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2018年12月25日火曜日

2018年に観た映画ベストテン

第1位:希望のかなた(The Other side of Hope) アキ カウリスマキ監督
第2位:スリービルボード(Three billboards ) マーチン マクトナー監督
第3位:華氏119     マイケル モア監督
第4位:かぐや姫 スタジオジブリ 高畑勲監督
第5位:アリースター誕生  ブラドリー クーパー監督
第6位:クレイジーリッチ アジアン ジョン M チョウ監督
第7位:ファンタステリックビーストと黒い魔法使いの誕生 デヴィッドイエッツ監督
第8位:ジェラシックワールド炎の王国  ステブン スピルバーグ監督
第9位:COCO アニメーション リーアンクリッチ監督
第10位:FERDINANDO アニメーション カルロ サルダンハ監督
           

第1位:「希望のかなた」は、このブログの4月1日に映画紹介と詳しい評価を書いた。このアキ カウリスマキ監督はいつも社会の底辺に生きる、名もなき労働者、移民、難民に照明をあてて、それらが現実社会で蟻のように踏みにじられる姿を映し出している。シリアから命からがら逃げ延びてヨーロッパに渡って来た兄妹が、警察や入管局やネオナチの襲撃から、言葉を絶するような酷い目に遭いながらも、自分達の志をもち、一歩も譲らない。映画の中で、苦い笑いや、真剣なのに思わず愉快に笑ってしまう人間性や、時代遅れのおっさんたちの奏でるロックが出てくる画面をみながら、社会派監督のメッセージが確実に伝わって来る。2017年に観た映画ベストワンは、同じく社会派監督代表のケン ローチによる「私はダニエルブレイク」だった。今年のベストワンは アキ カウリスマキ。ゴダールやアントニオーニやパゾリーニが居なくなり、この二人の様な正統的社会派の監督が作品を作り続けてくれて嬉しい。

第2位:「スリービルボード」は、1月14日に、このブログで映画の評価を書いた。娘をレイプ、誘拐され殺された母親の火のような怒りが大爆発する。クレモンの映画館で映画が終わった時、爆発のように女客たちの拍手が沸き上がり、みんな涙を浮かべてしばらく拍手が続いた。母親としての共感が波のように押し寄せていて、見知らぬ人同士で抱き合ったり顔を見合わせたりしながら、しばらくは拍手が鳴りやまず会場から出ていく人も居なかった。こんなすごい経験は初めてだった。

第3位:「華氏119」マイケル モアによるドキュメントで、フイルムの紹介はブログで11月17日に書いた。独自の取材方法で精力的に社会を告発する。得難いジャーナリストだ。

第4位:「かぐや姫」スタジオジブリの映画を、娘婿がダウンロードして見せてくれた。自然児、かぐや姫(タケノコ)が、野山を駆け回り、ステマル兄ちゃんに恋をする。互いにそれが恋と知らずに、最後には1度だけ結ばれて本当に嬉しかった。素晴らしいアニメーションだ。

第5位:「アリースター誕生」この評価は10月30日にブログで書いた。SHALLOWの曲を始め、映画のために作られたオリジナルの曲がどれも良くて、心にいつまでも残っている。

第6位:「クレイジーリッチ アジアン」については9月15日に書いた。ハリウッドではもうチャイニーズの資金や人材なしに映画を作ることが難しくなり、興行成績もチャイニーズ顧客なしに立ち行かなくなってくる。そういったチャイニーズパワー予兆を、チャイニーズ監督によるチャイニーズ役者だけで映画を作ることで、しっかりみせてくれた。

第7位:「ファンタステイックビーストと黒い魔法使いの誕生」は、JKローリング原作。ハリーポッターが生まれる以前のダンブルトン校長先生や、グリンデルバルドが出てきて、物語が広がってきて目が離せない。主役のエデイ レッドメインがチャーミング。頼りないが、愛すべき魔法動物学者がハラハラさせてくれる上、意表を突くような沢山の魔法動物が登場して、楽しい。

第8位:「ジェラシックワールド炎の王国」では’映画評を8月4日に書いた。いまだに地震で沈んでいく島に取り残された大型草食恐竜アパルトサウルスが、連れて行って、連れて行ってと叫ぶ様子が目に焼き付いていて哀しい。

第9位:「COCO」は2018年アカデミー賞ベストアニメーション賞作品。テーマソングの「リメンバーミー」がいつまでも記憶に残っていて、亡くなった先祖を思い、思い出を大切にする心を教えてくれる。

