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2016年11月7日月曜日

映画 「ハクソウ リッジ」良心的兵役拒否者の沖縄戦

原題:「HACKSAW RIDGE」
監督:メル ギブソン               
キャスト
アンドリュ― ガーフィールド
サム ワーシントン
ルーク ブラッセイ
ヒューゴ ウィービング
レイチェル グリフィス
テレサ パルマ―
ビンス ボウグ
成瀬龍三郎 (シドニーで撮影が行われた為、私のギターの先生も日本兵になって出演している)
他、日本人出演者多数

この映画は第二次世界大戦の中で最も激しい戦闘が行われた沖縄戦で、良心的兵役拒否の思想から武器を持たずに兵役志願した青年が、戦闘の最前線から沢山の傷病兵を救い出したという実話を映画化した作品。反戦映画。
今年9月のベニス映画祭で、初めて上演され、10分間のスタンデイングオベーションを受けた。主人公デスモンド ドス(1919-2006)は、セブン アドベンテイストのクリスチャンとして、自ら兵役を志願したが、敵兵を殺すことも 武器を所持することも拒否して入隊し、グアム、フィリピンのレイテ島、沖縄戦に参戦した。
沖縄上陸後の地上戦で、75人の負傷者を最前線の戦闘場面から一人ひとり背負って救助した勇気と英雄的人道行為を高く評価されて、トルーマン大統領から、軍人として最も名誉あるメダルオブオーナーを授与された。彼は数々の戦闘に参戦し、結核を患い退役し、87歳で亡くなった。彼の少年時代から沖縄戦に至るまでのドスの半世紀が描かれている。

ストーリーは
ドスの父親は第一次世界大戦でメダルを’受賞された名誉ある帰還兵だったが、親しかった友人をことごとく目の前で亡くして その心の傷からアルコール中毒になって妻に暴力をふるうようになった。父親の暴力に怯えながらも ドスは兄と一緒に、自然豊かなバージニア州リンカベルの田舎で少年時代を送った。成長してから美しい病院の看護師に出会い、恋をして結婚の約束をするが、すでに太平洋戦争が始まっていた。

ドスは、パールハーバーで日起きた日本軍への怒りから、軍に志願して国の為に貢献したいと考えて、入隊する。新兵としての営巣生活が始まり、射撃訓練も始まった。しかしドスは、銃に触れることを拒否する。そのためにドスの所属する部隊は、罰を受けて上司たちからもっと厳しい訓練を科せられたり、新兵虐めにさらされるようになった。怒った仲間たちは、ドスを半殺しの目にあわせる。隊長をはじめ、上官たちは困惑する。
軍組織で上官不服従は、厳罰に値する。精神病医から精神鑑定を受けさせられたり、聞き取りや、カウンセリングが行われ、彼は懲罰房に入れられ、遂に軍規不服従で軍法会議にかけられる。しかし、英国を始め多くの国では、すでに良心的兵役拒否は合法とされていて軍として、志願者を拒否することはできない、という認識からドスは、希望通りに隊に復帰することになった。

1945年3月、沖縄の海はすでに連合軍の艦隊に包囲され、連合軍の沖縄本島上陸によって地上戦が開始されていた。日本軍は本土への連合国軍上陸を阻止するため、沖縄戦を全力をかけて戦闘に臨んでいた。ドスの所属する部隊は沖縄本島浦添の基地から、ホークソウ リッジと呼ばれていた120メートルの絶壁を登って、進軍しようとするが、日本軍の激しい攻撃にさらされ、昨日まで寝食を共にしていた仲間たちは次々と倒れる。余りの攻撃の激しさに、退却命令が出た。
しかし、ドスは目の前で親友に死なれて、どうしても退却することができず、ひとり最前線に戻る。沢山の仲間が傷を受けて動けずにいた。彼らは後で見回りに来る日本兵に、次々と銃剣で刺されて殺される。ドスは敵に見つからないように一人ひとり、けが人を背負って移動し、岸壁からザイルで負傷者に体を固定して120メートル下の基地に下ろした。こうしてドスは、敵兵に追われながら、75人の負傷者を、たった一人で保護、救出した。そんな武器を持たずに戦争に参戦した「腰抜け兵士」と言われてきたドスを、隊員たちは驚きと尊敬の念をもって迎えた。というお話。

ど迫力。
超リアル。
スゲー。
戦闘のリアリテイをこれほど画面で描写された映画を、他に知らない。
ヒューン ドス、ピューン ブスッと撃ち込まれる銃弾によって体に穴があき、みるみる銃創が開いて血が噴き出る。頭を少し上げただけで銃弾がヘルメットを貫通する。バビューンと砲撃を受け、土が跳ね上がり体が宙に浮き地面にたたきつけられた時には手足が吹き飛んでいる。シュッと手りゅう弾が飛び、地面に穴が開き、その土の上をバラバラになったからだの部分部分が落ちてくる。雨のように降って来る銃弾を避けて穴に飛び込んだら、そこは仲間の血にまみれた死体の山。体中に蛆がわき、ネズミが肉を食む。助け起こした男の背中を見ると蛆で真っ白。火炎銃で焼き尽くしても焼き尽くしても、恐れを知らない日本兵は突撃してくる。

