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2020年2月4日火曜日

映画「7月22日」ノルウェー2011年ウトヤ

原題:7月22日
アメリカ映画 ネットフリックス配給
監督:ポール グリーングラス
キャスト
アンデルシュ ダニエルセンリー:犯人アンドレスBブレビク
ヨン オイガーデン      :ゲイル弁護士
ジョナス ストランドグラベリ :被害者少年 ヴィリャル
ソルビョレン ハール     :首相
アイザック バキリ アグレン :トルジェ ヴィリヤルの弟
オラ G フルセス       :被害者少女 ジェーン

ストーリー
2011年7月22日早朝 アンデルス ベーリング ブレビクが、盗んだ警官の制服に身を包み、手際よく手製爆弾を車に積み込むシーンからフイルムが始まる。
ブレビクはオスロの官庁街、ストルテンベルグ首相のオフィスのあるビルの前に車を止める。彼が車から立ち去った数分後、セキュリテイーが動き出す前に車は爆発する。死亡者8人。建物の被害は絶大だった。しかし、警察や報道陣が動き出すころには、すでにブレイビクは、別の車でオスロから22キロ離れたウトヤ島に向かっていた。

ウトヤ島では民主党主催で若者たちのリーダーシップを育てるためのサマーキャンプが開催されていた。民主党党首のストルテンベルグ首相のオフィスがテロのターゲットになったニュースは すぐにウトヤ島にも伝えられる。島には小さなフェリーで行き来する以外に交通手段がない。島に渡るためのフェリーの入り口には、2人の主催者が待機していた。警官の制服を着たブレビクは、主催者にオスロで爆弾事件が起きたので警備のために島に渡りたいと言う。主催者はブレビクをフェリーに乗せて島に着いたところで、ブレビクの態度に疑問を持ち、警察証明書の提示を求める。ブレビクはためらうことなく2人の主催者を撃ち殺す。

こうして陸から孤立した小さな島に閉じ込められた子供たちへの無差別攻撃が始まる。逃げ惑う子供たち。戸外でキャンプをしていた子供たちが、重装備に身を固め、何丁ものライフル銃をもった犯人ブレビクに次々に打ち殺される。銃声に驚いた建物の中にいた子供たちに向けて、ブレビクはマイクを通して、「外は危険なので教室の中で待つよう」に指示する。サマーキャンプの主催者の一人であるビジャルは、弟のトルシェをふくむ数人の仲間達と海に面した崖に身を隠す。海に泳いで逃げようとしている子供たちは、一人ひとり狙い撃ちされ、殺され沈んでいく。林に逃げ込んだ子供たちも皆見つかって殺される。崖に隠れていた子供たちもどんなに息をひそめていても、犯人には容易なターゲットになった。教室で恐怖におびえながら待っていた子供たちも次々と殺された。
子供たちの悲痛な声が警察本部に届き、船で警官隊が到着した時には、死亡者69人、怪我人100人近くの犠牲者が出ていた。単独犯ブレビクは警官に包囲されて、笑いながら無傷で拘束される。

ブレビクは極右白人愛国者グループのリーダーを自称し、以前ネオナチグループの弁護を担当したことのあるゲイル リップスタッドを、自分の弁護士に指名する。ゲイル弁護士は事の重大さに逡巡するが、プロの弁護士として任務を引き受けることを承諾する。犯人は900人ほど居るネオナチグループのメンバーだと主張するが、グループは、ブレビクのあまりに過激な子供たちへの攻撃には批判的で、グループメンバーだったことはない、と関係を否定する。ブレビクは16歳で両親が離婚し孤独な人生を歩み、ヒットラーを信奉してきたがパラノイドがあり、明らかに精神分裂病の症状が出ている。ゲイル弁護士は、彼を警察署に拘置せず、精神病院で治療すべきだ、と主張する。しかし世論はそれを許さない。何の罪もない子供たちが恐怖のどん底に落とされて無残に殺されたのだ。これからの民主党の若いリーダーとしてノルウェーの未来を担っていく子供たちが惨殺されたのだ。怒れるおとなたちは、犯人に極刑の断頭台に引きずりださねば気が済まない。ゲイル弁護士の自宅に石が投げ込まれる。家族も自身の身も安全があやぶまれる。しかし弁護士は動ぜず、犯人と1対1で、対話を続ける。

サマーキャンプのリーダービリャルは、5発の銃弾を全身に浴び、長い昏睡状態に陥っていた間にも幾度も手術を受ける。意識が戻ったが片目の失い、さらに脳に入り込んだ銃の破片を全部取り除くことができなかった。何時その破片によって急死するか、何らかの障害がおこるかわからない。彼はそんな壊滅的な状態から歩行練習を始める。歩くことも自分で立つこともできない。視界も狭くなり良く見えない。過酷なリハビリ。どうして自分がこんなひどい目にあっているのか、答えがない。怒りが収まらない。怒り、不安,焦燥。困難ながら歩けるようになっても、犠牲が大きすぎてまともな精神状態が保てない。家族がはれ物に触るように扱うのもやりきれない。運よく無傷で生き残った弟がどんなに兄を思っているかわかっていても、さらに煩わしい。同じキャンプで一緒にリーダーを務めていたジェーンは、妹を失ったがビリャルの壊れてしまった心を支えようとする。

