2009年4月16日木曜日

オペラ 「夢遊病の女」




ニューヨーク メトロポリタンオペラ座で上演中の イタリアオペラ ヴィンセント ベリーニ作曲「LA SONNAMBULA」を観た。
ニューヨークまで行ったわけではない。今、ニューヨークで上映中のオペラを ハイヴィジョンで実況中継したフィルムを 映画館の大型スクリーンでやってくれたので、観にいったものだ。
便利な時代になったものだ。実際の舞台を 何台ものカメラで納めたものをそのままスクリーンで見せているから 舞台を実際にみているような迫力がある上 精密なカメラで追っているから 舞台では見えないような顔の表情や細かい動きが実に良く見える。
クレモン オフェアムにて。$200から$300のオペラのチケットを買わずに、$30で 本場のオペラが観られるなんて なんという粋なことをしてくれるんだろう。それに なんという贅沢。

行ってみたら シドニーオペラハウスに行ったのと同じ 年寄りばかりだった。幕間の休憩時間になっても 杖や歩行器の年寄りばかり、のろのろ歩いていて なかなか出口にたどり着けない。この国では、こんな極度の年寄りにしかオペラが支えられていなくて こんな調子で今後 ここに来ている人たちが死に絶えたら オーストラリアのオペラも絶滅するのか と まわりを見回して 心配になった。いま、ヒップホップをやったり、ロックをアイポッドで24時間流している若い人たちが、歯がなくなって 棺おけに片足突っ込む頃になって 急にオペラが 聴きたくなったりするのだろうか?

ベリーニ作 オペラ「ラ ソナンブラ」、邦題「夢遊病の女」
ニューヨークメトロポリタンオペラ
指揮:エベリノ ピドゥ
出演:アミーナ=ナタリー デウセイ (コロラトーレ ソプラノ)
   エルビノ=ジョアン デイエゴ フロレッツ(テノール)
   領主ロドルフォ=ミケーレ ペルトシ (バリトン)

ストーリーは
第1幕
スイスのある小さな村
アミーナはエルビーノと結婚する日が 翌日に迫っていて、ドレスの仕上げや 式場の準備で忙しい。村中が 清純で優しい娘 アミーナの結婚を祝福している。たったひとり、リサを除いては。
エルビーノがアミータと婚約する前は リサがエルビーノの恋人だった。いまでもリサはエルビーノが忘れられない。そんなことを知らないアミーナは、幸せいっぱいで、エルビーノとデユエットを歌い 愛を誓い合う。

一方、村人達は 夜な夜な幽霊が村を歩き回っている といって怖がっている。そんな夜、領主ロドルフォが 村にやってきて リサのやっている宿屋に泊まることになった。リサは金回りのよいプレイボーイのロドルフォに心ひかれる。夜がふけて、リサがロドルフォの寝室に入っていってロドルフォの くどき言葉を聞いていると、驚いたことに こともあろうに寝間着姿のアミーナが 眠ったままロドルフォの寝室に入り込み そのままベッドで寝入ってしまう。
朝になり 村の人々がロドルフォを起こしに部屋に入ると 何も知らないアミーナがロドルフォのベッドで眠っている。結婚式の前夜というのに、村中は大騒ぎ。騒ぎを聞きつけて 飛んできたエルビーノは 寝間着姿のアミーナを見て 嘆き悲しみ 母の形見の婚約指輪を アミーナから奪い返す。

第2幕
リサはこの時とばかり エルビーノに言い寄り 結婚式は予定通りの日に リサとエルビーノとで 行うことをサッサと決めてしまう。しかし、アミーナの母は、ロドルフォのベッドにあった リサのスカーフを見せて アミーナが来る前はロドルフォのベッドにリサがいたことを 証明してみせる。ロドルフォも アミーナが夢遊病という病気にかかっているだけで無実だ と、村人達に説得する。
そうしているうちに、夜になって、村人達は 建物の屋根の上をふらふら歩いている幽霊を目にする。
それは良く見ると 夢遊病のアミータの姿だった。眠ったまま、アミータは、切々と、エルビーノへの愛の心を歌い上げる。そのアミーナの純な心に、村人達もエルビーノも 涙をさそわれて、アミーナに邪気がなかったことを知る。
最後は、村人達と 若い二人の結婚式、誰もが喜びあふれて、歌い踊って終わる。

たわいないストーリーだが コロラトーレ ソプラノを歌うアミーナの可憐で純粋な心を切々と訴える愛の歌と、夢遊病の花嫁に引きずりまわされるエルビーノの 裏切られ どん底に突き落とされた男の悲しみや、愛の悦びに有頂天になる男の歌の数々が 楽しいオペラだ。

フランス人のソプラノ歌手 ナタリー デユッセイは、小柄で可愛い。日本でも人気があって、CDを沢山出している。とてもきれいな声だ。
相手のテノール ジョアン デイエゴはチリ人 ハンサムで傷つきやすい青年の役を とても上手に歌って演じていた。バリトンをやった、領主役のミケレ ぺルトゥシは 有名な人気歌手らしい。私は知らなかったが 堂々としていて とても美しい声で カップルと3人で歌うところが 素晴らしかった。どの歌手も適役で、本当に見ていて幸せな気持ちになれるオペラだ。

アミーナは、サザランドが一番得意にした役だそうだが、サザランドのあの四角い顔と背の高さでは、可憐で可愛らしいアミータにはならないだろう。サザランドが完全に引退してくれて良かった。

しかし、家に帰ってきて、CDでマリア カラスのアミータ、ニコラ モンテイのエルビーノを聴いてみると、やっぱり全然 いま見てきたオペラと同じ曲と思えない。
ささやくような マリア カラスの気高く 純粋で気品のある声を聞くと やっぱりカラスが世界で一番、と確信できる。アミーナのような役で、ささやき声で心に訴えて聴衆をむせび泣かせるカラス、トスカのように 天にまで響き渡れとばかり 絶叫してその強靭な声で聴衆を狂喜させるカラス。どんなに他の歌手が上手に歌っても、どんな美しいオペラ歌手が育ってきても やはりカラスには 絶対かなわない。若い人たちは くやしいだろう。

2009年4月13日月曜日

ジャパニーズ コミック


これほど何も 観るもの 聴くもののない時期も珍しい。

オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)は、海外遠征中で 留守にしている。
オペラは 「魔笛」と、「ムスチェンクのマクベス夫人」を観た後は、7月まで何もない。

映画はアカデミー賞発表前後まで、見ごたえのある良い映画がたくさんあって、たて続けに観て 心に残る作品がたくさんあったが、今はすっかり 残りカスみたいな映画ばかりで 全然見る気になれない。

アシュケナージがせっかく 今年常任指揮者になったのに、シドニーシンフォニーオーケストラも、彼の指揮するコンサートが予定にない。

いつになっても成長 変化の兆しのない ブランデンブルグオーケストラは わざわざ 聴きに行く気になれないし、現代音楽ばかり演奏するようになってしまった デビッド オールデイングのオーストラリアアンサンブルも カクテル食事付きの演奏会チケットをもらっても行く気にはなれない。

オーストラリアバレエは 小作品ばかりをつなぎ合わせただけのパフォーマンスで、財政難を感じる分だけ 見にいけば みじめになるだけだ。 ミュージカルも目新しいものはない。

イースターホリデイは、静かに家で 教会音楽 パイプオルガンに賛美歌でもききながら 漫画を読むしかないのか。

このところ 漫画をたて続けに200冊以上読んだ。 今、続いているもので、最も気に入っているのは やはり井上雄彦の「バガボンド」と、「リアル」だ。 どちらも絵が美しく、せりふが気が利いていて、ストーリーから目が離せない。素晴らしい作力だ。

もう完結してしまった漫画のなかでは、「二十世紀少年」が 一番おもしろかった。最後の最後まで「ともだち」がわからない。 はなしをどんどん広げていきながら、登場人物も増えていって 最後まで読者をみごとに引っ張っていった筆力に 脱帽。感動。

シドニーには古本屋が2軒。日本人は数千人、手に入る漫画が限られている。
日本ではもう とうに 完結して忘れられているのかもしれないが 小畑健の「ヒカルの碁」全23巻と、一色登希彦の「ダービージョッキー」全19巻が とてもおもしろくて 最後まで飽きなかった。 今まで全然知らなかった 囲碁の世界を「ヒカル君」に教えられたし、まったく興味のなかった競馬の世界をダービージョッキーに登場する沢山の馬や上杉圭君に教わった。

まだ知らずにいて 触れたことのない世界がたくさんある。漫画がそれを教えてくれて 嬉しい。

2009年4月2日木曜日

結婚する娘に


下の娘が結婚することになった。 
一つ違いの上の娘の先を越して結婚する、という。 何でも、自分で創って見ないと気が済まない子供だった。とんでもなく独創的な絵を描き、抽象的な詩を書き散らし、教えもしないのに できたものを見て針を使って 縫い物をしていた。4歳でバイオリンを始め 親より情感豊かな音色でバイオリンやチェロを弾く子になった。
子供のときから 動物のお医者さんになると宣言していて、言葉どうり獣医になった。

思い返してみると 忘れられぬエピソードがたくさんある。
カーリーヘアで 白い陶器のような肌をもった赤ちゃんだった。いつもベビーベットに2匹の猫と一緒に寝ていた。猫達は1年先に来ていた長女の登場で、赤ちゃんに慣れっこになっていたから 二人目の赤ちゃんも、おおらかに受け入れてくれた。この頃の写真を見ると 長女と二匹の猫と次女が4匹並んでスヤスヤと眠っている。みな同じ大きさなのがおもしろい。

仕事が好きで子育てに自信がない親だから、生後二ヶ月 まだ首がしっかり据わる前から 病院の保育室にあずけられた。父親が、沖縄に転勤になる3歳まで保育園育ち。積み木や 玩具を使った遊び、水遊びなどの遊び方から 離乳食を経て、食事が食べられるようになるまでと、おむつ離れもすべて保育園の保母さんから学んだ。
母親が勤める駒込病院の勤務が終わって、お迎えする3時からが、楽しかった。二人乗りの乳母車で 今日は駒込図書館、明日は森鴎外図書館、その次は田端図書館、と遊びに行き、もてるだけの本を借りてきては 夢中で読んできかせた。本が大好き。親の方が 子供の本の世界の深さと大きさに心を奪われていた。
座われるようになると、自転車の前と後ろに椅子をくくりつけ、前に長女、後ろに次女をのせて、どこにでも出かけていった。千駄木からは 東大の三四郎池、根津神社、後楽園、上野公園、不忍池など、みんな自分の家の庭のようなものだ。下町だからお祭りも多い。上野動物園では お弁当持参で一日中過ごした。東大の三四郎池で 釣りの真似事をし、ダンボールに載って 丘から芝生を滑り降りる、次から次へと 行動範囲が広がって 遊びも多様になっていった。

背丈が1メートルになると、後楽園のジェットコースターに乗れる。3人で一台の自転車で、後楽園まで遊びに行って 初めてジェットコースターに 乗った。娘は動き出したとたん 怖くなって「ママ下ろして、ここから出して」 と泣き叫ぶが もうレールの上、どうすることもできない。そのうち、ジェットコースターはビュンビュン走る。どうしているかと、そっと振り返って 娘の顔を見ると、泣きながら立って 両手をあげてギャーおもしろい、ギャーおもしろい と大声で叫んでいた。喜怒哀楽がことさら激しい。

3歳で沖縄。はじめは言葉が通じなくて 友人も知人もいないところで 本土から送られてくる「学研」だけが楽しみ、という時期もあったが、幼稚園が始まると 友達も一挙に増えた。お迎えで、赤いホンダに 沢山の幼稚園の友達を乗せて 坂道の多い首里のまちを走り回り 沢山ある急坂をスピードで きゃーきゃーいいながら下っては、おもしろがっていた。子供を宝として大切にする沖縄で人様の子供を連れて危険な遊びをするなんて ブレーキやハンドルを切り損ねていたら、、、と今考えるとゾッとする。

母親が所属する沖縄交響楽団のリハーサルは土曜の夜。練習をしている間中 毛布を床に敷いて 絵を描いたり本を読んで 静かに待っていてくれた。走り回りもせず、騒ぐこともなく 幼児が静かに何時間も待っているなど、驚異に値するが、大人たちが真剣に何かに打ち込んでいるのを見て、幼児なりに理解してくれたのだろう。

沖縄で我が家に来てくれた大型犬を連れて、フィリピンのレイテ島オルモックに引っ越しすることになった。何でもやることが早い。 文化生活に縁遠いフィリピンの田舎暮らしに少しでも潤いを、とエレクトーンを持ってきた。大人が 悠長に100ボルトから210ボルトに使えるトランスフォーマーを取り付けている間に、すばやく娘はエレクトーンをコンセントにつないで弾こうとした。あっという間だった。一瞬 娘の手が早かったために、エレクトーンは燃えて、だたの大型ごみと化した。