映画「プライベート ライアンを救え」の最初のシーンが思い出される。ノルマンジー上陸を前に、海からボートで上陸しようとする連合軍兵が、次々と狙撃されて死んでいくトップシーンだ。敵は見えない。ボート上の兵士たちは上陸ををめざして、ただ前を見ているだけだ。陸はまだ遠い。隣に居た仲間も前も後も、ただ黙ってなすこともなく次々と撃たれて殺されていく。それでも生き残った者は、上陸し死体の山になっている海岸を死体を踏み越えて敵兵に向かっていく。衝撃的な映画の出だしだった。トム ハンクスが良い師団長を演じていた。しかし、このときの衝撃など、この映画の1%程度の衝撃度か。

この映画ほど戦闘場面の激しい描写を、他に見たことがない。何といっても、監督がメル ギブソンだ。うーん、、。彼のリアリズム描写には勝てません。もうお手上げ。
ギブソンの「パッション」、原題「THE PASSION OF THE CHRIST」2004年作品は、キリストの生涯を描いた作品だったが、ローマ人に捕えられてから、彼が死に至るまでの描写があまりにも聖書に忠実で残酷すぎて、暴力的映画だと、世界中のクリスチャンからブーイングされた。むち打ち刑と、十字架を背負ってゴルゴダの丘で命絶えるまで、延々と痛みと乾きと苦しみを画面いっぱい見せられて、そのあまりの長さと残酷さに私もクリスチャンでなくとも死ぬかと思った。

メル ギブソン、1956年生まれ、60歳の映画監督は、アメリカ生まれのシドニー育ち、オーストラリア唯一の俳優養成所NIDA出身だ。敬虔なカトリックで 11人の兄弟の6番目。自身の家庭も子沢山で、超伝統的カトリック教徒として、妊娠中絶も避妊にも反対している。
1995年「ブレイブ ハート」を監督主演して、アカデミー賞監督賞を受賞され、2006年には「アポカリプト」を、その時代のマヤの言語で役者に演じさせて、映画字幕をつけた。2004年の「パッション」も、キリストが居た当時のヘブライ語、ラテン語で映画が制作されていて字幕つきだ。彼の名が世界的に認められるようになったのは、監督として成功する前に、役者として「マッドマックス」1979年、「マッドマックス2」1981年で人気が出てからだろう。でも私は、メルの最も最初の頃の映画「ガリポリ」 が一番好きだ。若くてういういしい少年の、懸命に走る姿が、忘れられない。
メルも その後ハリウッドでたくさんのスキャンダルにまみれて、「パッション」では多くのキリスト教団体やユダヤ人団体から批判の嵐のさらされ、「アポカリプト」ではペルー国民をはじめ、南米現地の人々からこき下ろされて、アメリカに永住することになって、シドニーッ子からはオージー国籍を捨てた裏切者と言われ、いまやハリウッドの頑固者、石頭、偏屈者と呼ばれるオッサンになった。素晴らしい。

映画では、良心的兵役拒否者の半生が描くことによって、強い反戦へのメッセージが伝えられている。デスモンド ドスが子供の頃、兄とふざけていて取っ組み合いのけんかになって思わずレンガで兄を殴って、殺してしまうところだった。また、飲んで母に暴力をふるう父親に向かって銃をむけて、思わず父を殺してしまうところだった。このことからドスは、自分が人を殺すつもりがなくても、武器を持っていたら、人を殺すことができるということを、身をもって学ぶ。そこから彼は二度と武器は持たない、人を殺さない決意をする。その決意の強さは、軍事裁判に引きずり出されても、仲間から半殺しの目にあっても変わらなかった。その鉄の様な決心の強さが映画のタイトルに重なっている。

映画にアフリカンアメリカ人が一人も出てこない。インデイアン出身の志願兵が、その肌の色でみんなの前で隊長に馬鹿にされるシーンが出てくる。当時のアメリカ社会の差別が しっかり描かれている。

ドスを演じたアンドリュー ガーフィールドがとても良い。イギリス人でシェイクスピア劇団できちんと舞台俳優として教育を受けている役者だ。映画「スパイダーマン」でも感じたが、彼独特の舌足らずな話し方が可愛いけど 映画が聞き取りにくい。映画の中でドスのことを 隊長がスキニーボーイ(やせっぽち)と、愛情をこめて言うが、彼の様に背が高いが痩せた青年が、鉄を切るのこぎり(HACKSAW)のように強い、(RIDGE)背中をもっている。その背中に負傷者を背負ってひとりひとり最前線から運んで救助救命した姿に、心打たれない人は居ないだろう。彼は傷ついた日本兵さえ救助している。

