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2014年5月31日土曜日

シドニーに従軍慰安婦像設置案、今すべきことは」


             


シドニー西部のストラスフィールド市議会に、韓国と中国のコミュニテイーが、従軍慰安婦像設置の嘆願書を出した。事の起こりは、今年の3月に、韓国人と中国人コミュニテイーの約200人が、安倍晋三の靖国神社参詣を契機に、日本の戦争犯罪を糾弾し、軍国主義復活に反対する総決起大会が開かれ、オーストラリア全土に慰安婦像を設置することを決議した事にはじまる。また、彼らは日本の新軍国主義復活を批判し、慰安婦の惨状や南京虐殺など日本の戦争犯罪を明らかにし、日本の偏重外交政策を修正させ、米国が日本の再武装を容認しないように要求する、などの韓中連帯決議を採択した。

こういった動きに対して、シドニーにある日本企業関係者などによる最大組織の「日本人会」も、また主にシドニーの永住者で自営業者を中心とした「日本人クラブ」も、沈黙を守っている。唯一、母親たちの集合体「ジャパンコミュニテイーネットワーク」(JCN)が、急きょ発足して、ストラスフィールドの市議会公聴会に臨んだ。結果としては、市議会は、慰安婦像の設置を認めるかどうかは、市ではなく州と連邦政府の判断に委ねる、ということで、結論を保留した。
シドニーに住む日本人2万人余りは、多文化多民族で形成されているオーストラリアで、特定の国が過去の事象を持ち出して、批判したり憎悪をあおるようなことに、反対して署名運動をしている。オーストラリアは、住む人の4人に1人は外国生まれ、という移民でできている国だ。過去にどんな歴史を持っていても特定の民族が他の民族といがみ合い、過去に起きたことを糾弾し合っても始まらない。シドニーの公園に旧日本軍によって犠牲になった従軍慰安婦像はふさわしくない。同じ理由で、アルメニアコミュニテイーが、トルコによる大虐殺100年記念に、記念碑を建てることにも反対だ。同じ移民同士、憎悪や糾弾よりも理解が大切だから。

しかし私たちは、「いま」、「なぜ」慰安婦なのか、考えなければならない。
加害者よりも被害者の方が世相の変化に敏感に反応する。安倍晋三首相による「靖国神社参拝」、慰安婦について1993年の「河野談話」を再考する動き、1995年の村山総理大臣による慰安婦と軍の直接関与を認めた上での謝罪を見直し、日本軍が慰安婦の徴用をした公文書がない、などと今更声高に言われれば、被害者側が危機感を持つのは自然なことだ。
旧日本軍が慰安婦を徴用し強制労働させたのは事実だ。強制的に、あるいは騙されて連行されてきた慰安婦たちは、軍属として宿舎その他の便宜を提供されていた。日用品など軍票で支払われ、軍の移動と共に戦場各地を移動した。そして敗戦時は、軍が武装解除された時、慰安婦たちは連合軍によって保護、解放された。日本軍に軍が慰安婦を強制的に連行した公文書がないのは当然だ。戦時下にあって、たくさんの捕虜が不条理にも殺された。「捕虜を殺しても良い」という公文書が出てこないのと同じことだ。サンフランシスコ条約に違反し、人道に背き、国際法で違法な行為を、軍が公文書にして残す訳がない。

首相が神社を参拝して何が悪いか、という意見がある。靖国神社は普通の神社ではない。創建当時は、大日本帝国陸軍と海軍省が祭事を統括していた。第2次世界大戦のA級戦犯、B、C級戦犯として処刑された軍人が「英霊」として祭られている。明治維新の時の旧幕府軍や新撰組の犠牲者は政府にたてついたとして祭られていない。西南戦争では政府軍側の軍人を祭り西郷隆盛など薩摩軍は除外されている。戦犯を英雄として祭ることに政治的な意味が加味されているので、天皇は決して靖国神社を参拝しない。安倍晋三は、かつての日本軍による侵略犠牲国の心情を逆なでするように参拝し、ただちにオバマ米国大統領から強く批判された。当然だ。世界の常識から大きく逸脱するようなことをしてはいけない。
自分たち日本人は平和な国民だと思い込んでいる。だが外国では、日本軍は世界でも最も攻撃的な軍隊だったと思われている。かつてロシアや清国に先制攻撃し、カミカゼ、ゼロ戦、パールハーバー、大量の捕虜を酷使して死に追いやった国だ。自分たちが平和的だと思い込んでいられるのは、平和憲法のお蔭だ。外国人の日本軍イメージは、日本人の思い込みとはとてもかけ離れている。

