気なレスリーは金持ちのパトロンを作って酒とギャンブルの贅沢三昧だ。トニーは 邪まな恋人の心変わりに傷つきながら 中国からの旅行者の世話や、ホテルのドアマンなどをしながら食いつなぐ。親の面子を潰しているから 借金を返せるようになるまでは、帰国するわけにはいかない。

そこに レスリーがパトロンに暴力をふるわれて、トニーのアパートに転がり込んでくる。トニーは献身的に看病する。両手を怪我して使えないレスリーのために食事を作って ひとくちひとくちスプーンで食べさせる。体を拭いて 一つしかない自分のベッドにレスリーを寝かせ 仕事場からは 何度も電話をかけて気使う。「レスリーの手の怪我が永遠に治らなければいい と思っていた。」と、トニーは自分で告白する。
そんなレスリーも やがては全快する。となればひとりでおとなしくアパートでトニーを待つことは出来ない。タバコを買いに、と言いながら夜の街を彷徨い出て行く。レスリーが外に出て行かないように トニーは沢山のタバコの買い置きを、棚に並べる。そんな事をされればされるほどレスリーは 独占欲の強いトニーに嫌気がさして夜の街に出て行く。

レスリーを失ったトニーは職場の青年チャン チェンに恋をする。が、チャンは それに気がつかない。チャンが 仕事を辞めて、ブエノスアイレスから最南端の土地 ウスワイァに向かって旅をすることになった。そして彼は別れる前にトニーに何でも良いから彼の声を自分のレコーダーに録音して欲しいという。人々は 極南の土地ウスワイァに 自分の過去を捨てにくると言われている。
ウスワイァの灯台に着いたチャンは、レコーダーを回してみるが、そこにはレスリーのむせび泣きのような雑音だけが吹き込まれていた。
チャンを失くし、レスリーも失くしたトニーにとって何も失うものはない。ひとりでイグアスの滝をを観にいく。たった一人で見に来るはずでなかった。しかし、雄大な滝のしぶきをあびて、トニーは勇気をだして家に帰ろう、決意する。 「そう、会おうと思えばいつだって会えるんだから。」と。

音楽と映像がマッチしてとても良い。
タイトルの副題「ハッピートウギャザー」は フランク ザッパの音楽。音量を下げて 囁くように歌っている。
特に アストル ピアソラのタンゴを 二人がネチネチとセクシーに踊るシーンが秀逸だ。堕落、退廃、行き着く先のない愛、惰性、デカダンの世界が凝縮されたシーンだ。タンゴはもともと貧しい人々の間で油ぎった木造家屋、ひび割れたタイル床の台所、そんなところで男女がエロスを交し合う踊りだったのだろう。遊び人のレスリーにしっかり抱かれてタンゴを踊るトニーの不器用な純情が せつなくて悲しい。

また酔ったフリをして恋するチャンに介抱されて ベッドに運ばれたトニーが 去っていく彼の足音を聞いているシーン、 別れの日、テープに何か吹き込んで、といわれてテープレコーダーに向かってむせび泣くことしか出来ないトニーの姿に胸をつかれる。繊細で男の真っ直ぐな純情をトニー レオンがみごとに演じている。

カエターノ ヴェローゾの「ククルクク パロマ」が何度も何度も映画の中で繰り返される。この曲が流れると それだけで泣けてくる。沢山の人がこの歌を歌ってきた。ハトは、つがいの相手を失うと二度と別の相手を探すことなく死んでいく。この曲はそんなハトを歌った曲。この曲で片割れを失くした孤独な男が背中を見せていたりすると、映像が一挙に意味をもってくる。

トニー レオンとレスリー チョンの画像に、フランク ザッパと、カエターニ ヴェローゾとアストル ピアソラを持ってきて、音楽も映像をピタリと合せることができる ウォン カーウァイー監督の才能に感動する。

この映画の数年後 レスリー チョンは香港のホテルから身を投げて亡くなってしまった。裕福な家庭に育って歌手としても俳優としても成功していたカナダ国籍のレスリーは そのときホテルの窓から何を見ていたのだろう。
この人の「さらば愛 覇王別姫」 チェン カイコー監督作品が素晴らしかった。レスリー チャン演じる妖艶な中国古典オペラの女役は、歌舞伎の女形同様に、ただただ美しい。役者として有り余る才能を持っていた彼が 役者として年を積み重ねることなく 余りにも若くして死んでいったことが 心から惜しまれる。
「ブエノスアイレス」は、いろいろな意味で 忘れられない映画になりそうだ。                             

2009年12月23日水曜日

映画 「2046」


娘達が私の誕生日に ソニー製テレビ ブラビア大型デジタル、101センチ、フルハイデフィニション、100HZ,ダイナミックコントラスト100,000:1,1920+1080レソルーション、3年保障、ソニーPS3つき、というのを買ってくれた。
今までの21インチのテレビで何の問題もないし、テレビはニュース以外見ないので 新しいのは要らない要らない と言って続けてきたが ついに政府が テレビはデジタルに変えてください、従来のテレビを使い続けるには 特別に何とか言う機材を取り付けなければならなくなります、と言い出した。いずれデジタルを買わなければならないのなら、、、ということで 申し出に甘えて 娘達に散財をさせた。

画面は確かに美しい。日の出、日の入り 砂漠やオアシスの花々など、自然が良く、コマーシャルフィルムの美しさに目を見張る。それでは、、、と 劇場で映画を観ないで家でビデオを観ることにした。観たのは ウォン カーウァイの「ブエノスアイレス」と、「2046」。

ウォン カーウァイの映画に筋はない。ひとつひとつの画面が「詩」であり、それが重なり続いて長編詩となる。短い詩がいくつも集められて編集された結果が2時間なり3時間なりの映画という形になるから、長大な抒情詩に、物語性は求めず ただ画面を楽しめば良い。
そこが、同じ中国人監督でも、チャン イーモウや チャン ガイコーや ジョン ウーや、アング リーなどと全然違う。

この監督は1958年生まれの香港育ち。1944年の「恋する惑星」で、クエンテイノ タランテイーノに絶賛されて注目されるようになった。
1997年の「ブエノスアイレス」では トニー レオンと レスリー チャンの愛人関係、2001年の「花様年華」では トニー レオンとマギー チャンの人妻との愛、2008年の「マイ ブルーベリーナッツ」では ノラ ジョーンズとジュード ロウとの愛のあり方を描いた。いつもテーマは愛だ。
「ブエノスアイレス」について書くと とても長くなるので「2046」を先に書く。

「2046」では過去と現在とが交差する。過去の恋人を忘れられない作家(トニー レオン)が 香港のホテルの2046号室で 過去の女たちと出会い、また現在の女達と出会う。
ホテルの主人の娘(マギー チャン)は 日本人(木村拓哉)を愛し、親の目を盗んで連絡を取り合っている。高級娼婦のとなりの部屋の女(チャン ツイイー)は作家を本気で愛してしまうが作家に 一緒に住みたい女はいないと言われて傷ついて自堕落になる。マカオで金を摩り香港に帰れなくなった作家を助けてくれるのは 昔、作家を愛したことのある女性(コン リー)だ。アンドロイドになって 彷徨う女(フェイ ウォン)に、カリーナ ラウ など、次から次へと美しい女優が出てくる。中国、香港、台湾じゅうを とびぬけて美しい女優をピックアップしたかのようだ。それをウォン カーウァイは、彼の美意識で それぞれの女達の記念写真を作るように選びに選んで 美の凝縮を切り取って見せる。

中でもチャン ツイイーの美しさ、可愛らしさは特別だ。作家が自分の失礼を詫びに 隣の女の部屋に出向いたとき 怒ったふりをして背を向けるチャン ツィイーの何という 表情豊かな後姿、、、振り返ったとき冷たい目ざし。襟の高い ぴったり空だい張り付いているような中国服が これほど似合う女優は他にはいないのではないか。本当に美しくて、ほくろの一つ一つまでが愛らしく見える。今は中国を代表する女優だそうだが、本当に中国映画の中で見るチャン ツイイーは水を得た魚のように自由奔放で美しい。

チャン イーモウ監督「LOVERS」など、つまらない映画だったが、この映画ではで盲目のチャン ツイイーが 酒の席で舞いを見せる。このシーンだけのために この映画をみる価値がある と思うほど彼女は 美しい舞いを踊った。同じくつまらない映画だったが、「クローチングタイガー ヒドンドラゴン」(邦題グリーン デステイニー)では、勝気なお姫様姿が 可愛らしかった。それだけに「サユリ」での渡辺謙とふたりでしゃべっていた英語が 通用しなかったことは残念。 しかしハリウッドで通用する女優だけが価値があるとは思わない。

チャン ツイイーのデビュー作が忘れられない。
1999年 チャン イーモウ監督「THE RODE HOME 」、邦題「初恋のきた道」だ。
学校のなかった寒村に小学校が建てられることになった。
北京から若い男の先生が着任した。村の男達は 諸手をあげて小学校建設のために団結して 学校建設に着手する。着任したばかりの先生も一緒になって汗を流す。村の女達は男達のために 井戸から水を汲み、弁当を作って男達に差し入れる。
ひとりの少女が先生に恋をする。彼女のまっすぐな気持ちは、そのまま先生にもまっすぐに届く。少女は先生が作業を終え 寝泊りしている作りかけの学校に行く道を いつもたたずんで待っている。互いに一瞬 目を交差するだけのために 少女はいつも待っていた。先生のために心を込めて井戸から水を汲み 弁当を作る、そんな少女に先生は そっと髪飾りを差し出す。しかしその日 北京から役人が来て先生の思想調査をする、と称して彼を連れ去ってしまう。
先生の乗った車を追いかけて 田舎道をどこまでも追いかける少女の必死で懸命な姿。少女は 道で何度も転んで先生からもらった髪飾りを失くしてしまう。泣きじゃくりながら走ってきた道を 髪飾りを探しながらもどる少女の絶望感。その日から 毎日毎日、高台に立って 先生の帰りを待つ少女。やがて、先生は帰ってくる。主のいない小学校の先生の隙間風はいりこむ部屋は 少女の手によって しっかり整えられていた。子供達が集められて学校が始まる。少女は相変わらず 先生が仕事を終えるのを待っている。

それだけのストーリーなのだが 中国の寒村に生きる少女の純情が痛いほど伝わってくる。この映画を小さな映画館で観た。芸術作品や外国映画などマイナーな映画を見せる劇場だ。平日の昼間、場内には20人くらいの観客がいた。このとき 劇場内の空気が画面とともに動く という得がたい体験をした。少女を演じるチャン ツィイーが泣きじゃくりながら 田舎道を這って 髪飾りを探す場面で 見ている人たち誰もが泣いていた。鼻をかむ音があちこちでして、前の座席のおばさんなど チャン ツィイーよりも大きな声で泣きじゃくっていた。
そして、先生が何事もなかったように帰ってくるところで 少女のほっとする空気がそのまま 止まっていた空気がほっとして流れ出すように劇場で観ている人たちの 気持ちがゆるんで漂った。文字通り 映画と観客が一心同体になっていたのだ。
熟錬の監督が 人を泣かせるコツをよく心得ていた と言ってしまえばそれまでだが、この映画で、チャン ツイイーの演技がなかったら そうは ならなかっただろう。
この映画に出演したとき彼女はまだ学生で役者になるつもりはなかったという。みずみずしく 本当に痛々しいほどの少女の気持ちが 現れていてみごとだった。

「ブエノスアイレス」も、「2064」も どちらもウォン カーウァイにしか撮れなかった映画だ。美しい映像。とても良い映画を大型テレビで観て満足。娘達 ありがとう。

2009年12月15日火曜日

映画 「クリスマス キャロル」


映画「クリスマス キャロル」を観た。デイズニースタジオ制作。100分。 
監督:ロバート ゼメチス
声役:ジム キャリー
他に ゲイリー オールドマン、ロビン ライト ベン、コリン ファースなどが 声役で出ているが ジム キャリーが 3人の精霊などのほか一人7役で、いろんな声を出して大活躍している。

フィルムは実写でもアニメーションでもない。俳優が演じている それをデジタル化した「パフォーマンス キャプチャー(CG)」という特殊な映像だ。
アニメーションよりもずっと厚みがあって、実態の人間に近い。これを「3D」の眼鏡をかけて見ると、映像が手で触れることが出来るように、近くに見える。学校がもうクリスマス休みに入っているので、劇場にはたくさんの子供が来ていたが、実際、画面から降ってくる雪を摑もうとして 手を伸ばしている子供が 随分居た。こんな映像を3Dで見てしまうと、いかに今まで観てきた映画が のっぺりした平面だったのか、と驚かされる。今後、フィルム技術が進んでいくと 映画産業どうなるのだろうか。今後は アニメーションやオカルト 恐怖映画などは、このCGと3D効果のフィルムで観るというよりは「体験」する、ということになるのだろうか。

2005年に 同じ監督ロバート ゼメチスの「ポーラーエクスプレス」を観た。これが初めて 俳優の演技をデジタル化したパフォーマンス キャプチャー映像だった。3Dではなかったが、おとぎの国の汽車が雪の中を 子供達を乗せてサンタの国を旅するお話だった。汽車を運転するトム ハンクスや 飲んだくれの男やユーモラスなサンタなど、厚みのある暖かな映像で、子供の頭の中にあるクリスマスというイメージが そのまま映像化されたような映画だった。いまでも、雪のなかをどこからか、走ってきて自分の前で止まってくれる 美しい汽車の姿が よく思い出される。

今回の「クリスマス キャロル」は 英国のチャールズ ディケンスの作品を忠実に映像化したもの。ストーリーは、

クリスマスイブ
金融業を経営している大金持ちの守銭奴 スクルージにとってクリスマスなど何の意味もない。
甥がクリスマスデイナーの招待に来ても うるさがって追い返してしまうし、慈善事業化がチャリテイーの募金を請いにきても 怒って追い出してしまう。書記の クラテットは、信仰厚い男なので 明日のクリスマスだけは年に一度だけ 家族のために過ごしたいと願っているが ケチなスクルージは、許さず クリスマスでも出勤するように命令する。スクルージが街を歩けば 街角で賛美歌を歌う人々も声を潜める。彼は誰からも嫌われている エゴイストで冷酷な守銭奴だった。

