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2008年11月2日日曜日

ローマ その2




次の日は早く起きてバチカン博物館と システイナチャペルへ。
9時に開く博物館の前に8時半から並ぶ。着いてみたら二番目に早く来たグループだった。人のいないうちに見たい、と気がはやる。ここに入るのに昼間になったら2時間待ちがざらだ。厳重な荷物検査と金属探知機をくぐって入館。

バチカン博物館は古代から現代までの芸術品をもつ世界最大の博物館だ。27の美術館と博物館で構成されている。博物館に入って、もうそこの廊下に感心し、天井に驚きあきれて、壁と言う壁を覆うタピストリーや絵画に感嘆し、彫刻に心奪われる。いくら時間があっても足りない。早足で先に行ってしまうガイドがうらめしい。

システイナチャペルのミケランジェロの天上画の素晴らしさ。教会の ものすごく大きな天井いっぱいに描かれた旧約聖書の物語。ワーッと声を出してしまう大きさ。四方のまわりに座れるようになっており 座って天井画を じっくり見ることができる。続いて、祭壇画。これも素晴らしい。ミケランジェロはこの天井画を完成した後 教皇ユリウス2世に命じられ祭壇画を製作した。旧約聖書の創世記から人類再生まで「最後の審判」を祭壇画として描いた。ミケランジェロの偉業は一人の天才によって果たされたとは思えない、天才以上の天才。どの絵もカラフルで美しい。

サン ピエトロ大聖堂に入り ミケランジェロ23歳の時の傑作「ピエタ像」を見る。キリストを抱くマリアの嘆きの像。ガラスケースに入った この美しい像を沢山の人が取り囲んで カメラに捉えたりしている。教皇の祭壇の豪華なこと。29メートルのおおきなベルニーニ作の天蓋。いくつもある祭壇がそれぞれ、華麗な装飾を施されている。聖ペトロの銅像もある。カトリックの富の総本山。装飾と富と美の極地を求めた殿堂に圧倒されながら外へ。

サンピエトロ広場には 何百何千という椅子を並べているところだった。聞くと年に一度、カトリックの中で階級を上げる認証式があるので準備しているところだそうだ。見上げると聖堂の右の3番目、法王がいる部屋の窓が開いているので 在室だという。テレビでおなじみの法王の顔を思い浮かべつつ 窓にむかって、チャオ と手を振って バチカン王国を後にする。

サンタジェロ城は 139年に建てられた霊ちょう。屋根の頂上高く、天使が立っている。10世紀にはバチカン宮殿と秘密に通路で結ばれて法王の避難場所となり、また牢獄としても使用されたという。テビレ河に架かるサンタジェロ橋の両側に 沢山の聖天使の像が立ち並んで壮観だ。

紀元前27年に建てられたパンテオンを見る。天井に43メートルの球形の採光のための 明り取りがくりぬいてあるため 堂内に光が入り 日光で時刻を正確に計測したという。聖母マリアと殉教者のために捧げられた教会。球形の天井を撮る為 天井の真下に娘と立って二人の顔を下から撮影しおもしろい写真が撮れた。

ナボナ広場とネプチューンの噴水、そしてトレビの泉。もう一度来られますように、いのりながら 3枚のコインを投げ入れる。

コロシアムに戻る。夜のコロシアムも美しかったが、炎天下で大汗をかきながら見るコロシアムも迫力満々。紀元80年ごろ完成した円形競技場。すべて大理石で覆われていた。猛獣とグラデイエイター、またはグラデイエイター同士の戦いを見物する為に 7万3千人の市民が押しかけたところ。円周527メートル 高さ50メートル。一階が貴族、2階が市民、3階は立見席、地下に猛獣が1頭1頭 入れられていた檻のあとが はっきり残っている。ライオンなどの猛獣は遠くアフリカから連れてこられたと言う。何という財力、何というパワー。

ローマ帝国ではコンスタンテイン帝の時代になってから改宗、キリスト教が公認された。それまではイエスキリストの迫害を例にするまでもなく クリスチャンは弾圧されローマ人から憎まれた。 キリスト教が公認され 力を持つようになると クリスチャンはローマの施設を攻撃、破壊した。コロシアムのすべてをカバーしていた大理石は このとき破壊され、はがされた。この大理石を、のちにウェストミニスター寺院に張り替えたのはクリスチャンだ。何たるイギリスの介入、暴挙。歴史のダイナミズムの中で 常に犠牲になるのは 芸術だ。

夜は 疲れた体に鞭打って ちゃんと着替えて、ツアーで仲良くなった人たちとレストランに繰り出す。老オージー夫婦、アメリカ人夫婦、シンガポール人夫婦など。他の人たちと社交する為に きちんとした食事でもしないと長い一日にくたびれ果てて 夕食抜きで眠りこけてしまう。眠る時間が惜しい。冷えたワインでパスタ、夜半まで語り 飲む。イタリアの濃いコーヒーがとても美味しい。 明日はフロレンスだ。
写真右:サンピエトロ大聖堂 教皇の祭壇
写真左:サンピエトロ広場