従軍慰安婦問題について、日本人はまず加害者(日本政府)の言い訳に耳を傾けるのではなく、被害者のことばを聴くべきだ。過去に日韓経済協力協定で賠償が済んでいるとか、すでに何度も謝罪しているからといって、それで済むことではない。「もう謝罪したから良い。」のではない。同じ過去を繰り返さないために、現在日本が何をやっているかが問われている。
福島原発事故が起きて、東電側の説明だけに耳を傾けて、納得した人がどれだけいただろうか。東電の社長がテレビの前で謝罪し頭を下げる姿を見て、「それでもう充分謝罪したからもう良い」、と思った人は居るまい。同じように、慰安婦問題では、いまだに被害者が苦しんでいる事実に対して、真摯な態度で日本人は耳を傾けなければならない。済んだことでは済まない。

女はいつも戦争の被害者だ。日本軍がやった従軍慰安婦のようなことは、どの国でもやってきた、という一般化で、日本の行ってきた責任を曖昧にしてはならない。他国を侵略しただけでなく、侵略軍の性奴隷として身柄を軍に引き止め従軍させたことは、侵略時に兵が敵国の婦女子をレイプするよりも、はるかに重い犯罪行為だ。他の国の軍もやっているとか、慰安婦の同意の上だったとか、給料が支給されていたなどという言い訳は通らない。慰安婦の人権をどう捉えるのか。
日本軍は、この前の戦争で、沢山の国に侵略し、中国人と軍民合わせて110万人、インドネシアなどアジアで80万人、合計1900万人の人命を奪った。明らかに加害者としてとして日本人を認識するのでなければ、どんな話もできない。日本人は多くの民族を蹂躙し、他国を侵略し奪い殺し占領し日本語を強制した過去から逃れることはできない。本当の謝罪は、言葉だけでなくどんな行為で 今後も同じことを繰り返させないために、行動で謝罪を示していけるかだ。

今私たちがすべきことは、慰安婦像をいくつも設置することでも、同じアジアの民族どうしが敵対することでも、憎み合うことでもない。安倍内閣の右極独走を止めて、平和憲法をもとにした立憲国家としての日本をとりもどすことだ。慰安婦像設置の動きを、韓国、中国のコミュニテイーとともに、安倍政権の右傾化を批判していくことで、一緒に歩める可能性を探っていきたい。

2014年5月25日日曜日

映画 「ベル」(BELLE)

                   


イギリス映画:「BELLE」(ベル)
監督:アマ アサンテ
キャスト
ダイド ベル マンスフィールド      :ググ ムバサ
ウィリアム マリー マンスフィールド伯爵:トム ウィルキンソン
マンスフィールド伯爵夫人         :エミリー ワトソン
ジョン ダヴィ二エール           :サム レイド
レデイーエリザベス マリー        :サラ ガドン

ストーリーは
18世紀、ロンドン。
1761年英国下院議員であったジョン リンゼイ卿は、海軍の軍艦の艦長として西インド諸島に赴任していたが、スペインの奴隷船から略奪されてきた黒人女性を救出して愛した。しかしこの女性は、リンゼイ卿の子供を出産した際に命を落とした。子供の父親は残された形見の娘、ベルを引き取るが自分が赴任中で居所が定まらないため、ロンドンに住む大叔父のマンスフィールド伯爵ウィリアム マレーに養育を依頼する。伯爵夫婦は、色の黒い娘を連れてきた甥の訪問に驚くが、彼らに子供はなく、丁度亡くなった姪の子供エリザベスを養育していたので、彼女の遊び相手にベルを引き取ることにした。ウィリアム マレー マンスフィールド伯爵は、法務長官で、裁判所長官として、政治的には当時のイギリス首相の次に権力を持った存在だった。ベルは、彼の広大な屋敷で、慣習に従い家族に一員として遇され、エリザベスとは実の姉妹の様に仲良く育った。

