ページ

2009年12月23日水曜日

映画 「2046」


娘達が私の誕生日に ソニー製テレビ ブラビア大型デジタル、101センチ、フルハイデフィニション、100HZ,ダイナミックコントラスト100,000:1,1920+1080レソルーション、3年保障、ソニーPS3つき、というのを買ってくれた。
今までの21インチのテレビで何の問題もないし、テレビはニュース以外見ないので 新しいのは要らない要らない と言って続けてきたが ついに政府が テレビはデジタルに変えてください、従来のテレビを使い続けるには 特別に何とか言う機材を取り付けなければならなくなります、と言い出した。いずれデジタルを買わなければならないのなら、、、ということで 申し出に甘えて 娘達に散財をさせた。

画面は確かに美しい。日の出、日の入り 砂漠やオアシスの花々など、自然が良く、コマーシャルフィルムの美しさに目を見張る。それでは、、、と 劇場で映画を観ないで家でビデオを観ることにした。観たのは ウォン カーウァイの「ブエノスアイレス」と、「2046」。

ウォン カーウァイの映画に筋はない。ひとつひとつの画面が「詩」であり、それが重なり続いて長編詩となる。短い詩がいくつも集められて編集された結果が2時間なり3時間なりの映画という形になるから、長大な抒情詩に、物語性は求めず ただ画面を楽しめば良い。
そこが、同じ中国人監督でも、チャン イーモウや チャン ガイコーや ジョン ウーや、アング リーなどと全然違う。

この監督は1958年生まれの香港育ち。1944年の「恋する惑星」で、クエンテイノ タランテイーノに絶賛されて注目されるようになった。
1997年の「ブエノスアイレス」では トニー レオンと レスリー チャンの愛人関係、2001年の「花様年華」では トニー レオンとマギー チャンの人妻との愛、2008年の「マイ ブルーベリーナッツ」では ノラ ジョーンズとジュード ロウとの愛のあり方を描いた。いつもテーマは愛だ。
「ブエノスアイレス」について書くと とても長くなるので「2046」を先に書く。

「2046」では過去と現在とが交差する。過去の恋人を忘れられない作家(トニー レオン)が 香港のホテルの2046号室で 過去の女たちと出会い、また現在の女達と出会う。
ホテルの主人の娘(マギー チャン)は 日本人(木村拓哉)を愛し、親の目を盗んで連絡を取り合っている。高級娼婦のとなりの部屋の女(チャン ツイイー)は作家を本気で愛してしまうが作家に 一緒に住みたい女はいないと言われて傷ついて自堕落になる。マカオで金を摩り香港に帰れなくなった作家を助けてくれるのは 昔、作家を愛したことのある女性(コン リー)だ。アンドロイドになって 彷徨う女(フェイ ウォン)に、カリーナ ラウ など、次から次へと美しい女優が出てくる。中国、香港、台湾じゅうを とびぬけて美しい女優をピックアップしたかのようだ。それをウォン カーウァイは、彼の美意識で それぞれの女達の記念写真を作るように選びに選んで 美の凝縮を切り取って見せる。

中でもチャン ツイイーの美しさ、可愛らしさは特別だ。作家が自分の失礼を詫びに 隣の女の部屋に出向いたとき 怒ったふりをして背を向けるチャン ツィイーの何という 表情豊かな後姿、、、振り返ったとき冷たい目ざし。襟の高い ぴったり空だい張り付いているような中国服が これほど似合う女優は他にはいないのではないか。本当に美しくて、ほくろの一つ一つまでが愛らしく見える。今は中国を代表する女優だそうだが、本当に中国映画の中で見るチャン ツイイーは水を得た魚のように自由奔放で美しい。

チャン イーモウ監督「LOVERS」など、つまらない映画だったが、この映画ではで盲目のチャン ツイイーが 酒の席で舞いを見せる。このシーンだけのために この映画をみる価値がある と思うほど彼女は 美しい舞いを踊った。同じくつまらない映画だったが、「クローチングタイガー ヒドンドラゴン」(邦題グリーン デステイニー)では、勝気なお姫様姿が 可愛らしかった。それだけに「サユリ」での渡辺謙とふたりでしゃべっていた英語が 通用しなかったことは残念。 しかしハリウッドで通用する女優だけが価値があるとは思わない。

チャン ツイイーのデビュー作が忘れられない。
1999年 チャン イーモウ監督「THE RODE HOME 」、邦題「初恋のきた道」だ。
学校のなかった寒村に小学校が建てられることになった。
北京から若い男の先生が着任した。村の男達は 諸手をあげて小学校建設のために団結して 学校建設に着手する。着任したばかりの先生も一緒になって汗を流す。村の女達は男達のために 井戸から水を汲み、弁当を作って男達に差し入れる。
ひとりの少女が先生に恋をする。彼女のまっすぐな気持ちは、そのまま先生にもまっすぐに届く。少女は先生が作業を終え 寝泊りしている作りかけの学校に行く道を いつもたたずんで待っている。互いに一瞬 目を交差するだけのために 少女はいつも待っていた。先生のために心を込めて井戸から水を汲み 弁当を作る、そんな少女に先生は そっと髪飾りを差し出す。しかしその日 北京から役人が来て先生の思想調査をする、と称して彼を連れ去ってしまう。
先生の乗った車を追いかけて 田舎道をどこまでも追いかける少女の必死で懸命な姿。少女は 道で何度も転んで先生からもらった髪飾りを失くしてしまう。泣きじゃくりながら走ってきた道を 髪飾りを探しながらもどる少女の絶望感。その日から 毎日毎日、高台に立って 先生の帰りを待つ少女。やがて、先生は帰ってくる。主のいない小学校の先生の隙間風はいりこむ部屋は 少女の手によって しっかり整えられていた。子供達が集められて学校が始まる。少女は相変わらず 先生が仕事を終えるのを待っている。

それだけのストーリーなのだが 中国の寒村に生きる少女の純情が痛いほど伝わってくる。この映画を小さな映画館で観た。芸術作品や外国映画などマイナーな映画を見せる劇場だ。平日の昼間、場内には20人くらいの観客がいた。このとき 劇場内の空気が画面とともに動く という得がたい体験をした。少女を演じるチャン ツィイーが泣きじゃくりながら 田舎道を這って 髪飾りを探す場面で 見ている人たち誰もが泣いていた。鼻をかむ音があちこちでして、前の座席のおばさんなど チャン ツィイーよりも大きな声で泣きじゃくっていた。
そして、先生が何事もなかったように帰ってくるところで 少女のほっとする空気がそのまま 止まっていた空気がほっとして流れ出すように劇場で観ている人たちの 気持ちがゆるんで漂った。文字通り 映画と観客が一心同体になっていたのだ。
熟錬の監督が 人を泣かせるコツをよく心得ていた と言ってしまえばそれまでだが、この映画で、チャン ツイイーの演技がなかったら そうは ならなかっただろう。
この映画に出演したとき彼女はまだ学生で役者になるつもりはなかったという。みずみずしく 本当に痛々しいほどの少女の気持ちが 現れていてみごとだった。

「ブエノスアイレス」も、「2064」も どちらもウォン カーウァイにしか撮れなかった映画だ。美しい映像。とても良い映画を大型テレビで観て満足。娘達 ありがとう。