昨年、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー映画監督賞を受賞した、クリント イーストウッド監督の映画、「FLAGS OF OUR FATHERS」を観た。各地 ホイッツで上映中。
この映画は、1945年日米太平洋戦争の、硫黄島が舞台。血を血で洗うような激戦の後に、若い兵士達が、硫黄島中央の茶臼岳の頂上にアメリカ国旗を立てたのは、ヒロイズムとちょっとした 茶目っ気の兵士達がやったことだった。それを見た軍の上層部がこれはアメリカの良いプロパガンダに使えると考えて、カメラマンを連れて、別の兵士達に、最初に立てた旗より大きな旗を立てさせて、写真を撮る。
このときに撮影された、、6人の兵が山の頂上に国旗を掲げる写真は後にピュリツアー賞を受賞し、アメリカ中の 愛国心を燃え立たせ、破産しかけた軍に資金を提供することになった。 その後も厳しい戦闘が続き、仲間は次々と死んでいく。
そのうち、生き残りの3人は、属していた隊からはずされ、故国に戦争のヒーローとして、帰還して、全国を講演してまわり軍資金を集めることに利用される。
しかし、この3人は、仲間の屍を踏み越えて山頂に到達し、最初に旗を立てた仲間は その後の戦闘で死んでしまっていることや、自分達が写真撮影用の役者でしかなかった にも関わらず、全国どこに行っても、ヒーローとして熱烈に受け入れられるといった、ギャップに苦しむことになる。
とくに3人のうち、ひとりは、先住民族インデアン出身で、人々からヒーローとして、歓迎されながらも、先住民族の誇りと、アメリカ軍人としての相反する誇り、国を代表して英雄になった喜びと、本当は旗を立てて、死んでいった人々が英雄で、自分ではないという罪悪感から、逃れることができずに、酒びたりになってしまう。
戦後、彼は農場で、小作人として働くが、ある日、銃の暴発で死ぬ。事故だったのか自殺だったのか、誰にもわからない。
もう一人のヒーローは、英雄視されていた間は、その役得を楽しむが、人々の熱がに出会った人をつてに、職を探すが、なんの特技も才能もないまま、掃除夫として生きていく。
3人のうち、最後のヒーローは、誰にも戦争のことは、いっさい 語らず、家庭をもち、平凡な人生を終えようとするが、心臓発作をおこし、死の前に息子にこの戦争で、自分が体験したことを、語って聞かせる。
彼は言う、「戦争に英雄なんて、いやしないんだ。それを必要とする人が勝手に作り出しているだけなんだよ。」と。
戦争に良い戦争の悪い戦争もない。正義の戦争も誤った戦争もない。ただ、大量兵器の消耗と人命損失があるだけだ。
ビュンビュン弾丸が飛び交い、大砲が鳴り、激しい戦闘で、手足や首が ちぎれて、飛んできたり、腸がはみ出したり、残酷なシーンが続くが、どこかで、こんなシーンみたような、、、そう、「SAVING PRIVATE RYAN」にとてもよく似ている。 あの ノルマンジー上陸シーンを見たとき、戦争のリアリズムを極限まで、追求している と思った。以来、この映画を超える戦争映画はなかった。クリントイーストウッドも同じこと考えたんだ。
イーストウッドは良い俳優だったが監督としても良い。私が子供の時は、毎週日曜日テレビの「ローハイドー」で、カウボーイ姿のイーストウッドを見て育った。青春時代は、ダーテイーハリーのキャラハン警部。彼の映画史は私の歴史でもある。
この映画はアメリカ側から見た硫黄島の激戦史の一コマだが、今度は、日本側からみた物語を「硫黄島からの手紙」という題で、映画を制作発表するそうだ。現在、編集中。 二つの映画を総合して歴史を検証しようという試み。と、言うから、こちらも観なければならない。宿題がまだ残っている。
2008年2月27日水曜日
2008年2月22日金曜日
映画 「THERE WILL BE BLOOD」


主演男優賞、ベスト監督賞を含む 8つのオスカーにノミネイトされている 160分の大作 映画「THERE WILL BE BLOOD」を観た。
原作は アプトン シンクレア(UPTON SINCLAIR)が1927年、テキサスの石油王 ダニエル プレインビューの生き方を描いた「OIL」(オイル)。それを映画化したもの。 監督 ポール トーマス アンダーソン(PAUL THOMAS ANDERSON)。彼は過去に 映画「BOOGIE NIGHT 」、「PUNCHI-DRUNK LOVE」、トム クルーズの「MAGNOLIA」などを撮っている。
主演は石油王 ダニエル プレインビューを、ダニエル デイ ルイス(DANIEL DAY LEWIS)が演じた。 この人は 1990年に「MY LEFT FOOT」でオスカーを獲っている。
この映画は 主演ダニエルの一人芝居のような趣だが、主演のほかに 二人の重要な登場人物がいる。一人は、息子の、デイロン フレイザー(DILLON FREASIER)で、もう一人は、若い牧師で ポール ダノ(PAUL DANO)が演じている。
ダニエル デイ ルイスなくしてこの映画の成功はなかったと 監督をはじめ 沢山の人が 絶賛している。160分の映画の間 この人が映像に出ていない画面が全然なかった。文字どうりのこの俳優のワンマンショーだ。彼はオスカー主演男優賞を取るだろう。この人が取らないで 他の誰が取るというのだ。
タッチはドキュメンタリーの切迫力、映画の始まりから終わりまで 極度の緊張で 見ている者を縛り続けてくれた。この俳優の迫力に圧倒されて、見終わったときには、ものすごく疲れていた。こんなに重くて、疲れる映画 久しぶり。
事業のために生きた男のお話。ダニエルは 石油採掘に命をかけ その事業欲を満足させるためには 反社会的な行為も殺人だって厭わない、孤高の男。彼は、事業に成功して石油王になってから、人から仕事以外に何も持っていない、家族もないと言われることを極端に恐れていた。事実は、恋愛も結婚にも家庭のも興味がない。偏愛する息子は かつて採掘現場で死んだ仲間の息子だ。この映画には全然女性が出てこない。石油堀りの男達にあやされていた赤ちゃんが、ずっと、後で 母親は出産時に亡くなった と説明されるだけだ。無言で いつも従順な犬のように ついて回る息子に、人から愛されたことのない石油王ダニエルが 狂気じみた愛にのめりこんでいく様子が よくわかる。極端な息子への偏愛。にも拘らず 成長した息子が 自立に苦しみだすと、裏切られたと断じて、押しとどめることの出来ない憎悪と激情をむきだしにする。
石油王ダニエルの宿敵ともいうべき聖職者、カリスマ的な若い牧師が登場する。この作品のテーマには 強烈な個性を持った実業家と、宗教家の対立が複線になっている。事業の持つ 非人間性、物欲、弱肉強食,資本主義の腐敗的体質、堕落、罪深さと、宗教とは 対立するかのように見えるが、時として、事業一筋に生きてきた男が 金も名誉も欲しい聖職者よりも 純粋であることもある。石油王は一生を通じて 神を必要としたことがなかった。 石油を掘るために彼はいくつもの人命と血を犠牲にしてきた。自身が採掘穴から生還できたのは、神の力ではなく、自身の意思の強さによる。富を得て、集めた骨董品を並べて それを銃でぶち壊しては 楽しんでいる。破壊的、破滅的な 成り上がり石油王の後ろ姿の 何という孤独感。何という寂寥感。
60年前にオーソン ウェルス(ORSON WELLES)は、映画「市民ケーン」で、新聞王(CHARIES FOSTER KANE)を描いた。この新聞王と、石油王の共通点の多いこと。強烈な個性、反社会的性格、エゴイズム、自己愛の延長の偏愛、権力、留まることを知らない事業欲。
こういう映画を観ると、なんか 給料とか残業とか有給休暇とかで ヤキモキしたり、争ったりしている普通の人が馬鹿に見えてくる。
神も、人の愛も要らない男、100%事業に燃えて燃え尽きる男。ああ、、、男にとって、仕事って一体何なの?
音楽では 最後のブラームスが 切り刻むような激しいヴァイオリンの鋭利な音が 男の心象を表現していて、とっても良かった。
2008年2月21日木曜日
再び、ドルフィンを食べないで

昨年9月22日の 「ドルフィンを食べないで」の続き。
この2月16日 和歌山県太地で バンドウイルカが 追い込み猟で95頭 殺された。彼らは 岸に追い込まれ、突きん棒で一頭一頭 叩き殺された。岸辺は血で染まり、イルカの叫び声は むなしく空に消えていったことだろう。
人間同様、高度な集団社会を持っているイルカは 人間でいう3歳以上の知能をもった高等動物だ。人懐こくて、海の中で人と戯れるだけでなく、その神秘的な能力から、妊婦をみわけられる、とされ、軽飛行機から海に墜落した妊婦を その背に乗せて、救命したという報告もある。水の中で、高度なコミュニケーションを交わし、それぞれのコミュニテイーを形成、維持している。彼らの棲み分けや、生活形態で、まだわかっていないことが沢山ある。野生動物の中で人畜無害、最も愛すべき存在ではないだろうか。
その愛すべき大型野生動物100頭ちかくを 彼らの生活の場である海から追い込んで 撲殺してまでして、どうして その肉を食べなければならないのか? 他に食べ物の選択がいくらでもあるのに、どうして、イルカの肉でなければならないのか?
昨年7月の和歌山県太地町では イルカの肉に、厚生労働省の規制基準値を16倍以上も上回る水銀が 検出されたも関わらず、すでに、同様の肉が学校給食で出されていた、として、社会問題になった。 今、100頭近く殺しておいて、残留水銀量が 同じように食肉基準値を上回っていたら その肉はどう処分するのか。殺した責任は 誰がとるのか。
100頭というと、ひとつのコミュニテイーが、丸ごと全員 虐殺されたのだ。 考えても見てもらいたい。ひとつの国民が、世界の注目の中で、平和の使者といわれる大型野生動物、キリンやシマウマを100頭追い込んで、殴り殺して食べたら、世界はなんと言うか?日本人は、同じことをしているのだ。どんなに、それが、世界中から孤立した行為であることか。日本の新聞はもっと、この事実を報道すべきだ。
日本ではイルカを小型鯨類として、くじら肉として流通させている。しかし、イルカはクジラと、同じ種ではないので、IWC(国際捕鯨委員会)では、イルカ猟を、規制することができない。法規制をかいくぐり、流通させている。日本では、水産庁の指導のもと、年2,300頭のイルカが 殺されて、食べられている。
野生動物はいったん絶滅したら、復活させることができない。野生動物をこれ以上 殺すべきではない。まして、私達の子供達と同じ知能を持つ高等動物を 食肉にするべきではない。太地町はイルカの追い込み猟を、今すぐ止めるべきだ。人々は イルカを食べることを拒否すべきだ。はっきり、NON と言って欲しい。
この2月16日 和歌山県太地で バンドウイルカが 追い込み猟で95頭 殺された。彼らは 岸に追い込まれ、突きん棒で一頭一頭 叩き殺された。岸辺は血で染まり、イルカの叫び声は むなしく空に消えていったことだろう。
人間同様、高度な集団社会を持っているイルカは 人間でいう3歳以上の知能をもった高等動物だ。人懐こくて、海の中で人と戯れるだけでなく、その神秘的な能力から、妊婦をみわけられる、とされ、軽飛行機から海に墜落した妊婦を その背に乗せて、救命したという報告もある。水の中で、高度なコミュニケーションを交わし、それぞれのコミュニテイーを形成、維持している。彼らの棲み分けや、生活形態で、まだわかっていないことが沢山ある。野生動物の中で人畜無害、最も愛すべき存在ではないだろうか。
その愛すべき大型野生動物100頭ちかくを 彼らの生活の場である海から追い込んで 撲殺してまでして、どうして その肉を食べなければならないのか? 他に食べ物の選択がいくらでもあるのに、どうして、イルカの肉でなければならないのか?
