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2009年7月30日木曜日
映画「ココ アバン シャネル」 と、「シェリー」
偶然だったが、パリを舞台にした女性を描いた映画を 2本続けて観た。
ひとつは フランス映画「ココ アバン シャネル」(「COCO AVANT CHANEL」)、もうひとつは イギリス映画「シェリー」(「CHERI」)だ。フランス映画の ココの方は ガブリエル シャネルの伝記映画で、彼女がファッションデザイナーとして成功するまでの 前半生期を描いたもの。
監督:アンヌ フォンテーン
キャスト
ココ:オードレイ トトゥ(AUDREY TAUTOU)
男爵:ブノワ ポールブールド(BENOIT POELVOORDE)
ボーイ:アレサンドロ 二ボラ(ALESSANDRO NIVOLA)
女友達:エマニュエル デボス(EMMANUELLE DEVOS)
ストーリーは
ココは 幼い時に 父親に孤児院に連れられてくる。母親の記憶はないが 父親のことを とても愛していて孤児院に入ってからも ココは毎週日曜日になると 玄関で父親が迎えにきてくれるのを待っていた。しかし、父親は二度と 娘の前に姿を現わさなかった。
やがて成長して孤児院を出たココは 昼間はお針子として働き、夜はキャバレーで歌手として出演したり男達の相手をして 貧しい自活生活をしていた。
孤児院時代から ずっと一緒だった親友が キャバレーで知り合った身分の高い男に見出され結婚したことを契機に ココは金を持った男に取り入ることなしに 貧困から抜け出す方法がないことを知る。そこでココは仕事を辞めて、知り合ったばかりの男爵家に 飛び込む。屋敷の入り口から玄関まで 馬車で数キロ 走らなければならないような 大地主で 豪邸に住む男爵は 社交とブランデーとたわいのない上流階級の生活に飽きていたから、ココの来訪を 驚き喜んで迎える。ちょっと風変わりな小娘の出現は 刺激に富んだ悦びだったが、キャバレーからきたココをいつまでも 屋敷に滞在させることはできない。ココは 男爵に出て行くように言われたときに、 男爵のキャビネットから 沢山ある服を次々と出して切り裂いて 自分用の乗馬服を作り、馬に跨って、乗馬ピクニックをしている男爵とその友人達の環のなかに 飛び込んでいき、社交界デビューを果たす。ウェストのくびれた裾の長いドレスに帽子にパラソル、馬に横すわりで乗る当時の女性の乗馬スタイルからはかけ離れたココの姿を上流階級の人々はおもしろがって拍手で迎える。
そして、ココはお針子としての技術を生かして 従来の女の服とは全く違う 斬新な服を身に着けて 男爵の取り巻き達の目を見張らせた。
そうしているうちに、男爵の取り巻きの一人 ボーイとよばれているイギリス人と出会って ココは恋に陥る。ボーイは 男爵のように ココに 手荒な扱いはせずに、ありのままのココを受け入れてくれるのだった。ライバルが現れると 男爵は急に ココを手放すのが惜しくなる。さんざん迷った末 男爵は結婚を申し込む。
初めての恋を知って、ココはボーイに夢中。そのボーイにはロンドンに婚約者がいて 貴族間の財産を維持するための約束事のために結婚しなければならなかった。彼はココに 「ココのようにユニークな人は一生結婚せずに自分の仕事を持って生きるべきだ」と、言って聞かせる。
ココはボーイの信頼と資金援助を得て、パリに帽子屋をオープンさせる。しかし、その恋も、ボーイの自動車事故によって終わりを告げる。
というストーリー。
ココが事業を成功させるまでの前半生を描いた映画だ。
ココは当時、女性が職業を持つということのなかった時代に、裕福なパトロンを得て 一生結婚せずに職業女性のパイオニアとして生きた。結婚したくても出来ない立場にあって やむを得ない事情であったにしろ 勇気ある生き方をした。