ベルは高い教育を受け、成長するにつれて利発で法律家としての父親の仕事をよく理解し、彼の下す審議の判定に必要な記録を整備するなど秘書のような役割さえできるようになった。またベルは、ピアノや習い事でもエリザベスに比べて遥かに優れた才能を示した。ウィリアム マレーは、ベルが小さなときから、貴族社会で育つベルに、将来結婚相手は出てこないだろうから自分が死んで一人になっても生きて行けるように毎月彼女のために高額のお金を積み立ててきた。その上に、ベルの本当の父親リンゼイ卿が亡くなって、ベルは莫大な遺産を継ぐ。従って、ベルは、本人や家族の意に反して、肌が黒いだけで、美しく女性として魅力を持ち、多大の持参金つきの貴族として、若い貴族からは、魅力的な存在になっていた。やがて、エリザベスに結婚を前提にしたパーテイーの誘いがくる。相手のアッシュフィールド家とは釣り合いのとれた家柄で、長男との結婚が望まれていた。ところが次男が、エリザベスよりも賢く美しいベルに、結婚を申し込む。ベルは身に余る光栄と、申し出を受けるが、父親に伝言を伝えに来た、爵位を持たない貧しい弁護士ジョン ダヴィにエールに、心を惹かれていた。

折しもゾング事件が起きる。1781年、座礁した船ゾング号が、船の転覆を防ぐために船の重荷を捨てると同時に、142人の奴隷を海中に投棄した。これを大虐殺とみるか、船の安全を第一に考えた保険会社の正しい判断とするか、意見が分かれ、最終に判断は、ウィリアム マレー判事に委ねられていた。若い弁護士ジョンは、保険会社の判断が誤りだったとして、この裁判をきっかけに奴隷売買禁止と、奴隷解放を社会に訴える運動を提唱していた。ベルは、ジョンに会ってはじめて黒人を白人と同じ人間として考える思想にふれて、心を動かされる。そして、ベルはアッシュフィールドとの婚約を解消して、奴隷制の反対をする若い弁護士のもとに走る。若い二人が見守るなかで、父親の下した判決は、、、。
というお話。

1761年―1804年まで実在したダイド ベル マンスフィールドという女性のお話。
1779年に肖像画家ヨハン ゾファー二によって描かれたエリザベス マンスフィールドの肖像画がある。彼女の横には美しい黒人女性が立っている。この絵を所有する現在のマンスフィールド伯爵家は、2007年に奴隷貿易廃止200年を記念して、この絵を公開した。この映画の脚本家はこの絵にインスパイヤーされて、ベルについて調べて、史実をもとにして映画を作ったという。
また、2007年には、ゾング号事件(ZONG)が契機になって、奴隷解放の法的な正当性が与えられたとして、ゾング号が海軍にエスコートされてロンドンタワーブリッジを記念航行した。そのうえゾング号200年記念碑がジャマイカのブラックリバー沿いに建立された。

ゾング号事件の判決を言い渡したウィリアム マリー判事は、当時イングランドとスコットランドは別々の独立した裁判所を持っていたが、同時の双方の裁判所最高判事として奴隷制を明確に否定した。またイギリス国法を近代化した法律家として名を遺した。
保守派の法の守護者だった伯爵が若い奴隷廃止論者の意見に耳を傾け、思い切った改新的判決を出したことについては、自分の育ててきた黒い肌のベルの存在が大きく影響したのではないかと推測される。黒人が劣った人種だと考えられていたこの時代に、自分が育てたベルの利発さに目を見張り、人間としての目を養われた。

初めてベルがマンスフィールド伯爵夫婦の前に連れてこられたとき、夫人は「二グロを育てることなんかできないわ。」と言い放った。しかしベルの成長とともに彼女は頭の良い、父親の秘書的な役割まで果たせる娘になって夫婦にとって大切な娘になっていく。ピアノを弾いても、お見合いをしても、二人そろって鏡の前に座ってみても、どちらが美人で優れているか自ずと明確になってしまう、冴えないエリザベスが可哀想になってしまうが、本人はおっとりしていて、そこがまた可愛らしい。出世も結婚も貴族社会の称号も持参金次第という、イギリス貴族社会の愚かしさを存分に見せてくれる。

