2008年6月29日日曜日

ペッカ クシストのバイオリンコンサート


フィンランドの若いバイオリニスト ペッカ クシスト(PEKKA KUUSISTO)のコンサートを聴いた。
ペッカは、サイモン クロード フィリップ(SIMON CRAWFORD PHILLIPS)というピアニストを連れてきた。シテイーエンジェルプレイス A席$85.

30を越えたばかりのペッカ クシストが私は大好き。
チャイコフスキーコンクールで優勝したり準優勝したり、ジュリアードを主席で卒業したりした人たちが ごろごろいる日本。幼稚園の先生がスイスの国立音楽学校の卒業生だったり、ウィーンのバイオリンコンクールで優勝した人が普通の主婦やっってたり、大学のコンパで酔った学生が 余興で軽くラフマニノフ弾いちゃう様な子がいても誰も驚かない日本。500万円程度のバイオリンを持っている子供の数から言ったら恐らく日本が一番だろう。そんな日本では、ペッカは無名なんだけど。

6年前にオーストラリアチェンバーオーケストラの、リチャード トンゲッテイが、定期公演のときに、ゲストに、ペッカを迎えた。その時、プラチナブロンドのほっそりした、少女漫画から抜け出てきたような 華奢な青年がオーケストラをバックに モーツアルトのソナタを弾いた。とても、澄んだデリケートな音で、私は思わず 彼を モーツアルトを弾く為に生まれてきたような青年、と言って絶賛してしまった。

その2年後くらいに再び来豪して、今度はトンゲッテイとビバルデイを弾いた。
その後、映画「4」で、ビバルデイーの「四季」のうち、春を日本の奏者が、夏をオーストラリアの奏者、秋をニューヨークのバイオリニストが、そして冬を、ラップランドの国のペッカが弾いていた。雪で埋まった湖を友達達と民謡を歌いながら歩いたり、彼自身の家らしい暖炉の燃える丸太小屋で、沢山の友達に囲まれて音作りをしている映像が出てきて、楽しい映画だった。 何年もかけて、注目してきた若いバイオリニストなので、その後を知りたくて、聴きに行った。

プログラム
1)ジーン シベリウス:バイオリンとピアノの為のソナチネ 作品80番
2)フランツ シューベルト:バイオリンとピアノのためのソナタ 作品384番
3)ジョン コリグレアーノ:バイオリンソナタ 1963作

コンサート開始のっけから、ペッカは ピアニストと肩を組んでラップランドの民謡を歌った。続けて、彼のガダニー二のバイオリンを持って、次々と、ラップランドの民謡を弾いた。とてもよかった。
冬、雪の積もった音のない世界で遠くから語りかけてくる澄んだ音、詩情豊かな、情感いっぱいの歌。 シベリウスも「フィンランデイア」にあるような力強さではなく、透明でささやくような、北の風が聴こえてくるような 実にデイケートな音だった。雪景色のラップランドの情景が感じられる音楽だった。

ロシアから独立する前のフィンランドでは フィンランド人の愛国的士気が昂揚することを恐れたロシアから 「フィンランデイア」は 演奏することを禁止されていた。独立運動の前奏曲ともなった この曲はフィンランド人にとって 国の誇りだ。シベリウスが91歳で 亡くなった時、彼は国葬にされて 国中が喪に服した。

ジョン コリグレアーノというアメリカの作曲家の作品は シベリウスやシューベルトと比べて難解で技術的に大変でヘビーな ジャズのテイスト。でも、力強い 美しい曲だった。この作曲家、知らなかったが、1997年オスカーを取った映画「レッドバイオリン」を作った人だった。現代音楽作曲家は、多才だ。

ペッカはフィンランドの代表的音楽家ということで、世界各国のコンサートで すでにシベリウスを130回 弾いているそうだ。フィンランド政府から 1752年作のガダニー二を貸与されているが、芸術監督として、自分も若いのに、若い音楽家を養成するためのキャンプやプログラムを作って、盛んに活躍しているらしい。
ピアノストとの、いかにも信頼しあった同士と言う感じが、会話や音のやりとりでわかり、微笑ましい。彼の人柄の良さを感じさせる。苦しんで自分の音を作る孤高の人ではなくて、いつも友達に囲まれながら ジャズに傾倒したり、電子音楽をやったりしながらクラシックに捉われない音楽に挑戦している。お祖父さんもお父さんも作曲家、お母さんも、お姉さんの旦那さんもピアニストだそうだ。

ペッカのコンサートは、2夜のみ。1500席の会場は、熱心なファンでいっぱいだった。予定どうりの曲や、ペッカのジョークをまじえたトークも終わり、アンコールで沢山の曲を弾いたが、最後に、「これが最後の曲ですよ。これが終わったら、みんな家に帰って寝ましょうね。」と、言ってファンを沸かせたあと、弾いた曲は、ララバイ。

ミュートをつけて、その上 ピアニシモで弾かれる小曲が、会場では息をするのもためらわれる静寂のなかで、澄んだ透明な音が流れて、そして終わった。
心に残るコンサートだった。

2008年6月24日火曜日

映画「モンゴル」



「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白(なもじろき)牝鹿ありき。大いなる湖を渡して来ぬ。オノン河の源なるブルカン獄に営盤して生まれたるバタチカンありき。」-井上靖「蒼き狼」から。


独露映画。ロシアの映画監督 セルゲイ ボドロフによる2時間20分の大作、2008年 アカデミー外国語映画賞にノミネイトされている、チンギス ハーンの半生を描いた映画「モンゴル」を観た。
俳優:浅野忠信、KHULAN CHULUUN、HONGIEL SUN

映画では、チンギス ハーンの幼名 テンジンの9歳の頃から お話が始まる。
テンジンの父親は 部族の首長だが、約束をしていた部族とは別の部族から妻を娶ったので、そのどちらの部族からも恨みを買っていた。父は、息子を連れて 息子の妻を決めるための旅にでる。 部族の決まりどうりにテンジンの母が来た部族で妻を決めるところが、立ち寄った部族で、テンジンは一人の娘を気に入って、婚約を交わしてしまう。そのことで、父は他部族から、二重に恨まれて、遂に毒殺される。それを見た部下たちは、テンジンを首長とは認めず、財産すべてを奪い、テンジンを奴隷として、首かせ、足かせをはめて生きることを強制する。

その後、テンジンは逃亡に成功して立派な若者になり、若い部族の首長に出合って 彼と兄弟として生きる誓いをする。そして9歳のときに婚約していた妻、ボルテを迎え正式に結婚する。が、その日のうちにテンジンが嫁を迎える約束をして裏切られていた部族が襲ってきて 瀕死の傷を負い、妻を奪われる。テンジンは兄の力を頼って妻を奪い返すが、そのころには、もう妻には2人の子供ができていた。 テンジンは小さな部族を次々に制圧して自分の部族を大きくし、戦闘を繰り返しながら勢力をつけていく。
しかし、かつて父が持っていた部族と、兄の部族とが敵に回ったとき、そのモンゴルを二分する戦いに敗れ、奴隷商人に売り飛ばされて、カザキスタンで、牢に見世物としてさらし者になる。妻は、カザキスタンの商人に身を任せ、砂漠を越えて、テンジンを救い出す。
モンゴルに戻ったテンジンはそれからは、破竹の勢いで戦闘に勝ち進み すべての部族を飲み込み モンゴル帝国を統一する。と言うお話。

国家統一する前までのテンジンの若い頃のエピソードだ。 世界地図の半分を自分のものにした偉大な帝王のお話だから、英雄チンギス ハーンを見るつもりで この映画を観る人はがっかりするかもしれない。映画では、テンジンよりも、妻のボルテの方が、偉い。
9歳のテンジンに、自分をお嫁にして、と言って彼に決めさせたのは、ボルテだし、瀕死のテンジンの命を救うために 自らは留まって 敵の部族のものになる結婚直後のボルタは、りりしい。夫を牢から救出するのもボルタ。全幅の信頼を寄せて兄を疑いもしないテンジンに、「首長は一人だけ」と、裏切りを決意させるのも、ボルタ。この、凄腕の妻は、すべての部族を巻き込んだ戦闘で勝ち抜いて、妻のところに帰ってきたテンジンに、「あなたはモンゴル人、何をしなければならないか わかっているでしょう。」と言って 彼を送り出すのだ。二人の関係はモンゴルの乾いた空気のように、すごく乾いていて、湿ったところが全然ない。強さと強さとで、結び合っていて、強靭な信頼関係で成り立っている。強い男は 強い女が支える、ということか。

映画の戦闘シーンは凄い。馬を全力で疾走させながら 鎧で身を固めた戦士が 両手に2本の刀を振りかざして 敵に切り込んでいく。ちょっとでもバランスを崩して落馬したら、脊椎骨折で 即死だ。俳優も命がけだ。この映画 暴力場面が非常に残酷ということで、15歳以下の人は観られない。

実際のチンギス ハーンは、モンゴル帝国初代の王で、1206年から1227年まで在位した。中国北部から中央アジア、イランまで配下に置き、ユーラシア大陸全土に広がる大帝国を自分のものにした。ヨーロッパ、インドまで遠征する計画をもっていた。まさに、世界地図の半分を所有した。
無学な荒野の戦士が、大帝国を築き、文明を発展させたことは、脅威的だ。彼は 高度な製鉄技術を持ち、鋭利な武器や鎧を開発し、戦術に長けていた。それだけでなく 文字文化を導入し、翻訳活動を推進し、異民族の高度な文化を積極的に取り入れた。 マルコ ポーロとの交流も、印象深い。マルコ ポーロの伝記を読むと、年老いたチンギス ハーンが、マルコを自分の孫のように可愛がって、珍しい宝石や香料を与える様子が描写されている。 奥さんい操られるだけの夫だったわけではなくて、立派な指導者だったのだ。

2008年6月23日月曜日

サッカーヨーロッパチャンピオン戦


おとといは、日本では夏至だった。
オーストラリアでは、冬至だった。
新婚旅行には、この時期にシドニーに来て 一年で一番長い夜を過ごし、日本に帰ってまた 長い夜を過ごしたら 良いのではないかしら。

いま、サッカーで、ヨーロッパチャンピオン戦をやっていて、観ているので 寝不足。
あんなに広いグランドで、相手側の動きを見ながら、自分の位置を走りながら見極める。サッカー選手は スポーツのなかでも、最も、頭を使わないとやっていけないスポーツではないだろうか。

昨日は、準じゅん決戦で、オランダ対ロシアで、ロシアが勝ったのがとても印象的だった。まさか、歴史的にも実力でも強豪のオランダに 名もないロシアが勝つなんて、誰も期待していなかった。

例えて言うならば、尊敬する井上雄彦先生の「スラムダング」で、桜木花道、流川楓や、赤城剛憲らの名もない湘北高校が 日本高校バスケット界を君臨する山王高校に、全国戦で、勝ったようなものだ、と言えば、20代後半30代40代の人には通じるか?

試合前から、ロシアの選手が柔軟体操をしている様子を観て、彼ら全員がすごく体が柔らかくて、ジムナスティック選手みたいで、びっくりした。みんな世界的な試合の経験はなくても、若くて体がしなやかなのを見て、ひそかに彼らが、オランダに勝つにではないかと思ってい見てて、そのまま勝ってくれたのでとても嬉しい。ロシアの若い人たちが、走っているうちに、赤いりんごのほっぺになるのも、可愛い。

今日は、まだ準準決勝で、 スペイン対イタリーだ。
イタリアがんばれ!

