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2016年11月26日土曜日
映画 「ファンタステイックビーストと魔法使いの旅」
原作 脚本: J K ROWRING
原題:「FANTASTIC BEASTS AND WHERE TO FIND THEM 」
邦題:「ファンタステイクビーストと魔法使いの旅」
映画監督: デヴィッド イエッツ
キャスト
動物学者ニュート スキャマンダー: エデイ レッドメイン
米国魔法会議職員テイナ ゴールドステイン:キャサリン ウォ―ターストン
テイナの妹クイニ― : アリソン スードル
人間界の工場労働者ジェイコブ コワレスキー: ダン フォグラー
米国魔法議会長官グレイブス : コリン ファレル
米国魔法議会プレジデント、セラフィナ: カルメン エヨーゴ
孤児 クレデンス バルボーン: エザラ ミルナー
孤児 チャステイテイー バルボーン: ジェレ マリー
慈善家メアリー バルボーン: サマンサ モートン
魔法界の動物たち
二フラー: カモノハシに似ている嘴を持った有袋類で、光るものを自分のポケットに収集する
ボウトラックル: 緑の樹の枝のような姿でいつもニュートのポケットに居る
ヌントゥー:トラの様な姿でヘビ様の皮に覆われていて、吠えるとエリマキトカゲのように喉が膨らむ
オカミー : 鮮やかなブルーのヘビ様の生き物
デミグイズ: 白く長い毛を持つ歩くフクロウのような姿
ビリーウィグ : 青い色、ハチのような姿で、音を立てて空を飛ぶ
グラフォーン : 馬の様に大型動物で走るが、口の周りにヘビのようなものが沢山ついている
エランペント : サイを大きくしたような姿で、角が光って高熱を持っている
サンダーバード:巨大なタカを大きくしたような鳥
その他大勢
ストーリーは
ニュート スキャマンダーは、魔法学校ホグワース出身の動物学者で、世界中の魔法界の動物を、収集しながら旅をしている。保護した動物たちを研究した、その成果は、編纂されてホグワースの教科書になる予定だ。ニュートは魔法の世界と人間界とは平和共存できるはずだし、その存在を脅かすようなことをしなければ、どんな動物も 友好的で愛すべき獣たちであると、堅く信じている。彼は動物たちに深い愛情を持っているが、人間同士の付き合いが苦手で、人と上手に付き合うことができない。
1926年冬、ニュートは、アメリカ大陸に住む魔法界の動物を捕獲するために、ロンドンからニューヨークに到着した。ニューヨークでは、原因不明の不可解なビルの倒壊や道路破壊が頻発していた。目撃者によると、光る眼を持った黒い生物が、走り回って建造物を壊しているということだった。慈善家メアリー ベアボーンは、これらの一連の破壊事件は、魔法によるものに違いないと主張して、魔女狩りをしようと人々に訴えていた。彼女は孤児を引き取って、養子として育成していたが体罰を含む厳しい教育は、子供達に恐怖感や憎悪を生んでいた。
ニュートが到着早々、長旅の間ニュートのカバンの中で退屈しきっていた魔法動物の二フラーは、さっそく鞄から飛び出して街に出て行ってしまった。二フラーは光るものなら何でも収集せずにいられない。コインにカバンの口金、靴の飾りから犬の首輪まで、集めては自分のおなかの袋に保管する。あわててニュートは、二フラーを追いかけるが、お構いなしに二フラーは、銀行の金庫に入ってコインを集めようとする。その姿は人間界の人々には見えないが、通りかかった米国魔法議会の職員テイナには見える。米国では、このような動物を持ち込むことは禁止されていた。テイナは、ニュートを逮捕して、議会に連行する。米国魔法議会のプレジデントの前に引き出されたニュートは、動物たちの入ったカバンを皆の前で開けさせられる。ところが鞄の中身はパンだった。ニュートの鞄は、銀行で二フラーを追っている間に、人間界のジェイコブが自分のカバンと間違えて持って行ってしまった。ジェイコブは工場労働者だったがパン屋になることが夢で、資金を融資してもらうために銀行に来ていてニュートに会ったのだった。ニュートとテイナは魔法の鞄をもったジェイコブを探し回る。そして、みごとに破壊されたアパートの一角で、怪我をして倒れているジェイコブを見つける。魔法動物に噛まれた人間は、48時間、何が起こるかわからないので経過観察しなければならない。ニュートとジェイコブは、テイナの申し出に従って、テイナのアパートに、とりあえず落ち着くことになった。テイナには美しい妹クイニ―が同居していて、彼女は人の心を読むことができた。優しいクイニ―に、ジェイコブは一目惚れする。
ニュートはジェイコブを、自分の鞄のなかの動物の世界に連れていく。鞄の中には広い森があり、沢山の動物たちが住んでいた。ニュートは鞄から逃げ出していたエランペントをジェイコブの協力を得て捕まえて、鞄の中に戻してやる。
