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2014年2月27日木曜日
オノ ヨーコ展 「ワー イズ オーバー」イン シドニー
前衛芸術家が一般の人々に受け入れられ、理解されるようになるためには、長い長い時間が必要だ。紺碧の空を突き抜けていくような、明るく輝く楽曲を作り出したモーツアルトが、貧困のどん底で死ななければならなかったのも当時としては前衛的な楽風が、人々に理解されなかったからだ。ダダイズムやキューレーターたちが、生きている内に人々に受け入れられて、作品を愛されたとしたら、それはとてもラッキーなことかもしれない。
ビートルズが大好きな人は、前衛芸術家、オノ ヨーコが大嫌いな人が多い。ビートルズを解散させた張本人で、ジョン レノンをたぶらかしてビートルズの音楽活動を停止させ、ジョンの死後はジョン アンド ポールの曲を、ポール アンド ジョンと書き換えたポール マッカートニーを訴え、他の誰とも妥協しようとしなかった。アバンギャルト芸術家の理解しがたい考え方や、奇妙な行動、度肝を抜くような姿、道路脇のゴミ箱から拾ってきたものを展示しているような数々の芸術作品。どなって叫ぶばかりのロック風音楽、すぐ裸になってみせる過剰なパフォーマンス、、、何やってんのかわかんないよ、の世界なのだ。
ジョンが死んで30年余り。いま80歳のオノ ヨーコが、70歳を過ぎたころから、やっと人々に理解され徐々に受け入れられてきたことは 嬉しいことかもしれない。彼女は世界各地で「ラブ アンド ピース」のメッセージを伝えるために個展を開いて、勢力的に 制作し活動している。ダンス・クラブ、プレイの分野では、彼女が作曲した作品がビルボードチャートに何度も第一位になった。その数、10曲。ゲイカップルを支持して、「ゲイ ウィデイング」を作曲し、ヒットチャート第一位になったのは、彼女が71歳のときだった。2009年には 世界的な現代アートのべエチアビエンナーレで、生涯業績部門で金獅子賞を受賞した。「ラブ アンド ピース」賞で獲得した500万円をパレスチナとイスラエルの若い芸術家育成にために寄付した。2000年、ジョン レノンミュージアムをオープン、2006年、トリノ オリンピックの開会式で歌を歌い世界平和を訴えた。
シドニーで、「ワー イズ オーバー」オノ ヨーコ展が開催されたので、行ってきた。オペラハウスを正面に、シドニー湾を広く見渡す港の一角に建てられた現代美術館の、特別展示室6室を使って、彼女のフィルム、彫刻などの作品25点が展示されていた。広々とした展示室は、自然の光が良く入り、明るく、意外にも音が全く流れていなかった。
1)「カット ピース」(1964・2003)
入口近くに大きなスクリーンが二つあって、フィルムが上映されている。ひとつは1964年ロンドンのパフォーマンス、もう一つは2003年のパフォーマンスフィルム。正面を向いて、椅子に座ったヨーコの着ている服を 複数の人々が大きなはさみで切っていく。ヨーコは終始無表情で完全に裸になるまで、じょきじょき服が断ち切られていく。ヨーコは1964年のころジャン ポール サルトルに傾倒していて実存主義に立ち、人間としての普遍的な苦悩をどう表現するかを模索していた。作品を通してヨーコは自分の内部の苦痛を訴えている。この作品は世界各国で上演されていて、ロンドンでは熱狂した観客が暴力的になって、パフォーマンスの最中ヨーコが警備員に保護、助け出される場面もあったという。作り手と観客との隔たりを無くそうとしたヨーコは、作り手も観客も一緒になって融合してこそ作品が生まれると考えていた。1964年と2003年の二つのフィルムが、同時進行の形で上映されていて、若いヨーコと70歳のヨーコが同時に見られるが、実は40年間の年月経過によって何も変わっていないことがわかる。少しも年を取らない、ゆるぎないヨーコの内面精神に、改めて驚かされる。
2)「プレイイット バイ トラスト」 (1966。2013)
部屋に、6つの白いチェスのテーブルと、12客の椅子がセットされていて、「どうぞチェスで遊んでいって」と。座ってみると、どちらのチェスの駒も白い。ゲームを進めていくと、自分の駒がどこまで進んでいったか、相手が攻めているのか、自分が勝っているのかどうかさえも わからなくなってくる。ジョンとヨーコが、この白い駒のチェスをやっている写真を、大昔見たことがある。人には敵も味方もない。争わなくても人と人とは信頼し合ってゲームを楽しむことができるという実験だ。1966年にロンドンでこの作品の展示を見た、ジョンがヨーコに興味をもった切っ掛けになった作品だそうだ。
3)「テレフォン イン メイズ」(1971.2013)
プラスチックの大きな迷路になった部屋ができていて、中に電話がひとつ。靴を脱いで中に入り迷路に迷いながら電話にたどり着く。この電話に、ニューヨークに居るヨーコが週に一度くらいの割で電話をかけてくるそうだ。運の良い人は彼女と禅問答みたいな会話ができるという。中で、しばらく待ってみてニューヨークに念力を送ってみたが効かなかったみたい。
4)「クリケット」(1998)
天井からたくさんのコウロギを入れる竹かごが吊るされていて、近付くとコオロギの鳴き声を聞くことができる。
5)「ウィンドウズ」(2009.2013)