日本軍の牛島司令官の腹切ハラキリ場面も出てくる。沖縄に無数に有るガマと呼ばれる洞窟の中を、はい回るシーンもある。激戦地で連合軍と日本軍との間で、どんな熾烈な戦闘があったかは描かれているが、そのときに女子供をふくむ非武装の沖縄住民がどのように追い詰められていたかについては、まったく触れられていない。

最後に良心的兵役拒否について
良心的兵役拒否は、徴兵制のもとで、個人の信念、信条、宗教的理由から兵役を拒否することを言う。聖書のマタイ26、52では、「あなたの剣をもとのところに納めなさい。すべて剣を取るものは剣によって滅びるのです。」 という教えがある。武器を持たない、人を殺さないことを主張するクエーカー教徒、やエホバの証人の多くは、この教えをもとに兵役拒否をしてきた。現在では多くの国で、徴兵制度が廃止され、良心的兵役拒否者も減ってきたが、過去には米国でも銃殺刑の前例もある、厳罰の対象だった。その後1948年国連の、思想 信条、宗教の自由は人間の権利でありそれを保障しなければならないという考えから、兵役義務のある国において良心的兵役拒否は、人間の権利として認めるようになってきた。英国では早くから兵役拒否が合法化され、第二次世界大戦では6万人のクエーカー教徒が兵役拒否をして、7000人余りが戦闘要員ではない任務にあたっていた。徴兵制が廃止される前のドイツでも、兵役の代わりに代替労働として市民公共サービスに奉仕することが取って代わられていた。
現在170か国のうち、67か国に徴兵制度があり、そのうちスイス、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、ギリシャ、オーストリア、台湾では、兵役拒否が合法化されている。しかし他の多くの国では、建前で兵役拒否できても、代替労働が兵役期間よりも長く労役義務に就かなければならなかったり、現実にはイスラエルやトルコといった国では、今でも兵役拒否が審査の段階で認められなかったり、禁固刑に処されたり、就学就職で差別を受けることが多い。
韓国では、兵役拒否は法的に認められておらず、毎年700-800人が兵役拒否で有罪となり禁固刑に服している。その多くがエホバの証人の信者だ。2000年から2008年の間に役5000人の兵役拒否者が実刑を受けたという。今年2016年1月に、実刑判決を覆し、控訴審で無罪になった25歳と29歳のエホバの証人の兵役拒否者が、日本旅行のために来日した際、関西空港の入国審査で入国できず強制的に帰国させられるという事件が起きている。なんてことだ。

良心的兵役拒否は、旧日本軍や、日本社会にとって最も理解され、受け入れられる余地のない思想だったのではないだろうか。社会の中で個人というものが確立され、個人の思想、信条の自由が尊重されている成熟社会でなければ起こり得ない。
赤紙ひとつで戦争に駆り立てられ、有無を言わずに戦場に送られて、上官に従わなければ厳罰が待っている垂直型、縦割り社会の旧日本軍では、個人の自由を尊重し人間としての権利を認めるなどあり得なかった。かの大戦で、日本軍が最も沢山の非武装市民の命を奪った沖縄戦で、連合軍側の良心的兵役拒否者が日本兵を含む、沢山の負傷者を救助したという美談には、素直に感動する。

沖縄上陸後の地上戦では、連合国軍上陸部隊は7個師団、18万3000人、後方の兵士を加えると54万8000人の大軍が沖縄を取り囲んでいた。一方、日本軍は総勢11万6400人。沖縄出身の軍関係者の死者は2万8222人、一般市民の死者9万4000人に対して、本土から来た軍関係戦死者は6万6千人足らず。
記録されているだけでも800人の非武装の沖縄住民が、日本軍によって殺されている。沖縄県民の4人に一人は沖縄戦の犠牲者で。その数は、軍人の死者数を大きく上回る。非武装の住民たちは、自分たちの生活の場を日本軍に奪われ、連合軍に完全包囲されたあとは戦闘に巻き込まれ、白旗を上げて投降した婦女子は、住民を守る筈の日本軍から、後ろから撃たれて死んでいった。生きて辱めを受けるなと命令し、集団自殺を強いた日本軍人たちの非人間性は、どんなに糾弾しても糾弾し足りない。そんな中を司令官だけが切腹して逃げ切るなど、何の道徳も倫理観もない姿は、滑稽でさえある。何が日本の美だ。醜悪そのものだ。そして日本軍の例えようもない命の軽さ。

その同じ戦闘で、連合軍側では丸腰の救護兵が負傷者をひとりひとり肩に背負い、救出し、そのあと本国に無事送り返していた。何という軍隊の在り方の相違だろうか。
「命どう宝」沖縄の言葉の重さを考えて、ふたたび心の痛みを確認する良い機会だった。
とても良い映画だ。見る価値がある。