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2009年12月26日土曜日
映画 「アバター」
映画「AVATAR」を観た。
「ターミネイター」、「タイタニック」を作った映画監督ジェームス キャメロンの最新作だ。1997年に監督賞ほか、沢山のアカデミー賞を総なめした「タイタニック」の大成功から12年間 映画から遠ざかっていた監督が「タイタニック」と同じ製作者、ジョン ラントンと共に戻ってきた。
2時間40分、最新の技術を使った新作だ。
実写でもアニメーションでもない 実際に役者が演じている姿をデジタル化したモーション キャプチャー(CG)といわれる映像をふんだんに使っている。前に「クリスマスキャロル」で モーション キャプチャーフィルムを3Dの眼鏡をつけて観るおもしろさについて書いたが、「アバター」では 普通の人々の動きとCGのフィルムとを 上手に編集してあって 一つの画面に人とCGで作られた異星人とが同時に出てきても 全く不自然さがない。
そのフィルムを3Dの眼鏡で見るので 画像が立体的で深みのある画面になって まるで自分が映画の中に居るような臨場感が得られる。
この映画をひとことで説明すると、「デジタル3Dモーションキャプチャーフィルムで観るSF」ということになる。
このCGに世界に出てくる惑星パンドラのナヴィの世界がおもしろい。普通の人間の倍以上背が高い 緑色の肌をしたナヴィの人々、大きな翼をもった怪鳥、空中に浮かんでいる島、不思議な色で光を放つ植物、浮遊する生物、こんな想像上のおとぎの国に、自分もアバターになって入り込んでみたくなる。
AVATARを辞書で調べてみると インドヒンズー教の神の名とか、化身と 出てくる。この映画では、主人公が高度なコンピューターを使って人と異星人とのDNAを組み合わせてできたアバターとなって、変身してナヴィの人と同じ機能を持つようになる。
時は2154年。
惑星パンドラには 酸素がないので人間は住めない。ここに住む先住民ナヴィは酸素がなくても呼吸が出来て、動物や植物ともコミュニケーションをとる能力を持っている。人の姿に似ているが青い皮膚を持ち 身体能力は遥かに人よりも優れている。英語を話す人々とコミュニケーションをとる必要ができれば 自然と英語を使って会話する適応能力も持っている。
脊髄損傷で下半身麻痺の元海兵隊ジェイク(サム ワーシントン)が、惑星パンドラにやってきた。パンドラで優秀な科学者だった双子の兄が死んだので 兄のプロジェクトの実験を手伝う為だ。アバタープロジェクトは この惑星にしかない貴重な鉱石資源を地球に持ち帰ることが目的だ。そのためには酸素がなくても生きていられる肉体を持ち、先住民ナヴィの人々と良好な関係を作ることの出来る人材が必要だ。それでジェイクが アバターになってナヴィの人々と同じ肉体を持って 彼らの世界に送り込まれることになる。
ジェイクはお金が欲しかった。兄のプロジェクトアバターに志願して 成功して 貴重な鉱石が採掘できるようになったら 莫大な報奨金がでる。それで脊椎損傷を治療して 歩けるようになりたいのだった。
ジェイクは マシーンに横たわり アバターとなってナヴィの人と同じ肉体を持ってナヴィの世界に入っていく。マシーンのなかで眠ったジェイクの人間としての肉体は眠っている。
しかしアバターになって ナヴィの世界に入ったその日に、ジェイクは凶暴な動物に追われて ジェイクを送り込んだ軍の部隊と離れ離れになてしまう。ジェイクが 野獣に追い詰められて殺される寸前のところを、美しいナヴィの娘に救われる。娘(ゾーイ サルダナ)は ナヴィの長老の娘 ネイティリという。彼女ははじめ森の動物と協調して生きていけないジェイクを殺そうとするが、他の森の生物達が 彼女の手を止めさせた。ジェイクには何かナヴィの持っていない能力を持っていることを予測したからだった。ジェイクは ナヴィの人々から 生きるための食生活や 動物達と会話する方法や、大きな翼を持った鳥を自由に乗り回す方法などを学ぶ。また彼らの言語も学習する。そして、ナヴィの人々の文化を知れば知るほど ナヴィの進んだ文化に傾倒していくのだった。ジェイクは知らず知らずに、ネイテイリに恋をしていた。
プロジェクトでは だんだんジェイクがナヴィの すべての生き物と平和的に協調して生きる姿や、高い文化に傾倒していく様子を快くは思っていない。軍としては、貴重な鉱石さえ収奪すれば あとはどうなっても良いのであって、余計な時間や資金を費やしたくない。ジェイクを使って ナヴィと交渉などさせずに、ナヴィの本拠地がわかってしまえば、一方的に侵略して鉱物を奪えばよい。そういった強硬な軍が独走する。
ナヴィの本拠地が襲われ、ナヴィの人々が次々と殺されていった。
これを見て、ジェイクはナヴィの人々と抵抗のために 立ち上がる。
主役のサム ワーシントンは オーストラリアの役者だ。「ターミネーター4」で 初めてハリウッド映画で大役を演じた。パース出身の謙虚な好青年だ。誠実で 繊細な役柄を演じる。
デビュー作は、「ブーツマン」。オーストラリアの炭鉱の街ニューカッスルで 顔も頭もずっとよく出来ている兄には 何一つ勝てない。そんな出来の悪い弟が 兄の恋人を愛してしまう。そんなせつない役を演じて賞を取った。見た目は どこにでも転がっている普通の顔をした これといって特徴のない好青年だが、この人が傷つきやすい繊細な青年の役をやると、俄然 演技が映える。