ココ シャネルのナンバー25は 好きな香水のひとつだが、その事業の創立者ココが 孤児院育ちで、貧困からの脱却を貴族の愛人になることで果たしたという半生は 知らなかった。いま、着ている服以外の何一つ自分の持ち物がないような状態で 貴族の心を掴んで しっかり自分の場を構築してしまう したたかさは、何も奪われるものを持たない貧しいものの強さだろう。
ココを演じた オードレイ トトゥが、いくつになっても可愛くて とても良い。
もう一つのパリを舞台にした映画は「CHERI」シェリー。
20世紀初頭に活躍した女性作家 コレット女史原作の「CHERI]の映画化だ。
監督:ステファン フレアーズ (STEPHEN FREARS)
キャスト
リー:ミッシェル パイファー(MICHELLE PFEIFFER)
シェリー:ラパート フレンド (RUPERT FRIEND)
1906年のパリ。LA BELLE EPOQUE ベル エポックと呼ばれて 貴族達が 最も華やかに その富を誇りに 贅沢三昧にふけり 豊かさを謳歌した時期のおはなし。
ストーリーは
高級娼婦だったリー(LEA DE LONVAL)は、愛人から莫大な遺産を受け継いで 何不自由なく贅沢な暮らしをしている。昔は職業上のライバルだった友人宅に招待されて そこで 昔は愛らしい子供だった友人の息子シェリーに出会う。彼はもう19歳。子供のときから 美しいリーが大好きだった。二人は 親子ほど年が離れているのに 互いに惹かれあって 恋に陥る。シェリーはそのときからリーの家に一緒に住むことになって そのまま6年という歳月がたってしまった。
25歳になったシェリーは 母親の勧めに従い 結婚することになった。リーは悲しみながらも シェリーを送り出して別れることにする。シェリーは 若い花嫁をもらい 新居に落ち着くが 何も知らない新妻にイライラするばかり、心の安らぎも 愛情も感じることが出来ない。
リーも 失って初めてシェリーの存在の大きさを思い知って 気がふさぐばかり。旅に出て 若い男と遊んでみても気が晴れず、シェリーのことばかりが思い出される。半年の長い別れの末、遂にシェリーは 耐えられなくなって リーのもとに帰る。
リーは シェリーが本当に何もかも捨てて 自分のところに帰ってきたと思い込むが、しかし、シェリーは家庭を築きながら 心のささえとしてリーとの関係を維持したかったのだ。それがわかって、リーはシェリーに言う。こわがらないで自分の足で立って歩いていきなさい。振り返ってはいけない、と。
コレットの小説は みなそうだが登場する男女のやりとりばかりで、時代の社会背景とか深刻な社会問題とかは、いっさい描写がない。
この映画も 画面いっぱいに、ベル エポックの貴族達の豪華な生活ぶりがでてきて、きれいで楽しい。ただそれだけの映画だ。男は皆 シルクハットにステッキ、三つ揃いを着て姿勢が良い。女達はレースをふんだんに使ったロングドレスの 大きな帽子やベール姿だ。家具調度品もビクトリア調の装飾の多い品々で贅沢だ。
50歳すぎても美しいミッシェル パイファーがとても良い。それにラパート フレンドの美しさには目を見張る。黒いロングヘアーにギリシャ彫刻のように鼻筋が通って、青く深みのある目、美男とはこういう男を言うのだというお手本みたいな顔、姿。そんな美しく若い男が 怒ったり、泣いたり、笑ったりする。全くもって鑑賞に値する。
2本とも20世紀初めのころのパリに生きる女を描いた映画。裕福な男の力なしに自分の足で立つこともかなわなかった時代に できる限り社会の枠にとらわれることなく生きた 現実にいた女性のお話だ。
こうした映画を観て 何を考え、何を得るか 人によって様々だろう。
いまは 21世紀。女性兵士も女性宇宙飛行士もパイロットも増えた。女性官僚も当たり前だ。
ところが日本では結婚して専業主婦になりたい女性が増える一方なのだ という。なんかが ゆがんでいるのかもしれない。