ページ

2007年11月30日金曜日

宮本輝の4部作 「流転の海」

作家、宮本輝の長編小説、新潮文庫 計4冊2015ページを読んだ。4部作とは、「流転の海」、「地の星」、「血脈の火」、「天の夜曲」のことで、宮本輝の父親をモデルにした大河小説。宮本輝が35歳のとき書き始めてから、20年かけて4作目が出た。小説では輝が生まれたところから始まり、最終の章では彼が9歳、父親が59歳になったところ。20年かけて 作家は書いてきて4冊で完結するはずが 彼はまだ9歳、このままだと6冊で終了できるかどうか危惧しているそうだ。

私は 大河小説が大好き。好きな順からあげていくと、
1番:マルタン デュガール 「チボー家の人々」
2番:ロマン ロラン    「魅せられたる魂」
3番:パール バック    「大地」
4番:ドストエフスキー   「カラマゾフの兄弟」
5番:住井すゑ       「橋のない河」
6番:ロマン ロラン    「ジャンクリストフ」
7番:アレックスヘイリー  「ルーツ」
8番:北杜夫        「楡家の人々」

どれも、父があり、子があり 2-3世代の家族に渡って志が受け継がれ、歴史に翻弄されながら、人々が愛しあったり、憎しみあったりしながら生きていくお話。

宮本輝は私が最も好きな作家、1947年生まれ、「泥の河」で太宰治賞、「蛍川」で芥川賞、「道頓堀川」の川3部作を仕上げ、「優駿」で吉川英治賞をとり、現在芥川賞審査委員。多作で、最も売れている作家。1995年、阪神大震災で小田誠などとともに、自宅が全壊して失った。そのとき、執筆して、最終章を仕上げていたのが「人間の幸福」だったそうだ。

私は「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」、それと青春時代を描いた「青が散る」「優駿」が好きだ。それと「ドナウの恋人」と、「月光の東」が好きだ。

4部作で、作家の父親をモデルにした主人公の名は、松阪熊吾、常に事業に夢を追う男。作品は1947年に 大阪で貿易商として大掛かりな事業を営んでいた男が 戦争で何もかも焼かれて、灰になった焼け跡に帰ってきたところから始まる。50歳で 財産を失なった男に 予想もしなかったことに、男の赤ちゃんが生まれる。新しい命の到来が 熊吾に、事業の再建を決意させる。彼は強い信念と、優れた行動力でブレインを固め、事業を軌道に乗せていく。 事業が成功すると、やがて人に裏切られてまた一文無しになり、やり直して、また軌道に乗ると、倒産の憂き目にあう。実業家の浮き沈みに伴い、妻も息子も、様々な経験を積んでいく。人の成長は、こうして社会によって育まれるのだということが、わかる。

読書家で知識が豊富。知る限りの教養を一人息子に 理解できる年齢であるかどうかに関わらず詰め込もうとする。その息子の健康のためならば 築いてきた事業を簡単に人に譲って 無一文で田舎に転居するなど、苦もなく実行する。激情家で怒りが爆発すると 妻を殴り、留まることを知らない。情にもろく、人助けが身についている。どこでも骨身惜しまず弱いものを援助する。若い女にのめりこむのも、激しい。火のように 燃えやすい男。喜怒哀楽が激しく、行動的で極端な、"火宅の人”だ。
これを、冷静沈着、粘着質の、性格が反対の極にあるような息子である作家が描いていく。時代とともに、生きた歴史をみるようだ。 こんな風に自分の父親を 一人の昭和を生きた男の人生として書き上げられる作家がうらやましい。私には父を書くことは出来ないだろう。父のように、功績があり、社会的にも高く評価されている人を娘の目から見上げて見えた部分だけを描いて見せるのは 公正でないと思うからだ。描けないほど大きな人、ということも言えるし、何枚原稿用紙があっても書き足りないほど厄介な人、ということも言える。

宮本輝は、あと何年かかって、これを完結するだろうか。気長に 待っていよう。

2007年11月23日金曜日

今年最後のACOコンサート

オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)リチャード トンゲテイ監督の定期コンサートを聴いた。2007年最後の定期コンサート。エンジェルプレイス、二階中央の席。この席で聴くのも今年が最後。毎年 年間7回のコンサートを支払って、指定席を手に入れるが、隣の指定席の男が 演奏中 貧乏ゆすりはする、靴の底をこちらに向けて足を組む、一番ひどいのは、ケイタイをオフしないで演奏中 それが鳴り響いたことがあった、、、無作法を絵に描いたような男。二年間我慢したが、なにも我慢大会に出場しているわけでないので この男からなるべく離れたところに席を変えてもらった。

