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2012年8月29日水曜日
映画 「ぼくたちのムッシュラザール」
今年(2012)のアカデミー賞外国語映画賞の候補作。カナダ映画。フランス語、英語字幕。
原題:MONSIEUR LAZHAR
監督:フイリップ ファラルドー
キャスト
ムッシュラザール:モハメド フェラグ
シモン :エミリアン ネロン
アリス :ソフィーネ リッセ
ストーリーは
フランス語圏 モントリオールの小学校。
登校した6年生、11歳のアリスが、雪の積もる校庭の端っこで 教室が開くまで、ポケットのナッツを食べながら待っている。横に、そっとシモンが来て、アリスの前に手を出す。アリスはその手にナッツを乗せてやり、二人して食べている。自然な二人の様子を写すロングショットが続く。二人の間に会話はないし、互いに顔をあわせることも無い。しかし観ていると 二人がとても気のあった仲で、いつも一緒に居ることがわかる。他の子供達は校庭でボールを投げあったり、ゲームに興じている。
アリスがシモンに、「牛乳当番でしょ。」と言う。そうだった。シモンはあわてて走って校内に入り、給食室からクラス人数分の牛乳を取り出して、教室に運ぶ。そして、シモンが教室の中で見たものは、大好きな受け持ちのマルテイーヌ先生が首を吊って死んでいる姿だった。
走ってシモンが教員室に駆け込み、先生方はあわてて生徒達を構内から立ち退かせる。しかし、アリスはシモンのすぐ後を追ってきていたから、教室を覗いてしまう。シモンが大好きだったマルテイーヌ先生は 自分の青いスカーフで首を吊っていた。
教室のペンキが塗り替えられ、クラスの子供達には専門の心理療法士がやってくる。しかし、事件が新聞に載ってしまったので後続の先生がなかなか見つからない。
そこに、アルジェリア出身で、ケペックで19年間教師をしていたという、ラザール先生がやってくる。警察との対応や社会的責任を問われ、子供達の父兄達からも厳し追求されて傷心だった校長は、物腰穏やかなラザール先生を雇用して、クラスを担当してもらうことにする。
ラザール先生は教室で円形に広がっていた子供達の机を 前後縦横にきちんと並べ替えさせる。最初に子供達にさせたことは、バルザックの書き取りだ。授業中ふざける子供をパシンと軽くたたいて諌め、姿勢の悪い子供には正させる。先生の古典的な教え方に、生徒達はざわめく。
さっそく校長はラザール先生を呼び出して、子供に体罰はおろか、触れることも、頭を撫でることも、抱いてやることも学校では禁止されていると言う。自分達の担任の先生が、子供達の教室で自殺しことで、子供達が傷ついていないわけがない。しかし校長は 起きた出来事について、心理療法士以外の人が、話しても触れてもいけないと言う。子供達はマルテイーヌ先生のことを 心理療法士以外の人に話すことも 子供同士で話し合うこともできない。誰も、何もなかったのように口をつぐんでいた。一方、ラザール先生は同僚とも穏やかな良い関係を持ちつつ、クラスを運営していく。冬が去り、春がやってくる。子供達は何も問題がないかのようだ。だが、シモンだけは、乱暴な生徒として、問題児になっていく。
ある日、シモンが大切に肌身離さずもっていたものが、マルテイーヌ先生の写真だったことがわかって、クラスは再び揺れ動く。アリスはみんなの前に立って、語り始める。乱暴はいけない乱暴はいけない、と大人は言うけれど、マルテーヌ先生は青いスカーフで首を吊って死んだ。これこそが乱暴だったではないか、と。アリスの発言を切っ掛けに、シモンは 一人きりで今まで自分の中に秘めていた思いを一気に吐露する。「マルテーヌ先生は僕を抱きしめた。その先生を僕は突き飛ばしたんだ」。と言って泣きじゃくる。マルテイーヌは次の朝、シモンが牛乳当番で早く教室に来ることを知っていて、首を吊っていた。抱きしめられて、突き飛ばしたシモンは、先生の自殺が自分のせいだと思い込んで ずっと自分を責めていたのだ。アリスはシモンがどれだけマルテイーヌ先生が好きだったかを知っている。シモンが特別の先生に可愛がられていて、抱きしめられたのに思わず突き飛ばしてしまった複雑な少年の心も、アリス自身の嫉妬に似た感情にも気がついていた。
マルテイーヌ先生の自殺の原因は誰にもわからない。ただ、死後彼女の荷物を夫が取りに来なかったことだけが分っている。
ラザール先生は再び校長に呼ばれる。