2008年6月17日火曜日

映画「インデイージョンズ クリスタル スカルの王国」



団塊の世代は年をとらない。
昨日、1メートルの距離で2時間話し込んだオージーに 30代だと思ってた と言われた。べつに、嬉しくもない。戦争、汚職、拡大するばかりの貧富差、世の中何ひとつ良くならない。年を取っている暇がない。いま、20代の若い女性の4割が、専業主婦になりたいそうだ。若者の老年化、団塊世代の若年化。

「ダイハード4」の ブルース ウィルス、「ラッシュアワー4」のジャッキー チェン、「インデイージョーンズ4」のハリソン フォードも、全然年を取らない。頼もしい。 大学で、考古学を教えるインデイーの姿は、年相応に見えるが いったんスパイに取り囲まれれば 大暴れ。機知と感に頼ってサバイバルする姿は、19年前のインデイーと全く変わりない。いまでは、父親のショーン コネリーは 亡くなったらしく教授に机の上の写真立てにおさまっていたが、新たに息子が出現、「SON」と呼んでも怒らない素直な青年だ。前作では、父のショーン コネリーがインデイーを「ジュニア」と呼ぶたびに、地団駄を踏んで怒っていたインデイーだったけれど。

インデイージョーンズは、冒険少年物語だ。映画を観れば 絶対面白いからお勧めする。君は、子供のとき「宝島」、「ロビンソンクルーソー」、「ハックルベリーの冒険」、「岩窟王」、「紅はこべ」、「アルセーヌルパン」、「シャーロックホームズ」、「ラミゼラブル」、「15少年漂流記」、「マルコポーロの旅」、「ジンギスカン」などなどに夢中にならなかったか?こんなに面白い物語を読んで夢中にならない子供がいたら、私は悲しいが、まだ遅くはない、この映画を夢中で観ることをお勧めする。

象牙の塔の考古学者は つい世界の財宝探しにのめりこみ 辞職に追い込まれたり、ロシアスパイに拉致されたりするけれど、宝物は必ずあるべきところに返して、ハッピーエンドだ。でもそこに落ち着くまでには、何度も何度も どでんがえしがあって、引きずり込まれて本当におもしろい。映画を観ていて ずっとこのまま映画が終わらなければいいなあ と思った。ヤングテイーンでいっぱいになった映画館で インデイーを見ながら、ハラハラドキドキ、時々キャーとか叫びながら 愉快な冒険の時間を共有することができる自分で良かったと思う。 この映画の出来は、最低とか、非現実的とか、いろいろ批判の論評を目にするが、そんな視点でしか映画を楽しめない老人性若者は、可哀想だ。早く老いて早く死ぬだろう。

インデイージョーンズ シリーズの第4作
監督:ステイーブン スピルバーグ
原案、製作:ジョージ ルーカス
配役:ハリソン フォード、ケイト ブランシェット シャイヤ ラブーフ、カレン アレン

ストーリーは、
かつて、ペルーのある山奥で、水晶でできた脳をもった人々が 謎の王国を築いていた。1957年、この王国を発掘したインデイーら考古学者によって 研究のために、水晶の頭骸骨のひとつが持ち出された。この水晶の頭蓋骨を科学的に解明できれば、王国が隠し持っていた財宝が手に入れられる。ウクライナのスパイの頭領ケイトブランシェットは、インデイーを拉致して、水晶の頭蓋骨と、謎の王国を探させる。

ロシアスパイの追求から、命からがら逃げだしてきたインデイーのところに、自分の母親がぺルーのジャングルで 囚われの身になっているので、助けて欲しいという青年マット(シャイヤ ラプーフ)が現れる。青年に託された手紙を読んでインデイーはペルーに即決で飛んで、青年と二人の冒険が始まる。捕らわれていたのはインデイーのかつての恋人,マリオン(カレン アレン)だった。青年がかつて自分とマリオンとの間にできた実の息子だったと知らされて、がぜんがんばるインデイー。
拉致されていた老探検家も引き連れて ロシアスパイと追いつ追われつ水晶の頭蓋骨の奪い合いが繰り広げられる。  という、お話。

蛇が苦手なインデイーが 底なし沼に飲み込まれて死にそうなとき、すかさず蛇を投げてよこすマットが、「蛇に捕まれ」というが、インデイー、首まで泥につかっても、がんとして蛇には触りたくない。で、マリオンとマットが蛇じゃない、「綱につかまれ」と叫んで、やっと目をつぶったインデイーが蛇につかまって泥沼から救出されるシーンには大笑い。インデイーは、こだわりのある、学者だから おかしい。

ステイーブン スピルバーグはユダヤ人だから、前作のインデイーでは第2次世界大戦が背景で、ナチスドイツが悪役だった。スピルバーグなりに、親の敵をとったつもりだろう。
彼の「シンドラーのリスト」も 当時、戦後30年たって、人々に忘れ去られるアウシュビッツの恐怖を 再び人々に提示してみせた。ユダヤ人として、やっておかなければ気がすまない彼なりの仕事だったのだろう。その後、「ミュンヘン」を製作したが、これで、ユダヤ人としての仕事は充分した、と、本人も満足したのではないだろうか。
今回のインデイーはロシアが悪役。ケイト ブランシェットの美しさが、軍服姿で、きわだっていた。
楽しい冒険少年物語だった。

2008年6月16日月曜日

ローマ法王がやって来る


ダライ ラマが6月11日から16日まで来豪し、連日 シドニーオリンピック会場で メデイテーションを指導していった。

7月には ワールドユースデイということで、ローマ法王ベニディクト16世が シドニーにやってくる。 このため会期の、7月15日から21日まで 世界各国から12万5千人の若者がやってくるだけでなく、国内からも、ラリアの10万人の信者が集まってくる と予想されている。

会場になるランドウィック競馬場は 受け入れ準備で忙しい。 ほぼ、シテイーの中心にあるランドウィック競馬場は、長女が卒業したNSW州大学や、メル ギブソン、ケイト ブランシェットなどが演劇を学んだ国立俳優養成所や、映画撮影所フォックススタジオなどに、隣接している。ラリアで競馬と言えば メルボルンカップだが、このランドウィック競馬場はラリア最大の人口都市シドニーにあり、最も人気のあるレースコースだ。レースのある日は、着飾った女性達と、それをエスコートする男達とで一杯になる。いまでは普段着で行く人の方が多くなってきているが。
ここには、沢山の厩舎があり、700頭あまりのレース馬をはじめ、沢山の馬が住んでいて、トレーニングを受けている。馬術学校もあり、たくさんの生徒、ジョッキーの養成とそれを支える人々の職場でもある。
これらの馬はすべてトレーラーですでに、引越しをさせられた。レースコースはつぶされて、ローマ法王のミサのための祭壇と参加者の椅子が並べられた。ラリアのカソリック教会は ラリア競馬クラブに 4300万ドルを支払って 場所を借りる契約をした。 22万5千人の訪問者で膨れ上がり 交通渋滞が予想されるため、政府は早くから、シドニーで働く人々は、長期休暇を取るか、自宅で仕事をする体制を取るように呼びかけている。また、市民は遠方地に疎開するか、家の中にこもっている方が賢明だ、とアドバイスしている。

当初、沢山の人が来るということで ホテル業界は期待していたが、世界各国からやって来る若い人たちは 教会の敷地に寝袋で、キャンプしたり、ホームステイまたは、複数で安宿をシェアすることにしていることがわかり、シェラトンとか、ヒルトンとかは、あわてている。普段シドニーの大型ホテルの客室稼働率は75%だそうだが、この期に及んで15%の予約しかなく、しかもこの時期、交通渋滞で一般観光客の観光ができないため、ワールドユースデイは、ホテル業界にとっても 政府にとっても痛い出費になりそうだ。 反面、22万人5千人の人がやってきて、消費する食べ物や日用品、おまけにキャンプ用品や寝袋など、売れて、経済効果も大きいことだろう。

しかし、ランドウィックの馬達にとっては迷惑なことだろう。今年は、ローマ法王のために、強制疎開。去年は、逆に自宅軟禁、移動禁止の憂き目に会った。

日本から運び込まれて、ラリア中に広がって恐怖に慄かせた「馬インフルエンザ」(EQUNE FLUE)だ。 2007年のメルボルンカップは、このインフルエンザのために、NSW州の馬は全部移動を禁止されて、レースに参加できなかった。たまたまNSW州に来ていたビクトリア州の馬も、メルボルンに帰れなくなって、参加できなかった。毎年春に行われるスプリングカーニバルも、中止に追い込まれた。全国からの馬を競売にかける農家の交流の場が失われて、馬主はひどい打撃をうけた。連邦政府は 11億1千万ドルの救済金を出したが、競馬業界では、大量の失業者を出す結果となった。

メルボルンカップには毎年、エリザベス女王の馬もやってくるし、2006年のメルボルンカップでは優勝馬も、2位の馬も日本から来た馬だった。これほど世界中の馬が、レースのために、空を飛び回る時代は 以前にはなかったことだろう。これ契機に、ラリアでは、馬の検疫をしっかりすることになったそうだが、馬も、ワクチンを打ったり レースのたびに旅行したり、外国に行ったり、ご苦労なことだ。ランドウィックの馬達、不自由な疎開生活を始めたそうだが、病気をしないで、元気でいて欲しいと思う。

これほど、大騒ぎをして準備を整えて、やがて、ローマ法王がやってくる。一方で、ダライ ラマが、ひっそりシドニーにやってきて、ひっそりと 旅立っていった。いまだに、中国のチベット自治区では チベット僧侶を中心に市民が弾圧され、殺害されている。今年3月に始まった、中国軍による弾圧で 虐殺された方々は数千とも言われている。 そうしたなかで、オリンピック聖火をチベットでも無事に通過させ、オリンピックの成功を願う、と、言わざるを得ない、ダライ ラマの心の痛みを思う。

2008年6月15日日曜日

ケビン ラッドの訪日


中国語を流暢にしゃべる ラリアのケビンラッド首相は、首相になって最初の外国訪問で、中国を訪問したが、これが日本頭越し外交、ということで、日本側の激しいブーイングに対応せざるを得ないかっこうで、日本を訪問した。

「ジャパンバッシングならず、ジャパンパッシング(PASSING)」が、それほど日本国民感情を損ねるとは、ケビンも思ってもみなかったことだったろう。これはケビンの訪中から一ヵ月もたたぬうちに、首相を半ば強制して 呼びつけたようなもので、異常に中国嫌いの日本の底力を示した ともいうべきか。

それにしても、ケビンの5日間の滞在中 3日目にやっとケビンと対面した福田首相のもったいぶった態度は何なのか? 欧米では、国の代表者が 他国を表敬訪問する場合、その国の代表者が夫婦で空港に迎えに行ったりする。世界一外交下手な日本、いつまでもこんな福田首相のようなことをやっていていいのだろうか。日本はラリアで最大の貿易国ではないか。

日本は、エネルギーも食料も、ラリアからの供給に頼っている。天然ガス、鉱物資源、牛肉、乳製品、米、小麦、砂糖などだ。輸出入合わせると ラリアの貿易相手国の一位は去年、中国に取って代わられたが、日本は二位、輸入に関してはいまだに一位だ。エネルギーと食料の供給を止められたら困る。

ジャパンパッシングに関して、3月に労働党が政権を取って ケビンが首相になってから、彼の7人の閣僚が、すでに日本を訪問した、にもかかわらず、日本側は、たったの一人も、ラリアに来ていないことを、ケビンは繰り返し、述べていた。

ケビンが、特別機でラリアから、成田でなく直接 広島に降り立ち、広島平和公園、原爆記念館を訪れたのは、びっくりの、上手な外交の仕方だった。首相になって、最初にしたことは、先住民族アボリジニーへの公式謝罪と、京都議定書の調印だった。差別と戦い、環境、平和の味方というイメージを それぞれ絶好のタイミングで印象付けている。政治家として、なかなか、そつのない優等生ではないか。(いまのことろは)

ケビン念願の中国訪問で、大規模輸入輸出契約を取りまとめて帰ってきたと思ったら、日本では、着いてすぐトヨタを訪れて、環境に優しいハイブリッド車のテクニックを褒め称え、メルボルンにトヨタ工場を持ってくる交渉をした。