オルモックで、ある夜 酔っ払いがパパイヤの木をつたって 二階のバルコニーにまで侵入した。雇っていたガードマン兼運転手が寝込んでいるのをいいことに、娘達の眠る寝室とドア一つ隔てたバルコニーで 10人くらいの男達が調子にのって 酔って騒いでいる。枕の下に隠した拳銃を握り締めながら びっしょり汗をかき、朝までまんじりともしなかった。自衛のために拳銃を持つことは常識だったが使わずに済んで良かった。
フェスタで 市のホールで頼まれて 3人でバイオリンの合奏を披露したこともあった。モーツアルトのアイネクライネ ナハトムジーク。最初の一つの音を出したとたん ブラボーと ホールいっぱいの人たちの熱狂的な拍手の嵐。音楽好きなフィリピン人の姿を再認識した。

レイテ島からマニラに移って、インターナショナルスクールに 小学校、中学校、高校まで通う。勉強も スポーツも バレエも 楽器も よくできる娘だった。背が高く、行動力があり ものおじせずに意見をはっきり言う。どうしても目立つので 先生の好き嫌いも激しい。いじめられることも多かった。泣かされることも多かったが、泣いた分だけ 笑ったと思う。
たった13歳で 父親をなくして よく母娘で持ちこたえたと思う。親しい友人も頼れる親類や知り合いもない外国で 日本にいる家族からも、会社からも日本大使館などからも何の支援も慰めも励ましも、援助もない孤立無援の状態だった。しかし母娘私達3人の内部精神は、音楽に満ちた 充足して豊穣な世界にいた。

マニラを脱出してシドニーに落ち着き 獣医学部に入る。学部でも、地元の学生は自分の家がファームを持っていたり 親戚が農場を経営している人が多いから 実習するにも問題はない。何のコネクションもない娘は タスマニアに飛んでいって牛の世話をしたり、クイーンズランドまで運転していって、豚の世話をさせてもらったり、田舎のキャラバンキャンプのバスのなかで寝泊りをして、農場に通い乳牛のめんどうをみたりした。学生最後の年には カムデンの寮に泊り込んで実習をした。医学部よりも難関な学部をよく頑張り卒業した。

大学生になりたて、お酒を覚えたばかりの頃、同級生たちと飲みに行ってキングスクロスのドラッグデイラーで有名なステーキハウスのトイレの床でスヤスヤ眠っていた。人々がドラッグの売り買いで忙しいその女トイレに、意を決して男友達が連れ出しに入ってくれなかったら 今頃売り飛ばされて サルタンのハーレムに囲われていたかもしれない。

破れた手術着姿で帰ってきたのを洗濯して、気が付いた。どうしたのかと聞くと、中年のナースに嫌がらせをされて 手術後 メスで脅かしに切りつけられた、と言われて動転した。オージー社会で アジア人の若い女のドクターが 長年 安給料で働いてきたナース達に指示を与えて仕事をさせる。それが気にいらない中高年のナースが陰険で執拗なドクターいじめをする。醜い現実社会をこんな経験を通じて娘は知っていく。

タスマニアで実習中、後ろに重機具を載せたトラックを運転しなければならなかった。走っていて ハンドルの切り方が悪くて 重い後部を中心に車が大きくスピンを繰り返し ガードレールにぶつかって止まった。たまたま対向車がなかったために 大事故にならずに済んで命拾いした。 

道路を走っていて 右側を走っていた軍用トラックが突然ウィンカーも出さずにスピードを緩めることもなく右折したので、衝突。当然、娘の車のフロントはめちゃめちゃだ。生きていただけでもありがたい。娘に100%落ち度はない。しかし、軍のトラックから降りてきた4人の制服軍人は娘を取り囲んで 娘が悪いと言い立てた。警察が到着したが、現場調査もせずに警官までが娘が悪いという。体の小さな外国人の娘をひとり 脅かして黙らせれば この事故はなかったことになる。娘一人 泣き寝入りすればよいことだ。 しかし、娘はひとりで現場の写真をとり 4人の軍人と警官の脅しに負けず 保険会社に調査させた。娘が正しかったことが明確になり、相手の過失による事故だったことが 証明されるにまでに 半年あまり待たなければならなかった。

2008年のニューカッスルの大洪水では6人の死者を出した。死者が出たすぐそばを 娘は集中豪雨のなか 職場に向かっていた。職場には心臓手術をする犬が向かっているので どうしても来て欲しいと言われていた。道路は濁流の河となり 娘の運転する車も浮いて 水に流されそうになる。娘の運転する車が、車ごと流れて建物に激突したり、海まで流されたりせずに道路に留まり、命が助かったのは、たまたま運に恵まれたから、という理由に過ぎない。またもや命拾い。

彼女の部屋を掃除したことがある。多才な子供の頭の中というものは こんなものだろう、というような、カオスのジャングルだった。描きかけなのか 完成しているのかわからない抽象絵、編みかけの毛糸、縫い始めたばかりのパッチワークの小片、おびただしい数の書きかけの紙片、ベッドの下に1ヶ月前のカビの生えたピッザ、このごろ見ないと思っていた皿とフォーク、脱ぎ捨てたままのシャツ、洗濯機に入れるのを忘れてカビの生えた下着、数週間前夜食に渡した紙袋のままのカップケーキ、2ヶ月前にパーテイーに着ていったドレスもノートや本の下でぺっちゃんこ。洗濯機を3回 乾燥機を2回まわしても 片付け切れない服、服、服。ここで絨毯のシミについた青カビを蹴散らかしながら 娘は猛勉強し、遊びに行く支度をし、数々の芸術作品を紡ぎ出していたのか。 
3時間余りの大掃除の結果 眩暈と吐き気 足腰もヨロヨロになったが、達成感に酔ったのも、つかの間、にこやかに帰ってきた娘、数時間で彼女の部屋はもとのジャングルにもどっていた。

母娘3人のなかで この娘がいつも先陣を切る。何物にも 恐れない。新居を買うのも、新車を買うのも この娘が最初だ。車なんて古い車を安く買って 何とか乗りこなしていくものだと思っていたから、娘がピカピカの新車で帰ってきたときは、腰をぬかした。
ボーイフレンドと暮らし始めて 二人で家を買った。「落ち着ける自分の場所が欲しかったから」、という娘の言葉に胸がつまった。ああ、この子は 幼い時から東京、沖縄、レイテ、マニラ、オーストラリアと移ってきて どこにも自分の落ち着ける場所がなかった。いま、とうとう自分の力で自分の巣を作ろうとしているのか と思って 親のふがいなさと、まっすぐでなかった私達母娘の道のりを思って 胸にこみあげてくるものがある。

時計を止めて という歌があったが、二人の娘と ブランデンブルグ協奏曲やヴィバルデイのコンチェルトを、3人で弾いているとき、私は世界のどの親よりも幸せな親だと感じていた。そして時を止めて 永遠にそれを続けていたいと願った。 でも娘達は、彼女達が経済的に自立する ずっと前から精神的に自立していたのだ。結婚する事も、次女の一生にいくつかある区切りのひとつにすぎない。
親である以上 何歳になっても娘を心配するのをやめることはできない。これから先も 娘は、怒り泣き悦び笑い続ける。親はそれを見て死ぬまで、ハラハラするだろう。
娘の一生のひとつの区切りを前にして、私はこの娘をもって世界一幸せな母親だったと なんどでも断言できる。

この娘を育てることを 世界の誰よりも楽しんで喜んだ。
これほどの子育てという幸せを 娘にも味わってもらいたいと思う。 だから、結婚すると決めてくれて うれしい。
おめでとう。

2009年3月30日月曜日

ペッカのバイオリンを聴く



オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO) 今年第2回定期公演を聴いた。団長のリチャード トンゲッテイは 出演せずに、代わりに フィンランドを代表するバイオリニスト ペッカ クシストがACOを監督 指揮した。

プログラムは
FORD作曲: BRIGHT SHINERS
バッハ作曲 : ブランデンブルグ コンチェルト第3番
シベリウス作曲: 弦楽4重奏曲 親しき声

バッハ作曲: バイオリンコンチェルト第2番
ALAKOTILA: フォークソングより
以上

ペッカ クシストについては 去年の日記にも一昨年の日記にも 演奏会後記を書いている。「少女漫画から出てきたような 美しい細身の少年」と表現したが いまだに、そのイメージに変わりない。ミルクのような北欧の白い肌に、プラチナブロンド あどけない少年の姿のままだ。バイオリンを肩に載せて、あごで挿んでいない。弓も根元の握る場所から ずっと弓の中心にちかいところを持っている。スタンダードで常識的なバイオリンの持ち方からすると はるかに常識離れしたスタイルで弾く。そんな姿で、いったん弾き始めると オーケストラをバックにしても、ソロの音がマイクなしで 会場中を響き渡る。澄んで 太い 大きな音だ。それなのに繊細きわまる音。
こんな人を天才というのだろう。素晴らしい。生きた天才を間近で観て聴くことができるとは なんて素敵。もう彼の演奏会も4度目。幸せ。

今回ペッカが率いて ACOは、ニューカッスル、アデレード、キャンベラ、パース ブリスベン、メルボルン、ウーロンゴン、シドニーと、12回の公演をした。最後の公演を聞いたことになるが ACOのメンバーは穏やかな いつもの雰囲気を持ちながらも いつもと違う 神経を張り詰めているのがわかった。トンゲッテイ団長のいない間のペッカによる監督で、短時間に集中的な火の様な 燃えるような厳しいリハーサルを繰り返してきたのだろう。それだけに ACOの音もすごかった。とても感動的な公演だった。

バッハのブランデンブルグ コンチェルト第3番は 私達母娘3人にとって、忘れられない曲だ。3人でバイオリンとビオラで何度も何度も演奏したものだ。
東京生まれの娘達は父親の仕事先について 3歳から17歳まで 沖縄 レイテ島、マニラとバイオリン抱えて移動してきた。マニラでその父親をなくした後も バイオリンは続けてきて、しっかり成長して 大人になってくれた。どんなに そんな娘達を誇りに思ってきたか 言葉では言い尽くせない。
ブランデンブルグ コンチェルトは バッハの代表作、快活で明るく、生命力あふれる曲だ。私の歓びを 代弁してくれるかのようだ。

バッハは1717年から1723年にかけて これを作曲した。この頃 バッハはレオポルド公に仕えていた。彼の宮殿にある 美しい庭園で17名のオーケストラを従えて楽長として 作曲 演奏していた。全6曲のコンチェルトは、ブランデンブルグ領土のルートヴィッヒ侯爵に 献上された。バッハは 音楽をクリスチャンのシンボリズムと考えていたから「礼拝と同じく音楽もまた神によって ダビデを通して秩序だてられるべきだ。」と言っている。音楽の構造 構成が秩序立っていなければならないという強い信念から、クルスチャンの3という 聖なる数にこだわって 3つの楽器で、3つの高、中、低音により、3連音符を連らねて 3楽章に分かれた曲を作った。

ペッカがコンサートマスターを勤めながら指揮した ブランデンブルグは 驚くほど速く、驚くほど一つ一つの音が 明確で 鋭い それなのに軽やかで 現代的だ。5人の第一バイオリン、5人の第二バイオリン、3人のビオラ、3人のチェロとコントラバスが、本当に一体になっていた。ブラボーだ。観客も、床を踏み鳴らし ブラボーの連呼、、、会場はとても沸いていた。

シベリウス 弦楽4重奏 作品56「親しき声」というタイトルが付いて、1908年に作られた曲。
シベリウスは フィンランドを代表する作曲家だ。フィンランドは100年もロシアの圧政下にあった。彼の作曲した交響詩「フィンランデイア」は、フィンランド人の愛国心を鼓吹するという理由で、ロシア政府から弾圧を受け、演奏することを禁止された。ロシアから解放され、独立を求める人々にとって、「フィンランデイア」は 心のよりどころとなり、抵抗の音楽ともなった。彼が92歳で亡くなった時は、国じゅうが喪に服し 彼は国葬にされた。

シベリウスは7つの交響曲を残した。そしてたくさんの交響詩を書き、一生を通じて 劇音楽 声楽曲を絶え間なく作曲している。歌曲はフィンランド詩人 ヨハン ルートヴィック リュ-ネべりの詩を用いている。余り彼の声楽曲が一般的でないのは フィンランド語だったからだろうか。交響曲も7番まで作れば 当然8番への期待が集まるが 本人もプレッシャーを知っていて、「何度も完成した」と言い、「燃やしてしまった」という言葉を残して、楽譜は残さなかった。死後、出てきた組曲には、「出版しない」と書いてあったが じつは素晴らしい作品だった、という話もある。気難しい 完ぺき主義者だったのだろう。彼が 笑っている写真など見たことがない。

ペッカにとってシベリウスは 当然 身内のような感じだろう。1年の半分以上 雪に埋まっている極北の国のバイオリニストが 南極に一番近い国で 極暑 酷暑 太陽の黒点の真下にすんでいるオージーオーケストラに どんなシベリウスを演奏させるのか。じつに興味深い。

バイオリン協奏曲 作品47の没頭に、シベリウスは 自身でこんなことを書いている。「極寒の澄み切った北の空を 悠然と滑空する鷲のように」。
ペッカとACOの 弦楽4重総曲もまさに シベリウスの言葉どうりだった。驚くことに 初めの一小節 4音で、バッと、広大な雪景色が眼前に広がった。ペッカのオーケストラの音で まさに北欧の極寒の澄み切った空、雪に埋まった白樺の林、どこまでも広がっていく大雪原が 見えてくるようだ。これは、フィンランドの音だ。乾いて、清涼で 冷たく 軽やか。こんなにも 監督 指揮がフィンランド人だと オーケストラ全体がフィンランドになるなんて なんというマジック。