19年間教師だったというのは嘘で、あなたは難民ではないか、と。ラザールはアルジェリアでカフェを経営していた。先生だったのは妻だ。自分の国は独立後も長期にわたるフランスの殖民によって、国内では宗教対立や社会動乱が続いている。ラザールは難民としてカナダに渡り 自国で迫害をうけている難民認定を受け、人道的配慮から家族を呼び寄せて移民する過程にいた。そのための家族のパスポートがそろい、ようやくカナダに向けて出発するその夜に、家族の住むアパートが放火され、ラザールの家族は全員殺された。彼は妻と二人の娘を失ったばかりだったのだ。しかし、怒り狂っている校長は ラザールに解雇を言い渡す。
最後の日、いつも通りにラザール先生は、生徒達に向かって何ら変わりない様子で授業する。最後に簡単に、さよならだけを皆に言って、誰もいなくなった教室、、、アリスがひとり、戻ってくる。無言でラザールはアリスをしっかり抱きしめる。
というお話。
子供が主演する映画で、子供達の純真さに触れて 思わず泣いてしまうことがあるが、この映画でも誰もが涙ぐむのではないかと思うシーンが二つある。ひとつは、シモンが「マルテーヌ先生が抱きしめたのを、僕が突き飛ばした。そんなことして欲しくなかったんだもん。嫌だったんだもの。」と泣きじゃくりながら告白するシーン。それと、最後の、大好きな先生との別れが悲しくて教室に戻ってきたアリスをラザール先生がしっかり抱きしめるシーンだ。せっかく、自分たちの心を受け止めてくれる後続の先生が来てくれて、アリスもシモンも心を開きかけたところで、二人ともまたしても先生を失うことになるのだ。
徹底した管理社会である学校。校則が優先する冷徹な社会。生徒達が大好きだった先生が首を吊った教室で、その後何事もなかったかのように授業を受けなければならない子供達。妻も娘も宗教的対立によって焼き殺されて、二度と家族に会うことが出来ないラザール先生。あまりに厳しく、凄惨な現実。
カナダ映画だがフランステイストの映画で、画面で描く詩のような作品。極端に会話が少なく、説明がない。観ている人の想像力で、辛うじてストーリーがつながっていく。想像力の無い人には見終わっても、話しが、見えてこない。一緒に観たオットは 「なんにもわからなかった」 と言っていた。ラザール先生が愛するバルザック。映像の詩人といわれるフランソワ トリュフォーの映画にも バルザックが出て来る。監督がトリュフォーに傾倒していることがわかる。カメラショットが似ている。
アリスは先生に 自分の愛読書、ジャック ロンドンの「ホワイト ファング」や「野生の叫び」を持ってきて読んでもらう。彼女はジャック ロンドンのような冒険小説にはまっている。そして、バルザックの書き取りをさせる先生のことを、シモンと一緒に笑う。それはそうだろう。日本で言えば、5年生に樋口一葉や森鴎外を口述筆記させるようなものだから。
物語の背景に過酷なカナダの移民政策がある。カナダもオーストラリア同様に移民でできた新しい国だ。人口3400万人、日本の4分の1の人々が広大な土地に居り、毎年人口の1%を移民として受け入れる準備がある。しかし、欲しいのは専門技術をもった高学歴の健康な独身者だ。家族呼び寄せ移民は、年寄りや病弱な子供が来るので 保健医療予算を圧迫するから欲しくない。また難民移民は内戦や紛争で引き裂かれた国から来るので、精神病やアルコール中毒、薬物中毒者が多く暴力事件も起こしやすい。家族ビザも難民ビザもカナダ政府としてはあまり出したくない。
そんなことから、ラザールも 妻と娘達がアルジェリアで迫害されていた事実を認めながらも それでももうアルジェリアは安全で平和になっていてラザールが帰国しても問題ない、などと移民審査官は言う。また、学校の校長が軽蔑をこめて、「あんた難民じゃない。」と破棄捨てるように言う。難民のどこが悪いか。誰も好きで難民になったわけではない。
ラザール先生は もし自分の妻が生きていて、アリスやシモンのクラスを担当したらどんなことをしただろうか、といつも考えながら、担任の先生を失った子供達に接していたに違いない。ラザールのところに、アルジェリアから小包みが届く。家族全員、家ごと焼かれてしまったので、形見の品は 妻が教えていたクラスの残っていた妻の教材だけだ。それをラザールは自分のクラスの子供達のために使う。それがラザールなりの、妻への追悼だったのだ。
会話が極端に少なく、説明もない。黙示劇のように子供達の表情だけで、その背景を読まなければならない。だから、人によって解釈が違ってくる映画だ。とても良い。わからないことは わからないまま、モーツアルトをバックに美しい映像をみているだけで良い。とても印象に深く刻まれる映画だった。