ACOの定期コンサート申し込みも10年になる。これだけ、ひとつの楽団を支持、後援するのは初めて。リチャード トンゲテイは間違いなくオーストラリアでは一番優れたバイオリニストで、彼の率いる室内楽団の、みごとな統制ぶりが実に気分が良い。10年聴いていて、いつも新しい、年を取ることもなく 訓練がよき届いている。なかなかできないことだ。

前に、シドニーシンフォニーオーケストラのことを書いたが、総勢100人ちかくの彼らは 政府の補助金で 給料をもらっている。その彼らを聞きにくる人々は、後ろからみるともうほとんど白髪。オーソドックづなクラシックコンサートは シルバー人口に支持されている。それに比べると、ACOは 同じバッハやベートーベンを演奏するのに、来ている人は 圧倒的に若い人が多い。これはすごいことだ。いつもは、ロックだけれど、たまのデートには オシャレして良いレストランで食事したあと これを聴きにくる若い人は、大変センスが良い。私は まだ五感がシャープな 若い人の好みと選択のほうを信頼する。
コンサートは コルネリのコンチェルトで始まった。そのあと、その日のゲストは、LACEY GEREVIEVE というリコーダーを吹く人。彼女が オーケストラをバックに、テレマンのリコーダコンチェルト というのを吹いた。バロック音楽特有の 音符のすごく多い曲を 早くて小さな音まで きっちり吹いている技術にびっくり。リコーダーって、日本の小学校をやった人はみんな吹ける縦笛だが、いつ息継ぎをするのか心配になるほど、上手で感服。でも、そのあとに続く2曲は、現代音楽で、苦手なので 半分寝てました。6本の、大きさの違うリコーダーを次々と変えて 尺八のような、アボリジニーの伝統楽器のような、雅楽のような、音を出していて、それなりおもしろかったけど。コメントはパス。

最後はベルデイの 弦楽4重奏を、ACOのメンバー全員で、演奏して とても良かった。第一バイオリン5、第二バイオリン5、ビオラ3、チェロ3、ベース1の、17名。団員の入れ替わりが激しい。常にメンバーが変わっている。メンバーになって油断しているとすぐに切られる。一緒に海外公演に遠征できない家庭持ちも すぐに切られる。だから、音楽活動が生活の中心になっていて、常に努力している若い演奏家だけが生き残れる。こんなで、やってきて、道は容易ではなかっただろう。

いつもはアンコールにいっさい応えないACO. どんなに長い交響曲でも全員立ったまま演奏し 終わると拍手が続いていても、にこやかに舞台から去っていくスタイルも独特。それが今回は、今年最後のコンサートなので、4曲アンコールを弾いた。パガニーニの小曲と、フィンランドのフィデロ。弦の音はやっぱり最高。この楽団の行く先、ずっと観ていきたいと思う。

2007年11月20日火曜日

映画 「エリザベス ゴールデンエイジ」


映画「ELIZABTH -GOLDEN AGE」を観た。監督シェカー カプール(SHEKER KAPUR)。1998年の「エリザベス」第一部に引き続いて第二部、三部作のうちの二作目。1585年、エリザベス女王が52歳で、黄金時代と呼ばれる頃のお話。

プロテスタントのイングランド エリザベス女王にケイト ブランシェット、参謀長官にジェフリー ラッシュ、女王お気に入りの侍女にアビー コーニッシュ。イギリス映画なのに、主要な役を3つとも みんなオーストラリア人俳優が演じている。イングランド女王を演じられるイギリス人 いないのか? 日本でいえば天皇の役を中国人とかシンガポール人がやるようなものだろうけど、、。 エリザベス女王が 片思いする航海士で貿易商にクライブ オーウェン。カトリックスコットランド女王にサマンサ モートン。
16世紀 スペインが最大強国で圧倒的優勢なカトリック全盛時代、勢いに乗って スコットランドのカトリック 女王マリアは、イングランド女王エリザベスを暗殺しようとして、逆に反逆罪で捕らえられる。女王マリアは引き立てられ、処刑される。断頭台に立っても 威厳を失わなずに処刑されていく貫禄のサマンサ モートンの演技が冴えている。マリアの処刑を宣戦布告と捉えたスペインは 大軍の船団を編成してイングランドに攻め寄せるが、運悪く嵐の到来にあい また、すぐれたイングランドの海戦術に敗れ 敗退する。エリザベスが 思いを寄せていた航海士は この戦争で大活躍して国を救うが エリザベスの侍女と結ばれていた。エリザベスは嫉妬に苦しみ、悲しみもするが、家庭を持つことよりも イングランドのために、国民の母でいることの使命に立ち返って 女王としての役割を果たす決意を新たにする、というストーリー。