シベリウスもペッカのような若手の音楽家が 自分の仕事をきちんと引き継いでいてくれて きっとうれしいだろう。苦虫をかみ殺したような 陰鬱なシベリウスの写真の顔も、こんな演奏のあとでは すこしやわらいで見える。
割れるような 拍手。彼はラリアでは 特別人気者だ。良い仕事をしている。拍手が鳴り止まない。
最後にペッカは フンランド民謡を2曲弾いた。心に残る音だった。

2009年3月20日金曜日

憲法に異を提えるオバマ大統領を支持する


初のアフリカンアメリカンのアメリカ大統領、オバマは空前の人気と人々の支持を保っているが 崇高な理念だけが先回りして 議会の根回しや、金融界の守銭奴達に手を焼いているように見受けられる。

未曾有の不景気、失業率上昇、貧富格差の拡大、医療体制の貧困、アフガニスタン派兵による出口のない戦い、、、。アフガニスタン介入は はっきり愚かで間違っている。
しかし、こうした中で なんだ、理想が高くても人は飢える一方ではないか、という世論操作がなされて、理念が理念倒れになることを、危惧する。

彼はすごく良いことを言っている。
彼の人権擁護政策の理念を示す例としてセクシャルマイノリテイーの人々に対する対策が明記されているのがそれだ。これは立派だ。100%支持したい。保守的クリスチャンが多く、人種差別、ジェンダー差別の強いアメリカで、このような政策理念を はっきり示すということは 立派で、勇気ある提言だ。

ホワイトハウスのホームページに明記されている「LGBT:セクシャルマイノリテイーのためのサポート」によると、

LGBT:レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛)、トランスジェンダー(性同一障害者)の人権はすべての人が尊厳と尊敬をもって平等に扱われなければならない。

1)セクシャルマイノリテイーを攻撃したり、嫌がらせをすることはヘイトクライム:犯罪行為であり 罰せられなければならない。

2)セクシャルマイノリテイーを理由に雇用差別をしてはならない。 性的嗜好や性自認による雇用差別法を支持する。その上、同棲するカップルは結婚した男女カップルと同じ法的権利を擁する。

3)LGBTカップルをサポートするために社会保障をする。健康保険の扶養者として認定したり、所得税の配偶者控除を受けられたり、夫婦としての財産所有権を認めるなどの保障をする。

4)同性結婚を禁じる憲法に反対する。

5)軍隊内「DO’NT ASK」や「DO’NT TELL」 のポリシーを撤回する。入隊時にゲイやレズビアンであることを聞くのも 自分から言うのも止めて黙っていることは、かえって、明白な差別になる。カミングアウトしても問題なく軍隊内部で受け入れられるようになるべき。

6)すべてのカップルに 養子縁組の権利がある。セクシャルマイノリテイーであるかどうかに関わらず 望むカップルが養子縁組ができるべきだ。

7)セクシャルマイノリテイーがHIV・AIDSの関連で差別をもたらすことがないように配慮する。 エイズを予防し、HIVを減らし、コンドームの使用を推奨し、使用済みの注射器を再使用しないように、使い捨ての注射器を 必要とする人に支給する。

8)女性のHIV感染を予防する為に 抗ウィルス予防薬開発を促進する。

以上 素晴らしいではないか。100%支持する。
男と女は まったく対等な存在だ。相手が男であろうが女であろうが、愛情にかわりはない。パートナーとして一生ともに生きていく相手が男であっても女であっても良い。
戸籍に父と母と子といった記録をする必要はない。ともにパートナーと生を分かち合うことに意味がある。そして子供が家族の宝として 大切にされ、愛されて育つことが優先されるならば、生物学的な精子が誰のものであろうが、卵子が誰のものかは、重要ではない。どんな愛の形であっても、大切なことは人が自分の愛する相手を尊重して共に生きていける社会を作ることだ。

そのために宗教的固定概念を捨て、現状に即した法を整備すべきだ。教会グループはこれを絶対つぶしにかかる。しかし、セクシャルマイノリテイーにとっては、教会で結婚を認められる一般夫婦の存在こそが、差別を助長してきたことに、目を向けるべきだ。 憲法に異を提える大統領の LGBTに関する理念を全面支持する。

2009年3月17日火曜日

オペラ「ムチェンスクのマクベス夫人」




ドミトリ ショスタコビッチ作 4幕 3時間のオペラ「ムチェンスクのマクベス夫人」を観た。
原作は、ニコライ レスコフの同名の小説。

このオペラを 1934年にショスタコビッチが レニングラードとモスクワで、同時に発表したときには、26歳の新鋭の作曲家の登場に おおむね評判は良く 人々から受け入れられた。ヨーロッパにもアメリカにも紹介され、好評を得た。しかし1年半後、1936年がターニングポイントとなる。

1936年1月、たまたまオペラを観に来たスターリンは、内容に激怒して途中で退席した。その2日後「プラウダ」で、このオペラをケチョンケチョンに批評する文が無署名で掲載され、事実上これが上演禁止の絶対命令と解釈された。スターリンの直接介入である。何百万人もの人々がスターリン圧政下で粛清され、シベリアに送られた。ショスタコビッチも 身の回りのものを鞄に詰め いつ逮捕されてシベリアに送られても良い様に鞄を横に眠らなければならなかった。

1963年にショスタコビッチは このオペラをもとに、「カテリナ イズマイローバ」という題名で ベッドシーンを削り、かなり内容の変更をして発表上演した。しかし、もとのままの「ムチェンスクのマクベス夫人」の再上演は、1979年まで待たなければならなかった。

彼は リアリストで皮肉屋で 過激だったのだ。
はじめ、ショスタコビッチは ドイツのワーグナーの「ニーベルングの指環」のような長編の大きなオペラ4部作を作曲するという壮大なプランをもっていた。明確な人民の意志を持った力強いロシア女を描く構想も、正義を芸術に求めるスターリンの力によって破壊された。彼はこのあと、国外脱出もままならず スターリンの粛清の脅えながら、作曲を続けるが、オペラは作らなかった。

出演
カテリーナ:スーザン ブロック(ソプラノ)
愛人セルゲイ:サイモン オニール(テノール)
夫ジノーヴィ:デビッド コクララ(テノール)
父ボリス  :ジョン ウェグナー(バス)
オペラオーストラリアコーラス オペラバレエオーケストラ
指揮:サー リチャード アームストロング

そのスターリンを激怒させたストーリーは
第1幕
裕福な商人の妻、カテリーナは、父親に絶対服従で 妻には思いやりのない夫に不満で退屈な日々を送っている。夫の出張中、裏庭で使用人たちが 一人の女を集団暴行に及んでいる。中心人物は 女たらしで悪名たかいセルゲイだ。カテリーナは男達の間に入って 乱行をやめさせる。でもセルゲイに魅力を感じてしまう。その夜、セルゲイはカテリーナの寝室に忍び込み、カテリーナと結ばれ、二人は愛し合う。

第2幕
息子の妻が使用人と不貞を犯したことを知った父親、ボリスは激怒するが、カテリーナはすばやく ボリスを毒殺する。 カテリーナとセルゲイが愛し合っているところに 帰宅した夫ジノーヴィは、二人に撲殺されて、地下室に隠される。

第3幕
カテリーナとセルゲイは結婚する。幸せいっぱいの日に、酔っ払いがウォッカを探しに地下室に入り込み 死体を発見して事態が明るみに出る。 第4幕 カテリーナとセルゲイはシベリアに送られて強制労働に就いている。こんなところでも、セルゲイの女あさりは 止まらない。傷心のカテリーナの前で これ見よがしにセルゲイは新しい恋人ソニエッカと愛し合っている。カテリーナは そんな男のために殺人をしてきた自分に耐えられなくなって遂にソニエッカを海に突き落とし 自分も後を追う。 というおはなし。 ショスタコビッチの描いた「ロシアの強い女」カテリーナは 欲情に負けて夫、夫の父親、さらに邪魔な女も殺す。全く人間としての恥も プライドも 倫理観も 社会観もない女だ。

スターリンは第1幕の 一人の女が労働者に集団暴行を受けるシーンでショックを受け、直後のカテリーナとセルゲイのセックスシーンにダブルショックを受け、第2幕の父親殺しで もう我慢できず席を立ったのではないだろうか。音楽的評価はともかく、わたしも同じ思いだ。どんな状況であっても、それがちょっとした悪ふざけであっても、多数の男が一人の女をいたぶって面白がるシーンに耐えられない。たしかに、この時代の教育のない労働者にとって気晴らしといえば、酒と女だ。ひとりの女たらしが連れてきた女を 沢山の男で からかうのは面白いだろう。しかしこれを 舞台でやられるのは たまらない。

また 家に忍び込まれたカテリーナにとって、男の選択の余地はなかった。情欲を愛情と勘違いして ダブル殺人をやってのけたカテリーナは 実は強いロシア女などではなくて、可憐な女であり、被害者だ。原作者は 簡単に3人殺してのける女 カテリーナに「マクベス夫人」と言う名をつけた。手を血で汚したシェイクスピアの「マクベス」からきている。しかし、シェイクスピアのマクベス夫人も 殺人をせざるを得なくなり、嘆き、おのれを呪う哀しい女だ。

スターリンの怒ったオペラの内容はともかく、音楽は生き生きとして良かった。100人のコーラスが抜群に良い。コーラスも沢山でてくると、音に厚みができて、すごく良い。ソプラノもテノールも上手だった。

ショスタコビッチは13歳でぺトログラード音楽院で ずば抜けて才能あるピアニストとして注目をあびた。しかし、早いうちに父親に死なれて、経済的には苦労が絶えず、貧困の中で映画館で無声映画の音を即興演奏して生活していた。26歳でオペラを発表すれば スターリンに粛清の脅しをかけられ、スターリンが死ぬまで脅えながら作曲しなければならなかった。

交響曲を1番から15番まで作曲している。弦楽4重奏も1番から15番まで作り、業績はこのシンフォニーと4重奏で現代音楽作曲家として不動の地位を得た。シベリウス、プロコフィエフに並ぶ作曲家として 高く評価されている。重く、暗く、難解な弦楽4重奏。演奏者にとってはチャレンジであり、おもしろいかもしれない。でも自分はやめておく。

2009年3月13日金曜日

100万円消えたー!




100年に一度あるないかの経済不況のなかで 米国サプライムローン問題以降、株式相場は下落を続けている。
アメリカでは この2月だけで、651000人が職を失い、失業率は8.1%になった。
オーストラリアでは 同じ月に前月に加えて36800人が新たに職を失って、合計54万人、失業率は4.8%に上昇した。

こんな中でもアメリカのオバマ大統領は 過去最高の選挙投票率を記録しながら 人々の支持と期待を得て、次々と新しい政策を発表して人気をつないでいる。
ラリアのケビン ラッド首相も 先週の世論調査で国民の支持率54%という高率を維持している。去年、自由党のジョン ハワードから労働党のケビンに変わって すでに1年余りたつのに ケビンは何一つ大きな失敗もせず、スキャンダルもなく、答弁の読み間違いもなく、不況対策でも 失業対策でも卒なく答えて仕事をこなしている。210人もの 死者を出すことになったビクトリア州の山火事も、クイーンズランドも大洪水も 迅速な対応と、誠実 実直な発言で、人気を保ってきた。

彼は景気刺激対策として、去年12月には 年金生活者と、育児中の家庭に 1000ドルずつ生活支援金を送った。子供一人につき1000ドルだったから 子沢山の家は助かったろう。クリスマス前に 支援金を受け取ったお年寄りが ニュースで嬉しそうに 孫にプレゼントが買ってあげられます と言う姿が印象的だった。日本の景気刺激対策で ばらまかれたお金が一人、1万2000円だったから、ラリアの10万円は、大きいと言えるかも知れない。

これに加えて、この3月 今週から 年収8万ドル以下の すべての人に向けて $900ドルの小切手が郵送され始めた。夫婦ともに 低収入ならば 倍で1800ドル、さらに子供一人につき950ドルずつ支給される。このような 一時的な景気刺激対策は 根本的な不況対策ではないが、ラリアには日本のようなボーナスがないので これを長いこと安給料で働いてきた報奨として捉えれば もらえる人は素直に嬉しいだろう。

ところで私達の年金は 給与の9%を 雇い主が2週間ごこに 本人が希望する年金会社に振り込んで 自動的に貯蓄されていく。それが老後の蓄えとなり、65歳になると それを月ごとに受け取るか、一括で受け取ることもできる。すべての勤労者の給与の9%が自動的に貯蓄されるわけだから 集まったお金はそれぞれの年金会社が 投資をして運営している。年金会社は たくさんあって、医療従事者に強い会社もあれば、半官半民だった会社もある。

私はAMPという会社に、ラリアで初めて働き出したときから 雇用主に私の年金を入れてもらっていた。契約のときに、沢山の会社のリストがあって、自分のお金を どの会社に投資するかを選ぶように言われて、地下資源の豊富なラリアでは 鉄鋼会社なら潰れないだろうと思って、適当に選んでおいた。それが今回の不況で 年金会社が投資した会社の経営不振で、私のこつこつ貯めてきた年金から100万円ほど、目減りした。2年分の貯蓄が消えたことになる。

