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2008年9月29日月曜日

映画 「ウォーリー」


デイズ二ー映画制作のSFアニメーション「ウォーリー」を観た。「ファインデイング 二モ」の、アンドリュー スタントン監督。 男の子の名のウォーリーでも、悩ませる心配させる の WORRYでもなく、「WALL-E」とは、「WAST ALLOCATION LOAD LIFTER EARTH CLASS」 の略で、地球のごみ処理ロボットのことだ。

今から800年後の話だ。
地球に住んでいた かつての住人はすべて 他の星や宇宙船に避難 移住した。放射線や化学物質で汚染された地球は 完全に人々から捨てられて、命あるものは死滅した。その廃墟に残った ごみ処理ロボット達も、ウォーリーを除いて、皆役目を果たし、エネルギーを使い果たして動かなくなっていた。地球上ただ一台 残されたごみ処理ロボット ウォーリーの友達はただ一匹のゴキブリだった。 毎朝 日が昇ると ウォーリーはごみを集めて圧縮してはそれを積み上げていく。なにか面白いものや再利用できそうなものは 拾って集めて、夕方になると ガレージの自分の部屋に持って帰ってくる。自分の部屋では 1969年のミュージカル「ハロー ドリー」をVHSビデオで観て、自分でも踊ってみたりしている。ウォーリーは孤独だ。

ある日、轟音とともに、ロケットが着陸して、偵察ロボットを地球に残していく。ウォーリーはその白い美しい偵察ロボット、イブの姿に魅せられて、恋をする。イブは地球に生命体があるかどうか調査する為に来たのだった。そんなとき、ウオーリーは 鉄くずの残骸の下から 小さな芽を出したばかりの緑の植物を見つける。有頂天になって、それをイブにプレゼントする。生命体を受け取ったイブはそれを自分の体内で処置しようとして、故障して 動かなくなってしまう。ウォーリーは動かなくなったイブを 眺めの良い山頂や 港に連れて行って、懸命に話しかける。自分の行くところ どこにでも連れて行って 片時もイブを離さない。

そうしているうちに またロケットが来て、もう動かなくなったイブを連れ去ろうとする。ウォーリーは 必死でイブについていき 人間の住む巨大な宇宙船に中に侵入する。ここでは人間は働いてものを生産する必要がないので 太った豚のような姿になっている。何もかもが機械がやってくれるので 手足も退化している。目も前のコンピューターを作動させるだけで 食べ物も飲み物も目の前に来る。コンピューター画面しか見る必要がないので、視野も退化して狭くなっている。宇宙船の船長はこのうち宇宙船を提供している会社のしもべでしかない。こうしたなかで、ウォーリーとイブの恋の行方は、、、。 というお話。

すべての生命体が死に絶えたニューヨークで パワフルに休まず ごみを処理するウォーリーが 仕事を終え、自分の部屋に戻れば ごみの中から拾ってきた物をより分けて、自分の古くなった部品を自分で修理して取り替えたり、古いミュージカルビデオを見て 愉快になったりする姿がとても人間的だ。アニメーションでロボットの表情ひとつに喜怒哀楽を表現させるテクニックに脱帽。観ながら、すっかりウォーリーに感情移入してしまう。動かなくなったイブをいつも連れ歩き、雨が降れば 自分は濡れてもイブには傘をさしかける、本当に人間的。イブも笑い顔がすごくかわいい。

ロボットが人間的で、生き残って退化した人間が獣以下、という設定がおもしろい。退化した人間の姿が ブラックユーモアになっている。コーラとハンバーガーで生きているアメリカ人の将来、行く末を明確に描いている。 ウォーリーがどうしてロボットなのに人の心を持つようになったのか、命令に忠実なイブまでが 何故ウォーリーの恋心によって、変わってしまったのか 不明だが、ウォルトデイズ二ーがこの映画で対象にしている年齢層を考えれば 細かいことを追求しても仕方がない。子供がこの映画を観ていのちの大切さや 相手を思いやること、緑を守ることの意味を考えるのが大切だ。 とても、良い映画で、子供の為のアニメーションにしておくのは もったいない。

