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2013年10月20日日曜日

死ぬ前にもう一度日本に

    

死ぬ前にもう一度日本に行きたい、と突然言い出したオットを連れて日本を旅行してきた。
3週間かけて東京、名古屋、長野の山々を見て東京に戻り、懐かしい人々にも会い、二人して無事、病気も怪我もせずに、帰ってこられたので、ほっとしている。
もどってきたシドニーでは、明るい青空の下、紫色のジャカランダの花が咲き始めていた。出かける前は ようやく春を告げるワトルが、美しいゴールデンシャワーのように頭の上から垂れ下がるように咲き始めた頃だったから、居ない間にオーストラリアは春から夏に移行したことになる。

18歳で生まれて育った家を出た。あのころはベトナム戦争に反対するデモとストに明け暮れていて、閉鎖した大学内に住み着く活動家たちも多く、18の家出学生など珍しくもなかった。それからずっと時間がたち、18年という時間と同じくらいの時を シドニーに移ってきて、オットと過ごしたことになる。シドニーで大学を終えた娘たちも 立派に専門職について自立した。時の流れの速さに愕然とする。

2012年の4月に初めてオットを連れて日本を旅行した。桜が満開する前に帰ることになって残念だったが、オットは初めて見る東京、箱根、富士、京都、奈良に感激のし通しだった。帰って来て、3か月後に心筋梗塞の大発作を起こして緊急手術して命をつなぎ止めた。
今回の旅では、血圧計、狭心症の舌下錠、抗血液凝固剤、降圧剤、コレステロールの薬、膀胱筋弛緩剤、喘息薬、吸入器、3種類の吸入剤、緑内障点眼剤、黄変部変性点眼薬などなどを リュックに詰めて持ち歩くことになった。もともとサンタクロースのような体形のオット、運転で出かけるのは得意だが徒歩で歩くのは100メートルがやっと。左から支えるようにして抱えて歩くが、だんだん寄りかかってきて20メートル歩くころには、50キロで小柄な私に自分の体重を全部持たせかけてくる。旅行中ずっと、叱咤激励して歩かせる事を繰り返すことになったが、こんなことなら車椅子の人と旅行するほうがずっと楽だっただろう。

まず第一日目。日本航空便で成田に着いたのは夜。新宿駅から歩いて5分の距離にあるサンルートプラザ新宿ホテルに泊まることになっている。ホテルまで直接リムジンバスが行ってくれるので、助かる。途中、スカイツリーが、イルミネーションでさまざまな色で輝いていた。乗り物が大好きなオットは、飛行機に乗れるのが嬉しくて嬉しくて、はしゃいで機内食をすべてたいらげる、という信じられないことをして、リムジンバスに乗るときは 空港の自動販売機で買った缶コーヒーを握りしめて夜の光景に目を凝らしていた。
日本に着いて外国暮らしの日本人が、まずやりたいことの一つが、「自動販売機」に駆け寄ることではないだろうか。同じ一つの自動販売機なのに、ボタンひとつで、熱いコーヒーも冷たいお茶も出てくる。感激だ。缶コーヒーも沢山種類があって、こだわりの味を宣伝していて、どれも、美味しい。
もう一つ、外国暮らしの日本人が日本に着いて感激するのは、空港の座ると温かいトイレ。日本では空港でもデパートでも駅でも どこに行ってもトイレは洗浄器つきの温かい便座が当たり前だ。けれど欧米やオーストラリアでは洗浄器つきのシャワートイレットを知っている人が少なく、見たことのある人もわずかだ。このことを知ってからは、顔が綺麗なオージーが綺麗に思えなくなってくる。世界中で日本人ほどお尻がぴかぴかに綺麗な国民は他には居ない。みんなもっと自分たちのお尻を誇りにして良いだろう。

ホテルでやっと一息ついてベッドに入る。しばらくして やっとうつらうつらして来た頃に、オットがハートアタックみたいに胸が痛いと言い出す。眠いところを起こされて、「オイ、オマエ ただの食いすぎだよ。」と言って、くるりと背を向けて眠りたい本音をおさえて、血圧測定、脈をみて、狭心症の舌下錠剤を口に含ませてやる。本心ではなくて、ちゃんと優しい声で、「ちゃんと心臓動いてるよー。」と報告。安心したらしく、もう1錠舌下錠を服用させるとオットは すぐにスースー寝息をたてて眠り始める。
やれやれ。
第一日目から、これかよ!
死ぬ前にもう一度日本に行きたいと言い出して、娘たちには「去年日本に行かれて良かった。私の人生で最良の時だった。人生で一番幸せだった。」と遺言のように繰り返し言うので、、本当に、死ぬのかと思ってもう一度日本に連れてきてあげたけけれど、、、。この調子で毎年毎年、死ぬ前にもう一度、、、と言い出すつもりではないのだろうか。
眠るタイミングを失って、オットの気持ちよく眠る規則的な寝息を聴きながら、「まんまとだまされた。また、むこうが上手だった。だまされたー!」という感にさいなまれて全然眠れなくなった私。心穏やかでない第一日目の夜が明けていく。