この映画、中世の歴史を知らないか、すっかり忘れていた人のために ていねいなナレーションがついていて、地図つきで 解説しながらストーリーを展開してくれるので とてもわかりやすい。なんか、NHKの毎週日曜夜にやっていた歴史ドラマみたい。NHKアナウンサーの押し付けがましい声で、ドラマが始まる前に しっかりナレーションが入ったのを思い出した。 歴史ドラマのおもしろさは 歴史的事実を おなじみの俳優が演ずることでその時代の風景がよみがえり、人物に命が吹き込まれ、歴史が一挙に身近なものとして理解を深められることだ。
エリザベス第一部が上映された10年前、夫の友人のパーテイーで この映画が話題になっていて、みんながケイト ブランシェットの英語の発音が完璧なクイーンズイングリッシュだといって 褒め称えていた。そのころの私は クイーンズイングリッシュも、コクニーイングリッシュ(下町言葉)も、スコテイッシュも、アイリッシュイングリッシュさえも 全然違いがわからなかった。東京の私には 京都や大阪の言葉のなかに アクセントやイントネーションの違いだけでなく、意味が良くわからない言葉があるのだから、クイーンズイングリッシュと、コクニーの違いは、階級社会英国で、互いに、全然意味がわからない言葉が山ほどあるくらい きっと、両者の溝は深いのだろう。

ケイト ブランシェットは 「エリザベス」第一部を演じて 好評を得たが いつまでもエリザベスのイメージで自分を見られるのが嫌だといって、第二部に引き続き演じるのを固辞し、断り続けていたが あきらめずに執拗に要請されて、仕方なくこの映画の出演を引き受けたといわれている。 それにしても ケイト ブランシェットの美しさ、、、二人の学校に行っている男の子のお母さんなのに、完璧なプロポ-ション、理想的な頭や顔の形、細い首、美しいあごの線、知的な目鼻立ち。全く文句のいいようがない。大抵、どんな女優でも可愛い顔だけど声が下品とか、話すときの表情が下劣とか、整形で不自然とか、話し始めたとたんおでこにおかしな皺が出るとか、知的な事を話しているのに知性が感じられないとか、動作が雑とか、必ず欠点があるものだがケイトにはそれがない。とても良い役者。この映画 こんなにお金をかけて採算が取れるのか 心配になるほど 衣装も建物も家具もアクセサリーも お金がかかっていた。ケイトが画面に出てくるたびに 違う豪華絢爛な衣装を身に着けてでてくる。その姿を見ているだけで、とっても楽しかった。

これをタイプしながら、テレビでは今日あった総選挙の開票をやっている。どうやら11年続いたジョンハワード保守 共和党が負けそう。労働党のケビンラッドが新しい首相になりそう。まだ、全体の開票5パーセントだから はっきりわからないが、労働党に有利な展開。いい気味だ。ジョンハワードは、ジョージブッシュの親友で、アメリカがイラクに軍隊を送って、すぐそれに追従した。労働組合も、無力化させた。アボリジニーに対して、謝罪していない。環境問題で、京都議定書にも署名しなかった。こんな奴 やめてもらいたい。労働党がんばれ!

2007年11月16日金曜日

アシュケナージ指揮のラフマニノフを聴く

アシュケナージ指揮のラフマニノフを聴くオペラハウスにて アシュケナージ(MAESTRO VLADIMIR ASHKENAZY) 指揮、シドニー交響楽団による ラフマニノフを聴いた。

コンサートでは、始めに、「THE ROCKS」という20分ほどの小曲が演奏された。これはラフマニノフが20歳で、モスクワ音楽大学を卒業したばかりのときの作品。
おめあては、清水和音ピアノソロによるピアノコンチェルト第4番と、交響曲第2番。

ラフマニノフというとピアノコンチェルト第二番が有名。ピアニストにとっては難解だが、聴く耳には心地よいピアノ曲。ピアノコンチェルト第三番は、映画「シャイン」のテーマにもなって、よく、ピアノコンペテイションに 使われる曲。ピアノコンチェルト第4番は、めったにコンサートホールで演奏されない曲。それを、日本から来た清水和音が演奏した。昔はピアノの貴公子といわれ、その甘いマスクに熱烈なファンが取り囲んでいたものだが、彼もそれなりに年を経て おなかの周りに肉もついていた。でも、演奏は繊細そのもので素晴らしい。日本人にしか弾けないような 優しい音でひとつひとつの音に 思いをこめるように ていねいに、しとやかで上品なピアノ演奏だった。

