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2015年7月30日木曜日

映画「無防備都市」とネオリアリズモについて

                                   
原題:「OPEN CITY」
邦題:「無防備都市」
監督:ロベルト ロッセリーニ
脚本:セルジオ アミデイ、フェデリコ フェリーニ
キャスト
ドンピエトロ神父:アルド ファブリッツイ
妊婦テレサ:アンナ マニアーニ
コミュニストリーダー、マンフレデイ:マルチェロ バリエール
マンフレデイの恋人マリーナ :マリア ミーキ
独軍ベルグマン少佐:ハリー ファウスト

20年ぶりに、映画史上不朽の名作、ロッセリーニの「オープンシテイー」(邦題:無防備都市)を観た。
オットが再び入院し、肺炎と喘息とで息も絶え絶えの状態で救急車で運ばれて、集中治療で息を吹き返したと思ったら、もう隠れてタバコを吸っている。週40時間のフルタイムで働きながら、週3回の腎臓透析のオットに付き添い、睡眠時間を極限まで削って世話をしているというのに、悪びれず、これもあれもやって、と際限なく甘えてくる。私の2倍ある体重のオットを背負って、このまま全力疾走をいつまで続けなければならないのか。胃が痛い。現実は醜い。現状は厳しい。オットが汚しまくるトイレを掃除しながら、精神だけは、気高く保っていきたいと願いつつ、映画を観る。

どんなに激しい暴力と弾圧の中にも、自分の信念を曲げずに生き、死んでいった人々が居る。そういった人々を描いた作品を見ると、思わず姿勢を正して見ている。この映画で私が一番心動かされたシーンは最後の方で、レジスタンスのドン ピエトロ神父が処刑される場面だ。ゲシュタボの少佐が兵士たちに一斉射撃命令を下す。激しい銃撃の音、、、しかし神父は倒れない。ドイツ兵といえども神を畏れる人間、命令を下されても神父を撃つことができないでいる。むなしく地面を撃つ兵士たちは、狂ったように怒る少佐に罵倒され暴力をふるわれる。それをじっと息をこらしながら子供たちが静かに見守っている。どんな反戦映画よりも、強いインパクトを持っている。
また、この映画の有名でポスターにも使われているシーン。独軍兵士たちに引き立てられてトラックで連れ去られるレジスタンスの男の名を叫びながら、トラックを追いかける女が、撃ち殺されて路上でもんどりうって倒れるシーンだ。恐怖の独軍による包囲、氷のような冷たい沈黙のなかを、愛する男の名を呼びながら後を追う女の切実な愛情の深さと強さに圧倒される。映像が人に与えるパワーというものに打ちのめされる。

この映画はネオリアリズモの代表作。ネオリアリズモとは、1940年代イタリアで起こった映画界の動きをいう。ロシアのエイゼンシュタインによる「戦艦ポチョムキン」を受け継いで発展させたものだ。スタジオセットでなく、実際の路上や、本物の建物を使って、役者たちの即興演出もふくめて、現場描写主義によって、実際の市民生活者の真の姿を映し出す。クローズアップやロングショットを多用して、同じように普通の生活をしている人の心に直接強い印象を与えて感情に訴える。
ロッセリーニ監督は、自分で、「ネオリアリズモの映画の対象は、現実の世界であって、物語でもお話でもない。」、「これは問題を提起するとともに、自らにも問題を提起する映画、人に考えさせる映画なのだ。」と言っている。
代表作は、ヴィットリオ デ シーカの「靴みがき」(1946)、「自転車泥棒」(1948)、ロッセリーニの「無防備都市」(1945)、「戦火のかなた」(1946)など。これらの代表作のどれにも、子供たちが出てくる。曇りのない子供たちの目で見た、圧倒的多数の市井の人々にとっての戦争、貧困、社会の不合理、そして一部の上流階級の腐敗と退廃が、次々と映し出されてきて、見る者の胸を締め付ける。まさに見た人がこの世の階級社会の不正義に憤りを感じ、社会に正義を取り戻すには何が必要なのかを、考えざるを得ない地点に導き出される。映画を見て、「よかったねー」、では済まされない。その意味では、私には、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」も、デ シーカの「自転車泥棒」も、ロッセリーニの「無防備都市」も、ただの映画ではなく、それらが問いかけてくる内容に一生かけて答えを追及しなければならない宿題になっている。

題名の「無防備都市」とは、都市単位の無条件降伏をいう。戦争で敗戦が決定的になったとき、市民に被害をそれ以上出さないために、都市を敵に明け渡すことで、非武装宣言をして、国際法によってその都市を攻撃から守ることを目的としている。これらの都市に対して、物理的な攻撃は禁止される。ジュネーブ条約、追加第1議定書、第59条に規定されている。またハーグ陸戦条約第25条に、「防守されていない都市、集落、住宅または建物はいかなる手段によっても、これを攻撃または砲撃することを禁ずる」と規定されている。だが、それが守られた戦争は過去になかった。