夜になった。 スクルージのもとに 7年前に死んだはずの 共同経営者だったマーレイの亡霊が出てくる。物欲にとらわれたまま死んだマーレイは 全身を鎖で締め付けられて 恐ろしい姿で天国にもいけずに 彷徨っているのだった。マーレイは スクルージに 3人の精霊が現れるだろう と言って姿を消す。

第1の精霊は ろうそくの姿をしていて、スクルージを過去の旅につれて行く。スクルージが生まれ育った土地にもどり 彼が子供のときにクリスマスがどんなに待ち遠しかったか どんなに真摯な気持ちで神様に祈りを捧げていたか 記憶が呼び戻される。

第2の精霊は スクルージに、クリスマスイブの現在を見せる。書記のクラチット家では 貧しいが心のこもったクリスマスデイナーの最中だった。家族思いの クラチットの末の息子は、足が悪く、病気がちだ。クリスマスという特別な日に、仕事を休むことを許さないスクルージに、妻は 不満を持っているが、クラチットは、雇用者のスクルージに感謝の祈りを捧げるのだった。

第3の精霊は未来を映し出す。悪魔のような黒い影の霊が スクルージを未来のクリスマスに連れて行く。そこにスクルージはもういない。横にされ 布を被せられた死体があり、その死体から衣類を剥ぎ取って売り買いする あさましい男女が出てくる。次に行くのは墓地だ。そこにスクルージの墓がある。また、クラチット家に連れて行かれてみると 病気だった息子が亡くなって 嘆き悲しむクラチットの姿がある。その姿を見て、さすがのスクルージも胸を締め付けられる。

3人の精霊に、過去、現在、未来の自分を見せられて、スクルージは クリスマスの朝、すっかり改心して生まれ変わる。子供のように 街に出て はしゃいで人々と一緒に賛美歌を歌う。出勤してきたクラッチにお祝いを渡し、昇給を約束して家に帰す。慈善活動家に募金して、甥の家を訪ねてクリスマスデイナーを共にする。
それからは、スクルージは 誰からも愛されるような人となり クラッチの息子テイムは、スクルージを第2のお父さんのように慕うのでした。というお話。

CGを3Dで観る という体験は やってみる価値がある。これで本当にこわいホラーを体験したら、やみつきになるかもしれない。

ディケンズが 「クリスマス キャロル」を出版したのは1843年。イギリス ビクトリア時代、アフリカにもアジアにも 植民地拡大で国の威力を誇示していた大英帝国の時代だ。しかし、庶民の暮らしは貧しかった。貧富差は 産業革命で拡大する一方だ。だから、富めるものが貧者に分け与える慈善行為が、唯一貧者にとっての恵みだった。
「福祉国家」、「階級闘争」の概念は まだない。マルクスもまだ「資本論」を書いていない。
そんな時代に 貧民階級出身で、良きクリスチャンであり、良心的な市民であったチャールズ デイッケンズが書いたクリスマススト-リーが「クリスマス キャロル」だ。こわいお化けがでてきて 子供達を震え上がらせるから、少し荒っぽいが 人々への教育的な意味を持っている。持つものが持たざるものに分け与え、 キリスト生誕の日に悦びを分かち合うことが テーマだ。これがこの時代のヒューマニスト デイッケンズの根底思想であり、慈善活動の助け合い精神の大切さを人々に説くクリスチャンの世界観なのだった。
慈善で貧富差を縮小することは出来ない。しかしクリスマスにチャリテイーをするのは、伝統であり 今も変わることのない習慣だ。

クリスマス休みには 毎年ロクな映画はない。クリスマスには シドニーでは、デパートも店もレストランも閉まるし、公共交通機関も間引き運転、タクシーもない。パン一枚 ミルク一本 手に入らないから 外に出ても何もすることが出来ない。出来ることは 歩いていける範囲の教会のミサの時間を確かめて参加するくらい。ホテルか家に戻ってテレビをつければ、やっているのは「十戒」だけだ。どの局も毎年 このチヤールス ヘストンの古い映画を飽きもせずに上映する。
そのくせ 道路はビュンビュン車が飛ばしている。どこの家も家族全員車に乗せて両親の家に行き クリスマスの食卓を囲むことが伝統だ。年1度 この日だけは 皆が親思いになり 親戚すべてが一堂に会してクリスマスプレゼントをあげあう。これはオーストラリアに限らず 欧米諸国も同様。だから、この習慣に従わない マイノリテイーの外国人やクリスチャンでない人は 小さくなっているに越したことはない。
わたしは、仕事。
どこに行くこともできない患者たちと、クリスマスイブの花火を見て アルコール抜きのシャンパンを開ける。
メリークリスマス!!!
 

2009年12月5日土曜日

今年読んだ漫画と観た映画のベストテン





今年はよく漫画を読んだ。合計470冊ほど。
日本にいたら、もっとチョイスがあるから その倍は読んでいたかも。シドニーの人口は428万人、そのうち在住邦人は、2万人あまり。紀伊国屋と古本屋が2軒あるが、そこで、出回る僅かな本をかき集めたり、娘にアマゾンで手に入れてもらったりしながら読んでいるので限りがある。心に残った漫画を順番に言って見る。連載中のものも多い。もう出版されているのに、手に入らないでいるままのものもある。

第1位:「バガボンド」 1-30巻  井上雄彦 講談社
第2位:「モンスター」 1-18巻  浦沢直樹
第3位:「20世紀少年」1-22巻
    「21世紀少年」上下2冊   浦沢直樹
第4位:「西洋骨董洋菓子店」1-4巻 よしながふみ 新書館
第5位:「神の雫」1-21巻     亜樹直(作)
                   オキモトシュウ(画)講談社
第6位:「聖おにいさん」1-3巻   中村光   講談社
第7位:「リアル」 1-8巻     井上雄彦  
第8位:「ヒカルの碁」1-22巻   小畑健 (原作ほったゆみ)
第9位:「ダービージョッキー」1-18巻一色登希彦(原案武豊
第10位「日出処の天子」1-7巻   山岸涼子

「バガボンド」井上雄彦の描く絵の美しさは特別だ。「スラムダンク」でバスケットボールを追う少年達とともに成長し 年を重ねてきた井上雄彦が描く 清々とした男の世界。ただひたすら強さを求める宮本武蔵の 真剣で禁欲的な生きる姿が、求道僧のように思える。自分を痛み続けることで強い意志を身につけようとする 不器用で孤独な姿が心を打つ。作家はもう話を完結させ、脱稿したそうだが、永遠に 終わらないでいて欲しい作品だ。

「モンスター」の浦沢直樹は ストーリーの巧妙さ、入り組んだ人間関係を 社会的背景や時代背景のなかで うまく組み立てていく構想力をもった稀有な漫画作家だ。最後まで全く飽きない。最後の結論を 断定してしまわないで 読者の解釈に任せてくれるところが、しゃれている。読んだ人が自由に解釈して読み終えることができるのが気に入った。人に聞いてみると 全然ちがう解釈で読み終えた人が多かった。私は モンスターにとって、最初で最後の「敵」を処分したであろうモンスターの孤独な後姿を思って、いまだに涙が出そうになる。本当にすごい作品だった。

「20世紀少年」は とにかくおもしろい。「友達」は誰なのか、、、わからない「友達」を求めて 22巻まで読者を飽きずに引っ張っていく作者の力量には感心する。本当に最後まで友達がわからない。友達だと思い込んでいた確信がひとつひとつ壊され 予想がことごとく覆されていく過程で、夢中で読んでしまう。映画化されて、謎ときには役立つが おもしろさが半減した。漫画は漫画だけであって欲しかった。
ロックを歌う ひょうひょうとした浦沢直樹という作家に興味が湧いて「プルート」や「マスターキートン」を読んだが、おもしろいと思えなかった。この作家の良さは 話を広げていくところにあると思う。長編作家として成功するが、読みきりや短編には 彼の魅力は発揮されないように思える。

「西洋骨董洋菓子店」は絵がきれいだ。美しくて 嫌味のない個性的な男ばかりが沢山出てきて楽しい。ぺデファイルや 深刻な社会問題にも触れているのに オシャレな男達が、オシャレに生きていて素敵だ。少女漫画をばかにしてはいけない。

「神の雫」に はまってワイン通になってしまった人が沢山居る。
ワインの漫画も、甲斐谷忍 原作城あらきの「ソムリエ」1-8巻、松井勝法「ソムリエール」1-4巻、志水三喜郎「瞬のワイン」1-8巻と、20冊読んだが、そのあとで見つけた「神の雫」が ワインの形容の仕方において優れていて 楽しかった。神咲雫君と、遠峰青君とともに、実にたくさんのワインを味わった。ひとくち黄金の輝く雫を口に含むと そこはお花畑だったり 山の上だったり 子供のときの風景だったりする。味覚というものを 楽器に例えたり 太陽や風や風景に例えたりして形容する その多弁は表現が新鮮で 興味深い。偉大な父は 二人の息子達に、一体何を伝えたいのだろうか。

「聖おにいさん」については 10月22日の日記で書いたので繰り返さないが、とにかく笑える。ブッダの伝説のなかで一番現実離れしている話、生まれてすぐに立ち上がり7歩あるいて「天上天下唯我独尊」と言ったという話や、兎が自ら食料になったニルバーナの話などを、軽くギャグで笑って見せるところに良さがある。イエスも「とうさんが、、」とやすやすと言ってくれて、それだけで電車の中でも 仕事中でも私はひとり笑える。お気楽なブッダとイエスが仲良く暮らしている姿って、こんな しゃれた漫画を考え出した作家の才能に拍手せずにいられない。

「リアル」井上雄彦の絵にはいつも感動する。「スラムダンク」の登場人物の多様さがここで もどってきた。描かれたひとりひとりが抱える苦悩や痛みがサラリと語られる。これを読んでいて、登場人物のせりふひとつで、心の重しが取れる、、、そんな若い人も多いのではないだろうか。井上雄彦の絵は どの部分をとってみても 美しい。

「ヒカルの碁」、「ダービージョッキー」は、どちらも全く知らなかった世界を知るきっかけになった。作品の中で 本当に 自分が好きなものを見つけた少年達が 懸命に目標にむかっていく。何度も壁にぶち当たりながら 成長していく過程で、読者はともに一緒になって泣いたり笑ったりくやしがったりする。読み終ったあとの 爽快感は格別だ。

「日出処の天子」は 聖徳太子という 線香くさくて全然興味のもてなかった人に命を吹き込み 歴史をおもしろく解釈して見せてくれた。漫画でこんなことも出来るのかという可能性を改めて感心してしまった。絵がとても美しい。

映画は、劇場に足を運んで見た映画は、47本。心に残った映画から順にいうと以下になる。

第1位:「グラントリノ」    2月3日に映評をここで書いた。
第2位:「愛を読む人」     2月28日に映評
第3位:「バリボ」       8月20日に映評
第4位:「フローズンリバー」  3月3日に映評
第5位:「カチンの森」     6月20日 映評
第6位: 「天使と悪魔」     6月8日 映評
第7位:「稿模様のパジャマの少年」5月2日映評
第8位:「チェンジリング」   2月15日映評
第9位:「レスラー」      1月23日 映評
第10位「THIS IS IT」11月1日 映画評

2009年12月4日金曜日

映画 「2012」



軍縮から核兵器廃絶を理念としている米国大統領オバマが 2009年ノーベル ピースプライスに輝いたことは 米国史のなかで画期的なことだった。
しかし理念は理念、現実には米国の失業率は10%を超え イラクで4000人もの若い兵士を死なせ アフガニスタンに兵力を増強投入することになり外国への介入による損失は 増加する一方だ。ウォールストリートのマネーゲームに踊らされ、家を失い、仕事を失った人々が 朝から食券を手に ボランテイアのスープキッチンに並ぶ人々の群れに2010新年の鐘の音は どう聞こえるのだろうか。

古代マヤ文明の暦が終わる2012年12月21日に地球が滅亡する、という映画「2012」を観た。ソニーピクチャー、2時間40分の大作。制作費2億ドル。 監督 ローランド エネリッヒ。彼は前に「インデペンデンス デイ」と、「デイアフター トモロー」を作って、繰り返し繰り返し 大災害を描いてきた。デザスターマニアとでも言うべきか。
自然災害という逆らいようのない状況の中で 家族が生き残るために身を挺して戦い、強い父親が親や子を守り そこに 一心同体になった家族の愛や夫婦愛が描かれていて、しっかり涙を振り絞らせてくれる。冷酷な敵は、アルカイダでも ヒズボラでも PLOでも ロシアスパイでも、アラブの自爆テロでも、CIAでも イスラエル秘密警察でも、スペインバスクエタでも、タミールタイガーでも、チェチェンゲリラでも、クルドPKKでも、ソマリア海賊でも、IRAでもリアルIRAでも、ビルマ軍事警察でも、ポルポトでも、ジャンジャンウィーでも、フツ族反政府ゲリラでも、イルミナリテイーでもないから、どんなに冷酷無比に描いても 誰からも文句を言われなくて済む。今度は、今までにも増して災害の規模が大きくなって 地球上ほんの僅かの人しか生き残れなかった。陸地が海中に飲み込まれて無くなって、人類発生の地、アフリカ大陸しか残らなかったので、再び人類がアフリカ大陸で生存者だけで再出発して行こう という結論で終わる。

太陽のニュートリノが活発化して地球のコアが加熱、その熱で緩んだ地殻が一気に爆発して大地震が起こり 津波、洪水が起きて大陸が一挙に海中に沈没する。大国の指導者達は、いずれ 地球が大災害で海に沈むことを知らされていた。ひそかに選ばれた大国の中でも 選ばれた政府関係者だけが生き残れるように、政府は2000年から中国の地下に巨大船の建設を着工していた。
しかし、地殻変動は予想を遥かに上回る速さで進行し、逼迫した事態になった。避難の猶予は3日間。選ばれた政府関係者、10億ユーロを支払った資産家に 連絡が入る。すぐに、避難せよ、と。

