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2023年5月30日火曜日

村上春樹の新作「街とその不確かな壁」

プロットは:
17歳の僕と16歳のきみは1年前の作文コンクールで出会い、互いに惹かれ合い恋をしてきみは、時が来ればあなたのものになりたいと言った。きみはその豊かな想像力で高い壁に囲まれ、単角を持つ静かな獣たちがいる街について語り、自分はただの身代わりの影であって、本当の自分は高い壁のある街に住んでいる、と言う。その街の人々には影がない。時間もなく、屈強な門衛がいて、街に入ることはできるが出ることはできない。街の図書館に本はなく、過去の人々の夢が無限というほど保管されている。僕はきみの力を借りながら古い夢を読み、読まれたことによって夢は解放されて宙に浮かび音もなく消滅する。そう語っていたきみは、突然姿を消す。

喪失感に打ちのめされながらも僕は45歳になり、福島県の山に囲まれた街の図書館に勤める。そこの館長は実は数年前に亡くなっていて、僕を面接して雇い入れ、生活の世話までしてくれた人は幽霊だった。街の図書館に毎日やってくるイエローサブマリンのパーカーを着たオーチズムの少年は、きみが作った高い壁に囲まれた街に行くことを切望する。そして突然彼は姿を消し、壁の中に入っていって夢を読む仕事に就く。美しいきみは少年を助けて図書館に留まっている。ぼくは少年を高い壁に囲まれた街に残して外の世界に戻っていく。

村上春樹が31歳の時、1980に同じ題名で書いた150枚の小説を彼は書籍化せずにいた。それを40年後、1200枚に膨らませて書き直し、3年間かけて完成させた。作品が40年経って蘇ったわけだ。この作品はわたしは村上作品の中で、とても好きかもしれない。作家は、言いたかったことを処女作で書く。その後も沢山の作品を作っていくが年を取って、やはり一番最初に書いた世界に帰っていくものかもしれない。16歳と17歳の2人の高校生の世界は新鮮で、非現実的で、奇妙でオカルト的だ。
私は村上にとっての「壁」とはガルシア マルケスの現実と非現実には境はなく、自由に行き来できる壁のことだと解釈した。彼は2009年イスラエル最高の文学賞といわれるエルサレム賞を受賞したとき授賞式で、「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があるとしたら私は常に卵の側に立ちます。」と言い、ガザ地区で無防備なパレスチナ市民が、日々完全武装のイスラエル兵に惨殺される日常を批判した。

今回この小説を上梓した後、彼はマサチューセッツ州の名門女子大学ウィルズリーに招かれて「パンデミックと戦争の最中に小説を書くこと」という題で講演をした。かつてパレスチナで自分は壁にぶつかっていく卵でありたいと言った彼は、ウクライナに無制限の大量殺傷兵器を送り続け、戦争を続けさせている米国で、内部崩壊しつつあるウクライナの「壁」についてどう語っただろうか。パンデミックはまた、世界人口80憶人の30%を感染させた。多くの国も自治体も鎖国や封鎖を繰り返し、この3年間のあいだにパンデミックと戦争は「壁」をより高く、より強固なものにしてきた。
「壁」はどこにでもあって、日本そのものを示しているかもしれない。日本という高い壁の中で、入管法を廃案にしようとする人権活動家や、沖縄の日米軍事基地の要塞化に反対する人々、ロシア、ウクライナ戦を停戦させたい勢力や、LGBTQプラス差別反対する人々は、「壁」の中で僅かな食糧で飢え、寒さに耐えられず声を上げる間もなく、短角のある静かな獣のように死んでいく。美しいきみの待つ図書館には、死んでいった人々の夢がぎっしりと積み上げられているのかもしれない。誰かが高い壁のある街に入って、夢を読んでは、昔の人々の希望を解放してくれるのを待って。

[The City and its Uncertain Walls]
is a novel written by Haruki Murakami that was released on April 13, 2023 this year. An English translation has not been published yet. Haruki wrote only 150 pages short novel in 1980 when he was 31years old with same title , eventually rewritten 1200 pages this story 40 years later. A locked up story tells High Walls, spanning his life from youth to middle age with shifting between reality and dreamlike state.
Plot is the protagonists are 17yeard old 'BOKU' and a 16 years old girl addressed 'KIMI' . She says ' I want to become yours with all my being." but tells ' The me 'here in not my true self. Its just like a fading shadow'. She lives in a city enclosed by high walls. She works in the library collecting old dreams, and only the way for the narrator to find her true self is to enter the city and become a dream reader. And she suddenly vanished from the world. BOKU became a middle aged man, unable to forget beautiful girl KIMI then he found to get in the city enclosed by high walls...



