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2009年8月5日水曜日
映画「わたしのなかのあなた」
アメリカ映画 「わたしのなかのあなた」原作「マイ シスターズ キーパー」(「MY SISTER"S KEEPER」)を観た。日本では10月に公開されるらしい。
監督:ニック カサぺトス
キャスト
アンナ:アビゲール ブレスリン
ケイト:ソフィア バシレバ
母: キャロン デイアス
父:ジェーソン パトリック
弁護士:アレック ボールドウィン
ストーリーは
消防士のライアンと、弁護士のサラとのあいだには、長男ジェシーと、2歳になる娘ケイトがいた。庭のある大きな家、愛らしい兄妹と 仲の良い夫婦、非の打ち所のない幸せな家庭が、突然、ケイトが白血病と診断されたことで、幸せの頂上から 奈落のそこへと突き落とされる。
ケイトの白血病の治療のためには マッチした骨髄提供者が 常時必要になる。しかし家族のうち 誰一人としてケイトと同じ型の 血液型や骨髄を持つものが居なかった。
夫婦は専門家と話し合ったすえ、遺伝子工学で ケイトと同じ遺伝子をもった赤ちゃんを人工授精で作ることにする。 そして生まれたのが、アンナだった。
アンナは5歳になったときから 姉のケイトのために輸血提供者となり、6歳からは 骨髄提供者として 頻繁に入院することになる。父親も母親も ケイトの命を救うことを優先して 妹のアンナが病院を嫌がって泣き叫んでも 押さえつけてドクターに娘を差し出すことをなんとも思わなかった。
両親がケイトの世話に夢中になっているうちに、放って置かれた兄ジェシーは 必要な親のサポートがなかった為 学校の成績がよくない。それを理由に両親はジェシーを特殊学校の施設に入れてしまう。それを契機にジェシーは学校が嫌いになって行かなくなってしまう。
アンナは11歳になった。徐々に 病状が悪化していくケイトには 腎臓移植が必要になってくる。腎臓提供者は当然アンナだ。両親は何の疑いもなくアンナに腎臓を提供させるつもりで居る。
アンナは ケイトとも兄のジェシーとも話し合い 腎臓を姉に提供することを 拒否することにする。アンナは 全財産($700)をかけて 凄腕の弁護士に会いに行き 彼をアンナの代理人として両親を訴えることにする。弁護士は アンナが持参した医療記録を見て 驚愕する。そして腎臓提供を強硬しようとする両親を訴えることに決める。弁護士自身がてんかんを持つ 身体障害者だったからだ。
母親も弁護士だから 負けていない。父も、母も 病状が悪化する一方のケイトを見ていて 何故 腎臓の提供を妹のアンナが法廷に持ち込んでまで拒否するのかがわからない。法廷でも サラはアンナに どうして姉の命を助けないで平気で居られるのか と、親の強権を見せつけ 未成年者は親に従うことが義務だ、とまで言う。これがアンナにとっては、自分の存在すべてをかけた基本的な存在権を主張していることに、盲目なままで 気付くことができない。
一方、ケイトは病院で化学療法中に、同じ病気の男の子に出会って、恋をする。病院主催のダンスパテイーで、二人は愛し合う。しかし、男の子は 駆け抜けていった疾風のごとく、ケイトを置いていって 死んで行ってしまう。腎臓透析を繰り返しても 効果が得られない最終段階に入って ケイトは家族の一人一人にお別れを言って 死んで行く。
ケイトの死後 アンナのところに弁護士が訪ねてきて、アンナが勝訴したことを告げる。
ケイトが居なくなって 家族の隙間を埋め合わせるように 残った家族は 毎年ケイトが好きだった海岸にキャンプに来て ケイトを偲ぶことが 習慣になった。
というストーリー。
化学療法を受け始めたケイトが やはり同じ髪のなくなった少年に恋をするシーンが可愛い。二人がパーテイーで はしゃぎ回った末に愛し合うシーンが印象的だ。
兄ジェシーの孤独が痛々しい。親に見捨てられた子、両親から何の関心も示してもらえない子。親が病気の妹にかかりきりになっている間に、成績はふるわず、特殊学校に行かされてそのまま学校が嫌になって、離れてしまった。友達もなく、わかってくれる人もなく、寂しくて仕方がない。一日中、街でぶらぶらして、忙しそうに動き回っている人々を ただ眺めて過ごしている。時として、最終バスを逃して、ヒッチハイクと歩きで家に深夜帰ってたところで 両親はケイトしか眼中になくて、息子を叱ってくれるわけではない。理解者もなく 自信もなく ただ人生の傍観者のようになってしまった。
そんなジェシーが、小さな妹アンナが 初めて親に逆らって 弁護士に相談に行くことに決めると、自分の持っているすべてのお金を財布ごと 妹に渡してやる。
ジェシーの心の痛みがしみて 泣けてくる。安住できる場がどこにもない子供の心の傷が ぱっくりと大きな穴を開けて血を流している。
しかし、この映画はなんといっても 天才子役のアビゲール ブレスリンの演技に勝てる役者はいない。涙、涙、涙 のこの映画の中で 彼女自身は ほとんど涙を見せない。気丈に自分の足でしっかり立っている。そしてそれが末っ子の役割であるかのように 明るく飛び回っては まわりの人々を笑わせる。映画「ミス サンシャイン」で大笑いさせた キャラクターそのままだ。
けなげにも 自分の存在を 姉の故障修理のためのスペアパーツでないことで、証明しようとする。彼女もまた血も涙もあり、ケイトとは全く違う 人格をもった人間であることを証明しようとする。
ああ、それにしても何という 両親だろうか。母親役のキャメロン デイアスの顔が鬼に見えてくる。おまけに 妻の独走を止めるどころか 助走することしかできない気弱な父親の顔も鬼だ。白血病の子供を持った親の 悲しさは どんなにつらいか、想像しても余りある。しかし、遺伝子操作で ダミー人間を作り その血液や骨髄や腎臓を抜き取り 病気の娘を治療するなどということを 平気でやるアメリカという国、平然と それを実行する エゴイストな親達。
ダミーが口を利き ダミーが訴訟をおこしてまで 抵抗して初めて ダミーもまた人間だったことに、初めて気が付く親の愚かしさ。ダミーだって自分が産んだ子供なのに。
本当にあったことを 基にして作られた映画だそうだ。
映画で家族が食卓を囲み、にこやかに語り笑いあうシーンがたくさん出てくる。最後もケイトが居なくなって 海辺で仲良く 波と戯れる兄妹、両親、、、これって ウソ臭くないだろうか。
ケイトが居なくなって 家族を繋ぎとめているものがなくなって、兄ジェシーは 家を出て街のギャング団に入り 強盗に明け暮れる、、、ケイトのスペアパーツだったアンナは 両親との同居を拒否して 好きでもない中年男と同棲始めたり、寄宿舎に入ってしまって、親が会いに来ても面会しない、、、といった形で収まる方が 自然ではないだろうか。
親に疎まれた子供は その後 反省して態度を変えた親に もどってこられても、「幸せな家族」を演出することなどできない。親に愛されなかった子供には それがよくわかる。子育ては「やりなおし」が効かない。ということは、育つこどもにとっても やりなおしが 効かない。
親の押し付けを拒否し、親の強権と、愛という名の暴力を拒否した11歳の娘の勇気は まことに 賞賛に値する。子供からの親離れを 見事に果たした この、アンナに共鳴する人は多いのではないだろうか。それは、その人もまた傷を持っているからだ。