週末、売れない作家、ジャクソンは別れた妻の家を訪れる。二人の子供をイエローストーンにキャンプに連れて行く約束だ。行って見るとイエローストーンにあったはずの湖がなくなっていたり 地質が変わっていて、おまけに新しい軍事施設が出来ている。事態を飲み込めずにいるジャクソンの前に、 私設ラジオ放送を発信している ちょっとおかしな男が現れて、地球はじきに壊れて人類は破滅していくが、助かりたいならば 巨大船に乗り込まなければ間に合わない。事実を政府は国民に隠していて、事実を公表しようとした科学者は皆、秘密政府に殺されている と驚くべき話をして聞かせる。ジャクソンは にわかには信じられないが イエローストーンの帰途、男の予言どおり道路に亀裂が走り 大地震が起きる。異常事態を見て、エブリマンは家族を守る為に巨大船に たどり着いて子供達を乗船させなければならない と心に決める。小型飛行機で脱出するそばから大地が燃え始まり 空の上から アメリカ全土が火に包まれて つぎつぎと大地が津波に飲み込まれる。

一行は 知り合いの富豪の力を借りて 旧式飛行機で 巨大船の隠してある中国に到着し、巨大船にもぐりこむ、と同時に 中国大陸も津波に襲われて沈んでしまう。ラサのチベット寺院も、日本もあっという間に海の底、ローマ法王に祝福されながらバチカン広場を埋める数万人の人々も沈んでいく。
この映画は大災害で地球上のほとんどの生き物が絶滅していく中で 一組の家族が右往左往しながら生き残り 家族愛でしっかり結ばれていくという 極めて小市民的な映画だ。背景だけが馬鹿でかく地球が壊れてしまうのだけれど。

突っ込み満載
父親のジャクソンは人類生存をかけた巨大船の水漏れを決死の潜水で修理して成功するので皆から英雄扱いされるが、元はといえばこの家族が搭乗資格がないのに、こじ開けて侵入したから水漏れが始まっただけで、彼は英雄でも何でもない。自己責任をとっただけだ。

国連で 巨大船に乗船できるのは主要国のVIPと、10億ユーロ支払った資産家のみと、決議していた。他の弱小国代表は、外に出されていた。主要国ってどこ?米、英、独、仏、伊、露、中、ここに日本が加わるのは不自然に見えるけど、画面では日の丸があった。さては国連常任理事国になれるということか。

地球滅亡 人類生存危機の情報を一部の国の上層部のみが知っていて、国民に隠して何年もの間 巨大船を作る というのは不可能。着工に何万人もの人材と労力を必要とする工事関係者の口をふさぐことは出来ない。国家による情報の独占にも限りがある。
また、中国のチベット地方の地下に隠してあった 3艘の巨大船を、中国政府が他国の人々のために提供するとは思えない。世界最大人口を誇る中国が自国民のほとんどを切り捨てて、イタリアの首相一家とか、イギリス皇室一家とか 日本の天皇一家とかを船に乗せてくれると思えない。

元妻が子供を守る為に大活躍する元夫をみて、同居の再婚相手をゴミのように捨てて元夫とよりを戻すが、女心、そんなに単純だろうか。別れるからには理由だったあっただろうに。そんなに簡単に、二人の子供を巻き添えにして別れたり またくっついたり簡単にしてもらいたくない。

この映画、全体が漫画ちっく。登場人物が すごく良い人か ものすごく悪い人かのどちらかで、良い人は沢山の人を救おうして自分は死んでいく 限りなく良い人だが、悪い人は徹底的にエゴイスト。極端すぎて良くも悪くもなる人間というものが描かれていない。

しかし、デザスター映画「タイタニック」、「ポセイドン」、「インデペンデントデイ」など、基本的に、こういう映画は結構楽しい。もしもの時のために、オートマチックだけでなく マニュアルカーの運転もできなければ、ついでにヘリコプターくらい操縦できるようにしておかなければ、とか、少なくとも1キロは泳げるようにしておこう、などと、映画の後に 軽ーく決意してみたりする。

人はいつか必ず死ぬ。
どんな死に方が見苦しくないか、デザスター映画を観て、疑似体験してみたり、シミュレーターしてみるのも、結構良いかもしれない。
 

2009年11月28日土曜日

ベートーヴェン 3曲


今年最後のオーストラリア チェンバー オーケストラ(ACO)公演を聴いた。
エンジェルプレイス、11月26日まで。プレミア席$120。
年7回の定期公演の 年初めのコンサートと最終コンサートは 毎年、内容が 特に充実している。今回は ベートーヴェンばかりを3曲。

団長のリチャード トンゲテイが指揮をしながら コンサートマスターも務める。彼のバイオリンは 1743年のグルネリだ。第二バイオリン コンサートマスターのヘレナ ラスボーンも、1759年のガダニーニ また チェロのコンサートマスターも1729年のグルネリを 篤志家から貸与されている。
リチャード トンゲテイは1999年に オーストラリアの人間国宝(ナショナル リビングトレジャー)に指定された。

今回のコンサートは
1)BRETT DEAN 作曲「TESTEMENT」
2)べートーヴェン作曲 「ピアノコンチェルト 第4番」
3)ベートーヴェン作曲 「交響曲第4番」

最初の曲は ブリズベン生まれのオーストラリア人の現代作曲家 ブレット デーンによる「遺言」。彼は 15年間 ベルリンフィルでビオラを弾いていたビオラ奏者で、指揮者で また作曲家でもある人。
べートーヴェンは 自分の難聴を恥じていた。誰よりも感覚が鋭敏で完璧でなければならない聴覚が人よりも劣っていることを、恥じ、憎くみ、扱いかねていた。長い鬱状態の末 難聴を苦にして いつでも死ねるように遺言を作っていた。音が聴こえなくなるだけでなく、頭の中で ブザーが始終鳴っているような状態で雑音や騒音が頭の中に入り込んできて絶え間ない頭痛が押し寄せてくる。そうした状態を経て、ベートーヴェンは物理的な音を否定して、精神の中で音を聴くようになる。内なる音楽、音がのない 想像による音だ。

物理的な音が聴こえないベートーヴェンの頭の中の状態を曲にしたのが、この作品「遺言」だそうだ。22人の弦楽器奏者が 弦楽器の弓に松脂を塗らないで 弦をこすって音を出すものだから、聴こえてくるのは シャカシャカという摩擦の音だ。不協和音の連続の末に、突然 べート-ヴェン弦楽四重奏曲ナンバー1作品59の豊穣なメロデイー、、、そして又、弓を松脂なしの弓に持ち替えて 摩擦音の連続、、、と言うわけで、現代音楽に悪酔いしそうな曲だった。実験的現代音楽は疲れる。

エントリーが終わり、やっとベートーヴェンピアノコンチェルト。彼が37歳のときの作品。とてもロマン派の香りする 静かで技巧的なコンチェルトだった。コンサートピアニストは、クロアチアで生まれ、ザウスブルグで育ったピアニスト デジャン ラズィック(DEJAN LAZIC)。この人、日本でも招かれてN饗と公演している。
ベートーヴェンは 自分が優れたピアニストだったから 自分にしか弾けない様な技巧的な難曲を沢山つくったが、これも本当に弾くのが大変な難曲。どなるでもなく、語りかけるでもなく、静かに ひたむきに心に訴えかけるように演奏していた。音のひとつひとつが きれいで 静かだが 力のこもった演奏だった。アンコールに応えて ラフマニノフを弾いた。難曲を得意とする人なのだろう。

休憩をはさんで、最後はベートーヴェンの交響曲第4番。へえーと思われるかもしれない。ほとんど聴かれることのない第4番だからだ。「英雄」の第3番、「運命」の第5番、「田園」の第6番、「合唱」の第9番など、有名な曲に埋もれてきた交響曲。

フルトベングラーや、バーンスタインや カラヤンに指揮されて 重厚でゆったり 蒸気機関車DC1が単線を走るように演奏されてきた。そんなだから 特別なベートーヴェンマニア以外は 眠くなって仕方がなかったけど この4番に命を吹き込んだには、カルロス クライバー。彼が指揮してやっと、なんだ、結構良い曲じゃん、と評価され出した。カルロス クライバーの第4番に 今回のリチャード トンゲテイが さらに磨きをかけて躍動感あふれる演奏をしてみせた。重い重い蒸気機関車でなくて、ジャガーが走る、疾走感あふれる演奏だ。

リチャード トンゲテイは べートーヴェンがいた時代どうりの正しいキー、正しいテンポにもどって演奏しただけだ と言う。べートーヴェン作品は技術的に演奏するのが困難であったことと、大規模オーケストラ(55人規模)で演奏するために どうしてもテンポが遅くなり、重厚さが協調されてきた。一方ベートーヴェンの難聴が進行して 彼が想像上 曲を作ったため、現実には不可能なほどテンポの速い曲が作曲されていた。従って彼が指示したテンポ、彼が望んだキーで演奏できる奏者がいなかったのだそうだ。そんなことから、べートーヴェンの交響曲は 重い、のろい、暗い 退屈な演奏になってしまった。

リチャード トンゲテイは 技術的な難しさはテクニックの研鑽を重ねることでクリアし、室内楽の少人数で演奏することによって 本来のベートーヴェンの思い描いていた交響曲の演奏を可能にした。この曲の初演1804年、ベートーヴェンが指揮したのは たった6人のバイオリン奏者 総数24人のオーケストラだった。ACOも22人の弦楽奏者にクラリネット、フルート、フレンチホーン、バスーン、オーボエが加わっただけだ。それでいて、すごい迫力。これがACOの実力だ。
ベートーヴェンが 躍動感あふれ、ジャガーのように疾走する。ダイナミックに走り続ける第4番を聴きながら、ベートーヴェンのリベラルな 過激といってよい新しさが香り立ってくる。日本にいたとき 「スプリング」などバイオリンコンチェルト以外のベートーヴェン交響曲が ひとつとして好きでなかった。いま、彼の交響曲が少しも重くも退屈でもない。 聞いた後は さわやかな満足感でいっぱいになる。そうか、ベートーヴェンは 吉野家の牛丼じゃないけど 速い うまいに越したことはないのか。ベートーヴェンを聞かせるか、否か 要は演奏家達の心意気なのだ。
とても満足したコンサートだった。

2009年11月14日土曜日

映画 「おくりびと」


今年2月のアカデミー外国映画最優秀賞作品。「おくりびと」英題「DEPARTURES」を観た。
日本では今年の初めに公開されていたから 今頃、と思われるかもしれないが オーストラリアでは この10月後半から劇場公開されて、世界65カ国でも公開されている。

原作:青木新門「納棺夫日記」
監督:滝田洋一郎
出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努、吉行和子

スタジオジブリ以外の邦画が オーストラリアで一般の劇場で公開されることはめったにない。どうしても、英語圏の人にとって字幕入りの映画が高い評判を得ることは難しい。
年に一度、ジャパンファンデーションが 日本領事館と共催で 日本で評判の高かった邦画を 公開する日本映画祭というのがある。今年末から1週間、シドニー、メルボルン、キャンベラ、タスマニアのホバートで21作品が公開される。
ちょっと興味があるのは、
沖田修一監督、堺雅人主演「南極料理人」
マキノ雅彦監督、西田敏行「旭山動物園物語」
橋口亮輔監督、リリーフランキー主演「ぐるりのこと」
雀洋一監督、松山ケンイチ主演「カムイ外伝」
紀里谷和明監督、江口洋介主演「GOEMON」などだ。

日本映画の良さは 日本という国の自然や風景の良さといっても良い。四季の移り変わりの美しさ、人々の律儀で礼儀正しく、謙虚でひたむきな生き方、日本の土壌が長いことかけて はぐくんできた独特の文化の美しさだ。「おくりびと」を観ながら、この叙情的な日本の美を 外国人がどれだけ理解するだろうか、と考えてながら観ていた。
鮭が川を登っていく秋、冬の風吹きすさぶ土手、花祭りの雛の真紅、桜の満開と花吹雪、、、季節ごとの美しさを上手に切り取った映像はみごとだ。

ストーリーは
ダイゴは 東京で、オーケストラのチェロ奏者。しかしある日突然 財政難を理由にオーケストラが解散されてしまう。失職したダイゴは 妻の同意を得て 故郷の生家に帰ることになった。家は母が亡くなった後も そのままにしてあった。ダイゴが6歳のときに 父親は若い女と家を出たまま消息不明だった。ダイゴは そんな父親の顔を覚えていない。

いったん家に落ち着くと ダイゴはさっそく仕事を探し始める。求人広告で目を引いたのは、「旅のお手伝い」をしてください という広告だ。その会社を旅行代理店と思い込んだまま ダイゴは面接に行って 社長に会い その場で採用される。仕事内容を聞きそびれ 前渡し金を受け取ってしまった後で、仕事は 死者の「旅立ち」のお手伝いであったことを知らされる。
社長は口数少ない 謎めいた人柄、とらえどころがない と思えば 葬儀を前にした家族には慇懃無礼にふるまう。ダイゴに初めて 舞い込んで来た仕事は 死後2週間たって 発見された老人の入棺だった。腐乱した死体処理を社長に怒鳴られながら やりおおせたダイゴは身も心も 傷だらけになって、帰宅する。ダイゴは妻に自分が何の仕事をしているのか どうしても言うことが出来ない。細々と 女手ひとつで風呂屋を経営する女将は 高校時代の同級生の母親だ。彼らは ダイゴのことを東京で大学を出てチェロを弾いていた、と、自分達のことのように 誇りにしていてくれる。そんな人たちにもダイゴは 今の仕事のことを話せないでいる。

落ち込むダイゴを社長は見て見ぬふりをしながら 独特の懐柔の仕方でダイゴに仕事に復帰させる。社長は心を込めて 死者の体を清め 美しい化粧を施して人の尊厳をもって世話をする。それを見ている家族達は 心を慰められ、死者を見送る心のくぎりをつける事が出来る。儀式が終わって 心の平静と 安心を得られる家族の姿を見てダイゴは 序序に その納棺師という仕事が死者とその家族にとって無くては ならない大切な仕事であることに気付いて行く。
しかし、いつまでも隠しておくことはできない。妻はある日、事実を つきとめて 死者に関わるような 汚らわしい仕事をしている夫を許せずに、実家に帰ってしまう。

妻が去っても ダイゴは納棺師の仕事にやりがいを見出していく。季節が変わり 妻が妊娠を知らせに戻ってくる。再び妻は 夫に子供に誇って言えるような職業に就いて欲しいと、懇願する。進退窮まったダイゴに 風呂屋の女将が亡くなったという 知らせが入る。ダイゴは 妻や元同級生の家族が見守る中 死者を清め、生前の姿を彷彿させる化粧を施し、家族とのお別れを演出する。居合わせた人々は一様に、死者を見送る儀式に 心打たれるのだった。
そこに、突然ダイゴの父の死が知らされる。6歳で自分を捨てて消息を絶った父を恨んでいるダイゴは 父の遺体の引き取りを拒否する。そんなダイゴを、社長は 立派な棺を持たせて ダイゴを妻とともに送りだす。