この映画で、脊椎損傷で車椅子の男の役をやったが 本当に脊椎損傷で足が麻痺した患者のように、腰から下の肉が落ちて 膝から下の両足など、手のように細くなっていた。筋肉の発達した上半身に比べて、動かない足の細さが、本当の下半身麻痺の人にしか見えなかった。
よく役者が役を演じるために 極端に減量したり、逆に筋肉をつけたりして、肉体改造をするけれど、こんな風に足を細くするなんて、、、そこまで体重を落としたのだろうか。これが役のための 努力の結果なのだとしたら、みごと、と言うしかない。
とてもおもしろい映画だ。「SFのCGを3Dで観る」体験をこのクリスマス、正月休暇に やってみる価値がある。
これからの映画だ。
2010年には テイム バートン監督の「アリス イン ワンダーランド」も、「パイレーツ オブ カリビアン」も出てくる。どちらも3Dで観ることになりそうだ。映画を画面から離れたところから鑑賞するのでなく、画面の中に自分が入りこむような体験ができる3Dで、映画がより楽しくなってくれることが、とても嬉しい。
2009年12月24日木曜日
映画 「ブエノスアイレス」
DVDでウォン カーウァイの映画「ブエノスアイレス」を観た。1997年作品。カンヌ映画祭で最優秀監督賞を獲得した映画。
トニー レオン(フェイ)とレスリー チョン(ウィン)は ゲイで恋人同士。香港の閉塞社会で 愛の行き場を失くして、二人は地球の裏側 ブエノスアイレスを旅する。レスリーの父親の友人から借りたお金を使い果たしてしまったあとは、二人の関係も 自然解消。浮気なレスリーは金持ちのパトロンを作って酒とギャンブルの贅沢三昧だ。トニーは 邪まな恋人の心変わりに傷つきながら 中国からの旅行者の世話や、ホテルのドアマンなどをしながら食いつなぐ。親の面子を潰しているから 借金を返せるようになるまでは、帰国するわけにはいかない。
そこに レスリーがパトロンに暴力をふるわれて、トニーのアパートに転がり込んでくる。トニーは献身的に看病する。両手を怪我して使えないレスリーのために食事を作って ひとくちひとくちスプーンで食べさせる。体を拭いて 一つしかない自分のベッドにレスリーを寝かせ 仕事場からは 何度も電話をかけて気使う。「レスリーの手の怪我が永遠に治らなければいい と思っていた。」と、トニーは自分で告白する。
そんなレスリーも やがては全快する。となればひとりでおとなしくアパートでトニーを待つことは出来ない。タバコを買いに、と言いながら夜の街を彷徨い出て行く。レスリーが外に出て行かないように トニーは沢山のタバコの買い置きを、棚に並べる。そんな事をされればされるほどレスリーは 独占欲の強いトニーに嫌気がさして夜の街に出て行く。
レスリーを失ったトニーは職場の青年チャン チェンに恋をする。が、チャンは それに気がつかない。チャンが 仕事を辞めて、ブエノスアイレスから最南端の土地 ウスワイァに向かって旅をすることになった。そして彼は別れる前にトニーに何でも良いから彼の声を自分のレコーダーに録音して欲しいという。人々は 極南の土地ウスワイァに 自分の過去を捨てにくると言われている。
ウスワイァの灯台に着いたチャンは、レコーダーを回してみるが、そこにはレスリーのむせび泣きのような雑音だけが吹き込まれていた。
チャンを失くし、レスリーも失くしたトニーにとって何も失うものはない。ひとりでイグアスの滝をを観にいく。たった一人で見に来るはずでなかった。しかし、雄大な滝のしぶきをあびて、トニーは勇気をだして家に帰ろう、決意する。 「そう、会おうと思えばいつだって会えるんだから。」と。
音楽と映像がマッチしてとても良い。
タイトルの副題「ハッピートウギャザー」は フランク ザッパの音楽。音量を下げて 囁くように歌っている。
特に アストル ピアソラのタンゴを 二人がネチネチとセクシーに踊るシーンが秀逸だ。堕落、退廃、行き着く先のない愛、惰性、デカダンの世界が凝縮されたシーンだ。タンゴはもともと貧しい人々の間で油ぎった木造家屋、ひび割れたタイル床の台所、そんなところで男女がエロスを交し合う踊りだったのだろう。遊び人のレスリーにしっかり抱かれてタンゴを踊るトニーの不器用な純情が せつなくて悲しい。
また酔ったフリをして恋するチャンに介抱されて ベッドに運ばれたトニーが 去っていく彼の足音を聞いているシーン、 別れの日、テープに何か吹き込んで、といわれてテープレコーダーに向かってむせび泣くことしか出来ないトニーの姿に胸をつかれる。繊細で男の真っ直ぐな純情をトニー レオンがみごとに演じている。
カエターノ ヴェローゾの「ククルクク パロマ」が何度も何度も映画の中で繰り返される。この曲が流れると それだけで泣けてくる。沢山の人がこの歌を歌ってきた。ハトは、つがいの相手を失うと二度と別の相手を探すことなく死んでいく。この曲はそんなハトを歌った曲。この曲で片割れを失くした孤独な男が背中を見せていたりすると、映像が一挙に意味をもってくる。
トニー レオンとレスリー チョンの画像に、フランク ザッパと、カエターニ ヴェローゾとアストル ピアソラを持ってきて、音楽も映像をピタリと合せることができる ウォン カーウァイー監督の才能に感動する。
この映画の数年後 レスリー チョンは香港のホテルから身を投げて亡くなってしまった。裕福な家庭に育って歌手としても俳優としても成功していたカナダ国籍のレスリーは そのときホテルの窓から何を見ていたのだろう。