それで、2010年から、メルボルンでハイブリッド車、トヨタカムリが、生産されることになった。アデレートで、三菱車生産工場が 日本側の業務縮小のあおりを食って閉鎖され3000人の失業者を出したばかりだ。ハイブリッド車をラリアで生産できるようなれば 願ったりかなったりだろう。ラリア政府がトヨタに35億円を助成金として出すという。

ケビンは福田首相との会談後、記者会見の席で最後に、「是非近々ラリアの来てください。うちでバーべキューしましょうよ。」と言った。事前打ち合わせのない予想外の言葉だったらしく、福田は黙っていた。でも、こんなとき、「よし、わかったよ、ケビン。鯨とイルカの肉持って行くから 一緒にこれで一杯やろうぜ。」とでも、毒を吐いたら、福田の人気も少しは日本国内では(国内だけ)上がったかも。
ちなみに、ケビンの訪日中のオージー世論調査の結果では、
「一刻も早く、調査捕鯨をしている日本を違法行為として、国際司法裁判所に提訴すべきだ。」と言う意見が、87%。
「中国との外交を重視すべきだ。」と、言う意見に、72%。
「日本との外交を重視すべきだ。」と答えた人 28%だった。

2008年6月2日月曜日

フラメンコダンスとアンダルシアの音楽


一年ほど前、スペイン出身の女優 ぺネロぺ クルス(PENELOPE CRUZ)が 映画「VOLVER」邦題「ボナペールー帰郷」という映画を主演した。監督、ペトロ アレモドバル(PETRO ALMODORAR)。

ラ マンチャ地方を舞台にした映画で、母と娘、姉と妹の堅い固い絆を描いた秀作。登場する男達は 飲んだくれで 恥もへったくれもない性欲ばかりのろくでなしばかり。対して、スペイン女達の図太いたくましさ、生命力の旺盛さは、まぶしいばかり。 トム クルルーズと別れてからの、ぺネロぺ クルスが 輝くように美しい。内容はちょっと、腑に落ちないような感じだったけれど。

この映画の中で、ペネロペがこの地方の民謡を歌うシーンがある。ギターをもって、彼女の長い首をすっと伸ばして スペイン独特の哀切に満ちた短調を歌ってきかせる。それがとても良かった。この場面を見るだけのために、この映画を観る価値がある。観ていて、スペインを代表する女優が 素朴で土の香りのする土地の民謡を披露することが出来るのは すごいことだと しみじみ思った。私は日本人だが 詩吟をうなることも、落語を一席きかせることも、大漁節や花笠音頭を歌うことも、三味線や琴を外国人に聞かせてやることもできない。1曲でよいから 外国人が絶対まねのできないような 日本独特の芸をものにしておかなかった自分が悔やまれる。

「PACO PENA FLAMENCO DANCE」「パコ ぺ二ィアとフラメンコダンス」というパフォーマンスを観にいった。シドニーシアター A席 $94.シドニー公演は 5夜のみ。
シドニーのあと、パース、キャンベラ、アデレート、メルボルン、ブリスベン、ゴールドコーストをそれぞれ1晩ずつ駆け足で公演するようだ。ロンドンを根城に音楽活動しているグループ。

6人のミュージシャンと3人のダンサー、計9人のパフォーマンス。
ギター:PACO PENA 、PACO ARRIAGA 、RAFAEL MONTILLA
シンガー:INMACULADA RIVERO 、JOSE ANGEL CARMONA
パーカッション:NACHO LOPEZ
ダンサー:ANGEL MUNOZ , CHARO ESPINO 、MARTINEZ

スペインアンダルシア地方の音楽、ジプシー音楽に限りなく近い。回教徒のメロデイーにも近い。アンダルシアはかつて回教国だった歴史もあるので、これがアンダルシアの音調なのだろう。独特のこぶしのきいた歌いまわし。哀切に満ちた 嘆きの心引き裂かれんばかりの悲しみの歌。それと、激しいスペインのフラメンコダンス。

もう相当のおじいさんのパコは 終始にこやかにすわって、ギターを弾いていたが、大変な迫力、3人でギターをバラバラやられると、ウーンまいった。激しさと 沈黙の使い分けが、鋭利な研いだナイフのよう。
パコがギターを一人で弾いている。そこに、女性ダンサーが現れて 突然 カチカチと、カスタネットを叩く。その瞬間 アンダルシア民謡に命が吹き込まれる。この瞬間が鳥肌が立つほど 間をとらえたものだった。瞬間、観客がオー!と、声をあげていた。 ギターとカスタネットだけの音のかけあいがみごと。カスタネットが自由自在にリズムを変えていき、ギターも負けずに自在にリズムを変化させていく。フラメンコ音楽が激しくメロデイーを奏でて 燃えるように調子が高まり リズムが早くなっていき、その絶頂で ピタリと 音が止まる。こんな 激しい音楽のありように聴いている側は引きずり込まれざるを得ない。

ダンサーも良かった。闘牛士のような服に、赤いマフラーを首に巻いた二人の男達のステップを踏む姿が華麗。スペイン舞踊は男の美しさを見せるための舞踊だ。激しい足踏み 一瞬音が止み 沈黙の中で見せる男の横顔。歌舞伎でいうと 主役が大見得をきるところ がとても良い。

観客は乗りに乗っていた。 ソロダンスで、音楽が止み、無音のなかで、ダンサーが指をならし、踊り始めると、調子に乗った観客が指を鳴らし始めた。会場全体に指を鳴らす音が広がると、自然リズムが遅れ勝ちになる。初めは笑顔で踊っていたダンサーが、踊りながら「静かにー」というジェスチャーをし、観客は、一瞬照れたようにどよめいて、指を鳴らすのをやめる、といった場面があった。ダンサーは迷惑だったろう。これだから、すぐに舞台と観客が一体になって、乗ってくるオージー観客は困り者。だいたいジプシーのリズムに 普通の人が付いて行ける訳がない。しかし、人なつこくて、遠慮なく演奏者のリズムに乗って すぐにはしゃいでしまうオージー体質は、憎めない。日本の舞台では、絶対にお目にかからない場面だ。

胸が引き裂かれんばかりに歌う 哀切の嘆きの歌、それと、フラメンコの激しく力強い 華麗なダンス、、、とても、よいものを観た。

2008年5月22日木曜日

シドニーの普通のレストラン



シドニーはもう冬、6時半に起きる頃はまだ暗い。写真は 起きたときベッドから見た光景。ギリシャ教会の尖塔が日の出の光に美しく映える。

映画「アイアンマン」で、テロリストに誘拐された億万長者が救出されて、アメリカにもどって まず初めに食べたがったのがマクドナルドのチーズバーガー、というシーンがとても気に入ったのは、私も マックチキンでなく、ナゲットでなく一個$2のチーズバーガーがむしょうに食べたくなるときがあるからだ。 家から5分歩いたところにマクドナルドがあり、さらに5分歩いたところに郵便局がある。毎日 私書箱を見に、郵便局に行き、マクドナルドによらず帰って来るのに努力を要することがある。40セントのソフトクリームの魅力も見過ごせない。それをなめながら、ゆっくり歩いてアパートのドアでコーンに達し、エレべータ-でコーンを食べつくし、部屋に入って ポイッなのだ。

娘達がそれぞれ立派な専門職について自立して、一人遊びが上手になった。ひとりでチャッッウッドに映画を見にに行き、一人で回転寿司を食べてくる。寿司飯の上にサラダを乗せたり、エビフライやとんかつが乗ってマヨネーズがいやというほどかかっているような皿ばかりが クルクル回るカウンターで、「ねえ、かんぴょう巻き作ってちょうだい、普通の、ごく普通の奴、、」とか、無理難題を言って嫌がられている。

映画館から一階下りたマンダリンセンターの、韓国チャコールBBQの、$10 バイキングにも よく行く。レストランで一人前ドン と盛られると食べきれない。好き嫌いも激しいから、好きなものを好きなだけ気ままに食べられるとうれしい。バイキングだから、ネギやにんじんをセッセと横にどけて、焼きそばだけをがっしり取ったり、八宝菜の山の中から、ほじくってミニコーンとブロッコリーだけとったり、肉のところをこそげ取ってマーボー豆腐の豆腐だけを取ったりしても、誰も批判がましい顔をしないでいてくれる。四角い顔の主人 元軍人という感じのおじさんもおばさんも、最初に店に入ったとき$10払って入ると、みごとに無表情のまま何時間でも放っておいてくれる。ふと思いついて友達に手紙を書いたり、新聞を読んだりしてゆっくりする。

家族や友人と食べるディナーに、日本食レストランの予約を取ろうと「オタクは日本料理屋ですか」と聞くと 「いいえ」、と明確に否定してからジャパニーズフレンチです、とか、フュージョンですとかの答えが返ってくる。何のことが全然わからない。

でも、気に入ってよく行くレストランは「WAQU」と、「美濃」。

「WAQU」:32FALCON ST CROWSNEST 9906-7736   5コース $49
「美濃」:521MILLITARY RD MOSMAN 9960-3351   5コース $59

先日の「WAQU」のメニューは、
1)ソフトシェル蟹とタコス   牛肉と飛び魚刺身 ポン酢ゼリー寄せ   鶏フィレ肉ゴマソース   にんじ    んスープキャビア添え
2)鱒のタルタルソース   または  
 帆立貝と豆腐のきのこソース   または   
 黒豚フィレ肉照り焼きソース
3)寿司
4)ビーフステーキ   または   
  チキンアジアスパイス   または   
  鱈の西京焼き
5)デザート


先日の「美濃」のメニュー

1)穴子とカニの湯葉まき   または   蒸し海老の梅ドレッシング
2)お造り生カキの盛り合わせ
3)銀鱈の西京焼き
  赤ピーマンと魚介類のポタージュ
  海老真丈
  牛肉たたき
  ソフトシェル蟹の吉野葛揚げ    
    または   

  キングフィッシュとしめじ茸蒸し
  赤ピーマンと魚介類のポタージュ
  アスパラガスの合鴨巻き揚げ
  あぶり帆立貝のマリネサラダ
  霜降り肉のしゃぶしゃぶ風サラダ
4)鰻重     または   
  鶏か鮭の照り焼き     または   
  天ぷら     または   
  すき焼き     または    
  和風ステーキ     または    
  とんかつ     または    
  握り寿司     または   
  寄せ鍋     または   
  かじきトロの煮付け
5)デザート

「WAQU」はテーブルとテーブルの間に充分 スペースがあって、静かで落ち着いている。10人くらいのパーテイーができる個室もあって、良い。
その点、「美濃」は 詰め込みすぎというか、普通。
どちらの店も趣味の良い瀬戸物を使っていて、感じが良い。久しぶりに家族が顔をあわせたとき、食事を楽しめるシドニーの普通のレストランだ。

2008年5月18日日曜日

シドニーで一番のレストラン




シドニーで、和久田哲也がシェフをしているレストラン「テツヤズ」が、イギリス「サン ペレグリーノ世界のベストレストラン100選」で、今年も世界の10トップレストランに選ばれたと、日豪プレスは報じている。去年は5位だったが今年は9位。

トップ10のレストラン
1)EL BULLI スペイン
2)THE FAR DUCK イギリス
3)PIERRE GAGNAIRE フランス
4)MUGARITZ スペイン
5)THE FRENCH LAUNDRY アメリカ
6)PER SE アメリカ
7)BRAS フランス
8)ARZAK スペイン
9)テツヤズ オーストラリア
10)NOMA デンマーク
また 「テツヤズ」は 92年以降毎年、シドニーモーニングヘラルドの、グッドフード賞を受賞し続けている。一人前$285.半年先まで予約いっぱいのレストラン。