ウォールトデイズ二ー社は 手塚治虫を実によく研究して とりこんでコピーしている。「ライオンキング」が、40年前の彼の作品「ジャングル大帝」の まるっきしコピーなのは、名目瞭然。 このウォーリーも 彼の「火の鳥」のテーマに似ている。 「火の鳥」は 「黎明編」、「未来編」、「ヤマト編」、「宇宙編」、「鳳凰編」、「復活編」に分かれた5部作だ。 第一部、「黎明編」が発表されたのが1955年。連載されては雑誌廃刊、また再編されては出版社倒産と、何度も憂き目に会いながら、1976年、朝日ソノラマ発行の月間「漫画少年」で、完結した。この30余年前の5冊を持っている。紙が赤茶けているが内容は現代そのもので手塚ワールドは、時を経ても いつも新しい。

この完結編の中で 事故で脳挫傷した少年が 体は人間、脳の3分の2は 人口脳を埋め込まれて再生する話が出てくる。体は人間、脳はロボット、でも心は人間だ。少年の目から見ると 有機質の人間は 醜い物体だが、美しい人間の姿に見えるのは 無機質のロボットだ。そして、少年は一人のロボットに恋をして、やがて互いに愛し合うようになる。勿論、人間達から、理解を得られない。恋の末路は悲劇的だ。

「火の鳥」では、この人の心をもった 人工脳の少年とロボットの少女が ロビータのもとになり、「火の鳥」第一巻のはじめにもどっていく。最終的にはロビータは、ひとつのロビータが 人間に死刑を要求されたために、人間に仕えていた何万 何十万というロビータがすべて 自ら溶鉱炉のなかに飛び込んで 鉄くずとなって、人間社会からロボットは消えていく。

手塚治虫はすぐれて、ヒュ-マニストの作家だが、子供向けの漫画だからといって ハッピーエンドの御伽噺は 決して描かなかった。 漫画の中で、科学者は 死んだ人の命を人工機能によって再生し、命の創造に着手する。死に絶えたはずの動物達を 人工羊水のなかで育てている。二つの死体から 一つの完璧な体を作ろうとする。人の記憶を残して、人の心をもったロボットを製作する。 それらが、とても斬新な発想で、こういったストーリーを彼が書き始めた1955年ごろ、世界は まだ月の探索どころか、コンピューターもなかった。それを思うと、今、改めて、手塚治虫は とてつもない想像力を持った 大きな子供だったんだ、と思う。

2008年9月25日木曜日

マケイン降板か


この10月のアメリカ大統領選挙にむけて、民主党から出馬したオバマと、ほぼ互角で選挙戦を戦っていた 共和党の上院議員マケインが、大統領候補としてのキャンペーンを、WITHHOLD すると、発表した。
それほど、アメリカの金融危機が深刻で、かりに、彼が大統領になっても ならなくても 国家的な経済危機の責任を負う という不名誉な責任を負いたくないからだろう。

アメリカでは、自由市場で、投資、投機ばかりが跋扈するなか、クレジットクランチが起き、政府が7000億ドルのレスキューパケッジを、出すという。これは、国民の税金。このことにより、金融市場が健全に立ち戻るとは思えない。

かつてドルは金と土地に価値を裏打ちされていた。 いまや、ただの紙切れ、ブッシュは 国債という紙を印刷しまくり、彼を支える大型企業や金融機関は証券という紙を印刷しまくった。そのツケが回ってきたに過ぎない。

アメリカは第一次世界大戦で国土に何の被害もなく、戦後、世界中の金の85%をもっていた。それで、やり放題、、、韓国に介入し、ベトナムを蹂躙し、いままたイラクとアフガニスタンに派兵している。9,11は、起こるべくして起こったのだ。

アメリカは、なりふりかまわず自国の国民を守る為に、アメリカの不良証券を日本に売りつけるだろう。それがなくては、生き延びられない。 ところで、いまの日本の首相って誰だっけ? おまえ、ちゃんと、ノーと言えるのか???

2008年9月15日月曜日

映画「IN BRUGES」



ブラックユーモアは嫌いではないが、人の死を笑うようなブラックなユーモアは好きになれない。 職業柄、余りにも 毎日が死に満ちている。死にたくなくて、死んでいく人ばかりだ。そうではなくて、自分の命を充分生きたという満足感をもって 豊かな気持ちで心安らかに旅立たせてあげることが 使命のひとつでもあると思っている。 心臓外科病棟の忙しさに疲れて、エイジケア(老人ホーム)に勤め始めて2年になる。人々は死ぬ為に、ここにやって来る。家族は世話を拒否、病院での加療で治癒することは望めない、長期療養施設も、徘徊や失禁が進むと手がかかる為 出されてしまう そんな人が集まってくるエイジケアは 人生の終着点だ。だから入口はあっても、出口はない。 この2年間に沢山の患者を 心をこめて見送った。そこに笑いはない。