昨年7月の和歌山県太地町では イルカの肉に、厚生労働省の規制基準値を16倍以上も上回る水銀が 検出されたも関わらず、すでに、同様の肉が学校給食で出されていた、として、社会問題になった。 今、100頭近く殺しておいて、残留水銀量が 同じように食肉基準値を上回っていたら その肉はどう処分するのか。殺した責任は 誰がとるのか。
100頭というと、ひとつのコミュニテイーが、丸ごと全員 虐殺されたのだ。 考えても見てもらいたい。ひとつの国民が、世界の注目の中で、平和の使者といわれる大型野生動物、キリンやシマウマを100頭追い込んで、殴り殺して食べたら、世界はなんと言うか?日本人は、同じことをしているのだ。どんなに、それが、世界中から孤立した行為であることか。日本の新聞はもっと、この事実を報道すべきだ。
日本ではイルカを小型鯨類として、くじら肉として流通させている。しかし、イルカはクジラと、同じ種ではないので、IWC(国際捕鯨委員会)では、イルカ猟を、規制することができない。法規制をかいくぐり、流通させている。日本では、水産庁の指導のもと、年2,300頭のイルカが 殺されて、食べられている。
野生動物はいったん絶滅したら、復活させることができない。野生動物をこれ以上 殺すべきではない。まして、私達の子供達と同じ知能を持つ高等動物を 食肉にするべきではない。太地町はイルカの追い込み猟を、今すぐ止めるべきだ。人々は イルカを食べることを拒否すべきだ。はっきり、NON と言って欲しい。
2008年2月16日土曜日
ミュージカル 「ビリーエリオット」


キャピタルシアターで、ミュージカル「ビリーエリオット」を観た。
2007年の11月から 公演が始まって、好評で続行中。 A席:105ドルーC席45ドルまで。
ロンドンのヴィクトリアパレスで このミュージカルが 開始されたのが2005年5月で、まだ現在まで引き続きロングランで 上演が続行されている。2000年に公開された映画「ビリーエリオット」、邦題「リトルダンサー」を舞台化したもの。
背景は、1984年、マーガレットサッシャー政権下,緊縮財政策で、イギリス北東部の石炭の町は 炭鉱閉鎖の波にゆれていた。労働者組合は1年に及ぶストライキに入り、政府の合理化政策と、ストライキを止めさせようとする警官と戦っていた。 炭鉱夫の父と兄をもつビリーエリオットは12歳。小さい時に母が亡くなって 無骨な父と兄と祖母に育てられてきた。
父も兄もビリーに強くなって欲しくて、ボクシング教室に送り出すが、ビリーはひょんなことから、バレエクラスに紛れ込んでしまう。行き掛かり上、女の子達と一緒にステップを踏むうちに ビリーはダンスに興味をそそられて すっかり夢中になってしまう。バレエの先生も、ビリーの身のこなしから 彼にはバレエの才能がある と見抜いて、個人レッスンを始める。厳しい訓練ののちに ロンドンのロイヤルバレエ団のオーデイションを受ける段になって、ビリーは父と兄の猛反対に合う。おまけに炭鉱閉鎖が決まって ストライキにはいっている家族の生存権そのものが失われる事態に追い込まれたことを知って、ビリーは絶望する。
時がたち、ビリーが ひとりバレエを踊る姿を 偶然目にした父親はビリーには本当に才能があることを知って、炭鉱夫たちのストライキのピケを抜け駆けして スト破りをして お金をかき集め ビリーを連れてロンドンに行く。ロイヤルバレエ団に来てみると いるのはお金持ちの子弟ばかり。ビリーは気押されながらも 遂にオーデイションに受かる。 そしてビリーは 閉鎖される炭鉱に残る父と兄に送られて、本格的にバレエを勉強するためにロンドンに向かう。
というストーリー。
おもしろいのは、炭鉱の町、荒くれ男ばかりの家庭で ビリーが ボクシンググローブを首に下げたまま、バレエの楽しさに目覚めていくところ。顔も体も真っ黒になって石炭を掘る鉱夫と、クラシックバレエの優雅さ対照的なコントラスト。
息子を罵倒しながら、遂には息子の才能を信じて ストライキ中の鉱夫仲間から どんな屈辱を受けても 息子を支える父親の無骨で あつい愛情。
一見、ひ弱で、亡くなったお母さんの手紙を宝物にしている か細い12歳の少年が踊り子になることを夢見る けなげな姿。
親友の少年が女装趣味をもっていることへの 戸惑い。
素晴らしい舞台だった。何より驚いたのは、13歳の少年が プロの大人の役者と同格に、歌い踊るプロフェッショナルな姿。ミュージカルだから、例えば、バレエの「くるみ割り人形」のように バレエを踊るだけで進行するわけではない。ダンスもクラシックバレエだけでなく、タップダンスも アクロバット顔負けのジムナステイックも、モダンダンスもある、おまけに踊りながら、会話があり演技をしなければならないのだ。完成度の高い 素晴らしいパフォーマンスだった。3時間の舞台を、ビリーが、4人。かわるがわるに出演していたが、全く同じようで、どこで役者が変わったのか 全然わからなかった。
音楽:エルトン ジョン
原作;リー ホール(LEE HALL)
演出:ステファン ダルドリー(STEPHEN DALDRY)
配役:ビリー役の4人の13から14歳の少年は、オーデイションで決まった。
LOCHLAN DENHOLM (メルボルン出身)
RHYS KOSAKOWSKI (ニューカッスル出身)
RARMIAN NEWTON (メルボルン出身)
NIVK TWINEY (シドニー出身)
やはり エルトンジョンは天才だ。暗くなりがちな炭鉱夫たちのストライキや警官との激突を、明るい力強さ たくましい歌とダンスにまとめ、随所に笑いと 生きることの喜びを歌い上げていた。
バレエの振り付けも すごく良い。12歳のビリーが、大人になったときのビリーを思い描くシーンで、ビリーと大人のバレエダンサーとが デュオで踊るところは、二人とも全く鏡のように 同じ動きで優雅に踊って夢のようだった。
素晴らしいパフォーマンス。 総勢70人の出演者はみなオーストラリア人。半分は ビリーの年齢だ。この舞台の為に、舞台練習をしながら学校の勉強ができるように、出演者達と一緒にいられる先生が ハイヤーされたという。友人が ロンドンの舞台を観て来て 感激して、シドニーでも観て、どちらも同じくらいに良かったと、目をうるうるさせて言っていた。 すごく良い舞台なので、お勧め。
2008年2月14日木曜日
再び くじらを食べないで

オーストラリア連邦裁判所は 1月15日、南極海の保護地域での捕鯨が違法であるとの立場から、日本の調査捕鯨団の操業停止を命令した。
しかし、南極海で調査捕鯨をしている 日本の捕鯨船団は、世界から ひんしゅくの嵐をあびながら、しぶとく予定どうり ひき続きクジラを殺戮、南極海で血祭りをあげている。50頭の絶滅危惧種であるナガスクジラと、935頭のミンククジラが、次々と死刑台に送り込まれている。
オーストラリア連邦裁判所の命令に対抗して、日本政府は 南極海は どの国も領土権を持たないのだから、捕鯨をしても良いと、主張する。しかし、誰のものでもない南極海で、日本だけが 捕鯨して食料を確保して良いとは思えない。日本人だけが 南極海から資源を収奪して許されると思えない。
調査が目的ならば 殺さなくても調査できる。尾から獲るDNAが、調査対象ならば、殺さずに効率の良い調査の仕方があるはずだ。調査と言う名目で肉を捌いて 売り買いできるのはおかしい。 国民の税金10億円ものお金を使って 調査捕鯨するなら、調査結果を毎年きちんと国民に報告すべきだ。
ミンククジラの母娘と思われる2頭が槍を打ち込まれ、多量の出血しながら日本船に収容されていくところを放映した写真が世界のニュースで報道され、非難の矢面にたつと、すぐに日本側は あれはメス2頭であって、授乳中の母と娘とは思われない、と居直った。暖かい海で赤ちゃんを産んだクジラは、離乳期に 餌の多い南極の冷たい海に泳いでくるから、そのとき母乳が出ていなかったからと言って、母親でないとはいえない。
日本にいるとNHKニュースで目が覚めて、夜のニュースで眠るから 日本が鯨に関して どれほど世界で孤立しているか 気がつかないのではないだろか。 60年前、石油の補給路を断たれて、孤立した日本が中国、アジアに資源を買い求め海外派兵せざるをえなかったように、戦前の日本の孤立に人々は気つかないでいるのではないか。 資源の為にアジアの国々の主権を蹂躙し、収奪、強奪し、600万人の国民を犠牲にして、やっと戦争を終結した日本。その60年前の日本と南極海でクジラを血祭をあげる日本と、いかに相似していることか。
1、誰の領海でもない南極海で日本だけが誰のものでもない野生動物を 殺して食べ続けて良いと思えない。他に蛋白源が豊富な今日、どうしてもクジラを食べなければならない理由はひとつもない。
2、調査目的と言い その場で殺して肉を冷凍して 売買して流通させるのは、調査捕鯨ではなく、商業捕鯨としか考えられない。
3、捕鯨は伝統だと言うが 調査捕鯨が拡大され、クジラの供給が過剰になり、値崩れして、和歌山県太地町など、沿岸の伝統的な捕鯨漁士の生活基盤は、圧迫されているのが、現状だ。
4、調査捕鯨に毎年10億円の調査費が国民の税金から払われているが、国民は納得しているのか?それだけの出費に見合う調査結果が 毎年、情報公開されているのか。
5、鯨肉は水銀汚染(大きな魚ほど水銀蓄積量が多い)されている。政府が 妊婦、小児などは、大型魚肉は、週に40グラム以下に抑えるべきだ と指導しているのに 鯨肉を学校給食で出すのは矛盾している。学校給食で鯨肉を出すことを、父兄は納得しているのか。給食で出る肉は約70グラム、2週間分の水銀を摂取することになる。その上 家庭でもマグロなど、水銀含有量の多い魚を食べる機会は多いのに、政府はをどのように指導するつもりか。
6、1月19日北海道のホテルで 集団食中毒が起き鯨肉から、病原菌大腸菌が検出されたが、野生動物の肉は水銀、病原性大腸菌、PCB,プリセラ菌などお汚染から、安全といえるのか?
以上の理由から、クジラを食べるのは疑問。美しい野生動物を もういい加減食べるのは 止めにして欲しい。
しかし、南極海で調査捕鯨をしている 日本の捕鯨船団は、世界から ひんしゅくの嵐をあびながら、しぶとく予定どうり ひき続きクジラを殺戮、南極海で血祭りをあげている。50頭の絶滅危惧種であるナガスクジラと、935頭のミンククジラが、次々と死刑台に送り込まれている。
オーストラリア連邦裁判所の命令に対抗して、日本政府は 南極海は どの国も領土権を持たないのだから、捕鯨をしても良いと、主張する。しかし、誰のものでもない南極海で、日本だけが 捕鯨して食料を確保して良いとは思えない。日本人だけが 南極海から資源を収奪して許されると思えない。
調査が目的ならば 殺さなくても調査できる。尾から獲るDNAが、調査対象ならば、殺さずに効率の良い調査の仕方があるはずだ。調査と言う名目で肉を捌いて 売り買いできるのはおかしい。 国民の税金10億円ものお金を使って 調査捕鯨するなら、調査結果を毎年きちんと国民に報告すべきだ。
ミンククジラの母娘と思われる2頭が槍を打ち込まれ、多量の出血しながら日本船に収容されていくところを放映した写真が世界のニュースで報道され、非難の矢面にたつと、すぐに日本側は あれはメス2頭であって、授乳中の母と娘とは思われない、と居直った。暖かい海で赤ちゃんを産んだクジラは、離乳期に 餌の多い南極の冷たい海に泳いでくるから、そのとき母乳が出ていなかったからと言って、母親でないとはいえない。
日本にいるとNHKニュースで目が覚めて、夜のニュースで眠るから 日本が鯨に関して どれほど世界で孤立しているか 気がつかないのではないだろか。 60年前、石油の補給路を断たれて、孤立した日本が中国、アジアに資源を買い求め海外派兵せざるをえなかったように、戦前の日本の孤立に人々は気つかないでいるのではないか。 資源の為にアジアの国々の主権を蹂躙し、収奪、強奪し、600万人の国民を犠牲にして、やっと戦争を終結した日本。その60年前の日本と南極海でクジラを血祭をあげる日本と、いかに相似していることか。
1、誰の領海でもない南極海で日本だけが誰のものでもない野生動物を 殺して食べ続けて良いと思えない。他に蛋白源が豊富な今日、どうしてもクジラを食べなければならない理由はひとつもない。
2、調査目的と言い その場で殺して肉を冷凍して 売買して流通させるのは、調査捕鯨ではなく、商業捕鯨としか考えられない。
3、捕鯨は伝統だと言うが 調査捕鯨が拡大され、クジラの供給が過剰になり、値崩れして、和歌山県太地町など、沿岸の伝統的な捕鯨漁士の生活基盤は、圧迫されているのが、現状だ。
4、調査捕鯨に毎年10億円の調査費が国民の税金から払われているが、国民は納得しているのか?それだけの出費に見合う調査結果が 毎年、情報公開されているのか。
5、鯨肉は水銀汚染(大きな魚ほど水銀蓄積量が多い)されている。政府が 妊婦、小児などは、大型魚肉は、週に40グラム以下に抑えるべきだ と指導しているのに 鯨肉を学校給食で出すのは矛盾している。学校給食で鯨肉を出すことを、父兄は納得しているのか。給食で出る肉は約70グラム、2週間分の水銀を摂取することになる。その上 家庭でもマグロなど、水銀含有量の多い魚を食べる機会は多いのに、政府はをどのように指導するつもりか。
6、1月19日北海道のホテルで 集団食中毒が起き鯨肉から、病原菌大腸菌が検出されたが、野生動物の肉は水銀、病原性大腸菌、PCB,プリセラ菌などお汚染から、安全といえるのか?
以上の理由から、クジラを食べるのは疑問。美しい野生動物を もういい加減食べるのは 止めにして欲しい。
2008年2月6日水曜日
映画 「君のためなら千回でも」


映画 「THE KITE RUNNER」、邦題「君のためなら千回でも」を観た。ホイッツ映画館で上映中。 日本でも好評で、上映中。
カレド フセイン (KHALED HOSSEIN) 原作の「THE KITE RUNNER」を、スイス生まれ、ニューヨーク育ちの映画監督マルク フォスター(MARK FORSTER)が、映画化した。
この監督、「MONSTER'S BALL」2001、「FINDING NEVERLAND」を作った人。先日28歳で亡くなった ヒースレジャー主演の「MONSTER'S BALL」は、舞台も役者も みんなオーストラリアで チャイナタウンや、私が毎日歩いている町で撮影していて、身近に感じていたが、アクション映画なのに、家族のつながりがよく描かれていて良かった。「FINDING NEVERLAND 」も 大人になっても夢を持ち続けることの大切さを描いて印象的な映画だった。この監督、好きになれそう。
KITE RUNNERとは、凧揚げをしていて、落ちてくる凧を拾うために走る人のこと。凧揚げは アフガニスタンの人々にとって 大人も子供も 夢中になって遊ぶ国民的リクリエーション。空中に高く舞い上がる凧を 他の凧と競って互いの糸を切って勝負をきめる、高度なテクニックを要する遊びだ。
ソビエト侵攻前のアフガニスタン カブールに、二人の少年がいる。アミールとハッサン。中産階級で 西欧的教育を受けた父親をもつアミールは、自分が生まれたときに母を失ったので、母親を知らない。 この家には 父親が子供のときから 世話をしてきた召使がいる。その息子、ハッサンは、アミールの召使でもあるが、親友で遊び友達。アミールが上げた凧を 落ちてくるとき 決まってハッサンが、「君のためなら千回でも、、」と言って 取りに走っていく。
凧揚げ大会でアミールの凧が 他の凧を次々と落として、遂に優勝する。その凧を拾いに行ったハッサンは 妬み深い年上の悪童どもに、陵辱される。 それを目撃しながら、親友を助け出す勇気を持たなかったアミールは、この日を境に 罪の意識と レイプされても凧を守るために反撃しなかったハッサンへの軽蔑心とから、遂に ハッサン親子が家に居られない様にしてしまう。
そのうちに、ソビエト軍が侵攻してきて、アミール親子は カブールからパキスタンへと逃れ、その後、アメリカに移住する。 20年たち、アミールは大学を卒業し、小説家として成功、本を出版できるまでになった。ある日、パキスタンから 友人の電話を受け取る。パキスタンまで会いに行って、友人はタリバン制圧下のカブールで ハッサンが殺されたこと、そしてハッサンはアミールの実の兄だったことを知らされる。アミールは タリバンに誘拐された、ハッサンの息子を取り戻し、アメリカに連れ帰ることを決意する。そのことによって、かつて自分が子供のときにハッサンを裏切った償いをする というストーリー。
カブールの石でできた家々、凧を上げる少年達の真剣な顔、ベールを被る女たち、夕日に映える美しいモスク。 センチメンタルな テーマを 西欧社会で育った監督が 筋を追っていく。
私が、好きなシーンは、アミールが 自分を責めるよりも、レイプされたハッサンに向かって、腐ったザクロの実をハッサンに投げつけて、ハッサンが怒って投げ返したり、卑怯だった自分をぶん殴ってくれることを期待するところ。すると、ハッサンは、大きなザクロをつかんだと思ったら、自分の額に激しくぶつけて 血のように顔中 真っ赤にしてアミールの前にたたずむところ。 二人の少年の心が このような形で 決定的に分かれるシーンが とても印象的だった。
小児性愛はこの世で 一番唾棄すべき、許されざる罪、おぞましい犯罪だが、それにしても どうしてイスラム社会で このように いとも簡単に 小児へのレイプが引き起こされるのか? イスラムの厳格な結婚前までの禁欲、年長者が結婚を決めるしきたりの重さ、強い父権、限りなく無に近い女権、封建的な社会観、こういった、習慣、社会規制が 小児性愛、性暴力という形で頻発するのではないか。全く頭にくる。
いろいろな見方があるだろうが、 この映画のテーマは 人生、やり直しがきくのか?自分の罪を自分の行為で償うことができるのか ということだろう。20年たったあとで 償っても、ハッサンは生き返らない。償いはただの自己満足か、自己ヒロイズムだ。しかし、自分の罪を真正面から見据え 罪を認めるのは 辛い、勇気のいることでもある。
この映画を観た日は火曜日で チケットが半額近いので、平日の朝なのに、結構沢山人がきていて、上映中、あちこちで観ている人が 鼻をかんでいた。 でも、私には、この映画、ちょっと、センチメンタルすぎて、人の心の掘り下げ方と、現実認識が 足りないようにおもわれた。
この映画、同じように、子供を扱った名作のなかで、
ルネ クレマン監督、フランス映画「禁じられた遊び」と、
ヴィットリオ デシーカ監督 イタリア映画「自転車泥棒」と、
マジット マジ監督の、イラン映画「赤い金魚と運動靴」 この3つが、それぞれ100点満点とすると、
30点くらいだろうか。
カレド フセイン (KHALED HOSSEIN) 原作の「THE KITE RUNNER」を、スイス生まれ、ニューヨーク育ちの映画監督マルク フォスター(MARK FORSTER)が、映画化した。
この監督、「MONSTER'S BALL」2001、「FINDING NEVERLAND」を作った人。先日28歳で亡くなった ヒースレジャー主演の「MONSTER'S BALL」は、舞台も役者も みんなオーストラリアで チャイナタウンや、私が毎日歩いている町で撮影していて、身近に感じていたが、アクション映画なのに、家族のつながりがよく描かれていて良かった。「FINDING NEVERLAND 」も 大人になっても夢を持ち続けることの大切さを描いて印象的な映画だった。この監督、好きになれそう。
KITE RUNNERとは、凧揚げをしていて、落ちてくる凧を拾うために走る人のこと。凧揚げは アフガニスタンの人々にとって 大人も子供も 夢中になって遊ぶ国民的リクリエーション。空中に高く舞い上がる凧を 他の凧と競って互いの糸を切って勝負をきめる、高度なテクニックを要する遊びだ。
ソビエト侵攻前のアフガニスタン カブールに、二人の少年がいる。アミールとハッサン。中産階級で 西欧的教育を受けた父親をもつアミールは、自分が生まれたときに母を失ったので、母親を知らない。 この家には 父親が子供のときから 世話をしてきた召使がいる。その息子、ハッサンは、アミールの召使でもあるが、親友で遊び友達。アミールが上げた凧を 落ちてくるとき 決まってハッサンが、「君のためなら千回でも、、」と言って 取りに走っていく。
凧揚げ大会でアミールの凧が 他の凧を次々と落として、遂に優勝する。その凧を拾いに行ったハッサンは 妬み深い年上の悪童どもに、陵辱される。 それを目撃しながら、親友を助け出す勇気を持たなかったアミールは、この日を境に 罪の意識と レイプされても凧を守るために反撃しなかったハッサンへの軽蔑心とから、遂に ハッサン親子が家に居られない様にしてしまう。
そのうちに、ソビエト軍が侵攻してきて、アミール親子は カブールからパキスタンへと逃れ、その後、アメリカに移住する。 20年たち、アミールは大学を卒業し、小説家として成功、本を出版できるまでになった。ある日、パキスタンから 友人の電話を受け取る。パキスタンまで会いに行って、友人はタリバン制圧下のカブールで ハッサンが殺されたこと、そしてハッサンはアミールの実の兄だったことを知らされる。アミールは タリバンに誘拐された、ハッサンの息子を取り戻し、アメリカに連れ帰ることを決意する。そのことによって、かつて自分が子供のときにハッサンを裏切った償いをする というストーリー。
カブールの石でできた家々、凧を上げる少年達の真剣な顔、ベールを被る女たち、夕日に映える美しいモスク。 センチメンタルな テーマを 西欧社会で育った監督が 筋を追っていく。
私が、好きなシーンは、アミールが 自分を責めるよりも、レイプされたハッサンに向かって、腐ったザクロの実をハッサンに投げつけて、ハッサンが怒って投げ返したり、卑怯だった自分をぶん殴ってくれることを期待するところ。すると、ハッサンは、大きなザクロをつかんだと思ったら、自分の額に激しくぶつけて 血のように顔中 真っ赤にしてアミールの前にたたずむところ。 二人の少年の心が このような形で 決定的に分かれるシーンが とても印象的だった。
小児性愛はこの世で 一番唾棄すべき、許されざる罪、おぞましい犯罪だが、それにしても どうしてイスラム社会で このように いとも簡単に 小児へのレイプが引き起こされるのか? イスラムの厳格な結婚前までの禁欲、年長者が結婚を決めるしきたりの重さ、強い父権、限りなく無に近い女権、封建的な社会観、こういった、習慣、社会規制が 小児性愛、性暴力という形で頻発するのではないか。全く頭にくる。
いろいろな見方があるだろうが、 この映画のテーマは 人生、やり直しがきくのか?自分の罪を自分の行為で償うことができるのか ということだろう。20年たったあとで 償っても、ハッサンは生き返らない。償いはただの自己満足か、自己ヒロイズムだ。しかし、自分の罪を真正面から見据え 罪を認めるのは 辛い、勇気のいることでもある。
この映画を観た日は火曜日で チケットが半額近いので、平日の朝なのに、結構沢山人がきていて、上映中、あちこちで観ている人が 鼻をかんでいた。 でも、私には、この映画、ちょっと、センチメンタルすぎて、人の心の掘り下げ方と、現実認識が 足りないようにおもわれた。
この映画、同じように、子供を扱った名作のなかで、
ルネ クレマン監督、フランス映画「禁じられた遊び」と、
ヴィットリオ デシーカ監督 イタリア映画「自転車泥棒」と、
マジット マジ監督の、イラン映画「赤い金魚と運動靴」 この3つが、それぞれ100点満点とすると、
30点くらいだろうか。
2008年2月5日火曜日
映画 「CHARLIE WILSON’S WAR」

ハリウッド映画「チャーリーウィルソンの戦争」を観た。
監督 マイク ニコルス(MIKE NICHOLS) 主演 トム ハンクス(TOMHANKS) と、ジュリア ロバーツ(JULIA ROBERTS).