この人の「さらば愛 覇王別姫」 チェン カイコー監督作品が素晴らしかった。レスリー チャン演じる妖艶な中国古典オペラの女役は、歌舞伎の女形同様に、ただただ美しい。役者として有り余る才能を持っていた彼が 役者として年を積み重ねることなく 余りにも若くして死んでいったことが 心から惜しまれる。
「ブエノスアイレス」は、いろいろな意味で 忘れられない映画になりそうだ。
トニー レオン(フェイ)とレスリー チョン(ウィン)は ゲイで恋人同士。香港の閉塞社会で 愛の行き場を失くして、二人は地球の裏側 ブエノスアイレスを旅する。レスリーの父親の友人から借りたお金を使い果たしてしまったあとは、二人の関係も 自然解消。浮気なレスリーは金持ちのパトロンを作って酒とギャンブルの贅沢三昧だ。トニーは 邪まな恋人の心変わりに傷つきながら 中国からの旅行者の世話や、ホテルのドアマンなどをしながら食いつなぐ。親の面子を潰しているから 借金を返せるようになるまでは、帰国するわけにはいかない。
そこに レスリーがパトロンに暴力をふるわれて、トニーのアパートに転がり込んでくる。トニーは献身的に看病する。両手を怪我して使えないレスリーのために食事を作って ひとくちひとくちスプーンで食べさせる。体を拭いて 一つしかない自分のベッドにレスリーを寝かせ 仕事場からは 何度も電話をかけて気使う。「レスリーの手の怪我が永遠に治らなければいい と思っていた。」と、トニーは自分で告白する。
そんなレスリーも やがては全快する。となればひとりでおとなしくアパートでトニーを待つことは出来ない。タバコを買いに、と言いながら夜の街を彷徨い出て行く。レスリーが外に出て行かないように トニーは沢山のタバコの買い置きを、棚に並べる。そんな事をされればされるほどレスリーは 独占欲の強いトニーに嫌気がさして夜の街に出て行く。
レスリーを失ったトニーは職場の青年チャン チェンに恋をする。が、チャンは それに気がつかない。チャンが 仕事を辞めて、ブエノスアイレスから最南端の土地 ウスワイァに向かって旅をすることになった。そして彼は別れる前にトニーに何でも良いから彼の声を自分のレコーダーに録音して欲しいという。人々は 極南の土地ウスワイァに 自分の過去を捨てにくると言われている。
ウスワイァの灯台に着いたチャンは、レコーダーを回してみるが、そこにはレスリーのむせび泣きのような雑音だけが吹き込まれていた。
チャンを失くし、レスリーも失くしたトニーにとって何も失うものはない。ひとりでイグアスの滝をを観にいく。たった一人で見に来るはずでなかった。しかし、雄大な滝のしぶきをあびて、トニーは勇気をだして家に帰ろう、決意する。 「そう、会おうと思えばいつだって会えるんだから。」と。
音楽と映像がマッチしてとても良い。
タイトルの副題「ハッピートウギャザー」は フランク ザッパの音楽。音量を下げて 囁くように歌っている。
特に アストル ピアソラのタンゴを 二人がネチネチとセクシーに踊るシーンが秀逸だ。堕落、退廃、行き着く先のない愛、惰性、デカダンの世界が凝縮されたシーンだ。タンゴはもともと貧しい人々の間で油ぎった木造家屋、ひび割れたタイル床の台所、そんなところで男女がエロスを交し合う踊りだったのだろう。遊び人のレスリーにしっかり抱かれてタンゴを踊るトニーの不器用な純情が せつなくて悲しい。
また酔ったフリをして恋するチャンに介抱されて ベッドに運ばれたトニーが 去っていく彼の足音を聞いているシーン、 別れの日、テープに何か吹き込んで、といわれてテープレコーダーに向かってむせび泣くことしか出来ないトニーの姿に胸をつかれる。繊細で男の真っ直ぐな純情をトニー レオンがみごとに演じている。
カエターノ ヴェローゾの「ククルクク パロマ」が何度も何度も映画の中で繰り返される。この曲が流れると それだけで泣けてくる。沢山の人がこの歌を歌ってきた。ハトは、つがいの相手を失うと二度と別の相手を探すことなく死んでいく。この曲はそんなハトを歌った曲。この曲で片割れを失くした孤独な男が背中を見せていたりすると、映像が一挙に意味をもってくる。
トニー レオンとレスリー チョンの画像に、フランク ザッパと、カエターニ ヴェローゾとアストル ピアソラを持ってきて、音楽も映像をピタリと合せることができる ウォン カーウァイー監督の才能に感動する。
この映画の数年後 レスリー チョンは香港のホテルから身を投げて亡くなってしまった。裕福な家庭に育って歌手としても俳優としても成功していたカナダ国籍のレスリーは そのときホテルの窓から何を見ていたのだろう。
この人の「さらば愛 覇王別姫」 チェン カイコー監督作品が素晴らしかった。レスリー チャン演じる妖艶な中国古典オペラの女役は、歌舞伎の女形同様に、ただただ美しい。役者として有り余る才能を持っていた彼が 役者として年を積み重ねることなく 余りにも若くして死んでいったことが 心から惜しまれる。
「ブエノスアイレス」は、いろいろな意味で 忘れられない映画になりそうだ。
2009年12月23日水曜日
映画 「2046」
娘達が私の誕生日に ソニー製テレビ ブラビア大型デジタル、101センチ、フルハイデフィニション、100HZ,ダイナミックコントラスト100,000:1,1920+1080レソルーション、3年保障、ソニーPS3つき、というのを買ってくれた。