第一楽章から 第二楽章にうつるとき、オーケストラは待たせておいて、ピアノ独奏から入るのだが、なかなか始めようとしない清水和音のところまで 指揮者アシュケナージが、トコトコ歩いていって彼の肩に手を置いて いつ始めてもいいよ、オーケストラはまってるからね、、、というようなジェスチャーをして また指揮台に帰っていくハプニングがあって、その茶目っ気のある指揮者に観客は手をたたいて大喜びをしていた。しばらくして始まった清水和音の瞑想から覚めたような、繊細な音は、心にしみていくような美しい音だった。こういった、ちいさなハプニングがライブ音楽を聴きにきている聴衆にとって 一番嬉しいことだ。CDでは味わえない生きた、音の変化が楽しめる。

最後にインターバルをはさんで、ラフマニノフの交響曲第二番(作品27)。これは、ラフマニノフ34歳のときの作品。限りなく限りなくロマンチックな曲。 シドニー交響楽団は、何年も聴きに行っていなかったのでメンバーは大幅に変わっていたみたいだが、フルオーケストラの大所帯。第一バイオリン12、第二バイオリン12、ビオラ10、チェロ9、ベース8、ハープ1、フルート3、ピッコロ1、オーボエ3、クラリネット3、バスーン4、ホーン5、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、テインパ二ー、パーカッション 以上。

アシュケナージは、ピアニストとして有名だが、作曲、指揮、音楽監督と、多面な音楽活動をしてきた。2004年には 日本のNHK交響楽団 音楽監督もやっている。プロコフィエフ、ショスタコビッチを世界各地で精力的に演奏 指揮して紹介師弟t化と思うと、最近、バッハとベートーベンのピアノ曲のレコーデイングをしている。ものすごく、精力的な活動家だ。

彼の指揮を見ていて、どうしてこんなに人気があるのかその、理由がよくわかった。 彼をみていると、曲がわかるのだ。彼が指揮をすると 難しい曲でも、すごくわかりやすい。曲の中の細やかな動きから大きなダイナミズムまで実に ていねいに わかりやすく解説してくれるかのように 指揮をする。にこやかで 気取らず 包容力がにじみでているような人、彼がおもいのままにオーケストラを動かしているのが 観ていてわかる。素晴らしい音楽家だ。

2007年11月13日火曜日

映画 「マイテイーハート」


アメリカ映画「A MIGHTY HEART」 マイケルウィンターボトム監督、ブラッドピット製作のハリウェッド映画を観た。英語でマイテイーは、強くて大きな という意味。 2002年 パキスタン カラチで 取材中のウォールストリートジャーナル誌の記者、ダニエルパールが 誘拐され殺された事件があったが、残された妻、マリアンヌが書いた手記をもとにして作られた映画。

女優に、製作者ブラッドピットの妻、アンジェリーナ ジョリー。この二人 常にハリウッドのゴシップの中心にいて 人々の好奇にさらされていて気の毒。結婚して、子供も生まれて幸せなら そっとしておいてやったらいいようなものの。という訳で、実際マリアンヌが妊娠5ヶ月のときに起こった事件だから仕方がないけれど、妊娠中の女優アンジェリーナが そのつき出たおなかを重そうに 体当たりで演技していると、聞いてこの映画観たくなくて ずっとパスしていた。なのに、日曜日の静かな午後、夫が突然 新聞握り締め、「わ わ わー!まだアンジェリーナの映画やってるよー行こう行こう!」 と騒ぎ出したので 仕方なくついていった次第。 夫はどちらかというとミーハー。私とはクラシック音楽とオペラの話しかしないが、職場の女の子達とはハリウッド女優にゴシップの話題でいつも盛り上がっているし、本当はウェスタン音楽が好きなのを、私はなぜか知っている。

2002年にパキスタンで起きたタリバン分派による ジャーナリスト誘拐事件は 記憶に新しい。おおきな刀を振りかざした男が立つ前に 鎖で両手をつながれ 首をたれたダニエルパールの写真は世界中のニュースで報道され、1ヵ月後に処刑されたときの胸の痛みは忘れられない。日本人で 戦争の実際を見たいといって バグダッドに向かい、誘拐され首をはねられた青年もいた。私はこんな青年が大好き。だから、とても悲しかった。

世界一強い軍事力とマネーパワーをもったアメリカと戦うには財力が要る。外国人誘拐は必要悪。アメリカがイラクから軍隊を引き上げ、イスラエルがパレスチナ迫害をやめるまで 外国人誘拐は止まらない。当然だ。どちらにも正義があり、どちらの側にも正義はない。 映画は 実際起こった事実の重さに反して、明るく仕上がっていた。沈痛、悲嘆、慟哭が、2時間続いたのではたまらない。これはアンジェリーナという女優のもって生まれた長所からくるものだろう。悲しくても、底に強さを秘めていてちゃんと自立した女としてやっていけるニューヨークの女の特質だ。ドキュメンタリータッチの映画の暗さを この女優が演じて 一挙に明るい力強いものにした。映画の中で彼女の結婚式のシーン、その華やかさ、そして出産シーンとその喜び。サービス満載だ。この女優 男の人ばかりでなく女性から一番支持されている女優だそうだが、彼女のファンをちゃんと喜ばせてくれる作品に仕上がっている。