3年前、RNS病院の心臓外科病棟にフルタイムで勤めながら、日本人患者のために通訳で、タウンホールクリニックにも勤めていた。でも大学での勉強も始まるのでクリニックの方は 退職することになり、お別れ会を、テツヤズでやってもらった。
テツヤズの良いところは、すべてが個室になっていて、通路がほかの客を顔が合わないような構造になっていることだ。だから、レストランで誰ともばったり会ったりしないで済む。レストランによっては、普段は静かで落ち着いて食事するつもりで来たのに、たまたまほかのグループが耳の遠い老人グループで、大声でがなりたてるのがいたり、しつけのできていない子供を連れてくるアホな若夫婦がいたりすると、食事がめちゃくちゃになる。その点、テツヤズは、中に入ってしまうとハンサムなウェイターしか目にしないで済む。髪の長いウェイトレスを置いているレストランもいやなものだ。レストランは、身の動きの早い、清潔な感じの若いウェイターに限る。

部屋に通されると ウェルカムシャンパン。それが済むと、座って、前菜用のよく冷えたワインと前菜。次に、ワイングラスを下げて 別のワインと焼き物。それが済むと、また、ワイングラスを下げて、別のワインと煮物。という具合に、それぞれの料理に合ったワインが、それごとに注がれる。
メインは「テツヤズ」の代表料理、オーシャントラウトのコンフィ。50度の低音でじっくり火を通したマスの片側に、炒った昆布を胡椒のように貼り付けたもの。見た目も美しくて良いお味。
途中、口を洗うということで、一口シャンパンのソルべートが出て、デザート前にもシャンパンが出てから甘いものが出た。
クリニックのオーナーが払った一人$350のコースが高いと思わなかったのは、痒いところに手が届くスマートなウェイター達のサービスぶりと、惜しげもなくその場で開けられる沢山のワインでせいだろう。とても、良い思いをしたレストランだった。

「テツヤズ」と、「ガリレオ」と、「吉井」 この3つがシドニーでは一番のレストランと言われている。 行って見た。

オブザーバーホテルの中のレストラン「ガリレオ」。犬養春信コック長は、テレビの「料理の鉄人」に出演した。一人$165.  9コース。ソムリエが愚かな男で、お酒を飲まないから食事にしてくれと、言っているのに 飲み物をオーダーさせようと強引な押し売りをされた。わざと食事と食事の間をあけて、飲み物で稼ごうとする。食事が終わるのに4時間半かかって、終わる頃には、誰もが疲れ果てていて、会話を続ける気にもならなかった。これほど愚かなソムリエに合ったことがなかったし、これほどレストランでひどい目にあったことは、前にも後にも一度もない。建物も古びて、汚らしい。絶対行くべきではない。

「吉井」コック長、吉井隆一。漫画「おいしんぼ」で 活躍した料理人。ラリアで一番の億万長者ジェームスパッカーが結婚したとき、彼が腕をふるった。
先日行ったばかりで、メニューを まだ捨ててないので書き写してみる。9コース $130。(ワイン別)
上の写真は、このときのもの。1、と 6、と 8、の写真。
1)ウニ玉
2)筍の前菜盛り合わせ
3)スキャンピのカラスミ焼き、筍のパスタ添え
4)子牛ヒレ肉カルパッチョ
5)アサヒガ二と衣笠茸の鳴門蒸し
6)和牛ビーフ 蓼と西洋山葵のピュレとたまり醤油ソース
7)シャーベット
8)寿司
9)味噌汁
10)デザート
フロアマネージャーが予約受付から、当日の案内、料理の出具合をよく監督していて、彼の洗練され、物腰の穏やかさは、とても良かった。しかしお運びは全員ウェイターでなくウェイトレス。
オントレのウニ玉が、この人の得意料理で、卵に、ウニを乗せて熱いスープをかけて金箔を乗せた物。金箔なんて、趣味が悪い。
前菜(2)と次の(3)で、季節の出し物として出された筍は、ショック!水煮缶だった。ここでも、本当のたけのこは、栽培しているのに、名のあるこのようなレストランで、一缶$5で買える水煮缶が材料だなんて、日本料理屋として許されるとは、思えない。おまけに、(4)も、(6)も、生の牛肉で、血がしたたるような肉だった。
「吉井」には、吉井コース$130か、桜コース$110しかないので、食べに行くと二つしかチョイスがない。(1)ウニ玉の生卵や、(4)と(6)の生肉を食べられない人は少なくないはずだ。現に、夫は ウニ玉を気持ち悪いと言い、生肉が食べられないので、ここの料理は ほとんどパス、食べずに返していた。このレストランは、行く価値がない。

というわけで、「テツヤズ」は、好きだが、半年先にまだ生きているかどうかもわからないのに、予約を入れてもらってまで 行く気はしない。
世界でトップレストランとか、いろいろ言うけれど、食べ物をおいしいと思うには、本当に仲の良い人と、楽しい気分で、会話を楽しみながら食べる食べ物ならば、何でもおいしい。なにも、高いお金をだして、高給レストランに行くことよりも、楽しい仲間をもつこと。一緒にいて楽しい家族を維持すること。これが一番大切なことだ、と思いあたる。

2008年5月12日月曜日

映画「ヒットラーの贋札」


映画「THE COUNTERFEITERS」邦題「ヒットラーの贋札」を観た。

久々に 重いが実のある 良い映画だった。今年見た映画30本位の映画の中で、一番印象深い 見ごたえのある映画だ。

事実をもとにしたドキュメンタリードラマ。オーストラリア映画、ドイツ語、英語字幕。
実際に、彼らが製造した贋札は、130億ポンドで当時の英国の外貨総金額の3倍にもあたる 金額だったそうだ。

監督:ステファンルッオスキー(STEFAN RUZOWITZKY)
2008年アカデミー外国映画作品賞 受賞作。

3人の主要登場人物
贋札作り稀代の職人サリーSOLOMON SOROWITSCHに:KARL MARKOVICS
サリーの仲間 ブルガーに:AUGUST DIEHL
ドイツ将校ヘルツォークに:MARTIN BRMBACK

1936年 ナチ政権下のベルリンで、ユダヤ人サリー(カール マルコビックス)は、地下で、贋札、パスポート、身分証明書の偽造などをしていたが、ナチに捉えられて、強制収容所に送られる。

ナチスドイツは 連合国の経済システムを混乱させ麻痺させるために、ポンドとドルの贋札偽造を計画していた。 ドイツ軍将校のヘルツオークは、印刷技術や、アートに優れた腕をもつ職人を集めて、工場をつくって そこでポンド偽造を始めた。そこに贋札つくりの稀代の天才職人サリーが連れてこられ 責任者に任命される。

集められたユダヤ人のなかで、ブルガー(オーグスト デヒル)は、ロシアから連行されてきたコミュニストのユダヤ人、贋札作りのサボタージュを提案し、ドイツ軍に協力するくらいなら ほかのユダヤ人たちと一緒にガス室に行くと主張して 実際、サリーの仕事の妨害をする。贋札工場に集められたユダヤ人は、ほかの者たちとは格段に良い待遇で、柔らかいベッドや、良い食事が与えられるが、いったん抵抗すれば、いとも簡単に銃殺処刑が、待っている。
サリーは、ドイツ軍将校ヘルツオークに 激しくプレッシャーをかけられながら 黙々と 贋札作りをすすめていく。

実在した人物 サリー(ソロモン ゾロウィック)を演じた カール マルコビックは、シドニーでは テレビ連続刑事ものの番組「インスペクターレックス」で、毎週でてくる おとぼけ刑事をやっている俳優だ。痩せて、背が低く、禿げ上がって あごが滑稽なほど出ている ハンサムとは程遠い俳優だが、テレビ番組では、レックスという名のジャーマンセパード犬が主人公で、毎週起きる殺人事件を解決する。刑事達は、犯人を追い詰めたはずが、逆に追い詰められて倉庫の中で焼き殺されそうになったり、気絶したまま水死しそうになったところで 刑事達より優秀なレックスに助けられ、犯人逮捕にいたり、めでたしめでたしとなる。オーストリアから送られてくる人気テレビ番組で、英語字幕がついている。
しかし、「ヒットラーの贋札」が、アカデミーをとり、カール マルコビックが有名になってしまったため、せっかくのレックスが引っ込んでこの俳優が中心の刑事ものになってしまった。レックスの活躍だけが楽しみだった私には、がーっかり。 しかし、彼は良い俳優だ。この映画に適役。彼の無表情の表情がとても良い。

ナチの命令に出来る限り抵抗しようとしたブルガーと、ナチの命令には卑屈とも思えるほど従順にヘルツオークを喜ばせようとするサリーとは 常に映画の中で対になっている。
しかし ブルガーが サボタージュの責任を問われて銃殺される瞬間を、完璧に仕上げたドル札を手に駆けつけてブルガーの救命をするのはサリーだ。
仲間の中で 絵の上手な少年が結核になって、それをドイツ側に察知されたら殺されるとわかって、ヘルツオークと危険な駆け引きをして結核の薬を手に入れて少年を救命しようとするのもサリーだ。
贋札工場で、誰よりもドイツ軍に従順で卑屈にみえて サリーは贋札工場の責任者として 仲間の誰一人の命も失わずに済むように 奥深く秘めた決意をしていたのだろう。

ドイツ兵が退却し、戦争が終わったことを知ったとき、コミュニスト ブルガーが、大粒のなみだをぼろぼろ落としながら 呆然とたたずむ姿と、サリーの無感情とは、対照的だ。

毎日が死の恐怖と恫喝に中にいた者にとって、終戦、自由、解放、希望、、、など、絵に描いたような道順を歩めるわけがない。

サリーは、解放後、ヘルツオークが隠していた贋札の札束をもって、パリにきて モンテカルロのカジノで 湯水のようにポンドを使い切る。酒も女も金も、彼にとっては 何の意味もない。金を使いきった後、砂浜で海を見つめる彼の目は、何もみていない。絶望以上の絶望をみている。 映画最後の場面だ。

私達は、このような優れた戦争映画によって、たくさんのことを学ぶことができる。
「ソフィーの選択」、「ショアー」などでも、私はたくさんのことを知ることができた。本を読んだり ドキュメンタリーフィルムを見ただけでは わからなかったことを、優れた映画によって、感じ、触り、聞き、味わい 感動することができる。

とても良い映画なので、お勧めする。

2008年5月9日金曜日

映画「壊れた太陽」



映画、「BROKEN SUN 」、邦題「壊れた太陽」を観た。
監督:BRAD HAYNES
出演:JAI KAUTRAE、宇佐美慎吾、原健太郎、橋本邦彦


オーストラリア、NSW州のカウラというシドニーから西の内陸に向かって250キロほど行った田舎町に、第2次世界大戦中は捕虜収容所があった。 カウラは今でこそ、小さな町が中心にあり、そこから一面の麦畑と、牧草地が広がって、牧畜農家が点在している のどかな田舎だが、収容所があったころは、まだ本当に僻地のようなところだったのだろう。

戦争が始まって、フィリピンなどで戦争中に捕虜となった日本人が、イタリア人捕虜や、ドイツ人捕虜と一緒に、この収容所に収容されていた。  当時の日本人軍人は生きて捕虜となるよりは、天皇のために戦って潔く死ぬことを望んで、食事のとき用に与えられていたフォークやスプーンや石で武装して、看守を襲い、集団脱走をした。

1944年8月5日のことだ。1104人脱走、死者234人、負傷者108人、脱走に成功したもの ゼロという記録を残した。生き残って、収容所にもどされた捕虜達は戦後 日本に帰国したが、捕虜を恥と考える日本人捕虜達は、自分の本名を隠し通したため、実際の脱走の首謀者などは、わかっていない。