映画 「IN BUUGES」を観た。
各地ホイッツで上映中の新作。
監督:MARTIN MCDONAGH
俳優:COLLIN FARRELL    
    BRENDAN GLEESON   
    RALPH FLENNES
邦題にすると「ブルジスにて」だろうか。ベルギーの古い中世の雰囲気の残っている街の名前だ。クエンテイン タランテイーノの「パルプフィクション」のヨーロッパバージョンとも 評価されているようだ。不真面目ともまじめとも言えない殺人のお話というか、ブラックユーモアの映画。

ブルジスに2週間後に 行くことになっている。それが理由でこの映画を観た。それ以外に こんな人の死をブラックに笑う映画など観る理由がない。「パルプフィクション」も大嫌いな映画だった。

映画は 16世紀の中世の趣を残した 伝統的な手縫いのレースと観光で生きているブルジスの街が 舞台だ。古い町並み、石畳、人々がテーブルと椅子をだしてカフェを楽しむ中央広場、高い時計台、いくつもの古い教会と宗教画、街の中央には運河が走り、観光客を乗せたゴンドラが浮かぶ、河には白鳥、夕方になれば霧が出て、幻想的な中世の世界が広がる、御伽噺のような街だ。

ここに、ロンドンでドジな仕事をしてしまった二人の殺し屋が 事件のほとぼりが冷めるまで 留まるように命令されてたどり着く。小さな町は観光客でいっぱいで、狭いひとつの部屋に 年老いた殺し屋:ケン( BRENDAN GLEESON)と、若い殺し屋:レイ(COLLIN FARRELL)は滞在することになる。 レイは 知らない街で、することもなく、イライラしどうしだ。太い眉毛が8時20分を指していて いつもお母さんにしかられたような 情けない顔をしている。この街で 映画撮影に来ているアメリカ人と知り合い、オランダ人の娼婦にゆきずりの恋をする。レストランで喧嘩になって カナダ人夫婦をぶんなぐったりもする。ブルジスの街で アメリカ人、オランダ人、カナダ人、が出てきて、ケンはイギリス人、レイはアイルランド人という だれも皆が 異邦人であるという設定がおもしろい。

そうしているうちにケンとレイは ボスからの指令を受けて、教会の牧師を殺しに行く。レイは またまたドジなことに 牧師を撃った時 同時に、祈りに来ていた少年を撃ち殺してしまう。この少年は「良い子になれますように、算数が得意になれますように」という神様にお願いを書いた紙を握り締めて死んでいた。この少年がものすごく美しい。清らかで美しい魂が巻き添えにあって倒れ、あわてふためく殺し屋の愚かさ加減が滑稽だ。それで、レイは陰鬱な中世の街で何もかもうまくいかない上、子供を殺してしまったことで自分を責め始める。

そんな時 年老いた殺し屋のケンはボスから 相棒のレイはもう使い物にならないので始末するように という命令を受ける。命令とはいえ自分の息子ほどの年齢で、妙に気の弱いレイを殺すのが忍びない。かといって命令に従わない殺し屋は 次には殺される番だ。ケンは命令に従う決意をして、出かける。公園のベンチに座っているレイを見つける。幸い彼はケンには気がつかない。ケンは消音機つきの拳銃をもって、後ろからそっと近ずいていく。カメラがズームしていき、ケンがしのび足でレイの背後に立ち、銃の引き金を引く緊張感の頂点で、レイが同じ瞬間に自分の銃で自殺を図る。まさにケンが引き金を引いて撃とうとした頭を ケン自身が引き金をひいて撃とうとした 、、その緊張の瞬間、爆発的な笑いが起こる。殺そうとしている相手が自殺しようとしたら、殺し屋は その瞬間 どんな条件反射を示すのか。
ケンは夢中でレイの銃を奪って 自殺を食い止めて、生きるように教え諭す。このブラックユーモアが とても笑えるところ。