ベルが心を惹かれる若い弁護士など、マンスフィールド家では 全然人間扱いされていない。階級の称号を持たない人間なんて教育があろうと弁護士であろうと、貴族に気軽に話しかけたりすることも許されない社会なのだ。圧倒的な権力を握る貴族の下に 大衆がいて、その下に奴隷がいる。彼らは、海が荒れて転覆しそうな船を守るために、鉄鎖でつながれたまま海中投棄されるような存在だ。
ベルは、いったん婚約したアッシュフォード家の次男に どうして婚約破棄したのかと、問われて、自分の黒い肌を示して、「結婚は私自身のことです。」という。莫大な実父から譲られた遺産や、養父が積み立ててくれた持参金や、養父の社会的地位や権力や貴族の称号でなく、奴隷だった母から生まれた黒い肌の自分自身が結婚相手を決めるのだという、この時代の流れに反した強い意志を見せるシーンが感動的だ。
階級社会で階級を否定するほど勇気あることはない。階級が現状を維持していくための基盤なのだから、それに疑問をはさむことは社会の基盤を崩壊させることにつながる。その意味で、法律家として、初めて奴隷解放につながる考察を示したマンスフィールドは、破格の人間としての幅を持っていた人だったといえる。こういった勇気ある人々の生き方が、少しずつ時代を変えて来たのだ。
とても良い映画だった。

監督は英国人アサン アマ。西アフリカガーナからの移民だった両親をもったロンドン生まれの、まだ45歳の監督で脚本家だ。これからの彼女の仕事が楽しみだ。

2014年5月10日土曜日

映画 「そして父になる」




人は一度は自分はこの家の子供じゃないのではないかと、思ったことがあるのではないだろうか。98歳で亡くなった私の父は、大学では学生たちから敬愛され、それなり威厳を保っていたが、家では暴君。それでいて小心で気が弱く、亡くなるまで自分が長男なのに、実の母親から愛されず無碍にされていた、と娘の私に「告白」しては、子供のようにグジグジすることがよくあった。そんな大人げない人は 父だけかと思っていたら、親しくなった人の中にも、自分がもらいっ子だと思い込んでいる人が何人かいて驚いたが、再婚したオットまでが、同じようなことを言い出すのには、閉口した。世の中は「心の孤児」、「充分愛されなかった、もらいっ子みたいな子」、「みなし児みたいな寂しい子」で、あふれているのかもしれない。

映画「そして父になる」を観た。英語のタイトルは「LIKE FATHER LIKE SON」
監督:是枝祐和
キャスト
野々宮良多:福山雅治
野々宮慶多:二宮慶多
斉木雄大 :リリー フランキー
斉木琉晴 :黄升呟
第66回カンヌ国際映画祭2013年に出品された時に、上演後10分間のスタンデイングオベーションを受けて話題になった作品。

映画のストーリーは、
病院で赤ちゃんを取り違えられた二組の親たちと子供たちのお話。子供が6歳になり小学校に入学するために受けた血液検査で、一組の親子がじつは親子ではなかったことが分かり、同じ日に生まれた赤ちゃんが、間違って別の親に引き取られて育っていた事実が分かった。自分の子供として6歳になるまで育てて来た子供が、血のつながった子供ではないことがわかった夫婦の苦悩は大きい。二組の夫婦は、病院で引き合わされ、提案に従って血のつながった実の親子に早いうちに戻すことが、子供たちにために良いと言われて、互いに子供たちが実の親に慣れるように、週末は子供を交換したり、一緒にピクニックに行ったりして互いに慣れるように、試してみる。しかし、当の二人の子供たちは、どうして自分が、親許から引きはがされなければならないのか、そして、今まで会ったこともなかった人の家庭に泊まりに行かなければならないのか、理解できない。強引な子供の交換に、二人の子供たちは混乱するばかりだ。二組の夫婦も病院を相手取って訴訟を起こすが、6年間育てて来た子供を失うことによって深く傷つく。というお話。