双子を出産したあとで、また赤ちゃんを産んで 子育てほどドラマチックでエキサイテイングなことはない、子育ての楽しさに比べたら 映画や舞台なんて 全然魅力ない。と、公言していたジュリア ロバーツが本当に久しぶりで 映画出演。 彼女の水着姿が見られるとあって、ヨダレをたらしている夫を連れて、観にいった。夫に限らず私も ジュリアロバーツと、トムハンクスは どちらかというと好きな俳優。実際の人となりも 誠実で、人権派、良心派とばかり思っていた。そう思っている人は多いだろう。
だから言うが、こんな映画は観るべきではない。観にいって 時間と金の無駄と言うか、心底 不愉快になって 気分台無し、胸が悪くなる。
この映画、ポリテイカルコメデイーだそうだ。 実在する1980年に活躍した テキサス出身の下院議員 チャーリー ウィルソンの本当の話。ソビエト侵攻下のアフガニスタンで、彼は反共の富豪家 JOANNE HERRING の 強力な支持と、CIAの後ろ盾を得て、5億円あまりの資金を アフガニスタン反政府軍に提供する。アメリカ製の良い武器が 戦争で勝利を導くという 確信からだ。彼の より性能の高い武器がアフガニスタンを舞台とする米ソ戦の決着をつける、という読みが当たって これがソビエト軍撤退のきっかけを作った。
この映画のクライマックスは アメリカ製爆撃機が ソビエト軍の戦闘機をミサイルで打ち落とすごとに、ヤンヤの歓声をあげて 映画の登場人物たち アメリカ人たちが 喜び抱き合うシーンだ。ジュリア ロバーツとトム ハンクスが 送られてくるフィルムを観て、ソビエト軍機が落ちるたびに バンザーィと抱き合って喜ぶ。富豪婦人宅のプール で、マルテイー二を飲みながら、ヌードダンサーが踊る横で、浮気を楽しみながら、ドカン!!!!オー イエーィ!!やったー! と言うわけだ。戦争画面は 素敵な酒のつまみだ。
映画は、アフガニスタンからソビエト軍を敗退させた 輝かしいアメリカの歴史の1ページを追憶してみたわけだ。 今度は 日本軍を フィリピンから敗退させたときの、戦闘映画など、トム ハンクスと、ジュリア ロバーツでやったら どうだろう。
アメリカはすっかり変わってしまった。 9-11で、アメリカの良心は死に絶えたのか?
現在のアフガニスタンは ソビエト軍侵攻以前よりも 悲惨な状態だ。当時、アメリカの豊富な資金で武装した反政府軍もタリバンも 今や分裂に分裂を重ねて 政治解決に程遠い。この20年あまり、アメリカを中心とした世界はアフガニスタンに何をしたのか?何をしなかったのか?
ポリテイカルコメデイーというのは、政治を笑うパワーだ。日本の狂歌にもみられるように、圧倒的に強い権力に対して、笑いで逆うしか方法のない 者たちのパワーだ。
しかし、この映画の笑いはアメリカ人にしか 通じない。世界で一番権力をもったアメリカが それを持たない人々に 同じ笑いを期待しないでもらいたい。きみたちは 限りなく愚かだ。
監督 マイク ニコルス(MIKE NICHOLS) 主演 トム ハンクス(TOMHANKS) と、ジュリア ロバーツ(JULIA ROBERTS).
双子を出産したあとで、また赤ちゃんを産んで 子育てほどドラマチックでエキサイテイングなことはない、子育ての楽しさに比べたら 映画や舞台なんて 全然魅力ない。と、公言していたジュリア ロバーツが本当に久しぶりで 映画出演。 彼女の水着姿が見られるとあって、ヨダレをたらしている夫を連れて、観にいった。夫に限らず私も ジュリアロバーツと、トムハンクスは どちらかというと好きな俳優。実際の人となりも 誠実で、人権派、良心派とばかり思っていた。そう思っている人は多いだろう。
だから言うが、こんな映画は観るべきではない。観にいって 時間と金の無駄と言うか、心底 不愉快になって 気分台無し、胸が悪くなる。
この映画、ポリテイカルコメデイーだそうだ。 実在する1980年に活躍した テキサス出身の下院議員 チャーリー ウィルソンの本当の話。ソビエト侵攻下のアフガニスタンで、彼は反共の富豪家 JOANNE HERRING の 強力な支持と、CIAの後ろ盾を得て、5億円あまりの資金を アフガニスタン反政府軍に提供する。アメリカ製の良い武器が 戦争で勝利を導くという 確信からだ。彼の より性能の高い武器がアフガニスタンを舞台とする米ソ戦の決着をつける、という読みが当たって これがソビエト軍撤退のきっかけを作った。
この映画のクライマックスは アメリカ製爆撃機が ソビエト軍の戦闘機をミサイルで打ち落とすごとに、ヤンヤの歓声をあげて 映画の登場人物たち アメリカ人たちが 喜び抱き合うシーンだ。ジュリア ロバーツとトム ハンクスが 送られてくるフィルムを観て、ソビエト軍機が落ちるたびに バンザーィと抱き合って喜ぶ。富豪婦人宅のプール で、マルテイー二を飲みながら、ヌードダンサーが踊る横で、浮気を楽しみながら、ドカン!!!!オー イエーィ!!やったー! と言うわけだ。戦争画面は 素敵な酒のつまみだ。
映画は、アフガニスタンからソビエト軍を敗退させた 輝かしいアメリカの歴史の1ページを追憶してみたわけだ。 今度は 日本軍を フィリピンから敗退させたときの、戦闘映画など、トム ハンクスと、ジュリア ロバーツでやったら どうだろう。
アメリカはすっかり変わってしまった。 9-11で、アメリカの良心は死に絶えたのか?
現在のアフガニスタンは ソビエト軍侵攻以前よりも 悲惨な状態だ。当時、アメリカの豊富な資金で武装した反政府軍もタリバンも 今や分裂に分裂を重ねて 政治解決に程遠い。この20年あまり、アメリカを中心とした世界はアフガニスタンに何をしたのか?何をしなかったのか?
ポリテイカルコメデイーというのは、政治を笑うパワーだ。日本の狂歌にもみられるように、圧倒的に強い権力に対して、笑いで逆うしか方法のない 者たちのパワーだ。
しかし、この映画の笑いはアメリカ人にしか 通じない。世界で一番権力をもったアメリカが それを持たない人々に 同じ笑いを期待しないでもらいたい。きみたちは 限りなく愚かだ。
2008年2月3日日曜日
日本帰国11日間の旅
2年ぶりに二人の娘達と一緒に 休暇で日本帰国することが実現できた。
その11日間の何と短かかったことか。
ひさしぶり、日本に帰ってみるごとに いつも ちょっとした変化が 発見される。
ひとつに、車のサイドミラー。 歩いていて 娘が「日本の車には耳がないんだー。」と言うので、注意して駐車場を見てみると、なるほど、どの車からも、サイドミラーがなくなっている。そのうちに、エンジンをかけた車が ウィーンと サイドミラーを出して 発車していく姿を見てあっけにとられた。口を開けたままだったかもしれない。 いつのころから日本では 誰も彼もが例外なしに、駐車するときはサイドミラーをしまうようになったのだろう。 シドニーでも、夫も娘も日本車に乗っているが、サイドミラーを引っ込めるような細工はない。もともと、車体から突き出ていることに意味があるものだから、ぶつけて衝撃を受けても ポロリと取れたりしないようになっている。そうなっていなかったら、私など サイドミラーを、1年に200個くらい ぶつけて失くしている筈だ。車幅の感覚をつかむのに鈍いので、ガレージの出し入れや、カーブを曲がりきれなくて サイドミラーを擦ったりぶつけたりする。ウィーンとサイドミラーがしまえるポケットを持った日本の日本車を持った人がうらやましい。
茶塩というのが流行っていたのも 新しい。 天ぷらなどの料理にかけて食べるようだ。おみやげに と持たせてくれた親切な人がいて、シドニーに持って帰って、ゆでたまごにかけて食べたりしてみたが 余り好きになれない。緑茶には利尿作用があるので、これをジャンジャンかけて食べている人は トイレに行ってばかりいるのだろうか。
2年ばかり前に帰国したときは、電話詐欺が流行っていて、友達の電話番号の前に、3桁の数字を入れないと、つながらなかった。滞在先から電話するには 番号の先にゼロを入れることになっているが、始めにゼロをいれても、3桁の数字の後にゼロを入れても、通じないところが多くて 友達の誰とも電話でスムーズに話しができなくて、腹がたった。今年になって、人々はもう その3桁をつけるのに飽きたらしくて誰もやってなかったから、いろんな人と話ができた。
その前に帰国したときは、ホテルの高級レストランに連れて行ってもらって、パンと一緒に 見慣れないバージンオイルがついてきたので、「これなんですか?」と、ボーイさんに聞いて、同席者に笑われた。
ずっと日本にいる人には何でもないことだろうが、時々来る人にとっては ついていくのがなかなか大変。友達と一緒にいて 冗談に笑えなかったり、知らないのにしっているふりをしないといけないような時もあって、ヒヤヒヤする。
その11日間の何と短かかったことか。
ひさしぶり、日本に帰ってみるごとに いつも ちょっとした変化が 発見される。
ひとつに、車のサイドミラー。 歩いていて 娘が「日本の車には耳がないんだー。」と言うので、注意して駐車場を見てみると、なるほど、どの車からも、サイドミラーがなくなっている。そのうちに、エンジンをかけた車が ウィーンと サイドミラーを出して 発車していく姿を見てあっけにとられた。口を開けたままだったかもしれない。 いつのころから日本では 誰も彼もが例外なしに、駐車するときはサイドミラーをしまうようになったのだろう。 シドニーでも、夫も娘も日本車に乗っているが、サイドミラーを引っ込めるような細工はない。もともと、車体から突き出ていることに意味があるものだから、ぶつけて衝撃を受けても ポロリと取れたりしないようになっている。そうなっていなかったら、私など サイドミラーを、1年に200個くらい ぶつけて失くしている筈だ。車幅の感覚をつかむのに鈍いので、ガレージの出し入れや、カーブを曲がりきれなくて サイドミラーを擦ったりぶつけたりする。ウィーンとサイドミラーがしまえるポケットを持った日本の日本車を持った人がうらやましい。
茶塩というのが流行っていたのも 新しい。 天ぷらなどの料理にかけて食べるようだ。おみやげに と持たせてくれた親切な人がいて、シドニーに持って帰って、ゆでたまごにかけて食べたりしてみたが 余り好きになれない。緑茶には利尿作用があるので、これをジャンジャンかけて食べている人は トイレに行ってばかりいるのだろうか。
2年ばかり前に帰国したときは、電話詐欺が流行っていて、友達の電話番号の前に、3桁の数字を入れないと、つながらなかった。滞在先から電話するには 番号の先にゼロを入れることになっているが、始めにゼロをいれても、3桁の数字の後にゼロを入れても、通じないところが多くて 友達の誰とも電話でスムーズに話しができなくて、腹がたった。今年になって、人々はもう その3桁をつけるのに飽きたらしくて誰もやってなかったから、いろんな人と話ができた。
その前に帰国したときは、ホテルの高級レストランに連れて行ってもらって、パンと一緒に 見慣れないバージンオイルがついてきたので、「これなんですか?」と、ボーイさんに聞いて、同席者に笑われた。
ずっと日本にいる人には何でもないことだろうが、時々来る人にとっては ついていくのがなかなか大変。友達と一緒にいて 冗談に笑えなかったり、知らないのにしっているふりをしないといけないような時もあって、ヒヤヒヤする。
2008年1月29日火曜日
映画 「アイアム リジェンド」

たくさんの人たちと 一緒に殺されてしまうよりも、一人だけ生き残ってしまうことのほうが、ずっと怖いのではないだろうか。
ニューヨークで、一人だけ、生き残ってしまった 科学者で軍医のロバート(ウィル スミス)が、草が生い茂って、野鹿が走り回るニューヨークを歩き回ったり、住人のいなくなった家から、ビタミン剤を持ち出したり、ハーバーで無線をいじったり、閑散としたホテルのプールで釣りをしたり、朝日とともに、家の窓を全開したりするのを ハラハラドキドキしてみていて、気が気ではなかった。彼が何か普通のことをしていても、何かとんでもないことが 起こる予感がして、すごく怖かった。暗がりには、ぞっとする姿のゾンビが 血を求めて待ち構えているのだから、まったく落ち着かない。
ハリウッド映画「I AM LEGEND」を観た。出演:ウィル スミス(WILL SMITH )、アリス ブラガ(ALICE BRAGA)、スミスの娘ウィロウ スミス。原作、リチャード マシスン(RECHARD MATHESON)の「I AM LEGEND」(邦題「地球最後の男」)のリメイク。
癌の特効薬ができて、人々はそれに殺到する。しかしこの薬に耐性をもつ新しいヴィルスが発生して瞬く間に 世界中の総人口を 死滅させてしまう。 死に切れなかったものたちは、ゾンビとなって暗闇で新鮮な血を求めて待ち構えている。このゾンビは馬鹿でも盲目でもない。わなを仕掛けて生き血を吸うために 生き物を生け捕りにしようとしている。 軍医ロバートが うっかりしている間に 鉄柱からワイヤーで吊り下げられたり、サム(ジャーマンセパード犬)に 噛み付いたりする。
この映画、見る前に、ホラー、暴力シーン、アダルトシーンがある、ということで、注意書きがついていたので、怖いのを観る覚悟をして観にいったが ゾンビそのものはあんまり怖くなかった。髪も毛もないツルリとして口だけが大きく、暗がりで待ち構えているから、怖いけれど、明るい陽のしたで見ると全然怖くない。なんか、去年見た映画「DESENT」に出てきた、光の届かない洞窟に住む 目も髪も体毛も退化してしまった人(?)のお化けと、メイクがそっくりだったので、ちょっと慣れてきて、「あ、またお会いしましたね。」という感じだった。
どうしてこの映画を観たかというと、軍医ロバートの唯一の生存仲間 ジャーマンセパード犬 サムが 私が昔 持っていた犬とそっくりだったから。アルメニウス セント デ ニコラウスという名前だった、昔の犬に会いに行く気分で この映画を見に行った。走る車の窓から頭をだして、風でたてがみを ソヨソヨ揺らしている姿や、ロバートと一緒にトコトコ歩く姿が可愛くてずっと見とれていた。だから、最後に軍医が死ぬところよりも、サムが死ぬところの方が ずっとずっと悲しくて涙がでた。犬は人間にとって なくてはならない友達。人に全幅の信頼をよせて体をもたせかけてくる愛犬のいとしさは特別だ。
ウィル スミスはモハメッド アリの伝記映画「アリ」では当たり前だけど、いつも映画で裸になって上半身のよく鍛えられた姿を強調して見せてくれる。この映画でも 孤独に耐え、自分の体を使って ヴィルスの免疫をつくり、血清を生き残った人々に渡すために 体を鍛えていて アフリカンアメリカンの美しい体を見せてくれた。
映画に娘役で、出ていた女の子は本当のウィル スミスの娘だそうだ。彼の前作「幸せのちから」(「THE PURSUIT OF HAPPYNESS」)では これも本当の息子が 出演して大活躍だった。この映画、この子のために、ヒットしたようなものだろう。親子3人とも、良い俳優だ。
ニューヨークで、一人だけ、生き残ってしまった 科学者で軍医のロバート(ウィル スミス)が、草が生い茂って、野鹿が走り回るニューヨークを歩き回ったり、住人のいなくなった家から、ビタミン剤を持ち出したり、ハーバーで無線をいじったり、閑散としたホテルのプールで釣りをしたり、朝日とともに、家の窓を全開したりするのを ハラハラドキドキしてみていて、気が気ではなかった。彼が何か普通のことをしていても、何かとんでもないことが 起こる予感がして、すごく怖かった。暗がりには、ぞっとする姿のゾンビが 血を求めて待ち構えているのだから、まったく落ち着かない。
ハリウッド映画「I AM LEGEND」を観た。出演:ウィル スミス(WILL SMITH )、アリス ブラガ(ALICE BRAGA)、スミスの娘ウィロウ スミス。原作、リチャード マシスン(RECHARD MATHESON)の「I AM LEGEND」(邦題「地球最後の男」)のリメイク。
癌の特効薬ができて、人々はそれに殺到する。しかしこの薬に耐性をもつ新しいヴィルスが発生して瞬く間に 世界中の総人口を 死滅させてしまう。 死に切れなかったものたちは、ゾンビとなって暗闇で新鮮な血を求めて待ち構えている。このゾンビは馬鹿でも盲目でもない。わなを仕掛けて生き血を吸うために 生き物を生け捕りにしようとしている。 軍医ロバートが うっかりしている間に 鉄柱からワイヤーで吊り下げられたり、サム(ジャーマンセパード犬)に 噛み付いたりする。
この映画、見る前に、ホラー、暴力シーン、アダルトシーンがある、ということで、注意書きがついていたので、怖いのを観る覚悟をして観にいったが ゾンビそのものはあんまり怖くなかった。髪も毛もないツルリとして口だけが大きく、暗がりで待ち構えているから、怖いけれど、明るい陽のしたで見ると全然怖くない。なんか、去年見た映画「DESENT」に出てきた、光の届かない洞窟に住む 目も髪も体毛も退化してしまった人(?)のお化けと、メイクがそっくりだったので、ちょっと慣れてきて、「あ、またお会いしましたね。」という感じだった。