一方、街では次期大統領候補の上院議員だった男が衆人の前で黒い光る眼を持った動物に殺された。米国魔法議会では、ニュートの持っている動物が、犯人だと断定した。ニュートとテイナは逮捕されて、死刑を言い渡される。しかしニュートのポケットにいつも潜んでいるボウトラックルなど、魔法の動物たちに助けられて二人は脱出する。
頻発する街の破壊や議員の死などの不可解な出来事は、オブスキュラスという魔法界の生き物のせいに違いないが、それを誰が操作しているのか、米国魔法議会長官のグレイブスは孤児のクレデンスに調べるように命令する。クレデンスは、それが同じ孤児で妹のチャステイテイーだったことを知る。孤児たちは養母に暴力で支配され、体罰を受けながら虐められてきて、その恐怖心や憎悪心がオブスキュラスの原動力になっていたのだった。クレデンスは、自分もオブスキュラスになって街じゅうを破壊する。それを知ったニュートとテイナは、クレデンスがオブスキュラスになって、人々を傷つけることを止めさせ、改悛させようとする。しかし時遅く、クレデンスは米国魔法議会の警官に殺されてしまう。クレデンスを後ろから操作しようとしたグレイブス長官は逮捕された。拘束されたグレイブスは、見る見るうちに顔が変わって、実の姿は、闇の魔法使いグリンデルワールドになった。(グリデルワールドは、ハリーポッターでダンブルドア校長先生の親友だった。)
孤児クレデンスは殺され、グリンデルワールドは逮捕されて、破壊されつくした街だけが残った。
ニュートはサンダーバードを呼び寄せる。破壊された街を蘇らせるための魔法の薬を撒きながら、サンダーバードは空高く舞って、街をもとの姿に再生した。
ジェイコブは、記憶を消されて人の世界のもどっていった。彼は、ニュートと一緒に魔法の動物たちに餌をやり世話したことも、魅惑的なクイニ―に恋をしたことも、もう覚えていない、一介の工場労働者だ。
しばらくしてジェイコブは、どこかで見たような鞄を受け取る。中に銀の卵が入っていて、それを資金に彼は念願のパン屋を始める。彼が焼き上げたパンは、なぜか二フラーやエランペントや、ヌントゥーの姿をしたパンで、とても美味しいので、飛ぶように売れるのだった。
というお話。
これはファンタステイックビーストの第1話で、これからハリーポッターみたいに、ずっとニュートの旅は続いて、お話も続いていく。ハリーポッターでは、次々と紹介される魔法学校の魔法の術や、魔法の薬や登場する魔法界の人々が興味深かったが、今度の作品では魔法の動物たちが面白い。ニュートの鞄の中が大きな森のなかの宿舎になっていて、保護された動物たちが、のびのびと暮らしている。動物たちはそれぞれが強い個性と特徴を持っていて、共通して巨大になったり元の大きさに戻ったりできる。ニュートは全員の動物たちの親代わりだ。
仕事に忠実で真面目すぎるテイナに、引きずられっぱなしの人見知りするニュートが面白い。また工場労働者のジェイコブが、夢だったパン屋を開くために銀行に融資を依頼しに行くが、「いまどきパンなど機械で1分間にいくつも焼ける時代に手焼きパンなど誰が食べるか、」と、銀行支店長は取り付く島もない。憎々しい。非人間的な銀行員とその対象的な、人の良いジェイコブが鞄を間違えて持って行ったことで魔法界の人々に関わっていく筋道が、とても自然だ。動物が好きで優しい心を持ったどうしが、魔法界の人であろうが、人間界の人であろうが互いに魅かれ合っていく様子に、心がなごむ。そして、魔法界の動物たちの愛らしい事。
原作者が映画の製作に立ち会って、登場人物や登場動物のひとつひとつが彼女のイメージどうりに撮影されているかどうか、厳密にチェックしている。映画監督と原作者の共同制作と言って良い。1920年代のニューヨークの風景や人々の姿などを、明るすぎなくてセピア色に煙っているような画面に仕立てたところが見事だ。キラキラ太陽の下で、明るい画面だったら安っぽくみえただろう。
繊細で、人付き合いが苦手な学者のイメージに、エデイ レッドメインは適役だ。この役者の持ち味の良さで、今後のファンタステイックビーストシリーズを成功させていくことだろう。エデイは歌って、踊ることもできる、舞台俳優だ。アカデミー主演男優賞を受賞した「博士の彼女のセオリー」、「レ ミゼラブル」が代表作になるが、きっとこのシリーズで子供から大人までの幅広い層の人々を、不思議な動物とともに、今後も魅了させてくれることだろう。
マザーグース、グリム兄弟、アンデルセン、各国伝来の民話、デイズ二ー、PX、宮崎のジブリ作品など、数えきれない子供向けのファンタジーが作り出されてきたが、「ハリーポッター」や、「ファンタステイックビースト」シリーズを、読者が、同時代を生きる作者が作り上げる順に、読んだり観たりして堪能できて幸せだ。これらのシリーズがすべて、たった一人の今を生きる1965年生まれの女性の頭の中から生まれた、ということに改めて驚愕する。