2023年5月22日月曜日

大内兵衛と宇佐美誠次郎

子供の頃、母にどうして兵衛のおじいちゃんは偉いの?と聞いたら、母は「まるくすのしほんろんをやくしたからよ。」と答えた。それがマルクスの資本論のことだと分かったのは大人になってからだが、母のことばはいつも断言調で付随する説明は一切ない。質問も許さない。
そんな母が言うには、私が小学校1年生になったばかりのとき、先生の「勤労感謝の日は何をする日ですか」との問いかけに、真っ先に手を上げて私が「万国労働者の祭典です。」と答えたらしい。全く記憶にないが労働者も万国も何のことかわからなくても、そういった訳の分からない言葉が、ふつうに家族や来客者の間で行き交う様な家庭で育った。

父は、父の父が満州鉄道の幹部だったので、京城、今のソウルの満鉄官舎で生まれて育ったが、幼いうちに父に死なれ、故郷の淡路島に帰り、そこで父の弟、大内兵衛を親代わりにして育った。

私の子供時代は、晩年の兵衛の大叔父は、鎌倉に居を構えていた。高台にある景色の良い居心地の良さそうな木造家屋で、斜面には彼が自ら植えたチューリップ畑が一面に並んでいた。ヨーロッパでは一時チューリップが大流行して、一つの球根が何百ポンドもしたという。その球根の根分けの仕方や、陽に干して翌年に備える技を習得していた。ヨーロッパ仕込みのその技は、父にも伝えられ父もチューリップを愛した。

鎌倉から江ノ電に乗って数駅、駅から坂の多い道をかなり歩かなければならない。訪ねて行ったとき、東京で会議があるからと、出かけなければならない時間なのに、なかなか腰を上げない。江ノ電がやってくる時間に走って、ドアが閉まる寸前に飛び乗るのが大好き、という。年をとっても小柄で足取り軽く、ちゃめっけの多い大叔父だった。

大叔父が2度目に治安維持法で逮捕されたのは1938年2月1日。続いてお弟子さんたちも引っ張られた。美濃部亮吉、脇坂義太郎、有沢広巳、大森義太郎、高橋正雄、阿部勇らも検挙された。大叔父が危険思想を吹き込んだとして治安維持法で起訴したが、全員、頑として連座を認めなかったので検察側が共同謀議を立件できず、最終的に無罪判決が下った。
しかし彼らは、戦前戦中の1年半のあいだ獄中にあり、口をふさがれ、筆を折られ、語る場を奪われていたのだった。

大叔父が甥にあたる父と、可愛がっていた弟子の宇佐美誠次郎の妹を結婚させて私が生まれた。父は早稲田の政経で教えていたが、給料は薄給で家計は大変な様で、私の服など下着のパンツまで、兵衛の孫の茉莉子のお古のお下がりだった。

宇佐美誠次郎叔父が大学を出て、東方文化学院に勤めていた頃、1942年4月に、論文の内容が治安維持法に触れるといわれて逮捕された。1年半のあいだ拘留され保釈されたときに、その足で彼は大叔父に会いに行った。そのときのエピソードが好きだ。
兵衛は誠次郎に自分の宝の「クーゲルマンあてのマルクスの自署のある資本論の初版本」を手に取らせてしばらく語り合ったあと、近所の映画館にふらりと入り、夏川静江の「小島の春」を見たという。誠次郎は、映画を瀬戸内海の風光は美しかったが他に何も記憶に残らない映画だった、というが、私は厳しい尋問を受け、1年半拘留され、劣悪な刑務所の南京虫だらけの毛布のために体中傷だらけのなりながら釈放され、その足で会いに来た愛弟子とならんで、呑気な映画をみているおじいさんの嬉しそうな顔が、リアルに想像できる。2人とも生きて再び会うことができて、とても幸せだったのだと思う。
小柄な大内兵衛大叔父と、大きな堅固な体を持った宇佐美誠次郎叔父、この2人が並んで収まっている写真を見ると、このときの2人の気持ちが想像されて、心があたたかくなる。


2023年5月17日水曜日

若い詩人の詩「湖へ」

フィリピンで独裁者マルコス政権がピープルズ革命で倒された翌年、まだ混乱状態にあったレイテ島に、建設省から派遣され家族赴任した。2年過すうち何度も殺された共産軍の死体を見たし、危険な目にも合った。ベランダから押し入ってきた族の荒い息をドアごしに聞いて、震えて祈りながら、使えもしない銃を構えていたことも。標的にされている夫は運転手に背広を着せ助手席に座らせ、自分は運転手の服を着て運転して移動する日もあった。