むかし、文字の無かった時代に 人々は好きな人に自分の気持ちを伝えるために、自分の気持ちに一番近い石を相手にあげて 気持ちを伝えたという。父は、ダイゴが昔 父にあげた石を 握り締めて死んでいた。記憶になかった父の顔が にわかに よみがえり、父を慕う気持ちが 再び帰ってきた。 ダイゴは 父を 愛を込めて清めて 納棺したのだった。
というおはなし。

映画のなかに、たくさんの笑いがあり、たくさん物を食べる場面があり、別れと出会いがある。とても良い映画だ。世界で注目され、アカデミー賞受賞しただけの価値がある。何年も前に 捨てた息子のもらった石を握って父が死んでいるところは ウソくさいが、、。

この映画、かけだしの納棺師が 落胆し、絶望し脱力し、模索しながら仕事に誇りをもち一人前のプロフェショナルに目覚めていく成長史であり、また、親に捨てられた子供が 親を許してやることで 自分も親離れすることができた過程を描いた映画でもある。悩み、苦しみ、叫び、むせび泣く主演の本木雅弘が 秀逸。

この映画の発案は この役者、本木雅弘によるものだそうだ。インタビューで 彼はインドを旅行してヒンズー教の聖地で 老婆の死体が公衆の面前で焼かれるのを間近に見た。そこで親族達が和やかに語らい、火の回りでは 子供達が遊んでいる そんなごく自然に日常の中で生と死が共存している姿を見て死も生と同様に価値があるのではないかと考えた と語っている。映画のために実際に納棺の現場にも立会い、納棺師としての訓練を積んだそうだ。私はチェロを弾く姿を見て、好感を持った。弾いたことがない役者が 一夜漬で みようみまねでチェロを弾いてみせるのが いかにみっともないか、他の映画などで見ているから、役をこなす為に どれだけこの役者が本気でチェロを習ったかが、わかったからだ。

また、社長の山崎努が 光っている。彼の人を食ったような とぼけた古たぬきぶり、彼にしかできない味だろう。秘書のいわくありげな 吉行和子も良い。どことなく人生にくたびれた中年女、背中に哀愁が漂っている。このふたりの熟練俳優が 渋く固めていて映画に良い味がついている。妻役の広末涼子 初めて見たが 本当にあれで、役者かよ?何か いつも無意味な笑顔ばかりで馬鹿みたいに見えたのは 私だけだろうか。

いまではもう 葬儀屋の前に納棺師が きちんとした納棺の儀式を行うことは少なくなってきているのだろう。田舎に行っても 人は病院で死ぬ。病院から直接 葬儀屋が遺体を引き取り いっさいを取り仕切る。葬儀屋に引き渡す前に、体に詰め物をして、遺体を清め、清潔な服を着せるのは 看護士の仕事だ。知らない人が多いけれど、看護士もまた、遺体を生前と同じように大切に扱って 心をこめて見送る。

わたしも数え切れないほど「おくりびと」をした。
初めて妊娠したとき、当時勤めていた癌病棟の患者さんたちが、とても喜んで祝福してくれた。これから産休に入るので、しばらく会えないけど 赤ちゃんが生まれたら見せにくるから、と約束して産休に入った。6ヶ月たって、仕事を再開する前に 病棟に赤ちゃんを見せに行ったら、もうみな 亡くなっていて誰ひとりとして 知っている患者が残っていなかった。でも あのとき妊娠を自分のことのように喜んでくれた患者 ひtりひとりの顔は 忘れられなくて、克明に覚えている。もう31年前も話だ。

2009年11月8日日曜日

映画「ドクター パルナサスの鏡」



映画「THE IMAGINATION OF DR PARNASSUS」邦題「ドクター パルナサスの鏡」を観た。

これが本当に本当のヒース レジャーの最後の映画。この映画を撮影中だった昨年1月に、彼はたった28歳で亡くなってしまった。役柄に熱中するあまり頭が冴えてしまって そんなにも眠れない日々が続いていたのか。ヒースは眠る為に 睡眠薬と鎮静剤と鎮痛薬を服用したために、呼吸が抑制されて 深い眠りに落ちたまま彼は死んでしまった。役者として大輪の花が開花する間際だったのに。本当に突然の事故死が惜しまれる。
死後、「バットマン ダークナイト」のジョーカーの役でアカデミー助演男優賞を授与された。遅すぎた受賞。どうして「ブロークバック マウンテン」でアカデミー賞をあげなかったのだろう。

ヒースの死後、主役のいなくなった この映画を完成させるために ヒースの親友だった3人の俳優が彼の代役を演じてヒースの念願だった映画を完成させた。その3人の親友の名を聞いて 驚かない人はいないだろう。ジョニー デップと、ジュード ロウと、コリン フェレルの3人。なんという 潔い男気。なんと気持ちの良い男の友情だろう。ヒースよりも、知名度の高い、ヒースよりも年長で 映画経験の長い 多忙を極めている役者達が ヒースの代役を演じて映画を完成させた。
映画は今年のカンヌ映画祭で好評を得たそうだ。 それだけでも、監督は喜ばなければならないだろう。

イギリス映画。2時間20分。
監督:テリー ギリアム
出演
トニー:ヒース レジャー
    ジョニー デップ
    ジュード ロウ
    コリン フェレル
パルマサス博士:クリストファー パルマー
バレンシア:リリー コール

監督は、もとモンテイ パイソンというコメデイーシリーズで、名をあげた人だ。この監督、一時「ハリーポッター」の監督候補だったそうだが、ワーナーブラザーズが 大金をかけた大作を監督させるには 危険すぎる、彼がやれば大成功か世紀の大失敗に分かれるだろう という理由で下されたという。もともとアナーキーなユーモアをみせる過激派監督なのだ。

この映画の設定は 現在のロンドンで、繰り広げられる空想上のお話だ。不死身のパルナサス博士は1000歳。ロンドンの街を芝居小屋で見世物をしながら旅をしている。美しい15歳の娘バレンシア(リリー コール)と、役者アントンと 小人のパーシーの4人の一行だ。アントンが古代ローマ兵の姿で観客を集めて回る。移動舞台の中央には巨大な鏡がある。魔法のマジックミラーだ。パルナサス博士が 半覚醒状態になると お金を払って この鏡を通ったお客は その人が一番夢見ていた世界に入ることが出来る。パルナサス博士は魔法の力があるので 人の夢を読んで その夢をマジックミラーのなかで体験させてあげることが出来るのだ。
うさんくさいが 商売はまずまず。

ある夜 一行は橋のしたで首をつって殺された男を その縄を引き上げて救命する。生き返った男の名は トニー(ヒース レジャー)。15歳の美少女、パルナサス博士の娘は 1000歳の父、アントンと小人のパーシーとの狭い小屋での窮屈な生活に飽き飽きしていたから すぐにハンサムなトニーに興味を示す。
トニーは 子供のための募金事業家だと言っているが 実は募金をだまし取る詐欺師だった。行き場のないトニーは 命を助けてくれた博士たちを手伝うことになる。弁舌巧みに、仮面を被って 沢山の女客を獲得してはマジックミラーのなかに、送り出していく。  

パルナサス博士は 実は娘が生まれる前に、悪魔と賭けをした。女というものは欲望の塊だ。もし5人の女から欲望を取り去って無欲にさせることができたら 賭けは博士の勝ち。しかし、できなかったら娘が16歳になったときに 悪魔にくれてやる、という賭けだ。もうじき16歳の誕生日を迎える娘を 引き止めておくために、博士は必死で女客をマジックミラーに送り込んでいた。

トニーは有閑マダムを鏡のなかに送り込んで 自分も請われて同行する。すると顔が変わってしまって、ジョニー デップになっている。有閑マダムはマジックミラーの中で トニーと素晴らしい体験をして無欲になって帰ってくる。

次に博士の娘バレンシアを鑑の送り込んだトニーは 今度ジュード ロウの顔になっている。鏡の中で トニーとバレンシアは恋に陥り 美しい湖畔のボートで愛し合う。

その次にトニーは自分を殺そうとした男達に会って追われマジックミラーの中に 入っていく。ここで彼はコリン フェレルになっている。何度も男達から逃れたと思っていたが 結局は捉えられて再び首を吊られて死んでしまう。

悪魔が 16歳になったバレンシアを 迎えに来る。しかし彼女はすでに処女ではないので 悪魔には手がつけられないのだった。
時がたち、娘もアントンもパーシーも去り、一人寂しくパルナサス博士は街をさすらい歩いている。石畳をさっそうと歩いていく娘バレンシアをみかけた博士は必死で後をつけていく。娘が入っていった家でバレンシアが夫と子供の囲まれて幸せそうにしている姿を 窓越しに見て 博士は うっとりし合わせな気持ちに浸るのだった。
というお話。なんだかよくわからないが、解釈はどうぞご自由に というわけだ。人気のファッションモデル リリー コールがバレンシアを演じていて、彼女がものすごく美しい。

ヒースの親友が友情出演して、ヒースが望んだだろう映画の完成が果たせたというだけで、胸があつくなる。映画の出来は クエスチョンマークだが、ヒースの最後の仕事が見られて 良かった。
これで彼の出演した映画はみんな見たことになる。
そして、この先はもう何もない。本当に、本当に これが最後の映画だったんだ。なんか かなしくなる。

2009年11月4日水曜日

映画 「ベートーベンを求めて」




映画「IN SEARCH OF BEETHOVEN」、邦題「ベートーヴェンを求めて」を観た。
英国ドキュメンタリーフィルム。2時間40分。
監督:フィル グラビスキー(PHIL GRABSKY) 

日本ではクラシックといえば、何といってもべートーヴェンが一番人気があるが、これは、ベトーヴェンの生涯を映像で追ったドキュメンタリーフィルム。彼が作曲した作品を 若いときから作られた順に ベートーヴェンの奏者として名高い演奏家に演奏させながら ナレーターが 曲のいわくや そのときのベートーベンの心象風景を浮き彫りにしていく。そして時代背景、家族間の軋轢、深刻な貧困、難聴や体調不全などのなかで 彼が どんな状態で 何を考えて作曲したのかを読み解いていく。フィルムは ベートーヴェンの生まれたボンから ヨーロッパ各地、米国まで歴史家や音楽家のインタビューをする為に旅をしながら ベートーヴェンの真の姿を追う。

映画のなかで演奏される曲は、55曲。
演奏者や指揮者は「ベートーベンならば この人」という定評のある演奏家ばかりだ。それらすべてのCDを買って聴くことはできない。そんな演奏家達が、リハーサル風景を見せてくれて 生き生きとベートーヴェンを語って、そして演奏してくれる。こんな贅沢なフィルムは他にない。音楽家達のエッセンスを詰めた 貴重なフィルムだ。

ベートーヴェンは1770年12月にドイツのボンで ケルンの宮廷歌手であった父ヨハンと母マリアの間に生まれた。長男だったルドウィク バン ベートーヴェンは、アルコール中毒で、収入の少ないの父親代わりに 早いうちから音楽的才能で家計を助けることを期待された。7歳でピアニストとして舞台デビュー。16歳で 心酔していたモーツアルトの弟子入りを許され ウィーンに行くが、母親の死によって呼び戻されて父や幼い兄弟の世話を強いられる。
22歳でハイドンの弟子となり ピアノ奏者として生計を立てながら作曲をした。20歳代後半から 早くも難聴となり 絶望し自殺を思いつめたが、強靭な意志の力で 作曲を続ける。このころの ピアノコンチェルトや弦楽四重奏曲の強固な構造、古典的音楽様式を明確に構築してのちのワーグナー、ブラームス、ドボルザーク、チャイコフスキーに影響を与えることになる。

このドキュメンタリーフィルムで検証された証言によると、彼は実にたくさんの恋をした。若く、美しい貴族の娘に結婚を申し込んでは 身分の違いゆえに恋を成就することができない。それでも晩年まで恋を繰り返すところが、頑固で自由な彼らしい。

カトリックだったが、教会の権威主義を憎み、熱心な信徒ではなかった。ゲーテと親交を結び、ゲーテ、シラーの文学を愛した。リベラルな自由主義で 「神は死んだ」の哲学者カントの思想に深く理解を示していた。

演奏された55曲のうち、有名な曲だけをあげてみる。

ピアノコンチェルト4番
  ピアノ:ロナルド ブラウテイガン(RONALD BRAUTIGAM)
  ノルコピン シンフォニーオーケストラ
  指揮:アンドリューパロット
ピアノコンチェルト2番
  ピアノ:ジョナサン ビス(JONATHAN BISS)
  ザウスブルグ カメラッタ
  指揮:サー ロジャー ノーリントン
ピアノコンチェルト
  ピアノ:ラス ヴォグト(LARS VOGT)
  バーミンガム シテイー オーケストラ
  指揮:サー、サイモン ラットル
チェロ ソナタ
  チェロ:アルバン ゲルハート(ALBAN GERHART)
  ピアノ:セシル リカド(CECILE LICAD)
「春」バイオリン ソナタ5番
  バイオリン:アレクサンダー シコブスキー(SITKOVETSKY)
  ピアノ:ジュリア フェドスイーバ(FEDOSEEVA)
「月光」ピアノソナタ14番
  ピアノ:ラアーズ ボグト(LARS VOGT)
「クロイツエル」バイオリン ソナタ作品47
  バイオリン:ジャニン ジャンセン(JANINE JANSEN )
「英雄」交響曲第3番 エロイカ
  フィルハモニカ デラ スカラ
  指揮;ギアナンドレア ノセダ(GIANANDREA NOSEDA)
「フェデリオ」オペラ
  マーラー チェンバー オ-ケストラ
  指揮:クラウデイオ アバド (CLAUDIO ABBADO)
「エリーザのために」ピアノ曲
  ピアノ:ロナルド ブラデイガン
交響曲第8番
  イル オーケストラ ナショナル デ フランス
  指揮:カート マスール (KURT MASUR)
ピアノ ソナタ28番
  ピアノ:ヘレン グリモー(HELENE GRIMOUD)
「合唱」交響曲第9番
  18センチュリー オーケストラ
  指揮:フラン ブリューゲン(FRANS BRUGGEN)
弦楽四重奏 グロッソ フーガ 作品133番
  エンデリオン弦楽四重奏団