2012年8月25日土曜日
オペラオーストラリア公演 「南太平洋」
オペラオーストラリアでは、毎年10から11のオペラを上演する。今年は、「魔笛」、「トランドット」、「コシ ファン トッテ」、「真珠とり」、「アイーダ」、「蝶々夫人」、「ルチア デ ラメモアール」、「サロメ」、「椿姫」、と「南太平洋」だ。重いオペラだけでは疲れるからか、予算の都合によるものか、わからないが、「南太平洋」のような軽いミュージカルも、毎年 一つくらい間に挿まれる。前には、「マイ フェア レデイー」や、「美女と荒馬」や「メリーウィドウ」などが上演されて、それなりに好評だった。
「南太平洋」は 1949年初演の ブロードウェイミュージカルだ。
原作:ジェームス ミッチナー 「TAILS OF THE SOUTH PACIFIC」
作曲:リチャード ロジャース
映画「南太平洋」は 1958年製作
監督:ジョシュア ローガン
キャスト
ネリー :ミッチー ゲイナー
エミール :ロッサノ ブラッツイ
ジョセフ :ジョン カー
ブラデイ マリー:ジュアーニ ホール
オペラ「南太平洋」
監督:バーツレット シェアー
指揮:アンドリュー グリーン
キャスト
ネリー:リサ マッケーン
エミール:テデイー タフ ローデス
ジョセフ:ジャスパー リロイド
ブラデイーマリー:ケイト セベラノ
歌われる歌
バリ ハイ
ワンダフル ガイ
SOME ENCHANTED EVENING
THERE IS NOTHING LIKE A DANE
YOUNGER THAN SPRING
ハッピートーク など。
ストーリーは
太平洋戦争中の南太平洋のある島。
米軍駐屯地の海軍所属の看護婦、ネリーは、その持ち前の明るさと天真爛漫な性格で 基地の人気者だ。ネリーに思いを寄せる若い兵士が何人もいる。しかし、彼女は島の農園主エミールに パーテイーで出会って、恋をしていた。エミールはネリよりもずっと年配のフランス人だ。
その基地に 海兵隊のジョセフが 特殊任務を任されてやってきた。となりの島に、敵の日本軍が上陸したが、それを偵察して、敵の通信網を切断するのが彼の任務だ。しかし、米軍の彼らには島の地理や、島の人々に関する情報がない。それで、軍としては、島を良く知っているエミールに、島を案内してもらいたい。しかし、それは、当然、大変危険な任務だった。
軍は丁重にエミールに協力を依頼するが、案の定、にべもなくエミールは断る。それでもあきらめきれず、米軍の司令官はネリーを呼び出して、ネリーを通して、エミールの力が借りられないかどうか、詮索する。
そんな軍の思惑に関係なくエミールは、パ-テイーを開催してネリーを招待する。そこでネリーはプロポーズされる。夢心地のネリーが、歓びに胸を震わせているときに、色の黒い二人の子供達が登場する。そこで、エミールは子供達を抱き上げて、自分の子供だ、といってネリーに紹介する。ネリーは 恋した男が以前、土地の女と結婚していたことを、知って衝撃を受ける。そしてエミールを、許すことが出来なくなる。ネリーは、エミールの前から逃げるように立ち去り、エミールが会いに行っても もうネリーは エミールに会おうとしなかった。ネリーは勤務地変更願いを出していた。
海兵隊のジョセフがエミールとともに、島から消えた。後になって、ネリーは 二人が日本軍の基地に潜入したことを知る。エミールの屋敷に残された二人の子供達が 気になってネリーは屋敷に通って、子供達を世話するようになる。天使のように心の美しい子供達を見ているうちに、ネリーは自分が本当にエミールを愛していたことに気がつく。そこにジョセフの死の知らせが入り、、、。
というお話。
映画が公開されて、日本でも空前のヒット作になった。ロードショウを銀座で観た記憶がある。12歳くらいだったか。画面の美しさと、「バリ ハイ」を歌うジュアーニ ホールの素晴らしい迫力に見惚れた。緑輝く南太平洋の島々、透明なエメラルドグリーンの海、ジョセフが恋をする島の娘の可憐な可愛らしさ、ロッサノ ブラッテイの素敵なナイスミドルぶり。何もかも美しくて素晴らしく、心ごと南太平洋に持っていかれそうな思いだった。
ロッサノ ブラッテイは、キャサリン ヘップバーンとの共演、「旅情」、「愛の泉」などで、すでに知っていて、中年男なのに いつも恋する男の役で目がウルウルする姿に、魅かれていた。12歳なのに!