今までの21インチのテレビで何の問題もないし、テレビはニュース以外見ないので 新しいのは要らない要らない と言って続けてきたが ついに政府が テレビはデジタルに変えてください、従来のテレビを使い続けるには 特別に何とか言う機材を取り付けなければならなくなります、と言い出した。いずれデジタルを買わなければならないのなら、、、ということで 申し出に甘えて 娘達に散財をさせた。
画面は確かに美しい。日の出、日の入り 砂漠やオアシスの花々など、自然が良く、コマーシャルフィルムの美しさに目を見張る。それでは、、、と 劇場で映画を観ないで家でビデオを観ることにした。観たのは ウォン カーウァイの「ブエノスアイレス」と、「2046」。
ウォン カーウァイの映画に筋はない。ひとつひとつの画面が「詩」であり、それが重なり続いて長編詩となる。短い詩がいくつも集められて編集された結果が2時間なり3時間なりの映画という形になるから、長大な抒情詩に、物語性は求めず ただ画面を楽しめば良い。
そこが、同じ中国人監督でも、チャン イーモウや チャン ガイコーや ジョン ウーや、アング リーなどと全然違う。
この監督は1958年生まれの香港育ち。1944年の「恋する惑星」で、クエンテイノ タランテイーノに絶賛されて注目されるようになった。
1997年の「ブエノスアイレス」では トニー レオンと レスリー チャンの愛人関係、2001年の「花様年華」では トニー レオンとマギー チャンの人妻との愛、2008年の「マイ ブルーベリーナッツ」では ノラ ジョーンズとジュード ロウとの愛のあり方を描いた。いつもテーマは愛だ。
「ブエノスアイレス」について書くと とても長くなるので「2046」を先に書く。
「2046」では過去と現在とが交差する。過去の恋人を忘れられない作家(トニー レオン)が 香港のホテルの2046号室で 過去の女たちと出会い、また現在の女達と出会う。
ホテルの主人の娘(マギー チャン)は 日本人(木村拓哉)を愛し、親の目を盗んで連絡を取り合っている。高級娼婦のとなりの部屋の女(チャン ツイイー)は作家を本気で愛してしまうが作家に 一緒に住みたい女はいないと言われて傷ついて自堕落になる。マカオで金を摩り香港に帰れなくなった作家を助けてくれるのは 昔、作家を愛したことのある女性(コン リー)だ。アンドロイドになって 彷徨う女(フェイ ウォン)に、カリーナ ラウ など、次から次へと美しい女優が出てくる。中国、香港、台湾じゅうを とびぬけて美しい女優をピックアップしたかのようだ。それをウォン カーウァイは、彼の美意識で それぞれの女達の記念写真を作るように選びに選んで 美の凝縮を切り取って見せる。
中でもチャン ツイイーの美しさ、可愛らしさは特別だ。作家が自分の失礼を詫びに 隣の女の部屋に出向いたとき 怒ったふりをして背を向けるチャン ツィイーの何という 表情豊かな後姿、、、振り返ったとき冷たい目ざし。襟の高い ぴったり空だい張り付いているような中国服が これほど似合う女優は他にはいないのではないか。本当に美しくて、ほくろの一つ一つまでが愛らしく見える。今は中国を代表する女優だそうだが、本当に中国映画の中で見るチャン ツイイーは水を得た魚のように自由奔放で美しい。
チャン イーモウ監督「LOVERS」など、つまらない映画だったが、この映画ではで盲目のチャン ツイイーが 酒の席で舞いを見せる。このシーンだけのために この映画をみる価値がある と思うほど彼女は 美しい舞いを踊った。同じくつまらない映画だったが、「クローチングタイガー ヒドンドラゴン」(邦題グリーン デステイニー)では、勝気なお姫様姿が 可愛らしかった。それだけに「サユリ」での渡辺謙とふたりでしゃべっていた英語が 通用しなかったことは残念。 しかしハリウッドで通用する女優だけが価値があるとは思わない。
チャン ツイイーのデビュー作が忘れられない。
1999年 チャン イーモウ監督「THE RODE HOME 」、邦題「初恋のきた道」だ。
学校のなかった寒村に小学校が建てられることになった。
北京から若い男の先生が着任した。村の男達は 諸手をあげて小学校建設のために団結して 学校建設に着手する。着任したばかりの先生も一緒になって汗を流す。村の女達は男達のために 井戸から水を汲み、弁当を作って男達に差し入れる。
ひとりの少女が先生に恋をする。彼女のまっすぐな気持ちは、そのまま先生にもまっすぐに届く。少女は先生が作業を終え 寝泊りしている作りかけの学校に行く道を いつもたたずんで待っている。互いに一瞬 目を交差するだけのために 少女はいつも待っていた。先生のために心を込めて井戸から水を汲み 弁当を作る、そんな少女に先生は そっと髪飾りを差し出す。しかしその日 北京から役人が来て先生の思想調査をする、と称して彼を連れ去ってしまう。
先生の乗った車を追いかけて 田舎道をどこまでも追いかける少女の必死で懸命な姿。少女は 道で何度も転んで先生からもらった髪飾りを失くしてしまう。泣きじゃくりながら走ってきた道を 髪飾りを探しながらもどる少女の絶望感。その日から 毎日毎日、高台に立って 先生の帰りを待つ少女。やがて、先生は帰ってくる。主のいない小学校の先生の隙間風はいりこむ部屋は 少女の手によって しっかり整えられていた。子供達が集められて学校が始まる。少女は相変わらず 先生が仕事を終えるのを待っている。