死者のうち、4人はオーストラリア人看守だった。僅かな数の看守に対して、圧倒的多数の日本人が襲ったため、看守は無残に殺された。脱走を計画したものは、恐らく 誤った情報によって、カウラから脱走して汽車に乗り 港までたどり着ければあわよくば母国に帰れると、思い込んでいたものもいたと思われる。当時、南方戦線に駆り出されていた島国日本の若者に、日本とオーストラリアがどれほど離れているのか、NSW州が地図の どのあたりに自分がいるのかといった知識を まともに持っていた人はわずかだったろう。汽車などなく、港まで何百キロ、カウラから歩いてでは、どこにも逃げる所などない。日本の22倍、このオーストラリア大陸の大きさを正確に知っていれば脱走に異を唱えるものも多かったはずだ。無知を、教条的な精神主義で乗り切った当時の軍国日本の、無謀な集団脱走だった。一部の軍人に踊らされて起きた 集団自決事件ともいえる。

今、カウラには沢山の桜が植えられて、当時の戦死者達の日本人墓を取り囲んでいる。近くには、日本庭園が造られ、池には大きな錦鯉が泳いでいる。日本軍は大東亜共栄圏とかいって、アジアの国々を侵略し、捕虜になった兵士達は オーストラリアでサンフランシスコ条約に即して人道的な捕虜の扱いを受けていたにも関わらず、オーストラリア人の警備員を殺害し、集団脱走して 結果として、沢山の集団自決とも言ってよい死者をだした。毎年、桜の時期には、大使、領事や、日本人会によって、法事が行われている。

この映画は、このカウラ事件を扱った インデイペンデント フィルム。
主人公、ジャックは 若いときに第1次世界大戦でヨーロッパ戦線に送られて帰還した元軍人。結核でひとり、わびしい恩給暮らしをしている。戦場で負傷して、連れて行ってくれと、懇願する親友を無残に見捨ててきた過去から逃げられず、親友がいつも夢に現れて、自分を苦しめる。 そんな時に カウラ収容所から脱走してきた日本人捕虜マサルが、とびこんでくる。ジャックは 素足でボロボロの服を着たマサルに 食べ物を分けてやり、服をやり、足の怪我の手当てまでしてやる。戦争で心の傷を負っているジャックと、絶望的な脱走をはかりうとしているマサルとの間に、いつしか心が通い合う。

しかし、その夜 もう一人の脱走犯がやってきて、自殺をはかるが死に切れなくて苦しむ友人のために首をしめて楽にしてやるマサルをみて、ジャックは 許せない殺人だといって激しく怒る。しかし、朝には、追っ手がやってきて、、、というお話。

この映画は 歴史的に無視することができないような 深刻な出来事を扱っているはずだが、映画としては失敗作、ものすごくつまらない。冗漫で、詩情に流れて、テーマが失われている。安っぽいセンチメンタル。
この監督の日本びいきには頭が下がるが、マサルの友達が 脱走したあと生き残ってマサルと合流できた そのすぐ後に切腹自殺するのは、実情にそぐわない。オー!ニポンジンー、ハラキリ、ゲイシャ、フジー、といった外人さんのイメージには苦笑するしかない。脱走した捕虜がハラキリできるような短刀を持っているのも、謎だ。

脱走の前、一番強硬に看守を殺して潔く死ぬと、アジっていた男が逃げ延びて、女子供しかいない農家に逃れて、食べ物を恵んでもらったあと、主婦に、どっかに早く行ってくれ、と言われて、あわてて、主婦の家事の手伝いに、シーツを干そうとするところは、笑える。当時の日本軍強硬派がこんなことをするだろうか。

初めの脱走シーンも、突然、画面が真っ暗になって、声だけ、ワーとか、ガッシャン,ドタン、グシャ、バンバン、ドッドッドッ、などと、音だけで脱走を仕上げてしまったのも、予算がないのは、わかるけど、もっと、何とかならなかったのかしら。だいたい、せりふあり日本人4人、せいふなし日本人が4人くらいの出演者では、戦闘場面は描けなかったのも無理はないけれど。でも、本当は、二人だけの出演者でも優れた映画を作ることもできる。

ジャックとマサルとの間に国境をこえた友情がめばえるといった テーマを描きたかったのだと思うけれど、そんなに 数時間の間に、簡単にめばえる友情って、何だろう。1944年 オ-ストラリアと日本は 敵味方で戦争をしてた真っ最中のできごとだ。オーストラリアのおとなりさんのインドネシア、シンガポール、フィリピンと、日本軍は侵略の食指をのばし、オーストラリアのダーウィンを爆撃し、シドニー湾にも潜水艦をおくって、人口の少ないオーストラリア人を震え上がらせていた敵だ。そんな日本人に出会って すぐ食べ物を分けてやり、自分の持っている一番上等な服をやれるだろうか。

カウラ脱走事件の当時に関する書物を、随分読んできたが、確かに 腹を空かせ、青白い思いつめた顔の脱走犯をみたカウラの人々の中には、田舎者の人の良さでもって、食物を与えた農家もあったようだ。でも、それは友情ではなくて、同情だ。決して、友情ではない。

インデイペンデントフィルムというのは、スポンサーもなく、限られた予算で どうしてもいいたかったことを、魂をこめて作るフィルムではないだろうか。

こんな程度のセンチメンタルな奇妙な日本びいきのテイスト映画を、男の友情物語とか 戦争悲話とか、ヒューマンドラマなんて、言ってくれるなよ。ムシズが はしるぜい。 

2008年5月5日月曜日

映画「アイアンマン」


映画「IRON MAN」、邦題「アイアンマン」を観た。 監督:JON FAVREAU
鉄人トニー スタックに: ROBERT DOWNEY JNR
秘書ペパーに:GWYNETH PALTROU
親友の米軍総指揮官ジムに:TERRENCE HOWARD
スタック社取締役 オビダーに:JEFF BREDGES

原題を、そのまま読めばアイロンマンなのに、邦題がアイアンマンなのは、日本人がRを発音できないからかしら? 敷島博士が開発し、金田正太郎少年が操作する、鉄人28号は、今も私のヒーローだけれど、これは、ロボットではなく 鉄でできたスーツを着て戦うアイアンマンのお話。

トニー スタック(ロバート タウニージュニア)は、天才的な兵器開発技術者で、スタック社二代目の社長。彼の開発した兵器は世界中で売りさばかれ、国防長も、米軍も、CIAもFBIもトニーとは密接な関係をもっている。会社の取締役でトニーの右腕は 亡くなったトニーの父の親友だったオビター(ジェフ ブリッジ)。 億万長者のトニーは、お酒と女が大好きな プレイボーイ。豊富な財力と、斬新な技術で新しいスーパーミサイルを開発したばかり。

この新しい兵器を売り込みにアフガニスタンに行った帰り、タリバン砲撃にあい、一行は全滅、トニーは誘拐される。トニーは砲弾の破片が心臓に突き刺さり、死ぬところを 同じくタリバンに誘拐されていた東欧のドクターによって、救命される。このドクターは自分が発明したペイスメーカーを トニーに埋め込んで いったん止まった心臓を蘇生させた。 医師とトニーの二人は、タリバンのために 洞窟で 米軍に売ったばかりのスーパーミサイルを大量生産することを要求される。 タリバンは 沢山のスタック社の兵器を米軍から強奪していた。それらを分解して二人は 新兵器を作る。すなわち巨大ロボットアイアンマンだ。

完成直前にタリバンに察知されて、医師は殺されるが アイアンマンスーツを着たトニーは キャンプから脱出、タリバンの網の目をくぐって、砂漠で行き倒れたところを 米軍に救助される。が、アイアンマンスーツは、粉々に崩壊する。

帰国したトニーは自分が作った兵器がタリバンを攻撃するだけでなく、米軍から奪われた同じ兵器が アフガニスタンの市民を殺傷している現実を知って、もう、武器開発はしない、と、主張する。会社取締り役達の混乱を尻目にトニーは一人、アイアンマン第2号の製作に着手する。 自分の心臓のペイスメーカーに 原子力エネルギーを使った新しいエネルギー源を埋め込み、銃にも爆弾にも負けない力を持ったアイアンマンを作る。飛行機より早く飛び、鉄よりも強く、風よりも早く走るアイアンマンは、アフガニスタンで大活躍。親友の米軍総指揮官ジムは、トニーの姿に驚愕する。

しかし、スタック社取締役のオバデイアは 裏ではトニーを裏切り 武器をタリバンにも横流ししていた。そして砂漠で粉々になった、アイアンマン第1号を再生して、トニーの心臓に埋め込まれている新エネルギーのペースメイカーを取り付けて自分がアイアンマン第1号になって、第2号のトニーと戦う。新エネルギーのペースメイカーを奪われたトニーの戦いの勝ち目はないが、秘書(グウェンス パースロー)の機転で第1号はエネルギーを失い、トニーは生き残る。アメリカ市民は、新しいヒーロー アイアンマンの登場に大喜びして、、、。というお話。

結論は、ジョージ ブッシュは、イラクで4000人の米兵をなくしながらも アメリカの自由と正義のために戦争を正当化しているけれども、アメリカの本当の敵は タリバンでもハマスでもアルカイダでもヒスボラでも南米ナショナリズムでもなくって、アメリカ内部の腐敗なんだよね。トニーの敵が 一番身近にいた自分の会社の右腕だったように。

トニーが3か月 タリバンに誘拐された後、無事帰国して、彼が最初に食べたがったのが、マクドナルドのチーズバーガーだったり、仕事しながら、ピザにかぶりついたり、億万長者なのに、なぜか憎めない。

プレイボーイ、トニーの一夜のお相手が 彼の豪邸で次の朝 目が覚めると、秘書のグエンス パースロー以外に誰もいない。女が腹をたてて「なによ、あんた」と言うと、パースローが、「私 秘書なの。トニーのズボンを下ろさせること以外は何もかも、私の仕事なの。」と、スラリと言うところも 彼女らしくて、全然憎めない。やっぱり、スーパーヒーローには、彼女くらいの、品格のある女優を使ってくれないとね。

週に1本以上は 劇場に足を運んで映画を観ているから、映画の始まる前の予告編はたくさん観ている。「インデイアナ ジョーンズ」や、アンジェラ ジョリーの「ウォンテッド」 など、興味深い映画が次々にやってくるのがわかる。でも、このアイアンマンは 一度も予告編をやらなかったので、何の予備知識もないまま、急に劇場に出てきたのを観た。で、観てよかった。とってもおもしろい。

「スパイダーマン」、「バットマン ビギン」、「スーパーマン」など、スーパーヒーローが私は大好き。 「ロボコップ」、「トランスフォーマー」も大好き。天才的な技師が図面をひいて、それが立体的な形をつくり、本物のロボットができていく過程はぞくぞくする。この映画もトニーが ロボットを相手に一人で アイアンマンスーツを作っていく過程がすごくおもしろい。人はいつも鳥のように自由に空を飛び、 風のように早く走り回る夢をみる。スーパーヒーローは、いつだって、いて欲しい。

2008年4月24日木曜日

アイマックスで U23Dを



世界最大の大型映像アイマックスで、U2のコンサートを観た。$18なり。

U2は アイルランド ダブリン出身のボノを中心とする4人のロックグループ。1976年から活動を始めて 30年あまりたった今も現役で ワールドコンサートを続けている。バンド結成当初から、政治的メッセージを歌にこめて歌い、ベトナム戦争終結当時の騒然とした社会をよく反映していたが、時代とともに、成長し続けてきた。ボノの のびやかで、豊かな声量と、THE EDGE のギター、キーボードと声のコンビネーションのよさは絶妙だし、ADAM CLAYTONのベースで、がんがん パワー全開、LARRY MULLERJRのドラムでビートを効かせる。U2の どの曲も好き。聴いていて、ロックっていいなあと素直に思う。

