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2020年4月12日日曜日

ジョージぺル枢機卿、6年の実刑から一転して無罪

peru 
4月7日、COVD19で、人々が混乱している最中を狙ったかのように,ビクトリア州検察によって逮捕され、6年間の禁固刑を言い渡され服役中だったジョージ ぺル枢機卿が、最高裁で出た無罪判決を受けメルボルンのバーウオン刑務所を出所した。
服役するまで彼はバチカンのナンバー2の実力者、財務局長菅を務めていた。彼はメルボルンの大司祭だった1996年に、教会合唱団の13歳の二人の少年に性行為を強いた罪で逮捕され、2018年に6年の実刑を下された。その後、実刑に服しながらビクトリア州裁判所に再審を求めていたが去年、却下された。再び連邦政府の最高裁判所に控訴して、今回、彼が問われていた5つの罪状に対して証拠不全を理由に、最高裁判所は彼に無罪判決を出した。寝耳に水とはこのことか。驚いて言葉も出ない。怒りでいっぱいだ。

彼は1996年から2001年までメルボルン大司教を務めていたとき、部下のジェラルド リステル牧師が、4歳の子供を含む54人の小児に対して性犯罪を犯していたが、この牧師と同じ部屋を共有していたにもかかわらず証拠を隠滅し、家族から被害が報告されると牧師を他の教区に移動させスキャンダルを封印してきた。
また本人も、1961年にサマーキャンプで12歳の少年を強姦した罪で起訴されたが、その後、理由不明で審議取り下げになっている。
メルボルン大司教から2001年シドニー大司教に抜擢されたとき、ぺデファイルをカバーアップしたということで、反対運動が起きたが、無事シドニー大司教を2014年まで務めて、バチカンの財務局長官に抜擢された。世界の権力と財力を持ったバチカンの財布係だ。

ロイヤルコミッションは、カトリック牧師の7%がぺデファイルで、1950年から2009年までの間に、4400件余りの被害届が出ているとして調査を始めた。2016年にコミッションは証人としてジョージ ぺルを召喚したが、彼は応じなかった。

この4月7日、無罪を勝ち取り自由の身となって出所したジョージ ぺルは、「自分の無罪が証明できてうれしい。」と語り、続けて「小児性的虐待は教会の癌のようなもの。カトリック教会では昔から組織的に行われてきたことだ。」とメデイアにむけて、まるでぺデファイルは教会の問題であって、自分とは関係がないような発言をシャーシャーと述べ立てた。6年間実刑判決を受け2年に渡って刑務所で刑に服していた間、一度でも自分がレイプした子供のことを思いやる機会はなかったのだろうか。純真な心を、自分の欲望のために踏みにじって、どうして平気で教壇に立てるのか。被害者の傷は大きい。一般に子供の時にレイプ被害にあった人は、30歳代になって初めて自分の身に起こったことを、人に話せるようになる、という統計がある。30歳を超えるまで一人で苦しんで、やっと言葉に出せるようになる、そのような子供についた深い傷について加害者として考えたことがなかったのか。

彼は、一晩メルボルンの教会に泊まり翌日、4月8日には自分で車を運転してシドニーに向かった。シドニーの手前ゴルバーンで警察署に車を止め、執拗についてくるメデイアを追い払うように要請した。メルボルンからシドニーまで12時間の運転、ラグビーで鍛え切ったぺルにとって、12時間にの運転など何とも無いことだろう。その車を追わずにいられなかったメデイアの気持ちがわかる。
彼が出所した日の新聞の大見出しは、「恥ずべき枢機卿の過去」、続いて「小児性的虐待は教会の癌」「証拠が足りないというだけで、ジョージ ぺルが無罪だということでは決してない。」「証言だけでは証拠不足だからといってぺルが何もしなかったわけでは断じてない。」と続いた。ペンの力は健在だ。

被害者は、「最高裁は自分が24年前に虐待されたという証拠が、有罪を決定するには不十分だという。最高裁が納得するような証拠を出して証明するのは非常に難しい。他にもたくさん被害者がいるはずなので、名乗り出てきてほしい。」と言っている。性被害にあったすべての人が、モニカ ルベンスキーのように、ビル クリントンの精液のついたブルードレスを大事に持っているわけではない。何故証拠なのか。なぜ証言では不足なのか。メルボルン警察の長年の捜査によってやっと強姦罪を立件でき、被害者たちの声と世論やロイヤルコミッションの力を得てと、やっとバチカンのナンバー2に実刑を与えることができたというのに、無罪放免とは。

いままで何度も言ってきたことを、また繰り返すが、ぺデファイルは一時の心の迷いではなく、病気でもなく、その人についてきた「嗜好」だ。病気ではないから治らない。嗜好は、罰せられても、拘禁されても、教育されても治らない。年を取ってセクシャル アクテイブでなくなっても、「嗜好」は変わらない。死ぬまでぺデファイルはぺデファイルだ。
彼は76歳で実刑判決を受け、78歳で自由の身になった。しかし彼が過去にやってきたことは警察署の分厚いファイルに収まっている。被害者のうち、一人は精神の均衡を失いドラッグのオーバードーズで亡くなっている。自分より先に息子に死なれた親の気持ちがわかるか。ジョージ ぺルの輝かしい牧師生活は、おびただしい少年少女の死によって成り立っている。天国に行きたくないのかな。メデイアには嘘がつけても、自分には嘘をつけない。自分がやったことは ごまかせない。
実刑を受けていた間も、彼はバチカンから高給を受け取っていたそうだ。それをすべて吐き出して、被害者に対して申し訳なかったと、どうして今、謝罪できないのか。