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2014年2月14日金曜日

映画「マンデラ」とマンデラの土地開放政策の失敗について

                                                                                                       
映画「マンデラ 自由への長い道」
原題「MANDELAー LONG WALK TO FREEDOM」
英国、南アフリカ共同制作
監督:ジャステイン チャドウィック
キャスト
ネルソンマンデラ:イドリス エルバ
ウィニー     :ナオミ ハリス
ウオルターシスル:トニー キゴロキ
ゴヴァン ムベキ:ファナ モコエナ

2013年12月5日、ロンドンでこの映画の上映会に、英国皇太子ウィリアムと妻、キャサリンも招待されていて、鑑賞中に95歳のマンデラの死が伝えられ、その場で、全員が黙とう、皇太子ウィリアムが即席で追悼のスピーチをした、という。
映画は、若い日のマンデラが、ヨハネスブルグで、数少ない黒人の弁護士をしていた1942年ごろから大統領になるまでの時期を描いた、マンデラ自身の自伝を映画化したもの。
若いマンデラは、黒人が次々と不法逮捕され弾圧されている中で、人権派の弁護士として活躍している。体が大きくボクシングで汗を流し、人々から信頼されて、女からも人気がある。少数白人による圧政下にあって、黒人たちの不満は抑えきれず、あちこちでストライキが頻発する。劣悪な労働条件を改善させるためにアフリカ民族会議(ANC)が勢力を伸ばしていて、マンデラも当然のように、組織に加入する。徐々に、アパルトヘイト政策が露骨になって、黒人組織への弾圧が厳しくなってくると、ANCは、政府と軍への抵抗から、さらに武装闘争へと路線を急進化させる。マンデラは、先頭に立って、政府の公共施設に爆弾を仕掛け、ゲリラ戦のリーダーとなっていく。その過程で、家庭は破たんし、妻は二人の息子のうち長男を残して、出ていく。そして、マンデラは黒人で初めてソーシャルワーカーになった、ウィニーに出会い、再婚する。武装闘争を主導するマンデラら、ANCの主要幹部は地下に潜り、ゲリラ破壊活動を続けるが、ついに逮捕され、他の6人のメンバーとともに拘束される。

1964年、ANC幹部6人とともに、マンデラは国家反逆罪で死刑を求刑されるが、辛うじて死刑を逃れ終身刑を宣告されて、ロベン島刑務所に送られる。年に2通しか許されない家族との手紙のやりとり、、、岩を削り石を切りだす重労働の日々。その間にマンデラは、結核を患い、母親を亡くし、12歳の長男を亡くし、妻ウィニーの16か月にわたる逮捕、拘束を知らされることになる。27年間の月日が流れる。
こうしている間にも、国際社会では、南アフリカのアパルトヘイト政策への批判が強まってきて、国連からは公然と批判され、各国から経済制裁を受けて、バッシングは強まる一方だった。デクラーク大統領は、マンデラらANC幹部を釈放して、批判勢力を懐柔し、過激化する黒人解放運動の動きを封じようとする。1994年、マンデラらは、釈放されて、政府首脳部と話し合いの席に着く。マンデラは、民主主義に基付いて人種に関係なく黒人に白人と同じ権利、「一人一票」を与えることを主張する。一方、ソエトの黒人による暴動は、激しさを増すばかりだった。若い世代が暴徒化して止まる事がない。

マンデラはテレビを通じて国民に呼びかける。自分は27年間獄中にあった。黒人は長いこと白人から抑圧され、人として扱われてこなかった。しかし 私たちは仕返しをしてはならない。私は、白人が私に対してしたことを赦すことができる。だから、あなた方も赦すことができるはずだ。人は肌の色や育ち、信仰の違いを理由に人を憎むように生まれてきた人はいない。人は憎しみを学ぶ。もし、憎しみが学べるならば、赦して、愛することも学べるはずだ。憎むことを止めなさい。憎しみは何も生み出さない。復讐することを止めなさい。街に出て暴力をふるうことを止めなさい。人には愛があるはずだ。家に帰って、心を静めてそして、1票を選挙で投じてください、、、。マンデラの訴えは、人種に関係なく人々の心を打った。やがて1994年、民主的に選ばれた初めての黒人の大統領が南アフリカに誕生する。というお話。

役者マンデラを演じたイドリス エルバは、ロンドン生まれの英国英語を話す役者で、映画監督で歌手で、ラッパーでもあるけれど、この映画では、完全にマンデラの口調で、話していて、声もそっくりだった。ウィニーを演じたナオミ ハリスもロンドン生まれ、ケンブリッジ大卒の女優で、2012年には007「スカイフォール」のボンドガールを演じた美女だ。夫マンデラのいない間に、権力への憎しみをつのらせて、警察に連行され暴行を繰り返し受けて急進化していき、マンデラの穏健政策とは相いれなくなって離婚せざるを得なくなっていく過程は、せつなく哀しい。
余りに偉大な人の自分で書いた自伝を忠実に映画化した作品だから、もんくの言いようがない。この映画の公開が、彼の死の時期に重なった。