どうしてこの映画を観たかというと、軍医ロバートの唯一の生存仲間 ジャーマンセパード犬 サムが 私が昔 持っていた犬とそっくりだったから。アルメニウス セント デ ニコラウスという名前だった、昔の犬に会いに行く気分で この映画を見に行った。走る車の窓から頭をだして、風でたてがみを ソヨソヨ揺らしている姿や、ロバートと一緒にトコトコ歩く姿が可愛くてずっと見とれていた。だから、最後に軍医が死ぬところよりも、サムが死ぬところの方が ずっとずっと悲しくて涙がでた。犬は人間にとって なくてはならない友達。人に全幅の信頼をよせて体をもたせかけてくる愛犬のいとしさは特別だ。
ウィル スミスはモハメッド アリの伝記映画「アリ」では当たり前だけど、いつも映画で裸になって上半身のよく鍛えられた姿を強調して見せてくれる。この映画でも 孤独に耐え、自分の体を使って ヴィルスの免疫をつくり、血清を生き残った人々に渡すために 体を鍛えていて アフリカンアメリカンの美しい体を見せてくれた。
映画に娘役で、出ていた女の子は本当のウィル スミスの娘だそうだ。彼の前作「幸せのちから」(「THE PURSUIT OF HAPPYNESS」)では これも本当の息子が 出演して大活躍だった。この映画、この子のために、ヒットしたようなものだろう。親子3人とも、良い俳優だ。
2008年1月28日月曜日
映画「スウィーニートッド:フリート街の悪魔の理髪師」

ブロードウェイのミュージカル「SWEENEY TODD :THE DEMON BARBER OF FLEET STREET」が、テイム バートン監督によって映画化された。 ジョニー デップが ミュージカル映画で歌うというので、とても話題になっている。
この監督、よほどジョニー デップが好きらしく、「シザーハンド」、「チャーリーとチョコレート工場」など、5つの作品で彼を主役に出演させている。 ジョニー デップは、「パイレンツ オブ カリビアン」で 小さな子供から老人までファン層を広げた。強力な個性、一種独特の人を惹き付ける魅力をもった俳優だ。ちょっと、大げさのように思えるが、朝日の雑誌、アエラで映画評を書いている 藤原帰一氏の言葉に従えば、「抜きん出た美貌と演技力に恵まれながら素直に名優になろうとしないこの恐るべき子供の、これは第一の名演ではないだろうか。」ということになる。
第65回ゴールデングローブ賞、ミュージカルコメデイー部門で、これが作品賞、ジョニー デップは主演男優賞を獲得した。 余談だが、主演女優賞は、「エデイット ピアフ、愛の賛歌」の、マリオン コテイーヤルが獲り、ドラマ部門では「AWAY FROM HER]のジュリー クリステイーが選ばれた。エデイット ピアフの映画も、ジュリークリステイーの映画も、このMIXIで前に記事を書いた。2007年、10月12日の日記と、7月30日の日記だ。
オーストラリアでは「SWEENY TODD 」を、去年の1月から3月まで オペラでやって、成功した。ブロードウェイでは HAROLD PRINCE監督、RICHARD BARR、CHARLES WOODWARD などが製作したが、ここではSTEPHEN SONDHEIN,HUGH WHEELER などが オペラに仕立てた。去年は オペラオーストラリアでは、「椿姫」、「フィガロの結婚」、セルビアの床屋」、「イル トラバトーレ」、「タンホイザー」など、重くて、長くて、大きいオペラが多かったので、登場人物が少なくて規模の小さな「SWEENY TODD]のような作品を混ぜたのだろう。
ストーリーは、
無実の罪で投獄され、妻と娘を悪徳判事に奪われた理髪師バーカーは、15年後に脱獄して復讐するためにロンドンに帰って来る。ミートパイ店を経営するミセス、ラヘッドの協力を得ながら 判事ばかりでなく 来た客を次々と剃刀で咽喉を切り裂いて殺し、肉をミンチにしてパイにいれて、人々に食べさせる。しかし、判事に奪われて、亡くなったはずの妻と娘は、、、このあとは、これから観る人のために言えない。
ミュージカル映画でジョニー デップが 立派に声量豊かに難しい歌を歌っていて、ミセス ラヘッド役のレナ ボナム カーターの声とも よくハモッていた。日本でも、オーストラリアでもこの映画、15歳以上でないと観られないのは、咽喉をかき切る時のシーンが残酷だったから と言われている。
無実の罪を着せられて、妻子を奪われた哀れな理髪師は 悪魔と呼ばれてしまったけれど、話の筋をたどっていけば、そんな復讐の鬼にならざるを得なかったのも うなずける。それなりに、人間の苦渋、哀切に共感できないわけではない。
イギリス人は こういったちょっと苦みのあるユーモアが好きなんじゃないだろうか。15歳以下 鑑賞禁止は、この映画が残酷だったからではないと思う。彼の生き方もまた、人生。これも、ちょっとしたユーモアとして、映画を捉えるだけの 達観した視野が、15歳以下の子供には 期待できないからだろう。
この監督、よほどジョニー デップが好きらしく、「シザーハンド」、「チャーリーとチョコレート工場」など、5つの作品で彼を主役に出演させている。 ジョニー デップは、「パイレンツ オブ カリビアン」で 小さな子供から老人までファン層を広げた。強力な個性、一種独特の人を惹き付ける魅力をもった俳優だ。ちょっと、大げさのように思えるが、朝日の雑誌、アエラで映画評を書いている 藤原帰一氏の言葉に従えば、「抜きん出た美貌と演技力に恵まれながら素直に名優になろうとしないこの恐るべき子供の、これは第一の名演ではないだろうか。」ということになる。
第65回ゴールデングローブ賞、ミュージカルコメデイー部門で、これが作品賞、ジョニー デップは主演男優賞を獲得した。 余談だが、主演女優賞は、「エデイット ピアフ、愛の賛歌」の、マリオン コテイーヤルが獲り、ドラマ部門では「AWAY FROM HER]のジュリー クリステイーが選ばれた。エデイット ピアフの映画も、ジュリークリステイーの映画も、このMIXIで前に記事を書いた。2007年、10月12日の日記と、7月30日の日記だ。
オーストラリアでは「SWEENY TODD 」を、去年の1月から3月まで オペラでやって、成功した。ブロードウェイでは HAROLD PRINCE監督、RICHARD BARR、CHARLES WOODWARD などが製作したが、ここではSTEPHEN SONDHEIN,HUGH WHEELER などが オペラに仕立てた。去年は オペラオーストラリアでは、「椿姫」、「フィガロの結婚」、セルビアの床屋」、「イル トラバトーレ」、「タンホイザー」など、重くて、長くて、大きいオペラが多かったので、登場人物が少なくて規模の小さな「SWEENY TODD]のような作品を混ぜたのだろう。
ストーリーは、
無実の罪で投獄され、妻と娘を悪徳判事に奪われた理髪師バーカーは、15年後に脱獄して復讐するためにロンドンに帰って来る。ミートパイ店を経営するミセス、ラヘッドの協力を得ながら 判事ばかりでなく 来た客を次々と剃刀で咽喉を切り裂いて殺し、肉をミンチにしてパイにいれて、人々に食べさせる。しかし、判事に奪われて、亡くなったはずの妻と娘は、、、このあとは、これから観る人のために言えない。
ミュージカル映画でジョニー デップが 立派に声量豊かに難しい歌を歌っていて、ミセス ラヘッド役のレナ ボナム カーターの声とも よくハモッていた。日本でも、オーストラリアでもこの映画、15歳以上でないと観られないのは、咽喉をかき切る時のシーンが残酷だったから と言われている。
無実の罪を着せられて、妻子を奪われた哀れな理髪師は 悪魔と呼ばれてしまったけれど、話の筋をたどっていけば、そんな復讐の鬼にならざるを得なかったのも うなずける。それなりに、人間の苦渋、哀切に共感できないわけではない。
イギリス人は こういったちょっと苦みのあるユーモアが好きなんじゃないだろうか。15歳以下 鑑賞禁止は、この映画が残酷だったからではないと思う。彼の生き方もまた、人生。これも、ちょっとしたユーモアとして、映画を捉えるだけの 達観した視野が、15歳以下の子供には 期待できないからだろう。
2008年1月26日土曜日
ヒース レジャー 28歳の死



HEATH LEDGERが死んだ。
1月23日のことだ。享年28歳。
西オーストラリア パース出身。
マンハッタンのアパートで一人、睡眠薬の過剰摂取が原因だったもよう。
薬はAMBIEN,またの名を STILNOX. こんな一般的な薬で簡単に死んでしまうなんて、、、。 しかしこの催眠薬 副作用として異常にハイになったり、異常行動をおこしたり、意識混濁を起こす可能性があるとして、厳重に医師の監督下で処方、服用するようにという警告が厚生省から出たばかりだ。家族は彼の死が報道された直後に、これは自殺ではなく事故だったと、声明を出した。しかし、死ねるほどの量を、計画的に貯めることなしに、死ぬことはできなかったはずだ。現在、警察で死因が究明されている。先妻とのあいだに 2歳の娘が残された。
ヒースレジャーは私の最も好きな役者のひとり。自分の色を捨てて、徹底して役にはまりこむタイプの 役者魂をもった役者。性格俳優としても、成熟した表現力をもっていた。彼の出ている映画を ずっと観てきて、高く評価していた。実際のところ、28歳だったと聞いて 耳を疑った。そんなに若かったのか。 18歳のころからTVシリーズでレギュラー出演していたというが、役者を始めて、たった10年で、俳優としての人生を駆け抜けて そして逝ってしまった。余りにも 早い死。
嘆いても嘆ききれないだろう。 彼と同じオージー俳優、メル ギブソンが、「ぼくの息子、、、彼の将来を期待していたのに死んでしまうなんて、」と、言っていた。2000年にメル ギブソンが映画「THE PATRIOT」(邦題 パトリオット)を演じたとき、ヒース レジャーが息子役で出演していたのだ。
主演作品は、 2001年:「MONSTER'S BALL」、「NED KELLY」、「A KNIGHT'S TALE」 2005年:「LORDS OF DOGTOWN」、「CASA NOVA」 2006年:「CANDY 」、「BROKEBACK MOUNTAIN」 「ブロークバックマウンテン」で、ゲイのカーボーイの役をやって オスカー主演男優賞に ノミネイトされたが、「カポーテ」のフィリップ ホフマンに 賞を持っていかれてしまった。
今年になって、ボブデイランの役で、「I'M NOT THERE」に出演。7月には、「バットマン THE DARK KNIGHT 」では ジョーカー役で出演しているのが観られる予定。初代のジャック ニコルソンのジョーカーが印象的だっただけに この役をやるのは大変だっただろう。
死ぬ前には「体が疲れていても、役のことを考えずにいられない。このところ平均2時間くらいしか眠れないんだ。」と言っていたという。役作りに のめりこみすぎていた彼の姿をよく表している。 最後の仕事は、「THE IMAGINATION OF DOCTOR PARNASSUS」 2009年にリリースされる映画だそうだ。
私は ヒース レジャーの 「カサノバ」や、「キャンデイー」で、彼がみせた、幸せいっぱいの笑顔や、ハンサムな優男のコミカルな演技も好きだが、やはり、「ブロークバックマウンテン」が、良かった。 妻子、家庭をもちながらも、ゲイの恋人と秘密の逢瀬を重ねる男の苦しみと嘆きを 無骨で無表情な男が、その背中で切実に表現していた。これには すごく泣けた。
でも、私が一番好きな彼の作品は、あまり話題にもならなかった、小さな作品「LORDS OF DOGTOWN」。小さな町で、少年達が 1960年代に 初めてスケートボードで遊び始めて コンペテイションに出る、というだけの筋というような筋もない作品だったが、サーフボードやスケートボードを作る店のオヤジ役のヒース レジャーが、すごく良かった。
貧困、家庭内暴力、非登校といった問題を ごっちゃり抱え込んだ少年達の唯一の逃避場が、この飲んだくれのオヤジのボードショップ。少年達の傷つきやすい胸の痛みと そんな時期を過ぎたばかりのシャイで酒乱のオヤジの 一見乱暴なやりとりに、すごく共鳴してホロッとして すごく泣かされた。
このときの、ヒースレジャーの酔っ払いぶりが、あまりにあっぱれで感動して以来 彼の大ファンになったが、いま考えてみたら、これを演じていた彼は たかだか25歳の若さだったのだ。それを思うと 彼はすごい。早世で、本当に才能がピカピカ光っていた。
もっともっと、性格俳優として、第一級の役者になれただろうに。 もう映画でヒース レジャーに会うことができないなんて、残念でならない。
1月23日のことだ。享年28歳。
西オーストラリア パース出身。
マンハッタンのアパートで一人、睡眠薬の過剰摂取が原因だったもよう。
薬はAMBIEN,またの名を STILNOX. こんな一般的な薬で簡単に死んでしまうなんて、、、。 しかしこの催眠薬 副作用として異常にハイになったり、異常行動をおこしたり、意識混濁を起こす可能性があるとして、厳重に医師の監督下で処方、服用するようにという警告が厚生省から出たばかりだ。家族は彼の死が報道された直後に、これは自殺ではなく事故だったと、声明を出した。しかし、死ねるほどの量を、計画的に貯めることなしに、死ぬことはできなかったはずだ。現在、警察で死因が究明されている。先妻とのあいだに 2歳の娘が残された。
ヒースレジャーは私の最も好きな役者のひとり。自分の色を捨てて、徹底して役にはまりこむタイプの 役者魂をもった役者。性格俳優としても、成熟した表現力をもっていた。彼の出ている映画を ずっと観てきて、高く評価していた。実際のところ、28歳だったと聞いて 耳を疑った。そんなに若かったのか。 18歳のころからTVシリーズでレギュラー出演していたというが、役者を始めて、たった10年で、俳優としての人生を駆け抜けて そして逝ってしまった。余りにも 早い死。
嘆いても嘆ききれないだろう。 彼と同じオージー俳優、メル ギブソンが、「ぼくの息子、、、彼の将来を期待していたのに死んでしまうなんて、」と、言っていた。2000年にメル ギブソンが映画「THE PATRIOT」(邦題 パトリオット)を演じたとき、ヒース レジャーが息子役で出演していたのだ。
主演作品は、 2001年:「MONSTER'S BALL」、「NED KELLY」、「A KNIGHT'S TALE」 2005年:「LORDS OF DOGTOWN」、「CASA NOVA」 2006年:「CANDY 」、「BROKEBACK MOUNTAIN」 「ブロークバックマウンテン」で、ゲイのカーボーイの役をやって オスカー主演男優賞に ノミネイトされたが、「カポーテ」のフィリップ ホフマンに 賞を持っていかれてしまった。
今年になって、ボブデイランの役で、「I'M NOT THERE」に出演。7月には、「バットマン THE DARK KNIGHT 」では ジョーカー役で出演しているのが観られる予定。初代のジャック ニコルソンのジョーカーが印象的だっただけに この役をやるのは大変だっただろう。
死ぬ前には「体が疲れていても、役のことを考えずにいられない。このところ平均2時間くらいしか眠れないんだ。」と言っていたという。役作りに のめりこみすぎていた彼の姿をよく表している。 最後の仕事は、「THE IMAGINATION OF DOCTOR PARNASSUS」 2009年にリリースされる映画だそうだ。
私は ヒース レジャーの 「カサノバ」や、「キャンデイー」で、彼がみせた、幸せいっぱいの笑顔や、ハンサムな優男のコミカルな演技も好きだが、やはり、「ブロークバックマウンテン」が、良かった。 妻子、家庭をもちながらも、ゲイの恋人と秘密の逢瀬を重ねる男の苦しみと嘆きを 無骨で無表情な男が、その背中で切実に表現していた。これには すごく泣けた。
でも、私が一番好きな彼の作品は、あまり話題にもならなかった、小さな作品「LORDS OF DOGTOWN」。小さな町で、少年達が 1960年代に 初めてスケートボードで遊び始めて コンペテイションに出る、というだけの筋というような筋もない作品だったが、サーフボードやスケートボードを作る店のオヤジ役のヒース レジャーが、すごく良かった。
貧困、家庭内暴力、非登校といった問題を ごっちゃり抱え込んだ少年達の唯一の逃避場が、この飲んだくれのオヤジのボードショップ。少年達の傷つきやすい胸の痛みと そんな時期を過ぎたばかりのシャイで酒乱のオヤジの 一見乱暴なやりとりに、すごく共鳴してホロッとして すごく泣かされた。
このときの、ヒースレジャーの酔っ払いぶりが、あまりにあっぱれで感動して以来 彼の大ファンになったが、いま考えてみたら、これを演じていた彼は たかだか25歳の若さだったのだ。それを思うと 彼はすごい。早世で、本当に才能がピカピカ光っていた。
もっともっと、性格俳優として、第一級の役者になれただろうに。 もう映画でヒース レジャーに会うことができないなんて、残念でならない。
2008年1月24日木曜日
マイダッド
写真は、マイダッド。 1番目の写真は 医師と看護士たちに囲まれたMY DAD。
大内義一早稲田大学名誉教授 96歳。 休暇で、一年ぶりに 二人の娘を連れて、日本に帰国した。たった、10日間の休暇だったが、96歳になった父の誕生日を、祝うことが出来た。元気でなにより。24時間介護つき有料老人ホームに独居。ときどき記憶が20年くらいスピンするけど、元気そのもの。よく訪れてくれるお弟子さんたち、姉夫婦、兄夫婦に、感謝!