今回経済不況、株の下落で おびただしい数の年金生活者が年金を失った。プロのマネーアドバイザーと言われる立派な教育を受けてきた人に 退職後 楽に暮らせるように すべての年金の運用を依頼していた沢山のお年寄りが 今回 全財産を失ったりしている。

私は自分の給与の9%が年金として積み立てられ それが年金会社によって どんな企業に投資されどれだけ損したり得したりしているのか、3ヶ月ごとに送られてくるレポートで知ることが出来た。まめな人はネットで毎日でも株のやり取りを見ることが出来る。自分のお金がどの会社に役立っているのか ろくでもない会社に投資して赤字を出しているのか知ることが出来たのに、きちんと監視せずに 放って置いて、100万円損害を受けるままにした自分がうかつだったのかもしれない。

まったく腹立たしい限りだが、日本の方が もっと怖いのではないだろうか。日本では 給与から自動的に引かれて 貯蓄されていく年金がどのように運用されているか、自分ではわからない仕組みになっているようなのだ。日本では すべての年金は「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)という一行政法人が、厚生労働相の委託を受けて すべてのお金を運用している。昔の名を、年金福祉事業団。この法人は積立金150兆円のうち、役80兆円を金融市場で運用、そのうち、7割が国内債権、3割が外国株、国内株を運用している。で、この公的年金をまかされた法人が、いくら不良債権を買ったか、どれだけ赤字株で失敗したか、公表する必要がないので、一般勤労者は知らせれないままなのだそうだ。これって、すごく怖いのではないだろうか。

私は 投資や株のやりとりに みごとに興味がない。ギャンブルが大嫌いだ。そんなふうに ギャンブルが嫌いで投資も株も嫌いな人って多いのではないだろうか。働けるうちは 働いて、自分が稼いだ分だけを蓄え、体が動かなくなったら その貯蓄で暮らしていければ幸せだ。それ以上のお金は要らない。けれど 年金会社の都合や、訳のわからない事情で 蓄えが無くなるのは困る。

毎日、テレビではスーパーヒーローのオバマ大統領が「大丈夫、景気後退はあるけれど、失業もあるけれど、がんばってやっていこう 明日は明るいぞ」と言っている。ケビン ラッドも「苦しい時期だ でも希望をもっていこう」と言っている。暗いのに スーパースターが輝いてみせている。
なんか、奇妙な時代だ。

2009年3月10日火曜日

「鼓童」と「TAIKOZ」のパフォーマンス


去年の7月に、和太鼓「TAO」のマーシャルアート オブ ザ ドラムというパフォーマンスを ステート劇場で観た。

九州をねじろに共同生活をしながら体を鍛えて演奏していて 海外にも遠征ししているエネルギーの塊のような若者達のパフォーマンスだった。大地震の前触れかとも思うような地響きを伴った ダイナミックな和太鼓のリズムに とても深い印象を受けた。

先日「鼓童」と「TAIKOZ」の太鼓集団のパフォーマンスがあったので、同じ人たちかと思って 行ってみたら 全然ちがうグループの人たちだった。

「鼓童」は、新潟県を拠点にして和太鼓や踊りや歌を披露しているグループだっだ。1981年ベルリン音楽祭でパフォーマンスをして以来、3100公演を世界各地でしてきた という。アメリカ、イタリア、スペインなど巡業し、新日本フィルハーモニーと 共演もしているようだ。

また、オーストラリアに太鼓集団「TAIKOZ」と言うのがあるということも、今回初めて知った。
監督のイアン クレワース(IAN CLEWORTH)さんは、1997年にこのグループを作ったひと。シドニー交響楽団のパーカッション奏者を20年も務めた人だ。19歳のときに日本で和太鼓に出会って練習をはじめたという。

今回は日本から5人の「鼓童」の中心メンバーと、「TAIKOZ」からは7人のメンバーの共演だった。太鼓だけでなく、歌や踊りも入った2時間のパフォーマンス。 前回の太鼓集団「TAO」には とても感激したが、今回は余り心を動かされなかった。理由ははっきりしないが、前回のような新鮮な驚きがなかった。日本から来た方々が みんな初老の方々ばかりで、エネルギーの爆発が感じられなかったのかもしれない。

彼らの特徴は、佐渡を拠点にしているけれど、佐渡の伝統芸能に固執するわけではなくて、様々な地方の民謡などを取り入れて 新しい歌や踊りを作り出しているところだ。出し物はみな、彼らのアレンジだ。従って歌も踊りも国籍不明の現代風 音楽となって、再生されている。日本からやってきているこのグループの 主要メンバー5人の名前がプログラムではローマ字になっているので、日本人の名を ローマ字でここに書くのは失礼かと思って、ネットで見てみたら ブログでも メンバー紹介はローマ字になっていた。海外で活躍することを、主に考えているからかもしれない。

「NISHIMONAI」は秋田の歌だそうだ。
「OWARIYARE」は山形。
「HANAHACHIJOU」は 伊豆八丈島。
「YATAI-BAYASHI」は埼玉県の歌 と紹介されて、披露された。
神社の女官みたいな ギリシャのビーナスみたいな 国籍不明の服を着て、創価学会が使うみたいな 小さな太鼓を叩きながら 歌われたのは、アイヌの子守唄だそうだ。

海外に住む日本人にとって、日本の民謡や伝統芸能は、わかりにくい。「OWAIYARE」が、どんな漢字があてられるのか どういう歌なのか、全然わからない。「NAGAURAJINNKU 」も、「NISHIUNAI」も申し訳ないけど、お手上げだ。 日本人だからといって、解説を求められても困る。
また 先住民族の文化については、オーストラリアに限らず どの国も、非常に神経質だ。アイヌの子守唄を 舞台で太鼓集団が こんな風にして歌っても良いのか、よくわからない。

県立沖縄交響楽団のなかで、バイオリンを弾かせていただいた時期がある。沖縄の歌がとても好きだ。あの独特の音階、独特のリズムは ウチナンチュウにはまねできない。独立国 琉球としての独特の文化を 心から尊重するから、もしこの人たちが 見世物として琉球民謡を和太鼓で、演奏したら、きっと傷ついていたと思う。日本から来た 和太鼓集団を見ながら いろんなことを考えてしまった。

ま、でも、パフォーマンス、OMOSHIROKATTA YOー。

2009年3月3日火曜日

映画「フローズン リバー」


映画「FROZEN RIVER」を観た。邦題未定。「フローズンリバー」か、「凍った河」か。

主演女優 メリッサ レオ(MELISSA LEO)が、今年のアカデミー賞、最優秀女優賞にノミネイトされた。予算の限られた独立プロが作った映画が、アメリカでヒットして、中年で地味な女優が主演女優賞に推薦されるというのも 大変珍しいことだ。晴れやかなアカデミーの舞台に これほど似合わない女優も少ないだろう。 この映画で、初めてメガホンを握って アカデミー監督賞にまで 推選されたのは、コートニー ハントという女性監督だ。

ストーリーは
極北の冬、ニューヨークの北の端 川を挟んでカナダと国境を接しているモホークという町に住んでいるレイ(メリッサ レオ)は、15歳と5歳の男の子のお母さんだ。パートタイムで、近くのスーパーに勤めている。家を買ったばかりなのに、その購入資金を ギャンブル狂の夫に すべて持ち逃げされてしまって、途方にくれている。

そんな時、乗り捨てていった夫の車を運転している女を見かけて、必死で追いかける。女は モホーク町のインデアン自治地区に住んでいる 先住民族のライラという女だった。車は乗り捨てられていたので もらったのだという。ライラは車さえあれば、大金が稼げる良い仕事がある、とレイに言う。レイは初めは相手にしなかったが、家のローンを取り立てに来る不動産屋の圧力にまけて、仕事を引き受けるために ライラを訪ねていく。 仕事とは 凍結した河と車で渡って カナダからアメリカに密入国する人を運ぶという危険きわまりない仕事だった。いつ、どこで 氷を張った河が 割れるかわからない。走行中 氷が割れれば 車ごと ただちに全員の死が待っている。氷の厚さを心配すれば 荷物を減らすしかないが トランクに入るだけの密入国者は運ばなければならない。夜間運転で方向を間違えても、車がエンコしても、命に関わる。車は ぼろい普通乗用車だ。国境警備隊の眼からも、逃れなければならない。

ライラは 私生児を産んだために 赤ちゃんを 親に取り上げられて、家を追い出された女だった。お金を貯めて自分の赤ちゃんを取り戻したい と思っている。レオとライラは 二人で危険な仕事をしなければならないことに、怒りと憤りを感じている。しかし、二人とも 自分たちの子供のために 違法な仕事を続けなければならない。互いに憎みあっていた 二人は 命知らずの仕事を 共にやっているうちに 憎悪はやがて理解に、そして、共感に変わっていく。二人は、車のトランクに中国人やアフガニスタン人を忍ばせて密入国者を運び続ける。 そして、ある日、、、。 というお話。

吹雪の舞う、極寒の凍結した河の上を車が走るごとに、ハラハラし通しだった。まったく とんでもない映画だ。 男運のない女達の 母親としての強さ、けなげな母親の捨て身の子供達への愛情。まことに女は子供のためなら何でもできる。

レオの15歳の息子がとても良い。彼にとっては 父親はヒーローだ。全財産を持ち逃げして、自分を捨てて去っていったなどとは 信じられない。父親は家の修理や 車の修理を いとも簡単にやってのける立派な男だ。そんな父親を悪し様にののしる母親が許せない。父親をギャンブラー呼ばわりするのも許せない。それでも母親なしに 生きていくことができない。母親に対して 憎み反発しながら それでも寂しくてならない難しい年頃の息子の姿には ホロッとさせられる。

映画の最後がとても良い。自分の子供のためだけに 無鉄砲な違法行為を続ける女が 自分の子供だけでなく 他の子供も不憫に思い そのために自分を犠牲にするとき、女は一段上の人間性を獲得する。 とても良い映画だ。

独立プロの小さな映画が人の心を感動させ アカデミーという最も華やかな舞台に引き上げられた、そのことに大きな意味があると思う。ハリウッドの 商品として売れ行きの良い 人々の好みの迎合するような映画でなく 独立プロで、どうしても言っておきたいこと どうしても主張したいことを映画にした若いエネルギーを高く評価したい。  

2009年2月28日土曜日

映画 「愛を読むひと」




映画「THE READER」、邦題「愛を読むひと」を観た。
ドイツの小説家、ベルナルド クリンク原作。
ステファン ダルトリー監督。
俳優:ケイト ウィンスレット:(ハンナ)    
   デビッド クロス:(15歳のマイケル)    
   ラルフ フィネズ:(マイケル)
ストーリーは
1958年 ベルリン。15歳のマイケルは学校の帰り 気分が悪くなってアパートの入り口で吐き気に襲われる。アパートに住む中年の女に介抱されて 家に帰ることが出来た。後で しょう紅熱にかかっていたことがわかる。数週間後、すっかり病気が治ったマイケルは花を買って、女のところに行く。女は路面電車の車掌だった。初めはマイケルを「KID」(坊や)と呼んで 相手にもしてくれなかったが きれい好きだが 無口で頑固な一人暮らしの女も、マイケルが何度も 訪ねてくるうちに心を開いて、笑顔を見せるようになっていく。やがて、二人は大きな年齢の隔たりにもかかわらず、恋に落ち、互いに愛し合うようになる。恋するマイケルは 有頂天になって、学校帰りに 女のところに寄らずには居られない。

女はハンナといった。自分の過去にはぴったり口を閉ざし、何も語ろうとしない秘密めいた女だった。いったんマイケルが文学好きで、朗読が上手だとわかると ハンナは毎日 マイケルに本を読んで欲しがって、語られる物語に夢中になった。ハンナに読んでやるために マイケルも、前にも増して勉強を熱心にするようになり、望まれるままギリシャ神話から ロマンス、「チャタレー夫人」や、コミックにいたるまで読んできかせた。そんな二人の関係は誰からも秘密の関係だった。 しかし、ある日、突然女はアパートを引き払い 姿を消す。マイケルは混乱し、絶望する。

マイケルは数年後、大学で法学を専攻している。ゼミナールの教授について法廷を傍聴することになった。そこで、マイケルは法廷の被告席にいるハンナを見出す。ハンナは42歳。ゲシュタポのもとでユダヤ人収容所の監守だったという。毎日、収容所からガス室に送る人の人選をしていたことと、教会に600人のユダヤ人を閉じ込めて火を放ち 死に追いやった罪で、収容所生存者の証言をもとに、元監守だった女達が裁かれているのだった。 中でも ハンナの発言が注目を集めていた。ハンナのまじめすぎる愚直は答え方が 郡を抜いて 目立っていたからだ。