第10位:「フェルデイナンド」は、スペインを舞台にしたアニメーション。8歳と10歳のマゴと一緒に観たが心優しい牛と少女の美しい物語に私の方が夢中になった。映像が美しく、登場する人と動物たちの表情の豊かさに心を奪われた。

2018年12月24日月曜日

是枝祐和の映画「万引き家族」

                  
私は1987年から1996年までフィリピンで夫の赴任のために家族で暮らし、そのまま帰国することなく、オーストラリアに移住した。22年経つから、30年余り日本で暮らしていない。だから、日本の貧困が実感として全くわかっていない。
1970年代、どんなひどい麻雀学生でも、ベトナム反戦運動で授業に出る暇のなかった学生も、みな結構大手のマスコミや企業に就職していたようだし、コネのない自分でも見栄も外見も気にしなければ食い詰めることはなかった。逮捕された友人たちの保釈金もバイトで作ることができた。朝鮮特需、ベトナム特需で他国の戦争を食い物にしてきた日本経済は、好調で仕事はいくらでもあったし、どんな馬鹿でも就職できた時代だった。

パリ大学の経済政治学者トマ ピケデイも言うように、資本家が十分以上に収益を得た好景気の時期には、賃労働者にも配分が充分行き渡る。好景気の下では、労働者が平均以上に生産性を上げ、配分も多く得られる。本来資本家と賃労働者の利害は対立するが、それでも余るほどの需要供給に見合う生産があったのだ。ただし好景気かどうかに関わらず、賃金格差は拡大する一方で、今後の世界経済に希望はない。資本主義社会が続く限り貧富の格差は開く一方で、庶民が貧困から脱却できる方法はない。
90年のバブル崩壊、2008年リーマンブラザーズに始まる米国の株暴落により、日本の不況はすでに20年続いている訳だから、日本社会の貧困の進行、こどもの飢餓、老人年金の減額など理屈ではわかるが、じっさい記録を読むとびっくりする。

日本全体で非正規雇用者が2000万人を超えて、全労働者の約40%を占めているという。年収200万円未満の人が1000万人を超え、生活保護受給者が215万人、貧困ラインの人は2000万人。何よりも驚くべきことは、貧困者の10%しか生活保護を受けられずにいるというのだ。福祉行政官は何をやっているのか。福祉行政に関わるものたちは、10%の人だけ生活保護するだけで平気でいるならば、自分たちは10%分の仕事しかしていないことになる。それならば、福祉行政官たちは、90%のサラリーを返上するべきではないか。
地域の福祉行政担当者は10%の仕事しかしていないことを恥じて、障害のために役所まで行って書類を記入できない人、知的障害のために生活保護申請ができない人、学校にいけない子供、充分食べられない子供を探し周り、発掘するために足を棒にして探し回るのが仕事ではないか。そんな思いで、頭に血が上っているときに、この映画が、シドニーでも上映されたので観て、さらに怒っている。偽政者は、貧困を社会現象にするな。

邦画;「万引き家族」
映画タイトル:「SHOP LIFTERS」       
監督: 是枝祐和
カンヌ国際映画祭2018パルムドール受賞作品
キャスト
リリーフランキ―:柴田治
安藤サクラ:柴田信代 治の妻 
樹木希林 : 柴田初枝 治の母
松田茉優 : 柴田亜紀 治の義妹
城檜吏  : 柴田翔太
佐々木みゆ: ゆり
柄本晃  :山戸頼次 駄菓子屋主人
ストーリー
東京荒川区にある古い平屋。
年金生活をしている初枝の家には、日雇いで働く息子の治とその妻、信代、信代の妹の亜紀、そして息子の翔太が一緒に暮らしていた。初枝の年金と、息子の日雇い収入と、妻がクリーニング屋に勤める収入を合わせても、生活していくには苦しく、家族は足りない分は治と翔太とで万引きをして工面して生計を立てていた。
初枝には、むかし浮気をして出て行き、再婚して別の家庭をもち、いまは裕福に暮らしている息子夫婦が居るが、その家に毎月通って「慰謝料」をせしめていた。彼女がパチンコ屋に入れば他人の箱を盗んで平気でズルをする。
息子の治は、日雇いにあぶれた日は、翔太を連れて万引きに出かける。治は翔太に、店の商品はまだ誰にも買われていないのだから誰のものでもない、と言って万引きが罪ではないと言って聞かせ、学校は学校に行かなければ勉強できない馬鹿の行くところだ、と説明して学校に行かせないでいる。
信代の妹、亜紀は風俗営業で身を立てている。