マンデラが入退院を繰り返すたびに、マスコミが大騒ぎして醜かった。オーストラリアには公営ニュース2局、民間ニュースが3局あるが、それぞれがマンデラの病状に変化があるたびに記者、カメラマンを現地に派遣していて、世界中からもマスメデイアがハゲタカのように、何千人と集まって来ていて、あさましい。なぜ彼の尊厳に敬意をこめて、そっとしておけなかったのか。彼の残した「人種差別のない国」、「虹色の社会」、「赦し」といった、きれいな言葉だけが繰り返されて、いつの間にか世界中がマンデラファンになっていて異様だった。白人が得意げにマンデラの「赦し」を語り、差別のない社会を説く姿がうとましい。差別を受けた側の痛みを伴う「赦し」と、特権を謳歌してきた側の「赦し」との間には、天と地ほどの隔たりがある。

マンデラが語った「赦し」、差別されてきた怒りを鎮め、憎しみを捨て心安らかに愛を持って赦そう、そして差別のない虹色の社会を作り出そう、という理想を受け継ぐことは大切だ。そういった彼の思想は崇高で、人間の尊厳に満ちた理想だ。しかし、残されたものは思想を継承すればそれでよいということはない。マンデラがしようとしてできなかったことを実現することが、真の継承ではないか。

1994年マンデラは大統領になり政権を取り、土地開放をしようとしたができなかった。当初、白人所有の農地のうち30%を黒人に農地解放する予定だった。その後、20年たっても4%の土地しか再分配されていない。国土の87%を5万人の白人が所有している。新政府は強権をもっては白人の土地を取り上げず、土地分譲を自由意志にまかせたため、誰も自ら土地を黒人に分配する白人農場主はいなかった。何万件もの土地返還請求が出されたが、認められたのはわずか1%だった。政府は白人農場主が農地をひとつ譲るごとに、最高約4600万円もの費用でそれを買い取り黒人に分配する予定だったが、そのための費用を政府は出していない。黒人が土地を買うために政府は最高約25万円まで補助金を出す予定だったが、その予算も使われていない。結果として白人農業主から分配されたわずかな土地は、すでに社会的に安定している少数の黒人のものになって政治的腐敗層を作り出す結果になっただけだった。

選挙前から、白人経営の6万5千にのぼる農場で働いてきた700万人の黒人就業者たちは、今までどうりの生活を続けていて、彼らにとって「土地開放」はなかった。1994年以前、土地を持たない黒人小作農民は 白人農家の農地で生まれて育って働いてきたが、1996年に小作人保護法ができると、小作農に支払わなければならない賃金が高くなって白人農場主は支出を惜しんで自分の土地から黒人たちを追い出す結果を招いた。そのため多くの土地なし黒人農民は生まれた土地を離れざるを得なくなった。土地を追われた人々は都市に流入し、ジンバブエなどからの不法移民と、深刻な対立をみせている。
現在の南アフリカは失業率46%。ヨハネスブルグは、いま世界中でもっとも危険な都市となり、毎年3000余りの人が殺人で命を落としている。また、HIV感染率も世界一。15歳から49歳までの成人HIV感染率は21,5%、国民の4人に一人の割でHIVに感染している。妊婦の29,5%がHIV陽性でもある。生まれてくる子供たちの未来はあるのか。

マンデラは農地改革、土地開放政策に失敗した。農業経済の自由化、市場開放に期待して強権を発揮しなかった。1994年に国土の90%を所有していた白人農業主から農地を強制的に取り上げず、白人農業主の自由意志で土地分譲を望んだ。しかし、強制的な土地の没収と、黒人への土地分配なくして農地改革はない。ジンバブエでは、ムガベ大統領が強権で白人農業主から土地を奪い、黒人に分配したため、農業技術を持たない農民が多量に出て農業生産が一挙に落ち、空前のインフレと食糧難を導いた。人々は餓えている。同じ過ちを繰り返さないために、農業政策として土地分配に先立って、黒人農業主の組合、互助組織を組織化し、農業技術教育が行われなければならない。また鉱業部門でも労働者の組合の組織化を進めなければならない。そういった国の経済基盤の民主化が進まない限り、差別社会は無くならないし、黒人による「赦し」もない。農地が分配されるまでは、「愛に満ちた虹色の社会」もない。マンデラの意志を継承するためには、まだまだ思い切った政策のためにたくさんの血が流れなければならない。