彼らのアムネステイインターナショナル、THE ONE CAMPAIN、BONO'S DATA(DEPT,AIDS,TRADE,IN AFRICA)など キャンペーンも援助の仕方にいやみがなくて、理にかなっている。 フィルムは、HANNAH MONTANA コンサートや、マデイソンスクエアガーデンでのコンサートなど、最近のワールドツアーのいくつかを ひとつのフィルムに編集したもの。曲目は、SUNDAY BLOODY SUNDAY, BEAUTIFUL DAY など代表作含めて、15曲。88分のフィルムで、ボノは 休みなしで歌い続けて、途中、解説もおしゃべりもなし、文字どうりのコンサートパフォーマンスの中継になっている。9本ものカメラで、立体的に肉薄した映像を作っている。

受付で、プラスチックでできた3Dの眼鏡をもらって、中にはいって、大型画面にむかって、急傾斜の階段椅子にすわる。 アイマックスを観るのは二度目、松下電器パナソニックのテクニックで、シドニーに初めてこれが作られたのは、10年前。出来たばかりの頃、3Dではないが、野生動物のフィルムを初めて見た。その頃は $18がとても高く感じられて、映像を見ていて、何もかも大きすぎて、眩暈がして、見終わった後 吐きそうになった。それから10年、普通の映画でも$13.50に値上がりして、アイマックスの$18が安く感じられるようになった。それに、ロックを たまには がんがん聴いてみたい。

期待わくわく、3Dでみたコンサートは 確かに自分がコンサート会場にいるような錯覚がする。ボノが自分の横で歌ってくれたり、アダムクレイトンのギターが手で触れられそうに思える。すごく ドキドキする。

どうやると3D画面がこんなに身近に見えるのか、説明書を読んでみた。 人は右目と左目でものを見ていてそれぞれ多少違って見えているのが、脳の中で左右を統合してひとつの実体を見ている。同じ原理で右からと左からと 二つのカメラでフィルムを回して 巻きもどして同時に2方向から投射すると奥行きのある平面でない実物のような立体的な映像ができる、らしい。

アイマックスのフィルムの大きさは35ミリの普通の映画の10倍以上、70ミリのシネマスコープの3倍以上の大きさのフィルムを使っている。座って映像を見ている位置から 8階のビルデイングを見上げている高さということになる。普通映画のフィルムは縦に巻いてあるのを画面に映し出すが、アイマックスは フィルムを横(水平)にして、横から波の動きのように滑らかにフィルムを送るそうだ。そして、フィルムはカメラの後部にぴったりくっつくように、陰圧になっていて、しわもなく、完璧な映像が送り出されるようになっている。 フィルムのコマが大きくなればなるほど、画質が良くなるので、普通の映画で観られない 鮮鋭な映像が観られるということだ。

アイマックス3Dのような大型画面を見せるために、強力なプロジェクターが必要になるわけで、普通のプロジェクターは2000から4000ワットで済むのが、15000ワットの強力プロジェクターを使っていて、これを稼動させるために、1分間に1600メートル四方の冷風と、36リットルの冷水で 冷やしながらプロジェクターを回しているんだって。
裏方さんたち、ご苦労様です。

日本でもアイマックスは、東京、品川のプリンスホテルに あったのに、コクドの経営不振で 去年の3月に、閉館営業停止になったそうで残念。名古屋港水族館では 健全だそう。 コンサートをアイマックスで3Dで見せるというのは、とっても良いことだと思う。コンサートには行けなくても その場にいるような感じになれる。大きな音で 音の渦のなかですっかり浸りきれる。

今度は、ベートーベンの第9か、やっぱりパンクが良いかな。

2008年4月17日木曜日

映画「幸せの1ページ」



新作映画「NIM"S ISLAND」を観た。子供向けファンタジー映画ということになっている。
原作 WENDY ORR, 映画監督MARK LEVINとJENNIFER FLACKETT夫婦、 配役、NIMにABIGAIL BRESLIN, 作家にJODIE FOSTER,海洋学者にGERARD BULTER.

ニム(ABIGAIL BRESLIN)は、11歳、海洋生物学者のお父さん(GERARD BUTLER) と二人きりで活火山がある南太平洋の無人島に住んでいる。お母さんは 海で事故に合い 亡くなった。 ニムはお母さんが大きな鯨のおなかの中で今でも元気に暮らしていると思っている。

二ムの親友はアシカ、大トカゲ、亀、ペリカンなどだ。アシカとヒップッホップを踊るし、彼の体につかまって海で泳いだり潜ったりして遊ぶ。大トカゲはいつもニムの体のどこかしらにくっついていつも一緒だ。

月に一度は軽飛行機が 島に荷物を落としてくれる。中にはニムの大好きな作家、アレックス ローバーの書いた冒険小説が入っている。彼の書いた冒険小説に出てくる主人公がニムのヒーローだ。ヒーローは 砂漠で死にかけたり、山で遭難しかけたり、山賊に殺されかけたりしながら世界中を旅する いつも強くて大活躍の冒険家だ。

作家アレックス ローバーは 自分の小説の中で、主人公に冒険をさせるため 必要な科学的な知識をコンピューターを通じて ニムのお父さんの知恵をかりている。お父さんは、ナショナルジェオグラフィックでも紹介されている有名な研究者だ。しかし、アレックス ローバーは著者名で、本当の名は、アレクサンドラ。女性で、冒険どころか、小さな虫にも恐怖の悲鳴をあげる、自分の家から出て、外気に触れるのも怖くて 人と接触することもできない、神経症の閉じこもり作家だ。

そんなある日、お父さんは ボートで研究のために外洋に出たまま、嵐にあって帰ってこられなくなる。荒れる海で ボートのマストが折れて、ボートは水びたし。たった一人 島に残されたニムは、途方にくれる。そんな時に、観光旅行者が、突然ボートで島にピクニックにやってくることになった。二ムはお父さんと二人だけの秘密の場所を守るために どうしてよいかわからない。 何日たっても、お父さんが帰ってこないので、遂に、インターネットで二ムのヒーロー 作家のアレックスローバーに助けを求める。

アレックスは 自分の熱狂的ファンの11歳の女の子の窮地を知って、助けに行ってやりたいが、本当の自分は家の外の郵便ポストまで行くにも、勇気を奮い立たせて、何日もかかって、郵便を取りに行くような状態。しかし とうとう作家は自分が書いた冒険小説のヒーローに背中を押されて 決死の覚悟で飛行機に乗り、沢山の乗客や 周りの人々に迷惑をかけながら、サンフランシスコから、トンガまでたどり着き、その後は 暴風雨の中を ボートで半分死んだ体で ニムの島に漂着する。

ニムはアレックスが冒険小説のヒーローとは似ても似つかない か弱い女性だったことに 心からがっかりする。が、たった一人の保護者だったお父さんが行方不明で、途方にくれて泣いているニムにとって アレックスは必要な存在だった。苦労してサンフランシスコから 自分に会うだけのためにやってきてくれたアレックスに ニムは心を開く。 そうしているうちに お父さんが壊れたボートの破片で組み立てたウィンドサーフィンで帰ってきて、、、 というお話し。

子供のとき 誰もが学校に行かないで 南の島で毎日 動物達に囲まれて 好き放題に暮らす夢を見たのではないだろうか。そんな夢、そのままの映像、、アシカにつかまって海に潜って魚達とたわむれる、やしの樹に登って 実を取ってジュースを飲む、亀の出産を手伝って、赤ちゃん亀達が海に帰っていくのを助けてやる、その肩にはいつもペットの大トカゲ、はだしで駆け回る密林、ターザンのように樹のツルにつかまって山から海辺まで下りてくる、どこまでも青い海と空、、、 子供だけの夢ではない。現代社会に疲れ、複雑な人間関係に辟易としている大人たちのドリームであるだろう。

そのうらやましい11歳の女の子をいとも自然に演じているアビゲール ブレスリンは、確かに天才子役と言えるだろう。 ジュデイー フォスターも、子役からきた俳優。デニーロの「タクシードライバー」(1976年)で13歳の娼婦役をやって、世界から注目されアカデミー賞をノミネートされた。1988年「アキューズド」で アカデミー主演女優賞、ゴールデングローブ賞、1991年「羊達の沈黙」で 再びアカデミー主演女優賞と、ゴールデングローブ賞を取った イエール大学卒のインテリ女優。彼女のアレックス ローバーの役が、とても良かった。滑稽な弱虫 腰抜けぶりが、わざとらしくなくて気持ちよく笑わせてくれる。どんな役でもできる、知的で美しい女優だ。

この映画、子供のためのファンタジーにしておくのはもったいない。大人にこそ、こんなファンタジーが必要なのだから。さあ、仕事をやめて、休暇をとって、、、海にでかけようぜい!!!

2008年4月13日日曜日

映画「BEFORE THE DEVIL KNOWS  YOU'RE DEAD 」




映画「BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU’RE DEAD 」を観た。今年の映画の中で最高によくできた映画のひとつ、といううたい文句につられていってみた。

題名は、「May you in heaven half an hour before the Devil knows you 're dead」という アイルランドの ことわざというか、慣用句からとったもの。おまえが死んだことを 悪魔が知る30分前に天国に もう着いていますように、、、と言う意味。

不動産会社のマネージャー、アンデイ(PHILIP SEYMOUR HOFFMAN)と、仕事にあぶれて定職のない弟、ハンク(ETHAN HAUKE)は もういい年なのに二人とも生活に四苦八苦している。アンデイーは、仕事の重圧と、愛人関係に行き詰まっており、ストレスから麻薬に手を出して中毒になっている。お金がいくらあっても足りない。

弟ハンクは別居している妻から娘の養育費を厳しく取り立てられていて慢性的金欠病に悩まされている。もともとこの弟、自立心がなくいつも立派な兄に頼っていて、まともに家庭を築いたり ひとつの仕事に就いてしっかり責任を果たすことが出来ない半人前の人間だ。卑劣なこに、兄の愛人と隠れて関係をもっている。

ある日、兄は弟を呼び出して、ショッピングセンターにある 小さな宝石店を襲って売上金と宝石を強奪する計画をもちかける。この店をアンデイーもハンクも良く知っている。なぜなら、彼らの両親が経営する宝石店だからだ。両親は子供達とは離れて 郊外に住んでいるが 二人とも仲がよく、絵に描いたような良い老夫婦だ。

毎朝、決まった時間に店を開け、母親がしばらく一人きりでいる時間に、覆面をして、母親をちょっと脅かせば難なく現金と宝石が手に入るはずだった。 でも、弟はそれを一人きりでやる勇気がない。悪い友達を誘って 彼に強盗をさせて、その間 自分は店の前で車のドアを開けて待っている。しかし、予想外に、母親は襲われても 銃で強盗を撃ち殺す勇気ある宝石店経営者だった。銃の撃ち合いになって 強盗も母親も命を落とすことになる。腰抜けの弟と 強盗を計画してやらせた兄は 母を間接的に殺す役割を果たしたことになる。二人は 突然の母の死に狂乱する父親と向かい合わなければならないことになった。

父親は 妻を殺した憎い犯人を探し出すよう警察に期待するが、小さな宝石店強盗など日常茶飯事のアメリカでは警察はまともに取り合ってくれない。父親は執念で犯人探しをはじめる。そしてとうとう宝石を質入れしたルートを探し当て たどり着いた先は長男アンデイーだったことに驚愕する。

しかしその頃にはもうアンデイーもハンクも自滅 崩壊寸前の体。アンデイーは麻薬のトラブルで瀕死の重傷で病院に担ぎ込まれる。駆けつけた父親にアンデイーは すべてを告白する。父親は いいんだ、気にするなよ、と言いながら、、、、。

ストーリーはたいしたことのないのだが 画面は緊張感が張り詰められていて すごく引き込まれる。上映の2時間を、全然長く感じない。さすが老練監督のこなれた技術。上手な人が作ると こんなに完璧な面白い映画が仕上がるのだということがよくわかる。 監督、SYDNEY LUMET.84歳の老練監督。「12ANGRY MEN 」、「DOG DAY AFTERNOON 」、「SERPICO」などなど。

