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2009年12月15日火曜日
映画 「クリスマス キャロル」
映画「クリスマス キャロル」を観た。デイズニースタジオ制作。100分。
監督:ロバート ゼメチス
声役:ジム キャリー
他に ゲイリー オールドマン、ロビン ライト ベン、コリン ファースなどが 声役で出ているが ジム キャリーが 3人の精霊などのほか一人7役で、いろんな声を出して大活躍している。
フィルムは実写でもアニメーションでもない。俳優が演じている それをデジタル化した「パフォーマンス キャプチャー(CG)」という特殊な映像だ。
アニメーションよりもずっと厚みがあって、実態の人間に近い。これを「3D」の眼鏡をかけて見ると、映像が手で触れることが出来るように、近くに見える。学校がもうクリスマス休みに入っているので、劇場にはたくさんの子供が来ていたが、実際、画面から降ってくる雪を摑もうとして 手を伸ばしている子供が 随分居た。こんな映像を3Dで見てしまうと、いかに今まで観てきた映画が のっぺりした平面だったのか、と驚かされる。今後、フィルム技術が進んでいくと 映画産業どうなるのだろうか。今後は アニメーションやオカルト 恐怖映画などは、このCGと3D効果のフィルムで観るというよりは「体験」する、ということになるのだろうか。
2005年に 同じ監督ロバート ゼメチスの「ポーラーエクスプレス」を観た。これが初めて 俳優の演技をデジタル化したパフォーマンス キャプチャー映像だった。3Dではなかったが、おとぎの国の汽車が雪の中を 子供達を乗せてサンタの国を旅するお話だった。汽車を運転するトム ハンクスや 飲んだくれの男やユーモラスなサンタなど、厚みのある暖かな映像で、子供の頭の中にあるクリスマスというイメージが そのまま映像化されたような映画だった。いまでも、雪のなかをどこからか、走ってきて自分の前で止まってくれる 美しい汽車の姿が よく思い出される。
今回の「クリスマス キャロル」は 英国のチャールズ ディケンスの作品を忠実に映像化したもの。ストーリーは、
クリスマスイブ
金融業を経営している大金持ちの守銭奴 スクルージにとってクリスマスなど何の意味もない。
甥がクリスマスデイナーの招待に来ても うるさがって追い返してしまうし、慈善事業化がチャリテイーの募金を請いにきても 怒って追い出してしまう。書記の クラテットは、信仰厚い男なので 明日のクリスマスだけは年に一度だけ 家族のために過ごしたいと願っているが ケチなスクルージは、許さず クリスマスでも出勤するように命令する。スクルージが街を歩けば 街角で賛美歌を歌う人々も声を潜める。彼は誰からも嫌われている エゴイストで冷酷な守銭奴だった。
夜になった。 スクルージのもとに 7年前に死んだはずの 共同経営者だったマーレイの亡霊が出てくる。物欲にとらわれたまま死んだマーレイは 全身を鎖で締め付けられて 恐ろしい姿で天国にもいけずに 彷徨っているのだった。マーレイは スクルージに 3人の精霊が現れるだろう と言って姿を消す。
第1の精霊は ろうそくの姿をしていて、スクルージを過去の旅につれて行く。スクルージが生まれ育った土地にもどり 彼が子供のときにクリスマスがどんなに待ち遠しかったか どんなに真摯な気持ちで神様に祈りを捧げていたか 記憶が呼び戻される。
第2の精霊は スクルージに、クリスマスイブの現在を見せる。書記のクラチット家では 貧しいが心のこもったクリスマスデイナーの最中だった。家族思いの クラチットの末の息子は、足が悪く、病気がちだ。クリスマスという特別な日に、仕事を休むことを許さないスクルージに、妻は 不満を持っているが、クラチットは、雇用者のスクルージに感謝の祈りを捧げるのだった。
第3の精霊は未来を映し出す。悪魔のような黒い影の霊が スクルージを未来のクリスマスに連れて行く。そこにスクルージはもういない。横にされ 布を被せられた死体があり、その死体から衣類を剥ぎ取って売り買いする あさましい男女が出てくる。次に行くのは墓地だ。そこにスクルージの墓がある。また、クラチット家に連れて行かれてみると 病気だった息子が亡くなって 嘆き悲しむクラチットの姿がある。その姿を見て、さすがのスクルージも胸を締め付けられる。
3人の精霊に、過去、現在、未来の自分を見せられて、スクルージは クリスマスの朝、すっかり改心して生まれ変わる。子供のように 街に出て はしゃいで人々と一緒に賛美歌を歌う。出勤してきたクラッチにお祝いを渡し、昇給を約束して家に帰す。慈善活動家に募金して、甥の家を訪ねてクリスマスデイナーを共にする。
それからは、スクルージは 誰からも愛されるような人となり クラッチの息子テイムは、スクルージを第2のお父さんのように慕うのでした。というお話。
CGを3Dで観る という体験は やってみる価値がある。これで本当にこわいホラーを体験したら、やみつきになるかもしれない。
ディケンズが 「クリスマス キャロル」を出版したのは1843年。イギリス ビクトリア時代、アフリカにもアジアにも 植民地拡大で国の威力を誇示していた大英帝国の時代だ。しかし、庶民の暮らしは貧しかった。貧富差は 産業革命で拡大する一方だ。だから、富めるものが貧者に分け与える慈善行為が、唯一貧者にとっての恵みだった。
「福祉国家」、「階級闘争」の概念は まだない。マルクスもまだ「資本論」を書いていない。
そんな時代に 貧民階級出身で、良きクリスチャンであり、良心的な市民であったチャールズ デイッケンズが書いたクリスマススト-リーが「クリスマス キャロル」だ。こわいお化けがでてきて 子供達を震え上がらせるから、少し荒っぽいが 人々への教育的な意味を持っている。持つものが持たざるものに分け与え、 キリスト生誕の日に悦びを分かち合うことが テーマだ。これがこの時代のヒューマニスト デイッケンズの根底思想であり、慈善活動の助け合い精神の大切さを人々に説くクリスチャンの世界観なのだった。
慈善で貧富差を縮小することは出来ない。しかしクリスマスにチャリテイーをするのは、伝統であり 今も変わることのない習慣だ。
クリスマス休みには 毎年ロクな映画はない。クリスマスには シドニーでは、デパートも店もレストランも閉まるし、公共交通機関も間引き運転、タクシーもない。パン一枚 ミルク一本 手に入らないから 外に出ても何もすることが出来ない。出来ることは 歩いていける範囲の教会のミサの時間を確かめて参加するくらい。ホテルか家に戻ってテレビをつければ、やっているのは「十戒」だけだ。どの局も毎年 このチヤールス ヘストンの古い映画を飽きもせずに上映する。
そのくせ 道路はビュンビュン車が飛ばしている。どこの家も家族全員車に乗せて両親の家に行き クリスマスの食卓を囲むことが伝統だ。年1度 この日だけは 皆が親思いになり 親戚すべてが一堂に会してクリスマスプレゼントをあげあう。これはオーストラリアに限らず 欧米諸国も同様。だから、この習慣に従わない マイノリテイーの外国人やクリスチャンでない人は 小さくなっているに越したことはない。
わたしは、仕事。
どこに行くこともできない患者たちと、クリスマスイブの花火を見て アルコール抜きのシャンパンを開ける。
メリークリスマス!!!