ある冬の夜、治と翔太はアパートのドアの外で寒さに震えている小さな女の子を見つけて家に連れて帰る。ゆりの体に無数の体罰の跡をみつけた家族は、家に帰りたがらないゆりをそのまま自分の家の子供として引き取ることにする。貧しくても心の通った優しい家族。

冬が過ぎ、夏には家族で海に行って海水浴を楽しんだ。それを最後に年には勝てず、初枝は亡くなる。葬儀代を出せない家族は、遺体を床下に埋める。初枝の年金はそのまま、嫁の信代が引き出して何事もなかったように生活を続ける。
しかし翔太は、初枝のへそくりを見つけて大喜びする両親の姿や、車の窓を破り車荒らしする父親を見て、徐々に疑問をもつようになる。ある日、万引きをした駄菓子屋の主人に、妹にだけは万引きをさせてはいけない、と言われたあと、ゆりがスーパーで万引きを真似しようとしたので、わざと自分が捕まるように派手に店のものを奪って逃げ、追われて道路から落ち怪我して病院に運ばれる。

家族はこれを知って、家族の秘密が漏れることを怖れて、荷物をまとめて逃亡しようとしたところで警察に逮捕される。初枝を埋葬しなかった死体遺棄、ゆりを家に連れて来た幼児誘拐、初枝の年金を受け取っていた横領、翔太を学校に行かせなかった保護者責任放棄、罪状は限りなくある。信代が一人で犯罪を犯したことにして、信代は刑務所に入り、翔太は施設に保護され、学校に通うようになる。亜紀もゆりも家庭内で児童虐待をされていたと思われる両親のもとに戻る。
治と信代とはむかし暴力をふるう信代の夫を殺害して死体を遺棄した罪で、治だけが罪をかぶり刑務所で刑期を収めた過去がある。そんな夫婦に同情した初枝が、息子として治を自分の家に住まわせるようになったのだった。そこに初枝のもと夫が残した息子夫婦の娘、亜紀が加わり、パチンコ屋の駐車場で車の中に置き去りにされていた翔太が家族に加わり、さらにゆりが連れてこられた。6人は全員が全く血のつながりのない擬似家族だった。

1年経ち、信代の依頼で、治は翔太を連れて刑務所に面会に行く。そこで、信代は厳しい顔で翔太に、松戸のパチンコ屋の駐車場から翔太を連れて来たことを話し、その車のナンバーを伝える。これで翔太は、望むならば本当の両親を探し出すことも出来る。
その夜、翔太は治に、自分が病院に送られた時、自分を置いて逃げようとしたのかどうかを問う。治はそうだと言い、そんな自分を恥じ、これからは、「とうちゃんじゃなくて、自分は翔太のおじさんにもどる」、と言う。翌朝,翔太は治にむかって「自分はあのときわざと捕まったのだ。」と告白してバスに乗り込む。去っていく息子を必死で追いかける治、、、その先にもう息子は居ない。
というストーリー

是枝監督は、「血縁がつながっていない共同体というモチーフをここ10年追いかけて来た。」と言う。私が観たのは「誰も知らない」と「「そして父になる」2013。「誰も知らない」では無責任な夫婦によって戸籍のない3人の子供達が世間から隠れて生きざるを得ない姿に胸が締め付けられるようだった。「そして父になる」では赤ちゃんの取違いで苦しむ親たちよりも、そういった苦しむ親の姿に翻弄される2人の息子たちが痛々しくてたまらない思いだった。
今回、カンヌ国際映画で最高賞が与えられ、文部科学大臣が監督に会いたがったが、是枝監督が「公権力とは潔く距離を保つ。」と言って会見を辞退したと聞く。確かに国の教育普及、科学技術向上、文化財保護などを担当する役人から「おほめをいただく」必要など全くない。役人が真面目に仕事をして、児童に十分な保護と福祉対策を講じ、必要としている家族に生活を保障していれば、このような映画は作られていなかった。