ピアニスト ロナルド ブラデイガンは べートーヴェンが13歳のときに作曲したピアノコンチェルトが、いかに技術的に難しい曲であるかをを ベートーヴェンが使っていた古楽器のピアノを使って 自分が1音落としたり何度も失敗して、弾いて見せてくれる。他の作曲家ならば「ターララー」で澄む所を、ベートーヴェンは「タリレリラルトル タリレリラルトル タタリ タララ ルララ ツララ リラルラレルー」という具合に弾かせるわけだ。音符の多いこと! 弾き手は極度の集中力と技術と、音楽の総合的な理解力をもっていなければこなせない。
彼、ブラデイガンだけでなく 他の多くのピアニストも 「ベートーヴェンは 難曲をたくさん作曲して自ら演奏してみせてくれた。それはその時代ほかの誰にもまねて演奏することができなかったからだ。」と言っていた。「どうだ、まねできないだろう。くやしかったらやってみろー」と胸を張ってみせる おちゃめなベートーヴェンが目に浮かぶようではないか。

エンデリオン弦楽四重奏団はイギリスで活躍しているグループで結成25年という歴史を持つ人々だ。リラックスした雰囲気のなかで ものすごく難解で重い四重奏曲を統制のとれた実にシャープな音で演奏している。すごい実力だ。

ヘレン グリモーは稀に見る美女で日本でも人気のあるピアニストだ。美しい彼女が 目をつぶって 完全にベートーヴェンに浸りきって弾いている姿など神々しいほどだ。

ベートーヴェンの作品のなかで 一番すきなのは「春」バイオリンソナタ5番だ。それと「クロイチェル」バイオリンソナタ。ピアノでは、「舞踏会への誘い」。交響曲では「田園」第5番だ。
2時間40分 とても長いフィルムだけれど 仮に ベートーヴェンが嫌いな人でも 観れば好きになると思う。
でも、肩がこらないように カウチでポテチ 家でヴィデオで見ることを お勧めする。
  

2009年11月1日日曜日

映画 「THIS IS IT」




今年の6月25日に急逝したマイケル ジャクソンの予定していたロンドン ツアーのリハーサルの様子を収めたドキュメンタリーフィルム。10月28日に 世界中で同時公開された。
2週間だけの期限付き上映、と言われているので、見ずに逃して 後で悔いることがないように見てきた。リハーサルといえども、本当のコンサートの迫力 会場にいるような臨場感あふれるフィルムだった。

監督:ケニー オルテガ
出演:マイケル ジャクソン
プロデューサー:ランデイ フリップ
音楽:マイケル ビアーデン
振り付け:トラビス べイン

1)WANNA BE STANTIN”SOMETHIN”
2)JAM
3)THEY DON’T CARE ABOUT US
4)HUMAN NATURE
5)SMOOTH CRIMINAL
6)THE WAY YOU MAKE ME FEEL
7)SHAKE YOUR BODY
8)I JUST CAN’T STOP LOVING YOU
9)THRILLER
10)BEAT IT
11)BLACK OR WHITE
12)EARTH SONG
13)BILLIE JEAN
14)MAN IN THE MILLER
15)THIS IS IT 

100時間に及ぶ舞台での歌とダンスの映像と、舞台裏でのマイケルのプロとしての顔に 改めて「ポップスの帝王」といわれるミュージシャンの実力を認識させられた。50歳のマイケルの細身でしなやかな体、折れそうに細いのにパワフルな歌唱力、そして何よりもダンスの華麗な動きに魅せられた。

ダンサーのオーデイションでは何百人もの若者がステージで 自分なりの踊りをくり広げて見せる。世界中から集まってきたダンサーたちだ。選ばれた人たちが 感極まって泣いて声にならない姿が印象的だった。そのダンスリハーサルにも マイケルは厳しい。テンポの1秒の違いも自分で指摘して思い通りの舞台を仕上げていく。
バックコーラスのシンガーや、バンドとの音あわせにもとても細かい注文をつけている。そのマイケルの驚くほどの穏やかな口調。とくにバンドのビートに納得がいくまで穏やかだが一歩も妥協を許さない完全主義で やりなおしを繰り返していた。リハーサルなのに 全く気を許さずにダンスにも歌にも完璧を求めるマイケルの芸への真摯な姿が まるで苦行僧のように見えてくる。
リハーサルを通して ダンサー、バンド、コーラスのすべてが マイケルと監督のケニーオルテガを中心に家族のような一体感がかもし出されていた。

ものすごくぜいたくに ふんだんにお金を費やしたロンドンツアーだったようだ。舞台が破格にぜいたく。舞台のバックを大きな画面にして巨大な映像を作りながら歌とダンスが繰り広げられる。
「スリラー」では3Dで お化けの役者達が墓地を走り回り マイケルは巨大な蜘蛛の中から出てくる。また、「SMOOTH CRIMINAL」では ハンフリー ボガードとリタ ヘイワーズが出てきて ボガードに追われながらマイケルが逃げ惑う。「EARTH SONG」では美しい自然と容赦ない自然破壊の映像が映し出される。

バックコーラスの女性歌手とのアドリブもすごかった。リズムに乗るといくらでも無伴奏でアドリブで音と音をつなげられるのは、音程にもリズムのもものすごく正確で絶対音、絶対リズムが身に着いているからだ。バンドもコーラスもダンスも実力のある人ばかりが選りすぐって選ばれてきているのがわかる。

ギタリストのブロンドの女性は、24歳のアデレード出身のオージーだ。厳しいオーデイションを経てきた人、オリアンテイ パナガリス(ORIANTI PANAGARIS)。マイケルに演奏中 舞台中央に引き出されて ソロで長いことアドリブを弾く。マイケルが広い舞台を 歌い踊りながら走り回るのに 必死で付いていって、いっしょに走っていたが、ハイヒールのブーツに ギターをがんがん演奏しながらだから、とても大変そうだった。けど、パワフルなギターだった。ソロでCDを出しているそうだ。

最後の「MAN IN THE MIRROR」がとても良かった。本当に マイケルは1曲1曲に全力を投入して 少しも気を抜かない。リハーサルなのに 力尽きるまで歌って踊る。これがすべてのキャスト、スタッフとの一体感ができるゆえんだったろう。

2時間のパフォーマンスのあと 「THIS IS IT」の音楽と共に最後にこのドキュメンタリーフィルムのタイトルが流れる間、映画館で映画を見ていた人々、みな、曲にあわせて指をならしたり 手で拍子をとっていた。誰一人 席を立つ人がいなかった。
これだからオージーってすぐ調子にのるんだよねーと思いながら フイルムが終わっても 音だけがなっている中で リズムに合わせて 指を鳴らし、手拍子をとっている そんな 一体感と余韻を わたしも楽しんだ。みんなマイケルに 心の中で さよなら言ってたんだよね。

2009年10月22日木曜日

コミック 中村光 「聖おにいさん」


下の娘に 赤ちゃんができたので 会いにニューカッスルまで3日間行ってきた。仕事は 忙しくてどうせ休暇願いを出しても 「それでも お願い 来て」と泣かれるに決まっているから 真に迫る演技 瀕死の声で病欠の電話を入れて行ってきた。
で、、、仕事に戻ってみると みんなに、「お孫さん どうだった?」と、会う人会う人みんなに聞かれたのは どうしてだろう?

ニューカッスルに行く前の晩に、上の娘とコンサートに行った。
オーストラリアチェンバーオーケストラの演奏するチャイコフスキー弦楽器のためのセレナーデが 上出来だった。今年 第一バイオリンのコンサートマスターに入ったロシア人の サトゥ ヴァンスカは、愛想がないが 若くて美人で 素晴らしいテクニシャンだ。彼女と、もう一人のロシア人で長いこと第一バイオリンを弾いていた イリア イサコヴィッチが、盛り上げて この夜 チャイコフスキーが とても品のある濃厚なロシアの香りする演奏になった。

良い音を聴いて、気分よく外に出ると どしゃぶり。
仕方なくタクシーで帰ることになった。車上 30分あまり。
娘が最近手に入れたばかりのコミック 中村光の「聖おにいさん」の話になったら、ふたりとも笑いが止まらない。結局 家に着くまで ふたり共 おなかを抱えて笑い転げていた。
娘が先にタクシーを降りて家に入るのを見届けて 私の家に向かう途中 タクシーの運ちゃんが 「じつに仲の良い親子で、笑いの絶えない良いご家庭ですなー。」と、心から感心してくれた。
そうなんです。
よく笑えるんですよ。運ちゃん。このコミック。

「目覚めた人ブッダ、神の子イエス。世紀末を無事に越えた二人は東京 立川でアパートをシェアし、下界でバカンスを過ごしていた。」 で始まるコミック1-3、巻 講談社。とても笑える。
絵のおもしろさが 秀逸なので、せりふだけここで言っても おかしさは半分以下なのだけど 一度読んで忘れられなかったところを ちょっとだけ。

イエスもブッダも ちょっと羽目を外すと もと来た場所にもどってしまいそうになる。ブッダが深い眠りのなかで、弟子のアーナンダと会話して夢からさめてみると、イエスが「完全に息が止まってたよー。」と。
イエスもトランポリンで遊んでいて、ブッダに「そんなに高く飛んだら 召されるって。」飛び上がるたびに 天使が迎えに来てしまい、ミカエルから苦情メイルが、、。イエスいわく「じゃ、メールで謝っとくよ。」で、「ミカエル 犬派、ねこ派?」 それに「かわいい画像を添付して許してもらおうなんて甘いからね。」と ブッダが釘をさす。

イエスの茨の冠はGPS搭載。地上でイエスがなにをやっているか、どこにいるのかを、天上の天使達は見ていて「今日もイエスは コンビニと銭湯しか行かなかった」とか、言っている。

二人が浅草寺に見物に行く。ブッダは本物のブッダが お寺に登場したのでは「巣鴨にヨン様放つようなもんじゃない。」と、身元を見破られるかと心配するが、外国人にカメラ向けられ ポーズ プリーズと言われ クール、ニンジャ、アジアンビューテイーと連発され、「アジアでひと括りされました。」と、ブッダのことばでオチがつく。

空腹のイエスは ネットでミクってばかりいて食事時間を忘れているブッダに文句を言うと、ブッダは、お盆に石と水をのせてきて 「石をパンに 水をぶどう酒にできたよね。」 イエスは 返して「どこの鬼嫁かとおもうじゃない。」で、さらにブッダが「やきそばパンとか ごはん的なパンにすればいいじゃない。」というと、イエスは「ライ麦的パンにしかできないの。」と。

おかしいのは クリスマス。ブッダに「クリスマスって何のお祝いだか、知ってるよね。」と言われて、イエスは嬉しそうに「知ってるよ。サンタクロースがトナカイでの飛行に成功した日だよ。」と答える。 ブッダの答えが「うん、大正解。その勘違いに私は奇跡すら感じるよ。」と。

年末の大掃除。ブッダに一気に掃除しよう と言われて、イエスは「そういえば とうさんも言ってたなー。」そのとうさんは、「よごれはかなり溜め込むんだけど 大事なものだけ箱舟に詰めてから 大洪水で流して一気に洗い流すんだ。」と 嬉しそうに言う。

買い物帰り 町内会の福引で 期待していたお米でなく、景品の仏像を当ててしまったブッダは、しまった「偶像崇拝禁止しとけばよかったな」とポツリ一言。

イエスは泳げない。気の弱いイエスに、ブッダはプールで水に顔をつけられる練習をさせようとするが、イエスが大決意して顔をつけようと意気込むと、プールの水が2方に別れて エジプト出のモーゼのような通り道がプールにできてしまう。
川で イエスに洗礼を施したヨハネさんは 潜ることも水に顔をつけることも出来ないイエスのために、どんどんハードルを下げてくれて、「そうか、今の洗礼の形式は ヨハネさんの優しさなんだね。」とブッダ。

ブッダ、ちょいワル聖人やってみようか、と。
「盗んだ木魚を打ち鳴らし、夜中に祇園精舎の窓を割って回る」
「おおー15の夜」のりきったブッダにイエスは 「ごめん、まさか、君と尾崎がリアルにリンクするとは思わなかったんだ。」と。

1ページに一度は爆笑するコミック。とってもお気に入り。

2009年10月8日木曜日

映画 「毛沢東のバレエダンサー」


映画 「MAO’S LAST DANCER」(邦題「毛沢東のバレエダンサー」)を観た。
中国から米国に亡命したバレエダンサーの リー シュイン シンの自伝をもとに映画化された作品。彼と同じ、北京ダンスアカデミー出身の バレエダンサーで 現在イギリスのバーミンガムロイヤルバレエのプリンシパルの チ カオが 映画では リーの役を演じている。素晴らしいバレエダンサーが リーを演じることによって 作品に命が吹き込まれたと言っても良い。

ストーリーは
1972年、中国の貧しい山村に 専門家らが踊りの素養のある子供を捜しにやって来る。8人子供がいる家庭の7番目の男の子が選ばれて、家族から引き離されて、北京ダンスアカデミーに入学することになる。全寮制で 毎日厳しくバレエを指導され、家に帰ることなど全く許されない。国の為に 国が誇りとするような優秀なダンサーになることだけが 目的だ。リーは ダンスを教えてくれる教師を心から慕って 練習に励む。
ある日 国の官僚が バレエを観にやってくる。共産党員の官僚は 生徒達の踊る「ジゼル」が ブルジョワの見世物ではないかとダンスの教師を批判する。これに異をとなえた教師は 解職され強制労働キャンプに送られてしまう。慕っていた先生は、キャンプに送られる前にリーにヨーロッパのバレエダンサーのフィルムをリーに託して行く。
リーは行き場のない怒りを胸に秘めて 自己鍛錬に一層励むようになって、自分は解職された先生が思い描いていたような 立派なダンサーになる決意をする。
そうしているうちに、時代に変化が現れる。毛沢東が亡くなり 四人組が粛清され、米中関係が変化する。米国のヒューストンから、バレエカンパニーの面々が 親善友好訪問にやってくる。このときに、リーが一行の目にとまった。そして、リーは 北京ダンスアカデミーが派遣する初めての留学生として、米国に渡ることになる。