それだけのストーリーなのだが 中国の寒村に生きる少女の純情が痛いほど伝わってくる。この映画を小さな映画館で観た。芸術作品や外国映画などマイナーな映画を見せる劇場だ。平日の昼間、場内には20人くらいの観客がいた。このとき 劇場内の空気が画面とともに動く という得がたい体験をした。少女を演じるチャン ツィイーが泣きじゃくりながら 田舎道を這って 髪飾りを探す場面で 見ている人たち誰もが泣いていた。鼻をかむ音があちこちでして、前の座席のおばさんなど チャン ツィイーよりも大きな声で泣きじゃくっていた。
そして、先生が何事もなかったように帰ってくるところで 少女のほっとする空気がそのまま 止まっていた空気がほっとして流れ出すように劇場で観ている人たちの 気持ちがゆるんで漂った。文字通り 映画と観客が一心同体になっていたのだ。
熟錬の監督が 人を泣かせるコツをよく心得ていた と言ってしまえばそれまでだが、この映画で、チャン ツイイーの演技がなかったら そうは ならなかっただろう。
この映画に出演したとき彼女はまだ学生で役者になるつもりはなかったという。みずみずしく 本当に痛々しいほどの少女の気持ちが 現れていてみごとだった。
「ブエノスアイレス」も、「2064」も どちらもウォン カーウァイにしか撮れなかった映画だ。美しい映像。とても良い映画を大型テレビで観て満足。娘達 ありがとう。
2009年12月15日火曜日
映画 「クリスマス キャロル」
映画「クリスマス キャロル」を観た。デイズニースタジオ制作。100分。
監督:ロバート ゼメチス
声役:ジム キャリー
他に ゲイリー オールドマン、ロビン ライト ベン、コリン ファースなどが 声役で出ているが ジム キャリーが 3人の精霊などのほか一人7役で、いろんな声を出して大活躍している。
フィルムは実写でもアニメーションでもない。俳優が演じている それをデジタル化した「パフォーマンス キャプチャー(CG)」という特殊な映像だ。
アニメーションよりもずっと厚みがあって、実態の人間に近い。これを「3D」の眼鏡をかけて見ると、映像が手で触れることが出来るように、近くに見える。学校がもうクリスマス休みに入っているので、劇場にはたくさんの子供が来ていたが、実際、画面から降ってくる雪を摑もうとして 手を伸ばしている子供が 随分居た。こんな映像を3Dで見てしまうと、いかに今まで観てきた映画が のっぺりした平面だったのか、と驚かされる。今後、フィルム技術が進んでいくと 映画産業どうなるのだろうか。今後は アニメーションやオカルト 恐怖映画などは、このCGと3D効果のフィルムで観るというよりは「体験」する、ということになるのだろうか。
2005年に 同じ監督ロバート ゼメチスの「ポーラーエクスプレス」を観た。これが初めて 俳優の演技をデジタル化したパフォーマンス キャプチャー映像だった。3Dではなかったが、おとぎの国の汽車が雪の中を 子供達を乗せてサンタの国を旅するお話だった。汽車を運転するトム ハンクスや 飲んだくれの男やユーモラスなサンタなど、厚みのある暖かな映像で、子供の頭の中にあるクリスマスというイメージが そのまま映像化されたような映画だった。いまでも、雪のなかをどこからか、走ってきて自分の前で止まってくれる 美しい汽車の姿が よく思い出される。
今回の「クリスマス キャロル」は 英国のチャールズ ディケンスの作品を忠実に映像化したもの。ストーリーは、
クリスマスイブ
金融業を経営している大金持ちの守銭奴 スクルージにとってクリスマスなど何の意味もない。
甥がクリスマスデイナーの招待に来ても うるさがって追い返してしまうし、慈善事業化がチャリテイーの募金を請いにきても 怒って追い出してしまう。書記の クラテットは、信仰厚い男なので 明日のクリスマスだけは年に一度だけ 家族のために過ごしたいと願っているが ケチなスクルージは、許さず クリスマスでも出勤するように命令する。スクルージが街を歩けば 街角で賛美歌を歌う人々も声を潜める。彼は誰からも嫌われている エゴイストで冷酷な守銭奴だった。
夜になった。 スクルージのもとに 7年前に死んだはずの 共同経営者だったマーレイの亡霊が出てくる。物欲にとらわれたまま死んだマーレイは 全身を鎖で締め付けられて 恐ろしい姿で天国にもいけずに 彷徨っているのだった。マーレイは スクルージに 3人の精霊が現れるだろう と言って姿を消す。
第1の精霊は ろうそくの姿をしていて、スクルージを過去の旅につれて行く。スクルージが生まれ育った土地にもどり 彼が子供のときにクリスマスがどんなに待ち遠しかったか どんなに真摯な気持ちで神様に祈りを捧げていたか 記憶が呼び戻される。
第2の精霊は スクルージに、クリスマスイブの現在を見せる。書記のクラチット家では 貧しいが心のこもったクリスマスデイナーの最中だった。家族思いの クラチットの末の息子は、足が悪く、病気がちだ。クリスマスという特別な日に、仕事を休むことを許さないスクルージに、妻は 不満を持っているが、クラチットは、雇用者のスクルージに感謝の祈りを捧げるのだった。
第3の精霊は未来を映し出す。悪魔のような黒い影の霊が スクルージを未来のクリスマスに連れて行く。そこにスクルージはもういない。横にされ 布を被せられた死体があり、その死体から衣類を剥ぎ取って売り買いする あさましい男女が出てくる。次に行くのは墓地だ。そこにスクルージの墓がある。また、クラチット家に連れて行かれてみると 病気だった息子が亡くなって 嘆き悲しむクラチットの姿がある。その姿を見て、さすがのスクルージも胸を締め付けられる。