それにしても ミュージカルのせりふに何度も何度も出て来る「ジャップ」、「ジャップ」という言葉が今になると気に障る。子供の時には知らなかった時代背景や社会関係が分かってみると いやはや何ともこれは お気楽なアメリカミュージカルだった、と思う。
それと、軍規のゆるさ。従軍看護婦が 自由奔放に兵士達と恋愛して、休日(!)には好きな兵士と手を組んでデートする。看護婦たちは駒鳥のようにさえずりながらスイスイと飛び回り、気に入った相手と恋愛したり基地内で結婚したり、戦争中だというのに地元の名士が開催するパーテイーに招待されて飲んだり食べたり、社交している。まるで当時の日本軍の軍規からみると絵空事のようだ。これは、米軍のプロパガンダ映画だったのか。
ストーリーだけをみると 日本で空前のヒット映画というのが嘘みたいだが、当時貧しかった敗戦国日本にとって、こうした明るくて楽しい映画が必要だったのかもしれない。
オペラオーストラリアが このミュージカルをやることになってエミールの子供達を選ぶオーデイションがあった。10歳の息子役に選ばれたジャスパー リロイドは、ポリネシア系のオージー。祖母がバレエ教師、母も叔父もシンガーでダンサー、本人は3歳のときから ダンスを習っていて、バレエだけでなく、ジャズダンス、ヒップホップもタップダンスもお手の物という多才な子供だ。きれいなボーイソプラノを聴かせてくれた。
父親のフランス人、エミール役を演じたテデイー タフ ロイドはオペラオーストラリアではおなじみのバリトン歌手だ。2メートルも背丈のある、がっしりした体格で、おなかに響く美しい低音を聴かせる。 残念なのは、主演女優のネリー役の、リサ マクイン。彼女は、もともとミュージカル俳優なので、声量がなくテデイ タフ ロイドとのデュエットでは、生彩に欠けることだ。
しかし、一番悪かったのは ブラデイマリー役のケイト セベラノだ。「南太平洋」を観に来た人は 10人のうち9人は「バリ ハイ」の歌を聴きに来たのではないだろうか。ブラデイマリーは、体重150キロはありそうな土地の女で、基地に自由に出入りして、兵士達にココヤシの民芸品や装飾品や ミイラになった人の頭を50ドルで売りつける。ジョセフ中尉に、年端もいかぬ娘まで差し出す商売女で、煮ても焼いても食えない女だ。そんな巨漢が バリ ハイの歌ひとつで、人々に、この世のものと思えない夢の島を見せてくれる。昔、映画でこの歌に 感動して完全にノックダウンされた。しかし、オペラハウスで観たブラデイーマリーは声量のない貧相な女で、最低だった。ロックを聴きに行って、浪花節を聞かされたようなものだ。
プレミアチケット二人分と、オペラハウスの駐車券を入れると500ドル。オペラハウスは、こんな悪い商売をしてはいけない。オペラ好きには全然観る価値のない公演だ。ミュージカルにミュージカル以上のものを求めてはいけないのならば、オペラハウス以外のミュージカルシアターで、半額の値段で公演するべきだ。
2012年8月16日木曜日
映画 「ザ サファイヤズ」
オーストラリアの先住民アボリジニーの人々は 独自の優れた文化と芸術を持っていることで知られている。人類のうちで最も古い歴史をもった狩猟民族で 4万年前にすでにオーストラリア大陸で、岩に動物の姿や狩りをする人の姿などを描いている。シロアリで空洞になった樹でできたデイジュリトウという楽器を吹きながら、踊る、音楽家達でもある。
いまは、ギターをもって、カントリー調のソウルを歌う人が多く、アイドルになっている人も多いが、もって生まれた音感の良さと、リズムを打つ正確さには真に驚かされる。シンガーソングライテイングでは、独特の哀調を帯びた作風、また自由自在に転調に転調を重ねて音をつないでいく巧みさは、全くまねができない。
アボリジニー出身の映画監督も、みな若いが、ブレンダン フレッチャー、イワン セン、ワーリック トーントンなど優れた映画作りをする人が出てきた、。この映画「ザ サファイヤズ」も、アボリジニー出身の監督、ウェイン ブランによって作られ、今年のカンヌ映画祭で、初めて上映されて、高く評価された。
映画は、1950年末から1960年代に、実際あった、リアルストーリー。全米で黒人解放、公民権獲得運動が、ベトナム戦争を背景に嵐のように広がった、その時期のお話だ。同じ頃、オーストラリアでは まだアボリジニーに選挙権もなく、対等な人間として扱われていなかったが、アボリジニの女性歌手のグループが ベトナムに送られて、戦闘の最前線を慰問してまわったという あまり知られていない事実を映画化したもの。脚本家のトニー ブリッグは、自分の母親と叔母さんが、実際に、映画に出てくる歌手だったそうだ。コミカルなラブロマンス。笑わせてくれるが 作り手のメッセージは、強くて確かだ。