その後、マニラに赴任先が移り、娘たちがインターナショナルスクールに入り、やっと文化的な生活ができるようになった、というのに夫も、それに付随するビザも失った。帰る国も帰る家もない。弁護士の力添えで、娘たちの学校でバイオリン教師の職を得て6年、その後、娘たちの大学入学のためにオーストラリアに移民した。あのころ生きるのに必死で、娘たちがどんな気持ちでいたのか、考える余裕もなかった。
いま、この詩集を読むことは、あのころの娘たちの独白を聴くようで痛みを伴う。

静謐な水面、静かに水をたたえる湖が、その底では激しいマグマのような燃えたぎる熱情が渦巻いている。だからこの若い詩人の言葉が、ナイフで切りつけられたように胸が痛む。

その時に何かを強く感じたので、しばらく記憶に残っている。言葉にできないままでいるときに、若い詩人の言葉に出会って、その時の自分の強い気持ちが嵐のようによみがえる。言葉があふれるように心の中で広がっていく。そんな言葉にいくつか出会った。あなたも、あなたも、あなたも、とても強く感じて、言葉にできなかった感情を、この若い詩人の言葉の中に、見つけられるかもしれない。

姜湖宙 詩集「湖へ」


2023年5月11日木曜日

大内家の鼻

大内家の鼻は低くて丸い。

私の鼻は父の鼻だ。そういえば叔父の鼻も大叔父の大内兵衛の鼻も同じだった。その鼻が娘に遺伝して何と、今年11歳のマゴの鼻の形に伝わってしまった。2人の横顔を写真に撮られ、証拠を突きつけられて、ハンサムなマゴに申し訳ない思いでいっぱいだ。
日本とオーストラリアの血を半分ずつもって生まれてきた子だが、生まれも育ちも100%オージーブランド、11歳にして158センチの私の身長をらくらく追い抜かし、日々お日様に向かってスクスク伸びている。エメラルドの湖にグレーの霧がかかったような美しい瞳には、まつげがびっしり、つけまつげ3枚分、それもきれいにカールして大きな瞳を囲んでいる。やわらかなカーリーな髪は風に揺れて若き獅子のようだ。それが、、、鼻だけ日本人。

王家に生まれたことをチャールズが恨んでいるか、ラッキー!と思っているかわからんが、母親に死なれて、この5月7日に戴冠式が行われた。オーストラリアの国歌「GOD SAVING QUEEN」は、「GOD SAVING KING」になるらしい。ロンドンでは君主制廃止を訴える抗議行動で57人逮捕されたらしいが、彼らの言い分や行動は全く報道されなかった。オーストラリアでは何千人もの抗議デモが各地で行われた。

オーストラリアの人口は100%アボリジニだった。1770年帝国主義英国の探検家キャプテンクックがシドニー湾に上陸し、1778年アーサーフィリップ英国総督が英国王室による領有宣言をするまでは。 英国の侵略により、人口100万人の90%をアボリジニは失った。英国人は先住民を害蓄として殺しまくったからだ。
15年前、労働党のケビンラッド首相が初めて、連邦議会で先住民族への公式謝罪をした。いま同じ労働党のアルバニージ首相が、オーストラリア憲法を改正し、この国が元来アボリジニのものだったことを明記し、アボリジニの権威を回復するために連邦議会に諮問機関を設置する提言をした。先住民族のことはこの諮問機関を通じて助言ができるようにする。10月にこの是非をめぐって国民投票が行われる予定だ。

今回の英国王戴冠式で、アボリジニ団体と、先住民族12部族による代表は、英国帝国主義による侵略と大虐殺に対する国王からの謝罪を要求した。自分たちの土地を奪い、虐殺し、文化を破壊した真の歴史をきちんと認識するように要求。彼らの犠牲に上に立って英国はいま民主主義と福祉国家を築いてきた。
アボリジニの人口は、全人口の3%にまで回復してきたが、彼らの平均寿命は、男性71、女性75歳であるのに比べて、ノンアボリジニは男性80、女性83歳と大きく離れている。住宅環境、教育、就業への対策が遅れているのだ。そういったギャップをなくすために予算を立てる必要がある。まず国民投票を成功させたい。
帝国主義による侵略、その破壊の歴史について謝罪するということは、言葉で謝ればよいのではない。過ちを認め、どこがなぜ悪かったのかを記録で残し、同じ過ちを犯さないために何が必要かを明らかにし、傷つけた相手の誇りが取り戻され、傷が回復するまで謝罪し続けることが、「謝罪」だ。

江間章子作詞、中田喜直作曲「夏の思い出」を歌ってみた。
I am singing [ Memory of Summer ] written by Ema Shoko and Nakada Yoshinao.
interpretation is
I always remember. When Summer comes Memory of Oze. Far away from here, High above blue sky, Misty swampy wetland, Shadow of mountains Green glass field Beauty of white water banana flowers, Purely noble white, In the Sun set Every things are turned shining gold red, Beautiful Oze, I always remember, When Summer comes.