たった6歳の子供たちが、突然親から引き離されて、孤独の崖っぷちに突き落とされるような経験をさせられる姿が、可哀想で可哀想で、とても感情的につらい映画だ。
福山雅治とリリーフランキーの二人の父親の対比が、興味深い。エリート社員と、しがない自営業者。上向志向の塊のような男と、出世と縁のない田舎の電気屋。勝ち組と、落ちこぼれ組。都会暮らしと、田舎者。個人主義と、大家族。核家族と、祖父まで含めた6人家族。有名私立小学校と、公立。金銭的に余裕のある家庭と、やりくりに苦労する家庭。すべてが正反対の対称をなす二人の父親の違う点は無数にあるが、共通するのは二人とも息子を愛していて、自分が一番良いと思う育て方をしてきたことだ。

慶多の父親は有名大学を出て一流会社に勤めていて自分が子供のときに、親に遊んでもらった記憶がない。自分の子供にも、ひとりで何でもできるように厳しくしつけて来た。自分がそのようにして育てられ、それが一番良かったと思っているから、自分が育ったように息子を育てているが、息子は人が良くて競争心に欠けるところに、苛立ちを感じる。だから、琉晴の父親に、「子供と遊んでやってくださいね。」と言われて戸惑う。6歳の男の子にとって、野外で思いきり体を使って遊ぶ時期に、遊びのルールやほかの子供と遊ぶ社会性を培う基本を父親から教わることができない子供は不孝かもしれない。しかし、だからといって子供と一緒に泥だらけにならない父親が悪い父親だとは思わない。
私自身、親に遊んでもらったことなどないし、七五三も、ひな祭りも、子供の日も、成人式も、誕生日でさえ、親に祝ってもらったことなど一度もない。学校で他の子供の話を聞いたりして、自分の親はよその家とは違った変な家なのだと自覚したが、よその子供を特にうらやましいと思うこともなかった。

慶多は仕事が忙しくて自分をかまってくれない父親をみて、いつもいつも寂しかった。それがいつも子供と遊んでくれるお父さんが本当のお父さんだと言われて、父親が迎えに来たときに「パパなんかおとうさんじゃない。」と言い放ち抵抗する。しかし、慶多がもう少し大きくなったら、一緒に泥だらけになって遊んでくれる父親よりも、知識が豊富で聞いたことに何でも答えられる知識人の父親や、難解な数学を教えてくれる父親の方が頼もしいと思うようになるだろう。頼りがいのある親もそうでない親も、出来の悪い親も、優秀な親も、子供はそれを自分の親として、じきに認識するようになる。そして、いずれはどんなに優秀な親も そうでない親も、子供から否定される時が来る。親は否定され、子に乗り越えられていくものだ。

一方、父親の側から考えると、子供に何を期待しても期待通りには子供は育たない。子供の性質は変えられない。子は自分の性質を持って生まれてくる。おっとり型マイペースで、他の子供との競合を嫌う子供もいれば、競争が楽しくて仕方がない積極的な子もいて、それらの特質を兼ね備えて子供は生まれてくる。親は子供のそういった特質をよく見て、良い点が伸びるような環境を整えてやることができるだけだ。
慶多はピアノが好きではないが、自分が練習するとピアノを心得ている父親が喜ぶので、練習を続けている。しかし慶多はそんな環境が合わずピアノをじきに止めるだろう。親がピアノを買い、小さなときから先生のところに通い叱咤激励してきた親の期待は無駄になる。
一方、琉晴は田舎の大家族で、家計のやりくりに苦労する家庭で3人兄弟の長男として育ってきたから、慶多のようにおっとりはしていられない。本当の父親の負けず嫌いや競争心の強い気質を受け継いでたくましい子供になっていくだろう。やがて知識欲を充分満たしてくれない心優しい父親を疎ましく思い、自立心の旺盛な子供になるだろう。そのようにして、父親は子供に乗り越えられていく。
親は子供が成長するごとに何度も何度も自分の期待を裏切られ、そのことによってありのままの子供を愛し、見守っていくことになる。