子供を作る能力がないうえ、受刑して婚期を逃した治には、家庭を持って子供を育てたいという願いがとても強かった。また、夫から暴力を受け、まともな結婚生活を経験していなかった信代も子供を育てたい母性本能が強かった。なによりこの夫婦にはあたたかい家庭が欲しかったのだ。独居老人、初枝の寂しさと優しさが、治と信代夫婦につながり、不幸な子供達が集められて偽装家族が形成された。福祉政策や教育行政に血が通わないかぎり、このような家族や子供達があちこちに多発しても不思議ではない。生活保護を必要とする人々の90%が、保護されていないような現状では治家族のように生きる人がでてきてももんくを言えない。

それでも私は「どうして翔太を学校に行かせなかったのか。」と腹を立て怒りでいっぱいになる。治も信代も初枝も自分達だけは、曲りなりにも学校教育を受けたのに、どうして翔太に教育の機会を与えなかったのか。治にとって学校は「学校に行かなければ勉強できない馬鹿が行くと所」だったかもしれないが、そういった結論を出すのは翔太ではないか。治では断じてない。子供は社会的な動物だ。親だけの力で大人になることはできない。優しさでつながりたかった治は、結果として翔太が学校に行く選択の機会を奪い、翔太の個人としての自由と尊厳を踏みにじり、教育を受けるチャンスを奪った。このことは、老婆の死体を床下に埋めたり、万引きで食いつないだり、家庭内で暴力をふるうことよりも、ずっと罪深い。ラストシーンで、去っていく翔太を乗せたバスに、治が追いつくことは決してない。

映画のキャッチフレーズが、「盗んだのはきずなでした。」ということになっているが、「きずな」はそれほど大切か。人は優しさだけでは生きていけない。思いやりだけではつながっていられない。だいたい「家庭」で、傷つかずに育ってきた人がどれだけいるだろうか。子供にとって、物理的なせっかん、教育と言う名の暴力、明白な男女差別、長男特別扱いによる順次差別、他児と比較して選別に欠け、競争に駆り立て、ネグレクト、子供の意志を踏みにじり、捻じ曲げ、押さえつけ、屈服させ、子供の人生に介入して破壊する。こういったネグレクトの全部、過酷な人権無視を、優しさと善意で行なっているのが「家庭」ではないだろうか。子供時代の私にとって家庭は、権力者によって日々屈服させられる拷問でしかなかったし、大学入学と同時に家出したころは満身創痍、傷だらけだった。父にも母にも姉にも兄にも個人として尊重された日は一日もなかったと断言できる。

国家という組織が軍事力を背景に権威によって個人を収奪する暴力装置だとすると、「家庭」は最も小さな単位の、親という権威による支配構造を形造っている。家庭とは国家の末端に属する暴力装置だ。 
物理的にも経済的にも子供を完全支配する力を持つ親は、しかし、だからこそ権力者になってはいけないのだ。子供を玩具にしてはいけない。子供を支配してはいけない。
「家庭」よりも「個人」がひとりひとり良き人間として生きること、まっとうな生き方をする努力を続けることが大切なのではないか。強い個人が居て、初めて他人を尊重できる個人との関係が構築できる。真面目に学び、真面目に働き、心から人を愛し、愛するのもをいつくしみ大切にする、そのような強い個人が確立していなければ家庭は作れない。
権力構造を持たない家庭を作ることはたやすいことではない。何時壊れても、再生出来る家庭、流動体でボスのいない家庭。強い個人と個人の結束によって形作られた家庭。
互いのリスペクトによって結び合うことのできる家庭。そういった家庭を私は夢見る。
良い映画だが、考えることの多い映画だった。

2018年12月12日水曜日

エルミタージュ美術館モダンアート展

ペテルスブルグにあるエルミタージュ美術館は、一度は行ってみたい美術館だ。
1754年ロシア女帝エカリーナ2世が命じて、1762年に完成したバロック様式の華麗で壮大な城だ。ペパーミント色の外壁が美しい。建立当時の外壁はライトイエローだったそうで、第2次世界大戦中は、空襲を避けるために灰色に塗り替えられたという。(どんだけペンキが要ったのか)部屋数が460室もあり、大きな中庭を囲んで正方形の形をした冬宮に、居住したエカリーナは、移り住むとすぐにベルリンの美術収集家から225点の絵画を購入したという。

エルミナージュ美術館は、その冬宮と、小エルミタージュ,大エルミタージュ,新エルミタージュとエルミタージュ劇場の計5つの建物を言う。美術品の展示室1500室、古代エジプトの美術からラファエロ、ダヴィンチ、ベラスケスから、モネ、セザンヌ、マテイス、ピカソまで300万点を収蔵する。厖大な作品数なので、イヤフォン式の解説を聴きながら順序良く見て行くと少なくとも10時間、20キロの道のりを歩くことになるそうだ。スケボを持って行かないといけないな。