ハンナは どうして収容所から収容者をガス室に送り込んだのか、と問われて、「毎日新しい収容者がどんどん送られてくるから 古い収容者は処分するしかないではないか。」と答え、「燃える教会から逃げようと収容者がドアに殺到しているのに どうして外から鍵をかけて皆を死に至らせたのか と問われて 「ドアを開ければ 人々が飛び出してきて収集がつかなくなるではないか。」 と答える。収容所の監守としての責任を全うすることしか考えられないハンナにとって 監守の義務が正しいことだったのかどうかを考える頭脳はない。教育のないハンナにとって 与えられた仕事は絶対服従であり、他の選択肢はない。 その結果何が起こったのかを、考える能力さえない。
 
他の被告達が全員、監守としての義務を果たしたのは、それをしなかったら自分が殺されていたから 仕方がなくてやったのだ、と、自己弁護する。自己保身も自己弁護もできないハンナは 被告席の中で 人々の憎しみを一身に背負うことになってしまう。そのうちに、仲間だったはずの被告達が一斉にハンナを指差して、この女が収容者をガス室に送り込んだ責任者だった、教会に火を放ったのもこの女だった、と言い出す。そこで、裁判長は、証拠品となった虐殺報告書を書いたのは、ハンナか、問い正す。法廷の衆人の注視のもとで、筆跡を確認するために、紙とペンを出されて、ハンナは言葉を失う。そして、虐殺報告書を書いたのは、「私です」と、ハンナは答える。そのために、ハンナは殺人罪に問われて 終身刑を言い渡される。

そして、このときになってマイケルは 初めて ハンナが文盲だったことに思い当たるのだ。15歳のときの二人の愛の日々、ハンナはいつも本を読んでもらいたがった。自分からは本を見ようともしなかった。カフェでメニューを渡されても 見ようともしなかった。マイケルは法を学ぶ学生でありながら 自分が愛したたった一人の女が 真実からかけ離れた誤認のために 人々の憎悪を一身に負って罰を受けていく姿を 黙って見ていることしか出来ない。 字を読むことも書くこともできない 貧しい境遇に育って、与えられた仕事だけを生真面目にやりとげてきた 無教養の女は、ゲシュタポを憎む人々の生贄にされてしまった。ハンナは自分を恥じるあまり 衆人の前で自分が文盲であることを さらけ出される屈辱に甘んじるよりは 終身刑を受けて自分の体面を保つことを選択したのだ。
15歳でハンナに出会ったマイケルはここで再び ハンナを失うことになった。

時がたち、マイケルは結婚し、娘ができて、離婚をし、弁護士になっている。誰にも心を閉じて 親しくなることができない。誰にも言うことの出来ない 抱えている秘密が重すぎたからだ。 一人きりになって マイケルはハンナのために 物語を読んでテープに吹き込んで獄中のハンナに送り始める。昔読み聞かせて、ハンナがお気に入りだったロマンスや物語を次々と吹き込んで送ってやる。ハンナは獄中でマイケルの なつかしい声を聴く。そして、、、 というお話。

この映画でケイト ウィンスレットはアカデミー主演女優賞を獲った。主演男優賞は 予想どうり「ミルク」のショーン ペン。
この「愛を読むひと」を観たあとは、ケイト ウィンスレットの相手役を演じた ラルフ フィネズと、デビット クロスの二人に主演男優賞をあげたい。そう思うほど 3人が3人とも 真迫の演技で印象深い映画になった。映画は映像の美しさ 音楽、そして演技がものいう総合芸術だが この映画では3人の役者の演技が特別光っている。15歳のマイケルをやった デビッド クロスがとてもせつなくて泣かせる。気の強い 強情で無学な女に振り回されながらも愛に満たされて 少年がひとりの大人になっていく姿を見ることが出来る。

そして、ラルフ フィネズ。この人の 深い深い悲しみをたたえた瞳がとても良い。適役だ。心の傷の痛みにじっと耐えながら 誰にも悲しみを打ち明けることなく一人きりで立っている。彼は「イングリッシュ ペイシャント」「ナイロビの蜂」(「コンスタントガーデアン)の主演をしたが 物静かで繊細、貴品があって優雅だ。役だけでなく、実際の人柄もそんな感じの人なのだろう。

ケイト ウィンスレットも、頑固で無知なドイツ女の役が適役だ。実に良い演技だった。死ぬまで、自分の姿が見えないままだ。無学であることは悲しい。ものの考え方を総合的に捉えることが出来ない。物事の善悪を判断することができない。間違っていたと、指摘されても どうして自分が間違っているのかわからない。そんな哀しい女を とても哀しく演じて涙をさそった。

2009年2月22日日曜日

オーストラリア チェンバーオーケストラ 定期公演




今年度初めての オーストラリア チェンバーオーケストラの定期公演を聴いた。

彼らは今年も年間7つの公演を行う。一つの公演を、シドニーではオペラハウスとエンジェルプレイス、ニューカッスル、キャンベラ、メルボルン、アデレード、パースなど各地を回りながら、多いときは14回演奏するから、年に100日近くを国内で公演している。
その上、毎年一カ月間 海外遠征をして外国の音楽家達と共演するので少なくとも、年の半分は 舞台の上で演奏していることになる。

彼らは演奏中 チェロ以外全員が練習時もリハーサル時も 立ちっぱなしの起立姿勢だ。毎日リハーサルで 団員の一人が間違えると、全員でまた初めから練習やり直しをして 繰り返し練習するのが 団長、リチャード トンゲテイのやり方だそうだが、いかに、プロと言えども団員の苦労が偲ばれる。 アシュケナージが今年主任指揮者になったシドニーシンフォニーでも、故岩城宏之が永久名誉指揮者だったメルボルンシンフォニーでも これほどプロとして厳しい鍛錬しているグループは他にないだろう。結婚して子供もできたのに 全く脂肪のつかない体、頬の肉などこそげ落ちたような厳しいトンゲテイの顔を見ていると 断食で悟りを開いた求道僧のように見えるときがある。そんな彼が 本当に美しい音楽を聞かせる。
定期公演では毎回ゲストがあって ゲストを囲んでチャンバーオーケストラ17人が一緒に演奏をする。
団長のリチャード トンゲテイが使っているのは 1743年 グルネリ デムゲス、セカンドバイオリンプリンシパルのヘレン ラズボーンが弾いているのが 1759年 JB ガダニー二、チェロのベッキオ バルグが弾いているのが 1729年ジョセッぺ グルネリだ。

コンサートプログラムは
1: オーストラリア現代音楽家、JAMES LEDGER のRESTLESS NIGHT

2: モーツアルト シンフォニー29番 モーツアルト18歳のときの作品。弦楽に4人のホーン、2人のバスーン、2人のオーボエが入る。当時の重い交響曲に比べて 斬新な手法でシンコペーションやテーマの繰り返しを歌うなど、若くて、新しくて驚きに満ちた交響曲。

3: 今回のゲストミュージシャン、ソプラノ歌手 ダウン アップショウの歌 。 オズワルド ゴリジョブ作曲のアルゼンチンの曲、べラ バルトク編曲のハンガリア民謡、リチャード ストラウス作曲のドイツ曲。どれも一定の型のあるクラシックといわれるジャンルの曲ではなくて、主にジプシーの悲しい曲だったが、難しい曲をとてもきれいな声で、情感たっぷりに歌っていた。

4: モーツアルト シンフォ二ア コンセルタンテ 作品364番。 バイオリンとビオラのための協奏曲。モーツアルト17歳のときの作品。そう、この曲を聴くために ここに来たのだった。2人のオーボエ、2人のホーン。ホーンは当時の古楽器を使っていた。

バイオリンソロは勿論 リチャード トンゲテイ、ビオラは クリストファ モーア。クリストファは このチャンバーに加わって3年くらいだと思う。若くて、フットボールで鍛えたような体格、モヒカン刈りのトサカを金色に染めて 後ろの長い髪を三つ編みしてたらしている、一見 暴走族、、、そんな彼が見かけによらずデリケートな優しい音を出す。 この曲は 好きな人が自分と同じように弦楽をやる人だったら死ぬまでに一度は その人と一緒に弾いてみたいと思うに違いない曲。オーケストラをバックに バイオリンがメロデイーを弾くと すかさず後からついてきたビオラがそれを繰り返し、またバイオリンが帰ってくると ビオラが対話する。異質な音が絡み合い 同調したり反発したり仲直りしながら共に歌い上げる美しい曲だ。二人が本当に息が合っていないといけない。トンゲテイとクリストファ モーアは親分と弟子の立場だが とてもうまくやっていた。

パールマン(バイオリン)と ズッカーマン(ビオラ)が この曲を弾いているビデオを アメリカ人の家で見せてもらったことがある。素晴らしかった。音が素晴らしいだけでなく、小児麻痺で足が不自由なパールマンのバイオリンをビオラと一緒に持ってきて 彼の椅子や楽譜を用意してやったり、音合わせをしながら冗談ばかり言って とびきり和やかな空気を作ってから 息のあった演奏を始めるズッカーマンの魅力に完全に まいってしまった。二人の組み合わせの良さが 曲の美しさを倍増する みごとな演奏だった。

アマチュアオーケストラでは いつもビオラ奏者が少なくて、仕方がないので バイオリン弾きが 嫌々ビオラに回されたりすることが多い。バイオリンの高い音に嫌気がさしてビオラに凝ったこともあるが、サウンドボックスが一回り大きくなっただけで、重くて 音の振動の幅がおおきくなる。顎の力で楽器を持ち上げている間 振動幅の大きな音が 顎を伝わって直接頭に響いてくるから 長い間演奏していると 頭が割れそうになって吐きそうになる。バイオリンだと何時間弾いていても疲れないのに、ビオラでは楽器が重くて 手を伸ばしきりなので 貧血を起こしそうになる。だからフルサイズのビオラを小さな女の人が弾いているのを観ると、無条件で尊敬してしまう。

それにしても こんなに美しい曲を17歳で作って、自分もビオラを演奏していたというモーツアルトと言う人は なんという素敵。誰がなんといってもモーツアルトがいちばん。なにがなんでも、モーツアルトが絶対、一等だ。 とても満足したコンサートだった。

2009年2月16日月曜日

映画「レボルーション ロード」


映画 「レボリューション ロード」(原題REVOLUTION ROAD)を観た。 原作 リチャード イエッツ。

監督:サム メンデス
俳優:ケイト ウィンスレット(エイプリル)                          レオナルド デ カプリォ(フランク)
これで、ケイト ウィンスレットは ゴールデングローブ主演女優賞を取った。受賞の挨拶で壇上から レオナルド デ カプリォに、13年間ずっーと愛してきたわ、と言って、投げキスを送り 彼からもキスを返されるという微笑ましいシーンがあった。 二人は 「タイタニック」から11年目のコンビ。「タイタニック」は空前のヒットで、ハリウッドに最大収益をもたらせたのに、何の賞をもらえなかった。ケイトは以降 5回も賞にノミネイトされながら これが初めての受賞となった。レオナルドも5回 主演男優賞にノミネイトされながら、いまだ、何の賞も受けていない。ユダヤ人が 力を持っているアカデミーなどの諸賞では、左翼的アイリッシュは不利なのかもしれない。

ストーリーは
1950年代のアメリカ コネチカット。 フランクとエイプリルは 誰もがうらやむ美男美女の若いカップル。自分達は 何にも縛られない 自由で他の人たちとは全然ちがう 特別なカップルだと思っていた。女優のエイプリルは 女優として努力すれば 何にでもなれる自信を持ち、フランクもエイプリルに自由にさせてやれる度量をもっていた。フランクは兵役をしていたとき、ヨーロッパの各地を巡ってきていて、アメリカ以外の国を知っていただけに 自分が 生きているという実感を得られる生き方を いつもしたいと思っている。 そして、自分もエイプリルも 普通とは違ういつも、時代を先取りした特別な存在だと思っていた。そんな二人に 将来に不安のかげりもなかった。

しかし、二人がレボリューション通りに、家を買ったとこから、事態は変わってくる。フランクは定職に就き 車で駅まで、駅からシテイーまでの長い通勤時間に耐えなければならず、エイプリルは 子供を産み、専業主婦になった。輝いていた将来は、色あせ、日々退屈で平凡な生活が繰り返される。エイプリルは子供の世話に明け暮れ、近所とのうわべだけのお付き合いに無駄な時間を費やさなければならない。

エイプリルは むかしフランクがパリの話をしたとき 眼を輝かせて夢のようなところだと言っていたことが忘れられない。現状を打開するために 自分がパリのアメリカ大使館ではたらけるように、準備を始める。今からでも遅くない。家族でパリに移住して再び新しい 既成に捉われない自由な生き方の挑戦したい、とエイプリルは言って、フランクを説得する。フランクも賛成して、仕事を辞めて家をたたんでパリに行く と、同僚や友人達に言っても、夢物語だと、笑われるだけだ。

そんなある日、フランクは職場の上司から 高級と高いポジションの提供を申し出られる。「男なら 一流のビジネスマンとして、男を上げろ」、とはっぱをかけられ、フランクは自分が本当になりたいのは そんな一流の男であって、パリで夢を追いかけるような男ではなかった、ということに気がつく。しかし、エイプリルはもう主婦から抜け出してパリに行くことしか 頭にない。どうやって、妻の決意を返させるか、、、。

彼らには 精神病を患っている数学者の友人がいる。意表をつくことを遠慮なく言うこの友人に エイプリルは好感を持っていた。しかし、ある日、この男にフランクの心の中を、すっかり暴かれてしまって フランクは怒りを爆発させて、、、。