この映画では6年間、育てて来た子供が自分の子供ではないことが分かり、子供を本来の親のところに交換したあと、もう互いに会わないようにしようと 親同士で約束するが、子供たちは育ての親のところに帰りたがる。親たちは、どちらの子供を育てていくのか、結論を出すことができない、というところで終わる。親には、結論など出せない。決めるのは子供たちだ。子供が親を親と認識するまでは、決定することなどできない。映画の中で、病院で起きたことのために「私たち家族は一生苦しむことになる。」という台詞が繰り返して言われる。
そうだろうか。
子供の成長は早い。いずれ子供は親を乗り越えていく。いずれ子供は親を必要としなくなる。親は、子供のことを心配するより自分の心配をした方が良い。自分が老いて子供にめんどうをかけずに済むように、子供の世話にならずに上手に老いていけるように準備することだ。

ちょうど映画を観た後、アメリカの実際の赤ちゃん取り違いを追ったドキュメンタリーフィルムを観る機会があった。病院の手違いで小学校低学年の女の子が、血の繋がっていない親に育てられていた。同じ日に生まれた二人の女の子は、同じ小学校に通っていた。親たち、4人が顔を合わせて深刻な話し合いを続けた結論は、4人の親で2人の娘たちを 同じように可愛がって育てようということになった。子供同士も親友になった。二人して、双子のように今日はこっちの家、来週はあっちの家というふうに学校から帰ってくる。「私たちにはパパが二人いて、ママが二人もいるの。」と嬉しそうに笑顔で言う女の子たちの姿は感動的だった。
子にとって親(親代わり)は多いほど良い。親にとっても子供が多い方が良いだろう。小さな土地で核家族では息が詰まる。親と子は、互いにもっとクールに生きていけたら良い。

映画では子供たちの演技が自然でとても良かった。監督の前作「誰も知らない」も、印象的な心に残る作品だった。この監督の次の作品が楽しみだ。

2014年5月6日火曜日

映画 「インヴィジビル ウ―マン」


                              

原題:「INVISIBLE WOMAN」
監督:ラルフ フィネス
キャスト
チャールズ ディケンズ:ラルフ フィネス
ネリー エレン ターナン:フェリシテイー

英国シェイクスピア俳優、ラルフ フィネスの監督した映画第1作目の作品。19世紀のイギリス文学を代表する国民作家チャールズ ディケンズの秘められた私生活を映画化したもの。チャールズ ディケンズといえば、日本でいうと森鴎外とか、夏目漱石に当たるだろうか。日本映画でも文芸作品は、常に一定の人気を保っていて、毎年いくつかの古典作品や、近代文学が映画化されている。

ディケンズ(1812年―1870年)の代表作は、「クリスマスキャロル」、「偉大なる遺産」、「二都物語」など。彼の作品は、トルストイからも、ドストエフスキーからも愛された。ディケンズと妻のキャサリンとの間には10人の子供がいたが、1858年に彼は妻子を残して、エレン ネリーという19歳の女優とフランスに居を構えた。その時彼は46歳だったが、死ぬまでこの女性を愛した。しかし彼女を妻にはせず、公表することもなかった。
ディケンズは英国だけでなく、ヨーロッパじゅうから名士として人々から尊敬され敬愛されていたから、彼の秘密を知っている人々も他言することがなかった。ディケンズは秘密を抱えたまま亡くなり、人々はネリーのことについて、語ることなく忘れ去った。まさに、ネリーは、「INVISIBLE」、見えない女、隠された女だった。この映画は、彼女の立場にたって描かれた作品。

役者であり監督をしたラルフ フィネスは、この女性の秘められた物語に魅かれて映画化を思い立ったという。伝記作家クライア トマリンによって書かれたものをアビ モーガンが脚本にした。自分の過去を誰にも語らず、ディケンズとの約束を守りとおして生きて死んでいった女性の苛立ちと苦悩と悲哀が描かれている。