シドニーニューサウスウェルス州アートギャラリーで、これらのエルミタージュ美術館から、65点のモダンアート作品が貸与されて、展示会が始まったので見に行ってきた。ロシアの美術収集家、セルゲイ シチューキンと、イワン モロゾフの二人が収集した作品が展示されている。
オーストラリアにこれらの作品がやってくる先立って、2016年10月から2017年3月までパリの ルイヴィトン財団美術館でセルゲイ シチューキンの収集した作品展が開かれている。これを、シチューキンの孫で、相続人に当たるドエロク フルコーが監修した。エルミタージュ美術館から100年余りの間、外国で公開されることのなかったシチューキンの収集作品が公開されるということで、大変な人気となって、ルイヴィトン美術館の斬新な美術館の話題性もあって、60万人を超える入場者を記録して、2月に終了する予定が急きょ3月まで会期を延長されたという。
このときは、シチューキンの収集作品274点のうち、130点が渡仏した。展示されたのは、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、マテイスなどすべてパリで活躍した画家たちの作品だ。ロシア人美術収集家シチューキンは、まだ画家として実力を認められていなかった、マテイスとピカソに作品を依頼し、購入し収集したことで、彼らの生活を安定させ、国際的な認知を高めた。ピカソをシチューキンに紹介したのは、マテイスだった。マテイスとピカソ二人にとっては、シチューキンは、いわば育ての親とでもいえる役割を果たしたことになる。それにしてシチューキンの収集作品展に60万人が美術館を訪れたとは、パリっ子って美術好きなんだな。それとロシアがヨーロッパの一部で、フランスとは地続きだったということを改めて認識する。

かつては教会と王侯貴族がパトロンとして画家や音楽家たちの生活を支えた。しかしその後のモダンアートに時代になると、パトロンは富裕層ブルジョワに移り変わる。セルゲイ シチューキンもイワン モロゾフも革命前に織物業で大成功した実業家だった。モスクワのボリショイ ズメナンスキー通りに立派な屋敷を持っていたシチューキンにとって、定期的に夜会やお茶会を開催をするため、身分にふさわしい屋敷に飾る絵画が必要だった。確かに19世紀までのヨーロッパを舞台にした小説などを読むと、招待客が屋敷に招き入れられたとき、入口に飾ってある絵画で、その屋敷の主の教養が知れてしまうシーンが出て来て興味深い。日本だったら掛け軸、花器、とかお茶わんだろうか。ブルジョワが芸術を理解する教養がなければならなかった古き良き時代の話だ。
シチューキンは51歳のときに息子が自殺し、2年後に妻が病死し、失意のうちにひとり絵画に囲まれて暮らしたが、1917年のロシア革命によって、ボルシェビキにすべての美術品を没収されて、自身はパリに亡命し、パリで没した。

1917年のロシア革命は、人類史の中で最もダイナミックな歴史の動きの一つで、この時代に人々がどう生きたか、興味が尽きない。レーニンとクレプスカヤが、大混乱の中で何を思ったか、ツアーの家族たちがどう処分され、貴族の子供達がどのように命を長らえたのか。

宝石で有名なテイファニーも、フランス革命がなければ宝石商として成功しなかった。パリ2月革命で、宝石よりも命からがらパリから脱出するための資金を必要としたフランス貴族たちからテイファニーは、希少価値のある極上の宝石を手に入れたことで、商売を成功させる切っ掛けを作った。

私の子供の時のバイオリンの小先生は村山先生といったが、大先生はアンナというロシアから亡命してきたもと貴族の末裔だった。そんな話を、むかしマニラでフィリピンフィルハーモニーの音楽家たちと雑談していたら、「おや、僕のピアノの先生も。」「へー、僕のチェロの先生もロシア貴族の末裔だったが、晩年は一人きり誰にも看取られずに亡くなったんだよ。」と何人もの楽士がロシア人の名前を言い出した。ロシア革命で国境を越えてヨーロッパやアジアに逃れて来た貴族たちが彼らの「たしなみ」のひとつだった音楽によって他国で身を立てなければならなかったというロシアの歴史が、急に身近に感じられた瞬間だった。