広く開かれた窓は、オペラハウスを真正面にして、海に向かっている。窓の下には、大きな旅行鞄。窓を通して心が外に広がっていく。気持ちが解放されていく。
6)「マイ マザー イズ ブュ―テイフル」(2004.2013)
壁いっぱいに自分の母親へのメッセージを書いて貼り付けるようになっている。すでに何百枚ものメッセージで壁は一杯だった。お母さん大好き、というようなメッセージから、母親への不平不満を並べたものもあって、ながめ渡してみると楽しい。ヨーコは自分が母親にあまり愛情を示してあげることがなかったので、天国にいる母親にメッセージを送っているのだという。
7)「イマジン マップ ピース」(2003.2013)
大きな世界地図が壁いっぱいに張ってあって、スタンプがいくつも机に乗っている。自分が祈りを込めて平和を願う地域にスタンプを押していってください、と。パレスチナにひとつ、南スーダンにひとつ。それから、、、アフガニスタン、チベット、エジプト、ウクライナ、、、考えてみたら日本も含めて平和な場所などどこにもなかった。ほとんど、地図上でスタンプのないところなどない世界地図を改めて見入る。
8)「ヘルメット」(2001.2013)
天井からいくつものヘルメットが吊るされている。ドイツ兵のヘルメットだ。逆さに吊るされたヘルメットの中に、青い色のジグゾーパズルがいっぱい入っている。「青空のかけらを持って行ってください」、とある。3つほど取ってポケットに入れる。たくさんの兵士が死んで、からになったヘルメットは空に向かって何を訴えたのだろうか。
9)「タッチ ミー」(2008)
シリコンでできた女の体、「唇」、「乳房」、「腹」、「大腿」、「足」が並んでいて、来た人はまず温かい水で手を濡らしてから 次々と体の部分を触っていく。私が行ったときは足のひとつの指がちぎられて無くなっていた。この作品を初めてニューヨークで展示した時、体の部分部分が形をとどめないほど破損したので展示会側が作品を撤収するように提言したが、ヨーコは、この破損した姿が今日の暴力にさらされている女の真の姿だといい、撤収を認めなかったという。
10)「ドア アンドスカイ パドル」(2011)
大きな部屋いっぱいに 木のドアがたくさん床に置かれたり、角に立てかけられたり、天井からつるされたりしていて、ドアの横に空を映した水溜りが展示されている。ドアは私たちの心の境界線を表していて、必要なのは勇気をもってドアを開けて通り抜けることだ、と言っている。
11)「エンデンジャー スぺシイズ」絶滅危機にある種 (2319.2322)
4人家族の人々と一匹の犬が、打ちひしがれたように、うなだれて下を向いている、実物大の彫刻。ベンチに座った家族は肩を落とし、希望を失って悲しみに満ちた顔をしている。4人の家族のそれぞれの手には、死亡した人につけられる名前カードが取り付けられている。何という暗さ。
ヨーコは環境保護運動にも積極的にかかわってきたが、現在アメリカで盛んにおこなわれているシェールガス掘削が、深刻な地球環境を破壊するとして、反対している。地球の死は人類の死だ。それが2319年から2322年に起こると予想している。事実、シェールガスの掘削は 今後の地球環境に大きくかかわってくるだろう。世界の環境を壊しているのは、中国の大気汚染ではなく、アメリカのシェールガスなのだ。ヨーコの指摘は正しい。
12)「ウィー アーオール ウォーター」(2006.2013)
大きな部屋の一方の壁に沢山のウォーターボトルが並んでいる。プラスチックボトルにはラベルが貼ってあって、ヨーコのちんまりした字で ボトルに名前が書かれている。私たち人間がみんな名前は違うけれどみんな一様にただの水を入れた容器にすぎないではないか、と言っている。ラベルを見ていくと有名人や学者や、芸術家の名が並んでいるけれど、ジーザス クライストの名も 同じように並んでいる。キリストも自分も他の人々もみんなただの水でできた容器です、と、、。この作品が私はいちばん好きだ。
13)「フィルム」
別にフィルムルームがあって、大型スクリーンで、ヨーコの作品を次々と見せている。フィルム「ボトムズ」お尻(1966)は、ヨーコの作ったフィルムでは一番有名かもしれない。男、女、年齢などに関わらず、様々な人のお尻を後からとったフィルム。画面いっぱいに移された、誰ものものかわからないお尻が延々と続く。人の無防備なお尻は、一番人間らしい姿かもしれない。
14)「ウィッシュ ツリー}(1966)
ユーカリの木がプランターに植えられて現代美術館の屋上テラスに置かれている。それぞれの人が、紙に自分の「ねがい」と書いて紐で木に吊るすことができる。3本の大きな木に何百という「ねがい」がくくりつけられていた。日本の七夕の短冊にヒントを得ているが、オーストラリアでは珍しいからか、展示会に来た人はみな、ここで願いを書いて立ち去っているようだった。「人に迷惑をかけずに老いて死んで行けますように。」これは私の世代の誰もが切実に望んでいることかもしれないから、ベビーブーマーを代表して書いて、吊るしてきた。おりしもシドニー湾には、大型豪華船エリザベス2号が停泊しており、オペラハウスが正面に佇む美しい眺めをバックに、たくさんの人の「ねがい」をつけたウィッシュツリーは 海風を受けて涼しそうに揺れていた。
80歳のオノ ヨーコの「ワー イズ オーバー」(戦争は終わる、あなたが望めば)。とても良い展示会だった。