そんなこんなで、ロンドンのボスが 二人の殺し屋を殺しにブルジスにやってくる。ボスを演じるのが RALPH FIENNES。この彼がメチャメチャうまい。目の光り方が尋常ではない。完全に狂っている。激情に走ってどんなことでもする。体だけ大きな幼児のように 怒ると止めようが無くなって 終点まで行くしかない。なんだ、二人の殺し屋のボスって、ただのオタクだったのか、と笑える、というか笑うしかない。
ラルフ フィネズは、「イングリッシュ ペイシャント」や、「ナイロビの蜂」を主演した俳優で、私は大好き。礼儀正しく、シャイで、チャーミング。ソフトで優しくて紳士の鏡みたいなイギリス人役者。この彼が およそ自分と正反対の役で、汚いアメリカ言葉、一つの単語にひとつのF***言葉をつけて 怒鳴り散らし 銃を撃ちまくる。これが おもしろかった。

この映画 面白いから観てみて、とは誰にも言わないけれど、良い俳優を使っている。人生を皮肉とブラックユーモアで 乗り越えなければならないときもあるだろう。こんな映画が割合 評判高いというのも、わかる気もする。 3週間後には、この街の石畳を踏むことになる。殺人や騒動に巻き込まれることはないだろうが、旅行中は 気をつけて行きたいと思っている。

2008年9月12日金曜日

IPHONEを使ってみたならば


携帯電話の契約が2年を過ぎて、別の新しい形の携帯電話に取り替えてもらえる時期が来たので、アップル社のアイフォーンをもらってきた。

これで 携帯電話も5つ目になる。

洗濯機でジーンズと一緒に間違って洗ってしまった携帯以外は、壊れたわけでなく どこも悪くないのに 契約切れとともに より薄く より軽い携帯にと取り替えてきた。いま、4つの古い携帯をながめてみると、それぞれが どんなに自分の手になじんだものだったか、と思う。日本人旅行者に病人やけが人が出るたびに 病院やホテルを駆け回っていた その昔、携帯はなくてはならないものだった。起きている時は ポケットに、寝ているときには枕元に いつも一緒だったのに、2年たつとポイッか。

さてIPHONEをもって家に帰って 箱を開けてみたら ほんの申し訳のような薄くて 眼鏡をかけても読めないような小さな字の小さな説明書しかない。使い方は ネットを通して勉強するように なっているらしい。フムフム。

IPHONEは、カメラや録音、録画する今までにもあった携帯電話の機能だけでなく ナビゲーターがついていたり、音楽を聴く機能がついている。音楽を聴きながら、電話を受けることができる。

生まれてから 一度も音楽を聴きながら勉強したり、通勤したり 仕事をしたことがない。音楽は ちゃんと正装して劇場に行き 聴くものだと信じていた。昔の粗悪な音質のラジオやテレビから流れてくる粗雑な音に 嫌気がさしていたからかもしれない。技術が進み、CDやDVDの音質も 本物に近い良い音がでるようになっているのだろう。IPHONEでは、ネットで好きな音楽を買って インストールするのだと言われて びっくりした。エー!

携帯がIPHONEになって とってもがっかりしている。
今にもゴミ箱に放りなげて 前の手になじんだ携帯にもどりたい気分になっている。
どうしてか というと、、

1)SMSで写真が送れない。 写真はEメイルで送ることになっている。SMSで写真を送れないのでは 離れて住んでいる家族と毎日 写真つきメッセージでやりとりを楽しんできた私にとっては大打撃。忙しくて 遠くに住む娘に 電話で話する時間はないが、ちょとした安否確認に、飼い猫の笑える写真をつけて送ったり、今日のお料理が良く出来たので写真を送ったりして たわいのないやりとりが楽しかったのに、それが出来なくなってしまった。写真をネットを通して送ると言っても 携帯がネットと同じ役割をはたしている日本のような進んだところと違って 携帯でネットをやっている人はまだ オーストラリアでは少ない。だからIPHONEから写真を送っても コンピューターのほうに送られてしまう。写真を今までのように、SMSでは送れないと、始めから知っていたらIPHONEなど買わなかった。腹立たしい。

前の携帯のシームカードを入れてIPHONEを使っているのに、前の携帯に保存していた写真が全部消えてしまった。 娘がイタリアから送ってくれたミケランジェロの天井画など、貴重な写真も消えてしまって頭にくる。

2)メッセージをタイプする画面が小さくて タイプに時間がかかり、誤字も多くなった。私の指でもふたつの文字をタッチしてしまい 余程 時間をかけて注意深くタッチしないと メッセージのタイプができない。私の指で大変なら、大きな男の人の指だと、どういうことになるんだろう?ワカラナイ。