3人の精霊に、過去、現在、未来の自分を見せられて、スクルージは クリスマスの朝、すっかり改心して生まれ変わる。子供のように 街に出て はしゃいで人々と一緒に賛美歌を歌う。出勤してきたクラッチにお祝いを渡し、昇給を約束して家に帰す。慈善活動家に募金して、甥の家を訪ねてクリスマスデイナーを共にする。
それからは、スクルージは 誰からも愛されるような人となり クラッチの息子テイムは、スクルージを第2のお父さんのように慕うのでした。というお話。
CGを3Dで観る という体験は やってみる価値がある。これで本当にこわいホラーを体験したら、やみつきになるかもしれない。
ディケンズが 「クリスマス キャロル」を出版したのは1843年。イギリス ビクトリア時代、アフリカにもアジアにも 植民地拡大で国の威力を誇示していた大英帝国の時代だ。しかし、庶民の暮らしは貧しかった。貧富差は 産業革命で拡大する一方だ。だから、富めるものが貧者に分け与える慈善行為が、唯一貧者にとっての恵みだった。
「福祉国家」、「階級闘争」の概念は まだない。マルクスもまだ「資本論」を書いていない。
そんな時代に 貧民階級出身で、良きクリスチャンであり、良心的な市民であったチャールズ デイッケンズが書いたクリスマススト-リーが「クリスマス キャロル」だ。こわいお化けがでてきて 子供達を震え上がらせるから、少し荒っぽいが 人々への教育的な意味を持っている。持つものが持たざるものに分け与え、 キリスト生誕の日に悦びを分かち合うことが テーマだ。これがこの時代のヒューマニスト デイッケンズの根底思想であり、慈善活動の助け合い精神の大切さを人々に説くクリスチャンの世界観なのだった。
慈善で貧富差を縮小することは出来ない。しかしクリスマスにチャリテイーをするのは、伝統であり 今も変わることのない習慣だ。
クリスマス休みには 毎年ロクな映画はない。クリスマスには シドニーでは、デパートも店もレストランも閉まるし、公共交通機関も間引き運転、タクシーもない。パン一枚 ミルク一本 手に入らないから 外に出ても何もすることが出来ない。出来ることは 歩いていける範囲の教会のミサの時間を確かめて参加するくらい。ホテルか家に戻ってテレビをつければ、やっているのは「十戒」だけだ。どの局も毎年 このチヤールス ヘストンの古い映画を飽きもせずに上映する。
そのくせ 道路はビュンビュン車が飛ばしている。どこの家も家族全員車に乗せて両親の家に行き クリスマスの食卓を囲むことが伝統だ。年1度 この日だけは 皆が親思いになり 親戚すべてが一堂に会してクリスマスプレゼントをあげあう。これはオーストラリアに限らず 欧米諸国も同様。だから、この習慣に従わない マイノリテイーの外国人やクリスチャンでない人は 小さくなっているに越したことはない。
わたしは、仕事。
どこに行くこともできない患者たちと、クリスマスイブの花火を見て アルコール抜きのシャンパンを開ける。
メリークリスマス!!!
2009年12月5日土曜日
今年読んだ漫画と観た映画のベストテン
今年はよく漫画を読んだ。合計470冊ほど。
日本にいたら、もっとチョイスがあるから その倍は読んでいたかも。シドニーの人口は428万人、そのうち在住邦人は、2万人あまり。紀伊国屋と古本屋が2軒あるが、そこで、出回る僅かな本をかき集めたり、娘にアマゾンで手に入れてもらったりしながら読んでいるので限りがある。心に残った漫画を順番に言って見る。連載中のものも多い。もう出版されているのに、手に入らないでいるままのものもある。
第1位:「バガボンド」 1-30巻 井上雄彦 講談社
第2位:「モンスター」 1-18巻 浦沢直樹
第3位:「20世紀少年」1-22巻
「21世紀少年」上下2冊 浦沢直樹
第4位:「西洋骨董洋菓子店」1-4巻 よしながふみ 新書館
第5位:「神の雫」1-21巻 亜樹直(作)
オキモトシュウ(画)講談社
第6位:「聖おにいさん」1-3巻 中村光 講談社
第7位:「リアル」 1-8巻 井上雄彦
第8位:「ヒカルの碁」1-22巻 小畑健 (原作ほったゆみ)
第9位:「ダービージョッキー」1-18巻一色登希彦(原案武豊
第10位「日出処の天子」1-7巻 山岸涼子
「バガボンド」井上雄彦の描く絵の美しさは特別だ。「スラムダンク」でバスケットボールを追う少年達とともに成長し 年を重ねてきた井上雄彦が描く 清々とした男の世界。ただひたすら強さを求める宮本武蔵の 真剣で禁欲的な生きる姿が、求道僧のように思える。自分を痛み続けることで強い意志を身につけようとする 不器用で孤独な姿が心を打つ。作家はもう話を完結させ、脱稿したそうだが、永遠に 終わらないでいて欲しい作品だ。
「モンスター」の浦沢直樹は ストーリーの巧妙さ、入り組んだ人間関係を 社会的背景や時代背景のなかで うまく組み立てていく構想力をもった稀有な漫画作家だ。最後まで全く飽きない。最後の結論を 断定してしまわないで 読者の解釈に任せてくれるところが、しゃれている。読んだ人が自由に解釈して読み終えることができるのが気に入った。人に聞いてみると 全然ちがう解釈で読み終えた人が多かった。私は モンスターにとって、最初で最後の「敵」を処分したであろうモンスターの孤独な後姿を思って、いまだに涙が出そうになる。本当にすごい作品だった。
