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2014年5月31日土曜日
シドニーに従軍慰安婦像設置案、今すべきことは」
シドニー西部のストラスフィールド市議会に、韓国と中国のコミュニテイーが、従軍慰安婦像設置の嘆願書を出した。事の起こりは、今年の3月に、韓国人と中国人コミュニテイーの約200人が、安倍晋三の靖国神社参詣を契機に、日本の戦争犯罪を糾弾し、軍国主義復活に反対する総決起大会が開かれ、オーストラリア全土に慰安婦像を設置することを決議した事にはじまる。また、彼らは日本の新軍国主義復活を批判し、慰安婦の惨状や南京虐殺など日本の戦争犯罪を明らかにし、日本の偏重外交政策を修正させ、米国が日本の再武装を容認しないように要求する、などの韓中連帯決議を採択した。
こういった動きに対して、シドニーにある日本企業関係者などによる最大組織の「日本人会」も、また主にシドニーの永住者で自営業者を中心とした「日本人クラブ」も、沈黙を守っている。唯一、母親たちの集合体「ジャパンコミュニテイーネットワーク」(JCN)が、急きょ発足して、ストラスフィールドの市議会公聴会に臨んだ。結果としては、市議会は、慰安婦像の設置を認めるかどうかは、市ではなく州と連邦政府の判断に委ねる、ということで、結論を保留した。
シドニーに住む日本人2万人余りは、多文化多民族で形成されているオーストラリアで、特定の国が過去の事象を持ち出して、批判したり憎悪をあおるようなことに、反対して署名運動をしている。オーストラリアは、住む人の4人に1人は外国生まれ、という移民でできている国だ。過去にどんな歴史を持っていても特定の民族が他の民族といがみ合い、過去に起きたことを糾弾し合っても始まらない。シドニーの公園に旧日本軍によって犠牲になった従軍慰安婦像はふさわしくない。同じ理由で、アルメニアコミュニテイーが、トルコによる大虐殺100年記念に、記念碑を建てることにも反対だ。同じ移民同士、憎悪や糾弾よりも理解が大切だから。
しかし私たちは、「いま」、「なぜ」慰安婦なのか、考えなければならない。
加害者よりも被害者の方が世相の変化に敏感に反応する。安倍晋三首相による「靖国神社参拝」、慰安婦について1993年の「河野談話」を再考する動き、1995年の村山総理大臣による慰安婦と軍の直接関与を認めた上での謝罪を見直し、日本軍が慰安婦の徴用をした公文書がない、などと今更声高に言われれば、被害者側が危機感を持つのは自然なことだ。
旧日本軍が慰安婦を徴用し強制労働させたのは事実だ。強制的に、あるいは騙されて連行されてきた慰安婦たちは、軍属として宿舎その他の便宜を提供されていた。日用品など軍票で支払われ、軍の移動と共に戦場各地を移動した。そして敗戦時は、軍が武装解除された時、慰安婦たちは連合軍によって保護、解放された。日本軍に軍が慰安婦を強制的に連行した公文書がないのは当然だ。戦時下にあって、たくさんの捕虜が不条理にも殺された。「捕虜を殺しても良い」という公文書が出てこないのと同じことだ。サンフランシスコ条約に違反し、人道に背き、国際法で違法な行為を、軍が公文書にして残す訳がない。
首相が神社を参拝して何が悪いか、という意見がある。靖国神社は普通の神社ではない。創建当時は、大日本帝国陸軍と海軍省が祭事を統括していた。第2次世界大戦のA級戦犯、B、C級戦犯として処刑された軍人が「英霊」として祭られている。明治維新の時の旧幕府軍や新撰組の犠牲者は政府にたてついたとして祭られていない。西南戦争では政府軍側の軍人を祭り西郷隆盛など薩摩軍は除外されている。戦犯を英雄として祭ることに政治的な意味が加味されているので、天皇は決して靖国神社を参拝しない。安倍晋三は、かつての日本軍による侵略犠牲国の心情を逆なでするように参拝し、ただちにオバマ米国大統領から強く批判された。当然だ。世界の常識から大きく逸脱するようなことをしてはいけない。
自分たち日本人は平和な国民だと思い込んでいる。だが外国では、日本軍は世界でも最も攻撃的な軍隊だったと思われている。かつてロシアや清国に先制攻撃し、カミカゼ、ゼロ戦、パールハーバー、大量の捕虜を酷使して死に追いやった国だ。自分たちが平和的だと思い込んでいられるのは、平和憲法のお蔭だ。外国人の日本軍イメージは、日本人の思い込みとはとてもかけ離れている。
従軍慰安婦問題について、日本人はまず加害者(日本政府)の言い訳に耳を傾けるのではなく、被害者のことばを聴くべきだ。過去に日韓経済協力協定で賠償が済んでいるとか、すでに何度も謝罪しているからといって、それで済むことではない。「もう謝罪したから良い。」のではない。同じ過去を繰り返さないために、現在日本が何をやっているかが問われている。
福島原発事故が起きて、東電側の説明だけに耳を傾けて、納得した人がどれだけいただろうか。東電の社長がテレビの前で謝罪し頭を下げる姿を見て、「それでもう充分謝罪したからもう良い」、と思った人は居るまい。同じように、慰安婦問題では、いまだに被害者が苦しんでいる事実に対して、真摯な態度で日本人は耳を傾けなければならない。済んだことでは済まない。
女はいつも戦争の被害者だ。日本軍がやった従軍慰安婦のようなことは、どの国でもやってきた、という一般化で、日本の行ってきた責任を曖昧にしてはならない。他国を侵略しただけでなく、侵略軍の性奴隷として身柄を軍に引き止め従軍させたことは、侵略時に兵が敵国の婦女子をレイプするよりも、はるかに重い犯罪行為だ。他の国の軍もやっているとか、慰安婦の同意の上だったとか、給料が支給されていたなどという言い訳は通らない。慰安婦の人権をどう捉えるのか。
日本軍は、この前の戦争で、沢山の国に侵略し、中国人と軍民合わせて110万人、インドネシアなどアジアで80万人、合計1900万人の人命を奪った。明らかに加害者としてとして日本人を認識するのでなければ、どんな話もできない。日本人は多くの民族を蹂躙し、他国を侵略し奪い殺し占領し日本語を強制した過去から逃れることはできない。本当の謝罪は、言葉だけでなくどんな行為で 今後も同じことを繰り返させないために、行動で謝罪を示していけるかだ。
今私たちがすべきことは、慰安婦像をいくつも設置することでも、同じアジアの民族どうしが敵対することでも、憎み合うことでもない。安倍内閣の右極独走を止めて、平和憲法をもとにした立憲国家としての日本をとりもどすことだ。慰安婦像設置の動きを、韓国、中国のコミュニテイーとともに、安倍政権の右傾化を批判していくことで、一緒に歩める可能性を探っていきたい。