リーの父親が休まずに肉体を酷使して1年働いて$50の収入しか稼げないというのに、ヒューストンのホストファーザーは、リーの着る物を買う為に1日で$500を消費する。豊かな米国の暮らしぶりは、リーにとっては何もかも驚きの連続だった。
留学生として来たのにも拘らず、その年の出し物で 主演が肩を故障したため代役を演じたことを契機にリーは ヒューストンバレエカンパニーの人気をさらってしまう。卓越した技術と 強靭な筋力が 人々を魅惑したのだった。
そして留学期限の2年がたって、リーは美しいバレリーナ エリザベスに恋をしていた。リーは彼女と結婚をして、米国に留まりたいと願うようになる。

エリザベスを伴って中国領事館に 滞在延長を申請にいったリーは、そのまま 拘束され、収監されてしまう。驚いたヒューストンバレエカンパニーや、人権弁護士が マスコミを動員して領事館を取り囲んで リーの拘束に対して、抗議する。テキサス州だけでなく、米国の上部政治家の介入があって、遂にリーは釈放されるが、中国人としての国籍を剥奪されて、二度と中国に帰る事が出来なくなってしまった。
その後、リーは傷心のまま、ヒューストンバレエカンパニーから仕事をオファーされ、エリザベスに支えられてバレエを踊り続ける。プロの世界で、公演を次々と成功させて リーの名声が上がっていく一方、それほどの技術を持たないエリザベスは 仕事がなく自分も踊りたいのに 家事をしながらリーの帰りを待他なければならない。やがて二人の関係は破局する。
リーは 一見華やかな舞台にいても、残してきた両親のことを思わない日はない。自分のわがままにために 両親が軍に連行されて強制労働キャンプに送られたのではないか、死刑にされたのではないか、と眠れぬ夜を送っている。その不安をかき消すために ダンスに打ち込んで生きるしかなかった。そんなある日、、、
というおはなし。
監督:BRUCE BERESFORD
リー: CHI CAO(おとなのリー)
    HUANG WEN BIN (子供のリー)
エリザベス: AMANDA SCHULL

映画の予告編を観て、チ カオの踊りに目を奪われた。パワフルなハイジャンプ、華麗な身のこなし、素晴らしいダンサーだ。何があっても この映画 絶対観ようと思っていたら、そのうちに、’この予告編をテレビでも しつこいくらいに流すようになり、リーが2009年の「今年のお父さん賞」を受賞し、TVや新聞で引っ張りだこになり 彼の自伝が本屋に山積みになって飛ぶように売れ出してベストセラーとなり、映画が始まると、映画館に人の列ができるようになってしまった。リー シュイン シンは現在、メルボルンに奥さんと3人の娘さんと共に住んでいる。映画の撮影にシドニーが使われたことも、映画の人気に関係しているかもしれない。

人々の騒ぎぶりに比べて、映画としての出来は良くない。フィルムがあかぬけない。彼のバレエの偉大さを強調するあまり、彼が舞台でジャンプした瞬間、画面が止まって いかにも人並みはずれたジャンプをしているように効果をねらった映像を作っている。バレエの回転では スローモーションを使って 彼の動きを強調している。こんな小細工をするところが 安っぽい。洗練されたバレエのフィルムをちゃんと作るべきだ。

ストーリーの要のところを明かしてしまうけど、、、
映画の最大の泣かせどころは 最後の両親との対面シーンだ。幼い時に親から引き離されて以来 全寮制のバレエ学校で育ったリーが 夢にまで見て、案じてきた両親が、ヒューストンで 満場の拍手で迎えられて 舞台の上で抱き合うシーンに、誰も彼もが涙をふり絞る。ことになっている。
で、、、どうだった と オットに聞いてみた。
オットは 他の多くのオージーのように、映画を観ても オペラを観ても、コンサートを聴いても めったに批判めいたことは言わない。協調と柔軟さで他の誰とも うまくやっていくタイプだから、私のように ずけずけと欠点を言い立てたり 監督を批判非難したり、挙句の果てに糾弾したりはしない。
そのオットが珍しく、「この映画 おもしろくなかった」、、、という。どうしてかと聞くと、「最後の年取った中国人女性は何だったのか わからない。何なの あの女。」と聞かれた。腰が抜けるほど びっくりしてしてしまった。
たとえば 「母を訪ねて三千里」を見たとしよう。少年が母を捜し求めて 苦労しながらたくさんの土地を探し回り、遂に母を見つけ出して、ヒシと抱き合っている。さて、この女の人は誰でしょう。ここで「あの女なーに???」と 聞かれたらどうだろう。 ここはどこ?わたしはだれ?

物語を理解するための 基本の基本がオットにはわかっていないのではないだろうか。今まで 一緒に観てきた数え切れない映画のストーリーが オットの頭の中では どんなふうに理解され、処理されてきたのだろうか、頭をかち割って中をのぞいてみたい誘惑にかられる。
オットは ばかではない。驚くべき記憶力を持ち、知識も豊富だ。ヨーロッパは右の方、アメリカは左がわ、北極は上、南極は下の方などといっている私が 「キルギスは地名だっけ、国名だっけ」などと聞くと すぐにキルギスが何年に独立した国で ロシア語をしゃべって、地下鉱物のなんがしかがあるとかいうことを、すらすら教えてくれるし、「ポーランドとインドネシアの国旗は同じ?」と聞くと、赤が上がインドネシアで 赤が下がポーランドなど、と0.5秒で返事がくる。

映画ではよく暗示が行われる。はじめに青くて硬いぶどうの実が画面に出て、次に たおやかに色付いたぶどう色の実は写れば、季節が変わったのだ、ということがわかる。新しい本が最初に写り、ボロボロになって変色した同じ本が画面が出れば、そのときから何十年も時がたったのだ、ということを教えてくれている。男が胸を押さえてパタリと倒れて 次の画面で 黒服を着た女が肩を落としていたら、男が死んだことを 説明しているのだ。そういった わかりやすい理解のための約束が わからなかったら物語りの筋を追う事は出来ない。
オットは、目に見えるものはよくわかるのだが、想像力が足りないのか? これからは、映画を見ながら、ちょっと想像力を要するシーンでは 解説が必要なのかもしれない。

2009年10月3日土曜日

オペラ 「ザ ミカド」




オペラ オーストラリア 今年後期オペラの最後の出し物のひとつ、「ザ ミカド」を観た。
アーサー サリバンによって二幕もののオペラとして作曲され、W S ギルバートによって 脚本 劇化された作品。英語で歌われて、英語の字幕がつく。オペラハウスにて、A席 $180。10月31日まで。
19世紀にロンドンで開催された万国博覧会を契機に日本ブームが起きた その勢いに乗って生まれたオペラ。登場人物がみんな 日本の着物らしきものをまとい、天皇が登場、皇太子のお妃選びをめぐる おもしろおかしい喜劇だ。

これをむかし、娘達がインターナショナルスクールの中学生だったときに 上演したことがある。舞台の下で オーケストラに駆り出されたので忘れられない。学校では年に一度のミュージカルは、学校を挙げての大きなイベントだった。本格的オーデイションで 配役を生徒、教職員、父兄のなかから選び、数ヶ月かけて舞台を作り上げる。仕上がりは本格的。今思うと、芸達者ばかりが そろった学校だったと思う。

インターナショナルスクールの教職員は 毎年アイオワで、大規模なマンハンテイングが行われる。世界中のインターナショナルスクールの校長たちが より良い先生を求めて これまた世界中から応募してきた先生達を審査し、面接をして雇用契約を結ぶ。
このときに、歌って踊って楽器を演奏するテストでもあるのではないかと思うほど インターナショナルスクールの先生方はバラエテイーに富んだ タレンテイッブな人が多かった。ウェストサイドストーリーのマリアが歌う歌を全曲 歌って踊れるアメリカからきた理科の先生、プロ並みのヴァイオリン奏者のインド人社会学の先生、だいたいアメリカ人の校長が「屋根の上のバイオリン弾き」のテビオの役、「オペラ座の怪人」などミュージカルなら何でもござれの 玄人はだし、この「ザ ミカド」のココの役などお手の物だった。
インターナショナルスクールの敷地は いわば「租界」で、どんな低開発国でも回教国でも この学校の中だけは 治外法権といってよい、いわば「ちいさなアメリカ」だった。各国の大使 領事館の子弟、世界銀行やアジア銀行の職員の子供達は、ここに通って来ざる終えない。マニラでは、ビレッジの中の敷地には、幼稚園児から高校3年生までの合わせて2000人たらずの子供達が通ってきていた。

ミュージカル出演者のオーデイションは厳格な審査のもとに行われる。生徒達は 主役が欲しくて授業のあと プロの声楽家についてヴォイストレーニングに通ったり、ダンスクラスで練習に励んだりしていた。興味深いことに、このような学校をあげてのミュージカルで主役や、準主役や 常連役者になる子供達は 舞台稽古が始まると 毎日学校の授業後 3時間も4時間もリハーサルが続くにも関わらず、勉強もよくできる子供達だったことだ。勉強も課外活動もスポーツもできて、おまけにボランテイア活動もしているというような子がアメリカで一番とか2番とか、高く評価されていた大学に そろって推薦入学していた。アメリカが欲しがる子供というのが おのずと理解できる。勉強が好きで、チームスポーツを楽しみ、舞台で踊ったり歌ったり楽器をひいたり表現力の豊かな、ついでにボランテイアに時間を割くことも出来る そんな子供ならば将来法曹界にはいっても、実業界に入っても立派なリーダーになれるからだ。
学校で演った「ザ ミカド」は大成功だった。

ストーリーは
ミカドの国の都 ティティプーで、旅芸人のナンキンプーは、美しい娘ヤムヤムに恋をする。しかし、ヤムヤムには、ココという婚約者がいた。ココはミカドのお気に入りの死刑執行大臣だ。気まぐれなミカドのいうまま、ミカドが好きなときに 好きな方法で 人を死刑にするのが仕事だ。ミカドは しばらく死刑がなかったので、来月までに一人死刑囚を連れてくるように とココに命令する。
そこで、ココは 自分のフィアンセを夢中にさせてしまった ナンキンプーが、ヤムヤムと結婚できなければ死んだ方がましだ、と言った言葉尻をとらえて、1ヶ月だけ ヤムヤムと結婚させてやるといって、1ヶ月後にナンキンプーが死刑にされることを納得させてしまう。
一方、ミカドと その息子の婚約者、カテイシャは、行方不明の皇太子を探している。年上で醜いカテイシャが嫌で、皇太子は逃げ出して行方をくらませていたのだった。
1ヵ月後に、ミカドと カテイシャが天皇の御所で待ち受ける中を 約束どうりに死刑囚が引き立てられてくる。それは、ミカドが探していた息子の皇太子ナンキンプーだった。
怒ったミカドは、ココがナンキンプーの代わりに死刑にされるべきだという。ココは死に物狂いで、ナンキンプーに捨てられた婚約者カテイシャに命乞いをして求婚する。カテイシャも 逃げ出した皇太子より男前の ココに求婚されて悪い気はしない。そこで、ヤムヤムとの結婚を許された皇太子ナンキンプーはヤムヤムと愛を誓って、ハッピーエンドとなる。
という たわいのない喜劇だ。

オペラオーストラリアの配役は
ミカド:リチャード アレクサンダー
ナンキンプー:カネン ブリーン
ココ:アンソニー ワーロウ
ヤムヤム:ターリン フィービグ

今年一番印象深かった映画「グラントリノ」で、クリント イーストウッドが、どうしてもモン族の女の子の名前を覚えられなくて、ヤムヤムと 勝手な名前で呼んでいたのを思い出す。イーストウッドが ヤムヤムと発音すると、なんで、あんなに優しげに聞こえるんだろう。

ナンキンプーこと、カネン ブーリンのテナーが とてもとても良かった。ソフトで無理のない のびのびとした テナーで聞いていてとても気持ちが良い。こんなに、柔らかい 優しいテナーを聞くのは 久しぶりだ。ヤムヤムの、ソプラノも悪くなかった。
ミカドのバリトンも良いし、ココのバリトンも悪くない。ココが、舞台回しで、死刑に使う斧を持ち歩いて笑わせる。アドリブで、あいつもこいつも死刑にせにゃあならん。という中で、4輪駆動車で街を我が物顔で走り回る若者とか、息子ほどの若い男を追い回している大型女優を揶揄してみたり、とある政治家たちも 死刑のリストに出てきて、皆を大笑いさせていた。

ところでこのオペラが作られて 100年もたっている。クラシックと言って良い程のオペラなのだ。
戦前 天皇をからかっているということで、在連合王国日本国大使が英国外務省に抗議して、上演を差し止めるように要請した、という話もある。真偽さだかではない。しかし、このオペラは日本人の間では 評判が悪い。あまり日本では 上演されていないみたい。

日本人にとっては 天皇を笑うことはタブーになっている。しかし、天皇が 現人神ではなくなって65年たつ。いつまで笑わないでいるつもりなのだろう。
エリザベス女王や、彼女のロイヤルファミリーなどいつもジョークの種になっているし、シニカルな例えなどで、ケチョンケチョンに言われたり、映画では 女王のそっくりさんが おばかをやって笑わせている。ヒットラーなど、喜劇の定番登場人物だし、毛沢東や、サダム フセインも。
むかしむかし、日本に気まぐれで冷酷無常なミカドがいましたってサ、、、 と言うお話に 日本人が怒る必要はない。大いに、ミカドを笑ってよいのだ。人々の笑いが文化を造り 継続させていく原動力になるのだから。

2009年9月30日水曜日

産まれた!!!