ひとつ英語の問題。 日本の映画評論家が、、、、妻が最後に 誘拐された夫の救出チームが解散するとき、「私達は彼らの脅かしに屈しなかった。」と言ったと書いていた。しかし、映画で彼女はそんなことは言っていない。 「テロの脅かしに断じて屈しない。」という言葉は ジョージブッシュのお得意18番の言葉で 私達は毎日ニュースで この言葉を聞かされている。屈しないというのは 力にたいして戦いを挑み抵抗し、それで屈しないという意味を示す。例えば、アパルトヘイトの力に対して屈することなく27年間獄中にあっても、己の信念を変えなかったネルソン マンデラ。例えば、何度も死線をかいくぐり強力なインドネシア軍に抵抗を続け 遂に東チモールの独立を勝ち取ったシャナナ グスマイルのような場合、屈しなかったというのだ。この映画のように 中立を保とうとするジャーナリストの言葉ではない。この映画では、殺されたダニエル パール本人が言っているように、彼はパキスタン政府側、アフガニスタン政府側の言い分だけでなく、タリバン側、アルカイダ側の取材もして事実を報道したいと言っていた。報道の中立を望むプロとして当然の立場だ。これは妻でジャーナリストのマリアンヌとて同じ立場だ。ダニエルが誘拐されて、救出チームは誘拐グループと戦ったわけではなかった。もとより、敵でも味方でもなかった。 映画のなかで妻は救出チームに、最後に「THEY TERRORIZED MY HUSBAND. BUT YOU DID NOT TERRORIZE THEM. WE DED NOT TERRORIZE THEM. 」 と言って、お礼を言うのだ。テロライズとは、恐怖を与えるとか、ひどい目にあわせるとか言う意味。だから、テロリスト達は夫にひどいことをしたけれど、あなたたち救出チームは 彼らにひどいことはしなかった、それを誇りに思う、と言ったのだ。

洋画の字幕を作る人は、ご苦労な仕事をしているし、かねてより尊敬しているけれど、ここのところは、意味がちょっと違うだけで、映画全体の意味が変わってしまう。 ジャーナリストたちはテロリズムと戦って屈したり屈させたりしようとしているわけではない。 また、ダニエル パールがユダヤ人で、妻のマリアンヌがインド人だったとは、この映画で初めて知った。パキスタンはインドと戦争をしている最中で、ダニエルの秘書も妻もインド人では インド側のスパイだったといわれても仕方がない。そのうえ、タリバンが戦争しているイスラエルを考えれば ユダヤ人の彼が たまたま誘拐された訳だが、どう考えても 彼を救出できる方法はなかったのではないかと、思う。

ジャーナリストにはさまざまな制約がある。雇われジャーナリストならば、なおさらだ。にもかかわらず、ダニエルは、タリバンの取材をし 報道しようとして、その途上で死を余儀なくされた。 さぞ、無念だっただろう。

2007年11月7日水曜日

パンク映画と映画「オイスターファーム」


映画「パンクス ノッツ デッド」は、スーザン ダイナー監督と、テイム アームストロング監督によるアメリカ映画。30年間にわたるパンク音楽を 写真、フィルム、新聞、テレビ番組など すべてのメデイァを動員して、おさらいした、優れたドキュメンタリー作品。 観ようと思って 楽しみにしていたら、たった1週間で、映画館から姿を消した。

同じ時期に、イギリス人監督ジュリアン テンプルが、製作した、パンクバンド、クラッシュなどの、ジョー スツルマーの、半生を描いたドキュメンタリー映画、「STRUMMER :THE FUTURE IS UNWRITTEN 」が、劇場に出たかと思ったら「パンクス、ノット デッド」と同時に姿を消した。まさに、人口の少ない国、1週間 劇場で公開して、客が入らなければ すぐひっこめてしまう。この2本の映画、抱き合わせで、水曜日の夜 たった一回公開されたが、こうしたマイナーな映画を上映する映画館は、私が夜 一人で行くには、ちょっと怖くて行けないような場所にある。重ね重ね、行けなくって、残念だった。 ビデオは出るかどうか わからないが、それに、期待をつなげていくしかない。

というわけで、良い映画を上映していない今、ビデオ屋で、ふらふらするしかないが 2-3年前 見逃していた、オーストラリア映画「オイスターファーム」を見つけた。喜んで借りて観た。ラリアに来てから、ひんぱんに食べるようになった生カキが、タスマニアから来るだけでなく、シドニーから車で パシフィックハイウェーを たった2時間のホーカス湾でも養殖していると聞いていたが、どんなふうに、作っているのか興味があった。ストーリーにも興味あったし、女優のケリーアームストロングは 好きな女優。

配役は、アレックスに、ALEX O’LACHLAN,養殖場主人にDAVID FIELD,妻にKERRY ARMSTRONG、おじいさんに、JIM NORTON.