ストーリーは
1857年、エレン ネリーが初めてディケンズに会ったのは彼女が18歳の時だった。ネリーの母親は、もと女優で、ディケンズの芝居を演じていたので、ディケンズとは親しかった。母親はネリーと、もう一人の娘を連れてディケンズの新しい舞台のためにロンドンに来ていた。亡くなった夫の遺産で暮らしているが、生活はそれほど楽ではない。
このときディケンズは45歳。作家活動も舞台の仕事も順調で、もっとも油が乗りきった時期で、彼の芝居は、人気を博していた。彼自身が舞台で主役を演じたり、舞台で詩を朗読したりして公演を成功させていた。そんな彼が、18歳の気の強い、自分の意思をはっきり言う美少女に恋をする。ネリーはあこがれの人に求愛されて、周りの人々の忠告や、本妻からの圧力などまったく目に入らない。盲目的にディケンズを心から慕い、恋に生きる。

ディケンズは、妻と別居して、ネリーを連れてフランスに移る。二人の愛の巣で、子供を宿るが死産する。ディケンズは死ぬまで彼女を愛した。
ディケンズの死後、ネリーは、教師になってディケンズの芝居を学校の子供たちに教える。結婚して子供も生まれる。幸せな家庭を持ったはずが、心はまだディケンズにある。彼の死後も心は喪に服している。いつも黒い服を着て、感情の起伏が激しい。それを理解できない夫も、周囲の人々も困惑するばかりだ。村の神父は、壊れそうな家庭を心配して、夫婦の力になろうと、折に触れてネリーに語り掛けて、堅く閉ざしたネリーの心を開こうとするが、ネリーは拒否するだけだ。時がたつほど、ネリーの感情が制御できなくなっていく。過去の思い出に生きるネリーと、現在のネリーとの境が、限界に達した時、ネリーは海に向かう。海を表現したディケンズの詩の朗読が聞こえる。荒ぶる海の波が砕け散る浜を彷徨するネリー。そんな凄惨な姿を見て神父は理解する。この不幸な女がディケンズの秘密の女だったのか、と。ネリーは神父の差し出した手にすがる。そして、神父とともに教会の墓地を歩くことによって 心の苦しみが消えていくのを自覚する。
長い長いディケンズとの旅路は終わったのだ。
というお話。

人は弱い存在だ。
誰でも人は秘密を抱えて生きている。しかしその秘密が大きすぎて、抱えられないとき、人には秘密を分かち合える人の存在が必要だ。
ネリーは抱えきれない秘密を、神父に理解されることで、生き返る。そして重すぎた過去を捨てて、別の女性として生きることができた。人生にとって忘却することがいかに大切なことか、この映画は物語っている。

監督主演したラルフ フィネスは52歳、英国サフォークイプスウィチ出身。父親は写真家、母親は名高い小説家の長男。弟ジョセフは役者、妹マサは映画監督。ラルフは王立演劇学校を出て、シェイクスピアロイヤルカンパニーで役者になり、イワン ツルゲイネフ、ヘンリク イプセン、サミュエル ベケットなど好んで演じ、映画「シンドラーのリスト」で、ナチ将校の役を演じて注目をあびるようになった。このことは、前の日記「グランド ブダペストホテル」で述べた。この作品で内部に狂気を秘めた軍人を演じてアカデミー賞男優賞の候補になり、1996年には「イングリッシュ ペイシャント」でこれまた内部に嵐を抱えた元貴族の学者を主演した。良い作品だったが、2005年の「ナイロビの蜂」と、2008年の「愛を読む人」(「朗読者」)は、どちらも秀逸。2作とも、忘れられない作品になった。この作品では最もこの役者らしい役を演じた。この人の魅力は「壊れ物としての人間」の「あぶなっかしさ」の表現の仕方にある。作家ジョン ル カレによる「ナイロビの蜂」も、ベルン ハルト シュリンクのよる「朗読者」(愛を読む人)も、原作が素晴らしく、ベストセラーにもなったが、本当に映画が良かった。
珍しく、ラルフ フィネスは「グランド ブダペストホテル」で笑わせてくれたが、次作では007ジェームスボンドシリーズで、ボンドのボスにあたるMの役を演じることになっている。Mは、長年ジュデイ デインチがやっていたが彼女はもう黄変部変性疾患で失明状態なので、ラルフにバトンタッチして引退するようだ。ラルフ フィネスのM、どんな親分になるのか、次作が楽しみだ。