誕生日にあわせて豪華な蘭を送ってくれたゴンさんに感謝! かつて早稲田にコネつき裏口入学があったころ、断じて賄賂を受け取ってヤバイことをするのを拒んだ保守派。早稲田大学全学連議長を退学させたタカ派。わたしが吉本隆明について話していて、つい「あなたが、、、」と、言ってしまったら、すかさず 「ばかもの 父上とよべ!」と、どなった当時のわからず屋。いまは、わたしにも娘達にも あまいあまい おじいちゃん。
短い滞在中、貴重な時間をさいて会いに来て下さった方々、大事な友達、お会いできなかった大好きな方々も、本当に 本当にありがとうございました。 また来年!!!
2008年1月5日土曜日
オーストラリアン バレエ
今年前半期のオペラが終わり、6月に後半期のシーズンが始まるまでの間、劇場では観るべきものが何もない。
オーストラリアンバレエ「ニューロマンチックス」を見にいった。オペラハウス、プレミア席 $120. 今まで、バレエを見にいくたびに、オペラハウスコンサートシアターの舞台が狭くて、踊り子たちが可哀想に思えたものだが、今度は逆に広々とした舞台を踊り子達が使いきれないみたいで踊り子達が可哀想に思えた。
いつもは シモン ヤングの指揮でオーストラリアオペラバレエオーケストラをバックに スパルタクス、ジゼル、シンデレラ、メリーウィドーなど、毎回、楽しい出し物をしていた。
オーストラリアンバレエは、この国で唯一の国立舞踊団、団員はちょっと太めだけど、よく訓練されていて国の援助を受けて、きちんと給料をもらってプロとして公認されている。年間6つの出し物以外にも、オペラに常時出演し活躍している。 団員のなかに、厳しいオーデイションに受かって、この何年かメンバーとして踊っている日本人が3人いる。漢字でどう書くのかわからないけれど、フジノノブオ、クボタミワコ、ホンボウレイコの面々。 日本では民間バレエ団がそれぞれ定期公演しているが 公演から得る興行収入だけで団員の給料など、出せるとは思えない。公共の援助もなく、団員はスポンサーの援助と、バレエ教室で教えたりしながら生活しているのだろうが 楽ではないだろう。メジャーで踊っている人は 子供相手に教えるひまもないだろうから、家が裕福でないとバレエどころではないだろう。 それだけオーストラリアでは踊り子や、オペラの歌い手が保護されているのだから、人は公演に期待する。去年のバレエは、良かった。だが今年はなにをやっているのだろう。 「ニューロマンテイクス」は、3部に分かれていて、一部は、伝説的な振り付け師ジョージバラシンが、1928年に演出した「アポロ」という踊り。2部は、オーストラリアチェンバーオーケストラから、チェロのマスターを借りてきて、彼女の弾くチャイコフスキーに合わせて、6人の踊り子が踊った。3部最後は、AFTER THE RAINという題で、二人の現代的なちょっと体操選手みたいな踊り。 エツ これだけ?と言う感じで終わって、 何か腑に落ちないみたいな気持ちで帰ってきた。このパフォーマンスに$120払って 満足したのは、踊り子の親戚くらいだったんじゃないだろうか。 どうしてこの公演を観に行ったのかというと、このパフォーマンスを最後に引退するSTEVEN HEATHCOTEが観たかったから。彼は46歳、25年間このオーストラリアンバレエで プリンスを踊ってきた人だ。舞台で46歳まで、ジャンプするというのは、世界でも珍しい、大変なことだ。テレビのインタビューに答えて、はい、健康に恵まれて自分は幸せでした、と、とても謙虚な人柄で好感がもてた。 この人の最後の踊りを見にいったのに、彼は出てこなくて、代役だった。がっかりー。 そんなことなら、切符を買う前にいってくれ!!!
2008年1月4日金曜日
映画 「I’M NOT THERE」

ボブ デイランが「BLOWIN IN THE WIND」を歌っていた頃 アメリカは徴兵制があった。戦場に行く理由も 殺されたりしなければならない訳もわからずに 若者は国家に駆り出され、戦争に引き立てられていった。良心的兵役拒否などという人道主義はまだなかった。徴兵制に反対したり ベトナムで女子供を殺すことを拒否した若者は脱走兵同様 非国民として即、刑務所に収監された。 そうして、58000名のアメリカの若者達が無駄にベトナムで命を落としていった。
ボブ デイランが「THE TIME THEY ARE A_CHANGIN」を歌っていた頃、日本は アメリカ軍がベトナムを攻撃 侵略するための補給基地だった。アメリカ政府のいう共産主義勢力拡大を防ぐためアメリカ軍の後押しを日本政府がしていた。沖縄はまだ日本のものではなく、沖縄は米軍が ベトナムに出撃するためのアメリカ基地だった。日本人がパスポートを提示しても簡単にいけるところではなかった。
ボブ デイランが歌いだしてからだ。 アメリカの公民権運動が表面化し、黒人有権者登録運動が大きな運動となり 人々が反戦運動に立ち上がったのは。日本では 安保条約を破棄させる運動が、反ベトナム戦争へと波及し、学生は大学を封鎖し、全学ストに持ち込み、街頭に出て行った。
ボブ デイランがいかに、時代を先駆けていたか、彼の「風に吹かれて」の歌詞をみて、いまでも、驚く。彼はレイチェル カーソンの科学書「SILENT SPRING」(沈黙の春)の発表のすぐ後でこれを書いた。環境ホルモンなどという言葉もまだなかった頃のことだ。
「I 'M NOT THERE」は、ボブ デイランの半生を映画化したものだ。彼のようにまだ生きていて、音楽活動も継続していて、多様性をもった音楽家を ひとつの映画にまとめるのは、いかにも、困難すぎたらしく、映画では、6人の俳優がボブ デイランを演じている。
1959年ー1961年:MARCUS CARL FRANKLIN
1965年 ;BEN WHISHAW
1964年ー1973年:HEATH LEDGER
1966年 :CATE BLANCHETT
1979年ー1981年:CHRISTIAN BALE
1967年 :RICHARD GERE
以上の6人が6様のボブ デイランを演じた。
なかで、ケイト ブランシェットは、これで、ベニス映画祭 最優秀女優賞をもらった。2008年ゴールデングローブでもブランシェットは助演女優賞にノミネイトされた。
初めに 1959年の頃のデイランを演じた、マルコス カール フランクリンは10歳くらいのアフリカンアメリカンの少年で、めっぽうギターで語り弾きがうまくて、一人前に口が立ち よくしゃべる。確かに、ボブ デイランのその年頃、あんなんだったろう と思わせる。天才音楽家の開花直前といったところ。
1973年までのデイランを演じた、ヒースレジャーは 私の大好きなオージー俳優で、「ブロークバック マウンテン」では泣かせてくれた。が、ここでは、フランス人画家と結婚、家庭を持ち、二人の女の子をもつが、妻のラジカルについていけず、オタオタしていて、すごくかっこ悪い。音楽家としては充実期のデイランだ。
1981年までのデイランを演じた、クリスチャン ベイルも大好きな俳優、「バットマン ビギンズ」で あこがれて舞い上がった。彼のデイランは ボーン アゲイン クリスチャニテイーに入って洗礼を受け、牧師とともに説教台に立ち、ゴスペルを歌う。この時期のデイランに批判的な人の方が多いが、彼のゴスペル すごく良い。
リチャード ギアは、デイランがバイク事故で重傷を負い、隠遁生活に入った1967年のころの姿。リチャード ギアは素晴らしい俳優だが、ごっつすぎて、デイランのイメージが私には作れなかった。
しかし、なんといっても、ケイト ブランシェットのボブ デイランが すごい。胸にさらしを巻いて 両あごに詰め物をして、あの頃1966年ころのデイランにそっくり。歩き方、身振り、話し方なんかも。デイランが歌と歌の間にアジテーションをよくいれるが、その調子は全くのデイランそのものだ。劇場の舞台でピアノ語り弾きも、すごく本物。ロイヤル アルバートホールでの舞台だと思うけど、「LIKE A ROLLING STONE 」も、すごい迫力で歌った。
メデイアが インタビューのためにデイランを探していたら、近所のジュニアスクールの子供達と転げまわってふざけて遊んでいたシーンがあったけど、デイランが生き生きしていて ものすごく可愛い。
チェーンスモーカーで、小柄で、やせっぽちで、パワフル、まさに1966年のデイランが生きてよみがえってきて、心の底から、感動してしまった。
デイランは詩人 音楽家として天才だが、ケイト ブランシェットも 役者として天才。彼女は何にでもなれる。変形自在、カメレオンジャック。デ カプリオの相手役で出た映画「アビエーター」で、キャサリンヘップバーンの役をやって、アカデミー女優賞を獲った。話題になる前に見たが、あまりにキャサリン ヘップバーンにそっくりなので、映画を観ながら おーおーおー!っと声を出さずにいられなかった。キャサリンとケイト 全然顔が違うのに、ケイトが演じると 肩をそびやかしたり、歩いたり、話し方もッ表情もキャサリンとしか思えない、すごい役者だとおもってたけど、今回も、ボブデイランという、性別のちがう人の役を 立派に演じていた。
というわけで、私はこの映画、2時間30分を長いと思わず 充分楽しんだが、ボブ デイランをあんまり知らない若い人にとっては、お経みたいなもんなのか???
ボブ デイランが「THE TIME THEY ARE A_CHANGIN」を歌っていた頃、日本は アメリカ軍がベトナムを攻撃 侵略するための補給基地だった。アメリカ政府のいう共産主義勢力拡大を防ぐためアメリカ軍の後押しを日本政府がしていた。沖縄はまだ日本のものではなく、沖縄は米軍が ベトナムに出撃するためのアメリカ基地だった。日本人がパスポートを提示しても簡単にいけるところではなかった。
ボブ デイランが歌いだしてからだ。 アメリカの公民権運動が表面化し、黒人有権者登録運動が大きな運動となり 人々が反戦運動に立ち上がったのは。日本では 安保条約を破棄させる運動が、反ベトナム戦争へと波及し、学生は大学を封鎖し、全学ストに持ち込み、街頭に出て行った。
ボブ デイランがいかに、時代を先駆けていたか、彼の「風に吹かれて」の歌詞をみて、いまでも、驚く。彼はレイチェル カーソンの科学書「SILENT SPRING」(沈黙の春)の発表のすぐ後でこれを書いた。環境ホルモンなどという言葉もまだなかった頃のことだ。
「I 'M NOT THERE」は、ボブ デイランの半生を映画化したものだ。彼のようにまだ生きていて、音楽活動も継続していて、多様性をもった音楽家を ひとつの映画にまとめるのは、いかにも、困難すぎたらしく、映画では、6人の俳優がボブ デイランを演じている。
1959年ー1961年:MARCUS CARL FRANKLIN
1965年 ;BEN WHISHAW
1964年ー1973年:HEATH LEDGER
1966年 :CATE BLANCHETT
1979年ー1981年:CHRISTIAN BALE
1967年 :RICHARD GERE
以上の6人が6様のボブ デイランを演じた。
なかで、ケイト ブランシェットは、これで、ベニス映画祭 最優秀女優賞をもらった。2008年ゴールデングローブでもブランシェットは助演女優賞にノミネイトされた。
初めに 1959年の頃のデイランを演じた、マルコス カール フランクリンは10歳くらいのアフリカンアメリカンの少年で、めっぽうギターで語り弾きがうまくて、一人前に口が立ち よくしゃべる。確かに、ボブ デイランのその年頃、あんなんだったろう と思わせる。天才音楽家の開花直前といったところ。
1973年までのデイランを演じた、ヒースレジャーは 私の大好きなオージー俳優で、「ブロークバック マウンテン」では泣かせてくれた。が、ここでは、フランス人画家と結婚、家庭を持ち、二人の女の子をもつが、妻のラジカルについていけず、オタオタしていて、すごくかっこ悪い。音楽家としては充実期のデイランだ。
1981年までのデイランを演じた、クリスチャン ベイルも大好きな俳優、「バットマン ビギンズ」で あこがれて舞い上がった。彼のデイランは ボーン アゲイン クリスチャニテイーに入って洗礼を受け、牧師とともに説教台に立ち、ゴスペルを歌う。この時期のデイランに批判的な人の方が多いが、彼のゴスペル すごく良い。
リチャード ギアは、デイランがバイク事故で重傷を負い、隠遁生活に入った1967年のころの姿。リチャード ギアは素晴らしい俳優だが、ごっつすぎて、デイランのイメージが私には作れなかった。
しかし、なんといっても、ケイト ブランシェットのボブ デイランが すごい。胸にさらしを巻いて 両あごに詰め物をして、あの頃1966年ころのデイランにそっくり。歩き方、身振り、話し方なんかも。デイランが歌と歌の間にアジテーションをよくいれるが、その調子は全くのデイランそのものだ。劇場の舞台でピアノ語り弾きも、すごく本物。ロイヤル アルバートホールでの舞台だと思うけど、「LIKE A ROLLING STONE 」も、すごい迫力で歌った。
メデイアが インタビューのためにデイランを探していたら、近所のジュニアスクールの子供達と転げまわってふざけて遊んでいたシーンがあったけど、デイランが生き生きしていて ものすごく可愛い。
チェーンスモーカーで、小柄で、やせっぽちで、パワフル、まさに1966年のデイランが生きてよみがえってきて、心の底から、感動してしまった。
デイランは詩人 音楽家として天才だが、ケイト ブランシェットも 役者として天才。彼女は何にでもなれる。変形自在、カメレオンジャック。デ カプリオの相手役で出た映画「アビエーター」で、キャサリンヘップバーンの役をやって、アカデミー女優賞を獲った。話題になる前に見たが、あまりにキャサリン ヘップバーンにそっくりなので、映画を観ながら おーおーおー!っと声を出さずにいられなかった。キャサリンとケイト 全然顔が違うのに、ケイトが演じると 肩をそびやかしたり、歩いたり、話し方もッ表情もキャサリンとしか思えない、すごい役者だとおもってたけど、今回も、ボブデイランという、性別のちがう人の役を 立派に演じていた。
というわけで、私はこの映画、2時間30分を長いと思わず 充分楽しんだが、ボブ デイランをあんまり知らない若い人にとっては、お経みたいなもんなのか???