3)電池の消耗が激しい。 何も使わないのに 一日持ち歩いていると、3分の1くらい電池がなくなっている。今までの携帯では3日くらい充電しないで平気だった。IPHONEでは毎日充電しなければならない。

4)節電モードになっているので、ポケットから出したときは真っ暗。今までは  ポケットから出してすぐに時間と日付けが確認できて 時計代わりになったが、IPHONEでは ポケットから出して、ボタンを押して、画面を明るくして 自動ロックを解除してから、やっと時間がわかる。これでは 急いでいるとき 時計代わりにならない。

5)写真のボタンを押すと、今までとった写真が全部並んで出てきてしまう。従って、特定の写真だけを特定の人に見せたくても、写真を全部見せてしまうことになる。私は別に秘密がないから良いけど、4-5人親しいボーイフレンドがいて、そのうちのどの子にしようか 決めかねているような人は、 この子と撮った写真も あの子と撮った写真もあるだろうから、自分のアルバムを人に見せられない。、、かもしれない。

いまのところ、IPHONEの良いところが全くみつからない。

これから音楽をじっくり選曲してIPHONEにインストールしようと思っているが また様々な やっかいなことが起きそうでこわい。 いま、IPHONEに乗り換えようとしている人は、立ち止まって 再考することをお勧めする。

2008年9月5日金曜日

加藤登紀子チャリテイーコンサート


日本から加藤登紀子が 国連環境計画親善大使として来豪し、シドニーでコンサートをしたので 聴きに行ってきた。

歌った曲は
「あなたに」 モンゴル800
「島唄」 宮沢カズフミ
「この空を飛べたら」 中島みゆき
「I LOVE YOU 」 尾崎豊
「愛さんさん」 小倉ケイ
「百万本のバラ」 R PAUL
「知床旅情」 森茂久弥
「NOW IS THE TIME 」 自作
「一人寝の子守唄」自作
「檸檬」自作
など、また リクエストに答えて「崖のうえのポンチョ」を歌った。

シドニーには日本人の団体が二つあって ひとつは自営業者など永住権を持っている人が中心になっているシドニー日本クラブと 他に、企業から赴任してきた人などのジャパニースソサイテイーシドニーがある。今回のコンサートは日本クラブが主催して、ジャパニーズソサイテイーの方が後援した。コンサートで集まった約7000ドルのカンパは 環境保護のために寄付されるそうだ。

加藤登紀子の昔の 上質のベルベットのような声を知っているので 高音が全くでなくなってしまった声の衰え 伸びのない かすれ声にショックを受けた。しかし、何曲か聴いているうちに そういった衰えがあまり気にならなくなって、ギターをかかえれば、昔と同じ雰囲気で語り弾きする姿に感銘をうけた。相変わらず 彼女が元気でやっている ということがわかってうれしかった。

改めて40年という気の遠くなるような時の積み重ねを思った。 共有した時代の計りようもない重さ、、、。 あの時代をひきずっている者たちの 独特の熱気。
それだけに、いまだに権力に囚われて 高い壁に中に閉じ込められて自由を奪われている友人がいる限り 心休まることはないという心情は 彼女も同じだろう。 囚われている共通の友人に、どうぞ 元気でいてくださいと、祈ることができるだけ。

銃口にジャスミンの花
無造作に挿して岩場を歩きゆく君

戦場のハンモックに寝てみれば
満天の星手に触れるごとし

「地獄でまた革命やろう」と先に逝き
彼岸で待っている君は二十六歳

公判で問われし過去を切りとりて
かきまぜながら飲み干した夏

もう一度よんでみてよと姉の便り
「君死にたまふことなかれ」の文字

雪降る日 白胡蝶蘭差し入れの
白鳥のごと独房に舞う            

重信房子 「ジャスミンを銃口に」幻冬舎

2008年9月1日月曜日

チャッツウッドの韓国風呂



州花 ワトルの明るい黄色の花が咲き始めた。
シドニーの長かった冬が やっと終わりつつあり 朝晩まだ寒いが 春の兆しが見えてきた。
堅くなった古皮から這い出てくるのに良い季節になった。ので、チャッツウッドに新しく出来た女性だけの為の韓国風呂に行ってみた。怖いもの見たがり というべきか。
ORIANA BATH HOUSE
2・5 HELP ST.CHATSWOOD
9884-8333
あかすり $58
オイルマッサージ $88
整体マッサージ $250