監督:ウェイン ブラン
脚本;トニー ブリッグ
キャスト
デイブ:クリス オドウ
ゲイル:デボラ メイルマン
ジュリー:ジェシカ マウボーイ
シンシア:ミランダ タペル
ケイ :シャリ セベン
ストーリーは
1958年 ヴィクトリア州の田舎町で婦人会主催の歌のコンテストが行われることになった。そこに審査員としてメルボルンから、スカウトマンのデイブが招待されてきた。審査員といっても、アイルランド人のデイブは、ポンコツ車で寝泊りして移動しながら、地方回りをしてきた、歌手になりそこねたアルコール中毒のうらぶれた男だ。歌のコンテストが始まってみると、着飾った婦人会の面々を前に、音の外れた歌手や、間の抜けた腹話術氏など、この田舎町ではとてもスカウトの対象になるような技能をもったものは見当たらない。いい加減、デイブがあくびをかみ殺すのも面倒になった頃、コンテストが終わる寸前に、駆けつけてきた3人のアボリジニー達に 婦人会一同は、ざわめきだす。アボリジニーと同じ部屋にいることを拒否して、部屋を猛然と出て行く人、舞台に背を向けて大声で話し出して コンテストを妨害する人々。一様に、無視しながらも、ちらりと彼女たちを見る時は、汚物でも見るような険しい顔だ。
3人は厳しい視線や、気まずい空気を気にせずに、美声で歌い始める。やっと音楽らしい音楽を耳にすることができて、スカウトマンのデイブが嬉しくなって、つい、ピアノ伴奏を始める。さて、今日のコンテストの優勝者は、と、デイブが記念の盾を彼女達に渡そうとすると 婦人会は怒り狂う。「アボリジニーは、森で狩りでもしていたらいいでしょ。」と。婦人会によって、3人のアボリジニーとデイブは、会場からたたき出されてしまった。
ゲイルとジュリーとシンシアは、3人姉妹だ。いつも歌が好きで歌ってばかりいる母親に育てられた。姉妹喧嘩をしても、母親が歌いだすと、自然といつの間にか、そろって声を合わせていて、いつの間にか喧嘩していたことが忘れられてしまう。家族は町から離れたアボリジニーのコミュニテイーで暮らしている。3姉妹は、仕事が欲しかった。しかし、街で白人に混じって働ける職場など 探してもみつかる訳がない。スカウトマンに出会った3人は、「米軍 歌手を求む」という新聞広告をデイブに手渡して、自分達をプロモートして、米軍に売り込んで欲しいと頼み込む。それは、ベトナムの戦場にいる兵士達を慰問する仕事だった。
デイブは、すっかり本気になって、彼女達3人に従姉妹を加えた4人のグループに、歌の振り付けやコーラスの技術を教え込む。グループの名前は「ザ サファイヤズ」だ。そして、無事オーデイションに受かって一行はハノイに向かう。
デイブに引き連れられて、彼女達が着いたところはベトナムの戦火の中だった。娘達はオーストラリア社会で存在を認められず、どこに行っても鼻つまみにされることに慣れてきたから、黒人兵の多い米兵達から歓迎され、仲間として大切に扱われて、嬉しかった。米兵達は明日の命の保障もない戦場で 戦闘の合間には 酒とドラッグとセックスに溺れた。そんななかで、4人の女の子たちは 兵士達のマスコットガールとして、もてはやされた。
ザ サファイヤズは米軍の拠点から拠点へと移動しながら歌い続ける。しかし、戦況が厳しくなり、前線基地で激しい爆撃にあい、デイブは銃弾に倒れる。4人はサイゴンに戻ることになり、やがて戦況悪化とともに、オーストラリアに帰国することになって、、、。
というお話。
ひょろひょろして、頼りないデイブが 4人の元気なアボリジニーの女の子の勢いに押されてばかりいる、掛け合いがコミカルで笑える。4人のしっかり者に、どやされたり、たしなめられたり、懇願されたり、泣きつかれたりしながら あたふたと4人をプロモートして売り出して成功させるデイブの姿が おかしいが憎めない。差別に正面からぶつかっていく4人の足を地に付けた確かさに感動する。
初めの頃の、母親が「イエローバード」を歌いだすと、娘達がひとり、またひとりと歌に加わって、美しいハーモニーになるところが印象的だ。
時代背景を説明する目的だろうが、アボリジニーコミュニテイーのみんながテレビの前に居て、マルチン ルーサー キングが暗殺されたニュースが流れるシーンがある。キング牧師の演説に聞き入るアボリジニーの人々、、、感動的なシーンだが、このころ1960年末から1979年代のかけて、コミュニテイーに電気はなかったと思う。一般のオーストラリアの間でも 1950年代にテレビはあまり普及していなかった。