「20世紀少年」は とにかくおもしろい。「友達」は誰なのか、、、わからない「友達」を求めて 22巻まで読者を飽きずに引っ張っていく作者の力量には感心する。本当に最後まで友達がわからない。友達だと思い込んでいた確信がひとつひとつ壊され 予想がことごとく覆されていく過程で、夢中で読んでしまう。映画化されて、謎ときには役立つが おもしろさが半減した。漫画は漫画だけであって欲しかった。
ロックを歌う ひょうひょうとした浦沢直樹という作家に興味が湧いて「プルート」や「マスターキートン」を読んだが、おもしろいと思えなかった。この作家の良さは 話を広げていくところにあると思う。長編作家として成功するが、読みきりや短編には 彼の魅力は発揮されないように思える。
「西洋骨董洋菓子店」は絵がきれいだ。美しくて 嫌味のない個性的な男ばかりが沢山出てきて楽しい。ぺデファイルや 深刻な社会問題にも触れているのに オシャレな男達が、オシャレに生きていて素敵だ。少女漫画をばかにしてはいけない。
「神の雫」に はまってワイン通になってしまった人が沢山居る。
ワインの漫画も、甲斐谷忍 原作城あらきの「ソムリエ」1-8巻、松井勝法「ソムリエール」1-4巻、志水三喜郎「瞬のワイン」1-8巻と、20冊読んだが、そのあとで見つけた「神の雫」が ワインの形容の仕方において優れていて 楽しかった。神咲雫君と、遠峰青君とともに、実にたくさんのワインを味わった。ひとくち黄金の輝く雫を口に含むと そこはお花畑だったり 山の上だったり 子供のときの風景だったりする。味覚というものを 楽器に例えたり 太陽や風や風景に例えたりして形容する その多弁は表現が新鮮で 興味深い。偉大な父は 二人の息子達に、一体何を伝えたいのだろうか。
「聖おにいさん」については 10月22日の日記で書いたので繰り返さないが、とにかく笑える。ブッダの伝説のなかで一番現実離れしている話、生まれてすぐに立ち上がり7歩あるいて「天上天下唯我独尊」と言ったという話や、兎が自ら食料になったニルバーナの話などを、軽くギャグで笑って見せるところに良さがある。イエスも「とうさんが、、」とやすやすと言ってくれて、それだけで電車の中でも 仕事中でも私はひとり笑える。お気楽なブッダとイエスが仲良く暮らしている姿って、こんな しゃれた漫画を考え出した作家の才能に拍手せずにいられない。
「リアル」井上雄彦の絵にはいつも感動する。「スラムダンク」の登場人物の多様さがここで もどってきた。描かれたひとりひとりが抱える苦悩や痛みがサラリと語られる。これを読んでいて、登場人物のせりふひとつで、心の重しが取れる、、、そんな若い人も多いのではないだろうか。井上雄彦の絵は どの部分をとってみても 美しい。
「ヒカルの碁」、「ダービージョッキー」は、どちらも全く知らなかった世界を知るきっかけになった。作品の中で 本当に 自分が好きなものを見つけた少年達が 懸命に目標にむかっていく。何度も壁にぶち当たりながら 成長していく過程で、読者はともに一緒になって泣いたり笑ったりくやしがったりする。読み終ったあとの 爽快感は格別だ。
「日出処の天子」は 聖徳太子という 線香くさくて全然興味のもてなかった人に命を吹き込み 歴史をおもしろく解釈して見せてくれた。漫画でこんなことも出来るのかという可能性を改めて感心してしまった。絵がとても美しい。
映画は、劇場に足を運んで見た映画は、47本。心に残った映画から順にいうと以下になる。
第1位:「グラントリノ」 2月3日に映評をここで書いた。
第2位:「愛を読む人」 2月28日に映評
第3位:「バリボ」 8月20日に映評
第4位:「フローズンリバー」 3月3日に映評
第5位:「カチンの森」 6月20日 映評
第6位: 「天使と悪魔」 6月8日 映評
第7位:「稿模様のパジャマの少年」5月2日映評
第8位:「チェンジリング」 2月15日映評
第9位:「レスラー」 1月23日 映評
第10位「THIS IS IT」11月1日 映画評
2009年12月4日金曜日
映画 「2012」
軍縮から核兵器廃絶を理念としている米国大統領オバマが 2009年ノーベル ピースプライスに輝いたことは 米国史のなかで画期的なことだった。
しかし理念は理念、現実には米国の失業率は10%を超え イラクで4000人もの若い兵士を死なせ アフガニスタンに兵力を増強投入することになり外国への介入による損失は 増加する一方だ。ウォールストリートのマネーゲームに踊らされ、家を失い、仕事を失った人々が 朝から食券を手に ボランテイアのスープキッチンに並ぶ人々の群れに2010新年の鐘の音は どう聞こえるのだろうか。
古代マヤ文明の暦が終わる2012年12月21日に地球が滅亡する、という映画「2012」を観た。ソニーピクチャー、2時間40分の大作。制作費2億ドル。 監督 ローランド エネリッヒ。彼は前に「インデペンデンス デイ」と、「デイアフター トモロー」を作って、繰り返し繰り返し 大災害を描いてきた。デザスターマニアとでも言うべきか。