というお話。
この夫婦の特異なところは 何でも言語化して表現し、とことん話し合うところだ。問題を二人でつきつめて、ここまで言うか? というくらい 互いの言葉で互いを裸にし合う。理屈っぽくて 言い合いが辛らつで 激しい。 普通の夫婦では、ここまでは言わない。言わないことが沈黙のルールだし、言っても仕方がない。所詮相手は他人で 言ったからといって 自分の思うようには 相手は変わってくれない。しかし、フランクとエイプリルはとことん言い争う。もう、、、だから、この映画 とても疲れる。夫婦喧嘩は犬も食わない というけれど、全く食えない。 でも、この夫婦が 必死で、まじめに生きていて まじめに互いに向き合っていることはよくわかる。互いに傷を深め合うところも。

1950年のアメリカ。まだ、大半の女性は 高校時代に結婚相手を決めていて、すこしでも、将来性のあるハズバンドを獲得することが一生で一番大事なことだった。結婚、専業主婦が当たり前の閉鎖社会。エイプリルはすこし、早く生まれすぎたのだ。女が 大手をふって外に出て 好きな相手と同棲したり別れたりできる時代が もう、目前に来ている。自立と解放のためのうめき声が この映画を観ていて聴こえてくる。

「タイタニック」から 11年ぶりのケイトとレオナルドの俳優としての 成長ぶりが よくわかる。また 作家、イエッツの好きな人、またこの時代の女性史や社会の変化に関心のある人にとっては、この映画も良い映画だ。これを観て 夫婦喧嘩に強くなるコツがわかるかもしれない。

2009年2月15日日曜日

映画「チェンジリング」


クリント イーストウッド監督による 映画「チェンジリング」(原題CHAGELING)を観た。140分。

主演アンジェリーナ ジョリー。これで彼女はゴールデングローブにも、アカデミー主演女優賞にもノミネイトされた。

ストーリーは
1928年のロスアンでルス。実際に起きた出来事を映画化したもの。 電報電話局で働く シングルマザーのクリステイン コリンズ(アンジェリーナ ジョリー)は 9歳の息子、ウオルターと二人暮し。ある日、いつもの帰りの電車を逃して 送れて家に帰ってみると 待っている筈の息子がいない。必死で探し回るが 見つからず 警察に失踪届けを出す。

失意の母親のところに 5ヶ月たって、ロスアンデルス警察署長(ジェフリー ドノバン)が、息子が見つかったと連絡してくる。警察と一緒に迎えに行ったクリステインの前に 現れたウオルター コリンズと名乗る子供は 息子ではない。警察に この子は自分の子供ではないと申し立てても 警察は この事件は解決したと宣言してクリステインの言い分を全く受け入れようとしない。 クリステインの息子ウオルターよりも3インチも背が低く 見覚えのない手術跡のある少年は 自分がウオルター コリンズだと名乗り、クリステインを混乱させる。

この頃 ロス警察の腐敗を告発してきた クリスチャン グループ(ジョン マルコビッチ)が 息子でない少年をクリステインに押し付けて 事件が解決したと 主張する警察に注目し クリスチャンの言い分に耳を傾ける。クリステインは この少年がウオルターではないという小学校の先生や小児科医の証言を取り、ロスアンでルス警察を告発しようとしたところで、警察の呼ばれ、そのまま精神病院に 強制入院させられ外部からの連絡を絶たれてしまう。クリステインを応援しようとした クリスチャン グループが必死で探しても、クリステインうを見つけることが出来ず、やっと彼女を見つけて救出くるころには 数週間もかかったのだった。 クリステインは精神病院に収容されている女性達が病人でもないのに ロス警察から目をつけられているというだけで、警察に収容するよりも簡単に強制入院というかたちで無法の征伐を受けさせられている現状を見て、自分が救出された後は ロス警察を告発する。これが契機に、精神病院は 開放される。

一方、ロスから 人里はなれた農家から おびただしい数の子供の人骨が出てきて、大量殺人事件が明らかになる。それで、沢山の子供の失踪事件をきちんと追求しなかった 警察の怠慢が人々から 糾弾されることになる。そして、逃亡から成功して生き残った子供の証言からわかったことは、、、。 というストーリー。

やはり、無駄のない映像、たるみも伸びもなく140分間、観客の退屈させずに一挙にみせる映画監督クリント イーストウッドの力に感銘を受ける。 アカデミー主演女優賞にノミネイトされたアンジェラ ジョリーの演技が とても良い。終始、彼女は息子以外 誰とも挨拶でも抱き合ったり キスしたりしない。握手さえしないで、誰の体とも触れ合わない。9歳の子供を持つ シングルマザーとはそういうものだと思う。やせて、清楚、きちんとした服装をしているが 地味で目立たない。 警察に精神病患者扱いされて、言い分を誰にも聞いてもらえない 一人で戦うしかない女。耳を傾け 力を貸しているジョン マルコビッチの救いの手を受けても、ひっそりとお礼を言って 一人帰ってくる。そんな かたくなな女の姿に共感を覚える。

1928年 こんな時代 シングルマザーで仕事を持ち続けるには、余程の覚悟が必要だったろう。女の真の強さをジョリーは とてもよく演じている。男よりも、女の人に人気のある女優だというのが 納得できる。 同じ頃に制作され発表された映画「グラントリノ」のようなユーモアとヒーローの大活躍はないが とてもよく完成された映画だ。80近い クリント イーストウッド、これからも、いくつも良い映画を作り続けて欲しい。

2009年2月12日木曜日

オペラーストラリア公演「魔笛」




今年度、前期のオペラオーストラリアの興行が始まった。

昨年のオペラの出し物が 押しなべて低予算興行で 印象に残るものがなかったので、嫌が上にも今年の出し物に 期待をつなぐ。もし、今年の興行も低調だったら、もうオペラオーストラリアとは おさらばだ。毎年10万円だして、自分の席を確保してきたが、団員達が努力しないのならば 観にいく意味がない。カラスとドミンゴのDVDを観ていた方が 余程気が利いている。

いつも、行く度に腹が立って叫びだしそうになるが シドニー名物のオペラハウスにはエレベーターもエスカレーターもない。長い階段を年寄り達が 死ぬ気になって手すりにつかまって上がっていかないと たどり着けない。非常識で、反社会的だ。

2千人収容の会場に 舞台装置を運ぶ為の 荷物用のリフトがあるきりだ。身体障害者や長い階段を歩けない年寄りは この貨物用のリフトで 会場に案内される。着いた先から、やはり、階段をいくつかは 登らなければならない。内部が全席 階段状になっているからだ。職員がいつも二人がかりで 車椅子の人を大汗かいて運び上げている。膝が悪く 喘息持ちの夫とオペラに行くたびに、これがもう夫にとって最後の機会かもしれない と思いながらゼイゼイ言いながら階段を登る夫を見ている。

モーツアルトのオペラ「魔笛」を観た。
2幕、2時間40分。3月19日まで。
ストーリーは、
見たこともない不思議な生き物達が生息する不思議な森で、王子タミーノは 道に迷って途方にくれている。突然、大蛇が現れて、気を失ったところを 「夜の女王の国」の3人の侍女に救われる。侍女たちは、美しい王子をみて、夜の女王を呼びに行く。タミーノが気がついてみると 横にパパゲーノがいて、大蛇が死んでいるので、彼が助けてくれたのだと思い、友達になる。パパゲーノは女王に献上する鳥を捕まえる為に森にきていたのだった。

そこに、3人の侍女が女王を連れて、やってくる。夜の女王は、娘のパミーナ姫が 「ザラストロの国」に誘拐されてしまったので、助けて欲しいと、懇願する。パミーナ姫の絵姿を見て、タミーノは一目で恋をする。そこで、タミーノとパパゲーノは、勇んで姫を救い出す為に ザラストロに向かう。

ザラストロの神殿に着いたタミーノは パミーナに出会って、二人は同時に恋に陥る。二人をみながらザラストロは、 悪いのは太陽をさえぎってこの世を闇で閉ざしている夜の女王だ、という。タミーノは パミーナにふさわしい王子かどうか ザラストロの与える試練の儀式を受けることになる。

庭にパミーナが眠っている。そこに奴隷頭のモノスタトスが来て タミーナを自分のものにしようとする。すんでのところで 夜の女王がやってきて、娘を救い、娘を連れ去ったザラストロに復讐する為に 剣を渡してザラストロを殺すように命令する。
言われたとおりに パミーナはザラストロの前に出るが 彼にこの国の神聖な殿堂で、復讐などという愚かな考えは なくすようにと言って、パミーナを諭す。

パミーナは 恋するタミーノに会いに行くが タミーノは沈黙の修行をしている最中で、パミーナが話しかけても返事もしてくれない。パミーナはそれを見て 彼が心変わりしたのだと思い込んで、母のくれた剣で自殺しようとする。そこを、3人の童子がかけより、パミーナをタミーノのところに連れて行く。タミーノは 今度は水の試練と火の試練を受けるところだった。パミーナは タミーノとともに、この試練をくぐりぬける。
ザラストラを裏切って夜の女王の僕となったモノスタトスが夜の女王とともにザラストラの神殿を襲撃してくる。しかし、ザラストラの光の強さに打ち負かされて 夜の女王は去っていく。ザラストラは太陽を讃え、タミーノとパミーナを祝福する。
というハッピーエンドのおはなし。

このオペラの見所は 極端な高音と極端な低音だ。
夜の女王のコロラトーラソプラノはオペラのなかでも最高音をコロコロと鈴がなるような豊かなソプラノで歌わなければならず 難曲中の難曲と言われている。 そして、その対極となるザラストロの最低音 バッソプロフォンドだ。彼の曲もこれ以上低い音を出すのは不可能、というような低音を王者の風格と威厳をもって歌う。 可憐な娘パミーナと、美少年タミーノをめぐって 夜の女王の狂わしいばかりの高音と ザラストロの落ち着き払った低音とが交差するところが オペラのおもしろさだ。 またパパゲーノのバリトンが このオペラの舞台回しの役割を果たしている。

夜の女王のコロラトーレ、パミーナ姫のソプラノ、タミーノ王子のテノール、ザラストラのバッソプロフォンド、モノスタトスのテノールがかもしだすハーモニーに対して、パパゲーノのバリトンが、全体を引き締めて、まとめていく形になる。 以上の重要登場人物以外に、3人の侍女、タミーノの道案内になる3人の童子(ボーイソプラノ)。パパゲーノの恋人パパゲーナ(ソプラノ)、3人の僧侶(テノールとバリトン)もなくてはならない役柄だが、その上のコーラス合唱隊も入る。登場人物が多く、オペラの中でも、ぜいたくな お金のかかる出し物だ。

この「魔笛」はモーツアルトが死ぬ前に 最後に完成させたオペラ。曲が いかにもモーツアルトらしく 格調高く美しい。迫り来る死の影に脅えながら 貧困の極にあったモーツアルトの どこにこれほど優美で美しい旋律が作曲できる力があったのか。あふれるほどの才能を持ちながら余りに若くして亡くなっていった天才モーツアルトの不遇な一生を思うと いつも泣きたくなる。

夜の女王を歌った エマ パーソンは ラリアのパース生まれ、28歳で、シドニーで大学を終えたあと、奨学金を得てドイツに留学して あちらで活躍していた人。このオペラが初の凱旋公演になる。コロラトーラを 難なく歌っていた。将来が楽しみだ。 3人の童子 ボーイソプラノは声量は ないが透明な美しい声を出していて、舞台に花を添えていた。

今回の出し物で、特筆すべきは 役者達の声の良さ、難曲を上手にクリアして美しく歌っていただけでなく、そろいもそろって美形だったことだ。タミーノとパミーナの若いカップルは、美男美女で、特にタミーノのテノールは高音がよく伸びて美形が美声で歌うオペラの良さを充分見せてくれた。 夜の女王も 今が花盛りの28歳の美女、ザラストロが2メートルの背丈、がっしりした美男で役柄と外形とがぴったり一致していた。 オペラは声だけでなく役者の素材も役者ぶりも 見ごたえがあるものでなければならない。 去年の「ラ ボエーム」は最低だった。主役の夢見がちな若き画家が、オールバックの髪、小太りの中年中国人のオッサンだった。それがブーツを履いていれば ゴム長履いた魚屋の親爺にしか見えない。声が良くて高い声が出るからといって オペラは舞台なのだから 演じてくれなければならないし、演じる前に外観もとても大切だ。天は二物を与えずというが、オペラをやる以上 外観も声も演技もすべてそろっていなければならない。

また、この幻想的な御伽噺の舞台を盛り上げたのは 「LEG ON THE WALL」だった。不思議な生き物、名の知れぬ動物達が動き回っている夜の森を この人たちが アクロバットで木に引っかかっている鳥になったり、ジャングルをうごめく動物になったりして神秘的な夜を演出していた。体の柔らかな人たちで、街の高層ビルをよじ登ったり 様々な新しい演劇の試みに挑戦している若い演劇グループだ。注目に値する演劇グループだ。今後も、オペラにこの人たちが出てくれたら 舞台が生き生きして楽しくなるだろう。