だいたい、アボリジニーに選挙権が与えられたのが、1963年のことだ。ヨーロッパやアメリカの先駆けて、世界で初めて女性に選挙権を認めたオーストラリアにして、自分達の先輩たちである先住民を公式に国民として認めたのは、それほど遅い時期だった。
日本では、アイヌの土地没収、アイヌへの日本語使用義務、改名による戸籍への編入を強制した「北海道旧土人保護法」が 廃止されたのが1997年。「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択されたのが2008年のことだ。 ことほどさように どの国でも先住民は 奪われ、虐げられ、その人間としての権利が認められ、尊厳が回復されるには、長い長い時間が必要だったのだ。
私がオーストラリアに来た16年前には、一般オーストラリア人とアボリジニーの平均寿命に、20年の差があった。アボリジニーは20年も早く糖尿病やアルコール中毒による腎不全、肝不全で亡くなっていた。それが、教育や住宅、保険医療の改善などの成果で、17年となり、さらに差が少しずつ縮まてきている。
大きな病院の心臓外科病棟に勤めていたとき、ひとりのアボリジニーの患者が亡くなった。事態を知らされて待機していた患者の家族たちが 亡くなった患者を取り囲み、悲しい哀調のこもった歌を歌いだして、まわりを祈りながら、歌いながら舞った。その美しい歌を聴きながら、亡くなった患者の魂が 仲間にしっかりと抱かれている姿が、見えるような気がした。良い経験だったと思う。
この映画は楽しい映画だ。アボリジニー出身監督のメッセージは、受け止めた上で、楽しい音楽映画、ラブコメとして観るのが良い。
2012年8月13日月曜日
ベートーヴェン交響曲第9番 ACO定期公演
シドニーは真冬。一年のうちで、一番寒い8月。凍るような南極から吹いてくる強風に震えながら オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)定期コンサートに行ってきた。で、日本でも真冬に演奏されるベートーヴェンの交響曲第9番を聴いた。
ACOのリチャード トンゲテイが、棒を振るベートーヴェンに、エンジェルプレイスコンサートホールが一杯になって、立ち見の観客が出た。クラシックコンサートで立ち見なんて、シドニーで今まで聞いたことが無い。それほど「第9」が人気 というのに驚いた。まるで日本に居るみたい。
交響曲第9番の第4楽章の「歓喜」は、ヨーロッパ連合の歌。連合の統一性を象徴する歌として、ヨーロッパ各国から承認されている。近頃では経済危機で ギリシャ、イタリアに次いでスペインまで危なくなってきているけれど ヨーロッパは、連合として生き残るしか方法はない。ヨーロッパ連合の「歓喜の歌」が「悲哀の歌」にならないことを願うしかない。
1918年、第一次世界大戦集結の年の暮れ、ヨーロッパの平和への祈りをこめて、ライプチッヒのケバントハウスで12月31日に、100人の演奏家と300人の歌手とで、「第9」が演奏されたのが、始まり。以降、毎年これが繰り返し演奏され、1944年に、ケバントハウスが戦火で消失しても、再建され演奏が続けられた。
日本では、たくさんの演奏家達の間で クリスマスにはヘンデルの「メサイヤ」、大晦日には「第9」が演奏されるのが恒例になった。
東京両国の国技館では「5000人の第9」が、大阪では、「サントリー一万人の第9」が大阪城ホールで、広島では広島交響楽団による「第9ひろしま」が、演奏、合唱する。クリスチャンのバックグラウンドがない国で、これほどベートーヴェンの「第九」が愛されている国は他に無い。
決して簡単に演奏できる曲ではない。決して簡単に歌って 暗誦できるドイツ語の詩ではない。それを やりぬけてしまう日本人のパワーって、すごい と思う。
何十年も前だが、アマチュアオーケストラの仲間に入れていただいたことがある。夫の赴任先で 知人も友人も居ない。言葉が全く通じないことにショックを受けていた。家は畑の真ん中の一軒屋。孤独のどん底から 引き上げてオーケストラに受け入れてくれた音楽家達の優しさに、有頂天になって、2歳と3歳の子供を連れて練習に通った。クリスマスのヘンデル「メサイヤ」や、ミュージカルやバレエの演奏を一緒にさせてもらって、本当に嬉しかった。