2007年12月26日水曜日
クジラを食べないで
世界最大の哺乳類で野生動物クジラは、あたたかい南太平洋で、赤ちゃんを産み、子連れで、餌を求めて、南極海まで回遊する。空腹の赤ちゃんを連れて、グループで襲ってくるシャチによる攻撃をかわし、何千何万キロを移動しなければならないクジラの旅が、楽ではないことを、BBC撮影チームが追跡撮影に成功して デビットアッテンボロウも紹介している。
このザトウクジラを、シドニーで観るための、ホエールウォッチングは、観光の目玉になって、世界から観光客が押し寄せる。シドニーから1時間ほど走った、ネルソンベイなどがホエールウォッチングの名所で観光客を満載した船が次々とッ出航する。そんなところまで行かずとも、まだ水が冷たい時期には シドニー湾の中にクジラが親子で迷いこんできたり、ボンダイや、ダブルベイといった高台から、クジラが勢いよく水を噴き上げる姿がよく観られる。それほどオーストラリアでは人とクジラとの関係が密だ。
12月21日、日本政府は今季、南氷洋での調査捕鯨でザトウクジラを捕獲しないことにした。50頭 殺される運命だったザトウクジラが12月19日の時点でアメリカの説得工作を続けていたトーマスシーファー駐日大使によって、2008年6月のIWC会議まで捕鯨中止を合意させた、というニュースが流れ、直後にあわてて日本政府がそれを否定するといったドタバタがあったのち、ともかく、ザトウクジラ捕獲中止が決定されたのは、当然とはいえ、朗報だった。
しかし、この12月に、日本の調査捕鯨が開始され、とりあえずザトウクジラは難を逃れたが、依然として、南氷洋ではナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭の捕殺が始まっている。
ザトウクジラとナガスクジラは、CITES(絶命の恐れのある野生動物の国際敵商取引に関わる条約、通称ワシントン条約)で、絶滅危惧種に指定されている。 また、ナガスクジラ捕獲は南半球では1976年に禁止されている。
オーストラリアのケビン ラッド首相は ザトウクジラ、ナガスクジラなど絶滅危惧種の殺害と肉の輸入はCITES違反であるとして、日本政府に抗議をした。東京在住のマレー マクリーンオーストラリア大使も政府の公式抗議を日本政府に手渡した。 スミス外相と、ピーターギャレット環境相は 外交手段で、抗議するだけでなくオーストラリア政府として、国際裁判に、提訴するため、国際法違反の証拠を収集するため、ビデオカメラを搭載した船舶、オーシャニックバイキング号と、航空機を、現地に派遣した。
ピーターギャレット環境相は現労働党政権の閣僚でありながら、元はグリーンの活動家だった。ちょっと前までミッドナイトオイルという名のロックバンドのリーダーでボーカル、保守政権批判、政府の白豪主義を揶揄し、人々の物欲主義を罵倒し続けた正統派活動家。この彼が 環境相では 日本の調査捕鯨という名の商業捕鯨が ケチョンケチョンに批判されるのが当然、このまま外交問題に、発展していくだろう。
捕鯨反対というとグリーンピースのレインボー号や、小さなボートで命がけの体当たりでクジラの殺生をくい止めようとする実力行使を思い浮かべるが グリーンピースや動物福祉基金や、RSPCAなどの民間ばかりでなく 今やオーストラリア政府が日本政府に対して抗議、船舶や航空機を使って行動に出ていることについて、事態を甘く見るべきではない。
世界で限りのある野生動物を、ひとつの国の国民だけが 殺して食べ続けていて良いわけがない。世界中から、ノンを言われている立場を はっきりと認識すべきだ。
クジラを殺して資源にしたり食料にする時代は終わった。世界の流れに日本だけが逆らって食べ続け、「野蛮人=日本人」のレッテルを貼られている現実から目をそむけてはならない。他に、食べ物が何でもある繁栄の極にある日本人がどうして、クジラを食べ続けるのか。
オーストラリアでは今、毎日のように日本の捕鯨船がクジラを捕らえ、甲板で切り刻んでいるフィルムがニュースで流れている。日本人と わかると、すれちがいざま唾と吐き掛けられたり、「クジラ食うなよ」と、脅かされたりする在外日本人の身を想像してみてくれないか。それを知らずにいる君に ビートルズのイマジンを送りたい。
ザトウクジラ50頭の捕殺は 一時中止されたが依然として ナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭は 今現在、日本の捕鯨船によって、捕殺され続けている。南氷洋はいまごろ、野生動物の赤い血で染まっていることだろう。
このザトウクジラを、シドニーで観るための、ホエールウォッチングは、観光の目玉になって、世界から観光客が押し寄せる。シドニーから1時間ほど走った、ネルソンベイなどがホエールウォッチングの名所で観光客を満載した船が次々とッ出航する。そんなところまで行かずとも、まだ水が冷たい時期には シドニー湾の中にクジラが親子で迷いこんできたり、ボンダイや、ダブルベイといった高台から、クジラが勢いよく水を噴き上げる姿がよく観られる。それほどオーストラリアでは人とクジラとの関係が密だ。
12月21日、日本政府は今季、南氷洋での調査捕鯨でザトウクジラを捕獲しないことにした。50頭 殺される運命だったザトウクジラが12月19日の時点でアメリカの説得工作を続けていたトーマスシーファー駐日大使によって、2008年6月のIWC会議まで捕鯨中止を合意させた、というニュースが流れ、直後にあわてて日本政府がそれを否定するといったドタバタがあったのち、ともかく、ザトウクジラ捕獲中止が決定されたのは、当然とはいえ、朗報だった。
しかし、この12月に、日本の調査捕鯨が開始され、とりあえずザトウクジラは難を逃れたが、依然として、南氷洋ではナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭の捕殺が始まっている。
ザトウクジラとナガスクジラは、CITES(絶命の恐れのある野生動物の国際敵商取引に関わる条約、通称ワシントン条約)で、絶滅危惧種に指定されている。 また、ナガスクジラ捕獲は南半球では1976年に禁止されている。
オーストラリアのケビン ラッド首相は ザトウクジラ、ナガスクジラなど絶滅危惧種の殺害と肉の輸入はCITES違反であるとして、日本政府に抗議をした。東京在住のマレー マクリーンオーストラリア大使も政府の公式抗議を日本政府に手渡した。 スミス外相と、ピーターギャレット環境相は 外交手段で、抗議するだけでなくオーストラリア政府として、国際裁判に、提訴するため、国際法違反の証拠を収集するため、ビデオカメラを搭載した船舶、オーシャニックバイキング号と、航空機を、現地に派遣した。
ピーターギャレット環境相は現労働党政権の閣僚でありながら、元はグリーンの活動家だった。ちょっと前までミッドナイトオイルという名のロックバンドのリーダーでボーカル、保守政権批判、政府の白豪主義を揶揄し、人々の物欲主義を罵倒し続けた正統派活動家。この彼が 環境相では 日本の調査捕鯨という名の商業捕鯨が ケチョンケチョンに批判されるのが当然、このまま外交問題に、発展していくだろう。
捕鯨反対というとグリーンピースのレインボー号や、小さなボートで命がけの体当たりでクジラの殺生をくい止めようとする実力行使を思い浮かべるが グリーンピースや動物福祉基金や、RSPCAなどの民間ばかりでなく 今やオーストラリア政府が日本政府に対して抗議、船舶や航空機を使って行動に出ていることについて、事態を甘く見るべきではない。
世界で限りのある野生動物を、ひとつの国の国民だけが 殺して食べ続けていて良いわけがない。世界中から、ノンを言われている立場を はっきりと認識すべきだ。
クジラを殺して資源にしたり食料にする時代は終わった。世界の流れに日本だけが逆らって食べ続け、「野蛮人=日本人」のレッテルを貼られている現実から目をそむけてはならない。他に、食べ物が何でもある繁栄の極にある日本人がどうして、クジラを食べ続けるのか。
オーストラリアでは今、毎日のように日本の捕鯨船がクジラを捕らえ、甲板で切り刻んでいるフィルムがニュースで流れている。日本人と わかると、すれちがいざま唾と吐き掛けられたり、「クジラ食うなよ」と、脅かされたりする在外日本人の身を想像してみてくれないか。それを知らずにいる君に ビートルズのイマジンを送りたい。
ザトウクジラ50頭の捕殺は 一時中止されたが依然として ナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭は 今現在、日本の捕鯨船によって、捕殺され続けている。南氷洋はいまごろ、野生動物の赤い血で染まっていることだろう。
2007年12月4日火曜日
映画 「INTO THE WILD」


映画「イントゥー ザ ワイルド」ショーン ペン監督のアメリカ映画を観た。
1990年に大学を卒業したばかりの クリストファー マキャンドレス22歳は、約束された有望な将来に見向きもせず、自分を育ててくれた家族、友人すべてを残して 一人で旅立つ。技術者として優秀な父親、一人息子に盲目的な愛を注ぎ込む母親、中産階級のぬくもりすべてを捨てて、学生時代に稼いだ240万円全財産をOXFUN(児童育成基金)に寄付して、自分の身分証明書も、運転免許証も破り捨て、持っていた現金を焼き払い、無一文になって、旅を始める。
南ダゴダから、コロラド川をカヌーでくだり、アリゾナへと下って カルフォルニア、メキシコへと旅をする。心配した両親が警察ばかりでなく探偵まで雇って追跡調査しようとするけれど、身を隠すようにして姿をくらませる。沢山の人々との出会い、人助け、身を粉にして働いて得る食べ物、孤独な老人の心の友になったりしながら彼は旅を続ける。そして最後にはアラスカをめざす。しかし、悪天候と、大自然の猛威なさらされて 遂に生きて帰ることが出来なかった青年の冒険物語、権力とマネーパワーのアメリカに対する反逆児、自然と人との共生をあくまでも追求した理想主義者 ということもできる。
この実在した青年が死ぬ瞬間まで書き続けた日記と友人達からのインタビューをもとにして書かれた、作家ジョン クラクアー(JON KRAKAUER)による同名の本を映画化したもの。ベストセラーの この本を映画化したのがショーン ペンというだけで、注目に値するから、日本ではまだ公開されてないようだが そのうちに出てくるだろう。ショーン ペンは あのマドンナのもと旦那 と説明する必要のない立派な俳優兼映画監督。2003年「ミステイックリバー」でアカデミー主演男優賞、2001年「アイアムサム」で 6歳の娘より知能が低い父親の役を好演した。
この映画で、実在したクリストファー マキャンドレスを演じたのは、エミール ヒルク(EMILE HIRSCH)。彼は「THE EMPERORES CLUB」、「THE GIRL NEXT DOOR」という映画に出ているそうだが私は知らない。私が彼に注目したのは2年前の映画「ROADS OF DOG TOWN」という映画。これはカルフォルニアで1970年代に初めて スケートボードが作られて、これに夢中になった少年達がスポーツとしてスケボーを普及させるという痛快な映画だったが、美少年ばかりが5人も6人も出てきて大いに楽しんだ。中でもこのエミール ヒルクがとても冴えていたので、注目していた。今、この映画で、140分間、彼の冒険物語を見て、改めてショーンペンが抜擢した俳優だけのことはあると思った。コロラド川を警備隊の目を盗んでカヌーで川下り、砂漠を歩き、アラスカの山々を登山、鳥を撃ち半生の肉に食らいつく。「ROADS OF DOG TOWN 」ではぽっちゃりした可愛い少年だったのに、この映画の最後の方 飢えで死ぬ直前などあばら骨浮く姿で、すごく迫力ある演技だった。
彼の冒険物語をみながら、映画「グリズビー マン」が思い出されてならなかった。ショーン ペンは明らかに、この映画というか、ドキュメンタリーフィルムに影響をうけている。青年が山を歩いているときにかかる音楽なんか、ギターかかえて、ひとり男が歌うカントリー調のロックで、とても効果的。この映画ではエデイー べダー(EDDIE VEDDER)が 映画のために曲を作って歌っている。 「グリズビーマン」では、リチャード トンプソンという人が音楽監督、なかでボブ ミッチェルが,「コヨーテ」を歌っていて、とても、印象的で忘れられなくて、あとでCDを探したけど、見つからなかった。
「グリズビーマン」はテイモシー トレッドウェルという、アラスカでグリズビー灰色熊に、人間で一番近くまで行った人の、ドキュメンタリー映画。野生の熊との交流を 何年も、自分でカメラのフィルム回して撮影していて、ガールフレンドと一緒に年老いた熊に襲われ 食われてしまった。熊に襲われる直前まで本人が回していたフィルムだから、それはそれは迫力があった。好きなことをして その結果 命を落とした本人は それで満足だろうが ガールフレンドが彼を助けようとして自分も食われてしまった現実について、現地のインデアンの人は、「認識が甘すぎた。熊との共生は 距離をおいて、互いに尊重しあわなければ誤りだ。」と言っていた。正論だ。
「INTO THE WILD 」でも、グリズビーが出てくる。 この映画、「グリズビーマン」同様、好きな人と嫌いな人がいるだろう。親の立場からみたら、自分の子供にこんな無茶なことをやられた末に 死なれてしまったら、かなわないと思うかもしれない。彼の両親に対する憎しみ、何と自分勝手な、、と、彼に共感できない人も多いだろう。でも子供から大人になる為に、人は一度は親を切り捨てる必要がある。その捨て方は、人が100人いれば100様だ。クリストファーの生きかた、人生をロマンと捉えるか、現実を先に見るか、人は一様ではない。
私は100の説教より行動する青年が好き。一歩踏み出して失敗したら反省すれば良い。この映画、私はこの青年にとても共感できた。身分証明書も運転免許証も焼き捨てて、現金も焼き捨てて、ただただ、自然と一体になりたくて旅に出る青年に 潔い美しさを認める。こんな青年が私達のまわりにたくさんたくさん居てくれても良いのだと思う。
1990年に大学を卒業したばかりの クリストファー マキャンドレス22歳は、約束された有望な将来に見向きもせず、自分を育ててくれた家族、友人すべてを残して 一人で旅立つ。技術者として優秀な父親、一人息子に盲目的な愛を注ぎ込む母親、中産階級のぬくもりすべてを捨てて、学生時代に稼いだ240万円全財産をOXFUN(児童育成基金)に寄付して、自分の身分証明書も、運転免許証も破り捨て、持っていた現金を焼き払い、無一文になって、旅を始める。
南ダゴダから、コロラド川をカヌーでくだり、アリゾナへと下って カルフォルニア、メキシコへと旅をする。心配した両親が警察ばかりでなく探偵まで雇って追跡調査しようとするけれど、身を隠すようにして姿をくらませる。沢山の人々との出会い、人助け、身を粉にして働いて得る食べ物、孤独な老人の心の友になったりしながら彼は旅を続ける。そして最後にはアラスカをめざす。しかし、悪天候と、大自然の猛威なさらされて 遂に生きて帰ることが出来なかった青年の冒険物語、権力とマネーパワーのアメリカに対する反逆児、自然と人との共生をあくまでも追求した理想主義者 ということもできる。
この実在した青年が死ぬ瞬間まで書き続けた日記と友人達からのインタビューをもとにして書かれた、作家ジョン クラクアー(JON KRAKAUER)による同名の本を映画化したもの。ベストセラーの この本を映画化したのがショーン ペンというだけで、注目に値するから、日本ではまだ公開されてないようだが そのうちに出てくるだろう。ショーン ペンは あのマドンナのもと旦那 と説明する必要のない立派な俳優兼映画監督。2003年「ミステイックリバー」でアカデミー主演男優賞、2001年「アイアムサム」で 6歳の娘より知能が低い父親の役を好演した。