ところでエルミタージュのシチューキンの収集作品展だ。
マテイスの作品を収集したシチューキンだが、マテイスの代表作「ダンス」と、「音楽」は、海を渡ってオーストラリアには来なかった。この二つの作品はシチューキンが自分の屋敷に入って真正面にある階段に飾るためにマテイスに描かせたもの。2017年パリのルイ ヴィトン美術館にも来なかった。マテイスも、ピカソも保存状態が良くなくて輸送できないのだそうだ。
フェルメールやレンブラントなどオランダやイタリアの画家たちは、職人として自分の作品に絶えず色を重ね塗りし続けていたので、保存状態が良く輸送にも耐えられる。しかしモダンアートでは、作家が常に新しい事に挑戦する前衛でなければならないので、作品を次々と発表する必要があり、昔の作品を手直ししたり、メインテナンスしないようになったからなのだそうだ。だから、エルミタージュにあるマテイスやピカソなどモダンアート作品はこれからも、外国美術館には 貸与されないかもしれない。「音楽」と「ダンス」を見たかったらぺテルスブルグに来なさいということだ。

今回の展示では、マテイスの「ボール遊び」1908、「ニンフとサテュロス」1908、「ひまわり」1899、「テラスの女性」1907、「赤と黒のカーペット上の皿とフルーツ」1906を見ることができた。
でも私はマテイスの作品では、後期の作品で彼がニースに移ってからの、明るく楽しい作品が好きだ。だから今回の展示作品でマテイスの作品では、好きな絵が一枚も無かった。ギリシャ神話に出てくる黄金時代の3人の男がうなだれて、何がおもしろくないのか知らないけれどボールゲームしている「ボール遊び」も、ギリシャ神話の欲情の塊、サチュロスがニンフを言うままにさせようとしている「ニンフとサチュロス」、しおれた「ひまわり」などなど、、、「あなたの居間にプレゼントしたい」と誰かに言われても、「要らない」というかも。

気に入った絵は、セザンヌの「静物画」1880、ゴーギャンの「マリアの月」1899、ピサロの「モンマルトルの午後の陽」1897、それとピカソの「扇を持った女」1908.
ピカソのこの作品は、まるい女の顔、まるい乳房、直線の四角い椅子、直線の背景。女の強い意志と、そこに居る存在感が強力なエネルギーを発していて素晴らしい。

面白かったのは、フイルムだ。
真っ暗な部屋に3面の大きなスクリーンがあって、右面のスクリーンでは、シチューキンに扮した役者が自分より20歳若いマテイスの魅力について語っている。向かいのもう一つのスクリーンでは、マテイスが自分の芸術的な視点につて語っている。正面の大きなスクリーンではマテイスの「ダンス」なみにほとんど裸のような姿で数人の男女が手を取り合って踊っている。音楽は古楽器。男女が音楽に合わせて踊る背景にマテイスの作品が次々と写される。自信家で裕福そうなシチューキンが、マチスの作品を買い求めるごとに、踊り子たちはシチューキンを、声を出してあざ笑う。まったく馬鹿にした笑い方だ。そして、フイルムの最後に、シチューキンは、「マテイスの良さはすぐにはわからない。」「マテイスの価値はずっとあとになって、後々の人々によって理解される時が来るだろう」、と言ってフイルムが終わる。とても気の利いた企画だ。シチューキンもマテイスも、このフイルムをみたあとは、ずっと身近で生きた人として捉えることができた。

エルミタージュ美術館からや、はるばるやって来た65点の絵画を見るだけで2時間半。スニーカーで行ったのにくたびれた。本場エルミタージュで、300万点の収蔵品、1500の展示室、イヤフォン解説を聞きながら、総行程20キロを歩いて芸術品を見る覚悟はまだできていない。

写真は、上から、エルミタージュ美術館冬宮
マテイスの「ダンス」
マテイスの「音楽」
マテイスの「ニンフとサテウロス」と「ボール遊び」
ピカソの「扇を持った女」

2018年12月9日日曜日

メッツオペラ「西部の娘」

ニューヨークメトロポリタンオペラ「LA FANCIULLA DEL  WEST」
邦題「西部の娘」
作曲:ジャコモ プッチーニ
上映時間:4時間
初演:1910年 トスカ二ー二指揮、エンリコ カルーソ(ジョンソン役)
監督:ジアン カルロ デルモナコ
指揮:マルコ アルミアト

                   酒場の女主人ミニ:エバ マリア ウェストブロック
デイック ジョンソン:ヨナス カーフマン
バーテンダーニック:カルロ ボシ
保安官ジャックランス:ジェリコ ルシク
鉱夫ソノーラ:マイケル トッド シンプソン
銀行員アシュビ:マチュー ローズ