さて、隣町の宜野湾市に公会堂ができることになって、こけら落としに「第9」をやることになった。ヴァイオリンのスコアを 初めて開いてみると、16分音符と32音符ばかりで 全然弾ける気がしない。ピッチカート、スピカート、トレモロばかりで 練習しても練習しても、弦をこする不快音がするばかり。必死に 練習して弾いてみるが 全然、音になっていない。案の定、合同練習が始まってみると コンダクターに「ねえ、ベタベタ弾かないでくれない?」と何度も注意される。ごめんなさい。でも、うまく弓を飛ばせない。ピタリと全体が休符にはいるところで 私だけが音を伸ばしていて締まるところが締まらない。練習のたびに半泣きだった。「メサイヤ」と全然ちがう。音の密度も、難易度も他の曲と比べ物にならない。
だから私にとって「第9」は 「歓喜」ではなかった。いまでも思い出すと冷や汗が出る。でも聴くのは大好き。いつ聴いても心を揺さぶられるような感動をする。
フリードリッヒ フォン シラーの詩「歓喜に寄す」を読んで 感動した22歳の若いベートーヴェンが いつかこの詩に曲をつけて交響曲にしよう とずっと思って 生涯暖めて最後の交響曲に全力を投入して作曲した作品。ひとつの小節 ひとつの楽章にも気が抜けない。考えて考えて工夫に工夫を凝らして作られている。偉大な作品だ。
演奏:オーストラリアチェンバーオーケストラ
指揮:リチャード トンゲテイ
ソプラノ:ルーシー クロウ
アルト :フィオナ キャンベル
テナー :アラン クレイトン
バリトン:マチュー ブロック
合唱 :ケンブリッジ クレアカレッジ合唱団
メゾソプラノ以外全員 歌い手はイギリス人。ケンブリッジ大学からきた32人の男女合唱団は、とても40人足らずの合唱とは思えない声の篤さと響きをもった、迫力のある合唱団で、素晴らしかった。
チェンバーオーケストラは団員21人の弦楽グループだが、「ACOー2」という若手のオーケストラを育成、指導している。この中から助っ人を加えて、第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ5人、ベース1人というメンバーだった。
これに吹奏楽器を加え、さらにテインパニーもシンバルもトライアングルも「第9」には必要だ。リチャード トンゲテイがコンサートマスターでヴァイオリンを弾きながら指揮もするのは、いつものことだ。だけど、合唱が加わって、指揮に力が入って、弓で指揮するたびに、見ているのにハラハラしてしまう。「わー、、国宝ガダニーニのヴァイオリンと弓なのに、どこかにぶっつけなければ良いけど、、」という心配だ。さすがに、リチャード、合唱の後半は ヴァイオリンを横に置いて指揮していた。
素晴らしい。
低い弱音で 奏で始められるチェロによる歓喜の歌のテーマが、やがてヴィオラに代わり、ヴァイオリンになり、音が徐々に大きく広がっていく。そして、大合唱の大爆発。
天に響け とばかりにオーケストラが鳴り、合唱が重なる。胸が開かれる思いだ。澱になって沈んでいた心のすべてが流れ出して、自分の胸にあるものが解放されていく。この世のものと思えない、力強く 清らかな天使の声を聴く。
素晴らしい演奏と合唱だった。
ほとんどの人々が ブラボーと叫び、立ち上がって拍手の嵐になった。
鳴り止まない拍手。
でも2回ほど お辞儀をするとサッサと引っ込んで二度と舞台には戻ってこないリチャードたちACOの面々。拍手の嵐が鳴り止むころには、団員達はもう車で家に向かう途中だ。
そういうところ、ACOが大好き。
2012年8月6日月曜日
映画「エイブラハム リンカーン バンパイヤーハンター」
エイブラハム リンカーン(1809-1865)は、日本人に最も親しまれているアメリカ大統領ではないだろうか。ワシントンを旅行した人は 必ずワシントンDCの記念館で、どでかい彼の椅子に座った銅像を見物させられるだろうし、リンカーンと言われて、すぐに眉の太い ヒゲ顔の暗い、憂鬱そうな怖い顔を思い浮かべるだろう。歴代アメリカ大統領のなかで 顔と名前が一致する人はそれほど居ない。顔写真をみて名前を挙げるというゲームをしたら ジェファーソン、マッカーシー、トルーマンなど すぐには思い浮かばない。GHQのマッカーサーでさえ あのレイバンのサングラスがなかったら 顔を見ても分からない人のほうが多いだろう。
それだけリンカーンが日本で知られているのは、何故だろう。
小学校低学年の教科書で、リンカーンと桜の樹のエピソードがあった。幼いエイブラハムが父親に斧をもらって、嬉しくてつい父親の大事にしていた桜の樹を切ってしまった。隠しておきたかったが、勇気を出して父親に事実を告げ謝罪した。父親は彼を叱らずに 自分の過ちを認めた彼の勇気を褒めた。という美談だ。小学校で先生が得意そうに 生徒にこれで説教するのを聞きながら、なんか陳腐な話しだと、子供ながらに冷笑していた。この頃に桜の樹がケンタッキーに生育していたとも思えない。作り話だ。