法廷では犯人ブレビクが精神異常なので刑事事件として法廷で裁くことができないというゲイル弁護士の主張は、世論に押されるかたちで却下される。犯人ブレビクは、77人の殺人、100人余りの負傷者を出した犯人として法廷で罪を問われることになった。ブレビクは、たくさんの犠牲者家族が傍聴室で見守る法廷に初めて姿を現し、裁判長に向かってヒットラー式敬礼をしてみせる。その一瞬、法廷にいた人々の息が止まる。
長い裁判が始まる。一人ひとりの子供たちがどのように殺されていったのか、親にとっては傷口に塩を塗りたくられるような痛みの検証がなされる。事件が起きた時、すぐに島にアクセスできるヘリコプターがなかったのは、どうしてか。テロ対策が他国に比べて、遅れているのではないか。生き残った被害者もひとりひとり証言し、犠牲がどれほど大きかったのか検証される。

ビリャルは法廷に出て犯人と対置する。そして証言する。「自分は犯人が発射する5発の銃弾を受け、頭を撃ち抜かれ片目を失った。脳の奥深くに埋め込まれた銃弾の破片は手術で取り除くことができず、何時致命的な事態に襲われるか、何時新たな障害が起きるかわからない状態で生きなければならない。しかし、あなたは可哀そうだ。自分にはあなたにはない愛がある。自分を支えてくれる両親や兄弟や友達がいる。あなたには誰もいない。あなたはひとりきりだ。」と述べる。
判決が下される。21年間の実刑、その後も裁判所が犯人が社会に危害を及ぼす懸念がある場合、実刑を延長することができる。判決後、犯人ブレビクは、笑いながら「I DO AGAIN」と言う。ゲイル弁護士は、犯人と最後の面会をする。ブレビクは笑いながら「また会いに来てくれる?」と。ゲイル弁護士は無言で、求められた握手をせずに部屋を立ち去る。
というストーリー

映画の主役は、世論の圧力に抗しながら法のために極悪犯の弁護を引き受けるゲイル弁護士。法の正義を信じるゲイル弁護士にとって、極力自分の感情を抑えて犯人と接してきたが最後に、問われたことに返事をしないこと、求められた握手を拒否すること、でもって万感の思いを込めて立ち去っていく姿が、とても良い。黙って立ち去る足音に、テロリストに対する怒りと憎しみといった、一人の子を持つ親としての、人間らしい感情がこもっている。

もうひとりのこの映画の主役、被害者のビリャルにも、心から共感する。たった16歳で片目を失い障害者となった彼の苦しみ、リハビリの痛み、激しく打撃を受けた精神に再び血が通いだすまでの死に物狂いの姿にただただ圧倒される。明日のノルウェーを担う選ばれリーダー資質をもった子供たちを含めた、77人の命が、たった一人の男の暴力によって否定される理不尽。小さな島で逃げ場がない、助けも来ない、恐怖と絶望感の中で殺されていった子供たちの悲鳴が、実にリアルにフイルムで再現されている。ショートパンツにシャツで逃げ回る子供たちに向けて、警官の制服と重装備で冷静沈着、ロボットのように銃を発射させる殺人鬼の姿に言葉を失う。
こういった暴力がいつでも起こりうる社会で私たちは生きている。民主主義が理解されていない。民主主義が体現されていない。極右勢力はいまやヨーロッパだけでなく世界のどこにでも住み着いている。わたしたちはウトヤ島7月22日の出来事を忘れてはいけない。いつまでも覚えていて、怒り続けなければいけない。そう強く思う映画だ。

この映画のタイトルは、「7月22日」だが、もうひとつ「ウトヤ島7月22日」という映画がある。ノルウェーオスロ生まれのエリック ポッペ監督によるノルウェー語の作品だ。ポッペは戦場カメラマンでもあるが、映画「ヒットラーに屈しなかった国王」でアカデミー賞候補になったことがある。これもドキュメンタリータッチで無差別乱射をリアルタイムで描いていて、生存者や遺族の全面的なサポートを受けて作った作品だ。
この映画「7月22日」はアメリカ映画だが、この映画の後、ノルウェーで起きた事件なのにノルウェー語で描かれていないことにノルウェーから怒りの声があがり、ノルウェー語によるノルウェー人俳優だけの、ノルウェー人監督ポッペによる「ウトヤ島7月22日」が作られた、と聞く。こちらも是非見てみたい。