2009年2月11日水曜日

ブッシュ ファイヤー3


2月11日 朝7時現在、ビクトリア州のブッシュファイヤーによる死者:183人、全焼家屋 796。 50人余りが行方不明だが、避難する場がないため、行方不明者は、絶望と思われている。
7000人がいまだに避難しており、いまだ火は燃え続けている。 一方、ニューサウスウェルス州のブッシュファイヤーは 完全に鎮火した。

日本の国土の22倍の広大な土地を、日本の人口の6分の1の人々がヨーロッパから入植して 土地を開拓してきた。国土の80%は砂漠。 農地として開墾した土地も 強風で表土が奪われ、地下水の層が浅いため、塩の層が上がってきて、塩害による農地の砂漠化が進行している。 また、10年来の日照り、旱魃で牧草が消失、家畜農家の被害は広がるばかりだ。ラリアの国土は、急速に砂漠化が進行している。

一方、私達のまわりはこの土地従来の乾燥に強い木、ユーカリがどこにでも生えている。この木は脱皮することで大木になる。剥がれ落ちた幹は 下草や落ち葉と一緒に土を覆い隠す。またこの木は特有のガスを発生させて燃えやすく、いったん火が出ると、地面を覆っている下草とともに、一気に燃え上がる。私達は、自分たちのまわりに、弾薬庫を抱えているようなものだ。

ビクトリア州とニューサウスウェルス州で、ブッシュファイヤーが コントロール不可能な勢いで燃え上がった悪魔のような週末だった。  日曜、月曜と、被害地に留まって人々を励ましてきたケビン ラッド首相は、火曜日になって、会期中で予算編成期だった国会にもどってきて、家を失った人々には新しい家を、燃えた学校には新しい校舎を、消失したコミュニテイーは必ず、もとどうりに戻すまで援助をやめない、と約束した。

自然がいっぱいのラリア、世界遺産のグレイトバリアーリーフ、エアーズロック。そんな遠くに行かずとも、私達が住むシドニーやメルボルンのビジネス中心街から 15分車で走れば海があり、森があり、旅行者が絶えない。 しかし、この国の農業は塩害と旱魃で、苦しんでいる。おまけに何年かごとに繰り返す大規模なブッシュファイヤー。

この国土に未来はないのかもしれない。
他に希望のある土地が 地球上に残っているとすれば、だが。

2009年2月10日火曜日

ブッシュ ファイヤー2


2月10日 朝7時の時点で、ビクトリア州のブッシュファイヤーによる死者173人。
750家屋全焼、5000人が家を失った。
この週末に起きた山火事は オーストラリア史上 最大の自然災害となった。

日曜日から36時間の間に $20ミリオンの寄付金が集まり、6000人の献血が 集まった。消火作業のボランテイアは 何千人にも上る。

メルボルン北東部のキングスレイクでは、街そのものが消失した。死者のなかには、ブライアン ネイラーというニュースアナウンサーもいて、彼による 山火事のニュースをテレビで見た人も多いと言うのに、彼は仕事の後 家に帰って 家族と共に帰らぬ人となった。

最後まで自分の家を守ろうとして、消化作業をしていて、火がまわったときには 道路が倒れた大木で封鎖され 逃げられなかった人夫婦が 覚悟を決めて、家族に携帯電話で、さよならを言ってきた という話も。

着の身着のまま 逃げて 避難所で 残してきた馬や、犬を気使う人びと。財布も持たず、猫だけを連れて 家を後に避難した家族。

焼け爛れた牧場を、放心したように 歩き回る 羊や牛たち。 せっかく生き残ったのに、銃で安楽死させるのだそうだ。焼けた野原を歩き回り、足の裏に火傷を負っているので、そこから感染して 苦しむことになるので 先に楽にしてやるのだそうだ。

人々は喪に服している。

異常乾燥と40度を越える熱風と、放火犯の3つが、被害広げた。 助け合いが当たり前の健全な社会が わずかな異常者のために、破壊される。放火犯は 厳罰されるべきだが、多くの放火犯は 自分で気がついているかどうかわからないが、精神病者だ。小さいときから暴力が 日常だった生い立ちや、環境の劣悪が 精神病の引き金にもなる。一見 愉快犯といわれる犯罪も、犯罪がおかされる前に治療できていれば、未然に防げる場合もある。放火対策は、精神病対策として、きちんと社会で捉えられなければならない と思う。

今日は 雨だ。

2009年2月9日月曜日

オーストラリアのブッシュ ファイヤー


ビクトリア州も、ニューサウスウェルス州も燃えている。
たったこの1日半の、ブッシュファイヤーといわれる山火事で、今現在、わかっているだけでも死者108人。750軒の家が全焼。 車の中で亡くなっている人の数や、確認できた人だけで、死者108人のため、これから焼けた家の中で 発見される遺体の数を考えれば、死者は 170人を越えそうだと言う予想だ。

真夏のいま、40度を越える暑い日が続いていた。 風が強く、気温が高くなると、ラリアならどこにでも生息していて、青いガスを発酵するユーカリの木が 燃え始める。火は風に乗って、100メートルを 簡単に飛んでいって、飛び火する。車で避難しようとする人々を、火の通り道になった アスファルトの道路が あっという間に車ごと人々の命を奪っていく。

ビクトリア州ではメルボルン北部がいまだ30箇所で、燃え続けていて、ニューサウスウェルス州では セントラルコースト、南海岸地域46箇所で、火の勢いは衰えていない。

ニューサウスウェルス州の別々の場所で、34歳と、15歳の放火犯容疑者が逮捕された。 一人殺せば殺人、沢山殺せば英雄、全部殺せば神様だ、、、という言葉を 初めて聞いたのは チャップリン、二回目に聞いたのは ゴダールだった。君は神になりたかったのか?

たった1900万人の人口の国で、一日で108人死亡者が出るということが、どんなことなのか。

窓を開ければ、黒い燃え殻が風にのって部屋の中に入ってくる。家のずっと遠くでは、まだ燃えているのだろう。 どうぞ、死なないで、これ以上、死なないで、と祈ることしかできない。

2009年2月3日火曜日

映画「グラン トリノ」




男が 多少の危険を伴うが、どうしてもやらなければならない と、いう仕事が出来たとき、何をしてから 出かけていくだろうか。

頑固一徹の老人 ウォルト コワルスキー(クリント イーストウッド)は 庭の芝を刈り、散髪屋に行き、風呂にゆっくりつかり、棺おけに入るときのために 背広をあつらえて 愛犬を隣に預けて、、、そして出かけていくのだ。

映画「グラン トリノ」を観た。良い映画だ。
クリント イーストウッド主演 監督の映画だ。今年になってから、この一ヶ月で、観た映画は11本。繰り返しみたいと思う映画はなかったが、この「グラン トリノ」は、別々の日に、3回観た。そして、同じところで 派手に笑い 同じところで、たっぷり泣いた。人のことをよくわかっていて、喜怒哀楽のつぼを心得ているイーストウッド監督にとって、観ている観客は 手のひらの上で 泣き笑いする たわいのない幼児のようなものだろう。
フィルムにまったく無駄がない。どの場面も、どんな会話も、ストーリーにとってなくてはならない必要最小限が 計算されつくしている。彼の制作する2時間のフィルムが洗練されているのは 無駄がそぎ落とされているからだ。

イーストウッドは 俳優として、私の子供の頃からのヒーローだ。日曜日の連続テレビ番組「ローハイド」ではハンサムなカウボーイ、「マカロニウェスタン」で暴れまくり、「ダーテイーハリー」で、銃を連射するキャラハン刑事だった。
監督としても、「ミステイックリバー」、「ミリオンダラーベイビー」でとても良い仕事をしている。

映画のストーリーは、
ウォルト コワルスキーは、若いときは コリアン戦争で出兵した退役軍人、デトロイトのフォード自動車を定年退職し、妻を失ったあとは、同じく年取った ゴールデンレトリバー犬と暮らしている。独立していった二人の息子達との関係は冷え切っている。家の修理をし、朝夕 家の前のカウチで新聞を読み、夕方には 通りをながめてビールを6本ほど、、。 3週間ごとに散髪に行き、昔からの床屋と悪態を付き合うのと、たまに古い友人達とパブで冗談を言い合う以外は 人々とのわずらわしい関わりを持たず、悠々自適の生活に満足している。

デトロイトも、この20年ほど 車の市場を日本車に奪われ、景気は後退するばかり、失業者があふれ、ギャングがはびこり、隣近所の人々はどこかに移っていって、気がついてみると ウォルトの家は、中国人の住宅ばかりに囲まれていた。前庭の手入れをしない となりの家の中国人家庭も、腹立たしいが、独居生活の父親の老人ホームの入居をすすめる息子も腹立たしい。

ある日 ガレージに賊が入り込み、ウォルトが大事にしている1972年フォード車グラントリノを盗まれそうになる。隣の家の 息子タオが、従兄弟のギャングに脅されて 忍び込んだのだった。もちろん、タオは失敗する。翌日、ギャングは タオにヤキをいれようと、連れて行こうとするが、母親やしっかりものの姉やおばあさんは、タオに しがみついて離さない。ギャング達が年寄りや女性に暴力をふるう様子を見て、ウォルトは黙っていられず 介入する。
それを契機に、ウォルトと隣近所のモン族の人々との 交流が始まる。

モン族は 中国、ラオス、タイ国境山岳地帯に住む少数民族で、政治的、宗教的に迫害され、このデトロイトに亡命してコミュニテイーを築いたのだった。人々は礼儀正しい よく互いに助け合う人々だったが、差別されている少数民族だけに アメリカ生まれの2世のなかには差別や失業から、ギャングが形成されて、人々は困り果てていたのだった。

隣の家は 高校生の姉とタオと、母親、おばあさんの一家だった。タオをギャングから 引き剥がしてくれたことで、モンの人々はウォルトが断っても断っても、恩人扱いして料理などを 届けてくる。姉のスウがしっかりしているのに、父親のいないタオは、内気で社会的訓練が全くできていないのを見て、ウォルトは タオを一人前の男にしてやらなければ、と思う。タオに隣近所の家の修理や 街路樹の手入れの仕方を教え、道具を与えて、大工仕事まで紹介してやる。

しかし、モンのギャングは、ウォルトが介入したことで、益々 タオ家族への嫌がらせも攻撃的になってくる。暴力がエスカレートしていった先には、、、。
というお話。

映画の内容は 差別社会、若者の暴力、銃所持、少数民族差別、失業などの社会問題を扱っていて 深刻だ。しかし、映画で、会話が 機知に富んで ユーモアたっぷりで笑わせてくれる。 まず、ウォルトの頑固親爺ぶりが、徹底している。終始、ウォルトの息使いが音になって 映像とともに流れるので、 若い女の子のヘソ出しファッションや、タオが失敗するごとに、ウォルトの深い深いため息が聞こえてきて、笑ってしまう。その効果で、観客はウォルトの眼で、映像を見ることができる。

妻が死ぬ前に ウォルトの心の支えになって欲しいと、言われていた牧師が、ウォルトを頻繁に訪ねてくる。ウォルトは それがわずらわしくてならない。 モンのギャングに襲われたウォルトは、牧師に、「どうして警察を呼ばないのか」と詰問されて、「コリア戦争では状況は一挙に悪くなったりする。殺される寸前に おまわり呼んで、来てくれるか?」とまじめな顔で言い返す。「牧師さんは 高い教養を持ちすぎて人生経験のない子供みたいなもんだ。そんなに人の生と死をわかりたかったら赤ん坊でも産んでみてくれ。」などとも。 また、「男なら、何をすべきか、神様が教えてくれなくたってわかってる。放っといてくれ。」と言う。 これが一番 彼が言いたかったことだ。

イタリア人床屋との悪態のつき合いもおかしい。
タオが 何か家の修理でも手伝いたいと家に来ると、ウオルタは、家の前の木を指して、実を取りにに来ている鳥の数を数えていろ、と命令しておいて、自分は ひょうひょうと横で、芝を刈り 庭を整備して草木に散水しているのも おかしい。タオが好意を持っている女の子に話しかける勇気がないのをウオルタが からかうシーンも笑える。このユーンという女の子の名前が ウオルタはどうしても覚えられなくて、最後までミャウミャウ(ねこの鳴き声)だ。

深刻な社会問題、出口のないアメリカの病巣を扱った映画なのに、不思議と明るい。 過酷な抑圧された少数民族で、自由のアメリカに亡命してきても 差別と暴力に蹂躙される若い人々の 押しつぶされそうな魂にもイーストウッド監督は、限りなくあたたかい目 をむけ 希望を指し示している。 観客は 映画を観て どんな暴力の嵐の中にあっても自分を失わないで生きたいと思うだろう。
何度みても、この映画 大泣きしてしまう。

2009年1月28日水曜日

映画「ミルク」







映画「ミルク」(原題:MILK)を観た。
アメリカで初めて自分がゲイであることをカミングアウトして市議に選出され暗殺された実際の政治家ハーベイ ミルクの半生を描いた映画だ。 この映画は、12月にアメリカで公開されてすぐに、沢山ある各種の映画賞すべてにノミネイトされてしまった。その勢いで ミルクを演じたショーン ペンが 2009年アカデミー賞で、最優秀主演男優賞を取るに違いない。