映画のストーリーは
1945年9月、イタリアは連合国に降伏したが、同盟国だったドイツに占領された。ローマはオープンシテイー(無防備都市)となって、そこに独軍が進駐してきた。ローマの男たちは当然のようにレジスタンスに加わり、女たちはそれを支える。子供たちまでが、独自のレジスタンス組織を作って独軍に勇敢に立ち向かっていく。独軍はただちに、過酷な反戦レジスタンス狩りを始める。
コミュニストのリーダー、マンフレデイは追われて、同志のフランチャスカのアパートに逃げ込んでくる。フランチェスカには7歳の息子をもった寡婦のテレサという恋人が居り、彼女はふたりの子供を妊娠していて、近々二人は結婚する予定だった。彼らは、地下で反戦の機関紙を印刷、配布する活動家だ。人々から人望の厚い神父、ドン ピエトロもレジスタンスの一員で、偽装パスポートを作って活動家たちを国外に逃亡させている。レジスタンスリーダーのマンフレデイには、女優の恋人、マリーナがいたが、彼女は忙しくてあまり自分にかまってくれないマンフレデイに不満をつのらせていた。そこを独軍に通じている将校の恋人イングリッドに付け込まれ、麻薬や贅沢品をふるまわれて、恋人の隠れ家を教えてしまう。独軍は活動家たちの潜むアパートを封鎖し、住人達を一斉に追い立てる。レジスタンスは一斉に逮捕され、軍用トラックに押し込まれる。引き立てられたフランチェスカを追って、恋人のマリーナは狂ったようにトラックの後を追う。そんな妊婦を独軍兵士は無慈悲にも打ち殺す。もんどりうって倒れた母親に駆け寄る7歳の息子。
マンフレデイは、ゲシュタボのベルグマン少佐によって、サデイステックな激しい拷問にあっても、仲間の秘密組織について一切の供述を拒否したために殺される。それをそして、ドン ピエトロ神父も銃殺刑に処される。それを隠れて、じっと見つめる子供たち。人として誇りをもって処刑される神父の勇気ある姿を、目をそらさずに子供たちは見送るのだった。
というお話。

この映画を見て感動したイグリッド バーグマン(1915-1982)は、迷わずロッセリーニに手紙を書いて、彼と一緒に映画を作りたいと申し出る。そのときすでにバーグマンはスウェーデンだけでなく全米で大人気のハリウッドスターだった。「別離」(1939)、「カサブランカ」(1942)を経て彼女は、「ガス燈」(1944)でアカデミー賞女優主演賞を受賞している。医師の夫と赤ちゃんを抱えた幸せな家庭ももっていた。
ロッセリーニ監督自身も妻子を持っていたが、二人はこの映画を切っ掛けに出会い、恋愛関係に陥る。ロッセリーニ監督、バーグマン主演の、「ストロンボリ神の土地」(1950)の撮影中、二人の関係が明るみに出て、ロッセリーニの子供を妊娠していたバーグマンは、二人の間にできた息子を出産したことでスキャンダルの的になって上院議会で激しく非難され、ハリウッドから追放され、おまけにこの映画は、全米で上演禁止となる。二人はそれぞれの家庭を捨てて結婚し、1952年にはバーグマンは双子の娘たちを出産する。バーグマンと、ロッセリーニとの甘い生活は1949年から1957年まで続く。
バーグマンが、ハリウッドで再び認められ復帰するのは、ロッセリーニとの離婚が決定的になってからだ。「追想」(1956)で再びアカデミー賞を受賞する。ロッセリーニ監督、バーグマン主演の作品は6作もあるが、ことごとく失敗作になった、といわれている。
今思えば、いくらハリウッド人気スターと、話題の気鋭監督とのカップルといえども、二人がハリウッドのひどい過剰反応にさらされて、避難されたり追放された事は、人権侵害じゃないだろうか。誰が誰の子を妊娠しようが、勝手でしょうが。バーグマンは、当時白塗りで真紅の口紅で化粧するのは主流の女優達とは異なり、自然体でありながら優雅で気品がある。生き方そのものも、知的で社会の不正に怒り、自らの信念に忠実なところが、純粋で好ましい。バーグマンとロッセリーニの二人三脚で制作された6本の「失敗作」を、ぜひ見てみたい。時代遅れの不倫のレッテルをはって、彼らのフイルムを闇に葬ったままにするのでなく、再び上映して再評価してみたい、と切に願っている。