ストーリーは 23歳のアレックスは 妹を連れて シドニーから車で2時間ほど離れたホーカス湾のカキ養殖場に、住み込みの職を求めて来た。養殖場を家族経営している主人は、、夫婦と子供、おじいさんの4人家族。アレックスと妹は、主人の提供する海洋上の小屋に居をかまえる。 アレックスと妹は 救護施設育ち。施設というだけで、東欧など外国からきた難民施設から来たのか、また、孤児や家庭内暴力から逃れてきた子供達の施設からきたのかは不明。妹は最近、交通事故にあって手足が不自由になったので、ちかくのリハビリ施設に通わせるために、兄はお金が必要。

アレックスは働き出してすぐ、カキをシドニー魚市場に搬送したときに警備員を襲い 売上金を強奪する。そしてその現金の封筒をその場で、養殖場の自分あての小包みにして、郵便ポストに入れる。 その後、アレックスは毎日毎日、泥にまみれてカキ養殖のために 力仕事に明け暮れる。が、いつまでたっても、自分が自分あてに送ったはずの 現金封筒が届かない。空腹で、昆布なんかしゃぶっている妹を見ても、腹がたつだけ。そうしているうちに彼は 郵便局に勤める女性に恋をする。

カキ養殖場の夫婦は カキの変動する値段と温度調節のむずかしい技術の割りに、収入が一定しないことで 家族間の関係がぎくしゃくしている。年間を通じて、ふらっと 働きに来る短期労働者も多く、妻の心は揺れ動き、夫婦間の信頼関係はなく、別居同然だ。小学生の息子のために、離婚までには至っていない。やもめのおじいさんは、養殖事業から引退して、欲もなく気楽に、家族や、移ってきた兄妹を 見守っている。

壊れそうな息子夫婦を見つめながらも、おじいさんは 秘密の自分の作業場で お嫁さんのためにせっせと、風呂桶を作っている。真水のない この海の上の養殖場で、お風呂は何よりも贅沢。一面に海の色の美しい切り紙細工で張りあわせ、貝殻をはめこんだ風呂桶は、まるで海の中にいるような錯覚を覚えるような 美しいお風呂だ。完成まじかのこのお風呂をみつけたアレックスは この美しい海の緑色は 100ドル札を切り刻んだもので出来ているを 知って怒り狂う。強奪して自分あてに郵送した妹の治療費だったのだ。怒りと羞恥心とで 気も狂わんばかりのアレックスに、おじいさんは、ひょうひょうと、「犯罪者にならずに済んで良かったじゃないか。」という。 アレックスは怒りおさまらず 妹をつれて、家を出ていく。しかし、シドニー行きの電車から、ホーカス湾の美しい 素朴なたたずまいを見ているうちに 考えなおして戻ってくる、というお話。

おじいさん役のJIM NORTON が素晴らしい。引退して、飲んで、グダグダ一日 海を見て過ごす ただのおいぼれのような風をしていて、息子夫婦の不和をきちんと見ていて いっさい口出しせずに 夫婦和解の契機を作ってやる。新しい雇用者の青年が強盗をしたことを見抜いていて、それが発覚しても警察の追求を切り抜け、青年を見守っている。年寄りの知恵と寛容とが生きている。押し付けがましくなく ユーモアと滋養に満ちた老人に、心から、ジーンときた。

ホーカス湾の美しさ。うっそうと茂った森に囲まれた湾と、海からみた朝焼け、夕焼け。ボートで行き来する人々の素朴な生活。過酷な漁業労働。黙々と働く人々。自然描写、カメラワークが素晴らしい。  この映画 観た人は今夜、生カキが食べたくなること請け合い。

2007年11月5日月曜日

ダンブラウン「悪魔と天使」

DAN BROWNの著書「ANGELS AND DEMONS」を読んだ。え、今頃?といわれるかもしれないけど、日本の本は、なかなか手に入らないので。というか、流行に鈍感なので。読むそばから 忘れていくので、これは自分のための備忘録。角川書店 上下700ページ、越前俊弥訳。
ダン ブラウンの「ダビンチコード」は、2003年、「天使と悪魔」はその前の2000年に出版された。 一級のスリラーでありながら 知的、むつかしい宗教上の知識や、最新の科学の情報をわかりやすく解説してくれるので、彼の作品を読んだあとは、なんか自分の知識が増えたみたいに錯覚する。マジシャンみたいな作家。