2023年5月2日火曜日

パワハラ防止法よりも包括的な差別禁止法を

いま日本を旅行中の娘たちが月島のホテルに泊まる、と言ったので「昔、反ベトナム戦デモで捕まって月島警察署に13日ぶちこまれた事があった。」と言ったら、「そうか、母が大変お世話になりましたと挨拶してくるわ。」と答えたので大笑いした。こんな軽快で洒落た会話ができる娘に感謝。 機動隊につかまって隊員たちに囲まれて殴る蹴るの暴行を受けた。署内で「P」と呼ばれたので、「なあに」と聞くと、マルクスは自分のものは人のもの、人のものは自分のものと言ってるから、おまえら女子大学生はP,すなわちプロステイチュートと同じだと言われ、そうか、と妙に納得した覚えがある。男女差別は一般社会だけでなく、左翼の間でもあった。活動家会議でよく通った電通大学には女子トイレがなかった。昔の話だ。

1970年代、結婚して家に電話がかかってきて、「ご主人おられますか?」と問われると反発して「うちでは私も主人です。」と答えて笑われていた時期もある。男女差別社会への怒りが煮えたぎっていた。身分証明書、銀行名義、住民票、受診票などの申込書では男性か女性かをまず問われ、女性ならミスかミセスの選択しか答える欄がなかった。自分が女性だと認識しようがしまいが、結婚しようがしまいが、パートナーの姓を名乗ろうが名乗るまいが、勝手だろうが。
私はナースになって実際働いてみて初めて、男性でもない女性でもない両性具の人が多いのに驚いた。染色体は、XXかXYかだが、実際にどちらともいえない人々が多数居る。それでも自分が女性又は男性と出生時に認知され、そのように育てられ、恋をして、普通に結婚して幸せな人が沢山居る。成長過程で自己認識で悩んだり、子供がなかなかできないなどの問題が起きても、ホルモン治療できる。だいたい自分の性器が一般極普通型多少異形的近似造形機能上々であるかどうか、誰が決めるのか。腎臓一つで生まれてくる人も居り、指が多かったり少なくて生まれてくる人はたくさんいる。愛する人が居て、また居なくても自分が幸せであることが一番肝心。人生それでいいのだ。

LGBTQプラスの人々を人権を保護するために2019年パワハラ防止法が成立し、2020から性的指向や、アウテイング(本人の承諾なく第3者に性の在り方を暴露する)ことも違法になった。
LGBTQとは、レスビアン、ゲイ(同性愛)、バイセクシュアル(異性愛と同性愛どちらもある)、トランスジェンダー(出生時の性と自己認識の性とが一致していない)、クイア、クエスチョ二ング(同性愛、異性愛どちらとも定まっていない)のことでこれらの人々への偏見と差別を撤廃し、人権を保護することは憲法に沿った当たり前のことだ。当人だけの話ではなく誰もが当事者と言える。しかし、この法は職場内に限られていることは異常だ。公共の場でも、学校でも、どこでも人権保護の法として、違法者には刑罰と再教育を施すようにしなければ意味がない。

男性か女性か、女性ならミスかミセスしか選択がなかった時代を生きてきた。いま住むところでは、質問票には自分を「男性」と認識するか、「女性」と認識するか、または「その他」と自己認識するかを選択できるようになった。
またショッピングセンターや公共施設では「男性」トイレと、「女性」トイレと「男女トイレ」の3つが並ぶようになってきた。トランスジェンダーにとって、必要な施設だ。日本でもまず公共施設から、そして学校、職場でも、3つに分かれたトイレが当たり前になって欲しい。少しでも人が差別されず快適に生きられる社会にしていかないと。
「人種、民族、宗教、信条、性別、社会的地位、障害、性的指向を理由とするすべての差別的言動を禁止する」という包括的な差別禁止法が、今ほど必要な時はない。

ピーウイ―キングの「テネシーワルツ」を歌ってみた。
I am singing [ Tennessee Waltz ] written by Pee Wee King in 1946.
I was dancin. with my darling to the Tennessee Waltz. When an old friend I happen to see. I introduced her to my darin and while they were dancin. My friend stole my sweet heart from me.....
ダーリンとワルツを踊っていたの  昔の友達に会ったわ   そこで彼女、私のダーリンと踊って  ふたりは恋に陥ってしまったわけ   あの晩のことは忘れられない  私がダーリンをなくした晩  いまになって どんなに大事な人だったかわかる  
 テネシーワルツを踊っていたの   ダーリンを責められないわ  だってあんなに甘い曲   私が大事な宝物を失くした晩  テネシーワルツが優しい曲だから  ダーリンが行ってしまったの  曲のせいなの  いまそれがよくわかる