プッチーニが、ニューヨークメトロポリタンオペラのために作曲したオペラ。
イタリア人作曲家によって作られたアメリカの西部劇(!!)を、イタリア語でオランダ人ソプラノ歌手と、ドイツ人テノールのカウフマンとが歌っている。プッチーニはメッツオペラの招きでニューヨークに滞在したあいだ、ヨーロッパと全く異なるビアホールや、バーや近代的な建物やアメリカ人気質に激しくカルチャーショックを受けた。それでアメリカっぽい文化をベースにした物語をオペラにしようと思い立ったという。冒険家だよね。

彼は、「ラ ボエーム」をパリを舞台に作曲し、ローマで「トスカ」を作り、さらに自分は行ったことのなかった日本のナガサキを舞台に「蝶々夫人」を作曲し、おまけに中国の物語「トーランドット」を作曲した。彼にとって、場所はとても大事で、その土地、その土地から受けるイマジネーションを、作曲のモチベーションにした。その土地に住んだわけではないから、その国々の歴史や様子に精通しているわけでなくて、深く文化を学んだわけでもないから、諸外国についてとても表面的な理解に留まっている。それでも彼は作曲家として天才としか言いようがない。

私はどんなオペラも大好き。中でもヴェルデイの「アイーダ」、「椿姫」、ビゼーの「カルメン」、モーツアルトの「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」、「魔笛」は大好きで、それを言ったら、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」や「ローエングリン」も忘れられない。しかしプッチー二の「蝶々夫人」は大嫌いだ。珍妙なナガサキを舞台に、坊主を「ボンズ ボンズ」とコーラスが飛び跳ねながら歌うシーンなど仏教を侮辱しているようで腹が立つし、だいたい16歳の少女を愛人にして子供を産ませる米国軍人のストーリーなど、不愉快だ。未成年虐待ではないか。

メッツでは、プッチーニがメッツのために作曲したこのオペラ「西部の娘」をあまり上演しない。メッツのために作られた作品なのだから、毎年取り組んでも良いようなものだが、アメリカ人のテイストがオペラにそぐわない上、観客の受けがあまりよくないのは、蝶々夫人嫌いの日本人の心象に似たものだろうか。これほどメッツに避けてこられたオペラを観るのは興味深いものだ。アメリカの西部劇はドライな仕立てなのに、イタリア人作曲家が西部劇を作ってみるとマカロニウェスタンならぬ、あまりにウェットな仕上がりで、当のアメリカ人には受け入れがたいタッチだったのだろうか。ストーリーの、悪者盗賊デイックジョンソンが、彼が愛する処女ミニのひたむきな純愛によって救われる、といった内容はカーボーイの心情にそぐわない。 それでもヨナス カーフマンの高貴な姿と、力強く美しいテノールを聴くためにこのオペラを観て来た。

オーケストラとそれを指揮するイタリア人指揮者、マルコ アルミリアトが素晴らしい。ダイナミックで華麗な指揮、現代舞踊を踊るような彼の姿を見ているだけで感動的だ。イタリア人の身のこなし方、全身全霊をこめて指揮する彼の多様な表現力はプッチーニが乗り移っているとしか思えない。彼は譜面を持って来ない。4時間のオペラ、総譜を暗譜している。こんなオペラ指揮者が他に居るだろうか。ただただ感歎。