ストーリーは、 象徴学者のロバート ラングトンは突然スイスにあるセルン(ヨーロッパ原子核研究機構)から呼び出される。スイスからのお迎えは、超高速航空機。たった数時間でボストンージュネーブ間を飛ぶ。世界で初めて大量の反物質の生成に成功した科学者が殺され、反物質が盗まれた。死体には 大昔に消滅したはずの秘密結社イルミナリティの紋章が焼印されていた。反物質は理論上作り得る新しいエネルギーで 放射線の100倍のエネルギー効率をもつ。通常とは逆の電荷を帯びた粒子からなる非常に不安定なエネルギー源、反物質1グラムが 広島に被害をもたらした20キロトンの核爆弾の力と同じ効力を持ったエネルギー。これをもったものは、世界支配も夢でない。

イルミナリテイは ガリレオも会員だった科学者の結社で、カトリック教会から迫害され、消滅されたと思われていた。折しも、ヴァチカンでは、ローマ教皇が突然死したのに伴い 新しい教皇を選出するための、会議がおこなわれていた。イルミナリテイは、盗んだ反物質を使って ヴァチカンを爆破、4人の枢機卿を誘拐して、一人一人公開の場で処刑しようとしている。反物質抽出 生成させた科学者の娘ヴィクトリアは、ロバート ラングドンとともに、ヴァチカンに飛び イルミナリテイと対決。ヴァチカンを救うために、スイス衛兵隊と協力しながら、4人の枢機卿を助け出すべく奔走する、というお話。

基本的には 科学と宗教の対立がテーマだが、「ダビンチコード」でもそうだったが、この作家の書いたものの面白さは、私達が知らないでいたことを スリラーと謎解き小説の形で、とっても丁寧に登場人物の口を通して解説 紹介してくれることだ。 例えば、超高速航空機は、燃料はスラッシュ水素、機体はチタン合金とシリコンカーバイト、推力重量比は ジェット機が7対1なのに、20対1なので、早く飛ぶ。セルン(原子核研究機構)はジュネーブ郊外にあり、世界中の優秀な科学者が集合して居住しているところで、中にはスーパーから映画館まである、とか。ガリレオが 一体何をして、殺されてしまったのか、中世の科学者は どう位置付けられていたのか、イルミナリテイと、フリーメイスン組織の不可解な結束の仕方、など、など。

また、カトリック組織のなかの煩雑な儀式。デビルズアドボケイトという枢機卿達のスキャンダルを調査する調査審問機関。記録保管庫の800ページ布装丁の手書きの台帳。バチカン聖ペトロ教会建設にまつわる ミケランジェロやラファエロの役割と、ベルニーニの役割。バチカンの地図が出ていて、たくさんの教会、美術品が、解説つきで紹介される。

ロバートラングドン教授いわく 、、クリスマスに私達が お祝いするのは、冬至をお祭りしていた太陽崇拝の宗教からの借り物であり、これは、変容ーほかの宗教を制圧する場合 すでにある祭日を改宗の衝撃を和らげようとして、同じ日を祝うようにした結果だ。人々は新し信仰に適応しやすく、礼拝者たちは以前と同じ日を聖なる日として祈り、ただ神をべつの神に替えただけだ。として、聖人の頭にある光輪も 太陽を崇拝する古代エジプトから借りてきたもの、神の顔は ゼウスの古代ギリシャからきたものだ、と結論する。こういった解釈のおもしろさ。

この人の作品、確かに、スリリングな冒険推理小説の世界に、新しい空気を持ち込んだ。「天使と悪魔」、「ダビンチコード」に続いて、第3作が出るそうだ。とっても楽しみ。

2007年11月2日金曜日

宮本武蔵


小説「宮本武蔵」津本陽、文春文庫400ページ を読んだ。何故って、すごく尊敬している かの高名な井上雄彦の、「バガボンド」の続きが気になって気になって仕方がないからだ。

3月に休暇で帰国したとき「バガボンド」の21巻から25巻まで買ったのだが、その続きは、もう日本では出ていると思うけれど まだ読めないでいる。執拗に追ってくる吉岡一門の 一乗寺下り松で次から次へとゴチャゴチャ出てくる門下の武士との、壮絶をきわめる決闘の行方が、気になって、、、。 それと、武蔵と、小次郎との雪だるまをめぐっての 初めての出会いがとっても良かった。ぺチャぺチャ音をたてながらご飯を食べ、グズッぐるるーとかいって、雪だるまと遊ぶ小次郎が ものすごくかわいい。