きのう おばあさんになった。
娘が3日間 陣痛に苦しんだ挙句の果てに 取り上げられた小さな小さな命を、おなかの上に載せて ヒョイとシーツをめくって見せてくれた娘の堂々とした姿に ヨロッとした。

娘の相手;ギリの息子は 私を恋仇のように思い込んでいるフシがある。母の愛は海より深いんだゼィ と言っているだろうが!ライバル心むき出しに 愛の深さ比べをしたがる このギリの息子が 全く可愛くない。こんな奴に娘がもったいなくて こんな 奴でいいのかと、何度も娘に問う口調は ついつい刑事の尋問口調。
それが、43時間の陣痛の間じゅう 眠りもせずに 食べもせずに 娘の背中をさすり続けたという。母体と赤児のへその緒を切ったのも 彼だったという。なんて いい奴! NOW,WE ARE A FAMILY。私達家族になったね、と娘に言われて かくれて涙をふく このギリの息子を見て クラっときた。

3キロに満たない すごく小さなベイビーのくせに 頭の形も 目鼻立ちも お尻の形もオージー風。生まれ出て40分しか経っていないのに もう空腹を訴えている。おまえ、肉食獣か。米とわずかな魚で生きてきた純ヤマトンチューではないのだな。
惚れ惚れするゼーイ。

とにかく無事に生まれて良かった 良かった。
3時間かけて会いに行き、10分間 出産直後の娘に会って 3時間かけて帰ってきた。オットにチヤホヤされたあと、職場に行ったら同僚や患者さんたちに抱きすくめられて 次々おめでとうを言われた。とても くすぐったい。何をしていても ニマニマ笑いが止まらずに、顔がゆるんで仕方がない。

2009年9月28日月曜日

オペラ 「セビリアの理髪師」


マニラ 1995年12月 クリスマスコンサートで「セビリアの理髪師」序曲を演奏した。
このときほど ムキになって弦を弾いたことは 前にも後にもない。弦よ切れ! 弓よ折れよ!とばかりに全力をこめて演奏した。傍目にも 気でも狂っていたかのように オーケストラの末席で 椅子から転げ落ちんばかりに力を込めて弾いていた。100人余りのマニラインターナショナルスクールオーケストラ、私達の最後の演奏だった。演奏が終わり 第一バイオリンコンサートマスターの長女、セカンドバイオリンコンサートマスターの次女と、3人の名が呼ばれて立ち上がり 「これが3人にとっての最後のコンサートです、長いことありがとう」の言葉とともに、花束が贈られた。
花束など くそくらえ。
もう2度とバイオリンなど弾きも 教えもしないだろう。今後 どうやって生計をたてて生きていくのか、未知の世界に飛び込む前に 10年間のフィリピンでの生活を総決算する勢いで終了したコンサート。力を出し切った。

そして1週間後、私達母娘3人は 青い空の下、生まれて初めてシドニーの大地に降り立っていた。
誰一人として知人や友人がいるわけではないシドニーに、まだ あかちゃんっぽいテイーンの二人の娘を連れて行くなんて、無謀だ 愚かだと言われながら、憤然と 日本になど立ち寄らず、10年暮らしたフィリピンの腐った大地を蹴り飛ばして来た。このときの 強い決意が 「セビリアの理髪師」を聞くと よみがえってくる。ひとつひとつのオペラ、ひとつひとつの楽曲に思い出があるものだ。

このオペラは 楽しいオペラだ。決して、10年間の怨念を総決算して、心のケジメをつけるための音楽などではない。
一生 生活の苦労をすることなどなかったヨーロッパの大スター ロッシーニの甘い、豊穣な遊びの世界のオペラだ。ロッシーニの音楽に 暗さや悲しさや憎しみや妬み嫉み など一片もない。シドニーのつきぬけるような青い空だ。その青に ヨーロッパの知性と品格が加わる。彼は恵まれた環境で生まれ育ち作曲をし、音楽監督をした。ヨーロッパの大スターでどこに行っても愛され、褒め称えられた。
若干36歳で作曲を止め、以後40年間 何一つ作曲しなかった。にも関わらず彼は死ぬまでスターとして人々から愛された。
貧困のうちに作曲を続け、子供達を栄養失調で死なせ、楽譜を買うお金もなく冷たい寝台で 若くして死んでいったバッハやモーツアルトなどとは全然違う人生を送った。40年前に作曲して得た名声を その後死ぬまで維持した作曲家は他にはいない。

ニューヨーク メトロポリタン オペラ「セビリアの理髪師」を観た。クレモンオぺアム映画館で、27ドル。
ここで メトロポリタンオペラを ハイデフィニションフィルムで大画面で見せてくれるようになって1年。いままで、「蝶々夫人」、「ラ ボエーム」、「魔笛」、「夢遊病の女」などを見せてくれた。これから「トスカ」、「アイーダ」、「トランドット」。「サイモン カバネラ」が上演される予定。「サイモン カバネラ」では、プラシボ ドミンゴが歌う。年をとって 良い味が出ているドミンゴが見ものだ。 

ストーリーは
ロジーナは 美しい箱入り娘。後見人バルトロの家で、厳しく監視されている。バルトロは年寄りだがロジーナに魅力を感じていて あわよくば自分が彼女と結婚できれば良いと思っている。したがって、虫がつかないように、自分が出かけるときは 彼女の部屋に鍵をかけて出かける用心ぶりだ。
夜になると窓の下にきて セレナーデを歌う恋する青年がいる。ロジーナも この青年に魅かれている。貧しい学生だという。
そこでセビリアの理髪師、フィガロの登場だ。フィガロは床屋で歯医者で何でも屋 どんな家にでも出入りできる。恋の仲立ちもできる街の人気者だ。
ロジーナに恋する青年は フィガロの助けを得て 仕官になりすましてロジーナの家に入りこみ バルトロに隠れてロジーナと手紙をやりとりする。次に青年は、音楽教師になりすまして、ロジーナにピアノのレッスンをする。しかしバルトロは厳しい警戒体制を敷いている。フィガロの手引きで 青年がはしごを使ってロジーナの部屋に入り込んで 恋を語るころには、遂に バルトロに見つかって捉えられるが、実は この青年は 伯爵だった。ロジーナは 正式の結婚申し込みに 1も2もなく承諾し、バルトロは何の文句も言えずに すべて丸く収まって 大喜び というお話。

ロジーナに恋する伯爵の一途な様子、テノールの恋歌の数々が なんと言っても聴かせどころだ。窓の下で歌い、ロジーナの耳元で歌う恋する伯爵が とても良い。JUAN DIEGO FLOREZは、メトロポリタンオペラのスターだ。大きな目がうるうるの美青年。とっても伸びやかな 美しい高音を歌う。
対するロジーナ JOYCE DIDONATO。イタリア系アメリカ人だが、顔もスタイルも文句ない美女で、メゾソプラノ コロラトウ-ラをきれいに歌う。二人の美男美女が恋歌の数々を歌い ドタバタをコミカルに演じる姿は 本当にオペラの良さを抽出したエッセンスを甘受している気分。

二人の美しいカップルに加えて、肝心のフィガロ。PETER MATTEIというスウェーデン人で、メトロポリタンオペラにゲスト出演しているバリトン。体がひとまわり大きな大男で 若々しくこの人が素晴らしい。
ロバに引かせた床屋の荷馬車で、登場して歌う フィガロフィガロフィーガーローの歌は、最高。ああ、フィガロって、こういう男が演じなければならないのかと、やっと納得。今まで、何度か舞台で何万円も払って観たフィガロは何だったのだろう。初老の惨めったらしいフィガロ、策略家で ずる賢いフィガロばっかり観てきた。でもロッシーニの描いたフィガロは そんなのでなくて、実にこのPETER MATEIがやったようなフィガロだったはずだ。当時の床屋といえば、民間医者代わり、歯医者もやれば 薬も処方した。女達にもてて 若くて屈強な体をした 素敵な男だったはず。
そんな、フィガロ役にぴったり合った歌い手をちゃんと探し出して 連れてこられるところが メトロポリタンオペラの力量なのだろう。
伯爵、ロジーナ、フィガロみんなそろって、素晴らしい。本当に楽しいオペラだった。
映画はDVDで観ない。オペラはCDで聴かない。生だけの主義。でも、ニューヨークまで簡単には飛べない。映画館で日曜の午後をオペラで とても楽しむことが出来て とっても満足。

2009年9月21日月曜日

映画「サブウェイ123激突」



役者が役を演じるために体重を落としたり増やしたりするのは避けて通れない役者の道らしい。伸縮自在な体が売り物というわけか。因果な商売だ。

近いところでは、クリスチャン べイルが有名。
彼は 2004年、不眠症の男の役を「マシニスト」でやって、体重を30キロ落とした。ここであばら骨浮き出る真迫の演技をみせたあと、立派な体が売り物のヒーローにもどって バットマンで きれいな裸を見せてくれた。
その後、2007年には、「戦場からの脱出」でまた25キロ体重を落とす。この映画、原題「レスキュードーン」、日本では劇場公開にならなかったようだが、クリスチャンの人気が出てから DVDとして市場に出て、話題とともにこれがすごく売れたようだ。
私の好きな「グルズビーマン」のドキュメンタリーを作ったヴェルナー ヘルツオーク監督による映画。 ヴェトナム戦争中 極秘命令を受けて戦闘機で飛行中 爆撃されてヴェトナムの捕虜になった、ドイツ系アメリカ人、デイーダ デングラーのドキュメンタリー映画だ。彼は捕虜となって、ありとあらゆる拷問にあい、ジャングルのなかの捕虜収容所に収容される。飢えで餓死していく戦友たちを見送りながら 辛くも脱走、帰還した実際の話を映画化したもの。ここでクリスチャン べイルは はじめは体格の良い血色良い兵士で登場し、捕虜になって拷問を受けるたび、だんだん痩せていき、脱獄するころには骨と皮になって熱演している。蛆虫も平気で実際に食べている。これを平気でやっている役者って すごい、因果な職業だ。

ロバート デ ニーロも 役造りへの徹底ぶりで、はるかに常識をこえた役者だ。1976年の「タクシー ドライバー」を演じるために、1ヶ月間 毎日1日12時間タクシー運転手として働いて、本物の運ちゃんの雰囲気を掴んだそうだ。1980年の「レイジング ブルー」では ボクサーの一生を演じるため 本格的にボクシングを学び 真剣勝負が出来るほどになって打ち込んだあとは、ボクシングを引退して酒場の親爺になる 映画の後半を演じるため 今度は体重を28キロ増やしたそうだ。パリに滞在して ただただ美食に明け暮れたという。遂に不整脈が出て、ドクターストップが出て、28キロでやめておいた、というのだから 太るのも命がけだ。また、1991年の「ケープファイヤー」では、筋肉をつけ 体中に浅く刺青を入れ、5000ドルかけて歯並びをガタガタにして、役造りに徹底した。映画撮影後には、また2万ドルかけて歯並びを直したというから はんぱではない。ここまでくると 役者はみんなマゾヒストか、と問いたくなる。

映画「サブウェイ123激突」を観た。
この映画に出るために ベンゼル ワシントンは体重を10キロ増やした といわれている。食べて寝てまた食べて暮らして2,3ヶ月すれば それくらい体重をふやすことが出来る人も居るだろうが 役者という純粋肉体労働をこなしながら 体重を10キロ増やすということは 大変な努力を伴う苦行にちがいない。

この映画、原作はジョン ゴデイによる小説で、1974年に ジョセフ サージェントによって 映画化された。1998年にはテレビ番組のためにリメイクされた。それをまた2009年に ベンゼル ワシントンと ジョン トラポルタ二人の名優で映画化された。トニー スコット監督。
こんなに 何度もリメイクされるのは ストーリーのおもしろさからくるものだろうが、一般市民が地下鉄に乗っていて 突然人質になり、命を脅かされるような不運が、自分にもいつ襲い掛かってくるかわからない 不安と予感みたいなものを みんなが持っているからかもしれない。

ストーリーは
ウオルター ガーバーはニュヨークの地下鉄コントロール室で働いている。以前はもっと高い地位にいたが、新しい地下鉄導入にかんして視察に行った日本の会社から収賄をうけた疑いを持たれて 今は降格している。不器用で 実直な男で、部下からは信望篤いが、上司からは疎まれている。
親友が運転している地下鉄がブルックリンで突然止まってしまった。コントロール室から呼びかけてみると 何と沢山の乗客を乗せたまま この車両が 何物かによって、乗っ取られたのだった。
犯人はウオルターに1000万ドルの身代金を要求してくる。正確に30分後までに 金が届かなかったら 1分間に一人ずつ乗客を殺していくという。緊急時にニューヨーク市長が対応に迫られる。市長は数ヵ月後には引退して隠居する予定だ。こんな事態収拾の責任などもつ気はさらさらない。犯人は人質全員と市長とを交換しても良いと言ってくるが 市長にそんな勇気はない。
交渉にいらだってきた犯人ライダーは 怒りをすぐに爆発させて ウオルターの親友だった運転手を撃ち殺す。銃声で事態を悟ったウオルターは なんとかライダーの心を鎮めて対策を講じるため 自らライダーに話しかけて時間稼ぎをする。
人質の安全のために 身代金は猛スピードでブルックリンからマンハッタンまで輸送される。しかし、パトカーに先導された1000万ドル載せた車は 乗用車を避けられず高速道路から墜落事故を起こす。約束の時間までに届けることが不可能になった。ウオルターは必死でライダーを説得する。ウオルターの捨て身の交渉によって 身代金はウオルターが歩いて運んでライダーに渡すことになった。そして大金をライダーに届けたウオルターはそのままライダーの人質になって、、、
というお話。

ふたりの男の対決がおもしろい。
10キロ体重を増やして腹のまわりに脂肪をしっかりつけたべンゼル ワシントンが ニューヨーク地下鉄コントロール室で 毎日コンピューター画面にむかって仕事して すわって指示するだけだから コークにチッププスを始終くちゃくちゃやっている。家族思いで不器用、実直なおとうさんだ。そこに突然 天才的に頭の良い冷酷無比の極悪犯が 飛び込んでくる。この男は 人を殺すことなど 何とも思っていない。

監督は どうしてもこの二人を映画の最後で対決させたかったのだろう。2回もオスカーを獲ったべンゼル ワシントンという名優と、ジョン トラポルタという個性的でアメリカでは一番人気ものの役者との対決だ。
トラポルタは最愛の一人息子を亡くしたばかり。重度のてんかんで障害をもっていた16歳の息子がバスルームで転倒し死亡したことで、映画を観ている人々はどうしてもトラポルタに同情して 余りに気の毒なので彼の肩を持つ。ベンゼル ワシントンがせいいっぱい誠実な公務員の役をやっていても 彼の味方にならないのは不運。
実際、映画のなかで ライダーは銃をぬかないで 思い通りの死に方をした。潔い。

2009年9月17日木曜日

ツアー デ フランスとコミック「オーバードライブ」



今年は、日本人のサイクリストが何人か ツール ド フランスに出場して完走したため 日本でもこのツール ド フランスに、関心が集まって、ファンも増えているそうだ。
世界一過酷な ロードサイクリングのツール ド フランスは 夏のヨーロッパには なくてはならない 世界最大の自転車ロードレースだ。 オリンピック、サッカーワールドカップとともに、3大スポーツイベントになっている。 21日間かけて、フランスの山々を 約4000キロを走破する。第一回が、1903年という、伝統あるレースだ。
ちょうどヨーロッパは夏のバカンスの時期に当たる為 ロードレースの沿道には沢山の 地元の人々や旅行者が押しかける。21日間に1500万人の人が 観戦するという。