ストーリーは    
第1幕
カルフォルニア、ポルカサロン金鉱の町。世界中からゴールドラッシュにつられてやってきた男達は、毎日金鉱で重労働に耐え、故郷に一握りの金を送るためにこき使われ、最後は泥にまみれて犬の様に死んでいく。男達の唯一の慰めは美しい女主人の経営する酒場だ。ミニはこの町で生まれ亡くなった両親が経営していたこの酒場を引き継いだ。彼女は両親がどんなに互いに愛し合って死ぬまで仲良く暮らしていたかを知っているので、どんなに男達が言い寄ってきても心を許さず、全く相手にしないで、本当に自分が心から愛せる人が現れるのを待ち望んでいる。保安官ジャックランスは妻帯者でありながらミニに執拗に求愛していて、ミニはほとほと困っている。
そんな酒場に流れ者デイック ジョンソンと名乗る男がやってきて、ミニは教会で前にあったことのあるその男を一目で愛してしまう。そして夜自分の家に訪ねてくるように言う。
第2幕
ミニはジョンソンを自分の家で迎え、生まれて初めてのキスを彼に与える。そこに保安官が男達を従えてやってきて、ジョンソンは極悪のお尋ね者だったことがわかって、追跡中だという。ミニは保安官たちが立ち去った後、隠れていたジョンソンに、自分の唇を奪っておいて嘘つきだったことを責めで出て行くように命令する。彼は出て行く。しかし、しばらくして銃の音がして、瀕死の重傷を負ったジョンソンの姿を見るといたたまれず、ミニは彼をかくまう。
第3幕
ミニはジョンソンが回復するまで世話をして、自分がジョンソンを心から愛していることに気が付く。その後、完治したジョンソンは出て行ったが、山狩りで保安官に逮捕されて男達に首に死刑のための縄をかけられる。ジョンソンは、最後の頼みとして、「ミニには自分が死刑になったことを知らせないで、無事に逃げ延びたと言ってくれ」と切々と訴える。そこをミニが銃を持って駆け込んできて、彼を殺すなら自分もこの場で死ぬと銃をこめかみに当てる。男たちはみなミニを愛している。彼女の世話になってきた。ミニに聖書を読んでもらってきた男達。家族に手紙を代書してもらってきた男達。病気のときに世話になった男達。みなミニのことが大好きだった。ミニの懸命な純愛に心打たれて、男達はジョンソンの縄を解いて、ミニと二人で新しい人生を歩むようにと、二人を送り出してやる。
というストーリー。

ヨナス カーフマンはインタビューに答えて、このオペラでは馬に乗るシーンもあったし、カーボーイハットにカーボーイブーツを身に着けることができた。ボーイズ ドリーム カム トゥルー(男の子の時の夢がかなったよ)でしょう、と言っていた。不協和音ばかり、曲が難解でとてもバラエテイーに富んだオペラで、アリアがないオペラといわれてるけど、「僕アリアを歌ってたでしょう。ね。」と茶目っ気いっぱいに話していた。何てチャーミングな人だろう。このとき映画館にいた観客前後四方の女性客たちの溜息が聞こえた。
第2幕のミニとの初めてのキスに至る、求愛の歌は本当にカーフマンにしか歌えない。こんな迫力のある求愛には、もう本当にドキドキする。この人ほど見も心も投げ出すようにして、天も地も落ちよ、星も月も太陽も飛び散れ、この世には僕の愛しかないのだ、という破壊的ともいえる究極の求愛を歌える歌手は他に居ない。聴いていて見も心もズタズタです。

オランダ人ソプラノ、エバ マリア ウェストブロックは演技が上手で素晴らしい役者だった。でも彼女の声が好きでない。ソプラノでも気品のある硬質の声が好きだから。役者としては一流だ。銃で撃たれ舞台で昏倒しているカーフマンの横で、保安官相手に、「私が勝ったらこの男はわたしのもの、負けたらこの男をあんたに渡して私はあんたの女になる。」と言ってカードを出してポーカーをするところなど、すごく演技が冴えている。

ミニの家で働くメキシコ人の女中がちょっと出てくるだけで、このオペラではミニ以外の女性が全く出てこない。男ばかりのオペラだ。終始舞台では複数の金鉱で働く男達が立ち回り、殴り合いの喧嘩をしたり、ミニに言い寄ったり、すぐに銃を向けたり、動きがあって面白い。歌いながらだから、歌手たちは大変だったろう。
このメッツのハイビジョンフイルムは、オペラだけでなく幕が変わるごとにカーテンの裏で舞台を作る人々の様子が見られるところが良い。興味深々だ。大がかりな舞台造りに何十人もの舞台美術家やペンキ屋や大工や工具係りが、限られた幕間の間に大忙しで仕事をしている。オペラを支える人々の姿まで美しい。オペラは良い。500年も前から作られてきた芸術品を大切に大切に、後世に伝えて行かなければいけないと、心から思う。

シドニーでは、外は真夏30度近い暑さ。でも4時間の公演中冷房が効いて、カーデガンとひざ掛けをもって入っているのに体が氷のよう。映画館から歩いて200メートルのところにある寿司屋に入って熱いお茶を飲んで生き返った。午后3時ごろに寿司屋に来る変な(迷惑な)客のために、オーナーのケンさんはいつもメニューにない皿を用意して迎えてくれる。ありがたいことだ。
日本でも現在、限られた劇場で公開中。