この映画で、実在したクリストファー マキャンドレスを演じたのは、エミール ヒルク(EMILE HIRSCH)。彼は「THE EMPERORES CLUB」、「THE GIRL NEXT DOOR」という映画に出ているそうだが私は知らない。私が彼に注目したのは2年前の映画「ROADS OF DOG TOWN」という映画。これはカルフォルニアで1970年代に初めて スケートボードが作られて、これに夢中になった少年達がスポーツとしてスケボーを普及させるという痛快な映画だったが、美少年ばかりが5人も6人も出てきて大いに楽しんだ。中でもこのエミール ヒルクがとても冴えていたので、注目していた。今、この映画で、140分間、彼の冒険物語を見て、改めてショーンペンが抜擢した俳優だけのことはあると思った。コロラド川を警備隊の目を盗んでカヌーで川下り、砂漠を歩き、アラスカの山々を登山、鳥を撃ち半生の肉に食らいつく。「ROADS OF DOG TOWN 」ではぽっちゃりした可愛い少年だったのに、この映画の最後の方 飢えで死ぬ直前などあばら骨浮く姿で、すごく迫力ある演技だった。
彼の冒険物語をみながら、映画「グリズビー マン」が思い出されてならなかった。ショーン ペンは明らかに、この映画というか、ドキュメンタリーフィルムに影響をうけている。青年が山を歩いているときにかかる音楽なんか、ギターかかえて、ひとり男が歌うカントリー調のロックで、とても効果的。この映画ではエデイー べダー(EDDIE VEDDER)が 映画のために曲を作って歌っている。 「グリズビーマン」では、リチャード トンプソンという人が音楽監督、なかでボブ ミッチェルが,「コヨーテ」を歌っていて、とても、印象的で忘れられなくて、あとでCDを探したけど、見つからなかった。
「グリズビーマン」はテイモシー トレッドウェルという、アラスカでグリズビー灰色熊に、人間で一番近くまで行った人の、ドキュメンタリー映画。野生の熊との交流を 何年も、自分でカメラのフィルム回して撮影していて、ガールフレンドと一緒に年老いた熊に襲われ 食われてしまった。熊に襲われる直前まで本人が回していたフィルムだから、それはそれは迫力があった。好きなことをして その結果 命を落とした本人は それで満足だろうが ガールフレンドが彼を助けようとして自分も食われてしまった現実について、現地のインデアンの人は、「認識が甘すぎた。熊との共生は 距離をおいて、互いに尊重しあわなければ誤りだ。」と言っていた。正論だ。
「INTO THE WILD 」でも、グリズビーが出てくる。 この映画、「グリズビーマン」同様、好きな人と嫌いな人がいるだろう。親の立場からみたら、自分の子供にこんな無茶なことをやられた末に 死なれてしまったら、かなわないと思うかもしれない。彼の両親に対する憎しみ、何と自分勝手な、、と、彼に共感できない人も多いだろう。でも子供から大人になる為に、人は一度は親を切り捨てる必要がある。その捨て方は、人が100人いれば100様だ。クリストファーの生きかた、人生をロマンと捉えるか、現実を先に見るか、人は一様ではない。
私は100の説教より行動する青年が好き。一歩踏み出して失敗したら反省すれば良い。この映画、私はこの青年にとても共感できた。身分証明書も運転免許証も焼き捨てて、現金も焼き捨てて、ただただ、自然と一体になりたくて旅に出る青年に 潔い美しさを認める。こんな青年が私達のまわりにたくさんたくさん居てくれても良いのだと思う。
2007年11月30日金曜日
宮本輝の4部作 「流転の海」
作家、宮本輝の長編小説、新潮文庫 計4冊2015ページを読んだ。4部作とは、「流転の海」、「地の星」、「血脈の火」、「天の夜曲」のことで、宮本輝の父親をモデルにした大河小説。宮本輝が35歳のとき書き始めてから、20年かけて4作目が出た。小説では輝が生まれたところから始まり、最終の章では彼が9歳、父親が59歳になったところ。20年かけて 作家は書いてきて4冊で完結するはずが 彼はまだ9歳、このままだと6冊で終了できるかどうか危惧しているそうだ。
私は 大河小説が大好き。好きな順からあげていくと、
1番:マルタン デュガール 「チボー家の人々」
2番:ロマン ロラン 「魅せられたる魂」
3番:パール バック 「大地」
4番:ドストエフスキー 「カラマゾフの兄弟」
5番:住井すゑ 「橋のない河」
6番:ロマン ロラン 「ジャンクリストフ」
7番:アレックスヘイリー 「ルーツ」
8番:北杜夫 「楡家の人々」
どれも、父があり、子があり 2-3世代の家族に渡って志が受け継がれ、歴史に翻弄されながら、人々が愛しあったり、憎しみあったりしながら生きていくお話。
宮本輝は私が最も好きな作家、1947年生まれ、「泥の河」で太宰治賞、「蛍川」で芥川賞、「道頓堀川」の川3部作を仕上げ、「優駿」で吉川英治賞をとり、現在芥川賞審査委員。多作で、最も売れている作家。1995年、阪神大震災で小田誠などとともに、自宅が全壊して失った。そのとき、執筆して、最終章を仕上げていたのが「人間の幸福」だったそうだ。
私は「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」、それと青春時代を描いた「青が散る」「優駿」が好きだ。それと「ドナウの恋人」と、「月光の東」が好きだ。
4部作で、作家の父親をモデルにした主人公の名は、松阪熊吾、常に事業に夢を追う男。作品は1947年に 大阪で貿易商として大掛かりな事業を営んでいた男が 戦争で何もかも焼かれて、灰になった焼け跡に帰ってきたところから始まる。50歳で 財産を失なった男に 予想もしなかったことに、男の赤ちゃんが生まれる。新しい命の到来が 熊吾に、事業の再建を決意させる。彼は強い信念と、優れた行動力でブレインを固め、事業を軌道に乗せていく。 事業が成功すると、やがて人に裏切られてまた一文無しになり、やり直して、また軌道に乗ると、倒産の憂き目にあう。実業家の浮き沈みに伴い、妻も息子も、様々な経験を積んでいく。人の成長は、こうして社会によって育まれるのだということが、わかる。
読書家で知識が豊富。知る限りの教養を一人息子に 理解できる年齢であるかどうかに関わらず詰め込もうとする。その息子の健康のためならば 築いてきた事業を簡単に人に譲って 無一文で田舎に転居するなど、苦もなく実行する。激情家で怒りが爆発すると 妻を殴り、留まることを知らない。情にもろく、人助けが身についている。どこでも骨身惜しまず弱いものを援助する。若い女にのめりこむのも、激しい。火のように 燃えやすい男。喜怒哀楽が激しく、行動的で極端な、"火宅の人”だ。
これを、冷静沈着、粘着質の、性格が反対の極にあるような息子である作家が描いていく。時代とともに、生きた歴史をみるようだ。 こんな風に自分の父親を 一人の昭和を生きた男の人生として書き上げられる作家がうらやましい。私には父を書くことは出来ないだろう。父のように、功績があり、社会的にも高く評価されている人を娘の目から見上げて見えた部分だけを描いて見せるのは 公正でないと思うからだ。描けないほど大きな人、ということも言えるし、何枚原稿用紙があっても書き足りないほど厄介な人、ということも言える。
宮本輝は、あと何年かかって、これを完結するだろうか。気長に 待っていよう。
私は 大河小説が大好き。好きな順からあげていくと、
1番:マルタン デュガール 「チボー家の人々」
2番:ロマン ロラン 「魅せられたる魂」
3番:パール バック 「大地」
4番:ドストエフスキー 「カラマゾフの兄弟」
5番:住井すゑ 「橋のない河」
6番:ロマン ロラン 「ジャンクリストフ」
7番:アレックスヘイリー 「ルーツ」
8番:北杜夫 「楡家の人々」
どれも、父があり、子があり 2-3世代の家族に渡って志が受け継がれ、歴史に翻弄されながら、人々が愛しあったり、憎しみあったりしながら生きていくお話。
宮本輝は私が最も好きな作家、1947年生まれ、「泥の河」で太宰治賞、「蛍川」で芥川賞、「道頓堀川」の川3部作を仕上げ、「優駿」で吉川英治賞をとり、現在芥川賞審査委員。多作で、最も売れている作家。1995年、阪神大震災で小田誠などとともに、自宅が全壊して失った。そのとき、執筆して、最終章を仕上げていたのが「人間の幸福」だったそうだ。
私は「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」、それと青春時代を描いた「青が散る」「優駿」が好きだ。それと「ドナウの恋人」と、「月光の東」が好きだ。
4部作で、作家の父親をモデルにした主人公の名は、松阪熊吾、常に事業に夢を追う男。作品は1947年に 大阪で貿易商として大掛かりな事業を営んでいた男が 戦争で何もかも焼かれて、灰になった焼け跡に帰ってきたところから始まる。50歳で 財産を失なった男に 予想もしなかったことに、男の赤ちゃんが生まれる。新しい命の到来が 熊吾に、事業の再建を決意させる。彼は強い信念と、優れた行動力でブレインを固め、事業を軌道に乗せていく。 事業が成功すると、やがて人に裏切られてまた一文無しになり、やり直して、また軌道に乗ると、倒産の憂き目にあう。実業家の浮き沈みに伴い、妻も息子も、様々な経験を積んでいく。人の成長は、こうして社会によって育まれるのだということが、わかる。
読書家で知識が豊富。知る限りの教養を一人息子に 理解できる年齢であるかどうかに関わらず詰め込もうとする。その息子の健康のためならば 築いてきた事業を簡単に人に譲って 無一文で田舎に転居するなど、苦もなく実行する。激情家で怒りが爆発すると 妻を殴り、留まることを知らない。情にもろく、人助けが身についている。どこでも骨身惜しまず弱いものを援助する。若い女にのめりこむのも、激しい。火のように 燃えやすい男。喜怒哀楽が激しく、行動的で極端な、"火宅の人”だ。
これを、冷静沈着、粘着質の、性格が反対の極にあるような息子である作家が描いていく。時代とともに、生きた歴史をみるようだ。 こんな風に自分の父親を 一人の昭和を生きた男の人生として書き上げられる作家がうらやましい。私には父を書くことは出来ないだろう。父のように、功績があり、社会的にも高く評価されている人を娘の目から見上げて見えた部分だけを描いて見せるのは 公正でないと思うからだ。描けないほど大きな人、ということも言えるし、何枚原稿用紙があっても書き足りないほど厄介な人、ということも言える。
宮本輝は、あと何年かかって、これを完結するだろうか。気長に 待っていよう。
2007年11月23日金曜日
今年最後のACOコンサート
オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)リチャード トンゲテイ監督の定期コンサートを聴いた。2007年最後の定期コンサート。エンジェルプレイス、二階中央の席。この席で聴くのも今年が最後。毎年 年間7回のコンサートを支払って、指定席を手に入れるが、隣の指定席の男が 演奏中 貧乏ゆすりはする、靴の底をこちらに向けて足を組む、一番ひどいのは、ケイタイをオフしないで演奏中 それが鳴り響いたことがあった、、、無作法を絵に描いたような男。二年間我慢したが、なにも我慢大会に出場しているわけでないので この男からなるべく離れたところに席を変えてもらった。
ACOの定期コンサート申し込みも10年になる。これだけ、ひとつの楽団を支持、後援するのは初めて。リチャード トンゲテイは間違いなくオーストラリアでは一番優れたバイオリニストで、彼の率いる室内楽団の、みごとな統制ぶりが実に気分が良い。10年聴いていて、いつも新しい、年を取ることもなく 訓練がよき届いている。なかなかできないことだ。
前に、シドニーシンフォニーオーケストラのことを書いたが、総勢100人ちかくの彼らは 政府の補助金で 給料をもらっている。その彼らを聞きにくる人々は、後ろからみるともうほとんど白髪。オーソドックづなクラシックコンサートは シルバー人口に支持されている。それに比べると、ACOは 同じバッハやベートーベンを演奏するのに、来ている人は 圧倒的に若い人が多い。これはすごいことだ。いつもは、ロックだけれど、たまのデートには オシャレして良いレストランで食事したあと これを聴きにくる若い人は、大変センスが良い。私は まだ五感がシャープな 若い人の好みと選択のほうを信頼する。
コンサートは コルネリのコンチェルトで始まった。そのあと、その日のゲストは、LACEY GEREVIEVE というリコーダーを吹く人。彼女が オーケストラをバックに、テレマンのリコーダコンチェルト というのを吹いた。バロック音楽特有の 音符のすごく多い曲を 早くて小さな音まで きっちり吹いている技術にびっくり。リコーダーって、日本の小学校をやった人はみんな吹ける縦笛だが、いつ息継ぎをするのか心配になるほど、上手で感服。でも、そのあとに続く2曲は、現代音楽で、苦手なので 半分寝てました。6本の、大きさの違うリコーダーを次々と変えて 尺八のような、アボリジニーの伝統楽器のような、雅楽のような、音を出していて、それなりおもしろかったけど。コメントはパス。
最後はベルデイの 弦楽4重奏を、ACOのメンバー全員で、演奏して とても良かった。第一バイオリン5、第二バイオリン5、ビオラ3、チェロ3、ベース1の、17名。団員の入れ替わりが激しい。常にメンバーが変わっている。メンバーになって油断しているとすぐに切られる。一緒に海外公演に遠征できない家庭持ちも すぐに切られる。だから、音楽活動が生活の中心になっていて、常に努力している若い演奏家だけが生き残れる。こんなで、やってきて、道は容易ではなかっただろう。
いつもはアンコールにいっさい応えないACO. どんなに長い交響曲でも全員立ったまま演奏し 終わると拍手が続いていても、にこやかに舞台から去っていくスタイルも独特。それが今回は、今年最後のコンサートなので、4曲アンコールを弾いた。パガニーニの小曲と、フィンランドのフィデロ。弦の音はやっぱり最高。この楽団の行く先、ずっと観ていきたいと思う。
ACOの定期コンサート申し込みも10年になる。これだけ、ひとつの楽団を支持、後援するのは初めて。リチャード トンゲテイは間違いなくオーストラリアでは一番優れたバイオリニストで、彼の率いる室内楽団の、みごとな統制ぶりが実に気分が良い。10年聴いていて、いつも新しい、年を取ることもなく 訓練がよき届いている。なかなかできないことだ。
前に、シドニーシンフォニーオーケストラのことを書いたが、総勢100人ちかくの彼らは 政府の補助金で 給料をもらっている。その彼らを聞きにくる人々は、後ろからみるともうほとんど白髪。オーソドックづなクラシックコンサートは シルバー人口に支持されている。それに比べると、ACOは 同じバッハやベートーベンを演奏するのに、来ている人は 圧倒的に若い人が多い。これはすごいことだ。いつもは、ロックだけれど、たまのデートには オシャレして良いレストランで食事したあと これを聴きにくる若い人は、大変センスが良い。私は まだ五感がシャープな 若い人の好みと選択のほうを信頼する。
コンサートは コルネリのコンチェルトで始まった。そのあと、その日のゲストは、LACEY GEREVIEVE というリコーダーを吹く人。彼女が オーケストラをバックに、テレマンのリコーダコンチェルト というのを吹いた。バロック音楽特有の 音符のすごく多い曲を 早くて小さな音まで きっちり吹いている技術にびっくり。リコーダーって、日本の小学校をやった人はみんな吹ける縦笛だが、いつ息継ぎをするのか心配になるほど、上手で感服。でも、そのあとに続く2曲は、現代音楽で、苦手なので 半分寝てました。6本の、大きさの違うリコーダーを次々と変えて 尺八のような、アボリジニーの伝統楽器のような、雅楽のような、音を出していて、それなりおもしろかったけど。コメントはパス。
最後はベルデイの 弦楽4重奏を、ACOのメンバー全員で、演奏して とても良かった。第一バイオリン5、第二バイオリン5、ビオラ3、チェロ3、ベース1の、17名。団員の入れ替わりが激しい。常にメンバーが変わっている。メンバーになって油断しているとすぐに切られる。一緒に海外公演に遠征できない家庭持ちも すぐに切られる。だから、音楽活動が生活の中心になっていて、常に努力している若い演奏家だけが生き残れる。こんなで、やってきて、道は容易ではなかっただろう。
いつもはアンコールにいっさい応えないACO. どんなに長い交響曲でも全員立ったまま演奏し 終わると拍手が続いていても、にこやかに舞台から去っていくスタイルも独特。それが今回は、今年最後のコンサートなので、4曲アンコールを弾いた。パガニーニの小曲と、フィンランドのフィデロ。弦の音はやっぱり最高。この楽団の行く先、ずっと観ていきたいと思う。