仕方なく漫画の代わりに この小説を読み終わって、武蔵の禁欲的で、自分を律し、肉体の限界まで訓練によって痛みつけながら武芸ひとすじに生きる武蔵の厳しい生き方に 痛みを伴った感動をおぼえる。彼が、仏教、老荘思想に通じ、書をたしなみ、良い字を残し、絵心もある立派な教養人でもあった という事実や、兵法のもとになる「五輪書」だけでなく沢山の剣術の教科書を残した ということも、この伝記を読んで初めて知った。 武蔵は 1584年天正12年、美作国で 平田武仁,竹山城主新免伊賀守の家老職の 第3子として誕生。父は剣術と十手術の名人で武功をたて、将軍から天下無双兵術者の称号をもらった。父は武蔵の武芸の才能を早くから見抜いて、兵法のすべてを受け継がせるべく武蔵7歳から激火の勢いで木刀の訓錬をし、13歳では、真剣を使って徹底して武蔵を鍛えぬいた。14歳で 宮本道場で 武蔵に互角で戦える武士はいなくなったという。

漫画でも鬼のような父親がよくでてきたが、どうしてどうしてそんなに父親は武蔵にだけは 厳しくしたのだろう。性格破綻者だったとしか言いようがない。赤ちゃんのときに母親を亡くし、後妻にはいった継母が武蔵を実子以上に可愛がってくれたのに、武蔵3歳のときに、父親は離縁、末息子の武蔵を継母と一緒に家から出してしまう。継母の再婚以降は 武蔵は寺にあずけられる。
ひとつには、長男(武蔵の兄)が父親からの木刀の訓練を受けていた時に足腰を痛めて身障者になったこと。頼りにしていた後継者の長男が不具になって やけくそになっていたんだろうか。
それと、父の不祥事だ。62歳の老境にあった父が 自分の兵法の後継者と頼んでいた武士を、主君の命令で討ち取るようにいわれたが、すでの実力では彼の首をはねることができなくなっていたので、複数でだまし討ちをして処分する。この不名誉な出来事で 将軍からは認められるが、家中のものから卑怯者の烙印を押されて、城に上がることができなくなって、それが原因で宮本村、美作を去らなければならなくなったこと。まあ、なにが、問題だったのか、父親は 末息子の武蔵だけをのこし、他の兄弟を連れて、武蔵が16歳で元服するのを待たずに、九州に移住してしまう。鬼のような父。

武蔵は16才で元服、父親の不祥事で父の俸禄を受け継ぐこともできず、親に捨てられ、受け継ぐべき財産もなく、孤立無援の身だった。16歳にして、父もなく母もなく、自分の生活の基盤をたてるには、いくさで手柄をたてて、城主から認められる以外には生きる方法がなかった。それで、武蔵は武者修行の旅に出るのだ。天下一強くなって、一国一城の主になり 妻にお千を迎えることを、夢見ながら。 ,,, 

「武蔵は野犬のように土埃にまみれて歩き、疲れきって路傍に伏す日をくり返す。夢中で歩き続け気ついたときは紀州熊野の山中にいた。このとき彼は、禅寺の老師から教えられた古歌を思いだす、「いまという いまなるときはなかりけり、まの時くれば いの時は去る」という。過去は過ぎていき未来はいまだに来らざるものである。」,,,たしかにあるのはいまのみであるという言葉が、今を生き,剣に命をかけて生きる 彼の生き方を正確に言い当てている。

13歳で香取神道流有馬喜兵衛と決闘して木刀で撃殺、関の原の合戦、吉岡清十郎、吉岡伝七郎、薙刀の黒岩因幡守、伊賀の鎖鎌の宍戸などを破り、負け知らず。そんな暮らしの中でも、槍術の宝蔵院の宗家甍栄との友情が、良い。また武蔵が名古屋の通りを歩いていて、すれちがったときに、互いに今まで逢ったことがなかったのに、その隙のなさから、相手が柳生兵衛助利厳だと、わかり、相手も名乗る前に武蔵と認識して、笑顔で名乗りあった、というエピソードもおもしろい。

「我道には有構無構といいて、構はありて、構は無きというなり。」と、「五輪書」にあるというが、武蔵は構えという戦いの固定した型をきらった。型を作るのは容易ではない修行を必要とするが いったん出来上がってしまった型に固執すると自分の型にはめ込むことの出来ない相手とは立ち会えない。従って相手をそのつど よく見て自由自在に立会い相手の欠点を見つけ出して それを叩くべきだ、といっている。いろんな言葉に置き換えて、日常の私達の人への接し方、仕事の仕方にも、通じる、含蓄のある言葉だ。

小説を読んでいても 漫画のリアリテイーでイメージをふくらませながら読んでいるから おもしろい。逆境が人を造る というが、まさに 武蔵はその言葉どうりの人。 早く日本に帰って、井上雄彦の続きが読みたいワー!