毎年、出発点が変わり、コースも変わるが21日間の間には、アルプス、ピレネーの山越えだけのステージがあるかと思うと、山下りだけのスピードレースの日もある。それが、テレビを通じて 130カ国、10億人が、レースを観戦する。カラフルなジャージーを着た数百人の各国から選ばれてきた選手が 群れをなして時速100キロ以上の速さで自転車を飛ばす様子はみごとだ。
毎日、ステージごとの最速選手と、総合時間で1位の選手が それぞれの賞とイエロージャージーを受け取る。
選手も 連日猛暑の中を1日の大半を走っているのだから、大変だ。走りながら食べたり、飲んだりしてエネルギーを補給している。落車事故も多い。落車して頭から転倒して、ヘリコプターで救出される選手も、毎年出てくる。とても良いスピードで走っていたのに、大きなラブラドール犬が 道路を横切ったために、犬にぶつかって落車した人もいた。転んで自転車のサドルを失い、ずっと立ったまま走り通した人もいた。
ゴールはパリ、シャンゼリゼだ。凱旋門をくぐり、最終地点に たどり着く選手達を迎えるシーンは毎年、とても感動的だ。

うちのオットも、7月になってこのレースが始まると 21日間テレビに釘付けになる。自然、スポーツ音痴の私はそれを ツメターイ視線で見ていた。氷よりも冷ややかな目ざし、皮肉っぽい口調、嫌味たっぷりのため息、わざとゆっくり横切るテレビの前、、、これだけやっても、ビクともしないで画面に見入っている敵もあっぱれというべきか。
ところが去年から私も すんなり観戦に参加することになった。興味が出て見始めると、これがとてもおもしろい。フランスのそれぞれの地方の特徴や文化、人々の様子が、それぞれ個性的で 見ていて興味深い。絵葉書のような、フランスの牧歌的な農家や、古い教会、お城の跡など、歴史とともに紹介されて、ちょっとしたヨーロッパ旅行を味わえる。

私がこの競技に興味を持ったのは、オーストラリア人のカデロ エバンスが 契機だ。彼は 去年のツール ド フランスで、チベットの旗を描いたTシャツを、ユニフォームの下に着て、「チベットに自由を」と印刷した靴下をはいて 競技に出て みごと総合で、第2位を勝ち取ってくれた。2008年の7月といえば、北京はオリンピックを前にして チベット自由化への弾圧は激しく、チベットのラマ達、活動家達が虐殺、逮捕、死刑に処せられていた。チベットを支援するようなロゴの入った旗やシャツなどを北京に持ち込んだものは オリンピック代表選手であっても、中国入国させない、と、オリンピック主催側は叫んでいた。そんなとき、カデロ、エバンスがチベットの旗のシャツを着て 表彰台に立ってくれて感激した。

コミック「オーバードライブ」安田剛士作 講談社 1-17巻 を読んだ。自転車競技のコミック。
ストーリーは 
16歳、高校1年生の篠崎ミコトは なにをやっても冴えない。高校に入ったら 沢山友達を作って部活やスポーツに趣味も広げて 女の子とも楽しくやって行きたいと思っていたのに何もかも思いどうりに行かない。まったくくさっている。
そんなとき、あこがれの美少女 深沢みゆきに「自転車部に入部しなさい」と言われる。兄の遥輔が、自転車部の主将なのだ。自転車に乗ったこともなかった軟弱なミコトは あこがれのみゆきちゃんに嫌われたくないばかりに 入部して懸命に自転車をのりこなそうとする。

ミコトは自転車にのれるようになると やっとみつけた自分の居場所を失いたくないばかりに自分を認めてくれた自転車部のために全力をかけて練習に励むようになる。苦しい練習も 誰からも声をかけてもらえず友達一人いなかった頃の苦しさに比べれば なんでもない。大和武というクラスメイトがいる。彼は自転車で新聞配達をしながら、鬼のように山のクライミングの練習をしている。彼の父親は スペイン人で有名なプロのサイクリストだった。母親がこの父のために死んだと思い込んでいる彼は 父親を見返して復讐してやりたいために、自転車に乗っている。
自転車部主将の深沢遥輔は 高校生の間では「東の深沢」と呼ばれている実力者だ。体が大きく、クライマーとしての記録は誰にも負けない。西の代表選手は 高校レース界の皇帝と呼ばれる鷹田大地。彼はロードサイクルのために贅肉をそぎ、練習のために不必要なものはすべて捨てる主義で、意志の伝達さえ必要最小限の言葉しか吐かない。
一方、北海道には北原ヨシトという天才がいる。彼は赤児のとき両親と乗っていた飛行機が墜落して北海道の原野で3ヶ月生き延びた。熊に育てられていたとも言われ、風とも雲とも会話ができる。
いくつもの高校に、自転車部があり、それぞれの学校が強豪選手をかかえている。

そこで、スポンサーつきの日本中の高校生のためのロードレースが始まる。優勝チームには 外国レースに参加するというチャンスと賞金が与えられる。それぞれの高校のチームで、それぞれの選手に悩みがあり、家庭の事情があり、レースに勝たなければならない理由がある。
レースは波乱に富み、事故が続出、様々な困難が襲い掛かる。しかし深沢は約束どうりに 1位になってミコトにバトンを渡す。最終ランナーのミコトは、、、というお話。いかに優れた選手がいても、チームワークなくして、レースは成り立たないということが、とってもよくわかる。

試合前にチームがそろって はしゃいで遊んでいる場面がある。そんな様子を見て、主将の深沢が「この永遠のような瞬間が、ずっとずっと続きますように、、、」と、願うシーンがある。
読んでいるものは まったくこのせりふに同感して、読んでいて深沢に完全に共鳴している。一人一人の選手の描き分け方が良く、それぞれの少年の強さも弱さもよくわかる。話の筋はやや典型的な少年コミックの枠の中で出来すぎている。だが絵が良い。
篠崎ミコトが自分には何ができるのかまだ全然わかっていなかったころの顔が 序序に自転車にのめりこむごとに、引き締まり男の顔になっていくところが良い。深沢がとても立派だ。チームを率いるのに何が必要で何をしなければならないのかがわかっている。チームリーダーの苦境が よく表現されている。

少年スポーツものコミックでは 実によく泣かせてくれる。作者は読者の心を掴むコツを知っている。優れたコミックといえば、なんと言っても一番は 井上雄彦の「スラムダンク」だ。近年これほど心動かされたコミックは他にない。ちょっと前だったら あだち充の「タッチ」だし、もっと前になると ちばてつやの「明日のジョー」だ。どれも、長い連載の間、作者も読者もコミックの登場人物たちとともに、成長して そして年をとってきた。

ツール ド フランスで連続優勝を勝ち取ってきた アームストロングは ロードレースに必要なものは、と、聞かれて
1.マラソンランナーの持久力
2.エフワンドライバーのマシンコントロール術
3.チェスの頭脳  と答えたそうだ。

カデロ エバンスは、どうしてこんなに過酷なレースで勝てるのか、とインタビューされて、「ぼくには何も特別な能力がないんだ。だけど、ちょっとだけ、ひとよりも我慢ができるだけなんだ。」と答えている。謙虚な人で、一層好きになった。そうか、ちょっとだけ我慢、、、なら私にも出来るかもしれない。

2009年9月14日月曜日

映画「愛の10条件」


映画「愛の10条件」(原題「THE TEN CONDITIONS OF LOVE」)を観た。
メルボルン国際映画祭で上映されたことで、中国政府が介入し、豪中関係に傷が入ったとされ、外交問題にまで発展しそうになった映画。
やっと、シドニーで一般公開が始まった。

オーストラリア人監督 ジェフ ダニエルズ(JEFF DANIELS)が7年の歳月をかけて作成した 55分間のドキュメンタリーフイルムだ。映画は、「世界ウイグル会議」(本部はドイツのミュンヘン)の ウイグルの母と呼ばれ親しまれている ラビア カーデイル議長の半生とインタビユーが中心に 編集されている。7月5日に ウイグルに暴動が起こって 中国の国家主席がG8の参加を取りやめたことを考えると、メルボルン国際映画祭の開催が7月24日から8月9日、ここに ラビア カーデイルが招待されて講演をすることになっていたことは、実に タイムリーだった。ラビア カーデイルは、講演のあと、在豪ウイグルの人々と 合流して 活発にウイグルの状況を訴えてまわり 中国大使館に抗議のデモに出るなど、亡命者としては、きわめて勇気ある活動を展開してくれた。

7月5日に ウイグル区都ウルムチの暴動の契機は、ウイグルから広東省に出稼ぎにでていた二人の労働者が 殺害されたことで、ウイグルの人々が抗議行動に出た結果だった、と言われている。その後の漢族による仕返しの報復攻撃と、ウイグル人狩りの暴力はすさまじかった。中国側の発表では死者200人のうち、ほとんどは漢族だと言っているが 世界ウイグル会議は、何千人ものウイグル人が殺された、と発表している。棍棒やナタなどで武装した漢族が バスを止め、ウイグル人をたたき出して、男も女も暴力をふるわれているニュースマンの映像が ニュースで繰り返し流れた。

ウイグルは もともとトルコ系民族で ウイグル語を話す スンニ派のイスラム教徒だ。ウイグルの人々は 自分の国のことをイースト ターキスタンと呼ぶ。しかし、中国人、漢民族は、ウイグルのことを、シンジャン プロビンス(新しい地区という意味)と呼ぶ。
ウイグル自治区には 現在868万人のウイグル人が住む。ウイグルには ほかにタタール人、ウズベク人、カザフ人、オロス人、シボ人、キリギス人、タジク人などがいる。しかし、中国の積極的 漢民族同化政策と、移住政策の結果、ウイグルには 漢民族が暴力的に 人口流入し、彼らが政治、経済の実権を握っている。漢族との経済格差は広がる一方だ。抑圧する者と、される者に明確に二分される社会で、暴動は起こるべくして起こった。

2008年の3月に起きたチベット暴動も 報道では僧侶ら数百人が政府機関や通信社、銀行、商店を襲ったといわれているが すべて外国人メデイアは チベット自治区に立ち入り禁止にされ、政府によって報道がコントロールされたので 事実はわからないし、この結果どれだけのチベット人が弾圧され死刑に処されたか 知ることは出来ない。2008年北京オリンピックを前に チベット暴動は 聖火リレーの妨害という形で ヨーロッパにも 広がっていき脚光をあびる結果となった。

7月5日のウイグル暴動は、中国国家主席 フー ジン タオが G8会議に出るためイタリアにいるときに起こった。彼は急遽 事態収拾のために帰国して、かえって注目をあびた。

7月24日に始まったメルボルン国際映画祭で、ラビア カーデイルのドキュメンタリーフィルムが出展されることについて、中国政府から 再三上映中止を求める介入があった。「テロリスト:ラビア カーデイルが、今回のウイグル暴動の中心人物である」と断定しての、介入だった。メルボルン映画祭主催団体に メルボルン中国総領事館から 映画の上映中止と、ラビアの入国中止を求める電話が入り、電子メールの嫌がらせが連日おこり、映画祭のウェブが消されて、中国国旗に変えられたり、映画チケットの予約がネットでできなくなったりした。上映すれば、天津市との姉妹都市は中止になる、という通告がメルボルン市長に送られてきた。
ラビア カーデイルが 会場に来たときも 館外には中国人のデモ隊がピケを張って威勢行動を展開した。また、中国にいるラビアの4人の子供達が 逮捕され獄中に収監、そのうち二人の子供が、母親を「ウイグル分離独立運動のテロリスト」と断じ批判する声明を出し、これが中国側のニュースで流された。中国政府も、卑劣な手を使うものだ。

抑圧する者とされる者、90%の漢民族は 10%の少数民族に思いをはせるだけの想像力をもてるだろうか。中国の同化政策は、少数民族の言語 宗教、文化 習慣を破壊することが目的だ。チベットには鉄道が敷かれ、空港が出来 大資本によるホテルが建ち、中国人の若い新婚がハネムーンに訪れて 異国風チベットのダンスや歌を楽しんで帰っていく。ウイグルも 中国人観光客が押し寄せて トルコ風異国情緒を楽しんでいくが その中国人たちが 少数民族を抑圧し 彼らの自治権拡大、民主化を圧迫していることに気付いていない。

7年の歳月をかけて編集された この映画では、7年間 獄中で政治犯として弾圧され 亡命し、現在アメリカのワシントンに住むラビア カーデイル世界ウイグル議会議長のインタビューを中心に、ウイグルの歴史、文化、自然などが映像化されている。ラビアは、独特のトルコ帽をかぶって髪を三つ編みにした小柄な女性。11人の子供を産み、ウイグルに残してきた子供のうち4人が 政治犯として獄中にいる。フイルムのなかで、彼女はじつによく涙を流すが、声は常に力強く 感情に流されず きちんとしっかり中国政府の批判をする。母なる大地の大きさと強さをもった女性だ。7年間 暗がりの獄中にあって 外の光を浴びて空を見ることがなかった という。

タイトルの愛の10条件というのは、ラビアが夫に示した結婚の条件だ。彼女は新聞で 政府に抵抗運動をした末 監獄から釈放されたばかりの男 ロウジ氏の記事を読み、その男の顔も様子もわからないのに、結婚するために訪ねていって、結婚を申し込む。ハンサムだったので、びっくりした と言う。そのときの結婚の条件は、妻を愛すること、そして国を愛することだ。そして 二人は一緒になり 米国に亡命してからも互いに ウイグルの自治権拡大、民主化のために発言することを止めない。ラビアは声だかに ウイグルの独立を主張していない。フイルムのなかで、はっきり言っている。運動の目的は ウイグル自治権の確立だ。彼女はノーベル平和賞に2回ノミネイトされている。

4人の子供を中国の監獄に閉じ込められて、その子供から 母親を批判する声明を出すことまで強制されて 母も子もどんなに胸が潰れる思いでいることか。しかし、映画は涙ばかりではない。ラビアは 画面のなかで よく泣き よく笑う。 
ドキュメンタリーフイルムの良さが しみじみ感じられるフイルムだった。