2007年11月20日火曜日
映画 「エリザベス ゴールデンエイジ」

映画「ELIZABTH -GOLDEN AGE」を観た。監督シェカー カプール(SHEKER KAPUR)。1998年の「エリザベス」第一部に引き続いて第二部、三部作のうちの二作目。1585年、エリザベス女王が52歳で、黄金時代と呼ばれる頃のお話。
プロテスタントのイングランド エリザベス女王にケイト ブランシェット、参謀長官にジェフリー ラッシュ、女王お気に入りの侍女にアビー コーニッシュ。イギリス映画なのに、主要な役を3つとも みんなオーストラリア人俳優が演じている。イングランド女王を演じられるイギリス人 いないのか? 日本でいえば天皇の役を中国人とかシンガポール人がやるようなものだろうけど、、。 エリザベス女王が 片思いする航海士で貿易商にクライブ オーウェン。カトリックスコットランド女王にサマンサ モートン。
16世紀 スペインが最大強国で圧倒的優勢なカトリック全盛時代、勢いに乗って スコットランドのカトリック 女王マリアは、イングランド女王エリザベスを暗殺しようとして、逆に反逆罪で捕らえられる。女王マリアは引き立てられ、処刑される。断頭台に立っても 威厳を失わなずに処刑されていく貫禄のサマンサ モートンの演技が冴えている。マリアの処刑を宣戦布告と捉えたスペインは 大軍の船団を編成してイングランドに攻め寄せるが、運悪く嵐の到来にあい また、すぐれたイングランドの海戦術に敗れ 敗退する。エリザベスが 思いを寄せていた航海士は この戦争で大活躍して国を救うが エリザベスの侍女と結ばれていた。エリザベスは嫉妬に苦しみ、悲しみもするが、家庭を持つことよりも イングランドのために、国民の母でいることの使命に立ち返って 女王としての役割を果たす決意を新たにする、というストーリー。
この映画、中世の歴史を知らないか、すっかり忘れていた人のために ていねいなナレーションがついていて、地図つきで 解説しながらストーリーを展開してくれるので とてもわかりやすい。なんか、NHKの毎週日曜夜にやっていた歴史ドラマみたい。NHKアナウンサーの押し付けがましい声で、ドラマが始まる前に しっかりナレーションが入ったのを思い出した。 歴史ドラマのおもしろさは 歴史的事実を おなじみの俳優が演ずることでその時代の風景がよみがえり、人物に命が吹き込まれ、歴史が一挙に身近なものとして理解を深められることだ。
エリザベス第一部が上映された10年前、夫の友人のパーテイーで この映画が話題になっていて、みんながケイト ブランシェットの英語の発音が完璧なクイーンズイングリッシュだといって 褒め称えていた。そのころの私は クイーンズイングリッシュも、コクニーイングリッシュ(下町言葉)も、スコテイッシュも、アイリッシュイングリッシュさえも 全然違いがわからなかった。東京の私には 京都や大阪の言葉のなかに アクセントやイントネーションの違いだけでなく、意味が良くわからない言葉があるのだから、クイーンズイングリッシュと、コクニーの違いは、階級社会英国で、互いに、全然意味がわからない言葉が山ほどあるくらい きっと、両者の溝は深いのだろう。
ケイト ブランシェットは 「エリザベス」第一部を演じて 好評を得たが いつまでもエリザベスのイメージで自分を見られるのが嫌だといって、第二部に引き続き演じるのを固辞し、断り続けていたが あきらめずに執拗に要請されて、仕方なくこの映画の出演を引き受けたといわれている。 それにしても ケイト ブランシェットの美しさ、、、二人の学校に行っている男の子のお母さんなのに、完璧なプロポ-ション、理想的な頭や顔の形、細い首、美しいあごの線、知的な目鼻立ち。全く文句のいいようがない。大抵、どんな女優でも可愛い顔だけど声が下品とか、話すときの表情が下劣とか、整形で不自然とか、話し始めたとたんおでこにおかしな皺が出るとか、知的な事を話しているのに知性が感じられないとか、動作が雑とか、必ず欠点があるものだがケイトにはそれがない。とても良い役者。この映画 こんなにお金をかけて採算が取れるのか 心配になるほど 衣装も建物も家具もアクセサリーも お金がかかっていた。ケイトが画面に出てくるたびに 違う豪華絢爛な衣装を身に着けてでてくる。その姿を見ているだけで、とっても楽しかった。
これをタイプしながら、テレビでは今日あった総選挙の開票をやっている。どうやら11年続いたジョンハワード保守 共和党が負けそう。労働党のケビンラッドが新しい首相になりそう。まだ、全体の開票5パーセントだから はっきりわからないが、労働党に有利な展開。いい気味だ。ジョンハワードは、ジョージブッシュの親友で、アメリカがイラクに軍隊を送って、すぐそれに追従した。労働組合も、無力化させた。アボリジニーに対して、謝罪していない。環境問題で、京都議定書にも署名しなかった。こんな奴 やめてもらいたい。労働党がんばれ!
プロテスタントのイングランド エリザベス女王にケイト ブランシェット、参謀長官にジェフリー ラッシュ、女王お気に入りの侍女にアビー コーニッシュ。イギリス映画なのに、主要な役を3つとも みんなオーストラリア人俳優が演じている。イングランド女王を演じられるイギリス人 いないのか? 日本でいえば天皇の役を中国人とかシンガポール人がやるようなものだろうけど、、。 エリザベス女王が 片思いする航海士で貿易商にクライブ オーウェン。カトリックスコットランド女王にサマンサ モートン。
16世紀 スペインが最大強国で圧倒的優勢なカトリック全盛時代、勢いに乗って スコットランドのカトリック 女王マリアは、イングランド女王エリザベスを暗殺しようとして、逆に反逆罪で捕らえられる。女王マリアは引き立てられ、処刑される。断頭台に立っても 威厳を失わなずに処刑されていく貫禄のサマンサ モートンの演技が冴えている。マリアの処刑を宣戦布告と捉えたスペインは 大軍の船団を編成してイングランドに攻め寄せるが、運悪く嵐の到来にあい また、すぐれたイングランドの海戦術に敗れ 敗退する。エリザベスが 思いを寄せていた航海士は この戦争で大活躍して国を救うが エリザベスの侍女と結ばれていた。エリザベスは嫉妬に苦しみ、悲しみもするが、家庭を持つことよりも イングランドのために、国民の母でいることの使命に立ち返って 女王としての役割を果たす決意を新たにする、というストーリー。
この映画、中世の歴史を知らないか、すっかり忘れていた人のために ていねいなナレーションがついていて、地図つきで 解説しながらストーリーを展開してくれるので とてもわかりやすい。なんか、NHKの毎週日曜夜にやっていた歴史ドラマみたい。NHKアナウンサーの押し付けがましい声で、ドラマが始まる前に しっかりナレーションが入ったのを思い出した。 歴史ドラマのおもしろさは 歴史的事実を おなじみの俳優が演ずることでその時代の風景がよみがえり、人物に命が吹き込まれ、歴史が一挙に身近なものとして理解を深められることだ。
エリザベス第一部が上映された10年前、夫の友人のパーテイーで この映画が話題になっていて、みんながケイト ブランシェットの英語の発音が完璧なクイーンズイングリッシュだといって 褒め称えていた。そのころの私は クイーンズイングリッシュも、コクニーイングリッシュ(下町言葉)も、スコテイッシュも、アイリッシュイングリッシュさえも 全然違いがわからなかった。東京の私には 京都や大阪の言葉のなかに アクセントやイントネーションの違いだけでなく、意味が良くわからない言葉があるのだから、クイーンズイングリッシュと、コクニーの違いは、階級社会英国で、互いに、全然意味がわからない言葉が山ほどあるくらい きっと、両者の溝は深いのだろう。
ケイト ブランシェットは 「エリザベス」第一部を演じて 好評を得たが いつまでもエリザベスのイメージで自分を見られるのが嫌だといって、第二部に引き続き演じるのを固辞し、断り続けていたが あきらめずに執拗に要請されて、仕方なくこの映画の出演を引き受けたといわれている。 それにしても ケイト ブランシェットの美しさ、、、二人の学校に行っている男の子のお母さんなのに、完璧なプロポ-ション、理想的な頭や顔の形、細い首、美しいあごの線、知的な目鼻立ち。全く文句のいいようがない。大抵、どんな女優でも可愛い顔だけど声が下品とか、話すときの表情が下劣とか、整形で不自然とか、話し始めたとたんおでこにおかしな皺が出るとか、知的な事を話しているのに知性が感じられないとか、動作が雑とか、必ず欠点があるものだがケイトにはそれがない。とても良い役者。この映画 こんなにお金をかけて採算が取れるのか 心配になるほど 衣装も建物も家具もアクセサリーも お金がかかっていた。ケイトが画面に出てくるたびに 違う豪華絢爛な衣装を身に着けてでてくる。その姿を見ているだけで、とっても楽しかった。
これをタイプしながら、テレビでは今日あった総選挙の開票をやっている。どうやら11年続いたジョンハワード保守 共和党が負けそう。労働党のケビンラッドが新しい首相になりそう。まだ、全体の開票5パーセントだから はっきりわからないが、労働党に有利な展開。いい気味だ。ジョンハワードは、ジョージブッシュの親友で、アメリカがイラクに軍隊を送って、すぐそれに追従した。労働組合も、無力化させた。アボリジニーに対して、謝罪していない。環境問題で、京都議定書にも署名しなかった。こんな奴 やめてもらいたい。労働党がんばれ!
2007年11月16日金曜日
アシュケナージ指揮のラフマニノフを聴く
アシュケナージ指揮のラフマニノフを聴くオペラハウスにて アシュケナージ(MAESTRO VLADIMIR ASHKENAZY) 指揮、シドニー交響楽団による ラフマニノフを聴いた。
コンサートでは、始めに、「THE ROCKS」という20分ほどの小曲が演奏された。これはラフマニノフが20歳で、モスクワ音楽大学を卒業したばかりのときの作品。
おめあては、清水和音ピアノソロによるピアノコンチェルト第4番と、交響曲第2番。
ラフマニノフというとピアノコンチェルト第二番が有名。ピアニストにとっては難解だが、聴く耳には心地よいピアノ曲。ピアノコンチェルト第三番は、映画「シャイン」のテーマにもなって、よく、ピアノコンペテイションに 使われる曲。ピアノコンチェルト第4番は、めったにコンサートホールで演奏されない曲。それを、日本から来た清水和音が演奏した。昔はピアノの貴公子といわれ、その甘いマスクに熱烈なファンが取り囲んでいたものだが、彼もそれなりに年を経て おなかの周りに肉もついていた。でも、演奏は繊細そのもので素晴らしい。日本人にしか弾けないような 優しい音でひとつひとつの音に 思いをこめるように ていねいに、しとやかで上品なピアノ演奏だった。
第一楽章から 第二楽章にうつるとき、オーケストラは待たせておいて、ピアノ独奏から入るのだが、なかなか始めようとしない清水和音のところまで 指揮者アシュケナージが、トコトコ歩いていって彼の肩に手を置いて いつ始めてもいいよ、オーケストラはまってるからね、、、というようなジェスチャーをして また指揮台に帰っていくハプニングがあって、その茶目っ気のある指揮者に観客は手をたたいて大喜びをしていた。しばらくして始まった清水和音の瞑想から覚めたような、繊細な音は、心にしみていくような美しい音だった。こういった、ちいさなハプニングがライブ音楽を聴きにきている聴衆にとって 一番嬉しいことだ。CDでは味わえない生きた、音の変化が楽しめる。
最後にインターバルをはさんで、ラフマニノフの交響曲第二番(作品27)。これは、ラフマニノフ34歳のときの作品。限りなく限りなくロマンチックな曲。 シドニー交響楽団は、何年も聴きに行っていなかったのでメンバーは大幅に変わっていたみたいだが、フルオーケストラの大所帯。第一バイオリン12、第二バイオリン12、ビオラ10、チェロ9、ベース8、ハープ1、フルート3、ピッコロ1、オーボエ3、クラリネット3、バスーン4、ホーン5、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、テインパ二ー、パーカッション 以上。
アシュケナージは、ピアニストとして有名だが、作曲、指揮、音楽監督と、多面な音楽活動をしてきた。2004年には 日本のNHK交響楽団 音楽監督もやっている。プロコフィエフ、ショスタコビッチを世界各地で精力的に演奏 指揮して紹介師弟t化と思うと、最近、バッハとベートーベンのピアノ曲のレコーデイングをしている。ものすごく、精力的な活動家だ。
彼の指揮を見ていて、どうしてこんなに人気があるのかその、理由がよくわかった。 彼をみていると、曲がわかるのだ。彼が指揮をすると 難しい曲でも、すごくわかりやすい。曲の中の細やかな動きから大きなダイナミズムまで実に ていねいに わかりやすく解説してくれるかのように 指揮をする。にこやかで 気取らず 包容力がにじみでているような人、彼がおもいのままにオーケストラを動かしているのが 観ていてわかる。素晴らしい音楽家だ。
コンサートでは、始めに、「THE ROCKS」という20分ほどの小曲が演奏された。これはラフマニノフが20歳で、モスクワ音楽大学を卒業したばかりのときの作品。
おめあては、清水和音ピアノソロによるピアノコンチェルト第4番と、交響曲第2番。
ラフマニノフというとピアノコンチェルト第二番が有名。ピアニストにとっては難解だが、聴く耳には心地よいピアノ曲。ピアノコンチェルト第三番は、映画「シャイン」のテーマにもなって、よく、ピアノコンペテイションに 使われる曲。ピアノコンチェルト第4番は、めったにコンサートホールで演奏されない曲。それを、日本から来た清水和音が演奏した。昔はピアノの貴公子といわれ、その甘いマスクに熱烈なファンが取り囲んでいたものだが、彼もそれなりに年を経て おなかの周りに肉もついていた。でも、演奏は繊細そのもので素晴らしい。日本人にしか弾けないような 優しい音でひとつひとつの音に 思いをこめるように ていねいに、しとやかで上品なピアノ演奏だった。
第一楽章から 第二楽章にうつるとき、オーケストラは待たせておいて、ピアノ独奏から入るのだが、なかなか始めようとしない清水和音のところまで 指揮者アシュケナージが、トコトコ歩いていって彼の肩に手を置いて いつ始めてもいいよ、オーケストラはまってるからね、、、というようなジェスチャーをして また指揮台に帰っていくハプニングがあって、その茶目っ気のある指揮者に観客は手をたたいて大喜びをしていた。しばらくして始まった清水和音の瞑想から覚めたような、繊細な音は、心にしみていくような美しい音だった。こういった、ちいさなハプニングがライブ音楽を聴きにきている聴衆にとって 一番嬉しいことだ。CDでは味わえない生きた、音の変化が楽しめる。
最後にインターバルをはさんで、ラフマニノフの交響曲第二番(作品27)。これは、ラフマニノフ34歳のときの作品。限りなく限りなくロマンチックな曲。 シドニー交響楽団は、何年も聴きに行っていなかったのでメンバーは大幅に変わっていたみたいだが、フルオーケストラの大所帯。第一バイオリン12、第二バイオリン12、ビオラ10、チェロ9、ベース8、ハープ1、フルート3、ピッコロ1、オーボエ3、クラリネット3、バスーン4、ホーン5、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、テインパ二ー、パーカッション 以上。
アシュケナージは、ピアニストとして有名だが、作曲、指揮、音楽監督と、多面な音楽活動をしてきた。2004年には 日本のNHK交響楽団 音楽監督もやっている。プロコフィエフ、ショスタコビッチを世界各地で精力的に演奏 指揮して紹介師弟t化と思うと、最近、バッハとベートーベンのピアノ曲のレコーデイングをしている。ものすごく、精力的な活動家だ。
彼の指揮を見ていて、どうしてこんなに人気があるのかその、理由がよくわかった。 彼をみていると、曲がわかるのだ。彼が指揮をすると 難しい曲でも、すごくわかりやすい。曲の中の細やかな動きから大きなダイナミズムまで実に ていねいに わかりやすく解説してくれるかのように 指揮をする。にこやかで 気取らず 包容力がにじみでているような人、彼がおもいのままにオーケストラを動かしているのが 観ていてわかる。素晴らしい音楽家だ。
登録:
投稿 (Atom)