オスカーにノミネイトされたのは、「ビジター」のリチャード ジェンキンス、「NIXON」のフランク ランジェラ、「レスラー」の ミッキー ルーク、「数奇な人生」のブラッド ピットと この「ミルク」のショーン ペンの5人だ。

この1月に アメリカで初めてアフリカンアメリカンの大統領が誕生したが、オバマを選出したのは 今まで投票所に足を運んだこともなかった人々だ。これほどアメリカ人が自分の国の政治に注目し、かつての公民権運動に関心を示したことはいまだかつてない。そんな時期だから、この映画は、もうすでにたくさんの賞にノミネイトされていて、あとは、オスカーを受け取る為に壇上に上るだけだ。

監督:ガス バン サント
俳優:ハーベイ ミルク=ショーンペン    
スコット    =ジェームス フランコ    
フェニックス  =エミール ハッシュ    
    ジャャック    =デイエゴ ルナ      
   ダン ホワイト =ジョシュ ブローリン

ハーベイ ミルクは ニューヨークで、1970年 40歳の誕生日にスコット スミスに出会って恋に落ちる。意気投合して、二人でサンフランシスコにやってきて、カメラ屋を始める。店の名は 通りの名前をとって、カストロカメラ。

まだゲイが市民権を得ていない70年代 ハーベイは 自分がゲイであることを公表して ゲイの権利獲得の為にデモに参加したりするうち、カメラ屋は、ゲイの人権獲得運動の拠点になる。また、地元の店主達で組織されたカストロ ブレー協会の事実上の代表者となって 住民の権利獲得のために 市役所と話し合いや 交渉をすることになる。

ゲイはぺデファイルと混同されたり、一般の人からは 精神病の一種だと平然と言われていた時代だ。政治家や教会関係者と公開討論をしたり、ゲイの教職員解雇の破棄や、ゲイ差別撤廃のためのデモを組織したりしながら、彼は カルフォルニア州サンフランシスコ市の市議選に出馬する。 1973年75年と落選するが、選挙のたびに支持者を増やしていって ついに1977年に市議となる。パートナーのスコット スミス(ジェームス フランコ)は、ハーベイが政治にのめりこんでいく過程で パートナーを解消することになるが ハーベイが死ぬまで良き相棒だった。ハーベイは スコットを失ったあと、ジャック(デイエゴ ルナ)と同棲するが 市議選で多忙を極めている最中 寂しさに耐え切れなくなったジャックは自殺してしまう。

ハーベイは市議会の同僚に ゲイの私生活を笑われて、「僕は過去に4人の男と関係を持った。そのうちの4人は死んで もうこの世にはいないんだ。僕にとってゲイであることは冗談ではないんだよ。」と 真剣な顔で言う このシーンは迫力がある。 また、カルフォルニア州議会議員選挙に立候補して 投票数33000票を集めたとき 彼は集まってきた支持者達に向かって「君達は帰郷できるんだよ。みんな育ってきたところから離れて今、ここに居るけど これからは胸を張って故郷に帰ることが出来るんだ。」と、感動的なスピーチをする。ゲイに理解のない土地を追われてきたゲイにとって、帰る場所はなかったからだ。

市議になって、11ヶ月 カストロカメラの仲間はみんな サンフランシスコ市議の部屋に移動して、活動を広げ、市の同性愛権利法案を後援し労働組合と連帯するなど 活動途上だった。 そんなとき、財政的に破綻し、政治的に挫折した元市議ダン ホワイトは、自分の辞職も不幸も すべて市長とハーベイが悪いからだと、考えて 銃を持って、市庁舎に入り込み 市長を射殺、続いてハーベイを銃で殺した。1978年11月27日のことだ。享年48歳。ハーベイは市議になって1年足らず。ゲイの権利運動の殉教者は、このようにして亡くなった。ゲイであることがリスクだとしても、スキンヘッドや右翼や差別主義者に殺されるのではなく、長年共に政治を志し 家族付き合いもしていた身近な友人に 市庁舎で 銃殺されるとは、誰にも予想できなかっただろう。

ハーベイはかねてから ゲイであるための危険性を充分察知していたから、死んだときのために いくつものスピーチをテープに録音していた。伝えたいことが 語っても語っても尽きない やるべきことが多く、越えていかなければならない厚い壁が大きくて、いつも時間が足りないと感じていたのだろう。途上で殺されて、どんなに無念だっただろうか。 殺人者ダン ホワイトは市長とハーベイを殺害して、たった7年の禁固刑を宣告されただけだ。この評決に激怒した人々によってサンフランシスコでは自然発生的に大規模な暴動が起きる。のちにホワイトナイト ライオットといわれる200人の負傷者を出した暴動だ。 ホワイトは5年間服役し、釈放され その後自殺した。

映画は40歳のハーベイが、スコットに一目ぼれをしてキスするところから始まって、このときの二人の姿にもどって 終わる。最初見たときは 二人の会話を聞き流していたが、最後に繰り返して見せられて、ハーベイは スコットに 今日40になったけど50までは生きないよ、といっていた。その会話を見せることによって 48歳 志半ばで殺されていったハーベイの行き急いで逝ってしまった姿を印象付けている。

ところでフイルム編集の技術はよくない。ところどころドキュメンタリーフイルムが入るが、70年代のものだから画面が’ぼやけて、映画のフイルムとのつなぎあわせ方が雑だ。 しかし、ハーベイの真摯で、時代の壁を破った勇気に感動する。 殺される前夜 ハーベイは初めてプッチーニのオペラ「トスカ」を観る。恋人を失い、自らも命を絶つトスカの絶唱に心打たれて 眠れなくて 深夜ハーベイはスコットに電話をする。このときの むかし愛し合った二人の会話のシーンが良い。最初のキスのシーンも好きだが 電話で心と心を通じさせるふたりの姿が何て素敵なんだろうと思う。

ショーン ペンは役者として「ミステイックリバー」、「21グラムス」では強い男、「アイアム サム」では知恵遅れの身障者役、この映画ではゲイの役 何でもこなす。どこからみても100%ゲイになりきっている。役者としても監督としても 高く評価されて良い。

スコットを演じた ジェームス フランコがものすごく可愛いい。この人の笑顔ほどチャーミングな笑顔を他に 見たことがない。この人が出てくると 条件反射的に頬の筋肉がゆるんでしまう。ジェームス デイーンに そっくりで、「スパイダーマン」でハリーをやった。この映画では素裸でプールで泳いで見せたり、ショーン ペンとのラブ ベッドシーンも多い。彼なら何をしてくれても可愛い。

ハーベイの政治活動の後継者になる仲間に、フェニックス役の エミール ハッシュがいる。ショーン ペンが監督をして好評だった「イン トゥー ザ ワイルド」や「スピードレーサー」の主役をやっている。彼なんか、歩き方から話の仕方 しぐさや表情まで、100%ゲイだ。 
スコットが去ったあとハーベイのパートナーになる デイエゴ ルナもすごい。ハーベイに夢中で、どんな新婚の若妻よりも色っぽい。

それにしても、ゲイでは絶対ない ショーン ペンや、ジェームス フランコや、エミール ハッシュや、デイエゴ ルナが、本物のゲイよりゲイにしか見えないゲイを演じるって、すごいことではないか。 こういう姿をみると、演技をする役者ってえらいなあ と思う。

オスカー受賞に賛否両論 いろいろも意見あるだろうが わたしは この映画が好きだ。ハーベイ ミルクのことは 30歳以上のアメリカ人なら皆 知っているだろうが、外国ではあまり知られていないかも知れない。オバマが 大統領になったからといって小浜音頭を踊っているよりは アメリカの公民権運動をよく知る為に この映画を観た方がためになる。 

2009年1月26日月曜日

映画「ワルキューレ」







かつて日本軍は 第二次世界大戦時 オーストラリアを何度も攻撃して多大の被害を与えている。わかっているだけでも、1942年2月19日のダーウィン攻撃で約250人の死者、2月29日のブルーム爆撃で民間人約70人の死者、同年5月31日には 特殊潜航艇がシドニー湾に侵入、魚雷でフェリーを沈めて21人死亡、6月8日潜水艦がニューカッスルを砲撃している。 それ以外にも シンガポール陥落などにより日本軍に捕虜になったオージー兵を日本軍はビルマ鉄道建設などの労働を強制し8000人の捕虜が炎暑と厳しい強制労働で亡くなっている。

戦後のオーストラリアにとって 日本人旅行者は 一時は年間80万人にも達し、日本人は 気前良くお金を落としてくれる上客だ。しかし、この国の人々は 被害者側だから、日本人をいまだに好戦的な軍人国家のイメージで捉える人は多い。歴史の浅い この国の人々にとって 国を守る為に 戦争に行ったベテランと呼ばれる退役軍人は 国の誇りだし、国のアイデンテイテイーの元になっている。

仕事先で ゴリゴリの保守国民党支持の年配看護婦に 戦争中わたしの家族は何をしていたのか 聞かれたことがある。私の父は病弱な大学院生だったから学生をしながら、高校生のために教壇に立っていたけど、大叔父と叔父は リベラリストだったので政治犯扱いで刑務所に入っていた、と答えたら、看護婦は「日本にも戦争に反対する人は居たのか、信じられない。」といって、とても驚いていた。
どの国にも どんな状況でも 立場、職業、年齢、男女の別なく 戦争に反対する人々はいた。当たり前だ。

トム クルーズの映画「ワルキューレ」を観た。原題「VALKYRIE」。英語読みだと「ヴァルカリー」。
ワルキューレとは、ワーグナーのオペラの題名だ。芸術に広い知識をもっていたヒットラーが ナチの さらなる対外膨張政策のために 予備軍を前線に送り出す為の作戦につけた名前だ。この作戦の予備軍を利用して 軍隊内でクーデターを起こし SSを拘束し、戦争を終結させようとしたのが クラウス ボン スタフェンベルグ陸軍少佐だ。あれだけ強力な権力を欲しいままにしたヒットラーを爆死させようとして、失敗、銃殺された。ドイツの国民的英雄といっても良い。

ストーリーは
スタフェンベルグ陸軍少佐は、アフリカのチュニジア戦線で、爆撃にあい負傷し、片目と右手の指を失って、前線から帰ってくる。時に36歳。呼び戻されたベルリンでは 連合軍によって 空爆が始まっており、妻や3人の子供達と会っている余裕もない。

ヒットラーはワルキューレ作戦によって、戦争を拡大させようとしていた。これの歯止めをかけようと、トレスコウ陸軍少将を中心に秘密組織ができていた。スタフェンベルグもメンバーとなり、ヒットラーの暗殺を計画する。彼らは、SSの拘束と解体、アウシュビッツなどユダヤ人強制収容所の閉鎖、ユダヤ人の解放、連合軍との停戦交渉を、考えていた。入念に準備をしてヒットラーの主催する戦略会議場を爆破するが、爆弾の威力に欠けた為 ヒットラーの暗殺は失敗する。爆破が一応成功したため、暗殺が成功したと思い込んで、クーデターを起こした新軍指導部は、ことごとく処刑された。映画は 彼の銃殺刑による死で終わる。

スタフェンベルグは、ロイヤリストで愛国者の軍人だったが、ヒットラーの一党独裁に反対した。彼らの計画したヒットラー暗殺が、成功していたら、第二次世界大戦は もっと早く終結していただろう。ナチ独裁政権に反対して殺されたドイツ人1万6千人。軍法会議で死刑と言い渡され処刑された ドイツ人レジスタンス3万人。このなかには、ミュンヘンのハンス ショールとゾフィー ショール(1943年処刑)も居る。ゾフィーについては、ここで、2006年8月17日の映画評「白バラの祈り」で、述べたことがある。
これらの記録は ベルリン近郊にドイツ反戦記念センターに保存されている。 センターには 毎年10万人の訪問者があるそうだ。
歴史的事実は私達に、どんなに強力な恐怖軍政を布いても 人々の意志を捻じ曲げることはできない。人々の良識は 暴力の力よりも強いからだということを、教えてくれる。
ドイツ軍というと、悪の権化みたいに 悪魔のように扱われているが、スタンフェンベルグのような軍人もいたし、徴兵の拒否して公開で首をはねられたフランツ ヤゲルスタッターのような純朴な農民もいた。忘れないで居る ということが、とても大切だと思う。
アメリカ版の映画、スタフェンベルグに、ドイツからは、自分達の英雄を ハリウッドアクションとして 扱って欲しくない という批判が集中しているようだが、このような形でも、若い人々が知らないことを知る機会になるならば、良いと思う。トム クルーズは、実際の36歳のスタフェンベルグより年を取っているくせに いつまでも子供みたいで、高い声を出して、貫禄に欠けるけれど。

彼が ワルキューレ作戦の書類のサインをもらいに、ヒットラーを避暑地に訪ねていくが、そのオーストリア ザウスブルグの山荘(イーグルネスト)を 娘とヨーロッパ旅行したときに見てきたばかりだ。山々の頂上に立つ、絶景を観ながら 暖炉の前でジャーマンセパード犬をなでているヒットラーが、実際に見てきた記憶のなかで、一致する。こんなシーンひとつみても、この映画、よく歴史の考証をしているように思える。
観てよかったと思う。