俳優;アンデイーにPHILIP SEYMOUR HOFFMAN。2005年、「カポーテ」で、オスカーで主演男優賞を取った名優。弟ハンクにETHAN HAWKE、第一線で活躍する俳優さんだ。でもこのイサン ホークが好きな人はこの映画観ない方が良い。本当に小心で卑劣で情けないほどどうしようもない男を演じている。アンデイーのエリートマネージャーがいったん道を外れると加速度のつく早さで凋落していく様子も、腰抜けの弟の落伍者ぶりも とてもリアルに演じていた。 どうしようもない社会のくずのような兄弟に対して 母親と父親の毅然とした生きる態度ががとても好ましい。

金、ドラッグ、セックス、暴力にまみれて、身を持ち崩し、救いようのない兄弟に対して誠実、堅実で、互いにしっかりした信頼で結びついている老夫婦、特に年老いたお父さんがこの映画では唯一、かっこいい。

現代の家族の崩壊を描いた映画、と言うことがいえるが、今のアメリカの姿を端的に表しているのかも知れない。
映画のタイトルは、父親の祈りの言葉のようなものだろう。 観て損はない映画だ。

北京オリンピック



大昔から スポーツ音痴で運動神経ゼロ、オリンピックが大嫌いで こんなものやってもらいたくないと思い その時々でオリンピックのありかたを批判してきたが、今回の北京オリンピックは、どうだ? 右も左もオリンピック開催に大反対、、一体 これほどまで多くの人々に 開催を反対されたオリンピックもほかになかったのではないかしら。 人々の心の底に 中国に対する強烈な差別意識と、このまま中国を叩かずに野放しにしておくと いずれ戦車で攻めてきて、国を侵略されるのではないか という恐怖感でもあるみたい。

日本の新右翼と呼ばれる人たちが チベットの民主化を求める人民が苦しんでいる、、とか、中国当局による人権無視を許さないなどと言っているのを 目にすると、ええっ?ほんとかよ? と、不思議な気分。 私はオリンピックなどなくなっても 全然オッケーだけど、最低限の改良案を言って見ると、オリンピックは企業からの資金提供をやめ、今のように大規模になってしまった姿をシェイプアップするべきだと思う。

1)企業からのスポンサーシップをすべて中止する。オリンピック開催の必要な資金は 各国拠出の運営金だけでやる。

2)4年ごとに ギリシャのアテネで行い 競技場の新設などしない。今のように開催国が 持ち回りで決められ、莫大な浪費をして自然を破壊しながら新しくオリンピック施設を作ったりしない。

3)競技ごとのメダルは国でなく、個人に渡されるべきだ。

4)野球、サッカー、アイススケート、テニスなど プロスポーツのある種目は、オリンピック種目として認めない。 アマチュアリズムを徹底すべき。

5)オリンピックとパラリンピックを分けずに一緒にやるべきだ。ハンデイーキャップを持った人とそうでない人が 別れて暮らしているわけではない。障害者を隔離せず一緒に生きているのに どうしてオリンピックでは 分けなければならないのか。 以上。

写真はエッフェル塔と、ノートルダム寺院。

2008年4月9日水曜日

また、鯨とドルフィンを食べないで


オーストラリアが 日本の捕鯨に強硬に反対しているのは 絶滅危惧種に指定されている鯨を調査目的といいながら捕獲して食肉として流通させているからだが、オーストラリアの観光産業の目玉であるホエールウォッチングを侵害し、また、南極のオーストラリア領を日本船が侵入して捕鯨を続けているからでもある。 野生動物はいったん絶滅すると回復することができない。人間社会は人口を増やし続け、たくさんの貴重な野生動物を絶滅に追い込んできた。

日本では 捕鯨を批判されたお返しに、オーストラリア政府が400頭のカンガルーを処分することについて オ-ストラリアのやっていることの方が残酷ではないか、という人たちがいる。 それはちがう。人間社会と動物が互いに協調しあって生きていくためにはある程度の動物の処分は止むを得ない。私達のペットの犬や猫も大切に飼うためには避妊手術をしなければならない。放っておけば1年に10匹以上子供を産むことになリ、そのまま全部を繁殖させるなどできない事情は、人間の避妊同様だ。 北海道の熊も保護動物に指定されているが 山から下りてきて人を襲うようになったら処分する。野性のねずみや兎は放っておけば畑を荒らすので駆逐しなければならない。

オーストラリアは日本国土の22倍の大きさに日本の6分の1の人口しかなくて、国の大半は砂漠大陸だ。人の数に比べて圧倒的に野生動物が多い。一度でもオーストラリアの国道を車で走ってみた人ならば 道路に小型カンガルーが車にひき殺された死体を あちこちに見たことだろう。カンガルーは繁殖力が強い。また 光に向かって走ってくるから 300キロも体重のある大きなカンガルーが車のヘッドライトに向かって走ってきて正面衝突すると、車は大破、命に関わる。カンガルーは羊や牛の牧草を荒らす害畜でもある。彼らの肉は寄生虫が多く食肉にも ペット用の肉にもならない。観光客が食べるのは食用に特別に繁殖されたものだ。今年に限らずカンガルーはプロのハンターによって、定期的に処分されてきた。従って400頭の処分に異論はない。

数年前、野生犬のデインゴが 観光客を襲い乳幼児が殺される事件がおきて百頭のデインゴが銃殺されたことがある。観光客が増え 自然の海辺でかもめなど襲って食べていたデインゴが 食べ物を確保できなくなって人を襲うようになった不幸な例だ。

これもちょっと前、クイーンズランドの国立公園で野生馬が増えすぎて 群れで走り回る野生馬に踏み潰されて、羊や牛の牧草地や水源が破壊されるので、やむなくヘリコプターで野生馬を撃ち殺したこともある。野山を駆け巡る野生馬の躍動感は言い様もない美しさだが、ヘリコプターから狙われて 撃たれても1発で死に切れない馬たちの様子はあわれだった。 悲しいことだが、人と動物が共に生きていくためには、ある程度の処分は止むを得ない。

しかし鯨やドルフィンは違う。鯨もドルフィンも一箇所に定住する動物ではなく 暖かい海で出産して 冷たい海で子育てをする移動性の動物だ。鯨とドルフィンが増えすぎて 魚がいなくなって漁師が干上がるということはない。ザトウクジラやナガスクジラが絶滅危惧種に指定されたのは 科学的な根拠があってのことだ。日本の捕鯨船に捕獲されなくても間違って漁師の網にかかって命を落とす鯨もドルフィンも少なくない。プラスチックごみ投棄の犠牲になって死ぬ個体も多い。環境汚染によって、かれらの体内水銀蓄積量は、格段に増えている。保護されるべき動物なのだ。

また、クジラ肉を食べることは、韓国人が犬を食べるのと同じで伝統だから 牛を食べる欧米人が鯨を食べる日本人を批判することも 鯨を食べる日本人が犬を食べる韓国人を批判することもしてはならない、と言う人もいる。 それはちがう。欧米人が食べる牛も、残念ながら韓国人が食べる犬も食肉であり、ペットでも野生のものでもない。食べるために繁殖されたものだ。それに反して、日本人は 野生動物を 日本だけのものではない海から勝手に取って食べているのだ。

オーストラリアが日本の捕鯨を批判することが白豪主義の人種差別だ、と言う人がいる。それはちがう。オーストラリアに限らず世界の目は、クジラを食べる日本人ではなく、それを奨励している日本政府のありかたを批判しているのだ。 オーストラリア人のなかに白豪主義者がいる、って日本の捕鯨推進団体のおっさんなんかにいわれたくねーよ。おっと、失礼!

水産庁のおじさんたち。そんなに鯨を食べるのが伝統だと信じるのなら、試験管ベビーから国内で育てて 養殖池で大きくして、養殖クジラを食べなさい。それができないなら、日本だけのものではない公海で日本人だけのために生まれてきた訳じゃない鯨とドルフィンをもう食べるな。もう食べるのを止してくれ。

2008年4月7日月曜日

再び再びドルフィンを食べないで


去年9月22日の「ドルフィンを食べないで」と、今年2月21日の「再びドルフィンを食べないで」の記事に続いて 3たび「ドルフィンを食べないで」を続ける。

アメリカの海洋保護協会という団体が 和歌山県太地町の追い込み漁 突きん棒で数百頭のドルフィンが叩き殺される姿を撮影し、長編ドキュメンタリーフィルムとして完成 発表することになった。地元にわからないように隠密に潜入、プロの潜水カメラマンが長時間潜ったまま ドルフィンが惨殺される姿をフィルムに納め、これがドキュメンタリーフィルムとして編集された。フィルムが世界をかけめぐり、ドルフィンを殺して食べる日本の伝統の良し悪しが世界で問われようとしている。発表はこの6月。

女優のヘイデン バネッチアが、テレビで、「日本のタイチから帰ってきたところよ。イルカ漁を止めさせるためなら、何度でも行くわよ。人間として当たり前のことでしょう?」と発言していたのを聞いて、ふーん こんなきれいな人がドルフィンを守るために危ないところに行ってきて、えらいなーと思ったが、このとき、フィルムを回していたのか と、あとで納得がいった。

ドルフィンを 21世紀の今、経済大国で食べ物の有り余っている日本人が毎年何百頭も叩き殺して食べている。エスキモーだってアボリジニーだって食べたりしなかった人間の友達ドルフィン、人間の幼児なみの知能を持つ野生動物を 日本人が食べている。このことを、日本人は知らなさ過ぎる。無知は犯罪を助長する。日本のメデイアは どうして報道しないのか?

このフィルムが発表されたら在外日本人に、いっせいに日本バッシングの嵐が襲い掛かってくるだろう。私には 世界中からの厳しい批判に抗して足を踏み固めて立っていられるかどうかわからない。今でさえ、日本人とわかると、振り向きざま、クジラ食うなよ、と言われ、唾を吐きかれられそうになっているのが現状だ。私はひどい目にあっていない、と言う人は 自分に向けられた軽蔑と非難を英語がよくわからなくて何を言われているのか知らずにすませているか、外国にいても日本人としか付き合いがなく、狭い日本人社会を作ってコップになかで暮らしているかだ。

日本の水産庁では 南極海における捕鯨で、ミンククジラ900頭、ナガスクジラ50頭 調査捕鯨のために捕獲、肉を市場に流通させている。 一方、国内では沿岸捕鯨についても 捕獲粋を、例えば和歌山の太地町には小型鯨類のマゴンドウ300頭、バンドウイルカ990頭,ハナゴンドウ550頭などと、細かく頭数を指定して日本沿岸での捕鯨を許可している。同じ静岡県伊豆でも、追い込み漁で小型捕鯨捕獲粋が認められているが全く捕獲が行われなくなっている。イルカが余り来なくなった上 経済的に出漁しても採算が合わなくなったためだと言う。

太地町で捕鯨が今でも続けられているのは 400年の歴史を誇る伝統だからという。しかし伝統、文化をささえる下部構造、経済流通基礎がなくなれば 伝統などただの メルヘンだ。良い伝統もあれば、悪い伝統もある。世界のモラルに抵触するような伝統は廃棄しなければならない。

日本以外、世界の国々から批判されながら 南極海で捕鯨を続けている水産庁の日新丸から何千トンもの鯨肉が洋上で パナマ船籍オリエンタルブルーバードという船に移されて、日本に到着しつつある。新鮮な 取れたての鯨肉が 市場に出回るだろう。この肉の中には 母親と共に殺された赤ちゃんのミンククジラの肉も含まれている。血にまみれて母と子が一緒に海中から日本船に引き上げられるときのフィルムは 日本以外の国では毎日報道されニュースに取り上げられた。