私のは全身オイルマッサージに美顔パックがついて$110なり。 予約時間の1時間前に来るように 電話で言われたので、律儀に1時間前に着いて 言われた通りに入浴とサウナでしっかり温まる。日本の銭湯よりは小さいが久しぶりに大きな湯船につかってゆっくりする。でも1時間は長すぎ、湯船もサウナも高温でくらくら、ゆでだこ並みに赤くなって冷たい水風呂で冷やし またサウナでのぼせてというのを繰り返しているうちに 今知能テストをされたらIQ:15くらいという段になってやっと おばさんが呼びにきて救命してくれた。 おばさん 40位か、ちょっといやらしい黒のパンテーとブラ姿。

台に乗せられ いきなり足から擦り始められる。下ろし金で 身をすられる大根になった気分。とても痛い。うわーん と泣きまねをするが おばさんは一心不乱で「こすり:いのち!」と言う感じで私の顔も見てくれない。英語も通じない。通りかかった受付嬢に ちょっとやさしくしてーと呼びかけたらやっと、韓国語で伝えてくれて、じゃあ ミデアムから、ソフトに変えましょう という路線転換したはずなのに、なにも変わらず 足の指など2-3本もげて無くなっているはず、、。
ジェスチャーでうつぶせ、仰向け 横向きとポーズを変えさせられながら 両手をナイロンたわしで武装したおばさんに 擦りまくられる。横にした木に全力でカンナをかける大工職人みたい。 くまなく前後左右縦横斜め、すみずみまですりがねで 擦られて、皮が2枚分くらいこすりとられた。これで第一ラウンド終了。

第二ラウンドは熱々のタオルでカバーされた体の上から 全身マッサージ。手指 足指 腕、背中ときて、うつぶせの不自由な姿勢から ふと後ろを見ると 体重70キロくらいのおばさんが足で 45キロの私の背中や腰や足の上に乗っかっているではありませんか! 肋骨骨折の恐怖と戦いながら 辛うじて我慢をしているうちに、今度は引っ張り放題。足や首がひっぱられるのは 身長が伸びてよいかもしれないけれど、肩を思い切り引っ張られたときは 2回くらい脱臼してまた修復されたと思う。

第三ラウンドのオイル塗りたくられて ぬるぬる地獄でまたもや 足から首までマッサージ。それと顔のマッサージにあとにはキュウリのパック。ここですでに90分経過。
第四ラウンドで顔にヨーグルトパック。髪をシャンプーしてくれて、顔も蒸しタオルで きれいにしてくれて、やっと無罪放免。サウナでゆっくりしてから 帰りなさい と言われる。おばさんは滝のような汗、私をサウナに追いやった後で 自分も裸になってガシガシ髪や体を洗っていた。重労働ご苦労様。 

始めの1時間を入れると ここに来て約3時間過ごしたことになる。 マッサージされることが好きな人にはリラックスできてよいかもしれない。でも私には強い力で揉まれたり 擦られたり 掴まれたりすることに恐怖心が先行してしまう。やっぱ、黒のビキニ姿の英語の全然通じない、体の大きな韓国人のイメージに、強迫感を感じてしまう。

理学療法士:フィジオセラピストは シドニー大で4年コース。獣医学部、医学部、オプトメトリストコースの次に大学受験が難しいコースだ。高校3年で受ける統一試験(HSC)で90%位取らないと入れない。ちなみに看護コースは60%だから、90%がどんなに大変か わかる。入学できても3分の1は 中退させられるという。筋肉、神経 などの解剖学 生理学の基礎をしいっかり勉強してくれないと 骨を折ったり ぎっくり腰や寝違えた人の体は触れない、ということだ。だから、この資格を持っている人にやってもらうマッサージは、信頼できる。

カイロプラクテイションは、2年コース、マッサージ、アロマセラピー 美容の為のケアコースは大抵6ヶ月の研修で資格が取れる。多くの ホテルなどのボデイケアの美容師は このコースを学んだものと思われる。 韓国マッサージとか、タイマッサージ、中国人のマッサージなど、資格がこの国にないものは、資格を問うても仕方がない。上手な人に当たれば良いが 上手下手は、やってみないとわからない。

かくして春になり 古い皮は、ぬけ落ちた。
でもなんか、すごく疲れた。 もう ここには来たくないかも、、、。