自然災害という逆らいようのない状況の中で 家族が生き残るために身を挺して戦い、強い父親が親や子を守り そこに 一心同体になった家族の愛や夫婦愛が描かれていて、しっかり涙を振り絞らせてくれる。冷酷な敵は、アルカイダでも ヒズボラでも PLOでも ロシアスパイでも、アラブの自爆テロでも、CIAでも イスラエル秘密警察でも、スペインバスクエタでも、タミールタイガーでも、チェチェンゲリラでも、クルドPKKでも、ソマリア海賊でも、IRAでもリアルIRAでも、ビルマ軍事警察でも、ポルポトでも、ジャンジャンウィーでも、フツ族反政府ゲリラでも、イルミナリテイーでもないから、どんなに冷酷無比に描いても 誰からも文句を言われなくて済む。今度は、今までにも増して災害の規模が大きくなって 地球上ほんの僅かの人しか生き残れなかった。陸地が海中に飲み込まれて無くなって、人類発生の地、アフリカ大陸しか残らなかったので、再び人類がアフリカ大陸で生存者だけで再出発して行こう という結論で終わる。
太陽のニュートリノが活発化して地球のコアが加熱、その熱で緩んだ地殻が一気に爆発して大地震が起こり 津波、洪水が起きて大陸が一挙に海中に沈没する。大国の指導者達は、いずれ 地球が大災害で海に沈むことを知らされていた。ひそかに選ばれた大国の中でも 選ばれた政府関係者だけが生き残れるように、政府は2000年から中国の地下に巨大船の建設を着工していた。
しかし、地殻変動は予想を遥かに上回る速さで進行し、逼迫した事態になった。避難の猶予は3日間。選ばれた政府関係者、10億ユーロを支払った資産家に 連絡が入る。すぐに、避難せよ、と。
週末、売れない作家、ジャクソンは別れた妻の家を訪れる。二人の子供をイエローストーンにキャンプに連れて行く約束だ。行って見るとイエローストーンにあったはずの湖がなくなっていたり 地質が変わっていて、おまけに新しい軍事施設が出来ている。事態を飲み込めずにいるジャクソンの前に、 私設ラジオ放送を発信している ちょっとおかしな男が現れて、地球はじきに壊れて人類は破滅していくが、助かりたいならば 巨大船に乗り込まなければ間に合わない。事実を政府は国民に隠していて、事実を公表しようとした科学者は皆、秘密政府に殺されている と驚くべき話をして聞かせる。ジャクソンは にわかには信じられないが イエローストーンの帰途、男の予言どおり道路に亀裂が走り 大地震が起きる。異常事態を見て、エブリマンは家族を守る為に巨大船に たどり着いて子供達を乗船させなければならない と心に決める。小型飛行機で脱出するそばから大地が燃え始まり 空の上から アメリカ全土が火に包まれて つぎつぎと大地が津波に飲み込まれる。
一行は 知り合いの富豪の力を借りて 旧式飛行機で 巨大船の隠してある中国に到着し、巨大船にもぐりこむ、と同時に 中国大陸も津波に襲われて沈んでしまう。ラサのチベット寺院も、日本もあっという間に海の底、ローマ法王に祝福されながらバチカン広場を埋める数万人の人々も沈んでいく。
この映画は大災害で地球上のほとんどの生き物が絶滅していく中で 一組の家族が右往左往しながら生き残り 家族愛でしっかり結ばれていくという 極めて小市民的な映画だ。背景だけが馬鹿でかく地球が壊れてしまうのだけれど。
突っ込み満載
父親のジャクソンは人類生存をかけた巨大船の水漏れを決死の潜水で修理して成功するので皆から英雄扱いされるが、元はといえばこの家族が搭乗資格がないのに、こじ開けて侵入したから水漏れが始まっただけで、彼は英雄でも何でもない。自己責任をとっただけだ。
国連で 巨大船に乗船できるのは主要国のVIPと、10億ユーロ支払った資産家のみと、決議していた。他の弱小国代表は、外に出されていた。主要国ってどこ?米、英、独、仏、伊、露、中、ここに日本が加わるのは不自然に見えるけど、画面では日の丸があった。さては国連常任理事国になれるということか。
地球滅亡 人類生存危機の情報を一部の国の上層部のみが知っていて、国民に隠して何年もの間 巨大船を作る というのは不可能。着工に何万人もの人材と労力を必要とする工事関係者の口をふさぐことは出来ない。国家による情報の独占にも限りがある。
また、中国のチベット地方の地下に隠してあった 3艘の巨大船を、中国政府が他国の人々のために提供するとは思えない。世界最大人口を誇る中国が自国民のほとんどを切り捨てて、イタリアの首相一家とか、イギリス皇室一家とか 日本の天皇一家とかを船に乗せてくれると思えない。
元妻が子供を守る為に大活躍する元夫をみて、同居の再婚相手をゴミのように捨てて元夫とよりを戻すが、女心、そんなに単純だろうか。別れるからには理由だったあっただろうに。そんなに簡単に、二人の子供を巻き添えにして別れたり またくっついたり簡単にしてもらいたくない。
この映画、全体が漫画ちっく。登場人物が すごく良い人か ものすごく悪い人かのどちらかで、良い人は沢山の人を救おうして自分は死んでいく 限りなく良い人だが、悪い人は徹底的にエゴイスト。極端すぎて良くも悪くもなる人間というものが描かれていない。
しかし、デザスター映画「タイタニック」、「ポセイドン」、「インデペンデントデイ」など、基本的に、こういう映画は結構楽しい。もしもの時のために、オートマチックだけでなく マニュアルカーの運転もできなければ、ついでにヘリコプターくらい操縦できるようにしておかなければ、とか、少なくとも1キロは泳げるようにしておこう、などと、映画の後に 軽ーく決意してみたりする。
人はいつか必ず死ぬ。
どんな死に方が見苦しくないか、デザスター映画を観て、疑似体験してみたり、シミュレーターしてみるのも、結構良いかもしれない。