ページ

2007年11月13日火曜日

映画 「マイテイーハート」


アメリカ映画「A MIGHTY HEART」 マイケルウィンターボトム監督、ブラッドピット製作のハリウェッド映画を観た。英語でマイテイーは、強くて大きな という意味。 2002年 パキスタン カラチで 取材中のウォールストリートジャーナル誌の記者、ダニエルパールが 誘拐され殺された事件があったが、残された妻、マリアンヌが書いた手記をもとにして作られた映画。

女優に、製作者ブラッドピットの妻、アンジェリーナ ジョリー。この二人 常にハリウッドのゴシップの中心にいて 人々の好奇にさらされていて気の毒。結婚して、子供も生まれて幸せなら そっとしておいてやったらいいようなものの。という訳で、実際マリアンヌが妊娠5ヶ月のときに起こった事件だから仕方がないけれど、妊娠中の女優アンジェリーナが そのつき出たおなかを重そうに 体当たりで演技していると、聞いてこの映画観たくなくて ずっとパスしていた。なのに、日曜日の静かな午後、夫が突然 新聞握り締め、「わ わ わー!まだアンジェリーナの映画やってるよー行こう行こう!」 と騒ぎ出したので 仕方なくついていった次第。 夫はどちらかというとミーハー。私とはクラシック音楽とオペラの話しかしないが、職場の女の子達とはハリウッド女優にゴシップの話題でいつも盛り上がっているし、本当はウェスタン音楽が好きなのを、私はなぜか知っている。

2002年にパキスタンで起きたタリバン分派による ジャーナリスト誘拐事件は 記憶に新しい。おおきな刀を振りかざした男が立つ前に 鎖で両手をつながれ 首をたれたダニエルパールの写真は世界中のニュースで報道され、1ヵ月後に処刑されたときの胸の痛みは忘れられない。日本人で 戦争の実際を見たいといって バグダッドに向かい、誘拐され首をはねられた青年もいた。私はこんな青年が大好き。だから、とても悲しかった。

世界一強い軍事力とマネーパワーをもったアメリカと戦うには財力が要る。外国人誘拐は必要悪。アメリカがイラクから軍隊を引き上げ、イスラエルがパレスチナ迫害をやめるまで 外国人誘拐は止まらない。当然だ。どちらにも正義があり、どちらの側にも正義はない。 映画は 実際起こった事実の重さに反して、明るく仕上がっていた。沈痛、悲嘆、慟哭が、2時間続いたのではたまらない。これはアンジェリーナという女優のもって生まれた長所からくるものだろう。悲しくても、底に強さを秘めていてちゃんと自立した女としてやっていけるニューヨークの女の特質だ。ドキュメンタリータッチの映画の暗さを この女優が演じて 一挙に明るい力強いものにした。映画の中で彼女の結婚式のシーン、その華やかさ、そして出産シーンとその喜び。サービス満載だ。この女優 男の人ばかりでなく女性から一番支持されている女優だそうだが、彼女のファンをちゃんと喜ばせてくれる作品に仕上がっている。

ひとつ英語の問題。 日本の映画評論家が、、、、妻が最後に 誘拐された夫の救出チームが解散するとき、「私達は彼らの脅かしに屈しなかった。」と言ったと書いていた。しかし、映画で彼女はそんなことは言っていない。 「テロの脅かしに断じて屈しない。」という言葉は ジョージブッシュのお得意18番の言葉で 私達は毎日ニュースで この言葉を聞かされている。屈しないというのは 力にたいして戦いを挑み抵抗し、それで屈しないという意味を示す。例えば、アパルトヘイトの力に対して屈することなく27年間獄中にあっても、己の信念を変えなかったネルソン マンデラ。例えば、何度も死線をかいくぐり強力なインドネシア軍に抵抗を続け 遂に東チモールの独立を勝ち取ったシャナナ グスマイルのような場合、屈しなかったというのだ。この映画のように 中立を保とうとするジャーナリストの言葉ではない。この映画では、殺されたダニエル パール本人が言っているように、彼はパキスタン政府側、アフガニスタン政府側の言い分だけでなく、タリバン側、アルカイダ側の取材もして事実を報道したいと言っていた。報道の中立を望むプロとして当然の立場だ。これは妻でジャーナリストのマリアンヌとて同じ立場だ。ダニエルが誘拐されて、救出チームは誘拐グループと戦ったわけではなかった。もとより、敵でも味方でもなかった。 映画のなかで妻は救出チームに、最後に「THEY TERRORIZED MY HUSBAND. BUT YOU DID NOT TERRORIZE THEM. WE DED NOT TERRORIZE THEM. 」 と言って、お礼を言うのだ。テロライズとは、恐怖を与えるとか、ひどい目にあわせるとか言う意味。だから、テロリスト達は夫にひどいことをしたけれど、あなたたち救出チームは 彼らにひどいことはしなかった、それを誇りに思う、と言ったのだ。

洋画の字幕を作る人は、ご苦労な仕事をしているし、かねてより尊敬しているけれど、ここのところは、意味がちょっと違うだけで、映画全体の意味が変わってしまう。 ジャーナリストたちはテロリズムと戦って屈したり屈させたりしようとしているわけではない。 また、ダニエル パールがユダヤ人で、妻のマリアンヌがインド人だったとは、この映画で初めて知った。パキスタンはインドと戦争をしている最中で、ダニエルの秘書も妻もインド人では インド側のスパイだったといわれても仕方がない。そのうえ、タリバンが戦争しているイスラエルを考えれば ユダヤ人の彼が たまたま誘拐された訳だが、どう考えても 彼を救出できる方法はなかったのではないかと、思う。

ジャーナリストにはさまざまな制約がある。雇われジャーナリストならば、なおさらだ。にもかかわらず、ダニエルは、タリバンの取材をし 報道しようとして、その途上で死を余儀なくされた。 さぞ、無念だっただろう。