調査捕鯨の運営は日本鯨類研究所が水産庁から研究委託されているが 財源は国庫補助だけでは足りず、鯨肉の売り上げでまかなわれている。従って、調査捕鯨と言いながら、商業取引が前提の調査捕鯨であって、科学調査など、現実にやっていない。そのことで、IWC (国際捕鯨委員会)からも批判されている。さらに、日本は国際法に違反して、絶滅危惧種のザトウクジラやナガスクジラを捕獲して、肉を食卓に運んでいる。恥ずべき国だ。

1)ドルフィンを小型鯨類として殺して鯨肉として流通させていることに反対する。ドルフィンを食べていることを知らずにいる消費者をだまし、またどうしても、鯨肉を食べなければならない理由も消費者にはない。

2)沿岸捕鯨は船でドルフィンを岸に追い込み1頭1頭 棒で叩き殺すという方法、このような残酷な方法で幼児並みの知能を持った 群れで生きる野生動物を殺して食べることは、倫理的にも許されない。
3)加えて、南極海で行っている調査捕鯨と言う名の商業捕鯨は、世界的な野生動物保護と言う観点から大きく外れ、国際法違反を犯してまでも、絶滅危惧種にある大型動物を殺すことは許されない。

以上に観点から、すべての捕鯨に反対する。また、アメリカの海洋保護協会によるドキュメンタリーフィルム作成の勇気と努力を讃えたい。

2008年4月2日水曜日

映画 「ノー カントリー」




2008年のアカデミー賞を4部門で受賞した作品、「NO COUNTRY FOR OLD MEN」を観た。受賞は、最優秀監督賞、作品賞、男優賞、脚本賞だ。監督コーエン兄弟も、鼻が高いだろう。

メキシコ国境に近いテキサスで、ベトナム戦争帰りのカウボーイ モス(JOSH BROLIN)は、妻と二人で暮らしている。ある日、砂漠で、何人もの死体と車と麻薬が 取り残されている犯罪現場に 偶然 居合わせる。さらに、すこし離れた木の下に 現金の詰まった鞄を抱えて死んでいるメキシコ人を見つけて、彼は、この鞄を持って帰って来る。 不審がる妻をせきたてて実家に帰し 疎開させ、自分はこの大金を持って逃亡の旅に出る。しかし、鞄の中の現金には発信機が取り付けられていた。この現金を取り戻すために 殺人マシン殺人狂のアントン(JAVIER BARDENS)が、追ってくる。

この男は雇い主や、麻薬取引には関心がない。ただ、現金をとりもどすことだけに、執着している。そのためには 最終的には雇い主を殺すことも、善良を絵に書いたような何の罪もないテキサス人を何人殺すことになってもおかまいなしだ。酸素ボンベを取り付けたエアガンを武器に徹底的に追い詰める。

モスに:JOSH BROLIN
殺人鬼アントンに:JAVIER  BARDEN
それを追うテキサス警官に:TOMMY LEE JONES

どこまでも執拗にモスを追い詰め その過程で全く何の罪もない善良のかたまりのような人々を いとも簡単に次々と、殺しまくるJAVIER BARDENが 本当に怖い。サイコ映画やミステリー、ホラー映画などより ずっと怖い。

この俳優ジャビエル バーデンは 「BEFORE NIGHT FALLS」2000年で、アカデミー候補、その後、「THE SEA INSIDE 」でゴールデングローブ才優勝男優賞を獲っている。

「BEFORE NIGHT FALLS」は、キューバ革命後、新政府からホモセクシャルという理由で弾圧を受けた、実在の作家、REINALDO ARENASを演じた。アルコール、ドラッグ、セックスなどの享楽を糧に作家生活してきた青年が厳しい弾圧を生き抜き、アメリカに亡命してから、エイズで亡くなるまでの姿を演じた。低予算のローカルな映画だったのに、主役JAVIER BARDENよりもずっとネイムバリューのある「カリビアンの海賊」の、ジョニーデップが脇役で出ているので 話題になった作品だ。

「THE SEA INSIDE」は 「潜水服は蝶の夢を見る」にすごく似た作品。全身麻痺でベッドから起き上がることが出来なくなった男が 30年間 安楽死できる権利を求めて 社会に訴え続けて死んでいった実在の人、SPANIARD RAMON SAMPREDOのお話。若くてピチピチだったころから、ベッドに縛り付けられ、30年のあいだにやせ細り、顔つきもかわっていく姿を演じていた。麻痺で動けない人の映画は、最も難しい演技に違いない。

この俳優本当にどんな役でも演じられる。この人 主演の「BEFORE NIGHT FALL 」でも「THE SEA INSIDE」でも彼のワンマンショーと言った感じだったので 気がつかなかったのだけれど なんか他の俳優に比べると飛びぬけてせ背が高く 図体も大きくあくの強い個性的な顔をしていたことに改めて気ずいた。 異様に大きな男で奇妙なヘアスタイル、独特の雰囲気をもったJAVIERが 人の良いJOSH BROLIN やTOMMY LEE を追い詰めていく姿は もう逃げられないという強迫感いっぱいで 本当に怖い。性格異常者というか、人間を超えた何か、人間とは違った別の生き物と言う感じがする。それに比べて、彼に殺されていった人々は、善良そのものの、、、テキサスの雑貨屋のオヤジ、農夫、主人公のモスだって目の前にあった現金を盗んだだけで、それほどワルではない。それに何もしらない純真な妻まで、何の罪もないのに巻き込まれて殺されていった。

ただただ無残だ。たまらない。タイトルのように NO COUNTRY 善良で正直な年寄りが住めるところなどもうないのならば、 新しい社会がこの男のような異常者ばかりならば、このまま生き続けることなど、願い下げだ。

2008年3月31日月曜日

ブルーマウンテン 洞窟コンサート


シドニー中央駅から長距離列車に乗って ブルーマウンテンの入り口、カトーンバまで2時間。そこからランドクルーザーに乗りかえて 山道を2時間、ジェノラン洞窟の中で行われるコンサートに一人で行ってきた。

前回、10月に夫と行って 肥満体の夫は洞窟の中の急な階段を登れずにあえなく落伍。せっかく出かけて行ったのに 涙をのんで帰ってきた。足手まといは家に置いて、再度、挑戦というわけだ。

洞窟を54メートルほど入ったなかに 自然にできた小さなスペースがあって教会になっている。そこで毎月第3土曜日にはチェロの独奏、第4土曜日にはパガニー二デュオといって、バイオリンとギターのコンサートが行われている。カトーンバから ジェノラン洞窟までの車での送り迎えを含めて コンサートは$95.演奏者は以下の二人。

ポーランド人バイオリニスト:GUSTAW SZEISKI
ドイツ人チェリストでギタリスト:GEORG MERTENS
朝10時に家を出て2時間の電車の旅の後 カトーンバで山々など眺め、昼食をとってから、ランドクルーザーに拾ってもらう。コンサートが始まるのが午後4時。20人ほどのコンサート観客に ガイドがついて洞窟に入る。コンサートの後は 入ってきた入り口と別の方、洞窟の奥のほうに入り、洞窟見物をしてから別の出口にでて、そこで、ちょっとしたワインとチーズのサービスを受けて またランドクルーザーでカトーンバまで帰って来る。コンサートに来ていた20人ほどのお客は皆 カトーンバのホテルに滞在している人たちだったのでここからは一人で夜9時の長距離列車で眠って帰ってきた。家に着いたのは 真夜中、という長い一日だった。

ブルーマウンテンの山々は、この夏は涼しい夏で 思いのほか山火事が少なかったので緑色が深く、美しかった。洞窟の中もすばらしい。ガイドに従って奥に足を踏み入れると 自動的の明かりがつくようになっている。石灰岩の自然にできた階段は滑りやすく、手すりができているので しがみついて歩くが 身をかがめて通り抜けるところも多く、足元に気を取られていると 頭を岩にぶつけたりする。いったんガイドを見失ったら どこかに入り込んで二度と出られないような気がする。20人のコンサートにきたお客に2人のガイドがついてくれた。洞窟見物もガイドに続いて歩き人の着物の擦れる音がするだけ、僅かな明かりを頼りに 洞窟のなかの自然が作り出した岩岩の不思議な造形に見とれる。中の教会は10メートル四方ほどのスペースに明かりをともした小さな祭壇がある。以前、コンサートのお客はそれぞれが自分でクッションを持ってきて岩のうえにクッションをおいてコンサートに耳を傾けたのが、今年から、折りたたみの椅子が提供されるようになった。

洞窟の中は何千年もの間 人工的な音のない静寂に包まれていて、常に気温15度の温度を夏の間も冬の間も保ってきた。地下54メートル、音響効果抜群のコンサート会場。1音が8秒間も鳴り響く。音の増幅、拡大が強音で豊か。それだけにより明確でより純粋な音が聴くことが出来る。

で、、、実際の演奏がどうだったか、、、ああ、私に聞かないで! 残念ながらGUSTAW SZEISKIさんは引退すべきだ。指が動いていない、音が出ていない、弓が弦をこする何という不快音。リズムさえ乱れすぎ。「MOLDAVIAN NIGHT」など私の娘達が弾いたほうが うまかった。彼、昔は上手だったんだろう。あんなに自信満々だったんだから。きっと。

帰りのランドクルーザーのなかで、隣に座っていたイギリス人の旅行中のおじさんと シドニーシンフォニーについて話していたら、後ろに座っていた新婚旅行のカップルの若奥さんが おずおずと、あのー?と話しかけてきて、「あのバイオリニストは上手でしたか?ここでは、有名な芸術家なのでしょうか?」と聞いてきた。で、「いやー あのーそのー」と、正直な私の感想を告げると、奥さん 急に嬉しそうに、「私も、下手だと思いました。でもみんなわかったような顔で拍手していたので私の耳が悪くなったんだと思って自分を責めていたのです。」と。なんと謙虚な人か。自分に自信をもちなさい! そんな車中での会話も、カトーンバまで。この後は一人でポツネン 駅の待合室で電車を待って、電車のなかでは眠って帰ってきた。

人には引け際というものがある。
夫は17歳から車を運転してきて運転は男の仕事だと思っている。家族で出かけるときに、運転は自分がするものと思い込んでいるから 娘が自分は死にたくないから運転台に座ろうとすると 怒る。道を曲がるときは2車線 ひどいときは3車線使って曲がる。路線を変えるとき 自分ではまっすぐ走っているつもりだから 車線変更サインは 絶対出さない。青信号で止まったり、赤信号を見落とすことも多い。後ろを走っている車に迷惑をかけているだろう といつも思って助手席で小さくなっている。私は夫にいつ、運転から引退したら?といえるだろうか?

職場に70歳に近い年のナースがいて 誰も引退を強要できないから困っている。ナース二人でしなければならない仕事もあるので声をかけたとき、彼女が忙しいと手一杯なので 対応できず急に怒り出す。顔を真っ赤にして 足をどんどん床踏み鳴らし、狂ったように老人のかんしゃくをおこして1時間くらい誰にも触れられない危険物と化す。患者に薬を確認せずに渡す。渡したつもりでどこかに置き忘れている。自分の老眼鏡がなくなったと言って寝ていた患者みんな起こしてベットからシーツはがして眼鏡探し始める。その間 患者はふるえてベットの横で待っている。引継ぎを終えて自宅に帰ってきてシャワーをあびていると、電話をかけてきて、渡してあげた薬の鍵を受け取ってないといってどなる。彼女が患者を殺す前に マネージャーは引退したら?といえるだろうか?

誰もが自分は特別だと思っている。
自分だけは年を取らない と思いたいのだ。そんな人に引退を勧めるのはつらいことだ。人に引退の時期ではないか?と宣告される前に 自分で己を知る、そういう人間でありたいと切に思う、ジェノラン洞窟の旅だった。