また 彼の有名な演説 オブピープル、バイピープル、フォーピープルを知らない人は居ないだろう。奴隷制拡張に反対し、アメリカ合衆国を二分し、議会の承認なしに 独力で南北戦争を指揮した。同時に、インデアンを保留地に追い込み、民族浄化ともいえる大虐殺を指揮した。そして、南軍のロバート リー将軍が降伏し、南北戦争が終結した直後に 暗殺された。
彼のいうピープル(人民)のなかにアフリカンアメリカン(黒人)も、インデアンも入っていない。奴隷制は終息したが、選挙権などの基本的人権は全く認めていない。もともとリンカーンは 黒人が白人と同じ対等な人間とは思っていなかった。まして、インデアンに至っては、抹殺すべき人類の敵だと考えていた。
しかし、いま彼は「奴隷解放の父」と呼ばれ、アメリカフロンテイア精神の代表者、パイオニア(開拓者)の代表者として尊敬されている。丸木小屋で育ち、無学の両親のもとで、斧で樹を切ることに長けていた。独学で学問をして 弁護士となり、大統領にまで登りつめたことは偉業に違いない。
映画「エブラハム リンカーン:バンパイヤーハンター」3D を観た。
原作: セス グラハム スミス
監督: テイムール べグマンベトフ
製作: テイム バートン
キャスト
リンカーン:ベンジャミン ウォーカー
妻マリー :マリー エリザベスウィンステット
幼馴染ウィリアム:アンソニー マックフィー
親友ヘンリー:ドミニック クーパー
吸血鬼バドマ:エハン ワーソン
吸血鬼アダム:ルフ セウェル
ストーリーは
第16代目アメリカ大統領エイブラハム リンカーンの本業は 吸血鬼狩りだった。夜な夜なリンカーンは斧を振り回して吸血鬼を退治していた。そして、ついに吸血鬼との全面戦争、南北戦争に突入する。南部アメリカに、はびこっていた吸血鬼は アメリカ征服を企んでいたため、北部の人間との全面戦争を避けられなかったのだ。奴隷解放は、吸血鬼の食料源を断つために必要だった。厳しい戦争を勝ち抜いて、ついにアメリカは人民の、人民による、人民のための国家を建設することができました。
というお話。
ここまでアメリカの現代史を茶化すことができる、ということに、まずびっくりした。この小説「バンパイヤーハンター リンカーン」(2010年)が人気小説になり、それをテイム バートンが映画にしてしまう というのも、すごい。カザクスタン出身のロシア人が監督して、奇才テイム バートンが製作すると、立派な作品になってしまう、ということも驚きだ。
リンカーンが振り回す斧で吸血鬼がぶっちぎれて 血肉が吹き飛ぶという予告を読んでいたので、怖くなったらすぐに映画館を出るつもりで最初から端の席で脅えていた。しかし、映画が始まったとたんにストーリーに引き込まれて、とてもおもしろくかった。
リンカーンンが斧ひとつで、バットマンと、スパイダーマンと、アイアンマンと、ハルクと スーパーマンを足したくらいの活躍をする。そんな彼が家に帰れば 無名の好青年。妻メアリーとのロマンスも感動的だ。
印象に残った大スペクタクルは二つ。
ひとつは 暴れ馬が200頭くらい暴走するシーンだ。馬に飛び乗って逃げる瀕死の吸血鬼をリンカーンが追う。臨場感いっぱいの馬の群れのなかで、飛び乗って、振り落とされたり、馬から馬へと乗り移ったりしながら、片手で斧を振りかざして戦う一騎打ちのシーンが迫力がすごくて 手に汗を握る。
もうひとつは、列車で武器を満載して南部戦線に向かうリンカーンたちを、吸血鬼が襲い、橋が崩れ落ち、列車が火に包まれるシーン。橋が落ち、列車が次々と谷底に落ち、リンカーンらが乗った車両は落ちても、済んでのところで助かるに決まっているのだけど、いつもハラハラする。
また着飾った吸血鬼たちが、屋敷で晩餐会を開催している。モーツアルトの曲に合わせて 人々は優雅に踊り、飲み、楽しんでいる。シャンデリアにシャンパンに、贅沢なお客たちの衣装。そこで、突然、屋敷主が 「皆様、お食事の支度ができました。」と言ったとたんに 吸血鬼たちが ダンスで手を組んでいた相手の咽喉笛にガブリと食らいつくシーンが おもしろかった。
アメリカ版ブラックユーモア健全 ということか。すっかりおもしろくて、リンカーンの活躍に感動すらしてしまった。日本では、吸血鬼を東電にあてはめて見ることもできる。斧ひとつで退治してくれる 日本版リンカーンが居ないだけだ。